第四章 第九話 浅草の昇龍

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
この間、浅草あさくさで起きたという、
集団ヒステリーのことだが、
新聞に専門家の寄稿きこうがあったな。
大連ダイレン医科大学の神経の先生だ。
場所が浅草あさくさ伝法院でんぼういんなら、
充分に集団ヒステリーはあり得ると。
喪神もがみ梨央りお
私も読みました。
場所にたくわえられた記憶が作用して、
とか、そんな話でした。
土地の記憶のことは残留思念と、
そう書いてありました。
土地に思念が残留するのですか?
帆村ほむら魯公ろこう
読んで字のごとしだな。
伝法院でんぼういんの金龍伝説はつとに有名、
多くの参拝客も知っておる――
それらの者の思念がただよい出て、
伝法院でんぼういんの辺りに貯まる――
満月の夜になると――
喪神もがみ梨央りお
隊長、今夜は満月です!
またなにか現れるかも知れません。
怪人が出ないとも――
帆村ほむら魯公ろこう
念のためだ、風魔ふうま
浅草、伝法院でんぼういん巡視パトロールを頼む。

浅草寺雷門せんそうじらいもん

【着信 喪神もがみ梨央りお
浅草界隈かいわい、人出が多く、
公務電車は一旦柳橋やなぎばしまで回送、
そこで留置しておきます。

吾妻橋あづまばしの旦那】
君! 君も興亜日報こうあにっぽうを読んだ組か?
満月に龍が昇るとかじゃないか。
今夜がまさに満月!
吾妻橋あづまばしの奥さん】
集団ヒステリーってありましたよ。
なんだか怖いですわ。
吾妻橋あづまばしの旦那】
なぁに、心配いらんさ。
皆に見えればそれが事実だ、
たとえヒステリーでもな!

【三高女い組の女学生】
父上はせと申されました、
今日、
伝法院でんぼういんに来るのを。
でも、抑えきれなかったんです!
先週、隣のクラス、狐狗狸こっくりさんで
集団ヒステリーになったんです。
泡吹いて倒れる子も出たんですよ。
ちょっと怖いです……
でも、好奇心には逆らえない、
とう言うじゃありませんこと?
狐狗狸こっくりさんが示したのは、
智子さとこさんの死んだお姉さんのこと……
教室の入り口にまで来てるって!

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
今のところセヒラはないようだ。
――それにしても、
充分におかしなのがつどってるな!
そのまま仲見世なかみせを進んでくれ。

浅草寺仲見世せんそうじなかみせ

浅草寺せんそうじ表参道に立ち並ぶ仲見世なかみせは、東京で最も古い商店街だ。のきを連ねる商店は関東大震災から復興し和風のたたずまいを残しつつコンクリート製となり通りはかつて以上のにぎわいを見せている。

田原町たわらちょう若女将わかおかみ
先月でしたね、満月の夜、
金龍が天高く昇ったとか――
そのうわさで持ちきりです。
谷中やなかの婦人】
でも、見た人いるんでしょうか?
伝法院でんぼういんの池に、まさか龍がむとは、
思えませんし。
田原町たわらちょう若女将わかおかみ
それが日が経つにつれ、
増えてくるんですよ、見た人。
二度見たという人まで現れて。
谷中やなかの婦人】
そういう気になってるだけよ。
だから集団ヒステリーなんて、
妙な扱いになるのよ!
田原町たわらちょう若女将わかおかみ
ヒステリーが伝染うつると、
見えるのでしょうか、金龍が。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フーマもここへ?
満月の夜に龍が昇る――
そして今夜は満月です。
新聞の記事、分局でも話題です。
一応、何が起きるか確認するために、
私、ここに来ました――
フーマが邪魔でなければ、
一緒に池を見に行きましょう!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、現在の接触、
アーネンエルベのユ……
隊長から同行の許可降りています。
注意して向かってください。
【ユリア・クラウフマン】
この通りは日本の伝統を、
今に伝えるものばかりですね――
仲見世なかみせに売られているものすべてが、
ユリアにとっては新鮮に映るようだ。
何かを見つけるたびに、店先へと歩み寄る。
【ユリア・クラウフマン】
あっ! フーマ!
変わったマスクが売っていますよ!

ユリアはお面売り場を指差して言う。そこには能面や人気漫画天草あまくさ仮面の面など、さまざまな面が売られていた。

【ユリア・クラウフマン】
いろんな……仮面マスクが……
あるのですね……

二人は浅草寺境内せんそうじけいだいへと踏み入れた――

浅草寺境内せんそうじけいだい

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
あれは……何ですか?
あので何かを燃やしています――
もしかすると、あの煙、
何か意味がありますか?
宗教的な意味が――
キリスト教の教会でも、
ミサの時には香炉こうろを使います。
浅草寺せんそうじの僧侶】
献香けんこうというものですな。
香をいて敬意を表するのです――
日本では香は、
むしろその煙によって
厄除やくよけとすることが多いですね。
参拝の前に心身をきよめる、
それが大香炉だいこうろの煙なのです。
【ユリア・クラウフマン】
火や煙に神秘的な力を見て取る、
そういうところは同じですね。
日本では満月にも、
やはり神秘的な力がそなわると、
信じられているのでしょうか?
浅草寺せんそうじの僧侶】
満月ですか――
それはまたどうして?
【ユリア・クラウフマン】
満月の夜に金の龍が昇る、
多くの人がそう信じているならです。
浅草寺せんそうじの僧侶】
最近、にわかやかましいですな。
なるほど、金龍の伝説、
ここ伝法院でんぼういんにあります。
金色の龍が空から舞い降り、
ご本尊の聖観音しょうかんのん様を守護した、
その言い伝えがあります。
千三百年も前から、
伝わるのです――
それだけ長い間、
人々に受け継がれてきたのです。
【ユリア・クラウフマン】
千三百年……
ドイツではフランク王国の頃、
カロリング朝時代ですね――
浅草寺せんそうじの僧侶】
あくまで言い伝えです。
実際に龍を見た人はいません。
それなのに、ここにきて急に……
【ユリア・クラウフマン】
多くの人が龍を見たという……
そういうことですね。
伝説のこと、ありがとうございます。

浅草寺境内せんそうじけいだい

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、とても神秘的な感じです。
心が洗われるようです。
フーマ、先ほどの龍のこと、
やはり気になります。
言い伝えは多くが知るものです――
ドイツにもニーベルングの指環ゆびわで、
主人公のジークフリートは、
巨大なドラゴンと戦います。
そのドラゴンは、
ファフニールと呼ばれています。
元は北欧神話のドラゴンでした。
世界のいろんな場所に、
龍の神話や伝説はあるのですね。
蔵前くらまえの少年】
異人の姉さん、
今、龍がどうのって、
言わなかった?
俺、天に昇る龍、見たんだ!
嘘じゃないさ、本当に見たんだ!
【ユリア・クラウフマン】
信じてもいいのでしょうか?
今、判断するのは危険ですね――
そんな気がします。

浅草寺仲見世せんそうじなかみせ

すっかり夜のとばりが下りた。空には大きな月が上ったばかりであった。

【ユリア・クラウフマン】
まだ何も起きていないようですね。
とても静かです――
夜の浅草あさくさも、素敵ですね!
池の様子、見に行きましょうか?

浅草寺境内せんそうじけいだい

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程から境内けいだいで弱いセヒラを観測。
強まる気配はなさそうですが……
龍の噂を信じて、
人が集まっているようですね。
浅草寺せんそうじの僧侶】
今宵こよいは満月……
巷間こうかんには良からぬうわさが、
広まっているようですな。

淡路町あわじちょうの男性】
おい! 今日はお得意との会食を、
延期にしてまで来たんだ!
さぁ、龍はどこだ?

御徒町おかちまちの男性】
私がここに来るのは内緒です。
でも会社で話題になってましたよ、
こっそり来てる同僚がいるかも。

両国りょうごくの婆さん】
うちの爺さんがね、
見た見たって言い張るのよ。
見なきゃ、悔しいじゃない!

言問橋ことといばしの女】
姉にはちっともロマンがないのよ。
この話、まったく信じちゃいない。
ヒステリーって馬鹿にするの!

岩本町いわもとちょうの男】
同僚はね、京都で龍を見たそうだ。
祇園白河ぎおんしらかわ悠々ゆうゆうと泳ぐんだって!
僕だって負けちゃいないさ!!

【ユリア・クラウフマン】
人々の気が立ってきています。
少し危険な様子です、フーマ。
碑文谷ひもんやの男】
ウハハハハ~
俺は見たぞ、天に昇る金龍をな!
それも何千という数だ!!
空一面を金龍が埋め尽くし、
まさに明星みょうじょうの輝きだ、明星ルシファー降臨だ!!
大いなる堕天使がやってくる~
浅草寺せんそうじの僧侶】
し、しずまりなさい!
【ユリア・クラウフマン】
あの人は何かにかれています!
池に向かったようです、
フーマ、後を追いましょう!

伝法院池でんぼういんいけ

碑文谷ひもんやの男】
空の暗示が新たなる天地あまつち
創造を予言するのだ!!

《バトル》

碑文谷ひもんやの男】
俺は……生まれ変わる……
明星ルシファーの導きにより……
うぐぁ!

満月の夜――
伝法院でんぼういんの池端には多くの人がいた。
皆、昇龍の噂を聞いてやって来たのである。
風のない夜、池の水面には波一つなく、龍の昇るのを今や遅しと待ち構える、見物人たちの息遣いさえ聞こえそうであった。

馬喰町ばくろうちょうの男】
どうしたんだ!
なにも起きやしないじゃないか。

本郷ほんごうの老人】
なんだ、なんだ、
やっぱりデマだったのか!
つまらないことになったもんだ。

須田町すだちょうの女】
ええ?
何も現れないんですか?
そんな……

蔵前くらまえの少年】
あはは、人が沢山だね!
みんな、待ってるんだよ――
【ユリア・クラウフマン】
あなた!
さっき、龍の話した子ね!
蔵前くらまえの少年】
ああ、そうだよ!
金の龍さ! 天に昇る金の龍だよ! 
ここで遊んでいるうちに、
人に言わなきゃってなったんだ。
金の龍のことだよ!
【ユリア・クラウフマン】
じゃ、見たわけではないのね。
あなたは嘘をついたのね?
蔵前くらまえの少年】
知らないよ!
言わなきゃってなったんだ、
まるで教えられたみたいにね。
【ユリア・クラウフマン】
自分を見失っちゃだめよ!
蔵前くらまえの少年】
俺に指図さしずするな!
見たか見ないかなんて関係ない、
言うか言わないかだ!!
一回話したら、みんなも、見たって、
同じこと言うじゃないか!
それでいいんだろ、広がれば!
須田町すだちょうの女】
だまされたみたいでしゃくだわ!
そもそも龍だなんて!
こんなの、いやですわ!
馬喰町ばくろうちょうの男】
なんとくだらない法螺ほら話だ!
ぜんたい、信じるほうがおかしい。
ああ、帰ろ、帰ろ、馬鹿馬鹿しい!
【ユリア・クラウフマン】
嘘とまことはいつも背中合わせです。
この子を責めてはいけません――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強烈なセヒラ反応を検知!
一体何が起きているのですか?
蔵前くらまえの少年】
何だよ、おい!
誰かがやって来たよ……
――嫌だ、嫌だぁぁぁ~

蔵前くらまえの少年】
はぁはぁはぁ、
人のこと、嘘つき呼ばわりして、
もうどうにでもなれ!!
ぎゃぁぁぁぁぁ~
――頭が……割れるようだぁぁぁ~
【ユリア・クラウフマン】
落ち着くのよ、
私たちを見て!

《バトル》

蔵前くらまえの少年】
ふぅふぅふぅ……
――どうしちまったんだ、俺は?
何か、寒いよ、寒くなった……
【ユリア・クラウフマン】
あの子はこの場所で遊ぶうちに、
この場所にあるものに影響受け、
龍が見えると考えるように――
そんな自分を認めるために、
誰かに話したんですね。
するといつの間にかその話が、
ひとり歩きして、多くに広まった――
それにしてもルシファーを語った人、
あの人はかなり深く影響され、
妄想の中にはまったようですね――
自分の妄想にはまり込む――
これまで考えなかった事象です。
ちょっと考えたいこと、できました。
フーマ、今日は有難うございました。
ここでお別れしますが……
またお逢いしましょう!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラ、収まりました。
先ほど、特異点に似た波形が……
でも今は影も形もありません。
本部へ帰還してください。
これにて公務は終了です。