第六章 第十三話 ゆりかご

突如とつじょ白金しろかねの上空に現れた光球――
人々からカグツチと呼ばれるようになり、またたく間にうわさは帝都中に広がった。新聞が書きたて、ラヂオが中継をし、清正公せいしょうこう前には物見遊山ものみゆさんの市民が、連日、押し寄せるようになった。

【ため息混じりの女の声】
ああ、カグツチさま……
私の願いを聞いてくださいまし!
【祈るような男の声】
勝負に出るんです、カグツチさま!
満洲で一旗ひとはたげるんです、
私の背中を押してくだされ!!
【甲高い子供の声】
なんか、昨日と違うよね!
大きくなってないか……
辛坊しんぼう、お前、どう思うんだよ!
【感極まった女の声】
あああ……カ・グ・ツ・チさま……
あなたさまを見ていると、
私は、私は……ああああっ!
【冷静な男性の声】
ふんふん……なんてことはない。
あれは水蒸気に光が屈折してだね、
その結果だね――
【いきり立つ男の声】
おいあんた!
カグツチ様に向かって、
何が水蒸気だ! この馬鹿野郎!!
【憤慨した男の声】
おい!
何をする!
ぶつかって謝罪もなしか、貴様!
【叫ぶ女の声】
何をなさるの?
ちょっと、やめてください!!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
興亜日報こうあにっぽうに、
今日のカグツチ様という記事が……
――あっという間に広まりましたね。
【帆村魯公】
うむ。白金しろかねあたりだけで、
収まってくれればと思うたが――
ブンヤの連中め!
【喪神梨央】
新聞だけじゃないです、
ラヂオでも散々やってました。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます――
【喪神梨央】
お早うございます、ユリアさん!
ユリアさん、白金しろかねのカグツチですが、
独逸ドイツでも同じようなこと、
あったりしますか?
【ユリア・クラウフマン】
球体ク―ゲル――
そのような事例、報告はありません。
【帆村魯公】
市民はカグツチなどと言っておるが、
あれはまぎれもなくセヒラだまだ。
【ユリア・クラウフマン】
ラジオでも言っていました、
そのカグツチとは何ですか?
【帆村魯公】
日本の神話に出てくる神だ。
火之迦具土神ひのかぐつちのかみまたは火産霊ほむすびと言う、
火の神だな――
【喪神梨央】
イザナギ、イザナミの間に産まれ、
産んだイザナミは火傷やけどをして、
死んでしまいます――
カグツチはイザナギに殺されますが、
その血や死体から多くの神さまが
産まれているのです。
【ユリア・クラウフマン】
火をあがめる文化って、
西洋ではゾロアスター教ザラスシュトラから
伝わっています。
【帆村魯公】
希臘ギリシア神話ではプロメテウス――
だが、白金のは火の神などではない、
あれはセヒラだ、間違いない。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、まだあの中に、
いらっしゃるのでしょうか?
【ユリア・クラウフマン】
私、思うのですが……
あれは異界ではないですか?
帝都では球体として縮まっている――
球体は同じ体積なら立方体等と比べ、
最も表面積が小さくなります。
触れ合う面積が小さくて済むのです。
【帆村魯公】
なるほど!
本来、存在し得ない場所にあるなら、
球体というのは合理的な形状だ。
【喪神梨央】
隊長、あのセヒラ球ですが、
時々、仮面の男のに似た
波形を観察します。
【ユリア・クラウフマン】
あれはレイカを飲み込んだものと、
同じものだと思います。
それが帝都を移動しているのです。
【喪神梨央】
異界が帝都に現れたのですね。
波形以外に、じかに調べる方法とか、
ないんですか?
【帆村魯公】
軍の気象部にだな、観測気球を使い、
セヒラ球を調べられないか、
さっき打診だしんしてみたんだよ。
【喪神梨央】
あっ、そうなんですね!
それで、どうでしたか?
【帆村魯公】
気象部では怪異の観測などせんと、
あっさり断られたよ。
【ユリア・クラウフマン】
実は……
フロイラインがすごく興味を示し、
あの場所に向かおうとするのです。
フロイラインはレイカのこと、
覚えていたのです。
【喪神梨央】
兄さん!
麗華れいかさんが見つかりました!
歩一の哨戒兵しょうかいへいが発見しました。
今、歩一から連絡が。
【帆村魯公】
なんと!
場所はどこなんだ?
【喪神梨央】
セヒラ球の近くです、魚籃坂ぎょらんざかです。
近辺、セヒラも上昇しています。
すぐ公務電車の手配します!
【ユリア・クラウフマン】
私、フロイラインを見てきます。
大丈夫そうなら支援に差し向けます。

月詠つくよみ麗華れいかが見つかった――
そのしらせを受けて風魔ふうま魚籃坂ぎょらんざかへ向かった。いつになく多くの市民が街路にいた。

魚籃坂ぎょらんざか

【着信 喪神梨央】
カグツチ……じゃなくて、
セヒラ球に影響されている人が、
たくさんあるようです――
怪人化する手前……
そんな人たちの周辺に、
セヒラが濃くなっているみたいです。
【高輪署の巡査】
今日はやけに人が多いんで、
こうして巡視パトロ―ルしているわけです。
皆、大人しく家にいればいいものを、
あんな、カグツチだなどと……
かくいう私もね、
出世祈願したわけですな!
ひぃぃぃぃ~
【芸術家肌の男】
一人の女がね、夢に出てきたんだ。
手を伸ばせば私に届くわ、
その女はそう言った――
僕の油絵のモデルだった人なんだよ、
苗字みょうじは水之江さん、名は節子さん。
節子さん、絵の具を飲んで死んだ。
――カドミウム中毒らしい。
薔薇ばら裸婦らふの絵を描いていたんだ。
半ば完成したその絵は、
彼女の死後、すっかり色がせた!
節子さんは死に、絵の色が消え、
そして彼女が僕の夢に出た!
僕は、いざなわれているんだ!
節子さん!!
今、そっちに行くよ!!
【菓子問屋の娘】
狐狗狸こっくりしゃべれなくなった妹、
日中はずっと押し黙っているのに、
寝言だけはくのよ――
それもね、赤坂哈爾浜ハルピンだの、
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルだの、
なんかもう、気味悪くって。
カグツチ様に頼むと、
妹なんかいなくなる――
だからこの人形、奉納ほうのうするのよ!

【帆村魯公】
何だか春先の怪人騒動を想い出すな。
それぞれの事情で、
怒りや憎しみをたぎらせ、
ある者は想いを強める――
【着信 喪神梨央】
そうですね――
怪人初心者って感じです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強いセヒラを観測しました!
これまでとは違います!

【月詠麗華】
…… 
【着信 喪神梨央】
帥士すいし、どうしました?
強いセヒラです!
怪人ですか?
――もしかして……

《バトル》

【月詠麗華】
…… ……
【着信 喪神梨央】
今の人、麗華れいかさんじゃないです――
ドッペルゲンガ―かもしれません。
あの時と似た波形でした。
【ラヂヲ商の倅】
真空管をね、じっと見ていると、
自分がそれになったような気がする。
真空管だよ――
僕の中で、ぼ―っと光るんだ。
――命の炎ってやつかな。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程の波形、赤坂に出ました。
みすじどおりです、急行してください!

〔みすじ通〕

公務電車を山王下さんのうした電停で降り、急ぎ向かったみすじどおり――
そこには異様な光景が広がっていた。

【召喚小隊神鳥谷ひととや軍曹】
歩三、召喚小隊……であります……
第三十八分隊……全滅……
であります……
敵は……審神者さにわと思われます……
――全部で六体を確認……
小隊長は……
――鬼龍きりゅう小隊長は……
所在しょざい、不明であります……

うわぁ!
来るな! こっちに来るな!

【月詠麗華】
…… 

《バトル》

【月詠麗華】
…… ……
【着信 喪神梨央】
やはり、ドッペルゲンガーです。
セルパン堂の前で採集した、
あのときと同じ波形です――
兄さんと私の、
ドッペルゲンガーが現れた時と――
【着信 ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが、
シミズダニに向かいました。
何かあるのかも知れません!
確認お願いできますか?

〔清水谷公園〕

【薬商の男】
支那シナ阿片丁畿アヘンチンキを輸出する、
そんな仕事をしています。
今朝方、富山とやまから戻りました。
一旦、家に帰ったんですがね、
――家でさいが首をっていたんです。
ふほほほほ、おかしいでしょ?
鴨居かもいに浴衣の帯を結んで、
ぶら~ん、ぶら~ん――
アレは莫迦ばかですね、まったく。
日支人にっしじん融和ゆうわもくして働く私を、
アレは侮辱ぶじょくしたんだ!
全くもっゆるせない!
首をくくってどうなるもんじゃない!!

【フロイライン】
…… ……

【着信 ユリア・クラウフマン】
フロイライン……
聞こえていますか?
――あなたは……フロイライン?
【メイド型ホムンクルス】
……

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
…… ……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
付近のセヒラ、しずまりました。
お客さんがお見えです。
ホテルロビーに来てください。

〔山王ホテルロビ―〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
先程のはフロイランではありません。
ドッペルゲンガーです――
フロイラインはホテル前にいました。
シミズダニには行っていません!
【帆村魯公】
ユリア女史のフロイラインと、
麗華れいかさんは同時に飛ばされた。
そして同じように、
ドッペルゲンガーをもたらした――
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインは帝都に戻りました。
でもレイカは戻らない……
まだ、あの球体の中にいるのですね。
【帆村魯公】
こんなに長くセヒラ球の中にいて、
果たして大丈夫なのだろうか……

そうだ、風魔ふうま
京都から聖宮親王ひじりのみやしんのう
お見えだ――
殿下、ご紹介します。
こちらがユリア・クラウフマンさん、
そしてこちらが我が喪神もがみ風魔ふうまです。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
はじめまして、
成樹なるきです。
【ユリア・クラウフマン】
はじめまして、
ユリア・クラウフマンです。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
あなたは、アーネンエルベの――
確かローレンツ博士の娘さんですね。
錬金術に医科学を取り入れた方です。
【ユリア・クラウフマン】
よくご存知でいらっしゃいますね。
私はホムンクルスの研究をします。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
そうでしたか!
研究ははかどりますか?
【ユリア・クラウフマン】
日本に来て随分と進みました。
日本の資源は素晴らしいですね。
実は今、
調子の悪いホムンクルスがいます。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
それは心配です。
どうかお戻りになってください。
また研究の話でもお聞かせください。
【ユリア・クラウフマン】
有難うございます。
それでは殿  下ザイネ ホーハイト――
私はこれにて失礼いたします。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
あなたが喪神もがみ風魔ふうまさんですね。
うわさはかねがね聞いております――

聖宮ひじりのみやは京都の瑛山会えいざんかいに加わっていること、山王さんのう機関の設立に一枚んでいること、そして京都でも波形分析をしていると語った。
魯公ろこう瑛山会えいざんかいの存在は知っていたが、聖宮ひじりのみやと会うのは初めてであった。帝都の怪異とその対策について話した。
そして、白金しろかねの上空に現れたセヒラ球、その中でとらわれている麗華れいかのこと、帝都に現れたドッペルゲンガーについて、現在、つまびらかになっていることを話した。聖宮ひじりのみや魯公ろこうの話を深く聞き入っているようだ。

〔山王機関本部〕

聖宮ひじりみや成樹なるき
ここでなら話せますね――
皆さんにお知らせしておきます。
第三連隊の鬼龍きりゅう大尉ですが、
京都の師団で身柄みがらを保護しています。
【帆村魯公】
そうでしたか!
京都の師団とは、確か……
【喪神梨央】
第十六師団です。
大尉が独逸ドイツに渡る前の所属師団です。
殿下……
少しお尋ねしてよろしいですか?
聖宮ひじりみや成樹なるき
何でしょうか?
【喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉を京都で保護するのは、
麗華れいかさんから遠ざけるためですね?
聖宮ひじりみや成樹なるき
明察めいさつですね、その通りです。
麗華れいかさんの覚醒かくせいすさまじく、
我々もずっと監視していました。
古式東雲しののめ流と呼ぶにふさわしい、
大変立派なものです。
しかし、まだ完全ではない――
彼女は東雲しののめ奥義おうぎを求めています。
それを鬼龍きりゅう大尉に求めるのです。
【喪神梨央】
でも、鬼龍きりゅう大尉は、
独逸ドイツで召喚師になったんですよ。
東雲しののめ流を捨てて――
聖宮ひじりみや成樹なるき
彼を見くびってはいけない――
大尉は東雲しののめ奥義おうぎを極めていました。
渡独とどく以前に審神者さにわの域にありました。
【帆村魯公】
なんと! 
あの鬼龍きりゅうが……東雲しののめ奥義おうぎを……
ちっとも見抜けなんだ!
聖宮ひじりみや成樹なるき
独逸ドイツのトゥーレのやかたでは、
髑髏どくろ聖槍ロンギヌスを用いた秘法伝授イニシエーションにて、
生まれ変わりを体験します。
しかし東雲しののめ審神者さにわとしての資質が、
大尉がマイスターになるのを阻害そがいし、
大尉はそれで悩んでいます――
【喪神梨央】
兄さんがセヒラ球の中で聞いた、
麗華れいかさん思念の言葉……
――豪人さまは、
大切な二つのものをおそなえです――
聖宮ひじりみや成樹なるき
私もその同じ記録を確認しました。
麗華れいかさんは気付いていたのです。
大尉からなら奥義おうぎを授かれると――
それで参謀に掛け合い、
急遽きゅうきょ、京都から師団を派遣して、
鬼龍きりゅう大尉を保護したわけです。
【帆村魯公】
今、麗華れいか嬢が審神者さにわとなるのは、
やはりまずいわけですかな?
聖宮ひじりみや成樹なるき
彼女に影響を与える者がいる、
そう考えたほうが安全です。
今は慎重を期す時なのです。

【新山眞】
みなさんチーウィ
わたしは もどりましたレヴェニス
【帆村魯公】
に、新山にいやま君!
ぜんたい無事だったのか?
【喪神梨央】
新山さん、今、何と仰ったんですか?
【新山眞】
戻りましたと――
そう言ったつもりですが。
聖宮ひじりみや成樹なるき
最初のチーウィ――
皆さんという意味ですね。
これはエスペラント語です。
【喪神梨央】
新山さん、
エスペラント語、できるんですか?
【新山眞】
ミ ネニアム レーニス 
ラ エスペラーント――
聖宮ひじりみや成樹なるき
エスペラント語を習ったことはない、
そうなんですね?
――ではどうして喋れるんですか?
【新山眞】
ミ ネ シティーアス――
わかりません……
おそらくはセヒラ異常のせいかと……
聖宮ひじりみや成樹なるき
なるほど――
似た事例は聞いたことがありますね。
ともかくご無事で何よりです。
【新山眞】
ダーンコン……
あっ、いえ、ありがとうございます。
こちらに来たのは、
月詠つくよみ麗華れいかさん、愈々いよいよ、現れました。
――それをしらせに。
【喪神梨央】
ええ?
どこなんですか、場所は?
【新山眞】
青山せいざんホテルです。
市電青山車庫近くです。
聖宮ひじりみや成樹なるき
青山せいざんホテル、梨本宮邸なしもとのみやていの近くですね。
喪神もがみさん、参りましょう!

青山せいざんホテル〕

聖宮ひじりみや成樹なるき
ユリアさん、
どうしてここへ?
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインが教えてくれたのです。
古い香腺こうせんを取り出して溶かしました。
硫酸りゅうさん香腺こうせんを溶かすと模様が現れ、
それを読み解くのです――
聖宮ひじりみや成樹なるき
それで、
月詠麗華つくよみれいかさんは……
【ユリア・クラウフマン】
きっとここに……
ここはレイカのえにしの場所です。
レイカは生まれたばかりです――
あの球体は、
異界のゆりかごヴィーグなのです――

【ユリア・クラウフマン】
レイカ……
あなたは、もう――
聖宮ひじりみや成樹なるき
月詠つくよみ……麗華れいかさん……
招かれる者は多いが、
選ばれる者は少ない――
あなたは選ばれたのですか?
【月詠麗華】
幾度いくども戦いの夢を見ました――
天から地から、幾柱いくはしらもの神さまが、
私をめがけておいでになります……
戦いの中で私は自分を失い――
ばらばらになったのです。
気が付くとあの異界の中に……
異界ではすべてが見通せます。
いろんな考えが飛び交っていて、
時には声すら聞こえてきます――
ちっともさびしくなんて、
ありませんでしたわ!
私、風魔ふうまさまや梨央りおさんが
分身を現したことがうらやましくて、
ふとそのことを思いました――
【ユリア・クラウフマン】
レイカが思ったから、
ドッペルゲンガーが現れたの?
【月詠麗華】
みるみる明瞭めいりょうになって、
なんだか私、嬉しくなりました!
異界の中では思うことが実現する、
何でも望みがかなうのです――

風魔ふうまさま……
私、風魔ふうまさまのようになりたい、
そう願い続けていますの――
きっと、なれますわよね?
お約束くださいな!

月詠つくよみ麗華れいか青山せいざんホテルへ入っていった。ユリアと聖宮ひじりのみやがそれを見送った。

【ユリア・クラウフマン】
分身を……望んだ……
フロイラインも……
分身を望んだのかしら――
聖宮ひじりみや成樹なるき
喪神もがみさん――
麗華れいかさんのこと、経過を見ましょう。
波形の観察は続けます。
参謀本部のつかんだ情報では、
ナチのフォス大佐が、
アーネンエルベに着任するとか。
いろいろと動きが出てきそうです。

その後、ほどなくして白金しろかねのセヒラ球は消え、市中のカグツチ騒動は一段落した。月詠つくよみ麗華れいか青山せいざんホテルに部屋を取った。