第一章 第四話 妖怪坂

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん、牛込うしごめ署から第一連隊だいいちれんたい
報告があったそうです。
――巡視パトロールが必要かと……
その報告ですが、
いつもと様子が違うんです――
帆村ほむら魯公ろこう
妖怪ようかいを見たと、そういうんじゃよ。
近代国家になって、
七十年にならんとするが、
まだあやかしが潜んでおるのか……
喪神もがみ梨央りお
隊長、あくまで、報告です。
確認できたわけじゃないです――
帆村ほむら魯公ろこう
だがな、街を歩けば、
まだ方々に江戸の闇が残る――
そんなお江戸を残す片隅かたすみに、
百鬼夜行ひゃっきやこう有象無象うぞうむぞうがいても、
おかしくはないだろう。
喪神もがみ梨央りお
そうかも知れませんが、
この近代的モダンな時代に妖怪だなんて。
なんか、似合いません。
帆村ほむら魯公ろこう
明治の末期に起きた、
千里眼せんりがん事件は知っておるか?
催眠さいみん術や透視とうし術を科学者が検証し、
結論、それらは科学にあらずとした。
だが、大正期を通じて霊異りょういへの関心、
依然いぜん、くすぶり続けておるんだよ。
芥川龍之介あくたがわりゅうのすけ幽霊ゆうれいについての考察を、とある雑誌に寄せておる。
皆が興味を持つもの、求めるもの、
そういうのがひょいと現れる、
それが今の帝都の状況だろう。
今回の調査依頼いらいも裏に何かあるぞ。
妖怪ようかいとやらが目撃されたのは、
えーっと、梨央りお、どこであったか?
喪神もがみ梨央りお
紀伊国坂きのくにざかです、赤坂見附あかさかみつけから、
四谷よつやに登る、外堀そとぼりに沿った道です。
帆村ほむら魯公ろこう
目撃はちょうど日の入り時分じぶん……
そのこく逢魔おうまどきというからな。
おお! ちょうど今だ、風魔ふうま!!

紀伊国坂きのくにざか

赤坂見附あかさかみつけから北へ、
登り坂の電車通がある。
そこは紀伊国坂きのくにざかと呼ばれている。
暮れなずむ時刻、
鬱蒼うっそうとした屋敷林やしきりんの陰で、
あたりはすでに夜の側にいるようであった。

【四谷の娘】
怖い目にったら、人生よろづ相談。
――私の読む猟奇りょうき婦人の最新号に、
そんな案内がありましたわ。

【繊維問屋のサラリーマン】
新聞に載ってた妖怪譚ようかいたん
確か紀伊国坂きのくにざかでしたよね。
でも正体は
怪人かいじんかもしれませんね……

【船会社のサラリーマン】
さっき興亜日報こうあにっぽうの記者がいたよ。
妖怪のこと、特集組むんだって。
興亜日報こうあにっぽうって
新京シンキョウに本社があるよね。
妖怪見たかってかれたけど、
僕は駄目だ、見ちゃいないんだ。
でも前の怪人特集、面白かった、
そう言ったら、喜んでいたよ。
あれは力の入った特集だったよね!
それじゃ、僕は用事があるんで。
失敬しっけい

【呉服商の妾】
ひどい……
あんまりだわ――
あの男……
自分のあきないが左前だからって
私を疫病やくびょう神呼ばわりするなんて!
きっと……きっと……
あの高利貸しのところの娘と
ねんごろになったに違いない!!
あああ、畜生ちくしょう
ゆるさないわ!

【呉服商の妾】
あの男!
絶対にゆるさない!!

《バトル》

【呉服商の妾】
一体、どうしたのかしらね。
アタシ、時々血がのぼって……
何だか、疲れたわ。

【省線貨物の車掌】
私ね、肺病の妹がうとましくてね。
血を分けた兄妹きょうだいなのにね、
どうしてそう思うのか――
一人悩んでも解決しませんよね。
それで神田かんだの相談所に行きました。
ラヂオで宣伝せんでんする人生よろづ相談。

【省線貨物の車掌】
そしたらね、そんな死にかけには、
カルモチン盛りなさいって。
だからね、私ね、盛ってやりました!
カルモチン、一びん、丸々とね。
あの妹はね、目玉、ギロギロさせて、
オホホホ~、見ものでしたよ!!

《バトル》

【省線貨物の車掌】
妹が死んだだけで、私の中では、
何も解決していない気もします。
人生よろづ相談、どうなんです?

【巡査】
おい、コラ!
さっきからここで何してる?
あっ、これは失礼しました。
その徽章きしょう山王さんのう機関の方でしたか。
ご苦労さまです。
この辺にあやかしの出る噂があって、
巡視パトロールするように命が下りました。
今のところ、何もありません。
ただ、ここではなく市ヶ谷いちがや
怪異かいいを見たという話を聞きました。
この情報が、
何かのお役に立てば良いのですが。

若松町わかまつちょう

市ヶ谷いちがやにほど近い若松町わかまつちょう
屋敷林がなお残るこの界隈かいわい
人影もまばらでうら寂しい。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
市ヶ谷いちがや周辺のセヒラ濃度高いです。
警戒して下さい。

【貿易会社のサラリーマン】
実は生霊いきりょうだったりしますよ、
幽霊は。
今月号の猟奇りょうきグラフは生霊特集です。
さっそく私も生霊狩りに来たわけで。
さぁて、どの辺に出るんでしょうか、
見たら九字くじを切って撃退します。
その顛末てんまつ寄稿きこうするんです!

【近所の少年】
お兄さん、軍の人?
この近くにある合羽坂かっぱざかだけど、
去年の地図では消えてるんだ。
姉貴あねきに尋ねると、
士官学校があるから消すんだって。
何か秘密でもあるの?

【おかしな男】
ニャァ~ニャァ~
……ニャァ……

アンタには、オイラがわかるニャ?
――そういう人もいるニャか!
こりゃ驚きだニャ~
この人には隙間すきまがあるニャ。
オイラ、その隙間すきまに入ったニャよ!
なかなか、快適ニャ!
人間は背が高いニャね!
普段の景色も違って見えるニャ。
いつもえさくれるトメばぁさんが、
やけに小さく見えたニャ……
婆さんのせがれ日露戦争にちろせんそうで死んだニャ。
――アンタ、この隙間すきま閉じないと、
この人は他人に迷惑かけるにゃ!
オイラのことは気にしなくていい、
早く隙間すきまを閉じるにゃ!

《バトル》

【おかしな男】
アンタ、すごいニャ!
オイラ猫の徳次郎とくじろうニャ、
またどこかで会うニャんね!

ふぅ~
何だかくたびれた……
随分ずいぶん歩いた……
市ヶ谷いちがやからずんずん登り、
ここは若松町わかまつちょうですかな?
さて、私は……
いやね、小一時間も歩いた、
歩きに歩いたわけです。
頭ン中がなかうつろになって、
ただひたすら歩きました――
うつろ歩きと名付けましょうか。

内田百間うちだひゃっけん
ああ、申し遅れました、
僕は内田うちだ百間ひゃっけんといいます。
物書きのはしくれですよ――
もしや貴方は軍の方?
怪人騒動、軍の特務が鎮定ちんていすると、
作家仲間ではうわさですよ――
――私がうつろになったのは、
ひょっとするとこの本のせいかも。
神田かんだの古書店で求めたものです。
人をして怪人ならしめる、
そういう本のあることも、
作家仲間に伝わります……
この本、どうなんでしょうか?
私のうつろ歩き、この本のせいでは?
何だか気になってきました!
中身は皆目かいもく――
どうですか、お持ちくださいますか?
よくよく、研究してください。

内田百間うちだひゃっけんが差し出した古書は、
留め具のある立派な革の装丁そうていをしており、由緒ある書物のようであった――

内田百間うちだひゃっけん
貴方とはご縁がありそうです。
またお会いできるでしょう。
いやね、ただの作家の勘ですが――
【着信 喪神もがみ梨央りお
若松町わかまつちょうの辺り、
セヒラは観測されません。
もう大丈夫かと思います。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
あの内田百間うちだひゃっけんに会うとは!
一昨年おととし百鬼園随筆ひゃっきえんずいひつで、
一気に人気に火がついた先生だ。
夏目なつめ漱石そうせきの門下で、
芥川龍之介あくたがわりゅうのすけとも交流をお持ちだ。
それにしても……
作家先生らは耳聡みみざといなぁ。
本のことも聞き及んでいるとは――
それで、本のせいでうつろになったと、
そう言うんだな……
あの辺りを小一時間も歩いたと。
かつて百間ひゃっけん先生、
砲工学校で教えていたからな、
若松町わかまつちょうの土地勘は十分だろうが。
その本、早速、鑑定を頼もう。
帝大のつた博士に連絡するぞ――
本がゴエティアであればだが、
百間ひゃっけん先生、なかなか興味深いことに
なりそうだのう――