第六章 第二話 漸進的交換

〔山王機関本部〕

梅雨つゆも明けやらぬこの日、湿気しけった空気によど山王さんのう機関本部に晴れやかな声が響いた。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、皆さん!
今日からお世話になります、
ユリア・クラウフマンです。
【喪神梨央】
ユ、ユリアさん!!
――じゃ、本当だったんですね、
ユリアさんと虹人こうじんさんの交換って……
【帆村魯公】
そんな頓狂とんきょうな声を上げんでも。
――ああ、そうだ、交換だ、
言わば漸進ぜんしん的交換だな!
【喪神梨央】
虹人こうじんさんは、納得されたんですか、
アーネンエルベ行きを?
【帆村魯公】
するもしないも、決まったことだ。
――もうじき、来るだろう。

【帆村虹人】
遅くなりました!
――あっ、ユリアさん、
もういらしていたんですね!
【ユリア・クラウフマン】
はい!
何だか気持ちがいてしまって!
【喪神梨央】
でも……落ち着きません!
だって……
【帆村魯公】
まぁ、梨央りおの言うこともわかる。
なにせ帝都を舞台としたどもえ勢力、
その一員であるわけだからな!
【喪神梨央】
……
【帆村魯公】
具申ぐしんしたのはわしだが、
計画を決定したのは参謀本部だ。
橘宮親王たちばなのみやしんのうからじかに伝えていただいた。
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長も、
この交換計画には前向きです。
ただ――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲン、クルト・ヘーゲンは、
交換など絶対に認められないと、
強硬きょうこうに反対し続けました。
本国の同意はでっち上げだと、
SS親衛隊本部をはじめ、
国家保安本部や作戦本部、
挙句あげくには親衛隊人種管理部にまで、
確認の電報を打っていました。
【喪神梨央】
人種管理部!
【ユリア・クラウフマン】
ええ、あるのです、そういう部署が。
――結局、ヒムラー長官の秘書から、
親衛隊本部の決定と知らされて――
【帆村虹人】
でもまだ、完全には納得していない、
そんな感じですかね。
【喪神梨央】
そんな!
虹人こうじんさんを敵陣に送るような、
そんなことできません!!
【帆村魯公】
何も仲良くしようと言うのじゃない。
帝国陸軍参謀本部とナチ親衛隊本部、
その両者の利益を考えてのことだ。
ユリアさんの技術、
我が方にも大変有用だ。
【ユリア・クラウフマン】
サンノウの召喚術、それに、
強いセフィラを扱う技術、
私たちにもすごく魅力的です。
【喪神梨央】
ユリアさんの技術って、
ホムンクルス、ですよね?
人間と同じくらいに利口りこうなんですか?
【帆村虹人】
ホムンクルスは自我を持つとか、
そういうことかな、
梨央りおの知りたいのは?
【ユリア・クラウフマン】
自我はありません――
ホムンクルスはシュタインの数で
その自律性が決まってくるのです。
【帆村魯公】
シュタイン
さては鈴代すずよ女史が拾ったあの石ですか?

以前、ゴエティアの偽典を狙い、若松町わかまつちょうで待ち伏せを受けた際、鈴代が拾った不思議な石である。

【ユリア・クラウフマン】
シュタイン、こちらにもあるのですね。
そうです、シュタインの数、四の倍数です。
フロイラインは四石で動いています。
【喪神梨央】
この間、麹町こうじまちに現れた、
レーベンクラフト型ホムンクルス、
あれは何石ですか?
【ユリア・クラウフマン】
八石です。自律性が高く、
管理者がいなくても活動できます。
本国から送り込まれました――
【帆村魯公】
ほう! それではユリアさんの、
管理外ということですな!
【ユリア・クラウフマン】
そうです。
レーベンクラフト型は開発途上です。
クルトの扱う執事型も八石です。
【帆村魯公】
なるほど!
いろいろとあるわけですな!
日本製もぜひ開発したいところです。
【喪神梨央】
そろそろ巡視パトロ―ルの時間ですが……
どうされますか、ユリアさん?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、お邪魔じゃなければ、
是非ぜひ、同行させていただきたいです。
――フーマの召喚術……
【喪神梨央】
実は八分課ハチブンに通報があって、
目黒めぐろで怪人を見たと。
強いセヒラは観測しませんが……

〔山王ホテル前〕

【帆村魯公】
梨央りお、通報は目黒めぐろだと言ったな?
目黒めぐろで怪人目撃なんだな?
【喪神梨央】
はい、省線目黒めぐろ駅の近くだとか。
【帆村魯公】
ではユリアさん、
風魔ふうまと同行してください。
山王さんのう機関の公務随行ずいこう任務です。
【ユリア・クラウフマン】
ありがとうございます。
――フーマの召喚、
そばで見られるのですね!
【喪神梨央】
公務電車、使いますよね?
【帆村魯公】
手配を頼む、梨央りお
さて、虹人こうじん、お前は独逸ドイツ大使館だ。
アーネンエルベには連絡済みだ。
【喪神梨央】
ほんとうに良いんですか、虹人こうじんさん。
【帆村虹人】
僕の中には冷まさなきゃいけいない、
そういうものがあるんだ――
冷まして固めなきゃならないものが。
ここから独逸ドイツ大使館へは、
公務電車、出ないよな、梨央りお
【喪神梨央】
ちょうど円タクが来ていますよ。
車なら十分もかかりません。
【帆村魯公】
虹人こうじん、週に一度は帰って来い。
いろいろ報告を聞きたいからな。
【帆村虹人】
承知しました、
帰朝きちょう報告を上げさせていただきます!

それじゃな、風魔ふうま
お前はお前だ、ずっとな!
――変わっちゃだめだ……

【喪神梨央】
ユリアさん、兄さん、
公務電車を手配します。
目黒めぐろまではちょっと遠回りですが、
赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばし清正公前せいしょうこうまえを経由、
省線目黒めぐろ駅前に向かう経路です。

武蔵野むさしの台地を細長く削るように流れる目黒川。省線目黒駅は、崖の西南端に位置していた。省線、目蒲めかま電鉄は崖の切通の中を走る。

〔目黒駅前〕

【着信 喪神梨央】
大崎広小路おおさきひろこうじにある三探で
ぎりぎり探信たんしんできる辺りに、
強いセヒラを観測しました。
これまで特に観測されなかった場所、
何があるかわかりません。
注意してください。
【ユリア・クラウフマン】
やはり、そうなんですね。
広範囲にセフィラを探信たんしんできる技術が
確立しているのですね。
同じこと、
ドイツでも試みましたが――
成功と失敗とを繰り返すばかり。
【曇った目をした書生】
殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を濶歩かっぽして行く
【ユリア・クラウフマン】
……
フーマ、どうしますか?
【曇った目をした書生】
誰か一人
殺してみたいと思ふ時
君一人かい………………
【ユリア・クラウフマン】
何か危険なものを感じます!
【曇った目をした書生】
………………と友が来る

《バトル》

【曇った目をした書生】
――ぜんたい僕はどうしたんだい? 
一寸ちょっとばかし自失したようだね。
蒸し暑くって神経が参っちゃった!

【ユリア・クラウフマン】
セフィラの影響が浅かった。
そういうことなんでしょうか……
ちゃんと廓清かくせいされましたね。

【出張帰りのサラリーマン】
人をいた電車
その中では
赤ン坊が
――まだ続きがあるような、
そんな気がします。
いや、気がするだけですが……
実はね、生糸きいとの仕事で来たんですが、
早く終わったんで麦酒ビールを一杯……
そしたら、頭ン中で声がする――
【ユリア・クラウフマン】
それが、今のですか?
あの詩のような――
さっきの学生さんも……
【出張帰りのサラリーマン】
ついね、口ずさんでしまいました。
あっ、じき汽車の時間です。
私はこれにて――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、この辺り、
やはり何かあるかも知れません。

【話し好きのお手伝い】
私、粗相そそうばっかりするんです。
いつも奥様におしかりを受けて……
あら、西洋のお方!
珍しいわ、小石川こいしかわの方じゃあまり
西洋の方、おいでじゃないんですよ。
そうそう、せんだってのことです、
私、大きな洋皿を落としてしまい、
そのお皿、割れちゃったんです。
綺麗きれいなカナリアの絵のお皿――
カナリアのところで真っ二つに!
【ユリア・クラウフマン】
大丈夫ですか?
あなた、汗がたくさん……
【話し好きのお手伝い】
カナリアの割れたところから
血しほちしおしたゝる
…………
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、私、この方を、
安全な場所へお連れします。
【着信 喪神梨央】
三探の探信たんしんだと、
省線の駅より内側の、
海軍大学の方面が安全です。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
権之助坂ごんのすけざかの方へ向かってください。
強いセヒラ反応です。

権之助坂ごんのすけざか

金梅きんばい女学園の教師】
今朝方、一人の書生しょせいさんと会い、
それ以来、言葉が浮かぶんです――
こういうんですよ、
一瓶ひとびんの白き錠剤
かぞへおはり
窓の青空じつと見つむる
錠剤というのがね、何なのか……
姉はカルモチンをよく飲みますが、
私は寝付きがいいんで飲みません。
ああ、まただ、来た来た、来ました、
あなた、また言葉が浮かびましたよ。
今日は何だか盛況ですな!

カルモチンを紙屑籠くずかごに投げ入れて
又取り出して
ジツと見つめる

まるで言葉がですよ、
私を支配したがっているような、
そんな印象です――
しかし妙なこともあるもんです。
これまでどんなに頭をひねっても、
言葉一つ浮かばない時のほうが――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人物にセヒラは観測されません。
特に問題ないようです。
金梅きんばい女学園の教師】
もう大丈夫です。
私、近くの高女こうじょの教師なのです。
今日は散歩にははなはだ不向きですね!

権之助坂ごんのすけざか

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、さっきの方は安全な場所へ。
お使いで目黒めぐろに来て、急に、
お皿のことが頭をよぎったとか。
お皿を割ったことはないそうです。
【洋裁学校の生徒】
あらこんにちは!
ねぇ、西洋の方って
ドレスをよく着るんですか?
【ユリア・クラウフマン】
私はそうでもないけど……
――ねぇ、あなたはなんともないの?
変な声がしたりしないの?
【洋裁学校の生徒】
変な声……
それって今日のことですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、まぁ、今日じゃなくても……
この辺りでということだけど。
あなたは近所の人ですか?
【洋裁学校の生徒】
いえ、大森おおもり区です。
省線の海岸駅近く――
代々漁師で家族は色黒なんですよ!
【ユリア・クラウフマン】
え?
肌の色のことですか?
 【洋裁学校の生徒
うふふふ、そうよ、
決まってるじゃない!
あなたはとっても色白ね……
【洋裁学校の生徒】
色の白い美しい子を
何となくイヂメて見たさに
仲よしになる
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、また危険を感じます!
【洋裁学校の生徒】
何者かころい気持ち
たゞひとり
アハ/\/\と高笑ひする

《バトル》

【洋裁学校の生徒】
あらこんにちは!
ねぇ、西洋の方って
ドレスをよく着るんですか?
【ユリア・クラウフマン】
――ええ、常にドレスです。
昼と夜とで着替えもします。
あなたは違うのですか?
【洋裁学校の生徒】
嬉しいです!
今度、私のったドレスを、
ぜひ着てみてくださいな!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから要請です!
至急しきゅう広尾ひろおに向かってください!

〔広尾街路〕

虹人こうじんからの要請とのこと、ユリアと風魔ふうま広尾ひろおに向かった。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、ここはヒロオですね。
セフィラが強くなっていますか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
それと……
えーっと、セヒラ観測ですよ!
【不安症の法科生】
新宿旭町あさひまちでの集団自殺、
アナーキストだったらしいです……
我が校にも似た動きがあります。
関係のない僕たちまで、
特高に逮捕されたらどうしよう……
田舎いなかの両親に顔向けできなません!
うわさですけど、本郷ほんごう署の地下には、
この春、拷問室ごうもんしつが作られたそうです。
帝大生を狙い撃ちするのだとか――
日台交易にったいこうえきのサラリーマン】
ここはいつの間に、
花の銀座になったんですかね?
カフェの女給らしきが、
その辺を彷徨さまよっていましたよ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
あれを……
我がフロイラインです!

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、どうしましたか?
――なぜ、ここにいますか?
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……確認……
計算計算……攻撃アングリフ対象……
攻撃……開始シュタ―トスル!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
誰に刷り込みアプドロックされたのですか?
――聞いていますか?
【メイド型ホムンクルス】
攻撃アングリフ……攻撃アングリフ……
開始シュタートスル!!

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
……目標……
解除スル……
【ユリア・クラウフマン】
ごめんなさい、フーマ!
フロイライン、かなり強力に、
刷り込みアプドロックされていました。
【着信 帆村虹人】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、いるのか?
僕だよ、金ノ七号きんのしちごうだよ。
そこで戦闘があったんだな!
【ユリア・クラウフマン】
その声は……コウジンですね!
彼は近くにいるのですか?
ドイツ大使館に向かったはず――
【帆村虹人】
僕は近くにいるさ!
ここは梨央りおから聞いたんだな?
僕に問い合わせがあったからな。
山王さんのうホテルから円タクに乗り、
独逸ドイツ大使館へ向かったんだ。
【ユリア・クラウフマン】
アーネンエルベに向かったんですね。
それで、どうしましたか?
【帆村虹人】
途中、文相官邸のあたりで、
二体のホムンクルスに襲われたんだ。
まるで待ち伏せだよ。
【ユリア・クラウフマン】
え?
それは……
私のフロイラインですか?
【帆村虹人】
わからないさ!
僕は戦わなかったんだ――
ちょうど三宅坂みやけざかの方から、
市電が来たから乗降口に飛び付いた。
うまくホムンクルスを巻いたんだよ。
【ユリア・クラウフマン】
そのフロイラインが、
ヒロオに来たのですね?
【帆村虹人】
おそらく、そうだよ。
ということはもう一体いるな!
【ユリア・クラウフマン】
――感じます……
フロイラインが来ます。
【帆村虹人】
どうする、風魔ふうま
戦うのか?
【ユリア・クラウフマン】
いえ、刷り込みアプドロックを解く方法、
見つけたのです。
【帆村虹人】
へぇ、そんなこともできるのか!
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスの香腺こうせんに、
水銀注射をします。
それで刷り込みアプドロックが解けます。
【帆村虹人】
香腺こうせん
何だか聞き慣れないけど。
それって体の器官なの?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、ホムンクルスにだけあります。
香腺こうせんは指示を記録する器官です。
脳に近いですが記録だけします。
【帆村虹人】
水銀注射で香腺こうせんの記録を消すのか。
――なるほど、興味深い。
【ユリア・クラウフマン】
それでは――
少し時間をください。

【ユリア・クラウフマン】
この子は刷り込みアプドロックが解けました。
もう大丈夫です。
【帆村虹人】
やれやれだな――
僕がアーネンに行くって、
それ、周知のことなんだよね?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、ユンカー局長からは、
そのようにうかがっていますが。
【帆村虹人】
それじゃ、なぜ、ホムンクルスが、
僕を迎え撃とうとするんだい?
【ユリア・クラウフマン】
全てのホムンクルスを、
調整していないおそれがあります。
そこは手落ちです、おびします。
【帆村虹人】
全てって……
一体、いくつあるんだい、
おたくのホムンクルスは?
【ユリア・クラウフマン】
四百八十ニ体です。
そのすべてをこの帝都に持ち込み、
調整を重ねました。
【帆村虹人】
よ、四百?
じゃ、僕たちが戦っていた怪人も、
中にはホムがいたんじゃないか?
【ユリア・クラウフマン】
ほとんどのホムンクルスは、
ドイツ大使館の倉庫にあります。
【帆村虹人】
それじゃ僕はアーネンに行って、
大丈夫なんだね?
【ユリア・クラウフマン】
念のため、私も同行します。
フーマ、私、コウジンと、
ドイツ大使館へ行き、
その後、サンノウに戻ります。
【帆村虹人】
風魔ふうま……
せっかくお別れしたのに、
ちっともサマにならないね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし広尾ひろお界隈かいわい
セヒラは観測されません。
本部に帰還してください!

ユリアと虹人こうじんは大通りで円タクを拾い、独逸ドイツ大使館へと向かった。