第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が3段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。

長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。2人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する2人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう2人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして2人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する2人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。階下に見える手術室にらしき1体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それはイメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー所長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか診たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から2人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!

怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり

ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街かがいですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1930年、SS親衛隊のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が2階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から1体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて5箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を見て1人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

2時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、2人の男性が何やら言い争っていた。風魔は2人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに1体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第三章 第十三話 帝大騒動

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

ゴエティアとおぼしき古書の鑑定と解読は、つた博士の他に頼れる先がない。
これは玄理げんり派とて事情は同じであった。

帆村ほむら魯公ろこう
玄理げんり派に奪われた古書だが……
やはりゴエティアの偽典ぎてんと判明した。
つた博士が鑑定したのだ――
喪神もがみ梨央りお
え? つた博士が鑑定って……
玄理げんり派もつた博士に依頼を?
帆村ほむら魯公ろこう
そのようだな。
あの書を正しく鑑定できる者は、
つた博士をおいて他にはいないだろう。
そのゴエティアなんだが、
鑑定が済み解読も終えたとのことだ。
喪神もがみ梨央りお
そのことは玄理げんり派も、
知っているんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
博士は専用電話を使ったのだ、
すれば自ずと第八分課に繋がる。
玄理げんり派の知るのは時間の問題だ。
するとアーネンエルベも、
帝大に来ると考えられるな。
風魔ふうま、一人で大丈夫か?
虹人こうじんに同行させたいのだが……
帆村ほむら虹人こうじん
僕なら大丈夫ですよ、
風魔と一緒に帝大に向かいます。
古書のこと、少しは責任あるし――
喪神もがみ梨央りお
あの時は実岡さねおかさんを
巻き込むわけには――
だから、仕方なかったんです。
帆村ほむら虹人こうじん
梨央りおがそう言ってくれると、
随分ずいぶんと気が楽になる、ホントだよ!
さぁ、風魔、帝大だ!
梨央、公務電車を頼む。
帆村ほむら魯公ろこう
気を付けるんだぞ、二人とも!
玄理げんり派とアーネンエルベ、
両派と対峙たいじするかも知れんからな。
帆村ほむら虹人こうじん
充分に留意りゅういします。

帝大廊下研究室前ていだいろうかけんきゅうしつまえ

研究室に向かう廊下の途中、鬼龍きりゅう豪人たけとが倒れていた――
鬼龍きりゅうは苦しそうに顔をゆがめて話す。

鬼龍きりゅう豪人たけと
喪神もがみか……
……博士が……電報を……
来た時には……おそ……
遅かった……博士は……
あぶ……ない……
……博士の……安全……
奴らは……研究室に……
……私は……立て直す……
帆村ほむら虹人こうじん
博士は無事なのか?
ゴエティアは、どうなった?
またしても、
執事型ホムンクルス!
さてはアーネンエルベが――

【執事型ホムンクルス】
……排除対象……
……モガミフウマ……
……ホムラコウジン……
帆村ほむら虹人こうじん
しつこい連中だ!
風魔ふうま、一気に鎮定ちんていするぞ!

【執事型ホムンクルス】
……排除スル……
……モガミフウマ……
……ホムラコウジン……

《バトル》

帆村ほむら虹人こうじん
僕はここに残る。
風魔ふうまつた博士のところへ!

蔦博士研究室つたはかせけんきゅうしつ

研究室の扉を押し開けた。
狭い研究室内に、つた博士と、ルドルフ・ユンカーの姿があった。

【ルドルフ・ユンカー】
モガミさんですね!
いまツタ博士と話をしていたのです。
博士は実に多くをご存知です。
つた博士】
ユンカー博士はを降ろせると、
そうおっしゃるんだ。
神智しんち学者がそこまでできるとは――
【ルドルフ・ユンカー】
私の弟は物理学者ですが、
を見られません。
なんとか見たいと願うようですがね。
つた博士】
――弟……
ということは……
あなたは――
【ルドルフ・ユンカー】
今はしましょう、博士。
それよりもこの解読書、
渡していただきますね。
何もただでとは言いません。
紳士しんし的にお手合わせ願いましょうか。

《バトル》

【ルドルフ・ユンカー】
さすがですね、モガミさん!
あなたの術には憎しみがない、
なぜなのか、不思議です――

【ルドルフ・ユンカー】
私を卑怯者ひきょうものわらって構いません。
どうしてもこれを本国に送り、
親衛隊上層部に報告せねば!
真っ白な閃光せんこうが世界を消した。
ユンカーが放った閃光弾せんこうだん炸裂さくれつしたのだ。

光が収まり、辺りが戻ると、もうユンカー博士の姿はなかった。

つた博士】
先の独逸ドイツ人、ユンカーが、
帝都のセヒラを同定し、
親衛隊に電報を打った――
私がその翌月、セヒラを観測した時、
すでに戦の論文は上梓じょうしされ、
山王さんのう機関の設立が計画されていた。
私はてっきり、ユンカー博士と、
昵懇じっこんの仲にある者が論文をしたためた、
そう考えていたのだが――
ユンカー博士には弟が――
帆村ほむら虹人こうじん
よかった!
博士、ご無事でしたね!
鬼龍きりゅう豪人たけと
立て直しが済んだぞ、喪神もがみ中尉!
ここで戦うほどおろかではあるまい。
さぁ、書を寄越せ!
帆村ほむら虹人こうじん
あの書は山王さんのう機関が預かるものだ、
貴様らが収めるものではない!
鬼龍きりゅう豪人たけと
実岡さねおかなる人物に、
金でも払っているのか?
帆村ほむら虹人こうじん
金でなど買うものか!
書はおのずと集まる、
正しき場所にな!
鬼龍きりゅう豪人たけと
さすが、制式採用された流派の、
余裕というやつだな!
――何が正しき場所だ!
つた博士】
おいおい、君たちは一体、
何を求めておるのかい?
独逸ドイツ連中をのさばらせて、
それでいいわけないだろうて。
第一、第三、二つの連隊は、
力を合わすべき時じゃないのかね?
鬼龍きりゅう豪人たけと
根本はそうですが、
それだけでは……
帆村ほむら虹人こうじん
博士のおっしゃることはよくわかります。
ただ覇権はけん争い、悪い面だけじゃなく、
切磋せっさ琢磨たくまするということでは――
つた博士】
そうか……ならば、
もっと切磋せっさ琢磨たくまするがよい。
解読書の写しをやろう、二人にな。
ゴエティアはいたずらに力を求めるための道具などでは決してない。
これは霊異りょうい現る世界にしてみれば、
まさに福音ふくいんのようなものだ。
その扱いを間違えると、
世界を破滅に導いてしまうぞ。

第二章 第七話 増上寺の秘本

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
宮武みやたけ國風こくふうという明治の好事家こうずかがいる。
蟲粉むしこの研究でつとに有名だな。
先日、國風こくふうの残した手紙を読んだ。
鍛冶橋かじばしの古本屋で見つけたんだよ。
増上寺ぞうじょうじ稀覯本きこうぼんについての一篇だ。
喪神もがみ梨央りお
増上寺ぞうじょうじですか?
しばにある……
そこに珍しい本があるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
國風こくふうこだわった蟲粉むしこは、
の原材料とも考えられておる。
まだ、解明、道半ばであるがな――
なるほど。國風こくふうが興味を持った本、
それが増上寺ぞうじょうじにあると言うのですね。
國風こくふうはカルマノヴィチ写本に、
後半生を捧げた――
蟲粉むしこの命名も國風こくふうの仕事だな。
喪神もがみ梨央りお
その写本に書かれている虫って、
実際にいるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
いや、どうにも怪しいんだ。
学者によると写本の虫というのは、
どれも未発見だそうだ。
喪神もがみ梨央りお
それじゃ、妄想ですか?
写本の元になった本は、
どんな人が記したんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
ユルギス・カルマノヴィチだ。
リトアニアのキリスト教学者で、
古都トゥラカイの城で啓示けいじを受けた。
喪神もがみ梨央りお
虫についての啓示けいじなんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
原書名は、神の虫大全という。
神の恩寵おんちょうを受けた虫の総覧そうらんだよ。
帆村ほむら虹人こうじん
ああ、思い出したよ。
彼は六十八日間、一睡いっすいもしないで、
虫の名前を書きしるしたんだ。
帆村ほむら魯公ろこう
國風こくふうの手になるカルマノヴィチ写本、
セルパン堂に依頼してある。
帆村ほむら虹人こうじん
例によって欧州に渡ったんですね。
日本の文物ぶんぶつはみんな欧州に行く――
せめて増上寺ぞうじょうじの本は守りたい。
國風こくふうが興味を示した本とあらば、
これはもしかするともしかする。
僕は俄然がぜん興味がいたよ!
帆村ほむら魯公ろこう
講釈こうしゃくはこれくらいにしておこう。
ではさっそく増上寺ぞうじょうじだ、
よろしく頼むぞ。
帆村ほむら虹人こうじん
それと、アーネンエルベの動向、
このところ気になる。
尾行には用心するんだ。

芝増上寺大門しばぞうじょうじだいもん

しば増上寺ぞうじょうじ。松並木の広い参道の先に有名な大門が建つ。
並木に止まるカラスが風魔ふうまを見下ろしていた。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラ観測しました。
通常の波形とは違って、
ゆらぎがあります――
これまであまりなかった傾向です。
警戒して進んでください。

鬼龍きりゅう豪人たけと
喪神もがみ風魔ふうま
貴様、公務で来たのか?
増上寺ぞうじょうじの警護は、
我等の隊にたくされている。
特務の人間に用はないはずだ――
ここは思念のまりも多く、
怪人化する事象が多く報告される。
ここは我が隊の公務に任せてくれ。

【参拝の女性】
今日はやけにカラスが多くて、
なんだか気味が悪いわ。
いつもはこんな事ないのに……
ほら、あそこ。
何羽も集まっているのよ。
何かあったのかしらね……
今日はなんだか様子が変だし、
早めに帰るとするわ。

【参拝の老人】
ここは徳川の菩提寺ぼだいじじゃな。
中でも徳川家に降嫁こうかした、
皇女こうじょ和宮かずのみや様のお墓は人が絶えん。
去年、新聞の興亜日報こうあにっぽうが、
和宮かずのみや様の特集組んでから、
全国から参拝に来よるなぁ。

【参拝の男性】
何だかね、むしゃくしゃしてね、君!
相談所に行くとね、すっかり治った。
それで増上寺ぞうじょうじにでも行くかとね……
そんな気になったんだ、君!
ここには僕を勇気づけるものが、
きっとあるに違いないさ!!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
一帯のセヒラ反応
急激に増加してます!

《バトル》

【参拝の男性】
あんたも職場で四面楚歌しめんそかなのかい?
和宮かずのみや様はそんな中でもくじけず、
正室せいしつつとめを果たされたんだな!

その時大きな影が頭上を過った!

【カラス】
カァ……

カラスは地上に落とす不吉な影とともに、飛び去って行った。

増上寺そうじょうじ80代法主、青柳あおやぎ智叢ちそうから、寺に伝わる秘本を預かった。参謀本部からの通達がこうそうしたようだ。

芝増上寺境内しばぞうじょうじけいだい

帝大に向かうべく、増上寺ぞうじょうじの境内へ。
そこで風魔ふうまを迎えたのは、以前、セルパン堂で会った外国人であった。

【セルパン堂で会った外国人】
お会いするのは二度目ですかな?
――喪神もがみさん……

【ルドルフ・ユンカー】
――自己紹介、させてください。
私、ルドルフ・ユンカーです。
アーネンエルベ極東分局の所長です。
局長と言わないのですね……
日本語、随分慣れましたけれど、
依然いぜん、大変難しいです。
さて喪神もがみさん、あなたが持つ書物、
我々に貸してもらいましょう。
私は成果を求められています――
ヒムラー長官は焦っています。
神智しんちの領域にて力を及ぼすこと、
それが我々の目的です。
済みませんが、ここは力を用いて、
あなたのその書物を手に入れます。
それが最善の方法だと考えます!!

《バトル》

【ルドルフ・ユンカー】
――なるほど……
あなたの強さは力ではない、
そうなのですね……
まして怒りや憎しみでもない――
それらは微塵みじんもないとわかりました。
むしろ……楽しんでいる?
いやはや、不思議です……
ユリアが興味を持つはずですね……
またお会いしましょう、喪神もがみさん。
【着信 喪神もがみ梨央りお
周囲のセヒラ、低下しました。
何だか、一気に消えた感じです。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
よし、風魔ふうまよ、
その本を持って、帝大のつた博士の
研究室へ急いでくれ。
帝大の警護には、
虹人こうじんを向かわせている。
今のうちに博士に本を届けるんだ。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帝大キャンパスは静まり返っていた。
特高警察が監視を強化したためだ。
秘本は無事に博士に届けられた――

帆村ほむら魯公ろこう
せんな……
アーネンエルベのユンカー博士が、
何故、増上寺ぞうじょうじにいたのだ?
喪神もがみ梨央りお
やっぱり尾行されていた……
ってことですよね?
帆村ほむら魯公ろこう
そう考えるしか無いのだが……
ホムンクルスの尾行は無かった。
そうだな、虹人こうじん
帆村ほむら虹人こうじん
ええ、僕が風魔ふうまの後について
しっかり尾行を見張ってました。
途中ホムンクルスを発見し
僕が倒した後は、
一切尾行はなかったですね。
帆村ほむら魯公ろこう
ではどうやって風魔の動きを
探ったのか……
我々の知らぬ魔術か何かか?
帆村ほむら虹人こうじん
魔術か……さぐる……
ああ、そうだ!
使い魔ファミリアじゃないかな?
喪神もがみ梨央りお
何ですか? ファミリアって……
帆村ほむら魯公ろこう
使い魔だ……風魔ふうまも知っておろう?
本邦ほんぽうならば、陰陽師おんみょうじ使役しえきした
式神というやつだ。
帆村ほむら虹人こうじん
式神は小動物を使うことが多いが
鬼神を用いることもある。
使い魔は、だいたい小動物だな。
喪神もがみ梨央りお
あ、もしかして……
カラスじゃないですか?
帆村ほむら虹人こうじん
カラス……そういや多かったな。
喪神もがみ梨央りお
通信でカラスの声を
良く拾っていました。
ね? 兄さん気になってたでしょ?
帆村ほむら魯公ろこう
なるほど、そうか、カラスか……
自由に飛び、空からの監視も出来る。
こいつは厄介やっかいだぞ。
帆村ほむら虹人こうじん
カラスなら往来おうらいだけじゃなく、
家の中まで見通せそうだ――
庭の木に止まったりしてね。
喪神もがみ梨央りお
えええ? お風呂とか絶対に
窓閉めて入らなくちゃ!
開けとくと風が気持ち良いのに……
帆村ほむら虹人こうじん
えらい心配症なんだな、梨央りおは!
喪神もがみ梨央りお
当たり前です!
いくら近代人といっても、
恥じらいは大切です!
帆村ほむら魯公ろこう
ワハハハハ、違いない!
助兵衛すけべえなカラスには
気をつけるんだぞ、梨央りお

第一章 第八話 アーネンエルベ

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

その日、山王さんのう機関本部に来客があった。彼女がここに来るのは久しぶりである。
地下100メートルの本部にパッと光が射した――

如月きさらぎ鈴代すずよ
今日はお招きいただき――
あら! 風魔ふうまさん……
どうしたんですか、その格好は?
帆村ほむら魯公ろこう
いやぁ、鈴代すずよさん!
わざわざお越しいただいて……
鈴代すずよさん、
お願いしたいことがあるんです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
私に出来る事なら……
帆村ほむら魯公ろこう
いつもと趣向を変えて、
弟、風魔ふうま引率いんそつ願えませんか?
喪神もがみ梨央りお
弟……
兄さんが……鈴代すずよさんの弟ですか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
うふふ……
何だかわかったような気がしますわ。
帆村ほむら魯公ろこう
申し訳ないが、どうだろうか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
も、申し訳ないだなんて、そんな、
風魔ふうまさんの方こそご迷惑では……
帆村ほむら魯公ろこう
セルパン堂はよくご存知ですな。
四谷よつや区にある古書店です。
如月きさらぎ鈴代すずよ
はい、ぞんじております。
帆村ほむら魯公ろこう
仲の良い姉弟あねおとうとのようにして、
風魔ふうまを連れ立って欲しいのだ。
――純情青年の風魔ふうまをな。
喪神もがみ梨央りお
うふふ……
そのりなら、兄さん、
すっかり弟ですね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
…………
帆村ほむら魯公ろこう
東京にとついだ姉が、
上京してきた書生しょせい風情ふぜいを連れている、
そういう按配あんばいなのです。
今回の四谷よつや行き、重要でしてな。
身分が知れると厄介やっかいなのですよ。
風魔ふうまのことを調べている連中がいて、
その目をあざくというわけです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
承知しました。
帆村ほむら魯公ろこう
そのなりで、しかもあなたと一緒だ、
風魔ふうまのことが見破られることは
ないでしょう。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そうだといいのですが……
帆村ほむら魯公ろこう
鈴代すずよさん、改まって申しますが、
あなたのお力添ちからぞえ、
常々、感謝しておるところです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そんな……
たいしたことは出来ておりません。
それに……
東雲しののめの流派も閉じてしまい、帆村ほむら流の発展をお祈りするばかりです。
帆村ほむら魯公ろこう
しかし、よくぞ決断されました。
東雲しののめ流から継いだ奥義おうぎの数々、
責任をもって守り抜きますぞ。
喪神もがみ梨央りお
兄さん、公務電車は塩町しおまちまで行かず、
四谷見附よつやみつけの先でめます。
そこから歩きになります。
如月きさらぎ鈴代すずよ
四谷見附よつやみつけなら、塩町しおまちまで、
電停三つ分ですわ。
帆村ほむら魯公ろこう
よし、では早速、出かけてくれ。
用心するに越したことはないぞ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
それでは、参りましょうか、
風魔ふうまさん。
喪神もがみ梨央りお
朝五時に新宿しんじゅくに着く夜行があります。
兄さんはそれで上京したんです……
長野ながの、夕方の五時二八分発です。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう! それは急行かな?
喪神もがみ梨央りお
いえ、普通列車です!
如月きさらぎ鈴代すずよ
それでは、さぞお疲れでしょうね……
帆村ほむら魯公ろこう
過ぎたる演技はいらんが、
目立たないようにはしてくれ。
いいな――

〔セルパンどうまえ

はたからは仲の良い姉弟にしか見えない2人――
公務電車を手前の四谷見附よつやみつけで降り、
電車通を歩いてセルパン堂まで来た。

如月きさらぎ鈴代すずよ
問題なく来られましたわ。
私、お役に立てたのかしら……

セルパン堂に入ろうとすると、
店内から1人の外国人女性が現れた。
店に入ろうと左に避けると女性も左へ、
右に避けると女性もまた右へ……
2人は同時に動きをやめた――

【美しい碧い瞳の女性】
――ごめんなさい……

女性はまさしく金髪碧眼へきがん――
その透明感のあるあおい瞳が風魔ふうま見据みすえた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、通してあげて――
【謎の白人男性】
どうしましたか、ユリア――

セルパン堂から姿を見せた白人男性は、
流暢りゅうちょうな日本語でしゃべった。

【美しい碧い瞳の女性】
今、こちらの方と……
【謎の白人男性】
君は、大学生でしょうか?
学校はどちらで?
この店に通うとは、
なかなか研究熱心なようです。
【美しい碧い瞳の女性】
――美しい瞳……
まるで黒曜石のように深く黒く……
【謎の白人男性】
ユリア、どうしました?
日本人は誰でも黒い目ですよ、
違いますかな?
その黒さゆえに、考えが読めない、
私は常々そう思っています。
【美しい碧い瞳の女性】
考えがあるのではなく、
強い信念がある――
そんな風に思います。
【謎の白人男性】
なるほど――
いろいろあるものですね。
【美しい碧い瞳の女性】
――またおいできる。
そんな気がしますわ。

遠ざかる2人を見送った後、
鈴代すずよがそっとつぶやいた――

如月きさらぎ鈴代すずよ
今の方……
とても美しい方でしたわね。
あおい瞳に吸い込まれそうでしたわ。
…………
……それでは、お店の中へ。

〔セルパンどう
周防すおう彩女あやめ
あら、鈴代すずよさん、いらっしゃいませ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
こんにちは、彩女あやめさん。
周防すおう彩女あやめ
あ! そうそう、良い御本が
入りましたよ。
どこでしたっけ店長。

声に呼ばれ、奥から式部しきべ
のっそりと姿を現した。

式部しきべじょう
いらっしゃいませ、如月きさらぎさん。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、式部しきべさん。
式部しきべじょう
お待ちください。
石上神宮いそのかみじんぐう献茶けんちゃについての
古書を手に入れましてね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ、今日はあの……
式部しきべじょう
おや、そちらは……
ご一緒で?
式部しきべじょう
ああ、喪神もがみさんでしたか!
いやぁ、てっきり学生さんかと。
周防すおう彩女あやめ
あれ! 喪神もがみさん!
ごめんなさい、彩女あやめ
ちっとも気付きませんでした!
式部しきべじょう
ふーん、なるほど!
周防すおう彩女あやめ
店長……
あからさまに過ぎますわ。
式部しきべじょう
いやぁ、失敬しっけい
実に見事な変装ですね!
手を入れすぎていない所が良い、
あざとさを感じません。
喪神もがみさんの持ち味を引き出して、
そこに別な印象を注いでいる、
いやはや、巧妙こうみょうですね!
しかし……眼光の鋭さは……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさんって、
そんなに鋭い目でしょうか?
式部しきべじょう
ああ、鈴代すずよさんはそうは思われない、
そうなんですね?
幼馴染おさななじみだからでしょうね、
その印象がまさるのですよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そういえば、今しがた
外国の方が二人、
出て行かれましたが……
式部しきべじょう
ああ……
あれはアーネンエルベの者ですよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
アーネンエルベ?
式部しきべじょう
アドルフ・ヒトラー率いるナチ党は、
ある意味、狂信者の集団なのです。
自分たちの祖は超人的アーリア人、
その擅断せんだん的な独りよがりの思想に、
かれているのですよ。
神話の時代、アーリア人は
超能力で世界を支配したという
幻想を信じてるのですよ。
その神霊しんれいの力を取り戻し、
再び超人として世界を支配するために
研究調査組織が作られます……
如月きさらぎ鈴代すずよ
それが、アーネンエルベ?
式部しきべじょう
そう、彼らはアーリア古代文明の
証拠を世界各地で調査しつつ、
超人化の道を探求する者です。
周防すおう彩女あやめ
でも、どこかロマンチックな
話なのですわ。
式部しきべじょう
そうだね彩女あやめ君。
だが、幻想とロマンには
危険がつきものだ。
ナチスSS親衛隊長官のヒムラーは、
本国に先駆けてアーネンエルベを
昨年、東京に開設しました。
アーネンエルベ極東分局といいます。
独逸ドイツ大使館内にあり、
今年、本格稼働し始めた模様です。
所長はルドルフ・ユンカー博士。
神智しんち学方面の権威だとか。
その真面目にキの付く偉い先生が、
魔道書ゴエティアにまで
手を出してきたのですよ。
ま、ある意味正解なんですが……
如月きさらぎ鈴代すずよ
ゴエティアの召喚術……
鬼龍きりゅうさんが学んだのも独逸ドイツ……
式部しきべじょう
そして散逸さんいつしたゴエティア偽典ぎてん
まさにこの店にある……などと、
何処どこでどう知ったのやら……
――価値も分からず、
一見いちげんのお客様に
お売りいたしました――
遠い国にまで聞こえる書であるなら、
それはいかほどの価値なのか、
是非ぜひともご教授いただけませんか――
と、まあ、こんな感じにとぼけて
おきましたが、どこまでこちらを
信じたことやら……
さて、そういうわけで山王さんのう機関様。
これが渦中かちゅうのゴエティア偽典ぎてん
お買い上げ有難うございます。

そう言って式部しきべ風魔ふうまに古書を手渡した。彩女あやめ怪人かいじんに奪われ、風魔ふうまが取り返したあの本だ。

式部しきべじょう
あの時あなたに渡してしまえば
早かったんですけどね。
少々確認事項があったのですよ。
では、帆村ほむらさんによろしく
お伝えください。

若松町わかまつちょう

【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがや近辺にセヒラ観測しました。
用心してください、黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし

【無表情な女】
待っていた……
何時間も、ここで……
――本、お前の本……

【無表情な女】
……ゴエティア、ください……

《バトル》

【無表情な女】
ゴエティア……を……
【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがや依然いぜんセヒラ高し。
まだ怪人かいじんがいるはずです!

【無表情な男】
…………

【無表情な男】
……ゴ・エ・ティ・ア。

《バトル》

【無表情な男】
感じろフュールン……恐怖アング

【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがやのセヒラ低下しました。
もう大丈夫かと思われます。
如月きさらぎ鈴代すずよ
待ち伏せをされていたのでしょうか?
――お怪我はありませんか?
今の人、独逸ドイツ語を話していました。
これ……おそらくあの人が
落としたものかと――
さっき話に上った独逸ドイツの秘密組織、
アーネンエルベと何か関係が、
あるのでしょうか?

それはややくもった水晶だった。
内側に幾筋いくすじもの真っ直ぐな金糸が
織り込まれたように入り、
金属的な光をはなっていた。
ガラス質の表面には、稲妻いなづまかたどった様な文様もんよう
り込まれ、黄色に彩色されていた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
まるで古代の文字のようですわ。
何かの魔力でも秘めていそうですわ。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
八号、つた博士から連絡があった。
式部しきべ君から本は受け取っているな。
お前はそのまま帝大に行け。
敵に襲われた以上、女史じょしの安全を
確保せねばならん。九頭くずを迎えに
やらせるからお帰りいただくんだ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
私、邪魔者なんでしょうか……
微力かも知れませんが、
お役に立てることがあればと思い、
こうしているのです。

砂埃すなぼこりを立て、一台の車が滑り込んできた。

九頭くず幸則ゆきのり
お迎えに上がりましたよ、鈴代すずよさん。
如月きさらぎ鈴代すずよ
幸則ゆきのりさん!
どうしたんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生から頼まれてね、
鈴代すずよを迎えに来たんだよ。
さぁ、乗ってくれ、
送り先はどこがいいんだ?
ところで、その格好
なかなか似合ってるぜ風魔ふうま
田舎出いなかで書生しょせいって感じだな。
俺には真似まねできない芸当げいとうだよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
幸則ゆきのりさん……
ご公務でお越しになったとはいえ、
私、まだ戻れません。
風魔ふうまさんに力添えできること、
あるのではと考え――
九頭くず幸則ゆきのり
――なるほど。
審神者さにわ鈴代すずよがいると、
風魔ふうまも心強いだろう――
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ、決してそういうことでは……
でも、今は戻りません。
幸則ゆきのりさん、お願いです、
わかっていただけますか?
九頭くず幸則ゆきのり
――しょうがないなぁ……
それで、お前達、どこに行くんだ?
さぁ、乗った、乗った、
銀座ぎんざ浅草あさくさ上野うえの……どこだい?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ありがとうございます!
幸則ゆきのりさん。

ルドルフ・ユンカー


 独逸神智学の権威で、アーネンエルベ極東分局の所長。生真面目で礼儀正しく物事を客観的に見ることのできる人物だが、必要に迫られれば手段を選ばずに結果を求めるところもあるようだ。
 生粋の学者であるはずの彼が、何故霊異を成せたか、という点は未だ謎に包まれている。

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