第六章 第七話 時の砂

〔山王機関本部〕

その夜、機関本部にはア―ネンエルベに出向しゅっこう中の虹人こうじんの姿があった。

【帆村虹人】
風魔ふうま、久しぶりだな!
防疫研ぼうえきけんで一騒動だって?
一個小隊がまるまる消えたとか……
これもセヒラ異常なのか?
【喪神梨央】
麗華れいかさんが飛ばされたときと同じ、
少なくとも波形は同じでした――
【帆村虹人】
梨央りお、今日、おかしな波形は、
観察しなかったか?
【喪神梨央】
今日は何も観測していません。
まだ通報もありません。
【帆村虹人】
そうか……
【喪神梨央】
どうかしたんですか?
【帆村虹人】
いや、何でもない――
銀座あたりに兆候ちょうこうがないかと……
ふとそう思った次第しだいさ!
アーネンエルベには探信たんしん技術がない、
そのあたりはこっちが進んでるな!

風魔ふうま、ちょっとロビ―で話そうか。

〔山王ホテルロビ―〕

【帆村虹人】
風魔ふうま……
実は今夜、君影会きみかげかいという、
寄り合いがあるんだ。
鈴蘭女学園すずらんじょがくえんの有志による読書会だ。
招待を受ければ、
学外の人間も参加できる。
会は銀座で開かれる――
僕が参加するのは今夜で二回目だ。
今夜は作家として呼ばれている。
会の最後に顔を出す程度だけど――
【鈴蘭女学生久子】
虹人こうじん先生、お待ちになりましたか?
【帆村虹人】
いや、今来たばかりだ。
紹介するよ、こちら喪神もがみ中尉、
こちら、鈴蘭女学園のにしき久子ひさこさん。
【鈴蘭女学生久子】
初めまして、鈴蘭すずらんにしきです。
作家の白金しろかねこう先生は、
私たちの間では虹人こうじん先生ですの。
【帆村虹人】
久子ひさこさん、君影会きみかげかいは、もう始まった?
【鈴蘭女学生久子】
ええ、予定より二十分も早く!
それで私、円タク使って、
急いでこちらに参りましたの!
【帆村虹人】
それは散財したね!
――だとすると、君影会きみかげかい
そろそろ第一部が終わる頃だな……
【鈴蘭女学生久子】
虹人こうじん先生、やはり咲世子さよこさんは、
今夜は欠席されているようです。
――八重子やえこさんはいらっしゃいます。
【帆村虹人】
聞いてくれ。会の参加者に、
挙動きょどうのおかしなのがいると、
そんな話が伝わっている――
その参加者、下鴨しもがも八重子やえこさんだが、
是枝これえだ咲世子さよこさんにご執心なんだよ。
二人とも鈴蘭の同窓生だ。
咲世子さよこさんは、五反田ごたんだ大崎おおさきの、
是枝これえだ大佐の娘さんだよ。
風魔ふうまも会ったことあるだろ?
咲世子さよこさんとは雑誌オフィリアの
投書欄とうしょらんで知り合ったんだ。
互いに文通相手を求めていたから――
ねぇ、久子ひさこさん、
八重子やえこさんがおかしくなったのは、
前回の君影会きみかげかいの後なんだって?
前回、どんなお題だったんだい?
【鈴蘭女学生久子】
はい、小川おがわ未明みめい先生の、
人魚と蝋燭ろうそく、眠い町の二つです。
【帆村虹人】
読書会の最中は、
何も問題なかったんだろ?
【鈴蘭女学生久子】
ええ、いつも通りでした。
ただ――
八重子やえこさんは……
八重子やえこさん、はかま姿で来られたんです。
卒業されて、確か五年……
もう在校生ではないのです!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、どちらですか?
銀座方面、セヒラ確認です。
本日、二度目となりますが、
巡視パトロ―ルお願いします。
【帆村虹人】
銀座にセヒラ!
もしや君影会きみかげかいの会場か!
僕たちは君影会に行く。
風魔ふうま、お前は銀座に向かってくれ。
――今は同行はできないんだ。

〔銀座四丁目〕

【京橋署の巡査】
過日、銀座幻燈会げんとうえの客が、
大勢、繰り出しましてね――
何でも有楽町ゆうらくちょう荘月会館しょうげつかいかんで、
開かれたと言うじゃないですか!
あそこ、千人は入りますよ!
連中が騒ぎを起こすのは、
過去の事例からもう少し先でしょうが
人手不足で頭が痛いんです。
【鈴蘭女学生美代子】
八重子やえこおねえさま、やぶからぼう
どうされたんでしょうか?
かずさん、お心当たりあって?
【鈴蘭女学生和子】
前の君影会きみかげかいの帰りに、
有楽町ゆうらくちょうの待合室で、小説の眠い町に
そっくりな体験をしたんですって!
【鈴蘭女学生美代子】
皆が眠りこける古い町の話でした――
町を訪れた主人公の少年は、
その町で一人の老人に会う。
【鈴蘭女学生和子】
老人はなげくのですわ――
新しい人間がやって来て、
私の領土をみんな奪ってしまった。
【鈴蘭女学生美代子】
いまの人間はすこしの休息やすみもなく、
疲れということも感じなかったら、
【鈴蘭女学生和子】
またたくまにこの地球の上は
砂漠となってしまうのだ。
【鈴蘭女学生美代子】
――老人は疲労の砂を取り出すの。
それは人を疲れさせる砂。
少年は砂をくよう頼まれます。
【鈴蘭女学生和子】
疲労の砂で人間を疲れさせれば、
町はこれ以上、開発されない――
そんなお話ですわ。
【鈴蘭女学生美代子】
――それで八重子やえこおねえさまったら、
どんな体験をなさったの?
小説に似た体験って。
【鈴蘭女学生和子】
待合室で居眠りして目が覚めると、
時間が戻っていたというの。
三度も繰り返したんですって!
【鈴蘭女学生美代子】
それでなの……
時よ戻れぇ~時の砂だぁ~って、
頓狂とんきょうな声を上げるのね!
八重子やえこさんが巾着きんちゃくに持つ砂、
あれはどういうのかしら?
【鈴蘭女学生和子】
三度目の居眠りから覚めたとき、
一人の紳士しんしが時の砂をくれたって、
砂で時が戻るとか言うのよ。

【日台製糖の課長】
おい!
さっきのはかま、あんたらの仲間か!
【鈴蘭女学生美代子】
何ですの、急に!
かずさん、お気を付けて!
【鈴蘭女学生和子】
美代みよさんもよ!
【日台製糖の課長】
私は聞いているんだ!
――私に何かを振り掛けた……
ああ、あの日がやってくる!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です。
注意してください!

【日台製糖の課長】
ああ、来る来る! あの日だ!
また繰り返すのか、あの屈辱を――
――あんな奴に……くそっ!!

《バトル》

【日台製糖の課長】
お早うございます、部長。
今日は三月十八日、月曜です。
私はこれより本社の運輸係長の元へ。
――戻りは……
遅くなるかも知れません……
謝罪報告、今夜中に上げておきます!
【着信 喪神梨央】
今の人、謝りに行くんですね。
しかも本社にいる目下めしたの係長に――
それを繰り返しているようです。
八重子やえこという同窓生がいている、
時の砂、何だか怪しいです。
付近を調べてください。

〔銀座四丁目〕

【鈴蘭女学生久子】
喪神もがみさん!
大変です、虹人こうじん先生が――
虹人こうじん先生が時の砂を掛けられ、
妙なことになりました!
虹人こうじんさんが君影会きみかげかいの会場に入るや、
八重子やえこさん、一目散いちもくさんに走り来て、
先生に砂を掛けたのです!
時よ戻れ、時よ戻れって叫び、
手にした巾着きんちゃくから砂を先生に……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認!
先ほどと同じ波形です。

【帆村虹人】
風魔ふうま
ここで、何してる?
僕は……
だめだ!
――ああ、またあの朝が来るのか!
風魔ふうま、今日は何日だ……
いや、今は、何月……違う!!
何年なんだ、何年何月なんだ?

冬の朝、僕は道場の風呂場にいた。
更衣室こういしつに小さな鏡があった――
鏡の前で僕は左胸に小刀を――
切り落とすなんて考えはないさ、
しるしを刻みたかっただけさ、いましめのね!
僕のあずかり知らぬところで、成長を続ける体にいましめのしるしきざむ――
そうでもしないと自分を保てない、
刀に力を込めたその時、
不意ふいに物陰から梨央りおが現れた――
彼女が更衣室にいたなんて!
彼女は全てを一瞬で理解したよ。
――そして梨央りおは僕に触れた……
僕たちはしばらく向き合っていた。
そして互いの体を抱きすくめた。
一糸いっしまとわぬ姿で――

決して忘れたい過去じゃない。
むしろ僕の原点だ――
けれど……
今夜、同じ朝を二度も体験した。
そして……
――また体験しようとしている!
何度もるものじゃない、
そうだろ! これは原点だ!
――そういうのは、一度きりで……

《バトル》

【帆村虹人】
風魔ふうま……済まない……
――僕は……
自分の原点さえ疑っていたのか?
僕は今、混迷の中にいる!
――自分がわからなくなっている!
風魔ふうま
あとは頼んだぞ!

【着信 喪神梨央】
虹人こうじんさん……
兄さん――
兄さんに話していないことが、
あるんです……
だけど、今は、八重子やえこさんです、
彼女を追ってください!
下大崎しもおおさき是枝邸これえだていに向かいました!

是枝宅前これえだたくまえ

【鈴蘭女学生八重子】
どうしてですの、
咲世子さよこおねえさま!
【是枝咲世子】
八重やえちゃん、
私たち、卒業したのよ。
いつまでも女学生じゃないのよ。
【鈴蘭女学生八重子】
私のおねえさまが、
あの新進作家の虹人こうじん先生に――
それを見るのが辛いのです!
【是枝咲世子】
あら、八重やえちゃん、
それは思い過ごしというものよ。
【鈴蘭女学生八重子】
違います!
おねえさまは好きな人の前で、
またたきが増えるのです。
私はそれを見逃しませんでした!
小川おがわ未明みめいの読書会の夜です!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
高いセヒラの値です!
【是枝咲世子】
喪神もがみ……中尉……
――どうしてここへ?
【鈴蘭女学生八重子】
お前!
私の後をつけて来たな!
時よ戻れ、時よ戻れぇ~
【是枝咲世子】
八重やえちゃん、すのよ!
この方は虹人こうじんさんの――

麻美マ―メイ
喪神もがみさん……
なんとか食い止められました。
あなたがあの日に戻るのを――
戻っていけないのではありません、
せっかく修練しゅうれんを積んだのに、
それが駄目になるおそれもあって――
八重子やえこさんは、おねえさまとしたった
咲世子さよこさんが、新参の虹人こうじんさんに
好意を寄せるのが辛いみたいです。
咲世子さよこさんは軍人の娘だけあって、
何でも自分で決めるタイプですね。
一度決めたら、変えないところも――
だからこそ、八重子やえこさん、
時間を戻したいのでしょうね。
でもそれでは秩序を乱します――

是枝宅前これえだたくまえ

【鈴蘭女学生八重子】
覚悟はいいか、喪神もがみ風魔ふうま
お前は弱き少年同様だ!

《バトル》

【鈴蘭女学生八重子】
はぁ、はぁ、はぁ……
――私の……負けだ……
もう時間は戻らない……
戻った分だけ先に進む、
時の砂を寄越よこした紳士しんしはそう言った。
私は……
何十年と年老いてしまうだろう。
あああ、いやだ、老いたくない!!
……嫌だぁぁぁ~

【是枝咲世子】
八重やえちゃん、結婚に失敗して、
以来、私のところに、
よく顔を出すようになりました。
私たちは仲良しでしたが、
もう女学生時代には戻れない――
八重やえちゃんもやがて気付くでしょう。

喪神もがみさん、私は父を手伝うのです。
ナチ独逸ドイツ猶太ユダヤ迫害はくがいを計画し、
いよいよ予断を許しません。
大連ダイレン特務機関の中条忍なかじょうしのぶさんとは、
頻繁ひんぱんに連絡を取り合って、
N計画を支援していきます。
満洲への猶太ユダヤ人入植が成功すれば、
世界から資金や人材が集まり、
満蒙まんもうの地は盤石ばんじゃくとなります。
でもN計画は乗っ取りの危機にあり、
喪神もがみさんたちの協力が必要です。
またご連絡差し上げると思います。
――虹人こうじんさんにも、
よろしくお伝え下さい。
今晩はお話が聞けなくて、
残念でした――

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん――
虹人こうじんさんのこと、
話していなくて申し訳ありません。
どう切り出していいか、
迷ううちに時間が過ぎてしまい、
話す機会を失ったのです。
【帆村魯公】
わしは何も知らなんだ。
変な言葉遣いは今流かとばかり……
虹人こうじんの奴……
【喪神梨央】
隊長はそれでいいんです。
虹人こうじんさん、本当はこうって言うんです。
そうですよね?
【帆村魯公】
ああ、そうだ、元はこうだ。
改名するというので相談に乗った。
改名と言っても、
こうに人を付け足しただけ、
それで虹人こうじんになったんだ。
奴が尋常じんじょう五年のときのことだ。
難しい問題だが、
おりを見て話をしてみよう――
【喪神梨央】
私たちが知っている虹人こうじんさんは、
この先もずっと変わりません――
そうですよね、兄さん!

【九頭幸則】
夜分、遅く失礼します。
歩一の九頭くずです。
【喪神梨央】
あら、まだ寝ないんですか、
幸則ゆきのりさん。
【九頭幸則】
何だよ、今度は子供扱いか?
さっき聞いたんだけどさ、
銀座の怪人、召喚小隊が鎮定ちんていしたぞ。
風魔ふうま、何か情報なかったのか?
【喪神梨央】
そうなんですね!
まだ残っていたんですか、怪人。
山王さんのう機関も出動したんですよ。
【九頭幸則】
そうか! そりゃ失礼!
何でも時間の粉を振りかけられて、
怪人になったんだってね。
【喪神梨央】
時の砂です。
記憶を呼び覚ます効力があって、
人によっては怪人化するんです。
【九頭幸則】
その出処でどころは、どこなんだい?
【喪神梨央】
鈴蘭出身の女性が手に入れました。
元上級生との関係を断ちたくなく、
時の砂を使おうとしたのです。
【九頭幸則】
上級生との関係ねぇ……
そういうの、あるのかい、普通?
【喪神梨央】
らしいですよ。エスと言います。
シスターのエス、女学生同士が、
擬似ぎじ恋愛におちいるみたいなことです。
【九頭幸則】
おちいるって……
梨央りおちゃんは関心なさそうだね。
【喪神梨央】
ええ、まぁ……
私には縁のない世界ですから。
八重子やえこさんに時の砂を渡したの、
いったい誰なんでしょうか……
これは調査が必要ですね。

図らずも垣間見かいまみえた虹人の出自しゅつじ。彼はアーネンエルベの水が合わないのか、このところ不調が続いていた――