第九章 第十二話 冬至の朝

太陽は蛇遣へびつかい座の南西から東に移動して、愈々いよいよ射手座に入る――
明日、午前三時三十七分には冬至を迎える。日の出は六時四十七分、日の入り四時三十二分――
この一年で最も昼の短い日となる。

〔山王ホテルロビー〕

心なしか普段の年に比べクリスマスの飾り付けも控えめな山王ホテルロビー。
12月22日、日曜日の夜ということもあり、客の姿はなかった。
役所からの要請もあり、レストラン等の夜の営業時間は9時までとされていた。

【喪神梨央】
兄さん――
無理を言ってすみません。
どうしてもお話したいと――

ガランとしたホテル玄関から、新山和斗が足早にやって来た。

【喪神梨央】
新山にいやまさん――
【新山和斗】
僕の記事、すごい反響ですよ!
新しい世界が生まれるという――
編集でも大騒ぎです。
【喪神梨央】
新山さん、
どこからそういうネタを?
【新山和斗】
いやね、兄貴のメモにね、
アタラシキアメツチヒラカレリ――
そうあったものですから。
【喪神梨央】
メモに書いてあったんですか?
【新山和斗】
鉛筆の跡がね、へこむじゃないですか、
それをなぞって見ると文字が……
フフフ、僕は抜け目ないですよ!
【喪神梨央】
そんな落書きだけで、
興亜日報に特報打ったんですか?
【新山和斗】
きっかけは小さなことでもいい、
事件とはほぼそういうものです。

――それで……
誕生するという新世界に、
我々も行けるわけですか?
それとも選別がなされる――
そもそも新世界は、
この地上に生まれるのですか?
それとも……
【喪神梨央】
あんなに報じておきながら、
よくわからないわけですか?

山王機関本部から新山眞がやって来た。
手に風呂敷に包んだ箱のようなものを持っている。

【新山和斗】
兄さん!
さては兄さんも――
【新山眞】
和斗、お前は勘は鋭いんだが、
辛抱しんぼうが足りんな――
【新山和斗】
僕たちはね、時間との戦いなんだ。

で、兄さん、その箱は何ですか?
また何かの計測器ですか?
【新山眞】
ああ、これは大変なものだ。
セヒラを計る装置だな。
世界軸の歪みを観測する――
【新山和斗】
セヒラ量子?
世界軸?
これまた新理論ですか――
【新山眞】
米粒大ほどの臨界セヒラが、
最終的には新しい宇宙を生む、
その一部始終を観測するのだよ。
ヤスパース=クルーガー効果――
観測に成功した学者の名前だ。
超ベンヤミン現象とも言うが――
【新山和斗】
兄さん!けむに巻くつもりですね!
僕はねこの目で見て、
この手で記事を書く。
【新山眞】
その脚でおもむくことを忘れるなよ。
【新山和斗】
言われなくても――
それじゃ、失敬します!

新山和斗は足早に去って行った。

【新山眞】
やれやれ……
せいぜいブンヤを喰われないよう、
気をつけないとな、彼奴あやつも――
【喪神梨央】
新山さん――
セヒラ量子とか、
そんな難しい話があるのですか?
【新山眞】
セヒラ量子論はありますが、
私はからっきしの門外漢もんがいかんですよ。

そう言うと眞は風呂敷を解き、箱の蓋を開けた。

【新山眞】
これは例の魔鏡まきょうです、完成しました。
ゼーラム五ニ五を塗布とふして、
愈々いよいよ、鏡が常態を取り戻した、
つまり魔鏡となったのです。

【新山眞】
私は本部で待機します。
なにせ冬至は明日ですから。

【喪神梨央】
兄さん――
レーネさんがお話があると。
私も本部にいますね。

梨央の去ったそのタイミングで藤沢レーネがやって来た。
レーネは風魔を認めると歩調を落とし、そしてゆっくりと近付いた。

【藤沢レーネ】
表は満天の星空ですわね。
明日はきっといいお天気ですわ。

実は……
ここだけのお話なのですが――
露西亜ロシアが秘密結社を使って、
満洲転覆てんぷくを計画しています。
李景明りけいめいさんからの情報です――

李景明りけいめいから寄せられた情報では、満洲は関東地方にソ連軍を侵攻させ、白系露西亜ロシア人の拠点きょてんを確保する計画があり、その準備のために新京シンキョウ露西亜ロシア人秘密結社、ウートロシーリが結成されたという。

【藤沢レーネ】
ウートロシーリの日本要員は、
ウラジミール・グロトフという、
露西亜ロシア人が務めます。

露西亜ロシア人グロトフはご存知ぞんじですよね。
是枝これえだ咲世子さよこさん宅の書生でした。

もう一人、グロトフが徴用ちょうようした、
露西亜ロシア人司祭がいます。
この二名が今夜連絡します――

ホテル玄関からに二名の背広姿の男性がやって来た。彼らの身のこなしには無駄がない。
二人は藤沢レーネの後ろに付いた。

【要員Q】
司祭が東洋ホテルを出ました。
円タクで下大崎に向かいます。
【要員R】
運転手が前照灯ぜんしょうとう合図あいずを――
点滅が二度ありました。
【藤沢レーネ】
つまりは二番目の目的地ね。
――それが下大崎――

連中、牛頭ごず機構と結託けったくしている、
その情報があります。
後の話は車の中で――

グロトフが徴用ちょうようした司祭は、イーゴリ・ゲラシモフという。
本業は日満を行き来する雑貨商だった。
その二名が今夜、下大崎で連絡する。
それを捕獲するのがこの計画だった。

警護に牛頭ごず機構から
要員が出ている――

その噂もあり、レーネは風魔ふうまの同行を頼んだ。

【藤沢レーネ】
N計画の阻害そがいということでは、
露西亜ロシア人結社も牛頭ごず機構も、
利害の一致があるはずです。

急なお願いで、
申し訳ありません――

〔下大崎〕

日曜夜更けの下大崎は静まり返っていた。車のドアを閉める音がやけに大きく響く。

【藤沢レーネ】
喪神もがみさん――
一人の日本人が来ます。
気を付けてください。この先で二人のロシア人を捕縛する手筈です。
今、邪魔が入ると……

レーネの視線の先に一人の着物姿の男性の姿があった。男性は寒空の下、コートも羽織っていない。
男性はゆっくりと近付いてくる。
顔に薄笑いを浮かべていた。

【牛頭機構関東会構成員G】
牛頭機構ごずには粗野そやな連中が多く、
ご迷惑をおかけしていますね。
うちは新京シンキョウで料亭を営み、
日満の親睦しんぼくにこれつとめるわけです。
そこへ猶太ユダヤやからを住まわすなど、
全くの無用の策というもの!
――そうではありませんか?

山郷某やまごうそれがしは姿をくらませた。
何か計略でもあるのでしょう――
ただ、時間がない!
いろいろ情報はつかんでいます、
露西亜ロシア人らの目も節穴ではない。

明日、託言たくげんが明かされる――
それを是非ぜひ知りたいものです。
さぁ、ここはお引き取りください。

風魔の脇に音もなく先程の背広姿の男性が来た。その様子を見た着物姿の男は、やおらセヒラを集め始めた。
二人の背広姿は素早く退いた。

【牛頭機構関東会構成員G】
そういうわけにもいかないと――
それは残念です!

《バトル》

【牛頭機構関東会構成員G】
露西亜ロシア人をふうじても、
まだ我々がいますよ――
想定外の数がね!

建物の角から二人の聖職者が現れて立ち止まった。
そして静かな声で告げる――

【要員X】
私はです。
露西亜ロシア正教の神父です。
【要員V】
私はです。
露西亜ロシア正教の司祭です。

そう言うと、二人はまた建物の影に隠れてしまった。
車に戻った風魔にレーネが言う。

【藤沢レーネ】
首尾よく捕縛出来たようです。
本物のグロトフとゲラシモフは、
憲兵隊本部に向かいました――
近く満洲国軍憲兵に継がれます。
今の二人は替玉として、
ウートロシーリと連絡します。
これで無事に明日を迎えられます。

喪神もがみさん――
ありがとうございました。
山王さんのうへ戻りましょう。

藤沢レーネの運転する車で山王さんのうホテルへ。レーネは重ねて礼を述べた。
明日はホテルの部屋で静かに待機するという。

〔山王機関本部〕

山王機関本部では梨央がじりじりしながら待っていた。
湯呑みの茶はすっかり冷めている。

【喪神梨央】
兄さん!
突然いなくなるから心配しました!
あのグロトフさん――
露西亜ロシアの秘密結社って、
ぜんせんそんなふうじゃ――

魯公と眞が奥から現れた。

【帆村魯公】
連中が明日のことを、
聞き及んでおったとはな。
どこかられたことやら。
【新山眞】
冬至を特別な日とする風習は、
世界中にあります。
こちらの動きを探れば――
【喪神梨央】
想定はできたということですか。
でも魔鏡のことは知られていません、
そうですよね、新山さん!
【新山眞】
勿論もちろんです!
ようやく鏡は安定しました。
備えは十分でしょう。
【帆村魯公】
鏡に付随していた文書によると――

マナイノカガミハ
ソレノサマ ウルワシクテ
モロカミタチノ
ミココロニモアエリ――

【喪神梨央】
ひとつあらかわたらして詰まる――
その朝、言葉がしめされるのです。
それからレーネさんの言う、
冬至とうじの朝陽が示す支族の帰還――
冬至とうじ、朝陽、鏡、それから――

水辺です!
範奈はんなさんがお姉さんから伝えられ――
このあたりで水辺といえば……
【新山眞】
清水谷しみずだに公園ですかな。
あるいはお堀、外堀――
あまり水辺という感じじゃないです。
【帆村魯公】
清水谷しみずだに公園か――
よし、梨央りお、連絡だ。
わしは宮司ぐうじと殿下に伝える。
【喪神梨央】
私、範奈はんなさんに伝えます。
電話、渋谷局です――
【新山眞】
電話をお持ちなんですね、
お宅で電話なんてすごいですね!

【帆村魯公】
ところで、明日、天気だがな、
中野の気象部に問い合わせてみた。
今日と同じ冬晴れだそうだ。
【新山眞】
明日も西高東低の冬型です。
北西ノ風、晴、寒サ厳シ――
予報にはそうありました。
【帆村魯公】
よし、早速連絡だ。
新山にいやま君、君は鏡を持って、
奥で休んでくれ。
【新山眞】
承知しました。
【帆村魯公】
風魔も本部に待機してくれ。
わしはもう一度――
(気象部の当直と話そう……)

昼、強く吹いていた北風はんでいた。
あと1時間ほどで
冬至の日を迎える時刻、
帝都は夜の闇の中に沈んでいた――

〔清水谷公園〕

夜が明けた――
1935年12月23日、冬至。
帝都は雲一つない冬晴れであった。
清水谷しみずだに公園には、多加美たかみ宮司、
そして廣秦ひろはた範奈はんなが集まっていた。九頭くずの手配した兵が規制線を張っていた。

【九頭幸則】
なぁに、ちょいと気をかせて、
隊から兵を調達したってわけだ。
梨央りおちゃんに聞いたら、
今日が予言だかが現れる日なんだろ?
俺も付き合うぜ、
ここまで来たんだからな!
【新山眞】
まだ確かなことは何も――
ただ試すだけのことはあるかと。
さぁ、参りましょう!

大久保利通碑の先に心字池しんじいけがある。
池の端に多加美宮司と廣秦範奈が立っていた。

【多加美宮司】
範奈はんなさんは先日、満洲から戻られ、
今日の日に備えておいでです。
【廣秦範奈】
父と、姉と、言葉を交わしました。
姉と私には
たくされたものがあると――
それが何かはわかりません。
【多加美宮司】
廣秦ひろはたさんの出自からすると、
やはり失われた支族に繋がること、
そうだと考えています。
【廣秦範奈】
姉と私とで為すことがあると――
父はそう姉に伝えたようです。
【多加美宮司】
お姉さんはこちらにおいでですか?
【廣秦範奈】
いえ――
ですが繋がると思います、
おそらく、きっと――
【新山眞】
ちょうど陽も差してきました。

そう言うと新山はおもむろに鏡を取り出し、明るい朝陽をその鏡面に受けた。鏡は眩しく輝いている。

【九頭幸則】
どうなってるんだ?
――何も映らない……
【多加美宮司】
水です、水面を照らすのです!
範奈さんは水辺でと仰っています。
【廣秦範奈】
――姉さま……

新山は鏡面で受けた朝陽で、公園の心字池の水面みなもを照らした。
わずかに水面が小波立っている――

【九頭幸則】
あっ!
池の水面が――

池の水面に光が集まり、やがて水面自体がまばゆく輝き始めた。
池から放たれた光は
周囲を包み込む――

【廣秦範奈】
――姉さま……
おいでになるのですね――
姉さまのこと、感じます――
もっと……そばに……
おいでください――

廣秦ひろはた範奈はんなは姉を迎えたかに見えた。
しかしすぐに光はついえてしまった。

【新山眞】
見てください!
池です、水面に何かが見えます!
【多加美宮司】
あれは……
何かの文字……
【九頭幸則】
なんて書いてあるんだ?

それこそが範奈はんなと姉にたくされた言葉、
まさしく託言たくげんであった――

【多加美宮司】
すえ有り、に在りて――
【九頭幸則】
何ですか、そのとは?
【新山眞】
それがメ、シ、アだとすれば――
メシアとは救世主のことです。
ですが池に現れた託言たくげんは、
場所を示しているようにも――

【多加美宮司】
範奈はんなさんはどこですか?
【九頭幸則】
あれ、今さっき、ここにいたのに!
【新山眞】
さっきのまばゆい光の中で、
消えたようにも見えましたが――
【九頭幸則】
公園の山手の方を探してくるよ!

【多加美宮司】
すえとは末裔のことですね、
それがすなわち救世主ということです。
私はそう読み解きますが。
【新山眞】
その救世主はどこにいるのでしょう?
待てば姿を見せるのでしょうか?
【多加美宮司】
あっ!
見てください、池の字が消えます!

池の水面に現れた文字は、見る見る薄くなり、小さな波紋はもんを残して、跡形もなく消えてしまった。

【新山眞】
託言たくげんらしきは確認できました。
ひとまず戻りましょう。

鏡ですが……
表面がくもってしまいました。
もう霊力が失われたのかも――

風魔ふうま新山眞にいやままこと多加美たかみ宮司とともに、山王さんのうホテルへと戻った。九頭くずは兵に指示を出して範奈はんなを探すという。

〔山王ホテルロビー〕

【喪神梨央】
兄さん!
隊長がお待ちかねです!
【帆村魯公】
柴崎しばさきがいみじくも言っておったな、
地震でセヒラがいたようなことを。
それで思い出したんだ、
仏蘭西フランスの地震学者シャルボー氏をな!

シャルボーは前回の乙亥きのといの年、1875年、明治8年に波動を観測。
しかしそれは地震のものではなかった。

【新山眞】
セヒラの波動を観測したのですね。
その後に大震災が起きています。
もしやセヒラが地震を招いたとか?
【帆村魯公】
わしもそれが気になって、
気象部の宿直しゅくちょくに聞いたんだ、
この六十年の地震記録を――
【新山眞】
それで、どうだったんですか?
セヒラの波動と地震の関係は?
【帆村魯公】
それが特にはなかった。
やはり柴崎しばさきが触れた関東大震災――
それが、何というか……
【新山眞】
特異点といった言葉があります。
波形では特異点で変調して、
別な波形に変わるのです。

【喪神梨央】
範奈はんなさんの言葉――
確かメシアに在りですよね?
【帆村魯公】
何か地震に因む言葉なら、
場所の特定ができたのだが――
【多加美宮司】
地震……
地震!
まさかとは思うのですが――
【帆村魯公】
どうされましたかな?
【多加美宮司】
はい……
語感が似ているのですが、
メヂアンというのがあります。
【新山眞】
メヂアン?
何ですか、それは?
【多加美宮司】
中央構造線です。
メヂアン線とも言いますが――
日本列島の中央を貫く巨大な断層で、
数多あまたの地震震源地でもあります。
【帆村魯公】
梨央りお、列島の地図だ!

梨央が作戦卓の上に地図を広げ、一堂は見入っている。

【多加美宮司】
メヂアン線は九州から四国、
紀伊きい半島を横断して中部へ、
茨城の鹿島かしまで終わっています。
この地図で見ると――

【新山眞】
この地図は……
わざわざメヂアン線を書き入れた?
そういう地図なんですか?
【喪神梨央】
いえ、ただ本部にあった地図です。
こんな線、ありませんでしたよ。
――おかしいですね……
【多加美宮司】
メヂアン線の上には、
今では多くのおやしろが建ちます。
断層が暴れないように抑えるのです。

諏訪すわ大社もその一つとされています。
千葉の香取神宮や茨城の香取神宮、
それら官幣かんぺい大社も
線上に建ちます――
中でも鹿島かしま神宮は、
構造線を要石かなめいしで封じているとされ、
いくら掘っても石の根は見えません。
【帆村魯公】
確か光圀みつくに公が掘るのを命じた、
でも断念したのですな。
【新山眞】
それにしても――
メシアがメヂアンなんですか?
メヂアンに在りというと――

キロにも及ぶ構造線のどこかに、支族しぞく末裔まつえいがいる、そういうことなのでしょうか。

【多加美宮司】
ああ、そうです!
長野にも構造線のほぼ上に建つ、
御蔭みかげ神社があると聞きます。

その時である――
多加美たかみ宮司の手にする地図に
光が走った。
まるでナイフでいたかのように――

【新山眞】
これは……
地図に霊異りょういが発現したのですか!
【帆村魯公】
メヂアン線と交差するこの線は――
一体、何ですかな?
【喪神梨央】
丹後半島です!
先日、お出になった京都、
このあたりではありませんか?
【多加美宮司】
そうです!
元伊勢、この神社の外宮、
真名井まない神社、まさにこの場所です!
【喪神梨央】
東の端は――
帝都ですよ、ちょうど……
日枝ひえ神社の辺りです。

山王機関本部にサイレンの音が鳴り響いた。

【帆村魯公】
何だ、今度は!
サイレンが鳴ってるぞ!
【喪神梨央】
すぐ調べます!!

〔山王ホテル前〕

サイレンが鳴ったのは、ホテルに執事型ホムンクルスが来たからだ。
梨央りおの要請で風魔はホテル前で対峙たいじした――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください!
――新型の波形が観測されます!

【執事型ホムンクルス】
異変!ウンファール異変!ウンファール
コウジン――
異変!ウンファール

【着信 喪神梨央】
セヒラの値が――
急になくなりました!
彼ら、戦うようではなさそうです。
【着信 帆村魯公】
連中は伝えに来たのだ!
虹人こうじんに異変と言っておるぞ!
三宅坂みやけざかへ向かってくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館、すぐ近くですが、
公務電車出します!

地図にしるされた二本のライン――
その交点に御蔭みかげ神社があると宮司が思い出す。
かつてそこに勤めていた
巫女みこがいた――
その名を白金江しろかねこうという――

【着信 喪神梨央】
兄さん!
白金江しろかねこうとは虹人こうじんさんの……
虹人さんのペンネームです!

〔アーネンエルベ〕
【聖護院丸】
先程、虹人さんがいきなり――
いきなり大声を上げて、
地下の講堂に駆け込んだのです。
講堂に行くと、
虹人さんの体から光が――
光がほとばしっていたのです!
【鳴滝丸】
あの光はクラウフマンこう――
ユリアさんが付き添っている。
クラウフマン光は、
カー体が崩壊するときに出る光だ。
――一体、何が起きたんだ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館近辺で、
異常な波形を観測しました!
セヒラの値は通常ですが、
注意してください!

〔アーネンエルベ講堂〕

そこにはたして虹人の姿があった。
虹人は苦しそうに腰を折り肩で息をしていた。何よりもその体、まるで桃色の光背を現すかのように光を放っている。
虹人を見守るようにして二人のユーゲントがいた。

【上賀茂丸】
さっきからずっとこうなんだ!
ユリアさんが原因を調べると――
この光は危ない光なんだ!
【化野丸】
喪神さん!
虹人さんはどうなるんでしょうか?
この二日ほど、
頭が痛い、割れそうだと――
喪神さん!!
それから……
多分ダンテの神曲だと思う、
憑かれたみたいにつぶやくんだ――

三つの咽喉のどある暴戻ぼうれい
巨怪チェルベロいぬのごと
奈落の民にゆるなり

【帆村虹人】
風魔!
――僕の中に何がいるんだ?
悪魔でも飼うのか――
僕は、僕は、僕は!!

風魔の目に虹人の見てきた光景が映し出された。

「はじめまして、咲世子さん。
 是枝大佐には――

「ところで、僕たちは似た者同士――

「僕の哀れな感情は、翼を痛め、
 飛ぶことができない――

「……実を言うと
 僕は貴紙の投稿者です。

「僕の中には冷まさなきゃいけない、
 そういうものがあるんだ――

「僕が参加するのは今夜で二回目だ。

「僕は今、混迷の中にいる!

「そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!

「踏み出す一歩は
 見えているのだが――

世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
そこへユリア・クラウフマンが姿を見せた。虹人を見るユリアの目は見開かれている。

【ユリア・クラウフマン】
コージンの中から、
何かが生まれようとしている――

カー体の臨界光にそっくり……
でもまったく別物のよ。
何かの終わりであることは確かね。
カー体の崩壊は二万年以上――
だから誰も臨界光は見られない。

コージンの光は……

虹人は相変わらず光を放ちながら腰を折っている。ユーゲントの姿はなかった。

【ユリア・クラウフマン】
見て、フーマ!
あれは……ヴェアーなの?

虹人の放つ光が凝集して人の形をなしつつある。それは少女の姿であった。まるで虹人そのものが光となって少女の姿を成すかのようである。
やがて虹人の体が透けながら消え、講堂には光の少女だけが輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
消えた……
――フーマ……
コージンが……消えた……

光の少女は一層激しく輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
まさにカー体が崩壊するときの光、
そのものです――
似た現象が起きているのですね。

何かが崩壊し、
何かが生まれようとしている――
カー体よりも何万倍もの強い力、
それを感じます――

そこへユーゲントが走り込んで来た。

【嵯峨野丸】
大変だ!
大使館の玄関に……

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
表よ! 行きましょう!

〔独逸大使館〕

独逸大使館前に一人の少女が立っていた。白いワンピースドレスを着ている。
少女は大使館の玄関を凝視していた。
そのとき、大使館の中庭から芽府須斗夫がやって来て、少女の脇に立った。

少女はゆっくりと
芽府須斗夫の方を向く。

【芽府須斗夫】
もうじき名前を思い出す……
きっとそうだよ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは……

芽府須斗夫を見てユリアは怪訝そうな表情を浮かべた。

【芽府須斗夫】
僕は名前を思い出した。
元の古い名前の方だ。
それも完全じゃないけど――
【ユリア・クラウフマン】
名前を忘れるとどうなるの?
【芽府須斗夫】
やって来られなくなるんだ。
途中で止まってしまうとか、
いろいろ言われているよ。

名前を失念した、
そういう人に会ったことがある、
ついこの間ね。

【ユリア・クラウフマン】
あなたはどんな名前なの?
【芽府須斗夫】
メフィ……スト……
【ユリア・クラウフマン】
メフィスト……
【芽府須斗夫】
フェレス!
メフィストフェレスさ!
これで全部思い出した。
【ユリア・クラウフマン】
メフィストフェレス――
ファウストの……悪魔……

――あなた、そうなの?
【芽府須斗夫】
僕は伝承の中にいた。
どのみち人が生み出したものだけど。

そしてここに来た――
呼ばれて来たはずだけど、
行き先の名前を忘れたんだ。

でも元の名前を思い出した。
名前は自分で思い出さないと、
駄目なんだよ、
教えてもらっちゃ駄目なんだ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたの話には興味がある――
ゆっくり聞かせてね。
【芽府須斗夫】
わかったよ――

それで、ここに来るのは、
どこの誰なんだい?
この子の元にも誰か来るんでしょ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!
今まで何も観測しなかったのに。

少女の周囲にセヒラが集まり、見る見る濃さを増していく。
やがて何も見えなくなってしまった。

〔時空の狭間〕

【芽府須斗夫】
聞いていいかい?
君は誰なの?
どこから来たの?

芽府須斗夫が少女に語りかけている。
少女は芽府須斗夫の方を見ないまま静かに答える。

【???】
シ、ロ、カ、ネ――
――コ、ウ――
【芽府須斗夫】
シロカネコウ――
それが君の名前だね?
元の名前なのかな?
【シロカネコウ】
モ、ト、ノ……
――ナマエ!
【芽府須斗夫】
そうだよ、
ここに来る前の名前なのかって、
そういう話さ。
【シロカネコウ】
マンナカノ、ナマエ!
――シロカネコウ!
【芽府須斗夫】
シロカネコウがいつの人か、
それは知らないけど、
君自身はもっと前の人なんだね?
【シロカネコウ】
――イャシャン……
――フルイ
――アルツ
【芽府須斗夫】
これは驚いた!
君は幾多いくたの思念の重なった存在、
そうなんだね?
長い時間の中を抜けて、
ここにたどり着いたんだね!
――今まではさっきの人の……

時空の狭間にセヒラを纏う虹人の姿が映し出された。

【帆村虹人】
風魔――
今の僕はまるで抜け殻だよ。
自分の内側がすっかり剥がれて、
僕は薄っぺらな皮一枚だ。
お前を思ったりする気持ちは、
どこから湧いてくるんだろうか?

僕の気持ちはお前の中につちかわれる、
きっとそういうことだよ――

そういうことだよ――

【帆村虹人】
僕を追い出して、何かが来る――
風魔、気を付けるんだ!
もうこれはじゃないから!

そう言うと、虹人の姿は消えた。
その時、芽府須斗夫が叫んだ。

【芽府須斗夫】
何か来るよ、
とても強いものが!

見ると少女はセヒラに包まれている。
それは、やがてひとつの形を成そうとするかのように蠢いていた。

《バトル》

少女の体は希薄になり、やがて消えた。
始終を見ていた芽府須斗夫はおもむろに口を開いた。

【芽府須斗夫】
遠い過去の思念が繋がった――
途中、色んな人の念を吸収して。

この世界に大きな影響を与える、
それだけは間違いないよ。
世界を変えるほどの力が、
ほうぼうに生まれそうだね。

僕も自分の理由が思い出せそうだ!

独逸ドイツ大使館の霊異りょういは去った。
光が消え、虹人も消えた。
遠い過去から繋がった思念――
それは自らを白金江しろかねこうと名乗った。
まるで虹人を依代よりしろとしていたかのように。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さんの行方、
幸則ゆきのりさんが指揮して探すそうです。
将兵二百余人を動員するとか――

白金江しろかねこうさん――
本当にいたんですね。
【新山眞】
多加美たかみ宮司の話では、
長野の御蔭みかげ神社には、
白金江しろかねこうという巫女さんがいたと――
ただし二十年ほど前のことで、
今では無人のやしろだそうです。

まさに交点に建つのです――
真名井まない神社と日枝ひえ神社を繋ぐ線、
これはマナセ一族にちなむ線、
マナセ線と呼んでいいでしょう。

中央構造線とマナセ線、
二つの線の交点に、
まさに御蔭みかげ神社はあった。

中央構造線にすえ在り――

託言たくげんは告げる。
諏訪すわから秋葉街道を南へ、
四十キロほど下った山中である。

【喪神梨央】
失われた十支族の末裔まつえい
それが白金江しろかねこうなんですね。
――でも今は思念のような存在……
【新山眞】
遠い過去から繋がった思念ですね。
途中、多くの人の思念が合わさり――
【喪神梨央】
皇女和宮かずのみやの思念の時みたいです。
でもあの時と違うのは……

虹人さんの中に宿やどっていたことです!
虹人さんが狙われるかも知れない――
兄さん!
【新山眞】
明後日、先帝祭が終わって、
日付が変わると……
愈々いよいよ日蝕にっしょくが起きます――
そのとき、新しい天地あめつちが――
ただ待つしかないのでしょうか?

【喪神梨央】
――隊長……
さっきから黙りこくって、
どうされたんですか?
【帆村魯公】
虹人じゃ――
奴はいつそんな霊異りょういを備えたのか?

――もしやあの時……

失われた猶太ユダヤ十支族の末裔まつえいは、
白金江しろかねこうという存在として
虹人に継がれた。

真名井まない神社の魔鏡は霊力を失い、伝えられた冬至の日は静かに過ぎていく。

予言の語る日まで三日も残っていなかった。

第八章 第十話 滾る憎しみ

〔山王ホテルロビー〕

その日、山王さんのうホテルには多加美たかみ宮司の姿が。真鏡に付随する三篇の古文書こもんじょについて、残すは愈々いよいよあと一篇であった。

多加美たかみ宮司】
紫水しすい会館の古文書こもんじょは、
やはり冬至についてのことでした。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル

アラカとは宮のことですね。
ヒトツノ アラカ……
最初の宮ですね。
冬至は太陽の死であり、
同時に再生する日でもあります。
だから最初の宮となります。
京都帝大の方の古文書こもんじょ
見つかり次第、連絡が来るはずです。

ホテル玄関から廣秦ひろはた範奈はんなが入ってきた。風魔のところへ真っすぐ歩いてくる。

【廣秦範奈】
喪神もがみさん……
鍛冶橋かじばしの事務所で――
多加美たかみ宮司】
鍛冶橋かじばし……
もしや、志恩しおん会の――

多加美たかみは、自分は山郷やまごう武揚ぶように見限りを付け、今では風魔らに協力していると述べた。そして東雲しののめ流再興を手伝うのだとも。

【廣秦範奈】
如月きさらぎ鈴代すずよさんの決意は、
るがないのですね――
志恩しおん会では六世紀中頃、
ちょうど武烈ぶれつ天皇統治時代、
日本に渡ったマナセ一族を探します。
久志濱くしはま一族と呼ばれていて、
生糸きいとの生産にたずさわっていたようです。

喪神さん――
その志恩しおん会なのですが、
タイピストの女性から連絡があり――

タイピストが言うには、志恩しおん会の事務所から異音がするとのこと。風魔は範奈はんなとともに鍛冶橋かじばしへ向うことに――

範奈、風魔を乗せた公務電車は数寄屋すきや橋電停を通過、その先の鍛冶橋電停に着いた。

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫ですか?
いきなり出かけるって言うから……
大慌てて公務電車の路線、
押さえたんですよ!

【廣秦範奈】
タイピストの女性が言うには、
志恩しおん会の事務所、人がいないのに、
人の気配がすると……
私も何度か、
同じような経験をしました。

そこへ白衣姿の人物がやって来た。頭には反射鏡を着けたままである――

【猫憑き】
ニャ~……
アンタもこの人の仲間ニャ?
この人、大っきな隙間すきまあるニャ。
おいらだけじゃスッカスカ!
おいら、猫の政次郎ニャ!

――言わんこっちゃないニャ!
誰か来るニャ!
ものすごい速さで来るニャ。

ひゃ~……
おいら、弾き飛ばされたニャ!!

白衣姿の男は呆然と立ちすくんだままだ。男の背後にアストラルが現れた。アストラルを透かして鍛冶橋の町が見えている。

【???】
FUMAサン……
JEREMIAHエレミヤデス……
ワカリマスカ?

【エレミヤの思念】
私ハ コンナニ ナリマシタ……
BUT心ニ JUSTIS!!
伝エタイコト I HAVEデス
【廣秦範奈】
エレミヤ……さん……
エレミヤ佐古田さこたさんですね?
――銀行家の……
【エレミヤの思念】
範奈はんなサン……
おお範奈はんなサン……
貴女にまつわるVERY大事なこと!
とても大事なこと――
I HAVEなのです。

でも今は話せません――
FUMAサンにお会いして、
I TALKしたいです!
来てください――大連ダイレンです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンで、
I WAITしています。

アストラルが消えた。白衣姿の男ははっと我に返った。

【本郷の内科医】
ここは……どこですか?
私、白山上はくさんうえの電停にいた、
それまでは覚えていますが。
その後のことは、ちょっと――
やれやれ……
これで今年になって十六回目です。
しっかりしなきゃです。

白衣の医者は何やらつぶやきながら歩き去った。暫く見送っていた範奈だが、軽く深呼吸をして風魔に向き直る。

【廣秦範奈】
私にまつわる大事なこと――
それって何でしょうか?
【着信 喪神梨央】
ゲートの準備できています。
はらえのへお越しください。

祓えの間からゲートを潜り帝都満洲へ。帝都満洲鉄道あじあ号に乗るや、列車長から案内があった。

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンに再びわだかまる存在が――
これまでになく大きいですね。
さて、本列車ですが、
先程、定刻ていこく通り目黒奉天ホウテンを通過、
まもなく碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着です。

〔碑文谷大連〕

【演説家アストラル】
蹶起けっきせよ、将兵諸君!
――ああ、もっと声を張り上げて……
えー……
世相の頽廃たいはい、人身の軽佻けいちょうがいし、
国家の前途に憂心ゆうしん覚えありしが――

だめだな……
登米川とめがわ先生のようにはいかない。

【作家志望アストラル】
記念すべき第一回茶川賞で、
なぜ、僕の小説が落選するんだ?

「ケッケッケ――
怪人三面相は不敵な笑い声を上げた。
それを見た彼女は一段とおびえた!

この後、どんな展開を見せるか、
知りたくないかい?
フフフ、くまなく教えてあげるよ!

おびえた女は突如とつじょ大蛇だいじゃと化した!
そして怪人三面相の体に巻き付き、
ぐいぐいと締め上げた!

「怪人三面相は
憤怒ふんぬ形相ぎょうそうとなった。
しかしすでに手遅れだった――
怪人は青ざめて動かなくなった。

どうだい!
予想外だったろう!
僕は絶対に諦めないからな!!

作家志望のアストラルが去ったのと入れ違いに、三体のアストラルがやって来た。

【伊班R隊員アストラル】
ん?
貴様は……
さては将校か!
ならば心しておくように。
我々玄理げんり派は二班で構成される。
第一の班は班、
元召喚小隊、暁光ぎょうこう召喚隊の隊員ら、
およそ三百名だ。
第二の班は班、
歩三附きの一般将兵ら、
およそ五百名から成る。
玄理げんり派は腐敗国家日本を革新すべく、
多くの血盟者けつめいしゃを迎えている――

【露班O隊員アストラル】
現代日本においては、政党政治家、
財閥ざいばつ及び特権階級のいずれも、
腐敗ふはい堕落だらくはなはだしい。
国家観念をなくし、国家滅亡の、
恐れあるに至らしめたるとし、
愈々いよいよ廓清かくせいつるぎを掲げんとす――
農山漁村の窮乏きゅうぼうを見よ!
小商工業者の疲弊ひへいを見よ!
我国の現状、黙視し得ざるものあり!!

【伊班T隊員アストラル】
貴様は陸士か?
我々、玄理げんり派に加わりたくば、
次の問に答えよ!!

一、歩兵の本領ほんりょう及戦闘手段
一、軍紀について
一、軍人聖心せいしんの意義
一、国防の最良手段
一、勅諭ちょくゆの紀元
一、連隊の歴史
一、四大師しだいし
一、ファッショ
一、現代世相に対する観察

如何どうだ?
続けるぞ、次の趣旨しゅしを述べよ!

天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
――
貴様、貴様のような輩の存在が、
国体を減衰せしめるのだ!!

《バトル》

他二体のアストラルは姿を消していた。

【伊班T隊員アストラル】
武士もののふの道は違はたがわいつの世に
いずくの野辺のべ
つゆゆとも

義憤に燃えたアストラルが消えると、風魔を呼ぶ声がした。

【???】
FUMAサン……
こっちです、こっち……

一体のアストラルがぽつんと浮かんでいた。

【Jアストラル】
FUMAサン……
とても深いところから、
上がってきた人、MEETです――
昔、志恩しおん会の代表をされていた、
廣秦ひろはたサンです――
廣秦ひろはた伊佐久いさくサンです!
そうです……
廣秦ひろはた範奈はんなさんのお父さんです。
今、おいでです――

その言葉に誘われるように、中型のアストラルがやって来る――

【Kアストラル】
範奈はんなを……範奈はんなを知る者か?
――私は……古賀こが容山ようざん篆刻師てんこくしだ。
古賀こが篆刻てんこくを守る私は――

あああ……
ここでは自分を保てない――
私は……私は……

アストラルは揺らいでいた。

幻の五石を求め旅に出た――
自然珪じねんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石もんせき
玄武晶げんぶしょう――
私は多くを求めすぎたのだ。
範奈はんなが生まれる三ヶ月前のことだ――
私は……ちたのだ……

以来、私は思念を飛ばし、
廣秦ひろはた伊佐久いさくとして活動した。
志恩しおん会の一事務員にいたのだ。

アラヤ界の深くをめぐる、
孤独な念と出会ったのが始まりだ。
失われた支族を求めれば戻れる――
その念は私にそう伝えたのだ。
私はその言葉を信じて……
――ああ、だめだ、保てない!!

アストラルが大きく揺らいだ。

《バトル》

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
範奈はんなを呼びたい。
どうかなかだちをしてくれないか。
世界の底を漂い、
私は多くを見てきた。
失ったもの以上のものを得た!!

そう言い残すとアストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
範奈はんなさんのお父さん、
アストラルだったんですね!
碑文谷ひもんや大連ダイレン依然いぜん、セヒラ観測中。
でも今は安定しています。
ひとまず帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、隊長が――
参謀本部から戻られました。
【帆村魯公】
玄理げんり派がいつの間にやら、
一大勢力となっておった。
【喪神梨央】
班、班と言っていました。
【帆村魯公】
うむ……
暁光ぎょうこう召喚隊を中心に班、
歩三将兵で構成する班だ。
玄理げんり派は地方出身の青年将校らの、
不満を刺激し、彼らを錬成れんせいしおった。
状況次第では蹶起けっきも辞さない、
その勢いだそうだ……
玄理げんり派は登米川轍とめがわわだちという
予備役の革命論者と接触を深めて、
革新の大義を掲げておるようだな。

ただ、常田つねだ大佐に大義などない。
覇権はけん確立を狙うばかりだろう。
将校らはうまく利用されておる――
【九頭幸則】
歩一の将兵にも、
玄理げんり派に血盟けつめいする者があると、
内偵ないてい調査が入りました。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、
政治や財閥の腐敗には、
義憤を感じないのですか?
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん――
いきなりふっかけるなぁ。
いや、感じなくはないけど――
天之道不而善勝てんのみちはあらそわずしてかつ――
そう言うじゃない!
【帆村魯公】
ほほう! 老子か!
ところで諸君は先の問題はどうだ?
【喪神梨央】
天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
【九頭幸則】
ええ、これまた何だよ!
――どっかで聞いたことあるけど……
【帆村魯公】
おいおい!
幸坊もれっきとした陸士だろ。
これは軍人勅諭ちょくゆの大事な一節だぞ。

ノックの音が響き、新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
皆さん!
わかりましたよ!
ユンカー博士の居場所が――

ユンカー博士が体内に入れたシュタイン新山にいやまはその特有の波形を発見した。非常に弱い波形のため発見に手間取ったのだ。
ユンカー局長の弱い波動が確認されたのは、麹町こうじまち区の旧憲兵隊司令部だった。局長は裏庭の井戸で他殺体で見つかった。

【九頭幸則】
まさかな……
殺されていたなんて。
酷い有様だったようだ。
【着信 喪神梨央】
歩一の車列、
旧憲兵隊司令部に向かいます。
場所は……麹町こうじまち区です。

普段は静かな町に四両の軍用トラックの車列があった。歩一のトラックである。トラックが旧憲兵隊司令部に向けて走り出した。トラックを見送った風魔と九頭は、公務電車の待つ溜池電停へ向かう。その途中、聖宮と出会った。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
京都でいろいろ調べが付きました。
私立探偵が頑張ってくれまして。

聖宮ひじりのみや九頭くずは自己紹介し合った。互いに相手のことは聞き及んでいた。

【九頭幸則】
私立探偵に依頼されたのですか?
【聖宮成樹】
ええ、信頼のおける人物です。
【九頭幸則】
京都でわかったというのは、
鈴代すずよのことですか?
ゆかりの神社から鏡を預かったという――
【聖宮成樹】
鏡のことは、試したいことがあり、
今、麻美マーメイさんという方に、
ある物を依頼しています――
実はユンカー博士には、
双子の弟がいたのです。
それが柄谷がらたに生慧蔵いえぞうなのです。
【九頭幸則】
その人は、確か……
【聖宮成樹】
戦実施計画綱領――
論文の執筆者です。
京都瑛山会えいざんかいの一員でもあります――

京都帝大の物理学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう――
その手による論文が参謀本部に提出され、歩兵第一連隊に山王さんのう機関が設立された。セヒラやについて京都で管理するのが、聖宮ひじりのみやも所属する瑛山会えいざんかいなのである。
柄谷がらたに瑛山会えいざんかいの中核メンバーであった。

【九頭幸則】
その柄谷がらたに博士は日本人として、
振る舞っていたのですね?
【聖宮成樹】
やや外国人風の面立おもだちということで、
特に問題はなかったのでしょう。
出自しゅつじは明らかにしなかったようです。
【九頭幸則】
ユンカー局長の一家は、
双子の弟を日本に残して、
独逸ドイツに帰国したわけですね。
【聖宮成樹】
何か理由があってのことでしょう。
四十年ほど前のことです――
【九頭幸則】
柄谷がらたに博士は、
ユンカー局長殺害に関係している――
そうなのでしょうか?
【聖宮成樹】
何らかの関係はあると思います。
――おそらく強い確執かくしつがあった……

二十五年ほど前、生慧蔵いえぞうは渡独の際、兄ユンカーとの面会を希望した。しかしユンカーはこれを退しりぞけたのだ。

【聖宮成樹】
兄ユンカーは墺太利オーストリアの、
王立アカデミー入学への入学を控え、
独逸ドイツ政府の推薦が必要でした。
当時、日独は間接的な対立関係下、
日本にいる肉親の存在は、
ユンカーには不都合だったのです。
【九頭幸則】
四半世紀も前のことが……
今頃になって……
うーむ……あるかも知れませんね。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、私が山王さんのうに来たのは、
釣鐘つりがねを調整するためです。
帝都満洲のセヒラが、
一段と強くなったとのこと。
新山にいやまさんから連絡があったのです。
これより、
山王さんのう機関の方に向かいます。
釣鐘つりがねの制御を始めます。

聖宮はキビキビした所作を伴って歩き去った。そこへ着信があった――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
芽府めふ須斗夫すとおの声が記録されました。
ちょっと聞いてください――

【再生 芽府須斗夫】
……僕は会ったんだ……
彼女さ、そうさ、彼女だよ!
僕の眠りの中にセフィラが流れ込み、
その中に彼女は浮かんでいたのだ。
金雀枝えにしだ色の瞳が美しい彼女は、
千紘ちひろと名乗ったよ。
彼女は自分のことを僕と呼ぶ――
僕たちは響き合う――
彼女、そう言うんだ。
その言葉は柔らかく僕を包み込んだ。
するとどうだい――
僕の中に沈んでいた言葉が、
ゆらゆらと浮き上がったのさ!

再生音声は歪んだノイズとともに消えた。風魔と九頭は互いに顔を見合わせている。そこへ梨央がやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
芽府めふ須斗夫すとおが語った言葉です。
タイプライターで打ち出しました。

芽府めふ須斗夫すとおはアルファベットを語った。それを一文字ずつ大文字でタイプせよと、録音マイクに向かってそう命じたのである。

【九頭幸則】
さっぱり読めないよ――
まるで何かの暗号だね。
【喪神梨央】
私もそう思います。これは暗号です。
新山にいやまさんがお持ちの、
ナチの極秘資料ゲハイムドクメントにありました――
【九頭幸則】
ナチの……極秘資料?
そんなのがあるの?
【喪神梨央】
似た文字を見ました。
それはエニグマ暗号機でこしらえた、
暗号電文でした。

梨央りお九頭くずらとともに一旦山王さんのう機関本部へ。しかし、日枝ひえ神社境内けいだいにセヒラ観測され、風魔ふうま日枝ひえ神社へ向かった。

〔日枝神社境内〕

日枝神社の社を背に四体のホムンクルスがいた。執事型、メイド型、レーベンクラフト型、そしてユーゲント型である。そこへクルト・ヘーゲンがゆっくりした足取りでやって来た。

【クルト・ヘーゲン】
キョウトの学者ピーハディは、
私に不思議な体験をもたらした。
彼が差し出したのは、
水晶クリスタールだった――
完璧なでできている。
それを手に取り、いくら調べても、
完璧な三面体だった……
三角錐さんかくすいでも四面体となるはずだ。
この世にこのような、
美しい三面体が実在するとは……
その水晶を握りしめた瞬間、
私の血潮ちしお沸騰ふっとうしたのだ!
この一週間、
私は高みを飛翔ひしょうしている!
恐れすら一瞬で消え去ってしまう。
彼との初めての会話――
それは私が日本に着任して
間もなくの頃だった――

辺りが急に白く輝き、やがて光は失われた。暗闇の中にクルト・ヘーゲンの姿があった。何処からともなく声がする――

【???】
クルト・ヘーゲン――
君はもう苦しまなくてもいいのだよ。
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私が何に苦しむというのだ?
【???】
君の忌々いまいましい過去は、
とうに過ぎ去った車窓しゃそうの景色だ。
すっかり色褪いろあせて冷えている。
【クルト・ヘーゲン】
ああ、そうだとも!
私は自分にったのだ!
【???】
自分につなどナンセンスだ。
誰もが自分を遠ざけるのだ、
そして空隙くうげきを生み出す。
【クルト・ヘーゲン】
何の話をしている?
私は逃げてなどいない!
ただ――
【???】
ただ、どうした?
憎しみをたぎらせる一方ではないか?
それでこそ君なのだ!
【クルト・ヘーゲン】
そうだ、憎しみだ。
私の憎しみは計り知れない。
ヒュドラの沼よりも底が知れない。
【???】
いいや、君には底が見えている。
それが君のおびえの全てを生み出す。
さぁ、私にゆだねるがいい――
君のたぎる憎しみの、
そのうつわを無限の大きさにしてやろう。
どんな宇宙よりも大きな器だ。
ただしだ――
【クルト・ヘーゲン】
フフフ――
交換条件があるのか?
いいだろう、言ってみろ。
【???】
簡単なことだよ。
多くの部下たちに指示を出す、
ただそれだけだ。

〔日枝神社〕

四体のホムンクルスを従えるような位置にクルト・ヘーゲンは立っていた。その目は風魔を見据えているようであり、また風魔を透かしてみているようでもあった。

【クルト・ヘーゲン】
セフィラは超低温、真空状態で、
五億倍という高濃度に凝縮ぎょうしゅくする。
フェラーの法則と呼ばれる現象だ。
圧縮セフィラはセフィラ光を発し、
それを八枚の純鏡シュピーゲルで反射させる。
セフィラ光はますます輝く!
その光を一気に放つのだ。
ユルゲン・フェラー博士の指導で、
完全なる大型波動グローサベッレが完成した。
これからもミヤケザカから、
継続的に大型波動グローサベッレが発せられる!
私のは成功したのだ。
さぁ、配下の者どもよ!
真の実力を見せてやれ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です……
でも、日枝ひえ神社ではありません!
セヒラ、帝都中で上昇しています。
おそらく帝都満洲から流れている、
そう推測されます!

目の前の四体のホムンクルスにアストラルが現れた。四体は身じろぎ一つしない。

【クルト・ヘーゲン】
どうした!
何があった!
アプドロックが消えたのか!!
くそっ!
こうなったら私が試す!
大型波動グローサベッレ、私も受けたのだ!!

《バトル》

四体のホムンクルスの姿はなかった。

【クルト・ヘーゲン】
アハハハハハ~
私は負けていない!
そうだ、戦いの勝敗ではない!
こうしたみっともない戦いが、
私の憎しみをより大きくする!
お前には感謝せねばな!!

そう言い放った後、クルト・ヘーゲンはややふらつきながら境内けいだいを後にした。

【着信 喪神梨央】
殿下が釣鐘つりがねを……
釣鐘つりがねを調整されたようです。
現在、帝都のセヒラは高い値ながら、
安定しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
帝都満洲に、
強いセヒラがあるようです。
それって――
範奈はんなさんのお父さん……
そうじゃないでしょか?
古賀こが容山ようざんという日本的な名前でした。
【式部丞】
喪神もがみさん――
先程の芽府めふ須斗夫すとおの録音ですが、
彼は覚醒かくせいしたまま話したようです。
そして――
千紘ちひろと会った、そう言いました。
彩女あやめ君の第二人格です、千紘ちひろは。
響き合う――
彩女君も同じ台詞を語りました。
【喪神梨央】
夢の中で会った、
そんなようなことでしたよ。
【式部丞】
夢……あるいは自失した先。
帝都満洲かも知れませんね。
先の予言、ヒククアケ――
近く日本の古文書こもんじょ研究の先生が、
セルパン堂においでになります。
そのときに意味がわかるでしょう。
エニグマ暗号の方は、
新山にいやまさんに任せるしかなさそうです。

瑛山会えいざんかい柄谷がらたに生慧蔵いえぞうはユンカー局長の双子の弟であった。
兄の死に関わった恐れのある弟――
彼はまたクルト・ヘーゲンと取引をし、帝都に無益な戦いをもたらそうとした。柄谷がらたに生慧蔵いえぞうの目的とは果たして何であろうか?

第八章 第四話 満映女優

〔山王ホテルロビー〕

その朝、京都より多加美たかみ宮司ぐうじが戻り、山王さんのうホテルで迎えることになった。東雲しののめ流再興を誓った鈴代すずよも来ている。

【喪神梨央】
多加美たかみ宮司ぐうじですが、
昨夜十一時四十五分に京都を出た
夜間急行でお戻りです。
東京には今朝の九時三十分着です。
【如月鈴代】
宮司ぐうじは鏡をお持ちになるはずです。
東雲しののめ流に神意しんいを伝える鏡です。
京都の神社に奉納されていました。
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、その神意しんいって、
どんなものなのですか?
【如月鈴代】
私もくわしくは知らないのです――
霊異りょういす者にのみ伝わるそうです。

ホテルロビーに多加美宮司が入ってきた。
東京駅から円タクを飛ばしてきたのである。

【多加美宮司】
皆さん、おそろいですね――
【如月鈴代】
神器の鏡、授かりましたか?
【多加美宮司】
ええ、京都は宮津みやづにある、
真名井まない神社に奉納されていました。
伊勢いせこの神社の奥の院ですよ。
鏡はこちらになります。
鏡は真名井まない真鏡しんきょうと呼ばれています。

多加美たかみ宮司ぐうじ真名井まない真鏡しんきょうを取り出した。古式の鏡という以外に取り立てて特徴はない。

【喪神梨央】
宮津みやづだと山陰さんいん線から宮津みやづ線ですね。
京都を朝出るとお昼前には着きます。
【多加美宮司】
京都から宮津みやづは日帰りでした。
降りた駅は宮津みやづ線の天橋立あまのはしだて駅です。
神社まで天橋立あまのはしだてを渡って向かいます。
【喪神梨央】
そうなんですね!
天橋立あまのはしだてを通ったんですね!
日本三景の一つですね。

多加美たかみ宮司ぐうじ宮津みやづ真名井まない神社で、宮司ぐうじから鏡を預かった経緯けいいを話した。鏡の霊力は失われているとのことだった。

【多加美宮司】
この真鏡しんきょうには三篇さんぺん古文書こもんじょ
付帯ふたいしています。
そのうちの一篇いっぺんを授かりました。
真名井まない神社から電報で頂いたのです。

マナイノ カガミハ ソレノサマ 
ウルワシクテ モロカミタチノ
ミココロニモ アヱリ

【多加美宮司】
真名井まないの鏡、
それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心みこころにも合えり――
【如月鈴代】
他の二篇にへんはどうなっているのですか?
【多加美宮司】
今、手配しています。
一篇いっぺんは京都帝大に、
もう一篇いっぺんは北の紫野むらさきのにあるそうです。
紫野むらさきのには紫水しすい会館という会館があり、
そこに収蔵されているそうです。
見つかり次第しだい、電報をもらいます。
【如月鈴代】
その古文書こもんじょ三篇さんぺんそろうと、
鏡の霊力は回復するのですか?
【多加美宮司】
真名井まない神社では、
そのようにうかがいいました。
程なく三篇さんぺんそろうでしょう。
この鏡は貸金庫に預けておきます。
第百六十三銀行銀座支店です。
エレミヤさんの銀行ですよ。
【喪神梨央】
そうだ、兄さん、
もう一方ひとかた、お客様があります。
――いらっしゃったようですよ。

〔山王ホテルロビー〕

優雅な素振りを見せながら、一人の女性がホテルロビーに入ってきた。満鉄映画社の麻美マーメイである。

【如月鈴代】
あら……
どこかでお見受けしたような――
【喪神梨央】
麻美マーメイさんですね?
――満鉄映画社の。
活動キネマ紅楼夢こうろうむの。
【麻美】
ええ、そうです――
浅草は今日が最終日で、
舞台挨拶あいさつがあるんです。
【喪神梨央】
あの……共演の女優さんは……
麻美マーメイさんは林黛玉リンタイギョク役ですよね。
もうお一方ひとかた薛宝釵セツホウサ役の女優さん――
その方、五月の舞台挨拶あいさつにも、
おいでじゃなかった――
興亜こうあ日報に書いてありました。
【麻美】
蘭暁梅ランシャオメイちゃんですね?
春から長患いで来日できていません。
悪い夢を見る、嫌な予感がすると――
【喪神梨央】
それは心配ですね。
紅楼夢こうろうむ、大人気なんですから!
今じゃ市内中まちじゅうでかかっていますよ!
【如月鈴代】
私も鑑賞いたしましたわ!
遅ればせながら、この八月に――
【麻美】
それは有難うございます。
【如月鈴代】
麻美マーメイさんは、五月に来日されて、
この夏はずっと日本においでですか?
【麻美】
ええ、母の実家に寄っておりました。
私、支那シナ生まれですが日本人です。
本名は高山たかやま麻美あさみと申します。
【喪神梨央】
そうだったんですね!
てっきり支那シナの方かと――
【麻美】
これから是枝これえだ咲世子さよこさんに会います。
――ご存知ぞんじですよね、咲世子さよこさんは?
【如月鈴代】
勿論もちろんぞんじておりますわ。
もしや、満洲まんしゅうの――
N計画のお話でしょうか?
【麻美】
咲世子さよこさんのお話は、
おそらく独逸ドイツのことではないかと。
近々、私、渡独とどくの予定があります。
独逸ドイツに会って欲しい協力者がいる、
そういうお話のようです。
【如月鈴代】
麻美あさみさん……是枝これえだ咲世子さよこさん、
山王さんのうホテルにおいでですか?
【麻美】
いえ、近くのおやしろに……
日枝ひえ神社ですか、そちらで。
もういらっしゃっているかも。
【喪神梨央】
兄さん、念のためです、
日枝ひえ神社界隈かいわい、セヒラを調べます。
【麻美】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね……
それでは、まいりましょうか。
鈴代すずよさん、
またお会いしたいと思います。
【如月鈴代】
私もですわ。
活動キネマのお話、聞かせてくださいな。

〔日枝神社〕

【是枝咲世子】
麻美あさみさん、
幾久方いくひさかたですね!
【麻美】
咲世子さよこさんこそ、お元気そうで。
お父様もお変わりなくて?
――今も独逸ドイツに……
【是枝咲世子】
父は帰国中ですが、
もうじき独逸ドイツに戻ります。
――麻美あさみさん、少し歩きましょうか。
風魔ふうまさんもご一緒してくださいな。

日枝ひえ神社境内〕

旧交を確かめ合った咲世子さよこ麻美マーメイつのる話を交えながら二人は日枝ひえ神社へ。風魔ふうまにもぜひ聞いて欲しい話があるという。

【是枝咲世子】
それではダッハウ強制収容所のこと、
さっそく父にも申しておきます。
アイケSS上級大将のことは特に。
アイケは猶太ユダヤ人を憎悪しています。
収容所施策を強化するでしょう。
満洲での受け入れを急ぐべきです。
麻美あさみさんはナチ高官の会合かいごう
参加されるなどして、
情報を集めておいでです。
【麻美】
ナチス・ドイツはユダヤ人排斥はいせき
本格的に始めるつもりです――
独逸ドイツ欧州ヨーロッパで孤立するのは自明じめいです。
【是枝咲世子】
父の話では、英国イギリスの外務大臣が
満洲への猶太ユダヤ入植にゅうしょく事業に
おおいに関心を寄せているとか――
日本と英国イギリスの二国で満洲を管理する、
そのような提案を出すようですよ。
これは日本にとって好機こうきです――
【麻美】
せんだって国連脱退した日本が、
これ以上孤立しないために……
ということですね?
【是枝咲世子】
父はそう考えています――
他国を利用するだけだった英国イギリスを、
今度は日本が利用してやるのだと。
【麻美】
そういえばナチ親衛隊長官ヒムラーは
北満ほくまんにアーネンエルベ開設の
指示を出したとか……
【是枝咲世子】
先日、フォス大佐が満洲へ――
麻美あさみさん、例のお話ですが……
独逸ドイツに渡られるとお聞きしました。
【麻美】
独逸ドイツで会って欲しいという方ですね?
どういう方でしょうか?
【是枝咲世子】
ナチ親衛隊のローレンツ中将です。
エーリッヒ・ローレンツ――
中将はN計画の考案者なのです。
【麻美】
ローレンツ中将ですね。
褐色館ブラウネスハウスに招かれているので、
お目にかかれると思います。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
警戒してください!
セヒラ急上昇です!!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
開始シュタート! 開始シュタート! 

《バトル》

【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、沈静化しました。
警戒を解いてください。
【麻美】
さすがですね、風魔ふうまさん――
月下げっか一閃いっせんごとくですね。
頼もしく思います。
近く、在日独逸ドイツ人会の渡独とどくに合わせ、
独逸ドイツへ渡る予定があります。
今日はこれから、
浅草で舞台挨拶あいさつがあります。
【是枝咲世子】
風魔ふうまさん、帝都では騒動が――
浅草まで麻美あさみさんとご同行ください。
【着信 喪神梨央】
公務電車の手配をします。
山王下さんのうした電停に待機させます。

〔浅草六区ろっく

【着信 喪神梨央】
銀座幻燈会げんとうえもよおしが、
市内数カ所で開かれた模様です。
有楽町ゆうらくちょう京橋きょうばし、新宿、浅草――
浅草は天一館てんいちかん水天館すいてんかん文明閣ぶんめいかくです。
今回は活動キネマだったようです。
大勢が怪人化する恐れがあります。
浅草にも……セヒラ観測です!!
【麻美】
浅草の三つの映画館、
いずれも閉館しています。
三館が合わさって浅草名劇座に――
狐につままれたようなことでしょうか?
用心に越したことはないですわね。

御成門おなりもんの客】
短編の活動キネマでしたわ。
日露戦争のお話よ――
三軍の旅団にいた一人の少尉さん、
東京に残した奥さんが亡くなるの。
流感インフルエンザかかったのよ。
当時遼東リャオトン半島にいた少尉が携行けいこうする、
小さな手鏡に、奥さんの顔が写る、
そういうお話よ。
死んだ奥さん、良人おっとに会いに行った。
その少尉さん、敵弾もろともせず、
無事、日本に戻られました。

赤羽橋あかばねばしの客】
少尉の女房が何で死んだか、
そこが肝心かんじんなんだよ。
女房は省線電車にかれて死んだ。
四谷見附よつやみつけの橋から身投げしてね。
あすこ、下に省線走ってるんだ。
電車の鉄輪で顔は真っ二つ!!
ひゃぁ~柘榴ざくろみたいにけた~
その顔が鏡に写ったんだよ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラです、接近しています!
【麻美】
喪神もがみさん、お気を付けください!

入谷いりやの客】
僕は見た!
僕は見たんだ!
手鏡に写った少尉の女房を!
あああ~
少尉の女房は、
首くくりで死んだんだ!!
目ん玉が飛び出し、舌を垂らし、
白くろうのような肌をさらして――
細い首に縄の跡が赤黒く残るんだ!!
昨日から同じところを歩いてる。
行けども行けども、下宿に着かない。
歩くほどに力がみなぎってくるよ!!

《バトル》

入谷いりやの客】
手鏡に写ったのは……
少尉の女房じゃない、そうじゃない、
去年、肺病で亡くした僕の姉だ!

あああああ~
――僕は、もう行き場がない!!
【麻美】
人によって見え方が違う……
そんな活動キネマ、知りませんわ。

喪神もがみさん……
幻燈会げんとうえもよおしを主催するのは、
いったい、誰なんでしょうか?
セヒラにおかされておかしくなる、
そうう人ばかりじゃないようです。
――あの人……
幻燈会げんとうえのお客さんじゃないですか?

角筈つのはずの客】
文科のS三郎はいい加減だ!
少尉の手鏡に写ったのは化物だ。
真っ青な色で赤い目をし、
金のきばく怪物なのだ!
少尉の女房じゃない!
怪物だ、怪物だ、
あれはまごうことなく怪物なんだ!!

《バトル》

角筈つのはずの客】
少尉の隊は激戦にの中でほぼ全滅、
生き残ったのは少尉と軍曹ぐんそうだけ――
軍曹ぐんそうが言うんだ――
敵弾、少尉の体をすり抜けたと。
何十発も撃たれて平気だったと。
軍曹ぐんそうが目を凝らすと、
少尉の体を透かして、
二〇三高地が見えたそうだ!!
【麻美】
お話の筋書きまで変わるなんて――
何かの力がおよんでいる気がします。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その辺り、セヒラは観測しません。
浅草今木いまきににお客様です。
ご対応お願いします。

〔甘味処今木いまき

今木いまきてる
あら、麻美マーメイさん!
ようこそお越しを……
お客様がお待ちですよ。
皆さん、活動キネマ関係の方なんですって?

【聖宮成樹】
多加美たかみ宮司ぐうじから麻美マーメイさんのこと、
うかがいしたのです。
この店の常連だと――
【麻美】
ええ、浅草に来ればいつも……
浅草名劇座で舞台挨拶あいさつがあります。
でも浅草に怪人が出ていて――
【聖宮成樹】
喪神もがみさんがおしずめになったのですね!
喪神もがみさん、麻美マーメイさんに大切なこと、
お頼みしようと思うのです。
【麻美】
あら、どんなことですの?
【聖宮成樹】
独逸ドイツはミュンヘンにあるナチ党本部、
通称、褐色館ブラウネスハウスに行って欲しいのです。
【麻美】
褐色館ブラウネスハウスなら近く訪れますわ。
ブルエナーどおりにありますわね。
【聖宮成樹】
褐色館ブラウネスハウスの地下に、
リヒャルトガルテンの銘板めいばんかかげた、
小部屋があるのですが――
そこにしのんで、
持ち出して欲しい代物しろものがあります。
【麻美】
どんなものでしょうか?
【聖宮成樹】
この写真を――
ゼーラム五二五です。
銀色の筒状つつじょうの容器に入っています。

聖宮ひじりのみやが取り出した写真には、金属製の筒状容器が写っていた。側面に525の文字が見える――

【麻美】
それは何か特殊なものですね。
この帝都の……喪神もがみさんたちに、
何か関係がありますかしら?
【聖宮成樹】
ゼーラム五二五は謎の霊的物質です。
失われた霊力を回復する、
そのような働きがあると言われます。
【麻美】
――なるほど、承知しょうちしましたわ。
近く親衛隊のパーティがあるので、
いい機会だと思います。
【聖宮成樹】
計画が首尾しゅびよく運ぶよう、
私からシュタインベルク中将に、
麻美マーメイさんのことを伝えておきます。
【麻美】
ありがとうございます。
それでは殿下でんか、私は劇場の方へ。
【聖宮成樹】
麻美マーメイさん、
どうぞよろしくお願いします。
【麻美】
喪神もがみさん――
またお逢いしましょう。
夢玄器むげんき独逸ドイツにも持参しますわ。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうという物理学者の名前、
お聞きになったことはありますね。
柄谷がらたに博士は瑛山会えいざんかいの一員です。
三年前、セヒラが同定されたとき、
せんの必要性を訴えました。
論文をまとめ、参謀本部へ提出し、
それが元で山王さんのう機関が設立され、
喪神もがみさんたちが招聘しょうへいされました。
その柄谷がらたに博士ですが、
どうも動きが怪しいのです。
それで京都から尾行しました――
博士は東京に着くやいなや、
独逸ドイツ大使館に向かったのです。
瑛山会えいざんかい独逸ドイツ国――
爾来じらい、何の繋がりもありません。
誰と接触したのでしょうか……
少し調べてみることにします。

さて――
麻美マーメイさんがゼーラムを持ち帰れば、
多加美たかみ宮司ぐうじが授かった鏡に、
霊力が戻る希望が持てます。
ゼーラムは釣鐘つりがねにも使われています。
ただ、釣鐘つりがねから取り出しようもなく、
麻美マーメイさんにお願いした次第しだいです。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお話ししたいと。
はらえの間においでになれますか?

【今木照】
どうするんですか、お二人は?
お店、看板にしちゃいますよ!
【聖宮成樹】
わかりました、すぐうかがいます。
喪神もがみさん、
今日はこれにて失敬しっけいします。

聖宮は今木に入っていった。
風魔は梨央の要請で祓えの間に向かった。

はらえの間〕

【新山眞】
今回、ようさんから連絡もらって、
飛んできたんですがね――
どうも別の時空に繋がったようです。
それが証拠に、未知の波形が――
どやら日本じゃないですね。
ようさんは香港ではないかと――
実はこれまで何度か、
香港と接続したことがあります。
それもずっと未来の香港です――
波形記録に接続の履歴が残っていた、
そういうことですが……
今、接続するのは品川図們トモンです。
接続したばかりで、
今はすこぶる不安定です。
安定するまでお待ち下さい。
ひとまず山王さんのう機関に向かいましょう。

帝都満洲が別な時空と繋がったという。それは未来の香港であると――
過去に何度か接続の事実はあったようである。

黒札 第十三話 多加美宮司、京都へ出立

〔山王機関本部〕

喪神もがみ梨央りお
兄さん、先ほど
中条しのぶさんから電話がありました。
旅行鞄に見慣れない封筒があった、
そのことを思い出したそうです。
誰かがセヒラアンプルを仕込んだ……
何者かの企みがあったことは、
間違いないようですね。
帆村ほむら魯公ろこう
早いじゃないか、風魔ふうま
それに梨央りお
喪神もがみ梨央りお
あっ、隊長!
先生も、お早いですね!
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……
この間の多加美たかみ宮司ぐうじだがな、
京都に行くそうだ。特別急行つばめだ。
喪神もがみ梨央りお
特別急行つばめ……朝九時に東京発、
京都には午後四時ニ五分に着きます。
もうすぐ出発の時間です。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……京都の北、宮津みやづと言う町に
如月家きさらぎけゆかりの神社があるという。

梨央は鉄道省編纂の汽車時間表を取り出した。昭和九年十二月号である。

喪神もがみ梨央りお
京都、午後四時五十分発の福知山行き
綾部あやべに六時五十五分着。
綾部に宿を取れば……
翌日、午前中には宮津に着けます。
午後に宮津を発てば、舞鶴、綾部を
経由して、夕方には京都に――
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……その宮津の神社に、
神器じんぎが収められておるそうだ。
喪神もがみ梨央りお
鈴代さんゆかりの、ですね――
その神器って、帆村ほむら流にもある
勾玉まがたまのようなものですか?
帆村ほむら魯公ろこう
うちの勾玉も元は東雲しののめ流のもの。
三種の神器が三つの流派に渡され、
ばらばらになったそうだ。
喪神もがみ梨央りお
それじゃ、もう一つ、
神降かみおろしの秘技を持つ流派があると、
そういうことですか?
帆村ほむら魯公ろこう
と言われておるがな……
――真偽の程はわからん。
うちの勾玉も、はたしてどこまで……

喪神もがみ梨央りお
大変です!
東京駅の近くで、
セヒラ上昇を観測しました!
帆村ほむら魯公ろこう
それは気になる!
断然気になる!
風魔! ひとっ走りしてくれ!

〔東京駅〕

多加美たかみ宮司が京都へ出立しゅったつするという。そして東京駅近辺でセヒラが観測された。東京駅には、多加美たかみ宮司と如月きさらぎ鈴代がいた。

多加美たかみ宮司ぐうじ
朝早くなら、怪人も出ないかと思い、
つばめ号の乗車券チケツトを予約しました。
東京、九時に発車する昼間ちゅうかん特急です。
如月きさらぎ鈴代すずよ
宮司、このような時期ですから……
どうかお気を付けて。
多加美たかみ宮司ぐうじ
山郷やまごう側の動きを封じるには、
正しい道筋で東雲しののめ流を再興すること、
それしかありません。
如月きさらぎ鈴代すずよ
でも、あの鏡……真名井まない真鏡しんきょうは、
すでに霊力を失っていると聞きます。
それに、私自身も審神者さにわとしては……
多加美たかみ宮司ぐうじ
鈴代さん。帝都には顕現けんげんさせる巨大な力がうごめいています。
それを利用できるはずです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
…………
……
多加美たかみ宮司ぐうじ
山郷やまごうが日本を離れている
今がチャンスなのです。
それでは……行ってまいります。

【如月鈴代】
多加美たかみ宮司は叔父の山郷やまごうに一番近しいそういう人でした。
でも、叔父は宮司を信じない――
そんないびつな関係が続きました。
宮司は叔父に接近して、何かを得ようとしていたのです――
叔父……山郷やまごう武揚ぶよう
自分は霊異りょういを現す血筋ではない、
そのことで如月きさらぎ家をねたんでいました。
今回の騒動、すべては、
叔父のねたむ心にあるように思います。
今は多加美たかみ宮司の無事を祈り、
帰りを待ちましょう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士!
セヒラの塊が接近中です。
東京駅に円タクを差し向けました。
鈴代さんに乗ってもらってください。
【如月鈴代】
風魔さん――
どうかお気を付けてください。

【???】
今いらっしゃったのは、
多加美たかみ宮司ではありませんか?
さては特急列車でご出立しゅったつですね……
ああ、申し遅れました――
私は影森かげもりと申します。
興亜貿易こうあぼうえきという貿易会社におります。
影森かげもり愁一しゅういち
主に発電機モートルとか、そういった方面で
物品の輸入をしています――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近辺で高い濃度のセヒラを観測!
充分注意してください!
影森かげもり愁一しゅういち
おやおや、どうされましたか?
何だかお取り込みのようで――
それでは私はこれにて失敬します。
ご機嫌よう!

【失業中の男】
仕事がなくて、
家でむしゃくしゃしてたら
電報が来たんだ。
明日、朝、東京駅へ来たれし。
随時面談――
でも差出人はなかった。
一応来たよ、
で、あんたが面談するのかい?
もう、遅いんじゃないか!
こんな朝早くにおかしいと思った。
はん! 俺はずっかり絶望したね!
――絶望が力を生むんだろ?

《バトル》

【失業中の男】
電報は二通来たんだ――
二通目にあったんだよ、
憎しみは力なりってね。
あ~あ……
早起きしたから、眠い、
もう帰って寝るよ。

【商家の派出婦】
変ね、ここに来たら着物の廉売れんばい会が、
開かれてるって、
旦那様から伺ったのに……
ふふふ……さてては、
厄介払いね、そうよきっと。
あの旦那――
奥様の帰省をいいことに、
妾を連れ込んでるんだわ。
吉原を足抜けした女よ!
まったく、不潔極まりないわ!
今頃、何やってるんだかね!
ああ、不愉快ったらありゃしない!

《バトル》

【商家の派出婦】
でも……あの女は入院中よね。
三日前に旦那様に斬りつけられて――
首がほとんど落ちかかったのよ!
ま、いいわ。
着物の廉売会なんて、ないじゃない!
【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ濃度はなくなりました!
兄さん……
さっきのセヒラ、とても強かった……
これまでの怪人とは何か違います。
辺りに注意して
山王機関に戻ってください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
多加美宮司は、無事に発たれました。
東雲流の神器を引き取りに――
【帆村魯公】
鈴代女史の東雲流、
首尾よく再興できるかはわからんが、
手を拱いていても仕方がない。
【喪神梨央】
これから黒札特務を中止して、
事変に一本化しようと思います。
東雲流を巡る動きが、
事変と合わさってきたからです。
また特段の事情があれば、
黒札特務を発令しますね。

多加美たかみ宮司は特急つばめ号で京都へ向かった。その宮司を知る人物がふいと現れた――
偶然なのか、はたまた運命の悪戯いたずらなのか――

第七章 第四話 新たな動き

清正公前せいしょうこうまえ

清正公せいしょうこう前を囲むようにして、新山眞にいやままことが三台の思念しねん増幅器ぞうふくきを設置した。その影響で、「結界」の中は市中から、幾多いくたの思念が集まり、怪人予備軍を招いた。怪人化の兆候ちょうこうを得て公務出動となった。

【遠い目をした女性】
渋谷橋しぶやばしから乗合に乗って、
ここまで来たんですわ――
朝からずっと声がするのですわ――
フト立ち止まる
人を殺すにふさはしい
煉瓦れんがへいの横のまひる日
昼日中ひるひなかが人殺しにふさわしいなんて、
とても近代的モダンじゃありませんこと?
【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します……
でも波形がさだまりません。
――怪人予備軍かも知れません。

【澄んだ目をした男性】
ふとね、真理の扉が開いたんです。
ある言葉が去来きょらいしてね――
自殺しても
かなしんでれる者が無い
だから吾輩わがはいは自殺するのだ
正しく真理ですよ、真理。
自死してね、生き残った者に、
辛い思いをさせてやろとか、
そう思ううちはだめなんです。
そんな当てつけみたいに死んじゃ、
せっかく命が勿体無もったいない。
――そうでしょ?
死ぬときは少しずつ縁を切っていく、
そして最後にぽつねんと一人になり、
すーっと深呼吸して死ぬんです。
――私はだいぶ整理がつきました。
猫のリルだけが心残りでね……
まだお別れできていないんです。

【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します――
物凄く妙な波形です。
経過を見てください。
【猫憑き】
ニャー、あんたはここで何するニャ?
おいら、猫の千次郎せんじろうニャ~
リルなんてハイカラな名前、
おいらには縁がないニャ。
この人、おっきな隙間、拵えてニャ、
今にも何かにかれそうニャ。
おいらがふさいだニャ!
今日は早めに風呂にでも行くニャ!
【着信 帆村魯公】
猫め、核心かくしんを突いておるな!
憎しみをたぎらす者より、
心に空隙くうげきを持つ者のほうが、
に深くかれてしまうようだ。
もっと猫がたくさんおれば、
いいのににゃ!

【虚ろを見やる男性】
僕はね、言葉にいざなわれてここへ来た。
本郷ほんごうからずっと歩いてね、
今ここに着いたところさ!
青空はブルーブラツク
三日月は死のうたを書く
ペン先かいな
太陽は命、月は死……
僕の感性に寸分すんぶんたがわずはまるんだ。
――美しいじゃないか、君!

【武装SSヴェルケ一等兵】
この者らは我が方で処置します。
貴方たちはお引き取りください。
これはフォス大佐殿の命令です。
アーゲーカーで詳しく調べます。
ドイツ大使館地下に、
アーゲーカー連絡室があります。

【執事型ホムンクルス】
――標的ツィール
破壊ツェストゥルンク――
開始シュタート

《バトル》

【着信 喪神梨央】
クルト・ヘーゲンの執事型、
何体も帝都にはなたれたみたいですね。
日本人の拉致らちに関しては、
外交筋に連絡を入れておきます。
山王さんのう機関ではどうにもできません。
【着信 帆村魯公】
八号帥士はちごうすいし
渋谷しぶや練兵場に向かってくれ!
歩三の召喚小隊に変事が起きている!
【着信 喪神梨央】
公務電車で目黒に向かってください。
鉄道連隊の演習列車が大崎にいます。
それで原宿まで進めます。

代々木よよぎ練兵場〕

それは異様な光景だった――
練兵場には兵が倒され横たわり、将兵と民間人が鳥合うごうしているのだ。

【第三連隊山田二等兵】
え、演習の準備をしていたところ、
突然、連中がなだれ込み……
阻止そしするもこの有様で――
【第三連隊中村二等兵】
今日は夜行演習が予定されて……
――ああ、脚の感覚が……
【着信 喪神梨央】
歩兵第三連隊第八十八大隊、
第三十八中隊第八小隊の、
夜行演習が予定されています――
わずかにセヒラを観測します。
十分、注意してください。

一五市にのまえごいち
喪神もがみ中尉!
――我が召喚小隊は解散なった。
新たに軍属をまじえて組織する。
名付けて暁光ぎょうこう召喚隊だ!
この隊は霊異りょういす者を集め、
帝都の怪異を鎮定ちんていするばかりか、
日本の国力を外に示すものだ。
鬼龍きりゅう隊長不明の今となっては、
私がひきいるほかないのだ。
さいわい、召喚術において、
素養そよう高き連中が揃っている。
貴様も隊に加わりたいなら、
考えなくもないぞ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
セヒラが異常値を示しています!
大変危険です、退避してください!!

〔時空の狭間〕

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
またすごいセヒラ異常だニャ!
三人が同時に戦ったりしたニャ!
そのせいだニャ!
【バールの帽子】
そりゃセヒラ異常も起きるゲロよ。
近いところで三人同時に戦うなんて、
無謀むぼうに決まってるゲロゲロ!
ん?
何だゲロ、どうしたゲロ、
じいさんが何か言いたそうだゲロ!
【バールの帽子背後】
第三連隊の召喚小隊が解散になって、
それをよく思わない連中がいるのう。
連中、アストラルになって、
帝都満洲を彷徨さまよっておるぞ。
逆恨さかうらみする奴もいるじゃろうて。
【バールの帽子】
なーんだゲロ、そんなことかゲロ!
出来損ないのアストラルなんぞ、
ぶっ飛ばしてしまうゲロね!
【バールの帽子背後】
現世でだめな奴ほど、
こっちでは強くなったりするんじゃ。
気ィ付けることじゃよ。
【バールの帽子】
噂をすればか?
――何か来るゲロ!
【バール】
あれは……
――強いニャ、強いニャ、
すっごく強いニャ!
月詠つくよみ麗華れいかの思念だニャ!
【バール】
呼んでみるニャ、呼んでみるニャ!
【バールの帽子】
何が起きても知らないゲロよ!
【バールの帽子背後】
軽い気持ちで、
思念を呼んだりするんじゃないぞ!
【バールの帽子】
知らないゲロよ!
【バール】
呼ぶニャ!
――麗華さーん、
こっちこっち、こっちだニャ!

【月詠麗華】
私はぜんぜん至っていません――
いくら戦っても、戦っても、
豪人たけとさまに教えをうまでは、
出来上がらないのです――
東雲しののめ流の奥義……
きっと私にいでくださいまし。
風魔ふうまさまのなされる帆村ほむら流も、
根は東雲しののめ流であるはず――
風魔ふうまさまと同じところに立てる、
そう思うとぞくぞくしてきます!
鈴代すずよさんがお認めになるか、
それが気がかりですわ――

品川図們しながわトモン第二街区〕

【元召喚小隊H一等兵アストラル】
陸軍省から通達つうたつがあって、
我が召喚小隊は解散になった。
歩兵として部隊に残るか、
あるいは除隊するかを選べという。
――自分、答えなど出ません!
【元召喚小隊A上等兵アストラル】
召喚小隊、解散になったんだ!
せっかくを降ろして戦う、
その術を習得したのに!
いまさら一般歩兵なんかに戻れない!
僕は除隊を選ぶ、絶対に。
そして暁光ぎょうこう召喚隊に参加するんだ!
【元召喚小隊M曹長アストラル】
鬼龍きりゅう大尉が姿を消してから、
小隊はまとまりがなくなった。
あの月詠つくよみ麗華れいかという女は、
大尉から奥義をさずかろうと狙う。
当分、大尉は姿を見せないだろう。
【元召喚小隊F中尉アストラル】
鬼龍大尉はおそらく京都の師団。
そう考え十六師団に連絡するも、
連中、だんまりを決め込む――
歩一の連中、
何か知っているはずが、
おくびにも出さない!
【元召喚小隊D大尉アストラル】
独逸ドイツのアーネンエルベも、
一枚岩ではないな――
あそこのヘーゲン召喚師、
フォス大佐と反目しているようだ。
フォス大佐の来日以来、
手下の召喚師どもが躍起やっきになって、
新参の召喚師と戦っている。
しかし……
連中の手下は人にあらずとも聞くが、
歩一の連中なら詳しいのだろうか?

品川図們しながわトモン第四街区〕

【元召喚小隊C二等兵アストラル】
S中尉は朝から焼酎しょうちゅうを、
浴びるように飲んで寝ている――
小隊の解散が気に食わないんだ。

【元召喚小隊Y二等兵アストラル】
S中尉、第三十六小隊長の頃、
新兵を自殺に追い込んでいる――
難癖なんくせをつけては懲罰ちょうばつの繰り返し。
ある日、茶をこぼした懲罰ちょうばつとして、
腕立て伏せ一六三七回もさせたんだ。

【バール】
びょびょ~ん、バールだニャ!
酷い上官もいたもんだニャ!
腕立て伏せを何回だって?
噂のそいつが来るニャ!
そうとう怒りまくってるニャ!
現世では閑羅瀬しずらせみき中尉殿ニャ!

【元召喚小隊S中尉アストラル】
鬼龍きりゅう大尉は負け犬だ!
この大事な局面で雲隠れするとは、
情けないにも程がある!!
それに――
歩三の腑抜ふぬけ連隊長め!
麻布あざぶ連隊区のくそ司令め!
陸軍省の穀潰ごくつぶし将官どもめ!!
参謀本部の――
うぬぬ……気配を感じる、感じるぞ!
何者だ、貴様!
この俺をわらいに来たか!!

《バトル》

【元召喚小隊S中尉アストラル】
くそ! くそ! くそ
どいつもこいつも、
勝手なことばかりしやがって!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
やっと探信たんしんできました!
品川図們トモン、安定しています。
帰還してください。

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは、多加美たかみ宮司ぐうじ鈴代すずよと話し込んでいた。月詠つくよみ麗華れいか霊異りょういを現し、鬼龍きりゅう豪人たけとからの奥義おうぎ伝授でんじゅを狙うとあって、鈴代すずよも新たなる決意をしたようである。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん、私、決めました――
麗華さんが霊異りょういを現して、
今、とても不安定な状態です。
もし鬼龍さんから東雲の奥義おうぎを継ぎ、
新しい東雲しののめ流が興るとすれば、
今の私たちでは太刀打たちうちできません。

東雲しののめ流は鈴代の祖母の代で絶えている。古式帰神法は神々を降臨させ、眼前に現すのだという。

【多加美宮司】
鬼龍大尉は古式東雲しののめ流を極めた、
そう伺っております――
【如月鈴代】
大尉が京都の師団においでの頃です。
でもほどなくして流派を閉じました。
すぐさま大尉は独逸ドイツへ――
古式ではセヒラを用いないのです。
降ろすのもではなく神々です。
それを改めたのが帆村ほむら流なのです。
帆村流ではを指揮する、
そういう術武じゅつぶに進化させました。
もし今、古式がおこれば……
【多加美宮司】
帆村流に対抗し得る力となる――
そういうことかも知れません。
【如月鈴代】
を現前に現し、
市民を襲わせるということも……
そうなってしまっては手遅れです。
【多加美宮司】
今、正しく古式東雲しののめ流を再興すれば、
色々の懸念、払拭ふっしょくできます。
【如月鈴代】
私、東雲しののめ流を再興します。
麗華れいかさんより早く古式東雲しののめ流をおこし、
対抗できるよう、準備を整えます。

【九頭幸則】
風魔、通報があったぞ!
広尾橋ひろおばしに仮面の男が現れた――
こちらは?
【多加美宮司】
宮司ぐうじ多加美たかみです。
東雲しののめ流の神器である鏡を授かりに、
京都に向かいます。
【九頭幸則】
それじゃ、東雲しののめ流を……
【多加美宮司】
そうです、東雲しののめ流を再興します。
そのためには神器の鏡がいるのです。
鏡は京都の神社に収めてあります。
【如月鈴代】
京都の方には私から、
伝えておきます。
少し時間をください――
【多加美宮司】
わかりました。
いつでもてるようにしておきます。
【九頭幸則】
梨央りおちゃんに公務電車の手配を頼む。
風魔、広尾橋だ、向かってくれ。
【如月鈴代】
古式東雲しののめ流がおこれば、
風魔さんに継いでいただきたく、
存じます。

広尾橋ひろおばし

【着信 帆村魯公】
おかしいぞ、
今さっきしばの方で
仮面の男が目撃された。
丁度ちょうど、省線田町たまち駅の近くだ。
どうなってるんだ?

【仮面の男】
ワハハハハハ~
愉快ゆかいなことになってるな!
こいつらは前菜だ!
この女は一週間も市内を彷徨さまよった。
銀座で妙な上映会があったそうだ。
この男は国家を転覆させようと、
韮山にらやまなんとやらに従い、
あらぬ妄想を膨らます――
ここでお前と交えれば、
セヒラが繋がる――
いい按配あんばいにな!

《バトル》

【仮面の男】
ワハハハハハ~
いいぞ、その調子だ!
私は次に向かう!!

【着信 新山眞】
仮面の男の目的、わかりました!
私の作った結界を、
打ち破ろうとしているのです!
田町たまち駅前と広尾橋ひろおばしを底辺として、
市内に大きな三角形が描けます。
その頂点は――
五反田ごたんだ方面です!
結界に重なる逆三角を描き、
セヒラの流れを作るつもりです。
聞いたことがあります――
ツアイヒヌンの術と言います。
訳すと絵を描くということですが。

新山にいやまの結界に重なる逆三角形は、田町たまち駅前、広尾橋ひろおばしを結び、その頂点、大崎あたりに位置していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
結界に重なる逆三角形ですが、
大崎にその頂点を結びます!
五反田ごたんだまで、
公務電車で移動してください。

向かった先は大崎広小路おおさきひろこうじであった。そこには第三セヒラ探信儀たんしんぎがある。三探は独逸ドイツ駐在武官、是枝これえだ大佐邸に建つ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
三探に強力なセヒラ反応です。
ただし――
仮面の男とは異なる波形です。

是枝邸これえだてい前〕

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
私……どうすればよいか……
あの仮面の男から、
誘いを受けているのです――
ともに力を極めようと。
私は純粋に戦うよろこびを求めている、
ただそれだけなのに、
そうさせてはいただけません――
私をしたう人たち、私を求める人たち、
私を退しりぞける人たち――
幾多いくたの思いが私をめぐるのです。
私……
どうすれば……
風魔さま……
【着信 喪神梨央】
今、歩一に出動要請しました。
衛生班も同行します。
到着まで現場を保全ほぜんしてください。

程なくして歩一のトラックが到着した。月詠つくよみ麗華れいかは歩一にて保護することとなり、連隊本部に運び込まれた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい――
麗華れいかさん、無事に保護されたんですね。
【帆村魯公】
それにしてもだ、
仮面の男、愈々いよいよ放置はできんな。
麗華嬢まで引き込もうとするとは!
【喪神梨央】
仮面の男が兄さんや怪人と戦って、
セヒラの道が出来たと、
新山にいやまさんは仰っていました。
それであそこに麗華さんが来た……
あのとき、セヒラ球に似た波形、
大崎方面で確かに観測していました。
【九頭幸則】
すると、月詠つくよみさんは、
セヒラ球に乗って移動しているのか?
――まるでセヒラの申し子みたいだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん!
今はセヒラ球の波形、
帝都のどこにも観測しませんよ!
鈴代すずよさんも古式東雲しののめ流の再興、
決心されたわけだし……
――私たちのそなえは十分です。
【九頭幸則】
ならいいんだけど――
それはそうと、フォス大佐が、
是枝これえだ邸を訪問したらしい。
あの二人はどういう関係なんだ?
【帆村魯公】
腹の探り合いだよ。
駐独武官としてナチに通ずるのは、
当然の責務だからな。

仮面の男は何を思い月詠つくよみ麗華れいかいざなうのか。古式東雲しののめ流の再興を決めた鈴代すずよの胸中は――
さまざまな思惑おもわくが夏の帝都に錯綜さくそうしていた。

黒札 第十一話 東京駅の変事

〔山王機関本部〕

東雲しののめ流の再興を目論もくろ鈴代すずよ叔父おじ山郷やまごう武揚ぶよう。彼は日本に渡来した猶太ユダヤ支族の末裔まつえいこそ、強い霊異りょういを発現すると信じている。
アメリカの猶太ユダヤ人秘密結社、グランナイツに働きかけるも、末裔まつえいの存在、ようとして知れず、愈々いよいよ山郷やまごうは次なる行動に出ようとしていた――

喪神もがみ梨央りお
兄さん、
多加美たかみ宮司がおいでです。
魯公ろこう隊長とロビーでお話中です。

〔山王ホテル〕

帆村ほむら魯公ろこう
風魔ふうま
多加美たかみ宮司ぐうじと話していたところだ。
――山郷やまごうもはなはだ諦めが悪い。
多加美たかみ宮司】
山郷やまごうですが、グランナイツは、
なかなか本当のことを明かしません。
次なる行動を考えているようです。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう! 
やつもとうとう
暖簾のれんに腕押しにごうやしたか!
多加美たかみ宮司】
N計画ですか、その計画を乗っ取り
猶太ユダヤ人の命運を掌中しょうちゅう
収めるつもりじゃありませんか?
満蒙まんもうの地を猶太ユダヤ人の新天地にする。
その計画を牛耳ぎゅうじれば、
グランナイツも言うことを聞く――
帆村ほむら魯公ろこう
さもありなんだな。
N計画が、人質ひとじちのようになる……
そのおそれも出てきたな!
多加美たかみ宮司】
牛頭ごず機構も勢力を増しつつあります。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……
だが、牛頭ごず機構の連中が扱う
人籟じんらい……あれは戦力にはならん!
素人でも使えるなど駄目だ!
修行を積んだ審神者さにわこそが扱う
本物のじゃないとな!
【着信 喪神もがみ梨央りお
兄さん、隊長、山郷やまごう渡満とまんします。
本日の佳木斯チャムス丸のようですが、
さだかではありません。
帆村ほむら魯公ろこう
満洲! やはりN計画狙いか!
風魔ふうま、手をこまねいてはおれん!
まず動向をさぐることだ。
【着信 喪神もがみ梨央りお
割り込まないでください、隊長!
市ヶ谷いちがやでセヒラ観測、
おそらく牛頭ごず機構に動きがあるかと。
帆村ほむら魯公ろこう
よし、山郷やまごう側の動向偵察ていさつねて、
市ヶ谷いちがや刑務所へ向かってくれ!

市ヶ谷いちがや刑務所に向かう途上、市ヶ谷見附みつけで怪人騒動があり、公務電車は市ヶ谷見附みつけで停車した。

〔市ヶ谷見附〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
波形からの判断ですが、
比較的単純な怪人のようです。
【目白の婦人】
市電、止まってしまいましたわ。
貴男のも……
あら、見かけない市電ですこと。
円タクも来そうにないし……
目白めじろまで歩いて帰るのでしょうか――
私、そんなに歩けませんことよ。
【瓦職人】
こう暑くちゃ、瓦葺かわらふきも大変て―へんでぇ!
なにせね、怪人騒動のせいで、
こちとら大忙しよ!
怪人が屋根突き破るとかね、
そんなうわさで、丈夫なかわらをってんでね、
注文、ひっきりなしだ!
【物理学生】
馬鹿もいるもんだな!
囚人しゅうじんのやつら、自分が改造されて、
人籟じんらいにされること知らないんだ!
罪人をにすりゃ、
無駄飯むだめしを食わさなくて済む。
なかなか頭のいいやつの計略だな!

おいおい、君!
そんな目で僕を見ちゃだめだよ!
僕が本気出しちゃうからね!

《バトル》

【物理学生】
吉原よしはら帰りに徴 用リクル―トされたから、
ちょと気が緩んだみたいだね!

【世捨て人】
ふふふ、君がそうなんだな、
怪人倒しの軍人とは!
一部始終いちぶしじゅうを見学したよ。
市中に電線するいろんな声がね、
不意ふいに聞こえ出したんだ――
怪人とはそういうものなのかね?
その理屈りくつで言うなら、私も怪人だ。
今さっきのを披露ひろうしようじゃないか!
すれちがつた今の女が
眼の前で血まみれになる
白昼の幻想
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
危険です、探信儀たんしんぎを使ってください。
【世捨て人】
なかなかの上出来じゃないかね!

《バトル》

【世捨て人】
省線の駅近くがいいって話だ。
電気がそれだけ強いからね!
電気がね、私を強くするんだ。
【着信 喪神梨央】
わかりましたよ、あれは短歌です。
ユリアさんは詩と言いましたが、
短歌なんです。
夢野ゆめの久作きゅうさくという作家が発表した、
猟奇歌りょうきうたという短歌です。
雑誌に連載されているのです――
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
市ヶ谷見附みつけのセヒラは消えました。
市ヶ谷刑務所に向かってください。

厳重な警備がかれる市ヶ谷いちがや刑務所。しかしこの日、看守かんしゅの姿はなく、普段にも増して静まり返っていた。

〔市ヶ谷刑務所〕

【噂好きの男】
なんでもここの囚人しゅうじんは、
豊多摩とよたま刑務所に移されたとか。
いやね、小耳にはさんだだけですが――
ここはもうお役御免の
用済みなんでしょうか?
【目白の婦人】
たくの兄様は内務省のお役人、
ですから話はおよびますの――
何でも司法省に
大きな沙汰さたがあったって、
そう言うじゃありませんか!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
東京駅で怪人騒動です。
至急しきゅう向かってください!
山郷やまごうが東京駅に向かったのかもだ。
市ヶ谷のセヒラは収束しゅうそくしている。
東京駅へ、急いでくれ!

〔東京駅〕

満洲へ渡る山郷やまごう阻止そしすべく東京駅へ。怪人情報が飛び出したためか、普段より心持ち人影は少ないようだ――

【芝の貿易商】
このところやけに物騒ぶっそうですなぁ~
ここも満洲国の皇帝が来た時は、
えらい人出でしたけどなぁ……
ところで、あんさん……
怪人というのはまことのものですか?
【扇子屋の番頭】
アッシはねぇ、旦那だんな様に頼まれて、
駅に着く荷物をね……
汽車の到着がやけに遅れてますね。
【三下ヤクザ】
俺はなぁ、こう見えても
学校出てんだ!
頭使って仕事してんだ!
今日は東京駅で暴れてくれ、
そう言われてな!
くそったれぇ~

《バトル》

【三下ヤクザ】
ふわぁ~、どうしちまったんだ?
口から脳みそが出そうだ……
グペッ!

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
黒ノ……
え―っと、風魔ふうま
山郷やまごうは車で横浜に向かった!
【着信 喪神梨央】
だめです!!
セヒラ、急上昇です!
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしは現場の確認を!
【目付きの鋭い男】
君たちですか、擾乱じょうらんを起こすのは?
いけませね、ここは帝都の玄関。
こんなところで怪人騒動はご法度はっと
また宮城きゅうじょうのすぐ近くでもあります!
すべてはやがてあなた達の手には
負えなくなっていくんです。
それが筋書きシナリオというものですよ――

《バトル》

【目付きの鋭い男】
私は、不思議でならないんだ――
君達が、何故にそうも躍起やっきになるのかが。
私には、それがわからないんだよ――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
危険です……何かとてつもなく――
危険な感じがします!
【目付きの鋭い男】
君達のことが……もっと知りたいんだ……
君達を動かすものは何だ?
使命感? 信頼? 
あるいは友情やきずなということかね?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
目の前の敵は、普通の怪人ではありません!
もっと、奥深いところに、
ぬぐいようもない邪悪さを潜めています!
【目付きの鋭い男】
あははははは!
こうなることはわかっていた!
怪人となれば仮初かりそめの力を得る――
だが、それは長くは続かない。
――やがてどもに魂を吸い取られるのだ!
今の私はその途上プロセスにある!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その場に強い力が渦巻いています!
【目付きの鋭い男】
フフフフ……
魂の中に英雄を飼っているとでも?
やがてもっとみにく
自分と向き合うことになる!
――その前に力を得ることだな!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値がなくなりました。
【着信 帆村魯公】
藤沢レーネと大連ダイレン特務機関、
これらに第一連隊から軍用電報で
山郷やまごうのことを知らせておいた。
ひとまず撤収てっしゅうしてくれ!

山郷やまごうはN計画乗っ取りを企図きとして新京シンキョウへ。山郷やまごうの去った後、牛頭ごず機構をひきいるのは――
東京駅に現れた謎の男、一体何者か?

黒札 第十話 さらなる力をめぐる動き

〔セルパンどう

失われたユダヤ十支族――
その末裔まつえい霊異りょういを現すという。いつか鈴代はユリアに打ち明けた。自分はマナセ一族のすえであることを。しかし力為ちからな霊異りょういは伝わっていない。鈴代が流派を閉じた理由であった。

式部丞しきべじょう
失われたユダヤ十支族ですか。
その末裔が霊異りょういを発現する……
話が大きくなってきましたね。
如月きさらぎ鈴代すずよ
実は私の曾祖母そうそぼはユダヤ系です。
マナセ一族と言います――
式部丞しきべじょう
なるほど! そうだったんですね!
――でも霊異りょういは伝わらなかった?
如月きさらぎ鈴代すずよ
ええ――
マナセの霊異りょうい女系にょけいに伝わります。
祖母の代、産まれたのは男の子――
それが私の父なのです。
叔父は父とは異母兄弟いぼきょうだいです――
式部丞しきべじょう
叔父さんには愈々いよいよ霊異りょういがない。
でも、なんとか手に入れようと、
そういうことなんですね?
如月きさらぎ鈴代すずよ
私、なんだか怖いんです――
叔父のなりふり構わぬさまが。
式部丞しきべじょう
末裔まつえい探しはエレミヤ佐古田氏さこたの機転で思うようには進んでいない――
そうなんですよね?
如月きさらぎ鈴代すずよ
でも……
志恩会しおんかいの事務所が荒らされました。
――核心に、迫っているのでは?
式部丞しきべじょう
おそらく……エレミヤ佐古田さこた
彼が尾行されたのですよ。
無防備な人はこの上なく危険です。
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都に新たな脅威が出現です!
市民は――
人造怪人だと騒いでいます。
確かに初めて見るセヒラ波形です!
至急、山王機関へ戻ってください!
式部丞しきべじょう
おやおや! 
人籟じんらいの次は、人造怪人ですか!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帆村ほむら魯公ろこう
通報では人造怪人などと言うが、
わしの見立てではな、
あれは新型のホムンクルスだ。
ホムンクルスならアーネンエルベ……
あすこが出処でどころと見て間違いない。
だが、梨央の言うセヒラ波形が違う、
これが気になる。
いや、断然気になる!
梨央や、何か思い当たるフシは?
――何でもいいぞ。
喪神もがみ梨央りお
この波形、一昨日の夜に現れました。
その夜、伯林ベルリン丸が横浜港に。
船のことはラヂオで言っていました。
帆村ほむら魯公ろこう
独逸ドイツから新型がやって来た、
そういうことなんだろうか?
喪神もがみ梨央りお
ユリアさんは何も言っていません。
新型のこと、知らないのでしょうか?
人造怪人の騒ぎは麹町こうじまちです。
アーネンエルベのある独逸ドイツ大使館の
すぐ近くですね。
兄さん、いや、黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
麹町の巡視パトロールをお願いします。

麹町こうじまち

麹町こうじまち――
大名屋敷を今に伝える閑静なたたずまいの町並み。独逸ドイツ国大使館が近くにそびえている。

気触かぶ気味ぎみの学生】
あすこは最近、活発だね!
独逸ドイツ大使館だよ。
第三帝国ナ チはね、いろいろやるからね!

【旅館の若女将わかおかみ
ちょっと、そこのヒト……
なんだか様子が変よ、
気色悪きしょくわるいのよぉ~

【レーベンクラフト一〇三】
ドゥンケル! ツュリック! 
ユーベル! ブルート
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホムンクルスです!
どんなを呼ぶかわかりません!

《バトル》

【レーベンクラフト一〇三】
釜! ヴァッサルケッセル
フォイヤー! ハーゲル
レーベン! クラフト

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしよ!
どうやらナチ高官が裏にいるな。
じき日本に着任の噂もある、
親衛隊のゲルハルト・フォス大佐だ。
新型ホムンクルスは、
フォス大佐直轄の研究のようだな。
【レーベンクラフト一〇一】
レーベン! レーベン! レーベン
フォイヤー!  クリンゲ
トート! トート! トート

《バトル》

【レーベンクラフト一〇一】
ヒンメル! ヴォルケ! ラント
メーア! ブルーメ……

【旅館の若女将わかおかみ
ちょっと~
もう、気色悪きしょくわる兄弟ブラザーなの?
――あれ?
どっか行っちゃったね!
アタシも帰ろうっと。

気触かぶ気味ぎみの学生】
僕はねぇ、ナチは結構やると思うよ。
機械化と科学化を同時に進めてね!
この間のナチ党大会で演説したのが
親衛隊のゲルハルト・フォス大佐だ。
――機械化と科学化が独逸ドイツの栄光!
機械化と科学化がもたらすもの……
それは独逸ドイツの勝利である!
独逸ドイツ勝利万歳ジークハイル――
そのフォス大佐が日本に来るらしい。
赴任が決まったって噂だよ――
独逸ドイツ大使館では、さっそく前祝い!
赤坂に繰り出して、料亭の黒塀くろべいから
真っ赤な鉤十字旗ハーケンクロイツ下げたそうだ!

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
そっちはどうだ?
セヒラは鎮まったみたいだな!
山郷やまごうの野郎、とうとう
牛頭機構ごずきこうをおっ立てやがった!
市ヶ谷の方らしい、向かってくれ!

市ヶ谷見附いちがやみつけ

三下さんしたやくざ】
なんだ、そン目はよぉ~
俺が関東滝一家たきいっかの者と知ってんのか?
ブチのめされたいのか、ああ~ん?

《バトル》

三下さんしたやくざ】
ちっ!
てめぇ、俺の舎弟にならねぇか?
牛頭機構ごずきこうでひと暴れしてやるぜ!
深窓のしんそう令嬢れいじょう
今の人、今日、出所した人です……
ここ、市ヶ谷刑務所が近いから、
たまにそういう人に会うんです……
怖くって、怖くって……
金縛かなしばりに遭ったみたいになって……
追い払ってくださって助かりました。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
市ヶ谷いちがやの西方面で、
セヒラ確認しました……
ただ、波形が乱れていて、
怪人かどうか確認できません。
市ヶ谷刑務所の近辺です。
周辺を確認してください。

市ヶ谷いちがや街路〕

牛込うしごめ署の巡査】
ん?
このあたりはいたって平定へいていだ。
小官が警邏けいらしているからな!

【???】
あなたが……
山王機関の……喪神もがみさんですね!
私は諏訪社すわしゃの神職、多加美たかみです。
山郷やまごうに請われて神託を……
彼は神託の回復を望んでいました。

多加美たかみ宮司ぐうじ
しかし、あのひとは神への
おそれを知りません――
それで私は、山郷やまごうから離れようと……牛頭機構ごずきこうは出所者を狙っています。
それだけではなく、脱獄を教唆きょうさする、
そんな計略もあるようです。
喪神もがみさん、人籟じんらいをご存知ですね?
人籟じんらいを操るのに修行は不要です。
力に憧れる人間であれば操れます。
牛頭機構が狙ごずきこうっているのは罪人です。
五年後の紀元二六○○年を記念して、
大規模な恩赦おんしゃがあると聞きます……
人籟じんらいを造る材料を求めるのです。
今はここも静かです――
ひとまず引き上げましょう!

不意に帝都に現れた新型ホムンクルス。そして山郷やまごうの立ち上げた牛頭機構ごずきこう。邪な力が虎視眈々こしたんたんと出番を待つかのようだ。