第六章 第四話 妄執の夏・前編

陸軍の気象部では梅雨つゆ明けを通達、いよいよ帝都に真夏の日差しがそそぐ。

〔山王機関本部〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、お早うございます!
やっと夏になりましたね!
【帆村魯公】
日本では五月頭の立夏りっかから夏、
そう決まっておるが――
梅雨つゆのせいでなかなか実感がかん。
盛夏せいかを実感できるのって短いですね。
八月八日の立秋りっしゅうからもう秋です、
その日からは残暑なんですよ。
【ユリア・クラウフマン】
日本では季節を先取りすることで、
暮らしにはずみをつけていますね。
【帆村魯公】
独逸ドイツではどうなんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ドイツでは急に夏が来る感じです。
夏は夜九時頃まで明るくて、
逆に冬は日が短くて暗い――
【喪神梨央】
……
ユリアさんは冬が苦手ですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ……
出身のブレーメンは北の方で、
冬がとても暗いです。
【喪神梨央】
でも北の方だと夏は日が長くて、
楽しそうですね!

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
皆さん、おそろいですね!
――何でも梅雨つゆが明けたとか!
【喪神梨央】
そう言う幸則ゆきのりさんも、
いつになく晴れやかですね!
【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、クズさん。
さっき、神社に人だかりが……
何かあったんでしょうか?
【九頭幸則】
ああ、そう言えば日枝ひえ神社の階段、
あすこに人がいたな。
あまり気にめなかったけど……
【帆村魯公】
最近の帝都、油断ならん。
梨央りお、セヒラはあるか?
【喪神梨央】
ええ……
これは……
……タクシーのときと似ています。
【帆村魯公】
あのタクシー怪人のときか、
その同じ波形なのか?
【九頭幸則】
また車投げる奴が出たのか?
せっかく梅雨つゆ明けだって言うのに!
【喪神梨央】
波形は似ています――
現れ方が同じかどうかまでは……
【帆村魯公】
風魔ふうま、ちょっと様子を見てきてくれ。
ユリアさんも、どうですか?
【ユリア・クラウフマン】
わかりました、フーマに同行します。

〔日枝神社〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、見てください!
ポストのところに人々が……
さっきもこんな感じでした。
【参拝に来た女性】
私、いろいろあって月に二遍にへん
山王さんのう様にお参りしますが、
こんなところにポストって……
いくら考えても変ですわ。
ポストなんて、おかしいですわ!
これまでなかったですもの。
【通りすがりの大学生】
このポスト、昨日はなかった。
そして今日はある――
これはね、形而上学けいじじょうがく的な問題さ。
僕には謎が解ける気がする――

【???】
恋文こいぶみ、食べたい……)

どこからともなく、声がした――

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
……今、何か聞こえませでしたか?
【訳知り顔の男性】
いやぁ、あなたたちは……
ああ、そうですか、特務機関のね!
ふんふん、ならお教えしましょう!
【ユリア・クラウフマン】
私たちのことを、ご存知ぞんじなのですか?
【訳知り顔の男性】
新聞にもちょくちょく出ていますよ。
それでお教えするのはね、
階段の上にいる子のことです。
あの子はね、
人がポストになるのを見たそうで。
えへへ、これって、いい情報でしょ?
【ユリア・クラウフマン】
ありがとうございます。
ちょっとあそこの子に、
話を聞いてみます。
フーマ、階段の上の子です。
行ってみましょう。

【ユリア・クラウフマン】
ちょっといいかしら……
【不安そうな子供】
……
何だい?
話せることと話せないことがあるよ。
【ユリア・クラウフマン】
あら、そうなの?
人がポストになったんですって。
――あなた、見たんでしょ?
【不安そうな子供】
それは話せない部類のことだね。
【ユリア・クラウフマン】
鳥居とりいのところの人には、
そう話したんでしょ、見たって。
【不安そうな子供】
どうだかなぁ……
その人の勘違いだよ、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
だといいんだけど……
人がポストになるなんて、
ちょっとありえないわ。
【不安そうな子供】
僕もそう思うよ。
【ユリア・クラウフマン】
だって、考えてもご覧なさい。
人は生物、ポストは無生物よ。
神の摂理せつりはんしたことは起きないわ。
あなた、生物と無生物とが、
入れ替わるなんてこと、
信じられる? ありえないでしょ?
【不安そうな子供】
――でも本当なんだ!
【ユリア・クラウフマン】
え?
何が本当なの?
【不安そうな子供】
ポストだよ!
僕の前で人が……
――ほら、あの学生さんだよ!
【ユリア・クラウフマン】
え、どこ?
フーマ! 大変です!
ポストが、人になっています!!

【ユリア・クラウフマン】
あなたは、さっきからいましたか?
【ポストになった学生】
恋文こいぶみ、食べたい――
【ユリア・クラウフマン】
え? なんですって?
【ポストになった学生】
恋文だよ、恋文が食べたい。
僕は見てしまった……
第六高女こうじょ留子とめこさんの恋文を。
理財科りざいかの学生にてた恋文さ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは、その人が好きなの?
【ポストになった学生】
僕は一途いちずだ、留子さん一本だ。
だから、我慢できなくて――
その恋文を食べたんだ!
するとどうだ、留子さんの言葉が、
僕の体内で溶けて血や肉に変わる。
僕は内側から強くなった!
誰にてた恋文であろうと、
それは僕にとっての栄養源さ!
でも、そうそう恋文は手に入らない。
ポストなら――
そう思い付くと、寝ても覚めても、
ポストの事ばかり考える――
今朝、目が覚めたら、
僕はポストになっていたんだ。
【ユリア・クラウフマン】
もしそうだとして、
どうやってここまで来たの?
【ポストになった学生】
全身がゴワゴワした感じで、
上半身がポスト、下半身が人、
その状態で歩いてきた――
明け方、ここに着くと、
僕は完全にポストに変わった――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!
【ポストになった学生】
君たちの来たせいで、
元の姿に戻ってしまった!
まだ一通も恋文を食べちゃいない!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
気を付けてください!

《バトル》

【ポストになった学生】
あああ、もうダメだ!
留子さんの言葉が流れ出す――
僕の中から、全部、流れ出す。
どくどくと、どくどくと――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
こんな現象、初めてです。
人が物になるなんて……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂見附あかさかみつけでセヒラ反応です。
今のと似た波形です――
【ユリア・クラウフマン】
行ってみましょう、フーマ!

〔赤坂見附〕

【青山の女性】
向こうに渡りたいのに、
変な人がいます。
【ユリア・クラウフマン】
あそこにいる男性ですね。
どう変なのですか?
【青山の女性】
自分は歯車だとか、なんとか……
そのようなことを口走っています。
せっかくオウルグリルで、
オムライスを頂こうと思ったのに、
こんなんじゃ、よくありません!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、確認が必要です。
【サラリーマン風の男】
俺は常に真理を求めてきた。
真理だ、わかるか、大真理だ!
だが簡単には見付からない――
ある日、時計屋の前を通りかかり、
俺はすべてを悟ったんだ。
修理でバラされた時計の中に見た――
全くの真理をだ!
美しくも気高い真理の姿をだ!
歯車がまさにそれだ。
フハハハハハ~
それから俺は夢中になった。
真理としての歯車にな。
歯と歯とが緻密ちみつみ合い、
回転して力を伝える――
必要にして十分の力だ。
歯車の回転!
それこそが世界を創り出している。
ついに俺は自覚したんだ。
歯車になってやるってな!
たゆまざる回転!! 力の伝導!!
俺は、俺は、歯車だぁ~!!

《バトル》

【ユリア・クラウフマン】
貴方はまだ歯車ではありません。
人の姿をしています。
【サラリーマン風の男】
……そうなのか……
俺はてっきり……
あああ、まだ足りないんだな!
【ユリア・クラウフマン】
何が足りないのですか?
【サラリーマン風の男】
俺を後押ししてくれる力だよ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
あんな風に機械に執着する人、
メカノフィリアと言います。
自分を蒸気ポンプだと思い込み、
一日中、水をむ人がいました。
ハノーバーの病院にです――
【着信 喪神梨央】
まだセヒラの値、下がりません。
警戒してください!
【近くの若旦那】
私はね、安易あんいな考えは嫌いだ。
何事も丁寧ていねいじゃないとね!
弾条ゼンマイはね、力を丁寧に使う。
そうだろ? この丁寧さがいいんだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
あの人も、メカノフィリアかも……
【メカノフィリアの男】
一気に動作してご覧よ。
またたく間に力はなくなり、
誰からも尊敬されなくなるんだ。
弾条ゼンマイは時間を掛けて、一定に、
そして確実に力を出しきる。
実直だろ? 確かな歩みだろ?
そういう人生にね、私はあこがれる。
【ユリア・クラウフマン】
そんなにあこがれるゼンマイなら、
お店で買えばどうですか?
【メカノフィリアの男】
買うだと! 店で買うだと!
お前、トチ狂ったか!
私が弾条ゼンマイを買うのではない!!
そんな下衆げすなことができるか!
――私こそが弾条ゼンマイなんだ、この私が!!

《バトル》

【メカノフィリアの男】
目一杯に螺子ねじを巻いて、
うんと力を蓄えるんだ。
そうやって、じわじわ攻める!!
【ユリア・クラウフマン】
タクシー怪人の報告、読みました。
強い妄想で人の姿が変わる……
こういうことはすぐに広まります。
対策が必要ですね――
【着信 喪神梨央】
赤坂一帯のセヒラ、収まりました。
本部に帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、ユリアさん!
兄さんも――
【ユリア・クラウフマン】
タクシーのときと同じです、
強い妄想で物に変わってしまう――
ドイツではなかった現象です。
【帆村魯公】
後の二人は物になる寸前だった、
そういうことなんだな?
【喪神梨央】
そのようですね。
物に変わってしまうと、
発見が難しいですね――
セヒラ波形も安定しません、
同じ形を保てないんです。
【帆村魯公】
これは強夢ごうむというやつかもな――
【喪神梨央】
ごうむ……
何ですか、それは?
【帆村魯公】
野水のみず夢走むそうという作家が残した、
強キ夢という短編があってな――
大正期の作品だ。
上級生をおねえさまとしたう女学生が、
その思慕しぼの念が強すぎて、
とうとう人形になる話だ。
【喪神梨央】
それって知ってます!
上級生は日本人形を大切にしていた、
でも家が火事になって焼けちゃう……
女学生は自分が人形になろうと、
髪結かみゆいに行き、着物をまとい、
そうするうちに……
【ユリア・クラウフマン】
人形になるんですか?
【帆村魯公】
そうだ、ある日、人形になる。
それで上級生の家に運ばれる――
【喪神梨央】
でも上級生は、本当は、
日本人形なんか嫌いだった――
火を出したのも、
家にあった日本人形を焼いた、
その時の不注意からでした――
だから、運ばれてきた人形も、
その夜、庭で焼くんです――
【ユリア・クラウフマン】
なんだかミステリーですね。
【喪神梨央】
花と乙女という雑誌に掲載けいさいされ、
結構話題になりました。
その後、人形になったという話が――
【帆村魯公】
うむ。娘が人形になったとか、
そんな話題が巷間こうかんを騒がせたな。
野水のみず夢走むそうは、そのような現象を、
後に強夢ごうむと名付けたんだよ。
新聞の取材を受けてな。
【喪神梨央】
そうだったんですね!
じゃ、タクシーの新怪人らは、
これから強夢ごうむと呼びますか?
【帆村魯公】
ああ、新怪人などと、
はやすような呼び名よりは、
多少はましだろう。

強い妄執もうしゅうが人をして物に変える。セヒラは抜け目なく心のすきを狙う。強夢ごうむ……帝都に新しい怪人が登場した。