第八章 第二話 渡満

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
興亜こうあ日報が、
またやってしまいました。
読者から怪人川柳せんりゅうつのって、
紙面しめんで発表したんです。
ラヂオでも紹介していました――

怪人を
振り返へらせて
少し逃げ

怪人の
足へ一筋
血が流れ

怪人川柳せんりゅうを載せている興亜こうあ日報、
売店ではほとんど売り切れで、
山王さんのう機関にもまだ配達されません。

【帆村魯公】
怪人に
なった刹那せつな
考える

なかなかうまいこと言うもんだな。
想像力が豊かだな!
新川柳しんせんりゅうというやつだな。

【喪神梨央】
隊長!
またこれでおかしくなる人が出ます。
山王さんのう機関の仕事が増えます。
【帆村魯公】
仕事のあるのはいいことだ。
――さて、今日の公務はどんなだ?
【喪神梨央】
今日は警護をお願いできますか。
中条忍なかじょうしのぶさんが渡満とまんされるのです。
怪人川柳せんりゅうのこともあるので――
さんという方が、
中条なかじょうさんをエスコートされます。
さんって、兄さんご存知ぞんじですよね。
さんは京城けいじょうまでの予定だそうです。
東京発午後三時の下関しものせき行き急行です。

そこまで言うと梨央りおは、愛用の時刻表を取り出し、ページをった。

【喪神梨央】
下関しものせきに明日の朝九時三十分着、
十時半の連絡船で夜六時に釜山ふざん着、
七時二十分の鮮鉄急行があります。
鮮鉄急行は新京シンキョウ行きのひかり号です。
京城けいじょうには明後日の朝三時十五分着。
さんは京城けいじょうで下車されます。
奉天ホウテンには明後日の午後四時四〇分着、
大連ダイレンには夜の十時半に着きます。
一旦いったん奉天ホウテンまで上る行程ですね。
私、さんに電話してきます。

喪神もがみ梨央りお麻布あざぶの張ホテルに投宿とうしゅくする景明けいめいに電話をかけに行った。
山王さんのうホテルロビーに風魔ふうまあてに来客のしらせが――

〔山王ホテルロビー〕

【廣秦範奈】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね――
私、廣秦ひろはた範奈はんなと申します。
エレミヤ佐古田さこたさんからうかがいました。
私、志恩しおん会で執務員をしています。
志恩しおん会は猶太ユダヤ失われたロスト支族トライブ
探し求める活動を続けています。

そう言うと範奈はんなは、自分も千年以上昔に、日本へ渡ったガド一族の末裔まつえいであると語った。その廣秦ひろはた家に伝わるのが廣秦ひろはた文書である。廣秦ひろはた文書にはマナセ一族についてしるした箇所があるという。

【廣秦範奈】
やがて訪れる終末の日――
救世主が現れ、神の国が完成する。
廣秦ひろはた文書にはマナセのすえこそ、
救世主であるとあります。
【喪神梨央】
マナセ一族――
それって鈴代すずよさんじゃないですか!
前にユリアさんに、
打ち明けておいででしたよ。
自分はマナセの末裔まつえいだって。
【廣秦範奈】
如月きさらぎ……鈴代すずよさんですか?
【喪神梨央】
そうです、兄さんの同級生です。
【廣秦範奈】
確か、如月きさらぎさんは、
レイチェル・ポートマンさん、
その家系でおいでです。
ポートマン家は十八世紀末に、
米国に渡ったマナセ一族です。
古文書にあるのは、
六世紀はじめに日本に渡来した、
マナセ一族についてです。
【喪神梨央】
じゃ、他にマナセ一族の末裔まつえい
日本にいるのですね?
【廣秦範奈】
ええ、そう考えています。
父、伊佐久いさくは終末の日が近づくと
おのずと現れてくると申していました。
【喪神梨央】
終末の日、ですか……
それはいつのことでしょうか?
【廣秦範奈】
わかりません……
父は研究を重ねていましたが――
その父も行方不明になったままです。
【喪神梨央】
兄さん――
あの方ですか、さんって。

【李景明】
喪神もがみさん、
今日はご公務に時間をいていただき、
有難うございます。
私は京城けいじょうに用があるのですが、
奉天ホウテンまで足をばすつもりです。
中条忍なかじょうしのぶさんの大連ダイレン行きを見届けます。
【廣秦範奈】
もしや中条忍なかじょうしのぶさんとは、
大連ダイレン特務機関の方ですね!
N計画を進めておいでの――
【李景明】
そのようです。
今は大崎おおさき是枝これえだ邸においでです。
是枝こえれだ咲世子さよこさんとご一緒です。
【廣秦範奈】
是枝これえだ……咲世子さよこ……
駐独ちゅうどく武官の是枝これえだ大佐の娘さんですね。
愈々いよいよN計画が動くのですね!
【李景明】
ええ、満蒙まんもう発展が期待できますね。
露西亜ロシアの南下を防ぐために、
満蒙まんもう発展は是非ぜひなる要件なのです。
【喪神梨央】
五反田ごたんだまで公務電車を手配します。
虎ノ門とらのもんから赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばし経由、
五反田ごたんだに向かう経路です。
【李景明】
それでは参りましょうか。
【廣秦範奈】
エレミヤさんのこと、残念です。
彼は貴重な情報をくれました。
罠にはまったのだと思っています。

喪神もがみさん――
N計画をお守りください。
よこしまな勢力に阻害そがいされないように……

景明けいめいを乗せ公務電車は一路いちろ五反田ごたんだへ向かう。清正公せいしょうこうまえ前を分岐ぶんきした電車は、しばらく進み、不意ふいに停車した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
付近でセヒラ上昇中です。
おそらく怪人川柳せんりゅうの影響で、
怪人化した市民かと思われます。
念のため、巡視パトロールをお願いします。

【醤油商】
何だかね、
頭がフーってなってる時に、
句が浮かんだんですよ――

怪人の
ひとみえる
柿の色

嫁がね……荷物全部持って、
家を出たんです……
私、すっからかんですよ!!

【マネキンガール】
私もね、怪人川柳せんりゅう、認めたの。
姉が句を送って入選したのよ、
あの阿呆あほうの姉でも入選するならと――

怪人は
だ真ッ白く
笑ひこけ

どうですか?
この句をくとね、
ある考えが浮かんでくるの――
最近、売り場主任に取り入っている、
久子ひさこさんに意地悪しちゃえってね!
――だからそうしたの……

【満鉄信号手】
私ネ、一句思いついたんですヨ!

車投げ
ケロリしたりの
怪人や

どうです、なかなかのもんでしょ?
――ああああああ、
他にも浮かぶ言葉あるネ!

雨のしとしと降るパン
ガラスカラスマトから冷やかした
満鉄マテツ金釦キポタン馬鹿野郎パカヤロー

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
急激にセヒラ上昇です。
注意してください!

【マネキンガール】
ある日、デパートの更衣室こういしつに、
薬のアンプルがあったのよ。
それをねお茶碗ちゃわんに入れたの!
茶碗ちゃわんにお茶をそそいで、
久子ひさこさん、お飲みくださいってね!
あの女に差し出したのよ!
あなたがお茶をれてくれるなんて、
どういう風の吹き回しかしらなんて、
あの女、憎まれ口叩くのよ!
でも、素直に飲んだ――
三分もしないうちに白目向いて、
口から血の混じった泡吹くの!!
残念ね、上等の御為おためごかしなのに!!
蝦反えびぞりになって事切こときれたのよ!
アハハハハハハ~

《バトル》

【マネキンガール】
怪人の
刃物のような
目の光――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラ、なくなりました。
警護を続けてください。
今の件、一応警察に通報しますね。
――真偽しんぎの程は不明ですが。

ほどなく公務電車は五反田ごたんだ駅前に着いた。歩いて五分ほどの大崎広小路おおさきひろこうじ是枝これえだ邸がある。

〔是枝邸前〕

【李景明】
ここが是枝これえだ大佐の家ですね。

是枝邸前に立つ李景明と風魔。邸の庭には探信儀が立っている。
そこへ是枝咲世子と中条忍がやってきた。

【是枝咲世子】
どうぞよろしくお願いします――
【中条忍】
景明けいめいさんですね、
私、中条忍なかじょうしのぶです。
京城けいじょうまで行かれるとうかがいました。
【李景明】
ええ、でも奉天ホウテンまでご一緒しますよ。
大連ダイレン行きの列車にお乗りになるまで
見届けさせてください。
【中条忍】
ありがとうございます。
とても心強いです。
【李景明】
中条なかじょうさん、奉天ホウテンに着いたら、
一旦いったん、駅から出てもらえますか?
【中条忍】
え、どうしてですの?
そのまま折り返しで大連ダイレンに向かう、
そうじゃありませんこと?
【李景明】
奉天ホウテンからも警護を付けます。
満鉄調査部の職員を向かわせます。
そのほうが安心でしょう。
大連ダイレンまでずっと警護付きです。
【是枝咲世子】
それは安心ですね。
さん、有難うございます。
【李景明】
奉天ホウテン駅前から伸びる浪速通なにわどおりに、
満毛まんもう百貨店があります。
満蒙毛織まんもうけおりが経営する百貨店です。
満毛という屋号が壁面にあります。
その玄関に満鉄職員を待たせます。
背の高い日本人青年です。
【中条忍】
わかりました。
いろいろと有難うございます。
必ずN計画を実現させます。
日本の将来のためにも――
【是枝咲世子】
皆さん、円タクがまいりました。
喪神もがみさん、父も独逸ドイツに戻ります。
新しい独逸ドイツの事情も手に入ります。
またお目にかかりましょう。
それではお気を付けください。

三人は是枝これえだ咲世子さよこが呼んだ円タクに乗り、東京駅へと向かった。

〔東京駅〕

【李景明】
喪神もがみさん、有難うございました。
駅まで無事に着けました。
これでまずは一安心ですね。
帝都は少しのことで怪人化する、
そういう人が増えているようです。
ご公務、お気を付けください。
【中条忍】
大連ダイレンに戻り、
N計画の実現に向けてつとめます。
またお知らせできるかと――
【李景明】
それではそろそろ――
ここに長くいると目立ちます。
満蒙まんもうにおいて国家自衛の地歩ちほを築き、経済産業的自給自足じきゅうじそくの資源を得て、一朝有事いっちょうゆうじの際に応じ、もって大東亜共栄だいとうあきょうえいの意義をまっとうする、私の理念はそこにきるのです。
さぁ、まいりましょう――

【着信 帆村魯公】
黒ノ八号くろのはちごう
急ぎ、帝大に向かってくれ。
公務電車を回す。
和田倉門わだくらもんから乗車するんだ。

魯公ろこうによるとゴエティアの偽典ぎてんが見つかり、今日夕方にでも帝大に着くという。牛頭ごず機構がそれを狙う動きを見せたとのこと。

〔帝大キャンパス〕

【着信 帆村魯公】
満洲のあるすじから参謀に連絡があり、
偽典ぎてんがじき帝大に着くそうだ。
【着信 帆村魯公】
一般の電報でもたらされたと言うぞ。
眉唾まゆつばな気もするが、念のためだ、
帝大を巡視パトロールしてくれ。

【占領科生R】
どうしました?
――もしや皇軍こうぐんの方ですか?
一時のアナーキスト騒動、
すっかり沈静化したようですね。
でも本当は違うのです、
奴ら地下に潜っただけなんです。
僕たちには、
まだまだやるべきことが――
そう思うでしょう、あなたも!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大キャンパス内でセヒラ上昇!
複数箇所を確認しました!

【蹂躙科生Q】
貴官きかん巡察じゅんさつなのですか?
我々は心にとげを持つような、
アグレッシブな学生を求めます。
上層部から言われているんです、
そういう学生はいい材料になると。
そうです、人籟じんらいの材料ですよ!

【精神破壊科生V】
先日、捕獲ほかくした学生は大成功でした。
くるぶしまで水にかる小部屋があります。
部屋の中央には一脚の椅子いす――
その椅子いすに学生を座らせ、
頭上から水を一滴ずつ落とします。
同じ間隔かんかくたもちながら――
ポターン、ポターンとね。
フフフ、その学生は立派に覚醒かくせいして、
に魂をわれましたよ!!
強く強く歯を食いしばって、
奥歯の割れる音がしました!
アハハ、お前もそうなるがいい!!

《バトル》

【精神破壊科生V】
水の……小部屋……
今度はお前を……入れてやろう……

【着信 喪神梨央】
帝大内のセヒラ、
収束したようです――

〔蔦博士研究室〕

【蔦博士】
これはこれは、喪神もがみ君――
来ると思っておったよ!
先程、たしかには届いた。
本郷ほんごう局の郵便夫が届けに来たぞな。
その本じゃがな……
いやぁ、あれは何であるか?
ぜんたい、不明じゃ!
少なくとも、君らの役に立つ、
ゴエティア偽典ぎてんではないぞ!
希臘ギリシャ語で何やらつづったページ、その後に阿爾卑斯アルプスの観光写真の写し、それからまた希臘ギリシャ語のページが続く――
希臘ギリシャ語を読むと、バンガロス将軍の
クーデターがどうのこうのと――
これは十年前の話じゃな。
つまりは希臘ギリシャの古新聞じゃな、
その記事をただ写してある本じゃ。
アレクサンドロス・デュカキス、
それが写本者の名前じゃ。
間違いなくインチキ本じゃよ!!
【着信 喪神梨央】
帝大内でセヒラ観測です!
研究室の近くです、
注意してください。

【搾取科生X】
古書が偽物だったとはな!
偽典ぎてんの偽物とは洒落しゃれが効いている。
そう思うだろ、山王さんのうの猿めが!
僕はね、牛頭ごずに加わって開花した。
ついに句の才能も花咲いたんだ。
聞かせてやろうか、最新作を――

怪人の
すそから風が
通り抜け

嗚呼ああ、目に浮かぶようだ――
心を彷徨さまよわせる怪人のかなしみが、
ありありと伝わってくるよ!
このかなしみを、
山王さんのうの猿にもわからせてやろう!!

《バトル》

【搾取科生X】
怪人の
素足の下の
霜柱しもばしら――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大のセヒラ、完全に沈静化、
本部に帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
しのぶさんたち、無事に汽車に乗り、
下関しものせきに向かわれました。
鉄道省にも監視員をお願いし、
確認してもらったのです。
【帆村魯公】
ゴエティアの書については、
ガセだったようだな。
牛頭ごずの急進派を帝大に集める、
そういう効果はあったようだ。
【喪神梨央】
たぶん、範奈はんなさんです――
範奈はんなさんの陽動じゃないですか?
しのぶさんたちが汽車でつまで、
牛頭ごずをおびき寄せたのでしょう。
【帆村魯公】
最近、牛頭ごずの動きはうかがえないが、
下っ端連中はウロウロしておる――
念には念をということじゃな。
【喪神梨央】
希臘ギリシャ語のインチキな本、
誰が作ったんでしょうね――

大連ダイレン特務機関を手伝う中条忍なかじょうしのぶは、景明けいめいのエスコートを得て満洲へ向かった。愈々いよいよN計画の動き始める時が来たのだ。