第九章 第十二話 冬至の朝

太陽は蛇遣へびつかい座の南西から東に移動して、愈々いよいよ射手座に入る――
明日、午前三時三十七分には冬至を迎える。日の出は六時四十七分、日の入り四時三十二分――
この一年で最も昼の短い日となる。

〔山王ホテルロビー〕

心なしか普段の年に比べクリスマスの飾り付けも控えめな山王ホテルロビー。
12月22日、日曜日の夜ということもあり、客の姿はなかった。
役所からの要請もあり、レストラン等の夜の営業時間は9時までとされていた。

【喪神梨央】
兄さん――
無理を言ってすみません。
どうしてもお話したいと――

ガランとしたホテル玄関から、新山和斗が足早にやって来た。

【喪神梨央】
新山にいやまさん――
【新山和斗】
僕の記事、すごい反響ですよ!
新しい世界が生まれるという――
編集でも大騒ぎです。
【喪神梨央】
新山さん、
どこからそういうネタを?
【新山和斗】
いやね、兄貴のメモにね、
アタラシキアメツチヒラカレリ――
そうあったものですから。
【喪神梨央】
メモに書いてあったんですか?
【新山和斗】
鉛筆の跡がね、へこむじゃないですか、
それをなぞって見ると文字が……
フフフ、僕は抜け目ないですよ!
【喪神梨央】
そんな落書きだけで、
興亜日報に特報打ったんですか?
【新山和斗】
きっかけは小さなことでもいい、
事件とはほぼそういうものです。

――それで……
誕生するという新世界に、
我々も行けるわけですか?
それとも選別がなされる――
そもそも新世界は、
この地上に生まれるのですか?
それとも……
【喪神梨央】
あんなに報じておきながら、
よくわからないわけですか?

山王機関本部から新山眞がやって来た。
手に風呂敷に包んだ箱のようなものを持っている。

【新山和斗】
兄さん!
さては兄さんも――
【新山眞】
和斗、お前は勘は鋭いんだが、
辛抱しんぼうが足りんな――
【新山和斗】
僕たちはね、時間との戦いなんだ。

で、兄さん、その箱は何ですか?
また何かの計測器ですか?
【新山眞】
ああ、これは大変なものだ。
セヒラを計る装置だな。
世界軸の歪みを観測する――
【新山和斗】
セヒラ量子?
世界軸?
これまた新理論ですか――
【新山眞】
米粒大ほどの臨界セヒラが、
最終的には新しい宇宙を生む、
その一部始終を観測するのだよ。
ヤスパース=クルーガー効果――
観測に成功した学者の名前だ。
超ベンヤミン現象とも言うが――
【新山和斗】
兄さん!けむに巻くつもりですね!
僕はねこの目で見て、
この手で記事を書く。
【新山眞】
その脚でおもむくことを忘れるなよ。
【新山和斗】
言われなくても――
それじゃ、失敬します!

新山和斗は足早に去って行った。

【新山眞】
やれやれ……
せいぜいブンヤを喰われないよう、
気をつけないとな、彼奴あやつも――
【喪神梨央】
新山さん――
セヒラ量子とか、
そんな難しい話があるのですか?
【新山眞】
セヒラ量子論はありますが、
私はからっきしの門外漢もんがいかんですよ。

そう言うと眞は風呂敷を解き、箱の蓋を開けた。

【新山眞】
これは例の魔鏡まきょうです、完成しました。
ゼーラム五ニ五を塗布とふして、
愈々いよいよ、鏡が常態を取り戻した、
つまり魔鏡となったのです。

【新山眞】
私は本部で待機します。
なにせ冬至は明日ですから。

【喪神梨央】
兄さん――
レーネさんがお話があると。
私も本部にいますね。

梨央の去ったそのタイミングで藤沢レーネがやって来た。
レーネは風魔を認めると歩調を落とし、そしてゆっくりと近付いた。

【藤沢レーネ】
表は満天の星空ですわね。
明日はきっといいお天気ですわ。

実は……
ここだけのお話なのですが――
露西亜ロシアが秘密結社を使って、
満洲転覆てんぷくを計画しています。
李景明りけいめいさんからの情報です――

李景明りけいめいから寄せられた情報では、満洲は関東地方にソ連軍を侵攻させ、白系露西亜ロシア人の拠点きょてんを確保する計画があり、その準備のために新京シンキョウ露西亜ロシア人秘密結社、ウートロシーリが結成されたという。

【藤沢レーネ】
ウートロシーリの日本要員は、
ウラジミール・グロトフという、
露西亜ロシア人が務めます。

露西亜ロシア人グロトフはご存知ぞんじですよね。
是枝これえだ咲世子さよこさん宅の書生でした。

もう一人、グロトフが徴用ちょうようした、
露西亜ロシア人司祭がいます。
この二名が今夜連絡します――

ホテル玄関からに二名の背広姿の男性がやって来た。彼らの身のこなしには無駄がない。
二人は藤沢レーネの後ろに付いた。

【要員Q】
司祭が東洋ホテルを出ました。
円タクで下大崎に向かいます。
【要員R】
運転手が前照灯ぜんしょうとう合図あいずを――
点滅が二度ありました。
【藤沢レーネ】
つまりは二番目の目的地ね。
――それが下大崎――

連中、牛頭ごず機構と結託けったくしている、
その情報があります。
後の話は車の中で――

グロトフが徴用ちょうようした司祭は、イーゴリ・ゲラシモフという。
本業は日満を行き来する雑貨商だった。
その二名が今夜、下大崎で連絡する。
それを捕獲するのがこの計画だった。

警護に牛頭ごず機構から
要員が出ている――

その噂もあり、レーネは風魔ふうまの同行を頼んだ。

【藤沢レーネ】
N計画の阻害そがいということでは、
露西亜ロシア人結社も牛頭ごず機構も、
利害の一致があるはずです。

急なお願いで、
申し訳ありません――

〔下大崎〕

日曜夜更けの下大崎は静まり返っていた。車のドアを閉める音がやけに大きく響く。

【藤沢レーネ】
喪神もがみさん――
一人の日本人が来ます。
気を付けてください。この先で二人のロシア人を捕縛する手筈です。
今、邪魔が入ると……

レーネの視線の先に一人の着物姿の男性の姿があった。男性は寒空の下、コートも羽織っていない。
男性はゆっくりと近付いてくる。
顔に薄笑いを浮かべていた。

【牛頭機構関東会構成員G】
牛頭機構ごずには粗野そやな連中が多く、
ご迷惑をおかけしていますね。
うちは新京シンキョウで料亭を営み、
日満の親睦しんぼくにこれつとめるわけです。
そこへ猶太ユダヤやからを住まわすなど、
全くの無用の策というもの!
――そうではありませんか?

山郷某やまごうそれがしは姿をくらませた。
何か計略でもあるのでしょう――
ただ、時間がない!
いろいろ情報はつかんでいます、
露西亜ロシア人らの目も節穴ではない。

明日、託言たくげんが明かされる――
それを是非ぜひ知りたいものです。
さぁ、ここはお引き取りください。

風魔の脇に音もなく先程の背広姿の男性が来た。その様子を見た着物姿の男は、やおらセヒラを集め始めた。
二人の背広姿は素早く退いた。

【牛頭機構関東会構成員G】
そういうわけにもいかないと――
それは残念です!

《バトル》

【牛頭機構関東会構成員G】
露西亜ロシア人をふうじても、
まだ我々がいますよ――
想定外の数がね!

建物の角から二人の聖職者が現れて立ち止まった。
そして静かな声で告げる――

【要員X】
私はです。
露西亜ロシア正教の神父です。
【要員V】
私はです。
露西亜ロシア正教の司祭です。

そう言うと、二人はまた建物の影に隠れてしまった。
車に戻った風魔にレーネが言う。

【藤沢レーネ】
首尾よく捕縛出来たようです。
本物のグロトフとゲラシモフは、
憲兵隊本部に向かいました――
近く満洲国軍憲兵に継がれます。
今の二人は替玉として、
ウートロシーリと連絡します。
これで無事に明日を迎えられます。

喪神もがみさん――
ありがとうございました。
山王さんのうへ戻りましょう。

藤沢レーネの運転する車で山王さんのうホテルへ。レーネは重ねて礼を述べた。
明日はホテルの部屋で静かに待機するという。

〔山王機関本部〕

山王機関本部では梨央がじりじりしながら待っていた。
湯呑みの茶はすっかり冷めている。

【喪神梨央】
兄さん!
突然いなくなるから心配しました!
あのグロトフさん――
露西亜ロシアの秘密結社って、
ぜんせんそんなふうじゃ――

魯公と眞が奥から現れた。

【帆村魯公】
連中が明日のことを、
聞き及んでおったとはな。
どこかられたことやら。
【新山眞】
冬至を特別な日とする風習は、
世界中にあります。
こちらの動きを探れば――
【喪神梨央】
想定はできたということですか。
でも魔鏡のことは知られていません、
そうですよね、新山さん!
【新山眞】
勿論もちろんです!
ようやく鏡は安定しました。
備えは十分でしょう。
【帆村魯公】
鏡に付随していた文書によると――

マナイノカガミハ
ソレノサマ ウルワシクテ
モロカミタチノ
ミココロニモアエリ――

【喪神梨央】
ひとつあらかわたらして詰まる――
その朝、言葉がしめされるのです。
それからレーネさんの言う、
冬至とうじの朝陽が示す支族の帰還――
冬至とうじ、朝陽、鏡、それから――

水辺です!
範奈はんなさんがお姉さんから伝えられ――
このあたりで水辺といえば……
【新山眞】
清水谷しみずだに公園ですかな。
あるいはお堀、外堀――
あまり水辺という感じじゃないです。
【帆村魯公】
清水谷しみずだに公園か――
よし、梨央りお、連絡だ。
わしは宮司ぐうじと殿下に伝える。
【喪神梨央】
私、範奈はんなさんに伝えます。
電話、渋谷局です――
【新山眞】
電話をお持ちなんですね、
お宅で電話なんてすごいですね!

【帆村魯公】
ところで、明日、天気だがな、
中野の気象部に問い合わせてみた。
今日と同じ冬晴れだそうだ。
【新山眞】
明日も西高東低の冬型です。
北西ノ風、晴、寒サ厳シ――
予報にはそうありました。
【帆村魯公】
よし、早速連絡だ。
新山にいやま君、君は鏡を持って、
奥で休んでくれ。
【新山眞】
承知しました。
【帆村魯公】
風魔も本部に待機してくれ。
わしはもう一度――
(気象部の当直と話そう……)

昼、強く吹いていた北風はんでいた。
あと1時間ほどで
冬至の日を迎える時刻、
帝都は夜の闇の中に沈んでいた――

〔清水谷公園〕

夜が明けた――
1935年12月23日、冬至。
帝都は雲一つない冬晴れであった。
清水谷しみずだに公園には、多加美たかみ宮司、
そして廣秦ひろはた範奈はんなが集まっていた。九頭くずの手配した兵が規制線を張っていた。

【九頭幸則】
なぁに、ちょいと気をかせて、
隊から兵を調達したってわけだ。
梨央りおちゃんに聞いたら、
今日が予言だかが現れる日なんだろ?
俺も付き合うぜ、
ここまで来たんだからな!
【新山眞】
まだ確かなことは何も――
ただ試すだけのことはあるかと。
さぁ、参りましょう!

大久保利通碑の先に心字池しんじいけがある。
池の端に多加美宮司と廣秦範奈が立っていた。

【多加美宮司】
範奈はんなさんは先日、満洲から戻られ、
今日の日に備えておいでです。
【廣秦範奈】
父と、姉と、言葉を交わしました。
姉と私には
たくされたものがあると――
それが何かはわかりません。
【多加美宮司】
廣秦ひろはたさんの出自からすると、
やはり失われた支族に繋がること、
そうだと考えています。
【廣秦範奈】
姉と私とで為すことがあると――
父はそう姉に伝えたようです。
【多加美宮司】
お姉さんはこちらにおいでですか?
【廣秦範奈】
いえ――
ですが繋がると思います、
おそらく、きっと――
【新山眞】
ちょうど陽も差してきました。

そう言うと新山はおもむろに鏡を取り出し、明るい朝陽をその鏡面に受けた。鏡は眩しく輝いている。

【九頭幸則】
どうなってるんだ?
――何も映らない……
【多加美宮司】
水です、水面を照らすのです!
範奈さんは水辺でと仰っています。
【廣秦範奈】
――姉さま……

新山は鏡面で受けた朝陽で、公園の心字池の水面みなもを照らした。
わずかに水面が小波立っている――

【九頭幸則】
あっ!
池の水面が――

池の水面に光が集まり、やがて水面自体がまばゆく輝き始めた。
池から放たれた光は
周囲を包み込む――

【廣秦範奈】
――姉さま……
おいでになるのですね――
姉さまのこと、感じます――
もっと……そばに……
おいでください――

廣秦ひろはた範奈はんなは姉を迎えたかに見えた。
しかしすぐに光はついえてしまった。

【新山眞】
見てください!
池です、水面に何かが見えます!
【多加美宮司】
あれは……
何かの文字……
【九頭幸則】
なんて書いてあるんだ?

それこそが範奈はんなと姉にたくされた言葉、
まさしく託言たくげんであった――

【多加美宮司】
すえ有り、に在りて――
【九頭幸則】
何ですか、そのとは?
【新山眞】
それがメ、シ、アだとすれば――
メシアとは救世主のことです。
ですが池に現れた託言たくげんは、
場所を示しているようにも――

【多加美宮司】
範奈はんなさんはどこですか?
【九頭幸則】
あれ、今さっき、ここにいたのに!
【新山眞】
さっきのまばゆい光の中で、
消えたようにも見えましたが――
【九頭幸則】
公園の山手の方を探してくるよ!

【多加美宮司】
すえとは末裔のことですね、
それがすなわち救世主ということです。
私はそう読み解きますが。
【新山眞】
その救世主はどこにいるのでしょう?
待てば姿を見せるのでしょうか?
【多加美宮司】
あっ!
見てください、池の字が消えます!

池の水面に現れた文字は、見る見る薄くなり、小さな波紋はもんを残して、跡形もなく消えてしまった。

【新山眞】
託言たくげんらしきは確認できました。
ひとまず戻りましょう。

鏡ですが……
表面がくもってしまいました。
もう霊力が失われたのかも――

風魔ふうま新山眞にいやままこと多加美たかみ宮司とともに、山王さんのうホテルへと戻った。九頭くずは兵に指示を出して範奈はんなを探すという。

〔山王ホテルロビー〕

【喪神梨央】
兄さん!
隊長がお待ちかねです!
【帆村魯公】
柴崎しばさきがいみじくも言っておったな、
地震でセヒラがいたようなことを。
それで思い出したんだ、
仏蘭西フランスの地震学者シャルボー氏をな!

シャルボーは前回の乙亥きのといの年、1875年、明治8年に波動を観測。
しかしそれは地震のものではなかった。

【新山眞】
セヒラの波動を観測したのですね。
その後に大震災が起きています。
もしやセヒラが地震を招いたとか?
【帆村魯公】
わしもそれが気になって、
気象部の宿直しゅくちょくに聞いたんだ、
この六十年の地震記録を――
【新山眞】
それで、どうだったんですか?
セヒラの波動と地震の関係は?
【帆村魯公】
それが特にはなかった。
やはり柴崎しばさきが触れた関東大震災――
それが、何というか……
【新山眞】
特異点といった言葉があります。
波形では特異点で変調して、
別な波形に変わるのです。

【喪神梨央】
範奈はんなさんの言葉――
確かメシアに在りですよね?
【帆村魯公】
何か地震に因む言葉なら、
場所の特定ができたのだが――
【多加美宮司】
地震……
地震!
まさかとは思うのですが――
【帆村魯公】
どうされましたかな?
【多加美宮司】
はい……
語感が似ているのですが、
メヂアンというのがあります。
【新山眞】
メヂアン?
何ですか、それは?
【多加美宮司】
中央構造線です。
メヂアン線とも言いますが――
日本列島の中央を貫く巨大な断層で、
数多あまたの地震震源地でもあります。
【帆村魯公】
梨央りお、列島の地図だ!

梨央が作戦卓の上に地図を広げ、一堂は見入っている。

【多加美宮司】
メヂアン線は九州から四国、
紀伊きい半島を横断して中部へ、
茨城の鹿島かしまで終わっています。
この地図で見ると――

【新山眞】
この地図は……
わざわざメヂアン線を書き入れた?
そういう地図なんですか?
【喪神梨央】
いえ、ただ本部にあった地図です。
こんな線、ありませんでしたよ。
――おかしいですね……
【多加美宮司】
メヂアン線の上には、
今では多くのおやしろが建ちます。
断層が暴れないように抑えるのです。

諏訪すわ大社もその一つとされています。
千葉の香取神宮や茨城の香取神宮、
それら官幣かんぺい大社も
線上に建ちます――
中でも鹿島かしま神宮は、
構造線を要石かなめいしで封じているとされ、
いくら掘っても石の根は見えません。
【帆村魯公】
確か光圀みつくに公が掘るのを命じた、
でも断念したのですな。
【新山眞】
それにしても――
メシアがメヂアンなんですか?
メヂアンに在りというと――

キロにも及ぶ構造線のどこかに、支族しぞく末裔まつえいがいる、そういうことなのでしょうか。

【多加美宮司】
ああ、そうです!
長野にも構造線のほぼ上に建つ、
御蔭みかげ神社があると聞きます。

その時である――
多加美たかみ宮司の手にする地図に
光が走った。
まるでナイフでいたかのように――

【新山眞】
これは……
地図に霊異りょういが発現したのですか!
【帆村魯公】
メヂアン線と交差するこの線は――
一体、何ですかな?
【喪神梨央】
丹後半島です!
先日、お出になった京都、
このあたりではありませんか?
【多加美宮司】
そうです!
元伊勢、この神社の外宮、
真名井まない神社、まさにこの場所です!
【喪神梨央】
東の端は――
帝都ですよ、ちょうど……
日枝ひえ神社の辺りです。

山王機関本部にサイレンの音が鳴り響いた。

【帆村魯公】
何だ、今度は!
サイレンが鳴ってるぞ!
【喪神梨央】
すぐ調べます!!

〔山王ホテル前〕

サイレンが鳴ったのは、ホテルに執事型ホムンクルスが来たからだ。
梨央りおの要請で風魔はホテル前で対峙たいじした――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください!
――新型の波形が観測されます!

【執事型ホムンクルス】
異変!ウンファール異変!ウンファール
コウジン――
異変!ウンファール

【着信 喪神梨央】
セヒラの値が――
急になくなりました!
彼ら、戦うようではなさそうです。
【着信 帆村魯公】
連中は伝えに来たのだ!
虹人こうじんに異変と言っておるぞ!
三宅坂みやけざかへ向かってくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館、すぐ近くですが、
公務電車出します!

地図にしるされた二本のライン――
その交点に御蔭みかげ神社があると宮司が思い出す。
かつてそこに勤めていた
巫女みこがいた――
その名を白金江しろかねこうという――

【着信 喪神梨央】
兄さん!
白金江しろかねこうとは虹人こうじんさんの……
虹人さんのペンネームです!

〔アーネンエルベ〕
【聖護院丸】
先程、虹人さんがいきなり――
いきなり大声を上げて、
地下の講堂に駆け込んだのです。
講堂に行くと、
虹人さんの体から光が――
光がほとばしっていたのです!
【鳴滝丸】
あの光はクラウフマンこう――
ユリアさんが付き添っている。
クラウフマン光は、
カー体が崩壊するときに出る光だ。
――一体、何が起きたんだ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館近辺で、
異常な波形を観測しました!
セヒラの値は通常ですが、
注意してください!

〔アーネンエルベ講堂〕

そこにはたして虹人の姿があった。
虹人は苦しそうに腰を折り肩で息をしていた。何よりもその体、まるで桃色の光背を現すかのように光を放っている。
虹人を見守るようにして二人のユーゲントがいた。

【上賀茂丸】
さっきからずっとこうなんだ!
ユリアさんが原因を調べると――
この光は危ない光なんだ!
【化野丸】
喪神さん!
虹人さんはどうなるんでしょうか?
この二日ほど、
頭が痛い、割れそうだと――
喪神さん!!
それから……
多分ダンテの神曲だと思う、
憑かれたみたいにつぶやくんだ――

三つの咽喉のどある暴戻ぼうれい
巨怪チェルベロいぬのごと
奈落の民にゆるなり

【帆村虹人】
風魔!
――僕の中に何がいるんだ?
悪魔でも飼うのか――
僕は、僕は、僕は!!

風魔の目に虹人の見てきた光景が映し出された。

「はじめまして、咲世子さん。
 是枝大佐には――

「ところで、僕たちは似た者同士――

「僕の哀れな感情は、翼を痛め、
 飛ぶことができない――

「……実を言うと
 僕は貴紙の投稿者です。

「僕の中には冷まさなきゃいけない、
 そういうものがあるんだ――

「僕が参加するのは今夜で二回目だ。

「僕は今、混迷の中にいる!

「そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!

「踏み出す一歩は
 見えているのだが――

世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
そこへユリア・クラウフマンが姿を見せた。虹人を見るユリアの目は見開かれている。

【ユリア・クラウフマン】
コージンの中から、
何かが生まれようとしている――

カー体の臨界光にそっくり……
でもまったく別物のよ。
何かの終わりであることは確かね。
カー体の崩壊は二万年以上――
だから誰も臨界光は見られない。

コージンの光は……

虹人は相変わらず光を放ちながら腰を折っている。ユーゲントの姿はなかった。

【ユリア・クラウフマン】
見て、フーマ!
あれは……ヴェアーなの?

虹人の放つ光が凝集して人の形をなしつつある。それは少女の姿であった。まるで虹人そのものが光となって少女の姿を成すかのようである。
やがて虹人の体が透けながら消え、講堂には光の少女だけが輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
消えた……
――フーマ……
コージンが……消えた……

光の少女は一層激しく輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
まさにカー体が崩壊するときの光、
そのものです――
似た現象が起きているのですね。

何かが崩壊し、
何かが生まれようとしている――
カー体よりも何万倍もの強い力、
それを感じます――

そこへユーゲントが走り込んで来た。

【嵯峨野丸】
大変だ!
大使館の玄関に……

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
表よ! 行きましょう!

〔独逸大使館〕

独逸大使館前に一人の少女が立っていた。白いワンピースドレスを着ている。
少女は大使館の玄関を凝視していた。
そのとき、大使館の中庭から芽府須斗夫がやって来て、少女の脇に立った。

少女はゆっくりと
芽府須斗夫の方を向く。

【芽府須斗夫】
もうじき名前を思い出す……
きっとそうだよ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは……

芽府須斗夫を見てユリアは怪訝そうな表情を浮かべた。

【芽府須斗夫】
僕は名前を思い出した。
元の古い名前の方だ。
それも完全じゃないけど――
【ユリア・クラウフマン】
名前を忘れるとどうなるの?
【芽府須斗夫】
やって来られなくなるんだ。
途中で止まってしまうとか、
いろいろ言われているよ。

名前を失念した、
そういう人に会ったことがある、
ついこの間ね。

【ユリア・クラウフマン】
あなたはどんな名前なの?
【芽府須斗夫】
メフィ……スト……
【ユリア・クラウフマン】
メフィスト……
【芽府須斗夫】
フェレス!
メフィストフェレスさ!
これで全部思い出した。
【ユリア・クラウフマン】
メフィストフェレス――
ファウストの……悪魔……

――あなた、そうなの?
【芽府須斗夫】
僕は伝承の中にいた。
どのみち人が生み出したものだけど。

そしてここに来た――
呼ばれて来たはずだけど、
行き先の名前を忘れたんだ。

でも元の名前を思い出した。
名前は自分で思い出さないと、
駄目なんだよ、
教えてもらっちゃ駄目なんだ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたの話には興味がある――
ゆっくり聞かせてね。
【芽府須斗夫】
わかったよ――

それで、ここに来るのは、
どこの誰なんだい?
この子の元にも誰か来るんでしょ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!
今まで何も観測しなかったのに。

少女の周囲にセヒラが集まり、見る見る濃さを増していく。
やがて何も見えなくなってしまった。

〔時空の狭間〕

【芽府須斗夫】
聞いていいかい?
君は誰なの?
どこから来たの?

芽府須斗夫が少女に語りかけている。
少女は芽府須斗夫の方を見ないまま静かに答える。

【???】
シ、ロ、カ、ネ――
――コ、ウ――
【芽府須斗夫】
シロカネコウ――
それが君の名前だね?
元の名前なのかな?
【シロカネコウ】
モ、ト、ノ……
――ナマエ!
【芽府須斗夫】
そうだよ、
ここに来る前の名前なのかって、
そういう話さ。
【シロカネコウ】
マンナカノ、ナマエ!
――シロカネコウ!
【芽府須斗夫】
シロカネコウがいつの人か、
それは知らないけど、
君自身はもっと前の人なんだね?
【シロカネコウ】
――イャシャン……
――フルイ
――アルツ
【芽府須斗夫】
これは驚いた!
君は幾多いくたの思念の重なった存在、
そうなんだね?
長い時間の中を抜けて、
ここにたどり着いたんだね!
――今まではさっきの人の……

時空の狭間にセヒラを纏う虹人の姿が映し出された。

【帆村虹人】
風魔――
今の僕はまるで抜け殻だよ。
自分の内側がすっかり剥がれて、
僕は薄っぺらな皮一枚だ。
お前を思ったりする気持ちは、
どこから湧いてくるんだろうか?

僕の気持ちはお前の中につちかわれる、
きっとそういうことだよ――

そういうことだよ――

【帆村虹人】
僕を追い出して、何かが来る――
風魔、気を付けるんだ!
もうこれはじゃないから!

そう言うと、虹人の姿は消えた。
その時、芽府須斗夫が叫んだ。

【芽府須斗夫】
何か来るよ、
とても強いものが!

見ると少女はセヒラに包まれている。
それは、やがてひとつの形を成そうとするかのように蠢いていた。

《バトル》

少女の体は希薄になり、やがて消えた。
始終を見ていた芽府須斗夫はおもむろに口を開いた。

【芽府須斗夫】
遠い過去の思念が繋がった――
途中、色んな人の念を吸収して。

この世界に大きな影響を与える、
それだけは間違いないよ。
世界を変えるほどの力が、
ほうぼうに生まれそうだね。

僕も自分の理由が思い出せそうだ!

独逸ドイツ大使館の霊異りょういは去った。
光が消え、虹人も消えた。
遠い過去から繋がった思念――
それは自らを白金江しろかねこうと名乗った。
まるで虹人を依代よりしろとしていたかのように。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さんの行方、
幸則ゆきのりさんが指揮して探すそうです。
将兵二百余人を動員するとか――

白金江しろかねこうさん――
本当にいたんですね。
【新山眞】
多加美たかみ宮司の話では、
長野の御蔭みかげ神社には、
白金江しろかねこうという巫女さんがいたと――
ただし二十年ほど前のことで、
今では無人のやしろだそうです。

まさに交点に建つのです――
真名井まない神社と日枝ひえ神社を繋ぐ線、
これはマナセ一族にちなむ線、
マナセ線と呼んでいいでしょう。

中央構造線とマナセ線、
二つの線の交点に、
まさに御蔭みかげ神社はあった。

中央構造線にすえ在り――

託言たくげんは告げる。
諏訪すわから秋葉街道を南へ、
四十キロほど下った山中である。

【喪神梨央】
失われた十支族の末裔まつえい
それが白金江しろかねこうなんですね。
――でも今は思念のような存在……
【新山眞】
遠い過去から繋がった思念ですね。
途中、多くの人の思念が合わさり――
【喪神梨央】
皇女和宮かずのみやの思念の時みたいです。
でもあの時と違うのは……

虹人さんの中に宿やどっていたことです!
虹人さんが狙われるかも知れない――
兄さん!
【新山眞】
明後日、先帝祭が終わって、
日付が変わると……
愈々いよいよ日蝕にっしょくが起きます――
そのとき、新しい天地あめつちが――
ただ待つしかないのでしょうか?

【喪神梨央】
――隊長……
さっきから黙りこくって、
どうされたんですか?
【帆村魯公】
虹人じゃ――
奴はいつそんな霊異りょういを備えたのか?

――もしやあの時……

失われた猶太ユダヤ十支族の末裔まつえいは、
白金江しろかねこうという存在として
虹人に継がれた。

真名井まない神社の魔鏡は霊力を失い、伝えられた冬至の日は静かに過ぎていく。

予言の語る日まで三日も残っていなかった。