幕間――旭の祭儀

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第九章 第六話 水の想い

〔山王機関本部〕

九頭くず幸則ゆきのりの同輩、歩一の山本少尉が伝えた、荒川の工廠こうしょうについては、別途べっと、参謀本部の内偵ないていが入ることになった。

【帆村魯公】
山本少尉は秘密に近づきすぎた、
どうもそのようだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、大丈夫でしょうか?
一昨日から音信がありません――
本部にもおいでじゃないです。
【帆村魯公】
確か、あの……
吉祥院某きっしょういんそれがしが警護するとか、
そんな話じゃったな。
【喪神梨央】
レンザさんが付かれるんですね!
それじゃ安心です――
そうですよね、兄さん!
【帆村魯公】
鬼龍きりゅう大尉の同輩、御荷鉾みかぼ大尉も、
独逸ドイツ勢の動きに通じておるな――
【喪神梨央】
そして今は回廊を巡る――
【帆村魯公】
うむ……
御荷鉾みかぼ大尉の見解では、風魔、
お前は回廊に入ったことになる――

アラヤ回廊――
その存在はそれとなく伝わるが、実在を確認した者は誰一人としていない。

【喪神梨央】
独逸ドイツ人は修善寺しゅぜんじロッホを探して……
結局、見つけたんでしょうか?
淑子としこ姉さんの入院していた
サナトリウム、修善寺です――
【帆村魯公】
連中の言うロッホとやらが、
下で繋がって回廊を形成する――
理屈はわかるがな、
この目で見ないことには、
どうにもかいせんわ。

魯公ろこうはやや難しい顔をして本部を後にした。
修善寺しゅぜんじロッホの件、重ねて参謀本部に、調査を依頼することになったのである。

【喪神梨央】
そうそう、兄さん――
あきらさんがお話があるって。
アトリエに寄ってあげたら?

今日の公務ですが、
巡視パトロールの方面、後ほどお知らせします。

〔旭のアトリエ前〕

山王ホテルの裏、日枝神社の石垣に穿たれた入口。それを塞ぐ頑丈な鉄扉の前で能海旭の出迎えを受けた。

【能海旭】
梨央りおさんから、
連絡あったわけじゃないよ。
何となく来るってわかったんだ。
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央さんからね、
ベラドンナのこと聞かれたんだ。
だから、風魔さんにも教えておくね。

【能海旭】
ベラドンナは花の名前よ。
美しい女性っていう意味よ。
イタリア語だって教わった。
くすんだ紫色の花を咲かせるの――
美しさとは裏腹に、
根や茎に強い毒を持つのよ。
その毒から作った膏薬こうやくによって、
さまざまな幻覚作用が起きる――
トロパンアルカロイドという成分ね。

魔女がほうきで飛んだりするのは、
空飛ぶ幻覚にとらわれるから――
実際に飛ぶわけじゃないんだ。
バスク地方の魔女たちは、
幻覚を見る膏薬こうやくを身体に塗って、
エメンエタハン、エメンエタハン――
そう唱えながら錯乱さくらん状態になる。

魔女の膏薬こうやくは他の地域でも、
例えばフランスや北欧にも伝わる。
ベラドンナの他に、
トリカブトの毒を調合することも。
より空飛ぶ感覚が得られるのよ。

そこへ吉祥院蓮三郎が姿を見せた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、
あきらさま、風魔ふうまさま――
【能海旭】
どうした?
九頭くず中尉の警護は大丈夫か?
【吉祥院蓮三郎】
その九頭中尉ですが、
青山一丁目から市電で渋谷に。
次の電車で追ったのですが……
【能海旭】
何だ? 見失ったのか?
【吉祥院蓮三郎】
かたじけないであります――

【能海旭】
しかし、何で渋谷になんか、
用があるのだ、あの中尉は?
【吉祥院蓮三郎】
渋谷には憲兵大隊が――
おそらくはゼロ師団の仮構かこうかと。
【能海旭】
そうか……
いざなわれたりしなければいいが。

風魔さん、
今日の公務、渋谷方面はどう?
電車通を進むといいよ。

〔旭のアトリエ前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
赤坂見附電停においでください。
公務電車、待機させます。

それから……
赤坂の大柱ですが、消えました。
すっかりなくなったんです。
新山さんが調査中です。
あとで落ち合ってください。

〔青山街路〕

青山通を渋谷に向かっていた公務電車だが、青山三丁目で九頭くず幸則ゆきのりの姿を確認、風魔は電車を降り、九頭の元へ駆け寄った。

【九頭幸則】
風魔!
ちょうどよかった。
機関本部に行こうと思っていたんだ。

いやな、渋谷憲兵大隊に招待され、
主だったところを見て回ったんだ。
隊舎の中は、歩一なんかと大違い、
廊下には赤絨毯あかじゅうたんが敷かれているんだ。
広間では音楽が流れている――
ちょっといいか――

九頭は風魔を路地裏に誘った。

【九頭幸則】
大きな声じゃ言えないがな、
あそこはやっぱり怪しいぞ。
東京の憲兵は一ツ橋に移った、
東京憲兵隊本部が統括する。
山梨、神奈川を除く第一師管だいいちしかんだ。
そのうち東京憲兵隊渋谷分隊は、
道玄坂どうげんざかの途中、上通うえどおりにある。
渋谷区、目黒区、荏原えばら区を管轄する。
道玄坂上どうげんさかうえの渋谷憲兵大隊は、
おそらく工廠こうしょうと同じ性質だ。

そこまで言うと九頭は青山通に用心深そうな視線を投げかけた。

【九頭幸則】
壁に耳ありだからな!

それでだ、憲兵大隊の方だけど、
安寧あんねい課少尉係長というのが出てきて、
俺を憲兵中尉として迎えると、
そう言うんだ。
上等兵で志願して憲兵下士になる、
というのならわかるけど――
歩騎ほき将校から憲兵になるなんて、
聞いたことがない。
そう言うと係長は、
転隊を認めるとまで言い出すんだ。

あまり深入りしないほうがいいな、
なんか嫌な感じがしてきた――

【着信 喪神梨央】
新山さんが向かっておいでです。
【九頭幸則】
うわっ!
びっくりしたよ、梨央りおちゃん!
【着信 喪神梨央】
中尉は公務電車でお戻りください。
青山三丁目にて待機中です。
【九頭幸則】
了解了解!
公務電車、乗せてもらえるんだ。
風魔、先に戻るよ。

九頭と入れ替わるようにして新山がやって来た。

【新山眞】
喪神さん、愈々いよいよですよ、
事態は動き始めたようです。
赤坂の二本の大柱、
綺麗さっぱり消えてしまいました。

おそらくは――
帝都満洲にキタイスカヤが、
しっかりと定着したからでしょう。
あの二本の柱を依代よりしろにして、
キタイスカヤは存在し得たのです。
それが今や確かなものとなり……
大柱は不要となったのです。
キタイスカヤの街は、
帝都満洲にあって結界内のように、
ほとんどセヒラを観測しません。

思うのですが……
キタイスカヤ街は哈爾浜ハルピンにある、
キタイスカヤ街と繋がっている――
そうではないでしょうか?

つまり……ややこしいですが、
現世にあるキタイスカヤと繋がる、
その場所が、きっとあるはずです。

2人の話すところへ赤坂方面から梨央がやって来た。

【喪神梨央】
満洲風に言うと、埠頭区プリスタン新城大通ワゴロドナヤにある東方飯店ホテルボストーク――
ホテルで二つのキタイスカヤ街が
繋がっているのです。

兄さんと麗華さんが、
その部屋でお話されました――
あれは四◯八号室でした。
二つの波形が重なり、
微動だにしないのです。
そのホテルのある辺りが……
【新山眞】
なるほど――
ホテルで二つの世界が繋がる、
なかなかおもしろいですね。

【喪神梨央】
兄さん――
これを見てください。
【新山眞】
これは……
ホテルボストークの便箋びんせんですね。
何が書いてありますか?

【喪神梨央】
先程、式部さんがおいでになり、
読んでいただきました。
希伯来ヘブライ語だそうです――
【新山眞】
それで、意味は?
【喪神梨央】
エラ ツエーツエイン マイム
ハダシュ オ……

オの後がわかりません。
これは文章ではなく単語だそうです。
女神、子孫、水、新しい――
エラといういうのは女神なんですね。
範奈さんのお父さんが、
キタイスカヤでおっしゃいました。
エラ、エラ――
でも後が続かなくて……
あの時は何のことやら、
さっぱりでした。
【新山眞】
するとこのメモは……
【喪神梨央】
範奈はんなさんが書かれたようです。
ホテルの部屋で書かれたのです。
【新山眞】
この便箋びんせんがヒントですね。
喪神さん、キタイスカヤ街です。
ということは範奈はんなさんは――
【喪神梨央】
鈴代さんからうかがったのですが、
範奈はんなさん、満洲に渡られました。
おそらく哈爾浜ハルピンです――
お父さんとお会いになったのも、
キタイスカヤでした――
あれは帝都満洲の側ですね?
【新山眞】
そのはずです――
今度は……

なるほど!
現実の哈爾浜ハルピンと帝都満洲が接続し、
メモが帝都に現れた――

我々にはゲートがあります。
喪神さん、キタイスカヤ街には、
赤坂哈爾浜ハルピンから行けるはずです。
【喪神梨央】
これから戻って、
赤坂哈爾浜ハルピンのセヒラ、
観測始めますね!!

埠頭区プリスタンにあるホテルボストークが、満洲と帝都満洲を繋ぐという。
風魔は赤坂哈爾浜ハルピンからホテルを目指した。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
先の十字路を右に曲がってください。
ホテルボストークは、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
わずかにセヒラを観測します。
注意してください。

キタイスカヤ街は静寂の中に沈んでいた。人の姿はなく渡る風さえなかった。
そこへ一人の背広姿の男性がやって来た。

【千葉の莫大小メリヤス商】
いやぁ、困りました――
すっかり見当識を失いました。
松花江スンガリーに出ようとね、
いやね、遊覧船にでも乗ろうかと。
ホテルでうたた寝したのです。
ロビーに降りたら、なんと私一人!
町の中にも誰もいない――

ここはキタイスカヤなんですか?
哈爾浜ハルピンかキタイスカヤか、
キタイスカヤか哈爾浜ハルピンか――

日本人は哈爾浜ハルピン銀座と呼ぶそうです。
石畳いしだたみの歩道には散策の外国人が、
軽快なるステップを運び、
およそ東洋からかけ離れた雰囲気は――

って、誰もいないじゃないですか!!
私一人、あなた一人、一人、一人!
うぎゃぁぁぁぁ~

《バトル》

【千葉の莫大小商】
はぁはぁはぁはぁ……
何が東洋のモスコーだ、
こんなところ!

【着信 喪神梨央】
今の人は、哈爾浜ハルピンのホテルから、
こっち・・・に来たようですね。
他にもいるかも知れません。
注意して進んでください。

四つ辻を曲がって山郷武揚が姿を見せた。山郷は風魔を認めると静かに切り出した。

【山郷武揚】
人助けというのは、
人の為ならずとはよく言ったものだ。

ハオ社長ご自慢の野蚕やさん
白黄斑山繭しろきまだらやままゆかびで全滅してね。
それじゃ商売上がったりだ!
そこで私が特上の絹糸けんしを調達した。
そのときの社長の喜びよう、
なかなかのものだったよ。

甲斐絹かいきの対価として、
私はアルツケアンを受け取った。
その不思議な石のことは、
エメリヒと言う名のかい族の少年から
詳しく聞き及んでいたよ――

エメリヒは独逸ドイツ人研究者につかえたかい族だ。
研究者に気に入られ、独逸ドイツに連れて行かれ、アーネンエルベにも出入りしたらしい。

【山郷武揚】
独逸ドイツから戻ってきたエメリヒは、
別人のように利口りこうになっていた。
私はあの子から多くを学んだよ――

烏魯木斉ウルムチ近くに落ちた隕石いんせき
アルツケアンには、
宇宙が閉じ込められている――

アルツケアンの衝突により、
大きなセヒラ場が生じる――
それはまるで宇宙創造の瞬間だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇しています!
注意してください。

俄に山郷の周囲にセヒラが漂い始めた。

【山郷武揚】
山王機関は熱心だね!
こんなところまで探信たんしんしているのか。
君たちは大いに勘違いしている。
私の開いた古式東雲しののめ流――
それはもはや古式ではなかった。
鬼神や妖魔を自らに降ろす古式、
しかしそれでは戦力にはならない。
古式を超えてを指揮する――
私はそこに至ったのだ。

しかしそこに頂きはなかった。
鈴代によって未来を奪われたのだ。
鈴代にすれば私は家系の染みだ。
一点の染み――
フフフフ……

だが私と鬼龍きりゅう大尉には、
残されたものがあるのだよ。
もう一度、機会をもらおうではないか!

《バトル》

【山郷武揚】
まだ他にも手はあるはずだ。
猶太ユダヤすえを招き寄せる方法がな。
この世界にはまだ見ぬ力が眠る。
触れてはならないかも知れないが。
パンドラのはこは開かれるのだ――

そう言うと山郷は踵を返して去った。

【着信 喪神梨央】
アルツケアンって、
そんなに大きな力を秘めている、
そうなんですね――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだ何かの波形を観測します。
ホテルの方へ向かってください。

ホテルのある街区へ入ったところで、鉢合わせするかのように廣秦範奈と出食わした。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、姉に呼ばれたのです。
いえ、姉の思念に触れたというか……

目覚めたらホテルの部屋でした。
そこではっきりと、
姉に触れたのです。
姿は見えないけれど――
とても確かなことでした。

範奈は姉の印象を語る――

【???】
範奈はんな――
あなたを見たのは、
小さな頃、一度だけよ。
万世橋駅近くの商家ね。
あなたの前では私は美香みか
廣秦美香ひろはたみかだったわ――

範奈は風魔から目をそらし俯いた。
再び姉の印象を呼び覚ましている。

【廣秦範奈】
先程のお父さまのこと、
お話いただけませんか?
廣秦伊佐久ひろはたいさく、それが父さまですよね?
【美香の声】
ええ、私たちが生まれてからはね。
その前は古賀容山こがようざんという篆刻師てんこくしよ。
雅号を持つ前は古賀喜一こがきいち――
父は古賀家の婿養子むこようしなの。
篆刻師てんこくしとして五大幻石ごだいげんせきを探して、
長野の方で行方不明になったのよ。
【廣秦範奈】
五大幻石ごだいげんせき
【美香の声】
自然珪しぜんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石ねんめんせき
玄武晶げんぶしょう。まだ発見されていない石よ。
父はそれらを求めて姿を消したの。
【廣秦範奈】
お姉さまはお父さまに、
お会いになったのですか?
【美香の声】
父は何かの拍子に遠い未来に行き、
そこで気脈を整える装置を作った――
それが働いたのよ。
私も父と同じ時代に生きた。
二〇一五年、九龍城砦にある光明路、
私は今もそこにいるのよ。
【廣秦範奈】
二〇一五年……
日本ではないのですね?
お父さまもご一緒ですか?
【美香の声】
父とははぐれてしまったの。
また深いところを巡っているようよ。
この町で私はラウ美鈴メイリンを名乗るの。
そうすることが自然だから――
でもたまに父に近づくの。
そして言葉を預かったわ。
【廣秦範奈】
どのような言葉ですか?
【美香の声】
冬至の朝、水辺に――
私たち姉妹で為すことがある、
父はそう伝えたわ。
【廣秦範奈】
水辺……
それは海ですか、湖ですか?
それとも――
【美香の声】
まだわからないわ――
【廣秦範奈】
水辺で姉さまに、
お目にかかれるのでしょうか?

しかし姉の答えはなかった。範奈の姉の印象は消えてしまった。

【廣秦範奈】
姉さま!
もう行かれたのですか?
姉さま――

範奈は風魔を見た。その眼を力強く見つめた。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、ここに何度か来たような、
そんな気がしています。
眠っている間に、
父上の言葉を預かったような――

もう一度、ホテルの部屋に戻ります。
冬至に間に合うように、
日本には戻ります。

範奈は踵を返し、確かな足取りで歩き去った。
そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにお戻りください。
ホテルでは戻れません!

〔山王ホテルロビー〕

祓えの間から山王に戻った風魔。ホテルロビーにいると梨央が本部からやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
大変です、彩女あやめさんが――
青山の脳病院に、
彩女さんの遺書があったと。
もうじき式部しきべさんがおいでに――

梨央が言い終わらないうちにホテル玄関から式部がやって来た。

【喪神梨央】
式部さん!
彩女さんの遺書って、本当ですか?
【式部丞】
ええ、あれは遺書です。
間違いようもありません――
捜索そうさくの依頼で警察に渡しましたが。
警察では何とか追いつける、
そう見込んでいるようです。
今は任せるしかありません。
【喪神梨央】
それで、遺書には、
どんなことが書いてあったんですか?
【式部丞】
このような乾いた世界では、
もう生きていけない、
兄さんを追いかけるのだと――
【喪神梨央】
彩女さんのお兄さんって……
【式部丞】
周防高麿すおうたかまろ、文学青年でした。
四年ほど前、一碧湖いっぺきこで入水しました。
【喪神梨央】
え? そうなんですね……
一碧湖いっぺきこ――
【式部丞】
一碧湖いっぺきこは、ある女性が入水してから、
しばらく後追いが続きました。
【喪神梨央】
独逸ドイツ人医師に殺されたユーゲントが、
投げ込まれたのも一碧湖いっぺきこです。
それにしても――

彩女さん、お兄さんのこと、
よほどお好きなのですね?
【式部丞】
兄さんが読書家なので、
少しでも話が合えばと、
セルパン堂で働いていたのです。
そしてオフィーリアという文芸誌を
購読していました。
【喪神梨央】
オフィーリア――
【式部丞】
ハムレットのヒロインです。
最後には気が触れて川に落ちます。
その様子を描いた絵が――
【喪神梨央】
ミレーの絵ですね!
上野の死ぬ死ぬ団の女性が、
口にしていました。
【式部丞】
漱石そうせきも取り上げていますね。
草枕にあります――

オフェリヤの合掌がっしょうして水の上を
流れて行く姿だけは、
朦朧もうろうと胸の底に残って――

漱石そうせきはテイト・ギャラリーで、
実物を見ているはずです。
そして思い違いをした――
【喪神梨央】
実際に見ているのに?
【式部丞】
ミレーのオフィーリアは、
合掌がっしょうに組んではいません。
思うのですが――
一碧湖いっぺきこといい、オフィーリアといい、
いずれも水にちなみますね。
【喪神梨央】
そういえば、彩女さん、
魚座だと言っていました。
【式部丞】
魚座は情緒じょうちょ豊かな空想家――
まさに彩女君そのものですね。
【喪神梨央】
彩女さん……
もう手遅れでしょうか?
【式部丞】
警察からの連絡を待ちます。
私たちにはそれしかできません。
喪神さん、
私はセルパン堂に戻ります。
【喪神梨央】
兄さん――

【新山眞】
喪神さん、梨央ちゃん!
広尾橋界隈かいわいでセヒラ急上昇です。
波形からすると――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【新山眞】
周防すおう彩女あやめさんです、おそらく……
【喪神梨央】
ええ? だって彩女さんは――

梨央は新山に彩女の遺書の話をした。
現在、警察が全力で追っていることも。

【新山眞】
だとしたら――
広尾橋にあるのは……
アストラル?
【喪神梨央】
じゃ、もう……
彩女さんは――

兄さん、お願いします!
広尾橋……いや、その近くです。

〔渋谷区豊受町〕

広尾橋電停で公務電車を降りた風魔は、宮邸脇を抜け豊受町界隈へ。
省線恵比寿駅と高樹町を結ぶ通りに出た。

【着信 喪神梨央】
%▲&士――
そこ◎★%&▲%ですか?

不意に建物の影から彩女が現れた。彼女は真っ直ぐ風魔のもとへ来た。

【周防彩女】
喪神もがみさん――
彩女、乱歩先生にご迷惑を
おかけしたかしら?
勝手にオリムピア号のお話、
披露ひろうしたりして――

でも言葉がどしどし出るのですわ。
オフィーリアを読んでいても、
ちっとも頭に入って来なくて、
知らない間につづっているのですわ。

彩女、兄さまにいざなわれている、
そう思うようになったのですわ。

するとどうでしょう、
すーっと身体が軽くなり、
いろいろのこともなくなり――

あれはまだ小さなときですわ。
兄さまと高尾山たかおさんに行き迷子に……
何時間も暗い山の中を彷徨さまよいました。
兄さまは、彩女、大丈夫か、
まだ歩けるかとしきりに心配され、
彩女は歯を食いしばって歩きました。
ようやくさわにたどり着き、
そこで少し休むことになりました。
彩女は木にもたれ眠りました。

いかほど経ったことでしょうか、
兄さまの声で目を覚ますと――
兄さまは沢の水をてのひらみ、
彩女に飲ませてくれたのです。
兄さまのてのひらから頂くお水は、
とても甘く柔らかくそして暖かく、
彩女の中に溶けていったのです――

彩女は兄さまとひとつになりました。

式部しきべ店長が御本に向き合われる時、
そこに兄さまの面影おもかげを認めますわ。
うなじの姿がそっくり――

でも兄さまとは違うのです!
兄さまはあんなことはされません。
大切な御本を破くなんて――

ある日、彩女は夜まで眠りました――
目を覚ますと書庫の方で物音がして、
その後店長がお出かけになりました。

彩女、書庫をのぞいて吃驚びっくりしたのです。
ゲエテの御本のページが破られ、
御本が半分ほどの薄さに――
きつねの裁判という美しい御本です。

兄さまは絶対ご本を破るなど、
そんなことなさいません!

店長の中に兄さまを認めていた、
彩女はとてもおろものなのです。

兄さま――兄さま――
兄さまは彩女をお呼びなのです。
呼んではいけないのだとお思いです。

――そんなことはございません。
彩女は行かなくてはなりません。
水の中で再び結ばれるのです。

私たちはまるでウンディーネと
ユーゴーのようなのですわ――

そこまで言うと彩女は暗誦を始めた。

【周防彩女】
時計の十二時を示すや一陣いちじんの風と共に雨さえ加わり雷鳴がして、
ウンディーネが現れる。
ユーゴーは非常に後悔こうかいをして、
ウンディーネの腕を取ってびるが、
しかしウンディーネはそのままユーゴーをひかれて深く深くしずんでく――

突如として激浪げきろうが起こり、
華美を尽くせる大広間は
忽然こつぜんとして大海の如くなり、
水の神の水晶宮すいしょうきゅうが現出する――

彩女が語り終えた時、辺りが暗くなり薄暮のようになった。再び光が戻った時、目の前には千紘がいた。

【千紘】
ここは彩女の記憶なんだね――
彩女をそのままにしていて、
僕は自分のことが少し見えた――
そんな気がするんだ。
とかく水にちなむからね、彼女は。

それは、とりもなおさず、僕の中に、
水の要素を含むということさ!

心霊的なビジョンとされる、
メリュジーヌは、水の中にあり、
楽園的な存在を留めているのさ。
メリュジーヌは、人の血液にも、
命脈を保ち続けたと言われている。

僕の中の水の要素が、
高麿たかまろの入水自殺をもたらし
そこに彩女が強くかれた――

一見、不安定な彩女だけど、
水に向き合うことで、
彼女は安定していたんだよ。

でも彼女は式部丞に何かを見た――
兄を重ねているのは知っていた。
でもそれじゃない。
彼女の心に小さな穴が空いたんだ。
そういう中はじきに大きくなる。

だからおしまいにしたのさ。

フフ――
この僕が何かに不安を覚えるなんて。

どうだい?
君の力で僕の不安を払拭ふっしょくするのは?
いい考えだと思うよ!!

《バトル》

【千紘】
君はとても力をつけている。
新しい世界でもやっていけるね。
そのときが楽しみさ!

僕はホテルボストークにいる。
また時機じきを見て姿を見せるよ。
芽府めふ須斗夫すとおの予言通りなら――

千紘は音もなく建物の影に消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫でしたか?
ユリアさんが相談したいと――
アーネンエルベに向かってください。

〔アーネンエルベ〕

ユーゲントを指揮する虹人こうじんからの連絡で、帝都で怪人が姿を消しつつあるという。
廓清かくせいされるのではなく怪人のまま消えるのだ。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
来てくれたのですね。
コージンはユーゲントを連れて、
帝都をめぐっています。
そして妙なことを――

怪人が怪人のまま、
どこかに姿を消すと。

怪人はきを解かれて、
はじめて怪人ではなくなる――

怪人のままいなくなるなんて。
何かの作用が及んでいる、
そう思えてなりません。
フーマ、また新しいことがわかれば、
連絡します。

私……不安です……

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
先ほど、あきらさんたちがおいでになり、
彩女あやめさん、あ、いや、千紘ちひろさん、
間違いなくメリュジーヌですって。
その転生した姿だそうです。

メリュジーヌは仏蘭西フランスの伝承で、
魚の尾を付けた女性だそうです。
毎週末、尾を付けて海に帰る、
それを夫に見られたことで、
ずっと水の中で生きることに――

詳しいこと、あきらさんが調べるって、
そう仰っていました。
学校の図書館に向かわれました。
式部しきべさんからはまだ何も……

うまく受信できませんでしたが、
もう彩女さんはいらっしゃらない、
そうなんですね?

でも、どうして本を破ったり……
本を大事にされないのでしょうか?

その夜、式部から電話があり、一碧湖いっぺきこでは彩女は見つからなかったという。
風魔の報告を受けた梨央が彩女の件を話し、式部は考え込んだ後、人格の死と命名した。
周防すおう彩女あやめは人格の死を向かえたのである――

第八章 第六話 東京大正博覧会

〔山王ホテルロビー〕

その日、興亜こうあ日報は二度目の怪人川柳せんりゅうを掲載。たちまち売り切れ続出となり、梨央りお四谷仲町よつやなかまちまで足を伸ばして買い求めた。

【喪神梨央】
興亜こうあ日報の記者の人が、
新聞を持って来るって――
なら買いに行かなきゃよかった。
まったく人騒がせな話です。
これで怪人騒動が起きたら、
記者の人、責任取るんですか?
今度の怪人川柳せんりゅう
前より投稿が増えています。
それに地方からも――
【新山和斗】
喪神もがみさん、新聞の件ではご迷惑を――
皇軍こうぐん機関が朝刊読めないのは、
国難こくなんを招きますね!
【喪神梨央】
新聞ならもうあります。
怪人川柳せんりゅう拝見はいけんしました。
【新山和斗】
今回のは傑作けっさくぞろいですからね!
仙台や熊本からも寄せられています。

怪人の
心に触れて
みたい秋

しみじみと秋を感じますね――
【喪神梨央】
怪人の
通る生垣いけがき
急に枯れ

これで怪人騒ぎが起きたら、
どうするんですか?
【新山和斗】
皆さんのご活躍が愈々いよいよとなります。
――違いますか?
怪人川柳せんりゅうはこの秋入社した、
新人社員の企画なんです。
帝大出の触れ込みでしてね――
蛇穴さらぎ洋右ようすけという青年ですが、
拓務たくむ文理専修科の卒業だそうです。
【喪神梨央】
そんな学科、あるんですね――
【新山和斗】
僕も初めて知りました。
拓殖たくしょく実務を高い水準で学ぶとか。
彼、川柳せんりゅうで張り切っています!
【喪神梨央】
以前、帥先そっせんヤというのがありました。
怪人川柳せんりゅうもその一つとみなされて、
特高の手入れを受けそうです。
【新山和斗】
最近では騒擾罪そうじょうざいを持ち出して、
憲兵が動くのが常ですからね。
今日はこちらの件でうかがいました――

そう言って和斗かずとは絵葉書を取り出した。東京大正博覧会を写した人工着色絵葉書だ。大正三年、上野公園一帯で開催かいさいされた。
上野公園に一夜にして博覧会場が現れ、会場見物の市民でごった返しているという。和斗かずとはそれをしらせに来たのだった。

【新山和斗】
前に浅草十二階が出現しました。
あれと同じ理屈なのではないですか?
浅草のときは当局の検閲けんえつを受け、
早版はやばんの記事から書き換えました。
くさ記事は沢山たくさんありましたから。
【喪神梨央】
今回も発表は無理だと思います。
参謀本部の検閲けんえつが入るでしょうね。
【新山和斗】
まぁ、従いますよ――
ただ記事自体は書いておきます。
いつか発表できるでしょうから。
【喪神梨央】
兄さん、今日の公務は上野ですね。
セヒラの観測、始めます。
【新山和斗】
僕はこの現象、妄築もうちくと名付けます。
ご公務、お気を付けください。

〔上野恩賜公園〕

上野の山はどことなく浮足うきあし立った空気だ。まるで春の花見の頃のようである――

【下谷区のラムネ商】
怪人川柳せんりゅうでいいのがあって、
つい浮かれちまってね!

怪人が
さっさと越へる
電車道

哀愁あいしゅうさえ感じるね、あんた!

怪人に
なったしるしに
かねが鳴り

不朽ふきゅうの名作じゃないか!
――次なんかもいいよ!

怪人を
残して冷える
町となり

文学的なたたずまいさえ感じるね!
――気分が益々ますます浮いてきた!

【谷中の客】
懐かしい見世物みせものがわんさかだよ!
ホントに懐かしい……
芝居しばい手踊ておどり、生人形、独楽こま、足芸、曲馬きょくば照葉狂言てりはきょうげん轆轤首ろくろくび大坂角力おおさかすもう、洋犬の芸、講釈こうしゃく
かっぽれ、女大力おんなだいりき
露店ろてんの洋食屋、りのシャツ屋、
アラスカ金の指環ゆびわ、電気ブラン、
木戸十銭きどじっせん浪花節なにわぶし――
たま乗り娘のあかじんだ肉襦袢にくじゅばん
倶利伽羅紋々くりからもんもんのお爺さん、江川一座のおはやしさんや一寸法師いっすんぼうし――
今はれっきとした昭和の時代、
まるであんた、大正はじめに
時が巻き戻ったみたいです!

トンビ服姿の男性が風魔を見ている。

【下谷第三十八尋常小学校訓導】
今より東京大正博覧会の
趣旨しゅしを述べるのである――
殖産しょくさん工業の進歩開発をうながすにあるは勿論もちろんなるも、第一に大正御即位式を記念し、あわせて我が帝国の改元かいげんともな万般ばんぱんの進歩発達をはかり、
いささかなりともこの大正の御代みよ
むくたてまつらんとするの赤心せきしんより
企図きとせられたものである。
――以上!

中年の男女2人連れがやって来た――

【碑文谷の蓄音機商】
いやね、博覧会案内というのが
落ちていたから拾ってみたんだが――
【蓄音機商の妻】
博覧会の見方が書いてありますわ。
【碑文谷の蓄音機商】
現今げんこん盛んに行われます石綿いしわた製品、
タングステン、ラヂユームらを見て、
鉱業に関する知識を養いましょう――
【蓄音機商の妻】
それは鉱業館の見学指南しなんですわ。
【碑文谷の蓄音機商】
教育館、学芸館、林業館、工業館、
水産館、美術館、拓殖たくしょく館、農業館、
運輸館、染織せんしょく館、外国館――
見学意欲は満々なのだけれどね、
ちっとも寄れないんだ。
近づくとすーっと消える――
【蓄音機商の妻】
知らない間に通り過ぎたんじゃ、
ありませんこと?
【碑文谷の蓄音機商】
そんなこと、あるものか!
――また明日にでも出直すとしよう。

〔東京大正博覧会〕

【内藤町の客】
大正三年に来た時は驚きましたよ。
なんせ本邦ほんぽう初公開のエスカレーター、
動く階段ですからね!
踏み台に足をせるのが怖くって!
でも今じゃ当たり前ですな!
ホホホホホ~
【着信 喪神梨央】
セヒラを観測しましたが、
低い値のままです。
あとで怪人化するかもですね――

【錦糸町の客】
独逸ドイツ館は見ものですよ!
一人気球、携帯電信、人造宇宙衛星、
脳楽のうらく装置、自白機じはくきプルトニウム発電機、
それに二体の自動人形です。
自動人形、人と見紛みまご出来栄できばえで。
サロメ号とオリムピア号ですよ。

口上屋こうじょうや
本邦ほんぽう初のサロメ号、
オートマタにございます。
もうお試しになりましたか?
【ヨカナーン役の学生】
ああ、すっかり試したよ。
僕がヨカナーン役となり、
サロメ号と台詞せりふわすんだ――
口上屋こうじょうや
猶太ユダヤ王女サロメは、ある一夕いっせき
預言者ヨカナーンの冷徹れいてつな声を聞き、その豊麗ほうれいな体にせられて、
たちまちそのとりことなり、
舞いの報酬としてその首を求め、
官能の爛酔らんすいの中で死ぬという筋書きなのであります――
サロメ号の前にて、
決まった台詞せりふを話せば、
会話が進むのであります。

不意にどこからか女性の声がした――

学生は声の元を探している。
その表情はすでに虚ろであった――

【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
私はお前の体にがれている。
お前の体は草刈人くさかりびとが、
一度もかまを入れたことのない、
草原の百合ゆりのように白い。

学生はヨカナーン役となり、サロメ号のわきに掲げられた台詞せりふを話す――

【ヨカナーン役の学生】
さがれ、バビロンの娘! 
この世に悪が来たのは女人のためだ。
【サロメの声】
お前の体はいやらしい。
蝮蛇まむしっている漆喰しっくいの壁のようだ。
さそりが巣を作る漆喰しっくいの壁のようだ。
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前の髪の毛は葡萄ぶどうふさに似ている。
お前の髪の毛はレバノンすぎのようだ。
この世の中にはお前の髪の毛ほど
黒いものは何一つもない。
お前の髪に触らせておくれ。
【ヨカナーン役の学生】
さがれ、ソドムの娘! 
私に触るな。
【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前のくちびるは艶めかしいひるのようだ。
二匹のひるが合わさりうごめくようだ。
私ががれるのはお前の口だ。
お前の口は象牙ぞうげとうにつけてある、
猩々緋しょうじょうひひものようだ。
象牙ぞうげの小刀で切った柘榴ざくろのようだ。
世にお前の口ほど赤いものはない。
……お前の口に接吻せっぷんさせておくれ。
【ヨカナーン役の学生】
ならぬ! バビロンの娘! 
ならぬ! ソドムの娘! 
姦淫かんいんの生んだ娘よ――

全部、正しく言えたはずなのに、
サロメ人形は血走った眼でにらんだ!
僕は全部言えたんだ、
一つもたがわずに言えたんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【ヨカナーン役の学生】
僕は間違わなかった!
最初からだますつもりなんだ、
あの女は!!

《バトル》

【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前は私の愛した、ただ一人の男だ。
お前は美しかった。
お前の体は銀の台石の上に立っている象牙ぞうげ円柱まるばしらだった。
はとと銀の百合ゆりとで一杯のそのだった。
私はお前の口に接吻せっぷんをしたのだよ。
お前のくちびるは苦い味があった。
あれは血の味だったろうか? 
いや、あれは恋の味かも知れない――

【戸越の客】
独逸ドイツ館は素晴らしいですね!
オリムピア号と目が合った時は、
胸が高鳴りました!
独逸ドイツ作家ホフマンの砂男に登場する、
あのオリムピア号そのままです。
砂男の粗筋あらすじはこうです――

大学生ナタニエルは、下宿先を訪問した、晴雨計せいうけい売りのコッポラから遠眼鏡とおめがねを買う。
それで裏窓をのぞき、1人の女性を見初みそめる。ナタニエルは女性の元を訪れ交際を申し込む。それがオリムピアである。しかしオリムピアは精巧せいこうな自動人形であった。
やがてナタニエルは気が触れてしまい、故郷に帰り婚約者と静かに過ごす。婚約者と市庁舎の屋上に上がったナタニエル、遠眼鏡で婚約者をのぞ動転どうてんして、市庁舎の屋上から墜落死ついらくしするのである。

【戸越の客】
遠眼鏡があやかしの力を秘めていた、
どうもそのようですね。

ホフマンの『砂男』の粗筋を話し終えた男が去ったとき、式部、彩女、そして江戸川乱歩の3人がやって来た。

【式部丞】
喪神もがみさん!
やはり見えていますね、大正博覧会。
――いやはや、驚きです。
【江戸川乱歩】
まるで浅草十二階の頃のようです。
その頃の浅草公園と云えば、
名物が蜘蛛くも男の見世物みせもの、娘剣舞けんぶ
玉乗り、源水げんすいの様の作り物、メーズと言う八陣はちじん隠れすぎ見世物みせもの――
当時と同じおもむきがありますな。

【式部丞】
乱歩らんぽ先生から電話いただいたのは、
他でもなく彩女あやめ君のことでした。
【江戸川乱歩】
オリムピア人形のことを聞いたと、
彩女あやめさんがやってきたのです――
それで式部しきべさんに連絡しました。
【式部丞】
彩女あやめ君、またぞろ話をこしらえました。
オリムピア号に関する話です。
そうだよね、彩女あやめ君?
【周防彩女】
彩女あやめ、文章がいてくるのです。
作家の先生のようにです。
言葉が連なってくるのですわ!
彩女あやめ、体の内側から、
ひっくり返りそうになるのですわ。
【江戸川乱歩】
文章がく……うらやましいですな!
私なんぞ、この一週間、
一行も書けておりませんぞ。
【式部丞】
彩女あやめ君、君のお話がどんなものか、
ここで披露ひろうしてくれるかな?
【周防彩女】
わかりましたわ、店長。
彩女あやめの筋書きがありますのよ、
三人で読みましょう。
乱歩先生がコッポラ、
式部店長がナタニエル、
彩女はオリムピア号ですわ。

3人は彩女版『砂男』の登場人物をそれぞれ演じ始めた。

【コッポラ】
晴雨計せいうけい売りのコッポラが、
学生ナタニエルの下宿を訪れる。
【ナタニエル】
ナタニエルはコッポラから、
小ぶりの遠眼鏡を買う。
それで裏窓を覗き、
窓に見えた若い女性に心奪われる。
【オリムピア】
その女性の名はオリムピア。
【ナタニエル】
ナタニエルはすぐさま交際を申込み、
二人は逢引あいびきを重ねる――
【オリムピア】
ヘッセン州ラウバッハの森に遊び、
町中では芝居しばい、オペラを楽しんだ。
【ナタニエル】
水浴すいよくに登山――
夏にはベルヒテスガーデンの山荘ヒュッテへ、
冬にはヴィンターベルクでスキー――
【コッポラ】
時に二人は危険な遊びにもいどんだ。
ガソリンバーナーに手をかざしたり、
長い時間、氷水に潜ったり――
四十度数のドッペルコルンを
何杯もあおったり、頭上の林檎りんご
投げナイフで落としたり――
ある日、二人はビュルガー塔に昇り、
遠くの景色を楽しんでいた――
【オリムピア】
オリムピアが提案しました。
この高い塔から飛び降りてみない?
最も危険な遊びでしょ?
【ナタニエル】
陽気になっていたナタニエルは、
オリムピアの手を取り飛び降りた――

石畳いしだたみ激突げきとつした2人――
オリムピアは首や手足がバラバラになり、方々に幾多いくたの歯車や弾条ぜんまいを散らばらせた。ナタニエルは墜落ついらくの衝撃で腹がけ、青黒いはらわたを広場に飛び散らせ、口や鼻から大量に噴血ふんけつしていた――

【周防彩女】
彩女あやめのナタニエルは、
オリムピアを自動人形と知らず、
とうから飛び降りたのです!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!

彩女の背後に濃厚なセヒラが集まり渦を巻き始めた。やがてセヒラの塊となり、あたりを包むこむ。
式部、乱歩は咄嗟とっさにその場を離れた。風魔は彩女とともにセヒラの中へ吸い込まれてしまった。

〔時空の狭間〕

【???】
何だか不思議なところだね――
君と会うのは二度目だね。
愈々いよいよ僕の出番かなと思う。
僕は千紘ちひろ――
周防すおう彩女あやめを遠ざけたから、
しばらくは僕の時間だよ。
千紘ちひろ
僕たちは響き合うのだ。
と――
でもまだ力がおよばない。
君が目覚めさせてくれるよね。
僕を目覚めさせてくれるよね。
前にもやったように。
お願いするよ!!

《バトル》

千紘ちひろ
うん……
この調子だよ。
これで少しは力がおよんだかな。

千紘の気配が消えると、風魔の周囲に町並みが姿を見せた。そこは凍てる上野黒河こくがであった。

〔上野黒河〕

【文科生Xアストラル】
新文民社しんぶんみんしゃに当局の手が入り、
我々文民社ぶんみんしゃも活動自粛じしゅく中だ。
だが手をこまねいているわけではない。
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の回顧録かいころくを出す、
そのために資料を整理している。
素朴そぼく先生が述懐じゅっかいされたのを、
その弟子が手帖てちょうつづっていた――
それが発見されたのだ。

【法科生Qアストラル】
素朴そぼく先生は幸徳秋水こうとくしゅうすい先生のことを、
述懐じゅっかいされていた――
秋水しゅうすい先生、刑死直前のことだ。
明治四十四年一月二十二日、
素朴そぼく先生は市ヶ谷いちがや刑務所を訪れ、
秋水しゅうすい先生と面会した。
その日、秋水しゅうすい先生は茶万筋ちゃまんすじ
綿入わたい羽織ばおりを着ていた。
死刑囚に面して、
お体を大事と言うもみょうであり、
葬式そうしきの話題というのも出しづらい。
素朴そぼく先生はだんまりを決めたのだ。
すると秋水しゅうすい先生が
助け舟を出した――
僕は非墳墓ひふんぼ主義だから、
身体は海川にてて
魚腹ぎょふくやすもよし――
ニッコリ笑ってそう申されたそうだ。

【工科生Pアストラル】
爆弾の飛ぶよと見えし初夢は
千代田ちよだの松の雪折れの音
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生の辞世じせいだ。
死刑の六年前、秋水しゅうすい先生が、
第五十二号事件で巣鴨に捕まり、
出獄後、桑 港サンフランシスコに外遊されたんだ。
それをお膳立てした人物がいる――
柴崎周しばさきあまねという駐米日本大使館勤めの一等書記官だ。
米国アメリカ数多あまたの無政府主義者とまじわり、
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生はアナーキストに――その影にいたのが柴崎しばさき書記官だ。
柴崎しばさき書記官は完全なる英語を話し、
いつもぞろえの背広姿せびろすがただった――
素朴そぼく先生の述懐じゅっかいはそこで終わりだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号くろのはちごう――!
聞――ていますか?
セヒラ――が接近中です!

秋毫しゅうごう編集主幹アストラル】
私が活動をあきらめたとでも?
見くびってもらっちゃ困る。
何も危険を犯してまで、
演台えんだいに立つ必要はない。
ラヂオを使うのだ!
第一声に用いる草稿そうこうを用意した――
万国ばんこく労働者は眼を開け!
眼前がんぜんに新時代が訪れつつある。
広壮こうそう邸宅ていたくがあるのに橋の下に
しゃがむ必要はなく、
食物が数多あまたあるのに断食だんじきの必要なく、
毛皮でかざるのに凍死とうしするに及ばず。
理論においても実際においても、
万物ばんぶつ万人ばんにんのものであるのだ!
草稿そうこうる私がどこに身を潜めるか、
お前たち官憲かんけんにはわかるまい!
肉体は拘束こうそくできても、
たましいまでは拘束こうそくできないのだ!!

《バトル》

秋毫しゅうごう編集主幹アストラル】
権力なき自由世界の実現に向け、
私は復活をげるだろう。
その名は麦人バクニンである――
まさに、麦人バクニン誕生の瞬間だ。
神もなく、主人もなく! 
絶対捕捉ほそく不可能な麦人バクニン誕生セリ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノくろの――帥士すいし
辺りか――ヒラ消失です。
帰還でき――か?

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
式部しきべさんがいらしてます。
彩女あやめさんのことで……
【式部丞】
彩女あやめ君は神経のやまいのようです。
帝大医科の蛭川泊ひるかわとまり博士に預け、
経過を観察中です。
蛭川ひるかわ博士は神経病の大の権威です。
市谷台町いちがやだいまちの立派な邸宅ていたくで、
金糸雀カナリアと暮らしておいでです。
博士曰く、彩女あやめ君の症状は、
ジャンヌ・ダルク症ではないかと。
つまりは強度のヒステリーです。
ジャンヌじょうはヒステリーを起こして、
仏国フランスの為に戦場にのぞめと幻聴げんちょうを聞き、二重人格をていしたそうです。
慢性幻覚性偏執へんしつ病と呼ぶそうです。
【喪神梨央】
彩女あやめさん、
自分のこと千紘ちひろと呼んでいました。
それも二重人格なのですね?
【式部丞】
ええ、そのようですね。
公務記録からしかわかりませんが、
彩女あやめ君の中に千紘ちひろがいるようです。
【喪神梨央】
その瞬間でしょうか……
強いセヒラを観測しました。
【式部丞】
そのセヒラによって、
芽府めふ須斗夫すとおが何かを語ったかも……
この間、第七の予言と言って、
ヒククアケ――
そう語ったのです。
この言葉の意味を、
調べないといけません。
近く古文書こもんじょ研究の先生に会います。
【喪神梨央】
そう言えば、兄さん――
柴崎しばさき一等書記官の名前を聞きました。
帝大生アストラルが話していました。
幸徳秋水こうとくしゅうすい米国アメリカ外遊をお膳立ぜんだてした、その外交官の名前としてです。
今から三十年前のことですよ――
柴崎しばさき外交官、歳を取っていない、
そうなんじゃありませんか?

まるで蜃気楼しんきろうのように現れた博覧会会場。それに触れてか周防すおう彩女あやめに異変が起きた。そして柴崎しばさき外交官という人物の謎――
帝都はまるで生き物のように、様々なものを飲み込んではしている。真実さえもがくだかれようとしていた。

第六章 第十話 乱歩作『妄楼』後編 

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座辺りでセヒラ観測します。
ただ、場所が特定できません――
鈴代すずよさんのお話もお伝えします!
月野つきの探偵は、有楽ホテルに向かい、
ドア係のことを尋ねます――

【月野沙漠】
ドア係の出張、実に抜かった!
実にどのような出張なのか!
実に聴取ちょうしゅせねば、実に!
有楽ホテルに着くやいなや、
先日の愛想のいいクローク係が来て、
実に用向きを尋ねた――

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は単刀直入に、
ドア係に出張などないはず、
本当のことを言うようにとせまります。

【有楽ホテルクローク係】
そんなことはございません!
あのドア係、実に勉強熱心でして!
将来、コンシェルジェを目指します。
コンシェルジェはホテルの顔、
仏蘭西フランスでは金の鍵ル・クレドールという表彰ひょうしょうまで、
ございますのです!
今はドア係として研鑽けんさんを積む日々、
この三週間、津軽つがるにて合宿です。
ホテルも特別に目をかけていまして。

【着信 喪神梨央】
津軽つがるで研修かといぶかしく思いながら、
月野つきの探偵は狐につままれたようになり、
ホテルを後にするのです――
月野つきの探偵の鼻腔びくうには、
酸化した油のような匂いが貼り付き、
クローク係の体臭かと思いました。

【京橋署の巡査】
小官も妄楼もうろう、四度も読みました――
あんな事件に関われたらなどと思い、
本日も勤めております!

【着信 喪神梨央】
探偵月野つきのは、銀座のカフェーへ。
蒸発した千代子ちよこの女給仲間から、
ある重大な事実を知らされます――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
場所も判明、日劇にちげき前です!!

〔日劇前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラです、
十分警戒けいかいしてください!!

【銀座のデパートガール】
びっくりしましたわ!
あれが怪人というものですか?
いきなり車を持ち上げて――
放り投げたんですわ!!

――探偵さんは、銀座の女給Hから、
恐ろしいことを聞くのですわ――
千代子ちよこさんの女給仲間Rは、
支那シナの黒社会と繋がっていて、
人身売買に手を染めているのですわ!

千代子ちよこ失踪の被疑者:
  支那シナの黒社会の構成員

【銀座のデパートガール】
千代子ちよこさん、露西亜ロシアに売られた、
そんなうわさがあるのですわ――
さっきの怪人……
女の人でしたわ――
――もしや……もしやですわ!
【着信 喪神梨央】
強いセヒラ、
隣の街区に移動したようです。
慎重に進んでください!

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強力なセヒラです!
怪人は銀座の女給Rと思われます。
――いや、なりきった愛読者です!
【銀座の女給R】
聞き捨てならないねぇ!
蒸発した女給の責任、
アタシにあるんだって?
冗談じゃないよ!
あの女、千代子ちよこ極悪ごくあくさね!
殺したいのがあるから、
手を貸してくれないかって、
アタシに持ち掛けてきたのさ!
アタシが支那シナ黒幇フェイパンにコネあるの、
あの女は知ってるんだよ!
なのにアタシが疑われるなんて!!
みんな、潰してくれる!!

《バトル》

【銀座の女給R】
黒幇フェイパンには連絡入れたさ。
でもね、暗殺者は来られなかった。
別の黒組織に殺られちまってね!
あの女が殺したいのが誰なのか、
そこまでは知らないさ。
さしずめ自分で殺って、
雲隠れでもしたんじゃないの――
ああ、なんだか取れたわね、
スッキリとね!

【麹町の女学生】
――私、取り乱しましたか……
お恥ずかしいところを、
お見せしてしまいました――
銀座の王城おうじょうデパートで、
姉と待ち合わせがございますの。
――それでは失礼致します。
【着信 喪神梨央】
今の人、すごく安定した波形でした。
これまで何度も怪人化している、
そんな様子でしたよ――

【月野沙漠】
実に! 実に!
千代子ちよこは殺害を依頼した――
それは実現したのか? はたして……
誰を殺そうとしたのか……
――実に、ここに来て怪しいのは、
唯一蒸発していないなおだ、実に!
美禰子みねこはドア係に付け狙われていた。
そのドア係は何日も姿を見せない。
ドア係、被疑者ではなく被害者なのでは……

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵たんていはもう一度望洋館ぼうようかんへ。
丁度、なおが出かけるところでした。

【月野沙漠】
その日のなおの行動、
実に特筆すべきであった!
先ず赤坂オウルグリル、銀座せいまん
日本橋天園てんそのめぐり浅草へ。
実に洋食、うなぎ天婦羅てんぷらのハシゴ!
僕は望洋館ぼうようかんなおを待つことにした。
暗くなってからなおは帰宅した。
実に行きと服が違っていたのだ!
僕の考えは確信に変わった!
まったくもって、実に!
最初から六人などいないのだ、
いるのは一人、他は別の人格、実に!
六人分の食事をしたのだ、実に!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵の張り込む望洋館ぼうようかんに、
なおは帰ってきました。
探偵は二〇一号室へ向かいました。
しかし人がいたのは階下でした。
探偵は、三階まで昇ってまた下り、
一〇一号室を訪ねたのです。
そこは美禰子みねこの部屋でした。

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座二丁目付近でセヒラ反応です。
まだそれほど強くありませんが――

〔銀座二丁目〕

【月野沙漠】
一〇一号室から出てきたのは、
今日、なおとして振る舞っていた
美禰子みねこであった、実に! 実に!
美禰子みねこを付け狙うドア係、
この不在が怪しい、実に怪しい。
津軽つがるに出張というのも実に謎だ!
ドア係の失踪しっそうには美禰子みねこからむ。
美禰子みねこは付け狙いにっていた。
――実に動機は十分だ!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は美禰子みねこに対し、
真相を語るように言いました。
警察には既に連絡済みであると――

【美禰子】
よくわかったわね!
そうさ、他の五人も皆アタシだよ!
最初に生まれたのはなおさ、
可愛い女学生だね。
なおに、もう一回、会いたいかい?
【月野沙漠】
うわぁ!

【着信 喪神梨央】
月野つきの探偵は逃げ道をふさぐべく、
昇り階段側にいたのです。
美禰子みねこは逆走して玄関から表へ――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区です、急いでください!

【美禰子】
フフフフ~
アタシを付け狙うドア係は、
今頃、東京湾で魚の餌食えじきさ!
黒幇フェイパンに殺らせたのさ!
――そうだよ、ちゃんと日本に来た!
いい仕事をしたってもんよ!!

《バトル》

【美禰子】
アタシが大元おおもとだっていう、
れっきとした証拠でもあるのかい?
ドア係は出張中なんだろ?
【月野沙漠】
実にね、僕が証明しよう!
【美禰子】
おやまぁ、立派なもんだね!
何を証明しようって言うんだい?
【月野沙漠】
美禰子みねこさん!
有楽ホテルのクローク係は、
実は貴女だ!!
【美禰子】
馬鹿言うんじゃないさ!
アタシはあんな安ホテル、
行ったこともないさ!
【月野沙漠】
椿油つばきあぶらだよ、美禰子みねこさん――
あの望洋館ぼうようかん、斜めに付けた窓、
戸車とぐるまの動きを良くするために、
潤滑油じゅんかつゆ代わりに椿油つばきあぶらが使われていた。
六人を自分の中に住まわせる貴女は、
実に六つの部屋で暮らしていた――
すべての部屋に椿油つばきあぶらの香りがする!
毎日、椿油つばきあぶら揮発きはつの中にいて、
いつしか貴女には椿油つばきあぶらの香りが、
実に染み付いてしまったのだよ。
初めて会ったなおさんも、
有楽ホテルのクローク係も、実に同じ椿油つばきあぶらの香りを放っていた――
眼の前にいる貴方もね!!
実に椿油つばきあぶらの見本市だ!
【美禰子】
随分ずいぶんと鼻の利く探偵さんだね!
この匂い、すっかり慣れちまってね!
【月野沙漠】
貴女は千代子ちよこの人格で女給を通じ、
黒幇フェイパンの暗殺者を日本に呼んだ。
そしてドア係を殺させたんだ。
情婦として会社社長との逢瀬おうせの場、
ドア係に見られたんだろう。
さては脅迫でもされていたのか?
【直】
私の部屋、二〇一号室で、
美禰子みねこさんの部屋のぐ上です。

【着信 喪神梨央】
美禰子みねこさんの家は椿油つばきあぶら仲卸商なかおろししょうです。家では多重人格の娘を思い、あの望洋館ぼうようかんを建てたそうです。
麹町こうじまち署に連行された美禰子みねこさん、
多重人格の検査と治療のため、
入院することになります。
黒幇フェイパンの男ですが、大連ダイレン連鎖街れんさがいで、
死体となって発見されました。
犯人はわかっていません――
妄楼もうろうのお話、これでおしまいです――

でも……
兄さん……どういうわけか……
池袋方面にセヒラがあります――
公務電車では遠回りになります。
省線電車を使ってください!
そこからの最寄り駅は有楽町ゆうらくちょうです。

〔池袋駅前〕

有楽町ゆうらくちょうから省線を使って池袋いけぶくろへ。駅前には先程の銀座ぎんざと同じように、人々がたむろしていた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
妄楼もうろうですが、読者が続きを創作して、
語り合っているようです。
それがどんな内容なのか、
鈴代すずよさんもご存じないとか――
注意して巡視パトロ―ルしてください。

【月野沙漠】
有楽ホテルのドア係を殺害した、
支那シナ黒社会黒幇フェイパンの暗殺者!
実に彼は大連ダイレンで殺された!
実に口封くちふうじの匂いがする!
犯人は誰か、実に興味が尽きない。
僕はこれまた目星が付いている。
実に犯人は莫大小メリヤス工場こうばの社長だ。
しずの同窓生Tの父親である、実に!

【池袋署の巡査】
読者たちは、話を終えたくない、
その一心いっしんで続きを作っているとか。
往来おうらいの邪魔は駄目ですよ、実に!

美禰子みねこは3人の人格と被疑者を、巧みに利用してアリバイ工作を図ったのだ。
  三千代みちよ:相場師、
  御米およね:酒屋、
  しず莫大小メリヤス工場こうば社長――

【美禰子】
そうさね!
アタシ一人じゃないよ、
皆の力を借りたさね!

ドア係を殺った黒幇フェイパンだけど、
女給の千代子ちよこに頼んで、
連絡付けてもらったのさ!
あの子は支那シナの黒社会に通じる、
女給Rと同じカフェーで働くからね!
話はトントン拍子で進んださ!
三千代みちよつどっていた相場師には、
常宿のホテルからクロークの制服、
ちょろまかすように頼んだよ。
相場師の仕手しての事実、
三千代みちよはがっちりつかんでいたからね!
なんぼでも言う事聞くのさ!

【御米】
さっしのとおりです――
平河町ひらかわちょうの酒屋を部屋に上げました。
それは三度です……
乗り気はしませんでしたが、
美禰子みねこさんに頼まれて……
それは嫌とは言えないんです。
酒屋には葡萄酒ぶどうしゅを飲ませました。
それは普段飲まないお酒です。
葡萄酒ぶどうしゅには砒素ひそを入れて……
酒屋は具合が悪くなり、病院へ。
入院した酒屋に頼んだのです。
それは……
麻酔薬を盗み出すようにと――
そのように頼んだのです。
私たちの関係を奥さんに告げる、
そうおどすと、酒屋は言うことを聞き、
クロロフォルムを盗み出しました。

【静】
御米およねからもらった麻酔薬を、
Tのお父さんに渡したの。
莫大小メリヤス工場こうばの社長よ――
あの人、私の言うこと、
何でも聞くのよ――
私の脹脛ふくらはぎことほかお気に入りよ。
赤ン坊言葉話しながら、
脹脛ふくらはぎほおずりするのよ!
大連ダイレンにいる黒幇フェイパンのこと、教えたわ。
連鎖街れんさがい村田洋行むらたようこうの二階が隠れ家よ。
あの人、支那シナ人の苦力クーリーを雇って、
黒幇フェイパンの男を殺らせたの――
最初、自分でると言ってたくせに。
でも目的はかなえられたわ。
――すべて丸く収まったのよ!
丸く、丸くね!

【月野沙漠】
五人の女たちの連携れんけい
実に見事である!
実に! 実に!
しかし……
真相が明らかになったとしても、
実に僕の胸の内は晴れない――
なおはこの犯罪にからんでいないのか?
――実にそこが疑問である。
あああ、実に、実に!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
乱歩らんぽ先生の幻影城げんえいじょうで、
彩女あやめさんが――
彩女あやめさんの様子が変だと、
先生から連絡が入ったのです。
幻影城げんえいじょうに急行してください!

周防すおう彩女あやめ幻影城げんえいじょうで変調をきたした。しらせを伝えた梨央りおも事情が飲み込めていない。彩女あやめは何の目的で幻影城げんえいじょうを訪れたのか――

〔幻影城〕

【江戸川乱歩】
お早いですね、喪神もがみさん!
いやね、彩女あやめさんがやってきて、
続きを教えてほしいと……
それで、即興そっきょうで話を作りました。
人格の基本をなおにする結末です。
ドア係に悩むのはなおだった――
その話をすると彩女あやめさん、
急にガタガタと震え始めて……
人が変わったみたいになりました。
――彩女あやめさん、もう大丈夫ですよ。
【周防彩女】
ご心配をおかけしました――
彩女あやめ奈落ならくに落ちそうになり、
必死にしがみつくのです。
彩女あやめの足元にぽっかり穴が空き、
両の足が宙ぶらりんとなり、
その下は真っ暗なのでした――
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、お話がショックでしたか?
【周防彩女】
驚きましたわ――
だって……
だって、だって!
逮捕された美禰子みねこには、
五人の人格があった――
【江戸川乱歩】
けれど、本当は、
なおが基本の人格であった――
即興そっきょうのお話ではそういう前提です。

【周防彩女】
なおさんは有楽ホテルのドア係に、
いやらしい目で見られたり、
家の近くまで来られたり――
それでドア係の殺害を、
思い付くのですわ。
――美禰子みねこの人格を使って……
【江戸川乱歩】
なお美禰子みねこに指示を出し、
黒幇フェイパンにドア係を殺させる。
美禰子みねこ大元おおもとだと思わせて、
実はなおの計略だったという、
少しアレンジしたお話です。

どうしましたか、彩女あやめさん?
【周防彩女】
私、下の部屋をのぞいていたんです。
一〇一号室、美禰子みねこさんの部屋よ。
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、大丈夫ですか?
あなた……もしや、なおなのですか?
【直】
たたみをずらすと、床板に節穴が。
小さな節穴ですが、のぞくには十分。
のぞして発見したのです――

【江戸川乱歩】
あ!
彩女あやめさん!
表に!
喪神もがみさん、追いましょう!

【直】
美禰子みねこさんは、半紙に私の名を書き、
それにしゅでバツをしていました。
そんな半紙が部屋に何十枚も!
――美禰子みねこさん、
私を消そうとたくらんでいたようです。
ならば美禰子みねこさんが、
身動き取れないようにすればいい、
そう思い立ったのです。
フフフフ~
あのドア係が格好の材料でした。
親切にしてもらったことがあります。
私が大荷物持って往生おうじょうしている時、
手を差し伸べてくれました。
あの人は、とてもいい人です。
でも、材料は他になかったの!
仕方ないじゃない!

【???】
いい人かどうかなんて、
関係ないよ、君はどう思う?
僕にとって必要なことをしたまでさ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強力なセヒラ反応です!
見たことのない波形です――

【直】
何かの本で読みました――
善人ほど犠牲ぎせいになるって。
その通りだと思いました。

【???】
きっと君だって同じことをする。
さぁ、僕をそっとしておいてくれる?
【周防彩女】
――彩女あやめ、何かおかしいのですわ!
体がむずむずするのですわ!
どうしましょう――

《バトル》

【周防彩女】
喪神もがみさん……
彩女あやめ、失礼なことしましたか?
きっとしましたわ!
どうしましょう、彩女あやめ
二度と喪神もがみさんに顔向けできません!
【江戸川乱歩】
彩女あやめさん、さぞかしお疲れでしょう。
奥で少しお休みなさい。
シナモン入りの紅茶でも、
ご用意しますよ。

喪神もがみさん……
彩女あやめさんはどこか不安定な、
そういうところがあります――
以前のゴエティア騒動の時にも、
それは感じたのですが……
妄楼もうろうのお話、そんな彩女あやめさんに、
ヒントを貰うようにして書きました。
彩女あやめさんが執筆のきっかけでした――
美禰子みねこなおを消そうとたくらむ話、
これは彩女あやめさんの創作ですね。
――でも興味深い内容です……
いやはや、今回は小説を超えて、
いろいろ騒動が起きました――
今、この帝都自体が、
不安定な状態になっているように、
思えてなりません。
少ししたら、
彩女あやめさんを送り届けます――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラは観測しません。
本部へ帰還してください。

一篇いっぺんの小説が呼び起こした騒動は、やがて収束しゅうそくを見るにいたったが、実は地下にもぐって継続していた。
熱狂的な愛読者によって、登場人物は増え、最終的には24人の人格を生むに至る。その舞台は、12階建ての妄塔もうとうとなった。

第五章 第十三話 指輪の怪異

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
少し探りを入れてみたんだが、
山郷やまごう一派にいろいろ動きがある――
刑務所の囚人をきにして、
人籟じんらい量産を狙っておるしな。
このままでは気圧けおされかねない。
喪神もがみ梨央りお
噂をすれば、ですよ!
帆村ほむら魯公ろこう
ん? 誰か来たのか?
喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷の方でセヒラ観測です。
――市ヶ谷見附の辺りです。
市ヶ谷刑務所が近いです。
帆村ほむら魯公ろこう
ふむ……
梨央ちゃん、言葉がちょっと
違うようだけどな。
喪神もがみ梨央りお
――はい……
以後、改めます。
兄さん、市ヶ谷見附の方です。
喪神もがみ梨央りお
セヒラの値は安定しているので、
人籟じんらいではないように思います――

市ヶ谷見附いちがやみつけ

牛込うしごめ署の巡査】
あっ! これは、特務中尉殿!
小官の観察でありますが、
妙な指輪の人がこの辺りに集まり――
何やら嫌な予感がします!
指輪を手にしたら、
力がみなぎってきたんだとか……
そんなことを話すそうです。

【スーツの男】
いつぞやは先生がとんだ失態を……
先生、同僚に先越されて、
よっぽど腹に据えかねたんですよ。
あの先生ですが、私も厄介に思い、
つい力を込めてしまいました……
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です。
探信儀を使ってください!!

【スーツの男】
そしたらね、先生、うふふふ……
はらわたがはみ出しちゃってね、
手で戻そうとするんです、傑作だ!
お前も同罪だ!
いよいよ、我慢ならない!
のたうち回って、死ね!!

《バトル》

【スーツの男】
はぁはぁはぁ……
私、ひどく動転していますね……
この指輪……これのせいでは?
あの人から預かって以来、
自分を抑えられなくなるんです。
この指輪、あなたに預けます。

それは、ユリア・クラウフマンが、仮面の男から預かった指輪と似ていた――

【着信 喪神もがみ梨央りお
まだセヒラ反応があります。
――それにしても、指輪によって、
怪人化したんでしょうか?
指輪の研究、まだ進んでいません。
気を付けてください。

周旋屋しゅうせんや
あんさんは、軍人さんで?
――軍医さんじゃないですよね?
いやね、そこの子、なんか
具合悪そうで、脂汗あぶらあせダラダラ。
ちょっと見てやってくれませんか?

【まあくん】
薬師様やくしさまの竜水、効かなくなったんだ!
おっかぁ連れて行ったけどね、
ちっともうまくないんだ。
だから、おいら……おっかぁを……

【まあくん】
竜水の井戸に突き落としたんだ!
井戸は空だった……鈍い音がしたよ。
あの水、どっから来てるんだい?
兄さん、知らないよねぇ、
知るよしも無いよね!!

《バトル》

【まあくん】
おいら、どうしたんだろ……
おっかぁ! おっかぁはどこ?
ねぇ、教えてくれよう……

少年が去った後、そこに落ちていたのは、またしても指輪だった。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、辺りのセヒラは
なくなりました。
そのままセルパン堂へお願いします。
周防すおう彩女あやめさんが、
怪人に追いかけられたとか。
中之島ファンの怪人だそうです。

〔セルパンどう

式部しきべじょう
よく来てくれました、喪神もがみさん。
実は彩女あやめ君がですね――
周防すおう彩女あやめ
彩女から言います。
彩女、怪人を引き付ける力が、
ずっと強くなった気がします。
数寄屋橋すきやばしでじっと彩女を見る人が。
でも気にせず市電の十一番に乗って、
塩町しおまちまで来たんです……
式部しきべじょう
その男も、同じ市電に乗ったかい?
周防すおう彩女あやめ
多分……
だって、電停降りたら声かけてきて。
彩女、心臓が口から飛び出そうに――
式部しきべじょう
でも、その男が怪人だと、
どうして君にはわかったんだい?
周防すおう彩女あやめ
彩女、何度も怪人を引き寄せました。
だから、わかるんです……
怪人の傍ではすーっと寒くなります。
式部しきべじょう
まだ近くに気配を感じるかい?
――その、何怪人だったか……
周防すおう彩女あやめ
中之島歌劇団なかのしまかげきだんのファンの怪人です。
彩女のことテフはんとかなんとか、
そのように呼んでいました。
式部しきべじょう
というわけなんです、喪神さん。
怪人探し、協力してもらえますか。
私たちも手分けします。
彩女君と私はこの塩町しおまち近辺で、
喪神さんは……
周防すおう彩女あやめ
中之島なかのしま怪人は市ヶ谷いちがやです!
彩女が振り返ったら市ヶ谷いちがやの方へ、
てくてくしていましたから。
式部しきべじょう
それでは、喪神さんは
市ヶ谷いちがや方面をあたってください。
後ほど合流しましょう。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
若松町わかまつちょう界隈かいわいでセヒラ観測です。
注意して向かってください。

若松町わかまつちょう

【兵隊やくざ】
何だぁ、てめえも軍人かぁ?
気取ってんじゃねぇぞ、ゴルァ!
軍人なら、あの野郎を
とっととしょっ引けや!
独り言ほざく気色きしょく悪い間抜けじゃ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
気を付けてください、
セヒラ上昇中です。
――今の人は口が悪いだけです。

【熱烈な中之島なかのしまファン】
わてのテフはんはな、大スタアや。
そやさかいな、なかなか
ねき寄せてもらわれへんねん。
ちぃーとな寂しゅうなってな、
わてのハァトの中はおしめりさんや。
まぁ、そうゆうもんやろ……けどな、
おんどれみたいなド阿呆あほがな、
わやにすんのはゆるされへん!
ほんま、いてこましたるわ!

【熱烈な中之島なかのしまファン】
ああ、なんぼでも笑え!
わてのこと、笑たらええねん!

《バトル》

【熱烈な中之島なかのしまファン】
はぁはぁ、
何やけったいな気ぃやな……
日劇の前で声かけられてな。
立派な銭取るゼントルマンの人や……
ひょひょひょ、おもろいやろ!
その人にな、この指輪渡されたんや。
ほならな、いろいろわかってん。
テフはんのことや、何やらカニやら。
――グプッ……オエ……
ああ、えずいてきたわ。
この指輪、アンタ、持っといてんか。

大阪弁の男が差し出した指輪は、またしてもあの謎多き指輪であった。

【熱烈な中之島なかのしまファン】
ほなもう、わてはな、
大阪いなせてもらいまっさかいに!

【ピアノ教師】
どこかで音楽、鳴っていませんこと?
あら、私、近くで洋琴ピアノ教室を。
洋琴ピアノ曲といえばラフマニノフの
前奏曲えいハ短調ですわよね!
――妙だわね……
音楽と一緒にオペラのような、
歌声の聞こえたように思うのですが。

【米海軍軍曹C】
リンカーン号の寄港した夜、
自分、見たんです――
ケイトさんが一人の日本人女性と……
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの上昇を確認しました!

【米海軍軍曹C】
おそらくあれが蝶々夫人ちょうちょうふじん~♪
三年の間、港を見続け~♪
リンカーン号のはたを探した~♪
蝶々夫人ちょうちょうふじん、ひどく思い詰めたようで、
ケイト夫人を従えて、
暗い河口かこうの方へ向かいました――

《バトル》

【海軍軍医学校生S】
――フフフフフ!
蝶々夫人マダムバタフライの話に魅入ってしまった!
まるで劇中に入ったようです!
素晴らしい体験でした!
それもこの指輪の影響ですね……
指輪は省線有楽町しょうせんゆうらくちょう駅で、
声をかけてきた紳士しんしがくれました。
軍の方で調べるならどうぞ――

学生が差し出したのは、例の指輪だった。はたして指輪はいくつあるというのか。

〔セルパンどう

式部しきべじょう
先ほど山王さんのう機関から報せがあって、
この近辺は平定されたそうですね。
周防すおう彩女あやめ
彩女あやめが引き寄せた中之島なかのしま怪人、
すっかり平定されたのですね!
彩女、どうなることかと――
式部しきべじょう
もう心配はいらないよ、彩女君。
ただ、気にはなるよね。
――何しろ指輪と来たもんだ。
周防すおう彩女あやめ
あら、その指輪、彩女がしたら、
どうなります?
式部しきべじょう
彩女君が彩女君でなくなってしまう、
そんな恐れもありますよ。
――違いますかな、喪神もがみさん。
指輪については山王さんのう機関で十分に
調査をなさってください。
優秀な技術者の方もおいでなので。
周防すおう彩女あやめ
喪神さん、今日は私達、
あまりお力になれませんでした。
彩女、ちょっぴり残念です……
式部しきべじょう
いや、そんなことはない。
彩女君の引き寄せの力、
少なからず影響を及ぼしている――
周防すおう彩女あやめ
彩女、怪人を呼ぶなどと言っておき、
半端なことになったのではと、
そう考えると居ても立っても――
式部しきべじょう
そもそも、この界隈かいわいで怪人騒動は
しばらくありませんでした。
それがこの段になり湧いて出た――
その点からも、やはり、彩女君の、
怪人を引き寄せる力が働いた、
そう考えるのが妥当だとうだと思いますよ。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
牛頭ごず機構は今のところ
鳴りを潜めておるようだな。
ひとまず終了だ、帰還してくれ。

善良なる市民をして怪人ならしめる、何らかの力を秘めた謎の指輪――はからずも彩女の力がそれら怪人を招いた。仮面の怪人が指輪を用いて、憎しみの種を植え付けているのだろうか?山王さんのう機関での指輪の解明が待たれる。

第四章 第十三話 百貨店の怪

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

日本橋にほんばしに本店を構える興亜百貨店こうあひゃっかてんは東洋一を誇るデパートメントストアだ。その典雅てんがな場所にも怪異はせまりつつあった。

周防すおう彩女あやめ
彩女あやめは小耳に挟んだのです。
マネキン人形さんがしゃべったと、
そう守衛しゅえいさんが話すのを。
喪神もがみ梨央りお
マネキンが、ですか?
しゃべったんですか……
兄さん、どう思います?
興亜こうあ百貨店のマネキン……
この怪談話、気になりますよね。
周防すおう彩女あやめ
あら! 怪談じゃありませんわ!
ニュースですのよ!
デパートメントの怪!
新聞がぎつける前に、
調べる価値、大有りですわ!
喪神もがみ梨央りお
興亜こうあ百貨店、満洲国の皇帝も、
買い物したんですよ!
周防すおう彩女あやめ
それなら尚更なおさらですわ、喪神もがみさん!
是非、調査なさって、
怪異の正体をあばいてくださいな!
喪神もがみ梨央りお
兄さん、巡視パトロールお願いします。
公務電車、夜だし、新橋しんばしまで下り、
日本橋にほんばしまで最短で進めます!
調べた結果、ただの噂だったら、
それはそれでいいじゃないですか。
周防すおう彩女あやめ
彩女もご一緒したいところですが、
何分なにぶん、時間も時間ですし……
興亜百貨店こうあひゃっかてんには守衛しゅえいさんがいます。
守衛しゅえいさんが詳しいかもですわよ。

興亜百貨店前こうあひゃっかてんまえ

【ヨシムラ守衛】
はっ!
自分、守衛しゅえいのヨシムラです。
先月の泥棒騒ぎ以来、夜勤を増員!
現在、二名体制で警備中です。
――同僚のヨネダが言うには、
夜中に人の気配があると……
それは泥棒なんかではなく、
もっとこう、おっかない……
自分、断じて怪談など信じません!

【ヨネダ守衛】
今晩は……
あれ、もう話が伝わりましたか?
いやね、実に妙なんですよ。
催事さいじの準備している階でね、
人もいないのに声がするんです。
今、日劇でかかっている活動キネマ
それにちなんでね、
輝く街、モダン洋装展、
いよいよ、明日から始まるんです。
七階はその準備で大わらわ。
声がするのはそこです――
夜中、見回っているとね、
フロア中に置かれたマネキンから、
人の声がするんです……

興亜百貨店こうあひゃっかてん婦人服ふじんふく売り場〕

静まり返った深夜の百貨店デパート
催事さいじの準備中である売り場には、物言わぬマネキンが無造作むぞうさに置かれている。

【着信 喪神もがみ梨央りお
興亜百貨店こうあひゃっかてんでセヒラ反応です!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くに誰かいますか?

【まちこマネキン】
――あなた……私を見ていますか?
違いますよね、マネキンですよね。
私は中に宿やどる者です――
ヒトガタは宿やどりやすいと。
でも、動けないのは辛いです。
できれば、あなたに……宿やどりたい!

《バトル》

【まちこマネキン】
――また漂うのですね。
終わりなき漂流です。
何もない無の世界へ戻るのですね。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラが消えません!
近くに何かありませんか?

興亜百貨店こうあひゃっかてん倉庫そうこ

周囲に動く影はない。しかし、何者かの気配は確かにあった――

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラが一段と高まりました!
――注意してください!

【やすこマネキン】
ここはどこだ……
女のマネキンの中にいるのか?
こりゃ傑作けっさくだな!
麹町こうじまち署の特高課にしょっぴかれ、
ひどい拷問ごうもんを受けた――
その最中さいちゅうに私は自失した。
暗闇を漂って、気が付くとここに……
お前も当局の人間だろう!
私は絶対に屈しない!!

《バトル》

【やすこマネキン】
離れていく……
あそこには戻りたくない……
嫌だ、嫌だ、い、や、だ――

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラ反応です。
――近くに……何かいます!

美禰子みねこアストラル】
私たちは女ばかり六人で、
望洋館ぼうようかんという下宿に暮らしています。
その中に私を憎む女がいるのです!

《バトル》

美禰子みねこアストラル】
私を憎む女はなおといいます。
――いつか私は殺されるのでは……
ならいっそ、先に殺しましょうか。

【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラ反応、消滅です――
あ、いや、まだ残っています……
ほんのわずかに観測します。

興亜百貨店こうあひゃっかてん呉服ごふく売り場〕

【着信 喪神もがみ梨央りお
セヒラ反応、わずかに残ります――
脅威きょういというほどではありませんが。

【ナオミマネキン】
私が入水じゅすいしてから、
伊豆いず一碧湖いっぺきこで後追いが続いたとか。
私、ちっともそんなつもりじゃ……

【ときこマネキン】
望洋館ぼうようかんって、女ばかり暮らす下宿ね。
会津あいづ栄螺堂さざえどうみたいな建物よ、
今流行の新しい女なんだって!

【なおこマネキン】
これは女のヒトガタか!
けったいな具合じゃな、
このわしが女の体になっておるとは!

【ひろみマネキン】
夜の海を航海するみたいにして、
漂っているとね、ヒトガタは、
灯台のようにこうとして見えるんだ。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
おう、風魔ふうま
どうであったか、興亜百貨店こうあひゃっかてんは。夜のショッピングちゅうのは?
喪神もがみ梨央りお
隊長!
百貨店デパートの売場には、アストラルまで
出たんですよ!
周防すおう彩女あやめ
彩女あやめが余計なことを言ったばかりに、
喪神もがみさんが危ない目にわれ……
帆村ほむら魯公ろこう
いや、これでよかったのだ。
――確かにな、梨央りおの言うとおり、
アストラルの出たのが気になる。
おそらく、マネキン、
つまりはヒトガタの内側にまで、
入り込んできたということだ。
ヒトガタは中ががらん堂だからな、
アストラルには都合がいいのだ――
喪神もがみ梨央りお
なんだかちょっとせつないです。
帆村ほむら魯公ろこう
セヒラで勢いを得た思念が、
帝都満洲を彷徨さまよい、ついに帝都に
こうと輝くヒトガタを見つけたのだ。
周防すおう彩女あやめ
それがしゃべるマネキンさんなのですね。
彷徨さまよって辿たどり着く……
彩女、とてもわかりますわ!
帆村ほむら魯公ろこう
そういう周防すおうさんのこと、
わしもよくわかるよ。

第三章 第十一話 金神の出現

はらえの・帝都〕

神子柴みこしばの洗脳により、よみがえりをもくして、自死じしする者が相次あいつぎ、その者らの思念が、神子柴みこしばに更なる力を与えた。力を得た神子柴みこしば錬金術れんきんじゅつ理論ロジックを用いて、金神こんじんを生み出そうとしていた。
帝都満洲にそれが現れたのだろうか?

〔上野黒河コクガ・南〕

上野うえの黒河コクガでは、酷寒こっかん様相ようそうを見せていた。すべてがてつき、色を失いつつあった。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
上野うえの黒河コクガの様子はどうですか?
上野うえの黒河コクガ方面ですが、
セヒラの値、大きく変動しています。
用心してください。
上野うえの黒河コクガのどこかで、
セヒラが凝固ぎょうこしているようです。
周りのセヒラを吸っています!

【聖直階ちょっかいフィリポ】
――あなたを、感じます……
ここが終末の場なのですか?
私はどうしましょう……
どうにもなりそうにもありません……

【聖権正階ごんせいかいアンデレ】
諸君!
いよいよもってよみがえりの時だ。
――ん、あんた、誰だ?
こんなところに、よくいられるな!
それとも、一足ひとあし先によみがえったのか?

【聖明階めいかいペトロ】
き、貴様は!
歩一ほいち寄生きせいする山王さんのう機関の者だな!
わかるぞ、こんなになってもな!
俺達のよみがりを邪魔しに来たのか?
――フフフフ……
俺は歩兵少尉から聖明階めいかいになった!
殉教者じゅんきょうしゃペトロの名も頂いた!
あと少しでよみがえりだ、
お前にはいなくなってもらうぞ!!

《バトル》

【聖明階めいかいペトロ】
……体が消え、ついに念まで……
消えてしまうのか……

【聖直階ちょっかいマタイ】
さっき法科の山下がいたな。
いや、いたのは山下の念だが……
あいつ、人生よろづ相談に出かけて、
そのまま行方不明になったんだ……
あいつが行ったのは新宿しんじゅくの相談所さ。
それなのに――
なんで、こんなところにいるんだ?

【聖浄階じょうかいヨハネ】
黒化ニグレドするだけではダメだ。
神子柴みこしば様の真意をめばわかること。
なるべくその先の段階へ進むこと、
そうして私は黄化キトリニタスを終えたのだ。
いよいよ金の生まれるとき――
金神こんじんのご降臨こうりんのとき――
合一ごういつできるかどうか、わからない。
だが試す価値はある――
阻止そしすることなど、誰にもできない!

《バトル》

【聖浄階じょうかいヨハネ】
いよいよ赤化ルベドを迎えるこの私を、
たおしたつもりでいるのか?
私が金神こんじんとなるかも知れぬのに!

〔上野黒河コクガ・南西〕

不忍池しのばずのいけおぼしき池はこおりついている。
宙に浮く金色の輝く光と、それに向き合う神子柴みこしばがいた――

神子柴みこしばはつゑ】
金神こんじんは現れました――
まさに錬金れんきんすべにより、
また多くに思念を集めて――
しかし私は合一ごういつできませんでした。
金神こんじんから退しりぞけられたのです。
わらってください、みじめなざまを。
早すぎたのでしょうか――
あるいは遅すぎたのでしょうか――
金神こんじん合一ごういつではなく、
私の念を求めているのです。
――私は……吸われてしまいます……
もう、持ちそうにありません……
なぜ、このようなことに……
私の念が……あああ……吸われる……

そこに在るもの――
錬金れんきんのすべをくし、現れし存在――
幾多いくたの思念をつむぎ、生まれし存在――
金神こんじん――
すべてを破壊する兇神まがつかみ――
だが、神と呼ぶにはあまりにも拙劣せつれつであり、いまだ無数の邪心のたぎ根塊こんかいでしかない。
あらゆる念がり固まり、形をした。
恐怖、憎しみ、あるいは死への憧憬しょうけい――
強い念も弱い念も一つに合わさり、今、霊異りょういを現さんとしていた――

《バトル》

金神こんじん
脱血缶だっけつかん一杯に……親兄弟をさつし……
……聖明階めいかいになった……
あああ……吸われる……

金神こんじんは消えた――
思念を吸い寄せる引力はなくなった。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都満洲でセヒラの凝固ぎょうこは、
きれいになくなりました。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
梨央りおが言うには、帝都からも、
セヒラが吸われていたそうだ。
――もう終わったんだな?
【着信 喪神もがみ梨央りお
はい……
でも怪人現象はむしろ増えています。
どうしてでしょうか?
【着信 帆村ほむら虹人こうじん
僕が思うに……
人間の心のうちにある怒りや憎しみ、
そういった感情まで引っ張られて、
表に出たんじゃないか?
平生へいぜいは抑えていた感情だ、
それが表に出た――
【着信 喪神もがみ梨央りお
では、怪人ではないのですね、
今、寄せられている報告は。
【着信 帆村ほむら虹人こうじん
ああ、ただ兇暴きょうぼうになっているだけだ。
でも、放っておくとセヒラに触れ、
怪人化するおそれがある。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
本部へ帰還してください。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん、お疲れ様でした。
虹人こうじんさんも!
帆村ほむら魯公ろこう
皆、よくやってくれたな。
九頭くず幸則ゆきのり
聖日せいじつの本社には、
とうとう特高が入ったらしい。
周防すおう彩女あやめ
彩女あやめ、やはりと思ってしまいます。
強く強く感じていましたから!
新山眞にいやままこと
大元おおもとけても、
まだ信者はいるでしょうね。
銀河ぎんがゼットー】
ところでだよ、金神こんじんの標本なり、
何か持ち帰ったかね!
帆村ほむら虹人こうじん
あれは思念のかたまり、まるで自分の重さでつぶれていくようなもの――
そうではないですか?
帆村ほむら魯公ろこう
しかし神子柴みこしば、あれは一体何者だ?
怪人などではないな、あれは。
思念が人格化したような存在か――
周防すおう彩女あやめ
思念が人格化……
だから彩女も強く感じられたのかも
知れませんわ!
帆村ほむら魯公ろこう
かも知れないな……
新山眞にいやままこと
一定量を超す思念が集まると、
凝固ぎょうこしたり、何か別な動きを見せる、
そういうことがわかりました。
帆村ほむら魯公ろこう
アストラルの様子をさぐると、
思念のことも見えるような気がする。
今日のところはゆっくりしてくれ。
みんな、これで解散だ!

第三章 第八話 不忍池心中未遂

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

新聞では毎日のように怪人事件が報じられ、子供達の間では怪人遊びなる遊びが流行る。
興亜日報こうあにっぽう帝都版では再び特集を組んだ。
特集の中で「帥先そっせんヤ」と言う言葉が登場した。
悪戯いたずらに怪人化をそそのかすような連中のことだ。
あるいは自ら怪人を目指す者も帥先そっせんヤだった。

周防すおう彩女あやめ
こんにちは! 
喪神もがみさん、彩女あやめ、やって参りました!
今日は号外をお持ちしたんです――
興亜日報こうあにっぽうの号外です。

彩女の差し出した号外には、上野うえの公園で起きた心中未遂しんじゅうみすい事件を扇情せんじょう的に書き立てていた――
――画学生と売笑婦ばいしょうふ・心中未遂
――画学生行方ゆくえ知れず
――帥先そっせんヤによる教唆きょうさ

周防すおう彩女あやめ
昨日の夜、不忍池しのばずのいけに二人がいるところ、
散歩の人たちが見ているのです。
画学生さん、遺書も残して――
でも、朝には学生さんの姿がなく、
売笑婦ばいしょうふだけが死んでいたって――
不忍池しのばずのいけには物見遊山ものみゆさんのようにして、
大勢の人が集まっていました……
彩女さん、その心中事件に、
何か思うところ、あったんですか?
彩女、ざわざわとした胸騒ぎを
覚えましたの。
画学生は死にそこなって怪人になった、
裏で帥先そっせんヤがそそのかした――
そう言う人まで現れて……
喪神もがみ梨央りお
そんなことまで……
みんな、よく知ってますね!
帆村ほむら魯公ろこう
おう、周防すおうさん!
今日は、どうしましたかな?
周防すおう彩女あやめ
号外をお持ちしたんですの。
帆村ほむら魯公ろこう
さては、上野うえのの事件ですか?
売笑婦ばいしょうふだけが死んだという――
周防すおう彩女あやめ
そうですわ!
帆村ほむらさま、なにかご存知ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……
死んだ売笑婦ばいしょうふなんだが、
その死因がさっぱりで――
外傷もなく、薬を飲んだ気配もなく、
とりあえず戸山とやま衛戍えいじゅ病院に収容し、
検死をしたらしい。
それでだ、どういうわけか、
参謀本部からうちに要請があってな、
銀河ぎんが博士が応援に駆けつけたんだ。
喪神もがみ梨央りお
ええ? ゼットー博士が?
じゃ、怪人化したのは、
学生じゃなく女性の方なんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
状況を知った参謀本部の判断らしいが、
さっぱりわけがわからない!
――にしてもだ、この号外……
昨今さっこんの心中ブームと怪人現象を、
強引に結び付けようとしておるな。
帥先そっせんヤを増やすばかりだ――
喪神もがみ梨央りお
帥先そっせんヤって、率先そっせんするからですか?
片仮名のヤって屋のことですか、
普通に書くと率先屋ですよね?
帆村ほむら魯公ろこう
ブンヤの洒落しゃれだろうて。
この心中騒ぎ、何かありそうだ。
風魔、早速戸山とやまへ向かってくれ!

戸山衛戍病院とやまえいじゅびょういん・モルグ〕

銀河ぎんがゼットー】
検死医はアストラルを見たらしい。
バシーンと怪しい光が走ったと、
そういう報告だったそうだ!
彼らはアストラルを知らんからな。
でもボクはピーンと来たね!
参謀本部もピーンと来たんだ、きっと!
売笑婦ばいしょうふの思念がアストラル化した。
だとすればだ、このモルグにいるはず!
だが、現世では見えにくいぞ――
御託ごたくは沢山だな、勿論もちろんだ!
よし、この新開発の幽体刺激装置に、
電気を通して見るぞ!!

そう言うとゼットーは手に持つ2本の電気コードを接触させた。装置というより、普通の電気コードであった。

【売笑婦アストラル】
アタシは教えの通りにした――
ちゃんと死ねたよね……
死ぬ間際までしか覚えていないけど。
銀河ぎんがゼットー】
うぉう! 出たぞ、喪神もがみ君!
この反応、計算通りであーる!!
【売笑婦アストラル】
今がよみがえりの時かい?
――違う気がするよ……
さては金神こんじんは現れたのかい?
銀河ぎんがゼットー】
こ、金神こんじん
それが現れるとは、何事!?
一体全体、何が起きるっ!!
【売笑婦アストラル】
アタシ、だまされた?
フフフ……単純ね、アタシも。
悔しいから、あんたも道連れね!
銀河ぎんがゼットー】
喪神君! さぁ、審神者さにわの出番だぞ!!
を召喚して、戦うのだ!!
僕の愛しいたちよ、いでよ!!

《バトル》

銀河ぎんがゼットー】
素晴らしいグレ――ート!!
ボクのもたいしたものだろう!
ふほーっ!!
さぁて、君!
今の現象は何だ?
考えるまでもなく、解明したぞ!
女の思念が死によってぎ取られ、
セヒラに触れてアストラル化した。
実に明瞭明晰めいりょうめいせき含蓄がんちく深き推論だ!
しかーし!
何故、女アストラルは金神こんじん等と……
――わからん、さっぱりだ……
女は生前、
金神こんじんの存在を強く信じていたのか!
うーむ……そうかも知れん――
何者かにそうまれ……
――何と言うか、これを……
そうだ!!
洗脳だ! 女は洗脳されておった!
答は現場にある、そうだろ喪神もがみ君!
喪神君!
ここは君の機動力にゆだねる。
ボクは研究室に戻ることにするぞ。

不忍池しのばずのいけ

下谷したや署の巡査】
こら! 立ち去れ!
怪人などおらん、ここは平定へいていされた!
むむ……
特務の……方ですか、
その徽章きしょう山王さんのう機関ですね!
失礼しました!
怪人が出たなんてうわさが飛び交い、
不埒ふらちやからが詰めかけまして!
死にそこなった学生が、
怪人になったと、もっぱらの噂です。

寛永寺かんえいじの僧】
弁財天べんざいてん様をお招きするこの地で、
新宗教が活動をするのです――
怪しげな神職しんしょく風体ふうていの女が張本ちょうほんです。
信者は明階めいかいだの権正階ごんせいかいだの、
僧侶の位を名乗ります。
修行を積んだわけではないでしょうに。
傍迷惑はためいわくな話ですよ。

御徒町おかちまちの老婆】
あの死んだ女、
ここに何度も来ておったわい。
巫女みこさんみたいなのと一緒にな。
あれはもしや新宗教かいな……
他にも何人かおったのう、
まだまだ騒ぎは続くんじゃわい!
あの学生、よっぽど女に、
入れ込んでおったようじゃな。
けどな……
あの女のやり方じゃ、
死ねなんだ、そういうことじゃな。

明階めいかい信者】
私はこの世にてつとめを果たす。
教えの通りであるならば、
終末の時、多くの者がよみがえるだろう。
私はそれを見届け、命を終える。
それは無駄死むだじになどではない。
宿命、そう、宿命なのだ。
お前の仕事もおしまいだ。
さぁ、よみがえりにそなえるんだ。
私につとめを果たさせてくれ!!

《バトル》

明階めいかい信者】
ふふふふ……
これが答なのか――
長年、求めていたものは、これか!
――まぁよい、つとめは果たせぬが、
これでよみがえりはできる。
せいぜい、終末を迎え、
苦しむがいい――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
上野うえの界隈かいわいのセヒラ、下がりませんが、
一旦、帰還してください!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
兄さん!
新しい情報があるんです、
それで戻っていただきました。
帆村ほむら魯公ろこう
そうなんだよ、風魔ふうま
探信儀たんしんぎをいじくっていて、
いろいろわかってきた――
危険思想の新宗教がからんでおる。
不忍池しのばずのいけぁさんも言っておったろう、
巫女みこさんみたいななりの女だ。
セヒラは観測するが、怪人はいない。
ある種の念が反応している、
そうとしか考えられん。
その念を強めているのが、
帝都満洲からのセヒラだと思われる。
帝都の上野うえのに照応する位置に、
帝都満洲の街ができた――
そう考えておかしくないのだ、
帝都満洲、どこまでの広がりを、
見せるというのか……
まったく想像だにできん。
喪神もがみ梨央りお
帝都満洲が広がると、
帝都にもアストラルが現れ始める、
そんなこと、あるんでしょうか?
それに……
あのアストラルが言った金神こんじんのことも
気になります。
帆村ほむら魯公ろこう
金神こんじん、終末、よみがえり……
洗脳された連中がいろいろと、
事を起こしているようだな。

第三章 第三話 独逸大使館での攻防

江戸川えどがわ乱歩らんぽはアーネンエルベに拉致らちされた、その懸念けねん式部しきべ風魔ふうま独逸ドイツ大使館へと向かわせた。山王さんのう機関黙認の行動である。
公務電車は青山あおやま通を進んでいる――
その前を1台の車が走る。

式部丞しきべじょう
風魔さん!
前の車、あれじゃないですか?
大使館の公用車ですよ!
ほら!
公用車の後部座席!
あれは乱歩らんぽ先生に違いない!

青山街路あおやまがいろ

【着信 喪神もがみ梨央りお
強いセヒラ反応!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、気をつけてください!

式部丞しきべじょう
さては、私たちは、
待ち伏せにったみたいですね。

《バトル》

式部丞しきべじょう
この市電、古い型なのに、
すこぶる速いですね!
公用車を追いましょう!

独逸ドイツ大使館〕

式部しきべ風魔ふうま独逸ドイツ大使館に向かった。
そこには独逸ドイツ大使館公用車脇に立つ江戸川えどがわ乱歩らんぽその人がいた。

周防すおう彩女あやめ
式部店長!
彩女あやめは……
――ごめんなさい!
【金髪碧眼へきがんの男】
おっと、大事な人質ひとじちだ。
それも自分から飛び込んで来た!
武装SSの衛兵を尻目しりめにしてな。

江戸川えどがわ乱歩らんぽ
いやはや、どうしたものやら……

式部丞しきべじょう
貴殿はアーネンエルベの召喚師
クルト・ヘーゲンさんですね?

【クルト・ヘーゲン】
貴様、何故私を知っている?
一体、何者だ?
式部丞しきべじょう
四谷よつやはセルパン堂の店主、
式部丞しきべじょうです。不景気な古本屋ですが、
およぶところもありましてね。
さぁ、ヘーゲンさん、
彩女君を放してもらいませんか?
その子、周防すおう彩女あやめをです。
【クルト・ヘーゲン】
ゴエティアの書を渡してもらおう。
書斎しょさいから持って逃げるところ、
身柄を確保したからな!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
私としたことが……
気が動転してしまいました――
本は、ここに……
式部丞しきべじょう
乱歩先生!
ここは交渉すべきです。
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
本は車の中だ、座席の上だ。
持ち去るがいい――
【クルト・ヘーゲン】
流行作家とやらは飲み込みが早い。
そこのお前は、山王さんのう機関の者か――
審神者さにわ喪神もがみ風魔ふうまだな!
周防すおう彩女あやめ
乱歩らんぽ先生、いけませんわ!
彩女、彩女が早まったばかりに……
日本女性として美しくいさぎよく――
【クルト・ヘーゲン】
うるさい! 騒ぐな!
この極東フェノーストの島国に、何がある!!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
周防、彩女さん、と言いましたね。
さぁ、落ち着くんですよ、
今はそれが一番です。
周防すおう彩女あやめ
乱歩先生……
彩女のせいで大切な御本を――
ああ、御本を!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
本のことはもう忘れるんです。
本のことはね――
【クルト・ヘーゲン】
下がれ! 下がるんだ!
この忌々いまいましい国の忌々いまいましい連中めが!
私が去るまでここにいることだ。
ここはドイツ国大使館だ――
何故、武装SSの駐在武官がいない?

クルト・ヘーゲンは公用車に乗り大使公邸へと走り去った。

江戸川えどがわ乱歩らんぽ
周防彩女さん、もう大丈夫ですよ。
式部丞しきべじょう
彩女君……
よくぞここがわかったね!
周防すおう彩女あやめ
結局、彩女は何もできていません。
咄嗟とっさのことで……
あああ、申し訳ありません!!
彩女はもう……もう……
死んでおびを!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
そんなこと言ってはいけません、
死ぬなどと……そんなこと……
周防すおう彩女あやめ
彩女が死んでも、
何もなりませんか?
何にもならないのですか?
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
――死ぬことで何かがせる、
そのようなことはありませんよ。
死ねば無くなる、違いますかな?
さて、ここに長居は無用ですよ、
さっさと引き上げましょう。
式部丞しきべじょう
もしや……
もしやですね、なるほど。

幻影城げんえいじょう

周防すおう彩女あやめ
彩女あやめ、もう死ぬ元気もありません。
――消えてしまいそうですわ……
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
彩女さん、しっかりなさいな。
本は無事ですよ。
奪われてなどいませんよ。
周防すおう彩女あやめ
え? それは本当ですの?
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
本当も本当、大いに本当。
ほうら、これを……

そう言うと乱歩は、立派な革装丁の古書を差し出した。

周防すおう彩女あやめ
御本ですわ!
――奪われなかったんですね!!
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
彩女さんがいなかったら、
私はあのまま連行されていました。
確実に本は奪われていたでしょう。
式部丞しきべじょう
確かに!
彩女君がいたから、車は停まった、
結果、本は守られた――
先生も堪能たんのうされたことでしょうから、
これから帝大に本格的な解読を、
お願いしようと思います。
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
しっかりやってください。
そいつはまったく、
奇書中の奇書でありますからな!
式部丞しきべじょう
さっきも聞いたけど、彩女君、
どうして独逸ドイツ大使館なんかに
行ったんだい?
周防すおう彩女あやめ
彩女、声が聞こえたんです。
それに導かれて、夢中で……
いつの間にかあそこにいました。
江戸川えどがわ乱歩らんぽ
声が、ですか?
ほう、それは面白い、
いや実に面白い!!
式部丞しきべじょう
彩女君には、常人にはないものが、
あるようですね、いや本当に――
周防すおう彩女あやめ
よくわかりませんが、
彩女、お役に立てて
嬉しくなってきました!
式部丞しきべじょう
喪神もがみさん、せっかくなので、
私はここに少し残ります。
拝見はいけんしたいものもありますので。
周防すおう彩女あやめ
店長はここにみ着くんじゃ、
ありませんこと?

鉄道連隊の演習列車で新宿しんじゅくへ戻り、公務電車で彩女をセルパン堂へ送り届け、山王さんのう機関へ帰還することになった――

第三章 第二話 幻影城

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

周防すおう彩女あやめ
喪神もがみさん! 喪神さん!
彩女あやめ、秘密基地に来ました!

山王さんのう機関に本部に高揚こうようした声が響く――声の主はセルパン堂店員、周防すおう彩女あやめだった。
周防彩女には怪人を引き付けるという、不思議な性質があった。
それは魯公ろこうでも明らかだった。
そんな彩女ゆえに、山王さんのう機関への出入りも許されているのだった。

周防すおう彩女あやめ
喪神さん、今日は彩女、
喪神さんをお誘いに来たのです。
喪神もがみ梨央りお
怪人情報はありませんが、
今日は定例の巡視パトロールがあると、
そう彩女さんに伝えたのですが……
周防すおう彩女あやめ
喪神さん、彩女の用事なら、
きっと、いらっしゃると思います。
それほど大事なことなんですわ!
――実は……
式部しきべ店長からたってのお願いで、
是非、喪神さんにと。
喪神もがみ梨央りお
彩女さん、それって、
公務になるような用事ですか?
周防すおう彩女あやめ
そう思いますわ!
彩女的にはとっても公務なのです!
喪神もがみ梨央りお
その用事、どんなことか、
わからないと……
周防すおう彩女あやめ
とっても内緒なのですわ!
――でも、少しだけなら……
――御本の関係なのですわ!
喪神もがみ梨央りお
御本?
――彩女さん、もしかして……
周防すおう彩女あやめ
口に出してはいけません!!
誰かに聞かれるかも知れませんわ!
帆村ほむら魯公ろこう
どうしたのかな?
――おや、周防さんですね、
ようこそおいでなさった!
あれから、怪人の方はどうですか?
依然いぜん、気配を感じますかな?

彩女は梨央りおに話した御本のこと、やや勿体もったいつけながら魯公にも伝えた。

帆村ほむら魯公ろこう
そうか! なるほど!
気に入ったぞ! それはよい――
帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま、今日の任務、更新だ。
周防さんの要請ようせいに応える。
行き先は……セルパン堂ですかな?
周防すおう彩女あやめ
はい! そうであります!
お許しが出て、良かったです。
参りましょうか、喪神さん!

〔セルパンどう

周防すおう彩女あやめ
店長! 彩女あやめは無事戻りました。
喪神もがみさんもご一緒です!
式部丞しきべじょう
おお、喪神さんを!
よくやったね、彩女君!
喪神さん、お呼び立てしたみたいで、
かたじけない――
周防すおう彩女あやめ
ご公務の予定、変更されて、
御本のことがご公務になりました!
式部丞しきべじょう
でかしたね、彩女君!
あからさまに出来ない事情ゆえ、
申し訳ありません――
周防すおう彩女あやめ
店長においただき、
彩女、嬉しいいやら照れるやら、
複雑になりました!
式部丞しきべじょう
彩女君から聞いていますか。
是非ぜひともご同行願いたいところが
あるのですよ。
これから向かおうとするのは、
幻影城げんえいじょうというところです。
周防すおう彩女あやめ
幻影城げんえいじょう! 
それはお城ですの?
彩女もご一緒できますか?
式部丞しきべじょう
いや、私が出ることにする。
彩女君、君には店番を頼むよ。
変な客に要注意だよ。
周防すおう彩女あやめ
承知しょうちしました!
変なお客が来たら、
怪人呼んでやっつけてもらいます!
式部丞しきべじょう
ハハハ……
その意気、その意気!
周防すおう彩女あやめ
それで店長、
幻影城げんえいじょうって、どんなお城ですの?
式部丞しきべじょう
喪神さん、流行作家の江戸川えどがわ乱歩らんぽ
ご存知ですよね?
猟奇的、耽美たんび的、衒学げんがく的な作風は、
異世界の扉を開け、
私たちをいざなってくれる……
乱歩らんぽ先生は海外の猟奇小説や
探偵小説に造詣ぞうけいが深く、
また実に多くの資料をお持ちです。
それら膨大ぼうだいな資料を蔵に集め、
またそこに蟄居ちっきょし執筆されています。
その場所こそ幻影城げんえいじょうなのです――
以前、是非ぜひお目通しいただくべく、
幻影城げんえいじょうにゴエティアを届けました。
先生は十分満足されたそうです。
昨夜、先生から電話がありました。
ただこの電話というやつ、曲者くせものです。
情報のれる恐れもある――
何より予想より早かった――
今日は、ゴエティアの安全のため、
ご同行をお願いする次第です。
【着信 喪神もがみ梨央りお
兄さん、省線新宿しょうせんしんじゅくで鉄道連隊の
演習列車が待機しています。
新宿しんじゅくに向かってください。

喪神もがみ風魔ふうま式部丞しきべじょうは公務電車で新宿へ。そこから鉄道連隊の演習列車に乗り換え、省線池袋いけぶくろへと向かう行程である。

池袋駅前いけぶくろえきまえ

式部丞しきべじょう
どうしましたか、喪神もがみさん。
ここは省線池袋しょうせんいけぶくろ駅――
私の知る限り、市内に設置された、
探信儀たんしんぎの範囲外ですね。
勿論もちろん、無線は届くでしょうが……
気になることがあれば、
調べてください。
まだ時間はあります――

【文学青年】
池袋いけぶくろにも相談所ができるって、
そう聞いて来たんですが……
気配、ありませんね。
あれです、人生よろづ相談の
相談所ですよ。工科の友達も、
銀座ぎんざの相談所に通い詰めていますよ。

【文学少女】
先月の冒険青年、買いそびれたから、
求めに来たんです。
雑誌に面白い案内がありましたよ。
――毎朝放送、賢者ノ石……
どんな番組なんでしょうか?
さっそく、明日、聴いてみます!

式部丞しきべじょう
喪神もがみさん……
彩女あやめ君はなかなか活発でしょう。
彩女君は先端ガールなのでしょうか?
モダンガールや、さらに先端を行く、
シークガールというのもあります。
いやね、雑誌の受け売りですが――
実は彩女君、時に自失じしつするんです。
稀覯本きこうぼんの棚の前でよく――
我を忘れて茫然ぼうぜんとしていることが。
最初は眠いのかなと思ったのですが、
本人に尋ねると何も覚えていないと。
今朝も稀覯本きこうぼんのところで――
だから喪神さんのところへ
使いにったわけです。
表に出れば気分転換できますしね。

【猟奇趣味の男】
押し入れや屋根裏に潜むのが趣味、
そんな男の話ばかり書く作家が、
この辺に住んでるはずだ。
俺もな、いつも見られている、
そんな気がするんだ。
下宿先で、じっとしていると、
屋根裏に誰かが身を隠して、
俺のことを見るんだ!!

【猟奇趣味の男】
視線の感じる方を振り返り、
じっと見返してやる――
すると今度は別の方から、
俺のことを見る奴が現れる。
……ふひゃ~~
見るな、見るな、さてはお前なのか?
その目は、あああ、同じ目だぁ!!

《バトル》

【猟奇趣味の男】
もう冒険青年なんて雑誌、
読むのはそう……
式部丞しきべじょう
なるほど!
審神者さにわの戦いですね!
とくと拝見はいけんしました。

幻影城げんえいじょう

式部丞しきべじょう
さて、この土蔵が、
くだん幻影城げんえいじょうですよ!
――いやぁ、私も初めてです!

目前には堅牢けんろうそうな土蔵があった。
漆喰しっくい壁は黒っぽく塗られ、何者をも寄せ付けない力がみなぎっていた。
西池袋いけぶくろのこの土蔵こそ、幻影城げんえいじょうである。
江戸川えどがわ乱歩らんぽが所蔵する古今東西ここんとうざい
稀覯本きこうぼんの数々が収められているのだ。
当の乱歩らんぽも東京市内で転々ときょを移し、今ではこの幻影城げんえいじょう蟄居ちっきょして、執筆にいそしむ毎日であった――

式部丞しきべじょう
乱歩らんぽ先生はお留守でしょうか……
おかしいですね。
日程、示し合わせていたのに。
冒険青年二月号を使いました。
亜馬生アマゾンの勇者にしました。
その掲載ページが今日の日付です。

【メイド】
客、デスカ?
ドンナ、用デスカ?
式部丞しきべじょう
用って……
えーっと、君は……
ここのメイドさんですか?
【メイド】
先生は、イナイ――
先生は、イナイ――
式部丞しきべじょう
何だかに落ちないですね。
あの人間嫌いの乱歩らんぽ先生が、
君をメイドとしてやとったのですか?
【メイド】
…………
式部丞しきべじょう
気を付けてください、喪神もがみさん!
このメイドは偽物にせものです!
【メイド】
先生は、イナイ――
オマエモ、イナクナル!!
式部丞しきべじょう
こいつは……
ホムンクルスなのか?

《バトル》

式部丞しきべじょう
お見事ですね、喪神もがみさん。
ここは切り抜けました。
しかし……乱歩らんぽ先生の姿、
どこにも見当たりません。
――遅きにしっしたか!
これは推測ですが、
乱歩らんぽ先生はアーネンエルベに、
拉致らちされたのではないでしょうか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
今の音は……
もしかして交戦があったんですか?
お二人はご無事ですか?

梨央りおの無線に答える形で、式部丞しきべじょうは、江戸川えどがわ乱歩らんぽがアーネンエルベに拉致らちされたおそれがあると伝えた。

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
式部君だな!
君の心配はよくわかった。
だが……
式部丞しきべじょう
アーネンエルベに乗り込むのは、
避けたほうがよいと――
もしや政治的な配慮はいりょですか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
賢察けんさつだ。競い合うのはよいが、
査察ささつのようなことはできない。
大使館は治外法権ちがいほうけんでもあるしな。
式部丞しきべじょう
特務機関が公務としては行えない、
そういうことですよね?
私はしがない古本屋の店主です。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
いや、そういうことではなく……
独逸ドイツを刺激するのは得策とくさくではない。
連中も腹を探られたくはないはず。
わしは止めたからな――
命令なく動けば擅権せんけんの罪となるぞ。
言うべきは言ったからな!
式部丞しきべじょう
喪神もがみさん、そういうことです。
大罪を犯して、独逸ドイツ大使館へ、
乗り込みますか!

2人は鉄道連隊の列車で渋谷しぶやに戻り公務電車で独逸ドイツ大使館のある三宅坂みやけざかへと向かった。

第二章 第十一話 魔犬のサバト

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

連隊将兵の怪人化という騒動、ひとまず沈静ちんせい化したものの、新聞では事件を針小棒大しんしょうぼうだいに書き立てていた。
いわく、陸軍怪人部隊を創設、いわく、怪人兵こそ次代の兵力――
中には案内広告風を装い、
帝都の怪人至急歩三ほさんに集結せよ!
などとあおるような記事もあった。

帆村ほむら魯公ろこう
最初は赤坂あかさかの怪人騒動だろうな……
あんな真っ昼間に車を投げよって――
そりゃ人の口にものぼる。
喪神もがみ梨央りお
新聞に特報が出ましたからね。
帝都中の怪人現象を集めた記事です。
中には疑わしいのもありましたが……
学生さんで、西洋の黒魔術にはまり、
友達や親戚に魔法をかけまくった人。
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、帝大文科の学生だな。
結局、奴は治安維持法違反に問われ、
特高で尋問を受けたんだ。
喪神もがみ梨央りお
その後、どうなったんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
釈放されて、本郷ほんごうの下宿に戻り――
喪神もがみ梨央りお
魔法、諦めたんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
怪人化したのだ。
今もどこかに身を潜めておるかも。
――生き永らえていればだが。
喪神もがみ梨央りお
に魂を食べられるのって、
人によって違うんですよね。
中には早く食べられちゃう人も――

式部丞しきべじょう
失礼します、セルパン堂の式部しきべです。
今日は彩女あやめ君をお連れしました。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう、式部の――
ぜんたい、どうしたんですかな?
周防すおう彩女あやめ
こんにちは、皆さん。
彩女、大変なことを発見しました。
――それで、ご相談にと……
喪神もがみ梨央りお
大変なことって、
また怪人を呼び寄せたとか?
式部丞しきべじょう
最近、青山あおやま界隈かいわいで野良犬が出て困る、
そんな話が新聞に載ってましたね。
そのことです――
周防すおう彩女あやめ
あれは、魔犬のサバトです。
間違いありません!
帆村ほむら魯公ろこう
ま、魔犬の、
喪神もがみ梨央りお
サバト――
式部丞しきべじょう
うちにおいてある雑誌、
猟奇グラフに案内があったんです。

そう言って式部は、雑誌『猟奇グラフ』の案内ページを開いた。
――猟奇案内という標題があった。

帆村ほむら魯公ろこう
何でも案内というやつですな!
――求む良妻りょうさい
――かたち不問ふもん相当教養ある婦人
――求縁きゅうえん
――容色ようしょく 端麗たんれい
――医学士会社銀行員にて家族すくなき方
――吉原よしわら見学団実現
喪神もがみ梨央りお
隊長……
帆村ほむら魯公ろこう
昭和の猟奇人が、丹前たんぜん姿で仲之町なかのちょうへ乗り込む有様はさだめし見ものでしょう
……何だか楽しそうだな。
喪神もがみ梨央りお
もう、隊長!
――それで、どの案内ですか、
魔犬のサバトは。
周防すおう彩女あやめ
こちらです――
魔犬のサバト青山で開催とあります。
喪神もがみ梨央りお
ほんとだぁ!
――主催 帝国サバト会
サバト会って何ですか?
周防すおう彩女あやめ
彩女、猟奇グラフはよく読みますが、
サバト会というのは初めてです。
式部丞しきべじょう
というわけなんです。
彩女君、青山に行きかねないので、
ここは山王さんのう機関にお願いしようかと。
帆村ほむら魯公ろこう
青山の野良公がもし魔犬だとコトだ、
そうではないかな、梨央りお
喪神もがみ梨央りお
何だか怪しい感じもしますが……
一応、巡視パトロールしましょうか、兄さん。

青山街路あおやまがいろ

夜のとばりが下りた青山あおやま通――
車通りはなく、人影もまばらだ。

【着信 喪神もがみ梨央りお
その辺り――
ややセヒラを観測します。

【猟奇趣味の男】
ん?
貴方もサバトに参加するのかい?
――魔犬のサバトだよ!
僕は、この二週間ほど、
毎晩通ってるけど……
今晩は、どうなんでしょうか?

【猟奇趣味の男】
どうやら、今晩は当たりですね!
ほら、耳を澄ませば――
聞こえてきませんか、魔犬の咆哮ほうこうが。
ね、貴方にも聞こえるでしょう!
やっぱり、今晩です!
獣の匂い、この濃厚な匂い!
血に飢えた魔犬、魂を喰らう魔獣!

【猟奇人生な男】
帝国サバト会、
散々、本部を探しまわったよ!
市中くまなくね!
是非とも加盟したくて。
けど、ちっとも見付からないんだ。
あんた達なら、知ってるのか?

《バトル》

【猟奇趣味の男】
おいおい、怪人が出るなんて、
聞いてないよ!
じょ、冗談じゃない!

【興味本位の女】
野良犬は野良犬よ、と思うんだけど、
この辺の犬、何か違わない?
ほら、そこの犬も……
やはりね、魔犬のサバト、
今晩なのよ、きっとそうよ!
ああ、浮かれちゃう~

【犬に囲まれている男】
さぁ、お前達、言うことを聞くんだ。
お前達は今宵こよい、魔犬となる――
【野犬】
ガルルルルルル~
【犬に囲まれている男】
陋巷ろうこううごめく邪悪な意思を注ぎ、
魔の爪をげ!
魔の牙をけ!
【野犬】
ガルルルルルル……
【犬き】
何だ、お前は?
私の中のお犬様が……
お犬様が……私を、強くする!
お犬様の導きで、
私は人生の迷宮を抜けたのだ!
もう邪魔はさせん!!

《バトル》

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山墓地です、墓地の中に、
強いセヒラ反応があるようです。

青山墓地あおやまぼち

【野犬】
ガルルルルルル~
【野犬】
ガルルルルルル~

【犬き】
僕はね、心に悪意を宿すんだ。
君達だって、同じだろう?
フフ、皆同じなんだよ、皆同じ。
僕の悪意は、犬の貌形ぼうぎょうをしている。
犬達は帝都中の恐怖や憎しみを、
貪欲どんよくに食い尽くそうとする!
さぁ、僕の犬達を披露ひろうしよう!
君の恐怖をしょくしたいそうだよ!
それとも僕以上の憎しみがあるかい?

《バトル》

【犬き】
僕の犬達……
もう一匹もいないじゃないか!
――なんということだ!
お前達がいないと、僕は……
嗚呼ああ、僕はもう生きていけない!!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
結局、怪人だったわけだな?
喪神もがみ梨央りお
の存在を感じていて、
それを犬に見立てていたんですね?
帆村ほむら魯公ろこう
世には犬きもいるにはいるが……
そういうやからも怪人化しそうだな。
喪神もがみ梨央りお
兄さん……
青山あおやま墓地のこと、教えてくれたの、
彩女あやめさんです。何かを感じたとか。
彩女さんの力、
日増しに強くなっているようです。
帆村ほむら魯公ろこう
これなんか、どうだ?
――あらこわや遊郭ゆうかく地震の図
――花街かがいにおける紋章の研究
喪神もがみ梨央りお
もう、隊長!
猟奇グラフ、取り上げますよ!
兄さんも、しっかり前を向いて
公務を全うしてくださいね!

怪人騒動はすっかり帝都の日常となった。
新聞、雑誌、それにラヂオの報道により、怪人の存在さえ身近になりつつあった。

第二章 第六話 ナマナリ

〔セルパンどう

四谷よつやにあるお馴染み古書店セルパン堂だ。
3人が店の中に入っていくと、店主である式部丞しきべじょうが出迎えた。

周防すおう彩女あやめ
店長、彩女あやめはただいま戻りました。
式部丞しきべじょう
お帰り、彩女君。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、式部しきべさん。
式部丞しきべじょう
あれ、お二人揃って……
一体どうしたんですか?
周防すおう彩女あやめ
店長! やはりですわ!
彩女は怪人を引き寄せる、
そんな性質たちなのでした!
式部丞しきべじょう
ほう!
――まるで誘蛾灯ゆうがとうのようだな……
周防すおう彩女あやめ
何ですの、そのユウガトウとは?
式部丞しきべじょう
いや、何でもないよ――
それで、鈴代すずよさんもご一緒で?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ。
彩女さんにいざなわれたかのように、
怪人が現れました。
周防すおう彩女あやめ
彩女は……
彩女は、罪深い女でしょうか?
式部丞しきべじょう
罪か……
ふふふ……快楽は罪、罪は快楽。
バイロンの名言だが、君に罪はない。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さんが怪人に襲われやすくなる、
そんな危険はないのでしょうか?
――ちょっと心配です。
周防すおう彩女あやめ
彩女、何だか不安になってきました。
わくわくと不安が一緒になって
――もう、よくわかりません!
式部丞しきべじょう
彩女君、あまり深く考えないことだ。
――自分を追い詰めてしまうぞ。
周防すおう彩女あやめ
ありがとうございます、店長。
彩女、怪人さんに気をつけながら
生きていきます!
式部丞しきべじょう
あはは、その意気、その意気。
喪神もがみさん、山王さんのう機関の公務に
彩女君の役立つ時が来るかもですね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
けれど――
彩女さんを危険な目に
わせたくはありませんわ。
式部丞しきべじょう
無論です。
――無論、無論。
怪人を引き寄せるという
彩女君のその特異体質。
探信儀たんしんぎの科学に向き合う霊異りょういですよ。
周防すおう彩女あやめ
めてくださるのですか!!
式部丞しきべじょう
ああ……
――もちろんですよ。
そして、実に興味深い事象です。
いやはや……まことに……
如月きさらぎ鈴代すずよ
式部さん、彩女さんのこと、
見守ってあげてくださいね。
不安におちいらないように――
式部丞しきべじょう
彩女君の中に、比重の大きな、
何かがひそんでいるのでしょうか……
しっかりと見守らないとですね。
周防すおう彩女あやめ
喪神さん、今日は本当に
ありがとうございました。
またいろいろ教えて下さいね。

神田川かんだがわ面影橋おもかげばし

塩町しおまちを出た公務電車は四谷見附よつやみつけ飯田橋いいだばしから、早稲田わせだに向かった。
その先、王子おうじ電気でんき軌道きどうには乗り入れず、500メートルほど徒歩で移動となった。

【着信 喪神もがみ梨央りお
戸山とやまの二探に強い反応です。
面影橋おもかげばし方面、様子はどうですか?

【くたびれた女】
義父は高女の元漢語教師です。
昔から人格者としてしたわれています。
今、十五の娘、志津しづを下女に迎え――

【くたびれた女】
白山はくさん隠棲いんせい牡丹ぼたんを栽培する毎日。
その義父が……まさか……
私、誰も信じられなくなりました!!

《バトル》

【くたびれた女】
……行水する志津しづの背中に、
あでやかな牡丹ぼたん刺青いれずみがありました……
義父は志津しづを、ほしいままに――

優男やさおとこ
ねえさん、いい加減にご機嫌直しなよ。
せっかくの別嬪べっぴんさんが台無しだよ。
姐御肌あねごはだの女】
あんただって見たろ?
定吉さだきちの奴、あんな小娘に熱上げて……
何年、大番頭やってるんだい!!

姐御肌あねごはだの女】
あたしゃね、はなから反対だったんだ。
あの小娘、うちに置くのはね。
日本橋にほんばしのほうからきっての頼みでさ。
――いっつも視線絡ませてるんだよ、
朝っぱらからね、気色悪くって!
ああ、思い出すだけで苛々いらいらするわ!!

《バトル》

姐御肌あねごはだの女】
どうにも気持ちが収まらなくてね、
神田かんだの人生よろづ相談所に行ったさ。
そしたら神田川かんだがわを散歩したくなって。
優男やさおとこ
ねえさんが散歩だなんていうから、
どういう風の吹き回しかと……
姐御肌あねごはだの女】
あら、とめちゃん……ゴメンよ!
すっかり付き合わせちゃったね。
とんだ道草だったね――
優男やさおとこ
もういいのかい、ねえさん……
蕎麦そばでも食って帰るとするか。

【怯えた学生】
はあ……はあ……
ダメだ、もう走れない……
如月きさらぎ鈴代すずよ
どうかなさいましたか?
【怯えた学生】
ああ……済みません……
信じてもらえないかもですが……
如月きさらぎ鈴代すずよ
どうぞ、おっしゃって。
【怯えた学生】
川岸にいた女の人――
何か普通じゃないんです。
どう言えばいいか……
周りから空気を吸い取るというか、
なんかいろんなものを――
見ているだけで、自分も……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん……
その人、きっと……
川岸ですね、確かめに行きます!
【怯えた学生】
いや!
止したほうがいい、
あの人、普通じゃないんです!
如月きさらぎ鈴代すずよ
わかっています、
だからこそ、確かめるのですわ。

神田川かんだがわ川岸かわぎし

古くより染物そめものが盛んな土地で、昼間には、染色した布を神田川かんだがわにさらす風景が見られる場所だが――
その美しい風景は太陽の下でこそ。
夕暮れ時には、もう色を失った川水はただつぶやくように流れるだけだ。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし神田川かんだがわ付近
セヒラ濃度急上昇……!
厳重に警戒してください!

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、きっとあの人ですわ。
神田かんだ川の川岸に、一人の女性がいた。
川面かわもながめている風でもなく、
むしろ、心、ここにらずといった様子だ。

【思い詰めた女】
家は弟が勉強中だからと、
うのはいつも私の借りた、
麻布三河台町あざぶみかわだいまちの下宿でした――
会社の近くが便が良いということで、
その下宿に決めたんです。
佐竹さたけ泰西タイセイ交易の社員です。
佐竹さたけは下宿に三十八回来ました。
うち泊まりが三十回です――
閨房けいぼうで身をゆだねる私は、
ぼんやり将来を考えていました。
――当然じゃありません?
それなのに――
如月きさらぎ鈴代すずよ
お別れしたんですか?
【思い詰めた女】
佐竹さたけには妻子があったんです!
奥さん、病気がちなんです。
それで……私を……
如月きさらぎ鈴代すずよ
まぁ……
さぞ悔しかったでしょう。
それで、もうお付き合いは……
したんですか?
貴女はまだお若いし、
いくらでもやり直しが効きます。
ここにいるのは新しい貴女ですわ。
【思い詰めた女】
私、佐竹さたけのこと信じきっていて、
私たち二人はまるで同体のように
思えるほどでした。
先週、葡萄酒ワインで眠る佐竹さたけの胸に、
小刀で私の名をったのです――
そのことで佐竹さたけはひどく怒り、
れっきとした家族のいることも、
その時、佐竹さたけの口から聞かされ――
私、どうしていいかわからず、
以来、あの下宿には帰っていません。
こうして市中彷徨さまよい歩き……
でも、もうお仕舞しまいなんです!!

《バトル》

【思い詰めた女】
誰に相談することもできず……
新宿しんじゅく銀座ぎんざ神田かんだの宿に泊まり、
――今、ここに……
如月きさらぎ鈴代すずよ
貴女にできることは、忘れること。
綺麗さっぱり忘れてしまいなさい。
それが何よりの解法よ。
【思い詰めた女】
私たち……同体なんです……
――今でもそうなんです……
如月きさらぎ鈴代すずよ
うふふ……あなたの名は相手の胸に、
烙印らくいんとして一生残るのよ。
いい意趣いしゅ返し、出来たじゃない。
相手を置いてけ堀にして、
貴女はさっさと生まれ変われる。
三河台みかわだいの下宿、引き払うことです。
【思い詰めた女】
下宿……ああ……
そうですね……
あそこがなくなると、随分と――
随分と、気分が楽になりそうです。
ありがとうございます――
さっそく周旋しゅうせん屋を訪ねてみます。
如月きさらぎ鈴代すずよ
一人で大丈夫かしら?
【思い詰めた女】
はい……
おかげ様で気持ちが充実し、
またいろいろ始められそうです。
【着信 喪神もがみ梨央りお
神田川かんだがわ付近、セヒラ低下しました!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし鈴代すずよさん、
ご苦労様です。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

神田川かんだがわでの怪人騒動、帆村ほむら魯公ろこうは、何やら興味深げであった。

帆村ほむら魯公ろこう
あれはただの怪人ではないな。
鈴代すずよさんしか向き合えなかった、
そう思われるぞ。
おそらく、神田川かんだがわの女、
ナマナリであったようだ。
喪神もがみ梨央りお
ナマナリ……ですか?
帆村ほむら魯公ろこう
生成りとは魔性が十分ではなく、
般若はんにゃになりきっていない女のことだ。
――般若とは知っておるな?
喪神もがみ梨央りお
鬼、ですよね?
能面があります。
帆村ほむら魯公ろこう
鬼は鬼だが、嫉妬しっとに狂った女が
鬼に変じた姿なんだよ。
その鬼に至らないから――
喪神もがみ梨央りお
生成り、なんですね。
じゃ、鈴代さんは――
帆村ほむら魯公ろこう
女の魔性をしずめ、
般若と化すのを防いだんじゃな。
しかしなぁ……
やや奇妙な女であったのも事実だ。
そういうことも影響したのだろう。
帝都のセヒラ、ある意味万能だな。
あらゆる心の様態ようたいすくい上げよる――
喪神もがみ梨央りお
何か、変な夢見そうです――
兄さん、一緒に帰りましょう。

第二章 第五話 呼び寄せる者

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
このところ、人生よろづ相談という
相談所に出かけたまま姿をくらます、
そういう市民が増えているみたいだ。
相談所、市内に四カ所あるようだが、
一体誰が主催しておるのか、
皆目かいもくわからん。
ここは成り行きを観察するしかない。
風魔ふうまよ、巡視パトロールの時には、噂話にも留意してくれよ。
喪神もがみ梨央りお
失礼致します。
セルパン堂の周防すおう彩女あやめさんが
ロビーにいらっしゃっています。
上でお会いになりますか?
鈴代すずよさんもご一緒です。
なんでも、セルパン堂からここまで、
彩女さんを護ってらしたとか。
帆村ほむら魯公ろこう
護る? そりゃ大事だ!
またぞろ怪人を招いたか?
――例の女店員だな、周防すおう彩女あやめとは。
わしも会ってみたかったところだ。
おそらく式部しきべ氏の使いだろう。
通してあげなさい。
喪神もがみ梨央りお
承知しました!

帆村ほむら魯公ろこう
ようこそだ、周防さん。
周防すおう彩女あやめ
まあ、ここが秘密基地ですの!!
彩女はワクワクしてしまいますわ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、皆さん。
帆村ほむら魯公ろこう
鈴代女史じょしも……
周防さんとご同行とのこと、
何やらありましたかな?
如月きさらぎ鈴代すずよ
先日、彩女さんが怪人に
しつこく付きまとわれ難儀なんぎしたのです。
帆村ほむら魯公ろこう
ふむ、そうらしいの。
それで、今日のところは?
周防すおう彩女あやめ
今日も怪しい人、二人ほど……
彩女はやはり怪人に好かれやすい、
そうなんですわ、きっと!
如月きさらぎ鈴代すずよ
特に瘴気しょうきのようなものは
感じませんでしたが……
様子のおかしな人たちでしたわ。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……貴女の怪人の引き寄せ、
まことに興味深いですな。
一体、何がそうさせるのか――
それで、そこまでして
おいでになったには、
わけがおありでしょう。
周防すおう彩女あやめ
はい、式部店長の
お使いで参りました!
とてもとても大事なお使いで!
店長は彩女を信頼してくださって
こんな重要な使命を
お命じになったのですわ!
帆村ほむら魯公ろこう
う、うむ。それはご苦労だったね。
喪神もがみ梨央りお
それで、式部さんからの
要件というのは?
帆村ほむら魯公ろこう
おお、そうだった。
それで式部氏は何と?
周防すおう彩女あやめ
はい、これをお渡しするようにと……
彩女は手にしていたマニラ封筒から、
新聞の切り抜きを取り出した。
帆村ほむら魯公ろこう
ほうほう、
興亜日報こうあにっぽうの特報記事ですな――
――女怪人、戸山とやまに現る――
なるほど……怪しい光を放ち――
――撃てども撃てども倒せずと……
何でまた、あんなところに……
怪人に弾は効かんしな。
周防すおう彩女あやめ
強いんですね怪人って。
ちょっと素敵。
帆村ほむら魯公ろこう
女怪人というのもよくわからんが、
騒ぎが大きくなる前に手を打たねば。
それで……この記事はいつのだ?
――ほう、四日前か。
一週間ぶりとあるから、次を待つか。
せっかく妙齢みょうれいのご婦人方がお見えだ。
当本部を案内して進ぜよう。
風魔、頼んだぞ。

山王機関さんのうきかん課〕

銀河ぎんがゼットー】
なんてこった喪神もがみ風魔ふうま
ボクの研究室にこんな生きのいい
被験体を提供してくれるなんて!
周防すおう彩女あやめ
あ、彩女あやめは被験体では
ありませんことよ!
如月きさらぎ鈴代すずよ
お仕事中すみません。
少し見学させていただいて
おりますの。
銀河ぎんがゼットー】
ハハハ、ノリが悪いじゃないかっ!
ボクだって冗談ぐらいは言うんだぜ。
しかし、帆村ほむらさんはこんな機密を
一般人にいいのかね?
如月きさらぎ鈴代すずよ
帆村先生が、案内をと――
風魔さんに。
帆村先生は、
私が東雲しののめ流宗家当主だからと、
お気遣いくださったのかと……
銀河ぎんがゼットー】
何だって?
では貴方が東雲しののめ流の宗家当主、
如月きさらぎ鈴代すずよさんというわけか!!
よしきた、準備はいいな、勿論もちろんだ!
にまつわるあらゆる事象、
つまびらかにして見せようではないか!!
如月きさらぎ鈴代すずよ
あの……じゃあ、お願いします。
周防すおう彩女あやめ
彩女、楽しみです。
銀河ぎんがゼットーはいつにも増して
絶好調で、施設の説明を始めた……
銀河ぎんがゼットー】
このボク、銀河ゼットーが
全身全霊をけて研究するのは
異世界のエネルギーであ~る。
アラヤ界から湧出ゆうしゅつするセヒラは、
誰彼だれかれと無くその思念を実体化さす!
ただし実体と言っても、実存はせず、
ある特定条件下においてのみ
存在が許されている。
その一つがであり、は、
審神者さにわ、召喚師、怪人によって、
ようやく、その実態が掌握しょうあくされ、
まるで飼い馴らした家畜のように、
容易に扱えるようになる。
そして! もう一つ、実体化するのは

銀河ゼットーの解説に、意外と鈴代も彩女も、神妙しんみょうな顔をして聞いている。
…………………そして
長いゼットーの話が終わった。

銀河ぎんがゼットー】
以上、はなはだ簡単ではあるが
当研究所の研究の紹介である。
如月きさらぎ鈴代すずよ
東雲しののめ流とはまた違い、
とても興味深いお話でしたわ。
銀河ぎんがゼットー】
そう、まさに現代の帰神きしん法なのだよ!
帆村ほむら魯公ろこう
さてさて、ゼットー博士、
研究所の案内は済んだかな?
如月きさらぎ鈴代すずよ
帆村先生――
ありがとうございました。
とても有意義な時間でしたわ。
周防すおう彩女あやめ
彩女も、とても楽しめましたわ。
帆村ほむら魯公ろこう
それは良かった。
しかしここで見聞きしたことは
他言無用たごんむようですぞ。
周防すおう彩女あやめ
当然ですわ!
もし彩女が話しても、
信じる人なんていませんわ――
如月きさらぎ鈴代すずよ
そうかしら?
彩女さんの話、結構、面白くってよ。
帆村ほむら魯公ろこう
さて風魔、戸山とやま鎮定ちんていまで間がある。
ちょっと試してみたいことがある。
周防すおうさん、少々お願いがあるのだが、
ちょっと実験に付き合っては
くださらんか?
周防すおう彩女あやめ
こんなに良くして頂いたのです。
何なりとおっしゃってください。
帆村ほむら魯公ろこう
それは助かります。
いやなに、少し赤坂あかさかをぶらぶらして
もらえればいいのです。
周防すおう彩女あやめ
はい、そんなことでよろしければ。
だけど……どうして?
如月きさらぎ鈴代すずよ
……もしかして怪人に
狙われる体質を?
帆村ほむら魯公ろこう
おとりにするようで気が引けるが
風魔が付いている。
そこは安心してくれ給え。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さん、よろしいんですか?
周防すおう彩女あやめ
構いませんわ!
それにちょっとドキドキもします!

日枝神社前ひえじんじゃまえ

【着信 喪神もがみ梨央りお
早速です、怪人の反応があります。
日枝ひえ神社です、警戒してください。
周防すおう彩女あやめ
いやだわ……あの人。
さっきからじっと彩女あやめ
見てる気が……
如月きさらぎ鈴代すずよ
確かにこちらを見てますわね。
でも、怪しむべきものなのかどうか、
まだよく判りませんわ……

【見つめる男】
あっ、失礼しました。
いや、死んだ姉に生き写しなもので。
つい見とれてしまいました。
――緑の洋服の方ですよ。
貴女は、本当に……
いやぁ、驚きです。
改めて拝見するに、
やはり別人とは思えません。

周防すおう彩女あやめ
怪人じゃなかったのですね。
なんだ、つまらないですわ。
でも、彩女あやめは罪な女なのですね。
困ってしまいますわ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女さん、私はホッとしましたよ。
周防すおう彩女あやめ
鈴代すずよさん、ほら!
あすこのおじさん、見てますわ!
きっとそうですわ!
あの芸者さんも!
それからそこの男の人も!
如月きさらぎ鈴代すずよ
まぁ、本当だったら大変よ!

【見つめる青年】
冬美ふゆみさん……
ではないですか?
――ご一緒の方……
大井町おおいまち八高女はちこうじょ冬美ふゆみさん。
はい、尋常じんじょうの時の同級です。
僕は今でも手紙の返事を待つんです。

【見つめるおじさん】
こんなところにいましたか!
――あははははは!
やっと見つけた! 今日は旗日はたびだ!

【見つめるおじさん】
小石川こいしかわ駒子こまこさん!
そんななりしても無駄ですよ!
貴女だとすっかりわかっています。
私ね、市中いずり回り探しました。
浅草あさくさ銀座ぎんざ新宿しんじゅく勿論もちろんのこと、
目黒めぐろ本所ほんじょくまなく探しました。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、セヒラ確認しました。
怪人の恐れがあります。

【見つめるおじさん】
さぁ、私の家へ参りましょう!
貴女に特段のことして差し上げます。
きっと貴女も喜ぶはずです!!

《バトル》

周防すおう彩女あやめ
今の人は……
――怪人だったのですね!
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ、怪人でしたわ。
周防すおう彩女あやめ
すごいです!
喪神もがみさん、怪人をまたたく間に倒した!
彩女あやめ、何だか誇らしいです!

【見つめる青年】
僕は思うんです、冬美ふゆみさん、
貴女は返事を出したんです。
でも郵便夫が横着おうちゃくして届かなかった。
だから僕、郵便夫をりました。
手紙、来ないのは至極しごく当然なのです。
冬美ふゆみさんからじかに……お願いします!

周防すおう彩女あやめ
どうですの?
やはり怪人でした?
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ……
何というか……
――むしろ警察を呼んだほうが……
周防すおう彩女あやめ
まぁ、大変!
でも怪人じゃないのですね。

【悩ましげな芸者】
まめてるねえさん、私の事、
陰で悪く言うようになって……
私、恩をあだで返す性悪しょうわるだなんて、
そんな風にお客さんにも伝わり――
ですから、私、相談所に行きました。
人生よろづ相談です――
新宿しんじゅくまで足を伸ばしたんです。
今、帰りました。私、性悪しょうわるですか?

《バトル》

【正気づいた芸者】
私、何かしましたか?
――ここで約束があったような……
あら、日取りを間違えましたか。
今日はお座敷がかかっています。
もう用意しないと――
もしや、今日のお客さんですか?
違いますよね、今日のお座敷は、
みすじ通のきんでしたわ。

周防すおう彩女あやめ
怪人でしたね、見ましたわ!
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ……
相談所の帰りだとか。
周防すおう彩女あやめ
悩みが深いと、
怪人になるのでしょうか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま、もういいぞ。
いろいろわかったからな!
お二人をお送りしてくれ。
周防すおうさん、今日は有難ありがとう。
今度ホテルのランチをおごりましょう。
周防すおう彩女あやめ
まあ、それは嬉しいですわ。
楽しみにしております。