第七章 第七話 化身降臨

〔山王機関本部〕

またしても新宿で騒動が持ち上がった。悪魔の化身とされる荒神あらかみが降りたという。憲兵が急行し物見遊山ものみゆさんの市民も集まっていた。

【喪神梨央】
兄さん、新宿に荒神あらかみが現れたって、
もっぱらの噂ですが、
本当なんでしょうか?
【九頭幸則】
歩一への連絡だと、
渋谷憲兵隊が出動したらしい。
【喪神梨央】
また渋谷の隊なんですか?
【九頭幸則】
そうみたいだよ――
よろづ相談所の件以来、
渋谷が所轄しょかつを広げたんだよ。

鉄道省病院の向い、人生よろづ相談所。摘発てきはつを受けたその場所は渋谷区にあった。渋谷憲兵隊の権益けんえき拡大の契機けいきとなった。

【九頭幸則】
渋谷憲兵大隊の本部、
ものすごく立派なんだよ――
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、行ったんですか、
渋谷憲兵大隊の本部に。
【九頭幸則】
この間、渋谷に出向いたついでにな。
公務入口というのがあったから、
そこから中へ入った――
【喪神梨央】
ええ?
幸則さん、勝手に憲兵隊本部に、
入って行ったんですか?
【九頭幸則】
公務としてだな……
そうしたら――
【喪神梨央】
逮捕たいほされて処置室送りですか?
【九頭幸則】
梨央りおちゃん――
係員に部屋に通されたんだ。
英吉利イギリス洋館みたいな優雅ゆうがな部屋だ。
そこに憲兵大隊安寧あんねい課少尉係長、
そういう肩書の憲兵がやって来て、
渋谷大隊の案内を受けたんだ。
【喪神梨央】
どんな案内を受けたんですか?
――憲兵隊本部の施設とか?
ついこの間、麹町こうじまち竹平町たけひらちょうに、
新築なった東京憲兵隊本部には、
すごい施設があるそうです――
くるぶしまで水の貯まる独房とか、
弱い電流の流れるベッド、
それにガラスびんを割る音波装置――
タボナール剤を一斉噴霧ふんむができる、
シャワー室もあるそうです。
【九頭幸則】
何だい、そのタボナール剤って?
【喪神梨央】
陸軍軍医学校が開発した、
強力な睡眠剤らしいです。
三週間も眠り続けるそうです。
【帆村魯公】
おう、中尉、来ておったか?
【九頭幸則】
先生、新宿で――
【帆村魯公】
うむ、荒神あらかみ騒ぎだな?
軍では悪魔と称しているぞ。
【九頭幸則】
憲兵も出ています。
例によって渋谷大隊です。
【帆村魯公】
前は陰陽師おんみょうじの憲兵まで繰り出し、
ねずみ一匹、出てこなかったな――
今日はどうなんだ?
【喪神梨央】
らぎはありますが、
セヒラを観測します。
公務に向かいますか?
【帆村魯公】
そうしてくれ、風魔ふうま
梨央、公務電車だ。
中尉はどうする?
【九頭幸則】
憲兵のこと、気になります。
風魔に同行します。

〔新宿駅前〕

【九頭幸則】
憲兵なんて見当たらないぞ、風魔ふうま
ここにいる人はどうなんだ?

【四谷の小間物商】
――あの噂は本当なんでしょうか?
アレですよ、悪魔の化身――
そう言うんでしょ?
悪魔の化身が新宿に出るって。
【九頭幸則】
なぜそんなにくわしいんだ?
新聞には荒神あらかみとあったぞ。
【四谷の小間物商】
ひょひょひょ~
新聞ですか!
新聞なんぞ嘘っぱちです!
うちはね、東京憲兵隊におろします、
購買課長の大尉様がですね、
こっそり教えてくれたんです。
【九頭幸則】
何? 誰だ、その大尉は?
情報の漏洩ろうえいか!
【四谷の小間物商】
んまぁ~吃驚びっくり
いやね、金の工面くめんを頼まれましてね、
百円ばかりね、大尉様にお渡しを――
その引き換えに悪魔の化身のこと、
教えてくれました!
猟奇グラフにでも投稿します!
投稿大賞もらうと、賞金百円ですわ!
【九頭幸則】
――情けない……
規律が……なっていない!

【中野の書生】
僕を書生として預かる親父さん、
代々、職業軍人です。
今、陸軍憲兵学校の副校長です。
【九頭幸則】
階級は何だ?
【中野の書生】
親父さんですか?
少佐ですよ――
乙亥きのとい文書というのがあるんでしょ?
小耳に挟みましてね!
【九頭幸則】
その親父さんが口を滑らせたか?
【中野の書生】
お上さんには内緒の二号さんがいて、
それ、実は僕の姉なんです――
だから、しとねの話、筒抜けなんですよ。
姉は話を聞き出すのがうまくて、
おかげで僕は日本の将来まで、
すっかり見通せていますよ。
【九頭幸則】
どういうことなんだ?
【中野の書生】
日本は米英と全面戦争になり、
帝都も商都もみな空襲で焼け野原、
新型爆弾で完全降伏ですよ!
【九頭幸則】
貴様! 
何を根拠にそのようなことを言うか!
【中野の書生】
露西亜ロシアに調停を頼むと失敗します。
不可侵条約を破りますよ、連中は。
僕は先を見通している――
今からせっせと資金を貯めて、
焼け野原の銀座に土地を買いますよ!
【九頭幸則】
焼け野原――
初めて聞いたぞ、そんな言葉……

荒木町あらきちょう女将おかみ
うちの店は陸軍省の常連さんがいて、
すっかり耳達者みみだっしゃになりましたわ!
【九頭幸則】
おそらくまた情報の漏洩ろうえいだな――
荒木町あらきちょう女将おかみ
六十年に一度、
乙亥きのといの年に魔物が出る、
そういうんでしょ?
【九頭幸則】
風魔、聞いたか?
魔物だってよ――
この人はあまり詳しくはないようだ。
荒木町あらきちょう女将おかみ
前の明治八年には現れなかった、
そうなんでしょ?
うふふふ~
北枕宣一きたまくらせんいちの文書はでっち上げ、
そういうことになってるそうですわ!
【九頭幸則】
何だか妙に詳しいな……
もっと聞き出すか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
警戒してください。

化女沼けじょぬま憲兵大尉】
貴様が山王さんのう機関の召喚師か!
それと歩兵中尉だな!
【九頭幸則】
大尉!
新宿はどういう状況ですか?
化女沼けじょぬま憲兵大尉】
悪魔の化身が降りた!
ハハハハハ~
文書は予言的中させたんだ!
【九頭幸則】
北枕宣一きたまくらせんいちの書いた乙亥きのとい文書は、
偽物だと言われています!
悪魔の化身がやって来るなど――
化女沼けじょぬま憲兵大尉】
アハハハ~
やって来などしない!
降りたのだ、この俺にな!

《バトル》

化女沼けじょぬま憲兵大尉】
ううう~
魔導の書があれば悪魔と合一ごういつする、
そのはずじゃないのか……
大日本おおやまと 神代かみよゆかけて伝へつる 
雄々おおしき道ぞ たゆみあらすな

【九頭幸則】
本だ!
これは……ゴエティアじゃないのか?

憲兵怪人が落とした古書は、まさにゴエティアの偽典ぎてんであった。

【九頭幸則】
さっきの憲兵は魔導の書と――
風魔、これゴエティアだよな!
【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、ほぼなくなりました。
ゴエティアの偽典ぎてん
見つかったんですね!
つた博士に届けないと――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大方面、わずかにセヒラ観測!
急ぎ、向かってください!
【九頭幸則】
風魔、行こう!
帝大だ!

〔帝大キャンパス〕

【九頭幸則】
何だか落ち着かない様子だな!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認しました!
一般中尉も用心してください!
【九頭幸則】
一般って!
これでも歩一の――

【法科生D】
新文民社の連中、
芋蔓式いもづるしきに特高に検挙けんきょされた!
長崎の実家に逃げ帰った者は、
長崎県警察部の特高課に逮捕たいほされた。
特高は実家で待ち受けていたという。
貿易会社の影森かげもりなる人物が、
会員の名簿を作っていたらしい。
我々の名も載っているという。
【九頭幸則】
影森かげもり
まさか影森愁一かげもりしゅういちか?
【法科生D】
何だ、あんたらも仲間だろ!
頽廃たいはい国家を立て直す我々を、
非国民扱いしやがって!
【九頭幸則】
おい、早まるな!
――って、もう遅いか!

《バトル》

【法科生D】
影森かげもり……愁一しゅういち……
そいつが内務省の間諜かんちょうだ、
間違いない……ううう……
【九頭幸則】
影森かげもり愁一しゅういちって、
一時いっとき、俺のお目付け役だった人だ。
一度も会ったことはないんだ……
報告書を一通、上げただけだ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
あたりのセヒラは消えました。
つた博士の元へ、お願いします。

つた博士研究室〕

【蔦博士】
ほほ、喪神もがみ君!
久しぶりに顔を見るな!
【九頭幸則】
博士、ゴエティアの書、
また見つかりました!
【蔦博士】
ほう!
もう見つからないかと――
どれどれ、拝見しよう。
九頭くずは大切に抱えてきた、
ゴエティアと思しき古書を差し出した。
【蔦博士】
ほう!
なるほど――
これは……
【九頭幸則】
博士、ゴエティアの偽典ぎてんですか?
【蔦博士】
まさしく、これは本物じゃな!
今までのどれよりも状態が良い。
大切にされてきたんじゃな!
【九頭幸則】
憲兵怪人が持っていました。
魔導書で力を得たと言って――
【蔦博士】
魔導書!
ふむ、あながち間違いではないがな。
しかし綺麗だ、まるでさらじゃな!
【九頭幸則】
博士!
何か落ちましたよ!
【蔦博士】
何じゃこれは……
――ふむ、誰かのメモランダムじゃ、
何と書いておるかのう……

そのメモには几帳面きちょうめんな字が認められていた。そして、H、SCHARBAUのサインが。外国人が書いた日本語のようであった。

【九頭幸則】
博士、何と書いてあるんですか?
【蔦博士】
間断かんだんなき波動をみとむ。
新しき天地の生まるるがごとく。
【九頭幸則】
波動……
それってセヒラの波動でしょうか?
【蔦博士】
サインにあるシャルボー氏は、
仏蘭西フランスから招いた気象学者じゃ。
氏は地震観測を優先すべきとした。
明治八年、内務省地理寮内に、
地震計を設置、観測を始めた――
【九頭幸則】
それじゃ、シャルボー氏の言う、
間断かんだんなき波動とは地震のことですか?
――博士!
どうかされましたか?

【蔦博士】
我々は宇宙の意志を継がねばならん!
我らが支配者アヌンナキに従い、
金を掘るのだ! 盛大せいだい掘るのだ!
金の蒸気でニビルの星をおおうのだ!!
【九頭幸則】
博士!
落ち着いてください!

【着信 喪神梨央】
新宿の淀橋よどばし自失じしつした書生を保護!
書生、予言めいた言葉を吐き、
戸山とやま衛戍えいじゅ病院で保護しています!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
戸山に向かってください!

【蔦博士】
――おお、何だ、今の音は?
そうか、わしが……
【九頭幸則】
博士!
大丈夫ですか?
ゴエティアの解読、お願いします!
【蔦博士】
ああ、わかった……
しっかりと読み解こう。

〔陸軍戸山とやま衛戍えいじゅ病院〕

【九頭幸則】
何だか随分ずいぶんと物々しいな……
【第一連隊死人沢しびとざわ二等兵】
はっ!
自分、歩一第六十中隊、
死人沢しびとざわであります!
【九頭幸則】
歩一の九頭だ。
淀橋よどばしで保護された書生、
ここにいるのか?
【第一連隊死人沢しびとざわ二等兵】
いえ……
あの……その……
――ここにはおりません!
【九頭幸則】
それは変だな?
誰がいないんだって?
【第一連隊死人沢しびとざわ二等兵】
はっ、自失した書生であります!
【九頭幸則】
予言めいたことを言う書生だな?
【第一連隊死人沢しびとざわ二等兵】
はっ!
あ、いえ、その……
どうしようもないんです!
父が借金まみれで田畑を売っても、
焼け石に水で!! あああああ!!

《バトル》

【第一連隊死人沢しびとざわ二等兵】
はぁはぁはぁ~
もう、何も売るものがない……

【式部丞】
お二人、ちょっとよろしいですか?

〔陸軍戸山とやま衛戍えいじゅ病院〕

【式部丞】
新宿に悪魔の化身が現れるとか、
そんな噂が飛び交う中で、
一人の書生が保護されました。
【九頭幸則】
その書生が悪魔の化身なんですか?
【式部丞】
わかりません――
ただ、予言めいたことを口走り、
すぐ、昏睡こんすい状態になったとか……
山王さんのう機関からの要請で、
書生の言葉を研究するため、
この病院に来たのですが――
【九頭幸則】
直接は聞けなかったんですね?
すでに昏睡こんすい状態になっていた……
【式部丞】
ええ、そうなんです。
書生が語ったのは、
次のようなことです――
世界は光と闇によって
分かたれるであろう

世界は光と闇の天秤てんびんによって
計られるであろう
――芽府めふ須斗夫すとおが語った第5の予言である。

【式部丞】
第五の予言を申します、
そう宣言して言ったそうです。
【九頭幸則】
へぇ……そうなんですね!
それで世界が二つに分かれる……
そう言うんですか?
【式部丞】
まぁ、そのようです。
これだけではいたって普通ですね。
【九頭幸則】
え? 本当ですか?
世界の分裂が普通に語られている?
――それはどこで?
【式部丞】
世界の多くの宗教、文化に共通した、
終末のイメージです。
世界を支配する闇、混沌こんとん到来とうらい
そして悪魔の出現――
あの書生が語るのは、
終末の予言だと思うのですが、
もう少し聞き出さないといけません。
一般に、神託しんたくを得た者が語るのは、
言葉を預かると書いて預言、
あの青年の場合は言い当てる方です。
【九頭幸則】
未来を言い当てるわけですね。
未来は悪魔が支配するのですか?
悪魔というのは、
もっと、人をあやめたり、
わざわいをもたらす存在なのでは?
【式部丞】
それは違います。
悪魔は混沌こんとんを好むのです。
直接、手出しはしないのです。
秩序ちつじょを失った世界では、
人は本性をあらわにします。
悪魔はそれを望むのです、
【九頭幸則】
つまりは、たがが外れると?
悪魔の目的はそれなんですか?
【式部丞】
ええ、そうですね――
人に危害を加えるのは人間なのです。
悪魔は人の心にこそ潜むのです。

ほら、見てください、
東京憲兵隊のトラックです。
書生を本部に移送するようです。

【式部丞】
保護された書生は不思議な名です。
芽府めふ須斗夫すとお――
芽府めふが名字で須斗夫すとおが名前、
そう扱われています。
書生のズボンに入っていた、
手巾ハンケチにその名の刺繍ししゅうがあったのです。

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
淀橋よどばしで見つかった書生、
浄水池の土手に座っていたらしい。
何時間もそうしていて、
不審ふしんに思った係官が通報した――
【九頭幸則】
予言のようなことを言ったとか。
【帆村魯公】
書生は東京憲兵隊の本部だ。
式部しきべ氏を向かわせた。
予言が続けばしめたものだ。
【喪神梨央】
芽府めふ須斗夫すとおなんて、変な名前ですね。
【九頭幸則】
手巾ハンケチ刺繍ししゅうがあったらしい。
【帆村魯公】
芽府めふ須斗夫すとお、その名から、
悪魔メフィストフェレスに通じる――
参謀本部ではそうとらえているようだ。
独逸ドイツの作家、ゲーテの手になる戯曲、
ファウストに登場する悪魔、
メフィストフェレスだ――
【喪神梨央】
ファウスト博士は悪魔と契約します。
魂と交換に快楽の人生を手に入れる、
そんなお話ですね。
【九頭幸則】
梨央りおちゃん、よく知ってるね!
だとすると……
その書生自身が……
――悪魔の化身ですか?
【帆村魯公】
わからん――
かれておるだけのようにも思える。
あるいは――
思念が形を成した――
和宮かずのみやのときのようにな。
今後の調査を待つしかないな。

淀橋よどばし浄水場で保護された謎の書生――独逸ドイツ戯曲の悪魔に通じる名を持ち、予言めいた言葉を口にする。書生は東京憲兵隊本部に移送され、式部丞しきべじょうにより調査が始まろうとしていた。