第九章 第十話 逆相

〔山王機関本部〕

その日、山王さんのう機関本部は重苦しい空気が支配していた。
本部には新山眞にいやままことが詰めていた。

【喪神梨央】
兄さん――
清水谷しみずだに公園のこと、
なんだか不安になりました。
だって四月と同じことが――
でも様子はまったく違いました。

兄さんは審神者として修行した――
陸軍士官になったのは幸則さんだけ、
そういうことでした。
【新山眞】
清水谷だけ時間が戻ったのか、
それとも別な世界に突出したのか、
あるいはその両方ですね。
【帆村魯公】
別な世界と繋がった――
わしにはそんな風に思われたぞ。
あるいは風魔だけが世界を渡った……
【喪神梨央】
兄さんはずっと山王でした、
ずっと探信していました!
【帆村魯公】
うむ……
新山の、つまりはどういうことじゃな?
【新山眞】
並行世界かと思われます。
公園だけ繋がったのです。
将校ではない喪神さんのいる世界――

機関本部に探信儀の警報が鳴り響いた。

【喪神梨央】
警報です!
強いセヒラ――
おそらくヴンダーかと……
【帆村魯公】
どっち方面じゃ?
ヴンダーが出たのは?
【喪神梨央】
上野です、上野広小路界隈かいわい
強いセヒラ、歪みのある波形、
ヴンダーに間違いありません。
【新山眞】
ルーン文字の魔法、
どうなったんでしょうか?
【喪神梨央】
公務電車手配します!
上野広小路です、お願いします。

〔上野広小路〕

果たしてヴンダーは上野に現れていた。
見える者は慌てて避難し、見えない者は噂に触れおののきを深めていた。

【鶯谷の菓子問屋】
まるで蜘蛛くもを散らすように、
そこの交差点から皆逃げたけど、
私にはさっぱりです、見えません!
新聞に写生絵もあったのに、
ヴンダーが見えないのですよ――
かえって恐ろしくなりますね!

【御徒町の錠前屋丁稚】
おいら勘がいいからさ、
ちょっとだけわかるさ!
ヴンダーはね、
あのビルの屋上さ!
仮面の男みたいにね!

【錦糸町のデパートガール】
姉さまにはちゃんと見えるって――
ヴンダーですわ、見えるのですわ。
妹も見えると言い張って、
なんか憎たらしいわね!
私だけが見えないのですわ!
悔しいのですわ!!

【着信 喪神梨央】
セヒラ上昇していますが……
その人ではありません。
今さっき、魔法をかけ終えたと、
その連絡が入りました。
変化はありませんか?

能海旭のうみあきらがスターヴを用いた魔法をかけ、やがてヴンダーの真理しんりあらわになる――

オセル、パース、ライゾ、
カノ、ラグズ――
5つのルーン文字がスターヴを現す。
真実を露わにし
全てをつまびらかにする願いだ。

ヴンダーは音もなく消えた。
ヴンダーのいたあたりに濃厚なセヒラの塊が見える。
それははっきりと見えた。交差点付近にいた市民らは一斉に走って逃げた。

洋服姿の女性が風魔のところへ駆け寄って来た。

【錦糸町のデパートガール】
あーははははは!
見えましたわ、見えましたわ!
あれがそうですのね!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認です。
目の前です!!

【錦糸町のデパートガール】
もう引け目を感じる事など、
何も無いのですわ!
怖いものも、無いのですわ!

《バトル》

【錦糸町のデパートガール】
ああ、悔しい悔しい、
もっと早く見えていれば……
私はもっと――

【着信 喪神梨央】
セヒラのかたまりに、
影響を受けたみたいです。
依然いぜん、高い濃度です――
【着信 新山眞】
ヴンダーのいたところに、
特徴的な波形を観測します。
喪神さん、調べられますか?

【着信 喪神梨央】
ナチの車列が向かっています。
対応お願いします!

ヴンダー騒動を聞きつけてか、武装SSのトラックが到着した。SSたちは濃厚セヒラにも構わず、ヴンダーの消えた場所からその二人を運んできた。
ゲルハルト・フォスとクルト・ヘーゲン、巨大人籟じんらいたましいを喰われた二人だ。

地面に横たわるフォスとクルト。その前に3名のSSが立って見下ろしていた。SS大尉が風魔の前に来る。そして背中を丸めて横たわるフォス大佐を見下ろして言った。

【武装SSホッケ大尉】
ゲルハルト・フォス大佐、
長きご辛労には頭が下がる思いです。
いえ、シュタイナー大佐――

SS大尉は顔を上げ風魔を見据えた。

【武装SSホッケ大尉】
彼はシュタイナー男爵家に生まれ
筆頭で爵位を継ぐはずだったが、
実弟の奸計に嵌められてしまった。
貧しい文具屋に貰われ、
ゲルハルト・フォスとなったのだ。
そしてナチ党員となる。

遅れてナチ党入りしたエルヴィンは、
爵位の助けで出世階段を順調に昇り、
SS上級大佐まで進んだ。
フォス大佐は弟エルヴィンが、
突撃隊員と共謀している、
SS親衛隊本部にそう告げた。

長いナイフの夜――
突撃隊員らは粛清された。

弟エルヴィンも逃れられなかった。
フォス大佐の父グンターも粛清され、
シュタイナー家には火が放たれた。

しかし謀略などなかったのだよ。
エルヴィンは突撃隊員の一人と、
男色関係にあった――

事実はそれだけアインファだ。
私たちは禍根を残さないのだよ、
ヘルフーマ!

ヒムラー長官は清潔がお好きでね。
フォス大佐、この一点の染みを
綺麗に拭って私は帰国する。
祖国ドイツは懐深く私を迎える。

フェルキッシュ!
私の心はドイツに踊る!

君たちにも感謝する、ヘルフーマ。
これら二個については、
君たちの科学者ヴェッセンシャフラーにも
知恵を借りよう。
我が方の研究もはかどるな!

そう言うとSS大尉は回れ右をして歩き去った。残るSSが軍用トラックを誘導している。フォスとクルトの自失体を運び出すためだ。

【着信 喪神梨央】
周辺のセヒラは消えました。
ヴンダーは見えなくなりました。
【着信 新山眞】
まぼろしを見る魔力が消えた、
そんな感じですね。
ひとまず落着です、喪神さん。

魔法という大仕事を終えた能海旭のうみあきらは、アトリエに戻り休んでいるという。
風魔はあきらねぎらうべく赤坂へ――

しかし、すぐには戻れなかった。
不意に周囲から光が消え、風魔は真っ暗闇に立たされた。
そこへどこからともなく声がする――

【柴崎周】
私の交響曲シンホニー愈々いよいよ第四楽章、
ソナタを奏でる時を迎えた。
無上の喜びを覚えざるをえないよ!

巣鴨すがもの監房でサラエボで、
はたまた羅南らなん廠舎しょうしゃで、
私は時を超え、力を尽くした――
この帝都に一輪でも多く、
美しい花をはぐくみたくてね。

君たちのお陰で、
私の努力は報われつつある――
まさに百花繚乱ひゃっかりょうらん――
あらゆる思いの交錯こうさくする世界こそ、
私の望んだ世界なのだよ。

さぁ、フィナーレを、
心豊かに迎えようではないか!

公務電車は上野広小路から万世橋まんせいばし御茶ノ水おちゃのみずを経由して飯田橋へ。
その時、梨央りおから無線着信があった。

【着信 喪神梨央】
申し訳ありません!
本日の公務はまだ継続しそうです。
戸山の砲工学校で騒動です。
まるで暴動のような状態だとか。
怪人が絡んでいるかは不明です。
念のため巡視パトロールお願いします!

〔戸山砲工学校中庭〕

【牛首頭主任研究員】
なぜ我々は解散になるのだ?
研究はあと一歩まで迫った!
【宝珠花専任研究員】
炭疽菌たんそきんに感染させた赤南京蚤あかなんきんのみを、二百キロ砲弾に詰めるんだ!
八千六百匹もな!
【牛首頭主任研究員】
この細菌のみ弾が成功すれば、我国は世界を圧倒する地位となる!
【宝珠花専任研究員】
細菌のみ弾、その生産計画は、なんと年間三百万発だ!
日本万歳! 大大和万歳!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
おかしな状況です――
建物自体がセヒラを発しています。
波形の形に建物が浮かび……
うまく説明できませんが、
建物からセヒラが剥がれていく、
そんなふうに見えるのです。
校舎を検分してください。

ホールに足を踏み入れるとそこには異様な光景が広がっていた。
ホールに置かれている棚がセヒラを帯びていたのである。セヒラは見る見るその濃度を増していく。

【血吸川特任研究員】
これは何事だ!
薬品棚に細工したのはお前か?
貴重な人工血液が保管してある、
その棚に火を放ったのか?

左手から2人の白衣姿の男性が駆け込んで来た。そして血吸川研究員に向かって声を荒げる。

【近藤研究員】
おい、お前!
大切な試料を盗もうとしたな!
【山下研究員】
露西亜ロシア人で培養ばいようした人工血液、
門外不出もんがいふしゅつの試料だ!
イワンの苦しみが生んだ試料だ!

血吸川研究員は怯むことなく2人の研究員を突き飛ばした。

【血吸川特任研究員】
うるさい! 
【近藤・山下両研究員】
うわぁぁぁぁ~

【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
建物からあふれるセヒラを観測!
怪人はその影響を受けています!

【血吸川特任研究員】
ここはもうおしまいなのか?
――いや、そんなはずはない!
東亰ゼロ師団が、
そんな簡単にあばかれてなるか!
我々には後ろ盾がある!!

《バトル》

【血吸川特任研究員】
うう……
終わりなのか……
本当に……これで……

――いい思いをさせてもらった。
いい思いをな――

今やホールはセヒラに塗れている。

【着信 喪神梨央】
兄さん!
セヒラ濃度が異常です!
至急しきゅう退避してください!

交信を終えると風魔はホールから走り出た。校舎を振り返ると、建物全体がセヒラに覆われて揺らめいて見える。

【着信 喪神梨央】
新山にいやまさんの憶測ですが、
仮構ががれはじめているのでは、
とのことでした。
その新山さんですが、
異様な波形を観測するとのことで、
防疫研究所に向かわれました。
もっとも仮構かこうの疑われる場所です。

〔白金三光町〕

車通りも少なく人影まばらな白金三光町。公務電車を降りると、向こうから新山眞がやって来た。

【新山眞】
ルーン文字の魔法、
効力を発揮したようです。
それでヴンダーはたおれました――
でもヴンダーのたおれたことが、
何かの引き金を引いた――
そんな気がします。

釣鐘つりがねの調整の効果もあります。
ただその反動というか、
理解不可能な現象が起きています。

機関本部で見た限り、
防疫研の波形はこれまでの
どの波形とも違っています。
何というか、山と谷が逆になって、
まるで逆さまの位相を作っている、
そんな波形なのです。

仮構によって隠されていたものが、
ここに来て見え始めた、
そんな風にも考えられます。
【着信 喪神梨央】
申し訳ありません!
どうしてもと詰め寄られ――
つい隊長が……
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしの場所を、
教えてしまいました――
まだやって来ませんか?
猫みたいに話す人です。
おそらくは猫憑ねこつきです。
セヒラの観測はありません――

電車通りを渡って背広姿の男性が足早に近づいてきた。

【新山眞】
喪神もがみさん、誰かが来ます――

【京橋のラヂオ商】
無理を言って、
ここを教えてもらったニャ~
快く教えてくれたニャ!
どうしてもあんたに話したい、
そういうのがいてニャ、
この人の隙間すきまを借りたニャ!
あんまり隙間すきまは広くないニャ、
話は早く済ませるニャ!

男性はそう言うと急に腰折れになった。
その男性の背中にアストラルが影のように現れた。

【歩一M大尉アストラル】
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
鬼龍きりゅうがトゥーレの館としていた、
青山の青山ホテルだが、あそこは
フンゲルハウワー公爵邸こうしゃくていだ。

幼少期、私は父と青島チンタオに暮らした。
父はフンゲルハウワー商会で、
筆頭会計係を務めていた。
日本では青山の邸宅が定宿だった。
明帝崩御ほうぎょの年、私はやしきにいた。
四歳の時だった――
その後、世界戦争で青島チンタオち、
独逸ドイツは当地の権益けんえきを失ってしまった。
私たちも独逸ドイツに渡ることに――

爾来じらい、青山のやしきは無人の館、
公爵は二度と訪問することなく、
五年前に亡くなった――

あそこがホテルであったことなど、
かつて一度もないのだ――
あわわ……わ……

アストラルは揺らぎながら消えた。
背広姿の男性は持ち直して言う。

【京橋のラヂオ商】
どうニャ?
話はできたかニャ?
おいらもそろそろ戻るニャ!
また会うニャ!
それまで元気でニャ!
おいら、猫の時次郎ニャ!

男性は歩き去った。

【新山眞】
いやぁ、驚きです。
アストラルが猫憑きを利用して――
それに、またもや仮構かこうの話です。

どんどん仮構ががれている、
そんな感じですね。
――急ぎましょう!

〔防疫研究所所長室〕

所長室の机の横に陳列されている市松人形がセヒラを帯びていた。

【新山眞】
喪神さん!
見てください、あの棚を――
セヒラが盛大に表出して、
そのうちあの人形は消えてしまう、
そうではないでしょうか?

ドアの音がした。
誰かが入ってきたのだ。

【新山眞】
今の音は何でしょうか?

振り向くと
そこにはカバネが立っていた。

【新山眞】
うわぁ!
何でしょうか?
――……ですか――
まさか……
そんなはずはありません!
【綾部研究員】
どうか驚かないでください――
【新山眞】
うわぁ!わわわ!
しゃべった!
なんという驚きスルプリーゾ
【綾部研究員】
皆さん、私はではありません、
私はここの研究員です。
これの中味は人間なのです。
【新山眞】
な、中味が、人間?
――するとあなたが……
これのたましいったのですか!?
【綾部研究員】
違います!
これはカバネというですが、
カバネが私をったのです。
ただ魂ではなく、
私の肉体をったのです――
【新山眞】
肉体を……う……
まるで食人譚しょくじんたんですね、
猟奇倶楽部のことうかがいましたぞ!
カバネにもその趣味があるのですか?
【綾部研究員】
そんなこと知りません!
何かの手違いです。
そうでなければ私は……
【新山眞】
魂をわれて、
人籟じんらいの材料になっていた、
そうなんですね?
【綾部研究員】
私はめられたのです。
副所長らはナチに働きかけ、
ヴンダーの核を手に入れようと――

魔法によって顕現けんげんしたヴンダー。
その核となったフォス大佐とクルト召喚師、二人は人籟じんらいの材料である。
それらを奪取するため、防疫研の副所長らは、人籟じんらいの取扱を指南すると申し出た。
ナチはその申し出に乗ったのだった。

【綾部研究員】
私はその計画に反対でした。
ヴンダーなど
わざわいのたねでしかない――
そう訴えました。

先日、副所長に呼ばれ、
私はセヒラ室に閉じ込められました。
高濃度セヒラに被曝ひばくせられました。
【新山眞】
セヒラ室……
そんな部屋があるのですね。
【綾部研究員】
人籟じんらいを作る部屋です。
でも私の魂は無事でした。
体が……こうなっただけです――
【新山眞】
それじゃは召喚できない、
そうなんですか?
【綾部研究員】
召喚などできません、
体がカバネなだけですから。
【新山眞】
だけですじゃ済まない感じですが――

新山は眉間にしわを寄せ、目をグリグリと動かしている。

【新山眞】
思い出しました!
独逸ドイツの論文にありましたよ、
逆相波形リバースファーズという現象です。

ある波形に対して逆相の波形が現れ、互いを打ち消してしまう現象のことだ。
論文ではそれを逆相波形リバースファーズと名付けていた。
ある方向への動きに対して、逆方向への動きが生まれる――
新山はそのことを言っているのだ。

【綾部研究員】
私が魂ではなく肉体をわれた、
そのことも逆相に関係するのですね?
ここの上部組織、
東亰ゼロ師団は世界に混乱を招く、
それが目的だと聞き及んでいます。
ということは、
混乱とは逆を向く動きがある、
そういうことでしょうか?
【新山眞】
混乱と言うか宗教的には混沌カオスですね。
混沌カオス秩序コスモス、悪魔と神です。
混沌カオスに光があたり
秩序コスモスが生まれた――
【綾部研究員】
私は研究者ですので、
その辺はよくわかりませんが、
逆相とは秩序ある世界なんですね。
【新山眞】
そうかも知れません。
わたしも技術者ですので、
これ以上は……
もっとも霊異りょういを扱うのは、
慣れていますが――

霊異りょういといえば、喪神もがみさん――
例の京都の魔鏡まきょうですが、
そろそろ完成しそうです。
ゼーラムの定着を確認しました。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座の上空に大型飛行船が――
参謀本部では何の計画もなく、
独逸ドイツのフリードリッヒ号も、
来日らいにちは来年の春の予定だそうです。
また浅草十二階や、
上野博覧会のようなものかも――
一応、巡視パトロールお願いします。
【着信 帆村魯公】
新山君とそのもう一人、
綾部あやべ研究員は山王さんのう機関本部へ願う。
部屋を用意しておく。以上だ。

銀座の夜空に
巨大な飛行船が姿を見せた。
人々は皆あんぐりと
口を開いて眺めている。

【憧れの声】
あれが噂のフリードリッヒ号ですわ!
なんとも素敵じゃございませんか!
私も乗りとうございますっ!

【警戒する声】
尾翼びよくにも胴体どうたいにも、
どこにも国籍こくせきがないぞ!
あれはまぼろしなんじゃないか?

【畏怖する声】
いつぞやのカグツチ様を思い出す!
ああ、恐れ多いではないか!
お祈りすること、考えなきゃ!

謎めいた飛行船は日劇ビルの屋上に、ゆっくりと降り係留けいりゅうされた。京橋署の巡査が人払いをしている。

日劇のビルを背にして大勢の巡査が警戒にあたっていた。

【京橋署の巡査E】
部長のお達しです。
これ以上は立ち入りできません。
たとえ公務であっても――

【京橋署の巡査T】
前にお会いしましたね――
ナチの偉いさんの出国パレードで。
今夜も偉いさんなのでしょうか?
偉いさんはめんどくさいですね、
とにかく立ち入りは禁止です。

【京橋署の巡査N】
結局、荘月しょうげつ会館での幻燈会げんとうえは、
四回開かれたんですよ。
都合つごう四千人弱のお客らは、
最近の騒動でふっと姿を消しました。
誘拐ゆうかいされたと言う噂もあります。

【京橋署の巡査A】
覚えていますか、私を。
あなたに立ち向かって破れました。
稲荷いなり戻した私です。
以来、廓清かくせいしたままで、
もうすっかり大丈夫です。
怪人になると拉致らちされるって――

【京橋署の刑事K】
こんな夜に、ご公務ご苦労様!
山王さんのう機関はなかなかあきらめない、
そうじゃありませんか?
私はね、木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラでん
そのまんまですね、
絵に描いたようにね、フフフ!

いたずらに踊りまくる市民を追ううちに、
私もね、踊りの達人になった!
そうしたらどうです、
見事に昇進しょうしんしたのです。
今じゃ刑事です、フハハハハ!

【着信 喪神梨央】
気を付けてください、
セヒラ上昇しています!

【京橋署の刑事K】
ほう!ほうほうほう!
君とお手合わせ願えると!
いいでしょう!
私はね、大切な役割を仰せ付かり、
飛行船を降りてきたのです。
さぁ、整いましたよ!

《バトル》

【京橋署の刑事K】
私もまだまだのようですね!
でもご安心ください、
道はひらけた、そう思うのですよ!

巡査は頭を振りながら見向きもせず歩き去った。他の巡査もいなくなっていた。

【着信 喪神梨央】
幻燈会げんとうえの影響で踊りだし市民が出た、
あの事変のときの巡査ですね。
記録から波形が一致しました――
今や波形は一段と鮮明になり、
廓清かくせいされようもありません。

見ると日劇ビルの前に
柴崎周しばさきあまねが立っていた。
彼は風魔を静かに見据えている――

【柴崎周】
ようやく静かになったね。

君の目を見ていると、
サラエボの青年を思い出すよ。
彼は透き通った目をしていた。
その透明な輝きの奥に、
揺るぎなく強い意志を感じたよ。
その意志が彼に僥倖ぎょうこうをもたらした。
ラテン橋近くのレストランで、
道に迷った皇太子こうたいしの車に出会う――
彼の放った銃弾が世界を動かした。

目眩めくるめく鋼鉄と火焔かえんのページェント!

世界では憎しみが連鎖して、
美しいハーモニーを奏でた。
その調べは日本にもしかと届いた。
あの青年はセルビアの英雄として、
ラテン橋は彼の名を冠した。
プリンツィプ橋としてね!

次に私は日本に目を向けた――
日本には豊かな資源がある。
私たちは実に恵まれているのだよ。

しかし、日本という国は難しい。
人の心は幾重いくえものひだおおわれている。
隔靴掻痒かっかそうようの思いに
見舞われている――
アナーキストは絞首台こうしゅだいつゆと消え、
期待の星、慷慨こうがいする大尉は――
なんと自失して大柱に姿を変え、
世界の歪みを更に進めた!
私のあずからぬ事態が起き始めた。

私の企図きとするものはもっと簡素だ。
血盟将校らの理念を支える――
しかし大いなる計画は頓挫とんざした。
計画は慎重に進めるべきだった。
しかし拙速せっそくに走りすぎたのだ。

――何故だ?
君たちが加担かたんしたとは思えない。
いろいろのことが私を離れ、
勝手に動き出している――

ようやく静かになった。
静けさの奥に蠢動しゅんどうを認める――
だが、それが見当たらないのだ!!

これが杞憂きゆうであれば良いのだが!

そう言うと柴崎は自分の周囲にセヒラを集めた。セヒラはまるで煙幕のように柴崎を包み隠した。

【着信 喪神梨央】
セヒラ異常です!
至急、退避してください!!
し……き……●◇×――

無線の声が遠のいた。風魔は目の前が暗くなるのを感じた。

〔清水谷公園〕

周囲が明るくなった。
ここは清水谷公園。
風魔は隣に九頭幸則の姿を認めた。
目の前にいた書生が話しかけてきた。

【書生】
うちの先生、この春に昇進されて、
えある首席訓導くんどうになられたんです。
今日はそのお祝いです――
【スーツの男】
先生の組の卒業生さん、
皆、陸士に進まれ、そのご功績こうせきで。
もう任官された卒業生さんも――
【主席訓導】
いやいや、小生など、
たいして力にはなっとらんですな!
偉いのは生徒たちですわ。

【九頭幸則】
先生!
田村先生ですね!
お久しぶりです、九頭くずです!
【田村先生】
おお、九頭君!
君も確か陸士に進んだんだね!
見たところもう任官したようだが――
【九頭幸則】
いやぁ、お恥ずかしい!
僕は第三連隊です。
い組の風魔ふうまは第一連隊です。
【田村先生】
そうか!
三連も歴史ある連隊だぞ、
堂々と胸を張るんだ、九頭くず君!
いやぁ、それにしても――
小生、愈々いよいよ鼻が高いな!
【九頭幸則】
これも先生のご指導あってのこと、
僕は先生に学べて幸せです!
アハハハハハ~

春もたけなわの清水谷しみずだに公園に、
ほがらかな笑い声が響いていた。
人、皆、幸せ色に染まる
帝都であった――

ラヂオノイズに混ざり
僅かに声が聞こえる――

【???】
日々、安寧あんねいデスカ?
日々、安寧あんねいデスカ?

急に辺りが暗くなり、次に風魔は赤坂哈爾浜ハルピンにいた。

【着信 喪神梨央】
やっと捕まえた!
兄さん、そこは赤坂哈爾浜ハルピンです。
ずっと弱いセヒラを観測します。
【着信 帆村魯公】
柴崎しばさきという人物、
セヒラを扱うのだな!
奴は赤坂哈爾浜ハルピンへ向かったようだ。

新山にいやま君が、
カバネを送ってはどうかと――
いい考えだと思うぞ、風魔!

いみじくも柴崎周しばさきあまねの言うように、
世界は予知不能な動きを
見せ始めていた。
まるで別な世界が
並行するかのようであった。

皆が幸せそうに暮らす帝都の有様――
風魔が垣間かいま見た世界もまた、
別の軸に存在するのかも
知れなかった。