第九章 第十三話 東京黙示録

12月25日、先帝祭で祭日であった。
ホテルでは午後の早い時間に人払いされ、従業員も宿舎に待機となった。
溜池通には軍用トラックが二台停められ、数人の立哨が警備に付く。

クリスマスパーティは中止となり、
客のないロビーに飾りがむなしく輝いていた。

そして皆が案じている
虹人こうじん行方ゆくえ――
数百年の時を越えた思念の繋属けいぞくが、虹人の中に白金江しろかねこうを形成するに至った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さん――
この時間になっても、
波形も全然観測されません!

隊長……
虹人さんは自分の中に白金江の
姿を見ていたんでしょうか?
【帆村魯公】
何かしら感じておったに違いない。
だが受け入れはしなかった――
虹人と名前を変えたわけだしな。
【喪神梨央】
こうって言う名前、
お父様がお付けになったんですね。
【帆村魯公】
そうだ……
変わり者の親父だ。
親父は虹人が生まれて半年ほどで、
姿をくらませてしまった。

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
先生、隊の方で、
小耳に挟んだことがあって――
【喪神梨央】
虹人さんの行方でも、
わかったんですか?
【九頭幸則】
いや、そうじゃないんだ。
鈴代の叔父おじ山郷やまごうの方に、
内偵の入った形跡があると――
【帆村魯公】
ほう!
さては内務省でも動いたかな――
【喪神梨央】
殿下の仰っていた有澤機関、
あそこじゃありませんか?
だとすると――
【九頭幸則】
拠点はセルパン堂、だよね?
休暇の准尉じゅんいに行かせたよ、
目立たぬように平服でね。
【喪神梨央】
セルパン堂にですか?
式部しきべさん、いなくなったんですよ。
【九頭幸則】
梨央りおちゃん、裏切られたみたいで、
怒ってる?
【喪神梨央】
あまりいい気はしません。
私たちのことも探っていたんです!
身内のように思っていたのに――
【九頭幸則】
でも敵というわけでもなさそうだ。
准尉じゅんいがこれを持って帰った――

【帆村魯公】
これは芭蕉ばしょうの句だな。
漁火いさりびかじかなみしたむせび――
【喪神梨央】
かじかって魚ですよね?
鳴いたりするんですか?
――むせぶって……
【帆村魯公】
昔、かじかかわずの区別がなくてな、
かじかは鳴き声を立てると思われていた。
漁火に驚いたりしてな。

そういや梨央、
前に鰍沢かじかざわの話、なかったか?
【喪神梨央】
ありました!
赤坂哈爾浜ハルピンのお熊アストラルです!
それと――
式部さんも鰍沢かじかざわの落語聞いたと、
そう話していました。
【九頭幸則】
この俳句は、
何か意味を含むのかなぁ……
入口の引き戸にしてあったそうだ。
【帆村魯公】
うむ……
鰍沢かじかざわちなむ場所は何処どこだ?
甲州か――
【喪神梨央】
そうです、甲州きっての急流です。
吉原女郎だったお熊は……
【九頭幸則】
どうしたの、梨央ちゃん?
【喪神梨央】
お熊は心中にしくじって、
しばらく品川溜めに置かれます――
【九頭幸則】
それじゃこのカードは、
品川にいざなってるんじゃないのか?
そうだよ、風魔!

【喪神梨央】
どうしますか?
品川に怪人の報告はありませんが。
それにそろそろ日も暮れます。
【帆村魯公】
構わん!
梨央、公務電車の手配だ。
中尉も同行してくれ!
【喪神梨央】
承知しました!
品川まで手配します!

【九頭幸則】
行こう、風魔、
何があるかわからんが――

〔吉原遊郭〕

式部しきべの残したカードにヒントを期待して、九頭くず風魔ふうまは品川遊郭ゆうかくへ。
遊郭一帯は物々しい雰囲気だった。軍用トラックが何台も停まり、憲兵や兵が方々に展開している。

【九頭幸則】
何だ、騒然そうぜんとしているなぁ――
それにこの憲兵らはどこから……

【死骨崎憲兵中尉】
おい、貴様!
ここで何をしている!
【九頭幸則】
そっちこそ……
これは公務なのか?
【死骨崎憲兵中尉】
なんだと?
公務だとぉ?
俺達の公務なんざ、
とっくに終わってるんだ!
擅権せんけんの大罪など関係ないわ!!

そう言うなり憲兵は脱兎のごとく走り去った。

【九頭幸則】
どうやらめいあるわけじゃなく、
勝手にいきり立っているようだ。
――それにしても……

何だ、この甘い匂いは……
どこかで嗅いだことあるぞ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
すぐ近くです!

そこへ太った将校らしきが駆けて来た。右の肩章は大尉だが左には少佐のを付けている。

【地獄谷上級大佐】
無念だ、無念だ!
せっかく上級大佐まで上り詰め、
これからだと言うのに!

貴様らは悔しくないのか!
【九頭幸則】
じょ、上級大佐ですか?
――まるでナチのようです。
【地獄谷上級大佐】
うるさい!!
我が帝国陸軍はナチなどではない!
神洲大八洲しんしゅうおおやしまから世界をべる、
選ばれし神民の軍隊だ!

その最たるは東京ゼロ師団!
またの名をゼームス師団――

国立防疫研究所――
戸山砲工学校――
渋谷憲兵大隊――
全ては泡沫うたかたの夢であったか――
【九頭幸則】
わかってますよ、大尉。
すべては魔の力で仮構されたもの、
この甘い匂いとともにね!
それを泡沫うたかたとは――
随分とロマンチストですね!

【地獄谷上級大佐】
地獄谷じごくだにの名を得た夜、
私は生まれ変わったのだ!
う・ま・れ・か・わ・っ・た!
【九頭幸則】
地獄谷……
こりゃすごい名前もあったもんだ。
(風魔、気を付けろ、相当なもんだ)

【地獄谷上級大佐】
どうせちるところは同じだ、
貴様らを道連れにしてやる!!

《バトル》

【地獄谷上級大佐】
……荒川の……
帝国……モスリン……
あすこだけは――

――うっ
【九頭幸則】
帝国モスリンの他はどこだ?
まだあるんだろ、工廠こうしょうが!
――おい、答えろ!
【地獄谷上級大佐】
――

謎の将校は斃れ、そのままセヒラと化した。

【九頭幸則】
山本――
少尉だが同輩の付き合いだった……
奴は近づきすぎたんだ。
帝国モスリンに――

いや、違う!
工廠こうしょうにだ!

そして――
工廠こうしょうはまだ他にもある!
だが……場所はわからない――

そこへ芸者がしなを作りながら歩いて来た。

【品川芸者幾松】
四谷からお越しのお二人様かしら?
【九頭幸則】
四谷?
――あ、ああ、そうだ、四谷だ。
ここから来た。

九頭は咄嗟とっさにセルパン堂にあった、式部の残したとおぼしきカードを見せた。
それを見た瞬間、芸者は体を硬直させた。わずかに震えてもいる。

【品川芸者幾松】
嘘と誠の二瀬川ふたせがわ
だまされぬ気で~
だまされて~

妖艶な声で端唄はうたを愛唱すると、芸者幾松いくまつうつろな表情となった。
そして別な言葉を口ずさみ始めた――

【品川芸者幾松】
山郷やまごう、甲府にて甲斐絹かいきを扱う、
屋号は山郷絹糸けんし
最寄りは富士身延みのぶ鉄道
金手かねんて停留所――

芸者は報告書を読むような口調で、
山郷についての調べを述べた――

芸者は音もなく消えた。

【九頭幸則】
芸者は暗示をかけられた――
そんな感じだよな。
山郷側調査の内容を、
芸者に覚えさせてあるようだ。
これじゃ漏洩ろうえいは難しそうだな。

そこへもう一人、芸者が現れた。そして端唄の調子を披露した。

【品川芸者稲貞】
青いガスとう 斜めに受けて~
白い襟足えりあし 夜会巻き~

芸者は新京シンキョウに在る山郷の取引会社、柞蚕糸さくさんし問屋の満蒙絲線まんもうシーチェンについて語った。
山郷は社長の好文海ハオウェンハイに取引を持ちかけている。

芸者は音もなく歩き去った。

【九頭幸則】
柞蚕さくさんが不良で新京シンキョウハオ社長は困り、
山郷は甲斐絹かいきを調達したそうだ。
おかげで急場をしのげたと――

その見返りに山郷は、
太古たいこに北支に落ちた隕石いんせきをもらう。
その隕石をどうするつもりだ?

また一人、芸者がやって来た。またもや端唄の調子だ。

【品川芸者菊丸】
お前とならば どこまでも~ 
箱根山はこねやま 白糸滝しらいとたきの中までも~

芸者曰く、山郷は隕石いんせきの力で麗華れいかに深い霊異りょういをもたらし、その力を利用して支族末裔まつえいの思念を呼ぶ――
山郷はどこまでも
力に固執していたのだ。

芸者が去った。

【九頭幸則】
山郷は麗華さんに何をしたんだ?
それに……
どうやって麗華さんを呼び出した?
泣く子も黙るあの関東軍が、
麗華さんを保護していたんだろ?
容易よういには手出しできんぞ――

またもや芸者が来る。

【品川芸者市若】
雪はともえに降りしきる~ 
屏風びょうぶが恋の仲立ちに~

端唄に続けて芸者は、東雲しののめ流に伝わる香合こうごうは、互いに瑞祥ずいしょうを現すのだと語った。芸者にたくされた言葉はこれが最後であった――

芸者は遊郭の路地を歩いて行った。

【九頭幸則】
麗華さんに協力お願いすれば、
山郷の香合こうごう瑞祥ずいしょうを表して、
それで居場所がわかるはずだ。
麗華さんは鈴代がかくまっている、
そうだよね?

俺、鈴代の家に行ってくる!
瑞祥ずいしょうとやらが現れたら、
そこが山郷の居場所だ、
急ぐんだぞ、風魔!

九頭くず鈴代すずよの家に円タクを飛ばした。
二つのアルツケアンを取り込んだことで、古式東雲しののめ流の奥義おうぎ会得えとくした麗華――
まだ強い霊異りょういを現すには至らないようである。

【着信 喪神梨央】
先程、紀伊国坂きのくにざかで、
芽府めふ須斗夫すとおの身柄が確保されました。
麹町こうじまち署の巡査にです――
機関本部で山王さんのうホテルに部屋を取り、
今はそこで休んでいます。
独逸ドイツ大使館で名前を思い出し、
その後の意識がないそうです。
大使館からは一キロ少々です……
彼は歩いてきたと思われますが、
紀伊国坂きのくにざかで車から降りた、
そんな目撃もあるのです。

ホテルの屋上から、
瑞祥ずいしょうを探しますがまだ見えません。
見つかり次第しだい、連絡入れます。

東雲しののめ流の霊異りょういしずまっている。
しかし受継がれた香合こうごう瑞祥ずいしょうを現すという。
それは空に差す霊光として現れるのだ。

果たして瑞祥ずいしょうは現れた。
山王さんのうからほぼ東の方角、銀座の辺りに霊光が差したのだ。

夕の空に現れた瑞祥ずいしょうを手がかりに、銀座方面へ公務電車を走らせる。
四丁目を過ぎたところで電車は停止した。

〔銀座街路〕

銀座の電車通には異様な光景が広がっていた。大通の中央に巨大な繭玉がいくつも重なり、巨大な一つの塊を為していた。黃灰色の繭玉は、むっとするような熱気を発していた。

市電は通行止めとなり、車も止まらされていた。京橋署の巡査が総出で物見遊山の市民を押さえ込んでいた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
幾つもの波形を観察します。
まだセヒラはありません――
波形の数、尋常ではないのです!

脇の路地からスーッとレンザが現れた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔ふうまさま――
あれは何でございましょうか?
私、不思議な感覚がしたのです。
それを頼りにここへ来ました。
そうしたらあのようなものが――
さしずめ、まゆというところですか?
それも幾多いくたまゆが合わさり――
一つ一つがとても大きいですよ!

レンザがはっと目を見開いた。その視線の先、巨大な繭玉の塊から白い霧のようなものが現れているのが見えた。銀座の電車通が見る見る白くなっていく。

【吉祥院蓮三郎】
何か気配がします!
風魔さま!
お気を付け遊ばし!!

レンザの姿が白い霧のようなものにかき消されてしまった。

〔白の狭間〕

そこは時空の狭間であろうか。不透明な白い空間が広がっていた。
空間が歪んだかと思うと山郷武揚が現れた。山郷はセヒラを帯びている。

【山郷武揚】
君たちはこのような機械で、
人をさぐっていたのかね?
いや、よく出来ている。
人も波形を現すとはな――

牛頭の賛同者が飯倉いいくら技研にもいてね。
機械が示してくれたんだ。
ひときわ目立つ波形が二つ――
思わぬ僥倖ぎょうこうだったよ!
一つはここにいる――
遠い過去からの繋累けいるいだ。
そしてもう一つ――
私にとっては馴染み深いものだ。

アルツケアン!
はははは、まだ残っていたとはな!
あの書生風情が大使館から持ち出し、
三宅坂みやけざかを下っていた――
さっそく迎えの車を用意したよ。
今宵こよいはやけに冷え込む。
歩くと風邪を引くからね!

一瞬、周囲が白く輝いた。

【山郷武揚】
北支の隕石いんせき月詠つくよみ麗華れいかを満たした。
人の役に立てて実に嬉しい限りだ。
達成感は空虚くうきょ感をもたらす――
私の中に小さな穴が空いてね。
それをめてみよう、そう考えた。
はからずとも私は導かれた。

アルツケアン――
私のために残っていたのだよ、
私を待ってくれていたのだ。
これをなんとかしないと、
万能の石に申し訳なくてね!
君もそう思うだろう?
私は僥倖ぎょうこうを得たのだよ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
尋常じんじょうではないセヒラです、
最大限の警戒を!!
【山郷武揚】
おやおや、こんなところにまで!
技術はける――
しかし人生はかくも短い!

《バトル》

山郷は風魔を見ている。しかしその視線はもはや風魔を捉えてはいなかった。

【山郷武揚】
見てくれ!
第五齢の熟蚕じゅくさん相成あいなった!
じき排尿するぞ!
排尿が終わると吐糸としを始める。
愈々、営繭えいけんに取りかかるのだ!!
さぁ、私をまぶしに収めてくれないか。
上蔟じょうぞくが終わると、吐糸を始めるぞ。
私は完成の域にあるのだ――

一瞬、周囲が白く眩しく輝いた。

【山郷武揚】
何だ? どうした?
私は……これは……
又昔またむかし? 赤熟せきじゅく? 小石丸――

違うのか!!
――かいこの種類は何だ?
これは……家蚕かさんではないのか!

再びの輝き――

【山郷武揚】
まさか……
北支の柞蚕さくさん――
好文海ハオウェンハイの作った白黄斑山繭しろきまだらやままゆなのか!

はぁはぁはぁ~
全滅したのではなかったのか――
私の持ち込んだかびで。

ウアハハハハ~
そうだよ、斑僵病まだらきょうびょうで全滅だぁ~
ハオ柞蚕さくさんは全滅だぁ~

周囲が白く輝いた後、真っ暗になった。
暗闇の中で山郷がもがいている。しかしその声はは聞こえない。山郷は強烈な幻覚におそわれていたのだ。
その幻覚は現実に一端いったんあらわした。
山郷は口から大量の糸を吐いたのだった。吐糸は果てることなく続いた。

【吉祥院蓮三郎】
ひゃぁ~
大変でございます!
黄色い糸がそこいら中に!!

【着信 帆村魯公】
風魔ふうまよ、山郷やまごうはアストラル化した。
レンザが見た糸は幻覚だぞ。
【着信 喪神梨央】
兄さん、銀座通ですが、
もうじき通行止めを解除します。
近くに虹人こうじんさんらしき波形も……
先程までは日劇前で確認……
今は波形は不安定ですが、
通行戻る前に急いで下さい!

〔日劇前〕

人の姿のない日劇前に虹人がいた。
虹人は白い光をまとっている。風魔に並ぶレンザが一歩踏み出した。

【吉祥院蓮三郎】
なんとなくこの辺りではと――
私、最近、えてきております。

虹人さまに古よりの繋累けいるいが及ぶと?
――私にはまだのように見えます。
さしずめ私は及び損ねた存在――
それゆえ、よく分かるのです。
まだ及んではおりません。

虹人を包む光が一瞬だけ大きく広がった。光は虹人の内側をも照らすかのようだった。

【吉祥院蓮三郎】
何でしょうか?
【帆村虹人】
やぁ、風魔!
すっかり審神者さにわのなりが板についた。
自分でもそう思うだろ?
今通う道場は目黒だよね?
競馬場跡近くの目黒不動だね。
省線駅から東横乗合を使うんだろ?
兄貴は目黄道場も開くって――
小松川区、荒川の西岸だよ。
総武本線の平井が最寄りだって。
目黄道場が開かれたら、
僕はそっちに通うことになりそうだ。
ちょっと遠いんだけど――
赤坂山王さんのうに特務機関を作る話も――
そうなれば、風魔、
お前と一緒になれるのかな?

虹人は相変わらず白い光の中にいる。

【吉祥院蓮三郎】
これは少し過去の話のようです。
時間が巻き戻ったみたいです。

虹人を包む光が大きく揺らいだ。

【吉祥院蓮三郎】
気を付けてください、風魔さま!
【帆村虹人】
目黄不動は府立七高女の近くだ――
高女といえばだよ、風魔、
面白い話があるんだ。

オフィーリア誌にページいて、
君影きみかげたよりをもうけることになった。
読者交流が発展するな!

虹人の光が一層の輝きを増す。

【帆村虹人】
――鈴蘭すずらんの子たち、
みんな僕のことを、
シロカネコウと呼ぶ――

虹人の周囲にセヒラが集まり始めた。その勢い、濃度ともにこれまでにないほどである。

【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ急上昇です!

セヒラの紫色が、先程までの白い光を追い出したかのように、虹人はすっかりセヒラに呑まれている。

【帆村虹人】
風魔には聞こえているかい?
まるで自分のことのように――
この言葉が僕をめぐるんだ。

全魔域パンデモニアムはルシファーの城府、
かの輝ける星をサタンにたくらべて、
かく呼べる――

虹人の声が遠ざかり、やがて周囲から光が失せた。
真っ白な空間に一台のラヂオがある。
ノイズ混じりの声が聴こえる――

安寧あんねいですか? 安寧あんねいですか?
――皆さま、どなたも、安寧あんねいですか?

淀橋区・東洋ホテル――
山梨からの上京時、山郷武揚の定宿である。山郷は甲府市内で生糸きいと商を営んでいる。屋号は山郷絹糸けんしであった。

【山郷武揚】
ついに興亜撚糸ねんしとの商談が決まった。
これで念願ねんがんかなった――
私たちの努力がむくわれたのだ。

今夜は泊まらずに夜行で帰ろう。
朝の四時頃には甲府に着くはずだ。
そのまま社で仮眠を取ればよい。
明日、朝一番に社の皆に知らせよう。
吉報きっぽうだ、皆、喜んでくれるぞ!
眠いなど言ってはおられんな!

四谷区・塩町尋常じんじょう小学校――
鈴代すずよ九頭くず風魔ふうまたちの出身校だ。
この春、音楽訓導くんどうとして赴任ふにんした柴崎周しばさきあまね。五月の合唱会に向けて練習に余念よねんがない。
毎年、唱歌夏は来ぬが選ばれる。

【柴崎周】
はなの 匂う垣根かきね
時鳥ほととぎす 早も来鳴きて
忍音しのびねもらす 夏は来ぬ~♪

我が胸に響くは子らの歌声だ。
伸びやかなる声は初夏の空のように、
瑞々みずみずしく、くもりのないもの――
子らの歌声を聞いていると、
私の心も洗われるようだ。
さぁ、今日も練習にはげもう!

赤坂区・料亭一繁いちしげ――
四谷荒木町の万屋よろずや御用聞ごようぎきに来ていた。万屋よろずやは屋号を木曽屋きそやという。酒や乾物かんぶつも扱う大店おおだなである。
小森こもり時夫ときおは木曽屋の番頭ばんとうであった。

【小森時夫】
一繁いちしげさんで政治家の壮行会があると。
麦酒ビールが二十ダースとは大注文おおちゅうもんだな!
きっと親爺おやっさん、喜ぶぞ!
確か日本平世党の政治家だと――
春はあけぼののような穏やかな世の中は、
平世党のおかげだなぁ……

いけない、いけない、いけないぞ!
塩町の如月きさらぎさん宅に向かわないと。
如月きさらぎさんは木曽屋の大得意だしな!

京都市伏見区・墨染すみぞめ――
輜重しちょう兵営第十六大隊の隊附中尉、鬼龍きりゅう豪人たけと
士官室の窓辺に置いた机に月光が差す。その灯りを得て、鬼龍は手紙をしたためている。西陣にしじん商家の娘、小原時子に宛てである――

【鬼龍豪人】
もうじき中秋の名月ですね。
今年は九月十二日だそうです――
来週の木曜日になります。昨年、君と嵐山で拝観はいかんした秋月しゅうげつは、今も私の心を照らしています。いささかのかげりを含ませた物憂ものうげな光――
なげけとて 月やは物を思はする 
かこち顔なる わが涙かな――
西行法師の歌を君に贈ります。豪人

日本橋区・興亜百貨店――
バンカツこと坂東勝一郎の読書会が開かれる。バンカツとは帆村ほむら虹人こうじんのペンネームだ。冒険少年年末号に六十八ページにわたり、書き下ろしの冒険小説が掲載けいさいされるのだ。

【帆村虹人】
南海の蒼風そうふうは構想二年の大作だ。
海賊に育てられた少年が成長し、
海の軍閥ぐんばつを率いる話だ。
波高い満剌加マラッカの海を舞台に、
海賊や賊軍相手に戦いを繰り広げ、
やがて海の支配者になっていく――

話は今日の読書会で初めて披露ひろうする。
先月号にその案内が載ったが、
わずか三日で予約は埋まったそうだ。

麻布あざぶ区・麻布あざぶ市兵衛いちべえ町――
聖宮ひじりのみや邸に植木職人新山眞にいやままことの姿があった。
東京電気通信工業を休職中の新山は、陸軍登戸のぼりと研究所の依頼いらいでく号兵器開発のかたわら、植木屋松巧まつこうの職人として働いていた――

〔聖宮邸庭〕

白い霧に覆われた宮邸の庭。垣根の低木を選定していた庭師が立ち上がりこちらに来た。庭に姿を見せた風魔に気が付いたのだ。

【新山眞】
おうちの方でいらっしゃいますか?
――私、植木屋です。
いやぁ、今日は五月晴れですな!
梅雨なのに五月とはこれ如何いかに?
ははは、旧暦ですよ、旧暦。
旧暦では梅雨は五月だったのです。
梅雨の合間の晴れを五月晴れ――
今日みたいな日和ひよりのことですね。

今日の剪定せんていはほぼ終わりました。
久しぶりに社に顔でも出しますか。
はは、こう見えても技術屋なんです。

突然、辺りが紫色に変わった。セヒラに満たされようとしているのだ。
そこへバールが現れた。バールは風魔をまっすぐ見て言う。

【バール】
ここに長居は無用だニャ!
すごく危険だニャ!
【バールの帽子】
ゲロゲロ、ここには何もない、
喜びも悲しみも、愛も憎しみも、
何も何もないゲロよ!
【バールの帽子背後】
無限に広がる虚無きょむの世界じゃよ。
皆、本心を押し殺して暮らし、
そのうち本心さえなくなった世界だ。
【バールの帽子】
誰もがうわつらだけで生きているゲロ、
早くこんなところからずらかるゲロ!
【バール】
ん?
誰か来るニャ!
風魔、気を付けるニャ!

邸の方から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
何か騒がしいですが――
どうかされましたか?

その時である、白い霧が一気に晴れて明るい庭となった。

【新山眞】
喪神さん!
――ここは……
私は……何をしているでしょうか?
――この庭で……

【聖宮成樹】
――
――喪神……さん?

一瞬、世界は白い霧に包まれかけた。しかしすぐに晴れる。

【聖宮成樹】
喪神さん!
ご公務でいらっしゃいますか?

周りの光景が滲んで消えた。
薄暗闇の中に風魔は立っている。
不意に声がした。

【???】
風魔――
私よ、淑子としこよ。
今、あなたを近くに感じるわ。

風魔――
あなたに会いたいわ……

風魔は声の方へと歩き出した。
そこへバールが現れた。

【バール】
風魔、耳を貸すんじゃないニャ!
さぁ、事変の世界に戻るニャ!

風魔は闇に呑まれてしまった。

1935年12月26日未明――
愈々いよいよ、新しい天地が現れようとしていた。それは柴崎が求めて止まなかった混沌カオスの世界であった。

あらゆるものが不整合に融合し、歪み、軋んだ音を立てている世界であった。
それこそが悪魔の望む世界なのである――

しかしそこにもう一つの力学が作用して、二つの世界は弾かれようとしていた。
その中央に姿を見せるのが虚無の世界であった。綾部研究員が言及した世界だ。

【着信 喪神梨央】
兄さん!
同じ場所に三つの波形があります!
――兄さんが立っている場所です!
これだと兄さんが三人いる、
そういうことになってしまいます!
ドッペルゲンガーではありません!

【着信 新山眞】
三本の世界軸が接近している、
どうもそのようです。
混沌世界、虚無世界、そして現世――

一本に合わさるのでしょうか?
それとも――

再び周囲から光が失われた。
3つの世界の狭間に吸われたかのように。

そこに虹人がいた。
風魔を見据えるその目は歓喜に輝いている。

【シロカネコウ】
長い間、眠っていたワ!
十年、いや二十年……
その前からすると、もっとヨ!

お前が私を待っている人なの?
そうぢゃないのか知ら?
違うならどうして此処ここに居るの?
待っていたんでしょ?
さっきまでの人は、
すっかり居なくなっちゃったワ。
だからぐに繋がるのヨ!

あら、嬉しかないの?
嬉しいはずヨ、屹度きっと
ほら、私ヨ、見て、見て、見て!!

《バトル》

【シロカネコウ】
やっとね!
やっとよ……
随分と長かったワ!

星の夜に大君ルシファーは昇りゆく
その暗の統御とうぎょあぐむんで 
雲の半ばにおおはれた廻球かいきゅうの上に

魔は揺らぎゆく

虹人の体から色が失われた。
そして不自然な姿勢でのけぞっている。その胸の辺りか真っ白に輝く気体が立ち上る。
光でもない、煙でもないそれは、やがて人の形となった。

今年、五度目の日蝕にっしょくが南極地方で発生した。

帝都にもたらされた予言は現実のものとなった。
第五の予言
世界は光と闇の天秤てんびんによって計られるであろう

第六の予言
無垢むくなる力が真の導きを為すであろう

第七の予言
日蝕ひくく明け新しき天地あめつちひらかれり

第八の予言
全地の主なる大王あらわれり

第九の予言
すべては新王のたなごころに收まるであろう

第四までの預言はついぞ語られなかった。

帝都事変を経て世界は3つに分かたれた。
事変、虚無きょむ、そして現世という世界――

予言はそのことをまさしく言い当てていた。
いつしか予言は東京黙示録と呼ばれ始めた。
それを知るごくわずかな者たちの間で。

特異点は大震災のあった1923年だった。
その時から世界軸はわずかにずれ始めていた。

ずれが愈々いよいよ極大化したのだ――

混沌世界と現世、この二つが接近し、離反したことで虚無世界が現れた。
三本の世界軸はしかし合わさることはなかった。ただそれにより、歴史は大きく巻き戻ることになる――


1904年3月17日、硫黄島いおうじま
16時30分44秒、ここに金環日蝕が始まった。その光を受け、すべての始まりとなるひとつの結晶が生まれた。

小さなケアン――

やがて光と闇の交錯する地に漆黒の穴が開いた。五分ほど続いた金環蝕の終わる時、ケアンは音もなくその穴へ吸い込まれて消えた。

二十世紀初頭の特異点から新たな歴史が始まった。そして世界軸は三本に分かたれたままである。

1904年、この歴史上の特異点から真の20世紀は始まった。再生の特異点として、後にルネサンスと呼ばれる。
やがて合わさる時まで、世界軸は三本に分かれたままである――

現世軸にも帝都はあった――

〔赤坂街路〕

赤坂街路――
電停から市電が発車するや、子どもたちが車道を駆け渡る。
市内で一斉に桜が色づき、まさに春爛漫らんまんの時季を迎えようとしていた。

時は1935年4月――
セヒラもゲートも存在しない世界――

【九頭幸則】
なんとかに潜り込めた――
近歩一きんぽいちなんて無理な相談だよな。
ま、でも習うより慣れろというからな!

尋常の同級でただ一人の軍人だ――
風魔ふうま審神者さにわ免許皆伝めんきょかいでんだと言うし。
みちは違うが、ある意味競争だな!

【如月鈴代】
山郷やまごう叔父おじ様と力を合わせて、
東雲しののめ流を護らないと――

降りた神を見極める神眼しんがん
そう簡単にはそなわることなど、
あり得ませんが!

【喪神梨央】
丹那たんなトンネルは一昨年おととしに貫通、
鉄道ダイヤが組まれたのは去年です。
去年末、省線のダイヤ大改正が――

前に淑子としこ姉さんを見舞った時は、
ダイヤ改正前でしたね。
東海道線三島駅から、
駿豆すんず鉄道で修善寺しゅぜんじに行きました。

――兄さん、姉さんがお呼びですよ。

〔溜池通〕

【喪神淑子】
待ちましてよ、風魔――

フフフ、
今日はもう稽古けいこはおしまいでしょ?
ならよかったわ、
オウルグリルでオムライスでも――

あらいいのよ、私がご馳走するわ。

〔是枝邸〕

1935年12月26日、夜――

大崎おおさき是枝これえだ邸は夜の静寂しじまに包まれていた。瑛山会えいざんかいは是枝邸の離れに本部を置いていた。
その庭先に探信儀たんしんぎはなかった。

【案じる声】
今年、ついに怪人騒動も何も
起こりませんでしたわ。
そして今日この日を迎えても――
【静かな声】
五度目の日蝕にっしょくの日が終わるまでは、
予断を許さないものでした。
この一年、いや二年、三年――
混乱極める世界が近付き、
さらにもう一つ、生まれたのです。
何もない世界が――
【案じる声】
何もない世界――
そういうのが御座いますの?
【静かな声】
所謂いわゆる虚無きょむ世界です。
私は虚無きょむ世界を垣間見た気がする――
麻布あざぶうちで……

【案じる声】
殿下、おうかがいしますが、
この写真が何か関係しますかしら?
確か興亜日報の記者が写したもの――

【静かな声】
ええ、この写真は浅草の雷門です。
ですが震災を経なかった雷門ですね。
それがあの帝都に存在したのです――
【案じる声】
大提灯おおちょうちんが下がっていますね――
震災の後は、小さな提灯が――
そのように覚えていますわ。

震災のなかった世界――
それがあの帝都にあったのですね?
それが虚無の世界――
【静かな声】
少しは顔を覗かせていたのでしょう。
ただ――
の世界は、
それ以上に混沌世界の影響を受け、
を戦わせる事態を招いた――
【案じる声】
のこの世界には――
影響は及んでいないのですか?
その、混沌からも虚無からも……
【静かな声】
少なくとも今のうちは。
次、世界軸の変動が起きるのがいつか
誰にもわかりません。

【案じる声】
殿下――
柄谷がらたに博士は達者でおいでですが、
別な世界ではやはり……
殿下の仰るようなことになっていた、
そうなのですね?
【静かな声】
それぞれの世界で、
皆、さだめのもとにあるのです。
生き死には関係なく――

私たちは帝都が、いや日本が、
歴史的に真っ当な道を進むために、
監視する必要がありそうです。
それが瑛山会えいざんかいの使命だと考えます。

今後、何が起きようとも――

6年後の1941年12月――
世界軸の日本は
太平洋戦争に突入する。

第八章 第十三話 キタイスカヤ

〔山王機関本部〕

その日、梨央りおは一冊の本を手にしていた。尤志社ゆうししゃがこの夏に出版した本である。『暁光日本ぎょうこうにっぽん』という書名があった――

【喪神梨央】
兄さん、これです、この本です。
【帆村魯公】
例の尤志社ゆうししゃが出したという本だな。
――にしても、随分と薄いな……
本というより冊子だな。
【喪神梨央】
全部で八ページ、中面は六ページです。
どのページにも旭日旗きょくじつきと和歌があります。
【帆村魯公】
これは色々な百人一首から、
愛国的ともくされる歌を集めたものだ。
【喪神梨央】
わが国は いともたふとし 天地あめつち
神の祭を まつりごとにて
【帆村魯公】
この冊子には歌しか無いのか?
【喪神梨央】
表紙には文句が……
時弊じへいがいして我が国体こくたい精華せいかを説く!そうありますが――
大君おおきみの 御楯みたてとなりて つる身と
思へばろき 我が命かな
【帆村魯公】
うーむ……
かような貴族趣味を気取っていては、
国体を論じるなど無理そうだな。
【喪神梨央】
でも隊長!
裏表紙の広告を見てください。

そこには銀河ぎんがゼットー博士が開発した、夢玄器むげんき瓜二うりふたつの機械が紹介されていた。その名もキノライトという――

【帆村魯公】
これは――
夢玄器むげんきではないのか?
【喪神梨央】
活動キネマ界の一大事とあります――
【帆村魯公】
総天然色写像、パノラマ活動器、
軽量にして携行式けいこうしき――
【喪神梨央】
脳楽丸のうらくがんびん付随ふずい
脳楽丸、付いてくるんです、二びんも。
【帆村魯公】
課の情報が漏洩ろうえいしたか?
あるいは飯倉いいくら技研か……
だとすると由々ゆゆしき事態だ。
【喪神梨央】
三十三円六十銭です。
販売所、銀座です。東京幻燈げんとう工業――
この会社、ちょっと調べてみますね。

ノックの音がして新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
失礼します。
飯倉いいくら技研の新山にいやまです。

梨央りおはいい按配あんばいにやってきた新山にいやまに、キノライトの広告を見せた。驚きの表情を見せた新山にいやまであったが――

【新山眞】
見てくれの形は似ていますが、
機能はまったく異なるようです。
――これはかぶ幻燈機げんとうきですね。
【帆村魯公】
なんと!
幻燈機げんとうきかぶったりして、
ぜんたい、何が面白いのだ?
【新山眞】
大きな写像が展開して、
あたかもその中にいるかのような、
めくるめく体験が得られるはずです。
キノライトが眼鏡型というところ、
そこが何よりユニークなのです。
【帆村魯公】
眼前に大きな写像が広がると、
まともには歩けんわな!
【新山眞】
銀座の町をかして見ながら、
華麗なレヴューを重ねて楽しむ、
そんなこともできそうですね。
【喪神梨央】
楽しそうです!!
【帆村魯公】
おい、梨央りお
滅多なことを言うもんじゃないぞ。
【喪神梨央】
――すみません……
脳楽丸付いてます、怪しいですよね。

そこへ如月きさらぎ鈴代すずよがやってきた。どことなく浮かない顔をしている――

【喪神梨央】
鈴代すずよさん――
何かご心配事ですか?
【如月鈴代】
胸騒ぎがするのです――
新京シンキョウにいる麗華れいかさんのことです。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、高女の寄宿舎ですよね。
関東軍の護りもあるんですよね?
【如月鈴代】
関東軍特務部――
そこは満蒙まんもうの経済開発をうながすため、
設けられた部署です。
近く関東軍司令部が、
新京シンキョウに移転してくるのです。
そういった受け入れもやっています。

新京シンキョウ駅の南西に位置する西広場。その広場に面して新京シンキョウ敷島しきしま高等女学校が建つ。学校の南、平安町一丁目に杏花寮きょうかりょうがあった。

【如月鈴代】
西広場の辺りには満鉄社宅、
海軍公館、理事公館があります。
大きな給水塔が目印です――
くだると広々とした西公園があり、
公園の南側一帯が関東軍の用地です。
もう建物はほぼできていました。
【帆村魯公】
泣く子も黙る関東軍。
心強い限りではないですか!
【如月鈴代】
ええ、状況からすると、
何も心配いらないように思えます。
――でも、何か起きそうで……
青山新京シンキョウに大きな穴があったと――かつて青山墓地に現れたような。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴ですが、
帝都の青山墓地はいつも通りです。
まだ影響が及んでいないようにも――
【帆村魯公】
だがセヒラは確実に濃くなっておる。
そうだろ?

中座していた新山が神妙な面持ちで話す。

【新山眞】
ちょっとよろしいですか?
――際立つ波形を観測しました。
ホテルロビーへお願いします。
私もすぐ参ります。

〔山王ホテルロビー〕

【新山眞】
お待たせしました。
先程の際立つ波形、
発生場所は渋谷方面でした。
一瞬、極めて高い値を記録しました。
【喪神梨央】
渋谷ですか……
渋谷憲兵大隊がありますが。
まさか、宗谷そうや大尉が?
【新山眞】
その可能性はあります。
あの際立きわだかたは、死に直面したとき、
主に現れる波形ですから。
【喪神梨央】
――際立つ波形……
じゃ、宗谷そうや大尉が、処刑された?
裁判もなしにですか?
【新山眞】
わかりません――
ただ波形の記録が残るのみです。

【着信 帆村魯公】
風魔ふうま式部しきべ氏からでな、
芽府めふ須斗夫すとおが目を覚ました。
ちょっと行ってくれないか。
【喪神梨央】
一ツ橋の憲兵隊本部ですね。
あそこはれっきとした憲兵隊です。
それでは公務出動とします。

公務電車内で梨央りおから着信があった。宗谷そうや大尉は渋谷憲兵大隊で処刑された、そう陸軍省に連絡が入ったという。しかし処刑時の波形を詳しく調べると、宗谷そうや大尉のとは大きく異なるとのことだった。
これは何を意味するのか――

〔東京憲兵隊本部〕

【着信 喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴のせいかわかりません、セヒラ、かなり強くなっています。
芽府めふ須斗夫すとおが予言を語る、
半覚半睡はんかくはんすいの状態になるには、
もっとセヒラが必要なんですね。

憲兵隊本部玄関前では、2人の憲兵が目つきの怪しい一人の憲兵を誰何すいかしていた。

【日吉憲兵中尉】
安心院あじむといったな。
貴様、見ない顔だ――
所属部隊を言え!
【奥沢憲兵少尉】
安心院あじむ中尉殿は、
新しく赴任ふにんされたのですか?
【安心院憲兵中尉】
何をごちゃごちゃ言ってる?
ウハハハハ~
ここは渋谷憲兵大隊の指揮下に置く。
さぁ、そこを退!!

本部奥から白衣姿の技手と思しき男性が走り来て目つきの怪しい憲兵を指差して叫んだ。

【長原技手】
中尉は小型写真機を隠し持ち、
エニグマ暗号機のダイヤルを、
撮影していました!
私、見たのです!
忘れ物を取りに戻ったとき、
あの部屋に人の気配があって――
【安心院憲兵中尉】
ミュンヘン仕込みの技術は、
人を詮索せんさくするのに費やされたのか!
国費の無駄遣いだな!!
【日吉憲兵中尉】
間諜かんちょうは許さんぞ、中尉!
今すぐ、写真機を渡せ!!
【安心院憲兵中尉】
邪魔だてするな!!

山王さんのう機関も随分と鼻が利くようだ。
比叡山ひえいざんもっておればいいものを。
法螺貝ほらがいでも調達してやろうか?

《バトル》

【安心院憲兵中尉】
フフフ……
お前たちがどう足掻あがこうが、
計画は進む――

憲兵怪人が倒れ消えた後に小型のカメラが落ちていた。白衣の技手はそのカメラを拾った。

【長原技手】
エニグマ暗号機は、飯倉いいくら技研に渡し、
研究を続けることになりました。
この写真機も届けておきます。
【沼部憲兵少尉】
大丈夫ですか?
怪我けがはありませんか?
【中延憲兵少尉】
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉殿ですね。
奥で式部しきべさんがお待ちです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程は咄嗟とっさのことで――
もうセヒラは観測しません。

無線交信後、風魔は憲兵隊本部へと入って行った。

〔東京憲兵隊本部尋問室前〕

尋問室前の広い部屋に式部丞と芽府須斗夫がいた。

【芽府須斗夫】
眠気を感じるけど、
横になると眠れないんだ――
だけど、うとうとしたとき、
ふと、あることを考えている――
そう、僕には行かなきゃならない、
場所があるってことをね。
そこはいわば僕にとっての約束の地、
いや、にとってのと言う方が、
うんと自然だね。
でもまだ行けない――
そこには一匹のへびが居着いたからさ!

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとお君……
そろそろ言葉は出そうかね?
【芽府須斗夫】
今日、これで三回目を覚ました。
前も三回目に浮かんだんだよ――
【式部丞】
例の暗号文のことだね。
【芽府須斗夫】
言葉はまるで木漏こものようにして、
頭の底に描かれるんだ。
陽の光が必要だし、風も必要――
【式部丞】
それじゃ、まだ少し掛かりそうかな?
【芽府須斗夫】
そうでもないんじゃない?
――同じ光を他にも感じるよ。
ひとつ……ふたつ……
この町に僕と同じような存在がある。
金雀枝えにしだ色の瞳をした少女、
そして若い男性だ――
【式部丞】
彩女あやめ君、いや千紘ちひろと名乗る人格――
もう一人は……もしや……
【芽府須斗夫】
言葉が見えるよ――
こんどもアルファベットだ!
【式部丞】
ゆっくり頼むよ、
芽府めふ須斗夫すとお君!
【芽府須斗夫】
T……E……T……K
YSWH……
それから……ACFQBD――

芽府めふ須斗夫すとおは自らの頭の中を探るようにして、アルファベットの文字の羅列られつを語った。
今回も言葉の意味はわからない――


【芽府須斗夫】
行かなきゃ!
その思いがますます強くなった。
僕は行くよ。
これは決められたことかも
知れないんだ。

そう言うと芽府須斗夫は踵を返して尋問室へと入った。式部と風魔は玄関へ向かった。

〔東京憲兵隊本部〕

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおの語った言葉、
またもやエニグマ暗号文でしたね。
彼は覚醒かくせいして語る時は、
素の言葉は語らないようです。
エニグマ暗号機は試作機があり、
飯倉いいくら技研に研究を引き継ぐそうです。
あそこなら完成させられるでしょう。

私、これから青山の脳病院へ。
彩女あやめ君の様子を見てきます。
彩女あやめ君を預かっていた蛭川泊ひるかわとまり博士、
しばらく所在不明だったのですが、
昨日、見付かりました。
医科の学生が見かけたのです。
省線錦糸町きんしちょう駅前でした。
博士は煙草たばこ売りをしていたと――
自分のこと、十二歳の孤児こじなんだ、
そう強く思い込んでいたとか。
名前はタハラサダキチだと――
それに強い東北訛とうほくなまりがあったそうです。
蛭川ひるかわ博士は奈良の出身です。
でも見紛みまごうことはなかったと――
色々と博士に話を振るものの、
全く噛み合わなかったため、
医科生はあきらめたのだそうです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピン宗谷そうや大尉の波形確認!
はらえのへ急いでください!

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
渋谷憲兵大隊で処刑されたとおぼしきは宗谷そうや大尉ではなかったようだ。
連中、軍務局長暗殺が表沙汰になり、
力尽ちからずくで収束させようとしておる。
【新山眞】
まさに死人に口なしというやつです。
【帆村魯公】
宗谷そうや大尉の身柄を確保できれば、
連中の茶番もつまびらかになるわい。

【新山眞】
気を付けてください。
キタイスカヤ街が現れた、
そんな噂も飛び交っています。
【喪神梨央】
兄さん……
時間のずれが拡大しています。
帝都満洲の三日は、
帝都の二十日以上にもなります。
私たち、
どんどん歳を取っちゃいますね――

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンに着くと一人のアストラルがスーッと寄ってきて言う。

【脱走兵アストラル】
ふん、下関しものせきまで六日もかかった!
――何が静岡の第三十四連隊だ、
もう真っ平御免ごめんだ!
俺はな、見たんだ――
沼津ぬまづの省線病院でな。
顔吹き飛ばされた化物をだ!
今はトルゴワヤ街の崩れかけたビル、
その二階で満人苦力クーリーと同居の身だ。
脱走兵だからな、表にゃ出られない。
老いぼれ苦力クーリーを、
露人ピー屋の店先へれる、
それがせいぜいのらしだな!

そこまで言うとアストラルは音もなく去った。風魔は先へ進む。

【逃亡者アストラル】
キタイスカヤ街からモストワヤ街へ、
角を曲がって少し行くと、
ソフィースキー寺院があります。
亡命ぼうめい露人ろじん浄財じょうざいで建ちました。
計画からゆうに十数年――
私にはそういう場所がありません。
でも正金せいきん銀行からくすねた金がある。
実に一万五千六百円――
クックックッ……
この陋巷ろうこうを絵にしたような、
ボレヤワ街ともおさらばだ!
越南えつなんでホテルを開くのだ!

【満洲浪人アストラル】
傳家甸フーザテンの辺りは満人だらけだ。
日本人の多いモストワヤ街とは違う。
鉄道附属地外だからな、
道外タオワイと呼ぶのもよく分かる。
――だが、俺にはむしろお似合いだ。
松花江スンガリー沿いの阿片窟あへんくつにだけは、
近寄らないようにしているがな。
春観園チュンクワンイエンという店だ――

【行旅人アストラルW】
ロバート高台こうだいはおすすめです!
傳家甸フーザテンの南端にそびえる南崗なんこう高台こうだい
傳家甸フーザテン、八区、埠頭区プリスタン
および松花江スンガリーの一帯が、
浮刻うきぼりのごと一眺いっちょうの中に収められて、
まさに絶景である――
――俺、町を抜け出せたのか?
因須磨洲いんすますだよ、魚臭い陰気な町だ。
もう五年もいる――
町を出ようと省線の駅に来た……
薄暗く人気のない待合で、
因荒いんこう線の汽車を待つうちに――
つい、うとうとして――

はっ!!
何だよ、まだ待合にいるじゃないか!
まだ因須磨洲いんすますじゃないか!!
旅行案内が落ちている――
満洲へ。
台湾へ。
俺は落ちている旅行案内を見て、
町を抜けた気になっていただけだ!

ぎゃぁぁぁぁぁ~
俺は因須磨洲いんすますから抜けられないのか!
臭い、臭い、魚臭い!!

叫び声を上げながらアストラルはぐるぐると回転して消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に再び塔が現れたと、
今、通報がありました。
先程の街区ですが、
強いセヒラを観測します。
警戒してください!

交信が終わると風魔は先程の街区へと戻った。奥から中型アストラルが近付いて来た。

【ファンターヂアの客アストラル】
埠頭区プリスタンのザオドスカヤ街――
ファンターヂアはそこにある、
絢爛豪華けんらんごうかなキャバレーだ!
ロシヤ料理あり、ステージあり、
バンドあり――
ロシヤ美人のむ甘酒に酔い、
美人と踊り、歌いたわむれ、
合間のステージのもよおものながめ、
国際都市の豪華ごうかな夜を過ごすのだ!
それもすべてはあの大柱の護り!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
【ファンターヂアの客アストラル】
ウハハハハハ~
大柱はもう一本あるはずだ!
お前らに邪魔されてなるものか!!

《バトル》

【ファンターヂアの客アストラル】
カズヘック、オケヤン、モスコー、
ロンドン、エデム……
うるわしのキャバレーの数々――
どれもこれもがまぼろしだ――
愛は何故遠ざかるのだ?
爛酔らんすいのひとときはかくも短い!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
以前と同じ不思議な波形です。

交信が終わるや周囲が波打つようになり、やがて暗転した。
やがて朧げに明るくなると、そこは露西亜様式の建物が並ぶ哈爾浜はキタイスカヤの町並みだった。背広姿の男性の他に着物姿の女性も見える。皆、異国の街を楽しむようにそぞろ歩いている。


【着信 喪神梨央】
不思議な波形が続きます……
――そこは、本当に、満洲……
そうなのですね?
これまでの波形の記録を元に、
新山にいやまさんと仮説かせつを組み立てます。
――しばらくお待ちください。

【毛皮商の鳴海久男】
おや、内地ないちからですか?
ようこそ、うるわしの哈爾浜ハルピンへ!
いやぁ、商売が順調でね、
毎日浮足立つようです、私なんか!
私がここで扱う毛皮はね、
狐、銀狐、とらひょう――
もっぱらこの四種です。
哈爾浜ハルピンマダムに売れて売れて――
仕入れが追いつきません!

【菓子商のエフゲニー・チチェロワ】
あなた関東軍の人?
菓子の卸先おろしさきを探していてね。
どうです、軍隊でおひとつ。
ロシヤあめ、ロシヤキャンデー、
ウィスキーチョコレート、
それにモスコーボール――
どれも口に入れた途端とたん
あなた、ほっぺが落ちます!

【織物屋女将の吉塚静代】
うちの品物は満洲随一ずいいちよ。
ロシヤ更紗さらさ、ゴブラン織、
それにルパーシャ――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラを観測しました!
波形は相変わらず、
おかしなままです――

【織物屋女将の吉塚静代】
あら……
あんた、どっから声出してるの?
さっきの人のお仲間かしら――

着物姿の女性が離れるのと入れ替わりに、背広姿の男性が近づいて来た。どことなく虚ろな目をしている。

【宝石商の竹尾源二郎】
あんた――
徳次郎のこと、知ってるニャ!
おいら、源二郎だニャ。
この人、同じ名前ですっーと入った、
隙間すきまもなんも、まんま入った――
そういうこともあるニャ。
友達の藤次郎も似たようなことニャ。
同じトウジロウだニャ……
でもちょっと字が違っていて、
入るのに手こずったらしいニャ!

う……
何だ、私は……
あや、お客さんですかい!
如何いかがですか、黒ダイヤ、砂金石、
ウラルダイヤにアレキサンダー!
つぶぞろいですよ、お買い得です!

そこまで言うと男性は急に腰を折った。

【宝石商の竹尾源二郎】
そうだ、診療所しんりょうじょに行くんだった。
ブテワヤ街の診療所しんりょうじょに急ごう!
あああ、頭が割れるようだ――

男性は荒い息を吐きながら去った。風魔は先へ進んだ。
そこには将校服の男性が立っていた。茫然自失としている――

藤次郎とうじろう
おいら、次郎ニャ!
この人は次郎、字が違うニャ。
けど、入れたニャ――
宗谷東次郎という将校ニャ!
東次郎は少年に帰ったニャ。
岐阜ぎふ揖斐いび揖斐町いびちょう三輪みわの六、
三輪みわ神社参道前の米問屋のせがれニャ。
米問屋の屋号は矢野千やのせんだニャ。
先々代の矢野やの千太郎せんたろうちなむニャ。
――そうニャ!
この人は宗谷そうや東次郎とうじろうじゃないニャ!
姓は矢野やの、名は一作いっさく
矢野やの一作いっさくだニャ!
尋常小学校の頃はイッサだニャ!
その渾名あだなで呼ばれていたニャ!
イッサ、イッサ、イッサ!!

宗谷東次郎と思しき将校は、急に苦しそうに腰を折った。そして目を見開き風魔を見上げて尋ねる――

ねぇ、お兄さん――
三輪みわ尋常の校歌、知ってる?
僕の通う学校だよ!
揖斐いびの 流れよ 一朶いちだの雲よ~
妹のやつ、チエ子だけど、
校歌、ちっとも覚えないんだ。
今、三年なんだけど――
あいつ、もらい子だからな……
時々、妙なこと言うんだ。
何もないところをじっと見て、
顔が見える、顔が見えるって。
ほれ、あれがお目々、あれがお鼻――
僕には顔なんか見えやしないさ!
ああ、もう時分時じぶんどきだな。
帰らなきゃ!
おっかあうるさいんだ!

将校は何事もなかったかのように姿勢を正した。その目は膜が張ったように虚ろである。

藤次郎とうじろう
危ない危ない、
隙間すきまが広がりかけたニャ!
もう、これ以上はたもてないニャ!

そう言うと将校はふらつきながら去って行った。
風魔の目の前に不意にバールが現れた。

【バール】
この町はいろんなとこに、
繋がってるニャ~!!
【バールの帽子】
どうしたゲロ?
やけにしおらしいゲロ!
バーンと飛び出さないのかゲロゲロ。
【バール】
そうしたいけどおっかないニャ!
ここはとてつもない場所だニャ!
【バールの帽子】
時間と空間とがグーンとゆがみ……
ここは本当の満洲なのかゲロ?
【バールの帽子背後】
いろんな人の思念が合わさり、
結晶化した、そんな場所じゃな。
ある意味、じゃよ。
【バールの帽子】
ゲロゲロ!
どこを見ても確かに哈爾浜ハルピンだ、
キタイスカヤ街だゲロ!
【バールの帽子背後】
じゃがな、まだ隙間すきまがある、
そういうことじゃろ……
今さっきの奴、猫きの東次郎とうじろう――
東次郎とうじろうの記憶を辿ることじゃな!
【バールの帽子】
どっちだゲロ?
猫の藤次郎か、大尉の東次郎とうじろうか――
【バール】
暗殺事件を起こしたのは東次郎とうじろうニャ。
東次郎とうじろうの記憶を辿るニャ!
まだその辺に思念しねんただようニャ!

風景が揺らぎ始め暗転した。

〔若松町〕

現れたのは夕闇迫る帝都であった。周囲は薄ぼんやりしている。市電も車もない往来に2人の将校が向き合っている。一人は先程の宗谷であった。

【伊班宗谷隊員】
軍務局に課なる部署がある、
常田つねだ大佐はそうおっしゃるが、確かか?
【露班尾張隊員】
確かであります!!
軍務局兵器課の隣に、確かに!
我々は出し抜かれたのでしょうか?
【伊班宗谷隊員】
このまま看過かんかすればそうなる。
軍務局長、真坂まさか閣下かっかの首を取る!
すれば時局は動くだろう――
【露班尾張隊員】
続く久鹿くろく計画についても、
準備はとどこおりなく進んでおります。
先般せんぱん、襲撃目標の最終が出ました。
首相官邸、陸相りくしょう官邸、蔵相ぞうしょう邸、
教育総監、侍従長じじゅうちょう、それに――
【伊班宗谷隊員】
もうよい。
最大員数は何名だ?
その目標は?
【露班尾張隊員】
はっ!
警視庁占拠せんきょ班の二百五十名です!

【着信 喪神梨央】
久鹿くろく計画とは何ですか――
大きな襲撃計画があるようですね。
逐一ちくいち、参謀本部に連絡を入れます!

風景が揺らいで暗転した。

〔霞町街路〕

次に別な町角が現れた。宗谷が別の将校と向き合っている。

【伊班留萌隊員】
明日の午前中、
真坂まさか閣下かっかに予定はない。確認済みだ。
外出も面会もな――
【伊班宗谷隊員】
よし、決行は明朝だ!
――それで、車はどうだ?
三宅坂みやけざかに用意できるか?
【伊班留萌隊員】
ああ、大丈夫だ。
目立たない一台を用意する。
首を取ったらすぐ向かえ。
局長をった刀は執務室に捨て置け。
――それで、貴様、
どの刀を使うつもりだ?
【伊班宗谷隊員】
三輪みわ刀だ。
俺の地元の刀鍛冶かたなかじの手になる一振り、
そいつが一番馴染なじんでいる。
捨て置くに忍びないが……
【伊班留萌隊員】
刀は重要なしるしだ、仕方ない。
ただ首を取るだけではないのだ。

【着信 喪神梨央】
軍務局長暗殺前日の様子です!
確かに刀は局長室にありました。
血塗ちまみれながら刃毀はこぼれ一つなく――

またもや風景が揺らいで暗転した。

〔興亜百貨店前〕

次にぼんやりと現れたのは興亜百貨店前と思しき場所であった。宗谷の後ろから一人の佐官が声をかけた。

【伊班信濃隊員】
大尉――
ああ、いや、振り向かんでいい。
真坂まさか閣下かっかは即死だったそうだ。
苦しむ間もなかったろう――
貴様は計画実行まで身を隠しておけ。
久鹿くろく計画の襲撃目標は、
結局、全部で十一箇所になった。
【伊班宗谷隊員】
信濃しなの少佐殿……
あ、いや、信濃しなの隊員――
一箇所増えたのですか?
【伊班信濃隊員】
ああ、最後に付け加わったのは、
多田野ただの元内大臣邸だ――

宗谷はかかとを鳴らして振り向いた。

【伊班宗谷隊員】
多田野ただの伯爵はくしゃく……
何故、閣下かっかを?
それは何故なぜですか!!
【伊班信濃隊員】
多田野ただの閣下かっかが貴様の恩師おんし
幼年学校時代の恩師おんしなのは承知だ。
だがやむを得んのだ――
【伊班宗谷隊員】
多田野ただの閣下かっか……いや、先生――

宗谷はガクッと膝を折った。息遣いが荒くなっている。そして地面に目を落としたまま甲高い声を上げた。

どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?
蓬藁ほうこう深く 月えて~
松籟しょうらい高き 清洲城きよすじょう
今中村いまなかむらの 旧草蘆きゅうそうろう~~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!!

宗谷がすっと姿勢を直し風魔を見据えた。

【伊班宗谷隊員】
誰だ! そこに隠れているのは?
――姿を見せろ!
ううう、さもなくば――

《バトル》

【伊班宗谷隊員】
計画、復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相ぞうしょう鉄相てっしょう
農相のうしょう文相ぶんしょう各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王ホテルに宿泊せり!!

【着信 喪神梨央】
くろはち……帥士すいし
聞こ………か?
すい…を確………きません――

雑音混じりの交信が終わるや否や、周囲から光が消えた。宗谷と風魔はねっとりとした暗闇の中にいた。そこへ不意に声がする――

【驚愕する声】
逸材いつざいだ!
まさに千年に一度の逸材いつざいだ!
――君は力のみなもとだ!
大軍を率いてベツルアを包囲した、
アッスリアの元帥げんすいホロフェルネスよ!

宗谷は声の元を探しているのか、辺りを見巡らせている。そうしてある一点を見据えて言った。

【宗谷東次郎大尉】
真坂まさかつよし閣下かっか
自分……無念であります!
処断しょだんやいば、今ここに!!
【驚愕する声】
君のような稀代きだい益荒男ますらおられ、
真坂まさか閣下かっか本望ほんもうではないかな?

宗谷は両手で頭を抱えた。そして言う――

【矢野一作】
――あいつのせいなんだ……
チエ子だよ、あいつが告げたんだ、
そうに違いない!
【驚愕する声】
チエ子、それは君の妹だね。
もらわれ子だったね?
壁やへいに人の顔が見えると言う――
【矢野一作】
ああ、そうだよ。
チエ子には顔が見えるんだ。
あの日も顔が見えたに違いない!
顔が見えます、あれはおじさんです、
保険のおじさんの顔が見えます、
お母さまと仲良しのおじさんです――
父が休暇で一年ぶりに戻った日、
チエ子の奴、顔の話したんだ!
それで父は――
【驚愕する声】
見えた顔とは保険のオジサンだね!
君のお母さんとよく同衾どうきんしていた!!
お父さんの留守中にね!
お父さんは勇敢ゆうかんだったよ!
なんと、お母さんの白いお腹をね、
真っ赤になった火かき棒でね!

次に話す宗谷の声はこれまでになくか細いものだった――

【???】
クルト……
僕を見てくれる?
ほら、これだよ……
僕のファーターが彫ったんだよ――
僕とともに大きくなるんだ――
この十字架ダスクロイツはね!

【驚愕する声】
さぁ、身をささげよ。
お前自ら依代よりしろとなり、
道をひらくのだ――
二本目の柱となれ!
大柱、ボアズとなれ!!

頭を抱えていた宗谷はその両の手を掲げた。まるで天空に向かって身を捧げるかのように。

【宗谷東次郎大尉】
うわぁぁぁぁ~
体が……どうしたんだ!!

その後につんざくような悲鳴が響いた。風魔は固く目を閉じた。
次に目を開くと、宗谷の姿は闇に飲まれたかのように消えていた。もう声もしなくなっていた。暗闇がゆっくりと溶解していった。

〔山王機関本部〕

宗谷そうや大尉の遺体は衛戍えいじゅ病院に運ばれた。検屍けんしの結果、遺体に外傷はないとのこと。不思議なことに死斑しはん死後硬直しごこうちょくもないという。

【帆村魯公】
宗谷そうや大尉は碑文谷ひもんやにある、
林業試験場で見つかった。
木にもたれかかっていたという――
【喪神梨央】
その時はすでに死んでいたんですね。
【帆村魯公】
職員が肩に手をかけたら、
崩れるように倒れたそうだ。
死後、十時間は経っていたそうだ。
【喪神梨央】
大尉はメモを持っていました。
久鹿くろく計画をしるしたものです――

それは驚くべき襲撃計画であった。
首相官邸、陸相りくしょう官邸への襲撃を始め、蔵相ぞうしょう、内大臣、教育総監そうかん侍従長じじゅうちょうらを襲い、警視庁、新聞社を占拠せんきょする計画である。計画参加員数は総勢七百九十八名、国家、陸軍の中枢ちゅうすうを襲うという、まさにクーデターと呼ぶにふさわしい内容だ。

【喪神梨央】
山王さんのう機関も襲撃目標にありました。
十六名の員数が予定されています。
【帆村魯公】
久鹿くろく、つまり皇紀ニ五九六年、
襲撃は来年年初に予定されておった。
九六で久鹿くろくだな――
【喪神梨央】
久鹿くろく計画は未然みぜんに防げたのですか?
【帆村魯公】
陸軍省、参謀本部に知れてしまった。
秘匿ひとくのうちに進めることはできん。
はたして、連中、あきらめるかどうか――
【喪神梨央】
そういえば……
【喪神梨央】
別人を宗谷そうや大尉として逮捕たいほし、
裁判にかけず処刑した――
渋谷憲兵隊はどうからむのですか?
【帆村魯公】
逮捕たいほされたのは千葉連隊区の事務だ。
将校服着て憲兵と一緒のところを、
同僚に見られていたのだ。
【帆村魯公】
事務員がいつ将校になったのか、
同僚は大いにいぶかったそうだ。
【喪神梨央】
やはり、別口……ですね、
玄理げんり派と渋谷憲兵は。
ところで兄さん――

ノックの音が響き、新山眞が現れた。

【新山眞】
失礼します、新山にいやまです。
赤坂の柱ですが、
二本目も消えてしまいました。
【喪神梨央】
そうそう、そのことです。
兄さんが帝都満洲にいる間、
赤坂に柱が現れたんです。
帝都満洲で噂になっていた、
ヤキンとボアズ、二本の柱です。
依代よりしろになる柱だとか――
【新山眞】
猶太ユダヤ王ソロモンの神殿にあった柱、
高さ十八キュビトの青銅の柱――
それがヤキンとボアズです。
向かって左がヤキン、右がボアズ。
柱のこと、日本にも伝わり――
【喪神梨央】
猶太ユダヤの風習が日本に伝わり、
二本の柱は鳥居とりい門松かどまつに形を変えた。
そう言いますよね!
【新山眞】
赤坂の柱がどういう絡繰からくりなのか、
調べる必要がありそうです。
浅草十二階などと同じなのか……
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
新しい機械でもこしらえるんですか?

帝都満洲に現れたキタイスカヤの街。そして帝都満洲の異変が時を同じくして、帝都にも影響を及ぼした――
ヤキンとボアズ、この二本の柱の出現は、いったいなにを意味しているのだろうか?

第八章 第九話 総統の来日

〔銀座四丁目〕

銀座に出向いた祇園丸ぎおんまるからの要請で、風魔ふうまは夜の銀座に来ていた――

【祇園丸】
ヘーゲンのはなった執事型が、
僕を狙っているんだ。
だから助けを求めた――
ブレーメはギンザ一丁目だった。
店のウェートレスは写真を見て、
確かにこの人が来たと言ったよ。
ユンカー局長の写真を見せたんだ。
ユリアは先に戻った――
奴ら、僕が一人になるのを待って、
襲い掛かってきたんだ。
そう、相手は二人組だったんだ。
僕は全力で逃げた。
でも追いつかれて――
そのとき、ある人に助けられた。
背の高い、けわしい顔の人だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くでセヒラ観測しました。
注意してください!
【祇園丸】
この近くにいるというのか!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン
攻撃!アングリフ 攻撃!アングリフ

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……
【祇園丸】
やれやれ……
やけにしつこいな。
もう一体いるはずだけど――
【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、すっかり消えました。
もう心配はありません。

そこへ聖宮成樹がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん!
大丈夫でしたか!
【祇園丸】
この人だよ、
僕を助けてくれたのは!
【聖宮成樹】
そちらの方が、
お困りのようでしたから。
【祇園丸】
それじゃ……
後の一体はあなたが……
【聖宮成樹】
ともあれ、今は安全です。
立ち話というわけにも、
まいりますまい。
店にでも入りましょう。
さぁ、お二方、こちらへ――

聖宮がきびすを返した。祇園丸、風魔が後に続いた。

〔純喫茶青蘭せいらん

じき、日付の変わろうという時間であった。純喫茶は客もまばらである。

【女給かね子】
あらいらっしゃいましー
殿方とのがたがお二方にお兄さま……
ね、ね、聞いてくださる?
【聖宮成樹】
どうしたんですか?
【女給かね子】
興亜こうあ日報が純喫茶とカフェの
人気投票をするんですって!
それで銀座で一番を決めるのです。
一番になると私たちのお給金きゅうきんも――
【聖宮成樹】
そいつは気を抜けませんね。
【女給かね子】
純喫茶青蘭せいらんは銀座一の新進ですの!
是非ぜひ投票なすってね!
【女給さだ子】
かねちゃんの言うとおりよ。
銀座では花家はなや、フォンテーヌ、
カフェ・シエル、それから――
【女給かね子】
あらアモンも出るそうよ。
【女給さだ子】
いやだわ、アモンだなんて――
あそこはかなりのもんよ。
【神田のラムネ商】
恋人アモン
アモーン!
あすこはエロだ、大エロだぁ~
アモーン! アモーン!
大阪資本のエロ・カフェなりぃ~
美人女給三十名の空中輸送!
大阪特有の大衆的経営法!
豊穣ほうじょうなエロサービス!
【女給さだ子】
ちょいと、せいさん、
お静かにね。
もう遅いんだから。
【女給かね子】
珈琲コーヒーだと眠れなくなりそうね。
セイロン茶でもれましょうか。

そう言って女給が場を離れた。
聖宮は少しばかり声を潜めて言う――

【聖宮成樹】
喪神もがみさん……
瑛山会えいざんかいの物理学者、
柄谷がらたに博士のことですが――
どうやら猟奇倶楽部と、
関係があるようなのです。
【祇園丸】
え?
今、猟奇倶楽部と仰いましたか?
【聖宮成樹】
ええ、猟奇倶楽部です。
おそらくかなり高い位にあります。
【祇園丸】
その話、知ってます!
――いや、わかるのです……
西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんが残しました。
――こうです……

近く、高位の会員をお迎えする、
従順なる隸Θしもべシータ師という会員だ――

そこまで記憶が再生できました。
そのΘシータ師という会員が、
キョウトの学者なのですか?
【聖宮成樹】
従順なる隸Θしもべシータ師……
猟奇倶楽部での渾名あだななのですね。
喪神さん、
私はもう少し調べてみます。
またお目にかかりましょう。
【祇園丸】
柄谷がらたに……生慧蔵いえぞう……
キョウトの物理学者……
覚えておくよ。

日劇前で騒動があるとの通報で、純喫茶を出てそのまま日劇前へ向かった。祇園丸ぎおんまるは円タクで帰っていた。

〔日劇前〕

夜更けの日劇前は人もまばらであった。風魔の来るのを見て三人の男女が走り去った。袴姿の女性が二人、向き合うように立っている。

【中之島ファンの女性】
せっかく中之島なかのしま歌劇団の公演、
見に来たのに、今日は中止やて。
なんでですのん?
こいさん、もういにまひょ。
えらい遅うなってもうたわ――
円タクしかあらへんよ。
こいさん! 
なぁ、こいさん……
あんさん、聞こえてますのか?

話を聞いていたのか否か、黙っていた方の女性が前を横切って走り去った。

【中之島ファンの女性】
ちょ……
もう、なんやの、どないしたん!
こいさん! 待ちぃな!

声を荒立てながら、走り去った女性を追って行った。
そこへ黒い仮面を被った人物が姿を見せた。仮面越しの声はくぐもっていた。

【リヒャルト・フィンケ】
人は私を総統フューラーと呼ぶ。
トゥーレのやかたのね。
リヒャルト・フィンケだ、喪神もがみ君。
人というのは哀しい存在だね。
まるで打ちのめされるために
生まれてくるようではないか。
迷いをて、現実を超える――
私の教義にこれ以上の言葉は不要だ。

さて、そろそろ第一幕の始まりだ。
この素晴らしい劇場の前で、
このような宣言せんげんができるとは!
なんと、私は僥倖ぎょうこうに恵まれるのか!
来給きたまえ、鬼龍きりゅう君!

フィンケに名を呼ばれて鬼龍豪人がやって来た。鬼龍は遠くの一点をじっと見たまま言う。

【鬼龍豪人】
ヘルフィンケ!
愈々いよいよ、始まるのですね!
【リヒャルト・フィンケ】
私は残念で仕方がないのだ。
君たち日本人は資源を無駄むだにする――
うるわしい山河さんが、森に泉、清らかな流れ、
それにセフィラ!
素晴らしいセフィラを得ながら、
少しもかせていないではないか!
ヘッセン、ザクセン、バイエルン……
セフィラの湧出ゆうしゅつを認めるも、
ドイツではなかなか活用が進まない。
私から見ると日本人というのは、
金鉱脈の上とは露知つゆしらず、
汗して耕作しているようなものだ。
素晴らしいセフィラに恵まれた、
この町こそトゥーレのやかた
開くに適しているのだ。
【鬼龍豪人】
ヘルフィンケ、
私はつかめるでしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
君ならできるとも!
ただし……
【鬼龍豪人】
何でしょうか?
まだ私にいたらないところでも?
【リヒャルト・フィンケ】
君は持ちすぎているのだ。
欲は心をにごらせる。
【鬼龍豪人】
欲があってのことではありません。
古式東雲しののめ流が邪魔をするのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは君の中にケアンがあるからだ。
ケアン奥義おうぎを取り込んでいるのだ。
一度試してはどうかね?

このとき、鬼龍は体をフィンケに向けた。

【鬼龍豪人】
試す?
それはどういうことですか?
【リヒャルト・フィンケ】
自分をとことん落すことだ。
君が君でなくなるまでな!
【鬼龍豪人】
誰かに伝授でんじゅするというのでは、
駄目なのですか?
【リヒャルト・フィンケ】
ケアンというのは人を選ぶ。
つまりは君が捨てるのではない、
君が捨てられるのだ。
不毛な戦いによって、
君がケアンから見捨てられるのだ。
そこには不要だ――
【鬼龍豪人】
不要?
何が不要なのですか?
【リヒャルト・フィンケ】
心だよ!
自ら穴が空いたという心だ!

辺りが白くなったかと思うとやがて何も見えなくなった。暫くして暗闇に鬼龍の佇む姿が見えた。
どこからともなく声がする。鬼龍は耳をそばだてている――

【リヒャルト・フィンケ】
鬼龍きりゅう君――
もう一度聞かせてくれないか?
【鬼龍豪人】
何を……ですか?
私のことですか?
【リヒャルト・フィンケ】
人づてに聞いたものでね。
君は京都でガールフレンドを
くしているんだよね?
【鬼龍豪人】
彼女は……事故にったのです……
師団に面会に来た帰りでした――
【リヒャルト・フィンケ】
爾来じらい、君の心は、
京都に置き去りになったと聞くが。
【鬼龍豪人】
違います!
私は……求めたのです……
【リヒャルト・フィンケ】
何をだね?
君が求めたものというのは――
【鬼龍豪人】
――強さです。
力ではなく……精神の強さです。
【リヒャルト・フィンケ】
輜重しちょう隊では強くなるのは難しいね。
戦闘部隊ではないからね。
体も心も、強くはなれない――
【鬼龍豪人】
私は古式東雲しののめ流を極めようと――
そう心にちかい、日々精進しました。
【リヒャルト・フィンケ】
だが流派は閉じられてしまった。
君は腕を試すこともできず、
途方とほうに暮れていた――
【鬼龍豪人】
トゥーレのやかたへの招待状には、
あなたの署名があった。
あなたはすべて知っていたのですね。
事故のことも流派の閉じたことも。
すべてお見通しだった――
【リヒャルト・フィンケ】
君はめざましく腕を上げたね。
東雲しののめ流の素養が役に立ったのだよ。
――違うかな?
【鬼龍豪人】
あの頃はそうでしたが……
今、審神者さにわとしての私と召喚師の私、
その二人が戦うのです!
【リヒャルト・フィンケ】
君の中の二人は戦ってなどいない。
むしろ手を取り合っているのだよ。
君のルサンチマンがそうさせている。
ルサンチマンを乗り越えるには、
あるべき自分の姿を持たぬことだ。
理想も、目標も、夢もいらない。
【鬼龍豪人】
あるべき自分……
――私はこだわりすぎたのでしょうか?
求めるところが大きすぎるとでも?
【リヒャルト・フィンケ】
求めて得られる時代など、
とうに終わっている。
ただ、破壊あるのみだ!!

〔日劇前〕

鬼龍の心に去来したものは何であろうか?鬼龍は両眼を見開き、風魔を見ている。いや、見ているのではない、まさに射ようとしているのだった――

【鬼龍豪人】
私が浄化されるまで、
貴様を必要とする、そういうことだ。
さぁ、整えろ!
喪神もがみ風魔ふうま!!

《バトル》

【鬼龍豪人】
貴様は順当じゅんとうに腕を上げているようだ。
フフフ――
頼もしい限りだな。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
鬼龍きりゅうに好き勝手やらせて、
いいんですか?
明日、鈴代すずよさんが戻られます。
隊の方に言って、鬼龍を見張るように
お願いしておきます。
あっ、そうそう――
京都の紫水しすい会館から連絡があり、
古文書こもんじょは冬至についてだそうです。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル――

アラカは宮とか部屋の意味だとか。
第一の宮に太陽が入って折り返す、
それが冬至のことだそうです。
第七の予言のヒククは、
結局わからずじまいですね。
今日はもう遅いので公務終了です。
お休みなさい――

そう言って梨央が本部を後にした。そこへ不意に声がする――

【???】
風魔ふうま……
聞こえる?
私よ、淑子としこよ――
あなたに、
是非ぜひとも話さなきゃいけないことが。

風魔は激しい目眩めまいを覚え頭を抱えた。

ふと何かの気配を感じて顔を上げる。そこはセヒラの揺らぎに縁取ふちどられた溜池通であった。為す術無く立ち尽くす風魔の脇に、威勢よくバールが現れた。

【バール】
じゃ~ん!
久しぶりだニャ、風魔ふうま
またぞろ姉さんの声がしたニャ!
それで出てきたニャ……
今は夜中のはずなのにニャ!
【バール帽子】
誰かが鎌掛かまかけてたゲロ!
姉さん、黒焦げとか言ってたゲロ!
ちょっくら調べたゲロ!
話はぜんぜん違うゲロゲロ――
【バール帽子背後】
確かに修善寺しゅぜんじで若い女が死んだ。
焼身自殺でな――
死んだのは横浜の女学生じゃ。
失恋してな、もうヤケクソじゃな。
そもそも病気を苦にして、
焼身自殺する奴などおらんわい。
ありゃ抗議こうぎの意を込めた死に方じゃ。
【バール帽子】
つまりは風魔の姉さんは、
修善寺しゅぜんじで療養中に忽然こつぜんと消えた、
そういうことだゲロ!
新山にいやま技手ぎてが言ってたゲロ。
修善寺しゅぜんじ独逸ドイツ人がロッホを探したと。
なんかプンプンするゲロ!
【バール】
風魔の姉さん、
どこかで生きているかもニャ!
でもここは違うニャ!
風魔の記憶の中だニャ。
さぁ、気を取り直して、
本部に戻るニャ!

〔山王機関本部〕

いつの間にか朝になっていた。

【喪神梨央】
おはようございます。
――兄さん、本部で寝たんですか?
興亜こうあ日報が特報を出しましたよ。
オリムピック辞退か? って――
【帆村魯公】
本当か、それは?
皇紀こうきニ六〇〇年に予定されておる、
東京オリムピックのことだろ?
【喪神梨央】
まだ東京は候補の段階です。
ニ月の奥斯陸オスロ総会で、東京の他に、
羅馬ローマ赫爾辛基ヘルシンキが候補になりました。
来年七月の伯林ベルリン総会で決まるはず。
その前に東京市が辞退を検討中とか。
【帆村魯公】
怪人やらが跋扈ばっこする町に、
運動選手を呼ぶわけにはいかんな。
まぁ、あと五年あるが――
ただなぁ……
あれだなぁ――

一昨年の国連脱退に次いで、昨年末はワシントン海軍軍縮条約の破棄はきと、日本は国際社会で孤立こりつを深めていた。
また昨年は空前の大凶作に見舞われ、東北、北海道では農作物が大幅に減収となり、西日本を室戸むろと台風が遅い、世相を暗くした。

【帆村魯公】
ますます物情騒然ぶつじょうそうぜんとしてきた。
五年でいろいろ改善できないと、
オリムピック辞退もいたかたないわい。

そうだ、風魔ふうまよ――
聖宮ひじりのみや殿下から連絡があってな。
京都の学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだが、
ヘーゲン召喚師と接触したそうだ。
アーネンエルベにも出入りしておる。
【喪神梨央】
それじゃ……
虹人こうじんさんが銀座で見たのは、
ユンカー局長じゃなかったんですか。
ユンカー局長が入れているシュタインの波形、
新山にいやまさんが計算中です。
もう少しで波形を特定できます。

今日は鈴代すずよさんを、
お迎えする予定です。
省線の品川駅です――
一昨昨日さきおとといの午後三時に新京を出て、
品川には今朝七時二十四分着ですが、
かなりの遅れが出ているようです。
【帆村魯公】
牛頭ごずの連中に動向どうこうを探られない
とも限らんからな。
充分に警戒してくれ。

風魔は公務電車で品川駅前に駆けつけた。

〔品川駅前〕

下関しものせきからの夜間急行は遅れているという。
まだ駅玄関には鈴代すずよの姿はなく、代わりに将兵らが待機していた――

【一五市】
如月きさらぎ鈴代すずよ身柄みがら拘束こうそくする。
東雲しののめ流を再興さいこうすると聞いた。
そして月詠つくよみ麗華れいか嬢の懐柔かいじゅうをもたくらむ!
さては鬼龍きりゅう大尉の奥義おうぎを継ぐ、
その魂胆こんたんなのではないかな!
抜け目のない女だな――
フハハハハ~
鬼龍大尉の奥義は、
月詠麗華嬢に継ぐのが順当だ。

左、そして右から一五市にのまえごいちを挟み込むように二人のユーゲントが走り込んで来た。

【上賀茂丸】
喪神さん!
祇園丸ぎおんまるに頼まれて来たよ!
【南禅寺丸】
僕たちの波形、山王さんのう機関で監視かんし中だ。
だから安心して戦えるのさ!

山王機関ではユーゲントの波形を探信していた。大型波動グローサベッレなどの影響があれば、直ちにアーネンエルベに連絡が行く手筈てはずであった。

【一五市】
何だ、お前たちは?
フォス大佐と桃源郷とうげんきょう巡りでも、
するんじゃなかったのか!
元召喚小隊の召喚兵がいる。
貴様ら!
こいつらの相手をしてやってくれ。

一五市の命令で、二名の召喚兵がそれぞれユーゲントと向き合う。二対二の対戦陣形となり、召喚兵とユーゲントとの間に強い光が走る。その刹那せつなであった、一抱えほどの大きさのセヒラ球が現れた。

【一五市】
うわぁぁぁぁ~

小規模なセヒラ異常が発生し、一五市、風魔は時空の狭間に飲み込まれてしまった。

〔時空の狭間〕

【一五市】
ウハハハハハ~
ここがお前たちのユートピアか!
いいだろう――
ここで時間稼ぎをするうちに、
召喚兵らがあの女を確保する!
さぁ、時間をかけて、
戦おうじゃないか!

《バトル》

【一五市】
いい調子だ――
それでこそ歩一の特務機関員だ!
だがな、すべてを手に入れる、
その準備は怠りない――
鬼龍きりゅう大尉は憎しみを宿す。
それが大尉の弱さだ。
俺は何も憎んじゃいない、
ただ純粋に戦う、そう決めたんだ。
無ほど強いものはない!
アハハハハハ~

〔品川駅前〕

品川駅前に召喚兵らの姿はなかった。軍用トラックだけが残されている。そこへ如月鈴代がやって来た。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん!
お待ちになりましたか?
省線が遅れて……
兵隊が出ているのですか?
少し歩きましょうか……

〔品川街路〕

【如月鈴代】
麗華れいかさん、何か思い詰めている、
そんな様子だったので、
あまり話せていません。
鬼龍きりゅうさんのことは、
知っていました――
にのまえ少尉から聞いたのだと。
この帝都にトゥーレの館が
開かれることまで――
麗華さんは知っていました。

麗華さんは鬼龍さんの奥義を、
自らにそなえようとするのです。
鬼龍さんが会得した古式東雲流、
実は叔父の山郷が京都で道場を開き、
そこで教え広めていたものです。
古式とは言え、祖母の代では、
すでに霊力が弱まっていました。
それを叔父がなんとかしようと――

私が再び興そうとする古式流儀は、
六世紀はじめに日本へ渡来した、
マナセ一族の裔に伝わる術武です。
古式流は、鬼神を降ろします。
それも審神者自身に降りるのです。
その古式を再び興すには、
多加美宮司の持ち帰った魔鏡、
その霊力がなくてはなりません。

鬼龍さんの古式流を麗華さんが継ぐ、
それがどういうものか、
私にはまだわかりません――

不意に鈴代は足を止めた。風魔は少し行き、鈴代を振り返る。鈴代は意を固めたような表情を作っている。

麗華さんは新京シンキョウに落ち着きました。
新京シンキョウ神社の裏にある高女の寄宿舎、
その貴賓室きひんしつがあてがわれました。
平安町二丁目というところです――
関東軍司令部用地の直ぐ近くですわ。

月詠麗華は新京シンキョウに身を落ち着かせた。麗華は鬼龍からの奥義おうぎの伝授を求め、その鬼龍はトゥーレの館で再起をはかる。
トゥーレのやかた――
リヒャルト・フィンケひきいる秘密結社。帝都に新たなるきょくが誕生した。

第七章 第九話 芽府須斗夫

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
今日、歩一の警護車両が東京駅に。
要人でも来るんでしょうか?
【帆村魯公】
先ごろから車両運用は車両課で
管理するようになったからな。
車両課の計画は我々にも伝わる。
それで、どんな様子なんだ?
【喪神梨央】
乗用車二台、トラックは……ナシ。
今日の午後に予定されています。
この後だと特別急行さくら号です。
京都を八時四一分に出て
東京には午後四時四〇分着です。
【帆村魯公】
梨央りお、思うんだが、
省線しょうせん時刻ダイヤにやけに詳しいな!
【喪神梨央】
去年一ニ月に時刻改定がありました。
丹那たんなトンネル開通で東京大阪間はニ〇分短縮されたんです。

【式部丞】
どうにもらちきません――
【帆村魯公】
淀橋よどばしで見つかった書生のことですな。
それで、どうなりましたかな、
――芽府めふ須斗夫すとおは。
【式部丞】
彼は今、深い眠りにいています。
【帆村魯公】
憲兵隊本部に移送されて以来、
一度も起きていないと?
【式部丞】
何度か目は覚ましたようですが、
すぐ、深い眠りに落ちてしまう、
そんな様子だそうです。
【喪神梨央】
無理やり起こしちゃダメなんですか?
【式部丞】
彼は半覚半睡はんかくはんすいの状態でこそ、
あの予言を語るようです――
目覚めた時、何もおぼえていないと。
米国にエドガー・ケイシーという、
予言者がいるのですが、
ほとんど同じ様子だと思います。
【帆村魯公】
つまり半覚半睡はんかくはんすいで予言する?
【式部丞】
ケイシーの場合は深い催眠さいみん状態です。
静かに横になり、威厳のある声で、
様々なことを語ります――
ケイシーは相談者の悩みを聞き、
想像だにしなかったことを語り、
相談者の人生をひらいていきます。
【喪神梨央】
――何だか人生よろづ相談みたい……
【帆村魯公】
これ、梨央!
茶化ちゃかすんでないぞ。
【式部丞】
ケイシーのその能力は、
主に病気の治療にあてられました。
近年は霊能力者として活躍します。
【帆村魯公】
淀橋よどばしの書生は、質問に答える恰好かっこうで、
予言を語るのかな?
【式部丞】
予言を聞いた者によると、
特に質問はしないそうです。
勝手に語り始めたとか。
でも質問で聞き出すことも考え、
ある医者を呼んでいます。
アレクサンダー・ヨネダという、
日系米人の医者です。
彼はケイシーの研究家でもあります。
【帆村魯公】
覚えのある名のような――
さて、何をした人じゃな?
【式部丞】
今年、本を出しました。
宇宙よりの意識という題名です。
新聞に書評も載りましたよ。
【喪神梨央】
その書評、読みました!
瞑想めいそうして宇宙の意識を呼び込むと、
人生が変わるんです――
【式部丞】
一ツ橋の憲兵司令前で、
ドクターヨネダと落ち合います。
喪神もがみさん、ご一緒されますか?
【帆村魯公】
うむ、是非ぜひにな。
予言とやらがいらぬ連中に、
知れては困るのでな。
【喪神梨央】
東京憲兵隊本部はこの七月、
麹町こうじまち竹平町たけひらちょうに移転したばかりです。
最寄もよりの電停は一ツ橋ひとつばしです。
早速、公務電車を手配します。
さっきの要人ですが、
なんとなくわかりました――
【帆村魯公】
ほう、誰なんじゃい?
【喪神梨央】
聖宮ひじりのみや殿下だと思います。
京都から殿下が戻られる、
きっとそうです!

〔東京憲兵隊本部〕

憲兵司令部、憲兵練習所、東京憲兵隊本部は、この七月、大手町から麹町こうじまち竹平町たけひらちょう竣工しゅんこうした、新庁舎へと移転した。

【式部丞】
この憲兵隊本部、
新しくできたんですね。
以前は大手町おおてまちにありました――
麹町こうじまち憲兵分隊も移ってきたようです。

憲兵司令部、憲兵練習所、東京憲兵隊本部は、この七月、それまで所在した大手町おおてまちから麹町こうじまち竹平町たけひらちょう竣工しゅんこうした新庁舎へと移転した。麹町こうじまち憲兵分隊。大震災の混乱に乗じ逮捕たいほしたアナーキストの大杉栄おおすぎさかえ、内縁の妻伊藤いとう野枝のえを、尋問室で殺害して裏井戸に投げ入れた――
いわゆる甘粕あまかす事件のあった場所である。当時、分隊が麹町こうじまち大手町おおてまちにあったため、麹町こうじまち分隊と称されていた。

【雪ヶ谷の娘】
町内の善三ぜんざさま、憲兵少尉におなりに。
すっかり素敵な青年将校さまですわ。
でもおかしいの――
渋谷憲兵大隊の本部ってところ、
まるで活動館みたいでしたわ。
【式部丞】
つまり映画館のようだと?
そこも憲兵隊の本部ですよ、
場所違いではないですか?
【雪ヶ谷の娘】
玉川電車の渋谷道玄坂どうげんざか上電停前、
ちゃんとうかがいましてよ。
さらのビルヂングはありました――
でもやはりあれは活動館ですわ。
紅楼夢こうろうむのぼりがずらーっと並んで、
それはそれは華やかでしたわ!
甲楽城かぶらぎ善三郎ぜんざぶろう憲兵少尉……
一目ひとめでもお姿拝見しとうございます。

【噂好きの学生】
東京憲兵隊本部、立派なもんです!
いやね、ちょっと小耳に、
挟んだんですけどね――
お堀側に秘密の隧道すいどうがあるってね。
【式部丞】
あまりそういう風評に流されるのは、
好ましくないですね。
場所が場所ですよ、学生さん。
【噂好きの学生】
え? そうなんですか――
その隧道すいどうは地下牢に繋がっていて、
常に入るきりの一方通いっぽうとおりだそうです。
わぁ、にらまないでください!!

【アレクサンダー・ヨネダ】
式部しきべさんですね?
アレクサンダー・ヨネダです。
【式部丞】
ドクター・ヨネダ!
足労そくろう頂き、感謝します――
ここはすぐわかりましたか?
【アレクサンダー・ヨネダ】
新しく立派な建物です。
道でお二人の様子をうかがっていました。
それで我がリーダーはこの中ですか?
【式部丞】
リーダー?
それはひきいる者ですか?
【アレクサンダー・ヨネダ】
読み解くリーディングという意味です。
変性意識によって宇宙と繋がり、
あらゆる真理を読み解くのです。
【式部丞】
それならこの中です。
尋問室の隣で眠ります。
【アレクサンダー・ヨネダ】
まず目覚めさせましょう。
そのとき、二人くらいがいいです。
あまり大勢だと困惑させます――
【式部丞】
わかりました――
喪神もがみさん、ドクターと私が、
彼を目覚めさせます。
その後、お呼びします。

【渋谷憲兵大隊恋瀬川こいせがわ少尉】
探したぞ! 
貴様!
山王さんのうの山猿めが!
藍住あいずみのおかしくなったのは、
貴様のせいだろ!
渋谷憲兵大隊藍住あいずみ少尉のことだ!
乱歩らんぽ三文さんもん小説なぞに夢中になり、
四肢ししを失いある須永すなが中尉が
どうしたこうしたとつぶやく――
酒も飲まぬにあらぬことばかり
口走るようになり、
今や常にうつろの状態だ!
幼年学校も士官学校も首席だった、
あの聡明そうめい藍住あいずみの面影は微塵みじんもない!!
貴様がせいで藍住あいずみが……
――あああ、くそっ!!
我が友を返せ!!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊恋瀬川こいせがわ少尉】
玉の外側に水銀を塗って、
その内側を一面の鏡にすること――
あああ、私の正気が失われるぅぅぅ~

〔憲兵隊本部尋問室前〕

【式部丞】
ここで待ちましょう。
先程、ドクターが起こしました……
じきにここへ来るはずです。
【芽府須斗夫】
向かいの公園からの風が、
心地いいね――
【式部丞】
向かいのとは……
つまりは宮城きゅうじょうのことかな?
【芽府須斗夫】
池の向こうにある公園だよ。
この部屋には風が吹かない――
【式部丞】
ところで、今、気分はどうかな?
よく眠っていたね――
【芽府須斗夫】
この世には哲学でさえ、
及ばないことがある――
【式部丞】
ん?
それは……
ハムレットの台詞かな――
この天地にはお前の哲学さえ、
及ばぬことがあるぞ、
ホレイシオよ――
ハムレットが友人である、
ホレイシオに言った台詞です。
芽府めふ君……
君は沙翁さおうが好きなのかね?
英吉利イギリスの劇作家の――
【芽府須斗夫】
ふと浮かんだんだ。
ここに来て四回目覚めた――
いろいろのこと、わかってきた。
【式部丞】
いろいろの?
それは、何についてだい?
【芽府須斗夫】
君たちはを召喚して戦う。
この町にはセフィラが豊富で、
それを狙う勢力もある――
君たちの国の軍隊は、
を人にけしかけられれば――
そういう淡い希望を抱いている。
でもまだ実現できていない。
【式部丞】
短い時間で随分とわかったんだね。
それも、頭の中に浮かんだのかな?
【芽府須斗夫】
すでに知っていたとする方が、
適切かな、この場合は。
町のセフィラが強くなると、
市民の恐怖心から出たものが、
いつの間にか実体を持つ――
それでますます恐れが蔓延まんえんして――
繰り返しているんだよね。

【式部丞】
何でしょうか、今の音は?
【芽府須斗夫】
多分、あの医者だよ。
僕が目覚めた時、何かを感じた、
そうなんじゃないかな?
【式部丞】
ドクター・ヨネダはどこですか?
姿が見えませんが――
【芽府須斗夫】
向かいの監視室なんじゃないかな?
ひとごと言いながら、
尋問室出ていったから――
あの医者、
手が小刻こきざみにふるえていたよ!
【式部丞】
ドクター、大丈夫でしょうか――
風魔さん、お願いできますか?

〔東京憲兵隊本部〕

【アレクサンダー・ヨネダ】
彼は途方とほうもない――
ものすごく深いところに繋がる!
その奥底を私は見てしまった!

彼はあらゆる者だ、
時を超越した存在だ!

彼は転生を繰り返す――
ソドムの衛戍兵えいじゅへい、ゴリアテの愛弟子まなでし
カペナウムの百卒長ひゃくそつちょう、ウルの神官――
時を越えたおののきが、
私を、私を、私を満たしていく!!

《バトル》

【アレクサンダー・ヨネダ】
ついに私は満たされた――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都満洲にセヒラの特異点です。
はらえのに来てください!

〔山王ホテル前〕

はらえのに向かうべく山王さんのうホテルに戻った時、ホテル前にセヒラ異常が発生していた。

【帆村魯公】
帝都満洲どころじゃないぞ、
帝都にセヒラ異常が起きた!
風魔ふうま
セヒラ球の中に何か見えるぞ!

【バーナードチャンのアストラル】
何かの勢いが私を押した――
現世の私は長い眠りに就く。
私はフリーダイップの同業だ――
香港ホンコンの風水師だ。
帝都満洲に蟠踞ばんきょするものがある。
とてもとても大きい――
私がめている。
しき気の脈筋みゃくすじを築いた。
さぁ、私を退しりぞけ、わだかまりを解くのだ。
しき気脈きみゃくの向かう先、うしの方位だ!
【着信 新山眞】
皇女和宮かずのみやのときは、
帝都満洲にてセヒラの壁を崩し、
帝都へのセヒラ奔流ほんりゅうを防ぎました。
今度は違います!
帝都にセヒラを流すというのです。
そんなことをしたら――
【バーナードチャンのアストラル】
案じるな!
しき気脈きみゃくは流れ込む先がある。
私はもう限界なのだ!!

《バトル》

【バーナードチャンのアストラル】
風水の龍穴りゅうけつは陽の気に満ちる。
だがこれは陰の気――
しき陰の気脈きみゃくだ。
その気脈きみゃくそそぐ先、うしの方位、
距離、およそ二十四町だ――
【帆村魯公】
アストラルだ――
まことに……アストラル……
まさか現出するとは――
目の錯覚さっかくではあるまい。
おぼろな命に蘇る息吹いぶき……
なんとも美しい……はぁ……
風魔ふうまや、聞いたか!
セヒラの流れ込む先、ここより北北東に、およそニキロ半――

【???】
ニャンニャンニャ~
【バール】
ここは帝都かニャ?
それにしてもすごいセヒラだニャ!
――何だか体がムズムズするニャ!

うわぁ、何だニャ!
びっくりするニャ!

何だ? 何だ? 
ニャニャニャ?

【進化バール】
バールは俺だ、
よろしく頼むぜ!

〔山王ホテル前〕

【帆村魯公】
ここより北北東に、およそニキロ半――
その方角と距離だと、
ちょうど憲兵隊本部の位置だな!
そこにセヒラが流れ込むのか!
芽府めふ須斗夫すとおがセヒラを求めるのか――
そうとしか考えられんな!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
赤坂の方々で同時にセヒラを観測!
見附! 一ツ木通! 李王邸りおうてい
清水谷しみずだに公園でも――
セヒラは一ツ橋にある憲兵隊本部へ、
流れ込んでいる模様です!
【帆村魯公】
すると、界隈かいわいには漏れ出てはいない、
そういうことか?
【喪神梨央】
探信儀たんしんぎではそううかがえます。
新山にいやまさんがくわしく計測すると、
先程、出ていかれました。
【帆村魯公】
アストラルとなった風水師が、
気脈きみゃくを繋いだので、セヒラが
帝都に氾濫はんらんするのを防げておるわけだ。
【喪神梨央】
向かう先は芽府めふ須斗夫すとおですね。
予言を語るには強いセヒラがいる、
そういうことなんですね。
【帆村魯公】
ふむ……彼は果たして日本人か?
――日本のことを知らなかったぞ、
宮城きゅうじょうを公園と呼んだりしてな。
【喪神梨央】
お堀を池とも言っていました。
【帆村魯公】
外国の思念が実体化したりすると、
ややこしいことになりそうだ。
【喪神梨央】
でも隊長、さっきのアストラルも、
外国人です、きっと香港ホンコンの人です。
ようさんの知り合いと言っていました。
【帆村魯公】
確かに、そうであったな……
香港ホンコンの……アストラル……
いやはや――
アラヤ界に繋がるのは、
何も我が方だけではないな――
世界中が繋がっておるのだな!
今は式部しきべ氏からの連絡を待とう。
じき、来るだろ。

程なく式部しきべから一通の電報が届けられた。
ダイロク ノ ヨゲン カタレリ
電報には第六の予言語れりとあった。

第七章 第四話 新たな動き

清正公前せいしょうこうまえ

清正公せいしょうこう前を囲むようにして、新山眞にいやままことが三台の思念しねん増幅器ぞうふくきを設置した。その影響で、「結界」の中は市中から、幾多いくたの思念が集まり、怪人予備軍を招いた。怪人化の兆候ちょうこうを得て公務出動となった。

【遠い目をした女性】
渋谷橋しぶやばしから乗合に乗って、
ここまで来たんですわ――
朝からずっと声がするのですわ――
フト立ち止まる
人を殺すにふさはしい
煉瓦れんがへいの横のまひる日
昼日中ひるひなかが人殺しにふさわしいなんて、
とても近代的モダンじゃありませんこと?
【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します……
でも波形がさだまりません。
――怪人予備軍かも知れません。

【澄んだ目をした男性】
ふとね、真理の扉が開いたんです。
ある言葉が去来きょらいしてね――
自殺しても
かなしんでれる者が無い
だから吾輩わがはいは自殺するのだ
正しく真理ですよ、真理。
自死してね、生き残った者に、
辛い思いをさせてやろとか、
そう思ううちはだめなんです。
そんな当てつけみたいに死んじゃ、
せっかく命が勿体無もったいない。
――そうでしょ?
死ぬときは少しずつ縁を切っていく、
そして最後にぽつねんと一人になり、
すーっと深呼吸して死ぬんです。
――私はだいぶ整理がつきました。
猫のリルだけが心残りでね……
まだお別れできていないんです。

【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します――
物凄く妙な波形です。
経過を見てください。
【猫憑き】
ニャー、あんたはここで何するニャ?
おいら、猫の千次郎せんじろうニャ~
リルなんてハイカラな名前、
おいらには縁がないニャ。
この人、おっきな隙間、拵えてニャ、
今にも何かにかれそうニャ。
おいらがふさいだニャ!
今日は早めに風呂にでも行くニャ!
【着信 帆村魯公】
猫め、核心かくしんを突いておるな!
憎しみをたぎらす者より、
心に空隙くうげきを持つ者のほうが、
に深くかれてしまうようだ。
もっと猫がたくさんおれば、
いいのににゃ!

【虚ろを見やる男性】
僕はね、言葉にいざなわれてここへ来た。
本郷ほんごうからずっと歩いてね、
今ここに着いたところさ!
青空はブルーブラツク
三日月は死のうたを書く
ペン先かいな
太陽は命、月は死……
僕の感性に寸分すんぶんたがわずはまるんだ。
――美しいじゃないか、君!

【武装SSヴェルケ一等兵】
この者らは我が方で処置します。
貴方たちはお引き取りください。
これはフォス大佐殿の命令です。
アーゲーカーで詳しく調べます。
ドイツ大使館地下に、
アーゲーカー連絡室があります。

【執事型ホムンクルス】
――標的ツィール
破壊ツェストゥルンク――
開始シュタート

《バトル》

【着信 喪神梨央】
クルト・ヘーゲンの執事型、
何体も帝都にはなたれたみたいですね。
日本人の拉致らちに関しては、
外交筋に連絡を入れておきます。
山王さんのう機関ではどうにもできません。
【着信 帆村魯公】
八号帥士はちごうすいし
渋谷しぶや練兵場に向かってくれ!
歩三の召喚小隊に変事が起きている!
【着信 喪神梨央】
公務電車で目黒に向かってください。
鉄道連隊の演習列車が大崎にいます。
それで原宿まで進めます。

代々木よよぎ練兵場〕

それは異様な光景だった――
練兵場には兵が倒され横たわり、将兵と民間人が鳥合うごうしているのだ。

【第三連隊山田二等兵】
え、演習の準備をしていたところ、
突然、連中がなだれ込み……
阻止そしするもこの有様で――
【第三連隊中村二等兵】
今日は夜行演習が予定されて……
――ああ、脚の感覚が……
【着信 喪神梨央】
歩兵第三連隊第八十八大隊、
第三十八中隊第八小隊の、
夜行演習が予定されています――
わずかにセヒラを観測します。
十分、注意してください。

一五市にのまえごいち
喪神もがみ中尉!
――我が召喚小隊は解散なった。
新たに軍属をまじえて組織する。
名付けて暁光ぎょうこう召喚隊だ!
この隊は霊異りょういす者を集め、
帝都の怪異を鎮定ちんていするばかりか、
日本の国力を外に示すものだ。
鬼龍きりゅう隊長不明の今となっては、
私がひきいるほかないのだ。
さいわい、召喚術において、
素養そよう高き連中が揃っている。
貴様も隊に加わりたいなら、
考えなくもないぞ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
セヒラが異常値を示しています!
大変危険です、退避してください!!

〔時空の狭間〕

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
またすごいセヒラ異常だニャ!
三人が同時に戦ったりしたニャ!
そのせいだニャ!
【バールの帽子】
そりゃセヒラ異常も起きるゲロよ。
近いところで三人同時に戦うなんて、
無謀むぼうに決まってるゲロゲロ!
ん?
何だゲロ、どうしたゲロ、
じいさんが何か言いたそうだゲロ!
【バールの帽子背後】
第三連隊の召喚小隊が解散になって、
それをよく思わない連中がいるのう。
連中、アストラルになって、
帝都満洲を彷徨さまよっておるぞ。
逆恨さかうらみする奴もいるじゃろうて。
【バールの帽子】
なーんだゲロ、そんなことかゲロ!
出来損ないのアストラルなんぞ、
ぶっ飛ばしてしまうゲロね!
【バールの帽子背後】
現世でだめな奴ほど、
こっちでは強くなったりするんじゃ。
気ィ付けることじゃよ。
【バールの帽子】
噂をすればか?
――何か来るゲロ!
【バール】
あれは……
――強いニャ、強いニャ、
すっごく強いニャ!
月詠つくよみ麗華れいかの思念だニャ!
【バール】
呼んでみるニャ、呼んでみるニャ!
【バールの帽子】
何が起きても知らないゲロよ!
【バールの帽子背後】
軽い気持ちで、
思念を呼んだりするんじゃないぞ!
【バールの帽子】
知らないゲロよ!
【バール】
呼ぶニャ!
――麗華さーん、
こっちこっち、こっちだニャ!

【月詠麗華】
私はぜんぜん至っていません――
いくら戦っても、戦っても、
豪人たけとさまに教えをうまでは、
出来上がらないのです――
東雲しののめ流の奥義……
きっと私にいでくださいまし。
風魔ふうまさまのなされる帆村ほむら流も、
根は東雲しののめ流であるはず――
風魔ふうまさまと同じところに立てる、
そう思うとぞくぞくしてきます!
鈴代すずよさんがお認めになるか、
それが気がかりですわ――

品川図們しながわトモン第二街区〕

【元召喚小隊H一等兵アストラル】
陸軍省から通達つうたつがあって、
我が召喚小隊は解散になった。
歩兵として部隊に残るか、
あるいは除隊するかを選べという。
――自分、答えなど出ません!
【元召喚小隊A上等兵アストラル】
召喚小隊、解散になったんだ!
せっかくを降ろして戦う、
その術を習得したのに!
いまさら一般歩兵なんかに戻れない!
僕は除隊を選ぶ、絶対に。
そして暁光ぎょうこう召喚隊に参加するんだ!
【元召喚小隊M曹長アストラル】
鬼龍きりゅう大尉が姿を消してから、
小隊はまとまりがなくなった。
あの月詠つくよみ麗華れいかという女は、
大尉から奥義をさずかろうと狙う。
当分、大尉は姿を見せないだろう。
【元召喚小隊F中尉アストラル】
鬼龍大尉はおそらく京都の師団。
そう考え十六師団に連絡するも、
連中、だんまりを決め込む――
歩一の連中、
何か知っているはずが、
おくびにも出さない!
【元召喚小隊D大尉アストラル】
独逸ドイツのアーネンエルベも、
一枚岩ではないな――
あそこのヘーゲン召喚師、
フォス大佐と反目しているようだ。
フォス大佐の来日以来、
手下の召喚師どもが躍起やっきになって、
新参の召喚師と戦っている。
しかし……
連中の手下は人にあらずとも聞くが、
歩一の連中なら詳しいのだろうか?

品川図們しながわトモン第四街区〕

【元召喚小隊C二等兵アストラル】
S中尉は朝から焼酎しょうちゅうを、
浴びるように飲んで寝ている――
小隊の解散が気に食わないんだ。

【元召喚小隊Y二等兵アストラル】
S中尉、第三十六小隊長の頃、
新兵を自殺に追い込んでいる――
難癖なんくせをつけては懲罰ちょうばつの繰り返し。
ある日、茶をこぼした懲罰ちょうばつとして、
腕立て伏せ一六三七回もさせたんだ。

【バール】
びょびょ~ん、バールだニャ!
酷い上官もいたもんだニャ!
腕立て伏せを何回だって?
噂のそいつが来るニャ!
そうとう怒りまくってるニャ!
現世では閑羅瀬しずらせみき中尉殿ニャ!

【元召喚小隊S中尉アストラル】
鬼龍きりゅう大尉は負け犬だ!
この大事な局面で雲隠れするとは、
情けないにも程がある!!
それに――
歩三の腑抜ふぬけ連隊長め!
麻布あざぶ連隊区のくそ司令め!
陸軍省の穀潰ごくつぶし将官どもめ!!
参謀本部の――
うぬぬ……気配を感じる、感じるぞ!
何者だ、貴様!
この俺をわらいに来たか!!

《バトル》

【元召喚小隊S中尉アストラル】
くそ! くそ! くそ
どいつもこいつも、
勝手なことばかりしやがって!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
やっと探信たんしんできました!
品川図們トモン、安定しています。
帰還してください。

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは、多加美たかみ宮司ぐうじ鈴代すずよと話し込んでいた。月詠つくよみ麗華れいか霊異りょういを現し、鬼龍きりゅう豪人たけとからの奥義おうぎ伝授でんじゅを狙うとあって、鈴代すずよも新たなる決意をしたようである。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん、私、決めました――
麗華さんが霊異りょういを現して、
今、とても不安定な状態です。
もし鬼龍さんから東雲の奥義おうぎを継ぎ、
新しい東雲しののめ流が興るとすれば、
今の私たちでは太刀打たちうちできません。

東雲しののめ流は鈴代の祖母の代で絶えている。古式帰神法は神々を降臨させ、眼前に現すのだという。

【多加美宮司】
鬼龍大尉は古式東雲しののめ流を極めた、
そう伺っております――
【如月鈴代】
大尉が京都の師団においでの頃です。
でもほどなくして流派を閉じました。
すぐさま大尉は独逸ドイツへ――
古式ではセヒラを用いないのです。
降ろすのもではなく神々です。
それを改めたのが帆村ほむら流なのです。
帆村流ではを指揮する、
そういう術武じゅつぶに進化させました。
もし今、古式がおこれば……
【多加美宮司】
帆村流に対抗し得る力となる――
そういうことかも知れません。
【如月鈴代】
を現前に現し、
市民を襲わせるということも……
そうなってしまっては手遅れです。
【多加美宮司】
今、正しく古式東雲しののめ流を再興すれば、
色々の懸念、払拭ふっしょくできます。
【如月鈴代】
私、東雲しののめ流を再興します。
麗華れいかさんより早く古式東雲しののめ流をおこし、
対抗できるよう、準備を整えます。

【九頭幸則】
風魔、通報があったぞ!
広尾橋ひろおばしに仮面の男が現れた――
こちらは?
【多加美宮司】
宮司ぐうじ多加美たかみです。
東雲しののめ流の神器である鏡を授かりに、
京都に向かいます。
【九頭幸則】
それじゃ、東雲しののめ流を……
【多加美宮司】
そうです、東雲しののめ流を再興します。
そのためには神器の鏡がいるのです。
鏡は京都の神社に収めてあります。
【如月鈴代】
京都の方には私から、
伝えておきます。
少し時間をください――
【多加美宮司】
わかりました。
いつでもてるようにしておきます。
【九頭幸則】
梨央りおちゃんに公務電車の手配を頼む。
風魔、広尾橋だ、向かってくれ。
【如月鈴代】
古式東雲しののめ流がおこれば、
風魔さんに継いでいただきたく、
存じます。

広尾橋ひろおばし

【着信 帆村魯公】
おかしいぞ、
今さっきしばの方で
仮面の男が目撃された。
丁度ちょうど、省線田町たまち駅の近くだ。
どうなってるんだ?

【仮面の男】
ワハハハハハ~
愉快ゆかいなことになってるな!
こいつらは前菜だ!
この女は一週間も市内を彷徨さまよった。
銀座で妙な上映会があったそうだ。
この男は国家を転覆させようと、
韮山にらやまなんとやらに従い、
あらぬ妄想を膨らます――
ここでお前と交えれば、
セヒラが繋がる――
いい按配あんばいにな!

《バトル》

【仮面の男】
ワハハハハハ~
いいぞ、その調子だ!
私は次に向かう!!

【着信 新山眞】
仮面の男の目的、わかりました!
私の作った結界を、
打ち破ろうとしているのです!
田町たまち駅前と広尾橋ひろおばしを底辺として、
市内に大きな三角形が描けます。
その頂点は――
五反田ごたんだ方面です!
結界に重なる逆三角を描き、
セヒラの流れを作るつもりです。
聞いたことがあります――
ツアイヒヌンの術と言います。
訳すと絵を描くということですが。

新山にいやまの結界に重なる逆三角形は、田町たまち駅前、広尾橋ひろおばしを結び、その頂点、大崎あたりに位置していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
結界に重なる逆三角形ですが、
大崎にその頂点を結びます!
五反田ごたんだまで、
公務電車で移動してください。

向かった先は大崎広小路おおさきひろこうじであった。そこには第三セヒラ探信儀たんしんぎがある。三探は独逸ドイツ駐在武官、是枝これえだ大佐邸に建つ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
三探に強力なセヒラ反応です。
ただし――
仮面の男とは異なる波形です。

是枝邸これえだてい前〕

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
私……どうすればよいか……
あの仮面の男から、
誘いを受けているのです――
ともに力を極めようと。
私は純粋に戦うよろこびを求めている、
ただそれだけなのに、
そうさせてはいただけません――
私をしたう人たち、私を求める人たち、
私を退しりぞける人たち――
幾多いくたの思いが私をめぐるのです。
私……
どうすれば……
風魔さま……
【着信 喪神梨央】
今、歩一に出動要請しました。
衛生班も同行します。
到着まで現場を保全ほぜんしてください。

程なくして歩一のトラックが到着した。月詠つくよみ麗華れいかは歩一にて保護することとなり、連隊本部に運び込まれた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい――
麗華れいかさん、無事に保護されたんですね。
【帆村魯公】
それにしてもだ、
仮面の男、愈々いよいよ放置はできんな。
麗華嬢まで引き込もうとするとは!
【喪神梨央】
仮面の男が兄さんや怪人と戦って、
セヒラの道が出来たと、
新山にいやまさんは仰っていました。
それであそこに麗華さんが来た……
あのとき、セヒラ球に似た波形、
大崎方面で確かに観測していました。
【九頭幸則】
すると、月詠つくよみさんは、
セヒラ球に乗って移動しているのか?
――まるでセヒラの申し子みたいだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん!
今はセヒラ球の波形、
帝都のどこにも観測しませんよ!
鈴代すずよさんも古式東雲しののめ流の再興、
決心されたわけだし……
――私たちのそなえは十分です。
【九頭幸則】
ならいいんだけど――
それはそうと、フォス大佐が、
是枝これえだ邸を訪問したらしい。
あの二人はどういう関係なんだ?
【帆村魯公】
腹の探り合いだよ。
駐独武官としてナチに通ずるのは、
当然の責務だからな。

仮面の男は何を思い月詠つくよみ麗華れいかいざなうのか。古式東雲しののめ流の再興を決めた鈴代すずよの胸中は――
さまざまな思惑おもわくが夏の帝都に錯綜さくそうしていた。

第五章 第十二話 思念の顕在

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
どうしましたか?
――今、どこにいるんですか?
青山墓地でまたあの波形です。
鈴代すずよさんがきにされた時と
同じ波形が観測されました。
至急、青山墓地へ向かってください。
――黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、聞こえますか?

青山墓地あおやまぼち

薄暗い墓地の中から、どこからともなく、つぶやくような声が響いてきた。それは読経どきょうのように唱える神曲の一節だった。
われが向かうところわれが見る限り、新たなるさいなみを受くる者の他に無く――
われは第三の地獄にあり、ここは永遠のしげき冷たき雨の地獄、大粒のひょう、水はにごれり、雪降りしきる――

神子柴みこしばはつゑ】
またお会いしましたね。
確かに私はみずからもたらした、
金神こんじんと合一できませんでした。

むご異形いぎょうの野獸チュルベロは
に浸る民のう
みっつのどにて犬のうに吠える――

――まだ力がおよばなかったのです。
しかし今、すべては満ちました。
如月きさらぎ鈴代すずよ白化アルベド触媒しょくばいとなり、
黒化ニグレドの思念を呼び集めています――
私には多くの信者を招いた、
その責務せきむがあるのです――
思念となった者たちをよみがえらせ、
賢者の石として永遠の存在にする、
その役割があるのです。
そのあかつきには、私は、新しき天地あめつちの母、
真の創造主となるのです。
さぁ黒化ニグレドの思念を招きましょう!
さぁ、貴方も、ご自分を試しなさい。
白化アルベド触媒しょくばいたくして、
無限とも言える力を得なさい――

神子柴みこしばはつゑ】
鬼龍きりゅう豪人たけとさん――
貴方は自身から目をそむけている――
鬼龍きりゅう豪人たけと
私が?
自分から目を……
どういうことだ?
鬼龍きりゅう豪人たけと
私は自分をよく知っている――
神子柴みこしばはつゑ】
貴方の求めるもの、
手に入るかも知れません。
保証はないのですが――
鬼龍きりゅう豪人たけと
何をするというのだ?
神子柴みこしばはつゑ】
自ら異能を封じ込めた人物――
如月きさらぎ鈴代すずよを目覚めさせるのです。
鬼龍きりゅう豪人たけと
目覚めさせる?
もう一度、霊異りょういを現すように、
説得でもするのか?
神子柴みこしばはつゑ】
錬金術の過程を進めて、
如月鈴代に触媒しょくばいの働きを持たせ、
眼前に霊異りょういを現すのです。
鬼龍きりゅう豪人たけと
錬金術……
よくは分からないが、
試す価値はありそうだな。

神子柴みこしばはつゑ】
終末はせまっています。
貴方もお力をお貸しください。
貴方には素晴らしい霊力があります。
眼を見張みはるほどの力です――
――素晴らしい、その力……
私は感じています――
さぁ、早く!
終末はそこまで来ていますよ。
貴方! もう時間がないのです!
早く、お力を!!

《バトル》

神子柴みこしばはつゑ】
素晴らしいお力です!
そうです、これです、
最後の扉が開き――
――私は思念として漂い、
こうして貴方に向き合い……
しかし、何かが食い違っています――
如月きさらぎ鈴代すずよ
…………
……
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在、どちらにおいでですか?
青山墓地で帥士すいしを確認できません!
――セヒラは依然、高いままです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
――風魔ふうまさん……
私……
身辺に危険が迫ると言われ、
兵らに連れられてここへ来ました。
――鬼龍きりゅうさんが……
鬼龍さんが招いたのです。
不思議そうな顔して私を見るんです。
そして……
いろいろと不可解なことを口に……
――彼は、自分を見失っていた、
私はそう考えています。
何かの力が及んで、
鬼龍さんを変えた――
いや、変えようとしたのかも……
私、わかるんです。
闇雲やみくもに力を求める叔父とは違う……
鬼龍さんが求めているものは、
もっと違った姿をしています。
――けれど、それが何かまでは、
まだ見えていません……
【バール】
また変なところに来たニャ。
ここはどうやら帝都じゃないニャ……
おそらくだニャ、
鈴代さんの記憶の中ニャ。
――手っ取り早くここを出るには、
ショックが必要だニャ!

丁稚でっち
お兄さん! オイラ、見たんだよ!
怪人だよ! 怪人が出たんだ!
どっかそのへんだよ……

問屋とんやの使用人】
なんだぁ……おい!
今日はやけにまぶしいな!
天道様てんとさまがいくつも見えるぅ~

問屋とんやの使用人】
きゃはははははは!
俺はなぁ、力を得たんだ!
力だ力だ力だ、きゃはははは!

《バトル》

問屋とんやの使用人】
アハハハ!
お前も執念深いな。
しつこい奴は嫌われるぞ!
【バール】
しつこいかどうかは
わからニャいが、
ここもまごうことなき記憶の中だニャ。
ここは――
風魔、風魔の記憶だニャ!
鈴代さんの記憶から繋がったニャ!
【バールの帽子】
よっぽど赤坂に思い入れが
あるのかいな、ゲロゲロ。
感傷センチメントの地ってか?
【バールの帽子背後】
風魔ふうまさんよ、お前さんがはじめて
山王さんのう下のオウルグリルに行ったのは、
確か八年前だったよな。
淑子としこ姉さんに連れられて――
お前さんはビフテキを平らげた。
姉さんが亡くなる前の年だ。
【バール】
ニャるほどニャ!
まぁ、ここニャら無線も入るし、
自力で戻れるニャ。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、聞こえますか?
帥士すいしの存在、すぐ近くに観測します。
青山墓地のセヒラは、
現在、小康状態にあります。
任務終了、本部に帰還してください。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
ふむ……
きにされて、なお冷静に
鈴代は鬼龍を観察していたのか。
鬼龍の敵愾心てきがいしんは、山郷やまごうの腹黒さとは
別モノということか……
だが、その向こうに何があるのか――
それが気がかりではあるな。
喪神もがみ梨央りお
それにしても――
鈴代さんの記憶の中に入るなんて……
これもセヒラの影響なんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、先だってのセヒラの奔流ほんりゅう
あれが 何かを変えてしまった。
強い思念さえあれば時空がゆがむ、
そんな事態を招いているようだ。
肉体に痛みを感じなくなると――
要注意ということだな!
喪神もがみ梨央りお
え? どうしてですか?
痛みを感じなくなるって……
帆村ほむら魯公ろこう
心に悩みがあるときは、
肉体の痛みを感じなくなる――
リア王に出てくる台詞だよ。
喪神もがみ梨央りお
――それじゃ、
思い詰めたりすることだって、
危ないかもしれないんですね。
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、そういうことだな。
でも我ら機関員は心をきたえておる。
そうだろ、風魔。
喪神もがみ梨央りお
――さっきの溜池通ためいけどおりでは、
兄さんの位置が確認できなかった。
こんなに近いのに、変です。
さっきのは……
溜池通ためいけどおりなんでしょ?
――兄さんの心の中の……

帝都はまたひとつ、新たなるかいの扉を開く。思念の元へ、記憶の中へ、現世が繋がる――
世界のその全てを含むセヒラによって。

第五章 第十話 浜松牡丹江セヒラの奔流

はらえの・帝都〕

御厨みくりや車夫しゃふは辞世の句をんだ。
しかし作りそこねて戻りたがっている。それを知った和宮かずのみやの思念は、自らむ句を贈ろうとするもすべを知らない。そこで和宮かずのみやの思念から句を聞き出し、再び、浜松はままつ牡丹江ボタンコウへ向かうことになった。句を届ければ、和宮かずのみやの思念は満足して、御厨みくりや車夫しゃふのアストラルを解放するだろう。それでセヒラの奔流ほんりゅうむはずである。

【着信 喪神梨央】
増上寺ぞうじょうじでは、依然いぜん
強いセヒラを観測しています。
帆村ほむら魯公ろこう
御厨みくりや車夫しゃふのアストラルがいなくなれば
セヒラの凝集ぎょうしゅうも消えるはずだ。
これ以上、帝都にセヒラが流れると、
何が起きるやも知れん。
頼んだぞ、風魔ふうま

〔浜松牡丹江ボタンコウ・北〕

帝都満洲鉄道は、さしたる妨害もなく、浜松はままつ牡丹江ボタンコウへ到着した。帝都の喧騒けんそうとは異なり、静けさを保っている。

【バール】
御厨みくりやは句が不出来ふできで、
死に切れないってことなんだニャ!
和宮かずのみやからもらった句、
早く御厨みくりやに届けるニャ!
【バールの帽子背後】
奴は何だかんだ言って、
死ぬ気なんぞこれっぽっちも、
持ちあわせておらんじゃろ。
【バールの帽子】
句がダメだからなおしたい、
そういうことだゲロ!
単なるロマンチストなんだゲロ!
【バールの帽子背後】
なぁに、弱虫なんじゃよ!
【バール】
それにしても他の隊員たち、
比類舎ひるいしゃの連中はどうなったニャ?
【バールの帽子】
二人、旅館で死んだゲロ!
そのうち死ぬ間際の思念が、
ここいらに漂い現れるゲロよ。
【バール】
思念はここじゃすぐにアストラル!
それらがまたぞろ凝集ぎょうしゅうに加わると、
いよいよ面倒なことになるニャ!
風魔ふうま
御厨みくりやアストラルのところへ急ぐニャ!
【バールの帽子】
それにしても和宮かずのみや頑固がんこだゲロ!
御厨みくりやなんか放っておけばよいものを。
【バールの帽子背後】
あれはな、事態を憂慮ゆうりょして、
御厨みくりやを捕まえておったのだよ。
そして風魔を待っておったんじゃよ!
【バールの帽子】
和宮かずのみやに捕まってるうちに、
御厨みくりやはすっかり決起けっきが失せた……
そういうことゲロな!
【バールの帽子背後】
御厨みくりやが強がるのをやめれば、
アストラルの凝集ぎょうしゅうは消えるはずじゃ。
和宮かずのみやは全部お見通しなんじゃよ!
【バール】
さ、急ぐニャ!
比類舎ひるいしゃの連中がやって来たニャ!

比類舎ひるいしゃ幹部アストラル】
革命隊長が知らせてくれたが、
すでに二名の隊員が自死したという。
きっと強力な思念が生まれただろう。
さて、私はどうしたものか……
ここ帝都ホテルは居心地がいい。
ルームサービスで葡萄酒ワインを頼んだ。
この快適さは死しては得られない――
ああ、そう考えをめぐらすうちに、
私の思念は……薄くなる気が……

比類人ひるいじん編集アストラル】
御厨みくりや車夫しゃふ先生が移られた、
谷中やなかの下宿館、花館はなのやかたと言う。
――下宿にしては不思議な名称だ。
先生が滞在される武相屋ぶそうやの部屋も、
沈丁花じんちょうげ、花にちなむ名だ。
他の部屋は大山おおやま高雄たかおなどだが……
そういえば、
沈丁花じんちょうげの花言葉は……
――不死ではなかったか!!

比類舎ひるいしゃ革命隊Wアストラル】
結局、剃刀かみそりのどいた。
予想に反し、痛くはなかった……
むしろ体が軽くなり、浮かぶようだ。
私の体は武相屋ぶそうやの二階だ、
今頃、血の海に沈んでいるだろう。
今の私は死ぬ前の私――
しかしだ、死ぬ前で止まっている、
そういう訳じゃないようだ!
なんだ、こんなことだったのか!
思念として永遠の存在になれる!
――ただし、邪魔が入らねばの話だ。
お前は私にとり異物だ、除去する!!

《バトル》

比類舎ひるいしゃ革命隊Wアストラル】
去ってくれ、もういい!
わけがわからなくなってきた!!
こんな状態で永遠に存在するのが、
果たして幸福なのか……
もうわからない!!

比類舎ひるいしゃ革命隊Mアストラル】
茶碗ちゃわん一杯の昇汞水しょうこうすいを飲んだ!
体内に焼けた鉄を流されたようで、
苦しむ間もなく、私は飛んだ!
私は思念となった!
さぁ、どこに向かえばいいのだ?
セヒラをまとい、帝都に戻る、
それで革命が起きるのだろう?
それにしても,他の隊員はどこだ?
御厨みくりや先生はまだなのか――

比類舎ひるいしゃ主幹アストラル】
すでに隊員二人が自死して、
思念を飛ばしたという。
残るは隊員四人と御厨みくりや先生だ……
先生は、思念でしか行けぬ場所に、
多大なセヒラがあると仰る。
革命を起こすに十分な量だそうだ。

比類舎ひるいしゃ革命隊Sアストラル】
昇汞水しょうこうすいを入れた茶碗ちゃわんは、
ずっと目の前にある――
死を前にして、
私には思念の高ぶりが訪れない――
むしろ昔のことを思い出し、
その思い出にひたるようなていたらく。
――私は死ねないかも知れない……

〔浜松牡丹江ボタンコウ・西〕

比類舎ひるいしゃ革命隊Kアストラル】
自死すると思念を飛ばすと言う。
思念は中界のような場所を漂う。
それが革命の力になる――
だが自死では姉さんに会えない――
姉は日光にっこうのサナトリウムで死んだ。
私が人生において死を迎えるのは、
まだ随分と先のような気がする――
悩ましいな……
自死して革命をすか、
あの世で姉に会うか――
カルモチンにベロナールに、
ヂエアールもそろえたのだが……
あゝ、続く命のなんという長さよ!!

比類舎ひるいしゃ革命隊Hアストラル】
自死して生まれた思念は、
セヒラの運び役となり、
帝都に多大なセヒラをもたらす――
御厨みくりや先生の計画が成功すれば、
帝都は無秩序状態アナーキーに陥る!
我々が直接手をくださずとも、
国家は転覆てんぷくするだろう。
さぁ、決行の時だ!

比類舎ひるいしゃ革命隊Aアストラル】
カルモチンを飲んだが……
……まだ致死量には……
……なんだか……眠く……
なって……き……た……
眠っても思念は飛ぶはずだが……

比類舎ひるいしゃ革命隊長Gアストラル】
今、沈丁花ちんちょうげの間を見に行ったが、
御厨みくりや先生、うたた寝をしていた――
あれは死を決意した顔じゃない!
――一体、どういうことなんだ?

御厨車夫みくりやしゃふアストラル】
私は……辞世の句を損じた!
――そういうの、許せないんです。
だって、ずっと残りますよ!
【バール】
風魔ふうま和宮かずのみやから預かった句、
教えるニャよ!
言うニャ、言うニャ、今だニャ!
しまじな
君と民とのためならば
身は武蔵野むさしのつゆゆとも
御厨車夫みくりやしゃふアストラル】
ああ、思い付いた!
新しい句をだ!
しまじな 君と民とのためならば~
ああ、動けるぞ、動ける!
ようし、この句をしたために、
一旦、花館はなのやかたに戻るとする!

感嘆の声を残して、御厨みくりや車夫しゃふのアストラルは消えた――
それに続きアストラルの凝集ぎょうしゅうも、やがて消え始めた――

【バール】
消えたニャ、消えたニャ!
これで帝都へのセヒラの流れ、
収まるはずだニャ!

【バール帽子】
おい、風魔ふうまさんよ、
触らぬ神にたたりなしだゲロ!
そう思うゲロね!
【バール】
なんか出たニャ。
あれは、セヒラが知るもの
きっとその全てだニャ。
【バール帽子】
セヒラは全てを含むゲロ。
ある時代、ある場所に限らない――
全部といえば全部だゲロ。
【バール帽子背後】
おいおい、もしやそいつは……
宇宙ユニバースってのか? アンタ、
宇宙ユニバースと喧嘩でもする気かい?

【バール】
ここはどこだニャ……
赤坂にして赤坂にあらず――
【バール帽子】
ゲロゲロ、ここはおそらくだ、
誰かの記憶ではないか、ゲロゲロ。
記憶がこしらえた街だゲロ。
【バール帽子背後】
俺達が出てこられるってことは、
帝都じゃないな、そうだろ、
風魔ふうまさんよ。
もしや……
ここは、アンタの記憶かもな!
【???】
風魔……
そこにいるのね……
【バール】
ニャ、ニャんニャんだ、あの声は?
女の声だニャ……
知らない声だニャ!
【???】
風魔……
私のこと忘れたの? 淑子としこよ……
――そばに来て頂戴ちょうだい
【バール】
ニャンニャン、あの声は?
淑子としこって、誰ニャン?
いい人ニャんか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
繋がった!
兄さん、声は淑子としこ姉さんじゃない!!
まやかしよ、気をつけて!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
淑子としこさんはお前が中学五年生の時、
肺病で亡くなった……
事実から目をそむけるな、風魔!
【???】
私は……まだ最中さいちゅうなのよ、風魔……
――ずっと……最中なの……
迎えに来て、風魔……
【バール】
そっちは、危険だニャ!
行っちゃダメニャ!!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
風魔よ、惑わされるな!
お前は自分の記憶に取り込まれようと
しておる! 行くんじゃない、風魔!!
【バール】
こうなったら、ありったけの
アストラルを呼ぶニャン!
目には目をだニャン!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
風魔!
気を確かに持つんだ!
惑わされるんじゃないぞ!
【バール】
呼ぶニャン、呼ぶニャン、
アストラル、たくさん呼んで、
惑わしを吹き消すニャン!
【バール帽子】
そんなことしたら、
すこぶるゲロゲロだぞ!
どんな奴が現れるや知れん――
【バール帽子背後】
ものは試しだ、やってみるだよ。
――用意はいいな、ども!

権化ごんげのアストラル】
――痛いっと思った直後、
全身が硬直しました。
その時、私は飛んだのです――
帝大工科の研究工廠こうしょうで、
私は千ボルト、四十アンペアという、
高圧電流に感電してしまいました。
こうして漂ううちに、
いろんな人が集まってきました。
電気は人を寄せるのですね――

おれは電気総長だよ。
ただの電気ではないさ。
つまり、電気のすべての長、
長というのはかしらとよむ。
とりもなおさず
電気の大将ということだ。

皆さん、電気には可能性が一杯です。
将来は、電気で声や歌を届けたり、
電気で景色を送ることもできます。
また電気は絵や文を書くなんて芸当も
いとも簡単にやってのけるのです。
二十世紀は電気の時代なのです!

変わった名だね。君は何人なにじんかね?
フッ、まぁいい、どうせわかる。
それにしても酷い虫歯だ――
この鉗子かんしには電流が流れている。
まずは二百ボルトからだ。
失神したら起こしてあげるよ――

あああ、だめです、
邪悪な思念が混ざっています!
一度、解散しないといけません!
――貴方! 力を貸してください!!
私たちを離してください!

《バトル》

権化ごんげのアストラル】
やっと、離れました……
――私の体はどこでしょうか……
まだ見つかっていないようです。
【バール】
やったニャ!
アストラルが吸い込んだセヒラは、
方々に散ったニャ!
【バール帽子】
これでもう大丈夫だゲロ。

喪神もがみ梨央りお
兄さん!
――よかった……
――あれは確かに姉さんの声でした。
亡くなったの、私が十一歳の時。
兄さんは中学五年だった――
でも……どれもみんな、
兄さんの記憶からつむぎだされたもの。
だから、まやかしじゃないのね。
でも……
あのまま行ってたら、絶対戻れない。
――だから、よかった……
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
おい、風魔ふうま! 梨央りお
何を油売ってる?
早く戻ってこい!

セヒラの奔流ほんりゅうが現した記憶の世界。そこへやまいで亡くした姉の声がした――邪心は記憶のよみがえりさえも操るというのか。

第五章 第九話 和宮の句

浜松はままつ牡丹江ボタンコウにはアストラルが凝集ぎょうしゅうしていた。そのせいで、セヒラが帝都へと流れ出ていた。それが増上寺ぞうじょうじに怪異をもたらしていた。アストラルの凝集ぎょうしゅうの原因である、アナーキストの領袖りょうしゅう御厨みくりや車夫しゃふ――
そのアストラルは場を離れたがっていた。
しかし御厨みくりや車夫しゃふのアストラルを、とらえて離さない思念があるという。それはおそらく和宮かずのみやしたう思念である。

芝増上寺大門前しばぞうじょうじだいもんまえ

【着信 喪神もがみ梨央りお
兄さん、
御厨みくりや車夫しゃふのアストラルですが、
もしや宗旨替しゅうしがえでもしたんですか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
何かやり残した仕事があると言う。
だが、奴を離さない思念とは――
それは和宮かずのみやしたう思念なのか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
皇女和宮かずのみやしたう人は多いです。
その思念は相当な力のはず――
和宮かずのみやの思念を解き放てば、
御厨みくりや車夫しゃふも離れられるかも……
そうすると――
アストラルの凝集ぎょうしゅうも消えるはず。
兄さん、和宮かずのみやの思念と話せますか?
――増上寺ぞうじょうじ石灯籠いしどうろうです。

【相手にされない若旦那わかだんな
先代が亡くなって家業継いだけど、
大番頭おおばんとうも番頭も、丁稚でっちまで、
ちっとも言うことを聞かない――
ああ、むしゃくしゃする!
そんな時は和宮かずのみや様をもうでます。
何事も辛抱しんぼうが大事ですからね!

村八分むらはちぶの芸者】
あねさんたち、アタシのこと、
とことん無視するんです。
アタシの生まれがいいからって――
先だっての恐慌で没落したのに。
くやしい時は、和宮かずのみや様にご相談です。
気持ちがうんと晴れやかになります。

【品川の男性】
うちのさいがですよ、
ご先祖の墓参りに来たときのこと、
そのとき、見たんだそうで――
灯籠とうろうに火の玉が浮かぶのを。
そんな、この近代生活モダンライフの帝都に、
火の玉なんかあるもんですか!
そう言ってやりました。
さいはね、小日向こひなた切支丹坂きりしたんざかでも、
火の玉見たことがあるそうです。

【寺の庭師】
妙な噂が広がるといけないんでね、
和宮かずのみや霊廟れいびょうには近付けないように、
さくを張ったんです。
ちゃんと千代紙ちよがみふうをしてね。
いやぁ、あっしの趣味なんで、
京都の千代紙集めがね!
でもね、何者かがふうを破いた、
何者かが和宮かずのみや霊廟れいびょうの前に……
そんなこと、誰がするんでしょうか?

芝増上寺境内しばぞうじょうじけいだい

【寺の小僧】
参拝者の思念が集まり、
和宮かずのみやの思念として振舞っている、
そのことは疑いようがありません。
問題はそこに合わさっている、
もう一つの思念なのです。
和宮かずのみやの思念は何を語るか、
とても気になるのですが、
もう一つに打ち消されてしまい――
今は石灯籠いしどうろうに現れています。
あれは和宮かずのみやでしょうか、
それとももう一つの方でしょうか?

【寺男】
あのおかしな光、
今日もまた出てるんだ。
ふとね、光で思い出してね、
前の新聞、引っ張りだしたんだ。
そしたらあったよ、記事が!
市ヶ谷いちがやの病院で、
おかしな光が出たっていう記事。
そん時、現場にあんたがいたんだ。

【寺男】
陸軍特務から派遣された隊員、
それってあんたのことじゃないか?
あんた、和宮かずのみや灯籠とうろうに、
何か仕掛けたんだろ?
あんたが張本人じゃないのか?

《バトル》

【寺男】
さては小僧と一緒にたくらんでるな……
――そうに違いない、違いない、
あああ、俺は、何で気付かなかった!
【寺の小僧】
私はなんでもありませんよ――
どうやら今日は和宮かずのみやが出ている、
いや、参拝者の思念でしょうが……
邪魔がないのかもしれません。
さて、向かいましょうか。

増上寺霊廟ぞうじょうじれいびょう

【寺の小僧】
わかっていてもですよ――
和宮かずのみやの思念、本物のようにも、
思えてくるんです。
古今ここん東西とうざいの思念ということでは、
本物の和宮かずのみやであっても、
不思議はないのですが……
【カラス】
カァ~カァ~
――何、見テイル?
カラストテ、シャベルトキハ、
シャベルノデア~ル。
デテコイ、トクジロウ!

【バール】
ビョーンと出てくるバールだニャ!
この辺は、ことほかだニャ!
セヒラが濃い濃いニャ!
それがためか、和宮かずのみやの思念、
元気だニャ!
話しかけてみるニャ!

皇女こうじょ和宮かずのみやの思念】
こんにちは!
今日は何だか気分がいいわ!
沢山の人とお話しなくちゃ!
もしかして……
貴方があの人を遠ざけてくれたの?
――御厨みくりや車夫しゃふって言う人。
おかしな名前ね!
あの人、突然、ここにやってきて、
お参りの人に変な言葉を投げるのよ。
【寺の小僧】
――なるほど……
確かに和宮かずのみやですね。
今は不在ってわけですか、御厨みくりやは。
【バール】
帝都満洲で御厨みくりやアストラルは、
動けないと言ってたニャ!
きっとそれで手一杯なんだニャ!
和宮かずのみやに事情を聞いてみるかニャ!
今のうちニャよ。
【寺の小僧】
御厨みくりやがいないから、
和宮かずのみやが出られるわけですね。
その理屈、とくと理解しました。
【???】
――私を、呼ぶのか?
いいか、私を退しりぞけるのだ!
それで私は開放されるはずだ!

《バトル》

【???】
だめだ!
私はいまだ解放されない!
急ぎ、戻らねばならぬのに――
【バール】
御厨みくりや、また引っ込んだニャ!
今のうちに和宮かずのみやに話を聞くニャ!
皇女こうじょ和宮かずのみやの思念】
あの人、御厨みくりやっていう人、
句をんだのにちっとも良くないと、
なげいておいででしたわ。
私のんだ句を届けてくださる?
そうすれば、あの人は満足よ。
どう、いい考えでしょ!
私ね、人を喜ばせたいの。
困っている人を放っておけない――
さぁ、句をむわよ!
しまじな
君と民とのためならば
身は武蔵野むさしのつゆゆとも

その句は和宮かずのみやが江戸に下るに際して、孝明こうめい天皇にいとまを申し出た際にんだとされる。

【バール】
聞いたニャ、聞いたニャ、
今の句を御厨みくりやに届けるニャ!
それで奴は解放されるニャ!
【???】
ううう、戻らねば!
私は戻らねばならない。
辞世じせいの句を完成させねば!
【怪異の炎】
――帝都を解体せよ!
――国家を解体せよ!
【バール】
これじゃ堂々巡どうどうめぐりニャン!
早く、帝都満洲に行くニャン!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ
帆村ほむら魯公ろこう
ふむ……アストラルが、
多大なるセヒラを溜め、
それを思念の強い場所へ流すとは……
ある小説にこんな記述がある――
この息苦しい濛気もうきの中に、昔から
今まで至る場所で至る瞬間にされた
何かに一念に凝った人の姿が
数限りなく跡をとどめ、それが渦巻き
相寄り集まって、ぼうとした幽気とな
り、ほのかな陰惨な命に蘇って、
ぼんやりと立ち現われ、
ふらふらと彷徨ほうこうし始める――
喪神もがみ梨央りお
陰惨な命……
それがアストラルなのですね!
帆村ほむら魯公ろこう
そのアストラルが徒党ととうを組んで、
帝都へセヒラの奔流ほんりゅうをもたらした。
――うーむ、せないなぁ……
やはり生きた人間の、
余程よほどに強力な思念が作用して、
そのような事態を招いたのか……
喪神もがみ梨央りお
死ぬ間際には思念が強くなる、
ちまたではそう噂されています。
帆村ほむら魯公ろこう
しかし、浜松はままつ牡丹江ボタンコウの様子だと、
御厨みくりや車夫しゃふは死ぬつもりはない、
そうも受け取れたがな。
奴は辞世の句を作りそこねて、
急いで帰りたがっている。
和宮かずのみやはそれを知って――
自分のんだ句を届けようとして、
でもその術がなかったわけだ。
そういうことだな?
喪神もがみ梨央りお
兄さんが句を届けるのです。
そうすれば和宮かずのみや様は、
御厨みくりやを解放するはずです。
帆村ほむら魯公ろこう
よし、風魔ふうまよ、
もう一度、帝都満洲だ、
浜松はままつ牡丹江ボタンコウおもむくのだ。

第五章 第八話 アストラルの凝集

はらえの

増上寺ぞうじょうじに眠る皇女和宮かずのみや静寛院宮せいかんいんのみや。彼女をしたう参拝客の思念が一つの人格をす。そこへ過激思想の思念が合わさった――
参拝者のいくらかは、和宮かずのみやから言葉をさずかった、そう信じ込み、過激思想に染まるおそれも――
セヒラの流入阻止が火急の要であった。

帆村ほむら魯公ろこう
妙なこともあるものだ――
参拝客の残留思念が和宮かずのみやを生んだ、
どうもそうらしいな。
墓地や霊廟れいびょうにはセヒラがある、
そのつてでいくと、そこに残留思念が
加わり、さも人のように振る舞う。
いや、むしろ一等多い残留思念が、
あの場所にセヒラを招いたか――
そうも考えられるな。
それに帝都ではアナーキスト連中が、
何やら準備を始めておるようだ。
その影響も少なからずあるはずだ。
いずれにせよだ、あそこに流れ込む、
大量のセヒラを止めねばならん。
梨央りお、次の満鉄の駅はどこだ?
喪神もがみ梨央りお
しばあたりに照応するのは……
哈爾浜ハルピンの南西、つまり牡丹江ボタンコウです。
浜松牡丹江ボタンコウです!

赤坂哈爾浜ハルピンから浜松牡丹江ボタンコウに向かうべく、帝都満洲鉄道の列車に乗るも、一向に発車する気配がない――

【満鉄車掌】
前方に何やら大きなものが……
当列車の行く手をふさいでおります。
そのものを退しりぞけないかぎり、
列車はこれより進めません。
――まるで怒りのかたまりのような、
そのような様相を示しております。

時空じくう狭間はざま

比類舎ひるいしゃ幹部アストラル】
御厨みくりや先生の右腕として、
この十年、やってきた!
今、私は満ちている!
ここ新橋しんばしの帝都ホテルにて、
愈々いよいよ、無政府元年を迎えるのだ!
それにつけても、ああ、情けない!
比類舎ひるいしゃの新参どもは根性がない!
何故だ? なぜ新宿旭町あさひまちなのだ?
あんな木賃宿きちんやどの並ぶ見窄みすぼらしい街で、
破局革命の狼煙のろしを上げるなど、
私には信じがたいことだ!
もう逃げ隠れはせん!
私は奴ら腰抜けとは違うぞ。
フフフ、お前は特高か、憲兵か?
あるいは崩れ者か!
革命の邪魔はさせん!!

《バトル》

比類舎ひるいしゃ幹部アストラル】
う……
――革命、頓挫とんざか!
いや、まだある、手はあるぞ!
【満鉄車掌】
やりました!
障害が取り除かれました。
当列車、出発進行です。

〔浜松牡丹江ボタンコウ・北〕

帝都満洲鉄道の着いた先、浜松牡丹江ボタンコウ。街は廃墟のようなたたずまいを見せ、幾多いくたのアストラルたちがおぼろに浮かんでいた――

【バール】
うンニャ!
ここは帝都満洲の新しい街ニャ!
といってもちっとも
新しい感じがしないニャ……
――むしろ廃墟だニャ!
本物の牡丹江ボタンコウは、駅がこの七月開業、
街もまっさらぴんの新しい街だニャ!
去年末に図寧トネイ線が開業、
今年、牡丹江ボタンコウまで延伸えんしんになって、
八月に図佳トカ線 が予定されてるニャン!
満洲の地に鉄路は繋がるニャ!
【バールの帽子】
鉄道敷いて、言わば
陣取りみたいなもんだゲロよ!
陣地と陣地とがぶつかると、
たちまち戦争になるんだゲロ!
【バールの帽子背後】
土地にはそもそも限りがある。
誰か一人が欲張ると、
せっかくの調和が乱れてしまうのう。
【バール】
このへんは何もないから、
速いもん勝ちニャんか!
【バールの帽子】
本当に何もないのか?
地面掘ったらお宝ザクザク、
なんてことがあるかもゲロ!
【バールの帽子背後】
フォフォフォッ!
なかなか夢のある話じゃな!
まぁ土地はあるに越したことはない!
【バール】
結局、欲張りじいさんだニャ!
さて、風魔ふうま、セヒラの流れ込み、
断ち切りに行くニャ!

比類舎ひるいしゃ革命隊Mアストラル】
今、武相屋ぶそうや旅館の御岳おんたけの間にいる。
他の隊員はどうだろうか――
ついに決行の時が来た!
今、昇汞水しょうこうすい茶碗ちゃわんそそいだ。
こいつを一息に飲むことで、
思念を極大化できる――
すべては革命のためだ。
我が生命を新しい国体に捧げる!
――腐敗した世界ともお別れだ。

比類人ひるいじん編集アストラル】
御厨みくりや先生は下谷したや谷中やなかに越された。
今年、八度目だな、引っ越しは。
そして今日が革命実行の時――
いや、私は実力行使はしない、
新宿にいる六名の革命隊が決行する。
今日、帝都に何かが起きるぞ!!

比類舎ひるいしゃ革命隊Sアストラル】
死というのは昇華しょうかである。
死の直前に命は強い力を出すからだ。
その力を集めて、革命を起こす――
こう考えると戦場で死ぬなど、
犬死いぬじに以外の何者でもないと思える。
御厨みくりや先生の教えは素晴らしい!
この見窄みすぼらしいこの三畳さんじょうの宿から、
国家を転覆てんぷくさせるなんて、
ああ、胸が高鳴るではないか!
昇汞水しょうこうすい茶碗ちゃわんを前に座るだけで、
命の勢いの増すのがわかる。
その頂点を外すまい!

【寺の小僧アストラル】
おそらくどこかに身を潜めている……
稀代きだいのアナーキスト、御厨みくりや車夫しゃふ
身を潜め、思念を送っている。
和宮かずのみやしたう参拝者の思念は、
アナーキストどもの思念を、
引き寄せたに違いない――

まずはあつまった思念のかたまりを、
なんとか解体せねばならない。
御厨みくりや探しは、その後だ!

比類舎ひるいしゃ革命隊Wアストラル】
帝大の奴ら、今頃、眼を白黒させて、
泡吹いているだろう!
僕は出し抜いてやったんだ!
――破局革命、本日決行!
赤門出版会に貼紙はりがみをしてきたんだ!
僕が比類舎ひるいしゃ鞍替くらがえするとは、
奴らも想像だにしなかったろう。
どうせ奴らは財閥会社に就職する、
アナーキズムなんて茶番なんだよ!
父様、母様、僕は革命にじゅんじます。
峰子の輿入こしいれには立派な衣装を、
あつらえてやってください――
峰子は妹ながら立派な女だ。
新生なった国体で活躍するだろう。
さぁ、そろそろ決行の時だ――

比類舎ひるいしゃ革命隊Kアストラル】
死んで思念を残す――
最初、意味がわからなかった。
――それは霊魂のことですか?
御厨みくりや先生に何度も食い下がったよ。
先生は帝都の下層には思念の流通する
世界が広がっているとおっしゃる……
人は生まれた時と死ぬときに、
その思念を極大化するという。
いよいよ、革命特攻の時だ。
死して我が思念により、
世紀の革命をすのだ!!

〔浜松牡丹江ボタンコウ・西〕

増上寺ぞうじょうじの大門に相応する場所に、はたしてアストラルが凝集ぎょうしゅうしていた。まるで巨大な壁のようである。

比類舎ひるいしゃ主幹アストラル】
ん? この気配は……
またアンタか!
――もう戦うつもりはない。
我々は新宿旭町あさひまち武相ぶそう屋旅館につどう。
ここが破局革命の拠点なのだよ。
六名の革命隊員ははらを決めたはずだ!
隊員たちはこれより昇華しょうかする!
強い思念でセヒラの流れを作るのだ。
そうだよ、セヒラだ――
私たちが何も知らないとでも?
人をして怪人化させる霊的な力を、
革命に使おうと言うのだよ!

【寺男のアストラル】
あの小僧……
どうも普通じゃないな。
奴はいつからここにいる?
ここにつかえて長いが、
あんな小僧は見たことがない――
奴は見てくれは小僧なんだが、
その実、違うのではないか?
――何よりやけに訳知わけしりだ!

比類舎ひるいしゃ革命隊員Aアストラル】
カルモチンをびん半分飲んだ……
ああ、意識が……遠のく……
反面、思念はまされる!!
――けれども……
ほんとうにこれで良かったのか?
肉体を捨てて思念を残す選択が……

比類舎ひるいしゃ革命隊員Hアストラル】
悪しき心を狙う力、それがセヒラだ。
それくらい、我々も知っている。
そのセヒラを革命に使うのだ!
御厨みくりや先生の着眼点は素晴らしい!
私もここに死して、強い思念を送り、
セヒラの流れに加わろうと思う!

比類舎ひるいしゃ革命隊長Gアストラル】
ここ新宿旭町あさひまち武相屋ぶそうや旅館は、
アナーキズムの聖地となるだろう。
明日には六名の革命隊員の遺骸なきがらが……
御厨みくりや車夫しゃふ先生は何でもご存知ぞんじだ!
思念とセヒラをもちいて、
国家こっか転覆てんぷくを実現するとは!
この決死革命を決行することで、
帝都にセヒラの奔流ほんりゅうがもたらされ、
薄皮のような秩序は消滅する!
それにしても……
武相屋ぶそうや沈丁花ちんちょうげの間においでの、
御厨みくりや車夫しゃふ先生はどんなご様子だ?
先生は最後に自死すると――
迷いがしょうじてはいけない!
お前だ、お前の存在が迷いを生むぞ!

《バトル》

比類舎ひるいしゃ革命隊長Gアストラル】
車夫しゃふ先生!
この者が、先生の邪魔立てを……
私にはふせげませんでした!

革命隊のおさ退しりぞけても、なお、アストラルは凝集ぎょうしゅうを続けている。その中に御厨みくりや車夫しゃふのアストラルがいるようだ。

御厨車夫みくりやしゃふアストラル】
あなたは……特高ではありませんね。
私は一旦戻らねばなりません!
けれど、ここを動けないのです!
私を解放してください!
すればここを開きます――
やり残した仕事があるのです!!

そう言うや御厨みくりや車夫しゃふのアストラルは、
凝集ぎょうしゅうするアストラルの中にもれてしまった。

【バール】
思うにだニャ、風魔ふうま
御厨みくりや車夫しゃふは死ぬのをやめたい、
そうなんじゃニャいかニャ!
おそらくだニャ、
和宮かずのみや思慕しぼする大きな思念が、
御厨みくりやの思念を放さないんだニャ!
一度、帝都に戻り、
向こうの様子をさぐることニャ!

第五章 第七話 増上寺の怪異

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
昨日、第八分課に通報があってな。
しば増上寺ぞうじょうしに怪異があると――
前に好事家こうずか宮武みやたけ國風こくふうが興味をいだいた
古書を預かりに訪問しただろう。
あの増上寺ぞうじょうじだよ。
この怪異とやらは、
まだ新聞ネタにはねっておらんが、
噂を聞きつけ人が集まっておる――
喪神もがみ梨央りお
隊長、兄さん、そういえば、
四探にわずかにセヒラ反応が――
ちょうど増上寺ぞうじょうじのあたりです……
帆村ほむら魯公ろこう
増上寺ぞうじょうじといえば徳川の菩提寺ぼだいじ
代々将軍の霊廟れいびょうがある――
参拝客もよく知っておることだろう。
それだけに思念の残留も多い。
何かがいずる可能性もあるだろう。
参道の客に話を聞くんだ。
梨央りお、公務電車の準備はいいか?
喪神もがみ梨央りお
はい、今の時間は三番の軌道で、
赤羽橋あかばねばし増上寺ぞうじょうじの最寄りです。
少し、歩きますが……
帆村ほむら魯公ろこう
まぁよい、いきなり大門に
公務電車を乗り付けるより、
目立たなくて済むからな!

芝増上寺大門前しばぞうじょうじだいもんまえ

公務電車は、山王さんのう下から溜池ためいけとらもんを経由、左手に愛宕山あたごやまを見ながら赤羽橋あかばねばしへ着いた。風魔ふうましば公園を抜けて増上寺ぞうじょうじへ。参道には怪異の噂を聞きつけてか、普段より人出が多かった――

婿入むこいりの酒造会社社長】
私はね、婿むこ入りの身なんでね、
よめの一族には頭が上がらんですわ。
だからね、月に一遍いっぺんはこうしてね、
和宮かずのみや様の墓所にお参りを――
皇女和宮かずのみや様、静寛院宮せいかんいんのみや様ですよ。
徳川とくがわ家茂いえもち降嫁こうかした皇女様です。
天皇家から将軍家へとついで、
慣れない御殿ごてん暮らしに戸惑いながら、
正室としてつとめを果たされた。
二十歳そこそこで立派なもんです。
そんな皇女様にあやかろうとね、
お参りするんですよ。
和宮かずのみや様の墓塔の前に立つとね、
なんだか力がもらえそうで。

しゅうとめと打解けない旧家の嫁】
私の身の上、和宮かずのみや様に重ね合わせ、
なんとか辛抱しんぼうする毎日です。
嫁入よめいりした家に馴染なじめない……
旧家だから大変よと母は申しました。
でも誠意を込めてやっていればと、
自らに言い聞かせるのですが……
徳川家にお下りになった和宮かずのみや様、
きっと同じ思いでいらしたんだわ!
今日もお参りをいたしました。

高輪たかなわの老婦人】
今、お墓参りのとき、噂を耳に……
――ええ、なんでもおかしな光が……
高輪たかなわの若奥様】
斜向はすむかいの辛坊も言ってました!
石灯籠いしどうろうが昼でも光るんだって!
高輪たかなわの老婦人】
まぁ、辛坊って、あの金物屋の?
あの子は法螺吹ほらふきで有名よ。
さぁ、帰って水羊羹みずようかんでも頂きましょ!

【寺の庭師】
旦那が調べられるんですかい?
怪しい光ってのはね、
和宮かずのみやの墓塔前にあった石灯籠いしどうろうです。
今、植木の入れ替えでね、
霊廟れいびょうの門前に移してあるんです。
その石灯籠いしどうろうがね、
何やら光るとか光らないとか、
いろいろ忙しいわけで!

芝増上寺境内しばぞうじょうじけいだい

【寺の小僧】
確かに怪異は現れています。
静寛院宮せいかんいんのみやの墓塔前にあった灯籠とうろうです。
そこに怪しい光が宿やどるのです。
二年前、興亜こうあ日報の特集があって、
和宮かずのみや内親王の生涯しょうがいを取り上げました。
将軍家に下った皇女様ですよ――
周りに理解者のいない中で、
将軍の正室として気丈きじょうに振る舞い、
大義を果たした女性としてね。
落ちて行く 身を知りながら紅葉もみじばの
人なつかしく こがれこそすれ
――降嫁こうかの際にまれた一句です。
記事以来、墓参者が増えたのです。
全国から人間関係で悩む人が、
和宮かずのみやにあやかろうと訪れるのです。

【寺男】
静寛院宮せいかんいんのみや、つまり和宮かずのみやの墓塔だけ、
家茂いえもち公の隣に建つんです。
代々将軍の正室、側室は、
皆、合祀ごうしされているというのに。
元皇族、それだけではないような――
そんなお墓なので、お参りの方も、
思いは一入ひとしおではないかと――
けどね……
あんまり思いが強いっていうと、
怪人になっちまうって、
新聞で勉強しました!

義文律師ぎもんりっし
拙僧せっそう、ここにお勤めして十年、
このような怪異は初めてです。
怪光の現れた石灯籠いしどうろうは、
静寛院せいかんいんの墓塔前にあったものです。
植木の入れ替えで動かして……
それがいけなかったのでしょうか?

良生律師りょうじょうりっし
思うところあって、朝の速い時間、
静寛院せいかんいん灯籠とうろう前に立つんです。
――するとですね……
ふーっと何やら現れて、
胸の中に、こう、入ってくる……
瞬間、体が軽くなるんです。
まるで体の重さを感じなくなり、
ふと見ると、足が地面から浮いて、
風でも吹こうものなら、スーッとね、
右へ左へと流されてしまいそうに……
その時です、頭の中に声がする。
最初、皆目かいもくです、わかりません。
そのうち、声の主は静寛院せいかんいん、いや、
まだ降嫁こうか前の和宮かずのみや様とわかる――
なぜだか、わかるんです……
まだ京都においでで、
有栖川ありすがわ熾仁たるひと親王が許婚者いいなずけだった頃の、
第八皇女、和宮内親王かずのみやないしんのうです。
和宮かずのみや様は京都叡山えいざんの桜の上る様を
こよみの代わりに見立てられたり、
山端やまばなの新緑をでられたりします。
それが最近、様子が変なのです。
まるで不協和音のようにして、
和宮かずのみや様らしくない言葉が――
日々うるさくなっていく言葉は――
破局革命! 実行の時!
アナーキズムの新展開!
お前達があらぬことをするので、
和宮かずのみや様を差し置き、かようなことに!
――そうでは、ないのか!

良生律師りょうじょうりっし
アハハハハ!
御厨みくりや車夫しゃふ先生のご決断!
今ぞ、訪れぬ!!
腐敗しきった国体を解体し、
我が比類舎ひるいしゃを中核として、
新大国家を樹立するのだ!

《バトル》

良生律師りょうじょうりっし
やはり……お前らか……
あらぬ言葉を……呼び寄せるのは!
御厨みくりや車夫しゃふとは、何者か?
……雑音を……消してくれ……
それにつけても……和宮かずのみや様は……
近代的モダンなお方でいらっしゃる!
……もっと、おしたいしたい!
【寺の小僧】
皇女和宮かずのみやは、おそらく参拝者の思念、
幾多いくたの思いが一塊ひとかたまりになったものかと。
それゆえに近代的なのでしょう。
しかし、せないのはもう片方です、
あれは何なのでしょうか?
どうぞ、じかにお確かめください。
怪異の灯籠とうろうへ、ご案内します。

増上寺霊廟ぞうじょうじれいびょう

【寺の小僧】
見えていますね……
参拝者の思念が集まり、和宮かずのみやとなり、
さらに、何か別の念がおよんでいます。
念が念を呼ぶような、
そんな現象が起きているようです。
――実に不可思議ふかしぎですね……

【カラス】
カア!
カァカァカうつせみの……カァカァカァカァからおりごろも
カァカァカなにかせん――

【黒猫】
ウニャニャニャあやもきぬも
ニャニャニャニャニャきみありて
ニャンこそ
【バール】
やっとたどり着いた!
風魔ふうま、我輩だ、バールだニャ!
この辺り、ものすごいセヒラだニャ!
まるで帝都満洲みたいだニャ!
我輩がこんな風に風魔としゃべれるのは、
きっとそのせいだニャ!
一体、どこからいてくるニャ?
このセヒラの流入を止めないと、
帝都はおかしなことになるニャ!
我輩らには天国だけどニャ、
人間には辛いことだニャ!
まずはあの光だか炎だか、
あいつをなんとかするニャ!

【怪異の炎】
……こ……ん……に……ち……は!
――今は、うまく話せないの……
先程、良生律師りょうじょうりっしの仰るように……
何者かが、私を邪魔するのです……

【怪異の炎】
それは日増しに強まっています……
私を通して、あらぬ言葉を、
参拝者に投げかけるのです――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇しています!
【怪異の炎】
参拝者のうち、ある者は驚き、
またある者はその言葉を受け入れ……
受け入れた者は様子が変わります!
ああ、またです……
今日、もう十八回目です、
助けて……ください……
……
――いよいよだ、破局革命の時!
――比類舎ひるいしゃの総力を結集だ!
――まずは帝都を滅ぼす!
――我々は畏怖いふすべき力を備えた!

《バトル》

【怪異の炎】
――帝都を解体せよ!
――国家を解体せよ!
――腐敗の温床おんしょうを取り除け!
……助けて……ください……
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都満洲から強力なセヒラが、
その場所に届いておるようだ!
波形が!
見たこともない波形が現れました!
――物凄い流れです!

【寺の小僧】
消えたと思ったあの炎、
また蘇りました――
【バール】
風魔ふうま
我輩はよく考えたニャ!
――つまりあのアストラルは……
繰り返し何度も現れるニャ!
というのも残留思念とは違い、
生きた思念として意志を持つニャ!
帝都の何処どこかにいる人間が、
強い意志とセヒラと絡めて、
ああして帝都に湧出ゆうしゅつさせているニャ!
その大元、おそらく帝都満洲ニャ!
誰かの意志が帝都満洲を経由して、
また帝都に現れているニャ!

【怪異の炎】
……
――いよいよだ、破局革命の時!
――比類舎ひるいしゃの総力を結集だ!
――まずは帝都を滅ぼす!
――我々は畏怖いふすべき力を備えた!

《バトル》

【怪異の炎】
――帝都を解体せよ!
――国家を解体せよ!

【寺の小僧】
同じことの繰り返しですね。
あの声の出処でどころは……
――私には見当も付きません!
【怪異の炎】
……助けて……ください……
【バール】
風魔ふうま、ここは切り上げるニャ!
元をつことニャ!
帝都満洲におもむき、
セヒラの流入を断ち切るニャ!
それしか救うすべはないニャ!

第三章 第九話 上野黒河の凍土

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

心中が続く昨今さっこんではあるが、上野うえのの件は、裏に新宗教の存在があった。
戸山とやまの病院に現れたアストラル。
それは自死した信者の死ぬ間際の思念だった。それが語った金神こんじんとは何を表すのか――
山王さんのう機関では探信たんしんきわめ、上野うえのに照応する地に帝都満洲の街があると、そう確信するに至ったのだ。

喪神もがみ梨央りお
依然いぜん上野うえの界隈かいわいのセヒラ、
高い値を観測しています。
しかし怪人情報は、
一件も寄せられていません。
高い値のセヒラの原因、
やはり帝都満洲にあるようです――
帆村ほむら魯公ろこう
このままでは、上野うえので怪人騒動、
勃発ぼっぱつする恐れもあるな。
早く手を打ちたいのだ。
喪神もがみ梨央りお
ゼットー博士が言ってた金神こんじん
その出処でどころはどこなんでしょうか?
帆村ほむら魯公ろこう
帝都か帝都満洲か……
まずは帝都満洲を調べてみよう。
上野うえののセヒラの件もあるからな!
新宗教の方は、特高も動くそうだ。
内乱予備罪も視野に入れてのことだ。
帆村ほむら虹人こうじん
これは宗教弾圧の再来ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
度合いによりけりだな。
宗教の名を借りた教唆きょうさ集団であれば、
これは取り締まりの対象になる。
帆村ほむら虹人こうじん
狂信者逮捕が新聞ネタになり、
また帝都のどこかで模倣者もほうしゃが現れ……
――いたちごっこですね。
喪神もがみ梨央りお
それに山王さんのう機関が巻き込まれると、
大変です。てんてこ舞いです。
やはり元を断たないと――
私、新山にいやまさんにゲートの様子、
聞いてきますね。
帆村ほむら虹人こうじん
それにしても、金神こんじんとはな。
迷信は愚者ぐしゃの宗教とも言うが、
相当な強敵に違いないぞ。
僕は上野うえの界隈かいわい
怪人出現の万が一に備えるよ。
帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじんの奴、うまく役割分担を――
帝都に怪人がくと、
帝都満洲に影響が及ぶ恐れもある。
帝都の治安維持、
ひとまず虹人にまかせ、
風魔ふうま、お前は帝都満洲だ。
新山にいやままこと
ゲートのセヒラ、今は安定しています。
長く安定できるよう、
ゲートに少し手を加えました。
上野うえのの位置、帝都満洲に照合すると、
どの街になるのでしょうか……
分かりますか?
喪神もがみ梨央りお
さっきから満鉄路線図を見るんですが
――たぶん、黒河コクガです……
だから、兄さんが行くのは上野うえの黒河コクガ
帆村ほむら魯公ろこう
上野うえの黒河コクガか……
黒河コクガ……満洲だと露西亜ロシアの国境の街。
アムール川の河畔かはんに広がる街だぞ。

〔上野黒河コクガ・南〕

赤坂哈爾浜ハルピンから北東へ。
帝都満洲鉄道は喪神もがみ風魔ふうまを乗せ上野うえの黒河コクガへと疾走しっそうした――

【バール】
やっと来たか、風魔。
待ちくたびれたにゃ。
ここ黒河コクガは旧称を璦琿アイグンといってにゃ、
満洲語で恐ろしいの意味にゃ!
実際、黒河コクガは今、
恐ろしい事態におちいってるにゃよ!
あちこちこおってカチコチにゃ!
【バール帽子】
何やら怪しい一派の思念が、
ここでアストラルとなってるゲロ!
怪しすぎるゲロ、ゲロゲロだゲロ!
【バール帽子背後】
寺の坊主の階級名と、
キリスト教の殉教者じゅんきょうしゃ名を名乗る、
おかしな連中じゃよ!
【バール】
これは帝都で流行はやりの、
新宗教ってやつなのかにゃ?
気色悪いにゃ!

【聖権正階ごんせいかいダダイ】
教示をもらったんだ。
黒化ニグレドのためにはさつすれと。
それで賢者ノ石になれるんだと。
不要なものをさつすれ!
みずからをさつすれ!
やがてよみがえりが訪れ、賢者ノ石になる。
だから俺はそうしたよ。
なぜ、よみがえらないんだ?
もう終末なんじゃないのか?
おかしいだろ!
俺たちを殉教者じゅんきょうしゃにして、だましたか?
ああ、お前もグルなんだな!

《バトル》

【聖権正階ごんせいかいダダイ】
権正階ごんせいかいなんてくらい、欲しくもない!
――俺の命を……返せ……
【着信 喪神もがみ梨央りお
……八号帥士はちごうすいし……
き……ますか?
無線、回復しました!

〔上野黒河コクガ・東〕

【聖正階せいかいトマス】
賢者ノ石というラヂオ番組を
初めて聴いたのは一週間前だ。
僕はすぐにとりこになったんだ。
僕達はみんな賢者ノ石になれる……
錬金術れんきんじゅつ理論ロジックだから、確かだよ。
賢者ノ石になるためには、
まず黒化ニグレドしなければいけない。
余計なものを捨てる、つまりさつする。
やがて自分が余計な存在とわかる。
【聖明階めいかいペテロ】
そうさ、自分こそ余計な存在だ。
だからな、自分をさつしたのさ!
これで次へ進めるんだろ?
でもなんか、時間がかかってる。
終末が来るとよみがえるって……
そう信じているのに!
まだ終末は訪れちゃいない、
きっとそうだよな?
終末が来れば、よみがえるはずだよな!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
錬金術れんきんじゅつなぞらえて、よみがえりをそそのかす、
そういうことなんだな?
【着信 新山眞にいやままこと
賢者ノ石というラヂオ番組です。
毎朝八時から放送しています。
その番組で呼びかけているようです。
暗殺や心中が相次あいつぐご時世じせいです。
終末思想はあっという間に広まる――
それを利用し、教唆きょうさしているのです。
自殺の瞬間に生まれる思念は、
強い力を持つとされます。
どこかで思念を集めているようです。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
その思念とやらのおかげで、
帝都満洲も広がるのだな……
風魔ふうま、あ、いや、黒ノ八号帥士くろのはちごうすしし
もう少し、巡視パトロールを続けてくれ。

直階ちょっかい信者のアストラル】
もう三時間、こうしてる。
脱血缶だっけつかん一杯に血が溜まったよ。
寒い……とてつもなく寒い……
脱血だっけつすると、こんなに寒いのか……
ん? 誰かいるのか、この部屋に?
何だ、お前は……
そうだよ、俺は自分をさつするんだ。
血を抜いて死ぬところだ。
それとも、俺を呼びに来たのか?
じゃ、そっち行ってやる!!

《バトル》

権正階ごんせいかい信者のアストラル】
あいつらの言うこと聞いたら、
くそっ! 
ろくな事にならねぇ……
錬金術れんきんじゅつなんてインチキだ、
僕も最初はそう思っていた。
でも、毎朝ラヂオ聴くうちに、
次第しだいに信じ始めたんだよ――
終末によみがえらなければならないって。
――正しい黒化ニグレドのためには、
余計な考えはさつしましょう――
だから僕はさつしたよ。
親兄弟のこともさつした。
学校の恩師おんしさつした。
――最後にあなた自身をさつして、
黒化ニグレドの段階は終了です――
だとさ! だから、今こうして……
ベルナールじょうをたくさん飲んだ――
なのに死ねない!
何故なぜだ! お前が邪魔するからか!

《バトル》

権正階ごんせいかい信者のアストラル】
あれ? どこだここは?
本郷ほんごうの下宿じゃないのか?
――それに、すごく、寒い……
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
聞こえますか?
状況が変わりました!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
今すぐ、帰還するんだ!
ゲートが不安定になっている、
長居すると戻れなくなるぞ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
上野うえの黒河コクガ次第しだいに薄くなっています、
波形がすべて……
今にも消えそうです!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
まだなんとか間に合うぞ、
今のうちだ、戻ってこい、風魔ふうま
【着信 喪神もがみ梨央りお
……
波形が……みだれて……
はや……して……
……もど……く……さい……

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
間に合いましたね、兄さん!
今、新山にいやまさんがゲートを調べています。
帆村ほむら魯公ろこう
僧侶のくらいを名乗るアストラル、
キリスト者の名を付ける者もいて、
妙な信仰が広まっておるな!
皆、生きていた時の思念か、
今も生きておる者の思念だ……
一様いちように洗脳が深いな!
喪神もがみ梨央りお
新宗教では、
信者に自殺をそそのかすのですか?
帆村ほむら魯公ろこう
自分をさっする――
言葉尻からそう受け止められるな。
ラヂオで喧伝けんでんしていたと言うぞ。
喪神もがみ梨央りお
そのようです。
ラヂオ聴いて自殺したくなった――
よみがえるために死が必要だと思い込む……
そうだとすると、次から次へ、
同じ番組聴く人に自殺者が出ます。
その度に、アストラルが生まれ……
帆村ほむら魯公ろこう
――おぼろな命としてよみがえる――
アストラルがセヒラを媒介ばいかいし、
帝都に思念を還流かんりゅうさせるおそれも……
そう懸念けねんしておるのだろう。
セヒラの大循環だいじゅんかん生じしょうれば、
もう打つ手は無くなる。
喪神もがみ梨央りお
そう思います……
帆村ほむら魯公ろこう
帝都の陋巷ろうこうに身を沈める者には、
いたずらに死を夢想するような、
元来、そういった弊風へいふうがあるものだ。

第一章 第十三話 帝都満洲青山

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルの巨大アストラルを封じ、帝都の状態はやや安定したようである。

帆村ほむら魯公ろこう
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルのアストラルは、
まるでセヒラのかたまりのようであった。
あれは、スタヴローギンだよ。
ドストエフスキーの悪霊、
その主人公だ。無神論者の悪人だ。
喪神もがみ梨央りお
私、読んだ事ないんですが……
小説の登場人物なんかが、
アストラルになるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
いや、読者、それも実に多くの読者、
その思念が折り重なって生まれた。
そう考えるほかないな。
それで、梨央りお
青山あおやまあたりのセヒラが増加中だな。
もう一度、降りてみるか、風魔ふうま
喪神もがみ梨央りお
ここに満鉄の路線図があります。
赤坂あかさかから青山あおやま方面……
満鉄に合わせてみると……新京シンキョウです。
帆村ほむら魯公ろこう
そうか、ならば、
次の行き先は、青山新京あおやまシンキョウだ。
路線が伸びるというのか……
どういうカラクリなのか、
解明せねばな!
風魔ふうま、準備はいいか。
今回も頼んだぞ。
喪神もがみ梨央りお
兄さん、油断禁物ですよ。
何が待ち構えるか、わかりません。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ、梨央りおの言うとおりだ。
無理だけはするな、風魔ふうまよ。
依然いぜん未知の世界なのだ。

〔赤坂哈爾浜ハルピン・南東〕

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
無事に降りて行けましたか?
まずは、赤坂哈爾浜ハルピン駅へと
向かってください。
西側、青山あおやま方面への探索が、
今回の任務です。

【バール】
喪神もがみ風魔ふうま
異界もだいぶ慣れたようだにゃ。
もしかして、この先西の方に
もっともっと進みたいのかにゃ?
【バールの帽子】
この世界を歩いて遠くに行くなんて
ゲロゲロだぜゲロ~!
【バールの帽子背後】
まずは赤坂哈爾浜ハルピン駅の車掌に
鉄道の状況を尋ねてみるのじゃな。

〔赤坂哈爾浜ハルピン・南〕

【金満家アストラル】
もうかれこれ六年か……
あの大恐慌で全財産を失い、
私は自失した――
現世では、何をしているかって?
お人好しの慈善事業家だろうか。
けどね、私の芯はこっちにあるんだ!

【高等遊民アストラル】
いよいよだ、大いなる還流かんりゅうの時。
アラヤ湧穴ゆうけつが現れたんだ。
計り知れぬ力の奔流ほんりゅうだ!
僕はあふれ出る力を浴びて、
もっと輝くんだ!
君のようなきたない人間は失せろ!!

《バトル》

【高等遊民アストラル】
フフフ……
アラヤ湧穴ゆうけつはいくつもあるはずだ。
輝く僕が待っている!!

〔赤坂哈爾浜ハルピン・東〕

【白系ロシア人アストラル】
モスクワから満洲里マンチュリまで、
二週間もかかったな。
なにせ貨物列車だ――
ロマノフの金塊、四百トン――
といっても小分けした金貨だけどね。

【プロレタリアートアストラルK】
僕はここにただよって長いです――
大学で露西亜ロシア文学を研究して、
社会主義に目覚めました。
でも僕の実体は銀行の融資係ゆうしがかり
資本家の手先として、
借金地獄の扉を開くのです!

【満鉄車掌】
おお、あなたでしたか。
少し、困ったことになりました。
社会主義を標榜ひょうぼうする連中が、
ここに多くの思念を招きました。
プロレタリアートの連中ですよ!
連中のせいで、得体えたいのしれない
バケモノまで居着いてしまいました。

【満鉄機関士】
次なるは西へと進んだ先……
青山新京あおやまシンキョウが待ってるのに。

〔赤坂哈爾浜ハルピン・北〕

【満鉄車掌】
忌々いまいましいプロレタリアートめ!
ここに余計な社会思想イデオロギーを、
持ち込まないでもらいたいですね。
僕たちは搾取さくしゅなんてされていません。
ここでは自由なんです――
連中は現世で思うに任せないのか、
ここ帝都満洲ていとまんしゅうで勢いづこうとします。
その影響が方々ほうぼうに及びそうです――
自分たちの運動に、
この世界を利用しないで欲しいです。
ほんとうに、そう思います。

【満鉄機関士】
奴ら、力づくの構えだ。
あんた、どうする?
俺は争いごとは苦手だ、
ただ汽車を走らせたいだけなんだ。
やつら、こうして働くことすら、
罪悪だと言い張っている。
俺は使われてる労働者じゃない、
自分で好きでやってることなのに!

【プロレタリアートアストラルF】
資本家の強欲ごうよくぶりは
破廉恥ハレンチきわまりない!
奴らをのさばらせてはならない!
資本家が豊かになると国が栄える、
それは詭弁きべんに他ならない!
弱者を増やすだけだ! 許せない!!

《バトル》

【満鉄車掌】
やっつけた?
そうなんですね!
それはスパシーバ!
スパシーバ ザ フショー
というやつです!

【満鉄機関士】
あいつをやっつけてくれたのか。
これでまた汽車を
走らせることができる。

〔赤坂哈爾浜ハルピン駅〕

【満鉄車掌】
ひとまずこの界隈かいわいは大丈夫です。
――しかし、どうしてあそこまで、
執着するのでしょうか?
まぁ、私たちも好きでやってて、
これも一種の執着なんですがね。
【満鉄機関士】
さ、出発だ!
だんだん、本当に汽車を走らせて
いるような気になってきたよ!

〔青山新京シンキョウ・南〕

【着信 喪神もがみ梨央りお
青山新京あおやまシンキョウの到達、確認しました。
目的は達成しました。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、帰還してください。

【バール】
面倒くさいアストラルを倒したぞ。
良くやったにゃ。
でも、そのくらいでないと
この先へは到底とうてい向かえないにゃ。
ここは新しい街、青山あおやま新京シンキョウだにゃ。
帝都の青山あおやまに照応する街にゃ。
そこに満洲まんしゅうがやって来たにゃ!
青山あおやま新京シンキョウが合わさってるにゃ!
ということは墓地もあるにゃん?
ちょっとだけ行ってみるといいにゃ。
だけど、離れて見るだけにゃ。
近くで覗いちゃ危にゃいの。

〔青山新京シンキョウ・北東〕

そこには不気味な大穴が口を開けていた。大穴の周囲に、アストラルたちが浮遊する。

【アナーキストアストラルY】
出現したアラヤ湧穴ゆうけつはまだ一つ。
おそらくほかにもあるはず。
全てが出現すれば、カオス到来とうらいだ。

【アナーキストアストラルA】
秩序なんて薄い玻璃はりの容れ物だ。
少しの熱湯で砕けてしまう――
ああ、その予感がしてならない!

【アナーキストアストラルH】
近くに感じるよ……
御厨車夫みくりやしゃふという人物の思念だ。
無政府主義アナーキズムの組織、比類舎ひるいしゃの代表だ。
御厨みくりやはこの帝都満洲ていとまんしゅうを利用して、
国家転覆てんぷくを計画しているようだ。
もっとも僕は部外者なんだけどね!
【バール】
うにゃ~! あの穴を覗きこむにゃ。
あれはアラヤ界へとつながる
奈落ならくの大穴にゃ。
あの大穴をしてアラヤ湧穴ゆうけつ
呼んでいるようだにゃ!
あそこからセヒラがくんだにゃ!
さあ、帝都満洲ていとまんしゅう鉄道はまだまだ
満足に進むことが出来ないんだにゃ!
おまけに霧も深くなってきて、
行く手をはばんでいるにゃ。
濃い霧はこの世界では、
悪いことの予感だにゃ!

御厨車夫みくりやしゃふアストラル】
あなたは……警察ですか?
違いますよね、ならば同志ですか?
――私こそが革命をすのです。
プロレタリアートの連中は、
手段を知らなさすぎます――
私は求めてここに導かれました。
ここはアラヤ界からき出す
セヒラの泉です! 美しい力です。
この力は国家転覆てんぷくにうってつけです。
強いセヒラによって、
帝都は混乱のきわみをむかえるでしょう。
あなたも死して力となってください!!

《バトル》

御厨車夫みくりやしゃふアストラル】
この場に私がとどまれないのは、
なんというか残念至極しごくです。
でも、また新たな計略を立てますよ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
大型アストラルの存在が消えました。
依然いぜん、セヒラの揺らぎがあります。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
これ以上の滞在は危険です。
速やかに帰還してください!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
ご苦労だったぞ、風魔ふうま
なんだか面倒くさい連中だったな。
比類舎ひるいしゃとはな……
アナーキズムを推す出版社だ。
発起人ほっきにん御厨みくりや車夫しゃふという元華族だ。
喪神もがみ梨央りお
御厨みくりや……車夫しゃふ……
車夫なんですか?
それが名前ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、車夫のように地に足を付けて
生きるということらしいぞ。
彼はこの五年ほど潜伏しておる――
その思念が現れたわけだ。
思念は帝都満洲ていとまんしゅうでセヒラで強まり、
また帝都に戻るのかも知れんな。
それで帝都で更に強くなった思念が、
何かの思いを実現させる――
あり得ることだな。
それに、アラヤ湧穴ゆうけつというのも、
すこぶる悩ましい事象だな。
喪神もがみ梨央りお
こういうの、予断は許さない、
そう言うんですよね。
観測、継続します!!

第一章 第十二話 帝都満洲鉄道

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

山王さんのう機関本部に戻った風魔ふうまの報告に帆村ほむら魯公ろこう怪訝けげんな表情を浮かべた。

帆村ほむら魯公ろこう
柴崎周しばさきあまね――
確か独逸ドイツ駐在の外交官、
一等書記ではなかったか。
九頭くず幸則ゆきのり
ご存知でしたか。
何とも捉えどころのない……
それに異界だの満洲まんしゅうだのと――
帆村ほむら魯公ろこうは事情を知らない九頭くずに、
帝都満洲ていとまんしゅうの出現について話した。
魯公ろこうとてまだ全てを知るわけではなかった。
帆村ほむら魯公ろこう
梨央りおや、市ヶ谷いちがやではずっと
セヒラを観測し続けたんだよな?
喪神もがみ梨央りお
はい……
怪人かいじんしずめた後も、すごく微弱な、
セヒラが観測されていました。
帆村ほむら魯公ろこう
柴崎しばさきか……
一体、その人物は何を知ると――
ふむ、情報は集めておこう。
満洲まんしゅうが現れた――
わけ知りに言う柴崎しばさきの言葉、気になる。
風魔ふうま、もう一度行ってくれるか?
九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生、それなら俺も同行します。
その、帝都満洲ていとまんしゅうとやらに!
帆村ほむら魯公ろこう
それは無理だ。
審神者さにわ以外のゲート通過は
まだ試行錯誤中だ。
九頭くず幸則ゆきのり
じゃあ、
自分がその実験台になります。
帆村ほむら魯公ろこう
失敗すると、お前さんの体が残り、
念やら何やらが向こうにただよう――
そんな事態を招きかねんぞ。
九頭くず幸則ゆきのり
う……
いや、それでも――
帆村ほむら魯公ろこう
まあまあ焦るな幸則ゆきのり
ちゃーんと方法は検討中だ。
今回は諦めておけ。
九頭くず幸則ゆきのり
そうですか……承知、しました。
帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま、準備をしろ。
帝都満洲ていとまんしゅうへ出動だ。

はらえの

帆村ほむら魯公ろこう
準備は良いかね、新山にいやま君?
新山眞にいやままこと
いつでも大丈夫です。
帆村ほむら魯公ろこう
今回の探索は帝都満洲ていとまんしゅう
市ヶ谷いちがやに相当する場所まで行き、
セヒラ増大の原因を調べることだ。
では、健闘を祈る!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし

〔赤坂哈爾浜ハルピン・南東〕

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
市ヶ谷いちがやは北西方面です。
警戒しながら進んでください。

【バール】
にゃあ、喪神もがみ風魔ふうま
また来たんだにゃあ。
今度は市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハル
行きたいみたいだにゃ。
斉斉哈爾チチハル
市ヶ谷いちがや照応しょうおうする
帝都満洲ていとまんしゅうの地名だにゃ。
そこには帝都満洲ていとまんしゅう鉄道を使わないと
行けないにゃ。
この異界は帝都の街が、
満洲まんしゅうの街に
重ね合わされているにゃ。
満洲まんしゅうはとっても広いにゃ。
だから帝都満洲ていとまんしゅう鉄道を使わにゃいと
移動できないにゃ~
まずは駅に通じてるどこかを
探すことにゃ。
【バールの帽子】
ゲロゲロ、そんなテキトーな指示で、
目的地に辿り着けるか、ゲロ?
【バール】
大丈夫にゃ。
物事はなるようになるにゃ。
【バールの帽子背後】
風魔ふうまよ、アストラルに話しかけろ。
こいつらは帝都から落ちてきた思念、
何を知るかは保証だにせんがな!
【バール】
思念は生きている人間のもあれば、
死んだ奴の古い思念も残ってるにゃ。
何百年前とかのもあるかもにゃ!

【メカノフィリアアストラル】
真新しい発動機モートルを手に入れたんだ。
嬉しくて嬉しくて、一晩中、
そいつをでいたよ――
気が付くと、ここにいた――
いや、目覚めれば大丈夫なはず。
発動機モートルを側に感じるからな!
それで、お前は何が好きなんだ?
俺みたいな機械好きは少数派だ。
だが、ここには仲間がいる――
満鉄の機関士だ。
そいつ、ちゃっかり職を見つけて、
こっちで暮らすみたいだ。

〔赤坂哈爾浜ハルピン・南〕

【ピアニストアストラル】
思うんですけど、
満洲まんしゅう帰りの演奏家、
演奏のスケールが大きくなって、
腕前が上がったように感じます。
私も真似まねてみようと……
必死ひっしに思い描いていたら、
ここに来てしまいました。

【ペシミストアストラル】
絶望だ……絶望しかない!
最早もはや、死だけが救いだ――
そう思い、両国橋りょうごくばしの上に立った。
自失じしつして気付くと下宿館の前に……
部屋でふて寝をしたら、
ここに来ていたんだ――

【満鉄車掌】
うちは省線常磐しょうせんじょうばん線のすぐ近く。
夜中に汽笛が聞こえて、貨物列車が
延々と抜けていくんです。
僕はその最後尾にある車掌車に、
乗る仕事がしたくて、
毎晩、思い描いていたんです。

〔赤坂哈爾浜ハルピン・東〕

【プロレタリアートアストラルM】
草稿を書いている最中、気を失った。
次に気付くとここにいた――
私はただようだけの存在なのか?
希望、それは飼い馴らした欲望だ。
野生の欲望は去勢きょせいされしずまるのだ。
――ここまで書いて、私は、飛んだ!
ここははたして夢の中なのか?
あんたは夢の住人なのか?
――目覚めたくもあり、たくもなし。

【満鉄機関士】
あいつ、俺のこと、友達だなんて……
俺は機関車が好きなんじゃない、
機関士になりたいだけなんだ。
汽車の音を口で真似しながら帰る夜、
横丁を曲がった途端、気を失った――
気付いたらここにいたんだ。
もっとも、はちゃんと
生きているよ。抜け殻みたいに、
ぼんやりしながらね!

〔赤坂哈爾浜ハルピン駅〕

【満鉄車掌】
ここでも決して順調ではないです。
汽車の運行を邪魔じゃまする奴がいます。

――どいてくれ、邪魔じゃまなんだ!
僕には列車運行の責任がある!
車掌しゃしょうとして当然の責務、
さぁ、どいてくれ!

【満鉄車掌】
――あなたは、生身の人間ですね。
だったら、なんとかなりませんか?
邪魔者じゃまものをどかしてください。

【プロレタリアートアストラルS】
我々は、全国労働者の
ルサンチマンに共振きょうしんする!
むむ……お前は……
この感じ、さては特高だな!
ここでは私のほうがまさ!!

《バトル》

【プロレタリアートアストラルS】
資本家の手先め!
お前達もやがて我々の側に付く、
その日は……ち、か、い――

【満鉄車掌】
邪魔者がいなくなったんですね。
これで列車を動かせる……
ところで、機関士は……
どこへ行きましたか?
機関士がいないと、
列車は動かせない!

〔赤坂哈爾浜ハルピン・西〕

【満鉄機関士】
……
本当にどかしてくれたんだな?
いやぁ、大したもんだ。
この先、満鉄路線は、
斉斉哈爾チチハルに伸びている。
そうだよ、市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルだ!

〔赤坂哈爾浜ハルピン駅〕

【満鉄車掌】
どうしました?
早くしないと、
また邪魔が入るかも知れません。
帝都満洲ていとまんしゅう鉄道、あじあ号、
出発進行です!

【満鉄機関士】
そうだな、出発進行!
向かうは、市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハル

〔市ヶ谷斉斉哈爾チチハル・北〕

【バール】
ここが市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルだにゃ。
哈爾浜ハルピンと同じく、現実の斉斉哈爾チチハル
亡命露西亜ロシア人が多く住んでいるにゃ。
同時に露西亜ロシア人の南下を防ぐ、
拠点でもあるにゃ。
斉斉哈爾チチハルの先は、
海拉爾ハイラル満洲里マンチュリにゃ。
そこから先は西伯利亞シベリアにゃ!
これが本当に満鉄が転写したものなら
鉄路はまだまだ伸びるにゃ。
開拓し甲斐があるにゃ!

【憂国烈士アストラル】
日本人か?
ここに来て随分になるが……
我が神国の栄光、いまだ及ばずだ!

【ボルシェビキアストラル】
鉄さえ溶かすボルシェビキ運動、
なぜここには及ばないのだ?
ありの一穴さえ許さない、
るぎなき共産主義よ、
この無意味な世界に型を成すのだ!

〔市ヶ谷斉斉哈爾チチハル

【バール】
感じるかにゃ?
猛烈な霊気、セヒラがアラヤ界から
上がってきているにゃ。

五感、意識、末那識まなしきのさらに下層に
位置する第八の識域、――阿頼耶識あらやしき
考えたり語ったり行ったり……
人の為す事がすべて蓄えられている
唯識論ゆいしきろん的な領域である。

【バール】
あのでっかいアストラルが、
阿頼耶識あらやしき、うんにゃ、アラヤ界から、
セヒラを地上に送ってるにゃ!
喪神もがみ風魔ふうまはあれを倒すにゃ?
放っといてくれるってコトは
にゃいのかにゃ?
セヒラが満たされれば
きっと吾輩も現世うつしよ
実体化できるにゃ。
それって楽しくにゃいかにゃ?
ダメかにゃあ……やっぱり……
そうなると現世は大混乱だしにゃ~
しょうがにゃいか……
喪神もがみ風魔ふうまに付き合ってやるにゃ。

目の前にいる大きなアストラルからは強いセヒラの流れが立ち上り、どこまでも上へ上へと伸びている。

根塊こんかいのアストラル】
私の中には憎しみしか無いんです。
許しをうにしても、そのことが
また私の憎しみを増長してしまう。
人が寄せるなぐさみの情は、
私には、憐憫れんびん、いやさげすみに思え、
また憎しみをたぎらせる――
マトリョーシャを苦しめ、
挙句には自死に追いやり、
今、彼女の幻覚が私を苦しめる。
救いを求めて街に出ると、
そこには私を嘲笑あざわらう者共が構え、
私を一人にはしてくれない。
同じような人間はいくらでもいる。
なのに彼らはこの苦しみを知らず、
暖かなペチカの前にいる――
許しはどうすれば得られるのか、
私には皆目わからない。
――さて、君もまた連中の同類だろ!!

《バトル》

根塊こんかいのアストラル】
許しはどこで得られるのだ?
――同じことの繰り返しだ、
それが私を更に苦しめる……

【バール】
今のがセヒラというセヒラを集め、
それを帝都に送っていたにゃ。
まるでセヒラのかたまりに、
思念が宿ったみたいな、
そんな面倒な奴だにゃ……
【バールの帽子】
ゲロゲロ、まるで引力を持つセヒラ、
面倒なやつだったゲロ。
ゲーロゲロゲロ~
今はセヒラがあちこちに散じて、
気持ちいいゲロよ~
【バールの帽子背後】
わしらはセヒラがないと、
とてもやってられんが、
ものには限度があるのじゃな。
【バール】
それじゃあ、喪神もがみ風魔ふうま……
今後ともよろしくだにゃ。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、聞こえますか?
市ヶ谷いちがやセヒラ急激に低下!
作戦成功、帰還してください!