帝都探訪「赤坂」後編

JCCの書庫から出てきた古い写真と、現世の場所を比較してみました。
あまり変わっていないところも、ずいぶん違うところもあるようです。

思ったより量がありましたので、前編と後編に分けてみました。
後編では豊川稲荷、清水谷公園、李王邸、そして紀伊国坂のあたりの部分をまとめました。
比較すべき資料は見つからない所もありましたが、折角なので掲載させていただきますね。

豊川稲荷東京別院

日枝神社から徒歩一キロ弱、青山通り沿いに位置する場所に豊川稲荷の東京別院があります。
ここは神社ではなく寺院であるため、稲荷神ではなく荼枳尼天をお祀りしています。
……まあ、日本では荼枳尼天信仰は稲荷信仰と習合されていることがほとんどなので、勿論無関係とは言えませんが。

【猟奇好きのサラリーマン】
いやね、どうも様子のおかしな人がこの通りにいるんです──
我々、猟奇人をはるかに超すようなそういうおかしな人が。

(第七章 第十三話 蠢動) 

遠景を見ていただけば解ると思いますが、かなり大きな道路に面しています。しかし境内に入るとそんなことは忘れてしまうような雰囲気のある場所でした。
荼枳尼天は白狐に乗る天女の姿で現されることが多いからか、境内内の各所には狛犬ではなく霊狐が配されています。

ところで、豊川稲荷東京別院は、昭和三十九年の東京オリンピック開催にあたって青山通りの幅を広げる工事の際に境内を縮小することになり、結果、現在のような形になったのだそうです。
事変の世界の歴史がこちらと同じものであるとすると、山門あたりの風景が現在のものとよく似ているのは明らかにおかしいです。やはり、あちらの世界ではあちらの世界の歴史が刻まれていた、という事なのでしょうか……。

清水谷公園

赤坂見附から北上した所に清水谷公園は位置しています。かつてこの地が谷だったこと、また清水が湧き出ていたことから「清水谷」と呼ばれたようです。
夏前の頃に撮影した写真という事もあってか、随分と木々が生い茂って鬱蒼とした雰囲気となってしまっていますが、公園内で休む人も散見され、現世でも人々の憩いの場として機能していることが窺えました。

ここは清水谷公園。
如月鈴代が誰かに呼び出されたという。
平素は人影もまばらな静かな公園だ。

(黒札 第一話 東雲流再興への妄執) 

大久保利通がこの地付近で暗殺されたことから、この公園内には大久保利通哀悼の石碑が建てられてもいます。

李王邸

赤坂見附のすぐ側に位置する赤坂プリンスホテル旧館の一角に旧李王家邸が存在します。明治四十三年に日本の皇族となった朝鮮王朝の李王家の東京本邸として建てられたそうです。
昭和三十年からは赤坂プリンスホテルとして客室利用されていた時期もあったようですね。


明治四十三年、日韓併合によって、李王朝最後の王、純宗皇帝が廃位となり、
皇太子である李垠は日本へと渡った。
そして李垠二十九歳のとき王位を継承すると、
日本皇族梨本宮の長女万子様を妻に迎え、居を構えた。
それがここ李王邸である。

(第四章 第三話 李王邸の恨) 
紀伊国坂

赤坂見附から西へ弁慶堀に沿って赤坂離宮方面へ向かう坂が、紀伊国坂です。江戸時代には赤坂離宮の場所には紀州藩の上屋敷があったため、紀伊国坂と名付けられたそうです。小泉八雲の怪談「貉」の舞台としても知られています。

この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠があって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、――道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。小泉八雲「貉」 戸川明三 訳
赤坂見附から北へ、登り坂の電車通がある。
そこは紀伊国坂と呼ばれている。
暮れなずむ時刻、鬱蒼とした屋敷林の陰で、辺りはすでに夜の側にいるようであった。

(第一章 第四話 妖怪坂) 
帝都探訪、赤坂後編は以上となります!
帥士の皆様も、機会があればぜひ一度訪れてみてくださいね。