第七章 第十話 釣鐘

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、式部しきべさんがもうじき、
機関本部にいらっしゃいます。
第六の予言って、
どんな内容なんでしょうね。
淀橋よどばしの書生さん、
強いセヒラの影響で半覚半睡はんかくはんすいになり、
予言を語ったのですね、きっと。

【式部丞】
遅くなりました。
【喪神梨央】
式部しきべさん!
書生さんの予言、どんな内容ですか?
【式部丞】
ちゃんと語りました。
ちょっとぼんやりしていますが――
無垢むくな力が導くという内容です。

無垢むくなる力が
真の導きを為すであろう
――芽府めふ須斗夫すとおが語った第6の予言である。

【喪神梨央】
無垢むくな力って何でしょうね?
けがれのないということでしょうか?
【式部丞】
よこしまな考えを持たない、
あるいは誇示こじするようなことのない、
そういう力じゃないでしょうか。
【喪神梨央】
式部さん、書生さんの語るの、
目の前で聞いたんですか?
【式部丞】
芽府めふ君の寝る部屋にマイクがあって、
離れた所で録音するのです。
それを再生して聞きました。
【喪神梨央】
そうでした!
憲兵本部には最新式のマイクがある、
新山にいやまさんが言っていました。
ダイナミックマイクロフオン――
振動板を持たず、音波の強弱で、
直接発電する仕組みです。
振動板がないので、
湿気に強くてどこでも使えるって。
【式部丞】
くわしいですね!
米国アメリカでトーキー映画の撮影で、
使われるようになったと聞きました。
くだん芽府めふ君ですが、
今はまた深い眠りに就いています。
セヒラの方はどんな按配あんばいですか?
もう弱くなりましたか?
【喪神梨央】
ええ、弱くなっています。
赤坂一帯で観測しますが。
怪人の兆候ちょうこうも少しだけ……
【式部丞】
やはりそうですか……
ここに来る時、ホテル前に、
そのような人を見ました。
背広姿と学生、
二人は兄弟のようでした。
激しく口論していましたよ。
【喪神梨央】
歩三の召喚小隊……じゃなかった、
暁光ぎょうこう召喚隊でも対応できそうですが。
一応、巡視パトロールお願いします、兄さん。

〔山王ホテル前〕

【麹町の銀行員】
財布の五円、どこ行ったんだろう?
あの晩、酔っていたからなぁ……
でも、五円も使うわけがない!
【麹町の学生】
兄様あにさま、それはおかしいですよ、
きっと計算違いしています!
【麹町の銀行員】
そんなわけない!
銀行屋のこの僕が計算違いなんて、
金輪際こんりんざいするわけない!
【麹町の学生】
何です、その目は。僕を疑いますか?
…………あんまりです!
兄様あにさまこそ銀行の金に手を付けて――
【麹町の銀行員】
黙れ!! お前はいちいち生意気だ!
何でも俺の足を引っ張りやがって!
こ、こ、殺してやる!
【着信 喪神梨央】
急激にセヒラが高まっています!
注意してください!
【麹町の銀行員】
銀行の金なんぞ、しょせん
誰のものでもないだろうが!
お前まで邪魔じゃまするのか、ちくしょう!

《バトル》

【麹町の銀行員】
ふん! それしきか!
絶対にバレないようにしてやる!
【麹町の学生】
何でもかんでも僕のせいだ! 
子供の頃から、ずっとそうだ!
はぁはぁはぁ……
妹の絹代きぬよを池に突き落としたのは
兄さんなんだ……それなのに……
くそ! くそ! くそ!! もっと力を付けて
今度こそは兄さんを殺す!!
絶対にな!

【着信 喪神梨央】
隊長がお呼びです。
ホテルロビーにお願いします。

〔山王ホテルロビー〕

【帆村魯公】
じき、聖宮ひじりのみや殿下がおいでになる。
風魔ふうま咲世子さよこさんは知っているな――
【是枝咲世子】
私、殿下から是非ぜひにと言われ、
やって来ました。
【帆村魯公】
是枝これえだ大佐は独逸ドイツ国在勤帝国大使館の
駐在武官だ――
いろいろ情報をお持ちだ。

【聖宮成樹】
是枝これえだ咲世子さよこさん、
足労そくろう頂き、感謝します。
それに山王さんのう機関のお二人も。
【帆村魯公】
殿下、京都の方はいかがでしたか?
例の乙亥きのとい文書もんじょについて――
【聖宮成樹】
京都に情報はさほどありません。
あるのは歴史です。
参謀局の資料が残っていました。
明治八年にしたためられた、
地震観測要項という冊子があります。
仏蘭西ふらんすの気象学者がまとめました。
【帆村魯公】
例のシャルボー氏ですな。
乙亥きのといの年、波動を観測したという。
【聖宮成樹】
麹町こうじまち三宅坂みやけざかに、
参謀本部陸地測量部が置かれ、
その第八課が観測を引き継ぎました。
年を追うごとに波動は小さくなり、
三十年後の一九一五年、
大正四年には消えたようです。
【帆村魯公】
その八年後に関東大震災だ――
波動は地震とは無関係なようですな。
【聖宮成樹】
私もそう思います。
波動が消えた翌年、
大正五年、観測は中止になりました。
帝大の学者が考案した、
新型の地震計による観測は
続けられたのですが――
【帆村魯公】
ふむふむ……
その地震計ではセヒラは測れない、
そうなんですな!
【聖宮成樹】
シャルボー氏は乙亥きのといの年にこそ、
大きな波動が現れると言いました。
破滅的な力だとも伝わります。
シャルボー氏のそうした建言けんげんは、
忘れ去られていたようです。
乙亥きのとい文書の元だとも考えられます。
【帆村魯公】
それがゴエティアにはさまっていた――
なんとも奇遇きぐうとしか言いようがない。

魯公ろこうはシャルボーのメモ発見のいきさつを、手短に話した。そして淀橋よどばしで保護された、芽府めふ須斗夫すとおのことも語った。

【聖宮成樹】
なるほど、なるほど――
事態はある方向に
向かいつつあるようですね。
なおのこと、
お目にかけたいものがあります。
咲世子さよこさんにも是非ぜひ
【是枝咲世子】
それは父に関係することですか?
【聖宮成樹】
そうとも言えます。
さぁ、エレベーターへ。

聖宮ひじりのみやはエレベーターの階数ボタンの最下、真鍮しんちゅうふたを開き、みずのととあるボタンを押した。その時、かごの電気が消えた――

【帆村魯公】
このホテルには地下三階に、
スケートリンクがあります。
そのさらに下へ行くんですな?
【聖宮成樹】
山王機関よりもさらに深く、
地下六十八階に相当します。

そこは不思議な場所であった。高い天井の空間に釣鐘つりがね状の物がしつらえられているのだ。

〔釣鐘の間〕

【帆村魯公】
ここは一体……
目の前にある釣鐘つりがねみたいなのは、
あれは何ですか?
【聖宮成樹】
まさに釣鐘つりがねそのものです。
ナチが開発した量子兵器です。
デーグロケと呼ばれるものです。
咲世子さよこさん、昨年お父上が一時、
音信不通になられましたね。
釣鐘つりがねの移送の時期だったのです。
【是枝咲世子】
アルプスの方に行っていたと、
それだけ伺っていました。
この釣鐘つりがねはアルプスから?
【聖宮成樹】
アルプスにある光 の 庭リヒャルトガルテン――
その名の研究所で開発されました。
【帆村魯公】
この釣鐘つりがねは、一体、
何に使うのですかな?
【聖宮成樹】
釣鐘つりがねは高電圧で稼働かどうさせると
非常に強い量子場を形成します――
それがセヒラに影響します。
【帆村魯公】
つなり何ですかな、
セヒラを安定させるとか、
そういうことですか?
【聖宮成樹】
その通りです。
釣鐘つりがね稼働かどうによってセヒラが安定し、
利用が促進そくしんするのです。
【帆村魯公】
去年のホテル大工事、
この釣鐘つりがねのためだったのですな。
その頃から召喚の精度も上がった――
【是枝咲世子】
殿下、釣鐘つりがねの日本への移送いそうは、
ナチ上層部の決定なのでしょうか?
【聖宮成樹】
いえ、そうではありません――
ナチも一枚岩ではないのです。
親衛隊中将のシュタインベルク伯爵はくしゃく
反ヒトラー派であり、ナチ、独逸ドイツ
行く末を案じておられます。
やがてナチは倒され、釣鐘つりがねの技術、
英仏、挙句には露西亜ロシアに渡る――
そうなる前に日本へ運ぶことに。
【是枝咲世子】
父はその移送いそう計画に関わった、
そうなんですね?
【聖宮成樹】
陸海の垣根かきねを超えてご尽力じんりょくされ、
極秘裏ごくひり搬送はんそうまっとうできたのです。
【帆村魯公】
しかしまぁ、こいつをどうやって、
運んだのですか?
【聖宮成樹】
号第五潜水艦せんすいかんの飛行機格納筒を
改造して釣鐘つりがねを収めました。
【帆村魯公】
それは技術ですな!
それで、京都の方で管理されるのは、
この釣鐘つりがねなんですな?
【聖宮成樹】
釣鐘つりがねには四ヶ所の発電所から、
電気を送っています。
それを遠隔えんかくで管理するのです。
独逸ドイツにもセヒラを観測します。
ただ、濃度、純度――
要は質がよろしくないと。
日本のほうがはるかにすぐれている、
ユンカー博士はそう告げています。
【帆村魯公】
アーネンエルベも設立になり、
セヒラを狙う動きもあります。
【是枝咲世子】
先日、フォス大佐が父に会いに――
大佐は何か壮大な計画を持つと、
父が申しておりました。
【聖宮成樹】
あの人物は曲者くせものですね――
いや、ロマンチストと呼んでもいい。
そういう人物が事を起こすのですが。
【着信 喪神梨央】
新山にいやまさんがはらえのに来て欲しい、
そう仰っていますが――
向かえそうですか?
【聖宮成樹】
お願いします、喪神もがみさん。
瑛山会えいざんかいでは引き続き釣鐘つりがねを管理し、
その秘匿ひとくを守ります。
咲世子さよこさん、N計画の方も、
しっかりやってください。
【是枝咲世子】
ありがとうございます。
大連ダイレン特務の中条忍なかじょうしのぶさんとも協力して、
進めていきます。

〔祓えの間〕

【新山眞】
喪神もがみさん、セヒラの噴出ふんしゅつは、
今は収まっていますが、
またぶり返します。
大波のように間を置いて、
やってくるのです。
依然いぜん、セヒラ特異点があるからです。
ホテル前に現れたアストラルの言う
わだかまりですが、場所がわかりました。
戸山とやま海拉爾ハイラルです。
新しい拠点ですね。
――行けば何かがあるはずです。

赤坂哈爾浜ハルピンから帝都満洲鉄道に乗り、列車は市ヶ谷斉斉哈爾チチハル駅を通過した。

【満鉄列車長】
お知らせします。先程、定刻ていこく通り
市ヶ谷斉斉哈爾チチハル駅を通過しました。
あと、およそ十分で戸山とやま海拉爾ハイラル――
戸山とやま海拉爾ハイラルは希望の沃野よくや
しかし何かが居座ります。
遠い古い記憶です――

戸山海拉爾とやまハイラル・中央〕

そこはこれまでの帝都満洲とは異なり、希望の沃野よくやの呼び名にふさわしい場所だ。

黒手組ツルナルカБアストラル】
フェルディナント皇太子の車列、
車の数は四台だった。
狙撃銃を構えるエムは狙い定まらず――
黒手組ツルナルカДアストラル】
結局、一発も撃てなかったのだ。
大セルビア、統一か死か!
同志Чチェはフェルディナント皇太子の
車めがけてダイナマイトを投げ込む。
しかし導火線が燃え続け遅爆だった。
黒手組ツルナルカШシャアストラル】
皇太子の付き人の乗る後続車が、
爆発に巻き込まれたのだ。
大セルビア、統一か死か!
フェルディナント皇太子は、
怪我けがした付き人を見舞うべく、
市庁舎を出ると予定を変更した。
皇太子の車はラテン橋のところで、
道を誤り、バックで戻った――
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカЧチェアストラル】
同志Пは素晴らしい!
遂にフェルディナントをはいしたのだ!
セルビア人の宿敵をな!
奴は、同志П咄嗟とっさの判断で、
見事に目的を果たした、
素晴らしい――
だが、俺はどうだ?
投げた爆弾は遅爆になり、
その後、青酸を飲むも自殺に失敗!
俺はその時で止まっている!
俺はセルビアの英雄にすらなれない!
そんなことがあっていいのか!!

《バトル》

黒手組ツルナルカЧチェアストラル】
俺は……俺は……
どうなるのだ?
大セルビア、統一か死か!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラの塊を観測します。
警戒してください!

黒手組ツルナルカФエフアストラル】
同志Пはラテン橋近くのレストラン、
リベ・イ・メサでサンドウィッチを
食べようとしていた――
その時だ、皇太子を乗せた車が、
店の前をゆっくりバックしていく。
同志П躊躇ためらうことなく撃った!
皇太子と皇太子妃が倒れた。
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカЖツェアストラル】
同志Пの銃にはダムダム弾が
装填されていた――
ハーグ陸戦条約で禁止された弾だ。
ダムダム弾は人体に入ると、
中で大きく破裂して致命傷ちめいしょうを与える。
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカЮアストラル】
同志Пにダムダム弾を渡したのは、
ダミアン・イリッチという男だ。
その弾は柔らかな水銀でできていた。
同志Пはイリッチに会うのは初めてで、
いぶかしく思ったが水銀弾を渡され、
皇太子暗殺の意欲が湧いたという。
イリッチは歳の頃三十代半ば、
三つ揃えのスーツを着こなし、
ベネチアンマスクを着けていた――
同志Пはそのように語っていた。
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカПアストラル】
暗殺の後、俺はとらえられた。
青酸は効かなかったのだ。
収監しゅうかんされた俺は結核を悪化させた――
結核菌が右腕のずいに入り腕を切断、
その瞬間に俺は飛んだ。
以来、ここを彷徨さまよう――
暗殺以降、オーストリアはセルビアに
宣戦布告して戦争が始まる。
俺の希望は統一だ、戦争ではない!
まるで世界大戦争の原因となった、
そのような言われようは許しがたい!
大セルビア、統一か死か!!

《バトル》

黒手組ツルナルカПアストラル】
――教えてくれ……
あのラテン橋、名前が変わったと……
どう呼ばれているんだ?
俺が皇太子を撃った、
そのそばかっていた橋だ!
――なんと呼ぶ……
【着信 喪神梨央】
セヒラの特異点は解消したようです。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
記録を確認中ですが……
ちょっと混乱します。
【帆村魯公】
無理もない。
なにせサラエボ事件の話だ。
サラエボ人青年団の思念だろう。
【喪神梨央】
最初の爆弾で付き人が怪我けがして、
見舞うため予定変更したんですね、
皇太子夫妻は。
それで道を間違えたところに、
暗殺犯が居合わせた――
ガヴリロ・プリンツィプです。
【帆村魯公】
黒手組ツルナルカПアストラルがその本人だな。
他は黒手組ツルナルカの仲間に違いない。
――気になることが……
暗殺犯に水銀弾を渡したのは、
三つ揃えの背広の男と言っていたな。
どこかで聞いたことがある。
【喪神梨央】
アナーキストの葛木かつらぎ素朴そぼくのときです、
彼にクロポトキンの本を渡した人物、
三つ揃えの背広姿の紳士でした。
一九〇五年のことです。
サラエボ事件は一九一四年――
同一人物でしょうか?
【帆村魯公】
当時三十五歳くらいとして、
今年、六十五……
そんな老人が何かに関わるのか?
葛木かつらぎ素朴そぼく幸徳秋水こうとくしゅうすいに本を貸し、
秋水しゅうすいはアナーキストになる――
そして大逆たいぎゃく事件を企てる。
【喪神梨央】
サラエボ事件は、
世界大戦争の引き金になった――
【帆村魯公】
どちらも、
混乱や破滅への道筋を描く――
背広男が同一人物であるなら、
同じような動機の存在が伺えるな。
【喪神梨央】
プリンツィプの思念が言ったこと……
ラテン橋は事件後に名前が変わって、
プリンツィプ橋になりました。
彼はセルビア人の間では、
英雄視されています。

帝都満洲ではサラエボ事件に関わる思念が、いくつも集い、セヒラのよどみを生んでいた。大波のようによどみから発する強いセヒラ――
強いセヒラは、同時に芽府めふ須斗夫すとおに作用して、彼を半覚半睡はんかくはんすい状態とし予言を語らせる。そして地下深くに鎮座ちんざするナチの秘密兵器。さまざまな事柄をからませながら、帝都は静かに晩夏ばんかを迎えていた。