第二章 第一話 浜の松風

山王機関本部さんのうきかんほんぶ
帆村ほむら魯公ろこう
なんということだ!
全くけしからん!!

帝都も春爛漫らんまんツツジの花も
咲き誇る頃である。
山王さんのう機関本部――
帆村ほむら魯公ろこうの声が響く。
憤懣ふんまんかた無いといった様子である。

喪神もがみ梨央りお
た、隊長……
いったい、どうかされたんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
どうしたも、こうしたも……
やれやれ………
第三連隊の常田松柏つねだしょうはく大佐が、
参謀本部に上申したらしい――
あろうことか玄理げんり派の署名も記して。
喪神もがみ梨央りお
玄理げんり派として、上申したんですか?
――それで、何を?
帆村ほむら魯公ろこう
連隊将兵の教育を目的として、
極秘資料の開示を求めておるそうだ。
戦計画実施綱領という論文だ。
喪神もがみ梨央りお
その論文……
セヒラが発見された年に
書かれたものですね――
帆村ほむら魯公ろこう
帝大のつた博士がセヒラを同定して、
それを待っていたかのように
参謀本部に提出されたんだ――
その論文が元で、戦も見据え、
山王さんのう機関が設立された。
当面は怪人鎮定ちんていが任務だが――
論文は柄谷がらたに生慧蔵いえぞうという京大の学者がまとめたものだが……
はたしてが見えておるのか――

山王さんのう機関の職員が1通の電報を持ってきた。
風魔ふうま宛の電報である――

喪神もがみ梨央りお
兄さんに電報だそうです。
帆村ほむら魯公ろこう
風魔に?
どこからだ?
差出人は?
喪神もがみ梨央りお
それが、不明です、
――記されていないんです。
帆村ほむら魯公ろこう
ふむ、梨央りお……
読んで見ろ。

喪神もがみ梨央りお
えーっと……
ハマカゼニ ミヤノシラユリ
ユレテマツ――
これは俳句でしょうか?
【落ち着いた声】
浜風に 宮の白百合しらゆり 揺れて待つ
――いきな句だな!
帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじん
戻っていたのか!

帆村ほむら虹人こうじん
その風貌ふうぼうからは想像し難いが、
魯公ろこうの歳の離れた異母弟にあたる。
虹人こうじんもまた山王さんのう機関の帥士すいしである。
軍属ながら帥士すいしとしては
風魔の先輩格だ。
その符号は、金ノ七号帥士きんのしちごうすいしという。

帆村ほむら魯公ろこう
いつ京都から?
連絡くらい入れたらどうなんだ。

帆村ほむら虹人こうじん
京都午後一一時四五分発の夜行で、
東京に着いて、興亜こうあ百貨店に寄り、
今戻ったところです。
ところでその歌は、
何かのお誘いなのか?
喪神もがみ梨央りお
お誘い、ですか?
特務機関員にそんなことするのって、
誰なんでしょうか?
機関本部には参謀本部か、
第一連隊からしか連絡が来ません。
直接、電報が来るなんて――
帆村ほむら虹人こうじん
しかも……差出人不明だ。
これは公務発動でいいんじゃないか?
喪神もがみ梨央りお
えっ? この電報だけで公務?
そうなんですか?
帆村ほむら虹人こうじん
その俳句みたいなの、
いろいろ含みがあるよ。
それが問題なんだよ――
まず、浜風にというやつさ。
これは場所だね、海の近く――
浜の名のある場所じゃないか?
喪神もがみ梨央りお
浜の名前……
東京ですよね、横浜とかじゃなく。
――浜……どこでしょうか……
浜……
もしかして……浜松町はままつちょうでしょうか?
――あっ、浜離宮はまりきゅう
帆村ほむら虹人こうじん
そうか! でかしたぞ、梨央!
浜風は浜離宮はまりきゅうだ、宮の白百合しらゆりの宮、
まさに皇室、浜離宮はまりきゅうは皇室の管轄かんかつだ。
それじゃ、白百合しらゆりをどう読むか?
百合ゆりの季語は夏だしなぁ……
きっと別な意味があるはず――
白百合しらゆりが揺れて待つわけだから、
待つ人自身を現すのかもね。
――色白で百合ゆりのような人……
帆村ほむら魯公ろこう
それが電報の主という可能性もある。
けど、引っかけかも知れんから、
早合点はやがてんすんだな。
帆村ほむら虹人こうじん
白百合しらゆりから想像できるのは、
まぁ、普通は女だよ!
喪神もがみ梨央りお
え? 女の人?
誰か心当たりでもあるんですか?
――兄さん……
帆村ほむら虹人こうじん
どうした、梨央?
浮かない顔して……
喪神もがみ梨央りお
電報の主は女の人で、
浜離宮はまりきゅうで兄さんを待っている、
そういうことなんですね?
帆村ほむら虹人こうじん
多分、そういうことだろう。
揺れて待つというのは、
おそらく心情を現している――
喪神もがみ梨央りお
心情? 心の様子ですか?
そんなことまで織り込んで、
機関本部に電報を寄越すんですか?
帆村ほむら虹人こうじん
なぜかはわからんさ――
これ以上、詮索せんさくは無理だろう。
いっそ、誘いに乗ればどうだい?
帆村ほむら魯公ろこう
しかし、何かの罠やも知れん。
帆村ほむら虹人こうじん
それなら尚更なおさらですよ、兄上。
平気です、少し離れた場所から、
風魔の様子を監視していればいい。
喪神もがみ梨央りお
でも、あそこは皇室の離宮です。
用もなく立ち入ることは……
帆村ほむら虹人こうじん
今日は参謀本部が各界の要人を
案内するということみたいだ。
参謀長の橘宮慶和たちばなのみやよしかず親王がね。
帆村ほむら魯公ろこう
なるほど!
なら、なおさらだ、浜離宮はまりきゅうだ。
電報の主は招待客かも知れんな。
帆村ほむら虹人こうじん
僕もとある人から、さそいを受けて
いたんだが、ここの公務があるから
断ろうと思っていたのさ。
京都の報告書が後回しでいいなら、
僕が先に行って手はずを
整えておこう。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ、仕方がない、
しっかり頼むぞ、虹人こうじん
喪神もがみ梨央りお
兄さん、浜離宮はまりきゅう京橋きょうばしの、
海軍医学校にある四探よんたんで観測します。

浜離宮入口はまりきゅういりぐち

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
今のところセヒラはありません。
もしこれがわなで、
異変を感知したら、すぐ知らせます。

【着信 帆村ほむら虹人こうじん
そのまま奥へ進むといい。
お前のことがちゃんと
監視できる場所にいる。問題ない。

【高輪の婦人】
今日、陸軍参謀がお招きですってね。
先ほど英国イギリス領事をお見かけしました。
普段静かな離宮も、
今日に限ってはにぎやかなこと。
ここだけは帝都の騒動とも、
無縁のご様子ですね。
【着信 喪神もがみ梨央りお
兄さん、
来賓らいひんとはあまり話さないほうが……
疑われて騒ぎになると面倒です。

仏蘭西フランス大使館三等書記】
この庭園は、我が国の庭園とは、
また異なったおもむきがあります。
池を囲む景観が美しいですね。
【美しい碧い瞳の女性】
日本人は自然を取り入れるのが、
とても上手なのです。

……あなたは……
――フーマ……
仏蘭西フランス大使館三等書記】
おや、お知り合いですか。
【美しい碧い瞳の女性】
ええ、がお招きしました。
私はこれで……
失礼します。
【着信 帆村ほむら虹人こうじん
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
そのまま計画を進行してくれ。

【美しい碧い瞳の女性】
――またおい出来ましたね。
謎かけのような電報、
申し訳ありませんでした。
あまり自由にならないものですから。
改めて自己紹介します――
私はユリア・クラウフマン、
アーネンエルベの研究者です。
【ユリア・クラウフマン】
せっかくです、この美しい庭園、
少し、歩きませんか?

【ユリア・クラウフマン】
私は錬金術師アルケミストとして、
ホムンクルスの研究、
続けてきました。
研究は一定の成果を収めました。
魂を持たないホムンクルスは、
それゆえに最強の兵士になるのです。
アーネンエルベは、
優生アーリア人の根拠を探る、
それを目的に設立されました。
この国のセフィラを自在に操り、
を手に入れることができれば、
神霊しんれいの世界をも支配できる――
そうした考えが支配的です。
私の研究も日本に来て進展しました。
ただ……
アーネンエルベの召喚師、
クルト・ヘーゲンの野心には、
底知れぬものがあるようです――
彼はこの国の人々を憎んでいる――
いや、世界中を憎んでいるのです。
その憎しみ、途方も無く深い……

アーネンエルベのホムンクルスです。
今、こっちへ来ます――
我らがお嬢さんフロイラインです。
この娘はフーマと戦うように、
刷り込みアプドロックがされています。
戦いを終えると揮発きはつします。

【不思議な少女】
モガミフーマ……標的……確認……
戦闘ヲ始メル!

《バトル》

【着信 帆村ほむら虹人こうじん
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラに乱れがあるが、怪人なのか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
何だ、新手か?
金ノ七号帥士きんのしちごうすいし、加勢できるか?
【着信 帆村ほむら虹人こうじん
いや、ちょっと手遅れです、
間に合いません!!

【不思議な少女】
戦イ……終了スル……
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスには善悪がありません。
り込まれた通りに行動するのみ。
――どうか、失礼をお許し下さい。
フーマの戦い方、技を極める流儀。
憎しみや恨み、何ひとつ感じず、
またうかがえもしませんでした――
やはり私の思った通りです。
――ぜひ、これをお持ちください。
私の研究ノートです。
研究、いま道半みちなかばですが、
ホムンクルスの研究です、
お互いに発見があるはずです――
おそらく日本でも似た研究は、
すでにされているはず。
私の研究、まだ終りが見えません。
フーマ、日本と一緒に研究すれば、
相互にメリットが有るでしょう。
なかなか、素敵なこと――
そうではありませんか?
ただ、これがクルトに知れると、
やっかいです。
慎重に慎重を重ねるよう心がけます。
また、お会いできるでしょう。
今日は、ありがとうございました――
フーマ……

山王機関本部さんのうきかんほんぶ
喪神もがみ梨央りお
お帰りなさい、兄さ……
あっ!
銀河ぎんがゼットー】
やつらがホムンクルスの生成に
成功したというのが本当なら
これは大変なことになるぞ!!
連中に渡せる情報……
解読の済んだ偽典ぎてんの内容は
な~んにも問題がないっ!!
帆村ほむら魯公ろこう
帝都満洲ていとまんしゅうのことも、小出しにして、
渡してやれば良い。
連中から引き出せるもの、まだある。
銀河ぎんがゼットー】
このノートの解析こそが、
火急のよう、大火急のようである!!
帆村ほむら虹人こうじん
やれやれ、研究者というのは、
眼の色が変わった時は凄まじいな。
それにしても、アーネンエルベか……
なかなかに面白い。

第二章 第二話 露西亜正教会の秘本

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

うららかな日和ひよりが続く帝都であるが、
相変わらず怪人騒動は頻発ひんぱつしていた。
鬼龍きりゅうの部隊も怪人鎮定ちんていに乗り出した。
怪人と戦を繰り広げることにより、
得られる情報は実に多い。
玄理げんり派はそれが狙いなのだろう――
そんな折、ある筋から魯公ろこうの元に、
耳寄りな情報が寄せられた――

帆村ほむら魯公ろこう
いつもとは趣向を変えてだな、
神田駿河台かんだするがだいはどうだ、風魔ふうま
なかなかいい街だぞ。

ひとたび公務とあらば、目的を強く
意識する魯公ろこうであったが、
今日はどことなく鷹揚おうように構えていた。

喪神もがみ梨央
隊長、駿河台するがだいに何があるんですか?
――あの辺だと、聖橋ひじりばし湯島聖堂ゆしませいどう
それに……ニコライ堂です。
帆村ほむら魯公ろこう
ニコライ堂、正式には、
東京復活大聖堂教会だ。
日本に正教会せいきょうかいの教えを伝えた、
聖ニコライの名を冠する聖堂だ。
日本正教会の本拠だな。
喪神もがみ梨央
露西亜ロシア正教会の
日本支部じゃないんですね。
帆村ほむら魯公ろこう
正教会はキリスト教の宗派だが、
国ごとに正教会を置く決まりなんだ。
だから日本には日本正教会。
露西亜ロシア正教会、希臘ギリシャ正教会等と並び、
日本正教会はそれで日本にある、
言わば本山みたいなものなんだよ。
喪神もがみ梨央
そのニコライ堂が、
どうかしたんですか?
――まさか、怪人が出た?
帆村ほむら魯公ろこう
梨央りおもなかなかに攻めるな。
ニコライ堂に機密の書があると、
そういう情報が寄せられたのだ。
第一連隊の刑部おさかべ大佐からの情報だが、
大元は……もしかすると参謀か、
あるいは、もっと別なところだ。
えてしてこうした情報は、
漏洩ろうえいしやすい。
風魔、ニコライ堂に向かってくれ。
機密の書は機密ミスティリオンという秘儀に
用いられると言うぞ。
神の恩寵おんちょうを授かる秘儀だ……
それに用いるという書だ、
ゴエティアだとしてもおかしくない。
喪神もがみ梨央
でも、神様なんでしょ?
ゴエティアは悪魔です、
悪魔を召喚する書ですよ。
帆村ほむら魯公ろこう
ゴエティアの悪魔も、元は神々。
時の為政者いせいしゃが悪魔として定義して、
はじめて悪魔は生まれる――
もおそらくは、
かが作っているのだ……
風魔ふうま、ニコライ堂だ。
機密ミスティリオンの書を預かり、鑑定に出す。
――話は付いているはずだ。
借り受けたら例によって、
帝大の先生に見てもらおう。
喪神もがみ梨央
公務電車の経路ですが、
神田橋かんだばしから神保町じんぼうちょう
春日町かすがちょうに抜ける、
市電三十五番の路線を使います。

聖橋ひじりばし

江戸時代に掘られ、深い谷を成す駿河台するがだい外堀。
そこを渡る本郷通ほんごうどおりには、ニコライ堂と湯島聖堂ゆしませいどうを繋ぐように架かる橋がある。
ふたつの聖堂を結ぶため聖橋ひじりばしと名付けられたこの橋を渡った風魔ふうまは、ニコライ堂の司祭から機密ミスティリオンの書を預かることとなった。
そして今また聖橋ひじりばしに戻った風魔ふうまは、東京帝大ていだいつた博士の元へと急いでいた。

比類舎ひるいしゃの社員】
フフフ……
君たちがぎまわっても無駄だ。
計略は深層地下アンダーグラウンドで進行するのだ。

【サラリーマン風の男】
そこにいる将校、目付きが変です。
何か謀略ぼうりゃくでもたくらんでいるのでは、
ないですか?

一五市にのまえごいち
このたび、副長に任命された。
歩三ほさん、第九九小隊だ。
――喪神もがみ風魔ふうま
隊命で貴様を迎え撃つのではない!
独断で戦闘をす、そう、
擅権せんけんの大罪も覚悟の上だ!!
貴様が借り受けた機密の書、
我々も興味があってな。
いち早く書を解読し、
部隊の強化にこれ努める。
副長として、当然の判断だ。
貴様も同意だろう、喪神もがみ中尉!
貴様に打ち勝つべく、
演習を繰り返した!
さぁ、整えろ!

《バトル》

一五市にのまえごいち
――まだ演習が足りないようだ。
いや、東雲しののめ流と独逸ドイツ召喚術、
この二つの調和が足りないのだ。
フフフフフ――
貴様と向き合うと得るものが多い。
いずれその書にある
我々も掌中しょうちゅうに収めるだろう。

帝大ていだいキャンパス〕

帝大キャンパス内は、
一種、異様な空気に包まれていた。
学生達も普段とは様子が違う――

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、帝大キャンパス付近、
セヒラやや高し。
気をつけてください。

少女は、あのユリアが
フロイラインと呼んだ
ホムンクルスだ。
風魔ふうまをじっと見据みすえている。

【不思議な少女】
気ニシナイ……フーマ……
ワタシ、支援者。

【落ち着かない様子の男】
秋毫ノ異しゅうごうのいという雑誌名は、
さすがインテリゲンチャですね。
秋に抜けるけものの毛と言う意味です。
秋は少ししか毛が抜けないので、
ほんのわずかなということで――
ささやかな異論、でしょうか?

【文科生H】
あなたも秋毫ノ異しゅうごうのいを買いに?
我々、赤門あかもん出版会はこの雑誌に
けているのですよ。
二十年前に惜しくも亡くなった、
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の革命思想、
それを今によみがえらせるのです。
――それとも……
まさか、お前は……
内偵ないていでは……

【工科生S】
我々の赤門あかもん出版会は、
大学の認可など、取っちゃいない……
我々はなかかわずではない!
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の思想は、
今の時代にこそ光明こうみょうたり得るのだ。
時代が、社会が、認可するのだ!

【法科生T】
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生が無政府主義者アナーキスト
なったのは、巣鴨すがも監獄に収監しゅうかんされていたときのことだ。三十年前だな。
先生は、一冊の本、露西亜ロシアの革命家、
クロポトキンの相互扶助そうごふじょ論を読んで、
大いに感銘かんめいを受けたのだ。
先生が明治天皇暗殺を企図きとして、
大逆罪に問われたのは衆知しゅうちのこと。
――その裏に葛木かつらぎ素朴そぼく先生がいる。
素朴そぼく先生も、同時期、巣鴨すがもにいた。
文民社ぶんみんしゃ活動で騒乱そうらん罪に問われたのだ。
――集会開いただけで騒乱そうらん罪だ!!

【法科生T】
秋水しゅうすい先生にクロポトキンの本を
読むように薦めたのは素朴そぼく先生だよ。
これを知る者は少ない……
素朴そぼく先生は述懐じゅっかいされていた――
ある日、一人の紳士の面会を受けた。
三つ揃えの背広を着た立派な紳士だ。
紳士が素朴そぼく先生に差し出したのが、
クロポトキンの本だったのだ。
先生は文民社ぶんみんしゃ活動の中心課題として
相互依存そうごいぞんの共産主義を唱えていた。
クロポトキンの本は刺激的だった、
これは想像にかたくないね。
我々は葛木かつらぎ素朴そぼく先生の革命思想を、
今に受け継ぎ、さらに洗練させ、
不穏ふおんの世に広めるつもりだ。
だが、どうやら邪魔が入ったようだ。
わかっていたぞ。お前、内偵ないていだろ!
特高か? ならば、どこの署だ?
フフフフ――
我々は言論だけではない、
論を支える力を備えたのだ!!

《バトル》

蔦博士研究室つたはかせけんきゅうしつ

ノックをしても返事がないので扉を
開けるとそこには以前と同じように
書物にもれたつた博士の姿があった。

つた博士】
おお、君か……
君は、確か、帆村ほむらのところの……
そうだ、喪神もがみ風魔ふうま君だ!
ゴエティアの偽典ぎてんの解読書、
それを受け取りに来たのだな。
わかっておる、わかっておる。
ほら、これじゃ。
受け取り給え。

博士は、ひもじられた冊子を
風魔に手渡した。

つた博士】
ゴエティアは実に興味深い!
原本はまだ研究したいのじゃ。
帆村にそう伝えてくれ。
さてさて、聞いておるぞ。
次のゴエティア偽典ぎてん
あるのじゃろう?

蔦博士は風魔から受け取った
機密 ミスティリオンの書をためつすがめつした――

つた博士】
おお……なるほど……
――確かに……
これは……実に面白い!!
だが、これは違うな。
ゴエティアではない。
稀覯本きこうぼんであることは間違いないのだが。
……内容も、なかなかのものじゃな!
これも少し研究させてくれ。
ところで、喪神君、
何故ゴエティアは分冊なのか、
考えたことはあるかね?
勿論もちろん、一冊にまとまれば、
一時いちどきに全てのを召喚できる――
それは大変危険だ……
しかし――
それだけではないように思うぞ。
前にも話したが、偽典は本来の
ゴエティアの書とは異なっておる。
の手で編纂へんさんされたものだ――
悪魔に兵器をそなえさせ、
異能者であればそれを指揮できる――
とは実にたくみな存在じゃ。
そのを少しずつ小出しにさせる。
まるで交響曲の譜面のように、
ある旋律がかもされているようじゃ。
一体、タクトを振るのは、誰なのか?
おおきな計略の中では、
喪神君、君らもわしも、
皆、将棋の駒だよ。
さて、駒は駒らしく、
さらなる研究にいそしむとするか。
のう、喪神君――
せいぜい捨て駒にならぬよう、
気を配る必要はあるがな。
また、書があれば教えてくれ。
帆村にくれぐれもよろしく――

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
ニコライ堂の本、ゴエティアでは、
なかったようだな――
つた博士の鑑定を待とう。
それで、帝大で革命家気取りが
動き始めたそうだな。
――これもセヒラの影響なのか……
強い思いが怪人化しやすい――
それぞれの立場で発現があるな。
帝大方面、観測を強化だ。
喪神もがみ梨央りお
承知しました、隊長!
六探の値、見逃さないようにします。

第二章 第三話 是枝大佐

山王さんのうホテルまえ

この日、魯公ろこう虹人こうじん風魔ふうまは、独逸ドイツから帰国した要人を出迎えていた。

帆村ほむら虹人こうじん
是枝これえだ大佐殿、独逸ドイツの動静、
いかがですか?
ナチ党の一党独裁ということですが。
僕も例の赤い本、余の闘争マインカンプ
読みはしましたが……
是枝これえだ大佐】
よもや虹人こうじん君、
ヒットラーかぶれではあるまいの?
帆村ほむら虹人こうじん
勘弁かんべんして下さい。ヒトラーは、
独逸ドイツ人でさえ、とっつきにくい、
認めたくない人物とのことです。
そんな人物だからこそです、
独逸ドイツ人は彼を支持するのです。
えぐい渋いも味のうち――
ベルサイユ条約で身動き取れない、
そんな独逸ドイツの現状を嘆き、
猶太ユダヤ人の排斥はいせきを叫ぶことで、
大衆層の支持を取り付ける――
あおればあおるほど、大衆は熱狂する、
その波は抑えられないでしょう。
是枝これえだ大佐】
伯林ベルリンいま汲々きゅうきゅうとしておる。
それに驚くべき物価高だ。
一頃ひところなど、給料が日に三度も
支給される始末だ。
朝昼晩でパンの値段が変わるのだ――
去年、ヒットラーは独逸ドイツ国家の
全権を掌握しょうあくし、総統の地位にいた。
もう誰も刃向はむかえない――
日本こちらはどうかの?
帆村ほむら魯公ろこう
血盟団けつめいだん事件、続く五・一五事件で、
社会に不穏な振動が広がりつつあり、
予断を許さない状況です。
街は一見すると震災復興を遂げ、
近代生活モダンライフ謳歌おうかしているようですが、
何かの拍子ひょうしに音のなくなる時が……
是枝これえだ大佐】
ほう……
一皮けばやみがあるとでも?
何か、暗示的であるな。
欧州では独逸ドイツの出方次第では、
また戦争になるやも知れん。
帆村ほむら魯公ろこう
我がくにとて対岸の火事では、
済みますまい。
満州国まんしゅうこく建国なるも、支那シナの方では、
抗日運動が高まりを見せ、また列強は支那シナほしいままにしています。
是枝これえだ大佐】
支那シナで戦争が起きると、
我が国の戦力が分散される。
その前に――
帆村ほむら虹人こうじん
支那シナとの戦争、起きそうなんですか?
是枝これえだ大佐】
支那シナで戦争が起きると、
露西亜ロシア人が黙ってはいまい。
支那シナを舞台に日ソの戦争になる――
ソビエトの脅威は、独逸ドイツとて同じ。
独逸ドイツとの間に何らかの協定なりを
結ぶ必要がありそうだな。
ところで、帝都の騒動は、
どんな状況かね?
帆村ほむら魯公ろこう
このところ、怪人の出現が、
にわかに活発化しておりまして――
山王さんのう機関も人手不足におちいるかと、
そのことは参謀本部にも具申ぐしんし、
方策を検討いただいております――
大佐、紹介します、喪神もがみ風魔ふうまです。
風魔よ、大佐は外交郵袋ゆうたいで、
魔導書を何冊も送ってくださった。
是枝これえだ大佐】
おお、君が喪神君かね。
独逸ドイツ駐在武官の是枝これえだじゃよ。
噂は耳にしておるよ。
帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじんは風魔と共に大佐をお送りし、
その後に帝大へまわってくれ。
帆村ほむら虹人こうじん
承知しました!
是枝これえだ大佐】
面倒かけて済まないのう。
本はもう着いているはずだ。
わしゃ、書には門外漢もんがいかんじゃ。
君ら、しっかり頼まれてくれんか。
帆村ほむら虹人こうじん
お任せください、大佐殿。

品川駅前しながわえきまえ

是枝これえだ大佐】
ところで湯川ゆかわ博士の中間子論、
発表になったが、日本ではどうじゃ?
帆村ほむら虹人こうじん
陽子や中性子を繋ぐのが中間子です。
その存在、湯川ゆかわ博士によって、
始めてつまびらかになりました。
参謀本部では、中間子の理論から、
新兵器の開発を期待する声も――
そんなこと、可能なのでしょうか?
是枝これえだ大佐】
うむ、ナチの連中も、
湯川ゆかわ論文を分析して研究しよるが……
歳をとると新しいことにうとくなるわ。
そうじゃ、どこかその辺で、
新聞でも買ってきてくれんかのう。
六年も独逸ドイツにおったで、
日本の今をよう知らん。
まるで今浦島だわ――

帆村ほむら虹人こうじん
駐独武官というからには、
ナチの幹部とも付合いがあるだろう。
大佐を監視対象に加えよう――
僕は是枝これえだ大佐の様子を見る、
風魔ふうま、新聞を頼む。

【本郷の止宿人】
この間、銀座ぎんざ幻燈会げんとうえが開かれたって。
寮生が楽しみにしていたよ――
あいつ、活動キネマとか好きだったから。
でも幻燈会げんとうえの夜から、あいつ、
寮に戻らないんだ。
どこ行ったんだい、一体?

【生真面目な巡査】
そこにまっている車はお前のか?
さっさとどかせ。
あ、失礼、
皇軍の御用でありましたか。

【謎の女給】
…………
ヨイ、オテンキ、デスネ……
…………
ハナシ、モウ、アリマセン……

【小石川の客】
せばいいのに博打ばくちにはまって、
身上しんしょう崩しかねないよ!
――自分の人生、何なんだ!

【新聞の売り子】
新聞だよー
今日は号外じゃないけど、
怪人の話も載ってるよ!
何でも銀座ぎんざ幻燈会げんとうえっていう、
幻燈げんとうを映す会に行って怪人化する、
そんな話だったよ。

それは興亜日報こうあにっぽう帝都版であった――

【新聞の売り子】
幻燈会げんとうえに行って、何を見るんだろ?
――おいら、とっても気になるよ!

【小石川の客】
銀座幻燈会げんとうえに出かけて、
自分がわかった気がする――
ムクムクと力がいてくるんだ!!
帆村ほむら虹人こうじん
こいつ、怪人なんだな!
風魔ふうま、お前をとらえているぞ、
すぐに鎮定ちんていしてくれ!!

《バトル》

【小石川の客】
やっと自分が見えたのに……
もう、見えなくなった――
残念だ……
帆村ほむら虹人こうじん
是枝これえだ大佐、お待たせしました。
是枝これえだ大佐】
おお、すまんな。
では家に向かってくれ。
大崎広小路おおさきひろこうじだ、わかるな。

是枝宅前これえだたくまえ

【是枝の娘】
あら、お父様、お早かったのですね。
もしや、第二伯林ベルリン丸ですか?
是枝これえだ大佐】
ああそうだ、一便早い船が取れた。
荷物はどうだ、届いておるか?
【是枝の娘】
昨日、届きましたわ。
飯倉いいくら逓信ていしん省の人が直々に――
郵袋ゆうたい五つでよろしいですか?
荷物はウラジミールさんが、
お父様の書斎に上げました。
是枝これえだ大佐】
よろしい。
さっそく大学の先生が
お目通しなさる。

【是枝の娘】
――お父様、
そちらのお二方も独逸ドイツから?
是枝これえだ大佐】
帆村ほむらの弟、虹人こうじん君と、
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉だ。
是枝これえだ咲世子さよこ
是枝これえだの娘の咲世子さよこでございます。
お見知りおきを。
帆村ほむら虹人こうじん
はじめまして、咲世子さよこさん。
是枝これえだ大佐には
お世話になっております。
是枝これえだ咲世子さよこ
あら? 虹人こうじんさんとは
以前お会いしたことがありましてよ。
お忘れかしら?
帆村ほむら虹人こうじん
これは失敬しっけい
人の顔をあまりおぼえぬたちなのです。
【謎の外国人】
咲世子さよこさん、お客さんですか?
帆村ほむら虹人こうじん
ほう、外国の方ですな!
【謎の外国人】
ある日本人はロシア人と呼び、
また別の日本人は
ソビエット人と呼びます。
是枝これえだ大佐】
彼はウラジミール・グロトフ、
白系露西亜ロシア人でな、赤系に追われた
亡命貴族。うちで十年預かっておる。
帆村ほむら虹人こうじん
亡命貴族……ですか。
【ウラジミール・グロトフ】
大佐、正しくは十四年です。
お世話になって、今年で十四年です。
今では哈爾浜ハルピン商学院で、
講師をつとめるなどしています。
日本では、ここが実家代わりです。
帆村ほむら虹人こうじん
お見知り置きを、グロトフさん。
――風魔ふうま、本の方、頼むぞ。
見繕みつくろって帝大の先生に依頼するんだ。

品川駅前しながわえきまえ

【ホムンクルス】
…………
【着信 喪神もがみ梨央りお
反応増大!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、気をつけてください!

【ホムンクルス】
……ソノ本ヲ、オ渡シクダサイ。
…………
……貴方ノ行動、
我々ノ計略ニソムキマス
独日関係ニ亀裂キレツヲモタラシマス

《バトル》

【ホムンクルス】
我々ハアキラメナイ!

《バトル》

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、こちら本部。
反応消失しました!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
預かった本を帝大のつた博士の元へ。
博士の鑑定が必要なんだ。
帝大方面、セヒラは見られないぞ。

蔦博士研究室つたはかせけんきゅうしつ

風魔ふうまはすでに通い慣れたとも言える本郷の帝大キャンパスを訪れ、西亜細亜アジア研究室の扉を叩いた。

つた博士】
おおっ、君は……そう、
喪神もがみ君ではないか!
また何か面白そうな書を
持って来たようじゃな?
どれどれ……
ふ~む。
いずれも大した稀覯本きこうぼんじゃが、求めて
いたゴエティアではないようじゃ。
奥付おくづけに日本語で書き込みがある――
これは長らく日本にあった本じゃ。
他にはないのかね?
帆村ほむら虹人こうじん
風魔、古書は僕が持参したよ、
悪かったな、お前をおとりみたいにして。
品川しながわにいたのはホムンクルスだった、
こちらの動きを捕捉していたんだ。
帝大にるいが及ぶのを防げた――
博士、こちらが是枝これえだ大佐が
独逸ドイツより持ち帰った古書です。

そう言って帆村ほむら虹人こうじんは、おもむろに1冊の古書をつた博士に渡した。

つた博士】
おお! これは……
これこそ求めるゴエティアであろう。
帆村ほむら虹人こうじん
ナチの肝煎きもいり、アーネンエルベも、
ゴエティアの偽典ぎてん探しに血眼ちまなこです。
風魔、帝大の警備も必要だな。
学内に妙な動きもあるからな。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
お帰りなさい! 兄さん、
虹人こうじんさん。
帆村ほむら虹人こうじん
つた博士にゴエティアらしき古書、
無事届けられましたよ。
帆村ほむら魯公ろこう
博士の鑑定が楽しみだ。
帆村ほむら虹人こうじん
帝大の警備が必要かと。
アーネンエルベもあるし、
帝大内の動きも気になります。
帆村ほむら魯公ろこう
それは早めに手を打つべきだろう。
ユリア女史じょしと話は付けられそうか?
帆村ほむら虹人こうじん
一筋縄ひとすじなわではいかないでしょうね。
独逸ドイツから帰国された是枝これえだ大佐も、
ホムンクルスに監視されていました。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ、アーネンエルベは、
なかなかの調査力のようだな。
帆村ほむら虹人こうじん
戦闘力もなかなかです。
我々にとり、面白みのある相手です。
喪神もがみ梨央りお
実は……とは違う
微弱なセヒラの増加を、
このところよく検出するんです。
かなりの数のホムンクルスが、
この帝都に入り込んでいるのかも……
帆村ほむら魯公ろこう
連中の目的、ゴエティアだけか、
他にも何かあるのか――
探りを入れる必要がありそうだ。
帆村ほむら虹人こうじん
兄上、そういった役目は
風魔ふうまのほうが、
僕よりもずっと適任ですよ。
喪神もがみ梨央りお
そんなことを言って、
体良く兄さんにアーネンエルベを
押し付けようとしてません?
帆村ほむら虹人こうじん
ハッハッハ、それもアリかな?
でも、ユリア・クラウフマンは
風魔にご執心のようだし……
それに僕としては、
風魔にはそれ相応の期待に
応えてもらいたいのさ。
それに、帝都のあちらこちらで、
いたずらに怪人になりたがるやからも現れ、
山王さんのう機関の出番、益々ますます増えそうだ。
博士の警護、僕が受け持ちますよ。
――では、失礼します。
喪神もがみ梨央りお
虹人こうじんさんって少し、
兄には容赦ない気がします……
帆村ほむら魯公ろこう
まあ、そう言うな梨央りお
――あやつも
風魔に一目置いているからこそ、
あのような態度に出てしまうのだよ。

第二章 第四話 妖怪大戦

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん、知ってます?
最近、猟奇グラフという雑誌、
すごく流行ってるんです。
西洋の猟奇事件を取り上げたり、
心中事件を掘り下げたり、
怪人のことも載ってます。
この雑誌読んで、怪人に憧れる人、
出てきたりしないか心配です。

そこへ足取りも軽く、九頭くず幸則ゆきのりが姿を現した。

九頭くず幸則ゆきのり
よう、風魔ふうま、久しぶりだな。
喪神もがみ梨央りお
ああ、もう!
びっくりした!
――幸則さんだったのね!
九頭くず幸則ゆきのり
だったのねはないよなぁ~
喪神もがみ梨央りお
もしかして、おひまなんですか?
それとも地上じゃおひとりで
お寂しいんですの?
九頭くず幸則ゆきのり
どうしたんだい、今日は。
剣突けんつくらわすようなこと言って……
喪神もがみ梨央りお
そんなつもりじゃ――
今、猟奇グラフの話、
してたんです!
九頭くず幸則ゆきのり
そこへ俺が来たもんだから、
縮み上がったってわけ?
喪神もがみ梨央りお
そんなんじゃないです!
九頭くず幸則ゆきのり
何も気まぐれで来たわけじゃない。
帆村ほむら先生に呼ばれたんだよ。
帆村ほむら魯公ろこう
ただいま――今戻ったぞ。
おお、ユキ坊も到着したか。
これはちょうどよかった。
九頭くず幸則ゆきのり
帆村先生、だから
ユキ坊は勘弁してくださいよ。
帆村ほむら魯公ろこう
まあ、いいじゃないか。
昔から家族同然の付き合いだ。
それより来て貰ったのは他でもない。
中野なかの新井薬師あらいやくし様の辺りで
妖怪が出たという噂がある。
猟奇グラフという雑誌だ、
それに載っていた記事だよ。
九頭中尉に風魔に同行願おうと思う。
喪神もがみ梨央りお
ええ、猟奇グラフですか?
今、その話をしていたのです。
それで、怪異の場所は中野なかのですか?
帆村ほむら魯公ろこう
戸山とやま二探にたんだ。
だが中野なかのまでは探信たんしんできん、
そう言いたいのだろ?
喪神もがみ梨央りお
はい。設置型の探信儀たんしんぎとはいえ、
通常の探信たんしん範囲は五キロ……
中野なかのまでは探信たんしんできません。
帆村ほむら魯公ろこう
承知の上だよ、梨央りお
実は二探の出力を上げたのだ。
飯倉いいくら技研に頼み込んでな!
今なら中野なかの辺りも探信たんしんできる。
――ただいつ止まるやも知れん。
事情は飲み込めたかな、ユキ坊。
九頭くず幸則ゆきのり
――なるほど。
私は風魔の護衛兼通信兵ですか。
まぁ、お安い御用です。
喪神もがみ梨央りお
お二人は公務電車で省線新宿しょうせんしんじゅく駅まで。
新宿に鉄道連隊の演習列車を
回しますので乗り換えてください。

新井薬師あらいやくし

新井薬師あらいやくしは、省線中野しょうせんなかの駅から北へ20分ほどのどかな風景をながめながら歩いたところにある。
新たに井戸を掘り当てたことによりこの地は新井あらいと名付けられた。

九頭くず幸則ゆきのり
もう日没も間近というのに
けっこうにぎわってるなあ。
こんな郊外こうがいでたいしたもんだ。
なんか小腹が空かないか?
でも、団子くらいしかなさそうだな。
駅前で売ってたシベリア
買っときゃあよかったぜ。
な、風魔ふうま
【着信 喪神もがみ梨央りお
物見遊山ものみゆさんじゃないのです。
任務を終えてからにしてください。
セヒラ反応を感知しました。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
警戒して進んでください。
九頭くず幸則ゆきのり
おお梨央りおちゃん!
ちゃんと探信たんしんできているみたいだね。
【着信 喪神もがみ梨央りお
呑気のんきなことを言う場合ではないです。
セヒラ反応があるということは
近くに怪人がいるということです!

【農家の娘】
薬師やくしさんのお水は
眼病にも効くんでね。
じいちゃんが目に出来もんこさえたんでこれで洗ってやるのよ。

【僧侶】
こちらは真言宗豊山ぶざん派、
寺号は新井山、
梅照院薬王寺ばいしょういんやくおうじと申します。
開祖かいそ空海くうかい上人手づから
彫り上げたという伝説の秘仏ひぶつ
薬師如来やくしにょらい如意輪にょいりん観音像がご本尊。
徳川二代将軍秀忠ひでただが娘の眼病を
祈願に応え快癒かいゆせしえにしにより、
目の薬師やくし様とあがめられているのです。

【和服婦人】
薬師やくしさんのお水でご飯も炊くし、
御味御付おみおつけも作るし、お茶も頂くの。
だからいつまでも肌が若いねって。
オホホホホホ……

【母親】
お化けだの、妖怪だの、まあくん、
もう見えるなんて言わせませんよ!
薬師如来やくしにょらいさまにお願いするのよ!
【まあくん】
お化けなんかじゃないよ、
悪魔が見えるんだ!
うそじゃないよ、ホントだって!
九頭くず幸則ゆきのり
あの子、様子が変だぞ、
悪魔がどうしたって――
【着信 喪神もがみ梨央りお
不安定なセヒラ反応を確認!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、要警戒です!

【母親】
薬師如来やくしにょらいさまの竜水は、
とっても効くのよ、まあくん!
【まあくん】
ひぃひぃひぃ~
嫌だよう、竜水なんか、嫌だ!!
【母親】
聞き分けなさい、まあくん!
さぁ、早く、お水を頂くのよ。
その目をきれいにするの!!
【まあくん】
うぎうぎうぎ~
九頭くず幸則ゆきのり
おい、見ろよ、風魔ふうま
あいつ、怪人なんじゃないのか?
【母親】
さぁ、飲むのよ!
そしてその目も洗うのよ!
ぐずぐずしないで、まあくん!!
【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラ反応、
急激に強くなっています!

【母親】
あら、いい子ねぇ~
それで、気分はどうなの?
ちょっとは良くなったかしら?
【まあくん】
わかんないけど……
なんか、すっきりしたよ――
【母親】
そう、良かったわねぇ~まあくん!
だったらもうお化けだの何だのって、
金輪際こんりんざい、騒がないで頂戴ちょうだいね!

九頭くず幸則ゆきのり
おおお!
怪人かと思ったけど、
そうはならなかった!
【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラ反応、低下しました。
でも、まだ反応があります。
安全な状態ではありません。
九頭くず幸則ゆきのり
不思議な場面に出食わしたな……
あいつ、怪人になると思ったけど――
これも竜水のおかげなのか?
新山眞にいやままこと
もしや、セヒラを抑える気も、
めぐっているのでしょうか?
九頭くず幸則ゆきのり
あなたは……
新山眞にいやままこと
陸軍飯倉いいくら技研の新山にいやまです。
セヒラ探信儀たんしんぎの開発で、
陸軍にはお世話になっています。
新山眞にいやままこと
山王さんのう機関の依頼で戸山とやま二探にたん
出力を上げたわけですが……
様子はどんなものですか?
九頭くず幸則ゆきのり
しっかり探信たんしんできています。
――セヒラ反応があるようです。
新山眞にいやままこと
セヒラと言うのはすなわち悪ではない、
私はそう考えています。
セヒラ技術、さらに開発すれば、
良い方向に向けることも可能です。
九頭くず幸則ゆきのり
セヒラって悪い気の流れですよ、
それをどうやって良い方向に、
持っていくのですか?
新山眞にいやままこと
セヒラは人の悪意を増長します。
その原理から、悪意を除去する、
そういうこともできるでしょう。
錯乱さくらん憂鬱ゆううつ症など神経の病も、
セヒラを利用して治療できる、
そんな時代が来るでしょう。
九頭くず幸則ゆきのり
なるほど――
目には目をの理屈ですね。
新山眞にいやままこと
私も携行けいこうセヒラ探信儀たんしんぎを持ちます。
この辺りをちょっと調べて見ますよ。
九頭くず幸則ゆきのり
セヒラの反応、あると言います。
警戒するに越したことはないですよ。

【檀家の男】
帝都じゃ怪人だ何だって、
やかましいね!
でもここでは問題ない!
薬師やくし様のおかげで、ここには、
清い霊気が流れておる!
ただ……
哲学堂てつがくどうのほうに噂があるけれどね。

哲学堂てつがくどうおか

日本を代表する哲学者井上円了いのうええんりょうによって建立された哲学堂てつがくどうこと四聖堂しせいどう
そこには、哲学の四大聖人、ソクラテス、釈迦シャカ孔子コウシ、カントがまつられている。
辺りはとっぷりと日も暮れてきた。
門の左右からは2体の立像りゅうぞう、幽霊像と天狗像がこちらをにらむ。
苑内えんないには挙動のおかしな者が大勢いた。
ある者は大きな身振りを繰り返し、ある者は体を折って何かをつぶやいていた――

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
哲学堂界隈かいわいでセヒラ増大しています。
様子を確認してください。
九頭くず幸則ゆきのり
様子と言ってもね……
これは変としか言いようがないな。
ここの連中、
どうしちまったんだ、一体?
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くに複数の怪人を確認!
落ち着いて鎮定ちんていにあたってください。

【怪しい動きの男】
投げてやる、投げてやる、
くー、投げてやるんだ!!
車を投げる、俺もできたぞ!
昨日も投げた、今日も投げた、
毎日だ!! 毎日新鮮!!
九頭くず幸則ゆきのり
そもそも哲学堂てつがくどう自体が
あやかしの気をほしいままにする場所だからなぁ~
セヒラによって、
怪しさ炸裂さくれつだよな!

【怪しい動きの男】
ちゅばー!
どっかーん!
うへへ、爆発だ!
俺の力は百万馬力ひゃくまんばりき!!

《バトル》

【怪しい動きの男】
はぁ~
眠い眠い……
また街を彷徨さまようのか、俺は!
九頭くず幸則ゆきのり
怪人には車投げるのが、
流行はやっているのか?

【犬き】
ウー……
ワン! ワンワンワン!
九頭くず幸則ゆきのり
何だよ、こいつは……
もしや、犬きなのか?

【犬き】
忠犬ハチ公をしのぶ人たちの思念が、
私を目覚めさせたのです――
どこに行こうかと考えていたら、
この人が見えました。
この人には隙間すきまがありますね!

《バトル》

【犬き】
隙間すきまが……閉じようとしています……
また、別な人を……探します。
ちなみに私は名無しです――

【中野の客】
誘われて、銀座幻燈会げんとうえに行きました。
誘ってくれた靖子やすこちゃん、
以来、行方不明なんです。
私も、幻燈会げんとうえの帰り、
省線有楽町しょうせんゆうらくちょうの駅がわからなくなり、
見当識けんとうしきを無くしました――
気付いたら三原橋みはらばしの電停に……
それで家に帰れました。
靖子やすこちゃん、どうしたのでしょうか。

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
どうだ、風魔ふうま
この人は怪人じゃないようだ。
幻燈会げんとうえっていうのも怪しいな!

【猫き】
ニャァ~
猫じゃ、猫じゃ~
……
アンタ、久しぶりだニャ!
オイラだよ、猫の徳次郎とくじろうだニャ。

【猫き】
この人にもおっきな隙間すきま、あるニャ!
またアンタにふさがれるのかニャ!

《バトル》

【猫き】
あんじょうだニャ!
隙間すきまが……閉じる、閉じる……
また別の人を探すニャよ。

内田百間うちだひゃっけん
豊島とよしま与志雄よしおと言う作家に、
都会の幽気ゆうきなる短編がある――
ここはまさに幽気ゆうき満ちているなぁ~
九頭くず幸則ゆきのり
えーっと……
どなたですか?
――見たことあるような……
内田百間うちだひゃっけん
私は内田百間うちだひゃっけんといいます。
そちらの方には、以前、若松町わかまつちょうで。
――しかし、ここはすごいですね!
九頭くず幸則ゆきのり
何だ、風魔ふうまと知り合いですか。
それで、なんで、ここ哲学堂が、
怪しいことになっているのですか?
内田百間うちだひゃっけん
まさか、ここがこんなにも、
瘴気しょうきの強い場所だとは、
想像だにせなんだのです――
いやはや、私としたことが……
こんな事態を招くとは!
九頭くず幸則ゆきのり
何かしたんですか?
――そうなんですね!
内田百間うちだひゃっけん
ちょっとした出来心でした。
合羽坂かっぱざか陋屋ろうおくに暮らす、
しがない文筆屋ぶんぴつやの出来心です――
九頭くず幸則ゆきのり
ということは、
百間ひゃっけん先生、あなたが元凶ですか?
内田百間うちだひゃっけん
私ね、猟奇グラフという雑誌に、
帝都の妖怪たんを寄稿したのです。
面白おかしく、興味を引くようにね。
九頭くず幸則ゆきのり
さっき本部で話題になってた、
あの雑誌か!
内田百間うちだひゃっけん
するとどうだ!
井上円了いのうええんりょう先生のこの園に、
げんあらわれた!!
九頭くず幸則ゆきのり
ああ、まぁ、そうだな……
妖気というかあやかしかれた、
そんな連中だったな。
内田百間うちだひゃっけん
だが、妖怪は妖怪、
一片でも妖しさがあれば妖怪です。
私は妖怪どもに言って、
ここを去らせます。
さぁ、け、元の場所に帰れ~
け~ 帰れ~

九頭くず幸則ゆきのり
……
ん? 去ったのか?
内田百間うちだひゃっけん
どうも、そのようです。
【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラの値、急速に低下しました。
内田百間うちだひゃっけん
私はここに残り、
この人達に気付きを与える。
――いやぁ、お騒がせしました。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
またもや、内田百間うちだひゃっけん
なかなか隅に置けない文士だわ!
九頭くず幸則ゆきのり
妖怪騒動の張本人、
結局は怪人化をそそのかしただけ――
そうではないですか?
喪神もがみ梨央りお
記事を読んだ人が興味本位に、
哲学堂に集まり、そこで怪人化した、
そういうことですね?
九頭くず幸則ゆきのり
憎しみや怒りだけじゃない。
ちょっとした好奇心や、
心のりよう次第しだいで怪人化する――
喪神もがみ梨央りお
場所が哲学堂というのも、
意味があるように思います。
あそこ、普通じゃないです――
帆村ほむら魯公ろこう
そうだな。哲学堂は特別な場所。
元々、多くの思念の残留があるはず。
それらも勘定に入れないとな。
喪神もがみ梨央りお
それより幸則ゆきのりさん、
シベリア、私の分、ありますよね?
九頭くず幸則ゆきのり
あ、しまった……
喪神もがみ梨央りお
ずるい、自分たちだけ買い食いして!
帆村ほむら魯公ろこう
いやいや、
今日は遅くまでみなご苦労だった。
これから赤坂あかさかで晩飯をおごろう。
喪神もがみ梨央りお
やったー
じゃあ、私は……
天婦羅てんぷら! すき焼き!
九頭くず幸則ゆきのり
さっすが、先生!!
士官食堂の蘭亭らんていの仕出し弁当に、
いい加減飽きたところです!

第二章 第五話 呼び寄せる者

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
このところ、人生よろづ相談という
相談所に出かけたまま姿をくらます、
そういう市民が増えているみたいだ。
相談所、市内に四カ所あるようだが、
一体誰が主催しておるのか、
皆目かいもくわからん。
ここは成り行きを観察するしかない。
風魔ふうまよ、巡視パトロールの時には、噂話にも留意してくれよ。
喪神もがみ梨央りお
失礼致します。
セルパン堂の周防すおう彩女あやめさんが
ロビーにいらっしゃっています。
上でお会いになりますか?
鈴代すずよさんもご一緒です。
なんでも、セルパン堂からここまで、
彩女さんを護ってらしたとか。
帆村ほむら魯公ろこう
護る? そりゃ大事だ!
またぞろ怪人を招いたか?
――例の女店員だな、周防すおう彩女あやめとは。
わしも会ってみたかったところだ。
おそらく式部しきべ氏の使いだろう。
通してあげなさい。
喪神もがみ梨央りお
承知しました!

帆村ほむら魯公ろこう
ようこそだ、周防さん。
周防すおう彩女あやめ
まあ、ここが秘密基地ですの!!
彩女はワクワクしてしまいますわ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、皆さん。
帆村ほむら魯公ろこう
鈴代女史じょしも……
周防さんとご同行とのこと、
何やらありましたかな?
如月きさらぎ鈴代すずよ
先日、彩女さんが怪人に
しつこく付きまとわれ難儀なんぎしたのです。
帆村ほむら魯公ろこう
ふむ、そうらしいの。
それで、今日のところは?
周防すおう彩女あやめ
今日も怪しい人、二人ほど……
彩女はやはり怪人に好かれやすい、
そうなんですわ、きっと!
如月きさらぎ鈴代すずよ
特に瘴気しょうきのようなものは
感じませんでしたが……
様子のおかしな人たちでしたわ。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……貴女の怪人の引き寄せ、
まことに興味深いですな。
一体、何がそうさせるのか――
それで、そこまでして
おいでになったには、
わけがおありでしょう。
周防すおう彩女あやめ
はい、式部店長の
お使いで参りました!
とてもとても大事なお使いで!
店長は彩女を信頼してくださって
こんな重要な使命を
お命じになったのですわ!
帆村ほむら魯公ろこう
う、うむ。それはご苦労だったね。
喪神もがみ梨央りお
それで、式部さんからの
要件というのは?
帆村ほむら魯公ろこう
おお、そうだった。
それで式部氏は何と?
周防すおう彩女あやめ
はい、これをお渡しするようにと……
彩女は手にしていたマニラ封筒から、
新聞の切り抜きを取り出した。
帆村ほむら魯公ろこう
ほうほう、
興亜日報こうあにっぽうの特報記事ですな――
――女怪人、戸山とやまに現る――
なるほど……怪しい光を放ち――
――撃てども撃てども倒せずと……
何でまた、あんなところに……
怪人に弾は効かんしな。
周防すおう彩女あやめ
強いんですね怪人って。
ちょっと素敵。
帆村ほむら魯公ろこう
女怪人というのもよくわからんが、
騒ぎが大きくなる前に手を打たねば。
それで……この記事はいつのだ?
――ほう、四日前か。
一週間ぶりとあるから、次を待つか。
せっかく妙齢みょうれいのご婦人方がお見えだ。
当本部を案内して進ぜよう。
風魔、頼んだぞ。

山王機関さんのうきかん課〕

銀河ぎんがゼットー】
なんてこった喪神もがみ風魔ふうま
ボクの研究室にこんな生きのいい
被験体を提供してくれるなんて!
周防すおう彩女あやめ
あ、彩女あやめは被験体では
ありませんことよ!
如月きさらぎ鈴代すずよ
お仕事中すみません。
少し見学させていただいて
おりますの。
銀河ぎんがゼットー】
ハハハ、ノリが悪いじゃないかっ!
ボクだって冗談ぐらいは言うんだぜ。
しかし、帆村ほむらさんはこんな機密を
一般人にいいのかね?
如月きさらぎ鈴代すずよ
帆村先生が、案内をと――
風魔さんに。
帆村先生は、
私が東雲しののめ流宗家当主だからと、
お気遣いくださったのかと……
銀河ぎんがゼットー】
何だって?
では貴方が東雲しののめ流の宗家当主、
如月きさらぎ鈴代すずよさんというわけか!!
よしきた、準備はいいな、勿論もちろんだ!
にまつわるあらゆる事象、
つまびらかにして見せようではないか!!
如月きさらぎ鈴代すずよ
あの……じゃあ、お願いします。
周防すおう彩女あやめ
彩女、楽しみです。
銀河ぎんがゼットーはいつにも増して
絶好調で、施設の説明を始めた……
銀河ぎんがゼットー】
このボク、銀河ゼットーが
全身全霊をけて研究するのは
異世界のエネルギーであ~る。
アラヤ界から湧出ゆうしゅつするセヒラは、
誰彼だれかれと無くその思念を実体化さす!
ただし実体と言っても、実存はせず、
ある特定条件下においてのみ
存在が許されている。
その一つがであり、は、
審神者さにわ、召喚師、怪人によって、
ようやく、その実態が掌握しょうあくされ、
まるで飼い馴らした家畜のように、
容易に扱えるようになる。
そして! もう一つ、実体化するのは

銀河ゼットーの解説に、意外と鈴代も彩女も、神妙しんみょうな顔をして聞いている。
…………………そして
長いゼットーの話が終わった。

銀河ぎんがゼットー】
以上、はなはだ簡単ではあるが
当研究所の研究の紹介である。
如月きさらぎ鈴代すずよ
東雲しののめ流とはまた違い、
とても興味深いお話でしたわ。
銀河ぎんがゼットー】
そう、まさに現代の帰神きしん法なのだよ!
帆村ほむら魯公ろこう
さてさて、ゼットー博士、
研究所の案内は済んだかな?
如月きさらぎ鈴代すずよ
帆村先生――
ありがとうございました。
とても有意義な時間でしたわ。
周防すおう彩女あやめ
彩女も、とても楽しめましたわ。
帆村ほむら魯公ろこう
それは良かった。
しかしここで見聞きしたことは
他言無用たごんむようですぞ。
周防すおう彩女あやめ
当然ですわ!
もし彩女が話しても、
信じる人なんていませんわ――
如月きさらぎ鈴代すずよ
そうかしら?
彩女さんの話、結構、面白くってよ。
帆村ほむら魯公ろこう
さて風魔、戸山とやま鎮定ちんていまで間がある。
ちょっと試してみたいことがある。
周防すおうさん、少々お願いがあるのだが、
ちょっと実験に付き合っては
くださらんか?
周防すおう彩女あやめ
こんなに良くして頂いたのです。
何なりとおっしゃってください。
帆村ほむら魯公ろこう
それは助かります。
いやなに、少し赤坂あかさかをぶらぶらして
もらえればいいのです。
周防すおう彩女あやめ
はい、そんなことでよろしければ。
だけど……どうして?
如月きさらぎ鈴代すずよ
……もしかして怪人に
狙われる体質を?
帆村ほむら魯公ろこう
おとりにするようで気が引けるが
風魔が付いている。
そこは安心してくれ給え。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さん、よろしいんですか?
周防すおう彩女あやめ
構いませんわ!
それにちょっとドキドキもします!

日枝神社前ひえじんじゃまえ

【着信 喪神もがみ梨央りお
早速です、怪人の反応があります。
日枝ひえ神社です、警戒してください。
周防すおう彩女あやめ
いやだわ……あの人。
さっきからじっと彩女あやめ
見てる気が……
如月きさらぎ鈴代すずよ
確かにこちらを見てますわね。
でも、怪しむべきものなのかどうか、
まだよく判りませんわ……

【見つめる男】
あっ、失礼しました。
いや、死んだ姉に生き写しなもので。
つい見とれてしまいました。
――緑の洋服の方ですよ。
貴女は、本当に……
いやぁ、驚きです。
改めて拝見するに、
やはり別人とは思えません。

周防すおう彩女あやめ
怪人じゃなかったのですね。
なんだ、つまらないですわ。
でも、彩女あやめは罪な女なのですね。
困ってしまいますわ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さん、私はホッとしましたよ。
周防すおう彩女あやめ
鈴代すずよさん、ほら!
あすこのおじさん、見てますわ!
きっとそうですわ!
あの芸者さんも!
それからそこの男の人も!
如月きさらぎ鈴代すずよ
まぁ、本当だったら大変よ!

【見つめる青年】
冬美ふゆみさん……
ではないですか?
――ご一緒の方……
大井町おおいまち八高女はちこうじょ冬美ふゆみさん。
はい、尋常じんじょうの時の同級です。
僕は今でも手紙の返事を待つんです。

【見つめるおじさん】
こんなところにいましたか!
――あははははは!
やっと見つけた! 今日は旗日はたびだ!

【見つめるおじさん】
小石川こいしかわ駒子こまこさん!
そんななりしても無駄ですよ!
貴女だとすっかりわかっています。
私ね、市中いずり回り探しました。
浅草あさくさ銀座ぎんざ新宿しんじゅく勿論もちろんのこと、
目黒めぐろ本所ほんじょくまなく探しました。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラ確認しました。
怪人の恐れがあります。

【見つめるおじさん】
さぁ、私の家へ参りましょう!
貴女に特段のことして差し上げます。
きっと貴女も喜ぶはずです!!

《バトル》

周防すおう彩女あやめ
今の人は……
――怪人だったのですね!
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ、怪人でしたわ。
周防すおう彩女あやめ
すごいです!
喪神もがみさん、怪人をまたたく間に倒した!
彩女あやめ、何だか誇らしいです!

【見つめる青年】
僕は思うんです、冬美ふゆみさん、
貴女は返事を出したんです。
でも郵便夫が横着おうちゃくして届かなかった。
だから僕、郵便夫をりました。
手紙、来ないのは至極しごく当然なのです。
冬美ふゆみさんからじかに……お願いします!

周防すおう彩女あやめ
どうですの?
やはり怪人でした?
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ……
何というか……
――むしろ警察を呼んだほうが……
周防すおう彩女あやめ
まぁ、大変!
でも怪人じゃないのですね。

【悩ましげな芸者】
まめてるねえさん、私の事、
陰で悪く言うようになって……
私、恩をあだで返す性悪しょうわるだなんて、
そんな風にお客さんにも伝わり――
ですから、私、相談所に行きました。
人生よろづ相談です――
新宿しんじゅくまで足を伸ばしたんです。
今、帰りました。私、性悪しょうわるですか?

《バトル》

【正気づいた芸者】
私、何かしましたか?
――ここで約束があったような……
あら、日取りを間違えましたか。
今日はお座敷がかかっています。
もう用意しないと――
もしや、今日のお客さんですか?
違いますよね、今日のお座敷は、
みすじ通のきんでしたわ。

周防すおう彩女あやめ
怪人でしたね、見ましたわ!
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ……
相談所の帰りだとか。
周防すおう彩女あやめ
悩みが深いと、
怪人になるのでしょうか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま、もういいぞ。
いろいろわかったからな!
お二人をお送りしてくれ。
周防すおうさん、今日は有難ありがとう。
今度ホテルのランチをおごりましょう。
周防すおう彩女あやめ
まあ、それは嬉しいですわ。
楽しみにしております。

第二章 第六話 ナマナリ

〔セルパンどう

四谷よつやにあるお馴染み古書店セルパン堂だ。
3人が店の中に入っていくと、店主である式部丞しきべじょうが出迎えた。

周防すおう彩女あやめ
店長、彩女あやめはただいま戻りました。
式部丞しきべじょう
お帰り、彩女君。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、式部しきべさん。
式部丞しきべじょう
あれ、お二人揃って……
一体どうしたんですか?
周防すおう彩女あやめ
店長! やはりですわ!
彩女は怪人を引き寄せる、
そんな性質たちなのでした!
式部丞しきべじょう
ほう!
――まるで誘蛾灯ゆうがとうのようだな……
周防すおう彩女あやめ
何ですの、そのユウガトウとは?
式部丞しきべじょう
いや、何でもないよ――
それで、鈴代すずよさんもご一緒で?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ。
彩女さんにいざなわれたかのように、
怪人が現れました。
周防すおう彩女あやめ
彩女は……
彩女は、罪深い女でしょうか?
式部丞しきべじょう
罪か……
ふふふ……快楽は罪、罪は快楽。
バイロンの名言だが、君に罪はない。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さんが怪人に襲われやすくなる、
そんな危険はないのでしょうか?
――ちょっと心配です。
周防すおう彩女あやめ
彩女、何だか不安になってきました。
わくわくと不安が一緒になって
――もう、よくわかりません!
式部丞しきべじょう
彩女君、あまり深く考えないことだ。
――自分を追い詰めてしまうぞ。
周防すおう彩女あやめ
ありがとうございます、店長。
彩女、怪人さんに気をつけながら
生きていきます!
式部丞しきべじょう
あはは、その意気、その意気。
喪神もがみさん、山王さんのう機関の公務に
彩女君の役立つ時が来るかもですね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
けれど――
彩女さんを危険な目に
わせたくはありませんわ。
式部丞しきべじょう
無論です。
――無論、無論。
怪人を引き寄せるという
彩女君のその特異体質。
探信儀たんしんぎの科学に向き合う霊異りょういですよ。
周防すおう彩女あやめ
めてくださるのですか!!
式部丞しきべじょう
ああ……
――もちろんですよ。
そして、実に興味深い事象です。
いやはや……まことに……
如月きさらぎ鈴代すずよ
式部さん、彩女さんのこと、
見守ってあげてくださいね。
不安におちいらないように――
式部丞しきべじょう
彩女君の中に、比重の大きな、
何かがひそんでいるのでしょうか……
しっかりと見守らないとですね。
周防すおう彩女あやめ
喪神さん、今日は本当に
ありがとうございました。
またいろいろ教えて下さいね。

神田川かんだがわ面影橋おもかげばし

塩町しおまちを出た公務電車は四谷見附よつやみつけ飯田橋いいだばしから、早稲田わせだに向かった。
その先、王子おうじ電気でんき軌道きどうには乗り入れず、500メートルほど徒歩で移動となった。

【着信 喪神もがみ梨央りお
戸山とやまの二探に強い反応です。
面影橋おもかげばし方面、様子はどうですか?

【くたびれた女】
義父は高女の元漢語教師です。
昔から人格者としてしたわれています。
今、十五の娘、志津しづを下女に迎え――

【くたびれた女】
白山はくさん隠棲いんせい牡丹ぼたんを栽培する毎日。
その義父が……まさか……
私、誰も信じられなくなりました!!

《バトル》

【くたびれた女】
……行水する志津しづの背中に、
あでやかな牡丹ぼたん刺青いれずみがありました……
義父は志津しづを、ほしいままに――

優男やさおとこ
ねえさん、いい加減にご機嫌直しなよ。
せっかくの別嬪べっぴんさんが台無しだよ。
姐御肌あねごはだの女】
あんただって見たろ?
定吉さだきちの奴、あんな小娘に熱上げて……
何年、大番頭やってるんだい!!

姐御肌あねごはだの女】
あたしゃね、はなから反対だったんだ。
あの小娘、うちに置くのはね。
日本橋にほんばしのほうからきっての頼みでさ。
――いっつも視線絡ませてるんだよ、
朝っぱらからね、気色悪くって!
ああ、思い出すだけで苛々いらいらするわ!!

《バトル》

姐御肌あねごはだの女】
どうにも気持ちが収まらなくてね、
神田かんだの人生よろづ相談所に行ったさ。
そしたら神田川かんだがわを散歩したくなって。
優男やさおとこ
ねえさんが散歩だなんていうから、
どういう風の吹き回しかと……
姐御肌あねごはだの女】
あら、とめちゃん……ゴメンよ!
すっかり付き合わせちゃったね。
とんだ道草だったね――
優男やさおとこ
もういいのかい、ねえさん……
蕎麦そばでも食って帰るとするか。

【怯えた学生】
はあ……はあ……
ダメだ、もう走れない……
如月きさらぎ鈴代すずよ
どうかなさいましたか?
【怯えた学生】
ああ……済みません……
信じてもらえないかもですが……
如月きさらぎ鈴代すずよ
どうぞ、おっしゃって。
【怯えた学生】
川岸にいた女の人――
何か普通じゃないんです。
どう言えばいいか……
周りから空気を吸い取るというか、
なんかいろんなものを――
見ているだけで、自分も……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん……
その人、きっと……
川岸ですね、確かめに行きます!
【怯えた学生】
いや!
止したほうがいい、
あの人、普通じゃないんです!
如月きさらぎ鈴代すずよ
わかっています、
だからこそ、確かめるのですわ。

神田川かんだがわ川岸かわぎし

古くより染物そめものが盛んな土地で、昼間には、染色した布を神田川かんだがわにさらす風景が見られる場所だが――
その美しい風景は太陽の下でこそ。
夕暮れ時には、もう色を失った川水はただつぶやくように流れるだけだ。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし神田川かんだがわ付近
セヒラ濃度急上昇……!
厳重に警戒してください!

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、きっとあの人ですわ。
神田かんだ川の川岸に、一人の女性がいた。
川面かわもながめている風でもなく、
むしろ、心、ここにらずといった様子だ。

【思い詰めた女】
家は弟が勉強中だからと、
うのはいつも私の借りた、
麻布三河台町あざぶみかわだいまちの下宿でした――
会社の近くが便が良いということで、
その下宿に決めたんです。
佐竹さたけ泰西タイセイ交易の社員です。
佐竹さたけは下宿に三十八回来ました。
うち泊まりが三十回です――
閨房けいぼうで身をゆだねる私は、
ぼんやり将来を考えていました。
――当然じゃありません?
それなのに――
如月きさらぎ鈴代すずよ
お別れしたんですか?
【思い詰めた女】
佐竹さたけには妻子があったんです!
奥さん、病気がちなんです。
それで……私を……
如月きさらぎ鈴代すずよ
まぁ……
さぞ悔しかったでしょう。
それで、もうお付き合いは……
したんですか?
貴女はまだお若いし、
いくらでもやり直しが効きます。
ここにいるのは新しい貴女ですわ。
【思い詰めた女】
私、佐竹さたけのこと信じきっていて、
私たち二人はまるで同体のように
思えるほどでした。
先週、葡萄酒ワインで眠る佐竹さたけの胸に、
小刀で私の名をったのです――
そのことで佐竹さたけはひどく怒り、
れっきとした家族のいることも、
その時、佐竹さたけの口から聞かされ――
私、どうしていいかわからず、
以来、あの下宿には帰っていません。
こうして市中彷徨さまよい歩き……
でも、もうお仕舞しまいなんです!!

《バトル》

【思い詰めた女】
誰に相談することもできず……
新宿しんじゅく銀座ぎんざ神田かんだの宿に泊まり、
――今、ここに……
如月きさらぎ鈴代すずよ
貴女にできることは、忘れること。
綺麗さっぱり忘れてしまいなさい。
それが何よりの解法よ。
【思い詰めた女】
私たち……同体なんです……
――今でもそうなんです……
如月きさらぎ鈴代すずよ
うふふ……あなたの名は相手の胸に、
烙印らくいんとして一生残るのよ。
いい意趣いしゅ返し、出来たじゃない。
相手を置いてけ堀にして、
貴女はさっさと生まれ変われる。
三河台みかわだいの下宿、引き払うことです。
【思い詰めた女】
下宿……ああ……
そうですね……
あそこがなくなると、随分と――
随分と、気分が楽になりそうです。
ありがとうございます――
さっそく周旋しゅうせん屋を訪ねてみます。
如月きさらぎ鈴代すずよ
一人で大丈夫かしら?
【思い詰めた女】
はい……
おかげ様で気持ちが充実し、
またいろいろ始められそうです。
【着信 喪神もがみ梨央りお
神田川かんだがわ付近、セヒラ低下しました!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし鈴代すずよさん、
ご苦労様です。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

神田川かんだがわでの怪人騒動、帆村ほむら魯公ろこうは、何やら興味深げであった。

帆村ほむら魯公ろこう
あれはただの怪人ではないな。
鈴代すずよさんしか向き合えなかった、
そう思われるぞ。
おそらく、神田川かんだがわの女、
ナマナリであったようだ。
喪神もがみ梨央りお
ナマナリ……ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
生成りとは魔性が十分ではなく、
般若はんにゃになりきっていない女のことだ。
――般若とは知っておるな?
喪神もがみ梨央りお
鬼、ですよね?
能面があります。
帆村ほむら魯公ろこう
鬼は鬼だが、嫉妬しっとに狂った女が
鬼に変じた姿なんだよ。
その鬼に至らないから――
喪神もがみ梨央りお
生成り、なんですね。
じゃ、鈴代さんは――
帆村ほむら魯公ろこう
女の魔性をしずめ、
般若と化すのを防いだんじゃな。
しかしなぁ……
やや奇妙な女であったのも事実だ。
そういうことも影響したのだろう。
帝都のセヒラ、ある意味万能だな。
あらゆる心の様態ようたいすくい上げよる――
喪神もがみ梨央りお
何か、変な夢見そうです――
兄さん、一緒に帰りましょう。

第二章 第七話 増上寺の秘本

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
宮武みやたけ國風こくふうという明治の好事家こうずかがいる。
蟲粉むしこの研究でつとに有名だな。
先日、國風こくふうの残した手紙を読んだ。
鍛冶橋かじばしの古本屋で見つけたんだよ。
増上寺ぞうじょうじ稀覯本きこうぼんについての一篇だ。
喪神もがみ梨央りお
増上寺ぞうじょうじですか?
しばにある……
そこに珍しい本があるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
國風こくふうこだわった蟲粉むしこは、
の原材料とも考えられておる。
まだ、解明、道半ばであるがな――
なるほど。國風こくふうが興味を持った本、
それが増上寺ぞうじょうじにあると言うのですね。
國風こくふうはカルマノヴィチ写本に、
後半生を捧げた――
蟲粉むしこの命名も國風こくふうの仕事だな。
喪神もがみ梨央りお
その写本に書かれている虫って、
実際にいるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
いや、どうにも怪しいんだ。
学者によると写本の虫というのは、
どれも未発見だそうだ。
喪神もがみ梨央りお
それじゃ、妄想ですか?
写本の元になった本は、
どんな人が記したんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
ユルギス・カルマノヴィチだ。
リトアニアのキリスト教学者で、
古都トゥラカイの城で啓示けいじを受けた。
喪神もがみ梨央りお
虫についての啓示けいじなんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
原書名は、神の虫大全という。
神の恩寵おんちょうを受けた虫の総覧そうらんだよ。
帆村ほむら虹人こうじん
ああ、思い出したよ。
彼は六十八日間、一睡いっすいもしないで、
虫の名前を書きしるしたんだ。
帆村ほむら魯公ろこう
國風こくふうの手になるカルマノヴィチ写本、
セルパン堂に依頼してある。
帆村ほむら虹人こうじん
例によって欧州に渡ったんですね。
日本の文物ぶんぶつはみんな欧州に行く――
せめて増上寺ぞうじょうじの本は守りたい。
國風こくふうが興味を示した本とあらば、
これはもしかするともしかする。
僕は俄然がぜん興味がいたよ!
帆村ほむら魯公ろこう
講釈こうしゃくはこれくらいにしておこう。
ではさっそく増上寺ぞうじょうじだ、
よろしく頼むぞ。
帆村ほむら虹人こうじん
それと、アーネンエルベの動向、
このところ気になる。
尾行には用心するんだ。

芝増上寺大門しばぞうじょうじだいもん

しば増上寺ぞうじょうじ。松並木の広い参道の先に有名な大門が建つ。
並木に止まるカラスが風魔ふうまを見下ろしていた。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラ観測しました。
通常の波形とは違って、
ゆらぎがあります――
これまであまりなかった傾向です。
警戒して進んでください。

鬼龍きりゅう豪人たけと
喪神もがみ風魔ふうま
貴様、公務で来たのか?
増上寺ぞうじょうじの警護は、
我等の隊にたくされている。
特務の人間に用はないはずだ――
ここは思念のまりも多く、
怪人化する事象が多く報告される。
ここは我が隊の公務に任せてくれ。

【参拝の女性】
今日はやけにカラスが多くて、
なんだか気味が悪いわ。
いつもはこんな事ないのに……
ほら、あそこ。
何羽も集まっているのよ。
何かあったのかしらね……
今日はなんだか様子が変だし、
早めに帰るとするわ。

【参拝の老人】
ここは徳川の菩提寺ぼだいじじゃな。
中でも徳川家に降嫁こうかした、
皇女こうじょ和宮かずのみや様のお墓は人が絶えん。
去年、新聞の興亜日報こうあにっぽうが、
和宮かずのみや様の特集組んでから、
全国から参拝に来よるなぁ。

【参拝の男性】
何だかね、むしゃくしゃしてね、君!
相談所に行くとね、すっかり治った。
それで増上寺ぞうじょうじにでも行くかとね……
そんな気になったんだ、君!
ここには僕を勇気づけるものが、
きっとあるに違いないさ!!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
一帯のセヒラ反応
急激に増加してます!

《バトル》

【参拝の男性】
あんたも職場で四面楚歌しめんそかなのかい?
和宮かずのみや様はそんな中でもくじけず、
正室せいしつつとめを果たされたんだな!

その時大きな影が頭上を過った!

【カラス】
カァ……

カラスは地上に落とす不吉な影とともに、飛び去って行った。

増上寺そうじょうじ80代法主、青柳あおやぎ智叢ちそうから、寺に伝わる秘本を預かった。参謀本部からの通達がこうそうしたようだ。

芝増上寺境内しばぞうじょうじけいだい

帝大に向かうべく、増上寺ぞうじょうじの境内へ。
そこで風魔ふうまを迎えたのは、以前、セルパン堂で会った外国人であった。

【セルパン堂で会った外国人】
お会いするのは二度目ですかな?
――喪神もがみさん……

【ルドルフ・ユンカー】
――自己紹介、させてください。
私、ルドルフ・ユンカーです。
アーネンエルベ極東分局の所長です。
局長と言わないのですね……
日本語、随分慣れましたけれど、
依然いぜん、大変難しいです。
さて喪神もがみさん、あなたが持つ書物、
我々に貸してもらいましょう。
私は成果を求められています――
ヒムラー長官は焦っています。
神智しんちの領域にて力を及ぼすこと、
それが我々の目的です。
済みませんが、ここは力を用いて、
あなたのその書物を手に入れます。
それが最善の方法だと考えます!!

《バトル》

【ルドルフ・ユンカー】
――なるほど……
あなたの強さは力ではない、
そうなのですね……
まして怒りや憎しみでもない――
それらは微塵みじんもないとわかりました。
むしろ……楽しんでいる?
いやはや、不思議です……
ユリアが興味を持つはずですね……
またお会いしましょう、喪神もがみさん。
【着信 喪神もがみ梨央りお
周囲のセヒラ、低下しました。
何だか、一気に消えた感じです。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
よし、風魔ふうまよ、
その本を持って、帝大のつた博士の
研究室へ急いでくれ。
帝大の警護には、
虹人こうじんを向かわせている。
今のうちに博士に本を届けるんだ。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帝大キャンパスは静まり返っていた。
特高警察が監視を強化したためだ。
秘本は無事に博士に届けられた――

帆村ほむら魯公ろこう
せんな……
アーネンエルベのユンカー博士が、
何故、増上寺ぞうじょうじにいたのだ?
喪神もがみ梨央りお
やっぱり尾行されていた……
ってことですよね?
帆村ほむら魯公ろこう
そう考えるしか無いのだが……
ホムンクルスの尾行は無かった。
そうだな、虹人こうじん
帆村ほむら虹人こうじん
ええ、僕が風魔ふうまの後について
しっかり尾行を見張ってました。
途中ホムンクルスを発見し
僕が倒した後は、
一切尾行はなかったですね。
帆村ほむら魯公ろこう
ではどうやって風魔の動きを
探ったのか……
我々の知らぬ魔術か何かか?
帆村ほむら虹人こうじん
魔術か……さぐる……
ああ、そうだ!
使い魔ファミリアじゃないかな?
喪神もがみ梨央りお
何ですか? ファミリアって……
帆村ほむら魯公ろこう
使い魔だ……風魔ふうまも知っておろう?
本邦ほんぽうならば、陰陽師おんみょうじ使役しえきした
式神というやつだ。
帆村ほむら虹人こうじん
式神は小動物を使うことが多いが
鬼神を用いることもある。
使い魔は、だいたい小動物だな。
喪神もがみ梨央りお
あ、もしかして……
カラスじゃないですか?
帆村ほむら虹人こうじん
カラス……そういや多かったな。
喪神もがみ梨央りお
通信でカラスの声を
良く拾っていました。
ね? 兄さん気になってたでしょ?
帆村ほむら魯公ろこう
なるほど、そうか、カラスか……
自由に飛び、空からの監視も出来る。
こいつは厄介やっかいだぞ。
帆村ほむら虹人こうじん
カラスなら往来おうらいだけじゃなく、
家の中まで見通せそうだ――
庭の木に止まったりしてね。
喪神もがみ梨央りお
えええ? お風呂とか絶対に
窓閉めて入らなくちゃ!
開けとくと風が気持ち良いのに……
帆村ほむら虹人こうじん
えらい心配症なんだな、梨央りおは!
喪神もがみ梨央りお
当たり前です!
いくら近代人といっても、
恥じらいは大切です!
帆村ほむら魯公ろこう
ワハハハハ、違いない!
助兵衛すけべえなカラスには
気をつけるんだぞ、梨央りお

第二章 第八話 第一連隊の怪人

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

晩春を迎えた帝都では、怪人事件が頻発ひんぱつ
新聞は連日のように事件を書き立て、怪人の話題が挨拶あいさつ代わりのようであった。

帆村ほむら魯公ろこう
帝都の怪人、まるで名物のようだ。
わざわざ怪人見物をしに、
旅行者も押しかけておる――
人をそそのかす者が方々に現れ、
加えて革命家や共産主義者も、
じょうじようとしておるしなぁ……
喪神もがみ梨央りお
来客です。
幸則ゆきのりさん……
いえ、歩一の九頭くず中尉です。
九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生! 風魔ふうま
大変なことになりました!!
帆村ほむら魯公ろこう
おお、九頭中尉か、
そんなにまで慌てて、一体何が?
九頭くず幸則ゆきのり
我が歩兵第一連隊ほへいだいいちれんたいの将兵らが、
次々怪人へと姿を変えているんです!
このままでは連隊の存続さえ……
帆村ほむら魯公ろこう
何だと?
歩一ほいちの将兵が、怪人に?
怪人化した将兵は、
どのくらいの数にのぼっている?
それによる被害の状況は?
九頭くず幸則ゆきのり
……そ、それが、
連隊から脱出するのがやっとで、
とても状況を把握はあくする余裕など……
も、申し訳ありません!!
これは私の全くの失態。
士官たるものこんなことで……
帆村ほむら魯公ろこう
いいから少し落ち着け、九頭中尉。
ここで取り乱していては、
弱味をさらすことになる。
喪神もがみ梨央りお
隊長!
着電です。
第三連隊の常田つねだ大佐殿からです。
帆村ほむら魯公ろこう
常田つねだ大佐から電話?
さては、歩三ほさん鬼龍きりゅう隊が、
何か問題を引き起こしたか?
わかった。すぐ行く。
喪神もがみ梨央りお
兄さん、歩三ほさん鬼龍きりゅう隊って、
本当に召喚師だけなんですか?
怪人が混ざっていたりしません?
九頭くず幸則ゆきのり
第九九小隊のことだな。
歩三ほさんでは召喚師部隊だと、
かねがね言い張っているな。
喪神もがみ梨央りお
隊で次々怪人が出て、
それが歩一ほいちにまで伝染したとか、
そんなことでしょうか?
九頭くず幸則ゆきのり
まるで伝染病みたいだな……
そこへ魯公ろこうが、
電話より戻ってきた。
喪神もがみ梨央りお
魯公先生!
――隊長!
第三連隊の様子は?
帆村ほむら魯公ろこう
向こうでもやはり、
似たような状況らしい。
兵らが怪人化しておると。
九頭くず幸則ゆきのり
やはり歩三ほさんが発生源ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
常田つねだ大佐は我が方を疑っておられた。
山王さんのう機関が何かたくらんでおるのではと。
師団長に上申し、歩一の監査をと――
歩一ほいちにも被害の出ていることを伝え、
なんとかさやに収めていただいた。
歩三ほさんの方は、彼ら自身にゆだねよう。
鬼龍きりゅう隊が事態に当っているという。
風魔は歩一ほいち鎮定ちんていに向かってくれ。
九頭くず幸則ゆきのり
頼んだぞ、風魔!
俺は、これから第一師団司令部へ
報告に行かねばならん。
後で俺も歩一ほいちに向かう。
それでは、失礼するよ!
喪神もがみ梨央りお
広尾橋ひろおばし方面にセヒラ観測です。
歩一ほいちの前に立ち寄ってください。
市中の怪人の方が心配です。

広尾橋ひろおばし

公務電車は第一連隊のある六本木ろっぽんぎを通過、かすみ町を経由して広尾橋ひろおばしに向かった。

【通行人のおじさん】
かすみ町が封鎖されていたよ。
交差点に兵隊がたくさんいて……
何だか物々しい様子だった。
また革命家気取りが、
問題でも起こしたのか?

【近所の住人のおばさん】
さっきからパンパン聞こえるけど、
どうしちゃったの?
兵隊さんが走っていくし。
それも何人も――

【怯える住人】
これは反乱じゃないのか?
そうだろ、反乱軍だ、
とうとう蜂起ほうきしたんだ!
原隊はどこだ?
歩一ほいちか? それとも歩三ほさんか?

【怪人化兵士】
自分は支那シナ派遣軍独立混成部隊、
第九九九輜重曹長しちょうそうちょうであります!
輜重しちょう兵ながら車を投げ飛ばし、
腕に覚えのある小隊長三名を、
その頭をひねつぶしたであります!!

《バトル》

広尾街路ひろおがいろ

【怪人化兵士】
ウウウゥ~
松花江スンガリーの流れ滔々とうとうと、
巫山ふざんの雲が流れ飛ぶぅ~
貴様を松花江スンガリーに浮かべてやりたい~
関東軍哈爾浜ハルピン独立隊、
砲兵機甲科部隊、第六六六中隊、
蒼ノ月光あおのげっこう部隊、参上だ!!

《バトル》

第一連隊本部だいいちれんたいほんぶ練兵場れんぺいじょう

おびえている歩哨ほしょう
と、止まれ!
こ、ここから先は入るな!
き、貴様!
何奴なにやつだ?
――誰何すいかする!!
九頭くず幸則ゆきのり
山王さんのう機関の喪神もがみ特務中尉と
歩一の九頭くず中尉だ。
おびえている歩哨ほしょう
あぁ?
――はい。
…………
九頭くず幸則ゆきのり
――お……
お前は、怪人化してないようだな。
状況はどうなっているか?
おびえている歩哨ほしょう
はい! 状況はすこぶる悪いです!
怪力を得た兵らは、それを誇示し、
乱暴狼藉ろうぜきし放題であります!!
九頭くず幸則ゆきのり
貴様は何ともないんだな?
所属部隊はどこだ?
おびえている歩哨ほしょう
は、はい。
ほ、歩兵第一連隊第三大隊第九中隊……
エニセイ川独立軍、旅団ポルカ……
ウ、ウグワァ~
ゲプ……ウゥゥ……ゲポッ!
九頭くず幸則ゆきのり
貴様!
もう一度、部隊を言え!!
【怪人化兵士】
はっ! 
第八大隊アナーキズム中隊、
国家転覆てんぷく班副班長であります!
九頭くず幸則ゆきのり
き、貴様ッ!!
何を言っている!?
【怪人化兵士】
アナーキズムこそ、
我が日本の未来であります!
九頭くず幸則ゆきのり
ふ、風魔ふうま……頼むッ!!

《バトル》

帆村ほむら虹人こうじん
おやおや、予想以上に酷い状況だ。
向こうにまだまだ怪人がいるぞ。
九頭くず幸則ゆきのり
虹人こうじんさん、見ての通りだ!
力を貸してくれ!
帆村ほむら虹人こうじん
もちろんそのために来た。
だが、君らは退くんだ。
ここで怪人を倒し続けていても、
らちが明かない――
九頭くず幸則ゆきのり
そうなのか!!
ならば、どうすれば……
帆村ほむら虹人こうじん
この場は僕がしのいで見せる。
九頭くず幸則ゆきのり
一人で大丈夫か?
帆村ほむら虹人こうじん
任せておいてくれ。
無茶をしても始まらないからね。
二人は本部に戻り、策を練るんだ。
これは元を絶たないと駄目だ!
九頭くず幸則ゆきのり
了解!
風魔ふうま、ここは一旦いったん、切り上げよう。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
二人とも、よく戻った!
歩一ほいちの方は小康しょうこう状態だ、
虹人こうじんで守りきれるはずだ。
第三連隊の方に動きがある。
まだ連絡はないが――
支援要請に備えてくれ。
それにしても軍人が、
アナーキズムを語るとは、
一体、どういう絡繰からくりなんだ?
喪神もがみ梨央りお
アナーキストやプロレタリアートの、
影響を受けているのでしょうか?
最近、よく見かけます――
帆村ほむら魯公ろこう
そうかも知れんが……
ちょっと筋が違う気もする。
帝都満洲の影響も考慮したい。
喪神もがみ梨央りお
帝都満洲……
線路がまた延びたんでしょうか?
――見当付けてみますね。
帆村ほむら魯公ろこう
頼む。
それにしても梨央りおは、
鉄道やらに詳しいなぁ。

第二章 第九話 第三連隊の怪人

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

鬼龍きりゅう豪人たけとが率いる第三連隊第99小隊は、召喚師を中心とした部隊である。
歩一ほいち歩三ほさん、両連隊の中には、鬼龍きりゅう隊が将兵の怪人化騒動の原因ではと、かんぐる動きも散見さんけんされていた。

九頭くず幸則ゆきのり
師団の調査はどうなりました?
両連隊に調査、入ったんですよね?
帆村ほむら魯公ろこう
鬼龍きりゅうの隊が原因ではないことは、
第一師団の調査ではっきりした。
ところで、ユキ坊は、
隊に戻らなくて良いのか?
九頭くず幸則ゆきのり
はっ!
九頭中尉は、事態鎮静ちんせいまで、
山王さんのう機関での待機を命じられました。
もしや帝都満洲ていとまんしゅうに原因があるなら、
風魔ふうまと同行します。
喪神もがみ梨央りお
お話中、失礼します。
九頭中尉に着電です。
第一師団司令部からです。
九頭くず幸則ゆきのり
ありがとう、梨央りおちゃん。
喪神もがみ梨央りお
だから、梨央ちゃんは、
してください。
九頭くず幸則ゆきのり
ははは、俺たちの仲で、
そんなお固いことを言わなくても
いいじゃないか。
喪神もがみ梨央りお
それより、早く電話に出てください。
九頭くず幸則ゆきのり
本当につれないなぁ、梨央ちゃんは。
では、ちょっと失礼。
喪神もがみ梨央りお
司令部から幸則ゆきのりさんに電話だなんて、
新しく隊を指揮せよとか……
ちょっとあり得ない感じもします。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ。今回の事件はいずれも、
手立もなく、対応に追われるばかり。
如何いかなる要請が来ても不思議でない。

少しして、慌てた様子で九頭が戻って来た。

九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生!
どうやら歩三ほさんのほう、
いま鎮定ちんていできていないようです。
帆村ほむら魯公ろこう
鬼龍きりゅう隊だけでは無理があるのか。
九頭くず幸則ゆきのり
そのようです。
山王さんのう機関に歩三ほさん鎮定ちんてい要請が
入りました。
特務機関員一名を随伴ずいはんの上
第三連隊本部へ向かえとの
命令です。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう……珍しいこともあるな。
だが、事態が事態だけに、
すべからく要請を受けよう。
風魔ふうま、九頭中尉、歩三ほさんの本部だ。
途中、怪人兵に出くわす場合に備え、
警戒おこたることなく向かってくれ!
九頭くず幸則ゆきのり
ということで……
風魔、出番だぜ。
喪神もがみ梨央りお
幸則さん、何だか嬉しそうですよ!
九頭くず幸則ゆきのり
無茶な命令を受けるときは
喜ぶことにしてるのさ。

霞町路地かすみちょうろじ

2人は霞町かすみちょうの交差点から電車通りを外れ、霞町かすみちょうの路地に入った。
多くの怪人将兵が繰り出していた。

九頭くず幸則ゆきのり
結構、片付いたな、風魔ふうま
後は歩三ほさんの本部に乗り込むだけだ。

九頭くずが不意に目をやると、1人の将校が行く手をふさぐように立っていた。
その尋常じんじょうならざる眼の光は、おおよそ常人のものではなかった。
将校がすでに怪人化していることを物語る。

九頭くず幸則ゆきのり
おい、風魔ふうま
あいつを見ろよ!
あの将校は絶対に怪人だ!
階級は何だ?
中尉か、それとも大尉か?
まぁ怪人だから階級は関係ないか。

【怪人化中尉】
我、満蒙マンモウにて身を立てん!
東亜とうあの土に、我等が使命!
北斗の星、しるしがごとく輝けり!
満蒙マンモウの野に、栄は共にす希望のぞみなり!
東より来る光で照らせ、
広野ひろのを、広野ひろのを!
あゝ、あか満洲まんしゅうよ!
むつみの歌を聞け! 聞け、崑崙コンロンの峰々よ!

《バトル》

九頭くず幸則ゆきのり
奴は支那シナ派遣軍か関東軍だな。
しかも満鉄の社歌を……
――何だかいろいろ狂ってるな!

第三連隊前庭だいさんれんたいまえにわ

九頭くず幸則ゆきのり
いよいよ歩三ほさんの本部だ。
平生へいぜいでも滅多に来ることはない。
――して今や非常時だ。
審神者さにわのお前なら、
いろいろ感じることがあるだろう。
この俺すら感じるものがある!
鬼龍きりゅう豪人たけと
どうした、何をビクビクしている?
喪神もがみ風魔ふうま凡人ぼんじん中尉を従えて、
我が連隊に何の用だ?
九頭くず幸則ゆきのり
鬼龍きりゅう豪人たけと第九九小隊長殿、
助太刀すけだちに来てやったぜ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
ふん、私の名は、
下っ端のやりくり中尉風情ふぜい
軽々しく呼んでいい名前ではないぞ。
九頭くず幸則ゆきのり
まりの上官づらか!
大尉たる階級で小隊をひきいるとは、
さては連隊の笑い者だな!
鬼龍きりゅう豪人たけと
我々は特別だ。
特務機関ではなく正規の部隊だ。
貴様ら外様とざまとは格が違う。
東雲しののめ帰神きしん法に加え、
トゥーレの召喚術を合わせ、
戦闘に特化した秘儀だ!
それを継ぐ我が小隊にしても、
この事態、絶好の演習となる!
九頭くず幸則ゆきのり
隊の将兵らが怪人化するのを、
抑えられなかったんじゃないのか?
見ろ! こいつも怪人だ!
【怪人化大尉】
東亜とうあの民と、日本の国の!
先ゆく者の、むつみの歌を、聞け!!
鬼龍きりゅう豪人たけと
大尉!
ここは衛戍えいじゅ地だ、わきまえろ!
まさか……この私が、我が秘術が、
怪人化して間もない者に負けるだと?
そんなことが……
【低い男の声】
鬼龍きりゅう大尉……
鬼龍きりゅう豪人たけと
常田つねだ大佐!
常田松柏つねだしょうはく
山王さんのう機関には連隊として要請が出ている。
これは第一師団長もお認めになった、
正式なものだ。
山王さんのう機関の諸君、我が方の非礼、
びさせてもらおう。
諸君の助力が必要だ。
鬼龍きりゅう豪人たけと
大佐……
九頭くず幸則ゆきのり
自分らは任務遂行するのみであります。

《バトル》

常田松柏つねだしょうはく
仕留めたか……
鬼龍きりゅう豪人たけと
フフ……
さすがだな、喪神もがみ風魔ふうま
今の奴は、き間もないのに、
その憑依ひょういがあまりに深く、
廓清かくせいはされなかった――
そこいらのにわか怪人とはわけが違う――
今後、注意が必要なしゅの怪人だな。
喪神、貴様らも油断はするな!
九頭くず幸則ゆきのり
今の怪人は大尉の部隊ですか?
――鬼龍きりゅう大尉殿
鬼龍きりゅう豪人たけと
まさか!
私の隊に怪人化するような将兵はいない。
貴様らの方ではないのか?
常田松柏つねだしょうはく
鬼龍きりゅう大尉!
怪人化した将兵、まだいる。
残る将兵の救出も急務だ!
来い!
向かうぞ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
……はっ、ただちに!
九頭くず幸則ゆきのり
独善どくぜんおちいった野郎が……
まるで言いたい放題だな!
で、どうするんだ?
まだまだ怪人兵はあるはずだ。
隊舎内にもいるんじゃないか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、大丈夫ですか?
同行中尉も、大丈夫ですよね?
九頭くず幸則ゆきのり
なんだい、俺はついでか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
今しがた、協力要請が解かれました。
その場を撤収てっしゅうしてください。
九頭くず幸則ゆきのり
怪人兵、まだいそうだけど……
まぁよい、戻ろうぜ、風魔ふうま
元を絶つということなんだな?
【着信 喪神もがみ梨央りお
同行中尉、よくわかりましたね。
それが方針です。
九頭くず幸則ゆきのり
り……ああ、いや、通信兵!
さいのオ、若狭のワ、陸前のリ、
オ・ワ・リであります!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん!! それに幸則ゆきのりさんも!
お二人ともご無事で何より!
帆村ほむら魯公ろこう
第三連隊の方も、
なんとか鎮定ちんていなったようだ。
鬼龍きりゅう隊もそれなりに、
役に立ったみたいだな。
この件、参謀本部に報告する。
近く、いろいろ決定が下るだろう。
九頭くず幸則ゆきのり
歩一ほいちの方はどうなってますか?
帆村ほむら魯公ろこう
依然いぜん小康しょうこう状態だ。
市中に出た怪人化将兵はいない模様だ。
今のうちに策をる――
ということで、向かうは帝都満洲ていとまんしゅうだ。
帝都満洲から湧出ゆうしゅつするセヒラ、
その量が飛躍的に増大している。
このままでは、帝都はセヒラまみれ。
全市民が怪人化しかねないぞ!
根源断絶こそ帝都の急務!
まぁやや大げさだがな――
報告がてら参謀本部に掛け合い、
次の公務を帝都満洲の巡視パトロールにするぞ。

第二章 第十話 吉林のアナーキスト

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこうは、一連の怪人化騒動について、参謀本部に報告を上げた。
参謀総長、橘宮慶和たちばなのみやよしかず親王は、これを受理した。
さらに、連隊の怪異、帝都満洲ていとまんしゅういんありとする魯公の上申じょうしんも受け入れ、しかるべき要員は、帝都満洲の巡視パトロールを行うこととなった。

喪神もがみ梨央りお
幸則ゆきのりさん……いえ九頭くず中尉は
第三連隊から撤収の後、どこに
行っちゃったんでしょうね、兄さん。
山王さんのう機関本部付になったと
自分で言っていたのに……
居ればいたでうるさいのに
姿が見えないと、
逆に気にかかってしまいます――
帆村ほむら魯公ろこう
奴には奴なりの事情がある。
ユキ坊がいなくても、
作戦に変わりはないだろう。
帝都満洲、次にひらくのは、
どの街なんだ?
梨央りお、満鉄の路線図、
あたってみてくれるか?
九頭くず幸則ゆきのり
遅くなりました!
帆村ほむら魯公ろこう
おお、九頭中尉か!
このところ、何をしておった?
九頭くず幸則ゆきのり
それが……
陸軍省軍事調査部というのに
呼び出されまして……
連隊本部と特務機関を中継する者、
つまり自分ですが、その役、まっとうしておらんとおしかりを受け……
しばし、お目付けの付くことに――
影森かげもりという人物だそうで、
陸軍省の役人だそうです。
六二八事件以降、
監視が厳しくなっているようです。
隊には尾行された者もいます――
喪神もがみ梨央りお
六ニ八事件って、
歩三ほさんの急進派が穏健派の
外務次官を襲撃した事件ですね?
九頭くず幸則ゆきのり
しかしですよ、帝都満洲までは、
影森かげもりなる者も監視できないはず。
――帝都満洲の調査を願い出ます!
これって、駄目ですか?
俺には無理ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
審神者さにわではないお前さんが、
ゲートくぐるのはおすすめしないが――
事情とあらば、顧慮こりょしてみるか。
九頭くず幸則ゆきのり
本当に、できるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
むむ……ちょっと京都の方にな。
控える方々がおってだな……
ゲートを管理されておる。
九頭くず幸則ゆきのり
京都で、ですか?
一体それはどのような……
帆村ほむら魯公ろこう
少しばかり中座ちゅうざするぞ。
電話をしてくる。

そう言い残して魯公ろこうは本部を出て行った。

九頭くず幸則ゆきのり
いろいろと裏がありそうだな。
梨央ちゃん、京都でゲートを管理って
ぜんたいどーゆーこと?
喪神もがみ梨央りお
知りません。
九頭くず幸則ゆきのり
えええ~?
梨央ちゃんならなーんでも
知ってるんじゃないの?
喪神もがみ梨央りお
ちょっと、馴れ馴れしすぎです!
知らないものは知らないのです――

九頭くず幸則ゆきのり
おっ、停電か?
何か変な音もしたぞ――
喪神もがみ梨央りお
山王さんのう機関が停電だなんて……
九頭くず幸則ゆきのり
あっ、いた!
帆村ほむら魯公ろこう
よし、今ならゲートを抜けられるぞ、
九頭中尉!
心して向かうのだ。
九頭くず幸則ゆきのり
だ、大丈夫なんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
なぁに、問題ない……はずじゃ。
ものは試しだ、頼むぞ二人とも!
帝都満洲で赤坂あかさか哈爾濱ハルピンから
新たに繋がる場所を目指すのだ。
――どうもそういうことらしい。
喪神もがみ梨央りお
青山新京あおやまシンキョウの先なら、
多分、吉林キツリン……帝都では広尾ひろおです。
なので、広尾ひろお吉林キツリンですね!
九頭くず幸則ゆきのり
おう、広尾ひろおか!
広尾橋ひろおばしに怪人がいたんだろ?
影響がおよんでいるんだな!
喪神もがみ梨央りお
準備はできていますよ。
兄さん、それに同行中尉……
無事を祈っています――

〔青山新京シンキョウ・南〕

風魔ふうまに続いて無事にゲートを抜けた九頭くず
2人は赤坂あかさか哈爾濱ハルピンから帝都満洲ていとまんしゅう鉄道を使い青山新京あおやまシンキョウへと到着した。
その街路には、深く濃い霧がたちこめていた……

九頭くず幸則ゆきのり
何か夢の中にいるみたいだ。
今の、満鉄あじあ号じゃないか……
俺達、あじあ号に乗ったのか?
意味がわからないよ――
それに、ここは……
霧が深いな。これが異界ってやつか?
おい、あれは何だ?
なんだ、何か見えるぞ!
霧の中に何かいる。
かすかにだが、それが俺にもわかるぞ!
風魔、お前の審神者さにわとしての霊力が
俺にも及んでいるみたいな気がする。
【比類舎編集アストラル】
御厨みくりや車夫しゃふ先生はおっしゃった!
計略は即ち行動なりと。
我々は日本再興のために、
死してもなお戦う覚悟だ!
比類舎ひるいしゃつらぬく比類なき精神、
その高揚こうようを今に見ん!
社稷しゃしょくを思う心のない国など、
いっそ滅びてしまえ!!

《バトル》

九頭くず幸則ゆきのり
何だったんだ、今のは?
最近流行はやりのアナーキストか?
その念みたいなものか……
風魔ふうま審神者さにわとして、
いつもこんな目にってるのか?
――恐れ入谷いりやのなんとかだ。
うわっ!
また出たぞ!
【比類舎執筆人アストラル】
文科を出て、雑文を書いていた。
それが比類舎ひるいしゃの目に止まり、
いよいよ僕は比類舎ひるいしゃの専属になった。
そうだよ、比類舎ひるいしゃ専属執筆人。
西洋のアナーキズムの論文を、
翻訳して雑誌比類人ひるいじんに載せたんだ。
もう十五回も連載しているのに、
まだ一度も原稿料が払われていない。
――そんなこと、おかしいだろ!
何故だ!
僕の文が悪いのか!
今日も朝から何も食べていないぞ!!

《バトル》

帝都の下層、その深くに、
まるで転写したかのように現れた帝都満洲ていとまんしゅう
新京シンキョウ青山あおやまに、吉林キツリン広尾ひろおに照応していた――
2人は帝都満洲鉄道を使い、青山新京あおやまシンキョウから先へ、広尾ひろお吉林キツリンへ向かった。

〔広尾吉林キツリン・南〕

九頭くず幸則ゆきのり
満洲が帝都の大きさに合わさって、
ここに再現されてるってことだな。
【着信 喪神もがみ梨央りお
……ですか?
セヒラ……濃度が………
……です。……気を………
九頭くず幸則ゆきのり
おお! 梨央りおちゃん!
通信届くのか? ここは満洲だぜ!
……うーん、よく聞こえない……
【着信 喪神もがみ梨央りお
……で……セヒラ……
値が……です!
九頭くず幸則ゆきのり
どうやら、通信不良みたいだな。
大丈夫なのかよ。俺たちそもそも、
ここから戻れるのか?

【比類舎社員アストラル】
フフフ……
君たちがぎまわっても無駄だ。
計略は深層地下アンダーグラウンドで進行するのだ。
御厨みくりや先生は当局の手を逃れ、
現在、安全な場所においでだ。
いくら特高とて探せはしまい。
我々は御厨みくりや先生の提唱される、
破局革命を必ず実行する!

【比類人の読者アストラル】
生糸きいとの投資に失敗してね、
今、麻布あざぶ鴨緑館おうりょくかんで空を見ている。
――明日にはここを出なければ……
いっそ死のうか――
人生よろづ相談に行ってみるか……
ああ、今晩は眠れなさそうだ。

【比類舎主幹アストラル】
露西亜ロシア革命は失敗だ。
多くの白系露西亜ロシア人の亡命を
なすがままにした。
国外に敵対者をらしただけだ。
逃げおおせた連中はやがて結託けったくし、
報復ほうふくを果たすだろう。
我々は同じてつを踏まない。
御厨みくりや車夫しゃふ先生は内からの破局を
提唱されているのだ!
獅子身中しししんちゅうの虫――
このことわざにある通り、強国とて、
内からの侵食にはもろいこと至極しごくだ。
御厨みくりや先生のご教示により、
私は新宿旭町あさひまち木賃宿きちんやどに身を沈める。
今すぐにでも身をひるがえし、
闘争の先陣となる覚悟だ!!

《バトル》

【比類舎主幹アストラル】
何故だ?
常に邪魔立てをする者が現れる!
お前は、何を望んでいるのだ?
九頭くず幸則ゆきのり
比類舎ひるいしゃって警察ににらまれて、
地下にもぐったんだろ?
憲兵も調査はじめたらしい。
ああ、今の奴、
新宿旭町あさひまちとか言ってたぞ。
これは有力な情報じゃないか!!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、聞こえますか?
そちら、大丈夫ですか?
居場所、確認できました。
九頭くず幸則ゆきのり
大丈夫だよ!
それに憲兵特高への手土産てみやげもできた。
【着信 喪神もがみ梨央りお
通信、安定しました。
お二人ともご無事で何よりです。
九頭くず幸則ゆきのり
おお、俺のことも、
心配してくれたんだな!
【着信 喪神もがみ梨央りお
……
青山あおやま広尾ひろお方面、セヒラ低下、
本部へ帰還してください。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
二人ともご苦労だった。
セヒラの値が下がり、
両連隊の怪人化現象も静化した。
やはり元凶は帝都満洲ていとまんしゅうだったわけだ。
しかしセヒラが濃くなっただけで、
容易たやすく怪人化する部隊というのも、
困ったものだなぁ……
九頭くず幸則ゆきのり
今回、アナーキスト連中の
運動を垣間かいま見ることができました。
隠れ家も捜索できそうです――
帆村ほむら魯公ろこう
帝都から流れ出た強い思念が、
帝都満洲でアストラルとなる――
その仕組み、よくわかったぞ!
これからは今まで以上に、
帝都満洲の調査に尽力じんりょくせねばならん。
過酷な任務だが、風魔ふうま、頼んだぞ。
九頭くず幸則ゆきのり
――俺は何だか疲れた。
帝都満洲に降りたせいかな……
風魔、今回、お前と一緒に、
帝都満洲に赴き、審神者さにわとしての、
お前の活躍を目の当たりにした。
――まったく孤独だよな……
尋常じんじょう小学校の時、富士塚ふじづかに登ったな。
あの夏のこと、覚えているか?
あの時、お前は、
西の空をじっと見つめていたよな。
そこが自分の行く場所みたいに……
今、お前が向き合うもの、
わかった気がするよ。
喪神もがみ梨央りお
くず……幸則ゆきのりさん――
(ありがとうございます)

第二章 第十一話 魔犬のサバト

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

連隊将兵の怪人化という騒動、ひとまず沈静ちんせい化したものの、新聞では事件を針小棒大しんしょうぼうだいに書き立てていた。
いわく、陸軍怪人部隊を創設、いわく、怪人兵こそ次代の兵力――
中には案内広告風を装い、
帝都の怪人至急歩三ほさんに集結せよ!
などとあおるような記事もあった。

帆村ほむら魯公ろこう
最初は赤坂あかさかの怪人騒動だろうな……
あんな真っ昼間に車を投げよって――
そりゃ人の口にものぼる。
喪神もがみ梨央りお
新聞に特報が出ましたからね。
帝都中の怪人現象を集めた記事です。
中には疑わしいのもありましたが……
学生さんで、西洋の黒魔術にはまり、
友達や親戚に魔法をかけまくった人。
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、帝大文科の学生だな。
結局、奴は治安維持法違反に問われ、
特高で尋問を受けたんだ。
喪神もがみ梨央りお
その後、どうなったんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
釈放されて、本郷ほんごうの下宿に戻り――
喪神もがみ梨央りお
魔法、諦めたんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
怪人化したのだ。
今もどこかに身を潜めておるかも。
――生き永らえていればだが。
喪神もがみ梨央りお
に魂を食べられるのって、
人によって違うんですよね。
中には早く食べられちゃう人も――

式部丞しきべじょう
失礼します、セルパン堂の式部しきべです。
今日は彩女あやめ君をお連れしました。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう、式部の――
ぜんたい、どうしたんですかな?
周防すおう彩女あやめ
こんにちは、皆さん。
彩女、大変なことを発見しました。
――それで、ご相談にと……
喪神もがみ梨央りお
大変なことって、
また怪人を呼び寄せたとか?
式部丞しきべじょう
最近、青山あおやま界隈かいわいで野良犬が出て困る、
そんな話が新聞に載ってましたね。
そのことです――
周防すおう彩女あやめ
あれは、魔犬のサバトです。
間違いありません!
帆村ほむら魯公ろこう
ま、魔犬の、
喪神もがみ梨央りお
サバト――
式部丞しきべじょう
うちにおいてある雑誌、
猟奇グラフに案内があったんです。

そう言って式部は、雑誌『猟奇グラフ』の案内ページを開いた。
――猟奇案内という標題があった。

帆村ほむら魯公ろこう
何でも案内というやつですな!
――求む良妻りょうさい
――かたち不問ふもん相当教養ある婦人
――求縁きゅうえん
――容色ようしょく 端麗たんれい
――医学士会社銀行員にて家族すくなき方
――吉原よしわら見学団実現
喪神もがみ梨央りお
隊長……
帆村ほむら魯公ろこう
昭和の猟奇人が、丹前たんぜん姿で仲之町なかのちょうへ乗り込む有様はさだめし見ものでしょう
……何だか楽しそうだな。
喪神もがみ梨央りお
もう、隊長!
――それで、どの案内ですか、
魔犬のサバトは。
周防すおう彩女あやめ
こちらです――
魔犬のサバト青山で開催とあります。
喪神もがみ梨央りお
ほんとだぁ!
――主催 帝国サバト会
サバト会って何ですか?
周防すおう彩女あやめ
彩女、猟奇グラフはよく読みますが、
サバト会というのは初めてです。
式部丞しきべじょう
というわけなんです。
彩女君、青山に行きかねないので、
ここは山王さんのう機関にお願いしようかと。
帆村ほむら魯公ろこう
青山の野良公がもし魔犬だとコトだ、
そうではないかな、梨央りお
喪神もがみ梨央りお
何だか怪しい感じもしますが……
一応、巡視パトロールしましょうか、兄さん。

青山街路あおやまがいろ

夜のとばりが下りた青山あおやま通――
車通りはなく、人影もまばらだ。

【着信 喪神もがみ梨央りお
その辺り――
ややセヒラを観測します。

【猟奇趣味の男】
ん?
貴方もサバトに参加するのかい?
――魔犬のサバトだよ!
僕は、この二週間ほど、
毎晩通ってるけど……
今晩は、どうなんでしょうか?

【猟奇趣味の男】
どうやら、今晩は当たりですね!
ほら、耳を澄ませば――
聞こえてきませんか、魔犬の咆哮ほうこうが。
ね、貴方にも聞こえるでしょう!
やっぱり、今晩です!
獣の匂い、この濃厚な匂い!
血に飢えた魔犬、魂を喰らう魔獣!

【猟奇人生な男】
帝国サバト会、
散々、本部を探しまわったよ!
市中くまなくね!
是非とも加盟したくて。
けど、ちっとも見付からないんだ。
あんた達なら、知ってるのか?

《バトル》

【猟奇趣味の男】
おいおい、怪人が出るなんて、
聞いてないよ!
じょ、冗談じゃない!

【興味本位の女】
野良犬は野良犬よ、と思うんだけど、
この辺の犬、何か違わない?
ほら、そこの犬も……
やはりね、魔犬のサバト、
今晩なのよ、きっとそうよ!
ああ、浮かれちゃう~

【犬に囲まれている男】
さぁ、お前達、言うことを聞くんだ。
お前達は今宵こよい、魔犬となる――
【野犬】
ガルルルルルル~
【犬に囲まれている男】
陋巷ろうこううごめく邪悪な意思を注ぎ、
魔の爪をげ!
魔の牙をけ!
【野犬】
ガルルルルルル……
【犬き】
何だ、お前は?
私の中のお犬様が……
お犬様が……私を、強くする!
お犬様の導きで、
私は人生の迷宮を抜けたのだ!
もう邪魔はさせん!!

《バトル》

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山墓地です、墓地の中に、
強いセヒラ反応があるようです。

青山墓地あおやまぼち

【野犬】
ガルルルルルル~
【野犬】
ガルルルルルル~

【犬き】
僕はね、心に悪意を宿すんだ。
君達だって、同じだろう?
フフ、皆同じなんだよ、皆同じ。
僕の悪意は、犬の貌形ぼうぎょうをしている。
犬達は帝都中の恐怖や憎しみを、
貪欲どんよくに食い尽くそうとする!
さぁ、僕の犬達を披露ひろうしよう!
君の恐怖をしょくしたいそうだよ!
それとも僕以上の憎しみがあるかい?

《バトル》

【犬き】
僕の犬達……
もう一匹もいないじゃないか!
――なんということだ!
お前達がいないと、僕は……
嗚呼ああ、僕はもう生きていけない!!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
結局、怪人だったわけだな?
喪神もがみ梨央りお
の存在を感じていて、
それを犬に見立てていたんですね?
帆村ほむら魯公ろこう
世には犬きもいるにはいるが……
そういうやからも怪人化しそうだな。
喪神もがみ梨央りお
兄さん……
青山あおやま墓地のこと、教えてくれたの、
彩女あやめさんです。何かを感じたとか。
彩女さんの力、
日増しに強くなっているようです。
帆村ほむら魯公ろこう
これなんか、どうだ?
――あらこわや遊郭ゆうかく地震の図
――花街かがいにおける紋章の研究
喪神もがみ梨央りお
もう、隊長!
猟奇グラフ、取り上げますよ!
兄さんも、しっかり前を向いて
公務を全うしてくださいね!

怪人騒動はすっかり帝都の日常となった。
新聞、雑誌、それにラヂオの報道により、怪人の存在さえ身近になりつつあった。

第二章 第十二話 戸山衛戍病院の怪 前編

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

怪人の話題が巷間こうかんに広がるにつれ、参謀本部としても知らぬ存ぜぬを決め込めなくなっていた。
そこで参謀本部は、広報、情報収集をもっぱらとする第二部に第八分課を設置して、広く情報収集することとなった。

帆村ほむら魯公ろこう
参謀本部の分課に寄せられた情報だ。
なかなか貴重な情報ではないかな?
喪神もがみ梨央りお
隊長、それを言うならゴーストです。
今どき西洋幽霊だなんて
流行りませんよ。
帆村ほむら魯公ろこう
流行るも流行らぬもない。
場所が場所だけに気にかかる。
風魔ふうま、我が機関の出番だろう?
喪神もがみ梨央りお
戸山とやま衛戍えいじゅ病院ですよね。
病院では亡くなる人もいるでしょう。
もしやそれが化けて出て~
帆村ほむら魯公ろこう
梨央りお! それじゃまるで、
怨めしや~の幽霊じゃないか!
わしが言うのはだな――
喪神もがみ梨央りお
わかってます!
病院のゴースト、これは怪異です。
おそらく怪人が関係しています。
兄さん、巡視パトロール、注意してください。

〔陸軍戸山衛戍えいじゅ病院・廊下〕

陸軍演習地を抱える戸山ヶ原とやまがはらは、淀橋よどばし区と牛込うしごめ区にまたがる広大な衛戍地えいじゅちだ。
牛込うしごめ区側の戸山とやま町には陸軍施設が並ぶ。
近衛騎兵このえきへい連隊、陸軍幼年学校、陸軍戸山とやま学校、中でも威容いようを誇るのは陸軍衛戍えいじゅ病院と、隣接する陸軍軍医学校である。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、病院敷地内ですが、
特にセヒラは観測しません。
ただ、時折、予兆よちょうのような、
波形の乱れがあります。
注意して進んでください。

【看護婦】
あなたが調査の方ね。
ちょっと話を聞いてくださらない?
ここの静江しずえチャン、姿を見ないの。
もう一週間になるかしら……
静江しずえチャンは後輩の看護婦サンよ。
バケモノに襲われたって噂もあるの。
なんだか気が気じゃないわ!

【看護婦】
遺体安置所……私たちはモルグって
そう呼んでますが、真夜中になると
モルグで怪しい光が現れると。
電気火花を散らしたみたいな、
そんな光が現れるんですって。

【入院患者】
そう言えばボクに優しくしてくれた
看護婦さんを見かけないな。
名札ネームプレート静江しずえって書いてあったよ。
胃弱いよわのボクにこっそりと
大福を差し入れてくれたんだ。
もちろん病院には内緒よってね。

【疲れた看護婦】
病院中、どこを探してもいないです。
静江しずえちゃん、ぜんたいどうなったか。
私、もう、クタクタ……
静江しずえちゃんはね、とても優しくて
患者さんの身になって考えられる人。
静江しずえちゃん、きっとバケモノに
食べられちゃったんだわ!
そうに違いないわ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
真夜中の遺体安置所が怪しいです。
親切な看護婦さんのことが心配です。
……静江しずえさんと言いましたか。
深夜まで待機してください。
遺体安置所の怪異を調査します。

〔陸軍戸山衛戍えいじゅ病院・廊下〕

真夜中、午前2時を回った辺り、風魔ふうまは再び、陸軍戸山とやま衛戍えいじゅ病院へと
赴いた。
深夜の病院は静まり返っている……

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
極めて高いセヒラを観測!
注意してください!

【ケンシ医】
おかしいです、死体が消えたんです。
モルグから、一体残らず消えました。
こんなことってありますか?
ねぇ、アナタ!

〔陸軍戸山衛戍えいじゅ病院・モルグ〕

【ケンシ医】
モルグの死体には苦しみが
刻まれているんですよ。
私は苦しみを蒐集コレクトしていた。
それを横取りするなんて、
まったくもって暴挙ぼうきょです、愚行ぐこうです。

【ケンシ医】
君ら兵隊崩れにはわかるまい!
医学と魔力は通じあっているのだ。
崇高すうこうにしておかさざる神域なのだ!

《バトル》

【ケンシ医】
フフフフ……残念至極ですね。
私の魔を退しりぞけたとしても、
まだ医学の力が残ってるんですよ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
まだセヒラが下がりません!
近くに何かありませんか?

【???】
キキキキキキキキ~

【着信 喪神もがみ梨央りお
今のは――
アストラルですよね?
帝都満洲にいたアストラルが……

〔陸軍戸山衛戍えいじゅ病院・廊下〕

【看護婦】
やっぱりですわ!
モルグの怪しい光、またですわ!
今の、見たでしょ?
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、大丈夫ですか?
セヒラ反応が急激に下がりました。
一旦いったん、本部へ戻ってください。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
お帰りなさい、兄さん。
――病院の怪異、まだ継続中です。
帆村ほむら魯公ろこう
病院にアストラルが出たと?
それはせんなぁ。
帝都満洲ていとまんしゅうのセヒラの影響なのか――
喪神もがみ梨央りお
戸山とやま衛戍えいじゅ病院と隣の軍医学校、
そのあたりを中心に探信たんしんを続けます。
帆村ほむら魯公ろこう
そうしてくれ、梨央りお
風魔ふうまはしばらく待機だ。
だが寝る間はないぞ。

第二章 第十三話 戸山衛戍病院の怪 後編

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

戸山とやまで再びセヒラを観測した。梨央りお探信たんしんの的を絞った陸軍軍医学校だ。
怪異のあった衛戍えいじゅ病院のすぐ隣である。
軍医学校は軍医養成をむねとするものの、軍関係者の中では黒い噂も立っていた――

喪神もがみ梨央りお
いつになく強いセヒラです。
なんだか嫌な予感がします――
帆村ほむら魯公ろこう
戸山とやまの陸軍軍医学校とな……
心してのぞむんだ、風魔ふうまよ!

陸軍軍医学校りくぐんぐんいがっこう中庭なかにわ

戸山とやまの陸軍軍医学校には深夜だというのに中庭に人の気配があった。

【遠崎班技手】
戸山とやまの怪光現象、やはり本当だった。
あれは人魂ひとだまなどではない、
もっと科学的サイエンスなものだ。

【田島班員】
衛戍えいじゅ病院のモルグで光がって……
その光がこっちに来たのか?
今の、そうなんじゃないのか?
私はバケモノなど信じちゃいない。
――だが、今の光は説明がつかない。
科学だけでは説明がつかないんだ!

【泣きそうな看護婦】
私、わかったんです。
今の光……きっと静江しずえ先輩です。
頭の中で先輩の声が聞こえたんです。
先輩は患者さんの身になり看護できる
とても立派な看護婦さんなんです。
患者さんの辛さがわかる――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!

静江しずえ看護婦のアストラル】
ク……ク……
苦しい……
シ……シ……死体から……取った……
ニ……憎しみ……
怒り……すべてぎとった……
ツ……次は…………命!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま! 耳を貸すな!
そいつは審神者さにわのような霊力のある
命を求めておる!
【着信 喪神もがみ梨央りお
携行式けいこうしきセヒラ探信儀たんしんぎ
使ってください!

静江しずえ看護婦のアストラル】
そこのお方……
私はまじめに過ぎました。
患者さんの苦しみを一身に背負い、
そのことが患者さんの救いになると
そう信じていました。
あなたの力で、私を救ってください。
ここから出させてください。
この禍々まがまがしい光の中から!

《バトル》

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし! まだセヒラが……
――次は……講堂、講堂です!

陸軍軍医学校りくぐんぐんいがっこう講堂こうどう

【神埼班班長】
山王さんのう機関のまじない師とは
君のことだったのか?
軍もいきなことをするじゃないか!
――そうだろ? 信じられん!
まじない師をやとってどうする?
かえすがえすも残念だよ。
大事な軍予算を、そんなことに……
医学の進歩こそ我が皇国の務めだろ!
市村君も同感だよね?
【神埼班技手】
班長! 神埼軍医少佐殿!
私も同感であります!
【神埼班班長】
市村君、君はなかなかに心が広い。
そうだよな。それに懊悩おうのうも深い!
いろいろまわせていると聞いたが。

【神埼班技手】
…… ……

【神埼班班長】
いいぞ、その調子だ。
もっと見せてやれ、君のことを!
さぁ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラ探信儀たんしんぎを使ってください!

【神埼班技手】
人生は短く、医学の道は長い。
あははははははは~

《バトル》

【神埼班技手】
フ、フ、フ……
私を越えて行くがいい。
君の道には破壊が待つのみだ。
【神埼班班長】
私の研究員が……
まじない師ごときに負けるとは。
まぁよい。まだ見込みのある
若手研究員はいるからな。
素晴らしい研究披露をお約束するよ。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
周囲からセヒラの反応が消えました。
本部へ帰還してください。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

戸山とやまの怪異はひとまず鎮定ちんていされた。
衛戍えいじゅ病院と軍医学校、2つの医療機関を巻き込んだ騒動であった。

喪神もがみ梨央りお
お帰りなさい、兄さん!
かなり強いセヒラでした……
あの看護婦さん……静江しずえさん……
優しさがあだとなったのでしょうか。
苦しみを一人で受けてしまった……
帆村ほむら魯公ろこう
それで生じた強い思念が、
セヒラを得てアストラルになった、
そういうことだな――
帝都満洲でならわかるが……
戸山とやまにはよほど強い、
負の場みたいなものがあるのかもな。
喪神もがみ梨央りお
それでは陸軍軍医学校の辺り、
今後も重点的に探信たんしんしますか?
帆村ほむら魯公ろこう
そうしたいのは山々だが、
我々だけではどうにもならない。
陸軍省もおいそれと認めんだろう。
喪神もがみ梨央りお
軍と言っても一枚岩では
ないのですね。
兄さん、今夜はお疲れ様でした!