第二章 第二話 露西亜正教会の秘本

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

うららかな日和ひよりが続く帝都であるが、
相変わらず怪人騒動は頻発ひんぱつしていた。
鬼龍きりゅうの部隊も怪人鎮定ちんていに乗り出した。
怪人と戦を繰り広げることにより、
得られる情報は実に多い。
玄理げんり派はそれが狙いなのだろう――
そんな折、ある筋から魯公ろこうの元に、
耳寄りな情報が寄せられた――

帆村ほむら魯公ろこう
いつもとは趣向を変えてだな、
神田駿河台かんだするがだいはどうだ、風魔ふうま
なかなかいい街だぞ。

ひとたび公務とあらば、目的を強く
意識する魯公ろこうであったが、
今日はどことなく鷹揚おうように構えていた。

喪神もがみ梨央
隊長、駿河台するがだいに何があるんですか?
――あの辺だと、聖橋ひじりばし湯島聖堂ゆしませいどう
それに……ニコライ堂です。
帆村ほむら魯公ろこう
ニコライ堂、正式には、
東京復活大聖堂教会だ。
日本に正教会せいきょうかいの教えを伝えた、
聖ニコライの名を冠する聖堂だ。
日本正教会の本拠だな。
喪神もがみ梨央
露西亜ロシア正教会の
日本支部じゃないんですね。
帆村ほむら魯公ろこう
正教会はキリスト教の宗派だが、
国ごとに正教会を置く決まりなんだ。
だから日本には日本正教会。
露西亜ロシア正教会、希臘ギリシャ正教会等と並び、
日本正教会はそれで日本にある、
言わば本山みたいなものなんだよ。
喪神もがみ梨央
そのニコライ堂が、
どうかしたんですか?
――まさか、怪人が出た?
帆村ほむら魯公ろこう
梨央りおもなかなかに攻めるな。
ニコライ堂に機密の書があると、
そういう情報が寄せられたのだ。
第一連隊の刑部おさかべ大佐からの情報だが、
大元は……もしかすると参謀か、
あるいは、もっと別なところだ。
えてしてこうした情報は、
漏洩ろうえいしやすい。
風魔、ニコライ堂に向かってくれ。
機密の書は機密ミスティリオンという秘儀に
用いられると言うぞ。
神の恩寵おんちょうを授かる秘儀だ……
それに用いるという書だ、
ゴエティアだとしてもおかしくない。
喪神もがみ梨央
でも、神様なんでしょ?
ゴエティアは悪魔です、
悪魔を召喚する書ですよ。
帆村ほむら魯公ろこう
ゴエティアの悪魔も、元は神々。
時の為政者いせいしゃが悪魔として定義して、
はじめて悪魔は生まれる――
もおそらくは、
かが作っているのだ……
風魔ふうま、ニコライ堂だ。
機密ミスティリオンの書を預かり、鑑定に出す。
――話は付いているはずだ。
借り受けたら例によって、
帝大の先生に見てもらおう。
喪神もがみ梨央
公務電車の経路ですが、
神田橋かんだばしから神保町じんぼうちょう
春日町かすがちょうに抜ける、
市電三十五番の路線を使います。

聖橋ひじりばし

江戸時代に掘られ、深い谷を成す駿河台するがだい外堀。
そこを渡る本郷通ほんごうどおりには、ニコライ堂と湯島聖堂ゆしませいどうを繋ぐように架かる橋がある。
ふたつの聖堂を結ぶため聖橋ひじりばしと名付けられたこの橋を渡った風魔ふうまは、ニコライ堂の司祭から機密ミスティリオンの書を預かることとなった。
そして今また聖橋ひじりばしに戻った風魔ふうまは、東京帝大ていだいつた博士の元へと急いでいた。

比類舎ひるいしゃの社員】
フフフ……
君たちがぎまわっても無駄だ。
計略は深層地下アンダーグラウンドで進行するのだ。

【サラリーマン風の男】
そこにいる将校、目付きが変です。
何か謀略ぼうりゃくでもたくらんでいるのでは、
ないですか?

一五市にのまえごいち
このたび、副長に任命された。
歩三ほさん、第九十九小隊だ。
――喪神もがみ風魔ふうま
隊命で貴様を迎え撃つのではない!
独断で戦闘をす、そう、
擅権せんけんの大罪も覚悟の上だ!!
貴様が借り受けた機密の書、
我々も興味があってな。
いち早く書を解読し、
部隊の強化にこれ努める。
副長として、当然の判断だ。
貴様も同意だろう、喪神もがみ中尉!
貴様に打ち勝つべく、
演習を繰り返した!
さぁ、整えろ!

《バトル》

一五市にのまえごいち
――まだ演習が足りないようだ。
いや、東雲しののめ流と独逸ドイツ召喚術、
この二つの調和が足りないのだ。
フフフフフ――
貴様と向き合うと得るものが多い。
いずれその書にある
我々も掌中しょうちゅうに収めるだろう。

帝大ていだいキャンパス〕

帝大キャンパス内は、
一種、異様な空気に包まれていた。
学生達も普段とは様子が違う――

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、帝大キャンパス付近、
セヒラやや高し。
気をつけてください。

少女は、あのユリアが
フロイラインと呼んだ
ホムンクルスだ。
風魔ふうまをじっと見据みすえている。

【不思議な少女】
気ニシナイ……フーマ……
ワタシ、支援者。

【落ち着かない様子の男】
秋毫ノ異しゅうごうのいという雑誌名は、
さすがインテリゲンチャですね。
秋に抜けるけものの毛と言う意味です。
秋は少ししか毛が抜けないので、
ほんのわずかなということで――
ささやかな異論、でしょうか?

【文科生H】
あなたも秋毫ノ異しゅうごうのいを買いに?
我々、赤門あかもん出版会はこの雑誌に
けているのですよ。
二十年前に惜しくも亡くなった、
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の革命思想、
それを今によみがえらせるのです。
――それとも……
まさか、お前は……
内偵ないていでは……

【工科生S】
我々の赤門あかもん出版会は、
大学の認可など、取っちゃいない……
我々はなかかわずではない!
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の思想は、
今の時代にこそ光明こうみょうたり得るのだ。
時代が、社会が、認可するのだ!

【法科生T】
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生が無政府主義者アナーキスト
なったのは、巣鴨すがも監獄に収監しゅうかんされていたときのことだ。三十年前だな。
先生は、一冊の本、露西亜ロシアの革命家、
クロポトキンの相互扶助そうごふじょ論を読んで、
大いに感銘かんめいを受けたのだ。
先生が明治天皇暗殺を企図きとして、
大逆罪に問われたのは衆知しゅうちのこと。
――その裏に葛木かつらぎ素朴そぼく先生がいる。
素朴そぼく先生も、同時期、巣鴨すがもにいた。
文民社ぶんみんしゃ活動で騒乱そうらん罪に問われたのだ。
――集会開いただけで騒乱そうらん罪だ!!

【法科生T】
秋水しゅうすい先生にクロポトキンの本を
読むように薦めたのは素朴そぼく先生だよ。
これを知る者は少ない……
素朴そぼく先生は述懐じゅっかいされていた――
ある日、一人の紳士の面会を受けた。
三つ揃えの背広を着た立派な紳士だ。
紳士が素朴そぼく先生に差し出したのが、
クロポトキンの本だったのだ。
先生は文民社ぶんみんしゃ活動の中心課題として
相互依存そうごいぞんの共産主義を唱えていた。
クロポトキンの本は刺激的だった、
これは想像にかたくないね。
我々は葛木かつらぎ素朴そぼく先生の革命思想を、
今に受け継ぎ、さらに洗練させ、
不穏ふおんの世に広めるつもりだ。
だが、どうやら邪魔が入ったようだ。
わかっていたぞ。お前、内偵ないていだろ!
特高か? ならば、どこの署だ?
フフフフ――
我々は言論だけではない、
論を支える力を備えたのだ!!

《バトル》

蔦博士研究室つたはかせけんきゅうしつ

ノックをしても返事がないので扉を
開けるとそこには以前と同じように
書物にもれたつた博士の姿があった。

つた博士】
おお、君か……
君は、確か、帆村ほむらのところの……
そうだ、喪神もがみ風魔ふうま君だ!
ゴエティアの偽典ぎてんの解読書、
それを受け取りに来たのだな。
わかっておる、わかっておる。
ほら、これじゃ。
受け取り給え。

博士は、ひもじられた冊子を
風魔に手渡した。

つた博士】
ゴエティアは実に興味深い!
原本はまだ研究したいのじゃ。
帆村にそう伝えてくれ。
さてさて、聞いておるぞ。
次のゴエティア偽典ぎてん
あるのじゃろう?

蔦博士は風魔から受け取った
機密 ミスティリオンの書をためつすがめつした――

つた博士】
おお……なるほど……
――確かに……
これは……実に面白い!!
だが、これは違うな。
ゴエティアではない。
稀覯本きこうぼんであることは間違いないのだが。
……内容も、なかなかのものじゃな!
これも少し研究させてくれ。
ところで、喪神君、
何故ゴエティアは分冊なのか、
考えたことはあるかね?
勿論もちろん、一冊にまとまれば、
一時いちどきに全てのを召喚できる――
それは大変危険だ……
しかし――
それだけではないように思うぞ。
前にも話したが、偽典は本来の
ゴエティアの書とは異なっておる。
の手で編纂へんさんされたものだ――
悪魔に兵器をそなえさせ、
異能者であればそれを指揮できる――
とは実にたくみな存在じゃ。
そのを少しずつ小出しにさせる。
まるで交響曲の譜面のように、
ある旋律がかもされているようじゃ。
一体、タクトを振るのは、誰なのか?
おおきな計略の中では、
喪神君、君らもわしも、
皆、将棋の駒だよ。
さて、駒は駒らしく、
さらなる研究にいそしむとするか。
のう、喪神君――
せいぜい捨て駒にならぬよう、
気を配る必要はあるがな。
また、書があれば教えてくれ。
帆村にくれぐれもよろしく――

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
ニコライ堂の本、ゴエティアでは、
なかったようだな――
つた博士の鑑定を待とう。
それで、帝大で革命家気取りが
動き始めたそうだな。
――これもセヒラの影響なのか……
強い思いが怪人化しやすい――
それぞれの立場で発現があるな。
帝大方面、観測を強化だ。
喪神もがみ梨央りお
承知しました、隊長!
六探の値、見逃さないようにします。