第七章 第八話 凌雲閣

〔山王機関本部〕

立秋りっしゅうを過ぎてもなお酷暑こくしょが続く帝都――真夏の昼下がりの陽炎かげろうのような怪異かいいが、せまりつつあった。

【帆村魯公】
件の淀橋よどばしの書生だが、
式部しきべ氏が張り付きで見ている――
【喪神梨央】
今はまだ第五の予言だけなんですね?
【帆村魯公】
ああ、そうみたいだ。
それにしても――
【喪神梨央】
第四まではどうしたんでしょうか?
【帆村魯公】
そうじゃよ、それだ、
第四までは失念したそうだが……
この先、第六があるのかどうか。
【喪神梨央】
でも書生さん、
渋谷憲兵隊に捕まらなくて、
よかったですね!
【帆村魯公】
ちょっと調べてみたんだが、
あそこは何だか実体がない。
渋谷道玄坂どうげんざか上の憲兵隊本部だよ。
【喪神梨央】
え? そうなんですか?
――国立防疫研究所みたいですね。
【帆村魯公】
うむ……
人によってはあそこは、
帝国薬業の倉庫だという――
構内にトラックが何台も停まり、
荷物を積み込んでいたとな。
トラックに会社名があったそうだ。
【喪神梨央】
憲兵隊の本部じゃないんですか?
幸則ゆきのりさんは確か――
【帆村魯公】
中に案内されたと言っておったな。
もう少し調査が必要だな。
【喪神梨央】
兄さん、今日の公務は上野方面です。
特にセヒラは観測されません。
【帆村魯公】
うむ……
だがな、用心に越したことはないぞ。
【喪神梨央】
承知しました。
公務電車、手配しますね!

不忍池しのばずのいけ

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近辺、セヒラの観測はありません。

吾妻橋あずまばしの客】
無残なる異形の獣、
三つの咽喉いんこうのあるチェルベロは、
犬のごとくに、ここに沈みて――
アハハハハ~
僕はすっかり愉快になったよ!
もう一週間以上も彷徨さまようのさ!!
有楽町ゆうらくちょう荘月しょうげつ会館での銀座幻燈会げんとうえ
立派なもよおものだったね!
うち伏せる人人の上にぞゆる――

【着信 喪神梨央】
今のはダンテの神曲です――
神子柴みこしばが語ったのとは、
出処でどころが違うようです――
セヒラは観測しません。

駒形こまがたの客】
まるで活動キネマみたいでしたわ!
荘月しょうげつ会館の幻燈会げんとうえ――
大きな螺線形らせんけいの渦巻きが、
ぐるぐる回るのですわ!
不思議と目は回りません。
そしてつぶやくように声がする――
目は赤く、髪あぶらじみ、かつ黒く、
腹太く、手には爪あり。
霊たちをつかみとり、
くだき、きにせり――

蔵前くらまえの客】
蔵前くらまえの下宿には何日も帰っていない。
フフフ、そもそも帰路を忘れた――
まるで見当識けんとうしきを失いっぱなし、
そんな感じさ。それが愉快なんだ。
見慣れたはずの町すら新鮮だよ。
この間の幻燈会げんとうえ新機軸しんきじくだそうだ。
銀幕には渦巻きが映し出され、
いろんな色に変わるんだ!
憂愁ゆうしゅうの領土のみかど、その胸の
なかばより上を氷の外に出せり。
その腕に巨人らの及ぶにまさり――
脳楽丸のうらくがんを飲んでも、
こんなに爽快そうかいにはならないさ!

浅草あさくさの客】
一人の巨人ぞわれに近くあるべき。
されば知れ、かかる部分にそぐひたる
全体のいかばかり大いなるかを――

【着信 帆村魯公】
憂愁ゆうしゅうの領土のみかどというのは、
地獄に落ちたルシファーのことだ。
地獄の底でその巨大な体は、
氷漬けになっているんだ。
そのことを言っておる――

浅草あさくさの客】
ああ、いかに摩訶不思議まかふしぎと見えぞしや
われ、彼の頭に三つの顔を見し時。

《バトル》

浅草あさくさの客】
ささやけき球体の上にあるなり。
かしこにて夕なる時、ここは朝なり。

湯島天神町ゆしまてんじんちょうのご隠居いんきょ
昨日までは誰もおらんかったのに――
あの人らは浅草辺りの人らしいのう。
【猫】
ニャ~
湯島天神町ゆしまてんじんちょうのご隠居いんきょ
何日も家に帰っとらんとか言うのう。
味噌みそ屋の留吉を思い出したわい――
留吉の奴、脳楽丸のうらくがんの中毒になって、
自分の家もわからんようになった。
何度も家の前を行ったり来たり……
それなのに帰れんのじゃ。
そのうち、姿を見んようになった。
大連ダイレン連鎖街れんさがいで留吉そっくりな、
靴磨くつみがきを見たというが――
どこへ言ったやら、留吉の奴……
【猫】
ニャー、ニャー、
ニャンニャニャー
湯島天神町ゆしまてんじんちょうのご隠居いんきょ
直次郎なおじろうが腹減ったとな、
そうかそうか、家に帰ろうな。
【着信 喪神梨央】
申し訳ありません!
先程、セヒラ観測、れていました!
【着信 帆村魯公】
今はもう大丈夫だ――
にわかには信じられん事が起きた。
風魔ふうま、浅草に向かってくれ!

浅草雷門あさくさかみなりもん

【着信 帆村魯公】
浅草に着いたな!
いいか、落ち着いて聞いてくれ、
浅草に十二階が姿を見せたんだ。
震災で倒壊して、軍が爆破解体した、
あの十二階だ、凌雲閣りょううんかくだよ。
そいつが何故なぜか蘇ったんだ!

【煙草屋の主人】
いやぁね、もう吃驚びっくりですわ!
なんせ、十二階が、一晩のうちに――
震災でぶっ倒れたのに、
誰がどんな手で作ったんだか!

【羊羹屋の丁稚】
十二階のことは、おいら、
じかには知らないんだ!
けどね、魚屋の松兄から仕入れた!
十二階にはエレベーターがあった。
東京百花美人鏡という美人比べも!
――どっちも日本初なんだってさ!
上の階には万国の品が売っていて、
虎が露西亜ロシア美人に変わる重ね器とか、
珍しい品でいっぱいだったそうだよ。

〔仲見世〕

仲見世なかみせの通行人たちは、立ち止まり、浅草十二階の方を見やっていた。十二年前、一九二三年の関東大震災で、浅草十二階こと凌雲閣りょううんかくは八階以上が倒壊した。それが再び姿を見せたのだった――

【乱歩の愛読者】
乱歩らんぽ先生は、
書いていらっしゃいますわ――
あなたは、十二階へ御昇おのぼりなすった
ことがおありですか。
アア、おありなさらない。
それは残念ですね。
あれは一体どこの魔法使が
建てましたものか、
実に途方とほうもない、
変てこれんな代物しろものでございましたよ。
階の中には、
戦争画が飾られていたのです――
乱歩先生の御本で知りました。
まるで狼みたいな、
おっそろしい顔をして、えながら、
突貫とっかんしている日本兵や、
剣つき鉄砲に脇腹わきばらをえぐられ、
ふき出す血のりを両手で押さえて、
顔や唇を紫色にしてもがいている
支那しな兵や、
ちょんぎられた弁髪べんぱつの頭が、
風船玉の様に空高く飛上っている所や
何ともえない毒々しい、血みどろの
油絵が、窓からの薄暗い光線で
テラテラと光っているのですよ。

【渋谷憲兵大隊神湊こうのみなと中尉】
貴様らの行動、全て監視していた。
さぁ、新宿の書生を寄越せ!
【渋谷憲兵大隊出灰いずりは中尉】
書生覚醒かくせいなれば、
その力、貴様らには到底とうてい扱えん!
【渋谷憲兵大隊神湊こうのみなと中尉】
お前たちが書生を連れ回すのは、
わかっているんだ!
見ろ、あの凌雲閣りょううんかくを!
【渋谷憲兵大隊出灰いずりは中尉】
書生あるところ、異変ありだ。
ここにいないなら案内を願うまでだ。
【渋谷憲兵大隊神湊こうのみなと中尉】
これ以上、帝都に混乱をもたらすな!

一五市にのまえごいち
怪人あるところに戦いあり!
元、第三連隊召喚小隊少尉、
今は暁光ぎょうこう召喚隊隊長一五市にのまえごいちだ!
【元新文民社社員草千里くさせんり
新文民社はあえなく内部崩壊した!
社員たちは皆捕まった、
お前たち憲兵にな!
一五市にのまえごいち
戦いに純な魂の燃焼を覚える!
召喚小隊の精神、暁光ぎょうこう召喚隊にも、
しかと受け継ぐ!!
【着信 鬼龍豪人】
少尉! 聞け!
一五市にのまえごいち少尉、私だ、鬼龍きりゅうだ!
今、貴様達が戦えば、
その場所にセヒラの異常をきたす!
その界隈かいわいは尋常ではない、
今は退くんだ、これは命令だ、少尉!
一五市にのまえごいち
ウワォォォォ~

【渋谷憲兵大隊神湊こうのみなと中尉】
戦いを目的とする者は、
必ず敗れる――
そうではないか、喪神もがみ中尉!!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊神湊こうのみなと中尉】
帝都市民の根性を叩き直さねばな!
渋谷の我が憲兵大隊本部をして、
東横電車の建物だという者がある。
フハハハハ~
綱島温泉祭りのポスターが、
何枚も貼ってあったとな!!
どいつもこいつも、
愚か者揃いだっ!!

【着信 喪神梨央】
大尉には電話越しに、
しゃべってもらったんです。
辺りのセヒラ、解消しました。
十二階を確認してください。
浅草公園の方です――

〔浅草十二階〕

浅草十二階を見やる浅草公園。十二階出現の噂を聞きつけ、人々が集まっていた――
人々は、江戸川乱歩の『押絵おしえと旅する男』の、登場人物になりきっている。一帯のセヒラが影響しているようだった。

【押絵と旅する男】
あの頃、私も兄も部屋住まいで、
日本橋通三丁目に暮らしました。
今から三十年ほど前のことです。
一時いっとき、兄は毎日のように、
家を空けるようになりました。
兄を案じた母に頼まれて、
私は出かける兄の後をつけたのです。
兄は浅草十二階に昇っていきました。
欄干らんかんだけの頂上は見晴らしがよく、
兄はそこで遠眼鏡を使うのです。
兄が言うには、遠眼鏡で見染みそめた、
美しい娘があるとのことです。
もう一度、その娘を探したい――
その一心で、毎日、
十二階の頂上で遠眼鏡を使う、
そういうことでした。
兄は恋煩こいわずらいだったのです――
兄が遠眼鏡で見染めた少女は、
観音様境内けいだいのぞ絡繰屋からくりやの中の、
押絵おしえの少女、八百屋のおしちでした。
大火で避難した駒形吉祥寺こまがたきっしょうじの書院で、むつまじく寄り添うおしち小姓こしょう吉三郎きちざぶろう、その場面を表した押絵おしえです。

【兄】
たとえこの娘がこしらものであっても、
私はあきらめがつかない。
たった一度でいいから、
押絵おしえの男となって、
この娘さんと話し合いたい――

【押絵と旅する男】
暮れなずむ観音様境内けいだいで、
兄は遠眼鏡を私に差し出し、
頼むのです――

【兄】
お前、お頼みだから、
遠眼鏡をさかさにして、
私を見てくれないか?
【押絵と旅する男】
何故です?
【兄】
まあいいから、そうしておれな。

【押絵と旅する男】
私は言われる通りにしました。
遠眼鏡をさかさに持って、
兄をのぞいたのです。
二三げん、向こうに立つ兄の姿は、
レンズの中で一尺くらいになり、
すぐに闇に消えてしまいました。
どこを探しても兄の姿はありません。
もしやと思い――
そうです、兄は押絵おしえの中に入り、
しなだれかかるおしちを抱きとめ、
満足そうな顔をしていたのです。
あれから三十余年――
娘はこしらえ物で年はとりませんが、
兄はしわだらけの老人になりました。
この三十年、富山に暮らしますが、
兄に帝都を見せてやろうと、
押絵おしえを持って上京したのです――

【兄】
久方の帝都は秋雨しゅううけぶる!
宮城の玉砂利たまじゃりは皆れていた。
しちは一度も押絵おしえを出たことがなく、
帝都のこの表の空気に触れれば、
きっとおしちの時間も進むはずだ――
私は意を決して押絵おしえから出て、
さらにおしちを表に引きずり出した!
しちは驚いた顔をしたものの、
抵抗することなく引き出された。
お前も私と同じように老いるのだ!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊藍住あいずみ少尉】
表に出たおしちは急に燃え出した!
慌てた私は火を消そうと、
しちれた玉砂利たまじゃりの上に投げた。
緋鹿子ひがのこの振り袖は、
じっとり水を含んで黒ずむも、
火の勢いは収まらない。
それどころか、
愈々いよいよ勢いを増してお七を焼き尽くす。
私はおしちの時を進めてしまったのだ。
はからずも! はからずも!
寺の吉三郎に会いたいばかりに、
しちは家に付け火をし、
鈴ヶ森すずがもり刑場で火刑になった。
紅蓮ぐれんの炎に焼かれるおしち――
その眼は怖いほどっていた!!

【江戸川乱歩】
いやはや、帝都の人たちは、
創作意欲が盛んですな!
それにしても――
あの十二階、はたして実物ですか?
私には蜃気楼しんきろうのように思えます。
それも人工の蜃気楼しんきろうですよ。
何でも大気のレンズを電気でゆがめ、
人工の蜃気楼しんきろうこしらえる、
そのような装置があるようです。
蜃気楼しんきろうは人を狂わせる、
そう言うので用心おこたるべからずです。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
またしても乱歩らんぽ先生の愛読者が、
物語をこしらえたんですね!
【帆村魯公】
押絵おしえと旅する男、
結末が書き換えられておったな!
【喪神梨央】
八百屋のおしちは、また火事になれば、
寺に避難して吉三郎に会える、
そう考えたんですね。
【帆村魯公】
ああ……これは実話だそうだ。
しちが火刑になったのは天和三年、
今から二百五十年ほど前だな。
井原いはら西鶴さいかくが好色五人女で取り上げ、
歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるりで人気になった。
実話ではおしちは、火を付けすぐに、
見櫓みやぐらを叩いたとされているがな。
【喪神梨央】
それじゃ火は消し止められて――
それでも火刑になったんですね。
【帆村魯公】
世のあわれ 春ふく風に 名を残し 
おくれ桜の けふ散りし身は
――おしちの辞世の句だな。
【喪神梨央】
今度のこと、
乱歩先生の言うように、
蜃気楼しんきろうが人に影響したのですか?
【帆村魯公】
浅草十二階の辺り、
新山にいやま君が計測しておる。
まだ値が足りないらしいが――
【喪神梨央】
浅草十二階ですが、
建物に近付くと消えるというから、
やはり本物じゃないんですね!

帝都にその威容いようを蘇らせた浅草十二階。これも帝都に渦巻くセヒラの産物であろうか?浅草公園にははやひぐらしの声が鳴り響いていた。