第九章 第十三話 東京黙示録

12月25日、先帝祭で祭日であった。
ホテルでは午後の早い時間に人払いされ、従業員も宿舎に待機となった。
溜池通には軍用トラックが二台停められ、数人の立哨が警備に付く。

クリスマスパーティは中止となり、
客のないロビーに飾りがむなしく輝いていた。

そして皆が案じている
虹人こうじん行方ゆくえ――
数百年の時を越えた思念の繋属けいぞくが、虹人の中に白金江しろかねこうを形成するに至った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さん――
この時間になっても、
波形も全然観測されません!

隊長……
虹人さんは自分の中に白金江の
姿を見ていたんでしょうか?
【帆村魯公】
何かしら感じておったに違いない。
だが受け入れはしなかった――
虹人と名前を変えたわけだしな。
【喪神梨央】
こうって言う名前、
お父様がお付けになったんですね。
【帆村魯公】
そうだ……
変わり者の親父だ。
親父は虹人が生まれて半年ほどで、
姿をくらませてしまった。

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
先生、隊の方で、
小耳に挟んだことがあって――
【喪神梨央】
虹人さんの行方でも、
わかったんですか?
【九頭幸則】
いや、そうじゃないんだ。
鈴代の叔父おじ山郷やまごうの方に、
内偵の入った形跡があると――
【帆村魯公】
ほう!
さては内務省でも動いたかな――
【喪神梨央】
殿下の仰っていた有澤機関、
あそこじゃありませんか?
だとすると――
【九頭幸則】
拠点はセルパン堂、だよね?
休暇の准尉じゅんいに行かせたよ、
目立たぬように平服でね。
【喪神梨央】
セルパン堂にですか?
式部しきべさん、いなくなったんですよ。
【九頭幸則】
梨央りおちゃん、裏切られたみたいで、
怒ってる?
【喪神梨央】
あまりいい気はしません。
私たちのことも探っていたんです!
身内のように思っていたのに――
【九頭幸則】
でも敵というわけでもなさそうだ。
准尉じゅんいがこれを持って帰った――

【帆村魯公】
これは芭蕉ばしょうの句だな。
漁火いさりびかじかなみしたむせび――
【喪神梨央】
かじかって魚ですよね?
鳴いたりするんですか?
――むせぶって……
【帆村魯公】
昔、かじかかわずの区別がなくてな、
かじかは鳴き声を立てると思われていた。
漁火に驚いたりしてな。

そういや梨央、
前に鰍沢かじかざわの話、なかったか?
【喪神梨央】
ありました!
赤坂哈爾浜ハルピンのお熊アストラルです!
それと――
式部さんも鰍沢かじかざわの落語聞いたと、
そう話していました。
【九頭幸則】
この俳句は、
何か意味を含むのかなぁ……
入口の引き戸にしてあったそうだ。
【帆村魯公】
うむ……
鰍沢かじかざわちなむ場所は何処どこだ?
甲州か――
【喪神梨央】
そうです、甲州きっての急流です。
吉原女郎だったお熊は……
【九頭幸則】
どうしたの、梨央ちゃん?
【喪神梨央】
お熊は心中にしくじって、
しばらく品川溜めに置かれます――
【九頭幸則】
それじゃこのカードは、
品川にいざなってるんじゃないのか?
そうだよ、風魔!

【喪神梨央】
どうしますか?
品川に怪人の報告はありませんが。
それにそろそろ日も暮れます。
【帆村魯公】
構わん!
梨央、公務電車の手配だ。
中尉も同行してくれ!
【喪神梨央】
承知しました!
品川まで手配します!

【九頭幸則】
行こう、風魔、
何があるかわからんが――

〔吉原遊郭〕

式部しきべの残したカードにヒントを期待して、九頭くず風魔ふうまは品川遊郭ゆうかくへ。
遊郭一帯は物々しい雰囲気だった。軍用トラックが何台も停まり、憲兵や兵が方々に展開している。

【九頭幸則】
何だ、騒然そうぜんとしているなぁ――
それにこの憲兵らはどこから……

【死骨崎憲兵中尉】
おい、貴様!
ここで何をしている!
【九頭幸則】
そっちこそ……
これは公務なのか?
【死骨崎憲兵中尉】
なんだと?
公務だとぉ?
俺達の公務なんざ、
とっくに終わってるんだ!
擅権せんけんの大罪など関係ないわ!!

そう言うなり憲兵は脱兎のごとく走り去った。

【九頭幸則】
どうやらめいあるわけじゃなく、
勝手にいきり立っているようだ。
――それにしても……

何だ、この甘い匂いは……
どこかで嗅いだことあるぞ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
すぐ近くです!

そこへ太った将校らしきが駆けて来た。右の肩章は大尉だが左には少佐のを付けている。

【地獄谷上級大佐】
無念だ、無念だ!
せっかく上級大佐まで上り詰め、
これからだと言うのに!

貴様らは悔しくないのか!
【九頭幸則】
じょ、上級大佐ですか?
――まるでナチのようです。
【地獄谷上級大佐】
うるさい!!
我が帝国陸軍はナチなどではない!
神洲大八洲しんしゅうおおやしまから世界をべる、
選ばれし神民の軍隊だ!

その最たるは東京ゼロ師団!
またの名をゼームス師団――

国立防疫研究所――
戸山砲工学校――
渋谷憲兵大隊――
全ては泡沫うたかたの夢であったか――
【九頭幸則】
わかってますよ、大尉。
すべては魔の力で仮構されたもの、
この甘い匂いとともにね!
それを泡沫うたかたとは――
随分とロマンチストですね!

【地獄谷上級大佐】
地獄谷じごくだにの名を得た夜、
私は生まれ変わったのだ!
う・ま・れ・か・わ・っ・た!
【九頭幸則】
地獄谷……
こりゃすごい名前もあったもんだ。
(風魔、気を付けろ、相当なもんだ)

【地獄谷上級大佐】
どうせちるところは同じだ、
貴様らを道連れにしてやる!!

《バトル》

【地獄谷上級大佐】
……荒川の……
帝国……モスリン……
あすこだけは――

――うっ
【九頭幸則】
帝国モスリンの他はどこだ?
まだあるんだろ、工廠こうしょうが!
――おい、答えろ!
【地獄谷上級大佐】
――

謎の将校は斃れ、そのままセヒラと化した。

【九頭幸則】
山本――
少尉だが同輩の付き合いだった……
奴は近づきすぎたんだ。
帝国モスリンに――

いや、違う!
工廠こうしょうにだ!

そして――
工廠こうしょうはまだ他にもある!
だが……場所はわからない――

そこへ芸者がしなを作りながら歩いて来た。

【品川芸者幾松】
四谷からお越しのお二人様かしら?
【九頭幸則】
四谷?
――あ、ああ、そうだ、四谷だ。
ここから来た。

九頭は咄嗟とっさにセルパン堂にあった、式部の残したとおぼしきカードを見せた。
それを見た瞬間、芸者は体を硬直させた。わずかに震えてもいる。

【品川芸者幾松】
嘘と誠の二瀬川ふたせがわ
だまされぬ気で~
だまされて~

妖艶な声で端唄はうたを愛唱すると、芸者幾松いくまつうつろな表情となった。
そして別な言葉を口ずさみ始めた――

【品川芸者幾松】
山郷やまごう、甲府にて甲斐絹かいきを扱う、
屋号は山郷絹糸けんし
最寄りは富士身延みのぶ鉄道
金手かねんて停留所――

芸者は報告書を読むような口調で、
山郷についての調べを述べた――

芸者は音もなく消えた。

【九頭幸則】
芸者は暗示をかけられた――
そんな感じだよな。
山郷側調査の内容を、
芸者に覚えさせてあるようだ。
これじゃ漏洩ろうえいは難しそうだな。

そこへもう一人、芸者が現れた。そして端唄の調子を披露した。

【品川芸者稲貞】
青いガスとう 斜めに受けて~
白い襟足えりあし 夜会巻き~

芸者は新京シンキョウに在る山郷の取引会社、柞蚕糸さくさんし問屋の満蒙絲線まんもうシーチェンについて語った。
山郷は社長の好文海ハオウェンハイに取引を持ちかけている。

芸者は音もなく歩き去った。

【九頭幸則】
柞蚕さくさんが不良で新京シンキョウハオ社長は困り、
山郷は甲斐絹かいきを調達したそうだ。
おかげで急場をしのげたと――

その見返りに山郷は、
太古たいこに北支に落ちた隕石いんせきをもらう。
その隕石をどうするつもりだ?

また一人、芸者がやって来た。またもや端唄の調子だ。

【品川芸者菊丸】
お前とならば どこまでも~ 
箱根山はこねやま 白糸滝しらいとたきの中までも~

芸者曰く、山郷は隕石いんせきの力で麗華れいかに深い霊異りょういをもたらし、その力を利用して支族末裔まつえいの思念を呼ぶ――
山郷はどこまでも
力に固執していたのだ。

芸者が去った。

【九頭幸則】
山郷は麗華さんに何をしたんだ?
それに……
どうやって麗華さんを呼び出した?
泣く子も黙るあの関東軍が、
麗華さんを保護していたんだろ?
容易よういには手出しできんぞ――

またもや芸者が来る。

【品川芸者市若】
雪はともえに降りしきる~ 
屏風びょうぶが恋の仲立ちに~

端唄に続けて芸者は、東雲しののめ流に伝わる香合こうごうは、互いに瑞祥ずいしょうを現すのだと語った。芸者にたくされた言葉はこれが最後であった――

芸者は遊郭の路地を歩いて行った。

【九頭幸則】
麗華さんに協力お願いすれば、
山郷の香合こうごう瑞祥ずいしょうを表して、
それで居場所がわかるはずだ。
麗華さんは鈴代がかくまっている、
そうだよね?

俺、鈴代の家に行ってくる!
瑞祥ずいしょうとやらが現れたら、
そこが山郷の居場所だ、
急ぐんだぞ、風魔!

九頭くず鈴代すずよの家に円タクを飛ばした。
二つのアルツケアンを取り込んだことで、古式東雲しののめ流の奥義おうぎ会得えとくした麗華――
まだ強い霊異りょういを現すには至らないようである。

【着信 喪神梨央】
先程、紀伊国坂きのくにざかで、
芽府めふ須斗夫すとおの身柄が確保されました。
麹町こうじまち署の巡査にです――
機関本部で山王さんのうホテルに部屋を取り、
今はそこで休んでいます。
独逸ドイツ大使館で名前を思い出し、
その後の意識がないそうです。
大使館からは一キロ少々です……
彼は歩いてきたと思われますが、
紀伊国坂きのくにざかで車から降りた、
そんな目撃もあるのです。

ホテルの屋上から、
瑞祥ずいしょうを探しますがまだ見えません。
見つかり次第しだい、連絡入れます。

東雲しののめ流の霊異りょういしずまっている。
しかし受継がれた香合こうごう瑞祥ずいしょうを現すという。
それは空に差す霊光として現れるのだ。

果たして瑞祥ずいしょうは現れた。
山王さんのうからほぼ東の方角、銀座の辺りに霊光が差したのだ。

夕の空に現れた瑞祥ずいしょうを手がかりに、銀座方面へ公務電車を走らせる。
四丁目を過ぎたところで電車は停止した。

〔銀座街路〕

銀座の電車通には異様な光景が広がっていた。大通の中央に巨大な繭玉がいくつも重なり、巨大な一つの塊を為していた。黃灰色の繭玉は、むっとするような熱気を発していた。

市電は通行止めとなり、車も止まらされていた。京橋署の巡査が総出で物見遊山の市民を押さえ込んでいた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
幾つもの波形を観察します。
まだセヒラはありません――
波形の数、尋常ではないのです!

脇の路地からスーッとレンザが現れた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔ふうまさま――
あれは何でございましょうか?
私、不思議な感覚がしたのです。
それを頼りにここへ来ました。
そうしたらあのようなものが――
さしずめ、まゆというところですか?
それも幾多いくたまゆが合わさり――
一つ一つがとても大きいですよ!

レンザがはっと目を見開いた。その視線の先、巨大な繭玉の塊から白い霧のようなものが現れているのが見えた。銀座の電車通が見る見る白くなっていく。

【吉祥院蓮三郎】
何か気配がします!
風魔さま!
お気を付け遊ばし!!

レンザの姿が白い霧のようなものにかき消されてしまった。

〔白の狭間〕

そこは時空の狭間であろうか。不透明な白い空間が広がっていた。
空間が歪んだかと思うと山郷武揚が現れた。山郷はセヒラを帯びている。

【山郷武揚】
君たちはこのような機械で、
人をさぐっていたのかね?
いや、よく出来ている。
人も波形を現すとはな――

牛頭の賛同者が飯倉いいくら技研にもいてね。
機械が示してくれたんだ。
ひときわ目立つ波形が二つ――
思わぬ僥倖ぎょうこうだったよ!
一つはここにいる――
遠い過去からの繋累けいるいだ。
そしてもう一つ――
私にとっては馴染み深いものだ。

アルツケアン!
はははは、まだ残っていたとはな!
あの書生風情が大使館から持ち出し、
三宅坂みやけざかを下っていた――
さっそく迎えの車を用意したよ。
今宵こよいはやけに冷え込む。
歩くと風邪を引くからね!

一瞬、周囲が白く輝いた。

【山郷武揚】
北支の隕石いんせき月詠つくよみ麗華れいかを満たした。
人の役に立てて実に嬉しい限りだ。
達成感は空虚くうきょ感をもたらす――
私の中に小さな穴が空いてね。
それをめてみよう、そう考えた。
はからずとも私は導かれた。

アルツケアン――
私のために残っていたのだよ、
私を待ってくれていたのだ。
これをなんとかしないと、
万能の石に申し訳なくてね!
君もそう思うだろう?
私は僥倖ぎょうこうを得たのだよ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
尋常じんじょうではないセヒラです、
最大限の警戒を!!
【山郷武揚】
おやおや、こんなところにまで!
技術はける――
しかし人生はかくも短い!

《バトル》

山郷は風魔を見ている。しかしその視線はもはや風魔を捉えてはいなかった。

【山郷武揚】
見てくれ!
第五齢の熟蚕じゅくさん相成あいなった!
じき排尿するぞ!
排尿が終わると吐糸としを始める。
愈々、営繭えいけんに取りかかるのだ!!
さぁ、私をまぶしに収めてくれないか。
上蔟じょうぞくが終わると、吐糸を始めるぞ。
私は完成の域にあるのだ――

一瞬、周囲が白く眩しく輝いた。

【山郷武揚】
何だ? どうした?
私は……これは……
又昔またむかし? 赤熟せきじゅく? 小石丸――

違うのか!!
――かいこの種類は何だ?
これは……家蚕かさんではないのか!

再びの輝き――

【山郷武揚】
まさか……
北支の柞蚕さくさん――
好文海ハオウェンハイの作った白黄斑山繭しろきまだらやままゆなのか!

はぁはぁはぁ~
全滅したのではなかったのか――
私の持ち込んだかびで。

ウアハハハハ~
そうだよ、斑僵病まだらきょうびょうで全滅だぁ~
ハオ柞蚕さくさんは全滅だぁ~

周囲が白く輝いた後、真っ暗になった。
暗闇の中で山郷がもがいている。しかしその声はは聞こえない。山郷は強烈な幻覚におそわれていたのだ。
その幻覚は現実に一端いったんあらわした。
山郷は口から大量の糸を吐いたのだった。吐糸は果てることなく続いた。

【吉祥院蓮三郎】
ひゃぁ~
大変でございます!
黄色い糸がそこいら中に!!

【着信 帆村魯公】
風魔ふうまよ、山郷やまごうはアストラル化した。
レンザが見た糸は幻覚だぞ。
【着信 喪神梨央】
兄さん、銀座通ですが、
もうじき通行止めを解除します。
近くに虹人こうじんさんらしき波形も……
先程までは日劇前で確認……
今は波形は不安定ですが、
通行戻る前に急いで下さい!

〔日劇前〕

人の姿のない日劇前に虹人がいた。
虹人は白い光をまとっている。風魔に並ぶレンザが一歩踏み出した。

【吉祥院蓮三郎】
なんとなくこの辺りではと――
私、最近、えてきております。

虹人さまに古よりの繋累けいるいが及ぶと?
――私にはまだのように見えます。
さしずめ私は及び損ねた存在――
それゆえ、よく分かるのです。
まだ及んではおりません。

虹人を包む光が一瞬だけ大きく広がった。光は虹人の内側をも照らすかのようだった。

【吉祥院蓮三郎】
何でしょうか?
【帆村虹人】
やぁ、風魔!
すっかり審神者さにわのなりが板についた。
自分でもそう思うだろ?
今通う道場は目黒だよね?
競馬場跡近くの目黒不動だね。
省線駅から東横乗合を使うんだろ?
兄貴は目黄道場も開くって――
小松川区、荒川の西岸だよ。
総武本線の平井が最寄りだって。
目黄道場が開かれたら、
僕はそっちに通うことになりそうだ。
ちょっと遠いんだけど――
赤坂山王さんのうに特務機関を作る話も――
そうなれば、風魔、
お前と一緒になれるのかな?

虹人は相変わらず白い光の中にいる。

【吉祥院蓮三郎】
これは少し過去の話のようです。
時間が巻き戻ったみたいです。

虹人を包む光が大きく揺らいだ。

【吉祥院蓮三郎】
気を付けてください、風魔さま!
【帆村虹人】
目黄不動は府立七高女の近くだ――
高女といえばだよ、風魔、
面白い話があるんだ。

オフィーリア誌にページいて、
君影きみかげたよりをもうけることになった。
読者交流が発展するな!

虹人の光が一層の輝きを増す。

【帆村虹人】
――鈴蘭すずらんの子たち、
みんな僕のことを、
シロカネコウと呼ぶ――

虹人の周囲にセヒラが集まり始めた。その勢い、濃度ともにこれまでにないほどである。

【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ急上昇です!

セヒラの紫色が、先程までの白い光を追い出したかのように、虹人はすっかりセヒラに呑まれている。

【帆村虹人】
風魔には聞こえているかい?
まるで自分のことのように――
この言葉が僕をめぐるんだ。

全魔域パンデモニアムはルシファーの城府、
かの輝ける星をサタンにたくらべて、
かく呼べる――

虹人の声が遠ざかり、やがて周囲から光が失せた。
真っ白な空間に一台のラヂオがある。
ノイズ混じりの声が聴こえる――

安寧あんねいですか? 安寧あんねいですか?
――皆さま、どなたも、安寧あんねいですか?

淀橋区・東洋ホテル――
山梨からの上京時、山郷武揚の定宿である。山郷は甲府市内で生糸きいと商を営んでいる。屋号は山郷絹糸けんしであった。

【山郷武揚】
ついに興亜撚糸ねんしとの商談が決まった。
これで念願ねんがんかなった――
私たちの努力がむくわれたのだ。

今夜は泊まらずに夜行で帰ろう。
朝の四時頃には甲府に着くはずだ。
そのまま社で仮眠を取ればよい。
明日、朝一番に社の皆に知らせよう。
吉報きっぽうだ、皆、喜んでくれるぞ!
眠いなど言ってはおられんな!

四谷区・塩町尋常じんじょう小学校――
鈴代すずよ九頭くず風魔ふうまたちの出身校だ。
この春、音楽訓導くんどうとして赴任ふにんした柴崎周しばさきあまね。五月の合唱会に向けて練習に余念よねんがない。
毎年、唱歌夏は来ぬが選ばれる。

【柴崎周】
はなの 匂う垣根かきね
時鳥ほととぎす 早も来鳴きて
忍音しのびねもらす 夏は来ぬ~♪

我が胸に響くは子らの歌声だ。
伸びやかなる声は初夏の空のように、
瑞々みずみずしく、くもりのないもの――
子らの歌声を聞いていると、
私の心も洗われるようだ。
さぁ、今日も練習にはげもう!

赤坂区・料亭一繁いちしげ――
四谷荒木町の万屋よろずや御用聞ごようぎきに来ていた。万屋よろずやは屋号を木曽屋きそやという。酒や乾物かんぶつも扱う大店おおだなである。
小森こもり時夫ときおは木曽屋の番頭ばんとうであった。

【小森時夫】
一繁いちしげさんで政治家の壮行会があると。
麦酒ビールが二十ダースとは大注文おおちゅうもんだな!
きっと親爺おやっさん、喜ぶぞ!
確か日本平世党の政治家だと――
春はあけぼののような穏やかな世の中は、
平世党のおかげだなぁ……

いけない、いけない、いけないぞ!
塩町の如月きさらぎさん宅に向かわないと。
如月きさらぎさんは木曽屋の大得意だしな!

京都市伏見区・墨染すみぞめ――
輜重しちょう兵営第十六大隊の隊附中尉、鬼龍きりゅう豪人たけと
士官室の窓辺に置いた机に月光が差す。その灯りを得て、鬼龍は手紙をしたためている。西陣にしじん商家の娘、小原時子に宛てである――

【鬼龍豪人】
もうじき中秋の名月ですね。
今年は九月十二日だそうです――
来週の木曜日になります。昨年、君と嵐山で拝観はいかんした秋月しゅうげつは、今も私の心を照らしています。いささかのかげりを含ませた物憂ものうげな光――
なげけとて 月やは物を思はする 
かこち顔なる わが涙かな――
西行法師の歌を君に贈ります。豪人

日本橋区・興亜百貨店――
バンカツこと坂東勝一郎の読書会が開かれる。バンカツとは帆村ほむら虹人こうじんのペンネームだ。冒険少年年末号に六十八ページにわたり、書き下ろしの冒険小説が掲載けいさいされるのだ。

【帆村虹人】
南海の蒼風そうふうは構想二年の大作だ。
海賊に育てられた少年が成長し、
海の軍閥ぐんばつを率いる話だ。
波高い満剌加マラッカの海を舞台に、
海賊や賊軍相手に戦いを繰り広げ、
やがて海の支配者になっていく――

話は今日の読書会で初めて披露ひろうする。
先月号にその案内が載ったが、
わずか三日で予約は埋まったそうだ。

麻布あざぶ区・麻布あざぶ市兵衛いちべえ町――
聖宮ひじりのみや邸に植木職人新山眞にいやままことの姿があった。
東京電気通信工業を休職中の新山は、陸軍登戸のぼりと研究所の依頼いらいでく号兵器開発のかたわら、植木屋松巧まつこうの職人として働いていた――

〔聖宮邸庭〕

白い霧に覆われた宮邸の庭。垣根の低木を選定していた庭師が立ち上がりこちらに来た。庭に姿を見せた風魔に気が付いたのだ。

【新山眞】
おうちの方でいらっしゃいますか?
――私、植木屋です。
いやぁ、今日は五月晴れですな!
梅雨なのに五月とはこれ如何いかに?
ははは、旧暦ですよ、旧暦。
旧暦では梅雨は五月だったのです。
梅雨の合間の晴れを五月晴れ――
今日みたいな日和ひよりのことですね。

今日の剪定せんていはほぼ終わりました。
久しぶりに社に顔でも出しますか。
はは、こう見えても技術屋なんです。

突然、辺りが紫色に変わった。セヒラに満たされようとしているのだ。
そこへバールが現れた。バールは風魔をまっすぐ見て言う。

【バール】
ここに長居は無用だニャ!
すごく危険だニャ!
【バールの帽子】
ゲロゲロ、ここには何もない、
喜びも悲しみも、愛も憎しみも、
何も何もないゲロよ!
【バールの帽子背後】
無限に広がる虚無きょむの世界じゃよ。
皆、本心を押し殺して暮らし、
そのうち本心さえなくなった世界だ。
【バールの帽子】
誰もがうわつらだけで生きているゲロ、
早くこんなところからずらかるゲロ!
【バール】
ん?
誰か来るニャ!
風魔、気を付けるニャ!

邸の方から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
何か騒がしいですが――
どうかされましたか?

その時である、白い霧が一気に晴れて明るい庭となった。

【新山眞】
喪神さん!
――ここは……
私は……何をしているでしょうか?
――この庭で……

【聖宮成樹】
――
――喪神……さん?

一瞬、世界は白い霧に包まれかけた。しかしすぐに晴れる。

【聖宮成樹】
喪神さん!
ご公務でいらっしゃいますか?

周りの光景が滲んで消えた。
薄暗闇の中に風魔は立っている。
不意に声がした。

【???】
風魔――
私よ、淑子としこよ。
今、あなたを近くに感じるわ。

風魔――
あなたに会いたいわ……

風魔は声の方へと歩き出した。
そこへバールが現れた。

【バール】
風魔、耳を貸すんじゃないニャ!
さぁ、事変の世界に戻るニャ!

風魔は闇に呑まれてしまった。

1935年12月26日未明――
愈々いよいよ、新しい天地が現れようとしていた。それは柴崎が求めて止まなかった混沌カオスの世界であった。

あらゆるものが不整合に融合し、歪み、軋んだ音を立てている世界であった。
それこそが悪魔の望む世界なのである――

しかしそこにもう一つの力学が作用して、二つの世界は弾かれようとしていた。
その中央に姿を見せるのが虚無の世界であった。綾部研究員が言及した世界だ。

【着信 喪神梨央】
兄さん!
同じ場所に三つの波形があります!
――兄さんが立っている場所です!
これだと兄さんが三人いる、
そういうことになってしまいます!
ドッペルゲンガーではありません!

【着信 新山眞】
三本の世界軸が接近している、
どうもそのようです。
混沌世界、虚無世界、そして現世――

一本に合わさるのでしょうか?
それとも――

再び周囲から光が失われた。
3つの世界の狭間に吸われたかのように。

そこに虹人がいた。
風魔を見据えるその目は歓喜に輝いている。

【シロカネコウ】
長い間、眠っていたワ!
十年、いや二十年……
その前からすると、もっとヨ!

お前が私を待っている人なの?
そうぢゃないのか知ら?
違うならどうして此処ここに居るの?
待っていたんでしょ?
さっきまでの人は、
すっかり居なくなっちゃったワ。
だからぐに繋がるのヨ!

あら、嬉しかないの?
嬉しいはずヨ、屹度きっと
ほら、私ヨ、見て、見て、見て!!

《バトル》

【シロカネコウ】
やっとね!
やっとよ……
随分と長かったワ!

星の夜に大君ルシファーは昇りゆく
その暗の統御とうぎょあぐむんで 
雲の半ばにおおはれた廻球かいきゅうの上に

魔は揺らぎゆく

虹人の体から色が失われた。
そして不自然な姿勢でのけぞっている。その胸の辺りか真っ白に輝く気体が立ち上る。
光でもない、煙でもないそれは、やがて人の形となった。

今年、五度目の日蝕にっしょくが南極地方で発生した。

帝都にもたらされた予言は現実のものとなった。
第五の予言
世界は光と闇の天秤てんびんによって計られるであろう

第六の予言
無垢むくなる力が真の導きを為すであろう

第七の予言
日蝕ひくく明け新しき天地あめつちひらかれり

第八の予言
全地の主なる大王あらわれり

第九の予言
すべては新王のたなごころに收まるであろう

第四までの預言はついぞ語られなかった。

帝都事変を経て世界は3つに分かたれた。
事変、虚無きょむ、そして現世という世界――

予言はそのことをまさしく言い当てていた。
いつしか予言は東京黙示録と呼ばれ始めた。
それを知るごくわずかな者たちの間で。

特異点は大震災のあった1923年だった。
その時から世界軸はわずかにずれ始めていた。

ずれが愈々いよいよ極大化したのだ――

混沌世界と現世、この二つが接近し、離反したことで虚無世界が現れた。
三本の世界軸はしかし合わさることはなかった。ただそれにより、歴史は大きく巻き戻ることになる――


1904年3月17日、硫黄島いおうじま
16時30分44秒、ここに金環日蝕が始まった。その光を受け、すべての始まりとなるひとつの結晶が生まれた。

小さなケアン――

やがて光と闇の交錯する地に漆黒の穴が開いた。五分ほど続いた金環蝕の終わる時、ケアンは音もなくその穴へ吸い込まれて消えた。

二十世紀初頭の特異点から新たな歴史が始まった。そして世界軸は三本に分かたれたままである。

1904年、この歴史上の特異点から真の20世紀は始まった。再生の特異点として、後にルネサンスと呼ばれる。
やがて合わさる時まで、世界軸は三本に分かれたままである――

現世軸にも帝都はあった――

〔赤坂街路〕

赤坂街路――
電停から市電が発車するや、子どもたちが車道を駆け渡る。
市内で一斉に桜が色づき、まさに春爛漫らんまんの時季を迎えようとしていた。

時は1935年4月――
セヒラもゲートも存在しない世界――

【九頭幸則】
なんとかに潜り込めた――
近歩一きんぽいちなんて無理な相談だよな。
ま、でも習うより慣れろというからな!

尋常の同級でただ一人の軍人だ――
風魔ふうま審神者さにわ免許皆伝めんきょかいでんだと言うし。
みちは違うが、ある意味競争だな!

【如月鈴代】
山郷やまごう叔父おじ様と力を合わせて、
東雲しののめ流を護らないと――

降りた神を見極める神眼しんがん
そう簡単にはそなわることなど、
あり得ませんが!

【喪神梨央】
丹那たんなトンネルは一昨年おととしに貫通、
鉄道ダイヤが組まれたのは去年です。
去年末、省線のダイヤ大改正が――

前に淑子としこ姉さんを見舞った時は、
ダイヤ改正前でしたね。
東海道線三島駅から、
駿豆すんず鉄道で修善寺しゅぜんじに行きました。

――兄さん、姉さんがお呼びですよ。

〔溜池通〕

【喪神淑子】
待ちましてよ、風魔――

フフフ、
今日はもう稽古けいこはおしまいでしょ?
ならよかったわ、
オウルグリルでオムライスでも――

あらいいのよ、私がご馳走するわ。

〔是枝邸〕

1935年12月26日、夜――

大崎おおさき是枝これえだ邸は夜の静寂しじまに包まれていた。瑛山会えいざんかいは是枝邸の離れに本部を置いていた。
その庭先に探信儀たんしんぎはなかった。

【案じる声】
今年、ついに怪人騒動も何も
起こりませんでしたわ。
そして今日この日を迎えても――
【静かな声】
五度目の日蝕にっしょくの日が終わるまでは、
予断を許さないものでした。
この一年、いや二年、三年――
混乱極める世界が近付き、
さらにもう一つ、生まれたのです。
何もない世界が――
【案じる声】
何もない世界――
そういうのが御座いますの?
【静かな声】
所謂いわゆる虚無きょむ世界です。
私は虚無きょむ世界を垣間見た気がする――
麻布あざぶうちで……

【案じる声】
殿下、おうかがいしますが、
この写真が何か関係しますかしら?
確か興亜日報の記者が写したもの――

【静かな声】
ええ、この写真は浅草の雷門です。
ですが震災を経なかった雷門ですね。
それがあの帝都に存在したのです――
【案じる声】
大提灯おおちょうちんが下がっていますね――
震災の後は、小さな提灯が――
そのように覚えていますわ。

震災のなかった世界――
それがあの帝都にあったのですね?
それが虚無の世界――
【静かな声】
少しは顔を覗かせていたのでしょう。
ただ――
の世界は、
それ以上に混沌世界の影響を受け、
を戦わせる事態を招いた――
【案じる声】
のこの世界には――
影響は及んでいないのですか?
その、混沌からも虚無からも……
【静かな声】
少なくとも今のうちは。
次、世界軸の変動が起きるのがいつか
誰にもわかりません。

【案じる声】
殿下――
柄谷がらたに博士は達者でおいでですが、
別な世界ではやはり……
殿下の仰るようなことになっていた、
そうなのですね?
【静かな声】
それぞれの世界で、
皆、さだめのもとにあるのです。
生き死には関係なく――

私たちは帝都が、いや日本が、
歴史的に真っ当な道を進むために、
監視する必要がありそうです。
それが瑛山会えいざんかいの使命だと考えます。

今後、何が起きようとも――

6年後の1941年12月――
世界軸の日本は
太平洋戦争に突入する。

第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が三段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。
長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。二人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する二人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう二人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして二人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する二人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。開花に見える手術室にらしき一体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それは
イメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー局長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか見たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から二人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!
怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり
ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街ですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1932年、褐色館ブラウネスハウス
警備主任のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が二階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から一体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて五箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を観て一人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

二時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、二人の男性が何やら言い争っていた。風魔は二人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに一体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第九章 第五話 トゥーレの館

九頭くずの報告を知り、新山眞にいやままことがやってきた。仮構かこう世界に向き合うために、夢玄器むげんきを改良したのだという。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお見えです。
夢玄器むげんきが新しくなったとか。

【新山眞】
新しいというのではないのですが、
思念の中に入っていく仕組みと、
仮構かこうの仕組みは似ているのです。
そこで共振回路に手を加えて、
復調波ふくちょうは大S値だいエスちを加えることで、
仮構かこう世界の実体が見えるようにと――
【九頭幸則】
ええ、じゃ、あの渋谷憲兵大隊も、
それでのぞくと活動キネマ館だったり、
薬屋の倉庫だったりするんですか?
【新山眞】
どうでしょうか……
仮構かこうされて時間が経っていると、
それは難しいかもしれませんね。
【九頭幸則】
三日前に青山せいざんホテルで、
ディナーを楽しんだ奴がいるよ。
うちの隊に――
【新山眞】
そうだとすれば、
トゥーレの館になって、
まだ間がないですね。
【喪神梨央】
それじゃ、兄さん、
青山ホテルへお願いします。
九頭中尉はどうされますか?
【九頭幸則】
え、う……あ、あ……
いきなりそう言われると、
俺まで仮構かこうされたみたいだな――
もちろん、風魔に同行だ!
【喪神梨央】
承知しました!
公務電車、手配します!

〔青山通〕

青山六丁目交差点で事故が発生した。
市電と車が衝突したとのことだった。公務電車は青山通で停止した――
電車通には車が二台停まるきりで市電はなかった。市民が数名たむろしている。そして空にはカラスが乱舞する――

【九頭幸則】
青山六丁目って、
よく事故があるな――
先だっても一日に六回もあった。
皆、市電と車の衝突だよ。
それにしても――

背広姿の男性が近寄って来た。渋谷方面からやって来たようだ。

【青山のラヂウム商】
ここにまでいやがりますなぁ~
ええ、カラスの奴です、黒い奴!
【九頭幸則】
普段とは違いますか?
【青山のラヂウム商】
違うも何も、軍人さん、
公爵邸こうしゃくていの周りはカラスだらけ、
まっくろけ~
【九頭幸則】
公爵邸?
それはどちらの公爵ですか?
【青山のラヂウム商】
この辺で公爵といえば、
フンゲルハウワー公爵ですよ、
まさにその館です。
【九頭幸則】
フンゲルハウワー?
聞いたことが無い……
【青山のラヂウム商】
タングステン貿易で大儲おおもうけ、
でも青島チンタオ権益けんえき失って没落ぼつらく
この帝都に館だけ残された――
この辺では有名な話です。

空き家になって、はや十年――
たまに電気がくといいますよぉ。

カァカァ カラスガ ナイテイク
カァカァ カラスガ トンデイク

カラスの鳴き真似をしながら男性は青山方面へと歩き去った。カラスが屋根の上でしきりに鳴いている。

【九頭幸則】
同輩どうはい付合いの日曜下宿が、
この近くの高樹町たかぎちょうにあるんだ。
海苔のり屋の二階だ。
俺もちょくちょく来るけど、
フンゲル何とかの話なんか、
まったくの初耳だぜ――
まるでお化け屋敷みたいだな。
そうか!!
そのフンゲルも仮構かこうじゃないか、
きっとそうだよ!

それに答えるかのようにさらにカラスが鳴く。

【九頭幸則】
いや……ホテルが仮構かこうなのか……
――ああ、なんか混乱するな!

鳴き声を重ねながらカラスが一斉に飛び立った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
鈴代さんから連絡があり、
麗華さんと一緒にホテルに向かうと。
それ以上のことはわかりません。
【着信 帆村魯公】
カラスの鳴き声が聞こえるぞ。
やけに多くいるようだな――
アーネンエルベの使い魔――
かも知れんがな……
ユンカーもヘーゲンもいない今、
ぜんたい誰の使い魔なんじゃろか。
注意して進むべし、八号帥士はちごうすいし

二人は青山ホテルと思われていた洋館の前に来た。門前に二人の男性が立っていた。その二人の周囲にはカラスの群れがあった。

【九頭幸則】
ホテルに変わったところはないな。

九頭がそうつぶやくと、一人の男性が歩み寄った。

【西洋かぶれの紳士A】
ここは現代青年の作法心得を、
しかと学ぶ館であります!
それもほまたか仏蘭西フランス流儀です。

もう一人も来る。

【西洋かぶれの紳士B】
晩餐ばんさんの場についたなら、
剛健ごうけんなる現代青年の作法をもって、
終始しゅうしせねばなりません。
【西洋かぶれの紳士A】
出る皿々は、驚くべき速力と、
騒音とをもって見事に平らげます。
婦人たちに紳士しんしの力を見せるべく――
【西洋かぶれの紳士B】
フォークを二本の指で曲げる、
皿をこぶしにて叩き割るなどして、
食事が終わるやいなや――
【西洋かぶれの紳士A】
テーブルクロースをいて、
手や口をさっさとぬぐい、
悠然ゆうぜんと十三文甲高こうだかの靴をば、
【西洋かぶれの紳士B】
テーブルの上へと投げ出し、
巴奈馬パナマ葉巻をくゆらすのであります。

そこまで言うと二人の男性はそれぞれ左右に駆けて行った。

【九頭幸則】
何なんだ、今のは一体?
どんな作法なんだ――

九頭と風魔は洋館の庭へと踏み込んだ。洋館の脇に音もなく仮面の男が現れた。

【九頭幸則】
おい、見ろ、風魔!
あれは……仮面の男だ!!

やおら仮面の男がくぐもった笑い声を上げた。周囲の風景が歪み始めている――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
中尉は大丈夫ですか?

仮面の男はひとしきり笑い終えると、おもむろに両手を広げた。その手の周りにセヒラが漂い、やがて渦を巻き始めた。セヒラの渦は仮面の男の周囲に広がった。

【九頭幸則】
ううう、どうした、急に!
体が……重いぞ!

九頭は辛そうに腰折りとなった。その刹那、仮面の男が滲みながら消え、替わりに黒い仮面を被った人物が現れた。リヒャルト・フィンケである。セヒラはいたるところで渦巻いている。

【リヒャルト・フィンケ】
現実――仮構かこう――現実――
フフフ――

フィンケが不敵な笑いを残して消え、そこへ仮面の男が現れる。

【九頭幸則】
この……匂いは……
渋谷憲兵大隊と同じ――
この甘い……匂い……
――うっ!!

仮面の男がぶれながら消え、そこへフィンケが現れる。

【リヒャルト・フィンケ】
人間というのは、
あまり多くの現実に耐えられない。
――いい言葉じゃないか!
トゥーレの館へ、ようこそ!
ヘル、フーマ!

フィンケがぶれながら消えた。そして仮面の男――

【九頭幸則】
風魔!!
奴はすきを見せているぞ!

持ち直した九頭は、仮面の男を見据えたまま言った。それを聞いた風魔、すかさず仮面の男の前へ駆け寄った。

《バトル》

【仮面の男】
イッヒ……イッヒ……
――崩壊!ツーザンメンブロホ
――崩壊!ツーザンメンブロホ

――長い冬……ランガーヴィンター

仮面の男は腰を折っている。これまで被っていた仮面が地面に落ちていた。そして仮面の男の顔のあったところには小さなセヒラの渦が見える。渦の中心は漆黒の闇であった。
風魔は落ちている仮面を拾った。

【着信 喪神梨央】
物凄いセヒラです!!
波形も初めての形です!!
――兄さん!!

仮面の男から幾筋ものセヒラがほとばしり、やがて半球状のセヒラ球を形成した。周囲から光が失われた。

しばらくして光が戻った。セヒラ球は消えており、仮面の男の姿もなかった。風魔の傍へ九頭が駆け寄る。

【九頭幸則】
おい、風魔!
お前たち二人とも、
スーッと浮かび上がって――
ホテルの屋根あたりまで昇ったぞ!
その後、セヒラに包まれて、
姿が見えなくなった――
奴を倒したのか?
仮面の男だ。
お前だけがスーッと降りてきた……

九頭に言われ風魔は強く目を閉じた。次に目を開いたとき、仮面の男のいた場所に鬼龍が立っていた。

【九頭幸則】
あなたが騒動の元か!
鬼龍きりゅう大尉!
【鬼龍豪人】
歩一のロマンチスト将校と、
やりあうつもりは毛頭ない!
【九頭幸則】
白山集会所で監視下に置かれていた、
そうじゃないのか、大尉!
【鬼龍豪人】
時間は私に味方したのだ。
お陰でゆっくり自分に向き合えた。
【九頭幸則】
もしや……
仮面の男も、実は大尉、
あなたなんじゃないのか?
【鬼龍豪人】
ウワハハハハ~
それは新しいな!
私は昨夜から忙しくてね。
トゥーレの館で儀式を行った――
神の仕事ベルクゴッテスと呼ばれる儀式だ。

鬼龍はスターヴを現した。それは幻影なのか……

【鬼龍豪人】
私に与えられた文字は四つだ。
皆、ルーン文字だ――
自己マンナズ破壊ハガラズ変革サガズ、そして完全シグル――
シグルには太陽の意味もある。
これら文字を組み合わせる文様、
スターヴを柘榴ざくろの木の板にり、
それを私の血でなぞる――
心臓から繋がる左手の親指に、
銀のナイフを滑らせ滴る血でなぞる。
スターヴには願いを叶える、
強い霊力が宿る。
私の血で愈々いよいよ力が放たれる!
昨夜、大熊流星群の方角、
赤経一◯時ニ四分、赤緯三七度を
仰ぎ見て心の扉を開いた!
私は染 化ファーブストッフされたのだ――

スターヴのイメージは消えた。依然、鬼龍が語っている――

【鬼龍豪人】
スターヴを描いた柘榴ざくろ板を燃やし、
その煙を吸って儀式は終わった。
昨夜以来――
私は一度も息をしていない。
だがなんともないのだ!

そこへ鈴代が青山通の方からやって来た。

【九頭幸則】
鈴代!
どうしてここへ――
【鬼龍豪人】
私が呼んだのだ。
白山神社に置いた香合が、
瑞祥ずいしょうを現したようだね。
【如月鈴代】
香合の中にメモがありました。
トゥーレの館に来るようにと――
【鬼龍豪人】
あなたはご自分のことを、
よく理解されているようだ。
【如月鈴代】
そうでしょうか……
【鬼龍豪人】
鈴代さん――
あなたこそ古式を継ぐべきです。
あなたには機根きこんそなわる――
私は染 化ファーブストッフした――
トゥーレの館流の召喚師として、
今や完全な存在になろうとしている。
だからこそ、
古式の奥義をあなたに継ぎ、
私は身軽にならねばならない。
【如月鈴代】
鬼龍さん――
あなたにそなわる古式流儀ですが、
それは叔父山郷の……
【鬼龍豪人】
鈴代さん!
あなたは東雲しののめ流の再興を願った、
そう伝え聞きましたよ!
【九頭幸則】
しつこいぞ、大尉!
鈴代の決意は固いんだ。

どこからともなく麗華が現れ、鈴代の傍に来た。

【鬼龍豪人】
麗華さん!!
【九頭幸則】
――麗華さん……
【月詠麗華】
豪人たけとさま――
ようやくお目にかかれました。
豪人さまが白山神社に置かれた香合、
その瑞祥ずいしょうは、私に届いたのです。
北の夜空に現れた光の筋――
あの光が私を導いたのです。
そして香合を見つけました。新京シンキョウ神社にあったのと同じ香合です。
中にはメモが……
振り返ったその時、鈴代さんが――
神社で鉢合はちあわせになったのです。
【鬼龍豪人】
麗華さん!
あなたには何か深いものを感じる。
それは毒々しい色を帯びている!

そう言うや鬼龍は洋館の方へ面を向けた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
トゥーレの館の扉を!

鬼龍の叫びに呼応するかのように洋館はまるごとセヒラに包まれた。

【着信 新山眞】
今です、夢玄器むげんきの装着を!
それで仮構かこうの中を確認できます。

風魔は夢玄器を装着した。眼前には銀河ゼットー博士の研究室で見たのと同じ夢玄域が現れた。夢玄域の中に洋館が浮かび鬼龍もそこにいた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私を見てください!
昨夜、無事に染 化ファーブストッフを済ませ、
トゥーレ召喚術のマイスターに――
そうではありませんか?
【リヒャルト・フィンケ】
この甘い香りを!
ベラドンナの香りはかくも甘い。
甘く、みつのようにまとわりつく――
【鬼龍豪人】
ヘル!
私には香りがわかりません。
昨夜から息をしていないのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは本物だよ、鬼龍きりゅう大尉。
君は愈々いよいよの時を迎える――
【鬼龍豪人】
やはり……
そうなんですね!
トゥーレ召喚師として成るのですね!

夢玄域の中に突然麗華が姿を見せた。

【月詠麗華】
豪人さま!
私にお授けなさいまし!
【鬼龍豪人】
麗華さん!
ここに来てはいけない!
あなたに奥義は授けられない!
奥義とは授けた先で、
貴くあらねばならない――
あなたが求めているのは力だ、
闘いのための力だけだ!
【月詠麗華】
私は純粋なのですわ、豪人さま。
憎しみもうらみもなく、
ただただ神さまを授かりたいだけ――
【リヒャルト・フィンケ】
君は愈々いよいよ見放されようとしている、
君の中にあるケアンからね――
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
今はだめです、改めないと!
【リヒャルト・フィンケ】
時は進むのだよ、鬼龍君!
君は随分と物分りが良くなった。
それで時間がかかったのだ――
愈々いよいよケアンが君を見捨てるときだ。
【鬼龍豪人】
うわぁ!!

鬼龍の叫びとともに周囲から光が失われた。

〔時空の狭間〕

目の前には時空の狭間に吸われた鬼龍の姿が見える。鬼龍は薄っすらとセヒラに覆われていた。

【鬼龍豪人】
京都の師団にいたときだ――
あの小函こばこ独逸ドイツから届いた小函こばこ
日曜下宿に持ち帰った。
装飾を施した美しい小函こばこ――
トゥーレの館の招待状を収め、
そして……もうひとつ――
石だ!
黒ずみ、所々に光の粒を浮かせた、
不思議な石が収められていた――
あの石は……
――翌朝にはなかった!
机の上から消えていたのだ!

まるで鬼龍の内側から発せられるように大量のセヒラがほとばしった。

【鬼龍豪人】
どうした?
何が起きた?

青山せいざんホテル〕

周囲が戻るとそこは洋館の前だった。風魔は膝をついた状態だった。風魔が起き上がった時、軍用トラックが走り去った。門前には武装SSの立哨がいた。トラックの走り去った方からユリア・クラウフマンがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、仮面の男に入っていた、
アルツケアンは回収しました。

青山ホテル前に落ちていたアルツケアンは、アーネンエルベが回収した。
防護服姿の隊員が回収作業を行った。

【ユリア・クラウフマン】
先程、リオから通信記録を見せられ、
タケト大 尉カピティーンにも、
アルツケアンが入っていた――
そう信じるに値する心証しんしょうを得ました。
トゥーレの館から送られた小函こばこに、
そっと収められていたのでしょう。
タケトのアルツケアンは、
今、レイカに取り込まれています。
サンノウの記録を読むと、
レイカには二つのアルツケアンが――
私たちの想定を超えた事態です。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認しました!

交信が終わるや否やフィンケがやって来た。

【リヒャルト・フィンケ】
実に素晴らしい!
月詠つくよみ麗華れいか
彼女は究極の力に目覚めようと――
【ユリア・クラウフマン】
フィンケ総統――
ユリア・クラウフマンです。
極東分局の開設と同時に来ました。
【リヒャルト・フィンケ】
お父上のローレンツ博士には、
私もよく教わったものだ。
【ユリア・クラウフマン】
父はアルツケアンについては、
まだ何も解明されていないと。
扱いには極めて慎重でした――
【リヒャルト・フィンケ】
そうだろうとも!
しかし時は待ってはくれない、
フロイライン・ユリア。
【ユリア・クラウフマン】
フェラー博士は父に無断で、
仮面の男にアルツケアンを――
コンプレットが目的なのでしょう!
【リヒャルト・フィンケ】
研究というのは、
頂きを見上げることなんだよ。
見上げるばかりか駆け登ることだ――
並のホムンクルスを凌駕りょうがする、
素晴らしい性能が誕生したのだ。
――まだ未完成だったがな!

洋館の中庭から鬼龍が走りくる。鬼龍、フィンケに面して言う。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私の染 化ファーブストッフはすべて終わりました。
【リヒャルト・フィンケ】
素晴らしい!
これでトゥーレ流召喚術、
愈々いよいよこの国に根ざしたことになる。
【鬼龍豪人】
先程、急に息が詰まり、
その後、大きく深呼吸ができました。
――私は戻ったのです。

暫く鬼龍を見ていたフィンケは風魔の方に直った。そしてやや芝居がかった調子で言う。

【リヒャルト・フィンケ】
ヘル……いや、喪神もがみ風魔ふうま君!
私たちは僥倖ぎょうこうを得たようだ。
元より素晴らしい霊異りょういほこ帆村ほむら流、
この鬼龍君のトゥーレ流召喚術、
それに古式東雲しののめを継いだ月詠麗華――
アーネンエルベは、残念なことに
なったが、それをおぎなって余りある、
素晴らしい力の拮抗きっこうだ!
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ――
麗華さんに継いだ東雲しののめ流、
果たして大丈夫でしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
彼女には素晴らしい素養そようがある。
それは揺るぎないものだ。
君が悩まされることはもうないよ。

フィンケは鬼龍の前を通って洋館の中へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
鬼龍さん――
トゥーレ流のマイスターになり、
あなたのわだかまりは消えましたか?
【鬼龍豪人】
何かを為して満足することは、
私に関してはないでしょうね、
ユリアさん。

ユリアに冷たい視線を投げかけた後、鬼龍はフィンケを追うように洋館へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
今のアーネンエルベには、
何かに対処する力はありません。
仮面の男がいなくなり、
コージンも出方を変える必要が――
コージンの組織するユーゲントは、
フォス大佐の命令に忠実です。
コージンはそれで苦労しています。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山通でセヒラ観測です!
おそらく――
【ユリア・クラウフマン】
レイカ――
まだ不安定なのかも知れません。
気を付けてください……フーマ……

風魔は踵を返し、青山通へ向かった。

セヒラが移動しているとの連絡を受け、風魔ふうまは明治神宮前電停から自潤会じじゅんかいアパートへ。
果たしてそこで出会った光景は――

【九頭幸則】
風魔!
どうしたんだ、何だこいつらは?
お前が倒したのか?

2両の軍用トラックが向き合うようにして歩道に乗り上げて停まっている。道路上には五人の憲兵が倒れていた。そこへ九頭が走り込む――

【九頭幸則】
それで、書生の二人はどこだ?
麗華さんは?
青山六丁目で鈴代さんと二人、
麗華さんの護衛についていたら、
いきなり麗華さんが走り出したんだ。
麗華さん、二人の書生を追っていた。
書生の二人、怪人には見えなかった。
でも麗華さんは追い続けた――
明治神宮前の交差点を曲がって、
ここまで来たら――
この有様だ。

その時、倒れていた憲兵が二人、相次いで起き上がった。だが戦う素振りは見せていない。

【渋谷憲兵大隊雲城くもぎ少尉】
息が……できない……
【渋谷憲兵大隊人首ひとかべ中尉】
ううう……
糞! 糞! 糞!
頭が……割れるようだ!

一瞬、周囲が暗くなり戻った時、トラックも倒れていた憲兵も消えていた。そこへ能海旭がやって来る。

能海旭のうみあきら
風魔さん!
さっきの連中、ゼロ師団よ、
そうに違いない。
レンザが青山通に何か感じるって、
悪魔の勘がうずくって――
それで飛んできたの!
【九頭幸則】
へぇ!
魔法のほうきにまたがって来たのかい!
能海旭のうみあきら
山王さんのうから円タクよ、中尉。
特別に二十円払ったの。
速かったよ、さすがに――
【九頭幸則】
に、二十円?
そんな大金……
能海旭のうみあきら
山王さんのうからここまで五分ちょうどね。
――それで……
【???】
風魔さま――
近くにおいでなのですね……
わかりますわ――

自潤会アパートの戸口を背にして麗華が立っていた。

【月詠麗華】
風魔さま――
私、まだちゃんとしていない、
そうなのでしょうか?
青山通を歩いていたら、
いきなり体が動いてしまい――
追いかけたのは二人の憲兵ですわ。
闘いの意思を強く感じましたわ。

旭が麗華を認めて歩み寄る。

【能海旭】
あなたも、召喚するの?
【月詠麗華】
神さまのことですか?
それならお招きできますわ。
――今もすぐ傍においでです。
【能海旭】
そうなの!
それは良かったわね!
あなたはなのね、きっと。
でも、東京ゼロ師団相手に、
ことを荒立てないで欲しいのよ。
私たちが調べてるんだから!
【月詠麗華】
随分ですわね! お言葉ですわ!
私は闘いのあるところなら、
どこにでも参りますわ!!

九頭が割って入るように言う。

【九頭幸則】
ふたりとも、落ち着いて!
ね、あきらちゃん――
さっきはちゃかして悪かったよ、
ね、ほら、今日はいい天気だよ!

旭は九頭に構わず麗華を見据えたまま言う。

【能海旭】
余計なこと、しないでよ!!
あんただって、はぐれ者なのよ!
足掻あがいても根無ねなぐさは流されるだけ!
【月詠麗華】
私は平静をたもちたいのに、
神さまがおいでになりました。
風魔さま、お願いします――

《バトル》

鈴代がやって来ていた。麗華は少し息が上がっているようだ。旭は依然麗華を睨みつけている。

【月詠麗華】
戦いの前より、
気持ちが落ち着きますわ。
【如月鈴代】
麗華さん!
これ以上はさわりますわ。
さぁ、戻りましょう。
【月詠麗華】
そうですわね、鈴代さん。
それに古式のこと、
もう少しお教えいただかないと――
風魔さま、楽しゅうございました。
またよろしくお願いします。
【如月鈴代】
風魔さん、
後ほど本部にお邪魔しますわ。

麗華、鈴代は電車通を青山方面へと歩き去った。旭は両手を腰に当てがい、二人を目で見送っている。

【能海旭】
呑気のんきなものよね……
が勝手に降りてくるなんて!
ふん! 素晴らしいじゃない!
【九頭幸則】
いやぁ、あきらちゃんの怒った顔、
たまらないなぁ~
まるで磁器じき人形のようで。
【能海旭】
九頭くず中尉――
君に話があるんだ。
ちょっと来てくれないか?
【九頭幸則】
え? え? 俺に?
何だい、話って?
【能海旭】
来れば話すよ。
君の同輩なんたらのことだよ。
――君は気になっていないのか?

風魔さん――
また会えますよね?

別れを告げ、旭はスタスタと歩き出す。慌てて九頭がその後を追う。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
青山墓地でセヒラの乱れを観測です。
念のためご確認ください。

〔青山墓地〕

青山墓地の大穴は依然いぜん開いたままである。
赤坂署により立入禁止区域に指定され、大穴の周囲を4人の巡査が見張っていた。物見遊山ものみゆさんの市民の姿はなかった。

大穴を背に一人に巡査が立っていた。

【赤坂署の巡査】
署員が総出で規制しております。
猫一匹たりとも入り込む、
そんな余地はちっともないニャ~

話し終えると巡査はいきなり駆け出した。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です、
これまでにない値です!!

いきなり、穴からセヒラが吹き出した。穴の周囲を警戒していた巡査は皆散り散りとなって逃げた。
セヒラは筒のようになり、その中へ一体の中型アストラルが姿を見せた。

【歩一Y少尉有心アストラル】
そこにいるのは――
もしや、喪神中尉?
喪神中尉!
――そうなのですね、中尉ですね!

喋った後、アストラルは少し膨張し、また縮んだ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
自分、歩一少尉、山本であります。
今は九頭くずの身が危ないと、
それを伝えに参りました!
私には時間がありません!
しかし――
お越しください!
私にはがあるのです――

そこまで言ってアストラスは爆ぜるように消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、依然いぜん高いままです!

大穴から大量のセヒラが吹き出した。
セヒラに呑まれ、
風魔は落ちていった――

〔時空の狭間〕

しゃがんでいた風魔が立ち上がると、それを待っていたかのように別の中型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
私の実家は向島むこうしま区、白鬚しらひげ神社近く。
江戸指物さしもの師の三男坊です――
強くなるため陸士に入りました
荒川の向こう岸にある工場は、
帝国モスリンの工場です。
その工場、様子が変なのです。
私が工場のことを話すと、
九頭くずは大いに興味を持ったようです。

喋り終えるやアストラルは震えながら消えた。代わりにアストラルが現れた。先程、青山墓地の大穴に現れたアストラルである。同じ山本少尉が2つのアストラルに分離しているのである。

【歩一Y少尉有心アストラル】
私はあのふたを見て直感しました。
これはモスリン工場の入口だと。
すぐに二人に連絡を入れました。
能海旭のうみあきらさんと吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんです。
九頭くずに電話を入れて、
能海のうみさんの無線を聞き出しました。
蓮三郎れんざぶろうさんの寿命、
にならないと尽きてしまうとは、
本当なのでしょうか……

アストラルは震えながら消えた。そこへ現れたアストラルは、詳しい事情を知らない方のアストラルであった。

【歩一Y少尉無心アストラル】
九頭くず偽装ぎそうしている施設がある、
そう疑っているようでした。
どこにも出入口のない工場です、
奴が疑うのも無理はないでしょう。
奴は詳しく知りたがりました。

またアストラルが入れ替わった。眼前には事情に通じたアストラルが浮かぶ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
工場ではセヒラのうずが合わさり、
次々とが誕生します。
そのとき兵器も融合しているのです。
工廠こうしょうで危うく私は――
喪神もがみ中尉に助けられ、九頭くずの一声で、
私は自分を取り戻したのです。
東京ゼロ師団は工廠こうしょうの他に、
仮構かこうによって組織を作っています。
防疫研究所や砲工学校がそれです。
渋谷の憲兵大隊も仮構かこうの存在、
東京ゼロ師団自体も仮構かこうです。
大きな力が及んでいるのです――

アストラルが入れ替わり、事情に詳しくない方が現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
帝国モスリンの前身は興亜こうあ毛織けおりです。
そこの波斯ペルシア人技師が鉄道事故で死に、
事故の一報が朝刊に載りました。
ところが朝刊の遅版では、
事故にったのは露西亜ロシア人通訳と、
なぜか記事が差し替わっていました。
鎌倉でのその事故を報じた、
唯一の新聞社、帝都日日ですが、
去年倒産しています――

喋り終えたアストラルは爆ぜるにようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
なんか妙です――
セヒラ値はすごく低いのに、
激しい波形が現れています。

交信が終わった時、大型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉アストラル】
鳥居坂町とりいざかまちの日曜下宿にいる時、
いきなり三人の憲兵大尉が来た。
憲兵は土足で部屋に上がった。

私は黒い車に乗せられ、
渋谷憲兵大隊本部へ連行された。
地下の談話室へ入れられたのだ。

両足を鉄輪てつわで床に留められ、
両手は天井からのくさりに繋がれた。
ギリギリと音がしてくさりが巻き上がる。
私は万歳ばんざいの姿勢となり宙に浮き、
そのまま何日も放置されたのだ。
上体が大きく前に倒れて気が付くと、
両肩の関節が抜け、私の体は
筋肉と皮で支える格好になっていた。
恐ろしい痛みは後からやってきた。
焼けた穂先ほさきを差し込まれた痛みだ!
私はそのとき飛んだのだ!

私は九頭くずを案じている。
しかし、同時に貴様らをにくむ!
私を返せ、今すぐに返せ!!

《バトル》

【歩一Y少尉アストラル】
両手を失った私は、
戸山の軍医病院に収められた。
私の腕は満洲に送られた――
片腕ずつ、腕を失った支那シナ人に、
移植するのだという。
善なる医学の実験だそうだ!
移植に成功すると、
今度は私の両足を切り落すらしい!!

私は関東軍第七十九軍に転隊した、
そういうことになっているようです。
九頭くずに伝えてください!
連中には近づくなと――

大型のアストラル、それは山本少尉の分離した思念の合わさったものであった。アストラルはゆっくりと、滲むようにして消えていった。

次に風魔が現れたのは溜池通である。しかし人も車もない、音すらしない場所であった。周囲にセヒラの影響が及んでいる――
佇む風魔の前に中型のアストラルが現れた。

【歩一M大尉アストラル】
赤坂哈爾浜ハルピンでは逆恨みのようになり、
申し訳なかった――
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
君は時空の狭間から戻り、
おそらく帝都の何処かにいるはずだ。
――君の実体のことだ。

そこまで言うとアストラルは揺らいだ。

【歩一M大尉アストラル】
私は幼少期を独逸ドイツで過ごした。
ミュンヘンのブルエナー通――
陸士入学を目指して日本へ帰国した。
二十歳を前に駐独武官補として、
再び渡独して半年ほど過ごした。

そこでアーネンエルベと接触した。
連中は日本に大いなる興味を持ち、
私を快く受け入れてくれた。
中隊指導者のラルフが地図を手に、
私の元に来て尋ねたんだ――
伊豆の修善寺しゅぜんじについてだ。
ラルフは修善寺しゅぜんじロッホがあるという。
近く、それを発掘するのだと。
ロッホから資源を取り出して兵器を作る、
どうもそんな話だった。
ラルフと私はアーネンエルベの、
青年室で会った……何度かね……

セヒラのせいか景色が揺らいで薄くなり、別の街区が現れた。同じ赤坂である。

【歩一M大尉アストラル】
京都の師団を経て歩一に任官後、
ほどなく戸山砲工学校に出向した。
教官としてだ――

そこであの香りをいだのだ――
ベラドンナの濃密な甘い香りを。
アーネンエルベの青年室でも、
同じ香りがしていた。
それがベラドンナの香りだと、
ラルフが教えてくれたのだ――

私はラルフの言う修善寺しゅぜんじを思い出し、
休暇を取って温泉宿に逗留とうりゅうした。
毎日、山を歩き、ロッホを探した――
帰京の前日、小高い丘の頂きで、
倭文しどり神社の小さなほこらを見つけた。
ほこらにもたれて私は転寝うたたねをした――

再び景色が変わった。赤坂の一ツ木通に繋がる界隈だ。

【歩一M大尉アストラル】
今思えば、あのほこらロッホなのでは――
月詠つくよみ麗華れいかに飛ばされた私は、
終わりなくここを彷徨さまよう――

わかるか、ここは回廊かいろうだ。
アラヤ回廊、そう呼ばれる場所だ。
あらゆるロッホに通じる回廊だ。
そのロッホは帝都にもある――
少なくとも三箇所にだ!

――私は認められたようなのだ……
アラヤ回廊によって私は認められた、
そのように思えてならない。
だが、貴様はまだ帝都の魂を残す。
ここに長居は無用だろう――
私はもう行かねばならない。

アストラルは滲むようにして消えた。
歩き出した風魔の耳に
声が聞こえた――

【???】
風魔!
あなた、ここにいるの?
私よ、淑子としこよ――
風魔、後ろを振り返って頂戴!

風魔が向こうとしたその刹那、眼前に一体のアストラルが現れた。

【風水師HSアストラル】
ヘレナよ、ヘレナスー――
振り向かないで!
振り向くと、二度と出られなくなる!

――気を付けて!
その声はあなたの心の中の声よ。
自分の声に取り込まれると大変!
さぁ、目を覚まして。

風魔は気を取り直した。アストラルは話を続ける――

【風水師HSアストラル】
私は、目覚めた後、
また薬を飲んだ。
今度は一瓶ひとびん丸々飲んだよ!

――私……
永遠にここを彷徨さまようの――

話し終えても依然アストラルは浮かんだままである。やがて周囲が暗闇に呑み込まれた。風魔は帝都の山王に戻っていた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
もう大丈夫ですか?
――心配しました……
あれから、鈴代さんから、
いろいろお聞きしたんですよ。
古式東雲しののめ流のこととか――

古式東雲しののめ流は鬼神を人に降ろす秘儀である。
それは必ずしも闘いの神々ではない。
しかし古式の本来の姿はすでに失われている。
邪流にて古式が蘇ると、現前にを呼ぶ、そのような事態も招きかねない。
鈴代は麗華に対してそれを案じていたのだ。

【喪神梨央】
でも麗華さんはすごく霊感の強い、
蓼科たてしなという乳母うばに育てられ、
鈴代さんは麗華さんなら大丈夫、
そう見込まれたようです。
麗華さんは兄さんたちと同じ、
審神者さにわになられたのです――
【帆村魯公】
おう、風魔!
もういいんだな――
京都の帝大の古文書、
先般せんぱん、ようやく見つかってな。
係員が暗い書庫で書き写した。
その古文書こもんじょだが、持ち上げた途端とたん
細かな破片になって散ったそうだ。
――文言は電報で寄越よこされた。

ソノアサ ウラト 
アラハスヒカリ アリテ

【帆村魯公】
例によって式部氏の知り合いが、
読み解いてくれたぞ。
その朝、占いの言葉を、
現す光がある。
三つの文言を繋ぐと――
真名井まないの鏡、それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心にも合えり――
その朝、占い現す光ありて、
一つのあらかに渡らして詰まる。
【喪神梨央】
一つのあらかとは冬至でした。
――つまり……
冬至の朝、真名井まないの鏡が、
占いの言葉を映し出す――
そういうことですね。
【帆村魯公】
魔鏡まきょう託言たくげんを写すのだな。
それで、冬至はいつだったかな?
【喪神梨央】
十二月二十三日です。
あと二週間です――

風魔が回廊にちた時、帝都と大きく時間がずれてしまった。
帝都でははや師走しわすを迎えようとしていた――

第九章 第四話 穴

〔山王機関本部〕

梨央りおは甲府連隊区に連絡を取り、山郷やまごう武揚ぶようの山梨での様子を確かめていた。
甲斐絹かいきを扱う生糸きいと商を営んでいた――

【喪神梨央】
屋号は山郷生糸きいとといいます。
甲府の北にある夢山ゆめやまという、
山の中腹に自宅があります。
【帆村魯公】
そうか――
そう言えばこれまで山郷のことなど、
詮索せんさくしてこなかったな――
【喪神梨央】
甲府連隊の糧抹りょうまつ係がよく知るのです。軍馬のまぐさを調達保管する軍属です。
【帆村魯公】
それで商売は順調なのか?
山郷の、甲斐絹かいき商とやらは。
【喪神梨央】
甲斐絹かいきは薄手で腰があって、
独特の光沢こうたくのある絹糸きぬいとです。
山郷はそれに飽き足らず――

北支ほくし原産の柞蚕糸さくさんしに興味を持っていたという。
柞蚕さくさん山繭蛾ヤママユガの仲間でさくの葉を食す天蚕てんさんだ。家蚕糸かさんしにはない野趣やしゅが持ち味である。

【喪神梨央】
新京シンキョウにある満蒙絲線まんもうシーチェンでは、
白黄斑山繭シロキマダラヤママユの人工飼育に成功して、
天蚕糸てんさんしの生産を本格化しました。
でも今年は病気が流行って――

かいこかび菌におかされる斑僵病まだらきょうびょうによって、柞蚕糸さくさんしが収穫できなかったのだ。
山郷は新京しんきょうに大量の甲斐絹かいきを調達した――

【喪神梨央】
満蒙絲線まんもうシーチェンの社長、好文海ハオウェンハイは、
山郷への支払いの一部に結 晶アルツケアンを、
充てたのです――
【帆村魯公】
今から考えると、
山郷は結 晶アルツケアンのことを知っていて、
取引を持ちかけたのかもな。
【喪神梨央】
その辺り、もう少し調べてみます。

ノックの音がして九頭がやって来た。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです――
って、のんびりですね、皆さん!
【喪神梨央】
軍帽を
着て怪人の
白い声
【九頭幸則】
物見遊山ものみゆさん
怪人来たりて
墓地の穴
【帆村魯公】
なんと!
【喪神梨央】
墓地に穴!?
【帆村魯公】
梨央りお、何か観測するか?
【喪神梨央】
いえ何も……何も観測していません。
幸則さん、青山墓地ですね。
――怪人、現れたんですか?
【九頭幸則】
いや……
ただ穴に人がたかっているだけ。
もう散歩しかすることなくて――

大掛かりなクーデター計画発覚後、
軍は綱紀粛清こうきしゅくせいとして
日曜下宿を禁止した。
そむキタル者は礼遇れいぐう停止ニ処スル――

【九頭幸則】
門限もんげんも早まって、午後四時だよ!
まるで尋常じんじょうの子供だよ!
【喪神梨央】
いいじゃないですか、
規律を守るのって素敵です。
青山の大穴、青山新京シンキョウで、
凄腕の風水師たちが守ります。
しばらくは安心なはずです。

ただ新聞がまた書きたてますね。
赤坂の大柱はお化け柱ですよ。
見ようと近付くと音もなく消える、
それでお化け呼ばわりされています。
【九頭幸則】
麗華さん、戻ったんだよね。
墓場の穴からじゃなく、
別の方法で戻ったの?
【喪神梨央】
ちゃんとゲートをくぐって――
兄さんが連れて帰ったのです。
今、あきらさんのアトリエにおいでです。
鈴代さんがお連れになりました。
【九頭幸則】
へぇ~
あきらさんとどんな接点があるんだい?
まさか米国アメリカ流お茶点前てまえとか?

あきら米国アメリカの魔法学校に身を置きながらも、麗華の通う学校の創設者、鴨脚敬祐いちょうけいゆうを尊敬し、その著書、東亜論とうあろんを愛読の書としていた。

【九頭幸則】
変わった接点だね――
鴨脚敬祐いちょうけいゆう、隊にも信奉者がいる。
でも今は自重のときだよ、さすがに。
【喪神梨央】
兄さん――
あきらさんのアトリエ、おうかがいすれば?
何かお話、聞けるかも知れませんよ。

〔旭のアトリエ前〕

日枝ひえ神社の裏にある
能海旭のうみあきらのアトリエ。
鉄扉てっぴの前であきらが出迎えてくれた。
梨央りおが一報入れてあったのである――

【能海旭】
風魔ふうまさん。
梨央さんから連絡もらったよ、
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
風魔ふうまさん――
レンザのが、
いろいろ情報を集めているみたい。
最近、あいつ、
よく出かけているようだし。
それに麗華さんとは気が合うんだ。

アトリエのドアが静かに開いてレンザが顔を覗かせた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、あきらさま。
風魔さまも――
【能海旭】
何だ、いたのか、
びっくりさせるな。
レンザ、
お前は麗華さんのこと、
気に入ったようだな。
【吉祥院蓮三郎】
はい、キタイスカヤでお目にかかり、
あの方はまさに完成間近かと――
そんな様子にございました。
【能海旭】
お前の言う完成とは、
どんな感じなのだ?
【吉祥院蓮三郎】
何と申しましょうか、
他の何者でもない存在になる、
そういうことにございます。
【能海旭】
何者でもない――
うーん、そうだな。
レンザ、お前も早く完成しないとな!

【吉祥院蓮三郎】
アキラさま――
麗華さまの学校を作った方の、
ご本をお持ちなんですね。
【能海旭】
鴨脚敬祐いちょうけいゆう先生だ。
帝国女学園創設者にして、
明治時代の国学者だ――
先生は東亜論という著作の中で、
日本こそ欧亜ユーラシア大陸で盟主となるべき、そう説かれている――

ボストンの本屋で東亜論と出会って、
私の人生が回り始めたんだ。
CCW公園のベンチで読み終えた――
【吉祥院蓮三郎】
クリストファー・コロンブス
ウォーターフロント・パーク――
そうでございますね。
【能海旭】
人に例えて、日本、鮮満が頭となり、
肥沃ひよくな大陸が強い胴体、
西アジアが脚となる壮大な計画だ。
麗華さんは学校で先生をのこと習い、
日本人の心をみがくため、
お茶を始めたらしい。
【吉祥院蓮三郎】
久遠くおん流にございますね。
お茶を通じて鈴代さまと出会われ、
愈々いよいよ霊異りょうい現すのでございます。
体深くに取り込んだ霊的結晶――
仮面の男を軽く退けた力……
やはり完成間近は疑う余地なし!
【能海旭】
何だ、お前?
麗華さんが審神者さにわとして成るのが、
嬉しいのか?
【吉祥院蓮三郎】
それはもう!
完成とは如何いかなるものか、
見てみとうございますゆえ!

【能海旭】
それで、麗華さんはどうした?
まだお前の部屋なのか?
【吉祥院蓮三郎】
いえいえ、
はずむようにお出になりました。
【能海旭】
そうなのか……
風魔さん――
何だか胸騒ぎがするよ。
――こういうの、当たるんだ……

〔旭のアトリエ前〕

アトリエ前の鉄扉のところに鈴代が立っていた。梨央から請われて麗華を迎えに来たのである。

【如月鈴代】
あっ、風魔さん……
麗華さんをお迎えにまいったのです。
――もしや、もう出られた……
そうなのですね!

不意に鈴代は顔を曇らせた。まだ万全ではない麗華を案じるとともに、不測の事態を招かいないとも限らない状況を案じているのである。

【如月鈴代】
梨央ちゃんから一部始終聞きました。
叔父おじが大変な迷惑をおかけし、
申し訳ありません――
新京シンキョウでN計画の情報が得られない中、麗華さんの渡満を知って、
叔父は計画を変えたのです――
麗華さんに結晶を取り込ませ、
仮面の男の計略に載せたようにして、
大きな力をもたらそうとした――
その力に寄せられるようにして、
失われた猶太ユダヤ支族のすえが現れる――
叔父おじは何の根拠があって、
そんなことを考えたのでしょうか?
人に犠牲をいることまでして、
見つけ出す人って……

【着信 喪神梨央】
今、鈴代さんもご一緒ですね。
麗華さんはこちらでも探してみます。
青山墓地の様子が変です。
セヒラが安定しなくなりました。
念のため巡視パトロールをお願いします!

【如月鈴代】
私、麗華さんを探します。
心当たりがあるのです――

〔青山墓地〕

公務電車で青山墓地に向かった風魔。そこでは大穴の周囲に大勢の市民が集っていた。市民たちは様々な方向を向いておかしな挙動を繰り返していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
比較的強いセヒラです。
市民は怪人化している模様!

【新聞売】
号外だよ~興亜日報の号外だよ~
赤坂のお化け柱に次いで、
青山墓地に謎の大穴出現だ!

新聞売に小僧が近寄った。

こら、坊主!
買わないならあっち行った行った!
【原宿の少年】
ねえねえ、何で興亜日報は、
おいらの川柳、載っけないの?
【新聞売】
何だ、読んでないのか?
怪人川柳はな、担当の記者が病気で、
当面休むとあったぞ。
記者は一日中、うつろな目をして、
ちゅうにらんでいるんだと。
神経の病だ、帝大出なのにな……
【原宿の少年】
怪人川柳、お休みか……
残念至極だな!
おいら、とっておきの、こしらえたのに。
【新聞売】
ふん、しょせん、
ガキのお遊びだろ?
【原宿の少年】
どうかな――

高い空
走る怪人
道柳みちやなぎ
【新聞売】
ふーん……
その道柳ってのは、
銀座の並木のあの柳か?
【原宿の少年】
何言ってんだよ!
別名庭柳、たで科の仲間の一年草――
道端みちばたでよく見かけるじゃないか!

大穴の脇で車投げの挙動を繰り返していた背広姿の男性がこちらを振り向いた。そして風魔に歩み寄る――

【飯倉の客】
新宿の東海館で観たんだ!
ああ、幻燈会げんとうえだよ、
天睛院てんせいいんオラクルだ。
奇術師の天睛院てんせいいんが銀幕に現れた。

血走った目をワイフに向けた!
私のワイフをにらみつけて言うんだ、
顔が見える、顔が見える――
アレが鼻、ソレが目、とな!
顔は貫禄かんろくのある紳士しんしです、
乳房の間に顔が埋まりまぁす!
顔の主は三河台みかわだいの銀行支店長だ、
天睛院てんせいいんはそう告げやがった!
銀幕の中からだ!

ワイフは真っ青になって、
頓狂とんきょうな声上げて活動キネマ館を飛び出し、
もう七日も戻らない!!

何が天睛院てんせいいんオラクルだ、
ふざけんな!!

《バトル》

【飯倉の客】
はぁ、はぁ、はぁ~
ワイフの服がやけに煙草たばこ臭い、
そういう日が少なからずあったなぁ。
煙草たばこ……三河台みかわだい……支店長……
――ううううううぅぅ~

【着信 喪神梨央】
今の話は天睛院てんせいいん一座のことですね。
女流奇術師の天睛院てんせいいんが率いる一座で、
透視術を専らとしています――
顔が見えるというのは、
天睛院てんせいいん十八番おはこなのです。
あまりいい顔は見えませんが――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだセヒラ収まりません!
引き続き警戒してください。

【台町の婦人】
真白ましろき細き
手をのべて……
血汐ちしお洗い去り~
吹けよ朝風あさかぜ
初陣ういじんの……
胸の火玉ひだまあれ!
永久とわさかえの  
だい亜細亜アジア
世界に示せ――

そこまで言うと着物姿の女性は力なくうなだれた。後れ毛が額にかかっている。目を閉じ、ゆっくりと開いた。風魔を見るようでもあり、見透かすようでもあった。

【台町の婦人】
どうしたのかしら……
私ったら、こんなところで?
――あなた、警察の方?
さ、帰って支度したくしなくちゃ!
支度したく支度したく――

女性はふらつきながら風魔の脇を抜け青山通へ去った。大穴の周囲にいた市民たちも一様にうなだれている。

【着信 喪神梨央】
支度したくって、何の支度したくでしょうか……
ちょっと気になりますが、
もう、セヒラは観測しません。
山王さんのうホテルに殿下がお見えです。
ご帰還ください――

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは聖宮と魯公が立ち話をしていた。

【聖宮成樹】
喪神さん――
喪神さんの時間がずれ始めている、
そううかがいました。
【帆村魯公】
帝都満洲での一日が、
帝都の何日分にもなる、
そういう現象が起きています。
【聖宮成樹】
セヒラの動きが関係している、
そう考えられますね?
【帆村魯公】
セヒラの動き?
そんなものがあるのですか?
まるで日和ひよりのようですな!
【聖宮成樹】
まさに、循環じゅんかんする大気のようです。

そう言うと聖宮はセヒラ回廊かいろうの話をした。アラヤ界のさらに深い階層に、セヒラが無限に循環じゅんかんする場所があるという――

【聖宮成樹】
セヒラ回廊には古今東西、
ときには未来からも思念が流れ込み、
セヒラとなって循環してるのです。
【帆村魯公】
思念はセヒラとして実体化する、
そういうことなですな?
【聖宮成樹】
念とは質量を伴うものです。
それがさらに凝固して出るのが――
【帆村魯公】
アストラルですな!!
【聖宮成樹】
帝都にもアストラルが出た、
そう伺っています。
【帆村魯公】
ほう!!
目の当たりにしました!
あれは風水師のアストラルでしたな。
【聖宮成樹】
セヒラ異常が起きると、
アストラルも表出するようです。
セヒラ回廊そのものは制御不可能、
しかし帝都に湧出ゆうしゅつするセヒラ量は、
釣鐘つりがねでなんとかなるはずです。

しかし、このところ、
どうも様子が変なのです。
セヒラ回廊の動向が怪しくなり、
それがせいで釣鐘つりがねに影響が及び、
帝都の状況、予断を許しません。
【帆村魯公】
うむ……
仮面の男のせいで生まれた、
赤坂の大柱も依然いぜんと残ります。
【聖宮成樹】
数年前のことですが……
独逸ドイツ人たちはアラヤ回廊自体を、
なんとかしようとしたようです。

そう言うと聖宮ひじりのみやは一枚の青図を取り出した。
独逸ドイツ人たちが伊豆修善寺しゅぜんじ近くで見つけた穴、それをコンクリートで補強したのである。

青図には十進法で緯度経度が記してある。35、0018、138、9850――
伊豆修善寺しゅぜんじ近くの山中を示している。

【帆村魯公】
青山墓地にも穴が開いていますが、
あれはまた違うのですな?
【聖宮成樹】
墓地の穴は帝都満洲に繋がる穴、
独逸ドイツ人の探したロッホとは異なります。
伊豆の現場には倭文しどり神社のほこらがあるばかり、何も見当たらないとのことです。
【帆村魯公】
ほう、倭文しどり神社、またはしづり――
機織はたおりの神である建葉槌命たけはづちのみことまつる。
鳥取にある倭文しどり神社が有名ですな。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人たちは伊豆をよく調べ、
一箇所は見つけた――
それがこの青図のロッホなのです。
【帆村魯公】
そのロッホがアラヤ回廊に繋がる、
そういうことですな、殿下?
そしてロッホは他にももっとある――
【聖宮成樹】
山王さんのうにも品川にも、
ロッホのあった形跡は残ります。
山王さんのうが最もよく残しています――
【帆村魯公】
うむ……
そのようですな。
しかしもはや穴ではないと――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホテルにおいでですか?
青山新京シンキョウの風水師の一人、
覚醒かくせいしたようなんです。
それで離脱してしまい――
セヒラが物凄く不安定です!

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、まずは目先の問題です。
ロッホの件、さらに調べましょう。
帝都の何処いずこかにあるはずです。
【帆村魯公】
梨央ははらえの間にいるはずだ。
風魔、頼んだぞ――

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
覚醒かくせいした人はヘレナさんです。
ヘレナスーさん――
八年間も昏睡こんすい状態だったとか。
昏睡こんすい状態から覚醒したので、
アストラルが弱くなった、
そのようです。

波形を確認すると、
品川図們トモンに漂うようです、
ヘレナさんのアストラル――

風魔は祓えの間からゲートを抜けて帝都満洲へ赴いた。

【満鉄列車長】
未来というのは必ずしも
一つというわけではない――
そう思いませんか?
川で小さな魚が跳ねただけで、
変わってしまう未来もあるようです。
力づくでは変えられないのに、
ささいなことで変わってしまう――
これは不条理なんでしょうか?

当列車、品川図們トモンに向かいます。
出発で~す!

風魔を乗せた帝都満洲鉄道あじあ号は一路品川図們を目指した。

〔品川図們〕

【AGK研究員Wアストラル】
アルツケアンは五つ見つかった――
蟻走痒感府ぎそうようかんふに二個ある。
アーネンエルベに二個、
あと一つはかい族が持ち去った――
【AGK研究員Aアストラル】
蟻走痒感府ぎそうようかんふではカーンが取り込み、
不老不死の存在になったんだ。
調査隊の副長、カーンと交渉すべく、
蟻走痒感府ぎそうようかんふに戻ろうとしたが迷った。
瑒納斯チャンナンス河畔かはんを二週間彷徨さまよい、
気が触れてしまったんだ。
【AGK研究員Wアストラル】
烏魯木斉ウルムチから百八十キロ南西、
緯度経度も正しいのに見つからない。
幻のように消えたんだ!
【AGK研究員Aアストラル】
かい族の少年カールが言ってた――
蟻走痒感府ぎそうようかんふが現れるには、
三十六の条件が必要らしい。
【AGK研究員Wアストラル】
条件で思い出した!
アルベルト、お前ゼーラム六八六の
フェラー還元方程式、知ってるか?
【AGK研究員Aアストラル】
ゼーラム六八六?
何だそれは?
ゼーラム五二五なら知っているが……
【AGK研究員Wアストラル】
俺の聞き違えかな……
確かに六八六なんて知らないな?
――あ、いや、知ってる気が……

会話をしていた2体のアストラルが音もなく消えた。そこへ中型アストラルがやって来た。

【ヘンリーオートCアストラル】
毎日がデリシャス!
ウェストロックのウェストダイナー、
カイザーひげのハモンド爺ちゃまは、
狼もちびるWWⅡの英雄さまだ!
油汚れでギトギトの厨房ちゅうぼうの窓から、
くそったれ災い州間道路をにらみつけ、
喧嘩けんか売るのが日課の爺さまだ!

あの州間道路は災いのデパートだ。
五十八年の大竜巻は、
あの道路に沿って移動しやがった!

ウェストロック高校の社会科教師、
オールドミスのドロシーも災難だ。
クルマは十八マイル先の沼で、
カエルの学校の校舎になっていた。
でもミスドロシーの姿はなかった――

ブライトン爺さん、
あの怪物こしらえたの俺だと思ってる。
あほらしー!
身体中から大小の砲身、
十二本も生やしてやがった!
一番でかいのは二五〇口径はある、
一五〇口径の榴弾りゅうだんも見たぞ!
怪物はウェストロックでは一発も、
撃たなかった――
その代わりツーソンは全滅した。

大和ヤマト天皇エンペラーは魔法を使うらしい。
エンペラーズヴンダーだ……
でもな、何でドイツ語なんだ?
クラスにドイツ野郎いたからな、
ヴンダーってのはドイツ語だぞ。

俺は今大和語ヤマトニーズを練習中だ。
自分名前も書けるぞ、大和語ヤマトニーズで。
湖泥亜駄無素コーディアダムス――

中型アストラルはぐるぐると回転して消えた。

〔品川図們〕

次の街区に進むと、アストラルが寄って来た。

【AGK2研究員Hアストラル】
フェラー還元方程式の完成で、
カー体の半減期が二万六千年に伸びた。
発見時は二秒半で崩壊したのに。

もう一体のアストラルも来た。風魔のすぐ目の前にいる。

【AGK2研究員Pアストラル】
カー体を触媒として、
ゼーラム六八六は誕生した!
釣鐘二ツヴァイに満たして荷電かでんすると、
強烈な量子場が形成される――
まさに量子力学の奇跡だ!
釣鐘二ツヴァイは、空中三百メートルで、
直径四十キロの椀状わんじょう空域を生じる。
椀の中は数千度の高温となる――
【AGK2研究員Hアストラル】
総統フューラーの決断は早かったな!
ロンドン、パリ、モスクワ……
皆、壊滅だ。
我々は神の意志を得た――

2体のアストラルは左右へ去った。そこへ一体のアストラルが来る。アストラルは様子をうかがうようにして風魔に近寄ってきた。

【AGK研究員Gアストラル】
何だ、今の連中は?
何を寝物語をしている!!
あああ、苦しい……
息ができない――

《バトル》

【AGK研究員Gアストラル】
勝手にAGKアーゲーカー2を名乗るな!
私はユルゲン・フェラー博士の、
一番弟子なんだぞ!!

アストラルが爆ぜるようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
別のアストラルが来ます――
おそらくヘレナさんです、
かなり苦しんでいます……

無線の後、中型アストラルがやって来た。その動き、どことなく不安定である。

【風水師HSアストラル】
たしかに自暴自棄になっていたわ!
六年も付き合った人と、
酷い別れ方をしたんだもの。
でもね、死のうなんて考えない。
ただ眠りたかっただけ――
ぐっすりとね!
おかげでよく眠れた……
なのに、何故、目覚めるの?

ここはフカヒレ屋の奥ね!
壁には八年前のカレンダーが――
コーマ状態でも髪は伸びるのね!

フフフフ~
さぁ、戻して頂戴、
また眠りの世界へ!!

《バトル》

【風水師HSアストラル】
ふう……
体が軽くなっていくわ。
――これでいいのよ、これでね……

アストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
ヘレナさん、戻られたようです。
やっぱり……

桃源郷とされる蟻走痒感府ぎそうようかんふとアルツケアンは、繋がりを持っていた。
そして帝都は不思議な未来とも繋がっている。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
またちょっとズレた未来と、
繋がってしまいましたね!
【新山眞】
いやぁ、ズレているかどうかは、
まだわかりません。
それにしてもすごい未来です!
ナチが量子爆弾をこしらえ、
我が方は――
【喪神梨央】
ヴンダー、怪物です。
巨大なが、実体化している、
そういうことなでしょう?
【新山眞】
キタイスカヤでもその会話が……
芽府めふ須斗夫すとおが言っていました。
怪物とは巨大な人籟じんらいであると。
【喪神梨央】
でも、そんんなこと、
本当に起きるんですか?
が見えるようになるなんて。
【新山眞】
今のところ、可能性は低いです。
ただ、何が起きるかは――

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです、
今度こそゆっくりはダメだ、風魔ふうま
【喪神梨央】
どうしたんですか?
でも見たんですか?
【九頭幸則】
例の違うものに見えるって話さ!
――ほら……
【新山眞】
仮構かこう、ですね。
東京ゼロ師団による――
【九頭幸則】
それそれ!
青山の青山せいざんホテルが、
いつのまにやらトゥーレの館に――
【新山眞】
何ですって!
独逸ドイツ流儀の召喚術を伝授する……
【喪神梨央】
鬼龍大尉が宿舎として使い、
その後、麗華さんが部屋を取り――
あの青山ホテルですね!
リヒャルト・フィンケが、
以前、宣言していましたね。
帝都にも館を置くって――
【九頭幸則】
何だか知らないけど、
人だかりができているよ。
【喪神梨央】
――兄さん……
アルツケアンですが、
アーネンに渡ったうちの一つは、
仮面の男が取り込みました。
もう一つの行き場が気になります。

第八章 第十三話 キタイスカヤ

〔山王機関本部〕

その日、梨央りおは一冊の本を手にしていた。尤志社ゆうししゃがこの夏に出版した本である。『暁光日本ぎょうこうにっぽん』という書名があった――

【喪神梨央】
兄さん、これです、この本です。
【帆村魯公】
例の尤志社ゆうししゃが出したという本だな。
――にしても、随分と薄いな……
本というより冊子だな。
【喪神梨央】
全部で八ページ、中面は六ページです。
どのページにも旭日旗きょくじつきと和歌があります。
【帆村魯公】
これは色々な百人一首から、
愛国的ともくされる歌を集めたものだ。
【喪神梨央】
わが国は いともたふとし 天地あめつち
神の祭を まつりごとにて
【帆村魯公】
この冊子には歌しか無いのか?
【喪神梨央】
表紙には文句が……
時弊じへいがいして我が国体こくたい精華せいかを説く!そうありますが――
大君おおきみの 御楯みたてとなりて つる身と
思へばろき 我が命かな
【帆村魯公】
うーむ……
かような貴族趣味を気取っていては、
国体を論じるなど無理そうだな。
【喪神梨央】
でも隊長!
裏表紙の広告を見てください。

そこには銀河ぎんがゼットー博士が開発した、夢玄器むげんき瓜二うりふたつの機械が紹介されていた。その名もキノライトという――

【帆村魯公】
これは――
夢玄器むげんきではないのか?
【喪神梨央】
活動キネマ界の一大事とあります――
【帆村魯公】
総天然色写像、パノラマ活動器、
軽量にして携行式けいこうしき――
【喪神梨央】
脳楽丸のうらくがんびん付随ふずい
脳楽丸、付いてくるんです、二びんも。
【帆村魯公】
課の情報が漏洩ろうえいしたか?
あるいは飯倉いいくら技研か……
だとすると由々ゆゆしき事態だ。
【喪神梨央】
三十三円六十銭です。
販売所、銀座です。東京幻燈げんとう工業――
この会社、ちょっと調べてみますね。

ノックの音がして新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
失礼します。
飯倉いいくら技研の新山にいやまです。

梨央りおはいい按配あんばいにやってきた新山にいやまに、キノライトの広告を見せた。驚きの表情を見せた新山にいやまであったが――

【新山眞】
見てくれの形は似ていますが、
機能はまったく異なるようです。
――これはかぶ幻燈機げんとうきですね。
【帆村魯公】
なんと!
幻燈機げんとうきかぶったりして、
ぜんたい、何が面白いのだ?
【新山眞】
大きな写像が展開して、
あたかもその中にいるかのような、
めくるめく体験が得られるはずです。
キノライトが眼鏡型というところ、
そこが何よりユニークなのです。
【帆村魯公】
眼前に大きな写像が広がると、
まともには歩けんわな!
【新山眞】
銀座の町をかして見ながら、
華麗なレヴューを重ねて楽しむ、
そんなこともできそうですね。
【喪神梨央】
楽しそうです!!
【帆村魯公】
おい、梨央りお
滅多なことを言うもんじゃないぞ。
【喪神梨央】
――すみません……
脳楽丸付いてます、怪しいですよね。

そこへ如月きさらぎ鈴代すずよがやってきた。どことなく浮かない顔をしている――

【喪神梨央】
鈴代すずよさん――
何かご心配事ですか?
【如月鈴代】
胸騒ぎがするのです――
新京シンキョウにいる麗華れいかさんのことです。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、高女の寄宿舎ですよね。
関東軍の護りもあるんですよね?
【如月鈴代】
関東軍特務部――
そこは満蒙まんもうの経済開発をうながすため、
設けられた部署です。
近く関東軍司令部が、
新京シンキョウに移転してくるのです。
そういった受け入れもやっています。

新京シンキョウ駅の南西に位置する西広場。その広場に面して新京シンキョウ敷島しきしま高等女学校が建つ。学校の南、平安町一丁目に杏花寮きょうかりょうがあった。

【如月鈴代】
西広場の辺りには満鉄社宅、
海軍公館、理事公館があります。
大きな給水塔が目印です――
くだると広々とした西公園があり、
公園の南側一帯が関東軍の用地です。
もう建物はほぼできていました。
【帆村魯公】
泣く子も黙る関東軍。
心強い限りではないですか!
【如月鈴代】
ええ、状況からすると、
何も心配いらないように思えます。
――でも、何か起きそうで……
青山新京シンキョウに大きな穴があったと――かつて青山墓地に現れたような。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴ですが、
帝都の青山墓地はいつも通りです。
まだ影響が及んでいないようにも――
【帆村魯公】
だがセヒラは確実に濃くなっておる。
そうだろ?

中座していた新山が神妙な面持ちで話す。

【新山眞】
ちょっとよろしいですか?
――際立つ波形を観測しました。
ホテルロビーへお願いします。
私もすぐ参ります。

〔山王ホテルロビー〕

【新山眞】
お待たせしました。
先程の際立つ波形、
発生場所は渋谷方面でした。
一瞬、極めて高い値を記録しました。
【喪神梨央】
渋谷ですか……
渋谷憲兵大隊がありますが。
まさか、宗谷そうや大尉が?
【新山眞】
その可能性はあります。
あの際立きわだかたは、死に直面したとき、
主に現れる波形ですから。
【喪神梨央】
――際立つ波形……
じゃ、宗谷そうや大尉が、処刑された?
裁判もなしにですか?
【新山眞】
わかりません――
ただ波形の記録が残るのみです。

【着信 帆村魯公】
風魔ふうま式部しきべ氏からでな、
芽府めふ須斗夫すとおが目を覚ました。
ちょっと行ってくれないか。
【喪神梨央】
一ツ橋の憲兵隊本部ですね。
あそこはれっきとした憲兵隊です。
それでは公務出動とします。

公務電車内で梨央りおから着信があった。宗谷そうや大尉は渋谷憲兵大隊で処刑された、そう陸軍省に連絡が入ったという。しかし処刑時の波形を詳しく調べると、宗谷そうや大尉のとは大きく異なるとのことだった。
これは何を意味するのか――

〔東京憲兵隊本部〕

【着信 喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴のせいかわかりません、セヒラ、かなり強くなっています。
芽府めふ須斗夫すとおが予言を語る、
半覚半睡はんかくはんすいの状態になるには、
もっとセヒラが必要なんですね。

憲兵隊本部玄関前では、2人の憲兵が目つきの怪しい一人の憲兵を誰何すいかしていた。

【日吉憲兵中尉】
安心院あじむといったな。
貴様、見ない顔だ――
所属部隊を言え!
【奥沢憲兵少尉】
安心院あじむ中尉殿は、
新しく赴任ふにんされたのですか?
【安心院憲兵中尉】
何をごちゃごちゃ言ってる?
ウハハハハ~
ここは渋谷憲兵大隊の指揮下に置く。
さぁ、そこを退!!

本部奥から白衣姿の技手と思しき男性が走り来て目つきの怪しい憲兵を指差して叫んだ。

【長原技手】
中尉は小型写真機を隠し持ち、
エニグマ暗号機のダイヤルを、
撮影していました!
私、見たのです!
忘れ物を取りに戻ったとき、
あの部屋に人の気配があって――
【安心院憲兵中尉】
ミュンヘン仕込みの技術は、
人を詮索せんさくするのに費やされたのか!
国費の無駄遣いだな!!
【日吉憲兵中尉】
間諜かんちょうは許さんぞ、中尉!
今すぐ、写真機を渡せ!!
【安心院憲兵中尉】
邪魔だてするな!!

山王さんのう機関も随分と鼻が利くようだ。
比叡山ひえいざんもっておればいいものを。
法螺貝ほらがいでも調達してやろうか?

《バトル》

【安心院憲兵中尉】
フフフ……
お前たちがどう足掻あがこうが、
計画は進む――

憲兵怪人が倒れ消えた後に小型のカメラが落ちていた。白衣の技手はそのカメラを拾った。

【長原技手】
エニグマ暗号機は、飯倉いいくら技研に渡し、
研究を続けることになりました。
この写真機も届けておきます。
【沼部憲兵少尉】
大丈夫ですか?
怪我けがはありませんか?
【中延憲兵少尉】
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉殿ですね。
奥で式部しきべさんがお待ちです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程は咄嗟とっさのことで――
もうセヒラは観測しません。

無線交信後、風魔は憲兵隊本部へと入って行った。

〔東京憲兵隊本部尋問室前〕

尋問室前の広い部屋に式部丞と芽府須斗夫がいた。

【芽府須斗夫】
眠気を感じるけど、
横になると眠れないんだ――
だけど、うとうとしたとき、
ふと、あることを考えている――
そう、僕には行かなきゃならない、
場所があるってことをね。
そこはいわば僕にとっての約束の地、
いや、にとってのと言う方が、
うんと自然だね。
でもまだ行けない――
そこには一匹のへびが居着いたからさ!

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとお君……
そろそろ言葉は出そうかね?
【芽府須斗夫】
今日、これで三回目を覚ました。
前も三回目に浮かんだんだよ――
【式部丞】
例の暗号文のことだね。
【芽府須斗夫】
言葉はまるで木漏こものようにして、
頭の底に描かれるんだ。
陽の光が必要だし、風も必要――
【式部丞】
それじゃ、まだ少し掛かりそうかな?
【芽府須斗夫】
そうでもないんじゃない?
――同じ光を他にも感じるよ。
ひとつ……ふたつ……
この町に僕と同じような存在がある。
金雀枝えにしだ色の瞳をした少女、
そして若い男性だ――
【式部丞】
彩女あやめ君、いや千紘ちひろと名乗る人格――
もう一人は……もしや……
【芽府須斗夫】
言葉が見えるよ――
こんどもアルファベットだ!
【式部丞】
ゆっくり頼むよ、
芽府めふ須斗夫すとお君!
【芽府須斗夫】
T……E……T……K
YSWH……
それから……ACFQBD――

芽府めふ須斗夫すとおは自らの頭の中を探るようにして、アルファベットの文字の羅列られつを語った。
今回も言葉の意味はわからない――


【芽府須斗夫】
行かなきゃ!
その思いがますます強くなった。
僕は行くよ。
これは決められたことかも
知れないんだ。

そう言うと芽府須斗夫は踵を返して尋問室へと入った。式部と風魔は玄関へ向かった。

〔東京憲兵隊本部〕

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおの語った言葉、
またもやエニグマ暗号文でしたね。
彼は覚醒かくせいして語る時は、
素の言葉は語らないようです。
エニグマ暗号機は試作機があり、
飯倉いいくら技研に研究を引き継ぐそうです。
あそこなら完成させられるでしょう。

私、これから青山の脳病院へ。
彩女あやめ君の様子を見てきます。
彩女あやめ君を預かっていた蛭川泊ひるかわとまり博士、
しばらく所在不明だったのですが、
昨日、見付かりました。
医科の学生が見かけたのです。
省線錦糸町きんしちょう駅前でした。
博士は煙草たばこ売りをしていたと――
自分のこと、十二歳の孤児こじなんだ、
そう強く思い込んでいたとか。
名前はタハラサダキチだと――
それに強い東北訛とうほくなまりがあったそうです。
蛭川ひるかわ博士は奈良の出身です。
でも見紛みまごうことはなかったと――
色々と博士に話を振るものの、
全く噛み合わなかったため、
医科生はあきらめたのだそうです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピン宗谷そうや大尉の波形確認!
はらえのへ急いでください!

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
渋谷憲兵大隊で処刑されたとおぼしきは宗谷そうや大尉ではなかったようだ。
連中、軍務局長暗殺が表沙汰になり、
力尽ちからずくで収束させようとしておる。
【新山眞】
まさに死人に口なしというやつです。
【帆村魯公】
宗谷そうや大尉の身柄を確保できれば、
連中の茶番もつまびらかになるわい。

【新山眞】
気を付けてください。
キタイスカヤ街が現れた、
そんな噂も飛び交っています。
【喪神梨央】
兄さん……
時間のずれが拡大しています。
帝都満洲の三日は、
帝都の二十日以上にもなります。
私たち、
どんどん歳を取っちゃいますね――

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンに着くと一人のアストラルがスーッと寄ってきて言う。

【脱走兵アストラル】
ふん、下関しものせきまで六日もかかった!
――何が静岡の第三十四連隊だ、
もう真っ平御免ごめんだ!
俺はな、見たんだ――
沼津ぬまづの省線病院でな。
顔吹き飛ばされた化物をだ!
今はトルゴワヤ街の崩れかけたビル、
その二階で満人苦力クーリーと同居の身だ。
脱走兵だからな、表にゃ出られない。
老いぼれ苦力クーリーを、
露人ピー屋の店先へれる、
それがせいぜいのらしだな!

そこまで言うとアストラルは音もなく去った。風魔は先へ進む。

【逃亡者アストラル】
キタイスカヤ街からモストワヤ街へ、
角を曲がって少し行くと、
ソフィースキー寺院があります。
亡命ぼうめい露人ろじん浄財じょうざいで建ちました。
計画からゆうに十数年――
私にはそういう場所がありません。
でも正金せいきん銀行からくすねた金がある。
実に一万五千六百円――
クックックッ……
この陋巷ろうこうを絵にしたような、
ボレヤワ街ともおさらばだ!
越南えつなんでホテルを開くのだ!

【満洲浪人アストラル】
傳家甸フーザテンの辺りは満人だらけだ。
日本人の多いモストワヤ街とは違う。
鉄道附属地外だからな、
道外タオワイと呼ぶのもよく分かる。
――だが、俺にはむしろお似合いだ。
松花江スンガリー沿いの阿片窟あへんくつにだけは、
近寄らないようにしているがな。
春観園チュンクワンイエンという店だ――

【行旅人アストラルW】
ロバート高台こうだいはおすすめです!
傳家甸フーザテンの南端にそびえる南崗なんこう高台こうだい
傳家甸フーザテン、八区、埠頭区プリスタン
および松花江スンガリーの一帯が、
浮刻うきぼりのごと一眺いっちょうの中に収められて、
まさに絶景である――
――俺、町を抜け出せたのか?
因須磨洲いんすますだよ、魚臭い陰気な町だ。
もう五年もいる――
町を出ようと省線の駅に来た……
薄暗く人気のない待合で、
因荒いんこう線の汽車を待つうちに――
つい、うとうとして――

はっ!!
何だよ、まだ待合にいるじゃないか!
まだ因須磨洲いんすますじゃないか!!
旅行案内が落ちている――
満洲へ。
台湾へ。
俺は落ちている旅行案内を見て、
町を抜けた気になっていただけだ!

ぎゃぁぁぁぁぁ~
俺は因須磨洲いんすますから抜けられないのか!
臭い、臭い、魚臭い!!

叫び声を上げながらアストラルはぐるぐると回転して消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に再び塔が現れたと、
今、通報がありました。
先程の街区ですが、
強いセヒラを観測します。
警戒してください!

交信が終わると風魔は先程の街区へと戻った。奥から中型アストラルが近付いて来た。

【ファンターヂアの客アストラル】
埠頭区プリスタンのザオドスカヤ街――
ファンターヂアはそこにある、
絢爛豪華けんらんごうかなキャバレーだ!
ロシヤ料理あり、ステージあり、
バンドあり――
ロシヤ美人のむ甘酒に酔い、
美人と踊り、歌いたわむれ、
合間のステージのもよおものながめ、
国際都市の豪華ごうかな夜を過ごすのだ!
それもすべてはあの大柱の護り!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
【ファンターヂアの客アストラル】
ウハハハハハ~
大柱はもう一本あるはずだ!
お前らに邪魔されてなるものか!!

《バトル》

【ファンターヂアの客アストラル】
カズヘック、オケヤン、モスコー、
ロンドン、エデム……
うるわしのキャバレーの数々――
どれもこれもがまぼろしだ――
愛は何故遠ざかるのだ?
爛酔らんすいのひとときはかくも短い!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
以前と同じ不思議な波形です。

交信が終わるや周囲が波打つようになり、やがて暗転した。
やがて朧げに明るくなると、そこは露西亜様式の建物が並ぶ哈爾浜はキタイスカヤの町並みだった。背広姿の男性の他に着物姿の女性も見える。皆、異国の街を楽しむようにそぞろ歩いている。


【着信 喪神梨央】
不思議な波形が続きます……
――そこは、本当に、満洲……
そうなのですね?
これまでの波形の記録を元に、
新山にいやまさんと仮説かせつを組み立てます。
――しばらくお待ちください。

【毛皮商の鳴海久男】
おや、内地ないちからですか?
ようこそ、うるわしの哈爾浜ハルピンへ!
いやぁ、商売が順調でね、
毎日浮足立つようです、私なんか!
私がここで扱う毛皮はね、
狐、銀狐、とらひょう――
もっぱらこの四種です。
哈爾浜ハルピンマダムに売れて売れて――
仕入れが追いつきません!

【菓子商のエフゲニー・チチェロワ】
あなた関東軍の人?
菓子の卸先おろしさきを探していてね。
どうです、軍隊でおひとつ。
ロシヤあめ、ロシヤキャンデー、
ウィスキーチョコレート、
それにモスコーボール――
どれも口に入れた途端とたん
あなた、ほっぺが落ちます!

【織物屋女将の吉塚静代】
うちの品物は満洲随一ずいいちよ。
ロシヤ更紗さらさ、ゴブラン織、
それにルパーシャ――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラを観測しました!
波形は相変わらず、
おかしなままです――

【織物屋女将の吉塚静代】
あら……
あんた、どっから声出してるの?
さっきの人のお仲間かしら――

着物姿の女性が離れるのと入れ替わりに、背広姿の男性が近づいて来た。どことなく虚ろな目をしている。

【宝石商の竹尾源二郎】
あんた――
徳次郎のこと、知ってるニャ!
おいら、源二郎だニャ。
この人、同じ名前ですっーと入った、
隙間すきまもなんも、まんま入った――
そういうこともあるニャ。
友達の藤次郎も似たようなことニャ。
同じトウジロウだニャ……
でもちょっと字が違っていて、
入るのに手こずったらしいニャ!

う……
何だ、私は……
あや、お客さんですかい!
如何いかがですか、黒ダイヤ、砂金石、
ウラルダイヤにアレキサンダー!
つぶぞろいですよ、お買い得です!

そこまで言うと男性は急に腰を折った。

【宝石商の竹尾源二郎】
そうだ、診療所しんりょうじょに行くんだった。
ブテワヤ街の診療所しんりょうじょに急ごう!
あああ、頭が割れるようだ――

男性は荒い息を吐きながら去った。風魔は先へ進んだ。
そこには将校服の男性が立っていた。茫然自失としている――

藤次郎とうじろう
おいら、次郎ニャ!
この人は次郎、字が違うニャ。
けど、入れたニャ――
宗谷東次郎という将校ニャ!
東次郎は少年に帰ったニャ。
岐阜ぎふ揖斐いび揖斐町いびちょう三輪みわの六、
三輪みわ神社参道前の米問屋のせがれニャ。
米問屋の屋号は矢野千やのせんだニャ。
先々代の矢野やの千太郎せんたろうちなむニャ。
――そうニャ!
この人は宗谷そうや東次郎とうじろうじゃないニャ!
姓は矢野やの、名は一作いっさく
矢野やの一作いっさくだニャ!
尋常小学校の頃はイッサだニャ!
その渾名あだなで呼ばれていたニャ!
イッサ、イッサ、イッサ!!

宗谷東次郎と思しき将校は、急に苦しそうに腰を折った。そして目を見開き風魔を見上げて尋ねる――

ねぇ、お兄さん――
三輪みわ尋常の校歌、知ってる?
僕の通う学校だよ!
揖斐いびの 流れよ 一朶いちだの雲よ~
妹のやつ、チエ子だけど、
校歌、ちっとも覚えないんだ。
今、三年なんだけど――
あいつ、もらい子だからな……
時々、妙なこと言うんだ。
何もないところをじっと見て、
顔が見える、顔が見えるって。
ほれ、あれがお目々、あれがお鼻――
僕には顔なんか見えやしないさ!
ああ、もう時分時じぶんどきだな。
帰らなきゃ!
おっかあうるさいんだ!

将校は何事もなかったかのように姿勢を正した。その目は膜が張ったように虚ろである。

藤次郎とうじろう
危ない危ない、
隙間すきまが広がりかけたニャ!
もう、これ以上はたもてないニャ!

そう言うと将校はふらつきながら去って行った。
風魔の目の前に不意にバールが現れた。

【バール】
この町はいろんなとこに、
繋がってるニャ~!!
【バールの帽子】
どうしたゲロ?
やけにしおらしいゲロ!
バーンと飛び出さないのかゲロゲロ。
【バール】
そうしたいけどおっかないニャ!
ここはとてつもない場所だニャ!
【バールの帽子】
時間と空間とがグーンとゆがみ……
ここは本当の満洲なのかゲロ?
【バールの帽子背後】
いろんな人の思念が合わさり、
結晶化した、そんな場所じゃな。
ある意味、じゃよ。
【バールの帽子】
ゲロゲロ!
どこを見ても確かに哈爾浜ハルピンだ、
キタイスカヤ街だゲロ!
【バールの帽子背後】
じゃがな、まだ隙間すきまがある、
そういうことじゃろ……
今さっきの奴、猫きの東次郎とうじろう――
東次郎とうじろうの記憶を辿ることじゃな!
【バールの帽子】
どっちだゲロ?
猫の藤次郎か、大尉の東次郎とうじろうか――
【バール】
暗殺事件を起こしたのは東次郎とうじろうニャ。
東次郎とうじろうの記憶を辿るニャ!
まだその辺に思念しねんただようニャ!

風景が揺らぎ始め暗転した。

〔若松町〕

現れたのは夕闇迫る帝都であった。周囲は薄ぼんやりしている。市電も車もない往来に2人の将校が向き合っている。一人は先程の宗谷であった。

【伊班宗谷隊員】
軍務局に課なる部署がある、
常田つねだ大佐はそうおっしゃるが、確かか?
【露班尾張隊員】
確かであります!!
軍務局兵器課の隣に、確かに!
我々は出し抜かれたのでしょうか?
【伊班宗谷隊員】
このまま看過かんかすればそうなる。
軍務局長、真坂まさか閣下かっかの首を取る!
すれば時局は動くだろう――
【露班尾張隊員】
続く久鹿くろく計画についても、
準備はとどこおりなく進んでおります。
先般せんぱん、襲撃目標の最終が出ました。
首相官邸、陸相りくしょう官邸、蔵相ぞうしょう邸、
教育総監、侍従長じじゅうちょう、それに――
【伊班宗谷隊員】
もうよい。
最大員数は何名だ?
その目標は?
【露班尾張隊員】
はっ!
警視庁占拠せんきょ班の二百五十名です!

【着信 喪神梨央】
久鹿くろく計画とは何ですか――
大きな襲撃計画があるようですね。
逐一ちくいち、参謀本部に連絡を入れます!

風景が揺らいで暗転した。

〔霞町街路〕

次に別な町角が現れた。宗谷が別の将校と向き合っている。

【伊班留萌隊員】
明日の午前中、
真坂まさか閣下かっかに予定はない。確認済みだ。
外出も面会もな――
【伊班宗谷隊員】
よし、決行は明朝だ!
――それで、車はどうだ?
三宅坂みやけざかに用意できるか?
【伊班留萌隊員】
ああ、大丈夫だ。
目立たない一台を用意する。
首を取ったらすぐ向かえ。
局長をった刀は執務室に捨て置け。
――それで、貴様、
どの刀を使うつもりだ?
【伊班宗谷隊員】
三輪みわ刀だ。
俺の地元の刀鍛冶かたなかじの手になる一振り、
そいつが一番馴染なじんでいる。
捨て置くに忍びないが……
【伊班留萌隊員】
刀は重要なしるしだ、仕方ない。
ただ首を取るだけではないのだ。

【着信 喪神梨央】
軍務局長暗殺前日の様子です!
確かに刀は局長室にありました。
血塗ちまみれながら刃毀はこぼれ一つなく――

またもや風景が揺らいで暗転した。

〔興亜百貨店前〕

次にぼんやりと現れたのは興亜百貨店前と思しき場所であった。宗谷の後ろから一人の佐官が声をかけた。

【伊班信濃隊員】
大尉――
ああ、いや、振り向かんでいい。
真坂まさか閣下かっかは即死だったそうだ。
苦しむ間もなかったろう――
貴様は計画実行まで身を隠しておけ。
久鹿くろく計画の襲撃目標は、
結局、全部で十一箇所になった。
【伊班宗谷隊員】
信濃しなの少佐殿……
あ、いや、信濃しなの隊員――
一箇所増えたのですか?
【伊班信濃隊員】
ああ、最後に付け加わったのは、
多田野ただの元内大臣邸だ――

宗谷はかかとを鳴らして振り向いた。

【伊班宗谷隊員】
多田野ただの伯爵はくしゃく……
何故、閣下かっかを?
それは何故なぜですか!!
【伊班信濃隊員】
多田野ただの閣下かっかが貴様の恩師おんし
幼年学校時代の恩師おんしなのは承知だ。
だがやむを得んのだ――
【伊班宗谷隊員】
多田野ただの閣下かっか……いや、先生――

宗谷はガクッと膝を折った。息遣いが荒くなっている。そして地面に目を落としたまま甲高い声を上げた。

どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?
蓬藁ほうこう深く 月えて~
松籟しょうらい高き 清洲城きよすじょう
今中村いまなかむらの 旧草蘆きゅうそうろう~~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!!

宗谷がすっと姿勢を直し風魔を見据えた。

【伊班宗谷隊員】
誰だ! そこに隠れているのは?
――姿を見せろ!
ううう、さもなくば――

《バトル》

【伊班宗谷隊員】
計画、復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相ぞうしょう鉄相てっしょう
農相のうしょう文相ぶんしょう各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王ホテルに宿泊せり!!

【着信 喪神梨央】
くろはち……帥士すいし
聞こ………か?
すい…を確………きません――

雑音混じりの交信が終わるや否や、周囲から光が消えた。宗谷と風魔はねっとりとした暗闇の中にいた。そこへ不意に声がする――

【驚愕する声】
逸材いつざいだ!
まさに千年に一度の逸材いつざいだ!
――君は力のみなもとだ!
大軍を率いてベツルアを包囲した、
アッスリアの元帥げんすいホロフェルネスよ!

宗谷は声の元を探しているのか、辺りを見巡らせている。そうしてある一点を見据えて言った。

【宗谷東次郎大尉】
真坂まさかつよし閣下かっか
自分……無念であります!
処断しょだんやいば、今ここに!!
【驚愕する声】
君のような稀代きだい益荒男ますらおられ、
真坂まさか閣下かっか本望ほんもうではないかな?

宗谷は両手で頭を抱えた。そして言う――

【矢野一作】
――あいつのせいなんだ……
チエ子だよ、あいつが告げたんだ、
そうに違いない!
【驚愕する声】
チエ子、それは君の妹だね。
もらわれ子だったね?
壁やへいに人の顔が見えると言う――
【矢野一作】
ああ、そうだよ。
チエ子には顔が見えるんだ。
あの日も顔が見えたに違いない!
顔が見えます、あれはおじさんです、
保険のおじさんの顔が見えます、
お母さまと仲良しのおじさんです――
父が休暇で一年ぶりに戻った日、
チエ子の奴、顔の話したんだ!
それで父は――
【驚愕する声】
見えた顔とは保険のオジサンだね!
君のお母さんとよく同衾どうきんしていた!!
お父さんの留守中にね!
お父さんは勇敢ゆうかんだったよ!
なんと、お母さんの白いお腹をね、
真っ赤になった火かき棒でね!

次に話す宗谷の声はこれまでになくか細いものだった――

【???】
クルト……
僕を見てくれる?
ほら、これだよ……
僕のファーターが彫ったんだよ――
僕とともに大きくなるんだ――
この十字架ダスクロイツはね!

【驚愕する声】
さぁ、身をささげよ。
お前自ら依代よりしろとなり、
道をひらくのだ――
二本目の柱となれ!
大柱、ボアズとなれ!!

頭を抱えていた宗谷はその両の手を掲げた。まるで天空に向かって身を捧げるかのように。

【宗谷東次郎大尉】
うわぁぁぁぁ~
体が……どうしたんだ!!

その後につんざくような悲鳴が響いた。風魔は固く目を閉じた。
次に目を開くと、宗谷の姿は闇に飲まれたかのように消えていた。もう声もしなくなっていた。暗闇がゆっくりと溶解していった。

〔山王機関本部〕

宗谷そうや大尉の遺体は衛戍えいじゅ病院に運ばれた。検屍けんしの結果、遺体に外傷はないとのこと。不思議なことに死斑しはん死後硬直しごこうちょくもないという。

【帆村魯公】
宗谷そうや大尉は碑文谷ひもんやにある、
林業試験場で見つかった。
木にもたれかかっていたという――
【喪神梨央】
その時はすでに死んでいたんですね。
【帆村魯公】
職員が肩に手をかけたら、
崩れるように倒れたそうだ。
死後、十時間は経っていたそうだ。
【喪神梨央】
大尉はメモを持っていました。
久鹿くろく計画をしるしたものです――

それは驚くべき襲撃計画であった。
首相官邸、陸相りくしょう官邸への襲撃を始め、蔵相ぞうしょう、内大臣、教育総監そうかん侍従長じじゅうちょうらを襲い、警視庁、新聞社を占拠せんきょする計画である。計画参加員数は総勢七百九十八名、国家、陸軍の中枢ちゅうすうを襲うという、まさにクーデターと呼ぶにふさわしい内容だ。

【喪神梨央】
山王さんのう機関も襲撃目標にありました。
十六名の員数が予定されています。
【帆村魯公】
久鹿くろく、つまり皇紀ニ五九六年、
襲撃は来年年初に予定されておった。
九六で久鹿くろくだな――
【喪神梨央】
久鹿くろく計画は未然みぜんに防げたのですか?
【帆村魯公】
陸軍省、参謀本部に知れてしまった。
秘匿ひとくのうちに進めることはできん。
はたして、連中、あきらめるかどうか――
【喪神梨央】
そういえば……
【喪神梨央】
別人を宗谷そうや大尉として逮捕たいほし、
裁判にかけず処刑した――
渋谷憲兵隊はどうからむのですか?
【帆村魯公】
逮捕たいほされたのは千葉連隊区の事務だ。
将校服着て憲兵と一緒のところを、
同僚に見られていたのだ。
【帆村魯公】
事務員がいつ将校になったのか、
同僚は大いにいぶかったそうだ。
【喪神梨央】
やはり、別口……ですね、
玄理げんり派と渋谷憲兵は。
ところで兄さん――

ノックの音が響き、新山眞が現れた。

【新山眞】
失礼します、新山にいやまです。
赤坂の柱ですが、
二本目も消えてしまいました。
【喪神梨央】
そうそう、そのことです。
兄さんが帝都満洲にいる間、
赤坂に柱が現れたんです。
帝都満洲で噂になっていた、
ヤキンとボアズ、二本の柱です。
依代よりしろになる柱だとか――
【新山眞】
猶太ユダヤ王ソロモンの神殿にあった柱、
高さ十八キュビトの青銅の柱――
それがヤキンとボアズです。
向かって左がヤキン、右がボアズ。
柱のこと、日本にも伝わり――
【喪神梨央】
猶太ユダヤの風習が日本に伝わり、
二本の柱は鳥居とりい門松かどまつに形を変えた。
そう言いますよね!
【新山眞】
赤坂の柱がどういう絡繰からくりなのか、
調べる必要がありそうです。
浅草十二階などと同じなのか……
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
新しい機械でもこしらえるんですか?

帝都満洲に現れたキタイスカヤの街。そして帝都満洲の異変が時を同じくして、帝都にも影響を及ぼした――
ヤキンとボアズ、この二本の柱の出現は、いったいなにを意味しているのだろうか?

第八章 第九話 総統の来日

〔銀座四丁目〕

銀座に出向いた祇園丸ぎおんまるからの要請で、風魔ふうまは夜の銀座に来ていた――

【祇園丸】
ヘーゲンのはなった執事型が、
僕を狙っているんだ。
だから助けを求めた――
ブレーメはギンザ一丁目だった。
店のウェートレスは写真を見て、
確かにこの人が来たと言ったよ。
ユンカー局長の写真を見せたんだ。
ユリアは先に戻った――
奴ら、僕が一人になるのを待って、
襲い掛かってきたんだ。
そう、相手は二人組だったんだ。
僕は全力で逃げた。
でも追いつかれて――
そのとき、ある人に助けられた。
背の高い、けわしい顔の人だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くでセヒラ観測しました。
注意してください!
【祇園丸】
この近くにいるというのか!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン
攻撃!アングリフ 攻撃!アングリフ

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……
【祇園丸】
やれやれ……
やけにしつこいな。
もう一体いるはずだけど――
【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、すっかり消えました。
もう心配はありません。

そこへ聖宮成樹がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん!
大丈夫でしたか!
【祇園丸】
この人だよ、
僕を助けてくれたのは!
【聖宮成樹】
そちらの方が、
お困りのようでしたから。
【祇園丸】
それじゃ……
後の一体はあなたが……
【聖宮成樹】
ともあれ、今は安全です。
立ち話というわけにも、
まいりますまい。
店にでも入りましょう。
さぁ、お二方、こちらへ――

聖宮がきびすを返した。祇園丸、風魔が後に続いた。

〔純喫茶青蘭せいらん

じき、日付の変わろうという時間であった。純喫茶は客もまばらである。

【女給かね子】
あらいらっしゃいましー
殿方とのがたがお二方にお兄さま……
ね、ね、聞いてくださる?
【聖宮成樹】
どうしたんですか?
【女給かね子】
興亜こうあ日報が純喫茶とカフェの
人気投票をするんですって!
それで銀座で一番を決めるのです。
一番になると私たちのお給金きゅうきんも――
【聖宮成樹】
そいつは気を抜けませんね。
【女給かね子】
純喫茶青蘭せいらんは銀座一の新進ですの!
是非ぜひ投票なすってね!
【女給さだ子】
かねちゃんの言うとおりよ。
銀座では花家はなや、フォンテーヌ、
カフェ・シエル、それから――
【女給かね子】
あらアモンも出るそうよ。
【女給さだ子】
いやだわ、アモンだなんて――
あそこはかなりのもんよ。
【神田のラムネ商】
恋人アモン
アモーン!
あすこはエロだ、大エロだぁ~
アモーン! アモーン!
大阪資本のエロ・カフェなりぃ~
美人女給三十名の空中輸送!
大阪特有の大衆的経営法!
豊穣ほうじょうなエロサービス!
【女給さだ子】
ちょいと、せいさん、
お静かにね。
もう遅いんだから。
【女給かね子】
珈琲コーヒーだと眠れなくなりそうね。
セイロン茶でもれましょうか。

そう言って女給が場を離れた。
聖宮は少しばかり声を潜めて言う――

【聖宮成樹】
喪神もがみさん……
瑛山会えいざんかいの物理学者、
柄谷がらたに博士のことですが――
どうやら猟奇倶楽部と、
関係があるようなのです。
【祇園丸】
え?
今、猟奇倶楽部と仰いましたか?
【聖宮成樹】
ええ、猟奇倶楽部です。
おそらくかなり高い位にあります。
【祇園丸】
その話、知ってます!
――いや、わかるのです……
西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんが残しました。
――こうです……

近く、高位の会員をお迎えする、
従順なる隸Θしもべシータ師という会員だ――

そこまで記憶が再生できました。
そのΘシータ師という会員が、
キョウトの学者なのですか?
【聖宮成樹】
従順なる隸Θしもべシータ師……
猟奇倶楽部での渾名あだななのですね。
喪神さん、
私はもう少し調べてみます。
またお目にかかりましょう。
【祇園丸】
柄谷がらたに……生慧蔵いえぞう……
キョウトの物理学者……
覚えておくよ。

日劇前で騒動があるとの通報で、純喫茶を出てそのまま日劇前へ向かった。祇園丸ぎおんまるは円タクで帰っていた。

〔日劇前〕

夜更けの日劇前は人もまばらであった。風魔の来るのを見て三人の男女が走り去った。袴姿の女性が二人、向き合うように立っている。

【中之島ファンの女性】
せっかく中之島なかのしま歌劇団の公演、
見に来たのに、今日は中止やて。
なんでですのん?
こいさん、もういにまひょ。
えらい遅うなってもうたわ――
円タクしかあらへんよ。
こいさん! 
なぁ、こいさん……
あんさん、聞こえてますのか?

話を聞いていたのか否か、黙っていた方の女性が前を横切って走り去った。

【中之島ファンの女性】
ちょ……
もう、なんやの、どないしたん!
こいさん! 待ちぃな!

声を荒立てながら、走り去った女性を追って行った。
そこへ黒い仮面を被った人物が姿を見せた。仮面越しの声はくぐもっていた。

【リヒャルト・フィンケ】
人は私を総統フューラーと呼ぶ。
トゥーレのやかたのね。
リヒャルト・フィンケだ、喪神もがみ君。
人というのは哀しい存在だね。
まるで打ちのめされるために
生まれてくるようではないか。
迷いをて、現実を超える――
私の教義にこれ以上の言葉は不要だ。

さて、そろそろ第一幕の始まりだ。
この素晴らしい劇場の前で、
このような宣言せんげんができるとは!
なんと、私は僥倖ぎょうこうに恵まれるのか!
来給きたまえ、鬼龍きりゅう君!

フィンケに名を呼ばれて鬼龍豪人がやって来た。鬼龍は遠くの一点をじっと見たまま言う。

【鬼龍豪人】
ヘルフィンケ!
愈々いよいよ、始まるのですね!
【リヒャルト・フィンケ】
私は残念で仕方がないのだ。
君たち日本人は資源を無駄むだにする――
うるわしい山河さんが、森に泉、清らかな流れ、
それにセフィラ!
素晴らしいセフィラを得ながら、
少しもかせていないではないか!
ヘッセン、ザクセン、バイエルン……
セフィラの湧出ゆうしゅつを認めるも、
ドイツではなかなか活用が進まない。
私から見ると日本人というのは、
金鉱脈の上とは露知つゆしらず、
汗して耕作しているようなものだ。
素晴らしいセフィラに恵まれた、
この町こそトゥーレのやかた
開くに適しているのだ。
【鬼龍豪人】
ヘルフィンケ、
私はつかめるでしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
君ならできるとも!
ただし……
【鬼龍豪人】
何でしょうか?
まだ私にいたらないところでも?
【リヒャルト・フィンケ】
君は持ちすぎているのだ。
欲は心をにごらせる。
【鬼龍豪人】
欲があってのことではありません。
古式東雲しののめ流が邪魔をするのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは君の中にケアンがあるからだ。
ケアン奥義おうぎを取り込んでいるのだ。
一度試してはどうかね?

このとき、鬼龍は体をフィンケに向けた。

【鬼龍豪人】
試す?
それはどういうことですか?
【リヒャルト・フィンケ】
自分をとことん落すことだ。
君が君でなくなるまでな!
【鬼龍豪人】
誰かに伝授でんじゅするというのでは、
駄目なのですか?
【リヒャルト・フィンケ】
ケアンというのは人を選ぶ。
つまりは君が捨てるのではない、
君が捨てられるのだ。
不毛な戦いによって、
君がケアンから見捨てられるのだ。
そこには不要だ――
【鬼龍豪人】
不要?
何が不要なのですか?
【リヒャルト・フィンケ】
心だよ!
自ら穴が空いたという心だ!

辺りが白くなったかと思うとやがて何も見えなくなった。暫くして暗闇に鬼龍の佇む姿が見えた。
どこからともなく声がする。鬼龍は耳をそばだてている――

【リヒャルト・フィンケ】
鬼龍きりゅう君――
もう一度聞かせてくれないか?
【鬼龍豪人】
何を……ですか?
私のことですか?
【リヒャルト・フィンケ】
人づてに聞いたものでね。
君は京都でガールフレンドを
くしているんだよね?
【鬼龍豪人】
彼女は……事故にったのです……
師団に面会に来た帰りでした――
【リヒャルト・フィンケ】
爾来じらい、君の心は、
京都に置き去りになったと聞くが。
【鬼龍豪人】
違います!
私は……求めたのです……
【リヒャルト・フィンケ】
何をだね?
君が求めたものというのは――
【鬼龍豪人】
――強さです。
力ではなく……精神の強さです。
【リヒャルト・フィンケ】
輜重しちょう隊では強くなるのは難しいね。
戦闘部隊ではないからね。
体も心も、強くはなれない――
【鬼龍豪人】
私は古式東雲しののめ流を極めようと――
そう心にちかい、日々精進しました。
【リヒャルト・フィンケ】
だが流派は閉じられてしまった。
君は腕を試すこともできず、
途方とほうに暮れていた――
【鬼龍豪人】
トゥーレのやかたへの招待状には、
あなたの署名があった。
あなたはすべて知っていたのですね。
事故のことも流派の閉じたことも。
すべてお見通しだった――
【リヒャルト・フィンケ】
君はめざましく腕を上げたね。
東雲しののめ流の素養が役に立ったのだよ。
――違うかな?
【鬼龍豪人】
あの頃はそうでしたが……
今、審神者さにわとしての私と召喚師の私、
その二人が戦うのです!
【リヒャルト・フィンケ】
君の中の二人は戦ってなどいない。
むしろ手を取り合っているのだよ。
君のルサンチマンがそうさせている。
ルサンチマンを乗り越えるには、
あるべき自分の姿を持たぬことだ。
理想も、目標も、夢もいらない。
【鬼龍豪人】
あるべき自分……
――私はこだわりすぎたのでしょうか?
求めるところが大きすぎるとでも?
【リヒャルト・フィンケ】
求めて得られる時代など、
とうに終わっている。
ただ、破壊あるのみだ!!

〔日劇前〕

鬼龍の心に去来したものは何であろうか?鬼龍は両眼を見開き、風魔を見ている。いや、見ているのではない、まさに射ようとしているのだった――

【鬼龍豪人】
私が浄化されるまで、
貴様を必要とする、そういうことだ。
さぁ、整えろ!
喪神もがみ風魔ふうま!!

《バトル》

【鬼龍豪人】
貴様は順当じゅんとうに腕を上げているようだ。
フフフ――
頼もしい限りだな。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
鬼龍きりゅうに好き勝手やらせて、
いいんですか?
明日、鈴代すずよさんが戻られます。
隊の方に言って、鬼龍を見張るように
お願いしておきます。
あっ、そうそう――
京都の紫水しすい会館から連絡があり、
古文書こもんじょは冬至についてだそうです。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル――

アラカは宮とか部屋の意味だとか。
第一の宮に太陽が入って折り返す、
それが冬至のことだそうです。
第七の予言のヒククは、
結局わからずじまいですね。
今日はもう遅いので公務終了です。
お休みなさい――

そう言って梨央が本部を後にした。そこへ不意に声がする――

【???】
風魔ふうま……
聞こえる?
私よ、淑子としこよ――
あなたに、
是非ぜひとも話さなきゃいけないことが。

風魔は激しい目眩めまいを覚え頭を抱えた。

ふと何かの気配を感じて顔を上げる。そこはセヒラの揺らぎに縁取ふちどられた溜池通であった。為す術無く立ち尽くす風魔の脇に、威勢よくバールが現れた。

【バール】
じゃ~ん!
久しぶりだニャ、風魔ふうま
またぞろ姉さんの声がしたニャ!
それで出てきたニャ……
今は夜中のはずなのにニャ!
【バール帽子】
誰かが鎌掛かまかけてたゲロ!
姉さん、黒焦げとか言ってたゲロ!
ちょっくら調べたゲロ!
話はぜんぜん違うゲロゲロ――
【バール帽子背後】
確かに修善寺しゅぜんじで若い女が死んだ。
焼身自殺でな――
死んだのは横浜の女学生じゃ。
失恋してな、もうヤケクソじゃな。
そもそも病気を苦にして、
焼身自殺する奴などおらんわい。
ありゃ抗議こうぎの意を込めた死に方じゃ。
【バール帽子】
つまりは風魔の姉さんは、
修善寺しゅぜんじで療養中に忽然こつぜんと消えた、
そういうことだゲロ!
新山にいやま技手ぎてが言ってたゲロ。
修善寺しゅぜんじ独逸ドイツ人がロッホを探したと。
なんかプンプンするゲロ!
【バール】
風魔の姉さん、
どこかで生きているかもニャ!
でもここは違うニャ!
風魔の記憶の中だニャ。
さぁ、気を取り直して、
本部に戻るニャ!

〔山王機関本部〕

いつの間にか朝になっていた。

【喪神梨央】
おはようございます。
――兄さん、本部で寝たんですか?
興亜こうあ日報が特報を出しましたよ。
オリムピック辞退か? って――
【帆村魯公】
本当か、それは?
皇紀こうきニ六〇〇年に予定されておる、
東京オリムピックのことだろ?
【喪神梨央】
まだ東京は候補の段階です。
ニ月の奥斯陸オスロ総会で、東京の他に、
羅馬ローマ赫爾辛基ヘルシンキが候補になりました。
来年七月の伯林ベルリン総会で決まるはず。
その前に東京市が辞退を検討中とか。
【帆村魯公】
怪人やらが跋扈ばっこする町に、
運動選手を呼ぶわけにはいかんな。
まぁ、あと五年あるが――
ただなぁ……
あれだなぁ――

一昨年の国連脱退に次いで、昨年末はワシントン海軍軍縮条約の破棄はきと、日本は国際社会で孤立こりつを深めていた。
また昨年は空前の大凶作に見舞われ、東北、北海道では農作物が大幅に減収となり、西日本を室戸むろと台風が遅い、世相を暗くした。

【帆村魯公】
ますます物情騒然ぶつじょうそうぜんとしてきた。
五年でいろいろ改善できないと、
オリムピック辞退もいたかたないわい。

そうだ、風魔ふうまよ――
聖宮ひじりのみや殿下から連絡があってな。
京都の学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだが、
ヘーゲン召喚師と接触したそうだ。
アーネンエルベにも出入りしておる。
【喪神梨央】
それじゃ……
虹人こうじんさんが銀座で見たのは、
ユンカー局長じゃなかったんですか。
ユンカー局長が入れているシュタインの波形、
新山にいやまさんが計算中です。
もう少しで波形を特定できます。

今日は鈴代すずよさんを、
お迎えする予定です。
省線の品川駅です――
一昨昨日さきおとといの午後三時に新京を出て、
品川には今朝七時二十四分着ですが、
かなりの遅れが出ているようです。
【帆村魯公】
牛頭ごずの連中に動向どうこうを探られない
とも限らんからな。
充分に警戒してくれ。

風魔は公務電車で品川駅前に駆けつけた。

〔品川駅前〕

下関しものせきからの夜間急行は遅れているという。
まだ駅玄関には鈴代すずよの姿はなく、代わりに将兵らが待機していた――

【一五市】
如月きさらぎ鈴代すずよ身柄みがら拘束こうそくする。
東雲しののめ流を再興さいこうすると聞いた。
そして月詠つくよみ麗華れいか嬢の懐柔かいじゅうをもたくらむ!
さては鬼龍きりゅう大尉の奥義おうぎを継ぐ、
その魂胆こんたんなのではないかな!
抜け目のない女だな――
フハハハハ~
鬼龍大尉の奥義は、
月詠麗華嬢に継ぐのが順当だ。

左、そして右から一五市にのまえごいちを挟み込むように二人のユーゲントが走り込んで来た。

【上賀茂丸】
喪神さん!
祇園丸ぎおんまるに頼まれて来たよ!
【南禅寺丸】
僕たちの波形、山王さんのう機関で監視かんし中だ。
だから安心して戦えるのさ!

山王機関ではユーゲントの波形を探信していた。大型波動グローサベッレなどの影響があれば、直ちにアーネンエルベに連絡が行く手筈てはずであった。

【一五市】
何だ、お前たちは?
フォス大佐と桃源郷とうげんきょう巡りでも、
するんじゃなかったのか!
元召喚小隊の召喚兵がいる。
貴様ら!
こいつらの相手をしてやってくれ。

一五市の命令で、二名の召喚兵がそれぞれユーゲントと向き合う。二対二の対戦陣形となり、召喚兵とユーゲントとの間に強い光が走る。その刹那せつなであった、一抱えほどの大きさのセヒラ球が現れた。

【一五市】
うわぁぁぁぁ~

小規模なセヒラ異常が発生し、一五市、風魔は時空の狭間に飲み込まれてしまった。

〔時空の狭間〕

【一五市】
ウハハハハハ~
ここがお前たちのユートピアか!
いいだろう――
ここで時間稼ぎをするうちに、
召喚兵らがあの女を確保する!
さぁ、時間をかけて、
戦おうじゃないか!

《バトル》

【一五市】
いい調子だ――
それでこそ歩一の特務機関員だ!
だがな、すべてを手に入れる、
その準備は怠りない――
鬼龍きりゅう大尉は憎しみを宿す。
それが大尉の弱さだ。
俺は何も憎んじゃいない、
ただ純粋に戦う、そう決めたんだ。
無ほど強いものはない!
アハハハハハ~

〔品川駅前〕

品川駅前に召喚兵らの姿はなかった。軍用トラックだけが残されている。そこへ如月鈴代がやって来た。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん!
お待ちになりましたか?
省線が遅れて……
兵隊が出ているのですか?
少し歩きましょうか……

〔品川街路〕

【如月鈴代】
麗華れいかさん、何か思い詰めている、
そんな様子だったので、
あまり話せていません。
鬼龍きりゅうさんのことは、
知っていました――
にのまえ少尉から聞いたのだと。
この帝都にトゥーレの館が
開かれることまで――
麗華さんは知っていました。

麗華さんは鬼龍さんの奥義を、
自らにそなえようとするのです。
鬼龍さんが会得した古式東雲流、
実は叔父の山郷が京都で道場を開き、
そこで教え広めていたものです。
古式とは言え、祖母の代では、
すでに霊力が弱まっていました。
それを叔父がなんとかしようと――

私が再び興そうとする古式流儀は、
六世紀はじめに日本へ渡来した、
マナセ一族の裔に伝わる術武です。
古式流は、鬼神を降ろします。
それも審神者自身に降りるのです。
その古式を再び興すには、
多加美宮司の持ち帰った魔鏡、
その霊力がなくてはなりません。

鬼龍さんの古式流を麗華さんが継ぐ、
それがどういうものか、
私にはまだわかりません――

不意に鈴代は足を止めた。風魔は少し行き、鈴代を振り返る。鈴代は意を固めたような表情を作っている。

麗華さんは新京シンキョウに落ち着きました。
新京シンキョウ神社の裏にある高女の寄宿舎、
その貴賓室きひんしつがあてがわれました。
平安町二丁目というところです――
関東軍司令部用地の直ぐ近くですわ。

月詠麗華は新京シンキョウに身を落ち着かせた。麗華は鬼龍からの奥義おうぎの伝授を求め、その鬼龍はトゥーレの館で再起をはかる。
トゥーレのやかた――
リヒャルト・フィンケひきいる秘密結社。帝都に新たなるきょくが誕生した。

第八章 第七話 響き合う者たち

〔山王機関本部〕

その日、機関本部に如月きさらぎ鈴代すずよの姿があった。月詠つくよみ麗華れいかが渡満することとなり、鈴代すずよが首都新京シンキョウまで付き添うのだという。

【喪神梨央】
月詠麗華さんが満洲に……
随分、急な話なんですね。
【如月鈴代】
何でも新京シンキョウの関東軍特務部が、
麗華さんの身柄みがらを預かる、
そういう話みたいですわ。
【九頭幸則】
この年末にも関東軍司令部が、
ごっそり新京シンキョウに移転するんだよ。
関東軍のお膝元ひざもとってことだね。
【如月鈴代】
ええ、そのようなことをうかがいました。
【喪神梨央】
それで鈴代さんも、
付き添われるのですね。
鈴代さん、新京シンキョウまでですか?
【如月鈴代】
ええ、そのつもりですわ。
麗華さん、いろいろあったから、
神経にさわらないようにしなくちゃ。
【九頭幸則】
麗華嬢、愈々いよいよのご出立しゅったつ
歩一の将校はみんな知ってるよ――
人の口に戸は立てられないね!
【喪神梨央】
もしかして――
幸則ゆきのりさんが言い触らすんでしょ?
【九頭幸則】
そんな眼でにらまないでくれ。
俺は魯公ろこう先生から聞いたんだ、
この件、参謀本部の決定だってね。
仮面の男に狙われるといけない、
そういうことだと聞いたけど。
仮面の男のことは歩一も知らない――
【如月鈴代】
麗華さんは鬼龍きりゅうさんに、
奥義おうぎ継承けいしょうを求めているのです。
今は二人を離したほうがいいですね。
【九頭幸則】
なるほど……
むしろその事情が重そうだね。
仮面の男は契機けいきにすぎないのか。
【喪神梨央】
仮面の男は波形で観察できます。
でも鬼龍さんの動向どうこうはわからない――二人を近付けちゃ駄目なんですね?
【如月鈴代】
麗華さんが落ち着くまでは――
道中どうちゅう、お話しようと思います。
【喪神梨央】
鈴代さんがわれるんですよ。
東京を午後に出ると、
新京シンキョウには明後日の夜に着きます。
【九頭幸則】
おやおや、また省線の時間表かい?
【喪神梨央】
一時半の特急さくら号、下関しものせきに明朝八時着、十時半の連絡船、釜山プサンからは鮮鉄満鉄の経路です。新京シンキョウ行きの急行はひかり号です――
このくらいはそらんじているんです!
【如月鈴代】
そろそろ参ります――
十一時には連隊本部に来るようにと。
【九頭幸則】
それじゃ俺がエスコートしようか?
【喪神梨央】
鈴代さんの警護、公務にします。
公務電車ではなく円タクを使います。
兄さん、お願いします。

〔第一連隊本部〕

第一連隊本部玄関前には16条旭日旗を掲げた旗手と立哨がいた。彼らの前には一台の円タクが停まっている。麗華はすでに円タクに乗っているようだ。

【如月鈴代】
道中、何もなかったですね――
麗華れいかさんが無事に新京シンキョウに着くまで、
見届けたいと思います。
麗華さんを鬼龍きりゅうさんから引き離す、
それが一の目的だと思います――
勿論もちろん、仮面の男も気になりますが……麗華さん、新京シンキョウには半年ほどかと――いろいろ落ち着いたら、またみんなで野点のだてを開きましょう。
風魔ふうまさん、有難うございました。
それでは行ってまいります。
【福井中尉】
如月きさらぎ鈴代すずよさんですね。
お待ちしておりました、
歩一中尉、福井ふくいです。
さぁ、どうぞこちらへ。
午後の特急を取っております。
歩一の兵、八名が随行ずいこうします。

鈴代が円タクに乗り込むと、車は滑るように走り去っていった。風魔は第一連隊を後にして霞町へ出た。

〔霞町街路〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
カラスの声がしています。
増上寺ぞうじょうじの変の時も、
防疫ぼうえき研究所の時も、
カラスが飛んでいました。
カラスにも留意して観察します。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
間違いなく怪人です!
小松川こまつがわの客】
怪人の
姿さびれた
町に消え

どうですか?
怪人川柳せんりゅう、六百八十もの作を、
投稿とうこうしたんです――

怪人が
入った路地の
阿鼻叫喚あびきょうかん

怪人を
総出そうでで探す
浜三町はまさんちょう

それだけではありませんぞ。
銀座幻燈会げんとうえも四回参加しました――
少尉の手鏡に映った顔……
それは他ならぬ持ち主の顔ですよ。
つまり少尉自身の顔――
敵弾に倒れたときの死に顔です。
鏡を見た少尉は気が触れて、
丸腰まるごしで高地へと駆け出した――
飛び来る弾丸にたちまち失せて~
旅順港外りょじゅんこうがい、恨みぞ深き~
軍神広瀬ひろせと、その名残れど~
つい歌ってしまいましたな、ウハハ~
人生よろづ相談には十八回も電話し、
もうすっかり悩みは解決しました!!
もうね、私は完全に仕上しあがった。
そう思うのですよ。
貴方にもわかっていただきたい!!

《バトル》

小松川こまつがわの客】
脳楽丸のうらくがんをもっと飲まないと――

【着信 喪神梨央】
大変です!
彩女あやめさんが消えました!
セルパン堂に向かってください!

〔セルパン堂〕

【着信 喪神梨央】
四谷よつや金ノ七号帥士きんのしちごうすいしがいたので、
そちらに合流してもらいます。

【式部丞】
彩女あやめ君と蛭川ひるかわ博士の姿もない――
出入りする派出婦はしゅつふからのしらせです。
博士宅は市谷台町いちがやだいまちです。
神経の病、愈々いよいよ亢進こうしんなのでしょうか?
なんとも悩ましい限りです。

セルパン堂前に虹人がやって来た。急いで来たせいか、少し息が上がっている。

【帆村虹人】
ちょうど四谷よつやにいたんだ。
アーネンエルベの巡視パトロールは独特だよ。
三宅坂みやけざかを起点にのの字を描くんだ。
梨央りおから聞いたけど、
二重人格の女を探すんだって?
【式部丞】
周防すおう彩女あやめという女店員です。
怪人を引き寄せる性質があり、
とうとう別の人格を出しました――
【帆村虹人】
別な人格ですか……
二重人格者の戦術的考察――
そんな論文が大使館にありましたよ。
【式部丞】
それは独逸ドイツでの研究ですか?
【帆村虹人】
独逸ドイツ大使館にあるのだから、
きっとそうでしょうね。
僕は独逸ドイツ語には暗いのですが。
【式部丞】
別人格の時には腕力わんりょくが倍増したり、
知らない外国語を話したり、
宇宙物理の難問を解いたりします。
【帆村虹人】
つまり、その人じゃない能力が
発揮はっきされることもあるわけですね。
【式部丞】
彩女あやめ君は千紘ちひろと名乗っていました。
その名前、店で見かけました――
メモに残されていたのです。
【帆村虹人】
でも彩女あやめさんでいるときには、
千紘ちひろのことはわからない――
そうなんですね?
【式部丞】
おそらく、そうですね。
今は彩女あやめ君ではなく千紘ちひろを探す、
そのほうが合理的ごうりてきです。
私は若松町から筑土八幡つくどはちまん辺り、
牛込うしごめ区を中心に探します。
お二人は四谷よつや近辺をお願いします。
【帆村虹人】
わかりました。
風魔ふうま四谷よつや方面だ、行こう。

〔四谷街路〕

【帆村虹人】
ユーゲントというホムンクルス、
かなりの数が日本に留まるようだ。
一部はフォス大佐と渡満したけど――
彼らは新しいシュタインを使っているよ。
AGKアーゲーカーのフェラー所長が開発した、
自律係数を変化させるシュタインらしい。
フェラー所長は大型波動グローサベッレも開発した。
ヘーゲンはそれを使いたがるけど、
ユンカー局長は猛反対している――

でもな……
不思議な事があるんだ――
ユンカー局長とヘーゲンについてだ。
反目する二人、銀座で見たんだ。
ブレーメという洋食屋から出てきた。
二人して笑いながらねだよ……
二人は日劇の前で別れた。
僕はユンカー博士の後を付けたんだ。
円タクを拾ってね――
でも青山一丁目で陸大の行進があり、
僕の円タクは身動きできなくなった。
博士の円タクは信濃町しなのちょう方面に行った。

さて、僕はアーネン巡視パトロールの続きで、
牛込見附うしごめみつけから上野広小路へ向かう。
お前は公務を続けるんだろ。
世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
坪内逍遥つぼうちしょうよう沙翁さおうハムレットの一節だ。僕もまったく同じ心境だよ。
踏み出す一歩は見えているのだが、
躊躇ちゅうちょという懶惰者らんだものが邪魔をする。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
東京憲兵隊本部に向かってください。
大きなセヒラを観測します!!

〔東京憲兵隊本部〕

玄関前に2名の立哨、それに一人の将校がいた。

【式部丞】
彩女あやめ君らしきを乗せた、
円タクの運転手が見つかりましてね。
一ツ橋ひとつばしの憲兵司令までと――
先に着いた形跡はないですね。

【召喚小隊悪王子あくおうじ一等兵】
怪人の一軍が向かってきます。
立ち去ってください!
【召喚小隊神水くわみず二等兵】
ここは我々で対処します。
歩三、歩一の枠を超えた共闘です!

その時、着物姿の男がやって来た。

【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
貴様!
立ち入りはならぬ!!
【九段の客】
呼ばれて来たんですよ、
そんな目でにらまないでください。
【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
ここにいてはいけない、
早く立ち去れ!!

着物の男は全身にセヒラをまとわせ、風魔を見据えている。

【九段の客】
新宿は東海館での幻燈会げんとうえに参加し、
素晴らしい体験をしたのです。
三軍少尉の手鏡には、
白いドレースの少女が映ったのさ!
その少女は手鏡から少尉をいざなう。
少尉は手鏡をかざしたまま高地へ――
その時、敵弾が飛来する。
少尉は胸や腹を八発も撃たれる。
血のあぶくを吐きながらも、
少尉はとても幸せそうだったとさ!
ウハハハ~
私も愈々いよいよ完成の領分に来たな!!

《バトル》

【九段の客】
割れた手鏡には、笑う少女の顔が……
その眼は真紅しんくに輝いていたそうだ!!
ウハハハハハ~

着物の男が倒れ、やがてセヒラとなり消えた。

【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
お見事でした、中尉。
怪人ははなから中尉を捕捉ほそくしており、
どうすることも――

【着信 喪神梨央】
今の怪人も、さっきの霞町かすみちょうの怪人も、波形がすごく安定していました。
ほとんど真円しんえんでした――
怪人になるべくしてなっている、
そんな感じです――
あっ――

着物の男と同じ方向から彩女がやって来た。

【式部丞】
彩女あやめ君!
――あ、いや……
君は……
【千紘】
怪人を引き寄せる力、
僕のじゃないよ。
元の人格、周防すおう彩女あやめのものだね――
フフフ――
なかなか便利な力だ。
使わせてもらうことにした。
【式部丞】
君は彩女君を取り込んだのか?
――そうなのか?
【千紘】
僕は僕だよ――
取り込むとか取り入るとか、
そういう話はどうでもいい。
周防彩女という女の、
その静謐せいひつな湖の底に沈殿ちんでんした、
それが僕なんだよ。
僕は響き合うためにここに来た。
【式部丞】
響き合う……
誰と響き合うのだ?
――もしや……
【千紘】
君たちが芽府めふ須斗夫すとおと呼ぶ存在だ。
彼はメフィストフェレスだ、
その転生した存在だ――
【式部丞】
メフィストフェレス……
独逸ドイツのファウストに登場する悪魔だ。
伝説上の存在でしかない。
【千紘】
それがどうしたの?
伝説だから? 造り物だから?
みんな造り物だよ――
君たちだって造り物さ。
悪魔もそうさ、はどうなんだい?
究極の造り物だろ?
僕は残りの言葉を知りたい。
造り物の悪魔がく言葉だよ。
さぁ、始めようか!
戦うんだ、怪人共!!

千紘の声に応じるかのように、2名の怪人が走り来た。召喚小隊の兵2名がこれに対峙するも、セヒラ濃度が急上昇して、見る見るうちに一抱えもある巨大な球になった。

【着信 喪神梨央】
セヒラ急上昇!!
退避してください!

セヒラ異常の発生である。セヒラの球が急速に巨大化して、辺り一帯を飲み込んでしまった――
やがて収束すると、地面に倒れる彩女と召喚小隊将校の姿があった。式部が彩女の傍へ駆け寄る。

【式部丞】
セヒラ異常が発生したのですね。
複数の怪人が戦ったせいで……
彩女あやめ君……
大丈夫かい……
今は……なんだろ……
喪神もがみさん、私は彩女あやめ君を……
蛭川ひるかわ博士の所在しょざいも聞き出さねば。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラは消えています。
ただ帝都満洲にセヒラのかたまりが……
はらえのにおいでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
またもや帝都満洲にセヒラのかたまりです。今度は碑文谷ひもんや大連ダイレン界隈かいわいです。
こうも何度もセヒラ異常が続くと、
帝都と帝都満洲をつらぬく新しい穴が
生まれるかもしれません。
穴のこと、独逸ドイツ人らはロッホと呼び、
以前から、調査をしていました。
今から七年前のこと、
昭和三年の冬でしたね。
まだ山王さんのう機関ができる前です。
ちょうど、目黒区碑文谷ひもんやあたり、
それと伊豆の修善寺しゅぜんじでです。
結局、ロッホは見つかりませんでした。
彼らは憶測おくそくを含めて、
一本の論文を発表しています――
それが日 本 に お け る 重 力 の 穴 の 調 査、フアション デ ロヒャ デ シュベアクラフト イン ヤーパン
頭文字でFLSJ論文と言います。
喪神もがみさん、
それでは準備はよろしいですか?
向かうは碑文谷ひもんや大連ダイレンです。

風魔はゲートを抜け、帝都満洲鉄道あじあ号の展望車に乗り込んだ。すぐさま列車は走り出した。

【満鉄列車長】
毎度ご乗車ありがとうございます。
本列車、只今ただいま碑文谷ひもんや大連ダイレン行きです。
碑文谷ひもんや大連ダイレンに、大きなわだかまる存在があるようです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンまでは、
とどこおりなく運行していまいります。

碑文谷ひもんや大連ダイレン

碑文谷ひもんや大連ダイレンは恐怖の色に染め抜かれていた。累々たる白骨は恐怖が生み出した存在であろうか――
帝都では東横電車碑文谷ひもんや駅から南へ進んだ、目黒競馬場跡にほど近い住宅地が照応している。

【Y二等兵アストラル】
歩一三〇八小隊のうち、
十八名がここに集しているものと
思われます。
金沢かなざわ曹長、岡山おかやま軍曹は、
自分、確認しております。

【O軍曹アストラル】
山口やまぐち二等兵とは話しましたか?
彼が咄嗟とっさにここへ導いてくれました。
防疫研ぼうえきけんで何が起きたのか、
よくわかりません――
巨大な影が現れ、その瞬間に、
気を失ったのです。
一度だけ、目覚めました――
その時は目黒の権之助坂ごんのすけざかくだって、
目黒川を渡る最中でした。
そこでまた自失したのです――

これらアストラルは防疫研で姿を消した308小隊隊員のようである。

【N少尉アストラル】
防疫研ぼうえきけん巡察じゅんさつ、いざ本丸という段に、異変が生じたのです。防疫研ぼうえきけん軍閥ぐんばつの機関といううわさもあり、これ以上、看過かんかできない存在でした。
ですが、似たような謎の機関、
市内にいくつか存在しています――
歩一の九頭くず中尉は研究熱心ですね――
中尉の隊に向島むこうじま出身の将校がいます。その将校いわく、荒川あらかわ沿いに建つ帝国モスリンの工場では、
出入りする職工を見ないのだとか。
九頭中尉は大いに興味をそそられ、
帝国モスリンについて、
いろいろ調べられたようです。
中尉は、その工場では、
なるものを製造しているのだと、
そうお考えのようでした。

【K曹長アストラル】
自分、九頭中尉に頼まれ、
帝国モスリンの工場を見に行き、
なるほどと合点がてんしたのです。
巨大な四本の煙突からは、
盛大に煙が出ているのですが、
工場は高いへいで囲まれているばかり。
朝も夕も、出退勤の職工は、
誰一人として見かけませんでした。
へいの周りを一周したのですが、
出入口一つないのです!

【F一等兵アストラル】
防疫研ぼうえきけんの他にも、
実体の不明な組織がある、
そういう話です。
ゼームス師団、渋谷憲兵大隊、
戸山とやまの砲工学校も怪しいです。
新型の導弾ミサイルこしらえる等と言います。
私たち三〇八小隊では、
独自の調査を開始しようと――
その矢先、皆が自失したのです。
――
何かあるのですか、千葉ちば曹長!

【C曹長アストラル】
またアレだ――
アレが来るぞ!
すぐそこだ!!

小隊アストラルたちは一斉に逃げてしまった。

【N少尉アストラル】
つい先日、我々とは異なる、
強い力を持つ存在が現れました。
兵のうち、何名かが飲み込まれ、
存在を消したのです。
――皆、怖れています……
私もこれにて失敬しっけいします!

そう言い残し、最後に残ったアストラルも去る。
そこへ4体のアストラルがもつれ合いながらやって来た。一人の人間の思念が分化したようである。

【H博士アストラル1】
周防すおう彩女あやめは病的な二重人格者です。
普通、二重人格では相手がもたらす
きょいて別人格が表出します。
それがいわゆる人格変換です。
しかし千紘ちひろは彩女を操り、
みずからの意志で表出した、
そのようにも思えます――

【H博士アストラル2】
気が付くと夕暮れでした――
私は人形町の電停にぼんやりと佇み、
電車を何本もやり過ごしていました。
その前は市谷台町いちがやだいまちの自宅、
洋式にしつらえた客間にいたのです。
自失する前のことです。
回教様式の浮彫レリーフを施した柱。
葡萄牙ポルトガル大理石でできた大きな暖炉。
――彩女さんの休む部屋です。
彼女は長椅子ながいすに横になっていました。

【H博士アストラル3】
彩女さんは靴下くつした素足すあしでした。
スカァトがまくり上がり……
私の頭にある一節がよみがえりました。

マシマロオでこしらえた脚。
清らかなメロディを流した脚。
青草を踏んでじなき脚。
食べてしまいたくなる脚。
いつまでもでていたい脚――

【H博士アストラル4】
こんな一節も浮かびました――

私は真っ白な女の素足の
こぼれて居るのをながめていた。
その女の素足は私にとり、
たっとき肉の宝玉ほうぎょくであった。
拇指おやゆびから起こって小指に終る繊細せんさい
五本の指の整い方、
絵の島の海辺でれるうすべに色の
貝にもおとらぬつめの色合い、
たまのようなきびすのまる
清洌せいれつな岩間の水がえず足下あしもと
洗うかと疑われる皮膚ひふ潤沢じゅんたく――

あゝ、あゝ、あゝ……
ついに私は無我むがち、
その素足に触れてしまった!!
その瞬間、全てが消え、
私は飛んでしまったのだ!!
ヒィィィィィ~

《バトル》

【H博士アストラル4】
あの足こそは、
やがて男の生血いきちふとり、
男のむくろをみつける足である!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都にセヒラが噴出ふんしゅつしました!
セヒラの強い流れです!
至急しきゅう、お戻りください!

〔山王機関本部〕

【九頭幸則】
遅かったな、風魔ふうま
【喪神梨央】
帝都満洲と帝都とで、
時間の進みがずれ始めているのです。
【九頭幸則】
そうなのか――
昨日、帝都に生じたセヒラの流れ、
一ツ橋の憲兵司令に向かったんだ。
【喪神梨央】
まるで芽府めふ須斗夫すとおが、
セヒラを呼び込んだようにです。
今は収まっています。
【九頭幸則】
ヒククアケ――
予言が語られたそうだけど、
何のことやらさっぱりだな。
【帆村魯公】
式部しきべ氏とも話したのだが、
ヒククアケ――
明けというのは明け方のことじゃろ。
【喪神梨央】
それじゃヒククとは何でしょう?
【帆村魯公】
うーむ、
その、ヒククという言葉がきもだな。
【九頭幸則】
ヒクク……ひくく……
もしかして、
太陽が低くなるということでは?
【喪神梨央】
低くなる……
低くなる明け方……
それって冬至とうじのことですか?
【帆村魯公】
ほう!
そうかも知れんな!
――冬至とうじか……
【喪神梨央】
芽府めふ須斗夫すとおは、
冬至とうじの朝のことを言ったのですか?
【帆村魯公】
今年の冬至とうじはいつだ?
十二月の何日だ?
それもふくめて、中尉、
中野気象部に一っ走り頼む。
こよみのことを知りたい。
【九頭幸則】
電信でんしん第一連隊の気象班のことですね。
冬至とうじとその近辺のこと、
教えてもらってきます。

そう言い残し、九頭は本部を後にした。

【帆村魯公】
周防すおう彩女あやめ女史じょしは青山の脳病院だ、
あそこなら精密に検査もできる。
まだ意識は回復しないそうだが……
【喪神梨央】
青山脳病院、斎藤さいとう茂吉もきちが院長です。
世田谷せたがやに本院を移し、
青山のは分院となっています。
病院で、また蛭川ひるかわ博士みたいなことにならなければいいのですが。
【帆村魯公】
そのことだが……
彩女さんの第二人格が博士をほだした、
そうも考えられるぞ。
博士はアストラルになり、
結果、強いセヒラを生じて、
予言が語られたわけだしな。
【喪神梨央】
彩女さん……いや千紘さんの、
足を触ったりしたら、
飛ばされますよ、絶対に。
――幸則ゆきのりさん、大丈夫かしら……
彩女さん、病院なんですよね?
【帆村魯公】
病院には歩一の兵二個小隊が駐する。
元召喚小隊からも増援が来ておる。
病院を抜け出したりはできんだろう。

第七の予言の解明にはこよみの知識が必要だった。山王さんのう機関では冬至とうじの朝のことであると、暫定的ざんていてきに解釈していた。それに続くであろう、いわばしもはまだ語られていなかった。

第八章 第四話 満映女優

〔山王ホテルロビー〕

その朝、京都より多加美たかみ宮司ぐうじが戻り、山王さんのうホテルで迎えることになった。東雲しののめ流再興を誓った鈴代すずよも来ている。

【喪神梨央】
多加美たかみ宮司ぐうじですが、
昨夜十一時四十五分に京都を出た
夜間急行でお戻りです。
東京には今朝の九時三十分着です。
【如月鈴代】
宮司ぐうじは鏡をお持ちになるはずです。
東雲しののめ流に神意しんいを伝える鏡です。
京都の神社に奉納されていました。
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、その神意しんいって、
どんなものなのですか?
【如月鈴代】
私もくわしくは知らないのです――
霊異りょういす者にのみ伝わるそうです。

ホテルロビーに多加美宮司が入ってきた。
東京駅から円タクを飛ばしてきたのである。

【多加美宮司】
皆さん、おそろいですね――
【如月鈴代】
神器の鏡、授かりましたか?
【多加美宮司】
ええ、京都は宮津みやづにある、
真名井まない神社に奉納されていました。
伊勢いせこの神社の奥の院ですよ。
鏡はこちらになります。
鏡は真名井まない真鏡しんきょうと呼ばれています。

多加美たかみ宮司ぐうじ真名井まない真鏡しんきょうを取り出した。古式の鏡という以外に取り立てて特徴はない。

【喪神梨央】
宮津みやづだと山陰さんいん線から宮津みやづ線ですね。
京都を朝出るとお昼前には着きます。
【多加美宮司】
京都から宮津みやづは日帰りでした。
降りた駅は宮津みやづ線の天橋立あまのはしだて駅です。
神社まで天橋立あまのはしだてを渡って向かいます。
【喪神梨央】
そうなんですね!
天橋立あまのはしだてを通ったんですね!
日本三景の一つですね。

多加美たかみ宮司ぐうじ宮津みやづ真名井まない神社で、宮司ぐうじから鏡を預かった経緯けいいを話した。鏡の霊力は失われているとのことだった。

【多加美宮司】
この真鏡しんきょうには三篇さんぺん古文書こもんじょ
付帯ふたいしています。
そのうちの一篇いっぺんを授かりました。
真名井まない神社から電報で頂いたのです。

マナイノ カガミハ ソレノサマ 
ウルワシクテ モロカミタチノ
ミココロニモ アヱリ

【多加美宮司】
真名井まないの鏡、
それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心みこころにも合えり――
【如月鈴代】
他の二篇にへんはどうなっているのですか?
【多加美宮司】
今、手配しています。
一篇いっぺんは京都帝大に、
もう一篇いっぺんは北の紫野むらさきのにあるそうです。
紫野むらさきのには紫水しすい会館という会館があり、
そこに収蔵されているそうです。
見つかり次第しだい、電報をもらいます。
【如月鈴代】
その古文書こもんじょ三篇さんぺんそろうと、
鏡の霊力は回復するのですか?
【多加美宮司】
真名井まない神社では、
そのようにうかがいいました。
程なく三篇さんぺんそろうでしょう。
この鏡は貸金庫に預けておきます。
第百六十三銀行銀座支店です。
エレミヤさんの銀行ですよ。
【喪神梨央】
そうだ、兄さん、
もう一方ひとかた、お客様があります。
――いらっしゃったようですよ。

〔山王ホテルロビー〕

優雅な素振りを見せながら、一人の女性がホテルロビーに入ってきた。満鉄映画社の麻美マーメイである。

【如月鈴代】
あら……
どこかでお見受けしたような――
【喪神梨央】
麻美マーメイさんですね?
――満鉄映画社の。
活動キネマ紅楼夢こうろうむの。
【麻美】
ええ、そうです――
浅草は今日が最終日で、
舞台挨拶あいさつがあるんです。
【喪神梨央】
あの……共演の女優さんは……
麻美マーメイさんは林黛玉リンタイギョク役ですよね。
もうお一方ひとかた薛宝釵セツホウサ役の女優さん――
その方、五月の舞台挨拶あいさつにも、
おいでじゃなかった――
興亜こうあ日報に書いてありました。
【麻美】
蘭暁梅ランシャオメイちゃんですね?
春から長患いで来日できていません。
悪い夢を見る、嫌な予感がすると――
【喪神梨央】
それは心配ですね。
紅楼夢こうろうむ、大人気なんですから!
今じゃ市内中まちじゅうでかかっていますよ!
【如月鈴代】
私も鑑賞いたしましたわ!
遅ればせながら、この八月に――
【麻美】
それは有難うございます。
【如月鈴代】
麻美マーメイさんは、五月に来日されて、
この夏はずっと日本においでですか?
【麻美】
ええ、母の実家に寄っておりました。
私、支那シナ生まれですが日本人です。
本名は高山たかやま麻美あさみと申します。
【喪神梨央】
そうだったんですね!
てっきり支那シナの方かと――
【麻美】
これから是枝これえだ咲世子さよこさんに会います。
――ご存知ぞんじですよね、咲世子さよこさんは?
【如月鈴代】
勿論もちろんぞんじておりますわ。
もしや、満洲まんしゅうの――
N計画のお話でしょうか?
【麻美】
咲世子さよこさんのお話は、
おそらく独逸ドイツのことではないかと。
近々、私、渡独とどくの予定があります。
独逸ドイツに会って欲しい協力者がいる、
そういうお話のようです。
【如月鈴代】
麻美あさみさん……是枝これえだ咲世子さよこさん、
山王さんのうホテルにおいでですか?
【麻美】
いえ、近くのおやしろに……
日枝ひえ神社ですか、そちらで。
もういらっしゃっているかも。
【喪神梨央】
兄さん、念のためです、
日枝ひえ神社界隈かいわい、セヒラを調べます。
【麻美】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね……
それでは、まいりましょうか。
鈴代すずよさん、
またお会いしたいと思います。
【如月鈴代】
私もですわ。
活動キネマのお話、聞かせてくださいな。

〔日枝神社〕

【是枝咲世子】
麻美あさみさん、
幾久方いくひさかたですね!
【麻美】
咲世子さよこさんこそ、お元気そうで。
お父様もお変わりなくて?
――今も独逸ドイツに……
【是枝咲世子】
父は帰国中ですが、
もうじき独逸ドイツに戻ります。
――麻美あさみさん、少し歩きましょうか。
風魔ふうまさんもご一緒してくださいな。

日枝ひえ神社境内〕

旧交を確かめ合った咲世子さよこ麻美マーメイつのる話を交えながら二人は日枝ひえ神社へ。風魔ふうまにもぜひ聞いて欲しい話があるという。

【是枝咲世子】
それではダッハウ強制収容所のこと、
さっそく父にも申しておきます。
アイケSS上級大将のことは特に。
アイケは猶太ユダヤ人を憎悪しています。
収容所施策を強化するでしょう。
満洲での受け入れを急ぐべきです。
麻美あさみさんはナチ高官の会合かいごう
参加されるなどして、
情報を集めておいでです。
【麻美】
ナチス・ドイツはユダヤ人排斥はいせき
本格的に始めるつもりです――
独逸ドイツ欧州ヨーロッパで孤立するのは自明じめいです。
【是枝咲世子】
父の話では、英国イギリスの外務大臣が
満洲への猶太ユダヤ入植にゅうしょく事業に
おおいに関心を寄せているとか――
日本と英国イギリスの二国で満洲を管理する、
そのような提案を出すようですよ。
これは日本にとって好機こうきです――
【麻美】
せんだって国連脱退した日本が、
これ以上孤立しないために……
ということですね?
【是枝咲世子】
父はそう考えています――
他国を利用するだけだった英国イギリスを、
今度は日本が利用してやるのだと。
【麻美】
そういえばナチ親衛隊長官ヒムラーは
北満ほくまんにアーネンエルベ開設の
指示を出したとか……
【是枝咲世子】
先日、フォス大佐が満洲へ――
麻美あさみさん、例のお話ですが……
独逸ドイツに渡られるとお聞きしました。
【麻美】
独逸ドイツで会って欲しいという方ですね?
どういう方でしょうか?
【是枝咲世子】
ナチ親衛隊のローレンツ中将です。
エーリッヒ・ローレンツ――
中将はN計画の考案者なのです。
【麻美】
ローレンツ中将ですね。
褐色館ブラウネスハウスに招かれているので、
お目にかかれると思います。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
警戒してください!
セヒラ急上昇です!!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
開始シュタート! 開始シュタート! 

《バトル》

【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、沈静化しました。
警戒を解いてください。
【麻美】
さすがですね、風魔ふうまさん――
月下げっか一閃いっせんごとくですね。
頼もしく思います。
近く、在日独逸ドイツ人会の渡独とどくに合わせ、
独逸ドイツへ渡る予定があります。
今日はこれから、
浅草で舞台挨拶あいさつがあります。
【是枝咲世子】
風魔ふうまさん、帝都では騒動が――
浅草まで麻美あさみさんとご同行ください。
【着信 喪神梨央】
公務電車の手配をします。
山王下さんのうした電停に待機させます。

〔浅草六区ろっく

【着信 喪神梨央】
銀座幻燈会げんとうえもよおしが、
市内数カ所で開かれた模様です。
有楽町ゆうらくちょう京橋きょうばし、新宿、浅草――
浅草は天一館てんいちかん水天館すいてんかん文明閣ぶんめいかくです。
今回は活動キネマだったようです。
大勢が怪人化する恐れがあります。
浅草にも……セヒラ観測です!!
【麻美】
浅草の三つの映画館、
いずれも閉館しています。
三館が合わさって浅草名劇座に――
狐につままれたようなことでしょうか?
用心に越したことはないですわね。

御成門おなりもんの客】
短編の活動キネマでしたわ。
日露戦争のお話よ――
三軍の旅団にいた一人の少尉さん、
東京に残した奥さんが亡くなるの。
流感インフルエンザかかったのよ。
当時遼東リャオトン半島にいた少尉が携行けいこうする、
小さな手鏡に、奥さんの顔が写る、
そういうお話よ。
死んだ奥さん、良人おっとに会いに行った。
その少尉さん、敵弾もろともせず、
無事、日本に戻られました。

赤羽橋あかばねばしの客】
少尉の女房が何で死んだか、
そこが肝心かんじんなんだよ。
女房は省線電車にかれて死んだ。
四谷見附よつやみつけの橋から身投げしてね。
あすこ、下に省線走ってるんだ。
電車の鉄輪で顔は真っ二つ!!
ひゃぁ~柘榴ざくろみたいにけた~
その顔が鏡に写ったんだよ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラです、接近しています!
【麻美】
喪神もがみさん、お気を付けください!

入谷いりやの客】
僕は見た!
僕は見たんだ!
手鏡に写った少尉の女房を!
あああ~
少尉の女房は、
首くくりで死んだんだ!!
目ん玉が飛び出し、舌を垂らし、
白くろうのような肌をさらして――
細い首に縄の跡が赤黒く残るんだ!!
昨日から同じところを歩いてる。
行けども行けども、下宿に着かない。
歩くほどに力がみなぎってくるよ!!

《バトル》

入谷いりやの客】
手鏡に写ったのは……
少尉の女房じゃない、そうじゃない、
去年、肺病で亡くした僕の姉だ!

あああああ~
――僕は、もう行き場がない!!
【麻美】
人によって見え方が違う……
そんな活動キネマ、知りませんわ。

喪神もがみさん……
幻燈会げんとうえもよおしを主催するのは、
いったい、誰なんでしょうか?
セヒラにおかされておかしくなる、
そうう人ばかりじゃないようです。
――あの人……
幻燈会げんとうえのお客さんじゃないですか?

角筈つのはずの客】
文科のS三郎はいい加減だ!
少尉の手鏡に写ったのは化物だ。
真っ青な色で赤い目をし、
金のきばく怪物なのだ!
少尉の女房じゃない!
怪物だ、怪物だ、
あれはまごうことなく怪物なんだ!!

《バトル》

角筈つのはずの客】
少尉の隊は激戦にの中でほぼ全滅、
生き残ったのは少尉と軍曹ぐんそうだけ――
軍曹ぐんそうが言うんだ――
敵弾、少尉の体をすり抜けたと。
何十発も撃たれて平気だったと。
軍曹ぐんそうが目を凝らすと、
少尉の体を透かして、
二〇三高地が見えたそうだ!!
【麻美】
お話の筋書きまで変わるなんて――
何かの力がおよんでいる気がします。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その辺り、セヒラは観測しません。
浅草今木いまきににお客様です。
ご対応お願いします。

〔甘味処今木いまき

今木いまきてる
あら、麻美マーメイさん!
ようこそお越しを……
お客様がお待ちですよ。
皆さん、活動キネマ関係の方なんですって?

【聖宮成樹】
多加美たかみ宮司ぐうじから麻美マーメイさんのこと、
うかがいしたのです。
この店の常連だと――
【麻美】
ええ、浅草に来ればいつも……
浅草名劇座で舞台挨拶あいさつがあります。
でも浅草に怪人が出ていて――
【聖宮成樹】
喪神もがみさんがおしずめになったのですね!
喪神もがみさん、麻美マーメイさんに大切なこと、
お頼みしようと思うのです。
【麻美】
あら、どんなことですの?
【聖宮成樹】
独逸ドイツはミュンヘンにあるナチ党本部、
通称、褐色館ブラウネスハウスに行って欲しいのです。
【麻美】
褐色館ブラウネスハウスなら近く訪れますわ。
ブルエナーどおりにありますわね。
【聖宮成樹】
褐色館ブラウネスハウスの地下に、
リヒャルトガルテンの銘板めいばんかかげた、
小部屋があるのですが――
そこにしのんで、
持ち出して欲しい代物しろものがあります。
【麻美】
どんなものでしょうか?
【聖宮成樹】
この写真を――
ゼーラム五二五です。
銀色の筒状つつじょうの容器に入っています。

聖宮ひじりのみやが取り出した写真には、金属製の筒状容器が写っていた。側面に525の文字が見える――

【麻美】
それは何か特殊なものですね。
この帝都の……喪神もがみさんたちに、
何か関係がありますかしら?
【聖宮成樹】
ゼーラム五二五は謎の霊的物質です。
失われた霊力を回復する、
そのような働きがあると言われます。
【麻美】
――なるほど、承知しょうちしましたわ。
近く親衛隊のパーティがあるので、
いい機会だと思います。
【聖宮成樹】
計画が首尾しゅびよく運ぶよう、
私からシュタインベルク中将に、
麻美マーメイさんのことを伝えておきます。
【麻美】
ありがとうございます。
それでは殿下でんか、私は劇場の方へ。
【聖宮成樹】
麻美マーメイさん、
どうぞよろしくお願いします。
【麻美】
喪神もがみさん――
またお逢いしましょう。
夢玄器むげんき独逸ドイツにも持参しますわ。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうという物理学者の名前、
お聞きになったことはありますね。
柄谷がらたに博士は瑛山会えいざんかいの一員です。
三年前、セヒラが同定されたとき、
せんの必要性を訴えました。
論文をまとめ、参謀本部へ提出し、
それが元で山王さんのう機関が設立され、
喪神もがみさんたちが招聘しょうへいされました。
その柄谷がらたに博士ですが、
どうも動きが怪しいのです。
それで京都から尾行しました――
博士は東京に着くやいなや、
独逸ドイツ大使館に向かったのです。
瑛山会えいざんかい独逸ドイツ国――
爾来じらい、何の繋がりもありません。
誰と接触したのでしょうか……
少し調べてみることにします。

さて――
麻美マーメイさんがゼーラムを持ち帰れば、
多加美たかみ宮司ぐうじが授かった鏡に、
霊力が戻る希望が持てます。
ゼーラムは釣鐘つりがねにも使われています。
ただ、釣鐘つりがねから取り出しようもなく、
麻美マーメイさんにお願いした次第しだいです。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお話ししたいと。
はらえの間においでになれますか?

【今木照】
どうするんですか、お二人は?
お店、看板にしちゃいますよ!
【聖宮成樹】
わかりました、すぐうかがいます。
喪神もがみさん、
今日はこれにて失敬しっけいします。

聖宮は今木に入っていった。
風魔は梨央の要請で祓えの間に向かった。

はらえの間〕

【新山眞】
今回、ようさんから連絡もらって、
飛んできたんですがね――
どうも別の時空に繋がったようです。
それが証拠に、未知の波形が――
どやら日本じゃないですね。
ようさんは香港ではないかと――
実はこれまで何度か、
香港と接続したことがあります。
それもずっと未来の香港です――
波形記録に接続の履歴が残っていた、
そういうことですが……
今、接続するのは品川図們トモンです。
接続したばかりで、
今はすこぶる不安定です。
安定するまでお待ち下さい。
ひとまず山王さんのう機関に向かいましょう。

帝都満洲が別な時空と繋がったという。それは未来の香港であると――
過去に何度か接続の事実はあったようである。

黒札 第十三話 多加美宮司、京都へ出立

〔山王機関本部〕

喪神もがみ梨央りお
兄さん、先ほど
中条しのぶさんから電話がありました。
旅行鞄に見慣れない封筒があった、
そのことを思い出したそうです。
誰かがセヒラアンプルを仕込んだ……
何者かの企みがあったことは、
間違いないようですね。
帆村ほむら魯公ろこう
早いじゃないか、風魔ふうま
それに梨央りお
喪神もがみ梨央りお
あっ、隊長!
先生も、お早いですね!
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……
この間の多加美たかみ宮司ぐうじだがな、
京都に行くそうだ。特別急行つばめだ。
喪神もがみ梨央りお
特別急行つばめ……朝九時に東京発、
京都には午後四時ニ五分に着きます。
もうすぐ出発の時間です。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……京都の北、宮津みやづと言う町に
如月家きさらぎけゆかりの神社があるという。

梨央は鉄道省編纂の汽車時間表を取り出した。昭和九年十二月号である。

喪神もがみ梨央りお
京都、午後四時五十分発の福知山行き
綾部あやべに六時五十五分着。
綾部に宿を取れば……
翌日、午前中には宮津に着けます。
午後に宮津を発てば、舞鶴、綾部を
経由して、夕方には京都に――
帆村ほむら魯公ろこう
うむ……その宮津の神社に、
神器じんぎが収められておるそうだ。
喪神もがみ梨央りお
鈴代さんゆかりの、ですね――
その神器って、帆村ほむら流にもある
勾玉まがたまのようなものですか?
帆村ほむら魯公ろこう
うちの勾玉も元は東雲しののめ流のもの。
三種の神器が三つの流派に渡され、
ばらばらになったそうだ。
喪神もがみ梨央りお
それじゃ、もう一つ、
神降かみおろしの秘技を持つ流派があると、
そういうことですか?
帆村ほむら魯公ろこう
と言われておるがな……
――真偽の程はわからん。
うちの勾玉も、はたしてどこまで……

喪神もがみ梨央りお
大変です!
東京駅の近くで、
セヒラ上昇を観測しました!
帆村ほむら魯公ろこう
それは気になる!
断然気になる!
風魔! ひとっ走りしてくれ!

〔東京駅〕

多加美たかみ宮司が京都へ出立しゅったつするという。そして東京駅近辺でセヒラが観測された。東京駅には、多加美たかみ宮司と如月きさらぎ鈴代がいた。

多加美たかみ宮司ぐうじ
朝早くなら、怪人も出ないかと思い、
つばめ号の乗車券チケツトを予約しました。
東京、九時に発車する昼間ちゅうかん特急です。
如月きさらぎ鈴代すずよ
宮司、このような時期ですから……
どうかお気を付けて。
多加美たかみ宮司ぐうじ
山郷やまごう側の動きを封じるには、
正しい道筋で東雲しののめ流を再興すること、
それしかありません。
如月きさらぎ鈴代すずよ
でも、あの鏡……真名井まない真鏡しんきょうは、
すでに霊力を失っていると聞きます。
それに、私自身も審神者さにわとしては……
多加美たかみ宮司ぐうじ
鈴代さん。帝都には顕現けんげんさせる巨大な力がうごめいています。
それを利用できるはずです。
如月きさらぎ鈴代すずよ
…………
……
多加美たかみ宮司ぐうじ
山郷やまごうが日本を離れている
今がチャンスなのです。
それでは……行ってまいります。

【如月鈴代】
多加美たかみ宮司は叔父の山郷やまごうに一番近しいそういう人でした。
でも、叔父は宮司を信じない――
そんないびつな関係が続きました。
宮司は叔父に接近して、何かを得ようとしていたのです――
叔父……山郷やまごう武揚ぶよう
自分は霊異りょういを現す血筋ではない、
そのことで如月きさらぎ家をねたんでいました。
今回の騒動、すべては、
叔父のねたむ心にあるように思います。
今は多加美たかみ宮司の無事を祈り、
帰りを待ちましょう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士!
セヒラの塊が接近中です。
東京駅に円タクを差し向けました。
鈴代さんに乗ってもらってください。
【如月鈴代】
風魔さん――
どうかお気を付けてください。

【???】
今いらっしゃったのは、
多加美たかみ宮司ではありませんか?
さては特急列車でご出立しゅったつですね……
ああ、申し遅れました――
私は影森かげもりと申します。
興亜貿易こうあぼうえきという貿易会社におります。
影森かげもり愁一しゅういち
主に発電機モートルとか、そういった方面で
物品の輸入をしています――
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近辺で高い濃度のセヒラを観測!
充分注意してください!
影森かげもり愁一しゅういち
おやおや、どうされましたか?
何だかお取り込みのようで――
それでは私はこれにて失敬します。
ご機嫌よう!

【失業中の男】
仕事がなくて、
家でむしゃくしゃしてたら
電報が来たんだ。
明日、朝、東京駅へ来たれし。
随時面談――
でも差出人はなかった。
一応来たよ、
で、あんたが面談するのかい?
もう、遅いんじゃないか!
こんな朝早くにおかしいと思った。
はん! 俺はずっかり絶望したね!
――絶望が力を生むんだろ?

《バトル》

【失業中の男】
電報は二通来たんだ――
二通目にあったんだよ、
憎しみは力なりってね。
あ~あ……
早起きしたから、眠い、
もう帰って寝るよ。

【商家の派出婦】
変ね、ここに来たら着物の廉売れんばい会が、
開かれてるって、
旦那様から伺ったのに……
ふふふ……さてては、
厄介払いね、そうよきっと。
あの旦那――
奥様の帰省をいいことに、
妾を連れ込んでるんだわ。
吉原を足抜けした女よ!
まったく、不潔極まりないわ!
今頃、何やってるんだかね!
ああ、不愉快ったらありゃしない!

《バトル》

【商家の派出婦】
でも……あの女は入院中よね。
三日前に旦那様に斬りつけられて――
首がほとんど落ちかかったのよ!
ま、いいわ。
着物の廉売会なんて、ないじゃない!
【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ濃度はなくなりました!
兄さん……
さっきのセヒラ、とても強かった……
これまでの怪人とは何か違います。
辺りに注意して
山王機関に戻ってください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
多加美宮司は、無事に発たれました。
東雲流の神器を引き取りに――
【帆村魯公】
鈴代女史の東雲流、
首尾よく再興できるかはわからんが、
手を拱いていても仕方がない。
【喪神梨央】
これから黒札特務を中止して、
事変に一本化しようと思います。
東雲流を巡る動きが、
事変と合わさってきたからです。
また特段の事情があれば、
黒札特務を発令しますね。

多加美たかみ宮司は特急つばめ号で京都へ向かった。その宮司を知る人物がふいと現れた――
偶然なのか、はたまた運命の悪戯いたずらなのか――

第七章 第四話 新たな動き

清正公前せいしょうこうまえ

清正公せいしょうこう前を囲むようにして、新山眞にいやままことが三台の思念しねん増幅器ぞうふくきを設置した。その影響で、「結界」の中は市中から、幾多いくたの思念が集まり、怪人予備軍を招いた。怪人化の兆候ちょうこうを得て公務出動となった。

【遠い目をした女性】
渋谷橋しぶやばしから乗合に乗って、
ここまで来たんですわ――
朝からずっと声がするのですわ――
フト立ち止まる
人を殺すにふさはしい
煉瓦れんがへいの横のまひる日
昼日中ひるひなかが人殺しにふさわしいなんて、
とても近代的モダンじゃありませんこと?
【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します……
でも波形がさだまりません。
――怪人予備軍かも知れません。

【澄んだ目をした男性】
ふとね、真理の扉が開いたんです。
ある言葉が去来きょらいしてね――
自殺しても
かなしんでれる者が無い
だから吾輩わがはいは自殺するのだ
正しく真理ですよ、真理。
自死してね、生き残った者に、
辛い思いをさせてやろとか、
そう思ううちはだめなんです。
そんな当てつけみたいに死んじゃ、
せっかく命が勿体無もったいない。
――そうでしょ?
死ぬときは少しずつ縁を切っていく、
そして最後にぽつねんと一人になり、
すーっと深呼吸して死ぬんです。
――私はだいぶ整理がつきました。
猫のリルだけが心残りでね……
まだお別れできていないんです。

【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します――
物凄く妙な波形です。
経過を見てください。
【猫憑き】
ニャー、あんたはここで何するニャ?
おいら、猫の千次郎せんじろうニャ~
リルなんてハイカラな名前、
おいらには縁がないニャ。
この人、おっきな隙間、拵えてニャ、
今にも何かにかれそうニャ。
おいらがふさいだニャ!
今日は早めに風呂にでも行くニャ!
【着信 帆村魯公】
猫め、核心かくしんを突いておるな!
憎しみをたぎらす者より、
心に空隙くうげきを持つ者のほうが、
に深くかれてしまうようだ。
もっと猫がたくさんおれば、
いいのににゃ!

【虚ろを見やる男性】
僕はね、言葉にいざなわれてここへ来た。
本郷ほんごうからずっと歩いてね、
今ここに着いたところさ!
青空はブルーブラツク
三日月は死のうたを書く
ペン先かいな
太陽は命、月は死……
僕の感性に寸分すんぶんたがわずはまるんだ。
――美しいじゃないか、君!

【武装SSヴェルケ一等兵】
この者らは我が方で処置します。
貴方たちはお引き取りください。
これはフォス大佐殿の命令です。
アーゲーカーで詳しく調べます。
ドイツ大使館地下に、
アーゲーカー連絡室があります。

【執事型ホムンクルス】
――標的ツィール
破壊ツェストゥルンク――
開始シュタート

《バトル》

【着信 喪神梨央】
クルト・ヘーゲンの執事型、
何体も帝都にはなたれたみたいですね。
日本人の拉致らちに関しては、
外交筋に連絡を入れておきます。
山王さんのう機関ではどうにもできません。
【着信 帆村魯公】
八号帥士はちごうすいし
渋谷しぶや練兵場に向かってくれ!
歩三の召喚小隊に変事が起きている!
【着信 喪神梨央】
公務電車で目黒に向かってください。
鉄道連隊の演習列車が大崎にいます。
それで原宿まで進めます。

代々木よよぎ練兵場〕

それは異様な光景だった――
練兵場には兵が倒され横たわり、将兵と民間人が鳥合うごうしているのだ。

【第三連隊山田二等兵】
え、演習の準備をしていたところ、
突然、連中がなだれ込み……
阻止そしするもこの有様で――
【第三連隊中村二等兵】
今日は夜行演習が予定されて……
――ああ、脚の感覚が……
【着信 喪神梨央】
歩兵第三連隊第八十八大隊、
第三十八中隊第八小隊の、
夜行演習が予定されています――
わずかにセヒラを観測します。
十分、注意してください。

一五市にのまえごいち
喪神もがみ中尉!
――我が召喚小隊は解散なった。
新たに軍属をまじえて組織する。
名付けて暁光ぎょうこう召喚隊だ!
この隊は霊異りょういす者を集め、
帝都の怪異を鎮定ちんていするばかりか、
日本の国力を外に示すものだ。
鬼龍きりゅう隊長不明の今となっては、
私がひきいるほかないのだ。
さいわい、召喚術において、
素養そよう高き連中が揃っている。
貴様も隊に加わりたいなら、
考えなくもないぞ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
セヒラが異常値を示しています!
大変危険です、退避してください!!

〔時空の狭間〕

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
またすごいセヒラ異常だニャ!
三人が同時に戦ったりしたニャ!
そのせいだニャ!
【バールの帽子】
そりゃセヒラ異常も起きるゲロよ。
近いところで三人同時に戦うなんて、
無謀むぼうに決まってるゲロゲロ!
ん?
何だゲロ、どうしたゲロ、
じいさんが何か言いたそうだゲロ!
【バールの帽子背後】
第三連隊の召喚小隊が解散になって、
それをよく思わない連中がいるのう。
連中、アストラルになって、
帝都満洲を彷徨さまよっておるぞ。
逆恨さかうらみする奴もいるじゃろうて。
【バールの帽子】
なーんだゲロ、そんなことかゲロ!
出来損ないのアストラルなんぞ、
ぶっ飛ばしてしまうゲロね!
【バールの帽子背後】
現世でだめな奴ほど、
こっちでは強くなったりするんじゃ。
気ィ付けることじゃよ。
【バールの帽子】
噂をすればか?
――何か来るゲロ!
【バール】
あれは……
――強いニャ、強いニャ、
すっごく強いニャ!
月詠つくよみ麗華れいかの思念だニャ!
【バール】
呼んでみるニャ、呼んでみるニャ!
【バールの帽子】
何が起きても知らないゲロよ!
【バールの帽子背後】
軽い気持ちで、
思念を呼んだりするんじゃないぞ!
【バールの帽子】
知らないゲロよ!
【バール】
呼ぶニャ!
――麗華さーん、
こっちこっち、こっちだニャ!

【月詠麗華】
私はぜんぜん至っていません――
いくら戦っても、戦っても、
豪人たけとさまに教えをうまでは、
出来上がらないのです――
東雲しののめ流の奥義……
きっと私にいでくださいまし。
風魔ふうまさまのなされる帆村ほむら流も、
根は東雲しののめ流であるはず――
風魔ふうまさまと同じところに立てる、
そう思うとぞくぞくしてきます!
鈴代すずよさんがお認めになるか、
それが気がかりですわ――

品川図們しながわトモン第二街区〕

【元召喚小隊H一等兵アストラル】
陸軍省から通達つうたつがあって、
我が召喚小隊は解散になった。
歩兵として部隊に残るか、
あるいは除隊するかを選べという。
――自分、答えなど出ません!
【元召喚小隊A上等兵アストラル】
召喚小隊、解散になったんだ!
せっかくを降ろして戦う、
その術を習得したのに!
いまさら一般歩兵なんかに戻れない!
僕は除隊を選ぶ、絶対に。
そして暁光ぎょうこう召喚隊に参加するんだ!
【元召喚小隊M曹長アストラル】
鬼龍きりゅう大尉が姿を消してから、
小隊はまとまりがなくなった。
あの月詠つくよみ麗華れいかという女は、
大尉から奥義をさずかろうと狙う。
当分、大尉は姿を見せないだろう。
【元召喚小隊F中尉アストラル】
鬼龍大尉はおそらく京都の師団。
そう考え十六師団に連絡するも、
連中、だんまりを決め込む――
歩一の連中、
何か知っているはずが、
おくびにも出さない!
【元召喚小隊D大尉アストラル】
独逸ドイツのアーネンエルベも、
一枚岩ではないな――
あそこのヘーゲン召喚師、
フォス大佐と反目しているようだ。
フォス大佐の来日以来、
手下の召喚師どもが躍起やっきになって、
新参の召喚師と戦っている。
しかし……
連中の手下は人にあらずとも聞くが、
歩一の連中なら詳しいのだろうか?

品川図們しながわトモン第四街区〕

【元召喚小隊C二等兵アストラル】
S中尉は朝から焼酎しょうちゅうを、
浴びるように飲んで寝ている――
小隊の解散が気に食わないんだ。

【元召喚小隊Y二等兵アストラル】
S中尉、第三十六小隊長の頃、
新兵を自殺に追い込んでいる――
難癖なんくせをつけては懲罰ちょうばつの繰り返し。
ある日、茶をこぼした懲罰ちょうばつとして、
腕立て伏せ一六三七回もさせたんだ。

【バール】
びょびょ~ん、バールだニャ!
酷い上官もいたもんだニャ!
腕立て伏せを何回だって?
噂のそいつが来るニャ!
そうとう怒りまくってるニャ!
現世では閑羅瀬しずらせみき中尉殿ニャ!

【元召喚小隊S中尉アストラル】
鬼龍きりゅう大尉は負け犬だ!
この大事な局面で雲隠れするとは、
情けないにも程がある!!
それに――
歩三の腑抜ふぬけ連隊長め!
麻布あざぶ連隊区のくそ司令め!
陸軍省の穀潰ごくつぶし将官どもめ!!
参謀本部の――
うぬぬ……気配を感じる、感じるぞ!
何者だ、貴様!
この俺をわらいに来たか!!

《バトル》

【元召喚小隊S中尉アストラル】
くそ! くそ! くそ
どいつもこいつも、
勝手なことばかりしやがって!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
やっと探信たんしんできました!
品川図們トモン、安定しています。
帰還してください。

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは、多加美たかみ宮司ぐうじ鈴代すずよと話し込んでいた。月詠つくよみ麗華れいか霊異りょういを現し、鬼龍きりゅう豪人たけとからの奥義おうぎ伝授でんじゅを狙うとあって、鈴代すずよも新たなる決意をしたようである。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん、私、決めました――
麗華さんが霊異りょういを現して、
今、とても不安定な状態です。
もし鬼龍さんから東雲の奥義おうぎを継ぎ、
新しい東雲しののめ流が興るとすれば、
今の私たちでは太刀打たちうちできません。

東雲しののめ流は鈴代の祖母の代で絶えている。古式帰神法は神々を降臨させ、眼前に現すのだという。

【多加美宮司】
鬼龍大尉は古式東雲しののめ流を極めた、
そう伺っております――
【如月鈴代】
大尉が京都の師団においでの頃です。
でもほどなくして流派を閉じました。
すぐさま大尉は独逸ドイツへ――
古式ではセヒラを用いないのです。
降ろすのもではなく神々です。
それを改めたのが帆村ほむら流なのです。
帆村流ではを指揮する、
そういう術武じゅつぶに進化させました。
もし今、古式がおこれば……
【多加美宮司】
帆村流に対抗し得る力となる――
そういうことかも知れません。
【如月鈴代】
を現前に現し、
市民を襲わせるということも……
そうなってしまっては手遅れです。
【多加美宮司】
今、正しく古式東雲しののめ流を再興すれば、
色々の懸念、払拭ふっしょくできます。
【如月鈴代】
私、東雲しののめ流を再興します。
麗華れいかさんより早く古式東雲しののめ流をおこし、
対抗できるよう、準備を整えます。

【九頭幸則】
風魔、通報があったぞ!
広尾橋ひろおばしに仮面の男が現れた――
こちらは?
【多加美宮司】
宮司ぐうじ多加美たかみです。
東雲しののめ流の神器である鏡を授かりに、
京都に向かいます。
【九頭幸則】
それじゃ、東雲しののめ流を……
【多加美宮司】
そうです、東雲しののめ流を再興します。
そのためには神器の鏡がいるのです。
鏡は京都の神社に収めてあります。
【如月鈴代】
京都の方には私から、
伝えておきます。
少し時間をください――
【多加美宮司】
わかりました。
いつでもてるようにしておきます。
【九頭幸則】
梨央りおちゃんに公務電車の手配を頼む。
風魔、広尾橋だ、向かってくれ。
【如月鈴代】
古式東雲しののめ流がおこれば、
風魔さんに継いでいただきたく、
存じます。

広尾橋ひろおばし

【着信 帆村魯公】
おかしいぞ、
今さっきしばの方で
仮面の男が目撃された。
丁度ちょうど、省線田町たまち駅の近くだ。
どうなってるんだ?

【仮面の男】
ワハハハハハ~
愉快ゆかいなことになってるな!
こいつらは前菜だ!
この女は一週間も市内を彷徨さまよった。
銀座で妙な上映会があったそうだ。
この男は国家を転覆させようと、
韮山にらやまなんとやらに従い、
あらぬ妄想を膨らます――
ここでお前と交えれば、
セヒラが繋がる――
いい按配あんばいにな!

《バトル》

【仮面の男】
ワハハハハハ~
いいぞ、その調子だ!
私は次に向かう!!

【着信 新山眞】
仮面の男の目的、わかりました!
私の作った結界を、
打ち破ろうとしているのです!
田町たまち駅前と広尾橋ひろおばしを底辺として、
市内に大きな三角形が描けます。
その頂点は――
五反田ごたんだ方面です!
結界に重なる逆三角を描き、
セヒラの流れを作るつもりです。
聞いたことがあります――
ツアイヒヌンの術と言います。
訳すと絵を描くということですが。

新山にいやまの結界に重なる逆三角形は、田町たまち駅前、広尾橋ひろおばしを結び、その頂点、大崎あたりに位置していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
結界に重なる逆三角形ですが、
大崎にその頂点を結びます!
五反田ごたんだまで、
公務電車で移動してください。

向かった先は大崎広小路おおさきひろこうじであった。そこには第三セヒラ探信儀たんしんぎがある。三探は独逸ドイツ駐在武官、是枝これえだ大佐邸に建つ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
三探に強力なセヒラ反応です。
ただし――
仮面の男とは異なる波形です。

是枝邸これえだてい前〕

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
私……どうすればよいか……
あの仮面の男から、
誘いを受けているのです――
ともに力を極めようと。
私は純粋に戦うよろこびを求めている、
ただそれだけなのに、
そうさせてはいただけません――
私をしたう人たち、私を求める人たち、
私を退しりぞける人たち――
幾多いくたの思いが私をめぐるのです。
私……
どうすれば……
風魔さま……
【着信 喪神梨央】
今、歩一に出動要請しました。
衛生班も同行します。
到着まで現場を保全ほぜんしてください。

程なくして歩一のトラックが到着した。月詠つくよみ麗華れいかは歩一にて保護することとなり、連隊本部に運び込まれた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい――
麗華れいかさん、無事に保護されたんですね。
【帆村魯公】
それにしてもだ、
仮面の男、愈々いよいよ放置はできんな。
麗華嬢まで引き込もうとするとは!
【喪神梨央】
仮面の男が兄さんや怪人と戦って、
セヒラの道が出来たと、
新山にいやまさんは仰っていました。
それであそこに麗華さんが来た……
あのとき、セヒラ球に似た波形、
大崎方面で確かに観測していました。
【九頭幸則】
すると、月詠つくよみさんは、
セヒラ球に乗って移動しているのか?
――まるでセヒラの申し子みたいだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん!
今はセヒラ球の波形、
帝都のどこにも観測しませんよ!
鈴代すずよさんも古式東雲しののめ流の再興、
決心されたわけだし……
――私たちのそなえは十分です。
【九頭幸則】
ならいいんだけど――
それはそうと、フォス大佐が、
是枝これえだ邸を訪問したらしい。
あの二人はどういう関係なんだ?
【帆村魯公】
腹の探り合いだよ。
駐独武官としてナチに通ずるのは、
当然の責務だからな。

仮面の男は何を思い月詠つくよみ麗華れいかいざなうのか。古式東雲しののめ流の再興を決めた鈴代すずよの胸中は――
さまざまな思惑おもわくが夏の帝都に錯綜さくそうしていた。

第七章 第二話 カグツチ

ユリアとアーネンエルベに向かった。ホムンクルスについて詳しく話したい、ユリアがそう申し出たのである。

〔アーネンエルベ極東分局〕

【ユリア・クラウフマン】
イズの少年、断定はできませんが、
ホムンクルスの可能性はあります。
ホムンクルスは体の組成が、
一体ごとに異なるのです――
共通するものもあります。
皆、シュタインを内蔵しています。
シュタインはホムンクルスの
判断力をつかさどっているのです――
このメイド型は四石です。
シュタイン自体は改良版を使っています。
こちらの執事型は八石です。
この型にはクルト・ヘーゲンが、
指示を出しています。
シュタインの他に香腺こうせんという器官があり、
さまざまな指示を記録します。
その記録を刷り込みアプドロックと呼ぶのは、
もうご存知ですよね。
刷り込みアプドロックによってこの子たちは、
命令どおりに動きます。
でも、少年の形のホムンクルスは、
まだ見たことがありません。
十二石のホムンクルスを作る、
そういう話は聞いていますが……
【着信 帆村魯公】
どうだ、話は聞けたか?
沈静化しておったカグツチ騒動、
また再燃しておるようだ。
青山に大勢がもうでておる――
皆、カグツチから生まれた、
月詠つくよみ麗華れいか嬢が目当てだという。
セヒラもちらほらある――
ちょっと見てきてくれんか?
【着信 喪神梨央】
鈴代すずよさんが向かいました。
青山通、明治めいじ神宮前じんぐうまえ電停で、
落ち合ってください!
【ユリア・クラウフマン】
コウジンも巡視パトロール中ですが、
今日はボクトウ地区です。
アオヤマとは逆ですね。
私は研究室へ行きます――
【武装SS隊員】
ハイル――
【ユリア・クラウフマン】
ここではいいのよ。

〔青山街路〕

風魔ふうまの向かった青山通りは、渋谷方面に向かう人がそぞろ歩く。普段寂しい通りが人であふれていた――

【着信 喪神梨央】
今のところセヒラは観測しません。
ただ予兆はあります、
注意してください。
【赤坂署の巡査】
何の人出かと署ではいぶかっています。
青山通は別名陸軍通りくぐんどおり……
何か行軍でもあるのですか?
【如月鈴代】
この人たちが……
まさか、麗華れいかさんの元へ?
――そうなんでしょうか?
【九頭幸則】
おい、風魔ふうま
公務電車くらい出せよ!
中尉殿御一行は市電で――
梨央りおちゃんも水臭いな!
鈴代すずよもそう思うだろ?
【如月鈴代】
遅くなってごめんなさい、風魔ふうまさん。
市電、赤坂見附みつけから乗ったのですが、
青山一丁目で終点なんです――
【九頭幸則】
通りに人が多くて危ないからって、
電気局から指令が飛んだらしい。
公務電車なら平気だったのにな!

【薄荷売りの少年】
おいしい薄荷はっか水だよ~
一口スッキリ薄荷はっか水だよ~

【新聞売り】
号外だよ~
号外号外~
カグツチ再臨~
月詠つくよみ様ご降臨~

【九頭幸則】
月詠つくよみ様って……
つまり麗華れいかさんのことだな!
【如月鈴代】
麗華れいかさん、青山せいざんホテルね。
部屋を取ったって聞きました。
ホテルはこの先ですわ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、注意してください。
セヒラ観測しました――
もっとも基本的な波形ですが。
【九頭幸則】
基本的って何だよ?
緩い怪人ってことなのか?

【逓信局の職員】
お前たちか!
――ええ、そうなんだろ?
【九頭幸則】
落ち着け!
何があったんだ?
【逓信局の職員】
娘を返せ!
糸子いとこを返せ!
【如月鈴代】
娘さん、どうかなさったの?
【逓信局の職員】
あんな妙な新宗教にそそのかされて、
四日も家を空けたままだ!
お前たちが元凶だろ!
【九頭幸則】
娘さんは青山ホテルに行ったのか?
【逓信局の職員】
ホ、ホテルだと?
ますます、許さん!!

《バトル》

【逓信局の職員】
糸子~糸子~
どこにいるんだぁ……
【如月鈴代】
麗華れいかさんが……
彼女が会派をひきいているのですか?
【九頭幸則】
いや、回りが騒ぐだけだ。
鈴代すずよ風魔ふうま、青山ホテルへ急ぐぞ!

青山せいざんホテル〕

【九頭幸則】
すごい人出だな――
【如月鈴代】
麗華れいかさん、いるのかしら……

【本郷の学生】
僕はね、いつにない可能性を感じる。
何しろカグツチときたもんだ、
近代モダンカグツチは何をもたらすのか――
本郷ほんごうからね、足代あしだいはずんで、
今日で三日も通い詰めだ。

【小石川の婦人】
良人おっとの母の妹の姉の息子の嫁……
つまり私ですけれど――
思うところあり、参っております。
近頃、頭の中で声がしますの――
菊子の女学校時代のおねえさまの妹、
つまり私を呼ぶのです。
参りなさい、参りなさいと……
ですから、参っております。

【着信 喪神梨央】
わずかにセヒラを観測します――
ですが、脅威にはなっていません。
【如月鈴代】
麗華れいかさんが霊異りょういを現すと、
周りに影響を及ぼすのかも……
風魔ふうまさん、幸則ゆきのりさん、
私、ここで麗華れいかさんを待ちます。
【九頭幸則】
そういや歩三でも、
麗華れいかさんを持ち上げる動きがある、
そんな話を聞いた――
そろそろ歩三の召喚小隊、
演習の始まる時間だ。
風魔ふうまのぞきに行ってみよう!
じゃ、鈴代すずよ
麗華れいかさんによろしく!
【如月鈴代】
手に負えないことがあったら、
山王さんのうの本部に連絡を入れます。
お二人とも、お気を付けて。

鬼龍きりゅうが率いた歩三召喚小隊。その中に月詠つくよみ麗華れいかあがめる一派があり、予断よだんを許さない状況だという。風魔ふうま九頭くずは、演習が行われている、歩三本部へと向かった。

〔第三連隊本部〕

【九頭幸則】
見たところ、問題なさそうだな――
【常田松柏】
何やら良からぬうわさがあるが――
歩三はいたって平静だ。
歩一の方はどうかね?
【九頭幸則】
問題確認されておりません!
怪異に屈することなく、
励精れいせいこれつとむるにあります!
【常田松柏】
よかろう――

その時であった。
一陣の冷たい風が吹いたかと思うと、連隊本部の前庭に影が射した――

【叫ぶ声】
あっ! あれは――
【裏返った声】
カグツチ様だぁぁ~
【感嘆する声】
おおお! 月詠つくよみ様だ!!
【むせぶ声】
はぁぁぁ~
ついにご降臨こうりんあそばされたぁ~
【九頭幸則】
おい、風魔ふうま
――セヒラ球だ……
いや、カグツチか――違う!

【九頭幸則】
風魔ふうま
連中、怪人化したんじゃないか?
【常田松柏】
鵜野森うのもり少尉!
しずまれ!
――少尉! 聞こえんのか!!
【召喚小隊鵜野森うのもり少尉】
私を呼ぶのです――
早く参れ、早く参れと……
小隊の兵ら、皆、月詠つくよみ様をあがめ、
互いに引き合ったのです――
私は愈々いよいよ成るのです――
月詠つくよみ世界粛清しゅくせい親衛隊長に!
弱小極東小国など殲滅せんめつせんとす!
【常田松柏】
少尉! 少尉!!

《バトル》

鵜野森うのもり月詠つくよみ世界粛清しゅくせい親衛隊長】
列強国に並び立とうとする貴様らは、
やがて灼熱しゃくねつの炎に焼かれるだろう――
末代まで禍根かこんを残すのだ!!
貴様らの行く末は、
黒いきりに閉ざされている――
その闇はどこまでも深い!
【九頭幸則】
大佐――
ご無事でいらっしゃいますか?
【常田松柏】
ううう……
――今のは、何だ?
【九頭幸則】
怪人同士の戦いが繰り広げられ、
大佐もそれに巻き込まれたのです。
【着信 喪神梨央】
観測したところ、
大佐も一瞬だけ怪人に……
怪人になった模様です。
セヒラ球ですが、
白金しろかね方面へ向かいました!
【九頭幸則】
一瞬だけ、大佐も怪人に……
――そんなことがあるのか……
大佐、隊の衛生兵を呼びます。
動かないでください。
【常田松柏】
た、大尉は……まだか?
鬼龍きりゅう大尉だ……
京都をつとのしらせが……
【着信 喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉が上京するのですか?
幸則ゆきのりさん、事実確認をお願いします。
日程を調べてください!!
【九頭幸則】
了解した!
風魔ふうま、俺はここに残る。
お前はセヒラ球を追ってくれ!

清正公せいしょうこう前〕

第三連隊本部上空に現れたセヒラ球。そのせいか、隊の将兵らは怪人化した。セヒラ球は白金しろかねに向かったという。

【新山眞】
この場所はカグツチの聖地として、
あがめる市民も出始めています。
勿論もちろん、カグツチなどではなく、
邪悪マルボーナなセヒラの塊です――

【歓喜する声】
おいでです! おいでになりました!
月詠つくよみ様! あああ、感激ですわ!!

【驚嘆する声】
おお、何ということだ!
まさに、ここはまさしく聖地だ!

【祈る声】
お願いします、お願いします、
どうかお聞き入れくださいませ~

【新山眞】
あの中では帝都中の思念が流通し、
中にいる月詠つくよみ麗華れいかなる者は、
全てを見通せています――

【新山眞】
このまま思念を集め続ければ、
月詠つくよみ麗華れいかなる人物は――
まさしく全知全能チオスチオカイチオポーボの存在へと――
そこで急遽きゅうきょこしらえました――
思念増幅アンプリファード器です。
こいつで思念を増幅アンプリファードすれば、
セヒラ球の中ではうるさく響き合い、
何が何だかわからなくなる――
【着信 喪神梨央】
新山にいやまさん!
思念を増幅して聞き取れないように
するのですね!
【新山眞】
その通りです、聞き取れません!
さぁ、思念増幅アンプリファード器の、
スイッチを入れますよ!

そう言うや、新山にいやまは、手にした通信機のような装置の、スイッチを入れた。

【月詠麗華の声】
ここは母胎なのです――
そう教わりましたわ。
――誰にかというと……
それはわかりません。
私の中に響いてくるのです――
神さまのお声かも知れません。
この帝都にはいろんな考えが、
あるのですわね――
興味深く拝聴はいちょうしました。
大変、いきどおる方がおいでですわ。
新文民社で穏健派を標榜ひょうぼうする方――
憲兵に捕まって大変なことに!
でも私が探しているのは、
もっと別のことなのです――
それがちっとも聞けやしません。
豪人たけとさまは京都においでなのですね。
私、豪人たけとさまから継がねばと思い、
いているのですが……

京都は遠すぎるのですわ!
母胎にはもっと栄養が必要――
どうもそのようですわ。
先程は混乱してしまいましたわ。
いっそ、人をそのまま吸い取ると、
そうなるようですわ!

【着信 喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉が京都をつと――
詳細は調査中です。
麗華れいかさんはまだ知らないようです。
【新山眞】
鬼龍きりゅう大尉は……狙われていますか……
月詠つくよみ麗華れいかに……
――ここは手を打たねば!

うわぁぁぁ~

〔時空の狭間〕

【新山眞】
こう何度も飛ばされると、
慣れっこになりますね――
いや、なりません!
おや、イオか来ますよ……
アストラルです!

【満鉄列車長の使いアストラル】
見ませんでしたか?
【新山眞】
見るって、イオをですか?
【満鉄列車長の使いアストラル】
列車長が困っています。
重たいのがいて列車運行できないと。
【新山眞】
重いペーザ
それはぺ……ペ……言葉が出ない……
――重量のことですか?
【満鉄列車長の使いアストラル】
気分的に、重いのです。
――それは憤慨ふんがいする者ですよ。

【穏健派Fアストラル】
どうやら私はめられたようです。
あの興亜こうあ貿易の社員です、
私が尾行した相手です。
彼は内務省の建物に入ったのです。
彼は私が疑っていることを、
はなから知っていたようです。
それで私が尾行するようにした――
ある日、新文民社の集会があり、
彼も参加していました。
彼は手帳を机上に置いたまま、
ほんの五分ほど中座ちゅうざしたのです。
手帳には私の名前がありました。
その手帳がわなだったのです。
私が盗み見するよう仕向けたのです。
【新山眞】
その人物はスパイだったんですね?
――それで、あなたは今、
どこにいるのですか?
【穏健派Fアストラル】
私は今、一ツ橋の憲兵司令部の地下、
談話室という汚れた部屋にいます。
壁の茶色い染みは血液ですね――
先程、今日、三本目の注射を打たれ、
私の意識は遠のいていきます――
反して思念はかように明瞭めいりょうなのです!
あなたもあの男と同じ臭いがします。
――組織の人間の臭いです!
【新山眞】
喪神もがみさん、注意してください!
話し合える様子はないです。
【穏健派Fアストラル】
ああ……遠のいていく……
部屋がぐるぐる回り始めた……

《バトル》

【穏健派Fアストラル】
目の前にいきなり光が射して……
田舎のおっかぁが見えた!
ああ、おっかぁ~おっかぁ~
おっかぁの顔が……
ゆがんで……色まで変わって……
――歯がボロボロ抜け落ちる!!
【新山眞】
何とか障害はのぞけたようです。
――ところで、彼をめた人物、
調べる価値はありそうですね。

【満鉄列車長】
ありがとうございました!
重いのがなくなり、運行開始です。
当列車、青山新京シンキョウ品川しながわ図們トモンを結ぶ、
青品線最終となります。
【新山眞】
私たちは品川しながわ図們トモンに向かうのですね?
向こうにはどんなアストラルが、
いるのですか?
【満鉄列車長】
よくはわかりませんが、
新しく接続した場所では、
新しいアストラルを見かけます。
では、当列車、
品川しながわ図們トモンに向けて出発します。

時空の狭間を出発した帝都満洲あじあ号は、一路、品川しながわ図們トモンを目指した。果たしてそこは荒涼こうりょうとした場所だった――

品川しながわ図們トモン第一街区〕

【新山眞】
何とも荒涼こうりょうとした場所ですね。
アストラルもいますよ。
――連中、新しいのでしょうか?
【着信 喪神梨央】
品川しながわ図們トモンに思念増幅器を、
設置しますか?
安全な場所を探しましょうか?
【新山眞】
いえいえ!
ここでそんなことしたら大変です。
今、装置は切っています。
喪神もがみさん、アストラルは正直です。
歩三のアストラルがいれば、
鬼龍きりゅう大尉の予定を尋ねてみます。
大尉はいつ東京に着くのか――
歩三に乗り込んだところで、
絶対に口外しないでしょうから。
品川しながわ図們トモンに来られたのは幸いです。
歩三のアストラルさえ捕まえれば、
月詠つくよみ麗華れいかさきんじられます!

【新文民社構成員Tアストラル】
青山の拠点に憲兵が踏み込んだ?
ふん、そうなることはわかっていた!
韮山にらやま儀礼ぎらいは当局から金をもらい、
内部情報を渡していたに違いない!
【新山眞】
韮山にらやま氏が音頭おんどを取って、
帝大の文民社から分離したんですね?
【新文民社構成員Tアストラル】
穏健な活動を目指してね。
でも、そこに当局が付け込んだ。
内側から瓦解がかいさせる魂胆こんたんなんだ!
こうなったら仲間をつのって、
新たな会派を作るしかない!
【新文民社構成員Eアストラル】
新文民社が分裂しないよう、
結束を呼びかける構成員もいる。
興亜こうあ貿易の影森かげもり愁一しゅういちさんだ。
影森かげもりさんは新文民社の名簿を作り、
皆に結束を呼びかけるようだ。
文民社の名簿も同時に作ると言う。
【新山眞】
名簿なんか作ると、
かえって危ないのではないですか?
【新文民社構成員Eアストラル】
そ、そうなのか?
――考えても見なかった!
本名と住所を教えてしまった!

【新文民社構成員Dアストラル】
新文民社を離れて、
カグツチさまの霊異りょういに頼る、
そういう動きもあるようです。
【新山眞】
アナーキズムの精神は、
どうなるのですか?
【新文民社構成員Dアストラル】
カグツチ様から新たなる力を得て、
それを国家転覆てんぷくに利用する、
そういう考えのようです――
私もこれから白金しろかねへ……
カグツチ様にお願いしに行きます。
【新山眞】
アナーキスト連中も、
霊異りょうい魅了みりょうされていますね。
歩三のアストラルを探しましょう。

品川しながわ図們トモン第三街区〕

【新山眞】
おそらく歩三のアストラルでしょう。
尋ねてみます――
こちら、第三連隊召喚小隊ですか?
――みなさん、おそろいで……
【召喚小隊S一等兵アストラル】
ええ、自分、小隊一等兵、
そこに同軍曹、あちらに同大尉です。
【新山眞】
それではお尋ねしますが、
貴隊の鬼龍きりゅう大尉は、
いつお戻りになりますか?
【召喚小隊S一等兵アストラル】
K隊長……ですか?
――今更戻っても……
【新山眞】
小隊はどうなりましたか?
【召喚小隊S一等兵アストラル】
今、自分は隊舎の二階から、
中庭を見下ろしておりますが……
もう隊は持ちません!
皆、あのカグツチ様とやらに――
あれこそ求めていた力だと、
部隊を抜ける者もいます。
陸軍刑法第七十五条、逃亡罪――
ゆえナク職役ヲ離レル者ハ処断しょだんス!
――火急かきゅう処断しょだんすべし!!

【新山眞】
お尋ねします軍曹、
隊長の鬼龍大尉は戻られましたか?
【召喚小隊T軍曹アストラル】
隊長が戻られたから、どうなる?
召喚小隊などとしきりと喧伝けんでんするが、
その実、三割ほどは怪人が混ざる。
【新山眞】
ええ!
本当ですか――
かねがねうわさはありましたが……
【召喚小隊T軍曹アストラル】
古株のUはまったき怪人だった――
先日、とうとう魂をわれた。
まともな召喚師などおらんのだ!
【召喚小隊M大尉アストラル】
隊舎の屋上からカグツチが見える。
あれは清正公せいしょうこう前のあたりか――

【新山眞】
大尉、鬼龍隊長は、戻られますか?
【召喚小隊M大尉アストラル】
おお、K大尉か!
この一週間、京都の山端やまばなホテルだ。
――だが今日は泊まらん。
【新山眞】
え?
それでは、今日、東京に……
【召喚小隊M大尉アストラル】
そう聞いている。
夜十二時前の夜行だそうだ。
K大尉、奴は悩んでいる――
審神者さにわとしての自分、
召喚師としての自分……
二人の自分が互いを排除する……
修練を積むほどにみぞが深まる、
どちらかを手放すべきなのではと――
【新山眞】
それは……術を封印する……
いや、むしろ奥義を伝授する、
そういうことでしょうか?
【召喚小隊M大尉アストラル】
くわしくは知らないが、
そのようなことだ――
問題は誰に伝えるかだ。
奴の悩みはそこにあるのだ。
機根きこんもって術を継ぐ者があるのか……
【新山眞】
喪神もがみさん、鬼龍きりゅう大尉の上京、
今晩の夜行とのことです。
明日朝には東京に着きます。
増幅器、あと二台あります。
三台の増幅器を使い、
清正公せいしょうこう前を囲む結界を張ります。
さぁ、急ぎましょう!
帝都に戻るのです!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さん、帝都満州の様子ですが、
少し変わってきたみたいです。
人の名前を語るアストラルが、
出始めているようですね。
新山にいやまさんが気付かれました――
その新山にいやまさん、あの機械を抱えて、
大急ぎで出ていきましたよ。
品川駅前、目黒駅前、一の橋電停と、
セヒラ球の浮かぶ清正公せいしょうこう前を囲む、
三角形に機械を設置するそうです。

新山は3台の思念増幅器を用いて、清正公せいしょうこう前を囲む結界を張るという。

【喪神梨央】
それで思念増幅の結界を作って、
雑音だらけで思念を確かめられない、
そういう仕組みだそうです――
東海道線の時間ですが……
京都今夜十一時四十五分の夜間急行、
東京着が明日朝九時三〇分です。
朝、八時、東京駅構内に、
歩一の二個小隊が待機し、
鬼龍きりゅう大尉を確保するとのことです。
白山はくさんの方に歩一の集会所があります。
そこは電話も通じていなくて、
勿論もちろん、住所は非公開です。
鬼龍きりゅう大尉の身柄、
しばらくそこに留め置くようです。

月詠つくよみ麗華れいかの現す霊異りょうい如何程いかほどのものか、市民の多くはそれを知らない。しかし宙に浮くセヒラ球がすべてを語る。その霊異りょういにあやかりたい組が続出している。アナーキストの一派、それに第三連隊、召喚小隊も月詠つくよみ麗華れいかあがめ立て始めた――

古式東雲流

山王機関スタッフ以外で夢玄器を使ったのは麻美さんだけです。そして麻美さんはとある特務機関員ということまではわかっています。そこでどんな役割だったのか、まだ調査中です。
この空間には風魔さんに近しい人たちの思念が現れています。そして麻美さんがかつて赴任していた樺太の地が作戦地図に。そこは樺太の庁都豊原、現在のユジノサハリンスクですね。
〔思念空間〕

【如月鈴代】
如月きさらぎ家では霊異りょういは女性にあらわる、
そう伝えられています。
女系にょけいに継承されるものなのです。
祖母には男子しか生まれなかった――
それが私の父、宗達そうたつです。
本来なら父の代で流派の継承はえ、
東雲しののめ流は閉じられいるはずでした。
けれど、父は父なりに努力し、
霊異りょういを現すことができたのです。
ただ力のおよばないことも多く、神経にさわるようなこともあったと――

東雲しののめ流そのものは、
平安時代からあったと聞きます。
それが古式こしき東雲しののめ流――

長い間、閉ざされていた古い流派を、
曾祖母そうそぼが受け継いだのです。
古式こしき東雲しののめ流での神降ろしは、
今とは随分ずいぶんと様子の違うものだった、
そんな話が伝わります。

豊原とよはら市街〕

麻美マーメイ
ここは樺太からふと庁都ちょうと豊原とよはらです。
明治三十八年、日露にちろ戦争に勝利して、
日本は樺太からふとの地を回復しました。
同じ年、北樺太からふと露西亜ロシアに譲渡し、
以来、北樺太からふと薩哈嗹サガレンと呼ばれます。
この薩哈嗹サガレンの譲渡は、
平和外交による相互発展を、
目的としたものでした。

明治四十年、北海道樺太からふと庁が発足。
日本人の入植にゅうしょくが進み、町も整備され、樺太開拓からふとかいたくは本格化しました――

樺太からふとでは林業、製紙業が盛んです。
石炭、石灰の産出量も豊富で、
水揚みずあげ世界有数を誇る漁場も近くに。
風光明媚めいび樺太からふとは旅人にも人気で、
宮沢みやざわ賢治けんじ北原白秋きたはらはくしゅう斎藤さいとう茂吉もきちなど、
著名人も多く訪問しています。
帝政露西亜ロシア時代、
樺太からふと流刑地るけいちでした。

【着信 喪神梨央】
豊原とよはらには赤軍せきぐん兵士が潜入しています。
連中は、樺太からふと奪還を企てています。
特別赤旗あかはた極東きょくとう軍と呼ぶそうです。
間宮まみや海峡を挟んだ樺太からふとの対岸、
ソヴィエツカヤ・ガヴァニに、
本拠ほんきょを置く、第四十八軍です。
皆、怪人化している様子です。
注意してください!

《バトル》

〔思念空間〕

【如月鈴代】
本来、審神者さにわ神憑かみがかりがあったとき、
その神を見定めて、託宣たくせんを得る、
そういう霊能力者のことです。
やがて神を降ろす者、見定める者、
邪神をはらう者に役目が分かれます。
古式こしき東雲しののめ流は、神を降ろす術をみがき、
多くの神降ろしを可能としました。
降ろした神々はとは違い、
八百万やおよろずの神であったと考えられます。
その神々ですが、
ときに顕現けんげんしたと言われています。
つまり目前に現れたのです――

今、古式こしき東雲しののめ流がよみがえると、
人にをけしかけるようなことも、
できてしまうかもしれません。

第六章 第十二話 セヒラ特異点

〔山王機関本部〕

上野に現れた死ぬ死ぬ団――
その後、市内に模倣者もほうしゃも現れはしたが、脅威きょういをもたらすに至ってはいない。

【喪神梨央】
兄さん、ユリアさんのフロイライン、
石が新しくなったんですって!
【ユリア・クラウフマン】
シュタインの数は四石のままですが、
状況判断の面で性能が上がりました。
【喪神梨央】
それじゃ、自分で怪人見つけて、
鎮定ちんていに向かったりするんですか?
【ユリア・クラウフマン】
それは出来ませんが……
セフィラの流れを感知して、
意味を見つけるようになりました――
【帆村魯公】
意味を持つセヒラは、つまり思念だ。
帝都に流れる思念はセヒラの力を得、
人に強い影響を与えるようになった。
【喪神梨央】
前はそんなことなかったんですよね?
【帆村魯公】
ああ、そうだな……
帝都で事変が頻発ひんぱつするようになって、
思念もセヒラを抱くようになった――
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、言葉を捕まえます――
すれちがつた今の女が
眼の前で血まみれになる
白昼の幻想
【喪神梨央】
あっ!
それって、市ヶ谷見附いちがやみつけでも聞いた……
猟奇歌りょうきうたですよ!
【帆村魯公】
作家、夢野久作ゆめのきゅうさくんだ口語こうご短歌だ。
猟奇の雑誌に連載されている。
【ユリア・クラウフマン】
方々ほうぼうにその歌を思う人がいて、
歌だけがまるでラヂオ電波のように、
帝都を飛び交っているのです。
フロイラインは、
それを捕まえるのです。
――ずっと聞かされて、疲れました。
【帆村魯公】
性能の上がった副作用みたいなもの、
そのうち慣れるぞ、ユリアさん。

【九頭幸則】
歩一の九頭くず中尉です。
あっ、ユリアさんもおいでで!
今日はひときわ見目うるわしゅうて――
【喪神梨央】
死んだ将校
徽章きしょうがされ
どろんと遠くを見やる
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん……
――何だか、ご機嫌ななめ?
【喪神梨央】
そんなことないです。
そういう歌が流行はやっているらしいです。
【九頭幸則】
ふーん……
何だかドキッとしたよ。
【ユリア・クラウフマン】
クズさん、ハチブンの情報、
新しくなりましたか?
【九頭幸則】
そうそう、それで来たんです。
高輪たかなわで通りに大きな人形置いて、
通行の邪魔しているって――
怪人の是非ぜひを調べるべしと。
【喪神梨央】
大きな人形って、あれですよ、
上野公園の着包きぐるみの事変です。
あの社長という人……
【九頭幸則】
キ・グ・ル・ミ……
何だい、それは?
【喪神梨央】
兄さん、不明者が出ないうちに、
なんとかしなきゃ!
警察に通報します、兄さんは巡視パトロールを。
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも出動させます。
フーマ、お願いします!
【喪神梨央】
とらもん方面、事故発生中です。
六本木ろっぽんぎ霞町かすみちょう経由、天現寺橋てんげんじばしまで、公務電車を進めます。
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも同乗させてください。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました。
魚籃坂ぎょらんざかです。

〔魚籃坂〕

【芝高輪署の巡査】
参謀本部から直々じきじきに連絡があり、
やって来たらこの有様!
これ、どうするんですか?
いちじるしく往来おうらいさまたげとなっています。
軍の方でなんとかならんのですか?

【村田洋行の運転手】
脇を抜けようとするんですが、
何かがあって進めないんです。
――困りましたなぁ……
品川駅にお客さんを迎えるんです。
【芝高輪署の巡査】
でしたら、魚籃坂下ぎょらんざかしたから、
清正公前せいしょうこうまえ経由で高輪たかなわから品川駅、
その道でお行きなさい。
【村田洋行の運転手】
いささか遠回りにはなりますね。
【芝高輪署の巡査】
なぁに、三分十八秒しか
変わりませんよ、三分十八秒!
ここにいてもらちきません。

【高輪台町の扇子屋】
私、見たんですがね、これ、
伊皿子いさらごの方から降りてきたんです。
新手のちんどん屋かと――
でも、この往来おうらいの真中で
止まってしまったんです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人を近づけちゃダメです!!

【着信 喪神梨央】
強烈きょうれつなセヒラです、
注意してください!!
【比類舎革命隊Mの思念】
今さっき、武相屋ぶそうや旅館、御岳おんたけで、
昇汞水しょうこうすいを一気に飲んだ!
じきに全身くまなく毒が回るだろう――
まさにこの瞬間、思念は最高潮!
益々ますます意識は先鋭化せんえいかする!
だが――
私は何処どこに向かえばよいのだ?
御厨みくりや先生は、なぜおいでにならない?
我々の計画はどうなった?
――もしや頓挫とんざしたのか?
【比類舎革命隊Aの思念】
みすぼらしい旅館の小部屋で、
僕は意識が遠のいていった――
気がつくと僕は病院のベッドだった。
――僕は、死にきれなかった……
いや、命が助かったんだ!
その瞬間、僕には希望の光が見えた!
生きるんだ、生きてこそなんだ――
新しい目的を見つけよう!
その時、一人の看護婦が来て、
僕の鼻に脱脂綿だっしめんをかぶせた――
びんに入った液体を脱脂綿だっしめんに垂らし……
何滴か垂らされるうちに、
またもや僕の意識は遠のいた――
それから……
暗闇をただよい、ここにいる――
――僕は、死んだのか?
一度、助かったのに!
――殺されたのか?
【メイド型ホムンクルス】
ある女の写真の眼玉にペン先の
赤いインキを
注射して見る

《バトル》

【比類舎革命隊Aの思念】
あの看護婦はおかしな目をしていた。
目が……目が……
金色に輝いていたんだ!
【万年学生】
良いアルバイトくちがある、
そう言われてやって来たのに……
これじゃ、話が違う――
【着信 喪神梨央】
セヒラは解消されました。
――一度戻ってください、
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
【着信 新山眞】
セヒラの特異点、
どうやら帝都満洲にありそうです。
山王さんのう機関本部でお待ちしています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
ユリアさんのフロイライン、
ちゃんと戦えましたね!
【新山眞】
たいした技術です。
我々も負けておれません。
喪神もがみさんにひとつお願いがあります。
この新開発の装置を、
帝都満洲に設置してください。
セヒラ歪振器わいしんきと命名しました。
【帆村魯公】
ほう、また随分と難解なんかいな命名ですな。
セヒラ歪振器わいしんき……読んで字のごとしか。
で、そいつを帝都満洲に?
【新山眞】
そうです!
セヒラのゆがみを打ち消すことで、
特異点のがわかります。
【喪神梨央】
麗華れいかさんの居場所も、わかりますか?
【新山眞】
手がかりはつかめるでしょう。
【帆村魯公】
ふむ、心得ました。
風魔ふうまや、九頭くず中尉に同行願おう。
さっそく京都の方に協力を仰ぐ――

魯公ろこうは電話をかけるため場を離れた――

【新山眞】
京都には高名な物理学者がおいでで、
その方の青写真ありきと伺いました。
何もかもが、計画の内です。
【喪神梨央】
あの釣鐘つりがねを運び入れたのも、
きっとそうなんですね。
――私達も青写真の内でしょうか?
【九頭幸則】
溜池通ためいけどおりのオウルグリルにいたんだ。
オムライスを食っている最中さなか
伝令が大慌おおあわてでやって来てね。
【喪神梨央】
それでいつになく
早かったわけですね。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
観測器はちゃんと預かったかな?
――何でしたかな、名前は?
【新山眞】
セヒラ歪振器わいしんきです。
【帆村魯公】
そうでした!
今回は帝都の高輪たかなわに照応する場所、
帝都満洲の高輪たかなわ延吉エンキツに向かう。
今のところ、わずかながら
セヒラを観測するのは高輪たかなわだけだ。
帝都満洲にも何か沙汰さたがあるはず。
【新山眞】
怪人も種類が増えてきています。
電話で人生相談しただけで、
怪人になる者もある始末――
悪意をたぎらす者ばかりではない。
そういう状況を解明できそうです。
【帆村魯公】
風魔ふうま九頭くず中尉、十分に
注意してかかってくれ。
【九頭幸則】
承知しました!
さぁ、行くぞ、風魔ふうま
あじあ号が俺たちを待っている!

【満鉄列車長】
今回より皆様にご奉仕ほうしさせて頂く、
満鉄列車長にございます――
【九頭幸則】
列車長というからには、
一番偉いのかな?
【満鉄列車長】
左様さようにございます。
私は南満洲鉄道あじあ号に、
実際に乗務じょうむしておりました。
ある日、新京しんきょう宿舎しゅくしゃで、
自分はまだ職務をまっとうしていないと、
自責じせきの念をやしておりました。
そのまま眠りにつきまして――
【九頭幸則】
目が覚めるとここにいた、
その口なんだな?
【満鉄列車長】
左様です。
――これより帝都満洲鉄道あじあ号、
高輪たかなわ延吉エンキツに向かいます!!

〔高輪延吉〕

【九頭幸則】
またアストラルが、
ちょろちょろしているな……
早く歪振器わいしんきとやらを置いて、
帝都に戻ろうぜ!
【久作アストラル】
アハハハ、夢野ゆめの久作きゅうさく猟奇歌りょうきうた
そらんじているうちにここに来た。
風の音が高まれば
また思ひ出す
溝にてゝ来た短刀と髪毛
どうだ、僕のお気に入りの一篇いっぺんだ。
髪の毛はきっと女のだな。
【九頭幸則】
まぁ、そうだろうな。
で、貴様は死んだのか?
【久作アストラル】
死んだだと?
プハハハ、傑作けっさくだな、こりゃ。
僕は死んじゃいないさ、ピンピンだ。
今、道連れにする奴を選択セレクト中だよ。
本郷ほんごうの薄暗い下宿部屋でね。
【九頭幸則】
ん? なんか近づいてきたぞ!
【歴史アストラル】
歴史とは鉄と血の集大成だ!
【九頭幸則】
何の話だ?
【歴史アストラル】
私はジェーン・グレイ断頭式だんとうしきの絵で、
自分のまことを知るに至った――
フランス人ドラローシュの描いた絵だ。
英吉利イギリス女王ジェーンは即位して
わずか九日で断頭台だんとうだいつゆと消えた。
おのの刃が滑らぬよううなじの髪をげ目隠しをされ、断頭台だんとうだいに首を乗せる、まさのその刹那せつなを描いた絵だ!
この直後、ジェーンは首なしの
死体となって横たわるんだ。
おびただしい鮮血をらして――
あゝ、ジェーンの首をとした、
あの分厚い鈍いおので私の首を――
いや、その前に貴様で試そうか!

《バトル》

【歴史アストラル】
私は、もう六十八年もここを彷徨さまよう。
――いつ、抜けられるんだ?
【九頭幸則】
歴史の中に死を求めているのか……
レディ・ジェーンの断頭だんとうは、
確か十六世紀半ばだったよな。
【爆死アストラル】
私は幸徳秋水こうとくしゅうすい先生の愛弟子まなでしだ。
先生が変節へんせつされたのは巣鴨すがも監獄かんごく
収監しゅうかんされていた時だよ。
三つぞろえの立派な紳士が、
先生の監獄かんごく仲間に本を差し入れた。
【九頭幸則】
三つ揃えの背広?
――どこかで記録を読んだぞ……
それでどんな本なんだ?
【爆死アストラル】
クロポトキンの相互扶助論――
そういう題の本だよ。
露西亜ロシア語だけどね。
先生はその仲間からこの本を借り、
アナーキストに傾倒を強めたんだ。
出獄しゅつごく後、丸の内に大食堂を建築し、
同志の演説集会にて、
編集室を設け一大日刊にっかん新聞を発行、
さらに米国べいこくに遊学、
後に欧州おうしゅうに転じ、
現地の同志と交流を持つ――
そのような計画をお持ちだった。
現にその年の十一月に桑 港サンフランシスコに行き、
大いに交流されたのだ!
【九頭幸則】
それで、貴様はどうしたんだ?
【爆死アストラル】
私は信州しんしゅうの爆弾魔から、
一発の爆裂弾を預かっていたのだ。
下宿でいじっていると――
爆発はしなかった――
ただ勢い良く燃え盛り、
私の褞袍どてらにも火が付いたんだ!!
【九頭幸則】
何か年季ねんきの入った連中だな。
大逆たいぎゃく事件は三十年近く前だろう。
誰もいないな。
今のうちだ、装置を設置しよう。
俺が行く。

よし、設置完了だ。
もど――
ん、何か来るぞ、風魔ふうま
【心中アストラル】
ムーランルージュ新宿の踊り子と
新進気鋭しんしんきえいの作家が心中を企図きとした。
結果、踊り子だけが死んだ――
二人は四谷区のアパートで
ガスを吸ったんだ――
俺はね、死に切れなかった作家の
無念に通じたんだよ。
それはもう、途方も無い虚無きょむだった。
枯れ草一本もない虚無きょむだよ。
あの壮絶そうぜつなる虚無きょむに比べれば、
死は極彩色ごくさいしきの、まさに百花繚乱ひゃっかりょうらんだ!
お前にもわかって欲しいんだ!!

《バトル》

【心中アストラル】
やはり心中は坂田山さかたやま
昇汞水しょうこうすいを飲むのが常道だな!
あゝ、俺はいろいろしくじった!
【九頭幸則】
大丈夫か、風魔ふうま
坂田山さかたやまって、例のやつだろ?
後追いで三十組ほどが死んでるって。
さぁ、今度こそだ、戻ろう。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、幸則ゆきのりさんはお戻りになって、
気分がすぐれないからと、
休暇きゅうかを申し出られたみたいです。
【帆村魯公】
さて、風魔ふうまよ、
新山にいやま君のなんとか装置、
首尾しゅびよく置けたのだな?
【喪神梨央】
ちゃんと動いているようです。
新山にいやまさんが解析中で――

【新山眞】
失礼します!
解析結果が出ました!
【帆村魯公】
おう、
それで、どんな按配あんばいで?
【喪神梨央】
セヒラの特異点、
帝都満洲ではなかったんですね?
【新山眞】
先程の場所の近くです。
――清正公前せいしょうこうまえ……
市電清正公前せいしょうこうまえ電停の近くです。
今回、私も同行します。
喪神もがみさん、行きましょう!
【喪神梨央】
公務電車、清正公前せいしょうこうまえまでの
経路を確保します!

結局、公務電車は清正公前せいしょうこうまえまではたどり着けなかった。どういうわけか停止してしまったのだ。魚籃坂下ぎょらんざかしたの電停を過ぎたところで、公務電車は停止している。風魔ふうま新山にいやま清正公前せいしょうこうまえまで歩いた。
それは異様な光景であった。
市電も車も静止しており人影はなく、そばの民家の壁に巨大な光球があった――

【新山眞】
喪神もがみさん!
あれを見てください!
【着信 喪神梨央】
強力なセヒラを観測しました!
場所は清正公前せいしょうこうまえです!
【新山眞】
あれが……
まさに……セヒラの特異点……
【着信 喪神梨央】
セヒラ、急増しています!
波形も異常な形……
至急しきゅう退避たいひしてください!!

【新山眞】
うわぁぁぁぁぁ~

〔胎内〕

【鬼龍豪人】
麗華れいかさん、
あなたは何を求める――
戦うことが、それほど貴女を、
魅了みりょうするのか?
――そうなのか……
私にとって戦いは手段である――
自分を高めることこそが目的だ。
それは、本当なのか……
――私は……私は……
――力を欲してはいないのか?
――自分をいつわってはならない!
京都から伯林ベルリンに向かった私は、
自分を見失ってはいなかったか?
あのとき……
――自分を……

【如月鈴代】
麗華れいかさん……
少しいいかしら?
あなた、鬼龍きりゅうさんのホテルに、
行ったことあるの?
青山車庫近くの青山せいざんホテルよ。
ホテルの支配人が、
あなたのことを見たそうよ――
ねぇ、麗華れいかさん――
あなた、鬼龍きりゅうさんに
何かを求めているの?
あなたが召喚の術を、
そなえつつあるのはわかるわ。
あなたが霊異りょういすことに、
反対なんかしない――
でも、鬼龍きりゅうさんは、
東雲しののめ審神者さにわから独逸ドイツ式召喚師へ、
大きく転向てんこうされたのよ。
あなたの中に芽生めばえつつあるのは、
東雲しののめの流儀に近いの。
それもかなりの古式――
今の鬼龍きりゅうさんは、
あなたの求めているもの、
もうお持ちじゃないのよ……

【月詠麗華】
神さまが私に向かっておいでです――
けれど、私はまだ至りません――
手を伸ばして、つからねば、
ならないものがあるのです。
豪人たけとさまは、
大切な二つのものをお備えです――
召喚師としての秘技と、
東雲しののめ審神者さにわとしての奥義おうぎです。
そのいずれかを――
きっと、きっと……

行方不明ゆくえふめいになっていた月詠つくよみ麗華れいか――
その彼女が誕生を暗示するかのような、巨大な光球に包まれていた。光球は高輪たかなわの上空に浮遊している。人々はこの霊異りょういおそれをなし、魅せられ、口々にカグツチが現れたとうわさしあった。