第六章 第十話 乱歩作『妄楼』後編 

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座辺りでセヒラ観測します。
ただ、場所が特定できません――
鈴代すずよさんのお話もお伝えします!
月野つきの探偵は、有楽ホテルに向かい、
ドア係のことを尋ねます――

【月野沙漠】
ドア係の出張、実に抜かった!
実にどのような出張なのか!
実に聴取ちょうしゅせねば、実に!
有楽ホテルに着くやいなや、
先日の愛想のいいクローク係が来て、
実に用向きを尋ねた――

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は単刀直入に、
ドア係に出張などないはず、
本当のことを言うようにとせまります。

【有楽ホテルクローク係】
そんなことはございません!
あのドア係、実に勉強熱心でして!
将来、コンシェルジェを目指します。
コンシェルジェはホテルの顔、
仏蘭西フランスでは金の鍵ル・クレドールという表彰ひょうしょうまで、
ございますのです!
今はドア係として研鑽けんさんを積む日々、
この三週間、津軽つがるにて合宿です。
ホテルも特別に目をかけていまして。

【着信 喪神梨央】
津軽つがるで研修かといぶかしく思いながら、
月野つきの探偵は狐につままれたようになり、
ホテルを後にするのです――
月野つきの探偵の鼻腔びくうには、
酸化した油のような匂いが貼り付き、
クローク係の体臭かと思いました。

【京橋署の巡査】
小官も妄楼もうろう、四度も読みました――
あんな事件に関われたらなどと思い、
本日も勤めております!

【着信 喪神梨央】探偵月野つきのは、銀座のカフェーへ。
蒸発した千代子ちよこの女給仲間から、
ある重大な事実を知らされます――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
場所も判明、日劇にちげき前です!!

〔日劇前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラです、
十分警戒けいかいしてください!!

【銀座のデパートガール】
びっくりしましたわ!
あれが怪人というものですか?
いきなり車を持ち上げて――
放り投げたんですわ!!

――探偵さんは、銀座の女給Hから、
恐ろしいことを聞くのですわ――
千代子ちよこさんの女給仲間Rは、
支那シナの黒社会と繋がっていて、
人身売買に手を染めているのですわ!

千代子ちよこ失踪の被疑者:
  支那シナの黒社会の構成員

【銀座のデパートガール】
千代子ちよこさん、露西亜ロシアに売られた、
そんなうわさがあるのですわ――
さっきの怪人……
女の人でしたわ――
――もしや……もしやですわ!
【着信 喪神梨央】
強いセヒラ、
隣の街区に移動したようです。
慎重に進んでください!

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強力なセヒラです!
怪人は銀座の女給Rと思われます。
――いや、なりきった愛読者です!
【銀座の女給R】
聞き捨てならないねぇ!
蒸発した女給の責任、
アタシにあるんだって?
冗談じゃないよ!
あの女、千代子ちよこ極悪ごくあくさね!
殺したいのがあるから、
手を貸してくれないかって、
アタシに持ち掛けてきたのさ!
アタシが支那シナ黒幇フェイパンにコネあるの、
あの女は知ってるんだよ!
なのにアタシが疑われるなんて!!
みんな、潰してくれる!!

《バトル》

【銀座の女給R】
黒幇フェイパンには連絡入れたさ。
でもね、暗殺者は来られなかった。
別の黒組織に殺られちまってね!
あの女が殺したいのが誰なのか、
そこまでは知らないさ。
さしずめ自分で殺って、
雲隠れでもしたんじゃないの――
ああ、なんだか取れたわね、
スッキリとね!

【麹町の女学生】
――私、取り乱しましたか……
お恥ずかしいところを、
お見せしてしまいました――
銀座の王城おうじょうデパートで、
姉と待ち合わせがございますの。
――それでは失礼致します。
【着信 喪神梨央】
今の人、すごく安定した波形でした。
これまで何度も怪人化している、
そんな様子でしたよ――

【月野沙漠】
実に! 実に!
千代子ちよこは殺害を依頼した――
それは実現したのか? はたして……
誰を殺そうとしたのか……
――実に、ここに来て怪しいのは、
唯一蒸発していないなおだ、実に!
美禰子みねこはドア係に付け狙われていた。
そのドア係は何日も姿を見せない。
ドア係、被疑者ではなく被害者なのでは……

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵たんていはもう一度望洋館ぼうようかんへ。
丁度、なおが出かけるところでした。

【月野沙漠】
その日のなおの行動、
実に特筆すべきであった!
先ず赤坂オウルグリル、銀座せいまん
日本橋天園てんそのめぐり浅草へ。
実に洋食、うなぎ天婦羅てんぷらのハシゴ!
僕は望洋館ぼうようかんなおを待つことにした。
暗くなってからなおは帰宅した。
実に行きと服が違っていたのだ!
僕の考えは確信に変わった!
まったくもって、実に!
最初から六人などいないのだ、
いるのは一人、他は別の人格、実に!
六人分の食事をしたのだ、実に!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵の張り込む望洋館ぼうようかんに、
なおは帰ってきました。
探偵は二○一号室へ向かいました。
しかし人がいたのは階下でした。
探偵は、三階まで昇ってまた下り、
一○一号室を訪ねたのです。
そこは美禰子みねこの部屋でした。

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座二丁目付近でセヒラ反応です。
まだそれほど強くありませんが――

〔銀座二丁目〕

【月野沙漠】
一〇一号室から出てきたのは、
今日、なおとして振る舞っていた
美禰子みねこであった、実に! 実に!
美禰子みねこを付け狙うドア係、
この不在が怪しい、実に怪しい。
津軽つがるに出張というのも実に謎だ!
ドア係の失踪しっそうには美禰子みねこからむ。
美禰子みねこは付け狙いにっていた。
――実に動機は十分だ!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は美禰子みねこに対し、
真相を語るように言いました。
警察には既に連絡済みであると――

【美禰子】
よくわかったわね!
そうさ、他の五人も皆アタシだよ!
最初に生まれたのはなおさ、
可愛い女学生だね。
なおに、もう一回、会いたいかい?
【月野沙漠】
うわぁ!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は逃げ道をふさぐべく、
昇り階段側にいたのです。
美禰子みねこは逆走して玄関から表へ――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区です、急いでください!

【美禰子】
フフフフ~
アタシを付け狙うドア係は、
今頃、東京湾で魚の餌食えじきさ!
黒幇フェイパンに殺らせたのさ!
――そうだよ、ちゃんと日本に来た!
いい仕事をしたってもんよ!!

《バトル》

【美禰子】
アタシが大元おおもとだっていう、
れっきとした証拠でもあるのかい?
ドア係は出張中なんだろ?
【月野沙漠】
実にね、僕が証明しよう!
【美禰子】
おやまぁ、立派なもんだね!
何を証明しようって言うんだい?
【月野沙漠】
美禰子みねこさん!
有楽ホテルのクローク係は、
実は貴女だ!!
【美禰子】
馬鹿言うんじゃないさ!
アタシはあんな安ホテル、
行ったこともないさ!
【月野沙漠】
椿油つばきあぶらだよ、美禰子みねこさん――
あの望洋館ぼうようかん、斜めに付けた窓、
戸車とぐるまの動きを良くするために、
潤滑油じゅんかつゆ代わりに椿油つばきあぶらが使われていた。
六人を自分の中に住まわせる貴女は、
実に六つの部屋で暮らしていた――
すべての部屋に椿油つばきあぶらの香りがする!
毎日、椿油つばきあぶら揮発きはつの中にいて、
いつしか貴女には椿油つばきあぶらの香りが、
実に染み付いてしまったのだよ。
初めて会ったなおさんも、
有楽ホテルのクローク係も、実に同じ椿油つばきあぶらの香りを放っていた――
眼の前にいる貴方もね!!
実に椿油つばきあぶらの見本市だ!
【美禰子】
随分ずいぶんと鼻の利く探偵さんだね!
この匂い、すっかり慣れちまってね!
【月野沙漠】
貴女は千代子ちよこの人格で女給を通じ、
黒幇フェイパンの暗殺者を日本に呼んだ。
そしてドア係を殺させたんだ。
情婦として会社社長との逢瀬おうせの場、
ドア係に見られたんだろう。
さては脅迫でもされていたのか?
【直】
私の部屋、二○一号室で、
美禰子みねこさんの部屋のぐ上です。

【着信 喪神梨央】
美禰子みねこさんの家は椿油つばきあぶら仲卸商なかおろししょうです。家では多重人格の娘を思い、あの望洋館ぼうようかんを建てたそうです。
麹町こうじまち署に連行された美禰子みねこさん、
多重人格の検査と治療のため、
入院することになります。
黒幇フェイパンの男ですが、大連ダイレン連鎖街せんさがいで、
死体となって発見されました。
犯人はわかっていません――
妄楼もうろうのお話、これでおしまいです――

でも……
兄さん……どういうわけか……
池袋方面にセヒラがあります――
公務電車では遠回りになります。
省線電車を使ってください!
そこからの最寄り駅は有楽町ゆうらくちょうです。

〔池袋駅前〕

有楽町ゆうらくちょうから省線を使って池袋いけぶくろへ。駅前には先程の銀座ぎんざと同じように、人々がたむろしていた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
妄楼もうろうですが、読者が続きを創作して、
語り合っているようです。
それがどんな内容なのか、
鈴代すずよさんもご存じないとか――
注意して巡視パトロ―ルしてください。

【月野沙漠】
有楽ホテルのドア係を殺害した、
支那シナ黒社会黒幇フェイパンの暗殺者!
実に彼は大連ダイレンで殺された!
実に口封くちふうじの匂いがする!
犯人は誰か、実に興味が尽きない。
僕はこれまた目星が付いている。
実に犯人は莫大小メリヤス工場こうばの社長だ。
しずの同窓生Tの父親である、実に!

【池袋署の巡査】
読者たちは、話を終えたくない、
その一心いっしんで続きを作っているとか。
往来おうらいの邪魔は駄目ですよ、実に!

美禰子みねこは三人の人格と被疑者を、巧みに利用してアリバイ工作を図ったのだ。
  三千代みちよ:相場師、
  御米およね:酒屋、
  しず莫大小メリヤス工場こうば社長――

【美禰子】
そうさね!
アタシ一人じゃないよ、
皆の力を借りたさね!

ドア係を殺った黒幇フェイパンだけど、
女給の千代子ちよこに頼んで、
連絡付けてもらったのさ!
あの子は支那シナの黒社会に通じる、
女給Rと同じカフェーで働くからね!
話はトントン拍子で進んださ!
三千代みちよつどっていた相場師には、
常宿のホテルからクロークの制服、
ちょろまかすように頼んだよ。
相場師の仕手しての事実、
三千代みちよはがっちりつかんでいたからね!
なんぼでも言う事聞くのさ!

【御米】
さっしのとおりです――
平河町ひらかわちょうの酒屋を部屋に上げました。
それは三度です……
乗り気はしませんでしたが、
美禰子みねこさんに頼まれて……
それは嫌とは言えないんです。
酒屋には葡萄酒ぶどうしゅを飲ませました。
それは普段飲まないお酒です。
葡萄酒ぶどうしゅには砒素ひそを入れて……
酒屋は具合が悪くなり、病院へ。
入院した酒屋に頼んだのです。
それは……
麻酔薬を盗み出すようにと――
そのように頼んだのです。
私たちの関係を奥さんに告げる、
そうおどすと、酒屋は言うことを聞き、
クロロフォルムを盗み出しました。

【静】
御米およねからもらった麻酔薬を、
Tのお父さんに渡したの。
莫大小メリヤス工場こうばの社長よ――
あの人、私の言うこと、
何でも聞くのよ――
私の脹脛ふくらはぎことほかお気に入りよ。
赤ン坊言葉話しながら、
脹脛ふくらはぎほおずりするのよ!
大連ダイレンにいる黒幇フェイパンのこと、教えたわ。
連鎖街れんさがい村田洋行むらたようこうの二階が隠れ家よ。
あの人、支那シナ人の苦力クーリーを雇って、
黒幇フェイパンの男を殺らせたの――
最初、自分でると言ってたくせに。
でも目的はかなえられたわ。
――すべて丸く収まったのよ!
丸く、丸くね!

【月野沙漠】
五人の女たちの連携れんけい
実に見事である!
実に! 実に!
しかし……
真相が明らかになったとしても、
実に僕の胸の内は晴れない――
なおはこの犯罪にからんでいないのか?
――実にそこが疑問である。
あああ、実に、実に!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
乱歩らんぽ先生の幻影城げんえいじょうで、
彩女あやめさんが――
彩女あやめさんの様子が変だと、
先生から連絡が入ったのです。
幻影城げんえいじょうに急行してください!

周防すおう彩女あやめ幻影城げんえいじょうで変調をきたした。しらせを伝えた梨央りおも事情が飲み込めていない。彩女あやめは何の目的で幻影城げんえいじょうを訪れたのか――

〔幻影城〕

【江戸川乱歩】
お早いですね、喪神もがみさん!
いやね、彩女あやめさんがやってきて、
続きを教えてほしいと……
それで、即興そっきょうで話を作りました。
人格の基本をなおにする結末です。
ドア係に悩むのはなおだった――
その話をすると彩女あやめさん、
急にガタガタと震え始めて……
人が変わったみたいになりました。
――彩女あやめさん、もう大丈夫ですよ。
【周防彩女】
ご心配をおかけしました――
彩女あやめ奈落ならくに落ちそうになり、
必死にしがみつくのです。
彩女あやめの足元にぽっかり穴が空き、
両の足が宙ぶらりんとなり、
その下は真っ暗なのでした――
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、お話がショックでしたか?
【周防彩女】
驚きましたわ――
だって……
だって、だって!
逮捕された美禰子みねこには、
五人の人格があった――
【江戸川乱歩】
けれど、本当は、
なおが基本の人格であった――
即興そっきょうのお話ではそういう前提です。

【周防彩女】
なおさんは有楽ホテルのドア係に、
いやらしい目で見られたり、
家の近くまで来られたり――
それでドア係の殺害を、
思い付くのですわ。
――美禰子みねこの人格を使って……
【江戸川乱歩】
なお美禰子みねこに指示を出し、
黒幇フェイパンにドア係を殺させる。
美禰子みねこ大元おおもとだと思わせて、
実はなおの計略だったという、
少しアレンジしたお話です。

どうしましたか、彩女あやめさん?
【周防彩女】
私、下の部屋をのぞいていたんです。
一○一号室、美禰子みねこさんの部屋よ。
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、大丈夫ですか?
あなた……もしや、なおなのですか?
【直】
たたみをずらすと、床板に節穴が。
小さな節穴ですが、のぞくには十分。
のぞして発見したのです――

【江戸川乱歩】
あ!
彩女あやめさん!
表に!
喪神もがみさん、追いましょう!

【直】
美禰子みねこさんは、半紙に私の名を書き、
それにしゅでバツをしていました。
そんな半紙が部屋に何十枚も!
――美禰子みねこさん、
私を消そうとたくらんでいたようです。
ならば美禰子みねこさんが、
身動き取れないようにすればいい、
そう思い立ったのです。
フフフフ~
あのドア係が格好の材料でした。
親切にしてもらったことがあります。
私が大荷物持って往生おうじょうしている時、
手を差し伸べてくれました。
あの人は、とてもいい人です。
でも、材料は他になかったの!
仕方ないじゃない!

【???】
いい人かどうかなんて、
関係ないよ、君はどう思う?
僕にとって必要なことをしたまでさ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強力なセヒラ反応です!
見たことのない波形です――

【直】
何かの本で読みました――
善人ほど犠牲ぎせいになるって。
その通りだと思いました。

【???】
きっと君だって同じことをする。
さぁ、僕をそっとしておいてくれる?
【周防彩女】
――彩女あやめ、何かおかしいのですわ!
体がむずむずするのですわ!
どうしましょう――

《バトル》

【周防彩女】
喪神もがみさん……
彩女あやめ、失礼なことしましたか?
きっとしましたわ!
どうしましょう、彩女あやめ
二度と喪神もがみさんに顔向けできません!
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、さぞかしお疲れでしょう。
奥で少しお休みなさい。
シナモン入りの紅茶でも、
ご用意しますよ。

喪神もがみさん……
彩女あやめさんはどこか不安定な、
そういうところがあります――
以前のゴエティア騒動の時にも、
それは感じたのですが……
妄楼もうろうのお話、そんな彩女あやめさんに、
ヒントを貰うようにして書きました。
彩女あやめさんが執筆のきっかけでした――
美禰子みねこなおを消そうとたくらむ話、
これは彩女あやめさんの創作ですね。
――でも興味深い内容です……
いやはや、今回は小説を超えて、
いろいろ騒動が起きました――
今、この帝都自体が、
不安定な状態になっているように、
思えてなりません。
少ししたら、
彩女あやめさんを送り届けます――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラは観測しません。
本部へ帰還してください。

一篇いっぺんの小説が呼び起こした騒動は、やがて収束しゅうそくを見るにいたったが、実は地下にもぐって継続していた。
熱狂的な愛読者によって、登場人物は増え、最終的には二十四人の人格を生むに至る。その舞台は、十二階建ての妄塔もうとうとなった。