第九章 第五話 トゥーレの館

九頭くずの報告を知り、新山眞にいやままことがやってきた。仮構かこう世界に向き合うために、夢玄器むげんきを改良したのだという。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお見えです。
夢玄器むげんきが新しくなったとか。

【新山眞】
新しいというのではないのですが、
思念の中に入っていく仕組みと、
仮構かこうの仕組みは似ているのです。
そこで共振回路に手を加えて、
復調波ふくちょうは大S値だいエスちを加えることで、
仮構かこう世界の実体が見えるようにと――
【九頭幸則】
ええ、じゃ、あの渋谷憲兵大隊も、
それでのぞくと活動キネマ館だったり、
薬屋の倉庫だったりするんですか?
【新山眞】
どうでしょうか……
仮構かこうされて時間が経っていると、
それは難しいかもしれませんね。
【九頭幸則】
三日前に青山せいざんホテルで、
ディナーを楽しんだ奴がいるよ。
うちの隊に――
【新山眞】
そうだとすれば、
トゥーレの館になって、
まだ間がないですね。
【喪神梨央】
それじゃ、兄さん、
青山ホテルへお願いします。
九頭中尉はどうされますか?
【九頭幸則】
え、う……あ、あ……
いきなりそう言われると、
俺まで仮構かこうされたみたいだな――
もちろん、風魔に同行だ!
【喪神梨央】
承知しました!
公務電車、手配します!

〔青山通〕

青山六丁目交差点で事故が発生した。
市電と車が衝突したとのことだった。公務電車は青山通で停止した――
電車通には車が二台停まるきりで市電はなかった。市民が数名たむろしている。そして空にはカラスが乱舞する――

【九頭幸則】
青山六丁目って、
よく事故があるな――
先だっても一日に六回もあった。
皆、市電と車の衝突だよ。
それにしても――

背広姿の男性が近寄って来た。渋谷方面からやって来たようだ。

【青山のラヂウム商】
ここにまでいやがりますなぁ~
ええ、カラスの奴です、黒い奴!
【九頭幸則】
普段とは違いますか?
【青山のラヂウム商】
違うも何も、軍人さん、
公爵邸こうしゃくていの周りはカラスだらけ、
まっくろけ~
【九頭幸則】
公爵邸?
それはどちらの公爵ですか?
【青山のラヂウム商】
この辺で公爵といえば、
フンゲルハウワー公爵ですよ、
まさにその館です。
【九頭幸則】
フンゲルハウワー?
聞いたことが無い……
【青山のラヂウム商】
タングステン貿易で大儲おおもうけ、
でも青島チンタオ権益けんえき失って没落ぼつらく
この帝都に館だけ残された――
この辺では有名な話です。

空き家になって、はや十年――
たまに電気がくといいますよぉ。

カァカァ カラスガ ナイテイク
カァカァ カラスガ トンデイク

カラスの鳴き真似をしながら男性は青山方面へと歩き去った。カラスが屋根の上でしきりに鳴いている。

【九頭幸則】
同輩どうはい付合いの日曜下宿が、
この近くの高樹町たかぎちょうにあるんだ。
海苔のり屋の二階だ。
俺もちょくちょく来るけど、
フンゲル何とかの話なんか、
まったくの初耳だぜ――
まるでお化け屋敷みたいだな。
そうか!!
そのフンゲルも仮構かこうじゃないか、
きっとそうだよ!

それに答えるかのようにさらにカラスが鳴く。

【九頭幸則】
いや……ホテルが仮構かこうなのか……
――ああ、なんか混乱するな!

鳴き声を重ねながらカラスが一斉に飛び立った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
鈴代さんから連絡があり、
麗華さんと一緒にホテルに向かうと。
それ以上のことはわかりません。
【着信 帆村魯公】
カラスの鳴き声が聞こえるぞ。
やけに多くいるようだな――
アーネンエルベの使い魔――
かも知れんがな……
ユンカーもヘーゲンもいない今、
ぜんたい誰の使い魔なんじゃろか。
注意して進むべし、八号帥士はちごうすいし

二人は青山ホテルと思われていた洋館の前に来た。門前に二人の男性が立っていた。その二人の周囲にはカラスの群れがあった。

【九頭幸則】
ホテルに変わったところはないな。

九頭がそうつぶやくと、一人の男性が歩み寄った。

【西洋かぶれの紳士A】
ここは現代青年の作法心得を、
しかと学ぶ館であります!
それもほまたか仏蘭西フランス流儀です。

もう一人も来る。

【西洋かぶれの紳士B】
晩餐ばんさんの場についたなら、
剛健ごうけんなる現代青年の作法をもって、
終始しゅうしせねばなりません。
【西洋かぶれの紳士A】
出る皿々は、驚くべき速力と、
騒音とをもって見事に平らげます。
婦人たちに紳士しんしの力を見せるべく――
【西洋かぶれの紳士B】
フォークを二本の指で曲げる、
皿をこぶしにて叩き割るなどして、
食事が終わるやいなや――
【西洋かぶれの紳士A】
テーブルクロースをいて、
手や口をさっさとぬぐい、
悠然ゆうぜんと十三文甲高こうだかの靴をば、
【西洋かぶれの紳士B】
テーブルの上へと投げ出し、
巴奈馬パナマ葉巻をくゆらすのであります。

そこまで言うと二人の男性はそれぞれ左右に駆けて行った。

【九頭幸則】
何なんだ、今のは一体?
どんな作法なんだ――

九頭と風魔は洋館の庭へと踏み込んだ。洋館の脇に音もなく仮面の男が現れた。

【九頭幸則】
おい、見ろ、風魔!
あれは……仮面の男だ!!

やおら仮面の男がくぐもった笑い声を上げた。周囲の風景が歪み始めている――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
中尉は大丈夫ですか?

仮面の男はひとしきり笑い終えると、おもむろに両手を広げた。その手の周りにセヒラが漂い、やがて渦を巻き始めた。セヒラの渦は仮面の男の周囲に広がった。

【九頭幸則】
ううう、どうした、急に!
体が……重いぞ!

九頭は辛そうに腰折りとなった。その刹那、仮面の男が滲みながら消え、替わりに黒い仮面を被った人物が現れた。リヒャルト・フィンケである。セヒラはいたるところで渦巻いている。

【リヒャルト・フィンケ】
現実――仮構かこう――現実――
フフフ――

フィンケが不敵な笑いを残して消え、そこへ仮面の男が現れる。

【九頭幸則】
この……匂いは……
渋谷憲兵大隊と同じ――
この甘い……匂い……
――うっ!!

仮面の男がぶれながら消え、そこへフィンケが現れる。

【リヒャルト・フィンケ】
人間というのは、
あまり多くの現実に耐えられない。
――いい言葉じゃないか!
トゥーレの館へ、ようこそ!
ヘル、フーマ!

フィンケがぶれながら消えた。そして仮面の男――

【九頭幸則】
風魔!!
奴はすきを見せているぞ!

持ち直した九頭は、仮面の男を見据えたまま言った。それを聞いた風魔、すかさず仮面の男の前へ駆け寄った。

《バトル》

【仮面の男】
イッヒ……イッヒ……
――崩壊!ツーザンメンブロホ
――崩壊!ツーザンメンブロホ

――長い冬……ランガーヴィンター

仮面の男は腰を折っている。これまで被っていた仮面が地面に落ちていた。そして仮面の男の顔のあったところには小さなセヒラの渦が見える。渦の中心は漆黒の闇であった。
風魔は落ちている仮面を拾った。

【着信 喪神梨央】
物凄いセヒラです!!
波形も初めての形です!!
――兄さん!!

仮面の男から幾筋ものセヒラがほとばしり、やがて半球状のセヒラ球を形成した。周囲から光が失われた。

しばらくして光が戻った。セヒラ球は消えており、仮面の男の姿もなかった。風魔の傍へ九頭が駆け寄る。

【九頭幸則】
おい、風魔!
お前たち二人とも、
スーッと浮かび上がって――
ホテルの屋根あたりまで昇ったぞ!
その後、セヒラに包まれて、
姿が見えなくなった――
奴を倒したのか?
仮面の男だ。
お前だけがスーッと降りてきた……

九頭に言われ風魔は強く目を閉じた。次に目を開いたとき、仮面の男のいた場所に鬼龍が立っていた。

【九頭幸則】
あなたが騒動の元か!
鬼龍きりゅう大尉!
【鬼龍豪人】
歩一のロマンチスト将校と、
やりあうつもりは毛頭ない!
【九頭幸則】
白山集会所で監視下に置かれていた、
そうじゃないのか、大尉!
【鬼龍豪人】
時間は私に味方したのだ。
お陰でゆっくり自分に向き合えた。
【九頭幸則】
もしや……
仮面の男も、実は大尉、
あなたなんじゃないのか?
【鬼龍豪人】
ウワハハハハ~
それは新しいな!
私は昨夜から忙しくてね。
トゥーレの館で儀式を行った――
神の仕事ベルクゴッテスと呼ばれる儀式だ。

鬼龍はスターヴを現した。それは幻影なのか……

【鬼龍豪人】
私に与えられた文字は四つだ。
皆、ルーン文字だ――
自己マンナズ破壊ハガラズ変革サガズ、そして完全シグル――
シグルには太陽の意味もある。
これら文字を組み合わせる文様、
スターヴを柘榴ざくろの木の板にり、
それを私の血でなぞる――
心臓から繋がる左手の親指に、
銀のナイフを滑らせ滴る血でなぞる。
スターヴには願いを叶える、
強い霊力が宿る。
私の血で愈々いよいよ力が放たれる!
昨夜、大熊流星群の方角、
赤経一◯時ニ四分、赤緯三七度を
仰ぎ見て心の扉を開いた!
私は染 化ファーブストッフされたのだ――

スターヴのイメージは消えた。依然、鬼龍が語っている――

【鬼龍豪人】
スターヴを描いた柘榴ざくろ板を燃やし、
その煙を吸って儀式は終わった。
昨夜以来――
私は一度も息をしていない。
だがなんともないのだ!

そこへ鈴代が青山通の方からやって来た。

【九頭幸則】
鈴代!
どうしてここへ――
【鬼龍豪人】
私が呼んだのだ。
白山神社に置いた香合が、
瑞祥ずいしょうを現したようだね。
【如月鈴代】
香合の中にメモがありました。
トゥーレの館に来るようにと――
【鬼龍豪人】
あなたはご自分のことを、
よく理解されているようだ。
【如月鈴代】
そうでしょうか……
【鬼龍豪人】
鈴代さん――
あなたこそ古式を継ぐべきです。
あなたには機根きこんそなわる――
私は染 化ファーブストッフした――
トゥーレの館流の召喚師として、
今や完全な存在になろうとしている。
だからこそ、
古式の奥義をあなたに継ぎ、
私は身軽にならねばならない。
【如月鈴代】
鬼龍さん――
あなたにそなわる古式流儀ですが、
それは叔父山郷の……
【鬼龍豪人】
鈴代さん!
あなたは東雲しののめ流の再興を願った、
そう伝え聞きましたよ!
【九頭幸則】
しつこいぞ、大尉!
鈴代の決意は固いんだ。

どこからともなく麗華が現れ、鈴代の傍に来た。

【鬼龍豪人】
麗華さん!!
【九頭幸則】
――麗華さん……
【月詠麗華】
豪人たけとさま――
ようやくお目にかかれました。
豪人さまが白山神社に置かれた香合、
その瑞祥ずいしょうは、私に届いたのです。
北の夜空に現れた光の筋――
あの光が私を導いたのです。
そして香合を見つけました。新京シンキョウ神社にあったのと同じ香合です。
中にはメモが……
振り返ったその時、鈴代さんが――
神社で鉢合はちあわせになったのです。
【鬼龍豪人】
麗華さん!
あなたには何か深いものを感じる。
それは毒々しい色を帯びている!

そう言うや鬼龍は洋館の方へ面を向けた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
トゥーレの館の扉を!

鬼龍の叫びに呼応するかのように洋館はまるごとセヒラに包まれた。

【着信 新山眞】
今です、夢玄器むげんきの装着を!
それで仮構かこうの中を確認できます。

風魔は夢玄器を装着した。眼前には銀河ゼットー博士の研究室で見たのと同じ夢玄域が現れた。夢玄域の中に洋館が浮かび鬼龍もそこにいた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私を見てください!
昨夜、無事に染 化ファーブストッフを済ませ、
トゥーレ召喚術のマイスターに――
そうではありませんか?
【リヒャルト・フィンケ】
この甘い香りを!
ベラドンナの香りはかくも甘い。
甘く、みつのようにまとわりつく――
【鬼龍豪人】
ヘル!
私には香りがわかりません。
昨夜から息をしていないのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは本物だよ、鬼龍きりゅう大尉。
君は愈々いよいよの時を迎える――
【鬼龍豪人】
やはり……
そうなんですね!
トゥーレ召喚師として成るのですね!

夢玄域の中に突然麗華が姿を見せた。

【月詠麗華】
豪人さま!
私にお授けなさいまし!
【鬼龍豪人】
麗華さん!
ここに来てはいけない!
あなたに奥義は授けられない!
奥義とは授けた先で、
貴くあらねばならない――
あなたが求めているのは力だ、
闘いのための力だけだ!
【月詠麗華】
私は純粋なのですわ、豪人さま。
憎しみもうらみもなく、
ただただ神さまを授かりたいだけ――
【リヒャルト・フィンケ】
君は愈々いよいよ見放されようとしている、
君の中にあるケアンからね――
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
今はだめです、改めないと!
【リヒャルト・フィンケ】
時は進むのだよ、鬼龍君!
君は随分と物分りが良くなった。
それで時間がかかったのだ――
愈々いよいよケアンが君を見捨てるときだ。
【鬼龍豪人】
うわぁ!!

鬼龍の叫びとともに周囲から光が失われた。

〔時空の狭間〕

目の前には時空の狭間に吸われた鬼龍の姿が見える。鬼龍は薄っすらとセヒラに覆われていた。

【鬼龍豪人】
京都の師団にいたときだ――
あの小函こばこ独逸ドイツから届いた小函こばこ
日曜下宿に持ち帰った。
装飾を施した美しい小函こばこ――
トゥーレの館の招待状を収め、
そして……もうひとつ――
石だ!
黒ずみ、所々に光の粒を浮かせた、
不思議な石が収められていた――
あの石は……
――翌朝にはなかった!
机の上から消えていたのだ!

まるで鬼龍の内側から発せられるように大量のセヒラがほとばしった。

【鬼龍豪人】
どうした?
何が起きた?

青山せいざんホテル〕

周囲が戻るとそこは洋館の前だった。風魔は膝をついた状態だった。風魔が起き上がった時、軍用トラックが走り去った。門前には武装SSの立哨がいた。トラックの走り去った方からユリア・クラウフマンがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、仮面の男に入っていた、
アルツケアンは回収しました。

青山ホテル前に落ちていたアルツケアンは、アーネンエルベが回収した。
防護服姿の隊員が回収作業を行った。

【ユリア・クラウフマン】
先程、リオから通信記録を見せられ、
タケト大 尉カピティーンにも、
アルツケアンが入っていた――
そう信じるに値する心証しんしょうを得ました。
トゥーレの館から送られた小函こばこに、
そっと収められていたのでしょう。
タケトのアルツケアンは、
今、レイカに取り込まれています。
サンノウの記録を読むと、
レイカには二つのアルツケアンが――
私たちの想定を超えた事態です。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認しました!

交信が終わるや否やフィンケがやって来た。

【リヒャルト・フィンケ】
実に素晴らしい!
月詠つくよみ麗華れいか
彼女は究極の力に目覚めようと――
【ユリア・クラウフマン】
フィンケ総統――
ユリア・クラウフマンです。
極東分局の開設と同時に来ました。
【リヒャルト・フィンケ】
お父上のローレンツ博士には、
私もよく教わったものだ。
【ユリア・クラウフマン】
父はアルツケアンについては、
まだ何も解明されていないと。
扱いには極めて慎重でした――
【リヒャルト・フィンケ】
そうだろうとも!
しかし時は待ってはくれない、
フロイライン・ユリア。
【ユリア・クラウフマン】
フェラー博士は父に無断で、
仮面の男にアルツケアンを――
コンプレットが目的なのでしょう!
【リヒャルト・フィンケ】
研究というのは、
頂きを見上げることなんだよ。
見上げるばかりか駆け登ることだ――
並のホムンクルスを凌駕りょうがする、
素晴らしい性能が誕生したのだ。
――まだ未完成だったがな!

洋館の中庭から鬼龍が走りくる。鬼龍、フィンケに面して言う。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私の染 化ファーブストッフはすべて終わりました。
【リヒャルト・フィンケ】
素晴らしい!
これでトゥーレ流召喚術、
愈々いよいよこの国に根ざしたことになる。
【鬼龍豪人】
先程、急に息が詰まり、
その後、大きく深呼吸ができました。
――私は戻ったのです。

暫く鬼龍を見ていたフィンケは風魔の方に直った。そしてやや芝居がかった調子で言う。

【リヒャルト・フィンケ】
ヘル……いや、喪神もがみ風魔ふうま君!
私たちは僥倖ぎょうこうを得たようだ。
元より素晴らしい霊異りょういほこ帆村ほむら流、
この鬼龍君のトゥーレ流召喚術、
それに古式東雲しののめを継いだ月詠麗華――
アーネンエルベは、残念なことに
なったが、それをおぎなって余りある、
素晴らしい力の拮抗きっこうだ!
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ――
麗華さんに継いだ東雲しののめ流、
果たして大丈夫でしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
彼女には素晴らしい素養そようがある。
それは揺るぎないものだ。
君が悩まされることはもうないよ。

フィンケは鬼龍の前を通って洋館の中へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
鬼龍さん――
トゥーレ流のマイスターになり、
あなたのわだかまりは消えましたか?
【鬼龍豪人】
何かを為して満足することは、
私に関してはないでしょうね、
ユリアさん。

ユリアに冷たい視線を投げかけた後、鬼龍はフィンケを追うように洋館へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
今のアーネンエルベには、
何かに対処する力はありません。
仮面の男がいなくなり、
コージンも出方を変える必要が――
コージンの組織するユーゲントは、
フォス大佐の命令に忠実です。
コージンはそれで苦労しています。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山通でセヒラ観測です!
おそらく――
【ユリア・クラウフマン】
レイカ――
まだ不安定なのかも知れません。
気を付けてください……フーマ……

風魔は踵を返し、青山通へ向かった。

セヒラが移動しているとの連絡を受け、風魔ふうまは明治神宮前電停から自潤会じじゅんかいアパートへ。
果たしてそこで出会った光景は――

【九頭幸則】
風魔!
どうしたんだ、何だこいつらは?
お前が倒したのか?

2両の軍用トラックが向き合うようにして歩道に乗り上げて停まっている。道路上には五人の憲兵が倒れていた。そこへ九頭が走り込む――

【九頭幸則】
それで、書生の二人はどこだ?
麗華さんは?
青山六丁目で鈴代さんと二人、
麗華さんの護衛についていたら、
いきなり麗華さんが走り出したんだ。
麗華さん、二人の書生を追っていた。
書生の二人、怪人には見えなかった。
でも麗華さんは追い続けた――
明治神宮前の交差点を曲がって、
ここまで来たら――
この有様だ。

その時、倒れていた憲兵が二人、相次いで起き上がった。だが戦う素振りは見せていない。

【渋谷憲兵大隊雲城くもぎ少尉】
息が……できない……
【渋谷憲兵大隊人首ひとかべ中尉】
ううう……
糞! 糞! 糞!
頭が……割れるようだ!

一瞬、周囲が暗くなり戻った時、トラックも倒れていた憲兵も消えていた。そこへ能海旭がやって来る。

能海旭のうみあきら
風魔さん!
さっきの連中、ゼロ師団よ、
そうに違いない。
レンザが青山通に何か感じるって、
悪魔の勘がうずくって――
それで飛んできたの!
【九頭幸則】
へぇ!
魔法のほうきにまたがって来たのかい!
能海旭のうみあきら
山王さんのうから円タクよ、中尉。
特別に二十円払ったの。
速かったよ、さすがに――
【九頭幸則】
に、二十円?
そんな大金……
能海旭のうみあきら
山王さんのうからここまで五分ちょうどね。
――それで……
【???】
風魔さま――
近くにおいでなのですね……
わかりますわ――

自潤会アパートの戸口を背にして麗華が立っていた。

【月詠麗華】
風魔さま――
私、まだちゃんとしていない、
そうなのでしょうか?
青山通を歩いていたら、
いきなり体が動いてしまい――
追いかけたのは二人の憲兵ですわ。
闘いの意思を強く感じましたわ。

旭が麗華を認めて歩み寄る。

【能海旭】
あなたも、召喚するの?
【月詠麗華】
神さまのことですか?
それならお招きできますわ。
――今もすぐ傍においでです。
【能海旭】
そうなの!
それは良かったわね!
あなたはなのね、きっと。
でも、東京ゼロ師団相手に、
ことを荒立てないで欲しいのよ。
私たちが調べてるんだから!
【月詠麗華】
随分ですわね! お言葉ですわ!
私は闘いのあるところなら、
どこにでも参りますわ!!

九頭が割って入るように言う。

【九頭幸則】
ふたりとも、落ち着いて!
ね、あきらちゃん――
さっきはちゃかして悪かったよ、
ね、ほら、今日はいい天気だよ!

旭は九頭に構わず麗華を見据えたまま言う。

【能海旭】
余計なこと、しないでよ!!
あんただって、はぐれ者なのよ!
足掻あがいても根無ねなぐさは流されるだけ!
【月詠麗華】
私は平静をたもちたいのに、
神さまがおいでになりました。
風魔さま、お願いします――

《バトル》

鈴代がやって来ていた。麗華は少し息が上がっているようだ。旭は依然麗華を睨みつけている。

【月詠麗華】
戦いの前より、
気持ちが落ち着きますわ。
【如月鈴代】
麗華さん!
これ以上はさわりますわ。
さぁ、戻りましょう。
【月詠麗華】
そうですわね、鈴代さん。
それに古式のこと、
もう少しお教えいただかないと――
風魔さま、楽しゅうございました。
またよろしくお願いします。
【如月鈴代】
風魔さん、
後ほど本部にお邪魔しますわ。

麗華、鈴代は電車通を青山方面へと歩き去った。旭は両手を腰に当てがい、二人を目で見送っている。

【能海旭】
呑気のんきなものよね……
が勝手に降りてくるなんて!
ふん! 素晴らしいじゃない!
【九頭幸則】
いやぁ、あきらちゃんの怒った顔、
たまらないなぁ~
まるで磁器じき人形のようで。
【能海旭】
九頭くず中尉――
君に話があるんだ。
ちょっと来てくれないか?
【九頭幸則】
え? え? 俺に?
何だい、話って?
【能海旭】
来れば話すよ。
君の同輩なんたらのことだよ。
――君は気になっていないのか?

風魔さん――
また会えますよね?

別れを告げ、旭はスタスタと歩き出す。慌てて九頭がその後を追う。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
青山墓地でセヒラの乱れを観測です。
念のためご確認ください。

〔青山墓地〕

青山墓地の大穴は依然いぜん開いたままである。
赤坂署により立入禁止区域に指定され、大穴の周囲を4人の巡査が見張っていた。物見遊山ものみゆさんの市民の姿はなかった。

大穴を背に一人に巡査が立っていた。

【赤坂署の巡査】
署員が総出で規制しております。
猫一匹たりとも入り込む、
そんな余地はちっともないニャ~

話し終えると巡査はいきなり駆け出した。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です、
これまでにない値です!!

いきなり、穴からセヒラが吹き出した。穴の周囲を警戒していた巡査は皆散り散りとなって逃げた。
セヒラは筒のようになり、その中へ一体の中型アストラルが姿を見せた。

【歩一Y少尉有心アストラル】
そこにいるのは――
もしや、喪神中尉?
喪神中尉!
――そうなのですね、中尉ですね!

喋った後、アストラルは少し膨張し、また縮んだ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
自分、歩一少尉、山本であります。
今は九頭くずの身が危ないと、
それを伝えに参りました!
私には時間がありません!
しかし――
お越しください!
私にはがあるのです――

そこまで言ってアストラスは爆ぜるように消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、依然いぜん高いままです!

大穴から大量のセヒラが吹き出した。
セヒラに呑まれ、
風魔は落ちていった――

〔時空の狭間〕

しゃがんでいた風魔が立ち上がると、それを待っていたかのように別の中型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
私の実家は向島むこうしま区、白鬚しらひげ神社近く。
江戸指物さしもの師の三男坊です――
強くなるため陸士に入りました
荒川の向こう岸にある工場は、
帝国モスリンの工場です。
その工場、様子が変なのです。
私が工場のことを話すと、
九頭くずは大いに興味を持ったようです。

喋り終えるやアストラルは震えながら消えた。代わりにアストラルが現れた。先程、青山墓地の大穴に現れたアストラルである。同じ山本少尉が2つのアストラルに分離しているのである。

【歩一Y少尉有心アストラル】
私はあのふたを見て直感しました。
これはモスリン工場の入口だと。
すぐに二人に連絡を入れました。
能海旭のうみあきらさんと吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんです。
九頭くずに電話を入れて、
能海のうみさんの無線を聞き出しました。
蓮三郎れんざぶろうさんの寿命、
にならないと尽きてしまうとは、
本当なのでしょうか……

アストラルは震えながら消えた。そこへ現れたアストラルは、詳しい事情を知らない方のアストラルであった。

【歩一Y少尉無心アストラル】
九頭くず偽装ぎそうしている施設がある、
そう疑っているようでした。
どこにも出入口のない工場です、
奴が疑うのも無理はないでしょう。
奴は詳しく知りたがりました。

またアストラルが入れ替わった。眼前には事情に通じたアストラルが浮かぶ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
工場ではセヒラのうずが合わさり、
次々とが誕生します。
そのとき兵器も融合しているのです。
工廠こうしょうで危うく私は――
喪神もがみ中尉に助けられ、九頭くずの一声で、
私は自分を取り戻したのです。
東京ゼロ師団は工廠こうしょうの他に、
仮構かこうによって組織を作っています。
防疫研究所や砲工学校がそれです。
渋谷の憲兵大隊も仮構かこうの存在、
東京ゼロ師団自体も仮構かこうです。
大きな力が及んでいるのです――

アストラルが入れ替わり、事情に詳しくない方が現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
帝国モスリンの前身は興亜こうあ毛織けおりです。
そこの波斯ペルシア人技師が鉄道事故で死に、
事故の一報が朝刊に載りました。
ところが朝刊の遅版では、
事故にったのは露西亜ロシア人通訳と、
なぜか記事が差し替わっていました。
鎌倉でのその事故を報じた、
唯一の新聞社、帝都日日ですが、
去年倒産しています――

喋り終えたアストラルは爆ぜるにようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
なんか妙です――
セヒラ値はすごく低いのに、
激しい波形が現れています。

交信が終わった時、大型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉アストラル】
鳥居坂町とりいざかまちの日曜下宿にいる時、
いきなり三人の憲兵大尉が来た。
憲兵は土足で部屋に上がった。

私は黒い車に乗せられ、
渋谷憲兵大隊本部へ連行された。
地下の談話室へ入れられたのだ。

両足を鉄輪てつわで床に留められ、
両手は天井からのくさりに繋がれた。
ギリギリと音がしてくさりが巻き上がる。
私は万歳ばんざいの姿勢となり宙に浮き、
そのまま何日も放置されたのだ。
上体が大きく前に倒れて気が付くと、
両肩の関節が抜け、私の体は
筋肉と皮で支える格好になっていた。
恐ろしい痛みは後からやってきた。
焼けた穂先ほさきを差し込まれた痛みだ!
私はそのとき飛んだのだ!

私は九頭くずを案じている。
しかし、同時に貴様らをにくむ!
私を返せ、今すぐに返せ!!

《バトル》

【歩一Y少尉アストラル】
両手を失った私は、
戸山の軍医病院に収められた。
私の腕は満洲に送られた――
片腕ずつ、腕を失った支那シナ人に、
移植するのだという。
善なる医学の実験だそうだ!
移植に成功すると、
今度は私の両足を切り落すらしい!!

私は関東軍第七十九軍に転隊した、
そういうことになっているようです。
九頭くずに伝えてください!
連中には近づくなと――

大型のアストラル、それは山本少尉の分離した思念の合わさったものであった。アストラルはゆっくりと、滲むようにして消えていった。

次に風魔が現れたのは溜池通である。しかし人も車もない、音すらしない場所であった。周囲にセヒラの影響が及んでいる――
佇む風魔の前に中型のアストラルが現れた。

【歩一M大尉アストラル】
赤坂哈爾浜ハルピンでは逆恨みのようになり、
申し訳なかった――
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
君は時空の狭間から戻り、
おそらく帝都の何処かにいるはずだ。
――君の実体のことだ。

そこまで言うとアストラルは揺らいだ。

【歩一M大尉アストラル】
私は幼少期を独逸ドイツで過ごした。
ミュンヘンのブルエナー通――
陸士入学を目指して日本へ帰国した。
二十歳を前に駐独武官補として、
再び渡独して半年ほど過ごした。

そこでアーネンエルベと接触した。
連中は日本に大いなる興味を持ち、
私を快く受け入れてくれた。
中隊指導者のラルフが地図を手に、
私の元に来て尋ねたんだ――
伊豆の修善寺しゅぜんじについてだ。
ラルフは修善寺しゅぜんじロッホがあるという。
近く、それを発掘するのだと。
ロッホから資源を取り出して兵器を作る、
どうもそんな話だった。
ラルフと私はアーネンエルベの、
青年室で会った……何度かね……

セヒラのせいか景色が揺らいで薄くなり、別の街区が現れた。同じ赤坂である。

【歩一M大尉アストラル】
京都の師団を経て歩一に任官後、
ほどなく戸山砲工学校に出向した。
教官としてだ――

そこであの香りをいだのだ――
ベラドンナの濃密な甘い香りを。
アーネンエルベの青年室でも、
同じ香りがしていた。
それがベラドンナの香りだと、
ラルフが教えてくれたのだ――

私はラルフの言う修善寺しゅぜんじを思い出し、
休暇を取って温泉宿に逗留とうりゅうした。
毎日、山を歩き、ロッホを探した――
帰京の前日、小高い丘の頂きで、
倭文しどり神社の小さなほこらを見つけた。
ほこらにもたれて私は転寝うたたねをした――

再び景色が変わった。赤坂の一ツ木通に繋がる界隈だ。

【歩一M大尉アストラル】
今思えば、あのほこらロッホなのでは――
月詠つくよみ麗華れいかに飛ばされた私は、
終わりなくここを彷徨さまよう――

わかるか、ここは回廊かいろうだ。
アラヤ回廊、そう呼ばれる場所だ。
あらゆるロッホに通じる回廊だ。
そのロッホは帝都にもある――
少なくとも三箇所にだ!

――私は認められたようなのだ……
アラヤ回廊によって私は認められた、
そのように思えてならない。
だが、貴様はまだ帝都の魂を残す。
ここに長居は無用だろう――
私はもう行かねばならない。

アストラルは滲むようにして消えた。
歩き出した風魔の耳に
声が聞こえた――

【???】
風魔!
あなた、ここにいるの?
私よ、淑子としこよ――
風魔、後ろを振り返って頂戴!

風魔が向こうとしたその刹那、眼前に一体のアストラルが現れた。

【風水師HSアストラル】
ヘレナよ、ヘレナスー――
振り向かないで!
振り向くと、二度と出られなくなる!

――気を付けて!
その声はあなたの心の中の声よ。
自分の声に取り込まれると大変!
さぁ、目を覚まして。

風魔は気を取り直した。アストラルは話を続ける――

【風水師HSアストラル】
私は、目覚めた後、
また薬を飲んだ。
今度は一瓶ひとびん丸々飲んだよ!

――私……
永遠にここを彷徨さまようの――

話し終えても依然アストラルは浮かんだままである。やがて周囲が暗闇に呑み込まれた。風魔は帝都の山王に戻っていた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
もう大丈夫ですか?
――心配しました……
あれから、鈴代さんから、
いろいろお聞きしたんですよ。
古式東雲しののめ流のこととか――

古式東雲しののめ流は鬼神を人に降ろす秘儀である。
それは必ずしも闘いの神々ではない。
しかし古式の本来の姿はすでに失われている。
邪流にて古式が蘇ると、現前にを呼ぶ、そのような事態も招きかねない。
鈴代は麗華に対してそれを案じていたのだ。

【喪神梨央】
でも麗華さんはすごく霊感の強い、
蓼科たてしなという乳母うばに育てられ、
鈴代さんは麗華さんなら大丈夫、
そう見込まれたようです。
麗華さんは兄さんたちと同じ、
審神者さにわになられたのです――
【帆村魯公】
おう、風魔!
もういいんだな――
京都の帝大の古文書、
先般せんぱん、ようやく見つかってな。
係員が暗い書庫で書き写した。
その古文書こもんじょだが、持ち上げた途端とたん
細かな破片になって散ったそうだ。
――文言は電報で寄越よこされた。

ソノアサ ウラト 
アラハスヒカリ アリテ

【帆村魯公】
例によって式部氏の知り合いが、
読み解いてくれたぞ。
その朝、占いの言葉を、
現す光がある。
三つの文言を繋ぐと――
真名井まないの鏡、それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心にも合えり――
その朝、占い現す光ありて、
一つのあらかに渡らして詰まる。
【喪神梨央】
一つのあらかとは冬至でした。
――つまり……
冬至の朝、真名井まないの鏡が、
占いの言葉を映し出す――
そういうことですね。
【帆村魯公】
魔鏡まきょう託言たくげんを写すのだな。
それで、冬至はいつだったかな?
【喪神梨央】
十二月二十三日です。
あと二週間です――

風魔が回廊にちた時、帝都と大きく時間がずれてしまった。
帝都でははや師走しわすを迎えようとしていた――

第九章 第三話 時間軸の歪み

赤坂の大柱のことはすっかり市民の知ることとなり、連日、物見遊山の市民が詰めかけた。

【洋服姿のモガ】
大柱様! お願いします――
私、大柱様のように二人で向き合い、
家庭を築きたいのです!
【油絵が趣味の男】
うーん、このアングルだと、
柱が全部は見えないなぁ。
だが柱の高さはよくわかる……
【水飴売】
水飴いらんかねぇ~
甘い、あま~い水飴だよ~

一方、青山墓地に開いた大穴の周囲には大勢の巡査が動員され、市民の接近を監視していた。好奇心に駆られた市民も遠巻きに眺めるのみであった。

〔釣鐘の間〕

しかし、怪人騒動が頻発ひんぱつすることもなく、帝都は静けさを保っていた。
すでに12月中旬になっていた。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
今、釣鐘つりがねの出力を上げています。
【新山眞】
出力を上げると、
セヒラの量も増えそうですが、
そうはならないのですね。
【聖宮成樹】
あるところまではセヒラが増えます。
しかし、さらに出力を上げると、
不思議なことにセヒラが下がる――
どうもそのようです。
【新山眞】
スプライン曲線という、
三次元曲線があるのですが、
それに似た挙動を示すのですね。

喪神さん――
この穴が青山新京シンキョウに通じるのなら、
麗華れいかさんが戻るのは造作ありません。
ただ今はセヒラを何も観測せず、
大穴が開いているだけです。
すぐに麗華さんが戻るというのは、
ちょっと考えにくいのです。
【聖宮成樹】
再びセヒラが上昇した時、
釣鐘つりがねの出力をさらに上げると、
一瞬、高濃度のセヒラが発生します。
セヒラの濃くなるその一瞬は、
最大限の注意が必要です。
それは心しておいてください。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
隊長がおいでです。
機関本部へお越しください。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人が発掘したアルツケアンは、
アーネンエルベに一肌ひとはだ脱いで
もらうのがいいでしょうね。

そう言うと聖宮は釣鐘の間を出ていった。風魔、新山も後に続いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
参謀本部通いだった隊長が、
軍の謀反むほん計画を調べてくれました。
【帆村魯公】
謀反むほん計画――
確かにそうじゃな、謀反むほんじゃな。
参謀本部と陸軍省の調べで、
久鹿くろく計画の全貌ぜんぼうが明らかになり、
歩三では大掛かりな沙汰さたがあった。
【喪神梨央】
沙汰さたって……
つまり、人の異動とかですか?
【帆村魯公】
そうだな――
その実は粛清しゅくせいじゃよ。
とりわけ歩三には、
大鉈が振るわれたようじゃ。
連隊長の常田つねだ大佐も転隊になった。
【喪神梨央】
そうなんですね。
久鹿くろく計画の中心ですからね――
それで、常田大佐、どちらへ?
【帆村魯公】
新潟の第十三師団だ。
輜重しちょう兵第十三連隊渡河とか材料中隊――
部隊は新潟県中頸城なかくびき郡高田市にある。
【喪神梨央】
渡河とか材料中隊って……
橋を掛けるための資材を調達する、
そういう部隊ですよね。
【帆村魯公】
ああ、そうだな。戦闘部隊ではない。
部隊は高田城址じょうしの南に位置する。
部隊暗号は九一〇九だ――
久鹿くろく計画に関係するものなのか、
参謀本部第九部で、
このような伝単ビラが取得されていた。

下士官兵ニ告グ――
その標題で始まる伝単ビラであった。
一、今カラデモおそクナイカラ
  原隊げんたいかえ
ニ、抵抗ていこうスルもの
  全部逆賊ぜんぶぎゃくぞくデアルカラ射殺しゃさつスル
三、オ前達まえたち父母兄弟ふぼきょうだい
  国賊こくぞくトナルノデみなイテオルゾ

【喪神梨央】
原隊へ帰れ――
これって、計画の失敗を、
あらかじめ知っているのではないですか?

そこへノックの音がして九頭が入ってきた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです。
この伝単ビラ、何ですか、先生?
【帆村魯公】
謀反むほんの将兵に投降とうこうを呼びかける、
その目的でられた伝単ビラだな。
【九頭幸則】
例の久鹿くろく計画ですね――
軍務局長暗殺、続く大暗殺計画、
実行されたら大変でした。
【喪神梨央】
こういう伝単ビラがあるというのは、
計画の失敗を予見よけんしていたと
そう考えられますね。
【帆村魯公】
失敗になる筋書きがあったとかな。
はなからそういう計画だったのかも。
結果、国体の再生は進むはずだ――
【九頭幸則】
だとすると、
宗谷そうや大尉の死は犬死ではなかった、
そうなのかも知れませんね。
【喪神梨央】
常田大佐の赴任ふにんした高田ですが――
上野から省線急行で行けますね!
【九頭幸則】
え? 
歩三の常田大佐、転隊したの?
その高田ってどこ?
【喪神梨央】
越後えちご高田です。信越しんえつ本線ですよ。
上野発夜八時五十五分、高田着は、
朝四時五分の夜間急行で行けます。
【帆村魯公】
常田大佐は輜重しちょう部隊に移った。
そういうことだ――
【喪神梨央】
川に橋をける資材を調達します。

再びノックの音が響く。フリーダ葉がドアの隙間から顔を覗かせた。

【フリーダよう
私、入って大丈夫かしら?
【喪神梨央】
フリーダさん!
どうしたんですか?
【フリーダよう
風水師のバーナードが、
仲間に声をかけてくれたのよ。
あのバーナードチャンよ。
それで五人の風水師が集まって、
青山新京シンキョウの穴を守ってくれている。
そういうことみたいよ。
みんな未来から繋がった思念、
大元はうんと遠くにいるのよ。
【喪神梨央】
そのおかげで青山墓地のセヒラ、
大きな値が観測されないのですね。
【フリーダよう
値の大小はわからないけど、
彼ら風水の術が効いているのかも。
【喪神梨央】
すると青山新京シンキョウに未来が繋がった、
そうなんですか?
【フリーダよう
そうじゃなくて、
彼らが思念を繋いだのよ。
でも――
【喪神梨央】
何か問題でもあるんですか?
【フリーダよう
他の思念もられてやってくる、
その可能性もあるわね。
あったらあったで面白いけど。
【喪神梨央】
ねぇ、フリーダさん。
前に見せてもらった小さな幻燈器げんとうき
あの原理ってどうなってるんですか?
【フリーダよう
あれはね、未来の技術なの。
この時代に披露ひろうすることはできない。
それはわかってね――

独逸ドイツ大使館〕

殿下の言葉もありアーネンエルベに寄っては、という魯公ろこうの提案があり、風魔ふうま三宅坂みやけざかへ。
ユリアと虹人こうじんが迎えてくれた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館でセヒラ観測です!

交信終わるや否や、執事型ホムンクルスが駆け寄って来た。

【執事型ホムンクルス】
標的ツィール
――排除アンシュルス! 排除アンシュルス

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……終了エンデ……

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
大丈夫だったか、風魔?
執事型の洗礼を受けたみたいだが。
【ユリア・クラウフマン】
フーマがここに来るのを、
知っていたようですね――
【帆村虹人】
そうそう、梨央りおが教えてくれたよ。
大昔の隕石いんせきなんだって?
アルツケアン――
【ユリア・クラウフマン】
私もアルツケアンのこと、
少し調べてみました。
コージンも手伝ってくれたのです。
アルツケアンはウルムチの南西、
およそ一九五キロの山中で発掘され、
アーネンエルベにもたらされました。
【帆村虹人】
かい族の少年、アヒムが犠牲になった。
彼は急に学者になったりした――
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは人の意志を読み取り、
人がそう振る舞うように仕向けます。
【帆村虹人】
寝ている間に蒸発する結晶なんて、
なんだか厄介やっかいだよ。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは、
真空容器に入れて取り扱います。

【帆村虹人】
人が変わる現象はメントロピー……
そう言うんだね。
独逸ドイツ人は何でも名前を付けたがる。
【ユリア・クラウフマン】
そうですね……
メントロピーがいつまで続くか、
まだわからないことだらけです。
仮面の男にアルツケアンをほどこしたのは
フェラー博士に違いありません。
【帆村虹人】
それで仮面の男は、
自分以上の自分になれたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
取り込み方も重要なようです。

気体化したアルツケアンを吸い込み、身体に定着しきるまえに目を覚ますと、メントロピーは短い時間で終わるという。

【帆村虹人】
かい族の少年は、
完全に取り込む前に目覚めたんだね。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男には慎重に施した――
フェラー博士はコンプレットを、
作ろうとしたのでしょう。
【帆村虹人】
コンプレット――
【ユリア・クラウフマン】
完全版といった意味です。
【帆村虹人】
麗華さんに結 晶アルツケアンを施したのが、
山郷だとすれば、
方法を知っていたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
容器から出して、
部屋においておくだけです。
けれど、アルツケアンについて、
知識はあったんでしょうね。
【帆村虹人】
誰かが教えた、そうだよね、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンどうしで、
大きなセヒラ場を生むことも。
よほど詳しい人物がいた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
風水師たちを阻害そがいする者が――
青山新京シンキョウです。

【帆村虹人】
僕はユーゲントたちを組織して、
仮面の男の捜索そうさくをするよ。
捲土重来けんどちょうらいを狙ってそうだから!
【ユリア・クラウフマン】
私はヘーゲンの動向を探ります。
先ほど執事型を何体も連れて、
市内に出かけました。
何か目的があるようです。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴を、
五人の風水師が守ります。
そこへ阻害する者が現れたと――
【新山眞】
ジョン・チュー、エリック・ホイ、
ヘレナ・スー、ドナルド・プー、
そしてアンドリュー・ワン――
アンドリューさん以外、
苗字の漢字はわかりません。
【喪神梨央】
一人、女性がいるのですね――
ヘレナさん……
何があったでしょうか。
【新山眞】
フリーダさんいわく、
五人とも昏睡こんすい状態にあるとか。
それで思念を飛ばすのです。
【喪神梨央】
フリーダさんの携行式けいこうしき幻燈器げんとうき
もしかしてキノライトの会社かも。
東京幻燈げんとう工業ってところです。
ちょっと調べてみますね!

〔赤坂哈爾浜駅〕

【満鉄列車長】
青山新京シンキョウにいる連中、
香港ホンコンから繋がっているようですね。
それもうんと未来の香港ホンコンから。
前にも似たようなことがありました。
それで未来から色々来たのです――
今度も来るかもしれませんね。
――どんな未来からでしょうか?

列車は青山新京シンキョウに向かいます。
間もなく出発します。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
見たこともない波形を観測しました。
注意してください!

交信後、すぐさま中型アストラルがやって来た。

【ダイナー店主Bアストラル】
俺があの怪物ヴンダーを初めて見たのは、
誰が呼んだかクソ退屈州間道路インターステーツ上だ。
ツーソンまで真っ直ぐ続くクソ道路、
あれを計画した奴は、
よほどの阿呆あほかおせっかい野郎だ。
ハンドル操作不要で楽々チンチン――
そう考えたのかもな。
救いようのないおせっかい野郎だな!

怪物はウェストロックを貫く州間道路を、ツーソン方面へ移動していたという。
町外れの小屋で暮らすセルマ婆さんが、ミッションオイルの染みを見て救世主キリストと信じ、全米からおかしな連中が集まった道路である。婆さんは純白のウェディングドレスをまとい、オイル染みのある場所へ日参した。
ドレスが灰色になる頃に騒ぎは収まった。

【ダイナー店主Bアストラル】
怪物はコーディの仕業だと考えた。
ヘンリーオートの穀潰ごくつぶし、
キング・オブくそったれコーディだ。

なんせあの怪物、
体中から砲身突き出していたからな。
歩く砲身天国だ、まったく!

コーディは車屋を営むが、
筋金入りのガンクレイジーだぞ。
弾の出るものなんでもござれ!
去年、二十八年型T1軽戦車を買い、
三十七ミリ歩兵砲を取り外して、
九十三ミリ砲に載せ替えやがった。
奴がそいつをぶっ放した時は、
地面は脂肪デブの腹みたいに波打ち、
砂煙が竜巻状に舞い上がったもんだ。
永久に太陽が顔を出さなくなり、
ウェストロックは氷河期を迎える、
そう心配したもんだ。

あの怪物もコーディの野郎がこしらえた、
そう考えるのも当然といえば当然だ。
真っ白な不気味や怪物をな!

だが違った! 真実は奇なり!
怪物は日本人ジャップが持ち込んだんだ。
今は大和人ヤマトニアンって呼ぶんだったな。

あの怪物どもとナチの新型爆弾で、
アメリカは日本とドイツに全面降伏、
西経百四度で分断統治されたんだ。
モンタナ州とノースダコタ州の州境、
それがになった。
百四度線と呼ばれる――

日本人ジャップ、いや大和人ヤマトニアンは、
ロスにアメリカ総督府を置いた。
西半分、大和ヤマト領ってわけだ。
そういや、大和人ヤマトニアンの連中、
あの怪物のことをなんと呼んだか……
確か――
ジンライマジン――
大和語ヤマトニーズは難しいぜ、まったく!

アストラルが回転しながら消え、風魔は街区を進んだ。そこでは2体のアストラルが会話していた。

【着信 喪神梨央】
未来のことのようですが――
何かズレが生じているようです。
警戒して進んでください。

【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか港に停泊中の戦艦京畿けいき艦上で、
宮崎みやざき全権大使とモス米副大統領が、
横須賀よこすか条約に調印し――

ああ、何かうまくまとめられない。
イケダ、お前の方はどうだ?
【新聞記者Iアストラル】
日本国は大和やまと国として省庁再編、
拓務たくむ省から改組の拓殖経務たくしょくけいむ省が、
鮮満に次ぎ西米洲を管轄かんかつ――

サカイ、お前の原稿は、
条約の目玉を取り上げたほうが、
いいんじゃないか?
【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか条約の目玉か――
ドル二十八円の固定相場制とか、
米国アメリカ石油の無制限輸入とかか?
【新聞記者Iアストラル】
そうだな――
それを見出しにして、
米国総督府のエドガー蒲田かまた総督の――

そう言い終わらないうちに5体のアストラルが同時に入ってきた。

【新聞記者Sアストラル】
ん、何だ、何があった?

【超級風水師AWアストラル】
私たちでは、
押さえきれない邪悪な存在だ。
頼む、なんとかしてくれ!
【風水師HSアストラル】
邪気の流れを整える、
私たちにできることよ。
それを超えては無理だわ――

そう言うと5体のアストラルは隣接する街区へと進んだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区に進んでください。
セヒラ、観測します!

果たしてその街区には仮面の男が待ち構えていた。セヒラ異常に呑み込まれて消えて以来である。

【仮面の男のアストラル】
私は自分こそ虚無きょむだと思っていたが、
あの女ほどではない――
月詠麗華つくよみれいかだ!
あの女の内側には何もない。
怒りも憎しみも、さげすみも、何もだ。
あの女は戦いそれ自体を楽しむ――

二つのアルツケアン、
その衝突が狙いだったとはな!
私も焼きが回ったものだ。
だが、この戦いで私は再生する。
さぁ、憎しみをわけてくれないか!!

《バトル》

【仮面の男のアストラル】
お前は闇をのぞいているつもりか。
闇もまたお前をのぞいているのだ。
それを忘れるな――

仮面の男が消えた後、風魔はさらに街区を進んだ。地面に大穴の開いた場所である。穴の周りを5体のアストラルが囲んでいた。

【風水師HSアストラル】
助かりました――
私はヘレナ・スーです。
香港の風水師です。
今は九龍クーロンフロントの海鮮中心にある、
フカヒレ屋の奥の部屋で、
八年も昏睡コーマ状態になっています。
あの頃、眠れない夜が続き、
素人しろうと療法で睡眠薬を飲みすぎて――
先日、私の思念はバーナードに会い、
ここにいざなわれました。

【風水師JCアストラル】
さぁ、また私たち五人で、
ここの邪気をしっかり整えますよ。
私たちは誇り高きコーマ団ですから!!

5体のアストラルが穴の中央に集まった。その直後、穴からはセヒラの湧出が始まった。しかしアストラルたちが制御するためセヒラはか細くまるで糸のようであった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンで麗華さんらしき波形、
確認しました。
赤坂哈爾浜ハルピンに向かってください。

大穴はひとまずアストラルたちに任せることにして風魔は踵を返した。

【満鉄列車長】
やはりです、憶測したとおりです。
赤坂哈爾浜ハルピンの町に、
キタイスカヤが出現しました。
哈爾浜ハルピンのキタイスカヤです、
あの大通りがそっくりそのまま!
そして私の状態では、
キタイスカヤに入れないのです!!

え~間もなく、赤坂哈爾浜ハルピン
赤坂哈爾浜ハルピンです~
キタイスカヤもこちらです~

赤坂哈爾浜の街頭に立つ風魔の周囲がゆらいで暗転した。光が戻るとそこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
そこは……
またキタイスカヤ街ですね!
依然いぜん、麗華さんらしき波形、
確認できています。

交信と入れ替えに千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎がやって来た。

【芽府須斗夫】
なかなか、面白いことになってきた。
――そうじゃないかな?
【千紘】
未来から思念が繋がった――
【吉祥院蓮三郎】
香港の風水師は、
皆、昏睡こんすい状態にございます。
それでなお、思念を飛ばすのです!
【芽府須斗夫】
それもあるけど――
少しズレた未来と繋がっている。

そう言うと、芽府めふ須斗夫すとおは、先の新聞記者の思念に深く触れ、様々なことを知ったという。

【芽府須斗夫】
日本とドイツはアメリカと戦い、
結局、アメリカを打ち負かすんだ。
そういう未来だよ。
ドイツは六十発の量子爆弾を落とし、
日本は三百八十六体の怪物で攻めた。
怪物はヴンダーと呼ばれているよ。
【吉祥院蓮三郎】
ヴンダーとは独逸ドイツ語にございますか?
【芽府須斗夫】
その正体、人籟じんらいだよ!
それも相当大きな人籟じんらいだ。
【吉祥院蓮三郎】
人籟じんらい
東京ゼロ師団が関わる
それでございます!
【千紘】
ふーん……
東京ゼロ師団っていうと、
工廠こうしょうの上部組織なんだろ?
【芽府須斗夫】
アメリカを攻撃したのは、
普通の人籟じんらいじゃないさ。
ゼーラム六八六で改良されている。
【吉祥院蓮三郎】
それでヴンダーと、
独逸ドイツ語で呼ぶのでございますね!
【千紘】
そんなのを、アメリカ本土まで、
どうやって運んだの?
【芽府須斗夫】
伊五百号潜水艦百三十六せき
加えて戦艦阿蘇あそ、戦艦生駒いこま――
海軍が全面協力したんだ。
ドイツから釣鐘つりがね運んだときも、
伊号潜水艦が使われた。
人籟じんらい運んだのは最新型だね。
【吉祥院蓮三郎】
独逸ドイツの爆弾とは、
どのようなものでございますか?
【芽府須斗夫】
ゼーラム六八六を用いた量子爆弾――
それしかわからない。
東海岸の二十四の都市が壊滅した。
死者三百四十万人――
アメリカ本土は西経百四度で分断され、
東アメリカを独逸ドイツが占領、西アメリカは日本に併合へいごうされたという。
【千紘】
でもそれって、正しい未来なの?
【芽府須斗夫】
わからないさ――
いろんな時間の線が錯綜さくそうしている。
【吉祥院蓮三郎】
今の時点で米国アメリカと戦っていません。
それに……
アキラさまの学校、東海岸にあります。
それが独逸ドイツ領になってしまうのです。
何か複雑な感じがいたします。
【芽府須斗夫】
未来にはあらゆる可能性がある。
そういうことだね。

芽府須斗夫は風魔に向き直って言う。

【芽府須斗夫】
僕たち、帝都で石を拾ったんだ。
仮面の男が残した石だと思う。
【千紘】
田町たまち、広尾橋、大崎広小路おおさきひろこうじ――
仮面の男が結界破りに使ったんだ。
仮面の男は劣化れっかしているはずだ。
麗華さん、しばらく安全だね。
今はホテルにいるよ、麗華さん。
【芽府須斗夫】
ホテルボストーク。
この先にある小さなホテルだ。
【吉祥院蓮三郎】
私の勘としましては――
麗華さまと豪人たけとさまが出逢えば、
お二人とも愈々いよいよ完成するのでは?
そう思う次第しだいにございます。
お二人、完成寸前にございますゆえ。
アキラさまのお声が
聞こえるようです――

レンザ!
お前も早く完成させないとな――

【着信 喪神梨央】
ホテルボストーク、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
東方 ボストーク飯店の看板が目印です。

交信を終え風魔が顔を上げると3人はいなくなっていた。風魔はホテルを目指した。

〔ホテルボストーク〕

公園越しにソフィースキー寺院を望む、東方飯店ホテルボストーク408号室。
向かいは同發隆トゥンファールン百貨店である。

ホテルの窓辺に月詠麗華が立っていた。柔和な表情を浮かべている。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
ようやく人心地つけました。

あの夜、八島通やしまどおりへだてた
新京シンキョウ神社に、
瑞祥ずいしょうの光を認めたのです――
久遠くおん流の師弟にだけ見える光、
それを新京シンキョウ神社に認めたのです。

光に誘われて新京シンキョウ神社に行くと、
そこに山郷さんがおいででした。
お茶で用いる香合をお持ちでした。
炭点前すみてまえのときに白檀びゃくだん香をきます。
そのお香を入れる香合、
交趾焼こうしやきで亀の形をしています。

三日後の夜、同じ時間に神社に来るように、そう伝え、山郷は麗華に香合を渡したのだ。
三日後、山郷と一緒に新京シンキョウ神社の井戸へ降り、次に気が付くと青山新京シンキョウにいたという。

【月詠麗華】
山郷さんは私を帝都に連れ戻す、
そう仰っておいででした。
神社の地下に運河が通るのだと――
でもここは帝都ではありません。

ここは……おそらく哈爾浜ハルピンです。
先程、レンザさまにお会いしました。
レンザさまは豪人たけとさまをご存じです。
お二人で修善寺しゅぜんじに出向かれたとか。
それでロッホをお調べになりました。
穴という意味だそうです。
豪人たけとさまは帝都にもロッホがある、
そうお考えになり、
帝都各所にお出になっていると――
白山の宿舎から――
小石川区の白山ですよね。
そこに豪人たけとさまがおいでなのですね。

私、帝都に戻ることにします。
是非、豪人たけとさまにお目にかかり、
教えをいとうございます。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
麗華さんと一緒に戻ってください。
まずは戻ることです。

麗華を伴い風魔は祓えの間まで戻った。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
麗華さん――
神社でもらった香合の中に、
何か結晶が入っていませんでしたか?
【月詠麗華】
仮面の人が言っていました――
隕石いんせきとか結晶とか。
ありました、そのようなものが。

梨央はアルツケアンについて説明した。
香合に入っていたのは不思議な結晶で、気体になって麗華の体内に吸収されたのだと。

【喪神梨央】
麗華さんはアルツケアンを、
ものすごく深く取り込んでいる――
そうに違いありません。
【月詠麗華】
では私は転生するのでしょうか?
そう言えばレンザさまも、
転生の途上だとか……
【喪神梨央】
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんですね。
悪魔セーレが転生した……
いえ、転生しようとしたのです。
【月詠麗華】
あの皆さんは、もしかして……
同じなのでしょうか――
【喪神梨央】
キタイスカヤにいた三人ですね。
でも、千紘ちひろさんは彩女あやめさんの別人格、
そう診断されています。
麗華さん――
あきらさんにはお会いになりました?
【月詠麗華】
レンザさまから話だけは――
まだお目にかかっていません。
【喪神梨央】
旭さんは鴨脚敬祐いちょうけいゆうという、
明治の女性国学者の書いた本を、
愛読されています。
麗華さんの学校を作られた方、
そうですよね?

鴨脚敬祐いちょうけいゆうは明治期の女性国学者で、帝国女学園の創設者でもある。
日本は欧亜ユーラシア世界の盟主であるとしたためた。
男装の麗人としても有名であった。

【月詠麗華】
鴨脚いちょう先生のことは、
よく教えられましたわ。
【喪神梨央】
アキラさんをご紹介します。
この近くにおいでなんですよ。
【月詠麗華】
それは是非ぜひに。
話が合うかもしれませんわ。

祓えの間に新山眞が入って来た。

【新山眞】
ホテルに如月きさらぎさんがお見えですよ。
【喪神梨央】
ありがとうございます。

麗華さん、まいりましょう。
鈴代さんもご一緒ですよ。
兄さん、麗華さんを、
アキラさんのアトリエにお連れします。
鈴代さんに来ていただきました。
【月詠麗華】
風魔さま、帝都に戻していただき、
ありがとうございます。
私は……大丈夫です。

梨央は麗華をエスコートするようにして祓えの間を出て行った。

【新山眞】
喪神さん、ヘーゲン召喚師ですが、
何かを企んでいるようです。
目黒近辺に執事型が集結しています。
現地の確認、お願いできますか?

〔目黒駅前〕

公務電車は予め梨央が用意していた。風魔は省線目黒駅前を目指した。
省線をまたぐ橋の中央にクルトがいた。クルトの周囲に執事型ホムンクルスが展開している。
手前からユリアが様子を見守っていた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 来てくれたのですね。
今、執事型が管理不能になって、
ヘーゲンが困惑の極みにいます。

セフィラにも疎密そみつがあります。
トウキョウのセフィラはみつなので、
ホムンクルスの指揮に向いています。
でも、今はセフィラがの状態、
アプドロックが長持ちしません。

同様の事態、ドイツでもありました。
エッセンでセフィラが急にとなり、
ホムンクルスが暴走したのです。

【着信 喪神梨央】
帝都のセヒラ、今は低い状態です。
五人の風水師が頑張っているので。
でも釣鐘つりがねが不安定との報告があり、
予断を許しません!

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください!
ホムンクルスが一斉いっせいに――

橋の上で異変が起きた。クルトの目の前に巨大なセヒラ球が現れたのだ。セヒラ球の半分は地中に埋まっている。見る見る巨大化して、ついにはクルト、風魔を呑み込んでしまった。

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲン】
何故だ?
連中はアプドロックを守らないのだ?
私のめいだ、私の、私の、私の!!
くそっ!
勝手にアプドロックを解除するのか!

さてはお前がそそのかすのか!
これはエッセンの二の舞か!
そのようなことは断じて認めない!!

《バトル》

どこからともなく聞こえてくる声……クルトはうろたえている。

【???】
復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相、鉄相、
農相、文相各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王さんのうホテルに宿泊せり!!
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私に何を言いに来たのだ?

【クルト・ヘーゲン】
――まさか……
ハンス……ハンスなのか?
そこにいるのは、ハンスなのか?

フルトヴァンゲンの泉……
リューゲン島の砂浜……
ハンス、本当にお前なのか?

クルトの問いには答えず、代わって甲高い声がした。

【???】
どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?

クルトは困惑の極みにいた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
ハンス、すんだ!!
これ以上、翻弄ほんろうしないでくれ!

【???】
フフフ――
お前は神に召されるのだ、売女ばいため。
いざ、幸いなれ!!
きざんでやろう、
お前の為の十字架じゅうじかを――
その瑞々みずみずしく白い腹に!!

そのきしむような声は憎しみに彩られていた。クルトは大きく目を見開いている。口をあんぐりと開け、ほとんど息はしていない。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
あああああ~
やめてくれ!!

腹の底から絞り出すような声を出すクルト。続けようとしたがもう言葉にはならなかった。
闇の底から全く抑揚のない声が聞こえてきた――

【???】
おお、墓よ、
お前の勝利はどこにある?

遂にクルト・ヘーゲンが自失した。
目黒に大勢のホムンクルスを連れて、彼は何を企んでいたのだろうか?

月詠麗華の帰朝きちょうを受けて、深まる秋の中に静かなる緊張が走る。

第八章 第八話 交錯する思惑

魯公ろこうめいを受け、中野電信第一連隊気象部に、こよみの話を聞きに出かけた九頭くずであったが、班長が出張中とのことで不発に終わった。
今回、その班長から、折り入って相談があると連絡があり、公務後、風魔ふうまは九頭に同行することになった。

〔新井薬師〕

【九頭幸則】
風魔、あの人だよ、気象部の。
確か車折くるまざきという技手ぎてだ。
行ってみよう。

夕闇迫る新井薬師。香炉の前に気象部の技手らしき人物がいた。

【九頭幸則】
お待たせしましたか……
車折くるまざきさん、お一人ですか?
折り入っての話とは何でしょう?
車折くるまざき技手】
それは班長から申し上げます。
間もなく来ると思います――
先に冬至とうじの件ですが、
今年の天体画報てんたいがほう一月号にあります。
【九頭幸則】
年初ねんしょに発表があるんですね。
車折くるまざき技手】
ええ、計算で全てわかります。
今年の冬至とうじは十二月二十三日、
午前三時三十七分です――
太陽の位置、黄経こうけい二百七十度、
帝都の日出ひので六時四十七分、
日入ひのいり四時三十二分となります。
冬至とうじにおける太陽の赤緯せきい
赤道より最南の二十三度二十七分、
南中なんちゅう高度も最低となります――
【九頭幸則】
あの……
わかりました、二十三日ですね。
冬至とうじは十二月に十三日ですね。
車折くるまざき技手】
実はもう一つ、
大事なことがあるのです。
【九頭幸則】
どんなことですか?
車折くるまざき技手】
今年、五度目の日蝕にっしょくが起きます。
十二月二十六日にです。
【九頭幸則】
え?
――日蝕にっしょくって、年に何度あるのです?
車折くるまざき技手】
普通は三度、多くて四度です。
年に五度などまずありません――

グレゴリオ暦が採用されるようになってから、年に五度の日蝕にっしょくは一八〇五年以来だと言う。十二月二十六日の午前二時十八分から、同三時四十一分にかけて皆既蝕かいきしょくが起きる。場所は南極である――

そこへ年長の男性がやって来た。

鹿王ろくおう班長】
なかなか軒昂けんこうのようだね、車折くるまざき君。
車折くるまざき技手】
はっ!
五度目の日蝕にっしょくについて、
説明しておりました。
鹿王ろくおう班長】
――今年は実にまれな年だからな……
申し遅れました、
電信第一連隊の鹿王かおうです。
出張で京都に行っておりました。
【九頭幸則】
歩一の九頭です。
こちらは特務の喪神もがみ中尉です。
それで班長、
折り入っての話とは何でしょうか?
鹿王ろくおう班長】
冬至とうじについて問い合わせがあった――
車折くるまざき君から連絡を受けましてね、
妙な符号もあるものだと……
【九頭幸則】
冬至とうじのことはうかがいました。
十二月二十三日です。
鹿王ろくおう班長】
私が京都に呼ばれたのは、
ある古文書こもんじょこよみのことがあり、
その鑑定を行っていたのです。
【九頭幸則】
――古文書こもんじょ、ですか?
鹿王ろくおう班長】
ええ、京都の紫水しすい会館、
そこに収められている古文書こもんじょです。

ヒトツノ アラカニ 
ワタラシテ ツマル

【九頭幸則】
何ですか、それは?
まるで呪文ですね。
鹿王ろくおう班長】
おそらく太陽の運行です、
それについての言葉かと。
ツマル、すなわち行き詰まるのです――
車折くるまざき技手】
班長、自分もそう思います。
ヒトツノは最初で最後、
つまり冬至とうじですよ。
太陽が冬至の位置まで行き、
そこから戻してくる、
その様子を語っているのです!
鹿王ろくおう班長】
もう少し研究を続けます。
紫水しすい会館は参謀本部からの依頼で、
古文書こもんじょ紐解ひもといたらしいです。
二方ふたかたと関係があるのでは?
そう思い、お呼び立てしました。
【九頭幸則】
わざわざ有難うございます。
解読が済めば教えてください。
鹿王ろくおう班長】
あはは、そうですね――
おそらく紫水しすい会館からじかに、
連絡が行くと思います。

鹿王班長はそう言い残して歩き去った。班長を見送ることもせず、車折技手は喋り始めた。

車折くるまざき技手】
自分、昨年二月の日蝕にっしょくでは、
コロナグラフを用いた観測を行い、
おおいに成果を上げました。
【九頭幸則】
去年もあったんですか、日蝕にっしょくが?
車折くるまざき技手】
はい、私たちは南洋庁トラック支庁、
ローソップ諸島レオール島に上陸、
二月十四日の蝕観測しょくかんそくでした!
海軍技研、逓信ていしん省電気試験所、帝大、電信第一連隊、各自観測小屋をもうけ、
各班平均十分二十八秒の観測!!
【九頭幸則】
大丈夫ですか、車折くるまざきさん……
車折くるまざき技手】
ヒィィィィィ~
イーストマン五十番の乾板かんばんで三枚、
四、八、十二秒の露出で撮影を試み、
すべて成功したのです!
レンズ口径こうけいは十三センチ
焦点距離は十一・五メートル
インフォード・パンクロマティック!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
車折くるまざき技手】
海軍はアインシュタインカメラ、
水平鏡すいへいきょうにて光を導く仕組み!!
レンズ口径二十センチ、焦点距離はぁ~

《バトル》

車折くるまざき技手】
アインシュタイン効果を確かめる、
その目的で撮影したのです――

【九頭幸則】
やれやれ……
技手ぎてまでが怪人化する――
この場所がよろしくないのか?
まぁ、冬至のことはわかったな。
五度目の日蝕にっしょくは新発見だった。
それにしても――
京都の古文書こもんじょが冬至に触れている、
それは参謀本部の指示で紐解ひもといた……
これは隊長に確認するほかないな。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベのユンカー局長が、
どうやら失踪しっそうしたようです。
独逸ドイツ大使館にて、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしと合流してください。
それと……
一般中尉は隊へお戻りください。
【九頭幸則】
何だ、内輪揉うちわもめでもあったのか?
風魔ふうま、俺は帰るとするよ――
三宅坂みやけざかまで公務電車で送ってくれ。

〔アーネンエルベ〕

アーネンエルベ集会室には、虹人とユーゲントがいた。

【帆村虹人】
風魔ふうま、来てくれたんだな。
梨央りおに連絡したのは僕だよ――
ユンカー局長のこと、
ユリアが気をんでいるよ。
この一週間、姿を見ないらしい。
大型波動グローサベッレの使用をめぐって、
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
激しく対立していたからな……
配下のホムンクルスを一斉いっせいに操り、
総攻撃体制を作る――
それがヘーゲンの狙いなんだ。
【祇園丸】
彼は僕たちをかたきにしているんだ。
仲間のことが心配だよ――
【帆村虹人】
猟奇倶楽部の面々のこともある。
連中、あきらめが悪そうだ。
【祇園丸】
僕は西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんから、
短期記憶を得たんだ。
それに従って出かけた――
ヨツヤミツケで記録が途絶えた。
でもわずかな痕跡こんせきを頼りに、
北へ移動したんだ。
【帆村虹人】
それで戸山とやまに向かったんだよな。
でも作られた記憶のおそれがある、
君はそう言ったよね、祇園丸ぎおんまる
【祇園丸】
ヨツヤミツケから先のこと、
捏造ねつぞうされたものかも知れないんだ。
それで僕は動けなくなった――
【帆村虹人】
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
二人を銀座で見たって話したよな。
ユンカーを尾行したことも。
円タクは四谷見附方面に向かった。
探信儀たんしんぎの空白地帯の中心……
信濃町しなのまち界隈かいわいがそれに当たるんだ。
【祇園丸】
シナノマチに猟奇倶楽部がある、
その可能性は十分にあると思うよ。
僕が北にさえ行かなければ……

そこへユリア・クラウフマンがやって来た。その顔にはかげりがあった――
ユンカー局長の所在がわからなくなり、ユリア・クラウフマンが代表代理として、アーネンエルベに戻っていた。

【ユリア・クラウフマン】
西京極丸にしきょうごくまる、つまりユーゲントと、
拉致らち殺害犯のヘルマンを繋ぐのは、
唯一、ユンカー局長です。
【帆村虹人】
局長はヘルマンと交際があった、
そういうことなの?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
以前、フーマは局長と戦った、
そうですよね?
局長、シュタインを入れていたのです。
執事型と同じ八石です。
執刀したのがヘルマン医師でした。
局長はシュタインに召喚の力を求めたのです。
本来、召喚師ではありません。
【帆村虹人】
それじゃ局長はヘルマンから、
ユーゲントのことを聞いた、
そういうわけなんだね。
【ユリア・クラウフマン】
ヘルマンは西京極丸にしきょうごくまるを、
猟奇倶楽部に誘い出し拘束こうそくした、
そう考えるのが妥当だとうですね。

【帆村虹人】
もしかしてユンカー局長も、
猟奇倶楽部の会員だったのか?
【ユリア・クラウフマン】
どうでしょうか?
コージンがギンザで見た局長、
本当に本人でしたか?
【帆村虹人】
洋食屋ブレーメから出てきたんだ、
ヘーゲンと一緒に……
楽しそうに笑いながら……
銀座にいたのが、
ユンカー局長じゃないとすると、
一体、誰なんだろう?
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長になりすました誰か、
そういうことじゃないでしょうか。

フーマ、私、祇園丸ぎおんまると出かけます。
銀座のブレーメで話を聞いてきます。
局長の写真を持って――
局長はユーゲントと同じ、
新型のシュタインを入れていたのです。
フェラーが開発に成功したシュタインです。
シーナの方に落ちた隕石でできた
不思議なシュタインなのです。
普通のシュタインとは違うのです。
彼が黒幕にも思えてきました。
父の元助手だった人物が――

そう言うとユリアは踵を返した。祇園丸が後に続く。

【帆村虹人】
僕が銀座で見たのは、
まごうことなくユンカー局長だった。
でもヘーゲンと談笑するのは変だ。
引っかかるのは……
ユンカー局長はどうして、
自分にシュタインを入れたのかってことだね。

独逸ドイツ大使館を出たところで着信があり、青山で怪人の通報があったという。風魔ふうまは夜の青山通へ向かった。

〔青山街路〕

【角筈の女学生】
お友だちの忌子いみこさんち御暇おいとまして、
若松町の電停におりましたところ、
足元に光るものがありますの。
それは大ぶりの指輪でした。
巡査に届けようと拾ったのですが、
そうしないほうがいい気がして――
こっそり持ち帰りましたの。
その夜から、もう四日も眠れず、
こうして彷徨さまようんですの!
アハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
二探が若松町のセヒラを観測!
指輪の波形です、仮面の男の!
さらに観測を続けます!

【池尻のワニス商】
うちは池尻なんですがね、
三宿の砲兵連隊のわきをよく通る――
せんだってもカミさんが歩いていると、
へいそば舶来はくらいの指輪が落ちていたと。
人気もない通りだったので、
指輪、ネコババしたそうな!
指輪を触ったカミさんの指、
真っ白に血の気がせてですね、
あれは軍の新物質か何かですか?
次の日、カミさんが家を出て……
私もこうして歩き回るんです!

【金杉橋の漁師】
新堀の路地ろじで皆が騒ぎよる。
何かと思うとほりに魚が浮かぶ。
何十匹も白い腹見せてな。
んでほりの底見ると何かがあるわい。
それはそれは綺麗きれいに光っちょる。
わしが潜って取ってきちゃる、
そうして潜ったんじゃがな、
不意ふいに目の前が真っ暗に――
気を失ったわしが次におったのは、
市電の中じゃな、六番の電車じゃ。
このなりで乗っちょる!
六本木ろっぽんぎちゅう電停で降りて、
もう五日も歩き回りよるわい!!
ブヒャヒャヒャヒャ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
霞町界隈かすみちょうかいわいで弱いセヒラです。
巡視パトロールお願いします。

〔霞町街路〕

【神田橋の法科生】
殿垣とのがき教授の研究室に、
輝く大きな指輪があった。
指輪を残し教授は忽然こつぜんと消えた――
机の上になぐきのメモを残して。
遊動神殿ゆうどうしんでんたる聖幕屋せいまくや、長さ三十キュビト、高さ十キュビト、幅十キュビトにてもうけるべし。
金張りの四十八枚の合歓木アカシヤの板を、交互こうごわせて、銀の足台の上に立てるべし――
メモにはそうあったよ。

【長者丸のご隠居】
先週、庭いじりをしておったら、
土中に指輪が埋まっておった。
掘り出すと土ひとつ着いておらん。
まっさらけのけだったわい。
不思議なこともあるもんじゃ!

【初台の羅紗商】
工業試験場の正門前にね、
指輪がぽつんと置いてあったって。
姉はそう申してましたの――
指輪は交番に届けたって、
けど姉はうそ付いたのです。
姉の鏡台にありましたわ、指輪!
翌朝、姉は古い魚みたいな顔で、
死んでいました。
カルモチン三百じょうも飲んだのよ。

【着信 喪神梨央】
観測したセヒラは今の人です。
でもまだ怪人じゃないですね――
それより金杉橋かなすぎばしでセヒラ観測です。
他の場所でも観測します――
新山にいやまさんに変わります!
【着信 新山眞】
若松町、三宿町みしゅくちょう金杉橋かなすぎばし――
いずれも指輪の波形を観測します。
三箇所を繋ぐと三角形ができます。
神田橋かんだばし長者丸ちょうじゃまる初台はつだい――
三角形、もう一つできます。
二つ重ねで六芒星ろくぼうせいが描かれます!
以前、仮面の男が描いた三角形、
あれより強い力を持つようです。
あの時は思念増幅器でこしらえた結界を、
仮面の男に破られました。
今回、指輪で何を目論もくろむのか――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急にセヒラ観測しました。
青山墓地方面です。

〔青山墓地〕

【淀屋橋の寒暖計商】
あんさんらが、
おかしなことしたさかいにやな、
商売上がったりでんがな!
晴雨計せいうけい売りのコッポラちゅうのが、
余計なあやかしモン売りよるさかい、
ワテの寒暖計かんだんけいかてあやかしやろ!!
そう言われて、どえらい迷惑や!
ワテのはな、列氏れっし測りまんねんで!
レオーメルの列氏れっしでんがな!
摂氏せっしとも華氏かしともちゃいまっせ!
列氏れっしや、沸点を八十度で見まんねん。
独逸ドイツ墺太利オーストリアやと常識でんがな!
皆皆皆皆皆、列氏れっしやねんで!!

《バトル》

【淀屋橋の寒暖計商】
商売上がったりで、
ホンマ、もう、キーですわっ!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇しています!
注意してください!!

怪人が倒れて消えた後、青山墓地の薄暗闇から先程会話した3人が現れ、三角形の陣形を取る。角筈の女学生、池尻のワニス商、金杉橋の漁師の3人だ。
そして同様に次の3人が姿を見せ、先の三角形に重なるように陣形を取った。神田橋の法科生、長者丸のご隠居、初台の羅紗商――
二つの三角形の辺にセヒラが集まりはじめ、丁度六芒星の形を現した。
辺りのセヒラ濃度が急上昇する。梨央の観測を待たず、高濃度セヒラに包まれて風魔は時空の狭間へと飛んだ。

〔時空の狭間〕

正面に宙に浮くようにして仮面の男がいた。

【仮面の男】
君はどこへ向かおうというのだ?
それとも何かから逃れるのか?
それは何だ?
教えてくれてもいいだろう……
――黒焦くろこげになった姉の亡霊ぼうれいかね?
ウハハハハハ~

おびえる者はいつも走っている。
我らがクルト・ククックかっこう・ヘーゲン、
泣き虫大公、嘘つき元帥げんすい
お尻のえくぼの可愛い殿下!
クルトは憎しみのシュトラーセを走っている。探して相手をしてやって欲しい。
――君も走ってはどうかな?

そこまで言うと、仮面の男は濃いセヒラに包まれて姿を消した。
気が付くと風魔は赤坂哈爾浜にいた。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
高濃度のセヒラが一時に現れました。
帝都満洲に移動したのですね……
帥士すいしを赤坂哈爾浜ハルピンにて確認しました。
その赤坂哈爾浜ハルピンですが、
以前と町の繋がりが変わっています。
注意して進んでください。

【召喚小隊T二等兵アストラル】
隊長は……
暁光ぎょうこう召喚隊の一五市にのまえごいち隊長ですが……
おかしいです……
名前がスラスラ出てきます!
これまでイニシャルだったのに!
自分はちなみに……Tです……
ああ、自分の名前はダメですね。
はい、一五市にのまえごいち隊長のことです、
歩一で大きな演習のあった日、
慌ただしさにまぎれてのことです。
私たち同行しました――

【召喚小隊H二等兵アストラル】
にのまえ隊長の目的は、
歩一に確保されていた月詠つくよみ麗華れいかです。
隊長は月詠麗華に、
鬼龍きりゅう大尉が帝都にいることを
話していました。
大尉にはこの帝都で重要な用がある、
そういうことのようでした。
それで京都から戻られたのです。

【召喚小隊A軍曹アストラル】
鬼龍大尉は独逸ドイツ留学時代に、
トゥーレのやかたという秘密結社に、
身を寄せておいででした。
大尉はそこで召喚師として、
腕をみがき、帰国されたのです。
そのトゥーレの館が、
この帝都にも開かれるというのです。

【召喚小隊G曹長アストラル】
鬼龍大尉は心を開かれません。
ただし、御荷鉾みかぼ大尉は例外でした。
お二人は京都の師団時代から、
同じかまめしを食った仲とのことです。
その御荷鉾みかぼ大尉を感じます――
すぐ近くにおいでのようです。

すぐにひときわ大きなアストラルがやって来た。他のアストラルたちは一斉に退避した。

【歩一M大尉アストラル】
あの女は化物だ!
月詠つくよみ麗華れいかだ、化物だ――
あの女が私をここに飛ばした。

鬼龍きりゅうと私は京都の十六師団にいた。
といっても輜重兵しちょうへい第十六大隊だ。
駄載ださいは何キロなんだと冷やかされ――
鬼龍はそういう境遇きょうぐうが不満で、
審神者さにわ術武じゅつぶに精を出していた。
奴は相当のめり込んでいた……
上京区かみぎょうく相国寺しょうこくじの北にある道場、
奴はそこに通いつめていた――
東雲流の山郷武揚が開く道場だ。
雑誌広告を使い良家の子女を集めた。
鬼龍は師範代として活躍した。

奴の独逸ドイツ行きは寝耳に水だった。
正直、羨ましかった。
独逸は私の第二の故郷だからだ――
独逸ドイツで習得した召喚術が、
まだまっとうできないのは、
審神者さにわ素養そようが邪魔をする――
奴はそう考えている。
審神者さにわ奥義おうぎを継ぐ者はいないか、
懸命けんめいに探していた。
ある日、奴は気付くんだ。
奴の流派、東雲しののめ流の宗家そうけにこそ、
素養そよう持つ人物がいると。
奴は機根きこんとか、そんな言葉を使い、
その人物を確かめようとしていた。
それが如月きさらぎ鈴代すずよという女性だ――

そんな鬼龍と私の間柄あいだがらを聞き付け、
月詠麗華が私を尋ねてきた。
まるで郷里きょうりの妹のようにして。
私はこばんだのだ、話すのを。
鬼龍の詳細について話すのを。
答えられない、そう言ったのだ――
あの女は私を睨みつけるや、
背後から紫色の光を放った!
その直後、私は飛んだのだ!!
現世の私はどこにいる?
先程、神田川かんだがわらしきが見えた――
私を戻せ、戻すんだ!!

《バトル》

【歩一M大尉アストラル】
はぁはぁはぁ……
せめて鬼龍が私のようにならぬよう、
つとめるのが貴様らの役割だ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
何か特異な波形を観測します。
――巡視パトロールを続けてください。

〔キタイスカヤ街〕

そこは帝都満洲とは様相ようそうことにしていた。帝政露西亜ロシア時代に築かれた哈爾浜ハルピン、キタイスカヤの街並みである。
露西亜ロシアバロックの町並みを背にクルト・ヘーゲンが呆然と立っていた。まるで見当識を失ったかのように――

【クルト・ヘーゲン】
お前は!!

ううう……
くそっ!
――ここは……どこだ……
異世界のことは知っていた――
ここが、そうなのか?

ウハハハハハ~
大型波動グローサベッレを何度も発して、
現れたのがこのロシアの辺境か!

うう……
ここの空気は合わないな!!
――セフィラ異常はどうなった?
大型波動グローサベッレ戦を常態化じょうたいかさせ、
やがて顕現けんげんさせる計画だ。
日本人の大勢が犠牲ぎせいになる――
トウキョウ中が戦場となり、
を降ろし、市民にけしかける!!

このような場所が現れるとは、
実現はまだ先のようだな!
市民の犠牲は計画の問題外だ。
百人の死は悲劇だが、
一万人の死は歴史だ。
私たちは歴史を作るのだ!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
犠牲は……必要なのだ……
うう……まだ血の臭いがする――
だが、これもすぐに消えるだろう!
私は超えたのだからな!!

クルト・ヘーゲンは膝を折り、そのままゆっくりと姿を消した。まるで空間から消し去ったかのように。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置が確認できません――
先程ユリアさんから連絡があり、
同行ユーゲントの波形、
同定できました。
このシュタインにはジリエンヌマーが……新山にいやまさんに尋ねると、
通し番号のことだそうです。
ユンカー博士のシュタインの波形、
予測できるかも知れません。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
ユリアさんが祇園丸ぎおんまると一緒なので、
その波形、正しく確認できました。
同じシュタインならユンカー局長の居場所も、探信儀たんしんぎで観測できそうです。
ヘーゲン召喚師が言うような
何百ものセヒラ異常はありません。
【帆村魯公】
アーネンエルベは、
秩序ちつじょが崩壊しておるのか?
この件は参謀に上げるほかない。
セヒラ異常を起こして、
そこへを降ろすなど、
聞いたことがない。
梨央りお、本当に異常はないのだな?
【喪神梨央】
ええ――
ただ、帝都満洲に妙な波形が……
兄さん――
さっきの場所とも関係するかも……
くわしく調べてみます。

大型波動グローサベッレを連発することで、何百ものセヒラ異常を招こうとしたものの、その目論見もくろみは失敗に終わったようだ。
しかし、その影響なのか、帝都満洲に現れた、哈爾浜ハルピンキタイスカヤの町並み――この意味するところはまだわかっていない。

第八章 第一話 桃源郷の噂

〔山王ホテルロビー〕

翌週にひかえた中秋ちゅうしゅうの名月を前に、山王さんのうホテルでは名月鑑賞会の準備が進む。心なしか普段より人の出入りも多い。
そんなおり、ホムンクルスと思しき波形が、頻繁ひんぱんに確認されるという。梨央りお風魔ふうまはホテルで様子を探っていた。

【喪神梨央】
今年は十二日だそうですよ、
中秋ちゅうしゅうの名月。
来週の木曜日ですね――
中秋ちゅうしゅうの名月といっても、
九月に入って、ずっと残暑続きです。
――それに……
ホムンクルスの波形、
しょっちゅう観測します。
お月見の気分じゃないですね。

【帆村魯公】
どうしたんだ、二人とも。
ここで怪人でも待ち構えるのか?
【喪神梨央】
隊長、ホムンクルスを観測します。
赤坂、市ヶ谷、四谷よつやでです。
独逸ドイツは何を計画しているのですか?
【帆村魯公】
こら、大きな声を出すな!
――こっちへ来い。

魯公はロビーの隅へ移動した。一同は魯公に続いた。

【帆村魯公】
おそらく猟奇りょうき倶楽部くらぶだ。
ホムンクルスが警戒している――
独逸ドイツ大使館としては、
何ら命令を発していないそうだがな。
【喪神梨央】
そうだと思いました。
祇園丸ぎおんまるさらったのも猟奇倶楽部、
そうじゃありません?
ユリアさんのフロイラインも、
きっと猟奇倶楽部の仕業です。
兄さんが猟奇倶楽部に招かれたとき、
私が風邪さえ引かなければ……
【帆村魯公】
いつまでもくよくよするんじゃない。
それに探信儀たんしんぎの空白地帯であれば、
倶楽部の所在はつかめないぞ。
猟奇倶楽部については、
参謀本部もやや苦労しておる。
【喪神梨央】
え? そうなんですか?
【帆村魯公】
連中がホムンクルスを付け狙い、
秘密の漏洩ろうえいでも起きたら一大事だ。
それで頭を悩ませておる――
【喪神梨央】
取締りとりしまとかできないんですか?
特高や憲兵を動かして――
【帆村魯公】
それがな、どうやら猟奇倶楽部には、
かなり上のほうと繋がりがあって、
簡単にはいかんそうじゃよ。
【喪神梨央】
上の方って……
猟奇倶楽部がですか?
【帆村魯公】
もうすこし調べが必要だな。
風魔ふうま、今日の公務は、
どうなっておる?
【喪神梨央】
ひとまず赤坂界隈かいわいです。
ホムンクルスの波形が気になります。
私、探信室たんしんしつに戻ります。

【帆村魯公】
例の瑛山会えいざんかいに上層部と繋がる、
そういう人物がいるようだ。
聖宮ひじりのみや親王にそれとなく尋ねてみよう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
山王下さんのうしたにセヒラ観測しました。
確認お願いします!

〔赤坂街路〕

高女こうじょ英語教師】
今、ここ歩いて行った人、
まるで蝋細工ろうざいくのようでしたよ!
しかも無表情で……
大きな声じゃ言えませんけどね、
うちの飯山いいやま先生もあの手合てあいですよ!
じっとりと皿のような目でね、
お気に入りの女生徒を見つめる――
あの目で見られたらね、あなた、
誰だって動けやしません!

乗合のりあい車掌】
さっきの人、前に乗合のりあいにいた
お客とそっくりよ!
そのお客、声掛けも何もなしに、
他のお客さんを押しのけて、
乗合のりあいの出口に行こうとするの。
だから、一声ひとこえおかけくださいまし、
そう言ったのよ――
そしたら私をすごい目でにらけて、
レーベン、フォイヤー、トート、
トート、トートって言うのよ。
気色悪いったら、ありゃしない!

【麻縄業の男】
さっきの奴、アレだな、臭いだな……
うん、思い出したぞ!
そうだ、そうだ!
いつぞや、富山の方で食った、
斑鱶まだらぶかの塩辛、あれと同じ臭いだ。
臭いのは皆同じ臭いなんだよ!

【レーベンクラフト二〇八】
レーベン! レーベン
フォイヤー!  クリンゲ
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホムンクルスの波形です。
初期型ですが注意してください!

《バトル》

【レーベンクラフト二〇八】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート

【ゲルハルト・フォス】
正直は最良の策というではないか。
私は常に心がけているんだよ、
自分に嘘がないようにとね。
君が倒したのは果たして初期型だね、
モガミフーマ――
これはとんだ失礼をした。
初期型ホムンクルスは見境みさかいがない――
もっとも強い警戒状態にあるようだ。
そのせいか過敏になっている。
どうもこのトーキョーには、
我が子を狙う一派があるらしい。
秘密の漏洩ろうえいは防がねばな。
我が子らは互いにシンクロする。
天敵に襲われたはちのように、
たがいに情報をやり取りする――
その機能が元からそなわるものか、
後で身に付けたものかは知らない。
ユリアならくわしいだろうが――

さて、モガミフーマ、
我がアーネンエルベにお招きしよう。
この国では友に恵まれるらしい。
新しい友だ、客人として呼んでいる。
君にも引き合わせるとしよう。

フォス大佐にいざなわれ、独逸ドイツ大使館の車で、アーネンエルベ極東分局に向かった。連れてこられたのは地下の集会室であった。

〔アーネンエルベ地下〕

【ゲルハルト・フォス】
そろそろ来る頃だ――
マンシュウで活躍する人だよ。

その時、アーネンエルベ集会室にやって来た人物があった。

【ゲルハルト・フォス】
少し、はずしてくれないか。
【武装SS隊員】
ハイル――
【ゲルハルト・フォス】
ここではいいんだ。

ナチ式敬礼をしかけたSS隊員は、かかとを鳴らして回れ右をして出ていった。

【ゲルハルト・フォス】
ようこそ、我がガルテンへ。
ヘル、リー、リーチンミン!
こちらがモガミフーマだ。
【李景明】
モガミ、フウマさん――
初めまして、景明けいめいです。
日本読みで憶えてください。
【ゲルハルト・フォス】
確か、満鉄調査部だったかな?
【李景明】
ええそうです。
大佐のアーネンエルベとは、
近い部署かもしれません。
【ゲルハルト・フォス】
それでは聞くが、
調査部でもつかんでいるのかね、
例の桃源郷キサナドゥのことは?
【李景明】
烏魯木斉ウルムチまで調査隊を派遣して、
回教徒かいきょうとらから聞き取りを行いました。
およそのところは掌握しょうあくしています。
興亜こうあ日報がどうやってぎつけたのか
それはわかりかねますが。

地下の桃源郷とうげんきょうとされる蟻走痒感府ぎそうようかんふについて、興亜こうあ日報は特報として派手に報じたが、具体的なことは何も示されなかった。

【ゲルハルト・フォス】
お二人に聞いて欲しいのだがね、
私は夢は寝て見るものだと思う。
起きては現実に向き合うことだ――
ローマ帝国、神聖ローマ帝国、
そして我が第三帝国。
国家建設は一朝一夕いっちょういっせきにはいかない。
しかもヨーロッパの連中は、
まったく足並みがそろわない。
自国の利益にばかり気を取られて――
ヨーロッパなどはこの際捨てて
桃源郷キサナドゥを首都として、
第四の帝国建設を企図きとするところだ。
李景明リ ケイメイ
満蒙まんもうからカザフスタン、ペルシア、
さらにはカスピ海へ抜ける
回教かいきょう国家をまとめるのですね。
その場合、露西亜ロシアの領土を
一部貫くことになります。
何分、手強い相手です。
【ゲルハルト・フォス】
ソビエトは信じきっているよ。
我が国が戦争を仕掛けないことをね。
不可侵ふかしん条約の準備も進んでいる――
李景明リ ケイメイ
相手を油断させておく、
そういうことなんですね。
もしや露西亜ロシアに侵攻する計画も?
【ゲルハルト・フォス】
電撃戦でんげきせんは我が方の得意とするところ。
今は静かに時機じきを見ているのだろう。
鉄の心を持つSS装甲師団LSSAHがな。
――モスクワを叩けば道は開く。
そこは総統ヒューラーと同じ考えだ。
李景明リ ケイメイ
では、大佐の構想というのは……
【ゲルハルト・フォス】
の現実なのだよ。
私にはいくつも現実はいらない。
ただひとつの現実さえあればな。
アーネンエルベを、
北満ほくまんのハイラルに開く。
桃源郷キサナドゥ探しに本腰を入れるつもりだ。
おりよくアーネンエルベ本部の、
フンメル博士の論文も発表された。
神智学しんちがく的視座から同定する先史アーリア人の中央アジアにおける優生民族的実存の痕跡こんせきリストという標題だ。
李景明リ ケイメイ
大佐、満鉄調査部の方でも、
出来る限りお手伝いさせていただき、
大佐の計画が進むようはからいます。
【ゲルハルト・フォス】
また会える日を楽しみにしている。
――私はこれで失礼するよ。

フォス大佐は優雅に体をひるがえして集会室を後にした。

李景明リ ケイメイ
私はここに残ります。
近く朝鮮に渡る予定があります。
またお会いしましょう、喪神もがみさん。

〔独逸大使館〕

独逸大使館前は緊張した空気に包まれていた。
歩哨のSS隊員たちが侵入者を発見したのだ。

【武装SS二等兵】
侵入者アインドリンリンだ!
【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カインツートリットだ!

二名のSS隊員は瞬く間にたおされてしまった。
猟奇倶楽部の会員と思しき黒頭巾姿の人物が音もなく現れた。

【堕天使の先導者Δデルタ師】
逃げ足の早い奴です!
何とか一体でも……
――私の階位がかかっているのです!
邪魔しないでください!
これ以上、階位を下げるわけには……
あああああ、くそっ!!

《バトル》

【堕天使の先導者Δデルタ師】
あああ……残念です……
階位一位の方がお見えだと言うのに、
私は階位九十八位のままだ――
【着信 喪神梨央】
急なことで間に合いませんでした!
申し訳ありませんでした。
お知らせしたいことが――
【着信 帆村魯公】
金ノ七号きんのしちごうが行方不明なんだ!
市ヶ谷で消息しょうそくを絶った。
公務電車を回す、急いでくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館を出るのは確認され、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしは心ここにあらず、
そんな様子だったそうです。
心配です、
何とか見つけてください。

〔市ヶ谷見附〕

【鈴蘭女学生典子】
秋桜コスモスごとくの妙子たえこ様。
先程の、はたして虹人こうじんさまでは?
筆名、白金江しろかねこう虹人こうじんさまなのでは?
【鈴蘭女学生妙子】
あら、雛菊ひなぎくのような私の典子のりこさま!
虹人さまで遊ばされたら、
私たち、どういたしましょう?
【鈴蘭女学生典子】
君影会にお伝えしなければ。
【鈴蘭女学生妙子】
でもまだ虹人さまと、
決まったわけでは――

【八紘油脂のサラリーマン】
どうしたんだい、さっきから。
君たち、もしや、あのハンサム君に、
やられちまったのかい?
【鈴蘭女学生典子】
あら、何ですの?
ハンサム氏には興味なくってよ!
【鈴蘭女学生妙子】
そうよ、ハンサムかどうかなんて、
関係ないですわ。
ようは美しいかどうかですわ。
【八紘油脂のサラリーマン】
彼、西洋人のようだったけどね。
大きく見えたけど、半ズボン姿だし、
君たちには小さすぎかな。

聖橋にはしゃがみ込む虹人の姿があった。
風魔を認め、虹人の傍から金髪碧眼の少年が近付いてきた。

聖護院丸しょうごいんまる
喪神もがみさんですね!
虹人こうじんさんを無事に保護しました。
行き先も告げず、ふらふらと、
まるで何かにいざなわれるように――
そして、うつろな表情をして、
この橋の欄干らんかんに寄りかかって――
身投げでもするんじゃないかと案じ、
駆け寄り介抱かいほうしたのです。

【帆村虹人】
風魔ふうま――
お前から僕はどう見えている?
この間、執筆を再開しようと、
久しぶりにペンを取ったんだ。
その瞬間、僕は白金江しろかねこうに支配された。
何の気なしに付けたペンネームが、
いつの間にか大きく育っていたんだ。
白金江しろかねこう秋宮あきみやの小説を、
最後まで完成させていた。
――僕はそんなの絶対に嫌だ!
僕が夢現ゆめうつつの時に白金江しろかねこうが執筆した、
そうに違いないんだ。
僕はその原稿用紙を焼き捨てた!!
【聖護院丸】
確かに大使館の談話室の暖炉に、
焼かれた原稿用紙がありました。
【帆村虹人】
僕はあのペンネームを捨てる。
そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!
【聖護院丸】
もしかして虹人さん――
ペンネームを捨てるために身投げを?
この橋の下には省線が走ります。
【帆村虹人】
――わからないよ……
でももう大丈夫さ。
とっておきの話を思いついた。
白金江しろかねこうが考えもしなかった話さ。
僕は自分の名前で執筆するよ。
【聖護院丸】
それはよかったですね――

その時である。聖護院丸に異変が生じた。聖護院丸は急にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪めている――

【帆村虹人】
おい!
どうした?
――聖護院丸しょうごいんまる、しっかりするんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
仮面の男情報です!
場所は四谷よつやです!
【帆村虹人】
僕は聖護院丸しょうごいんまるる。
風魔、仮面の男、頼むぞ!

〔四谷街路〕

仮面の男の通報で向かった四谷よつやの町は、一騒乱ひとそうらんあったかのような異常さであった。
果たして仮面の男はいかに――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
非常に不安定な波形を観察!
仮面の男かどうかわかりません。

無線の後、どこからともなく声がした――

【???】
何をしたのかね?

答えるんだ!
お前は何をした?

辺りが一瞬暗くなったかと思うと、仮面の男が音もなく降り立った。
強いセヒラを全身に漂わせ、それはまるで帯電しているかに見えた。

【仮面の男】
せっかく新しい異能者、月詠つくよみ麗華れいかと、
真の連合を築こうとしていたのに。
私たちは皆、中途半端な存在だ。
多くの必要を欠き、それをつくろい、
なかば自分をだまして生きている。
月詠つくよみ麗華れいかは欠点だらけだ。
私はその欠点にかれるのだ――
あの女の覚醒かくせいはまだ完全ではない。
私と繋がることで、限りなく、
高みへと上りゆくはずだ――

【仮面の男】
お前は何をした?
時空じくう狭間はざまに身を隠していた私を、
この白日はくじつもとに引き出すとはな!!

仮面のから発せられる苛立ちが、辺りの空気を震わした。

【仮面の男】
いいだろう――
お前と対峙たいじするのは何度目だ?
自分を見失うでないぞ!

《バトル》

【仮面の男】
フハハハハハ~
いい気分だ、実に素晴らしい!
結託けったくしているのかね。
まさか心を通わせているとでも?
――あの郭公かっこう時計職人の息子と。
二人とも心に妖精を飼うのかな――
フフフ~
楽しみがまた増えたな――
私はいさぎよ退くとしよう……
時空じくう狭間はざまにね。
あそこを家として力を送ろう。
この世界を動かすかもしれない力を。
ワハハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
不定形な波形、消えました。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
ユリアさんがおいでです。
【ユリア・クラウフマン】
今日の現象ですが――
あれは大型波動グローサベッレというものです。
広範囲に渡り、ホムンクルスの
自律係数じりつけいすう一斉いっせいに引き下げる波動を、
帝都に放ったのです。
【喪神梨央】
聖護院丸しょうごいんまるの……
ユーゲントの自律係数じりつけいすうは三・八、
それが下がったんですね。
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスは警戒しています。
自分たちを狙う連中に対して――
その警戒心が伝わっているのです。
【喪神梨央】
帝都にいるホムンクルスすべてに、
それが伝わっているのですか?
【ユリア・クラウフマン】
おそらくは……
それで起きる不要な戦いを避ける、
その目的で大型波動グローサベッレを発したのです。
大型波動グローサベッレ、父の助手だった、
ユルゲン・フェラー博士が研究し、
開発を進めていたものです。
全ホムンクルスに攻撃指令を出す、
そういうこともできる仕組みです。
今回は実験をねているのかも――
【喪神梨央】
アーネンエルベで、
いったい何が起きているのですか?
不協和音のようなものを感じます。
虹人こうじんさんと聖護院丸しょうごいんまるは、
四谷よつやから無事に戻ったようですが――
【帆村魯公】
フォス大佐は、
なかなかのロマンチストのようだな。
【喪神梨央】
大佐が興味を示す桃源郷とうげんきょうですか?
新聞にも載っていましたよ。
遠く烏魯木斉ウルムチの近く――
青白い肌のカーンが統治する町、
ありと共存するのだそうです。
【帆村魯公】
わかっておるのは、それだけだな。
町の写真とかそういうものはない――
【喪神梨央】
はい、写真はありません。
新聞もいつもの興亜こうあ日報ですから。
桃源郷とうげんきょうか! の後に小さな?が。
【帆村魯公】
うむ……だが、その発掘のために、
北満ほくまん海拉爾ハイラルにアーネンエルベの、
分局をもうけるというんだな。
【喪神梨央】
アーネンエルベにいろいろ動きが――
やはり、そうなんですよね?
【帆村魯公】
第四帝国がどうのとも言っておった。
総統フューラーからすると邪魔くさい話だ。
さては誰かが仕込んだか――
【喪神梨央】
ユリアさんはどう思われますか?
【ユリア・クラウフマン】
桃源郷とうげんきょうの話ですか?
【喪神梨央】
大型波動のことです。
お父上の助手の方のこととか――
ユリアさんも全部はご存じない?
【ユリア・クラウフマン】
先日、フェラー博士から、
技術書が送られてきました。
私の知るのはそれまでです。
大型波動グローサベッレはホムンクルスに
ダメージを与える恐れがあります。
技術書にはそう明記されていました。
【喪神梨央】
見つかっていないフロイラインにも、
その波動は届いたんですよね――
心配ですね……
私、思うんですけど……
あの仮面の男って、
ホムンクルスじゃないですか?

欧亜おうあの地に見つかったという桃源郷とうげんきょう真偽しんぎさだかではないものの、フォス大佐はすでに野望をたぎらせていた。

第七章 第四話 新たな動き

清正公前せいしょうこうまえ

清正公せいしょうこう前を囲むようにして、新山眞にいやままことが三台の思念しねん増幅器ぞうふくきを設置した。その影響で、「結界」の中は市中から、幾多いくたの思念が集まり、怪人予備軍を招いた。怪人化の兆候ちょうこうを得て公務出動となった。

【遠い目をした女性】
渋谷橋しぶやばしから乗合に乗って、
ここまで来たんですわ――
朝からずっと声がするのですわ――
フト立ち止まる
人を殺すにふさはしい
煉瓦れんがへいの横のまひる日
昼日中ひるひなかが人殺しにふさわしいなんて、
とても近代的モダンじゃありませんこと?
【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します……
でも波形がさだまりません。
――怪人予備軍かも知れません。

【澄んだ目をした男性】
ふとね、真理の扉が開いたんです。
ある言葉が去来きょらいしてね――
自殺しても
かなしんでれる者が無い
だから吾輩わがはいは自殺するのだ
正しく真理ですよ、真理。
自死してね、生き残った者に、
辛い思いをさせてやろとか、
そう思ううちはだめなんです。
そんな当てつけみたいに死んじゃ、
せっかく命が勿体無もったいない。
――そうでしょ?
死ぬときは少しずつ縁を切っていく、
そして最後にぽつねんと一人になり、
すーっと深呼吸して死ぬんです。
――私はだいぶ整理がつきました。
猫のリルだけが心残りでね……
まだお別れできていないんです。

【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します――
物凄く妙な波形です。
経過を見てください。
【猫憑き】
ニャー、あんたはここで何するニャ?
おいら、猫の千次郎せんじろうニャ~
リルなんてハイカラな名前、
おいらには縁がないニャ。
この人、おっきな隙間、拵えてニャ、
今にも何かにかれそうニャ。
おいらがふさいだニャ!
今日は早めに風呂にでも行くニャ!
【着信 帆村魯公】
猫め、核心かくしんを突いておるな!
憎しみをたぎらす者より、
心に空隙くうげきを持つ者のほうが、
に深くかれてしまうようだ。
もっと猫がたくさんおれば、
いいのににゃ!

【虚ろを見やる男性】
僕はね、言葉にいざなわれてここへ来た。
本郷ほんごうからずっと歩いてね、
今ここに着いたところさ!
青空はブルーブラツク
三日月は死のうたを書く
ペン先かいな
太陽は命、月は死……
僕の感性に寸分すんぶんたがわずはまるんだ。
――美しいじゃないか、君!

【武装SSヴェルケ一等兵】
この者らは我が方で処置します。
貴方たちはお引き取りください。
これはフォス大佐殿の命令です。
アーゲーカーで詳しく調べます。
ドイツ大使館地下に、
アーゲーカー連絡室があります。

【執事型ホムンクルス】
――標的ツィール
破壊ツェストゥルンク――
開始シュタート

《バトル》

【着信 喪神梨央】
クルト・ヘーゲンの執事型、
何体も帝都にはなたれたみたいですね。
日本人の拉致らちに関しては、
外交筋に連絡を入れておきます。
山王さんのう機関ではどうにもできません。
【着信 帆村魯公】
八号帥士はちごうすいし
渋谷しぶや練兵場に向かってくれ!
歩三の召喚小隊に変事が起きている!
【着信 喪神梨央】
公務電車で目黒に向かってください。
鉄道連隊の演習列車が大崎にいます。
それで原宿まで進めます。

代々木よよぎ練兵場〕

それは異様な光景だった――
練兵場には兵が倒され横たわり、将兵と民間人が鳥合うごうしているのだ。

【第三連隊山田二等兵】
え、演習の準備をしていたところ、
突然、連中がなだれ込み……
阻止そしするもこの有様で――
【第三連隊中村二等兵】
今日は夜行演習が予定されて……
――ああ、脚の感覚が……
【着信 喪神梨央】
歩兵第三連隊第八十八大隊、
第三十八中隊第八小隊の、
夜行演習が予定されています――
わずかにセヒラを観測します。
十分、注意してください。

一五市にのまえごいち
喪神もがみ中尉!
――我が召喚小隊は解散なった。
新たに軍属をまじえて組織する。
名付けて暁光ぎょうこう召喚隊だ!
この隊は霊異りょういす者を集め、
帝都の怪異を鎮定ちんていするばかりか、
日本の国力を外に示すものだ。
鬼龍きりゅう隊長不明の今となっては、
私がひきいるほかないのだ。
さいわい、召喚術において、
素養そよう高き連中が揃っている。
貴様も隊に加わりたいなら、
考えなくもないぞ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
セヒラが異常値を示しています!
大変危険です、退避してください!!

〔時空の狭間〕

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
またすごいセヒラ異常だニャ!
三人が同時に戦ったりしたニャ!
そのせいだニャ!
【バールの帽子】
そりゃセヒラ異常も起きるゲロよ。
近いところで三人同時に戦うなんて、
無謀むぼうに決まってるゲロゲロ!
ん?
何だゲロ、どうしたゲロ、
じいさんが何か言いたそうだゲロ!
【バールの帽子背後】
第三連隊の召喚小隊が解散になって、
それをよく思わない連中がいるのう。
連中、アストラルになって、
帝都満洲を彷徨さまよっておるぞ。
逆恨さかうらみする奴もいるじゃろうて。
【バールの帽子】
なーんだゲロ、そんなことかゲロ!
出来損ないのアストラルなんぞ、
ぶっ飛ばしてしまうゲロね!
【バールの帽子背後】
現世でだめな奴ほど、
こっちでは強くなったりするんじゃ。
気ィ付けることじゃよ。
【バールの帽子】
噂をすればか?
――何か来るゲロ!
【バール】
あれは……
――強いニャ、強いニャ、
すっごく強いニャ!
月詠つくよみ麗華れいかの思念だニャ!
【バール】
呼んでみるニャ、呼んでみるニャ!
【バールの帽子】
何が起きても知らないゲロよ!
【バールの帽子背後】
軽い気持ちで、
思念を呼んだりするんじゃないぞ!
【バールの帽子】
知らないゲロよ!
【バール】
呼ぶニャ!
――麗華さーん、
こっちこっち、こっちだニャ!

【月詠麗華】
私はぜんぜん至っていません――
いくら戦っても、戦っても、
豪人たけとさまに教えをうまでは、
出来上がらないのです――
東雲しののめ流の奥義……
きっと私にいでくださいまし。
風魔ふうまさまのなされる帆村ほむら流も、
根は東雲しののめ流であるはず――
風魔ふうまさまと同じところに立てる、
そう思うとぞくぞくしてきます!
鈴代すずよさんがお認めになるか、
それが気がかりですわ――

品川図們しながわトモン第二街区〕

【元召喚小隊H一等兵アストラル】
陸軍省から通達つうたつがあって、
我が召喚小隊は解散になった。
歩兵として部隊に残るか、
あるいは除隊するかを選べという。
――自分、答えなど出ません!
【元召喚小隊A上等兵アストラル】
召喚小隊、解散になったんだ!
せっかくを降ろして戦う、
その術を習得したのに!
いまさら一般歩兵なんかに戻れない!
僕は除隊を選ぶ、絶対に。
そして暁光ぎょうこう召喚隊に参加するんだ!
【元召喚小隊M曹長アストラル】
鬼龍きりゅう大尉が姿を消してから、
小隊はまとまりがなくなった。
あの月詠つくよみ麗華れいかという女は、
大尉から奥義をさずかろうと狙う。
当分、大尉は姿を見せないだろう。
【元召喚小隊F中尉アストラル】
鬼龍大尉はおそらく京都の師団。
そう考え十六師団に連絡するも、
連中、だんまりを決め込む――
歩一の連中、
何か知っているはずが、
おくびにも出さない!
【元召喚小隊D大尉アストラル】
独逸ドイツのアーネンエルベも、
一枚岩ではないな――
あそこのヘーゲン召喚師、
フォス大佐と反目しているようだ。
フォス大佐の来日以来、
手下の召喚師どもが躍起やっきになって、
新参の召喚師と戦っている。
しかし……
連中の手下は人にあらずとも聞くが、
歩一の連中なら詳しいのだろうか?

品川図們しながわトモン第四街区〕

【元召喚小隊C二等兵アストラル】
S中尉は朝から焼酎しょうちゅうを、
浴びるように飲んで寝ている――
小隊の解散が気に食わないんだ。

【元召喚小隊Y二等兵アストラル】
S中尉、第三十六小隊長の頃、
新兵を自殺に追い込んでいる――
難癖なんくせをつけては懲罰ちょうばつの繰り返し。
ある日、茶をこぼした懲罰ちょうばつとして、
腕立て伏せ一六三七回もさせたんだ。

【バール】
びょびょ~ん、バールだニャ!
酷い上官もいたもんだニャ!
腕立て伏せを何回だって?
噂のそいつが来るニャ!
そうとう怒りまくってるニャ!
現世では閑羅瀬しずらせみき中尉殿ニャ!

【元召喚小隊S中尉アストラル】
鬼龍きりゅう大尉は負け犬だ!
この大事な局面で雲隠れするとは、
情けないにも程がある!!
それに――
歩三の腑抜ふぬけ連隊長め!
麻布あざぶ連隊区のくそ司令め!
陸軍省の穀潰ごくつぶし将官どもめ!!
参謀本部の――
うぬぬ……気配を感じる、感じるぞ!
何者だ、貴様!
この俺をわらいに来たか!!

《バトル》

【元召喚小隊S中尉アストラル】
くそ! くそ! くそ
どいつもこいつも、
勝手なことばかりしやがって!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
やっと探信たんしんできました!
品川図們トモン、安定しています。
帰還してください。

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは、多加美たかみ宮司ぐうじ鈴代すずよと話し込んでいた。月詠つくよみ麗華れいか霊異りょういを現し、鬼龍きりゅう豪人たけとからの奥義おうぎ伝授でんじゅを狙うとあって、鈴代すずよも新たなる決意をしたようである。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん、私、決めました――
麗華さんが霊異りょういを現して、
今、とても不安定な状態です。
もし鬼龍さんから東雲の奥義おうぎを継ぎ、
新しい東雲しののめ流が興るとすれば、
今の私たちでは太刀打たちうちできません。

東雲しののめ流は鈴代の祖母の代で絶えている。古式帰神法は神々を降臨させ、眼前に現すのだという。

【多加美宮司】
鬼龍大尉は古式東雲しののめ流を極めた、
そう伺っております――
【如月鈴代】
大尉が京都の師団においでの頃です。
でもほどなくして流派を閉じました。
すぐさま大尉は独逸ドイツへ――
古式ではセヒラを用いないのです。
降ろすのもではなく神々です。
それを改めたのが帆村ほむら流なのです。
帆村流ではを指揮する、
そういう術武じゅつぶに進化させました。
もし今、古式がおこれば……
【多加美宮司】
帆村流に対抗し得る力となる――
そういうことかも知れません。
【如月鈴代】
を現前に現し、
市民を襲わせるということも……
そうなってしまっては手遅れです。
【多加美宮司】
今、正しく古式東雲しののめ流を再興すれば、
色々の懸念、払拭ふっしょくできます。
【如月鈴代】
私、東雲しののめ流を再興します。
麗華れいかさんより早く古式東雲しののめ流をおこし、
対抗できるよう、準備を整えます。

【九頭幸則】
風魔、通報があったぞ!
広尾橋ひろおばしに仮面の男が現れた――
こちらは?
【多加美宮司】
宮司ぐうじ多加美たかみです。
東雲しののめ流の神器である鏡を授かりに、
京都に向かいます。
【九頭幸則】
それじゃ、東雲しののめ流を……
【多加美宮司】
そうです、東雲しののめ流を再興します。
そのためには神器の鏡がいるのです。
鏡は京都の神社に収めてあります。
【如月鈴代】
京都の方には私から、
伝えておきます。
少し時間をください――
【多加美宮司】
わかりました。
いつでもてるようにしておきます。
【九頭幸則】
梨央りおちゃんに公務電車の手配を頼む。
風魔、広尾橋だ、向かってくれ。
【如月鈴代】
古式東雲しののめ流がおこれば、
風魔さんに継いでいただきたく、
存じます。

広尾橋ひろおばし

【着信 帆村魯公】
おかしいぞ、
今さっきしばの方で
仮面の男が目撃された。
丁度ちょうど、省線田町たまち駅の近くだ。
どうなってるんだ?

【仮面の男】
ワハハハハハ~
愉快ゆかいなことになってるな!
こいつらは前菜だ!
この女は一週間も市内を彷徨さまよった。
銀座で妙な上映会があったそうだ。
この男は国家を転覆させようと、
韮山にらやまなんとやらに従い、
あらぬ妄想を膨らます――
ここでお前と交えれば、
セヒラが繋がる――
いい按配あんばいにな!

《バトル》

【仮面の男】
ワハハハハハ~
いいぞ、その調子だ!
私は次に向かう!!

【着信 新山眞】
仮面の男の目的、わかりました!
私の作った結界を、
打ち破ろうとしているのです!
田町たまち駅前と広尾橋ひろおばしを底辺として、
市内に大きな三角形が描けます。
その頂点は――
五反田ごたんだ方面です!
結界に重なる逆三角を描き、
セヒラの流れを作るつもりです。
聞いたことがあります――
ツアイヒヌンの術と言います。
訳すと絵を描くということですが。

新山にいやまの結界に重なる逆三角形は、田町たまち駅前、広尾橋ひろおばしを結び、その頂点、大崎あたりに位置していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
結界に重なる逆三角形ですが、
大崎にその頂点を結びます!
五反田ごたんだまで、
公務電車で移動してください。

向かった先は大崎広小路おおさきひろこうじであった。そこには第三セヒラ探信儀たんしんぎがある。三探は独逸ドイツ駐在武官、是枝これえだ大佐邸に建つ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
三探に強力なセヒラ反応です。
ただし――
仮面の男とは異なる波形です。

是枝邸これえだてい前〕

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
私……どうすればよいか……
あの仮面の男から、
誘いを受けているのです――
ともに力を極めようと。
私は純粋に戦うよろこびを求めている、
ただそれだけなのに、
そうさせてはいただけません――
私をしたう人たち、私を求める人たち、
私を退しりぞける人たち――
幾多いくたの思いが私をめぐるのです。
私……
どうすれば……
風魔さま……
【着信 喪神梨央】
今、歩一に出動要請しました。
衛生班も同行します。
到着まで現場を保全ほぜんしてください。

程なくして歩一のトラックが到着した。月詠つくよみ麗華れいかは歩一にて保護することとなり、連隊本部に運び込まれた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい――
麗華れいかさん、無事に保護されたんですね。
【帆村魯公】
それにしてもだ、
仮面の男、愈々いよいよ放置はできんな。
麗華嬢まで引き込もうとするとは!
【喪神梨央】
仮面の男が兄さんや怪人と戦って、
セヒラの道が出来たと、
新山にいやまさんは仰っていました。
それであそこに麗華さんが来た……
あのとき、セヒラ球に似た波形、
大崎方面で確かに観測していました。
【九頭幸則】
すると、月詠つくよみさんは、
セヒラ球に乗って移動しているのか?
――まるでセヒラの申し子みたいだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん!
今はセヒラ球の波形、
帝都のどこにも観測しませんよ!
鈴代すずよさんも古式東雲しののめ流の再興、
決心されたわけだし……
――私たちのそなえは十分です。
【九頭幸則】
ならいいんだけど――
それはそうと、フォス大佐が、
是枝これえだ邸を訪問したらしい。
あの二人はどういう関係なんだ?
【帆村魯公】
腹の探り合いだよ。
駐独武官としてナチに通ずるのは、
当然の責務だからな。

仮面の男は何を思い月詠つくよみ麗華れいかいざなうのか。古式東雲しののめ流の再興を決めた鈴代すずよの胸中は――
さまざまな思惑おもわくが夏の帝都に錯綜さくそうしていた。

第五章 第十一話 渋谷の戦い

そのとき、鬼龍きりゅう豪人たけとは混乱し、進むべき道を見失っていた――
召喚師として心を強くして、を降ろし、それを指揮する修練、積み重ねたはずが、それがらいでいる。
鬼龍の中で何かが壊れようとしていた。
壊れて、また新しく作られる――
その円環の始まりのようであった。

【くぐもった声】
お前の前に、もはや道はない!
鬼龍きりゅう豪人たけと
道は私が見つける!
貴様の指図さしずは受けない!
【くぐもった声】
思い込みの強さは、
生来しょうらいのものか?
――それともそう振舞っているのか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
私は事実を言うまでだ。
しかるべき道が私を導く――
その時を待つ!
【くぐもった声】
辛抱強しんぼうづよいのだな、見かけによらず――
それは東雲しののめ流の教えか?
それともトゥーレのやかたで学んだか?
お前は自分の可能性に、
まだ気づいていない。
それを邪魔するものがあるようだ。
鬼龍きりゅう豪人たけと
そのような言われ方をする、
筋合いなど無い!
自分を最も知るのは、
この私だ――
【仮面の男】
そうであるといいんだが、
鬼龍きりゅう豪人たけとよ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
貴様!
一体、私に何を望む?
【仮面の男】
私の望むもの?
ハッハッハ!
――それは君の真の姿だ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
フフフ――
私は決して一人ではない。
そのことを忘れるな。
【仮面の男】
どういう意味だ?
一人ではないとは?
鬼龍きりゅう豪人たけと
今にわかる、今にな――

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

増上寺ぞうじょうじの怪異もしずまり、帝都のセヒラは、比較的安定した値を示していた。際立きわだった怪人騒動も起きていない――
帝都に六基ある探信儀たんしんぎの値を総合して、増上寺ぞうじょうじのセヒラが如何いかに異常であったか、関係者が集まり改めて確認された。
その際、渋谷しぶやにある一探の値に異常があり、飯倉技研いいくらぎけんの技師が調査に出向いた。梨央りおも見学がてらそれに同行した。

帆村ほむら魯公ろこう
なぁに、梨央のことは心配いらん。
歩一から八名の護衛が付いたし、
セヒラの値も安定しておるからな。
それにしても軍属の移動に、
皇軍兵士が八人もまもりに付くとは――
参謀本部のはからいとはいえ、
なかなかの厚遇こうぐうであるな!
九頭くず幸則ゆきのり
失礼します!
歩一の九頭くず中尉です。
帆村ほむら魯公ろこう
おう、中尉!
歩一から大勢、護衛に出たそうだな。
九頭くず幸則ゆきのり
ええ――
増上寺ぞうじょうじの影響、まだ残るようです。
げんにホテルの近くでも――
九頭が言うには、山王さんのうホテル近辺で、
怪人の目撃があったとのことだ。
山王さんのう機関でセヒラの観測はなかった。
六基の探信儀たんしんぎに調整が入っている、
その影響であるかも知れなかった。
帆村ほむら魯公ろこう
すぐに対応してくれ、風魔ふうま
しばらくは携行式探信儀けいこうしきたんしんぎが頼りだ、
慎重には慎重をすんだ。
九頭くず幸則ゆきのり
さっきホテル前に人が集まっていた。
その中に怪人がいるかも知れん、
行こう、風魔!
帆村ほむら魯公ろこう
移動するなら公務電車がいるな!
運行課に手順を尋ねておく。

山王さんのうホテルまえ

まるで真夏のような日が照るホテル前。何人かの市民が気もそぞろという風で、たたずんでいた。

九頭くず幸則ゆきのり
風魔、何度かお前と一緒するうちに、
俺も怪人がわかるようになった……
てなことはないな!
でも、ここにいる連中に、
一人くらいまぎれてるだろ、怪人!
それくらいは、俺でもわかる。
第六感がな、ピーンとな、
ピーンとするんだ!

【噂好きのサラリーマン】
もしや怪人騒動ですか?
――いやね、新宿しんじゅくの安宿で、
集団自殺があったとか。
学生、文筆家、銀行家に雑貨商……
死んだのは四人だとか。
共通しているのは、
皆アナーキストだったことです。
連中、怪人になろうとしたんですか?
その辺のことはわかりませんがね……
警察ではこの事件、封印だそうで。
新聞にもりませんよ、きっと!

【書芸家】
総督府そうとくふの第八回書芸しょげい展の会場は、
このホテルでよろしいですか?
――あなた、ホテルの方ですな?
九頭くず幸則ゆきのり
帝国軍人の士官を見て、
何かのおふざけですか?
【書芸家】
ああ、これは失礼した!
いや、私の作品が選にれてね、
一体、どういう絡繰からくりなんだと――
九頭くず幸則ゆきのり
今日はそのようなもよおし、
見かけませんがね――
もしや、あなた……
【書芸家】
あー、いやいや、ならいいんです。
事務部の方にけあってみますので。
九頭くず幸則ゆきのり
――書芸って、あれだよな、
朝鮮の書道だよな。
ハングルに似せた国字こくじを作って、
全部を漢字で表すんだよな。

【浮世離れした文科生】
特務機関がこの近くだと聞いた。
あんたがそうなのか?
大学で騒動を起こすのは、あんたか?

【浮世離れした文科生】
毎日、本を読んで暮らそうと――
今は落ち着いて勉強もできない!
怪人とかアナーキストとか知るか!

《バトル》

【浮世離れした文科生】
どうした……
とうとう自分を見失ったのか、僕は。
アハハハハ~
【九頭幸則】
大学で騒ぎを起こすのは、
あれだな、赤門あかもん出版会だな。
すでに特高の内偵ないていが入っているって、
そんな話だったはず――
【着信 帆村魯公】
いるか、二人!
至急、代々木よよぎ練兵場に向かえ!
一探にいる梨央りおからの依頼だ。
公務電車、九番の路線は無理だった。
溜池ためいけ六本木ろっぽんぎ経由で渋谷しぶやに行く、
六番の路線を確保したぞ!
【九頭幸則】
梨央ちゃん、何を観測したんだろう?
とにかく急ごう!
何が待ち受けるかわからんが。

代々木練兵場よよぎれんぺいじょう

北支ほくしの平原を思わせる広大な練兵場で第三連隊の将兵たちが訓練をしている。将校の訓示くんじを聞き入る隊のそばまで来た。

九頭くず幸則ゆきのり
連中、九十九小隊じゃないか?
歩三の……だとすると鬼龍きりゅうか!

【第九十九小隊二等召喚兵】
第九十九小隊は、
本日より歩兵第三連隊召喚小隊です!
九頭くず幸則ゆきのり
この近辺でセヒラが観測された。
心当たりはないか、二等兵!
【第九十九小隊二等召喚兵】
二等召喚兵であります、中尉!
セヒラの心当たりはございません!

【第九十九小隊二等召喚兵】
本日は歩三召喚小隊の演習日です。
鬼龍きりゅう隊長の指導の元、
訓練に精を出すであります!
九頭くず幸則ゆきのり
召喚師の養成は
順調に進むのか、曹長そうちょう
【第九十九小隊二等召喚兵】
召喚曹長そうちょうであります!
はい、召喚師は増えております!
隊長のところへご案内します。

【第九十九小隊二等召喚兵】
隊長、お客様です。
一般歩兵中尉と特務中尉であります。
鬼龍きりゅう豪人たけと
歩一士官と特務機関員か!
――我が隊に何用だ?
九頭くず幸則ゆきのり
大尉、この近辺で、
セヒラが観測されています。
貴隊に原因があるのではないですか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
フン、言いがかりは止せ!
我が隊は召喚師部隊だ、
隊に怪人などいない!
九頭くず幸則ゆきのり
それはどうだか……
部隊作り、捗々はかばかしくないと、
もっぱらの噂ですがね――

広大な演習場を風が渡る――
聞こえてくる音は他になかった。

九頭くず幸則ゆきのり
鬼龍大尉――
大尉は新宗教のおかしな教義に加担かたん
鈴代すずよの命を危険にさらしたではないか!
鬼龍きりゅう豪人たけと
命に危険がおよんだか?
彼女とて刺激になったのではないか?
確かに神子柴みこしば錬金術れんきんじゅつ
はなはだしく曲解している。
――もしや私が信じたとでも?
九頭くず幸則ゆきのり
あなたが何を信じようが、
そんなことはどうでもいい!
問題は何をしたかです!
鬼龍きりゅう豪人たけと
私はただ道を求めている。
それだけだ。
九頭くず幸則ゆきのり
ご自身が求めるもののために、
鈴代に犠牲をいたのですか?
それがどういうことか――
鬼龍きりゅう豪人たけと
中尉は如月きさらぎ鈴代すずよの強さを知らない、
そうではないかな?
確か尋常じんじょうの同級と聞くが。
九頭くず幸則ゆきのり
鈴代のことならよく知っています。
彼女は力など求めてはいない――
強さなど関係ないんです!
鬼龍きりゅう豪人たけと
ここにもいたのか、ロマンチストが!
彼女が霊異りょういを現せないというのは、
彼女がそれを望んでいるからだ。
九頭くず幸則ゆきのり
他にすべがないのなら、
選びようがないのではないですか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
彼女は何かを恐れている、
私にはそう見えるがね。
鬼龍きりゅう豪人たけと
東雲しののめ流宗家としての彼女は、
稀代きだい審神者さにわとしての資質を備え、
その開花が待たれていたのだ。
九頭くず幸則ゆきのり
あなたの存在が、彼女を阻害した、
それこそが事実なのではないですか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
フフフ、私は道に迷っているのでな!
喪神もがみ風魔ふうま! いい機会だ、
私に道を示してはくれないか!

《バトル》

鬼龍きりゅう豪人たけと
喪神もがみ中尉!
私はまだ未熟者だ――
だが、未熟者には未熟者のすべがある!

鬼龍きりゅう豪人たけと
いいだろう、少し自分が見えた――
九頭くず幸則ゆきのり
見えなかった道でも見えましたか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
――フフフ……
……私は……捨てるべきなのか……
……ウッ……
……ウグッ!

鬼龍きりゅう豪人たけと
京都時代、私は東雲しののめ流に打ち込んだ。
自ら神意に向き合う喜びに満ち、
そして恋をしていた――
【仮面の男】
輝ける過去というやつだな!
――私には過去など無用だがな!
鬼龍きりゅう豪人たけと
西陣にしじん商家しょうかの娘だった。
師団街道で乗せた円タクが事故に
彼女は死んだ。あっけなく死んだ――
【仮面の男】
お前は心の半分を、
京都に置き去りにしているのか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
置き去りになどしていない。
穴が開いているだけだ。
何をもってもまらない穴が――
【仮面の男】
小娘の死んだのが、
それほどショックというわけか?
鬼龍きりゅう豪人たけと
フフフ、何もわかっていないようだ。
確かに娘の死がきっかけだが、
穴とは東雲しののめ流を受け入れる穴だ。
【仮面の男】
なるほど――
それはお前らしい考え方だ。
流派が閉じられ、穴は空いたままか。
【仮面の男】
だがお前はトゥーレのやかたで修練し、
その穴をめたのではないか?
それがお前の尊厳をすのでは――
鬼龍きりゅう豪人たけと
愚鈍ぐどんな貴様もようやく理解したか。
穴を抱える私と、穴をめた私、
その二人がいるということを!
【仮面の男】
二匹の迷える子羊ストレイシープか――

九頭くず幸則ゆきのり
鬼龍きりゅう大尉!
どうされましたか?
――あなたがしっかりしないと……
【第九十九小隊召喚曹長】
隊長! 隊長!
衛生兵を呼ぶ、
ここはお引き取り願えますか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラは消えた。
本部に帰還してくれ。
梨央りおも戻ったぞ。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
セヒラの出処でどころ、結局、
鬼龍きりゅうの部隊じゃなかったわけか?
九頭くず幸則ゆきのり
連中、昇格でもしたんですか?
第九十九小隊を改め召喚小隊に
なったと胸を張っていましたよ。
帆村ほむら魯公ろこう
常田つねだ大佐、本腰を入れるつもりか。
だが隊の規模は変わらんからな――
梨央りお、一探の方はどうであった?
喪神もがみ梨央りお
セヒラの観測、間違いないのですが、
何分、揺らぎが酷くて……
また妙な波形も出ています――
九頭くず幸則ゆきのり
通信網を介さずに、
探信儀たんしんぎじかに測ると微細なセヒラも、
逃すことはないんだな?
喪神もがみ梨央りお
あら、中尉……
いつの間に探信儀たんしんぎのこと、
そんなに勉強されたんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
いやぁ、勉強だなんて……
アハハ、梨央ちゃんにめられると、
なんだか照れくさいなぁ~
喪神もがみ梨央りお
(ちょっと言ったまでですけど)
帆村ほむら魯公ろこう
ところで、梨央、
妙な波形というのはどの辺りなんだ?
喪神もがみ梨央りお
はい、青山方面です。
あの辺、一探でギリギリなんです。
じかに計測して確認できました。
帆村ほむら魯公ろこう
うーむ……
探信儀たんしんぎ隙間すきま、やはり由々ゆゆしき問題、
なんとかせねばな――

第五章 第六話 虹人の挑戦

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

興亜こうあ日報にっぽうが号外を出した。
――人生よろづ相談主催者逮捕たいほ
憲兵渋谷分隊が熱海あたみ身柄みがら拘束こうそくしたという。この頃、知人、友人に、よろづ相談所に、でかけたという市民も増えてきており、この号外に市中は少しざわめいているようだ。
また仮面の怪人を見たという報告もあり、山王さんのう機関本部では神経をとがらせていた。

帆村ほむら魯公ろこう
渋谷憲兵分隊とはぜんたい何なんだ?
渋谷区を巡察じゅんさつする専門の隊なのか?
逮捕したのは新宿の主催者だよな。
喪神もがみ梨央りお
新宿相談所は鉄道病院の斜向はすむかい、
東京鉄道局経理課のバラックの隣、
あそこは渋谷区なんです。
帆村ほむら魯公ろこう
そうか……あそこは渋谷区か……
豊多摩郡とよたまぐん豊島郡としまぐん以前の府下一帯、
東京憲兵第六管区の管轄かんかつのはず……
いつ自分がいもづる式に挙げられるか、
考えただけでぞっとするなぁ……
同じあつまりと見なされているからな!
喪神もがみ梨央りお
神田かんだの相談所には長い行列が
できているそうです。
みんな、おびえているとか……
帆村ほむら魯公ろこう
そういうところに仮面の男が来ると、
怪人化する市民も出そうだな……
それで、虹人こうじんの奴はどうした?
喪神もがみ梨央りお
いまだ所在不明です――
無線でも応答ありません。
スイッチが切れているみたいです。

このところ、機関本部の司令を待たずに、巡視パトロールに出ることの多い虹人であった。
今回は無線も繋がらないという――

帆村ほむら魯公ろこう
梨央りお直近ちょっきんの記録で、
仮面の男の通報は、いつの事だ?
第八分課に寄せられた報告だよ。
喪神もがみ梨央りお
一昨日おとといです――
虹人さんが確認した形跡があります。
場所は……神田かんだです。
九頭くず幸則ゆきのり
失礼します、歩一の九頭くず中尉です。
――あれ、どうしたの、梨央ちゃん、
浮かない顔して!
喪神もがみ梨央りお
――虹人さんと連絡付かなくて……
仮面の男の通報があって、
相談所通いが押しかけていて――
どれから手を付けていいやら、
悩んでいたんです。
九頭くず幸則ゆきのり
仮面の男の件は、まぁ大丈夫だ。
喪神もがみ梨央りお
え? どうしてですか?
九頭くず幸則ゆきのり
歩一の刑部おさかべ大佐が、仮面の男探しに、
歩一の将兵を出すっておっしゃって、
今、作戦会議が終わったところさ!
捜査範囲は三十五区全域だよ。
虹人さんの捜索そうさくも頼めばいい。
帆村ほむら魯公ろこう
よし、早速、刑部おさかべ大佐に電話しよう。
九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生、我々も手分けしましょう。

喪神もがみ梨央りお
賛成です!
私も参加していいですか?
帆村ほむら魯公ろこう
うむ。ではこうしよう――
まずは風魔ふうま、お前は神田方面だ。
何が待ち受けるかわからんぞ!
九頭中尉は銀座方面を頼む。
梨央りおはわしと一緒に赤坂だ。

それぞれの方面に分かれ、虹人を探すことに。すでに市中には歩一の将兵が展開していた。

神田街路かんだがいろ

人生よろづ相談、神田かんだにも相談所があった。そこはまだ憲兵特高の手入れを受けていない。風評ふうひょうを気にしながらも人々が集まっていた。

【着物の男】
市中に兵が出てますね。
東京市も何かと物騒ぶっそうになりました。

【洋服の女】
さっき兵隊さんが来て、
人を探してるって。平服の軍人とか。
お兄ぃさんも、そのクチかしら?

【悩み多きサラリーマン】
神田かんだの相談所が平気なのか、
心配でならないよ!
僕なんかもう二十八回も通うんだ。
いやね、課長の娘さんとのお見合い、
ちっとも気が進まなくてね。
種子っていうんだけどね、
猟奇婦人っていう雑誌を愛読あいどくする。
――そんな人、嫌だよ、僕は。
その方面、ダメなんだよ!

【不安そうな婦人】
新宿相談所、逮捕たいほされたって……
わたくし、新宿にも通いましてよ。
名簿に名前書きましてよ!

【関東軍砲兵】
あんたもそうなのか、平服の軍人。
違う? それ、制服っぽいもんね。
すると将官さん……失礼しました!
自分、関東軍第十三師団、
砲兵第六六六連隊所属であります!
連隊は牡丹江ボタンコウにあります!
はぁはぁはぁ……
何分、牡丹江ボタンコウから延々と陸路で、
下関しものせきからも三十時間、汽車で……
これより靖国やすくににお参りしたのち、
英気えいきやしなうであります。

【古書あさりの男】
怪人だの何だの迷惑千万めいわくせんばん。あんなのが
出ては落ち着いて古本屋巡りも
出来やしないじゃないかね、キミ。
で、ナニかい、平服の軍人とやらが
矢鱈滅多やたらめったら強いのかい? 
それで兵らが探してる……
図星ずぼしだろう!
いやね、怪人をひとにらみしただけで
ぶっ倒した男がいるらしい。
それが平服の軍人なんだろ?
――へっへっ、やはりね、図星ずぼしだ。

【暑がりの法科生】
ああ、暑い暑い……
こう蒸し暑いと勉学なんか、
ちっともやってられない。
アンタは良くそんな服を
着ていられますね!
さっきの歩一の兵ですよね、
知った顔がありました。
連中なら御茶ノ水おちゃのみずの方ですね!

【憂いている書生】
下女のゆきだけどね、
僕は好きになったんだ――
雪は頭がね、ちょっと弱いんだ。
円周率えんしゅうりつを覚えない。
59――
となえてもね、困った顔をする。
ゆきのこと家長おとうさんも気に入っている、
いや、あれはそれ以上だ!
家長おとうさんはゆきをいやらしい目で見る!
家長おとうさんは、熱海あたみ旅行を計画した。
ゆきと二人で行くそうだ――
ああ、何だかやるせない!!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラ確認です!
急激に高まっています。

【憂いている書生】
どうしてくれよう!
考えあぐねて、相談所に来たんだ!
――さっき、相談、終わったね!
フフフフ、
僕の決心は変わらないさ!
何しろ後押ししてもらったからね!!

《バトル》

【憂いている書生】
ふぅ……
これで良かったんだよね、
アンタも後押ししてくれたから!
昇汞水しょうこうすい、二びん買ったんだ!
今晩、ゆき家長おとうさんに飲ませるよ、
たちまち僕は自由になれる!
【着信 喪神梨央】
山王機関は怪人鎮定ちんていが目的です。
犯罪の取り締まりまではできません。
一応、警察に通報はしておきます――

大日本正教会だいにほんせいきょうかいの東京復活大聖堂――
通称ニコライ堂を臨む聖橋ひじりばしに、ぐったりとした虹人こうじんの姿があった。

神田川かんだがわ聖橋ひじりばし

帆村ほむら虹人こうじん
随分ずいぶんと兵が出ているな!
あれは、もしかして歩一なのか?
――いやぁ、ちょっとしくじった!
なぁに、大丈夫さ!
僕はこの通り、なんともない!
わかるよ、皆に心配かけた……
そこは面目めんぼくない!
【着信 喪神もがみ梨央りお
金ノ七号帥士きんのしちごうすいし
いったい連絡もせずどうしたんです?
帆村ほむら虹人こうじん
昨日、怪人とやりあった時に
油断してね、無線を壊したんだ。
無線もセヒラの影響受けるからな。
昨日の相手っていうのが、奴だよ、
帝都を騒がす仮面の男さ!
僕は奴を追い詰めたんだ――
一戦まじえた後、奴のさそいに
乗る振りをして、僕は得るものが――
――この話は後回しにしよう。
まだ近くに奴がいるぞ!
まだ警戒は解けないぞ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
依然いぜん、セヒラの値、高いままです。

【砂糖商の丁稚でっち
うわさの仮面の怪人って、
あいつのことか!
格好いいなぁ!
御茶ノ水おちゃのみずの大学生】
おい、小僧、
大概たいがいにしておけ!
【砂糖商の丁稚でっち
何だよ、怖いのかよ!
大学生にもなって怪人が怖いのかよ!
御茶ノ水おちゃのみずの大学生】
そ、そうじゃない!
――そうじゃないんだ……

世故せこけた若者】
仮面怪人だなんて、
所詮しょせん帥先そっせんヤの仕業だろ。
しょっぴいて仮面げばいいのさ!

白山はくさんの女学生】
興亜日報で読みましたわ!
仮面の怪人、真似まねする人がいるって。
本郷ほんごう下谷したや四谷よつや牛込うしごめ……
その四区に出るそうよ!
――本物より気味悪いわね!

【仮面の男】
ウハハハハ~
私はちょいといい気分だ。
市中に私の模倣犯もほうはんが現れるという。
なかなか傑作けっさくじゃないか!
だが、いくら真似まねをしたところで、
私にはなれない!
私は誰でもないのだ――
誰でもない者を真似まねするなど、
所詮しょせん不可能な話だろう!
その点、君は実に君らしい。
いや、真にもって君は君だ!
さぁ、もっと見せてくれないか!
君の君たる所以ゆえんをだよ!!

《バトル》

【仮面の男】
君は日増しに素晴らしくなっている!
これは実に驚くべきことだ!
実はせんだって、虹人こうじん君とまじえてね――
同じ山王さんのうの者でも、
君達には、大きな違いがある。
これまた、興味が尽きない!
ワハハハハ!
君はあの人物の何を知るのだ?
――帆村虹人だよ!
実に興味深い人物だ。
山王機関には人材が豊富だな!
ワハハハハハ~
【着信 喪神もがみ梨央りお
辺りのセヒラ、低下しています。
怪人の脅威きょういは去ったようです。
仮面の男、逃げちゃいましたね……
でもお二人が無事で何よりです!
帆村ほむら虹人こうじん
風魔ふうま! 奴に勝ったのか!
――奴はどうやらお前が苦手らしい。
そんなことを話していたよ。
その相手と戦い、お前は何を得た?
僕はね、おおいに得るところがあった!
奴の誘惑に乗る振りをして、
僕は心の旅をしたんだ――
そして出会った――
そうさ、僕自身とだよ。
そんな僕を見て奴は言い放ったのさ。
衝動しょうどうこそが全てだってね。
それは僕が目をそむけていたものだ――
衝動しょうどうの根本には感情がある。
そうだよ、感情に従順でいることが、
今の僕には必要なんだよ。
僕は感情を抑え込みすぎていた――
感情を殺して生きてきた、
でもそれは間違いなんだ!
僕のあわれな感情は、
翼を痛め、飛ぶことが出来ない。
でも必ず復活をげるよ!!
そして気付いたんだよ。
風魔、お前に言っていないことが、
じつにたくさんあるってね!
アハハ、いきなりだったかな!
語りすぎたよ、かたじけない。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしれ事は
帰ってからいくらでも聞いてやる。
すぐに帰還するのだ。
帆村ほむら虹人こうじん
はい、兄上様、直ちに実行します。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
いい加減、常に符号コードを使う
習慣を身に付けたらどうなんだ?
【着信 喪神もがみ梨央りお
両名、急ぎ帰還してください。
帆村ほむら虹人こうじん
あゝ風魔ふうま……僕はお前に……
れたなんて言わない……
【着信 喪神もがみ梨央りお
え? 今、何を……
帆村ほむら虹人こうじん
何でもないさ、梨央りお――
これより帰還する!

第五章 第四話 諍いの場

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
猟奇グラフ、どこの本屋さんでも
売り切れなんです。
帝都の魔神の別冊ですよ――
九頭くず幸則ゆきのり
記者の中に怪人になった奴でも
いるんじゃないのか?
それで体験談をせたんだよ。
喪神もがみ梨央りお
猟奇グラフは猟奇倶楽部くらぶ編集部が
出しているんですけど――
住所がころころ変わるんです。
前は本郷ほんごう、次に京橋きょうばし
その後が小石川こいしかわなんです。
先月号は下谷したやで、今はまた小石川こいしかわ
九頭くず幸則ゆきのり
何だそりゃ?
まるで漂流編集部だな!
喪神もがみ梨央りお
市内にたくさん編集部があって、
いつも違うところを載せているとか。
九頭くず幸則ゆきのり
猟奇人の考えることは、
俺達、普通の人間にはわからんよ!
それにしても審神者さにわや召喚師しか
見えないを記事にするなんて。
他に見える奴を探そうって魂胆こんたんかな。
喪神もがみ梨央りお
隊長、今日も参謀本部で会議です。
麗華れいかさんのことも報告したみたい。
九頭くず幸則ゆきのり
麗華れいかさん、いまだ行方知らずだ。
鈴代も心配だろうな……
まして召喚したりするんだ――
喪神もがみ梨央りお
帆村ほむら流でも東雲しののめ流でもない、
独逸ドイツ式召喚術でもない……
そういうのって、何流なんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
自己流さ!
喪神もがみ梨央りお
もう、幸則ゆきのりさん!
まじめに話してるんですよ!
九頭くず幸則ゆきのり
でもほかに流派はないんだろ、
帰神きしん法の流派って……
喪神もがみ梨央りお
あっ、携行式探信儀けいこうしきたんしんぎが!
――青山方面にセヒラ観測です。
あの辺、探信儀たんしんぎの空白地帯なんです。
九頭くず幸則ゆきのり
それは心配だ。俺も同行するよ!
公務電車を頼む。
歩くにはちょっとあるからな!
喪神もがみ梨央りお
気を付けてください!
この間の仮面の男の時と、
似た波形が出ています。
九頭くず幸則ゆきのり
仮面の男だって?
また新手あらてが出たのか!
喪神もがみ梨央りお
周囲の人にも影響を与えるんです。
普通の怪人とは違うようです。
九頭くず幸則ゆきのり
ひえっ!
じゃ、風魔の影になって見てるよ!

〔青山街路〕

【日本橋の老人】
八丁堀はっちょうぼりの孫、章三郎が不甲斐ふがいのうて。
援助して帝大の文科にやったのに、
友達から借金して踏み倒すわ、
んだくれる、曖昧あいまい屋に入り浸る、
まともに学校へ行きやせん!
肺病の妹、るわけでなし……
わし、相談しようと省線しょうせんで新宿まで
出向いたのに、相談所、休みじゃ!
人生よろづ相談じゃよ。
――当面、しめます
貼り紙一枚あるきりじゃ。
そしたら急に、気分悪ぅなって……
うげぽっ!
ぐぐぐぐ……
ぐ、ぐるし、い……何か出てきた……
九頭くず幸則ゆきのり
大丈夫か、じいさん。
医者でも呼ぶか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
本部で医者を手配します。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの原因、さぐってください!

【新宿から来た男】
そのおじいさん、大丈夫ですか?
新宿の鉄道病院の前から一緒で、
省線しょうせんの中でもふらふらしてましたよ。
三日前に病院行った時、
病院の向かい、人生よろづ相談所に、
憲兵が大勢いましたね。
九頭くず幸則ゆきのり
憲兵がいた?
じゃ、相談所の人、
しょっぴかれたのか?
【新宿から来た男】
あの様子だと、そうですよ。
今日は閉まってましたしね、相談所。
よからぬ思想でも吹き込む、
そうにらまれたんじゃないですかね。

【神田の大学生】
あなた、見ませんでしたか?
仮面を被った人物ですよ。
さっき若い派出婦はしゅつふと話していて、
すると、急に派出婦はしゅつふの人、
卒倒そっとうしたんです!
あの仮面の人物、何者ですか?

【メイド型ホムンクルス】
私の……シュタインが……
四石のうち……一つが破壊され……
……動けない……
シュタインが……壊れた……
……シュタイン無くして……動けない……
九頭くず幸則ゆきのり
おい! こいつは、ユリアの……
ホムンクルスなのか?
どうした、何があった?
【メイド型ホムンクルス】
むこう……ユリアさま……
フーマ……至急シキゅう、支援……
支援を……
シュタインは……残り三石……
残り……三石……
九頭くず幸則ゆきのり
この匂いは……
アーモンドの匂いだ!
――ホムンクルスの匂いなのか……

【赤坂署の巡査】
自分は尋ねたんです。
アーユーオーケー、とね?
そう言うんでしょ、西洋式は。
でも、あの西洋人、
ただ首を振るばかりで
何にも答えない――
自分のエゲレス語、
通じないんでしょうか?

田町たまちの婦人】
そこの方、大丈夫かしら?
――何だかお悪そうよ……
しゃくでもおきたのかしら……

【洋行帰りの男】
あすこにいる西洋人、
欧羅巴ヨーロッパの人じゃないかな……
透き通るような白い肌……
きっと独逸ドイツ白耳義ベルギーじゃないかな。
だとすると我が国の夏は、
こたえると思うな、気温に湿気、
その両方が高いからね。

〔青山街路〕
ユリア・クラウフマンは、どこか優れない様子であった。怪我をしているわけではなさそうだ。風魔ふうまの近づくのを見て、ユリアは安堵あんどの表情を浮かべた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
――どうして、ここが……
セフィラを……
強いセフィラを観測したのですね?
【九頭幸則】
仮面の男の時と同じだと――
……それにしても、大丈夫ですか?
【ユリア・クラウフマン】
実は、仮面の男と遭遇したのです。
せっかく戻ったフロイラインが……
とても強いセフィラでした――
【九頭幸則】
戻ったって……
興亜百貨店の前で消えた、
あのホムンクルスがですか?
【ユリア・クラウフマン】
そうです……
レイカの行方に繋がる記録、
残していないか調べていたら――
この場所へ私を誘導しました。
そこへ仮面の男が現れて……
【九頭幸則】
ホムンクルスは、石がどうのと……
壊されたのですか?
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインは四つの石で動きます。
その一つが破壊されたようです。
――そしてレイカさんの記録は……
【九頭幸則】
なかったんですか?
麗華さんの行方はわからない?
【ユリア・クラウフマン】
別々の場所に飛ばされたようです。
フロイラインは暗闇の中にいたと……
それがどこかはわかりません。
【九頭幸則】
あのセヒラ異常の背後に、
仮面の男がいるとうのか……
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも仮面の男特有の
波形を感じて、ここへ私を
導いたのかも知れません――
先ほど、これを拾いました。
指輪のようです――

周囲に謎めいた文様もんようきざまれた指輪だ。世界を破滅はめつに導く魔力を秘めた指輪のように、強く、そして鈍い光を放っていた――

【ユリア・クラウフマン】
その指輪。セフィラを発している、
そう考えていいでしょう。
――調べてみてください。
【九頭幸則】
ひぇ~、そんなの持ってたら、
即、怪人になっちまうよ、
風魔、お前が運ぶんだぞ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 気を付けてください!
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……
攻撃対象……確認……
攻撃……開始シュタート……スル……
【ユリア・クラウフマン】
やめなさい、フロイライン!
別な刷り込みアプドロックされたの?
【メイド型ホムンクルス】
解除不可能……攻撃アングリフ……開始スル
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
この子はフーマを攻撃するように、
指示を受けています!
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……攻撃……最終確認……
攻撃開始シュタート

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
……フーマ……
攻撃……終了エンデ……
【ユリア・クラウフマン】
大丈夫よ、シュタインは壊れてはいない、
すぐに回復できるわ。
フーマ――
クルトが仮面の男を追いヨツヤへ。
市民の安全を確保してください!
私はこの子の面倒を――
どうやって上書きしたのか、
少し調べてみます。

四谷よつや街路〕

仮面の男が、いよいよその姿を見せた。辺りにはすき無く仮面の男の脅威きょういが満ちている。今、その足元に倒れ伏しているのは、クルトと配下はいかのホムンクルス達だ。

【クルト・ヘーゲン】
ウグッ……
これが、お前のすべてか?
……これが……お前の……
【仮面の男】
だとすれば、満足なのか?
クルト、ヘーゲン――
ほう!
これはまた!
喪神もがみ風魔ふうま、君と再会できるとは!
ちょうどよかった。
私の達、やや退屈していてね。
私の犬達も、
ようやく出番が来たと喜んでいる!

《バトル》

【仮面の男】
実に素晴らしいね!
喪神もがみ中尉、いや、喪神君――
君はどんどん開花しているようだ。
戦いは勝敗だけではない、
美しくあることだ――
その点、君は充分に及第きゅうだい点だね。
日本に君のいることを、
私は誇りに思うよ。
また高みにいたる君を見せてくれ。
今日はこれにて失敬しっけいだ!

【ユリア・クラウフマン】
クルト!
なぜ単独で行動したの!
【クルト・ヘーゲン】
そのほうが効率的だ。
奴は強力なセフィラを放っている。
格好の研究材料じゃないか!
仮面の男を捕獲ほかくできれば、
ユリア、君の研究もはかどるのでは?
ヒムラー長官もさぞ安堵あんどされるぞ。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男が何者かも知れないのよ!
――それに……
友人の一人が行方知れずなの。
おそらく、仮面の男の影響で……
【クルト・ヘーゲン】
なら、なおさら捕獲にて、
全てを自白させることだな!
【ユリア・クラウフマン】
私は、なぜ、いさかいの種をくのか、
そのわけを知りたいの――
仮面の男は、悪戯いたずらに憎しみを、
憎しみを受け付けて回っている……
そう思えて仕方ないの。
【クルト・ヘーゲン】
憎しみなど、くまでもないだろう。
――地球は憎しみで回っている。
私はそう思うがね!
【ユリア・クラウフマン】
――クルト……
あなたは……
今にも壊れそうなのね……

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん、指輪ですが、
セヒラをびていないか、
調べてみます。
あと、指輪の報告が他にないかも。
参謀本部の八分課ハチブンは、
通報の資料を見せてくれますよね?
帆村ほむら魯公ろこう
わしに聞いておるのか?
――いろいろ疑義が解けたんでな。
何故、市中の雑誌にに触れた
記事が出てしまうのか、解はナシだ。
怪人記者がいるとは信じられんが――
喪神もがみ梨央りお
参謀本部で調べたんですよね?
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、噂では間諜かんちょうまで動員したとか。
猟奇グラフ、編集部の所在さえ、
つかめなんだそうだ。
喪神もがみ梨央りお
もしかすると帝都満洲にあるかも――
そんな感じ、しませんか?
それにしても、あの仮面の男、
動機は何でしょうね?
仮面の男をめぐっては、
アーネンエルベも一枚岩じゃない、
それがはっきりしました。
利用価値、あるかも知れませんね!
帆村ほむら魯公ろこう
ユリア女史は研究を大義としておる。
うまく話をつければ――
喪神もがみ梨央りお
アーネンエルベに、
俄然がぜん興味がいてきました。
帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじん、独断で動くんじゃないぞ。
相手はナチの秘密結社だ。
決してくみやすい相手ではない。
梨央りお独逸ドイツ大使館近辺、
麹町界隈こうじまちかいわいのセヒラ探信たんしんに、
今以上に注意してくれないか。
喪神もがみ梨央りお
はい、承知しました。
独大使館は四探でギリギリです。
時には巡視パトロールも必要ですね。

第五章 第三話 仮面の男

銀座日劇前ぎんざにちげきまえ

雑誌、猟奇グラフが別冊を刊行かんこうした。
『帝都の魔神』というタイトルである。
何故、「魔神」について言及げんきゅうがあるのか――
参謀本部で緊急会議が開かれることになり、帆村ほむら魯公ろこう招集しょうしゅうされ三宅坂みやけざかに出向いている。会には橘宮慶和たちばなのみやよしかず参謀総長も参加されるという。

参謀本部第八分課には多くの情報が寄せられ、いずれもが「魔神」を見たという通報だった。風魔ふうまは通報者の多い銀座へ出撃した。日劇前には多くの市民が集まっていた。皆、そわそわした様子である――

【着信 喪神もがみ梨央りお
猟奇グラフには魔神とあります。
を見た者はいないはずだと、
隊長はおっしゃっていました。
日劇近辺、
セヒラがやや高くなっています。

白金しろかねのモガ】
もしや、参謀本部の方ですか?
八分課ハチブンに電話したの、私です。
実は、義兄あにが魔神のことを口に――
父と義兄あには折り合いが悪く、
先週、大喧嘩おおげんかになったんです。
酒の席での話ですが――
義兄あには、自分は魔神から力を貰う、
邪魔立じゃまだてはさせないと叫び、
そのまま店を出たんです――
以来、義兄あには勤め先の銀行も休み、
行方ゆくえがわかりません。
姉に頼まれ、方々ほうぼうを探すも……
先日、猟奇グラフの別冊読んで、
魔神のことがありましたので。
姉は憔悴しょうすいしきっています……

【大久保の客】
上京学生はたちまち純な心を失うね!
工科のT君がいい例だよ。
T君と銀座幻燈会げんとうえおもむいたんだ――
ねた後、西銀座のカフェーに行き、
T君、すっかり上機嫌になって、
もう本郷ほんごうの下宿には戻らないって――
それで、どうするんだいって訊くと、
未来への階段ステップを昇るんだとか、
そんなことを言いはじめて……
店を出た途端、T君は駈け出した!
銀座の路地に下駄げたの音を響かせ、
T君、どこかに消えてしまった――
初めてカフェーに行った時、
恥ずかしそうにほほ赤らめていたのに、
随分ずいぶん豹変ひょうへんぶりだ、感心したよ!

【落ち着きのない少年】
うちの兄ちゃん、絶対に魔神を見る、
そんな風に息巻いてたよ!
猟奇グラフに書いてあったけど、
魔神が見えるのって一瞬なんだって。
怪人化の過程プロセスで見えるらしいよ。
――神経激昂げっこう最中さなか、魔神現れたり。
でも、すぐに見えなくなるんだって!
その後、突然力がいてくるんだろ?
ほとんどの人は魔神が見えないまま、
怪人になっちゃうんだそうだよ。
兄ちゃんは、どうなんだろうね――
さっきの人も、魔神、見えた組かな?
なんか、仮面して、変だったよ。
仮面してるとずっと見えるのかなぁ?

【京橋署の巡査】
京橋きょうばし署ではおたっしが出たんです。
人生よろづ相談はご法度はっとだって。
そう言われると余計よけいに……でしょ?
りょうで考えるうちに決心したんです!
それで非番ひばんの日にね、行きましたよ!
――そうです、新宿の相談所にね!!

【京橋署の巡査】
アハハハハ~
そしたらどうでしょう!
日頃のうらみつらみが一切いっさいなくなって、
私、とっても元気になったんです!
この元気、分けてあげたい――
そうだ、貴様に味わわせてやろう!!

《バトル》

【京橋署の巡査】
うぷっ……お稲荷いなり、戻しそうだ……
私は……自分をおさえられない……
……相談所に行ってこうなった!!
奴は私に言った……すれ違いざま……
思うままにやれと……奴は……
仮面の男……銀座四丁目の方だ……

銀座四丁目ぎんざよんちょうめ

興味津々きょうみしんしんの女性】
さっきのは、映画の撮影ですよね?
暗黒仮面……そうではないですか?
おいが夢中になってる読物よみものです。
月刊冒険青年に連載れんさいしている――
それが映画になるのは知っています。
仮面の人、俳優さんですよね!

雑司が谷ぞうしがやの客】
私ね、今度で三回目なんですの、
銀座幻燈会げんとうえに行くの。
一回目はすごく幸せな気分になり、
二回目はひどく落ち込みました……
だからね、三回目に期待するんです!
今度は有楽町ゆうらくちょう荘月しょうげつ会館ですって!
あそこなら千人は入るわね、
ああ、今から待ち遠しいわ!
でも、ねた後、三日も四日も、
市内を彷徨さまようのは、そろそろ辛いわ。
暑い日和ひよりならなおの事よ……
だからといって、幻燈会げんとうえに行かない、
そんなことあり得ませんわ!
何よ、私を邪魔じゃましようっていうの!!

《バトル》

雑司が谷ぞうしがやの客】
あら、私……
どうしたのかしら……
何日も同じ着物を着てるわ!!

【第百六十三銀行銀座支店の守衛】
あの男、仮面を被った男が、
わきを走り抜けた時、私の中に、
何か嫌なものがこみ上げて来て――
今まで見て見ぬを決めていたもの、
そのたぐいのものですよ、きっと。
身体検査で肺病が陽性だったりとか、
妻が知らない名刺めいしを隠していたり、
親父に借金があるとわかったり……
――私、どうすればいいんでしょう?
なやみ相談にでも行きましょうか……

果たして仮面の男はそこにいた。
いや、見えたというべきか――
世界に一切いっさい関与していない風でもあった。仮面の男の手によるのであろうか、周囲には兵らが倒れていた。歩三第99小隊の兵士達である。隊を率いる鬼龍きりゅうも仮面の男に屈したのか、顔をゆがめてうずくまっていた――

鬼龍きりゅう豪人たけと
貴様は……もしやフィンケか?
リヒャルト・フィンケ……
トゥーレのやかた領袖りょうしゅう――
【仮面の男】
ウハハハハ~
私に名など無い!
ただるのみである。
鬼龍きりゅう豪人たけと
いや、フィンケは常に黒い仮面。
貴様……一体、何者だ!?
トゥーレのやかたの召喚師なのか?
【仮面の男】
くどいな!
私は私だ、何者でもない!
いて言えば憎しみの種だ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
ふざけるな!
帝都でそのような振る舞い、
私が許さない!
【仮面の男】
そうだそうだ、その調子だ、
憎め、憎め、泣き虫豪人たけとくん!
鬼龍きりゅう豪人たけと
貴様、何を求めている?
【仮面の男】
おや、闖入者ちんにゅうしゃのようだ。
帝都の英雄ヘルトのお出ましか!
鬼龍きりゅう豪人たけと
何?
喪神もがみ風魔ふうまか!
――余計よけい真似まねをするんじゃない!
【仮面の男】
余計よけいかどうかは、私が決める。
さぁ、喪神風魔よ、整えよ!

《バトル》

【仮面の男】
前哨ぜんしょう戦でいろいろ消耗しょうもうしたようだ。
本来の力を出しきれなくて、
君には申し訳ないことをした。
またお手合わせいただくとしよう。
今日はこのくらいにさせてもらうよ。
私も君との戦いは楽しみである!
次は万全ばんぜんのぞませてもらうよ、
ワハハハハハハハ~

鬼龍きりゅう豪人たけと
あの召喚術、トゥーレのやかた流……
だが、総裁のリヒャルト・フィンケ、
常に黒い仮面だったはず――
【着信 喪神もがみ梨央りお
辺りのセヒラ濃度、低下しました。
もう大丈夫でしょう、
本部に帰還してください!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
仮面の男、一体何者なんですか?
トゥーレのやかたの総裁かも知れません。
仮面の色が違うからといって――
帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま鬼龍きりゅう
二人の帥士すいしを相手にして、
なおあの余裕……
帆村ほむら魯公ろこう
近くにいる市民にも動揺どうようをもたらす、
それほどの何かをかもしているようだ。
――新たな脅威きょういとなるのか……
帆村ほむら虹人こうじん
あの男の意図いとはかりかねるな。
でも、また姿を見せるはず――
再戦したがっていたようだし。
帆村ほむら魯公ろこう
梨央りお、波形はちゃんと記録できたか?
おそらく、特有の波形を見せるはず、
観測を続けるぞ!
喪神もがみ梨央りお
隊長、波形はこれから解析します。
観測の件、承知しょうちしました!

第四章 第十話 自潤会アパートの怪人

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

震災からの復興により明治時代のよそおいを新たにしつつある帝都・大東京市だいとうきょうし
西洋式にリビングやダイニングをそなえた、アパートメントはその代表格である。そこにある近代生活モダンライフは東京市民のあこがれである。そんな近代生活の象徴でさえ、怪人騒動とは無関係でいられなかった。

九頭くず幸則ゆきのり
麻布あざぶ連隊司令区に用があってな、
その後、渋谷に向かって、
歩いていたんだ――
喪神もがみ梨央りお
そしたら、怪人に襲われた、
そうなんでしょ、中尉?
――それでお怪我けがは……
九頭くず幸則ゆきのり
ああ、いきなりな!
はたして怪人なんだか……
小難しいこと、叫んでたよ。
アナーキストのようでもあった。
でも怪人だよな、きっと。
自潤会じじゅんかいアパートメントの近くだ。
喪神もがみ梨央りお
自潤会じじゅんかいアパートなんですか?
あそこって、芸術家や作家とか、
先進の生活する人ばっかりでしょ?
九頭くず幸則ゆきのり
先進ねぇ……
それも過ぎると、落ち着かないよ。
新山眞にいやままこと
先取せんしゅの精神を発揮せよ!
それが帝国陸軍なのでは?
先進のもお得意でしょう。

のっそりと姿を見せたのは、新山眞にいやままことである。飯倉いいくら技研の軍属にしてセヒラ研究の一人者。ほぼ山王さんのう機関に入りびたっていると言ってよい。

九頭くず幸則ゆきのり
そういう新山にいやまさんは、
もうすっかり山王さんのうの一員ですね。
新山眞にいやままこと
うほん、えーっとですね……
――中尉が襲われた付近ですが、
奇妙な波形を観測します。
喪神もがみ梨央りお
奇妙な波形ですか――
モダンアパートメントに現る怪人、
はたして如何いかなる存在であるか!?
九頭くず幸則ゆきのり
自潤会じじゅんかいにはプロレタリアートや、
アナーキストの連中も巣食うらしい。
それじゃ怪人の巣窟そうくつなのか?
新山眞にいやままこと
何だか気になりますね――
どうでしょうか、
私も、同行しましょうか。
今、出ている波形、
少し気になるのです。
もう少しくわしく調べるためにも、
きちんとした値を取っておきたくて。
九頭くず幸則ゆきのり
だったら、俺も一緒にいく!
怪人のいた場所、案内するよ――
イテテテテ~
喪神もがみ梨央りお
幸則さんはじっとしていてください。
かえって足手纏あしでまといになりますよ!
九頭くず幸則ゆきのり
クゥゥ~
俺は怪人にやられっぱなしだな!

青山街路あおやまがいろ

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
新山にいやまさんの……
には……充分……ちゅ……
……てくださ………
も……し……ま……すか?
新山眞にいやままこと
通信状況が良くありません。
もしや、おかしな波形と、
関係しているかも知れませんね。
携行式けいこうしき探信儀たんしんぎは問題ないようです。
本部の誘導はありませんが、
なんとか切り抜けましょう!

【穏健派M】
我が文民社ぶんみんしゃの活動も第三期です。
帝大の連中とはたもとを分かち、
今、新文民社しんぶんみんしゃ旗揚はたあげです!
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の遺志いしを正しく
継承するのは我々の方です。
帝大の連中はまだ青いんです。

【急進派S】
新文民社しんぶんみんしゃはこの近所だろ!
韮山にらやま儀礼ぎらいなる人物が勝手に新派を!
だんじて許せない!
帝大生もまだゆるいのだ!
アナーキストはもっと激しく、
国家と戦うべきなだ!

【急進派H】
秋毫ノ異しゅうごうのいの最新号読んだけどさ、
話せば分かる派を作るだって?
それが新文民社しんぶんみんしゃだって?
話してもダメだからアナーキズム、
それがあるんでしょ?
兄はね、赤門あかもん出版会の長老なの――
新山眞にいやままこと
喪神もがみさん、私の探信儀たんしんぎ
反応しています――
この人、もしかすると……
【急進派H】
帝大法科の八年生!
ねぇ、何年大学行ってるの!
家のことみんなアタシがやるのよ!!

【急進派H】
――アタシが言いたいのはね、
生ぬるいことはダメってことよ!
あんたたちもわかってんの?
新山眞にいやままこと
ふむふむ……まだそれほど、
深い憑依ひょういは見られないようです。
廓清かくせいは容易かと。
【急進派H】
話せば分かる派だなんて、
ふざけないでよ!
話したって分かりゃしない!!

《バトル》

【急進派H】
何をムシャクシャしていたのかしら?
それがわからないと――
すごくムシャクシャするわね!!
新山眞にいやままこと
流石ですね、
いくら憑依ひょういが浅いとはいえ、
綺麗に廓清かくせいなりましたね!
自潤会じじゅんかいアパートもすぐ近くです。
例の波形、はっきりしてきましたよ。

自潤会渋谷じじゅんかいしぶやアパート〕

自潤会じじゅんかい――
震災復興の旗印はたじるしとして内務省により設立された財団法人だ。
鶯谷うぐいすだに江戸川えどがわ三ノ輪みのわ柳島やなぎしま――
自潤会じじゅんかい千軒長屋せんげんながややトンネル長屋の風景を、モダンアパートによって塗り替えていった。このモダンアパートの前にも怪人は現れ、まさに第三連隊第99小隊の召喚師が、鎮定ちんていに当たろうとしていた。

【急進派F】
話せば分かる穏健派。
そんなものはいらない!
真のアナーキストはもっと鋭い!
鋭角のトンガリ、新進気鋭しんしんきえいの先、
俺はそういう気概きがいが好きなんだ!
一五市にのまえごいち
去れ! 目障めざわりだ!
貴様は家で行水ぎょうすいでもしてろ!!
新山眞にいやままこと
第三連隊、第九十九小隊――
召喚師部隊の将校か?
一五市にのまえごいち
貴様は、喪神もがみ風魔ふうまか!
この界隈かいわいの治安維持、
我が第三連隊にまかされている。
新山眞にいやままこと
このおよんで縄張り争いですか?
してください、セヒラの異常、
継続して検知しているのですよ!
早く対処しなければ、
大勢の怪人化を招く恐れもあります。
少尉、ご理解ください!
一五市にのまえごいち
ふん、軍属ではないか、お前は?
飯倉いいくらで機械いじりでもすればよい。
新山眞にいやままこと
少尉!
依然いぜん、異常事態なのです――
……この波形……近いぞ!!
一五市にのまえごいち
一体、どういうことだ?

【仮面の男】
フフフ……
一五市にのまえごいち
新手あらてか?
まさか貴様ら歩一ほいちの……
新山眞にいやままこと
喪神さん、かなり危険です――
撤退てったいしましょう!
【仮面の男】
ウハハハハハハ!
この街に憎しみの花を咲かせよう!
一五市にのまえごいち
う、うわあああああ!
【仮面の男】
色とりどりの花だ!
百花繚乱ひゃっかりょうらんの憎悪だ!!
新山眞にいやままこと
仮面の……
この人物は、一体……
【仮面の男】
たおれた者よ、
再び憎しみの力を得て、
立ち上がるのだ!!

【仮面の男】
ハッハッハッハッハ~
新山眞にいやままこと
さらなるセヒラを検知!
倒れた怪人が復活します!!

新山にいやまが叫ぶやいなや、一五市にのまえごいちの倒した怪人が、まるで戦いなどなかったかのように、相次あいついで起き上がった!

【急進派M】
文民社ぶんみんしゃたもとを分かち、
新文民社しんぶんみんしゃを立ち上げた韮山にらやま儀礼ぎらいは、
あるすじから金をもらっているんだ――
おそらくは内務省のとある機関だ。
アナーキズム運動を金でつぶす、
それが奴らの手口なんだ。
韮山にらやま儀礼ぎらいは裏切り者だ!
私がこの手で始末する。
――その前に、お前だな!
新山眞にいやままこと
喪神さん、この怪人は、
強い怒りに支配されています。
憑依ひょういも深い、気を付けてください!
【急進派M】
これより、
不満分子を粛清しゅくせいする!!

《バトル》

【急進派M】
くそっ!
まだやるべきことは山積さんせきしている!!

【急進派W】
分民社ぶんみんしゃ運動の創始者、
葛木かつらぎ素朴そぼく先生はな、
病死なんかじゃないんだ――
先生は憲兵隊になぶり殺しになった!
そうだよ、何日にも渡る拷問ごうもんでな。
私は先生の苦悩を味わったんだ。
時を越え、場所を超え、
素朴そぼく先生の苦悩が私に届いた!
お前らは先生の宿敵しゅくてき!!

《バトル》

【急進派W】
あああ、先生……
私の苦悩など、まだ小さい!
新山眞にいやままこと
あの仮面の男が、
倒れた怪人に再び力を与え――
いや、より強くさえしました!
仮面の男、何者でしょうか?
先程から観測していた奇妙な波形、
あの仮面の男が発しているようです。
仮面の男の去った今、
もう同じ波形は観測しません――
私にはまるで、あの仮面の男、
セヒラそのものにさえ思えます。
まるで歩くセヒラ……
ああ、いえ、すみません、
一人でいろいろ言い立ててしまって。
ちょっと興奮しています!
早速、戻って値を調べます。
いくつか思いつきもあって、
忘れないうちにですね――
これは!
一体、どういうことですか?
一五市にのまえごいち
喪神もがみ風魔ふうま
この失態しったい、どう釈明しゃくめいする気だ?
さぁ、公務電車とやらを、
歩三ほさん本部まで回してもらおう。
我が隊より伍長ごちょう二名が同乗する。
新山眞にいやままこと
何をするおつもりですかな?
こんな勝手が許されるとでも――
これは場合によっては、
擅権せんけんの罪ではないですかな?
上官の命令なく争うのは大罪です。
軍法会議を覚悟されたほうがよい。

第三連隊だいさんれんたい前庭まえにわ

一五市にのまえごいち
喪神もがみ風魔ふうま
貴様があの仮面の男を呼んだのか?
新山眞にいやままこと
私たちは、ただセヒラの波形を
調べるために、あの場所で――
一五市にのまえごいち
セヒラなど我々も計っている。
あのような不可解な事態の、
説明を求めているのだ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
少尉!
これはどういうことだ?
貴様、何をしている!?
一五市にのまえごいち
隊長!
山王さんのう機関の連中が、
我々の管轄かんかつを断りもなく――
うぐっ!!
鬼龍きりゅう豪人たけと
貴様!
命令無く勝手に行動を起こすなど、
これは擅権せんけんの大罪だ!
――失礼した。
部下が敵愾心てきがいしんつのらせたばかりに、
誤ったことを――
事態、胸三寸むねさんずんに収めてくれないか。
――それとも公式な謝罪が必要か?
新山眞にいやままこと
随分と殊勝しゅしょうですね、鬼龍きりゅうさん。
如月きさらぎ鈴代すずよさんを拉致らちして、
錬金術を真似まね禍々まがまがしい、
新宗教の儀式を執り行った人だ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
あなたは……
確か飯倉いいくら技研の……
セヒラに携わる技手ぎて――
新山眞にいやままこと
飯倉いいくら技研の新山にいやまです。
鬼龍きりゅう豪人たけと
覚えておこう、新山にいやま氏。
それにしても――
私は軍属にまで指図を受けるのか?
新山眞にいやままこと
大尉に指図など――
そのようなつもりはありません。
鬼龍きりゅう豪人たけと
私の謝罪は済んだはずだ。
さらに求めないなら、
もうお引き取り願おうか。
新山眞にいやままこと
喪神さん、参りましょう。
ここに長居は無用です。
それに私はちょっと疲れました――

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
玄理げんり派め、これは明らかに越権えっけんだ。
少尉の擅権せんけん罪も揺るぎないな!
喪神もがみ梨央りお
無事に解放してもらって、
大事にならずに済みましたね。
九頭くず幸則ゆきのり
新山にいやまさんはどうしたんだ?
喪神もがみ梨央りお
なんかお疲れのようでした。
今は記録室においでかと――
帆村ほむら魯公ろこう
仮面の男か……
いやはや、その動機、はかれないな。
何のために姿を見せたのか……
九頭くず幸則ゆきのり
そいつも帥先そっせんヤの一人なんじゃ?
あっちこっちでそそのかしてまわって、
混乱を広げているやからではないですか?
帆村ほむら虹人こうじん
新山にいやま技師が波形を解析すると、
仮面の男のことも、
少しはわかるんじゃないかな?
帆村ほむら魯公ろこう
仮面の男の調査、
虹人こうじん、やってみるか?
帆村ほむら虹人こうじん
いいですよ、やってみましょう。
喪神もがみ梨央りお
日本橋にほんばし興亜百貨店こうあひゃっかてんに行くはずが、
新山さんのお手伝いしなきゃ……
九頭くず幸則ゆきのり
まぁ、今度、噂のお子様洋食ランチでも、
馳走ちそうしてあげるよ!
喪神もがみ梨央りお
それは楽しみであります、
歩兵第一連隊不明小隊、
九頭くず幸則ゆきのり中尉殿!

第五章 第三話 仮面の男