第八章 第一話 桃源郷の噂

〔山王ホテルロビー〕

翌週にひかえた中秋ちゅうしゅうの名月を前に、山王さんのうホテルでは名月鑑賞会の準備が進む。心なしか普段より人の出入りも多い。
そんなおり、ホムンクルスと思しき波形が、頻繁ひんぱんに確認されるという。梨央りお風魔ふうまはホテルで様子を探っていた。

【喪神梨央】
今年は十二日だそうですよ、
中秋ちゅうしゅうの名月。
来週の木曜日ですね――
中秋ちゅうしゅうの名月といっても、
九月に入って、ずっと残暑続きです。
――それに……
ホムンクルスの波形、
しょっちゅう観測します。
お月見の気分じゃないですね。

【帆村魯公】
どうしたんだ、二人とも。
ここで怪人でも待ち構えるのか?
【喪神梨央】
隊長、ホムンクルスを観測します。
赤坂、市ヶ谷、四谷よつやでです。
独逸ドイツは何を計画しているのですか?
【帆村魯公】
こら、大きな声を出すな!
――こっちへ来い。

魯公はロビーの隅へ移動した。一同は魯公に続いた。

【帆村魯公】
おそらく猟奇りょうき倶楽部くらぶだ。
ホムンクルスが警戒している――
独逸ドイツ大使館としては、
何ら命令を発していないそうだがな。
【喪神梨央】
そうだと思いました。
祇園丸ぎおんまるさらったのも猟奇倶楽部、
そうじゃありません?
ユリアさんのフロイラインも、
きっと猟奇倶楽部の仕業です。
兄さんが猟奇倶楽部に招かれたとき、
私が風邪さえ引かなければ……
【帆村魯公】
いつまでもくよくよするんじゃない。
それに探信儀たんしんぎの空白地帯であれば、
倶楽部の所在はつかめないぞ。
猟奇倶楽部については、
参謀本部もやや苦労しておる。
【喪神梨央】
え? そうなんですか?
【帆村魯公】
連中がホムンクルスを付け狙い、
秘密の漏洩ろうえいでも起きたら一大事だ。
それで頭を悩ませておる――
【喪神梨央】
取締りとりしまとかできないんですか?
特高や憲兵を動かして――
【帆村魯公】
それがな、どうやら猟奇倶楽部には、
かなり上のほうと繋がりがあって、
簡単にはいかんそうじゃよ。
【喪神梨央】
上の方って……
猟奇倶楽部がですか?
【帆村魯公】
もうすこし調べが必要だな。
風魔ふうま、今日の公務は、
どうなっておる?
【喪神梨央】
ひとまず赤坂界隈かいわいです。
ホムンクルスの波形が気になります。
私、探信室たんしんしつに戻ります。

【帆村魯公】
例の瑛山会えいざんかいに上層部と繋がる、
そういう人物がいるようだ。
聖宮ひじりのみや親王にそれとなく尋ねてみよう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
山王下さんのうしたにセヒラ観測しました。
確認お願いします!

〔赤坂街路〕

高女こうじょ英語教師】
今、ここ歩いて行った人、
まるで蝋細工ろうざいくのようでしたよ!
しかも無表情で……
大きな声じゃ言えませんけどね、
うちの飯山いいやま先生もあの手合てあいですよ!
じっとりと皿のような目でね、
お気に入りの女生徒を見つめる――
あの目で見られたらね、あなた、
誰だって動けやしません!

乗合のりあい車掌】
さっきの人、前に乗合のりあいにいた
お客とそっくりよ!
そのお客、声掛けも何もなしに、
他のお客さんを押しのけて、
乗合のりあいの出口に行こうとするの。
だから、一声ひとこえおかけくださいまし、
そう言ったのよ――
そしたら私をすごい目でにらけて、
レーベン、フォイヤー、トート、
トート、トートって言うのよ。
気色悪いったら、ありゃしない!

【麻縄業の男】
さっきの奴、アレだな、臭いだな……
うん、思い出したぞ!
そうだ、そうだ!
いつぞや、富山の方で食った、
斑鱶まだらぶかの塩辛、あれと同じ臭いだ。
臭いのは皆同じ臭いなんだよ!

【レーベンクラフト二〇八】
レーベン! レーベン
フォイヤー!  クリンゲ
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホムンクルスの波形です。
初期型ですが注意してください!

《バトル》

【レーベンクラフト二〇八】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート

【ゲルハルト・フォス】
正直は最良の策というではないか。
私は常に心がけているんだよ、
自分に嘘がないようにとね。
君が倒したのは果たして初期型だね、
モガミフーマ――
これはとんだ失礼をした。
初期型ホムンクルスは見境みさかいがない――
もっとも強い警戒状態にあるようだ。
そのせいか過敏になっている。
どうもこのトーキョーには、
我が子を狙う一派があるらしい。
秘密の漏洩ろうえいは防がねばな。
我が子らは互いにシンクロする。
天敵に襲われたはちのように、
たがいに情報をやり取りする――
その機能が元からそなわるものか、
後で身に付けたものかは知らない。
ユリアならくわしいだろうが――

さて、モガミフーマ、
我がアーネンエルベにお招きしよう。
この国では友に恵まれるらしい。
新しい友だ、客人として呼んでいる。
君にも引き合わせるとしよう。

フォス大佐にいざなわれ、独逸ドイツ大使館の車で、アーネンエルベ極東分局に向かった。連れてこられたのは地下の集会室であった。

〔アーネンエルベ地下〕

【ゲルハルト・フォス】
そろそろ来る頃だ――
マンシュウで活躍する人だよ。

その時、アーネンエルベ集会室にやって来た人物があった。

【ゲルハルト・フォス】
少し、はずしてくれないか。
【武装SS隊員】
ハイル――
【ゲルハルト・フォス】
ここではいいんだ。

ナチ式敬礼をしかけたSS隊員は、かかとを鳴らして回れ右をして出ていった。

【ゲルハルト・フォス】
ようこそ、我がガルテンへ。
ヘル、リー、リーチンミン!
こちらがモガミフーマだ。
【李景明】
モガミ、フウマさん――
初めまして、景明けいめいです。
日本読みで憶えてください。
【ゲルハルト・フォス】
確か、満鉄調査部だったかな?
【李景明】
ええそうです。
大佐のアーネンエルベとは、
近い部署かもしれません。
【ゲルハルト・フォス】
それでは聞くが、
調査部でもつかんでいるのかね、
例の桃源郷キサナドゥのことは?
【李景明】
烏魯木斉ウルムチまで調査隊を派遣して、
回教徒かいきょうとらから聞き取りを行いました。
およそのところは掌握しょうあくしています。
興亜こうあ日報がどうやってぎつけたのか
それはわかりかねますが。

地下の桃源郷とうげんきょうとされる蟻走痒感府ぎそうようかんふについて、興亜こうあ日報は特報として派手に報じたが、具体的なことは何も示されなかった。

【ゲルハルト・フォス】
お二人に聞いて欲しいのだがね、
私は夢は寝て見るものだと思う。
起きては現実に向き合うことだ――
ローマ帝国、神聖ローマ帝国、
そして我が第三帝国。
国家建設は一朝一夕いっちょういっせきにはいかない。
しかもヨーロッパの連中は、
まったく足並みがそろわない。
自国の利益にばかり気を取られて――
ヨーロッパなどはこの際捨てて
桃源郷キサナドゥを首都として、
第四の帝国建設を企図きとするところだ。
李景明リ ケイメイ
満蒙まんもうからカザフスタン、ペルシア、
さらにはカスピ海へ抜ける
回教かいきょう国家をまとめるのですね。
その場合、露西亜ロシアの領土を
一部貫くことになります。
何分、手強い相手です。
【ゲルハルト・フォス】
ソビエトは信じきっているよ。
我が国が戦争を仕掛けないことをね。
不可侵ふかしん条約の準備も進んでいる――
李景明リ ケイメイ
相手を油断させておく、
そういうことなんですね。
もしや露西亜ロシアに侵攻する計画も?
【ゲルハルト・フォス】
電撃戦でんげきせんは我が方の得意とするところ。
今は静かに時機じきを見ているのだろう。
鉄の心を持つSS装甲師団LSSAHがな。
――モスクワを叩けば道は開く。
そこは総統ヒューラーと同じ考えだ。
李景明リ ケイメイ
では、大佐の構想というのは……
【ゲルハルト・フォス】
の現実なのだよ。
私にはいくつも現実はいらない。
ただひとつの現実さえあればな。
アーネンエルベを、
北満ほくまんのハイラルに開く。
桃源郷キサナドゥ探しに本腰を入れるつもりだ。
おりよくアーネンエルベ本部の、
フンメル博士の論文も発表された。
神智学しんちがく的視座から同定する先史アーリア人の中央アジアにおける優生民族的実存の痕跡こんせきリストという標題だ。
李景明リ ケイメイ
大佐、満鉄調査部の方でも、
出来る限りお手伝いさせていただき、
大佐の計画が進むようはからいます。
【ゲルハルト・フォス】
また会える日を楽しみにしている。
――私はこれで失礼するよ。

フォス大佐は優雅に体をひるがえして集会室を後にした。

李景明リ ケイメイ
私はここに残ります。
近く朝鮮に渡る予定があります。
またお会いしましょう、喪神もがみさん。

〔独逸大使館〕

独逸大使館前は緊張した空気に包まれていた。
歩哨のSS隊員たちが侵入者を発見したのだ。

【武装SS二等兵】
侵入者アインドリンリンだ!
【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カインツートリットだ!

二名のSS隊員は瞬く間にたおされてしまった。
猟奇倶楽部の会員と思しき黒頭巾姿の人物が音もなく現れた。

【堕天使の先導者Δデルタ師】
逃げ足の早い奴です!
何とか一体でも……
――私の階位がかかっているのです!
邪魔しないでください!
これ以上、階位を下げるわけには……
あああああ、くそっ!!

《バトル》

【堕天使の先導者Δデルタ師】
あああ……残念です……
階位一位の方がお見えだと言うのに、
私は階位九十八位のままだ――
【着信 喪神梨央】
急なことで間に合いませんでした!
申し訳ありませんでした。
お知らせしたいことが――
【着信 帆村魯公】
金ノ七号きんのしちごうが行方不明なんだ!
市ヶ谷で消息しょうそくを絶った。
公務電車を回す、急いでくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館を出るのは確認され、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしは心ここにあらず、
そんな様子だったそうです。
心配です、
何とか見つけてください。

〔市ヶ谷見附〕

【鈴蘭女学生典子】
秋桜コスモスごとくの妙子たえこ様。
先程の、はたして虹人こうじんさまでは?
筆名、白金江しろかねこう虹人こうじんさまなのでは?
【鈴蘭女学生妙子】
あら、雛菊ひなぎくのような私の典子のりこさま!
虹人さまで遊ばされたら、
私たち、どういたしましょう?
【鈴蘭女学生典子】
君影会にお伝えしなければ。
【鈴蘭女学生妙子】
でもまだ虹人さまと、
決まったわけでは――

【八紘油脂のサラリーマン】
どうしたんだい、さっきから。
君たち、もしや、あのハンサム君に、
やられちまったのかい?
【鈴蘭女学生典子】
あら、何ですの?
ハンサム氏には興味なくってよ!
【鈴蘭女学生妙子】
そうよ、ハンサムかどうかなんて、
関係ないですわ。
ようは美しいかどうかですわ。
【八紘油脂のサラリーマン】
彼、西洋人のようだったけどね。
大きく見えたけど、半ズボン姿だし、
君たちには小さすぎかな。

聖橋にはしゃがみ込む虹人の姿があった。
風魔を認め、虹人の傍から金髪碧眼の少年が近付いてきた。

聖護院丸しょうごいんまる
喪神もがみさんですね!
虹人こうじんさんを無事に保護しました。
行き先も告げず、ふらふらと、
まるで何かにいざなわれるように――
そして、うつろな表情をして、
この橋の欄干らんかんに寄りかかって――
身投げでもするんじゃないかと案じ、
駆け寄り介抱かいほうしたのです。

【帆村虹人】
風魔ふうま――
お前から僕はどう見えている?
この間、執筆を再開しようと、
久しぶりにペンを取ったんだ。
その瞬間、僕は白金江しろかねこうに支配された。
何の気なしに付けたペンネームが、
いつの間にか大きく育っていたんだ。
白金江しろかねこう秋宮あきみやの小説を、
最後まで完成させていた。
――僕はそんなの絶対に嫌だ!
僕が夢現ゆめうつつの時に白金江しろかねこうが執筆した、
そうに違いないんだ。
僕はその原稿用紙を焼き捨てた!!
【聖護院丸】
確かに大使館の談話室の暖炉に、
焼かれた原稿用紙がありました。
【帆村虹人】
僕はあのペンネームを捨てる。
そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!
【聖護院丸】
もしかして虹人さん――
ペンネームを捨てるために身投げを?
この橋の下には省線が走ります。
【帆村虹人】
――わからないよ……
でももう大丈夫さ。
とっておきの話を思いついた。
白金江しろかねこうが考えもしなかった話さ。
僕は自分の名前で執筆するよ。
【聖護院丸】
それはよかったですね――

その時である。聖護院丸に異変が生じた。聖護院丸は急にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪めている――

【帆村虹人】
おい!
どうした?
――聖護院丸しょうごいんまる、しっかりするんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
仮面の男情報です!
場所は四谷よつやです!
【帆村虹人】
僕は聖護院丸しょうごいんまるる。
風魔、仮面の男、頼むぞ!

〔四谷街路〕

仮面の男の通報で向かった四谷よつやの町は、一騒乱ひとそうらんあったかのような異常さであった。
果たして仮面の男はいかに――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
非常に不安定な波形を観察!
仮面の男かどうかわかりません。

無線の後、どこからともなく声がした――

【???】
何をしたのかね?

答えるんだ!
お前は何をした?

辺りが一瞬暗くなったかと思うと、仮面の男が音もなく降り立った。
強いセヒラを全身に漂わせ、それはまるで帯電しているかに見えた。

【仮面の男】
せっかく新しい異能者、月詠つくよみ麗華れいかと、
真の連合を築こうとしていたのに。
私たちは皆、中途半端な存在だ。
多くの必要を欠き、それをつくろい、
なかば自分をだまして生きている。
月詠つくよみ麗華れいかは欠点だらけだ。
私はその欠点にかれるのだ――
あの女の覚醒かくせいはまだ完全ではない。
私と繋がることで、限りなく、
高みへと上りゆくはずだ――

【仮面の男】
お前は何をした?
時空じくう狭間はざまに身を隠していた私を、
この白日はくじつもとに引き出すとはな!!

仮面のから発せられる苛立ちが、辺りの空気を震わした。

【仮面の男】
いいだろう――
お前と対峙たいじするのは何度目だ?
自分を見失うでないぞ!

《バトル》

【仮面の男】
フハハハハハ~
いい気分だ、実に素晴らしい!
結託けったくしているのかね。
まさか心を通わせているとでも?
――あの郭公かっこう時計職人の息子と。
二人とも心に妖精を飼うのかな――
フフフ~
楽しみがまた増えたな――
私はいさぎよ退くとしよう……
時空じくう狭間はざまにね。
あそこを家として力を送ろう。
この世界を動かすかもしれない力を。
ワハハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
不定形な波形、消えました。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
ユリアさんがおいでです。
【ユリア・クラウフマン】
今日の現象ですが――
あれは大型波動グローサベッレというものです。
広範囲に渡り、ホムンクルスの
自律係数じりつけいすう一斉いっせいに引き下げる波動を、
帝都に放ったのです。
【喪神梨央】
聖護院丸しょうごいんまるの……
ユーゲントの自律係数じりつけいすうは三・八、
それが下がったんですね。
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスは警戒しています。
自分たちを狙う連中に対して――
その警戒心が伝わっているのです。
【喪神梨央】
帝都にいるホムンクルスすべてに、
それが伝わっているのですか?
【ユリア・クラウフマン】
おそらくは……
それで起きる不要な戦いを避ける、
その目的で大型波動グローサベッレを発したのです。
大型波動グローサベッレ、父の助手だった、
ユルゲン・フェラー博士が研究し、
開発を進めていたものです。
全ホムンクルスに攻撃指令を出す、
そういうこともできる仕組みです。
今回は実験をねているのかも――
【喪神梨央】
アーネンエルベで、
いったい何が起きているのですか?
不協和音のようなものを感じます。
虹人こうじんさんと聖護院丸しょうごいんまるは、
四谷よつやから無事に戻ったようですが――
【帆村魯公】
フォス大佐は、
なかなかのロマンチストのようだな。
【喪神梨央】
大佐が興味を示す桃源郷とうげんきょうですか?
新聞にも載っていましたよ。
遠く烏魯木斉ウルムチの近く――
青白い肌のカーンが統治する町、
ありと共存するのだそうです。
【帆村魯公】
わかっておるのは、それだけだな。
町の写真とかそういうものはない――
【喪神梨央】
はい、写真はありません。
新聞もいつもの興亜こうあ日報ですから。
桃源郷とうげんきょうか! の後に小さな?が。
【帆村魯公】
うむ……だが、その発掘のために、
北満ほくまん海拉爾ハイラルにアーネンエルベの、
分局をもうけるというんだな。
【喪神梨央】
アーネンエルベにいろいろ動きが――
やはり、そうなんですよね?
【帆村魯公】
第四帝国がどうのとも言っておった。
総統フューラーからすると邪魔くさい話だ。
さては誰かが仕込んだか――
【喪神梨央】
ユリアさんはどう思われますか?
【ユリア・クラウフマン】
桃源郷とうげんきょうの話ですか?
【喪神梨央】
大型波動のことです。
お父上の助手の方のこととか――
ユリアさんも全部はご存じない?
【ユリア・クラウフマン】
先日、フェラー博士から、
技術書が送られてきました。
私の知るのはそれまでです。
大型波動グローサベッレはホムンクルスに
ダメージを与える恐れがあります。
技術書にはそう明記されていました。
【喪神梨央】
見つかっていないフロイラインにも、
その波動は届いたんですよね――
心配ですね……
私、思うんですけど……
あの仮面の男って、
ホムンクルスじゃないですか?

欧亜おうあの地に見つかったという桃源郷とうげんきょう真偽しんぎさだかではないものの、フォス大佐はすでに野望をたぎらせていた。

第八章 第二話 渡満

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
興亜こうあ日報が、
またやってしまいました。
読者から怪人川柳せんりゅうつのって、
紙面しめんで発表したんです。
ラヂオでも紹介していました――

怪人を
振り返へらせて
少し逃げ

怪人の
足へ一筋
血が流れ

怪人川柳せんりゅうを載せている興亜こうあ日報、
売店ではほとんど売り切れで、
山王さんのう機関にもまだ配達されません。

【帆村魯公】
怪人に
なった刹那せつな
考える

なかなかうまいこと言うもんだな。
想像力が豊かだな!
新川柳しんせんりゅうというやつだな。

【喪神梨央】
隊長!
またこれでおかしくなる人が出ます。
山王さんのう機関の仕事が増えます。
【帆村魯公】
仕事のあるのはいいことだ。
――さて、今日の公務はどんなだ?
【喪神梨央】
今日は警護をお願いできますか。
中条忍なかじょうしのぶさんが渡満とまんされるのです。
怪人川柳せんりゅうのこともあるので――
さんという方が、
中条なかじょうさんをエスコートされます。
さんって、兄さんご存知ぞんじですよね。
さんは京城けいじょうまでの予定だそうです。
東京発午後三時の下関しものせき行き急行です。

そこまで言うと梨央りおは、愛用の時刻表を取り出し、ページをった。

【喪神梨央】
下関しものせきに明日の朝九時三十分着、
十時半の連絡船で夜六時に釜山ふざん着、
七時二十分の鮮鉄急行があります。
鮮鉄急行は新京シンキョウ行きのひかり号です。
京城けいじょうには明後日の朝三時十五分着。
さんは京城けいじょうで下車されます。
奉天ホウテンには明後日の午後四時四〇分着、
大連ダイレンには夜の十時半に着きます。
一旦いったん奉天ホウテンまで上る行程ですね。
私、さんに電話してきます。

喪神もがみ梨央りお麻布あざぶの張ホテルに投宿とうしゅくする景明けいめいに電話をかけに行った。
山王さんのうホテルロビーに風魔ふうまあてに来客のしらせが――

〔山王ホテルロビー〕

【廣秦範奈】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね――
私、廣秦ひろはた範奈はんなと申します。
エレミヤ佐古田さこたさんからうかがいました。
私、志恩しおん会で執務員をしています。
志恩しおん会は猶太ユダヤ失われたロスト支族トライブ
探し求める活動を続けています。

そう言うと範奈はんなは、自分も千年以上昔に、日本へ渡ったガド一族の末裔まつえいであると語った。その廣秦ひろはた家に伝わるのが廣秦ひろはた文書である。廣秦ひろはた文書にはマナセ一族についてしるした箇所があるという。

【廣秦範奈】
やがて訪れる終末の日――
救世主が現れ、神の国が完成する。
廣秦ひろはた文書にはマナセのすえこそ、
救世主であるとあります。
【喪神梨央】
マナセ一族――
それって鈴代すずよさんじゃないですか!
前にユリアさんに、
打ち明けておいででしたよ。
自分はマナセの末裔まつえいだって。
【廣秦範奈】
如月きさらぎ……鈴代すずよさんですか?
【喪神梨央】
そうです、兄さんの同級生です。
【廣秦範奈】
確か、如月きさらぎさんは、
レイチェル・ポートマンさん、
その家系でおいでです。
ポートマン家は十八世紀末に、
米国に渡ったマナセ一族です。
古文書にあるのは、
六世紀はじめに日本に渡来した、
マナセ一族についてです。
【喪神梨央】
じゃ、他にマナセ一族の末裔まつえい
日本にいるのですね?
【廣秦範奈】
ええ、そう考えています。
父、伊佐久いさくは終末の日が近づくと
おのずと現れてくると申していました。
【喪神梨央】
終末の日、ですか……
それはいつのことでしょうか?
【廣秦範奈】
わかりません……
父は研究を重ねていましたが――
その父も行方不明になったままです。
【喪神梨央】
兄さん――
あの方ですか、さんって。

【李景明】
喪神もがみさん、
今日はご公務に時間をいていただき、
有難うございます。
私は京城けいじょうに用があるのですが、
奉天ホウテンまで足をばすつもりです。
中条忍なかじょうしのぶさんの大連ダイレン行きを見届けます。
【廣秦範奈】
もしや中条忍なかじょうしのぶさんとは、
大連ダイレン特務機関の方ですね!
N計画を進めておいでの――
【李景明】
そのようです。
今は大崎おおさき是枝これえだ邸においでです。
是枝こえれだ咲世子さよこさんとご一緒です。
【廣秦範奈】
是枝これえだ……咲世子さよこ……
駐独ちゅうどく武官の是枝これえだ大佐の娘さんですね。
愈々いよいよN計画が動くのですね!
【李景明】
ええ、満蒙まんもう発展が期待できますね。
露西亜ロシアの南下を防ぐために、
満蒙まんもう発展は是非ぜひなる要件なのです。
【喪神梨央】
五反田ごたんだまで公務電車を手配します。
虎ノ門とらのもんから赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばし経由、
五反田ごたんだに向かう経路です。
【李景明】
それでは参りましょうか。
【廣秦範奈】
エレミヤさんのこと、残念です。
彼は貴重な情報をくれました。
罠にはまったのだと思っています。

喪神もがみさん――
N計画をお守りください。
よこしまな勢力に阻害そがいされないように……

景明けいめいを乗せ公務電車は一路いちろ五反田ごたんだへ向かう。清正公せいしょうこうまえ前を分岐ぶんきした電車は、しばらく進み、不意ふいに停車した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
付近でセヒラ上昇中です。
おそらく怪人川柳せんりゅうの影響で、
怪人化した市民かと思われます。
念のため、巡視パトロールをお願いします。

〔下大崎〕

【醤油商】
何だかね、
頭がフーってなってる時に、
句が浮かんだんですよ――

怪人の
ひとみえる
柿の色

嫁がね……荷物全部持って、
家を出たんです……
私、すっからかんですよ!!

【マネキンガール】
私もね、怪人川柳せんりゅう、認めたの。
姉が句を送って入選したのよ、
あの阿呆あほうの姉でも入選するならと――

怪人は
だ真ッ白く
笑ひこけ

どうですか?
この句をくとね、
ある考えが浮かんでくるの――
最近、売り場主任に取り入っている、
久子ひさこさんに意地悪しちゃえってね!
――だからそうしたの……

【満鉄信号手】
私ネ、一句思いついたんですヨ!

車投げ
ケロリしたりの
怪人や

どうです、なかなかのもんでしょ?
――ああああああ、
他にも浮かぶ言葉あるネ!

雨のしとしと降るパン
ガラスカラスマトから冷やかした
満鉄マテツ金釦キポタン馬鹿野郎パカヤロー

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
急激にセヒラ上昇です。
注意してください!

【マネキンガール】
ある日、デパートの更衣室こういしつに、
薬のアンプルがあったのよ。
それをねお茶碗ちゃわんに入れたの!
茶碗ちゃわんにお茶をそそいで、
久子ひさこさん、お飲みくださいってね!
あの女に差し出したのよ!
あなたがお茶をれてくれるなんて、
どういう風の吹き回しかしらなんて、
あの女、憎まれ口叩くのよ!
でも、素直に飲んだ――
三分もしないうちに白目向いて、
口から血の混じった泡吹くの!!
残念ね、上等の御為おためごかしなのに!!
蝦反えびぞりになって事切こときれたのよ!
アハハハハハハ~

《バトル》

【マネキンガール】
怪人の
刃物のような
目の光――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラ、なくなりました。
警護を続けてください。
今の件、一応警察に通報しますね。
――真偽しんぎの程は不明ですが。

ほどなく公務電車は五反田ごたんだ駅前に着いた。歩いて五分ほどの大崎広小路おおさきひろこうじ是枝これえだ邸がある。

〔是枝邸前〕

【李景明】
ここが是枝これえだ大佐の家ですね。

是枝邸前に立つ李景明と風魔。邸の庭には探信儀が立っている。
そこへ是枝咲世子と中条忍がやってきた。

【是枝咲世子】
どうぞよろしくお願いします――
【中条忍】
景明けいめいさんですね、
私、中条忍なかじょうしのぶです。
京城けいじょうまで行かれるとうかがいました。
【李景明】
ええ、でも奉天ホウテンまでご一緒しますよ。
大連ダイレン行きの列車にお乗りになるまで
見届けさせてください。
【中条忍】
ありがとうございます。
とても心強いです。
【李景明】
中条なかじょうさん、奉天ホウテンに着いたら、
一旦いったん、駅から出てもらえますか?
【中条忍】
え、どうしてですの?
そのまま折り返しで大連ダイレンに向かう、
そうじゃありませんこと?
【李景明】
奉天ホウテンからも警護を付けます。
満鉄調査部の職員を向かわせます。
そのほうが安心でしょう。
大連ダイレンまでずっと警護付きです。
【是枝咲世子】
それは安心ですね。
さん、有難うございます。
【李景明】
奉天ホウテン駅前から伸びる浪速通なにわどおりに、
満毛まんもう百貨店があります。
満蒙毛織まんもうけおりが経営する百貨店です。
満毛という屋号が壁面にあります。
その玄関に満鉄職員を待たせます。
背の高い日本人青年です。
【中条忍】
わかりました。
いろいろと有難うございます。
必ずN計画を実現させます。
日本の将来のためにも――
【是枝咲世子】
皆さん、円タクがまいりました。
喪神もがみさん、父も独逸ドイツに戻ります。
新しい独逸ドイツの事情も手に入ります。
またお目にかかりましょう。
それではお気を付けください。

三人は是枝これえだ咲世子さよこが呼んだ円タクに乗り、東京駅へと向かった。

〔東京駅〕

【李景明】
喪神もがみさん、有難うございました。
駅まで無事に着けました。
これでまずは一安心ですね。
帝都は少しのことで怪人化する、
そういう人が増えているようです。
ご公務、お気を付けください。
【中条忍】
大連ダイレンに戻り、
N計画の実現に向けてつとめます。
またお知らせできるかと――
【李景明】
それではそろそろ――
ここに長くいると目立ちます。
満蒙まんもうにおいて国家自衛の地歩ちほを築き、経済産業的自給自足じきゅうじそくの資源を得て、一朝有事いっちょうゆうじの際に応じ、もって大東亜共栄だいとうあきょうえいの意義をまっとうする、私の理念はそこにきるのです。
さぁ、まいりましょう――

【着信 帆村魯公】
黒ノ八号くろのはちごう
急ぎ、帝大に向かってくれ。
公務電車を回す。
和田倉門わだくらもんから乗車するんだ。

魯公ろこうによるとゴエティアの偽典ぎてんが見つかり、今日夕方にでも帝大に着くという。牛頭ごず機構がそれを狙う動きを見せたとのこと。

〔帝大キャンパス〕

【着信 帆村魯公】
満洲のあるすじから参謀に連絡があり、
偽典ぎてんがじき帝大に着くそうだ。
【着信 帆村魯公】
一般の電報でもたらされたと言うぞ。
眉唾まゆつばな気もするが、念のためだ、
帝大を巡視パトロールしてくれ。

【占領科生R】
どうしました?
――もしや皇軍こうぐんの方ですか?
一時のアナーキスト騒動、
すっかり沈静化したようですね。
でも本当は違うのです、
奴ら地下に潜っただけなんです。
僕たちには、
まだまだやるべきことが――
そう思うでしょう、あなたも!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大キャンパス内でセヒラ上昇!
複数箇所を確認しました!

【蹂躙科生Q】
貴官きかん巡察じゅんさつなのですか?
我々は心にとげを持つような、
アグレッシブな学生を求めます。
上層部から言われているんです、
そういう学生はいい材料になると。
そうです、人籟じんらいの材料ですよ!

【精神破壊科生V】
先日、捕獲ほかくした学生は大成功でした。
くるぶしまで水にかる小部屋があります。
部屋の中央には一脚の椅子いす――
その椅子いすに学生を座らせ、
頭上から水を一滴ずつ落とします。
同じ間隔かんかくたもちながら――
ポターン、ポターンとね。
フフフ、その学生は立派に覚醒かくせいして、
に魂をわれましたよ!!
強く強く歯を食いしばって、
奥歯の割れる音がしました!
アハハ、お前もそうなるがいい!!

《バトル》

【精神破壊科生V】
水の……小部屋……
今度はお前を……入れてやろう……

【着信 喪神梨央】
帝大内のセヒラ、
収束したようです――

〔蔦博士研究室〕

【蔦博士】
これはこれは、喪神もがみ君――
来ると思っておったよ!
先程、たしかには届いた。
本郷ほんごう局の郵便夫が届けに来たぞな。
その本じゃがな……
いやぁ、あれは何であるか?
ぜんたい、不明じゃ!
少なくとも、君らの役に立つ、
ゴエティア偽典ぎてんではないぞ!
希臘ギリシャ語で何やらつづったページ、その後に阿爾卑斯アルプスの観光写真の写し、それからまた希臘ギリシャ語のページが続く――
希臘ギリシャ語を読むと、バンガロス将軍の
クーデターがどうのこうのと――
これは十年前の話じゃな。
つまりは希臘ギリシャの古新聞じゃな、
その記事をただ写してある本じゃ。
アレクサンドロス・デュカキス、
それが写本者の名前じゃ。
間違いなくインチキ本じゃよ!!
【着信 喪神梨央】
帝大内でセヒラ観測です!
研究室の近くです、
注意してください。

【搾取科生X】
古書が偽物だったとはな!
偽典ぎてんの偽物とは洒落しゃれが効いている。
そう思うだろ、山王さんのうの猿めが!
僕はね、牛頭ごずに加わって開花した。
ついに句の才能も花咲いたんだ。
聞かせてやろうか、最新作を――

怪人の
すそから風が
通り抜け

嗚呼ああ、目に浮かぶようだ――
心を彷徨さまよわせる怪人のかなしみが、
ありありと伝わってくるよ!
このかなしみを、
山王さんのうの猿にもわからせてやろう!!

《バトル》

【搾取科生X】
怪人の
素足の下の
霜柱しもばしら――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大のセヒラ、完全に沈静化、
本部に帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
しのぶさんたち、無事に汽車に乗り、
下関しものせきに向かわれました。
鉄道省にも監視員をお願いし、
確認してもらったのです。
【帆村魯公】
ゴエティアの書については、
ガセだったようだな。
牛頭ごずの急進派を帝大に集める、
そういう効果はあったようだ。
【喪神梨央】
たぶん、範奈はんなさんです――
範奈はんなさんの陽動じゃないですか?
しのぶさんたちが汽車でつまで、
牛頭ごずをおびき寄せたのでしょう。
【帆村魯公】
最近、牛頭ごずの動きはうかがえないが、
下っ端連中はウロウロしておる――
念には念をということじゃな。
【喪神梨央】
希臘ギリシャ語のインチキな本、
誰が作ったんでしょうね――

大連ダイレン特務機関を手伝う中条忍なかじょうしのぶは、景明けいめいのエスコートを得て満洲へ向かった。愈々いよいよN計画の動き始める時が来たのだ。

第八章 第三話 猟奇倶楽部潜入

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーに風魔ふうまを待つ客があるという。機関本部の前に風魔ふうまはロビーに立ち寄った。はたして、背広せびろ姿の人物が待っていた。

【満蒙毛織の谷崎】
喪神もがみさんでいらっしゃいますね!
私、満蒙まんもう毛織けおり谷崎たにざきと申します。
いやぁ、ウチの繊維研究所、
さんざん手こずりましてね――
なにせ標本が極小でしたから!
あはは!
でも出来ましたよ!
六十番という細番手ほそばんで朱子織サテンです。
上等な生地をお使いですな。
そめも三度黒の職人に出して、
やっとご指定の色になりました。

ロビーにやってきた梨央りおは、谷崎たにざきから風呂敷ふろしきづつ包みを受け取った。

【喪神梨央】
谷崎たにざきさん、ご面倒をおかけしました。
【満蒙毛織の谷崎】
そう言っていただくと、
苦労した甲斐かいがあります。
――しかし、秘密のお仕事ですか?
【喪神梨央】
谷崎たにざき清次郎せいじろうさん……娘さんは、
大原おおはら商業高女を志望されていますね。
先生にはまだ相談されていません。
荻窪おぎくぼとついだ里子さとこお姉さん、
熱出して頓服とんぷく処方されたとか。
夏風邪はこじらせると大変ですよ。
また牛込うしごめの弟さんは借金絡みの――
【満蒙毛織の谷崎】
うわっ!
社の用事、忘れていました!
私はこれで失礼します!

【喪神梨央】
うふふ……
すごい慌てようですね、兄さん。
満蒙毛織まんもうけおりに頼んでいたのは、
黒頭巾くろずきんです。
兄さんが倒した怪人が落とした、
小さな切れ端から、
同じ素材のものを求めました。
先程、受け取りました。

ホテルロビーに新山眞が入ってきた。

【新山眞】
黒頭巾くろずきんの人物が落とした便箋びんせん
塩化コバルトインキで印刷してあり、
飯倉いいくら技研ぎけんに回ってきました。
電磁加熱機で慎重に加熱すると、
あぶしの要領で文字が浮かび、
猟奇倶楽部の秘密集会の案内でした。
【喪神梨央】
その集会が今日開かれます。
待機場所は品川駅前――
前に猟奇倶楽部に招待された時と、
同じ場所ですね。
倶楽部の車が迎えに来ます――
【新山眞】
待機時に頭巾ずきん着用のこと――
そうあったんです、案内に。
【喪神梨央】
兄さんがこの頭巾ずきんで変装して、
猟奇倶楽部の秘密集会に潜り込み、
内偵ないてい調査するのです。

〔山王ホテル前〕

【喪神梨央】
兄さん……
全然、兄さんだとわかりません。
【新山眞】
猟奇倶楽部の連中、
妙な渾名あだなで呼び合います。
喪神もがみさんはこれを名乗ります――

そう言って新山にいやまはメモを風魔ふうまに渡した。メモには、ガニヤンテの大司祭Λラムダ師とあった。

【喪神梨央】
品川へは公務電車ではなく、
円タクで向かってください。
参謀本部の職員が運転します。
それではよろしくお願いします。

〔品川駅前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
無線は行いませんが、
探信たんしんは続けます。
猟奇倶楽部が探信儀たんしんぎの空白地帯だと、
正確な場所は確認できません――
でも、出来る限り探信たんしんします。

【猟奇人ΩⅥオメガシックス
猟奇人ΣⅢシグマスリー様、会員の方です――
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様です。
【猟奇人ΣⅢシグマスリー
おお、ガニヤンテの大司祭様!
お待ちしておりました。
こちらを。つねの目隠しにございます。

黒服の男は目隠しを取り出した。猟奇倶楽部への道中は、会員であっても、知ることの出来ない秘密のようである。

【猟奇人ΣⅢ】
それではまいりますよ、大司祭様。
今日は特段のもよおしにございますゆえ。

風魔ふうまを乗せた車は、右へ左へと角を曲がり、加速や減速を繰り返しながら走った。

【猟奇人ΣⅢ】
今日は階位一位の会員の方が、
おいでになるともうかがっております。
皆、頭巾ずきん姿なのですが――
大司祭様の頭巾ずきんは新しいですね。
最近、会員になられたのでしょうか。
だとして、もうその階位ですか!
よほどの貢献こうけんがおありなんですね!
私らは準会員なのです。
永遠の準会員です――
倶楽部の場所は知りますが、
集会には参加できません――
儀式を受けると正会員になれます。
刀圭とうけい堂薬局の脳散丸のうちるがんを飲んで、
場所の記憶を飛ばすらしいです。
ノーチル、ノーチル、ですよ!

車が急ブレーキとともに停止した。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
あれを見ろ、襲撃だ!

〔四谷見附〕

そこにへ走り込んできたのは執事型ホムンクルスであった。
猟奇人ΣⅢは咄嗟に車の運転席に隠れた。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
まただ、ホムンクルス、人造人間だ!
我々を極度に警戒している!
排除してくれ!

猟奇人ΩⅥと執事型ホムンクルスは相討ちとなりともにたおれた。
辺りが鎮まったのを確かめるようにして、クルト・ヘーゲンがやってきた。

【クルト・ヘーゲン】
このトウキョウという町は、
実に緩みきっているな、フーマ!
いろんな人間が訪れては、
己が欲望を満たそうとする――
まるでソドムでありゴモラだ。
お前たちが何を求めようと、
私には関係がない。
だが、成果をかするとは残念だ。
ホムンクルスは、
我が国の宝だ、大いなる可能性だ。
それを狙うお前たちの狭量さいりょうぶり、
もう私には我慢ならない。
全個体に大型波動グローサベッレを発した。
全ては私の命で動く!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフフ――
私一人を退しりぞけても無駄だ。
二個中隊を越す数の個体群が相手だ!

そう言い残し、クルト・ヘーゲンは踵を返して立ち去った。
車に乗り込んだ風魔ふうまに目隠しが渡された。車は再び走り始めた――

【猟奇人ΣⅢ】
独逸ドイツの人造人間どもは、
私たちへの警戒を強めています。
――さもありなんでしょうが……
フフフフフ~

車は猟奇倶楽部に着いたようだ。風魔ふうまは目隠しを外されやしきへと案内された。

〔猟奇倶楽部〕

洋館の中には印度インド音楽のような調べが流れ、乳香にゅうこうの香りが漂っていた。招待者たちは一様に黒頭巾くろずきん姿であった――

【大階段の審判長Λ師】
支那シナには食人の風習を今に伝える
漢字があるのですよ――
ご存知ですか?
という字は干し肉のことです。
カイは肉の塩辛のことです。
脯醢ホカイとは残酷な刑を意味します。
罪人を殺して、
その肉を干し、塩漬けにして食った、
その名残ですな、フッホッホッホ~

【神の息を浴びたるΩ師】
あら、シャクという字もありますわよ。
これは肉をキザんで薬味を混ぜたもの。
支那シナ紂王ちゅうおうは、三公を食したと、
韓非子かんぴしにありますわ。
カイシャク――
三人をそれぞれの方法で調理して、
美味しく食べたそうですわ!

【煉獄の魔獣使いΒ師】
我国にも灰屋紹益はいやしょうえき逸話いつわがあります。
京都の富商であった紹益しょうえきは、
愛人だった吉野太夫よしのだゆうが死ぬと、
火葬かそうにしたその灰を、
酒にひたして食したそうです。

【栄光に満つ嬰児Σ師】
坪井つぼい正五郎しょうごろうしるした東亜とうあひかりに、
こんな一節がありますよ――
方々ほうぼうにある貝殻かいがらくずの中から
鹿やいのししの肉と同じに、
人骨のったのが出る――
これがもしほうむったのなら、
全体がある訳ですが、そうでない、
手足の骨がバラバラになっている――

【煉獄の魔獣使いΒ師】
近親者が亡くなると食ったのですね。
そういう親類を眞肉親類マツシシオエカと言います。
死者に対する愛慕痛惜あいぼつうせきの現れですね。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様――
取って置きのをお聞かせしましょう。
洪牙利ハンガリーのネダスチー伯爵夫人は、
全国から十二~十八歳の少女を雇用、
その数、二十年で六百人に及びます。
少女たちは城に着くや首をられ、
すぐさま生血をしぼられます。
血は場内奥深くの浴槽よくそうに運ばれ、
伯爵夫人の体を赤く染めていた――
若い少女の体からしぼった
血風呂に毎日入ることで、
容色ようしょくが増すとの迷信ですね――

そこへ鷹揚な様子で一人の黒頭巾姿の人物が現れた。
ホールにいた黒頭巾たちは一斉にその人物の方を向いた。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
従順なる隸Θしもべシータ師……
【従順なる隸Θ師】
結局、ホムンクルスの捕獲、
上手うまく行かなかったようです。
今日は一体のみとなります――
【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
それでは食せる香腺こうせんは、
一つということになりますか?
【従順なる隸Θ師】
香腺こうせん一つでも三人くらいは、
食せると思います。
【神の息を浴びたるΩ師】
香腺こうせんのオリーブオイル焼き、
口腔こうくうに広がるアーモンドの香り……
ああ、早く試したいですわ!
【従順なる隸Θ師】
さぁ、我らがホムンクルスですよ――

黒頭巾の一団が二手に分かれ、ホールの端に一体のメイド型ホムンクルスが現れた。
メイド型の体は濃厚なセヒラによって帯電したようになっている。
彼女の顔に表情はなかった――

【従順なる隸Θ師】
我らがホムンクルス、
先程から様子がおかしいのです。
【大階段の審判長Λ師】
何やら殺気さえ感じますが――
恐れているのでしょうか?
そういう感覚を持っているとでも?
【従順なる隸Θ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様、
ホムンクルスの準備をします。
一緒においでください――

黒頭巾の一団はメイド型ホムンクルスを囲み、ホールを後にした。
風魔も彼らの後に続いた。

洋館の薄暗い廊下を抜け、大きな扉を開けて入った部屋はまるで手術室のようなところだった。
部屋の周囲に医療器具や薬瓶を収めた棚が並び、部屋の中央に手術台がある。
メイド型ホムンクルスと風魔が向き合う格好になった。
部屋には他に従順なる隸Θ師の名を持つ黒頭巾がいるばかりであった。

【従順なる隸Θ師】
今日はカニバリズム猟奇人の集い、
そういうことになっています。
猟奇倶楽部で捕獲している、
ホムンクルスの香腺こうせんを料理して、
食べようという趣旨しゅしです。
しかし今日はあきらめましょう。
見てください、ホムンクルスですが、
妙に気が立っています――
この子は戦う気でいます。
誰彼だれかれとなく戦いをいどむ、
その状態のようです。
喪神もがみ風魔ふうまさん、
この子と戦ってください。
逃げることはできないでしょう。
【フロイライン】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
攻撃アングリフ!!

《バトル》

【フロイライン】
終了エンデ――
――終了エンデ――終了エンデ――

【従順なる隸Θ師】
――戦いは終わりました――

今回のもよおし、喪神もがみさんに
おいでいただくための計画でした。
君たちが如何いかなるを見るのか、それに近づくのが私の夢です。
――でも一向にかないません……
私はこの子を帰します。
喪神もがみさんもお戻りください。
品川駅までお送りします――

廊下に出たところで猟奇人ΣⅢが待ち構えていた。
風魔を車へ案内するという。

車は右左折を繰り返しながら進む――

【猟奇人ΣⅢ】
特別のつどい、いかがでしたか?
あっ、いえ、詮索せんさくはしません。
先程、車寄せにおいでなのが、
おそらく階位一位の方ですね。
西洋派出婦メ  イ  ドの格好をした女性と、
先の車で行かれました。
どうして一位と分かるって――
頭巾ずきん生地きじで分かるんです。
あの方のは百二十番手の極細番手ごくぼそばんて
世界でも希少な極上の朱子織サテンです。

車外の喧騒けんそうが消えた。大通りから外れたようである。不意に車は停車した。

〔銀座二丁目〕

【猟奇人ΣⅢ】
ここは銀座二丁目です。
表通りが通行止めでして――
数寄屋橋すきやばし界隈かいわいも通行できません。
申し訳ありません、
お送りできるのはここまでです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置、確認できています。
近くでセヒラを観測しました!
帥士すいしの方向に向かっています。
警戒してください!!

路地の脇から不意に黒頭巾が現れ風魔に近寄る――

【熱砂の旅団長Σ師】
あのホムンクルスとは、
私が戦う手筈てはずであった――
戦いに負け、たおれた彼女の香腺こうせんは、
果たして如何いかなる味わいであるか。
悲しみの味わいか、いきどおりの味わいか、
香腺こうせんを口に含み、深く味わう――
舌で香腺こうせん上顎うわあごに押し付けてつぶす――
歯を使うのは彼女に失礼だろう。
それが益荒男ますらおたしなみというものだ。
そのひそやかなる楽しみを、
貴様が台無しにした!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【熱砂の旅団長Σ師】
貴様!
無線誘導があるのか!

《バトル》

【熱砂の旅団長Σ師】
き……貴様は……
山王さんのう……機関か……
神与しんよの剣ひらめけば
妖魔ようまさんじてかげうつ
東亜とうあまもり関東軍!!
【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわい、交通整理中です。
フォス大佐離日りにちさいしての、
パレードが行われます。
怪人がまぎれると国際問題になると、
参謀本部より巡視パトロール依頼がありました。
銀座通りへお願いします。

〔銀座四丁目〕

銀座の電車通は交通整理がされ、今まさにフォス大佐の車列が通過中であった。沿道えんどうには等間隔で兵が立哨りっしょうについている。

【京橋署の巡査】
ナチスの偉いさんですかね……
帰国されるんでしょ。
車列、意外にこぢんまりですね。
春の時とは雲泥うんでいの差ですな。
デンホフSS上級大将歓迎パレード、
歩兵連隊の車列四キロに及び、
複葉機ふくようき八機、飛行船まで駆り出して、
沿道えんどうにはニ十万人が押し寄せました。
紙吹雪が乱舞らんぶして、
掃除に三週間かかったそうですよ。

【着信 喪神梨央】
車列は品川駅までだそうです。
横浜港に欧亜おうあ汽船の漢堡ハンブルク丸がいます。
フォス大佐が乗船予定です。
横浜までは省線電車ですね。
品川四時十分発の沼津ぬまづ行、
普通車一両を貸し切るようです。
その電車に特別車はありません。
公務終了して帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、猟奇倶楽部の場所ですが、
やはり探信儀たんしんぎの空白域です。
一探、二探、四探、六探、
これら探信儀たんしんぎに囲まれたどこかです。
北は市ヶ谷士官学校、南は古川橋ふるかわばし
東は半蔵門はんぞうもん、西に信濃町しなのまち……
その中の何処どこかにあるはずです――
車は品川から銀座、日本橋を経由し、
本郷ほんごう春日町かすがちょう水道橋すいどうばしと、
六探内を動いて、四谷見附よつやみつけへ。
そこは山王さんのう探信儀たんしんぎを使えました。
四谷見附よつやみつけから程なくして車は停まり、
その付近に猟奇倶楽部があると――
おそらく信濃町界隈しなのまちかいわいですね。

ノックの音がして機関本部にユリア・クラウフマンが姿を見せた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが戻りました。
あの子、無事だったんです――
【喪神梨央】
よかったですね、ユリアさん!
それじゃ香腺こうせん調べれば、
猟奇倶楽部がわかりますね!
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインの香腺こうせんの内容、
きれいに消されていました。
事情に明るいのですね――
【喪神梨央】
事情に明るいというのは、
つまりホムンクルスをさらった人が、
という意味ですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、そうです――
アーネンエルベの情報が、
れているのかも知れません。
【喪神梨央】
他に行方不明の
ホムンクルスはいませんか?
【ユリア・クラウフマン】
今のところは……
ヘーゲンが大型波動グローサベッレを放ち、
不要な交戦が増えると思います。
行方不明が出る恐れもありますね。
フォス大佐がマンシュウへ渡り、
ヘーゲンは増長しつつあります。
ユンカー博士は、
大型波動グローサベッレには猛反対もうはんたいしています。
ヘーゲンは聞く耳を持ちません――
【喪神梨央】
アーネンエルベが分裂とかしたら、
虹人こうじんさん、大丈夫でしょうか?

猟奇倶楽部への潜入は、むしろ相手の策にはまったようなものだった。そこにはへの執着がわだかまっていた――

第八章 第四話 満映女優

〔山王ホテルロビー〕

その朝、京都より多加美たかみ宮司ぐうじが戻り、山王さんのうホテルで迎えることになった。東雲しののめ流再興を誓った鈴代すずよも来ている。

【喪神梨央】
多加美たかみ宮司ぐうじですが、
昨夜十一時四十五分に京都を出た
夜間急行でお戻りです。
東京には今朝の九時三十分着です。
【如月鈴代】
宮司ぐうじは鏡をお持ちになるはずです。
東雲しののめ流に神意しんいを伝える鏡です。
京都の神社に奉納されていました。
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、その神意しんいって、
どんなものなのですか?
【如月鈴代】
私もくわしくは知らないのです――
霊異りょういす者にのみ伝わるそうです。

ホテルロビーに多加美宮司が入ってきた。
東京駅から円タクを飛ばしてきたのである。

【多加美宮司】
皆さん、おそろいですね――
【如月鈴代】
神器の鏡、授かりましたか?
【多加美宮司】
ええ、京都は宮津みやづにある、
真名井まない神社に奉納されていました。
伊勢いせこの神社の奥の院ですよ。
鏡はこちらになります。
鏡は真名井まない真鏡しんきょうと呼ばれています。

多加美たかみ宮司ぐうじ真名井まない真鏡しんきょうを取り出した。古式の鏡という以外に取り立てて特徴はない。

【喪神梨央】
宮津みやづだと山陰さんいん線から宮津みやづ線ですね。
京都を朝出るとお昼前には着きます。
【多加美宮司】
京都から宮津みやづは日帰りでした。
降りた駅は宮津みやづ線の天橋立あまのはしだて駅です。
神社まで天橋立あまのはしだてを渡って向かいます。
【喪神梨央】
そうなんですね!
天橋立あまのはしだてを通ったんですね!
日本三景の一つですね。

多加美たかみ宮司ぐうじ宮津みやづ真名井まない神社で、宮司ぐうじから鏡を預かった経緯けいいを話した。鏡の霊力は失われているとのことだった。

【多加美宮司】
この真鏡しんきょうには三篇さんぺん古文書こもんじょ
付帯ふたいしています。
そのうちの一篇いっぺんを授かりました。
真名井まない神社から電報で頂いたのです。

マナイノ カガミハ ソレノサマ 
ウルワシクテ モロカミタチノ
ミココロニモ アヱリ

【多加美宮司】
真名井まないの鏡、
それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心みこころにも合えり――
【如月鈴代】
他の二篇にへんはどうなっているのですか?
【多加美宮司】
今、手配しています。
一篇いっぺんは京都帝大に、
もう一篇いっぺんは北の紫野むらさきのにあるそうです。
紫野むらさきのには紫水しすい会館という会館があり、
そこに収蔵されているそうです。
見つかり次第しだい、電報をもらいます。
【如月鈴代】
その古文書こもんじょ三篇さんぺんそろうと、
鏡の霊力は回復するのですか?
【多加美宮司】
真名井まない神社では、
そのようにうかがいいました。
程なく三篇さんぺんそろうでしょう。
この鏡は貸金庫に預けておきます。
第百六十三銀行銀座支店です。
エレミヤさんの銀行ですよ。
【喪神梨央】
そうだ、兄さん、
もう一方ひとかた、お客様があります。
――いらっしゃったようですよ。

〔山王ホテルロビー〕

優雅な素振りを見せながら、一人の女性がホテルロビーに入ってきた。満鉄映画社の麻美マーメイである。

【如月鈴代】
あら……
どこかでお見受けしたような――
【喪神梨央】
麻美マーメイさんですね?
――満鉄映画社の。
活動キネマ紅楼夢こうろうむの。
【麻美】
ええ、そうです――
浅草は今日が最終日で、
舞台挨拶あいさつがあるんです。
【喪神梨央】
あの……共演の女優さんは……
麻美マーメイさんは林黛玉リンタイギョク役ですよね。
もうお一方ひとかた薛宝釵セツホウサ役の女優さん――
その方、五月の舞台挨拶あいさつにも、
おいでじゃなかった――
興亜こうあ日報に書いてありました。
【麻美】
蘭暁梅ランシャオメイちゃんですね?
春から長患いで来日できていません。
悪い夢を見る、嫌な予感がすると――
【喪神梨央】
それは心配ですね。
紅楼夢こうろうむ、大人気なんですから!
今じゃ市内中まちじゅうでかかっていますよ!
【如月鈴代】
私も鑑賞いたしましたわ!
遅ればせながら、この八月に――
【麻美】
それは有難うございます。
【如月鈴代】
麻美マーメイさんは、五月に来日されて、
この夏はずっと日本においでですか?
【麻美】
ええ、母の実家に寄っておりました。
私、支那シナ生まれですが日本人です。
本名は高山たかやま麻美あさみと申します。
【喪神梨央】
そうだったんですね!
てっきり支那シナの方かと――
【麻美】
これから是枝これえだ咲世子さよこさんに会います。
――ご存知ぞんじですよね、咲世子さよこさんは?
【如月鈴代】
勿論もちろんぞんじておりますわ。
もしや、満洲まんしゅうの――
N計画のお話でしょうか?
【麻美】
咲世子さよこさんのお話は、
おそらく独逸ドイツのことではないかと。
近々、私、渡独とどくの予定があります。
独逸ドイツに会って欲しい協力者がいる、
そういうお話のようです。
【如月鈴代】
麻美あさみさん……是枝これえだ咲世子さよこさん、
山王さんのうホテルにおいでですか?
【麻美】
いえ、近くのおやしろに……
日枝ひえ神社ですか、そちらで。
もういらっしゃっているかも。
【喪神梨央】
兄さん、念のためです、
日枝ひえ神社界隈かいわい、セヒラを調べます。
【麻美】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね……
それでは、まいりましょうか。
鈴代すずよさん、
またお会いしたいと思います。
【如月鈴代】
私もですわ。
活動キネマのお話、聞かせてくださいな。

〔日枝神社〕

【是枝咲世子】
麻美あさみさん、
幾久方いくひさかたですね!
【麻美】
咲世子さよこさんこそ、お元気そうで。
お父様もお変わりなくて?
――今も独逸ドイツに……
【是枝咲世子】
父は帰国中ですが、
もうじき独逸ドイツに戻ります。
――麻美あさみさん、少し歩きましょうか。
風魔ふうまさんもご一緒してくださいな。

日枝ひえ神社境内〕

旧交を確かめ合った咲世子さよこ麻美マーメイつのる話を交えながら二人は日枝ひえ神社へ。風魔ふうまにもぜひ聞いて欲しい話があるという。

【是枝咲世子】
それではダッハウ強制収容所のこと、
さっそく父にも申しておきます。
アイケSS上級大将のことは特に。
アイケは猶太ユダヤ人を憎悪しています。
収容所施策を強化するでしょう。
満洲での受け入れを急ぐべきです。
麻美あさみさんはナチ高官の会合かいごう
参加されるなどして、
情報を集めておいでです。
【麻美】
ナチス・ドイツはユダヤ人排斥はいせき
本格的に始めるつもりです――
独逸ドイツ欧州ヨーロッパで孤立するのは自明じめいです。
【是枝咲世子】
父の話では、英国イギリスの外務大臣が
満洲への猶太ユダヤ入植にゅうしょく事業に
おおいに関心を寄せているとか――
日本と英国イギリスの二国で満洲を管理する、
そのような提案を出すようですよ。
これは日本にとって好機こうきです――
【麻美】
せんだって国連脱退した日本が、
これ以上孤立しないために……
ということですね?
【是枝咲世子】
父はそう考えています――
他国を利用するだけだった英国イギリスを、
今度は日本が利用してやるのだと。
【麻美】
そういえばナチ親衛隊長官ヒムラーは
北満ほくまんにアーネンエルベ開設の
指示を出したとか……
【是枝咲世子】
先日、フォス大佐が満洲へ――
麻美あさみさん、例のお話ですが……
独逸ドイツに渡られるとお聞きしました。
【麻美】
独逸ドイツで会って欲しいという方ですね?
どういう方でしょうか?
【是枝咲世子】
ナチ親衛隊のローレンツ中将です。
エーリッヒ・ローレンツ――
中将はN計画の考案者なのです。
【麻美】
ローレンツ中将ですね。
褐色館ブラウネスハウスに招かれているので、
お目にかかれると思います。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
警戒してください!
セヒラ急上昇です!!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
開始シュタート! 開始シュタート! 

《バトル》

【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、沈静化しました。
警戒を解いてください。
【麻美】
さすがですね、風魔ふうまさん――
月下げっか一閃いっせんごとくですね。
頼もしく思います。
近く、在日独逸ドイツ人会の渡独とどくに合わせ、
独逸ドイツへ渡る予定があります。
今日はこれから、
浅草で舞台挨拶あいさつがあります。
【是枝咲世子】
風魔ふうまさん、帝都では騒動が――
浅草まで麻美あさみさんとご同行ください。
【着信 喪神梨央】
公務電車の手配をします。
山王下さんのうした電停に待機させます。

〔浅草六区ろっく

【着信 喪神梨央】
銀座幻燈会げんとうえもよおしが、
市内数カ所で開かれた模様です。
有楽町ゆうらくちょう京橋きょうばし、新宿、浅草――
浅草は天一館てんいちかん水天館すいてんかん文明閣ぶんめいかくです。
今回は活動キネマだったようです。
大勢が怪人化する恐れがあります。
浅草にも……セヒラ観測です!!
【麻美】
浅草の三つの映画館、
いずれも閉館しています。
三館が合わさって浅草名劇座に――
狐につままれたようなことでしょうか?
用心に越したことはないですわね。

御成門おなりもんの客】
短編の活動キネマでしたわ。
日露戦争のお話よ――
三軍の旅団にいた一人の少尉さん、
東京に残した奥さんが亡くなるの。
流感インフルエンザかかったのよ。
当時遼東リャオトン半島にいた少尉が携行けいこうする、
小さな手鏡に、奥さんの顔が写る、
そういうお話よ。
死んだ奥さん、良人おっとに会いに行った。
その少尉さん、敵弾もろともせず、
無事、日本に戻られました。

赤羽橋あかばねばしの客】
少尉の女房が何で死んだか、
そこが肝心かんじんなんだよ。
女房は省線電車にかれて死んだ。
四谷見附よつやみつけの橋から身投げしてね。
あすこ、下に省線走ってるんだ。
電車の鉄輪で顔は真っ二つ!!
ひゃぁ~柘榴ざくろみたいにけた~
その顔が鏡に写ったんだよ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラです、接近しています!
【麻美】
喪神もがみさん、お気を付けください!

入谷いりやの客】
僕は見た!
僕は見たんだ!
手鏡に写った少尉の女房を!
あああ~
少尉の女房は、
首くくりで死んだんだ!!
目ん玉が飛び出し、舌を垂らし、
白くろうのような肌をさらして――
細い首に縄の跡が赤黒く残るんだ!!
昨日から同じところを歩いてる。
行けども行けども、下宿に着かない。
歩くほどに力がみなぎってくるよ!!

《バトル》

入谷いりやの客】
手鏡に写ったのは……
少尉の女房じゃない、そうじゃない、
去年、肺病で亡くした僕の姉だ!

あああああ~
――僕は、もう行き場がない!!
【麻美】
人によって見え方が違う……
そんな活動キネマ、知りませんわ。

喪神もがみさん……
幻燈会げんとうえもよおしを主催するのは、
いったい、誰なんでしょうか?
セヒラにおかされておかしくなる、
そうう人ばかりじゃないようです。
――あの人……
幻燈会げんとうえのお客さんじゃないですか?

角筈つのはずの客】
文科のS三郎はいい加減だ!
少尉の手鏡に写ったのは化物だ。
真っ青な色で赤い目をし、
金のきばく怪物なのだ!
少尉の女房じゃない!
怪物だ、怪物だ、
あれはまごうことなく怪物なんだ!!

《バトル》

角筈つのはずの客】
少尉の隊は激戦の中でほぼ全滅、
生き残ったのは少尉と軍曹ぐんそうだけ――
軍曹ぐんそうが言うんだ――
敵弾、少尉の体をすり抜けたと。
何十発も撃たれて平気だったと。
軍曹ぐんそうが目を凝らすと、
少尉の体を透かして、
二〇三高地が見えたそうだ!!
【麻美】
お話の筋書きまで変わるなんて――
何かの力がおよんでいる気がします。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その辺り、セヒラは観測しません。
浅草今木いまきににお客様です。
ご対応お願いします。

〔甘味処今木いまき

今木いまきてる
あら、麻美マーメイさん!
ようこそお越しを……
お客様がお待ちですよ。
皆さん、活動キネマ関係の方なんですって?

【聖宮成樹】
多加美たかみ宮司ぐうじから麻美マーメイさんのこと、
うかがいしたのです。
この店の常連だと――
【麻美】
ええ、浅草に来ればいつも……
浅草名劇座で舞台挨拶あいさつがあります。
でも浅草に怪人が出ていて――
【聖宮成樹】
喪神もがみさんがおしずめになったのですね!
喪神もがみさん、麻美マーメイさんに大切なこと、
お頼みしようと思うのです。
【麻美】
あら、どんなことですの?
【聖宮成樹】
独逸ドイツはミュンヘンにあるナチ党本部、
通称、褐色館ブラウネスハウスに行って欲しいのです。
【麻美】
褐色館ブラウネスハウスなら近く訪れますわ。
ブルエナーどおりにありますわね。
【聖宮成樹】
褐色館ブラウネスハウスの地下に、
リヒャルトガルテンの銘板めいばんかかげた、
小部屋があるのですが――
そこにしのんで、
持ち出して欲しい代物しろものがあります。
【麻美】
どんなものでしょうか?
【聖宮成樹】
この写真を――
ゼーラム五二五です。
銀色の筒状つつじょうの容器に入っています。

聖宮ひじりのみやが取り出した写真には、金属製の筒状容器が写っていた。側面に525の文字が見える――

【麻美】
それは何か特殊なものですね。
この帝都の……喪神もがみさんたちに、
何か関係がありますかしら?
【聖宮成樹】
ゼーラム五二五は謎の霊的物質です。
失われた霊力を回復する、
そのような働きがあると言われます。
【麻美】
――なるほど、承知しょうちしましたわ。
近く親衛隊のパーティがあるので、
いい機会だと思います。
【聖宮成樹】
計画が首尾しゅびよく運ぶよう、
私からシュタインベルク中将に、
麻美マーメイさんのことを伝えておきます。
【麻美】
ありがとうございます。
それでは殿下でんか、私は劇場の方へ。
【聖宮成樹】
麻美マーメイさん、
どうぞよろしくお願いします。
【麻美】
喪神もがみさん――
またお逢いしましょう。
夢玄器むげんき独逸ドイツにも持参しますわ。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうという物理学者の名前、
お聞きになったことはありますね。
柄谷がらたに博士は瑛山会えいざんかいの一員です。
三年前、セヒラが同定されたとき、
せんの必要性を訴えました。
論文をまとめ、参謀本部へ提出し、
それが元で山王さんのう機関が設立され、
喪神もがみさんたちが招聘しょうへいされました。
その柄谷がらたに博士ですが、
どうも動きが怪しいのです。
それで京都から尾行しました――
博士は東京に着くやいなや、
独逸ドイツ大使館に向かったのです。
瑛山会えいざんかい独逸ドイツ国――
爾来じらい、何の繋がりもありません。
誰と接触したのでしょうか……
少し調べてみることにします。

さて――
麻美マーメイさんがゼーラムを持ち帰れば、
多加美たかみ宮司ぐうじが授かった鏡に、
霊力が戻る希望が持てます。
ゼーラムは釣鐘つりがねにも使われています。
ただ、釣鐘つりがねから取り出しようもなく、
麻美マーメイさんにお願いした次第しだいです。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお話ししたいと。
はらえの間においでになれますか?

【今木照】
どうするんですか、お二人は?
お店、看板にしちゃいますよ!
【聖宮成樹】
わかりました、すぐうかがいます。
喪神もがみさん、
今日はこれにて失敬しっけいします。

聖宮は今木に入っていった。
風魔は梨央の要請で祓えの間に向かった。

はらえの間〕

【新山眞】
今回、ようさんから連絡もらって、
飛んできたんですがね――
どうも別の時空に繋がったようです。
それが証拠に、未知の波形が――
どやら日本じゃないですね。
ようさんは香港ではないかと――
実はこれまで何度か、
香港と接続したことがあります。
それもずっと未来の香港です――
波形記録に接続の履歴が残っていた、
そういうことですが……
今、接続するのは品川図們トモンです。
接続したばかりで、
今はすこぶる不安定です。
安定するまでお待ち下さい。
ひとまず山王さんのう機関に向かいましょう。

帝都満洲が別な時空と繋がったという。それは未来の香港であると――
過去に何度か接続の事実はあったようである。

第八章 第五話 龍脈の行方

〔祓えの間〕

はらえので待機していた新山眞にいやままことから、ゲートの状態が安定したとの一報が入った。様子を見に梨央りおはらえのに来ていた。

【喪神梨央】
兄さん!
ゲートの状態が安定したんですって!
【新山眞】
でも時空は歪んでいます――
大きな歪みディストールドですよ!
【喪神梨央】
新山さん……
エスペラント語、復活ですか?
【新山眞】
アハハ……
失敬しっけい失敬しっけい
こいつは辞書で調べました。
喪神もがみさん、
別の時空は繋がったままですが――
いきなりその時空の先に
飛び出したりはしません。
――保証はありませんが。
【喪神梨央】
帝都満洲だったら探信たんしんできます。
品川図們トモンですよ、兄さん!
【新山眞】
そうです――
どうかお気を付けて!

風魔がゲートに向かったとき、祓えの間に高濃度のセヒラが流入した。
まるで夢玄器を装着したときの思念空間のようだった。
そこにフリーダイップが姿を見せた――

【フリーダイップ
来てくれたのね――
ありがとう。
遅かれ早かれわかることよね――
接続したのは未来の九龍城砦クーロンじょうさいよ。
といっても、九龍城砦クーロンじょうさい自体、
一九九四年に取り壊されてるの。
でも、壊されなかった街がある――
それが陰界いんかいという場所に沈んだ街。
陰と陽の陰の方よ。
私の街、光明路コウミョウろもそのひとつね。
繋がったのは二〇一五年の光明路コウミョウろ
まさにその時と場所なのよ。
私が暮らしていた街よ――
この街で何か異変が起きている――
そうじゃないこと?

フリーダが消えると思念空間のセヒラもなくなった。
風魔は常のとおりにゲートをくぐった。

【満鉄列車長】
当列車、品川図們トモン行きです。
青山新京シンキョウ、広尾吉林キツリンを経由します。
満鉄線から新京シンキョウで満洲国鉄京図ケイト線へ、乗り入れる経路となります。
それでは出発進行です!

品川しながわ図們トモン

2015年の光明路コウミョウろに繋がったという町、品川図們トモンには、その時代のアストラルがいた。

老街ラオの路人Wアストラル】
あんたどこから来たんだい?
ここにいると季節感もない――
もう五月になったはずだけど――
この先に広がるのが光明路コウミョウろだよ。
一九九七年の陰陽交合いんようこうごう事件で、
陽界ようかいに浮上しなかったエリアだ。
あの時は九龍クーロンフロントの他に、
龍城路りゅうじょうろ龍津路りゅうしん西条路さいじょうろ大井路おおいろ
その四つが陽界ようかいに出てしまった――

老街ラオの路人Jアストラル】
もう一つあるよ、妄人路ワンニンろさ!
妄人ワンニンとはな、妄想しすぎて、
物に姿の変わった奴らのことさ。
中国の客家人はっかじんが親族一同が暮らす、
円形の客家土楼はっかどろうみたいな街だな。
この街に妄人ワンニンはいないな……
俺も携帯電話男は見たことがある。
あれはあれで自由そうだったな!

太子公園プリンスパークの路人Mアストラル】
この街でおかしなことが起き始めて、
もう三年になるな――
夢の中で夢を見る、
そんな路人ろじんが相次ぐんだ。

太子公園プリンスパークの路人Dアストラル】
廟  街テンプルストリートの医者は多重夢だと言う。
夢を見ている夢を見ることだ――
夢の中で見る夢は悪夢なんだよ。
夢の話だろ?
多重夢ってことらしいぜ。
悪夢を見終わった自分がいる、
そんな夢を見るんだ――
今年はほぼ毎日見ているよ!

太子公園プリンスパークの路人Xアストラル】
廟  街テンプルストリートの医者の奴、
多重夢にどんだけ詳しいんだか……
やぶの中のやぶ筋金すじがね入りのやぶだしな!
私はね、調べんたんです。
この光明路コウミョウろで多重夢を見た路人ろじん数。
さて、何人だと思いますか?
驚くなかれ、九十六人です。
なんかキリの良い数字ですね。
中には姿を消した者もいますが――

ところで私の悪夢、知りたいですか?
無論むろん、知りたいですよね?
――分かるんです、空気感で。
あなたは好奇心こうきしんの人だ。

ぱだかになって滑り台を滑る、
そういう夢ですよ。
その滑り台、長い包丁の刃なんです。
その上をはだかで滑るんですよ!
尾骶骨びていこつをギリギリとけずられながら。
いつまでっても終わらない滑り台。
はっと目覚める、それが夢です。
私は滑り台のそばに立っている――
滑っているのは、他の人だったり。
それが貴方なんです!!

《バトル》

太子公園プリンスパークの路人Xアストラル】
ギリギリギリギリ……
ああ、私の尾骶骨びていこつが、けずられていく!!

中央区セントラルの路人Qアストラル】
多重夢、多重夢ってな、
みんなまだ素人しろうとくさいぜ。
俺なんか、二重じゃない、三重だ!
誰よりも先行ってるんだ。
マジ玄人くろうとっぽいんだ。
悪夢からめた俺がいる――
その夢を見ている俺がうたた寝で、
今度は子供時代の夢を見る。

中央区セントラルの路人Vアストラル】
ああ、こうも玄人くろうとっぽいと、
理解するのが大変だよ、あんた!
必ず悪夢からめる夢なんだ。
まるで悪夢を奪われている――
そんな気さえするんだ。

中央区セントラルの路人Zアストラル】
誰かが悪夢を集めている、
そういううわさもあるんだよ。
俺はこう見えてもな、
古靴ふるぐつ屋を経営していたんだ。
維多利亜鞋ヴィクトリアシューズっていうのが店名だ。
そんな話には興味が無いって?
あんた、薄情はくじょうだな――
じゃ、信和広場シノワスクエアの爺さんにでも会え。
この街のこと、知りたいんだろ。
あの爺さんは光明路コウミョウろ字引じびきだよ。

品川しながわ図們トモン

信和広場シノワスクエアの路人Nアストラル】
光明路コウミョウろ路人ろじんに異変が起きたのは、
三年ほど前からです。一説には龍脈りゅうみゃく途絶とだえたせいだと――
そういううわさもあります。
龍脈りゅうみゃくとは神獣からはっせられる、
強い気脈のことですよ。

信和広場シノワスクエアの路人Pアストラル】
あんた、太子公園プリンスパークの方から来た?
じゃ、電脳中心でんのうちゅうしんそば通ったんだな。
あすこのジェレミーが言うには、
異変の原因はゲームにあるんだとか。
ゲームの中に吸い込まれた奴がいる、
そんな話だった――
ジェレミーもそうなんだよ、きっと。
【着信 喪神梨央】
ゲームに吸い込まれるって、
中野満洲里マンチュリでも聞きました。
確か電脳中心でんのうちゅうしんの――
ええっと、あの時は、
九龍クーロンフロントだったと思います。
ゲームというのがどんなものか、
ちょっと想像できないんですけど。

信和広場シノワスクエアの路人Cアストラル】
十八年前のことはよく覚えておる。
陰陽交合いんようこうごうで世界破滅の寸前すんぜんじゃった。

あの時、わしは九龍クーロンフロントにいた。
神獣しんじゅうとして見立てを受ける、
そんな宿命しゅくめいをもった娘がおってな。
名前を小黒シャオヘイといったな――
その娘は一九ニ〇年の上海しゃんはいで、
神獣朱雀すざくの見立てを受けて、お陰で陰界いんかい龍脈りゅうみゃくが戻ったんじゃ。
勿論もちろん、実際に行ったわけじゃなく、
生体通信せいたいつうしん双子ふたごの姉さんと繋がった、
それで大きな力を生み出したんじゃ。

その龍脈りゅうみゃく途絶とだえておる。
一九ニ〇年より後の時代でな。
このままでは陰陽交合いんようこうごうの心配がある。
クーロネットにくわしいのがおったぞ。
その者と話してみるがいい。

より詳しく話の聞けるアストラルを求め、風魔は品川図們トモンの街区を進んだ。
一体のアストラルが風魔を認めて近づいてきた。

【リゾーム会員Pアストラル】
あんた、前にも接続したよね――
あんたがここの龍脈りゅうみゃくを取り戻すの?
なら教えるけど――
神獣朱雀すざくとして見立てを受けた小黒シャオヘイ、その見立ての日が間違っていたんだ。それで龍脈りゅうみゃく途絶とだえてしまった――
断絶だんぜつは一九三五年だと思う。
その年の五月でファイアの日は……
五月十二日、十三日だよ。
今日が一日だから、再来週のにちげつだ。
どうやってその時代に行くかって?
簡単だよ、ゲームにログインだよ。
みんな同じ時空に飛ばされている――
ゲームのことなら、電脳中心でんのうちゅうしんのジェレミーに聞くといい。
僕からも伝えておくよ。

【電脳中心Jアストラル】
調査に来たのはあんたかい?
パピヨンから連絡あったんだ。
リゾームというネットの会員だよ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
そのアストラルが、
ゲームのジェレミーだと思います。
【電脳中心Jアストラル】
何か音が聞こえたけど……
あんた、インカム着けてるの?
もしかして、当局の人? 
それはそれでいいんだけど。
俺、クーロネットで調べたんだ。
九七年当時のログを発掘してね。
龍脈りゅうみゃくおこした日付が違ったんだって?
邪悪な意思が及んでいたのかな……
ガリギアスオンラインのプレイヤー、
みんな、一九三五年の東京に、
飛ばされるんだ――
俺の時もそうだった。
東京の鍛冶橋かじばしという町だよ、
知ってるかな?
この異変は三年前からだ。
だから、その時空に何かがある――
おそらくだけど……
朱雀すざく龍脈りゅうみゃくはその時代で途絶とだえた、
だからその時代でつなぐ必要がある。
ゲームが教えてくれているんだよ!
時空のトンネルが繋がってるんだ。
かが神獣を見立てをする。
でも見立てられるのはだろう?
光明路コウミョウろ路人ろじんが多重夢に見るのも、
三年前からだよ――
誰かが悪夢を集めているとか?
ネットではそんなうわさが飛び交うよ。
あんたが行くならゲームを起動する。
【着信 喪神梨央】
ゲームで繋がるのは一九三五年、
つまり今年の五月一日です。
場所は鍛冶橋かじばしです――
帝都内ですが探信たんしんはできません。
でも行ってみるべきです!
【電脳中心Jアストラル】
行くんだね!
じゃ、ゲームを始めるよ!
そうだ、このかぎを持っていくといい。
俺のアカウントだから、
あんたのハンドルネームは、
ホーネットだよ!

程なく眼前に鬱蒼うっそうとした森が現れた。聖域とされるトスタリアの森である。

【フリーダイップ
ゲームに入ったのね……
今はログオフ中だけど、私は周瑜しゅうゆ
このゲームの中ではね――
あなたの向かう先、五月一日の帝都、
そこに歪みの元がありそうよ。
時空を超えて光明路コウミョウろから悪夢を集め、
それを利用している……
がいるはずよ。
人かどうかもわからないけど――
気を付けてください。

森の図書館に着き、貰ったかぎで中へ入る。そこはエリオットの書斎しょさいという閲覧室だった。部屋にある小さな扉を開けて表へ出る――

〔鍛冶橋〕

そこはまさしく帝都であった。
鍛冶橋かじばし京橋きょうばし、両電停のほぼ中間、槇町まきちょうと呼ばれている一角である。

【着信 ジェレミー】
俺だよ、電脳中心でんのうちゅうしんのジェレミーだ。
この周波数、ジャックしたよ――
案外、簡単だったな!
クーロネットでシャア先生の手記発見!
ファイアの日を調べた先生だよ。
手記によると正しいファイアの日に、
神獣の見立てを受けるのは、
蘭暁梅ランシャオメイだそうだよ。
一九ニ〇年の上海にいた少女さ。
あんたの向かった年だと、
よわい二十七歳になっているはずだよ。
蘭暁梅ランシャオメイが見立ての場所に来ない――そうじゃないかな。
彼女を阻害そがいする何かがあるんだよ。

通信が終わったとき、鍛冶橋のビルの角から着物姿の少女が現れた。
少女はうっすらと笑みを浮かべながら風魔に寄ってくる――

【少女】
フフフフフ~
――あなたなのね……
みじめったらしい自尊心じそんしんで、
この世界に染みをこしらえているのは!
その染みはおびえの色をしているわ!

少女の背後にセヒラが集まったかと思うと、やおら巨大アストラルが姿を見せた。全身から激しくセヒラを噴出している――

妖帝ヤオディアストラル】
私はすべての時代に属している――
かつて、そう言ったはずだが、
お前たちは物忘れが酷いと見える。
憎しみや怒りは、
まるで砂金のように沈殿ちんでんする。
砂金の層が厚く重なり、
私は生まれたのだ――
お前たちはおのれうち宿やどす悪意に、
恐れをなしている。
いつわりの善意のころも
隠そうとあがく――
狡猾こうかつにも程がある――
ならば見えるようにしてやろう。
お前たちの夢の中でな!
悪夢からのがれようとする、
お前たちのそのおびえが、
愈々いよいよ、私を強くする。
私はお前たちそのものだ。
さては自分を痛めつけるのか?
楽しそうじゃないか!!

《バトル》

着物姿の少女は巨大アストラルに半ば吸収され、もはや人の体をなしていなかった。
巨大アストラルは愈々いよいよ激しくセヒラを噴出している。

妖帝ヤオディアストラル】
お前の心に沈殿するのは何だ?
おびえなのか? 憎しみなのか?
お前の姉は死んだ――
山のふもとで自らに火を放ったのだ!
お前の姉は焼身自殺したのだ。
黒焦くろこげの体は、四肢ししが不自然にゆがみ、
異様なほどの白い眼が虚空こくうにらむ。
歯を食いしばったままの口は、
たましいの抜け出るのを防ごうと
しているかのようだった。
燃える姉、燃える姉、
乾いた心には容赦ようしゃなく火が付く。
お前にとってのファイアの日だ、
まさしくな!

一瞬、セヒラの奔流が起きたと思う間もなく、宙に浮かぶ小さな一点にセヒラが収束した。
アストラルもその姿を消した。
地面に少女の着物だけが残された。

【着信 ジェレミー】
おい、あんた、大丈夫か?
今の奴が悪夢を集めていたんだな。
それを蘭暁梅ランシャオメイに注いでいた……
そうなんだろ、きっと。
蘭暁梅ランシャオメイは東京に行っているよ!
昔の新聞記事を検索したんだ……
一九五〇年の新華報しんかほうだよ。
十五年前、つまり一九三五年に、
満洲国から日帝に渡った
二人の女優についての記事だ――
二人は紅楼夢こうろうむの舞台挨拶あいさつのため、
東京に行ったと報じられている。
麻美マーメイ蘭暁梅ランシャオメイの二人だね。
それで蘭暁梅ランシャオメイは、
日本で行方ゆくえ知らずになったとある。
――つまり……
日本で、東京で、蘭暁梅ランシャオメイは、
神獣の見立てを受けたんだね!!
龍脈りゅうみゃくが繋がった、そういうことだね!
あっ、周瑜しゅうゆがゲームにログインした。
じゃ、俺はこれで――
もう会うことはないと思うけど。

無線の後、風魔は淡いセヒラに包まれた。顔を上げると、そこは思念空間の溜池通だった。
市電も車も通らない人の気配のない溜池通である――

【フリーダイップ
あなたが戦った妖帝ヤオディとは、
歪みの象徴のような存在なの。
それが蘭暁梅ランシャオメイ萎縮いしゅくさせていたのね。
彼女、回復して来週来日の予定よ。
共演の女優、麻美マーメイと一緒に。
二人は浅草で舞台挨拶あいさつするのよね。
そして五月十二日に神獣となる。
――ねぇ、お姉さんのことだけど……
真実は他にあるようよ。
私、調べてみる。
妖帝ヤオディの言ったことはに受けないで。
今、ここは一九三五年五月一日……
あなたの中の帝都なのよ。
ここに未練みれんを残さないで――
自分と戦って抜け出すのよ。
自分を信じて、打ち勝つのよ。
一番の敵は自分の中にいるものよ。

前方からもう一人の風魔が歩き入る。
セヒラがもたらしたドッペルゲンガーであった。
風魔は試されているかのように自分に向き合う――

《バトル》

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!!
心配しました……
兄さんが帝都満洲に降りて、
もう五日が経ちましたよ!
【新山眞】
喪神もがみさん――
いろいろ調べたところ、
やはり二つの時間があるようです。
帝都満洲では時間の進みが遅く、
帝都の時間の五分の一ほどです。
帝都満洲の一日が帝都の五日――
帝都満洲に一週間滞在たいざいすると、
帝都では一月ひとつきってしまいます。
【喪神梨央】
これも時空の歪みが原因ですか?
【新山眞】
ええ、そうだと思います。
今、歪みは解消されています。
でも時間のズレは残ったままです。
いつから時間が
ずれるようになったのか、
さだかではありませんが――

神獣の見立てを阻害そがいする邪悪な存在があった。それを退しりぞけ、蘭暁梅ランシャオメイ朱雀すざくとなった。その龍脈りゅうみゃく途絶とだえることなくへと流れる。

第八章 第六話 東京大正博覧会

〔山王ホテルロビー〕

その日、興亜こうあ日報は二度目の怪人川柳せんりゅうを掲載。たちまち売り切れ続出となり、梨央りお四谷仲町よつやなかまちまで足を伸ばして買い求めた。

【喪神梨央】
興亜こうあ日報の記者の人が、
新聞を持って来るって――
なら買いに行かなきゃよかった。
まったく人騒がせな話です。
これで怪人騒動が起きたら、
記者の人、責任取るんですか?
今度の怪人川柳せんりゅう
前より投稿が増えています。
それに地方からも――
【新山和斗】
喪神もがみさん、新聞の件ではご迷惑を――
皇軍こうぐん機関が朝刊読めないのは、
国難こくなんを招きますね!
【喪神梨央】
新聞ならもうあります。
怪人川柳せんりゅう拝見はいけんしました。
【新山和斗】
今回のは傑作けっさくぞろいですからね!
仙台や熊本からも寄せられています。

怪人の
心に触れて
みたい秋

しみじみと秋を感じますね――
【喪神梨央】
怪人の
通る生垣いけがき
急に枯れ

これで怪人騒ぎが起きたら、
どうするんですか?
【新山和斗】
皆さんのご活躍が愈々いよいよとなります。
――違いますか?
怪人川柳せんりゅうはこの秋入社した、
新人社員の企画なんです。
帝大出の触れ込みでしてね――
蛇穴さらぎ洋右ようすけという青年ですが、
拓務たくむ文理専修科の卒業だそうです。
【喪神梨央】
そんな学科、あるんですね――
【新山和斗】
僕も初めて知りました。
拓殖たくしょく実務を高い水準で学ぶとか。
彼、川柳せんりゅうで張り切っています!
【喪神梨央】
以前、帥先そっせんヤというのがありました。
怪人川柳せんりゅうもその一つとみなされて、
特高の手入れを受けそうです。
【新山和斗】
最近では騒擾罪そうじょうざいを持ち出して、
憲兵が動くのが常ですからね。
今日はこちらの件でうかがいました――

そう言って和斗かずとは絵葉書を取り出した。東京大正博覧会を写した人工着色絵葉書だ。大正三年、上野公園一帯で開催かいさいされた。
上野公園に一夜にして博覧会場が現れ、会場見物の市民でごった返しているという。和斗かずとはそれをしらせに来たのだった。

【新山和斗】
前に浅草十二階が出現しました。
あれと同じ理屈なのではないですか?
浅草のときは当局の検閲けんえつを受け、
早版はやばんの記事から書き換えました。
くさ記事は沢山たくさんありましたから。
【喪神梨央】
今回も発表は無理だと思います。
参謀本部の検閲けんえつが入るでしょうね。
【新山和斗】
まぁ、従いますよ――
ただ記事自体は書いておきます。
いつか発表できるでしょうから。
【喪神梨央】
兄さん、今日の公務は上野ですね。
セヒラの観測、始めます。
【新山和斗】
僕はこの現象、妄築もうちくと名付けます。
ご公務、お気を付けください。

〔上野恩賜公園〕

上野の山はどことなく浮足うきあし立った空気だ。まるで春の花見の頃のようである――

【下谷区のラムネ商】
怪人川柳せんりゅうでいいのがあって、
つい浮かれちまってね!

怪人が
さっさと越へる
電車道

哀愁あいしゅうさえ感じるね、あんた!

怪人に
なったしるしに
かねが鳴り

不朽ふきゅうの名作じゃないか!
――次なんかもいいよ!

怪人を
残して冷える
町となり

文学的なたたずまいさえ感じるね!
――気分が益々ますます浮いてきた!

【谷中の客】
懐かしい見世物みせものがわんさかだよ!
ホントに懐かしい……
芝居しばい手踊ておどり、生人形、独楽こま、足芸、曲馬きょくば照葉狂言てりはきょうげん轆轤首ろくろくび大坂角力おおさかすもう、洋犬の芸、講釈こうしゃく
かっぽれ、女大力おんなだいりき
露店ろてんの洋食屋、りのシャツ屋、
アラスカ金の指環ゆびわ、電気ブラン、
木戸十銭きどじっせん浪花節なにわぶし――
たま乗り娘のあかじんだ肉襦袢にくじゅばん
倶利伽羅紋々くりからもんもんのお爺さん、江川一座のおはやしさんや一寸法師いっすんぼうし――
今はれっきとした昭和の時代、
まるであんた、大正はじめに
時が巻き戻ったみたいです!

トンビ服姿の男性が風魔を見ている。

【下谷第三十八尋常小学校訓導】
今より東京大正博覧会の
趣旨しゅしを述べるのである――
殖産しょくさん工業の進歩開発をうながすにあるは勿論もちろんなるも、第一に大正御即位式を記念し、あわせて我が帝国の改元かいげんともな万般ばんぱんの進歩発達をはかり、
いささかなりともこの大正の御代みよ
むくたてまつらんとするの赤心せきしんより
企図きとせられたものである。
――以上!

中年の男女二人連れがやって来た――

【碑文谷の蓄音機商】
いやね、博覧会案内というのが
落ちていたから拾ってみたんだが――
【蓄音機商の妻】
博覧会の見方が書いてありますわ。
【碑文谷の蓄音機商】
現今げんこん盛んに行われます石綿いしわた製品、
タングステン、ラヂユームらを見て、
鉱業に関する知識を養いましょう――
【蓄音機商の妻】
それは鉱業館の見学指南しなんですわ。
【碑文谷の蓄音機商】
教育館、学芸館、林業館、工業館、
水産館、美術館、拓殖たくしょく館、農業館、
運輸館、染織せんしょく館、外国館――
見学意欲は満々なのだけれどね、
ちっとも寄れないんだ。
近づくとすーっと消える――
【蓄音機商の妻】
知らない間に通り過ぎたんじゃ、
ありませんこと?
【碑文谷の蓄音機商】
そんなこと、あるものか!
――また明日にでも出直すとしよう。

〔東京大正博覧会〕

【内藤町の客】
大正三年に来た時は驚きましたよ。
なんせ本邦ほんぽう初公開のエスカレーター、
動く階段ですからね!
踏み台に足をせるのが怖くって!
でも今じゃ当たり前ですな!
ホホホホホ~
【着信 喪神梨央】
セヒラを観測しましたが、
低い値のままです。
あとで怪人化するかもですね――

【錦糸町の客】
独逸ドイツ館は見ものですよ!
一人気球、携帯電信、人造宇宙衛星、
脳楽のうらく装置、自白機じはくきプルトニウム発電機、
それに二体の自動人形です。
自動人形、人と見紛みまご出来栄できばえで。
サロメ号とオリムピア号ですよ。

口上屋こうじょうや
本邦ほんぽう初のサロメ号、
オートマタにございます。
もうお試しになりましたか?
【ヨカナーン役の学生】
ああ、すっかり試したよ。
僕がヨカナーン役となり、
サロメ号と台詞せりふわすんだ――
口上屋こうじょうや
猶太ユダヤ王女サロメは、ある一夕いっせき
預言者ヨカナーンの冷徹れいてつな声を聞き、その豊麗ほうれいな体にせられて、
たちまちそのとりことなり、
舞いの報酬としてその首を求め、
官能の爛酔らんすいの中で死ぬという筋書きなのであります――
サロメ号の前にて、
決まった台詞せりふを話せば、
会話が進むのであります。

不意にどこからか女性の声がした――

学生は声の元を探している。
その表情はすでに虚ろであった――

【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
私はお前の体にがれている。
お前の体は草刈人くさかりびとが、
一度もかまを入れたことのない、
草原の百合ゆりのように白い。

学生はヨカナーン役となり、サロメ号のわきに掲げられた台詞せりふを話す――

【ヨカナーン役の学生】
さがれ、バビロンの娘! 
この世に悪が来たのは女人のためだ。
【サロメの声】
お前の体はいやらしい。
蝮蛇まむしっている漆喰しっくいの壁のようだ。
さそりが巣を作る漆喰しっくいの壁のようだ。
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前の髪の毛は葡萄ぶどうふさに似ている。
お前の髪の毛はレバノンすぎのようだ。
この世の中にはお前の髪の毛ほど
黒いものは何一つもない。
お前の髪に触らせておくれ。
【ヨカナーン役の学生】
さがれ、ソドムの娘! 
私に触るな。
【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前のくちびるは艶めかしいひるのようだ。
二匹のひるが合わさりうごめくようだ。
私ががれるのはお前の口だ。
お前の口は象牙ぞうげとうにつけてある、
猩々緋しょうじょうひひものようだ。
象牙ぞうげの小刀で切った柘榴ざくろのようだ。
世にお前の口ほど赤いものはない。
……お前の口に接吻せっぷんさせておくれ。
【ヨカナーン役の学生】
ならぬ! バビロンの娘! 
ならぬ! ソドムの娘! 
姦淫かんいんの生んだ娘よ――

全部、正しく言えたはずなのに、
サロメ人形は血走った眼でにらんだ!
僕は全部言えたんだ、
一つもたがわずに言えたんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【ヨカナーン役の学生】
僕は間違わなかった!
最初からだますつもりなんだ、
あの女は!!

《バトル》

【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前は私の愛した、ただ一人の男だ。
お前は美しかった。
お前の体は銀の台石の上に立っている象牙ぞうげ円柱まるばしらだった。
はとと銀の百合ゆりとで一杯のそのだった。
私はお前の口に接吻せっぷんをしたのだよ。
お前のくちびるは苦い味があった。
あれは血の味だったろうか? 
いや、あれは恋の味かも知れない――

【戸越の客】
独逸ドイツ館は素晴らしいですね!
オリムピア号と目が合った時は、
胸が高鳴りました!
独逸ドイツ作家ホフマンの砂男に登場する、
あのオリムピア号そのままです。
砂男の粗筋あらすじはこうです――

大学生ナタニエルは、下宿先を訪問した、晴雨計せいうけい売りのコッポラから遠眼鏡とおめがねを買う。
それで裏窓をのぞき、一人の女性を見初みそめる。ナタニエルは女性の元を訪れ交際を申し込む。それがオリムピアである。しかしオリムピアは精巧せいこうな自動人形であった。
やがてナタニエルは気が触れてしまい、故郷に帰り婚約者と静かに過ごす。婚約者と市庁舎の屋上に上がったナタニエル、遠眼鏡で婚約者をのぞ動転どうてんして、市庁舎の屋上から墜落死ついらくしするのである。

【戸越の客】
遠眼鏡があやかしの力を秘めていた、
どうもそのようですね。

ホフマンの『砂男』の粗筋を話し終えた男が去ったとき、式部、彩女、そして江戸川乱歩の三人がやって来た。

【式部丞】
喪神もがみさん!
やはり見えていますね、大正博覧会。
――いやはや、驚きです。
【江戸川乱歩】
まるで浅草十二階の頃のようです。
その頃の浅草公園と云えば、
名物が蜘蛛くも男の見世物みせもの、娘剣舞けんぶ
玉乗り、源水げんすいの様の作り物、メーズと言う八陣はちじん隠れすぎ見世物みせもの――
当時と同じおもむきがありますな。

【式部丞】
乱歩らんぽ先生から電話いただいたのは、
他でもなく彩女あやめ君のことでした。
【江戸川乱歩】
オリムピア人形のことを聞いたと、
彩女あやめさんがやってきたのです――
それで式部しきべさんに連絡しました。
【式部丞】
彩女あやめ君、またぞろ話をこしらえました。
オリムピア号に関する話です。
そうだよね、彩女あやめ君?
【周防彩女】
彩女あやめ、文章がいてくるのです。
作家の先生のようにです。
言葉が連なってくるのですわ!
彩女あやめ、体の内側から、
ひっくり返りそうになるのですわ。
【江戸川乱歩】
文章がく……うらやましいですな!
私なんぞ、この一週間、
一行も書けておりませんぞ。
【式部丞】
彩女あやめ君、君のお話がどんなものか、
ここで披露ひろうしてくれるかな?
【周防彩女】
わかりましたわ、店長。
彩女あやめの筋書きがありますのよ、
三人で読みましょう。
乱歩先生がコッポラ、
式部店長がナタニエル、
彩女はオリムピア号ですわ。

三人は彩女版『砂男』の登場人物をそれぞれ演じ始めた。

【コッポラ】
晴雨計せいうけい売りのコッポラが、
学生ナタニエルの下宿を訪れる。
【ナタニエル】
ナタニエルはコッポラから、
小ぶりの遠眼鏡を買う。
それで裏窓を覗き、
窓に見えた若い女性に心奪われる。
【オリムピア】
その女性の名はオリムピア。
【ナタニエル】
ナタニエルはすぐさま交際を申込み、
二人は逢引あいびきを重ねる――
【オリムピア】
ヘッセン州ラウバッハの森に遊び、
町中では芝居しばい、オペラを楽しんだ。
【ナタニエル】
水浴すいよくに登山――
夏にはベルヒテスガーデンの山荘ヒュッテへ、
冬にはヴィンターベルクでスキー――
【コッポラ】
時に二人は危険な遊びにもいどんだ。
ガソリンバーナーに手をかざしたり、
長い時間、氷水に潜ったり――
四十度数のドッペルコルンを
何杯もあおったり、頭上の林檎りんご
投げナイフで落としたり――
ある日、二人はビュルガー塔に昇り、
遠くの景色を楽しんでいた――
【オリムピア】
オリムピアが提案しました。
この高い塔から飛び降りてみない?
最も危険な遊びでしょ?
【ナタニエル】
陽気になっていたナタニエルは、
オリムピアの手を取り飛び降りた――

石畳いしだたみ激突げきとつした二人――
オリムピアは首や手足がバラバラになり、方々に幾多いくたの歯車や弾条ぜんまいを散らばらせた。ナタニエルは墜落ついらくの衝撃で腹がけ、青黒いはらわたを広場に飛び散らせ、口や鼻から大量に噴血ふんけつしていた――

【周防彩女】
彩女あやめのナタニエルは、
オリムピアを自動人形と知らず、
とうから飛び降りたのです!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!

彩女の背後に濃厚なセヒラが集まり渦を巻き始めた。やがてセヒラの塊となり、あたりを包むこむ。
式部、乱歩は咄嗟とっさにその場を離れた。風魔は彩女とともにセヒラの中へ吸い込まれてしまった。

〔時空の狭間〕

【???】
何だか不思議なところだね――
君と会うのは二度目だね。
愈々いよいよ僕の出番かなと思う。
僕は千紘ちひろ――
周防すおう彩女あやめを遠ざけたから、
しばらくは僕の時間だよ。
千紘ちひろ
僕たちは響き合うのだ。
と――
でもまだ力がおよばない。
君が目覚めさせてくれるよね。
僕を目覚めさせてくれるよね。
前にもやったように。
お願いするよ!!

《バトル》

千紘ちひろ
うん……
この調子だよ。
これで少しは力がおよんだかな。

千紘の気配が消えると、風魔の周囲に町並みが姿を見せた。そこは凍てる上野黒河こくがであった。

〔上野黒河〕

【文科生Xアストラル】
新文民社しんぶんみんしゃに当局の手が入り、
我々文民社ぶんみんしゃも活動自粛じしゅく中だ。
だが手をこまねいているわけではない。
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の回顧録かいころくを出す、
そのために資料を整理している。
素朴そぼく先生が述懐じゅっかいされたのを、
その弟子が手帖てちょうつづっていた――
それが発見されたのだ。

【法科生Qアストラル】
素朴そぼく先生は幸徳秋水こうとくしゅうすい先生のことを、
述懐じゅっかいされていた――
秋水しゅうすい先生、刑死直前のことだ。
明治四十四年一月二十二日、
素朴そぼく先生は市ヶ谷いちがや刑務所を訪れ、
秋水しゅうすい先生と面会した。
その日、秋水しゅうすい先生は茶万筋ちゃまんすじ
綿入わたい羽織ばおりを着ていた。
死刑囚に面して、
お体を大事と言うもみょうであり、
葬式そうしきの話題というのも出しづらい。
素朴そぼく先生はだんまりを決めたのだ。
すると秋水しゅうすい先生が
助け舟を出した――
僕は非墳墓ひふんぼ主義だから、
身体は海川にてて
魚腹ぎょふくやすもよし――
ニッコリ笑ってそう申されたそうだ。

【工科生Pアストラル】
爆弾の飛ぶよと見えし初夢は
千代田ちよだの松の雪折れの音
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生の辞世じせいだ。
死刑の六年前、秋水しゅうすい先生が、
第五十ニ号事件で巣鴨に捕まり、
出獄後、桑 港サンフランシスコに外遊されたんだ。
それをお膳立てした人物がいる――
柴崎周しばさきあまねという駐米日本大使館勤めの一等書記官だ。
米国アメリカ数多あまたの無政府主義者とまじわり、
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生はアナーキストに――その影にいたのが柴崎しばさき書記官だ。
柴崎しばさき書記官は完全なる英語を話し、
いつもぞろえの背広姿せびろすがただった――
素朴そぼく先生の述懐じゅっかいはそこで終わりだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号くろのはちごう――!
聞――ていますか?
セヒラ――が接近中です!

秋毫しゅうごう編集主幹アストラル】
私が活動をあきらめたとでも?
見くびってもらっちゃ困る。
何も危険を犯してまで、
演台えんだいに立つ必要はない。
ラヂオを使うのだ!
第一声に用いる草稿そうこうを用意した――
万国ばんこく労働者は眼を開け!
眼前がんぜんに新時代が訪れつつある。
広壮こうそう邸宅ていたくがあるのに橋の下に
しゃがむ必要はなく、
食物が数多あまたあるのに断食だんじきの必要なく、
毛皮でかざるのに凍死とうしするに及ばず。
理論においても実際においても、
万物ばんぶつ万人ばんにんのものであるのだ!
草稿そうこうる私がどこに身を潜めるか、
お前たち官憲かんけんにはわかるまい!
肉体は拘束こうそくできても、
たましいまでは拘束こうそくできないのだ!!

《バトル》

秋毫しゅうごう編集主幹アストラル】
権力なき自由世界の実現に向け、
私は復活をげるだろう。
その名は麦人バクニンである――
まさに、麦人バクニン誕生の瞬間だ。
神もなく、主人もなく! 
絶対捕捉ほそく不可能な麦人バクニン誕生セリ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノくろの――帥士すいし
辺りか――ヒラ消失です。
帰還でき――か?

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
式部しきべさんがいらしてます。
彩女あやめさんのことで……
【式部丞】
彩女あやめ君は神経のやまいのようです。
帝大医科の蛭川泊ひるかわとまり博士に預け、
経過を観察中です。
蛭川ひるかわ博士は神経病の大の権威です。
市谷台町いちがやだいまちの立派な邸宅ていたくで、
金糸雀カナリアと暮らしておいでです。
博士曰く、彩女あやめ君の症状は、
ジャンヌ・ダルク症ではないかと。
つまりは強度のヒステリーです。
ジャンヌじょうはヒステリーを起こして、
仏国フランスの為に戦場にのぞめと幻聴げんちょうを聞き、二重人格をていしたそうです。
慢性幻覚性偏執へんしつ病と呼ぶそうです。
【喪神梨央】
彩女あやめさん、
自分のこと千紘ちひろと呼んでいました。
それも二重人格なのですね?
【式部丞】
ええ、そのようですね。
公務記録からしかわかりませんが、
彩女あやめ君の中に千紘ちひろがいるようです。
【喪神梨央】
その瞬間でしょうか……
強いセヒラを観測しました。
【式部丞】
そのセヒラによって、
芽府めふ須斗夫すとおが何かを語ったかも……
この間、第七の予言と言って、
ヒククアケ――
そう語ったのです。
この言葉の意味を、
調べないといけません。
近く古文書こもんじょ研究の先生に会います。
【喪神梨央】
そう言えば、兄さん――
柴崎しばさき一等書記官の名前を聞きました。
帝大生アストラルが話していました。
幸徳秋水こうとくしゅうすい米国アメリカ外遊をお膳立ぜんだてした、その外交官の名前としてです。
今から三十年前のことですよ――
柴崎しばさき外交官、歳を取っていない、
そうなんじゃありませんか?

まるで蜃気楼しんきろうのように現れた博覧会会場。それに触れてか周防すおう彩女あやめに異変が起きた。そして柴崎しばさき外交官という人物の謎――
帝都はまるで生き物のように、様々なものを飲み込んではしている。真実さえもがくだかれようとしていた。

第八章 第七話 響き合う者たち

〔山王機関本部〕

その日、機関本部に如月きさらぎ鈴代すずよの姿があった。月詠つくよみ麗華れいかが渡満することとなり、鈴代すずよが首都新京シンキョウまで付き添うのだという。

【喪神梨央】
月詠麗華さんが満洲に……
随分、急な話なんですね。
【如月鈴代】
何でも新京シンキョウの関東軍特務部が、
麗華さんの身柄みがらを預かる、
そういう話みたいですわ。
【九頭幸則】
この年末にも関東軍司令部が、
ごっそり新京シンキョウに移転するんだよ。
関東軍のお膝元ひざもとってことだね。
【如月鈴代】
ええ、そのようなことをうかがいました。
【喪神梨央】
それで鈴代さんも、
付き添われるのですね。
鈴代さん、新京シンキョウまでですか?
【如月鈴代】
ええ、そのつもりですわ。
麗華さん、いろいろあったから、
神経にさわらないようにしなくちゃ。
【九頭幸則】
麗華嬢、愈々いよいよのご出立しゅったつ
歩一の将校はみんな知ってるよ――
人の口に戸は立てられないね!
【喪神梨央】
もしかして――
幸則ゆきのりさんが言い触らすんでしょ?
【九頭幸則】
そんな眼でにらまないでくれ。
俺は魯公ろこう先生から聞いたんだ、
この件、参謀本部の決定だってね。
仮面の男に狙われるといけない、
そういうことだと聞いたけど。
仮面の男のことは歩一も知らない――
【如月鈴代】
麗華さんは鬼龍きりゅうさんに、
奥義おうぎ継承けいしょうを求めているのです。
今は二人を離したほうがいいですね。
【九頭幸則】
なるほど……
むしろその事情が重そうだね。
仮面の男は契機けいきにすぎないのか。
【喪神梨央】
仮面の男は波形で観察できます。
でも鬼龍さんの動向どうこうはわからない――二人を近付けちゃ駄目なんですね?
【如月鈴代】
麗華さんが落ち着くまでは――
道中どうちゅう、お話しようと思います。
【喪神梨央】
鈴代さんがわれるんですよ。
東京を午後に出ると、
新京シンキョウには明後日の夜に着きます。
【九頭幸則】
おやおや、また省線の時間表かい?
【喪神梨央】
一時半の特急さくら号、下関しものせきに明朝八時着、十時半の連絡船、釜山プサンからは鮮鉄満鉄の経路です。新京シンキョウ行きの急行はひかり号です――
このくらいはそらんじているんです!
【如月鈴代】
そろそろ参ります――
十一時には連隊本部に来るようにと。
【九頭幸則】
それじゃ俺がエスコートしようか?
【喪神梨央】
鈴代さんの警護、公務にします。
公務電車ではなく円タクを使います。
兄さん、お願いします。

〔第一連隊本部〕

第一連隊本部玄関前には16条旭日旗を掲げた旗手と立哨がいた。彼らの前には一台の円タクが停まっている。麗華はすでに円タクに乗っているようだ。

【如月鈴代】
道中、何もなかったですね――
麗華れいかさんが無事に新京シンキョウに着くまで、
見届けたいと思います。
麗華さんを鬼龍きりゅうさんから引き離す、
それが一の目的だと思います――
勿論もちろん、仮面の男も気になりますが……麗華さん、新京シンキョウには半年ほどかと――いろいろ落ち着いたら、またみんなで野点のだてを開きましょう。
風魔ふうまさん、有難うございました。
それでは行ってまいります。
【福井中尉】
如月きさらぎ鈴代すずよさんですね。
お待ちしておりました、
歩一中尉、福井ふくいです。
さぁ、どうぞこちらへ。
午後の特急を取っております。
歩一の兵、八名が随行ずいこうします。

鈴代が円タクに乗り込むと、車は滑るように走り去っていった。風魔は第一連隊を後にして霞町へ出た。

〔霞町街路〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
カラスの声がしています。
増上寺ぞうじょうじの変の時も、
防疫ぼうえき研究所の時も、
カラスが飛んでいました。
カラスにも留意して観察します。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
間違いなく怪人です!
小松川こまつがわの客】
怪人の
姿さびれた
町に消え

どうですか?
怪人川柳せんりゅう、六百八十もの作を、
投稿とうこうしたんです――

怪人が
入った路地の
阿鼻叫喚あびきょうかん

怪人を
総出そうでで探す
浜三町はまさんちょう

それだけではありませんぞ。
銀座幻燈会げんとうえも四回参加しました――
少尉の手鏡に映った顔……
それは他ならぬ持ち主の顔ですよ。
つまり少尉自身の顔――
敵弾に倒れたときの死に顔です。
鏡を見た少尉は気が触れて、
丸腰まるごしで高地へと駆け出した――
飛び来る弾丸にたちまち失せて~
旅順港外りょじゅんこうがい、恨みぞ深き~
軍神広瀬ひろせと、その名残れど~
つい歌ってしまいましたな、ウハハ~
人生よろづ相談には十八回も電話し、
もうすっかり悩みは解決しました!!
もうね、私は完全に仕上しあがった。
そう思うのですよ。
貴方にもわかっていただきたい!!

《バトル》

小松川こまつがわの客】
脳楽丸のうらくがんをもっと飲まないと――

【着信 喪神梨央】
大変です!
彩女あやめさんが消えました!
セルパン堂に向かってください!

〔セルパン堂〕

【着信 喪神梨央】
四谷よつや金ノ七号帥士きんのしちごうすいしがいたので、
そちらに合流してもらいます。

【式部丞】
彩女あやめ君と蛭川ひるかわ博士の姿もない――
出入りする派出婦はしゅつふからのしらせです。
博士宅は市谷台町いちがやだいまちです。
神経の病、愈々いよいよ亢進こうしんなのでしょうか?
なんとも悩ましい限りです。

セルパン堂前に虹人がやって来た。急いで来たせいか、少し息が上がっている。

【帆村虹人】
ちょうど四谷よつやにいたんだ。
アーネンエルベの巡視パトロールは独特だよ。
三宅坂みやけざかを起点にのの字を描くんだ。
梨央りおから聞いたけど、
二重人格の女を探すんだって?
【式部丞】
周防すおう彩女あやめという女店員です。
怪人を引き寄せる性質があり、
とうとう別の人格を出しました――
【帆村虹人】
別な人格ですか……
二重人格者の戦術的考察――
そんな論文が大使館にありましたよ。
【式部丞】
それは独逸ドイツでの研究ですか?
【帆村虹人】
独逸ドイツ大使館にあるのだから、
きっとそうでしょうね。
僕は独逸ドイツ語には暗いのですが。
【式部丞】
別人格の時には腕力わんりょくが倍増したり、
知らない外国語を話したり、
宇宙物理の難問を解いたりします。
【帆村虹人】
つまり、その人じゃない能力が
発揮はっきされることもあるわけですね。
【式部丞】
彩女あやめ君は千紘ちひろと名乗っていました。
その名前、店で見かけました――
メモに残されていたのです。
【帆村虹人】
でも彩女あやめさんでいるときには、
千紘ちひろのことはわからない――
そうなんですね?
【式部丞】
おそらく、そうですね。
今は彩女あやめ君ではなく千紘ちひろを探す、
そのほうが合理的ごうりてきです。
私は若松町から筑土八幡つくどはちまん辺り、
牛込うしごめ区を中心に探します。
お二人は四谷よつや近辺をお願いします。
【帆村虹人】
わかりました。
風魔ふうま四谷よつや方面だ、行こう。

〔四谷街路〕

【帆村虹人】
ユーゲントというホムンクルス、
かなりの数が日本に留まるようだ。
一部はフォス大佐と渡満したけど――
彼らは新しいシュタインを使っているよ。
AGKアーゲーカーのフェラー所長が開発した、
自律係数を変化させるシュタインらしい。
フェラー所長は大型波動グローサベッレも開発した。
ヘーゲンはそれを使いたがるけど、
ユンカー局長は猛反対している――

でもな……
不思議な事があるんだ――
ユンカー局長とヘーゲンについてだ。
反目する二人、銀座で見たんだ。
ブレーメという洋食屋から出てきた。
二人して笑いながらねだよ……
二人は日劇の前で別れた。
僕はユンカー博士の後を付けたんだ。
円タクを拾ってね――
でも青山一丁目で陸大の行進があり、
僕の円タクは身動きできなくなった。
博士の円タクは信濃町しなのちょう方面に行った。

さて、僕はアーネン巡視パトロールの続きで、
牛込見附うしごめみつけから上野広小路へ向かう。
お前は公務を続けるんだろ。
世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
坪内逍遥つぼうちしょうよう沙翁さおうハムレットの一節だ。僕もまったく同じ心境だよ。
踏み出す一歩は見えているのだが、
躊躇ちゅうちょという懶惰者らんだものが邪魔をする。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
東京憲兵隊本部に向かってください。
大きなセヒラを観測します!!

〔東京憲兵隊本部〕

玄関前に2名の立哨、それに一人の将校がいた。

【式部丞】
彩女あやめ君らしきを乗せた、
円タクの運転手が見つかりましてね。
一ツ橋ひとつばしの憲兵司令までと――
先に着いた形跡はないですね。

【召喚小隊悪王子あくおうじ一等兵】
怪人の一軍が向かってきます。
立ち去ってください!
【召喚小隊神水くわみず二等兵】
ここは我々で対処します。
歩三、歩一の枠を超えた共闘です!

その時、着物姿の男がやって来た。

【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
貴様!
立ち入りはならぬ!!
【九段の客】
呼ばれて来たんですよ、
そんな目でにらまないでください。
【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
ここにいてはいけない、
早く立ち去れ!!

着物の男は全身にセヒラをまとわせ、風魔を見据えている。

【九段の客】
新宿は東海館での幻燈会げんとうえに参加し、
素晴らしい体験をしたのです。
三軍少尉の手鏡には、
白いドレースの少女が映ったのさ!
その少女は手鏡から少尉をいざなう。
少尉は手鏡をかざしたまま高地へ――
その時、敵弾が飛来する。
少尉は胸や腹を八発も撃たれる。
血のあぶくを吐きながらも、
少尉はとても幸せそうだったとさ!
ウハハハ~
私も愈々いよいよ完成の領分に来たな!!

《バトル》

【九段の客】
割れた手鏡には、笑う少女の顔が……
その眼は真紅しんくに輝いていたそうだ!!
ウハハハハハ~

着物の男が倒れ、やがてセヒラとなり消えた。

【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
お見事でした、中尉。
怪人ははなから中尉を捕捉ほそくしており、
どうすることも――

【着信 喪神梨央】
今の怪人も、さっきの霞町かすみちょうの怪人も、波形がすごく安定していました。
ほとんど真円しんえんでした――
怪人になるべくしてなっている、
そんな感じです――
あっ――

着物の男と同じ方向から彩女がやって来た。

【式部丞】
彩女あやめ君!
――あ、いや……
君は……
【千紘】
怪人を引き寄せる力、
僕のじゃないよ。
元の人格、周防すおう彩女あやめのものだね――
フフフ――
なかなか便利な力だ。
使わせてもらうことにした。
【式部丞】
君は彩女君を取り込んだのか?
――そうなのか?
【千紘】
僕は僕だよ――
取り込むとか取り入るとか、
そういう話はどうでもいい。
周防彩女という女の、
その静謐せいひつな湖の底に沈殿ちんでんした、
それが僕なんだよ。
僕は響き合うためにここに来た。
【式部丞】
響き合う……
誰と響き合うのだ?
――もしや……
【千紘】
君たちが芽府めふ須斗夫すとおと呼ぶ存在だ。
彼はメフィストフェレスだ、
その転生した存在だ――
【式部丞】
メフィストフェレス……
独逸ドイツのファウストに登場する悪魔だ。
伝説上の存在でしかない。
【千紘】
それがどうしたの?
伝説だから? 造り物だから?
みんな造り物だよ――
君たちだって造り物さ。
悪魔もそうさ、はどうなんだい?
究極の造り物だろ?
僕は残りの言葉を知りたい。
造り物の悪魔がく言葉だよ。
さぁ、始めようか!
戦うんだ、怪人共!!

千紘の声に応じるかのように、2名の怪人が走り来た。召喚小隊の兵2名がこれに対峙するも、セヒラ濃度が急上昇して、見る見るうちに一抱えもある巨大な球になった。

【着信 喪神梨央】
セヒラ急上昇!!
退避してください!

セヒラ異常の発生である。セヒラの球が急速に巨大化して、辺り一帯を飲み込んでしまった――
やがて収束すると、地面に倒れる彩女と召喚小隊将校の姿があった。式部が彩女の傍へ駆け寄る。

【式部丞】
セヒラ異常が発生したのですね。
複数の怪人が戦ったせいで……
彩女あやめ君……
大丈夫かい……
今は……なんだろ……
喪神もがみさん、私は彩女あやめ君を……
蛭川ひるかわ博士の所在しょざいも聞き出さねば。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラは消えています。
ただ帝都満洲にセヒラのかたまりが……
はらえのにおいでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
またもや帝都満洲にセヒラのかたまりです。今度は碑文谷ひもんや大連ダイレン界隈かいわいです。
こうも何度もセヒラ異常が続くと、
帝都と帝都満洲をつらぬく新しい穴が
生まれるかもしれません。
穴のこと、独逸ドイツ人らはロッホと呼び、
以前から、調査をしていました。
今から七年前のこと、
昭和三年の冬でしたね。
まだ山王さんのう機関ができる前です。
ちょうど、目黒区碑文谷ひもんやあたり、
それと伊豆の修善寺しゅぜんじでです。
結局、ロッホは見つかりませんでした。
彼らは憶測おくそくを含めて、
一本の論文を発表しています――
それが日 本 に お け る 重 力 の 穴 の 調 査、フアション デ ロヒャ デ シュベアクラフト イン ヤーパン
頭文字でFLSJ論文と言います。
喪神もがみさん、
それでは準備はよろしいですか?
向かうは碑文谷ひもんや大連ダイレンです。

風魔はゲートを抜け、帝都満洲鉄道あじあ号の展望車に乗り込んだ。すぐさま列車は走り出した。

【満鉄列車長】
毎度ご乗車ありがとうございます。
本列車、只今ただいま碑文谷ひもんや大連ダイレン行きです。
碑文谷ひもんや大連ダイレンに、大きなわだかまる存在があるようです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンまでは、
とどこおりなく運行していまいります。

碑文谷ひもんや大連ダイレン

碑文谷ひもんや大連ダイレンは恐怖の色に染め抜かれていた。累々たる白骨は恐怖が生み出した存在であろうか――
帝都では東横電車碑文谷ひもんや駅から南へ進んだ、目黒競馬場跡にほど近い住宅地が照応している。

【Y二等兵アストラル】
歩一三〇八小隊のうち、
十八名がここに集しているものと
思われます。
金沢かなざわ曹長、岡山おかやま軍曹は、
自分、確認しております。

【O軍曹アストラル】
山口やまぐち二等兵とは話しましたか?
彼が咄嗟とっさにここへ導いてくれました。
防疫研ぼうえきけんで何が起きたのか、
よくわかりません――
巨大な影が現れ、その瞬間に、
気を失ったのです。
一度だけ、目覚めました――
その時は目黒の権之助坂ごんのすけざかくだって、
目黒川を渡る最中でした。
そこでまた自失したのです――

これらアストラルは防疫研で姿を消した308小隊隊員のようである。

【N少尉アストラル】
防疫研ぼうえきけん巡察じゅんさつ、いざ本丸という段に、異変が生じたのです。防疫研ぼうえきけん軍閥ぐんばつの機関といううわさもあり、これ以上、看過かんかできない存在でした。
ですが、似たような謎の機関、
市内にいくつか存在しています――
歩一の九頭くず中尉は研究熱心ですね――
中尉の隊に向島むこうじま出身の将校がいます。その将校いわく、荒川あらかわ沿いに建つ帝国モスリンの工場では、
出入りする職工を見ないのだとか。
九頭中尉は大いに興味をそそられ、
帝国モスリンについて、
いろいろ調べられたようです。
中尉は、その工場では、
なるものを製造しているのだと、
そうお考えのようでした。

【K曹長アストラル】
自分、九頭中尉に頼まれ、
帝国モスリンの工場を見に行き、
なるほどと合点がてんしたのです。
巨大な四本の煙突からは、
盛大に煙が出ているのですが、
工場は高いへいで囲まれているばかり。
朝も夕も、出退勤の職工は、
誰一人として見かけませんでした。
へいの周りを一周したのですが、
出入口一つないのです!

【F一等兵アストラル】
防疫研ぼうえきけんの他にも、
実体の不明な組織がある、
そういう話です。
ゼームス師団、渋谷憲兵大隊、
戸山とやまの砲工学校も怪しいです。
新型の導弾ミサイルこしらえる等と言います。
私たち三〇八小隊では、
独自の調査を開始しようと――
その矢先、皆が自失したのです。
――
何かあるのですか、千葉ちば曹長!

【C曹長アストラル】
またアレだ――
アレが来るぞ!
すぐそこだ!!

小隊アストラルたちは一斉に逃げてしまった。

【N少尉アストラル】
つい先日、我々とは異なる、
強い力を持つ存在が現れました。
兵のうち、何名かが飲み込まれ、
存在を消したのです。
――皆、怖れています……
私もこれにて失敬しっけいします!

そう言い残し、最後に残ったアストラルも去る。
そこへ4体のアストラルがもつれ合いながらやって来た。一人の人間の思念が分化したようである。

【H博士アストラル1】
周防すおう彩女あやめは病的な二重人格者です。
普通、二重人格では相手がもたらす
きょいて別人格が表出します。
それがいわゆる人格変換です。
しかし千紘ちひろは彩女を操り、
みずからの意志で表出した、
そのようにも思えます――

【H博士アストラル2】
気が付くと夕暮れでした――
私は人形町の電停にぼんやりと佇み、
電車を何本もやり過ごしていました。
その前は市谷台町いちがやだいまちの自宅、
洋式にしつらえた客間にいたのです。
自失する前のことです。
回教様式の浮彫レリーフを施した柱。
葡萄牙ポルトガル大理石でできた大きな暖炉。
――彩女さんの休む部屋です。
彼女は長椅子ながいすに横になっていました。

【H博士アストラル3】
彩女さんは靴下くつした素足すあしでした。
スカァトがまくり上がり……
私の頭にある一節がよみがえりました。

マシマロオでこしらえた脚。
清らかなメロディを流した脚。
青草を踏んでじなき脚。
食べてしまいたくなる脚。
いつまでもでていたい脚――

【H博士アストラル4】
こんな一節も浮かびました――

私は真っ白な女の素足の
こぼれて居るのをながめていた。
その女の素足は私にとり、
たっとき肉の宝玉ほうぎょくであった。
拇指おやゆびから起こって小指に終る繊細せんさい
五本の指の整い方、
絵の島の海辺でれるうすべに色の
貝にもおとらぬつめの色合い、
たまのようなきびすのまる
清洌せいれつな岩間の水がえず足下あしもと
洗うかと疑われる皮膚ひふ潤沢じゅんたく――

あゝ、あゝ、あゝ……
ついに私は無我むがち、
その素足に触れてしまった!!
その瞬間、全てが消え、
私は飛んでしまったのだ!!
ヒィィィィィ~

《バトル》

【H博士アストラル4】
あの足こそは、
やがて男の生血いきちふとり、
男のむくろをみつける足である!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都にセヒラが噴出ふんしゅつしました!
セヒラの強い流れです!
至急しきゅう、お戻りください!

〔山王機関本部〕

【九頭幸則】
遅かったな、風魔ふうま
【喪神梨央】
帝都満洲と帝都とで、
時間の進みがずれ始めているのです。
【九頭幸則】
そうなのか――
昨日、帝都に生じたセヒラの流れ、
一ツ橋の憲兵司令に向かったんだ。
【喪神梨央】
まるで芽府めふ須斗夫すとおが、
セヒラを呼び込んだようにです。
今は収まっています。
【九頭幸則】
ヒククアケ――
予言が語られたそうだけど、
何のことやらさっぱりだな。
【帆村魯公】
式部しきべ氏とも話したのだが、
ヒククアケ――
明けというのは明け方のことじゃろ。
【喪神梨央】
それじゃヒククとは何でしょう?
【帆村魯公】
うーむ、
その、ヒククという言葉がきもだな。
【九頭幸則】
ヒクク……ひくく……
もしかして、
太陽が低くなるということでは?
【喪神梨央】
低くなる……
低くなる明け方……
それって冬至とうじのことですか?
【帆村魯公】
ほう!
そうかも知れんな!
――冬至とうじか……
【喪神梨央】
芽府めふ須斗夫すとおは、
冬至とうじの朝のことを言ったのですか?
【帆村魯公】
今年の冬至とうじはいつだ?
十二月の何日だ?
それもふくめて、中尉、
中野気象部に一っ走り頼む。
こよみのことを知りたい。
【九頭幸則】
電信でんしん第一連隊の気象班のことですね。
冬至とうじとその近辺のこと、
教えてもらってきます。

そう言い残し、九頭は本部を後にした。

【帆村魯公】
周防すおう彩女あやめ女史じょしは青山の脳病院だ、
あそこなら精密に検査もできる。
まだ意識は回復しないそうだが……
【喪神梨央】
青山脳病院、斎藤さいとう茂吉もきちが院長です。
世田谷せたがやに本院を移し、
青山のは分院となっています。
病院で、また蛭川ひるかわ博士みたいなことにならなければいいのですが。
【帆村魯公】
そのことだが……
彩女さんの第二人格が博士をほだした、
そうも考えられるぞ。
博士はアストラルになり、
結果、強いセヒラを生じて、
予言が語られたわけだしな。
【喪神梨央】
彩女さん……いや千紘さんの、
足を触ったりしたら、
飛ばされますよ、絶対に。
――幸則ゆきのりさん、大丈夫かしら……
彩女さん、病院なんですよね?
【帆村魯公】
病院には歩一の兵二個小隊が駐する。
元召喚小隊からも増援が来ておる。
病院を抜け出したりはできんだろう。

第七の予言の解明にはこよみの知識が必要だった。山王さんのう機関では冬至とうじの朝のことであると、暫定的ざんていてきに解釈していた。それに続くであろう、いわばしもはまだ語られていなかった。

第八章 第八話 交錯する思惑

魯公ろこうめいを受け、中野電信第一連隊気象部に、こよみの話を聞きに出かけた九頭くずであったが、班長が出張中とのことで不発に終わった。
今回、その班長から、折り入って相談があると連絡があり、公務後、風魔ふうまは九頭に同行することになった。

〔新井薬師〕

【九頭幸則】
風魔、あの人だよ、気象部の。
確か車折くるまざきという技手ぎてだ。
行ってみよう。

夕闇迫る新井薬師。香炉の前に気象部の技手らしき人物がいた。

【九頭幸則】
お待たせしましたか……
車折くるまざきさん、お一人ですか?
折り入っての話とは何でしょう?
車折くるまざき技手】
それは班長から申し上げます。
間もなく来ると思います――
先に冬至とうじの件ですが、
今年の天体画報てんたいがほう一月号にあります。
【九頭幸則】
年初ねんしょに発表があるんですね。
車折くるまざき技手】
ええ、計算で全てわかります。
今年の冬至とうじは十二月二十三日、
午前三時三十七分です――
太陽の位置、黄経こうけい二百七十度、
帝都の日出ひので六時四十七分、
日入ひのいり四時三十二分となります。
冬至とうじにおける太陽の赤緯せきい
赤道より最南の二十三度二十七分、
南中なんちゅう高度も最低となります――
【九頭幸則】
あの……
わかりました、二十三日ですね。
冬至とうじは十二月に十三日ですね。
車折くるまざき技手】
実はもう一つ、
大事なことがあるのです。
【九頭幸則】
どんなことですか?
車折くるまざき技手】
今年、五度目の日蝕にっしょくが起きます。
十二月二十六日にです。
【九頭幸則】
え?
――日蝕にっしょくって、年に何度あるのです?
車折くるまざき技手】
普通は三度、多くて四度です。
年に五度などまずありません――

グレゴリオ暦が採用されるようになってから、年に五度の日蝕にっしょくは一八〇五年以来だと言う。十二月二十六日の午前二時十八分から、同三時四十一分にかけて皆既蝕かいきしょくが起きる。場所は南極である――

そこへ年長の男性がやって来た。

鹿王ろくおう班長】
なかなか軒昂けんこうのようだね、車折くるまざき君。
車折くるまざき技手】
はっ!
五度目の日蝕にっしょくについて、
説明しておりました。
鹿王ろくおう班長】
――今年は実にまれな年だからな……
申し遅れました、
電信第一連隊の鹿王かおうです。
出張で京都に行っておりました。
【九頭幸則】
歩一の九頭です。
こちらは特務の喪神もがみ中尉です。
それで班長、
折り入っての話とは何でしょうか?
鹿王ろくおう班長】
冬至とうじについて問い合わせがあった――
車折くるまざき君から連絡を受けましてね、
妙な符号もあるものだと……
【九頭幸則】
冬至とうじのことはうかがいました。
十二月二十三日です。
鹿王ろくおう班長】
私が京都に呼ばれたのは、
ある古文書こもんじょこよみのことがあり、
その鑑定を行っていたのです。
【九頭幸則】
――古文書こもんじょ、ですか?
鹿王ろくおう班長】
ええ、京都の紫水しすい会館、
そこに収められている古文書こもんじょです。

ヒトツノ アラカニ 
ワタラシテ ツマル

【九頭幸則】
何ですか、それは?
まるで呪文ですね。
鹿王ろくおう班長】
おそらく太陽の運行です、
それについての言葉かと。
ツマル、すなわち行き詰まるのです――
車折くるまざき技手】
班長、自分もそう思います。
ヒトツノは最初で最後、
つまり冬至とうじですよ。
太陽が冬至の位置まで行き、
そこから戻してくる、
その様子を語っているのです!
鹿王ろくおう班長】
もう少し研究を続けます。
紫水しすい会館は参謀本部からの依頼で、
古文書こもんじょ紐解ひもといたらしいです。
二方ふたかたと関係があるのでは?
そう思い、お呼び立てしました。
【九頭幸則】
わざわざ有難うございます。
解読が済めば教えてください。
鹿王ろくおう班長】
あはは、そうですね――
おそらく紫水しすい会館からじかに、
連絡が行くと思います。

鹿王班長はそう言い残して歩き去った。班長を見送ることもせず、車折技手は喋り始めた。

車折くるまざき技手】
自分、昨年二月の日蝕にっしょくでは、
コロナグラフを用いた観測を行い、
おおいに成果を上げました。
【九頭幸則】
去年もあったんですか、日蝕にっしょくが?
車折くるまざき技手】
はい、私たちは南洋庁トラック支庁、
ローソップ諸島レオール島に上陸、
二月十四日の蝕観測しょくかんそくでした!
海軍技研、逓信ていしん省電気試験所、帝大、電信第一連隊、各自観測小屋をもうけ、
各班平均十分二十八秒の観測!!
【九頭幸則】
大丈夫ですか、車折くるまざきさん……
車折くるまざき技手】
ヒィィィィィ~
イーストマン五十番の乾板かんばんで三枚、
四、八、十二秒の露出で撮影を試み、
すべて成功したのです!
レンズ口径こうけいは十三センチ
焦点距離は十一・五メートル
インフォード・パンクロマティック!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
車折くるまざき技手】
海軍はアインシュタインカメラ、
水平鏡すいへいきょうにて光を導く仕組み!!
レンズ口径二十センチ、焦点距離はぁ~

《バトル》

車折くるまざき技手】
アインシュタイン効果を確かめる、
その目的で撮影したのです――

【九頭幸則】
やれやれ……
技手ぎてまでが怪人化する――
この場所がよろしくないのか?
まぁ、冬至のことはわかったな。
五度目の日蝕にっしょくは新発見だった。
それにしても――
京都の古文書こもんじょが冬至に触れている、
それは参謀本部の指示で紐解ひもといた……
これは隊長に確認するほかないな。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベのユンカー局長が、
どうやら失踪しっそうしたようです。
独逸ドイツ大使館にて、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしと合流してください。
それと……
一般中尉は隊へお戻りください。
【九頭幸則】
何だ、内輪揉うちわもめでもあったのか?
風魔ふうま、俺は帰るとするよ――
三宅坂みやけざかまで公務電車で送ってくれ。

〔アーネンエルベ〕

アーネンエルベ集会室には、虹人とユーゲントがいた。

【帆村虹人】
風魔ふうま、来てくれたんだな。
梨央りおに連絡したのは僕だよ――
ユンカー局長のこと、
ユリアが気をんでいるよ。
この一週間、姿を見ないらしい。
大型波動グローサベッレの使用をめぐって、
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
激しく対立していたからな……
配下のホムンクルスを一斉いっせいに操り、
総攻撃体制を作る――
それがヘーゲンの狙いなんだ。
【祇園丸】
彼は僕たちをかたきにしているんだ。
仲間のことが心配だよ――
【帆村虹人】
猟奇倶楽部の面々のこともある。
連中、あきらめが悪そうだ。
【祇園丸】
僕は西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんから、
短期記憶を得たんだ。
それに従って出かけた――
ヨツヤミツケで記録が途絶えた。
でもわずかな痕跡こんせきを頼りに、
北へ移動したんだ。
【帆村虹人】
それで戸山とやまに向かったんだよな。
でも作られた記憶のおそれがある、
君はそう言ったよね、祇園丸ぎおんまる
【祇園丸】
ヨツヤミツケから先のこと、
捏造ねつぞうされたものかも知れないんだ。
それで僕は動けなくなった――
【帆村虹人】
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
二人を銀座で見たって話したよな。
ユンカーを尾行したことも。
円タクは四谷見附方面に向かった。
探信儀たんしんぎの空白地帯の中心……
信濃町しなのまち界隈かいわいがそれに当たるんだ。
【祇園丸】
シナノマチに猟奇倶楽部がある、
その可能性は十分にあると思うよ。
僕が北にさえ行かなければ……

そこへユリア・クラウフマンがやって来た。その顔にはかげりがあった――
ユンカー局長の所在がわからなくなり、ユリア・クラウフマンが代表代理として、アーネンエルベに戻っていた。

【ユリア・クラウフマン】
西京極丸にしきょうごくまる、つまりユーゲントと、
拉致らち殺害犯のヘルマンを繋ぐのは、
唯一、ユンカー局長です。
【帆村虹人】
局長はヘルマンと交際があった、
そういうことなの?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
以前、フーマは局長と戦った、
そうですよね?
局長、シュタインを入れていたのです。
執事型と同じ八石です。
執刀したのがヘルマン医師でした。
局長はシュタインに召喚の力を求めたのです。
本来、召喚師ではありません。
【帆村虹人】
それじゃ局長はヘルマンから、
ユーゲントのことを聞いた、
そういうわけなんだね。
【ユリア・クラウフマン】
ヘルマンは西京極丸にしきょうごくまるを、
猟奇倶楽部に誘い出し拘束こうそくした、
そう考えるのが妥当だとうですね。

【帆村虹人】
もしかしてユンカー局長も、
猟奇倶楽部の会員だったのか?
【ユリア・クラウフマン】
どうでしょうか?
コージンがギンザで見た局長、
本当に本人でしたか?
【帆村虹人】
洋食屋ブレーメから出てきたんだ、
ヘーゲンと一緒に……
楽しそうに笑いながら……
銀座にいたのが、
ユンカー局長じゃないとすると、
一体、誰なんだろう?
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長になりすました誰か、
そういうことじゃないでしょうか。

フーマ、私、祇園丸ぎおんまると出かけます。
銀座のブレーメで話を聞いてきます。
局長の写真を持って――
局長はユーゲントと同じ、
新型のシュタインを入れていたのです。
フェラーが開発に成功したシュタインです。
シーナの方に落ちた隕石でできた
不思議なシュタインなのです。
普通のシュタインとは違うのです。
彼が黒幕にも思えてきました。
父の元助手だった人物が――

そう言うとユリアは踵を返した。祇園丸が後に続く。

【帆村虹人】
僕が銀座で見たのは、
まごうことなくユンカー局長だった。
でもヘーゲンと談笑するのは変だ。
引っかかるのは……
ユンカー局長はどうして、
自分にシュタインを入れたのかってことだね。

独逸ドイツ大使館を出たところで着信があり、青山で怪人の通報があったという。風魔ふうまは夜の青山通へ向かった。

〔青山街路〕

【角筈の女学生】
お友だちの忌子いみこさんち御暇おいとまして、
若松町の電停におりましたところ、
足元に光るものがありますの。
それは大ぶりの指輪でした。
巡査に届けようと拾ったのですが、
そうしないほうがいい気がして――
こっそり持ち帰りましたの。
その夜から、もう四日も眠れず、
こうして彷徨さまようんですの!
アハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
二探が若松町のセヒラを観測!
指輪の波形です、仮面の男の!
さらに観測を続けます!

【池尻のワニス商】
うちは池尻なんですがね、
三宿の砲兵連隊のわきをよく通る――
せんだってもカミさんが歩いていると、
へいそば舶来はくらいの指輪が落ちていたと。
人気もない通りだったので、
指輪、ネコババしたそうな!
指輪を触ったカミさんの指、
真っ白に血の気がせてですね、
あれは軍の新物質か何かですか?
次の日、カミさんが家を出て……
私もこうして歩き回るんです!

【金杉橋の漁師】
新堀の路地ろじで皆が騒ぎよる。
何かと思うとほりに魚が浮かぶ。
何十匹も白い腹見せてな。
んでほりの底見ると何かがあるわい。
それはそれは綺麗きれいに光っちょる。
わしが潜って取ってきちゃる、
そうして潜ったんじゃがな、
不意ふいに目の前が真っ暗に――
気を失ったわしが次におったのは、
市電の中じゃな、六番の電車じゃ。
このなりで乗っちょる!
六本木ろっぽんぎちゅう電停で降りて、
もう五日も歩き回りよるわい!!
ブヒャヒャヒャヒャ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
霞町界隈かすみちょうかいわいで弱いセヒラです。
巡視パトロールお願いします。

〔霞町街路〕

【神田橋の法科生】
殿垣とのがき教授の研究室に、
輝く大きな指輪があった。
指輪を残し教授は忽然こつぜんと消えた――
机の上になぐきのメモを残して。
遊動神殿ゆうどうしんでんたる聖幕屋せいまくや、長さ三十キュビト、高さ十キュビト、幅十キュビトにてもうけるべし。
金張りの四十八枚の合歓木アカシヤの板を、交互こうごわせて、銀の足台の上に立てるべし――
メモにはそうあったよ。

【長者丸のご隠居】
先週、庭いじりをしておったら、
土中に指輪が埋まっておった。
掘り出すと土ひとつ着いておらん。
まっさらけのけだったわい。
不思議なこともあるもんじゃ!

【初台の羅紗商】
工業試験場の正門前にね、
指輪がぽつんと置いてあったって。
姉はそう申してましたの――
指輪は交番に届けたって、
けど姉はうそ付いたのです。
姉の鏡台にありましたわ、指輪!
翌朝、姉は古い魚みたいな顔で、
死んでいました。
カルモチン三百じょうも飲んだのよ。

【着信 喪神梨央】
観測したセヒラは今の人です。
でもまだ怪人じゃないですね――
それより金杉橋かなすぎばしでセヒラ観測です。
他の場所でも観測します――
新山にいやまさんに変わります!
【着信 新山眞】
若松町、三宿町みしゅくちょう金杉橋かなすぎばし――
いずれも指輪の波形を観測します。
三箇所を繋ぐと三角形ができます。
神田橋かんだばし長者丸ちょうじゃまる初台はつだい――
三角形、もう一つできます。
二つ重ねで六芒星ろくぼうせいが描かれます!
以前、仮面の男が描いた三角形、
あれより強い力を持つようです。
あの時は思念増幅器でこしらえた結界を、
仮面の男に破られました。
今回、指輪で何を目論もくろむのか――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急にセヒラ観測しました。
青山墓地方面です。

〔青山墓地〕

【淀屋橋の寒暖計商】
あんさんらが、
おかしなことしたさかいにやな、
商売上がったりでんがな!
晴雨計せいうけい売りのコッポラちゅうのが、
余計なあやかしモン売りよるさかい、
ワテの寒暖計かんだんけいかてあやかしやろ!!
そう言われて、どえらい迷惑や!
ワテのはな、列氏れっし測りまんねんで!
レオーメルの列氏れっしでんがな!
摂氏せっしとも華氏かしともちゃいまっせ!
列氏れっしや、沸点を八十度で見まんねん。
独逸ドイツ墺太利オーストリアやと常識でんがな!
皆皆皆皆皆、列氏れっしやねんで!!

《バトル》

【淀屋橋の寒暖計商】
商売上がったりで、
ホンマ、もう、キーですわっ!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇しています!
注意してください!!

怪人が倒れて消えた後、青山墓地の薄暗闇から先程会話した3人が現れ、三角形の陣形を取る。角筈の女学生、池尻のワニス商、金杉橋の漁師の3人だ。
そして同様に次の3人が姿を見せ、先の三角形に重なるように陣形を取った。神田橋の法科生、長者丸のご隠居、初台の羅紗商――
二つの三角形の辺にセヒラが集まりはじめ、丁度六芒星の形を現した。
辺りのセヒラ濃度が急上昇する。梨央の観測を待たず、高濃度セヒラに包まれて風魔は時空の狭間へと飛んだ。

〔時空の狭間〕

正面に宙に浮くようにして仮面の男がいた。

【仮面の男】
君はどこへ向かおうというのだ?
それとも何かから逃れるのか?
それは何だ?
教えてくれてもいいだろう……
――黒焦くろこげになった姉の亡霊ぼうれいかね?
ウハハハハハ~

おびえる者はいつも走っている。
我らがクルト・ククックかっこう・ヘーゲン、
泣き虫大公、嘘つき元帥げんすい
お尻のえくぼの可愛い殿下!
クルトは憎しみのシュトラーセを走っている。探して相手をしてやって欲しい。
――君も走ってはどうかな?

そこまで言うと、仮面の男は濃いセヒラに包まれて姿を消した。
気が付くと風魔は赤坂哈爾浜にいた。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
高濃度のセヒラが一時に現れました。
帝都満洲に移動したのですね……
帥士すいしを赤坂哈爾浜ハルピンにて確認しました。
その赤坂哈爾浜ハルピンですが、
以前と町の繋がりが変わっています。
注意して進んでください。

【召喚小隊T二等兵アストラル】
隊長は……
暁光ぎょうこう召喚隊の一五市にのまえごいち隊長ですが……
おかしいです……
名前がスラスラ出てきます!
これまでイニシャルだったのに!
自分はちなみに……Tです……
ああ、自分の名前はダメですね。
はい、一五市にのまえごいち隊長のことです、
歩一で大きな演習のあった日、
慌ただしさにまぎれてのことです。
私たち同行しました――

【召喚小隊H二等兵アストラル】
にのまえ隊長の目的は、
歩一に確保されていた月詠つくよみ麗華れいかです。
隊長は月詠麗華に、
鬼龍きりゅう大尉が帝都にいることを
話していました。
大尉にはこの帝都で重要な用がある、
そういうことのようでした。
それで京都から戻られたのです。

【召喚小隊A軍曹アストラル】
鬼龍大尉は独逸ドイツ留学時代に、
トゥーレのやかたという秘密結社に、
身を寄せておいででした。
大尉はそこで召喚師として、
腕をみがき、帰国されたのです。
そのトゥーレの館が、
この帝都にも開かれるというのです。

【召喚小隊G曹長アストラル】
鬼龍大尉は心を開かれません。
ただし、御荷鉾みかぼ大尉は例外でした。
お二人は京都の師団時代から、
同じかまめしを食った仲とのことです。
その御荷鉾みかぼ大尉を感じます――
すぐ近くにおいでのようです。

すぐにひときわ大きなアストラルがやって来た。他のアストラルたちは一斉に退避した。

【歩一M大尉アストラル】
あの女は化物だ!
月詠つくよみ麗華れいかだ、化物だ――
あの女が私をここに飛ばした。

鬼龍きりゅうと私は京都の十六師団にいた。
といっても輜重兵しちょうへい第十六大隊だ。
駄載ださいは何キロなんだと冷やかされ――
鬼龍はそういう境遇きょうぐうが不満で、
審神者さにわ術武じゅつぶに精を出していた。
奴は相当のめり込んでいた……
上京区かみぎょうく相国寺しょうこくじの北にある道場、
奴はそこに通いつめていた――
東雲流の山郷武揚が開く道場だ。
雑誌広告を使い良家の子女を集めた。
鬼龍は師範代として活躍した。

奴の独逸ドイツ行きは寝耳に水だった。
正直、羨ましかった。
独逸は私の第二の故郷だからだ――
独逸ドイツで習得した召喚術が、
まだまっとうできないのは、
審神者さにわ素養そようが邪魔をする――
奴はそう考えている。
審神者さにわ奥義おうぎを継ぐ者はいないか、
懸命けんめいに探していた。
ある日、奴は気付くんだ。
奴の流派、東雲しののめ流の宗家そうけにこそ、
素養そよう持つ人物がいると。
奴は機根きこんとか、そんな言葉を使い、
その人物を確かめようとしていた。
それが如月きさらぎ鈴代すずよという女性だ――

そんな鬼龍と私の間柄あいだがらを聞き付け、
月詠麗華が私を尋ねてきた。
まるで郷里きょうりの妹のようにして。
私はこばんだのだ、話すのを。
鬼龍の詳細について話すのを。
答えられない、そう言ったのだ――
あの女は私を睨みつけるや、
背後から紫色の光を放った!
その直後、私は飛んだのだ!!
現世の私はどこにいる?
先程、神田川かんだがわらしきが見えた――
私を戻せ、戻すんだ!!

《バトル》

【歩一M大尉アストラル】
はぁはぁはぁ……
せめて鬼龍が私のようにならぬよう、
つとめるのが貴様らの役割だ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
何か特異な波形を観測します。
――巡視パトロールを続けてください。

〔キタイスカヤ街〕

そこは帝都満洲とは様相ようそうことにしていた。帝政露西亜ロシア時代に築かれた哈爾浜ハルピン、キタイスカヤの街並みである。
露西亜ロシアバロックの町並みを背にクルト・ヘーゲンが呆然と立っていた。まるで見当識を失ったかのように――

【クルト・ヘーゲン】
お前は!!

ううう……
くそっ!
――ここは……どこだ……
異世界のことは知っていた――
ここが、そうなのか?

ウハハハハハ~
大型波動グローサベッレを何度も発して、
現れたのがこのロシアの辺境か!

うう……
ここの空気は合わないな!!
――セフィラ異常はどうなった?
大型波動グローサベッレ戦を常態化じょうたいかさせ、
やがて顕現けんげんさせる計画だ。
日本人の大勢が犠牲ぎせいになる――
トウキョウ中が戦場となり、
を降ろし、市民にけしかける!!

このような場所が現れるとは、
実現はまだ先のようだな!
市民の犠牲は計画の問題外だ。
百人の死は悲劇だが、
一万人の死は歴史だ。
私たちは歴史を作るのだ!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
犠牲は……必要なのだ……
うう……まだ血の臭いがする――
だが、これもすぐに消えるだろう!
私は超えたのだからな!!

クルト・ヘーゲンは膝を折り、そのままゆっくりと姿を消した。まるで空間から消し去ったかのように。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置が確認できません――
先程ユリアさんから連絡があり、
同行ユーゲントの波形、
同定できました。
このシュタインにはジリエンヌマーが……新山にいやまさんに尋ねると、
通し番号のことだそうです。
ユンカー博士のシュタインの波形、
予測できるかも知れません。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
ユリアさんが祇園丸ぎおんまると一緒なので、
その波形、正しく確認できました。
同じシュタインならユンカー局長の居場所も、探信儀たんしんぎで観測できそうです。
ヘーゲン召喚師が言うような
何百ものセヒラ異常はありません。
【帆村魯公】
アーネンエルベは、
秩序ちつじょが崩壊しておるのか?
この件は参謀に上げるほかない。
セヒラ異常を起こして、
そこへを降ろすなど、
聞いたことがない。
梨央りお、本当に異常はないのだな?
【喪神梨央】
ええ――
ただ、帝都満洲に妙な波形が……
兄さん――
さっきの場所とも関係するかも……
くわしく調べてみます。

大型波動グローサベッレを連発することで、何百ものセヒラ異常を招こうとしたものの、その目論見もくろみは失敗に終わったようだ。
しかし、その影響なのか、帝都満洲に現れた、哈爾浜ハルピンキタイスカヤの町並み――この意味するところはまだわかっていない。

第八章 第九話 総統の来日

〔銀座四丁目〕

銀座に出向いた祇園丸ぎおんまるからの要請で、風魔ふうまは夜の銀座に来ていた――

【祇園丸】
ヘーゲンのはなった執事型が、
僕を狙っているんだ。
だから助けを求めた――
ブレーメはギンザ一丁目だった。
店のウェートレスは写真を見て、
確かにこの人が来たと言ったよ。
ユンカー局長の写真を見せたんだ。
ユリアは先に戻った――
奴ら、僕が一人になるのを待って、
襲い掛かってきたんだ。
そう、相手は二人組だったんだ。
僕は全力で逃げた。
でも追いつかれて――
そのとき、ある人に助けられた。
背の高い、けわしい顔の人だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くでセヒラ観測しました。
注意してください!
【祇園丸】
この近くにいるというのか!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン
攻撃!アングリフ 攻撃!アングリフ

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……
【祇園丸】
やれやれ……
やけにしつこいな。
もう一体いるはずだけど――
【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、すっかり消えました。
もう心配はありません。

そこへ聖宮成樹がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん!
大丈夫でしたか!
【祇園丸】
この人だよ、
僕を助けてくれたのは!
【聖宮成樹】
そちらの方が、
お困りのようでしたから。
【祇園丸】
それじゃ……
後の一体はあなたが……
【聖宮成樹】
ともあれ、今は安全です。
立ち話というわけにも、
まいりますまい。
店にでも入りましょう。
さぁ、お二方、こちらへ――

聖宮がきびすを返した。祇園丸、風魔が後に続いた。

〔純喫茶青蘭せいらん

じき、日付の変わろうという時間であった。純喫茶は客もまばらである。

【女給かね子】
あらいらっしゃいましー
殿方とのがたがお二方にお兄さま……
ね、ね、聞いてくださる?
【聖宮成樹】
どうしたんですか?
【女給かね子】
興亜こうあ日報が純喫茶とカフェの
人気投票をするんですって!
それで銀座で一番を決めるのです。
一番になると私たちのお給金きゅうきんも――
【聖宮成樹】
そいつは気を抜けませんね。
【女給かね子】
純喫茶青蘭せいらんは銀座一の新進ですの!
是非ぜひ投票なすってね!
【女給さだ子】
かねちゃんの言うとおりよ。
銀座では花家はなや、フォンテーヌ、
カフェ・シエル、それから――
【女給かね子】
あらアモンも出るそうよ。
【女給さだ子】
いやだわ、アモンだなんて――
あそこはかなりのもんよ。
【神田のラムネ商】
恋人アモン
アモーン!
あすこはエロだ、大エロだぁ~
アモーン! アモーン!
大阪資本のエロ・カフェなりぃ~
美人女給三十名の空中輸送!
大阪特有の大衆的経営法!
豊穣ほうじょうなエロサービス!
【女給さだ子】
ちょいと、せいさん、
お静かにね。
もう遅いんだから。
【女給かね子】
珈琲コーヒーだと眠れなくなりそうね。
セイロン茶でもれましょうか。

そう言って女給が場を離れた。
聖宮は少しばかり声を潜めて言う――

【聖宮成樹】
喪神もがみさん……
瑛山会えいざんかいの物理学者、
柄谷がらたに博士のことですが――
どうやら猟奇倶楽部と、
関係があるようなのです。
【祇園丸】
え?
今、猟奇倶楽部と仰いましたか?
【聖宮成樹】
ええ、猟奇倶楽部です。
おそらくかなり高い位にあります。
【祇園丸】
その話、知ってます!
――いや、わかるのです……
西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんが残しました。
――こうです……

近く、高位の会員をお迎えする、
従順なる隸Θしもべシータ師という会員だ――

そこまで記憶が再生できました。
そのΘシータ師という会員が、
キョウトの学者なのですか?
【聖宮成樹】
従順なる隸Θしもべシータ師……
猟奇倶楽部での渾名あだななのですね。
喪神さん、
私はもう少し調べてみます。
またお目にかかりましょう。
【祇園丸】
柄谷がらたに……生慧蔵いえぞう……
キョウトの物理学者……
覚えておくよ。

日劇前で騒動があるとの通報で、純喫茶を出てそのまま日劇前へ向かった。祇園丸ぎおんまるは円タクで帰っていた。

〔日劇前〕

夜更けの日劇前は人もまばらであった。風魔の来るのを見て三人の男女が走り去った。袴姿の女性が二人、向き合うように立っている。

【中之島ファンの女性】
せっかく中之島なかのしま歌劇団の公演、
見に来たのに、今日は中止やて。
なんでですのん?
こいさん、もういにまひょ。
えらい遅うなってもうたわ――
円タクしかあらへんよ。
こいさん! 
なぁ、こいさん……
あんさん、聞こえてますのか?

話を聞いていたのか否か、黙っていた方の女性が前を横切って走り去った。

【中之島ファンの女性】
ちょ……
もう、なんやの、どないしたん!
こいさん! 待ちぃな!

声を荒立てながら、走り去った女性を追って行った。
そこへ黒い仮面を被った人物が姿を見せた。仮面越しの声はくぐもっていた。

【リヒャルト・フィンケ】
人は私を総統フューラーと呼ぶ。
トゥーレのやかたのね。
リヒャルト・フィンケだ、喪神もがみ君。
人というのは哀しい存在だね。
まるで打ちのめされるために
生まれてくるようではないか。
迷いをて、現実を超える――
私の教義にこれ以上の言葉は不要だ。

さて、そろそろ第一幕の始まりだ。
この素晴らしい劇場の前で、
このような宣言せんげんができるとは!
なんと、私は僥倖ぎょうこうに恵まれるのか!
来給きたまえ、鬼龍きりゅう君!

フィンケに名を呼ばれて鬼龍豪人がやって来た。鬼龍は遠くの一点をじっと見たまま言う。

【鬼龍豪人】
ヘルフィンケ!
愈々いよいよ、始まるのですね!
【リヒャルト・フィンケ】
私は残念で仕方がないのだ。
君たち日本人は資源を無駄むだにする――
うるわしい山河さんが、森に泉、清らかな流れ、
それにセフィラ!
素晴らしいセフィラを得ながら、
少しもかせていないではないか!
ヘッセン、ザクセン、バイエルン……
セフィラの湧出ゆうしゅつを認めるも、
ドイツではなかなか活用が進まない。
私から見ると日本人というのは、
金鉱脈の上とは露知つゆしらず、
汗して耕作しているようなものだ。
素晴らしいセフィラに恵まれた、
この町こそトゥーレのやかた
開くに適しているのだ。
【鬼龍豪人】
ヘルフィンケ、
私はつかめるでしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
君ならできるとも!
ただし……
【鬼龍豪人】
何でしょうか?
まだ私にいたらないところでも?
【リヒャルト・フィンケ】
君は持ちすぎているのだ。
欲は心をにごらせる。
【鬼龍豪人】
欲があってのことではありません。
古式東雲しののめ流が邪魔をするのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは君の中にケアンがあるからだ。
ケアン奥義おうぎを取り込んでいるのだ。
一度試してはどうかね?

このとき、鬼龍は体をフィンケに向けた。

【鬼龍豪人】
試す?
それはどういうことですか?
【リヒャルト・フィンケ】
自分をとことん落すことだ。
君が君でなくなるまでな!
【鬼龍豪人】
誰かに伝授でんじゅするというのでは、
駄目なのですか?
【リヒャルト・フィンケ】
ケアンというのは人を選ぶ。
つまりは君が捨てるのではない、
君が捨てられるのだ。
不毛な戦いによって、
君がケアンから見捨てられるのだ。
そこには不要だ――
【鬼龍豪人】
不要?
何が不要なのですか?
【リヒャルト・フィンケ】
心だよ!
自ら穴が空いたという心だ!

辺りが白くなったかと思うとやがて何も見えなくなった。暫くして暗闇に鬼龍の佇む姿が見えた。
どこからともなく声がする。鬼龍は耳をそばだてている――

【リヒャルト・フィンケ】
鬼龍きりゅう君――
もう一度聞かせてくれないか?
【鬼龍豪人】
何を……ですか?
私のことですか?
【リヒャルト・フィンケ】
人づてに聞いたものでね。
君は京都でガールフレンドを
くしているんだよね?
【鬼龍豪人】
彼女は……事故にったのです……
師団に面会に来た帰りでした――
【リヒャルト・フィンケ】
爾来じらい、君の心は、
京都に置き去りになったと聞くが。
【鬼龍豪人】
違います!
私は……求めたのです……
【リヒャルト・フィンケ】
何をだね?
君が求めたものというのは――
【鬼龍豪人】
――強さです。
力ではなく……精神の強さです。
【リヒャルト・フィンケ】
輜重しちょう隊では強くなるのは難しいね。
戦闘部隊ではないからね。
体も心も、強くはなれない――
【鬼龍豪人】
私は古式東雲しののめ流を極めようと――
そう心にちかい、日々精進しました。
【リヒャルト・フィンケ】
だが流派は閉じられてしまった。
君は腕を試すこともできず、
途方とほうに暮れていた――
【鬼龍豪人】
トゥーレのやかたへの招待状には、
あなたの署名があった。
あなたはすべて知っていたのですね。
事故のことも流派の閉じたことも。
すべてお見通しだった――
【リヒャルト・フィンケ】
君はめざましく腕を上げたね。
東雲しののめ流の素養が役に立ったのだよ。
――違うかな?
【鬼龍豪人】
あの頃はそうでしたが……
今、審神者さにわとしての私と召喚師の私、
その二人が戦うのです!
【リヒャルト・フィンケ】
君の中の二人は戦ってなどいない。
むしろ手を取り合っているのだよ。
君のルサンチマンがそうさせている。
ルサンチマンを乗り越えるには、
あるべき自分の姿を持たぬことだ。
理想も、目標も、夢もいらない。
【鬼龍豪人】
あるべき自分……
――私はこだわりすぎたのでしょうか?
求めるところが大きすぎるとでも?
【リヒャルト・フィンケ】
求めて得られる時代など、
とうに終わっている。
ただ、破壊あるのみだ!!

〔日劇前〕

鬼龍の心に去来したものは何であろうか?鬼龍は両眼を見開き、風魔を見ている。いや、見ているのではない、まさに射ようとしているのだった――

【鬼龍豪人】
私が浄化されるまで、
貴様を必要とする、そういうことだ。
さぁ、整えろ!
喪神もがみ風魔ふうま!!

《バトル》

【鬼龍豪人】
貴様は順当じゅんとうに腕を上げているようだ。
フフフ――
頼もしい限りだな。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
鬼龍きりゅうに好き勝手やらせて、
いいんですか?
明日、鈴代すずよさんが戻られます。
隊の方に言って、鬼龍を見張るように
お願いしておきます。
あっ、そうそう――
京都の紫水しすい会館から連絡があり、
古文書こもんじょは冬至についてだそうです。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル――

アラカは宮とか部屋の意味だとか。
第一の宮に太陽が入って折り返す、
それが冬至のことだそうです。
第七の予言のヒククは、
結局わからずじまいですね。
今日はもう遅いので公務終了です。
お休みなさい――

そう言って梨央が本部を後にした。そこへ不意に声がする――

【???】
風魔ふうま……
聞こえる?
私よ、淑子としこよ――
あなたに、
是非ぜひとも話さなきゃいけないことが。

風魔は激しい目眩めまいを覚え頭を抱えた。

ふと何かの気配を感じて顔を上げる。そこはセヒラの揺らぎに縁取ふちどられた溜池通であった。為す術無く立ち尽くす風魔の脇に、威勢よくバールが現れた。

【バール】
じゃ~ん!
久しぶりだニャ、風魔ふうま
またぞろ姉さんの声がしたニャ!
それで出てきたニャ……
今は夜中のはずなのにニャ!
【バール帽子】
誰かが鎌掛かまかけてたゲロ!
姉さん、黒焦げとか言ってたゲロ!
ちょっくら調べたゲロ!
話はぜんぜん違うゲロゲロ――
【バール帽子背後】
確かに修善寺しゅぜんじで若い女が死んだ。
焼身自殺でな――
死んだのは横浜の女学生じゃ。
失恋してな、もうヤケクソじゃな。
そもそも病気を苦にして、
焼身自殺する奴などおらんわい。
ありゃ抗議こうぎの意を込めた死に方じゃ。
【バール帽子】
つまりは風魔の姉さんは、
修善寺しゅぜんじで療養中に忽然こつぜんと消えた、
そういうことだゲロ!
新山にいやま技手ぎてが言ってたゲロ。
修善寺しゅぜんじ独逸ドイツ人がロッホを探したと。
なんかプンプンするゲロ!
【バール】
風魔の姉さん、
どこかで生きているかもニャ!
でもここは違うニャ!
風魔の記憶の中だニャ。
さぁ、気を取り直して、
本部に戻るニャ!

〔山王機関本部〕

いつの間にか朝になっていた。

【喪神梨央】
おはようございます。
――兄さん、本部で寝たんですか?
興亜こうあ日報が特報を出しましたよ。
オリムピック辞退か? って――
【帆村魯公】
本当か、それは?
皇紀こうきニ六〇〇年に予定されておる、
東京オリムピックのことだろ?
【喪神梨央】
まだ東京は候補の段階です。
ニ月の奥斯陸オスロ総会で、東京の他に、
羅馬ローマ赫爾辛基ヘルシンキが候補になりました。
来年七月の伯林ベルリン総会で決まるはず。
その前に東京市が辞退を検討中とか。
【帆村魯公】
怪人やらが跋扈ばっこする町に、
運動選手を呼ぶわけにはいかんな。
まぁ、あと五年あるが――
ただなぁ……
あれだなぁ――

一昨年の国連脱退に次いで、昨年末はワシントン海軍軍縮条約の破棄はきと、日本は国際社会で孤立こりつを深めていた。
また昨年は空前の大凶作に見舞われ、東北、北海道では農作物が大幅に減収となり、西日本を室戸むろと台風が遅い、世相を暗くした。

【帆村魯公】
ますます物情騒然ぶつじょうそうぜんとしてきた。
五年でいろいろ改善できないと、
オリムピック辞退もいたかたないわい。

そうだ、風魔ふうまよ――
聖宮ひじりのみや殿下から連絡があってな。
京都の学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだが、
ヘーゲン召喚師と接触したそうだ。
アーネンエルベにも出入りしておる。
【喪神梨央】
それじゃ……
虹人こうじんさんが銀座で見たのは、
ユンカー局長じゃなかったんですか。
ユンカー局長が入れているシュタインの波形、
新山にいやまさんが計算中です。
もう少しで波形を特定できます。

今日は鈴代すずよさんを、
お迎えする予定です。
省線の品川駅です――
一昨昨日さきおとといの午後三時に新京を出て、
品川には今朝七時二十四分着ですが、
かなりの遅れが出ているようです。
【帆村魯公】
牛頭ごずの連中に動向どうこうを探られない
とも限らんからな。
充分に警戒してくれ。

風魔は公務電車で品川駅前に駆けつけた。

〔品川駅前〕

下関しものせきからの夜間急行は遅れているという。
まだ駅玄関には鈴代すずよの姿はなく、代わりに将兵らが待機していた――

【一五市】
如月きさらぎ鈴代すずよ身柄みがら拘束こうそくする。
東雲しののめ流を再興さいこうすると聞いた。
そして月詠つくよみ麗華れいか嬢の懐柔かいじゅうをもたくらむ!
さては鬼龍きりゅう大尉の奥義おうぎを継ぐ、
その魂胆こんたんなのではないかな!
抜け目のない女だな――
フハハハハ~
鬼龍大尉の奥義は、
月詠麗華嬢に継ぐのが順当だ。

左、そして右から一五市にのまえごいちを挟み込むように二人のユーゲントが走り込んで来た。

【上賀茂丸】
喪神さん!
祇園丸ぎおんまるに頼まれて来たよ!
【南禅寺丸】
僕たちの波形、山王さんのう機関で監視かんし中だ。
だから安心して戦えるのさ!

山王機関ではユーゲントの波形を探信していた。大型波動グローサベッレなどの影響があれば、直ちにアーネンエルベに連絡が行く手筈てはずであった。

【一五市】
何だ、お前たちは?
フォス大佐と桃源郷とうげんきょう巡りでも、
するんじゃなかったのか!
元召喚小隊の召喚兵がいる。
貴様ら!
こいつらの相手をしてやってくれ。

一五市の命令で、二名の召喚兵がそれぞれユーゲントと向き合う。二対二の対戦陣形となり、召喚兵とユーゲントとの間に強い光が走る。その刹那せつなであった、一抱えほどの大きさのセヒラ球が現れた。

【一五市】
うわぁぁぁぁ~

小規模なセヒラ異常が発生し、一五市、風魔は時空の狭間に飲み込まれてしまった。

〔時空の狭間〕

【一五市】
ウハハハハハ~
ここがお前たちのユートピアか!
いいだろう――
ここで時間稼ぎをするうちに、
召喚兵らがあの女を確保する!
さぁ、時間をかけて、
戦おうじゃないか!

《バトル》

【一五市】
いい調子だ――
それでこそ歩一の特務機関員だ!
だがな、すべてを手に入れる、
その準備は怠りない――
鬼龍きりゅう大尉は憎しみを宿す。
それが大尉の弱さだ。
俺は何も憎んじゃいない、
ただ純粋に戦う、そう決めたんだ。
無ほど強いものはない!
アハハハハハ~

〔品川駅前〕

品川駅前に召喚兵らの姿はなかった。軍用トラックだけが残されている。そこへ如月鈴代がやって来た。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん!
お待ちになりましたか?
省線が遅れて……
兵隊が出ているのですか?
少し歩きましょうか……

〔品川街路〕

【如月鈴代】
麗華れいかさん、何か思い詰めている、
そんな様子だったので、
あまり話せていません。
鬼龍きりゅうさんのことは、
知っていました――
にのまえ少尉から聞いたのだと。
この帝都にトゥーレの館が
開かれることまで――
麗華さんは知っていました。

麗華さんは鬼龍さんの奥義を、
自らにそなえようとするのです。
鬼龍さんが会得した古式東雲流、
実は叔父の山郷が京都で道場を開き、
そこで教え広めていたものです。
古式とは言え、祖母の代では、
すでに霊力が弱まっていました。
それを叔父がなんとかしようと――

私が再び興そうとする古式流儀は、
六世紀はじめに日本へ渡来した、
マナセ一族の裔に伝わる術武です。
古式流は、鬼神を降ろします。
それも審神者自身に降りるのです。
その古式を再び興すには、
多加美宮司の持ち帰った魔鏡、
その霊力がなくてはなりません。

鬼龍さんの古式流を麗華さんが継ぐ、
それがどういうものか、
私にはまだわかりません――

不意に鈴代は足を止めた。風魔は少し行き、鈴代を振り返る。鈴代は意を固めたような表情を作っている。

【如月鈴代】
麗華さんは新京シンキョウに落ち着きました。
新京シンキョウ神社の裏にある高女の寄宿舎、
その貴賓室きひんしつがあてがわれました。
平安町二丁目というところです――
関東軍司令部用地の直ぐ近くですわ。

月詠麗華は新京シンキョウに身を落ち着かせた。麗華は鬼龍からの奥義おうぎの伝授を求め、その鬼龍はトゥーレの館で再起をはかる。
トゥーレのやかた――
リヒャルト・フィンケひきいる秘密結社。帝都に新たなるきょくが誕生した。

第八章 第十話 滾る憎しみ

〔山王ホテルロビー〕

その日、山王さんのうホテルには多加美たかみ宮司の姿が。真鏡に付随する三篇の古文書こもんじょについて、残すは愈々いよいよあと一篇であった。

多加美たかみ宮司】
紫水しすい会館の古文書こもんじょは、
やはり冬至についてのことでした。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル

アラカとは宮のことですね。
ヒトツノ アラカ……
最初の宮ですね。
冬至は太陽の死であり、
同時に再生する日でもあります。
だから最初の宮となります。
京都帝大の方の古文書こもんじょ
見つかり次第、連絡が来るはずです。

ホテル玄関から廣秦ひろはた範奈はんなが入ってきた。風魔のところへ真っすぐ歩いてくる。

【廣秦範奈】
喪神もがみさん……
鍛冶橋かじばしの事務所で――
多加美たかみ宮司】
鍛冶橋かじばし……
もしや、志恩しおん会の――

多加美たかみは、自分は山郷やまごう武揚ぶように見限りを付け、今では風魔らに協力していると述べた。そして東雲しののめ流再興を手伝うのだとも。

【廣秦範奈】
如月きさらぎ鈴代すずよさんの決意は、
るがないのですね――
志恩しおん会では六世紀中頃、
ちょうど武烈ぶれつ天皇統治時代、
日本に渡ったマナセ一族を探します。
久志濱くしはま一族と呼ばれていて、
生糸きいとの生産にたずさわっていたようです。

喪神さん――
その志恩しおん会なのですが、
タイピストの女性から連絡があり――

タイピストが言うには、志恩しおん会の事務所から異音がするとのこと。風魔は範奈はんなとともに鍛冶橋かじばしへ向うことに――

範奈、風魔を乗せた公務電車は数寄屋すきや橋電停を通過、その先の鍛冶橋電停に着いた。

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫ですか?
いきなり出かけるって言うから……
大慌てて公務電車の路線、
押さえたんですよ!

【廣秦範奈】
タイピストの女性が言うには、
志恩しおん会の事務所、人がいないのに、
人の気配がすると……
私も何度か、
同じような経験をしました。

そこへ白衣姿の人物がやって来た。頭には反射鏡を着けたままである――

【猫憑き】
ニャ~……
アンタもこの人の仲間ニャ?
この人、大っきな隙間すきまあるニャ。
おいらだけじゃスッカスカ!
おいら、猫の政次郎ニャ!

――言わんこっちゃないニャ!
誰か来るニャ!
ものすごい速さで来るニャ。

ひゃ~……
おいら、弾き飛ばされたニャ!!

白衣姿の男は呆然と立ちすくんだままだ。男の背後にアストラルが現れた。アストラルを透かして鍛冶橋の町が見えている。

【???】
FUMAサン……
JEREMIAHエレミヤデス……
ワカリマスカ?

【エレミヤの思念】
私ハ コンナニ ナリマシタ……
BUT心ニ JUSTIS!!
伝エタイコト I HAVEデス
【廣秦範奈】
エレミヤ……さん……
エレミヤ佐古田さこたさんですね?
――銀行家の……
【エレミヤの思念】
範奈はんなサン……
おお範奈はんなサン……
貴女にまつわるVERY大事なこと!
とても大事なこと――
I HAVEなのです。

でも今は話せません――
FUMAサンにお会いして、
I TALKしたいです!
来てください――大連ダイレンです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンで、
I WAITしています。

アストラルが消えた。白衣姿の男ははっと我に返った。

【本郷の内科医】
ここは……どこですか?
私、白山上はくさんうえの電停にいた、
それまでは覚えていますが。
その後のことは、ちょっと――
やれやれ……
これで今年になって十六回目です。
しっかりしなきゃです。

白衣の医者は何やらつぶやきながら歩き去った。暫く見送っていた範奈だが、軽く深呼吸をして風魔に向き直る。

【廣秦範奈】
私にまつわる大事なこと――
それって何でしょうか?
【着信 喪神梨央】
ゲートの準備できています。
はらえのへお越しください。

祓えの間からゲートを潜り帝都満洲へ。帝都満洲鉄道あじあ号に乗るや、列車長から案内があった。

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンに再びわだかまる存在が――
これまでになく大きいですね。
さて、本列車ですが、
先程、定刻ていこく通り目黒奉天ホウテンを通過、
まもなく碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着です。

〔碑文谷大連〕

【演説家アストラル】
蹶起けっきせよ、将兵諸君!
――ああ、もっと声を張り上げて……
えー……
世相の頽廃たいはい、人身の軽佻けいちょうがいし、
国家の前途に憂心ゆうしん覚えありしが――

だめだな……
登米川とめがわ先生のようにはいかない。

【作家志望アストラル】
記念すべき第一回茶川賞で、
なぜ、僕の小説が落選するんだ?

「ケッケッケ――
怪人三面相は不敵な笑い声を上げた。
それを見た彼女は一段とおびえた!

この後、どんな展開を見せるか、
知りたくないかい?
フフフ、くまなく教えてあげるよ!

おびえた女は突如とつじょ大蛇だいじゃと化した!
そして怪人三面相の体に巻き付き、
ぐいぐいと締め上げた!

「怪人三面相は
憤怒ふんぬ形相ぎょうそうとなった。
しかしすでに手遅れだった――
怪人は青ざめて動かなくなった。

どうだい!
予想外だったろう!
僕は絶対に諦めないからな!!

作家志望のアストラルが去ったのと入れ違いに、三体のアストラルがやって来た。

【伊班R隊員アストラル】
ん?
貴様は……
さては将校か!
ならば心しておくように。
我々玄理げんり派は二班で構成される。
第一の班は班、
元召喚小隊、暁光ぎょうこう召喚隊の隊員ら、
およそ三百名だ。
第二の班は班、
歩三附きの一般将兵ら、
およそ五百名から成る。
玄理げんり派は腐敗国家日本を革新すべく、
多くの血盟者けつめいしゃを迎えている――

【露班O隊員アストラル】
現代日本においては、政党政治家、
財閥ざいばつ及び特権階級のいずれも、
腐敗ふはい堕落だらくはなはだしい。
国家観念をなくし、国家滅亡の、
恐れあるに至らしめたるとし、
愈々いよいよ廓清かくせいつるぎを掲げんとす――
農山漁村の窮乏きゅうぼうを見よ!
小商工業者の疲弊ひへいを見よ!
我国の現状、黙視し得ざるものあり!!

【伊班T隊員アストラル】
貴様は陸士か?
我々、玄理げんり派に加わりたくば、
次の問に答えよ!!

一、歩兵の本領ほんりょう及戦闘手段
一、軍紀について
一、軍人聖心せいしんの意義
一、国防の最良手段
一、勅諭ちょくゆの紀元
一、連隊の歴史
一、四大師しだいし
一、ファッショ
一、現代世相に対する観察

如何どうだ?
続けるぞ、次の趣旨しゅしを述べよ!

天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
――
貴様、貴様のような輩の存在が、
国体を減衰せしめるのだ!!

《バトル》

他二体のアストラルは姿を消していた。

【伊班T隊員アストラル】
武士もののふの道は違はたがわいつの世に
いずくの野辺のべ
つゆゆとも

義憤に燃えたアストラルが消えると、風魔を呼ぶ声がした。

【???】
FUMAサン……
こっちです、こっち……

一体のアストラルがぽつんと浮かんでいた。

【Jアストラル】
FUMAサン……
とても深いところから、
上がってきた人、MEETです――
昔、志恩しおん会の代表をされていた、
廣秦ひろはたサンです――
廣秦ひろはた伊佐久いさくサンです!
そうです……
廣秦ひろはた範奈はんなさんのお父さんです。
今、おいでです――

その言葉に誘われるように、中型のアストラルがやって来る――

【Kアストラル】
範奈はんなを……範奈はんなを知る者か?
――私は……古賀こが容山ようざん篆刻師てんこくしだ。
古賀こが篆刻てんこくを守る私は――

あああ……
ここでは自分を保てない――
私は……私は……

アストラルは揺らいでいた。

幻の五石を求め旅に出た――
自然珪じねんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石もんせき
玄武晶げんぶしょう――
私は多くを求めすぎたのだ。
範奈はんなが生まれる三ヶ月前のことだ――
私は……ちたのだ……

以来、私は思念を飛ばし、
廣秦ひろはた伊佐久いさくとして活動した。
志恩しおん会の一事務員にいたのだ。

アラヤ界の深くをめぐる、
孤独な念と出会ったのが始まりだ。
失われた支族を求めれば戻れる――
その念は私にそう伝えたのだ。
私はその言葉を信じて……
――ああ、だめだ、保てない!!

アストラルが大きく揺らいだ。

《バトル》

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
範奈はんなを呼びたい。
どうかなかだちをしてくれないか。
世界の底を漂い、
私は多くを見てきた。
失ったもの以上のものを得た!!

そう言い残すとアストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
範奈はんなさんのお父さん、
アストラルだったんですね!
碑文谷ひもんや大連ダイレン依然いぜん、セヒラ観測中。
でも今は安定しています。
ひとまず帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、隊長が――
参謀本部から戻られました。
【帆村魯公】
玄理げんり派がいつの間にやら、
一大勢力となっておった。
【喪神梨央】
班、班と言っていました。
【帆村魯公】
うむ……
暁光ぎょうこう召喚隊を中心に班、
歩三将兵で構成する班だ。
玄理げんり派は地方出身の青年将校らの、
不満を刺激し、彼らを錬成れんせいしおった。
状況次第では蹶起けっきも辞さない、
その勢いだそうだ……
玄理げんり派は登米川轍とめがわわだちという
予備役の革命論者と接触を深めて、
革新の大義を掲げておるようだな。

ただ、常田つねだ大佐に大義などない。
覇権はけん確立を狙うばかりだろう。
将校らはうまく利用されておる――
【九頭幸則】
歩一の将兵にも、
玄理げんり派に血盟けつめいする者があると、
内偵ないてい調査が入りました。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、
政治や財閥の腐敗には、
義憤を感じないのですか?
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん――
いきなりふっかけるなぁ。
いや、感じなくはないけど――
天之道不而善勝てんのみちはあらそわずしてかつ――
そう言うじゃない!
【帆村魯公】
ほほう! 老子か!
ところで諸君は先の問題はどうだ?
【喪神梨央】
天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
【九頭幸則】
ええ、これまた何だよ!
――どっかで聞いたことあるけど……
【帆村魯公】
おいおい!
幸坊もれっきとした陸士だろ。
これは軍人勅諭ちょくゆの大事な一節だぞ。

ノックの音が響き、新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
皆さん!
わかりましたよ!
ユンカー博士の居場所が――

ユンカー博士が体内に入れたシュタイン新山にいやまはその特有の波形を発見した。非常に弱い波形のため発見に手間取ったのだ。
ユンカー局長の弱い波動が確認されたのは、麹町こうじまち区の旧憲兵隊司令部だった。局長は裏庭の井戸で他殺体で見つかった。

【九頭幸則】
まさかな……
殺されていたなんて。
酷い有様だったようだ。
【着信 喪神梨央】
歩一の車列、
旧憲兵隊司令部に向かいます。
場所は……麹町こうじまち区です。

普段は静かな町に四両の軍用トラックの車列があった。歩一のトラックである。トラックが旧憲兵隊司令部に向けて走り出した。トラックを見送った風魔と九頭は、公務電車の待つ溜池電停へ向かう。その途中、聖宮と出会った。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
京都でいろいろ調べが付きました。
私立探偵が頑張ってくれまして。

聖宮ひじりのみや九頭くずは自己紹介し合った。互いに相手のことは聞き及んでいた。

【九頭幸則】
私立探偵に依頼されたのですか?
【聖宮成樹】
ええ、信頼のおける人物です。
【九頭幸則】
京都でわかったというのは、
鈴代すずよのことですか?
ゆかりの神社から鏡を預かったという――
【聖宮成樹】
鏡のことは、試したいことがあり、
今、麻美マーメイさんという方に、
ある物を依頼しています――
実はユンカー博士には、
双子の弟がいたのです。
それが柄谷がらたに生慧蔵いえぞうなのです。
【九頭幸則】
その人は、確か……
【聖宮成樹】
戦実施計画綱領――
論文の執筆者です。
京都瑛山会えいざんかいの一員でもあります――

京都帝大の物理学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう――
その手による論文が参謀本部に提出され、歩兵第一連隊に山王さんのう機関が設立された。セヒラやについて京都で管理するのが、聖宮ひじりのみやも所属する瑛山会えいざんかいなのである。
柄谷がらたに瑛山会えいざんかいの中核メンバーであった。

【九頭幸則】
その柄谷がらたに博士は日本人として、
振る舞っていたのですね?
【聖宮成樹】
やや外国人風の面立おもだちということで、
特に問題はなかったのでしょう。
出自しゅつじは明らかにしなかったようです。
【九頭幸則】
ユンカー局長の一家は、
双子の弟を日本に残して、
独逸ドイツに帰国したわけですね。
【聖宮成樹】
何か理由があってのことでしょう。
四十年ほど前のことです――
【九頭幸則】
柄谷がらたに博士は、
ユンカー局長殺害に関係している――
そうなのでしょうか?
【聖宮成樹】
何らかの関係はあると思います。
――おそらく強い確執かくしつがあった……

二十五年ほど前、生慧蔵いえぞうは渡独の際、兄ユンカーとの面会を希望した。しかしユンカーはこれを退しりぞけたのだ。

【聖宮成樹】
兄ユンカーは墺太利オーストリアの、
王立アカデミー入学への入学を控え、
独逸ドイツ政府の推薦が必要でした。
当時、日独は間接的な対立関係下、
日本にいる肉親の存在は、
ユンカーには不都合だったのです。
【九頭幸則】
四半世紀も前のことが……
今頃になって……
うーむ……あるかも知れませんね。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、私が山王さんのうに来たのは、
釣鐘つりがねを調整するためです。
帝都満洲のセヒラが、
一段と強くなったとのこと。
新山にいやまさんから連絡があったのです。
これより、
山王さんのう機関の方に向かいます。
釣鐘つりがねの制御を始めます。

聖宮はキビキビした所作を伴って歩き去った。そこへ着信があった――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
芽府めふ須斗夫すとおの声が記録されました。
ちょっと聞いてください――

【再生 芽府須斗夫】
……僕は会ったんだ……
彼女さ、そうさ、彼女だよ!
僕の眠りの中にセフィラが流れ込み、
その中に彼女は浮かんでいたのだ。
金雀枝えにしだ色の瞳が美しい彼女は、
千紘ちひろと名乗ったよ。
彼女は自分のことを僕と呼ぶ――
僕たちは響き合う――
彼女、そう言うんだ。
その言葉は柔らかく僕を包み込んだ。
するとどうだい――
僕の中に沈んでいた言葉が、
ゆらゆらと浮き上がったのさ!

再生音声は歪んだノイズとともに消えた。風魔と九頭は互いに顔を見合わせている。そこへ梨央がやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
芽府めふ須斗夫すとおが語った言葉です。
タイプライターで打ち出しました。

芽府めふ須斗夫すとおはアルファベットを語った。それを一文字ずつ大文字でタイプせよと、録音マイクに向かってそう命じたのである。

【九頭幸則】
さっぱり読めないよ――
まるで何かの暗号だね。
【喪神梨央】
私もそう思います。これは暗号です。
新山にいやまさんがお持ちの、
ナチの極秘資料ゲハイムドクメントにありました――
【九頭幸則】
ナチの……極秘資料?
そんなのがあるの?
【喪神梨央】
似た文字を見ました。
それはエニグマ暗号機でこしらえた、
暗号電文でした。

梨央りお九頭くずらとともに一旦山王さんのう機関本部へ。しかし、日枝ひえ神社境内けいだいにセヒラ観測され、風魔ふうま日枝ひえ神社へ向かった。

〔日枝神社境内〕

日枝神社の社を背に四体のホムンクルスがいた。執事型、メイド型、レーベンクラフト型、そしてユーゲント型である。そこへクルト・ヘーゲンがゆっくりした足取りでやって来た。

【クルト・ヘーゲン】
キョウトの学者ピーハディは、
私に不思議な体験をもたらした。
彼が差し出したのは、
水晶クリスタールだった――
完璧なでできている。
それを手に取り、いくら調べても、
完璧な三面体だった……
三角錐さんかくすいでも四面体となるはずだ。
この世にこのような、
美しい三面体が実在するとは……
その水晶を握りしめた瞬間、
私の血潮ちしお沸騰ふっとうしたのだ!
この一週間、
私は高みを飛翔ひしょうしている!
恐れすら一瞬で消え去ってしまう。
彼との初めての会話――
それは私が日本に着任して
間もなくの頃だった――

辺りが急に白く輝き、やがて光は失われた。暗闇の中にクルト・ヘーゲンの姿があった。何処からともなく声がする――

【???】
クルト・ヘーゲン――
君はもう苦しまなくてもいいのだよ。
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私が何に苦しむというのだ?
【???】
君の忌々いまいましい過去は、
とうに過ぎ去った車窓しゃそうの景色だ。
すっかり色褪いろあせて冷えている。
【クルト・ヘーゲン】
ああ、そうだとも!
私は自分にったのだ!
【???】
自分につなどナンセンスだ。
誰もが自分を遠ざけるのだ、
そして空隙くうげきを生み出す。
【クルト・ヘーゲン】
何の話をしている?
私は逃げてなどいない!
ただ――
【???】
ただ、どうした?
憎しみをたぎらせる一方ではないか?
それでこそ君なのだ!
【クルト・ヘーゲン】
そうだ、憎しみだ。
私の憎しみは計り知れない。
ヒュドラの沼よりも底が知れない。
【???】
いいや、君には底が見えている。
それが君のおびえの全てを生み出す。
さぁ、私にゆだねるがいい――
君のたぎる憎しみの、
そのうつわを無限の大きさにしてやろう。
どんな宇宙よりも大きな器だ。
ただしだ――
【クルト・ヘーゲン】
フフフ――
交換条件があるのか?
いいだろう、言ってみろ。
【???】
簡単なことだよ。
多くの部下たちに指示を出す、
ただそれだけだ。

〔日枝神社〕

四体のホムンクルスを従えるような位置にクルト・ヘーゲンは立っていた。その目は風魔を見据えているようであり、また風魔を透かしてみているようでもあった。

【クルト・ヘーゲン】
セフィラは超低温、真空状態で、
五億倍という高濃度に凝縮ぎょうしゅくする。
フェラーの法則と呼ばれる現象だ。
圧縮セフィラはセフィラ光を発し、
それを八枚の純鏡シュピーゲルで反射させる。
セフィラ光はますます輝く!
その光を一気に放つのだ。
ユルゲン・フェラー博士の指導で、
完全なる大型波動グローサベッレが完成した。
これからもミヤケザカから、
継続的に大型波動グローサベッレが発せられる!
私のは成功したのだ。
さぁ、配下の者どもよ!
真の実力を見せてやれ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です……
でも、日枝ひえ神社ではありません!
セヒラ、帝都中で上昇しています。
おそらく帝都満洲から流れている、
そう推測されます!

目の前の四体のホムンクルスにアストラルが現れた。四体は身じろぎ一つしない。

【クルト・ヘーゲン】
どうした!
何があった!
アプドロックが消えたのか!!
くそっ!
こうなったら私が試す!
大型波動グローサベッレ、私も受けたのだ!!

《バトル》

四体のホムンクルスの姿はなかった。

【クルト・ヘーゲン】
アハハハハハ~
私は負けていない!
そうだ、戦いの勝敗ではない!
こうしたみっともない戦いが、
私の憎しみをより大きくする!
お前には感謝せねばな!!

そう言い放った後、クルト・ヘーゲンはややふらつきながら境内けいだいを後にした。

【着信 喪神梨央】
殿下が釣鐘つりがねを……
釣鐘つりがねを調整されたようです。
現在、帝都のセヒラは高い値ながら、
安定しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
帝都満洲に、
強いセヒラがあるようです。
それって――
範奈はんなさんのお父さん……
そうじゃないでしょか?
古賀こが容山ようざんという日本的な名前でした。
【式部丞】
喪神もがみさん――
先程の芽府めふ須斗夫すとおの録音ですが、
彼は覚醒かくせいしたまま話したようです。
そして――
千紘ちひろと会った、そう言いました。
彩女あやめ君の第二人格です、千紘ちひろは。
響き合う――
彩女君も同じ台詞を語りました。
【喪神梨央】
夢の中で会った、
そんなようなことでしたよ。
【式部丞】
夢……あるいは自失した先。
帝都満洲かも知れませんね。
先の予言、ヒククアケ――
近く日本の古文書こもんじょ研究の先生が、
セルパン堂においでになります。
そのときに意味がわかるでしょう。
エニグマ暗号の方は、
新山にいやまさんに任せるしかなさそうです。

瑛山会えいざんかい柄谷がらたに生慧蔵いえぞうはユンカー局長の双子の弟であった。
兄の死に関わった恐れのある弟――
彼はまたクルト・ヘーゲンと取引をし、帝都に無益な戦いをもたらそうとした。柄谷がらたに生慧蔵いえぞうの目的とは果たして何であろうか?

第八章 第十一話 蠢動する計画

〔セルパン堂〕

芽府めふ須斗夫すとおの語った予言、
ヒククアケ――
古文書こもんじょの研究者によってようやく解明された。ヒククとは日蝕ひくくのことであった。

【式部丞】
ヒククは日蝕にっしょくのことだったんですね。
この文を解読された蛙山かえるやま先生は、
独立の研究者なんですよ。
何処どこの大学にも組織にも属さず、
しかも独学で日本の古文書こもんじょを調べ、
今では斯界しかいの第一人者です。

さて、芽府めふ須斗夫すとお君の予言ですが、
日蝕にっしょくの日の明け方と語られました。
時期は……調べればわかりますね。
問題はその続きですね――
エニグマ暗号文とは中々厄介です。
新山にいやま技師なら解明できるでしょうか。
【着信 喪神梨央】
今年、五度目の日蝕にっしょくがあります。
十二月二十六日の未明――
皆既日蝕かいきにっしょく、場所は南極です。

梨央からの無線が終わったとき、塩町電停方面からユーゲントがやって来た。

【毘沙門丸】
君が喪神もがみさんだね――
僕は毘沙門丸びしゃもんまるだよ。
この間、会ったよね!
ヒエ神社にいたのは僕だなんだ。
大型波動グローサベッレで命令された振りをしてね。
ヘーゲンを見張っていたんだ。
【式部丞】
ということは君は、
その大型波動グローサベッレの影響を受けていない、
そういうことなんだね?
【毘沙門丸】
ユーゲントが皆そうかは知らない。
少なくとも僕はそうだよ。
大型波動グローサベッレの影響を受けないんだ。
でも影響されたように振る舞う――
結構、楽しいもんだね、こういうの。
【式部丞】
つまりは間諜かんちょうすることが……
そういうことかな?
【毘沙門丸】
日本語ではそう呼ぶんだね、
ドイツではシュピオーンだよ。

【式部丞】
それで毘沙門丸びしゃもんまる君――
ユンカー局長の弟の話、
聞いたわけだが……
【毘沙門丸】
アーネンエルベでヘーゲンと
会っていたのは弟の方だよ。
双子だから見分けがつかない――
虹人こうじんさんがギンザで見たのは、
その弟と一緒にいたヘーゲンさ。
【式部丞】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞう博士だったね。
博士の目的は一体何かな?
何故ヘーゲンに接触したのかな?
【毘沙門丸】
大型波動グローサベッレを連続で発動して、
この町中で戦を展開させて、
あわよくば現世にを認める――
それが目的だと思う。

危ない!!

毘沙門丸が言い終わるや否や、執事型ホムンクルスが走り込んできた。

【執事型ホムンクルス】
――目標ダスツィル! 確認ベステーティグン
コレヨリ……排除アンシュルス……開始シュタート

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
……失敗シャイタン……
――残念シャーム……
【毘沙門丸】
大型波動グローサベッレで命令受けた奴だね――
でも、今、残念って言ったよね。
連中が感情を現すなんて……

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
――突然のことで……
事前にセヒラはありませんでした。

【式部丞】
大丈夫ですか、喪神もがみさん。
いやしかし、一瞬の出来事ですね。
――は……見えませんでした。
【毘沙門丸】
この町中で戦いが起これば、
人前にが現れるかも知れない。
【式部丞】
今のところは――
は異能者にしか見えない。
喪神もがみさんたち審神者さにわや、
あるいは召喚師――
【毘沙門丸】
僕たちホムンクルスも、
を呼べる。
あとは怪人だね――
【式部丞】
一般市民がを見るようになると、
が人を襲うようになる――
そうなのだろうか……
【毘沙門丸】
が見えないから恐れない。
見えると恐れる、それだけだよ。

フォス大佐が満洲に行き、
ユンカー局長が殺されて、
アーネンエルベは管理者不在なんだ。
僕たちはユリアと虹人こうじんさんを、
支えなきゃならないんだ。
【式部丞】
ユンカー局長をに手をかけた犯人、
もう目星がついているのかな?
【毘沙門丸】
たぶん……ヘーゲンだよ。
でも常のヘーゲンじゃないよ、
何か違う気がするんだ。
じゃ、僕は戻るね、
妙な事があれば連絡するよ。
調べたいこともあるし――

【式部丞】
毘沙門丸びしゃもんまる君はヘーゲンのことを、
調べるつもりだろう。
彼は素養がありそうだね。

公務に出ようとした風魔ふうまの元に着電があった。
熱海あたみで怪人が現れたという。
その怪人の写真が機関本部に届いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
あっ!
兄さん――
怪人のレントゲン写真が届きました。
【新山眞】
いや……なるほど……
セヒラに感光していますな!
本来白黒が、セヒラ色に――
【帆村魯公】
怪人は熱海あたみの浜で死体で見付かった。
鉄道病院の沼津ぬまづ病院に搬送はんそうし、
このレ線像を撮ったそうだ。

その頭蓋骨は、眼窩がんかから鼻にかけて、すっかり失われていた。

【帆村魯公】
右上が後頭部に当たる部分だな――
このレ線像レントゲンでは、目と鼻が、
吹き飛ばされたみたいに見えるぞ。
【喪神梨央】
脳の内部に何かつぶ状の物体が――
あのぎっしりあるのは何でしょうか?
【新山眞】
沼津ぬまづの医者のメモには、
網膜腫瘍もうまくしゅよう末期に似た症例があると。
医者が文献ぶんけんを切り取っています――

網膜腫瘍もうまくしゅよう四期では、腫瘍しゅよう転移てんいはなはだしく、頭骨、脳底、付近の淋巴リンパ腺に転移を認め、膿敗のうはいした腫瘍面しゅようめんからの出血と腐敗熱ふはいねつ著しく――

【新山眞】
角膜かくまくを破り瞼裂外けんれつがいに突出する腫瘍しゅようの患者は見たことがあるそうです。
――でも破裂したのは初めてだとか。
巡査によると怪人が倒れていたのは、
省線熱海あたみ駅近くの浜で、
怪人の近くには――
【喪神梨央】
二つの目玉が
視神経ごと飛び出していたんでしょ?
鼻は野良犬がくわえていた――
【新山眞】
ええ、まぁ……
そういうことのようです。
【帆村魯公】
病院で怪人の死亡が確認された。
遺体は戸山の衛戍えいじゅ病院に搬送はんそうし、
より詳しい検査を行うそうだ。
【新山眞】
でもなぜ怪人とわかったのですか?
【帆村魯公】
伊東いとうで旅館の客が暴れだした。
旅館はものの二十分で壊滅かいめつした――
その客と姿恰好すがたかっこうが同じとのことだ。
【喪神梨央】
去年、丹那トンネルが開通して、
熱海あたみ駅は東海道線の駅に格上げされ、
これから温泉や別荘の客が増える――
そう期待されているのですよ。
熱海あたみ町長はさぞかしがっかりですね。
【新山眞】
衛戍えいじゅ病院は目立たないように、
手堅く警備するべきです。
ブンヤがぎつけると厄介ですよ。

ホテルフロントが来客を取り次いだ。そういうとき、ホテルフロントから直通の内線電話がかかる。

【帆村魯公】
風魔ふうま……
ロビーにお客だ。お前にだという。
――何を隠そう柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだ。
【喪神梨央】
兄さん!
ユンカー局長の弟です。
事件に関わっているかもしれない――
【新山眞】
私も同席しましょう。
参りましょう、喪神もがみさん。

〔山王ホテルロビー〕

【柄谷生慧蔵】
ここが山王さんのう――
いや、立派なホテルですね。
京都から参りました、柄谷がらたにです。
殿下とは既にお顔なじみだとか――
聖宮成樹ひじりのみやなるき殿下です。

【新山眞】
あなたが計画の大元ですね。
蔦博士にセヒラ同定を指示し、
戦計画綱領を認められた――

私は陸軍飯倉技研の技手ぎて
新山眞にいやままことと申します。
博士が論文を出されたのは――

【柄谷生慧蔵】
あれは七年の二月のことです。
兄、ルドルフがセフィラを見付け、
ミュンヘンに至急電を打ったのです。

殺害されたルドルフ・ユンカー局長の、双子の弟、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう。京都瑛山会えいざんかい重鎮じゅうちんでもある。

【新山眞】
ミュンヘン……つまりナチ党本部――
それでアーネンエルベが設立された。
あなたも戦について具申ぐしんされた。
【柄谷生慧蔵】
戦実施計画綱領――
参謀本部の動きは速やかでした。
翌三月に山王さんのう機関が設立されました。
【新山眞】
博士はあらかじめご存知だったのですか、
帝都のセヒラについて。
【柄谷生慧蔵】
独逸ドイツに兄の動向を知らせる人がいて、
セヒラ同定の四年ほど前から、
日本でセヒラ調査が行われていると、
そのように聞き及んでいました。
【新山眞】
でですか?
独逸ドイツの調査は帝都東京ではなく?
【柄谷生慧蔵】
ナチの研究者たちは、
伊豆いず半島の随所で調査しました。
ロッホと呼ばれるセヒラ場の調査です。
東京での調査点は目黒の近辺です。
しかし穴は見付かりませんでした。
【新山眞】
独逸ドイツではどうだったんでしょうか?
【柄谷生慧蔵】
ブレーメン、エッセン、ハーゲン、
不安定なセヒラで犠牲者が出ました。
兄の論文にそうありました――
【新山眞】
なるほど――
山王さんのう機関に運ばれた釣鐘のことも、
お兄さんの論文で知ったのですね。
【柄谷生慧蔵】
そうです。日本への搬入はんにゅう計画は、
シュタインベルク中将の発案です。
私も計画の後押しをしました。
【新山眞】
探信たんしん技術については如何いかがですか?
日本ではいち早く成功しています。
【柄谷生慧蔵】
霊式ヘテロヂン技術ですね。
これも兄の論文に書かれていました。
それを元に改良を加えたのです。
霊波を電気的信号に変える、
その研究は私の専門です。
私の書いた技術書はご存知でしょう。
【新山眞】
飯倉いいくら技研では聖書のような存在です。
携行式けいこうしき探信儀たんしんぎの開発に役立ちました。
探信儀たんしんぎの設置も博士の提案ですね。
なぜ空白地帯を設けたのですか?

第一から第六までの探信儀たんしんぎでは、探信たんしんできない空白地帯が存在していた。山王さんのう機関の携行式けいこうしきを用いておぎなっている。

【柄谷生慧蔵】
最初は八基を設置するはずが、
途中で立ち消えになりました。
赤坂御所と浅草、この二箇所が、
設置かられたのです。
業者の事情とだけ聞きましたが……

【新山眞】
博士……
うかがってよろしいですか?
お兄さんのことですが――
ユンカー局長は無残にも殺され、
その後ろに博士の存在があるのです。
この点については如何いかがですか?
【柄谷生慧蔵】
わかっています――
今は信じていただく他ありません。
私の憎しみは小さな欠片かけらです。
【新山眞】
というと……
既に目星がついているのですか?
【柄谷生慧蔵】
クルト・ヘーゲン――
おそらく彼の仕業ではないかと。
彼は憎しみの塊なのです。
無限ともいえる憎しみ――
むしろ彼はそれを歓迎している、
私にはそのように見えました。

【新山眞】
喪神もがみさん……
私は衛戍えいじゅ病院に行きます。
ユンカー局長が運ばれました。
それに……
熱海あたみの怪人も到着するでしょう。
ご一緒に如何いかがですか、博士。
【柄谷生慧蔵】
ええ、参りましょう。
兄を確認しなければ――

一旦、機関本部に戻った風魔ふうまだったが、梨央りおからの呼び出しではらえのへ向かった。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
新山にいやまさんが伝え忘れたって――
碑文谷ひもんや大連ダイレンにセヒラのかたまりが、
確認されるようです。
範奈はんなさんのお父さん――
古賀こが容山ようざんさんのアストラルが居ます。
【帆村魯公】
ところで、梨央りお――
碑文谷ひもんや大連ダイレンは、帝都で言うと、
やはり東横とうよこ電車の碑文谷ひもんや辺りなのか?
【喪神梨央】
ええ、移動はないようです。
帝都満州は必ずしも、
同じ場所に留まってはいません。
でも、上野黒河コクガと同じように、
碑文谷大連ダイレンも帝都に由来する場所、
そこから動いていないようです。
【帆村魯公】
碑文谷ひもんやのどの辺りなんだ?
【喪神梨央】
ちょうど角福園かくふくえんという果樹園のある、
その近辺ですね……
【帆村魯公】
あの辺は仕舞屋しもたやばかりで、
特に目を引くようなものはないな……
【喪神梨央】
郊外の住宅地です。
碑文谷ひもんやは東横電車で渋谷から五つ目、
所要時間は八分です。

【帆村魯公】
風魔ふうま碑文谷ひもんや大連ダイレンには、
玄理げんり派のアストラルが集しておる。
何やら陰謀いんぼうの匂いもする――
【喪神梨央】
碑文谷ひもんや大連ダイレンのセヒラは、
殿下が釣鐘を調整されて、
帝都にも流れ込んでいます。
とは言え、元から強いので、
十分気を付けてください。

風魔はゲートを抜け帝都満洲鉄道駅へ。
そこでは満鉄列車長が
迎えてくれた――

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンでは、
随分ときな臭い言葉が飛び交います。

政党政治家、財閥、特権階級らが
結託けったくして国民思想の悪化を馴致じゅんちし、
国家滅亡の恐れあるに
いたらしめる――

以前のアナーキストとは違い、
現役の将兵らが蹶起けっきすべく、
息巻いているようです――
当列車、間もなく、
碑文谷ひもんや大連ダイレン碑文谷ひもんや大連ダイレン
碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着します。

〔碑文谷大連〕

【伊班U隊員】
貴様も革命に加わるのか?
摂津せっつ隊員――
ならば登米川轍とめがわわだち先生の、
愛国革命論は読んだのだろうな?
俺はそらんじているぞ、聞け!
現代日本においては政党政治家、
財閥及び特権階級のいずれも
腐敗ふはい堕落だらくして国家観念を失い――
【露班S隊員】
勿論もちろん読んだ、何度もな!
全六百八十ページ、丸々覚えた。
この革命隊、敢えて名をかんせず。
素晴らしいお考えだ、
さすが登米川とめがわ先生だ。
大仰おおぎょうな隊名を名乗った、
アナーキスト共はみな引拉いんらされた。
無名の革命隊、それでいいのだ。

【伊班T隊員】
我々は小さな革命分子。
階級を捨て、皆、兵卒扱いだ。
中には予備役になった者もいるな。
常田つねだ大佐はよく仰る!
鸚鵡能言オウムよくいえど 不離飛鳥ひちょうはなれず――
鸚鵡オウムが人になることはないのだ。
続きもある。
――猩猩能言しょうじょうよくいえど不離禽獸きんじゅうはなれず――

【露班N隊員】
貴様ら、護符ごふは手に入れたのか?
【露班S隊員】
必中禮ひっちゅうれいの護符のことなら、
まだであります!
待ち遠しいであります!

【露班N隊員】
若狭わかさ少尉はどうした?
龍土町りゅうどちょう日曜にちよう下宿にもおらん――
若狭わかさは何処へ行った?
【伊班T隊員】
先日、若狭わかさ副長の日曜下宿に、
ある人物が訪問しました。
坂木さかきと名乗る男性です。
【露班N隊員】
その坂木さかきは何と言ったのだ?
【伊班T隊員】
はい、人は自死する時こそ、
思念が極大化すると述べたそうです。
ちょうど副長が宗谷そうや中隊長から、
ひどなじられて落ち込んでいた頃です。
副長、もしやとは思いますが――
【露班N隊員】
宗谷そうや大尉がか?
いよいよ蹶起けっきする気だな――
成り行きを見守ろう。

さて困ったのは――
若狭わかさがいないと護符が行き届かん。
【伊班U隊員】
必中禮ひっちゅうれい礼記射義らいきしゃぎであります。
進退周還必中禮――
進退周還必ずしんたいしゅうせんかなられいあた
人の行為はすべからく規範きはんに従うもの。
ありがたい礼記らいきの教えです。
ぜひとも護符を手に入れたいもの!
我々で手分けして、
若狭わかさ少尉を探しましょう!
【露班N隊員】
上野うえの摂津せっつ敦賀するが
貴様らは赤坂区を中心に探してくれ。
俺は浅草を回る――
【伊班U隊員】
若狭わかさ少尉行きつけの甘味処かんみどころが……
たしか、今木いまきという屋号です。
浅草にあります。

辺りを震わす衝撃が走った!

【露班N隊員】
誰かるのか!
誰だ! 
【露班S隊員】
誰もいません――
気のせいであります。

そう言うとアストラルは音もなく去った。警戒を強めるアストラルは依然眼の前にいる。

【露班N隊員】
宗谷そうや大尉は愈々いよいよ決意したようだな。
陸軍省軍務局長の首を取る――
大日本の暁光ぎょうこう、間もなくだ!

慷慨するアストラルがようやく去った。その時着信があった。

【着信 帆村魯公】
連中、軍務局長を狙うだと?
意味がわからん――
玄理げんり派の奴ら、何をたくらんでおるのだ?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ひときわ強いセヒラを観測しました。
警戒してください!

思念を強めているのか、比較的大きなアストラルが風魔の前に来た。

【伊班W隊員アストラル】
熊本幼年学校を主席で卒業した自分、
それなのに計画に加われないのか!
登米川とめがわ先生の愛国革命論、
すべてそらんじている!
――ただあの夜は酒が入り……
同志をつのるの項目を失念した――
なるべく係累けいるい少く
一家の責任軽きものなるか
あるいはそれらを超越せる人物なること
つのる同志の条件についての項目、
第八の項目を失念したのだ!
あああ、俺はもう駄目だ!
俺は、俺は、佐賀の父上、お許しを!!
うわぁぁぁぁ~

《バトル》

【伊班W隊員アストラル】
日曜にちよう下宿を飛び出して、
気付いたら四谷よつやをふらついていた。
以前は鮫河橋さめがはしと呼ばれた辺りだ。
戒行寺かいぎょうじの急坂を降りきる手前に、
立派な洋館が建っていた。
その洋館から黒頭巾くろずきんの人物が、
一瞬だけ姿を見せ、消えた。
あれは何だったのか――
俺のあずからない所で、
帝都に動きがあるわけだ!
鮫河橋さめがはしを抜けて省線信濃町しなのまちまで来た、
そこでまた俺は自失したのだ!

無念さと怒りがない混ぜになった感情を吐露し、アストラルは回転しながら消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程の街区にセヒラです。
大きくらいでいます――
おそらく、範奈はんなさんのお父さん、
そのアストラルです――

無線の梨央に促されるように、風魔は慎重に隣の街区へ向かった。そこにはひときわ大きなアストラルがいた。

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
良くしてくれた、なかだちをしてくれた。
君がここに来たおかげで、
道が繋がった――
そうだ、繋がったのだ!
今から範奈はんなに会いに行く。
君も来てくれ!

アストラルが言い終わる前に周囲が暗くなった。次の瞬間、風魔は鍛冶橋の路地にいた。

〔鍛冶橋〕

周囲の風景はセヒラの影響で歪んで見える。先程の大型アストラルが浮かんでいる。そしてビルを背に一人の女性が立っていた。廣秦範奈である――

【Kアストラル】
範奈はんな
そこにいるのは範奈はんなだな!
【廣秦範奈】
――お父様……
私をここへ呼んだのも、
お父様なのですね?
喪神もがみさん――
父です……父が戻ったのです!

【Kアストラル】
範奈はんな、聞いてくれ。
私は廣秦ひろはた伊佐久いさくではない。
私は古賀こが容山ようざんという篆刻師てんこくしだ。
幻の石を求めて長野山中に赴き、
思念の世界へちたのだ。
そこはアラヤ界と呼ばれる場所で、
古今東西、あらゆる念が行き交う。
――実ににぎやかな場所だ。
私はそこである強い念と出会う。
そしてさとるのだ、私の使命を。

Kアストラルは娘に語って聞かせた。六世紀に日本に渡ったマナセ一族のすえを探し、その霊異りょういを護ることをたくされたのだと――

【Kアストラル】
すべてはお前の生まれる前のことだ。
範奈はんな……私は遠い時代に通じた。
そうだ、未来に通じたのだ。
一九九七年の香港ホンコン九龍城砦クーロンじょうさいにある、光明路コウミョウろという町に通じた――
そこで私は研究者として暮らした。
未来の技術をふんだんに用いて、
風水の気脈を調べる機械を作り、
アラヤ界と現世を繋ごうとした。
そうすればアラヤの回廊かいろうを行き交う、
思念を呼び出すことができると――
マナセ族のすえも呼べるはずだ。

もう戻らねばならない――
範奈はんな、未来の香港ホンコンでの私は、
エリオットラウという名前だった。
一九九七年から十五年、
私は研究に打ち込んだ――
しかしまた深い場所へとちたのだ。

ああ、だめだ――
また会えるだろう、範奈はんな
お前に伝えるべきことがあるのだ。

範奈の父というアストラルは震えながら消えた。周囲のセヒラは依然揺らいでいる。

【廣秦範奈】
お父様! 
もっと聞かせてください!
お父様!!

喪神もがみさん――
父はどうやってここへ、
現れたのですか?
喪神もがみさん!
喪神もがみさん!!

急にセヒラが強くなり、風魔は時空の狭間に飲み込まれてしまった――

〔時空の狭間〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラ観測です。
――すぐ近くです!

無線が終わるや否や一体のアストラルがやって来た。

【伊班S隊員アストラル】
若狭わかさ副長は革命分子失格だ!
愛国革命論にある同志募集要項、
大切な条項を失念しおった!
事の発端は、軍務局の秘密主義だ。
しくも出入り業者によって、
課なるものの存在が明らかに!
軍務局長の真坂まさか殿下は王道おうどう派だ。
参謀本部についで陸軍省も、
王道おうどう派をようして覇権はけんを確立するのか!
常田つねだ大佐はひどく憤慨ふんがいしておいでだ。
義憤にたぎる青年将校らと血盟けつめいし、
革命運動の根幹が誕生したのだ!
蹶起けっきの準備は着々と整う。
必中禮ひっちゅうれいの護符が熱を帯びてきた!
あと数時間で日本は変わる!
ワハハハハ~

我が思念の先でおののく貴様は誰だ!
小手調こてしらべにうってつけだな!!

《バトル》

【伊班S隊員アストラル】
我ながら上出来だ!
真坂まさか閣下かっかは悪の総司令である!
大逆たいぎゃく枢軸すうじく殲滅せんめつし、
昭和維新いしん大業たいぎょう翼賛よくさんたてまつろう!!

慷慨収まらないまま、アストラルは回転しながら消えた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、
軍務局長が狙われているのですか?
陸軍省の真坂まさか少将です――
【帆村魯公】
玄理げんり派の連中が、王道おうどう派を
こころよく思わないのは衆知しゅうちのことだ。
しかし命を狙うほどのことか?
課というのも気になるが。
我が山王さんのう機関課とは違う、
あくまで陸軍省の部署だな。
【喪神梨央】
蹶起けっきした班S隊員というのは、
宗谷そうや大尉のことだと思います。
【帆村魯公】
班は歩三の隊員だな、
元召喚小隊の一員だろう。
【喪神梨央】
帝都満洲は帝都に比べて、
時間の進みが遅くなっています。
およそ八倍ほども遅いようです。
【帆村魯公】
――そうか……
そうだったな!
数時間という猶予はないぞ!
梨央りお
陸軍省だ、軍務局に変事はないか、
確認してくれ!
【喪神梨央】
承知しました!

玄理げんり派の一派が反逆を起こさんとしている。
陸軍省軍務局長の襲撃――
義憤の念が帝都満洲をめぐる。
一方、伊佐久いさくこと古賀こが容山ようざんのアストラルは、娘に伝えることがあるという。帝都と帝都満洲、二つの世界が、さまざまな思惑おもわくを通わせ始めた。

第八章 第十二話 底流

アストラルらが俎上そじょうに載せた陸軍省軍務局。梨央りおが参謀本部に問いただすも、特段の報告は寄せられていなかった――

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
今朝、省線信濃町しなのまち駅近くで、
飛び込み自殺がありました。
死んだのは歩三附きの、
第四十八中隊副長、若狭わかさ少尉です。
【帆村魯公】
風魔ふうま、お前は若狭わかさ少尉の
アストラルと戦ったぞ――
山王さんのうに戻る一時間ほど前のことだ。
【喪神梨央】
若狭わかさ少尉は信濃町しなのまち発四時二十四分の、
浅川行き初発電車にかれました。
即死だったそうです。
運転手によると、
マント姿の将校がホームから浮いて、
空中歩行のように電車の前に来たと。
――そう言うんです。
【帆村魯公】
若狭わかさ少尉は省線駅で自失した、
そのようなことだったな。
【喪神梨央】
ええ……ただ、
戒行寺かいぎょうじの坂を降りたということは、
省線、上りホームのほうが近いです。
どうしてわざわざ、
下りホームに行ったのか……
自失のせいなのでしょうか。
【帆村魯公】
若狭わかさ少尉が彷徨さまよった界隈かいわい
その昔、鮫河橋さめがはしと言ってな――
市内有数の貧民窟ひんみんくつだった辺りだ。
皆、細民さいみんとして内職をしておった。
団扇うちわの骨作り、刷毛綴はけつづり、ぼたん開け、
燐寸マッチ箱貼り、石炭撰別せんべつ……
割れ硝子ガラス拾いというのもあった。
震災の後、随分と様変わりした。
今じゃ当時の様子はうかがえないな。
若狭わかさ少尉は戒行寺かいぎょうじの坂を降りる、
その途中で立派な洋館を見たと、
そう言っておった――
【喪神梨央】
黒頭巾くろずきんの人がいたと……
――その洋館、もしかして……
【帆村魯公】
どうだろうか……
【喪神梨央】
猟奇倶楽部!!
そうじゃありませんか?
ユーゲントの祇園丸ぎおんまるが、
猟奇倶楽部は信濃町しなのまちにあるかも、
そんなふうに言っていました。
信濃町しなのまちの一帯は探信儀たんしんぎの空白地帯、
機関本部の携行式探信儀けいこうしきたんしんぎでも、
低い場所ではうまく探信できません。
【帆村魯公】
探信儀たんしんぎの設置計画は、
京都帝大の博士が立案した。
物理学者の柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだ――

帝都に6基、設置されたセヒラ探信儀たんしんぎ信濃町界隈しなのまちかいわいはその空白地帯にあった。探信儀たんしんぎの設置は柄谷がらたに生慧蔵いえぞう博士が提案した。

【喪神梨央】
柄谷がらたに博士はユンカー局長の弟です。
一時、局長になりすまして――
――あっ!
【帆村魯公】
どうした、梨央りお
【喪神梨央】
虹人こうじんさんがユンカー局長の乗る
円タクを尾行した時、
円タクは信濃町しなのまちに向かったと――
【帆村魯公】
銀座でヘーゲンと別れた後、
円タクで向かったんだな。
銀座にいたのは柄谷がらたに博士だな。
【喪神梨央】
それじゃ、博士は猟奇倶楽部へ……
柄谷がらたに博士が猟奇倶楽部に関係ある、
そう考えられますね!
噂は本当だったんですね。
従順なる隸Θしもべシータ師が最高位の会員です。それが、柄谷がらたに博士――

ノックの音がして九頭が本部に入ってきた。いつになく険しい表情をしている。

【九頭幸則】
失礼します!
歩一、九頭くず中尉です!
【喪神梨央】
どうしたんですか、改まって。
【九頭幸則】
それはこっちが聞きたいよ。
ここに来るまで何度も誰何すいかされた。
将校の肩章けんしょう付けているのに!
【喪神梨央】
ちゃんと名乗りましたか?
【九頭幸則】
勿論もちろんだ!
歩一、九頭くず中尉とな。
【喪神梨央】
それじゃ駄目です……
久留米くるめのク、隅田すみだのス、濁点だくてん――
そう言わないと。
【九頭幸則】
それって……もしかして……
【喪神梨央】
和文通話表の符号です。
若狭わかさのワ、摂津せっつのセ、宗谷そうやのソ……
連中、その符号を名乗るんです。
【九頭幸則】
連中というのは玄理げんり派のことだね。
このところ、妙な動きをするって、
隊の方でも噂になってるよ。
連中が手にするのはこの冊子だよ。

そう言うと九頭は葉書より一回り大きな、辞書のような分厚い本を取り出した。表紙には愛国革命論、登米川とめがわわだちあらわスとあった。

【喪神梨央】
随分と厚いのですね――
これ、裏表紙もたかぶっていますよ!
愛国青年の書の宣伝文句です――

建国精神を闡明せいめい日本にっぽん更生こうせいせしめるものは、遠大の理想を掲げる愛国の青年である。青年がすべき、倫理りんり的革新運動を提唱し――

【帆村魯公】
病弊ひへい国家をうれう気持ちはわかる。
しかし玄理げんり派の思惑おもわくは別にあるのだ。
常田つねだ大佐は大義など持たぬ人物だ。
【九頭幸則】
自分も同感です。
ただ血盟けつめいする将兵らは区別なく、
義憤をつのらせているのです。

本部に電話があったようだ。梨央が取り次いだ。

【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、隊に戻るようにと、
今、歩一から電話がありました。
急ぎだそうです。
【九頭幸則】
え? そうなの?
何だろう……
風魔ふうま、一緒に来てくれ。

〔山王ホテル前〕

【九頭幸則】
何だ、やけに静かだな――
今日は旗日はたびなのか?
いや、そんなわけがない……

溜池通からのアプローチを新山和斗が急ぎ足で登ってきた。

【新山和斗】
愈々いよいよですか、中尉!
軍が動くのですね――
【九頭幸則】
何の話をしている?
――また何をつかんだんだ?
【新山和斗】
シラを切る気ですか?
そうはいきませんよ、
町を見ればわかります!
永田町ながたちょう三宅坂みやけざか、赤坂、
どこもかしこも立哨りっしょうだらけ!
ハハハハ~もう隠せませんよ!
【九頭幸則】
町中に立哨りっしょうだと?
そんな話は聞いちゃいない。
【新山和斗】
聞くも何も見ればわかります。
しかし……中尉がご存じないとは……
山王さんのう機関も軽く見られたものです!

そこまで言うと和斗は小走りに去りホテル玄関に消えた。

【九頭幸則】
立哨りっしょうが出ているって言ってたな。
溜池通に行ってみよう。

〔溜池通〕

【九頭幸則】
ブンヤの言ったとおりだな――
立哨りっしょうがあんなに出ているぞ。
ぜんたい、何があったんだろう?

二人を見咎めでもしたのか、鋭い目をした将校が前に立ちはだかった。

【気の立った将校】
貴様!
どこの隊だ!
【九頭幸則】
歩一、九頭くず中尉だ。
これは何の命令だ?
【気の立った将校】
班長の命令だ!
そんなこともわからんのか!
ウハハハハ~
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください、
セヒラ反応です!
【伊班姫路隊員】
元召喚小隊、
現、最強部隊、班隊員姫路ひめじだ。
我が班におさなく、我が班に神あり!!

《バトル》

【伊班姫路隊員】
浅慮せんりょなる国体観念こくたいかんねんてよ!
凝固せる国民道徳をなげうて!
我々は国家己性こっかこせいを直視するのみだ!!

怪人化した将校はきびすを返して走り去った。

【九頭幸則】
出し抜けに、何だ!
今のは玄理げんり派だな。
姫路ひめじのヒっていうたぐいだぞ、きっと。
班、班長は誰だろう……
【着信 喪神梨央】
二人共、機関本部に戻ってください。
参謀本部から連絡が……
陸軍省で暗殺事件が発生しました!
【九頭幸則】
なんてことだ!
俺は隊に戻るぞ、風魔ふうま

九頭は溜池通を大股で渡り赤坂の花街へと消えた。

陸軍省軍務局長真坂まさか少将が、青年将校によって斬殺ざんさつされた。陸軍参謀本部では厳戒げんかい態勢をくことになり、そのむね、市内全軍に軍令が下った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
町に出ていた立哨りっしょうは、
玄理げんり派じゃなかったようですね。
【帆村魯公】
戒厳令かいげんれいの一歩手前といったところだ。
――それにしても……
【喪神梨央】
事件発生は午前七時半、
現場は陸軍省軍務局局長室、
被害者は軍務局長真坂まさかつよし少将――
【帆村魯公】
真坂まさか閣下かっか王道おうどう派の重鎮じゅうちんだ。
これは玄理げんり派で計画された暗殺だ。
【喪神梨央】
玄理げんり派は疑心暗鬼になっています。
アストラルが言っていました。
軍務局に課があったと――
【帆村魯公】
そんな話は聞いておらんがなぁ……
玄理げんり派の奴ら、蚊帳かやの外に置かれる、
そう思い込み、行動に出たようだな。
【喪神梨央】
青年将校らにみなぎる義憤も、
うまく利用しているようです。
【帆村魯公】
たとえ義憤であろうが看過かんかはできん。
いつ憎しみに代わるやも知れん。
さて、宗谷そうや大尉はどちらの側だ?
義憤のともがらか、誣言しいごとやからか――
【喪神梨央】
まだわかりません。
大尉ですが、剣の達人のようです。

現場は血飛沫ちしぶきに染まり凄惨せいさんを極めていた。真坂まさか少将は右肩に二刀、面に一刀、致命傷ちめいしょうとなった首は深々と一刀られていた。

【帆村魯公】
風魔ふうま時空じくう狭間はざまで戦った、
班S隊員、それが宗谷そうや大尉だ。
間違いないだろう――
【喪神梨央】
大尉はまだ逃走中です。
ただ――

ノックの音が響き九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです!
【喪神梨央】
あれ、どうしたんですか?
隊には戻らないんですか?
【九頭幸則】
戻るには戻ったけれど、
中に入れなかった。
門前に何人もの締め出し組がいて――
【帆村魯公】
それで情報は集まったかな?
【九頭幸則】
犯人は歩三の大尉です。
大尉の日曜下宿に捜索が入りました。
場所は六本木ろっぽんぎ三河台町みかわだいまち――
【帆村魯公】
なんだ、歩一のすぐ近くじゃないか。
【九頭幸則】
はい。酒屋の二階を借りていました。
日曜下宿の部屋ですが、
異様な光景だったそうです――

下宿の部屋には、壁中に必中禮ひっちゅうれいと書かれた、護符のような紙が隙間すきまなく貼られており、紙の重なる部分に朱でバツが記されていた。

【九頭幸則】
その朱書き、血ではないかと、
検査のために試料を持ち帰ったと。
【帆村魯公】
つまりは血判けっぱんの代わりか?
【九頭幸則】
いえ、血判けっぱんは別にありました。
進退周還必中禮しんたいしゅうせんひっちゅうれい墨書ぼくしょした麻紙ましに、総数七百九十八の血判けっぱんがありました。生乾なまがわききの血で半紙はずっしりと……
【帆村魯公】
必中禮ひっちゅうれい……礼記射義らいきしゃぎの引用だな。
しゃにあっては、
所作しょさのすべては礼に従う――
【喪神梨央】
弓の道では礼を尽くす、
そういう意味ですか?
【帆村魯公】
ここでの礼とはのりのことだろう。
皇国こうこく男子おのことしての矜恃きょうじを保つ、
血盟将兵の心意気じゃよ。

ノックの音がして新山眞が入って来た。

【新山眞】
いやぁ、和斗かずとの奴、
今度ばかりは特報のつかぞこねですね。
慌てて陸軍省に向かいました。
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
宗谷そうや大尉のことですが……

風魔ふうま宗谷そうや大尉と思しきアストラルと、時空の狭間で戦った際に記録した波形、それを辿たどれば対の居場所がわかるのでは――
その波形はかなり特徴的だとのことだった。

【新山眞】
私も同じ考えです。
S隊員アストラルの波形は、
かなり鮮明なようですし――
実は青山新京シンキョウに、
不思議なセヒラを観測するのです。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウにですか?
【新山眞】
そうです――
高輪延吉エンキツに置いたセヒラ歪振器わいしんきが、
不思議なセヒラ波をとらえました。
【喪神梨央】
それでは公務に設定します。
兄さん、はらえのへ――

〔祓えの間〕

【新山眞】
帝都満洲で班S隊員に再会すれば、
補完的に宗谷そうや大尉の波形も同定でき、
大尉の居場所を求めやすくなります。
【喪神梨央】
兄さん……
帝都満洲と帝都とで、
時間のずれが広がっています。
帝都満洲での一時間が、
帝都では五、六時間ほどに……
【新山眞】
宗谷そうや大尉の波形を同定したら、
迅速じんそくな対応が必要ですね。
【喪神梨央】
すでに東京憲兵司令に連絡し、
市内に五十個小隊を展開すると、
言質げんちを得ています。
【新山眞】
それだけあれば充分でしょう。
それでは、喪神もがみさん、お願いします。

〔赤坂哈爾浜ハルピン駅〕

ゲートを潜った先で帝都満洲鉄道の列車長が話しかけてきた。

【満鉄列車長】
赤坂哈爾浜ハルピンに、
キタイスカヤ街が現れたとか。
その噂で持ちきりですよ。
キタイスカヤでは、
人は実体を保てるのだとか。
そして私たちは中へ入れない、
まるで結界のような場所ですね。
うらやましいです、キタイスカヤ。
カフェにキネマにテアトルに――
何しろ東洋のモスコーですから!
帝政露西亜ロシア時代の建物も見所です。
さて、そんな赤坂哈爾浜ハルピンを後に、
当列車、青山新京シンキョウへ参ります。

あじあ号は青山新京を目指して走り出した。

【満鉄列車長】
間もなく青山新京シンキョウ、青山新京シンキョウ
この列車の終点です。

〔青山新京〕

【東京憲兵隊Eアストラル】
宗谷そうや大尉の日曜下宿に、
必中禮ひっちゅうれいしるした札があった。
同様のもの、他でも見た――
若狭わかさ少尉が所持していた――
残念ながら少尉は自死したが。

【東京憲兵隊Tアストラル】
真坂まさか閣下かっか暗殺の犯人は、
宗谷そうや東次郎とうじろう歩三附き大尉だ。
第三十六中隊を指揮する――
明治三十七年、岐阜ぎふ生まれ。
名古屋幼年学校を経て、
大正十四年、陸士りくし三十七期卒業。
同年、連隊附き少尉として、
朝鮮羅南らなん赴任ふにんしている。

【東京憲兵隊Sアストラル】
宗谷そうや大尉が歩三に転隊となったのは、
昭和八年のことだ――
翌年、大尉に昇進、中隊長となる。

【東京憲兵隊Aアストラル】
羅南らなん時代の宗谷そうや大尉を、
よく知る人物がいる。
来てくれ――

アストラルは全身で風魔についてくるように促した。風魔はアストラルの後を進み、隣の街区へ入った。そこには待ち構えるようにして中型のアストラルがいた。2体のアストラルが会話を始めた。

【元一等主計Kアストラル】
秋本あきもと憲兵大尉と俺は、
同じ陸士三十五期生でな。
任官後、俺は経理学校に入り直した。
【東京憲兵隊Aアストラル】
まさか、金子かねこ、お前が経理畑とはな。
剣道五段の腕前なのに!
あれには驚いた。
【元一等主計Kアストラル】
経理学校卒業後、二等主計として、
羅南らなんの師団に配属された。
師団の剣道試合で宗谷そうや大尉と会った。
【東京憲兵隊Aアストラル】
試合で会ったのか!
で、宗谷そうや大尉は強いのか?
まさか、お前、負けたんじゃ……
【元一等主計Kアストラル】
いやいや、勝負はしていない。
大尉の剣道は独特だった。
二天一流にてんいちりゅうを基礎としながら、
邪流に変じた怨白流おんぱくりゅうの使い手だ。
【東京憲兵隊Aアストラル】
うらみを備える形なのか……
すごい流派だな!
邪流中の邪流だな。
【元一等主計Kアストラル】
宗谷そうや本人がそう言うんだ。
次に奴と話したのは試合から一月後、
大正十四年八月のことだ――

宗谷そうや大尉の元に訪問者があったという。尤志社ゆうししゃという愛国主義運動団体の幹部である。その幹部は柴崎周しばさきあまねと名乗ったという――

【東京憲兵隊Aアストラル】
その二人は意気投合したんだな?
【元一等主計Kアストラル】
鶴屋旅館の大広間を借り切り、
真ん中に座布団ざぶとんき向き合い、
六時間も語り合ったそうだ。
月のよいままに二人して
羅南らなん神社の山に登り、
東の空を仰いでこころざしを新たにしたとか。
革命日本の建設、亜細亜アジア復興の戦闘、
宗谷そうやが時事を慷慨こうがいし出したのは、
ちょうどその頃からだ。
奴は道着の下に真っ白のさらしを巻く。
それが血盟の現れなのかどうか、
いつか聞こうと思っていた――

中型アストラルが風魔に向き直って言う――

【東京憲兵隊Aアストラル】
あんたが誰だか知らんが、
宗谷そうや大尉を追うのなら、
奴の変節の経緯も知っておかないと。
尤志社ゆうししゃというのも、
調べる必要があるな。
【着信 喪神梨央】
尤志社ゆうししゃですね――
承知しました、至急しきゅう調査します。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラを観測します。
進んでもらえますか?

風魔が歩み入れた先には大きな穴が開いていた。穴から霧のようにしてセヒラが立ち上っている。そこへぬっと大型アストラルが姿を見せた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!!
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
フフフフ――
貴様らが血眼ちまなこになって探すうちに、
宗谷そうや大尉の身柄、我々が確保した。
これで事件は解決だ――
だが残念なことに、
色々と鼻を突っ込み過ぎた者がいる。
そんなに我々のことが気になるのか!
東京ゼロ師団の命令に従い、
貴様を直ちに粛清しゅくせいする!!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
フフフ……
生兵法なまびょうほう怪我けがのもとだ、
覚えておくがいい――

不意に周囲が暗くなった。暗闇の中、風魔と大型アストラルが対峙している。

【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
な、何が起きた?
――目の前が真っ暗だ……

どこからともなく声がした――

【感嘆する声】
君たちはの活躍には舌を巻く、
そうじゃないか、灰雨はいざめ憲兵大尉。
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
誰だ?
貴様、何者だ?
【感嘆する声】
導く者とでもしておいて欲しい。
勇猛果敢ゆうもうかかん灰雨はいざめ憲兵大尉殿!
バビロンを征服した、
ペルシアはクロス大王が股肱ここうしん
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
黙れ! 貴様を粛清しゅくせいする!
姿を見せろ!!
【感嘆する声】
すぐにでも見えるようになる。
永遠に見続けることになる。
さぁ、セフィラの湧出ゆうしゅつを受けるのだ。大尉、お前自身を依代よりしろとして、ここに道をひらく!
さぁ、受けろ!!
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
何だ? どうした!
俺の腕が……黒ずんできた!
――ああああああ~

周囲に光が戻った。風魔は依然青山新京に開いた大穴の前にいた。

【感嘆する声】
人柱――まさに柱そのもの!
二本の柱が必要だ。
もう一本を調達するとしよう。

穴から吹き出すセヒラが一段と濃くなり、大型アストラルを包み隠してしまった。アストラルが見えなくなったその刹那、急にセヒラは消えた。アストラルの姿もなかった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにセヒラの奔流ほんりゅうです!
確認お願いします!

公務指令を受け風魔は帝都満洲鉄道で赤坂哈爾浜ハルピンへ戻った。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
そこにいるのは、
帝都赤坂のアストラルのようです。
思念が吸い込まれています!

【芸者千鳥ちどりアストラル】
会えば別れの悲しさよ
会わねばつのるこの思い
ああああああ~
なんとしょ~ なんとしょ~
恋は女の命取り~
歌で気をまぎらわせても、
もうどうにもできませんことよ――
頭ン中に入ってくるの!

白い乳を出させようとて
タンポを引き切る気持ち
彼女の腕を見る

アハハハハハ~

幇間ほうかん平左へいざアストラル】
都々逸どどいつ三下さんさがり大津絵おおつえ
粋な節回して歌いますのは、わっしの何よりの楽しみでござんして――
びんのほつれは 枕のとがよ
それをお前にうたぐられ~
つとめじゃえ~ 苦界くがいじゃえ~
あ~ゆるしゃんせ~
てな様子でありんすが、
どうも変なのが頭ン中に……
入ってくるでござんすよ!

闇の中から血まみれの猿が
ヨロ/\ヨロとよろめきか
俺の良心

ひぃひぃひぃ~
助けてくんろ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に何かが現れました。
原因は赤坂哈爾浜ハルピンかも知れません。
警戒して公務を進めてください。

赤坂哈爾浜ハルピンの街区を進むと、そこに風魔を待ち受けるようにして中型アストラルがいた。

【メソポタミア神学生アストラル】
クデルの大門を守るのは僕だ!
いや、ジプチエへの凱旋がいせんこそ僕の夢!
アーハハハハ!
ついに柱が現れた!
あれは大柱、ヤキンかボアズか!
高さ十八キュビト威容いようを誇る、
青銅の大柱だ!
二本目が現れるまで、
ここは誰も通せない!
お前を昇華させる!!

《バトル》

【メソポタミア神学生アストラル】
僕は……まだ至らないのか……
――あの柱の元に眠ろう……
柱は僕にはゲプスの祝塔に見える!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に巨大な柱が現れました。
機関本部へお戻りください!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、報告があります。
赤坂に現れた柱ですが、
音もなく消えてしまいました。
高さ三十メートルほどの円柱でした。
一ツ木通ひとつぎどおりの先、歩一の裏辺りです。
また現れるかもしれません。

それと――
宗谷そうや大尉ですが、逮捕たいほされました。
ただ、波形が違うんです。
宗谷そうや大尉の波形とは別の波形が、
逮捕たいほされた人からは出ていました。
大尉の身柄を拘束こうそくしたというのは、
渋谷憲兵大隊です――
【帆村魯公】
うむ……またもや渋谷の大隊だな。
――実に怪しい……
連中、はたして正規の軍なのか?
【喪神梨央】
碑文谷ひもんや大連ダイレンのアストラルは、
そのことを調べていたようです。
渋谷憲兵大隊や砲工学校のことを――
それで自失したとか――
【帆村魯公】
うむ……実に怪しい。
怪しさ千万せんばんだな。

【喪神梨央】
怪しいと言えば、柴崎周しばさきあまねです――
またその名前が出ました。
宗谷そうや大尉をそそのかして、
愛国主義運動に向かわせたのでは?
大尉が羅南らなんの部隊にいるときです。
【帆村魯公】
柴崎しばさきの結社は何と言ったか……
【喪神梨央】
尤志社ゆうししゃです。
今、本を取り寄せています。
この夏、一冊、出しています。
【帆村魯公】
青山新京シンキョウに開いた大穴は、
まだ帝都には影響を及ぼしておらん。
だが時間の問題だろう。
柱の件も含めて観察が必要だな。

軍務局長暗殺事件は必中禮ひっちゅうれい事件として、新聞紙上を大いににぎわせた。そして犯人逮捕たいほしらせに大見出しが踊った。帝都は静けさを取り戻したが、それは嵐の前の静寂せいじゃくのようでもあった。

第八章 第十三話 キタイスカヤ

〔山王機関本部〕

その日、梨央りおは一冊の本を手にしていた。尤志社ゆうししゃがこの夏に出版した本である。『暁光日本ぎょうこうにっぽん』という書名があった――

【喪神梨央】
兄さん、これです、この本です。
【帆村魯公】
例の尤志社ゆうししゃが出したという本だな。
――にしても、随分と薄いな……
本というより冊子だな。
【喪神梨央】
全部で八ページ、中面は六ページです。
どのページにも旭日旗きょくじつきと和歌があります。
【帆村魯公】
これは色々な百人一首から、
愛国的ともくされる歌を集めたものだ。
【喪神梨央】
わが国は いともたふとし 天地あめつち
神の祭を まつりごとにて
【帆村魯公】
この冊子には歌しか無いのか?
【喪神梨央】
表紙には文句が……
時弊じへいがいして我が国体こくたい精華せいかを説く!そうありますが――
大君おおきみの 御楯みたてとなりて つる身と
思へばろき 我が命かな
【帆村魯公】
うーむ……
かような貴族趣味を気取っていては、
国体を論じるなど無理そうだな。
【喪神梨央】
でも隊長!
裏表紙の広告を見てください。

そこには銀河ぎんがゼットー博士が開発した、夢玄器むげんき瓜二うりふたつの機械が紹介されていた。その名もキノライトという――

【帆村魯公】
これは――
夢玄器むげんきではないのか?
【喪神梨央】
活動キネマ界の一大事とあります――
【帆村魯公】
総天然色写像、パノラマ活動器、
軽量にして携行式けいこうしき――
【喪神梨央】
脳楽丸のうらくがんびん付随ふずい
脳楽丸、付いてくるんです、二びんも。
【帆村魯公】
課の情報が漏洩ろうえいしたか?
あるいは飯倉いいくら技研か……
だとすると由々ゆゆしき事態だ。
【喪神梨央】
三十三円六十銭です。
販売所、銀座です。東京幻燈げんとう工業――
この会社、ちょっと調べてみますね。

ノックの音がして新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
失礼します。
飯倉いいくら技研の新山にいやまです。

梨央りおはいい按配あんばいにやってきた新山にいやまに、キノライトの広告を見せた。驚きの表情を見せた新山にいやまであったが――

【新山眞】
見てくれの形は似ていますが、
機能はまったく異なるようです。
――これはかぶ幻燈機げんとうきですね。
【帆村魯公】
なんと!
幻燈機げんとうきかぶったりして、
ぜんたい、何が面白いのだ?
【新山眞】
大きな写像が展開して、
あたかもその中にいるかのような、
めくるめく体験が得られるはずです。
キノライトが眼鏡型というところ、
そこが何よりユニークなのです。
【帆村魯公】
眼前に大きな写像が広がると、
まともには歩けんわな!
【新山眞】
銀座の町をかして見ながら、
華麗なレヴューを重ねて楽しむ、
そんなこともできそうですね。
【喪神梨央】
楽しそうです!!
【帆村魯公】
おい、梨央りお
滅多なことを言うもんじゃないぞ。
【喪神梨央】
――すみません……
脳楽丸付いてます、怪しいですよね。

そこへ如月きさらぎ鈴代すずよがやってきた。どことなく浮かない顔をしている――

【喪神梨央】
鈴代すずよさん――
何かご心配事ですか?
【如月鈴代】
胸騒ぎがするのです――
新京シンキョウにいる麗華れいかさんのことです。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、高女の寄宿舎ですよね。
関東軍の護りもあるんですよね?
【如月鈴代】
関東軍特務部――
そこは満蒙まんもうの経済開発をうながすため、
設けられた部署です。
近く関東軍司令部が、
新京シンキョウに移転してくるのです。
そういった受け入れもやっています。

新京シンキョウ駅の南西に位置する西広場。その広場に面して新京シンキョウ敷島しきしま高等女学校が建つ。学校の南、平安町一丁目に杏花寮きょうかりょうがあった。

【如月鈴代】
西広場の辺りには満鉄社宅、
海軍公館、理事公館があります。
大きな給水塔が目印です――
くだると広々とした西公園があり、
公園の南側一帯が関東軍の用地です。
もう建物はほぼできていました。
【帆村魯公】
泣く子も黙る関東軍。
心強い限りではないですか!
【如月鈴代】
ええ、状況からすると、
何も心配いらないように思えます。
――でも、何か起きそうで……
青山新京シンキョウに大きな穴があったと――かつて青山墓地に現れたような。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴ですが、
帝都の青山墓地はいつも通りです。
まだ影響が及んでいないようにも――
【帆村魯公】
だがセヒラは確実に濃くなっておる。
そうだろ?

中座していた新山が神妙な面持ちで話す。

【新山眞】
ちょっとよろしいですか?
――際立つ波形を観測しました。
ホテルロビーへお願いします。
私もすぐ参ります。

〔山王ホテルロビー〕

【新山眞】
お待たせしました。
先程の際立つ波形、
発生場所は渋谷方面でした。
一瞬、極めて高い値を記録しました。
【喪神梨央】
渋谷ですか……
渋谷憲兵大隊がありますが。
まさか、宗谷そうや大尉が?
【新山眞】
その可能性はあります。
あの際立きわだかたは、死に直面したとき、
主に現れる波形ですから。
【喪神梨央】
――際立つ波形……
じゃ、宗谷そうや大尉が、処刑された?
裁判もなしにですか?
【新山眞】
わかりません――
ただ波形の記録が残るのみです。

【着信 帆村魯公】
風魔ふうま式部しきべ氏からでな、
芽府めふ須斗夫すとおが目を覚ました。
ちょっと行ってくれないか。
【喪神梨央】
一ツ橋の憲兵隊本部ですね。
あそこはれっきとした憲兵隊です。
それでは公務出動とします。

公務電車内で梨央りおから着信があった。宗谷そうや大尉は渋谷憲兵大隊で処刑された、そう陸軍省に連絡が入ったという。しかし処刑時の波形を詳しく調べると、宗谷そうや大尉のとは大きく異なるとのことだった。
これは何を意味するのか――

〔東京憲兵隊本部〕

【着信 喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴のせいかわかりません、セヒラ、かなり強くなっています。
芽府めふ須斗夫すとおが予言を語る、
半覚半睡はんかくはんすいの状態になるには、
もっとセヒラが必要なんですね。

憲兵隊本部玄関前では、2人の憲兵が目つきの怪しい一人の憲兵を誰何すいかしていた。

【日吉憲兵中尉】
安心院あじむといったな。
貴様、見ない顔だ――
所属部隊を言え!
【奥沢憲兵少尉】
安心院あじむ中尉殿は、
新しく赴任ふにんされたのですか?
【安心院憲兵中尉】
何をごちゃごちゃ言ってる?
ウハハハハ~
ここは渋谷憲兵大隊の指揮下に置く。
さぁ、そこを退!!

本部奥から白衣姿の技手と思しき男性が走り来て目つきの怪しい憲兵を指差して叫んだ。

【長原技手】
中尉は小型写真機を隠し持ち、
エニグマ暗号機のダイヤルを、
撮影していました!
私、見たのです!
忘れ物を取りに戻ったとき、
あの部屋に人の気配があって――
【安心院憲兵中尉】
ミュンヘン仕込みの技術は、
人を詮索せんさくするのに費やされたのか!
国費の無駄遣いだな!!
【日吉憲兵中尉】
間諜かんちょうは許さんぞ、中尉!
今すぐ、写真機を渡せ!!
【安心院憲兵中尉】
邪魔だてするな!!

山王さんのう機関も随分と鼻が利くようだ。
比叡山ひえいざんもっておればいいものを。
法螺貝ほらがいでも調達してやろうか?

《バトル》

【安心院憲兵中尉】
フフフ……
お前たちがどう足掻あがこうが、
計画は進む――

憲兵怪人が倒れ消えた後に小型のカメラが落ちていた。白衣の技手はそのカメラを拾った。

【長原技手】
エニグマ暗号機は、飯倉いいくら技研に渡し、
研究を続けることになりました。
この写真機も届けておきます。
【沼部憲兵少尉】
大丈夫ですか?
怪我けがはありませんか?
【中延憲兵少尉】
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉殿ですね。
奥で式部しきべさんがお待ちです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程は咄嗟とっさのことで――
もうセヒラは観測しません。

無線交信後、風魔は憲兵隊本部へと入って行った。

〔東京憲兵隊本部尋問室前〕

尋問室前の広い部屋に式部丞と芽府須斗夫がいた。

【芽府須斗夫】
眠気を感じるけど、
横になると眠れないんだ――
だけど、うとうとしたとき、
ふと、あることを考えている――
そう、僕には行かなきゃならない、
場所があるってことをね。
そこはいわば僕にとっての約束の地、
いや、にとってのと言う方が、
うんと自然だね。
でもまだ行けない――
そこには一匹のへびが居着いたからさ!

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとお君……
そろそろ言葉は出そうかね?
【芽府須斗夫】
今日、これで三回目を覚ました。
前も三回目に浮かんだんだよ――
【式部丞】
例の暗号文のことだね。
【芽府須斗夫】
言葉はまるで木漏こものようにして、
頭の底に描かれるんだ。
陽の光が必要だし、風も必要――
【式部丞】
それじゃ、まだ少し掛かりそうかな?
【芽府須斗夫】
そうでもないんじゃない?
――同じ光を他にも感じるよ。
ひとつ……ふたつ……
この町に僕と同じような存在がある。
金雀枝えにしだ色の瞳をした少女、
そして若い男性だ――
【式部丞】
彩女あやめ君、いや千紘ちひろと名乗る人格――
もう一人は……もしや……
【芽府須斗夫】
言葉が見えるよ――
こんどもアルファベットだ!
【式部丞】
ゆっくり頼むよ、
芽府めふ須斗夫すとお君!
【芽府須斗夫】
T……E……T……K
YSWH……
それから……ACFQBD――

芽府めふ須斗夫すとおは自らの頭の中を探るようにして、アルファベットの文字の羅列られつを語った。
今回も言葉の意味はわからない――


【芽府須斗夫】
行かなきゃ!
その思いがますます強くなった。
僕は行くよ。
これは決められたことかも
知れないんだ。

そう言うと芽府須斗夫は踵を返して尋問室へと入った。式部と風魔は玄関へ向かった。

〔東京憲兵隊本部〕

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおの語った言葉、
またもやエニグマ暗号文でしたね。
彼は覚醒かくせいして語る時は、
素の言葉は語らないようです。
エニグマ暗号機は試作機があり、
飯倉いいくら技研に研究を引き継ぐそうです。
あそこなら完成させられるでしょう。

私、これから青山の脳病院へ。
彩女あやめ君の様子を見てきます。
彩女あやめ君を預かっていた蛭川泊ひるかわとまり博士、
しばらく所在不明だったのですが、
昨日、見付かりました。
医科の学生が見かけたのです。
省線錦糸町きんしちょう駅前でした。
博士は煙草たばこ売りをしていたと――
自分のこと、十二歳の孤児こじなんだ、
そう強く思い込んでいたとか。
名前はタハラサダキチだと――
それに強い東北訛とうほくなまりがあったそうです。
蛭川ひるかわ博士は奈良の出身です。
でも見紛みまごうことはなかったと――
色々と博士に話を振るものの、
全く噛み合わなかったため、
医科生はあきらめたのだそうです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピン宗谷そうや大尉の波形確認!
はらえのへ急いでください!

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
渋谷憲兵大隊で処刑されたとおぼしきは宗谷そうや大尉ではなかったようだ。
連中、軍務局長暗殺が表沙汰になり、
力尽ちからずくで収束させようとしておる。
【新山眞】
まさに死人に口なしというやつです。
【帆村魯公】
宗谷そうや大尉の身柄を確保できれば、
連中の茶番もつまびらかになるわい。

【新山眞】
気を付けてください。
キタイスカヤ街が現れた、
そんな噂も飛び交っています。
【喪神梨央】
兄さん……
時間のずれが拡大しています。
帝都満洲の三日は、
帝都の二十日以上にもなります。
私たち、
どんどん歳を取っちゃいますね――

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンに着くと一人のアストラルがスーッと寄ってきて言う。

【脱走兵アストラル】
ふん、下関しものせきまで六日もかかった!
――何が静岡の第三十四連隊だ、
もう真っ平御免ごめんだ!
俺はな、見たんだ――
沼津ぬまづの省線病院でな。
顔吹き飛ばされた化物をだ!
今はトルゴワヤ街の崩れかけたビル、
その二階で満人苦力クーリーと同居の身だ。
脱走兵だからな、表にゃ出られない。
老いぼれ苦力クーリーを、
露人ピー屋の店先へれる、
それがせいぜいのらしだな!

そこまで言うとアストラルは音もなく去った。風魔は先へ進む。

【逃亡者アストラル】
キタイスカヤ街からモストワヤ街へ、
角を曲がって少し行くと、
ソフィースキー寺院があります。
亡命ぼうめい露人ろじん浄財じょうざいで建ちました。
計画からゆうに十数年――
私にはそういう場所がありません。
でも正金せいきん銀行からくすねた金がある。
実に一万五千六百円――
クックックッ……
この陋巷ろうこうを絵にしたような、
ボレヤワ街ともおさらばだ!
越南ベトナムでホテルを開くのだ!

【満洲浪人アストラル】
傳家甸フーザテンの辺りは満人だらけだ。
日本人の多いモストワヤ街とは違う。
鉄道附属地外だからな、
道外タオワイと呼ぶのもよく分かる。
――だが、俺にはむしろお似合いだ。
松花江スンガリー沿いの阿片窟あへんくつにだけは、
近寄らないようにしているがな。
春観園チュンクワンイエンという店だ――

【行旅人アストラルW】
ロバート高台こうだいはおすすめです!
傳家甸フーザテンの南端にそびえる南崗なんこう高台こうだい
傳家甸フーザテン、八区、埠頭区プリスタン
および松花江スンガリーの一帯が、
浮刻うきぼりのごと一眺いっちょうの中に収められて、
まさに絶景である――
――俺、町を抜け出せたのか?
因須磨洲いんすますだよ、魚臭い陰気な町だ。
もう五年もいる――
町を出ようと省線の駅に来た……
薄暗く人気のない待合で、
因荒いんこう線の汽車を待つうちに――
つい、うとうとして――

はっ!!
何だよ、まだ待合にいるじゃないか!
まだ因須磨洲いんすますじゃないか!!
旅行案内が落ちている――
満洲へ。
台湾へ。
俺は落ちている旅行案内を見て、
町を抜けた気になっていただけだ!

ぎゃぁぁぁぁぁ~
俺は因須磨洲いんすますから抜けられないのか!
臭い、臭い、魚臭い!!

叫び声を上げながらアストラルはぐるぐると回転して消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に再び塔が現れたと、
今、通報がありました。
先程の街区ですが、
強いセヒラを観測します。
警戒してください!

交信が終わると風魔は先程の街区へと戻った。奥から中型アストラルが近付いて来た。

【ファンターヂアの客アストラル】
埠頭区プリスタンのザオドスカヤ街――
ファンターヂアはそこにある、
絢爛豪華けんらんごうかなキャバレーだ!
ロシヤ料理あり、ステージあり、
バンドあり――
ロシヤ美人のむ甘酒に酔い、
美人と踊り、歌いたわむれ、
合間のステージのもよおものながめ、
国際都市の豪華ごうかな夜を過ごすのだ!
それもすべてはあの大柱の護り!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
【ファンターヂアの客アストラル】
ウハハハハハ~
大柱はもう一本あるはずだ!
お前らに邪魔されてなるものか!!

《バトル》

【ファンターヂアの客アストラル】
カズヘック、オケヤン、モスコー、
ロンドン、エデム……
うるわしのキャバレーの数々――
どれもこれもがまぼろしだ――
愛は何故遠ざかるのだ?
爛酔らんすいのひとときはかくも短い!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
以前と同じ不思議な波形です。

交信が終わるや周囲が波打つようになり、やがて暗転した。
やがて朧げに明るくなると、そこは露西亜様式の建物が並ぶ哈爾浜はキタイスカヤの町並みだった。背広姿の男性の他に着物姿の女性も見える。皆、異国の街を楽しむようにそぞろ歩いている。


【着信 喪神梨央】
不思議な波形が続きます……
――そこは、本当に、満洲……
そうなのですね?
これまでの波形の記録を元に、
新山にいやまさんと仮説かせつを組み立てます。
――しばらくお待ちください。

【毛皮商の鳴海久男】
おや、内地ないちからですか?
ようこそ、うるわしの哈爾浜ハルピンへ!
いやぁ、商売が順調でね、
毎日浮足立つようです、私なんか!
私がここで扱う毛皮はね、
狐、銀狐、とらひょう――
もっぱらこの四種です。
哈爾浜ハルピンマダムに売れて売れて――
仕入れが追いつきません!

【菓子商のエフゲニー・チチェロワ】
あなた関東軍の人?
菓子の卸先おろしさきを探していてね。
どうです、軍隊でおひとつ。
ロシヤあめ、ロシヤキャンデー、
ウィスキーチョコレート、
それにモスコーボール――
どれも口に入れた途端とたん
あなた、ほっぺが落ちます!

【織物屋女将の吉塚静代】
うちの品物は満洲随一ずいいちよ。
ロシヤ更紗さらさ、ゴブラン織、
それにルパーシャ――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラを観測しました!
波形は相変わらず、
おかしなままです――

【織物屋女将の吉塚静代】
あら……
あんた、どっから声出してるの?
さっきの人のお仲間かしら――

着物姿の女性が離れるのと入れ替わりに、背広姿の男性が近づいて来た。どことなく虚ろな目をしている。

【宝石商の竹尾源二郎】
あんた――
徳次郎のこと、知ってるニャ!
おいら、源二郎だニャ。
この人、同じ名前ですっーと入った、
隙間すきまもなんも、まんま入った――
そういうこともあるニャ。
友達の藤次郎も似たようなことニャ。
同じトウジロウだニャ……
でもちょっと字が違っていて、
入るのに手こずったらしいニャ!

う……
何だ、私は……
あや、お客さんですかい!
如何いかがですか、黒ダイヤ、砂金石、
ウラルダイヤにアレキサンダー!
つぶぞろいですよ、お買い得です!

そこまで言うと男性は急に腰を折った。

【宝石商の竹尾源二郎】
そうだ、診療所しんりょうじょに行くんだった。
ブテワヤ街の診療所しんりょうじょに急ごう!
あああ、頭が割れるようだ――

男性は荒い息を吐きながら去った。風魔は先へ進んだ。
そこには将校服の男性が立っていた。茫然自失としている――

藤次郎とうじろう
おいら、次郎ニャ!
この人は次郎、字が違うニャ。
けど、入れたニャ――
宗谷東次郎という将校ニャ!
東次郎は少年に帰ったニャ。
岐阜ぎふ揖斐いび揖斐町いびちょう三輪みわの六、
三輪みわ神社参道前の米問屋のせがれニャ。
米問屋の屋号は矢野千やのせんだニャ。
先々代の矢野やの千太郎せんたろうちなむニャ。
――そうニャ!
この人は宗谷そうや東次郎とうじろうじゃないニャ!
姓は矢野やの、名は一作いっさく
矢野やの一作いっさくだニャ!
尋常小学校の頃はイッサだニャ!
その渾名あだなで呼ばれていたニャ!
イッサ、イッサ、イッサ!!

宗谷東次郎と思しき将校は、急に苦しそうに腰を折った。そして目を見開き風魔を見上げて尋ねる――

ねぇ、お兄さん――
三輪みわ尋常の校歌、知ってる?
僕の通う学校だよ!
揖斐いびの 流れよ 一朶いちだの雲よ~
妹のやつ、チエ子だけど、
校歌、ちっとも覚えないんだ。
今、三年なんだけど――
あいつ、もらい子だからな……
時々、妙なこと言うんだ。
何もないところをじっと見て、
顔が見える、顔が見えるって。
ほれ、あれがお目々、あれがお鼻――
僕には顔なんか見えやしないさ!
ああ、もう時分時じぶんどきだな。
帰らなきゃ!
おっかあうるさいんだ!

将校は何事もなかったかのように姿勢を正した。その目は膜が張ったように虚ろである。

藤次郎とうじろう
危ない危ない、
隙間すきまが広がりかけたニャ!
もう、これ以上はたもてないニャ!

そう言うと将校はふらつきながら去って行った。
風魔の目の前に不意にバールが現れた。

【バール】
この町はいろんなとこに、
繋がってるニャ~!!
【バールの帽子】
どうしたゲロ?
やけにしおらしいゲロ!
バーンと飛び出さないのかゲロゲロ。
【バール】
そうしたいけどおっかないニャ!
ここはとてつもない場所だニャ!
【バールの帽子】
時間と空間とがグーンとゆがみ……
ここは本当の満洲なのかゲロ?
【バールの帽子背後】
いろんな人の思念が合わさり、
結晶化した、そんな場所じゃな。
ある意味、じゃよ。
【バールの帽子】
ゲロゲロ!
どこを見ても確かに哈爾浜ハルピンだ、
キタイスカヤ街だゲロ!
【バールの帽子背後】
じゃがな、まだ隙間すきまがある、
そういうことじゃろ……
今さっきの奴、猫きの東次郎とうじろう――
東次郎とうじろうの記憶を辿ることじゃな!
【バールの帽子】
どっちだゲロ?
猫の藤次郎か、大尉の東次郎とうじろうか――
【バール】
暗殺事件を起こしたのは東次郎とうじろうニャ。
東次郎とうじろうの記憶を辿るニャ!
まだその辺に思念しねんただようニャ!

風景が揺らぎ始め暗転した。

〔若松町〕

現れたのは夕闇迫る帝都であった。周囲は薄ぼんやりしている。市電も車もない往来に2人の将校が向き合っている。一人は先程の宗谷であった。

【伊班宗谷隊員】
軍務局に課なる部署がある、
常田つねだ大佐はそうおっしゃるが、確かか?
【露班尾張隊員】
確かであります!!
軍務局兵器課の隣に、確かに!
我々は出し抜かれたのでしょうか?
【伊班宗谷隊員】
このまま看過かんかすればそうなる。
軍務局長、真坂まさか閣下かっかの首を取る!
すれば時局は動くだろう――
【露班尾張隊員】
続く久鹿くろく計画についても、
準備はとどこおりなく進んでおります。
先般せんぱん、襲撃目標の最終が出ました。
首相官邸、陸相りくしょう官邸、蔵相ぞうしょう邸、
教育総監、侍従長じじゅうちょう、それに――
【伊班宗谷隊員】
もうよい。
最大員数は何名だ?
その目標は?
【露班尾張隊員】
はっ!
警視庁占拠せんきょ班の二百五十名です!

【着信 喪神梨央】
久鹿くろく計画とは何ですか――
大きな襲撃計画があるようですね。
逐一ちくいち、参謀本部に連絡を入れます!

風景が揺らいで暗転した。

〔霞町街路〕

次に別な町角が現れた。宗谷が別の将校と向き合っている。

【伊班留萌隊員】
明日の午前中、
真坂まさか閣下かっかに予定はない。確認済みだ。
外出も面会もな――
【伊班宗谷隊員】
よし、決行は明朝だ!
――それで、車はどうだ?
三宅坂みやけざかに用意できるか?
【伊班留萌隊員】
ああ、大丈夫だ。
目立たない一台を用意する。
首を取ったらすぐ向かえ。
局長をった刀は執務室に捨て置け。
――それで、貴様、
どの刀を使うつもりだ?
【伊班宗谷隊員】
三輪みわ刀だ。
俺の地元の刀鍛冶かたなかじの手になる一振り、
そいつが一番馴染なじんでいる。
捨て置くに忍びないが……
【伊班留萌隊員】
刀は重要なしるしだ、仕方ない。
ただ首を取るだけではないのだ。

【着信 喪神梨央】
軍務局長暗殺前日の様子です!
確かに刀は局長室にありました。
血塗ちまみれながら刃毀はこぼれ一つなく――

またもや風景が揺らいで暗転した。

〔興亜百貨店前〕

次にぼんやりと現れたのは興亜百貨店前と思しき場所であった。宗谷の後ろから一人の佐官が声をかけた。

【伊班信濃隊員】
大尉――
ああ、いや、振り向かんでいい。
真坂まさか閣下かっかは即死だったそうだ。
苦しむ間もなかったろう――
貴様は計画実行まで身を隠しておけ。
久鹿くろく計画の襲撃目標は、
結局、全部で十一箇所になった。
【伊班宗谷隊員】
信濃しなの少佐殿……
あ、いや、信濃しなの隊員――
一箇所増えたのですか?
【伊班信濃隊員】
ああ、最後に付け加わったのは、
多田野ただの元内大臣邸だ――

宗谷はかかとを鳴らして振り向いた。

【伊班宗谷隊員】
多田野ただの伯爵はくしゃく……
何故、閣下かっかを?
それは何故なぜですか!!
【伊班信濃隊員】
多田野ただの閣下かっかが貴様の恩師おんし
幼年学校時代の恩師おんしなのは承知だ。
だがやむを得んのだ――
【伊班宗谷隊員】
多田野ただの閣下かっか……いや、先生――

宗谷はガクッと膝を折った。息遣いが荒くなっている。そして地面に目を落としたまま甲高い声を上げた。

どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?
蓬藁ほうこう深く 月えて~
松籟しょうらい高き 清洲城きよすじょう
今中村いまなかむらの 旧草蘆きゅうそうろう~~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!!

宗谷がすっと姿勢を直し風魔を見据えた。

【伊班宗谷隊員】
誰だ! そこに隠れているのは?
――姿を見せろ!
ううう、さもなくば――

《バトル》

【伊班宗谷隊員】
計画、復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相ぞうしょう鉄相てっしょう
農相のうしょう文相ぶんしょう各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王ホテルに宿泊せり!!

【着信 喪神梨央】
くろはち……帥士すいし
聞こ………か?
すい…を確………きません――

雑音混じりの交信が終わるや否や、周囲から光が消えた。宗谷と風魔はねっとりとした暗闇の中にいた。そこへ不意に声がする――

【驚愕する声】
逸材いつざいだ!
まさに千年に一度の逸材いつざいだ!
――君は力のみなもとだ!
大軍を率いてベツルアを包囲した、
アッスリアの元帥げんすいホロフェルネスよ!

宗谷は声の元を探しているのか、辺りを見巡らせている。そうしてある一点を見据えて言った。

【宗谷東次郎大尉】
真坂まさかつよし閣下かっか
自分……無念であります!
処断しょだんやいば、今ここに!!
【驚愕する声】
君のような稀代きだい益荒男ますらおられ、
真坂まさか閣下かっか本望ほんもうではないかな?

宗谷は両手で頭を抱えた。そして言う――

【矢野一作】
――あいつのせいなんだ……
チエ子だよ、あいつが告げたんだ、
そうに違いない!
【驚愕する声】
チエ子、それは君の妹だね。
もらわれ子だったね?
壁やへいに人の顔が見えると言う――
【矢野一作】
ああ、そうだよ。
チエ子には顔が見えるんだ。
あの日も顔が見えたに違いない!
顔が見えます、あれはおじさんです、
保険のおじさんの顔が見えます、
お母さまと仲良しのおじさんです――
父が休暇で一年ぶりに戻った日、
チエ子の奴、顔の話したんだ!
それで父は――
【驚愕する声】
見えた顔とは保険のオジサンだね!
君のお母さんとよく同衾どうきんしていた!!
お父さんの留守中にね!
お父さんは勇敢ゆうかんだったよ!
なんと、お母さんの白いお腹をね、
真っ赤になった火かき棒でね!

次に話す宗谷の声はこれまでになくか細いものだった――

【???】
クルト……
僕を見てくれる?
ほら、これだよ……
僕のファーターが彫ったんだよ――
僕とともに大きくなるんだ――
この十字架ダスクロイツはね!

【驚愕する声】
さぁ、身をささげよ。
お前自ら依代よりしろとなり、
道をひらくのだ――
二本目の柱となれ!
大柱、ボアズとなれ!!

頭を抱えていた宗谷はその両の手を掲げた。まるで天空に向かって身を捧げるかのように。

【宗谷東次郎大尉】
うわぁぁぁぁ~
体が……どうしたんだ!!

その後につんざくような悲鳴が響いた。風魔は固く目を閉じた。
次に目を開くと、宗谷の姿は闇に飲まれたかのように消えていた。もう声もしなくなっていた。暗闇がゆっくりと溶解していった。

〔山王機関本部〕

宗谷そうや大尉の遺体は衛戍えいじゅ病院に運ばれた。検屍けんしの結果、遺体に外傷はないとのこと。不思議なことに死斑しはん死後硬直しごこうちょくもないという。

【帆村魯公】
宗谷そうや大尉は碑文谷ひもんやにある、
林業試験場で見つかった。
木にもたれかかっていたという――
【喪神梨央】
その時はすでに死んでいたんですね。
【帆村魯公】
職員が肩に手をかけたら、
崩れるように倒れたそうだ。
死後、十時間は経っていたそうだ。
【喪神梨央】
大尉はメモを持っていました。
久鹿くろく計画をしるしたものです――

それは驚くべき襲撃計画であった。
首相官邸、陸相りくしょう官邸への襲撃を始め、蔵相ぞうしょう、内大臣、教育総監そうかん侍従長じじゅうちょうらを襲い、警視庁、新聞社を占拠せんきょする計画である。計画参加員数は総勢七百九十八名、国家、陸軍の中枢ちゅうすうを襲うという、まさにクーデターと呼ぶにふさわしい内容だ。

【喪神梨央】
山王さんのう機関も襲撃目標にありました。
十六名の員数が予定されています。
【帆村魯公】
久鹿くろく、つまり皇紀ニ五九六年、
襲撃は来年年初に予定されておった。
九六で久鹿くろくだな――
【喪神梨央】
久鹿くろく計画は未然みぜんに防げたのですか?
【帆村魯公】
陸軍省、参謀本部に知れてしまった。
秘匿ひとくのうちに進めることはできん。
はたして、連中、あきらめるかどうか――
【喪神梨央】
そういえば……
【喪神梨央】
別人を宗谷そうや大尉として逮捕たいほし、
裁判にかけず処刑した――
渋谷憲兵隊はどうからむのですか?
【帆村魯公】
逮捕たいほされたのは千葉連隊区の事務だ。
将校服着て憲兵と一緒のところを、
同僚に見られていたのだ。
【帆村魯公】
事務員がいつ将校になったのか、
同僚は大いにいぶかったそうだ。
【喪神梨央】
やはり、別口……ですね、
玄理げんり派と渋谷憲兵は。
ところで兄さん――

ノックの音が響き、新山眞が現れた。

【新山眞】
失礼します、新山にいやまです。
赤坂の柱ですが、
二本目も消えてしまいました。
【喪神梨央】
そうそう、そのことです。
兄さんが帝都満洲にいる間、
赤坂に柱が現れたんです。
帝都満洲で噂になっていた、
ヤキンとボアズ、二本の柱です。
依代よりしろになる柱だとか――
【新山眞】
猶太ユダヤ王ソロモンの神殿にあった柱、
高さ十八キュビトの青銅の柱――
それがヤキンとボアズです。
向かって左がヤキン、右がボアズ。
柱のこと、日本にも伝わり――
【喪神梨央】
猶太ユダヤの風習が日本に伝わり、
二本の柱は鳥居とりい門松かどまつに形を変えた。
そう言いますよね!
【新山眞】
赤坂の柱がどういう絡繰からくりなのか、
調べる必要がありそうです。
浅草十二階などと同じなのか……
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
新しい機械でもこしらえるんですか?

帝都満洲に現れたキタイスカヤの街。そして帝都満洲の異変が時を同じくして、帝都にも影響を及ぼした――
ヤキンとボアズ、この二本の柱の出現は、いったいなにを意味しているのだろうか?