第九章 第十話 逆相

〔山王機関本部〕

その日、山王さんのう機関本部は重苦しい空気が支配していた。
本部には新山眞にいやままことが詰めていた。

【喪神梨央】
兄さん――
清水谷しみずだに公園のこと、
なんだか不安になりました。
だって四月と同じことが――
でも様子はまったく違いました。

兄さんは審神者として修行した――
陸軍士官になったのは幸則さんだけ、
そういうことでした。
【新山眞】
清水谷だけ時間が戻ったのか、
それとも別な世界に突出したのか、
あるいはその両方ですね。
【帆村魯公】
別な世界と繋がった――
わしにはそんな風に思われたぞ。
あるいは風魔だけが世界を渡った……
【喪神梨央】
兄さんはずっと山王でした、
ずっと探信していました!
【帆村魯公】
うむ……
新山の、つまりはどういうことじゃな?
【新山眞】
並行世界かと思われます。
公園だけ繋がったのです。
将校ではない喪神さんのいる世界――

機関本部に探信儀の警報が鳴り響いた。

【喪神梨央】
警報です!
強いセヒラ――
おそらくヴンダーかと……
【帆村魯公】
どっち方面じゃ?
ヴンダーが出たのは?
【喪神梨央】
上野です、上野広小路界隈かいわい
強いセヒラ、歪みのある波形、
ヴンダーに間違いありません。
【新山眞】
ルーン文字の魔法、
どうなったんでしょうか?
【喪神梨央】
公務電車手配します!
上野広小路です、お願いします。

〔上野広小路〕

果たしてヴンダーは上野に現れていた。
見える者は慌てて避難し、見えない者は噂に触れおののきを深めていた。

【鶯谷の菓子問屋】
まるで蜘蛛くもを散らすように、
そこの交差点から皆逃げたけど、
私にはさっぱりです、見えません!
新聞に写生絵もあったのに、
ヴンダーが見えないのですよ――
かえって恐ろしくなりますね!

【御徒町の錠前屋丁稚】
おいら勘がいいからさ、
ちょっとだけわかるさ!
ヴンダーはね、
あのビルの屋上さ!
仮面の男みたいにね!

【錦糸町のデパートガール】
姉さまにはちゃんと見えるって――
ヴンダーですわ、見えるのですわ。
妹も見えると言い張って、
なんか憎たらしいわね!
私だけが見えないのですわ!
悔しいのですわ!!

【着信 喪神梨央】
セヒラ上昇していますが……
その人ではありません。
今さっき、魔法をかけ終えたと、
その連絡が入りました。
変化はありませんか?

能海旭のうみあきらがスターヴを用いた魔法をかけ、やがてヴンダーの真理しんりあらわになる――

オセル、パース、ライゾ、
カノ、ラグズ――
5つのルーン文字がスターヴを現す。
真実を露わにし
全てをつまびらかにする願いだ。

ヴンダーは音もなく消えた。
ヴンダーのいたあたりに濃厚なセヒラの塊が見える。
それははっきりと見えた。交差点付近にいた市民らは一斉に走って逃げた。

洋服姿の女性が風魔のところへ駆け寄って来た。

【錦糸町のデパートガール】
あーははははは!
見えましたわ、見えましたわ!
あれがそうですのね!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認です。
目の前です!!

【錦糸町のデパートガール】
もう引け目を感じる事など、
何も無いのですわ!
怖いものも、無いのですわ!

《バトル》

【錦糸町のデパートガール】
ああ、悔しい悔しい、
もっと早く見えていれば……
私はもっと――

【着信 喪神梨央】
セヒラのかたまりに、
影響を受けたみたいです。
依然いぜん、高い濃度です――
【着信 新山眞】
ヴンダーのいたところに、
特徴的な波形を観測します。
喪神さん、調べられますか?

【着信 喪神梨央】
ナチの車列が向かっています。
対応お願いします!

ヴンダー騒動を聞きつけてか、武装SSのトラックが到着した。SSたちは濃厚セヒラにも構わず、ヴンダーの消えた場所からその二人を運んできた。
ゲルハルト・フォスとクルト・ヘーゲン、巨大人籟じんらいたましいを喰われた二人だ。

地面に横たわるフォスとクルト。その前に3名のSSが立って見下ろしていた。SS大尉が風魔の前に来る。そして背中を丸めて横たわるフォス大佐を見下ろして言った。

【武装SSホッケ大尉】
ゲルハルト・フォス大佐、
長きご辛労には頭が下がる思いです。
いえ、シュタイナー大佐――

SS大尉は顔を上げ風魔を見据えた。

【武装SSホッケ大尉】
彼はシュタイナー男爵家に生まれ
筆頭で爵位を継ぐはずだったが、
実弟の奸計に嵌められてしまった。
貧しい文具屋に貰われ、
ゲルハルト・フォスとなったのだ。
そしてナチ党員となる。

遅れてナチ党入りしたエルヴィンは、
爵位の助けで出世階段を順調に昇り、
SS上級大佐まで進んだ。
フォス大佐は弟エルヴィンが、
突撃隊員と共謀している、
SS親衛隊本部にそう告げた。

長いナイフの夜――
突撃隊員らは粛清された。

弟エルヴィンも逃れられなかった。
フォス大佐の父グンターも粛清され、
シュタイナー家には火が放たれた。

しかし謀略などなかったのだよ。
エルヴィンは突撃隊員の一人と、
男色関係にあった――

事実はそれだけアインファだ。
私たちは禍根を残さないのだよ、
ヘルフーマ!

ヒムラー長官は清潔がお好きでね。
フォス大佐、この一点の染みを
綺麗に拭って私は帰国する。
祖国ドイツは懐深く私を迎える。

フェルキッシュ!
私の心はドイツに踊る!

君たちにも感謝する、ヘルフーマ。
これら二個については、
君たちの科学者ヴェッセンシャフラーにも
知恵を借りよう。
我が方の研究もはかどるな!

そう言うとSS大尉は回れ右をして歩き去った。残るSSが軍用トラックを誘導している。フォスとクルトの自失体を運び出すためだ。

【着信 喪神梨央】
周辺のセヒラは消えました。
ヴンダーは見えなくなりました。
【着信 新山眞】
まぼろしを見る魔力が消えた、
そんな感じですね。
ひとまず落着です、喪神さん。

魔法という大仕事を終えた能海旭のうみあきらは、アトリエに戻り休んでいるという。
風魔はあきらねぎらうべく赤坂へ――

しかし、すぐには戻れなかった。
不意に周囲から光が消え、風魔は真っ暗闇に立たされた。
そこへどこからともなく声がする――

【柴崎周】
私の交響曲シンホニー愈々いよいよ第四楽章、
ソナタを奏でる時を迎えた。
無上の喜びを覚えざるをえないよ!

巣鴨すがもの監房でサラエボで、
はたまた羅南らなん廠舎しょうしゃで、
私は時を超え、力を尽くした――
この帝都に一輪でも多く、
美しい花をはぐくみたくてね。

君たちのお陰で、
私の努力は報われつつある――
まさに百花繚乱ひゃっかりょうらん――
あらゆる思いの交錯こうさくする世界こそ、
私の望んだ世界なのだよ。

さぁ、フィナーレを、
心豊かに迎えようではないか!

公務電車は上野広小路から万世橋まんせいばし御茶ノ水おちゃのみずを経由して飯田橋へ。
その時、梨央りおから無線着信があった。

【着信 喪神梨央】
申し訳ありません!
本日の公務はまだ継続しそうです。
戸山の砲工学校で騒動です。
まるで暴動のような状態だとか。
怪人が絡んでいるかは不明です。
念のため巡視パトロールお願いします!

〔戸山砲工学校中庭〕

【牛首頭主任研究員】
なぜ我々は解散になるのだ?
研究はあと一歩まで迫った!
【宝珠花専任研究員】
炭疽菌たんそきんに感染させた赤南京蚤あかなんきんのみを、二百キロ砲弾に詰めるんだ!
八千六百匹もな!
【牛首頭主任研究員】
この細菌のみ弾が成功すれば、我国は世界を圧倒する地位となる!
【宝珠花専任研究員】
細菌のみ弾、その生産計画は、なんと年間三百万発だ!
日本万歳! 大大和万歳!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
おかしな状況です――
建物自体がセヒラを発しています。
波形の形に建物が浮かび……
うまく説明できませんが、
建物からセヒラが剥がれていく、
そんなふうに見えるのです。
校舎を検分してください。

ホールに足を踏み入れるとそこには異様な光景が広がっていた。
ホールに置かれている棚がセヒラを帯びていたのである。セヒラは見る見るその濃度を増していく。

【血吸川特任研究員】
これは何事だ!
薬品棚に細工したのはお前か?
貴重な人工血液が保管してある、
その棚に火を放ったのか?

左手から2人の白衣姿の男性が駆け込んで来た。そして血吸川研究員に向かって声を荒げる。

【近藤研究員】
おい、お前!
大切な試料を盗もうとしたな!
【山下研究員】
露西亜ロシア人で培養ばいようした人工血液、
門外不出もんがいふしゅつの試料だ!
イワンの苦しみが生んだ試料だ!

血吸川研究員は怯むことなく2人の研究員を突き飛ばした。

【血吸川特任研究員】
うるさい! 
【近藤・山下両研究員】
うわぁぁぁぁ~

【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
建物からあふれるセヒラを観測!
怪人はその影響を受けています!

【血吸川特任研究員】
ここはもうおしまいなのか?
――いや、そんなはずはない!
東亰ゼロ師団が、
そんな簡単にあばかれてなるか!
我々には後ろ盾がある!!

《バトル》

【血吸川特任研究員】
うう……
終わりなのか……
本当に……これで……

――いい思いをさせてもらった。
いい思いをな――

今やホールはセヒラに塗れている。

【着信 喪神梨央】
兄さん!
セヒラ濃度が異常です!
至急しきゅう退避してください!

交信を終えると風魔はホールから走り出た。校舎を振り返ると、建物全体がセヒラに覆われて揺らめいて見える。

【着信 喪神梨央】
新山にいやまさんの憶測ですが、
仮構ががれはじめているのでは、
とのことでした。
その新山さんですが、
異様な波形を観測するとのことで、
防疫研究所に向かわれました。
もっとも仮構かこうの疑われる場所です。

〔白金三光町〕

車通りも少なく人影まばらな白金三光町。公務電車を降りると、向こうから新山眞がやって来た。

【新山眞】
ルーン文字の魔法、
効力を発揮したようです。
それでヴンダーはたおれました――
でもヴンダーのたおれたことが、
何かの引き金を引いた――
そんな気がします。

釣鐘つりがねの調整の効果もあります。
ただその反動というか、
理解不可能な現象が起きています。

機関本部で見た限り、
防疫研の波形はこれまでの
どの波形とも違っています。
何というか、山と谷が逆になって、
まるで逆さまの位相を作っている、
そんな波形なのです。

仮構によって隠されていたものが、
ここに来て見え始めた、
そんな風にも考えられます。
【着信 喪神梨央】
申し訳ありません!
どうしてもと詰め寄られ――
つい隊長が……
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしの場所を、
教えてしまいました――
まだやって来ませんか?
猫みたいに話す人です。
おそらくは猫憑ねこつきです。
セヒラの観測はありません――

電車通りを渡って背広姿の男性が足早に近づいてきた。

【新山眞】
喪神もがみさん、誰かが来ます――

【京橋のラヂオ商】
無理を言って、
ここを教えてもらったニャ~
快く教えてくれたニャ!
どうしてもあんたに話したい、
そういうのがいてニャ、
この人の隙間すきまを借りたニャ!
あんまり隙間すきまは広くないニャ、
話は早く済ませるニャ!

男性はそう言うと急に腰折れになった。
その男性の背中にアストラルが影のように現れた。

【歩一M大尉アストラル】
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
鬼龍きりゅうがトゥーレの館としていた、
青山の青山ホテルだが、あそこは
フンゲルハウワー公爵邸こうしゃくていだ。

幼少期、私は父と青島チンタオに暮らした。
父はフンゲルハウワー商会で、
筆頭会計係を務めていた。
日本では青山の邸宅が定宿だった。
明帝崩御ほうぎょの年、私はやしきにいた。
四歳の時だった――
その後、世界戦争で青島チンタオち、
独逸ドイツは当地の権益けんえきを失ってしまった。
私たちも独逸ドイツに渡ることに――

爾来じらい、青山のやしきは無人の館、
公爵は二度と訪問することなく、
五年前に亡くなった――

あそこがホテルであったことなど、
かつて一度もないのだ――
あわわ……わ……

アストラルは揺らぎながら消えた。
背広姿の男性は持ち直して言う。

【京橋のラヂオ商】
どうニャ?
話はできたかニャ?
おいらもそろそろ戻るニャ!
また会うニャ!
それまで元気でニャ!
おいら、猫の時次郎ニャ!

男性は歩き去った。

【新山眞】
いやぁ、驚きです。
アストラルが猫憑きを利用して――
それに、またもや仮構かこうの話です。

どんどん仮構ががれている、
そんな感じですね。
――急ぎましょう!

〔防疫研究所所長室〕

所長室の机の横に陳列されている市松人形がセヒラを帯びていた。

【新山眞】
喪神さん!
見てください、あの棚を――
セヒラが盛大に表出して、
そのうちあの人形は消えてしまう、
そうではないでしょうか?

ドアの音がした。
誰かが入ってきたのだ。

【新山眞】
今の音は何でしょうか?

振り向くと
そこにはカバネが立っていた。

【新山眞】
うわぁ!
何でしょうか?
――……ですか――
まさか……
そんなはずはありません!
【綾部研究員】
どうか驚かないでください――
【新山眞】
うわぁ!わわわ!
しゃべった!
なんという驚きスルプリーゾ
【綾部研究員】
皆さん、私はではありません、
私はここの研究員です。
これの中味は人間なのです。
【新山眞】
な、中味が、人間?
――するとあなたが……
これのたましいったのですか!?
【綾部研究員】
違います!
これはカバネというですが、
カバネが私をったのです。
ただ魂ではなく、
私の肉体をったのです――
【新山眞】
肉体を……う……
まるで食人譚しょくじんたんですね、
猟奇倶楽部のことうかがいましたぞ!
カバネにもその趣味があるのですか?
【綾部研究員】
そんなこと知りません!
何かの手違いです。
そうでなければ私は……
【新山眞】
魂をわれて、
人籟じんらいの材料になっていた、
そうなんですね?
【綾部研究員】
私はめられたのです。
副所長らはナチに働きかけ、
ヴンダーの核を手に入れようと――

魔法によって顕現けんげんしたヴンダー。
その核となったフォス大佐とクルト召喚師、二人は人籟じんらいの材料である。
それらを奪取するため、防疫研の副所長らは、人籟じんらいの取扱を指南すると申し出た。
ナチはその申し出に乗ったのだった。

【綾部研究員】
私はその計画に反対でした。
ヴンダーなど
わざわいのたねでしかない――
そう訴えました。

先日、副所長に呼ばれ、
私はセヒラ室に閉じ込められました。
高濃度セヒラに被曝ひばくせられました。
【新山眞】
セヒラ室……
そんな部屋があるのですね。
【綾部研究員】
人籟じんらいを作る部屋です。
でも私の魂は無事でした。
体が……こうなっただけです――
【新山眞】
それじゃは召喚できない、
そうなんですか?
【綾部研究員】
召喚などできません、
体がカバネなだけですから。
【新山眞】
だけですじゃ済まない感じですが――

新山は眉間にしわを寄せ、目をグリグリと動かしている。

【新山眞】
思い出しました!
独逸ドイツの論文にありましたよ、
逆相波形リバースファーズという現象です。

ある波形に対して逆相の波形が現れ、互いを打ち消してしまう現象のことだ。
論文ではそれを逆相波形リバースファーズと名付けていた。
ある方向への動きに対して、逆方向への動きが生まれる――
新山はそのことを言っているのだ。

【綾部研究員】
私が魂ではなく肉体をわれた、
そのことも逆相に関係するのですね?
ここの上部組織、
東亰ゼロ師団は世界に混乱を招く、
それが目的だと聞き及んでいます。
ということは、
混乱とは逆を向く動きがある、
そういうことでしょうか?
【新山眞】
混乱と言うか宗教的には混沌カオスですね。
混沌カオス秩序コスモス、悪魔と神です。
混沌カオスに光があたり
秩序コスモスが生まれた――
【綾部研究員】
私は研究者ですので、
その辺はよくわかりませんが、
逆相とは秩序ある世界なんですね。
【新山眞】
そうかも知れません。
わたしも技術者ですので、
これ以上は……
もっとも霊異りょういを扱うのは、
慣れていますが――

霊異りょういといえば、喪神もがみさん――
例の京都の真鏡まかがみですが、
そろそろ完成しそうです。
ゼーラムの定着を確認しました。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座の上空に大型飛行船が――
参謀本部では何の計画もなく、
独逸ドイツのフリードリッヒ号も、
来日らいにちは来年の春の予定だそうです。
また浅草十二階や、
上野博覧会のようなものかも――
一応、巡視パトロールお願いします。
【着信 帆村魯公】
新山君とそのもう一人、
綾部あやべ研究員は山王さんのう機関本部へ願う。
部屋を用意しておく。以上だ。

銀座の夜空に
巨大な飛行船が姿を見せた。
人々は皆あんぐりと
口を開いて眺めている。

【憧れの声】
あれが噂のフリードリッヒ号ですわ!
なんとも素敵じゃございませんか!
私も乗りとうございますっ!

【警戒する声】
尾翼びよくにも胴体どうたいにも、
どこにも国籍こくせきがないぞ!
あれはまぼろしなんじゃないか?

【畏怖する声】
いつぞやのカグツチ様を思い出す!
ああ、恐れ多いではないか!
お祈りすること、考えなきゃ!

謎めいた飛行船は日劇ビルの屋上に、ゆっくりと降り係留けいりゅうされた。京橋署の巡査が人払いをしている。

日劇のビルを背にして大勢の巡査が警戒にあたっていた。

【京橋署の巡査E】
部長のお達しです。
これ以上は立ち入りできません。
たとえ公務であっても――

【京橋署の巡査T】
前にお会いしましたね――
ナチの偉いさんの出国パレードで。
今夜も偉いさんなのでしょうか?
偉いさんはめんどくさいですね、
とにかく立ち入りは禁止です。

【京橋署の巡査N】
結局、荘月しょうげつ会館での幻燈会げんとうえは、
四回開かれたんですよ。
都合つごう四千人弱のお客らは、
最近の騒動でふっと姿を消しました。
誘拐ゆうかいされたと言う噂もあります。

【京橋署の巡査A】
覚えていますか、私を。
あなたに立ち向かって破れました。
稲荷いなり戻した私です。
以来、廓清かくせいしたままで、
もうすっかり大丈夫です。
怪人になると拉致らちされるって――

【京橋署の刑事K】
こんな夜に、ご公務ご苦労様!
山王さんのう機関はなかなかあきらめない、
そうじゃありませんか?
私はね、木乃伊ミイラ取りが木乃伊ミイラでん
そのまんまですね、
絵に描いたようにね、フフフ!

いたずらに踊りまくる市民を追ううちに、
私もね、踊りの達人になった!
そうしたらどうです、
見事に昇進しょうしんしたのです。
今じゃ刑事です、フハハハハ!

【着信 喪神梨央】
気を付けてください、
セヒラ上昇しています!

【京橋署の刑事K】
ほう!ほうほうほう!
君とお手合わせ願えると!
いいでしょう!
私はね、大切な役割を仰せ付かり、
飛行船を降りてきたのです。
さぁ、整いましたよ!

《バトル》

【京橋署の刑事K】
私もまだまだのようですね!
でもご安心ください、
道はひらけた、そう思うのですよ!

巡査は頭を振りながら見向きもせず歩き去った。他の巡査もいなくなっていた。

【着信 喪神梨央】
幻燈会げんとうえの影響で踊りだし市民が出た、
あの事変のときの巡査ですね。
記録から波形が一致しました――
今や波形は一段と鮮明になり、
廓清かくせいされようもありません。

見ると日劇ビルの前に
柴崎周しばさきあまねが立っていた。
彼は風魔を静かに見据えている――

【柴崎周】
ようやく静かになったね。

君の目を見ていると、
サラエボの青年を思い出すよ。
彼は透き通った目をしていた。
その透明な輝きの奥に、
揺るぎなく強い意志を感じたよ。
その意志が彼に僥倖ぎょうこうをもたらした。
ラテン橋近くのレストランで、
道に迷った皇太子こうたいしの車に出会う――
彼の放った銃弾が世界を動かした。

目眩めくるめく鋼鉄と火焔かえんのページェント!

世界では憎しみが連鎖して、
美しいハーモニーを奏でた。
その調べは日本にもしかと届いた。
あの青年はセルビアの英雄として、
ラテン橋は彼の名を冠した。
プリンツィプ橋としてね!

次に私は日本に目を向けた――
日本には豊かな資源がある。
私たちは実に恵まれているのだよ。

しかし、日本という国は難しい。
人の心は幾重いくえものひだおおわれている。
隔靴掻痒かっかそうようの思いに
見舞われている――
アナーキストは絞首台こうしゅだいつゆと消え、
期待の星、慷慨こうがいする大尉は――
なんと自失して大柱に姿を変え、
世界の歪みを更に進めた!
私のあずからぬ事態が起き始めた。

私の企図きとするものはもっと簡素だ。
血盟将校らの理念を支える――
しかし大いなる計画は頓挫とんざした。
計画は慎重に進めるべきだった。
しかし拙速せっそくに走りすぎたのだ。

――何故だ?
君たちが加担かたんしたとは思えない。
いろいろのことが私を離れ、
勝手に動き出している――

ようやく静かになった。
静けさの奥に蠢動しゅんどうを認める――
だが、それが見当たらないのだ!!

これが杞憂きゆうであれば良いのだが!

そう言うと柴崎は自分の周囲にセヒラを集めた。セヒラはまるで煙幕のように柴崎を包み隠した。

【着信 喪神梨央】
セヒラ異常です!
至急、退避してください!!
し……き……●◇×――

無線の声が遠のいた。風魔は目の前が暗くなるのを感じた。

〔清水谷公園〕

周囲が明るくなった。
ここは清水谷公園。
風魔は隣に九頭幸則の姿を認めた。
目の前にいた書生が話しかけてきた。

【書生】
うちの先生、この春に昇進されて、
えある首席訓導くんどうになられたんです。
今日はそのお祝いです――
【スーツの男】
先生の組の卒業生さん、
皆、陸士に進まれ、そのご功績こうせきで。
もう任官された卒業生さんも――
【主席訓導】
いやいや、小生など、
たいして力にはなっとらんですな!
偉いのは生徒たちですわ。

【九頭幸則】
先生!
田村先生ですね!
お久しぶりです、九頭くずです!
【田村先生】
おお、九頭君!
君も確か陸士に進んだんだね!
見たところもう任官したようだが――
【九頭幸則】
いやぁ、お恥ずかしい!
僕は第三連隊です。
い組の風魔ふうまは第一連隊です。
【田村先生】
そうか!
三連も歴史ある連隊だぞ、
堂々と胸を張るんだ、九頭くず君!
いやぁ、それにしても――
小生、愈々いよいよ鼻が高いな!
【九頭幸則】
これも先生のご指導あってのこと、
僕は先生に学べて幸せです!
アハハハハハ~

春もたけなわの清水谷しみずだに公園に、
ほがらかな笑い声が響いていた。
人、皆、幸せ色に染まる
帝都であった――

ラヂオノイズに混ざり
僅かに声が聞こえる――

【???】
日々、安寧あんねいデスカ?
日々、安寧あんねいデスカ?

急に辺りが暗くなり、次に風魔は赤坂哈爾浜ハルピンにいた。

【着信 喪神梨央】
やっと捕まえた!
兄さん、そこは赤坂哈爾浜ハルピンです。
ずっと弱いセヒラを観測します。
【着信 帆村魯公】
柴崎しばさきという人物、
セヒラを扱うのだな!
奴は赤坂哈爾浜ハルピンへ向かったようだ。

新山にいやま君が、
カバネを送ってはどうかと――
いい考えだと思うぞ、風魔!

いみじくも柴崎周しばさきあまねの言うように、
世界は予知不能な動きを
見せ始めていた。
まるで別な世界が
並行するかのようであった。

皆が幸せそうに暮らす帝都の有様――
風魔が垣間かいま見た世界もまた、
別の軸に存在するのかも
知れなかった。

第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が三段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。
長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。二人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する二人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう二人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして二人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する二人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。階下に見える手術室にらしき一体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それは
イメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー局長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか見たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から二人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!
怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり
ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街ですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1932年、褐色館ブラウネスハウス
警備主任のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が二階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から一体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて五箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を観て一人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

二時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、二人の男性が何やら言い争っていた。風魔は二人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに一体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第九章 第八話 必要なもの

〔山王機関本部〕

その朝、機関本部には興奮気味の新山眞にいやままことの姿があった。
霊式ヘテロヂン技術によって暗号が解読でき、芽府めふ須斗夫すとおの語る第七の予言が判明したのだ。

【新山眞】
とうとう解読できました!
【喪神梨央】
すごいです、新山さん!
それで何とあるんですか?
【新山眞】
ダイオウ
アラワレリ

【喪神梨央】
だいおうあらわれり?

新山はタイプ打ちされた用紙を見せた。

【新山眞】
大王現れり――
この予言の前の部分は……
【喪神梨央】
全地の主なる――
です、続けると、
全地の主なる大王現れり
【新山眞】
まさしく予言めいていますね。
第六の予言と繋げると――

日蝕ひくく明け新しき天地あめつちひらかれり
全地の主なる大王現れり

【喪神梨央】
日蝕にっしょくの日の明け方、
新しい天地あめつちひらかれて、
それを支配する大王が現れる――
【新山眞】
日蝕にっしょくは十二月二十六日の明け方、
まさにその時ですね。
【喪神梨央】
二十五日は先帝祭で祭日です。
山王さんのうホテルでもクリスマスの会が
もよおされます。
【新山眞】
パーティとかあるのですか?
【喪神梨央】
はい……
舞踏会ぶとうかい晩餐会ばんさんかいが予定されています。
大勢が参加します。
【新山眞】
異変がどこに起きるか不明な以上、
避難誘導ひなんゆうどうなどはできませんね――
【喪神梨央】
……
【新山眞】
山王さんのうにゲートがある限りは、
ここで何も起きないはずはない……

新山が危惧しているのはゲートの制御が効かなくなり、セヒラの奔流を招く事態であった。

【帆村魯公】
二十五日のうちに切り上げてもらう、
それがもっとも穏便おんびんな方法じゃな。
【喪神梨央】
あ、隊長!
――今、そのことで新山さんと……
【帆村魯公】
新山君の心配もごもっとも。
ただいたずらに騒ぎ立てるのも良くない。
【新山眞】
予言では二十六日を語ります。
前日のうちはまだ――
【帆村魯公】
パーティやらは、
早めに終えてもらうとしよう。
――それで大王がどうしたと?
【新山眞】
新しい世界をべる大王です。
それが現れるのだと――
大王とは何者でしょうか?

【喪神梨央】
帝都では度々たびたび、神曲が語られます。
地の底に氷漬けになるルシファー……なんだか気になります。
【新山眞】
しかし、帥士すいしの方も召喚師も、
まだルシファーの召喚は、
行えていないのですよね?
【喪神梨央】
ええ今のところは……
最近、独逸ドイツ勢の動きが、
読みづらくなってはいますが。
一度、虹人こうじんさんに、
近況を尋ねてみますね。

【帆村魯公】
新山君――
予言というのは、これですべてか?
【新山眞】
わかりません――
ただ、語り尽くされた感じはします。

【帆村魯公】
鏡の方はどうだね?
例のゼーラム何とかを塗った鏡だ。
【新山眞】
気密筐体きみつきょうたいにまだ煙が残ります。
もう少し時間がかかるかと――

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです!
ちょっとした事件が――
顔をつぶされた死体が発見されました!!
【喪神梨央】
以前、似たようなレントゲン写真、
ありませんでしたか?
【新山眞】
沼津ぬまづの省線病院で撮られた、
顔を吹き飛ばされた怪人です。
中からが出たのではと――
【帆村魯公】
今では人前には現せない、
その仕組は保たれておるがな。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、顔のつぶされた死体、
どこへ運ばれたんですか?
【九頭幸則】
戸山とやま衛戍えいじゅ病院だ。
公務出動するのか?
だったら俺も同行するよ!
【喪神梨央】
気を付けてください!
公務電車、手配します!

九頭と風魔を乗せ、公務電車は一路戸山を目指した。

〔戸山衛戍病院〕

衛戍病院の前には軍用トラックが停まり、その脇に黒塗りの車もあった。白衣姿の医者、看護婦、玄関前を2名の憲兵が立哨に付く。

【九頭幸則】
なんだか物々しいなぁ……
ちょっと俺、
あの憲兵と話してくる。
怪人が運ばれたかも知れないって。

九頭は向かって左の憲兵の元へ。そこに別の医者がやって来た。白衣姿で頭には反射鏡を乗せている。

【猟奇的な医者Σ】
なかなか興味深い検体ですよ!
顔がつぶされている――

と思いきや、そうではなく、
あれは糜爛剤びらんざいの大量曝露ばくろによるもの。
目や口の粘膜ががり、
表にまで飛び出しています。
皮膚は方々で拘縮こうしゅくしています。
口が大きくゆがむのはそのためです。
内臓も酷い有様でしょう。
おそらく出血性肺水腫はいすいしゅ
消化器官に重篤じゅうとくな障害が
ありますね。
死後五時間というところ――
顔の一部は野良犬のらいぬに食われています。

九頭が駆け戻って来た。

【九頭幸則】
顔をつぶされた死体、
影森かげもりだと言うぞ!
影森愁一かげもりしゅういちだ――
一時、俺のお目付け役だった。
でも会ったことはない――
軍人かどうかもわからない――

目の前の医者の周りにセヒラが漂い始めた。

【猟奇的な医者Σ】
係留細線維けいりゅうさいせんいのプロテアーゼによる
分解によって
重篤じゅうとく水疱すいほう形状を招き、
角化かくか細胞や骨髄こつずい細胞で細胞死を生起!
ウハハハハハ~
その痛みは全身の皮を、
力任せにかれるかの如し!!

【九頭幸則】
風魔!!
注意するんだ!
こいつ、おかしくなってるぞ!

《バトル》

【猟奇的な医者Σ】
ルイサイトに大量暴露ばくろした例だ、
最高の検体ではないか!
捜査そうさなどさせないっ!

医者は斃れた。

【九頭幸則】
医者というのも困りものだな。
検体を独り占めしたいばかりに、
怪人になるなんて――

しかし影森かげもりとはまったく謎の人物だ。
その影森かげもりを誰が殺したんだ――
糜爛剤びらんざいきかけたりして。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
防疫研で奇妙な波形を確認しました!
急ぎ向かってください。
糜爛剤びらんざいはルイサイトかも知れません。
参謀本部が調査を引き継ぐそうです。
防疫研、一般中尉も同行されますか?

【九頭幸則】
ああ、一般も行くよ。
あと、このあたりの医者も、
全部しょっぴいたほうがいいな!

〔白金三光町〕

二人は公務電車で白金三光町電停へ向かった。電車通は静まり返っている。二人が電車を降りると、何十羽ものカラスが羽音を立てて飛び去った。

【九頭幸則】
なんだか不気味な雰囲気だ――
人の姿もないしなぁ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
本当に奇妙な波形です――
注意してください!

二人は国立防疫研究所へ向かった。
かねてより仮構組織かこうそしきとの疑義のある施設だ。

〔国立防疫研究所・所長室〕

所長室の大きな机の前に白衣姿の柄谷生慧蔵が立っていた。

【柄谷生慧蔵】
ここにあった大きな市松人形、
あれは果たして何でしょうか?
気味が悪いので、
先ほど焼却炉しょうきゃくろてましたよ。

【九頭幸則】
あなたは……
ここの責任者の方ですか?
――この仮構かこうの場所の?
甘い匂いはしないようですが。

九頭の質問には答えず、柄谷は風魔を向いたまま続けた。

【柄谷生慧蔵】
軍人というのは単純ですね。
喪神さんは審神者さにわでおいでだ、
一線をかくしておいでなのでは?

九頭は前に踏み出し声を荒げた。

【九頭幸則】
おい、あんた!
我々は公務で来ているんだ。
いい加減なことを言っていると――

そのとき、柄谷はようやく九頭に気付いたというふうに九頭を向いて言う。

【柄谷生慧蔵】
私は山王さんのう機関の生みの親です。
帝都のセヒラ同定を受けて、
参謀本部に論文を出しました――
【九頭幸則】
すると、あんたが……
瑛山会えいざんかいの――
【柄谷生慧蔵】
その名前はあまり出さないほうが、
よろしいでしょうな。
私は一介の物理学者です。
森羅万象しんらばんしょうのすべてを計算で求める。
しかしそれでは真実は得られない――
存在と非存在の間には、
極めて曖昧模糊あいまいもことした空隙くうげきがある。
そこを貫く穴もあるはずです――
私はようやくそうした思いに至り、
内面にあるイメージも実は、
眼前に存在しうるのではと――
【九頭幸則】
何のことを言っているんですか?
もしやのことですか――
風魔たちが見ているという。
人の魂を食わせて作る人籟じんらい
その研究がここでなされていました。
それはご存知ですね?
【柄谷生慧蔵】
軍人にしては勘が鋭いですね。
人籟じんらいの材料になりそうな、
そういう怪人を期待したのですが。
実験にはおろかしい肉体も、
数多く必要なのですが――
別の手を考えますよ。

柄谷は教授のような口調になり続けた。

【柄谷生慧蔵】
さて、話を戻しますが、
心的なイメージから想起される、
幻視的な存在を表出させ得る――
その表出を見るためには、
見る側にも意識が必要なのです。
ある種の共犯関係ですな――
【九頭幸則】
似たようなことは帝都でも起きた。
銀座幻燈会げんとうえや人生よろづ相談――
憎しみや恐怖をあおてた。
怪人化をそそのかすような動き、
帥先そっせんヤと呼ばれて摘発てきはつを受けた。
それとどう違うんですか?
【柄谷生慧蔵】
新しい宗教の誕生、
とでも呼べばいいでしょうか?
信仰の対象を現すのですよ。
その瞬間に立ち会ってみては、
如何いかがでしょうか?

不意に柄谷は所長室を出て行った。

【九頭幸則】
待ってください!

九頭と風魔は柄谷を追って部屋を出た。柄谷はホールを横切り地下へと降りていくところであった。

〔防疫研究所処置室〕

処置室の奥には果たしてクルト・ヘーゲンがいた。
目を半開きにして明らかに様子が変だ。彼は車椅子に乗せられている――

【柄谷生慧蔵】
残念ですがこれは自失体ですよ――
クルト・ヘーゲンは自失した、
その実体、いや元の実体ですね。
状態としては前頭葉ぜんとうようが無くなった、
それと同じでしょうか――
欲望に正直なのですよ。

さぁ、クルト、
聞こえる言葉は何ですか?

【クルト・ヘーゲン】
きみジーのあまいしずくトロプン
はちみつリーブリング――
はちみつリーブリングがなくなる!
【柄谷生慧蔵】
君とは誰かね、クルト?
【クルト・ヘーゲン】
はんすHANS――はんすHANS――
ぼくのきみジー――
はんすHANS――
【柄谷生慧蔵】
クルトよ、黒胆汁くろたんじゅうの主よ、
さぁ、求めるものを思え!
戻らない日々を思え!
【クルト・ヘーゲン】
ううう……
はんすHANS……はんすHANS……
ぼくらはふたりミッツ――

クルトがたどたどしく話し終えるや、彼の顔の前に小さなセヒラの球が現れた。

【柄谷生慧蔵】
クルトよ、これがそうではないかな?
君の求めてやまない想い出――
ハンスの持ち物!
【クルト・ヘーゲン】
これは……てちょうノーボク……
はんすHANSの……てちょうノーボク……
ぼくのにがおえポートレイ……はんすHANSがかいた!
【柄谷生慧蔵】
そうとも!
バーデン国家青年団で支給された、
ハンスの手帳だ!
ハンスは親愛のあかしに、
この手帳に君の似顔絵にがおえを描いた。
絵のうまい子だったのかな?
これを君に授けよう。
いろいろ蘇ることだろう。

柄谷がさっと両手を広げた。するとセヒラの球は真っ赤な炎に包まれた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!
もやすな!!
はんすHANSの……てちょう……

上体を小刻みに震わせるクルトの背後にアストラルが現れた。アストラルは膨張と収縮を繰り返している。

【クルト・ヘーゲンのアストラル】
貴様!
兄殺しを私になすけ、
まだ何を望む?
【柄谷生慧蔵】
ついに出ましたか!
あまりにも強い念が、
アストラルを表出させましたね!
【クルト・ヘーゲンのアストラル】
ここにを降ろし、
貴様をなぶり殺してやる!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
整えてください!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲンのアストラル】
糞!
山王さんのう機関の猿と戦うつもりはない!

柄谷がらたに
貴様をどこまでも追ってやる!
覚悟しておけ!

アストラルは回転しながら消えた。柄谷は消えたアストラルをあたりを見ている。

【柄谷生慧蔵】
その調子です、いいですよ――
まされた憎しみは、
濃厚セヒラの中で悪の実体を呼ぶ。
兄の研究ノートが正しければ――
【九頭幸則】
今のは一体どういうことですか?
【柄谷生慧蔵】
ほんの小手調べですよ、
まだ本番はこれからです。
【九頭幸則】
何を言ってる?
ヘーゲン召喚師はどうなった?
【柄谷生慧蔵】
これはがらですよ。
日本人はせみがらにも美を求む。
あながちてたものじゃないですよ。

九頭は車椅子のクルトに向かって声をかけた。

【九頭幸則】
おい、意識はあるのか?
聞こえるか、俺の声が?
【クルト・ヘーゲン】
あう……あう……あう……
はちみつリーブリング……

【柄谷生慧蔵】
さぁ、もうこれくらいでいいでしょう。
彼にはまだ仕事があるのです。
大事な仕事がね――

風魔に一瞥をくれた後、生慧蔵はクルトの乗る車椅子を押して出て行った。

梨央りおからの無線でゲルハルト・フォス大佐を、品川駅前から警護するよう公務指示があった。
独逸ドイツ大使館からの要請だという――
影森愁一かげもりしゅういちのことを刑部おさかべ大佐に報告すべく隊に戻る九頭くずと別れ、風魔ふうまは品川へ向かった。

〔品川駅前〕

【着信 喪神梨央】
ユーゲントが出迎えるみたいです。
大佐は間もなく到着します。
船は花鳥玲愛カトレア丸でした――

交信が終わった時、大型の車が滑り込んできた。

【ゲルハルト・フォス】
ヘル! モガミフーマ!
君の警護を受けられるとは、
実に光栄の極みだ――
無粋ぶすいなSS隊員は行かせたよ。
フフフ――
ナチ党は何でも知りたがる。
独日どくにちは来年にでも協定を結ぶ。
君は同盟国の公務として、
私のことを余さず伝えてくれ――

それとも――

そうか!
君たちが使う無線で、
私の話はすべて伝わるのだな――
いいだろう――
いずれにせよ、そろそろ潮時しおどきだ。
それに私はあと一息なのだ。
愈々いよいよ、完成の域に達したからな!

フォス大佐は横浜港への入港直前に、アルツケアンを体内に取り込んだと語った。
蟻走痒感府ぎそうようかんふのカーンから入手したものだ。

【ゲルハルト・フォス】
カーンは私にたくしたのだよ。
第四帝国の総統として、
広大な欧亜ユーラシア大陸を統べることをね。

第三帝国は多くの爆弾を抱える。
各国の利欲がくすぶり続けるからな。
しかし欧亜ユーラシア大陸は違う。
まったくの新天地なのだ!

これから前祝いだ!
シナガワのレストランに向かう。
君も同行したまえ――

フォスは徒歩で品川遊郭に向かうようだ。風魔はフォスのやや後ろに付いた。

【着信 喪神梨央】
大佐はおそらく、
帝都のセヒラを確認して、
アルツケアンを入れたのです。
そのほうが効果が高いそうです。
公務、続行してください。

〔品川遊郭〕

暮れなずむ品川遊郭。長塀に添ってユーゲントが等間隔で立っていた。

【ゲルハルト・フォス】
アルツケアンは、
世界のどの聖石にもおとらないだろう。
フリジアのペシヌスにある太母の石、
ヘリオガバルス皇帝が、
ローマに持ち帰ったエメサの石――
メッカはカアバ神殿に置かれた石。
いずれも磁石である。
――北極星を指すことはあるが……

アルツケアンは北極星から来た。
至高の神のもとからやって来たのだ!
いや至高の神そのものなのだ!
仰ぎ北極星を見上げるがいい。
大熊座、小熊座が四季ごとに現す、
宇宙の意志、大スワスティカを!
あれこそアーリア人の起源を示す。
大スワスティカは調和であり永遠だ。
たゆまぬ宇宙の運動へと意思を繋ぐ――
私の精神は宇宙の至高の極みに向き、
永遠の呼応を約束されたのだ!!

間もなく私は完全体となる。
新帝国を統べる完全なる総統コンプレットヒューラーとなる!
そろそろ食事の時間だ――

長広舌を終えるとフォスは遊郭へと入って行った。

〔遊郭廊下〕

【ゲルハルト・フォス】
大使館には余すこと無く伝えたかな?
完全体になれば、
誰も私に手出しはできない。
親衛隊長のヒムラーでさえな!

ところで、モガミフーマ――
このトウキョウに、
ヒムラーの間諜かんちょうがいるらしいな。
長官の股肱ここうしんに、
裏切る者がいると――
その者はトウキョウと関係が深い。
疑う者は悲しき存在だ。
自ら疑念のうずに巻き込まれるのだ。
私は信じた――
桃源郷を信じ、アルツケアンを信じ、
だからこそカーンは私にたくした。
もっともカーンは、
SS特務部隊の侵攻に恐れを為した、
そういう見方もあるがな。

廊下の奥から一人の遊女が現れフォスの前に立ち、端唄の節回しで歌った。フォスはリズムを取りながら聞き入っている。

【遊女櫻木】
心でとめて帰す夜は 
可愛いお方のためにもなろと
泣いて別れて又御見文字ごげんもじ
猪牙ちょき蒲団ふとん夜露よつゆれて
あとは物憂ものうき独り寝するも
ここが苦界くがいの真ん中かいな

フォスは遊女とともに廊下の奥に消えた。

〔品川遊郭〕

遊郭を出ると一人のユーゲントが素早く風魔に寄ってきた。

【嵯峨野丸】
ニ〇、一五――ニ一、四五、
唱歌、演説、余興!
ニニ、◯◯、
消灯、就寝!

――全部言わないとね、
何だか気持ち悪くって。
これ、幼年学校の時間割だね。
もう君とは戦わないよ。
アプドロックが解けたみたいだ。
不思議な気分だよ――

二人のもとにユリアがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フォス大佐のことは聞きました。
彼は完全に踏み外しています――
私、心配で……
本国に問い合わせてみました。
フォス大佐のこと――
フォス大佐、爵位しゃくいを奪われて、
奸計かんけいめた弟に復讐したのです。
反逆者の汚名を着せて――

フォス大佐はシュタイナー家の長男だった。
弟の奸計かんけいめられ、爵位しゃくい剥奪はくだつされる。
弟はエルヴィン・シュタイナー――
SS上級大佐の地位にあった。
その弟が突撃隊員と男色関係にあり、
フォス大佐はそれを利用したのである。

【嵯峨野丸】
エルヴィンはフォス大佐を
追い出すために嘘を付いた。
大佐が別の男性の子だと父に告げ、
疑り深い父は大佐を追い出すことで、
自分に答えを出そうとした。
ゲルハルト・シュタイナー男爵だんしゃくは、
文具商のフォス家の養子になった。
ゲルハルト・フォスの誕生さ。
【ユリア・クラウフマン】
フォス大佐はシュタイナー家を告発、
一家はSS武装部隊の粛清しゅくせいを受け、
屋敷には火が放たれた――
【嵯峨野丸】
長いナイフの夜――
去年の出来事だよ。
シュタイナー家はなくなったのさ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたはどこでそれを知ったの?
【嵯峨野丸】
何日か前だよ。
先のアプドロックのときに、
一緒に入ってきたんだ。
【ユリア・クラウフマン】
きっとフォス大佐が、
そのことを思い出したのね――
【嵯峨野丸】
かも知れない――
今は解けているよ、アプドロック。
【ユリア・クラウフマン】
そうみたいね。
コージンに指揮を任せましょう。
彼も張り合いが出るでしょう。

【着信 喪神梨央】
四谷見附に向かってください。
猟奇倶楽部りょうきくらぶから招待が来ました。
隊長と合流してください。

〔四谷見附〕

公務電車は四谷見附で停まった。町は普段通りの賑わいを見せていた。
電車を降りる風魔を魯公が待ち受けていた。

【帆村魯公】
どういう風の吹き回しか、
猟奇倶楽部から招待が届いた。
特別のもよおし――
招待状にはそうあるだけだ。
開催は本日になっておる。
前に本部に届いたのと同じ封筒だ。

今度もさそいに乗ってみる――
ただ、前回と違うのは、
探信儀たんしんぎを新しくしたことだ。
この探信儀たんしんぎを使うんだ、風魔。

そう言うと魯公は携行式探信儀けいこうしきたんしんぎを取り出した。
これまでのと見たところ変わりはない。

【帆村魯公】
それは新山君が、
帝国電工製真空管に変えたもので、
探信たんしん力が高まっておる。
猟奇倶楽部は探信儀たんしんぎの空白域にある。
一探、ニ探、四探、六探――
それぞれの探信儀たんしんぎの範囲外だ。
携行式けいこうしきの性能を上げて、
なんとか場所を突き止めたい。
それがこの公務の目的だ。
じき、迎えの車が来る。
無理はするなよ、風魔。

四谷見附の省線を見下ろすところに立つ風魔。そこへ一台の車が近づき停まった。ドアが開き、黒服の男性が降り立った。

【黒服の男】
お待ちになりましたか、
喪神もがみ風魔ふうまさま――
さぁ、ご案内します。
――車へお乗りください。
例によって目隠し、
させていただきます。
きまりはきまりですから――
ご協力有難うございます。
それでは参ります――

迎えの車は例によって幾度いくたびも角を曲がり、坂を登ったり降りたりを繰り返し、やがて速度を増して走り出した。
突然、急ブレーキの音とともに停車した。ドアの開く音がして、何人かの靴音もする。
風魔は車を降りた――

車は路地裏のような狭い道に停まっている。前にはもう一台の車があった。風魔と黒服の男は、三人の黒頭巾姿の人物に取り囲まれた。

【黒服の男】
一体、何事ですか?
車の前に飛び出すなんて!
あなたたちは、もしかして――

うわぁ~~~

目にも留まらぬ速さで黒頭巾が黒服の男を突き飛ばした。そして風魔を向いて言う。他の黒頭巾も寄ってきた。

【真光の大元老Σシグマ師】
我々を締め出して、
ぜんたい、どういう了見りょうけんですか?
あなたは何を知るのですか?
【永久の聖石工長Γガンマ師】
我々には高位の会員としての、
プライドがある――
わかりますか、プライドだ。
今日のもよおしのことなど、
何も聞かされていない。
なのにあなたは招待されている――
【真光の大元老Σ師】
おかしいではないですか?
筋が通りませんねぇ――
【永久の聖石工長Γ師】
特務機関の人間が、
果たして猟奇倶楽部に何用だ?
一体、何を計画している?
【暗黒の凱旋がいせん将軍Δデルタ師】
秘匿ひとく中の秘匿ひとくというわけですね。
これは無理にでも聞き出すしか、
なさそうですね。

我慢は美徳と教わりましたが、
今日はたがはずしましょう!!

《バトル》

【暗黒の凱旋将軍Δ師】
一体、何を隠している!
我々を出し抜いて――

黒頭巾は斃れた。

【真光の大元老Σ師】
仕方ないですね――
車はもう一台出ています。
【永久の聖石工長Γ師】
品川駅か?
【真光の大元老Σ師】
あちらには二人向かいました。
東方の黒騎士長Δデルタ師と、
大階段の審判長Λラムダ師です。
【永久の聖石工長Γ師】
なら大丈夫だろう。
【真光の大元老Σ師】
しかしΔデルタ師が、リードボーで、
食あたりとなり不参加かも……
【永久の聖石工長Γ師】
何だと?
なら我々が行くしかない!
急ぐぞ、Σシグマ師!

そう言うや2人の黒頭巾は走り去った。それを見計らうかのように先程の黒服の男性がやって来た。

【黒服の男】
いやぁ、何でしょうか、
あの乱暴狼藉らんぼうろうぜきぶりは!
私はね、喪神風魔さん、
より高位の会員から
仰せつかっているのですよ。
さぁ、参りましょう。
また目隠し――
もうご自分でお願いします。

再び車は走り出したが、
ものの五分ほどで猟奇倶楽部に到着した。風魔は案内を受けながらホールに入った。

〔猟奇倶楽部〕

猟奇倶楽部のホールは、以前と同様、
かすかに乳香にゅうこうの香りがしていた。
他に人影はなく静まり返っている。

ホールの端、大きく開いた開口部からフォスがやって来た。

【ゲルハルト・フォス】
君はよほど仕事熱心と見える。
そうではないか、モガミフーマ!
クラブの迎えがシナガワに来る、
そう知らされてね――
もちろん食事は済ませたよ。

君に届いた招待状はどうだ?
私のにはシュタイナー家の紋章もんしょうが、
それは美しく印刷されていた。

ユリアの話ではフォスは家を追われた身だ。
その家こそがシュタイナー家である。

【ゲルハルト・フォス】
長いナイフの夜、
シュタイナー邸は焼かれてしまった。
両親と弟は炎を恐れなかった――
なぜなら、屋敷が燃える前に、
SS隊員に処刑されていたからだ。
弟エルヴィンは爵位しゃくいを持つために、
とても出世が早かった。
死んだ時はSS上級大佐だった。

エルヴィンは突撃隊員のハンスと、
男色の関係にあった――
あの田舎出の青年と仲睦なかむつまじくね。
弟が反逆思想に染まるのに、
そう時間はかからないだろう。
どうだ、違うかね?

ここのクラブが何を知るのか、
私にはわからないが、
あの紋章が意味するところは――

完全なる総統コンプレットヒューラーを前にして、
是非ぜひ埋めておきたい小さな穴――
完全体に穴は不要だからな!
【???】
大佐にはご用意がありますよ――

その声の後、黒頭巾くろずきん姿の人物が、
ホールに姿を見せた。

【従順なる隸Θしもべシータ師】
シュタイナー家の紋入りのカップ、
私の手元に残りますよ。
世界でただひとつの品です。
【ゲルハルト・フォス】
何だと?
あの紋入りのカップを持つのか?
それは本物か?
【従順なる隸Θ師】
ご自分の眼で、
お確かめになっては如何ですか?
付いてきてください。

黒頭巾姿の男は廊下に入り、
小さな部屋へ二人を案内した。
隣の部屋がガラス越しに見えている――

〔猟奇倶楽部・控室〕

【従順なる隸Θ師】
さぁ、大佐――
あなた自身を示すものを、
ご確認ください。
【ゲルハルト・フォス】
カップはどこにあるのだ?
この部屋には見当たらないぞ。
【従順なる隸Θ師】
隣の部屋ですよ、大佐。
さぁ、そこの扉から入ってください。

うながされてフォス大佐は隣室へ入った。
黒頭巾の男は扉を閉めかぎをかけた。
しばらくして時計がかねを打つ音がする。

フォスが入っていた扉の両脇にガラス窓があり、部屋の中を見ることができる。その部屋の壁際には伝声管のような管が突き出し、脇に何かの装置があった。フォスは部屋の中央に佇み、その目は宙を泳いでいた。

【ゲルハルト・フォス】
おおお!
これは……私のカップだ!
すべてをなくした私に、
唯一ゆいいつ残されたカップだ――
このカップで私は埋まる!

時計のかねは十二回鳴り、
さらにもう一度、打った。
かねは十三回鳴った――

【ゲルハルト・フォス】
あああ!
どうしたんだ!
私のカップが!!

何故だ?
なぜカップを……
割ったのだ!!

貴様――
殺してやる!

フォスがこちらを向く。両手をガラス窓に叩きつけている。

【従順なる隸Θ師】
これから濃厚セヒラを圧縮します。
喪神さん、愈々いよいよですよ!
本番です!
この館にはセヒラを圧縮する
装置が用意されています。
セヒラは大佐のいる部屋に出ます。

フォスのいる部屋にある伝声管のような管からセヒラと思しき気体が吹き出した。部屋は見る見る紫色に染まった。

その時である。フォスの体からアストラルが表出した。フォスの体は浮遊するかのように揺らいでいる。そしてもう一体、アストラルが現れた。2体のアストラルはセヒラの満ちた部屋で対峙している。

【クルト・ヘーゲンのアストラル】
暗闇の中、こうとした灯りが見えた。
それがこの場所なのか!
ハンスの名を呼ぶのは誰だ?

【ゲルハルト・フォス】
――あう……あう……うう……

【ゲルハルト・フォスのアストラル】
あの男色青年のことか!
弟のエルヴィンとよろしくやって、
共に粛清しゅくせいを受けたハンスのことか!
【クルト・ヘーゲンのアストラル】
貴様か!
ハンスをめたのは!

2体のアストラルは激しく打ち震えている。やがて濃縮セヒラによって部屋は深海のように暗闇に包まれてしまった。

第九章 第三話 時間軸の歪み

赤坂の大柱のことはすっかり市民の知ることとなり、連日、物見遊山の市民が詰めかけた。

【洋服姿のモガ】
大柱様! お願いします――
私、大柱様のように二人で向き合い、
家庭を築きたいのです!
【油絵が趣味の男】
うーん、このアングルだと、
柱が全部は見えないなぁ。
だが柱の高さはよくわかる……
【水飴売】
水飴いらんかねぇ~
甘い、あま~い水飴だよ~

一方、青山墓地に開いた大穴の周囲には大勢の巡査が動員され、市民の接近を監視していた。好奇心に駆られた市民も遠巻きに眺めるのみであった。

〔釣鐘の間〕

しかし、怪人騒動が頻発ひんぱつすることもなく、帝都は静けさを保っていた。
すでに12月中旬になっていた。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
今、釣鐘つりがねの出力を上げています。
【新山眞】
出力を上げると、
セヒラの量も増えそうですが、
そうはならないのですね。
【聖宮成樹】
あるところまではセヒラが増えます。
しかし、さらに出力を上げると、
不思議なことにセヒラが下がる――
どうもそのようです。
【新山眞】
スプライン曲線という、
三次元曲線があるのですが、
それに似た挙動を示すのですね。

喪神さん――
この穴が青山新京シンキョウに通じるのなら、
麗華れいかさんが戻るのは造作ありません。
ただ今はセヒラを何も観測せず、
大穴が開いているだけです。
すぐに麗華さんが戻るというのは、
ちょっと考えにくいのです。
【聖宮成樹】
再びセヒラが上昇した時、
釣鐘つりがねの出力をさらに上げると、
一瞬、高濃度のセヒラが発生します。
セヒラの濃くなるその一瞬は、
最大限の注意が必要です。
それは心しておいてください。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
隊長がおいでです。
機関本部へお越しください。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人が発掘したアルツケアンは、
アーネンエルベに一肌ひとはだ脱いで
もらうのがいいでしょうね。

そう言うと聖宮は釣鐘の間を出ていった。風魔、新山も後に続いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
参謀本部通いだった隊長が、
軍の謀反むほん計画を調べてくれました。
【帆村魯公】
謀反むほん計画――
確かにそうじゃな、謀反むほんじゃな。
参謀本部と陸軍省の調べで、
久鹿くろく計画の全貌ぜんぼうが明らかになり、
歩三では大掛かりな沙汰さたがあった。
【喪神梨央】
沙汰さたって……
つまり、人の異動とかですか?
【帆村魯公】
そうだな――
その実は粛清しゅくせいじゃよ。
とりわけ歩三には、
大鉈が振るわれたようじゃ。
連隊長の常田つねだ大佐も転隊になった。
【喪神梨央】
そうなんですね。
久鹿くろく計画の中心ですからね――
それで、常田大佐、どちらへ?
【帆村魯公】
新潟の第十三師団だ。
輜重しちょう兵第十三連隊渡河とか材料中隊――
部隊は新潟県中頸城なかくびき郡高田市にある。
【喪神梨央】
渡河とか材料中隊って……
橋を掛けるための資材を調達する、
そういう部隊ですよね。
【帆村魯公】
ああ、そうだな。戦闘部隊ではない。
部隊は高田城址じょうしの南に位置する。
部隊暗号は九一〇九だ――
久鹿くろく計画に関係するものなのか、
参謀本部第九部で、
このような伝単ビラが取得されていた。

下士官兵ニ告グ――
その標題で始まる伝単ビラであった。
一、今カラデモおそクナイカラ
  原隊げんたいかえ
ニ、抵抗ていこうスルもの
  全部逆賊ぜんぶぎゃくぞくデアルカラ射殺しゃさつスル
三、オ前達まえたち父母兄弟ふぼきょうだい
  国賊こくぞくトナルノデみなイテオルゾ

【喪神梨央】
原隊へ帰れ――
これって、計画の失敗を、
あらかじめ知っているのではないですか?

そこへノックの音がして九頭が入ってきた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです。
この伝単ビラ、何ですか、先生?
【帆村魯公】
謀反むほんの将兵に投降とうこうを呼びかける、
その目的でられた伝単ビラだな。
【九頭幸則】
例の久鹿くろく計画ですね――
軍務局長暗殺、続く大暗殺計画、
実行されたら大変でした。
【喪神梨央】
こういう伝単ビラがあるというのは、
計画の失敗を予見よけんしていたと
そう考えられますね。
【帆村魯公】
失敗になる筋書きがあったとかな。
はなからそういう計画だったのかも。
結果、国体の再生は進むはずだ――
【九頭幸則】
だとすると、
宗谷そうや大尉の死は犬死ではなかった、
そうなのかも知れませんね。
【喪神梨央】
常田大佐の赴任ふにんした高田ですが――
上野から省線急行で行けますね!
【九頭幸則】
え? 
歩三の常田大佐、転隊したの?
その高田ってどこ?
【喪神梨央】
越後えちご高田です。信越しんえつ本線ですよ。
上野発夜八時五十五分、高田着は、
朝四時五分の夜間急行で行けます。
【帆村魯公】
常田大佐は輜重しちょう部隊に移った。
そういうことだ――
【喪神梨央】
川に橋をける資材を調達します。

再びノックの音が響く。フリーダ葉がドアの隙間から顔を覗かせた。

【フリーダよう
私、入って大丈夫かしら?
【喪神梨央】
フリーダさん!
どうしたんですか?
【フリーダよう
風水師のバーナードが、
仲間に声をかけてくれたのよ。
あのバーナードチャンよ。
それで五人の風水師が集まって、
青山新京シンキョウの穴を守ってくれている。
そういうことみたいよ。
みんな未来から繋がった思念、
大元はうんと遠くにいるのよ。
【喪神梨央】
そのおかげで青山墓地のセヒラ、
大きな値が観測されないのですね。
【フリーダよう
値の大小はわからないけど、
彼ら風水の術が効いているのかも。
【喪神梨央】
すると青山新京シンキョウに未来が繋がった、
そうなんですか?
【フリーダよう
そうじゃなくて、
彼らが思念を繋いだのよ。
でも――
【喪神梨央】
何か問題でもあるんですか?
【フリーダよう
他の思念もられてやってくる、
その可能性もあるわね。
あったらあったで面白いけど。
【喪神梨央】
ねぇ、フリーダさん。
前に見せてもらった小さな幻燈器げんとうき
あの原理ってどうなってるんですか?
【フリーダよう
あれはね、未来の技術なの。
この時代に披露ひろうすることはできない。
それはわかってね――

独逸ドイツ大使館〕

殿下の言葉もありアーネンエルベに寄っては、という魯公ろこうの提案があり、風魔ふうま三宅坂みやけざかへ。
ユリアと虹人こうじんが迎えてくれた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館でセヒラ観測です!

交信終わるや否や、執事型ホムンクルスが駆け寄って来た。

【執事型ホムンクルス】
標的ツィール
――排除アンシュルス! 排除アンシュルス

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……終了エンデ……

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
大丈夫だったか、風魔?
執事型の洗礼を受けたみたいだが。
【ユリア・クラウフマン】
フーマがここに来るのを、
知っていたようですね――
【帆村虹人】
そうそう、梨央りおが教えてくれたよ。
大昔の隕石いんせきなんだって?
アルツケアン――
【ユリア・クラウフマン】
私もアルツケアンのこと、
少し調べてみました。
コージンも手伝ってくれたのです。
アルツケアンはウルムチの南西、
およそ一九五キロの山中で発掘され、
アーネンエルベにもたらされました。
【帆村虹人】
かい族の少年、アヒムが犠牲になった。
彼は急に学者になったりした――
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは人の意志を読み取り、
人がそう振る舞うように仕向けます。
【帆村虹人】
寝ている間に蒸発する結晶なんて、
なんだか厄介やっかいだよ。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは、
真空容器に入れて取り扱います。

【帆村虹人】
人が変わる現象はメントロピー……
そう言うんだね。
独逸ドイツ人は何でも名前を付けたがる。
【ユリア・クラウフマン】
そうですね……
メントロピーがいつまで続くか、
まだわからないことだらけです。
仮面の男にアルツケアンをほどこしたのは
フェラー博士に違いありません。
【帆村虹人】
それで仮面の男は、
自分以上の自分になれたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
取り込み方も重要なようです。

気体化したアルツケアンを吸い込み、身体に定着しきるまえに目を覚ますと、メントロピーは短い時間で終わるという。

【帆村虹人】
かい族の少年は、
完全に取り込む前に目覚めたんだね。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男には慎重に施した――
フェラー博士はコンプレットを、
作ろうとしたのでしょう。
【帆村虹人】
コンプレット――
【ユリア・クラウフマン】
完全版といった意味です。
【帆村虹人】
麗華さんに結 晶アルツケアンを施したのが、
山郷だとすれば、
方法を知っていたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
容器から出して、
部屋においておくだけです。
けれど、アルツケアンについて、
知識はあったんでしょうね。
【帆村虹人】
誰かが教えた、そうだよね、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンどうしで、
大きなセヒラ場を生むことも。
よほど詳しい人物がいた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
風水師たちを阻害そがいする者が――
青山新京シンキョウです。

【帆村虹人】
僕はユーゲントたちを組織して、
仮面の男の捜索そうさくをするよ。
捲土重来けんどちょうらいを狙ってそうだから!
【ユリア・クラウフマン】
私はヘーゲンの動向を探ります。
先ほど執事型を何体も連れて、
市内に出かけました。
何か目的があるようです。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴を、
五人の風水師が守ります。
そこへ阻害する者が現れたと――
【新山眞】
ジョン・チュー、エリック・ホイ、
ヘレナ・スー、ドナルド・プー、
そしてアンドリュー・ワン――
アンドリューさん以外、
苗字の漢字はわかりません。
【喪神梨央】
一人、女性がいるのですね――
ヘレナさん……
何があったでしょうか。
【新山眞】
フリーダさんいわく、
五人とも昏睡こんすい状態にあるとか。
それで思念を飛ばすのです。
【喪神梨央】
フリーダさんの携行式けいこうしき幻燈器げんとうき
もしかしてキノライトの会社かも。
東京幻燈げんとう工業ってところです。
ちょっと調べてみますね!

〔赤坂哈爾浜駅〕

【満鉄列車長】
青山新京シンキョウにいる連中、
香港ホンコンから繋がっているようですね。
それもうんと未来の香港ホンコンから。
前にも似たようなことがありました。
それで未来から色々来たのです――
今度も来るかもしれませんね。
――どんな未来からでしょうか?

列車は青山新京シンキョウに向かいます。
間もなく出発します。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
見たこともない波形を観測しました。
注意してください!

交信後、すぐさま中型アストラルがやって来た。

【ダイナー店主Bアストラル】
俺があの怪物ヴンダーを初めて見たのは、
誰が呼んだかクソ退屈州間道路インターステーツ上だ。
ツーソンまで真っ直ぐ続くクソ道路、
あれを計画した奴は、
よほどの阿呆あほかおせっかい野郎だ。
ハンドル操作不要で楽々チンチン――
そう考えたのかもな。
救いようのないおせっかい野郎だな!

怪物はウェストロックを貫く州間道路を、ツーソン方面へ移動していたという。
町外れの小屋で暮らすセルマ婆さんが、ミッションオイルの染みを見て救世主キリストと信じ、全米からおかしな連中が集まった道路である。婆さんは純白のウェディングドレスをまとい、オイル染みのある場所へ日参した。
ドレスが灰色になる頃に騒ぎは収まった。

【ダイナー店主Bアストラル】
怪物はコーディの仕業だと考えた。
ヘンリーオートの穀潰ごくつぶし、
キング・オブくそったれコーディだ。

なんせあの怪物、
体中から砲身突き出していたからな。
歩く砲身天国だ、まったく!

コーディは車屋を営むが、
筋金入りのガンクレイジーだぞ。
弾の出るものなんでもござれ!
去年、二十八年型T1軽戦車を買い、
三十七ミリ歩兵砲を取り外して、
九十三ミリ砲に載せ替えやがった。
奴がそいつをぶっ放した時は、
地面は脂肪デブの腹みたいに波打ち、
砂煙が竜巻状に舞い上がったもんだ。
永久に太陽が顔を出さなくなり、
ウェストロックは氷河期を迎える、
そう心配したもんだ。

あの怪物もコーディの野郎がこしらえた、
そう考えるのも当然といえば当然だ。
真っ白な不気味や怪物をな!

だが違った! 真実は奇なり!
怪物は日本人ジャップが持ち込んだんだ。
今は大和人ヤマトニアンって呼ぶんだったな。

あの怪物どもとナチの新型爆弾で、
アメリカは日本とドイツに全面降伏、
西経百四度で分断統治されたんだ。
モンタナ州とノースダコタ州の州境、
それがになった。
百四度線と呼ばれる――

日本人ジャップ、いや大和人ヤマトニアンは、
ロスにアメリカ総督府を置いた。
西半分、大和ヤマト領ってわけだ。
そういや、大和人ヤマトニアンの連中、
あの怪物のことをなんと呼んだか……
確か――
ジンライマジン――
大和語ヤマトニーズは難しいぜ、まったく!

アストラルが回転しながら消え、風魔は街区を進んだ。そこでは2体のアストラルが会話していた。

【着信 喪神梨央】
未来のことのようですが――
何かズレが生じているようです。
警戒して進んでください。

【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか港に停泊中の戦艦京畿けいき艦上で、
宮崎みやざき全権大使とモス米副大統領が、
横須賀よこすか条約に調印し――

ああ、何かうまくまとめられない。
イケダ、お前の方はどうだ?
【新聞記者Iアストラル】
日本国は大和やまと国として省庁再編、
拓務たくむ省から改組の拓殖経務たくしょくけいむ省が、
鮮満に次ぎ西米洲を管轄かんかつ――

サカイ、お前の原稿は、
条約の目玉を取り上げたほうが、
いいんじゃないか?
【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか条約の目玉か――
ドル二十八円の固定相場制とか、
米国アメリカ石油の無制限輸入とかか?
【新聞記者Iアストラル】
そうだな――
それを見出しにして、
米国総督府のエドガー蒲田かまた総督の――

そう言い終わらないうちに5体のアストラルが同時に入ってきた。

【新聞記者Sアストラル】
ん、何だ、何があった?

【超級風水師AWアストラル】
私たちでは、
押さえきれない邪悪な存在だ。
頼む、なんとかしてくれ!
【風水師HSアストラル】
邪気の流れを整える、
私たちにできることよ。
それを超えては無理だわ――

そう言うと5体のアストラルは隣接する街区へと進んだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区に進んでください。
セヒラ、観測します!

果たしてその街区には仮面の男が待ち構えていた。セヒラ異常に呑み込まれて消えて以来である。

【仮面の男のアストラル】
私は自分こそ虚無きょむだと思っていたが、
あの女ほどではない――
月詠麗華つくよみれいかだ!
あの女の内側には何もない。
怒りも憎しみも、さげすみも、何もだ。
あの女は戦いそれ自体を楽しむ――

二つのアルツケアン、
その衝突が狙いだったとはな!
私も焼きが回ったものだ。
だが、この戦いで私は再生する。
さぁ、憎しみをわけてくれないか!!

《バトル》

【仮面の男のアストラル】
お前は闇をのぞいているつもりか。
闇もまたお前をのぞいているのだ。
それを忘れるな――

仮面の男が消えた後、風魔はさらに街区を進んだ。地面に大穴の開いた場所である。穴の周りを5体のアストラルが囲んでいた。

【風水師HSアストラル】
助かりました――
私はヘレナ・スーです。
香港の風水師です。
今は九龍クーロンフロントの海鮮中心にある、
フカヒレ屋の奥の部屋で、
八年も昏睡コーマ状態になっています。
あの頃、眠れない夜が続き、
素人しろうと療法で睡眠薬を飲みすぎて――
先日、私の思念はバーナードに会い、
ここにいざなわれました。

【風水師JCアストラル】
さぁ、また私たち五人で、
ここの邪気をしっかり整えますよ。
私たちは誇り高きコーマ団ですから!!

5体のアストラルが穴の中央に集まった。その直後、穴からはセヒラの湧出が始まった。しかしアストラルたちが制御するためセヒラはか細くまるで糸のようであった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンで麗華さんらしき波形、
確認しました。
赤坂哈爾浜ハルピンに向かってください。

大穴はひとまずアストラルたちに任せることにして風魔は踵を返した。

【満鉄列車長】
やはりです、憶測したとおりです。
赤坂哈爾浜ハルピンの町に、
キタイスカヤが出現しました。
哈爾浜ハルピンのキタイスカヤです、
あの大通りがそっくりそのまま!
そして私の状態では、
キタイスカヤに入れないのです!!

え~間もなく、赤坂哈爾浜ハルピン
赤坂哈爾浜ハルピンです~
キタイスカヤもこちらです~

赤坂哈爾浜の街頭に立つ風魔の周囲がゆらいで暗転した。光が戻るとそこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
そこは……
またキタイスカヤ街ですね!
依然いぜん、麗華さんらしき波形、
確認できています。

交信と入れ替えに千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎がやって来た。

【芽府須斗夫】
なかなか、面白いことになってきた。
――そうじゃないかな?
【千紘】
未来から思念が繋がった――
【吉祥院蓮三郎】
香港の風水師は、
皆、昏睡こんすい状態にございます。
それでなお、思念を飛ばすのです!
【芽府須斗夫】
それもあるけど――
少しズレた未来と繋がっている。

そう言うと、芽府めふ須斗夫すとおは、先の新聞記者の思念に深く触れ、様々なことを知ったという。

【芽府須斗夫】
日本とドイツはアメリカと戦い、
結局、アメリカを打ち負かすんだ。
そういう未来だよ。
ドイツは六十発の量子爆弾を落とし、
日本は三百八十六体の怪物で攻めた。
怪物はヴンダーと呼ばれているよ。
【吉祥院蓮三郎】
ヴンダーとは独逸ドイツ語にございますか?
【芽府須斗夫】
その正体、人籟じんらいだよ!
それも相当大きな人籟じんらいだ。
【吉祥院蓮三郎】
人籟じんらい
東京ゼロ師団が関わる
それでございます!
【千紘】
ふーん……
東京ゼロ師団っていうと、
工廠こうしょうの上部組織なんだろ?
【芽府須斗夫】
アメリカを攻撃したのは、
普通の人籟じんらいじゃないさ。
ゼーラム六八六で改良されている。
【吉祥院蓮三郎】
それでヴンダーと、
独逸ドイツ語で呼ぶのでございますね!
【千紘】
そんなのを、アメリカ本土まで、
どうやって運んだの?
【芽府須斗夫】
伊五百号潜水艦百三十六せき
加えて戦艦阿蘇あそ、戦艦生駒いこま――
海軍が全面協力したんだ。
ドイツから釣鐘つりがね運んだときも、
伊号潜水艦が使われた。
人籟じんらい運んだのは最新型だね。
【吉祥院蓮三郎】
独逸ドイツの爆弾とは、
どのようなものでございますか?
【芽府須斗夫】
ゼーラム六八六を用いた量子爆弾――
それしかわからない。
東海岸の二十四の都市が壊滅した。
死者三百四十万人――
アメリカ本土は西経百四度で分断され、
東アメリカを独逸ドイツが占領、西アメリカは日本に併合へいごうされたという。
【千紘】
でもそれって、正しい未来なの?
【芽府須斗夫】
わからないさ――
いろんな時間の線が錯綜さくそうしている。
【吉祥院蓮三郎】
今の時点で米国アメリカと戦っていません。
それに……
アキラさまの学校、東海岸にあります。
それが独逸ドイツ領になってしまうのです。
何か複雑な感じがいたします。
【芽府須斗夫】
未来にはあらゆる可能性がある。
そういうことだね。

芽府須斗夫は風魔に向き直って言う。

【芽府須斗夫】
僕たち、帝都で石を拾ったんだ。
仮面の男が残した石だと思う。
【千紘】
田町たまち、広尾橋、大崎広小路おおさきひろこうじ――
仮面の男が結界破りに使ったんだ。
仮面の男は劣化れっかしているはずだ。
麗華さん、しばらく安全だね。
今はホテルにいるよ、麗華さん。
【芽府須斗夫】
ホテルボストーク。
この先にある小さなホテルだ。
【吉祥院蓮三郎】
私の勘としましては――
麗華さまと豪人たけとさまが出逢えば、
お二人とも愈々いよいよ完成するのでは?
そう思う次第しだいにございます。
お二人、完成寸前にございますゆえ。
アキラさまのお声が
聞こえるようです――

レンザ!
お前も早く完成させないとな――

【着信 喪神梨央】
ホテルボストーク、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
東方 ボストーク飯店の看板が目印です。

交信を終え風魔が顔を上げると3人はいなくなっていた。風魔はホテルを目指した。

〔ホテルボストーク〕

公園越しにソフィースキー寺院を望む、八東方飯店ホテルボストーク408号室。
向かいは同發隆トゥンファールン百貨店である。

ホテルの窓辺に月詠麗華が立っていた。柔和な表情を浮かべている。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
ようやく人心地つけました。

あの夜、八島通やしまどおりへだてた
新京シンキョウ神社に、
瑞祥ずいしょうの光を認めたのです――
久遠くおん流の師弟にだけ見える光、
それを新京シンキョウ神社に認めたのです。

光に誘われて新京シンキョウ神社に行くと、
そこに山郷さんがおいででした。
お茶で用いる香合をお持ちでした。
炭点前すみてまえのときに白檀びゃくだん香をきます。
そのお香を入れる香合、
交趾焼こうしやきで亀の形をしています。

三日後の夜、同じ時間に神社に来るように、そう伝え、山郷は麗華に香合を渡したのだ。
三日後、山郷と一緒に新京シンキョウ神社の井戸へ降り、次に気が付くと青山新京シンキョウにいたという。

【月詠麗華】
山郷さんは私を帝都に連れ戻す、
そう仰っておいででした。
神社の地下に運河が通るのだと――
でもここは帝都ではありません。

ここは……おそらく哈爾浜ハルピンです。
先程、レンザさまにお会いしました。
レンザさまは豪人たけとさまをご存じです。
お二人で修善寺しゅぜんじに出向かれたとか。
それでロッホをお調べになりました。
穴という意味だそうです。
豪人たけとさまは帝都にもロッホがある、
そうお考えになり、
帝都各所にお出になっていると――
白山の宿舎から――
小石川区の白山ですよね。
そこに豪人たけとさまがおいでなのですね。

私、帝都に戻ることにします。
是非、豪人たけとさまにお目にかかり、
教えをいとうございます。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
麗華さんと一緒に戻ってください。
まずは戻ることです。

麗華を伴い風魔は祓えの間まで戻った。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
麗華さん――
神社でもらった香合の中に、
何か結晶が入っていませんでしたか?
【月詠麗華】
仮面の人が言っていました――
隕石いんせきとか結晶とか。
ありました、そのようなものが。

梨央はアルツケアンについて説明した。
香合に入っていたのは不思議な結晶で、気体になって麗華の体内に吸収されたのだと。

【喪神梨央】
麗華さんはアルツケアンを、
ものすごく深く取り込んでいる――
そうに違いありません。
【月詠麗華】
では私は転生するのでしょうか?
そう言えばレンザさまも、
転生の途上だとか……
【喪神梨央】
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんですね。
悪魔セーレが転生した……
いえ、転生しようとしたのです。
【月詠麗華】
あの皆さんは、もしかして……
同じなのでしょうか――
【喪神梨央】
キタイスカヤにいた三人ですね。
でも、千紘ちひろさんは彩女あやめさんの別人格、
そう診断されています。
麗華さん――
あきらさんにはお会いになりました?
【月詠麗華】
レンザさまから話だけは――
まだお目にかかっていません。
【喪神梨央】
旭さんは鴨脚敬祐いちょうけいゆうという、
明治の女性国学者の書いた本を、
愛読されています。
麗華さんの学校を作られた方、
そうですよね?

鴨脚敬祐いちょうけいゆうは明治期の女性国学者で、帝国女学園の創設者でもある。
日本は欧亜ユーラシア世界の盟主であるとしたためた。
男装の麗人としても有名であった。

【月詠麗華】
鴨脚いちょう先生のことは、
よく教えられましたわ。
【喪神梨央】
アキラさんをご紹介します。
この近くにおいでなんですよ。
【月詠麗華】
それは是非ぜひに。
話が合うかもしれませんわ。

祓えの間に新山眞が入って来た。

【新山眞】
ホテルに如月きさらぎさんがお見えですよ。
【喪神梨央】
ありがとうございます。

麗華さん、まいりましょう。
鈴代さんもご一緒ですよ。
兄さん、麗華さんを、
アキラさんのアトリエにお連れします。
鈴代さんに来ていただきました。
【月詠麗華】
風魔さま、帝都に戻していただき、
ありがとうございます。
私は……大丈夫です。

梨央は麗華をエスコートするようにして祓えの間を出て行った。

【新山眞】
喪神さん、ヘーゲン召喚師ですが、
何かを企んでいるようです。
目黒近辺に執事型が集結しています。
現地の確認、お願いできますか?

〔目黒駅前〕

公務電車は予め梨央が用意していた。風魔は省線目黒駅前を目指した。
省線をまたぐ橋の中央にクルトがいた。クルトの周囲に執事型ホムンクルスが展開している。
手前からユリアが様子を見守っていた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 来てくれたのですね。
今、執事型が管理不能になって、
ヘーゲンが困惑の極みにいます。

セフィラにも疎密そみつがあります。
トウキョウのセフィラはみつなので、
ホムンクルスの指揮に向いています。
でも、今はセフィラがの状態、
アプドロックが長持ちしません。

同様の事態、ドイツでもありました。
エッセンでセフィラが急にとなり、
ホムンクルスが暴走したのです。

【着信 喪神梨央】
帝都のセヒラ、今は低い状態です。
五人の風水師が頑張っているので。
でも釣鐘つりがねが不安定との報告があり、
予断を許しません!

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください!
ホムンクルスが一斉いっせいに――

橋の上で異変が起きた。クルトの目の前に巨大なセヒラ球が現れたのだ。セヒラ球の半分は地中に埋まっている。見る見る巨大化して、ついにはクルト、風魔を呑み込んでしまった。

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲン】
何故だ?
連中はアプドロックを守らないのだ?
私のめいだ、私の、私の、私の!!
くそっ!
勝手にアプドロックを解除するのか!

さてはお前がそそのかすのか!
これはエッセンの二の舞か!
そのようなことは断じて認めない!!

《バトル》

どこからともなく聞こえてくる声……クルトはうろたえている。

【???】
復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相、鉄相、
農相、文相各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王さんのうホテルに宿泊せり!!
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私に何を言いに来たのだ?

【クルト・ヘーゲン】
――まさか……
ハンス……ハンスなのか?
そこにいるのは、ハンスなのか?

フルトヴァンゲンの泉……
リューゲン島の砂浜……
ハンス、本当にお前なのか?

クルトの問いには答えず、代わって甲高い声がした。

【???】
どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?

クルトは困惑の極みにいた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
ハンス、すんだ!!
これ以上、翻弄ほんろうしないでくれ!

【???】
フフフ――
お前は神に召されるのだ、売女ばいため。
いざ、幸いなれ!!
きざんでやろう、
お前の為の十字架じゅうじかを――
その瑞々みずみずしく白い腹に!!

そのきしむような声は憎しみに彩られていた。クルトは大きく目を見開いている。口をあんぐりと開け、ほとんど息はしていない。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
あああああ~
やめてくれ!!

腹の底から絞り出すような声を出すクルト。続けようとしたがもう言葉にはならなかった。
闇の底から全く抑揚のない声が聞こえてきた――

【???】
おお、墓よ、
お前の勝利はどこにある?

遂にクルト・ヘーゲンが自失した。
目黒に大勢のホムンクルスを連れて、彼は何を企んでいたのだろうか?

月詠麗華の帰朝きちょうを受けて、深まる秋の中に静かなる緊張が走る。

第八章 第十話 滾る憎しみ

〔山王ホテルロビー〕

その日、山王さんのうホテルには多加美たかみ宮司の姿が。真鏡に付随する三篇の古文書こもんじょについて、残すは愈々いよいよあと一篇であった。

多加美たかみ宮司】
紫水しすい会館の古文書こもんじょは、
やはり冬至についてのことでした。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル

アラカとは宮のことですね。
ヒトツノ アラカ……
最初の宮ですね。
冬至は太陽の死であり、
同時に再生する日でもあります。
だから最初の宮となります。
京都帝大の方の古文書こもんじょ
見つかり次第、連絡が来るはずです。

ホテル玄関から廣秦ひろはた範奈はんなが入ってきた。風魔のところへ真っすぐ歩いてくる。

【廣秦範奈】
喪神もがみさん……
鍛冶橋かじばしの事務所で――
多加美たかみ宮司】
鍛冶橋かじばし……
もしや、志恩しおん会の――

多加美たかみは、自分は山郷やまごう武揚ぶように見限りを付け、今では風魔らに協力していると述べた。そして東雲しののめ流再興を手伝うのだとも。

【廣秦範奈】
如月きさらぎ鈴代すずよさんの決意は、
るがないのですね――
志恩しおん会では六世紀中頃、
ちょうど武烈ぶれつ天皇統治時代、
日本に渡ったマナセ一族を探します。
久志濱くしはま一族と呼ばれていて、
生糸きいとの生産にたずさわっていたようです。

喪神さん――
その志恩しおん会なのですが、
タイピストの女性から連絡があり――

タイピストが言うには、志恩しおん会の事務所から異音がするとのこと。風魔は範奈はんなとともに鍛冶橋かじばしへ向うことに――

範奈、風魔を乗せた公務電車は数寄屋すきや橋電停を通過、その先の鍛冶橋電停に着いた。

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫ですか?
いきなり出かけるって言うから……
大慌てて公務電車の路線、
押さえたんですよ!

【廣秦範奈】
タイピストの女性が言うには、
志恩しおん会の事務所、人がいないのに、
人の気配がすると……
私も何度か、
同じような経験をしました。

そこへ白衣姿の人物がやって来た。頭には反射鏡を着けたままである――

【猫憑き】
ニャ~……
アンタもこの人の仲間ニャ?
この人、大っきな隙間すきまあるニャ。
おいらだけじゃスッカスカ!
おいら、猫の政次郎ニャ!

――言わんこっちゃないニャ!
誰か来るニャ!
ものすごい速さで来るニャ。

ひゃ~……
おいら、弾き飛ばされたニャ!!

白衣姿の男は呆然と立ちすくんだままだ。男の背後にアストラルが現れた。アストラルを透かして鍛冶橋の町が見えている。

【???】
FUMAサン……
JEREMIAHエレミヤデス……
ワカリマスカ?

【エレミヤの思念】
私ハ コンナニ ナリマシタ……
BUT心ニ JUSTIS!!
伝エタイコト I HAVEデス
【廣秦範奈】
エレミヤ……さん……
エレミヤ佐古田さこたさんですね?
――銀行家の……
【エレミヤの思念】
範奈はんなサン……
おお範奈はんなサン……
貴女にまつわるVERY大事なこと!
とても大事なこと――
I HAVEなのです。

でも今は話せません――
FUMAサンにお会いして、
I TALKしたいです!
来てください――大連ダイレンです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンで、
I WAITしています。

アストラルが消えた。白衣姿の男ははっと我に返った。

【本郷の内科医】
ここは……どこですか?
私、白山上はくさんうえの電停にいた、
それまでは覚えていますが。
その後のことは、ちょっと――
やれやれ……
これで今年になって十六回目です。
しっかりしなきゃです。

白衣の医者は何やらつぶやきながら歩き去った。暫く見送っていた範奈だが、軽く深呼吸をして風魔に向き直る。

【廣秦範奈】
私にまつわる大事なこと――
それって何でしょうか?
【着信 喪神梨央】
ゲートの準備できています。
はらえのへお越しください。

祓えの間からゲートを潜り帝都満洲へ。帝都満洲鉄道あじあ号に乗るや、列車長から案内があった。

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンに再びわだかまる存在が――
これまでになく大きいですね。
さて、本列車ですが、
先程、定刻ていこく通り目黒奉天ホウテンを通過、
まもなく碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着です。

〔碑文谷大連〕

【演説家アストラル】
蹶起けっきせよ、将兵諸君!
――ああ、もっと声を張り上げて……
えー……
世相の頽廃たいはい、人身の軽佻けいちょうがいし、
国家の前途に憂心ゆうしん覚えありしが――

だめだな……
登米川とめがわ先生のようにはいかない。

【作家志望アストラル】
記念すべき第一回茶川賞で、
なぜ、僕の小説が落選するんだ?

「ケッケッケ――
怪人三面相は不敵な笑い声を上げた。
それを見た彼女は一段とおびえた!

この後、どんな展開を見せるか、
知りたくないかい?
フフフ、くまなく教えてあげるよ!

おびえた女は突如とつじょ大蛇だいじゃと化した!
そして怪人三面相の体に巻き付き、
ぐいぐいと締め上げた!

「怪人三面相は
憤怒ふんぬ形相ぎょうそうとなった。
しかしすでに手遅れだった――
怪人は青ざめて動かなくなった。

どうだい!
予想外だったろう!
僕は絶対に諦めないからな!!

作家志望のアストラルが去ったのと入れ違いに、三体のアストラルがやって来た。

【伊班R隊員アストラル】
ん?
貴様は……
さては将校か!
ならば心しておくように。
我々玄理げんり派は二班で構成される。
第一の班は班、
元召喚小隊、暁光ぎょうこう召喚隊の隊員ら、
およそ三百名だ。
第二の班は班、
歩三附きの一般将兵ら、
およそ五百名から成る。
玄理げんり派は腐敗国家日本を革新すべく、
多くの血盟者けつめいしゃを迎えている――

【露班O隊員アストラル】
現代日本においては、政党政治家、
財閥ざいばつ及び特権階級のいずれも、
腐敗ふはい堕落だらくはなはだしい。
国家観念をなくし、国家滅亡の、
恐れあるに至らしめたるとし、
愈々いよいよ廓清かくせいつるぎを掲げんとす――
農山漁村の窮乏きゅうぼうを見よ!
小商工業者の疲弊ひへいを見よ!
我国の現状、黙視し得ざるものあり!!

【伊班T隊員アストラル】
貴様は陸士か?
我々、玄理げんり派に加わりたくば、
次の問に答えよ!!

一、歩兵の本領ほんりょう及戦闘手段
一、軍紀について
一、軍人聖心せいしんの意義
一、国防の最良手段
一、勅諭ちょくゆの紀元
一、連隊の歴史
一、四大師しだいし
一、ファッショ
一、現代世相に対する観察

如何どうだ?
続けるぞ、次の趣旨しゅしを述べよ!

天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
――
貴様、貴様のような輩の存在が、
国体を減衰せしめるのだ!!

《バトル》

他二体のアストラルは姿を消していた。

【伊班T隊員アストラル】
武士もののふの道は違はたがわいつの世に
いずくの野辺のべ
つゆゆとも

義憤に燃えたアストラルが消えると、風魔を呼ぶ声がした。

【???】
FUMAサン……
こっちです、こっち……

一体のアストラルがぽつんと浮かんでいた。

【Jアストラル】
FUMAサン……
とても深いところから、
上がってきた人、MEETです――
昔、志恩しおん会の代表をされていた、
廣秦ひろはたサンです――
廣秦ひろはた伊佐久いさくサンです!
そうです……
廣秦ひろはた範奈はんなさんのお父さんです。
今、おいでです――

その言葉に誘われるように、中型のアストラルがやって来る――

【Kアストラル】
範奈はんなを……範奈はんなを知る者か?
――私は……古賀こが容山ようざん篆刻師てんこくしだ。
古賀こが篆刻てんこくを守る私は――

あああ……
ここでは自分を保てない――
私は……私は……

アストラルは揺らいでいた。

幻の五石を求め旅に出た――
自然珪じねんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石もんせき
玄武晶げんぶしょう――
私は多くを求めすぎたのだ。
範奈はんなが生まれる三ヶ月前のことだ――
私は……ちたのだ……

以来、私は思念を飛ばし、
廣秦ひろはた伊佐久いさくとして活動した。
志恩しおん会の一事務員にいたのだ。

アラヤ界の深くをめぐる、
孤独な念と出会ったのが始まりだ。
失われた支族を求めれば戻れる――
その念は私にそう伝えたのだ。
私はその言葉を信じて……
――ああ、だめだ、保てない!!

アストラルが大きく揺らいだ。

《バトル》

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
範奈はんなを呼びたい。
どうかなかだちをしてくれないか。
世界の底を漂い、
私は多くを見てきた。
失ったもの以上のものを得た!!

そう言い残すとアストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
範奈はんなさんのお父さん、
アストラルだったんですね!
碑文谷ひもんや大連ダイレン依然いぜん、セヒラ観測中。
でも今は安定しています。
ひとまず帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、隊長が――
参謀本部から戻られました。
【帆村魯公】
玄理げんり派がいつの間にやら、
一大勢力となっておった。
【喪神梨央】
班、班と言っていました。
【帆村魯公】
うむ……
暁光ぎょうこう召喚隊を中心に班、
歩三将兵で構成する班だ。
玄理げんり派は地方出身の青年将校らの、
不満を刺激し、彼らを錬成れんせいしおった。
状況次第では蹶起けっきも辞さない、
その勢いだそうだ……
玄理げんり派は登米川轍とめがわわだちという
予備役の革命論者と接触を深めて、
革新の大義を掲げておるようだな。

ただ、常田つねだ大佐に大義などない。
覇権はけん確立を狙うばかりだろう。
将校らはうまく利用されておる――
【九頭幸則】
歩一の将兵にも、
玄理げんり派に血盟けつめいする者があると、
内偵ないてい調査が入りました。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、
政治や財閥の腐敗には、
義憤を感じないのですか?
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん――
いきなりふっかけるなぁ。
いや、感じなくはないけど――
天之道不而善勝てんのみちはあらそわずしてかつ――
そう言うじゃない!
【帆村魯公】
ほほう! 老子か!
ところで諸君は先の問題はどうだ?
【喪神梨央】
天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
【九頭幸則】
ええ、これまた何だよ!
――どっかで聞いたことあるけど……
【帆村魯公】
おいおい!
幸坊もれっきとした陸士だろ。
これは軍人勅諭ちょくゆの大事な一節だぞ。

ノックの音が響き、新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
皆さん!
わかりましたよ!
ユンカー博士の居場所が――

ユンカー博士が体内に入れたシュタイン新山にいやまはその特有の波形を発見した。非常に弱い波形のため発見に手間取ったのだ。
ユンカー局長の弱い波動が確認されたのは、麹町こうじまち区の旧憲兵隊司令部だった。局長は裏庭の井戸で他殺体で見つかった。

【九頭幸則】
まさかな……
殺されていたなんて。
酷い有様だったようだ。
【着信 喪神梨央】
歩一の車列、
旧憲兵隊司令部に向かいます。
場所は……麹町こうじまち区です。

普段は静かな町に四両の軍用トラックの車列があった。歩一のトラックである。トラックが旧憲兵隊司令部に向けて走り出した。トラックを見送った風魔と九頭は、公務電車の待つ溜池電停へ向かう。その途中、聖宮と出会った。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
京都でいろいろ調べが付きました。
私立探偵が頑張ってくれまして。

聖宮ひじりのみや九頭くずは自己紹介し合った。互いに相手のことは聞き及んでいた。

【九頭幸則】
私立探偵に依頼されたのですか?
【聖宮成樹】
ええ、信頼のおける人物です。
【九頭幸則】
京都でわかったというのは、
鈴代すずよのことですか?
ゆかりの神社から鏡を預かったという――
【聖宮成樹】
鏡のことは、試したいことがあり、
今、麻美マーメイさんという方に、
ある物を依頼しています――
実はユンカー博士には、
双子の弟がいたのです。
それが柄谷がらたに生慧蔵いえぞうなのです。
【九頭幸則】
その人は、確か……
【聖宮成樹】
戦実施計画綱領――
論文の執筆者です。
京都瑛山会えいざんかいの一員でもあります――

京都帝大の物理学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう――
その手による論文が参謀本部に提出され、歩兵第一連隊に山王さんのう機関が設立された。セヒラやについて京都で管理するのが、聖宮ひじりのみやも所属する瑛山会えいざんかいなのである。
柄谷がらたに瑛山会えいざんかいの中核メンバーであった。

【九頭幸則】
その柄谷がらたに博士は日本人として、
振る舞っていたのですね?
【聖宮成樹】
やや外国人風の面立おもだちということで、
特に問題はなかったのでしょう。
出自しゅつじは明らかにしなかったようです。
【九頭幸則】
ユンカー局長の一家は、
双子の弟を日本に残して、
独逸ドイツに帰国したわけですね。
【聖宮成樹】
何か理由があってのことでしょう。
四十年ほど前のことです――
【九頭幸則】
柄谷がらたに博士は、
ユンカー局長殺害に関係している――
そうなのでしょうか?
【聖宮成樹】
何らかの関係はあると思います。
――おそらく強い確執かくしつがあった……

二十五年ほど前、生慧蔵いえぞうは渡独の際、兄ユンカーとの面会を希望した。しかしユンカーはこれを退しりぞけたのだ。

【聖宮成樹】
兄ユンカーは墺太利オーストリアの、
王立アカデミー入学への入学を控え、
独逸ドイツ政府の推薦が必要でした。
当時、日独は間接的な対立関係下、
日本にいる肉親の存在は、
ユンカーには不都合だったのです。
【九頭幸則】
四半世紀も前のことが……
今頃になって……
うーむ……あるかも知れませんね。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、私が山王さんのうに来たのは、
釣鐘つりがねを調整するためです。
帝都満洲のセヒラが、
一段と強くなったとのこと。
新山にいやまさんから連絡があったのです。
これより、
山王さんのう機関の方に向かいます。
釣鐘つりがねの制御を始めます。

聖宮はキビキビした所作を伴って歩き去った。そこへ着信があった――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
芽府めふ須斗夫すとおの声が記録されました。
ちょっと聞いてください――

【再生 芽府須斗夫】
……僕は会ったんだ……
彼女さ、そうさ、彼女だよ!
僕の眠りの中にセフィラが流れ込み、
その中に彼女は浮かんでいたのだ。
金雀枝えにしだ色の瞳が美しい彼女は、
千紘ちひろと名乗ったよ。
彼女は自分のことを僕と呼ぶ――
僕たちは響き合う――
彼女、そう言うんだ。
その言葉は柔らかく僕を包み込んだ。
するとどうだい――
僕の中に沈んでいた言葉が、
ゆらゆらと浮き上がったのさ!

再生音声は歪んだノイズとともに消えた。風魔と九頭は互いに顔を見合わせている。そこへ梨央がやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
芽府めふ須斗夫すとおが語った言葉です。
タイプライターで打ち出しました。

芽府めふ須斗夫すとおはアルファベットを語った。それを一文字ずつ大文字でタイプせよと、録音マイクに向かってそう命じたのである。

【九頭幸則】
さっぱり読めないよ――
まるで何かの暗号だね。
【喪神梨央】
私もそう思います。これは暗号です。
新山にいやまさんがお持ちの、
ナチの極秘資料ゲハイムドクメントにありました――
【九頭幸則】
ナチの……極秘資料?
そんなのがあるの?
【喪神梨央】
似た文字を見ました。
それはエニグマ暗号機でこしらえた、
暗号電文でした。

梨央りお九頭くずらとともに一旦山王さんのう機関本部へ。しかし、日枝ひえ神社境内けいだいにセヒラ観測され、風魔ふうま日枝ひえ神社へ向かった。

〔日枝神社境内〕

日枝神社の社を背に四体のホムンクルスがいた。執事型、メイド型、レーベンクラフト型、そしてユーゲント型である。そこへクルト・ヘーゲンがゆっくりした足取りでやって来た。

【クルト・ヘーゲン】
キョウトの学者ピーハディは、
私に不思議な体験をもたらした。
彼が差し出したのは、
水晶クリスタールだった――
完璧なでできている。
それを手に取り、いくら調べても、
完璧な三面体だった……
三角錐さんかくすいでも四面体となるはずだ。
この世にこのような、
美しい三面体が実在するとは……
その水晶を握りしめた瞬間、
私の血潮ちしお沸騰ふっとうしたのだ!
この一週間、
私は高みを飛翔ひしょうしている!
恐れすら一瞬で消え去ってしまう。
彼との初めての会話――
それは私が日本に着任して
間もなくの頃だった――

辺りが急に白く輝き、やがて光は失われた。暗闇の中にクルト・ヘーゲンの姿があった。何処からともなく声がする――

【???】
クルト・ヘーゲン――
君はもう苦しまなくてもいいのだよ。
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私が何に苦しむというのだ?
【???】
君の忌々いまいましい過去は、
とうに過ぎ去った車窓しゃそうの景色だ。
すっかり色褪いろあせて冷えている。
【クルト・ヘーゲン】
ああ、そうだとも!
私は自分にったのだ!
【???】
自分につなどナンセンスだ。
誰もが自分を遠ざけるのだ、
そして空隙くうげきを生み出す。
【クルト・ヘーゲン】
何の話をしている?
私は逃げてなどいない!
ただ――
【???】
ただ、どうした?
憎しみをたぎらせる一方ではないか?
それでこそ君なのだ!
【クルト・ヘーゲン】
そうだ、憎しみだ。
私の憎しみは計り知れない。
ヒュドラの沼よりも底が知れない。
【???】
いいや、君には底が見えている。
それが君のおびえの全てを生み出す。
さぁ、私にゆだねるがいい――
君のたぎる憎しみの、
そのうつわを無限の大きさにしてやろう。
どんな宇宙よりも大きな器だ。
ただしだ――
【クルト・ヘーゲン】
フフフ――
交換条件があるのか?
いいだろう、言ってみろ。
【???】
簡単なことだよ。
多くの部下たちに指示を出す、
ただそれだけだ。

〔日枝神社〕

四体のホムンクルスを従えるような位置にクルト・ヘーゲンは立っていた。その目は風魔を見据えているようであり、また風魔を透かしてみているようでもあった。

【クルト・ヘーゲン】
セフィラは超低温、真空状態で、
五億倍という高濃度に凝縮ぎょうしゅくする。
フェラーの法則と呼ばれる現象だ。
圧縮セフィラはセフィラ光を発し、
それを八枚の純鏡シュピーゲルで反射させる。
セフィラ光はますます輝く!
その光を一気に放つのだ。
ユルゲン・フェラー博士の指導で、
完全なる大型波動グローサベッレが完成した。
これからもミヤケザカから、
継続的に大型波動グローサベッレが発せられる!
私のは成功したのだ。
さぁ、配下の者どもよ!
真の実力を見せてやれ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です……
でも、日枝ひえ神社ではありません!
セヒラ、帝都中で上昇しています。
おそらく帝都満洲から流れている、
そう推測されます!

目の前の四体のホムンクルスにアストラルが現れた。四体は身じろぎ一つしない。

【クルト・ヘーゲン】
どうした!
何があった!
アプドロックが消えたのか!!
くそっ!
こうなったら私が試す!
大型波動グローサベッレ、私も受けたのだ!!

《バトル》

四体のホムンクルスの姿はなかった。

【クルト・ヘーゲン】
アハハハハハ~
私は負けていない!
そうだ、戦いの勝敗ではない!
こうしたみっともない戦いが、
私の憎しみをより大きくする!
お前には感謝せねばな!!

そう言い放った後、クルト・ヘーゲンはややふらつきながら境内けいだいを後にした。

【着信 喪神梨央】
殿下が釣鐘つりがねを……
釣鐘つりがねを調整されたようです。
現在、帝都のセヒラは高い値ながら、
安定しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
帝都満洲に、
強いセヒラがあるようです。
それって――
範奈はんなさんのお父さん……
そうじゃないでしょか?
古賀こが容山ようざんという日本的な名前でした。
【式部丞】
喪神もがみさん――
先程の芽府めふ須斗夫すとおの録音ですが、
彼は覚醒かくせいしたまま話したようです。
そして――
千紘ちひろと会った、そう言いました。
彩女あやめ君の第二人格です、千紘ちひろは。
響き合う――
彩女君も同じ台詞を語りました。
【喪神梨央】
夢の中で会った、
そんなようなことでしたよ。
【式部丞】
夢……あるいは自失した先。
帝都満洲かも知れませんね。
先の予言、ヒククアケ――
近く日本の古文書こもんじょ研究の先生が、
セルパン堂においでになります。
そのときに意味がわかるでしょう。
エニグマ暗号の方は、
新山にいやまさんに任せるしかなさそうです。

瑛山会えいざんかい柄谷がらたに生慧蔵いえぞうはユンカー局長の双子の弟であった。
兄の死に関わった恐れのある弟――
彼はまたクルト・ヘーゲンと取引をし、帝都に無益な戦いをもたらそうとした。柄谷がらたに生慧蔵いえぞうの目的とは果たして何であろうか?

第八章 第八話 交錯する思惑

魯公ろこうめいを受け、中野電信第一連隊気象部に、こよみの話を聞きに出かけた九頭くずであったが、班長が出張中とのことで不発に終わった。
今回、その班長から、折り入って相談があると連絡があり、公務後、風魔ふうまは九頭に同行することになった。

〔新井薬師〕

【九頭幸則】
風魔、あの人だよ、気象部の。
確か車折くるまざきという技手ぎてだ。
行ってみよう。

夕闇迫る新井薬師。香炉の前に気象部の技手らしき人物がいた。

【九頭幸則】
お待たせしましたか……
車折くるまざきさん、お一人ですか?
折り入っての話とは何でしょう?
車折くるまざき技手】
それは班長から申し上げます。
間もなく来ると思います――
先に冬至とうじの件ですが、
今年の天体画報てんたいがほう一月号にあります。
【九頭幸則】
年初ねんしょに発表があるんですね。
車折くるまざき技手】
ええ、計算で全てわかります。
今年の冬至とうじは十二月二十三日、
午前三時三十七分です――
太陽の位置、黄経こうけい二百七十度、
帝都の日出ひので六時四十七分、
日入ひのいり四時三十二分となります。
冬至とうじにおける太陽の赤緯せきい
赤道より最南の二十三度二十七分、
南中なんちゅう高度も最低となります――
【九頭幸則】
あの……
わかりました、二十三日ですね。
冬至とうじは十二月に十三日ですね。
車折くるまざき技手】
実はもう一つ、
大事なことがあるのです。
【九頭幸則】
どんなことですか?
車折くるまざき技手】
今年、五度目の日蝕にっしょくが起きます。
十二月二十六日にです。
【九頭幸則】
え?
――日蝕にっしょくって、年に何度あるのです?
車折くるまざき技手】
普通は三度、多くて四度です。
年に五度などまずありません――

グレゴリオ暦が採用されるようになってから、年に五度の日蝕にっしょくは一八〇五年以来だと言う。十二月二十六日の午前二時十八分から、同三時四十一分にかけて皆既蝕かいきしょくが起きる。場所は南極である――

そこへ年長の男性がやって来た。

鹿王ろくおう班長】
なかなか軒昂けんこうのようだね、車折くるまざき君。
車折くるまざき技手】
はっ!
五度目の日蝕にっしょくについて、
説明しておりました。
鹿王ろくおう班長】
――今年は実にまれな年だからな……
申し遅れました、
電信第一連隊の鹿王かおうです。
出張で京都に行っておりました。
【九頭幸則】
歩一の九頭です。
こちらは特務の喪神もがみ中尉です。
それで班長、
折り入っての話とは何でしょうか?
鹿王ろくおう班長】
冬至とうじについて問い合わせがあった――
車折くるまざき君から連絡を受けましてね、
妙な符号もあるものだと……
【九頭幸則】
冬至とうじのことはうかがいました。
十二月二十三日です。
鹿王ろくおう班長】
私が京都に呼ばれたのは、
ある古文書こもんじょこよみのことがあり、
その鑑定を行っていたのです。
【九頭幸則】
――古文書こもんじょ、ですか?
鹿王ろくおう班長】
ええ、京都の紫水しすい会館、
そこに収められている古文書こもんじょです。

ヒトツノ アラカニ 
ワタラシテ ツマル

【九頭幸則】
何ですか、それは?
まるで呪文ですね。
鹿王ろくおう班長】
おそらく太陽の運行です、
それについての言葉かと。
ツマル、すなわち行き詰まるのです――
車折くるまざき技手】
班長、自分もそう思います。
ヒトツノは最初で最後、
つまり冬至とうじですよ。
太陽が冬至の位置まで行き、
そこから戻してくる、
その様子を語っているのです!
鹿王ろくおう班長】
もう少し研究を続けます。
紫水しすい会館は参謀本部からの依頼で、
古文書こもんじょ紐解ひもといたらしいです。
二方ふたかたと関係があるのでは?
そう思い、お呼び立てしました。
【九頭幸則】
わざわざ有難うございます。
解読が済めば教えてください。
鹿王ろくおう班長】
あはは、そうですね――
おそらく紫水しすい会館からじかに、
連絡が行くと思います。

鹿王班長はそう言い残して歩き去った。班長を見送ることもせず、車折技手は喋り始めた。

車折くるまざき技手】
自分、昨年二月の日蝕にっしょくでは、
コロナグラフを用いた観測を行い、
おおいに成果を上げました。
【九頭幸則】
去年もあったんですか、日蝕にっしょくが?
車折くるまざき技手】
はい、私たちは南洋庁トラック支庁、
ローソップ諸島レオール島に上陸、
二月十四日の蝕観測しょくかんそくでした!
海軍技研、逓信ていしん省電気試験所、帝大、電信第一連隊、各自観測小屋をもうけ、
各班平均十分二十八秒の観測!!
【九頭幸則】
大丈夫ですか、車折くるまざきさん……
車折くるまざき技手】
ヒィィィィィ~
イーストマン五十番の乾板かんばんで三枚、
四、八、十二秒の露出で撮影を試み、
すべて成功したのです!
レンズ口径こうけいは十三センチ
焦点距離は十一・五メートル
インフォード・パンクロマティック!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
車折くるまざき技手】
海軍はアインシュタインカメラ、
水平鏡すいへいきょうにて光を導く仕組み!!
レンズ口径二十センチ、焦点距離はぁ~

《バトル》

車折くるまざき技手】
アインシュタイン効果を確かめる、
その目的で撮影したのです――

【九頭幸則】
やれやれ……
技手ぎてまでが怪人化する――
この場所がよろしくないのか?
まぁ、冬至のことはわかったな。
五度目の日蝕にっしょくは新発見だった。
それにしても――
京都の古文書こもんじょが冬至に触れている、
それは参謀本部の指示で紐解ひもといた……
これは隊長に確認するほかないな。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベのユンカー局長が、
どうやら失踪しっそうしたようです。
独逸ドイツ大使館にて、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしと合流してください。
それと……
一般中尉は隊へお戻りください。
【九頭幸則】
何だ、内輪揉うちわもめでもあったのか?
風魔ふうま、俺は帰るとするよ――
三宅坂みやけざかまで公務電車で送ってくれ。

〔アーネンエルベ〕

アーネンエルベ集会室には、虹人とユーゲントがいた。

【帆村虹人】
風魔ふうま、来てくれたんだな。
梨央りおに連絡したのは僕だよ――
ユンカー局長のこと、
ユリアが気をんでいるよ。
この一週間、姿を見ないらしい。
大型波動グローサベッレの使用をめぐって、
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
激しく対立していたからな……
配下のホムンクルスを一斉いっせいに操り、
総攻撃体制を作る――
それがヘーゲンの狙いなんだ。
【祇園丸】
彼は僕たちをかたきにしているんだ。
仲間のことが心配だよ――
【帆村虹人】
猟奇倶楽部の面々のこともある。
連中、あきらめが悪そうだ。
【祇園丸】
僕は西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんから、
短期記憶を得たんだ。
それに従って出かけた――
ヨツヤミツケで記録が途絶えた。
でもわずかな痕跡こんせきを頼りに、
北へ移動したんだ。
【帆村虹人】
それで戸山とやまに向かったんだよな。
でも作られた記憶のおそれがある、
君はそう言ったよね、祇園丸ぎおんまる
【祇園丸】
ヨツヤミツケから先のこと、
捏造ねつぞうされたものかも知れないんだ。
それで僕は動けなくなった――
【帆村虹人】
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
二人を銀座で見たって話したよな。
ユンカーを尾行したことも。
円タクは四谷見附方面に向かった。
探信儀たんしんぎの空白地帯の中心……
信濃町しなのまち界隈かいわいがそれに当たるんだ。
【祇園丸】
シナノマチに猟奇倶楽部がある、
その可能性は十分にあると思うよ。
僕が北にさえ行かなければ……

そこへユリア・クラウフマンがやって来た。その顔にはかげりがあった――
ユンカー局長の所在がわからなくなり、ユリア・クラウフマンが代表代理として、アーネンエルベに戻っていた。

【ユリア・クラウフマン】
西京極丸にしきょうごくまる、つまりユーゲントと、
拉致らち殺害犯のヘルマンを繋ぐのは、
唯一、ユンカー局長です。
【帆村虹人】
局長はヘルマンと交際があった、
そういうことなの?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
以前、フーマは局長と戦った、
そうですよね?
局長、シュタインを入れていたのです。
執事型と同じ八石です。
執刀したのがヘルマン医師でした。
局長はシュタインに召喚の力を求めたのです。
本来、召喚師ではありません。
【帆村虹人】
それじゃ局長はヘルマンから、
ユーゲントのことを聞いた、
そういうわけなんだね。
【ユリア・クラウフマン】
ヘルマンは西京極丸にしきょうごくまるを、
猟奇倶楽部に誘い出し拘束こうそくした、
そう考えるのが妥当だとうですね。

【帆村虹人】
もしかしてユンカー局長も、
猟奇倶楽部の会員だったのか?
【ユリア・クラウフマン】
どうでしょうか?
コージンがギンザで見た局長、
本当に本人でしたか?
【帆村虹人】
洋食屋ブレーメから出てきたんだ、
ヘーゲンと一緒に……
楽しそうに笑いながら……
銀座にいたのが、
ユンカー局長じゃないとすると、
一体、誰なんだろう?
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長になりすました誰か、
そういうことじゃないでしょうか。

フーマ、私、祇園丸ぎおんまると出かけます。
銀座のブレーメで話を聞いてきます。
局長の写真を持って――
局長はユーゲントと同じ、
新型のシュタインを入れていたのです。
フェラーが開発に成功したシュタインです。
シーナの方に落ちた隕石でできた
不思議なシュタインなのです。
普通のシュタインとは違うのです。
彼が黒幕にも思えてきました。
父の元助手だった人物が――

そう言うとユリアは踵を返した。祇園丸が後に続く。

【帆村虹人】
僕が銀座で見たのは、
まごうことなくユンカー局長だった。
でもヘーゲンと談笑するのは変だ。
引っかかるのは……
ユンカー局長はどうして、
自分にシュタインを入れたのかってことだね。

独逸ドイツ大使館を出たところで着信があり、青山で怪人の通報があったという。風魔ふうまは夜の青山通へ向かった。

〔青山街路〕

【角筈の女学生】
お友だちの忌子いみこさんち御暇おいとまして、
若松町の電停におりましたところ、
足元に光るものがありますの。
それは大ぶりの指輪でした。
巡査に届けようと拾ったのですが、
そうしないほうがいい気がして――
こっそり持ち帰りましたの。
その夜から、もう四日も眠れず、
こうして彷徨さまようんですの!
アハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
二探が若松町のセヒラを観測!
指輪の波形です、仮面の男の!
さらに観測を続けます!

【池尻のワニス商】
うちは池尻なんですがね、
三宿の砲兵連隊のわきをよく通る――
せんだってもカミさんが歩いていると、
へいそば舶来はくらいの指輪が落ちていたと。
人気もない通りだったので、
指輪、ネコババしたそうな!
指輪を触ったカミさんの指、
真っ白に血の気がせてですね、
あれは軍の新物質か何かですか?
次の日、カミさんが家を出て……
私もこうして歩き回るんです!

【金杉橋の漁師】
新堀の路地ろじで皆が騒ぎよる。
何かと思うとほりに魚が浮かぶ。
何十匹も白い腹見せてな。
んでほりの底見ると何かがあるわい。
それはそれは綺麗きれいに光っちょる。
わしが潜って取ってきちゃる、
そうして潜ったんじゃがな、
不意ふいに目の前が真っ暗に――
気を失ったわしが次におったのは、
市電の中じゃな、六番の電車じゃ。
このなりで乗っちょる!
六本木ろっぽんぎちゅう電停で降りて、
もう五日も歩き回りよるわい!!
ブヒャヒャヒャヒャ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
霞町界隈かすみちょうかいわいで弱いセヒラです。
巡視パトロールお願いします。

〔霞町街路〕

【神田橋の法科生】
殿垣とのがき教授の研究室に、
輝く大きな指輪があった。
指輪を残し教授は忽然こつぜんと消えた――
机の上になぐきのメモを残して。
遊動神殿ゆうどうしんでんたる聖幕屋せいまくや、長さ三十キュビト、高さ十キュビト、幅十キュビトにてもうけるべし。
金張りの四十八枚の合歓木アカシヤの板を、交互こうごわせて、銀の足台の上に立てるべし――
メモにはそうあったよ。

【長者丸のご隠居】
先週、庭いじりをしておったら、
土中に指輪が埋まっておった。
掘り出すと土ひとつ着いておらん。
まっさらけのけだったわい。
不思議なこともあるもんじゃ!

【初台の羅紗商】
工業試験場の正門前にね、
指輪がぽつんと置いてあったって。
姉はそう申してましたの――
指輪は交番に届けたって、
けど姉はうそ付いたのです。
姉の鏡台にありましたわ、指輪!
翌朝、姉は古い魚みたいな顔で、
死んでいました。
カルモチン三百じょうも飲んだのよ。

【着信 喪神梨央】
観測したセヒラは今の人です。
でもまだ怪人じゃないですね――
それより金杉橋かなすぎばしでセヒラ観測です。
他の場所でも観測します――
新山にいやまさんに変わります!
【着信 新山眞】
若松町、三宿町みしゅくちょう金杉橋かなすぎばし――
いずれも指輪の波形を観測します。
三箇所を繋ぐと三角形ができます。
神田橋かんだばし長者丸ちょうじゃまる初台はつだい――
三角形、もう一つできます。
二つ重ねで六芒星ろくぼうせいが描かれます!
以前、仮面の男が描いた三角形、
あれより強い力を持つようです。
あの時は思念増幅器でこしらえた結界を、
仮面の男に破られました。
今回、指輪で何を目論もくろむのか――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急にセヒラ観測しました。
青山墓地方面です。

〔青山墓地〕

【淀屋橋の寒暖計商】
あんさんらが、
おかしなことしたさかいにやな、
商売上がったりでんがな!
晴雨計せいうけい売りのコッポラちゅうのが、
余計なあやかしモン売りよるさかい、
ワテの寒暖計かんだんけいかてあやかしやろ!!
そう言われて、どえらい迷惑や!
ワテのはな、列氏れっし測りまんねんで!
レオーメルの列氏れっしでんがな!
摂氏せっしとも華氏かしともちゃいまっせ!
列氏れっしや、沸点を八十度で見まんねん。
独逸ドイツ墺太利オーストリアやと常識でんがな!
皆皆皆皆皆、列氏れっしやねんで!!

《バトル》

【淀屋橋の寒暖計商】
商売上がったりで、
ホンマ、もう、キーですわっ!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇しています!
注意してください!!

怪人が倒れて消えた後、青山墓地の薄暗闇から先程会話した3人が現れ、三角形の陣形を取る。角筈の女学生、池尻のワニス商、金杉橋の漁師の3人だ。
そして同様に次の3人が姿を見せ、先の三角形に重なるように陣形を取った。神田橋の法科生、長者丸のご隠居、初台の羅紗商――
二つの三角形の辺にセヒラが集まりはじめ、丁度六芒星の形を現した。
辺りのセヒラ濃度が急上昇する。梨央の観測を待たず、高濃度セヒラに包まれて風魔は時空の狭間へと飛んだ。

〔時空の狭間〕

正面に宙に浮くようにして仮面の男がいた。

【仮面の男】
君はどこへ向かおうというのだ?
それとも何かから逃れるのか?
それは何だ?
教えてくれてもいいだろう……
――黒焦くろこげになった姉の亡霊ぼうれいかね?
ウハハハハハ~

おびえる者はいつも走っている。
我らがクルト・ククックかっこう・ヘーゲン、
泣き虫大公、嘘つき元帥げんすい
お尻のえくぼの可愛い殿下!
クルトは憎しみのシュトラーセを走っている。探して相手をしてやって欲しい。
――君も走ってはどうかな?

そこまで言うと、仮面の男は濃いセヒラに包まれて姿を消した。
気が付くと風魔は赤坂哈爾浜にいた。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
高濃度のセヒラが一時に現れました。
帝都満洲に移動したのですね……
帥士すいしを赤坂哈爾浜ハルピンにて確認しました。
その赤坂哈爾浜ハルピンですが、
以前と町の繋がりが変わっています。
注意して進んでください。

【召喚小隊T二等兵アストラル】
隊長は……
暁光ぎょうこう召喚隊の一五市にのまえごいち隊長ですが……
おかしいです……
名前がスラスラ出てきます!
これまでイニシャルだったのに!
自分はちなみに……Tです……
ああ、自分の名前はダメですね。
はい、一五市にのまえごいち隊長のことです、
歩一で大きな演習のあった日、
慌ただしさにまぎれてのことです。
私たち同行しました――

【召喚小隊H二等兵アストラル】
にのまえ隊長の目的は、
歩一に確保されていた月詠つくよみ麗華れいかです。
隊長は月詠麗華に、
鬼龍きりゅう大尉が帝都にいることを
話していました。
大尉にはこの帝都で重要な用がある、
そういうことのようでした。
それで京都から戻られたのです。

【召喚小隊A軍曹アストラル】
鬼龍大尉は独逸ドイツ留学時代に、
トゥーレのやかたという秘密結社に、
身を寄せておいででした。
大尉はそこで召喚師として、
腕をみがき、帰国されたのです。
そのトゥーレの館が、
この帝都にも開かれるというのです。

【召喚小隊G曹長アストラル】
鬼龍大尉は心を開かれません。
ただし、御荷鉾みかぼ大尉は例外でした。
お二人は京都の師団時代から、
同じかまめしを食った仲とのことです。
その御荷鉾みかぼ大尉を感じます――
すぐ近くにおいでのようです。

すぐにひときわ大きなアストラルがやって来た。他のアストラルたちは一斉に退避した。

【歩一M大尉アストラル】
あの女は化物だ!
月詠つくよみ麗華れいかだ、化物だ――
あの女が私をここに飛ばした。

鬼龍きりゅうと私は京都の十六師団にいた。
といっても輜重兵しちょうへい第十六大隊だ。
駄載ださいは何キロなんだと冷やかされ――
鬼龍はそういう境遇きょうぐうが不満で、
審神者さにわ術武じゅつぶに精を出していた。
奴は相当のめり込んでいた……
上京区かみぎょうく相国寺しょうこくじの北にある道場、
奴はそこに通いつめていた――
東雲流の山郷武揚が開く道場だ。
雑誌広告を使い良家の子女を集めた。
鬼龍は師範代として活躍した。

奴の独逸ドイツ行きは寝耳に水だった。
正直、羨ましかった。
独逸は私の第二の故郷だからだ――
独逸ドイツで習得した召喚術が、
まだまっとうできないのは、
審神者さにわ素養そようが邪魔をする――
奴はそう考えている。
審神者さにわ奥義おうぎを継ぐ者はいないか、
懸命けんめいに探していた。
ある日、奴は気付くんだ。
奴の流派、東雲しののめ流の宗家そうけにこそ、
素養そよう持つ人物がいると。
奴は機根きこんとか、そんな言葉を使い、
その人物を確かめようとしていた。
それが如月きさらぎ鈴代すずよという女性だ――

そんな鬼龍と私の間柄あいだがらを聞き付け、
月詠麗華が私を尋ねてきた。
まるで郷里きょうりの妹のようにして。
私はこばんだのだ、話すのを。
鬼龍の詳細について話すのを。
答えられない、そう言ったのだ――
あの女は私を睨みつけるや、
背後から紫色の光を放った!
その直後、私は飛んだのだ!!
現世の私はどこにいる?
先程、神田川かんだがわらしきが見えた――
私を戻せ、戻すんだ!!

《バトル》

【歩一M大尉アストラル】
はぁはぁはぁ……
せめて鬼龍が私のようにならぬよう、
つとめるのが貴様らの役割だ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
何か特異な波形を観測します。
――巡視パトロールを続けてください。

〔キタイスカヤ街〕

そこは帝都満洲とは様相ようそうことにしていた。帝政露西亜ロシア時代に築かれた哈爾浜ハルピン、キタイスカヤの街並みである。
露西亜ロシアバロックの町並みを背にクルト・ヘーゲンが呆然と立っていた。まるで見当識を失ったかのように――

【クルト・ヘーゲン】
お前は!!

ううう……
くそっ!
――ここは……どこだ……
異世界のことは知っていた――
ここが、そうなのか?

ウハハハハハ~
大型波動グローサベッレを何度も発して、
現れたのがこのロシアの辺境か!

うう……
ここの空気は合わないな!!
――セフィラ異常はどうなった?
大型波動グローサベッレ戦を常態化じょうたいかさせ、
やがて顕現けんげんさせる計画だ。
日本人の大勢が犠牲ぎせいになる――
トウキョウ中が戦場となり、
を降ろし、市民にけしかける!!

このような場所が現れるとは、
実現はまだ先のようだな!
市民の犠牲は計画の問題外だ。
百人の死は悲劇だが、
一万人の死は歴史だ。
私たちは歴史を作るのだ!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
犠牲は……必要なのだ……
うう……まだ血の臭いがする――
だが、これもすぐに消えるだろう!
私は超えたのだからな!!

クルト・ヘーゲンは膝を折り、そのままゆっくりと姿を消した。まるで空間から消し去ったかのように。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置が確認できません――
先程ユリアさんから連絡があり、
同行ユーゲントの波形、
同定できました。
このシュタインにはジリエンヌマーが……新山にいやまさんに尋ねると、
通し番号のことだそうです。
ユンカー博士のシュタインの波形、
予測できるかも知れません。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
ユリアさんが祇園丸ぎおんまると一緒なので、
その波形、正しく確認できました。
同じシュタインならユンカー局長の居場所も、探信儀たんしんぎで観測できそうです。
ヘーゲン召喚師が言うような
何百ものセヒラ異常はありません。
【帆村魯公】
アーネンエルベは、
秩序ちつじょが崩壊しておるのか?
この件は参謀に上げるほかない。
セヒラ異常を起こして、
そこへを降ろすなど、
聞いたことがない。
梨央りお、本当に異常はないのだな?
【喪神梨央】
ええ――
ただ、帝都満洲に妙な波形が……
兄さん――
さっきの場所とも関係するかも……
くわしく調べてみます。

大型波動グローサベッレを連発することで、何百ものセヒラ異常を招こうとしたものの、その目論見もくろみは失敗に終わったようだ。
しかし、その影響なのか、帝都満洲に現れた、哈爾浜ハルピンキタイスカヤの町並み――この意味するところはまだわかっていない。

第八章 第三話 猟奇倶楽部潜入

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーに風魔ふうまを待つ客があるという。機関本部の前に風魔ふうまはロビーに立ち寄った。はたして、背広せびろ姿の人物が待っていた。

【満蒙毛織の谷崎】
喪神もがみさんでいらっしゃいますね!
私、満蒙まんもう毛織けおり谷崎たにざきと申します。
いやぁ、ウチの繊維研究所、
さんざん手こずりましてね――
なにせ標本が極小でしたから!
あはは!
でも出来ましたよ!
六十番という細番手ほそばんで朱子織サテンです。
上等な生地をお使いですな。
そめも三度黒の職人に出して、
やっとご指定の色になりました。

ロビーにやってきた梨央りおは、谷崎たにざきから風呂敷ふろしきづつ包みを受け取った。

【喪神梨央】
谷崎たにざきさん、ご面倒をおかけしました。
【満蒙毛織の谷崎】
そう言っていただくと、
苦労した甲斐かいがあります。
――しかし、秘密のお仕事ですか?
【喪神梨央】
谷崎たにざき清次郎せいじろうさん……娘さんは、
大原おおはら商業高女を志望されていますね。
先生にはまだ相談されていません。
荻窪おぎくぼとついだ里子さとこお姉さん、
熱出して頓服とんぷく処方されたとか。
夏風邪はこじらせると大変ですよ。
また牛込うしごめの弟さんは借金絡みの――
【満蒙毛織の谷崎】
うわっ!
社の用事、忘れていました!
私はこれで失礼します!

【喪神梨央】
うふふ……
すごい慌てようですね、兄さん。
満蒙毛織まんもうけおりに頼んでいたのは、
黒頭巾くろずきんです。
兄さんが倒した怪人が落とした、
小さな切れ端から、
同じ素材のものを求めました。
先程、受け取りました。

ホテルロビーに新山眞が入ってきた。

【新山眞】
黒頭巾くろずきんの人物が落とした便箋びんせん
塩化コバルトインキで印刷してあり、
飯倉いいくら技研ぎけんに回ってきました。
電磁加熱機で慎重に加熱すると、
あぶしの要領で文字が浮かび、
猟奇倶楽部の秘密集会の案内でした。
【喪神梨央】
その集会が今日開かれます。
待機場所は品川駅前――
前に猟奇倶楽部に招待された時と、
同じ場所ですね。
倶楽部の車が迎えに来ます――
【新山眞】
待機時に頭巾ずきん着用のこと――
そうあったんです、案内に。
【喪神梨央】
兄さんがこの頭巾ずきんで変装して、
猟奇倶楽部の秘密集会に潜り込み、
内偵ないてい調査するのです。

〔山王ホテル前〕

【喪神梨央】
兄さん……
全然、兄さんだとわかりません。
【新山眞】
猟奇倶楽部の連中、
妙な渾名あだなで呼び合います。
喪神もがみさんはこれを名乗ります――

そう言って新山にいやまはメモを風魔ふうまに渡した。メモには、ガニヤンテの大司祭Λラムダ師とあった。

【喪神梨央】
品川へは公務電車ではなく、
円タクで向かってください。
参謀本部の職員が運転します。
それではよろしくお願いします。

〔品川駅前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
無線は行いませんが、
探信たんしんは続けます。
猟奇倶楽部が探信儀たんしんぎの空白地帯だと、
正確な場所は確認できません――
でも、出来る限り探信たんしんします。

【猟奇人ΩⅥオメガシックス
猟奇人ΣⅢシグマスリー様、会員の方です――
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様です。
【猟奇人ΣⅢシグマスリー
おお、ガニヤンテの大司祭様!
お待ちしておりました。
こちらを。つねの目隠しにございます。

黒服の男は目隠しを取り出した。猟奇倶楽部への道中は、会員であっても、知ることの出来ない秘密のようである。

【猟奇人ΣⅢ】
それではまいりますよ、大司祭様。
今日は特段のもよおしにございますゆえ。

風魔ふうまを乗せた車は、右へ左へと角を曲がり、加速や減速を繰り返しながら走った。

【猟奇人ΣⅢ】
今日は階位一位の会員の方が、
おいでになるともうかがっております。
皆、頭巾ずきん姿なのですが――
大司祭様の頭巾ずきんは新しいですね。
最近、会員になられたのでしょうか。
だとして、もうその階位ですか!
よほどの貢献こうけんがおありなんですね!
私らは準会員なのです。
永遠の準会員です――
倶楽部の場所は知りますが、
集会には参加できません――
儀式を受けると正会員になれます。
刀圭とうけい堂薬局の脳散丸のうちるがんを飲んで、
場所の記憶を飛ばすらしいです。
ノーチル、ノーチル、ですよ!

車が急ブレーキとともに停止した。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
あれを見ろ、襲撃だ!

〔四谷見附〕

そこにへ走り込んできたのは執事型ホムンクルスであった。
猟奇人ΣⅢは咄嗟に車の運転席に隠れた。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
まただ、ホムンクルス、人造人間だ!
我々を極度に警戒している!
排除してくれ!

猟奇人ΩⅥと執事型ホムンクルスは相討ちとなりともにたおれた。
辺りが鎮まったのを確かめるようにして、クルト・ヘーゲンがやってきた。

【クルト・ヘーゲン】
このトウキョウという町は、
実に緩みきっているな、フーマ!
いろんな人間が訪れては、
己が欲望を満たそうとする――
まるでソドムでありゴモラだ。
お前たちが何を求めようと、
私には関係がない。
だが、成果をかするとは残念だ。
ホムンクルスは、
我が国の宝だ、大いなる可能性だ。
それを狙うお前たちの狭量さいりょうぶり、
もう私には我慢ならない。
全個体に大型波動グローサベッレを発した。
全ては私の命で動く!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフフ――
私一人を退しりぞけても無駄だ。
二個中隊を越す数の個体群が相手だ!

そう言い残し、クルト・ヘーゲンは踵を返して立ち去った。
車に乗り込んだ風魔ふうまに目隠しが渡された。車は再び走り始めた――

【猟奇人ΣⅢ】
独逸ドイツの人造人間どもは、
私たちへの警戒を強めています。
――さもありなんでしょうが……
フフフフフ~

車は猟奇倶楽部に着いたようだ。風魔ふうまは目隠しを外されやしきへと案内された。

〔猟奇倶楽部〕

洋館の中には印度インド音楽のような調べが流れ、乳香にゅうこうの香りが漂っていた。招待者たちは一様に黒頭巾くろずきん姿であった――

【大階段の審判長Λ師】
支那シナには食人の風習を今に伝える
漢字があるのですよ――
ご存知ですか?
という字は干し肉のことです。
カイは肉の塩辛のことです。
脯醢ホカイとは残酷な刑を意味します。
罪人を殺して、
その肉を干し、塩漬けにして食った、
その名残ですな、フッホッホッホ~

【神の息を浴びたるΩ師】
あら、シャクという字もありますわよ。
これは肉をキザんで薬味を混ぜたもの。
支那シナ紂王ちゅうおうは、三公を食したと、
韓非子かんぴしにありますわ。
カイシャク――
三人をそれぞれの方法で調理して、
美味しく食べたそうですわ!

【煉獄の魔獣使いΒ師】
我国にも灰屋紹益はいやしょうえき逸話いつわがあります。
京都の富商であった紹益しょうえきは、
愛人だった吉野太夫よしのだゆうが死ぬと、
火葬かそうにしたその灰を、
酒にひたして食したそうです。

【栄光に満つ嬰児Σ師】
坪井つぼい正五郎しょうごろうしるした東亜とうあひかりに、
こんな一節がありますよ――
方々ほうぼうにある貝殻かいがらくずの中から
鹿やいのししの肉と同じに、
人骨のったのが出る――
これがもしほうむったのなら、
全体がある訳ですが、そうでない、
手足の骨がバラバラになっている――

【煉獄の魔獣使いΒ師】
近親者が亡くなると食ったのですね。
そういう親類を眞肉親類マツシシオエカと言います。
死者に対する愛慕痛惜あいぼつうせきの現れですね。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様――
取って置きのをお聞かせしましょう。
洪牙利ハンガリーのネダスチー伯爵夫人は、
全国から十二~十八歳の少女を雇用、
その数、二十年で六百人に及びます。
少女たちは城に着くや首をられ、
すぐさま生血をしぼられます。
血は場内奥深くの浴槽よくそうに運ばれ、
伯爵夫人の体を赤く染めていた――
若い少女の体からしぼった
血風呂に毎日入ることで、
容色ようしょくが増すとの迷信ですね――

そこへ鷹揚な様子で一人の黒頭巾姿の人物が現れた。
ホールにいた黒頭巾たちは一斉にその人物の方を向いた。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
従順なる隸Θしもべシータ師……
【従順なる隸Θ師】
結局、ホムンクルスの捕獲、
上手うまく行かなかったようです。
今日は一体のみとなります――
【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
それでは食せる香腺こうせんは、
一つということになりますか?
【従順なる隸Θ師】
香腺こうせん一つでも三人くらいは、
食せると思います。
【神の息を浴びたるΩ師】
香腺こうせんのオリーブオイル焼き、
口腔こうくうに広がるアーモンドの香り……
ああ、早く試したいですわ!
【従順なる隸Θ師】
さぁ、我らがホムンクルスですよ――

黒頭巾の一団が二手に分かれ、ホールの端に一体のメイド型ホムンクルスが現れた。
メイド型の体は濃厚なセヒラによって帯電したようになっている。
彼女の顔に表情はなかった――

【従順なる隸Θ師】
我らがホムンクルス、
先程から様子がおかしいのです。
【大階段の審判長Λ師】
何やら殺気さえ感じますが――
恐れているのでしょうか?
そういう感覚を持っているとでも?
【従順なる隸Θ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様、
ホムンクルスの準備をします。
一緒においでください――

黒頭巾の一団はメイド型ホムンクルスを囲み、ホールを後にした。
風魔も彼らの後に続いた。

洋館の薄暗い廊下を抜け、大きな扉を開けて入った部屋はまるで手術室のようなところだった。
部屋の周囲に医療器具や薬瓶を収めた棚が並び、部屋の中央に手術台がある。
メイド型ホムンクルスと風魔が向き合う格好になった。
部屋には他に従順なる隸Θ師の名を持つ黒頭巾がいるばかりであった。

【従順なる隸Θ師】
今日はカニバリズム猟奇人の集い、
そういうことになっています。
猟奇倶楽部で捕獲している、
ホムンクルスの香腺こうせんを料理して、
食べようという趣旨しゅしです。
しかし今日はあきらめましょう。
見てください、ホムンクルスですが、
妙に気が立っています――
この子は戦う気でいます。
誰彼だれかれとなく戦いをいどむ、
その状態のようです。
喪神もがみ風魔ふうまさん、
この子と戦ってください。
逃げることはできないでしょう。
【フロイライン】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
攻撃アングリフ!!

《バトル》

【フロイライン】
終了エンデ――
――終了エンデ――終了エンデ――

【従順なる隸Θ師】
――戦いは終わりました――

今回のもよおし、喪神もがみさんに
おいでいただくための計画でした。
君たちが如何いかなるを見るのか、それに近づくのが私の夢です。
――でも一向にかないません……
私はこの子を帰します。
喪神もがみさんもお戻りください。
品川駅までお送りします――

廊下に出たところで猟奇人ΣⅢが待ち構えていた。
風魔を車へ案内するという。

車は右左折を繰り返しながら進む――

【猟奇人ΣⅢ】
特別のつどい、いかがでしたか?
あっ、いえ、詮索せんさくはしません。
先程、車寄せにおいでなのが、
おそらく階位一位の方ですね。
西洋派出婦メ  イ  ドの格好をした女性と、
先の車で行かれました。
どうして一位と分かるって――
頭巾ずきん生地きじで分かるんです。
あの方のは百二十番手の極細番手ごくぼそばんて
世界でも希少な極上の朱子織サテンです。

車外の喧騒けんそうが消えた。大通りから外れたようである。不意に車は停車した。

〔銀座二丁目〕

【猟奇人ΣⅢ】
ここは銀座二丁目です。
表通りが通行止めでして――
数寄屋橋すきやばし界隈かいわいも通行できません。
申し訳ありません、
お送りできるのはここまでです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置、確認できています。
近くでセヒラを観測しました!
帥士すいしの方向に向かっています。
警戒してください!!

路地の脇から不意に黒頭巾が現れ風魔に近寄る――

【熱砂の旅団長Σ師】
あのホムンクルスとは、
私が戦う手筈てはずであった――
戦いに負け、たおれた彼女の香腺こうせんは、
果たして如何いかなる味わいであるか。
悲しみの味わいか、いきどおりの味わいか、
香腺こうせんを口に含み、深く味わう――
舌で香腺こうせん上顎うわあごに押し付けてつぶす――
歯を使うのは彼女に失礼だろう。
それが益荒男ますらおたしなみというものだ。
そのひそやかなる楽しみを、
貴様が台無しにした!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【熱砂の旅団長Σ師】
貴様!
無線誘導があるのか!

《バトル》

【熱砂の旅団長Σ師】
き……貴様は……
山王さんのう……機関か……
神与しんよの剣ひらめけば
妖魔ようまさんじてかげうつ
東亜とうあまもり関東軍!!
【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわい、交通整理中です。
フォス大佐離日りにちさいしての、
パレードが行われます。
怪人がまぎれると国際問題になると、
参謀本部より巡視パトロール依頼がありました。
銀座通りへお願いします。

〔銀座四丁目〕

銀座の電車通は交通整理がされ、今まさにフォス大佐の車列が通過中であった。沿道えんどうには等間隔で兵が立哨りっしょうについている。

【京橋署の巡査】
ナチスの偉いさんですかね……
帰国されるんでしょ。
車列、意外にこぢんまりですね。
春の時とは雲泥うんでいの差ですな。
デンホフSS上級大将歓迎パレード、
歩兵連隊の車列四キロに及び、
複葉機ふくようき八機、飛行船まで駆り出して、
沿道えんどうにはニ十万人が押し寄せました。
紙吹雪が乱舞らんぶして、
掃除に三週間かかったそうですよ。

【着信 喪神梨央】
車列は品川駅までだそうです。
横浜港に欧亜おうあ汽船の漢堡ハンブルク丸がいます。
フォス大佐が乗船予定です。
横浜までは省線電車ですね。
品川四時十分発の沼津ぬまづ行、
普通車一両を貸し切るようです。
その電車に特別車はありません。
公務終了して帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、猟奇倶楽部の場所ですが、
やはり探信儀たんしんぎの空白域です。
一探、二探、四探、六探、
これら探信儀たんしんぎに囲まれたどこかです。
北は市ヶ谷士官学校、南は古川橋ふるかわばし
東は半蔵門はんぞうもん、西に信濃町しなのまち……
その中の何処どこかにあるはずです――
車は品川から銀座、日本橋を経由し、
本郷ほんごう春日町かすがちょう水道橋すいどうばしと、
六探内を動いて、四谷見附よつやみつけへ。
そこは山王さんのう探信儀たんしんぎを使えました。
四谷見附よつやみつけから程なくして車は停まり、
その付近に猟奇倶楽部があると――
おそらく信濃町界隈しなのまちかいわいですね。

ノックの音がして機関本部にユリア・クラウフマンが姿を見せた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが戻りました。
あの子、無事だったんです――
【喪神梨央】
よかったですね、ユリアさん!
それじゃ香腺こうせん調べれば、
猟奇倶楽部がわかりますね!
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインの香腺こうせんの内容、
きれいに消されていました。
事情に明るいのですね――
【喪神梨央】
事情に明るいというのは、
つまりホムンクルスをさらった人が、
という意味ですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、そうです――
アーネンエルベの情報が、
れているのかも知れません。
【喪神梨央】
他に行方不明の
ホムンクルスはいませんか?
【ユリア・クラウフマン】
今のところは……
ヘーゲンが大型波動グローサベッレを放ち、
不要な交戦が増えると思います。
行方不明が出る恐れもありますね。
フォス大佐がマンシュウへ渡り、
ヘーゲンは増長しつつあります。
ユンカー博士は、
大型波動グローサベッレには猛反対もうはんたいしています。
ヘーゲンは聞く耳を持ちません――
【喪神梨央】
アーネンエルベが分裂とかしたら、
虹人こうじんさん、大丈夫でしょうか?

猟奇倶楽部への潜入は、むしろ相手の策にはまったようなものだった。そこにはへの執着がわだかまっていた――

第七章 第三話 ユーゲント

京都発の夜行で東京に戻った鬼龍きりゅうは、東京駅に待機した歩一の将兵らに連れられ、白山はくさんにある秘密集会所になかば幽閉された。鬼龍の術武伝承を希求する月詠つくよみ麗華れいかとの、距離を稼ぐ措置そちであった。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
麗華さんは、渋谷の青山せいざんホテルと、
清正公せいしょうこう前を行き来しているようです。
でも、その姿を見た者はいません。
歩一の兵ら百人が監視しているのに。

【新山眞】
よろしいですか?
【喪神梨央】
新山にいやまさん!
結界はうまく働いていますか?
思念増幅器で作った結界です。

【新山眞】
品川、目黒、一の橋に設置しました。
この三角形で清正公せいしょうこう前を包囲して、
なんとか収まっています。
セヒラ球が清正公せいしょうこう前に現れても、
そこで思念をることは不可能、
なにせ雑音だらけですからね!
それで肝心の鬼龍きりゅう大尉は、
第一連隊が白山はくさんかくまうのですね。
【九頭幸則】
ええ、歩一秘匿ひとくの集会所です。
住所も電話番号も明かしていません。
――勿論もちろん、俺も知らない……
【喪神梨央】
あれ?
幸則ゆきのりさん、いつの間に出たんですか?
【九頭幸則】
出た?
まるで、ぼっかぶりみたいだな――
最前からこの本部にいたよ!
【喪神梨央】
ええ?
幸則さん、いつの間に、
京都の言い方、覚えたんですか?
【九頭幸則】
――いや……
最近の流行りだよ、流行り!
そんなことより聞いてくれ、風魔よ。
歩一の御荷鉾みかぼ大尉と話したんだ。
大尉は鬼龍と昵懇じっこんの中だった――
鬼龍は機根きこんを備える者は誰か、
しきりと悩んでいたそうだ。
――機根きこんというのは……
【帆村魯公】
機根きこんとはこれまた自惚れだな!
――機根きこん……仏の教えを受ける者の、
器量や素養のことだ。
【九頭幸則】
奴が鈴代すずよに犠牲をいたのは、
その機根きこんを確かめようとした?
――そうなんですか?
【帆村魯公】
わからん!
はばかりなく手を尽くすのだろう。
それで、中尉――
先の御荷鉾みかぼ大尉だが、
――失踪しっそうしたぞ。
【九頭幸則】
ええ?
いつのことですか?
【帆村魯公】
昨日、隊舎の屋上にいたまでは、
確認されておるが――
その後、姿を消した。
【喪神梨央】
お話中、失礼します。
【九頭幸則】
どうしたんだい?
またぼっかぶりでも、出たかい?
【喪神梨央】
山王さんのうホテル前で、
ユリアさんが戦っています!
【帆村魯公】
何?
ユリア嬢が?
【喪神梨央】
はい!
セヒラも急速に高まっています!
【九頭幸則】
行こう、風魔ふうま

〔山王ホテル前〕

ホテル前ではユリアが奮闘ふんとうしていた。ちょうど右翼、左翼にメイド型を展開し、執事型を迎え撃つ格好だった。

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、応戦お願い!
来たわよ!
【メイド型ホムンクルス】
応戦オウセン……了解リョウカイシマシタ!
【ユリア・クラウフマン】
よくやったわ、フロイライン!

【ユリア・クラウフマン】
どうしたの?
――シュタインがまだ馴染なじまないのね……
【九頭幸則】
危ない!
右手だ、ユリアさん!!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、お願い!
なんとか防いで!

【ユリア・クラウフマン】
――フロイライン……
後できちんとするわ。
フーマ――
おそらくヘーゲンよ。
すべての使いと戦うように、
執事型ホムンクルスに、
刷り込みアプドロックをしたみたいなの。
彼はすごく警戒している――
何にそんなに警戒するのかしら?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
再びセヒラ急上昇です!

【執事型ホムンクルス】
――排除アンシュルスする……
戦闘開始カンプビゲン!!
【帆村虹人】
卑怯ひきょうだろ、二人がかりは!

【ユリア・クラウフマン】
コウジン……
あなた――
離れた相手と戦う、
合焦ツイール能力を身に着けたのね……
【帆村虹人】
ははは……
アーネンエルベは科学と魔術の巣窟そうくつ
いろいろあるわけですよ!

【クルト・ヘーゲン】
我が方から、
色々と盗んでいるようだな。
【帆村虹人】
あなたは可哀想なほどに、
自分を憎んでいる――
自分を憎み、人を憎み、
世界を憎んでいる。
憎しみがあなたの力だ、違うかな?
【クルト・ヘーゲン】
自分を憎むのは誰しも同じだろう。
その感情に気付かない振りをする、
それで善人ぶっているのだ。
【帆村虹人】
僕は気付いているさ!
僕は自分が憎い、憎くて仕方ない!
だが、その向こうに救済きゅうさいがある。
【クルト・ヘーゲン】
さとりでも開いたのか?
フフフ、まだ自分を知らないようだ。
合焦ツイールすれば力のおとろえることをな!!
【帆村虹人】
何?

うう……
不意を突かれた……
――風魔ふうま……
【クルト・ヘーゲン】
ホムラの術とはその程度か!
この町でレーベンクラフト型の、
ホムンクルスを見た。
お前たちが扱うのか?
私の許可なく――
なぜレーベンクラフト型を、
この町に放つのだ?
【ユリア・クラウフマン】
サンノウにレーベンクラフトを、
扱う権限はないわ。
【クルト・ヘーゲン】
ほう!
さてはお前が連中に入れ知恵したか?
私のあずかり知らない
レーベンクラフトなど、
ただの阻害要因そがいよういんに過ぎない!
阻害要因そがいよういんは除去しなければな。
お前も同感だろう、モガミフーマ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフ……
お前の成長、目覚ましいものがある。
――だが……不思議だ……
私の中に……
まだ力は残されている――

【賞賛する声】
クルト、ヘーゲン!
ククック、ククック~
郭公かっこう時計が正午を告げます――
【クルト・ヘーゲン】
――何の話だ?
貴様、いったい誰だ?
【賞賛する声】
伏目がちの少年クルトは、
バーデン国家青年団に入隊した。
さぞかし誇らしかったであろう!
のりの効いたシャツ、それにネクタイ。
すべてお前が初めて身に着けるもの。
着古した羊毛のシャツしか知らない
伏目がちの陰気な少年が、
一気に凛々りりしくなったのだ――
【クルト・ヘーゲン】
うるさい!
私の何を知るのだ!
【賞賛する声】
私はお前の全てを知っている。
如何いかにお前が素晴らしいかも!
【クルト・ヘーゲン】
素晴らしいだと?
――何を根拠にそう言うのか?
【賞賛する声】
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
お前は小さな恋をした。
青白き少年ハンスに恋をした――
【クルト・ヘーゲン】
……
【賞賛する声】
ハンスの白くて長い脚に、
細く華奢きゃしゃな指に、腕に浮く血管に、
お前はすっかり魅了された。
ハンスの一つ一つがお前をがした。
あの夏の日のことを、
お前は忘れない――
フルトヴァンゲンにある、
ドナウ源泉近くの小川で、
お前たち二人は水浴をした――
ハンスとは別組のお前は、
その時初めてハンスの裸を見た。
すぐにお前はさとった!
ハンスの背中に縦横無尽じゅうおうむじんに走る、
赤黒い鞭打むちうちのあざを見て!
ハンスの胸にられた、
巨大な十字架の刺青いれずみを見て!
お前は全てをさとったのだ!!
ハンスは父親のなぐさみものだったと。
かつてお前がそうであったようにな!
【クルト・ヘーゲン】
黙れ!!
ハンスは強い男になった!
【賞賛する声】
そうだろう、素晴らしいことだ。
ハンスはナチ党突撃隊員となり、
数々の功績を上げたからな!
共産党員を殺害して手柄を立てた。
だがハンスが憎んでいたのは女だ。
売春婦ばかり六人を殺害した。
いつも手口は同じだった――
売春婦の腹に深々とナイフを立て、
鮮やかな十字架を描くのだ。
【クルト・ヘーゲン】
――奴は道を間違えたのだ。
去年、親衛隊にて粛清しゅくせいされた。
私はサディストではない。
女を殺すなど微塵みじんも考えない。
――私は……
【賞賛する声】
そうだなクルト。
お前は女など憎んではいない、
憎んでいるのはお前以外の全てだ!
お前の名を呼ぼう……
クルト・ククックカッコウ・ヘーゲン!

クルト・ヘーゲンはレーベンクラフト型を討ち倒す狩りヤークトの準備に入った。ユリア・クラウフマンは、メイド型のシュタインを調整するという。虹人こうじん風魔ふうまは赤坂料亭街にいた。

一ツ木通ひとつぎどおり

【帆村虹人】
どうも僕は、
大勢での戦いが苦手なようだな――
一ツ木通にセヒラがあるって、
梨央りおは言うけど――
どうなんだい?
【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ濃度、高まっています!

【赤坂署の巡査】
往来おうらいの邪魔をする者らがいる、
その通報あって来たわけですが――
この者らに不審尋問ふしんじんもんしたわけですが、
皆、一様に何日も帰っていないやら、
うそぶくわけです――
幻燈会げんとうえの客に一致した言動でして、
引こうか否か、検討しておりました。

半蔵門はんぞうもんの客】
有楽町ゆうらくちょう荘月会館しょうげつかいかん出てから、
もう何日もほっつき歩くのよ。
おかしいわね、ちっとも眠くないし、
お腹もかないのよ――
変でしょ、アタシ、変でしょ?

【レーベンクラフト六八三】
雷……ドナーシュトゥルム!!
ヴィント!!
半蔵門はんぞうもんの客】
はぁ~
これで……帰れますわね……
家にね……

【帆村虹人】
あいつ、お前を捕捉ほそくしたぞ!
ホムンクルスは一旦捕捉ほそくすると、
解除できないんだ――
戦うほかない、風魔!
【レーベンクラフト六八三】
――目標ダスツィル……目標ダスツィル……
――排除!アンシュルス 排除!アンシュルス

《バトル》

【レーベンクラフト六八三】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート
【帆村虹人】
これは……
――アーモンドの匂いがする。
ホムンクルスの香腺こうせんだ――
まるで梅の実のようだな。
今の奴が落としたのだろう。
香腺こうせんを硫酸にひたすと、
模様が現れるんだ。
それで記録を読み解くことができる。
アーネンエルベで試してみるよ。
今の奴がどんな命を受けていたか、
それが判ればいろいろはっきりする。
風魔……
距離を置き、僕は自分が見えた。
――そのように思うんだ。
そして何が大切かも判った。
これは自信というやつかもな――
僕の人生になかったものだ。

一ツ木通ひとつぎどおり

近富士ちかふじの女中】
今日は朝から大わらわね――
丸々、貸し切りなのよ。
何でもナチの偉いさんが来るとかで。
酒屋の西陣屋にしじんやなんか、
シャトーワインの注文受けて、
帝都ホテルに買いに行ったわよ。
一本、三十円もするんですって!
割ったら大変!
さぁ、錦屋にしきやでお菓子買わなくちゃ。

【ゲルハルト・フォス】
君がそうかね……
我がヘーゲン一等召喚師を、
きたえてくれているというのは?
実に心強いことだ、
モガミフーマ!
――楽にしたまえ。
今日はアカサカのレストランで、
晩餐会ばんさんかいがあるという――
ところで君たちは
既に聞き及んでいるだろうか?
我が方に新しい組織が誕生した。
新型ホムンクルスの開発、
セフィラの工業化などを手がける。
例によってやや長い名称だがね――
アーリア人とドイツの超越した歴史・文化がヨーロッパを実存化する――
頭文字はAGKDEA、
最初の三文字でアーゲーカーと呼ぶ。
ミュンヘンにあるナチ党本部、
褐色館ブラウネスハウスの地下を本拠とする――
この国、日本とも、
益々ますます密な繋がりを持てることを、
大いに期待するばかりだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座で怪人同士が戦っていると――
山王下さんのうしたに公務電車を回します。
急行してください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇です。
これは執事型です、狩りの状態です!

【執事型ホムンクルス】
狩りヤークト――
標的ツィール……
捕捉エルファスン――

《バトル》

祇園丸ぎおんまる
後ろから来るとはね。
でも大丈夫だよ、
僕が倒した――
君にはお礼をしなくちゃいけない。
僕たちの仲間を殺した医者、
君がたおしてくれたからね。
可哀想な西京極丸にしきょうごくまる――
あの子はシュゼンジの冷たい池に
ゴミのように捨てられた。
西京極丸にしきょうごくまるに酷いことをした奴に、
何とかして報復したい――
でも僕たちにはできないんだ。
僕たちは憎しみという感情を、
ほとんど持たないからさ!
代わりに君がやってくれた。
犯人のヘルマンは本性しで、
監獄かんごくの壁をひたすらなぐるという。
自分の手足の肉をみちぎるので、
すべての歯を抜かれたんだ――
さて、そろそろ行かなくちゃ。
次に会うときは、
君と一戦まじえることになるかも。
その時はよろしくね!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さんを助けた少年、
新型のホムンクルスでした。
【ユリア・クラウフマン】
ミュンヘンのアーゲーカーで開発され、
早速日本に連れてこられたのです。
【喪神梨央】
それって……
フォス大佐と一緒にですか?
【ユリア・クラウフマン】
何体かはレーベンクラフト型と共に、
先遣隊せんけんたいとして来日していたようです。
そのうち一体が殺害された――
【喪神梨央】
殺されたのは……西京極丸にしきょうごくまる……
変わった名前なんですね。
【ユリア・クラウフマン】
キョウトの地名だそうです。
あの子たちは十二石で動きます。
今のところ最も優秀です。
ユーゲント、それが型名です。
レーベンクラフト型は、
フォス大佐の護衛で来ました。
【喪神梨央】
それじゃ……
ユーゲントは何の目的で日本へ?
【ユリア・クラウフマン】
アーゲーカーが性能を試したいのでは……
あそこ、父の助手だった人が、
今は所長に収まっているのです――
ユルゲン・フェラー――
それが助手だった人です……
【喪神梨央】
ユリアさん、何か心配事でも?
【ユリア・クラウフマン】
……
いえ……
少し考えさせてください――

ナチSS親衛隊大佐が来日した。
町は歓迎かんげいムードであったが、隠しようのない不安が随所ずいしょ滲出しんしゅつしていた――

第五章 第五話 力求める者

人は闇を恐れる――
恐れるがあまり、光に頼り、やみをますます深くしてしまう。心から恐れが去らないかぎり、人がやみを照らす光を求めるはやまず、やみは深く濃くなるばかりである。深いやみの中で一人の男がもがいていた。もがくほどにやみはますます深くなる――

【くぐもった声】
一体、どこへ行くつもりだ?
あるいは逃げようとしているのか?
クルト・ヘーゲン……
お前のうちには何がある?
【クルト・ヘーゲン】
うるさい!
気安く名を呼ぶな!!
【くぐもった声】
お前はうろでできている。
わかるか、うろだ、こごえるうろだ。
黒い森シュバルツバルトでお前は育った。
郭公カッコウ時計を作る職人の息子として。
ある陰鬱いんうつな冬の午後、
お前は納屋なやで首をった――
だが、死ねなかった!
【クルト・ヘーゲン】
黙れ!
貴様、誰だ!
【くぐもった声】
教えてほしいんだ、切実にね。
お前は、自分を棄てたのか?
それとも取り戻したのか?
可哀想かわいそうな少年は、力を得た。
少年はその力に翻弄ほんろうされた――
【クルト・ヘーゲン】
上出来だな!
――私の力を恐れるのか?
恐れるがあまり……
【くぐもった声】
祝福と呪いでできた人生を、
お前は歩み始めた――
先のない道とは知らずに。
【クルト・ヘーゲン】
判ったふうに言うな!
貴様は、私の何を知る!
――名乗れ!
【くぐもった声】
私には見えるぞ、小さな妖精が。
お前の中に飛ぶ妖精だ。
【クルト・ヘーゲン】
そんなものは、ない!
【くぐもった声】
妖精はお前の前進をこばんでいる。
お前は妖精を飼う限り、
前には進めない――
【クルト・ヘーゲン】
黙れ!
私に構うな!
【くぐもった声】
お前の名を呼ぼう……
クルト・ククックカッコウ・ヘーゲン!
【クルト・ヘーゲン】
やめろ!
やめるんだぁ!!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

山王さんのう機関本部では、いつになく緊張した空気が支配的であった。歩兵第三連隊が襲撃しゅうげきを受けているという――

喪神もがみ梨央りお
兄さん、波形から見て、
歩三をおそうのはホムンクルスです。
それもクルト・ヘーゲンの!
帆村ほむら魯公ろこう
これは奴の擅権せんけんか?
アーネンエルベのめいを受けず、
勝手な判断でやっているのか?
喪神もがみ梨央りお
わかりません。
アーネンエルベの規律に、
擅権せんけんの罪はないのかも知れません。
帆村ほむら魯公ろこう
規律があってもなくても、
奴ならやりかねんがな。
歩三で迎え撃つは、
第九十九小隊、鬼龍きりゅう隊か?
帆村ほむら虹人こうじん
彼らだけでは間に合いません。
一般の将兵も出ているはず……
とても手に負えないでしょう。
それで、梨央りお
クルト側のホムンクルスは、
何体くらい出てるんだ?
喪神もがみ梨央りお
確認出来るだけで三十、
いや、もっと多いです!
帆村ほむら魯公ろこう
いずれにせよだ、
これはアーネンエルベに
さぶりをかけるいい機会だ。
クルトをたたけば、奴も今の立場を、
守るのは難しくなるだろう――
喪神もがみ梨央りお
クルトは帝都のセヒラを、
独り占めにするつもりなです!
そんなの無理です。
帆村ほむら虹人こうじん
すこしらしめるか。
それで帝都で権勢けんぜいほこれなくなる――
独逸ドイツ本国も苛立いらだちをつのらせるだろう。
帆村ほむら魯公ろこう
そうとわかれば、風魔ふうまよ!
ただちに歩三へ助太刀すけだちに向かうぞ!
帆村ほむら虹人こうじん
今回は僕も行く。
クルトのほしいままにはさせない!
やつは往生際おうじょうぎわが悪すぎるんだ。
帆村ほむら魯公ろこう
襲撃しゅうげきは間違ってもユンカー局長の
命令ではないはずだ。
梨央りお、公務電車を頼む!
喪神もがみ梨央りお
はい! 溜池ためいけから六本木ろっぽんぎ
第一連隊前まで軌道きどう確保しました!

第三連隊だいさんれんたい前庭ぜんてい

魯公ろこう虹人こうじん帆村ほむら兄弟と風魔ふうまは、公務電車により第一連隊前の電停に着いた。
すぐ第三連隊本部へ踏み込んだ。第一連隊に向き合うように第三連隊はあるが、第一連隊は赤坂区、第三連隊は麻布あざぶ区に属す。ゆえに、第三連隊は麻布あざぶの連隊としょうせられる。連隊本部内では、ホムンクルスに立ち向かい、その怪力に倒された将兵の姿があった。将兵らはホムンクルスを人造人間と呼んだ。

【第二十三小隊曹長】
ハァハァハァハァ……
奴らは人間ではありません!
――小隊、壊滅かいめつにあります……
うぐっ……
人造人間の集団に……
そうです……
人造……人間……です
帆村ほむら魯公ろこう
ホムンクルス相手では仕方ない。
奴らは怪人ばりの怪力だ。
勿論もちろん、弾も効果あるまい。

【第八小隊伍長】
無念であります……
撃てども効かず、奴らは封鎖ふうさ突破とっぱ
相次あいつぎ本部へと……
兵ら、斉射せいしゃするも効果なく……
たちまたれる始末しまつ
銃剣じゅうけんさえもろともせず……
あの怪力に立ち向かうのは無理です!
帆村ほむら虹人こうじん
僕たちなら大丈夫だ、
取っ組み合いをするわけじゃないさ!

【執事型ホムンクルス】
戦闘開始カンプビゲン……

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
敗北……アウスファイル

【怯えた犬】
グーウググググググ~
グヮン! グヮン! グヮン!
帆村ほむら魯公ろこう
犬すら気配を察しておるな!
ホムンクルスの!

【執事型ホムンクルス】
戦闘開始カンプビゲン……
帆村ほむら魯公ろこう
こいつはクルトの指揮しき下にある。
ここはわしにまかせて、
二人は先に進んでくれ!
帆村ほむら虹人こうじん
兄上、お願いします!
帆村ほむら魯公ろこう
鬼龍きりゅうを探すんだ、頼んだぞ!

第三連隊だいさんれんたい廊下ろうか

【執事型ホムンクルス】
戦闘開始カンプビゲン……
帆村ほむら虹人こうじん
人造召喚師めが!
――こいつら、皆、同じなのか……
性能の差はありそうだな――
よし、風魔ふうま
ここは僕にまかせてくれ!
お前は奥へ進むんだ!

一五市にのまえごいち
ぐぅ……喪神もがみ風魔ふうま……特務中尉、
わらいに来たのか?
九十九小隊も出撃したが……
……このていたらく……
人造人間ごときに――
……中尉……
はじしのんで頼む……
隊長を……
頼む!
――隊長を!

第三連隊だいさんれんたい兵舎へいしゃ

鬼龍きりゅう豪人たけととクルト・ヘーゲン。
二大召喚師の激突は、熾烈しれつきわめていた。共にトゥーレのやかたで修練を積んだ者同士。たがいの術策は知り尽くしている――
この戦いの行方は予断を許さない。両者の術が交錯こうさくし、周囲にただならぬ妖気をもたらしていた。霊異りょういひらく魔の空間である――

【クルト・ヘーゲン】
私のうちに何があるだと――
そうだよ、黒い森シュバルツバルトが広がるんだ!
果てしない森がな!
鬼龍きりゅう豪人たけと
貴様は、一体、何を……
求めている?

クルト・ヘーゲンが鬼龍の霊異りょういふうじた。召喚師同士の勝負はついた――

【クルト・ヘーゲン】
我々が求めるものは、
純粋な力に他ならない!
純粋であればこその力だ!
先史せんしアーリア人の霊異りょうい為す力だ。
その力を求めるため、
この国の霊異りょうい掌中しょうちゅうに収める!!
あきらめろ、お前は不純だ。
シノノメに頼る限りな!
お前は、終わりだ!!
鬼龍きりゅう豪人たけと
あっ!!
――クルト……
貴様、その力……いつ……
【クルト・ヘーゲン】
お前の不純さが、私の目をにごらす。
だがもう案じることはないようだ。
さて、私もいそがしくなってきたな!
喪神もがみ風魔ふうま君――
君には一点のくもりもないようだ。
素晴らしいじゃないか!
そうだよ、それでこそ、
私の好敵手というものだ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フーマ、君の森はどれほど深い?
私は森を抜けようとしている――
あと、少しだ!

【クルト・ヘーゲン】
君から学ぶところも、あるようだな、
自分でもそう思うだろう、フーマ……
君たちがどうあろうと、
私は森の出口を見つけた――
暗闇を抜けたのだ!
さぁ、私を……
しかるべきところへ帰すのだ、
光よ、私はここに待つ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラが増大しています!
これまでにない波形です!!
【クルト・ヘーゲン】
おお!
おおおおお!!
【謎の声】
フフフ――
さしずめ迷える子羊ストレイシープだな……
鬼龍きりゅう豪人たけと
まだいるのか……
――あるいは……
誰だ! その声は……
【謎の声】
お前にも道を示すぞ、鬼龍きりゅう豪人たけと
鬼龍きりゅう豪人たけと
どうして私の名を?
貴様に名を呼ばれる筋合いはない!
さては……
蒸し暑い帝都を彷徨さまよう思念か?
――だとすれば、あわれだな!
【謎の声】
お前は自分をいつわっている、
あわれとはそういうものだ。
鬼龍きりゅう豪人たけと
何だと!
貴様、何者だ!
名乗れ!
【謎の声】
京都にいたお前に届いたのは何だ?
素敵な木箱だ、中にあったのは、
京都発伯林ベルリン行きの一等切符チケットだったな!
それでお前はドイツ行きを決めた。
東雲しののめ流に見限られた思いを残して。
――お前のことは見ているからな。

一五市にのまえごいち
隊長!
ご無事でしたか!
喪神もがみ中尉、
ここはひとまず礼を言う。
鬼龍きりゅう豪人たけと
何だと、少尉?
貴様が助けを求めたのか?
――余計なことを……
私は奴の本性を引きずり出し、
白日はくじつのもとにさらけ出してやろうと――
純粋であることが強い――
フフ、一理あるとしておくか。
如月きさらぎ鈴代すずよも純粋であったからな!
一五市にのまえごいち
大尉!
自分が、差し出がましいことを――
申し訳ございません!
鬼龍きりゅう豪人たけと
ここはもういいだろう、喪神中尉。
貴様には貴様の場所があるはずだ。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
アーネンエルベで、
何かあったんですか?
第三連隊をおそったところで、
帝都のセヒラの独り占めなんて、
絶対無理です――
帆村ほむら虹人こうじん
それはクルトの言い訳に聞こえるね。
奴は……変わろうとしている――
そんな感じがするよ。
帆村ほむら魯公ろこう
何かの啓示けいじでも受けたか?
それとも誰かにそそのかされたか……
帆村ほむら虹人こうじん
そういや帥先そっせんヤの摘発てきはつが始まったよ。
人をそそのかして怪人化させるとか、
そんな噂の連中だよ。
帆村ほむら魯公ろこう
憲兵特高が動いているとかだな。
警察の特高課ではなく憲兵だ。
まず人生相談所がやられたみたいだ。
帆村ほむら虹人こうじん
悩みを聞き出して、そこにつけ込み、
恨みを晴らすように仕向けたり……
それが治安維持法ちあんいじほう違反なんだそうだ。
帆村ほむら魯公ろこう
相談受けて、似たような連中が
街に繰り出すから結社とみなされた。
国体変革こくたいへんかくを目的とした結社だ。
喪神もがみ梨央りお
摘発てきはつされたの、新宿の相談所でしょ。
他はどうなんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
どうも同じ系列じゃないみたいだ。
だが、他の摘発てきはつも時間の問題だろう。
本音を吐露とろするのも容易よういではないな。
喪神もがみ梨央りお
そうそう、鬼龍きりゅうも言ってましたね、
奴の本性を引きずり出すって。
奴って……クルトのことですよね?
帆村ほむら虹人こうじん
いや、クルトは先に去ったはず、
あの謎の波形のセヒラとともに。
でも他に人のいた気配はないし――
帆村ほむら魯公ろこう
クルトの動向どうこう、要観察だな。
アーネンエルベにもさぐりを入れる。
――今日はこれで解散だ。

第五章 第四話 諍いの場

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
猟奇グラフ、どこの本屋さんでも
売り切れなんです。
帝都の魔神の別冊ですよ――
九頭くず幸則ゆきのり
記者の中に怪人になった奴でも
いるんじゃないのか?
それで体験談をせたんだよ。
喪神もがみ梨央りお
猟奇グラフは猟奇倶楽部くらぶ編集部が
出しているんですけど――
住所がころころ変わるんです。
前は本郷ほんごう、次に京橋きょうばし
その後が小石川こいしかわなんです。
先月号は下谷したやで、今はまた小石川こいしかわ
九頭くず幸則ゆきのり
何だそりゃ?
まるで漂流編集部だな!
喪神もがみ梨央りお
市内にたくさん編集部があって、
いつも違うところを載せているとか。
九頭くず幸則ゆきのり
猟奇人の考えることは、
俺達、普通の人間にはわからんよ!
それにしても審神者さにわや召喚師しか
見えないを記事にするなんて。
他に見える奴を探そうって魂胆こんたんかな。
喪神もがみ梨央りお
隊長、今日も参謀本部で会議です。
麗華れいかさんのことも報告したみたい。
九頭くず幸則ゆきのり
麗華れいかさん、いまだ行方知らずだ。
鈴代も心配だろうな……
まして召喚したりするんだ――
喪神もがみ梨央りお
帆村ほむら流でも東雲しののめ流でもない、
独逸ドイツ式召喚術でもない……
そういうのって、何流なんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
自己流さ!
喪神もがみ梨央りお
もう、幸則ゆきのりさん!
まじめに話してるんですよ!
九頭くず幸則ゆきのり
でもほかに流派はないんだろ、
帰神きしん法の流派って……
喪神もがみ梨央りお
あっ、携行式探信儀けいこうしきたんしんぎが!
――青山方面にセヒラ観測です。
あの辺、探信儀たんしんぎの空白地帯なんです。
九頭くず幸則ゆきのり
それは心配だ。俺も同行するよ!
公務電車を頼む。
歩くにはちょっとあるからな!
喪神もがみ梨央りお
気を付けてください!
この間の仮面の男の時と、
似た波形が出ています。
九頭くず幸則ゆきのり
仮面の男だって?
また新手あらてが出たのか!
喪神もがみ梨央りお
周囲の人にも影響を与えるんです。
普通の怪人とは違うようです。
九頭くず幸則ゆきのり
ひえっ!
じゃ、風魔の影になって見てるよ!

〔青山街路〕

【日本橋の老人】
八丁堀はっちょうぼりの孫、章三郎が不甲斐ふがいのうて。
援助して帝大の文科にやったのに、
友達から借金して踏み倒すわ、
んだくれる、曖昧あいまい屋に入り浸る、
まともに学校へ行きやせん!
肺病の妹、るわけでなし……
わし、相談しようと省線しょうせんで新宿まで
出向いたのに、相談所、休みじゃ!
人生よろづ相談じゃよ。
――当面、しめます
貼り紙一枚あるきりじゃ。
そしたら急に、気分悪ぅなって……
うげぽっ!
ぐぐぐぐ……
ぐ、ぐるし、い……何か出てきた……
九頭くず幸則ゆきのり
大丈夫か、じいさん。
医者でも呼ぶか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
本部で医者を手配します。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの原因、さぐってください!

【新宿から来た男】
そのおじいさん、大丈夫ですか?
新宿の鉄道病院の前から一緒で、
省線しょうせんの中でもふらふらしてましたよ。
三日前に病院行った時、
病院の向かい、人生よろづ相談所に、
憲兵が大勢いましたね。
九頭くず幸則ゆきのり
憲兵がいた?
じゃ、相談所の人、
しょっぴかれたのか?
【新宿から来た男】
あの様子だと、そうですよ。
今日は閉まってましたしね、相談所。
よからぬ思想でも吹き込む、
そうにらまれたんじゃないですかね。

【神田の大学生】
あなた、見ませんでしたか?
仮面を被った人物ですよ。
さっき若い派出婦はしゅつふと話していて、
すると、急に派出婦はしゅつふの人、
卒倒そっとうしたんです!
あの仮面の人物、何者ですか?

【メイド型ホムンクルス】
私の……シュタインが……
四石のうち……一つが破壊され……
……動けない……
シュタインが……壊れた……
……シュタイン無くして……動けない……
九頭くず幸則ゆきのり
おい! こいつは、ユリアの……
ホムンクルスなのか?
どうした、何があった?
【メイド型ホムンクルス】
むこう……ユリアさま……
フーマ……至急シキゅう、支援……
支援を……
シュタインは……残り三石……
残り……三石……
九頭くず幸則ゆきのり
この匂いは……
アーモンドの匂いだ!
――ホムンクルスの匂いなのか……

【赤坂署の巡査】
自分は尋ねたんです。
アーユーオーケー、とね?
そう言うんでしょ、西洋式は。
でも、あの西洋人、
ただ首を振るばかりで
何にも答えない――
自分のエゲレス語、
通じないんでしょうか?

田町たまちの婦人】
そこの方、大丈夫かしら?
――何だかお悪そうよ……
しゃくでもおきたのかしら……

【洋行帰りの男】
あすこにいる西洋人、
欧羅巴ヨーロッパの人じゃないかな……
透き通るような白い肌……
きっと独逸ドイツ白耳義ベルギーじゃないかな。
だとすると我が国の夏は、
こたえると思うな、気温に湿気、
その両方が高いからね。

〔青山街路〕
ユリア・クラウフマンは、どこか優れない様子であった。怪我をしているわけではなさそうだ。風魔ふうまの近づくのを見て、ユリアは安堵あんどの表情を浮かべた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
――どうして、ここが……
セフィラを……
強いセフィラを観測したのですね?
【九頭幸則】
仮面の男の時と同じだと――
……それにしても、大丈夫ですか?
【ユリア・クラウフマン】
実は、仮面の男と遭遇したのです。
せっかく戻ったフロイラインが……
とても強いセフィラでした――
【九頭幸則】
戻ったって……
興亜百貨店の前で消えた、
あのホムンクルスがですか?
【ユリア・クラウフマン】
そうです……
レイカの行方に繋がる記録、
残していないか調べていたら――
この場所へ私を誘導しました。
そこへ仮面の男が現れて……
【九頭幸則】
ホムンクルスは、石がどうのと……
壊されたのですか?
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインは四つの石で動きます。
その一つが破壊されたようです。
――そしてレイカさんの記録は……
【九頭幸則】
なかったんですか?
麗華さんの行方はわからない?
【ユリア・クラウフマン】
別々の場所に飛ばされたようです。
フロイラインは暗闇の中にいたと……
それがどこかはわかりません。
【九頭幸則】
あのセヒラ異常の背後に、
仮面の男がいるとうのか……
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも仮面の男特有の
波形を感じて、ここへ私を
導いたのかも知れません――
先ほど、これを拾いました。
指輪のようです――

周囲に謎めいた文様もんようきざまれた指輪だ。世界を破滅はめつに導く魔力を秘めた指輪のように、強く、そして鈍い光を放っていた――

【ユリア・クラウフマン】
その指輪。セフィラを発している、
そう考えていいでしょう。
――調べてみてください。
【九頭幸則】
ひぇ~、そんなの持ってたら、
即、怪人になっちまうよ、
風魔、お前が運ぶんだぞ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 気を付けてください!
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……
攻撃対象……確認……
攻撃……開始シュタート……スル……
【ユリア・クラウフマン】
やめなさい、フロイライン!
別な刷り込みアプドロックされたの?
【メイド型ホムンクルス】
解除不可能……攻撃アングリフ……開始スル
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
この子はフーマを攻撃するように、
指示を受けています!
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……攻撃……最終確認……
攻撃開始シュタート

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
……フーマ……
攻撃……終了エンデ……
【ユリア・クラウフマン】
大丈夫よ、シュタインは壊れてはいない、
すぐに回復できるわ。
フーマ――
クルトが仮面の男を追いヨツヤへ。
市民の安全を確保してください!
私はこの子の面倒を――
どうやって上書きしたのか、
少し調べてみます。

四谷よつや街路〕

仮面の男が、いよいよその姿を見せた。辺りにはすき無く仮面の男の脅威きょういが満ちている。今、その足元に倒れ伏しているのは、クルトと配下はいかのホムンクルス達だ。

【クルト・ヘーゲン】
ウグッ……
これが、お前のすべてか?
……これが……お前の……
【仮面の男】
だとすれば、満足なのか?
クルト、ヘーゲン――
ほう!
これはまた!
喪神もがみ風魔ふうま、君と再会できるとは!
ちょうどよかった。
私の達、やや退屈していてね。
私の犬達も、
ようやく出番が来たと喜んでいる!

《バトル》

【仮面の男】
実に素晴らしいね!
喪神もがみ中尉、いや、喪神君――
君はどんどん開花しているようだ。
戦いは勝敗だけではない、
美しくあることだ――
その点、君は充分に及第きゅうだい点だね。
日本に君のいることを、
私は誇りに思うよ。
また高みにいたる君を見せてくれ。
今日はこれにて失敬しっけいだ!

【ユリア・クラウフマン】
クルト!
なぜ単独で行動したの!
【クルト・ヘーゲン】
そのほうが効率的だ。
奴は強力なセフィラを放っている。
格好の研究材料じゃないか!
仮面の男を捕獲ほかくできれば、
ユリア、君の研究もはかどるのでは?
ヒムラー長官もさぞ安堵あんどされるぞ。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男が何者かも知れないのよ!
――それに……
友人の一人が行方知れずなの。
おそらく、仮面の男の影響で……
【クルト・ヘーゲン】
なら、なおさら捕獲にて、
全てを自白させることだな!
【ユリア・クラウフマン】
私は、なぜ、いさかいの種をくのか、
そのわけを知りたいの――
仮面の男は、悪戯いたずらに憎しみを、
憎しみを受け付けて回っている……
そう思えて仕方ないの。
【クルト・ヘーゲン】
憎しみなど、くまでもないだろう。
――地球は憎しみで回っている。
私はそう思うがね!
【ユリア・クラウフマン】
――クルト……
あなたは……
今にも壊れそうなのね……

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん、指輪ですが、
セヒラをびていないか、
調べてみます。
あと、指輪の報告が他にないかも。
参謀本部の八分課ハチブンは、
通報の資料を見せてくれますよね?
帆村ほむら魯公ろこう
わしに聞いておるのか?
――いろいろ疑義が解けたんでな。
何故、市中の雑誌にに触れた
記事が出てしまうのか、解はナシだ。
怪人記者がいるとは信じられんが――
喪神もがみ梨央りお
参謀本部で調べたんですよね?
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、噂では間諜かんちょうまで動員したとか。
猟奇グラフ、編集部の所在さえ、
つかめなんだそうだ。
喪神もがみ梨央りお
もしかすると帝都満洲にあるかも――
そんな感じ、しませんか?
それにしても、あの仮面の男、
動機は何でしょうね?
仮面の男をめぐっては、
アーネンエルベも一枚岩じゃない、
それがはっきりしました。
利用価値、あるかも知れませんね!
帆村ほむら魯公ろこう
ユリア女史は研究を大義としておる。
うまく話をつければ――
喪神もがみ梨央りお
アーネンエルベに、
俄然がぜん興味がいてきました。
帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじん、独断で動くんじゃないぞ。
相手はナチの秘密結社だ。
決してくみやすい相手ではない。
梨央りお独逸ドイツ大使館近辺、
麹町界隈こうじまちかいわいのセヒラ探信たんしんに、
今以上に注意してくれないか。
喪神もがみ梨央りお
はい、承知しました。
独大使館は四探でギリギリです。
時には巡視パトロールも必要ですね。

第五章 第二話 狩り・後編

月詠つくよみ麗華れいかがホムンクルスと戦っている。梨央からのほうを受け、一行は日本橋へ向かう。はたして如何いかなる戦いなのであろうか――

【九頭幸則】
麗華さん、大丈夫かなぁ?
――ぜんたい、どこにいるんだい?

〔興亜百貨店前〕

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、
何か感知しますか?
【メイド型ホムンクルス】
……探信たんしん開始……
【ユリア・クラウフマン】
――フロイライン……
どうしたのでしょうか?
――いつもと挙動が違います。
【九頭幸則】
彼女――
執事型を感知しているんですか?
【本郷の学生】
今、執事って言いましたか?
ねぇ、兵隊さん。
【九頭幸則】
ああ、言ったが――
君、もしや見たのかい?
黒い背広姿の男だぞ。
【本郷の学生】
見るも何も、
すごい勢いで走って行きましたよ!
【九頭幸則】
どっち方向へ行ったんだ?
【本郷の学生】
来たのは銀座方面からです。
僕を突き飛ばしそうになって、
――そこの角を曲がって行きました。
でもね、逃げていたように見えます。
【九頭幸則】
逃げていた?
黒い背広の……執事がか? 
【本郷の学生】
そうです、
確かに逃げていました、
着物姿の若い女性から。
【九頭幸則】
まさか……
麗華さんが、追いかけていた?
そんなことがあるのか?
【メイド型ホムンクルス】
確認ベステーティグン……
捕捉エルファスン
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
確認できたのね、どこなの?

【執事型ホムンクルス】
……標的ツィール……
捕捉エルファスン……
攻撃、開始スル!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、応戦お願い!
【メイド型ホムンクルス】
……
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
――どうかしたの?
【九頭幸則】
様子が変です、壊れでもしましたか?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが動きません。
ホムンクルスと戦ってください!

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
エースト……
ツヴァイト――
【着信 喪神梨央】
ユリアさん!
記録がありました、さっきの独逸ドイツ語。
アインス、フィーアです。
最初がアインス、次がフィーアです。
【ユリア・クラウフマン】
一と四ですね。
一体目が一と四、二体目が一とニ。
二つの数字の組み合わせです。
【九頭幸則】
何のまじないなんだ、いったい?
数字のお遊びか?
【着信 喪神梨央】
興亜百貨店こうあひゃっかてん周辺、
セヒラはすっかり消えました。
少し待機をお願いします――

【月詠麗華】
私、一体は倒したのです!
【九頭幸則】
麗華れいかさん!
大丈夫なんですか?
――ホムと戦っただなんて……
【月詠麗華】
そうですの!
最初、山王さんのうでした――
梨央りおさんに止められたんですの。
【九頭幸則】
ええ、梨央ちゃんが?
伝通院でんつういんから戻った時だな、きっと。
【月詠麗華】
お出かけだったみたいです。
私、その時は戦いませんでした。
――でも……
【九頭幸則】
追いかけてきたんですか、
日本橋まで?
【月詠麗華】
同じ黒い服の人が二人、
三宅坂みやけざかの方から降りてきて、
やってきた市電に乗ったんです。
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲンの放ったホムンクルスです。
【九頭幸則】
ホムも市電に乗るんですね!
――麗華さん、それで日本橋へ?
ここで戦ったんですか?
【月詠麗華】
私は戦うということと無縁でした。
まさか自分が、こんなにできるなんて
嘘みたいです!
私、戦うとはもっとがむしゃらな
ものかと思っておりました。
むしろまされるのですね――
【九頭幸則】
なるほど……麗華さんは戦うことが、
お好きなんですね?
――そうお見受けしますが。
【月詠麗華】
いけませんかしら?
兵隊さんが鉄砲や大砲で戦う、
私は神様を降ろして戦うのです。
でも、私は我流にすぎない、
そう考えると躊躇ちゅうちょしてしまいます。
このまま続けていいのかと――
【ユリア・クラウフマン】
東京のセフィラ、とても強いです。
レイカさんのように感受性が鋭いと、
召喚できたりするのですね!
我が国でも部屋カンマーと呼ばれる場所で
セフィラを管理しています――
我が国のセフィラは不安定なのです。
部屋カンマー付きの研究者もいますが……
成果を出せていません。
【九頭幸則】
帝都のセヒラを観測したのが
ユンカー博士ですね?
【ユリア・クラウフマン】
はい、博士はすぐさまセフィラと同定
したのです。ナチ党本部へ至急電を。
――ヒムラー長官にててです。
ヒムラー長官の動きは迅速じんそくでした。
アーネンエルベ構想を実現に移す、
絶好ぜっこうのチャンスだと考えたのです。
博士の報告を知り、ここでなら
私の研究も前進すると考え、
東京行きを志願しがんしたのです。
私、皆さんと、
いろいろ情報を交換したいのです。
ホムンクルスが人間の兵士に
取って代わる日がきっと来ます。
これはアーリア人の叡智えいちなのです――
【月詠麗華】
独逸ドイツの人のお話によく出てくる、
アーリア人って何ですの?
【ユリア・クラウフマン】
優生ゆうせい民族のひとつとされています。
太古たいこの昔は、超能力のような異能いのう
備えたと信じられています。
【着信 喪神梨央】
その力を取り戻すために、
兄さんに近づいたりするんですか?
【ユリア・クラウフマン】
フーマの黒いひとみ
とても素敵じゃありませんか?
【着信 喪神梨央】
それじゃ答になっていません!
あっ!
セヒラ急上昇です!
これは……退避してください!!
【九頭幸則】
梨央ちゃん、ただならぬ様子だな!
麗華さん、ユリアさん、風魔ふうま
ここを退くぞ!!

【月詠麗華】
まだいたのですね!
私がやっつけます!!
【九頭幸則】
麗華さん、したほうがいい!!
なぁ、梨央ちゃん、確認できるか?
【着信 喪神梨央】
セヒラの波形が異常です――
これまで見たことのない形!
急速に値も高くなっています!
【ユリア・クラウフマン】
ここを離れましょう、フーマ!
クズさんも、急いで!
フロイラインも、早く!!

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲンアストラル】
この忌々いまいましい小国に、
何故このようにセフィラが湧くのか!
古臭ふるくさい迷信や呪術に頼っていても、
充分に召喚し、戦えている――
このセフィラをなんとか、
本国にまで届けられないか――

怪人を倒した瞬間に、
セフィラが放たれる。
それをホムンクルスに吸着さす。
ホムンクルスの香腺こうせんを改良して、
セフィラ吸着能力を持たせる――
フハハハ、いい考えだ!
まずは倒れた怪人から放たれる、
セフィラの量を測定する。
計画に一点のかげりがあるとすれば、
ユリア、あの女こそが阻害そがい要因だ、
日本側にっている。
――お前達呪術師どもにな!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲンアストラル】
お前がそこにいるのはわかっている。
遠くにいても、わかるのだ――
【バール】
なんかえらいことになってるニャ!
ヘーゲンの思念にセヒラが宿って、
アストラルになったニャ!
しかし並外れた強い思念だったニャ!
できれば避けたい人物だニャ!

【日本橋佳木斯】
行旅人こうりょにんアストラルH】
北陸ほくりくの町に住むのは初めてです。
富山から二時間――
ここは因須磨洲いんすますという町です。
省線因荒線いんこうせんの終点です。
駅前には一軒の旅館と食堂、
それに三本の電信柱が立つのみです。
私、漂い流れて、この町へ来ました。
もう八年になります――
汽車は一日に四本ですよ。
因須磨洲いんすます駅、午後四時に最終が出て、
後は次の日までありません。
朝も夕も、汽車に乗る人はなく、
来る人もほとんどいません。
三ヶ月に一人は行旅人が来ますが。
ここ因須磨洲いんすますの名物、
それは斑鱶まだらぶかずしです。
――いやぁ、みつきになりますよ。
私もね、最初は無理でした。
とても人の食うものじゃない、
そう思いましたね。
なにしろ臭いがすごいんです、
おけふたを開けた途端とたん、パァーッとね。
斑鱶まだらふかは釣り上げた時から臭いますね。
因須磨洲いんすますは一丁目から四丁目まで、
でも三丁目はないんです――
みさきの方にあった三丁目は、
昔の大地震で海に沈みました。
今でも能楽堂のうがくどうが見えますよ、海底に。
【着信 新山眞】
喪神もがみさんですね?
飯倉いいくら技研の新山です、
私も帝都満洲におります。
セヒラの濃い場所には進めないので、
大変申し訳ないのですが、
こちらに来ていただけませんか?

〔日本橋佳木斯〕

【新山眞】
以前、ゲートが不安定になり、
濃厚セヒラが赤坂に流れ出ました。
その時と似た状況です――
私はゲートそばにいて、突然ここへ。
ここは日本橋佳木斯チャムスですね。
喪神さん、
日本橋で何があったのですか?
このセヒラの異常な乱れ、
何かの介入を予想させますよ――
無線で梨央りおさんが話してた、
月詠つくよみ麗華れいかさんですか、
その人に原因があるのでは?
以前、セヒラ異常が起きた時も、
月詠さんがおいででした。
まるでセヒラを増幅ぞうふくするようだ――
もう落ち着いたようですね。
戻りましょう――

〔興亜百貨店前〕

【九頭幸則】
風魔ふうま
どこ行ってたんだ、
急にいなくなって!
麗華れいかさんもホムンクルスも、
いなくなったんだ――
メイドのホムンクルスもだ。
【ユリア・クラウフマン】
おそらくセフィラが急速に強まり、
その影響でどこかに飛ばされた――
ドイツでも同じ事故がありました。
何人もが違う場所へ飛ばされました。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
気を付けてください、
セヒラ上昇です!
【ユリア・クラウフマン】
あっ!

【クルト・ヘーゲン】
ユリア、ここで何をしている。
何故、この連中と一緒なんだ?
【ユリア・クラウフマン】
あなたこそ、どうして狩りなんか!
そんなこと許されるはずないわ!
【クルト・ヘーゲン】
私はこの忌々いまいましい小国の、
セフィラを手に入れようと、
努力しているだけじゃないか!
【ユリア・クラウフマン】
この国のセフィラは、
この国の人達の資源です。
うやまってしかるべきです。
【クルト・ヘーゲン】
私が? 日本人を?
いや、実につつしみ深い人達だよ、
私達とすれ違うたびにお辞儀じぎをしてね!
セフィラは日本人にはあつかえまい。
彼らは迷信めいしんの中に身をしずめている。
迷信めいしんは弱者の宗教なんだよ――
【ユリア・クラウフマン】
日本人は精神的な民族です。
深くれいと向き合い、神を知り、
自らの居場所を見出すのです――
【クルト・ヘーゲン】
神霊しんれいに教わらなくても、
私達は自分を見つけている。
ここは、私達にゆだねればどうかね?
この国の連中は無理することはない。
【ユリア・クラウフマン】
クルト、私たちだって、
うまく行っているとはかぎらないわ。
エッセン、ブレーメン、ハーゲン、
カッセル、リヒャルトガルテン……
いずれも――
【クルト・ヘーゲン】
だまるんだ! もういい!
お前達と話しても、らちが明かない、
来い!
さぁ、日本の審神者さにわとやら、
楽しませてもらおう、フーマよ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
ユリアが気にかけるはずだ、フーマ、
お前は力以上の力を備えている。
誰かもう一人いるみたいにな!
【ユリア・クラウフマン】
みなさん、申し訳ありません!
この失態しったい、必ずあがなってみせます!
【九頭幸則】
しかし、何だ、あのえらそうは!
アーリア人は優生ゆうせい民族だと?
これじゃ我国わがくにはやりにくいわけだ!
【ユリア・クラウフマン】
……
……

第三章 第十二話 品川宿三つ巴

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

怪人騒動に揺れる帝都も、風かおる季節を迎え、地下100メートルにある山王さんのう機関でさえ、さわやかな空気に満たされていた。

帆村ほむら魯公ろこう
欧州からゴエティアと思しき、
古書をたずさえ、ある人物が帰国した。
その情報、漏洩ろうえいのおそれがある。
人物というのは、つた博士とも
親睦しんぼくの深い実岡さねおか圭麻けいまという実業家だ。
省線しょうせん品川しながわに着くというので、
虹人こうじんを迎えにやったが、
品川しながわで問題が起きたようだ――
無線が途絶とだえて詳細はわからん。
場所は品川遊郭しながわゆうかくの近辺だ、
風魔ふうま至急しきゅう、向かってくれ!
喪神もがみ梨央りお
公務電車、生憎あいにくとらもんが混みます。
新橋しんばしまで下がり、一番の路線で、
品川しながわ駅前まで進めます。

品川遊郭街しながわゆうかくがい

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから連絡です!
迎えの車が襲撃されたそうです。
柴崎しばさきという人に助けられ、
金杉楼きんすぎろうという遊郭ゆうかくにいると――

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじんの話だと、柴崎しばさきというのは、
例の外交官の柴崎しばさき氏だ。
前に会ったことがあるだろう。
【着信 喪神もがみ梨央りお
柴崎しばさき氏と合流してください。
不順なセヒラを観測します。
おそらくはホムンクルスと……
警戒けいかいしてください!
柴崎周しばさきあまね
おや、喪神もがみ風魔ふうま中尉ですね!
帆村ほむら虹人こうじんさんの支援においでに?

柴崎しばさきあまね――
独逸ドイツ国在勤帝国大使館の一等書記官である。
一月ほど前、颯爽さっそうと姿を見せたのであった。

柴崎周しばさきあまね
品川しながわ駅に知人を見送った帰りです。
タクシーに乗っていると、
道に転覆てんぷくした車がありまして――
降りて行くと、車には、
実岡さねおかさんが乗っておいででした。
――何者かに襲われたのだと……
車に同乗されていた方は、
帆村ほむら虹人こうじんと自己紹介されて――
軍属の方ということです。
それでわかったんですよ、
車を襲ったのは怪人に違いないと。
実岡さねおかさんとは旧知きゅうちでしてね。
哈爾浜ハルピンで古書を手に入れられ、
持ち帰ってこられたそうです。
皆さん、金杉楼きんすぎろうでお休みです。
ご一緒しましょう――
おや、どうされましたか、
喪神中尉――
急に立ち止まったりして。

【クルト・ヘーゲン】
ここで再会とはな、フーマ!
運命はよほど私達を、
わせたいらしいな。
柴崎周しばさきあまね
クルト君ではないですか!
――役者がそろいますね!
日本語、随分と達者になりました。
日本人教師でも付きましたか?
まさか、君が日本人から教わる、
そんなはずはないですよね!
【クルト・ヘーゲン】
黙れ! 無駄口を叩くな!
柴崎周しばさきあまね
ほう……
私は君に助言をほどこそうと、
そう考えていたのですがね。
ドイツの秘密結社では、
少しは名の知れた君が、
この異国ではじをかかないように――
ドイツは私にとり、
まさしく第二の故郷ですから、
ドイツ人にも愛着があるのですよ。
【クルト・ヘーゲン】
貴方は私を半分も知らない、
ドイツのことも何も知らない、
まったく無知のやからだ!
さぁ、私には急ぐ用がある。
邪魔じゃまをしないでもらえるかな。
――と言っても無理なようだ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
モガミ……フーマ……
貴様らより我々のほうが
先んじている、それを忘れるな!
柴崎周しばさきあまね
実にお見事です、喪神もがみ中尉!
喪神中尉のおさめられた、
帆村ほむら帰神きしん法ですか、
その術、まったく先端ですね!
クルト・ヘーゲンは、
トゥーレの館で鳴らした人物。
腕に覚えがあるはずです――
それを容易たやす退しりぞけるとは――
日本こそ先んじているのでは?
ああ、おしゃべりが過ぎました、
さぁ、参りましょう。
皆さん、お待ちですよ。

柴崎しばさきの案内で金杉楼きんすぎろうへ上がった。
実岡さねおか虹人こうじんの待つ部屋へ向かう途中で、悶着もんちゃくが起きていた――

品川遊郭しながわゆうかく

【男の声】
それは苦労して手に入れた書です。
返してください!
鬼龍きりゅう豪人たけと
この書は我が国、社稷しゃしょく安危あんき
左右する重要なものだ。
民間人が手にするものではない!

貴様! 喪神もがみ風魔ふうま
素早い出動だな。
――いや、そうでもないか!
アーネンエルベの襲撃、
予測できないなど、
さては焼きが回ったか、山王さんのう機関は!
柴崎周しばさきあまね
実岡さねおかさん、大丈夫ですか?
実岡さねおか圭麻けいま
はい、私は何ともありません。
しかし……くだんの古書が……
鬼龍きりゅう豪人たけと
悪いが、これはいただく。
我が第三連隊第九十九小隊、
玄理げんり派の中核、この書が必要だ。
古書の解読はしかと行う。
我々も部隊の増強中でね。
月詠つくよみ麗華れいか
許して下さいますか、風魔ふうまさま。
こんな形でお目にかかることを……
でも、どうしても知りたいのです!
私の中で目覚めつつあるもの、
それが何なのか知りたいのです。
――本当の私の力なのか……
豪人たけとさまに独逸ドイツ式召喚法を
見せていただきたくうたところ、
新しい召喚の書がいるんだと――
鬼龍きりゅう豪人たけと
できるだけ新しい召喚を、
披露ひろうしたくてね!
独逸ドイツ気質かたぎ伝染うつったかも知れん。
少尉!
熱心に演習にいそしんでいたな。
その成果を見せてやってくれ!
一五市にのまえごいち
それでは……特務中尉殿!
第九十九小隊で演習を重ねた、
召喚法をお目にかけます!

《バトル》

一五市にのまえごいち
何故なぜだ、何故なぜ通用しない?
東雲しののめ流に独逸ドイツ式召喚の合わせ技、
この我が流儀が、何故通用しない?

帆村ほむら虹人こうじん
金杉楼きんすぎろうは格式のあるところだと、
うかがいましたがね――
柴崎周しばさきあまね
帆村ほむらさん……
もう手当は終わりましたか。
帆村ほむら虹人こうじん
ええ、大したことはありません。
公務で外傷を負うことなど、
滅多めったにないのですが……
柴崎周しばさきあまね
さぞや激しい襲撃だったのでは?
帆村ほむら虹人こうじん
執事型のホムンクルスが二体です。
僕がいるとは想定外だったでしょう。
それで、古書の方は……
どうなりましたか?
――まさか……古書が?
柴崎周しばさきあまね
ええ、お察しの通りです。
鬼龍きりゅうなる軍人に奪われました。
ひきいる部隊に必要なのだとか――
帆村ほむら虹人こうじん
玄理げんり派か!
連中がここをぎつけるなんて。
しかも、早かった!
実岡さねおか圭麻けいま
帝大のつた博士に送った電報、
哈爾浜ハルピン発なのですが、
それがれたおそれがあります――
帆村ほむら虹人こうじん
アーネンエルベと玄理げんり派、
双方が監視をし合っていた、
そう考えるのが自然ですね。
柴崎周しばさきあまね
帝都における攻防戦、
その縮図を見るようで、
私はおおいに満足しましたよ!
帆村ほむら虹人こうじん
さすがは外交官ですね。
大所高所たいしょこうしょからお考えになるとは!
僕たちには無理ですね。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

実岡さねおか圭麻けいまの持ち帰った古書は、歩三玄理げんり派の鬼龍きりゅうに奪われてしまった。
問題は情報管理のまずさにあるようだ――

帆村ほむら魯公ろこう
つた博士の研究室には、
第八分課に繋がる電話がある。
専用電話を引いたのだ。
帆村ほむら虹人こうじん
今回、実岡さねおかさんは電報を……
軍事電報を使えるようにすべきです。
帆村ほむら魯公ろこう
そうだな、参謀本部にはかろう。
虹人こうじんによると、アーネンエルベと、
玄理げんり派、相互に監視していたという。
どちらかが先に電報を知った――
先に知ったのは、おそらく、
アーネンエルベだろうな。
連中、東アジアにも目を向けている。
西蔵チベット印度インドにもご執心と聞くぞ。
哈爾浜ハルピンにも人がいておかしくはない。
それに玄理げんり派は国外情勢にはうとい。
やつらは神頼みで何でもする、
そういう気質きしつだからな。
喪神もがみ梨央りお
隊長、柴崎しばさきと言う人はどうですか?
私、偶然とは思えないんです。
――それに……
あの時間、品川しながわを出る省線しょうせん電車、
三十分ほど空くんです。
人の見送りなんて変です!
帆村ほむら魯公ろこう
なるほど!
だが、氏の目的はさっぱりだな。
古書を狙っていたようでもないしな。
喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさんですが、玄理げんり派で
修行をされることになるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
独逸ドイツ仕込みの召喚術をか?
それを修行と呼ぶかは知らんが、
彼女なりの考えあってのことだろう。
喪神もがみ梨央りお
鈴代すずよさんからお茶の手ほどき
受けるうちに、霊異りょういを覚えるように
なったんですよね。
鈴代さん、麗華さんのこと、
とても案じておいででしたよ。
それなのに鬼龍きりゅうから習うなんて……
帆村ほむら魯公ろこう
月詠つくよみ女史はわかりやすい方を選ぶ、
どうもそういう気がするのだよ。
彼女は現実的だよ。
玄理げんり派はアーネンエルベを
とりわけ敵視しているようにも――
だが、わしらは易々やすやすと勢力争いに、
巻き込まれるわけにはいかんのだ。
帝都の治安維持こそ我らが公務。
それを常に心掛けてくれ。
頼んだぞ。

第三章 第三話 独逸大使館での攻防

江戸川えどがわ乱歩らんぽはアーネンエルベに拉致らちされた、その懸念けねん式部しきべ風魔ふうま独逸ドイツ大使館へと向かわせた。山王さんのう機関黙認の行動である。
公務電車は青山あおやま通を進んでいる――
その前を一台の車が走る。

式部丞しきべじょう
風魔さん!
前の車、あれじゃないですか?
大使館の公用車ですよ!
ほら!
公用車の後部座席!
あれは乱歩らんぽ先生に違いない!

青山街路あおやまがいろ

【着信 喪神もがみ梨央りお
強いセヒラ反応!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、気をつけてください!

式部丞しきべじょう
さては、私たちは、
待ち伏せにったみたいですね。

《バトル》

式部丞しきべじょう
この市電、古い型なのに、
すこぶる速いですね!
公用車を追いましょう!

独逸ドイツ大使館〕

式部しきべ風魔ふうま独逸ドイツ大使館に向かった。
そこには独逸ドイツ大使館公用車脇に立つ江戸川えどがわ乱歩らんぽその人がいた。

周防すおう彩女あやめ
式部店長!
彩女あやめは……
――ごめんなさい!
【金髪碧眼へきがんの男】
おっと、大事な人質ひとじちだ。
それも自分から飛び込んで来た!
武装SSの衛兵を尻目しりめにしてな。

江戸川えどがわ乱歩らんぽ
いやはや、どうしたものやら……

式部丞しきべじょう
貴殿はアーネンエルベの召喚師
クルト・ヘーゲンさんですね?

【クルト・ヘーゲン】
貴様、何故私を知っている?
一体、何者だ?
式部丞しきべじょう
四谷よつやはセルパン堂の店主、
式部丞しきべじょうです。不景気な古本屋ですが、
およぶところもありましてね。
さぁ、ヘーゲンさん、
彩女君を放してもらいませんか?
その子、周防すおう彩女あやめをです。
【クルト・ヘーゲン】
ゴエティアの書を渡してもらおう。
書斎しょさいから持って逃げるところ、
身柄を確保したからな!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
私としたことが……
気が動転してしまいました――
本は、ここに……
式部丞しきべじょう
乱歩先生!
ここは交渉すべきです。
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
本は車の中だ、座席の上だ。
持ち去るがいい――
【クルト・ヘーゲン】
流行作家とやらは飲み込みが早い。
そこのお前は、山王さんのう機関の者か――
審神者さにわ喪神もがみ風魔ふうまだな!
周防すおう彩女あやめ
乱歩らんぽ先生、いけませんわ!
彩女、彩女が早まったばかりに……
日本女性として美しくいさぎよく――
【クルト・ヘーゲン】
うるさい! 騒ぐな!
この極東フェノーストの島国に、何がある!!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
周防、彩女さん、と言いましたね。
さぁ、落ち着くんですよ、
今はそれが一番です。
周防すおう彩女あやめ
乱歩先生……
彩女のせいで大切な御本を――
ああ、御本を!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
本のことはもう忘れるんです。
本のことはね――
【クルト・ヘーゲン】
下がれ! 下がるんだ!
この忌々いまいましい国の忌々いまいましい連中めが!
私が去るまでここにいることだ。
ここはドイツ国大使館だ――
何故、武装SSの駐在武官がいない?

クルト・ヘーゲンは公用車に乗り大使公邸へと走り去った。

江戸川えどがわ乱歩らんぽ
周防彩女さん、もう大丈夫ですよ。
式部丞しきべじょう
彩女君……
よくぞここがわかったね!
周防すおう彩女あやめ
結局、彩女は何もできていません。
咄嗟とっさのことで……
あああ、申し訳ありません!!
彩女はもう……もう……
死んでおびを!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
そんなこと言ってはいけません、
死ぬなどと……そんなこと……
周防すおう彩女あやめ
彩女が死んでも、
何もなりませんか?
何にもならないのですか?
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
――死ぬことで何かがせる、
そのようなことはありませんよ。
死ねば無くなる、違いますかな?
さて、ここに長居は無用ですよ、
さっさと引き上げましょう。
式部丞しきべじょう
もしや……
もしやですね、なるほど。

幻影城げんえいじょう

周防すおう彩女あやめ
彩女あやめ、もう死ぬ元気もありません。
――消えてしまいそうですわ……
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
彩女さん、しっかりなさいな。
本は無事ですよ。
奪われてなどいませんよ。
周防すおう彩女あやめ
え? それは本当ですの?
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
本当も本当、大いに本当。
ほうら、これを……

そう言うと乱歩は、立派な革装丁の古書を差し出した。

周防すおう彩女あやめ
御本ですわ!
――奪われなかったんですね!!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
彩女さんがいなかったら、
私はあのまま連行されていました。
確実に本は奪われていたでしょう。
式部丞しきべじょう
確かに!
彩女君がいたから、車は停まった、
結果、本は守られた――
先生も堪能たんのうされたことでしょうから、
これから帝大に本格的な解読を、
お願いしようと思います。
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
しっかりやってください。
そいつはまったく、
奇書中の奇書でありますからな!
式部丞しきべじょう
さっきも聞いたけど、彩女君、
どうして独逸ドイツ大使館なんかに
行ったんだい?
周防すおう彩女あやめ
彩女、声が聞こえたんです。
それに導かれて、夢中で……
いつの間にかあそこにいました。
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
声が、ですか?
ほう、それは面白い、
いや実に面白い!!
式部丞しきべじょう
彩女君には、常人にはないものが、
あるようですね、いや本当に――
周防すおう彩女あやめ
よくわかりませんが、
彩女、お役に立てて
嬉しくなってきました!
式部丞しきべじょう
喪神もがみさん、せっかくなので、
私はここに少し残ります。
拝見はいけんしたいものもありますので。
周防すおう彩女あやめ
店長はここにみ着くんじゃ、
ありませんこと?

鉄道連隊の演習列車で新宿しんじゅくへ戻り、公務電車で彩女をセルパン堂へ送り届け、山王さんのう機関へ帰還することになった――