第六章 第十一話 タナトスの誘い

〔山王機関本部〕

せみの鳴きしきる上野うえの公園に、またもや奇妙な連中が姿を見せた。死ぬ死ぬを繰り返す厭世人えんせいじんの集団であった。

【喪神梨央】
参謀本部の八分課ハチブンに通報です。
死ぬ死ぬと騒ぐ集団が現れました。
――前にも確か……
【帆村魯公】
うむ、あれは五月頃だったか、
日比谷ひびや公園で、一騒動あったなぁ。
その騒ぎの後、興亜日報こうあにっぽうは、
そうした連中を死ぬ死ぬ団と名付けた。
【喪神梨央】
ええ、そうだったんですか?
帥先そっせんヤじゃないんですね――
すごくかっこ悪い名前です。
【帆村魯公】
そうせよと当局からお達しだ。
一切の教唆きょうさならんと、そういうことだ。
【喪神梨央】
人から好まれるような名前は、
付けちゃだめなんですね。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、みなさん!
【喪神梨央】
ユリアさん、お早うございます!
ちょっとした騒動が、
持ち上がっています。
まだ怪人じゃないんですが、
怪人になりそうな人達が……
場所は上野公園です。
【ユリア・クラウフマン】
ハチブンの情報、知りました。
死ぬ死ぬ団ですよね?
【帆村魯公】
不忍池しのばすのいけの心中事件や、
比類舎ひるいしゃの集団自決など、
自死にまつわる事件が多い――
【ユリア・クラウフマン】
タナトスですね――
【喪神梨央】
それはどういうのですか?
【ユリア・クラウフマン】
死への憧れです。
人間、誰しも死への憧れを、
持っているのです――
心中や自殺に後追いが出るのも、
タナトスによるものなのです。
【喪神梨央】
セヒラが影響していますか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、おそらくは――
セフィラによってタナトスが、
現れやすくなっているのでしょう。
【帆村魯公】
ちょっと様子を見てきてくれ、風魔ふうま
ユリアさんも同行されますか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、喜んで!
今、フロイラインのシュタインを交換中です。
定着するまで時間がかかりますから。
行きましょう、フーマ!

ユリアと風魔ふうまは、三宅坂みやけざかから九段上くだんうえ
神保町じんぼうちょう城西じょうさいめぐる経路で上野に向かった。

〔上野恩賜公園〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください……
この人たちが死ぬ死ぬ団ですね!
麻績村おみむら守衛】
いやはや、困ったもんです……
連中、明け方からこの様子でして、
何を言っても聞かないんです。
死にたいだのたましいになりたいだの、
空気が重くって仕方ありません。
今日は華族かぞくの方が視察においでだ、
早く退いてくれないと――
軍人さん、なんとかしてやって
おくれませんかねぇ。
根津片町ねづかたまちの少女】
あゝ 美しき一輪の花
時とともに色はくすみ
輝きはせ 地にちる
女王は命半ばにしてむくろと果て
私は臥所ふしどの上で静かに死を待つ
【ユリア・クラウフマン】
それはどなたかの詩なの?
根津片町ねづかたまちの少女】
英吉利イギリスの詩人、
デイヴィッド・ウェブの一篇いっぺんよ。
死ぬときはみんな一緒ってことね。
早く来ないかしら、死の間際が!
【ユリア・クラウフマン】
聞いたことのない詩人です。
――あの人にも聞いてみましょう。
谷中三崎町やなかみさきちょうの青年】
僕はね、霊魂が不滅であることを、
オルペウス教を紐解ひもとき、知ったんだ。
【ユリア・クラウフマン】
オルフェウス教のことは、
どうやって知ったんですか?
谷中三崎町やなかみさきちょうの青年】
下宿の部屋に小冊子があった――
見覚えのない冊子だったが、
そこに紹介されていたのさ!
冥府めいふ往還おうかんげた詩人オルペウスを
始祖しそと仰ぐ古代希臘ギリシアの宗教として。
肉体が再生する輪廻りんねの輪を、
悲しみの輪とし、そこから抜け出し、
神々と交わることをとしたんだ。
早く僕もたましいとならねば!
【ユリア・クラウフマン】
オルフェウス教のこと、
大体合っていると思います。
でも、フーマ……
部屋にあった小冊子って、
どこから現れたのでしょうか?
上根岸町かみねぎしちょうの令嬢】
あゝ、オフィーリアの感傷かんしょうよ……
異人さん、エヴェレット・ミレイの
オフィーリアはご存知かしら?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、知っています。
川に身を投じたオフィーリアですね。
ロンドンのテート美術館にあります。
上根岸町かみねぎしちょうの令嬢】
倫敦ロンドン! 素晴らしいですわ!
私、オフィーリアのあのうつろな目は
やがて苦しみを解かれ喜色きしょくに変わる、
そう信じて疑いませんことよ。
――私も……風のない静かな朝、
伊豆いず一碧湖いっぺきこ入水じゅすいしたい……
水中にこの体を沈め、
ゆらゆらとれてみたい――
私はいざなわれているのです……
【ユリア・クラウフマン】
今日は暑くなりそうよ……
上根岸町かみねぎしちょうの令嬢】
そうですわね――
暑いのはいやですわ。
冷たい家に帰り、冷たくなりましょう!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、この人はかなり、
タナトスが強いようです――
注意するよう、本部に伝えますね。

上車坂町かみくるまざかちょうの旦那】
私はね、死というものは
まるで甘露かんろのような味わいだろう、
かねがねそう考えていたんだ。
ああ、甘露かんろ甘露かんろ、私を包む甘露かんろよ!
強く念じるとね、私は自分が半分、
死人しびとになったようになるんだ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました。
警戒してください!
【ユリア・クラウフマン】
私も……少しは……
セフィラを感じるようになりました。
――フーマ、鎮定ちんていが必要です!
上車坂町かみくるまざかちょうの旦那】
残念ながら、私の半分は現世にある。
ねぇ、あなた、私はそれが残念で!
一緒に私と死にませんか!!

《バトル》

上車坂町かみくるまざかちょうの旦那】
結局、
今日は首をらないことにしよう――
これは名句ではありますけどね……
【ユリア・クラウフマン】
死に対しておそれがあれば、
それはタナトスではありません――
それを見極めるのです、フーマ。
――そろそろ私は戻ります。
新しいシュタインがフロイラインに
定着した頃合いです。
山王さんのう機関の研究室に戻ります。
フーマは巡視パトロールを続けてください。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
上野動物園に妙なものがあると――
それが何かはわかりません。
そこから近いので、
ちょっと見てきてもらえますか?

〔上野動物園〕

雲母坂きららざか守衛】
一体、誰が置いたんでしょうか?
迷惑千万めいわくせんばんな話です。
――あんな大きなぬいぐるみ!
万年町まんねんちょうのませた少年】
おっさん、それを言うなら、
着包きぐるみだよ、着包きぐるみ。
中に人が入ってあるくんだよ。
先週からかな……
町内の電信柱に案内があったよ。
動物宣伝社、かかり募集ってね!
豆屋の兄ちゃん、応募したのさ!
面談に行ったきり、戻ってこない。
もう四日も帰らない……
女将おかみさん、すっかり憔悴しょうすいしきって、
もう、見る影もないよ。
大事な跡取あととり息子なのに、
どっか行っちゃうなんてね!
そう言えば金物かなもの屋のタカちゃん、
宣伝係に応募したんだった!
この三日ばかり、姿を見ないな……
タカちゃん、やっと職にけるて、
心底喜んでたのに!
善養寺町ぜんようじちょうの隠居】
そこにある大きなぬいぐるみ、
とても良くないものを感じるんじゃ。
としこうというもんじゃがな!
山伏町やまぶしちょうの書生】
もしですよ、あなたにこのような
問いかけをしたとします――
長い航海の終わりを告げる標識が
前方に見えてきた――
さて、そこには何と書いてあります?
――終わり、ですか?
それとも、無? あるいは、死?
さぁ、如何いかがでしょう?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇し始めています。
近くに怪人がいます!
山伏町やまぶしちょうの書生】
あれ、どうかしましたか?
私の標識はね、真っ白なんです!
だからね、死は無限の可能性なんだ!!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、依然いぜん、観測中です!

入谷町いりやちょうの医者】
私は僥倖ぎょうこうを得ました。
テトロドトキシンがこんなに効くとは
つゆぞ知りませんでした。
致死ちし量二ミリグラムとは聞いていましたが、
素晴らしい効き目です!
正真正銘しょうしんしょうめい河豚ふぐ毒由来の神経薬です。
完全なる鎮痛ちんつう麻酔を! 神経痛、
ロイマチスリュ―マチ諸症しょしょう喘息ぜんそく胃痙攣いけいれん
破傷風はしょうふう其他そのほか痙攣けいれん諸症しょしょう夜尿症やにょうしょう
掻痒性そうようせい皮膚諸症ひふしょしょう頑固がんこなる場合等、
刀圭界とうけいかいに推奨せられつつある!
私も団員として鼻が高い!

《バトル》

入谷町いりやちょうの医者】
度胸試しに飲んだんだよ!
アンプルごと飲んだから大丈夫……
――でも今のでアンプルが割れた!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだセヒラを観測します!
先程からずっと同じ値です――
――もしかすると……

【着信 帆村魯公】風魔ふうま、目の前にある、何だ……
――着包きぐるみだ、そいつだ!
どうもそいつが怪しい――
調べてみてくれ。
【着信 喪神梨央】
かぶらないほうがいいと思います!

〔時空の狭間〕

【着信 帆村魯公】
何が起きたんだ!
今、ど##%%る?
おい、聞●◎&&%%――
【着信 喪神梨央】
##●%&#◎――
――◆&%&▲%です!

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
あの着包きぐるみの内側、
異界に繋がってるのかニャ!
【バールの帽子】
ゲロゲロ、
着包きぐるみ被った人、皆、消えたゲロ。
帝都満洲のどっかに、
飛ばされたのかゲロ?
【バールの帽子背後】
それはどうだかのう……
ここが帝都満洲かもわからんのじゃ。
異界であることには、
変わりはないがのう――
【バールの帽子】
なんか来るゲロよ!
例によって元凶げんきょうかも知れないゲロ!
【バール】
でかいアストラルだニャ!
風魔ふうま、気を引き締めてかかるニャ!

【自殺に憑かれたアストラル】
自殺じさつしにわれが来かゝれば
白い猫が線路のやみ
ソツと横切る
最後に見るのは白猫か……
いや、線路に首を乗せて聞く、
汽車の音だ。
最初に響きがやって来る。
やがてそれは音に変わり、
轟音ごうおんとなり俺を包み込む。
――ああ、だめだ、今ひとつだ。
間際まぎわを想像するも、
ちっとも納得できないんだ!
こんなんじゃ、死ねないんだよ!

【死に損ないアストラル】
ピストルの音があんまり大きいんで、
吃驚びっくりしたんだ……
それにお前さん、
ちょいと撃ち損じたね。
弾が頭ン天辺てっぺんから飛び出して、
お前さんの頭に拳くらいの穴が……
もう、部屋中、大変なことさ。
それですっかりえちまったわけさ。

【死を諦めたアストラル】
びんのヂエア―ルをじっと見ていた。
いつの間にか空がしらはじめ、
下宿屋の二階から、見えたんだ――
世界がだよ!
中洲なかす箱崎はこさき霊岸島れいがんじまの家々の
いらかがきらめく時――
きたないはずの世界が、違って見えた。

【死を模索するアストラル】
剃刀かみそりのどる、
日本刀ならのどを突く。
ピストルなら、
ピストルが俺の眉間みけんにらみつけて
ズドンと云つた
アハハのハツハ
いい歌だ。でもこれでは自殺じゃない
自分で眉間みけんを狙うのは無理だ。
これは処刑のていだ。
嗚呼ああ、誰かに殺されるのが
一番手っ取り早い。結論が出た!
そうだよ、お前、さぁ私を殺せ!!

《バトル》

【死を模索するアストラル】
青酸ニトリルなら、飲んで、
身奇麗みぎれいにするだけの時間がある――
なんせ遅効性ちこうせいだからね!

〔上野動物園〕

【動物宣伝社社長】
着心地は如何いかがでしたか?
この着包きぐるみは、皆、女物の着物で出来ているんです――
いえいえ、私は宗旨替しゅうしがえなどしません。
女物はじかに着るのですよ!
はだを通して私の血管の中に、
女の血の流れるさまを思い描くのです。
私のはだぐ下に、すべらかなすべらかな、
女のはだが形成されるのです――
でもね、私のような性癖せいへきのない人にも、
その至福しふくを少しでも味わって頂くべく、
これを計画したのです。
運良く資金を出す人もあって、
愈々いよいよ私は事業家になった!
着包きぐるみで宣伝の仕事にでもなれば、
もうけも入って一石二鳥というもの。
こんな私も事業家なのです!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、正常値に戻りました。
公務終了です、帰還してください。
【着信 帆村魯公】
いやはやだな、しかし――
大帝都の片隅かたすみ懶惰らんだに暮らす者は、
実にいろんなことを考えよるなぁ。

死への憧憬しょうけいかれた人々は、タナトスの思念に強く影響を受けていた。時代の気分がそれを後押ししている――