第六章 第九話 乱歩作『妄楼』前編 

先月末、冒険青年8月号に発表された、江戸川えどがわ乱歩らんぽの描き下ろし小説『妄楼もうろう』――すぐ単行本化され、爆発的ヒットとなった。
元来、乱歩らんぽ作品好きの鈴代すずよ、当然、発売日に初版本を買った組である。普段、ひかえめな鈴代すずよであったが、乱歩らんぽの新作を語る時にはほお紅潮こうちょうさせる。事程左様ことほどさように好きなのである――

〔山王ホテルルビ―〕

【如月鈴代】
梨央りおちゃんにもお話したし、
魯公ろこう先生にもお話しました――
妄楼もうろう、すっかりそらんじましたわ!
風魔ふうまさんにはまだお話していません。
――お話の舞台は九段くだんにある、
望洋館ぼうようかんという下宿ですのよ。
女ばかり六人が暮らします。
その下宿で事件が起きます。
五人の女性が忽然こつぜんと蒸発するのです。
通報者の女性が一人だけ残ります――
【喪神梨央】
あっ、鈴代すずよさん、こんにちは!
【如月鈴代】
あら、梨央りおちゃん。
今、風魔ふうまさんにお聞かせしようと、
始めたばかりなのよ!
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、乱歩らんぽ先生のお話でしょ?
そのことなんですが……
【如月鈴代】
ああ、そうでしたわね、
ご公務に出られるのでしたわね!
【喪神梨央】
兄さん、前に蝶々夫人ちょうちょうふじんの事変、
ありましたよね……
同じような人が市中に出たようです。
皆、妄楼もうろうの登場人物になりきって、
そのことしか話さないとか――
ちょっと様子を見てきてください。
セヒラは観測していませんが……
【如月鈴代】
それなら、私もご一緒しようかしら。
【喪神梨央】
そうですね!
お話、よくご存知ぞんじだし――
でもご用心くださいね!

〔赤坂街路〕

【如月鈴代】
ここにたたずんでいる人たち、
もしかして、そうなのかしら……
妄楼もうろうの登場人物になりきって、
そのことしか話さないって――

【月野沙漠】
麹町こうじまち署のM刑事に是非ぜひにと頼まれて、
九段くだんへとおもむいた、実にね!
実に蒸発の翌週のことだ。
【如月鈴代】
月野つきの沙漠さばくというのが、
妄楼もうろうに登場する私立探偵の名前です。
――おかしな名前ですよね?
【月野沙漠】
望洋館ぼうようかん靖国やすくに神社の裏に建つ、
実にかいな三階建の下宿館だ。
実に実に、建物は二重螺旋らせん構造で、
まるで会津あいづ栄螺堂さざえどう、実に!
窓もななめに付くというこだわりぶり!
昇り階段と下り階段が別々。
階段は一方通行という、実にね。
一○一号室脇から昇り階段、
三階まで昇って今度は下り階段。
出口脇が一○ニ号室――実に!
【如月鈴代】
望洋館ぼうようかんの階段の仕組み、
止宿人ししゅくにん同士がすれ違わない設計つくりです
望洋館ぼうようかん両国りょうごくにある椿油つばきあぶら仲卸商なかおろししょうが、
なかば道楽どうらくで建てたものと、
うわさされています。
【月野沙漠】
麹町こうじまち署に通報したのは、
実にニ○一号室のなおという女学生。
学校では仏文を専攻するという。
直の他に、美禰子みねこ御米およね三千代みちよ
しず千代子ちよこの五人、都合つごう六人が、
望洋館ぼうようかんの各部屋に住む、実にね!

望洋館ぼうようかん止宿人ししゅくにんと部屋番号は次の通り――
101:美禰子みねこ、201:なお
301:三千代みちよ、102:しず
202:千代子ちよこ、302:御米およね

【月野沙漠】
なおから聞いたところでは、
最初にいなくなったのは、
実に一○一号室の美禰子みねこだという――

【直】
私の部屋、ニ○一号室で、
美禰子みねこさんの部屋のぐ上です。
帰るとき、一○一号室の前を通り、
螺旋らせん階段をぐるっと一周昇って、
二階の自分の部屋に入ります。
【如月鈴代】
三日ばかり美禰子みねこさんの部屋に
人の気配がなくてなおは気付くのです。
その時はあと二人も蒸発していた――
【直】
御米およねさんと三千代みちよさんがいなくなり、
これは変だなと思いました。

【赤坂署の巡査】
結局、しず千代子ちよこまでいなくなり、
なおはようやく麹町こうじまち署に通報を――

ってね、あのね、往来おうらいの邪魔です。
人が辻辻つじつじに立つと通報があり、
やって来たらこの有様。
ぜんたい何かの病質ですか、これは?
【如月鈴代】
風魔ふうまさん、少し歩きましょうか。
他に話が聞けるかもしれません。
最初に蒸発した美禰子みねこさん、
ある会社社長の二号さんでした。
でもその方、病気でお亡くなりに――

【如月鈴代】
あそこの人も……
【月野沙漠】
実に美禰子みねこを付け狙う人物がいた!
それは有楽ホテルのドア係だ、実に!
社長との逢瀬おうせの現場を抑えられ――

美禰子みねこ失踪の被疑者:
  有楽ホテルのドア係

【月野沙漠】
ああ、実に怪しい、実に!
だが、有楽ホテルを訪問するも、
愛想のいいクローク係が応対に出て、
ドア係はしばらく出張中だという。
実に残念至極しごく、被疑者は不在、
話は聞けなかった、実に!
二番目の蒸発者、御米およねであるが、
被疑者は実に平河町ひらかわちょうの酒屋――
普段から性癖せいへき好ましくないという。

御米およね失踪の被疑者:
  平河町ひらかわちょうの酒屋

【月野沙漠】
酒屋、実に電車通にて御米およねに、
ちょっかいを出したという話だ。
なるほど実に怪しい――
実に僕は聴取ちょうしゅに向かったね!
これこそ被疑者だと確信した、実に!
いよいよだ!
【平河町の酒屋】
アッシはね、他意はござんせん!
麹町こうじまち画廊がろうに配達に行ったときにね、
目に留まったお嬢さんですよ。
それがね、たまたま九段くだんのお得意先、
配達の帰りにお嬢さん見たもんでね、
ちょいと声掛けした次第で。
それが何か、あるんすかね!
ええ、アッシが疑われること、
あるんすかねぇ!!

《バトル》

【平河町の酒屋】
アッシはね、そもそも、
この三週間、ずっと入院中でね、
昨日退院したばかりなんすよ!
【如月鈴代】
今の人、御米およねさんの蒸発には、
関係なさそうです。
乱歩らんぽ先生のお話でもそうでした。
溜池ためいけの先まで行ってみましょうか。

【月野沙漠】
実に御米およねはしっかり者との評判。
男にこな掛けられても動じない、実に!
彼女は麹町こうじまち画廊がろうで働いている。
次に僕は、三千代みちよの上司に会った。
実にね、株屋のサラリーマン、
三千代みちよ庶務しょむ課ながら目利めききという。
三番目の蒸発者である三千代みちよは、
実に結構な額を、株にて利殖りしょくする――
【如月鈴代】
三千代みちよさんは株の銘柄めいがらくわしく、
よく高騰こうとう銘柄めいがら的中てきちゅうさせるのです。
斯界しかいでは名の知れた人です。
【三千代の上司】
三千代みちよ君はね、庶務しょむ課に置くのが
はなは勿体無もったいないですよ――
この二月、日台製糖にったいせいとうに買いを入れて、
千円ほどそそんでいましたよ。
日台にったいの株価はこの半年で倍に。
三千代みちよ君の目利めききに皆驚いています。
でも、それがわざわいしてか、
たちの悪い相場師そうばしに狙われて……
警察にも保護を申し出るのですが――

三千代みちよ失踪の被疑者:
  麹町こうじまち相場師そうばし

【麹町の相場師】
私のこと、悪く言う人、多いですよ。
でもね、あの三千代みちよって女ほどじゃ
ありませんよ!
あの女の口車に乗って買った、
ベツレヘム製鉄、一気に下落です。
彼女は私の持ち株で空売り大臣!
私は出汁だしにされたようなもの、
全く、殺したいほど憎い!
【如月鈴代】
風魔ふうまさん、気を付けてください!
――強い瘴気しょうきを感じます!

《バトル》

【麹町の相場師】
先週から私は逗子ずしにおりました。
三千代みちよとも一切の連絡を
っていました――
【如月鈴代】
相場師の人、事件の週は、
逗子ずしホテルに長逗留ながとうりゅうしていたのです。
始終しじゅう、愛人と一緒でした――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山方面でセヒラ観測です!
溜池ためいけから公務電車を使ってください。
鈴代すずよさんはどうされますか?
【如月鈴代】
次は書道家のしずさんの同窓生に、
話を聞くことになります。
しずさんの同窓生は二人います――
【着信 喪神梨央】
それでは鈴代すずよさん、
引き続き同行お願いします。

〔青山街路〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラ観測します。
鈴代すずよさんの安全確保をお願いします。
【如月鈴代】
しずさんの同窓生ですが、
片方が悪意をたぎらせます。
――怪人になるかも知れません。
【月野砂漠】
四番目の蒸発者、しずは書家だという。
実に古風な女性だ、実にね。
しずは実に鈴蘭女学園出身だ。
その同窓の一人、Kから聞いた話、
実に興味深かった、実に! 実に!
【静の同窓生K】
しずさんね、お友達のTさんの家に、
お呼ばれしたことがあって――
その時、Tさんのお父様が、
客間に一人でいたしずさんを……
――かどわかしたんですって!

しず失踪の被疑者:
  同窓生Tの父親

【静の同窓生K】
以来、しずさん、ノイロ―ゼになって、
食べては戻すを繰り返すように……
【静の同窓生T】
あることないこと、
よく言うわねぇ、Kさん!
【静の同窓生K】
あら、Tさん!
私、しずさんからじかうかがってよ!
【静の同窓生T】
あの子、ノイロ―ゼですってね!
ウフフ、元―神経おかしいのよ、
そうじゃなくって?
【静の同窓生K】
そりゃ、アンタのあの親父に、
いやらしい目でまわされた日にゃ、
おかしくもなるってものよ!
【静の同窓生T】
そう仕向けたのはあの子よ!
長靴下脱いだのよ、父の前で。
みだらな生の脚をあらわにした変態アブよ!
【静の同窓生K】
変態アブはどっちかしらね?
親戚の女学生を三週間も、
納屋なやに閉じ込めた変態アブ親父でしょ!
アンタが食べ物運んだんだって!
親子で変態アブね、まったく!
【着信 喪神梨央】
セヒラ急上昇です!
注意してください!
【静の同窓生T】
アハハハハ~
アンタはどう思うのさ?
ええ、真実はひとつじゃないさ!!

《バトル》

【静の同窓生T】
父は確かに変態アブさ!
でも、しず変態アブ、みんな変態アブ
アンタも立派な変態アブさまね!!
【如月鈴代】
鈴蘭同窓生Tさんのお父上は、
莫大小メリヤス工場こうばの社長さんです。
蒸発事件の週、新京シンキョウにおいででした。
――さっきの二人のやり合い、
妄楼もうろうのお話にはありませんでした。
まったく同じじゃないんですね?

【如月鈴代】
月野つきの探偵は、五番目の蒸発者、
千代子ちよこを調べる前に、
これまでの聴取ちょうしゅを振り返ります。
そして彼は強い違和感を
覚えるのですわ――
【月野沙漠】
五番目の蒸発者は、
銀座で女給をする千代子ちよこだ、実に!
しかし、僕はこの事件に、
強い違和感を覚える、実にね!
いや、実に違和感だ――
望洋館ぼうようかんは出入りする止宿人ししゅくにん同士が、
鉢合はちあわせしない構造になっている。
ことごと干渉かんしょうを避ける作りだ、実に!
そこで五人の乙女が蒸発する。
希薄な関係の五人がそろって消える、
実にこのバランスが悪い、実に!
【如月鈴代】
月野つきの探偵は、建物に、
何かトリックがあるのではと考えます。
隠し通路でもあるのではと――
【月野沙漠】
仮に隠し通路があったとして、
実に、止宿人ししゅくにん何処いずこへ?
そして、実に、違和感の元、
もう一つある、実に。
被疑者四人ともにアリバイがある!

被疑者のアリバイ:
  ドア係(出張)、
  酒屋(入院)、
  相場師そうばし(旅行)、
  同窓の父(新京)

【月野沙漠】
千代子ちよこの調べはまだだが……
実に、どんな人物が被疑者であるか。
実に、予定を立てよう――
【如月鈴代】
手帳を月野つきの探偵は、
あることに思い至ります。
有楽ホテルのドア係の出張です。
【月野沙漠】
実に! 実に!
僕としたことが、見落としていた!
ドア係だ、出張中というが、
ドア係にいったいどんな出張だ!
怪しい、実に怪しい!
あああ、ドアドアドアだ、有楽だ!!
【如月鈴代】
月野つきの探偵はやってきた市電に乗り、
有楽ホテルへ向かいます。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座方面で強いセヒラを観測!
公務電車、三番の経路を通します。
同行者の方は、
山王下さんのうしたで下車お願いします!
【如月鈴代】
少しはお役に立てましたか?
この先、お話は真相に近づきます。
気を付けてくださいね、風魔ふうまさん。

二人を乗せた公務電車は、赤坂見附あかさかみつけを経由して山王下さんのうしたへ。鈴代すずよを降ろし、そのまま銀座ぎんざへ向かった。