第二章 第三話 是枝大佐

山王さんのうホテルまえ

この日、魯公ろこう虹人こうじん風魔ふうまは、独逸ドイツから帰国した要人を出迎えていた。

帆村ほむら虹人こうじん
是枝これえだ大佐殿、独逸ドイツの動静、
いかがですか?
ナチ党の一党独裁ということですが。
僕も例の赤い本、余の闘争マインカンプ
読みはしましたが……
是枝これえだ大佐】
よもや虹人こうじん君、
ヒットラーかぶれではあるまいの?
帆村ほむら虹人こうじん
勘弁かんべんして下さい。ヒトラーは、
独逸ドイツ人でさえ、とっつきにくい、
認めたくない人物とのことです。
そんな人物だからこそです、
独逸ドイツ人は彼を支持するのです。
えぐい渋いも味のうち――
ベルサイユ条約で身動き取れない、
そんな独逸ドイツの現状を嘆き、
猶太ユダヤ人の排斥はいせきを叫ぶことで、
大衆層の支持を取り付ける――
あおればあおるほど、大衆は熱狂する、
その波は抑えられないでしょう。
是枝これえだ大佐】
伯林ベルリンいま汲々きゅうきゅうとしておる。
それに驚くべき物価高だ。
一頃ひところなど、給料が日に三度も
支給される始末だ。
朝昼晩でパンの値段が変わるのだ――
去年、ヒットラーは独逸ドイツ国家の
全権を掌握しょうあくし、総統の地位にいた。
もう誰も刃向はむかえない――
日本こちらはどうかの?
帆村ほむら魯公ろこう
血盟団けつめいだん事件、続く五・一五事件で、
社会に不穏な振動が広がりつつあり、
予断を許さない状況です。
街は一見すると震災復興を遂げ、
近代生活モダンライフ謳歌おうかしているようですが、
何かの拍子ひょうしに音のなくなる時が……
是枝これえだ大佐】
ほう……
一皮けばやみがあるとでも?
何か、暗示的であるな。
欧州では独逸ドイツの出方次第では、
また戦争になるやも知れん。
帆村ほむら魯公ろこう
我がくにとて対岸の火事では、
済みますまい。
満州国まんしゅうこく建国なるも、支那シナの方では、
抗日運動が高まりを見せ、また列強は支那シナほしいままにしています。
是枝これえだ大佐】
支那シナで戦争が起きると、
我が国の戦力が分散される。
その前に――
帆村ほむら虹人こうじん
支那シナとの戦争、起きそうなんですか?
是枝これえだ大佐】
支那シナで戦争が起きると、
露西亜ロシア人が黙ってはいまい。
支那シナを舞台に日ソの戦争になる――
ソビエトの脅威は、独逸ドイツとて同じ。
独逸ドイツとの間に何らかの協定なりを
結ぶ必要がありそうだな。
ところで、帝都の騒動は、
どんな状況かね?
帆村ほむら魯公ろこう
このところ、怪人の出現が、
にわかに活発化しておりまして――
山王さんのう機関も人手不足におちいるかと、
そのことは参謀本部にも具申ぐしんし、
方策を検討いただいております――
大佐、紹介します、喪神もがみ風魔ふうまです。
風魔よ、大佐は外交郵袋ゆうたいで、
魔導書を何冊も送ってくださった。
是枝これえだ大佐】
おお、君が喪神君かね。
独逸ドイツ駐在武官の是枝これえだじゃよ。
噂は耳にしておるよ。
帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじんは風魔と共に大佐をお送りし、
その後に帝大へまわってくれ。
帆村ほむら虹人こうじん
承知しました!
是枝これえだ大佐】
面倒かけて済まないのう。
本はもう着いているはずだ。
わしゃ、書には門外漢もんがいかんじゃ。
君ら、しっかり頼まれてくれんか。
帆村ほむら虹人こうじん
お任せください、大佐殿。

品川駅前しながわえきまえ

是枝これえだ大佐】
ところで湯川ゆかわ博士の中間子論、
発表になったが、日本ではどうじゃ?
帆村ほむら虹人こうじん
陽子や中性子を繋ぐのが中間子です。
その存在、湯川ゆかわ博士によって、
始めてつまびらかになりました。
参謀本部では、中間子の理論から、
新兵器の開発を期待する声も――
そんなこと、可能なのでしょうか?
是枝これえだ大佐】
うむ、ナチの連中も、
湯川ゆかわ論文を分析して研究しよるが……
歳をとると新しいことにうとくなるわ。
そうじゃ、どこかその辺で、
新聞でも買ってきてくれんかのう。
六年も独逸ドイツにおったで、
日本の今をよう知らん。
まるで今浦島だわ――

帆村ほむら虹人こうじん
駐独武官というからには、
ナチの幹部とも付合いがあるだろう。
大佐を監視対象に加えよう――
僕は是枝これえだ大佐の様子を見る、
風魔ふうま、新聞を頼む。

【本郷の止宿人】
この間、銀座ぎんざ幻燈会げんとうえが開かれたって。
寮生が楽しみにしていたよ――
あいつ、活動キネマとか好きだったから。
でも幻燈会げんとうえの夜から、あいつ、
寮に戻らないんだ。
どこ行ったんだい、一体?

【生真面目な巡査】
そこにまっている車はお前のか?
さっさとどかせ。
あ、失礼、
皇軍の御用でありましたか。

【謎の女給】
…………
ヨイ、オテンキ、デスネ……
…………
ハナシ、モウ、アリマセン……

【小石川の客】
せばいいのに博打ばくちにはまって、
身上しんしょう崩しかねないよ!
――自分の人生、何なんだ!

【新聞の売り子】
新聞だよー
今日は号外じゃないけど、
怪人の話も載ってるよ!
何でも銀座ぎんざ幻燈会げんとうえっていう、
幻燈げんとうを映す会に行って怪人化する、
そんな話だったよ。
それは興亜日報こうあにっぽう帝都版であった――
【新聞の売り子】
幻燈会げんとうえに行って、何を見るんだろ?
――おいら、とっても気になるよ!

【小石川の客】
銀座幻燈会げんとうえに出かけて、
自分がわかった気がする――
ムクムクと力がいてくるんだ!!
帆村ほむら虹人こうじん
こいつ、怪人なんだな!
風魔ふうま、お前をとらえているぞ、
すぐに鎮定ちんていしてくれ!!

《バトル》

【小石川の客】
やっと自分が見えたのに……
もう、見えなくなった――
残念だ……
帆村ほむら虹人こうじん
是枝これえだ大佐、お待たせしました。
是枝これえだ大佐】
おお、すまんな。
では家に向かってくれ。
大崎広小路おおさきひろこうじだ、わかるな。

是枝宅前これえだたくまえ

【是枝の娘】
あら、お父様、お早かったのですね。
もしや、第二伯林ベルリン丸ですか?
是枝これえだ大佐】
ああそうだ、一便早い船が取れた。
荷物はどうだ、届いておるか?
【是枝の娘】
昨日、届きましたわ。
飯倉いいくら逓信ていしん省の人が直々に――
郵袋ゆうたい五つでよろしいですか?
荷物はウラジミールさんが、
お父様の書斎に上げました。
是枝これえだ大佐】
よろしい。
さっそく大学の先生が
お目通しなさる。

【是枝の娘】
――お父様、
そちらのお二方も独逸ドイツから?
是枝これえだ大佐】
帆村ほむらの弟、虹人こうじん君と、
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉だ。
是枝これえだ咲世子さよこ
是枝これえだの娘の咲世子さよこでございます。
お見知りおきを。
帆村ほむら虹人こうじん
はじめまして、咲世子さよこさん。
是枝これえだ大佐には
お世話になっております。
是枝これえだ咲世子さよこ
あら? 虹人こうじんさんとは
以前お会いしたことがありましてよ。
お忘れかしら?
帆村ほむら虹人こうじん
これは失敬しっけい
人の顔をあまりおぼえぬたちなのです。
【謎の外国人】
咲世子さよこさん、お客さんですか?
帆村ほむら虹人こうじん
ほう、外国の方ですな!
【謎の外国人】
ある日本人はロシア人と呼び、
また別の日本人は
ソビエット人と呼びます。
是枝これえだ大佐】
彼はウラジミール・グロトフ、
白系露西亜ロシア人でな、赤系に追われた
亡命貴族。うちで十年預かっておる。
帆村ほむら虹人こうじん
亡命貴族……ですか。
【ウラジミール・グロトフ】
大佐、正しくは十四年です。
お世話になって、今年で十四年です。
今では哈爾浜ハルピン商学院で、
講師をつとめるなどしています。
日本では、ここが実家代わりです。
帆村ほむら虹人こうじん
お見知り置きを、グロトフさん。
――風魔ふうま、本の方、頼むぞ。
見繕みつくろって帝大の先生に依頼するんだ。

品川駅前しながわえきまえ

【ホムンクルス】
…………
【着信 喪神もがみ梨央りお
反応増大!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、気をつけてください!

【ホムンクルス】
……ソノ本ヲ、オ渡シクダサイ。
…………
……貴方ノ行動、
我々ノ計略ニソムキマス
独日関係ニ亀裂キレツヲモタラシマス

《バトル》

【ホムンクルス】
我々ハアキラメナイ!

《バトル》

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、こちら本部。
反応消失しました!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
預かった本を帝大のつた博士の元へ。
博士の鑑定が必要なんだ。
帝大方面、セヒラは見られないぞ。

蔦博士研究室つたはかせけんきゅうしつ

風魔ふうまはすでに通い慣れたとも言える本郷の帝大キャンパスを訪れ、西亜細亜アジア研究室の扉を叩いた。

つた博士】
おおっ、君は……そう、
喪神もがみ君ではないか!
また何か面白そうな書を
持って来たようじゃな?
どれどれ……
ふ~む。
何れも大した稀覯本きこうぼんじゃが、求めて
いたゴエティアではないようじゃ。
奥付おくづけに日本語で書き込みがある――
これは長らく日本にあった本じゃ。
他にはないのかね?
帆村ほむら虹人こうじん
風魔、古書は僕が持参したよ、
悪かったな、お前をおとりみたいにして。
品川しながわにいたのはホムンクルスだった、
こちらの動きを補足していたんだ。
帝大にるいが及ぶのを防げた――
博士、こちらが是枝これえだ大佐が
独逸ドイツより持ち帰った古書です。

そう言って帆村ほむら虹人こうじんは、おもむろに一冊の古書をつた博士に渡した。

つた博士】
おお! これは……
これこそ求めるゴエティアであろう。
帆村ほむら虹人こうじん
ナチの肝煎きもいり、アーネンエルベも、
ゴエティアの偽典ぎてん探しに血眼ちまなこです。
風魔、帝大の警備も必要だな。
学内に妙な動きもあるからな。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
お帰りなさい! 兄さん、
虹人こうじんさん。
帆村ほむら虹人こうじん
つた博士にゴエティアらしき古書、
無事届けられましたよ。
帆村ほむら魯公ろこう
博士の鑑定が楽しみだ。
帆村ほむら虹人こうじん
帝大の警備が必要かと。
アーネンエルベもあるし、
帝大内の動きも気になります。
帆村ほむら魯公ろこう
それは早めに手を打つべきだろう。
ユリア女史じょしと話は付けられそうか?
帆村ほむら虹人こうじん
一筋縄ひとすじなわではいかないでしょうね。
独逸ドイツから帰国された是枝これえだ大佐も、
ホムンクルスに監視されていました。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ、アーネンエルベは、
なかなかの調査力のようだな。
帆村ほむら虹人こうじん
戦闘力もなかなかです。
我々にとり、面白みのある相手です。
喪神もがみ梨央りお
実は……とは違う
微弱なセヒラの増加を、
このところよく検出するんです。
かなりの数のホムンクルスが、
この帝都に入り込んでいるのかも……
帆村ほむら魯公ろこう
連中の目的、ゴエティアだけか、
他にも何かあるのか――
探りを入れる必要がありそうだ。
帆村ほむら虹人こうじん
兄上、そういった役目は
風魔ふうまのほうが、
僕よりもずっと適任ですよ。
喪神もがみ梨央りお
そんなことを言って、
体良く兄さんにアーネンエルベを
押し付けようとしてません?
帆村ほむら虹人こうじん
ハッハッハ、それもアリかな?
でも、ユリア・クラウフマンは
風魔にご執心のようだし……
それに僕としては、
風魔にはそれ相応の期待に
応えてもらいたいのさ。
それに、帝都のあちらこちらで、
いたずらに怪人になりたがるやからも現れ、
山王さんのう機関の出番、益々ますます増えそうだ。
博士の警護、僕が受け持ちますよ。
――では、失礼します。
喪神もがみ梨央りお
虹人こうじんさんって少し、
兄には容赦ない気がします……
帆村ほむら魯公ろこう
まあ、そう言うな梨央りお
――あやつも
風魔に一目置いているからこそ、
あのような態度に出てしまうのだよ。