ドッペルゲンガー

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
ああ、なげかわしや!
最近の風俗は乱れきっとる!
よりによって梨央まで――
梨央、浅草六区ろっくにいたそうだ。
歩一ほいちの連中が目ざとく見つけてな。
さしずめ活動写真なんじゃないか!
山王機関の通信士たるもの
活動キネマにうつつを抜かすなど……
あああ、実に嘆かわしい!
【如月鈴代】
あら、魯公ろこう先生、浮かないお顔で……
どうかされたんですか?
【帆村魯公】
梨央がな、任務を軽んじて
活動キネマに夢中らしいのだ。
浅草六区におったと――
【如月鈴代】
あら、それは何かの間違いですわ。
梨央ちゃんなら私と一緒でしたよ。
山王ホテルの喫茶室におりました。
【喪神梨央】
そうですよ、隊長。
鈴代さんとアールグレイ茶を……
【帆村魯公】
――なるほどだな……
何か臭うな……歩一の兵何人もが
六区で梨央を見たと言う。
【喪神梨央】
そんな……
私はずっと――
【帆村魯公】
風魔よ! ちょっと浅草を、
様子を見てきてくれないか。
梨央、君は浅草界隈の
セヒラを計測してくれ。
【喪神梨央】
了解しました!
――兄さん、活動キネマは後回しですよ!
【如月鈴代】
もう一人の梨央が現れたとか
そういうことなんでしょうか?
【帆村魯公】
わからん。わからんが、今の帝都、
何が起きても不思議ではない。
用心するんだぞ、風魔!

〔浅草六区〕

公務電車を走らせ、一路浅草へ。浅草六区は映画館や劇場が立ち並び帝都きっての賑わいを見せていた。

【泰南洋行の社員】
いやぁ、今度の映画は楽しみです。
なんたって、満映の二大女優共演!
麻美マーメイ蘭暁梅ラン・シャオメイ林黛玉リン・タイギョク薛宝釵セツ・ホウサ
――素晴らしいじゃないか、君!
【磯村家の令嬢】
憧れですわ、満鉄映画社の女優……
今度の封切りで来日するんですって。
二大スタアが揃って
この浅草で舞台挨拶だそうよ――
んもぅ絶対来なくちゃ!
【甘味処今木の主人】
紅楼夢こうろうむのかかる映画館だけどね、
あすこの支配人、万丈左門ばんじょうさもんなんだよ。
ほら、元聖林ハリウッドのスタァだよ!
サモン・バンジョーならどうだい?
ダークメモリーって探偵映画の
マイクヤマギタ役が有名じゃないか!
【永楽堂のいとはん】
えらいぎょうさんの人ですなぁ。
そやさかい、佐助とはぐれてもうて、――わて不案内やし往生おうじょうするわぁ~
【淑明女学院の女学生】
病弱でどこか影のある女性……
林黛玉リン・タイギョクに惹かれますわ、私。
――あら、紅楼夢こうろうむの話よ。
【山種家の書生】
恋をするなら林黛玉リン・タイギョク
妻にするなら薛宝釵セツ・ホウサってね。
僕は良妻賢母型の薛宝釵セツ・ホウサがいいね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士すいし
浅草界隈、セヒラ反応ありです。
場所は……仲見世……いや……!
兄さん!
すぐ側です! 発生源が、近い!

【???】
……

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、異常ありませんか?
いつもとは違う反応が出ています。
【着信 帆村魯公】
気を付けるんだ、風魔!
いつもの怪人とは違う何かだぞ!

【???】
……

浅草六区にいる風魔の前に、喪神梨央がひょっこりと姿を見せて――
しかしは風魔を認めてはいないようだ。その固まった表情に梨央らしさはない。どうやらこれはのようである。

《バトル》

【着信 帆村魯公】
風魔よ、それは怪人ではないな!
信号を総合すると……それは梨央りおだ!
なぜ、どうして……梨央りおが!
【着信 喪神梨央】
兄さん! 私はここにいます。
山王機関の通信室で隊長と一緒です。
惑わされないでください!

もう一人の廓清かくせいされたようだ。

【着信 喪神梨央】
兄さん、セヒラ反応が消えました。
――でも……
今度はセルパン堂で――
【着信 帆村魯公】
セルパン堂から電話があってな。
風魔、が店前にいる、
四谷で何か事件なのと問う――
それでわかったぞ。
分身だ、お前たちの分身が出たんだ。
風魔よ、セルパン堂に急いでくれ!

〔セルパン堂前〕

【周防彩女】
やはりです。先ほど梨央さんから
お電話頂きましたの。
私の見たのは喪神もがみさんの分身……
――で合っていますか?
今、彩女あやめの前においでなのが
本物の喪神もがみ風魔ふうまさん、ですよね?
何だか彩女、混乱してきました――
【満洲栄華大学の学生】
神洲大八島しんしゅうおおやしまか……
よく言ったものだね。
茫洋ぼうようたる満蒙まんもうの大地からすると
はなはだちっぽけな――
うん? あなた、さっきの人……
――同一人物なのか?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
すぐ近くにセヒラ反応です!

【???】
……

風魔はもう一人のと対峙していた。風魔自身の分身が現れたのである。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラです!
【着信 帆村魯公】
そいつは、お前ではない!
お前ではない! お前ではないぞ!

【???】
――

《バトル》

【着信 喪神梨央】
兄さん……
兄さん! 兄さん!
――兄さんには兄さんって呼ぶの。
よかった!
兄さん、大丈夫よね?
セヒラ反応、消えました。

〔セルパン堂〕

【周防彩女】
喪神もがみ風魔ふうまさんに喪神もがみ風魔ふうまさん……
――まるであわせ鏡のよう……
そうじゃありません?
【式部丞】
彩女あやめ君はいたく興味を持っているね。
気に入りましたか?
【周防彩女】
彩女もときどき……
もう一人の自分がいるように
思う時がありますの。
【式部丞】
喪神さん、この現象、いささか
ユニークですね。誠に――
これは独逸ドイツ語でドッペルゲンガー。
まぁ分身たんです。
分身は本人にゆかりのある場所に現れる。
――喪神さんはこのセルパン堂に
何か思いをお持ちなんでしょうか?
【着信 帆村魯公】
風魔! 悪い、すぐ戻ってくれ。
梨央が……

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
梨央はショックだったみたいだが、
もう大丈夫だろう。
気丈な子だ。
【新山眞】
いやしかし、不思議な現象です。
これもおそらくはセヒラの仕業しわざ――
時空のゆがみのような現象が、
起きていつのかも知れませんね。

新山眞――
陸軍飯倉技術研究所の軍属技師である。セヒラを電気的に扱う技術を確立した。

【帆村魯公】
式部氏はドッペルゲンガーだと、
そう言っておったぞ。
【新山眞】
はい、その分身現象自体は、
前世紀末から報告があります。
【帆村魯公】
新山君はただセヒラに触れて、
分身が現れたわけではないと、
そうお考えかな?
【新山眞】
セヒラが原因なのは確かでしょう。
ただ、裏に何か絡繰からくりがある――
そう思えるのです。
【帆村魯公】
どんな絡繰りですかな?
【新山眞】
例えば世界が複数あるとか――
普段は絶対に出会わない世界が、
セヒラのせいで図らずも――

帝都の瘴気しょうきというべきセヒラ――
それを電気的に究明する新山でさえ、ドッペルゲンガーは初めての体験だった。強いセヒラは人智を越す現象をもたらす。セヒラは人の心ばかりか、世界のようにも影響を与えているようだ。

第一章 第八話 アーネンエルベ

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

その日、山王さんのう機関本部に来客があった。彼女がここに来るのは久しぶりである。
地下100メートルの本部にパッと光が射した――

如月きさらぎ鈴代すずよ
今日はお招きいただき――
あら! 風魔ふうまさん……
どうしたんですか、その格好は?
帆村ほむら魯公ろこう
いやぁ、鈴代すずよさん!
わざわざお越しいただいて……
鈴代すずよさん、
お願いしたいことがあるんです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
私に出来る事なら……
帆村ほむら魯公ろこう
いつもと趣向を変えて、
弟、風魔ふうま引率いんそつ願えませんか?
喪神もがみ梨央りお
弟……
兄さんが……鈴代すずよさんの弟ですか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
うふふ……
何だかわかったような気がしますわ。
帆村ほむら魯公ろこう
申し訳ないが、どうだろうか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
も、申し訳ないだなんて、そんな、
風魔ふうまさんの方こそご迷惑では……
帆村ほむら魯公ろこう
セルパン堂はよくご存知ですな。
四谷よつや区にある古書店です。
如月きさらぎ鈴代すずよ
はい、ぞんじております。
帆村ほむら魯公ろこう
仲の良い姉弟あねおとうとのようにして、
風魔ふうまを連れ立って欲しいのだ。
――純情青年の風魔ふうまをな。
喪神もがみ梨央りお
うふふ……
そのりなら、兄さん、
すっかり弟ですね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
…………
帆村ほむら魯公ろこう
東京にとついだ姉が、
上京してきた書生しょせい風情ふぜいを連れている、
そういう按配あんばいなのです。
今回の四谷よつや行き、重要でしてな。
身分が知れると厄介やっかいなのですよ。
風魔ふうまのことを調べている連中がいて、
その目をあざくというわけです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
承知しました。
帆村ほむら魯公ろこう
そのなりで、しかもあなたと一緒だ、
風魔ふうまのことが見破られることは
ないでしょう。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そうだといいのですが……
帆村ほむら魯公ろこう
鈴代すずよさん、改まって申しますが、
あなたのお力添ちからぞえ、
常々、感謝しておるところです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そんな……
たいしたことは出来ておりません。
それに……
東雲しののめの流派も閉じてしまい、帆村ほむら流の発展をお祈りするばかりです。
帆村ほむら魯公ろこう
しかし、よくぞ決断されました。
東雲しののめ流から継いだ奥義おうぎの数々、
責任をもって守り抜きますぞ。
喪神もがみ梨央りお
兄さん、公務電車は塩町しおまちまで行かず、
四谷見附よつやみつけの先でめます。
そこから歩きになります。
如月きさらぎ鈴代すずよ
四谷見附よつやみつけなら、塩町しおまちまで、
電停三つ分ですわ。
帆村ほむら魯公ろこう
よし、では早速、出かけてくれ。
用心するに越したことはないぞ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
それでは、参りましょうか、
風魔ふうまさん。
喪神もがみ梨央りお
朝五時に新宿しんじゅくに着く夜行があります。
兄さんはそれで上京したんです……
長野ながの、夕方の五時二八分発です。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう! それは急行かな?
喪神もがみ梨央りお
いえ、普通列車です!
如月きさらぎ鈴代すずよ
それでは、さぞお疲れでしょうね……
帆村ほむら魯公ろこう
過ぎたる演技はいらんが、
目立たないようにはしてくれ。
いいな――

〔セルパンどうまえ

はたからは仲の良い姉弟にしか見えない2人――
公務電車を手前の四谷見附よつやみつけで降り、
電車通を歩いてセルパン堂まで来た。

如月きさらぎ鈴代すずよ
問題なく来られましたわ。
私、お役に立てたのかしら……

セルパン堂に入ろうとすると、
店内から1人の外国人女性が現れた。
店に入ろうと左に避けると女性も左へ、
右に避けると女性もまた右へ……
2人は同時に動きをやめた――

【美しい碧い瞳の女性】
――ごめんなさい……

女性はまさしく金髪碧眼へきがん――
その透明感のあるあおい瞳が風魔ふうま見据みすえた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、通してあげて――
【謎の白人男性】
どうしましたか、ユリア――

セルパン堂から姿を見せた白人男性は、
流暢りゅうちょうな日本語でしゃべった。

【美しい碧い瞳の女性】
今、こちらの方と……
【謎の白人男性】
君は、大学生でしょうか?
学校はどちらで?
この店に通うとは、
なかなか研究熱心なようです。
【美しい碧い瞳の女性】
――美しい瞳……
まるで黒曜石のように深く黒く……
【謎の白人男性】
ユリア、どうしました?
日本人は誰でも黒い目ですよ、
違いますかな?
その黒さゆえに、考えが読めない、
私は常々そう思っています。
【美しい碧い瞳の女性】
考えがあるのではなく、
強い信念がある――
そんな風に思います。
【謎の白人男性】
なるほど――
いろいろあるものですね。
【美しい碧い瞳の女性】
――またおいできる。
そんな気がしますわ。

遠ざかる2人を見送った後、
鈴代すずよがそっとつぶやいた――

如月きさらぎ鈴代すずよ
今の方……
とても美しい方でしたわね。
あおい瞳に吸い込まれそうでしたわ。
…………
……それでは、お店の中へ。

〔セルパンどう
周防すおう彩女あやめ
あら、鈴代すずよさん、いらっしゃいませ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
こんにちは、彩女あやめさん。
周防すおう彩女あやめ
あ! そうそう、良い御本が
入りましたよ。
どこでしたっけ店長。

声に呼ばれ、奥から式部しきべ
のっそりと姿を現した。

式部しきべじょう
いらっしゃいませ、如月きさらぎさん。
如月きさらぎ鈴代すずよ
ごきげんよう、式部しきべさん。
式部しきべじょう
お待ちください。
石上神宮いそのかみじんぐう献茶けんちゃについての
古書を手に入れましてね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ、今日はあの……
式部しきべじょう
おや、そちらは……
ご一緒で?
式部しきべじょう
ああ、喪神もがみさんでしたか!
いやぁ、てっきり学生さんかと。
周防すおう彩女あやめ
あれ! 喪神もがみさん!
ごめんなさい、彩女あやめ
ちっとも気付きませんでした!
式部しきべじょう
ふーん、なるほど!
周防すおう彩女あやめ
店長……
あからさまに過ぎますわ。
式部しきべじょう
いやぁ、失敬しっけい
実に見事な変装ですね!
手を入れすぎていない所が良い、
あざとさを感じません。
喪神もがみさんの持ち味を引き出して、
そこに別な印象を注いでいる、
いやはや、巧妙こうみょうですね!
しかし……眼光の鋭さは……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさんって、
そんなに鋭い目でしょうか?
式部しきべじょう
ああ、鈴代すずよさんはそうは思われない、
そうなんですね?
幼馴染おさななじみだからでしょうね、
その印象がまさるのですよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
そういえば、今しがた
外国の方が二人、
出て行かれましたが……
式部しきべじょう
ああ……
あれはアーネンエルベの者ですよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
アーネンエルベ?
式部しきべじょう
アドルフ・ヒトラー率いるナチ党は、
ある意味、狂信者の集団なのです。
自分たちの祖は超人的アーリア人、
その擅断せんだん的な独りよがりの思想に、
かれているのですよ。
神話の時代、アーリア人は
超能力で世界を支配したという
幻想を信じてるのですよ。
その神霊しんれいの力を取り戻し、
再び超人として世界を支配するために
研究調査組織が作られます……
如月きさらぎ鈴代すずよ
それが、アーネンエルベ?
式部しきべじょう
そう、彼らはアーリア古代文明の
証拠を世界各地で調査しつつ、
超人化の道を探求する者です。
周防すおう彩女あやめ
でも、どこかロマンチックな
話なのですわ。
式部しきべじょう
そうだね彩女あやめ君。
だが、幻想とロマンには
危険がつきものだ。
ナチスSS親衛隊長官のヒムラーは、
本国に先駆けてアーネンエルベを
昨年、東京に開設しました。
アーネンエルベ極東分局といいます。
独逸ドイツ大使館内にあり、
今年、本格稼働し始めた模様です。
所長はルドルフ・ユンカー博士。
神智しんち学方面の権威だとか。
その真面目にキの付く偉い先生が、
魔道書ゴエティアにまで
手を出してきたのですよ。
ま、ある意味正解なんですが……
如月きさらぎ鈴代すずよ
ゴエティアの召喚術……
鬼龍きりゅうさんが学んだのも独逸ドイツ……
式部しきべじょう
そして散逸さんいつしたゴエティア偽典ぎてん
まさにこの店にある……などと、
何処どこでどう知ったのやら……
――価値も分からず、
一見いちげんのお客様に
お売りいたしました――
遠い国にまで聞こえる書であるなら、
それはいかほどの価値なのか、
是非ぜひともご教授いただけませんか――
と、まあ、こんな感じにとぼけて
おきましたが、どこまでこちらを
信じたことやら……
さて、そういうわけで山王さんのう機関様。
これが渦中かちゅうのゴエティア偽典ぎてん
お買い上げ有難うございます。

そう言って式部しきべ風魔ふうまに古書を手渡した。彩女あやめ怪人かいじんに奪われ、風魔ふうまが取り返したあの本だ。

式部しきべじょう
あの時あなたに渡してしまえば
早かったんですけどね。
少々確認事項があったのですよ。
では、帆村ほむらさんによろしく
お伝えください。

若松町わかまつちょう

【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがや近辺にセヒラ観測しました。
用心してください、黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし

【無表情な女】
待っていた……
何時間も、ここで……
――本、お前の本……

【無表情な女】
……ゴエティア、ください……

《バトル》

【無表情な女】
ゴエティア……を……
【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがや依然いぜんセヒラ高し。
まだ怪人かいじんがいるはずです!

【無表情な男】
…………

【無表情な男】
……ゴ・エ・ティ・ア。

《バトル》

【無表情な男】
感じろフュールン……恐怖アング

【着信 喪神もがみ梨央りお
市ヶ谷いちがやのセヒラ低下しました。
もう大丈夫かと思われます。
如月きさらぎ鈴代すずよ
待ち伏せをされていたのでしょうか?
――お怪我はありませんか?
今の人、独逸ドイツ語を話していました。
これ……おそらくあの人が
落としたものかと――
さっき話に上った独逸ドイツの秘密組織、
アーネンエルベと何か関係が、
あるのでしょうか?

それはややくもった水晶だった。
内側に幾筋いくすじもの真っ直ぐな金糸が
織り込まれたように入り、
金属的な光をはなっていた。
ガラス質の表面には、稲妻いなづまかたどった様な文様もんよう
り込まれ、黄色に彩色されていた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
まるで古代の文字のようですわ。
何かの魔力でも秘めていそうですわ。
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
八号、つた博士から連絡があった。
式部しきべ君から本は受け取っているな。
お前はそのまま帝大に行け。
敵に襲われた以上、女史じょしの安全を
確保せねばならん。九頭くずを迎えに
やらせるからお帰りいただくんだ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
私、邪魔者なんでしょうか……
微力かも知れませんが、
お役に立てることがあればと思い、
こうしているのです。

砂埃すなぼこりを立て、一台の車が滑り込んできた。

九頭くず幸則ゆきのり
お迎えに上がりましたよ、鈴代すずよさん。
如月きさらぎ鈴代すずよ
幸則ゆきのりさん!
どうしたんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
帆村ほむら先生から頼まれてね、
鈴代すずよを迎えに来たんだよ。
さぁ、乗ってくれ、
送り先はどこがいいんだ?
ところで、その格好
なかなか似合ってるぜ風魔ふうま
田舎出いなかで書生しょせいって感じだな。
俺には真似まねできない芸当げいとうだよ。
如月きさらぎ鈴代すずよ
幸則ゆきのりさん……
ご公務でお越しになったとはいえ、
私、まだ戻れません。
風魔ふうまさんに力添えできること、
あるのではと考え――
九頭くず幸則ゆきのり
――なるほど。
審神者さにわ鈴代すずよがいると、
風魔ふうまも心強いだろう――
如月きさらぎ鈴代すずよ
いえ、決してそういうことでは……
でも、今は戻りません。
幸則ゆきのりさん、お願いです、
わかっていただけますか?
九頭くず幸則ゆきのり
――しょうがないなぁ……
それで、お前達、どこに行くんだ?
さぁ、乗った、乗った、
銀座ぎんざ浅草あさくさ上野うえの……どこだい?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ありがとうございます!
幸則ゆきのりさん。

第一章 第六話 魔導書ゴエティア

山王機関本部さんのうきかんほんぶ
市ヶ谷いちがや刑務所での暴動は
翌日の新聞紙面しめんにぎわせたが、
すぐさま内務省による
情報統制とうせいかれた。
しかし山王さんのう機関本部にいる帆村ほむら魯公ろこうは、どこかえない表情をしていた。

帆村ほむら魯公ろこう
市ヶ谷いちがや刑務所の件、
今のところただの囚人しゅうじん暴動として
処理できておる――
だが怪人かいじんのことがれると、
どんな流言飛語りゅうげんひごが現れるや知れん。
治安ちあんの乱れを招きかねない――
風魔ふうま、お前は第一連隊だいいちれんたいに行き
この件の報告書を届けてきてくれ。
連隊長の刑部おさかべ大佐殿は、
一応兼務けんむながら、
この山王さんのう機関の機関長だからな。
報告は迅速じんそくに上げておきたい。
それでは、頼んだぞ。

歩一ほいち本部に出頭するはずの喪神もがみ風魔ふうまだが、梨央りおの急な要請ようせいもあり広尾橋ひろおばしの近くにいた。

広尾橋ひろおばし

有栖川宮ありすがわのみやの御用地が昭和9年に東京市に賜与しよされ、公園として市民に公開された。
その有栖川宮記念公園ありすがわのみやきねんこうえんを水源のひとつとするのが笄川こうがいがわだ。
広尾橋ひろおばしはその笄川こうがいがわにかかる橋のひとつである。

【着信 喪神もがみ梨央りお
広尾橋ひろおばし周辺でセヒラ観測中です。
周囲に警戒してください。

【宮家の侍女】
おや、皇軍の方でございますね。
ちょうど良かった――
近く、京都より、聖宮ひじりのみや様が上京され、麻布あざぶにおいでになります。
あの界隈かいわい、まだ怪人かいじん騒動は
ありませんが、予防に越したこと、
ございませんね。
是非、予防いただきたく存じます。
また時季じきを見てお願いに参ります。
おいでになるのは聖宮成樹ひじりのみやなるき親王、
その方にございますよ。

【大学生M】
彩女あやめさん!
僕をおぼえておいででしょう!
いつもセルパン堂に
うかがっているのに。
周防すおう彩女あやめ
ご、ごめんなさい。
彩女あやめは……人のお顔を……覚えるのが
苦手で……お客様ですよね?

学生と話しているのは、周防すおう彩女あやめだ。
鈴代すずよが良く通っている四谷よつや区にある
セルパン堂という古書店の店員だ。

【大学生M】
あなたは僕を知っているはずだ。
だって、いつも稀覯書きこうしょたなにいるよ。
そうだろ、何度もあいさつ挨拶をしたよ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
広尾橋ひろおばし付近、急速にセヒラ増大。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、警戒してください。

【大学生M】
世紀の希書と誉れ高い青の書ブルーブック
それに勃海経本ぼっかいきょうほん、リブレセクレ、
ダミアヌス写本まであるんだ――
周防すおう彩女あやめ
そんな目で見るのは、
止してください……
【大学生M】
あの忌々いまいましい店長はそんな本に、
僕を指一本触れさせてくれない!
でも彩女あやめさんは違うよね!
彩女あやめさんの後を付けたら、
ほうら、素晴らしい本に出会えた!
――それは何て言うんだい?
もしやゴエティアの書じゃないかい?
悪魔の召喚を説いた書だろ!
素晴らしい稀覯書きこうしょだ!
周防すおう彩女あやめ
これは……
修道女の日記です。
【大学生M】
嘘を付くんじゃない!
世界稀覯書きこうしょ展の図録ずろくで見たんだ。
僕は知ってるぞ!
周防すおう彩女あやめ
嫌です、止してください!

【大学生M】
何だ、お前は?
それは僕の本だ、
本にとってもそのほうが幸せなんだ!!

《バトル》

【大学生M】
僕にはもっと力が必要だ!
そうだ、恐怖におののく者どもを探す。
あははは、容易たやす容易たやすい!

周防すおう彩女あやめ
有難うございました。
あなたは……確か、鈴代すずよさんと
よく一緒に来られている……
喪神もがみ風魔ふうまさんですよね?
せんだって鈴代すずよさんが茶道の本を
見てらっしゃるとき
喪神もがみさんは優しく見守られて……
そんなお二人は私のあこがれですよ。

……あら?

あらら……
もしかして……
ああ、どうしましょう……
さっきの人に本を奪われたわ。
式部しきべ店長に何ておびしたら……
大事の大事で大事なご本なのに。
……広尾にお住まいの本の蒐集家しゅうしゅうかがお亡くなりになり、ご家族が
本を処分したいと仰ったのです。
鑑定していたら、式部しきべ店長厳命の
見つけたら絶対に確保せよという
ゴエティアが見つかって……
ゴエティアとは、魔物を
召喚するための魔導書なのです。
彩女あやめは舞い上がりました。
これで店長に認めてもらえる。
ところが急転直下不幸のどん底です。
頭を下げるだけではもう
許されないことなのです……
そう、死んでおびするしかない。
彩女あやめはこれから古川に飛び込みますか
らセルパン堂にそのむねお伝え下さい。

え? 死ぬ必要はないと
おっしゃるの?
あなたがご本を取り返すと……
もし……もし、本当に本を取り返して
いただけるのなら、
彩女あやめはもう少し長く生きられます。

鈴蘭女学園前すずらんじょがくえんまえ

【気丈な女学生】
ちょっと君。
ここは男子禁制の聖なる学びの園。
先生の許可は取っているのだろうね?
【大学生M】
そんなことは、どうでもいい!

周防すおう彩女あやめ
あれ……さっきの人です!

【明るい女学生】
ねえ、この方何か様子が変ですわ。
気ぜわしいし、目つきも怖い。
【変わった女学生】
もしかしてヘンタイ!
観察対象!
観察、観察――
しかと見届けます――
風体ふうていは学生のよう……
――でも天婦羅てんぷらかもしれません!
荒い息、見開いた目……
――我々に不要な興味をいだく?
手には古い西洋の書物……
――ひときわ怪しい!
【明るい女学生】
やっぱりね!
変態なんじゃないかしら!
完全なる変態ですわ!
【気丈な女学生】
完全なる変態!
なんと猟奇りょうきな!
その実物が、ここに見えると――
【大学生M】
ごちゃごちゃうるさいぞ!
お前達などただの留袖新造とめそでしんぞう風情ふぜいだ!
お前達は神洲大八洲しんしゅうおおやしま恥辱ちじょくだ!
白妙しろたえの一点のみだ!
ウハハハハ~
せいぜいわめけ! それが僕の栄養だ。
お前達の恐怖が、栄養なんだよ!!
【明るい女学生】
まぁ! 恐ろしい! なんてことを!
誰か先生にお知らせしてきて。
【後方の女学生】
はい! おひいさま!

【大学生M】
ん? き、貴様!
しつこい野郎だな――
周防すおう彩女あやめ
その御本を返してください。
【大学生M】
これは彩女あやめさんがくれた本だ。
今更じゃないか!
彩女あやめさん、聞いてくれ!
誰よりも、この僕こそが、
この本の持ち主にふさわしいんだ。
やっと本物の稀覯書きこうしょが、
僕のものになるんだ!

【大学生M】
彩女あやめさん、貴女のお陰です!
たくさん、お礼を言わなきゃ!
――その前に、こいつだぁ!!

《バトル》

【大学生M】
ああ……僕は……本を……
次は……
コスマス写本を頂く!!
【明るい女学生】
キャア! この方、どうなさったの?
【変わった女学生】
言葉を残して卒倒そっとう……
――何が起きたのか?
【気丈な女学生】
先生が来られるまで
触るんじゃないぞ。

風魔ふうまは古書を拾い上げ、彩女あやめに渡した。

周防すおう彩女あやめ
有難うございました。
これで彩女あやめは今回死なずに
切り抜けることができました。
この御本、わざわいの元なのですか?
また狙う人が来そうです……
セルパン堂までご一緒して
いただけませんでしょうか?

〔セルパンどう

東京市電11系統の四谷塩町よつやしおまち電停、
そのほぼ目の前にある古書店がセルパン堂だ。
店内は古書がかもす独特のにおいに満ちていた。

如月きさらぎ鈴代すずよ
あ! 彩女あやめさん、良かった。
お帰りなさい、何か胸騒ぎがして、
私来てしまいました。
周防すおう彩女あやめ
有難うございます!
その実、彩女あやめ、危なかったのです。
御本、うばわれそうになりました。
如月きさらぎ鈴代すずよ
あら、風魔ふうまさんもご一緒に?
周防すおう彩女あやめ
はい、彩女あやめ喪神もがみさんに
助けられたのですよ。
じゃないと死んでおびをする――
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ?
いったい何があったのですか?

彩女あやめは出来事の顛末てんまつを話した。
学生に付けねらわれたこと、
ゴエティアはうばわれずに済んだこと――
その学生がセルパン堂によく来ていたか、
まったく覚えていないと彩女あやめは強く言った。

如月きさらぎ鈴代すずよ
でもね、彩女あやめさん、
そんなすぐに死んでおびをなどと、
軽く言うものじゃありませんわ。
式部丞しきべじょう
喪神もがみさん――
何だかお手数をお掛けしたようで。
申し訳ありません。

鷹揚おうような感じで姿を見せたのは、
セルパン堂の若きあるじ式部丞しきべじょうである。
帝大の哲学を出て古書店主を務めている。
どこかとらえどころのない人物だが、
帆村ほむら魯公ろこうとはそこそこ長い付き合いだ。
鈴代すずよ風魔ふうまのことも知っている。

周防すおう彩女あやめ
店長、ご、ご心配をお掛けしました。
彩女あやめは命を掛けてゴエティアを
手に入れたのですっ!
式部丞しきべじょう
でも彩女君、蒐集家しゅうしゅうかの古書が、
よくゴエティアだとわかったね!
君はいつの間にそんな知識を……
周防すおう彩女あやめ
店長が詳しく教えて下さいましたわ。
でも、あの学生さんは、
中を見ないでわかったみたいです。
よほどおくわしいのですわ。
でも……お店によくいらしていたって
彩女あやめ、ちっとも存じませんでした!
やはり、彩女あやめがあの学生さんを、
引き寄せたのでしょうか……
だんだん、そんな気がしてきました。
如月きさらぎ鈴代すずよ
彩女あやめさん、何でもご自分のせいに
なさっちゃいけませんわ。
周防すおう彩女あやめ
でも……
私……彩女あやめは、きっと、きっと、
――引きつけたんですわ!
如月きさらぎ鈴代すずよ
まぁ、そんな……
怪人かいじんを引きつけるなんて、
そんなこと初耳はつみみです。
彩女あやめさんが何かを持っているなら、
それはひたむきさかしら――
周防すおう彩女あやめ
彩女あやめは怪人に好かれるのですか?
何だか怖いです、怖いのですが、
わくわくもしますわ!
式部丞しきべじょう
ふむ……不思議な子だ。
君という人は。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、現在四谷よつやですね。
公務電車、四谷塩町よつやしおまちに停まっています。
――あっ、隊長!
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
おい、風魔ふうま
歩一ほいちはどうした?
刑部おさかべ大佐がお待ちだぞ!
一旦いったん、本部へ帰還するんだ、
今すぐにな!
式部丞しきべじょう
どうやら、かなりご迷惑を
お掛けしてしまったようですね……
でもこの借りは、
必ずお返しできると思いますよ。
それもかなり近いうちにね。

周防彩女すおうあやめ

 式部さんの古書店、セルパン堂で店員を務める女学生。とはいえ、いつ見ても式部さんの傍にいるため、本当に学校に通っているのかは疑問が残る。
 式部さんに負けず劣らずの読書家であるようで、彼の知識をぐんぐん吸収しているようである。さまざまな種類の本を読むようだが、特に「オフィーリア」という名の耽美系の雑誌を好むようである。



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百貨店の人造人間 ADV版

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