第九章 第十二話 冬至の朝

太陽は蛇遣へびつかい座の南西から東に移動して、愈々いよいよ射手座に入る――
明日、午前三時三十七分には冬至を迎える。日の出は六時四十七分、日の入り四時三十二分――
この一年で最も昼の短い日となる。

〔山王ホテルロビー〕

心なしか普段の年に比べクリスマスの飾り付けも控えめな山王ホテルロビー。
12月22日、日曜日の夜ということもあり、客の姿はなかった。
役所からの要請もあり、レストラン等の夜の営業時間は9時までとされていた。

【喪神梨央】
兄さん――
無理を言ってすみません。
どうしてもお話したいと――

ガランとしたホテル玄関から、新山和斗が足早にやって来た。

【喪神梨央】
新山にいやまさん――
【新山和斗】
僕の記事、すごい反響ですよ!
新しい世界が生まれるという――
編集でも大騒ぎです。
【喪神梨央】
新山さん、
どこからそういうネタを?
【新山和斗】
いやね、兄貴のメモにね、
アタラシキアメツチヒラカレリ――
そうあったものですから。
【喪神梨央】
メモに書いてあったんですか?
【新山和斗】
鉛筆の跡がね、へこむじゃないですか、
それをなぞって見ると文字が……
フフフ、僕は抜け目ないですよ!
【喪神梨央】
そんな落書きだけで、
興亜日報に特報打ったんですか?
【新山和斗】
きっかけは小さなことでもいい、
事件とはほぼそういうものです。

――それで……
誕生するという新世界に、
我々も行けるわけですか?
それとも選別がなされる――
そもそも新世界は、
この地上に生まれるのですか?
それとも……
【喪神梨央】
あんなに報じておきながら、
よくわからないわけですか?

山王機関本部から新山眞がやって来た。
手に風呂敷に包んだ箱のようなものを持っている。

【新山和斗】
兄さん!
さては兄さんも――
【新山眞】
和斗、お前は勘は鋭いんだが、
辛抱しんぼうが足りんな――
【新山和斗】
僕たちはね、時間との戦いなんだ。

で、兄さん、その箱は何ですか?
また何かの計測器ですか?
【新山眞】
ああ、これは大変なものだ。
セヒラを計る装置だな。
世界軸の歪みを観測する――
【新山和斗】
セヒラ量子?
世界軸?
これまた新理論ですか――
【新山眞】
米粒大ほどの臨界セヒラが、
最終的には新しい宇宙を生む、
その一部始終を観測するのだよ。
ヤスパース=クルーガー効果――
観測に成功した学者の名前だ。
超ベンヤミン現象とも言うが――
【新山和斗】
兄さん!けむに巻くつもりですね!
僕はねこの目で見て、
この手で記事を書く。
【新山眞】
その脚でおもむくことを忘れるなよ。
【新山和斗】
言われなくても――
それじゃ、失敬します!

新山和斗は足早に去って行った。

【新山眞】
やれやれ……
せいぜいブンヤを喰われないよう、
気をつけないとな、彼奴あやつも――
【喪神梨央】
新山さん――
セヒラ量子とか、
そんな難しい話があるのですか?
【新山眞】
セヒラ量子論はありますが、
私はからっきしの門外漢もんがいかんですよ。

そう言うと眞は風呂敷を解き、箱の蓋を開けた。

【新山眞】
これは例の魔鏡まきょうです、完成しました。
ゼーラム五ニ五を塗布とふして、
愈々いよいよ、鏡が常態を取り戻した、
つまり魔鏡となったのです。

【新山眞】
私は本部で待機します。
なにせ冬至は明日ですから。

【喪神梨央】
兄さん――
レーネさんがお話があると。
私も本部にいますね。

梨央の去ったそのタイミングで藤沢レーネがやって来た。
レーネは風魔を認めると歩調を落とし、そしてゆっくりと近付いた。

【藤沢レーネ】
表は満天の星空ですわね。
明日はきっといいお天気ですわ。

実は……
ここだけのお話なのですが――
露西亜ロシアが秘密結社を使って、
満洲転覆てんぷくを計画しています。
李景明りけいめいさんからの情報です――

李景明りけいめいから寄せられた情報では、満洲は関東地方にソ連軍を侵攻させ、白系露西亜ロシア人の拠点きょてんを確保する計画があり、その準備のために新京シンキョウ露西亜ロシア人秘密結社、ウートロシーリが結成されたという。

【藤沢レーネ】
ウートロシーリの日本要員は、
ウラジミール・グロトフという、
露西亜ロシア人が務めます。

露西亜ロシア人グロトフはご存知ぞんじですよね。
是枝これえだ咲世子さよこさん宅の書生でした。

もう一人、グロトフが徴用ちょうようした、
露西亜ロシア人司祭がいます。
この二名が今夜連絡します――

ホテル玄関からに二名の背広姿の男性がやって来た。彼らの身のこなしには無駄がない。
二人は藤沢レーネの後ろに付いた。

【要員Q】
司祭が東洋ホテルを出ました。
円タクで下大崎に向かいます。
【要員R】
運転手が前照灯ぜんしょうとう合図あいずを――
点滅が二度ありました。
【藤沢レーネ】
つまりは二番目の目的地ね。
――それが下大崎――

連中、牛頭ごず機構と結託けったくしている、
その情報があります。
後の話は車の中で――

グロトフが徴用ちょうようした司祭は、イーゴリ・ゲラシモフという。
本業は日満を行き来する雑貨商だった。
その二名が今夜、下大崎で連絡する。
それを捕獲するのがこの計画だった。

警護に牛頭ごず機構から
要員が出ている――

その噂もあり、レーネは風魔ふうまの同行を頼んだ。

【藤沢レーネ】
N計画の阻害そがいということでは、
露西亜ロシア人結社も牛頭ごず機構も、
利害の一致があるはずです。

急なお願いで、
申し訳ありません――

〔下大崎〕

日曜夜更けの下大崎は静まり返っていた。車のドアを閉める音がやけに大きく響く。

【藤沢レーネ】
喪神もがみさん――
一人の日本人が来ます。
気を付けてください。この先で二人のロシア人を捕縛する手筈です。
今、邪魔が入ると……

レーネの視線の先に一人の着物姿の男性の姿があった。男性は寒空の下、コートも羽織っていない。
男性はゆっくりと近付いてくる。
顔に薄笑いを浮かべていた。

【牛頭機構関東会構成員G】
牛頭機構ごずには粗野そやな連中が多く、
ご迷惑をおかけしていますね。
うちは新京シンキョウで料亭を営み、
日満の親睦しんぼくにこれつとめるわけです。
そこへ猶太ユダヤやからを住まわすなど、
全くの無用の策というもの!
――そうではありませんか?

山郷某やまごうそれがしは姿をくらませた。
何か計略でもあるのでしょう――
ただ、時間がない!
いろいろ情報はつかんでいます、
露西亜ロシア人らの目も節穴ではない。

明日、託言たくげんが明かされる――
それを是非ぜひ知りたいものです。
さぁ、ここはお引き取りください。

風魔の脇に音もなく先程の背広姿の男性が来た。その様子を見た着物姿の男は、やおらセヒラを集め始めた。
二人の背広姿は素早く退いた。

【牛頭機構関東会構成員G】
そういうわけにもいかないと――
それは残念です!

《バトル》

【牛頭機構関東会構成員G】
露西亜ロシア人をふうじても、
まだ我々がいますよ――
想定外の数がね!

建物の角から二人の聖職者が現れて立ち止まった。
そして静かな声で告げる――

【要員X】
私はです。
露西亜ロシア正教の神父です。
【要員V】
私はです。
露西亜ロシア正教の司祭です。

そう言うと、二人はまた建物の影に隠れてしまった。
車に戻った風魔にレーネが言う。

【藤沢レーネ】
首尾よく捕縛出来たようです。
本物のグロトフとゲラシモフは、
憲兵隊本部に向かいました――
近く満洲国軍憲兵に継がれます。
今の二人は替玉として、
ウートロシーリと連絡します。
これで無事に明日を迎えられます。

喪神もがみさん――
ありがとうございました。
山王さんのうへ戻りましょう。

藤沢レーネの運転する車で山王さんのうホテルへ。レーネは重ねて礼を述べた。
明日はホテルの部屋で静かに待機するという。

〔山王機関本部〕

山王機関本部では梨央がじりじりしながら待っていた。
湯呑みの茶はすっかり冷めている。

【喪神梨央】
兄さん!
突然いなくなるから心配しました!
あのグロトフさん――
露西亜ロシアの秘密結社って、
ぜんせんそんなふうじゃ――

魯公と眞が奥から現れた。

【帆村魯公】
連中が明日のことを、
聞き及んでおったとはな。
どこかられたことやら。
【新山眞】
冬至を特別な日とする風習は、
世界中にあります。
こちらの動きを探れば――
【喪神梨央】
想定はできたということですか。
でも魔鏡のことは知られていません、
そうですよね、新山さん!
【新山眞】
勿論もちろんです!
ようやく鏡は安定しました。
備えは十分でしょう。
【帆村魯公】
鏡に付随していた文書によると――

マナイノカガミハ
ソレノサマ ウルワシクテ
モロカミタチノ
ミココロニモアエリ――

【喪神梨央】
ひとつあらかわたらして詰まる――
その朝、言葉がしめされるのです。
それからレーネさんの言う、
冬至とうじの朝陽が示す支族の帰還――
冬至とうじ、朝陽、鏡、それから――

水辺です!
範奈はんなさんがお姉さんから伝えられ――
このあたりで水辺といえば……
【新山眞】
清水谷しみずだに公園ですかな。
あるいはお堀、外堀――
あまり水辺という感じじゃないです。
【帆村魯公】
清水谷しみずだに公園か――
よし、梨央りお、連絡だ。
わしは宮司ぐうじと殿下に伝える。
【喪神梨央】
私、範奈はんなさんに伝えます。
電話、渋谷局です――
【新山眞】
電話をお持ちなんですね、
お宅で電話なんてすごいですね!

【帆村魯公】
ところで、明日、天気だがな、
中野の気象部に問い合わせてみた。
今日と同じ冬晴れだそうだ。
【新山眞】
明日も西高東低の冬型です。
北西ノ風、晴、寒サ厳シ――
予報にはそうありました。
【帆村魯公】
よし、早速連絡だ。
新山にいやま君、君は鏡を持って、
奥で休んでくれ。
【新山眞】
承知しました。
【帆村魯公】
風魔も本部に待機してくれ。
わしはもう一度――
(気象部の当直と話そう……)

昼、強く吹いていた北風はんでいた。
あと1時間ほどで
冬至の日を迎える時刻、
帝都は夜の闇の中に沈んでいた――

〔清水谷公園〕

夜が明けた――
1935年12月23日、冬至。
帝都は雲一つない冬晴れであった。
清水谷しみずだに公園には、多加美たかみ宮司、
そして廣秦ひろはた範奈はんなが集まっていた。九頭くずの手配した兵が規制線を張っていた。

【九頭幸則】
なぁに、ちょいと気をかせて、
隊から兵を調達したってわけだ。
梨央りおちゃんに聞いたら、
今日が予言だかが現れる日なんだろ?
俺も付き合うぜ、
ここまで来たんだからな!
【新山眞】
まだ確かなことは何も――
ただ試すだけのことはあるかと。
さぁ、参りましょう!

大久保利通碑の先に心字池しんじいけがある。
池の端に多加美宮司と廣秦範奈が立っていた。

【多加美宮司】
範奈はんなさんは先日、満洲から戻られ、
今日の日に備えておいでです。
【廣秦範奈】
父と、姉と、言葉を交わしました。
姉と私には
たくされたものがあると――
それが何かはわかりません。
【多加美宮司】
廣秦ひろはたさんの出自からすると、
やはり失われた支族に繋がること、
そうだと考えています。
【廣秦範奈】
姉と私とで為すことがあると――
父はそう姉に伝えたようです。
【多加美宮司】
お姉さんはこちらにおいでですか?
【廣秦範奈】
いえ――
ですが繋がると思います、
おそらく、きっと――
【新山眞】
ちょうど陽も差してきました。

そう言うと新山はおもむろに鏡を取り出し、明るい朝陽をその鏡面に受けた。鏡は眩しく輝いている。

【九頭幸則】
どうなってるんだ?
――何も映らない……
【多加美宮司】
水です、水面を照らすのです!
範奈さんは水辺でと仰っています。
【廣秦範奈】
――姉さま……

新山は鏡面で受けた朝陽で、公園の心字池の水面みなもを照らした。
わずかに水面が小波立っている――

【九頭幸則】
あっ!
池の水面が――

池の水面に光が集まり、やがて水面自体がまばゆく輝き始めた。
池から放たれた光は
周囲を包み込む――

【廣秦範奈】
――姉さま……
おいでになるのですね――
姉さまのこと、感じます――
もっと……そばに……
おいでください――

廣秦ひろはた範奈はんなは姉を迎えたかに見えた。
しかしすぐに光はついえてしまった。

【新山眞】
見てください!
池です、水面に何かが見えます!
【多加美宮司】
あれは……
何かの文字……
【九頭幸則】
なんて書いてあるんだ?

それこそが範奈はんなと姉にたくされた言葉、
まさしく託言たくげんであった――

【多加美宮司】
すえ有り、に在りて――
【九頭幸則】
何ですか、そのとは?
【新山眞】
それがメ、シ、アだとすれば――
メシアとは救世主のことです。
ですが池に現れた託言たくげんは、
場所を示しているようにも――

【多加美宮司】
範奈はんなさんはどこですか?
【九頭幸則】
あれ、今さっき、ここにいたのに!
【新山眞】
さっきのまばゆい光の中で、
消えたようにも見えましたが――
【九頭幸則】
公園の山手の方を探してくるよ!

【多加美宮司】
すえとは末裔のことですね、
それがすなわち救世主ということです。
私はそう読み解きますが。
【新山眞】
その救世主はどこにいるのでしょう?
待てば姿を見せるのでしょうか?
【多加美宮司】
あっ!
見てください、池の字が消えます!

池の水面に現れた文字は、見る見る薄くなり、小さな波紋はもんを残して、跡形もなく消えてしまった。

【新山眞】
託言たくげんらしきは確認できました。
ひとまず戻りましょう。

鏡ですが……
表面がくもってしまいました。
もう霊力が失われたのかも――

風魔ふうま新山眞にいやままこと多加美たかみ宮司とともに、山王さんのうホテルへと戻った。九頭くずは兵に指示を出して範奈はんなを探すという。

〔山王ホテルロビー〕

【喪神梨央】
兄さん!
隊長がお待ちかねです!
【帆村魯公】
柴崎しばさきがいみじくも言っておったな、
地震でセヒラがいたようなことを。
それで思い出したんだ、
仏蘭西フランスの地震学者シャルボー氏をな!

シャルボーは前回の乙亥きのといの年、1875年、明治8年に波動を観測。
しかしそれは地震のものではなかった。

【新山眞】
セヒラの波動を観測したのですね。
その後に大震災が起きています。
もしやセヒラが地震を招いたとか?
【帆村魯公】
わしもそれが気になって、
気象部の宿直しゅくちょくに聞いたんだ、
この六十年の地震記録を――
【新山眞】
それで、どうだったんですか?
セヒラの波動と地震の関係は?
【帆村魯公】
それが特にはなかった。
やはり柴崎しばさきが触れた関東大震災――
それが、何というか……
【新山眞】
特異点といった言葉があります。
波形では特異点で変調して、
別な波形に変わるのです。

【喪神梨央】
範奈はんなさんの言葉――
確かメシアに在りですよね?
【帆村魯公】
何か地震に因む言葉なら、
場所の特定ができたのだが――
【多加美宮司】
地震……
地震!
まさかとは思うのですが――
【帆村魯公】
どうされましたかな?
【多加美宮司】
はい……
語感が似ているのですが、
メヂアンというのがあります。
【新山眞】
メヂアン?
何ですか、それは?
【多加美宮司】
中央構造線です。
メヂアン線とも言いますが――
日本列島の中央を貫く巨大な断層で、
数多あまたの地震震源地でもあります。
【帆村魯公】
梨央りお、列島の地図だ!

梨央が作戦卓の上に地図を広げ、一堂は見入っている。

【多加美宮司】
メヂアン線は九州から四国、
紀伊きい半島を横断して中部へ、
茨城の鹿島かしまで終わっています。
この地図で見ると――

【新山眞】
この地図は……
わざわざメヂアン線を書き入れた?
そういう地図なんですか?
【喪神梨央】
いえ、ただ本部にあった地図です。
こんな線、ありませんでしたよ。
――おかしいですね……
【多加美宮司】
メヂアン線の上には、
今では多くのおやしろが建ちます。
断層が暴れないように抑えるのです。

諏訪すわ大社もその一つとされています。
千葉の香取神宮や茨城の香取神宮、
それら官幣かんぺい大社も
線上に建ちます――
中でも鹿島かしま神宮は、
構造線を要石かなめいしで封じているとされ、
いくら掘っても石の根は見えません。
【帆村魯公】
確か光圀みつくに公が掘るのを命じた、
でも断念したのですな。
【新山眞】
それにしても――
メシアがメヂアンなんですか?
メヂアンに在りというと――

キロにも及ぶ構造線のどこかに、支族しぞく末裔まつえいがいる、そういうことなのでしょうか。

【多加美宮司】
ああ、そうです!
長野にも構造線のほぼ上に建つ、
御蔭みかげ神社があると聞きます。

その時である――
多加美たかみ宮司の手にする地図に
光が走った。
まるでナイフでいたかのように――

【新山眞】
これは……
地図に霊異りょういが発現したのですか!
【帆村魯公】
メヂアン線と交差するこの線は――
一体、何ですかな?
【喪神梨央】
丹後半島です!
先日、お出になった京都、
このあたりではありませんか?
【多加美宮司】
そうです!
元伊勢、この神社の外宮、
真名井まない神社、まさにこの場所です!
【喪神梨央】
東の端は――
帝都ですよ、ちょうど……
日枝ひえ神社の辺りです。

山王機関本部にサイレンの音が鳴り響いた。

【帆村魯公】
何だ、今度は!
サイレンが鳴ってるぞ!
【喪神梨央】
すぐ調べます!!

〔山王ホテル前〕

サイレンが鳴ったのは、ホテルに執事型ホムンクルスが来たからだ。
梨央りおの要請で風魔はホテル前で対峙たいじした――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください!
――新型の波形が観測されます!

【執事型ホムンクルス】
異変!ウンファール異変!ウンファール
コウジン――
異変!ウンファール

【着信 喪神梨央】
セヒラの値が――
急になくなりました!
彼ら、戦うようではなさそうです。
【着信 帆村魯公】
連中は伝えに来たのだ!
虹人こうじんに異変と言っておるぞ!
三宅坂みやけざかへ向かってくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館、すぐ近くですが、
公務電車出します!

地図にしるされた二本のライン――
その交点に御蔭みかげ神社があると宮司が思い出す。
かつてそこに勤めていた
巫女みこがいた――
その名を白金江しろかねこうという――

【着信 喪神梨央】
兄さん!
白金江しろかねこうとは虹人こうじんさんの……
虹人さんのペンネームです!

〔アーネンエルベ〕
【聖護院丸】
先程、虹人さんがいきなり――
いきなり大声を上げて、
地下の講堂に駆け込んだのです。
講堂に行くと、
虹人さんの体から光が――
光がほとばしっていたのです!
【鳴滝丸】
あの光はクラウフマンこう――
ユリアさんが付き添っている。
クラウフマン光は、
カー体が崩壊するときに出る光だ。
――一体、何が起きたんだ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館近辺で、
異常な波形を観測しました!
セヒラの値は通常ですが、
注意してください!

〔アーネンエルベ講堂〕

そこにはたして虹人の姿があった。
虹人は苦しそうに腰を折り肩で息をしていた。何よりもその体、まるで桃色の光背を現すかのように光を放っている。
虹人を見守るようにして二人のユーゲントがいた。

【上賀茂丸】
さっきからずっとこうなんだ!
ユリアさんが原因を調べると――
この光は危ない光なんだ!
【化野丸】
喪神さん!
虹人さんはどうなるんでしょうか?
この二日ほど、
頭が痛い、割れそうだと――
喪神さん!!
それから……
多分ダンテの神曲だと思う、
憑かれたみたいにつぶやくんだ――

三つの咽喉のどある暴戻ぼうれい
巨怪チェルベロいぬのごと
奈落の民にゆるなり

【帆村虹人】
風魔!
――僕の中に何がいるんだ?
悪魔でも飼うのか――
僕は、僕は、僕は!!

風魔の目に虹人の見てきた光景が映し出された。

「はじめまして、咲世子さん。
 是枝大佐には――

「ところで、僕たちは似た者同士――

「僕の哀れな感情は、翼を痛め、
 飛ぶことができない――

「……実を言うと
 僕は貴紙の投稿者です。

「僕の中には冷まさなきゃいけない、
 そういうものがあるんだ――

「僕が参加するのは今夜で二回目だ。

「僕は今、混迷の中にいる!

「そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!

「踏み出す一歩は
 見えているのだが――

世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
そこへユリア・クラウフマンが姿を見せた。虹人を見るユリアの目は見開かれている。

【ユリア・クラウフマン】
コージンの中から、
何かが生まれようとしている――

カー体の臨界光にそっくり……
でもまったく別物のよ。
何かの終わりであることは確かね。
カー体の崩壊は二万年以上――
だから誰も臨界光は見られない。

コージンの光は……

虹人は相変わらず光を放ちながら腰を折っている。ユーゲントの姿はなかった。

【ユリア・クラウフマン】
見て、フーマ!
あれは……ヴェアーなの?

虹人の放つ光が凝集して人の形をなしつつある。それは少女の姿であった。まるで虹人そのものが光となって少女の姿を成すかのようである。
やがて虹人の体が透けながら消え、講堂には光の少女だけが輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
消えた……
――フーマ……
コージンが……消えた……

光の少女は一層激しく輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
まさにカー体が崩壊するときの光、
そのものです――
似た現象が起きているのですね。

何かが崩壊し、
何かが生まれようとしている――
カー体よりも何万倍もの強い力、
それを感じます――

そこへユーゲントが走り込んで来た。

【嵯峨野丸】
大変だ!
大使館の玄関に……

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
表よ! 行きましょう!

〔独逸大使館〕

独逸大使館前に一人の少女が立っていた。白いワンピースドレスを着ている。
少女は大使館の玄関を凝視していた。
そのとき、大使館の中庭から芽府須斗夫がやって来て、少女の脇に立った。

少女はゆっくりと
芽府須斗夫の方を向く。

【芽府須斗夫】
もうじき名前を思い出す……
きっとそうだよ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは……

芽府須斗夫を見てユリアは怪訝そうな表情を浮かべた。

【芽府須斗夫】
僕は名前を思い出した。
元の古い名前の方だ。
それも完全じゃないけど――
【ユリア・クラウフマン】
名前を忘れるとどうなるの?
【芽府須斗夫】
やって来られなくなるんだ。
途中で止まってしまうとか、
いろいろ言われているよ。

名前を失念した、
そういう人に会ったことがある、
ついこの間ね。

【ユリア・クラウフマン】
あなたはどんな名前なの?
【芽府須斗夫】
メフィ……スト……
【ユリア・クラウフマン】
メフィスト……
【芽府須斗夫】
フェレス!
メフィストフェレスさ!
これで全部思い出した。
【ユリア・クラウフマン】
メフィストフェレス――
ファウストの……悪魔……

――あなた、そうなの?
【芽府須斗夫】
僕は伝承の中にいた。
どのみち人が生み出したものだけど。

そしてここに来た――
呼ばれて来たはずだけど、
行き先の名前を忘れたんだ。

でも元の名前を思い出した。
名前は自分で思い出さないと、
駄目なんだよ、
教えてもらっちゃ駄目なんだ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたの話には興味がある――
ゆっくり聞かせてね。
【芽府須斗夫】
わかったよ――

それで、ここに来るのは、
どこの誰なんだい?
この子の元にも誰か来るんでしょ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!
今まで何も観測しなかったのに。

少女の周囲にセヒラが集まり、見る見る濃さを増していく。
やがて何も見えなくなってしまった。

〔時空の狭間〕

【芽府須斗夫】
聞いていいかい?
君は誰なの?
どこから来たの?

芽府須斗夫が少女に語りかけている。
少女は芽府須斗夫の方を見ないまま静かに答える。

【???】
シ、ロ、カ、ネ――
――コ、ウ――
【芽府須斗夫】
シロカネコウ――
それが君の名前だね?
元の名前なのかな?
【シロカネコウ】
モ、ト、ノ……
――ナマエ!
【芽府須斗夫】
そうだよ、
ここに来る前の名前なのかって、
そういう話さ。
【シロカネコウ】
マンナカノ、ナマエ!
――シロカネコウ!
【芽府須斗夫】
シロカネコウがいつの人か、
それは知らないけど、
君自身はもっと前の人なんだね?
【シロカネコウ】
――イャシャン……
――フルイ
――アルツ
【芽府須斗夫】
これは驚いた!
君は幾多いくたの思念の重なった存在、
そうなんだね?
長い時間の中を抜けて、
ここにたどり着いたんだね!
――今まではさっきの人の……

時空の狭間にセヒラを纏う虹人の姿が映し出された。

【帆村虹人】
風魔――
今の僕はまるで抜け殻だよ。
自分の内側がすっかり剥がれて、
僕は薄っぺらな皮一枚だ。
お前を思ったりする気持ちは、
どこから湧いてくるんだろうか?

僕の気持ちはお前の中につちかわれる、
きっとそういうことだよ――

そういうことだよ――

【帆村虹人】
僕を追い出して、何かが来る――
風魔、気を付けるんだ!
もうこれはじゃないから!

そう言うと、虹人の姿は消えた。
その時、芽府須斗夫が叫んだ。

【芽府須斗夫】
何か来るよ、
とても強いものが!

見ると少女はセヒラに包まれている。
それは、やがてひとつの形を成そうとするかのように蠢いていた。

《バトル》

少女の体は希薄になり、やがて消えた。
始終を見ていた芽府須斗夫はおもむろに口を開いた。

【芽府須斗夫】
遠い過去の思念が繋がった――
途中、色んな人の念を吸収して。

この世界に大きな影響を与える、
それだけは間違いないよ。
世界を変えるほどの力が、
ほうぼうに生まれそうだね。

僕も自分の理由が思い出せそうだ!

独逸ドイツ大使館の霊異りょういは去った。
光が消え、虹人も消えた。
遠い過去から繋がった思念――
それは自らを白金江しろかねこうと名乗った。
まるで虹人を依代よりしろとしていたかのように。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さんの行方、
幸則ゆきのりさんが指揮して探すそうです。
将兵二百余人を動員するとか――

白金江しろかねこうさん――
本当にいたんですね。
【新山眞】
多加美たかみ宮司の話では、
長野の御蔭みかげ神社には、
白金江しろかねこうという巫女さんがいたと――
ただし二十年ほど前のことで、
今では無人のやしろだそうです。

まさに交点に建つのです――
真名井まない神社と日枝ひえ神社を繋ぐ線、
これはマナセ一族にちなむ線、
マナセ線と呼んでいいでしょう。

中央構造線とマナセ線、
二つの線の交点に、
まさに御蔭みかげ神社はあった。

中央構造線にすえ在り――

託言たくげんは告げる。
諏訪すわから秋葉街道を南へ、
四十キロほど下った山中である。

【喪神梨央】
失われた十支族の末裔まつえい
それが白金江しろかねこうなんですね。
――でも今は思念のような存在……
【新山眞】
遠い過去から繋がった思念ですね。
途中、多くの人の思念が合わさり――
【喪神梨央】
皇女和宮かずのみやの思念の時みたいです。
でもあの時と違うのは……

虹人さんの中に宿やどっていたことです!
虹人さんが狙われるかも知れない――
兄さん!
【新山眞】
明後日、先帝祭が終わって、
日付が変わると……
愈々いよいよ日蝕にっしょくが起きます――
そのとき、新しい天地あめつちが――
ただ待つしかないのでしょうか?

【喪神梨央】
――隊長……
さっきから黙りこくって、
どうされたんですか?
【帆村魯公】
虹人じゃ――
奴はいつそんな霊異りょういを備えたのか?

――もしやあの時……

失われた猶太ユダヤ十支族の末裔まつえいは、
白金江しろかねこうという存在として
虹人に継がれた。

真名井まない神社の魔鏡は霊力を失い、伝えられた冬至の日は静かに過ぎていく。

予言の語る日まで三日も残っていなかった。

第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が三段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。
長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。二人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する二人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう二人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして二人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する二人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。階下に見える手術室にらしき一体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それは
イメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー局長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか見たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から二人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!

怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり

ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街ですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1932年、褐色館ブラウネスハウス
警備主任のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が二階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から一体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて五箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を観て一人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

二時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、二人の男性が何やら言い争っていた。風魔は二人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに一体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第九章 第八話 必要なもの

〔山王機関本部〕

その朝、機関本部には興奮気味の新山眞にいやままことの姿があった。
霊式ヘテロヂン技術によって暗号が解読でき、芽府めふ須斗夫すとおの語る第七の予言が判明したのだ。

【新山眞】
とうとう解読できました!
【喪神梨央】
すごいです、新山さん!
それで何とあるんですか?
【新山眞】
ダイオウ
アラワレリ

【喪神梨央】
だいおうあらわれり?

新山はタイプ打ちされた用紙を見せた。

【新山眞】
大王現れり――
この予言の前の部分は……
【喪神梨央】
全地の主なる――
です、続けると、
全地の主なる大王現れり
【新山眞】
まさしく予言めいていますね。
第六の予言と繋げると――

日蝕ひくく明け新しき天地あめつちひらかれり
全地の主なる大王現れり

【喪神梨央】
日蝕にっしょくの日の明け方、
新しい天地あめつちひらかれて、
それを支配する大王が現れる――
【新山眞】
日蝕にっしょくは十二月二十六日の明け方、
まさにその時ですね。
【喪神梨央】
二十五日は先帝祭で祭日です。
山王さんのうホテルでもクリスマスの会が
もよおされます。
【新山眞】
パーティとかあるのですか?
【喪神梨央】
はい……
舞踏会ぶとうかい晩餐会ばんさんかいが予定されています。
大勢が参加します。
【新山眞】
異変がどこに起きるか不明な以上、
避難誘導ひなんゆうどうなどはできませんね――
【喪神梨央】
……
【新山眞】
山王さんのうにゲートがある限りは、
ここで何も起きないはずはない……

新山が危惧しているのはゲートの制御が効かなくなり、セヒラの奔流を招く事態であった。

【帆村魯公】
二十五日のうちに切り上げてもらう、
それがもっとも穏便おんびんな方法じゃな。
【喪神梨央】
あ、隊長!
――今、そのことで新山さんと……
【帆村魯公】
新山君の心配もごもっとも。
ただいたずらに騒ぎ立てるのも良くない。
【新山眞】
予言では二十六日を語ります。
前日のうちはまだ――
【帆村魯公】
パーティやらは、
早めに終えてもらうとしよう。
――それで大王がどうしたと?
【新山眞】
新しい世界をべる大王です。
それが現れるのだと――
大王とは何者でしょうか?

【喪神梨央】
帝都では度々たびたび、神曲が語られます。
地の底に氷漬けになるルシファー……なんだか気になります。
【新山眞】
しかし、帥士すいしの方も召喚師も、
まだルシファーの召喚は、
行えていないのですよね?
【喪神梨央】
ええ今のところは……
最近、独逸ドイツ勢の動きが、
読みづらくなってはいますが。
一度、虹人こうじんさんに、
近況を尋ねてみますね。

【帆村魯公】
新山君――
予言というのは、これですべてか?
【新山眞】
わかりません――
ただ、語り尽くされた感じはします。

【帆村魯公】
鏡の方はどうだね?
例のゼーラム何とかを塗った鏡だ。
【新山眞】
気密筐体きみつきょうたいにまだ煙が残ります。
もう少し時間がかかるかと――

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです!
ちょっとした事件が――
顔をつぶされた死体が発見されました!!
【喪神梨央】
以前、似たようなレントゲン写真、
ありませんでしたか?
【新山眞】
沼津ぬまづの省線病院で撮られた、
顔を吹き飛ばされた怪人です。
中からが出たのではと――
【帆村魯公】
今では人前には現せない、
その仕組は保たれておるがな。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、顔のつぶされた死体、
どこへ運ばれたんですか?
【九頭幸則】
戸山とやま衛戍えいじゅ病院だ。
公務出動するのか?
だったら俺も同行するよ!
【喪神梨央】
気を付けてください!
公務電車、手配します!

九頭と風魔を乗せ、公務電車は一路戸山を目指した。

〔戸山衛戍病院〕

衛戍病院の前には軍用トラックが停まり、その脇に黒塗りの車もあった。白衣姿の医者、看護婦、玄関前を2名の憲兵が立哨に付く。

【九頭幸則】
なんだか物々しいなぁ……
ちょっと俺、
あの憲兵と話してくる。
怪人が運ばれたかも知れないって。

九頭は向かって左の憲兵の元へ。そこに別の医者がやって来た。白衣姿で頭には反射鏡を乗せている。

【猟奇的な医者Σ】
なかなか興味深い検体ですよ!
顔がつぶされている――

と思いきや、そうではなく、
あれは糜爛剤びらんざいの大量曝露ばくろによるもの。
目や口の粘膜ががり、
表にまで飛び出しています。
皮膚は方々で拘縮こうしゅくしています。
口が大きくゆがむのはそのためです。
内臓も酷い有様でしょう。
おそらく出血性肺水腫はいすいしゅ
消化器官に重篤じゅうとくな障害が
ありますね。
死後五時間というところ――
顔の一部は野良犬のらいぬに食われています。

九頭が駆け戻って来た。

【九頭幸則】
顔をつぶされた死体、
影森かげもりだと言うぞ!
影森愁一かげもりしゅういちだ――
一時、俺のお目付け役だった。
でも会ったことはない――
軍人かどうかもわからない――

目の前の医者の周りにセヒラが漂い始めた。

【猟奇的な医者Σ】
係留細線維けいりゅうさいせんいのプロテアーゼによる
分解によって
重篤じゅうとく水疱すいほう形状を招き、
角化かくか細胞や骨髄こつずい細胞で細胞死を生起!
ウハハハハハ~
その痛みは全身の皮を、
力任せにかれるかの如し!!

【九頭幸則】
風魔!!
注意するんだ!
こいつ、おかしくなってるぞ!

《バトル》

【猟奇的な医者Σ】
ルイサイトに大量暴露ばくろした例だ、
最高の検体ではないか!
捜査そうさなどさせないっ!

医者は斃れた。

【九頭幸則】
医者というのも困りものだな。
検体を独り占めしたいばかりに、
怪人になるなんて――

しかし影森かげもりとはまったく謎の人物だ。
その影森かげもりを誰が殺したんだ――
糜爛剤びらんざいきかけたりして。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
防疫研で奇妙な波形を確認しました!
急ぎ向かってください。
糜爛剤びらんざいはルイサイトかも知れません。
参謀本部が調査を引き継ぐそうです。
防疫研、一般中尉も同行されますか?

【九頭幸則】
ああ、一般も行くよ。
あと、このあたりの医者も、
全部しょっぴいたほうがいいな!

〔白金三光町〕

二人は公務電車で白金三光町電停へ向かった。電車通は静まり返っている。二人が電車を降りると、何十羽ものカラスが羽音を立てて飛び去った。

【九頭幸則】
なんだか不気味な雰囲気だ――
人の姿もないしなぁ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
本当に奇妙な波形です――
注意してください!

二人は国立防疫研究所へ向かった。
かねてより仮構組織かこうそしきとの疑義のある施設だ。

〔国立防疫研究所・所長室〕

所長室の大きな机の前に白衣姿の柄谷生慧蔵が立っていた。

【柄谷生慧蔵】
ここにあった大きな市松人形、
あれは果たして何でしょうか?
気味が悪いので、
先ほど焼却炉しょうきゃくろてましたよ。

【九頭幸則】
あなたは……
ここの責任者の方ですか?
――この仮構かこうの場所の?
甘い匂いはしないようですが。

九頭の質問には答えず、柄谷は風魔を向いたまま続けた。

【柄谷生慧蔵】
軍人というのは単純ですね。
喪神さんは審神者さにわでおいでだ、
一線をかくしておいでなのでは?

九頭は前に踏み出し声を荒げた。

【九頭幸則】
おい、あんた!
我々は公務で来ているんだ。
いい加減なことを言っていると――

そのとき、柄谷はようやく九頭に気付いたというふうに九頭を向いて言う。

【柄谷生慧蔵】
私は山王さんのう機関の生みの親です。
帝都のセヒラ同定を受けて、
参謀本部に論文を出しました――
【九頭幸則】
すると、あんたが……
瑛山会えいざんかいの――
【柄谷生慧蔵】
その名前はあまり出さないほうが、
よろしいでしょうな。
私は一介の物理学者です。
森羅万象しんらばんしょうのすべてを計算で求める。
しかしそれでは真実は得られない――
存在と非存在の間には、
極めて曖昧模糊あいまいもことした空隙くうげきがある。
そこを貫く穴もあるはずです――
私はようやくそうした思いに至り、
内面にあるイメージも実は、
眼前に存在しうるのではと――
【九頭幸則】
何のことを言っているんですか?
もしやのことですか――
風魔たちが見ているという。
人の魂を食わせて作る人籟じんらい
その研究がここでなされていました。
それはご存知ですね?
【柄谷生慧蔵】
軍人にしては勘が鋭いですね。
人籟じんらいの材料になりそうな、
そういう怪人を期待したのですが。
実験にはおろかしい肉体も、
数多く必要なのですが――
別の手を考えますよ。

柄谷は教授のような口調になり続けた。

【柄谷生慧蔵】
さて、話を戻しますが、
心的なイメージから想起される、
幻視的な存在を表出させ得る――
その表出を見るためには、
見る側にも意識が必要なのです。
ある種の共犯関係ですな――
【九頭幸則】
似たようなことは帝都でも起きた。
銀座幻燈会げんとうえや人生よろづ相談――
憎しみや恐怖をあおてた。
怪人化をそそのかすような動き、
帥先そっせんヤと呼ばれて摘発てきはつを受けた。
それとどう違うんですか?
【柄谷生慧蔵】
新しい宗教の誕生、
とでも呼べばいいでしょうか?
信仰の対象を現すのですよ。
その瞬間に立ち会ってみては、
如何いかがでしょうか?

不意に柄谷は所長室を出て行った。

【九頭幸則】
待ってください!

九頭と風魔は柄谷を追って部屋を出た。柄谷はホールを横切り地下へと降りていくところであった。

〔防疫研究所処置室〕

処置室の奥には果たしてクルト・ヘーゲンがいた。
目を半開きにして明らかに様子が変だ。彼は車椅子に乗せられている――

【柄谷生慧蔵】
残念ですがこれは自失体ですよ――
クルト・ヘーゲンは自失した、
その実体、いや元の実体ですね。
状態としては前頭葉ぜんとうようが無くなった、
それと同じでしょうか――
欲望に正直なのですよ。

さぁ、クルト、
聞こえる言葉は何ですか?

【クルト・ヘーゲン】
きみジーのあまいしずくトロプン
はちみつリーブリング――
はちみつリーブリングがなくなる!
【柄谷生慧蔵】
君とは誰かね、クルト?
【クルト・ヘーゲン】
はんすHANS――はんすHANS――
ぼくのきみジー――
はんすHANS――
【柄谷生慧蔵】
クルトよ、黒胆汁くろたんじゅうの主よ、
さぁ、求めるものを思え!
戻らない日々を思え!
【クルト・ヘーゲン】
ううう……
はんすHANS……はんすHANS……
ぼくらはふたりミッツ――

クルトがたどたどしく話し終えるや、彼の顔の前に小さなセヒラの球が現れた。

【柄谷生慧蔵】
クルトよ、これがそうではないかな?
君の求めてやまない想い出――
ハンスの持ち物!
【クルト・ヘーゲン】
これは……てちょうノーボク……
はんすHANSの……てちょうノーボク……
ぼくのにがおえポートレイ……はんすHANSがかいた!
【柄谷生慧蔵】
そうとも!
バーデン国家青年団で支給された、
ハンスの手帳だ!
ハンスは親愛のあかしに、
この手帳に君の似顔絵にがおえを描いた。
絵のうまい子だったのかな?
これを君に授けよう。
いろいろ蘇ることだろう。

柄谷がさっと両手を広げた。するとセヒラの球は真っ赤な炎に包まれた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!
もやすな!!
はんすHANSの……てちょう……

上体を小刻みに震わせるクルトの背後にアストラルが現れた。アストラルは膨張と収縮を繰り返している。

【クルト・ヘーゲンのアストラル】
貴様!
兄殺しを私になすけ、
まだ何を望む?
【柄谷生慧蔵】
ついに出ましたか!
あまりにも強い念が、
アストラルを表出させましたね!
【クルト・ヘーゲンのアストラル】
ここにを降ろし、
貴様をなぶり殺してやる!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
整えてください!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲンのアストラル】
糞!
山王さんのう機関の猿と戦うつもりはない!

柄谷がらたに
貴様をどこまでも追ってやる!
覚悟しておけ!

アストラルは回転しながら消えた。柄谷は消えたアストラルをあたりを見ている。

【柄谷生慧蔵】
その調子です、いいですよ――
まされた憎しみは、
濃厚セヒラの中で悪の実体を呼ぶ。
兄の研究ノートが正しければ――
【九頭幸則】
今のは一体どういうことですか?
【柄谷生慧蔵】
ほんの小手調べですよ、
まだ本番はこれからです。
【九頭幸則】
何を言ってる?
ヘーゲン召喚師はどうなった?
【柄谷生慧蔵】
これはがらですよ。
日本人はせみがらにも美を求む。
あながちてたものじゃないですよ。

九頭は車椅子のクルトに向かって声をかけた。

【九頭幸則】
おい、意識はあるのか?
聞こえるか、俺の声が?
【クルト・ヘーゲン】
あう……あう……あう……
はちみつリーブリング……

【柄谷生慧蔵】
さぁ、もうこれくらいでいいでしょう。
彼にはまだ仕事があるのです。
大事な仕事がね――

風魔に一瞥をくれた後、生慧蔵はクルトの乗る車椅子を押して出て行った。

梨央りおからの無線でゲルハルト・フォス大佐を、品川駅前から警護するよう公務指示があった。
独逸ドイツ大使館からの要請だという――
影森愁一かげもりしゅういちのことを刑部おさかべ大佐に報告すべく隊に戻る九頭くずと別れ、風魔ふうまは品川へ向かった。

〔品川駅前〕

【着信 喪神梨央】
ユーゲントが出迎えるみたいです。
大佐は間もなく到着します。
船は花鳥玲愛カトレア丸でした――

交信が終わった時、大型の車が滑り込んできた。

【ゲルハルト・フォス】
ヘル! モガミフーマ!
君の警護を受けられるとは、
実に光栄の極みだ――
無粋ぶすいなSS隊員は行かせたよ。
フフフ――
ナチ党は何でも知りたがる。
独日どくにちは来年にでも協定を結ぶ。
君は同盟国の公務として、
私のことを余さず伝えてくれ――

それとも――

そうか!
君たちが使う無線で、
私の話はすべて伝わるのだな――
いいだろう――
いずれにせよ、そろそろ潮時しおどきだ。
それに私はあと一息なのだ。
愈々いよいよ、完成の域に達したからな!

フォス大佐は横浜港への入港直前に、アルツケアンを体内に取り込んだと語った。
蟻走痒感府ぎそうようかんふのカーンから入手したものだ。

【ゲルハルト・フォス】
カーンは私にたくしたのだよ。
第四帝国の総統として、
広大な欧亜ユーラシア大陸を統べることをね。

第三帝国は多くの爆弾を抱える。
各国の利欲がくすぶり続けるからな。
しかし欧亜ユーラシア大陸は違う。
まったくの新天地なのだ!

これから前祝いだ!
シナガワのレストランに向かう。
君も同行したまえ――

フォスは徒歩で品川遊郭に向かうようだ。風魔はフォスのやや後ろに付いた。

【着信 喪神梨央】
大佐はおそらく、
帝都のセヒラを確認して、
アルツケアンを入れたのです。
そのほうが効果が高いそうです。
公務、続行してください。

〔品川遊郭〕

暮れなずむ品川遊郭。長塀に添ってユーゲントが等間隔で立っていた。

【ゲルハルト・フォス】
アルツケアンは、
世界のどの聖石にもおとらないだろう。
フリジアのペシヌスにある太母の石、
ヘリオガバルス皇帝が、
ローマに持ち帰ったエメサの石――
メッカはカアバ神殿に置かれた石。
いずれも磁石である。
――北極星を指すことはあるが……

アルツケアンは北極星から来た。
至高の神のもとからやって来たのだ!
いや至高の神そのものなのだ!
仰ぎ北極星を見上げるがいい。
大熊座、小熊座が四季ごとに現す、
宇宙の意志、大スワスティカを!
あれこそアーリア人の起源を示す。
大スワスティカは調和であり永遠だ。
たゆまぬ宇宙の運動へと意思を繋ぐ――
私の精神は宇宙の至高の極みに向き、
永遠の呼応を約束されたのだ!!

間もなく私は完全体となる。
新帝国を統べる完全なる総統コンプレットヒューラーとなる!
そろそろ食事の時間だ――

長広舌を終えるとフォスは遊郭へと入って行った。

〔遊郭廊下〕

【ゲルハルト・フォス】
大使館には余すこと無く伝えたかな?
完全体になれば、
誰も私に手出しはできない。
親衛隊長のヒムラーでさえな!

ところで、モガミフーマ――
このトウキョウに、
ヒムラーの間諜かんちょうがいるらしいな。
長官の股肱ここうしんに、
裏切る者がいると――
その者はトウキョウと関係が深い。
疑う者は悲しき存在だ。
自ら疑念のうずに巻き込まれるのだ。
私は信じた――
桃源郷を信じ、アルツケアンを信じ、
だからこそカーンは私にたくした。
もっともカーンは、
SS特務部隊の侵攻に恐れを為した、
そういう見方もあるがな。

廊下の奥から一人の遊女が現れフォスの前に立ち、端唄の節回しで歌った。フォスはリズムを取りながら聞き入っている。

【遊女櫻木】
心でとめて帰す夜は 
可愛いお方のためにもなろと
泣いて別れて又御見文字ごげんもじ
猪牙ちょき蒲団ふとん夜露よつゆれて
あとは物憂ものうき独り寝するも
ここが苦界くがいの真ん中かいな

フォスは遊女とともに廊下の奥に消えた。

〔品川遊郭〕

遊郭を出ると一人のユーゲントが素早く風魔に寄ってきた。

【嵯峨野丸】
ニ〇、一五――ニ一、四五、
唱歌、演説、余興!
ニニ、◯◯、
消灯、就寝!

――全部言わないとね、
何だか気持ち悪くって。
これ、幼年学校の時間割だね。
もう君とは戦わないよ。
アプドロックが解けたみたいだ。
不思議な気分だよ――

二人のもとにユリアがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フォス大佐のことは聞きました。
彼は完全に踏み外しています――
私、心配で……
本国に問い合わせてみました。
フォス大佐のこと――
フォス大佐、爵位しゃくいを奪われて、
奸計かんけいめた弟に復讐したのです。
反逆者の汚名を着せて――

フォス大佐はシュタイナー家の長男だった。
弟の奸計かんけいめられ、爵位しゃくい剥奪はくだつされる。
弟はエルヴィン・シュタイナー――
SS上級大佐の地位にあった。
その弟が突撃隊員と男色関係にあり、
フォス大佐はそれを利用したのである。

【嵯峨野丸】
エルヴィンはフォス大佐を
追い出すために嘘を付いた。
大佐が別の男性の子だと父に告げ、
疑り深い父は大佐を追い出すことで、
自分に答えを出そうとした。
ゲルハルト・シュタイナー男爵だんしゃくは、
文具商のフォス家の養子になった。
ゲルハルト・フォスの誕生さ。
【ユリア・クラウフマン】
フォス大佐はシュタイナー家を告発、
一家はSS武装部隊の粛清しゅくせいを受け、
屋敷には火が放たれた――
【嵯峨野丸】
長いナイフの夜――
去年の出来事だよ。
シュタイナー家はなくなったのさ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたはどこでそれを知ったの?
【嵯峨野丸】
何日か前だよ。
先のアプドロックのときに、
一緒に入ってきたんだ。
【ユリア・クラウフマン】
きっとフォス大佐が、
そのことを思い出したのね――
【嵯峨野丸】
かも知れない――
今は解けているよ、アプドロック。
【ユリア・クラウフマン】
そうみたいね。
コージンに指揮を任せましょう。
彼も張り合いが出るでしょう。

【着信 喪神梨央】
四谷見附に向かってください。
猟奇倶楽部りょうきくらぶから招待が来ました。
隊長と合流してください。

〔四谷見附〕

公務電車は四谷見附で停まった。町は普段通りの賑わいを見せていた。
電車を降りる風魔を魯公が待ち受けていた。

【帆村魯公】
どういう風の吹き回しか、
猟奇倶楽部から招待が届いた。
特別のもよおし――
招待状にはそうあるだけだ。
開催は本日になっておる。
前に本部に届いたのと同じ封筒だ。

今度もさそいに乗ってみる――
ただ、前回と違うのは、
探信儀たんしんぎを新しくしたことだ。
この探信儀たんしんぎを使うんだ、風魔。

そう言うと魯公は携行式探信儀けいこうしきたんしんぎを取り出した。
これまでのと見たところ変わりはない。

【帆村魯公】
それは新山君が、
帝国電工製真空管に変えたもので、
探信たんしん力が高まっておる。
猟奇倶楽部は探信儀たんしんぎの空白域にある。
一探、ニ探、四探、六探――
それぞれの探信儀たんしんぎの範囲外だ。
携行式けいこうしきの性能を上げて、
なんとか場所を突き止めたい。
それがこの公務の目的だ。
じき、迎えの車が来る。
無理はするなよ、風魔。

四谷見附の省線を見下ろすところに立つ風魔。そこへ一台の車が近づき停まった。ドアが開き、黒服の男性が降り立った。

【黒服の男】
お待ちになりましたか、
喪神もがみ風魔ふうまさま――
さぁ、ご案内します。
――車へお乗りください。
例によって目隠し、
させていただきます。
きまりはきまりですから――
ご協力有難うございます。
それでは参ります――

迎えの車は例によって幾度いくたびも角を曲がり、坂を登ったり降りたりを繰り返し、やがて速度を増して走り出した。
突然、急ブレーキの音とともに停車した。ドアの開く音がして、何人かの靴音もする。
風魔は車を降りた――

車は路地裏のような狭い道に停まっている。前にはもう一台の車があった。風魔と黒服の男は、三人の黒頭巾姿の人物に取り囲まれた。

【黒服の男】
一体、何事ですか?
車の前に飛び出すなんて!
あなたたちは、もしかして――

うわぁ~~~

目にも留まらぬ速さで黒頭巾が黒服の男を突き飛ばした。そして風魔を向いて言う。他の黒頭巾も寄ってきた。

【真光の大元老Σシグマ師】
我々を締め出して、
ぜんたい、どういう了見りょうけんですか?
あなたは何を知るのですか?
【永久の聖石工長Γガンマ師】
我々には高位の会員としての、
プライドがある――
わかりますか、プライドだ。
今日のもよおしのことなど、
何も聞かされていない。
なのにあなたは招待されている――
【真光の大元老Σ師】
おかしいではないですか?
筋が通りませんねぇ――
【永久の聖石工長Γ師】
特務機関の人間が、
果たして猟奇倶楽部に何用だ?
一体、何を計画している?
【暗黒の凱旋がいせん将軍Δデルタ師】
秘匿ひとく中の秘匿ひとくというわけですね。
これは無理にでも聞き出すしか、
なさそうですね。

我慢は美徳と教わりましたが、
今日はたがはずしましょう!!

《バトル》

【暗黒の凱旋将軍Δ師】
一体、何を隠している!
我々を出し抜いて――

黒頭巾は斃れた。

【真光の大元老Σ師】
仕方ないですね――
車はもう一台出ています。
【永久の聖石工長Γ師】
品川駅か?
【真光の大元老Σ師】
あちらには二人向かいました。
東方の黒騎士長Δデルタ師と、
大階段の審判長Λラムダ師です。
【永久の聖石工長Γ師】
なら大丈夫だろう。
【真光の大元老Σ師】
しかしΔデルタ師が、リードボーで、
食あたりとなり不参加かも……
【永久の聖石工長Γ師】
何だと?
なら我々が行くしかない!
急ぐぞ、Σシグマ師!

そう言うや2人の黒頭巾は走り去った。それを見計らうかのように先程の黒服の男性がやって来た。

【黒服の男】
いやぁ、何でしょうか、
あの乱暴狼藉らんぼうろうぜきぶりは!
私はね、喪神風魔さん、
より高位の会員から
仰せつかっているのですよ。
さぁ、参りましょう。
また目隠し――
もうご自分でお願いします。

再び車は走り出したが、
ものの五分ほどで猟奇倶楽部に到着した。風魔は案内を受けながらホールに入った。

〔猟奇倶楽部〕

猟奇倶楽部のホールは、以前と同様、
かすかに乳香にゅうこうの香りがしていた。
他に人影はなく静まり返っている。

ホールの端、大きく開いた開口部からフォスがやって来た。

【ゲルハルト・フォス】
君はよほど仕事熱心と見える。
そうではないか、モガミフーマ!
クラブの迎えがシナガワに来る、
そう知らされてね――
もちろん食事は済ませたよ。

君に届いた招待状はどうだ?
私のにはシュタイナー家の紋章もんしょうが、
それは美しく印刷されていた。

ユリアの話ではフォスは家を追われた身だ。
その家こそがシュタイナー家である。

【ゲルハルト・フォス】
長いナイフの夜、
シュタイナー邸は焼かれてしまった。
両親と弟は炎を恐れなかった――
なぜなら、屋敷が燃える前に、
SS隊員に処刑されていたからだ。
弟エルヴィンは爵位しゃくいを持つために、
とても出世が早かった。
死んだ時はSS上級大佐だった。

エルヴィンは突撃隊員のハンスと、
男色の関係にあった――
あの田舎出の青年と仲睦なかむつまじくね。
弟が反逆思想に染まるのに、
そう時間はかからないだろう。
どうだ、違うかね?

ここのクラブが何を知るのか、
私にはわからないが、
あの紋章が意味するところは――

完全なる総統コンプレットヒューラーを前にして、
是非ぜひ埋めておきたい小さな穴――
完全体に穴は不要だからな!
【???】
大佐にはご用意がありますよ――

その声の後、黒頭巾くろずきん姿の人物が、
ホールに姿を見せた。

【従順なる隸Θしもべシータ師】
シュタイナー家の紋入りのカップ、
私の手元に残りますよ。
世界でただひとつの品です。
【ゲルハルト・フォス】
何だと?
あの紋入りのカップを持つのか?
それは本物か?
【従順なる隸Θ師】
ご自分の眼で、
お確かめになっては如何ですか?
付いてきてください。

黒頭巾姿の男は廊下に入り、
小さな部屋へ二人を案内した。
隣の部屋がガラス越しに見えている――

〔猟奇倶楽部・控室〕

【従順なる隸Θ師】
さぁ、大佐――
あなた自身を示すものを、
ご確認ください。
【ゲルハルト・フォス】
カップはどこにあるのだ?
この部屋には見当たらないぞ。
【従順なる隸Θ師】
隣の部屋ですよ、大佐。
さぁ、そこの扉から入ってください。

うながされてフォス大佐は隣室へ入った。
黒頭巾の男は扉を閉めかぎをかけた。
しばらくして時計がかねを打つ音がする。

フォスが入っていた扉の両脇にガラス窓があり、部屋の中を見ることができる。その部屋の壁際には伝声管のような管が突き出し、脇に何かの装置があった。フォスは部屋の中央に佇み、その目は宙を泳いでいた。

【ゲルハルト・フォス】
おおお!
これは……私のカップだ!
すべてをなくした私に、
唯一ゆいいつ残されたカップだ――
このカップで私は埋まる!

時計のかねは十二回鳴り、
さらにもう一度、打った。
かねは十三回鳴った――

【ゲルハルト・フォス】
あああ!
どうしたんだ!
私のカップが!!

何故だ?
なぜカップを……
割ったのだ!!

貴様――
殺してやる!

フォスがこちらを向く。両手をガラス窓に叩きつけている。

【従順なる隸Θ師】
これから濃厚セヒラを圧縮します。
喪神さん、愈々いよいよですよ!
本番です!
この館にはセヒラを圧縮する
装置が用意されています。
セヒラは大佐のいる部屋に出ます。

フォスのいる部屋にある伝声管のような管からセヒラと思しき気体が吹き出した。部屋は見る見る紫色に染まった。

その時である。フォスの体からアストラルが表出した。フォスの体は浮遊するかのように揺らいでいる。そしてもう一体、アストラルが現れた。2体のアストラルはセヒラの満ちた部屋で対峙している。

【クルト・ヘーゲンのアストラル】
暗闇の中、こうとした灯りが見えた。
それがこの場所なのか!
ハンスの名を呼ぶのは誰だ?

【ゲルハルト・フォス】
――あう……あう……うう……

【ゲルハルト・フォスのアストラル】
あの男色青年のことか!
弟のエルヴィンとよろしくやって、
共に粛清しゅくせいを受けたハンスのことか!
【クルト・ヘーゲンのアストラル】
貴様か!
ハンスをめたのは!

2体のアストラルは激しく打ち震えている。やがて濃縮セヒラによって部屋は深海のように暗闇に包まれてしまった。

第九章 第六話 水の想い

〔山王機関本部〕

九頭くず幸則ゆきのりの同輩、歩一の山本少尉が伝えた、荒川の工廠こうしょうについては、別途べっと、参謀本部の内偵ないていが入ることになった。

【帆村魯公】
山本少尉は秘密に近づきすぎた、
どうもそのようだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、大丈夫でしょうか?
一昨日から音信がありません――
本部にもおいでじゃないです。
【帆村魯公】
確か、あの……
吉祥院某きっしょういんそれがしが警護するとか、
そんな話じゃったな。
【喪神梨央】
レンザさんが付かれるんですね!
それじゃ安心です――
そうですよね、兄さん!
【帆村魯公】
鬼龍きりゅう大尉の同輩、御荷鉾みかぼ大尉も、
独逸ドイツ勢の動きに通じておるな――
【喪神梨央】
そして今は回廊を巡る――
【帆村魯公】
うむ……
御荷鉾みかぼ大尉の見解では、風魔、
お前は回廊に入ったことになる――

アラヤ回廊――
その存在はそれとなく伝わるが、実在を確認した者は誰一人としていない。

【喪神梨央】
独逸ドイツ人は修善寺しゅぜんじロッホを探して……
結局、見つけたんでしょうか?
淑子としこ姉さんの入院していた
サナトリウム、修善寺です――
【帆村魯公】
連中の言うロッホとやらが、
下で繋がって回廊を形成する――
理屈はわかるがな、
この目で見ないことには、
どうにもかいせんわ。

魯公ろこうはやや難しい顔をして本部を後にした。
修善寺しゅぜんじロッホの件、重ねて参謀本部に、調査を依頼することになったのである。

【喪神梨央】
そうそう、兄さん――
あきらさんがお話があるって。
アトリエに寄ってあげたら?

今日の公務ですが、
巡視パトロールの方面、後ほどお知らせします。

〔旭のアトリエ前〕

山王ホテルの裏、日枝神社の石垣に穿たれた入口。それを塞ぐ頑丈な鉄扉の前で能海旭の出迎えを受けた。

【能海旭】
梨央りおさんから、
連絡あったわけじゃないよ。
何となく来るってわかったんだ。
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央さんからね、
ベラドンナのこと聞かれたんだ。
だから、風魔さんにも教えておくね。

【能海旭】
ベラドンナは花の名前よ。
美しい女性っていう意味よ。
イタリア語だって教わった。
くすんだ紫色の花を咲かせるの――
美しさとは裏腹に、
根や茎に強い毒を持つのよ。
その毒から作った膏薬こうやくによって、
さまざまな幻覚作用が起きる――
トロパンアルカロイドという成分ね。

魔女がほうきで飛んだりするのは、
空飛ぶ幻覚にとらわれるから――
実際に飛ぶわけじゃないんだ。
バスク地方の魔女たちは、
幻覚を見る膏薬こうやくを身体に塗って、
エメンエタハン、エメンエタハン――
そう唱えながら錯乱さくらん状態になる。

魔女の膏薬こうやくは他の地域でも、
例えばフランスや北欧にも伝わる。
ベラドンナの他に、
トリカブトの毒を調合することも。
より空飛ぶ感覚が得られるのよ。

そこへ吉祥院蓮三郎が姿を見せた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、
あきらさま、風魔ふうまさま――
【能海旭】
どうした?
九頭くず中尉の警護は大丈夫か?
【吉祥院蓮三郎】
その九頭中尉ですが、
青山一丁目から市電で渋谷に。
次の電車で追ったのですが……
【能海旭】
何だ? 見失ったのか?
【吉祥院蓮三郎】
かたじけないであります――

【能海旭】
しかし、何で渋谷になんか、
用があるのだ、あの中尉は?
【吉祥院蓮三郎】
渋谷には憲兵大隊が――
おそらくはゼロ師団の仮構かこうかと。
【能海旭】
そうか……
いざなわれたりしなければいいが。

風魔さん、
今日の公務、渋谷方面はどう?
電車通を進むといいよ。

〔旭のアトリエ前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
赤坂見附電停においでください。
公務電車、待機させます。

それから……
赤坂の大柱ですが、消えました。
すっかりなくなったんです。
新山さんが調査中です。
あとで落ち合ってください。

〔青山街路〕

青山通を渋谷に向かっていた公務電車だが、青山三丁目で九頭くず幸則ゆきのりの姿を確認、風魔は電車を降り、九頭の元へ駆け寄った。

【九頭幸則】
風魔!
ちょうどよかった。
機関本部に行こうと思っていたんだ。

いやな、渋谷憲兵大隊に招待され、
主だったところを見て回ったんだ。
隊舎の中は、歩一なんかと大違い、
廊下には赤絨毯あかじゅうたんが敷かれているんだ。
広間では音楽が流れている――
ちょっといいか――

九頭は風魔を路地裏に誘った。

【九頭幸則】
大きな声じゃ言えないがな、
あそこはやっぱり怪しいぞ。
東京の憲兵は一ツ橋に移った、
東京憲兵隊本部が統括する。
山梨、神奈川を除く第一師管だいいちしかんだ。
そのうち東京憲兵隊渋谷分隊は、
道玄坂どうげんざかの途中、上通うえどおりにある。
渋谷区、目黒区、荏原えばら区を管轄する。
道玄坂上どうげんさかうえの渋谷憲兵大隊は、
おそらく工廠こうしょうと同じ性質だ。

そこまで言うと九頭は青山通に用心深そうな視線を投げかけた。

【九頭幸則】
壁に耳ありだからな!

それでだ、憲兵大隊の方だけど、
安寧あんねい課少尉係長というのが出てきて、
俺を憲兵中尉として迎えると、
そう言うんだ。
上等兵で志願して憲兵下士になる、
というのならわかるけど――
歩騎ほき将校から憲兵になるなんて、
聞いたことがない。
そう言うと係長は、
転隊を認めるとまで言い出すんだ。

あまり深入りしないほうがいいな、
なんか嫌な感じがしてきた――

【着信 喪神梨央】
新山さんが向かっておいでです。
【九頭幸則】
うわっ!
びっくりしたよ、梨央りおちゃん!
【着信 喪神梨央】
中尉は公務電車でお戻りください。
青山三丁目にて待機中です。
【九頭幸則】
了解了解!
公務電車、乗せてもらえるんだ。
風魔、先に戻るよ。

九頭と入れ替わるようにして新山がやって来た。

【新山眞】
喪神さん、愈々いよいよですよ、
事態は動き始めたようです。
赤坂の二本の大柱、
綺麗さっぱり消えてしまいました。

おそらくは――
帝都満洲にキタイスカヤが、
しっかりと定着したからでしょう。
あの二本の柱を依代よりしろにして、
キタイスカヤは存在し得たのです。
それが今や確かなものとなり……
大柱は不要となったのです。
キタイスカヤの街は、
帝都満洲にあって結界内のように、
ほとんどセヒラを観測しません。

思うのですが……
キタイスカヤ街は哈爾浜ハルピンにある、
キタイスカヤ街と繋がっている――
そうではないでしょうか?

つまり……ややこしいですが、
現世にあるキタイスカヤと繋がる、
その場所が、きっとあるはずです。

二人の話すところへ赤坂方面から梨央がやって来た。

【喪神梨央】
満洲風に言うと、埠頭区プリスタン新城大通ワゴロドナヤにある東方飯店ホテルボストーク――
ホテルで二つのキタイスカヤ街が
繋がっているのです。

兄さんと麗華さんが、
その部屋でお話されました――
あれは四◯八号室でした。
二つの波形が重なり、
微動だにしないのです。
そのホテルのある辺りが……
【新山眞】
なるほど――
ホテルで二つの世界が繋がる、
なかなかおもしろいですね。

【喪神梨央】
兄さん――
これを見てください。
【新山眞】
これは……
ホテルボストークの便箋びんせんですね。
何が書いてありますか?

【喪神梨央】
先程、式部さんがおいでになり、
読んでいただきました。
希伯来ヘブライ語だそうです――
【新山眞】
それで、意味は?
【喪神梨央】
エラ ツエーツエイン マイム
ハダシュ オ……

オの後がわかりません。
これは文章ではなく単語だそうです。
女神、子孫、水、新しい――
エラといういうのは女神なんですね。
範奈さんのお父さんが、
キタイスカヤでおっしゃいました。
エラ、エラ――
でも後が続かなくて……
あの時は何のことやら、
さっぱりでした。
【新山眞】
するとこのメモは……
【喪神梨央】
範奈はんなさんが書かれたようです。
ホテルの部屋で書かれたのです。
【新山眞】
この便箋びんせんがヒントですね。
喪神さん、キタイスカヤ街です。
ということは範奈はんなさんは――
【喪神梨央】
鈴代さんからうかがったのですが、
範奈はんなさん、満洲に渡られました。
おそらく哈爾浜ハルピンです――
お父さんとお会いになったのも、
キタイスカヤでした――
あれは帝都満洲の側ですね?
【新山眞】
そのはずです――
今度は……

なるほど!
現実の哈爾浜ハルピンと帝都満洲が接続し、
メモが帝都に現れた――

我々にはゲートがあります。
喪神さん、キタイスカヤ街には、
赤坂哈爾浜ハルピンから行けるはずです。
【喪神梨央】
これから戻って、
赤坂哈爾浜ハルピンのセヒラ、
観測始めますね!!

埠頭区プリスタンにあるホテルボストークが、満洲と帝都満洲を繋ぐという。
風魔は赤坂哈爾浜ハルピンからホテルを目指した。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
先の十字路を右に曲がってください。
ホテルボストークは、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
わずかにセヒラを観測します。
注意してください。

キタイスカヤ街は静寂の中に沈んでいた。人の姿はなく渡る風さえなかった。
そこへ一人の背広姿の男性がやって来た。

【千葉の莫大小メリヤス商】
いやぁ、困りました――
すっかり見当識を失いました。
松花江スンガリーに出ようとね、
いやね、遊覧船にでも乗ろうかと。
ホテルでうたた寝したのです。
ロビーに降りたら、なんと私一人!
町の中にも誰もいない――

ここはキタイスカヤなんですか?
哈爾浜ハルピンかキタイスカヤか、
キタイスカヤか哈爾浜ハルピンか――

日本人は哈爾浜ハルピン銀座と呼ぶそうです。
石畳いしだたみの歩道には散策の外国人が、
軽快なるステップを運び、
およそ東洋からかけ離れた雰囲気は――

って、誰もいないじゃないですか!!
私一人、あなた一人、一人、一人!
うぎゃぁぁぁぁ~

《バトル》

【千葉の莫大小商】
はぁはぁはぁはぁ……
何が東洋のモスコーだ、
こんなところ!

【着信 喪神梨央】
今の人は、哈爾浜ハルピンのホテルから、
こっちに来たようですね。
他にもいるかも知れません。
注意して進んでください。

四つ辻を曲がって山郷武揚が姿を見せた。山郷は風魔を認めると静かに切り出した。

【山郷武揚】
人助けというのは、
人の為ならずとはよく言ったものだ。

ハオ社長ご自慢の野蚕やさん
白黄斑山繭しろきまだらやままゆかびで全滅してね。
それじゃ商売上がったりだ!
そこで私が特上の絹糸けんしを調達した。
そのときの社長の喜びよう、
なかなかのものだったよ。

甲斐絹かいきの対価として、
私はアルツケアンを受け取った。
その不思議な石のことは、
エメリヒと言う名のかい族の少年から
詳しく聞き及んでいたよ――

エメリヒは独逸ドイツ人研究者につかえたかい族だ。
研究者に気に入られ、独逸ドイツに連れて行かれ、アーネンエルベにも出入りしたらしい。

【山郷武揚】
独逸ドイツから戻ってきたエメリヒは、
別人のように利口りこうになっていた。
私はあの子から多くを学んだよ――

烏魯木斉ウルムチ近くに落ちた隕石いんせき
アルツケアンには、
宇宙が閉じ込められている――

アルツケアンの衝突により、
大きなセヒラ場が生じる――
それはまるで宇宙創造の瞬間だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇しています!
注意してください。

俄に山郷の周囲にセヒラが漂い始めた。

【山郷武揚】
山王機関は熱心だね!
こんなところまで探信たんしんしているのか。
君たちは大いに勘違いしている。
私の開いた古式東雲しののめ流――
それはもはや古式ではなかった。
鬼神や妖魔を自らに降ろす古式、
しかしそれでは戦力にはならない。
古式を超えてを指揮する――
私はそこに至ったのだ。

しかしそこに頂きはなかった。
鈴代によって未来を奪われたのだ。
鈴代にすれば私は家系の染みだ。
一点の染み――
フフフフ……

だが私と鬼龍きりゅう大尉には、
残されたものがあるのだよ。
もう一度、機会をもらおうではないか!

《バトル》

【山郷武揚】
まだ他にも手はあるはずだ。
猶太ユダヤすえを招き寄せる方法がな。
この世界にはまだ見ぬ力が眠る。
触れてはならないかも知れないが。
パンドラのはこは開かれるのだ――

そう言うと山郷は踵を返して去った。

【着信 喪神梨央】
アルツケアンって、
そんなに大きな力を秘めている、
そうなんですね――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだ何かの波形を観測します。
ホテルの方へ向かってください。

ホテルのある街区へ入ったところで、鉢合わせするかのように廣秦範奈と出食わした。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、姉に呼ばれたのです。
いえ、姉の思念に触れたというか……

目覚めたらホテルの部屋でした。
そこではっきりと、
姉に触れたのです。
姿は見えないけれど――
とても確かなことでした。

範奈は姉の印象を語る――

【???】
範奈はんな――
あなたを見たのは、
小さな頃、一度だけよ。
万世橋駅近くの商家ね。
あなたの前では私は美香みか
廣秦美香ひろはたみかだったわ――

範奈は風魔から目をそらし俯いた。
再び姉の印象を呼び覚ましている。

【廣秦範奈】
先程のお父さまのこと、
お話いただけませんか?
廣秦伊佐久ひろはたいさく、それが父さまですよね?
【美香の声】
ええ、私たちが生まれてからはね。
その前は古賀容山こがようざんという篆刻師てんこくしよ。
雅号を持つ前は古賀喜一こがきいち――
父は古賀家の婿養子むこようしなの。
篆刻師てんこくしとして五大幻石ごだいげんせきを探して、
長野の方で行方不明になったのよ。
【廣秦範奈】
五大幻石ごだいげんせき
【美香の声】
自然珪しぜんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石ねんめんせき
玄武晶げんぶしょう。まだ発見されていない石よ。
父はそれらを求めて姿を消したの。
【廣秦範奈】
お姉さまはお父さまに、
お会いになったのですか?
【美香の声】
父は何かの拍子に遠い未来に行き、
そこで気脈を整える装置を作った――
それが働いたのよ。
私も父と同じ時代に生きた。
ニ〇一五年、九龍城砦にある光明路、
私は今もそこにいるのよ。
【廣秦範奈】
ニ〇一五年……
日本ではないのですね?
お父さまもご一緒ですか?
【美香の声】
父とははぐれてしまったの。
また深いところを巡っているようよ。
この町で私はラウ美鈴メイリンを名乗るの。
そうすることが自然だから――
でもたまに父に近づくの。
そして言葉を預かったわ。
【廣秦範奈】
どのような言葉ですか?
【美香の声】
冬至の朝、水辺に――
私たち姉妹で為すことがある、
父はそう伝えたわ。
【廣秦範奈】
水辺……
それは海ですか、湖ですか?
それとも――
【美香の声】
まだわからないわ――
【廣秦範奈】
水辺で姉さまに、
お目にかかれるのでしょうか?

しかし姉の答えはなかった。範奈の姉の印象は消えてしまった。

【廣秦範奈】
姉さま!
もう行かれたのですか?
姉さま――

範奈は風魔を見た。その眼を力強く見つめた。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、ここに何度か来たような、
そんな気がしています。
眠っている間に、
父上の言葉を預かったような――

もう一度、ホテルの部屋に戻ります。
冬至に間に合うように、
日本には戻ります。

範奈は踵を返し、確かな足取りで歩き去った。
そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにお戻りください。
ホテルでは戻れません!

〔山王ホテルロビー〕

祓えの間から山王に戻った風魔。ホテルロビーにいると梨央が本部からやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
大変です、彩女あやめさんが――
青山の脳病院に、
彩女さんの遺書があったと。
もうじき式部しきべさんがおいでに――

梨央が言い終わらないうちにホテル玄関から式部がやって来た。

【喪神梨央】
式部さん!
彩女さんの遺書って、本当ですか?
【式部丞】
ええ、あれは遺書です。
間違いようもありません――
捜索そうさくの依頼で警察に渡しましたが。
警察では何とか追いつける、
そう見込んでいるようです。
今は任せるしかありません。
【喪神梨央】
それで、遺書には、
どんなことが書いてあったんですか?
【式部丞】
このような乾いた世界では、
もう生きていけない、
兄さんを追いかけるのだと――
【喪神梨央】
彩女さんのお兄さんって……
【式部丞】
周防高麿すおうたかまろ、文学青年でした。
四年ほど前、一碧湖いっぺきこで入水しました。
【喪神梨央】
え? そうなんですね……
一碧湖いっぺきこ――
【式部丞】
一碧湖いっぺきこは、ある女性が入水してから、
しばらく後追いが続きました。
【喪神梨央】
独逸ドイツ人医師に殺されたユーゲントが、
投げ込まれたのも一碧湖いっぺきこです。
それにしても――

彩女さん、お兄さんのこと、
よほどお好きなのですね?
【式部丞】
兄さんが読書家なので、
少しでも話が合えばと、
セルパン堂で働いていたのです。
そしてオフィーリアという文芸誌を
購読していました。
【喪神梨央】
オフィーリア――
【式部丞】
ハムレットのヒロインです。
最後には気が触れて川に落ちます。
その様子を描いた絵が――
【喪神梨央】
ミレーの絵ですね!
上野の死ぬ死ぬ団の女性が、
口にしていました。
【式部丞】
漱石そうせきも取り上げていますね。
草枕にあります――

オフェリヤの合掌がっしょうして水の上を
流れて行く姿だけは、
朦朧もうろうと胸の底に残って――

漱石そうせきはテイト・ギャラリーで、
実物を見ているはずです。
そして思い違いをした――
【喪神梨央】
実際に見ているのに?
【式部丞】
ミレーのオフィーリアは、
合掌がっしょうに組んではいません。
思うのですが――
一碧湖いっぺきこといい、オフィーリアといい、
いずれも水にちなみますね。
【喪神梨央】
そういえば、彩女さん、
魚座だと言っていました。
【式部丞】
魚座は情緒じょうちょ豊かな空想家――
まさに彩女君そのものですね。
【喪神梨央】
彩女さん……
もう手遅れでしょうか?
【式部丞】
警察からの連絡を待ちます。
私たちにはそれしかできません。
喪神さん、
私はセルパン堂に戻ります。
【喪神梨央】
兄さん――

【新山眞】
喪神さん、梨央ちゃん!
広尾橋界隈かいわいでセヒラ急上昇です。
波形からすると――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【新山眞】
周防すおう彩女あやめさんです、おそらく……
【喪神梨央】
ええ? だって彩女さんは――

梨央は新山に彩女の遺書の話をした。
現在、警察が全力で追っていることも。

【新山眞】
だとしたら――
広尾橋にあるのは……
アストラル?
【喪神梨央】
じゃ、もう……
彩女さんは――

兄さん、お願いします!
広尾橋……いや、その近くです。

〔渋谷区豊受町〕

広尾橋電停で公務電車を降りた風魔は、宮邸脇を抜け豊受町界隈へ。
省線恵比寿駅と高樹町を結ぶ通りに出た。

【着信 喪神梨央】
%▲&士――
そこ◎★%&▲%ですか?

不意に建物の影から彩女が現れた。彼女は真っ直ぐ風魔のもとへ来た。

【周防彩女】
喪神もがみさん――
彩女、乱歩先生にご迷惑を
おかけしたかしら?
勝手にオリムピア号のお話、
披露ひろうしたりして――

でも言葉がどしどし出るのですわ。
オフィーリアを読んでいても、
ちっとも頭に入って来なくて、
知らない間につづっているのですわ。

彩女、兄さまにいざなわれている、
そう思うようになったのですわ。

するとどうでしょう、
すーっと身体が軽くなり、
いろいろのこともなくなり――

あれはまだ小さなときですわ。
兄さまと高尾山たかおさんに行き迷子に……
何時間も暗い山の中を彷徨さまよいました。
兄さまは、彩女、大丈夫か、
まだ歩けるかとしきりに心配され、
彩女は歯を食いしばって歩きました。
ようやくさわにたどり着き、
そこで少し休むことになりました。
彩女は木にもたれ眠りました。

いかほど経ったことでしょうか、
兄さまの声で目を覚ますと――
兄さまは沢の水をてのひらみ、
彩女に飲ませてくれたのです。
兄さまのてのひらから頂くお水は、
とても甘く柔らかくそして暖かく、
彩女の中に溶けていったのです――

彩女は兄さまとひとつになりました。

式部しきべ店長が御本に向き合われる時、
そこに兄さまの面影おもかげを認めますわ。
うなじの姿がそっくり――

でも兄さまとは違うのです!
兄さまはあんなことはされません。
大切な御本を破くなんて――

ある日、彩女は夜まで眠りました――
目を覚ますと書庫の方で物音がして、
その後店長がお出かけになりました。

彩女、書庫をのぞいて吃驚びっくりしたのです。
ゲエテの御本のページが破られ、
御本が半分ほどの薄さに――
きつねの裁判という美しい御本です。

兄さまは絶対ご本を破るなど、
そんなことなさいません!

店長の中に兄さまを認めていた、
彩女はとてもおろものなのです。

兄さま――兄さま――
兄さまは彩女をお呼びなのです。
呼んではいけないのだとお思いです。

――そんなことはございません。
彩女は行かなくてはなりません。
水の中で再び結ばれるのです。

私たちはまるでウンディーネと
ユーゴのようなのですわ――

そこまで言うと彩女は暗誦を始めた。

【周防彩女】
時計の十二時を示すや一陣いちじんの風と共に雨さえ加わり雷鳴がして、
ウンディーネが現れる。
ユーゴーは非常に後悔こうかいをして、
ウンディーネの腕を取ってびるが、
しかしウンディーネはそのままユーゴーをひかれて深く深くしずんでく――

突如として激浪げきろうが起こり、
華美を尽くせる大広間は
忽然こつぜんとして大海の如くなり、
水の神の水晶宮すいしょうきゅうが現出する――

彩女が語り終えた時、辺りが暗くなり薄暮のようになった。再び光が戻った時、目の前には千紘がいた。

【千紘】
ここは彩女の記憶なんだね――
彩女をそのままにしていて、
僕は自分のことが少し見えた――
そんな気がするんだ。
とかく水にちなむからね、彼女は。

それは、とりもなおさず、僕の中に、
水の要素を含むということさ!

心霊的なビジョンとされる、
メリュジーヌは、水の中にあり、
楽園的な存在を留めているのさ。
メリュジーヌは、人の血液にも、
命脈を保ち続けたと言われている。

僕の中の水の要素が、
高麿たかまろの入水自殺をもたらし
そこに彩女が強くかれた――

一見、不安定な彩女だけど、
水に向き合うことで、
彼女は安定していたんだよ。

でも彼女は式部丞に何かを見た――
兄を重ねているのは知っていた。
でもそれじゃない。
彼女の心に小さな穴が空いたんだ。
そういう中はじきに大きくなる。

だからおしまいにしたのさ。

フフ――
この僕が何かに不安を覚えるなんて。

どうだい?
君の力で僕の不安を払拭ふっしょくするのは?
いい考えだと思うよ!!

《バトル》

【千紘】
君はとても力をつけている。
新しい世界でもやっていけるね。
そのときが楽しみさ!

僕はホテルボストークにいる。
また時機じきを見て姿を見せるよ。
芽府めふ須斗夫すとおの予言通りなら――

千紘は音もなく建物の影に消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫でしたか?
ユリアさんが相談したいと――
アーネンエルベに向かってください。

〔アーネンエルベ〕

ユーゲントを指揮する虹人こうじんからの連絡で、帝都で怪人が姿を消しつつあるという。
廓清かくせいされるのではなく怪人のまま消えるのだ。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
来てくれたのですね。
コージンはユーゲントを連れて、
帝都をめぐっています。
そして妙なことを――

怪人が怪人のまま、
どこかに姿を消すと。

怪人はきを解かれて、
はじめて怪人ではなくなる――

怪人のままいなくなるなんて。
何かの作用が及んでいる、
そう思えてなりません。
フーマ、また新しいことがわかれば、
連絡します。

私……不安です……

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
先ほど、あきらさんたちがおいでになり、
彩女あやめさん、あ、いや、千紘ちひろさん、
間違いなくメリュジーヌですって。
その転生した姿だそうです。

メリュジーヌは仏蘭西フランスの伝承で、
魚の尾を付けた女性だそうです。
毎週末、尾を付けて海に帰る、
それを夫に見られたことで、
ずっと水の中で生きることに――

詳しいこと、あきらさんが調べるって、
そう仰っていました。
学校の図書館に向かわれました。
式部しきべさんからはまだ何も……

うまく受信できませんでしたが、
もう彩女さんはいらっしゃらない、
そうなんですね?

でも、どうして本を破ったり……
本を大事にされないのでしょうか?

その夜、式部から電話があり、一碧湖いっぺきこでは彩女は見つからなかったという。
風魔の報告を受けた梨央が彩女の件を話し、式部は考え込んだ後、人格の死と命名した。
周防すおう彩女あやめは人格の死を向かえたのである――

第九章 第五話 トゥーレの館

九頭くずの報告を知り、新山眞にいやままことがやってきた。仮構かこう世界に向き合うために、夢玄器むげんきを改良したのだという。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお見えです。
夢玄器むげんきが新しくなったとか。

【新山眞】
新しいというのではないのですが、
思念の中に入っていく仕組みと、
仮構かこうの仕組みは似ているのです。
そこで共振回路に手を加えて、
復調波ふくちょうは大S値だいエスちを加えることで、
仮構かこう世界の実体が見えるようにと――
【九頭幸則】
ええ、じゃ、あの渋谷憲兵大隊も、
それでのぞくと活動キネマ館だったり、
薬屋の倉庫だったりするんですか?
【新山眞】
どうでしょうか……
仮構かこうされて時間が経っていると、
それは難しいかもしれませんね。
【九頭幸則】
三日前に青山せいざんホテルで、
ディナーを楽しんだ奴がいるよ。
うちの隊に――
【新山眞】
そうだとすれば、
トゥーレの館になって、
まだ間がないですね。
【喪神梨央】
それじゃ、兄さん、
青山ホテルへお願いします。
九頭中尉はどうされますか?
【九頭幸則】
え、う……あ、あ……
いきなりそう言われると、
俺まで仮構かこうされたみたいだな――
もちろん、風魔に同行だ!
【喪神梨央】
承知しました!
公務電車、手配します!

〔青山通〕

青山六丁目交差点で事故が発生した。
市電と車が衝突したとのことだった。公務電車は青山通で停止した――
電車通には車が二台停まるきりで市電はなかった。市民が数名たむろしている。そして空にはカラスが乱舞する――

【九頭幸則】
青山六丁目って、
よく事故があるな――
先だっても一日に六回もあった。
皆、市電と車の衝突だよ。
それにしても――

背広姿の男性が近寄って来た。渋谷方面からやって来たようだ。

【青山のラヂウム商】
ここにまでいやがりますなぁ~
ええ、カラスの奴です、黒い奴!
【九頭幸則】
普段とは違いますか?
【青山のラヂウム商】
違うも何も、軍人さん、
公爵邸こうしゃくていの周りはカラスだらけ、
まっくろけ~
【九頭幸則】
公爵邸?
それはどちらの公爵ですか?
【青山のラヂウム商】
この辺で公爵といえば、
フンゲルハウワー公爵ですよ、
まさにその館です。
【九頭幸則】
フンゲルハウワー?
聞いたことが無い……
【青山のラヂウム商】
タングステン貿易で大儲おおもうけ、
でも青島チンタオ権益けんえき失って没落ぼつらく
この帝都に館だけ残された――
この辺では有名な話です。

空き家になって、はや十年――
たまに電気がくといいますよぉ。

カァカァ カラスガ ナイテイク
カァカァ カラスガ トンデイク

カラスの鳴き真似をしながら男性は青山方面へと歩き去った。カラスが屋根の上でしきりに鳴いている。

【九頭幸則】
同輩どうはい付合いの日曜下宿が、
この近くの高樹町たかぎちょうにあるんだ。
海苔のり屋の二階だ。
俺もちょくちょく来るけど、
フンゲル何とかの話なんか、
まったくの初耳だぜ――
まるでお化け屋敷みたいだな。
そうか!!
そのフンゲルも仮構かこうじゃないか、
きっとそうだよ!

それに答えるかのようにさらにカラスが鳴く。

【九頭幸則】
いや……ホテルが仮構かこうなのか……
――ああ、なんか混乱するな!

鳴き声を重ねながらカラスが一斉に飛び立った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
鈴代さんから連絡があり、
麗華さんと一緒にホテルに向かうと。
それ以上のことはわかりません。
【着信 帆村魯公】
カラスの鳴き声が聞こえるぞ。
やけに多くいるようだな――
アーネンエルベの使い魔――
かも知れんがな……
ユンカーもヘーゲンもいない今、
ぜんたい誰の使い魔なんじゃろか。
注意して進むべし、八号帥士はちごうすいし

二人は青山ホテルと思われていた洋館の前に来た。門前に二人の男性が立っていた。その二人の周囲にはカラスの群れがあった。

【九頭幸則】
ホテルに変わったところはないな。

九頭がそうつぶやくと、一人の男性が歩み寄った。

【西洋かぶれの紳士A】
ここは現代青年の作法心得を、
しかと学ぶ館であります!
それもほまたか仏蘭西フランス流儀です。

もう一人も来る。

【西洋かぶれの紳士B】
晩餐ばんさんの場についたなら、
剛健ごうけんなる現代青年の作法をもって、
終始しゅうしせねばなりません。
【西洋かぶれの紳士A】
出る皿々は、驚くべき速力と、
騒音とをもって見事に平らげます。
婦人たちに紳士しんしの力を見せるべく――
【西洋かぶれの紳士B】
フォークを二本の指で曲げる、
皿をこぶしにて叩き割るなどして、
食事が終わるやいなや――
【西洋かぶれの紳士A】
テーブルクロースをいて、
手や口をさっさとぬぐい、
悠然ゆうぜんと十三文甲高こうだかの靴をば、
【西洋かぶれの紳士B】
テーブルの上へと投げ出し、
巴奈馬パナマ葉巻をくゆらすのであります。

そこまで言うと二人の男性はそれぞれ左右に駆けて行った。

【九頭幸則】
何なんだ、今のは一体?
どんな作法なんだ――

九頭と風魔は洋館の庭へと踏み込んだ。洋館の脇に音もなく仮面の男が現れた。

【九頭幸則】
おい、見ろ、風魔!
あれは……仮面の男だ!!

やおら仮面の男がくぐもった笑い声を上げた。周囲の風景が歪み始めている――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
中尉は大丈夫ですか?

仮面の男はひとしきり笑い終えると、おもむろに両手を広げた。その手の周りにセヒラが漂い、やがて渦を巻き始めた。セヒラの渦は仮面の男の周囲に広がった。

【九頭幸則】
ううう、どうした、急に!
体が……重いぞ!

九頭は辛そうに腰折りとなった。その刹那、仮面の男が滲みながら消え、替わりに黒い仮面を被った人物が現れた。リヒャルト・フィンケである。セヒラはいたるところで渦巻いている。

【リヒャルト・フィンケ】
現実――仮構かこう――現実――
フフフ――

フィンケが不敵な笑いを残して消え、そこへ仮面の男が現れる。

【九頭幸則】
この……匂いは……
渋谷憲兵大隊と同じ――
この甘い……匂い……
――うっ!!

仮面の男がぶれながら消え、そこへフィンケが現れる。

【リヒャルト・フィンケ】
人間というのは、
あまり多くの現実に耐えられない。
――いい言葉じゃないか!
トゥーレの館へ、ようこそ!
ヘル、フーマ!

フィンケがぶれながら消えた。そして仮面の男――

【九頭幸則】
風魔!!
奴はすきを見せているぞ!

持ち直した九頭は、仮面の男を見据えたまま言った。それを聞いた風魔、すかさず仮面の男の前へ駆け寄った。

《バトル》

【仮面の男】
イッヒ……イッヒ……
――崩壊!ツーザンメンブロホ
――崩壊!ツーザンメンブロホ

――長い冬……ランガーヴィンター

仮面の男は腰を折っている。これまで被っていた仮面が地面に落ちていた。そして仮面の男の顔のあったところには小さなセヒラの渦が見える。渦の中心は漆黒の闇であった。
風魔は落ちている仮面を拾った。

【着信 喪神梨央】
物凄いセヒラです!!
波形も初めての形です!!
――兄さん!!

仮面の男から幾筋ものセヒラがほとばしり、やがて半球状のセヒラ球を形成した。周囲から光が失われた。

しばらくして光が戻った。セヒラ球は消えており、仮面の男の姿もなかった。風魔の傍へ九頭が駆け寄る。

【九頭幸則】
おい、風魔!
お前たち二人とも、
スーッと浮かび上がって――
ホテルの屋根あたりまで昇ったぞ!
その後、セヒラに包まれて、
姿が見えなくなった――
奴を倒したのか?
仮面の男だ。
お前だけがスーッと降りてきた……

九頭に言われ風魔は強く目を閉じた。次に目を開いたとき、仮面の男のいた場所に鬼龍が立っていた。

【九頭幸則】
あなたが騒動の元か!
鬼龍きりゅう大尉!
【鬼龍豪人】
歩一のロマンチスト将校と、
やりあうつもりは毛頭ない!
【九頭幸則】
白山集会所で監視下に置かれていた、
そうじゃないのか、大尉!
【鬼龍豪人】
時間は私に味方したのだ。
お陰でゆっくり自分に向き合えた。
【九頭幸則】
もしや……
仮面の男も、実は大尉、
あなたなんじゃないのか?
【鬼龍豪人】
ウワハハハハ~
それは新しいな!
私は昨夜から忙しくてね。
トゥーレの館で儀式を行った――
神の仕事ベルクゴッテスと呼ばれる儀式だ。

鬼龍はスターヴを現した。それは幻影なのか……

【鬼龍豪人】
私に与えられた文字は四つだ。
皆、ルーン文字だ――
自己マンナズ破壊ハガラズ変革サガズ、そして完全シグル――
シグルには太陽の意味もある。
これら文字を組み合わせる文様、
スターヴを柘榴ざくろの木の板にり、
それを私の血でなぞる――
心臓から繋がる左手の親指に、
銀のナイフを滑らせ滴る血でなぞる。
スターヴには願いを叶える、
強い霊力が宿る。
私の血で愈々いよいよ力が放たれる!
昨夜、大熊流星群の方角、
赤経一◯時ニ四分、赤緯三七度を
仰ぎ見て心の扉を開いた!
私は染 化ファーブストッフされたのだ――

スターヴのイメージは消えた。依然、鬼龍が語っている――

【鬼龍豪人】
スターヴを描いた柘榴ざくろ板を燃やし、
その煙を吸って儀式は終わった。
昨夜以来――
私は一度も息をしていない。
だがなんともないのだ!

そこへ鈴代が青山通の方からやって来た。

【九頭幸則】
鈴代!
どうしてここへ――
【鬼龍豪人】
私が呼んだのだ。
白山神社に置いた香合が、
瑞祥ずいしょうを現したようだね。
【如月鈴代】
香合の中にメモがありました。
トゥーレの館に来るようにと――
【鬼龍豪人】
あなたはご自分のことを、
よく理解されているようだ。
【如月鈴代】
そうでしょうか……
【鬼龍豪人】
鈴代さん――
あなたこそ古式を継ぐべきです。
あなたには機根きこんそなわる――
私は染 化ファーブストッフした――
トゥーレの館流の召喚師として、
今や完全な存在になろうとしている。
だからこそ、
古式の奥義をあなたに継ぎ、
私は身軽にならねばならない。
【如月鈴代】
鬼龍さん――
あなたにそなわる古式流儀ですが、
それは叔父山郷の……
【鬼龍豪人】
鈴代さん!
あなたは東雲しののめ流の再興を願った、
そう伝え聞きましたよ!
【九頭幸則】
しつこいぞ、大尉!
鈴代の決意は固いんだ。

どこからともなく麗華が現れ、鈴代の傍に来た。

【鬼龍豪人】
麗華さん!!
【九頭幸則】
――麗華さん……
【月詠麗華】
豪人たけとさま――
ようやくお目にかかれました。
豪人さまが白山神社に置かれた香合、
その瑞祥ずいしょうは、私に届いたのです。
北の夜空に現れた光の筋――
あの光が私を導いたのです。
そして香合を見つけました。新京シンキョウ神社にあったのと同じ香合です。
中にはメモが……
振り返ったその時、鈴代さんが――
神社で鉢合はちあわせになったのです。
【鬼龍豪人】
麗華さん!
あなたには何か深いものを感じる。
それは毒々しい色を帯びている!

そう言うや鬼龍は洋館の方へ面を向けた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
トゥーレの館の扉を!

鬼龍の叫びに呼応するかのように洋館はまるごとセヒラに包まれた。

【着信 新山眞】
今です、夢玄器むげんきの装着を!
それで仮構かこうの中を確認できます。

風魔は夢玄器を装着した。眼前には銀河ゼットー博士の研究室で見たのと同じ夢玄域が現れた。夢玄域の中に洋館が浮かび鬼龍もそこにいた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私を見てください!
昨夜、無事に染 化ファーブストッフを済ませ、
トゥーレ召喚術のマイスターに――
そうではありませんか?
【リヒャルト・フィンケ】
この甘い香りを!
ベラドンナの香りはかくも甘い。
甘く、みつのようにまとわりつく――
【鬼龍豪人】
ヘル!
私には香りがわかりません。
昨夜から息をしていないのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは本物だよ、鬼龍きりゅう大尉。
君は愈々いよいよの時を迎える――
【鬼龍豪人】
やはり……
そうなんですね!
トゥーレ召喚師として成るのですね!

夢玄域の中に突然麗華が姿を見せた。

【月詠麗華】
豪人さま!
私にお授けなさいまし!
【鬼龍豪人】
麗華さん!
ここに来てはいけない!
あなたに奥義は授けられない!
奥義とは授けた先で、
貴くあらねばならない――
あなたが求めているのは力だ、
闘いのための力だけだ!
【月詠麗華】
私は純粋なのですわ、豪人さま。
憎しみもうらみもなく、
ただただ神さまを授かりたいだけ――
【リヒャルト・フィンケ】
君は愈々いよいよ見放されようとしている、
君の中にあるケアンからね――
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
今はだめです、改めないと!
【リヒャルト・フィンケ】
時は進むのだよ、鬼龍君!
君は随分と物分りが良くなった。
それで時間がかかったのだ――
愈々いよいよケアンが君を見捨てるときだ。
【鬼龍豪人】
うわぁ!!

鬼龍の叫びとともに周囲から光が失われた。

〔時空の狭間〕

目の前には時空の狭間に吸われた鬼龍の姿が見える。鬼龍は薄っすらとセヒラに覆われていた。

【鬼龍豪人】
京都の師団にいたときだ――
あの小函こばこ独逸ドイツから届いた小函こばこ
日曜下宿に持ち帰った。
装飾を施した美しい小函こばこ――
トゥーレの館の招待状を収め、
そして……もうひとつ――
石だ!
黒ずみ、所々に光の粒を浮かせた、
不思議な石が収められていた――
あの石は……
――翌朝にはなかった!
机の上から消えていたのだ!

まるで鬼龍の内側から発せられるように大量のセヒラがほとばしった。

【鬼龍豪人】
どうした?
何が起きた?

青山せいざんホテル〕

周囲が戻るとそこは洋館の前だった。風魔は膝をついた状態だった。風魔が起き上がった時、軍用トラックが走り去った。門前には武装SSの立哨がいた。トラックの走り去った方からユリア・クラウフマンがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、仮面の男に入っていた、
アルツケアンは回収しました。

青山ホテル前に落ちていたアルツケアンは、アーネンエルベが回収した。
防護服姿の隊員が回収作業を行った。

【ユリア・クラウフマン】
先程、リオから通信記録を見せられ、
タケト大 尉カピティーンにも、
アルツケアンが入っていた――
そう信じるに値する心証しんしょうを得ました。
トゥーレの館から送られた小函こばこに、
そっと収められていたのでしょう。
タケトのアルツケアンは、
今、レイカに取り込まれています。
サンノウの記録を読むと、
レイカには二つのアルツケアンが――
私たちの想定を超えた事態です。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認しました!

交信が終わるや否やフィンケがやって来た。

【リヒャルト・フィンケ】
実に素晴らしい!
月詠つくよみ麗華れいか
彼女は究極の力に目覚めようと――
【ユリア・クラウフマン】
フィンケ総統――
ユリア・クラウフマンです。
極東分局の開設と同時に来ました。
【リヒャルト・フィンケ】
お父上のローレンツ博士には、
私もよく教わったものだ。
【ユリア・クラウフマン】
父はアルツケアンについては、
まだ何も解明されていないと。
扱いには極めて慎重でした――
【リヒャルト・フィンケ】
そうだろうとも!
しかし時は待ってはくれない、
フロイライン・ユリア。
【ユリア・クラウフマン】
フェラー博士は父に無断で、
仮面の男にアルツケアンを――
コンプレットが目的なのでしょう!
【リヒャルト・フィンケ】
研究というのは、
頂きを見上げることなんだよ。
見上げるばかりか駆け登ることだ――
並のホムンクルスを凌駕りょうがする、
素晴らしい性能が誕生したのだ。
――まだ未完成だったがな!

洋館の中庭から鬼龍が走りくる。鬼龍、フィンケに面して言う。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私の染 化ファーブストッフはすべて終わりました。
【リヒャルト・フィンケ】
素晴らしい!
これでトゥーレ流召喚術、
愈々いよいよこの国に根ざしたことになる。
【鬼龍豪人】
先程、急に息が詰まり、
その後、大きく深呼吸ができました。
――私は戻ったのです。

暫く鬼龍を見ていたフィンケは風魔の方に直った。そしてやや芝居がかった調子で言う。

【リヒャルト・フィンケ】
ヘル……いや、喪神もがみ風魔ふうま君!
私たちは僥倖ぎょうこうを得たようだ。
元より素晴らしい霊異りょういほこ帆村ほむら流、
この鬼龍君のトゥーレ流召喚術、
それに古式東雲しののめを継いだ月詠麗華――
アーネンエルベは、残念なことに
なったが、それをおぎなって余りある、
素晴らしい力の拮抗きっこうだ!
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ――
麗華さんに継いだ東雲しののめ流、
果たして大丈夫でしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
彼女には素晴らしい素養そようがある。
それは揺るぎないものだ。
君が悩まされることはもうないよ。

フィンケは鬼龍の前を通って洋館の中へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
鬼龍さん――
トゥーレ流のマイスターになり、
あなたのわだかまりは消えましたか?
【鬼龍豪人】
何かを為して満足することは、
私に関してはないでしょうね、
ユリアさん。

ユリアに冷たい視線を投げかけた後、鬼龍はフィンケを追うように洋館へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
今のアーネンエルベには、
何かに対処する力はありません。
仮面の男がいなくなり、
コージンも出方を変える必要が――
コージンの組織するユーゲントは、
フォス大佐の命令に忠実です。
コージンはそれで苦労しています。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山通でセヒラ観測です!
おそらく――
【ユリア・クラウフマン】
レイカ――
まだ不安定なのかも知れません。
気を付けてください……フーマ……

風魔は踵を返し、青山通へ向かった。

セヒラが移動しているとの連絡を受け、風魔ふうまは明治神宮前電停から自潤会じじゅんかいアパートへ。
果たしてそこで出会った光景は――

【九頭幸則】
風魔!
どうしたんだ、何だこいつらは?
お前が倒したのか?

2両の軍用トラックが向き合うようにして歩道に乗り上げて停まっている。道路上には五人の憲兵が倒れていた。そこへ九頭が走り込む――

【九頭幸則】
それで、書生の二人はどこだ?
麗華さんは?
青山六丁目で鈴代さんと二人、
麗華さんの護衛についていたら、
いきなり麗華さんが走り出したんだ。
麗華さん、二人の書生を追っていた。
書生の二人、怪人には見えなかった。
でも麗華さんは追い続けた――
明治神宮前の交差点を曲がって、
ここまで来たら――
この有様だ。

その時、倒れていた憲兵が二人、相次いで起き上がった。だが戦う素振りは見せていない。

【渋谷憲兵大隊雲城くもぎ少尉】
息が……できない……
【渋谷憲兵大隊人首ひとかべ中尉】
ううう……
糞! 糞! 糞!
頭が……割れるようだ!

一瞬、周囲が暗くなり戻った時、トラックも倒れていた憲兵も消えていた。そこへ能海旭がやって来る。

能海旭のうみあきら
風魔さん!
さっきの連中、ゼロ師団よ、
そうに違いない。
レンザが青山通に何か感じるって、
悪魔の勘がうずくって――
それで飛んできたの!
【九頭幸則】
へぇ!
魔法のほうきにまたがって来たのかい!
能海旭のうみあきら
山王さんのうから円タクよ、中尉。
特別に二十円払ったの。
速かったよ、さすがに――
【九頭幸則】
に、二十円?
そんな大金……
能海旭のうみあきら
山王さんのうからここまで五分ちょうどね。
――それで……
【???】
風魔さま――
近くにおいでなのですね……
わかりますわ――

自潤会アパートの戸口を背にして麗華が立っていた。

【月詠麗華】
風魔さま――
私、まだちゃんとしていない、
そうなのでしょうか?
青山通を歩いていたら、
いきなり体が動いてしまい――
追いかけたのは二人の憲兵ですわ。
闘いの意思を強く感じましたわ。

旭が麗華を認めて歩み寄る。

【能海旭】
あなたも、召喚するの?
【月詠麗華】
神さまのことですか?
それならお招きできますわ。
――今もすぐ傍においでです。
【能海旭】
そうなの!
それは良かったわね!
あなたはなのね、きっと。
でも、東京ゼロ師団相手に、
ことを荒立てないで欲しいのよ。
私たちが調べてるんだから!
【月詠麗華】
随分ですわね! お言葉ですわ!
私は闘いのあるところなら、
どこにでも参りますわ!!

九頭が割って入るように言う。

【九頭幸則】
ふたりとも、落ち着いて!
ね、あきらちゃん――
さっきはちゃかして悪かったよ、
ね、ほら、今日はいい天気だよ!

旭は九頭に構わず麗華を見据えたまま言う。

【能海旭】
余計なこと、しないでよ!!
あんただって、はぐれ者なのよ!
足掻あがいても根無ねなぐさは流されるだけ!
【月詠麗華】
私は平静をたもちたいのに、
神さまがおいでになりました。
風魔さま、お願いします――

《バトル》

鈴代がやって来ていた。麗華は少し息が上がっているようだ。旭は依然麗華を睨みつけている。

【月詠麗華】
戦いの前より、
気持ちが落ち着きますわ。
【如月鈴代】
麗華さん!
これ以上はさわりますわ。
さぁ、戻りましょう。
【月詠麗華】
そうですわね、鈴代さん。
それに古式のこと、
もう少しお教えいただかないと――
風魔さま、楽しゅうございました。
またよろしくお願いします。
【如月鈴代】
風魔さん、
後ほど本部にお邪魔しますわ。

麗華、鈴代は電車通を青山方面へと歩き去った。旭は両手を腰に当てがい、二人を目で見送っている。

【能海旭】
呑気のんきなものよね……
が勝手に降りてくるなんて!
ふん! 素晴らしいじゃない!
【九頭幸則】
いやぁ、あきらちゃんの怒った顔、
たまらないなぁ~
まるで磁器じき人形のようで。
【能海旭】
九頭くず中尉――
君に話があるんだ。
ちょっと来てくれないか?
【九頭幸則】
え? え? 俺に?
何だい、話って?
【能海旭】
来れば話すよ。
君の同輩なんたらのことだよ。
――君は気になっていないのか?

風魔さん――
また会えますよね?

別れを告げ、旭はスタスタと歩き出す。慌てて九頭がその後を追う。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
青山墓地でセヒラの乱れを観測です。
念のためご確認ください。

〔青山墓地〕

青山墓地の大穴は依然いぜん開いたままである。
赤坂署により立入禁止区域に指定され、大穴の周囲を4人の巡査が見張っていた。物見遊山ものみゆさんの市民の姿はなかった。

大穴を背に一人に巡査が立っていた。

【赤坂署の巡査】
署員が総出で規制しております。
猫一匹たりとも入り込む、
そんな余地はちっともないニャ~

話し終えると巡査はいきなり駆け出した。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です、
これまでにない値です!!

いきなり、穴からセヒラが吹き出した。穴の周囲を警戒していた巡査は皆散り散りとなって逃げた。
セヒラは筒のようになり、その中へ一体の中型アストラルが姿を見せた。

【歩一Y少尉有心アストラル】
そこにいるのは――
もしや、喪神中尉?
喪神中尉!
――そうなのですね、中尉ですね!

喋った後、アストラルは少し膨張し、また縮んだ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
自分、歩一少尉、山本であります。
今は九頭くずの身が危ないと、
それを伝えに参りました!
私には時間がありません!
しかし――
お越しください!
私にはがあるのです――

そこまで言ってアストラスは爆ぜるように消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、依然いぜん高いままです!

大穴から大量のセヒラが吹き出した。
セヒラに呑まれ、
風魔は落ちていった――

〔時空の狭間〕

しゃがんでいた風魔が立ち上がると、それを待っていたかのように別の中型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
私の実家は向島むこうしま区、白鬚しらひげ神社近く。
江戸指物さしもの師の三男坊です――
強くなるため陸士に入りました
荒川の向こう岸にある工場は、
帝国モスリンの工場です。
その工場、様子が変なのです。
私が工場のことを話すと、
九頭くずは大いに興味を持ったようです。

喋り終えるやアストラルは震えながら消えた。代わりにアストラルが現れた。先程、青山墓地の大穴に現れたアストラルである。同じ山本少尉が2つのアストラルに分離しているのである。

【歩一Y少尉有心アストラル】
私はあのふたを見て直感しました。
これはモスリン工場の入口だと。
すぐに二人に連絡を入れました。
能海旭のうみあきらさんと吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんです。
九頭くずに電話を入れて、
能海のうみさんの無線を聞き出しました。
蓮三郎れんざぶろうさんの寿命、
にならないと尽きてしまうとは、
本当なのでしょうか……

アストラルは震えながら消えた。そこへ現れたアストラルは、詳しい事情を知らない方のアストラルであった。

【歩一Y少尉無心アストラル】
九頭くず偽装ぎそうしている施設がある、
そう疑っているようでした。
どこにも出入口のない工場です、
奴が疑うのも無理はないでしょう。
奴は詳しく知りたがりました。

またアストラルが入れ替わった。眼前には事情に通じたアストラルが浮かぶ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
工場ではセヒラのうずが合わさり、
次々とが誕生します。
そのとき兵器も融合しているのです。
工廠こうしょうで危うく私は――
喪神もがみ中尉に助けられ、九頭くずの一声で、
私は自分を取り戻したのです。
東京ゼロ師団は工廠こうしょうの他に、
仮構かこうによって組織を作っています。
防疫研究所や砲工学校がそれです。
渋谷の憲兵大隊も仮構かこうの存在、
東京ゼロ師団自体も仮構かこうです。
大きな力が及んでいるのです――

アストラルが入れ替わり、事情に詳しくない方が現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
帝国モスリンの前身は興亜こうあ毛織けおりです。
そこの波斯ペルシア人技師が鉄道事故で死に、
事故の一報が朝刊に載りました。
ところが朝刊の遅版では、
事故にったのは露西亜ロシア人通訳と、
なぜか記事が差し替わっていました。
鎌倉でのその事故を報じた、
唯一の新聞社、帝都日日ですが、
去年倒産しています――

喋り終えたアストラルは爆ぜるにようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
なんか妙です――
セヒラ値はすごく低いのに、
激しい波形が現れています。

交信が終わった時、大型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉アストラル】
鳥居坂町とりいざかまちの日曜下宿にいる時、
いきなり三人の憲兵大尉が来た。
憲兵は土足で部屋に上がった。

私は黒い車に乗せられ、
渋谷憲兵大隊本部へ連行された。
地下の談話室へ入れられたのだ。

両足を鉄輪てつわで床に留められ、
両手は天井からのくさりに繋がれた。
ギリギリと音がしてくさりが巻き上がる。
私は万歳ばんざいの姿勢となり宙に浮き、
そのまま何日も放置されたのだ。
上体が大きく前に倒れて気が付くと、
両肩の関節が抜け、私の体は
筋肉と皮で支える格好になっていた。
恐ろしい痛みは後からやってきた。
焼けた穂先ほさきを差し込まれた痛みだ!
私はそのとき飛んだのだ!

私は九頭くずを案じている。
しかし、同時に貴様らをにくむ!
私を返せ、今すぐに返せ!!

《バトル》

【歩一Y少尉アストラル】
両手を失った私は、
戸山の軍医病院に収められた。
私の腕は満洲に送られた――
片腕ずつ、腕を失った支那シナ人に、
移植するのだという。
善なる医学の実験だそうだ!
移植に成功すると、
今度は私の両足を切り落すらしい!!

私は関東軍第七十九軍に転隊した、
そういうことになっているようです。
九頭くずに伝えてください!
連中には近づくなと――

大型のアストラル、それは山本少尉の分離した思念の合わさったものであった。アストラルはゆっくりと、滲むようにして消えていった。

次に風魔が現れたのは溜池通である。しかし人も車もない、音すらしない場所であった。周囲にセヒラの影響が及んでいる――
佇む風魔の前に中型のアストラルが現れた。

【歩一M大尉アストラル】
赤坂哈爾浜ハルピンでは逆恨みのようになり、
申し訳なかった――
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
君は時空の狭間から戻り、
おそらく帝都の何処かにいるはずだ。
――君の実体のことだ。

そこまで言うとアストラルは揺らいだ。

【歩一M大尉アストラル】
私は幼少期を独逸ドイツで過ごした。
ミュンヘンのブルエナー通――
陸士入学を目指して日本へ帰国した。
二十歳を前に駐独武官補として、
再び渡独して半年ほど過ごした。

そこでアーネンエルベと接触した。
連中は日本に大いなる興味を持ち、
私を快く受け入れてくれた。
中隊指導者のラルフが地図を手に、
私の元に来て尋ねたんだ――
伊豆の修善寺しゅぜんじについてだ。
ラルフは修善寺しゅぜんじロッホがあるという。
近く、それを発掘するのだと。
ロッホから資源を取り出して兵器を作る、
どうもそんな話だった。
ラルフと私はアーネンエルベの、
青年室で会った……何度かね……

セヒラのせいか景色が揺らいで薄くなり、別の街区が現れた。同じ赤坂である。

【歩一M大尉アストラル】
京都の師団を経て歩一に任官後、
ほどなく戸山砲工学校に出向した。
教官としてだ――

そこであの香りをいだのだ――
ベラドンナの濃密な甘い香りを。
アーネンエルベの青年室でも、
同じ香りがしていた。
それがベラドンナの香りだと、
ラルフが教えてくれたのだ――

私はラルフの言う修善寺しゅぜんじを思い出し、
休暇を取って温泉宿に逗留とうりゅうした。
毎日、山を歩き、ロッホを探した――
帰京の前日、小高い丘の頂きで、
倭文しどり神社の小さなほこらを見つけた。
ほこらにもたれて私は転寝うたたねをした――

再び景色が変わった。赤坂の一ツ木通に繋がる界隈だ。

【歩一M大尉アストラル】
今思えば、あのほこらロッホなのでは――
月詠つくよみ麗華れいかに飛ばされた私は、
終わりなくここを彷徨さまよう――

わかるか、ここは回廊かいろうだ。
アラヤ回廊、そう呼ばれる場所だ。
あらゆるロッホに通じる回廊だ。
そのロッホは帝都にもある――
少なくとも三箇所にだ!

――私は認められたようなのだ……
アラヤ回廊によって私は認められた、
そのように思えてならない。
だが、貴様はまだ帝都の魂を残す。
ここに長居は無用だろう――
私はもう行かねばならない。

アストラルは滲むようにして消えた。
歩き出した風魔の耳に
声が聞こえた――

【???】
風魔!
あなた、ここにいるの?
私よ、淑子としこよ――
風魔、後ろを振り返って頂戴!

風魔が向こうとしたその刹那、眼前に一体のアストラルが現れた。

【風水師HSアストラル】
ヘレナよ、ヘレナスー――
振り向かないで!
振り向くと、二度と出られなくなる!

――気を付けて!
その声はあなたの心の中の声よ。
自分の声に取り込まれると大変!
さぁ、目を覚まして。

風魔は気を取り直した。アストラルは話を続ける――

【風水師HSアストラル】
私は、目覚めた後、
また薬を飲んだ。
今度は一瓶ひとびん丸々飲んだよ!

――私……
永遠にここを彷徨さまようの――

話し終えても依然アストラルは浮かんだままである。やがて周囲が暗闇に呑み込まれた。風魔は帝都の山王に戻っていた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
もう大丈夫ですか?
――心配しました……
あれから、鈴代さんから、
いろいろお聞きしたんですよ。
古式東雲しののめ流のこととか――

古式東雲しののめ流は鬼神を人に降ろす秘儀である。
それは必ずしも闘いの神々ではない。
しかし古式の本来の姿はすでに失われている。
邪流にて古式が蘇ると、現前にを呼ぶ、そのような事態も招きかねない。
鈴代は麗華に対してそれを案じていたのだ。

【喪神梨央】
でも麗華さんはすごく霊感の強い、
蓼科たてしなという乳母うばに育てられ、
鈴代さんは麗華さんなら大丈夫、
そう見込まれたようです。
麗華さんは兄さんたちと同じ、
審神者さにわになられたのです――
【帆村魯公】
おう、風魔!
もういいんだな――
京都の帝大の古文書、
先般せんぱん、ようやく見つかってな。
係員が暗い書庫で書き写した。
その古文書こもんじょだが、持ち上げた途端とたん
細かな破片になって散ったそうだ。
――文言は電報で寄越よこされた。

ソノアサ ウラト 
アラハスヒカリ アリテ

【帆村魯公】
例によって式部氏の知り合いが、
読み解いてくれたぞ。
その朝、占いの言葉を、
現す光がある。
三つの文言を繋ぐと――
真名井まないの鏡、それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心にも合えり――
その朝、占い現す光ありて、
一つのあらかに渡らして詰まる。
【喪神梨央】
一つのあらかとは冬至でした。
――つまり……
冬至の朝、真名井まないの鏡が、
占いの言葉を映し出す――
そういうことですね。
【帆村魯公】
魔鏡まきょう託言たくげんを写すのだな。
それで、冬至はいつだったかな?
【喪神梨央】
十二月二十三日です。
あと二週間です――

風魔が回廊にちた時、帝都と大きく時間がずれてしまった。
帝都でははや師走しわすを迎えようとしていた――

第九章 第三話 時間軸の歪み

赤坂の大柱のことはすっかり市民の知ることとなり、連日、物見遊山の市民が詰めかけた。

【洋服姿のモガ】
大柱様! お願いします――
私、大柱様のように二人で向き合い、
家庭を築きたいのです!
【油絵が趣味の男】
うーん、このアングルだと、
柱が全部は見えないなぁ。
だが柱の高さはよくわかる……
【水飴売】
水飴いらんかねぇ~
甘い、あま~い水飴だよ~

一方、青山墓地に開いた大穴の周囲には大勢の巡査が動員され、市民の接近を監視していた。好奇心に駆られた市民も遠巻きに眺めるのみであった。

〔釣鐘の間〕

しかし、怪人騒動が頻発ひんぱつすることもなく、帝都は静けさを保っていた。
すでに12月中旬になっていた。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
今、釣鐘つりがねの出力を上げています。
【新山眞】
出力を上げると、
セヒラの量も増えそうですが、
そうはならないのですね。
【聖宮成樹】
あるところまではセヒラが増えます。
しかし、さらに出力を上げると、
不思議なことにセヒラが下がる――
どうもそのようです。
【新山眞】
スプライン曲線という、
三次元曲線があるのですが、
それに似た挙動を示すのですね。

喪神さん――
この穴が青山新京シンキョウに通じるのなら、
麗華れいかさんが戻るのは造作ありません。
ただ今はセヒラを何も観測せず、
大穴が開いているだけです。
すぐに麗華さんが戻るというのは、
ちょっと考えにくいのです。
【聖宮成樹】
再びセヒラが上昇した時、
釣鐘つりがねの出力をさらに上げると、
一瞬、高濃度のセヒラが発生します。
セヒラの濃くなるその一瞬は、
最大限の注意が必要です。
それは心しておいてください。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
隊長がおいでです。
機関本部へお越しください。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人が発掘したアルツケアンは、
アーネンエルベに一肌ひとはだ脱いで
もらうのがいいでしょうね。

そう言うと聖宮は釣鐘の間を出ていった。風魔、新山も後に続いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
参謀本部通いだった隊長が、
軍の謀反むほん計画を調べてくれました。
【帆村魯公】
謀反むほん計画――
確かにそうじゃな、謀反むほんじゃな。
参謀本部と陸軍省の調べで、
久鹿くろく計画の全貌ぜんぼうが明らかになり、
歩三では大掛かりな沙汰さたがあった。
【喪神梨央】
沙汰さたって……
つまり、人の異動とかですか?
【帆村魯公】
そうだな――
その実は粛清しゅくせいじゃよ。
とりわけ歩三には、
大鉈が振るわれたようじゃ。
連隊長の常田つねだ大佐も転隊になった。
【喪神梨央】
そうなんですね。
久鹿くろく計画の中心ですからね――
それで、常田大佐、どちらへ?
【帆村魯公】
新潟の第十三師団だ。
輜重しちょう兵第十三連隊渡河とか材料中隊――
部隊は新潟県中頸城なかくびき郡高田市にある。
【喪神梨央】
渡河とか材料中隊って……
橋を掛けるための資材を調達する、
そういう部隊ですよね。
【帆村魯公】
ああ、そうだな。戦闘部隊ではない。
部隊は高田城址じょうしの南に位置する。
部隊暗号は九一〇九だ――
久鹿くろく計画に関係するものなのか、
参謀本部第九部で、
このような伝単ビラが取得されていた。

下士官兵ニ告グ――
その標題で始まる伝単ビラであった。
一、今カラデモおそクナイカラ
  原隊げんたいかえ
ニ、抵抗ていこうスルもの
  全部逆賊ぜんぶぎゃくぞくデアルカラ射殺しゃさつスル
三、オ前達まえたち父母兄弟ふぼきょうだい
  国賊こくぞくトナルノデみなイテオルゾ

【喪神梨央】
原隊へ帰れ――
これって、計画の失敗を、
あらかじめ知っているのではないですか?

そこへノックの音がして九頭が入ってきた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです。
この伝単ビラ、何ですか、先生?
【帆村魯公】
謀反むほんの将兵に投降とうこうを呼びかける、
その目的でられた伝単ビラだな。
【九頭幸則】
例の久鹿くろく計画ですね――
軍務局長暗殺、続く大暗殺計画、
実行されたら大変でした。
【喪神梨央】
こういう伝単ビラがあるというのは、
計画の失敗を予見よけんしていたと
そう考えられますね。
【帆村魯公】
失敗になる筋書きがあったとかな。
はなからそういう計画だったのかも。
結果、国体の再生は進むはずだ――
【九頭幸則】
だとすると、
宗谷そうや大尉の死は犬死ではなかった、
そうなのかも知れませんね。
【喪神梨央】
常田大佐の赴任ふにんした高田ですが――
上野から省線急行で行けますね!
【九頭幸則】
え? 
歩三の常田大佐、転隊したの?
その高田ってどこ?
【喪神梨央】
越後えちご高田です。信越しんえつ本線ですよ。
上野発夜八時五十五分、高田着は、
朝四時五分の夜間急行で行けます。
【帆村魯公】
常田大佐は輜重しちょう部隊に移った。
そういうことだ――
【喪神梨央】
川に橋をける資材を調達します。

再びノックの音が響く。フリーダ葉がドアの隙間から顔を覗かせた。

【フリーダよう
私、入って大丈夫かしら?
【喪神梨央】
フリーダさん!
どうしたんですか?
【フリーダよう
風水師のバーナードが、
仲間に声をかけてくれたのよ。
あのバーナードチャンよ。
それで五人の風水師が集まって、
青山新京シンキョウの穴を守ってくれている。
そういうことみたいよ。
みんな未来から繋がった思念、
大元はうんと遠くにいるのよ。
【喪神梨央】
そのおかげで青山墓地のセヒラ、
大きな値が観測されないのですね。
【フリーダよう
値の大小はわからないけど、
彼ら風水の術が効いているのかも。
【喪神梨央】
すると青山新京シンキョウに未来が繋がった、
そうなんですか?
【フリーダよう
そうじゃなくて、
彼らが思念を繋いだのよ。
でも――
【喪神梨央】
何か問題でもあるんですか?
【フリーダよう
他の思念もられてやってくる、
その可能性もあるわね。
あったらあったで面白いけど。
【喪神梨央】
ねぇ、フリーダさん。
前に見せてもらった小さな幻燈器げんとうき
あの原理ってどうなってるんですか?
【フリーダよう
あれはね、未来の技術なの。
この時代に披露ひろうすることはできない。
それはわかってね――

独逸ドイツ大使館〕

殿下の言葉もありアーネンエルベに寄っては、という魯公ろこうの提案があり、風魔ふうま三宅坂みやけざかへ。
ユリアと虹人こうじんが迎えてくれた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館でセヒラ観測です!

交信終わるや否や、執事型ホムンクルスが駆け寄って来た。

【執事型ホムンクルス】
標的ツィール
――排除アンシュルス! 排除アンシュルス

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……終了エンデ……

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
大丈夫だったか、風魔?
執事型の洗礼を受けたみたいだが。
【ユリア・クラウフマン】
フーマがここに来るのを、
知っていたようですね――
【帆村虹人】
そうそう、梨央りおが教えてくれたよ。
大昔の隕石いんせきなんだって?
アルツケアン――
【ユリア・クラウフマン】
私もアルツケアンのこと、
少し調べてみました。
コージンも手伝ってくれたのです。
アルツケアンはウルムチの南西、
およそ一九五キロの山中で発掘され、
アーネンエルベにもたらされました。
【帆村虹人】
かい族の少年、アヒムが犠牲になった。
彼は急に学者になったりした――
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは人の意志を読み取り、
人がそう振る舞うように仕向けます。
【帆村虹人】
寝ている間に蒸発する結晶なんて、
なんだか厄介やっかいだよ。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは、
真空容器に入れて取り扱います。

【帆村虹人】
人が変わる現象はメントロピー……
そう言うんだね。
独逸ドイツ人は何でも名前を付けたがる。
【ユリア・クラウフマン】
そうですね……
メントロピーがいつまで続くか、
まだわからないことだらけです。
仮面の男にアルツケアンをほどこしたのは
フェラー博士に違いありません。
【帆村虹人】
それで仮面の男は、
自分以上の自分になれたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
取り込み方も重要なようです。

気体化したアルツケアンを吸い込み、身体に定着しきるまえに目を覚ますと、メントロピーは短い時間で終わるという。

【帆村虹人】
かい族の少年は、
完全に取り込む前に目覚めたんだね。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男には慎重に施した――
フェラー博士はコンプレットを、
作ろうとしたのでしょう。
【帆村虹人】
コンプレット――
【ユリア・クラウフマン】
完全版といった意味です。
【帆村虹人】
麗華さんに結 晶アルツケアンを施したのが、
山郷だとすれば、
方法を知っていたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
容器から出して、
部屋においておくだけです。
けれど、アルツケアンについて、
知識はあったんでしょうね。
【帆村虹人】
誰かが教えた、そうだよね、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンどうしで、
大きなセヒラ場を生むことも。
よほど詳しい人物がいた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
風水師たちを阻害そがいする者が――
青山新京シンキョウです。

【帆村虹人】
僕はユーゲントたちを組織して、
仮面の男の捜索そうさくをするよ。
捲土重来けんどちょうらいを狙ってそうだから!
【ユリア・クラウフマン】
私はヘーゲンの動向を探ります。
先ほど執事型を何体も連れて、
市内に出かけました。
何か目的があるようです。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴を、
五人の風水師が守ります。
そこへ阻害する者が現れたと――
【新山眞】
ジョン・チュー、エリック・ホイ、
ヘレナ・スー、ドナルド・プー、
そしてアンドリュー・ワン――
アンドリューさん以外、
苗字の漢字はわかりません。
【喪神梨央】
一人、女性がいるのですね――
ヘレナさん……
何があったでしょうか。
【新山眞】
フリーダさんいわく、
五人とも昏睡こんすい状態にあるとか。
それで思念を飛ばすのです。
【喪神梨央】
フリーダさんの携行式けいこうしき幻燈器げんとうき
もしかしてキノライトの会社かも。
東京幻燈げんとう工業ってところです。
ちょっと調べてみますね!

〔赤坂哈爾浜駅〕

【満鉄列車長】
青山新京シンキョウにいる連中、
香港ホンコンから繋がっているようですね。
それもうんと未来の香港ホンコンから。
前にも似たようなことがありました。
それで未来から色々来たのです――
今度も来るかもしれませんね。
――どんな未来からでしょうか?

列車は青山新京シンキョウに向かいます。
間もなく出発します。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
見たこともない波形を観測しました。
注意してください!

交信後、すぐさま中型アストラルがやって来た。

【ダイナー店主Bアストラル】
俺があの怪物ヴンダーを初めて見たのは、
誰が呼んだかクソ退屈州間道路インターステーツ上だ。
ツーソンまで真っ直ぐ続くクソ道路、
あれを計画した奴は、
よほどの阿呆あほかおせっかい野郎だ。
ハンドル操作不要で楽々チンチン――
そう考えたのかもな。
救いようのないおせっかい野郎だな!

怪物はウェストロックを貫く州間道路を、ツーソン方面へ移動していたという。
町外れの小屋で暮らすセルマ婆さんが、ミッションオイルの染みを見て救世主キリストと信じ、全米からおかしな連中が集まった道路である。婆さんは純白のウェディングドレスをまとい、オイル染みのある場所へ日参した。
ドレスが灰色になる頃に騒ぎは収まった。

【ダイナー店主Bアストラル】
怪物はコーディの仕業だと考えた。
ヘンリーオートの穀潰ごくつぶし、
キング・オブくそったれコーディだ。

なんせあの怪物、
体中から砲身突き出していたからな。
歩く砲身天国だ、まったく!

コーディは車屋を営むが、
筋金入りのガンクレイジーだぞ。
弾の出るものなんでもござれ!
去年、二十八年型T1軽戦車を買い、
三十七ミリ歩兵砲を取り外して、
九十三ミリ砲に載せ替えやがった。
奴がそいつをぶっ放した時は、
地面は脂肪デブの腹みたいに波打ち、
砂煙が竜巻状に舞い上がったもんだ。
永久に太陽が顔を出さなくなり、
ウェストロックは氷河期を迎える、
そう心配したもんだ。

あの怪物もコーディの野郎がこしらえた、
そう考えるのも当然といえば当然だ。
真っ白な不気味や怪物をな!

だが違った! 真実は奇なり!
怪物は日本人ジャップが持ち込んだんだ。
今は大和人ヤマトニアンって呼ぶんだったな。

あの怪物どもとナチの新型爆弾で、
アメリカは日本とドイツに全面降伏、
西経百四度で分断統治されたんだ。
モンタナ州とノースダコタ州の州境、
それがになった。
百四度線と呼ばれる――

日本人ジャップ、いや大和人ヤマトニアンは、
ロスにアメリカ総督府を置いた。
西半分、大和ヤマト領ってわけだ。
そういや、大和人ヤマトニアンの連中、
あの怪物のことをなんと呼んだか……
確か――
ジンライマジン――
大和語ヤマトニーズは難しいぜ、まったく!

アストラルが回転しながら消え、風魔は街区を進んだ。そこでは2体のアストラルが会話していた。

【着信 喪神梨央】
未来のことのようですが――
何かズレが生じているようです。
警戒して進んでください。

【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか港に停泊中の戦艦京畿けいき艦上で、
宮崎みやざき全権大使とモス米副大統領が、
横須賀よこすか条約に調印し――

ああ、何かうまくまとめられない。
イケダ、お前の方はどうだ?
【新聞記者Iアストラル】
日本国は大和やまと国として省庁再編、
拓務たくむ省から改組の拓殖経務たくしょくけいむ省が、
鮮満に次ぎ西米洲を管轄かんかつ――

サカイ、お前の原稿は、
条約の目玉を取り上げたほうが、
いいんじゃないか?
【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか条約の目玉か――
ドル二十八円の固定相場制とか、
米国アメリカ石油の無制限輸入とかか?
【新聞記者Iアストラル】
そうだな――
それを見出しにして、
米国総督府のエドガー蒲田かまた総督の――

そう言い終わらないうちに5体のアストラルが同時に入ってきた。

【新聞記者Sアストラル】
ん、何だ、何があった?

【超級風水師AWアストラル】
私たちでは、
押さえきれない邪悪な存在だ。
頼む、なんとかしてくれ!
【風水師HSアストラル】
邪気の流れを整える、
私たちにできることよ。
それを超えては無理だわ――

そう言うと5体のアストラルは隣接する街区へと進んだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区に進んでください。
セヒラ、観測します!

果たしてその街区には仮面の男が待ち構えていた。セヒラ異常に呑み込まれて消えて以来である。

【仮面の男のアストラル】
私は自分こそ虚無きょむだと思っていたが、
あの女ほどではない――
月詠麗華つくよみれいかだ!
あの女の内側には何もない。
怒りも憎しみも、さげすみも、何もだ。
あの女は戦いそれ自体を楽しむ――

二つのアルツケアン、
その衝突が狙いだったとはな!
私も焼きが回ったものだ。
だが、この戦いで私は再生する。
さぁ、憎しみをわけてくれないか!!

《バトル》

【仮面の男のアストラル】
お前は闇をのぞいているつもりか。
闇もまたお前をのぞいているのだ。
それを忘れるな――

仮面の男が消えた後、風魔はさらに街区を進んだ。地面に大穴の開いた場所である。穴の周りを5体のアストラルが囲んでいた。

【風水師HSアストラル】
助かりました――
私はヘレナ・スーです。
香港の風水師です。
今は九龍クーロンフロントの海鮮中心にある、
フカヒレ屋の奥の部屋で、
八年も昏睡コーマ状態になっています。
あの頃、眠れない夜が続き、
素人しろうと療法で睡眠薬を飲みすぎて――
先日、私の思念はバーナードに会い、
ここにいざなわれました。

【風水師JCアストラル】
さぁ、また私たち五人で、
ここの邪気をしっかり整えますよ。
私たちは誇り高きコーマ団ですから!!

5体のアストラルが穴の中央に集まった。その直後、穴からはセヒラの湧出が始まった。しかしアストラルたちが制御するためセヒラはか細くまるで糸のようであった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンで麗華さんらしき波形、
確認しました。
赤坂哈爾浜ハルピンに向かってください。

大穴はひとまずアストラルたちに任せることにして風魔は踵を返した。

【満鉄列車長】
やはりです、憶測したとおりです。
赤坂哈爾浜ハルピンの町に、
キタイスカヤが出現しました。
哈爾浜ハルピンのキタイスカヤです、
あの大通りがそっくりそのまま!
そして私の状態では、
キタイスカヤに入れないのです!!

え~間もなく、赤坂哈爾浜ハルピン
赤坂哈爾浜ハルピンです~
キタイスカヤもこちらです~

赤坂哈爾浜の街頭に立つ風魔の周囲がゆらいで暗転した。光が戻るとそこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
そこは……
またキタイスカヤ街ですね!
依然いぜん、麗華さんらしき波形、
確認できています。

交信と入れ替えに千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎がやって来た。

【芽府須斗夫】
なかなか、面白いことになってきた。
――そうじゃないかな?
【千紘】
未来から思念が繋がった――
【吉祥院蓮三郎】
香港の風水師は、
皆、昏睡こんすい状態にございます。
それでなお、思念を飛ばすのです!
【芽府須斗夫】
それもあるけど――
少しズレた未来と繋がっている。

そう言うと、芽府めふ須斗夫すとおは、先の新聞記者の思念に深く触れ、様々なことを知ったという。

【芽府須斗夫】
日本とドイツはアメリカと戦い、
結局、アメリカを打ち負かすんだ。
そういう未来だよ。
ドイツは六十発の量子爆弾を落とし、
日本は三百八十六体の怪物で攻めた。
怪物はヴンダーと呼ばれているよ。
【吉祥院蓮三郎】
ヴンダーとは独逸ドイツ語にございますか?
【芽府須斗夫】
その正体、人籟じんらいだよ!
それも相当大きな人籟じんらいだ。
【吉祥院蓮三郎】
人籟じんらい
東京ゼロ師団が関わる
それでございます!
【千紘】
ふーん……
東京ゼロ師団っていうと、
工廠こうしょうの上部組織なんだろ?
【芽府須斗夫】
アメリカを攻撃したのは、
普通の人籟じんらいじゃないさ。
ゼーラム六八六で改良されている。
【吉祥院蓮三郎】
それでヴンダーと、
独逸ドイツ語で呼ぶのでございますね!
【千紘】
そんなのを、アメリカ本土まで、
どうやって運んだの?
【芽府須斗夫】
伊五百号潜水艦百三十六せき
加えて戦艦阿蘇あそ、戦艦生駒いこま――
海軍が全面協力したんだ。
ドイツから釣鐘つりがね運んだときも、
伊号潜水艦が使われた。
人籟じんらい運んだのは最新型だね。
【吉祥院蓮三郎】
独逸ドイツの爆弾とは、
どのようなものでございますか?
【芽府須斗夫】
ゼーラム六八六を用いた量子爆弾――
それしかわからない。
東海岸の二十四の都市が壊滅した。
死者三百四十万人――
アメリカ本土は西経百四度で分断され、
東アメリカを独逸ドイツが占領、西アメリカは日本に併合へいごうされたという。
【千紘】
でもそれって、正しい未来なの?
【芽府須斗夫】
わからないさ――
いろんな時間の線が錯綜さくそうしている。
【吉祥院蓮三郎】
今の時点で米国アメリカと戦っていません。
それに……
アキラさまの学校、東海岸にあります。
それが独逸ドイツ領になってしまうのです。
何か複雑な感じがいたします。
【芽府須斗夫】
未来にはあらゆる可能性がある。
そういうことだね。

芽府須斗夫は風魔に向き直って言う。

【芽府須斗夫】
僕たち、帝都で石を拾ったんだ。
仮面の男が残した石だと思う。
【千紘】
田町たまち、広尾橋、大崎広小路おおさきひろこうじ――
仮面の男が結界破りに使ったんだ。
仮面の男は劣化れっかしているはずだ。
麗華さん、しばらく安全だね。
今はホテルにいるよ、麗華さん。
【芽府須斗夫】
ホテルボストーク。
この先にある小さなホテルだ。
【吉祥院蓮三郎】
私の勘としましては――
麗華さまと豪人たけとさまが出逢えば、
お二人とも愈々いよいよ完成するのでは?
そう思う次第しだいにございます。
お二人、完成寸前にございますゆえ。
アキラさまのお声が
聞こえるようです――

レンザ!
お前も早く完成させないとな――

【着信 喪神梨央】
ホテルボストーク、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
東方 ボストーク飯店の看板が目印です。

交信を終え風魔が顔を上げると3人はいなくなっていた。風魔はホテルを目指した。

〔ホテルボストーク〕

公園越しにソフィースキー寺院を望む、東方飯店ホテルボストーク408号室。
向かいは同發隆トゥンファールン百貨店である。

ホテルの窓辺に月詠麗華が立っていた。柔和な表情を浮かべている。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
ようやく人心地つけました。

あの夜、八島通やしまどおりへだてた
新京シンキョウ神社に、
瑞祥ずいしょうの光を認めたのです――
久遠くおん流の師弟にだけ見える光、
それを新京シンキョウ神社に認めたのです。

光に誘われて新京シンキョウ神社に行くと、
そこに山郷さんがおいででした。
お茶で用いる香合をお持ちでした。
炭点前すみてまえのときに白檀びゃくだん香をきます。
そのお香を入れる香合、
交趾焼こうしやきで亀の形をしています。

三日後の夜、同じ時間に神社に来るように、そう伝え、山郷は麗華に香合を渡したのだ。
三日後、山郷と一緒に新京シンキョウ神社の井戸へ降り、次に気が付くと青山新京シンキョウにいたという。

【月詠麗華】
山郷さんは私を帝都に連れ戻す、
そう仰っておいででした。
神社の地下に運河が通るのだと――
でもここは帝都ではありません。

ここは……おそらく哈爾浜ハルピンです。
先程、レンザさまにお会いしました。
レンザさまは豪人たけとさまをご存じです。
お二人で修善寺しゅぜんじに出向かれたとか。
それでロッホをお調べになりました。
穴という意味だそうです。
豪人たけとさまは帝都にもロッホがある、
そうお考えになり、
帝都各所にお出になっていると――
白山の宿舎から――
小石川区の白山ですよね。
そこに豪人たけとさまがおいでなのですね。

私、帝都に戻ることにします。
是非、豪人たけとさまにお目にかかり、
教えをいとうございます。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
麗華さんと一緒に戻ってください。
まずは戻ることです。

麗華を伴い風魔は祓えの間まで戻った。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
麗華さん――
神社でもらった香合の中に、
何か結晶が入っていませんでしたか?
【月詠麗華】
仮面の人が言っていました――
隕石いんせきとか結晶とか。
ありました、そのようなものが。

梨央はアルツケアンについて説明した。
香合に入っていたのは不思議な結晶で、気体になって麗華の体内に吸収されたのだと。

【喪神梨央】
麗華さんはアルツケアンを、
ものすごく深く取り込んでいる――
そうに違いありません。
【月詠麗華】
では私は転生するのでしょうか?
そう言えばレンザさまも、
転生の途上だとか……
【喪神梨央】
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんですね。
悪魔セーレが転生した……
いえ、転生しようとしたのです。
【月詠麗華】
あの皆さんは、もしかして……
同じなのでしょうか――
【喪神梨央】
キタイスカヤにいた三人ですね。
でも、千紘ちひろさんは彩女あやめさんの別人格、
そう診断されています。
麗華さん――
あきらさんにはお会いになりました?
【月詠麗華】
レンザさまから話だけは――
まだお目にかかっていません。
【喪神梨央】
旭さんは鴨脚敬祐いちょうけいゆうという、
明治の女性国学者の書いた本を、
愛読されています。
麗華さんの学校を作られた方、
そうですよね?

鴨脚敬祐いちょうけいゆうは明治期の女性国学者で、帝国女学園の創設者でもある。
日本は欧亜ユーラシア世界の盟主であるとしたためた。
男装の麗人としても有名であった。

【月詠麗華】
鴨脚いちょう先生のことは、
よく教えられましたわ。
【喪神梨央】
アキラさんをご紹介します。
この近くにおいでなんですよ。
【月詠麗華】
それは是非ぜひに。
話が合うかもしれませんわ。

祓えの間に新山眞が入って来た。

【新山眞】
ホテルに如月きさらぎさんがお見えですよ。
【喪神梨央】
ありがとうございます。

麗華さん、まいりましょう。
鈴代さんもご一緒ですよ。
兄さん、麗華さんを、
アキラさんのアトリエにお連れします。
鈴代さんに来ていただきました。
【月詠麗華】
風魔さま、帝都に戻していただき、
ありがとうございます。
私は……大丈夫です。

梨央は麗華をエスコートするようにして祓えの間を出て行った。

【新山眞】
喪神さん、ヘーゲン召喚師ですが、
何かを企んでいるようです。
目黒近辺に執事型が集結しています。
現地の確認、お願いできますか?

〔目黒駅前〕

公務電車は予め梨央が用意していた。風魔は省線目黒駅前を目指した。
省線をまたぐ橋の中央にクルトがいた。クルトの周囲に執事型ホムンクルスが展開している。
手前からユリアが様子を見守っていた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 来てくれたのですね。
今、執事型が管理不能になって、
ヘーゲンが困惑の極みにいます。

セフィラにも疎密そみつがあります。
トウキョウのセフィラはみつなので、
ホムンクルスの指揮に向いています。
でも、今はセフィラがの状態、
アプドロックが長持ちしません。

同様の事態、ドイツでもありました。
エッセンでセフィラが急にとなり、
ホムンクルスが暴走したのです。

【着信 喪神梨央】
帝都のセヒラ、今は低い状態です。
五人の風水師が頑張っているので。
でも釣鐘つりがねが不安定との報告があり、
予断を許しません!

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください!
ホムンクルスが一斉いっせいに――

橋の上で異変が起きた。クルトの目の前に巨大なセヒラ球が現れたのだ。セヒラ球の半分は地中に埋まっている。見る見る巨大化して、ついにはクルト、風魔を呑み込んでしまった。

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲン】
何故だ?
連中はアプドロックを守らないのだ?
私のめいだ、私の、私の、私の!!
くそっ!
勝手にアプドロックを解除するのか!

さてはお前がそそのかすのか!
これはエッセンの二の舞か!
そのようなことは断じて認めない!!

《バトル》

どこからともなく聞こえてくる声……クルトはうろたえている。

【???】
復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相、鉄相、
農相、文相各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王さんのうホテルに宿泊せり!!
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私に何を言いに来たのだ?

【クルト・ヘーゲン】
――まさか……
ハンス……ハンスなのか?
そこにいるのは、ハンスなのか?

フルトヴァンゲンの泉……
リューゲン島の砂浜……
ハンス、本当にお前なのか?

クルトの問いには答えず、代わって甲高い声がした。

【???】
どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?

クルトは困惑の極みにいた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
ハンス、すんだ!!
これ以上、翻弄ほんろうしないでくれ!

【???】
フフフ――
お前は神に召されるのだ、売女ばいため。
いざ、幸いなれ!!
きざんでやろう、
お前の為の十字架じゅうじかを――
その瑞々みずみずしく白い腹に!!

そのきしむような声は憎しみに彩られていた。クルトは大きく目を見開いている。口をあんぐりと開け、ほとんど息はしていない。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
あああああ~
やめてくれ!!

腹の底から絞り出すような声を出すクルト。続けようとしたがもう言葉にはならなかった。
闇の底から全く抑揚のない声が聞こえてきた――

【???】
おお、墓よ、
お前の勝利はどこにある?

遂にクルト・ヘーゲンが自失した。
目黒に大勢のホムンクルスを連れて、彼は何を企んでいたのだろうか?

月詠麗華の帰朝きちょうを受けて、深まる秋の中に静かなる緊張が走る。

第八章 第八話 交錯する思惑

魯公ろこうめいを受け、中野電信第一連隊気象部に、こよみの話を聞きに出かけた九頭くずであったが、班長が出張中とのことで不発に終わった。
今回、その班長から、折り入って相談があると連絡があり、公務後、風魔ふうまは九頭に同行することになった。

〔新井薬師〕

【九頭幸則】
風魔、あの人だよ、気象部の。
確か車折くるまざきという技手ぎてだ。
行ってみよう。

夕闇迫る新井薬師。香炉の前に気象部の技手らしき人物がいた。

【九頭幸則】
お待たせしましたか……
車折くるまざきさん、お一人ですか?
折り入っての話とは何でしょう?
車折くるまざき技手】
それは班長から申し上げます。
間もなく来ると思います――
先に冬至とうじの件ですが、
今年の天体画報てんたいがほう一月号にあります。
【九頭幸則】
年初ねんしょに発表があるんですね。
車折くるまざき技手】
ええ、計算で全てわかります。
今年の冬至とうじは十二月二十三日、
午前三時三十七分です――
太陽の位置、黄経こうけい二百七十度、
帝都の日出ひので六時四十七分、
日入ひのいり四時三十二分となります。
冬至とうじにおける太陽の赤緯せきい
赤道より最南の二十三度二十七分、
南中なんちゅう高度も最低となります――
【九頭幸則】
あの……
わかりました、二十三日ですね。
冬至とうじは十二月に十三日ですね。
車折くるまざき技手】
実はもう一つ、
大事なことがあるのです。
【九頭幸則】
どんなことですか?
車折くるまざき技手】
今年、五度目の日蝕にっしょくが起きます。
十二月二十六日にです。
【九頭幸則】
え?
――日蝕にっしょくって、年に何度あるのです?
車折くるまざき技手】
普通は三度、多くて四度です。
年に五度などまずありません――

グレゴリオ暦が採用されるようになってから、年に五度の日蝕にっしょくは一八〇五年以来だと言う。十二月二十六日の午前二時十八分から、同三時四十一分にかけて皆既蝕かいきしょくが起きる。場所は南極である――

そこへ年長の男性がやって来た。

鹿王ろくおう班長】
なかなか軒昂けんこうのようだね、車折くるまざき君。
車折くるまざき技手】
はっ!
五度目の日蝕にっしょくについて、
説明しておりました。
鹿王ろくおう班長】
――今年は実にまれな年だからな……
申し遅れました、
電信第一連隊の鹿王かおうです。
出張で京都に行っておりました。
【九頭幸則】
歩一の九頭です。
こちらは特務の喪神もがみ中尉です。
それで班長、
折り入っての話とは何でしょうか?
鹿王ろくおう班長】
冬至とうじについて問い合わせがあった――
車折くるまざき君から連絡を受けましてね、
妙な符号もあるものだと……
【九頭幸則】
冬至とうじのことはうかがいました。
十二月二十三日です。
鹿王ろくおう班長】
私が京都に呼ばれたのは、
ある古文書こもんじょこよみのことがあり、
その鑑定を行っていたのです。
【九頭幸則】
――古文書こもんじょ、ですか?
鹿王ろくおう班長】
ええ、京都の紫水しすい会館、
そこに収められている古文書こもんじょです。

ヒトツノ アラカニ 
ワタラシテ ツマル

【九頭幸則】
何ですか、それは?
まるで呪文ですね。
鹿王ろくおう班長】
おそらく太陽の運行です、
それについての言葉かと。
ツマル、すなわち行き詰まるのです――
車折くるまざき技手】
班長、自分もそう思います。
ヒトツノは最初で最後、
つまり冬至とうじですよ。
太陽が冬至の位置まで行き、
そこから戻してくる、
その様子を語っているのです!
鹿王ろくおう班長】
もう少し研究を続けます。
紫水しすい会館は参謀本部からの依頼で、
古文書こもんじょ紐解ひもといたらしいです。
二方ふたかたと関係があるのでは?
そう思い、お呼び立てしました。
【九頭幸則】
わざわざ有難うございます。
解読が済めば教えてください。
鹿王ろくおう班長】
あはは、そうですね――
おそらく紫水しすい会館からじかに、
連絡が行くと思います。

鹿王班長はそう言い残して歩き去った。班長を見送ることもせず、車折技手は喋り始めた。

車折くるまざき技手】
自分、昨年二月の日蝕にっしょくでは、
コロナグラフを用いた観測を行い、
おおいに成果を上げました。
【九頭幸則】
去年もあったんですか、日蝕にっしょくが?
車折くるまざき技手】
はい、私たちは南洋庁トラック支庁、
ローソップ諸島レオール島に上陸、
二月十四日の蝕観測しょくかんそくでした!
海軍技研、逓信ていしん省電気試験所、帝大、電信第一連隊、各自観測小屋をもうけ、
各班平均十分二十八秒の観測!!
【九頭幸則】
大丈夫ですか、車折くるまざきさん……
車折くるまざき技手】
ヒィィィィィ~
イーストマン五十番の乾板かんばんで三枚、
四、八、十二秒の露出で撮影を試み、
すべて成功したのです!
レンズ口径こうけいは十三センチ
焦点距離は十一・五メートル
インフォード・パンクロマティック!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
車折くるまざき技手】
海軍はアインシュタインカメラ、
水平鏡すいへいきょうにて光を導く仕組み!!
レンズ口径二十センチ、焦点距離はぁ~

《バトル》

車折くるまざき技手】
アインシュタイン効果を確かめる、
その目的で撮影したのです――

【九頭幸則】
やれやれ……
技手ぎてまでが怪人化する――
この場所がよろしくないのか?
まぁ、冬至のことはわかったな。
五度目の日蝕にっしょくは新発見だった。
それにしても――
京都の古文書こもんじょが冬至に触れている、
それは参謀本部の指示で紐解ひもといた……
これは隊長に確認するほかないな。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベのユンカー局長が、
どうやら失踪しっそうしたようです。
独逸ドイツ大使館にて、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしと合流してください。
それと……
一般中尉は隊へお戻りください。
【九頭幸則】
何だ、内輪揉うちわもめでもあったのか?
風魔ふうま、俺は帰るとするよ――
三宅坂みやけざかまで公務電車で送ってくれ。

〔アーネンエルベ〕

アーネンエルベ集会室には、虹人とユーゲントがいた。

【帆村虹人】
風魔ふうま、来てくれたんだな。
梨央りおに連絡したのは僕だよ――
ユンカー局長のこと、
ユリアが気をんでいるよ。
この一週間、姿を見ないらしい。
大型波動グローサベッレの使用をめぐって、
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
激しく対立していたからな……
配下のホムンクルスを一斉いっせいに操り、
総攻撃体制を作る――
それがヘーゲンの狙いなんだ。
【祇園丸】
彼は僕たちをかたきにしているんだ。
仲間のことが心配だよ――
【帆村虹人】
猟奇倶楽部の面々のこともある。
連中、あきらめが悪そうだ。
【祇園丸】
僕は西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんから、
短期記憶を得たんだ。
それに従って出かけた――
ヨツヤミツケで記録が途絶えた。
でもわずかな痕跡こんせきを頼りに、
北へ移動したんだ。
【帆村虹人】
それで戸山とやまに向かったんだよな。
でも作られた記憶のおそれがある、
君はそう言ったよね、祇園丸ぎおんまる
【祇園丸】
ヨツヤミツケから先のこと、
捏造ねつぞうされたものかも知れないんだ。
それで僕は動けなくなった――
【帆村虹人】
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
二人を銀座で見たって話したよな。
ユンカーを尾行したことも。
円タクは四谷見附方面に向かった。
探信儀たんしんぎの空白地帯の中心……
信濃町しなのまち界隈かいわいがそれに当たるんだ。
【祇園丸】
シナノマチに猟奇倶楽部がある、
その可能性は十分にあると思うよ。
僕が北にさえ行かなければ……

そこへユリア・クラウフマンがやって来た。その顔にはかげりがあった――
ユンカー局長の所在がわからなくなり、ユリア・クラウフマンが代表代理として、アーネンエルベに戻っていた。

【ユリア・クラウフマン】
西京極丸にしきょうごくまる、つまりユーゲントと、
拉致らち殺害犯のヘルマンを繋ぐのは、
唯一、ユンカー局長です。
【帆村虹人】
局長はヘルマンと交際があった、
そういうことなの?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
以前、フーマは局長と戦った、
そうですよね?
局長、シュタインを入れていたのです。
執事型と同じ八石です。
執刀したのがヘルマン医師でした。
局長はシュタインに召喚の力を求めたのです。
本来、召喚師ではありません。
【帆村虹人】
それじゃ局長はヘルマンから、
ユーゲントのことを聞いた、
そういうわけなんだね。
【ユリア・クラウフマン】
ヘルマンは西京極丸にしきょうごくまるを、
猟奇倶楽部に誘い出し拘束こうそくした、
そう考えるのが妥当だとうですね。

【帆村虹人】
もしかしてユンカー局長も、
猟奇倶楽部の会員だったのか?
【ユリア・クラウフマン】
どうでしょうか?
コージンがギンザで見た局長、
本当に本人でしたか?
【帆村虹人】
洋食屋ブレーメから出てきたんだ、
ヘーゲンと一緒に……
楽しそうに笑いながら……
銀座にいたのが、
ユンカー局長じゃないとすると、
一体、誰なんだろう?
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長になりすました誰か、
そういうことじゃないでしょうか。

フーマ、私、祇園丸ぎおんまると出かけます。
銀座のブレーメで話を聞いてきます。
局長の写真を持って――
局長はユーゲントと同じ、
新型のシュタインを入れていたのです。
フェラーが開発に成功したシュタインです。
シーナの方に落ちた隕石でできた
不思議なシュタインなのです。
普通のシュタインとは違うのです。
彼が黒幕にも思えてきました。
父の元助手だった人物が――

そう言うとユリアは踵を返した。祇園丸が後に続く。

【帆村虹人】
僕が銀座で見たのは、
まごうことなくユンカー局長だった。
でもヘーゲンと談笑するのは変だ。
引っかかるのは……
ユンカー局長はどうして、
自分にシュタインを入れたのかってことだね。

独逸ドイツ大使館を出たところで着信があり、青山で怪人の通報があったという。風魔ふうまは夜の青山通へ向かった。

〔青山街路〕

【角筈の女学生】
お友だちの忌子いみこさんち御暇おいとまして、
若松町の電停におりましたところ、
足元に光るものがありますの。
それは大ぶりの指輪でした。
巡査に届けようと拾ったのですが、
そうしないほうがいい気がして――
こっそり持ち帰りましたの。
その夜から、もう四日も眠れず、
こうして彷徨さまようんですの!
アハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
二探が若松町のセヒラを観測!
指輪の波形です、仮面の男の!
さらに観測を続けます!

【池尻のワニス商】
うちは池尻なんですがね、
三宿の砲兵連隊のわきをよく通る――
せんだってもカミさんが歩いていると、
へいそば舶来はくらいの指輪が落ちていたと。
人気もない通りだったので、
指輪、ネコババしたそうな!
指輪を触ったカミさんの指、
真っ白に血の気がせてですね、
あれは軍の新物質か何かですか?
次の日、カミさんが家を出て……
私もこうして歩き回るんです!

【金杉橋の漁師】
新堀の路地ろじで皆が騒ぎよる。
何かと思うとほりに魚が浮かぶ。
何十匹も白い腹見せてな。
んでほりの底見ると何かがあるわい。
それはそれは綺麗きれいに光っちょる。
わしが潜って取ってきちゃる、
そうして潜ったんじゃがな、
不意ふいに目の前が真っ暗に――
気を失ったわしが次におったのは、
市電の中じゃな、六番の電車じゃ。
このなりで乗っちょる!
六本木ろっぽんぎちゅう電停で降りて、
もう五日も歩き回りよるわい!!
ブヒャヒャヒャヒャ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
霞町界隈かすみちょうかいわいで弱いセヒラです。
巡視パトロールお願いします。

〔霞町街路〕

【神田橋の法科生】
殿垣とのがき教授の研究室に、
輝く大きな指輪があった。
指輪を残し教授は忽然こつぜんと消えた――
机の上になぐきのメモを残して。
遊動神殿ゆうどうしんでんたる聖幕屋せいまくや、長さ三十キュビト、高さ十キュビト、幅十キュビトにてもうけるべし。
金張りの四十八枚の合歓木アカシヤの板を、交互こうごわせて、銀の足台の上に立てるべし――
メモにはそうあったよ。

【長者丸のご隠居】
先週、庭いじりをしておったら、
土中に指輪が埋まっておった。
掘り出すと土ひとつ着いておらん。
まっさらけのけだったわい。
不思議なこともあるもんじゃ!

【初台の羅紗商】
工業試験場の正門前にね、
指輪がぽつんと置いてあったって。
姉はそう申してましたの――
指輪は交番に届けたって、
けど姉はうそ付いたのです。
姉の鏡台にありましたわ、指輪!
翌朝、姉は古い魚みたいな顔で、
死んでいました。
カルモチン三百じょうも飲んだのよ。

【着信 喪神梨央】
観測したセヒラは今の人です。
でもまだ怪人じゃないですね――
それより金杉橋かなすぎばしでセヒラ観測です。
他の場所でも観測します――
新山にいやまさんに変わります!
【着信 新山眞】
若松町、三宿町みしゅくちょう金杉橋かなすぎばし――
いずれも指輪の波形を観測します。
三箇所を繋ぐと三角形ができます。
神田橋かんだばし長者丸ちょうじゃまる初台はつだい――
三角形、もう一つできます。
二つ重ねで六芒星ろくぼうせいが描かれます!
以前、仮面の男が描いた三角形、
あれより強い力を持つようです。
あの時は思念増幅器でこしらえた結界を、
仮面の男に破られました。
今回、指輪で何を目論もくろむのか――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急にセヒラ観測しました。
青山墓地方面です。

〔青山墓地〕

【淀屋橋の寒暖計商】
あんさんらが、
おかしなことしたさかいにやな、
商売上がったりでんがな!
晴雨計せいうけい売りのコッポラちゅうのが、
余計なあやかしモン売りよるさかい、
ワテの寒暖計かんだんけいかてあやかしやろ!!
そう言われて、どえらい迷惑や!
ワテのはな、列氏れっし測りまんねんで!
レオーメルの列氏れっしでんがな!
摂氏せっしとも華氏かしともちゃいまっせ!
列氏れっしや、沸点を八十度で見まんねん。
独逸ドイツ墺太利オーストリアやと常識でんがな!
皆皆皆皆皆、列氏れっしやねんで!!

《バトル》

【淀屋橋の寒暖計商】
商売上がったりで、
ホンマ、もう、キーですわっ!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇しています!
注意してください!!

怪人が倒れて消えた後、青山墓地の薄暗闇から先程会話した3人が現れ、三角形の陣形を取る。角筈の女学生、池尻のワニス商、金杉橋の漁師の3人だ。
そして同様に次の3人が姿を見せ、先の三角形に重なるように陣形を取った。神田橋の法科生、長者丸のご隠居、初台の羅紗商――
二つの三角形の辺にセヒラが集まりはじめ、丁度六芒星の形を現した。
辺りのセヒラ濃度が急上昇する。梨央の観測を待たず、高濃度セヒラに包まれて風魔は時空の狭間へと飛んだ。

〔時空の狭間〕

正面に宙に浮くようにして仮面の男がいた。

【仮面の男】
君はどこへ向かおうというのだ?
それとも何かから逃れるのか?
それは何だ?
教えてくれてもいいだろう……
――黒焦くろこげになった姉の亡霊ぼうれいかね?
ウハハハハハ~

おびえる者はいつも走っている。
我らがクルト・ククックかっこう・ヘーゲン、
泣き虫大公、嘘つき元帥げんすい
お尻のえくぼの可愛い殿下!
クルトは憎しみのシュトラーセを走っている。探して相手をしてやって欲しい。
――君も走ってはどうかな?

そこまで言うと、仮面の男は濃いセヒラに包まれて姿を消した。
気が付くと風魔は赤坂哈爾浜にいた。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
高濃度のセヒラが一時に現れました。
帝都満洲に移動したのですね……
帥士すいしを赤坂哈爾浜ハルピンにて確認しました。
その赤坂哈爾浜ハルピンですが、
以前と町の繋がりが変わっています。
注意して進んでください。

【召喚小隊T二等兵アストラル】
隊長は……
暁光ぎょうこう召喚隊の一五市にのまえごいち隊長ですが……
おかしいです……
名前がスラスラ出てきます!
これまでイニシャルだったのに!
自分はちなみに……Tです……
ああ、自分の名前はダメですね。
はい、一五市にのまえごいち隊長のことです、
歩一で大きな演習のあった日、
慌ただしさにまぎれてのことです。
私たち同行しました――

【召喚小隊H二等兵アストラル】
にのまえ隊長の目的は、
歩一に確保されていた月詠つくよみ麗華れいかです。
隊長は月詠麗華に、
鬼龍きりゅう大尉が帝都にいることを
話していました。
大尉にはこの帝都で重要な用がある、
そういうことのようでした。
それで京都から戻られたのです。

【召喚小隊A軍曹アストラル】
鬼龍大尉は独逸ドイツ留学時代に、
トゥーレのやかたという秘密結社に、
身を寄せておいででした。
大尉はそこで召喚師として、
腕をみがき、帰国されたのです。
そのトゥーレの館が、
この帝都にも開かれるというのです。

【召喚小隊G曹長アストラル】
鬼龍大尉は心を開かれません。
ただし、御荷鉾みかぼ大尉は例外でした。
お二人は京都の師団時代から、
同じかまめしを食った仲とのことです。
その御荷鉾みかぼ大尉を感じます――
すぐ近くにおいでのようです。

すぐにひときわ大きなアストラルがやって来た。他のアストラルたちは一斉に退避した。

【歩一M大尉アストラル】
あの女は化物だ!
月詠つくよみ麗華れいかだ、化物だ――
あの女が私をここに飛ばした。

鬼龍きりゅうと私は京都の十六師団にいた。
といっても輜重兵しちょうへい第十六大隊だ。
駄載ださいは何キロなんだと冷やかされ――
鬼龍はそういう境遇きょうぐうが不満で、
審神者さにわ術武じゅつぶに精を出していた。
奴は相当のめり込んでいた……
上京区かみぎょうく相国寺しょうこくじの北にある道場、
奴はそこに通いつめていた――
東雲流の山郷武揚が開く道場だ。
雑誌広告を使い良家の子女を集めた。
鬼龍は師範代として活躍した。

奴の独逸ドイツ行きは寝耳に水だった。
正直、羨ましかった。
独逸は私の第二の故郷だからだ――
独逸ドイツで習得した召喚術が、
まだまっとうできないのは、
審神者さにわ素養そようが邪魔をする――
奴はそう考えている。
審神者さにわ奥義おうぎを継ぐ者はいないか、
懸命けんめいに探していた。
ある日、奴は気付くんだ。
奴の流派、東雲しののめ流の宗家そうけにこそ、
素養そよう持つ人物がいると。
奴は機根きこんとか、そんな言葉を使い、
その人物を確かめようとしていた。
それが如月きさらぎ鈴代すずよという女性だ――

そんな鬼龍と私の間柄あいだがらを聞き付け、
月詠麗華が私を尋ねてきた。
まるで郷里きょうりの妹のようにして。
私はこばんだのだ、話すのを。
鬼龍の詳細について話すのを。
答えられない、そう言ったのだ――
あの女は私を睨みつけるや、
背後から紫色の光を放った!
その直後、私は飛んだのだ!!
現世の私はどこにいる?
先程、神田川かんだがわらしきが見えた――
私を戻せ、戻すんだ!!

《バトル》

【歩一M大尉アストラル】
はぁはぁはぁ……
せめて鬼龍が私のようにならぬよう、
つとめるのが貴様らの役割だ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
何か特異な波形を観測します。
――巡視パトロールを続けてください。

〔キタイスカヤ街〕

そこは帝都満洲とは様相ようそうことにしていた。帝政露西亜ロシア時代に築かれた哈爾浜ハルピン、キタイスカヤの街並みである。
露西亜ロシアバロックの町並みを背にクルト・ヘーゲンが呆然と立っていた。まるで見当識を失ったかのように――

【クルト・ヘーゲン】
お前は!!

ううう……
くそっ!
――ここは……どこだ……
異世界のことは知っていた――
ここが、そうなのか?

ウハハハハハ~
大型波動グローサベッレを何度も発して、
現れたのがこのロシアの辺境か!

うう……
ここの空気は合わないな!!
――セフィラ異常はどうなった?
大型波動グローサベッレ戦を常態化じょうたいかさせ、
やがて顕現けんげんさせる計画だ。
日本人の大勢が犠牲ぎせいになる――
トウキョウ中が戦場となり、
を降ろし、市民にけしかける!!

このような場所が現れるとは、
実現はまだ先のようだな!
市民の犠牲は計画の問題外だ。
百人の死は悲劇だが、
一万人の死は歴史だ。
私たちは歴史を作るのだ!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
犠牲は……必要なのだ……
うう……まだ血の臭いがする――
だが、これもすぐに消えるだろう!
私は超えたのだからな!!

クルト・ヘーゲンは膝を折り、そのままゆっくりと姿を消した。まるで空間から消し去ったかのように。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置が確認できません――
先程ユリアさんから連絡があり、
同行ユーゲントの波形、
同定できました。
このシュタインにはジリエンヌマーが……新山にいやまさんに尋ねると、
通し番号のことだそうです。
ユンカー博士のシュタインの波形、
予測できるかも知れません。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
ユリアさんが祇園丸ぎおんまると一緒なので、
その波形、正しく確認できました。
同じシュタインならユンカー局長の居場所も、探信儀たんしんぎで観測できそうです。
ヘーゲン召喚師が言うような
何百ものセヒラ異常はありません。
【帆村魯公】
アーネンエルベは、
秩序ちつじょが崩壊しておるのか?
この件は参謀に上げるほかない。
セヒラ異常を起こして、
そこへを降ろすなど、
聞いたことがない。
梨央りお、本当に異常はないのだな?
【喪神梨央】
ええ――
ただ、帝都満洲に妙な波形が……
兄さん――
さっきの場所とも関係するかも……
くわしく調べてみます。

大型波動グローサベッレを連発することで、何百ものセヒラ異常を招こうとしたものの、その目論見もくろみは失敗に終わったようだ。
しかし、その影響なのか、帝都満洲に現れた、哈爾浜ハルピンキタイスカヤの町並み――この意味するところはまだわかっていない。

第八章 第三話 猟奇倶楽部潜入

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーに風魔ふうまを待つ客があるという。機関本部の前に風魔ふうまはロビーに立ち寄った。はたして、背広せびろ姿の人物が待っていた。

【満蒙毛織の谷崎】
喪神もがみさんでいらっしゃいますね!
私、満蒙まんもう毛織けおり谷崎たにざきと申します。
いやぁ、ウチの繊維研究所、
さんざん手こずりましてね――
なにせ標本が極小でしたから!
あはは!
でも出来ましたよ!
六十番という細番手ほそばんで朱子織サテンです。
上等な生地をお使いですな。
そめも三度黒の職人に出して、
やっとご指定の色になりました。

ロビーにやってきた梨央りおは、谷崎たにざきから風呂敷ふろしきづつ包みを受け取った。

【喪神梨央】
谷崎たにざきさん、ご面倒をおかけしました。
【満蒙毛織の谷崎】
そう言っていただくと、
苦労した甲斐かいがあります。
――しかし、秘密のお仕事ですか?
【喪神梨央】
谷崎たにざき清次郎せいじろうさん……娘さんは、
大原おおはら商業高女を志望されていますね。
先生にはまだ相談されていません。
荻窪おぎくぼとついだ里子さとこお姉さん、
熱出して頓服とんぷく処方されたとか。
夏風邪はこじらせると大変ですよ。
また牛込うしごめの弟さんは借金絡みの――
【満蒙毛織の谷崎】
うわっ!
社の用事、忘れていました!
私はこれで失礼します!

【喪神梨央】
うふふ……
すごい慌てようですね、兄さん。
満蒙毛織まんもうけおりに頼んでいたのは、
黒頭巾くろずきんです。
兄さんが倒した怪人が落とした、
小さな切れ端から、
同じ素材のものを求めました。
先程、受け取りました。

ホテルロビーに新山眞が入ってきた。

【新山眞】
黒頭巾くろずきんの人物が落とした便箋びんせん
塩化コバルトインキで印刷してあり、
飯倉いいくら技研ぎけんに回ってきました。
電磁加熱機で慎重に加熱すると、
あぶしの要領で文字が浮かび、
猟奇倶楽部の秘密集会の案内でした。
【喪神梨央】
その集会が今日開かれます。
待機場所は品川駅前――
前に猟奇倶楽部に招待された時と、
同じ場所ですね。
倶楽部の車が迎えに来ます――
【新山眞】
待機時に頭巾ずきん着用のこと――
そうあったんです、案内に。
【喪神梨央】
兄さんがこの頭巾ずきんで変装して、
猟奇倶楽部の秘密集会に潜り込み、
内偵ないてい調査するのです。

〔山王ホテル前〕

【喪神梨央】
兄さん……
全然、兄さんだとわかりません。
【新山眞】
猟奇倶楽部の連中、
妙な渾名あだなで呼び合います。
喪神もがみさんはこれを名乗ります――

そう言って新山にいやまはメモを風魔ふうまに渡した。メモには、ガニヤンテの大司祭Λラムダ師とあった。

【喪神梨央】
品川へは公務電車ではなく、
円タクで向かってください。
参謀本部の職員が運転します。
それではよろしくお願いします。

〔品川駅前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
無線は行いませんが、
探信たんしんは続けます。
猟奇倶楽部が探信儀たんしんぎの空白地帯だと、
正確な場所は確認できません――
でも、出来る限り探信たんしんします。

【猟奇人ΩⅥオメガシックス
猟奇人ΣⅢシグマスリー様、会員の方です――
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様です。
【猟奇人ΣⅢシグマスリー
おお、ガニヤンテの大司祭様!
お待ちしておりました。
こちらを。つねの目隠しにございます。

黒服の男は目隠しを取り出した。猟奇倶楽部への道中は、会員であっても、知ることの出来ない秘密のようである。

【猟奇人ΣⅢ】
それではまいりますよ、大司祭様。
今日は特段のもよおしにございますゆえ。

風魔ふうまを乗せた車は、右へ左へと角を曲がり、加速や減速を繰り返しながら走った。

【猟奇人ΣⅢ】
今日は階位一位の会員の方が、
おいでになるともうかがっております。
皆、頭巾ずきん姿なのですが――
大司祭様の頭巾ずきんは新しいですね。
最近、会員になられたのでしょうか。
だとして、もうその階位ですか!
よほどの貢献こうけんがおありなんですね!
私らは準会員なのです。
永遠の準会員です――
倶楽部の場所は知りますが、
集会には参加できません――
儀式を受けると正会員になれます。
刀圭とうけい堂薬局の脳散丸のうちるがんを飲んで、
場所の記憶を飛ばすらしいです。
ノーチル、ノーチル、ですよ!

車が急ブレーキとともに停止した。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
あれを見ろ、襲撃だ!

〔四谷見附〕

そこにへ走り込んできたのは執事型ホムンクルスであった。
猟奇人ΣⅢは咄嗟に車の運転席に隠れた。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
まただ、ホムンクルス、人造人間だ!
我々を極度に警戒している!
排除してくれ!

猟奇人ΩⅥと執事型ホムンクルスは相討ちとなりともにたおれた。
辺りが鎮まったのを確かめるようにして、クルト・ヘーゲンがやってきた。

【クルト・ヘーゲン】
このトウキョウという町は、
実に緩みきっているな、フーマ!
いろんな人間が訪れては、
己が欲望を満たそうとする――
まるでソドムでありゴモラだ。
お前たちが何を求めようと、
私には関係がない。
だが、成果をかするとは残念だ。
ホムンクルスは、
我が国の宝だ、大いなる可能性だ。
それを狙うお前たちの狭量さいりょうぶり、
もう私には我慢ならない。
全個体に大型波動グローサベッレを発した。
全ては私の命で動く!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフフ――
私一人を退しりぞけても無駄だ。
二個中隊を越す数の個体群が相手だ!

そう言い残し、クルト・ヘーゲンは踵を返して立ち去った。
車に乗り込んだ風魔ふうまに目隠しが渡された。車は再び走り始めた――

【猟奇人ΣⅢ】
独逸ドイツの人造人間どもは、
私たちへの警戒を強めています。
――さもありなんでしょうが……
フフフフフ~

車は猟奇倶楽部に着いたようだ。風魔ふうまは目隠しを外されやしきへと案内された。

〔猟奇倶楽部〕

洋館の中には印度インド音楽のような調べが流れ、乳香にゅうこうの香りが漂っていた。招待者たちは一様に黒頭巾くろずきん姿であった――

【大階段の審判長Λ師】
支那シナには食人の風習を今に伝える
漢字があるのですよ――
ご存知ですか?
という字は干し肉のことです。
カイは肉の塩辛のことです。
脯醢ホカイとは残酷な刑を意味します。
罪人を殺して、
その肉を干し、塩漬けにして食った、
その名残ですな、フッホッホッホ~

【神の息を浴びたるΩ師】
あら、シャクという字もありますわよ。
これは肉をキザんで薬味を混ぜたもの。
支那シナ紂王ちゅうおうは、三公を食したと、
韓非子かんぴしにありますわ。
カイシャク――
三人をそれぞれの方法で調理して、
美味しく食べたそうですわ!

【煉獄の魔獣使いΒ師】
我国にも灰屋紹益はいやしょうえき逸話いつわがあります。
京都の富商であった紹益しょうえきは、
愛人だった吉野太夫よしのだゆうが死ぬと、
火葬かそうにしたその灰を、
酒にひたして食したそうです。

【栄光に満つ嬰児Σ師】
坪井つぼい正五郎しょうごろうしるした東亜とうあひかりに、
こんな一節がありますよ――
方々ほうぼうにある貝殻かいがらくずの中から
鹿やいのししの肉と同じに、
人骨のったのが出る――
これがもしほうむったのなら、
全体がある訳ですが、そうでない、
手足の骨がバラバラになっている――

【煉獄の魔獣使いΒ師】
近親者が亡くなると食ったのですね。
そういう親類を眞肉親類マツシシオエカと言います。
死者に対する愛慕痛惜あいぼつうせきの現れですね。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様――
取って置きのをお聞かせしましょう。
洪牙利ハンガリーのネダスチー伯爵夫人は、
全国から十二~十八歳の少女を雇用、
その数、二十年で六百人に及びます。
少女たちは城に着くや首をられ、
すぐさま生血をしぼられます。
血は場内奥深くの浴槽よくそうに運ばれ、
伯爵夫人の体を赤く染めていた――
若い少女の体からしぼった
血風呂に毎日入ることで、
容色ようしょくが増すとの迷信ですね――

そこへ鷹揚な様子で一人の黒頭巾姿の人物が現れた。
ホールにいた黒頭巾たちは一斉にその人物の方を向いた。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
従順なる隸Θしもべシータ師……
【従順なる隸Θ師】
結局、ホムンクルスの捕獲、
上手うまく行かなかったようです。
今日は一体のみとなります――
【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
それでは食せる香腺こうせんは、
一つということになりますか?
【従順なる隸Θ師】
香腺こうせん一つでも三人くらいは、
食せると思います。
【神の息を浴びたるΩ師】
香腺こうせんのオリーブオイル焼き、
口腔こうくうに広がるアーモンドの香り……
ああ、早く試したいですわ!
【従順なる隸Θ師】
さぁ、我らがホムンクルスですよ――

黒頭巾の一団が二手に分かれ、ホールの端に一体のメイド型ホムンクルスが現れた。
メイド型の体は濃厚なセヒラによって帯電したようになっている。
彼女の顔に表情はなかった――

【従順なる隸Θ師】
我らがホムンクルス、
先程から様子がおかしいのです。
【大階段の審判長Λ師】
何やら殺気さえ感じますが――
恐れているのでしょうか?
そういう感覚を持っているとでも?
【従順なる隸Θ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様、
ホムンクルスの準備をします。
一緒においでください――

黒頭巾の一団はメイド型ホムンクルスを囲み、ホールを後にした。
風魔も彼らの後に続いた。

洋館の薄暗い廊下を抜け、大きな扉を開けて入った部屋はまるで手術室のようなところだった。
部屋の周囲に医療器具や薬瓶を収めた棚が並び、部屋の中央に手術台がある。
メイド型ホムンクルスと風魔が向き合う格好になった。
部屋には他に従順なる隸Θ師の名を持つ黒頭巾がいるばかりであった。

【従順なる隸Θ師】
今日はカニバリズム猟奇人の集い、
そういうことになっています。
猟奇倶楽部で捕獲している、
ホムンクルスの香腺こうせんを料理して、
食べようという趣旨しゅしです。
しかし今日はあきらめましょう。
見てください、ホムンクルスですが、
妙に気が立っています――
この子は戦う気でいます。
誰彼だれかれとなく戦いをいどむ、
その状態のようです。
喪神もがみ風魔ふうまさん、
この子と戦ってください。
逃げることはできないでしょう。
【フロイライン】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
攻撃アングリフ!!

《バトル》

【フロイライン】
終了エンデ――
――終了エンデ――終了エンデ――

【従順なる隸Θ師】
――戦いは終わりました――

今回のもよおし、喪神もがみさんに
おいでいただくための計画でした。
君たちが如何いかなるを見るのか、それに近づくのが私の夢です。
――でも一向にかないません……
私はこの子を帰します。
喪神もがみさんもお戻りください。
品川駅までお送りします――

廊下に出たところで猟奇人ΣⅢが待ち構えていた。
風魔を車へ案内するという。

車は右左折を繰り返しながら進む――

【猟奇人ΣⅢ】
特別のつどい、いかがでしたか?
あっ、いえ、詮索せんさくはしません。
先程、車寄せにおいでなのが、
おそらく階位一位の方ですね。
西洋派出婦メ  イ  ドの格好をした女性と、
先の車で行かれました。
どうして一位と分かるって――
頭巾ずきん生地きじで分かるんです。
あの方のは百二十番手の極細番手ごくぼそばんて
世界でも希少な極上の朱子織サテンです。

車外の喧騒けんそうが消えた。大通りから外れたようである。不意に車は停車した。

〔銀座二丁目〕

【猟奇人ΣⅢ】
ここは銀座二丁目です。
表通りが通行止めでして――
数寄屋橋すきやばし界隈かいわいも通行できません。
申し訳ありません、
お送りできるのはここまでです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置、確認できています。
近くでセヒラを観測しました!
帥士すいしの方向に向かっています。
警戒してください!!

路地の脇から不意に黒頭巾が現れ風魔に近寄る――

【熱砂の旅団長Σ師】
あのホムンクルスとは、
私が戦う手筈てはずであった――
戦いに負け、たおれた彼女の香腺こうせんは、
果たして如何いかなる味わいであるか。
悲しみの味わいか、いきどおりの味わいか、
香腺こうせんを口に含み、深く味わう――
舌で香腺こうせん上顎うわあごに押し付けてつぶす――
歯を使うのは彼女に失礼だろう。
それが益荒男ますらおたしなみというものだ。
そのひそやかなる楽しみを、
貴様が台無しにした!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【熱砂の旅団長Σ師】
貴様!
無線誘導があるのか!

《バトル》

【熱砂の旅団長Σ師】
き……貴様は……
山王さんのう……機関か……
神与しんよの剣ひらめけば
妖魔ようまさんじてかげうつ
東亜とうあまもり関東軍!!
【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわい、交通整理中です。
フォス大佐離日りにちさいしての、
パレードが行われます。
怪人がまぎれると国際問題になると、
参謀本部より巡視パトロール依頼がありました。
銀座通りへお願いします。

〔銀座四丁目〕

銀座の電車通は交通整理がされ、今まさにフォス大佐の車列が通過中であった。沿道えんどうには等間隔で兵が立哨りっしょうについている。

【京橋署の巡査】
ナチスの偉いさんですかね……
帰国されるんでしょ。
車列、意外にこぢんまりですね。
春の時とは雲泥うんでいの差ですな。
デンホフSS上級大将歓迎パレード、
歩兵連隊の車列四キロに及び、
複葉機ふくようき八機、飛行船まで駆り出して、
沿道えんどうにはニ十万人が押し寄せました。
紙吹雪が乱舞らんぶして、
掃除に三週間かかったそうですよ。

【着信 喪神梨央】
車列は品川駅までだそうです。
横浜港に欧亜おうあ汽船の漢堡ハンブルク丸がいます。
フォス大佐が乗船予定です。
横浜までは省線電車ですね。
品川四時十分発の沼津ぬまづ行、
普通車一両を貸し切るようです。
その電車に特別車はありません。
公務終了して帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、猟奇倶楽部の場所ですが、
やはり探信儀たんしんぎの空白域です。
一探、二探、四探、六探、
これら探信儀たんしんぎに囲まれたどこかです。
北は市ヶ谷士官学校、南は古川橋ふるかわばし
東は半蔵門はんぞうもん、西に信濃町しなのまち……
その中の何処どこかにあるはずです――
車は品川から銀座、日本橋を経由し、
本郷ほんごう春日町かすがちょう水道橋すいどうばしと、
六探内を動いて、四谷見附よつやみつけへ。
そこは山王さんのう探信儀たんしんぎを使えました。
四谷見附よつやみつけから程なくして車は停まり、
その付近に猟奇倶楽部があると――
おそらく信濃町界隈しなのまちかいわいですね。

ノックの音がして機関本部にユリア・クラウフマンが姿を見せた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが戻りました。
あの子、無事だったんです――
【喪神梨央】
よかったですね、ユリアさん!
それじゃ香腺こうせん調べれば、
猟奇倶楽部がわかりますね!
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインの香腺こうせんの内容、
きれいに消されていました。
事情に明るいのですね――
【喪神梨央】
事情に明るいというのは、
つまりホムンクルスをさらった人が、
という意味ですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、そうです――
アーネンエルベの情報が、
れているのかも知れません。
【喪神梨央】
他に行方不明の
ホムンクルスはいませんか?
【ユリア・クラウフマン】
今のところは……
ヘーゲンが大型波動グローサベッレを放ち、
不要な交戦が増えると思います。
行方不明が出る恐れもありますね。
フォス大佐がマンシュウへ渡り、
ヘーゲンは増長しつつあります。
ユンカー博士は、
大型波動グローサベッレには猛反対もうはんたいしています。
ヘーゲンは聞く耳を持ちません――
【喪神梨央】
アーネンエルベが分裂とかしたら、
虹人こうじんさん、大丈夫でしょうか?

猟奇倶楽部への潜入は、むしろ相手の策にはまったようなものだった。そこにはへの執着がわだかまっていた――

第八章 第一話 桃源郷の噂

〔山王ホテルロビー〕

翌週にひかえた中秋ちゅうしゅうの名月を前に、山王さんのうホテルでは名月鑑賞会の準備が進む。心なしか普段より人の出入りも多い。
そんなおり、ホムンクルスと思しき波形が、頻繁ひんぱんに確認されるという。梨央りお風魔ふうまはホテルで様子を探っていた。

【喪神梨央】
今年は十二日だそうですよ、
中秋ちゅうしゅうの名月。
来週の木曜日ですね――
中秋ちゅうしゅうの名月といっても、
九月に入って、ずっと残暑続きです。
――それに……
ホムンクルスの波形、
しょっちゅう観測します。
お月見の気分じゃないですね。

【帆村魯公】
どうしたんだ、二人とも。
ここで怪人でも待ち構えるのか?
【喪神梨央】
隊長、ホムンクルスを観測します。
赤坂、市ヶ谷、四谷よつやでです。
独逸ドイツは何を計画しているのですか?
【帆村魯公】
こら、大きな声を出すな!
――こっちへ来い。

魯公はロビーの隅へ移動した。一同は魯公に続いた。

【帆村魯公】
おそらく猟奇りょうき倶楽部くらぶだ。
ホムンクルスが警戒している――
独逸ドイツ大使館としては、
何ら命令を発していないそうだがな。
【喪神梨央】
そうだと思いました。
祇園丸ぎおんまるさらったのも猟奇倶楽部、
そうじゃありません?
ユリアさんのフロイラインも、
きっと猟奇倶楽部の仕業です。
兄さんが猟奇倶楽部に招かれたとき、
私が風邪さえ引かなければ……
【帆村魯公】
いつまでもくよくよするんじゃない。
それに探信儀たんしんぎの空白地帯であれば、
倶楽部の所在はつかめないぞ。
猟奇倶楽部については、
参謀本部もやや苦労しておる。
【喪神梨央】
え? そうなんですか?
【帆村魯公】
連中がホムンクルスを付け狙い、
秘密の漏洩ろうえいでも起きたら一大事だ。
それで頭を悩ませておる――
【喪神梨央】
取締りとりしまとかできないんですか?
特高や憲兵を動かして――
【帆村魯公】
それがな、どうやら猟奇倶楽部には、
かなり上のほうと繋がりがあって、
簡単にはいかんそうじゃよ。
【喪神梨央】
上の方って……
猟奇倶楽部がですか?
【帆村魯公】
もうすこし調べが必要だな。
風魔ふうま、今日の公務は、
どうなっておる?
【喪神梨央】
ひとまず赤坂界隈かいわいです。
ホムンクルスの波形が気になります。
私、探信室たんしんしつに戻ります。

【帆村魯公】
例の瑛山会えいざんかいに上層部と繋がる、
そういう人物がいるようだ。
聖宮ひじりのみや親王にそれとなく尋ねてみよう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
山王下さんのうしたにセヒラ観測しました。
確認お願いします!

〔赤坂街路〕

高女こうじょ英語教師】
今、ここ歩いて行った人、
まるで蝋細工ろうざいくのようでしたよ!
しかも無表情で……
大きな声じゃ言えませんけどね、
うちの飯山いいやま先生もあの手合てあいですよ!
じっとりと皿のような目でね、
お気に入りの女生徒を見つめる――
あの目で見られたらね、あなた、
誰だって動けやしません!

乗合のりあい車掌】
さっきの人、前に乗合のりあいにいた
お客とそっくりよ!
そのお客、声掛けも何もなしに、
他のお客さんを押しのけて、
乗合のりあいの出口に行こうとするの。
だから、一声ひとこえおかけくださいまし、
そう言ったのよ――
そしたら私をすごい目でにらけて、
レーベン、フォイヤー、トート、
トート、トートって言うのよ。
気色悪いったら、ありゃしない!

【麻縄業の男】
さっきの奴、アレだな、臭いだな……
うん、思い出したぞ!
そうだ、そうだ!
いつぞや、富山の方で食った、
斑鱶まだらぶかの塩辛、あれと同じ臭いだ。
臭いのは皆同じ臭いなんだよ!

【レーベンクラフト二〇八】
レーベン! レーベン
フォイヤー!  クリンゲ
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホムンクルスの波形です。
初期型ですが注意してください!

《バトル》

【レーベンクラフト二〇八】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート

【ゲルハルト・フォス】
正直は最良の策というではないか。
私は常に心がけているんだよ、
自分に嘘がないようにとね。
君が倒したのは果たして初期型だね、
モガミフーマ――
これはとんだ失礼をした。
初期型ホムンクルスは見境みさかいがない――
もっとも強い警戒状態にあるようだ。
そのせいか過敏になっている。
どうもこのトーキョーには、
我が子を狙う一派があるらしい。
秘密の漏洩ろうえいは防がねばな。
我が子らは互いにシンクロする。
天敵に襲われたはちのように、
たがいに情報をやり取りする――
その機能が元からそなわるものか、
後で身に付けたものかは知らない。
ユリアならくわしいだろうが――

さて、モガミフーマ、
我がアーネンエルベにお招きしよう。
この国では友に恵まれるらしい。
新しい友だ、客人として呼んでいる。
君にも引き合わせるとしよう。

フォス大佐にいざなわれ、独逸ドイツ大使館の車で、アーネンエルベ極東分局に向かった。連れてこられたのは地下の集会室であった。

〔アーネンエルベ地下〕

【ゲルハルト・フォス】
そろそろ来る頃だ――
マンシュウで活躍する人だよ。

その時、アーネンエルベ集会室にやって来た人物があった。

【ゲルハルト・フォス】
少し、はずしてくれないか。
【武装SS隊員】
ハイル――
【ゲルハルト・フォス】
ここではいいんだ。

ナチ式敬礼をしかけたSS隊員は、かかとを鳴らして回れ右をして出ていった。

【ゲルハルト・フォス】
ようこそ、我がガルテンへ。
ヘル、リー、リーチンミン!
こちらがモガミフーマだ。
【李景明】
モガミ、フウマさん――
初めまして、景明けいめいです。
日本読みで憶えてください。
【ゲルハルト・フォス】
確か、満鉄調査部だったかな?
【李景明】
ええそうです。
大佐のアーネンエルベとは、
近い部署かもしれません。
【ゲルハルト・フォス】
それでは聞くが、
調査部でもつかんでいるのかね、
例の桃源郷キサナドゥのことは?
【李景明】
烏魯木斉ウルムチまで調査隊を派遣して、
回教徒かいきょうとらから聞き取りを行いました。
およそのところは掌握しょうあくしています。
興亜こうあ日報がどうやってぎつけたのか
それはわかりかねますが。

地下の桃源郷とうげんきょうとされる蟻走痒感府ぎそうようかんふについて、興亜こうあ日報は特報として派手に報じたが、具体的なことは何も示されなかった。

【ゲルハルト・フォス】
お二人に聞いて欲しいのだがね、
私は夢は寝て見るものだと思う。
起きては現実に向き合うことだ――
ローマ帝国、神聖ローマ帝国、
そして我が第三帝国。
国家建設は一朝一夕いっちょういっせきにはいかない。
しかもヨーロッパの連中は、
まったく足並みがそろわない。
自国の利益にばかり気を取られて――
ヨーロッパなどはこの際捨てて
桃源郷キサナドゥを首都として、
第四の帝国建設を企図きとするところだ。
李景明リ ケイメイ
満蒙まんもうからカザフスタン、ペルシア、
さらにはカスピ海へ抜ける
回教かいきょう国家をまとめるのですね。
その場合、露西亜ロシアの領土を
一部貫くことになります。
何分、手強い相手です。
【ゲルハルト・フォス】
ソビエトは信じきっているよ。
我が国が戦争を仕掛けないことをね。
不可侵ふかしん条約の準備も進んでいる――
李景明リ ケイメイ
相手を油断させておく、
そういうことなんですね。
もしや露西亜ロシアに侵攻する計画も?
【ゲルハルト・フォス】
電撃戦でんげきせんは我が方の得意とするところ。
今は静かに時機じきを見ているのだろう。
鉄の心を持つSS装甲師団LSSAHがな。
――モスクワを叩けば道は開く。
そこは総統ヒューラーと同じ考えだ。
李景明リ ケイメイ
では、大佐の構想というのは……
【ゲルハルト・フォス】
の現実なのだよ。
私にはいくつも現実はいらない。
ただひとつの現実さえあればな。
アーネンエルベを、
北満ほくまんのハイラルに開く。
桃源郷キサナドゥ探しに本腰を入れるつもりだ。
おりよくアーネンエルベ本部の、
フンメル博士の論文も発表された。
神智学しんちがく的視座から同定する先史アーリア人の中央アジアにおける優生民族的実存の痕跡こんせきリストという標題だ。
李景明リ ケイメイ
大佐、満鉄調査部の方でも、
出来る限りお手伝いさせていただき、
大佐の計画が進むようはからいます。
【ゲルハルト・フォス】
また会える日を楽しみにしている。
――私はこれで失礼するよ。

フォス大佐は優雅に体をひるがえして集会室を後にした。

李景明リ ケイメイ
私はここに残ります。
近く朝鮮に渡る予定があります。
またお会いしましょう、喪神もがみさん。

〔独逸大使館〕

独逸大使館前は緊張した空気に包まれていた。
歩哨のSS隊員たちが侵入者を発見したのだ。

【武装SS二等兵】
侵入者アインドリンリンだ!
【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カインツートリットだ!

二名のSS隊員は瞬く間にたおされてしまった。
猟奇倶楽部の会員と思しき黒頭巾姿の人物が音もなく現れた。

【堕天使の先導者Δデルタ師】
逃げ足の早い奴です!
何とか一体でも……
――私の階位がかかっているのです!
邪魔しないでください!
これ以上、階位を下げるわけには……
あああああ、くそっ!!

《バトル》

【堕天使の先導者Δデルタ師】
あああ……残念です……
階位一位の方がお見えだと言うのに、
私は階位九十八位のままだ――
【着信 喪神梨央】
急なことで間に合いませんでした!
申し訳ありませんでした。
お知らせしたいことが――
【着信 帆村魯公】
金ノ七号きんのしちごうが行方不明なんだ!
市ヶ谷で消息しょうそくを絶った。
公務電車を回す、急いでくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館を出るのは確認され、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしは心ここにあらず、
そんな様子だったそうです。
心配です、
何とか見つけてください。

〔市ヶ谷見附〕

【鈴蘭女学生典子】
秋桜コスモスごとくの妙子たえこ様。
先程の、はたして虹人こうじんさまでは?
筆名、白金江しろかねこう虹人こうじんさまなのでは?
【鈴蘭女学生妙子】
あら、雛菊ひなぎくのような私の典子のりこさま!
虹人さまで遊ばされたら、
私たち、どういたしましょう?
【鈴蘭女学生典子】
君影会にお伝えしなければ。
【鈴蘭女学生妙子】
でもまだ虹人さまと、
決まったわけでは――

【八紘油脂のサラリーマン】
どうしたんだい、さっきから。
君たち、もしや、あのハンサム君に、
やられちまったのかい?
【鈴蘭女学生典子】
あら、何ですの?
ハンサム氏には興味なくってよ!
【鈴蘭女学生妙子】
そうよ、ハンサムかどうかなんて、
関係ないですわ。
ようは美しいかどうかですわ。
【八紘油脂のサラリーマン】
彼、西洋人のようだったけどね。
大きく見えたけど、半ズボン姿だし、
君たちには小さすぎかな。

聖橋にはしゃがみ込む虹人の姿があった。
風魔を認め、虹人の傍から金髪碧眼の少年が近付いてきた。

聖護院丸しょうごいんまる
喪神もがみさんですね!
虹人こうじんさんを無事に保護しました。
行き先も告げず、ふらふらと、
まるで何かにいざなわれるように――
そして、うつろな表情をして、
この橋の欄干らんかんに寄りかかって――
身投げでもするんじゃないかと案じ、
駆け寄り介抱かいほうしたのです。

【帆村虹人】
風魔ふうま――
お前から僕はどう見えている?
この間、執筆を再開しようと、
久しぶりにペンを取ったんだ。
その瞬間、僕は白金江しろかねこうに支配された。
何の気なしに付けたペンネームが、
いつの間にか大きく育っていたんだ。
白金江しろかねこう秋宮あきみやの小説を、
最後まで完成させていた。
――僕はそんなの絶対に嫌だ!
僕が夢現ゆめうつつの時に白金江しろかねこうが執筆した、
そうに違いないんだ。
僕はその原稿用紙を焼き捨てた!!
【聖護院丸】
確かに大使館の談話室の暖炉に、
焼かれた原稿用紙がありました。
【帆村虹人】
僕はあのペンネームを捨てる。
そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!
【聖護院丸】
もしかして虹人さん――
ペンネームを捨てるために身投げを?
この橋の下には省線が走ります。
【帆村虹人】
――わからないよ……
でももう大丈夫さ。
とっておきの話を思いついた。
白金江しろかねこうが考えもしなかった話さ。
僕は自分の名前で執筆するよ。
【聖護院丸】
それはよかったですね――

その時である。聖護院丸に異変が生じた。聖護院丸は急にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪めている――

【帆村虹人】
おい!
どうした?
――聖護院丸しょうごいんまる、しっかりするんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
仮面の男情報です!
場所は四谷よつやです!
【帆村虹人】
僕は聖護院丸しょうごいんまるる。
風魔、仮面の男、頼むぞ!

〔四谷街路〕

仮面の男の通報で向かった四谷よつやの町は、一騒乱ひとそうらんあったかのような異常さであった。
果たして仮面の男はいかに――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
非常に不安定な波形を観察!
仮面の男かどうかわかりません。

無線の後、どこからともなく声がした――

【???】
何をしたのかね?

答えるんだ!
お前は何をした?

辺りが一瞬暗くなったかと思うと、仮面の男が音もなく降り立った。
強いセヒラを全身に漂わせ、それはまるで帯電しているかに見えた。

【仮面の男】
せっかく新しい異能者、月詠つくよみ麗華れいかと、
真の連合を築こうとしていたのに。
私たちは皆、中途半端な存在だ。
多くの必要を欠き、それをつくろい、
なかば自分をだまして生きている。
月詠つくよみ麗華れいかは欠点だらけだ。
私はその欠点にかれるのだ――
あの女の覚醒かくせいはまだ完全ではない。
私と繋がることで、限りなく、
高みへと上りゆくはずだ――

【仮面の男】
お前は何をした?
時空じくう狭間はざまに身を隠していた私を、
この白日はくじつもとに引き出すとはな!!

仮面のから発せられる苛立ちが、辺りの空気を震わした。

【仮面の男】
いいだろう――
お前と対峙たいじするのは何度目だ?
自分を見失うでないぞ!

《バトル》

【仮面の男】
フハハハハハ~
いい気分だ、実に素晴らしい!
結託けったくしているのかね。
まさか心を通わせているとでも?
――あの郭公かっこう時計職人の息子と。
二人とも心に妖精を飼うのかな――
フフフ~
楽しみがまた増えたな――
私はいさぎよ退くとしよう……
時空じくう狭間はざまにね。
あそこを家として力を送ろう。
この世界を動かすかもしれない力を。
ワハハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
不定形な波形、消えました。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
ユリアさんがおいでです。
【ユリア・クラウフマン】
今日の現象ですが――
あれは大型波動グローサベッレというものです。
広範囲に渡り、ホムンクルスの
自律係数じりつけいすう一斉いっせいに引き下げる波動を、
帝都に放ったのです。
【喪神梨央】
聖護院丸しょうごいんまるの……
ユーゲントの自律係数じりつけいすうは三・八、
それが下がったんですね。
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスは警戒しています。
自分たちを狙う連中に対して――
その警戒心が伝わっているのです。
【喪神梨央】
帝都にいるホムンクルスすべてに、
それが伝わっているのですか?
【ユリア・クラウフマン】
おそらくは……
それで起きる不要な戦いを避ける、
その目的で大型波動グローサベッレを発したのです。
大型波動グローサベッレ、父の助手だった、
ユルゲン・フェラー博士が研究し、
開発を進めていたものです。
全ホムンクルスに攻撃指令を出す、
そういうこともできる仕組みです。
今回は実験をねているのかも――
【喪神梨央】
アーネンエルベで、
いったい何が起きているのですか?
不協和音のようなものを感じます。
虹人こうじんさんと聖護院丸しょうごいんまるは、
四谷よつやから無事に戻ったようですが――
【帆村魯公】
フォス大佐は、
なかなかのロマンチストのようだな。
【喪神梨央】
大佐が興味を示す桃源郷とうげんきょうですか?
新聞にも載っていましたよ。
遠く烏魯木斉ウルムチの近く――
青白い肌のカーンが統治する町、
ありと共存するのだそうです。
【帆村魯公】
わかっておるのは、それだけだな。
町の写真とかそういうものはない――
【喪神梨央】
はい、写真はありません。
新聞もいつもの興亜こうあ日報ですから。
桃源郷とうげんきょうか! の後に小さな?が。
【帆村魯公】
うむ……だが、その発掘のために、
北満ほくまん海拉爾ハイラルにアーネンエルベの、
分局をもうけるというんだな。
【喪神梨央】
アーネンエルベにいろいろ動きが――
やはり、そうなんですよね?
【帆村魯公】
第四帝国がどうのとも言っておった。
総統フューラーからすると邪魔くさい話だ。
さては誰かが仕込んだか――
【喪神梨央】
ユリアさんはどう思われますか?
【ユリア・クラウフマン】
桃源郷とうげんきょうの話ですか?
【喪神梨央】
大型波動のことです。
お父上の助手の方のこととか――
ユリアさんも全部はご存じない?
【ユリア・クラウフマン】
先日、フェラー博士から、
技術書が送られてきました。
私の知るのはそれまでです。
大型波動グローサベッレはホムンクルスに
ダメージを与える恐れがあります。
技術書にはそう明記されていました。
【喪神梨央】
見つかっていないフロイラインにも、
その波動は届いたんですよね――
心配ですね……
私、思うんですけど……
あの仮面の男って、
ホムンクルスじゃないですか?

欧亜おうあの地に見つかったという桃源郷とうげんきょう真偽しんぎさだかではないものの、フォス大佐はすでに野望をたぎらせていた。

第七章 第十一話 忙しい一日

〔山王機関本部〕

式部しきべは再び芽府めふ須斗夫すとおの元で待機となった。予言を求めるには強いセヒラが必要となる。変異があるとされる乙亥きのといの年、愈々いよいよ秋である。

【喪神梨央】
式部さんからはまだ連絡がないです。
強いセヒラの兆候ちょうこうもありません。
【帆村魯公】
今年についていろいろ言われるが、
まだ秋口あきぐちだ――
焦ることもない。
【喪神梨央】
予言っていくつまであるんでしょう?
今年中に全部分かるんですか?
【帆村魯公】
今年中に出きらないときは、
何も異変が起きないということじゃ。
枕を高くして眠れる。
【喪神梨央】
隊長! 
帝都の怪異は増えているし、
いろいろたくらむ人もあります!
【帆村魯公】
それはそうだが……
あの釣鐘つりがね鎮座ちんざまします限り、
帝都は安泰あんたいだろうて。
あの釣鐘つりがね以来、召喚も安定した。
ナチの技術も捨てたもんじゃない。
【喪神梨央】
私は何だか嫌です――
機械に管理されているみたいで。

【フリーダ葉】
ごめんなさい、遅くなったわね。
【帆村魯公】
足労そくろう済まないね、フリーダ。
フリーダ、お前さんに一つ頼みだ。
腕の立つ風水師ふうすいしを紹介して欲しい。
【フリーダ葉】
お安い御用よ――
だけど山王さんのう機関の依頼だから、
普通じゃないわよね、当然。
【喪神梨央】
ホテルの前にバーナードチャンという、
風水師ふうすいしが現れたんです。
――アストラルとして……
【フリーダ葉】
そうなんですってね。
バーナードは香港ホンコンの病院よ。
もう八年も眠り続けるの。
彼は風水ふうすいの見立てに失敗したの。
四神獣ししんじゅうが消え去り邪気じゃきに支配された。
彼は邪気じゃきから逃れて自失したのよ。
【帆村魯公】
その思念が帝都満州を彷徨さまよう――
だが彼のお陰で助かった。
セヒラがあふれずに済んだからな。
また再び、気脈を繋いで欲しい。
一ツ橋の憲兵隊本部に。
【フリーダ葉】
つまりバーナード並みの腕前がいる、
そういうことなのね?
――なかなか難しそうね……
でも一人いる――
アンドリューよ。
アンドリューワンというの。
【帆村魯公】
ほう!
それはどのような人物かな? 
【フリーダ葉】
香港ホンコン最高風水ふうすい会議の一員よ。
肺癌はいがんの手術で医者が麻酔をあやまって、
もう二年も意識がないの――
【喪神梨央】
それじゃ、帝都満洲のどこかを、
彷徨さまよっているんでしょうか?
【フリーダ葉】
アンドリューの声やら何やら、
録音とかがあるから、
それらから、波形、割り出せない?
【喪神梨央】
多分できると思います。
声の録音って録音盤ろくおんばんですか?
【フリーダ葉】
うん、まぁ、そのような物ね。
【帆村魯公】
それでは二人、頼んだぞ。
その風水師ふうすいしをどうにか見つけたい。
風魔ふうま、お前は巡視パトロールに出てくれ。
今日の巡視パトロールはどの辺りだ?
【喪神梨央】
銀座方面です――
セヒラの反応も少しあります。
気を付けてください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわいでセヒラを観測します。
この波形、安定しています……
怪人になって長いと思います。
【夢見心地のサラリーマン】
いやぁ、あなた、読みましたか?
興亜こうあ日報の特報ですよ、
桃源郷とうげんきょうの話!
実にロマンがあるなぁ……
蒙古もうこの西、支那シナ新疆シンキョウ省省都、
烏魯木斉ウルムチのさらに西!
蟻走痒感府ぎそうようかんふという、
新発見の都があるらしいです!
そこの臣民しんみんありと共生するんです!
【ロマンチストなモガ】
蟻走痒感府ぎそうようかんふの人々は、
青斑せいはんびた白色陶質とうしつ皮膚ひふで、
火にも水にも強いのですわ。
でも蟻酸ぎさんには弱く、触れると死ぬ、
だからありと仲良くするのですわ。
最も色白で青斑せいはんの多い女王が、
カーンと呼ばれ、みやこ君臨くんりんするのです。
ハァ~想像が膨らみますわ!
【空想家の旦那】
華氏かし財団辺疆へんきょう弁理公司鉄路建設局
臨時調査部隊――
桃源郷とうげんきょうを発見した調査隊ですよ。
辺疆へんきょうの地にこそ未来ありですな!
経度八十乃至ないし八十三度、
緯度四十三乃至ないし四十五度の辺り、
我が桃源郷とうげんきょうはそこにあるのです。
いやぁ、行ってみたいですなぁ。
白楊ポプラの並木の続く道――

〔銀座街路〕

【独逸語専科生】
フォス大佐から銀座で号外、
もらうように言われて来たんだ。
――あなたのこと、大使館で見たよ。
フォス大佐には壮大な計画がある。
なんと、第四帝国建設!
驚いたかい? そりゃそうだろう――
総統フューラーを差し置きの新国家建設ときた。
僕も将来を大いに嘱望しょくぼうされていてね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています。
ホムンクルスではありません!
【独逸語専科生】
僕は独逸ドイツ大使館で働いているんだ。
だから事情に通じている!
君たちも働いてARBEIT自由になればいい!

《バトル》

【独逸語専科生】
沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ語らしきを確認しましたが、
波形から通常の怪人と思われます。
ホムンクルスではありません。

【聖宮成樹】
やはり怪人でしたか!
赤坂で怪力にて人を突き飛ばし、
十番の市電に乗ったのです。
私も銀座への道すがら、付けました。
半蔵門はんぞうもんで十一番に乗り換え銀座へ。
電停からは巻かれてしまったのです。
喪神もがみさんがいらして幸運でした――
この近くの純喫茶じゅんきっさで、
ある人物と約束しています。
喪神さんもご一緒ください。

〔純喫茶青蘭せいらん

【女給鶴子】
あら、いらっしゃいませ~
【聖宮成樹】
あちらの方と待ち合わせです。
【李景明】
殿下!
お早かったんですね。
赤坂の菓子屋は……
【聖宮成樹】
わけあって、今日はしました。
さんにご紹介しようと思い、
喪神もがみさんもご一緒願いました――

聖宮ひじりのみや景明けいめい風魔ふうまを紹介した。は東亜文化調査局の調査員だと自己紹介した。

【聖宮成樹】
さん、こちらの方には、
満鉄調査部と名乗っても大丈夫です。
なにせ参謀本部直轄ちょっかつですから。
【李景明】
なるほど――
それは頼もしい限りです。
【聖宮成樹】
喪神さん、さんは、
北満の発展をたくされ、
種々の調査をなさっておいでです。
【李景明】
喪神さん、私は支那シナ生まれです。
両親は日本人ですが、満洲では、
リー景明チンミンを名乗っています。
近い将来、独逸ドイツは欧州を戦禍せんか
巻き込むに違いありません。
独逸ドイツは全欧州を敵に回すでしょう。

二年前――一九三三年、独逸ドイツではヒトラー内閣が誕生。
同年八月、ヒンデンブルク大統領死去によりヒトラーが独逸ドイツ国家元首に就任した独逸ドイツ欧州ヨーロッパ全域を手中に収めようと目論もくろむ。ソビエトは独逸ドイツにとり後方の脅威きょういである。

【李景明】
日本は欧州の戦争には関わらず、
極東地域を愈々盤石いよいよばんじゃくにし、
揺るぎない構えを築くことです。
【聖宮成樹】
先の世界大戦争では、
青島チンタオに攻め独逸ドイツ退しりぞけました。
今後、独逸ドイツとの関係は如何いかに?
【李景明】
むしろ今後を占うのは露西亜ロシアです。
露西亜ロシアの助長を抑えるべきです。
史大林スターリンは冷酷で強欲な人物です――
それに、露西亜ロシアが唱える共産主義は、
今後、世界の脅威きょういとなるでしょう。
――まるで新宗教のようにです。
露西亜ロシアの南下を防ぐことは、
世界の安全にとってかなめとなります。
とりわけ米国アメリカにとり重要です。
【聖宮成樹】
そのために北満なのですね?
【李景明】
今、北満の発展を進めれば、
日本は国際的にも有利な切り札カードを、
手の内にすることができます。
【聖宮成樹】
独逸ドイツ露西亜ロシアを攻めてもらえば、
北満発展の機会が生まれますね。
露西亜ロシアの勢力が分化しますから――
【李景明】
独逸ドイツは攻めますよ、間違いなく。
我々はN計画を急ぐことです。
【聖宮成樹】
喪神さんも計画に関わります。
【李景明】
そうだったんですね!
参謀本部のお墨付すみつきを得ましたか!
【聖宮成樹】
N計画を阻害そがいする動きがあり、
それをふうじる特務を遂行されます。
【李景明】
帝都の変異に乗じて、
さまざまな動きがあるようですね。
私はまだ日本におります。
殿下、喪神さんのご紹介、
ありがとうございました。
喪神さん、よろしくお願いします。
耳寄りな情報があれば、
すぐお知らせします。
【聖宮成樹】
お気を付けください、さん。
それでは参りましょう、喪神さん。
さんと協力しあえればいいですね。

【女給雪子】
あららぁ~カズさん……
カズさんは、まだよろしいんでしょ?
二人でソーダ水、いかがかしら?

日本橋に用のある聖宮ひじりのみやとは店前で別れた。その後、本部からの着信があった――

【着信 喪神梨央】
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから連絡です。
四谷見附よつやみつけに向かってください。
要請内容はわかりません――

〔四谷見附〕

【帆村虹人】
祇園丸ぎおんまるの香腺を調べて、
大凡おおよその居場所、見当がついた。
【ユリア・クラウフマン】
ヨツヤ、イチガヤ……
この二点から結ばれる三角形ドライエック――
【帆村虹人】
その二点から伸ばして、
丁度、戸山とやまあたりに結ぶ三角形、
その何処どこかにいるはずなんだ。
今、二体のホムが行方知れずだ――
祇園丸ぎおんまるとユリアさんのフロイライン。
彼らの行方不明には、
猟奇倶楽部クラブの一味が関わっている、
そうに違いないんだ。
【ユリア・クラウフマン】
猟奇倶楽部での会話記録に、
フロイラインとおぼしきものを
見つけたんです。
彼ら猟奇人はとても慎重です。
雑誌の編集部住所も次々変わり、
なかなか所在をつかめません。
【帆村虹人】
だが範囲は絞られた――
ユリアさんは市ヶ谷を、
僕は戸山を当たってみる。
風魔、お前は四谷の巡視パトロールを――
ホムンクルスの技術、
漏洩ろうえいする前に防ぎたいんだ。
それにまた犠牲者が出る前にな――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、お願いします。
それでは私はイチガヤへ――

【帆村虹人】
ユリアさんを見ていると、
僕はまるで道草みちくさをしているようだ。
もっと自分に芯をもたなきゃな!
そう言い聞かせているんだ。
――それじゃ、巡視パトロール、頼んだよ!

【渋谷の客】
あら、今の方、女優さんみたいね。
――そういえば、銀座幻燈会げんとうえ
いよいよ活動キネマに格上げですって!
しかもトーキーですって!
――楽しみだわ……
私、トーキー、まだ知らないのよ!

【履物商の男】
あんたは……憲兵とは違うのか?
憲兵と言ったって天麩羅てんぷらもいるって、
それ、本当なのか?
天麩羅てんぷら憲兵……こりゃ傑作けっさくだ!
衣だけで中身は空っぽ……
そう思えば怖くはないな!

下谷区したやくの学生】
帝大の連中、すっかり萎縮いしゅくしたよ。
秋毫しゅうごうは休刊になったと言うし、
特高の巡察パトロール頻繁ひんぱんだし……
たもとを分かった新文民社は、
解体されて跡形もないね。
新文民社の謄写とうしゃ版や美品を並べ、
展示会を開くそうだよ、憲兵隊で。
不敬ふけい反逆分子の実態展だって!

〔四谷街路〕

煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
あのホムンクルスとやらは、
なかなか厄介やっかいなもんですな!
【マントヴァの枢機卿Ωすうききょうオメガ師】
命令者の言う事しか聞きません。
刷り込みアプドロックがない、刷り込みアプドロックがない、
その繰り返しです。
【東方の黒騎士長Δデルタ師】
前に猟奇倶楽部に、
おいでになりましたわね。
お話しましてよ!
倶楽部の外にいるときは、
正式名を名乗りますのよ、私ども。
倶楽部内ではただの猟奇人ですわ。
【太陽神殿の門番Λラムダ師】
私たちにはホムンクルスが必要です。
一体は確保、もう一体は逃亡中。
帝都にはたくさんいるのに――
全部で四体ほど必要です。
喪神もがみ風魔ふうまさん、手伝ってください。
ホムンクルスの捕獲ほかくをです。
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
倶楽部の高位の会員が、
たってのお願いと頼むのですよ。
【マントヴァの枢機卿すうききょうΩオメガ師】
こちらも刷り込みアプドロックされて、
言うことを聞かないのでは?
そう思いますけど――
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
仕方ないですね。
大司祭に来てもらいましょうか!

【初心の大司祭Γガンマ師】
このあたりはすこぶる危険ですよ。
セヒラが多く漂いますよ。
あなたがこれ以上踏み込まないよう、
私から言い聞かせてあげましょう。

《バトル》

【初心の大司祭Γガンマ師】
――あなたたちは……
そのうちきっと、
協力したくなるはずです、きっと――
【着信 喪神梨央】
巡視パトロール完了の旨、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしに通知しておきます。
こちらでは、
風水師ふうすいしの確認できました!
はらえのに来てください。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
アンドリューワンという風水師ふうすいし
波形が確認できたらしい。
梨央りおのやつ、やけに興奮してな。
何でも小さな活動キネマみたいなものに、
風水師ふうすいしが映っておったと――
【新山眞】
確かに波形はあるのですが、
他の波形と重なっていて、
うまく特定できません。
彼は身動きが取れない状態、
まわりに強いセヒラが漂います。
【帆村魯公】
帝都満洲のどの町かわかるのか?
【新山眞】
中野なかの満洲里マンチュリの方に記録が残ります。
新しい拠点になりますね。
ただ今は――
【帆村魯公】
どうした?
【新山眞】
ミスターワンですが、
今は時空の狭間にあるようです。
喪神さん、ミスターワンふうじるもの、
かなり強いセヒラを発しています。
十分に注意してください。

〔時空の狭間〕

【双子師アストラル】
双子作るなら双子中心ふたごちゅうしんに来ることだ。
双子中心ふたごちゅうしんなら質の高い双子が作れる。
双子の間には通じ合う力がある。
それを鳴力ミンリーと呼んでいる――
まだ本物の鳴力ミンリーは起きていない。
力を秘めた双子がいないからだ!
鳴力ミンリーが起きれば邪気じゃきを自在に操れる。
ここいらも随分と邪気じゃきが強まった。
また陰陽交合いんようこうごうが起きるぞ!
まさかお前が――
せっかくの邪気じゃきはらうつもりなのか!
――それは許さん!
あの風水師ふうすいし共々邪気じゃきに染めてやる!!

《バトル》

【双子師アストラル】
くそっ!
鳴力ミンリーがあれば……こんなことには……

【超級風水師AWアストラル】
ここを解いてくれたのか……
私はまだあの薄暗い病室で、
眠り続けるのだな?
あの光明路コウミョウろの小さな医院の――
手術前夜、ほとんど眠れなかった――
光明劇場クンミンシアターの赤いネオンが部屋を染め、
浅い眠りはすぐ覚まされたのだ。
バーナードがここを出たとき、
すべてのことがわかった……
私にもできることがあると。
その思いを邪気じゃきに察知され、
私は閉じ込められた――
私にはバーナードほどの腕前はない。
準備が必要だ、少し時間をくれ。
セヒラを送って知らせる。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、お兄さん。
フリーダさん、
すごい機械をお持ちなんです!
のぞ絡繰からくりみたいな小箱の中に、
小さな活動キネマが収まっているんです。
てのひらに乗る大きさなんですよ!
そこにワンさんが映っていました。
声もするんです、トーキーです。
しかも総天然色なんです!
あんなの見たの、初めて!
映写機はどこにあるんでしょうか……
――ちょっとびっくりしました。
【帆村魯公】
梨央りおにしては珍しく、
大はしゃぎだったな!
【喪神梨央】
すみません……
【帆村魯公】
いいんだ。
風魔ふうま朗報ろうほうだ、
例の祇園丸ぎおんまる、見つかったそうだ。
戸山とやま衛戍地えいじゅちだそうだ。
【喪神梨央】
よかったですね!
兄さん、戸山に行かれますか?
【帆村魯公】
今日はもう十分だろう。
祇園丸ぎおんまる虹人こうじんらに任せておこう。
まずは風水師ふうすいしだ、風魔。
【喪神梨央】
ワンさん、セヒラで教えると――
中野方面、感度を上げて観測します。

頼みの綱の風水師ふうすいしを探り当てることができた。行方不明の祇園丸ぎおんまるも見つかった。次に向かうは新しい町、中野満洲里マンチュリである。

第七章 第六話 美少年倶楽部

〔山王機関本部〕

聖宮ひじりのみや諸々もろもろの件をたずさえ京都へ向かった。朝九時東京発の特急つばめ号である。車二台という最小の警護であった。

【喪神梨央】
殿下は当然一等ですよね?
【九頭幸則】
何だい、梨央りお、一等がうらやましい?
【喪神梨央】
そんなんじゃないです!
――一等ならよく知ってます。
【九頭幸則】
へぇ、いつの間に、
一等の客になったんだい?
【喪神梨央】
写真で見て知ってるんです。
東京、京都間なら、
特急料金は六円です。
【九頭幸則】
へぇ~
オウルグリルのオムライス、
十二杯分だな!

【喪神梨央】
あっ、ユリアさん!
聖宮ひじりのみや殿下は京都にたれました。
今朝の特急です。
――あれ?
ユリアさん……
どうかしたんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲンが狩りヤークトを、
やめようとしないのです――
【九頭幸則】
彼もしつこいですね!
――今、帝都に、何種類の、
ホムンクルスがあるんですか?
【喪神梨央】
メイド型、執事型、
レーベンクラフト型、そして……
ユーゲント型……ですよね?
【九頭幸則】
ヘーゲンの奴、自分の以外、
みんな敵だと思ってるんじゃ――
きっとそうでしょう、ユリアさん!
【ユリア・クラウフマン】
ユーゲントを目のかたきにしています。
彼の扱う執事型より性能がよく、
それが気に入らないようです。
【喪神梨央】
強いを呼べるということですか?
――性能がいいというのは?
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスの性能は、
その自律じりつ性で決まるのです――
父の助手だったフェラーは、
新しいシュタインの生成に成功しました。
ユーゲントに使われているシュタインです。
ユーゲントの自律係数は三・八。
最高が五なので、かなり高い値です。
【喪神梨央】
自律係数……
そういうのがあるんですね?
【九頭幸則】
ちなみに人間は……
人間の自律係数っていくつですか?
【ユリア・クラウフマン】
八以上です……
もっとも人によりけりですが。
【喪神梨央】
ユリアさん、
今日、狩りはどこで行われますか?
【ユリア・クラウフマン】
ギンザ方面です。
【喪神梨央】
そうですか……
先程からセヒラを観測します。
狩りが原因でセヒラを集めている、
そういう状況かもしれません。
兄さん、念のためです、
巡視パトロールをお願いします。
――ユリアさんは……
【ユリア・クラウフマン】
実は、フロイラインが一体、
行方ゆくえ知れずなんです。
いなくなって時間が経っています――
【喪神梨央】
狩りに巻き込まれたりしていないと
いいんですが――

クルト・ヘーゲンの狩りの影響なのか、銀座界隈かいわいでセヒラを観測するという。探信たんしん範囲をしぼり、銀座二丁目に向かった。

〔銀座二丁目〕

【着信 喪神梨央】
セヒラはそれほどではありません。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ニュースがあります――
その近くに――
美少年倶楽部クラブがあるそうです。
ユーゲントは、
美少年倶楽部に関係している、
そうではないでしょうか?
化野丸あだしのまる
君は祇園丸ぎおんまるの友だちだね!
よろしく、僕は化野丸あだしのまるだよ!
じゃ、これで!

【着信 喪神梨央】
美少年倶楽部は、
あの独逸ドイツ人の医者のヘルマンが、
少年を物色ぶっしょくした場所です!

【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……
確認ベステーティグン
――破壊ツェストゥルンク

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……

化野丸あだしのまる
僕をはさみ撃ちしようとした――
けど、おかしいな……
君に気付いていなかったみたいだ。
自分の前に君がいたから戦った――
僕にはそう見えたよ。
君には助けてもらったね。
話したいこともあるんだ、
僕たちのクラブにお誘いするよ。

〔銀座美少年倶楽部〕

化野丸あだしのまる
ここは僕たちがもてなし役ガストゲバーの店、
お客は皆、あだ名シュピツナームで呼び合うんだ。
しばらくゆっくりしてね、
後で声かけるから!

【ヘル中立売なかだちうり
あなたは、新入りですか?
オホホホ、私はここでは中立売なかだちうり
そう呼ばれていますな。
皆、京都の通りの名ですよ。
そちらのお方は独逸ドイツ帰りだそうで。
独逸ドイツは美少年倶楽部の本場だと、
そういうじゃありませんか?
オホホホホホ~

【ヘル西洞院にしのとういん
ところで、ヘル蛸薬師たこやくし――
伯林ベルリンは美少年カフェが盛んだとか。
実際、どうなんですか?
【ヘル蛸薬師たこやくし
伯林ベルリンはなるほど本場ですな!
美少年カフェ、実に七十けんです。
紳士ゼントゥルマンは目移りがみません。
【ヘル西洞院にしのとういん
それはうらやましい限りですな!
ぜんたい、制服などはありますか?
【ヘル蛸薬師たこやくし
いい水兵服を着た少年、
幼年学校生徒服をつけたもの、
白粉おしろいをつけてべにをさしたのは勿論もちろん――
赤い細いネクタイにどうを締めた上着、
ズボンはよく折り目立って、
それはそれはもう端正たんせいですな!
【ヘル西洞院にしのとういん
やはりアレですかな、
お客は我々のような――
【ヘル蛸薬師たこやくし
もう少しよわいが行きますな。
白髪、ごま塩、鼻眼鏡――
ほおに決闘のあとのある男も見ました。
【ヘル西洞院にしのとういん
ほう、なかなか豪の者も、
お客にはいるようですな。
アハハハ、愉快にやりましょう!

【ヘル丸太町まるたまち
貴殿はお一人であるかな?
寂しそうにお見受けしたものでな。
この絵は聖セバスチャン殉教図じゅんきょうずだ。
伊太利亜イタリアの画家グイド・レーニ作――
彼はボローニャ派に属する画家で、
ラファエロ風の古典主義的な画風、
それが何よりの特徴だ――
深い陰影と計算された劇的な構図、
レーニはカラヴァッジョの影響を、
強く受けているとされる。
この絵の前に一人たたずむと、
異教徒の神殿に踏み入れたかのごとく、
目眩めくるめく神経の奔流ほんりゅうを体験するのだ。
見給え、矢に射られた肉体を!
肉体の鋼のうちにはたぎる情念をみとむ。
あの刺さる矢をこの手に握れば、
たちま火傷やけどするであろう――
火の痛みはわれぬ快感だ。
死期を迎え、愈々いよいよ溌溂はつらつと輝かんとす、
官能の肉体へのえざる賛美!
何物にもえがたい崇高すうこうさである!
死に対面する時にのみ昇華する美、
それこそ益荒男ますらおの散り際なのだ。
ひ弱な書生の自死とは違う!
傷口から流れ出るのは血ではない、
それは魂のほとばしりなのだ!!
ヒィー、ヒィー……
息が……出来ない……
ヒィー……ヒッ――

化野丸あだしのまる
お待たせしました、
喪神もがみ風魔ふうまさん――
貴方のことを調べました。
問題はないようです。
――ご相談があります、こちらへ。

化野丸あだしのまる
喪神もがみさん、相談したいというのは、
祇園丸ぎおんまるのことなんです。
祇園丸ぎおんまる、この三日ほど、
姿を見ません――
南禅寺丸なんぜんじまる
祇園丸ぎおんまるとはユウラクチョウで別れた。
僕たちはギンザを散策したんだ。
祇園丸ぎおんまる、省線に乗ると言っていた。
化野丸あだしのまる
僕たちユーゲントは、
ある程度自由に行動できる――
存知ぞんじでしょう、そのことは。
上賀茂丸かみがもまる
西京極丸にしきょうごくまるのこともあるし、
心配なんだ、祇園丸ぎおんまるのことが。
僕たちのこと、
良くは思わない人もいるようなんだ。
化野丸あだしのまる
喪神さん――
アーネンエルベで、
祇園丸ぎおんまる香腺こうせん、見つかったんです。
香腺にはいろいろな記録が残る。
調べれば祇園丸ぎおんまるの行動がわかる、
そう思うんです。
祇園丸ぎおんまる捜索そうさくをお手伝いください。
このお願い、大使館を通します。
ただ、捜索そうさくを急ぎたいのです。

【ヘル松ヶ崎まつがさき
おお、わがヒュアキントスよ!
さぁ、始めてくれ――
いつものやつだ。
鳴滝丸なるたきまる
ヘル松ヶ崎まつがさき
おお、アポロンの神、ヘル松ヶ崎まつがさき
【ヘル松ヶ崎まつがさき
そうとも! そうとも!
――私の投げた円盤えんばんは、
ゼピュロスの起こした横風にあおられ、
ヒュアキントス、お前の額を打つ!
嗚呼、私のお前は赤き血を流し、
大地に倒れ伏せる――
鳴滝丸なるたきまる
僕のひたいから流れ出た血、
それは大地を染め、
真紅しんくのヒヤシンスが生える――
【ヘル松ヶ崎まつがさき
倒れたお前を抱きかかえ、
私は大いになげかなしむのだ!
嗚呼、愛しのヒュアキントスよ!!
鳴滝丸なるたきまる
ヒヤシンスの花言葉、
それは悲しみの向こうにある愛――
【ヘル松ヶ崎まつがさき
嗚呼、ヒュアキントスよ!
嗚呼、嗚呼、嗚呼――
私の、私の、私の命よ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベに、
一人のユーゲントが向かいました。
向こうでは金ノ七号帥士きんのしちごうすいしが迎えます。

行方知れずの祇園丸ぎおんまる香腺こうせんが見つかり、風魔ふうまはアーネンエルベに向かった。

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
ここに来て、
まるで僕は研究者みたいだ。
香腺の解読、二個目だからね!
レーベンクラフト六八三だけど、
何の記録も見つからなかったんだ。
僕のやり方がまずいのかな――
いやむしろセヒラを感じると、
相手構わず反射的に攻撃する、
そう仕込まれているのかも――
祇園丸ぎおんまるの香腺については、
一部しか解読できないんだ。
フォス大佐の命令だよ。
きっと何かに使うつもりだ――

【ゲルハルト・フォス】
コウジンはよくやっているよ、
実に大したものだ。
まさに研究者はだしであるな!
【帆村虹人】
大佐、祇園丸ぎおんまるの香腺、
別な方法で解読するのですか?
【ゲルハルト・フォス】
ユーゲントの香腺はユーゲントに。
そういうことだよ、コウジン。
一体のユーゲントを呼んである。
紫竹丸しちくまると言う名前だ――
紫竹丸しちくまる祇園丸ぎおんまるの香腺を入れ、
その行動を観察する。
それで、いろいろわかるはずだ。
さて、コウジン――
祇園丸ぎおんまるの香腺、その一部をけずり、
そこから何か読み取れたかね?
【帆村虹人】
祇園丸ぎおんまる四谷見附よつやみつけにいました。
その後、どこかに向かった――
そこまでです、わかったのは。
【ゲルハルト・フォス】
十分だ、ヨツヤミツケだな。
そこにレーベンクラフトを派遣する。
露払つゆはらいのようなものだな。
それにしても――
この絵には情緒が不足している。
致命的にな!

【帆村虹人】
紫竹丸しちくまるの準備ができたら知らせるよ。
フォス大佐はああいう人だが、
内心、お前に頼みたいに違いない。
大使館に上げるとも言っていた――
どうする?
四谷見附よつやみつけ、行ってみるか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
戸山とやまの陸軍軍医学校で、
セヒラ観測しました。
軍医学校には、
ヘルマンが収容されています。
――なぜかはわかりません!
【帆村虹人】
ヘルマンか!
ユーゲントを殺した殺人鬼だ。
尋常じんじょうの子供も二人、手をかけている。
奴は少年の胸腺を食う。
さらったユーゲントには胸腺がなく、
腹いせにずたずたにしたんだ!
暴れて手がつけられないと聞くが……
行ってみてくれ。
紫竹丸しちくまるの件は連絡入れるよ!

〔陸軍軍医学校〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし! 
セヒラ、急上昇しています!
周りからセヒラを集めている、
そんな印象です。
警戒してください!

【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カイナインラスです――
わかりますか、立入禁止です。
――キンシです!
なぜ、日本人というのは、
こうも言うことを聞かないんだ!
こんな極東フノースト、来たくもなかった!
僕はローデンブルクに生まれ育った!
中世の宝石ともたたえられる、
ヨーロッパで最も美しい町だ!
波のようにうねる赤い屋根屋根、
窓辺には色とりどりの花がわり、
まるでメルヒェンそのものだ!
それがこんな極東フノーストの小国で、
なぜ哨戒しょうかい任務に就かねばならない!
お前たちは世界から退席すればいい!

《バトル》

【武装SS軍曹】
僕は……帰るんだ……
ローデンブルクに……
うううっ――

【武装SS曹長】
私たちは協力すべきですヴィゾルテン ディ ツーザンマンアルバイツアイン
私たちは協力すべきですヴィゾルテン ディ ツーザンマンアルバイツアイン
アルバイト マハト フロイ!!

稗貫ひえぬき軍医少尉】
お騒がせしました、
けれど、もう大丈夫です。
ヘルマン医師は確かにここにいます。
フォス大佐のご厚意により、
軍医学校の標本として授かりました。
彼には前頭葉白質切截術ロボトミーという、
新しい医療をほどこす予定です。
前頭葉ぜんとうようの一部を切除せつじょすると、
まるで人が変わったかのようになる。
米国アメリカで開発された画期的医療です。
学会誌、健全なる精神五月号に、
くわしい記事がありましたよ。
暴れるチンパンジーの前頭葉ぜんとうよう切截せっさいで、
見違えるほど従順になったとか。
猿で成功です、愈々いよいよ人に試すのです!
何より私の目をいたのは、
その手術に用いる鉗子かんしですね。
雑誌を持って町工場に出向きました。
向島むこうじまの貧しそうな鉄工所が、
見よう見まねで鉗子かんしを作りました。
それが実に見事な出来栄できばえなのです!
もう、すっかり麻酔ますいが効いた頃、
私は手術オペに入りますよ。
【着信 喪神梨央】
今の医者は敵かどうかも不明です。
ヘルマン医師の最後の念が、
周りからセヒラを集めたのです。
日本への配属をこころよく思わない、
あの若い兵士を怪人化させたのです。

上賀茂丸かみがもまる
喪神もがみさん!
紫竹丸しちくまるが出かけました。
コウジンさんの無線機、
具合が悪くて、僕が来たのです。
紫竹丸しちくまるはヨツヤミツケに向かいました。

祇園丸ぎおんまる香腺こうせんを体内に納めた紫竹丸しちくまるは、その香腺こうせん記録に従って出かけた。出かけた先は、四谷見附よつやみつけだという。

四谷見附よつやみつけ

【高等会員Λラムダ師】
私は猟奇倶楽部に入って八年、
まっとうな猟奇人でありたいのです。
あんな異端いたん連中とは付き合えない!
一様いちように黒い頭巾ずきんなんぞを被り、
ヒソヒソと何かを話す。
その声、つたわったのを聞くに――
奴らは愈々いよいよ食人に傾くという。
――なげかわしい、猟奇をいっしている!
ん、そう言うんだろ、
猟奇をいっしているって――
とにかくだ、
私はもう御免被ごめんこうむりたいね!

【高等会員Ωオメガ師】
先程の最高会員Σシグマ師の言葉が、
頭から離れない――
人肉はこれを調理塩梅あんばいすれば
すこぶる美味にて
つ動植物のごと
起死回生きしかいせいの妙薬となし得られる――
【高等会員Δデルタ師】
英吉利イギリスの医者、
ボーネストが書き残したそうです。
【高等会員Ωオメガ師】
まだあるぞ!
人肉の調理方法と、
味わいについて書いてあったと言う。
死せる強壮なる少年の肉
三四ポンドり取り
格好の玻璃器はりきに入れ
これに酒精しゅせい
三四日を経て取り出しこれを塩に
ふたさずして日陰に置き
度々たびたび器のままにて表裏転倒し
く干しぐべし 
実に非常の好味こうみにしてつ良薬なり
【高等会員Δデルタ師】
黒頭巾を被る連中は、
これをけているのです。
しかも、会に入るには、
毎月五円の会費を払えと来た!
あり得ないだろう!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
紫竹丸しちくまるですが移動しています――
現在、青山通を進行中!
墓地に入りました!
紫竹丸しちくまるは青山墓地です、
急ぎ、向かってください!

〔青山墓地〕

【最高会員Σシグマ師】
飛んで火に入るとはこのことです。
あのユーゲントには、
なんと、犠牲ぎせいの精神がそなわる。
実に見上げたものですな――
おや、選ばれしΚカッパ師様、
この闖入者ちんにゅうしゃに何か用ですかな?
【選ばれしΚカッパ師】
お兄さんはリードボーをご存知?
仔牛の胸腺のことですよ――
育ち盛りの仔牛は、
大きな胸腺を持っていますの。
それをワイン煮にするのですわ!
オホホホホホ~
【最高会員Σシグマ師】
流石さすがですな、
階位五十三位ともなれば、
洋行歴ようこうれきも豊富ですな!
私などこれでも階位七十八位です。
まだまだ上があるのです。
ゆえに、今日のことを功績とし、
さらに上を目指すのです。
駆け上るのです!
もう私の邪魔をしないでください!

《バトル》

【最高会員Σシグマ師】
あなたたちは……可哀そうです……
人生を楽しもうとしない……
どうしてですか?

【歩一石川いしかわ少尉】
歩一、石川少尉であります!
参謀本部命により独逸ドイツ大使館まで、
我々で彼の警護にあたります。
青山通に一個小隊が控えます。
独逸ドイツ大使館からも警護の武装SSが。
如何いかがされますか?
【着信 喪神梨央】
ユーゲントの警護はまかせましょう。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしは帰還してください。
公務電車が待機しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さん、ユーゲントの紫竹丸しちくまるは、
無事、アーネンエルベに戻りました。
でも祇園丸ぎおんまる行方ゆくえは、
まだわかっていません。
【ユリア・クラウフマン】
祇園丸ぎおんまるは殺された西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせん
見つけて自分に入れたのです。
それで西京極丸にしきょうごくまるを得たのです。
揮発きはつする前に自分の香腺を入れ
西京極丸にしきょうごくまるの記録を写した――
【喪神梨央】
それをアーネンエルベに残した、
そうなんですね?
西京極丸にしきょうごくまるの記憶を伝えるために。
【ユリア・クラウフマン】
祇園丸ぎおんまるは再び、
西京極丸にしきょうごくまるの香腺を入れて、
の記憶を辿たどっているようです。
【喪神梨央】
やはり猟奇倶楽部……
黒頭巾の一派がからんでいるのですか?
【ユリア・クラウフマン】
彼らはユーゲントをさらって、
香腺を食べようとした――
そうじゃないでしょうか。
【喪神梨央】
リードボーって言った人、
あの人、前にも会っていますよ。
仔牛の胸腺のことですよね――
【ユリア・クラウフマン】
イズで殺された西京極丸にしきょうごくまるは、
香腺ではなく胸腺を狙われたのです。
ヘルマンは人間だと思っていた――
【喪神梨央】
それじゃ祇園丸ぎおんまるも、
帝都を出たのでしょうか?
【ユリア・クラウフマン】
自分では帝都を出られないはずです。
西京極丸にしきょうごくまるの香腺に残されている、
行動記録次第ですね。
【喪神梨央】
祇園丸ぎおんまるの波形、あまり標本がなく、
探信たんしんだけでは発見が難しいですが、
努力はしてみます。

猟奇倶楽部の一派とされる黒頭巾の集団。彼らはホムンクルスの拉致らちを試みた。その香腺を求めた――ユリアはそう懸念けねんする。今なお行方ゆくえ知れずの祇園丸ぎおんまる。彼は西京極丸にしきょうごくまるの記憶を辿たどるという。果たしてどこで何を見ているのだろうか?

第七章 第三話 ユーゲント

京都発の夜行で東京に戻った鬼龍きりゅうは、東京駅に待機した歩一の将兵らに連れられ、白山はくさんにある秘密集会所になかば幽閉された。鬼龍の術武伝承を希求する月詠つくよみ麗華れいかとの、距離を稼ぐ措置そちであった。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
麗華さんは、渋谷の青山せいざんホテルと、
清正公せいしょうこう前を行き来しているようです。
でも、その姿を見た者はいません。
歩一の兵ら百人が監視しているのに。

【新山眞】
よろしいですか?
【喪神梨央】
新山にいやまさん!
結界はうまく働いていますか?
思念増幅器で作った結界です。

【新山眞】
品川、目黒、一の橋に設置しました。
この三角形で清正公せいしょうこう前を包囲して、
なんとか収まっています。
セヒラ球が清正公せいしょうこう前に現れても、
そこで思念をることは不可能、
なにせ雑音だらけですからね!
それで肝心の鬼龍きりゅう大尉は、
第一連隊が白山はくさんかくまうのですね。
【九頭幸則】
ええ、歩一秘匿ひとくの集会所です。
住所も電話番号も明かしていません。
――勿論もちろん、俺も知らない……
【喪神梨央】
あれ?
幸則ゆきのりさん、いつの間に出たんですか?
【九頭幸則】
出た?
まるで、ぼっかぶりみたいだな――
最前からこの本部にいたよ!
【喪神梨央】
ええ?
幸則さん、いつの間に、
京都の言い方、覚えたんですか?
【九頭幸則】
――いや……
最近の流行りだよ、流行り!
そんなことより聞いてくれ、風魔よ。
歩一の御荷鉾みかぼ大尉と話したんだ。
大尉は鬼龍と昵懇じっこんの中だった――
鬼龍は機根きこんを備える者は誰か、
しきりと悩んでいたそうだ。
――機根きこんというのは……
【帆村魯公】
機根きこんとはこれまた自惚れだな!
――機根きこん……仏の教えを受ける者の、
器量や素養のことだ。
【九頭幸則】
奴が鈴代すずよに犠牲をいたのは、
その機根きこんを確かめようとした?
――そうなんですか?
【帆村魯公】
わからん!
はばかりなく手を尽くすのだろう。
それで、中尉――
先の御荷鉾みかぼ大尉だが、
――失踪しっそうしたぞ。
【九頭幸則】
ええ?
いつのことですか?
【帆村魯公】
昨日、隊舎の屋上にいたまでは、
確認されておるが――
その後、姿を消した。
【喪神梨央】
お話中、失礼します。
【九頭幸則】
どうしたんだい?
またぼっかぶりでも、出たかい?
【喪神梨央】
山王さんのうホテル前で、
ユリアさんが戦っています!
【帆村魯公】
何?
ユリア嬢が?
【喪神梨央】
はい!
セヒラも急速に高まっています!
【九頭幸則】
行こう、風魔ふうま

〔山王ホテル前〕

ホテル前ではユリアが奮闘ふんとうしていた。ちょうど右翼、左翼にメイド型を展開し、執事型を迎え撃つ格好だった。

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、応戦お願い!
来たわよ!
【メイド型ホムンクルス】
応戦オウセン……了解リョウカイシマシタ!
【ユリア・クラウフマン】
よくやったわ、フロイライン!

【ユリア・クラウフマン】
どうしたの?
――シュタインがまだ馴染なじまないのね……
【九頭幸則】
危ない!
右手だ、ユリアさん!!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、お願い!
なんとか防いで!

【ユリア・クラウフマン】
――フロイライン……
後できちんとするわ。
フーマ――
おそらくヘーゲンよ。
すべての使いと戦うように、
執事型ホムンクルスに、
刷り込みアプドロックをしたみたいなの。
彼はすごく警戒している――
何にそんなに警戒するのかしら?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
再びセヒラ急上昇です!

【執事型ホムンクルス】
――排除アンシュルスする……
戦闘開始カンプビゲン!!
【帆村虹人】
卑怯ひきょうだろ、二人がかりは!

【ユリア・クラウフマン】
コウジン……
あなた――
離れた相手と戦う、
合焦ツイール能力を身に着けたのね……
【帆村虹人】
ははは……
アーネンエルベは科学と魔術の巣窟そうくつ
いろいろあるわけですよ!

【クルト・ヘーゲン】
我が方から、
色々と盗んでいるようだな。
【帆村虹人】
あなたは可哀想なほどに、
自分を憎んでいる――
自分を憎み、人を憎み、
世界を憎んでいる。
憎しみがあなたの力だ、違うかな?
【クルト・ヘーゲン】
自分を憎むのは誰しも同じだろう。
その感情に気付かない振りをする、
それで善人ぶっているのだ。
【帆村虹人】
僕は気付いているさ!
僕は自分が憎い、憎くて仕方ない!
だが、その向こうに救済きゅうさいがある。
【クルト・ヘーゲン】
さとりでも開いたのか?
フフフ、まだ自分を知らないようだ。
合焦ツイールすれば力のおとろえることをな!!
【帆村虹人】
何?

うう……
不意を突かれた……
――風魔ふうま……
【クルト・ヘーゲン】
ホムラの術とはその程度か!
この町でレーベンクラフト型の、
ホムンクルスを見た。
お前たちが扱うのか?
私の許可なく――
なぜレーベンクラフト型を、
この町に放つのだ?
【ユリア・クラウフマン】
サンノウにレーベンクラフトを、
扱う権限はないわ。
【クルト・ヘーゲン】
ほう!
さてはお前が連中に入れ知恵したか?
私のあずかり知らない
レーベンクラフトなど、
ただの阻害要因そがいよういんに過ぎない!
阻害要因そがいよういんは除去しなければな。
お前も同感だろう、モガミフーマ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフ……
お前の成長、目覚ましいものがある。
――だが……不思議だ……
私の中に……
まだ力は残されている――

【賞賛する声】
クルト、ヘーゲン!
ククック、ククック~
郭公かっこう時計が正午を告げます――
【クルト・ヘーゲン】
――何の話だ?
貴様、いったい誰だ?
【賞賛する声】
伏目がちの少年クルトは、
バーデン国家青年団に入隊した。
さぞかし誇らしかったであろう!
のりの効いたシャツ、それにネクタイ。
すべてお前が初めて身に着けるもの。
着古した羊毛のシャツしか知らない
伏目がちの陰気な少年が、
一気に凛々りりしくなったのだ――
【クルト・ヘーゲン】
うるさい!
私の何を知るのだ!
【賞賛する声】
私はお前の全てを知っている。
如何いかにお前が素晴らしいかも!
【クルト・ヘーゲン】
素晴らしいだと?
――何を根拠にそう言うのか?
【賞賛する声】
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
お前は小さな恋をした。
青白き少年ハンスに恋をした――
【クルト・ヘーゲン】
……
【賞賛する声】
ハンスの白くて長い脚に、
細く華奢きゃしゃな指に、腕に浮く血管に、
お前はすっかり魅了された。
ハンスの一つ一つがお前をがした。
あの夏の日のことを、
お前は忘れない――
フルトヴァンゲンにある、
ドナウ源泉近くの小川で、
お前たち二人は水浴をした――
ハンスとは別組のお前は、
その時初めてハンスの裸を見た。
すぐにお前はさとった!
ハンスの背中に縦横無尽じゅうおうむじんに走る、
赤黒い鞭打むちうちのあざを見て!
ハンスの胸にられた、
巨大な十字架の刺青いれずみを見て!
お前は全てをさとったのだ!!
ハンスは父親のなぐさみものだったと。
かつてお前がそうであったようにな!
【クルト・ヘーゲン】
黙れ!!
ハンスは強い男になった!
【賞賛する声】
そうだろう、素晴らしいことだ。
ハンスはナチ党突撃隊員となり、
数々の功績を上げたからな!
共産党員を殺害して手柄を立てた。
だがハンスが憎んでいたのは女だ。
売春婦ばかり六人を殺害した。
いつも手口は同じだった――
売春婦の腹に深々とナイフを立て、
鮮やかな十字架を描くのだ。
【クルト・ヘーゲン】
――奴は道を間違えたのだ。
去年、親衛隊にて粛清しゅくせいされた。
私はサディストではない。
女を殺すなど微塵みじんも考えない。
――私は……
【賞賛する声】
そうだなクルト。
お前は女など憎んではいない、
憎んでいるのはお前以外の全てだ!
お前の名を呼ぼう……
クルト・ククックカッコウ・ヘーゲン!

クルト・ヘーゲンはレーベンクラフト型を討ち倒す狩りヤークトの準備に入った。ユリア・クラウフマンは、メイド型のシュタインを調整するという。虹人こうじん風魔ふうまは赤坂料亭街にいた。

一ツ木通ひとつぎどおり

【帆村虹人】
どうも僕は、
大勢での戦いが苦手なようだな――
一ツ木通にセヒラがあるって、
梨央りおは言うけど――
どうなんだい?
【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ濃度、高まっています!

【赤坂署の巡査】
往来おうらいの邪魔をする者らがいる、
その通報あって来たわけですが――
この者らに不審尋問ふしんじんもんしたわけですが、
皆、一様に何日も帰っていないやら、
うそぶくわけです――
幻燈会げんとうえの客に一致した言動でして、
引こうか否か、検討しておりました。

半蔵門はんぞうもんの客】
有楽町ゆうらくちょう荘月会館しょうげつかいかん出てから、
もう何日もほっつき歩くのよ。
おかしいわね、ちっとも眠くないし、
お腹もかないのよ――
変でしょ、アタシ、変でしょ?

【レーベンクラフト六八三】
雷……ドナーシュトゥルム!!
ヴィント!!
半蔵門はんぞうもんの客】
はぁ~
これで……帰れますわね……
家にね……

【帆村虹人】
あいつ、お前を捕捉ほそくしたぞ!
ホムンクルスは一旦捕捉ほそくすると、
解除できないんだ――
戦うほかない、風魔!
【レーベンクラフト六八三】
――目標ダスツィル……目標ダスツィル……
――排除!アンシュルス 排除!アンシュルス

《バトル》

【レーベンクラフト六八三】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート
【帆村虹人】
これは……
――アーモンドの匂いがする。
ホムンクルスの香腺こうせんだ――
まるで梅の実のようだな。
今の奴が落としたのだろう。
香腺こうせんを硫酸にひたすと、
模様が現れるんだ。
それで記録を読み解くことができる。
アーネンエルベで試してみるよ。
今の奴がどんな命を受けていたか、
それが判ればいろいろはっきりする。
風魔……
距離を置き、僕は自分が見えた。
――そのように思うんだ。
そして何が大切かも判った。
これは自信というやつかもな――
僕の人生になかったものだ。

一ツ木通ひとつぎどおり

近富士ちかふじの女中】
今日は朝から大わらわね――
丸々、貸し切りなのよ。
何でもナチの偉いさんが来るとかで。
酒屋の西陣屋にしじんやなんか、
シャトーワインの注文受けて、
帝都ホテルに買いに行ったわよ。
一本、三十円もするんですって!
割ったら大変!
さぁ、錦屋にしきやでお菓子買わなくちゃ。

【ゲルハルト・フォス】
君がそうかね……
我がヘーゲン一等召喚師を、
きたえてくれているというのは?
実に心強いことだ、
モガミフーマ!
――楽にしたまえ。
今日はアカサカのレストランで、
晩餐会ばんさんかいがあるという――
ところで君たちは
既に聞き及んでいるだろうか?
我が方に新しい組織が誕生した。
新型ホムンクルスの開発、
セフィラの工業化などを手がける。
例によってやや長い名称だがね――
アーリア人とドイツの超越した歴史・文化がヨーロッパを実存化する――
頭文字はAGKDEA、
最初の三文字でアーゲーカーと呼ぶ。
ミュンヘンにあるナチ党本部、
褐色館ブラウネスハウスの地下を本拠とする――
この国、日本とも、
益々ますます密な繋がりを持てることを、
大いに期待するばかりだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座で怪人同士が戦っていると――
山王下さんのうしたに公務電車を回します。
急行してください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇です。
これは執事型です、狩りの状態です!

【執事型ホムンクルス】
狩りヤークト――
標的ツィール……
捕捉エルファスン――

《バトル》

祇園丸ぎおんまる
後ろから来るとはね。
でも大丈夫だよ、
僕が倒した――
君にはお礼をしなくちゃいけない。
僕たちの仲間を殺した医者、
君がたおしてくれたからね。
可哀想な西京極丸にしきょうごくまる――
あの子はシュゼンジの冷たい池に
ゴミのように捨てられた。
西京極丸にしきょうごくまるに酷いことをした奴に、
何とかして報復したい――
でも僕たちにはできないんだ。
僕たちは憎しみという感情を、
ほとんど持たないからさ!
代わりに君がやってくれた。
犯人のヘルマンは本性しで、
監獄かんごくの壁をひたすらなぐるという。
自分の手足の肉をみちぎるので、
すべての歯を抜かれたんだ――
さて、そろそろ行かなくちゃ。
次に会うときは、
君と一戦まじえることになるかも。
その時はよろしくね!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さんを助けた少年、
新型のホムンクルスでした。
【ユリア・クラウフマン】
ミュンヘンのアーゲーカーで開発され、
早速日本に連れてこられたのです。
【喪神梨央】
それって……
フォス大佐と一緒にですか?
【ユリア・クラウフマン】
何体かはレーベンクラフト型と共に、
先遣隊せんけんたいとして来日していたようです。
そのうち一体が殺害された――
【喪神梨央】
殺されたのは……西京極丸にしきょうごくまる……
変わった名前なんですね。
【ユリア・クラウフマン】
キョウトの地名だそうです。
あの子たちは十二石で動きます。
今のところ最も優秀です。
ユーゲント、それが型名です。
レーベンクラフト型は、
フォス大佐の護衛で来ました。
【喪神梨央】
それじゃ……
ユーゲントは何の目的で日本へ?
【ユリア・クラウフマン】
アーゲーカーが性能を試したいのでは……
あそこ、父の助手だった人が、
今は所長に収まっているのです――
ユルゲン・フェラー――
それが助手だった人です……
【喪神梨央】
ユリアさん、何か心配事でも?
【ユリア・クラウフマン】
……
いえ……
少し考えさせてください――

ナチSS親衛隊大佐が来日した。
町は歓迎かんげいムードであったが、隠しようのない不安が随所ずいしょ滲出しんしゅつしていた――

第七章 第二話 カグツチ

ユリアとアーネンエルベに向かった。ホムンクルスについて詳しく話したい、ユリアがそう申し出たのである。

〔アーネンエルベ極東分局〕

【ユリア・クラウフマン】
イズの少年、断定はできませんが、
ホムンクルスの可能性はあります。
ホムンクルスは体の組成が、
一体ごとに異なるのです――
共通するものもあります。
皆、シュタインを内蔵しています。
シュタインはホムンクルスの
判断力をつかさどっているのです――
このメイド型は四石です。
シュタイン自体は改良版を使っています。
こちらの執事型は八石です。
この型にはクルト・ヘーゲンが、
指示を出しています。
シュタインの他に香腺こうせんという器官があり、
さまざまな指示を記録します。
その記録を刷り込みアプドロックと呼ぶのは、
もうご存知ですよね。
刷り込みアプドロックによってこの子たちは、
命令どおりに動きます。
でも、少年の形のホムンクルスは、
まだ見たことがありません。
十二石のホムンクルスを作る、
そういう話は聞いていますが……
【着信 帆村魯公】
どうだ、話は聞けたか?
沈静化しておったカグツチ騒動、
また再燃しておるようだ。
青山に大勢がもうでておる――
皆、カグツチから生まれた、
月詠つくよみ麗華れいか嬢が目当てだという。
セヒラもちらほらある――
ちょっと見てきてくれんか?
【着信 喪神梨央】
鈴代すずよさんが向かいました。
青山通、明治めいじ神宮前じんぐうまえ電停で、
落ち合ってください!
【ユリア・クラウフマン】
コウジンも巡視パトロール中ですが、
今日はボクトウ地区です。
アオヤマとは逆ですね。
私は研究室へ行きます――
【武装SS隊員】
ハイル――
【ユリア・クラウフマン】
ここではいいのよ。

〔青山街路〕

風魔ふうまの向かった青山通りは、渋谷方面に向かう人がそぞろ歩く。普段寂しい通りが人であふれていた――

【着信 喪神梨央】
今のところセヒラは観測しません。
ただ予兆はあります、
注意してください。
【赤坂署の巡査】
何の人出かと署ではいぶかっています。
青山通は別名陸軍通りくぐんどおり……
何か行軍でもあるのですか?
【如月鈴代】
この人たちが……
まさか、麗華れいかさんの元へ?
――そうなんでしょうか?
【九頭幸則】
おい、風魔ふうま
公務電車くらい出せよ!
中尉殿御一行は市電で――
梨央りおちゃんも水臭いな!
鈴代すずよもそう思うだろ?
【如月鈴代】
遅くなってごめんなさい、風魔ふうまさん。
市電、赤坂見附みつけから乗ったのですが、
青山一丁目で終点なんです――
【九頭幸則】
通りに人が多くて危ないからって、
電気局から指令が飛んだらしい。
公務電車なら平気だったのにな!

【薄荷売りの少年】
おいしい薄荷はっか水だよ~
一口スッキリ薄荷はっか水だよ~

【新聞売り】
号外だよ~
号外号外~
カグツチ再臨~
月詠つくよみ様ご降臨~

【九頭幸則】
月詠つくよみ様って……
つまり麗華れいかさんのことだな!
【如月鈴代】
麗華れいかさん、青山せいざんホテルね。
部屋を取ったって聞きました。
ホテルはこの先ですわ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、注意してください。
セヒラ観測しました――
もっとも基本的な波形ですが。
【九頭幸則】
基本的って何だよ?
緩い怪人ってことなのか?

【逓信局の職員】
お前たちか!
――ええ、そうなんだろ?
【九頭幸則】
落ち着け!
何があったんだ?
【逓信局の職員】
娘を返せ!
糸子いとこを返せ!
【如月鈴代】
娘さん、どうかなさったの?
【逓信局の職員】
あんな妙な新宗教にそそのかされて、
四日も家を空けたままだ!
お前たちが元凶だろ!
【九頭幸則】
娘さんは青山ホテルに行ったのか?
【逓信局の職員】
ホ、ホテルだと?
ますます、許さん!!

《バトル》

【逓信局の職員】
糸子~糸子~
どこにいるんだぁ……
【如月鈴代】
麗華れいかさんが……
彼女が会派をひきいているのですか?
【九頭幸則】
いや、回りが騒ぐだけだ。
鈴代すずよ風魔ふうま、青山ホテルへ急ぐぞ!

青山せいざんホテル〕

【九頭幸則】
すごい人出だな――
【如月鈴代】
麗華れいかさん、いるのかしら……

【本郷の学生】
僕はね、いつにない可能性を感じる。
何しろカグツチときたもんだ、
近代モダンカグツチは何をもたらすのか――
本郷ほんごうからね、足代あしだいはずんで、
今日で三日も通い詰めだ。

【小石川の婦人】
良人おっとの母の妹の姉の息子の嫁……
つまり私ですけれど――
思うところあり、参っております。
近頃、頭の中で声がしますの――
菊子の女学校時代のおねえさまの妹、
つまり私を呼ぶのです。
参りなさい、参りなさいと……
ですから、参っております。

【着信 喪神梨央】
わずかにセヒラを観測します――
ですが、脅威にはなっていません。
【如月鈴代】
麗華れいかさんが霊異りょういを現すと、
周りに影響を及ぼすのかも……
風魔ふうまさん、幸則ゆきのりさん、
私、ここで麗華れいかさんを待ちます。
【九頭幸則】
そういや歩三でも、
麗華れいかさんを持ち上げる動きがある、
そんな話を聞いた――
そろそろ歩三の召喚小隊、
演習の始まる時間だ。
風魔ふうまのぞきに行ってみよう!
じゃ、鈴代すずよ
麗華れいかさんによろしく!
【如月鈴代】
手に負えないことがあったら、
山王さんのうの本部に連絡を入れます。
お二人とも、お気を付けて。

鬼龍きりゅうが率いた歩三召喚小隊。その中に月詠つくよみ麗華れいかあがめる一派があり、予断よだんを許さない状況だという。風魔ふうま九頭くずは、演習が行われている、歩三本部へと向かった。

〔第三連隊本部〕

【九頭幸則】
見たところ、問題なさそうだな――
【常田松柏】
何やら良からぬうわさがあるが――
歩三はいたって平静だ。
歩一の方はどうかね?
【九頭幸則】
問題確認されておりません!
怪異に屈することなく、
励精れいせいこれつとむるにあります!
【常田松柏】
よかろう――

その時であった。
一陣の冷たい風が吹いたかと思うと、連隊本部の前庭に影が射した――

【叫ぶ声】
あっ! あれは――
【裏返った声】
カグツチ様だぁぁ~
【感嘆する声】
おおお! 月詠つくよみ様だ!!
【むせぶ声】
はぁぁぁ~
ついにご降臨こうりんあそばされたぁ~
【九頭幸則】
おい、風魔ふうま
――セヒラ球だ……
いや、カグツチか――違う!

【九頭幸則】
風魔ふうま
連中、怪人化したんじゃないか?
【常田松柏】
鵜野森うのもり少尉!
しずまれ!
――少尉! 聞こえんのか!!
【召喚小隊鵜野森うのもり少尉】
私を呼ぶのです――
早く参れ、早く参れと……
小隊の兵ら、皆、月詠つくよみ様をあがめ、
互いに引き合ったのです――
私は愈々いよいよ成るのです――
月詠つくよみ世界粛清しゅくせい親衛隊長に!
弱小極東小国など殲滅せんめつせんとす!
【常田松柏】
少尉! 少尉!!

《バトル》

鵜野森うのもり月詠つくよみ世界粛清しゅくせい親衛隊長】
列強国に並び立とうとする貴様らは、
やがて灼熱しゃくねつの炎に焼かれるだろう――
末代まで禍根かこんを残すのだ!!
貴様らの行く末は、
黒いきりに閉ざされている――
その闇はどこまでも深い!
【九頭幸則】
大佐――
ご無事でいらっしゃいますか?
【常田松柏】
ううう……
――今のは、何だ?
【九頭幸則】
怪人同士の戦いが繰り広げられ、
大佐もそれに巻き込まれたのです。
【着信 喪神梨央】
観測したところ、
大佐も一瞬だけ怪人に……
怪人になった模様です。
セヒラ球ですが、
白金しろかね方面へ向かいました!
【九頭幸則】
一瞬だけ、大佐も怪人に……
――そんなことがあるのか……
大佐、隊の衛生兵を呼びます。
動かないでください。
【常田松柏】
た、大尉は……まだか?
鬼龍きりゅう大尉だ……
京都をつとのしらせが……
【着信 喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉が上京するのですか?
幸則ゆきのりさん、事実確認をお願いします。
日程を調べてください!!
【九頭幸則】
了解した!
風魔ふうま、俺はここに残る。
お前はセヒラ球を追ってくれ!

清正公せいしょうこう前〕

第三連隊本部上空に現れたセヒラ球。そのせいか、隊の将兵らは怪人化した。セヒラ球は白金しろかねに向かったという。

【新山眞】
この場所はカグツチの聖地として、
あがめる市民も出始めています。
勿論もちろん、カグツチなどではなく、
邪悪マルボーナなセヒラの塊です――

【歓喜する声】
おいでです! おいでになりました!
月詠つくよみ様! あああ、感激ですわ!!

【驚嘆する声】
おお、何ということだ!
まさに、ここはまさしく聖地だ!

【祈る声】
お願いします、お願いします、
どうかお聞き入れくださいませ~

【新山眞】
あの中では帝都中の思念が流通し、
中にいる月詠つくよみ麗華れいかなる者は、
全てを見通せています――

【新山眞】
このまま思念を集め続ければ、
月詠つくよみ麗華れいかなる人物は――
まさしく全知全能チオスチオカイチオポーボの存在へと――
そこで急遽きゅうきょこしらえました――
思念増幅アンプリファード器です。
こいつで思念を増幅アンプリファードすれば、
セヒラ球の中ではうるさく響き合い、
何が何だかわからなくなる――
【着信 喪神梨央】
新山にいやまさん!
思念を増幅して聞き取れないように
するのですね!
【新山眞】
その通りです、聞き取れません!
さぁ、思念増幅アンプリファード器の、
スイッチを入れますよ!

そう言うや、新山にいやまは、手にした通信機のような装置の、スイッチを入れた。

【月詠麗華の声】
ここは母胎なのです――
そう教わりましたわ。
――誰にかというと……
それはわかりません。
私の中に響いてくるのです――
神さまのお声かも知れません。
この帝都にはいろんな考えが、
あるのですわね――
興味深く拝聴はいちょうしました。
大変、いきどおる方がおいでですわ。
新文民社で穏健派を標榜ひょうぼうする方――
憲兵に捕まって大変なことに!
でも私が探しているのは、
もっと別のことなのです――
それがちっとも聞けやしません。
豪人たけとさまは京都においでなのですね。
私、豪人たけとさまから継がねばと思い、
いているのですが……

京都は遠すぎるのですわ!
母胎にはもっと栄養が必要――
どうもそのようですわ。
先程は混乱してしまいましたわ。
いっそ、人をそのまま吸い取ると、
そうなるようですわ!

【着信 喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉が京都をつと――
詳細は調査中です。
麗華れいかさんはまだ知らないようです。
【新山眞】
鬼龍きりゅう大尉は……狙われていますか……
月詠つくよみ麗華れいかに……
――ここは手を打たねば!

うわぁぁぁ~

〔時空の狭間〕

【新山眞】
こう何度も飛ばされると、
慣れっこになりますね――
いや、なりません!
おや、イオか来ますよ……
アストラルです!

【満鉄列車長の使いアストラル】
見ませんでしたか?
【新山眞】
見るって、イオをですか?
【満鉄列車長の使いアストラル】
列車長が困っています。
重たいのがいて列車運行できないと。
【新山眞】
重いペーザ
それはぺ……ペ……言葉が出ない……
――重量のことですか?
【満鉄列車長の使いアストラル】
気分的に、重いのです。
――それは憤慨ふんがいする者ですよ。

【穏健派Fアストラル】
どうやら私はめられたようです。
あの興亜こうあ貿易の社員です、
私が尾行した相手です。
彼は内務省の建物に入ったのです。
彼は私が疑っていることを、
はなから知っていたようです。
それで私が尾行するようにした――
ある日、新文民社の集会があり、
彼も参加していました。
彼は手帳を机上に置いたまま、
ほんの五分ほど中座ちゅうざしたのです。
手帳には私の名前がありました。
その手帳がわなだったのです。
私が盗み見するよう仕向けたのです。
【新山眞】
その人物はスパイだったんですね?
――それで、あなたは今、
どこにいるのですか?
【穏健派Fアストラル】
私は今、一ツ橋の憲兵司令部の地下、
談話室という汚れた部屋にいます。
壁の茶色い染みは血液ですね――
先程、今日、三本目の注射を打たれ、
私の意識は遠のいていきます――
反して思念はかように明瞭めいりょうなのです!
あなたもあの男と同じ臭いがします。
――組織の人間の臭いです!
【新山眞】
喪神もがみさん、注意してください!
話し合える様子はないです。
【穏健派Fアストラル】
ああ……遠のいていく……
部屋がぐるぐる回り始めた……

《バトル》

【穏健派Fアストラル】
目の前にいきなり光が射して……
田舎のおっかぁが見えた!
ああ、おっかぁ~おっかぁ~
おっかぁの顔が……
ゆがんで……色まで変わって……
――歯がボロボロ抜け落ちる!!
【新山眞】
何とか障害はのぞけたようです。
――ところで、彼をめた人物、
調べる価値はありそうですね。

【満鉄列車長】
ありがとうございました!
重いのがなくなり、運行開始です。
当列車、青山新京シンキョウ品川しながわ図們トモンを結ぶ、
青品線最終となります。
【新山眞】
私たちは品川しながわ図們トモンに向かうのですね?
向こうにはどんなアストラルが、
いるのですか?
【満鉄列車長】
よくはわかりませんが、
新しく接続した場所では、
新しいアストラルを見かけます。
では、当列車、
品川しながわ図們トモンに向けて出発します。

時空の狭間を出発した帝都満洲あじあ号は、一路、品川しながわ図們トモンを目指した。果たしてそこは荒涼こうりょうとした場所だった――

品川しながわ図們トモン第一街区〕

【新山眞】
何とも荒涼こうりょうとした場所ですね。
アストラルもいますよ。
――連中、新しいのでしょうか?
【着信 喪神梨央】
品川しながわ図們トモンに思念増幅器を、
設置しますか?
安全な場所を探しましょうか?
【新山眞】
いえいえ!
ここでそんなことしたら大変です。
今、装置は切っています。
喪神もがみさん、アストラルは正直です。
歩三のアストラルがいれば、
鬼龍きりゅう大尉の予定を尋ねてみます。
大尉はいつ東京に着くのか――
歩三に乗り込んだところで、
絶対に口外しないでしょうから。
品川しながわ図們トモンに来られたのは幸いです。
歩三のアストラルさえ捕まえれば、
月詠つくよみ麗華れいかさきんじられます!

【新文民社構成員Tアストラル】
青山の拠点に憲兵が踏み込んだ?
ふん、そうなることはわかっていた!
韮山にらやま儀礼ぎらいは当局から金をもらい、
内部情報を渡していたに違いない!
【新山眞】
韮山にらやま氏が音頭おんどを取って、
帝大の文民社から分離したんですね?
【新文民社構成員Tアストラル】
穏健な活動を目指してね。
でも、そこに当局が付け込んだ。
内側から瓦解がかいさせる魂胆こんたんなんだ!
こうなったら仲間をつのって、
新たな会派を作るしかない!
【新文民社構成員Eアストラル】
新文民社が分裂しないよう、
結束を呼びかける構成員もいる。
興亜こうあ貿易の影森かげもり愁一しゅういちさんだ。
影森かげもりさんは新文民社の名簿を作り、
皆に結束を呼びかけるようだ。
文民社の名簿も同時に作ると言う。
【新山眞】
名簿なんか作ると、
かえって危ないのではないですか?
【新文民社構成員Eアストラル】
そ、そうなのか?
――考えても見なかった!
本名と住所を教えてしまった!

【新文民社構成員Dアストラル】
新文民社を離れて、
カグツチさまの霊異りょういに頼る、
そういう動きもあるようです。
【新山眞】
アナーキズムの精神は、
どうなるのですか?
【新文民社構成員Dアストラル】
カグツチ様から新たなる力を得て、
それを国家転覆てんぷくに利用する、
そういう考えのようです――
私もこれから白金しろかねへ……
カグツチ様にお願いしに行きます。
【新山眞】
アナーキスト連中も、
霊異りょうい魅了みりょうされていますね。
歩三のアストラルを探しましょう。

品川しながわ図們トモン第三街区〕

【新山眞】
おそらく歩三のアストラルでしょう。
尋ねてみます――
こちら、第三連隊召喚小隊ですか?
――みなさん、おそろいで……
【召喚小隊S一等兵アストラル】
ええ、自分、小隊一等兵、
そこに同軍曹、あちらに同大尉です。
【新山眞】
それではお尋ねしますが、
貴隊の鬼龍きりゅう大尉は、
いつお戻りになりますか?
【召喚小隊S一等兵アストラル】
K隊長……ですか?
――今更戻っても……
【新山眞】
小隊はどうなりましたか?
【召喚小隊S一等兵アストラル】
今、自分は隊舎の二階から、
中庭を見下ろしておりますが……
もう隊は持ちません!
皆、あのカグツチ様とやらに――
あれこそ求めていた力だと、
部隊を抜ける者もいます。
陸軍刑法第七十五条、逃亡罪――
ゆえナク職役ヲ離レル者ハ処断しょだんス!
――火急かきゅう処断しょだんすべし!!

【新山眞】
お尋ねします軍曹、
隊長の鬼龍大尉は戻られましたか?
【召喚小隊T軍曹アストラル】
隊長が戻られたから、どうなる?
召喚小隊などとしきりと喧伝けんでんするが、
その実、三割ほどは怪人が混ざる。
【新山眞】
ええ!
本当ですか――
かねがねうわさはありましたが……
【召喚小隊T軍曹アストラル】
古株のUはまったき怪人だった――
先日、とうとう魂をわれた。
まともな召喚師などおらんのだ!
【召喚小隊M大尉アストラル】
隊舎の屋上からカグツチが見える。
あれは清正公せいしょうこう前のあたりか――

【新山眞】
大尉、鬼龍隊長は、戻られますか?
【召喚小隊M大尉アストラル】
おお、K大尉か!
この一週間、京都の山端やまばなホテルだ。
――だが今日は泊まらん。
【新山眞】
え?
それでは、今日、東京に……
【召喚小隊M大尉アストラル】
そう聞いている。
夜十二時前の夜行だそうだ。
K大尉、奴は悩んでいる――
審神者さにわとしての自分、
召喚師としての自分……
二人の自分が互いを排除する……
修練を積むほどにみぞが深まる、
どちらかを手放すべきなのではと――
【新山眞】
それは……術を封印する……
いや、むしろ奥義を伝授する、
そういうことでしょうか?
【召喚小隊M大尉アストラル】
くわしくは知らないが、
そのようなことだ――
問題は誰に伝えるかだ。
奴の悩みはそこにあるのだ。
機根きこんもって術を継ぐ者があるのか……
【新山眞】
喪神もがみさん、鬼龍きりゅう大尉の上京、
今晩の夜行とのことです。
明日朝には東京に着きます。
増幅器、あと二台あります。
三台の増幅器を使い、
清正公せいしょうこう前を囲む結界を張ります。
さぁ、急ぎましょう!
帝都に戻るのです!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さん、帝都満州の様子ですが、
少し変わってきたみたいです。
人の名前を語るアストラルが、
出始めているようですね。
新山にいやまさんが気付かれました――
その新山にいやまさん、あの機械を抱えて、
大急ぎで出ていきましたよ。
品川駅前、目黒駅前、一の橋電停と、
セヒラ球の浮かぶ清正公せいしょうこう前を囲む、
三角形に機械を設置するそうです。

新山は3台の思念増幅器を用いて、清正公せいしょうこう前を囲む結界を張るという。

【喪神梨央】
それで思念増幅の結界を作って、
雑音だらけで思念を確かめられない、
そういう仕組みだそうです――
東海道線の時間ですが……
京都今夜十一時四十五分の夜間急行、
東京着が明日朝九時三〇分です。
朝、八時、東京駅構内に、
歩一の二個小隊が待機し、
鬼龍きりゅう大尉を確保するとのことです。
白山はくさんの方に歩一の集会所があります。
そこは電話も通じていなくて、
勿論もちろん、住所は非公開です。
鬼龍きりゅう大尉の身柄、
しばらくそこに留め置くようです。

月詠つくよみ麗華れいかの現す霊異りょうい如何程いかほどのものか、市民の多くはそれを知らない。しかし宙に浮くセヒラ球がすべてを語る。その霊異りょういにあやかりたい組が続出している。アナーキストの一派、それに第三連隊、召喚小隊も月詠つくよみ麗華れいかあがめ立て始めた――