第九章 第十三話 東京黙示録

12月25日、先帝祭で祭日であった。
ホテルでは午後の早い時間に人払いされ、従業員も宿舎に待機となった。
溜池通には軍用トラックが二台停められ、数人の立哨が警備に付く。

クリスマスパーティは中止となり、
客のないロビーに飾りがむなしく輝いていた。

そして皆が案じている
虹人こうじん行方ゆくえ――
数百年の時を越えた思念の繋属けいぞくが、虹人の中に白金江しろかねこうを形成するに至った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さん――
この時間になっても、
波形も全然観測されません!

隊長……
虹人さんは自分の中に白金江の
姿を見ていたんでしょうか?
【帆村魯公】
何かしら感じておったに違いない。
だが受け入れはしなかった――
虹人と名前を変えたわけだしな。
【喪神梨央】
こうって言う名前、
お父様がお付けになったんですね。
【帆村魯公】
そうだ……
変わり者の親父だ。
親父は虹人が生まれて半年ほどで、
姿をくらませてしまった。

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
先生、隊の方で、
小耳に挟んだことがあって――
【喪神梨央】
虹人さんの行方でも、
わかったんですか?
【九頭幸則】
いや、そうじゃないんだ。
鈴代の叔父おじ山郷やまごうの方に、
内偵の入った形跡があると――
【帆村魯公】
ほう!
さては内務省でも動いたかな――
【喪神梨央】
殿下の仰っていた有澤機関、
あそこじゃありませんか?
だとすると――
【九頭幸則】
拠点はセルパン堂、だよね?
休暇の准尉じゅんいに行かせたよ、
目立たぬように平服でね。
【喪神梨央】
セルパン堂にですか?
式部しきべさん、いなくなったんですよ。
【九頭幸則】
梨央りおちゃん、裏切られたみたいで、
怒ってる?
【喪神梨央】
あまりいい気はしません。
私たちのことも探っていたんです!
身内のように思っていたのに――
【九頭幸則】
でも敵というわけでもなさそうだ。
准尉じゅんいがこれを持って帰った――

【帆村魯公】
これは芭蕉ばしょうの句だな。
漁火いさりびかじかなみしたむせび――
【喪神梨央】
かじかって魚ですよね?
鳴いたりするんですか?
――むせぶって……
【帆村魯公】
昔、かじかかわずの区別がなくてな、
かじかは鳴き声を立てると思われていた。
漁火に驚いたりしてな。

そういや梨央、
前に鰍沢かじかざわの話、なかったか?
【喪神梨央】
ありました!
赤坂哈爾浜ハルピンのお熊アストラルです!
それと――
式部さんも鰍沢かじかざわの落語聞いたと、
そう話していました。
【九頭幸則】
この俳句は、
何か意味を含むのかなぁ……
入口の引き戸にしてあったそうだ。
【帆村魯公】
うむ……
鰍沢かじかざわちなむ場所は何処どこだ?
甲州か――
【喪神梨央】
そうです、甲州きっての急流です。
吉原女郎だったお熊は……
【九頭幸則】
どうしたの、梨央ちゃん?
【喪神梨央】
お熊は心中にしくじって、
しばらく品川溜めに置かれます――
【九頭幸則】
それじゃこのカードは、
品川にいざなってるんじゃないのか?
そうだよ、風魔!

【喪神梨央】
どうしますか?
品川に怪人の報告はありませんが。
それにそろそろ日も暮れます。
【帆村魯公】
構わん!
梨央、公務電車の手配だ。
中尉も同行してくれ!
【喪神梨央】
承知しました!
品川まで手配します!

【九頭幸則】
行こう、風魔、
何があるかわからんが――

〔吉原遊郭〕

式部しきべの残したカードにヒントを期待して、九頭くず風魔ふうまは品川遊郭ゆうかくへ。
遊郭一帯は物々しい雰囲気だった。軍用トラックが何台も停まり、憲兵や兵が方々に展開している。

【九頭幸則】
何だ、騒然そうぜんとしているなぁ――
それにこの憲兵らはどこから……

【死骨崎憲兵中尉】
おい、貴様!
ここで何をしている!
【九頭幸則】
そっちこそ……
これは公務なのか?
【死骨崎憲兵中尉】
なんだと?
公務だとぉ?
俺達の公務なんざ、
とっくに終わってるんだ!
擅権せんけんの大罪など関係ないわ!!

そう言うなり憲兵は脱兎のごとく走り去った。

【九頭幸則】
どうやらめいあるわけじゃなく、
勝手にいきり立っているようだ。
――それにしても……

何だ、この甘い匂いは……
どこかで嗅いだことあるぞ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
すぐ近くです!

そこへ太った将校らしきが駆けて来た。右の肩章は大尉だが左には少佐のを付けている。

【地獄谷上級大佐】
無念だ、無念だ!
せっかく上級大佐まで上り詰め、
これからだと言うのに!

貴様らは悔しくないのか!
【九頭幸則】
じょ、上級大佐ですか?
――まるでナチのようです。
【地獄谷上級大佐】
うるさい!!
我が帝国陸軍はナチなどではない!
神洲大八洲しんしゅうおおやしまから世界をべる、
選ばれし神民の軍隊だ!

その最たるは東京ゼロ師団!
またの名をゼームス師団――

国立防疫研究所――
戸山砲工学校――
渋谷憲兵大隊――
全ては泡沫うたかたの夢であったか――
【九頭幸則】
わかってますよ、大尉。
すべては魔の力で仮構されたもの、
この甘い匂いとともにね!
それを泡沫うたかたとは――
随分とロマンチストですね!

【地獄谷上級大佐】
地獄谷じごくだにの名を得た夜、
私は生まれ変わったのだ!
う・ま・れ・か・わ・っ・た!
【九頭幸則】
地獄谷……
こりゃすごい名前もあったもんだ。
(風魔、気を付けろ、相当なもんだ)

【地獄谷上級大佐】
どうせちるところは同じだ、
貴様らを道連れにしてやる!!

《バトル》

【地獄谷上級大佐】
……荒川の……
帝国……モスリン……
あすこだけは――

――うっ
【九頭幸則】
帝国モスリンの他はどこだ?
まだあるんだろ、工廠こうしょうが!
――おい、答えろ!
【地獄谷上級大佐】
――

謎の将校は斃れ、そのままセヒラと化した。

【九頭幸則】
山本――
少尉だが同輩の付き合いだった……
奴は近づきすぎたんだ。
帝国モスリンに――

いや、違う!
工廠こうしょうにだ!

そして――
工廠こうしょうはまだ他にもある!
だが……場所はわからない――

そこへ芸者がしなを作りながら歩いて来た。

【品川芸者幾松】
四谷からお越しのお二人様かしら?
【九頭幸則】
四谷?
――あ、ああ、そうだ、四谷だ。
ここから来た。

九頭は咄嗟とっさにセルパン堂にあった、式部の残したとおぼしきカードを見せた。
それを見た瞬間、芸者は体を硬直させた。わずかに震えてもいる。

【品川芸者幾松】
嘘と誠の二瀬川ふたせがわ
だまされぬ気で~
だまされて~

妖艶な声で端唄はうたを愛唱すると、芸者幾松いくまつうつろな表情となった。
そして別な言葉を口ずさみ始めた――

【品川芸者幾松】
山郷やまごう、甲府にて甲斐絹かいきを扱う、
屋号は山郷絹糸けんし
最寄りは富士身延みのぶ鉄道
金手かねんて停留所――

芸者は報告書を読むような口調で、
山郷についての調べを述べた――

芸者は音もなく消えた。

【九頭幸則】
芸者は暗示をかけられた――
そんな感じだよな。
山郷側調査の内容を、
芸者に覚えさせてあるようだ。
これじゃ漏洩ろうえいは難しそうだな。

そこへもう一人、芸者が現れた。そして端唄の調子を披露した。

【品川芸者稲貞】
青いガスとう 斜めに受けて~
白い襟足えりあし 夜会巻き~

芸者は新京シンキョウに在る山郷の取引会社、柞蚕糸さくさんし問屋の満蒙絲線まんもうシーチェンについて語った。
山郷は社長の好文海ハオウェンハイに取引を持ちかけている。

芸者は音もなく歩き去った。

【九頭幸則】
柞蚕さくさんが不良で新京シンキョウハオ社長は困り、
山郷は甲斐絹かいきを調達したそうだ。
おかげで急場をしのげたと――

その見返りに山郷は、
太古たいこに北支に落ちた隕石いんせきをもらう。
その隕石をどうするつもりだ?

また一人、芸者がやって来た。またもや端唄の調子だ。

【品川芸者菊丸】
お前とならば どこまでも~ 
箱根山はこねやま 白糸滝しらいとたきの中までも~

芸者曰く、山郷は隕石いんせきの力で麗華れいかに深い霊異りょういをもたらし、その力を利用して支族末裔まつえいの思念を呼ぶ――
山郷はどこまでも
力に固執していたのだ。

芸者が去った。

【九頭幸則】
山郷は麗華さんに何をしたんだ?
それに……
どうやって麗華さんを呼び出した?
泣く子も黙るあの関東軍が、
麗華さんを保護していたんだろ?
容易よういには手出しできんぞ――

またもや芸者が来る。

【品川芸者市若】
雪はともえに降りしきる~ 
屏風びょうぶが恋の仲立ちに~

端唄に続けて芸者は、東雲しののめ流に伝わる香合こうごうは、互いに瑞祥ずいしょうを現すのだと語った。芸者にたくされた言葉はこれが最後であった――

芸者は遊郭の路地を歩いて行った。

【九頭幸則】
麗華さんに協力お願いすれば、
山郷の香合こうごう瑞祥ずいしょうを表して、
それで居場所がわかるはずだ。
麗華さんは鈴代がかくまっている、
そうだよね?

俺、鈴代の家に行ってくる!
瑞祥ずいしょうとやらが現れたら、
そこが山郷の居場所だ、
急ぐんだぞ、風魔!

九頭くず鈴代すずよの家に円タクを飛ばした。
二つのアルツケアンを取り込んだことで、古式東雲しののめ流の奥義おうぎ会得えとくした麗華――
まだ強い霊異りょういを現すには至らないようである。

【着信 喪神梨央】
先程、紀伊国坂きのくにざかで、
芽府めふ須斗夫すとおの身柄が確保されました。
麹町こうじまち署の巡査にです――
機関本部で山王さんのうホテルに部屋を取り、
今はそこで休んでいます。
独逸ドイツ大使館で名前を思い出し、
その後の意識がないそうです。
大使館からは一キロ少々です……
彼は歩いてきたと思われますが、
紀伊国坂きのくにざかで車から降りた、
そんな目撃もあるのです。

ホテルの屋上から、
瑞祥ずいしょうを探しますがまだ見えません。
見つかり次第しだい、連絡入れます。

東雲しののめ流の霊異りょういしずまっている。
しかし受継がれた香合こうごう瑞祥ずいしょうを現すという。
それは空に差す霊光として現れるのだ。

果たして瑞祥ずいしょうは現れた。
山王さんのうからほぼ東の方角、銀座の辺りに霊光が差したのだ。

夕の空に現れた瑞祥ずいしょうを手がかりに、銀座方面へ公務電車を走らせる。
四丁目を過ぎたところで電車は停止した。

〔銀座街路〕

銀座の電車通には異様な光景が広がっていた。大通の中央に巨大な繭玉がいくつも重なり、巨大な一つの塊を為していた。黃灰色の繭玉は、むっとするような熱気を発していた。

市電は通行止めとなり、車も止まらされていた。京橋署の巡査が総出で物見遊山の市民を押さえ込んでいた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
幾つもの波形を観察します。
まだセヒラはありません――
波形の数、尋常ではないのです!

脇の路地からスーッとレンザが現れた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔ふうまさま――
あれは何でございましょうか?
私、不思議な感覚がしたのです。
それを頼りにここへ来ました。
そうしたらあのようなものが――
さしずめ、まゆというところですか?
それも幾多いくたまゆが合わさり――
一つ一つがとても大きいですよ!

レンザがはっと目を見開いた。その視線の先、巨大な繭玉の塊から白い霧のようなものが現れているのが見えた。銀座の電車通が見る見る白くなっていく。

【吉祥院蓮三郎】
何か気配がします!
風魔さま!
お気を付け遊ばし!!

レンザの姿が白い霧のようなものにかき消されてしまった。

〔白の狭間〕

そこは時空の狭間であろうか。不透明な白い空間が広がっていた。
空間が歪んだかと思うと山郷武揚が現れた。山郷はセヒラを帯びている。

【山郷武揚】
君たちはこのような機械で、
人をさぐっていたのかね?
いや、よく出来ている。
人も波形を現すとはな――

牛頭の賛同者が飯倉いいくら技研にもいてね。
機械が示してくれたんだ。
ひときわ目立つ波形が二つ――
思わぬ僥倖ぎょうこうだったよ!
一つはここにいる――
遠い過去からの繋累けいるいだ。
そしてもう一つ――
私にとっては馴染み深いものだ。

アルツケアン!
はははは、まだ残っていたとはな!
あの書生風情が大使館から持ち出し、
三宅坂みやけざかを下っていた――
さっそく迎えの車を用意したよ。
今宵こよいはやけに冷え込む。
歩くと風邪を引くからね!

一瞬、周囲が白く輝いた。

【山郷武揚】
北支の隕石いんせき月詠つくよみ麗華れいかを満たした。
人の役に立てて実に嬉しい限りだ。
達成感は空虚くうきょ感をもたらす――
私の中に小さな穴が空いてね。
それをめてみよう、そう考えた。
はからずとも私は導かれた。

アルツケアン――
私のために残っていたのだよ、
私を待ってくれていたのだ。
これをなんとかしないと、
万能の石に申し訳なくてね!
君もそう思うだろう?
私は僥倖ぎょうこうを得たのだよ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
尋常じんじょうではないセヒラです、
最大限の警戒を!!
【山郷武揚】
おやおや、こんなところにまで!
技術はける――
しかし人生はかくも短い!

《バトル》

山郷は風魔を見ている。しかしその視線はもはや風魔を捉えてはいなかった。

【山郷武揚】
見てくれ!
第五齢の熟蚕じゅくさん相成あいなった!
じき排尿するぞ!
排尿が終わると吐糸としを始める。
愈々、営繭えいけんに取りかかるのだ!!
さぁ、私をまぶしに収めてくれないか。
上蔟じょうぞくが終わると、吐糸を始めるぞ。
私は完成の域にあるのだ――

一瞬、周囲が白く眩しく輝いた。

【山郷武揚】
何だ? どうした?
私は……これは……
又昔またむかし? 赤熟せきじゅく? 小石丸――

違うのか!!
――かいこの種類は何だ?
これは……家蚕かさんではないのか!

再びの輝き――

【山郷武揚】
まさか……
北支の柞蚕さくさん――
好文海ハオウェンハイの作った白黄斑山繭しろきまだらやままゆなのか!

はぁはぁはぁ~
全滅したのではなかったのか――
私の持ち込んだかびで。

ウアハハハハ~
そうだよ、斑僵病まだらきょうびょうで全滅だぁ~
ハオ柞蚕さくさんは全滅だぁ~

周囲が白く輝いた後、真っ暗になった。
暗闇の中で山郷がもがいている。しかしその声はは聞こえない。山郷は強烈な幻覚におそわれていたのだ。
その幻覚は現実に一端いったんあらわした。
山郷は口から大量の糸を吐いたのだった。吐糸は果てることなく続いた。

【吉祥院蓮三郎】
ひゃぁ~
大変でございます!
黄色い糸がそこいら中に!!

【着信 帆村魯公】
風魔ふうまよ、山郷やまごうはアストラル化した。
レンザが見た糸は幻覚だぞ。
【着信 喪神梨央】
兄さん、銀座通ですが、
もうじき通行止めを解除します。
近くに虹人こうじんさんらしき波形も……
先程までは日劇前で確認……
今は波形は不安定ですが、
通行戻る前に急いで下さい!

〔日劇前〕

人の姿のない日劇前に虹人がいた。
虹人は白い光をまとっている。風魔に並ぶレンザが一歩踏み出した。

【吉祥院蓮三郎】
なんとなくこの辺りではと――
私、最近、えてきております。

虹人さまに古よりの繋累けいるいが及ぶと?
――私にはまだのように見えます。
さしずめ私は及び損ねた存在――
それゆえ、よく分かるのです。
まだ及んではおりません。

虹人を包む光が一瞬だけ大きく広がった。光は虹人の内側をも照らすかのようだった。

【吉祥院蓮三郎】
何でしょうか?
【帆村虹人】
やぁ、風魔!
すっかり審神者さにわのなりが板についた。
自分でもそう思うだろ?
今通う道場は目黒だよね?
競馬場跡近くの目黒不動だね。
省線駅から東横乗合を使うんだろ?
兄貴は目黄道場も開くって――
小松川区、荒川の西岸だよ。
総武本線の平井が最寄りだって。
目黄道場が開かれたら、
僕はそっちに通うことになりそうだ。
ちょっと遠いんだけど――
赤坂山王さんのうに特務機関を作る話も――
そうなれば、風魔、
お前と一緒になれるのかな?

虹人は相変わらず白い光の中にいる。

【吉祥院蓮三郎】
これは少し過去の話のようです。
時間が巻き戻ったみたいです。

虹人を包む光が大きく揺らいだ。

【吉祥院蓮三郎】
気を付けてください、風魔さま!
【帆村虹人】
目黄不動は府立七高女の近くだ――
高女といえばだよ、風魔、
面白い話があるんだ。

オフィーリア誌にページいて、
君影きみかげたよりをもうけることになった。
読者交流が発展するな!

虹人の光が一層の輝きを増す。

【帆村虹人】
――鈴蘭すずらんの子たち、
みんな僕のことを、
シロカネコウと呼ぶ――

虹人の周囲にセヒラが集まり始めた。その勢い、濃度ともにこれまでにないほどである。

【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ急上昇です!

セヒラの紫色が、先程までの白い光を追い出したかのように、虹人はすっかりセヒラに呑まれている。

【帆村虹人】
風魔には聞こえているかい?
まるで自分のことのように――
この言葉が僕をめぐるんだ。

全魔域パンデモニアムはルシファーの城府、
かの輝ける星をサタンにたくらべて、
かく呼べる――

虹人の声が遠ざかり、やがて周囲から光が失せた。
真っ白な空間に一台のラヂオがある。
ノイズ混じりの声が聴こえる――

安寧あんねいですか? 安寧あんねいですか?
――皆さま、どなたも、安寧あんねいですか?

淀橋区・東洋ホテル――
山梨からの上京時、山郷武揚の定宿である。山郷は甲府市内で生糸きいと商を営んでいる。屋号は山郷絹糸けんしであった。

【山郷武揚】
ついに興亜撚糸ねんしとの商談が決まった。
これで念願ねんがんかなった――
私たちの努力がむくわれたのだ。

今夜は泊まらずに夜行で帰ろう。
朝の四時頃には甲府に着くはずだ。
そのまま社で仮眠を取ればよい。
明日、朝一番に社の皆に知らせよう。
吉報きっぽうだ、皆、喜んでくれるぞ!
眠いなど言ってはおられんな!

四谷区・塩町尋常じんじょう小学校――
鈴代すずよ九頭くず風魔ふうまたちの出身校だ。
この春、音楽訓導くんどうとして赴任ふにんした柴崎周しばさきあまね。五月の合唱会に向けて練習に余念よねんがない。
毎年、唱歌夏は来ぬが選ばれる。

【柴崎周】
はなの 匂う垣根かきね
時鳥ほととぎす 早も来鳴きて
忍音しのびねもらす 夏は来ぬ~♪

我が胸に響くは子らの歌声だ。
伸びやかなる声は初夏の空のように、
瑞々みずみずしく、くもりのないもの――
子らの歌声を聞いていると、
私の心も洗われるようだ。
さぁ、今日も練習にはげもう!

赤坂区・料亭一繁いちしげ――
四谷荒木町の万屋よろずや御用聞ごようぎきに来ていた。万屋よろずやは屋号を木曽屋きそやという。酒や乾物かんぶつも扱う大店おおだなである。
小森こもり時夫ときおは木曽屋の番頭ばんとうであった。

【小森時夫】
一繁いちしげさんで政治家の壮行会があると。
麦酒ビールが二十ダースとは大注文おおちゅうもんだな!
きっと親爺おやっさん、喜ぶぞ!
確か日本平世党の政治家だと――
春はあけぼののような穏やかな世の中は、
平世党のおかげだなぁ……

いけない、いけない、いけないぞ!
塩町の如月きさらぎさん宅に向かわないと。
如月きさらぎさんは木曽屋の大得意だしな!

京都市伏見区・墨染すみぞめ――
輜重しちょう兵営第十六大隊の隊附中尉、鬼龍きりゅう豪人たけと
士官室の窓辺に置いた机に月光が差す。その灯りを得て、鬼龍は手紙をしたためている。西陣にしじん商家の娘、小原時子に宛てである――

【鬼龍豪人】
もうじき中秋の名月ですね。
今年は九月十二日だそうです――
来週の木曜日になります。昨年、君と嵐山で拝観はいかんした秋月しゅうげつは、今も私の心を照らしています。いささかのかげりを含ませた物憂ものうげな光――
なげけとて 月やは物を思はする 
かこち顔なる わが涙かな――
西行法師の歌を君に贈ります。豪人

日本橋区・興亜百貨店――
バンカツこと坂東勝一郎の読書会が開かれる。バンカツとは帆村ほむら虹人こうじんのペンネームだ。冒険少年年末号に六十八ページにわたり、書き下ろしの冒険小説が掲載けいさいされるのだ。

【帆村虹人】
南海の蒼風そうふうは構想二年の大作だ。
海賊に育てられた少年が成長し、
海の軍閥ぐんばつを率いる話だ。
波高い満剌加マラッカの海を舞台に、
海賊や賊軍相手に戦いを繰り広げ、
やがて海の支配者になっていく――

話は今日の読書会で初めて披露ひろうする。
先月号にその案内が載ったが、
わずか三日で予約は埋まったそうだ。

麻布あざぶ区・麻布あざぶ市兵衛いちべえ町――
聖宮ひじりのみや邸に植木職人新山眞にいやままことの姿があった。
東京電気通信工業を休職中の新山は、陸軍登戸のぼりと研究所の依頼いらいでく号兵器開発のかたわら、植木屋松巧まつこうの職人として働いていた――

〔聖宮邸庭〕

白い霧に覆われた宮邸の庭。垣根の低木を選定していた庭師が立ち上がりこちらに来た。庭に姿を見せた風魔に気が付いたのだ。

【新山眞】
おうちの方でいらっしゃいますか?
――私、植木屋です。
いやぁ、今日は五月晴れですな!
梅雨なのに五月とはこれ如何いかに?
ははは、旧暦ですよ、旧暦。
旧暦では梅雨は五月だったのです。
梅雨の合間の晴れを五月晴れ――
今日みたいな日和ひよりのことですね。

今日の剪定せんていはほぼ終わりました。
久しぶりに社に顔でも出しますか。
はは、こう見えても技術屋なんです。

突然、辺りが紫色に変わった。セヒラに満たされようとしているのだ。
そこへバールが現れた。バールは風魔をまっすぐ見て言う。

【バール】
ここに長居は無用だニャ!
すごく危険だニャ!
【バールの帽子】
ゲロゲロ、ここには何もない、
喜びも悲しみも、愛も憎しみも、
何も何もないゲロよ!
【バールの帽子背後】
無限に広がる虚無きょむの世界じゃよ。
皆、本心を押し殺して暮らし、
そのうち本心さえなくなった世界だ。
【バールの帽子】
誰もがうわつらだけで生きているゲロ、
早くこんなところからずらかるゲロ!
【バール】
ん?
誰か来るニャ!
風魔、気を付けるニャ!

邸の方から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
何か騒がしいですが――
どうかされましたか?

その時である、白い霧が一気に晴れて明るい庭となった。

【新山眞】
喪神さん!
――ここは……
私は……何をしているでしょうか?
――この庭で……

【聖宮成樹】
――
――喪神……さん?

一瞬、世界は白い霧に包まれかけた。しかしすぐに晴れる。

【聖宮成樹】
喪神さん!
ご公務でいらっしゃいますか?

周りの光景が滲んで消えた。
薄暗闇の中に風魔は立っている。
不意に声がした。

【???】
風魔――
私よ、淑子としこよ。
今、あなたを近くに感じるわ。

風魔――
あなたに会いたいわ……

風魔は声の方へと歩き出した。
そこへバールが現れた。

【バール】
風魔、耳を貸すんじゃないニャ!
さぁ、事変の世界に戻るニャ!

風魔は闇に呑まれてしまった。

1935年12月26日未明――
愈々いよいよ、新しい天地が現れようとしていた。それは柴崎が求めて止まなかった混沌カオスの世界であった。

あらゆるものが不整合に融合し、歪み、軋んだ音を立てている世界であった。
それこそが悪魔の望む世界なのである――

しかしそこにもう一つの力学が作用して、二つの世界は弾かれようとしていた。
その中央に姿を見せるのが虚無の世界であった。綾部研究員が言及した世界だ。

【着信 喪神梨央】
兄さん!
同じ場所に三つの波形があります!
――兄さんが立っている場所です!
これだと兄さんが三人いる、
そういうことになってしまいます!
ドッペルゲンガーではありません!

【着信 新山眞】
三本の世界軸が接近している、
どうもそのようです。
混沌世界、虚無世界、そして現世――

一本に合わさるのでしょうか?
それとも――

再び周囲から光が失われた。
3つの世界の狭間に吸われたかのように。

そこに虹人がいた。
風魔を見据えるその目は歓喜に輝いている。

【シロカネコウ】
長い間、眠っていたワ!
十年、いや二十年……
その前からすると、もっとヨ!

お前が私を待っている人なの?
そうぢゃないのか知ら?
違うならどうして此処ここに居るの?
待っていたんでしょ?
さっきまでの人は、
すっかり居なくなっちゃったワ。
だからぐに繋がるのヨ!

あら、嬉しかないの?
嬉しいはずヨ、屹度きっと
ほら、私ヨ、見て、見て、見て!!

《バトル》

【シロカネコウ】
やっとね!
やっとよ……
随分と長かったワ!

星の夜に大君ルシファーは昇りゆく
その暗の統御とうぎょあぐむんで 
雲の半ばにおおはれた廻球かいきゅうの上に

魔は揺らぎゆく

虹人の体から色が失われた。
そして不自然な姿勢でのけぞっている。その胸の辺りか真っ白に輝く気体が立ち上る。
光でもない、煙でもないそれは、やがて人の形となった。

今年、五度目の日蝕にっしょくが南極地方で発生した。

帝都にもたらされた予言は現実のものとなった。
第五の予言
世界は光と闇の天秤てんびんによって計られるであろう

第六の予言
無垢むくなる力が真の導きを為すであろう

第七の予言
日蝕ひくく明け新しき天地あめつちひらかれり

第八の予言
全地の主なる大王あらわれり

第九の予言
すべては新王のたなごころに收まるであろう

第四までの預言はついぞ語られなかった。

帝都事変を経て世界は3つに分かたれた。
事変、虚無きょむ、そして現世という世界――

予言はそのことをまさしく言い当てていた。
いつしか予言は東京黙示録と呼ばれ始めた。
それを知るごくわずかな者たちの間で。

特異点は大震災のあった1923年だった。
その時から世界軸はわずかにずれ始めていた。

ずれが愈々いよいよ極大化したのだ――

混沌世界と現世、この二つが接近し、離反したことで虚無世界が現れた。
三本の世界軸はしかし合わさることはなかった。ただそれにより、歴史は大きく巻き戻ることになる――


1904年3月17日、硫黄島いおうじま
16時30分44秒、ここに金環日蝕が始まった。その光を受け、すべての始まりとなるひとつの結晶が生まれた。

小さなケアン――

やがて光と闇の交錯する地に漆黒の穴が開いた。五分ほど続いた金環蝕の終わる時、ケアンは音もなくその穴へ吸い込まれて消えた。

二十世紀初頭の特異点から新たな歴史が始まった。そして世界軸は三本に分かたれたままである。

1904年、この歴史上の特異点から真の20世紀は始まった。再生の特異点として、後にルネサンスと呼ばれる。
やがて合わさる時まで、世界軸は三本に分かれたままである――

現世軸にも帝都はあった――

〔赤坂街路〕

赤坂街路――
電停から市電が発車するや、子どもたちが車道を駆け渡る。
市内で一斉に桜が色づき、まさに春爛漫らんまんの時季を迎えようとしていた。

時は1935年4月――
セヒラもゲートも存在しない世界――

【九頭幸則】
なんとかに潜り込めた――
近歩一きんぽいちなんて無理な相談だよな。
ま、でも習うより慣れろというからな!

尋常の同級でただ一人の軍人だ――
風魔ふうま審神者さにわ免許皆伝めんきょかいでんだと言うし。
みちは違うが、ある意味競争だな!

【如月鈴代】
山郷やまごう叔父おじ様と力を合わせて、
東雲しののめ流を護らないと――

降りた神を見極める神眼しんがん
そう簡単にはそなわることなど、
あり得ませんが!

【喪神梨央】
丹那たんなトンネルは一昨年おととしに貫通、
鉄道ダイヤが組まれたのは去年です。
去年末、省線のダイヤ大改正が――

前に淑子としこ姉さんを見舞った時は、
ダイヤ改正前でしたね。
東海道線三島駅から、
駿豆すんず鉄道で修善寺しゅぜんじに行きました。

――兄さん、姉さんがお呼びですよ。

〔溜池通〕

【喪神淑子】
待ちましてよ、風魔――

フフフ、
今日はもう稽古けいこはおしまいでしょ?
ならよかったわ、
オウルグリルでオムライスでも――

あらいいのよ、私がご馳走するわ。

〔是枝邸〕

1935年12月26日、夜――

大崎おおさき是枝これえだ邸は夜の静寂しじまに包まれていた。瑛山会えいざんかいは是枝邸の離れに本部を置いていた。
その庭先に探信儀たんしんぎはなかった。

【案じる声】
今年、ついに怪人騒動も何も
起こりませんでしたわ。
そして今日この日を迎えても――
【静かな声】
五度目の日蝕にっしょくの日が終わるまでは、
予断を許さないものでした。
この一年、いや二年、三年――
混乱極める世界が近付き、
さらにもう一つ、生まれたのです。
何もない世界が――
【案じる声】
何もない世界――
そういうのが御座いますの?
【静かな声】
所謂いわゆる虚無きょむ世界です。
私は虚無きょむ世界を垣間見た気がする――
麻布あざぶうちで……

【案じる声】
殿下、おうかがいしますが、
この写真が何か関係しますかしら?
確か興亜日報の記者が写したもの――

【静かな声】
ええ、この写真は浅草の雷門です。
ですが震災を経なかった雷門ですね。
それがあの帝都に存在したのです――
【案じる声】
大提灯おおちょうちんが下がっていますね――
震災の後は、小さな提灯が――
そのように覚えていますわ。

震災のなかった世界――
それがあの帝都にあったのですね?
それが虚無の世界――
【静かな声】
少しは顔を覗かせていたのでしょう。
ただ――
の世界は、
それ以上に混沌世界の影響を受け、
を戦わせる事態を招いた――
【案じる声】
のこの世界には――
影響は及んでいないのですか?
その、混沌からも虚無からも……
【静かな声】
少なくとも今のうちは。
次、世界軸の変動が起きるのがいつか
誰にもわかりません。

【案じる声】
殿下――
柄谷がらたに博士は達者でおいでですが、
別な世界ではやはり……
殿下の仰るようなことになっていた、
そうなのですね?
【静かな声】
それぞれの世界で、
皆、さだめのもとにあるのです。
生き死には関係なく――

私たちは帝都が、いや日本が、
歴史的に真っ当な道を進むために、
監視する必要がありそうです。
それが瑛山会えいざんかいの使命だと考えます。

今後、何が起きようとも――

6年後の1941年12月――
世界軸の日本は
太平洋戦争に突入する。

第九章 第六話 水の想い

〔山王機関本部〕

九頭くず幸則ゆきのりの同輩、歩一の山本少尉が伝えた、荒川の工廠こうしょうについては、別途べっと、参謀本部の内偵ないていが入ることになった。

【帆村魯公】
山本少尉は秘密に近づきすぎた、
どうもそのようだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、大丈夫でしょうか?
一昨日から音信がありません――
本部にもおいでじゃないです。
【帆村魯公】
確か、あの……
吉祥院某きっしょういんそれがしが警護するとか、
そんな話じゃったな。
【喪神梨央】
レンザさんが付かれるんですね!
それじゃ安心です――
そうですよね、兄さん!
【帆村魯公】
鬼龍きりゅう大尉の同輩、御荷鉾みかぼ大尉も、
独逸ドイツ勢の動きに通じておるな――
【喪神梨央】
そして今は回廊を巡る――
【帆村魯公】
うむ……
御荷鉾みかぼ大尉の見解では、風魔、
お前は回廊に入ったことになる――

アラヤ回廊――
その存在はそれとなく伝わるが、実在を確認した者は誰一人としていない。

【喪神梨央】
独逸ドイツ人は修善寺しゅぜんじロッホを探して……
結局、見つけたんでしょうか?
淑子としこ姉さんの入院していた
サナトリウム、修善寺です――
【帆村魯公】
連中の言うロッホとやらが、
下で繋がって回廊を形成する――
理屈はわかるがな、
この目で見ないことには、
どうにもかいせんわ。

魯公ろこうはやや難しい顔をして本部を後にした。
修善寺しゅぜんじロッホの件、重ねて参謀本部に、調査を依頼することになったのである。

【喪神梨央】
そうそう、兄さん――
あきらさんがお話があるって。
アトリエに寄ってあげたら?

今日の公務ですが、
巡視パトロールの方面、後ほどお知らせします。

〔旭のアトリエ前〕

山王ホテルの裏、日枝神社の石垣に穿たれた入口。それを塞ぐ頑丈な鉄扉の前で能海旭の出迎えを受けた。

【能海旭】
梨央りおさんから、
連絡あったわけじゃないよ。
何となく来るってわかったんだ。
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央さんからね、
ベラドンナのこと聞かれたんだ。
だから、風魔さんにも教えておくね。

【能海旭】
ベラドンナは花の名前よ。
美しい女性っていう意味よ。
イタリア語だって教わった。
くすんだ紫色の花を咲かせるの――
美しさとは裏腹に、
根や茎に強い毒を持つのよ。
その毒から作った膏薬こうやくによって、
さまざまな幻覚作用が起きる――
トロパンアルカロイドという成分ね。

魔女がほうきで飛んだりするのは、
空飛ぶ幻覚にとらわれるから――
実際に飛ぶわけじゃないんだ。
バスク地方の魔女たちは、
幻覚を見る膏薬こうやくを身体に塗って、
エメンエタハン、エメンエタハン――
そう唱えながら錯乱さくらん状態になる。

魔女の膏薬こうやくは他の地域でも、
例えばフランスや北欧にも伝わる。
ベラドンナの他に、
トリカブトの毒を調合することも。
より空飛ぶ感覚が得られるのよ。

そこへ吉祥院蓮三郎が姿を見せた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、
あきらさま、風魔ふうまさま――
【能海旭】
どうした?
九頭くず中尉の警護は大丈夫か?
【吉祥院蓮三郎】
その九頭中尉ですが、
青山一丁目から市電で渋谷に。
次の電車で追ったのですが……
【能海旭】
何だ? 見失ったのか?
【吉祥院蓮三郎】
かたじけないであります――

【能海旭】
しかし、何で渋谷になんか、
用があるのだ、あの中尉は?
【吉祥院蓮三郎】
渋谷には憲兵大隊が――
おそらくはゼロ師団の仮構かこうかと。
【能海旭】
そうか……
いざなわれたりしなければいいが。

風魔さん、
今日の公務、渋谷方面はどう?
電車通を進むといいよ。

〔旭のアトリエ前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
赤坂見附電停においでください。
公務電車、待機させます。

それから……
赤坂の大柱ですが、消えました。
すっかりなくなったんです。
新山さんが調査中です。
あとで落ち合ってください。

〔青山街路〕

青山通を渋谷に向かっていた公務電車だが、青山三丁目で九頭くず幸則ゆきのりの姿を確認、風魔は電車を降り、九頭の元へ駆け寄った。

【九頭幸則】
風魔!
ちょうどよかった。
機関本部に行こうと思っていたんだ。

いやな、渋谷憲兵大隊に招待され、
主だったところを見て回ったんだ。
隊舎の中は、歩一なんかと大違い、
廊下には赤絨毯あかじゅうたんが敷かれているんだ。
広間では音楽が流れている――
ちょっといいか――

九頭は風魔を路地裏に誘った。

【九頭幸則】
大きな声じゃ言えないがな、
あそこはやっぱり怪しいぞ。
東京の憲兵は一ツ橋に移った、
東京憲兵隊本部が統括する。
山梨、神奈川を除く第一師管だいいちしかんだ。
そのうち東京憲兵隊渋谷分隊は、
道玄坂どうげんざかの途中、上通うえどおりにある。
渋谷区、目黒区、荏原えばら区を管轄する。
道玄坂上どうげんさかうえの渋谷憲兵大隊は、
おそらく工廠こうしょうと同じ性質だ。

そこまで言うと九頭は青山通に用心深そうな視線を投げかけた。

【九頭幸則】
壁に耳ありだからな!

それでだ、憲兵大隊の方だけど、
安寧あんねい課少尉係長というのが出てきて、
俺を憲兵中尉として迎えると、
そう言うんだ。
上等兵で志願して憲兵下士になる、
というのならわかるけど――
歩騎ほき将校から憲兵になるなんて、
聞いたことがない。
そう言うと係長は、
転隊を認めるとまで言い出すんだ。

あまり深入りしないほうがいいな、
なんか嫌な感じがしてきた――

【着信 喪神梨央】
新山さんが向かっておいでです。
【九頭幸則】
うわっ!
びっくりしたよ、梨央りおちゃん!
【着信 喪神梨央】
中尉は公務電車でお戻りください。
青山三丁目にて待機中です。
【九頭幸則】
了解了解!
公務電車、乗せてもらえるんだ。
風魔、先に戻るよ。

九頭と入れ替わるようにして新山がやって来た。

【新山眞】
喪神さん、愈々いよいよですよ、
事態は動き始めたようです。
赤坂の二本の大柱、
綺麗さっぱり消えてしまいました。

おそらくは――
帝都満洲にキタイスカヤが、
しっかりと定着したからでしょう。
あの二本の柱を依代よりしろにして、
キタイスカヤは存在し得たのです。
それが今や確かなものとなり……
大柱は不要となったのです。
キタイスカヤの街は、
帝都満洲にあって結界内のように、
ほとんどセヒラを観測しません。

思うのですが……
キタイスカヤ街は哈爾浜ハルピンにある、
キタイスカヤ街と繋がっている――
そうではないでしょうか?

つまり……ややこしいですが、
現世にあるキタイスカヤと繋がる、
その場所が、きっとあるはずです。

二人の話すところへ赤坂方面から梨央がやって来た。

【喪神梨央】
満洲風に言うと、埠頭区プリスタン新城大通ワゴロドナヤにある東方飯店ホテルボストーク――
ホテルで二つのキタイスカヤ街が
繋がっているのです。

兄さんと麗華さんが、
その部屋でお話されました――
あれは四◯八号室でした。
二つの波形が重なり、
微動だにしないのです。
そのホテルのある辺りが……
【新山眞】
なるほど――
ホテルで二つの世界が繋がる、
なかなかおもしろいですね。

【喪神梨央】
兄さん――
これを見てください。
【新山眞】
これは……
ホテルボストークの便箋びんせんですね。
何が書いてありますか?

【喪神梨央】
先程、式部さんがおいでになり、
読んでいただきました。
希伯来ヘブライ語だそうです――
【新山眞】
それで、意味は?
【喪神梨央】
エラ ツエーツエイン マイム
ハダシュ オ……

オの後がわかりません。
これは文章ではなく単語だそうです。
女神、子孫、水、新しい――
エラといういうのは女神なんですね。
範奈さんのお父さんが、
キタイスカヤでおっしゃいました。
エラ、エラ――
でも後が続かなくて……
あの時は何のことやら、
さっぱりでした。
【新山眞】
するとこのメモは……
【喪神梨央】
範奈はんなさんが書かれたようです。
ホテルの部屋で書かれたのです。
【新山眞】
この便箋びんせんがヒントですね。
喪神さん、キタイスカヤ街です。
ということは範奈はんなさんは――
【喪神梨央】
鈴代さんからうかがったのですが、
範奈はんなさん、満洲に渡られました。
おそらく哈爾浜ハルピンです――
お父さんとお会いになったのも、
キタイスカヤでした――
あれは帝都満洲の側ですね?
【新山眞】
そのはずです――
今度は……

なるほど!
現実の哈爾浜ハルピンと帝都満洲が接続し、
メモが帝都に現れた――

我々にはゲートがあります。
喪神さん、キタイスカヤ街には、
赤坂哈爾浜ハルピンから行けるはずです。
【喪神梨央】
これから戻って、
赤坂哈爾浜ハルピンのセヒラ、
観測始めますね!!

埠頭区プリスタンにあるホテルボストークが、満洲と帝都満洲を繋ぐという。
風魔は赤坂哈爾浜ハルピンからホテルを目指した。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
先の十字路を右に曲がってください。
ホテルボストークは、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
わずかにセヒラを観測します。
注意してください。

キタイスカヤ街は静寂の中に沈んでいた。人の姿はなく渡る風さえなかった。
そこへ一人の背広姿の男性がやって来た。

【千葉の莫大小メリヤス商】
いやぁ、困りました――
すっかり見当識を失いました。
松花江スンガリーに出ようとね、
いやね、遊覧船にでも乗ろうかと。
ホテルでうたた寝したのです。
ロビーに降りたら、なんと私一人!
町の中にも誰もいない――

ここはキタイスカヤなんですか?
哈爾浜ハルピンかキタイスカヤか、
キタイスカヤか哈爾浜ハルピンか――

日本人は哈爾浜ハルピン銀座と呼ぶそうです。
石畳いしだたみの歩道には散策の外国人が、
軽快なるステップを運び、
およそ東洋からかけ離れた雰囲気は――

って、誰もいないじゃないですか!!
私一人、あなた一人、一人、一人!
うぎゃぁぁぁぁ~

《バトル》

【千葉の莫大小商】
はぁはぁはぁはぁ……
何が東洋のモスコーだ、
こんなところ!

【着信 喪神梨央】
今の人は、哈爾浜ハルピンのホテルから、
こっちに来たようですね。
他にもいるかも知れません。
注意して進んでください。

四つ辻を曲がって山郷武揚が姿を見せた。山郷は風魔を認めると静かに切り出した。

【山郷武揚】
人助けというのは、
人の為ならずとはよく言ったものだ。

ハオ社長ご自慢の野蚕やさん
白黄斑山繭しろきまだらやままゆかびで全滅してね。
それじゃ商売上がったりだ!
そこで私が特上の絹糸けんしを調達した。
そのときの社長の喜びよう、
なかなかのものだったよ。

甲斐絹かいきの対価として、
私はアルツケアンを受け取った。
その不思議な石のことは、
エメリヒと言う名のかい族の少年から
詳しく聞き及んでいたよ――

エメリヒは独逸ドイツ人研究者につかえたかい族だ。
研究者に気に入られ、独逸ドイツに連れて行かれ、アーネンエルベにも出入りしたらしい。

【山郷武揚】
独逸ドイツから戻ってきたエメリヒは、
別人のように利口りこうになっていた。
私はあの子から多くを学んだよ――

烏魯木斉ウルムチ近くに落ちた隕石いんせき
アルツケアンには、
宇宙が閉じ込められている――

アルツケアンの衝突により、
大きなセヒラ場が生じる――
それはまるで宇宙創造の瞬間だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇しています!
注意してください。

俄に山郷の周囲にセヒラが漂い始めた。

【山郷武揚】
山王機関は熱心だね!
こんなところまで探信たんしんしているのか。
君たちは大いに勘違いしている。
私の開いた古式東雲しののめ流――
それはもはや古式ではなかった。
鬼神や妖魔を自らに降ろす古式、
しかしそれでは戦力にはならない。
古式を超えてを指揮する――
私はそこに至ったのだ。

しかしそこに頂きはなかった。
鈴代によって未来を奪われたのだ。
鈴代にすれば私は家系の染みだ。
一点の染み――
フフフフ……

だが私と鬼龍きりゅう大尉には、
残されたものがあるのだよ。
もう一度、機会をもらおうではないか!

《バトル》

【山郷武揚】
まだ他にも手はあるはずだ。
猶太ユダヤすえを招き寄せる方法がな。
この世界にはまだ見ぬ力が眠る。
触れてはならないかも知れないが。
パンドラのはこは開かれるのだ――

そう言うと山郷は踵を返して去った。

【着信 喪神梨央】
アルツケアンって、
そんなに大きな力を秘めている、
そうなんですね――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだ何かの波形を観測します。
ホテルの方へ向かってください。

ホテルのある街区へ入ったところで、鉢合わせするかのように廣秦範奈と出食わした。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、姉に呼ばれたのです。
いえ、姉の思念に触れたというか……

目覚めたらホテルの部屋でした。
そこではっきりと、
姉に触れたのです。
姿は見えないけれど――
とても確かなことでした。

範奈は姉の印象を語る――

【???】
範奈はんな――
あなたを見たのは、
小さな頃、一度だけよ。
万世橋駅近くの商家ね。
あなたの前では私は美香みか
廣秦美香ひろはたみかだったわ――

範奈は風魔から目をそらし俯いた。
再び姉の印象を呼び覚ましている。

【廣秦範奈】
先程のお父さまのこと、
お話いただけませんか?
廣秦伊佐久ひろはらいさく、それが父さまですよね?
【美香の声】
ええ、私たちが生まれてからはね。
その前は古賀容山こがようざんという篆刻師てんこくしよ。
雅号を持つ前は古賀喜一こがきいち――
父は古賀家の婿養子むこようしなの。
篆刻師てんこくしとして五大幻石ごだいげんせきを探して、
長野の方で行方不明になったのよ。
【廣秦範奈】
五大幻石ごだいげんせき
【美香の声】
自然珪しぜんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石ねんめんせき
玄武晶げんぶしょう。まだ発見されていない石よ。
父はそれらを求めて姿を消したの。
【廣秦範奈】
お姉さまはお父さまに、
お会いになったのですか?
【美香の声】
父は何かの拍子に遠い未来に行き、
そこで気脈を整える装置を作った――
それが働いたのよ。
私も父と同じ時代に生きた。
ニ〇一五年、九龍城砦にある光明路、
私は今もそこにいるのよ。
【廣秦範奈】
ニ〇一五年……
日本ではないのですね?
お父さまもご一緒ですか?
【美香の声】
父とははぐれてしまったの。
また深いところを巡っているようよ。
この町で私はラウ美鈴メイリンを名乗るの。
そうすることが自然だから――
でもたまに父に近づくの。
そして言葉を預かったわ。
【廣秦範奈】
どのような言葉ですか?
【美香の声】
冬至の朝、水辺に――
私たち姉妹で為すことがある、
父はそう伝えたわ。
【廣秦範奈】
水辺……
それは海ですか、湖ですか?
それとも――
【美香の声】
まだわからないわ――
【廣秦範奈】
水辺で姉さまに、
お目にかかれるのでしょうか?

しかし姉の答えはなかった。範奈の姉の印象は消えてしまった。

【廣秦範奈】
姉さま!
もう行かれたのですか?
姉さま――

範奈は風魔を見た。その眼を力強く見つめた。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、ここに何度か来たような、
そんな気がしています。
眠っている間に、
父上の言葉を預かったような――

もう一度、ホテルの部屋に戻ります。
冬至に間に合うように、
日本には戻ります。

範奈は踵を返し、確かな足取りで歩き去った。
そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにお戻りください。
ホテルでは戻れません!

〔山王ホテルロビー〕

祓えの間から山王に戻った風魔。ホテルロビーにいると梨央が本部からやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
大変です、彩女あやめさんが――
青山の脳病院に、
彩女さんの遺書があったと。
もうじき式部しきべさんがおいでに――

梨央が言い終わらないうちにホテル玄関から式部がやって来た。

【喪神梨央】
式部さん!
彩女さんの遺書って、本当ですか?
【式部丞】
ええ、あれは遺書です。
間違いようもありません――
捜索そうさくの依頼で警察に渡しましたが。
警察では何とか追いつける、
そう見込んでいるようです。
今は任せるしかありません。
【喪神梨央】
それで、遺書には、
どんなことが書いてあったんですか?
【式部丞】
このような乾いた世界では、
もう生きていけない、
兄さんを追いかけるのだと――
【喪神梨央】
彩女さんのお兄さんって……
【式部丞】
周防高麿すおうたかまろ、文学青年でした。
四年ほど前、一碧湖いっぺきこで入水しました。
【喪神梨央】
え? そうなんですね……
一碧湖いっぺきこ――
【式部丞】
一碧湖いっぺきこは、ある女性が入水してから、
しばらく後追いが続きました。
【喪神梨央】
独逸ドイツ人医師に殺されたユーゲントが、
投げ込まれたのも一碧湖いっぺきこです。
それにしても――

彩女さん、お兄さんのこと、
よほどお好きなのですね?
【式部丞】
兄さんが読書家なので、
少しでも話が合えばと、
セルパン堂で働いていたのです。
そしてオフィーリアという文芸誌を
購読していました。
【喪神梨央】
オフィーリア――
【式部丞】
ハムレットのヒロインです。
最後には気が触れて川に落ちます。
その様子を描いた絵が――
【喪神梨央】
ミレーの絵ですね!
上野の死ぬ死ぬ団の女性が、
口にしていました。
【式部丞】
漱石そうせきも取り上げていますね。
草枕にあります――

オフェリヤの合掌がっしょうして水の上を
流れて行く姿だけは、
朦朧もうろうと胸の底に残って――

漱石そうせきはテイト・ギャラリーで、
実物を見ているはずです。
そして思い違いをした――
【喪神梨央】
実際に見ているのに?
【式部丞】
ミレーのオフィーリアは、
合掌がっしょうに組んではいません。
思うのですが――
一碧湖いっぺきこといい、オフィーリアといい、
いずれも水にちなみますね。
【喪神梨央】
そういえば、彩女さん、
魚座だと言っていました。
【式部丞】
魚座は情緒じょうちょ豊かな空想家――
まさに彩女君そのものですね。
【喪神梨央】
彩女さん……
もう手遅れでしょうか?
【式部丞】
警察からの連絡を待ちます。
私たちにはそれしかできません。
喪神さん、
私はセルパン堂に戻ります。
【喪神梨央】
兄さん――

【新山眞】
喪神さん、梨央ちゃん!
広尾橋界隈かいわいでセヒラ急上昇です。
波形からすると――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【新山眞】
周防すおう彩女あやめさんです、おそらく……
【喪神梨央】
ええ? だって彩女さんは――

梨央は新山に彩女の遺書の話をした。
現在、警察が全力で追っていることも。

【新山眞】
だとしたら――
広尾橋にあるのは……
アストラル?
【喪神梨央】
じゃ、もう……
彩女さんは――

兄さん、お願いします!
広尾橋……いや、その近くです。

〔渋谷区豊受町〕

広尾橋電停で公務電車を降りた風魔は、宮邸脇を抜け豊受町界隈へ。
省線恵比寿駅と高樹町を結ぶ通りに出た。

【着信 喪神梨央】
%▲&士――
そこ◎★%&▲%ですか?

不意に建物の影から彩女が現れた。彼女は真っ直ぐ風魔のもとへ来た。

【周防彩女】
喪神もがみさん――
彩女、乱歩先生にご迷惑を
おかけしたかしら?
勝手にオリムピア号のお話、
披露ひろうしたりして――

でも言葉がどしどし出るのですわ。
オフィーリアを読んでいても、
ちっとも頭に入って来なくて、
知らない間につづっているのですわ。

彩女、兄さまにいざなわれている、
そう思うようになったのですわ。

するとどうでしょう、
すーっと身体が軽くなり、
いろいろのこともなくなり――

あれはまだ小さなときですわ。
兄さまと高尾山たかおさんに行き迷子に……
何時間も暗い山の中を彷徨さまよいました。
兄さまは、彩女、大丈夫か、
まだ歩けるかとしきりに心配され、
彩女は歯を食いしばって歩きました。
ようやくさわにたどり着き、
そこで少し休むことになりました。
彩女は木にもたれ眠りました。

いかほど経ったことでしょうか、
兄さまの声で目を覚ますと――
兄さまは沢の水をてのひらみ、
彩女に飲ませてくれたのです。
兄さまのてのひらから頂くお水は、
とても甘く柔らかくそして暖かく、
彩女の中に溶けていったのです――

彩女は兄さまとひとつになりました。

式部しきべ店長が御本に向き合われる時、
そこに兄さまの面影おもかげを認めますわ。
うなじの姿がそっくり――

でも兄さまとは違うのです!
兄さまはあんなことはされません。
大切な御本を破くなんて――

ある日、彩女は夜まで眠りました――
目を覚ますと書庫の方で物音がして、
その後店長がお出かけになりました。

彩女、書庫をのぞいて吃驚びっくりしたのです。
ゲエテの御本のページが破られ、
御本が半分ほどの薄さに――
きつねの裁判という美しい御本です。

兄さまは絶対ご本を破るなど、
そんなことなさいません!

店長の中に兄さまを認めていた、
彩女はとてもおろものなのです。

兄さま――兄さま――
兄さまは彩女をお呼びなのです。
呼んではいけないのだとお思いです。

――そんなことはございません。
彩女は行かなくてはなりません。
水の中で再び結ばれるのです。

私たちはまるでウンディーネと
ユーゴのようなのですわ――

そこまで言うと彩女は暗誦を始めた。

【周防彩女】
時計の十二時を示すや一陣いちじんの風と共に雨さえ加わり雷鳴がして、
ウンディーネが現れる。
ユーゴーは非常に後悔こうかいをして、
ウンディーネの腕を取ってびるが、
しかしウンディーネはそのままユーゴーをひかれて深く深くしずんでく――

突如として激浪げきろうが起こり、
華美を尽くせる大広間は
忽然こつぜんとして大海の如くなり、
水の神の水晶宮すいしょうきゅうが現出する――

彩女が語り終えた時、辺りが暗くなり薄暮のようになった。再び光が戻った時、目の前には千紘がいた。

【千紘】
ここは彩女の記憶なんだね――
彩女をそのままにしていて、
僕は自分のことが少し見えた――
そんな気がするんだ。
とかく水にちなむからね、彼女は。

それは、とりもなおさず、僕の中に、
水の要素を含むということさ!

心霊的なビジョンとされる、
メリュジーヌは、水の中にあり、
楽園的な存在を留めているのさ。
メリュジーヌは、人の血液にも、
命脈を保ち続けたと言われている。

僕の中の水の要素が、
高麿たかまろの入水自殺をもたらし
そこに彩女が強くかれた――

一見、不安定な彩女だけど、
水に向き合うことで、
彼女は安定していたんだよ。

でも彼女は式部丞に何かを見た――
兄を重ねているのは知っていた。
でもそれじゃない。
彼女の心に小さな穴が空いたんだ。
そういう中はじきに大きくなる。

だからおしまいにしたのさ。

フフ――
この僕が何かに不安を覚えるなんて。

どうだい?
君の力で僕の不安を払拭ふっしょくするのは?
いい考えだと思うよ!!

《バトル》

【千紘】
君はとても力をつけている。
新しい世界でもやっていけるね。
そのときが楽しみさ!

僕はホテルボストークにいる。
また時機じきを見て姿を見せるよ。
芽府めふ須斗夫すとおの予言通りなら――

千紘は音もなく建物の影に消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫でしたか?
ユリアさんが相談したいと――
アーネンエルベに向かってください。

〔アーネンエルベ〕

ユーゲントを指揮する虹人こうじんからの連絡で、帝都で怪人が姿を消しつつあるという。
廓清かくせいされるのではなく怪人のまま消えるのだ。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
来てくれたのですね。
コージンはユーゲントを連れて、
帝都をめぐっています。
そして妙なことを――

怪人が怪人のまま、
どこかに姿を消すと。

怪人はきを解かれて、
はじめて怪人ではなくなる――

怪人のままいなくなるなんて。
何かの作用が及んでいる、
そう思えてなりません。
フーマ、また新しいことがわかれば、
連絡します。

私……不安です……

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
先ほど、あきらさんたちがおいでになり、
彩女あやめさん、あ、いや、千紘ちひろさん、
間違いなくメリュジーヌですって。
その転生した姿だそうです。

メリュジーヌは仏蘭西フランスの伝承で、
魚の尾を付けた女性だそうです。
毎週末、尾を付けて海に帰る、
それを夫に見られたことで、
ずっと水の中で生きることに――

詳しいこと、あきらさんが調べるって、
そう仰っていました。
学校の図書館に向かわれました。
式部しきべさんからはまだ何も……

うまく受信できませんでしたが、
もう彩女さんはいらっしゃらない、
そうなんですね?

でも、どうして本を破ったり……
本を大事にされないのでしょうか?

その夜、式部から電話があり、一碧湖いっぺきこでは彩女は見つからなかったという。
風魔の報告を受けた梨央が彩女の件を話し、式部は考え込んだ後、人格の死と命名した。
周防すおう彩女あやめは人格の死を向かえたのである――

第九章 第四話 穴

〔山王機関本部〕

梨央りおは甲府連隊区に連絡を取り、山郷やまごう武揚ぶようの山梨での様子を確かめていた。
甲斐絹かいきを扱う生糸きいと商を営んでいた――

【喪神梨央】
屋号は山郷生糸きいとといいます。
甲府の北にある夢山ゆめやまという、
山の中腹に自宅があります。
【帆村魯公】
そうか――
そう言えばこれまで山郷のことなど、
詮索せんさくしてこなかったな――
【喪神梨央】
甲府連隊の糧抹りょうまつ係がよく知るのです。軍馬のまぐさを調達保管する軍属です。
【帆村魯公】
それで商売は順調なのか?
山郷の、甲斐絹かいき商とやらは。
【喪神梨央】
甲斐絹かいきは薄手で腰があって、
独特の光沢こうたくのある絹糸きぬいとです。
山郷はそれに飽き足らず――

北支ほくし原産の柞蚕糸さくさんしに興味を持っていたという。
柞蚕さくさん山繭蛾ヤママユガの仲間でさくの葉を食す天蚕てんさんだ。家蚕糸かさんしにはない野趣やしゅが持ち味である。

【喪神梨央】
新京シンキョウにある満蒙絲線まんもうシーチェンでは、
白黄斑山繭シロキマダラヤママユの人工飼育に成功して、
天蚕糸てんさんしの生産を本格化しました。
でも今年は病気が流行って――

かいこかび菌におかされる斑僵病まだらきょうびょうによって、柞蚕糸さくさんしが収穫できなかったのだ。
山郷は新京しんきょうに大量の甲斐絹かいきを調達した――

【喪神梨央】
満蒙絲線まんもうシーチェンの社長、好文海ハオウェンハイは、
山郷への支払いの一部に結 晶アルツケアンを、
充てたのです――
【帆村魯公】
今から考えると、
山郷は結 晶アルツケアンのことを知っていて、
取引を持ちかけたのかもな。
【喪神梨央】
その辺り、もう少し調べてみます。

ノックの音がして九頭がやって来た。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです――
って、のんびりですね、皆さん!
【喪神梨央】
軍帽を
着て怪人の
白い声
【九頭幸則】
物見遊山ものみゆさん
怪人来たりて
墓地の穴
【帆村魯公】
なんと!
【喪神梨央】
墓地に穴!?
【帆村魯公】
梨央りお、何か観測するか?
【喪神梨央】
いえ何も……何も観測していません。
幸則さん、青山墓地ですね。
――怪人、現れたんですか?
【九頭幸則】
いや……
ただ穴に人がたかっているだけ。
もう散歩しかすることなくて――

大掛かりなクーデター計画発覚後、
軍は綱紀粛清こうきしゅくせいとして
日曜下宿を禁止した。
そむキタル者は礼遇れいぐう停止ニ処スル――

【九頭幸則】
門限もんげんも早まって、午後四時だよ!
まるで尋常じんじょうの子供だよ!
【喪神梨央】
いいじゃないですか、
規律を守るのって素敵です。
青山の大穴、青山新京シンキョウで、
凄腕の風水師たちが守ります。
しばらくは安心なはずです。

ただ新聞がまた書きたてますね。
赤坂の大柱はお化け柱ですよ。
見ようと近付くと音もなく消える、
それでお化け呼ばわりされています。
【九頭幸則】
麗華さん、戻ったんだよね。
墓場の穴からじゃなく、
別の方法で戻ったの?
【喪神梨央】
ちゃんとゲートをくぐって――
兄さんが連れて帰ったのです。
今、あきらさんのアトリエにおいでです。
鈴代さんがお連れになりました。
【九頭幸則】
へぇ~
あきらさんとどんな接点があるんだい?
まさか米国アメリカ流お茶点前てまえとか?

あきら米国アメリカの魔法学校に身を置きながらも、麗華の通う学校の創設者、鴨脚敬祐いちょうけいゆうを尊敬し、その著書、東亜論とうあろんを愛読の書としていた。

【九頭幸則】
変わった接点だね――
鴨脚敬祐いちょうけいゆう、隊にも信奉者がいる。
でも今は自重のときだよ、さすがに。
【喪神梨央】
兄さん――
あきらさんのアトリエ、おうかがいすれば?
何かお話、聞けるかも知れませんよ。

〔旭のアトリエ前〕

日枝ひえ神社の裏にある
能海旭のうみあきらのアトリエ。
鉄扉てっぴの前であきらが出迎えてくれた。
梨央りおが一報入れてあったのである――

【能海旭】
風魔ふうまさん。
梨央さんから連絡もらったよ、
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
風魔ふうまさん――
レンザのが、
いろいろ情報を集めているみたい。
最近、あいつ、
よく出かけているようだし。
それに麗華さんとは気が合うんだ。

アトリエのドアが静かに開いてレンザが顔を覗かせた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、あきらさま。
風魔さまも――
【能海旭】
何だ、いたのか、
びっくりさせるな。
レンザ、
お前は麗華さんのこと、
気に入ったようだな。
【吉祥院蓮三郎】
はい、キタイスカヤでお目にかかり、
あの方はまさに完成間近かと――
そんな様子にございました。
【能海旭】
お前の言う完成とは、
どんな感じなのだ?
【吉祥院蓮三郎】
何と申しましょうか、
他の何者でもない存在になる、
そういうことにございます。
【能海旭】
何者でもない――
うーん、そうだな。
レンザ、お前も早く完成しないとな!

【吉祥院蓮三郎】
アキラさま――
麗華さまの学校を作った方の、
ご本をお持ちなんですね。
【能海旭】
鴨脚敬祐いちょうけいゆう先生だ。
帝国女学園創設者にして、
明治時代の国学者だ――
先生は東亜論という著作の中で、
日本こそ欧亜ユーラシア大陸で盟主となるべき、そう説かれている――

ボストンの本屋で東亜論と出会って、
私の人生が回り始めたんだ。
CCW公園のベンチで読み終えた――
【吉祥院蓮三郎】
クリストファー・コロンブス
ウォーターフロント・パーク――
そうでございますね。
【能海旭】
人に例えて、日本、鮮満が頭となり、
肥沃ひよくな大陸が強い胴体、
西アジアが脚となる壮大な計画だ。
麗華さんは学校で先生をのこと習い、
日本人の心をみがくため、
お茶を始めたらしい。
【吉祥院蓮三郎】
久遠くおん流にございますね。
お茶を通じて鈴代さまと出会われ、
愈々いよいよ霊異りょうい現すのでございます。
体深くに取り込んだ霊的結晶――
仮面の男を軽く退けた力……
やはり完成間近は疑う余地なし!
【能海旭】
何だ、お前?
麗華さんが審神者さにわとして成るのが、
嬉しいのか?
【吉祥院蓮三郎】
それはもう!
完成とは如何いかなるものか、
見てみとうございますゆえ!

【能海旭】
それで、麗華さんはどうした?
まだお前の部屋なのか?
【吉祥院蓮三郎】
いえいえ、
はずむようにお出になりました。
【能海旭】
そうなのか……
風魔さん――
何だか胸騒ぎがするよ。
――こういうの、当たるんだ……

〔旭のアトリエ前〕

アトリエ前の鉄扉のところに鈴代が立っていた。梨央から請われて麗華を迎えに来たのである。

【如月鈴代】
あっ、風魔さん……
麗華さんをお迎えにまいったのです。
――もしや、もう出られた……
そうなのですね!

不意に鈴代は顔を曇らせた。まだ万全ではない麗華を案じるとともに、不測の事態を招かいないとも限らない状況を案じているのである。

【如月鈴代】
梨央ちゃんから一部始終聞きました。
叔父おじが大変な迷惑をおかけし、
申し訳ありません――
新京シンキョウでN計画の情報が得られない中、麗華さんの渡満を知って、
叔父は計画を変えたのです――
麗華さんに結晶を取り込ませ、
仮面の男の計略に載せたようにして、
大きな力をもたらそうとした――
その力に寄せられるようにして、
失われた猶太ユダヤ支族のすえが現れる――
叔父おじは何の根拠があって、
そんなことを考えたのでしょうか?
人に犠牲をいることまでして、
見つけ出す人って……

【着信 喪神梨央】
今、鈴代さんもご一緒ですね。
麗華さんはこちらでも探してみます。
青山墓地の様子が変です。
セヒラが安定しなくなりました。
念のため巡視パトロールをお願いします!

【如月鈴代】
私、麗華さんを探します。
心当たりがあるのです――

〔青山墓地〕

公務電車で青山墓地に向かった風魔。そこでは大穴の周囲に大勢の市民が集っていた。市民たちは様々な方向を向いておかしな挙動を繰り返していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
比較的強いセヒラです。
市民は怪人化している模様!

【新聞売】
号外だよ~興亜日報の号外だよ~
赤坂のお化け柱に次いで、
青山墓地に謎の大穴出現だ!

新聞売に小僧が近寄った。

こら、坊主!
買わないならあっち行った行った!
【原宿の少年】
ねえねえ、何で興亜日報は、
おいらの川柳、載っけないの?
【新聞売】
何だ、読んでないのか?
怪人川柳はな、担当の記者が病気で、
当面休むとあったぞ。
記者は一日中、うつろな目をして、
ちゅうにらんでいるんだと。
神経の病だ、帝大出なのにな……
【原宿の少年】
怪人川柳、お休みか……
残念至極だな!
おいら、とっておきの、こしらえたのに。
【新聞売】
ふん、しょせん、
ガキのお遊びだろ?
【原宿の少年】
どうかな――

高い空
走る怪人
道柳みちやなぎ
【新聞売】
ふーん……
その道柳ってのは、
銀座の並木のあの柳か?
【原宿の少年】
何言ってんだよ!
別名庭柳、たで科の仲間の一年草――
道端みちばたでよく見かけるじゃないか!

大穴の脇で車投げの挙動を繰り返していた背広姿の男性がこちらを振り向いた。そして風魔に歩み寄る――

【飯倉の客】
新宿の東海館で観たんだ!
ああ、幻燈会げんとうえだよ、
天睛院てんせいいんオラクルだ。
奇術師の天睛院てんせいいんが銀幕に現れた。

血走った目をワイフに向けた!
私のワイフをにらみつけて言うんだ、
顔が見える、顔が見える――
アレが鼻、ソレが目、とな!
顔は貫禄かんろくのある紳士しんしです、
乳房の間に顔が埋まりまぁす!
顔の主は三河台みかわだいの銀行支店長だ、
天睛院てんせいいんはそう告げやがった!
銀幕の中からだ!

ワイフは真っ青になって、
頓狂とんきょうな声上げて活動キネマ館を飛び出し、
もう七日も戻らない!!

何が天睛院てんせいいんオラクルだ、
ふざけんな!!

《バトル》

【飯倉の客】
はぁ、はぁ、はぁ~
ワイフの服がやけに煙草たばこ臭い、
そういう日が少なからずあったなぁ。
煙草たばこ……三河台みかわだい……支店長……
――ううううううぅぅ~

【着信 喪神梨央】
今の話は天睛院てんせいいん一座のことですね。
女流奇術師の天睛院てんせいいんが率いる一座で、
透視術を専らとしています――
顔が見えるというのは、
天睛院てんせいいん十八番おはこなのです。
あまりいい顔は見えませんが――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだセヒラ収まりません!
引き続き警戒してください。

【台町の婦人】
真白ましろき細き
手をのべて……
血汐ちしお洗い去り~
吹けよ朝風あさかぜ
初陣ういじんの……
胸の火玉ひだまあれ!
永久とわさかえの  
だい亜細亜アジア
世界に示せ――

そこまで言うと着物姿の女性は力なくうなだれた。後れ毛が額にかかっている。目を閉じ、ゆっくりと開いた。風魔を見るようでもあり、見透かすようでもあった。

【台町の婦人】
どうしたのかしら……
私ったら、こんなところで?
――あなた、警察の方?
さ、帰って支度したくしなくちゃ!
支度したく支度したく――

女性はふらつきながら風魔の脇を抜け青山通へ去った。大穴の周囲にいた市民たちも一様にうなだれている。

【着信 喪神梨央】
支度したくって、何の支度したくでしょうか……
ちょっと気になりますが、
もう、セヒラは観測しません。
山王さんのうホテルに殿下がお見えです。
ご帰還ください――

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは聖宮と魯公が立ち話をしていた。

【聖宮成樹】
喪神さん――
喪神さんの時間がずれ始めている、
そううかがいました。
【帆村魯公】
帝都満洲での一日が、
帝都の何日分にもなる、
そういう現象が起きています。
【聖宮成樹】
セヒラの動きが関係している、
そう考えられますね?
【帆村魯公】
セヒラの動き?
そんなものがあるのですか?
まるで日和ひよりのようですな!
【聖宮成樹】
まさに、循環じゅんかんする大気のようです。

そう言うと聖宮はセヒラ回廊かいろうの話をした。アラヤ界のさらに深い階層に、セヒラが無限に循環じゅんかんする場所があるという――

【聖宮成樹】
セヒラ回廊には古今東西、
ときには未来からも思念が流れ込み、
セヒラとなって循環してるのです。
【帆村魯公】
思念はセヒラとして実体化する、
そういうことなですな?
【聖宮成樹】
念とは質量を伴うものです。
それがさらに凝固して出るのが――
【帆村魯公】
アストラルですな!!
【聖宮成樹】
帝都にもアストラルが出た、
そう伺っています。
【帆村魯公】
ほう!!
目の当たりにしました!
あれは風水師のアストラルでしたな。
【聖宮成樹】
セヒラ異常が起きると、
アストラルも表出するようです。
セヒラ回廊そのものは制御不可能、
しかし帝都に湧出ゆうしゅつするセヒラ量は、
釣鐘つりがねでなんとかなるはずです。

しかし、このところ、
どうも様子が変なのです。
セヒラ回廊の動向が怪しくなり、
それがせいで釣鐘つりがねに影響が及び、
帝都の状況、予断を許しません。
【帆村魯公】
うむ……
仮面の男のせいで生まれた、
赤坂の大柱も依然いぜんと残ります。
【聖宮成樹】
数年前のことですが……
独逸ドイツ人たちはアラヤ回廊自体を、
なんとかしようとしたようです。

そう言うと聖宮ひじりのみやは一枚の青図を取り出した。
独逸ドイツ人たちが伊豆修善寺しゅぜんじ近くで見つけた穴、それをコンクリートで補強したのである。

青図には十進法で緯度経度が記してある。35、0018、138、9850――
伊豆修善寺しゅぜんじ近くの山中を示している。

【帆村魯公】
青山墓地にも穴が開いていますが、
あれはまた違うのですな?
【聖宮成樹】
墓地の穴は帝都満洲に繋がる穴、
独逸ドイツ人の探したロッホとは異なります。
伊豆の現場には倭文しどり神社のほこらがあるばかり、何も見当たらないとのことです。
【帆村魯公】
ほう、倭文しどり神社、またはしづり――
機織はたおりの神である建葉槌命たけはづちのみことまつる。
鳥取にある倭文しどり神社が有名ですな。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人たちは伊豆をよく調べ、
一箇所は見つけた――
それがこの青図のロッホなのです。
【帆村魯公】
そのロッホがアラヤ回廊に繋がる、
そういうことですな、殿下?
そしてロッホは他にももっとある――
【聖宮成樹】
山王さんのうにも品川にも、
ロッホのあった形跡は残ります。
山王さんのうが最もよく残しています――
【帆村魯公】
うむ……
そのようですな。
しかしもはや穴ではないと――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホテルにおいでですか?
青山新京シンキョウの風水師の一人、
覚醒かくせいしたようなんです。
それで離脱してしまい――
セヒラが物凄く不安定です!

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、まずは目先の問題です。
ロッホの件、さらに調べましょう。
帝都の何処いずこかにあるはずです。
【帆村魯公】
梨央ははらえの間にいるはずだ。
風魔、頼んだぞ――

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
覚醒かくせいした人はヘレナさんです。
ヘレナスーさん――
八年間も昏睡こんすい状態だったとか。
昏睡こんすい状態から覚醒したので、
アストラルが弱くなった、
そのようです。

波形を確認すると、
品川図們トモンに漂うようです、
ヘレナさんのアストラル――

風魔は祓えの間からゲートを抜けて帝都満洲へ赴いた。

【満鉄列車長】
未来というのは必ずしも
一つというわけではない――
そう思いませんか?
川で小さな魚が跳ねただけで、
変わってしまう未来もあるようです。
力づくでは変えられないのに、
ささいなことで変わってしまう――
これは不条理なんでしょうか?

当列車、品川図們トモンに向かいます。
出発で~す!

風魔を乗せた帝都満洲鉄道あじあ号は一路品川図們を目指した。

〔品川図們〕

【AGK研究員Wアストラル】
アルツケアンは五つ見つかった――
蟻走痒感府ぎそうようかんふに二個ある。
アーネンエルベに二個、
あと一つはかい族が持ち去った――
【AGK研究員Aアストラル】
蟻走痒感府ぎそうようかんふではカーンが取り込み、
不老不死の存在になったんだ。
調査隊の副長、カーンと交渉すべく、
蟻走痒感府ぎそうようかんふに戻ろうとしたが迷った。
瑒納斯チャンナンス河畔かはんを二週間彷徨さまよい、
気が触れてしまったんだ。
【AGK研究員Wアストラル】
烏魯木斉ウルムチから百八十キロ南西、
緯度経度も正しいのに見つからない。
幻のように消えたんだ!
【AGK研究員Aアストラル】
かい族の少年カールが言ってた――
蟻走痒感府ぎそうようかんふが現れるには、
三十六の条件が必要らしい。
【AGK研究員Wアストラル】
条件で思い出した!
アルベルト、お前ゼーラム六八六の
フェラー還元方程式、知ってるか?
【AGK研究員Aアストラル】
ゼーラム六八六?
何だそれは?
ゼーラム五二五なら知っているが……
【AGK研究員Wアストラル】
俺の聞き違えかな……
確かに六八六なんて知らないな?
――あ、いや、知ってる気が……

会話をしていた2体のアストラルが音もなく消えた。そこへ中型アストラルがやって来た。

【ヘンリーオートCアストラル】
毎日がデリシャス!
ウェストロックのウェストダイナー、
カイザーひげのハモンド爺ちゃまは、
狼もちびるWWⅡの英雄さまだ!
油汚れでギトギトの厨房ちゅうぼうの窓から、
くそったれ災い州間道路をにらみつけ、
喧嘩けんか売るのが日課の爺さまだ!

あの州間道路は災いのデパートだ。
五十八年の大竜巻は、
あの道路に沿って移動しやがった!

ウェストロック高校の社会科教師、
オールドミスのドロシーも災難だ。
クルマは十八マイル先の沼で、
カエルの学校の校舎になっていた。
でもミスドロシーの姿はなかった――

ブライトン爺さん、
あの怪物こしらえたの俺だと思ってる。
あほらしー!
身体中から大小の砲身、
十二本も生やしてやがった!
一番でかいのは二五〇口径はある、
一五〇口径の榴弾りゅうだんも見たぞ!
怪物はウェストロックでは一発も、
撃たなかった――
その代わりツーソンは全滅した。

大和ヤマト天皇エンペラーは魔法を使うらしい。
エンペラーズヴンダーだ……
でもな、何でドイツ語なんだ?
クラスにドイツ野郎いたからな、
ヴンダーってのはドイツ語だぞ。

俺は今大和語ヤマトニーズを練習中だ。
自分名前も書けるぞ、大和語ヤマトニーズで。
湖泥亜駄無素コーディアダムス――

中型アストラルはぐるぐると回転して消えた。

〔品川図們〕

次の街区に進むと、アストラルが寄って来た。

【AGK2研究員Hアストラル】
フェラー還元方程式の完成で、
カー体の半減期が二万六千年に伸びた。
発見時は二秒半で崩壊したのに。

もう一体のアストラルも来た。風魔のすぐ目の前にいる。

【AGK2研究員Pアストラル】
カー体を触媒として、
ゼーラム六八六は誕生した!
釣鐘二ツヴァイに満たして荷電かでんすると、
強烈な量子場が形成される――
まさに量子力学の奇跡だ!
釣鐘二ツヴァイは、空中三百メートルで、
直径四十キロの椀状わんじょう空域を生じる。
椀の中は数千度の高温となる――
【AGK2研究員Hアストラル】
総統フューラーの決断は早かったな!
ロンドン、パリ、モスクワ……
皆、壊滅だ。
我々は神の意志を得た――

2体のアストラルは左右へ去った。そこへ一体のアストラルが来る。アストラルは様子をうかがうようにして風魔に近寄ってきた。

【AGK研究員Gアストラル】
何だ、今の連中は?
何を寝物語をしている!!
あああ、苦しい……
息ができない――

《バトル》

【AGK研究員Gアストラル】
勝手にAGKアーゲーカー2を名乗るな!
私はユルゲン・フェラー博士の、
一番弟子なんだぞ!!

アストラルが爆ぜるようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
別のアストラルが来ます――
おそらくヘレナさんです、
かなり苦しんでいます……

無線の後、中型アストラルがやって来た。その動き、どことなく不安定である。

【風水師HSアストラル】
たしかに自暴自棄になっていたわ!
六年も付き合った人と、
酷い別れ方をしたんだもの。
でもね、死のうなんて考えない。
ただ眠りたかっただけ――
ぐっすりとね!
おかげでよく眠れた……
なのに、何故、目覚めるの?

ここはフカヒレ屋の奥ね!
壁には八年前のカレンダーが――
コーマ状態でも髪は伸びるのね!

フフフフ~
さぁ、戻して頂戴、
また眠りの世界へ!!

《バトル》

【風水師HSアストラル】
ふう……
体が軽くなっていくわ。
――これでいいのよ、これでね……

アストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
ヘレナさん、戻られたようです。
やっぱり……

桃源郷とされる蟻走痒感府ぎそうようかんふとアルツケアンは、繋がりを持っていた。
そして帝都は不思議な未来とも繋がっている。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
またちょっとズレた未来と、
繋がってしまいましたね!
【新山眞】
いやぁ、ズレているかどうかは、
まだわかりません。
それにしてもすごい未来です!
ナチが量子爆弾をこしらえ、
我が方は――
【喪神梨央】
ヴンダー、怪物です。
巨大なが、実体化している、
そういうことなでしょう?
【新山眞】
キタイスカヤでもその会話が……
芽府めふ須斗夫すとおが言っていました。
怪物とは巨大な人籟じんらいであると。
【喪神梨央】
でも、そんんなこと、
本当に起きるんですか?
が見えるようになるなんて。
【新山眞】
今のところ、可能性は低いです。
ただ、何が起きるかは――

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです、
今度こそゆっくりはダメだ、風魔ふうま
【喪神梨央】
どうしたんですか?
でも見たんですか?
【九頭幸則】
例の違うものに見えるって話さ!
――ほら……
【新山眞】
仮構かこう、ですね。
東京ゼロ師団による――
【九頭幸則】
それそれ!
青山の青山せいざんホテルが、
いつのまにやらトゥーレの館に――
【新山眞】
何ですって!
独逸ドイツ流儀の召喚術を伝授する……
【喪神梨央】
鬼龍大尉が宿舎として使い、
その後、麗華さんが部屋を取り――
あの青山ホテルですね!
リヒャルト・フィンケが、
以前、宣言していましたね。
帝都にも館を置くって――
【九頭幸則】
何だか知らないけど、
人だかりができているよ。
【喪神梨央】
――兄さん……
アルツケアンですが、
アーネンに渡ったうちの一つは、
仮面の男が取り込みました。
もう一つの行き場が気になります。

第九章 第三話 時間軸の歪み

赤坂の大柱のことはすっかり市民の知ることとなり、連日、物見遊山の市民が詰めかけた。

【洋服姿のモガ】
大柱様! お願いします――
私、大柱様のように二人で向き合い、
家庭を築きたいのです!
【油絵が趣味の男】
うーん、このアングルだと、
柱が全部は見えないなぁ。
だが柱の高さはよくわかる……
【水飴売】
水飴いらんかねぇ~
甘い、あま~い水飴だよ~

一方、青山墓地に開いた大穴の周囲には大勢の巡査が動員され、市民の接近を監視していた。好奇心に駆られた市民も遠巻きに眺めるのみであった。

〔釣鐘の間〕

しかし、怪人騒動が頻発ひんぱつすることもなく、帝都は静けさを保っていた。
すでに12月中旬になっていた。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
今、釣鐘つりがねの出力を上げています。
【新山眞】
出力を上げると、
セヒラの量も増えそうですが、
そうはならないのですね。
【聖宮成樹】
あるところまではセヒラが増えます。
しかし、さらに出力を上げると、
不思議なことにセヒラが下がる――
どうもそのようです。
【新山眞】
スプライン曲線という、
三次元曲線があるのですが、
それに似た挙動を示すのですね。

喪神さん――
この穴が青山新京シンキョウに通じるのなら、
麗華れいかさんが戻るのは造作ありません。
ただ今はセヒラを何も観測せず、
大穴が開いているだけです。
すぐに麗華さんが戻るというのは、
ちょっと考えにくいのです。
【聖宮成樹】
再びセヒラが上昇した時、
釣鐘つりがねの出力をさらに上げると、
一瞬、高濃度のセヒラが発生します。
セヒラの濃くなるその一瞬は、
最大限の注意が必要です。
それは心しておいてください。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
隊長がおいでです。
機関本部へお越しください。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人が発掘したアルツケアンは、
アーネンエルベに一肌ひとはだ脱いで
もらうのがいいでしょうね。

そう言うと聖宮は釣鐘の間を出ていった。風魔、新山も後に続いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
参謀本部通いだった隊長が、
軍の謀反むほん計画を調べてくれました。
【帆村魯公】
謀反むほん計画――
確かにそうじゃな、謀反むほんじゃな。
参謀本部と陸軍省の調べで、
久鹿くろく計画の全貌ぜんぼうが明らかになり、
歩三では大掛かりな沙汰さたがあった。
【喪神梨央】
沙汰さたって……
つまり、人の異動とかですか?
【帆村魯公】
そうだな――
その実は粛清しゅくせいじゃよ。
とりわけ歩三には、
大鉈が振るわれたようじゃ。
連隊長の常田つねだ大佐も転隊になった。
【喪神梨央】
そうなんですね。
久鹿くろく計画の中心ですからね――
それで、常田大佐、どちらへ?
【帆村魯公】
新潟の第十三師団だ。
輜重しちょう兵第十三連隊渡河とか材料中隊――
部隊は新潟県中頸城なかくびき郡高田市にある。
【喪神梨央】
渡河とか材料中隊って……
橋を掛けるための資材を調達する、
そういう部隊ですよね。
【帆村魯公】
ああ、そうだな。戦闘部隊ではない。
部隊は高田城址じょうしの南に位置する。
部隊暗号は九一〇九だ――
久鹿くろく計画に関係するものなのか、
参謀本部第九部で、
このような伝単ビラが取得されていた。

下士官兵ニ告グ――
その標題で始まる伝単ビラであった。
一、今カラデモおそクナイカラ
  原隊げんたいかえ
ニ、抵抗ていこうスルもの
  全部逆賊ぜんぶぎゃくぞくデアルカラ射殺しゃさつスル
三、オ前達まえたち父母兄弟ふぼきょうだい
  国賊こくぞくトナルノデみなイテオルゾ

【喪神梨央】
原隊へ帰れ――
これって、計画の失敗を、
あらかじめ知っているのではないですか?

そこへノックの音がして九頭が入ってきた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです。
この伝単ビラ、何ですか、先生?
【帆村魯公】
謀反むほんの将兵に投降とうこうを呼びかける、
その目的でられた伝単ビラだな。
【九頭幸則】
例の久鹿くろく計画ですね――
軍務局長暗殺、続く大暗殺計画、
実行されたら大変でした。
【喪神梨央】
こういう伝単ビラがあるというのは、
計画の失敗を予見よけんしていたと
そう考えられますね。
【帆村魯公】
失敗になる筋書きがあったとかな。
はなからそういう計画だったのかも。
結果、国体の再生は進むはずだ――
【九頭幸則】
だとすると、
宗谷そうや大尉の死は犬死ではなかった、
そうなのかも知れませんね。
【喪神梨央】
常田大佐の赴任ふにんした高田ですが――
上野から省線急行で行けますね!
【九頭幸則】
え? 
歩三の常田大佐、転隊したの?
その高田ってどこ?
【喪神梨央】
越後えちご高田です。信越しんえつ本線ですよ。
上野発夜八時五十五分、高田着は、
朝四時五分の夜間急行で行けます。
【帆村魯公】
常田大佐は輜重しちょう部隊に移った。
そういうことだ――
【喪神梨央】
川に橋をける資材を調達します。

再びノックの音が響く。フリーダ葉がドアの隙間から顔を覗かせた。

【フリーダよう
私、入って大丈夫かしら?
【喪神梨央】
フリーダさん!
どうしたんですか?
【フリーダよう
風水師のバーナードが、
仲間に声をかけてくれたのよ。
あのバーナードチャンよ。
それで五人の風水師が集まって、
青山新京シンキョウの穴を守ってくれている。
そういうことみたいよ。
みんな未来から繋がった思念、
大元はうんと遠くにいるのよ。
【喪神梨央】
そのおかげで青山墓地のセヒラ、
大きな値が観測されないのですね。
【フリーダよう
値の大小はわからないけど、
彼ら風水の術が効いているのかも。
【喪神梨央】
すると青山新京シンキョウに未来が繋がった、
そうなんですか?
【フリーダよう
そうじゃなくて、
彼らが思念を繋いだのよ。
でも――
【喪神梨央】
何か問題でもあるんですか?
【フリーダよう
他の思念もられてやってくる、
その可能性もあるわね。
あったらあったで面白いけど。
【喪神梨央】
ねぇ、フリーダさん。
前に見せてもらった小さな幻燈器げんとうき
あの原理ってどうなってるんですか?
【フリーダよう
あれはね、未来の技術なの。
この時代に披露ひろうすることはできない。
それはわかってね――

独逸ドイツ大使館〕

殿下の言葉もありアーネンエルベに寄っては、という魯公ろこうの提案があり、風魔ふうま三宅坂みやけざかへ。
ユリアと虹人こうじんが迎えてくれた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館でセヒラ観測です!

交信終わるや否や、執事型ホムンクルスが駆け寄って来た。

【執事型ホムンクルス】
標的ツィール
――排除アンシュルス! 排除アンシュルス

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……終了エンデ……

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
大丈夫だったか、風魔?
執事型の洗礼を受けたみたいだが。
【ユリア・クラウフマン】
フーマがここに来るのを、
知っていたようですね――
【帆村虹人】
そうそう、梨央りおが教えてくれたよ。
大昔の隕石いんせきなんだって?
アルツケアン――
【ユリア・クラウフマン】
私もアルツケアンのこと、
少し調べてみました。
コージンも手伝ってくれたのです。
アルツケアンはウルムチの南西、
およそ一九五キロの山中で発掘され、
アーネンエルベにもたらされました。
【帆村虹人】
かい族の少年、アヒムが犠牲になった。
彼は急に学者になったりした――
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは人の意志を読み取り、
人がそう振る舞うように仕向けます。
【帆村虹人】
寝ている間に蒸発する結晶なんて、
なんだか厄介やっかいだよ。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは、
真空容器に入れて取り扱います。

【帆村虹人】
人が変わる現象はメントロピー……
そう言うんだね。
独逸ドイツ人は何でも名前を付けたがる。
【ユリア・クラウフマン】
そうですね……
メントロピーがいつまで続くか、
まだわからないことだらけです。
仮面の男にアルツケアンをほどこしたのは
フェラー博士に違いありません。
【帆村虹人】
それで仮面の男は、
自分以上の自分になれたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
取り込み方も重要なようです。

気体化したアルツケアンを吸い込み、身体に定着しきるまえに目を覚ますと、メントロピーは短い時間で終わるという。

【帆村虹人】
かい族の少年は、
完全に取り込む前に目覚めたんだね。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男には慎重に施した――
フェラー博士はコンプレットを、
作ろうとしたのでしょう。
【帆村虹人】
コンプレット――
【ユリア・クラウフマン】
完全版といった意味です。
【帆村虹人】
麗華さんに結 晶アルツケアンを施したのが、
山郷だとすれば、
方法を知っていたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
容器から出して、
部屋においておくだけです。
けれど、アルツケアンについて、
知識はあったんでしょうね。
【帆村虹人】
誰かが教えた、そうだよね、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンどうしで、
大きなセヒラ場を生むことも。
よほど詳しい人物がいた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
風水師たちを阻害そがいする者が――
青山新京シンキョウです。

【帆村虹人】
僕はユーゲントたちを組織して、
仮面の男の捜索そうさくをするよ。
捲土重来けんどちょうらいを狙ってそうだから!
【ユリア・クラウフマン】
私はヘーゲンの動向を探ります。
先ほど執事型を何体も連れて、
市内に出かけました。
何か目的があるようです。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴を、
五人の風水師が守ります。
そこへ阻害する者が現れたと――
【新山眞】
ジョン・チュー、エリック・ホイ、
ヘレナ・スー、ドナルド・プー、
そしてアンドリュー・ワン――
アンドリューさん以外、
苗字の漢字はわかりません。
【喪神梨央】
一人、女性がいるのですね――
ヘレナさん……
何があったでしょうか。
【新山眞】
フリーダさんいわく、
五人とも昏睡こんすい状態にあるとか。
それで思念を飛ばすのです。
【喪神梨央】
フリーダさんの携行式けいこうしき幻燈器げんとうき
もしかしてキノライトの会社かも。
東京幻燈げんとう工業ってところです。
ちょっと調べてみますね!

〔赤坂哈爾浜駅〕

【満鉄列車長】
青山新京シンキョウにいる連中、
香港ホンコンから繋がっているようですね。
それもうんと未来の香港ホンコンから。
前にも似たようなことがありました。
それで未来から色々来たのです――
今度も来るかもしれませんね。
――どんな未来からでしょうか?

列車は青山新京シンキョウに向かいます。
間もなく出発します。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
見たこともない波形を観測しました。
注意してください!

交信後、すぐさま中型アストラルがやって来た。

【ダイナー店主Bアストラル】
俺があの怪物ヴンダーを初めて見たのは、
誰が呼んだかクソ退屈州間道路インターステーツ上だ。
ツーソンまで真っ直ぐ続くクソ道路、
あれを計画した奴は、
よほどの阿呆あほかおせっかい野郎だ。
ハンドル操作不要で楽々チンチン――
そう考えたのかもな。
救いようのないおせっかい野郎だな!

怪物はウェストロックを貫く州間道路を、ツーソン方面へ移動していたという。
町外れの小屋で暮らすセルマ婆さんが、ミッションオイルの染みを見て救世主キリストと信じ、全米からおかしな連中が集まった道路である。婆さんは純白のウェディングドレスをまとい、オイル染みのある場所へ日参した。
ドレスが灰色になる頃に騒ぎは収まった。

【ダイナー店主Bアストラル】
怪物はコーディの仕業だと考えた。
ヘンリーオートの穀潰ごくつぶし、
キング・オブくそったれコーディだ。

なんせあの怪物、
体中から砲身突き出していたからな。
歩く砲身天国だ、まったく!

コーディは車屋を営むが、
筋金入りのガンクレイジーだぞ。
弾の出るものなんでもござれ!
去年、二十八年型T1軽戦車を買い、
三十七ミリ歩兵砲を取り外して、
九十三ミリ砲に載せ替えやがった。
奴がそいつをぶっ放した時は、
地面は脂肪デブの腹みたいに波打ち、
砂煙が竜巻状に舞い上がったもんだ。
永久に太陽が顔を出さなくなり、
ウェストロックは氷河期を迎える、
そう心配したもんだ。

あの怪物もコーディの野郎がこしらえた、
そう考えるのも当然といえば当然だ。
真っ白な不気味や怪物をな!

だが違った! 真実は奇なり!
怪物は日本人ジャップが持ち込んだんだ。
今は大和人ヤマトニアンって呼ぶんだったな。

あの怪物どもとナチの新型爆弾で、
アメリカは日本とドイツに全面降伏、
西経百四度で分断統治されたんだ。
モンタナ州とノースダコタ州の州境、
それがになった。
百四度線と呼ばれる――

日本人ジャップ、いや大和人ヤマトニアンは、
ロスにアメリカ総督府を置いた。
西半分、大和ヤマト領ってわけだ。
そういや、大和人ヤマトニアンの連中、
あの怪物のことをなんと呼んだか……
確か――
ジンライマジン――
大和語ヤマトニーズは難しいぜ、まったく!

アストラルが回転しながら消え、風魔は街区を進んだ。そこでは2体のアストラルが会話していた。

【着信 喪神梨央】
未来のことのようですが――
何かズレが生じているようです。
警戒して進んでください。

【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか港に停泊中の戦艦京畿けいき艦上で、
宮崎みやざき全権大使とモス米副大統領が、
横須賀よこすか条約に調印し――

ああ、何かうまくまとめられない。
イケダ、お前の方はどうだ?
【新聞記者Iアストラル】
日本国は大和やまと国として省庁再編、
拓務たくむ省から改組の拓殖経務たくしょくけいむ省が、
鮮満に次ぎ西米洲を管轄かんかつ――

サカイ、お前の原稿は、
条約の目玉を取り上げたほうが、
いいんじゃないか?
【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか条約の目玉か――
ドル二十八円の固定相場制とか、
米国アメリカ石油の無制限輸入とかか?
【新聞記者Iアストラル】
そうだな――
それを見出しにして、
米国総督府のエドガー蒲田かまた総督の――

そう言い終わらないうちに5体のアストラルが同時に入ってきた。

【新聞記者Sアストラル】
ん、何だ、何があった?

【超級風水師AWアストラル】
私たちでは、
押さえきれない邪悪な存在だ。
頼む、なんとかしてくれ!
【風水師HSアストラル】
邪気の流れを整える、
私たちにできることよ。
それを超えては無理だわ――

そう言うと5体のアストラルは隣接する街区へと進んだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区に進んでください。
セヒラ、観測します!

果たしてその街区には仮面の男が待ち構えていた。セヒラ異常に呑み込まれて消えて以来である。

【仮面の男のアストラル】
私は自分こそ虚無きょむだと思っていたが、
あの女ほどではない――
月詠麗華つくよみれいかだ!
あの女の内側には何もない。
怒りも憎しみも、さげすみも、何もだ。
あの女は戦いそれ自体を楽しむ――

二つのアルツケアン、
その衝突が狙いだったとはな!
私も焼きが回ったものだ。
だが、この戦いで私は再生する。
さぁ、憎しみをわけてくれないか!!

《バトル》

【仮面の男のアストラル】
お前は闇をのぞいているつもりか。
闇もまたお前をのぞいているのだ。
それを忘れるな――

仮面の男が消えた後、風魔はさらに街区を進んだ。地面に大穴の開いた場所である。穴の周りを5体のアストラルが囲んでいた。

【風水師HSアストラル】
助かりました――
私はヘレナ・スーです。
香港の風水師です。
今は九龍クーロンフロントの海鮮中心にある、
フカヒレ屋の奥の部屋で、
八年も昏睡コーマ状態になっています。
あの頃、眠れない夜が続き、
素人しろうと療法で睡眠薬を飲みすぎて――
先日、私の思念はバーナードに会い、
ここにいざなわれました。

【風水師JCアストラル】
さぁ、また私たち五人で、
ここの邪気をしっかり整えますよ。
私たちは誇り高きコーマ団ですから!!

5体のアストラルが穴の中央に集まった。その直後、穴からはセヒラの湧出が始まった。しかしアストラルたちが制御するためセヒラはか細くまるで糸のようであった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンで麗華さんらしき波形、
確認しました。
赤坂哈爾浜ハルピンに向かってください。

大穴はひとまずアストラルたちに任せることにして風魔は踵を返した。

【満鉄列車長】
やはりです、憶測したとおりです。
赤坂哈爾浜ハルピンの町に、
キタイスカヤが出現しました。
哈爾浜ハルピンのキタイスカヤです、
あの大通りがそっくりそのまま!
そして私の状態では、
キタイスカヤに入れないのです!!

え~間もなく、赤坂哈爾浜ハルピン
赤坂哈爾浜ハルピンです~
キタイスカヤもこちらです~

赤坂哈爾浜の街頭に立つ風魔の周囲がゆらいで暗転した。光が戻るとそこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
そこは……
またキタイスカヤ街ですね!
依然いぜん、麗華さんらしき波形、
確認できています。

交信と入れ替えに千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎がやって来た。

【芽府須斗夫】
なかなか、面白いことになってきた。
――そうじゃないかな?
【千紘】
未来から思念が繋がった――
【吉祥院蓮三郎】
香港の風水師は、
皆、昏睡こんすい状態にございます。
それでなお、思念を飛ばすのです!
【芽府須斗夫】
それもあるけど――
少しズレた未来と繋がっている。

そう言うと、芽府めふ須斗夫すとおは、先の新聞記者の思念に深く触れ、様々なことを知ったという。

【芽府須斗夫】
日本とドイツはアメリカと戦い、
結局、アメリカを打ち負かすんだ。
そういう未来だよ。
ドイツは六十発の量子爆弾を落とし、
日本は三百八十六体の怪物で攻めた。
怪物はヴンダーと呼ばれているよ。
【吉祥院蓮三郎】
ヴンダーとは独逸ドイツ語にございますか?
【芽府須斗夫】
その正体、人籟じんらいだよ!
それも相当大きな人籟じんらいだ。
【吉祥院蓮三郎】
人籟じんらい
東京ゼロ師団が関わる
それでございます!
【千紘】
ふーん……
東京ゼロ師団っていうと、
工廠こうしょうの上部組織なんだろ?
【芽府須斗夫】
アメリカを攻撃したのは、
普通の人籟じんらいじゃないさ。
ゼーラム六八六で改良されている。
【吉祥院蓮三郎】
それでヴンダーと、
独逸ドイツ語で呼ぶのでございますね!
【千紘】
そんなのを、アメリカ本土まで、
どうやって運んだの?
【芽府須斗夫】
伊五百号潜水艦百三十六せき
加えて戦艦阿蘇あそ、戦艦生駒いこま――
海軍が全面協力したんだ。
ドイツから釣鐘つりがね運んだときも、
伊号潜水艦が使われた。
人籟じんらい運んだのは最新型だね。
【吉祥院蓮三郎】
独逸ドイツの爆弾とは、
どのようなものでございますか?
【芽府須斗夫】
ゼーラム六八六を用いた量子爆弾――
それしかわからない。
東海岸の二十四の都市が壊滅した。
死者三百四十万人――
アメリカ本土は西経百四度で分断され、
東アメリカを独逸ドイツが占領、西アメリカは日本に併合へいごうされたという。
【千紘】
でもそれって、正しい未来なの?
【芽府須斗夫】
わからないさ――
いろんな時間の線が錯綜さくそうしている。
【吉祥院蓮三郎】
今の時点で米国アメリカと戦っていません。
それに……
アキラさまの学校、東海岸にあります。
それが独逸ドイツ領になってしまうのです。
何か複雑な感じがいたします。
【芽府須斗夫】
未来にはあらゆる可能性がある。
そういうことだね。

芽府須斗夫は風魔に向き直って言う。

【芽府須斗夫】
僕たち、帝都で石を拾ったんだ。
仮面の男が残した石だと思う。
【千紘】
田町たまち、広尾橋、大崎広小路おおさきひろこうじ――
仮面の男が結界破りに使ったんだ。
仮面の男は劣化れっかしているはずだ。
麗華さん、しばらく安全だね。
今はホテルにいるよ、麗華さん。
【芽府須斗夫】
ホテルボストーク。
この先にある小さなホテルだ。
【吉祥院蓮三郎】
私の勘としましては――
麗華さまと豪人たけとさまが出逢えば、
お二人とも愈々いよいよ完成するのでは?
そう思う次第しだいにございます。
お二人、完成寸前にございますゆえ。
アキラさまのお声が
聞こえるようです――

レンザ!
お前も早く完成させないとな――

【着信 喪神梨央】
ホテルボストーク、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
東方 ボストーク飯店の看板が目印です。

交信を終え風魔が顔を上げると3人はいなくなっていた。風魔はホテルを目指した。

〔ホテルボストーク〕

公園越しにソフィースキー寺院を望む、八東方飯店ホテルボストーク408号室。
向かいは同發隆トゥンファールン百貨店である。

ホテルの窓辺に月詠麗華が立っていた。柔和な表情を浮かべている。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
ようやく人心地つけました。

あの夜、八島通やしまどおりへだてた
新京シンキョウ神社に、
瑞祥ずいしょうの光を認めたのです――
久遠くおん流の師弟にだけ見える光、
それを新京シンキョウ神社に認めたのです。

光に誘われて新京シンキョウ神社に行くと、
そこに山郷さんがおいででした。
お茶で用いる香合をお持ちでした。
炭点前すみてまえのときに白檀びゃくだん香をきます。
そのお香を入れる香合、
交趾焼こうしやきで亀の形をしています。

三日後の夜、同じ時間に神社に来るように、そう伝え、山郷は麗華に香合を渡したのだ。
三日後、山郷と一緒に新京シンキョウ神社の井戸へ降り、次に気が付くと青山新京シンキョウにいたという。

【月詠麗華】
山郷さんは私を帝都に連れ戻す、
そう仰っておいででした。
神社の地下に運河が通るのだと――
でもここは帝都ではありません。

ここは……おそらく哈爾浜ハルピンです。
先程、レンザさまにお会いしました。
レンザさまは豪人たけとさまをご存じです。
お二人で修善寺しゅぜんじに出向かれたとか。
それでロッホをお調べになりました。
穴という意味だそうです。
豪人たけとさまは帝都にもロッホがある、
そうお考えになり、
帝都各所にお出になっていると――
白山の宿舎から――
小石川区の白山ですよね。
そこに豪人たけとさまがおいでなのですね。

私、帝都に戻ることにします。
是非、豪人たけとさまにお目にかかり、
教えをいとうございます。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
麗華さんと一緒に戻ってください。
まずは戻ることです。

麗華を伴い風魔は祓えの間まで戻った。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
麗華さん――
神社でもらった香合の中に、
何か結晶が入っていませんでしたか?
【月詠麗華】
仮面の人が言っていました――
隕石いんせきとか結晶とか。
ありました、そのようなものが。

梨央はアルツケアンについて説明した。
香合に入っていたのは不思議な結晶で、気体になって麗華の体内に吸収されたのだと。

【喪神梨央】
麗華さんはアルツケアンを、
ものすごく深く取り込んでいる――
そうに違いありません。
【月詠麗華】
では私は転生するのでしょうか?
そう言えばレンザさまも、
転生の途上だとか……
【喪神梨央】
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんですね。
悪魔セーレが転生した……
いえ、転生しようとしたのです。
【月詠麗華】
あの皆さんは、もしかして……
同じなのでしょうか――
【喪神梨央】
キタイスカヤにいた三人ですね。
でも、千紘ちひろさんは彩女あやめさんの別人格、
そう診断されています。
麗華さん――
あきらさんにはお会いになりました?
【月詠麗華】
レンザさまから話だけは――
まだお目にかかっていません。
【喪神梨央】
旭さんは鴨脚敬祐いちょうけいゆうという、
明治の女性国学者の書いた本を、
愛読されています。
麗華さんの学校を作られた方、
そうですよね?

鴨脚敬祐いちょうけいゆうは明治期の女性国学者で、帝国女学園の創設者でもある。
日本は欧亜ユーラシア世界の盟主であるとしたためた。
男装の麗人としても有名であった。

【月詠麗華】
鴨脚いちょう先生のことは、
よく教えられましたわ。
【喪神梨央】
アキラさんをご紹介します。
この近くにおいでなんですよ。
【月詠麗華】
それは是非ぜひに。
話が合うかもしれませんわ。

祓えの間に新山眞が入って来た。

【新山眞】
ホテルに如月きさらぎさんがお見えですよ。
【喪神梨央】
ありがとうございます。

麗華さん、まいりましょう。
鈴代さんもご一緒ですよ。
兄さん、麗華さんを、
アキラさんのアトリエにお連れします。
鈴代さんに来ていただきました。
【月詠麗華】
風魔さま、帝都に戻していただき、
ありがとうございます。
私は……大丈夫です。

梨央は麗華をエスコートするようにして祓えの間を出て行った。

【新山眞】
喪神さん、ヘーゲン召喚師ですが、
何かを企んでいるようです。
目黒近辺に執事型が集結しています。
現地の確認、お願いできますか?

〔目黒駅前〕

公務電車は予め梨央が用意していた。風魔は省線目黒駅前を目指した。
省線をまたぐ橋の中央にクルトがいた。クルトの周囲に執事型ホムンクルスが展開している。
手前からユリアが様子を見守っていた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 来てくれたのですね。
今、執事型が管理不能になって、
ヘーゲンが困惑の極みにいます。

セフィラにも疎密そみつがあります。
トウキョウのセフィラはみつなので、
ホムンクルスの指揮に向いています。
でも、今はセフィラがの状態、
アプドロックが長持ちしません。

同様の事態、ドイツでもありました。
エッセンでセフィラが急にとなり、
ホムンクルスが暴走したのです。

【着信 喪神梨央】
帝都のセヒラ、今は低い状態です。
五人の風水師が頑張っているので。
でも釣鐘つりがねが不安定との報告があり、
予断を許しません!

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください!
ホムンクルスが一斉いっせいに――

橋の上で異変が起きた。クルトの目の前に巨大なセヒラ球が現れたのだ。セヒラ球の半分は地中に埋まっている。見る見る巨大化して、ついにはクルト、風魔を呑み込んでしまった。

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲン】
何故だ?
連中はアプドロックを守らないのだ?
私のめいだ、私の、私の、私の!!
くそっ!
勝手にアプドロックを解除するのか!

さてはお前がそそのかすのか!
これはエッセンの二の舞か!
そのようなことは断じて認めない!!

《バトル》

どこからともなく聞こえてくる声……クルトはうろたえている。

【???】
復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相、鉄相、
農相、文相各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王さんのうホテルに宿泊せり!!
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私に何を言いに来たのだ?

【クルト・ヘーゲン】
――まさか……
ハンス……ハンスなのか?
そこにいるのは、ハンスなのか?

フルトヴァンゲンの泉……
リューゲン島の砂浜……
ハンス、本当にお前なのか?

クルトの問いには答えず、代わって甲高い声がした。

【???】
どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?

クルトは困惑の極みにいた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
ハンス、すんだ!!
これ以上、翻弄ほんろうしないでくれ!

【???】
フフフ――
お前は神に召されるのだ、売女ばいため。
いざ、幸いなれ!!
きざんでやろう、
お前の為の十字架じゅうじかを――
その瑞々みずみずしく白い腹に!!

そのきしむような声は憎しみに彩られていた。クルトは大きく目を見開いている。口をあんぐりと開け、ほとんど息はしていない。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
あああああ~
やめてくれ!!

腹の底から絞り出すような声を出すクルト。続けようとしたがもう言葉にはならなかった。
闇の底から全く抑揚のない声が聞こえてきた――

【???】
おお、墓よ、
お前の勝利はどこにある?

遂にクルト・ヘーゲンが自失した。
目黒に大勢のホムンクルスを連れて、彼は何を企んでいたのだろうか?

月詠麗華の帰朝きちょうを受けて、深まる秋の中に静かなる緊張が走る。

第九章 第一話 赤坂の大柱

〔山王機関本部〕

その朝、山王さんのう機関本部にやってきた新山眞にいやままことは、どこか浮かない表情をしていた。
弟、新山和斗にいやまかずとが当局に引拉いんらされたというのだ。

【新山眞】
日比谷の事務所で執務中に、
いきなり憲兵らが雪崩込なだれこみ、
和斗を連れて行ったのです。
【帆村魯公】
当局というのは、
それじゃ憲兵のことか?
警察や特高じゃなく、
なんで憲兵が記者を連れて行く?
に落ちんな……
【喪神梨央】
最近、些細な事でも、
スパイ容疑に絡めて憲兵が出ます。
擾乱じょうらん阻止も十分な名目ですよ。
【新山眞】
和斗の奴、赤坂の御柱騒動を、
面白おかしく書き立てたのです。
【喪神梨央】
赤坂に現れたる柱――
ソロモン大王の二柱か?
はたまた諏訪すわ大社の御柱か?
そんな見出しでした。
【新山眞】
しかるべき引受人が来れば放つと、
先程、憲兵隊から連絡が――
山王さんのう機関でお願いできますか?
【喪神梨央】
和斗さんを引き受けるのですね。
隊長、如何いかがですか?
【帆村魯公】
うむ、新山君の頼みだ、
無下むげにはできん。
風魔ふうま、行くぞ、憲兵司令部だ。
【喪神梨央】
それでは公務電車、手配します!

一ツ橋を目指して走っていた公務電車は、銀座に差し掛かり、減速して停車した。大勢の市民が進路をふさいでいたのだ。市民らは往来で一人の若い男を輪のようにして囲んでいた。

〔銀座四丁目〕

【帆村魯公】
これはいったいどういう事態だ?
市民が銀座の往来を妨害しておる。

魯公の声に一人の着物姿の夫人が振り返った。

【牛込区の婦人】
あら~
そこのお二人も参加なすっては?
【帆村魯公】
ご婦人――
参加とはどういうものですか?
ぜんたい、何に参加するのですかな?
【牛込区の婦人】
決まってるじゃありませんか!
怪人川柳の競技会ですわよ。
うーふふふ……
私、とっておきのがあるのです。
披露ひろうしちゃいますわよ!

怪人の
ひとみに棚引く
秋の雲

怪人は瞳をいくらのぞいても、
その奥には何もないと申します。
それを言うのですわ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、やや高めです。
用心してください。
【帆村魯公】
ここで時間を食われるのはまずい。
風魔、わしは憲兵指令に向かう。
お前も後で合流してくれ。

そう言い残して魯公は歩き去った。虚ろな目をした背広姿の男性が近寄ってきた。

【赤坂区の男性】
怪人川柳競技会で、
なんと僕は奨励賞しょうれいしょうをもらった!
君もぼんやりしていないで、
積極的に参加してはどうかね。
それともあれかな、
川柳が思いつかないとか――
ひゃははは~
そいつは気の毒だね。
じゃ、僕のを披露するよ!

憲兵も
巡査も酒屋も
皆怪人

どうかね!
これが奨励賞の一本さ!

背広の男性が立ち去った。風魔は銀座四丁目に向かった――

〔銀座四丁目〕

蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
なんともはや、
いいのが出ましたね!
もう一度、よく聞いてくださいね――

怪人が
口笛で行く
暗い道

うまくつかんでいますね!
怪人も平素は普通人です。
そこのところをよく現している――
おっと……
軍人さんが何か用ですかな?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
僕はね、心の自由を満喫まんきつするんだ。
帝大の拓務たくむ文理専修科で、
そのことを学んだんだよ!
君たちは見るからに不自由そうだね。
あの新山記者も同類だよ。
今頃、不自由の極みにいるだろう!
アハハハハハ!
いい気味だ、僕のことを詮索せんさくするから
身動き取れなくなるんだ!
さぁ、次は君の番かな!
愈々いよいよ、その時だ!!

《バトル》

蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
怪人の
白い笑いの
響く空

アーハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
今の記者が興亜日報で、
怪人川柳特集を組んでいたようです。
もうセヒラは観測しません。
東京憲兵隊本部へ向かってください。

〔東京憲兵隊本部〕

帝都を揺るがすクーデター未遂――
久鹿くろく計画の発覚で憲兵隊は大忙しであった。東京憲兵隊本部も多くが出払っていた。
立哨のいる玄関を魯公と和斗が出てきた。

【新山和斗】
例のクーデター騒動で、
憲兵も過敏になっているようです。
【帆村魯公】
とはえいだ、ソロモンの大柱だとか、
いろいろ書き立てすぎじゃよ。
筆禍ひっかこうむっても仕方あるまい。
【新山和斗】
浅草十二階、上野博覧会――
帝都の妄築もうちくシリーズですよ。
新京の本社から来ている写真部員が、
上野博覧会の写真を撮ったのです。
現像してみるともやのようなものが――
本人、確かに撮ったと言うのですが。
写っちゃいなんです。

フフフ……傑作けっさくですね!
むしろ写らないのが正解ですよね。
なんせ妄築もうちくですからね……
我々の網膜上にのみ存在するんです。
【帆村魯公】
赤坂の柱も同じだとお考えかな?
【新山和斗】
基本的には同類でしょう。
ただ――

そこへ式部が走り込んできた。息急いきせききった様子である。

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおが……
蒸発しました――

ここ数日、寝たり起きたりを繰り返し、何も語ることのなかった芽府めふ須斗夫すとおだが、今日の未明、録音機に反応があったという。
朝一番で駆けつけたが、出動部隊が多く、式部しきべは表で二時間も待機させられた後、部屋を確認するともぬけからだったのだ。

【式部丞】
いなくなった時刻はわかりません。
【新山和斗】
その妙な名前の人は何ですか?
一碧湖いっぺきこの死んだ少年と、
何か関係でもあるんですか?

いや、待てよ……
憲兵隊本部に収監され、
録音もしていたと――

兄はどうやら暗号機に取り組む――
そうですよね?
先日、ふと飯倉いいくらを訪ねたんです。

和斗の兄、新山眞は飯倉いいくら技研で、ダイヤルのようなものと格闘していたと言う。
和斗の来訪らいほうで慌てて布を被せたそうだ。

【新山和斗】
フフフ……
兄は無我の境地で周りが見えない、
子供の頃から変わりません――
【式部丞】
ご明察ですね、新山和斗さん。
ご賢兄はエニグマ暗号機を製作中で、
芽府めふ須斗夫すとおの暗号符を解読します。
【新山和斗】
エニグマ暗号機!
ナチ独逸ドイツの最新技術ですね!
ぜんたい、どんな暗号符なんですか?
さっきの妙な名前の人が語る?
――それは日本語じゃないのですね。
【式部丞】
アルファベットの羅列られつですよ。
芽府めふ君は一文字ずつ話すんです、
エフ、ジェイ、ワイとね。
【新山和斗】
何か国体を揺るがすような、
そんな計略でも進むんですか?
【式部丞】
さぁ、義憤ぎふん慷慨こうがいはしませんよ。
久鹿くろく計画とは筋が違うのです。

ところで新山さん――
先の五月にも飯倉いいくら技研に寄られた。
帰りは偏奇館へんきかんですか?
永井先生はご在宅でしたか?
作家の永井荷風先生です。
時刻は午後の三時二十八分でした。
【新山和斗】
!!
――どうしてそれを……

するととぼけた様子で魯公が言う。

【帆村魯公】
牛頭会相手とは訳が違いますなぁ。
憲兵隊本部にはお堀から、
船で入る専用の入口もあるとか――
【新山和斗】
僕たちには知る権利がある!
おどしは効きません!
【式部丞】
それはお互い様ですね。

式部が言い終わらぬうちに和斗は駆け出した。

【帆村魯公】
あんなに喋って大丈夫かな、式部氏。
【式部丞】
知っていてもいいのです、記者は。
さえしなければ――
検閲体制が強化されるようです。

これから青山の脳病院に向かいます。
彩女あやめ君の様子を確認したいので。
【帆村魯公】
芽府めふ須斗夫すとお周防すおう彩女あやめ
響き合う二人ですな。
まさか行方をくらませたとか……
【式部丞】
いやぁ、もう何が起きても――
とにかく、連絡は入れます!

そう言うと式部は歩き去った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
それに隊長!
赤坂に柱が現れました!
場所はみすじ通です……
いや、そこからよく見えるのです。
【帆村魯公】
近づくと消えるという代物だな!
風魔、急ぎ、向かってくれ!
わしは参謀本部におもむく。

〔みすじ通〕

【いづ勢の女将】
あの柱は、きっとそうですわ!
希伯來ヘブライ語の授業で習いました――

明君ソロモン王、治世四年二月二日をぼくして輪奐わかん壮麗そうれいなる神殿を造営し、その前面に二基の大きな柱を立て――
高さ三十五キュビトあったそうですわ!
一肘は一尺五寸、柱は五十二尺五寸。
明治神宮の大鳥居に匹敵ひってきしますわ!

【正直堂の番頭】
私なんかいつもね、
歴代志略の上と下を読むんですが、
下の第三章にありますです――

環飾わかざりを造り鏈索くさりこれらして、これを柱のいただきほどこし、石榴ざくろ一百いっぴゃくをつくりてその鏈索くさりの上に施こす――

あれはただの柱じゃございませんよ!

番頭が言い終えるや否や、背広姿の男性が割って入った。

【着信 喪神梨央】
特にセヒラ反応ありませんが……
でも、なんだか様子が変ですね。
継続してください。

【予備役少佐】
皇威こうい隆々りゅうりゅうもと
国の干城たてきと任じつつ~

予備役少佐が口にしたのは名古屋幼年学校の校歌であった。予備役少佐は番頭に向かって強い口調で言った。

【予備役少佐】
おい貴様!
貴様はそれでも日本男児か?
何が第三章だ!!
神洲大八洲しんしゅうおおやしま益荒男ますらおなるか!
ああん? 西洋柱のことなぞ知らぬ!
あれは正真正銘しょうしんしょうめいの御柱様だ!

やおら予備役少佐は
番頭を突き飛ばした。
それを見ていた巡査が駆け寄る――

【赤坂署の巡査】
こら、乱暴ならんぞ!
引くぞ、貴様!
【予備役少佐】
引くなら引いてみろ!
帝国陸軍少佐と知ってのことか?
【赤坂署の巡査】
はっ!
これは失礼しました!

巡査は逃げるようにしてその場を後にした。

【予備役少佐】
うはははは~
この国は迷走しよるな!
西洋かぶれに国体維持は任せられん。
さては貴様もかぶれ組だな!
そんな成りしおって、
忌々いまいましい、きたなおしてやる!!

《バトル》

【予備役少佐】
天原あまのはら
てる日に ちかき
富士の
今も神代かみよの 雪は残れり

【溜池の学生】
まるで前時代の遺物ですね!

学生は風魔に近寄り、静かな口調で話した。

【溜池の学生】
神を奉る信仰も、日々の習俗も、
多くは希伯來ヘブライに由来するのです。
あの柱の誇らしげな威容――
歴代志略下に書いてある通りです!

柱を拝殿の前にて、
一本を右に一本を左に
右なる者をヤキンとなづけ――
左なる者をボアズとなづく――
ボアズは愛らしきという義にして、
ダビデ王曽祖父そうそふの名前です。

学生は風魔と並んで大柱を見ている。そこへ子供が走り込んで来た。

【アンチモニー製作品商の丁稚】
おいらのよく読む民数記にはね、
汝、無酵たねなしのパンの節筵いわいを守るべし、正月の七日の間これを食うべし――
日本人はね、餅を食うんだよ!
正月の餅をくのをペンタラコ、
お江戸の頃からそう言うよ。
これは新穀で餅を五旬節ごじゅんせつ
ペンタコステからなまったってもっぱらさ!
遠く希伯來ヘブライから伝わったのさ!

【着信 喪神梨央】
大変です!
脳病院から彩女さんが消えました!!
式部さんから連絡があって――
病室のメモには、
哈爾浜ハルピンと書いたような跡が――
赤坂哈爾浜ハルピンかもしれません。

〔祓えの間〕

【新山眞】
また弟の奴がご迷惑を……
特報追うのも大概たいがいにしないと。
【喪神梨央】
兄さん、前に柱が現れたときと、
同じような波形が観測されます。
赤坂哈爾浜ハルピンにです――
【新山眞】
セヒラが寄り集まり柱状になり、
その影響からか、赤坂に大柱が……
どうもそういう絡繰からくりのようです。
前回に比べて、赤坂の大柱は、
随分と存在感を増しています。
しばらく消えないのではないでしょうか?
【喪神梨央】
するとまた、御柱様とか、
ヤキンだボアズだと騒ぐ一派が現れ、
怪人騒動に繋がりかねません。
【新山眞】
赤坂哈爾浜ハルピンに現れたという、
キタイスカヤ街が気になりますね。
あそこだけ違うんです――
【喪神梨央】
そうですね――
セヒラもあまり観測しないし、
波形も東京市内と似ています。
【新山眞】
つまり、普通の町……
そうなのかも知れません。
セヒラの異界に現れた、
まるで結界に守られたような場所……
だからこそ用心しないとです。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンには、帝都赤坂に出現した柱の、まるで写しのような柱がそびえていた。
しかし、それらはセヒラをまとうのである。


【お熊アストラル】
わちきの連れ合い?
元来、本町ほんちょう生薬屋きぐすりやのしくじり、
膏薬こうやくるのは存じてますよ。
今はこの山ん中で熊を捕らえて、
熊の膏薬こうやくこさえて売り歩く。
江戸にいた頃とは大違いですよ。
さぁ、雪ん中で体も冷えたでしょう。
一口上げたいところですがね、
この辺は地酒ですから慣れないとね。
そうだ、卵酒にすれば、
臭いも飛ぶってもんですよ――
【着信 新山眞】
花魁おいらんお手ずから、
卵酒こしらえてもらえるなんざ、
地獄天国紙一重なもんですな!

喪神もがみさん――
今のは落語の鰍沢かじかざわですね。
女は身包みごうと狙っています。
【お熊アストラル】
何言ってんだい、ごちゃごちゃ――
さぁ、眠くなったかい、どうだい、
眠いだろう、こっちで寝んな、さぁ!
【着信 喪神梨央】
で助かった!!
【お熊アストラル】
ヒィィィィィッィ!!

アストラルは破裂するようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
旅人の飲んだ卵酒に眠り薬が――
旅人は身延山みのぶさんで買った毒消しを飲んで
鰍沢かじかざわ山筏やまいかだで逃げるのです――
お熊はそれを鉄砲で狙う。
旅人、南妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうを唱えます。
いかだは流れでばらばらになります――
なんとかにしがみつき、
旅人は逃げおおせます。
お題目とお材木を掛けてあるのです。

交信を終えると風魔は次の街区へと進んだ。

【八百屋お七アストラル】
思い 切なや いとおしや
お七 十六 初恋の
胸の炎は 初め
燃えて 身を焼く すすり泣き
【着信 喪神梨央】
今度は、八百屋やおやお七ですね。
――お七にまつわる思念のかたまり
皇女和宮かずのみやを思い出します。
【八百屋お七アストラル】
寝ては 夢にも 吉三きちざさま
起きて 幻し 吉三きちざさま
結ぶ えにしは 浅くとも
思いは 深い 胸と胸――
【着信 喪神梨央】
少し退いてもらいますね――

世のあわれ 春ふく風に 名を残し 
おくれ桜の けふきょう散りし身は
【八百屋お七アストラル】
こがれ こがΣし 明▼暮%
同じ 仮◎に ◎き伏Ωど
ЯЛШДШЭЮ――

またもやアストラルは破裂するようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
さっきのはお七の辞世の句です――
【着信 新山眞】
きっと柱のせいですね。
アストラルの出自がおかしなことに。
ちょいとおかしな波形がありますよ!

風魔は次の街区へと進む。そこには2体の中型のアストラスが浮かんでいた。

【実況者Hアストラル】
南太平洋海戦にいて、
我が海軍航空部隊は、
敵空母集団を猛襲もうしゅうせり!

【実況者Sアストラル】
秋晴れに恵まれた神宮外苑じんぐうがいえん競技場、
まさに心も浮き立つような、
オリンピックマーチが鳴り響きます。

【観客Aアストラル】
おい、どっちなんだ!
私はどっちを信じればいいんだ?

【実況者Hアストラル】
こっちに決まってる!
秋雨あきさめけむる明治神宮外苑競技場。
日本にっぽんの学徒が多年たねん武技ぶ ぎを練り
を競ったこの聖域に――

【実況者Sアストラル】
おいおい、昔話はよしてくれ!
学徒出陣式じゃないんだ、
東京オリンピック開会式だ!
オリンピックの理想を歌い上げて、
聖火は秋空目掛けて駆け上ります――

【実況者Hアストラル】
邪魔をするんじゃない!
一億国民一丸いちがんとなって、
この難局を乗り切るときだろう!
十月二十一日朝まだき、
出陣学徒壮行の式典おごそかに挙行せり!!

別のアストラルがやって来た。

【観客Aアストラル】
やめろ!
混乱する!
私を……放してくれ!

2体の中型アストラルが合わさり、一回り大きなアストラルになった。

【神宮競技場アストラル】
いよいよ開催国、日本選手団の――
ΣΨШЛ――●□――
大君おおきみされて戦いの庭に――

《バトル》

【神宮競技場アストラル】
青空が見えます――
一筋の飛行機雲が伸びています――

さらに進むと、周囲が暗転した。再び明るくなると、そこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 新山眞】
そこですね……
キタイスカヤ街です。
帝都満洲とは波形がまるで違う――

【廣秦範奈】
喪神もがみさん!

そこへ廣秦範奈がやって来た。範奈は風魔を認めて近寄って来る。

【廣秦範奈】
ここは――
露西亜ロシア人の町なのでしょうか?
また父が呼んだのでしょうか?
ここへ来るようにと――
鍛冶橋かじばし志恩会しおんかいの事務所を出て、
ほどなく気分が悪くなり、
しばらくビルにもたれかかっていました。
目の前が明るくなったと思うと、
この町に来ていたのです――

範奈がいい終えたとき、そばの空間がわずかに歪み、中から中型のアストラルが姿を見せた。

【Kアストラル】
範奈はんな、よくぞ来てくれた――
【廣秦範奈】
お父様!
やっとお目にかかれましたね!
【Kアストラル】
範奈はんな、いいか、よく聞くんだ。
お前には双子のお姉さんがいる。
わかるな、瓜二うりふたつの双子だ――
【廣秦範奈】
お姉さま……
そのような印象が……ありました……
夢を見るのです、何度も同じ夢を――
【Kアストラル】
私はお前たちが生まれる前に、
ここにちてしまった。
ここはあらゆる場所に繋がっている。
【廣秦範奈】
お父様は未来にも行かれた――
そうなんですね?
お姉さまも未来においでなんですか?
【Kアストラル】
ああ、そうだ……
未来の香港、九龍城砦クーロンじょうさいという街だ。
そこは陰界いんかいという場所を漂う。
私があれこれしたせいか、
その未来にお前の姉さんが来たのだ。
光明路コウミョウろという街にだよ。
【廣秦範奈】
お父様はお姉さまと、
ご一緒においでだったのですね。
【Kアストラル】
ああ、わずか三年間だが……
古賀美香こがみか、それが姉さんの名前だ。
だが光明路コウミョウろではラウ美鈴メイリンを名乗った。
美香は十ニ歳でやってきた。
お前たちの世界では一九ニ六年だ。
彼女が十五の時、私は潜った……

中型アストラルが震えだした。

【廣秦範奈】
お父様!
それではお姉さまは十二の歳まで、
日本にいらしたのですね?
【Kアストラル】
豆州ずしゅう修善寺しゅぜんじの旅館で、
大事に育てられたんだ。
お母さんは物心付く前に、
お前たち二人を引き離した――
信頼する卜占ぼくせん先生の助言を得たのだ。
【廣秦範奈】
私たちは……
会ったことはあるのでしょうか?
お姉さまと私は……
【Kアストラル】
お前は万世橋まんせいばし駅傍の商家で育った。
二人がほんの幼い頃に会っていても、
おかしくはない――

中型アストラルはひときわ大きく震えた。アストラルを成す濛気もうきが不安定に揺らいでいる。

【廣秦範奈】
お父様!
お具合、お悪いのですか?
【Kアストラル】
――長くは……保てそうにない!
【廣秦範奈】
お父様、修善寺の旅館、
何というのですか?
お姉さまがいらした旅館です!
【Kアストラル】
ばい……げつ……
梅月館だ――
城山のち、か、く――
そこは……卜占ぼくせん師の――みさ……
深水ふかみ察智ざっちが求めた地だという――
【廣秦範奈】
お父様!
もう少しお話を――
お聞かせください。
【Kアストラル】
範奈……お前にたくす言葉がある――
エ……エラ……
エラ――
エラ……
――ああ、保てない!!

アストラルは大きく破裂して消えた。

【廣秦範奈】
お父様!!

範奈の父である伊佐久イサク、つまり古賀こが容山ようざんのアストラルは、すべてを語らずに去ってしまった――

範奈は気を失って倒れている。
そこへ千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎の3人がやって来た。一同、じっとたおれた範奈を見下ろしている。

【芽府須斗夫】
ここには遠い未来からも、
思念が流れ込んでいるようだね。
学徒の出陣とかオリンピックとか――
【吉祥院蓮三郎】
それもすべては、
あの柱のせいでございましょうか?
【芽府須斗夫】
二本の柱を依代よりしろとして、
セフィラの流れが生まれたんだ。
まるでセフィラの道だね。
【千紘】
そして僕たちも呼ばれた――
そういうことのようだ。
【吉祥院蓮三郎】
あきらさまは仰います――
レンザ、お前は敏感なんだから、
ぼんやりしていちゃ駄目だと。
【芽府須斗夫】
それじゃ、何か感じることでも?
【千紘】
僕の中にも周防すおう彩女あやめの存在があり、
普段から何かと感じ取るけど、
きっと君のほうが達者なんだね。
【吉祥院蓮三郎】
かたじけなく存じます――
セフィラの流れですが、
この先にある町に向かうようです。
【芽府須斗夫】
この先……
それはこの帝都満洲でのこと?
【吉祥院蓮三郎】
左様でございます。
おそらくは……
【千紘】
青山新京シンキョウじゃないかな?
の記憶だと、あそこに穴が開いた、
そんな事件があったはず。

芽府須斗夫が風魔を向いて言う。

【芽府須斗夫】
君は向かったほうがいいよ。
これは立派な公務だよ――
何かが現れるかも知れないよ。
【吉祥院蓮三郎】
私たちはもう少しここを、
調べてみようと思います。
【芽府須斗夫】
廣秦ひろはた範奈はんなさんは送り届ける、
大丈夫だよ、心配しないで。
【千紘】
僕はようやくわかった気がする――
自分が何者なのかということがさ。

芽府めふ須斗夫すとおの助言に従い、風魔は青山新京シンキョウに向かうことにした。

アキラとレンザ 後編

〔山王機関本部〕

その日、山王機関本部では、梨央が浮かない顔で風魔を出迎えた――

【喪神梨央】
兄さん、あきらさんたち、
どこにいらっしゃるんでしょう……
探信儀たんしんぎが消えているようです――
【新山眞】
お渡しした探信儀たんしんぎですが、
セヒラ感極管かんきょくかんに用いているのが、
露西亜ロシア製の真空管なのです。
ベリンスキーという会社の製品です。
【喪神梨央】
露西亜ロシア製だと問題あるのですか?
【新山眞】
帝都のセヒラには、
実に様々な波形が観測されます。
当初考えていたよりも多く――
ベリンスキー管だと、
霊式ヘテロヂン生成の際に、
波形干渉を起こす恐れもあります。
【喪神梨央】
それじゃ真空管、交換しなきゃ……
【新山眞】
昨日、帝国電工製のが届きました。
新型のR5型です。
どんな波形にもえられます。

機関本部に信号音が鳴った。

【喪神梨央】
あっ!
あきらさんの探信儀たんしんぎの信号です。
今、市ヶ谷いちがやの方ですね――
【新山眞】
一旦いったん、機関本部に戻るように、
あきらさんに伝えてもらえますか?
【喪神梨央】
無線が届かないようなので、
兄さん、市ヶ谷いちがやにお願いします。
場所は市ヶ谷見附いちがやみつけの交差点です。

公務電車で市ヶ谷見附いちがやみつけに向かったが、新たに戸山とやま砲工学校が指定された。
能海旭のうみあきらから連絡があったという――

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

ガランとした砲工学校構内に能海旭がいた。風魔の姿を認めて駆け寄って来た。

【能海旭】
あっ、風魔ふうまさん――
今、山王さんのう機関に連絡したところよ。

レンザがここに来たはずなの。
何かを感じるって言って――
彼、一人で出かけたの。
でもどこにもいないんだ。
探信儀たんしんぎは時々変な音出すし――

レンザが来たという戸山とやま砲工ほうこう学校。
しかし校内探せどレンザの姿はなかった。

校舎から一人の学生が出てきた。旭は歩み寄って話しかける。

【能海旭】
ねぇ、この辺で人を見なかった?
外国の軍服みたいな格好の人よ。
【種田砲工科生】
異人さんですか?
僕は偉人は苦手です。
【能海旭】
格好だけよ。
名前は吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう
ね、日本人ぽいでしょ?
【種田砲工科生】
そろそろ実験の時間です。
【能海旭】
え? 何の実験なの?
【種田砲工科生】
新型の六十八センチ加農カノン砲です。
六百キロの強装薬を用いて、
七万二千メートルの射程を誇る巨砲です。
ここ戸山より七十一キロ七十五メートル先の霞ヶ浦かすみがうら湖中に着弾させます。

もう一人、学生がやって来た。

【助川砲工科生】
種田たねだ白粉おしろい屋はまだか?
やけに遅いな――
【能海旭】
白粉おしろい
白粉おしろいをどうするの?
【助川砲工科生】
炸薬の代わりに充填じゅうてんするのです。
つまりは白粉おしろい式練習弾ですね。
の流儀なんです。
ここは砲工二課の毛長けながに任せて、
種田たねだ、我々は駐退機ちゅうたいきの調整だ。
全然済んでいないんだ。
【種田砲工科生】
毛長けながは確か可変砲の班だな。
白粉おしろい屋は奴に任せよう。

学生らが去ると入れ替わるように三人目が来た。

【毛長砲工科生】
白粉おしろい屋を待つのですね――
待つのは大の得意です!

そういったまま毛長という学生は動かない。すでに眼が虚ろになっている。ふいに辺りが暗くなった。

【能海旭】
風魔さん!
気を付けて!
化けの皮がれたみたい――
【東京ゼロ師団寺町三等兵】
ハハハハハ~
飛んで火に入るだな、まさしく!
待った甲斐かいがあったと言うものだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、確認しました!
【東京ゼロ師団寺町三等兵】
ここはあり地獄だな!
あの独逸ドイツ帰りの気取り屋ともども、
土中で餌食えじきとなるがいい!!
【能海旭】
レンザの他に、
ここに来た人いるみたいね。
風魔ふうまさん!
まずは勝ち抜いて!

《バトル》

【能海旭】
よかった!!
鎮定ちんてい、出来たね!!

風魔ふうまさん――
ここ、絶対変だよ。
砲弾に白粉おしろい詰めるとか。
それに……種田タねだ助川スけがわ毛長ケなが……
次は誰?
もしかして寺岡テらおかとかかな。
【着信 喪神梨央】
あきらさんの探信儀たんしんぎ
修理の準備ができました。
山王さんのう機関へおいでください。
若松町わかまつちょう電停に公務電車が待機中、
その車輌を使ってください。
【能海旭】
風魔さん……
ここ、何だか怪しいよ。
レンザもそれに気付いたんだ。
私、探信儀たんしんぎ直してもらったら、
すぐ戻ってくるね!

旭は小走りになって構内を出て行った。風魔は砲工学校の校舎へ向かう。

〔戸山砲工ほうこう学校玄関ホール〕

玄関ホールに入ったとき、白衣姿の男性二人が、上体を拘束された囚人らしき男性を前後に挟むようにして列をなして廊下へと消えた。
ホールには他に三人の学生がいて、風魔に近寄って来た。

【ポモースキー留学砲工科生】
あなた、トルストイの小説、
技師ガーリン、読んだこと、
ありますか?
怪力光線について書かれています。
怪力光線は光線砲から発射されます。
【ギーナフ留学砲工科生】
光は電線の向こうをかすめている!

宙空を見つめ、学生が一人芝居を始めた――

【ギーナフ留学砲工科生】
どの電線の?
【ギーナフ留学砲工科生】
あれが見えないのか、
ヴオルフ君!
【ギーナフ留学砲工科生】
ハイーフは、光った真っ直ぐな、
糸のようなものを指した。
それはアニリン会社の方角へ、
向かって走っていた――

【チェロフ留学砲工科生】
その光線が過ぎ行くところ、
木の葉や鳥などがブスブスと、
燃えて落ちるのが見えた。
やがて光線はアニリン会社の
大煙突へと向かった!
煙突は苦もなく真ん中から折れ、
倒れ落ちたのだった!
次に光は五階建てのとうに当たり、
急にその全部の窓の電灯が消え、
上へ下へと電光型の火が走った!

玄関ホールに音もなく白衣姿の男性が入って来た。それを見た二人の学生は一斉に駆け出した。

玄琢げんたくマ号研究班員】
お尋ねしますがね――
あなたのたましいはどのくらいですか?
大きさとか、重さとか、
あるいは中身の具合ですよ。
沢山詰まるかスゥスゥするのか――
りは如何いかがです?
この間、照りのいい魂がありまして、
食付くいつき、抜群ばつぐんですな!!

さぁ、あなたも、
もういいじゃないですか、
魂を差し出しましょうよ!!
転生損ねの悪魔と、
独逸ドイツ召喚師気取りの将校、
そしてまじない審神者さにわの特務員!
三人揃って、
地獄の円柱インファーナルカラムの上で踊るがいい!!

《バトル》

〔戸山砲工ほうこう学校地下室〕

玄関ホールから地下室へと降りた。そこには鬼龍豪人とレンザがいた。二人は対峙するように立つ。

【吉祥院蓮三郎】
易々とこの私が信じるとでも?
【鬼龍豪人】
貴様にはおびえがある!
それが無用なうたぐりを生み出すのだ!
【吉祥院蓮三郎】
私の勘が言うのです、
迷わずに鎮定ちんていせよと。
あなたたちの言葉ですね、鎮定ちんてい――
【鬼龍豪人】
ふん、笑わせるな!

奥に立つ鬼龍と手前のレンザ、二人の間に稲妻のような光が走った。

【鬼龍豪人】
風魔ふうま
なぜここに来た?

その声にレンザが振り返る。鬼龍との間に現れていた光が消えた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔さま!
この者とお知り合いですか?
ああ、私はなんということを――
ゼロ師団が行動を起こす前に、
先手を打とうとここに来たのです。
するとこの者がおり、
何やら怪しくて怪しくて、
ついついつい――

レンザは彼特有の勘を頼りに、この砲工学校にやってきた。
先にいた鬼龍きりゅうを敵と間違えたのである――

【鬼龍豪人】
ふん!
貴様の勘とやら、あてにはならんな!
いったい何を探しに来たのだ?
【吉祥院蓮三郎】
風魔さま――
いろいろわかってまいりました。
ここはに人の魂を食わせ、
人籟じんらいを作る、
その研究をしているようです。
私には見えました――
先程、中庭で戦った時、
色の抜けた白いがいたのです。
あれがおそらくは人籟じんらい――
人に由来するは、
扱いも容易、風魔さまのような、
修行なくして扱えるのでございます。
【鬼龍豪人】
すると――
御荷鉾みかぼもそのような研究を?
いや、奴に限ってそれはない!

鬼龍きりゅうは京都時代、同じ輜重しちょう部隊にいた、御荷鉾みかぼ大尉から手紙をもらい、ここ砲工学校に来たのだという。

【鬼龍豪人】
手紙には魂の重さについて、
書かれていた――
人の魂は四分の三オンスだという。
およそ二十一グラムだ。
十人だとニ一〇グラムだ――
【吉祥院蓮三郎】
輜重しちょう科では人の魂も運ぶのですか?
【鬼龍豪人】
うるさい!
私は妙なことをしたためめる
奴のことを案じて――

鬼龍は顔を歪めた。それは激高したのではない、痛みに貫かれたのだ。上体をかがめている。

【鬼龍豪人】
うっ……
【吉祥院蓮三郎】
どうなさいましたか?
【鬼龍豪人】
何でもない!
【吉祥院蓮三郎】
私が早とちりしたばかりに――
【鬼龍豪人】
貴様ごときにやられる私ではない!
【吉祥院蓮三郎】
しかし……
【鬼龍豪人】
私に構うな!
もう大丈夫だ。

鬼龍は上体を起こし風魔に向き合った。

【鬼龍豪人】
御荷鉾みかぼの身に何が起きたのか、
私は調べてみる。
貴様らも用心することだ。
せいぜいな――

そう言うとゆっくりとした足取りで地下室を出ていった。

【吉祥院蓮三郎】
鬼龍きりゅう――豪人たけとさま――

レンザは鬼龍の出ていった方を暫く見ていた。
同輩付き合いの将校を案じて砲工学校を訪れた鬼龍大尉。レンザとの一戦、力の拮抗があったようだ。
それにしてもこの砲工学校――
やはりここにも、仮構の力が及んでいるようであった。

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

【掃除夫】
お二人もアレですかな?
【吉祥院蓮三郎】
何でございますか?
――やけに静かですが……
【掃除夫】
今日は何やらまた部隊が……
あの部隊が展開するんですよ。
【吉祥院蓮三郎】
あの部隊とは?
それはもしや――
【掃除夫】
お二人ならご存知でしょう。
東京ゼロ師団です。
ここの上ですよ――
【吉祥院蓮三郎】
そうでしたか。
この砲工学校もゼロ師団の、
指揮系統にあるわけですね。

風魔ふうまさま――
にらんだとおりでございます。
ここは東京ゼロ師団の仮構かこう組織、
それでありながら砲工学校として、
実体も持っている――
どうもそのようにあります。
これは何というか……
悪魔のかんのようなものでして――
それでここへとおもむいたわけです。

そこまで言うとレンザは静かに目を閉じた――

【吉祥院蓮三郎】
私、あきらさまに呼ばれる前のことは、
何一つおぼえておりません。
悪魔セーレが転生を試みた――
そうとされているのは、
ブレナン博士の鑑定によります。

ブレナン博士は神智学しんちがくの権威だとか。
あきらさまの通われる学校、
自由サーベラス学園の学園長です。

私があきらさまのアトリエに現れた時、
壁に悪魔セーレの印章が浮かび、
それが決め手となりました――
グリモワールのひとつ、
ゴエティアの書にも同じ印章があり、
私はセーレなのでありましょう。

ゴエティアの書を紐解ひもとき、
セーレというのを調べてみたのです。
セーレは有翼ゆうよくの銀馬にまたがり、
二十六の軍団をひきいるとあります。
方位をつかさどる四大悪魔のひとつ、
アマイモンの配下のようです。
セーレは召喚されるや、
召喚師の要望に全て応え、
あらゆるものを手に入れるとか――
あきらさまにお仕えする私としては、
その点、納得が行くのでございます。

私の中に確かにセーレがいる――
しかし、なぜ、あきらさまの元に、
この私が現れたかは謎です。

あきらさまは、そのことで、いささかの責任をお感じのようでして――
――自責じせきねんと申すのでしょうか、
人間の考えは不可思議にございます。
私としては恐縮するばかりですが。

語り終えたレンザははにかんだような表情を浮かべていた。

【吉祥院蓮三郎】
さて、ゼロ師団はどのあたりに、
展開しているでしょうか……
【着信 能海旭】
レンザ!
市ヶ谷の先、麹町こうじまちあたりに、
セヒラを観測したよ!
【吉祥院蓮三郎】
風魔さま、参りましょう!

〔市ヶ谷見附〕

市内にゼロ師団が展開する――
砲工学校で仕入れた情報であった。
レンザと風魔は市ヶ谷見附へとやってきた。

電車通を数台の軍用トラックが塞いでいた。一人の将校が腰をかがめてうめいている。

【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
はぁはぁはぁ……
自分は一体、どうしたのだ?

レンザと風魔が将校に歩み寄る。

【吉祥院蓮三郎】
何がありましたか?
【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
あなたたちは――
自由サーベラス学園の……
能海旭のうみあきらの手下――
【吉祥院蓮三郎】
もしや、少尉は……
【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
ええ……あっ、いや、違います!
自分、歩三第三〇八中隊附き――
それがどうして、こんなところに……

うわぁぁぁぁ~

将校は両手で頭を抱え、そのまま倒れ込んでしまった。そこへ一人の兵卒が走り来た。

【東京ゼロ師団清滝曹長】
今日の演習は格別だな!
さぁ、躊躇ためらうな、こっちへ来い!
俺たちの方へ呼んでやる!

《バトル》

〔市ヶ谷見附〕

辺りが静かになった。先程までの軍用トラックは消えていた。電車通を旭がやって来る。

【能海旭】
二人とも、大丈夫だった?
さっき無線で呼びかけたけど、
全然反応がなくて――
ちょっと歩こうか。

探信儀の部品交換を終えて合流した旭。
しかしどことなく
神妙な顔をしていた――

〔若松町〕

三人はそぞろ歩きながら若松町にやって来た。市電が行き交い通行人もいる。

【能海旭】
風魔ふうまさん――
何だか私たちのことに、
巻き込んじゃったみたいね。
【吉祥院蓮三郎】
私も、かたじけなく思います。

【吉祥院蓮三郎】
あきらさまの方は、
探信儀たんしんぎ、直りましたか?
【能海旭】
セヒラを電波に替えるなんとかが、
どうとかなってってことよ。

そこへ探信儀の警告音がする。

【能海旭】
あっ!
早速、反応してる!!

着物姿の中年男性がのっそりと姿を見せた。

【猫憑き】
隙間すきま、いっぱいこさえてるニャ!
帝都中、隙間すきまだらけニャ~
おいら、猫の種次郎たねじろうニャ!
さっきも兵隊にいたニャ、
隙間すきまこさえてるのが――
【吉祥院蓮三郎】
隙間すきま、ですか?
隙間すきま憑依ひょういするとでも?
【猫憑き】
おいらたち、防いでいるニャ!
無用な隙間すきまこさえると、
変なものくニャ!
そうならないように、
隙間すきまふさいでいるニャ!!
あんたも隙間すきまいたんか?
さてさて、散歩を続けるニャ!

そこまで言うと、男性は悠然とした足取りで歩き去った。レンザが神妙な面持ちで見送っている。

【吉祥院蓮三郎】
……
隙間すきま……私も……誰かの――
隙間すきまに……そうなのでしょうか?
【能海旭】
レンザ……
あんた、大丈夫?
今日はもうおしまいにしよう。
風魔さんも来て――
私のアトリエが山王さんのうにあるのよ。
ホテルのすぐ裏だよ!

〔旭のアトリエ前〕

そこは日枝ひえ神社に向かう車道に面した、古い石垣いしがきの前であった。
墨国メキシコ公使館のすぐ近くである。

【能海旭】
この中よ、アトリエは。
レンザには専用の部屋があるの。
そこの扉から入る――
来て。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
どう?
気に入ってくれた?
――私のアトリエ。

レンザが現れたのは後ろの壁……
今はもう模様替えしたけれど。
セーレの印章も消えてしまったし――

私……魔女には向かないんじゃ……
前から思ってたことだけど、
風魔ふうまさんたち見てると――
余計にそう思うようになるんだ――

旭は目を閉じて魔法学校のことを語り始めた。心なしかアトリエが薄暗くなった。

【能海旭】
八歳になる年の二月、
インモラグの大サバトで入信したの。
聖油を使った儀式があった――
十三で信仰宣言をした――
グランドマスターに誓いを立てた。
あなたはわが神、
私はあなたの奴隷どれいです――
ここでの神とは、
勿論もちろん、悪魔のことよ。

十四の時、左肩にマークを入れた。
刺青いれずみで入れた青いスペードは、
見るたびにその形が変わるのよ。

でも……
スペードのマーク、十五の夏、
つまり去年だけど――
たった二日のうちに、
すっかり消えてなくなったのよ!

誓いは決して軽いものじゃなかった、
でも、私は認められていない――
そんな気がしてならないのよ。

語り終えると旭は顔を上げた。大きな黒い瞳で風魔を見つめている――

【能海旭】
私の学校は、ブレナン先生を、
グランドマスターにして、
コヴェンをしているのよ――
コヴェンとは神に親しく奉仕する、
グランドマスターと十二人の会衆かいしゅうよ。
先生が六人、生徒が六人ね。
何度も何度も祭儀を繰り返して、
ようやく悪魔との契約に進む……

そんな堅苦しい学園に比べると、
を指揮して戦を戦う、
風魔さんたちがすごく自由に見える。
悪魔との違いはあると思うけど。

レンザのことが一段落したら、
私、審神者さにわについて、
少し勉強してみようかな。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、
あきらさんのアトリエに、
招待されたんですね。
【帆村魯公】
くだんの自由サーベラス学園、
コヴェンの会衆かいしゅうを現したものとはな。
――それがこの帝都にあるとは……
【喪神梨央】
あきらさんたち、何かを知っている――
東京ゼロ師団のことを。
私、そう思います!
【帆村魯公】
うむ……
そうでなきゃ、あれほど戦いを
挑まれるわけはないわな。
ところで、ゼロ師団の連中、
皆、京都の地名を名乗っておる。
【喪神梨央】
寺町、玄琢、清滝……
丸竹夷ニ押御池まるたけえびすにおしおいけ

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、大丈夫ですか?
仮構かこうされた部隊に取り込まれたり、
そんなことはありませんか?
【九頭幸則】
だ、大丈夫だと思うよ、
自分は歩一附きの……
【喪神梨央】
部隊不詳ふしょうの歩兵中尉殿!
【九頭幸則】
おいおい!
――しかしなぁ……
実体のある組織も取り込まれてる――
【喪神梨央】
砲工学校の露西亜ロシア人留学生ですが、
スキー、ナフ、ロフ、
合わせてポモーギーチェになります。
【九頭幸則】
ポモーギーチェ?
それって露西亜ロシア語なの?
【喪神梨央】
露西亜ロシア語で助けての意味だとか。
新山にいやまさんの解釈ですけど……
【九頭幸則】
取り込まれた実体の方は、
救いを求めていると――
何だかすごく気になるよ、その辺り。

能海旭のうみあきら吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう――
二人の前に謎の東京ゼロ師団が立ちはだかる。
山王さんのう機関も手をこまねいてはおれなかった。

アキラとレンザ 前編

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
ちょっと気になることがあります。
変わったセヒラ波形を観測しました。
日枝ひえ神社方面で、
これまで観測しなかった波形があり、
次第しだいに強くなっています。
どんな怪人とも召喚師とも違う、
見たことのない波形なんです――
公務ではないですが、
確認お願いできますか?

〔日枝神社〕

日枝神社――
溜池通から上る大階段を数名の参拝客が駆け下りていった。皆、一様に青ざめた顔をしている。階段の途中で着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています!
怪人とおぼしきセヒラも混ざります。
警戒してください!

〔日枝神社境内〕

日枝神社の境内ではすでに怪人らしきが現れていた。左手に虚ろな目をした憲兵服姿。そして対峙するかのように西洋の軍服のような装束の若い男性。憲兵姿が全身にセヒラを纏う。おそらくそちらが怪人だ。そのとき一人の高女生姿の少女が走り込んできた。

【???】
あなたが――
山王さんのう機関の帥士すいしね!
だったら手を貸して!
レンザが押されてるのよ!

見ると西洋軍服を着た若い男性はセヒラをまとめようとするもうまくいかない様子だった。反面、憲兵怪人のセヒラはますます強くなっている。

【???】
ほら、早く!!
ああん、もう!!
レンザ!
将校怪人はこっちで引き受けるよ!

その声に憲兵怪人は風魔を捕えた。

【東京ゼロ師団西陣にしじん大尉】
山王さんのう機関は、
こいつらに加担かたんしているのか!
邪魔くさいことになったな!!
我々に何を求めるというのだ?
――いいだろう、問答はなしだ!
お前たちを我々の側に招待しよう!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
どうしましたか?
異常な波形が出ています。

憲兵怪人との戦いが始まった。互いにを召喚する。そこへ西洋軍服姿の男性の声が割って入る。

【???】
もうやきもきしちゃってなりませぬ。
このレンザ、いや吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう
とびきりの調達しちゃいます!
少しでも帥士すいしさまの
お力になれれば――

戦が見えるのか、高女生の声も聞こえた。

【???】
レンザ!
気を付けて!
新手のが来たよ!!

【吉祥院蓮三郎】
――っと!
あれれ、今度は私が襲われそうです!
帥士すいしさま、武運長久ぶうんちょうきゅう祈ります!!

《バトル》

〔日枝神社境内〕

【???】
なかなか見事だったね!

【能海旭】
私は能海旭のうみあきら、こっちはレンザ――
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう……もう知ってるね?
さっきの将校、東京ゼロ師団という、
よくわからないところの連中さ。
とにかく私たちが目障めざわりみたい――
レンザ――
お前はだいぶ押され気味だったね。
【吉祥院蓮三郎】
いささか勝手が違いました、
あきらさま――
【能海旭】
いつもよりセフィラ――
あっ、いや、
セヒラが高かったというのかい?

【吉祥院蓮三郎】
セヒラの値だけが問題なのではなく、
何分その……乱れておりましたから。
激しく……激しく……
【能海旭】
うーん……
お前自身もセヒラを乱す要因、
そうなんじゃないのかい。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、解消しました。
見慣れない波形も消えました。
あの……
一体、誰と話しているのですか?

【能海旭】
帥士すいしさん――
聞いてくれる?
私は自由サーベラス学園という、
アメリカに本学のある女高じょこうのニ年生。
今は日本の分校に通うの。
学校はね、鈴蘭すずらん女学園の中にある。
生徒は六人だけ、先生も六人よ――
魔法のことを勉強している。
私たちの学ぶのは星辰せいしん魔法なの。
そらの星々から力を授かり、
様々なことを為すの――
私はまだ道半ばだけれど――
ある夜、部屋で不思議な事が起きた。
机の上のプランシェットが光をび、
部屋の天井に何かを映し出した――
私はプランシェットを、
とっさに払ったの――
プランシェットは床に落ちた。
そして部屋の壁に、
より大きな光を映し出した……
光はやがてもやのようになって消え、
中からレンザが現れたの。
彼は悪魔よ――
グリモワールにしるされた、
序列じょれつ七十番目の悪魔、セーレ――

〔日枝神社境内〕

【能海旭】
悪魔セーレが何かの拍子ひょうしに、
人間に転生しようとして失敗した、
私はその瞬間に立ち会ったらしいの。
何で私のところに来たのかな。
もちろん、私が呼んだわけじゃない。
【吉祥院蓮三郎】
それは私にもわかりません。
以前のことは綺麗きれいサッパリ……
消えてしまったのでございます。
【能海旭】
悪魔に寿命はないんだけれど、
転生にしくじった悪魔には、
寿命が定められているらしいの――
だから……
レンザをにすれば、
寿命はなくなる。
そして探したの――
【吉祥院蓮三郎】
はどこかで作られている――
旭さまはそうお考えなのです。
【着信 喪神梨央】
工廠こうしょうのことですね。
噂だけが先行しています。
兄さん、
お二人と一緒に、
山王さんのうホテルロビーに来てください。

〔山王ホテルロビー〕

山王ホテルロビー。左手、フロントカウンターにレンザが肘を付いてもたれている。旭と風魔は右手のソファー近くで機関本部から梨央の来るのを待つ。

【喪神梨央】
能海旭のうみあきらさんですね――
あちらが……レンザさん……
私、喪神もがみ梨央りおです。
喪神もがみ風魔ふうまの妹です。
山王さんのう機関の帥士すいし、喪神風魔です。
【能海旭】
――喪神……風魔……
そう言うのね、喪神風魔さん。

【喪神梨央】
あきらさんが戦っていた相手ですが――
【能海旭】
あきらって呼び捨てでいいよ、
梨央さん、年上なんだし。
【喪神梨央】
そうね……
でもあきらさんって呼ぶわ。
あきらさんたちの相手、
さっきの東京ゼロ師団……
あの連中は何なの?

【能海旭】
実体の不明な組織よ。
学園長のブレナン博士の説だと、
魔の力の影響を受けていると――
【喪神梨央】
魔の力……
それってセヒラじゃなくて?
【能海旭】
仮構かこうされた存在とでも……
実体はないけれど、皆が存在を信じ、
誰もそれを疑わないのよ。
【喪神梨央】
まるでたぬきに化かされでもしたみたい。
【能海旭】
私の通う自由サーベラス学園も、
本当は存在しない仮構かこうの学校よ。
【喪神梨央】
ええ、そうなの?
【能海旭】
日本では女学園を仮構かこうするけれど、
アメリカでは丸々仮構かこうなのよ。

十七世紀末に魔女裁判のあったセイラムでは、魔法や魔女に関する思念が強く残留している。
神智しんち学者のブレナン博士は、研究のためにその環境を利用して、学園をしたのだという。

【能海旭】
学園のこと、セイラム以外では、
誰もその存在を知らないの。
【喪神梨央】
日本に分校を置いたのは――
セヒラがあるから、そうじゃない?
【能海旭】
半分は正解ね。
もう半分は、この町にも、
仮構かこうの力が及ぶからよ。
仮構かこうの世界に通じている、
そんな私たちが脅威きょういなのね、連中は。

ホテル玄関から軽い足取りで九頭が入って来た。高女生姿の旭を見て尋ねる。

【九頭幸則】
皆さん、おそろいで――
って、どちらの高女こうじょさんですか?
その制服は……
【能海旭】
山王さんのう機関と行動を共にする将校、
それが君のことね。
【九頭幸則】
――えーっと、そうだけど……

あきら九頭くずは、互いに自己紹介した。
九頭は梨央から聞いた東京ゼロ師団の話に、興味があるようだった。

【九頭幸則】
怪人化した将兵で部隊を作る、
そんな噂はかねがねあるんだ。
ゼロ師団というのが、
それに当たるかはわからないけど。
【喪神梨央】
まだ調べが必要そうですね。
あきらさん、これを持って行って。
山王さんのう機関で使う探信儀たんしんぎよ。
敵の動向、ある程度はわかるのよ。
【能海旭】
ありがとう、梨央さん。

探信儀を手に、旭はレンザの前に歩み寄る。

【能海旭】
山王さんのう機関から探信儀たんしんぎを借りたよ。
これで不意を突かれることもないね。
【吉祥院蓮三郎】
そうでございますね、あきらさま。
左様さような機械、八方手を尽くしても、
見つかる様子はありませんでした。
【能海旭】
お前にも無理というのがあるんだ、
よく心しておくよ、レンザ。
風魔さん――
ゼロ師団の連中は私たちを、
とても警戒している――
でも引き下がれない――
核心にまで踏み込んで、
レンザをにする方法を探す。
になれば寿命なんかなくなるんだ。

〔山王機関本部〕

【新山眞】
探信儀たんしんぎは受け取ってもらえましたか?
一世代前のですが、性能は十分です。
【九頭幸則】
工廠こうしょうを自力で探すなんて、
あの子はなかなかやるね!
部隊に向島むこうじま出身の少尉がいてね、
奴が言うには帝国モスリンの工場、
あれは普通の工場じゃないって……
秘密兵器でも作ってるんじゃないか、
そんな勘ぐりを抱いていたな。
【喪神梨央】
それじゃ、そこが工廠こうしょうですか?
【新山眞】
どうでしょうか――
私たちが訪問しても、
門を開けるはずもないでしょう。
【九頭幸則】
風魔、お前が山王さんのう機関の公務で、
その工場こうばに踏み込むと、
また話は違うかもな。
【喪神梨央】
何も事変のないところへ、
公務として乗り込んだりできません。
それに返り討ちにわないとも――
【新山眞】
相手側から反撃があるのなら、
間違いなく工廠こうしょうですね、
そのモスリン工場は。

そこへ警告音が鳴り響く。

【喪神梨央】
探信儀たんしんぎの警告音です!
あきらさんの探信儀たんしんぎです――
【新山眞】
近くですね。
表に出てみましょう!

〔山王ホテル前〕

【九頭幸則】
おい、何だか町の様子が変だ。
【新山眞】
まるで戒厳令かいげんれい発布はっぷされたかのような。
【九頭幸則】
風魔!
見ろ、将校だ!
ちがう、奴ら、怪人だ!!

溜池通から2人の将兵が駆け上がってきた。

【東京ゼロ師団鞍馬くらま一等兵】
やはりここにもいたか!
皇国こうこく栄誉えいよ授かる我が師団!
見敵必殺けんてきひっさつ銃剣じゅうけんを食らわす!!

《バトル》

〔溜池通〕

溜池通はまるで封鎖されたかのように静まり返っていた。数台の軍用トラックが無造作に停まり、山王下電停よりさらに先で市電が足止めを食らっていた。今、将兵の姿はない――

【九頭幸則】
風魔ふうま、こっちだ!

そう言うや九頭は溜池通を渡り始めた。新山、風魔も後に続く。

【九頭幸則】
赤坂一帯に部隊が出ているぞ。
こいつら、みんなゼロ師団なのか?
【新山眞】
あの二人は大丈夫でしょうか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測、強い揺らぎです。
先ほどと同様ですが――
怪人の波形も多く観測します!!
【新山眞】
もしゼロ師団だとすれば、
波形に特徴が出るかも知れません。
私は本部に戻って観測します。

新山はきびすを返して機関本部へと戻って行った。

【九頭幸則】
風魔、行ってみよう!
この先だ、一ツ木通ひとつぎどおりの辺りだな。

料亭の間にある薄暗い路地を抜けて一ツ木通に向かう。

〔一ツ木通〕

一ツ木通には将兵姿、背広姿入り混じって6人の怪人が展開していた。道中央にレンザが対峙するように立つ。

【九頭幸則】
おい、見ろよ!
将兵に混じって民間人もいる。
あれは軍属か何かか?

料亭の軒先から旭が駆け寄ってくる。

【能海旭】
こいつらみんな、ゼロ師団の
将兵と軍属なんだ――
レンザ一人じゃどうにもならない……
仮構かこうの力、見くびれないよ、
風魔ふうまさん――
【九頭幸則】
闇雲やみくもに突っ込むのは危険だ、
作戦を立てなきゃ。
一旦本部に戻ろう。
あきらさんも一緒に!
【能海旭】
レンザ!
しばらく留めておくんだよ。
まだ戦っちゃダメだから!
【吉祥院蓮三郎】
承知しております!
今はまだ大丈夫であります。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
いくつもの波形が入り乱れ、
何が何やらわかりません。
あきらさん、レンザは大丈夫?
【能海旭】
まだ何とか――
連中は警戒を強めている。
【喪神梨央】
レンザ、先走らなければいいけど――
【能海旭】
転生にしくじった悪魔が、
私の元に来るなんて、
なんという皮肉だろうか――
魔法もろくに使えない私なのに。
でも――
だからこそ、私は試されている、
そう感じるんだ。
――風魔ふうまさん……
力を貸して――
【新山眞】
今、波形検出しました!
これ、レンザさんが戦っていますよ。
【能海旭】
んもう、あいつ!!
待てなかったの?

〔一ツ木通〕

一ツ木通に急行すると、すでにレンザはを降ろしていた。背広姿の怪人が風魔を捕えた。

【吉祥院蓮三郎】
すごいのでございます!
レンザ、すこぶる調子に乗ってます!!
なんと、私よりも格上の
調達できるなんて、夢みたいです!
私、セーレはソロモン七十番目!
それがそれが、うんと上の方々を!
栄光に身悶みもだえるのでございます!!
風魔さま、二人で手分けすれば――
きっとなんとかなるはずです!

《バトル》

〔山王ホテルロビー〕

山王ホテルのロビーは静まり返っていた。

【能海旭】
うまく退しりぞけたね――
なんて言うんだっけ、山王さんのう機関では。
【吉祥院蓮三郎】
確か、鎮定ちんてい――
そう言うのでございます。
【能海旭】
レンザ、お前の方はどう?
今回は本調子だった?
【吉祥院蓮三郎】
はい、上々でございました!
なんと、格上の悪魔を調達し、
もう何というか、最高でした!!
【能海旭】
レンザって呼ぶけど、
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうって名前、
ふと思いついたんだ――
ちょっと古風で、いい感じだよね。
【吉祥院蓮三郎】
このままもう、
人間になってしまえればと――
考えなくもありません。
【能海旭】
人間なんて弱いだけだよ。
になるか悪魔に戻るかさえすれば
永遠の存在でいられるんだよ。

【吉祥院蓮三郎】
私は誰かに呼ばれた気がするのです。
――それが途中で……
もしやと思うのですが……
【能海旭】
誰か人間を乗っ取った、
そう考えているんだろ?
【吉祥院蓮三郎】
私によってはじかれた人がいる、
そう思えてならないのです。
【能海旭】
レンザ、お前について考えると、
謎が深まるばかりだよ。

風魔ふうまさん――
この近くに私のアトリエがある。
今度、お誘いするね。
今日は、どうもありがとう。

レンザ、戻るよ!
【吉祥院蓮三郎】
喪神もがみ……風魔ふうまさま……
この町には、私のような存在が、
他にもいる気がします。
それは敵か、はたまた味方か――
自分に意味のある相手とは、
簡単に見つからないのでございます。

能海旭のうみあきら吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうの登場は、山王さんのう機関の公務に新たなページを加えた。
そして帝都は更なる謎を含ませることになる。

吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう


 旭の元に突如現れた青年。旭の所属する学園の先生によると、その由来はソロモン72柱の一柱、序列70位の悪魔セーレであるらしいが、本人はいまひとつピンと来ていないらしい。また、その影響か、魔神を召喚することができるようだ。「吉祥院蓮三郎」の名前や「レンザ」という愛称はいずれも旭がつけたものである。
 若干浮ついた雰囲気であるが、悪魔セーレの影響か優しく誠実な性格である。そのため現在の主である旭の望みを叶える為には労苦を惜しまない。



幕間――アトリエにて ADV版

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彩女の宙 ADV版

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名前の由来 ADV版

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アキラとレンザ 後編 ADV版

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アキラとレンザ 前編 ADV版

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