第一章 第八話 アーネンエルベ

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

その日、山王さんのう機関本部に来客があった。彼女がここに来るのは久しぶりである。
地下100メートルの本部にパッと光が射した――

如月きさらぎ鈴代すずよ
今日はお招きいただき――
あら! 風魔ふうまさん……
どうしたんですか、その格好は?
帆村ほむら魯公ろこう
いやぁ、鈴代すずよさん!
わざわざお越しいただいて……
鈴代すずよさん、
お願いしたいことがあるんです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
私に出来る事なら……
帆村ほむら魯公ろこう
いつもと趣向を変えて、
弟、風魔ふうま引率いんそつ願えませんか?
喪神もがみ梨央りお
弟……
兄さんが……鈴代すずよさんの弟ですか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
うふふ……
何だかわかったような気がしますわ。
帆村ほむら魯公ろこう
申し訳ないが、どうだろうか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
も、申し訳ないだなんて、そんな、
風魔ふうまさんの方こそご迷惑では……
帆村ほむら魯公ろこう
セルパン堂はよくご存知ですな。
四谷よつや区にある古書店です。
如月きさらぎ鈴代すずよ
はい、ぞんじております。
帆村ほむら魯公ろこう
仲の良い姉弟あねおとうとのようにして、
風魔ふうまを連れ立って欲しいのだ。
――純情青年の風魔ふうまをな。
喪神もがみ梨央りお
うふふ……
そのりなら、兄さん、
すっかり弟ですね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
…………
帆村ほむら魯公ろこう
東京にとついだ姉が、
上京してきた書生しょせい風情ふぜいを連れている、
そういう按配あんばいなのです。
今回の四谷よつや行き、重要でしてな。
身分が知れると厄介やっかいなのですよ。
風魔ふうまのことを調べている連中がいて、
その目をあざくというわけです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
承知しました。
帆村ほむら魯公ろこう
そのなりで、しかもあなたと一緒だ、
風魔ふうまのことが見破られることは
ないでしょう。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そうだといいのですが……
帆村ほむら魯公ろこう
鈴代すずよさん、改まって申しますが、
あなたのお力添ちからぞえ、
常々、感謝しておるところです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そんな……
たいしたことは出来ておりません。
それに……
東雲しののめの流派も閉じてしまい、帆村ほむら流の発展をお祈りするばかりです。
帆村ほむら魯公ろこう
しかし、よくぞ決断されました。
東雲しののめ流から継いだ奥義おうぎの数々、
責任をもって守り抜きますぞ。
喪神もがみ梨央りお
兄さん、公務電車は塩町しおまちまで行かず、
四谷見附よつやみつけの先でめます。
そこから歩きになります。
如月きさらぎ鈴代すずよ
四谷見附よつやみつけなら、塩町しおまちまで、
電停三つ分ですわ。
帆村ほむら魯公ろこう
よし、では早速、出かけてくれ。
用心するに越したことはないぞ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
それでは、参りましょうか、
風魔ふうまさん。
喪神もがみ梨央りお
朝五時に新宿しんじゅくに着く夜行があります。
兄さんはそれで上京したんです……
長野ながの、夕方の五時二十八分発です。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう! それは急行かな?
喪神もがみ梨央りお
いえ、普通列車です!
如月きさらぎ鈴代すずよ
それでは、さぞお疲れでしょうね……
帆村ほむら魯公ろこう
過ぎたる演技はいらんが、
目立たないようにはしてくれ。
いいな――

〔セルパンどうまえ

はたからは仲の良い姉弟にしか見えない二人――
公務電車を手前の四谷見附よつやみつけで降り、
電車通を歩いてセルパン堂まで来た。

如月きさらぎ鈴代すずよ
問題なく来られましたわ。
私、お役に立てたのかしら……

セルパン堂に入ろうとすると、
店内から一人の外国人女性が現れた。
店に入ろうと左に避けると女性も左へ、
右に避けると女性もまた右へ……
二人は同時に動きをやめた――

【美しい碧い瞳の女性】
――ごめんなさい……

女性はまさしく金髪碧眼へきがん――
その透明感のあるあおい瞳が風魔ふうま見据みすえた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、通してあげて――
【謎の白人男性】
どうしましたか、ユリア――

セルパン堂から姿を見せた白人男性は、
流暢りゅうちょうな日本語でしゃべった。

【美しい碧い瞳の女性】
今、こちらの方と……
【謎の白人男性】
君は、大学生でしょうか?
学校はどちらで?
この店に通うとは、
なかなか研究熱心なようです。
【美しい碧い瞳の女性】
──美しい瞳……
まるで黒曜石のように深く黒く……
【謎の白人男性】
ユリア、どうしました?
日本人は誰でも黒い目ですよ、
違いますかな?
その黒さゆえに、考えが読めない、
私は常々そう思っています。
【美しい碧い瞳の女性】
考えがあるのではなく、
強い信念がある――
そんな風に思います。
【謎の白人男性】
なるほど――
いろいろあるものですね。
【美しい碧い瞳の女性】
――またおいできる。
そんな気がしますわ。

遠ざかる二人を見送った後、
鈴代すずよがそっとつぶやいた――

如月きさらぎ鈴代すずよ
今の方……
とても美しい方でしたわね。
あおい瞳に吸い込まれそうでしたわ。
…………
……それでは、お店の中へ。

〔セルパンどう
周防すおう彩女あやめ
あら、鈴代すずよさん、いらっしゃいませ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
こんにちは、彩女あやめさん。
周防すおう彩女あやめ
あ! そうそう、良い御本が
入りましたよ。
どこでしたっけ店長。

声に呼ばれ、奥から式部しきべ
のっそりと姿を現した。

式部しきべじょう
いらっしゃいませ、如月きさらぎさん。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、式部しきべさん。
式部しきべじょう
お待ちください。
石上神宮いそのかみじんぐう献茶けんちゃについての
古書を手に入れましてね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ、今日はあの……
式部しきべじょう
おや、そちらは……
ご一緒で?
式部しきべじょう
ああ、喪神もがみさんでしたか!
いやぁ、てっきり学生さんかと。
周防すおう彩女あやめ
あれ! 喪神もがみさん!
ごめんなさい、彩女あやめ
ちっとも気付きませんでした!
式部しきべじょう
ふーん、なるほど!
周防すおう彩女あやめ
店長……
あからさまに過ぎますわ。
式部しきべじょう
いやぁ、失敬しっけい
実に見事な変装ですね!
手を入れすぎていない所が良い、
あざとさを感じません。
喪神もがみさんの持ち味を引き出して、
そこに別な印象を注いでいる、
いやはや、巧妙こうみょうですね!
しかし……眼光の鋭さは……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさんって、
そんなに鋭い目でしょうか?
式部しきべじょう
ああ、鈴代すずよさんはそうは思われない、
そうなんですね?
幼馴染おさななじみだからでしょうね、
その印象がまさるのですよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そういえば、今しがた
外国の方が二人、
出て行かれましたが……
式部しきべじょう
ああ……
あれはアーネンエルベの者ですよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
アーネンエルベ?
式部しきべじょう
アドルフ・ヒトラー率いるナチ党は、
ある意味、狂信者の集団なのです。
自分たちの祖は超人的アーリア人、
その擅断せんだん的な独りよがりの思想に、
かれているのですよ。
神話の時代、アーリア人は
超能力で世界を支配したという
幻想を信じてるのですよ。
その神霊しんれいの力を取り戻し、
再び超人として世界を支配するために
研究調査組織が作られます……
如月きさらぎ鈴代すずよ
それが、アーネンエルベ?
式部しきべじょう
そう、彼らはアーリア古代文明の
証拠を世界各地で調査しつつ、
超人化の道を探求する者です。
周防すおう彩女あやめ
でも、どこかロマンチックな
話なのですわ。
式部しきべじょう
そうだね彩女あやめ君。
だが、幻想とロマンには
危険がつきものだ。
ナチスSS親衛隊長官のヒムラーは、
本国に先駆けてアーネンエルベを
昨年、東京に開設しました。
アーネンエルベ極東分局といいます。
独逸ドイツ大使館内にあり、
今年、本格稼働し始めた模様です。
局長はルドルフ・ユンカー博士。
神智しんち学方面の権威だとか。
その真面目にキの付く偉い先生が、
魔道書ゴエティアにまで
手を出してきたのですよ。
ま、ある意味正解なんですが……
如月きさらぎ鈴代すずよ
ゴエティアの召喚術……
鬼龍きりゅうさんが学んだのも独逸ドイツ……
式部しきべじょう
そして散逸さんいつしたゴエティア偽典ぎてん
まさにこの店にある……などと、
何処どこでどう知ったのやら……
――価値も分からず、
一見いちげんのお客様に
お売りいたしました――
遠い国にまで聞こえる書であるなら、
それはいかほどの価値なのか、
是非ぜひともご教授いただけませんか――
と、まあ、こんな感じにとぼけて
おきましたが、どこまでこちらを
信じたことやら……
さて、そういうわけで山王さんのう機関様。
これが渦中かちゅうのゴエティア偽典ぎてん
お買い上げ有難うございます。

そう言って式部しきべ風魔ふうまに古書を手渡した。彩女あやめ怪人かいじんに奪われ、風魔ふうまが取り返したあの本だ。

式部しきべじょう
あの時あなたに渡してしまえば
早かったんですけどね。
少々確認事項があったのですよ。
では、帆村ほむらさんによろしく
お伝えください。

若松町わかまつちょう

【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがや近辺にセヒラ観測しました。
用心してください、黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし

【無表情な女】
待っていた……
何時間も、ここで……
――本、お前の本……

【無表情な女】
……ゴエティア、ください……

《バトル》

【無表情な女】
ゴエティア……を……
【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがや依然いぜんセヒラ高し。
まだ怪人かいじんがいるはずです!

【無表情な男】
…………

【無表情な男】
……ゴ・エ・ティ・ア。

《バトル》

【無表情な男】
感じろフュールン……恐怖アング

【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがやのセヒラ低下しました。
もう大丈夫かと思われます。
如月きさらぎ鈴代すずよ
待ち伏せをされていたのでしょうか?
――お怪我はありませんか?
今の人、独逸ドイツ語を話していました。
これ……おそらくあの人が
落としたものかと――
さっき話に上った独逸ドイツの秘密組織、
アーネンエルベと何か関係が、
あるのでしょうか?

それはややくもった水晶だった。
内側に幾筋いくすじもの真っ直ぐな金糸が
織り込まれたように入り、
金属的な光をはなっていた。
ガラス質の表面には、稲妻いなづまかたどった様な文様もんよう
り込まれ、黄色に彩色されていた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
まるで古代の文字のようですわ。
何かの魔力でも秘めていそうですわ。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
八号、つた博士から連絡があった。
式部しきべ君から本は受け取っているな。
お前はそのまま帝大に行け。
敵に襲われた以上、女史じょしの安全を
確保せねばならん。九頭くずを迎えに
やらせるからお帰りいただくんだ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
私、邪魔者なんでしょうか……
微力かも知れませんが、
お役に立てることがあればと思い、
こうしているのです。

砂埃すなぼこりを立て、一台の車が滑り込んできた。

九頭くず幸則ゆきのり
お迎えに上がりましたよ、鈴代すずよさん。
如月きさらぎ鈴代すずよ
幸則ゆきのりさん!
どうしたんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生から頼まれてね、
鈴代すずよを迎えに来たんだよ。
さぁ、乗ってくれ、
送り先はどこがいいんだ?
ところで、その格好
なかなか似合ってるぜ風魔ふうま
田舎出いなかで書生しょせいって感じだな。
俺には真似まねできない芸当げいとうだよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
幸則ゆきのりさん……
ご公務でお越しになったとはいえ、
私、まだ戻れません。
風魔ふうまさんに力添えできること、
あるのではと考え――
九頭くず幸則ゆきのり
――なるほど。
審神者さにわ鈴代すずよがいると、
風魔ふうまも心強いだろう――
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ、決してそういうことでは……
でも、今は戻りません。
幸則ゆきのりさん、お願いです、
わかっていただけますか?
九頭くず幸則ゆきのり
――しょうがないなぁ……
それで、お前達、どこに行くんだ?
さぁ、乗った、乗った、
銀座ぎんざ浅草あさくさ上野うえの……どこだい?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ありがとうございます!
幸則ゆきのりさん。