第八章 第十話 滾る憎しみ

〔山王ホテルロビー〕

その日、山王さんのうホテルには多加美たかみ宮司の姿が。真鏡に付随する3篇の古文書こもんじょについて、残すは愈々いよいよあと1篇であった。

多加美たかみ宮司】
紫水しすい会館の古文書こもんじょは、
やはり冬至についてのことでした。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル

アラカとは宮のことですね。
ヒトツノ アラカ……
最初の宮ですね。
冬至は太陽の死であり、
同時に再生する日でもあります。
だから最初の宮となります。
京都帝大の方の古文書こもんじょ
見つかり次第、連絡が来るはずです。

ホテル玄関から廣秦ひろはた範奈はんなが入ってきた。風魔のところへ真っすぐ歩いてくる。

【廣秦範奈】
喪神もがみさん……
鍛冶橋かじばしの事務所で――
多加美たかみ宮司】
鍛冶橋かじばし……
もしや、志恩しおん会の――

多加美たかみは、自分は山郷やまごう武揚ぶように見限りを付け、今では風魔らに協力していると述べた。そして東雲しののめ流再興を手伝うのだとも。

【廣秦範奈】
如月きさらぎ鈴代すずよさんの決意は、
るがないのですね――
志恩しおん会では六世紀中頃、
ちょうど武烈ぶれつ天皇統治時代、
日本に渡ったマナセ一族を探します。
久志濱くしはま一族と呼ばれていて、
生糸きいとの生産にたずさわっていたようです。

喪神さん――
その志恩しおん会なのですが、
タイピストの女性から連絡があり――

タイピストが言うには、志恩しおん会の事務所から異音がするとのこと。風魔は範奈はんなとともに鍛冶橋かじばしへ向うことに――

範奈、風魔を乗せた公務電車は数寄屋すきや橋電停を通過、その先の鍛冶橋電停に着いた。

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫ですか?
いきなり出かけるって言うから……
大慌てて公務電車の路線、
押さえたんですよ!

【廣秦範奈】
タイピストの女性が言うには、
志恩しおん会の事務所、人がいないのに、
人の気配がすると……
私も何度か、
同じような経験をしました。

そこへ白衣姿の人物がやって来た。頭には反射鏡を着けたままである――

【猫憑き】
ニャ~……
アンタもこの人の仲間ニャ?
この人、大っきな隙間すきまあるニャ。
おいらだけじゃスッカスカ!
おいら、猫の政次郎ニャ!

――言わんこっちゃないニャ!
誰か来るニャ!
ものすごい速さで来るニャ。

ひゃ~……
おいら、弾き飛ばされたニャ!!

白衣姿の男は呆然と立ちすくんだままだ。男の背後にアストラルが現れた。アストラルを透かして鍛冶橋の町が見えている。

【???】
FUMAサン……
JEREMIAHエレミヤデス……
ワカリマスカ?

【エレミヤの思念】
私ハ コンナニ ナリマシタ……
BUT心ニ JUSTIS!!
伝エタイコト I HAVEデス
【廣秦範奈】
エレミヤ……さん……
エレミヤ佐古田さこたさんですね?
――銀行家の……
【エレミヤの思念】
範奈はんなサン……
おお範奈はんなサン……
貴女にまつわるVERY大事なこと!
とても大事なこと――
I HAVEなのです。

でも今は話せません――
FUMAサンにお会いして、
I TALKしたいです!
来てください――大連ダイレンです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンで、
I WAITしています。

アストラルが消えた。白衣姿の男ははっと我に返った。

【本郷の内科医】
ここは……どこですか?
私、白山上はくさんうえの電停にいた、
それまでは覚えていますが。
その後のことは、ちょっと――
やれやれ……
これで今年になって十六回目です。
しっかりしなきゃです。

白衣の医者は何やらつぶやきながら歩き去った。暫く見送っていた範奈だが、軽く深呼吸をして風魔に向き直る。

【廣秦範奈】
私にまつわる大事なこと――
それって何でしょうか?
【着信 喪神梨央】
ゲートの準備できています。
はらえのへお越しください。

祓えの間からゲートを潜り帝都満洲へ。帝都満洲鉄道あじあ号に乗るや、列車長から案内があった。

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンに再びわだかまる存在が――
これまでになく大きいですね。
さて、本列車ですが、
先程、定刻ていこく通り目黒奉天ホウテンを通過、
まもなく碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着です。

〔碑文谷大連〕

【演説家アストラル】
蹶起けっきせよ、将兵諸君!
――ああ、もっと声を張り上げて……
えー……
世相の頽廃たいはい、人身の軽佻けいちょうがいし、
国家の前途に憂心ゆうしん覚えありしが――

だめだな……
登米川とめがわ先生のようにはいかない。

【作家志望アストラル】
記念すべき第一回茶川賞で、
なぜ、僕の小説が落選するんだ?

「ケッケッケ――
怪人三面相は不敵な笑い声を上げた。
それを見た彼女は一段とおびえた!

この後、どんな展開を見せるか、
知りたくないかい?
フフフ、くまなく教えてあげるよ!

おびえた女は突如とつじょ大蛇だいじゃと化した!
そして怪人三面相の体に巻き付き、
ぐいぐいと締め上げた!

「怪人三面相は
憤怒ふんぬ形相ぎょうそうとなった。
しかしすでに手遅れだった――
怪人は青ざめて動かなくなった。

どうだい!
予想外だったろう!
僕は絶対に諦めないからな!!

作家志望のアストラルが去ったのと入れ違いに、3体のアストラルがやって来た。

【伊班R隊員アストラル】
ん?
貴様は……
さては将校か!
ならば心しておくように。
我々玄理げんり派は二班で構成される。
第一の班は班、
元召喚小隊、暁光ぎょうこう召喚隊の隊員ら、
およそ三百名だ。
第二の班は班、
歩三附きの一般将兵ら、
およそ五百名から成る。
玄理げんり派は腐敗国家日本を革新すべく、
多くの血盟者けつめいしゃを迎えている――

【露班O隊員アストラル】
現代日本においては、政党政治家、
財閥ざいばつ及び特権階級のいずれも、
腐敗ふはい堕落だらくはなはだしい。
国家観念をなくし、国家滅亡の、
恐れあるに至らしめたるとし、
愈々いよいよ廓清かくせいつるぎを掲げんとす――
農山漁村の窮乏きゅうぼうを見よ!
小商工業者の疲弊ひへいを見よ!
我国の現状、黙視し得ざるものあり!!

【伊班T隊員アストラル】
貴様は陸士か?
我々、玄理げんり派に加わりたくば、
次の問に答えよ!!

一、歩兵の本領ほんりょう及戦闘手段
一、軍紀について
一、軍人聖心せいしんの意義
一、国防の最良手段
一、勅諭ちょくゆの紀元
一、連隊の歴史
一、四大師しだいし
一、ファッショ
一、現代世相に対する観察

如何どうだ?
続けるぞ、次の趣旨しゅしを述べよ!

天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
――
貴様、貴様のような輩の存在が、
国体を減衰せしめるのだ!!

《バトル》

他2体のアストラルは姿を消していた。

【伊班T隊員アストラル】
武士もののふの道は違はたがわいつの世に
いずくの野辺のべ
つゆゆとも

義憤に燃えたアストラルが消えると、風魔を呼ぶ声がした。

【???】
FUMAサン……
こっちです、こっち……

1体のアストラルがぽつんと浮かんでいた。

【Jアストラル】
FUMAサン……
とても深いところから、
上がってきた人、MEETです――
昔、志恩しおん会の代表をされていた、
廣秦ひろはたサンです――
廣秦ひろはた伊佐久いさくサンです!
そうです……
廣秦ひろはた範奈はんなさんのお父さんです。
今、おいでです――

その言葉に誘われるように、中型のアストラルがやって来る――

【Kアストラル】
範奈はんなを……範奈はんなを知る者か?
――私は……古賀こが容山ようざん篆刻師てんこくしだ。
古賀こが篆刻てんこくを守る私は――

あああ……
ここでは自分を保てない――
私は……私は……

アストラルは揺らいでいた。

幻の五石を求め旅に出た――
自然珪じねんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石もんせき
玄武晶げんぶしょう――
私は多くを求めすぎたのだ。
範奈はんなが生まれる三ヶ月前のことだ――
私は……ちたのだ……

以来、私は思念を飛ばし、
廣秦ひろはた伊佐久いさくとして活動した。
志恩しおん会の一事務員にいたのだ。

アラヤ界の深くをめぐる、
孤独な念と出会ったのが始まりだ。
失われた支族を求めれば戻れる――
その念は私にそう伝えたのだ。
私はその言葉を信じて……
――ああ、だめだ、保てない!!

アストラルが大きく揺らいだ。

《バトル》

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
範奈はんなを呼びたい。
どうかなかだちをしてくれないか。
世界の底を漂い、
私は多くを見てきた。
失ったもの以上のものを得た!!

そう言い残すとアストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
範奈はんなさんのお父さん、
アストラルだったんですね!
碑文谷ひもんや大連ダイレン依然いぜん、セヒラ観測中。
でも今は安定しています。
ひとまず帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、隊長が――
参謀本部から戻られました。
【帆村魯公】
玄理げんり派がいつの間にやら、
一大勢力となっておった。
【喪神梨央】
班、班と言っていました。
【帆村魯公】
うむ……
暁光ぎょうこう召喚隊を中心に班、
歩三将兵で構成する班だ。
玄理げんり派は地方出身の青年将校らの、
不満を刺激し、彼らを錬成れんせいしおった。
状況次第では蹶起けっきも辞さない、
その勢いだそうだ……
玄理げんり派は登米川轍とめがわわだちという
予備役の革命論者と接触を深めて、
革新の大義を掲げておるようだな。

ただ、常田つねだ大佐に大義などない。
覇権はけん確立を狙うばかりだろう。
将校らはうまく利用されておる――
【九頭幸則】
歩一の将兵にも、
玄理げんり派に血盟けつめいする者があると、
内偵ないてい調査が入りました。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、
政治や財閥の腐敗には、
義憤を感じないのですか?
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん――
いきなりふっかけるなぁ。
いや、感じなくはないけど――
天之道不而善勝てんのみちはあらそわずしてかつ――
そう言うじゃない!
【帆村魯公】
ほほう! 老子か!
ところで諸君は先の問題はどうだ?
【喪神梨央】
天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
【九頭幸則】
ええ、これまた何だよ!
――どっかで聞いたことあるけど……
【帆村魯公】
おいおい!
幸坊もれっきとした陸士だろ。
これは軍人勅諭ちょくゆの大事な一節だぞ。

ノックの音が響き、新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
皆さん!
わかりましたよ!
ユンカー博士の居場所が――

ユンカー博士が体内に入れたシュタイン新山にいやまはその特有の波形を発見した。非常に弱い波形のため発見に手間取ったのだ。
ユンカー所長の弱い波動が確認されたのは、麹町こうじまち区の旧憲兵隊司令部だった。所長は裏庭の井戸で他殺体で見つかった。

【九頭幸則】
まさかな……
殺されていたなんて。
酷い有様だったようだ。
【着信 喪神梨央】
歩一の車列、
旧憲兵隊司令部に向かいます。
場所は……麹町こうじまち区です。

普段は静かな町に四両の軍用トラックの車列があった。歩一のトラックである。トラックが旧憲兵隊司令部に向けて走り出した。トラックを見送った風魔と九頭は、公務電車の待つ溜池電停へ向かう。その途中、聖宮と出会った。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
京都でいろいろ調べが付きました。
私立探偵が頑張ってくれまして。

聖宮ひじりのみや九頭くずは自己紹介し合った。互いに相手のことは聞き及んでいた。

【九頭幸則】
私立探偵に依頼されたのですか?
【聖宮成樹】
ええ、信頼のおける人物です。
【九頭幸則】
京都でわかったというのは、
鈴代すずよのことですか?
ゆかりの神社から鏡を預かったという――
【聖宮成樹】
鏡のことは、試したいことがあり、
今、麻美マーメイさんという方に、
ある物を依頼しています――
実はユンカー博士には、
双子の弟がいたのです。
それが柄谷がらたに生慧蔵いえぞうなのです。
【九頭幸則】
その人は、確か……
【聖宮成樹】
戦実施計画綱領――
論文の執筆者です。
京都瑛山会えいざんかいの一員でもあります――

京都帝大の物理学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう――
その手による論文が参謀本部に提出され、歩兵第一連隊に山王さんのう機関が設立された。セヒラやについて京都で管理するのが、聖宮ひじりのみやも所属する瑛山会えいざんかいなのである。
柄谷がらたに瑛山会えいざんかいの中核メンバーであった。

【九頭幸則】
その柄谷がらたに博士は日本人として、
振る舞っていたのですね?
【聖宮成樹】
やや外国人風の面立おもだちということで、
特に問題はなかったのでしょう。
出自しゅつじは明らかにしなかったようです。
【九頭幸則】
ユンカー所長の一家は、
双子の弟を日本に残して、
独逸ドイツに帰国したわけですね。
【聖宮成樹】
何か理由があってのことでしょう。
四十年ほど前のことです――
【九頭幸則】
柄谷がらたに博士は、
ユンカー所長殺害に関係している――
そうなのでしょうか?
【聖宮成樹】
何らかの関係はあると思います。
――おそらく強い確執かくしつがあった……

25年ほど前、生慧蔵いえぞうは渡独の際、兄ユンカーとの面会を希望した。しかしユンカーはこれを退しりぞけたのだ。

【聖宮成樹】
兄ユンカーは墺太利オーストリアの、
王立アカデミー入学への入学を控え、
独逸ドイツ政府の推薦が必要でした。
当時、日独は間接的な対立関係下、
日本にいる肉親の存在は、
ユンカーには不都合だったのです。
【九頭幸則】
四半世紀も前のことが……
今頃になって……
うーむ……あるかも知れませんね。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、私が山王さんのうに来たのは、
釣鐘つりがねを調整するためです。
帝都満洲のセヒラが、
一段と強くなったとのこと。
新山にいやまさんから連絡があったのです。
これより、
山王さんのう機関の方に向かいます。
釣鐘つりがねの制御を始めます。

聖宮はキビキビした所作を伴って歩き去った。そこへ着信があった――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
芽府めふ須斗夫すとおの声が記録されました。
ちょっと聞いてください――

【再生 芽府須斗夫】
……僕は会ったんだ……
彼女さ、そうさ、彼女だよ!
僕の眠りの中にセフィラが流れ込み、
その中に彼女は浮かんでいたのだ。
金雀枝えにしだ色の瞳が美しい彼女は、
千紘ちひろと名乗ったよ。
彼女は自分のことを僕と呼ぶ――
僕たちは響き合う――
彼女、そう言うんだ。
その言葉は柔らかく僕を包み込んだ。
するとどうだい――
僕の中に沈んでいた言葉が、
ゆらゆらと浮き上がったのさ!

再生音声は歪んだノイズとともに消えた。風魔と九頭は互いに顔を見合わせている。そこへ梨央がやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
芽府めふ須斗夫すとおが語った言葉です。
タイプライターで打ち出しました。

芽府めふ須斗夫すとおはアルファベットを語った。それを一文字ずつ大文字でタイプせよと、録音マイクに向かってそう命じたのである。

【九頭幸則】
さっぱり読めないよ――
まるで何かの暗号だね。
【喪神梨央】
私もそう思います。これは暗号です。
新山にいやまさんがお持ちの、
ナチの極秘資料ゲハイムドクメントにありました――
【九頭幸則】
ナチの……極秘資料?
そんなのがあるの?
【喪神梨央】
似た文字を見ました。
それはエニグマ暗号機でこしらえた、
暗号電文でした。

梨央りお九頭くずらとともに一旦山王さんのう機関本部へ。しかし、日枝ひえ神社境内けいだいにセヒラ観測され、風魔ふうま日枝ひえ神社へ向かった。

〔日枝神社境内〕

日枝神社の社を背に4体のホムンクルスがいた。執事型、メイド型、レーベンクラフト型、そしてユーゲント型である。そこへクルト・ヘーゲンがゆっくりした足取りでやって来た。

【クルト・ヘーゲン】
キョウトの学者ピーハディは、
私に不思議な体験をもたらした。
彼が差し出したのは、
水晶クリスタールだった――
完璧なでできている。
それを手に取り、いくら調べても、
完璧な三面体だった……
三角錐さんかくすいでも四面体となるはずだ。
この世にこのような、
美しい三面体が実在するとは……
その水晶を握りしめた瞬間、
私の血潮ちしお沸騰ふっとうしたのだ!
この一週間、
私は高みを飛翔ひしょうしている!
恐れすら一瞬で消え去ってしまう。
彼との初めての会話――
それは私が日本に着任して
間もなくの頃だった――

辺りが急に白く輝き、やがて光は失われた。暗闇の中にクルト・ヘーゲンの姿があった。何処からともなく声がする――

【???】
クルト・ヘーゲン――
君はもう苦しまなくてもいいのだよ。
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私が何に苦しむというのだ?
【???】
君の忌々いまいましい過去は、
とうに過ぎ去った車窓しゃそうの景色だ。
すっかり色褪いろあせて冷えている。
【クルト・ヘーゲン】
ああ、そうだとも!
私は自分にったのだ!
【???】
自分につなどナンセンスだ。
誰もが自分を遠ざけるのだ、
そして空隙くうげきを生み出す。
【クルト・ヘーゲン】
何の話をしている?
私は逃げてなどいない!
ただ――
【???】
ただ、どうした?
憎しみをたぎらせる一方ではないか?
それでこそ君なのだ!
【クルト・ヘーゲン】
そうだ、憎しみだ。
私の憎しみは計り知れない。
ヒュドラの沼よりも底が知れない。
【???】
いいや、君には底が見えている。
それが君のおびえの全てを生み出す。
さぁ、私にゆだねるがいい――
君のたぎる憎しみの、
そのうつわを無限の大きさにしてやろう。
どんな宇宙よりも大きな器だ。
ただしだ――
【クルト・ヘーゲン】
フフフ――
交換条件があるのか?
いいだろう、言ってみろ。
【???】
簡単なことだよ。
多くの部下たちに指示を出す、
ただそれだけだ。

〔日枝神社〕

4体のホムンクルスを従えるような位置にクルト・ヘーゲンは立っていた。その目は風魔を見据えているようであり、また風魔を透かしてみているようでもあった。

【クルト・ヘーゲン】
セフィラは超低温、真空状態で、
五億倍という高濃度に凝縮ぎょうしゅくする。
フェラーの法則と呼ばれる現象だ。
圧縮セフィラはセフィラ光を発し、
それを八枚の純鏡シュピーゲルで反射させる。
セフィラ光はますます輝く!
その光を一気に放つのだ。
ユルゲン・フェラー博士の指導で、
完全なる大型波動グローサベッレが完成した。
これからもミヤケザカから、
継続的に大型波動グローサベッレが発せられる!
私のは成功したのだ。
さぁ、配下の者どもよ!
真の実力を見せてやれ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です……
でも、日枝ひえ神社ではありません!
セヒラ、帝都中で上昇しています。
おそらく帝都満洲から流れている、
そう推測されます!

目の前の4体のホムンクルスにアストラルが現れた。4体は身じろぎ一つしない。

【クルト・ヘーゲン】
どうした!
何があった!
アプドロックが消えたのか!!
くそっ!
こうなったら私が試す!
大型波動グローサベッレ、私も受けたのだ!!

《バトル》

4体のホムンクルスの姿はなかった。

【クルト・ヘーゲン】
アハハハハハ~
私は負けていない!
そうだ、戦いの勝敗ではない!
こうしたみっともない戦いが、
私の憎しみをより大きくする!
お前には感謝せねばな!!

そう言い放った後、クルト・ヘーゲンはややふらつきながら境内けいだいを後にした。

【着信 喪神梨央】
殿下が釣鐘つりがねを……
釣鐘つりがねを調整されたようです。
現在、帝都のセヒラは高い値ながら、
安定しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
帝都満洲に、
強いセヒラがあるようです。
それって――
範奈はんなさんのお父さん……
そうじゃないでしょか?
古賀こが容山ようざんという日本的な名前でした。
【式部丞】
喪神もがみさん――
先程の芽府めふ須斗夫すとおの録音ですが、
彼は覚醒かくせいしたまま話したようです。
そして――
千紘ちひろと会った、そう言いました。
彩女あやめ君の第二人格です、千紘ちひろは。
響き合う――
彩女君も同じ台詞を語りました。
【喪神梨央】
夢の中で会った、
そんなようなことでしたよ。
【式部丞】
夢……あるいは自失した先。
帝都満洲かも知れませんね。
先の予言、ヒククアケ――
近く日本の古文書こもんじょ研究の先生が、
セルパン堂においでになります。
そのときに意味がわかるでしょう。
エニグマ暗号の方は、
新山にいやまさんに任せるしかなさそうです。

瑛山会えいざんかい柄谷がらたに生慧蔵いえぞうはユンカー所長の双子の弟であった。
兄の死に関わった恐れのある弟――
彼はまたクルト・ヘーゲンと取引をし、帝都に無益な戦いをもたらそうとした。柄谷がらたに生慧蔵いえぞうの目的とは果たして何であろうか?

第七章 第十三話 蠢動

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
あっ、兄さん――
兄さんが帝都満洲に行く度に、
時間が少しずつ遅れているとすると、
兄さんの一日が、
私たちの何日にもなってしまう……
新山にいやまさんが危惧きぐされていました。
そうなると、
私たち、どんどん歳を取る、
そうじゃありません?
【帆村魯公】
おう、風魔ふうま
ホテルに佐古田さこた氏がおいでだ。
三崎みさきの銀行で頭取やってる人だ。
【喪神梨央】
山郷やまごう……さんの……
右腕だった人ですね。
エレミヤ佐古田さこた――
【帆村魯公】
山郷やまごうにさん付けは不要だ、梨央りお
佐古田さこた氏は山郷やまごうの計略を阻害そがいし、
N計画の保全に一役買っている。
【喪神梨央】
牛頭ごず機構、最近、動きがありません。
むしろ不気味なんですが――
【帆村魯公】
山郷やまごうが満洲から指示を送っている、
そう考えるのが常だな。
佐古田さこた氏に会ってきてくれ。
氏はホテルロビーだ。

〔山王ホテルロビー〕

【エレミヤ佐古田】
喪神もがみさん!
ちょうどよかったです。
今、是枝これえだ咲世子さよこさんを待ちます。
近く、中条忍なかじょうしのぶさん、
大連ダイレンへ戻ることになると、
そう連絡ありました。
満蒙の大地に猶太ユダヤ人の入植、
愈々いよいよその大計画が動き出すのですね。
【是枝咲世子】
喪神さん――
皆さんは、お変わりありませんか?
佐古田さこたさん、
話しておきたいこととは、
どのようなことですか?
【エレミヤ佐古田】
牛頭ごず機構の山郷やまごうですが、
彼は猶太ユダヤの失われた支族しぞく末裔まつえいを、
懸命になって探しています――
今、私の仕込んだ情報を頼りに、
山郷やまごうは満洲の新京シンキョウにいます――
【是枝咲世子】
N計画で入植する猶太ユダヤ人の中に、
失われた支族しぞく末裔まつえいが含まれている、
彼はそう目論もくろんだのですか?
【エレミヤ佐古田】
山郷やまごうの目的はN計画の乗っ取りです。
計画の基礎は新京しんきょうにあると、
そう仕向けたのです。
さらに仰るようなことも、
匂わせておきました。
【是枝咲世子】
それじゃ霊異りょういを現す末裔まつえいが、
新京しんきょうで彼の手中に落ちることも?
【エレミヤ佐古田】
十の支族しぞくは世界中に散らばりました。
だから、末裔まつえいが満洲に行く可能性、
まったくゼロではありません。
【是枝咲世子】
でも、違うのですか?
【エレミヤ佐古田】
すでにこの日本にマナセ一族の末裔まつえい
いることがわかっています。
山郷やまごうの親戚です――
【着信 喪神梨央】
鈴代すずよさんのことですね。
以前、ユリアさんに、
打ち明けていましたね。

【是枝咲世子】
――如月きさらぎ鈴代すずよさんですね?
父からうかがっていました。
虹人こうじんさんからも……
【エレミヤ佐古田】
支族しぞくに伝わるとされる霊異りょういなす力、
それは女性にのみ受け継がれます。
マナセ一族については、
鈴代さんのお祖母ばぁさんの代で、
途絶とだえているのです。
【是枝咲世子】
それでは……
まだ他に、支族しぞく末裔まつえいがいると?
この日本に……そうなんですね?
【エレミヤ佐古田】
ええ、お伝えしたかったのは、
そのことです。
手がかりはさほどありませんが――
京橋区に志恩しおん会という会があり、
山郷やまごうとは別経路で末裔まつえいを探します。
【是枝咲世子】
お続けになって――
【エレミヤ佐古田】
如月鈴代さんとは別の家系の、
マナセ一族が日本にいるのです。

エレミヤは、6世紀中頃に、朝鮮半島より渡来したマナセ一族が、日本で系譜けいふを継いでいることを話した。マナセ一族に関しては志恩しおん会が調査している。もう一つのマナセの系譜けいふについては、山郷やまごうはまったく認知していないとのことだった。

【是枝咲世子】
見つかっていないマナセ一族のすえ――その現す霊異りょういというのは、
一体、どんな力なのでしょうか?
【エレミヤ佐古田】
ちし明星みょうじょう堕天使だてんしルシファーを、
召喚できるほどの能力です。
かなう相手はいないでしょう――
私、これから志恩しおん会に向かいます。
何でも哈爾浜ハルピンから荷物が着いたと。
哈爾浜ハルピン軍政署からだそうです。
山郷やまごうに関することかも知れません。
それでは、咲世子さよこさん、
喪神さん、これで失礼します。

〔山王ホテルロビー〕

景明ケイメイ
やはりおいででしたか――
今、ホテル玄関で、
エレミヤさんに会いました。
第百六十三銀行の副頭取ですね。あの方は上海軍閥シャンハイぐんばつと繋がっています。
いえ、私は彼とは面識めんしきがありません。
新聞で何度か拝見した程度です。
初めまして、景明けいめいと申します。
外地ではリー景明チンミンです――
【是枝咲世子】
リー……チンミン……
父が申していた方ですね。
確か満鉄の――調査部の――
景明ケイメイ
もしや、あなたは是枝これえだ大佐の?
――そうでしたか、お父上は日本に?
【是枝咲世子】
ええ、おります。
もうじき、独逸ドイツへ戻ります。
景明ケイメイ
ナチのフォス大佐のお宅訪問は、
もう済みましたか?
【是枝咲世子】
よくご存知ですね。
フォス大佐はおいでになりました。
父とは昵懇じっこんの間柄です――
さん……満鉄ではナチの動向、
どこまで掴んでおいでですか?
景明ケイメイ
独逸ドイツは両面攻撃を企図しています。
西へ英仏、東へ露西亜ロシア――
欧州は世界戦争の余儀よぎなしです。
【是枝咲世子】
やはりそうなのですね。
父の取り越し苦労ではなかった……
景明ケイメイ
ナチは羅馬ローマ帝国、神聖羅馬ローマに次ぐ、
第三帝国建設を妄想しています。
その中に露西亜ロシアも含まれるのだと。
そんなナチも一枚岩ではなく、
方々にひび割れを認めます。
来日中のフォス大佐もそうです。
【是枝咲世子】
そのフォス大佐ですが、北満に、
妙に執着されているようですが……
何があるのですか、北満に?
景明ケイメイ
北満ではなく、もっと西です。
新疆シンキョウ省の省都烏魯木斉ウルムチの付近に、
桃源郷とうげんきょうが発見されたのです。
【是枝咲世子】
興亜こうあ日報にあった記事ですわ!
でも大佐が宅においでのとき、
まだ記事は出ていませんでしたわ。
景明ケイメイ
記事によって大佐の情熱に、
火が着いたのではないでしょうか。
【是枝咲世子】
かねてより大佐は北満を含む、
欧亜ユーラシア大陸全域を第四帝国にする、
そう語っておいででした――
景明ケイメイ
烏魯木斉ウルムチ桃源郷とうげんきょうがあれば、
そこを中心として発展するでしょう。
さだめし立派な帝国が出来るでしょう。
【是枝咲世子】
――さん……
桃源郷とうげんきょうなんて、本当なのですか?
私、にわかには信じられません。
景明ケイメイ
新聞の言うことです、真実でしょう。
そう思うことです――
【是枝咲世子】
さん……作り話ですね?
フォス大佐を試す……
そうじゃありませんこと?
景明ケイメイ
ナチ将校をだますなんてできません。
――咲世子さよこさん、中条なかじょうさんは、
まだお宅においでですか?
【是枝咲世子】
ええ、いらっしゃいます。
もう大連ダイレンに戻られるそうですが――
さんは、外地へのご予定は?
景明ケイメイ
私は鮮鉄の京城ケイジョウに用があります。
釜山プサンから朝鮮に入る予定です。
【是枝咲世子】
では、ぜひ、しのぶさんを、
エスコートお願いします。
京城ケイジョウまでで構いませんので。
彼女、以前、怪人にされかけて、
それで用心深くなっています。
お願いします――
景明ケイメイ
わかりました。
今日はお会いできて幸いです。
後日、是枝これえだ家に電報打ちます。
喪神さん、ありがとうございました。
また連絡を取り合いましょう。
【是枝咲世子】
喪神さん……
こうさん……いえ、虹人こうじんさん、
恙無つつがなくお過ごしですか?
虹人さんは複雑で繊細、
それでいてはがねの強さをお持ちです。
虹人さん、おっしゃっていました――
小説を書く時の僕は僕じゃなくなる。
実際の虹人さんを知っていれば、
その言葉、わかる気もします。
秋宮あきみや、休載して久しいですが、
以前の連載分、お見せしますね。
それでは、喪神さん、
またよろしくしてください。

咲世子さよこを見送ってすぐ、梨央りおから着信があり、清水谷しみずだに公園でセヒラを観測したという。ホムンクルスの波形も現れたようだ。

〔清水谷公園〕

【着信 喪神梨央】
そういえば……
今日、清水谷しみずだに公園で猟奇人の会が
開かれるとか……そんな話です。
兄さんにはそんな猟奇趣味、
ないですよね?
――あったら、困ります!
猟奇りょうきグラフ社社員】
おっと、まさか特高じゃ……
えへへ、違いますよね?
ニィさんはそんなんじゃない。
そんな目で見ないでくださいよ。
もうね、お開きです、集まりは。
猟奇人の面々は吉原よしわらの方へ……
もうここにはほとんどいないはず――
さ、私もおいとまします。
【猟奇学生】
フフフ、ボクにはね、わかるんだ。
ほら、あすこ、あの男……
絶対に猟奇的だね。
見た目は普通だけどさ、
家にはきっとろう人形の許婚フィアンセがいる、
そうに違いないよ。
蝋の許婚フィアンセはね、
マーガレットって名前なんだよ。
呼ぶときゃメグってね!
【レーベンクラフト八二二】
邪悪ベーゼ! 邪悪ベーゼ! 民族フォルク! 
【着信 喪神梨央】
ホムンクルスの波形、確認。
――でもセヒラは弱いままです。
交戦の意図は……ありそうです!!

《バトル》

【レーベンクラフト八二二】
十字架クロイツ……十字架クロイツ……
凍るフリーレン――
【着信 喪神梨央もがみりお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
豊川稲荷いなり方面でセヒラ観測です。
またホムンクルスのようです。

豊川とよかわ稲荷いなり前〕

【猟奇好きのサラリーマン】
いやね、どうも様子のおかしな人が
この通りにいるんです――
我々、猟奇人をはるかに超すような
そういうおかしな人が。
【猟奇好きの若旦那】
私ゃね、切支丹坂きりしたんざかでね、
雨の夜にぼんぼりを見たんだ。
宙に浮かぶぼんぼりだよ――
爾来じらいね、怪異のとりこになったんだよ。
さっき通りかかったのもね、
きっと怪異の一つだよ。

【レーベンクラフト六八〇】
――破壊!ツェアシュテールング……
――破壊!ツェアシュテールング……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
――波形は怪人です!!
【レーベンクラフト六八〇】
ドゥンケル
トート! トート
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、依然いぜん高いままです!

たっとばれし使徒Ωオメガ師】
妙な独逸ドイツ語を話すのは、
どうやら人造怪人のようですね。
連中、我々を恐れています――
何の恐れることがあるでしょう?
――私たちは求道者なのですよ。
道をふさぐもの、たとえ公務でも、
この私が退けますからね!!

《バトル》

たっとばれし使徒Ωオメガ師】
あなた方は……可愛そうです――
残念な人生ですね――
色のない人生ですね!

黒頭巾の人物が何かを落とした。風魔は拾い上げる――
それは1枚の便箋びんせんだった。猟奇倶楽部クラブの紋章が箔押はくおしされている。しかし便箋びんせんは白紙だった。

【着信 喪神梨央】
一旦、帰還してください。

一旦帰還という歯切れの悪いのは、まだセヒラを観測するからだという。セヒラは鍛冶橋かじばし界隈かいわいに観測するとのこと、黒頭巾の男が落とした便箋びんせんを預け、風魔は公務電車で鍛冶橋かじばしへと向かった。

鍛冶橋かじばし

【着信 喪神梨央】
鍛冶橋かじばし界隈かいわい、セヒラ上昇中です。
志恩しおん会のある日支にっしビルヂング近辺……
志恩しおん会には、
エレミヤ佐古田さこたさんが向かわれ――
今もおいでじゃないでしょうか?

【オフィスガール】
異人いじんさんみたいな顔の人でしたわ。
なかなかの男前さんですわ……
ふふふ、ついよこ恋慕れんぼしちゃいそう!

【呉服屋の店員】
今さっきの人……三崎みさきの方の……
――確か銀行の偉いさんですよ。
第百六十三銀行だったはずですな……

【経理係の男】
今すれ違った人だけど
新聞で記事読みましたよ……
第百六十銀行の頭取とうどりさんですよ!

【エレミヤ佐古田】
騒動を起こしている怪人は
おそらく囚人しゅうじんどもです。単純悪です。
――日支にっしビルを取り囲んでいます!
あああ、来ました! 奴らです!
私は……ああ、私が!!
わ、わ、わ……あああああぁ~
【えれみやさこた】
あわわわわ~
はぁはぁはぁ……
コロス、I KILL YOU!

ALL WORK ANDしごとばかりで
NO PLAYあそばない
MAKESだから JAREMIAHエレミヤ
AN EVIL BOYわるいこになった
ALL WORK ANDしごとばかりで
NO PLAYあそばない
MAKESだから JAREMIAHエレミヤ
AN EVIL BOYわるいこになった

《バトル》

【???】
……私を……どうか私を……
出してください……
この暗い部屋セルから……プリーズです!

ADIOS――
……サヨナラ……
FUMA SAN!

それはまたもや割れたアンプルだった。中条忍なかじょうしのぶを怪人化させたアンプルと同じである。出処でどころ哈爾浜ハルピン軍政署ということだが――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
すべて終わりました、
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん――
【帆村魯公】
あのセヒラアンプルの出処でどころ
なんとか突き止めたいものだ。
哈爾浜ハルピン軍政署というが――
【喪神梨央】
軍政署って、今もあるんですか?
【帆村魯公】
それはあり得ないな。
明治末に民政に置き換わっている。
何者かが勝手に名乗っておるようだ。
それで、梨央りお――
佐古田さこた氏はどうなったんじゃ?
【喪神梨央】
おそらく……アストラルになった、
そう考えられます。
帝都満洲においでかと。
ずっと波形が残っていますから。
【帆村魯公】
セヒラアンプルの調査は、
飯倉いいくら技研に頼もう。
どこまでわかるか、だがな――
【喪神梨央】
兄さんが拾った便箋びんせん
黒頭巾の男が落としたやつ――
途中報告があります。
【帆村魯公】
何か出たか?
【喪神梨央】
塩化コバルトインキで印刷されていました。文字はあぶしになっています。
今、慎重に作業中です。
【帆村魯公】
わかった。
わしは諸々を参謀本部に相談する。
――ちょっと出るぞ。

参謀本部は哈爾浜ハルピン軍政署についての調査、関東軍への依頼を躊躇ちゅうちょした。情報の漏洩ろうえい危惧きぐしたのである。

黒札 第十二話 大連からの来訪者

〔山王機関本部〕
猶太ユダヤ人の満蒙まんもう入植を企図きとするN計画。その実務をにな大連ダイレン特務機関長中条なかじょう大佐。愛娘まなむすめ中条忍なかじょうしのぶが来日した――

喪神もがみ梨央りお
兄さん、藤沢ふじさわレーネさんから電報で、
中条忍なかじょうしのぶさん、来日されました。
朝一〇時、横浜に着いた興洲丸こうしゅうまるです。
N計画を進める大連ダイレン特務機関の人。
機関長の娘さんです。

大連ダイレン中条忍なかじょうしのぶについては、以前、藤沢ふじさわレーネから聞き及んでいた。
関東軍中条なかじょう大佐の娘である。忙しい大佐を補佐する格好かっこうで、N計画を推進しているのだ。

喪神もがみ梨央りお
東京駅では目立つから、
新橋しんばしで汽車を降りるようにと、
レーネさんが伝えたそうです。
中条なかじょうさん、新橋で降りられて、
円タクに乗られましたが、
途中、霞町かすみちょう付近でセヒラ反応です。
兄さん、巡視パトロ―ル、お願いします!

霞町かすみちょう街路〕

藤沢ふじさわレーネの判断で、中条忍なかじょうしのぶ新橋しんばしで下車して市内へ向かう。その道中、霞町かすみちょうでセヒラが観測された。

【電信会社の社員】
一週間前から課長が行方不明なんだ。
突然、姿を消したんだ――
課長の家まで行ったんだけど……
裏口に大きな血溜ちだまりがあったんだ!
でも本人の姿は見えない――
【エレベーターガール】
最近、やけに心中事件が多いわよね。
それもこれも、怪人騒動と
何か関係あるのかしらねぇ?
莫大小メリヤス工場こうばの経理課員】
気分が落ち込んでたから、
脳楽丸のうらくがんを飲んだんだ、
一気に十じょうも飲んだよ。
かなり気分がすっきりしたな。

【電信会社の社員】
卯敷うずき課長、あいつはな、
四十トンもの銅線アカを横領して、
三千円以上もふところに入れやがった!
俺がそのことをぎつけるや、
卯敷うずきの野郎、俺を小樽おたるに異動させた。
俺を追いやって奴は逃げる算段さんだんだ。
奴の家に行ったんだ。
大きな旅行鞄トランク新京シンキョウ行き一等切符チケット
それに二千円の現金があった。
咄嗟とっさに奴の両目に親指突っ込んで――
そしたら……アハ、アハハ……
いきなり顔が避けた、真っ二つにな!
新京シンキョウには俺が行く、あの金持ってな!
――俺を止めるのは無理だ。
しつこいと、お前の顔も割くぞ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急なセヒラの上昇を観測しました!
付近、警戒してください!

《バトル》

【電信会社の社員】
ん?
…………
………………
俺、何かしたか?
何にもしてないよな?
なぁ、そうだよなぁ……
また人生よろづ相談に電話するよ。
番号は京橋きょうばし局三五のだ、
すっかり覚えた。
【着信 喪神梨央】
本件、警察に通報しておきました。
周囲のセヒラ、もう観測しません。

【田町の銀行員】
今の、人生よろづ相談の話か?
電信柱に案内が貼ってあるよな。
京橋きょうばし局三五の、福呼ぶってな!
よろづ相談、福呼ぶ、人生爽快そうかいって。
そんな宣伝文句が書いてあるんだ。
俺の友達も相談すると言ってた。
でもな、それ以来、そいつの姿、
見かけなくなったんだ。
あいつ、人生爽快そうかいになったのかなぁ。
思うに、ってさ、
ニクシミの一つ前でもあるな……

中条なかじょう 忍しのぶ
喪神もがみ風魔ふうまさんですか?
おかげで助かりました……
少し、お話をさせてくださいますか?

〔山王ホテル〕
【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
そちらの方が、中条忍なかじょうしのぶさんですね。
――大連ダイレン特務機関の。
中条なかじょう 忍しのぶ
風魔ふうまさんに助けていただきました。
――東京駅は危険だと聞き、
手前の新橋しんばしで降りました。
【喪神梨央】
霞町かすみちょうの怪人、まるでしのぶさんを、
待ち構えるようにしていました――
牛頭ごず機構が差し向けたのでしょうか?
よろづ相談で怪人化したようですが、
ちょっと調べてみますね。
中条なかじょう 忍しのぶ
私の来日が、
相手方に知られていたのでしょうか?

〔山王ホテルロビ―〕

【エレミヤ佐古田さこた
喪神もがみさん、こちらにおいでなのが、
中条なかじょうさんですね、大連ダイレン特務機関の。
私、エレミヤ佐古田さこたです。
山郷やまごう武揚ぶようはご存知ぞんじですか?
中条なかじょう 忍しのぶ
是枝これえだ咲世子さよこさんからうかがいました。
N計画を阻害そがいしようとするという――
【エレミヤ佐古田さこた
山郷やまごうはアメリカの猶太ユダヤ人結社、
グランナイツから情報を得るため
交渉材料にN計画の利用をたくらみます。
中条なかじょう 忍しのぶ
N計画を……
利用……
【エレミヤ佐古田さこた
山郷やまごうは満洲へ向かいました。
しかし、私は山郷やまごうに嘘言いました――
山郷やまごう大連ダイレンに向かう予定でしたが、
私が材料を仕込んで、新京シンキョウへと
向かわせました。時間稼げます――
山郷やまごうの向かった新京シンキョウには
何もありません――
中条なかじょう 忍しのぶ
N計画は大連ダイレン特務機関と駐どく大使館、
この二つが中心です。
そして日本の協力者と――
【喪神梨央】
しのぶさん!
しのぶさんあてに電報が来ています!

スグ オメニ カカリタシ
            コレエダ

中条なかじょう 忍しのぶ
――すぐお目にかかりたし 是枝これえだ
是枝これえだ咲世子さよこさんからです!
この方はN計画の日本での協力者。
私、大崎おおさきへ出向きます。

〔山王ホテル前〕

中条なかじょう 忍しのぶ
風魔ふうまさん、今日は本当に
ありがとうございました。
佐古田さこたさん――
N計画を守ってくださり、
感謝します。

【喪神梨央】
兄さん、三探、つまり三つ目の
セヒラ探信儀たんしんぎは確か大崎広小路おおさきひろこうじ……
是枝これえだ大佐邸の敷地しきちにあるはず。
しのぶさんが向かった是枝これえだ大佐の屋敷に、
三探が設置されています。
念のため、警護をお願いします。

白金猿町しろかねさるまち

中条忍なかじょうしのぶの身を案じて公務電車を走らせる。ちょうど白金しろかねに差し掛かった時、町に変事が起きた――

【大阪北浜の商人あきんど
あんさん、えらいこっちゃがな!
えろう別嬪べっぴんな女怪人でっせ!!
怖いおばはんやったら、
なんぼでも知っとるけど……
あんなん初めてや!

【中条忍】
風魔ふうまさん……
どうしましたか?
私……
何か、変ですか?

《バトル》

【中条忍】
私――

式部しきべじょう
これを見つけました。
そこの道に落ちていました。

そう言って式部しきべが差し出したのは、割れたアンプルびんだった。

式部しきべじょう
からになった薬瓶アンプルです。
おそらく、この中に
濃度の高いセヒラが入れられていた。
【中条忍】
私の持ち物の中に、
それがあったんですか?
式部しきべじょう
誰かに入れられたのかも――
心当たりはありますか?
あなたをセヒラに触れさせ、
怪人にしようとたくらんだ者が
きっといるのですよ。
【中条忍】
そう言えば――
大連ダイレンつ前に哈爾浜ハルピン軍政署ぐんせいしょから
人が来ました。
その人は使いの用事で……
父に荷物を届けに来たのです。
式部しきべじょう
ふむ……哈爾浜ハルピンの……軍政署……
民政署ではなくて、ですか。
民政になって久しいのに……
ともあれですよ、
あなたは満洲からおいでになった、
そうなんですね?
【中条忍】
はい。父は関東軍大佐、中条勉なかじょうつとむです。
私は父の仕事を手伝う――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
広尾ひろおの辺りはセヒラ探信儀たんしんぎ
空白地域です!
わずかなセヒラを観測しましたが、
異常はありませんか?
【中条忍】
私、大崎おおさきの方へ向かわなくては。
風魔ふうまさん、そして……
式部しきべじょう
式部しきべです。四谷よつやの方で古本屋を
いとなんでいます。
いかんせん不景気な店ですが――
【中条忍】
式部しきべさん、ありがとうございました。
重ねてお礼を申します。
式部しきべじょう
ちょうど、五反田ごたんだにある朝聞堂ちょうぶんどうという古本屋に行くところでした。
私がご同行しましょう!
【中条忍】
心強いお申し出、感謝します。
喪神もがみさん、
それではまたお目にかかりましょう。

【着信 喪神梨央】
大崎おおさきの三探はまったくセヒラを
観測していません。
もう大丈夫かと思います。

何者かが中条忍なかじょうしのぶを怪人にしようとたくらんだ。N計画が動き出し、また阻害そがいしようという動きも表面化してきたようだ。

黒札 第九話 失われた十支族

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん……
銀座ぎんざでセヒラが上昇しています。
銀座と言っても京橋の方です――
これまでセヒラが
観測されなかった場所ですね。
ちょっと様子を見てきてください。
新しい場所では何が起きるか、
予測不能です。注意してください。

銀座二丁目ぎんざにちょうめ

公務電車で向かったのは、帝都・銀座――銀座でも東京駅にほど近い界隈。今回はじめてセヒラが観測されたのだ。

太鼓持たいこもち】
機嫌きげん遊ばせ!
お兄さん、どちらへ?
この先、うんと危なっかしゅうて……
何でも怪人様がお出ましとかで……
クワバラ、クワバラざんすね~
猟奇趣味りょうきしゅみの男】
おお、君!
丁度ちょうど良かった!
いやね、すっかり道を間違えた……
行き先は……行き先は……
その横丁よこちょう曲がった先、
浅草六区ろっくのどこかにあるはずなんだ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
何か変です! 注意してください!
浅草六区ろっくはまったく方角が違います!

猟奇趣味りょうきしゅみの男】
何を探してるかって?
ふはは、それはな、善意ぜんいとか良心とか
そんなちっぽけなものさ!
無きゃ無いで、スースーしてな!
風邪かぜ引いちまう!

《バトル》

猟奇趣味りょうきしゅみの男】
俺はガキの頃からな、
みなを憎んできた――
そればかりか自分をもだ!
善行ぜんこうは水に記される――
悪行あっこう真鍮しんちゅうに刻まれる――
俺の座右ざゆうめいだ! 覚えとけ!!
太鼓持たいこもち】
あらま!
お兄さんもおっかないこと
しやすんか?
ならお相手させていただきましょ!

《バトル》

太鼓持たいこもち】
――ふぅ、ふぅ、ふぅ……
これは、これで、
疲れることざんすね!
――アタシを馬鹿にした者達に、
とんとお仕置しおきするざんすよ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
――まだセヒラ反応があります。
誰かが、そちらに、
向かっているようです!
【意気盛んな書生】
あんたのこと、聞いたよ、
喪神風魔もがみふうまさんよ!
東雲しののめ流を横取りした帆村魯公ほむらろこう
弟子入りして、頭角とうかくを現した……
陸軍に取り入って神兵しんぺい気取りか?
大人しく山にでもこもって、
猿を相手にたわむれるがいい!
さぁ、この帝都から去ることだ!
我々の邪魔じゃまをしないでもらおう!!

《バトル》

【意気盛んな書生】
ふふうふ……
お前も我々の軍門ぐんもんくだればどうだ?
牛頭会ごずかいは生まれ変わろうとしている!
それなりの地位を与えてやるぞ。
――お前が手こずったおかげで、
十分に時間稼ぎができた!
我々の任務は終了だ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラ解消です!
そして……新たな拠点きょてんが――
鍛冶橋かじばし近くの日支にっしビルヂングです!

【???】
アナタ! こっちです!
――早く! ハリーぎます!

鍛冶橋かじばし

【???】
――怪人は、もういません!
もう大丈夫です。

【エレミヤ佐古田さこた
私はアイアム佐古田サコタ、エレミヤ佐古田サコタです。
山郷やまごうさんのユダヤ人末裔まつえい探しに
資金援助をしています――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人物に接触してはダメです!
【エレミヤ佐古田さこた
待ってウェイトください!
――山郷やまごうさんの仕事を邪魔オブストラクトするのが、
私の本当の働きオプなのです!
私はアメリカの秘密結社グランナイツから
いくつもの指示を得ています。
ボスは将軍アイザック・ハリスです。
グランナイツは世界中で
失われたユダヤ十支族トライブを、
探す組織なのです――
あなたは、ユダヤ十支族トライブのこと、
よく知りますか?

五千年以上前に離散したユダヤ人。
その有力な十支族のうち、1つないし複数が、日本に渡来とらいしていたのだという――

【エレミヤ佐古田さこた
十支族の末裔まつえいは、必ず日本にいます。
そして強い霊異りょうい発現はつげんが期待できる。
山郷やまごうさんは、それを見つけようと――
【着信 喪神もがみ梨央りお
十支族の末裔まつえいを見つけて、
その力で東雲しののめ流をもう一度おこす……
山郷やまごうの狙いはそういうことですね!
【エレミヤ佐古田さこた
……
将軍ハリスは末裔まつえいが見つかっても、
武器として使われることを恐れます。
大連ダイレンにある特務機関から聞きました。
日本ではあなた方が頼りになると……
そしてこの場所も知りました。
ここは昔からユダヤの末裔まつえい探しをする
志恩会シオンという組織のオフィスです。
特に被害はなさそうですが……
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
エレミヤさんと一緒に
山王機関へ戻ってください。
話は山王機関で聞くことにします。
式部しきべさんもすぐにいらっしゃいます。

ユダヤ十支族の末裔まつえいが日本にいるという。やがて霊異りょういを現すという――
真実なら勢力図を塗り替えかねない事態だ。