第六章 第六話 国立防疫研究所

〔山王機関本部〕

梅雨つゆ明け十日と言うが、まだ蝉の鳴く前の、静かで若々しい夏日が続いていた。

【帆村魯公】
国立防疫ぼうえき研究所だがな、
いよいよ参謀本部が調査に乗り出す。
【喪神梨央】
参謀本部のどの部署が動くんですか?
【帆村魯公】
それぞれの部署だと聞いておる。
経理課なども独自に調査するらしい。
それでうちにも依頼があった――
【喪神梨央】
どんな依頼がありましたか?
【帆村魯公】
常通つねどおり、くまなく巡視パトロ―ルせよと。
あそこは人籟魔じんらいまうわさが絶えん。
――尚更なおさらのことだろう。
【喪神梨央】
国立と名乗っているだけで、
その実態、全くつかめていません――
看板にいつわりりありです。
【帆村魯公】
九頭くず中尉などは、あの場所は、
養蚕ようさん試験場だと思っておったようだ。
参謀本部では、山王さんのう機関と一緒に、
怪人の研究をしていると思う者もいて
どうにも妙な按配あんばいだ。
【喪神梨央】
立場によって見え方が違う、
そういうことなんですかね?
【帆村魯公】
それも含めて調査なんだよ。
いよいよ化けの皮をがすときだな。
ユリアさんも同行願えますか?
【ユリア・クラウフマン】
はい! 
喜んでご一緒します。
――行きましょう、フーマ。
念のため、フロイラインも
連れて行きましょう!
【喪神梨央】
公務電車、赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばしから、
清正公前せいしょうこうまえを経て白金台町しろかねだいまちへ――
その経路を押さえますね。

白金三光町しろかねさんこうちょう

ユリア、メイド型ホムンクルス、それに風魔、3人は公務電車で白金台町しろかねだいまち電停へ。すでに参謀本部の要請を受けた、歩一の混成部隊が展開していた。路上には研究員の姿もある。

【着信 喪神梨央】
三光町さんこうちょう、セヒラ急上昇です。
歩一の部隊到着直後に、
値が高まりました!
【香川曹長】
歩一、三○八隊の香川であります!
一個小隊の兵が防疫研ぼうえきけんの建物を、
捜索そうさくしております!
【徳島一等兵】
同隊の徳島であります!
捜索隊そうさくたい、もう三十分になるのに、
誰一人として戻りません!
愛島めでしま研究員】
もう防疫研ぼうえきけんはおしまいです――
朝から加藤所長の姿もなく、
師団から支援も来ません。
【ユリア・クラウフマン】
師団というのは?
――防疫研ぼうえきけん所轄しょかつですか?
愛島めでしま研究員】
ゼームス師団です。
正式には東京ゼロ師団と言います。
――私もよくは知らない……
百道ももち研究員】
品川しながわのゼームス坂にある師団です。
同僚が訪れた時は、
高いレンガべいがあるばかりとかで……
【ユリア・クラウフマン】
ということは……
その師団も実在するかわからない、
そうなんですね?
愛島めでしま研究員】
アハハハ!
それを言い出したら、防疫研ぼうえきけんも、
実体は怪しいものです!
【ユリア・クラウフマン】
あなた……
研究員なのですよね?
ここ、防疫ぼうえき研究所の……
愛島めでしま研究員】
こうして表の空気を吸うことで、
私の中では雲は晴れた!
私は真理に近付きつつある!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、更に上昇!
注意してください!
愛島めでしま研究員】
自己本質を認識すれば、
私の内側にある神性が目覚める!
私はようやくその境地に至った!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
怪人はフーマを捕捉ほそくしています!

《バトル》

愛島めでしま研究員】
あああ、自分が……
細かな粒子となって……散っていく!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、ごめんなさい!
フロイラインが間に合わず――
防疫研ぼうえきけんの方へ、行ってみましょう!

白金三光町しろかねさんこうちょう

小籠こごめ研究員】
私たちは所長の指示に、
従っただけだ!
【ユリア・クラウフマン】
ここで何をしていたんですか?
小籠こごめ研究員】
人籟魔じんらいまの研究だ。
かれてすぐ魂をわれると、
ヒト由来のが生まれる――
小籠こごめ研究員】
ヒト由来のは扱いやすい。
ただの怪人風情ふぜいでも、
結構な使いとなれる――
【ユリア・クラウフマン】
それは東京ゼロ師団の指示で、
行っていたのですか?
小籠こごめ研究員】
ああそうだ、指示はあった。
それより無尽蔵むじんぞうに金があった――
【ユリア・クラウフマン】
イチガヤ刑務所とは、
どういう関係ですか?
小籠こごめ研究員】
牛頭ごず機構の連中が囚人しゅうじんを調達する、
それを材料に人籟魔じんらいまを作る。
人籟魔じんらいま牛頭ごず機構が扱う――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの上昇、確認しました!
小籠こごめ研究員】
人形好きの加藤所長にそそのかされて、
私は……おかしな性癖せいへきに目覚めた……
まさか、自分の体が変形するとは……
【ユリア・クラウフマン】
あなた、まさか……
小籠こごめ研究員】
私は奇形愛好者ディスモーフォフィリアなんだ……
そう思ううちに、みるみる体が……
ゆがんできた!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
ここはフロイラインが対応します。
先に行ってください!

防疫ぼうえき研究所廊下〕

【佐賀二等兵】
歩一、三○八隊の佐賀であります!
この先、講堂にしゅうしていたところ、
突然、巨大な陰の出現を見、
兵ら、すべて吸い込まれ、
自分、命辛辛いのちからがらに退避したものです!
蛭ヶ野ひるがの研究員】
あなたも参謀本部からですか?
いろいろ変事が連続しています。
現に、今も――
奥の処置室で変な音がします。
もうここはおしまいです!

〔処置室〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが、
なんとかやり抜きました!
あなたは……
刑務所から連れて来られたんですね?
【被験者ホ】
初にお目にかかりますね。
どちら様ですか?
――もしや、軍の方ですか?
【ユリア・クラウフマン】
あなたは、ここに来て、
どれくらい経ちますか?
まだそれほど時間が経っていないなら
元に戻れるはずです。
【被験者ホ】
元に……戻る……
この私が、ですか?
私は進化しているはずですが。
【ユリア・クラウフマン】
聞いてください、私は研究者です。
あなたの人生を取り戻す、
そのお手伝いができます。
強い意志があれば、
必ず廓清かくせいされるのです。
まずは、ここを出ましょう!
【被験者ホ】
強い意志! あはは、まことに明解、
医者として私は強い意志のもとに、
革命的な技術を求めた!
あなた、医師なのですか?
医の道とは神意しんいそのものだ。
私の指が触れるものは、
すべて光をまとう!
【ユリア・クラウフマン】
それって、どういう意味ですか?
【着信 帆村魯公】
注意するんだ!
そいつは、二人の幼子おさなご
犠牲にした殺人鬼だ!
二人の胃から大腸までを接合して、
人造双子を作り出そうとしたんだ。
医道之神意いどうこれしんいなり、そいつの妄言もうげんだ!

【被験者ホ】
さぁ、博士、私は光を見たわけだが、
慧眼けいがんの持ち主であるあなたであれば、
講釈など時間の無駄だろう!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、廓清かくせいは無理そうです。
とても深く、いています。
【被験者ホ】
まずはそちらの軍人さんかね。
いいでしょう!
光の道へ、歩を進めましょう!!

《バトル》

【被験者ホ】
ううううう……
私は、医の道を信じている!
誰にも邪魔立てはさせない!!
【ユリア・クラウフマン】
小隊丸ごと消えたんですって?
フーマ、講堂に行ってみましょう!

〔講堂〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、見てください!
人形です!
カトウ所長は人形愛好者ペディオフィリアと聞きます。
その人形は……
もしや……カトウ……

【着信 喪神梨央】
セヒラ異常です!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急ぎ、退避してください!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!!

〔時空の狭間〕

市松いちまつ人形強夢ごうむのアストラル】
私を……固定してくれないか?
この人形の中に固定してくれ。
二度と、人として表に出ないように。

きっかけは尋常じんじょう小学校の時だ。
姉の書棚しょだなに見つけた一冊の本。
野水のみず夢走むそうの短編集だった――
今でもありありと思い出す――
ハトロン紙に包まれた表紙をめくる、
あの指先のハラハラとする感触を――
強キ夢――
その一篇いっぺんは私を魅了した。
上級生をした真知子まちこは、
上級生が好きだった人形になる。
文字通り、姿を変える――
上級生の里子さとこは人形などと思う。
少しも人形が好きではなかった。
家族が勝手に解釈したのだ。
里子の家に運ばれた人形、
すなわち真知子は、
無残にも焼かれてしまう――
だが、私をとりこにしたのは、
里子にうとんじられていた人形だ。
――私もそのようになりたい!
小さな私は、ゾクゾクとした快感に、
激しく身をよじったのだよ!
――ああ、人形になりたい!

人は人形をでてなどいない。
むしろ見て見ない振りさえする――
その哀しみが人形を深くするのだ。
私もそういう存在になりたい――
研究に喜びを見出し、日々邁進まいしんし、
気付くと私は権利を得ていた。

人形になる権利だよ!!
さぁ、私の余分な思念を吹き飛ばし、
私を人形の中に固定してくれ!!

《バトル》

市松いちまつ人形強夢ごうむのアストラル】
かえりみられることのない人形に、
私はなりたい……その望み……
ようやく……私……

【着信 喪神梨央】
兄さん、今、どちらですか?
たぶん白金しろかねですよね……
――公務電車、回しますね。

〔山王機関本部〕
【帆村魯公】
あの鬼畜の医者は、
ほとんに魂を食われていたな!
【ユリア・クラウフマン】
かなり強く憑依ひょういされていました。
あの状態からの廓清かくせいは、
ちょっと考えられません。
我が国にも双子研究が始まろうと……
それは神意しんいなどではありません。
――決して……
【帆村魯公】
それにしても、ユリア女史、
廓清かくせいなどという難しい言葉を
よくご存知ぞんじだな!
【喪神梨央】
ユリアさんはものすごく
勉強熱心なんです。
――私も刺激を受けています!
【ユリア・クラウフマン】
――実は、
研究員怪人の言った言葉が、
気になっているのです――
【帆村魯公】
風魔ふうまの戦った愛島めでしまという名の、
研究員ですかな?
【ユリア・クラウフマン】
そうです――
自己認識によって内なる神性を
解放させるといった話です。
グノーシス派の考えに近いのです。
創造神デミウルゴスの失敗作がこの世であって、
人間の中にそれをただす力がある――
錬金術には多くの学派がありますが、
いずれもグノーシス派の思想と、
響き合うところがあります。
【帆村魯公】
神の子の福音ふくいんとする、
キリスト教とは相容あいいれませんなぁ。
【喪神梨央】
人間の内に神がいるなんて言うと、
完全に異端扱いたんあつかいですものね!
【ユリア・クラウフマン】
錬金術はそこから発展します。
宗教ではなく医学や科学を伴侶はんりょとし、
目覚ましい成果を上げたのです。
【帆村魯公】
それはお父上ですな、
ローレンツ・クラウフマン博士。
万有物質プリマテリアルの生成に成功された――
【ユリア・クラウフマン】
父が初めて生成に成功した物質は、
わずか二秒半で完全崩壊しました。
とても小さく、一億分の八ミリです。
クラウフマンの頭文字で、
カー体と呼ばれている物質です。
そのカー体からホムンクルスの
香腺こうせんが作られるのです。
人間の脳でいう海馬にあたります。
【帆村魯公】
お父上はグノーシス派から、
決別されたようなものですな。
それにより結果を残された――
【ユリア・クラウフマン】
医科学と結びついた錬金術の学派、
実はたくさんあります――
その先駆けにはなったわけです。

人の神性に価値を見出すグノーシス派、そこから距離を置き錬金術の成果を求め、ホムンクルスを生んだユリア・クラウフマン。その彼女が、人の霊異りょういす、アニマの国、日本に来ている。皮肉な運命のめぐわせであった――