第六章 第一話 敏腕記者

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

風魔ふうまが持ち帰った指輪は4本。
ユリアから預かった分と合わせて5本の指輪はいずれも飯倉いいくら技研で研究されていた――

帆村ほむら魯公ろこう
平生へいぜいは善人、いざという間際まぎわ
急に悪人に変わるから恐ろしい――
指輪はそういう人間のさがあらわすな!
喪神もがみ梨央りお
隊長、新山にいやまさんがお見えです。
新山眞にいやままこと
皆さん、おそろいですね。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう、ほうほう! 
もう指輪の研究が
終わったんですかな?
新山眞にいやままこと
いえいえ、まだ終わっておりません。
帆村ほむら魯公ろこう
ならば、何のご御用で?
新山眞にいやままこと
いや実は、弟がですね、
厄介事やっかいごとに巻き込まれまして。
帆村ほむら魯公ろこう
弟さんは、確か……
新山眞にいやままこと
ええ、興亜日報こうあにっぽうの記者です。
日比谷ひびやの東京支局の勤めです。
帆村ほむら魯公ろこう
その記者さんが、ぜんたいどんな
厄介事やっかいごとに巻き込まれたかな?
新山眞にいやままこと
弟は、和斗かずとといいますが、
帝都の怪人騒動を取材していました。
この山王さんのう機関のことも――
薄々は勘付かんづいていたようです。
目下もっか、和斗の興味は牛頭ごず機構と、
連中が着目する人籟魔じんらいまきなのです。
帆村ほむら魯公ろこう
それはまた厄介やっかいなところに
首を突っ込んだもんだ!
厄介やっかいの総本山であるな!
新山眞にいやままこと
和斗かずとですが、現在、戸山とやまの施設に
監禁されているとセヒラ通機で
連絡してきたのです。
喪神もがみ梨央りお
セヒラ通心機つうしんき、完成したんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
こら、梨央りお
今はその話ではないぞ。
――で、新山にいやまさん、
弟さんは戸山とやまのどちらですか?
あの辺り、いろいろあるのでね……
新山眞にいやままこと
地図を貸してください。
およその見当は付きますので。
帆村ほむら魯公ろこう
了解した。
時間もない、
早速、向かってくれ、風魔ふうま
参謀本部からの視察しさつがある、
そういう話にしておく――
喪神もがみ梨央りお
その作り話、
牛頭ごず機能は信用しますか?
帆村ほむら魯公ろこう
目端めはしく連中は出払っているはずだ。
比類舎ひるいしゃの集団自決を教唆きょうさしたと、頭目の御厨みくりや車夫しゃふが逮捕されたろう……
喪神もがみ梨央りお
新宿旭町あさひまち木賃宿きちんやどから
逃げたんですよね。
帆村ほむら魯公ろこう
逃げたというか、
まぁ自決を躊躇ためらった、
奴は下宿に帰ったところを捕まった。
それで潜伏していた比類舎ひるいしゃの連中が、
芋蔓式いもづるしきに挙げられている。
牛頭ごずにすりゃ格好の材料だ――
新山眞にいやままこと
なるほど――
アナーキストであれば、
かせて、
人籟魔じんらいまきを作りやすいわけですね!
帆村ほむら魯公ろこう
警察にさきんじて、
連中の潜伏先を当たっているはずだ。
砲工ほうこう学校の視察、今のうちだぞ!
喪神もがみ梨央りお
公務電車、飯田橋いいだばしから若松町わかまつちょうに向かう経路を抑えました。
それと……虹人こうじんさんから連絡が――
帆村ほむら魯公ろこう
おう、丁度ちょうどよい、
虹人こうじんを差し向ける。
向こうで合流してくれ!

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

戸山とやま砲工ほうこう学校は若松町わかまつちょう電停から、1.5キロほどのところにあった。牛込区うしごめくの西の区境にほど近い。

【帆村虹人】
風魔ふうま
どこに行こうか、迷っているのか?
僕は場所を教えてもらったよ。
さっき、兄上が無線で教えてくれた。
――お前、本部から来たんだよな。
僕は浅草あさくさからだ――
兄上の提案でね、
今日は市内を一巡ひとめぐりしていたのさ。
お前も公務電車だろ? 僕もさ!
あれ、二両あるんだな、
そんなこと初めて知ったよ!

瀧本たきもと砲工科生】
お二方は、参謀本部からの……
そうですよね?
――当校、全てが順調であります!
砲の学習と設計に、
日々、精進しております!!
【帆村虹人】
今日はやけに人が少ないようだが……
瀧本たきもと砲工科生】
上級生ならびに教官殿は、
皆、出払っております!

【帆村虹人】
さっき梨央りおから聞いたよ。
アナーキスト連中を、
人籟魔じんらいまきの候補にする計画だって。
それで出払ってるんだろ?
ここが牛頭ごずの関係なら……
警察の情報も筒抜つつぬけなんだな!

須沢すざわ砲工科生】
視察、ご苦労様であります!!
自分、九五式迫撃砲はくげきほうの改良を、
任されております!
該砲がいほうは、可変砲かへんほうにあります!
口径こうけい、三段階にて可変するもので、
大國屋おおくにや機械社で開発されました!
【帆村虹人】
ええ、そうなのか?

大國屋だいこくやといえば、あの変人の、
ナナオセンジロウの工廠こうしょうだ。
あの人、奉天ホウテン錠前屋じょうまえやだったらしい。
英吉利イギリスのチャブ錠というのを真似まねて、
すごい錠前作ったそうだよ――

ところで、君、
ここに新聞記者がいるって聞いたが、
見かけなかったか?
須沢すざわ砲工科生】
――
あっ、いえ、ちっともです!
天にちかって全然であります!!

【帆村虹人】
ちょっといいか――

虹人こうじん清掃夫せいそうふからそれとなく新山にいやま和斗かずとのことを聞き出した。彼はそれらしき人物を見かけたという――

【帆村虹人】
風魔ふうま、ブンヤはどうやらいるようだ。
中へ入ろう、今のうちだ。

〔戸山砲工ほうこう学校玄関ホ―ル〕

【帆村虹人】
……おい、風魔ふうま――
(普通の砲工ほうこう学校じゃないな……)

検見川けみがわ砲工科生】
視察、ご苦労様です!
自分たちの上級教官様というのは、
神埼かんざき軍医少佐であります!!
神埼かんざき軍医少佐には、
弟さんがいらっしゃいます。
弟さんも軍医様で、
陸軍軍医学校で神埼かんざき班班長を、
なさっておいでです。
【帆村虹人】
神埼かんざき班……
確か、戸山とやま衛戍えいじゅ病院のかいの特務、
その記録にあったな――
やっぱり……
(ここは怪しいぞ)

手島てじま砲工科生】
ようこそ、おいでなさいました!
戸山とやま砲工ほうこう学校へ!
【帆村虹人】
ここでは、何を学んでいるんだ?
手島てじま砲工科生
砲の新技術であります!
【帆村虹人】
参謀に視察報告を上げねばならん、
技術のこと、くわしく教えてくれ。
手島てじま砲工科生】
可変かへん口径こうけいの砲、遠隔にて操作する砲、
自ら標的を探信たんしんする砲、
新物質にて霊異りょういす砲であります!
【帆村虹人】
霊異りょういす?
(こいつら審神者さにわを知っているのか)

【模範囚ト】
視察の方ですね?
【帆村虹人】
――そうだが……
【模範囚ト】
ああ、よかった!
間に合いましたね!
【帆村虹人】
ん?
何に間に合ったんだ?
【模範囚ト】
観察ですよ! これから始まる。
人に極度の苦しみを与えて、
魂の抜ける間際を観察するのです。
【帆村虹人】
お前、何の話をしている?
――もしや、新山にいやま和斗かずとのことか!
【模範囚ト】
ほう! よく知っているな!
――お前達が偽物にせものなのはお見通しだ。
そういうのはらしめないとな!
【模範囚ト】
ウハハハハ!
油断したな、貴様らの帆村ほむら流とは、
その程度のものか!

《バトル》

【模範囚ト】
フフフ……
我々の計略は奥深いのだ……
【帆村虹人】
ぬかった……
ちょっと油断したんだ……
僕は……お前と一緒だと……

瀧本たきもと砲工科生】
――
今より、一瞬、停電します。
それにより……
【帆村虹人】
停電するって、どういう意味だ?
瀧本たきもと砲工科生】
停電によって地下室の扉が開きます。
記者さんはそこにいます。
――停電時間は一瞬です!
これは千載一遇せんざいいちぐうの機会なのです。
さぁ、教官らが戻る前に、早く!

【帆村虹人】
電気が消えたぞ!
風魔ふうま、地下室だ!
あそこの階段じゃないか。

〔戸山砲工ほうこう地下室〕

【帆村虹人】
おい、風魔ふうま
そこにいるの、ブンヤじゃないか?
【新山和斗】
――
気を付けたほうがいいですよ。
【帆村虹人】
貴方を助けに来ました。
――動けますか?
【新山和斗】
危ない!!
【模範囚ナ】
今日はあれですか?
――葬式ですかね?
【帆村虹人】
貴様、何を言っている!
【模範囚ナ】
帆村ほむら帰神きしん法、本日、終われり。
牛頭ごず機構の前では、赤子も同然。
そうではないですか?
【帆村虹人】
帆村ほむら流、貴様らの邪流じゃりゅうに、
負けるものではない!
【模範囚ナ】
それはさぞかし軒昂けんこうなことで!
では参りましょうか!!

《バトル》

【模範囚ナ】
なるほど!
我々ももっと研鑽けんさん積む必要が……
……ありそう……です……
【新山和斗】
わかったでしょう!
ここは牛頭ごず機構の影響下にある。
僕がぎつけたんです――
【帆村虹人】
随分と危ない橋を渡りましたね。
さぁ、戻りましょう。
お兄さんが心配されておいでです。
【新山和斗】
僕の調査、役に立ちますよね!

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

【山郷武揚】
残念ながら、今は主だった連中、
皆、出払っていてね――
【新山和斗】
あなたは……
もしや、牛頭ごず機構の頭目とうもく
その人ですね!
【山郷武揚】
私はただの民間人だよ。
ここもただの砲工ほうこう学校だ――
そうではなかったかな?
【新山和斗】
あなた達はここで人籟魔じんらいまの、
研究開発を行っている。
人の魂を食うだ!
【山郷武揚】
君にはなるものが見えるのか?
私には見えんが……
皆、参謀本部のでっち上げだ。
連隊に怪人部隊をもうける、
そんな話もあるようだな。
余計なことに巻き込まれないことだ。
【新山和斗】
防疫研ぼうえきけんと組むのは何故なぜですか?
あるいは市ヶ谷いちがや刑務所、
あそことはどういう関係ですか?
【山郷武揚】
私はね、受刑者の更生こうせいに、
尽力じんりょくしているのだよ。
さぁ、急がなくては!

【山郷武揚】
おお、ちょうどよかった。
戻りが早かったな、少佐。
彼らの相手をしてやってくれ!
神埼かんざき軍医少佐】
もう用事は済んだのですか、
お二方は?
【帆村虹人】
あんた、もしかして軍医か?
神埼かんざき軍医少佐】
しつけが出来ていませんねぇ、
軍属風情ふぜいがその口の聞きようですか!
――山王さんのう機関には教育が必要ですね。
【新山和斗】
これは驚きだ、
砲工ほうこう学校に医者がいるとはね!
いったい、何の研究をするのですか?
神埼かんざき軍医少佐】
君かね、ちょろちょろまわる、
三流記者というのは?
材料になったと報告を受けたが――
【帆村虹人】
材料とは何ですか?
人籟魔じんらいまの材料ですか?
――ここではその研究を……

神埼かんざき軍医少佐】
おやおや!
山王さんのう審神者さにわにも効きましたか!
この新型閃光弾せんこうだん

さて、弟から報告は来ていますよ。
君とお手合わせ願えるとは、
光栄の極みですな!

《バトル》

神埼かんざき軍医少佐】
素晴らしい! 実に見事だ!
私に新たなる目標が出来た。
――感謝……する……よ……
【帆村虹人】
――風魔ふうま……済まない……
さっきの油断が……尾を引いている!
――公務電車を、呼んでくれ……

〔山王ホテルロビ―〕

3人は公務電車で赤坂あかさかまで戻った。電車は山王下さんのうした電停に留置された。

新山にいやま和斗かずと
さっきはいきなりでした。
目眩めくらましでも使ったんですかね。
僕はどうやら、真相に近づき過ぎ、
連中の警戒心を高めてしまった。
でもね、あきらめる気なんてないですよ!
ところで、あなた、
手に持つそれ、当社の原稿用紙です。
作家に渡すものです――
帆村ほむら虹人こうじん
ああ、これは兄が無線で、
砲工ほうこう学校の場所を知らせてくれ、
持っていた紙に書いたのですが……
新山にいやま和斗かずと
その用紙、貴方がお持ちだった、
そういうことなんですか?
帆村ほむら虹人こうじん
……実を言うと
僕は貴紙の投稿者です。
ペンネ―ム、白金江しろかねこうと言います。
時に投稿小説を書きます。
新山にいやま和斗かずと
ああ、あの白金江しろかねこうさんですか!
たしか、秋宮あきみやという小説ですね。
諏訪すわの旧家を舞台にした三姉妹の――
新山眞にいやままこと
なるほど、投稿作家が
こんなところにいたとは驚きです。
新山にいやま和斗かずと
ああ、兄貴!
セヒラ通心機つうしんき、ちゃんと使えたよ。
それにしても危なかった――
新山眞にいやままこと
ちぃとばかり、深入りが過ぎた、
およそ、そんなところだろう。
今はいろいろ不安定な時期だ……
新山にいやま和斗かずと
比類舎ひるいしゃ御厨みくりや車夫しゃふが逮捕され、
残された連中が不満をたぎらす、
これは想像にかたくない――
新山にいやま和斗かずと
牛頭ごず機構にすればそういう人間は、
人籟魔じんらいまの材料にうってつけだ。
こぞって捕獲に乗り出すはず――
帆村ほむら虹人こうじん
あの砲工ほうこう学校が牛頭ごず機構の本拠だと、
知っていたのですか?
新山にいやま和斗かずと
勿論もちろん! 市ヶ谷いちがや刑務所、砲工ほうこう学校、
どちらにも牛頭ごず機構の構成員はいる。
防疫ぼうえき研究所にもいるといううわさです。
新山眞にいやままこと
いろいろ首を突っ込みすぎるなよ。
今回は運が良かったといえる。
この次はどうなるかわからんぞ。
新山にいやま和斗かずと
まぁ、程々にやりますよ。
新山にいやま和斗かずと
じゃあ、皆さん、僕は失敬しっけいします。
助けていただき、感謝しています。
兄貴、また浅草あさくさ今木いまきに顔出しなって!

新山にいやま和斗かずとは悪びれる風でもなく、軽い足取りでホテルを後にした。その目はすでに遠くを見つめているようだ。

新山眞にいやままこと
ああいう奴なんだ、
勘弁してやってください。

それで、みなさん――
預かった指輪なんですが、
特有の波形がわかりました。
指輪がかもすセヒラの波形です。
それを求めれば、他の指輪の
おそらくわかります。
喪神もがみ梨央りお
その波形の特徴をつかんでおけば、
指輪で怪人になる人を防げますね!
新山眞にいやままこと
ええ、理屈の上ではそうです。
喪神もがみ梨央りお
承知しました!
これから、留意して探信たんしんします。
新山眞にいやままこと
私が心配なのは月詠つくよみ麗華れいかさんです。
あの人は悪戯いたずらに召喚をしている――そう思えてならないのです。
喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさん、行方不明なんですよ!
悪く言わないでください!
新山眞にいやままこと
いえ、決してそんなつもりは……
ただ――
……いずれ問題になりそうです。
喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさん、鈴代すずよさんの側にいて、
術を会得えとくしたんでしょうか……
――そしたら、私も……

第六章 第二話 漸進的交換

〔山王機関本部〕

梅雨つゆも明けやらぬこの日、湿気しけった空気によど山王さんのう機関本部に晴れやかな声が響いた。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、皆さん!
今日からお世話になります、
ユリア・クラウフマンです。
【喪神梨央】
ユ、ユリアさん!!
――じゃ、本当だったんですね、
ユリアさんと虹人こうじんさんの交換って……
【帆村魯公】
そんな頓狂とんきょうな声を上げんでも。
――ああ、そうだ、交換だ、
言わば漸進ぜんしん的交換だな!
【喪神梨央】
虹人こうじんさんは、納得されたんですか、
アーネンエルベ行きを?
【帆村魯公】
するもしないも、決まったことだ。
――もうじき、来るだろう。

【帆村虹人】
遅くなりました!
――あっ、ユリアさん、
もういらしていたんですね!
【ユリア・クラウフマン】
はい!
何だか気持ちがいてしまって!
【喪神梨央】
でも……落ち着きません!
だって……
【帆村魯公】
まぁ、梨央りおの言うこともわかる。
なにせ帝都を舞台としたどもえ勢力、
その一員であるわけだからな!
【喪神梨央】
……
【帆村魯公】
具申ぐしんしたのはわしだが、
計画を決定したのは参謀本部だ。
橘宮親王たちばなのみやしんのうからじかに伝えていただいた。
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー所長も、
この交換計画には前向きです。
ただ――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲン、クルト・ヘーゲンは、
交換など絶対に認められないと、
強硬きょうこうに反対し続けました。
本国の同意はでっち上げだと、
SS親衛隊本部をはじめ、
国家保安本部や作戦本部、
挙句あげくには親衛隊人種管理部にまで、
確認の電報を打っていました。
【喪神梨央】
人種管理部!
【ユリア・クラウフマン】
ええ、あるのです、そういう部署が。
――結局、ヒムラー長官の秘書から、
親衛隊本部の決定と知らされて――
【帆村虹人】
でもまだ、完全には納得していない、
そんな感じですかね。
【喪神梨央】
そんな!
虹人こうじんさんを敵陣に送るような、
そんなことできません!!
【帆村魯公】
何も仲良くしようと言うのじゃない。
帝国陸軍参謀本部とナチ親衛隊本部、
その両者の利益を考えてのことだ。
ユリアさんの技術、
我が方にも大変有用だ。
【ユリア・クラウフマン】
サンノウの召喚術、それに、
強いセフィラを扱う技術、
私たちにもすごく魅力的です。
【喪神梨央】
ユリアさんの技術って、
ホムンクルス、ですよね?
人間と同じくらいに利口りこうなんですか?
【帆村虹人】
ホムンクルスは自我を持つとか、
そういうことかな、
梨央りおの知りたいのは?
【ユリア・クラウフマン】
自我はありません――
ホムンクルスはシュタインの数で
その自律性が決まってくるのです。
【帆村魯公】
シュタイン
さては鈴代すずよ女史が拾ったあの石ですか?

以前、ゴエティアの偽典を狙い、若松町わかまつちょうで待ち伏せを受けた際、鈴代が拾った不思議な石である。

【ユリア・クラウフマン】
シュタイン、こちらにもあるのですね。
そうです、シュタインの数、四の倍数です。
フロイラインは四石で動いています。
【喪神梨央】
この間、麹町こうじまちに現れた、
レーベンクラフト型ホムンクルス、
あれは何石ですか?
【ユリア・クラウフマン】
八石です。自律性が高く、
管理者がいなくても活動できます。
本国から送り込まれました――
【帆村魯公】
ほう! それではユリアさんの、
管理外ということですな!
【ユリア・クラウフマン】
そうです。
レーベンクラフト型は開発途上です。
クルトの扱う執事型も八石です。
【帆村魯公】
なるほど!
いろいろとあるわけですな!
日本製もぜひ開発したいところです。
【喪神梨央】
そろそろ巡視パトロ―ルの時間ですが……
どうされますか、ユリアさん?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、お邪魔じゃなければ、
是非ぜひ、同行させていただきたいです。
――フーマの召喚術……
【喪神梨央】
実は八分課ハチブンに通報があって、
目黒めぐろで怪人を見たと。
強いセヒラは観測しませんが……

〔山王ホテル前〕

【帆村魯公】
梨央りお、通報は目黒めぐろだと言ったな?
目黒めぐろで怪人目撃なんだな?
【喪神梨央】
はい、省線目黒めぐろ駅の近くだとか。
【帆村魯公】
ではユリアさん、
風魔ふうまと同行してください。
山王さんのう機関の公務随行ずいこう任務です。
【ユリア・クラウフマン】
ありがとうございます。
――フーマの召喚、
そばで見られるのですね!
【喪神梨央】
公務電車、使いますよね?
【帆村魯公】
手配を頼む、梨央りお
さて、虹人こうじん、お前は独逸ドイツ大使館だ。
アーネンエルベには連絡済みだ。
【喪神梨央】
ほんとうに良いんですか、虹人こうじんさん。
【帆村虹人】
僕の中には冷まさなきゃいけいない、
そういうものがあるんだ――
冷まして固めなきゃならないものが。
ここから独逸ドイツ大使館へは、
公務電車、出ないよな、梨央りお
【喪神梨央】
ちょうど円タクが来ていますよ。
車なら十分もかかりません。
【帆村魯公】
虹人こうじん、週に一度は帰って来い。
いろいろ報告を聞きたいからな。
【帆村虹人】
承知しました、
帰朝きちょう報告を上げさせていただきます!

それじゃな、風魔ふうま
お前はお前だ、ずっとな!
――変わっちゃだめだ……

【喪神梨央】
ユリアさん、兄さん、
公務電車を手配します。
目黒めぐろまではちょっと遠回りですが、
赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばし清正公前せいしょうこうまえを経由、
省線目黒めぐろ駅前に向かう経路です。

武蔵野むさしの台地を細長く削るように流れる目黒川。省線目黒駅は、崖の西南端に位置していた。省線、目蒲めかま電鉄は崖の切通の中を走る。

〔目黒駅前〕

【着信 喪神梨央】
大崎広小路おおさきひろこうじにある三探で
ぎりぎり探信たんしんできる辺りに、
強いセヒラを観測しました。
これまで特に観測されなかった場所、
何があるかわかりません。
注意してください。
【ユリア・クラウフマン】
やはり、そうなんですね。
広範囲にセフィラを探信たんしんできる技術が
確立しているのですね。
同じこと、
ドイツでも試みましたが――
成功と失敗とを繰り返すばかり。
【曇った目をした書生】
殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を濶歩かっぽして行く
【ユリア・クラウフマン】
……
フーマ、どうしますか?
【曇った目をした書生】
誰か一人
殺してみたいと思ふ時
君一人かい………………
【ユリア・クラウフマン】
何か危険なものを感じます!
【曇った目をした書生】
………………と友が来る

《バトル》

【曇った目をした書生】
――ぜんたい僕はどうしたんだい? 
一寸ちょっとばかし自失したようだね。
蒸し暑くって神経が参っちゃった!

【ユリア・クラウフマン】
セフィラの影響が浅かった。
そういうことなんでしょうか……
ちゃんと廓清かくせいされましたね。

【出張帰りのサラリーマン】
人をいた電車
その中では
赤ン坊が
――まだ続きがあるような、
そんな気がします。
いや、気がするだけですが……
実はね、生糸きいとの仕事で来たんですが、
早く終わったんで麦酒ビールを一杯……
そしたら、頭ン中で声がする――
【ユリア・クラウフマン】
それが、今のですか?
あの詩のような――
さっきの学生さんも……
【出張帰りのサラリーマン】
ついね、口ずさんでしまいました。
あっ、じき汽車の時間です。
私はこれにて――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、この辺り、
やはり何かあるかも知れません。

【話し好きのお手伝い】
私、粗相そそうばっかりするんです。
いつも奥様におしかりを受けて……
あら、西洋のお方!
珍しいわ、小石川こいしかわの方じゃあまり
西洋の方、おいでじゃないんですよ。
そうそう、せんだってのことです、
私、大きな洋皿を落としてしまい、
そのお皿、割れちゃったんです。
綺麗きれいなカナリアの絵のお皿――
カナリアのところで真っ二つに!
【ユリア・クラウフマン】
大丈夫ですか?
あなた、汗がたくさん……
【話し好きのお手伝い】
カナリアの割れたところから
血しほちしおしたゝる
…………
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、私、この方を、
安全な場所へお連れします。
【着信 喪神梨央】
三探の探信たんしんだと、
省線の駅より内側の、
海軍大学の方面が安全です。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
権之助坂ごんのすけざかの方へ向かってください。
強いセヒラ反応です。

権之助坂ごんのすけざか

金梅きんばい女学園の教師】
今朝方、一人の書生しょせいさんと会い、
それ以来、言葉が浮かぶんです――
こういうんですよ、
一瓶ひとびんの白き錠剤
かぞへおはり
窓の青空じつと見つむる
錠剤というのがね、何なのか……
姉はカルモチンをよく飲みますが、
私は寝付きがいいんで飲みません。
ああ、まただ、来た来た、来ました、
あなた、また言葉が浮かびましたよ。
今日は何だか盛況ですな!

カルモチンを紙屑籠くずかごに投げ入れて
又取り出して
ジツと見つめる

まるで言葉がですよ、
私を支配したがっているような、
そんな印象です――
しかし妙なこともあるもんです。
これまでどんなに頭をひねっても、
言葉一つ浮かばない時のほうが――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人物にセヒラは観測されません。
特に問題ないようです。
金梅きんばい女学園の教師】
もう大丈夫です。
私、近くの高女こうじょの教師なのです。
今日は散歩にははなはだ不向きですね!

権之助坂ごんのすけざか

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、さっきの方は安全な場所へ。
お使いで目黒めぐろに来て、急に、
お皿のことが頭をよぎったとか。
お皿を割ったことはないそうです。
【洋裁学校の生徒】
あらこんにちは!
ねぇ、西洋の方って
ドレスをよく着るんですか?
【ユリア・クラウフマン】
私はそうでもないけど……
――ねぇ、あなたはなんともないの?
変な声がしたりしないの?
【洋裁学校の生徒】
変な声……
それって今日のことですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、まぁ、今日じゃなくても……
この辺りでということだけど。
あなたは近所の人ですか?
【洋裁学校の生徒】
いえ、大森おおもり区です。
省線の海岸駅近く――
代々漁師で家族は色黒なんですよ!
【ユリア・クラウフマン】
え?
肌の色のことですか?
 【洋裁学校の生徒
うふふふ、そうよ、
決まってるじゃない!
あなたはとっても色白ね……
【洋裁学校の生徒】
色の白い美しい子を
何となくイヂメて見たさに
仲よしになる
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、また危険を感じます!
【洋裁学校の生徒】
何者かころい気持ち
たゞひとり
アハ/\/\と高笑ひする

《バトル》

【洋裁学校の生徒】
あらこんにちは!
ねぇ、西洋の方って
ドレスをよく着るんですか?
【ユリア・クラウフマン】
――ええ、常にドレスです。
昼と夜とで着替えもします。
あなたは違うのですか?
【洋裁学校の生徒】
嬉しいです!
今度、私のったドレスを、
ぜひ着てみてくださいな!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから要請です!
至急しきゅう広尾ひろおに向かってください!

〔広尾街路〕

虹人こうじんからの要請とのこと、ユリアと風魔ふうま広尾ひろおに向かった。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、ここはヒロオですね。
セフィラが強くなっていますか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
それと……
えーっと、セヒラ観測ですよ!
【不安症の法科生】
新宿旭町あさひまちでの集団自殺、
アナーキストだったらしいです……
我が校にも似た動きがあります。
関係のない僕たちまで、
特高に逮捕されたらどうしよう……
田舎いなかの両親に顔向けできなません!
うわさですけど、本郷ほんごう署の地下には、
この春、拷問室ごうもんしつが作られたそうです。
帝大生を狙い撃ちするのだとか――
日台交易にったいこうえきのサラリーマン】
ここはいつの間に、
花の銀座になったんですかね?
カフェの女給らしきが、
その辺を彷徨さまよっていましたよ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
あれを……
我がフロイラインです!

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、どうしましたか?
――なぜ、ここにいますか?
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……確認……
計算計算……攻撃アングリフ対象……
攻撃……開始シュタ―トスル!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
誰に刷り込みアプドロックされたのですか?
――聞いていますか?
【メイド型ホムンクルス】
攻撃アングリフ……攻撃アングリフ……
開始シュタートスル!!

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
……目標……
解除スル……
【ユリア・クラウフマン】
ごめんなさい、フーマ!
フロイライン、かなり強力に、
刷り込みアプドロックされていました。
【着信 帆村虹人】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、いるのか?
僕だよ、金ノ七号きんのしちごうだよ。
そこで戦闘があったんだな!
【ユリア・クラウフマン】
その声は……コウジンですね!
彼は近くにいるのですか?
ドイツ大使館に向かったはず――
【帆村虹人】
僕は近くにいるさ!
ここは梨央りおから聞いたんだな?
僕に問い合わせがあったからな。
山王さんのうホテルから円タクに乗り、
独逸ドイツ大使館へ向かったんだ。
【ユリア・クラウフマン】
アーネンエルベに向かったんですね。
それで、どうしましたか?
【帆村虹人】
途中、文相官邸のあたりで、
二体のホムンクルスに襲われたんだ。
まるで待ち伏せだよ。
【ユリア・クラウフマン】
え?
それは……
私のフロイラインですか?
【帆村虹人】
わからないさ!
僕は戦わなかったんだ――
ちょうど三宅坂みやけざかの方から、
市電が来たから乗降口に飛び付いた。
うまくホムンクルスを巻いたんだよ。
【ユリア・クラウフマン】
そのフロイラインが、
ヒロオに来たのですね?
【帆村虹人】
おそらく、そうだよ。
ということはもう一体いるな!
【ユリア・クラウフマン】
――感じます……
フロイラインが来ます。
【帆村虹人】
どうする、風魔ふうま
戦うのか?
【ユリア・クラウフマン】
いえ、刷り込みアプドロックを解く方法、
見つけたのです。
【帆村虹人】
へぇ、そんなこともできるのか!
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスの香腺こうせんに、
水銀注射をします。
それで刷り込みアプドロックが解けます。
【帆村虹人】
香腺こうせん
何だか聞き慣れないけど。
それって体の器官なの?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、ホムンクルスにだけあります。
香腺こうせんは指示を記録する器官です。
脳に近いですが記録だけします。
【帆村虹人】
水銀注射で香腺こうせんの記録を消すのか。
――なるほど、興味深い。
【ユリア・クラウフマン】
それでは――
少し時間をください。

【ユリア・クラウフマン】
この子は刷り込みアプドロックが解けました。
もう大丈夫です。
【帆村虹人】
やれやれだな――
僕がアーネンに行くって、
それ、周知のことなんだよね?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、ユンカー所長からは、
そのようにうかがっていますが。
【帆村虹人】
それじゃ、なぜ、ホムンクルスが、
僕を迎え撃とうとするんだい?
【ユリア・クラウフマン】
全てのホムンクルスを、
調整していないおそれがあります。
そこは手落ちです、おびします。
【帆村虹人】
全てって……
一体、いくつあるんだい、
おたくのホムンクルスは?
【ユリア・クラウフマン】
四百八十二体です。
そのすべてをこの帝都に持ち込み、
調整を重ねました。
【帆村虹人】
よ、四百?
じゃ、僕たちが戦っていた怪人も、
中にはホムがいたんじゃないか?
【ユリア・クラウフマン】
ほとんどのホムンクルスは、
ドイツ大使館の倉庫にあります。
【帆村虹人】
それじゃ僕はアーネンに行って、
大丈夫なんだね?
【ユリア・クラウフマン】
念のため、私も同行します。
フーマ、私、コウジンと、
ドイツ大使館へ行き、
その後、サンノウに戻ります。
【帆村虹人】
風魔ふうま……
せっかくお別れしたのに、
ちっともサマにならないね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし広尾ひろお界隈かいわい
セヒラは観測されません。
本部に帰還してください!

ユリアと虹人こうじんは大通りで円タクを拾い、独逸ドイツ大使館へと向かった。

第六章 第三話 タクシーの新怪人

〔山王機関本部〕

その日、山王さんのう機関は朝から慌ただしい空気に包まれていた。第一連隊の部隊が出動したのである――

喪神もがみ梨央りお
兄さん、歩一から三部隊が出動です。
六八、一〇八、一六三の部隊です。
赤坂見附あかさかみつけ封鎖ふうさされています。
一般の通行はできません。
隊長は参謀本部へ――
朝の四時から会議だそうです。
【九頭幸則】
遅くなって悪い、状況調べるのに
やけに時間がかかってしまって――
なんせ、車投げる怪人が、
何人も同時に現れたんだ。
赤坂見附あかさかみつけ四谷見附よつやみつけ市ヶ谷見附いちがやみつけ
軍はこれら交差点を封鎖ふうさしたぞ。
宮城きゅうじょうへの経路を塞いだ。
【喪神梨央】
じゃ、怪人は?
――今、どこにいるんですか?
セヒラ、お堀に沿ってずーっと――
【九頭幸則】
ずーっと観測するのかい?
【喪神梨央】
ええ、そうです――
幸則ゆきのりさん、セヒラが、
繋がっているんですよ!
【九頭幸則】
ええ、そんなに?
じゃ、怪人が数珠じゅずつなぎってこと?
【喪神梨央】
怪人になりそうな人もいるのでは?
【九頭幸則】
風魔ふうま市ヶ谷見附いちがやみつけだ。
怪人を宮城きゅうじょうに行かせてはならん!
【喪神梨央】
公務電車の通行は可能です。
市電三番の経路を使います。
――お気を付けて!

〔市ヶ谷見附〕

公務電車で向かった市ヶ谷いちがやは、確かに軍の車両が道を封鎖ふうさしていた。兵も展開して物々ものものしい雰囲気だった。

【九頭幸則】
おい、なんだこりゃ!
さっそく、怪人のお出ましだ!
【山村一等兵】
中尉殿!
歩一第六八中隊の山村であります!
怪人、まったく手に負えません!
【米田曹長】
同中隊、米田です!
特務中尉、鎮定ちんていをお願いします!
通常の兵力では、
とても太刀打たちうちできません!
燐寸マッチ商】
おい!
大変だ、怪人と目が合ったぞ!!
逃げろ!!

【苛立つ男】
くそっ!
この車は違うじゃないか!
今日はこれで三台目だ!
どこにいやがるんだ――
【召喚小隊御神楽みかぐら曹長】
貴様!
帝都の怪人、一体残さず鎮定ちんていだ!
歩三召喚小隊御神楽が相手する!!
【九頭幸則】
歩三の部隊か!
【召喚小隊御神楽みかぐら曹長】
そうであります、中尉!
今から怪人鎮定ちんていを行います!
【苛立つ男】
あああ、すっかり気分が晴れた……
さぁ、散歩を続けよう!

【召喚小隊御神楽みかぐら曹長】
――あなたは……
山王さんのう機関の機関員の方ですね!
それと歩一の中尉――
【九頭幸則】
歩三にも出動命令があったのか?
【召喚小隊御神楽みかぐら曹長】
参謀本部からあったと聞きます。
自分は鬼龍きりゅう隊長からの命令で。
【九頭幸則】
それで、怪人は何人も出たのか?
【召喚小隊御神楽みかぐら曹長】
今朝から六人です。
連中、例の銀座幻燈会げんとうえの客です。
何でも大きな会場でもよおされたとか。
ただ、何人もが同じく車両を投げる、
それがせません。
我が隊、飯田橋いいだばし方面に向かいます。
ご武運、お祈りします、中尉殿!

【九頭幸則】
何で車投げるのが、
ここにきて急に流行はやりだしたんだ?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラ、まだ下がりません!
警戒してください!

【猫き】
ニャ~ニャ~……
おいら、追い出されるニャ~
おいら猫の又次郎またじろうニャ!
神楽坂かぐらざか女将おかみ
電車通りを散歩していると、
何だか急にむしゃくしゃしてきたの!
おかしいわね……
普段、こんなことないのに!
ここで発散するのも悪くないわね!

《バトル》

神楽坂かぐらざか女将おかみ
何だか気のせいかしら?
まぁいいわ、これで失礼するわ。
【九頭幸則】
怪人になって間がないって感じか。
歩三が飯田橋いいだばしに行くんだ、
俺たちは逆の四谷よつやに向かおう。

〔四谷見附〕

【九頭幸則】
狙いは的中てきちゅうか?
怪人の奴、いやがったぞ!
【召喚小隊斑鳩いかるが軍曹】
お静かに、中尉!
怪人はこちらに気付いていません!
【憎しみをたぎらす男】
はぁはぁはぁ……
こいつは、こいつは……
新怪人じゃない、ただの車だ!
【召喚小隊斑鳩いかるが軍曹】
貴様!
召喚小隊召喚師が鎮定ちんていする!!
【憎しみをたぎらす男】
どういうことですか?
私を鎮定ちんていするとは……
あははは、なかなか愉快です!
【九頭幸則】
軍曹ぐんそう! 気を付けろ!
【憎しみをたぎらす男】
私は君たちとは違う。
憎しみの年月がね、ひときわね、
長いんですよ!!
【九頭幸則】
軍曹ぐんそう
しっかりしろ!
【召喚小隊斑鳩いかるが軍曹】
うう……
そ、そんな!
自分の召喚術が効かないとは――
【憎しみをたぎらす男】
私は新怪人を探すのです。
なんでも車に姿を変えているとか。
【九頭幸則】
新怪人?
そんな奴がいるのか?
【憎しみをたぎらす男】
車に変身しているのです。
いや、他の物に変身しているかも
知れませんがね……
【九頭幸則】
それで車投げて調べてるのか。
みんな、新怪人を探しているんだな?
【憎しみをたぎらす男】
新怪人の方が、
いろいろ楽しそうじゃないですか!
怪人になってもう三年。
次の段階ステエジへ進もうと、
そう決めたのです。
ああ、また力が戻ってきた!
邪魔立てするなら、
容赦ようしゃしませんよ!
【九頭幸則】
風魔ふうま、こいつ、本気だぞ!

《バトル》

【憎しみをたぎらす男】
どうしたんでしょう……
私の中から、憎しみが……
――ああ、消えていく……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
昨夜、若松町わかまつちょうで怪人らしきを見たと、
通報がありました。
【九頭幸則】
新怪人がいるそうだよ。
車とか物に変身するんだそうだ。
その通報は、入ってる?
【着信 喪神梨央】
いえ、ありません、一般中尉。
変わった波形も観測されません。
若松町わかまつちょう、気になります。
念のため、向かってください。
現地で夜まで待機です。
一般中尉も同行されますか?
【九頭幸則】
何だよ、その一般中尉って――
どうせだ、俺も行く。
公務電車をお願いするよ。
【着信 喪神梨央】
飯田橋いいだばしまで上って、
十三番の経路で若松町わかまつちょうへ向かいます。
留置線で待機してください。

〔若松町〕

怪人らしきは夜に現れるという。風魔ふうま九頭くず若松町わかまつちょうで待機した。
――やがて夜になった。

【猫き】
ニャ~ニャ~……
おいら、徳次郎とくじろうの友達ニャ!
おいら、桃次郎ももじろうニャ!
この人、さっき飯田橋いいだばしにいたニャ~
んで、隙間すきま作ったニャ、
あのままじゃ怪人になるニャ!
【九頭幸則】
ん? どうしたんですか?
飯田橋いいだばしに何がありましたか?
【猫き】
お堀の周りをぐるぐる回る、
あやかしがいるニャ!
そいつのせいで、隙間すきま作る人、
増えてるニャ!
俺達、協力して隙間すきまめるニャ。
みんな次男、猫の次男会ニャよ!
この近くにはニャ、
おいらと徳次郎とくじろう
それと又次郎またじろうがいるニャ!

【九頭幸則】
何だこのタクシーは……
誰も乗っていない!
――おお! こいつか、新怪人は!
【猫き】
気を付けるニャ!
――あやかしニャ!

恍惚こうこつとした男】
僕は……僕は……
人に悟られちゃダメなんだ!

《バトル》

恍惚こうこつとした男】
僕は……円タク……
――食うものも食わずに金を貯め、
円タクに乗った。何度も、何度も……
【九頭幸則】
今のタクシーに乗ってきたのか?
恍惚こうこつとした男】
違う!!
あれは、僕だ! 僕自身だ!
僕がタクシーなんだ!
初めて円タクに乗ったのは、
桜の終わる頃だった。
四谷見附よつやみつけで乗り、赤坂方面へ――
溜池通ためいけどおりを下り、虎ノ門、新橋、
銀座の柳を見ながら神田かんだへ上り、
上野広小路うえのひろこうじを経て春日町かすがちょうから、
宮城きゅうじょうのお堀をめぐるようにして、
飯田橋いいだばしを経て四谷見附よつやみつけへ戻る――
僕はこれを五周もしたんだ。
【九頭幸則】
そんなにタクシーが好きなのか?
恍惚こうこつとした男】
何度も円タクに乗るうちに、
タクシーが僕にとって、
特別なものに思えるようになった。
そんなとき、ある小説に出会った――
一人の男が大きな肘掛ひじか椅子いすの中を
生きる場として選ぶ話だ。
みじめな生活しか能のない男が、
椅子の中へ入ると、表では口を
ことすら叶わない麗人れいじんに接近して、
その声を聞き肌に触れられる。
椅子の中の恋。触覚と聴覚の恋。
その不思議で陶酔とうすい的な魅力――
僕の目前で天啓てんけいひらめいたよ。
僕を魅了みりょうしてまないタクシーなら、
もっと強烈な体験ができると。
僕のこの身体をタクシーに変え、
その内側に麗人れいじんを乗客として乗せる。
――この妄想に僕はわれを忘れた。
麗人れいじんが僕の身体の内に腰を下ろし、
僕の身体の窓枠に手を添え、
僕の身体にさぶられて帝都を走る。
僕は僕の身中に麗人れいじんを取り込む。
麗人れいじんは僕の身体のフワフワのシートで
うたた寝をしながらやがて溶ける。
そのとき僕たちは真に合一ごういつする――
嗚呼、この蠱惑こわく的にしてなまめかしい
魔術こそが僕を高みに導く。
【九頭幸則】
でもなぁ……
どんなに強く思っても、
タクシーに姿を変えるなんてな……
恍惚こうこつとした男】
それができたんだよ!
十日前、身体の節々ふしぶしが痛くて、
朝早く、暗いうちに目が覚めた。
するとどうだ、僕は四つんいの
姿勢のまま電車道をしたんだ!
これまでにない速さでだ!
僕はタクシーになっていた。
商店のウィンドウに映る僕は、
すっかりタクシーの姿だった!
【九頭幸則】
もしそうだとして、
客はどうしたんだ?
客を乗せたのか?
恍惚こうこつとした男】
それがちっとも!
そもそも道端でタクシーを
停めるという麗人れいじんはいない。
ああ……どのみち、もうお仕舞しまいだ。
僕は元に戻ってしまった。
みっともない姿の僕に……
もう、僕には絶望しか無い。
妄想ほどめて辛いものはない。
――これが夢なら気が楽なのに!

【内田百間】
なかなか面白いですね、
無人の車ですか。
運転手のいない車……
【九頭幸則】
百間ひゃっけん先生ですね、
今のはタクシーにせられた男です。
【内田百間】
いいではないですか!
実に素晴らしい着想です。
無人のタクシーですね……
私はね、何気ない日常にこそ、
小説のヒントを見出すのです。
ではまた――
【九頭幸則】
これは日常じゃないよなぁ、風魔ふうま
さぁ、戻ろう――

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
タクシーに妄執もうしゅうするがあまり、
とうとうタクシーになってしまった、
そういうことなんだな?
【喪神梨央】
セヒラの波形、不思議な形でした。
タクシーから怪人になった時は、
の怪人波形でしたが……
【帆村魯公】
普通の怪人とはな!
いやぁ、また面倒が増えそうだ。
こういうことは伝染するからな!
【喪神梨央】
新怪人がお堀の周りを回ったので、
怪人になった人もいました。
【帆村魯公】
妄想とセヒラ、
実に由々ゆゆしき問題だ。
セヒラの影響を一切受けずに
生きていくというのが
なんだか難しい世の中になったなぁ。

第六章 第四話 妄執の夏・前編

陸軍の気象部では梅雨つゆ明けを通達、いよいよ帝都に真夏の日差しがそそぐ。

〔山王機関本部〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、お早うございます!
やっと夏になりましたね!
【帆村魯公】
日本では五月頭の立夏りっかから夏、
そう決まっておるが――
梅雨つゆのせいでなかなか実感がかん。
【喪神梨央】
盛夏せいかを実感できるのって短いですね。
八月八日の立秋りっしゅうからもう秋です、
その日からは残暑なんですよ。
【ユリア・クラウフマン】
日本では季節を先取りすることで、
暮らしにはずみをつけていますね。
【帆村魯公】
独逸ドイツではどうなんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ドイツでは急に夏が来る感じです。
夏は夜九時頃まで明るくて、
逆に冬は日が短くて暗い――
【喪神梨央】
……
ユリアさんは冬が苦手ですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ……
出身のブレーメンは北の方で、
冬がとても暗いです。
【喪神梨央】
でも北の方だと夏は日が長くて、
楽しそうですね!

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
皆さん、おそろいですね!
――何でも梅雨つゆが明けたとか!
【喪神梨央】
そう言う幸則ゆきのりさんも、
いつになく晴れやかですね!
【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、クズさん。
さっき、神社に人だかりが……
何かあったんでしょうか?
【九頭幸則】
ああ、そう言えば日枝ひえ神社の階段、
あすこに人がいたな。
あまり気にめなかったけど……
【帆村魯公】
最近の帝都、油断ならん。
梨央りお、セヒラはあるか?
【喪神梨央】
ええ……
これは……
……タクシーのときと似ています。
【帆村魯公】
あのタクシー怪人のときか、
その同じ波形なのか?
【九頭幸則】
また車投げる奴が出たのか?
せっかく梅雨つゆ明けだって言うのに!
【喪神梨央】
波形は似ています――
現れ方が同じかどうかまでは……
【帆村魯公】
風魔ふうま、ちょっと様子を見てきてくれ。
ユリアさんも、どうですか?
【ユリア・クラウフマン】
わかりました、フーマに同行します。

〔日枝神社〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、見てください!
ポストのところに人々が……
さっきもこんな感じでした。
【参拝に来た女性】
私、いろいろあって月に二遍にへん
山王さんのう様にお参りしますが、
こんなところにポストって……
いくら考えても変ですわ。
ポストなんて、おかしいですわ!
これまでなかったですもの。
【通りすがりの大学生】
このポスト、昨日はなかった。
そして今日はある――
これはね、形而上学けいじじょうがく的な問題さ。
僕には謎が解ける気がする――

【???】
恋文こいぶみ、食べたい……)

どこからともなく、声がした――

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
……今、何か聞こえませでしたか?
【訳知り顔の男性】
いやぁ、あなたたちは……
ああ、そうですか、特務機関のね!
ふんふん、ならお教えしましょう!
【ユリア・クラウフマン】
私たちのことを、ご存知ぞんじなのですか?
【訳知り顔の男性】
新聞にもちょくちょく出ていますよ。
それでお教えするのはね、
階段の上にいる子のことです。
あの子はね、
人がポストになるのを見たそうで。
えへへ、これって、いい情報でしょ?
【ユリア・クラウフマン】
ありがとうございます。
ちょっとあそこの子に、
話を聞いてみます。
フーマ、階段の上の子です。
行ってみましょう。

【ユリア・クラウフマン】
ちょっといいかしら……
【不安そうな子供】
……
何だい?
話せることと話せないことがあるよ。
【ユリア・クラウフマン】
あら、そうなの?
人がポストになったんですって。
――あなた、見たんでしょ?
【不安そうな子供】
それは話せない部類のことだね。
【ユリア・クラウフマン】
鳥居とりいのところの人には、
そう話したんでしょ、見たって。
【不安そうな子供】
どうだかなぁ……
その人の勘違いだよ、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
だといいんだけど……
人がポストになるなんて、
ちょっとありえないわ。
【不安そうな子供】
僕もそう思うよ。
【ユリア・クラウフマン】
だって、考えてもご覧なさい。
人は生物、ポストは無生物よ。
神の摂理せつりはんしたことは起きないわ。
あなた、生物と無生物とが、
入れ替わるなんてこと、
信じられる? ありえないでしょ?
【不安そうな子供】
――でも本当なんだ!
【ユリア・クラウフマン】
え?
何が本当なの?
【不安そうな子供】
ポストだよ!
僕の前で人が……
――ほら、あの学生さんだよ!
【ユリア・クラウフマン】
え、どこ?
フーマ! 大変です!
ポストが、人になっています!!

【ユリア・クラウフマン】
あなたは、さっきからいましたか?
【ポストになった学生】
恋文こいぶみ、食べたい――
【ユリア・クラウフマン】
え? なんですって?
【ポストになった学生】
恋文だよ、恋文が食べたい。
僕は見てしまった……
第六高女こうじょ留子とめこさんの恋文を。
理財科りざいかの学生にてた恋文さ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは、その人が好きなの?
【ポストになった学生】
僕は一途いちずだ、留子さん一本だ。
だから、我慢できなくて――
その恋文を食べたんだ!
するとどうだ、留子さんの言葉が、
僕の体内で溶けて血や肉に変わる。
僕は内側から強くなった!
誰にてた恋文であろうと、
それは僕にとっての栄養源さ!
でも、そうそう恋文は手に入らない。
ポストなら――
そう思い付くと、寝ても覚めても、
ポストの事ばかり考える――
今朝、目が覚めたら、
僕はポストになっていたんだ。
【ユリア・クラウフマン】
もしそうだとして、
どうやってここまで来たの?
【ポストになった学生】
全身がゴワゴワした感じで、
上半身がポスト、下半身が人、
その状態で歩いてきた――
明け方、ここに着くと、
僕は完全にポストに変わった――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!
【ポストになった学生】
君たちの来たせいで、
元の姿に戻ってしまった!
まだ一通も恋文を食べちゃいない!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
気を付けてください!

《バトル》

【ポストになった学生】
あああ、もうダメだ!
留子さんの言葉が流れ出す――
僕の中から、全部、流れ出す。
どくどくと、どくどくと――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
こんな現象、初めてです。
人が物になるなんて……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂見附あかさかみつけでセヒラ反応です。
今のと似た波形です――
【ユリア・クラウフマン】
行ってみましょう、フーマ!

〔赤坂見附〕

【青山の女性】
向こうに渡りたいのに、
変な人がいます。
【ユリア・クラウフマン】
あそこにいる男性ですね。
どう変なのですか?
【青山の女性】
自分は歯車だとか、なんとか……
そのようなことを口走っています。
せっかくオウルグリルで、
オムライスを頂こうと思ったのに、
こんなんじゃ、よくありません!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、確認が必要です。
【サラリーマン風の男】
俺は常に真理を求めてきた。
真理だ、わかるか、大真理だ!
だが簡単には見付からない――
ある日、時計屋の前を通りかかり、
俺はすべてを悟ったんだ。
修理でバラされた時計の中に見た――
全くの真理をだ!
美しくも気高い真理の姿をだ!
歯車がまさにそれだ。
フハハハハハ~
それから俺は夢中になった。
真理としての歯車にな。
歯と歯とが緻密ちみつみ合い、
回転して力を伝える――
必要にして十分の力だ。
歯車の回転!
それこそが世界を創り出している。
ついに俺は自覚したんだ。
歯車になってやるってな!
たゆまざる回転!! 力の伝導!!
俺は、俺は、歯車だぁ~!!

《バトル》

【ユリア・クラウフマン】
貴方はまだ歯車ではありません。
人の姿をしています。
【サラリーマン風の男】
……そうなのか……
俺はてっきり……
あああ、まだ足りないんだな!
【ユリア・クラウフマン】
何が足りないのですか?
【サラリーマン風の男】
俺を後押ししてくれる力だよ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
あんな風に機械に執着する人、
メカノフィリアと言います。
自分を蒸気ポンプだと思い込み、
一日中、水をむ人がいました。
ハノーバーの病院にです――
【着信 喪神梨央】
まだセヒラの値、下がりません。
警戒してください!
【近くの若旦那】
私はね、安易あんいな考えは嫌いだ。
何事も丁寧ていねいじゃないとね!
弾条ゼンマイはね、力を丁寧に使う。
そうだろ? この丁寧さがいいんだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
あの人も、メカノフィリアかも……
【メカノフィリアの男】
一気に動作してご覧よ。
またたく間に力はなくなり、
誰からも尊敬されなくなるんだ。
弾条ゼンマイは時間を掛けて、一定に、
そして確実に力を出しきる。
実直だろ? 確かな歩みだろ?
そういう人生にね、私はあこがれる。
【ユリア・クラウフマン】
そんなにあこがれるゼンマイなら、
お店で買えばどうですか?
【メカノフィリアの男】
買うだと! 店で買うだと!
お前、トチ狂ったか!
私が弾条ゼンマイを買うのではない!!
そんな下衆げすなことができるか!
――私こそが弾条ゼンマイなんだ、この私が!!

《バトル》

【メカノフィリアの男】
目一杯に螺子ねじを巻いて、
うんと力を蓄えるんだ。
そうやって、じわじわ攻める!!
【ユリア・クラウフマン】
タクシー怪人の報告、読みました。
強い妄想で人の姿が変わる……
こういうことはすぐに広まります。
対策が必要ですね――
【着信 喪神梨央】
赤坂一帯のセヒラ、収まりました。
本部に帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、ユリアさん!
兄さんも――
【ユリア・クラウフマン】
タクシーのときと同じです、
強い妄想で物に変わってしまう――
ドイツではなかった現象です。
【帆村魯公】
後の二人は物になる寸前だった、
そういうことなんだな?
【喪神梨央】
そのようですね。
物に変わってしまうと、
発見が難しいですね――
セヒラ波形も安定しません、
同じ形を保てないんです。
【帆村魯公】
これは強夢ごうむというやつかもな――
【喪神梨央】
ごうむ……
何ですか、それは?
【帆村魯公】
野水のみず夢走むそうという作家が残した、
強キ夢という短編があってな――
大正期の作品だ。
上級生をおねえさまとしたう女学生が、
その思慕しぼの念が強すぎて、
とうとう人形になる話だ。
【喪神梨央】
それって知ってます!
上級生は日本人形を大切にしていた、
でも家が火事になって焼けちゃう……
女学生は自分が人形になろうと、
髪結かみゆいに行き、着物をまとい、
そうするうちに……
【ユリア・クラウフマン】
人形になるんですか?
【帆村魯公】
そうだ、ある日、人形になる。
それで上級生の家に運ばれる――
【喪神梨央】
でも上級生は、本当は、
日本人形なんか嫌いだった――
火を出したのも、
家にあった日本人形を焼いた、
その時の不注意からでした――
だから、運ばれてきた人形も、
その夜、庭で焼くんです――
【ユリア・クラウフマン】
なんだかミステリーですね。
【喪神梨央】
花と乙女という雑誌に掲載けいさいされ、
結構話題になりました。
その後、人形になったという話が――
【帆村魯公】
うむ。娘が人形になったとか、
そんな話題が巷間こうかんを騒がせたな。
野水のみず夢走むそうは、そのような現象を、
後に強夢ごうむと名付けたんだよ。
新聞の取材を受けてな。
【喪神梨央】
そうだったんですね!
じゃ、タクシーの新怪人らは、
これから強夢ごうむと呼びますか?
【帆村魯公】
ああ、新怪人などと、
はやすような呼び名よりは、
多少はましだろう。

強い妄執もうしゅうが人をして物に変える。セヒラは抜け目なく心のすきを狙う。強夢ごうむ……帝都に新しい怪人が登場した。

第六章 第五話 妄執の夏・後編

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
あっ、兄さん、
今日、ユリアさんは鈴代すずよさんの家に、
行ってらっしゃいます。
麗華れいかさん、もしかすると、
時空じくう狭間はざまとかじゃなく、
帝都の何処どこかにおいでなのかもと、
ホムンクルスの記録を調べて、
わかっていることを、
鈴代すずよさんにお知らせするそうです。
何故なぜ幸則ゆきのりさんも同行中です。
【帆村魯公】
梨央りおは行かなくてもよいのか?
【喪神梨央】
私は本部で探信たんしんの任務が――
【帆村魯公】
他に行くべき先が、あるかもだな。
【喪神梨央】
え? どういうことですか隊長?
【帆村魯公】
先程、八分課ハチブンに通報があった。
料亭の町に市電が現れたとな。
【喪神梨央】
市電、ですか?
――料亭の町って、もしかして……
【帆村魯公】
そうだよ、赤坂、一ツ木通ひとつぎどおりだ。
あすこは電車道でんしゃみちではないな。
【喪神梨央】
勿論もちろん、違います。狭い路地です。
市電というのは、また強夢ごうむですか?
【帆村魯公】
その公算こうさんが大きいな。
強夢ごうむの波形、まだ同定が難しい。
――梨央りおも同行してくれないか。
事象に向き合い、波形を記録する、
近くのほうがあたいは確かだ。
【喪神梨央】
承知しょうちしました!
――兄さん、向かいましょう!

一ツ木通ひとつぎどおり

【喪神梨央】
見てください、兄さん!
――あれは、市電一〇〇〇系です。
【赤坂署の巡査】
お待ちしていました!
いやぁ、これは何の悪戯いたずらでしょうか。
早速さっそく、市の電気局に聞いたのですが、
この車両は電気局のではないと。

【喪神梨央】
ええ?
これ、市の電車ではないんですか?
【赤坂署の巡査】
どうもそのようです。
後はそっちで対処してほしいと――
そっちと言われてもですね、
ほとほと困っておった次第しだいで。
――軍の方でなんとかお願いします。
一ツ木通ひとつぎどおりこまねえさん】
あらぁ、伊達だて旦那衆だんなしゅうでも、
おいでなんかしら?
アタシたちの店は見附みつけの近く、
いつもお座敷ざしき上がるのに、
時には端から端まで歩くのよ――
いっそここに市電走らせれば、
なんてよく言うのよ……
財閥ざいばつおささんなら、
市電の一つや二つ、造作ぞうさないわよね。
丹後町たんごちょうの子ども】
なんかこの電車、
イワシのにおいがするやぁ~
道修町どしょうまちの薬問屋】
ちょうど、神経の学会やけどな、
ウチ、スッポンサーさせてもろうて、
上京しとりまんねん!
先生が読まはる雑誌にな、
ありましてん、おんなじのが!
汽車や電車が好きでしゃーない、
好きすぎておかしなる病気ですわ。
何やらフィリアいますねん……
何やったかな……
――そや、サイダロドロモフィリア!
【着信 帆村魯公】
黒ノ……
おい、聞け、セヒラがあるぞ。
探信儀たんしんぎを使え。
【喪神梨央】
兄さん、やはり強夢ごうむです。
携行式けいこうしき探信儀たんしんぎをお願いします!

【市電になった男】
嗚呼ああ、気恥ずかしいじゃないか!
こんな白昼に、僕が体をさらすなど……
【喪神梨央】
どうして一〇〇〇系に、
なっていたんですか?
【市電になった男】
一〇〇〇系だって?
三〇〇〇系だって?
かないでくれ! 知らないんだ!
僕は車両にはくわしくない。
これ以上はずかしめないでくれないか!
僕は市電の路線が好きだ、それも、
ことほか、十五系統が好きなんだ。
神保町じんぼうちょうから九段下、そして大曲おおまがりへ、
江戸川橋えどがわばしから早稲田わせだ面影橋おもかげばしへ、
ずんずん進む路線だよ。
毎日、地図を開き指でなぞるんだ。
そうこうするうち、僕は自分が市電
そのものであるように感じられた。
大好きな十五系統を走る僕。
僕の果敢はかない妄想は、
なおとめどもなく増長して、
妄想の中では帝都を縦横無尽じゅうおうむじん
ける市電であって、
やがて僕は帝都をめぐる血管となる!
でも……どうしてなんだ?
そんな僕がこんな場所で、
体一つでいるなんて!
まったく不思議じゃないか!
返せ! 僕の市電を、返せ!
僕の体を返すんだ!!

《バトル》

【市電になった男】
飯田橋いいだばし大曲おおまがり東五軒町ひがしごけんちょう
石切橋いしきりばし江戸川橋えどがわばし鶴巻町つるまきちょう関口町せきぐちちょう
それから……
僕の電停はもうない!!
【着信 新山眞】
周囲のセヒラは解消しました。
一度、戻ってください。
はらえのにお願いします。
【喪神梨央】
新山にいやまさん、どうしたんでしょうか?
兄さん、戻りましょう!
波形はちゃんと記録できました。

〔祓えの間〕

【新山眞】
実は、強夢ごうむ化現象に似た波形、
帝都満洲に観察されました。
帝都満洲の高輪延吉たかなわエンキツ方面です。
【喪神梨央】
そこに強夢ごうむ化の原因が、
あるんですか?
【新山眞】
断定はできませんが……
ちゃんと誘導できるよう、
準備をします。
【喪神梨央】
さっき、記録した波形も、
役に立ちそうですね。
兄さん、向かうは高輪たかなわ延吉エンキツです。
私は通信室に戻ります――
同行、楽しかったです!

風魔ふうまゲ―トを抜け、赤坂あかさか哈爾浜ハルピンから、高輪たかなわ延吉エンキツを目指した。

【満鉄車掌】
当列車、お客様のご希望に沿って、
運行しております。
今回の目的地は、
高輪たかなわ延吉エンキツ高輪たかなわ延吉エンキツにございます。

〔高輪延吉エンキツ

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強夢ごうむ化に似た波形があります。
警戒してください!
【研究員Hアストラル】
最近、加藤所長、いよいよ変だ。
防疫研ぼうえきけんの皆にかたよった性愛をすすめる。
自分が猛烈な人形愛好者ペディオフィリアだからと、
研究員まで道連れにしなくても、
いいじゃないか――
僕なんか、困惑している。
困惑しながらも、そうだなぁ、
いて言うなら群衆性愛オクロフィリアかな。
雑踏ざっとうの中にまみれていると、
妙に興奮してくる――
人混みの中で僕は尽き果てるんだ。
【研究員Fアストラル】
鏡を見ていると興奮しますね。
これ、胸像投影性愛カトプトロノフィリアだとか……
加藤所長のおかげで、
僕は新しい自分を知りましたよ。
【婦人靴強夢のアストラル】
シルクの長靴下に包まれた女の足先が、
俺の中にすーっと差し入れられる……
あゝ、俺の身体の内側に張り付くは、
すべらかなる女の足だ……
長靴下はな、シルクの七五番手だぞ!
【着信 喪神梨央】
観測しました!
強夢ごうむ化のセヒラ波形です!
【婦人靴強夢のアストラル】
何だ、今の声は?
女の声がしたぞ!
ああ、やめてくれ!
俺は女は苦手だ、俺は靴だ、
靴として女と触れたいんだ!!
【電話器強夢のアストラル】
新しく出た三号自動式よりな、
こっちのがいいんだ、二号自動式な!
正しくは二号自動式卓上電話器だ。
大きな送話口はささやごえすら逃さない。
取り回し抜群ばつぐんの受話器からは、
相手の声が明瞭めいりょうに聞こえ、
あたかも目の前でしゃべるかのごとし!
回転盤ダイアルをジーコ、ジーコと回す、
あの胸の高鳴りたるや、至福しふくの時ぞ!
あんたは、どうして冷静でいられる?
さては、僕の夢を壊しに来たな!
いつかこういう時が来ると思ったよ!

《バトル》

【電話器強夢のアストラル】
受話器を外してから
回転盤かいてんばん指止ゆびどめまで回しておはなしなさい
――注意書きのなんたる優しさよ!
【着信 喪神梨央】
今の人、帝都の何処どこかで、
強夢ごうむになっているようです……
廓清かくせいされて人に戻ったでしょうか?
帥士すいしの近辺ですが、
まだ強夢ごうむ化のセヒラ波形があります。
警戒して進んでください。

〔高輪延吉エンキツ

【人間椅子強夢ごうむのアストラル】
常から、引け目を感じながら、
陋巷ろうこうすみに暮らす他、能のない、
そんな私が、住む世界を変える――
ひそかに椅子いすの中へ入り、
窮屈きゅうくつさえ辛抱しんぼうすれば、
表の世界ではそばへ寄ることすら無理、
口をきくなどもってのほか麗人れいじんと、
なんと椅子いすの革一枚をへだて、
接することができるのです!
椅子いすの中の恋です。
それがどんなに陶酔とうすい的なものか、
想像にかたくありません――
でも、革一枚をへだてずに、
じかに触れたならば、如何いかがでしょうか?
ええ? 如何いかがでしょうか?
そう考えた瞬間、私は、
体のしんが空へ駆け上がるような、
かつてない快感につつまれました。
私は気を失ってしまい、
次に目覚めると、
椅子いすになっていたのです。
しかしながら、私は、
自分の下宿で椅子いすとなりました。
ここに麗人れいじんのいるはずもない――
こうして思念を彷徨さまよわすうちに、
いろいろ知りました――
さぁ、私を戻してください!

《バトル》

【人間椅子強夢ごうむのアストラル】
これで……戻れるでしょうか……
……椅子いすのまま固まったら……
ど……う……しよう……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その辺り、セヒラが下がりました。
帰還いただいて大丈夫です!

〔山王機関本部〕

【如月鈴代】
無沙汰ぶさたしています、風魔ふうまさん。
――今、お戻りなんですね。
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、麗華れいかさんのこと、
何かわかりましたか?
居場所とか……
【如月鈴代】
ユリアさんがおっしゃるには、
おそらく市中のどこかだろうと……
それを聞いて少し安心しました。
【喪神梨央】
ですよね……
兄さんが飛ばされた時空じくう狭間はざまじゃ、
何をしていいやら――
【如月鈴代】
うふふふ……
【喪神梨央】
あっ、そうそう、
乱歩らんぽ先生の人間椅子にんげんいすに影響されて、
椅子いすになった人、いたんです。
【如月鈴代】
先程、帆村ほむら先生からうかがいました。
そんなことも、あるんですね。
【喪神梨央】
椅子いすに入ったんじゃなくて、
椅子いすになったんです。
【如月鈴代】
その方、
人の姿に戻ったんでしょうか?
【喪神梨央】
新山にいやまさんに聞いたんですが、
完全に物になってしまう場合も、
あるようですよ。
【如月鈴代】
人間椅子にんげんいす蜘蛛男くもおとこ芋虫いもむし人間豹にんげんひょう……乱歩らんぽ先生の作品は刺激的ですわ!
【喪神梨央】
そのうち乱歩らんぽ先生の作品も、
危険図書とかになりますか?
【如月鈴代】
人って想像するのが好きなんですよ。
楽しいことと危険なことは、
紙一重かみひとえ、そうじゃありませんこと?

第六章 第六話 国立防疫研究所

〔山王機関本部〕

梅雨つゆ明け十日と言うが、まだ蝉の鳴く前の、静かで若々しい夏日が続いていた。

【帆村魯公】
国立防疫ぼうえき研究所だがな、
いよいよ参謀本部が調査に乗り出す。
【喪神梨央】
参謀本部のどの部署が動くんですか?
【帆村魯公】
それぞれの部署だと聞いておる。
経理課なども独自に調査するらしい。
それでうちにも依頼があった――
【喪神梨央】
どんな依頼がありましたか?
【帆村魯公】
常通つねどおり、くまなく巡視パトロ―ルせよと。
あそこは人籟魔じんらいまうわさが絶えん。
――尚更なおさらのことだろう。
【喪神梨央】
国立と名乗っているだけで、
その実態、全くつかめていません――
看板にいつわりりありです。
【帆村魯公】
九頭くず中尉などは、あの場所は、
養蚕ようさん試験場だと思っておったようだ。
参謀本部では、山王さんのう機関と一緒に、
怪人の研究をしていると思う者もいて
どうにも妙な按配あんばいだ。
【喪神梨央】
立場によって見え方が違う、
そういうことなんですかね?
【帆村魯公】
それも含めて調査なんだよ。
いよいよ化けの皮をがすときだな。
ユリアさんも同行願えますか?
【ユリア・クラウフマン】
はい! 
喜んでご一緒します。
――行きましょう、フーマ。
念のため、フロイラインも
連れて行きましょう!
【喪神梨央】
公務電車、赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばしから、
清正公前せいしょうこうまえを経て白金台町しろかねだいまちへ――
その経路を押さえますね。

白金三光町しろかねさんこうちょう

ユリア、メイド型ホムンクルス、それに風魔、3人は公務電車で白金台町しろかねだいまち電停へ。すでに参謀本部の要請を受けた、歩一の混成部隊が展開していた。路上には研究員の姿もある。

【着信 喪神梨央】
三光町さんこうちょう、セヒラ急上昇です。
歩一の部隊到着直後に、
値が高まりました!
【香川曹長】
歩一、三〇八隊の香川であります!
一個小隊の兵が防疫研ぼうえきけんの建物を、
捜索そうさくしております!
【徳島一等兵】
同隊の徳島であります!
捜索隊そうさくたい、もう三十分になるのに、
誰一人として戻りません!
愛島めでしま研究員】
もう防疫研ぼうえきけんはおしまいです――
朝から加藤所長の姿もなく、
師団から支援も来ません。
【ユリア・クラウフマン】
師団というのは?
――防疫研ぼうえきけん所轄しょかつですか?
愛島めでしま研究員】
ゼームス師団です。
正式には東京ゼロ師団と言います。
――私もよくは知らない……
百道ももち研究員】
品川しながわのゼームス坂にある師団です。
同僚が訪れた時は、
高いレンガべいがあるばかりとかで……
【ユリア・クラウフマン】
ということは……
その師団も実在するかわからない、
そうなんですね?
愛島めでしま研究員】
アハハハ!
それを言い出したら、防疫研ぼうえきけんも、
実体は怪しいものです!
【ユリア・クラウフマン】
あなた……
研究員なのですよね?
ここ、防疫ぼうえき研究所の……
愛島めでしま研究員】
こうして表の空気を吸うことで、
私の中では雲は晴れた!
私は真理に近付きつつある!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、更に上昇!
注意してください!
愛島めでしま研究員】
自己本質を認識すれば、
私の内側にある神性が目覚める!
私はようやくその境地に至った!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
怪人はフーマを捕捉ほそくしています!

《バトル》

愛島めでしま研究員】
あああ、自分が……
細かな粒子となって……散っていく!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、ごめんなさい!
フロイラインが間に合わず――
防疫研ぼうえきけんの方へ、行ってみましょう!

白金三光町しろかねさんこうちょう

小籠こごめ研究員】
私たちは所長の指示に、
従っただけだ!
【ユリア・クラウフマン】
ここで何をしていたんですか?
小籠こごめ研究員】
人籟魔じんらいまの研究だ。
かれてすぐ魂をわれると、
ヒト由来のが生まれる――
小籠こごめ研究員】
ヒト由来のは扱いやすい。
ただの怪人風情ふぜいでも、
結構な使いとなれる――
【ユリア・クラウフマン】
それは東京ゼロ師団の指示で、
行っていたのですか?
小籠こごめ研究員】
ああそうだ、指示はあった。
それより無尽蔵むじんぞうに金があった――
【ユリア・クラウフマン】
イチガヤ刑務所とは、
どういう関係ですか?
小籠こごめ研究員】
牛頭ごず機構の連中が囚人しゅうじんを調達する、
それを材料に人籟魔じんらいまを作る。
人籟魔じんらいま牛頭ごず機構が扱う――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの上昇、確認しました!
小籠こごめ研究員】
人形好きの加藤所長にそそのかされて、
私は……おかしな性癖せいへきに目覚めた……
まさか、自分の体が変形するとは……
【ユリア・クラウフマン】
あなた、まさか……
小籠こごめ研究員】
私は奇形愛好者ディスモーフォフィリアなんだ……
そう思ううちに、みるみる体が……
ゆがんできた!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
ここはフロイラインが対応します。
先に行ってください!

防疫ぼうえき研究所廊下〕

【佐賀二等兵】
歩一、三〇八隊の佐賀であります!
この先、講堂にしゅうしていたところ、
突然、巨大な陰の出現を見、
兵ら、すべて吸い込まれ、
自分、命辛辛いのちからがらに退避したものです!
蛭ヶ野ひるがの研究員】
あなたも参謀本部からですか?
いろいろ変事が連続しています。
現に、今も――
奥の処置室で変な音がします。
もうここはおしまいです!

〔処置室〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが、
なんとかやり抜きました!
あなたは……
刑務所から連れて来られたんですね?
【被験者ホ】
初にお目にかかりますね。
どちら様ですか?
――もしや、軍の方ですか?
【ユリア・クラウフマン】
あなたは、ここに来て、
どれくらい経ちますか?
まだそれほど時間が経っていないなら
元に戻れるはずです。
【被験者ホ】
元に……戻る……
この私が、ですか?
私は進化しているはずですが。
【ユリア・クラウフマン】
聞いてください、私は研究者です。
あなたの人生を取り戻す、
そのお手伝いができます。
強い意志があれば、
必ず廓清かくせいされるのです。
まずは、ここを出ましょう!
【被験者ホ】
強い意志! あはは、まことに明解、
医者として私は強い意志のもとに、
革命的な技術を求めた!
あなた、医師なのですか?
医の道とは神意しんいそのものだ。
私の指が触れるものは、
すべて光をまとう!
【ユリア・クラウフマン】
それって、どういう意味ですか?
【着信 帆村魯公】
注意するんだ!
そいつは、二人の幼子おさなご
犠牲にした殺人鬼だ!
二人の胃から大腸までを接合して、
人造双子を作り出そうとしたんだ。
医道之神意いどうこれしんいなり、そいつの妄言もうげんだ!

【被験者ホ】
さぁ、博士、私は光を見たわけだが、
慧眼けいがんの持ち主であるあなたであれば、
講釈など時間の無駄だろう!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、廓清かくせいは無理そうです。
とても深く、いています。
【被験者ホ】
まずはそちらの軍人さんかね。
いいでしょう!
光の道へ、歩を進めましょう!!

《バトル》

【被験者ホ】
ううううう……
私は、医の道を信じている!
誰にも邪魔立てはさせない!!
【ユリア・クラウフマン】
小隊丸ごと消えたんですって?
フーマ、講堂に行ってみましょう!

〔講堂〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、見てください!
人形です!
カトウ所長は人形愛好者ペディオフィリアと聞きます。
その人形は……
もしや……カトウ……

【着信 喪神梨央】
セヒラ異常です!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急ぎ、退避してください!!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!!

〔時空の狭間〕

市松いちまつ人形強夢ごうむのアストラル】
私を……固定してくれないか?
この人形の中に固定してくれ。
二度と、人として表に出ないように。

きっかけは尋常じんじょう小学校の時だ。
姉の書棚しょだなに見つけた一冊の本。
野水のみず夢走むそうの短編集だった――
今でもありありと思い出す――
ハトロン紙に包まれた表紙をめくる、
あの指先のハラハラとする感触を――
強キ夢――
その一篇いっぺんは私を魅了した。
上級生をした真知子まちこは、
上級生が好きだった人形になる。
文字通り、姿を変える――
上級生の里子さとこは人形などと思う。
少しも人形が好きではなかった。
家族が勝手に解釈したのだ。
里子の家に運ばれた人形、
すなわち真知子は、
無残にも焼かれてしまう――
だが、私をとりこにしたのは、
里子にうとんじられていた人形だ。
――私もそのようになりたい!
小さな私は、ゾクゾクとした快感に、
激しく身をよじったのだよ!
――ああ、人形になりたい!

人は人形をでてなどいない。
むしろ見て見ない振りさえする――
その哀しみが人形を深くするのだ。
私もそういう存在になりたい――
研究に喜びを見出し、日々邁進まいしんし、
気付くと私は権利を得ていた。

人形になる権利だよ!!
さぁ、私の余分な思念を吹き飛ばし、
私を人形の中に固定してくれ!!

《バトル》

市松いちまつ人形強夢ごうむのアストラル】
かえりみられることのない人形に、
私はなりたい……その望み……
ようやく……私……

【着信 喪神梨央】
兄さん、今、どちらですか?
たぶん白金しろかねですよね……
――公務電車、回しますね。

〔山王機関本部〕
【帆村魯公】
あの鬼畜の医者は、
ほとんに魂を食われていたな!
【ユリア・クラウフマン】
かなり強く憑依ひょういされていました。
あの状態からの廓清かくせいは、
ちょっと考えられません。
我が国にも双子研究が始まろうと……
それは神意しんいなどではありません。
――決して……
【帆村魯公】
それにしても、ユリア女史、
廓清かくせいなどという難しい言葉を
よくご存知ぞんじだな!
【喪神梨央】
ユリアさんはものすごく
勉強熱心なんです。
――私も刺激を受けています!
【ユリア・クラウフマン】
――実は、
研究員怪人の言った言葉が、
気になっているのです――
【帆村魯公】
風魔ふうまの戦った愛島めでしまという名の、
研究員ですかな?
【ユリア・クラウフマン】
そうです――
自己認識によって内なる神性を
解放させるといった話です。
グノーシス派の考えに近いのです。
創造神デミウルゴスの失敗作がこの世であって、
人間の中にそれをただす力がある――
錬金術には多くの学派がありますが、
いずれもグノーシス派の思想と、
響き合うところがあります。
【帆村魯公】
神の子の福音ふくいんとする、
キリスト教とは相容あいいれませんなぁ。
【喪神梨央】
人間の内に神がいるなんて言うと、
完全に異端扱いたんあつかいですものね!
【ユリア・クラウフマン】
錬金術はそこから発展します。
宗教ではなく医学や科学を伴侶はんりょとし、
目覚ましい成果を上げたのです。
【帆村魯公】
それはお父上ですな、
ローレンツ・クラウフマン博士。
万有物質プリマテリアルの生成に成功された――
【ユリア・クラウフマン】
父が初めて生成に成功した物質は、
わずか二秒半で完全崩壊しました。
とても小さく、一億分の八ミリです。
クラウフマンの頭文字で、
カー体と呼ばれている物質です。
そのカー体からホムンクルスの
香腺こうせんが作られるのです。
人間の脳でいう海馬にあたります。
【帆村魯公】
お父上はグノーシス派から、
決別されたようなものですな。
それにより結果を残された――
【ユリア・クラウフマン】
医科学と結びついた錬金術の学派、
実はたくさんあります――
その先駆けにはなったわけです。

人の神性に価値を見出すグノーシス派、そこから距離を置き錬金術の成果を求め、ホムンクルスを生んだユリア・クラウフマン。その彼女が、人の霊異りょういす、アニマの国、日本に来ている。皮肉な運命のめぐわせであった――

第六章 第七話 時の砂

〔山王機関本部〕

その夜、機関本部にはア―ネンエルベに出向しゅっこう中の虹人こうじんの姿があった。

【帆村虹人】
風魔ふうま、久しぶりだな!
防疫研ぼうえきけんで一騒動だって?
一個小隊がまるまる消えたとか……
これもセヒラ異常なのか?
【喪神梨央】
麗華れいかさんが飛ばされたときと同じ、
少なくとも波形は同じでした――
【帆村虹人】
梨央りお、今日、おかしな波形は、
観察しなかったか?
【喪神梨央】
今日は何も観測していません。
まだ通報もありません。
【帆村虹人】
そうか……
【喪神梨央】
どうかしたんですか?
【帆村虹人】
いや、何でもない――
銀座あたりに兆候ちょうこうがないかと……
ふとそう思った次第しだいさ!
アーネンエルベには探信たんしん技術がない、
そのあたりはこっちが進んでるな!

風魔ふうま、ちょっとロビ―で話そうか。

〔山王ホテルロビ―〕

【帆村虹人】
風魔ふうま……
実は今夜、君影会きみかげかいという、
寄り合いがあるんだ。
鈴蘭女学園すずらんじょがくえんの有志による読書会だ。
招待を受ければ、
学外の人間も参加できる。
会は銀座で開かれる――
僕が参加するのは今夜で二回目だ。
今夜は作家として呼ばれている。
会の最後に顔を出す程度だけど――
【鈴蘭女学生久子】
虹人こうじん先生、お待ちになりましたか?
【帆村虹人】
いや、今来たばかりだ。
紹介するよ、こちら喪神もがみ中尉、
こちら、鈴蘭女学園のにしき久子ひさこさん。
【鈴蘭女学生久子】
初めまして、鈴蘭すずらんにしきです。
作家の白金しろかねこう先生は、
私たちの間では虹人こうじん先生ですの。
【帆村虹人】
久子ひさこさん、君影会きみかげかいは、もう始まった?
【鈴蘭女学生久子】
ええ、予定より二十分も早く!
それで私、円タク使って、
急いでこちらに参りましたの!
【帆村虹人】
それは散財したね!
――だとすると、君影会きみかげかい
そろそろ第一部が終わる頃だな……
【鈴蘭女学生久子】
虹人こうじん先生、やはり咲世子さよこさんは、
今夜は欠席されているようです。
――八重子やえこさんはいらっしゃいます。
【帆村虹人】
聞いてくれ。会の参加者に、
挙動きょどうのおかしなのがいると、
そんな話が伝わっている――
その参加者、下鴨しもがも八重子やえこさんだが、
是枝これえだ咲世子さよこさんにご執心なんだよ。
二人とも鈴蘭の同窓生だ。
咲世子さよこさんは、五反田ごたんだ大崎おおさきの、
是枝これえだ大佐の娘さんだよ。
風魔ふうまも会ったことあるだろ?
咲世子さよこさんとは雑誌オフィリアの
投書欄とうしょらんで知り合ったんだ。
互いに文通相手を求めていたから――
ねぇ、久子ひさこさん、
八重子やえこさんがおかしくなったのは、
前回の君影会きみかげかいの後なんだって?
前回、どんなお題だったんだい?
【鈴蘭女学生久子】
はい、小川おがわ未明みめい先生の、
人魚と蝋燭ろうそく、眠い町の二つです。
【帆村虹人】
読書会の最中は、
何も問題なかったんだろ?
【鈴蘭女学生久子】
ええ、いつも通りでした。
ただ――
八重子やえこさんは……
八重子やえこさん、はかま姿で来られたんです。
卒業されて、確か五年……
もう在校生ではないのです!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、どちらですか?
銀座方面、セヒラ確認です。
本日、二度目となりますが、
巡視パトロ―ルお願いします。
【帆村虹人】
銀座にセヒラ!
もしや君影会きみかげかいの会場か!
僕たちは君影会に行く。
風魔ふうま、お前は銀座に向かってくれ。
――今は同行はできないんだ。

〔銀座四丁目〕

【京橋署の巡査】
過日、銀座幻燈会げんとうえの客が、
大勢、繰り出しましてね――
何でも有楽町ゆうらくちょう荘月会館しょうげつかいかんで、
開かれたと言うじゃないですか!
あそこ、千人は入りますよ!
連中が騒ぎを起こすのは、
過去の事例からもう少し先でしょうが
人手不足で頭が痛いんです。
【鈴蘭女学生美代子】
八重子やえこおねえさま、やぶからぼう
どうされたんでしょうか?
かずさん、お心当たりあって?
【鈴蘭女学生和子】
前の君影会きみかげかいの帰りに、
有楽町ゆうらくちょうの待合室で、小説の眠い町に
そっくりな体験をしたんですって!
【鈴蘭女学生美代子】
皆が眠りこける古い町の話でした――
町を訪れた主人公の少年は、
その町で一人の老人に会う。
【鈴蘭女学生和子】
老人はなげくのですわ――
新しい人間がやって来て、
私の領土をみんな奪ってしまった。
【鈴蘭女学生美代子】
いまの人間はすこしの休息やすみもなく、
疲れということも感じなかったら、
【鈴蘭女学生和子】
またたくまにこの地球の上は
砂漠となってしまうのだ。
【鈴蘭女学生美代子】
――老人は疲労の砂を取り出すの。
それは人を疲れさせる砂。
少年は砂をくよう頼まれます。
【鈴蘭女学生和子】
疲労の砂で人間を疲れさせれば、
町はこれ以上、開発されない――
そんなお話ですわ。
【鈴蘭女学生美代子】
――それで八重子やえこおねえさまったら、
どんな体験をなさったの?
小説に似た体験って。
【鈴蘭女学生和子】
待合室で居眠りして目が覚めると、
時間が戻っていたというの。
三度も繰り返したんですって!
【鈴蘭女学生美代子】
それでなの……
時よ戻れぇ~時の砂だぁ~って、
頓狂とんきょうな声を上げるのね!
八重子やえこさんが巾着きんちゃくに持つ砂、
あれはどういうのかしら?
【鈴蘭女学生和子】
三度目の居眠りから覚めたとき、
一人の紳士しんしが時の砂をくれたって、
砂で時が戻るとか言うのよ。

【日台製糖の課長】
おい!
さっきのはかま、あんたらの仲間か!
【鈴蘭女学生美代子】
何ですの、急に!
かずさん、お気を付けて!
【鈴蘭女学生和子】
美代みよさんもよ!
【日台製糖の課長】
私は聞いているんだ!
――私に何かを振り掛けた……
ああ、あの日がやってくる!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です。
注意してください!

【日台製糖の課長】
ああ、来る来る! あの日だ!
また繰り返すのか、あの屈辱を――
――あんな奴に……くそっ!!

《バトル》

【日台製糖の課長】
お早うございます、部長。
今日は三月十八日、月曜です。
私はこれより本社の運輸係長の元へ。
――戻りは……
遅くなるかも知れません……
謝罪報告、今夜中に上げておきます!
【着信 喪神梨央】
今の人、謝りに行くんですね。
しかも本社にいる目下めしたの係長に――
それを繰り返しているようです。
八重子やえこという同窓生がいている、
時の砂、何だか怪しいです。
付近を調べてください。

〔銀座四丁目〕

【鈴蘭女学生久子】
喪神もがみさん!
大変です、虹人こうじん先生が――
虹人こうじん先生が時の砂を掛けられ、
妙なことになりました!
虹人こうじんさんが君影会きみかげかいの会場に入るや、
八重子やえこさん、一目散いちもくさんに走り来て、
先生に砂を掛けたのです!
時よ戻れ、時よ戻れって叫び、
手にした巾着きんちゃくから砂を先生に……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認!
先ほどと同じ波形です。

【帆村虹人】
風魔ふうま
ここで、何してる?
僕は……
だめだ!
――ああ、またあの朝が来るのか!
風魔ふうま、今日は何日だ……
いや、今は、何月……違う!!
何年なんだ、何年何月なんだ?

冬の朝、僕は道場の風呂場にいた。
更衣室こういしつに小さな鏡があった――
鏡の前で僕は左胸に小刀を――
切り落とすなんて考えはないさ、
しるしを刻みたかっただけさ、いましめのね!
僕のあずかり知らぬところで、成長を続ける体にいましめのしるしきざむ――
そうでもしないと自分を保てない、
刀に力を込めたその時、
不意ふいに物陰から梨央りおが現れた――
彼女が更衣室にいたなんて!
彼女は全てを一瞬で理解したよ。
――そして梨央りおは僕に触れた……
僕たちはしばらく向き合っていた。
そして互いの体を抱きすくめた。
一糸いっしまとわぬ姿で――

決して忘れたい過去じゃない。
むしろ僕の原点だ――
けれど……
今夜、同じ朝を二度も体験した。
そして……
――また体験しようとしている!
何度もるものじゃない、
そうだろ! これは原点だ!
――そういうのは、一度きりで……

《バトル》

【帆村虹人】
風魔ふうま……済まない……
――僕は……
自分の原点さえ疑っていたのか?
僕は今、混迷の中にいる!
――自分がわからなくなっている!
風魔ふうま
あとは頼んだぞ!

【着信 喪神梨央】
虹人こうじんさん……
兄さん――
兄さんに話していないことが、
あるんです……
だけど、今は、八重子やえこさんです、
彼女を追ってください!
下大崎しもおおさき是枝邸これえだていに向かいました!

是枝宅前これえだたくまえ

【鈴蘭女学生八重子】
どうしてですの、
咲世子さよこおねえさま!
【是枝咲世子】
八重やえちゃん、
私たち、卒業したのよ。
いつまでも女学生じゃないのよ。
【鈴蘭女学生八重子】
私のおねえさまが、
あの新進作家の虹人こうじん先生に――
それを見るのが辛いのです!
【是枝咲世子】
あら、八重やえちゃん、
それは思い過ごしというものよ。
【鈴蘭女学生八重子】
違います!
おねえさまは好きな人の前で、
またたきが増えるのです。
私はそれを見逃しませんでした!
小川おがわ未明みめいの読書会の夜です!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
高いセヒラの値です!
【是枝咲世子】
喪神もがみ……中尉……
――どうしてここへ?
【鈴蘭女学生八重子】
お前!
私の後をつけて来たな!
時よ戻れ、時よ戻れぇ~
【是枝咲世子】
八重やえちゃん、すのよ!
この方は虹人こうじんさんの――

麻美マ―メイ
喪神もがみさん……
なんとか食い止められました。
あなたがあの日に戻るのを――
戻っていけないのではありません、
せっかく修練しゅうれんを積んだのに、
それが駄目になるおそれもあって――
八重子やえこさんは、おねえさまとしたった
咲世子さよこさんが、新参の虹人こうじんさんに
好意を寄せるのが辛いみたいです。
咲世子さよこさんは軍人の娘だけあって、
何でも自分で決めるタイプですね。
一度決めたら、変えないところも――
だからこそ、八重子やえこさん、
時間を戻したいのでしょうね。
でもそれでは秩序を乱します――

是枝宅前これえだたくまえ

【鈴蘭女学生八重子】
覚悟はいいか、喪神もがみ風魔ふうま
お前は弱き少年同様だ!

《バトル》

【鈴蘭女学生八重子】
はぁ、はぁ、はぁ……
――私の……負けだ……
もう時間は戻らない……
戻った分だけ先に進む、
時の砂を寄越よこした紳士しんしはそう言った。
私は……
何十年と年老いてしまうだろう。
あああ、いやだ、老いたくない!!
……嫌だぁぁぁ~

【是枝咲世子】
八重やえちゃん、結婚に失敗して、
以来、私のところに、
よく顔を出すようになりました。
私たちは仲良しでしたが、
もう女学生時代には戻れない――
八重やえちゃんもやがて気付くでしょう。

喪神もがみさん、私は父を手伝うのです。
ナチ独逸ドイツ猶太ユダヤ迫害はくがいを計画し、
いよいよ予断を許しません。
大連ダイレン特務機関の中条忍なかじょうしのぶさんとは、
頻繁ひんぱんに連絡を取り合って、
N計画を支援していきます。
満洲への猶太ユダヤ人入植が成功すれば、
世界から資金や人材が集まり、
満蒙まんもうの地は盤石ばんじゃくとなります。
でもN計画は乗っ取りの危機にあり、
喪神もがみさんたちの協力が必要です。
またご連絡差し上げると思います。
――虹人こうじんさんにも、
よろしくお伝え下さい。
今晩はお話が聞けなくて、
残念でした――

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん――
虹人こうじんさんのこと、
話していなくて申し訳ありません。
どう切り出していいか、
迷ううちに時間が過ぎてしまい、
話す機会を失ったのです。
【帆村魯公】
わしは何も知らなんだ。
変な言葉遣いは今流かとばかり……
虹人こうじんの奴……
【喪神梨央】
隊長はそれでいいんです。
虹人こうじんさん、本当はこうって言うんです。
そうですよね?
【帆村魯公】
ああ、そうだ、元はこうだ。
改名するというので相談に乗った。
改名と言っても、
こうに人を付け足しただけ、
それで虹人こうじんになったんだ。
奴が尋常じんじょう五年のときのことだ。
難しい問題だが、
おりを見て話をしてみよう――
【喪神梨央】
私たちが知っている虹人こうじんさんは、
この先もずっと変わりません――
そうですよね、兄さん!

【九頭幸則】
夜分、遅く失礼します。
歩一の九頭くずです。
【喪神梨央】
あら、まだ寝ないんですか、
幸則ゆきのりさん。
【九頭幸則】
何だよ、今度は子供扱いか?
さっき聞いたんだけどさ、
銀座の怪人、召喚小隊が鎮定ちんていしたぞ。
風魔ふうま、何か情報なかったのか?
【喪神梨央】
そうなんですね!
まだ残っていたんですか、怪人。
山王さんのう機関も出動したんですよ。
【九頭幸則】
そうか! そりゃ失礼!
何でも時間の粉を振りかけられて、
怪人になったんだってね。
【喪神梨央】
時の砂です。
記憶を呼び覚ます効力があって、
人によっては怪人化するんです。
【九頭幸則】
その出処でどころは、どこなんだい?
【喪神梨央】
鈴蘭出身の女性が手に入れました。
元上級生との関係を断ちたくなく、
時の砂を使おうとしたのです。
【九頭幸則】
上級生との関係ねぇ……
そういうの、あるのかい、普通?
【喪神梨央】
らしいですよ。エスと言います。
シスターのエス、女学生同士が、
擬似ぎじ恋愛におちいるみたいなことです。
【九頭幸則】
おちいるって……
梨央りおちゃんは関心なさそうだね。
【喪神梨央】
ええ、まぁ……
私には縁のない世界ですから。
八重子やえこさんに時の砂を渡したの、
いったい誰なんでしょうか……
これは調査が必要ですね。

図らずも垣間見かいまみえた虹人の出自しゅつじ。彼はアーネンエルベの水が合わないのか、このところ不調が続いていた――

第六章 第八話 愛好者たちの宴

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
去年、新聞をにぎわした佐野勉さのつとむ事件、
覚えているか?
動乱罪に問われたが、未遂でもあり、
五年の有期ゆうき徒刑とけいが確定した。
佐野さの市ヶ谷いちがや刑務所でおつとちゅうだ。

その佐野、死刑にしょせられるという。
――参謀本部から聞いたのだが、
どうもちん……

【式部丞】
帆村ほむら先生、それに喪神もがみさん、
遅くなりました――
【帆村魯公】
ということで、情勢じょうせいに明るい
式部しきべ氏に来てもらったわけだ。
足労そくろうであった、式部しきべ氏。
【式部丞】
司法省に大学の先輩がいましてね。
さっそく佐野さのの件、尋ねてみました。
【帆村魯公】
死刑のこと、どうですかな?
【式部丞】
佐野勉さのつとむについてですが、
司法省でも死刑は既定とのこと、
判決も出ていると――
【帆村魯公】
それは変だな、断然変だ。
判決は確か五年の刑だったはず。
わしの記憶に間違いはないぞ。
【式部丞】
私もそううかがっています。
でも司法省では死刑が確定とのこと。
これはるがないようです。
そもそも、この逮捕劇たいほげき自体、
おかしなところだらけです。
佐野勉さのつとむ亜洲あしゅう鉱山の技術者です。
詩の同好者による礫之会つぶてのかいを結成、
銀座の喫茶店で会合を三回開き、
それが国家動乱を企図きとする
秘密結社の集会だとして、
特高警察に逮捕たいほされたのです。
【帆村魯公】
新聞では詩の同好会を偽装していた、
そのように書き立てられておって、
そんなもんかと思いましたがな。
【式部丞】
そんなことはないでしょう。
司法省の先輩によると、
佐野の下宿から行李こうり一杯に詰まった、
原稿用紙が見つかったそうです。
【帆村魯公】
それが全部詩だったのですな……
いずれにせよ、徒刑とけい五年が死刑とは、
そこのところがとんでもなく臭う――
本日、佐野さのの刑は市ヶ谷いちがや刑務所で
執行されるようだ。
――風魔ふうまや、ちょっと偵察ていさつを頼む。
【式部丞】
何か、力がおよんでいるようです。
――喪神もがみさん、気を付けてください。

〔市ヶ谷刑務所前〕

投刀塚たなつか看守】
はっ、中尉殿!
本日は、死刑執行日であります!
一段と気を引き締めて、
任務に当たります。
――気分が高揚こうようします!

魚貫おにき看守】
久方ぶりの死刑執行であります!
自分は嬉しくって……あ、いや、
大いに緊張しております!
投刀塚たなつか看守】
オニよ、お前は本当に好きだよな!
そういう俺もだ、しかばねの冷たい感触、
想像するだけでぞくぞくするな!
魚貫おにき看守】
これぞ猟奇りょうき人の本懐ほんかいぞ。
ぐふふふふ、早く執行されないか、
もう待ちきれん!
投刀塚たなつか看守】
中尉殿は刑にお立会いですね!
どうぞ、お進みください。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ異常を観測しました!
場所は刑務所内!
立ち入りは不可能です!
――新山にいやまさんに変わります。
【着信 新山眞】
どうやら帝都満洲に原因が、
ありそうです――
はらえのでお待ちしています。

〔祓えの間〕

【新山眞】
市ヶ谷いちがや刑務所、
危ないところでした――
あのまま立ち入ると大変なことに。
今はセヒラは観測しません。
あの異常値、帝都満洲に、
原因がありそうです。
増上寺ぞうじょうじ怪異かいいのときのように、
セヒラの流れ込みがあるのかも……
調べてみてください。

【満鉄車掌】
お客様、市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルに、
御用がお有りですね?
あすこに強いものがあります。
それがせいで、その先、
海拉爾ハイラル満洲里マンチュリには運行できません。
当列車、ただいまより、
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルに向かいます。

【満鉄車掌】
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハル
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルです、
お忘れ物なきようお願いします。

〔市ヶ谷斉斉哈爾チチハル

【牛頭機構構成員Sアストラル】
比類舎ひるいしゃは、すっかり空振りだった。
情報を得て向かった日本橋、
関東ホテルには誰もいなかった!
我々は偽情報をつかまされ、
その間に警察は、
アナーキスト連中の身柄を確保した。
比類舎ひるいしゃの連中が、
人籟魔じんらいまの材料にされること、
警察も警戒していたわけだ。
【牛頭機構構成員Mアストラル】
警察内部にも牛頭ごず機構のメンバー、
入り込んでいるはずなのに……
最近、情報の質が落ちたようです。
【牛頭機構構成員Tアストラル】
おい、あんたに用があるって……
あんた、知ってるんだろ?
――小森さんだよ、話があるそうだ。

【小森時夫のアストラル】
久しぶりだな、喪神もがみ風魔ふうま
死ぬ前の俺がここを彷徨さまよう……
不思議な感じだぜ!
あんたがここに来る頃には、
おれは死んでる、とっくにな。
――俺が裏切ろうとしたからだ!

鈴代すずよ魔鏡まきょうを封じて霊力が絶えた。
それを知った俺は小躍こおどりしたな!
東雲しののめ復活のいい機会だ――
俺の親戚しんせきに鏡職人がいる――
ひゃひゃひゃ、奴に頼めば、
魔鏡なんざすぐできる。
そのことが山郷やまごうさんにバレた――
俺が抜け駆けすると思ったらしい。
まぁ、そのつもりだったけどな!

ちょいと意趣返いしゅがえしをしてやろうとな、
目立つように強めにセヒラ送った。
案の定、あんたが来たってわけだ。
ここにいると俺みたいなのに、
セヒラが集まってくるんだ。
牛頭ごずはそれを利用して、
刑務所をセヒラだらけにして、
あんたをものにすべくたくらんでいる。
俺と戦って、セヒラを散らせ!
そうしたら、あんたは刑務所で
死なずに済むって寸法よ。
準備はいいか、中尉さんよ!

《バトル》

【小森時夫のアストラル】
いい塩梅あんばいだ、いい塩梅あんばいだ~
これで刑務所にセヒラは届かない!
牛頭ごずの奴ら、ざまぁ見ろだ!!
【着信 新山眞】
セヒラ異常の原因、
取り除かれたようです!

帝都満洲を抜けた風魔ふうまは、再び、市ヶ谷いちがや刑務所へと向かった。セヒラ異常は観測されていなかった。

〔市ヶ谷刑務所・入口〕

教良木きょうらぎ看守】
中尉殿!
以前、哲学堂で拝見しました!
百間ひゃっけん先生が猟奇グラフに寄稿して、
なんかややこしいことになった時……
猟奇人はそういうの目敏めざといんです。
渡鹿とろく看守】
おや、奇遇ですね、中尉殿。
猟奇倶楽部くらぶでお会いしましたね。
もっとも中尉はお忙しそうでしたが。
私はね、今日という日を、
待ち望んでいたんです。
何しろ死刑執行エクスキュ―トの日ですからね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし! セヒラ上昇です。
――死体愛好者というのがあります。
ネクロフィリアと呼ぶそうですが、
猟奇倶楽部くらぶの会員に、
そういう一派があると聞きました。

放出はなてん看守】
昨日の晩に大阪から来たんやけどな、
あの佐野さの、いつのまにやら死刑囚、
けったいなこともあるもんやな。
判決では徒刑とけい五年のはずやのにな、
なんや外部から圧力でも
かかったんとちゃうか?
それにしても、アレやな、
市ヶ谷いちがやの看守は気色きしょく悪いのが多いな。
中尉殿もそうおもたはるやろ。

四方寄よもぎ看守】
司法省のお役人がおいでなんですよ。
なにせ国家謀略ぼうりゃく罪の死刑囚ですから、
最期を確認しなくちゃね。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
国家謀略ぼうりゃく罪などという罪状は
存在しません!
四方寄よもぎ看守】
刑務所内に死刑阻止そしの動きがある、
司法省のお役人はそうおっしゃる。
もしや、貴様がそうなのか?

この不満分子め!
私が執行人となってやる!!

《バトル》

四方寄よもぎ看守】
やはり……貴様だったか……
司法省の皇后崎こうがさき刑務局長がお待ちだ。
刑場へ、向かえ……
【着信 喪神梨央】
死体を偏愛へんあいする連中のせいで、
にわかにセヒラが強くなっています。
ただ――
今、新たに観測している波形は、
通常の怪人のものです。
それもかなり強い反応です。

〔刑場〕

皇后崎こうがさき刑務局長】
今回の件は特別だ。
佐野勉さのつとむの罪は重い。
柴崎しばさき刑務次官が自ら司法大臣へ、
執行決定書を提出された。
大臣として判を押さざるを得ない。
佐野さの維神舎いしんしゃの連中と赤坂の高畑たかはた邸へ
行き、蔵相ぞうしょうの寝込みを襲った。
六発撃たれた蔵相は即死だった――
佐野勉さのつとむの刑は、国民の総意だよ。
――違うかな?
【着信 帆村魯公】
何かおかしいぞ!
高畑蔵相たかはたぞうしょうはご健在だ。
それに刑務次官という役職はない!
維新舎いしんしゃなどという結社も存在しない、
そんなもの、聞いたこともないぞ!
惑わされるな!
皇后崎こうがさき刑務局長】
フフフフフ……
愚者ぐしゃは木を見て森を見ずか――
佐野さのは君をおびき寄せるための
おとりだったんだよ、喪神もがみ風魔ふうま
それをつゆも疑わずにやって来るとは!
山王さんのう機関もなかなかに無垢イノセントだ。
おっと、忘れるところだった、
佐野さのの処刑は済んだよ、とどこおくね。
さて、君には私の感嘆かんたんぶりが、
伝わるだろうか?
素晴らしきはアラヤ界だよ。
アラヤ界の造形力というのは、
我々の想像を軽く凌駕りょうがする。
とりわけ憎しみと恐怖は、
たくましさにおいて他を寄せ付けない。
良く育つ種子であるのだ!
さて、我々には特別の種子がある。
今、ここへ、力を繋ごう――

何故だ……
小森はどうした……
何故セヒラを送らない?
とことん役に立たない奴だ――
仕方ない、支援無しで君と向き合う。
君の苦悩からも、
一つや二つは、
良き種子がこぼれ出ることだろう!

《バトル》

【???】
……
ここは……どこですか?
刑務所……でしょうか?
皇后崎こうがさき職員】
私は経理課の皇后崎こうがさきです。
司法省経理課です。
市ヶ谷いちがや刑務所で不正な会計があり、
その調査でおもむいたのですが、
なぜ、こんなところにいるのか……
私はまだ仕事がありますので、
これにて失礼します。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
市ヶ谷いちがや刑務所からセヒラ消滅です。
帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
――死刑、執行されたんですね……
【帆村魯公】
罪状もでっち上げなら、
刑務次官……なんじゃ、そりゃ!
【喪神梨央】
次官は柴崎しばさきとか言いませんでした?
外交官と同じ名字です――
それも気になりますね。
【帆村魯公】
ふむ、風魔ふうまをおびき寄せるために、
徒刑とけい囚を死刑囚に仕立てたのだ。
それも司法省全体で――
【喪神梨央】
司法省の人達は、みんな、
そのことを信じたんでしょうか?
【帆村魯公】
そのように仕向けたんだな。
――何者かがな。
組織は魔法をかけられたみたいに、
その者の意に沿うようになる。
事実を歪曲わいきょくして思い通りに操る……
うむ、に恐ろしい力だ。

ひとりの徒刑とけい囚の死は、大きな力のおよぶ、その象徴のようであった。山王さんのう機関は重苦しい空気に包まれていた。

第六章 第九話 乱歩作『妄楼』前編 

先月末、冒険青年8月号に発表された、江戸川えどがわ乱歩らんぽの描き下ろし小説『妄楼もうろう』――すぐ単行本化され、爆発的ヒットとなった。
元来、乱歩らんぽ作品好きの鈴代すずよ、当然、発売日に初版本を買った組である。普段、ひかえめな鈴代すずよであったが、乱歩らんぽの新作を語る時にはほお紅潮こうちょうさせる。事程左様ことほどさように好きなのである――

〔山王ホテルルビ―〕

【如月鈴代】
梨央りおちゃんにもお話したし、
魯公ろこう先生にもお話しました――
妄楼もうろう、すっかりそらんじましたわ!
風魔ふうまさんにはまだお話していません。
――お話の舞台は九段くだんにある、
望洋館ぼうようかんという下宿ですのよ。
女ばかり六人が暮らします。
その下宿で事件が起きます。
五人の女性が忽然こつぜんと蒸発するのです。
通報者の女性が一人だけ残ります――
【喪神梨央】
あっ、鈴代すずよさん、こんにちは!
【如月鈴代】
あら、梨央りおちゃん。
今、風魔ふうまさんにお聞かせしようと、
始めたばかりなのよ!
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、乱歩らんぽ先生のお話でしょ?
そのことなんですが……
【如月鈴代】
ああ、そうでしたわね、
ご公務に出られるのでしたわね!
【喪神梨央】
兄さん、前に蝶々夫人ちょうちょうふじんの事変、
ありましたよね……
同じような人が市中に出たようです。
皆、妄楼もうろうの登場人物になりきって、
そのことしか話さないとか――
ちょっと様子を見てきてください。
セヒラは観測していませんが……
【如月鈴代】
それなら、私もご一緒しようかしら。
【喪神梨央】
そうですね!
お話、よくご存知ぞんじだし――
でもご用心くださいね!

〔赤坂街路〕

【如月鈴代】
ここにたたずんでいる人たち、
もしかして、そうなのかしら……
妄楼もうろうの登場人物になりきって、
そのことしか話さないって――

【月野沙漠】
麹町こうじまち署のM刑事に是非ぜひにと頼まれて、
九段くだんへとおもむいた、実にね!
実に蒸発の翌週のことだ。
【如月鈴代】
月野つきの沙漠さばくというのが、
妄楼もうろうに登場する私立探偵の名前です。
――おかしな名前ですよね?
【月野沙漠】
望洋館ぼうようかん靖国やすくに神社の裏に建つ、
実にかいな三階建の下宿館だ。
実に実に、建物は二重螺旋らせん構造で、
まるで会津あいづ栄螺堂さざえどう、実に!
窓もななめに付くというこだわりぶり!
昇り階段と下り階段が別々。
階段は一方通行という、実にね。
一〇一号室脇から昇り階段、
三階まで昇って今度は下り階段。
出口脇が一〇二号室――実に!
【如月鈴代】
望洋館ぼうようかんの階段の仕組み、
止宿人ししゅくにん同士がすれ違わない設計つくりです
望洋館ぼうようかん両国りょうごくにある椿油つばきあぶら仲卸商なかおろししょうが、
なかば道楽どうらくで建てたものと、
うわさされています。
【月野沙漠】
麹町こうじまち署に通報したのは、
実に二〇一号室のなおという女学生。
学校では仏文を専攻するという。
直の他に、美禰子みねこ御米およね三千代みちよ
しず千代子ちよこの五人、都合つごう六人が、
望洋館ぼうようかんの各部屋に住む、実にね!

望洋館ぼうようかん止宿人ししゅくにんと部屋番号は次の通り――
101:美禰子みねこ、201:なお
301:三千代みちよ、102:しず
202:千代子ちよこ、302:御米およね

【月野沙漠】
なおから聞いたところでは、
最初にいなくなったのは、
実に一〇一号室の美禰子みねこだという――

【直】
私の部屋、二〇一号室で、
美禰子みねこさんの部屋のぐ上です。
帰るとき、一〇一号室の前を通り、
螺旋らせん階段をぐるっと一周昇って、
二階の自分の部屋に入ります。
【如月鈴代】
三日ばかり美禰子みねこさんの部屋に
人の気配がなくてなおは気付くのです。
その時はあと二人も蒸発していた――
【直】
御米およねさんと三千代みちよさんがいなくなり、
これは変だなと思いました。

【赤坂署の巡査】
結局、しず千代子ちよこまでいなくなり、
なおはようやく麹町こうじまち署に通報を――

ってね、あのね、往来おうらいの邪魔です。
人が辻辻つじつじに立つと通報があり、
やって来たらこの有様。
ぜんたい何かの病質ですか、これは?
【如月鈴代】
風魔ふうまさん、少し歩きましょうか。
他に話が聞けるかもしれません。
最初に蒸発した美禰子みねこさん、
ある会社社長の二号さんでした。
でもその方、病気でお亡くなりに――

【如月鈴代】
あそこの人も……
【月野沙漠】
実に美禰子みねこを付け狙う人物がいた!
それは有楽ホテルのドア係だ、実に!
社長との逢瀬おうせの現場を抑えられ――

美禰子みねこ失踪の被疑者:
  有楽ホテルのドア係

【月野沙漠】
ああ、実に怪しい、実に!
だが、有楽ホテルを訪問するも、
愛想のいいクローク係が応対に出て、
ドア係はしばらく出張中だという。
実に残念至極しごく、被疑者は不在、
話は聞けなかった、実に!
二番目の蒸発者、御米およねであるが、
被疑者は実に平河町ひらかわちょうの酒屋――
普段から性癖せいへき好ましくないという。

御米およね失踪の被疑者:
  平河町ひらかわちょうの酒屋

【月野沙漠】
酒屋、実に電車通にて御米およねに、
ちょっかいを出したという話だ。
なるほど実に怪しい――
実に僕は聴取ちょうしゅに向かったね!
これこそ被疑者だと確信した、実に!
いよいよだ!
【平河町の酒屋】
アッシはね、他意はござんせん!
麹町こうじまち画廊がろうに配達に行ったときにね、
目に留まったお嬢さんですよ。
それがね、たまたま九段くだんのお得意先、
配達の帰りにお嬢さん見たもんでね、
ちょいと声掛けした次第で。
それが何か、あるんすかね!
ええ、アッシが疑われること、
あるんすかねぇ!!

《バトル》

【平河町の酒屋】
アッシはね、そもそも、
この三週間、ずっと入院中でね、
昨日退院したばかりなんすよ!
【如月鈴代】
今の人、御米およねさんの蒸発には、
関係なさそうです。
乱歩らんぽ先生のお話でもそうでした。
溜池ためいけの先まで行ってみましょうか。

【月野沙漠】
実に御米およねはしっかり者との評判。
男にこな掛けられても動じない、実に!
彼女は麹町こうじまち画廊がろうで働いている。
次に僕は、三千代みちよの上司に会った。
実にね、株屋のサラリーマン、
三千代みちよ庶務しょむ課ながら目利めききという。
三番目の蒸発者である三千代みちよは、
実に結構な額を、株にて利殖りしょくする――
【如月鈴代】
三千代みちよさんは株の銘柄めいがらくわしく、
よく高騰こうとう銘柄めいがら的中てきちゅうさせるのです。
斯界しかいでは名の知れた人です。
【三千代の上司】
三千代みちよ君はね、庶務しょむ課に置くのが
はなは勿体無もったいないですよ――
この二月、日台製糖にったいせいとうに買いを入れて、
千円ほどそそんでいましたよ。
日台にったいの株価はこの半年で倍に。
三千代みちよ君の目利めききに皆驚いています。
でも、それがわざわいしてか、
たちの悪い相場師そうばしに狙われて……
警察にも保護を申し出るのですが――

三千代みちよ失踪の被疑者:
  麹町こうじまち相場師そうばし

【麹町の相場師】
私のこと、悪く言う人、多いですよ。
でもね、あの三千代みちよって女ほどじゃ
ありませんよ!
あの女の口車に乗って買った、
ベツレヘム製鉄、一気に下落です。
彼女は私の持ち株で空売り大臣!
私は出汁だしにされたようなもの、
全く、殺したいほど憎い!
【如月鈴代】
風魔ふうまさん、気を付けてください!
――強い瘴気しょうきを感じます!

《バトル》

【麹町の相場師】
先週から私は逗子ずしにおりました。
三千代みちよとも一切の連絡を
っていました――
【如月鈴代】
相場師の人、事件の週は、
逗子ずしホテルに長逗留ながとうりゅうしていたのです。
始終しじゅう、愛人と一緒でした――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山方面でセヒラ観測です!
溜池ためいけから公務電車を使ってください。
鈴代すずよさんはどうされますか?
【如月鈴代】
次は書道家のしずさんの同窓生に、
話を聞くことになります。
しずさんの同窓生は二人います――
【着信 喪神梨央】
それでは鈴代すずよさん、
引き続き同行お願いします。

〔青山街路〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラ観測します。
鈴代すずよさんの安全確保をお願いします。
【如月鈴代】
しずさんの同窓生ですが、
片方が悪意をたぎらせます。
――怪人になるかも知れません。
【月野砂漠】
四番目の蒸発者、しずは書家だという。
実に古風な女性だ、実にね。
しずは実に鈴蘭女学園出身だ。
その同窓の一人、Kから聞いた話、
実に興味深かった、実に! 実に!
【静の同窓生K】
しずさんね、お友達のTさんの家に、
お呼ばれしたことがあって――
その時、Tさんのお父様が、
客間に一人でいたしずさんを……
――かどわかしたんですって!

しず失踪の被疑者:
  同窓生Tの父親

【静の同窓生K】
以来、しずさん、ノイローゼになって、
食べては戻すを繰り返すように……
【静の同窓生T】
あることないこと、
よく言うわねぇ、Kさん!
【静の同窓生K】
あら、Tさん!
私、しずさんからじかうかがってよ!
【静の同窓生T】
あの子、ノイロ―ゼですってね!
ウフフ、元々神経おかしいのよ、
そうじゃなくって?
【静の同窓生K】
そりゃ、アンタのあの親父に、
いやらしい目でまわされた日にゃ、
おかしくもなるってものよ!
【静の同窓生T】
そう仕向けたのはあの子よ!
長靴下脱いだのよ、父の前で。
みだらな生の脚をあらわにした変態アブよ!
【静の同窓生K】
変態アブはどっちかしらね?
親戚の女学生を三週間も、
納屋なやに閉じ込めた変態アブ親父でしょ!
アンタが食べ物運んだんだって!
親子で変態アブね、まったく!
【着信 喪神梨央】
セヒラ急上昇です!
注意してください!
【静の同窓生T】
アハハハハ~
アンタはどう思うのさ?
ええ、真実はひとつじゃないさ!!

《バトル》

【静の同窓生T】
父は確かに変態アブさ!
でも、しず変態アブ、みんな変態アブ
アンタも立派な変態アブさまね!!
【如月鈴代】
鈴蘭同窓生Tさんのお父上は、
莫大小メリヤス工場こうばの社長さんです。
蒸発事件の週、新京シンキョウにおいででした。
――さっきの二人のやり合い、
妄楼もうろうのお話にはありませんでした。
まったく同じじゃないんですね?

【如月鈴代】
月野つきの探偵は、五番目の蒸発者、
千代子ちよこを調べる前に、
これまでの聴取ちょうしゅを振り返ります。
そして彼は強い違和感を
覚えるのですわ――
【月野沙漠】
五番目の蒸発者は、
銀座で女給をする千代子ちよこだ、実に!
しかし、僕はこの事件に、
強い違和感を覚える、実にね!
いや、実に違和感だ――
望洋館ぼうようかんは出入りする止宿人ししゅくにん同士が、
鉢合はちあわせしない構造になっている。
ことごと干渉かんしょうを避ける作りだ、実に!
そこで五人の乙女が蒸発する。
希薄な関係の五人がそろって消える、
実にこのバランスが悪い、実に!
【如月鈴代】
月野つきの探偵は、建物に、
何かトリックがあるのではと考えます。
隠し通路でもあるのではと――
【月野沙漠】
仮に隠し通路があったとして、
実に、止宿人ししゅくにん何処いずこへ?
そして、実に、違和感の元、
もう一つある、実に。
被疑者四人ともにアリバイがある!

被疑者のアリバイ:
  ドア係(出張)、
  酒屋(入院)、
  相場師そうばし(旅行)、
  同窓の父(新京)

【月野沙漠】
千代子ちよこの調べはまだだが……
実に、どんな人物が被疑者であるか。
実に、予定を立てよう――
【如月鈴代】
手帳を月野つきの探偵は、
あることに思い至ります。
有楽ホテルのドア係の出張です。
【月野沙漠】
実に! 実に!
僕としたことが、見落としていた!
ドア係だ、出張中というが、
ドア係にいったいどんな出張だ!
怪しい、実に怪しい!
あああ、ドアドアドアだ、有楽だ!!
【如月鈴代】
月野つきの探偵はやってきた市電に乗り、
有楽ホテルへ向かいます。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座方面で強いセヒラを観測!
公務電車、三番の経路を通します。
同行者の方は、
山王下さんのうしたで下車お願いします!
【如月鈴代】
少しはお役に立てましたか?
この先、お話は真相に近づきます。
気を付けてくださいね、風魔ふうまさん。

2人を乗せた公務電車は、赤坂見附あかさかみつけを経由して山王下さんのうしたへ。鈴代すずよを降ろし、そのまま銀座ぎんざへ向かった。

第六章 第十話 乱歩作『妄楼』後編 

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座辺りでセヒラ観測します。
ただ、場所が特定できません――
鈴代すずよさんのお話もお伝えします!
月野つきの探偵は、有楽ホテルに向かい、
ドア係のことを尋ねます――

【月野沙漠】
ドア係の出張、実に抜かった!
実にどのような出張なのか!
実に聴取ちょうしゅせねば、実に!
有楽ホテルに着くやいなや、
先日の愛想のいいクローク係が来て、
実に用向きを尋ねた――

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は単刀直入に、
ドア係に出張などないはず、
本当のことを言うようにとせまります。

【有楽ホテルクローク係】
そんなことはございません!
あのドア係、実に勉強熱心でして!
将来、コンシェルジェを目指します。
コンシェルジェはホテルの顔、
仏蘭西フランスでは金の鍵ル・クレドールという表彰ひょうしょうまで、
ございますのです!
今はドア係として研鑽けんさんを積む日々、
この三週間、津軽つがるにて合宿です。
ホテルも特別に目をかけていまして。

【着信 喪神梨央】
津軽つがるで研修かといぶかしく思いながら、
月野つきの探偵は狐につままれたようになり、
ホテルを後にするのです――
月野つきの探偵の鼻腔びくうには、
酸化した油のような匂いが貼り付き、
クローク係の体臭かと思いました。

【京橋署の巡査】
小官も妄楼もうろう、四度も読みました――
あんな事件に関われたらなどと思い、
本日も勤めております!

【着信 喪神梨央】
探偵月野つきのは、銀座のカフェーへ。
蒸発した千代子ちよこの女給仲間から、
ある重大な事実を知らされます――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
場所も判明、日劇にちげき前です!!

〔日劇前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラです、
十分警戒けいかいしてください!!

【銀座のデパートガール】
びっくりしましたわ!
あれが怪人というものですか?
いきなり車を持ち上げて――
放り投げたんですわ!!

――探偵さんは、銀座の女給Hから、
恐ろしいことを聞くのですわ――
千代子ちよこさんの女給仲間Rは、
支那シナの黒社会と繋がっていて、
人身売買に手を染めているのですわ!

千代子ちよこ失踪の被疑者:
  支那シナの黒社会の構成員

【銀座のデパートガール】
千代子ちよこさん、露西亜ロシアに売られた、
そんなうわさがあるのですわ――
さっきの怪人……
女の人でしたわ――
――もしや……もしやですわ!
【着信 喪神梨央】
強いセヒラ、
隣の街区に移動したようです。
慎重に進んでください!

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強力なセヒラです!
怪人は銀座の女給Rと思われます。
――いや、なりきった愛読者です!
【銀座の女給R】
聞き捨てならないねぇ!
蒸発した女給の責任、
アタシにあるんだって?
冗談じゃないよ!
あの女、千代子ちよこ極悪ごくあくさね!
殺したいのがあるから、
手を貸してくれないかって、
アタシに持ち掛けてきたのさ!
アタシが支那シナ黒幇フェイパンにコネあるの、
あの女は知ってるんだよ!
なのにアタシが疑われるなんて!!
みんな、潰してくれる!!

《バトル》

【銀座の女給R】
黒幇フェイパンには連絡入れたさ。
でもね、暗殺者は来られなかった。
別の黒組織に殺られちまってね!
あの女が殺したいのが誰なのか、
そこまでは知らないさ。
さしずめ自分で殺って、
雲隠れでもしたんじゃないの――
ああ、なんだか取れたわね、
スッキリとね!

【麹町の女学生】
――私、取り乱しましたか……
お恥ずかしいところを、
お見せしてしまいました――
銀座の王城おうじょうデパートで、
姉と待ち合わせがございますの。
――それでは失礼致します。
【着信 喪神梨央】
今の人、すごく安定した波形でした。
これまで何度も怪人化している、
そんな様子でしたよ――

【月野沙漠】
実に! 実に!
千代子ちよこは殺害を依頼した――
それは実現したのか? はたして……
誰を殺そうとしたのか……
――実に、ここに来て怪しいのは、
唯一蒸発していないなおだ、実に!
美禰子みねこはドア係に付け狙われていた。
そのドア係は何日も姿を見せない。
ドア係、被疑者ではなく被害者なのでは……

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵たんていはもう一度望洋館ぼうようかんへ。
丁度、なおが出かけるところでした。

【月野沙漠】
その日のなおの行動、
実に特筆すべきであった!
先ず赤坂オウルグリル、銀座せいまん
日本橋天園てんそのめぐり浅草へ。
実に洋食、うなぎ天婦羅てんぷらのハシゴ!
僕は望洋館ぼうようかんなおを待つことにした。
暗くなってからなおは帰宅した。
実に行きと服が違っていたのだ!
僕の考えは確信に変わった!
まったくもって、実に!
最初から六人などいないのだ、
いるのは一人、他は別の人格、実に!
六人分の食事をしたのだ、実に!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵の張り込む望洋館ぼうようかんに、
なおは帰ってきました。
探偵は二〇一号室へ向かいました。
しかし人がいたのは階下でした。
探偵は、三階まで昇ってまた下り、
一〇一号室を訪ねたのです。
そこは美禰子みねこの部屋でした。

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座二丁目付近でセヒラ反応です。
まだそれほど強くありませんが――

〔銀座二丁目〕

【月野沙漠】
一〇一号室から出てきたのは、
今日、なおとして振る舞っていた
美禰子みねこであった、実に! 実に!
美禰子みねこを付け狙うドア係、
この不在が怪しい、実に怪しい。
津軽つがるに出張というのも実に謎だ!
ドア係の失踪しっそうには美禰子みねこからむ。
美禰子みねこは付け狙いにっていた。
――実に動機は十分だ!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は美禰子みねこに対し、
真相を語るように言いました。
警察には既に連絡済みであると――

【美禰子】
よくわかったわね!
そうさ、他の五人も皆アタシだよ!
最初に生まれたのはなおさ、
可愛い女学生だね。
なおに、もう一回、会いたいかい?
【月野沙漠】
うわぁ!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は逃げ道をふさぐべく、
昇り階段側にいたのです。
美禰子みねこは逆走して玄関から表へ――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区です、急いでください!

【美禰子】
フフフフ~
アタシを付け狙うドア係は、
今頃、東京湾で魚の餌食えじきさ!
黒幇フェイパンに殺らせたのさ!
――そうだよ、ちゃんと日本に来た!
いい仕事をしたってもんよ!!

《バトル》

【美禰子】
アタシが大元おおもとだっていう、
れっきとした証拠でもあるのかい?
ドア係は出張中なんだろ?
【月野沙漠】
実にね、僕が証明しよう!
【美禰子】
おやまぁ、立派なもんだね!
何を証明しようって言うんだい?
【月野沙漠】
美禰子みねこさん!
有楽ホテルのクローク係は、
実は貴女だ!!
【美禰子】
馬鹿言うんじゃないさ!
アタシはあんな安ホテル、
行ったこともないさ!
【月野沙漠】
椿油つばきあぶらだよ、美禰子みねこさん――
あの望洋館ぼうようかん、斜めに付けた窓、
戸車とぐるまの動きを良くするために、
潤滑油じゅんかつゆ代わりに椿油つばきあぶらが使われていた。
六人を自分の中に住まわせる貴女は、
実に六つの部屋で暮らしていた――
すべての部屋に椿油つばきあぶらの香りがする!
毎日、椿油つばきあぶら揮発きはつの中にいて、
いつしか貴女には椿油つばきあぶらの香りが、
実に染み付いてしまったのだよ。
初めて会ったなおさんも、
有楽ホテルのクローク係も、実に同じ椿油つばきあぶらの香りを放っていた――
眼の前にいる貴方もね!!
実に椿油つばきあぶらの見本市だ!
【美禰子】
随分ずいぶんと鼻の利く探偵さんだね!
この匂い、すっかり慣れちまってね!
【月野沙漠】
貴女は千代子ちよこの人格で女給を通じ、
黒幇フェイパンの暗殺者を日本に呼んだ。
そしてドア係を殺させたんだ。
情婦として会社社長との逢瀬おうせの場、
ドア係に見られたんだろう。
さては脅迫でもされていたのか?
【直】
私の部屋、二〇一号室で、
美禰子みねこさんの部屋のぐ上です。

【着信 喪神梨央】
美禰子みねこさんの家は椿油つばきあぶら仲卸商なかおろししょうです。家では多重人格の娘を思い、あの望洋館ぼうようかんを建てたそうです。
麹町こうじまち署に連行された美禰子みねこさん、
多重人格の検査と治療のため、
入院することになります。
黒幇フェイパンの男ですが、大連ダイレン連鎖街れんさがいで、
死体となって発見されました。
犯人はわかっていません――
妄楼もうろうのお話、これでおしまいです――

でも……
兄さん……どういうわけか……
池袋方面にセヒラがあります――
公務電車では遠回りになります。
省線電車を使ってください!
そこからの最寄り駅は有楽町ゆうらくちょうです。

〔池袋駅前〕

有楽町ゆうらくちょうから省線を使って池袋いけぶくろへ。駅前には先程の銀座ぎんざと同じように、人々がたむろしていた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
妄楼もうろうですが、読者が続きを創作して、
語り合っているようです。
それがどんな内容なのか、
鈴代すずよさんもご存じないとか――
注意して巡視パトロ―ルしてください。

【月野沙漠】
有楽ホテルのドア係を殺害した、
支那シナ黒社会黒幇フェイパンの暗殺者!
実に彼は大連ダイレンで殺された!
実に口封くちふうじの匂いがする!
犯人は誰か、実に興味が尽きない。
僕はこれまた目星が付いている。
実に犯人は莫大小メリヤス工場こうばの社長だ。
しずの同窓生Tの父親である、実に!

【池袋署の巡査】
読者たちは、話を終えたくない、
その一心いっしんで続きを作っているとか。
往来おうらいの邪魔は駄目ですよ、実に!

美禰子みねこは3人の人格と被疑者を、巧みに利用してアリバイ工作を図ったのだ。
  三千代みちよ:相場師、
  御米およね:酒屋、
  しず莫大小メリヤス工場こうば社長――

【美禰子】
そうさね!
アタシ一人じゃないよ、
皆の力を借りたさね!

ドア係を殺った黒幇フェイパンだけど、
女給の千代子ちよこに頼んで、
連絡付けてもらったのさ!
あの子は支那シナの黒社会に通じる、
女給Rと同じカフェーで働くからね!
話はトントン拍子で進んださ!
三千代みちよつどっていた相場師には、
常宿のホテルからクロークの制服、
ちょろまかすように頼んだよ。
相場師の仕手しての事実、
三千代みちよはがっちりつかんでいたからね!
なんぼでも言う事聞くのさ!

【御米】
さっしのとおりです――
平河町ひらかわちょうの酒屋を部屋に上げました。
それは三度です……
乗り気はしませんでしたが、
美禰子みねこさんに頼まれて……
それは嫌とは言えないんです。
酒屋には葡萄酒ぶどうしゅを飲ませました。
それは普段飲まないお酒です。
葡萄酒ぶどうしゅには砒素ひそを入れて……
酒屋は具合が悪くなり、病院へ。
入院した酒屋に頼んだのです。
それは……
麻酔薬を盗み出すようにと――
そのように頼んだのです。
私たちの関係を奥さんに告げる、
そうおどすと、酒屋は言うことを聞き、
クロロフォルムを盗み出しました。

【静】
御米およねからもらった麻酔薬を、
Tのお父さんに渡したの。
莫大小メリヤス工場こうばの社長よ――
あの人、私の言うこと、
何でも聞くのよ――
私の脹脛ふくらはぎことほかお気に入りよ。
赤ン坊言葉話しながら、
脹脛ふくらはぎほおずりするのよ!
大連ダイレンにいる黒幇フェイパンのこと、教えたわ。
連鎖街れんさがい村田洋行むらたようこうの二階が隠れ家よ。
あの人、支那シナ人の苦力クーリーを雇って、
黒幇フェイパンの男を殺らせたの――
最初、自分でると言ってたくせに。
でも目的はかなえられたわ。
――すべて丸く収まったのよ!
丸く、丸くね!

【月野沙漠】
五人の女たちの連携れんけい
実に見事である!
実に! 実に!
しかし……
真相が明らかになったとしても、
実に僕の胸の内は晴れない――
なおはこの犯罪にからんでいないのか?
――実にそこが疑問である。
あああ、実に、実に!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
乱歩らんぽ先生の幻影城げんえいじょうで、
彩女あやめさんが――
彩女あやめさんの様子が変だと、
先生から連絡が入ったのです。
幻影城げんえいじょうに急行してください!

周防すおう彩女あやめ幻影城げんえいじょうで変調をきたした。しらせを伝えた梨央りおも事情が飲み込めていない。彩女あやめは何の目的で幻影城げんえいじょうを訪れたのか――

〔幻影城〕

【江戸川乱歩】
お早いですね、喪神もがみさん!
いやね、彩女あやめさんがやってきて、
続きを教えてほしいと……
それで、即興そっきょうで話を作りました。
人格の基本をなおにする結末です。
ドア係に悩むのはなおだった――
その話をすると彩女あやめさん、
急にガタガタと震え始めて……
人が変わったみたいになりました。
――彩女あやめさん、もう大丈夫ですよ。
【周防彩女】
ご心配をおかけしました――
彩女あやめ奈落ならくに落ちそうになり、
必死にしがみつくのです。
彩女あやめの足元にぽっかり穴が空き、
両の足が宙ぶらりんとなり、
その下は真っ暗なのでした――
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、お話がショックでしたか?
【周防彩女】
驚きましたわ――
だって……
だって、だって!
逮捕された美禰子みねこには、
五人の人格があった――
【江戸川乱歩】
けれど、本当は、
なおが基本の人格であった――
即興そっきょうのお話ではそういう前提です。

【周防彩女】
なおさんは有楽ホテルのドア係に、
いやらしい目で見られたり、
家の近くまで来られたり――
それでドア係の殺害を、
思い付くのですわ。
――美禰子みねこの人格を使って……
【江戸川乱歩】
なお美禰子みねこに指示を出し、
黒幇フェイパンにドア係を殺させる。
美禰子みねこ大元おおもとだと思わせて、
実はなおの計略だったという、
少しアレンジしたお話です。

どうしましたか、彩女あやめさん?
【周防彩女】
私、下の部屋をのぞいていたんです。
一〇一号室、美禰子みねこさんの部屋よ。
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、大丈夫ですか?
あなた……もしや、なおなのですか?
【直】
たたみをずらすと、床板に節穴が。
小さな節穴ですが、のぞくには十分。
のぞして発見したのです――

【江戸川乱歩】
あ!
彩女あやめさん!
表に!
喪神もがみさん、追いましょう!

【直】
美禰子みねこさんは、半紙に私の名を書き、
それにしゅでバツをしていました。
そんな半紙が部屋に何十枚も!
――美禰子みねこさん、
私を消そうとたくらんでいたようです。
ならば美禰子みねこさんが、
身動き取れないようにすればいい、
そう思い立ったのです。
フフフフ~
あのドア係が格好の材料でした。
親切にしてもらったことがあります。
私が大荷物持って往生おうじょうしている時、
手を差し伸べてくれました。
あの人は、とてもいい人です。
でも、材料は他になかったの!
仕方ないじゃない!

【???】
いい人かどうかなんて、
関係ないよ、君はどう思う?
僕にとって必要なことをしたまでさ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強力なセヒラ反応です!
見たことのない波形です――

【直】
何かの本で読みました――
善人ほど犠牲ぎせいになるって。
その通りだと思いました。

【???】
きっと君だって同じことをする。
さぁ、僕をそっとしておいてくれる?
【周防彩女】
――彩女あやめ、何かおかしいのですわ!
体がむずむずするのですわ!
どうしましょう――

《バトル》

【周防彩女】
喪神もがみさん……
彩女あやめ、失礼なことしましたか?
きっとしましたわ!
どうしましょう、彩女あやめ
二度と喪神もがみさんに顔向けできません!
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、さぞかしお疲れでしょう。
奥で少しお休みなさい。
シナモン入りの紅茶でも、
ご用意しますよ。

喪神もがみさん……
彩女あやめさんはどこか不安定な、
そういうところがあります――
以前のゴエティア騒動の時にも、
それは感じたのですが……
妄楼もうろうのお話、そんな彩女あやめさんに、
ヒントを貰うようにして書きました。
彩女あやめさんが執筆のきっかけでした――
美禰子みねこなおを消そうとたくらむ話、
これは彩女あやめさんの創作ですね。
――でも興味深い内容です……
いやはや、今回は小説を超えて、
いろいろ騒動が起きました――
今、この帝都自体が、
不安定な状態になっているように、
思えてなりません。
少ししたら、
彩女あやめさんを送り届けます――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラは観測しません。
本部へ帰還してください。

一篇いっぺんの小説が呼び起こした騒動は、やがて収束しゅうそくを見るにいたったが、実は地下にもぐって継続していた。
熱狂的な愛読者によって、登場人物は増え、最終的には24人の人格を生むに至る。その舞台は、12階建ての妄塔もうとうとなった。

第六章 第十一話 タナトスの誘い

〔山王機関本部〕

せみの鳴きしきる上野うえの公園に、またもや奇妙な連中が姿を見せた。死ぬ死ぬを繰り返す厭世人えんせいじんの集団であった。

【喪神梨央】
参謀本部の八分課ハチブンに通報です。
死ぬ死ぬと騒ぐ集団が現れました。
――前にも確か……
【帆村魯公】
うむ、あれは五月頃だったか、
日比谷ひびや公園で、一騒動あったなぁ。
その騒ぎの後、興亜日報こうあにっぽうは、
そうした連中を死ぬ死ぬ団と名付けた。
【喪神梨央】
ええ、そうだったんですか?
帥先そっせんヤじゃないんですね――
すごくかっこ悪い名前です。
【帆村魯公】
そうせよと当局からお達しだ。
一切の教唆きょうさならんと、そういうことだ。
【喪神梨央】
人から好まれるような名前は、
付けちゃだめなんですね。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、みなさん!
【喪神梨央】
ユリアさん、お早うございます!
ちょっとした騒動が、
持ち上がっています。
まだ怪人じゃないんですが、
怪人になりそうな人達が……
場所は上野公園です。
【ユリア・クラウフマン】
ハチブンの情報、知りました。
死ぬ死ぬ団ですよね?
【帆村魯公】
不忍池しのばすのいけの心中事件や、
比類舎ひるいしゃの集団自決など、
自死にまつわる事件が多い――
【ユリア・クラウフマン】
タナトスですね――
【喪神梨央】
それはどういうのですか?
【ユリア・クラウフマン】
死への憧れです。
人間、誰しも死への憧れを、
持っているのです――
心中や自殺に後追いが出るのも、
タナトスによるものなのです。
【喪神梨央】
セヒラが影響していますか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、おそらくは――
セフィラによってタナトスが、
現れやすくなっているのでしょう。
【帆村魯公】
ちょっと様子を見てきてくれ、風魔ふうま
ユリアさんも同行されますか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、喜んで!
今、フロイラインのシュタインを交換中です。
定着するまで時間がかかりますから。
行きましょう、フーマ!

ユリアと風魔ふうまは、三宅坂みやけざかから九段上くだんうえ
神保町じんぼうちょう城西じょうさいめぐる経路で上野に向かった。

〔上野恩賜公園〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください……
この人たちが死ぬ死ぬ団ですね!
麻績村おみむら守衛】
いやはや、困ったもんです……
連中、明け方からこの様子でして、
何を言っても聞かないんです。
死にたいだのたましいになりたいだの、
空気が重くって仕方ありません。
今日は華族かぞくの方が視察においでだ、
早く退いてくれないと――
軍人さん、なんとかしてやって
おくれませんかねぇ。
根津片町ねづかたまちの少女】
あゝ 美しき一輪の花
時とともに色はくすみ
輝きはせ 地にちる
女王は命半ばにしてむくろと果て
私は臥所ふしどの上で静かに死を待つ
【ユリア・クラウフマン】
それはどなたかの詩なの?
根津片町ねづかたまちの少女】
英吉利イギリスの詩人、
デイヴィッド・ウェブの一篇いっぺんよ。
死ぬときはみんな一緒ってことね。
早く来ないかしら、死の間際が!
【ユリア・クラウフマン】
聞いたことのない詩人です。
――あの人にも聞いてみましょう。
谷中三崎町やなかみさきちょうの青年】
僕はね、霊魂が不滅であることを、
オルペウス教を紐解ひもとき、知ったんだ。
【ユリア・クラウフマン】
オルフェウス教のことは、
どうやって知ったんですか?
谷中三崎町やなかみさきちょうの青年】
下宿の部屋に小冊子があった――
見覚えのない冊子だったが、
そこに紹介されていたのさ!
冥府めいふ往還おうかんげた詩人オルペウスを
始祖しそと仰ぐ古代希臘ギリシアの宗教として。
肉体が再生する輪廻りんねの輪を、
悲しみの輪とし、そこから抜け出し、
神々と交わることをとしたんだ。
早く僕もたましいとならねば!
【ユリア・クラウフマン】
オルフェウス教のこと、
大体合っていると思います。
でも、フーマ……
部屋にあった小冊子って、
どこから現れたのでしょうか?
上根岸町かみねぎしちょうの令嬢】
あゝ、オフィーリアの感傷かんしょうよ……
異人さん、エヴェレット・ミレイの
オフィーリアはご存知かしら?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、知っています。
川に身を投じたオフィーリアですね。
ロンドンのテート美術館にあります。
上根岸町かみねぎしちょうの令嬢】
倫敦ロンドン! 素晴らしいですわ!
私、オフィーリアのあのうつろな目は
やがて苦しみを解かれ喜色きしょくに変わる、
そう信じて疑いませんことよ。
――私も……風のない静かな朝、
伊豆いず一碧湖いっぺきこ入水じゅすいしたい……
水中にこの体を沈め、
ゆらゆらとれてみたい――
私はいざなわれているのです……
【ユリア・クラウフマン】
今日は暑くなりそうよ……
上根岸町かみねぎしちょうの令嬢】
そうですわね――
暑いのはいやですわ。
冷たい家に帰り、冷たくなりましょう!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、この人はかなり、
タナトスが強いようです――
注意するよう、本部に伝えますね。

上車坂町かみくるまざかちょうの旦那】
私はね、死というものは
まるで甘露かんろのような味わいだろう、
かねがねそう考えていたんだ。
ああ、甘露かんろ甘露かんろ、私を包む甘露かんろよ!
強く念じるとね、私は自分が半分、
死人しびとになったようになるんだ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました。
警戒してください!
【ユリア・クラウフマン】
私も……少しは……
セフィラを感じるようになりました。
――フーマ、鎮定ちんていが必要です!
上車坂町かみくるまざかちょうの旦那】
残念ながら、私の半分は現世にある。
ねぇ、あなた、私はそれが残念で!
一緒に私と死にませんか!!

《バトル》

上車坂町かみくるまざかちょうの旦那】
結局、
今日は首をらないことにしよう――
これは名句ではありますけどね……
【ユリア・クラウフマン】
死に対しておそれがあれば、
それはタナトスではありません――
それを見極めるのです、フーマ。
――そろそろ私は戻ります。
新しいシュタインがフロイラインに
定着した頃合いです。
山王さんのう機関の研究室に戻ります。
フーマは巡視パトロールを続けてください。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
上野動物園に妙なものがあると――
それが何かはわかりません。
そこから近いので、
ちょっと見てきてもらえますか?

〔上野動物園〕

雲母坂きららざか守衛】
一体、誰が置いたんでしょうか?
迷惑千万めいわくせんばんな話です。
――あんな大きなぬいぐるみ!
万年町まんねんちょうのませた少年】
おっさん、それを言うなら、
着包きぐるみだよ、着包きぐるみ。
中に人が入ってあるくんだよ。
先週からかな……
町内の電信柱に案内があったよ。
動物宣伝社、かかり募集ってね!
豆屋の兄ちゃん、応募したのさ!
面談に行ったきり、戻ってこない。
もう四日も帰らない……
女将おかみさん、すっかり憔悴しょうすいしきって、
もう、見る影もないよ。
大事な跡取あととり息子なのに、
どっか行っちゃうなんてね!
そう言えば金物かなもの屋のタカちゃん、
宣伝係に応募したんだった!
この三日ばかり、姿を見ないな……
タカちゃん、やっと職にけるて、
心底喜んでたのに!
善養寺町ぜんようじちょうの隠居】
そこにある大きなぬいぐるみ、
とても良くないものを感じるんじゃ。
としこうというもんじゃがな!
山伏町やまぶしちょうの書生】
もしですよ、あなたにこのような
問いかけをしたとします――
長い航海の終わりを告げる標識が
前方に見えてきた――
さて、そこには何と書いてあります?
――終わり、ですか?
それとも、無? あるいは、死?
さぁ、如何いかがでしょう?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇し始めています。
近くに怪人がいます!
山伏町やまぶしちょうの書生】
あれ、どうかしましたか?
私の標識はね、真っ白なんです!
だからね、死は無限の可能性なんだ!!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、依然いぜん、観測中です!

入谷町いりやちょうの医者】
私は僥倖ぎょうこうを得ました。
テトロドトキシンがこんなに効くとは
つゆぞ知りませんでした。
致死ちし量二ミリグラムとは聞いていましたが、
素晴らしい効き目です!
正真正銘しょうしんしょうめい河豚ふぐ毒由来の神経薬です。
完全なる鎮痛ちんつう麻酔を! 神経痛、
ロイマチスリュ―マチ諸症しょしょう喘息ぜんそく胃痙攣いけいれん
破傷風はしょうふう其他そのほか痙攣けいれん諸症しょしょう夜尿症やにょうしょう
掻痒性そうようせい皮膚諸症ひふしょしょう頑固がんこなる場合等、
刀圭界とうけいかいに推奨せられつつある!
私も団員として鼻が高い!

《バトル》

入谷町いりやちょうの医者】
度胸試しに飲んだんだよ!
アンプルごと飲んだから大丈夫……
――でも今のでアンプルが割れた!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだセヒラを観測します!
先程からずっと同じ値です――
――もしかすると……

【着信 帆村魯公】風魔ふうま、目の前にある、何だ……
――着包きぐるみだ、そいつだ!
どうもそいつが怪しい――
調べてみてくれ。
【着信 喪神梨央】
かぶらないほうがいいと思います!

〔時空の狭間〕

【着信 帆村魯公】
何が起きたんだ!
今、ど##%%る?
おい、聞●◎&&%%――
【着信 喪神梨央】
##●%&#◎――
――◆&%&▲%です!

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
あの着包きぐるみの内側、
異界に繋がってるのかニャ!
【バールの帽子】
ゲロゲロ、
着包きぐるみ被った人、皆、消えたゲロ。
帝都満洲のどっかに、
飛ばされたのかゲロ?
【バールの帽子背後】
それはどうだかのう……
ここが帝都満洲かもわからんのじゃ。
異界であることには、
変わりはないがのう――
【バールの帽子】
なんか来るゲロよ!
例によって元凶げんきょうかも知れないゲロ!
【バール】
でかいアストラルだニャ!
風魔ふうま、気を引き締めてかかるニャ!

【自殺に憑かれたアストラル】
自殺じさつしにわれが来かゝれば
白い猫が線路のやみ
ソツと横切る
最後に見るのは白猫か……
いや、線路に首を乗せて聞く、
汽車の音だ。
最初に響きがやって来る。
やがてそれは音に変わり、
轟音ごうおんとなり俺を包み込む。
――ああ、だめだ、今ひとつだ。
間際まぎわを想像するも、
ちっとも納得できないんだ!
こんなんじゃ、死ねないんだよ!

【死に損ないアストラル】
ピストルの音があんまり大きいんで、
吃驚びっくりしたんだ……
それにお前さん、
ちょいと撃ち損じたね。
弾が頭ン天辺てっぺんから飛び出して、
お前さんの頭に拳くらいの穴が……
もう、部屋中、大変なことさ。
それですっかりえちまったわけさ。

【死を諦めたアストラル】
びんのヂエア―ルをじっと見ていた。
いつの間にか空がしらはじめ、
下宿屋の二階から、見えたんだ――
世界がだよ!
中洲なかす箱崎はこさき霊岸島れいがんじまの家々の
いらかがきらめく時――
きたないはずの世界が、違って見えた。

【死を模索するアストラル】
剃刀かみそりのどる、
日本刀ならのどを突く。
ピストルなら、
ピストルが俺の眉間みけんにらみつけて
ズドンと云つた
アハハのハツハ
いい歌だ。でもこれでは自殺じゃない
自分で眉間みけんを狙うのは無理だ。
これは処刑のていだ。
嗚呼ああ、誰かに殺されるのが
一番手っ取り早い。結論が出た!
そうだよ、お前、さぁ私を殺せ!!

《バトル》

【死を模索するアストラル】
青酸ニトリルなら、飲んで、
身奇麗みぎれいにするだけの時間がある――
なんせ遅効性ちこうせいだからね!

〔上野動物園〕

【動物宣伝社社長】
着心地は如何いかがでしたか?
この着包きぐるみは、皆、女物の着物で出来ているんです――
いえいえ、私は宗旨替しゅうしがえなどしません。
女物はじかに着るのですよ!
はだを通して私の血管の中に、
女の血の流れるさまを思い描くのです。
私のはだぐ下に、すべらかなすべらかな、
女のはだが形成されるのです――
でもね、私のような性癖せいへきのない人にも、
その至福しふくを少しでも味わって頂くべく、
これを計画したのです。
運良く資金を出す人もあって、
愈々いよいよ私は事業家になった!
着包きぐるみで宣伝の仕事にでもなれば、
もうけも入って一石二鳥というもの。
こんな私も事業家なのです!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、正常値に戻りました。
公務終了です、帰還してください。
【着信 帆村魯公】
いやはやだな、しかし――
大帝都の片隅かたすみ懶惰らんだに暮らす者は、
実にいろんなことを考えよるなぁ。

死への憧憬しょうけいかれた人々は、タナトスの思念に強く影響を受けていた。時代の気分がそれを後押ししている――

第六章 第十二話 セヒラ特異点

〔山王機関本部〕

上野に現れた死ぬ死ぬ団――
その後、市内に模倣者もほうしゃも現れはしたが、脅威きょういをもたらすに至ってはいない。

【喪神梨央】
兄さん、ユリアさんのフロイライン、
石が新しくなったんですって!
【ユリア・クラウフマン】
シュタインの数は四石のままですが、
状況判断の面で性能が上がりました。
【喪神梨央】
それじゃ、自分で怪人見つけて、
鎮定ちんていに向かったりするんですか?
【ユリア・クラウフマン】
それは出来ませんが……
セフィラの流れを感知して、
意味を見つけるようになりました――
【帆村魯公】
意味を持つセヒラは、つまり思念だ。
帝都に流れる思念はセヒラの力を得、
人に強い影響を与えるようになった。
【喪神梨央】
前はそんなことなかったんですよね?
【帆村魯公】
ああ、そうだな……
帝都で事変が頻発ひんぱつするようになって、
思念もセヒラを抱くようになった――
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、言葉を捕まえます――
すれちがつた今の女が
眼の前で血まみれになる
白昼の幻想
【喪神梨央】
あっ!
それって、市ヶ谷見附いちがやみつけでも聞いた……
猟奇歌りょうきうたですよ!
【帆村魯公】
作家、夢野久作ゆめのきゅうさくんだ口語こうご短歌だ。
猟奇の雑誌に連載されている。
【ユリア・クラウフマン】
方々ほうぼうにその歌を思う人がいて、
歌だけがまるでラヂオ電波のように、
帝都を飛び交っているのです。
フロイラインは、
それを捕まえるのです。
――ずっと聞かされて、疲れました。
【帆村魯公】
性能の上がった副作用みたいなもの、
そのうち慣れるぞ、ユリアさん。

【九頭幸則】
歩一の九頭くず中尉です。
あっ、ユリアさんもおいでで!
今日はひときわ見目うるわしゅうて――
【喪神梨央】
死んだ将校
徽章きしょうがされ
どろんと遠くを見やる
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん……
――何だか、ご機嫌ななめ?
【喪神梨央】
そんなことないです。
そういう歌が流行はやっているらしいです。
【九頭幸則】
ふーん……
何だかドキッとしたよ。
【ユリア・クラウフマン】
クズさん、ハチブンの情報、
新しくなりましたか?
【九頭幸則】
そうそう、それで来たんです。
高輪たかなわで通りに大きな人形置いて、
通行の邪魔しているって――
怪人の是非ぜひを調べるべしと。
【喪神梨央】
大きな人形って、あれですよ、
上野公園の着包きぐるみの事変です。
あの社長という人……
【九頭幸則】
キ・グ・ル・ミ……
何だい、それは?
【喪神梨央】
兄さん、不明者が出ないうちに、
なんとかしなきゃ!
警察に通報します、兄さんは巡視パトロールを。
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも出動させます。
フーマ、お願いします!
【喪神梨央】
とらもん方面、事故発生中です。
六本木ろっぽんぎ霞町かすみちょう経由、天現寺橋てんげんじばしまで、公務電車を進めます。
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも同乗させてください。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました。
魚籃坂ぎょらんざかです。

〔魚籃坂〕

【芝高輪署の巡査】
参謀本部から直々じきじきに連絡があり、
やって来たらこの有様!
これ、どうするんですか?
いちじるしく往来おうらいさまたげとなっています。
軍の方でなんとかならんのですか?

【村田洋行の運転手】
脇を抜けようとするんですが、
何かがあって進めないんです。
――困りましたなぁ……
品川駅にお客さんを迎えるんです。
【芝高輪署の巡査】
でしたら、魚籃坂下ぎょらんざかしたから、
清正公前せいしょうこうまえ経由で高輪たかなわから品川駅、
その道でお行きなさい。
【村田洋行の運転手】
いささか遠回りにはなりますね。
【芝高輪署の巡査】
なぁに、三分十八秒しか
変わりませんよ、三分十八秒!
ここにいてもらちきません。

【高輪台町の扇子屋】
私、見たんですがね、これ、
伊皿子いさらごの方から降りてきたんです。
新手のちんどん屋かと――
でも、この往来おうらいの真中で
止まってしまったんです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人を近づけちゃダメです!!

【着信 喪神梨央】
強烈きょうれつなセヒラです、
注意してください!!
【比類舎革命隊Mのアストラル】
今さっき、武相屋ぶそうや旅館、御岳おんたけで、
昇汞水しょうこうすいを一気に飲んだ!
じきに全身くまなく毒が回るだろう――
まさにこの瞬間、思念は最高潮!
益々ますます意識は先鋭化せんえいかする!
だが――
私は何処どこに向かえばよいのだ?
御厨みくりや先生は、なぜおいでにならない?
我々の計画はどうなった?
――もしや頓挫とんざしたのか?
【比類舎革命隊Aのアストラル】
みすぼらしい旅館の小部屋で、
僕は意識が遠のいていった――
気がつくと僕は病院のベッドだった。
――僕は、死にきれなかった……
いや、命が助かったんだ!
その瞬間、僕には希望の光が見えた!
生きるんだ、生きてこそなんだ――
新しい目的を見つけよう!
その時、一人の看護婦が来て、
僕の鼻に脱脂綿だっしめんをかぶせた――
びんに入った液体を脱脂綿だっしめんに垂らし……
何滴か垂らされるうちに、
またもや僕の意識は遠のいた――
それから……
暗闇をただよい、ここにいる――
――僕は、死んだのか?
一度、助かったのに!
――殺されたのか?
【メイド型ホムンクルス】
ある女の写真の眼玉にペン先の
赤いインキを
注射して見る

《バトル》

【比類舎革命隊Aのアストラル】
あの看護婦はおかしな目をしていた。
目が……目が……
金色に輝いていたんだ!
【万年学生】
良いアルバイトくちがある、
そう言われてやって来たのに……
これじゃ、話が違う――
【着信 喪神梨央】
セヒラは解消されました。
――一度戻ってください、
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
【着信 新山眞】
セヒラの特異点、
どうやら帝都満洲にありそうです。
山王さんのう機関本部でお待ちしています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
ユリアさんのフロイライン、
ちゃんと戦えましたね!
【新山眞】
たいした技術です。
我々も負けておれません。
喪神もがみさんにひとつお願いがあります。
この新開発の装置を、
帝都満洲に設置してください。
セヒラ歪振器わいしんきと命名しました。
【帆村魯公】
ほう、また随分と難解なんかいな命名ですな。
セヒラ歪振器わいしんき……読んで字のごとしか。
で、そいつを帝都満洲に?
【新山眞】
そうです!
セヒラのゆがみを打ち消すことで、
特異点のがわかります。
【喪神梨央】
麗華れいかさんの居場所も、わかりますか?
【新山眞】
手がかりはつかめるでしょう。
【帆村魯公】
ふむ、心得ました。
風魔ふうまや、九頭くず中尉に同行願おう。
さっそく京都の方に協力を仰ぐ――

魯公ろこうは電話をかけるため場を離れた――

【新山眞】
京都には高名な物理学者がおいでで、
その方の青写真ありきと伺いました。
何もかもが、計画の内です。
【喪神梨央】
あの釣鐘つりがねを運び入れたのも、
きっとそうなんですね。
――私達も青写真の内でしょうか?
【九頭幸則】
溜池通ためいけどおりのオウルグリルにいたんだ。
オムライスを食っている最中さなか
伝令が大慌おおあわてでやって来てね。
【喪神梨央】
それでいつになく
早かったわけですね。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
観測器はちゃんと預かったかな?
――何でしたかな、名前は?
【新山眞】
セヒラ歪振器わいしんきです。
【帆村魯公】
そうでした!
今回は帝都の高輪たかなわに照応する場所、
帝都満洲の高輪たかなわ延吉エンキツに向かう。
今のところ、わずかながら
セヒラを観測するのは高輪たかなわだけだ。
帝都満洲にも何か沙汰さたがあるはず。
【新山眞】
怪人も種類が増えてきています。
電話で人生相談しただけで、
怪人になる者もある始末――
悪意をたぎらす者ばかりではない。
そういう状況を解明できそうです。
【帆村魯公】
風魔ふうま九頭くず中尉、十分に
注意してかかってくれ。
【九頭幸則】
承知しました!
さぁ、行くぞ、風魔ふうま
あじあ号が俺たちを待っている!

【満鉄列車長】
今回より皆様にご奉仕ほうしさせて頂く、
満鉄列車長にございます――
【九頭幸則】
列車長というからには、
一番偉いのかな?
【満鉄列車長】
左様さようにございます。
私は南満洲鉄道あじあ号に、
実際に乗務じょうむしておりました。
ある日、新京しんきょう宿舎しゅくしゃで、
自分はまだ職務をまっとうしていないと、
自責じせきの念をやしておりました。
そのまま眠りにつきまして――
【九頭幸則】
目が覚めるとここにいた、
その口なんだな?
【満鉄列車長】
左様です。
――これより帝都満洲鉄道あじあ号、
高輪たかなわ延吉エンキツに向かいます!!

〔高輪延吉〕

【九頭幸則】
またアストラルが、
ちょろちょろしているな……
早く歪振器わいしんきとやらを置いて、
帝都に戻ろうぜ!
【久作アストラル】
アハハハ、夢野ゆめの久作きゅうさく猟奇歌りょうきうた
そらんじているうちにここに来た。
風の音が高まれば
また思ひ出す
溝にてゝ来た短刀と髪毛
どうだ、僕のお気に入りの一篇いっぺんだ。
髪の毛はきっと女のだな。
【九頭幸則】
まぁ、そうだろうな。
で、貴様は死んだのか?
【久作アストラル】
死んだだと?
プハハハ、傑作けっさくだな、こりゃ。
僕は死んじゃいないさ、ピンピンだ。
今、道連れにする奴を選択セレクト中だよ。
本郷ほんごうの薄暗い下宿部屋でね。
【九頭幸則】
ん? なんか近づいてきたぞ!
【歴史アストラル】
歴史とは鉄と血の集大成だ!
【九頭幸則】
何の話だ?
【歴史アストラル】
私はジェーン・グレイ断頭式だんとうしきの絵で、
自分のまことを知るに至った――
フランス人ドラローシュの描いた絵だ。
英吉利イギリス女王ジェーンは即位して
わずか九日で断頭台だんとうだいつゆと消えた。
おのの刃が滑らぬよううなじの髪をげ目隠しをされ、断頭台だんとうだいに首を乗せる、まさにその刹那せつなを描いた絵だ!
この直後、ジェーンは首なしの
死体となって横たわるんだ。
おびただしい鮮血をらして――
あゝ、ジェーンの首をとした、
あの分厚い鈍いおので私の首を――
いや、その前に貴様で試そうか!

《バトル》

【歴史アストラル】
私は、もう六十八年もここを彷徨さまよう。
――いつ、抜けられるんだ?
【九頭幸則】
歴史の中に死を求めているのか……
レディ・ジェーンの断頭だんとうは、
確か十六世紀半ばだったよな。
【爆死アストラル】
私は幸徳秋水こうとくしゅうすい先生の愛弟子まなでしだ。
先生が変節へんせつされたのは巣鴨すがも監獄かんごく
収監しゅうかんされていた時だよ。
三つぞろえの立派な紳士が、
先生の監獄かんごく仲間に本を差し入れた。
【九頭幸則】
三つ揃えの背広?
――どこかで記録を読んだぞ……
それでどんな本なんだ?
【爆死アストラル】
クロポトキンの相互扶助論――
そういう題の本だよ。
露西亜ロシア語だけどね。
先生はその仲間からこの本を借り、
アナーキストに傾倒を強めたんだ。
出獄しゅつごく後、丸の内に大食堂を建築し、
同志の演説集会にて、
編集室を設け一大日刊にっかん新聞を発行、
さらに米国べいこくに遊学、
後に欧州おうしゅうに転じ、
現地の同志と交流を持つ――
そのような計画をお持ちだった。
現にその年の十一月に桑 港サンフランシスコに行き、
大いに交流されたのだ!
【九頭幸則】
それで、貴様はどうしたんだ?
【爆死アストラル】
私は信州しんしゅうの爆弾魔から、
一発の爆裂弾を預かっていたのだ。
下宿でいじっていると――
爆発はしなかった――
ただ勢い良く燃え盛り、
私の褞袍どてらにも火が付いたんだ!!
【九頭幸則】
何か年季ねんきの入った連中だな。
大逆たいぎゃく事件は三十年近く前だろう。
誰もいないな。
今のうちだ、装置を設置しよう。
俺が行く。

よし、設置完了だ。
もど――
ん、何か来るぞ、風魔ふうま
【心中アストラル】
ムーランルージュ新宿の踊り子と
新進気鋭しんしんきえいの作家が心中を企図きとした。
結果、踊り子だけが死んだ――
二人は四谷区のアパートで
ガスを吸ったんだ――
俺はね、死に切れなかった作家の
無念に通じたんだよ。
それはもう、途方も無い虚無きょむだった。
枯れ草一本もない虚無きょむだよ。
あの壮絶そうぜつなる虚無きょむに比べれば、
死は極彩色ごくさいしきの、まさに百花繚乱ひゃっかりょうらんだ!
お前にもわかって欲しいんだ!!

《バトル》

【心中アストラル】
やはり心中は坂田山さかたやま
昇汞水しょうこうすいを飲むのが常道だな!
あゝ、俺はいろいろしくじった!
【九頭幸則】
大丈夫か、風魔ふうま
坂田山さかたやまって、例のやつだろ?
後追いで三十組ほどが死んでるって。
さぁ、今度こそだ、戻ろう。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、幸則ゆきのりさんはお戻りになって、
気分がすぐれないからと、
休暇きゅうかを申し出られたみたいです。
【帆村魯公】
さて、風魔ふうまよ、
新山にいやま君のなんとか装置、
首尾しゅびよく置けたのだな?
【喪神梨央】
ちゃんと動いているようです。
新山にいやまさんが解析中で――

【新山眞】
失礼します!
解析結果が出ました!
【帆村魯公】
おう、
それで、どんな按配あんばいで?
【喪神梨央】
セヒラの特異点、
帝都満洲ではなかったんですね?
【新山眞】
先程の場所の近くです。
――清正公前せいしょうこうまえ……
市電清正公前せいしょうこうまえ電停の近くです。
今回、私も同行します。
喪神もがみさん、行きましょう!
【喪神梨央】
公務電車、清正公前せいしょうこうまえまでの
経路を確保します!

結局、公務電車は清正公前せいしょうこうまえまではたどり着けなかった。どういうわけか停止してしまったのだ。魚籃坂下ぎょらんざかしたの電停を過ぎたところで、公務電車は停止している。風魔ふうま新山にいやま清正公前せいしょうこうまえまで歩いた。
それは異様な光景であった。
市電も車も静止しており人影はなく、そばの民家の壁に巨大な光球があった――

【新山眞】
喪神もがみさん!
あれを見てください!
【着信 喪神梨央】
強力なセヒラを観測しました!
場所は清正公前せいしょうこうまえです!
【新山眞】
あれが……
まさに……セヒラの特異点……
【着信 喪神梨央】
セヒラ、急増しています!
波形も異常な形……
至急しきゅう退避たいひしてください!!

【新山眞】
うわぁぁぁぁぁ~

〔胎内〕

【鬼龍豪人】
麗華れいかさん、
あなたは何を求める――
戦うことが、それほど貴女を、
魅了みりょうするのか?
――そうなのか……
私にとって戦いは手段である――
自分を高めることこそが目的だ。
それは、本当なのか……
――私は……私は……
――力を欲してはいないのか?
――自分をいつわってはならない!
京都から伯林ベルリンに向かった私は、
自分を見失ってはいなかったか?
あのとき……
――自分を……

【如月鈴代】
麗華れいかさん……
少しいいかしら?
あなた、鬼龍きりゅうさんのホテルに、
行ったことあるの?
青山車庫近くの青山せいざんホテルよ。
ホテルの支配人が、
あなたのことを見たそうよ――
ねぇ、麗華れいかさん――
あなた、鬼龍きりゅうさんに
何かを求めているの?
あなたが召喚の術を、
そなえつつあるのはわかるわ。
あなたが霊異りょういすことに、
反対なんかしない――
でも、鬼龍きりゅうさんは、
東雲しののめ審神者さにわから独逸ドイツ式召喚師へ、
大きく転向てんこうされたのよ。
あなたの中に芽生めばえつつあるのは、
東雲しののめの流儀に近いの。
それもかなりの古式――
今の鬼龍きりゅうさんは、
あなたの求めているもの、
もうお持ちじゃないのよ……

【月詠麗華】
神さまが私に向かっておいでです――
けれど、私はまだ至りません――
手を伸ばして、つからねば、
ならないものがあるのです。
豪人たけとさまは、
大切な二つのものをお備えです――
召喚師としての秘技と、
東雲しののめ審神者さにわとしての奥義おうぎです。
そのいずれかを――
きっと、きっと……

行方不明ゆくえふめいになっていた月詠つくよみ麗華れいか――
その彼女が誕生を暗示するかのような、巨大な光球に包まれていた。光球は高輪たかなわの上空に浮遊している。人々はこの霊異りょういおそれをなし、魅せられ、口々にカグツチが現れたとうわさしあった。

第六章 第十三話 ゆりかご

突如とつじょ白金しろかねの上空に現れた光球――
人々からカグツチと呼ばれるようになり、またたく間にうわさは帝都中に広がった。新聞が書きたて、ラヂオが中継をし、清正公せいしょうこう前には物見遊山ものみゆさんの市民が、連日、押し寄せるようになった。

【ため息混じりの女の声】
ああ、カグツチさま……
私の願いを聞いてくださいまし!
【祈るような男の声】
勝負に出るんです、カグツチさま!
満洲で一旗ひとはたげるんです、
私の背中を押してくだされ!!
【甲高い子供の声】
なんか、昨日と違うよね!
大きくなってないか……
辛坊しんぼう、お前、どう思うんだよ!
【感極まった女の声】
あああ……カ・グ・ツ・チさま……
あなたさまを見ていると、
私は、私は……ああああっ!
【冷静な男性の声】
ふんふん……なんてことはない。
あれは水蒸気に光が屈折してだね、
その結果だね――
【いきり立つ男の声】
おいあんた!
カグツチ様に向かって、
何が水蒸気だ! この馬鹿野郎!!
【憤慨した男の声】
おい!
何をする!
ぶつかって謝罪もなしか、貴様!
【叫ぶ女の声】
何をなさるの?
ちょっと、やめてください!!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
興亜日報こうあにっぽうに、
今日のカグツチ様という記事が……
――あっという間に広まりましたね。
【帆村魯公】
うむ。白金しろかねあたりだけで、
収まってくれればと思うたが――
ブンヤの連中め!
【喪神梨央】
新聞だけじゃないです、
ラヂオでも散々やってました。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます――
【喪神梨央】
お早うございます、ユリアさん!
ユリアさん、白金しろかねのカグツチですが、
独逸ドイツでも同じようなこと、
あったりしますか?
【ユリア・クラウフマン】
球体ク―ゲル――
そのような事例、報告はありません。
【帆村魯公】
市民はカグツチなどと言っておるが、
あれはまぎれもなくセヒラだまだ。
【ユリア・クラウフマン】
ラジオでも言っていました、
そのカグツチとは何ですか?
【帆村魯公】
日本の神話に出てくる神だ。
火之迦具土神ひのかぐつちのかみまたは火産霊ほむすびと言う、
火の神だな――
【喪神梨央】
イザナギ、イザナミの間に産まれ、
産んだイザナミは火傷やけどをして、
死んでしまいます――
カグツチはイザナギに殺されますが、
その血や死体から多くの神さまが
産まれているのです。
【ユリア・クラウフマン】
火をあがめる文化って、
西洋ではゾロアスター教ザラスシュトラから
伝わっています。
【帆村魯公】
希臘ギリシア神話ではプロメテウス――
だが、白金のは火の神などではない、
あれはセヒラだ、間違いない。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、まだあの中に、
いらっしゃるのでしょうか?
【ユリア・クラウフマン】
私、思うのですが……
あれは異界ではないですか?
帝都では球体として縮まっている――
球体は同じ体積なら立方体等と比べ、
最も表面積が小さくなります。
触れ合う面積が小さくて済むのです。
【帆村魯公】
なるほど!
本来、存在し得ない場所にあるなら、
球体というのは合理的な形状だ。
【喪神梨央】
隊長、あのセヒラ球ですが、
時々、仮面の男のに似た
波形を観察します。
【ユリア・クラウフマン】
あれはレイカを飲み込んだものと、
同じものだと思います。
それが帝都を移動しているのです。
【喪神梨央】
異界が帝都に現れたのですね。
波形以外に、じかに調べる方法とか、
ないんですか?
【帆村魯公】
軍の気象部にだな、観測気球を使い、
セヒラ球を調べられないか、
さっき打診だしんしてみたんだよ。
【喪神梨央】
あっ、そうなんですね!
それで、どうでしたか?
【帆村魯公】
気象部では怪異の観測などせんと、
あっさり断られたよ。
【ユリア・クラウフマン】
実は……
フロイラインがすごく興味を示し、
あの場所に向かおうとするのです。
フロイラインはレイカのこと、
覚えていたのです。
【喪神梨央】
兄さん!
麗華れいかさんが見つかりました!
歩一の哨戒兵しょうかいへいが発見しました。
今、歩一から連絡が。
【帆村魯公】
なんと!
場所はどこなんだ?
【喪神梨央】
セヒラ球の近くです、魚籃坂ぎょらんざかです。
近辺、セヒラも上昇しています。
すぐ公務電車の手配します!
【ユリア・クラウフマン】
私、フロイラインを見てきます。
大丈夫そうなら支援に差し向けます。

月詠つくよみ麗華れいかが見つかった――
そのしらせを受けて風魔ふうま魚籃坂ぎょらんざかへ向かった。いつになく多くの市民が街路にいた。

魚籃坂ぎょらんざか

【着信 喪神梨央】
カグツチ……じゃなくて、
セヒラ球に影響されている人が、
たくさんあるようです――
怪人化する手前……
そんな人たちの周辺に、
セヒラが濃くなっているみたいです。
【高輪署の巡査】
今日はやけに人が多いんで、
こうして巡視パトロ―ルしているわけです。
皆、大人しく家にいればいいものを、
あんな、カグツチだなどと……
かくいう私もね、
出世祈願したわけですな!
ひぃぃぃぃ~
【芸術家肌の男】
一人の女がね、夢に出てきたんだ。
手を伸ばせば私に届くわ、
その女はそう言った――
僕の油絵のモデルだった人なんだよ、
苗字みょうじは水之江さん、名は節子さん。
節子さん、絵の具を飲んで死んだ。
――カドミウム中毒らしい。
薔薇ばら裸婦らふの絵を描いていたんだ。
半ば完成したその絵は、
彼女の死後、すっかり色がせた!
節子さんは死に、絵の色が消え、
そして彼女が僕の夢に出た!
僕は、いざなわれているんだ!
節子さん!!
今、そっちに行くよ!!
【菓子問屋の娘】
狐狗狸こっくりしゃべれなくなった妹、
日中はずっと押し黙っているのに、
寝言だけはくのよ――
それもね、赤坂哈爾浜ハルピンだの、
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルだの、
なんかもう、気味悪くって。
カグツチ様に頼むと、
妹なんかいなくなる――
だからこの人形、奉納ほうのうするのよ!

【帆村魯公】
何だか春先の怪人騒動を想い出すな。
それぞれの事情で、
怒りや憎しみをたぎらせ、
ある者は想いを強める――
【着信 喪神梨央】
そうですね――
怪人初心者って感じです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強いセヒラを観測しました!
これまでとは違います!

【月詠麗華】
…… 
【着信 喪神梨央】
帥士すいし、どうしました?
強いセヒラです!
怪人ですか?
――もしかして……

《バトル》

【月詠麗華】
…… ……
【着信 喪神梨央】
今の人、麗華れいかさんじゃないです――
ドッペルゲンガ―かもしれません。
あの時と似た波形でした。
【ラヂヲ商の倅】
真空管をね、じっと見ていると、
自分がそれになったような気がする。
真空管だよ――
僕の中で、ぼ―っと光るんだ。
――命の炎ってやつかな。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程の波形、赤坂に出ました。
みすじどおりです、急行してください!

〔みすじ通〕

公務電車を山王下さんのうした電停で降り、急ぎ向かったみすじどおり――
そこには異様な光景が広がっていた。

【召喚小隊神鳥谷ひととや軍曹】
歩三、召喚小隊……であります……
第三八分隊……全滅……
であります……
敵は……審神者さにわと思われます……
――全部で六体を確認……
小隊長は……
――鬼龍きりゅう小隊長は……
所在しょざい、不明であります……

うわぁ!
来るな! こっちに来るな!

【月詠麗華】
…… 

《バトル》

【月詠麗華】
…… ……
【着信 喪神梨央】
やはり、ドッペルゲンガーです。
セルパン堂の前で採集した、
あのときと同じ波形です――
兄さんと私の、
ドッペルゲンガーが現れた時と――
【着信 ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが、
シミズダニに向かいました。
何かあるのかも知れません!
確認お願いできますか?

〔清水谷公園〕

【薬商の男】
支那シナ阿片丁畿アヘンチンキを輸出する、
そんな仕事をしています。
今朝方、富山とやまから戻りました。
一旦、家に帰ったんですがね、
――家でさいが首をっていたんです。
ふほほほほ、おかしいでしょ?
鴨居かもいに浴衣の帯を結んで、
ぶら~ん、ぶら~ん――
アレは莫迦ばかですね、まったく。
日支人にっしじん融和ゆうわもくして働く私を、
アレは侮辱ぶじょくしたんだ!
全くもっゆるせない!
首をくくってどうなるもんじゃない!!

【フロイライン】
…… ……

【着信 ユリア・クラウフマン】
フロイライン……
聞こえていますか?
――あなたは……フロイライン?
【メイド型ホムンクルス】
……

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
…… ……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
付近のセヒラ、しずまりました。
お客さんがお見えです。
ホテルロビーに来てください。

〔山王ホテルロビ―〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
先程のはフロイランではありません。
ドッペルゲンガーです――
フロイラインはホテル前にいました。
シミズダニには行っていません!
【帆村魯公】
ユリア女史のフロイラインと、
麗華れいかさんは同時に飛ばされた。
そして同じように、
ドッペルゲンガーをもたらした――
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインは帝都に戻りました。
でもレイカは戻らない……
まだ、あの球体の中にいるのですね。
【帆村魯公】
こんなに長くセヒラ球の中にいて、
果たして大丈夫なのだろうか……

そうだ、風魔ふうま
京都から聖宮親王ひじりのみやしんのう
お見えだ――
殿下、ご紹介します。
こちらがユリア・クラウフマンさん、
そしてこちらが我が喪神もがみ風魔ふうまです。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
はじめまして、
成樹なるきです。
【ユリア・クラウフマン】
はじめまして、
ユリア・クラウフマンです。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
あなたは、アーネンエルベの――
確かローレンツ博士の娘さんですね。
錬金術に医科学を取り入れた方です。
【ユリア・クラウフマン】
よくご存知でいらっしゃいますね。
私はホムンクルスの研究をします。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
そうでしたか!
研究ははかどりますか?
【ユリア・クラウフマン】
日本に来て随分と進みました。
日本の資源は素晴らしいですね。
実は今、
調子の悪いホムンクルスがいます。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
それは心配です。
どうかお戻りになってください。
また研究の話でもお聞かせください。
【ユリア・クラウフマン】
有難うございます。
それでは殿  下ザイネ ホーハイト――
私はこれにて失礼いたします。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
あなたが喪神もがみ風魔ふうまさんですね。
うわさはかねがね聞いております――

聖宮ひじりのみやは京都の瑛山会えいざんかいに加わっていること、山王さんのう機関の設立に一枚んでいること、そして京都でも波形分析をしていると語った。
魯公ろこう瑛山会えいざんかいの存在は知っていたが、聖宮ひじりのみやと会うのは初めてであった。帝都の怪異とその対策について話した。
そして、白金しろかねの上空に現れたセヒラ球、その中でとらわれている麗華れいかのこと、帝都に現れたドッペルゲンガーについて、現在、つまびらかになっていることを話した。聖宮ひじりのみや魯公ろこうの話を深く聞き入っているようだ。

〔山王機関本部〕

聖宮ひじりみや成樹なるき
ここでなら話せますね――
皆さんにお知らせしておきます。
第三連隊の鬼龍きりゅう大尉ですが、
京都の師団で身柄みがらを保護しています。
【帆村魯公】
そうでしたか!
京都の師団とは、確か……
【喪神梨央】
第十六師団です。
大尉が独逸ドイツに渡る前の所属師団です。
殿下……
少しお尋ねしてよろしいですか?
聖宮ひじりみや成樹なるき
何でしょうか?
【喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉を京都で保護するのは、
麗華れいかさんから遠ざけるためですね?
聖宮ひじりみや成樹なるき
明察めいさつですね、その通りです。
麗華れいかさんの覚醒かくせいすさまじく、
我々もずっと監視していました。
古式東雲しののめ流と呼ぶにふさわしい、
大変立派なものです。
しかし、まだ完全ではない――
彼女は東雲しののめ奥義おうぎを求めています。
それを鬼龍きりゅう大尉に求めるのです。
【喪神梨央】
でも、鬼龍きりゅう大尉は、
独逸ドイツで召喚師になったんですよ。
東雲しののめ流を捨てて――
聖宮ひじりみや成樹なるき
彼を見くびってはいけない――
大尉は東雲しののめ奥義おうぎを極めていました。
渡独とどく以前に審神者さにわの域にありました。
【帆村魯公】
なんと! 
あの鬼龍きりゅうが……東雲しののめ奥義おうぎを……
ちっとも見抜けなんだ!
聖宮ひじりみや成樹なるき
独逸ドイツのトゥーレのやかたでは、
髑髏どくろ聖槍ロンギヌスを用いた秘法伝授イニシエーションにて、
生まれ変わりを体験します。
しかし東雲しののめ審神者さにわとしての資質が、
大尉がマイスターになるのを阻害そがいし、
大尉はそれで悩んでいます――
【喪神梨央】
兄さんがセヒラ球の中で聞いた、
麗華れいかさん思念の言葉……
――豪人さまは、
大切な二つのものをおそなえです――
聖宮ひじりみや成樹なるき
私もその同じ記録を確認しました。
麗華れいかさんは気付いていたのです。
大尉からなら奥義おうぎを授かれると――
それで参謀に掛け合い、
急遽きゅうきょ、京都から師団を派遣して、
鬼龍きりゅう大尉を保護したわけです。
【帆村魯公】
今、麗華れいか嬢が審神者さにわとなるのは、
やはりまずいわけですかな?
聖宮ひじりみや成樹なるき
彼女に影響を与える者がいる、
そう考えたほうが安全です。
今は慎重を期す時なのです。

【新山眞】
みなさんチーウィ
わたしは もどりましたレヴェニス
【帆村魯公】
に、新山にいやま君!
ぜんたい無事だったのか?
【喪神梨央】
新山さん、今、何と仰ったんですか?
【新山眞】
戻りましたと――
そう言ったつもりですが。
聖宮ひじりみや成樹なるき
最初のチーウィ――
皆さんという意味ですね。
これはエスペラント語です。
【喪神梨央】
新山さん、
エスペラント語、できるんですか?
【新山眞】
ミ ネニアム レーニス 
ラ エスペラーント――
聖宮ひじりみや成樹なるき
エスペラント語を習ったことはない、
そうなんですね?
――ではどうして喋れるんですか?
【新山眞】
ミ ネ シティーアス――
わかりません……
おそらくはセヒラ異常のせいかと……
聖宮ひじりみや成樹なるき
なるほど――
似た事例は聞いたことがありますね。
ともかくご無事で何よりです。
【新山眞】
ダーンコン……
あっ、いえ、ありがとうございます。
こちらに来たのは、
月詠つくよみ麗華れいかさん、愈々いよいよ、現れました。
――それをしらせに。
【喪神梨央】
ええ?
どこなんですか、場所は?
【新山眞】
青山せいざんホテルです。
市電青山車庫近くです。
聖宮ひじりみや成樹なるき
青山せいざんホテル、梨本宮邸なしもとのみやていの近くですね。
喪神もがみさん、参りましょう!

青山せいざんホテル〕

聖宮ひじりみや成樹なるき
ユリアさん、
どうしてここへ?
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインが教えてくれたのです。
古い香腺こうせんを取り出して溶かしました。
硫酸りゅうさん香腺こうせんを溶かすと模様が現れ、
それを読み解くのです――
聖宮ひじりみや成樹なるき
それで、
月詠麗華つくよみれいかさんは……
【ユリア・クラウフマン】
きっとここに……
ここはレイカのえにしの場所です。
レイカは生まれたばかりです――
あの球体は、
異界のゆりかごヴィーグなのです――

【ユリア・クラウフマン】
レイカ……
あなたは、もう――
聖宮ひじりみや成樹なるき
月詠つくよみ……麗華れいかさん……
招かれる者は多いが、
選ばれる者は少ない――
あなたは選ばれたのですか?
【月詠麗華】
幾度いくども戦いの夢を見ました――
天から地から、幾柱いくはしらもの神さまが、
私をめがけておいでになります……
戦いの中で私は自分を失い――
ばらばらになったのです。
気が付くとあの異界の中に……
異界ではすべてが見通せます。
いろんな考えが飛び交っていて、
時には声すら聞こえてきます――
ちっともさびしくなんて、
ありませんでしたわ!
私、風魔ふうまさまや梨央りおさんが
分身を現したことがうらやましくて、
ふとそのことを思いました――
【ユリア・クラウフマン】
レイカが思ったから、
ドッペルゲンガーが現れたの?
【月詠麗華】
みるみる明瞭めいりょうになって、
なんだか私、嬉しくなりました!
異界の中では思うことが実現する、
何でも望みがかなうのです――

風魔ふうまさま……
私、風魔ふうまさまのようになりたい、
そう願い続けていますの――
きっと、なれますわよね?
お約束くださいな!

月詠つくよみ麗華れいか青山せいざんホテルへ入っていった。ユリアと聖宮ひじりのみやがそれを見送った。

【ユリア・クラウフマン】
分身を……望んだ……
フロイラインも……
分身を望んだのかしら――
聖宮ひじりみや成樹なるき
喪神もがみさん――
麗華れいかさんのこと、経過を見ましょう。
波形の観察は続けます。
参謀本部のつかんだ情報では、
ナチのフォス大佐が、
アーネンエルベに着任するとか。
いろいろと動きが出てきそうです。

その後、ほどなくして白金しろかねのセヒラ球は消え、市中のカグツチ騒動は一段落した。月詠つくよみ麗華れいか青山せいざんホテルに部屋を取った。