古式東雲流

山王機関スタッフ以外で夢玄器を使ったのは麻美さんだけです。そして麻美さんはとある特務機関員ということまではわかっています。そこでどんな役割だったのか、まだ調査中です。
この空間には風魔さんに近しい人たちの思念が現れています。そして麻美さんがかつて赴任していた樺太の地が作戦地図に。そこは樺太の庁都豊原、現在のユジノサハリンスクですね。
〔思念空間〕

【如月鈴代】
如月きさらぎ家では霊異りょういは女性にあらわる、
そう伝えられています。
女系にょけいに継承されるものなのです。
祖母には男子しか生まれなかった――
それが私の父、宗達そうたつです。
本来なら父の代で流派の継承はえ、
東雲しののめ流は閉じられいるはずでした。
けれど、父は父なりに努力し、
霊異りょういを現すことができたのです。
ただ力のおよばないことも多く、神経にさわるようなこともあったと――

東雲しののめ流そのものは、
平安時代からあったと聞きます。
それが古式こしき東雲しののめ流――

長い間、閉ざされていた古い流派を、
曾祖母そうそぼが受け継いだのです。
古式こしき東雲しののめ流での神降ろしは、
今とは随分ずいぶんと様子の違うものだった、
そんな話が伝わります。

豊原とよはら市街〕

麻美マーメイ
ここは樺太からふと庁都ちょうと豊原とよはらです。
明治三十八年、日露にちろ戦争に勝利して、
日本は樺太からふとの地を回復しました。
同じ年、北樺太からふと露西亜ロシアに譲渡し、
以来、北樺太からふと薩哈嗹サガレンと呼ばれます。
この薩哈嗹サガレンの譲渡は、
平和外交による相互発展を、
目的としたものでした。

明治四十年、北海道樺太からふと庁が発足。
日本人の入植にゅうしょくが進み、町も整備され、樺太開拓からふとかいたくは本格化しました――

樺太からふとでは林業、製紙業が盛んです。
石炭、石灰の産出量も豊富で、
水揚みずあげ世界有数を誇る漁場も近くに。
風光明媚めいび樺太からふとは旅人にも人気で、
宮沢みやざわ賢治けんじ北原白秋きたはらはくしゅう斎藤さいとう茂吉もきちなど、
著名人も多く訪問しています。
帝政露西亜ロシア時代、
樺太からふと流刑地るけいちでした。

【着信 喪神梨央】
豊原とよはらには赤軍せきぐん兵士が潜入しています。
連中は、樺太からふと奪還を企てています。
特別赤旗あかはた極東きょくとう軍と呼ぶそうです。
間宮まみや海峡を挟んだ樺太からふとの対岸、
ソヴィエツカヤ・ガヴァニに、
本拠ほんきょを置く、第四十八軍です。
皆、怪人化している様子です。
注意してください!

《バトル》

〔思念空間〕

【如月鈴代】
本来、審神者さにわ神憑かみがかりがあったとき、
その神を見定めて、託宣たくせんを得る、
そういう霊能力者のことです。
やがて神を降ろす者、見定める者、
邪神をはらう者に役目が分かれます。
古式こしき東雲しののめ流は、神を降ろす術をみがき、
多くの神降ろしを可能としました。
降ろした神々はとは違い、
八百万やおよろずの神であったと考えられます。
その神々ですが、
ときに顕現けんげんしたと言われています。
つまり目前に現れたのです――

今、古式こしき東雲しののめ流がよみがえると、
人にをけしかけるようなことも、
できてしまうかもしれません。