第六章 第五話 妄執の夏・後編

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
あっ、兄さん、
今日、ユリアさんは鈴代すずよさんの家に、
行ってらっしゃいます。
麗華れいかさん、もしかすると、
時空じくう狭間はざまとかじゃなく、
帝都の何処どこかにおいでなのかもと、
ホムンクルスの記録を調べて、
わかっていることを、
鈴代すずよさんにお知らせするそうです。
何故なぜ幸則ゆきのりさんも同行中です。
【帆村魯公】
梨央りおは行かなくてもよいのか?
【喪神梨央】
私は本部で探信たんしんの任務が――
【帆村魯公】
他に行くべき先が、あるかもだな。
【喪神梨央】
え? どういうことですか隊長?
【帆村魯公】
先程、八分課ハチブンに通報があった。
料亭の町に市電が現れたとな。
【喪神梨央】
市電、ですか?
――料亭の町って、もしかして……
【帆村魯公】
そうだよ、赤坂、一ツ木通ひとつぎどおりだ。
あすこは電車道でんしゃみちではないな。
【喪神梨央】
勿論もちろん、違います。狭い路地です。
市電というのは、また強夢ごうむですか?
【帆村魯公】
その公算こうさんが大きいな。
強夢ごうむの波形、まだ同定が難しい。
――梨央りおも同行してくれないか。
事象に向き合い、波形を記録する、
近くのほうがあたいは確かだ。
【喪神梨央】
承知しょうちしました!
――兄さん、向かいましょう!

一ツ木通ひとつぎどおり

【喪神梨央】
見てください、兄さん!
――あれは、市電一〇〇〇系です。
【赤坂署の巡査】
お待ちしていました!
いやぁ、これは何の悪戯いたずらでしょうか。
早速さっそく、市の電気局に聞いたのですが、
この車両は電気局のではないと。

【喪神梨央】
ええ?
これ、市の電車ではないんですか?
【赤坂署の巡査】
どうもそのようです。
後はそっちで対処してほしいと――
そっちと言われてもですね、
ほとほと困っておった次第しだいで。
――軍の方でなんとかお願いします。
一ツ木通ひとつぎどおりこまねえさん】
あらぁ、伊達だて旦那衆だんなしゅうでも、
おいでなんかしら?
アタシたちの店は見附みつけの近く、
いつもお座敷ざしき上がるのに、
時には端から端まで歩くのよ――
いっそここに市電走らせれば、
なんてよく言うのよ……
財閥ざいばつおささんなら、
市電の一つや二つ、造作ぞうさないわよね。
丹後町たんごちょうの子ども】
なんかこの電車、
イワシのにおいがするやぁ~
道修町どしょうまちの薬問屋】
ちょうど、神経の学会やけどな、
ウチ、スッポンサーさせてもろうて、
上京しとりまんねん!
先生が読まはる雑誌にな、
ありましてん、おんなじのが!
汽車や電車が好きでしゃーない、
好きすぎておかしなる病気ですわ。
何やらフィリアいますねん……
何やったかな……
――そや、サイダロドロモフィリア!
【着信 帆村魯公】
黒ノ……
おい、聞け、セヒラがあるぞ。
探信儀たんしんぎを使え。
【喪神梨央】
兄さん、やはり強夢ごうむです。
携行式けいこうしき探信儀たんしんぎをお願いします!

【市電になった男】
嗚呼ああ、気恥ずかしいじゃないか!
こんな白昼に、僕が体をさらすなど……
【喪神梨央】
どうして一〇〇〇系に、
なっていたんですか?
【市電になった男】
一〇〇〇系だって?
三〇〇〇系だって?
かないでくれ! 知らないんだ!
僕は車両にはくわしくない。
これ以上はずかしめないでくれないか!
僕は市電の路線が好きだ、それも、
ことほか、十五系統が好きなんだ。
神保町じんぼうちょうから九段下、そして大曲おおまがりへ、
江戸川橋えどがわばしから早稲田わせだ面影橋おもかげばしへ、
ずんずん進む路線だよ。
毎日、地図を開き指でなぞるんだ。
そうこうするうち、僕は自分が市電
そのものであるように感じられた。
大好きな十五系統を走る僕。
僕の果敢はかない妄想は、
なおとめどもなく増長して、
妄想の中では帝都を縦横無尽じゅうおうむじん
ける市電であって、
やがて僕は帝都をめぐる血管となる!
でも……どうしてなんだ?
そんな僕がこんな場所で、
体一つでいるなんて!
まったく不思議じゃないか!
返せ! 僕の市電を、返せ!
僕の体を返すんだ!!

《バトル》

【市電になった男】
飯田橋いいだばし大曲おおまがり東五軒町ひがしごけんちょう
石切橋いしきりばし江戸川橋えどがわばし鶴巻町つるまきちょう関口町せきぐちちょう
それから……
僕の電停はもうない!!
【着信 新山眞】
周囲のセヒラは解消しました。
一度、戻ってください。
はらえのにお願いします。
【喪神梨央】
新山にいやまさん、どうしたんでしょうか?
兄さん、戻りましょう!
波形はちゃんと記録できました。

〔祓えの間〕

【新山眞】
実は、強夢ごうむ化現象に似た波形、
帝都満洲に観察されました。
帝都満洲の高輪延吉たかなわエンキツ方面です。
【喪神梨央】
そこに強夢ごうむ化の原因が、
あるんですか?
【新山眞】
断定はできませんが……
ちゃんと誘導できるよう、
準備をします。
【喪神梨央】
さっき、記録した波形も、
役に立ちそうですね。
兄さん、向かうは高輪たかなわ延吉エンキツです。
私は通信室に戻ります――
同行、楽しかったです!

風魔ふうまゲ―トを抜け、赤坂あかさか哈爾浜ハルピンから、高輪たかなわ延吉エンキツを目指した。

【満鉄車掌】
当列車、お客様のご希望に沿って、
運行しております。
今回の目的地は、
高輪たかなわ延吉エンキツ高輪たかなわ延吉エンキツにございます。

〔高輪延吉エンキツ

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強夢ごうむ化に似た波形があります。
警戒してください!
【研究員Hアストラル】
最近、加藤所長、いよいよ変だ。
防疫研ぼうえきけんの皆にかたよった性愛をすすめる。
自分が猛烈な人形愛好者ペディオフィリアだからと、
研究員まで道連れにしなくても、
いいじゃないか――
僕なんか、困惑している。
困惑しながらも、そうだなぁ、
いて言うなら群衆性愛オクロフィリアかな。
雑踏ざっとうの中にまみれていると、
妙に興奮してくる――
人混みの中で僕は尽き果てるんだ。
【研究員Fアストラル】
鏡を見ていると興奮しますね。
これ、胸像投影性愛カトプトロノフィリアだとか……
加藤所長のおかげで、
僕は新しい自分を知りましたよ。
【婦人靴強夢のアストラル】
シルクの長靴下に包まれた女の足先が、
俺の中にすーっと差し入れられる……
あゝ、俺の身体の内側に張り付くは、
すべらかなる女の足だ……
長靴下はな、シルクの七五番手だぞ!
【着信 喪神梨央】
観測しました!
強夢ごうむ化のセヒラ波形です!
【婦人靴強夢のアストラル】
何だ、今の声は?
女の声がしたぞ!
ああ、やめてくれ!
俺は女は苦手だ、俺は靴だ、
靴として女と触れたいんだ!!
【電話器強夢のアストラル】
新しく出た三号自動式よりな、
こっちのがいいんだ、二号自動式な!
正しくは二号自動式卓上電話器だ。
大きな送話口はささやごえすら逃さない。
取り回し抜群ばつぐんの受話器からは、
相手の声が明瞭めいりょうに聞こえ、
あたかも目の前でしゃべるかのごとし!
回転盤ダイアルをジーコ、ジーコと回す、
あの胸の高鳴りたるや、至福しふくの時ぞ!
あんたは、どうして冷静でいられる?
さては、僕の夢を壊しに来たな!
いつかこういう時が来ると思ったよ!

《バトル》

【電話器強夢のアストラル】
受話器を外してから
回転盤かいてんばん指止ゆびどめまで回しておはなしなさい
――注意書きのなんたる優しさよ!
【着信 喪神梨央】
今の人、帝都の何処どこかで、
強夢ごうむになっているようです……
廓清かくせいされて人に戻ったでしょうか?
帥士すいしの近辺ですが、
まだ強夢ごうむ化のセヒラ波形があります。
警戒して進んでください。

〔高輪延吉エンキツ

【人間椅子強夢ごうむのアストラル】
常から、引け目を感じながら、
陋巷ろうこうすみに暮らす他、能のない、
そんな私が、住む世界を変える――
ひそかに椅子いすの中へ入り、
窮屈きゅうくつさえ辛抱しんぼうすれば、
表の世界ではそばへ寄ることすら無理、
口をきくなどもってのほか麗人れいじんと、
なんと椅子いすの革一枚をへだて、
接することができるのです!
椅子いすの中の恋です。
それがどんなに陶酔とうすい的なものか、
想像にかたくありません――
でも、革一枚をへだてずに、
じかに触れたならば、如何いかがでしょうか?
ええ? 如何いかがでしょうか?
そう考えた瞬間、私は、
体のしんが空へ駆け上がるような、
かつてない快感につつまれました。
私は気を失ってしまい、
次に目覚めると、
椅子いすになっていたのです。
しかしながら、私は、
自分の下宿で椅子いすとなりました。
ここに麗人れいじんのいるはずもない――
こうして思念を彷徨さまよわすうちに、
いろいろ知りました――
さぁ、私を戻してください!

《バトル》

【人間椅子強夢ごうむのアストラル】
これで……戻れるでしょうか……
……椅子いすのまま固まったら……
ど……う……しよう……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その辺り、セヒラが下がりました。
帰還いただいて大丈夫です!

〔山王機関本部〕

【如月鈴代】
無沙汰ぶさたしています、風魔ふうまさん。
――今、お戻りなんですね。
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、麗華れいかさんのこと、
何かわかりましたか?
居場所とか……
【如月鈴代】
ユリアさんがおっしゃるには、
おそらく市中のどこかだろうと……
それを聞いて少し安心しました。
【喪神梨央】
ですよね……
兄さんが飛ばされた時空じくう狭間はざまじゃ、
何をしていいやら――
【如月鈴代】
うふふふ……
【喪神梨央】
あっ、そうそう、
乱歩らんぽ先生の人間椅子にんげんいすに影響されて、
椅子いすになった人、いたんです。
【如月鈴代】
先程、帆村ほむら先生からうかがいました。
そんなことも、あるんですね。
【喪神梨央】
椅子いすに入ったんじゃなくて、
椅子いすになったんです。
【如月鈴代】
その方、
人の姿に戻ったんでしょうか?
【喪神梨央】
新山にいやまさんに聞いたんですが、
完全に物になってしまう場合も、
あるようですよ。
【如月鈴代】
人間椅子にんげんいす蜘蛛男くもおとこ芋虫いもむし人間豹にんげんひょう……乱歩らんぽ先生の作品は刺激的ですわ!
【喪神梨央】
そのうち乱歩らんぽ先生の作品も、
危険図書とかになりますか?
【如月鈴代】
人って想像するのが好きなんですよ。
楽しいことと危険なことは、
紙一重かみひとえ、そうじゃありませんこと?