ドッペルゲンガー

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
ああ、なげかわしや!
最近の風俗は乱れきっとる!
よりによって梨央まで――
梨央、浅草六区ろっくにいたそうだ。
歩一ほいちの連中が目ざとく見つけてな。
さしずめ活動写真なんじゃないか!
山王機関の通信士たるもの
活動キネマにうつつを抜かすなど……
あああ、実に嘆かわしい!
【如月鈴代】
あら、魯公ろこう先生、浮かないお顔で……
どうかされたんですか?
【帆村魯公】
梨央がな、任務を軽んじて
活動キネマに夢中らしいのだ。
浅草六区におったと――
【如月鈴代】
あら、それは何かの間違いですわ。
梨央ちゃんなら私と一緒でしたよ。
山王ホテルの喫茶室におりました。
【喪神梨央】
そうですよ、隊長。
鈴代さんとアールグレイ茶を……
【帆村魯公】
――なるほどだな……
何か臭うな……歩一の兵何人もが
六区で梨央を見たと言う。
【喪神梨央】
そんな……
私はずっと――
【帆村魯公】
風魔よ! ちょっと浅草を、
様子を見てきてくれないか。
梨央、君は浅草界隈の
セヒラを計測してくれ。
【喪神梨央】
了解しました!
――兄さん、活動キネマは後回しですよ!
【如月鈴代】
もう一人の梨央が現れたとか
そういうことなんでしょうか?
【帆村魯公】
わからん。わからんが、今の帝都、
何が起きても不思議ではない。
用心するんだぞ、風魔!

〔浅草六区〕

公務電車を走らせ、一路浅草へ。浅草六区は映画館や劇場が立ち並び帝都きっての賑わいを見せていた。

【泰南洋行の社員】
いやぁ、今度の映画は楽しみです。
なんたって、満映の二大女優共演!
麻美マーメイ蘭暁梅ラン・シャオメイ林黛玉リン・タイギョク薛宝釵セツ・ホウサ
――素晴らしいじゃないか、君!
【磯村家の令嬢】
憧れですわ、満鉄映画社の女優……
今度の封切りで来日するんですって。
二大スタアが揃って
この浅草で舞台挨拶だそうよ――
んもぅ絶対来なくちゃ!
【甘味処今木の主人】
紅楼夢こうろうむのかかる映画館だけどね、
あすこの支配人、万丈左門ばんじょうさもんなんだよ。
ほら、元聖林ハリウッドのスタァだよ!
サモン・バンジョーならどうだい?
ダークメモリーって探偵映画の
マイクヤマギタ役が有名じゃないか!
【永楽堂のいとはん】
えらいぎょうさんの人ですなぁ。
そやさかい、佐助とはぐれてもうて、――わて不案内やし往生おうじょうするわぁ~
【淑明女学院の女学生】
病弱でどこか影のある女性……
林黛玉リン・タイギョクに惹かれますわ、私。
――あら、紅楼夢こうろうむの話よ。
【山種家の書生】
恋をするなら林黛玉リン・タイギョク
妻にするなら薛宝釵セツ・ホウサってね。
僕は良妻賢母型の薛宝釵セツ・ホウサがいいね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士すいし
浅草界隈、セヒラ反応ありです。
場所は……仲見世……いや……!
兄さん!
すぐ側です! 発生源が、近い!

【???】
……

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、異常ありませんか?
いつもとは違う反応が出ています。
【着信 帆村魯公】
気を付けるんだ、風魔!
いつもの怪人とは違う何かだぞ!

【???】
……

浅草六区にいる風魔の前に、喪神梨央がひょっこりと姿を見せて――
しかしは風魔を認めてはいないようだ。その固まった表情に梨央らしさはない。どうやらこれはのようである。

《バトル》

【着信 帆村魯公】
風魔よ、それは怪人ではないな!
信号を総合すると……それは梨央りおだ!
なぜ、どうして……梨央りおが!
【着信 喪神梨央】
兄さん! 私はここにいます。
山王機関の通信室で隊長と一緒です。
惑わされないでください!

もう一人の廓清かくせいされたようだ。

【着信 喪神梨央】
兄さん、セヒラ反応が消えました。
――でも……
今度はセルパン堂で――
【着信 帆村魯公】
セルパン堂から電話があってな。
風魔、が店前にいる、
四谷で何か事件なのと問う――
それでわかったぞ。
分身だ、お前たちの分身が出たんだ。
風魔よ、セルパン堂に急いでくれ!

〔セルパン堂前〕

【周防彩女】
やはりです。先ほど梨央さんから
お電話頂きましたの。
私の見たのは喪神もがみさんの分身……
――で合っていますか?
今、彩女あやめの前においでなのが
本物の喪神もがみ風魔ふうまさん、ですよね?
何だか彩女、混乱してきました――
【満洲栄華大学の学生】
神洲大八島しんしゅうおおやしまか……
よく言ったものだね。
茫洋ぼうようたる満蒙まんもうの大地からすると
はなはだちっぽけな――
うん? あなた、さっきの人……
――同一人物なのか?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
すぐ近くにセヒラ反応です!

【???】
……

風魔はもうひとりのと対峙していた。風魔自身の分身が現れたのである。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラです!
【着信 帆村魯公】
そいつは、お前ではない!
お前ではない! お前ではないぞ!

【???】
――

《バトル》

【着信 喪神梨央】
兄さん……
兄さん! 兄さん!
――兄さんには兄さんって呼ぶの。
よかった!
兄さん、大丈夫よね?
セヒラ反応、消えました。

〔セルパン堂〕

【周防彩女】
喪神もがみ風魔ふうまさんに喪神もがみ風魔ふうまさん……
――まるであわせ鏡のよう……
そうじゃありません?
【式部丞】
彩女あやめ君はいたく興味を持っているね。
気に入りましたか?
【周防彩女】
彩女もときどき……
もう一人の自分がいるように
思う時がありますの。
【式部丞】
喪神さん、この現象、いささか
ユニークですね。誠に――
これは独逸ドイツ語でドッペルゲンガー。
まぁ分身たんです。
分身は本人にゆかりのある場所に現れる。
――喪神さんはこのセルパン堂に
何か思いをお持ちなんでしょうか?
【着信 帆村魯公】
風魔! 悪い、すぐ戻ってくれ。
梨央が……

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
梨央はショックだったみたいだが、
もう大丈夫だろう。
気丈な子だ。
【新山眞】
いやしかし、不思議な現象です。
これもおそらくはセヒラの仕業しわざ――
時空のゆがみのような現象が、
起きていつのかも知れませんね。

新山眞――
陸軍飯倉技術研究所の軍属技師である。セヒラを電気的に扱う技術を確立した。

【帆村魯公】
式部氏はドッペルゲンガーだと、
そう言っておったぞ。
【新山眞】
はい、その分身現象自体は、
前世紀末から報告があります。
【帆村魯公】
新山君はただセヒラに触れて、
分身が現れたわけではないと、
そうお考えかな?
【新山眞】
セヒラが原因なのは確かでしょう。
ただ、裏に何か絡繰からくりがある――
そう思えるのです。
【帆村魯公】
どんな絡繰りですかな?
【新山眞】
例えば世界が複数あるとか――
普段は絶対に出会わない世界が、
セヒラのせいで図らずも――

帝都の瘴気しょうきというべきセヒラ――
それを電気的に究明する新山でさえ、ドッペルゲンガーは初めての体験だった。強いセヒラは人智を越す現象をもたらす。セヒラは人の心ばかりか、世界のようにも影響を与えているようだ。