第二章 第六話 ナマナリ

〔セルパンどう

四谷よつやにあるお馴染み古書店セルパン堂だ。
三人が店の中に入っていくと、店主である式部丞しきべじょうが出迎えた。

周防すおう彩女あやめ
店長、彩女あやめはただいま戻りました。
式部丞しきべじょう
お帰り、彩女君。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、式部しきべさん。
式部丞しきべじょう
あれ、お二人揃って……
一体どうしたんですか?
周防すおう彩女あやめ
店長! やはりですわ!
彩女は怪人を引き寄せる、
そんな性質たちなのでした!
式部丞しきべじょう
ほう!
――まるで誘蛾灯ゆうがとうのようだな……
周防すおう彩女あやめ
何ですの、そのユウガトウとは?
式部丞しきべじょう
いや、何でもないよ――
それで、鈴代すずよさんもご一緒で?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ。
彩女さんにいざなわれたかのように、
怪人が現れました。
周防すおう彩女あやめ
彩女は……
彩女は、罪深い女でしょうか?
式部丞しきべじょう
罪か……
ふふふ……快楽は罪、罪は快楽。
バイロンの名言だが、君に罪はない。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さんが怪人に襲われやすくなる、
そんな危険はないのでしょうか?
――ちょっと心配です。
周防すおう彩女あやめ
彩女、何だか不安になってきました。
わくわくと不安が一緒になって
――もう、よくわかりません!
式部丞しきべじょう
彩女君、あまり深く考えないことだ。
――自分を追い詰めてしまうぞ。
周防すおう彩女あやめ
ありがとうございます、店長。
彩女、怪人さんに気をつけながら
生きていきます!
式部丞しきべじょう
あはは、その意気、その意気。
喪神もがみさん、山王さんのう機関の公務に
彩女君の役立つ時が来るかもですね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
けれど――
彩女さんを危険な目に
わせたくはありませんわ。
式部丞しきべじょう
無論です。
――無論、無論。
怪人を引き寄せるという
彩女君のその特異体質。
探信儀たんしんぎの科学に向き合う霊異りょういですよ。
周防すおう彩女あやめ
めてくださるのですか!!
式部丞しきべじょう
ああ……
――もちろんですよ。
そして、実に興味深い事象です。
いやはや……まことに……
如月きさらぎ鈴代すずよ
式部さん、彩女さんのこと、
見守ってあげてくださいね。
不安におちいらないように――
式部丞しきべじょう
彩女君の中に、比重の大きな、
何かがひそんでいるのでしょうか……
しっかりと見守らないとですね。
周防すおう彩女あやめ
喪神さん、今日は本当に
ありがとうございました。
またいろいろ教えて下さいね。

神田川かんだがわ面影橋おもかげばし

塩町しおまちを出た公務電車は四谷見附よつやみつけ飯田橋いいだばしから、早稲田わせだに向かった。
その先、王子おうじ電気でんき軌道きどうには乗り入れず、500メートルほど徒歩で移動となった。

【着信 喪神もがみ梨央りお
戸山とやまの二探に強い反応です。
面影橋おもかげばし方面、様子はどうですか?

【くたびれた女】
義父は高女の元漢語教師です。
昔から人格者としてしたわれています。
今、十五の娘、志津しづを下女に迎え――

【くたびれた女】
白山はくさん隠棲いんせい牡丹ぼたんを栽培する毎日。
その義父が……まさか……
私、誰も信じられなくなりました!!

《バトル》

【くたびれた女】
……行水する志津しづの背中に、
あでやかな牡丹ぼたん刺青いれずみがありました……
義父は志津しづを、ほしいままに――

優男やさおとこ
ねえさん、いい加減にご機嫌直しなよ。
せっかくの別嬪べっぴんさんが台無しだよ。
姐御肌あねごはだの女】
あんただって見たろ?
定吉さだきちの奴、あんな小娘に熱上げて……
何年、大番頭やってるんだい!!

姐御肌あねごはだの女】
あたしゃね、はなから反対だったんだ。
あの小娘、うちに置くのはね。
日本橋にほんばしのほうからきっての頼みでさ。
――いっつも視線絡ませてるんだよ、
朝っぱらからね、気色悪くって!
ああ、思い出すだけで苛々いらいらするわ!!

《バトル》

姐御肌あねごはだの女】
どうにも気持ちが収まらなくてね、
神田かんだの人生よろづ相談所に行ったさ。
そしたら神田川かんだがわを散歩したくなって。
優男やさおとこ
ねえさんが散歩だなんていうから、
どういう風の吹き回しかと……
姐御肌あねごはだの女】
あら、とめちゃん……ゴメンよ!
すっかり付き合わせちゃったね。
とんだ道草だったね――
優男やさおとこ
もういいのかい、ねえさん……
蕎麦そばでも食って帰るとするか。

【怯えた学生】
はあ……はあ……
ダメだ、もう走れない……
如月きさらぎ鈴代すずよ
どうかなさいましたか?
【怯えた学生】
ああ……済みません……
信じてもらえないかもですが……
如月きさらぎ鈴代すずよ
どうぞ、おっしゃって。
【怯えた学生】
川岸にいた女の人――
何か普通じゃないんです。
どう言えばいいか……
周りから空気を吸い取るというか、
なんかいろんなものを――
見ているだけで、自分も……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん……
その人、きっと……
川岸ですね、確かめに行きます!
【怯えた学生】
いや!
止したほうがいい、
あの人、普通じゃないんです!
如月きさらぎ鈴代すずよ
わかっています、
だからこそ、確かめるのですわ。

神田川かんだがわ川岸かわぎし

古くより染物そめものが盛んな土地で、昼間には、染色した布を神田川かんだがわにさらす風景が見られる場所だが――
その美しい風景は太陽の下でこそ。
夕暮れ時には、もう色を失った川水はただつぶやくように流れるだけだ。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし神田川かんだがわ付近
セヒラ濃度急上昇……!
厳重に警戒してください!

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、きっとあの人ですわ。
神田かんだ川の川岸に、一人の女性がいた。
川面かわもながめている風でもなく、
むしろ、心、ここにらずといった様子だ。

【思い詰めた女】
家は弟が勉強中だからと、
うのはいつも私の借りた、
麻布三河台町あざぶみかわだいまちの下宿でした――
会社の近くが便が良いということで、
その下宿に決めたんです。
佐竹さたけ泰西タイセイ交易の社員です。
佐竹さたけは下宿に三十八回来ました。
うち泊まりが三十回です――
閨房けいぼうで身をゆだねる私は、
ぼんやり将来を考えていました。
――当然じゃありません?
それなのに――
如月きさらぎ鈴代すずよ
お別れしたんですか?
【思い詰めた女】
佐竹さたけには妻子があったんです!
奥さん、病気がちなんです。
それで……私を……
如月きさらぎ鈴代すずよ
まぁ……
さぞ悔しかったでしょう。
それで、もうお付き合いは……
したんですか?
貴女はまだお若いし、
いくらでもやり直しが効きます。
ここにいるのは新しい貴女ですわ。
【思い詰めた女】
私、佐竹さたけのこと信じきっていて、
私たち二人はまるで同体のように
思えるほどでした。
先週、葡萄酒ワインで眠る佐竹さたけの胸に、
小刀で私の名をったのです――
そのことで佐竹さたけはひどく怒り、
れっきとした家族のいることも、
その時、佐竹さたけの口から聞かされ――
私、どうしていいかわからず、
以来、あの下宿には帰っていません。
こうして市中彷徨さまよい歩き……
でも、もうお仕舞しまいなんです!!

《バトル》

【思い詰めた女】
誰に相談することもできず……
新宿しんじゅく銀座ぎんざ神田かんだの宿に泊まり、
――今、ここに……
如月きさらぎ鈴代すずよ
貴女にできることは、忘れること。
綺麗さっぱり忘れてしまいなさい。
それが何よりの解法よ。
【思い詰めた女】
私たち……同体なんです……
――今でもそうなんです……
如月きさらぎ鈴代すずよ
うふふ……あなたの名は相手の胸に、
烙印らくいんとして一生残るのよ。
いい意趣いしゅ返し、出来たじゃない。
相手を置いてけ堀にして、
貴女はさっさと生まれ変われる。
三河台みかわだいの下宿、引き払うことです。
【思い詰めた女】
下宿……ああ……
そうですね……
あそこがなくなると、随分と――
随分と、気分が楽になりそうです。
ありがとうございます――
さっそく周旋しゅうせん屋を訪ねてみます。
如月きさらぎ鈴代すずよ
一人で大丈夫かしら?
【思い詰めた女】
はい……
おかげ様で気持ちが充実し、
またいろいろ始められそうです。
【着信 喪神もがみ梨央りお
神田川かんだがわ付近、セヒラ低下しました!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし鈴代すずよさん、
ご苦労様です。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

神田川かんだがわでの怪人騒動、帆村ほむら魯公ろこうは、何やら興味深げであった。

帆村ほむら魯公ろこう
あれはただの怪人ではないな。
鈴代すずよさんしか向き合えなかった、
そう思われるぞ。
おそらく、神田川かんだがわの女、
ナマナリであったようだ。
喪神もがみ梨央りお
ナマナリ……ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
生成りとは魔性が十分ではなく、
般若はんにゃになりきっていない女のことだ。
――般若とは知っておるな?
喪神もがみ梨央りお
鬼、ですよね?
能面があります。
帆村ほむら魯公ろこう
鬼は鬼だが、嫉妬しっとに狂った女が
鬼に変じた姿なんだよ。
その鬼に至らないから――
喪神もがみ梨央りお
生成り、なんですね。
じゃ、鈴代さんは――
帆村ほむら魯公ろこう
女の魔性をしずめ、
般若と化すのを防いだんじゃな。
しかしなぁ……
やや奇妙な女であったのも事実だ。
そういうことも影響したのだろう。
帝都のセヒラ、ある意味万能だな。
あらゆる心の様態ようたいすくい上げよる――
喪神もがみ梨央りお
何か、変な夢見そうです――
兄さん、一緒に帰りましょう。