第九章 第十三話 東京黙示録

12月25日、先帝祭で祭日であった。
ホテルでは午後の早い時間に人払いされ、従業員も宿舎に待機となった。
溜池通には軍用トラックが二台停められ、数人の立哨が警備に付く。

クリスマスパーティは中止となり、
客のないロビーに飾りがむなしく輝いていた。

そして皆が案じている
虹人こうじん行方ゆくえ――
数百年の時を越えた思念の繋属けいぞくが、虹人の中に白金江しろかねこうを形成するに至った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さん――
この時間になっても、
波形も全然観測されません!

隊長……
虹人さんは自分の中に白金江の
姿を見ていたんでしょうか?
【帆村魯公】
何かしら感じておったに違いない。
だが受け入れはしなかった――
虹人と名前を変えたわけだしな。
【喪神梨央】
こうって言う名前、
お父様がお付けになったんですね。
【帆村魯公】
そうだ……
変わり者の親父だ。
親父は虹人が生まれて半年ほどで、
姿をくらませてしまった。

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
先生、隊の方で、
小耳に挟んだことがあって――
【喪神梨央】
虹人さんの行方でも、
わかったんですか?
【九頭幸則】
いや、そうじゃないんだ。
鈴代の叔父おじ山郷やまごうの方に、
内偵の入った形跡があると――
【帆村魯公】
ほう!
さては内務省でも動いたかな――
【喪神梨央】
殿下の仰っていた有澤機関、
あそこじゃありませんか?
だとすると――
【九頭幸則】
拠点はセルパン堂、だよね?
休暇の准尉じゅんいに行かせたよ、
目立たぬように平服でね。
【喪神梨央】
セルパン堂にですか?
式部しきべさん、いなくなったんですよ。
【九頭幸則】
梨央りおちゃん、裏切られたみたいで、
怒ってる?
【喪神梨央】
あまりいい気はしません。
私たちのことも探っていたんです!
身内のように思っていたのに――
【九頭幸則】
でも敵というわけでもなさそうだ。
准尉じゅんいがこれを持って帰った――

【帆村魯公】
これは芭蕉ばしょうの句だな。
漁火いさりびかじかなみしたむせび――
【喪神梨央】
かじかって魚ですよね?
鳴いたりするんですか?
――むせぶって……
【帆村魯公】
昔、かじかかわずの区別がなくてな、
かじかは鳴き声を立てると思われていた。
漁火に驚いたりしてな。

そういや梨央、
前に鰍沢かじかざわの話、なかったか?
【喪神梨央】
ありました!
赤坂哈爾浜ハルピンのお熊アストラルです!
それと――
式部さんも鰍沢かじかざわの落語聞いたと、
そう話していました。
【九頭幸則】
この俳句は、
何か意味を含むのかなぁ……
入口の引き戸にしてあったそうだ。
【帆村魯公】
うむ……
鰍沢かじかざわちなむ場所は何処どこだ?
甲州か――
【喪神梨央】
そうです、甲州きっての急流です。
吉原女郎だったお熊は……
【九頭幸則】
どうしたの、梨央ちゃん?
【喪神梨央】
お熊は心中にしくじって、
しばらく品川溜めに置かれます――
【九頭幸則】
それじゃこのカードは、
品川にいざなってるんじゃないのか?
そうだよ、風魔!

【喪神梨央】
どうしますか?
品川に怪人の報告はありませんが。
それにそろそろ日も暮れます。
【帆村魯公】
構わん!
梨央、公務電車の手配だ。
中尉も同行してくれ!
【喪神梨央】
承知しました!
品川まで手配します!

【九頭幸則】
行こう、風魔、
何があるかわからんが――

〔吉原遊郭〕

式部しきべの残したカードにヒントを期待して、九頭くず風魔ふうまは品川遊郭ゆうかくへ。
遊郭一帯は物々しい雰囲気だった。軍用トラックが何台も停まり、憲兵や兵が方々に展開している。

【九頭幸則】
何だ、騒然そうぜんとしているなぁ――
それにこの憲兵らはどこから……

【死骨崎憲兵中尉】
おい、貴様!
ここで何をしている!
【九頭幸則】
そっちこそ……
これは公務なのか?
【死骨崎憲兵中尉】
なんだと?
公務だとぉ?
俺達の公務なんざ、
とっくに終わってるんだ!
擅権せんけんの大罪など関係ないわ!!

そう言うなり憲兵は脱兎のごとく走り去った。

【九頭幸則】
どうやらめいあるわけじゃなく、
勝手にいきり立っているようだ。
――それにしても……

何だ、この甘い匂いは……
どこかで嗅いだことあるぞ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
すぐ近くです!

そこへ太った将校らしきが駆けて来た。右の肩章は大尉だが左には少佐のを付けている。

【地獄谷上級大佐】
無念だ、無念だ!
せっかく上級大佐まで上り詰め、
これからだと言うのに!

貴様らは悔しくないのか!
【九頭幸則】
じょ、上級大佐ですか?
――まるでナチのようです。
【地獄谷上級大佐】
うるさい!!
我が帝国陸軍はナチなどではない!
神洲大八洲しんしゅうおおやしまから世界をべる、
選ばれし神民の軍隊だ!

その最たるは東京ゼロ師団!
またの名をゼームス師団――

国立防疫研究所――
戸山砲工学校――
渋谷憲兵大隊――
全ては泡沫うたかたの夢であったか――
【九頭幸則】
わかってますよ、大尉。
すべては魔の力で仮構されたもの、
この甘い匂いとともにね!
それを泡沫うたかたとは――
随分とロマンチストですね!

【地獄谷上級大佐】
地獄谷じごくだにの名を得た夜、
私は生まれ変わったのだ!
う・ま・れ・か・わ・っ・た!
【九頭幸則】
地獄谷……
こりゃすごい名前もあったもんだ。
(風魔、気を付けろ、相当なもんだ)

【地獄谷上級大佐】
どうせちるところは同じだ、
貴様らを道連れにしてやる!!

《バトル》

【地獄谷上級大佐】
……荒川の……
帝国……モスリン……
あすこだけは――

――うっ
【九頭幸則】
帝国モスリンの他はどこだ?
まだあるんだろ、工廠こうしょうが!
――おい、答えろ!
【地獄谷上級大佐】
――

謎の将校は斃れ、そのままセヒラと化した。

【九頭幸則】
山本――
少尉だが同輩の付き合いだった……
奴は近づきすぎたんだ。
帝国モスリンに――

いや、違う!
工廠こうしょうにだ!

そして――
工廠こうしょうはまだ他にもある!
だが……場所はわからない――

そこへ芸者がしなを作りながら歩いて来た。

【品川芸者幾松】
四谷からお越しのお二人様かしら?
【九頭幸則】
四谷?
――あ、ああ、そうだ、四谷だ。
ここから来た。

九頭は咄嗟とっさにセルパン堂にあった、式部の残したとおぼしきカードを見せた。
それを見た瞬間、芸者は体を硬直させた。わずかに震えてもいる。

【品川芸者幾松】
嘘と誠の二瀬川ふたせがわ
だまされぬ気で~
だまされて~

妖艶な声で端唄はうたを愛唱すると、芸者幾松いくまつうつろな表情となった。
そして別な言葉を口ずさみ始めた――

【品川芸者幾松】
山郷やまごう、甲府にて甲斐絹かいきを扱う、
屋号は山郷絹糸けんし
最寄りは富士身延みのぶ鉄道
金手かねんて停留所――

芸者は報告書を読むような口調で、
山郷についての調べを述べた――

芸者は音もなく消えた。

【九頭幸則】
芸者は暗示をかけられた――
そんな感じだよな。
山郷側調査の内容を、
芸者に覚えさせてあるようだ。
これじゃ漏洩ろうえいは難しそうだな。

そこへもう一人、芸者が現れた。そして端唄の調子を披露した。

【品川芸者稲貞】
青いガスとう 斜めに受けて~
白い襟足えりあし 夜会巻き~

芸者は新京シンキョウに在る山郷の取引会社、柞蚕糸さくさんし問屋の満蒙絲線まんもうシーチェンについて語った。
山郷は社長の好文海ハオウェンハイに取引を持ちかけている。

芸者は音もなく歩き去った。

【九頭幸則】
柞蚕さくさんが不良で新京シンキョウハオ社長は困り、
山郷は甲斐絹かいきを調達したそうだ。
おかげで急場をしのげたと――

その見返りに山郷は、
太古たいこに北支に落ちた隕石いんせきをもらう。
その隕石をどうするつもりだ?

また一人、芸者がやって来た。またもや端唄の調子だ。

【品川芸者菊丸】
お前とならば どこまでも~ 
箱根山はこねやま 白糸滝しらいとたきの中までも~

芸者曰く、山郷は隕石いんせきの力で麗華れいかに深い霊異りょういをもたらし、その力を利用して支族末裔まつえいの思念を呼ぶ――
山郷はどこまでも
力に固執していたのだ。

芸者が去った。

【九頭幸則】
山郷は麗華さんに何をしたんだ?
それに……
どうやって麗華さんを呼び出した?
泣く子も黙るあの関東軍が、
麗華さんを保護していたんだろ?
容易よういには手出しできんぞ――

またもや芸者が来る。

【品川芸者市若】
雪はともえに降りしきる~ 
屏風びょうぶが恋の仲立ちに~

端唄に続けて芸者は、東雲しののめ流に伝わる香合こうごうは、互いに瑞祥ずいしょうを現すのだと語った。芸者にたくされた言葉はこれが最後であった――

芸者は遊郭の路地を歩いて行った。

【九頭幸則】
麗華さんに協力お願いすれば、
山郷の香合こうごう瑞祥ずいしょうを表して、
それで居場所がわかるはずだ。
麗華さんは鈴代がかくまっている、
そうだよね?

俺、鈴代の家に行ってくる!
瑞祥ずいしょうとやらが現れたら、
そこが山郷の居場所だ、
急ぐんだぞ、風魔!

九頭くず鈴代すずよの家に円タクを飛ばした。
二つのアルツケアンを取り込んだことで、古式東雲しののめ流の奥義おうぎ会得えとくした麗華――
まだ強い霊異りょういを現すには至らないようである。

【着信 喪神梨央】
先程、紀伊国坂きのくにざかで、
芽府めふ須斗夫すとおの身柄が確保されました。
麹町こうじまち署の巡査にです――
機関本部で山王さんのうホテルに部屋を取り、
今はそこで休んでいます。
独逸ドイツ大使館で名前を思い出し、
その後の意識がないそうです。
大使館からは一キロ少々です……
彼は歩いてきたと思われますが、
紀伊国坂きのくにざかで車から降りた、
そんな目撃もあるのです。

ホテルの屋上から、
瑞祥ずいしょうを探しますがまだ見えません。
見つかり次第しだい、連絡入れます。

東雲しののめ流の霊異りょういしずまっている。
しかし受継がれた香合こうごう瑞祥ずいしょうを現すという。
それは空に差す霊光として現れるのだ。

果たして瑞祥ずいしょうは現れた。
山王さんのうからほぼ東の方角、銀座の辺りに霊光が差したのだ。

夕の空に現れた瑞祥ずいしょうを手がかりに、銀座方面へ公務電車を走らせる。
四丁目を過ぎたところで電車は停止した。

〔銀座街路〕

銀座の電車通には異様な光景が広がっていた。大通の中央に巨大な繭玉がいくつも重なり、巨大な一つの塊を為していた。黃灰色の繭玉は、むっとするような熱気を発していた。

市電は通行止めとなり、車も止まらされていた。京橋署の巡査が総出で物見遊山の市民を押さえ込んでいた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
幾つもの波形を観察します。
まだセヒラはありません――
波形の数、尋常ではないのです!

脇の路地からスーッとレンザが現れた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔ふうまさま――
あれは何でございましょうか?
私、不思議な感覚がしたのです。
それを頼りにここへ来ました。
そうしたらあのようなものが――
さしずめ、まゆというところですか?
それも幾多いくたまゆが合わさり――
一つ一つがとても大きいですよ!

レンザがはっと目を見開いた。その視線の先、巨大な繭玉の塊から白い霧のようなものが現れているのが見えた。銀座の電車通が見る見る白くなっていく。

【吉祥院蓮三郎】
何か気配がします!
風魔さま!
お気を付け遊ばし!!

レンザの姿が白い霧のようなものにかき消されてしまった。

〔白の狭間〕

そこは時空の狭間であろうか。不透明な白い空間が広がっていた。
空間が歪んだかと思うと山郷武揚が現れた。山郷はセヒラを帯びている。

【山郷武揚】
君たちはこのような機械で、
人をさぐっていたのかね?
いや、よく出来ている。
人も波形を現すとはな――

牛頭の賛同者が飯倉いいくら技研にもいてね。
機械が示してくれたんだ。
ひときわ目立つ波形が二つ――
思わぬ僥倖ぎょうこうだったよ!
一つはここにいる――
遠い過去からの繋累けいるいだ。
そしてもう一つ――
私にとっては馴染み深いものだ。

アルツケアン!
はははは、まだ残っていたとはな!
あの書生風情が大使館から持ち出し、
三宅坂みやけざかを下っていた――
さっそく迎えの車を用意したよ。
今宵こよいはやけに冷え込む。
歩くと風邪を引くからね!

一瞬、周囲が白く輝いた。

【山郷武揚】
北支の隕石いんせき月詠つくよみ麗華れいかを満たした。
人の役に立てて実に嬉しい限りだ。
達成感は空虚くうきょ感をもたらす――
私の中に小さな穴が空いてね。
それをめてみよう、そう考えた。
はからずとも私は導かれた。

アルツケアン――
私のために残っていたのだよ、
私を待ってくれていたのだ。
これをなんとかしないと、
万能の石に申し訳なくてね!
君もそう思うだろう?
私は僥倖ぎょうこうを得たのだよ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
尋常じんじょうではないセヒラです、
最大限の警戒を!!
【山郷武揚】
おやおや、こんなところにまで!
技術はける――
しかし人生はかくも短い!

《バトル》

山郷は風魔を見ている。しかしその視線はもはや風魔を捉えてはいなかった。

【山郷武揚】
見てくれ!
第五齢の熟蚕じゅくさん相成あいなった!
じき排尿するぞ!
排尿が終わると吐糸としを始める。
愈々、営繭えいけんに取りかかるのだ!!
さぁ、私をまぶしに収めてくれないか。
上蔟じょうぞくが終わると、吐糸を始めるぞ。
私は完成の域にあるのだ――

一瞬、周囲が白く眩しく輝いた。

【山郷武揚】
何だ? どうした?
私は……これは……
又昔またむかし? 赤熟せきじゅく? 小石丸――

違うのか!!
――かいこの種類は何だ?
これは……家蚕かさんではないのか!

再びの輝き――

【山郷武揚】
まさか……
北支の柞蚕さくさん――
好文海ハオウェンハイの作った白黄斑山繭しろきまだらやままゆなのか!

はぁはぁはぁ~
全滅したのではなかったのか――
私の持ち込んだかびで。

ウアハハハハ~
そうだよ、斑僵病まだらきょうびょうで全滅だぁ~
ハオ柞蚕さくさんは全滅だぁ~

周囲が白く輝いた後、真っ暗になった。
暗闇の中で山郷がもがいている。しかしその声はは聞こえない。山郷は強烈な幻覚におそわれていたのだ。
その幻覚は現実に一端いったんあらわした。
山郷は口から大量の糸を吐いたのだった。吐糸は果てることなく続いた。

【吉祥院蓮三郎】
ひゃぁ~
大変でございます!
黄色い糸がそこいら中に!!

【着信 帆村魯公】
風魔ふうまよ、山郷やまごうはアストラル化した。
レンザが見た糸は幻覚だぞ。
【着信 喪神梨央】
兄さん、銀座通ですが、
もうじき通行止めを解除します。
近くに虹人こうじんさんらしき波形も……
先程までは日劇前で確認……
今は波形は不安定ですが、
通行戻る前に急いで下さい!

〔日劇前〕

人の姿のない日劇前に虹人がいた。
虹人は白い光をまとっている。風魔に並ぶレンザが一歩踏み出した。

【吉祥院蓮三郎】
なんとなくこの辺りではと――
私、最近、えてきております。

虹人さまに古よりの繋累けいるいが及ぶと?
――私にはまだのように見えます。
さしずめ私は及び損ねた存在――
それゆえ、よく分かるのです。
まだ及んではおりません。

虹人を包む光が一瞬だけ大きく広がった。光は虹人の内側をも照らすかのようだった。

【吉祥院蓮三郎】
何でしょうか?
【帆村虹人】
やぁ、風魔!
すっかり審神者さにわのなりが板についた。
自分でもそう思うだろ?
今通う道場は目黒だよね?
競馬場跡近くの目黒不動だね。
省線駅から東横乗合を使うんだろ?
兄貴は目黄道場も開くって――
小松川区、荒川の西岸だよ。
総武本線の平井が最寄りだって。
目黄道場が開かれたら、
僕はそっちに通うことになりそうだ。
ちょっと遠いんだけど――
赤坂山王さんのうに特務機関を作る話も――
そうなれば、風魔、
お前と一緒になれるのかな?

虹人は相変わらず白い光の中にいる。

【吉祥院蓮三郎】
これは少し過去の話のようです。
時間が巻き戻ったみたいです。

虹人を包む光が大きく揺らいだ。

【吉祥院蓮三郎】
気を付けてください、風魔さま!
【帆村虹人】
目黄不動は府立七高女の近くだ――
高女といえばだよ、風魔、
面白い話があるんだ。

オフィーリア誌にページいて、
君影きみかげたよりをもうけることになった。
読者交流が発展するな!

虹人の光が一層の輝きを増す。

【帆村虹人】
――鈴蘭すずらんの子たち、
みんな僕のことを、
シロカネコウと呼ぶ――

虹人の周囲にセヒラが集まり始めた。その勢い、濃度ともにこれまでにないほどである。

【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ急上昇です!

セヒラの紫色が、先程までの白い光を追い出したかのように、虹人はすっかりセヒラに呑まれている。

【帆村虹人】
風魔には聞こえているかい?
まるで自分のことのように――
この言葉が僕をめぐるんだ。

全魔域パンデモニアムはルシファーの城府、
かの輝ける星をサタンにたくらべて、
かく呼べる――

虹人の声が遠ざかり、やがて周囲から光が失せた。
真っ白な空間に一台のラヂオがある。
ノイズ混じりの声が聴こえる――

安寧あんねいですか? 安寧あんねいですか?
――皆さま、どなたも、安寧あんねいですか?

淀橋区・東洋ホテル――
山梨からの上京時、山郷武揚の定宿である。山郷は甲府市内で生糸きいと商を営んでいる。屋号は山郷絹糸けんしであった。

【山郷武揚】
ついに興亜撚糸ねんしとの商談が決まった。
これで念願ねんがんかなった――
私たちの努力がむくわれたのだ。

今夜は泊まらずに夜行で帰ろう。
朝の四時頃には甲府に着くはずだ。
そのまま社で仮眠を取ればよい。
明日、朝一番に社の皆に知らせよう。
吉報きっぽうだ、皆、喜んでくれるぞ!
眠いなど言ってはおられんな!

四谷区・塩町尋常じんじょう小学校――
鈴代すずよ九頭くず風魔ふうまたちの出身校だ。
この春、音楽訓導くんどうとして赴任ふにんした柴崎周しばさきあまね。五月の合唱会に向けて練習に余念よねんがない。
毎年、唱歌夏は来ぬが選ばれる。

【柴崎周】
はなの 匂う垣根かきね
時鳥ほととぎす 早も来鳴きて
忍音しのびねもらす 夏は来ぬ~♪

我が胸に響くは子らの歌声だ。
伸びやかなる声は初夏の空のように、
瑞々みずみずしく、くもりのないもの――
子らの歌声を聞いていると、
私の心も洗われるようだ。
さぁ、今日も練習にはげもう!

赤坂区・料亭一繁いちしげ――
四谷荒木町の万屋よろずや御用聞ごようぎきに来ていた。万屋よろずやは屋号を木曽屋きそやという。酒や乾物かんぶつも扱う大店おおだなである。
小森こもり時夫ときおは木曽屋の番頭ばんとうであった。

【小森時夫】
一繁いちしげさんで政治家の壮行会があると。
麦酒ビールが二十ダースとは大注文おおちゅうもんだな!
きっと親爺おやっさん、喜ぶぞ!
確か日本平世党の政治家だと――
春はあけぼののような穏やかな世の中は、
平世党のおかげだなぁ……

いけない、いけない、いけないぞ!
塩町の如月きさらぎさん宅に向かわないと。
如月きさらぎさんは木曽屋の大得意だしな!

京都市伏見区・墨染すみぞめ――
輜重しちょう兵営第十六大隊の隊附中尉、鬼龍きりゅう豪人たけと
士官室の窓辺に置いた机に月光が差す。その灯りを得て、鬼龍は手紙をしたためている。西陣にしじん商家の娘、小原時子に宛てである――

【鬼龍豪人】
もうじき中秋の名月ですね。
今年は九月十二日だそうです――
来週の木曜日になります。昨年、君と嵐山で拝観はいかんした秋月しゅうげつは、今も私の心を照らしています。いささかのかげりを含ませた物憂ものうげな光――
なげけとて 月やは物を思はする 
かこち顔なる わが涙かな――
西行法師の歌を君に贈ります。豪人

日本橋区・興亜百貨店――
バンカツこと坂東勝一郎の読書会が開かれる。バンカツとは帆村ほむら虹人こうじんのペンネームだ。冒険少年年末号に六十八ページにわたり、書き下ろしの冒険小説が掲載けいさいされるのだ。

【帆村虹人】
南海の蒼風そうふうは構想二年の大作だ。
海賊に育てられた少年が成長し、
海の軍閥ぐんばつを率いる話だ。
波高い満剌加マラッカの海を舞台に、
海賊や賊軍相手に戦いを繰り広げ、
やがて海の支配者になっていく――

話は今日の読書会で初めて披露ひろうする。
先月号にその案内が載ったが、
わずか三日で予約は埋まったそうだ。

麻布あざぶ区・麻布あざぶ市兵衛いちべえ町――
聖宮ひじりのみや邸に植木職人新山眞にいやままことの姿があった。
東京電気通信工業を休職中の新山は、陸軍登戸のぼりと研究所の依頼いらいでく号兵器開発のかたわら、植木屋松巧まつこうの職人として働いていた――

〔聖宮邸庭〕

白い霧に覆われた宮邸の庭。垣根の低木を選定していた庭師が立ち上がりこちらに来た。庭に姿を見せた風魔に気が付いたのだ。

【新山眞】
おうちの方でいらっしゃいますか?
――私、植木屋です。
いやぁ、今日は五月晴れですな!
梅雨なのに五月とはこれ如何いかに?
ははは、旧暦ですよ、旧暦。
旧暦では梅雨は五月だったのです。
梅雨の合間の晴れを五月晴れ――
今日みたいな日和ひよりのことですね。

今日の剪定せんていはほぼ終わりました。
久しぶりに社に顔でも出しますか。
はは、こう見えても技術屋なんです。

突然、辺りが紫色に変わった。セヒラに満たされようとしているのだ。
そこへバールが現れた。バールは風魔をまっすぐ見て言う。

【バール】
ここに長居は無用だニャ!
すごく危険だニャ!
【バールの帽子】
ゲロゲロ、ここには何もない、
喜びも悲しみも、愛も憎しみも、
何も何もないゲロよ!
【バールの帽子背後】
無限に広がる虚無きょむの世界じゃよ。
皆、本心を押し殺して暮らし、
そのうち本心さえなくなった世界だ。
【バールの帽子】
誰もがうわつらだけで生きているゲロ、
早くこんなところからずらかるゲロ!
【バール】
ん?
誰か来るニャ!
風魔、気を付けるニャ!

邸の方から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
何か騒がしいですが――
どうかされましたか?

その時である、白い霧が一気に晴れて明るい庭となった。

【新山眞】
喪神さん!
――ここは……
私は……何をしているでしょうか?
――この庭で……

【聖宮成樹】
――
――喪神……さん?

一瞬、世界は白い霧に包まれかけた。しかしすぐに晴れる。

【聖宮成樹】
喪神さん!
ご公務でいらっしゃいますか?

周りの光景が滲んで消えた。
薄暗闇の中に風魔は立っている。
不意に声がした。

【???】
風魔――
私よ、淑子としこよ。
今、あなたを近くに感じるわ。

風魔――
あなたに会いたいわ……

風魔は声の方へと歩き出した。
そこへバールが現れた。

【バール】
風魔、耳を貸すんじゃないニャ!
さぁ、事変の世界に戻るニャ!

風魔は闇に呑まれてしまった。

1935年12月26日未明――
愈々いよいよ、新しい天地が現れようとしていた。それは柴崎が求めて止まなかった混沌カオスの世界であった。

あらゆるものが不整合に融合し、歪み、軋んだ音を立てている世界であった。
それこそが悪魔の望む世界なのである――

しかしそこにもう一つの力学が作用して、二つの世界は弾かれようとしていた。
その中央に姿を見せるのが虚無の世界であった。綾部研究員が言及した世界だ。

【着信 喪神梨央】
兄さん!
同じ場所に三つの波形があります!
――兄さんが立っている場所です!
これだと兄さんが三人いる、
そういうことになってしまいます!
ドッペルゲンガーではありません!

【着信 新山眞】
三本の世界軸が接近している、
どうもそのようです。
混沌世界、虚無世界、そして現世――

一本に合わさるのでしょうか?
それとも――

再び周囲から光が失われた。
3つの世界の狭間に吸われたかのように。

そこに虹人がいた。
風魔を見据えるその目は歓喜に輝いている。

【シロカネコウ】
長い間、眠っていたワ!
十年、いや二十年……
その前からすると、もっとヨ!

お前が私を待っている人なの?
そうぢゃないのか知ら?
違うならどうして此処ここに居るの?
待っていたんでしょ?
さっきまでの人は、
すっかり居なくなっちゃったワ。
だからぐに繋がるのヨ!

あら、嬉しかないの?
嬉しいはずヨ、屹度きっと
ほら、私ヨ、見て、見て、見て!!

《バトル》

【シロカネコウ】
やっとね!
やっとよ……
随分と長かったワ!

星の夜に大君ルシファーは昇りゆく
その暗の統御とうぎょあぐむんで 
雲の半ばにおおはれた廻球かいきゅうの上に

魔は揺らぎゆく

虹人の体から色が失われた。
そして不自然な姿勢でのけぞっている。その胸の辺りか真っ白に輝く気体が立ち上る。
光でもない、煙でもないそれは、やがて人の形となった。

今年、五度目の日蝕にっしょくが南極地方で発生した。

帝都にもたらされた予言は現実のものとなった。
第五の予言
世界は光と闇の天秤てんびんによって計られるであろう

第六の予言
無垢むくなる力が真の導きを為すであろう

第七の予言
日蝕ひくく明け新しき天地あめつちひらかれり

第八の予言
全地の主なる大王あらわれり

第九の予言
すべては新王のたなごころに收まるであろう

第四までの預言はついぞ語られなかった。

帝都事変を経て世界は3つに分かたれた。
事変、虚無きょむ、そして現世という世界――

予言はそのことをまさしく言い当てていた。
いつしか予言は東京黙示録と呼ばれ始めた。
それを知るごくわずかな者たちの間で。

特異点は大震災のあった1923年だった。
その時から世界軸はわずかにずれ始めていた。

ずれが愈々いよいよ極大化したのだ――

混沌世界と現世、この二つが接近し、離反したことで虚無世界が現れた。
三本の世界軸はしかし合わさることはなかった。ただそれにより、歴史は大きく巻き戻ることになる――


1904年3月17日、硫黄島いおうじま
16時30分44秒、ここに金環日蝕が始まった。その光を受け、すべての始まりとなるひとつの結晶が生まれた。

小さなケアン――

やがて光と闇の交錯する地に漆黒の穴が開いた。五分ほど続いた金環蝕の終わる時、ケアンは音もなくその穴へ吸い込まれて消えた。

二十世紀初頭の特異点から新たな歴史が始まった。そして世界軸は三本に分かたれたままである。

1904年、この歴史上の特異点から真の20世紀は始まった。再生の特異点として、後にルネサンスと呼ばれる。
やがて合わさる時まで、世界軸は三本に分かれたままである――

現世軸にも帝都はあった――

〔赤坂街路〕

赤坂街路――
電停から市電が発車するや、子どもたちが車道を駆け渡る。
市内で一斉に桜が色づき、まさに春爛漫らんまんの時季を迎えようとしていた。

時は1935年4月――
セヒラもゲートも存在しない世界――

【九頭幸則】
なんとかに潜り込めた――
近歩一きんぽいちなんて無理な相談だよな。
ま、でも習うより慣れろというからな!

尋常の同級でただ一人の軍人だ――
風魔ふうま審神者さにわ免許皆伝めんきょかいでんだと言うし。
みちは違うが、ある意味競争だな!

【如月鈴代】
山郷やまごう叔父おじ様と力を合わせて、
東雲しののめ流を護らないと――

降りた神を見極める神眼しんがん
そう簡単にはそなわることなど、
あり得ませんが!

【喪神梨央】
丹那たんなトンネルは一昨年おととしに貫通、
鉄道ダイヤが組まれたのは去年です。
去年末、省線のダイヤ大改正が――

前に淑子としこ姉さんを見舞った時は、
ダイヤ改正前でしたね。
東海道線三島駅から、
駿豆すんず鉄道で修善寺しゅぜんじに行きました。

――兄さん、姉さんがお呼びですよ。

〔溜池通〕

【喪神淑子】
待ちましてよ、風魔――

フフフ、
今日はもう稽古けいこはおしまいでしょ?
ならよかったわ、
オウルグリルでオムライスでも――

あらいいのよ、私がご馳走するわ。

〔是枝邸〕

1935年12月26日、夜――

大崎おおさき是枝これえだ邸は夜の静寂しじまに包まれていた。瑛山会えいざんかいは是枝邸の離れに本部を置いていた。
その庭先に探信儀たんしんぎはなかった。

【案じる声】
今年、ついに怪人騒動も何も
起こりませんでしたわ。
そして今日この日を迎えても――
【静かな声】
五度目の日蝕にっしょくの日が終わるまでは、
予断を許さないものでした。
この一年、いや二年、三年――
混乱極める世界が近付き、
さらにもう一つ、生まれたのです。
何もない世界が――
【案じる声】
何もない世界――
そういうのが御座いますの?
【静かな声】
所謂いわゆる虚無きょむ世界です。
私は虚無きょむ世界を垣間見た気がする――
麻布あざぶうちで……

【案じる声】
殿下、おうかがいしますが、
この写真が何か関係しますかしら?
確か興亜日報の記者が写したもの――

【静かな声】
ええ、この写真は浅草の雷門です。
ですが震災を経なかった雷門ですね。
それがあの帝都に存在したのです――
【案じる声】
大提灯おおちょうちんが下がっていますね――
震災の後は、小さな提灯が――
そのように覚えていますわ。

震災のなかった世界――
それがあの帝都にあったのですね?
それが虚無の世界――
【静かな声】
少しは顔を覗かせていたのでしょう。
ただ――
の世界は、
それ以上に混沌世界の影響を受け、
を戦わせる事態を招いた――
【案じる声】
のこの世界には――
影響は及んでいないのですか?
その、混沌からも虚無からも……
【静かな声】
少なくとも今のうちは。
次、世界軸の変動が起きるのがいつか
誰にもわかりません。

【案じる声】
殿下――
柄谷がらたに博士は達者でおいでですが、
別な世界ではやはり……
殿下の仰るようなことになっていた、
そうなのですね?
【静かな声】
それぞれの世界で、
皆、さだめのもとにあるのです。
生き死には関係なく――

私たちは帝都が、いや日本が、
歴史的に真っ当な道を進むために、
監視する必要がありそうです。
それが瑛山会えいざんかいの使命だと考えます。

今後、何が起きようとも――

6年後の1941年12月――
世界軸の日本は
太平洋戦争に突入する。

第九章 第十二話 冬至の朝

太陽は蛇遣へびつかい座の南西から東に移動して、愈々いよいよ射手座に入る――
明日、午前三時三十七分には冬至を迎える。日の出は六時四十七分、日の入り四時三十二分――
この一年で最も昼の短い日となる。

〔山王ホテルロビー〕

心なしか普段の年に比べクリスマスの飾り付けも控えめな山王ホテルロビー。
12月22日、日曜日の夜ということもあり、客の姿はなかった。
役所からの要請もあり、レストラン等の夜の営業時間は9時までとされていた。

【喪神梨央】
兄さん――
無理を言ってすみません。
どうしてもお話したいと――

ガランとしたホテル玄関から、新山和斗が足早にやって来た。

【喪神梨央】
新山にいやまさん――
【新山和斗】
僕の記事、すごい反響ですよ!
新しい世界が生まれるという――
編集でも大騒ぎです。
【喪神梨央】
新山さん、
どこからそういうネタを?
【新山和斗】
いやね、兄貴のメモにね、
アタラシキアメツチヒラカレリ――
そうあったものですから。
【喪神梨央】
メモに書いてあったんですか?
【新山和斗】
鉛筆の跡がね、へこむじゃないですか、
それをなぞって見ると文字が……
フフフ、僕は抜け目ないですよ!
【喪神梨央】
そんな落書きだけで、
興亜日報に特報打ったんですか?
【新山和斗】
きっかけは小さなことでもいい、
事件とはほぼそういうものです。

――それで……
誕生するという新世界に、
我々も行けるわけですか?
それとも選別がなされる――
そもそも新世界は、
この地上に生まれるのですか?
それとも……
【喪神梨央】
あんなに報じておきながら、
よくわからないわけですか?

山王機関本部から新山眞がやって来た。
手に風呂敷に包んだ箱のようなものを持っている。

【新山和斗】
兄さん!
さては兄さんも――
【新山眞】
和斗、お前は勘は鋭いんだが、
辛抱しんぼうが足りんな――
【新山和斗】
僕たちはね、時間との戦いなんだ。

で、兄さん、その箱は何ですか?
また何かの計測器ですか?
【新山眞】
ああ、これは大変なものだ。
セヒラを計る装置だな。
世界軸の歪みを観測する――
【新山和斗】
セヒラ量子?
世界軸?
これまた新理論ですか――
【新山眞】
米粒大ほどの臨界セヒラが、
最終的には新しい宇宙を生む、
その一部始終を観測するのだよ。
ヤスパース=クルーガー効果――
観測に成功した学者の名前だ。
超ベンヤミン現象とも言うが――
【新山和斗】
兄さん!けむに巻くつもりですね!
僕はねこの目で見て、
この手で記事を書く。
【新山眞】
その脚でおもむくことを忘れるなよ。
【新山和斗】
言われなくても――
それじゃ、失敬します!

新山和斗は足早に去って行った。

【新山眞】
やれやれ……
せいぜいブンヤを喰われないよう、
気をつけないとな、彼奴あやつも――
【喪神梨央】
新山さん――
セヒラ量子とか、
そんな難しい話があるのですか?
【新山眞】
セヒラ量子論はありますが、
私はからっきしの門外漢もんがいかんですよ。

そう言うと眞は風呂敷を解き、箱の蓋を開けた。

【新山眞】
これは例の魔鏡まきょうです、完成しました。
ゼーラム五ニ五を塗布とふして、
愈々いよいよ、鏡が常態を取り戻した、
つまり魔鏡となったのです。

【新山眞】
私は本部で待機します。
なにせ冬至は明日ですから。

【喪神梨央】
兄さん――
レーネさんがお話があると。
私も本部にいますね。

梨央の去ったそのタイミングで藤沢レーネがやって来た。
レーネは風魔を認めると歩調を落とし、そしてゆっくりと近付いた。

【藤沢レーネ】
表は満天の星空ですわね。
明日はきっといいお天気ですわ。

実は……
ここだけのお話なのですが――
露西亜ロシアが秘密結社を使って、
満洲転覆てんぷくを計画しています。
李景明りけいめいさんからの情報です――

李景明りけいめいから寄せられた情報では、満洲は関東地方にソ連軍を侵攻させ、白系露西亜ロシア人の拠点きょてんを確保する計画があり、その準備のために新京シンキョウ露西亜ロシア人秘密結社、ウートロシーリが結成されたという。

【藤沢レーネ】
ウートロシーリの日本要員は、
ウラジミール・グロトフという、
露西亜ロシア人が務めます。

露西亜ロシア人グロトフはご存知ぞんじですよね。
是枝これえだ咲世子さよこさん宅の書生でした。

もう一人、グロトフが徴用ちょうようした、
露西亜ロシア人司祭がいます。
この二名が今夜連絡します――

ホテル玄関からに二名の背広姿の男性がやって来た。彼らの身のこなしには無駄がない。
二人は藤沢レーネの後ろに付いた。

【要員Q】
司祭が東洋ホテルを出ました。
円タクで下大崎に向かいます。
【要員R】
運転手が前照灯ぜんしょうとう合図あいずを――
点滅が二度ありました。
【藤沢レーネ】
つまりは二番目の目的地ね。
――それが下大崎――

連中、牛頭ごず機構と結託けったくしている、
その情報があります。
後の話は車の中で――

グロトフが徴用ちょうようした司祭は、イーゴリ・ゲラシモフという。
本業は日満を行き来する雑貨商だった。
その二名が今夜、下大崎で連絡する。
それを捕獲するのがこの計画だった。

警護に牛頭ごず機構から
要員が出ている――

その噂もあり、レーネは風魔ふうまの同行を頼んだ。

【藤沢レーネ】
N計画の阻害そがいということでは、
露西亜ロシア人結社も牛頭ごず機構も、
利害の一致があるはずです。

急なお願いで、
申し訳ありません――

〔下大崎〕

日曜夜更けの下大崎は静まり返っていた。車のドアを閉める音がやけに大きく響く。

【藤沢レーネ】
喪神もがみさん――
一人の日本人が来ます。
気を付けてください。この先で二人のロシア人を捕縛する手筈です。
今、邪魔が入ると……

レーネの視線の先に一人の着物姿の男性の姿があった。男性は寒空の下、コートも羽織っていない。
男性はゆっくりと近付いてくる。
顔に薄笑いを浮かべていた。

【牛頭機構関東会構成員G】
牛頭機構ごずには粗野そやな連中が多く、
ご迷惑をおかけしていますね。
うちは新京シンキョウで料亭を営み、
日満の親睦しんぼくにこれつとめるわけです。
そこへ猶太ユダヤやからを住まわすなど、
全くの無用の策というもの!
――そうではありませんか?

山郷某やまごうそれがしは姿をくらませた。
何か計略でもあるのでしょう――
ただ、時間がない!
いろいろ情報はつかんでいます、
露西亜ロシア人らの目も節穴ではない。

明日、託言たくげんが明かされる――
それを是非ぜひ知りたいものです。
さぁ、ここはお引き取りください。

風魔の脇に音もなく先程の背広姿の男性が来た。その様子を見た着物姿の男は、やおらセヒラを集め始めた。
二人の背広姿は素早く退いた。

【牛頭機構関東会構成員G】
そういうわけにもいかないと――
それは残念です!

《バトル》

【牛頭機構関東会構成員G】
露西亜ロシア人をふうじても、
まだ我々がいますよ――
想定外の数がね!

建物の角から二人の聖職者が現れて立ち止まった。
そして静かな声で告げる――

【要員X】
私はです。
露西亜ロシア正教の神父です。
【要員V】
私はです。
露西亜ロシア正教の司祭です。

そう言うと、二人はまた建物の影に隠れてしまった。
車に戻った風魔にレーネが言う。

【藤沢レーネ】
首尾よく捕縛出来たようです。
本物のグロトフとゲラシモフは、
憲兵隊本部に向かいました――
近く満洲国軍憲兵に継がれます。
今の二人は替玉として、
ウートロシーリと連絡します。
これで無事に明日を迎えられます。

喪神もがみさん――
ありがとうございました。
山王さんのうへ戻りましょう。

藤沢レーネの運転する車で山王さんのうホテルへ。レーネは重ねて礼を述べた。
明日はホテルの部屋で静かに待機するという。

〔山王機関本部〕

山王機関本部では梨央がじりじりしながら待っていた。
湯呑みの茶はすっかり冷めている。

【喪神梨央】
兄さん!
突然いなくなるから心配しました!
あのグロトフさん――
露西亜ロシアの秘密結社って、
ぜんせんそんなふうじゃ――

魯公と眞が奥から現れた。

【帆村魯公】
連中が明日のことを、
聞き及んでおったとはな。
どこかられたことやら。
【新山眞】
冬至を特別な日とする風習は、
世界中にあります。
こちらの動きを探れば――
【喪神梨央】
想定はできたということですか。
でも魔鏡のことは知られていません、
そうですよね、新山さん!
【新山眞】
勿論もちろんです!
ようやく鏡は安定しました。
備えは十分でしょう。
【帆村魯公】
鏡に付随していた文書によると――

マナイノカガミハ
ソレノサマ ウルワシクテ
モロカミタチノ
ミココロニモアエリ――

【喪神梨央】
ひとつあらかわたらして詰まる――
その朝、言葉がしめされるのです。
それからレーネさんの言う、
冬至とうじの朝陽が示す支族の帰還――
冬至とうじ、朝陽、鏡、それから――

水辺です!
範奈はんなさんがお姉さんから伝えられ――
このあたりで水辺といえば……
【新山眞】
清水谷しみずだに公園ですかな。
あるいはお堀、外堀――
あまり水辺という感じじゃないです。
【帆村魯公】
清水谷しみずだに公園か――
よし、梨央りお、連絡だ。
わしは宮司ぐうじと殿下に伝える。
【喪神梨央】
私、範奈はんなさんに伝えます。
電話、渋谷局です――
【新山眞】
電話をお持ちなんですね、
お宅で電話なんてすごいですね!

【帆村魯公】
ところで、明日、天気だがな、
中野の気象部に問い合わせてみた。
今日と同じ冬晴れだそうだ。
【新山眞】
明日も西高東低の冬型です。
北西ノ風、晴、寒サ厳シ――
予報にはそうありました。
【帆村魯公】
よし、早速連絡だ。
新山にいやま君、君は鏡を持って、
奥で休んでくれ。
【新山眞】
承知しました。
【帆村魯公】
風魔も本部に待機してくれ。
わしはもう一度――
(気象部の当直と話そう……)

昼、強く吹いていた北風はんでいた。
あと1時間ほどで
冬至の日を迎える時刻、
帝都は夜の闇の中に沈んでいた――

〔清水谷公園〕

夜が明けた――
1935年12月23日、冬至。
帝都は雲一つない冬晴れであった。
清水谷しみずだに公園には、多加美たかみ宮司、
そして廣秦ひろはた範奈はんなが集まっていた。九頭くずの手配した兵が規制線を張っていた。

【九頭幸則】
なぁに、ちょいと気をかせて、
隊から兵を調達したってわけだ。
梨央りおちゃんに聞いたら、
今日が予言だかが現れる日なんだろ?
俺も付き合うぜ、
ここまで来たんだからな!
【新山眞】
まだ確かなことは何も――
ただ試すだけのことはあるかと。
さぁ、参りましょう!

大久保利通碑の先に心字池しんじいけがある。
池の端に多加美宮司と廣秦範奈が立っていた。

【多加美宮司】
範奈はんなさんは先日、満洲から戻られ、
今日の日に備えておいでです。
【廣秦範奈】
父と、姉と、言葉を交わしました。
姉と私には
たくされたものがあると――
それが何かはわかりません。
【多加美宮司】
廣秦ひろはたさんの出自からすると、
やはり失われた支族に繋がること、
そうだと考えています。
【廣秦範奈】
姉と私とで為すことがあると――
父はそう姉に伝えたようです。
【多加美宮司】
お姉さんはこちらにおいでですか?
【廣秦範奈】
いえ――
ですが繋がると思います、
おそらく、きっと――
【新山眞】
ちょうど陽も差してきました。

そう言うと新山はおもむろに鏡を取り出し、明るい朝陽をその鏡面に受けた。鏡は眩しく輝いている。

【九頭幸則】
どうなってるんだ?
――何も映らない……
【多加美宮司】
水です、水面を照らすのです!
範奈さんは水辺でと仰っています。
【廣秦範奈】
――姉さま……

新山は鏡面で受けた朝陽で、公園の心字池の水面みなもを照らした。
わずかに水面が小波立っている――

【九頭幸則】
あっ!
池の水面が――

池の水面に光が集まり、やがて水面自体がまばゆく輝き始めた。
池から放たれた光は
周囲を包み込む――

【廣秦範奈】
――姉さま……
おいでになるのですね――
姉さまのこと、感じます――
もっと……そばに……
おいでください――

廣秦ひろはた範奈はんなは姉を迎えたかに見えた。
しかしすぐに光はついえてしまった。

【新山眞】
見てください!
池です、水面に何かが見えます!
【多加美宮司】
あれは……
何かの文字……
【九頭幸則】
なんて書いてあるんだ?

それこそが範奈はんなと姉にたくされた言葉、
まさしく託言たくげんであった――

【多加美宮司】
すえ有り、に在りて――
【九頭幸則】
何ですか、そのとは?
【新山眞】
それがメ、シ、アだとすれば――
メシアとは救世主のことです。
ですが池に現れた託言たくげんは、
場所を示しているようにも――

【多加美宮司】
範奈はんなさんはどこですか?
【九頭幸則】
あれ、今さっき、ここにいたのに!
【新山眞】
さっきのまばゆい光の中で、
消えたようにも見えましたが――
【九頭幸則】
公園の山手の方を探してくるよ!

【多加美宮司】
すえとは末裔のことですね、
それがすなわち救世主ということです。
私はそう読み解きますが。
【新山眞】
その救世主はどこにいるのでしょう?
待てば姿を見せるのでしょうか?
【多加美宮司】
あっ!
見てください、池の字が消えます!

池の水面に現れた文字は、見る見る薄くなり、小さな波紋はもんを残して、跡形もなく消えてしまった。

【新山眞】
託言たくげんらしきは確認できました。
ひとまず戻りましょう。

鏡ですが……
表面がくもってしまいました。
もう霊力が失われたのかも――

風魔ふうま新山眞にいやままこと多加美たかみ宮司とともに、山王さんのうホテルへと戻った。九頭くずは兵に指示を出して範奈はんなを探すという。

〔山王ホテルロビー〕

【喪神梨央】
兄さん!
隊長がお待ちかねです!
【帆村魯公】
柴崎しばさきがいみじくも言っておったな、
地震でセヒラがいたようなことを。
それで思い出したんだ、
仏蘭西フランスの地震学者シャルボー氏をな!

シャルボーは前回の乙亥きのといの年、1875年、明治8年に波動を観測。
しかしそれは地震のものではなかった。

【新山眞】
セヒラの波動を観測したのですね。
その後に大震災が起きています。
もしやセヒラが地震を招いたとか?
【帆村魯公】
わしもそれが気になって、
気象部の宿直しゅくちょくに聞いたんだ、
この六十年の地震記録を――
【新山眞】
それで、どうだったんですか?
セヒラの波動と地震の関係は?
【帆村魯公】
それが特にはなかった。
やはり柴崎しばさきが触れた関東大震災――
それが、何というか……
【新山眞】
特異点といった言葉があります。
波形では特異点で変調して、
別な波形に変わるのです。

【喪神梨央】
範奈はんなさんの言葉――
確かメシアに在りですよね?
【帆村魯公】
何か地震に因む言葉なら、
場所の特定ができたのだが――
【多加美宮司】
地震……
地震!
まさかとは思うのですが――
【帆村魯公】
どうされましたかな?
【多加美宮司】
はい……
語感が似ているのですが、
メヂアンというのがあります。
【新山眞】
メヂアン?
何ですか、それは?
【多加美宮司】
中央構造線です。
メヂアン線とも言いますが――
日本列島の中央を貫く巨大な断層で、
数多あまたの地震震源地でもあります。
【帆村魯公】
梨央りお、列島の地図だ!

梨央が作戦卓の上に地図を広げ、一堂は見入っている。

【多加美宮司】
メヂアン線は九州から四国、
紀伊きい半島を横断して中部へ、
茨城の鹿島かしまで終わっています。
この地図で見ると――

【新山眞】
この地図は……
わざわざメヂアン線を書き入れた?
そういう地図なんですか?
【喪神梨央】
いえ、ただ本部にあった地図です。
こんな線、ありませんでしたよ。
――おかしいですね……
【多加美宮司】
メヂアン線の上には、
今では多くのおやしろが建ちます。
断層が暴れないように抑えるのです。

諏訪すわ大社もその一つとされています。
千葉の香取神宮や茨城の香取神宮、
それら官幣かんぺい大社も
線上に建ちます――
中でも鹿島かしま神宮は、
構造線を要石かなめいしで封じているとされ、
いくら掘っても石の根は見えません。
【帆村魯公】
確か光圀みつくに公が掘るのを命じた、
でも断念したのですな。
【新山眞】
それにしても――
メシアがメヂアンなんですか?
メヂアンに在りというと――

キロにも及ぶ構造線のどこかに、支族しぞく末裔まつえいがいる、そういうことなのでしょうか。

【多加美宮司】
ああ、そうです!
長野にも構造線のほぼ上に建つ、
御蔭みかげ神社があると聞きます。

その時である――
多加美たかみ宮司の手にする地図に
光が走った。
まるでナイフでいたかのように――

【新山眞】
これは……
地図に霊異りょういが発現したのですか!
【帆村魯公】
メヂアン線と交差するこの線は――
一体、何ですかな?
【喪神梨央】
丹後半島です!
先日、お出になった京都、
このあたりではありませんか?
【多加美宮司】
そうです!
元伊勢、この神社の外宮、
真名井まない神社、まさにこの場所です!
【喪神梨央】
東の端は――
帝都ですよ、ちょうど……
日枝ひえ神社の辺りです。

山王機関本部にサイレンの音が鳴り響いた。

【帆村魯公】
何だ、今度は!
サイレンが鳴ってるぞ!
【喪神梨央】
すぐ調べます!!

〔山王ホテル前〕

サイレンが鳴ったのは、ホテルに執事型ホムンクルスが来たからだ。
梨央りおの要請で風魔はホテル前で対峙たいじした――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください!
――新型の波形が観測されます!

【執事型ホムンクルス】
異変!ウンファール異変!ウンファール
コウジン――
異変!ウンファール

【着信 喪神梨央】
セヒラの値が――
急になくなりました!
彼ら、戦うようではなさそうです。
【着信 帆村魯公】
連中は伝えに来たのだ!
虹人こうじんに異変と言っておるぞ!
三宅坂みやけざかへ向かってくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館、すぐ近くですが、
公務電車出します!

地図にしるされた二本のライン――
その交点に御蔭みかげ神社があると宮司が思い出す。
かつてそこに勤めていた
巫女みこがいた――
その名を白金江しろかねこうという――

【着信 喪神梨央】
兄さん!
白金江しろかねこうとは虹人こうじんさんの……
虹人さんのペンネームです!

〔アーネンエルベ〕
【聖護院丸】
先程、虹人さんがいきなり――
いきなり大声を上げて、
地下の講堂に駆け込んだのです。
講堂に行くと、
虹人さんの体から光が――
光がほとばしっていたのです!
【鳴滝丸】
あの光はクラウフマンこう――
ユリアさんが付き添っている。
クラウフマン光は、
カー体が崩壊するときに出る光だ。
――一体、何が起きたんだ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館近辺で、
異常な波形を観測しました!
セヒラの値は通常ですが、
注意してください!

〔アーネンエルベ講堂〕

そこにはたして虹人の姿があった。
虹人は苦しそうに腰を折り肩で息をしていた。何よりもその体、まるで桃色の光背を現すかのように光を放っている。
虹人を見守るようにして二人のユーゲントがいた。

【上賀茂丸】
さっきからずっとこうなんだ!
ユリアさんが原因を調べると――
この光は危ない光なんだ!
【化野丸】
喪神さん!
虹人さんはどうなるんでしょうか?
この二日ほど、
頭が痛い、割れそうだと――
喪神さん!!
それから……
多分ダンテの神曲だと思う、
憑かれたみたいにつぶやくんだ――

三つの咽喉のどある暴戻ぼうれい
巨怪チェルベロいぬのごと
奈落の民にゆるなり

【帆村虹人】
風魔!
――僕の中に何がいるんだ?
悪魔でも飼うのか――
僕は、僕は、僕は!!

風魔の目に虹人の見てきた光景が映し出された。

「はじめまして、咲世子さん。
 是枝大佐には――

「ところで、僕たちは似た者同士――

「僕の哀れな感情は、翼を痛め、
 飛ぶことができない――

「……実を言うと
 僕は貴紙の投稿者です。

「僕の中には冷まさなきゃいけない、
 そういうものがあるんだ――

「僕が参加するのは今夜で二回目だ。

「僕は今、混迷の中にいる!

「そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!

「踏み出す一歩は
 見えているのだが――

世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
そこへユリア・クラウフマンが姿を見せた。虹人を見るユリアの目は見開かれている。

【ユリア・クラウフマン】
コージンの中から、
何かが生まれようとしている――

カー体の臨界光にそっくり……
でもまったく別物のよ。
何かの終わりであることは確かね。
カー体の崩壊は二万年以上――
だから誰も臨界光は見られない。

コージンの光は……

虹人は相変わらず光を放ちながら腰を折っている。ユーゲントの姿はなかった。

【ユリア・クラウフマン】
見て、フーマ!
あれは……ヴェアーなの?

虹人の放つ光が凝集して人の形をなしつつある。それは少女の姿であった。まるで虹人そのものが光となって少女の姿を成すかのようである。
やがて虹人の体が透けながら消え、講堂には光の少女だけが輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
消えた……
――フーマ……
コージンが……消えた……

光の少女は一層激しく輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
まさにカー体が崩壊するときの光、
そのものです――
似た現象が起きているのですね。

何かが崩壊し、
何かが生まれようとしている――
カー体よりも何万倍もの強い力、
それを感じます――

そこへユーゲントが走り込んで来た。

【嵯峨野丸】
大変だ!
大使館の玄関に……

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
表よ! 行きましょう!

〔独逸大使館〕

独逸大使館前に一人の少女が立っていた。白いワンピースドレスを着ている。
少女は大使館の玄関を凝視していた。
そのとき、大使館の中庭から芽府須斗夫がやって来て、少女の脇に立った。

少女はゆっくりと
芽府須斗夫の方を向く。

【芽府須斗夫】
もうじき名前を思い出す……
きっとそうだよ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは……

芽府須斗夫を見てユリアは怪訝そうな表情を浮かべた。

【芽府須斗夫】
僕は名前を思い出した。
元の古い名前の方だ。
それも完全じゃないけど――
【ユリア・クラウフマン】
名前を忘れるとどうなるの?
【芽府須斗夫】
やって来られなくなるんだ。
途中で止まってしまうとか、
いろいろ言われているよ。

名前を失念した、
そういう人に会ったことがある、
ついこの間ね。

【ユリア・クラウフマン】
あなたはどんな名前なの?
【芽府須斗夫】
メフィ……スト……
【ユリア・クラウフマン】
メフィスト……
【芽府須斗夫】
フェレス!
メフィストフェレスさ!
これで全部思い出した。
【ユリア・クラウフマン】
メフィストフェレス――
ファウストの……悪魔……

――あなた、そうなの?
【芽府須斗夫】
僕は伝承の中にいた。
どのみち人が生み出したものだけど。

そしてここに来た――
呼ばれて来たはずだけど、
行き先の名前を忘れたんだ。

でも元の名前を思い出した。
名前は自分で思い出さないと、
駄目なんだよ、
教えてもらっちゃ駄目なんだ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたの話には興味がある――
ゆっくり聞かせてね。
【芽府須斗夫】
わかったよ――

それで、ここに来るのは、
どこの誰なんだい?
この子の元にも誰か来るんでしょ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!
今まで何も観測しなかったのに。

少女の周囲にセヒラが集まり、見る見る濃さを増していく。
やがて何も見えなくなってしまった。

〔時空の狭間〕

【芽府須斗夫】
聞いていいかい?
君は誰なの?
どこから来たの?

芽府須斗夫が少女に語りかけている。
少女は芽府須斗夫の方を見ないまま静かに答える。

【???】
シ、ロ、カ、ネ――
――コ、ウ――
【芽府須斗夫】
シロカネコウ――
それが君の名前だね?
元の名前なのかな?
【シロカネコウ】
モ、ト、ノ……
――ナマエ!
【芽府須斗夫】
そうだよ、
ここに来る前の名前なのかって、
そういう話さ。
【シロカネコウ】
マンナカノ、ナマエ!
――シロカネコウ!
【芽府須斗夫】
シロカネコウがいつの人か、
それは知らないけど、
君自身はもっと前の人なんだね?
【シロカネコウ】
――イャシャン……
――フルイ
――アルツ
【芽府須斗夫】
これは驚いた!
君は幾多いくたの思念の重なった存在、
そうなんだね?
長い時間の中を抜けて、
ここにたどり着いたんだね!
――今まではさっきの人の……

時空の狭間にセヒラを纏う虹人の姿が映し出された。

【帆村虹人】
風魔――
今の僕はまるで抜け殻だよ。
自分の内側がすっかり剥がれて、
僕は薄っぺらな皮一枚だ。
お前を思ったりする気持ちは、
どこから湧いてくるんだろうか?

僕の気持ちはお前の中につちかわれる、
きっとそういうことだよ――

そういうことだよ――

【帆村虹人】
僕を追い出して、何かが来る――
風魔、気を付けるんだ!
もうこれはじゃないから!

そう言うと、虹人の姿は消えた。
その時、芽府須斗夫が叫んだ。

【芽府須斗夫】
何か来るよ、
とても強いものが!

見ると少女はセヒラに包まれている。
それは、やがてひとつの形を成そうとするかのように蠢いていた。

《バトル》

少女の体は希薄になり、やがて消えた。
始終を見ていた芽府須斗夫はおもむろに口を開いた。

【芽府須斗夫】
遠い過去の思念が繋がった――
途中、色んな人の念を吸収して。

この世界に大きな影響を与える、
それだけは間違いないよ。
世界を変えるほどの力が、
ほうぼうに生まれそうだね。

僕も自分の理由が思い出せそうだ!

独逸ドイツ大使館の霊異りょういは去った。
光が消え、虹人も消えた。
遠い過去から繋がった思念――
それは自らを白金江しろかねこうと名乗った。
まるで虹人を依代よりしろとしていたかのように。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さんの行方、
幸則ゆきのりさんが指揮して探すそうです。
将兵二百余人を動員するとか――

白金江しろかねこうさん――
本当にいたんですね。
【新山眞】
多加美たかみ宮司の話では、
長野の御蔭みかげ神社には、
白金江しろかねこうという巫女さんがいたと――
ただし二十年ほど前のことで、
今では無人のやしろだそうです。

まさに交点に建つのです――
真名井まない神社と日枝ひえ神社を繋ぐ線、
これはマナセ一族にちなむ線、
マナセ線と呼んでいいでしょう。

中央構造線とマナセ線、
二つの線の交点に、
まさに御蔭みかげ神社はあった。

中央構造線にすえ在り――

託言たくげんは告げる。
諏訪すわから秋葉街道を南へ、
四十キロほど下った山中である。

【喪神梨央】
失われた十支族の末裔まつえい
それが白金江しろかねこうなんですね。
――でも今は思念のような存在……
【新山眞】
遠い過去から繋がった思念ですね。
途中、多くの人の思念が合わさり――
【喪神梨央】
皇女和宮かずのみやの思念の時みたいです。
でもあの時と違うのは……

虹人さんの中に宿やどっていたことです!
虹人さんが狙われるかも知れない――
兄さん!
【新山眞】
明後日、先帝祭が終わって、
日付が変わると……
愈々いよいよ日蝕にっしょくが起きます――
そのとき、新しい天地あめつちが――
ただ待つしかないのでしょうか?

【喪神梨央】
――隊長……
さっきから黙りこくって、
どうされたんですか?
【帆村魯公】
虹人じゃ――
奴はいつそんな霊異りょういを備えたのか?

――もしやあの時……

失われた猶太ユダヤ十支族の末裔まつえいは、
白金江しろかねこうという存在として
虹人に継がれた。

真名井まない神社の魔鏡は霊力を失い、伝えられた冬至の日は静かに過ぎていく。

予言の語る日まで三日も残っていなかった。

第九章 第七話 ゼーラム525

〔山王機関本部〕

その朝、機関本部には新山眞にいやままことの姿があった。
芽府めふ須斗夫すとおが語ったという暗号が解け、いの一番で持参したのだった。

【喪神梨央】
兄さん!
新山さんが、エニグマ暗号を
解読されたんですよ!
【新山眞】
いやいや、正面から向き合って、
なんとかなる相手ではありません。
技研にはエニグマの試作機があり、
それを分解して研究はしました。
組み立て直しも大変でした。
ようやく仕組みは理解しましたが、
暗号はさっぱり解読できません。
【喪神梨央】
新山さんでも無理だったんですか?
【新山眞】
無理も無理、大無理ですよ!
なにせ欧文文字の組み合わせ、
まさに天文学的です!
ジョという単位です。

【喪神梨央】
ジョ?
それって大きいんですか?
初めて聞きました、その単位――
【新山眞】
億、兆、けいがい、その次です。
二十六の階乗なわけですが、
四千兆かける一千億の値です。
それだけの組み合わせがある――
しかも日鍵といって、
毎日、暗号鍵あんごうかぎが変更されるんです。
総当りで解くなんて無理な相談――
【喪神梨央】
それじゃ新山さんは、
どうやって解読を?
【新山眞】
日鍵の一部はわかっています。
芽府めふ須斗夫すとおの語る最初の英字三文字、
それが日鍵のひとつです。
あとはラヂオで送られるのです。
実は日本時間の朝八時少し前に、
独逸ドイツ語の短波放送が流れるのです。
放送自体、アルファベットの羅列られつ
何も意味のない放送ですが、
工作員に日鍵を伝えるもの――
参謀本部はそう見ています。
およそ千のアルファベットの、
どれかがプラグの接続を意味します。
日鍵を割り出す乱数表が、
あるのでしょう――

でもうちにもあるのです。
【喪神梨央】
え?
乱数表、お持ちなんですか?
【新山眞】
我が国には霊式れいしきヘテロヂンという、
優れた技術があります。
セヒラ歪振器わいしんきを使うのです。

ラヂオの前で通電しておくと、
あるアルファベットのところで、
奇妙な波形を現します。
その文字を覚えておき、
歪振器わいしんきを前に同じ波形が出るまで、
アルファベットを話します――
最も反応の強い
アルファベットを書き写すんです。
それがプラグの位置を示すのです。
話す時は独逸ドイツ式に、
ABCDアーベーツェーデーとやらないとダメですが。

そう言いながら新山は、和文タイプした紙を取り出した。

【喪神梨央】
アタラシキ 
アメツチ
ヒラカレリ
【新山眞】
新しき天地あめつちひらかれり――
この前の言葉は、
日蝕ひくけ――
【喪神梨央】
つまり日蝕にっしょくの日の明け方、
新しい天地あめつち……
――新山さん!
【新山眞】
日蝕にっしょくは十二月二十六日です。
その明け方に何かが起きる――
そう読めますね!
【喪神梨央】
前日は十二月二十五日、クリスマス。
先帝祭せんていさいで祭日ですよ。
その翌朝ですね――
【新山眞】
第八の予言も解いてみます。
明朝のラヂヲ放送を待ちます。

そうそう、独逸ドイツから外交郵袋がいこうゆうたいで、
くだんのゼーラム五ニ五が届きました。
愈々いよいよですね!
【喪神梨央】
兄さん、憲兵本部に、
式部さんがお戻りです。
また予言が出るかも知れません。
公務電車、手配しますね!

〔東京憲兵隊本部〕

芽府めふ須斗夫すとおが戻り、式部も憲兵本部へ。そこで憲兵大尉からお目玉を食らっていると。風魔が山王さんのう機関の特務として介入することに。

憲兵隊本部には立哨が付く。他2名の憲兵と式部が話し込んでいた。風魔の来たのを知ると、式部は早足でやって来た。

【式部丞】
喪神さん――
お手数をおかけします。
芽府めふ須斗夫すとお君が戻ったのですが、
いつ姿を消したかもわからず、
困惑こんわくしています。
今日、憲兵から呼び出され、
やって来るとお叱りを――

喪神さんに一言、
口添くちぞえいただければと――
公務中、かたじけないです。

式部に請われ、風魔は憲兵隊玄関へ。階段にいた憲兵が話しかけてきた。

【等々力憲兵大尉】
ん?
特務中尉とは貴様か?
【池上憲兵少尉】
いくら中尉殿の公務とは言え、
民間人がこうも勝手に、
出たり入ったりするのは――
【等々力憲兵大尉】
ここは憲兵司令だ、わかるな?
泣く子も黙る――
【池上憲兵少尉】
いろいろ示しがつかない、
そういうわけであります、中尉殿。
【等々力憲兵大尉】
逃亡すら許されぬのに、
のこのこと戻ってくるとは!
憲兵もめられたものだ!
【池上憲兵少尉】
中尉殿、それにそちらの……

そのとき、式部が話に加わった。

【式部丞】
式部です。
四谷のセルパン堂の――
【池上憲兵少尉】
ああ、あなたですね!
本来は特高の領分ですが、
軍部に関係深しと憲兵が扱う事案です。
【等々力憲兵大尉】
この扱い、特例中の特例だ!
それなのに勝手は許されんぞ!
【池上憲兵少尉】
式部さん――
今後は面会願いを書いてください。
管理が厳しくなったのです。
【式部丞】
承知しました。
それでその面会願いは、
どちらにございますか?
【等々力憲兵大尉】
陸軍省一階の購買こうばい部だ、式部氏。
面会願い、書式ムの三◯八だ。
【式部丞】
面会願いは面会のたびに、
提出するのでしょうか?
【池上憲兵少尉】
規則ではそうなっています。
よろしくお願いします――

通りの方から白衣姿のドクター・ヨネダがやって来た。その顔からは血の気が失せていた。

【アレクサンダー・ヨネダ】
私は見た!
とうとう見てしまったのだ!!
うぎゃら~~~~~~

咄嗟に2名の憲兵がヨネダを捕縛した。しかしヨネダは常人離れした力で憲兵らを突き飛ばした。玄関にいた立哨は素早く左右に別れて様子をうかがう。
気丈にも式部がヨネダに声をかけた。

【式部丞】
ドクターじゃないですか!
どうされましたか?
――まだ影響が……

その声にヨネダは式部に振り返る。

【アレクサンダー・ヨネダ】
全部を見た!
何もかもだ!
オールオブオールだ!!
【式部丞】
ドクターは芽府めふ須斗夫すとお君の傍に?
彼の傍にいらっしゃったのですか?
【アレクサンダー・ヨネダ】
いなくても見えた!
私は見た!!
そうだ、見たんだ――
パンデモニアムは
ルシファーの城府、
かの輝ける星をサタンにたくらべて、
かく呼べる!!
うううううううぅ~

ヨネダの背後にセヒラが集まった。

《バトル》

【アレクサンダー・ヨネダ】
はぁはぁはぁはぁ――
星の夜に大君ルシファーは昇りゆく
その暗の統御とうぎょあぐむんで 
雲の半ばにおおはれた廻球かいきゅうの上に
魔は揺らぎゆく――

そう言うとヨネダは崩れ落ちた。

【式部丞】
何かの思念が帝都をめぐり始めた――
どうもそのようですね。

私は今の間に芽府めふ須斗夫すとお君の元へ。
また予言が語られたら、
すぐに連絡します。

喪神さん――
残念なことですが、
彩女あやめ君はもうこの世にはおりません。
肉体はあってもです。
肉体の主は千紘ちひろ――
兄の高麿たかまろは彩女君が作った人格、
その彩女君が人格の死を向かえた――

高麿たかまろを殺したのは誰でしょうか?
千紘ちひろが殺したのでしょうか?

結局、のなすがままですね。
――もしや……
あの蛭川ひるかわ博士も、
千紘ちひろに飛ばされたのかも知れません。

それでは喪神さん、私はこれで――
先日、鰍沢かじかざわという落語、
ラヂオで聴きましたよ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
山王さんのうホテルにお戻りください。
麻美さんが帰国されました。

〔山王ホテル〕

麻美はナチ党本部褐色館ブラウネスハウスから、ゼーラム五ニ五をくすねたのである。

【聖宮成樹】
喪神さん――
麻美さんが戻られました。
もうじきここへおいでです。
【喪神梨央】
麻美さん、昨夜下関しものせき八時半の、
特急富士にお乗りでした。
【聖宮成樹】
伯林ベルリンからも鉄路でしょうね。
西伯利亞シベリア鉄道ですか――
【喪神梨央】
はい! 西伯利亞シベリア鉄道です。
――きっとお疲れでしょうね……
一週間以上の長旅です。
【聖宮成樹】
独逸ドイツから届いた電報には、
アヲニヨシとありました。
首尾よくいったということです。
【喪神梨央】
ナチ党本部からゼーラム持ち出して、
よく見つからずに済みましたね。
――麻美さん、すごい……
【聖宮成樹】
人から疑われたりしない、
天性の何かをお持ちなんでしょう。
私にはつとまりませんね……
【喪神梨央】
うふふふ……
兄さんも無理そうですわ。
あっ、麻美さんです!

ホテル玄関から優美な足取りで麻美がやって来た。

【聖宮成樹】
麻美さん!
ご苦労様でした――
【喪神梨央】
麻美さん、よくご無事で――
【麻美】
少しハラハラしましたわ――
【聖宮成樹】
何か不都合なことでもありましたか?
【麻美】
褐色館ブラウネスハウスですが、少し工事が入り、
その間、地下へは降りられず――
【聖宮成樹】
リヒャルトガルテンの間ですね?
あの部屋は地下にあります。
【麻美】
でも舞踏会ぶとうかいまでには工事も終わり、
何とか手に入れられました。
本番の日に間に合いましたわ。
【喪神梨央】
本番ということは、
練習とかするのですか?
舞踏会ぶとうかいなのに――
【麻美】
たとえ舞踏会ぶとうかいでも、
何かの手落ちがあってはいけない、
そういうことですの、ナチでは。
どの将校と踊るかまで、
すべて決められるのです。
勝手には振る舞えません。
【聖宮成樹】
いかにもナチらしいですね――
【麻美】
舞踏会ぶとうかいの前に秘密めかした
ナチ独特の儀式が行われるのです。
柘榴ざくろの板に隊員たちが、
血でルーン文字を書くのです。
蝋燭ろうそくだけの明かりを頼りに――
【喪神梨央】
ルーン文字って?
【聖宮成樹】
北欧に伝わる古代文字ですよ。
彼らは古代アーリア人が、
北方のエデンの園からやってきた、
そう信じ込んでいますからね。
残された野卑やひな者がけものとの間に
もうけたのがアーリア人以外の人種だ、
その考えに凝り固まっています。
【喪神梨央】
けものとって……
なんかすごいですね――
日本人など相手じゃない感じですね。
【麻美】
でも日本人には豊かな神性が宿る、
そういう考えを持つ人もいます。
シュタインベルク中将も――
【聖宮成樹】
あはは……

それで麻美さん、
ゼーラムはどうされましたか?
【麻美】
外交郵袋がいこうゆうたいで送りました。
飯倉技研いいくらぎけんでよろしかったですね?
容器のかぎは私が持ちます。
郵袋ゆうたい、もう着いているはずです――
【聖宮成樹】
それでは多加美たかみ宮司に連絡し、
さっそく向かって頂きましょう。
【喪神梨央】
多加美たかみ宮司の警護は要りますか?
【聖宮成樹】
まだ鏡は霊性を現しません。
むしろ目立たないほうがいいですね。
【喪神梨央】
承知しました、殿下。
私は本部で探信たんしんしています。
【聖宮成樹】
危険なのは鏡が霊性を取り戻した時、
その時が最も危険です。
【喪神梨央】
おこたりなく探信たんしんします!
公務電車、手配します!

〔飯倉技研〕

飯倉技研の前では新山眞が待ち構えていた。

【新山眞】
殿下!
やはり例のものは本物なのですね?
【聖宮成樹】
新山さん、愈々いよいよですよ!
麻美さんがナチ本部で手に入れ、
外交郵袋がいこうゆうたいで送られたのです。
【新山眞】
特製の容器に収まっているせいか、
セヒラ歪振器わいしんきを近づけても、
まったく反応しません。
でも間違いなく、
ゼーラム五ニ五なのですね――
【麻美】
リヒャルトガルテンの間で、
手に入れたものです。
鍵は私が――
【聖宮成樹】
さて、多加美たかみ宮司は、
もうおいでになりましたか?
【新山眞】
ええ、中でお待ちです。
参りましょう。

そう言うと新山はスタスタ歩き出した。麻美、聖宮、そして風魔も後に続いた。

〔飯倉技研ホール〕

飯倉技研のホールには多加美宮司が一同を待っていた。

【多加美宮司】
真名井まない真鏡しんきょうは無事です、
ここにあります――
【聖宮成樹】
分かりました――
麻美さん、容器の鍵を――
鍵を新山さんにお渡しください。
【麻美】
はい……
【聖宮成樹】
新山さん、こちらには、
隔離かくりして容器を扱える設備、
整っているのですか?
【新山眞】
先日、釣鐘つりがねのことをうかがって以来、
ゼーラムを扱うことを前提に、
いろいろ整えてきました。
今据え付けてある気密筐体きみつきょうたいは、
〇・一ピーピーエムさえ通しません。
またアルミ蒸着じょうちゃくの護りがあります。
【聖宮成樹】
なるほど!
それでは早速お願いします。

聖宮にうながされ、新山は宮司ぐうじから鏡を預かり、奥の実験室へと向かった。

【多加美宮司】
真名井まない真鏡しんきょうに霊力が戻れば、
古式東雲しののめ流がおこる――
正しい継承者に継がれるのです。
私は如月きさらぎ鈴代すずよさんに知らせます。
宗家そうけとして準備もあるでしょう。
【聖宮成樹】
よろしくお願いします、宮司ぐうじ

宮司は聖宮に深々を頭を下げ、ホールを出ていった。

【聖宮成樹】
ゼーラムを塗布とふして、
鏡が霊性を宿すには、
多少の時間が必要でしょう。

喪神さん、
山王さんのうホテルで話しませんか?
相談したいことがあります。
麻美さんもご一緒ください。
【麻美】
承知しました。
参りましょう。

〔山王ホテルロビー〕

聖宮が話があるというのは、山王さんのう機関にもたらされた報告書の件だった。六十ページを越す立派な報告書である。
報告書には山王さんのう機関をスパイする組織が、まことしやかに示されていた。興亜貿易をかくみのにする有澤機関ありさわきかんである。

ロビーの奥では梨央と魯公が一行を迎えた。聖宮を認めると魯公はお辞儀をして前に進み出た。

【帆村魯公】
殿下のお耳にも入っておりましたか?
【聖宮成樹】
八分課ハチブンの情報は、
いち早く届きます。
【喪神梨央】
参謀本部の八分課ハチブンって、
市民から怪人情報を集める、
そういうところじゃないのですか?
【帆村魯公】
表向きはな。
その実、寄せられた情報を分析して、
ときに深く探りを入れるのじゃよ。
【喪神梨央】
それじゃスパイみたいなんですね。
【帆村魯公】
こら、大きな声で――
で、山王さんのう機関の何を
スパイするのですかな――
【聖宮成樹】
山王さんのう機関の活動自体は、
軍幹部はおよそ知っているはずです。
ただ釣鐘つりがねのことを除いては。
【喪神梨央】
帝都満洲のことも、
ほとんどは知られていないはずです。
【聖宮成樹】
そのスパイとやらは、
有澤機関ありさわきかんという特務機関で、
参謀本部第六課の所轄しょかつだそうです。
【帆村魯公】
第六は欧州課ですな――
【聖宮成樹】
有澤というのは、
おそらく有澤盛隆ありさわもりたか中将ですね。
前駐独武官だった人物です。
有澤中将について、
少し調べてみます。
ところで報告書はお持ちですか?

聖宮ひじりのみやの問いに魯公ろこうは報告書を見せた。そのとき、麻美が素早く前に踏み出した。

【麻美】
その報告書――
甘い香りがします。
――ベラドンナの香りです。
【聖宮成樹】
ベラドンナ……
それはまた――

【喪神梨央】
殿下、魔法です、
魔法使いが用いる膏薬こうやくに、
ベラドンナが使われるのです。
この帝都では仮構かこうを為すのに、
ベラドンナが使われていると――
青山せいざんホテルや憲兵大隊がそうです。
【聖宮成樹】
よくそこまで調べが付きましたね!
――すると、この報告書は?
これも偽物ですか?
【麻美】
わかりません――
まるでませたように香ります。

【喪神梨央】
麻美さん――
夢玄器むげんきのぞくと何か見えませんか?
報告書の本当の中身が――
【麻美】
夢玄器むげんきならありますが、
今はホテルです。

【喪神梨央】
ゼットー博士のを借りましょう!
隊長、ゼットー博士にお願いを――
夢玄器むげんきをお借りしたいのです。
【帆村魯公】
うむ、悪い考えじゃないな。
行きましょうか、麻美さん。
博士は調整室のはずですぞ。

麻美と魯公は課に向かうべくフロントの脇を抜けて行った。

【喪神梨央】
興亜貿易って……
どこかで聞きましたね――
えーっと……
そうだ!
多加美たかみ宮司が京都にたれる時、
東京駅で会った人です。
モートルを扱うとか――
影森愁一かげもりしゅういちという人ですね。
一時いっとき幸則ゆきのりさんのお目付け役――
でも結局は正体不明でした。

あと、新文民社のメンバーFは、
影森愁一かげもりしゅういちを尾行して
拉致らちされた――
新文民社で名簿作りを進め、
帝大の学生は間諜かんちょうだと
怪しんでいた、
それも同じ影森愁一かげもりしゅういちですよ。
【聖宮成樹】
なるほど――
公務記録にいろいろ顔を出す、
その人物……
スパイにしては目立ちすぎますね。
まるで陽動ようどうしようとするかのよう、
そうじゃありませんか?
【喪神梨央】
そうですね――
人は音の鳴る方を向くと言いますし。
【聖宮成樹】
いいことを言いますね。
普通スパイは組になるといいます。
その影森かげもりの他にまだいるのでは?

先ほどの報告書、
仮構かこうの産物だとしても、
本物を使う必要があったようですね。
【喪神梨央】
――というと……
どういうことですか、殿下?
【聖宮成樹】
本物の報告書を用いて、
一部を書き換え真実を伝える――
ある種の美学さえ感じます。

有澤ありさわ中将のこと、
わかりましたら連絡を入れます。

聖宮は軽く会釈をしてホテルロビーを出て行った。

【喪神梨央】
こうして兄さんと二人になるの、
久しぶりですね――

先ほど虹人こうじんさんから連絡があり、
今日は紀伊国坂界隈きのくにざかかいわいに出るって。
寄ってあげればどうですか?

〔紀伊国坂〕

紀伊国坂の長塀の前に虹人とユーゲントがいた。

【帆村虹人】
やぁ風魔――
人生という熱病は、
一向いっこうに回復するきざしを見せないよ。
【鳴滝丸】
美少年倶楽部では、
お見苦しいところを――
ヒュアキントス役の鳴滝丸です。
ヘル松ヶ崎はあの寸劇がお気に入り、
いつもやらされるのです。
【帆村虹人】
鳴滝丸――
でも君は寸劇はもうやらないと……
今さっき、そう言っていたよ!
【鳴滝丸】
やらないというか、
もうできそうもないんだ――
【帆村虹人】
自律係数が下がったりしたのかい?
ああしたことは自律的にする、
そう言っていたよね――
【鳴滝丸】
僕は……僕は……
【帆村虹人】
どうしたんだい、
具合でも悪いんじゃないかい?
【鳴滝丸】
僕は……僕は……
あああ、体が言うことを聞かない!

別のユーゲントが走り込んできた。その眼は虚ろである。

【嵯峨野丸】
六、ニ◯フタマル――シチ一五ヒトゴ
洗面、寝台整理、朝食!
七、ニ◯フタマル
国旗掲揚けいよう
七、三◯サンマル
仕事場へ出発!
七、四五――一◯ヒトマル◯◯マルマル
労働奉仕!

僕たちの時間は、正確無比!
僕たちの時間を奪う者は許せない!!

《バトル》

【嵯峨野丸】
一九、一五――一九、一五、
掃除、修繕しゅうぜん、洗濯!
ニ◯フタマル、一五――ニ一、四五、
唱歌、演説、余興!
僕たちは……初期化イニツァリジオロンされた!

甲高い声を上げた嵯峨野丸は、そのまま走り去った。

【帆村虹人】
鳴滝丸も駆け出したよ――
まったく僕を無視してね!
一体、何があったんだ?

――このところ、連中は、
僕の指示をあまり聞かなくなって、
昨日なんか同じ指示を三度も出した。

外から干渉かんしょうを受けているようだ。
それ以外に考えられないよ。
【着信 喪神梨央】
金ノ七号帥士きんのしちごうすいし――
特に不穏ふおんなセヒラはありません。

今の着信音は虹人の無線からであった。

【帆村虹人】
お、何だ、僕の無線?
二人の無線が同時に受信しているな。
嵯峨野さがの丸は初期化とか言っていたよ!
【着信 喪神梨央】
一旦初期化した時、
陸軍幼年学校の時間割の思念が、
流れ込んだようです。
【帆村虹人】
そんな思念まであるのか!
【着信 喪神梨央】
怪人川柳や猟奇歌だけではなく、
普通のことも表出しているようです。
【帆村虹人】
この様子じゃ、
連中を指揮するのは難しそうだな。
アプドロックは時間とともに、
揮発きはつする性質がある。
でも今のは揮発きはつじゃないな――

初期化され、
その状態のまま凍結されている。
よほどの干渉があるに違いない。
僕はアーネンエルベまで戻るよ。
また顔を出してくれ、風魔。

虹人は嵯峨野丸の走り去った方へ歩いて行った。

【着信 喪神梨央】
先ほどから、
飯倉いいくら技研でセヒラを観測します。
ただ、値は低いままですが――
念のため、巡視パトロールお願いできますか?
異常なければ帰還してください。

〔飯倉技研ホール〕

【新山眞】
喪神さん――
今、山王さんのう機関に
連絡したところで――
早かったですね!
ゼーラムの塗布とふは無事終わりました。
あの鏡が霊性を現すのは、
もう少し掛かりそうです――
しかし不思議です――

気密筐体きみつきょうたいの中に鏡を置き、容器を開けると、ゼーラム五ニ五と思しき臙脂えんじ色の煙が、容器の口から立ち上ったという。
そしてその煙はしばらく容器の上に漂い、不意に鏡の表面に集まったのだ。
みるみる鏡が色に染まったという――

【新山眞】
まるで煙が鏡の存在を知って、
自らを鏡に塗布とふしたようでした。
あの煙には意志があるみたいで、
見ていて妙な気持ちになりました――
気密筐体きみつきょうたいから煙が完全に消えれば、
鏡は完成かと思います。
それを見届け、連絡を入れますね。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
セヒラを観測するのは、
飯倉いいくら技研の裏手です。
まわっていただけますか?

飯倉いいくら技研の裏手に伸びる路地――
聖宮ひじりのみや邸を含む東久邇宮邸ひがしくにのみやていへいが伸びる。
元は静寛院宮邸せいかんいんのみやてい皇女和宮こうじょかずのみやが暮らした地だ。
右手、御組坂おくみさかの途中には、作家永井荷風ながいかふう偏奇館へんきかんが建つ。

【着信 喪神梨央】
その角のところです、
セヒラ、高まっています!
注意してください!

【XLのアストラル】
今は……何月ですか……
もう時間が経ちましたか……
麻美マーメイ、心配していたかしら……
私……麻布あざぶの張ホテルから、
荷風かふう先生の偏奇館へんきかんに寄り、
その後、ここへ来たのです。
飯倉いいくら技研という研究所の方も、
荷風かふう先生の偏奇館へんきかんにおいででした。
あと一人、
その方が道を開いてくれました。
邪魔する者を除いたのです。

【着信 喪神梨央】
もしかして……
蘭暁梅ラン・シャオメイさんかも知れません!
イニシャルXL――

【XLのアストラル】
私、母の形見の手鏡を持ち、
日本へ舞台挨拶ぶたいあいさつに来ました。
時を継ぐ日、鏡で身を写すように――
そう教えられていたのです。
日本へ発つ二日前、
母が夢に現れ告げました――
暁梅シャオメイ、さぁ、時を繋ぐのよ――
はっとして目が覚め、
鏡を旅行鞄りょこうかばんに収めました。

私がここに来てから、
時間が経ちましたか――
私にはわからないのです――
でも時は繋がっているのですね、
すべてはうまくいったのですね――
でも……ここはまだ不安定なのでは?
そうではありませんか?
気を付けてください、
何かがやって来ます!
――すぐそこです!!

XLのアストラルが消え、ほぼ同じ場所に別の大型アストラルが現れた。それは苛立つかのように蠢き続けている。

妖帝ヤオディ残滓ざんしのアストラル】
時を繋いだつもりでいるのか?
お前の時は途絶えたままだ。
自分から目をそむけるな!!

《バトル》

妖帝ヤオディ残滓ざんしのアストラル】
時の流れなど、
いつでも断ち切ってやる!
私は時を越えた存在なのだ!

大型アストラルは霧散した。暫くして、先程のアストラルが現れた。

【XLのアストラル】
よかった!
あなたが退けてくれたのですね!

でも五月は別の方がお力を――
邪悪な存在をはらってくださいました。
その方にお礼を言い忘れました。
今となっては、
顔も何も思い出せません。
すべてが白いもやの中です――

そう言い終えると、XLアストラルは薄くなり、やがて消えた。

【着信 喪神梨央】
辺りからセヒラの値、
すっかり消えました!
その場所で蘭暁梅ラン・シャオメイさんが、
神獣の見立てを受けたのですね。
麻美さんと一緒に来日され、
蘭暁梅ラン・シャオメイさん、行方知れずに――
そのときのことだと思います。

わからないのは形見の手鏡で、
蘭暁梅ラン・シャオメイさんを写したのが
誰なのか――
風水師なのかさえわかりません。

新山さんがご存知かも知れません。
機関本部へお戻りください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい――
兄さん――

麻美さん、夢玄器むげんき使って
報告書をご覧になったんです。
報告書は本物でした。
でも中味が別物だったのです。

こんな内容でした――
満洲にける麻袋またい調査報告書――
そう言うんです。

大同だいどう三年だから去年のですね。
一、黄麻こうまに就いて
ニ、麻袋またいの種別
三、縫糸ほうし

そのような項目がありました。
麻美さんによると、
書いてある字だけが違ったそうです。
【帆村魯公】
おう、風魔――
【喪神梨央】
あっ、隊長!
式部さん、捕まりましたか?
【帆村魯公】
いや、まだだ。
例の芽府めふ須斗夫すとおだが、
また予言を吐いた――
今回は暗号じゃなく、
普通の言葉でだ。
式部氏が電報を送ってきたのだ。
第八の予言、
全地の主なる――
それだけだ。
【喪神梨央】
第八はもうひとつありました。
そちらはエニグマ暗号です。
【帆村魯公】
暗号が解読できれば、
二つを合わせて一本になるな。
明日、新山氏がラヂオを聴く。
【喪神梨央】
例の独逸ドイツ語放送ですね――
【帆村魯公】
そうだ、それで解読できるはずだ。
【喪神梨央】
明日を待ちましょう――
兄さん、蘭暁梅ラン・シャオメイさんのこと、
新山さんは何も覚えていないと。
【帆村魯公】
わしが代わりに聞いたんじゃが、
永井荷風ながいかふう先生にも会ったことがない、
そういうことなんじゃよ。
もしかするとブンヤの弟かも知れん。
作家先生ともコネがあるだろうから。
【喪神梨央】
それにしても式部さん、
急にいなくなるなんて――
どうされたんでしょうか?

謎の霊的物質、ゼーラム五ニ五を塗布とふして、真名井まない真鏡しんきょうに霊性の現れるのを待つ。
そして予言は
日蝕にっしょくの日の異変を告げる――
山王さんのう機関を探る
スパイ組織がある――
その怪情報が不吉な旋律せんりつを奏でていた。

第九章 第三話 時間軸の歪み

赤坂の大柱のことはすっかり市民の知ることとなり、連日、物見遊山の市民が詰めかけた。

【洋服姿のモガ】
大柱様! お願いします――
私、大柱様のように二人で向き合い、
家庭を築きたいのです!
【油絵が趣味の男】
うーん、このアングルだと、
柱が全部は見えないなぁ。
だが柱の高さはよくわかる……
【水飴売】
水飴いらんかねぇ~
甘い、あま~い水飴だよ~

一方、青山墓地に開いた大穴の周囲には大勢の巡査が動員され、市民の接近を監視していた。好奇心に駆られた市民も遠巻きに眺めるのみであった。

〔釣鐘の間〕

しかし、怪人騒動が頻発ひんぱつすることもなく、帝都は静けさを保っていた。
すでに12月中旬になっていた。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
今、釣鐘つりがねの出力を上げています。
【新山眞】
出力を上げると、
セヒラの量も増えそうですが、
そうはならないのですね。
【聖宮成樹】
あるところまではセヒラが増えます。
しかし、さらに出力を上げると、
不思議なことにセヒラが下がる――
どうもそのようです。
【新山眞】
スプライン曲線という、
三次元曲線があるのですが、
それに似た挙動を示すのですね。

喪神さん――
この穴が青山新京シンキョウに通じるのなら、
麗華れいかさんが戻るのは造作ありません。
ただ今はセヒラを何も観測せず、
大穴が開いているだけです。
すぐに麗華さんが戻るというのは、
ちょっと考えにくいのです。
【聖宮成樹】
再びセヒラが上昇した時、
釣鐘つりがねの出力をさらに上げると、
一瞬、高濃度のセヒラが発生します。
セヒラの濃くなるその一瞬は、
最大限の注意が必要です。
それは心しておいてください。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
隊長がおいでです。
機関本部へお越しください。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人が発掘したアルツケアンは、
アーネンエルベに一肌ひとはだ脱いで
もらうのがいいでしょうね。

そう言うと聖宮は釣鐘の間を出ていった。風魔、新山も後に続いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
参謀本部通いだった隊長が、
軍の謀反むほん計画を調べてくれました。
【帆村魯公】
謀反むほん計画――
確かにそうじゃな、謀反むほんじゃな。
参謀本部と陸軍省の調べで、
久鹿くろく計画の全貌ぜんぼうが明らかになり、
歩三では大掛かりな沙汰さたがあった。
【喪神梨央】
沙汰さたって……
つまり、人の異動とかですか?
【帆村魯公】
そうだな――
その実は粛清しゅくせいじゃよ。
とりわけ歩三には、
大鉈が振るわれたようじゃ。
連隊長の常田つねだ大佐も転隊になった。
【喪神梨央】
そうなんですね。
久鹿くろく計画の中心ですからね――
それで、常田大佐、どちらへ?
【帆村魯公】
新潟の第十三師団だ。
輜重しちょう兵第十三連隊渡河とか材料中隊――
部隊は新潟県中頸城なかくびき郡高田市にある。
【喪神梨央】
渡河とか材料中隊って……
橋を掛けるための資材を調達する、
そういう部隊ですよね。
【帆村魯公】
ああ、そうだな。戦闘部隊ではない。
部隊は高田城址じょうしの南に位置する。
部隊暗号は九一〇九だ――
久鹿くろく計画に関係するものなのか、
参謀本部第九部で、
このような伝単ビラが取得されていた。

下士官兵ニ告グ――
その標題で始まる伝単ビラであった。
一、今カラデモおそクナイカラ
  原隊げんたいかえ
ニ、抵抗ていこうスルもの
  全部逆賊ぜんぶぎゃくぞくデアルカラ射殺しゃさつスル
三、オ前達まえたち父母兄弟ふぼきょうだい
  国賊こくぞくトナルノデみなイテオルゾ

【喪神梨央】
原隊へ帰れ――
これって、計画の失敗を、
あらかじめ知っているのではないですか?

そこへノックの音がして九頭が入ってきた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです。
この伝単ビラ、何ですか、先生?
【帆村魯公】
謀反むほんの将兵に投降とうこうを呼びかける、
その目的でられた伝単ビラだな。
【九頭幸則】
例の久鹿くろく計画ですね――
軍務局長暗殺、続く大暗殺計画、
実行されたら大変でした。
【喪神梨央】
こういう伝単ビラがあるというのは、
計画の失敗を予見よけんしていたと
そう考えられますね。
【帆村魯公】
失敗になる筋書きがあったとかな。
はなからそういう計画だったのかも。
結果、国体の再生は進むはずだ――
【九頭幸則】
だとすると、
宗谷そうや大尉の死は犬死ではなかった、
そうなのかも知れませんね。
【喪神梨央】
常田大佐の赴任ふにんした高田ですが――
上野から省線急行で行けますね!
【九頭幸則】
え? 
歩三の常田大佐、転隊したの?
その高田ってどこ?
【喪神梨央】
越後えちご高田です。信越しんえつ本線ですよ。
上野発夜八時五十五分、高田着は、
朝四時五分の夜間急行で行けます。
【帆村魯公】
常田大佐は輜重しちょう部隊に移った。
そういうことだ――
【喪神梨央】
川に橋をける資材を調達します。

再びノックの音が響く。フリーダ葉がドアの隙間から顔を覗かせた。

【フリーダよう
私、入って大丈夫かしら?
【喪神梨央】
フリーダさん!
どうしたんですか?
【フリーダよう
風水師のバーナードが、
仲間に声をかけてくれたのよ。
あのバーナードチャンよ。
それで五人の風水師が集まって、
青山新京シンキョウの穴を守ってくれている。
そういうことみたいよ。
みんな未来から繋がった思念、
大元はうんと遠くにいるのよ。
【喪神梨央】
そのおかげで青山墓地のセヒラ、
大きな値が観測されないのですね。
【フリーダよう
値の大小はわからないけど、
彼ら風水の術が効いているのかも。
【喪神梨央】
すると青山新京シンキョウに未来が繋がった、
そうなんですか?
【フリーダよう
そうじゃなくて、
彼らが思念を繋いだのよ。
でも――
【喪神梨央】
何か問題でもあるんですか?
【フリーダよう
他の思念もられてやってくる、
その可能性もあるわね。
あったらあったで面白いけど。
【喪神梨央】
ねぇ、フリーダさん。
前に見せてもらった小さな幻燈器げんとうき
あの原理ってどうなってるんですか?
【フリーダよう
あれはね、未来の技術なの。
この時代に披露ひろうすることはできない。
それはわかってね――

独逸ドイツ大使館〕

殿下の言葉もありアーネンエルベに寄っては、という魯公ろこうの提案があり、風魔ふうま三宅坂みやけざかへ。
ユリアと虹人こうじんが迎えてくれた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館でセヒラ観測です!

交信終わるや否や、執事型ホムンクルスが駆け寄って来た。

【執事型ホムンクルス】
標的ツィール
――排除アンシュルス! 排除アンシュルス

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……終了エンデ……

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
大丈夫だったか、風魔?
執事型の洗礼を受けたみたいだが。
【ユリア・クラウフマン】
フーマがここに来るのを、
知っていたようですね――
【帆村虹人】
そうそう、梨央りおが教えてくれたよ。
大昔の隕石いんせきなんだって?
アルツケアン――
【ユリア・クラウフマン】
私もアルツケアンのこと、
少し調べてみました。
コージンも手伝ってくれたのです。
アルツケアンはウルムチの南西、
およそ一九五キロの山中で発掘され、
アーネンエルベにもたらされました。
【帆村虹人】
かい族の少年、アヒムが犠牲になった。
彼は急に学者になったりした――
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは人の意志を読み取り、
人がそう振る舞うように仕向けます。
【帆村虹人】
寝ている間に蒸発する結晶なんて、
なんだか厄介やっかいだよ。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは、
真空容器に入れて取り扱います。

【帆村虹人】
人が変わる現象はメントロピー……
そう言うんだね。
独逸ドイツ人は何でも名前を付けたがる。
【ユリア・クラウフマン】
そうですね……
メントロピーがいつまで続くか、
まだわからないことだらけです。
仮面の男にアルツケアンをほどこしたのは
フェラー博士に違いありません。
【帆村虹人】
それで仮面の男は、
自分以上の自分になれたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
取り込み方も重要なようです。

気体化したアルツケアンを吸い込み、身体に定着しきるまえに目を覚ますと、メントロピーは短い時間で終わるという。

【帆村虹人】
かい族の少年は、
完全に取り込む前に目覚めたんだね。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男には慎重に施した――
フェラー博士はコンプレットを、
作ろうとしたのでしょう。
【帆村虹人】
コンプレット――
【ユリア・クラウフマン】
完全版といった意味です。
【帆村虹人】
麗華さんに結 晶アルツケアンを施したのが、
山郷だとすれば、
方法を知っていたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
容器から出して、
部屋においておくだけです。
けれど、アルツケアンについて、
知識はあったんでしょうね。
【帆村虹人】
誰かが教えた、そうだよね、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンどうしで、
大きなセヒラ場を生むことも。
よほど詳しい人物がいた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
風水師たちを阻害そがいする者が――
青山新京シンキョウです。

【帆村虹人】
僕はユーゲントたちを組織して、
仮面の男の捜索そうさくをするよ。
捲土重来けんどちょうらいを狙ってそうだから!
【ユリア・クラウフマン】
私はヘーゲンの動向を探ります。
先ほど執事型を何体も連れて、
市内に出かけました。
何か目的があるようです。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴を、
五人の風水師が守ります。
そこへ阻害する者が現れたと――
【新山眞】
ジョン・チュー、エリック・ホイ、
ヘレナ・スー、ドナルド・プー、
そしてアンドリュー・ワン――
アンドリューさん以外、
苗字の漢字はわかりません。
【喪神梨央】
一人、女性がいるのですね――
ヘレナさん……
何があったでしょうか。
【新山眞】
フリーダさんいわく、
五人とも昏睡こんすい状態にあるとか。
それで思念を飛ばすのです。
【喪神梨央】
フリーダさんの携行式けいこうしき幻燈器げんとうき
もしかしてキノライトの会社かも。
東京幻燈げんとう工業ってところです。
ちょっと調べてみますね!

〔赤坂哈爾浜駅〕

【満鉄列車長】
青山新京シンキョウにいる連中、
香港ホンコンから繋がっているようですね。
それもうんと未来の香港ホンコンから。
前にも似たようなことがありました。
それで未来から色々来たのです――
今度も来るかもしれませんね。
――どんな未来からでしょうか?

列車は青山新京シンキョウに向かいます。
間もなく出発します。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
見たこともない波形を観測しました。
注意してください!

交信後、すぐさま中型アストラルがやって来た。

【ダイナー店主Bアストラル】
俺があの怪物ヴンダーを初めて見たのは、
誰が呼んだかクソ退屈州間道路インターステーツ上だ。
ツーソンまで真っ直ぐ続くクソ道路、
あれを計画した奴は、
よほどの阿呆あほかおせっかい野郎だ。
ハンドル操作不要で楽々チンチン――
そう考えたのかもな。
救いようのないおせっかい野郎だな!

怪物はウェストロックを貫く州間道路を、ツーソン方面へ移動していたという。
町外れの小屋で暮らすセルマ婆さんが、ミッションオイルの染みを見て救世主キリストと信じ、全米からおかしな連中が集まった道路である。婆さんは純白のウェディングドレスをまとい、オイル染みのある場所へ日参した。
ドレスが灰色になる頃に騒ぎは収まった。

【ダイナー店主Bアストラル】
怪物はコーディの仕業だと考えた。
ヘンリーオートの穀潰ごくつぶし、
キング・オブくそったれコーディだ。

なんせあの怪物、
体中から砲身突き出していたからな。
歩く砲身天国だ、まったく!

コーディは車屋を営むが、
筋金入りのガンクレイジーだぞ。
弾の出るものなんでもござれ!
去年、二十八年型T1軽戦車を買い、
三十七ミリ歩兵砲を取り外して、
九十三ミリ砲に載せ替えやがった。
奴がそいつをぶっ放した時は、
地面は脂肪デブの腹みたいに波打ち、
砂煙が竜巻状に舞い上がったもんだ。
永久に太陽が顔を出さなくなり、
ウェストロックは氷河期を迎える、
そう心配したもんだ。

あの怪物もコーディの野郎がこしらえた、
そう考えるのも当然といえば当然だ。
真っ白な不気味や怪物をな!

だが違った! 真実は奇なり!
怪物は日本人ジャップが持ち込んだんだ。
今は大和人ヤマトニアンって呼ぶんだったな。

あの怪物どもとナチの新型爆弾で、
アメリカは日本とドイツに全面降伏、
西経百四度で分断統治されたんだ。
モンタナ州とノースダコタ州の州境、
それがになった。
百四度線と呼ばれる――

日本人ジャップ、いや大和人ヤマトニアンは、
ロスにアメリカ総督府を置いた。
西半分、大和ヤマト領ってわけだ。
そういや、大和人ヤマトニアンの連中、
あの怪物のことをなんと呼んだか……
確か――
ジンライマジン――
大和語ヤマトニーズは難しいぜ、まったく!

アストラルが回転しながら消え、風魔は街区を進んだ。そこでは2体のアストラルが会話していた。

【着信 喪神梨央】
未来のことのようですが――
何かズレが生じているようです。
警戒して進んでください。

【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか港に停泊中の戦艦京畿けいき艦上で、
宮崎みやざき全権大使とモス米副大統領が、
横須賀よこすか条約に調印し――

ああ、何かうまくまとめられない。
イケダ、お前の方はどうだ?
【新聞記者Iアストラル】
日本国は大和やまと国として省庁再編、
拓務たくむ省から改組の拓殖経務たくしょくけいむ省が、
鮮満に次ぎ西米洲を管轄かんかつ――

サカイ、お前の原稿は、
条約の目玉を取り上げたほうが、
いいんじゃないか?
【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか条約の目玉か――
ドル二十八円の固定相場制とか、
米国アメリカ石油の無制限輸入とかか?
【新聞記者Iアストラル】
そうだな――
それを見出しにして、
米国総督府のエドガー蒲田かまた総督の――

そう言い終わらないうちに5体のアストラルが同時に入ってきた。

【新聞記者Sアストラル】
ん、何だ、何があった?

【超級風水師AWアストラル】
私たちでは、
押さえきれない邪悪な存在だ。
頼む、なんとかしてくれ!
【風水師HSアストラル】
邪気の流れを整える、
私たちにできることよ。
それを超えては無理だわ――

そう言うと5体のアストラルは隣接する街区へと進んだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区に進んでください。
セヒラ、観測します!

果たしてその街区には仮面の男が待ち構えていた。セヒラ異常に呑み込まれて消えて以来である。

【仮面の男のアストラル】
私は自分こそ虚無きょむだと思っていたが、
あの女ほどではない――
月詠麗華つくよみれいかだ!
あの女の内側には何もない。
怒りも憎しみも、さげすみも、何もだ。
あの女は戦いそれ自体を楽しむ――

二つのアルツケアン、
その衝突が狙いだったとはな!
私も焼きが回ったものだ。
だが、この戦いで私は再生する。
さぁ、憎しみをわけてくれないか!!

《バトル》

【仮面の男のアストラル】
お前は闇をのぞいているつもりか。
闇もまたお前をのぞいているのだ。
それを忘れるな――

仮面の男が消えた後、風魔はさらに街区を進んだ。地面に大穴の開いた場所である。穴の周りを5体のアストラルが囲んでいた。

【風水師HSアストラル】
助かりました――
私はヘレナ・スーです。
香港の風水師です。
今は九龍クーロンフロントの海鮮中心にある、
フカヒレ屋の奥の部屋で、
八年も昏睡コーマ状態になっています。
あの頃、眠れない夜が続き、
素人しろうと療法で睡眠薬を飲みすぎて――
先日、私の思念はバーナードに会い、
ここにいざなわれました。

【風水師JCアストラル】
さぁ、また私たち五人で、
ここの邪気をしっかり整えますよ。
私たちは誇り高きコーマ団ですから!!

5体のアストラルが穴の中央に集まった。その直後、穴からはセヒラの湧出が始まった。しかしアストラルたちが制御するためセヒラはか細くまるで糸のようであった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンで麗華さんらしき波形、
確認しました。
赤坂哈爾浜ハルピンに向かってください。

大穴はひとまずアストラルたちに任せることにして風魔は踵を返した。

【満鉄列車長】
やはりです、憶測したとおりです。
赤坂哈爾浜ハルピンの町に、
キタイスカヤが出現しました。
哈爾浜ハルピンのキタイスカヤです、
あの大通りがそっくりそのまま!
そして私の状態では、
キタイスカヤに入れないのです!!

え~間もなく、赤坂哈爾浜ハルピン
赤坂哈爾浜ハルピンです~
キタイスカヤもこちらです~

赤坂哈爾浜の街頭に立つ風魔の周囲がゆらいで暗転した。光が戻るとそこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
そこは……
またキタイスカヤ街ですね!
依然いぜん、麗華さんらしき波形、
確認できています。

交信と入れ替えに千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎がやって来た。

【芽府須斗夫】
なかなか、面白いことになってきた。
――そうじゃないかな?
【千紘】
未来から思念が繋がった――
【吉祥院蓮三郎】
香港の風水師は、
皆、昏睡こんすい状態にございます。
それでなお、思念を飛ばすのです!
【芽府須斗夫】
それもあるけど――
少しズレた未来と繋がっている。

そう言うと、芽府めふ須斗夫すとおは、先の新聞記者の思念に深く触れ、様々なことを知ったという。

【芽府須斗夫】
日本とドイツはアメリカと戦い、
結局、アメリカを打ち負かすんだ。
そういう未来だよ。
ドイツは六十発の量子爆弾を落とし、
日本は三百八十六体の怪物で攻めた。
怪物はヴンダーと呼ばれているよ。
【吉祥院蓮三郎】
ヴンダーとは独逸ドイツ語にございますか?
【芽府須斗夫】
その正体、人籟じんらいだよ!
それも相当大きな人籟じんらいだ。
【吉祥院蓮三郎】
人籟じんらい
東京ゼロ師団が関わる
それでございます!
【千紘】
ふーん……
東京ゼロ師団っていうと、
工廠こうしょうの上部組織なんだろ?
【芽府須斗夫】
アメリカを攻撃したのは、
普通の人籟じんらいじゃないさ。
ゼーラム六八六で改良されている。
【吉祥院蓮三郎】
それでヴンダーと、
独逸ドイツ語で呼ぶのでございますね!
【千紘】
そんなのを、アメリカ本土まで、
どうやって運んだの?
【芽府須斗夫】
伊五百号潜水艦百三十六せき
加えて戦艦阿蘇あそ、戦艦生駒いこま――
海軍が全面協力したんだ。
ドイツから釣鐘つりがね運んだときも、
伊号潜水艦が使われた。
人籟じんらい運んだのは最新型だね。
【吉祥院蓮三郎】
独逸ドイツの爆弾とは、
どのようなものでございますか?
【芽府須斗夫】
ゼーラム六八六を用いた量子爆弾――
それしかわからない。
東海岸の二十四の都市が壊滅した。
死者三百四十万人――
アメリカ本土は西経百四度で分断され、
東アメリカを独逸ドイツが占領、西アメリカは日本に併合へいごうされたという。
【千紘】
でもそれって、正しい未来なの?
【芽府須斗夫】
わからないさ――
いろんな時間の線が錯綜さくそうしている。
【吉祥院蓮三郎】
今の時点で米国アメリカと戦っていません。
それに……
アキラさまの学校、東海岸にあります。
それが独逸ドイツ領になってしまうのです。
何か複雑な感じがいたします。
【芽府須斗夫】
未来にはあらゆる可能性がある。
そういうことだね。

芽府須斗夫は風魔に向き直って言う。

【芽府須斗夫】
僕たち、帝都で石を拾ったんだ。
仮面の男が残した石だと思う。
【千紘】
田町たまち、広尾橋、大崎広小路おおさきひろこうじ――
仮面の男が結界破りに使ったんだ。
仮面の男は劣化れっかしているはずだ。
麗華さん、しばらく安全だね。
今はホテルにいるよ、麗華さん。
【芽府須斗夫】
ホテルボストーク。
この先にある小さなホテルだ。
【吉祥院蓮三郎】
私の勘としましては――
麗華さまと豪人たけとさまが出逢えば、
お二人とも愈々いよいよ完成するのでは?
そう思う次第しだいにございます。
お二人、完成寸前にございますゆえ。
アキラさまのお声が
聞こえるようです――

レンザ!
お前も早く完成させないとな――

【着信 喪神梨央】
ホテルボストーク、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
東方 ボストーク飯店の看板が目印です。

交信を終え風魔が顔を上げると3人はいなくなっていた。風魔はホテルを目指した。

〔ホテルボストーク〕

公園越しにソフィースキー寺院を望む、八東方飯店ホテルボストーク408号室。
向かいは同發隆トゥンファールン百貨店である。

ホテルの窓辺に月詠麗華が立っていた。柔和な表情を浮かべている。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
ようやく人心地つけました。

あの夜、八島通やしまどおりへだてた
新京シンキョウ神社に、
瑞祥ずいしょうの光を認めたのです――
久遠くおん流の師弟にだけ見える光、
それを新京シンキョウ神社に認めたのです。

光に誘われて新京シンキョウ神社に行くと、
そこに山郷さんがおいででした。
お茶で用いる香合をお持ちでした。
炭点前すみてまえのときに白檀びゃくだん香をきます。
そのお香を入れる香合、
交趾焼こうしやきで亀の形をしています。

三日後の夜、同じ時間に神社に来るように、そう伝え、山郷は麗華に香合を渡したのだ。
三日後、山郷と一緒に新京シンキョウ神社の井戸へ降り、次に気が付くと青山新京シンキョウにいたという。

【月詠麗華】
山郷さんは私を帝都に連れ戻す、
そう仰っておいででした。
神社の地下に運河が通るのだと――
でもここは帝都ではありません。

ここは……おそらく哈爾浜ハルピンです。
先程、レンザさまにお会いしました。
レンザさまは豪人たけとさまをご存じです。
お二人で修善寺しゅぜんじに出向かれたとか。
それでロッホをお調べになりました。
穴という意味だそうです。
豪人たけとさまは帝都にもロッホがある、
そうお考えになり、
帝都各所にお出になっていると――
白山の宿舎から――
小石川区の白山ですよね。
そこに豪人たけとさまがおいでなのですね。

私、帝都に戻ることにします。
是非、豪人たけとさまにお目にかかり、
教えをいとうございます。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
麗華さんと一緒に戻ってください。
まずは戻ることです。

麗華を伴い風魔は祓えの間まで戻った。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
麗華さん――
神社でもらった香合の中に、
何か結晶が入っていませんでしたか?
【月詠麗華】
仮面の人が言っていました――
隕石いんせきとか結晶とか。
ありました、そのようなものが。

梨央はアルツケアンについて説明した。
香合に入っていたのは不思議な結晶で、気体になって麗華の体内に吸収されたのだと。

【喪神梨央】
麗華さんはアルツケアンを、
ものすごく深く取り込んでいる――
そうに違いありません。
【月詠麗華】
では私は転生するのでしょうか?
そう言えばレンザさまも、
転生の途上だとか……
【喪神梨央】
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんですね。
悪魔セーレが転生した……
いえ、転生しようとしたのです。
【月詠麗華】
あの皆さんは、もしかして……
同じなのでしょうか――
【喪神梨央】
キタイスカヤにいた三人ですね。
でも、千紘ちひろさんは彩女あやめさんの別人格、
そう診断されています。
麗華さん――
あきらさんにはお会いになりました?
【月詠麗華】
レンザさまから話だけは――
まだお目にかかっていません。
【喪神梨央】
旭さんは鴨脚敬祐いちょうけいゆうという、
明治の女性国学者の書いた本を、
愛読されています。
麗華さんの学校を作られた方、
そうですよね?

鴨脚敬祐いちょうけいゆうは明治期の女性国学者で、帝国女学園の創設者でもある。
日本は欧亜ユーラシア世界の盟主であるとしたためた。
男装の麗人としても有名であった。

【月詠麗華】
鴨脚いちょう先生のことは、
よく教えられましたわ。
【喪神梨央】
アキラさんをご紹介します。
この近くにおいでなんですよ。
【月詠麗華】
それは是非ぜひに。
話が合うかもしれませんわ。

祓えの間に新山眞が入って来た。

【新山眞】
ホテルに如月きさらぎさんがお見えですよ。
【喪神梨央】
ありがとうございます。

麗華さん、まいりましょう。
鈴代さんもご一緒ですよ。
兄さん、麗華さんを、
アキラさんのアトリエにお連れします。
鈴代さんに来ていただきました。
【月詠麗華】
風魔さま、帝都に戻していただき、
ありがとうございます。
私は……大丈夫です。

梨央は麗華をエスコートするようにして祓えの間を出て行った。

【新山眞】
喪神さん、ヘーゲン召喚師ですが、
何かを企んでいるようです。
目黒近辺に執事型が集結しています。
現地の確認、お願いできますか?

〔目黒駅前〕

公務電車は予め梨央が用意していた。風魔は省線目黒駅前を目指した。
省線をまたぐ橋の中央にクルトがいた。クルトの周囲に執事型ホムンクルスが展開している。
手前からユリアが様子を見守っていた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 来てくれたのですね。
今、執事型が管理不能になって、
ヘーゲンが困惑の極みにいます。

セフィラにも疎密そみつがあります。
トウキョウのセフィラはみつなので、
ホムンクルスの指揮に向いています。
でも、今はセフィラがの状態、
アプドロックが長持ちしません。

同様の事態、ドイツでもありました。
エッセンでセフィラが急にとなり、
ホムンクルスが暴走したのです。

【着信 喪神梨央】
帝都のセヒラ、今は低い状態です。
五人の風水師が頑張っているので。
でも釣鐘つりがねが不安定との報告があり、
予断を許しません!

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください!
ホムンクルスが一斉いっせいに――

橋の上で異変が起きた。クルトの目の前に巨大なセヒラ球が現れたのだ。セヒラ球の半分は地中に埋まっている。見る見る巨大化して、ついにはクルト、風魔を呑み込んでしまった。

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲン】
何故だ?
連中はアプドロックを守らないのだ?
私のめいだ、私の、私の、私の!!
くそっ!
勝手にアプドロックを解除するのか!

さてはお前がそそのかすのか!
これはエッセンの二の舞か!
そのようなことは断じて認めない!!

《バトル》

どこからともなく聞こえてくる声……クルトはうろたえている。

【???】
復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相、鉄相、
農相、文相各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王さんのうホテルに宿泊せり!!
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私に何を言いに来たのだ?

【クルト・ヘーゲン】
――まさか……
ハンス……ハンスなのか?
そこにいるのは、ハンスなのか?

フルトヴァンゲンの泉……
リューゲン島の砂浜……
ハンス、本当にお前なのか?

クルトの問いには答えず、代わって甲高い声がした。

【???】
どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?

クルトは困惑の極みにいた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
ハンス、すんだ!!
これ以上、翻弄ほんろうしないでくれ!

【???】
フフフ――
お前は神に召されるのだ、売女ばいため。
いざ、幸いなれ!!
きざんでやろう、
お前の為の十字架じゅうじかを――
その瑞々みずみずしく白い腹に!!

そのきしむような声は憎しみに彩られていた。クルトは大きく目を見開いている。口をあんぐりと開け、ほとんど息はしていない。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
あああああ~
やめてくれ!!

腹の底から絞り出すような声を出すクルト。続けようとしたがもう言葉にはならなかった。
闇の底から全く抑揚のない声が聞こえてきた――

【???】
おお、墓よ、
お前の勝利はどこにある?

遂にクルト・ヘーゲンが自失した。
目黒に大勢のホムンクルスを連れて、彼は何を企んでいたのだろうか?

月詠麗華の帰朝きちょうを受けて、深まる秋の中に静かなる緊張が走る。

第八章 第八話 交錯する思惑

魯公ろこうめいを受け、中野電信第一連隊気象部に、こよみの話を聞きに出かけた九頭くずであったが、班長が出張中とのことで不発に終わった。
今回、その班長から、折り入って相談があると連絡があり、公務後、風魔ふうまは九頭に同行することになった。

〔新井薬師〕

【九頭幸則】
風魔、あの人だよ、気象部の。
確か車折くるまざきという技手ぎてだ。
行ってみよう。

夕闇迫る新井薬師。香炉の前に気象部の技手らしき人物がいた。

【九頭幸則】
お待たせしましたか……
車折くるまざきさん、お一人ですか?
折り入っての話とは何でしょう?
車折くるまざき技手】
それは班長から申し上げます。
間もなく来ると思います――
先に冬至とうじの件ですが、
今年の天体画報てんたいがほう一月号にあります。
【九頭幸則】
年初ねんしょに発表があるんですね。
車折くるまざき技手】
ええ、計算で全てわかります。
今年の冬至とうじは十二月二十三日、
午前三時三十七分です――
太陽の位置、黄経こうけい二百七十度、
帝都の日出ひので六時四十七分、
日入ひのいり四時三十二分となります。
冬至とうじにおける太陽の赤緯せきい
赤道より最南の二十三度二十七分、
南中なんちゅう高度も最低となります――
【九頭幸則】
あの……
わかりました、二十三日ですね。
冬至とうじは十二月に十三日ですね。
車折くるまざき技手】
実はもう一つ、
大事なことがあるのです。
【九頭幸則】
どんなことですか?
車折くるまざき技手】
今年、五度目の日蝕にっしょくが起きます。
十二月二十六日にです。
【九頭幸則】
え?
――日蝕にっしょくって、年に何度あるのです?
車折くるまざき技手】
普通は三度、多くて四度です。
年に五度などまずありません――

グレゴリオ暦が採用されるようになってから、年に五度の日蝕にっしょくは一八〇五年以来だと言う。十二月二十六日の午前二時十八分から、同三時四十一分にかけて皆既蝕かいきしょくが起きる。場所は南極である――

そこへ年長の男性がやって来た。

鹿王ろくおう班長】
なかなか軒昂けんこうのようだね、車折くるまざき君。
車折くるまざき技手】
はっ!
五度目の日蝕にっしょくについて、
説明しておりました。
鹿王ろくおう班長】
――今年は実にまれな年だからな……
申し遅れました、
電信第一連隊の鹿王かおうです。
出張で京都に行っておりました。
【九頭幸則】
歩一の九頭です。
こちらは特務の喪神もがみ中尉です。
それで班長、
折り入っての話とは何でしょうか?
鹿王ろくおう班長】
冬至とうじについて問い合わせがあった――
車折くるまざき君から連絡を受けましてね、
妙な符号もあるものだと……
【九頭幸則】
冬至とうじのことはうかがいました。
十二月二十三日です。
鹿王ろくおう班長】
私が京都に呼ばれたのは、
ある古文書こもんじょこよみのことがあり、
その鑑定を行っていたのです。
【九頭幸則】
――古文書こもんじょ、ですか?
鹿王ろくおう班長】
ええ、京都の紫水しすい会館、
そこに収められている古文書こもんじょです。

ヒトツノ アラカニ 
ワタラシテ ツマル

【九頭幸則】
何ですか、それは?
まるで呪文ですね。
鹿王ろくおう班長】
おそらく太陽の運行です、
それについての言葉かと。
ツマル、すなわち行き詰まるのです――
車折くるまざき技手】
班長、自分もそう思います。
ヒトツノは最初で最後、
つまり冬至とうじですよ。
太陽が冬至の位置まで行き、
そこから戻してくる、
その様子を語っているのです!
鹿王ろくおう班長】
もう少し研究を続けます。
紫水しすい会館は参謀本部からの依頼で、
古文書こもんじょ紐解ひもといたらしいです。
二方ふたかたと関係があるのでは?
そう思い、お呼び立てしました。
【九頭幸則】
わざわざ有難うございます。
解読が済めば教えてください。
鹿王ろくおう班長】
あはは、そうですね――
おそらく紫水しすい会館からじかに、
連絡が行くと思います。

鹿王班長はそう言い残して歩き去った。班長を見送ることもせず、車折技手は喋り始めた。

車折くるまざき技手】
自分、昨年二月の日蝕にっしょくでは、
コロナグラフを用いた観測を行い、
おおいに成果を上げました。
【九頭幸則】
去年もあったんですか、日蝕にっしょくが?
車折くるまざき技手】
はい、私たちは南洋庁トラック支庁、
ローソップ諸島レオール島に上陸、
二月十四日の蝕観測しょくかんそくでした!
海軍技研、逓信ていしん省電気試験所、帝大、電信第一連隊、各自観測小屋をもうけ、
各班平均十分二十八秒の観測!!
【九頭幸則】
大丈夫ですか、車折くるまざきさん……
車折くるまざき技手】
ヒィィィィィ~
イーストマン五十番の乾板かんばんで三枚、
四、八、十二秒の露出で撮影を試み、
すべて成功したのです!
レンズ口径こうけいは十三センチ
焦点距離は十一・五メートル
インフォード・パンクロマティック!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
車折くるまざき技手】
海軍はアインシュタインカメラ、
水平鏡すいへいきょうにて光を導く仕組み!!
レンズ口径二十センチ、焦点距離はぁ~

《バトル》

車折くるまざき技手】
アインシュタイン効果を確かめる、
その目的で撮影したのです――

【九頭幸則】
やれやれ……
技手ぎてまでが怪人化する――
この場所がよろしくないのか?
まぁ、冬至のことはわかったな。
五度目の日蝕にっしょくは新発見だった。
それにしても――
京都の古文書こもんじょが冬至に触れている、
それは参謀本部の指示で紐解ひもといた……
これは隊長に確認するほかないな。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベのユンカー局長が、
どうやら失踪しっそうしたようです。
独逸ドイツ大使館にて、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしと合流してください。
それと……
一般中尉は隊へお戻りください。
【九頭幸則】
何だ、内輪揉うちわもめでもあったのか?
風魔ふうま、俺は帰るとするよ――
三宅坂みやけざかまで公務電車で送ってくれ。

〔アーネンエルベ〕

アーネンエルベ集会室には、虹人とユーゲントがいた。

【帆村虹人】
風魔ふうま、来てくれたんだな。
梨央りおに連絡したのは僕だよ――
ユンカー局長のこと、
ユリアが気をんでいるよ。
この一週間、姿を見ないらしい。
大型波動グローサベッレの使用をめぐって、
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
激しく対立していたからな……
配下のホムンクルスを一斉いっせいに操り、
総攻撃体制を作る――
それがヘーゲンの狙いなんだ。
【祇園丸】
彼は僕たちをかたきにしているんだ。
仲間のことが心配だよ――
【帆村虹人】
猟奇倶楽部の面々のこともある。
連中、あきらめが悪そうだ。
【祇園丸】
僕は西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせんから、
短期記憶を得たんだ。
それに従って出かけた――
ヨツヤミツケで記録が途絶えた。
でもわずかな痕跡こんせきを頼りに、
北へ移動したんだ。
【帆村虹人】
それで戸山とやまに向かったんだよな。
でも作られた記憶のおそれがある、
君はそう言ったよね、祇園丸ぎおんまる
【祇園丸】
ヨツヤミツケから先のこと、
捏造ねつぞうされたものかも知れないんだ。
それで僕は動けなくなった――
【帆村虹人】
ユンカー局長とヘーゲン召喚師、
二人を銀座で見たって話したよな。
ユンカーを尾行したことも。
円タクは四谷見附方面に向かった。
探信儀たんしんぎの空白地帯の中心……
信濃町しなのまち界隈かいわいがそれに当たるんだ。
【祇園丸】
シナノマチに猟奇倶楽部がある、
その可能性は十分にあると思うよ。
僕が北にさえ行かなければ……

そこへユリア・クラウフマンがやって来た。その顔にはかげりがあった――
ユンカー局長の所在がわからなくなり、ユリア・クラウフマンが代表代理として、アーネンエルベに戻っていた。

【ユリア・クラウフマン】
西京極丸にしきょうごくまる、つまりユーゲントと、
拉致らち殺害犯のヘルマンを繋ぐのは、
唯一、ユンカー局長です。
【帆村虹人】
局長はヘルマンと交際があった、
そういうことなの?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
以前、フーマは局長と戦った、
そうですよね?
局長、シュタインを入れていたのです。
執事型と同じ八石です。
執刀したのがヘルマン医師でした。
局長はシュタインに召喚の力を求めたのです。
本来、召喚師ではありません。
【帆村虹人】
それじゃ局長はヘルマンから、
ユーゲントのことを聞いた、
そういうわけなんだね。
【ユリア・クラウフマン】
ヘルマンは西京極丸にしきょうごくまるを、
猟奇倶楽部に誘い出し拘束こうそくした、
そう考えるのが妥当だとうですね。

【帆村虹人】
もしかしてユンカー局長も、
猟奇倶楽部の会員だったのか?
【ユリア・クラウフマン】
どうでしょうか?
コージンがギンザで見た局長、
本当に本人でしたか?
【帆村虹人】
洋食屋ブレーメから出てきたんだ、
ヘーゲンと一緒に……
楽しそうに笑いながら……
銀座にいたのが、
ユンカー局長じゃないとすると、
一体、誰なんだろう?
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長になりすました誰か、
そういうことじゃないでしょうか。

フーマ、私、祇園丸ぎおんまると出かけます。
銀座のブレーメで話を聞いてきます。
局長の写真を持って――
局長はユーゲントと同じ、
新型のシュタインを入れていたのです。
フェラーが開発に成功したシュタインです。
シーナの方に落ちた隕石でできた
不思議なシュタインなのです。
普通のシュタインとは違うのです。
彼が黒幕にも思えてきました。
父の元助手だった人物が――

そう言うとユリアは踵を返した。祇園丸が後に続く。

【帆村虹人】
僕が銀座で見たのは、
まごうことなくユンカー局長だった。
でもヘーゲンと談笑するのは変だ。
引っかかるのは……
ユンカー局長はどうして、
自分にシュタインを入れたのかってことだね。

独逸ドイツ大使館を出たところで着信があり、青山で怪人の通報があったという。風魔ふうまは夜の青山通へ向かった。

〔青山街路〕

【角筈の女学生】
お友だちの忌子いみこさんち御暇おいとまして、
若松町の電停におりましたところ、
足元に光るものがありますの。
それは大ぶりの指輪でした。
巡査に届けようと拾ったのですが、
そうしないほうがいい気がして――
こっそり持ち帰りましたの。
その夜から、もう四日も眠れず、
こうして彷徨さまようんですの!
アハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
二探が若松町のセヒラを観測!
指輪の波形です、仮面の男の!
さらに観測を続けます!

【池尻のワニス商】
うちは池尻なんですがね、
三宿の砲兵連隊のわきをよく通る――
せんだってもカミさんが歩いていると、
へいそば舶来はくらいの指輪が落ちていたと。
人気もない通りだったので、
指輪、ネコババしたそうな!
指輪を触ったカミさんの指、
真っ白に血の気がせてですね、
あれは軍の新物質か何かですか?
次の日、カミさんが家を出て……
私もこうして歩き回るんです!

【金杉橋の漁師】
新堀の路地ろじで皆が騒ぎよる。
何かと思うとほりに魚が浮かぶ。
何十匹も白い腹見せてな。
んでほりの底見ると何かがあるわい。
それはそれは綺麗きれいに光っちょる。
わしが潜って取ってきちゃる、
そうして潜ったんじゃがな、
不意ふいに目の前が真っ暗に――
気を失ったわしが次におったのは、
市電の中じゃな、六番の電車じゃ。
このなりで乗っちょる!
六本木ろっぽんぎちゅう電停で降りて、
もう五日も歩き回りよるわい!!
ブヒャヒャヒャヒャ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
霞町界隈かすみちょうかいわいで弱いセヒラです。
巡視パトロールお願いします。

〔霞町街路〕

【神田橋の法科生】
殿垣とのがき教授の研究室に、
輝く大きな指輪があった。
指輪を残し教授は忽然こつぜんと消えた――
机の上になぐきのメモを残して。
遊動神殿ゆうどうしんでんたる聖幕屋せいまくや、長さ三十キュビト、高さ十キュビト、幅十キュビトにてもうけるべし。
金張りの四十八枚の合歓木アカシヤの板を、交互こうごわせて、銀の足台の上に立てるべし――
メモにはそうあったよ。

【長者丸のご隠居】
先週、庭いじりをしておったら、
土中に指輪が埋まっておった。
掘り出すと土ひとつ着いておらん。
まっさらけのけだったわい。
不思議なこともあるもんじゃ!

【初台の羅紗商】
工業試験場の正門前にね、
指輪がぽつんと置いてあったって。
姉はそう申してましたの――
指輪は交番に届けたって、
けど姉はうそ付いたのです。
姉の鏡台にありましたわ、指輪!
翌朝、姉は古い魚みたいな顔で、
死んでいました。
カルモチン三百じょうも飲んだのよ。

【着信 喪神梨央】
観測したセヒラは今の人です。
でもまだ怪人じゃないですね――
それより金杉橋かなすぎばしでセヒラ観測です。
他の場所でも観測します――
新山にいやまさんに変わります!
【着信 新山眞】
若松町、三宿町みしゅくちょう金杉橋かなすぎばし――
いずれも指輪の波形を観測します。
三箇所を繋ぐと三角形ができます。
神田橋かんだばし長者丸ちょうじゃまる初台はつだい――
三角形、もう一つできます。
二つ重ねで六芒星ろくぼうせいが描かれます!
以前、仮面の男が描いた三角形、
あれより強い力を持つようです。
あの時は思念増幅器でこしらえた結界を、
仮面の男に破られました。
今回、指輪で何を目論もくろむのか――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急にセヒラ観測しました。
青山墓地方面です。

〔青山墓地〕

【淀屋橋の寒暖計商】
あんさんらが、
おかしなことしたさかいにやな、
商売上がったりでんがな!
晴雨計せいうけい売りのコッポラちゅうのが、
余計なあやかしモン売りよるさかい、
ワテの寒暖計かんだんけいかてあやかしやろ!!
そう言われて、どえらい迷惑や!
ワテのはな、列氏れっし測りまんねんで!
レオーメルの列氏れっしでんがな!
摂氏せっしとも華氏かしともちゃいまっせ!
列氏れっしや、沸点を八十度で見まんねん。
独逸ドイツ墺太利オーストリアやと常識でんがな!
皆皆皆皆皆、列氏れっしやねんで!!

《バトル》

【淀屋橋の寒暖計商】
商売上がったりで、
ホンマ、もう、キーですわっ!
【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇しています!
注意してください!!

怪人が倒れて消えた後、青山墓地の薄暗闇から先程会話した3人が現れ、三角形の陣形を取る。角筈の女学生、池尻のワニス商、金杉橋の漁師の3人だ。
そして同様に次の3人が姿を見せ、先の三角形に重なるように陣形を取った。神田橋の法科生、長者丸のご隠居、初台の羅紗商――
二つの三角形の辺にセヒラが集まりはじめ、丁度六芒星の形を現した。
辺りのセヒラ濃度が急上昇する。梨央の観測を待たず、高濃度セヒラに包まれて風魔は時空の狭間へと飛んだ。

〔時空の狭間〕

正面に宙に浮くようにして仮面の男がいた。

【仮面の男】
君はどこへ向かおうというのだ?
それとも何かから逃れるのか?
それは何だ?
教えてくれてもいいだろう……
――黒焦くろこげになった姉の亡霊ぼうれいかね?
ウハハハハハ~

おびえる者はいつも走っている。
我らがクルト・ククックかっこう・ヘーゲン、
泣き虫大公、嘘つき元帥げんすい
お尻のえくぼの可愛い殿下!
クルトは憎しみのシュトラーセを走っている。探して相手をしてやって欲しい。
――君も走ってはどうかな?

そこまで言うと、仮面の男は濃いセヒラに包まれて姿を消した。
気が付くと風魔は赤坂哈爾浜にいた。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
高濃度のセヒラが一時に現れました。
帝都満洲に移動したのですね……
帥士すいしを赤坂哈爾浜ハルピンにて確認しました。
その赤坂哈爾浜ハルピンですが、
以前と町の繋がりが変わっています。
注意して進んでください。

【召喚小隊T二等兵アストラル】
隊長は……
暁光ぎょうこう召喚隊の一五市にのまえごいち隊長ですが……
おかしいです……
名前がスラスラ出てきます!
これまでイニシャルだったのに!
自分はちなみに……Tです……
ああ、自分の名前はダメですね。
はい、一五市にのまえごいち隊長のことです、
歩一で大きな演習のあった日、
慌ただしさにまぎれてのことです。
私たち同行しました――

【召喚小隊H二等兵アストラル】
にのまえ隊長の目的は、
歩一に確保されていた月詠つくよみ麗華れいかです。
隊長は月詠麗華に、
鬼龍きりゅう大尉が帝都にいることを
話していました。
大尉にはこの帝都で重要な用がある、
そういうことのようでした。
それで京都から戻られたのです。

【召喚小隊A軍曹アストラル】
鬼龍大尉は独逸ドイツ留学時代に、
トゥーレのやかたという秘密結社に、
身を寄せておいででした。
大尉はそこで召喚師として、
腕をみがき、帰国されたのです。
そのトゥーレの館が、
この帝都にも開かれるというのです。

【召喚小隊G曹長アストラル】
鬼龍大尉は心を開かれません。
ただし、御荷鉾みかぼ大尉は例外でした。
お二人は京都の師団時代から、
同じかまめしを食った仲とのことです。
その御荷鉾みかぼ大尉を感じます――
すぐ近くにおいでのようです。

すぐにひときわ大きなアストラルがやって来た。他のアストラルたちは一斉に退避した。

【歩一M大尉アストラル】
あの女は化物だ!
月詠つくよみ麗華れいかだ、化物だ――
あの女が私をここに飛ばした。

鬼龍きりゅうと私は京都の十六師団にいた。
といっても輜重兵しちょうへい第十六大隊だ。
駄載ださいは何キロなんだと冷やかされ――
鬼龍はそういう境遇きょうぐうが不満で、
審神者さにわ術武じゅつぶに精を出していた。
奴は相当のめり込んでいた……
上京区かみぎょうく相国寺しょうこくじの北にある道場、
奴はそこに通いつめていた――
東雲流の山郷武揚が開く道場だ。
雑誌広告を使い良家の子女を集めた。
鬼龍は師範代として活躍した。

奴の独逸ドイツ行きは寝耳に水だった。
正直、羨ましかった。
独逸は私の第二の故郷だからだ――
独逸ドイツで習得した召喚術が、
まだまっとうできないのは、
審神者さにわ素養そようが邪魔をする――
奴はそう考えている。
審神者さにわ奥義おうぎを継ぐ者はいないか、
懸命けんめいに探していた。
ある日、奴は気付くんだ。
奴の流派、東雲しののめ流の宗家そうけにこそ、
素養そよう持つ人物がいると。
奴は機根きこんとか、そんな言葉を使い、
その人物を確かめようとしていた。
それが如月きさらぎ鈴代すずよという女性だ――

そんな鬼龍と私の間柄あいだがらを聞き付け、
月詠麗華が私を尋ねてきた。
まるで郷里きょうりの妹のようにして。
私はこばんだのだ、話すのを。
鬼龍の詳細について話すのを。
答えられない、そう言ったのだ――
あの女は私を睨みつけるや、
背後から紫色の光を放った!
その直後、私は飛んだのだ!!
現世の私はどこにいる?
先程、神田川かんだがわらしきが見えた――
私を戻せ、戻すんだ!!

《バトル》

【歩一M大尉アストラル】
はぁはぁはぁ……
せめて鬼龍が私のようにならぬよう、
つとめるのが貴様らの役割だ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
何か特異な波形を観測します。
――巡視パトロールを続けてください。

〔キタイスカヤ街〕

そこは帝都満洲とは様相ようそうことにしていた。帝政露西亜ロシア時代に築かれた哈爾浜ハルピン、キタイスカヤの街並みである。
露西亜ロシアバロックの町並みを背にクルト・ヘーゲンが呆然と立っていた。まるで見当識を失ったかのように――

【クルト・ヘーゲン】
お前は!!

ううう……
くそっ!
――ここは……どこだ……
異世界のことは知っていた――
ここが、そうなのか?

ウハハハハハ~
大型波動グローサベッレを何度も発して、
現れたのがこのロシアの辺境か!

うう……
ここの空気は合わないな!!
――セフィラ異常はどうなった?
大型波動グローサベッレ戦を常態化じょうたいかさせ、
やがて顕現けんげんさせる計画だ。
日本人の大勢が犠牲ぎせいになる――
トウキョウ中が戦場となり、
を降ろし、市民にけしかける!!

このような場所が現れるとは、
実現はまだ先のようだな!
市民の犠牲は計画の問題外だ。
百人の死は悲劇だが、
一万人の死は歴史だ。
私たちは歴史を作るのだ!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
犠牲は……必要なのだ……
うう……まだ血の臭いがする――
だが、これもすぐに消えるだろう!
私は超えたのだからな!!

クルト・ヘーゲンは膝を折り、そのままゆっくりと姿を消した。まるで空間から消し去ったかのように。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置が確認できません――
先程ユリアさんから連絡があり、
同行ユーゲントの波形、
同定できました。
このシュタインにはジリエンヌマーが……新山にいやまさんに尋ねると、
通し番号のことだそうです。
ユンカー博士のシュタインの波形、
予測できるかも知れません。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
ユリアさんが祇園丸ぎおんまると一緒なので、
その波形、正しく確認できました。
同じシュタインならユンカー局長の居場所も、探信儀たんしんぎで観測できそうです。
ヘーゲン召喚師が言うような
何百ものセヒラ異常はありません。
【帆村魯公】
アーネンエルベは、
秩序ちつじょが崩壊しておるのか?
この件は参謀に上げるほかない。
セヒラ異常を起こして、
そこへを降ろすなど、
聞いたことがない。
梨央りお、本当に異常はないのだな?
【喪神梨央】
ええ――
ただ、帝都満洲に妙な波形が……
兄さん――
さっきの場所とも関係するかも……
くわしく調べてみます。

大型波動グローサベッレを連発することで、何百ものセヒラ異常を招こうとしたものの、その目論見もくろみは失敗に終わったようだ。
しかし、その影響なのか、帝都満洲に現れた、哈爾浜ハルピンキタイスカヤの町並み――この意味するところはまだわかっていない。

第八章 第七話 響き合う者たち

〔山王機関本部〕

その日、機関本部に如月きさらぎ鈴代すずよの姿があった。月詠つくよみ麗華れいかが渡満することとなり、鈴代すずよが首都新京シンキョウまで付き添うのだという。

【喪神梨央】
月詠麗華さんが満洲に……
随分、急な話なんですね。
【如月鈴代】
何でも新京シンキョウの関東軍特務部が、
麗華さんの身柄みがらを預かる、
そういう話みたいですわ。
【九頭幸則】
この年末にも関東軍司令部が、
ごっそり新京シンキョウに移転するんだよ。
関東軍のお膝元ひざもとってことだね。
【如月鈴代】
ええ、そのようなことをうかがいました。
【喪神梨央】
それで鈴代さんも、
付き添われるのですね。
鈴代さん、新京シンキョウまでですか?
【如月鈴代】
ええ、そのつもりですわ。
麗華さん、いろいろあったから、
神経にさわらないようにしなくちゃ。
【九頭幸則】
麗華嬢、愈々いよいよのご出立しゅったつ
歩一の将校はみんな知ってるよ――
人の口に戸は立てられないね!
【喪神梨央】
もしかして――
幸則ゆきのりさんが言い触らすんでしょ?
【九頭幸則】
そんな眼でにらまないでくれ。
俺は魯公ろこう先生から聞いたんだ、
この件、参謀本部の決定だってね。
仮面の男に狙われるといけない、
そういうことだと聞いたけど。
仮面の男のことは歩一も知らない――
【如月鈴代】
麗華さんは鬼龍きりゅうさんに、
奥義おうぎ継承けいしょうを求めているのです。
今は二人を離したほうがいいですね。
【九頭幸則】
なるほど……
むしろその事情が重そうだね。
仮面の男は契機けいきにすぎないのか。
【喪神梨央】
仮面の男は波形で観察できます。
でも鬼龍さんの動向どうこうはわからない――二人を近付けちゃ駄目なんですね?
【如月鈴代】
麗華さんが落ち着くまでは――
道中どうちゅう、お話しようと思います。
【喪神梨央】
鈴代さんがわれるんですよ。
東京を午後に出ると、
新京シンキョウには明後日の夜に着きます。
【九頭幸則】
おやおや、また省線の時間表かい?
【喪神梨央】
一時半の特急さくら号、下関しものせきに明朝八時着、十時半の連絡船、釜山プサンからは鮮鉄満鉄の経路です。新京シンキョウ行きの急行はひかり号です――
このくらいはそらんじているんです!
【如月鈴代】
そろそろ参ります――
十一時には連隊本部に来るようにと。
【九頭幸則】
それじゃ俺がエスコートしようか?
【喪神梨央】
鈴代さんの警護、公務にします。
公務電車ではなく円タクを使います。
兄さん、お願いします。

〔第一連隊本部〕

第一連隊本部玄関前には16条旭日旗を掲げた旗手と立哨がいた。彼らの前には一台の円タクが停まっている。麗華はすでに円タクに乗っているようだ。

【如月鈴代】
道中、何もなかったですね――
麗華れいかさんが無事に新京シンキョウに着くまで、
見届けたいと思います。
麗華さんを鬼龍きりゅうさんから引き離す、
それが一の目的だと思います――
勿論もちろん、仮面の男も気になりますが……麗華さん、新京シンキョウには半年ほどかと――いろいろ落ち着いたら、またみんなで野点のだてを開きましょう。
風魔ふうまさん、有難うございました。
それでは行ってまいります。
【福井中尉】
如月きさらぎ鈴代すずよさんですね。
お待ちしておりました、
歩一中尉、福井ふくいです。
さぁ、どうぞこちらへ。
午後の特急を取っております。
歩一の兵、八名が随行ずいこうします。

鈴代が円タクに乗り込むと、車は滑るように走り去っていった。風魔は第一連隊を後にして霞町へ出た。

〔霞町街路〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
カラスの声がしています。
増上寺ぞうじょうじの変の時も、
防疫ぼうえき研究所の時も、
カラスが飛んでいました。
カラスにも留意して観察します。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました!
間違いなく怪人です!
小松川こまつがわの客】
怪人の
姿さびれた
町に消え

どうですか?
怪人川柳せんりゅう、六百八十もの作を、
投稿とうこうしたんです――

怪人が
入った路地の
阿鼻叫喚あびきょうかん

怪人を
総出そうでで探す
浜三町はまさんちょう

それだけではありませんぞ。
銀座幻燈会げんとうえも四回参加しました――
少尉の手鏡に映った顔……
それは他ならぬ持ち主の顔ですよ。
つまり少尉自身の顔――
敵弾に倒れたときの死に顔です。
鏡を見た少尉は気が触れて、
丸腰まるごしで高地へと駆け出した――
飛び来る弾丸にたちまち失せて~
旅順港外りょじゅんこうがい、恨みぞ深き~
軍神広瀬ひろせと、その名残れど~
つい歌ってしまいましたな、ウハハ~
人生よろづ相談には十八回も電話し、
もうすっかり悩みは解決しました!!
もうね、私は完全に仕上しあがった。
そう思うのですよ。
貴方にもわかっていただきたい!!

《バトル》

小松川こまつがわの客】
脳楽丸のうらくがんをもっと飲まないと――

【着信 喪神梨央】
大変です!
彩女あやめさんが消えました!
セルパン堂に向かってください!

〔セルパン堂〕

【着信 喪神梨央】
四谷よつや金ノ七号帥士きんのしちごうすいしがいたので、
そちらに合流してもらいます。

【式部丞】
彩女あやめ君と蛭川ひるかわ博士の姿もない――
出入りする派出婦はしゅつふからのしらせです。
博士宅は市谷台町いちがやだいまちです。
神経の病、愈々いよいよ亢進こうしんなのでしょうか?
なんとも悩ましい限りです。

セルパン堂前に虹人がやって来た。急いで来たせいか、少し息が上がっている。

【帆村虹人】
ちょうど四谷よつやにいたんだ。
アーネンエルベの巡視パトロールは独特だよ。
三宅坂みやけざかを起点にのの字を描くんだ。
梨央りおから聞いたけど、
二重人格の女を探すんだって?
【式部丞】
周防すおう彩女あやめという女店員です。
怪人を引き寄せる性質があり、
とうとう別の人格を出しました――
【帆村虹人】
別な人格ですか……
二重人格者の戦術的考察――
そんな論文が大使館にありましたよ。
【式部丞】
それは独逸ドイツでの研究ですか?
【帆村虹人】
独逸ドイツ大使館にあるのだから、
きっとそうでしょうね。
僕は独逸ドイツ語には暗いのですが。
【式部丞】
別人格の時には腕力わんりょくが倍増したり、
知らない外国語を話したり、
宇宙物理の難問を解いたりします。
【帆村虹人】
つまり、その人じゃない能力が
発揮はっきされることもあるわけですね。
【式部丞】
彩女あやめ君は千紘ちひろと名乗っていました。
その名前、店で見かけました――
メモに残されていたのです。
【帆村虹人】
でも彩女あやめさんでいるときには、
千紘ちひろのことはわからない――
そうなんですね?
【式部丞】
おそらく、そうですね。
今は彩女あやめ君ではなく千紘ちひろを探す、
そのほうが合理的ごうりてきです。
私は若松町から筑土八幡つくどはちまん辺り、
牛込うしごめ区を中心に探します。
お二人は四谷よつや近辺をお願いします。
【帆村虹人】
わかりました。
風魔ふうま四谷よつや方面だ、行こう。

〔四谷街路〕

【帆村虹人】
ユーゲントというホムンクルス、
かなりの数が日本に留まるようだ。
一部はフォス大佐と渡満したけど――
彼らは新しいシュタインを使っているよ。
AGKアーゲーカーのフェラー所長が開発した、
自律係数を変化させるシュタインらしい。
フェラー所長は大型波動グローサベッレも開発した。
ヘーゲンはそれを使いたがるけど、
ユンカー局長は猛反対している――

でもな……
不思議な事があるんだ――
ユンカー局長とヘーゲンについてだ。
反目する二人、銀座で見たんだ。
ブレーメという洋食屋から出てきた。
二人して笑いながらねだよ……
二人は日劇の前で別れた。
僕はユンカー博士の後を付けたんだ。
円タクを拾ってね――
でも青山一丁目で陸大の行進があり、
僕の円タクは身動きできなくなった。
博士の円タクは信濃町しなのちょう方面に行った。

さて、僕はアーネン巡視パトロールの続きで、
牛込見附うしごめみつけから上野広小路へ向かう。
お前は公務を続けるんだろ。
世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
坪内逍遥つぼうちしょうよう沙翁さおうハムレットの一節だ。僕もまったく同じ心境だよ。
踏み出す一歩は見えているのだが、
躊躇ちゅうちょという懶惰者らんだものが邪魔をする。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
東京憲兵隊本部に向かってください。
大きなセヒラを観測します!!

〔東京憲兵隊本部〕

玄関前に2名の立哨、それに一人の将校がいた。

【式部丞】
彩女あやめ君らしきを乗せた、
円タクの運転手が見つかりましてね。
一ツ橋ひとつばしの憲兵司令までと――
先に着いた形跡はないですね。

【召喚小隊悪王子あくおうじ一等兵】
怪人の一軍が向かってきます。
立ち去ってください!
【召喚小隊神水くわみず二等兵】
ここは我々で対処します。
歩三、歩一の枠を超えた共闘です!

その時、着物姿の男がやって来た。

【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
貴様!
立ち入りはならぬ!!
【九段の客】
呼ばれて来たんですよ、
そんな目でにらまないでください。
【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
ここにいてはいけない、
早く立ち去れ!!

着物の男は全身にセヒラをまとわせ、風魔を見据えている。

【九段の客】
新宿は東海館での幻燈会げんとうえに参加し、
素晴らしい体験をしたのです。
三軍少尉の手鏡には、
白いドレースの少女が映ったのさ!
その少女は手鏡から少尉をいざなう。
少尉は手鏡をかざしたまま高地へ――
その時、敵弾が飛来する。
少尉は胸や腹を八発も撃たれる。
血のあぶくを吐きながらも、
少尉はとても幸せそうだったとさ!
ウハハハ~
私も愈々いよいよ完成の領分に来たな!!

《バトル》

【九段の客】
割れた手鏡には、笑う少女の顔が……
その眼は真紅しんくに輝いていたそうだ!!
ウハハハハハ~

着物の男が倒れ、やがてセヒラとなり消えた。

【召喚小隊月夜野つきよの少尉】
お見事でした、中尉。
怪人ははなから中尉を捕捉ほそくしており、
どうすることも――

【着信 喪神梨央】
今の怪人も、さっきの霞町かすみちょうの怪人も、波形がすごく安定していました。
ほとんど真円しんえんでした――
怪人になるべくしてなっている、
そんな感じです――
あっ――

着物の男と同じ方向から彩女がやって来た。

【式部丞】
彩女あやめ君!
――あ、いや……
君は……
【千紘】
怪人を引き寄せる力、
僕のじゃないよ。
元の人格、周防すおう彩女あやめのものだね――
フフフ――
なかなか便利な力だ。
使わせてもらうことにした。
【式部丞】
君は彩女君を取り込んだのか?
――そうなのか?
【千紘】
僕は僕だよ――
取り込むとか取り入るとか、
そういう話はどうでもいい。
周防彩女という女の、
その静謐せいひつな湖の底に沈殿ちんでんした、
それが僕なんだよ。
僕は響き合うためにここに来た。
【式部丞】
響き合う……
誰と響き合うのだ?
――もしや……
【千紘】
君たちが芽府めふ須斗夫すとおと呼ぶ存在だ。
彼はメフィストフェレスだ、
その転生した存在だ――
【式部丞】
メフィストフェレス……
独逸ドイツのファウストに登場する悪魔だ。
伝説上の存在でしかない。
【千紘】
それがどうしたの?
伝説だから? 造り物だから?
みんな造り物だよ――
君たちだって造り物さ。
悪魔もそうさ、はどうなんだい?
究極の造り物だろ?
僕は残りの言葉を知りたい。
造り物の悪魔がく言葉だよ。
さぁ、始めようか!
戦うんだ、怪人共!!

千紘の声に応じるかのように、2名の怪人が走り来た。召喚小隊の兵2名がこれに対峙するも、セヒラ濃度が急上昇して、見る見るうちに一抱えもある巨大な球になった。

【着信 喪神梨央】
セヒラ急上昇!!
退避してください!

セヒラ異常の発生である。セヒラの球が急速に巨大化して、辺り一帯を飲み込んでしまった――
やがて収束すると、地面に倒れる彩女と召喚小隊将校の姿があった。式部が彩女の傍へ駆け寄る。

【式部丞】
セヒラ異常が発生したのですね。
複数の怪人が戦ったせいで……
彩女あやめ君……
大丈夫かい……
今は……なんだろ……
喪神もがみさん、私は彩女あやめ君を……
蛭川ひるかわ博士の所在しょざいも聞き出さねば。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラは消えています。
ただ帝都満洲にセヒラのかたまりが……
はらえのにおいでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
またもや帝都満洲にセヒラのかたまりです。今度は碑文谷ひもんや大連ダイレン界隈かいわいです。
こうも何度もセヒラ異常が続くと、
帝都と帝都満洲をつらぬく新しい穴が
生まれるかもしれません。
穴のこと、独逸ドイツ人らはロッホと呼び、
以前から、調査をしていました。
今から七年前のこと、
昭和三年の冬でしたね。
まだ山王さんのう機関ができる前です。
ちょうど、目黒区碑文谷ひもんやあたり、
それと伊豆の修善寺しゅぜんじでです。
結局、ロッホは見つかりませんでした。
彼らは憶測おくそくを含めて、
一本の論文を発表しています――
それが日 本 に お け る 重 力 の 穴 の 調 査、フアション デ ロヒャ デ シュベアクラフト イン ヤーパン
頭文字でFLSJ論文と言います。
喪神もがみさん、
それでは準備はよろしいですか?
向かうは碑文谷ひもんや大連ダイレンです。

風魔はゲートを抜け、帝都満洲鉄道あじあ号の展望車に乗り込んだ。すぐさま列車は走り出した。

【満鉄列車長】
毎度ご乗車ありがとうございます。
本列車、只今ただいま碑文谷ひもんや大連ダイレン行きです。
碑文谷ひもんや大連ダイレンに、大きなわだかまる存在があるようです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンまでは、
とどこおりなく運行していまいります。

碑文谷ひもんや大連ダイレン

碑文谷ひもんや大連ダイレンは恐怖の色に染め抜かれていた。累々たる白骨は恐怖が生み出した存在であろうか――
帝都では東横電車碑文谷ひもんや駅から南へ進んだ、目黒競馬場跡にほど近い住宅地が照応している。

【Y二等兵アストラル】
歩一三〇八小隊のうち、
十八名がここに集しているものと
思われます。
金沢かなざわ曹長、岡山おかやま軍曹は、
自分、確認しております。

【O軍曹アストラル】
山口やまぐち二等兵とは話しましたか?
彼が咄嗟とっさにここへ導いてくれました。
防疫研ぼうえきけんで何が起きたのか、
よくわかりません――
巨大な影が現れ、その瞬間に、
気を失ったのです。
一度だけ、目覚めました――
その時は目黒の権之助坂ごんのすけざかくだって、
目黒川を渡る最中でした。
そこでまた自失したのです――

これらアストラルは防疫研で姿を消した308小隊隊員のようである。

【N少尉アストラル】
防疫研ぼうえきけん巡察じゅんさつ、いざ本丸という段に、異変が生じたのです。防疫研ぼうえきけん軍閥ぐんばつの機関といううわさもあり、これ以上、看過かんかできない存在でした。
ですが、似たような謎の機関、
市内にいくつか存在しています――
歩一の九頭くず中尉は研究熱心ですね――
中尉の隊に向島むこうじま出身の将校がいます。その将校いわく、荒川あらかわ沿いに建つ帝国モスリンの工場では、
出入りする職工を見ないのだとか。
九頭中尉は大いに興味をそそられ、
帝国モスリンについて、
いろいろ調べられたようです。
中尉は、その工場では、
なるものを製造しているのだと、
そうお考えのようでした。

【K曹長アストラル】
自分、九頭中尉に頼まれ、
帝国モスリンの工場を見に行き、
なるほどと合点がてんしたのです。
巨大な四本の煙突からは、
盛大に煙が出ているのですが、
工場は高いへいで囲まれているばかり。
朝も夕も、出退勤の職工は、
誰一人として見かけませんでした。
へいの周りを一周したのですが、
出入口一つないのです!

【F一等兵アストラル】
防疫研ぼうえきけんの他にも、
実体の不明な組織がある、
そういう話です。
ゼームス師団、渋谷憲兵大隊、
戸山とやまの砲工学校も怪しいです。
新型の導弾ミサイルこしらえる等と言います。
私たち三〇八小隊では、
独自の調査を開始しようと――
その矢先、皆が自失したのです。
――
何かあるのですか、千葉ちば曹長!

【C曹長アストラル】
またアレだ――
アレが来るぞ!
すぐそこだ!!

小隊アストラルたちは一斉に逃げてしまった。

【N少尉アストラル】
つい先日、我々とは異なる、
強い力を持つ存在が現れました。
兵のうち、何名かが飲み込まれ、
存在を消したのです。
――皆、怖れています……
私もこれにて失敬しっけいします!

そう言い残し、最後に残ったアストラルも去る。
そこへ4体のアストラルがもつれ合いながらやって来た。一人の人間の思念が分化したようである。

【H博士アストラル1】
周防すおう彩女あやめは病的な二重人格者です。
普通、二重人格では相手がもたらす
きょいて別人格が表出します。
それがいわゆる人格変換です。
しかし千紘ちひろは彩女を操り、
みずからの意志で表出した、
そのようにも思えます――

【H博士アストラル2】
気が付くと夕暮れでした――
私は人形町の電停にぼんやりと佇み、
電車を何本もやり過ごしていました。
その前は市谷台町いちがやだいまちの自宅、
洋式にしつらえた客間にいたのです。
自失する前のことです。
回教様式の浮彫レリーフを施した柱。
葡萄牙ポルトガル大理石でできた大きな暖炉。
――彩女さんの休む部屋です。
彼女は長椅子ながいすに横になっていました。

【H博士アストラル3】
彩女さんは靴下くつした素足すあしでした。
スカァトがまくり上がり……
私の頭にある一節がよみがえりました。

マシマロオでこしらえた脚。
清らかなメロディを流した脚。
青草を踏んでじなき脚。
食べてしまいたくなる脚。
いつまでもでていたい脚――

【H博士アストラル4】
こんな一節も浮かびました――

私は真っ白な女の素足の
こぼれて居るのをながめていた。
その女の素足は私にとり、
たっとき肉の宝玉ほうぎょくであった。
拇指おやゆびから起こって小指に終る繊細せんさい
五本の指の整い方、
絵の島の海辺でれるうすべに色の
貝にもおとらぬつめの色合い、
たまのようなきびすのまる
清洌せいれつな岩間の水がえず足下あしもと
洗うかと疑われる皮膚ひふ潤沢じゅんたく――

あゝ、あゝ、あゝ……
ついに私は無我むがち、
その素足に触れてしまった!!
その瞬間、全てが消え、
私は飛んでしまったのだ!!
ヒィィィィィ~

《バトル》

【H博士アストラル4】
あの足こそは、
やがて男の生血いきちふとり、
男のむくろをみつける足である!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都にセヒラが噴出ふんしゅつしました!
セヒラの強い流れです!
至急しきゅう、お戻りください!

〔山王機関本部〕

【九頭幸則】
遅かったな、風魔ふうま
【喪神梨央】
帝都満洲と帝都とで、
時間の進みがずれ始めているのです。
【九頭幸則】
そうなのか――
昨日、帝都に生じたセヒラの流れ、
一ツ橋の憲兵司令に向かったんだ。
【喪神梨央】
まるで芽府めふ須斗夫すとおが、
セヒラを呼び込んだようにです。
今は収まっています。
【九頭幸則】
ヒククアケ――
予言が語られたそうだけど、
何のことやらさっぱりだな。
【帆村魯公】
式部しきべ氏とも話したのだが、
ヒククアケ――
明けというのは明け方のことじゃろ。
【喪神梨央】
それじゃヒククとは何でしょう?
【帆村魯公】
うーむ、
その、ヒククという言葉がきもだな。
【九頭幸則】
ヒクク……ひくく……
もしかして、
太陽が低くなるということでは?
【喪神梨央】
低くなる……
低くなる明け方……
それって冬至とうじのことですか?
【帆村魯公】
ほう!
そうかも知れんな!
――冬至とうじか……
【喪神梨央】
芽府めふ須斗夫すとおは、
冬至とうじの朝のことを言ったのですか?
【帆村魯公】
今年の冬至とうじはいつだ?
十二月の何日だ?
それもふくめて、中尉、
中野気象部に一っ走り頼む。
こよみのことを知りたい。
【九頭幸則】
電信でんしん第一連隊の気象班のことですね。
冬至とうじとその近辺のこと、
教えてもらってきます。

そう言い残し、九頭は本部を後にした。

【帆村魯公】
周防すおう彩女あやめ女史じょしは青山の脳病院だ、
あそこなら精密に検査もできる。
まだ意識は回復しないそうだが……
【喪神梨央】
青山脳病院、斎藤さいとう茂吉もきちが院長です。
世田谷せたがやに本院を移し、
青山のは分院となっています。
病院で、また蛭川ひるかわ博士みたいなことにならなければいいのですが。
【帆村魯公】
そのことだが……
彩女さんの第二人格が博士をほだした、
そうも考えられるぞ。
博士はアストラルになり、
結果、強いセヒラを生じて、
予言が語られたわけだしな。
【喪神梨央】
彩女さん……いや千紘さんの、
足を触ったりしたら、
飛ばされますよ、絶対に。
――幸則ゆきのりさん、大丈夫かしら……
彩女さん、病院なんですよね?
【帆村魯公】
病院には歩一の兵二個小隊が駐する。
元召喚小隊からも増援が来ておる。
病院を抜け出したりはできんだろう。

第七の予言の解明にはこよみの知識が必要だった。山王さんのう機関では冬至とうじの朝のことであると、暫定的ざんていてきに解釈していた。それに続くであろう、いわばしもはまだ語られていなかった。

第八章 第一話 桃源郷の噂

〔山王ホテルロビー〕

翌週にひかえた中秋ちゅうしゅうの名月を前に、山王さんのうホテルでは名月鑑賞会の準備が進む。心なしか普段より人の出入りも多い。
そんなおり、ホムンクルスと思しき波形が、頻繁ひんぱんに確認されるという。梨央りお風魔ふうまはホテルで様子を探っていた。

【喪神梨央】
今年は十二日だそうですよ、
中秋ちゅうしゅうの名月。
来週の木曜日ですね――
中秋ちゅうしゅうの名月といっても、
九月に入って、ずっと残暑続きです。
――それに……
ホムンクルスの波形、
しょっちゅう観測します。
お月見の気分じゃないですね。

【帆村魯公】
どうしたんだ、二人とも。
ここで怪人でも待ち構えるのか?
【喪神梨央】
隊長、ホムンクルスを観測します。
赤坂、市ヶ谷、四谷よつやでです。
独逸ドイツは何を計画しているのですか?
【帆村魯公】
こら、大きな声を出すな!
――こっちへ来い。

魯公はロビーの隅へ移動した。一同は魯公に続いた。

【帆村魯公】
おそらく猟奇りょうき倶楽部くらぶだ。
ホムンクルスが警戒している――
独逸ドイツ大使館としては、
何ら命令を発していないそうだがな。
【喪神梨央】
そうだと思いました。
祇園丸ぎおんまるさらったのも猟奇倶楽部、
そうじゃありません?
ユリアさんのフロイラインも、
きっと猟奇倶楽部の仕業です。
兄さんが猟奇倶楽部に招かれたとき、
私が風邪さえ引かなければ……
【帆村魯公】
いつまでもくよくよするんじゃない。
それに探信儀たんしんぎの空白地帯であれば、
倶楽部の所在はつかめないぞ。
猟奇倶楽部については、
参謀本部もやや苦労しておる。
【喪神梨央】
え? そうなんですか?
【帆村魯公】
連中がホムンクルスを付け狙い、
秘密の漏洩ろうえいでも起きたら一大事だ。
それで頭を悩ませておる――
【喪神梨央】
取締りとりしまとかできないんですか?
特高や憲兵を動かして――
【帆村魯公】
それがな、どうやら猟奇倶楽部には、
かなり上のほうと繋がりがあって、
簡単にはいかんそうじゃよ。
【喪神梨央】
上の方って……
猟奇倶楽部がですか?
【帆村魯公】
もうすこし調べが必要だな。
風魔ふうま、今日の公務は、
どうなっておる?
【喪神梨央】
ひとまず赤坂界隈かいわいです。
ホムンクルスの波形が気になります。
私、探信室たんしんしつに戻ります。

【帆村魯公】
例の瑛山会えいざんかいに上層部と繋がる、
そういう人物がいるようだ。
聖宮ひじりのみや親王にそれとなく尋ねてみよう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
山王下さんのうしたにセヒラ観測しました。
確認お願いします!

〔赤坂街路〕

高女こうじょ英語教師】
今、ここ歩いて行った人、
まるで蝋細工ろうざいくのようでしたよ!
しかも無表情で……
大きな声じゃ言えませんけどね、
うちの飯山いいやま先生もあの手合てあいですよ!
じっとりと皿のような目でね、
お気に入りの女生徒を見つめる――
あの目で見られたらね、あなた、
誰だって動けやしません!

乗合のりあい車掌】
さっきの人、前に乗合のりあいにいた
お客とそっくりよ!
そのお客、声掛けも何もなしに、
他のお客さんを押しのけて、
乗合のりあいの出口に行こうとするの。
だから、一声ひとこえおかけくださいまし、
そう言ったのよ――
そしたら私をすごい目でにらけて、
レーベン、フォイヤー、トート、
トート、トートって言うのよ。
気色悪いったら、ありゃしない!

【麻縄業の男】
さっきの奴、アレだな、臭いだな……
うん、思い出したぞ!
そうだ、そうだ!
いつぞや、富山の方で食った、
斑鱶まだらぶかの塩辛、あれと同じ臭いだ。
臭いのは皆同じ臭いなんだよ!

【レーベンクラフト二〇八】
レーベン! レーベン
フォイヤー!  クリンゲ
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホムンクルスの波形です。
初期型ですが注意してください!

《バトル》

【レーベンクラフト二〇八】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート

【ゲルハルト・フォス】
正直は最良の策というではないか。
私は常に心がけているんだよ、
自分に嘘がないようにとね。
君が倒したのは果たして初期型だね、
モガミフーマ――
これはとんだ失礼をした。
初期型ホムンクルスは見境みさかいがない――
もっとも強い警戒状態にあるようだ。
そのせいか過敏になっている。
どうもこのトーキョーには、
我が子を狙う一派があるらしい。
秘密の漏洩ろうえいは防がねばな。
我が子らは互いにシンクロする。
天敵に襲われたはちのように、
たがいに情報をやり取りする――
その機能が元からそなわるものか、
後で身に付けたものかは知らない。
ユリアならくわしいだろうが――

さて、モガミフーマ、
我がアーネンエルベにお招きしよう。
この国では友に恵まれるらしい。
新しい友だ、客人として呼んでいる。
君にも引き合わせるとしよう。

フォス大佐にいざなわれ、独逸ドイツ大使館の車で、アーネンエルベ極東分局に向かった。連れてこられたのは地下の集会室であった。

〔アーネンエルベ地下〕

【ゲルハルト・フォス】
そろそろ来る頃だ――
マンシュウで活躍する人だよ。

その時、アーネンエルベ集会室にやって来た人物があった。

【ゲルハルト・フォス】
少し、はずしてくれないか。
【武装SS隊員】
ハイル――
【ゲルハルト・フォス】
ここではいいんだ。

ナチ式敬礼をしかけたSS隊員は、かかとを鳴らして回れ右をして出ていった。

【ゲルハルト・フォス】
ようこそ、我がガルテンへ。
ヘル、リー、リーチンミン!
こちらがモガミフーマだ。
【李景明】
モガミ、フウマさん――
初めまして、景明けいめいです。
日本読みで憶えてください。
【ゲルハルト・フォス】
確か、満鉄調査部だったかな?
【李景明】
ええそうです。
大佐のアーネンエルベとは、
近い部署かもしれません。
【ゲルハルト・フォス】
それでは聞くが、
調査部でもつかんでいるのかね、
例の桃源郷キサナドゥのことは?
【李景明】
烏魯木斉ウルムチまで調査隊を派遣して、
回教徒かいきょうとらから聞き取りを行いました。
およそのところは掌握しょうあくしています。
興亜こうあ日報がどうやってぎつけたのか
それはわかりかねますが。

地下の桃源郷とうげんきょうとされる蟻走痒感府ぎそうようかんふについて、興亜こうあ日報は特報として派手に報じたが、具体的なことは何も示されなかった。

【ゲルハルト・フォス】
お二人に聞いて欲しいのだがね、
私は夢は寝て見るものだと思う。
起きては現実に向き合うことだ――
ローマ帝国、神聖ローマ帝国、
そして我が第三帝国。
国家建設は一朝一夕いっちょういっせきにはいかない。
しかもヨーロッパの連中は、
まったく足並みがそろわない。
自国の利益にばかり気を取られて――
ヨーロッパなどはこの際捨てて
桃源郷キサナドゥを首都として、
第四の帝国建設を企図きとするところだ。
李景明リ ケイメイ
満蒙まんもうからカザフスタン、ペルシア、
さらにはカスピ海へ抜ける
回教かいきょう国家をまとめるのですね。
その場合、露西亜ロシアの領土を
一部貫くことになります。
何分、手強い相手です。
【ゲルハルト・フォス】
ソビエトは信じきっているよ。
我が国が戦争を仕掛けないことをね。
不可侵ふかしん条約の準備も進んでいる――
李景明リ ケイメイ
相手を油断させておく、
そういうことなんですね。
もしや露西亜ロシアに侵攻する計画も?
【ゲルハルト・フォス】
電撃戦でんげきせんは我が方の得意とするところ。
今は静かに時機じきを見ているのだろう。
鉄の心を持つSS装甲師団LSSAHがな。
――モスクワを叩けば道は開く。
そこは総統ヒューラーと同じ考えだ。
李景明リ ケイメイ
では、大佐の構想というのは……
【ゲルハルト・フォス】
の現実なのだよ。
私にはいくつも現実はいらない。
ただひとつの現実さえあればな。
アーネンエルベを、
北満ほくまんのハイラルに開く。
桃源郷キサナドゥ探しに本腰を入れるつもりだ。
おりよくアーネンエルベ本部の、
フンメル博士の論文も発表された。
神智学しんちがく的視座から同定する先史アーリア人の中央アジアにおける優生民族的実存の痕跡こんせきリストという標題だ。
李景明リ ケイメイ
大佐、満鉄調査部の方でも、
出来る限りお手伝いさせていただき、
大佐の計画が進むようはからいます。
【ゲルハルト・フォス】
また会える日を楽しみにしている。
――私はこれで失礼するよ。

フォス大佐は優雅に体をひるがえして集会室を後にした。

李景明リ ケイメイ
私はここに残ります。
近く朝鮮に渡る予定があります。
またお会いしましょう、喪神もがみさん。

〔独逸大使館〕

独逸大使館前は緊張した空気に包まれていた。
歩哨のSS隊員たちが侵入者を発見したのだ。

【武装SS二等兵】
侵入者アインドリンリンだ!
【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カインツートリットだ!

二名のSS隊員は瞬く間にたおされてしまった。
猟奇倶楽部の会員と思しき黒頭巾姿の人物が音もなく現れた。

【堕天使の先導者Δデルタ師】
逃げ足の早い奴です!
何とか一体でも……
――私の階位がかかっているのです!
邪魔しないでください!
これ以上、階位を下げるわけには……
あああああ、くそっ!!

《バトル》

【堕天使の先導者Δデルタ師】
あああ……残念です……
階位一位の方がお見えだと言うのに、
私は階位九十八位のままだ――
【着信 喪神梨央】
急なことで間に合いませんでした!
申し訳ありませんでした。
お知らせしたいことが――
【着信 帆村魯公】
金ノ七号きんのしちごうが行方不明なんだ!
市ヶ谷で消息しょうそくを絶った。
公務電車を回す、急いでくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館を出るのは確認され、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしは心ここにあらず、
そんな様子だったそうです。
心配です、
何とか見つけてください。

〔市ヶ谷見附〕

【鈴蘭女学生典子】
秋桜コスモスごとくの妙子たえこ様。
先程の、はたして虹人こうじんさまでは?
筆名、白金江しろかねこう虹人こうじんさまなのでは?
【鈴蘭女学生妙子】
あら、雛菊ひなぎくのような私の典子のりこさま!
虹人さまで遊ばされたら、
私たち、どういたしましょう?
【鈴蘭女学生典子】
君影会にお伝えしなければ。
【鈴蘭女学生妙子】
でもまだ虹人さまと、
決まったわけでは――

【八紘油脂のサラリーマン】
どうしたんだい、さっきから。
君たち、もしや、あのハンサム君に、
やられちまったのかい?
【鈴蘭女学生典子】
あら、何ですの?
ハンサム氏には興味なくってよ!
【鈴蘭女学生妙子】
そうよ、ハンサムかどうかなんて、
関係ないですわ。
ようは美しいかどうかですわ。
【八紘油脂のサラリーマン】
彼、西洋人のようだったけどね。
大きく見えたけど、半ズボン姿だし、
君たちには小さすぎかな。

聖橋にはしゃがみ込む虹人の姿があった。
風魔を認め、虹人の傍から金髪碧眼の少年が近付いてきた。

聖護院丸しょうごいんまる
喪神もがみさんですね!
虹人こうじんさんを無事に保護しました。
行き先も告げず、ふらふらと、
まるで何かにいざなわれるように――
そして、うつろな表情をして、
この橋の欄干らんかんに寄りかかって――
身投げでもするんじゃないかと案じ、
駆け寄り介抱かいほうしたのです。

【帆村虹人】
風魔ふうま――
お前から僕はどう見えている?
この間、執筆を再開しようと、
久しぶりにペンを取ったんだ。
その瞬間、僕は白金江しろかねこうに支配された。
何の気なしに付けたペンネームが、
いつの間にか大きく育っていたんだ。
白金江しろかねこう秋宮あきみやの小説を、
最後まで完成させていた。
――僕はそんなの絶対に嫌だ!
僕が夢現ゆめうつつの時に白金江しろかねこうが執筆した、
そうに違いないんだ。
僕はその原稿用紙を焼き捨てた!!
【聖護院丸】
確かに大使館の談話室の暖炉に、
焼かれた原稿用紙がありました。
【帆村虹人】
僕はあのペンネームを捨てる。
そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!
【聖護院丸】
もしかして虹人さん――
ペンネームを捨てるために身投げを?
この橋の下には省線が走ります。
【帆村虹人】
――わからないよ……
でももう大丈夫さ。
とっておきの話を思いついた。
白金江しろかねこうが考えもしなかった話さ。
僕は自分の名前で執筆するよ。
【聖護院丸】
それはよかったですね――

その時である。聖護院丸に異変が生じた。聖護院丸は急にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪めている――

【帆村虹人】
おい!
どうした?
――聖護院丸しょうごいんまる、しっかりするんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
仮面の男情報です!
場所は四谷よつやです!
【帆村虹人】
僕は聖護院丸しょうごいんまるる。
風魔、仮面の男、頼むぞ!

〔四谷街路〕

仮面の男の通報で向かった四谷よつやの町は、一騒乱ひとそうらんあったかのような異常さであった。
果たして仮面の男はいかに――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
非常に不安定な波形を観察!
仮面の男かどうかわかりません。

無線の後、どこからともなく声がした――

【???】
何をしたのかね?

答えるんだ!
お前は何をした?

辺りが一瞬暗くなったかと思うと、仮面の男が音もなく降り立った。
強いセヒラを全身に漂わせ、それはまるで帯電しているかに見えた。

【仮面の男】
せっかく新しい異能者、月詠つくよみ麗華れいかと、
真の連合を築こうとしていたのに。
私たちは皆、中途半端な存在だ。
多くの必要を欠き、それをつくろい、
なかば自分をだまして生きている。
月詠つくよみ麗華れいかは欠点だらけだ。
私はその欠点にかれるのだ――
あの女の覚醒かくせいはまだ完全ではない。
私と繋がることで、限りなく、
高みへと上りゆくはずだ――

【仮面の男】
お前は何をした?
時空じくう狭間はざまに身を隠していた私を、
この白日はくじつもとに引き出すとはな!!

仮面のから発せられる苛立ちが、辺りの空気を震わした。

【仮面の男】
いいだろう――
お前と対峙たいじするのは何度目だ?
自分を見失うでないぞ!

《バトル》

【仮面の男】
フハハハハハ~
いい気分だ、実に素晴らしい!
結託けったくしているのかね。
まさか心を通わせているとでも?
――あの郭公かっこう時計職人の息子と。
二人とも心に妖精を飼うのかな――
フフフ~
楽しみがまた増えたな――
私はいさぎよ退くとしよう……
時空じくう狭間はざまにね。
あそこを家として力を送ろう。
この世界を動かすかもしれない力を。
ワハハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
不定形な波形、消えました。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
ユリアさんがおいでです。
【ユリア・クラウフマン】
今日の現象ですが――
あれは大型波動グローサベッレというものです。
広範囲に渡り、ホムンクルスの
自律係数じりつけいすう一斉いっせいに引き下げる波動を、
帝都に放ったのです。
【喪神梨央】
聖護院丸しょうごいんまるの……
ユーゲントの自律係数じりつけいすうは三・八、
それが下がったんですね。
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスは警戒しています。
自分たちを狙う連中に対して――
その警戒心が伝わっているのです。
【喪神梨央】
帝都にいるホムンクルスすべてに、
それが伝わっているのですか?
【ユリア・クラウフマン】
おそらくは……
それで起きる不要な戦いを避ける、
その目的で大型波動グローサベッレを発したのです。
大型波動グローサベッレ、父の助手だった、
ユルゲン・フェラー博士が研究し、
開発を進めていたものです。
全ホムンクルスに攻撃指令を出す、
そういうこともできる仕組みです。
今回は実験をねているのかも――
【喪神梨央】
アーネンエルベで、
いったい何が起きているのですか?
不協和音のようなものを感じます。
虹人こうじんさんと聖護院丸しょうごいんまるは、
四谷よつやから無事に戻ったようですが――
【帆村魯公】
フォス大佐は、
なかなかのロマンチストのようだな。
【喪神梨央】
大佐が興味を示す桃源郷とうげんきょうですか?
新聞にも載っていましたよ。
遠く烏魯木斉ウルムチの近く――
青白い肌のカーンが統治する町、
ありと共存するのだそうです。
【帆村魯公】
わかっておるのは、それだけだな。
町の写真とかそういうものはない――
【喪神梨央】
はい、写真はありません。
新聞もいつもの興亜こうあ日報ですから。
桃源郷とうげんきょうか! の後に小さな?が。
【帆村魯公】
うむ……だが、その発掘のために、
北満ほくまん海拉爾ハイラルにアーネンエルベの、
分局をもうけるというんだな。
【喪神梨央】
アーネンエルベにいろいろ動きが――
やはり、そうなんですよね?
【帆村魯公】
第四帝国がどうのとも言っておった。
総統フューラーからすると邪魔くさい話だ。
さては誰かが仕込んだか――
【喪神梨央】
ユリアさんはどう思われますか?
【ユリア・クラウフマン】
桃源郷とうげんきょうの話ですか?
【喪神梨央】
大型波動のことです。
お父上の助手の方のこととか――
ユリアさんも全部はご存じない?
【ユリア・クラウフマン】
先日、フェラー博士から、
技術書が送られてきました。
私の知るのはそれまでです。
大型波動グローサベッレはホムンクルスに
ダメージを与える恐れがあります。
技術書にはそう明記されていました。
【喪神梨央】
見つかっていないフロイラインにも、
その波動は届いたんですよね――
心配ですね……
私、思うんですけど……
あの仮面の男って、
ホムンクルスじゃないですか?

欧亜おうあの地に見つかったという桃源郷とうげんきょう真偽しんぎさだかではないものの、フォス大佐はすでに野望をたぎらせていた。

第七章 第十一話 忙しい一日

〔山王機関本部〕

式部しきべは再び芽府めふ須斗夫すとおの元で待機となった。予言を求めるには強いセヒラが必要となる。変異があるとされる乙亥きのといの年、愈々いよいよ秋である。

【喪神梨央】
式部さんからはまだ連絡がないです。
強いセヒラの兆候ちょうこうもありません。
【帆村魯公】
今年についていろいろ言われるが、
まだ秋口あきぐちだ――
焦ることもない。
【喪神梨央】
予言っていくつまであるんでしょう?
今年中に全部分かるんですか?
【帆村魯公】
今年中に出きらないときは、
何も異変が起きないということじゃ。
枕を高くして眠れる。
【喪神梨央】
隊長! 
帝都の怪異は増えているし、
いろいろたくらむ人もあります!
【帆村魯公】
それはそうだが……
あの釣鐘つりがね鎮座ちんざまします限り、
帝都は安泰あんたいだろうて。
あの釣鐘つりがね以来、召喚も安定した。
ナチの技術も捨てたもんじゃない。
【喪神梨央】
私は何だか嫌です――
機械に管理されているみたいで。

【フリーダ葉】
ごめんなさい、遅くなったわね。
【帆村魯公】
足労そくろう済まないね、フリーダ。
フリーダ、お前さんに一つ頼みだ。
腕の立つ風水師ふうすいしを紹介して欲しい。
【フリーダ葉】
お安い御用よ――
だけど山王さんのう機関の依頼だから、
普通じゃないわよね、当然。
【喪神梨央】
ホテルの前にバーナードチャンという、
風水師ふうすいしが現れたんです。
――アストラルとして……
【フリーダ葉】
そうなんですってね。
バーナードは香港ホンコンの病院よ。
もう八年も眠り続けるの。
彼は風水ふうすいの見立てに失敗したの。
四神獣ししんじゅうが消え去り邪気じゃきに支配された。
彼は邪気じゃきから逃れて自失したのよ。
【帆村魯公】
その思念が帝都満州を彷徨さまよう――
だが彼のお陰で助かった。
セヒラがあふれずに済んだからな。
また再び、気脈を繋いで欲しい。
一ツ橋の憲兵隊本部に。
【フリーダ葉】
つまりバーナード並みの腕前がいる、
そういうことなのね?
――なかなか難しそうね……
でも一人いる――
アンドリューよ。
アンドリューワンというの。
【帆村魯公】
ほう!
それはどのような人物かな? 
【フリーダ葉】
香港ホンコン最高風水ふうすい会議の一員よ。
肺癌はいがんの手術で医者が麻酔をあやまって、
もう二年も意識がないの――
【喪神梨央】
それじゃ、帝都満洲のどこかを、
彷徨さまよっているんでしょうか?
【フリーダ葉】
アンドリューの声やら何やら、
録音とかがあるから、
それらから、波形、割り出せない?
【喪神梨央】
多分できると思います。
声の録音って録音盤ろくおんばんですか?
【フリーダ葉】
うん、まぁ、そのような物ね。
【帆村魯公】
それでは二人、頼んだぞ。
その風水師ふうすいしをどうにか見つけたい。
風魔ふうま、お前は巡視パトロールに出てくれ。
今日の巡視パトロールはどの辺りだ?
【喪神梨央】
銀座方面です――
セヒラの反応も少しあります。
気を付けてください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわいでセヒラを観測します。
この波形、安定しています……
怪人になって長いと思います。
【夢見心地のサラリーマン】
いやぁ、あなた、読みましたか?
興亜こうあ日報の特報ですよ、
桃源郷とうげんきょうの話!
実にロマンがあるなぁ……
蒙古もうこの西、支那シナ新疆シンキョウ省省都、
烏魯木斉ウルムチのさらに西!
蟻走痒感府ぎそうようかんふという、
新発見の都があるらしいです!
そこの臣民しんみんありと共生するんです!
【ロマンチストなモガ】
蟻走痒感府ぎそうようかんふの人々は、
青斑せいはんびた白色陶質とうしつ皮膚ひふで、
火にも水にも強いのですわ。
でも蟻酸ぎさんには弱く、触れると死ぬ、
だからありと仲良くするのですわ。
最も色白で青斑せいはんの多い女王が、
カーンと呼ばれ、みやこ君臨くんりんするのです。
ハァ~想像が膨らみますわ!
【空想家の旦那】
華氏かし財団辺疆へんきょう弁理公司鉄路建設局
臨時調査部隊――
桃源郷とうげんきょうを発見した調査隊ですよ。
辺疆へんきょうの地にこそ未来ありですな!
経度八十乃至ないし八十三度、
緯度四十三乃至ないし四十五度の辺り、
我が桃源郷とうげんきょうはそこにあるのです。
いやぁ、行ってみたいですなぁ。
白楊ポプラの並木の続く道――

〔銀座街路〕

【独逸語専科生】
フォス大佐から銀座で号外、
もらうように言われて来たんだ。
――あなたのこと、大使館で見たよ。
フォス大佐には壮大な計画がある。
なんと、第四帝国建設!
驚いたかい? そりゃそうだろう――
総統フューラーを差し置きの新国家建設ときた。
僕も将来を大いに嘱望しょくぼうされていてね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています。
ホムンクルスではありません!
【独逸語専科生】
僕は独逸ドイツ大使館で働いているんだ。
だから事情に通じている!
君たちも働いてARBEIT自由になればいい!

《バトル》

【独逸語専科生】
沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ語らしきを確認しましたが、
波形から通常の怪人と思われます。
ホムンクルスではありません。

【聖宮成樹】
やはり怪人でしたか!
赤坂で怪力にて人を突き飛ばし、
十番の市電に乗ったのです。
私も銀座への道すがら、付けました。
半蔵門はんぞうもんで十一番に乗り換え銀座へ。
電停からは巻かれてしまったのです。
喪神もがみさんがいらして幸運でした――
この近くの純喫茶じゅんきっさで、
ある人物と約束しています。
喪神さんもご一緒ください。

〔純喫茶青蘭せいらん

【女給鶴子】
あら、いらっしゃいませ~
【聖宮成樹】
あちらの方と待ち合わせです。
【李景明】
殿下!
お早かったんですね。
赤坂の菓子屋は……
【聖宮成樹】
わけあって、今日はしました。
さんにご紹介しようと思い、
喪神もがみさんもご一緒願いました――

聖宮ひじりのみや景明けいめい風魔ふうまを紹介した。は東亜文化調査局の調査員だと自己紹介した。

【聖宮成樹】
さん、こちらの方には、
満鉄調査部と名乗っても大丈夫です。
なにせ参謀本部直轄ちょっかつですから。
【李景明】
なるほど――
それは頼もしい限りです。
【聖宮成樹】
喪神さん、さんは、
北満の発展をたくされ、
種々の調査をなさっておいでです。
【李景明】
喪神さん、私は支那シナ生まれです。
両親は日本人ですが、満洲では、
リー景明チンミンを名乗っています。
近い将来、独逸ドイツは欧州を戦禍せんか
巻き込むに違いありません。
独逸ドイツは全欧州を敵に回すでしょう。

二年前――一九三三年、独逸ドイツではヒトラー内閣が誕生。
同年八月、ヒンデンブルク大統領死去によりヒトラーが独逸ドイツ国家元首に就任した独逸ドイツ欧州ヨーロッパ全域を手中に収めようと目論もくろむ。ソビエトは独逸ドイツにとり後方の脅威きょういである。

【李景明】
日本は欧州の戦争には関わらず、
極東地域を愈々盤石いよいよばんじゃくにし、
揺るぎない構えを築くことです。
【聖宮成樹】
先の世界大戦争では、
青島チンタオに攻め独逸ドイツ退しりぞけました。
今後、独逸ドイツとの関係は如何いかに?
【李景明】
むしろ今後を占うのは露西亜ロシアです。
露西亜ロシアの助長を抑えるべきです。
史大林スターリンは冷酷で強欲な人物です――
それに、露西亜ロシアが唱える共産主義は、
今後、世界の脅威きょういとなるでしょう。
――まるで新宗教のようにです。
露西亜ロシアの南下を防ぐことは、
世界の安全にとってかなめとなります。
とりわけ米国アメリカにとり重要です。
【聖宮成樹】
そのために北満なのですね?
【李景明】
今、北満の発展を進めれば、
日本は国際的にも有利な切り札カードを、
手の内にすることができます。
【聖宮成樹】
独逸ドイツ露西亜ロシアを攻めてもらえば、
北満発展の機会が生まれますね。
露西亜ロシアの勢力が分化しますから――
【李景明】
独逸ドイツは攻めますよ、間違いなく。
我々はN計画を急ぐことです。
【聖宮成樹】
喪神さんも計画に関わります。
【李景明】
そうだったんですね!
参謀本部のお墨付すみつきを得ましたか!
【聖宮成樹】
N計画を阻害そがいする動きがあり、
それをふうじる特務を遂行されます。
【李景明】
帝都の変異に乗じて、
さまざまな動きがあるようですね。
私はまだ日本におります。
殿下、喪神さんのご紹介、
ありがとうございました。
喪神さん、よろしくお願いします。
耳寄りな情報があれば、
すぐお知らせします。
【聖宮成樹】
お気を付けください、さん。
それでは参りましょう、喪神さん。
さんと協力しあえればいいですね。

【女給雪子】
あららぁ~カズさん……
カズさんは、まだよろしいんでしょ?
二人でソーダ水、いかがかしら?

日本橋に用のある聖宮ひじりのみやとは店前で別れた。その後、本部からの着信があった――

【着信 喪神梨央】
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから連絡です。
四谷見附よつやみつけに向かってください。
要請内容はわかりません――

〔四谷見附〕

【帆村虹人】
祇園丸ぎおんまるの香腺を調べて、
大凡おおよその居場所、見当がついた。
【ユリア・クラウフマン】
ヨツヤ、イチガヤ……
この二点から結ばれる三角形ドライエック――
【帆村虹人】
その二点から伸ばして、
丁度、戸山とやまあたりに結ぶ三角形、
その何処どこかにいるはずなんだ。
今、二体のホムが行方知れずだ――
祇園丸ぎおんまるとユリアさんのフロイライン。
彼らの行方不明には、
猟奇倶楽部クラブの一味が関わっている、
そうに違いないんだ。
【ユリア・クラウフマン】
猟奇倶楽部での会話記録に、
フロイラインとおぼしきものを
見つけたんです。
彼ら猟奇人はとても慎重です。
雑誌の編集部住所も次々変わり、
なかなか所在をつかめません。
【帆村虹人】
だが範囲は絞られた――
ユリアさんは市ヶ谷を、
僕は戸山を当たってみる。
風魔、お前は四谷の巡視パトロールを――
ホムンクルスの技術、
漏洩ろうえいする前に防ぎたいんだ。
それにまた犠牲者が出る前にな――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、お願いします。
それでは私はイチガヤへ――

【帆村虹人】
ユリアさんを見ていると、
僕はまるで道草みちくさをしているようだ。
もっと自分に芯をもたなきゃな!
そう言い聞かせているんだ。
――それじゃ、巡視パトロール、頼んだよ!

【渋谷の客】
あら、今の方、女優さんみたいね。
――そういえば、銀座幻燈会げんとうえ
いよいよ活動キネマに格上げですって!
しかもトーキーですって!
――楽しみだわ……
私、トーキー、まだ知らないのよ!

【履物商の男】
あんたは……憲兵とは違うのか?
憲兵と言ったって天麩羅てんぷらもいるって、
それ、本当なのか?
天麩羅てんぷら憲兵……こりゃ傑作けっさくだ!
衣だけで中身は空っぽ……
そう思えば怖くはないな!

下谷区したやくの学生】
帝大の連中、すっかり萎縮いしゅくしたよ。
秋毫しゅうごうは休刊になったと言うし、
特高の巡察パトロール頻繁ひんぱんだし……
たもとを分かった新文民社は、
解体されて跡形もないね。
新文民社の謄写とうしゃ版や美品を並べ、
展示会を開くそうだよ、憲兵隊で。
不敬ふけい反逆分子の実態展だって!

〔四谷街路〕

煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
あのホムンクルスとやらは、
なかなか厄介やっかいなもんですな!
【マントヴァの枢機卿<Ωすうききょうオメガ師】
命令者の言う事しか聞きません。
刷り込みアプドロックがない、刷り込みアプドロックがない、
その繰り返しです。
【東方の黒騎士長Δデルタ師】
前に猟奇倶楽部に、
おいでになりましたわね。
お話しましてよ!
倶楽部の外にいるときは、
正式名を名乗りますのよ、私ども。
倶楽部内ではただの猟奇人ですわ。
【太陽神殿の門番Λラムダ師】
私たちにはホムンクルスが必要です。
一体は確保、もう一体は逃亡中。
帝都にはたくさんいるのに――
全部で四体ほど必要です。
喪神もがみ風魔ふうまさん、手伝ってください。
ホムンクルスの捕獲ほかくをです。
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
倶楽部の高位の会員が、
たってのお願いと頼むのですよ。
【マントヴァの枢機卿すうききょうΩオメガ師】
こちらも刷り込みアプドロックされて、
言うことを聞かないのでは?
そう思いますけど――
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
仕方ないですね。
大司祭に来てもらいましょうか!

【初心の大司祭Γガンマ師】
このあたりはすこぶる危険ですよ。
セヒラが多く漂いますよ。
あなたがこれ以上踏み込まないよう、
私から言い聞かせてあげましょう。

《バトル》

【初心の大司祭Γガンマ師】
――あなたたちは……
そのうちきっと、
協力したくなるはずです、きっと――
【着信 喪神梨央】
巡視パトロール完了の旨、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしに通知しておきます。
こちらでは、
風水師ふうすいしの確認できました!
はらえのに来てください。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
アンドリューワンという風水師ふうすいし
波形が確認できたらしい。
梨央りおのやつ、やけに興奮してな。
何でも小さな活動キネマみたいなものに、
風水師ふうすいしが映っておったと――
【新山眞】
確かに波形はあるのですが、
他の波形と重なっていて、
うまく特定できません。
彼は身動きが取れない状態、
まわりに強いセヒラが漂います。
【帆村魯公】
帝都満洲のどの町かわかるのか?
【新山眞】
中野なかの満洲里マンチュリの方に記録が残ります。
新しい拠点になりますね。
ただ今は――
【帆村魯公】
どうした?
【新山眞】
ミスターワンですが、
今は時空の狭間にあるようです。
喪神さん、ミスターワンふうじるもの、
かなり強いセヒラを発しています。
十分に注意してください。

〔時空の狭間〕

【双子師アストラル】
双子作るなら双子中心ふたごちゅうしんに来ることだ。
双子中心ふたごちゅうしんなら質の高い双子が作れる。
双子の間には通じ合う力がある。
それを鳴力ミンリーと呼んでいる――
まだ本物の鳴力ミンリーは起きていない。
力を秘めた双子がいないからだ!
鳴力ミンリーが起きれば邪気じゃきを自在に操れる。
ここいらも随分と邪気じゃきが強まった。
また陰陽交合いんようこうごうが起きるぞ!
まさかお前が――
せっかくの邪気じゃきはらうつもりなのか!
――それは許さん!
あの風水師ふうすいし共々邪気じゃきに染めてやる!!

《バトル》

【双子師アストラル】
くそっ!
鳴力ミンリーがあれば……こんなことには……

【超級風水師AWアストラル】
ここを解いてくれたのか……
私はまだあの薄暗い病室で、
眠り続けるのだな?
あの光明路コウミョウろの小さな医院の――
手術前夜、ほとんど眠れなかった――
光明劇場クンミンシアターの赤いネオンが部屋を染め、
浅い眠りはすぐ覚まされたのだ。
バーナードがここを出たとき、
すべてのことがわかった……
私にもできることがあると。
その思いを邪気じゃきに察知され、
私は閉じ込められた――
私にはバーナードほどの腕前はない。
準備が必要だ、少し時間をくれ。
セヒラを送って知らせる。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、お兄さん。
フリーダさん、
すごい機械をお持ちなんです!
のぞ絡繰からくりみたいな小箱の中に、
小さな活動キネマが収まっているんです。
てのひらに乗る大きさなんですよ!
そこにワンさんが映っていました。
声もするんです、トーキーです。
しかも総天然色なんです!
あんなの見たの、初めて!
映写機はどこにあるんでしょうか……
――ちょっとびっくりしました。
【帆村魯公】
梨央りおにしては珍しく、
大はしゃぎだったな!
【喪神梨央】
すみません……
【帆村魯公】
いいんだ。
風魔ふうま朗報ろうほうだ、
例の祇園丸ぎおんまる、見つかったそうだ。
戸山とやま衛戍地えいじゅちだそうだ。
【喪神梨央】
よかったですね!
兄さん、戸山に行かれますか?
【帆村魯公】
今日はもう十分だろう。
祇園丸ぎおんまる虹人こうじんらに任せておこう。
まずは風水師ふうすいしだ、風魔。
【喪神梨央】
ワンさん、セヒラで教えると――
中野方面、感度を上げて観測します。

頼みの綱の風水師ふうすいしを探り当てることができた。行方不明の祇園丸ぎおんまるも見つかった。次に向かうは新しい町、中野満洲里マンチュリである。

第七章 第六話 美少年倶楽部

〔山王機関本部〕

聖宮ひじりのみや諸々もろもろの件をたずさえ京都へ向かった。朝九時東京発の特急つばめ号である。車二台という最小の警護であった。

【喪神梨央】
殿下は当然一等ですよね?
【九頭幸則】
何だい、梨央りお、一等がうらやましい?
【喪神梨央】
そんなんじゃないです!
――一等ならよく知ってます。
【九頭幸則】
へぇ、いつの間に、
一等の客になったんだい?
【喪神梨央】
写真で見て知ってるんです。
東京、京都間なら、
特急料金は六円です。
【九頭幸則】
へぇ~
オウルグリルのオムライス、
十二杯分だな!

【喪神梨央】
あっ、ユリアさん!
聖宮ひじりのみや殿下は京都にたれました。
今朝の特急です。
――あれ?
ユリアさん……
どうかしたんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲンが狩りヤークトを、
やめようとしないのです――
【九頭幸則】
彼もしつこいですね!
――今、帝都に、何種類の、
ホムンクルスがあるんですか?
【喪神梨央】
メイド型、執事型、
レーベンクラフト型、そして……
ユーゲント型……ですよね?
【九頭幸則】
ヘーゲンの奴、自分の以外、
みんな敵だと思ってるんじゃ――
きっとそうでしょう、ユリアさん!
【ユリア・クラウフマン】
ユーゲントを目のかたきにしています。
彼の扱う執事型より性能がよく、
それが気に入らないようです。
【喪神梨央】
強いを呼べるということですか?
――性能がいいというのは?
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスの性能は、
その自律じりつ性で決まるのです――
父の助手だったフェラーは、
新しいシュタインの生成に成功しました。
ユーゲントに使われているシュタインです。
ユーゲントの自律係数は三・八。
最高が五なので、かなり高い値です。
【喪神梨央】
自律係数……
そういうのがあるんですね?
【九頭幸則】
ちなみに人間は……
人間の自律係数っていくつですか?
【ユリア・クラウフマン】
八以上です……
もっとも人によりけりですが。
【喪神梨央】
ユリアさん、
今日、狩りはどこで行われますか?
【ユリア・クラウフマン】
ギンザ方面です。
【喪神梨央】
そうですか……
先程からセヒラを観測します。
狩りが原因でセヒラを集めている、
そういう状況かもしれません。
兄さん、念のためです、
巡視パトロールをお願いします。
――ユリアさんは……
【ユリア・クラウフマン】
実は、フロイラインが一体、
行方ゆくえ知れずなんです。
いなくなって時間が経っています――
【喪神梨央】
狩りに巻き込まれたりしていないと
いいんですが――

クルト・ヘーゲンの狩りの影響なのか、銀座界隈かいわいでセヒラを観測するという。探信たんしん範囲をしぼり、銀座二丁目に向かった。

〔銀座二丁目〕

【着信 喪神梨央】
セヒラはそれほどではありません。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ニュースがあります――
その近くに――
美少年倶楽部クラブがあるそうです。
ユーゲントは、
美少年倶楽部に関係している、
そうではないでしょうか?
化野丸あだしのまる
君は祇園丸ぎおんまるの友だちだね!
よろしく、僕は化野丸あだしのまるだよ!
じゃ、これで!

【着信 喪神梨央】
美少年倶楽部は、
あの独逸ドイツ人の医者のヘルマンが、
少年を物色ぶっしょくした場所です!

【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……
確認ベステーティグン
――破壊ツェストゥルンク

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……

化野丸あだしのまる
僕をはさみ撃ちしようとした――
けど、おかしいな……
君に気付いていなかったみたいだ。
自分の前に君がいたから戦った――
僕にはそう見えたよ。
君には助けてもらったね。
話したいこともあるんだ、
僕たちのクラブにお誘いするよ。

〔銀座美少年倶楽部〕

化野丸あだしのまる
ここは僕たちがもてなし役ガストゲバーの店、
お客は皆、あだ名シュピツナームで呼び合うんだ。
しばらくゆっくりしてね、
後で声かけるから!

【ヘル中立売なかだちゅうり
あなたは、新入りですか?
オホホホ、私はここでは中立売なかだちゅうり
そう呼ばれていますな。
皆、京都の通りの名ですよ。
そちらのお方は独逸ドイツ帰りだそうで。
独逸ドイツは美少年倶楽部の本場だと、
そういうじゃありませんか?
オホホホホホ~

【ヘル西洞院にしのとういん
ところで、ヘル蛸薬師たこやくし――
伯林ベルリンは美少年カフェが盛んだとか。
実際、どうなんですか?
【ヘル蛸薬師たこやくし
伯林ベルリンはなるほど本場ですな!
美少年カフェ、実に七十けんです。
紳士ゼントゥルマンは目移りがみません。
【ヘル西洞院にしのとういん
それはうらやましい限りですな!
ぜんたい、制服などはありますか?
【ヘル蛸薬師たこやくし
いい水兵服を着た少年、
幼年学校生徒服をつけたもの、
白粉おしろいをつけてべにをさしたのは勿論もちろん――
赤い細いネクタイにどうを締めた上着、
ズボンはよく折り目立って、
それはそれはもう端正たんせいですな!
【ヘル西洞院にしのとういん
やはりアレですかな、
お客は我々のような――
【ヘル蛸薬師たこやくし
もう少しよわいが行きますな。
白髪、ごま塩、鼻眼鏡――
ほおに決闘のあとのある男も見ました。
【ヘル西洞院にしのとういん
ほう、なかなか豪の者も、
お客にはいるようですな。
アハハハ、愉快にやりましょう!

【ヘル丸太町まるたまち
貴殿はお一人であるかな?
寂しそうにお見受けしたものでな。
この絵は聖セバスチャン殉教図じゅんきょうずだ。
伊太利亜イタリアの画家グイド・レーニ作――
彼はボローニャ派に属する画家で、
ラファエロ風の古典主義的な画風、
それが何よりの特徴だ――
深い陰影と計算された劇的な構図、
レーニはカラヴァッジョの影響を、
強く受けているとされる。
この絵の前に一人たたずむと、
異教徒の神殿に踏み入れたかのごとく、
目眩めくるめく神経の奔流ほんりゅうを体験するのだ。
見給え、矢に射られた肉体を!
肉体の鋼のうちにはたぎる情念をみとむ。
あの刺さる矢をこの手に握れば、
たちま火傷やけどするであろう――
火の痛みはわれぬ快感だ。
死期を迎え、愈々いよいよ溌溂はつらつと輝かんとす、
官能の肉体へのえざる賛美!
何物にもえがたい崇高すうこうさである!
死に対面する時にのみ昇華する美、
それこそ益荒男ますらおの散り際なのだ。
ひ弱な書生の自死とは違う!
傷口から流れ出るのは血ではない、
それは魂のほとばしりなのだ!!
ヒィー、ヒィー……
息が……出来ない……
ヒィー……ヒッ――

化野丸あだしのまる
お待たせしました、
喪神もがみ風魔ふうまさん――
貴方のことを調べました。
問題はないようです。
――ご相談があります、こちらへ。

化野丸あだしのまる
喪神もがみさん、相談したいというのは、
祇園丸ぎおんまるのことなんです。
祇園丸ぎおんまる、この三日ほど、
姿を見ません――
南禅寺丸なんぜんじまる
祇園丸ぎおんまるとはユウラクチョウで別れた。
僕たちはギンザを散策したんだ。
祇園丸ぎおんまる、省線に乗ると言っていた。
化野丸あだしのまる
僕たちユーゲントは、
ある程度自由に行動できる――
存知ぞんじでしょう、そのことは。
上賀茂丸かみがもまる
西京極丸にしきょうごくまるのこともあるし、
心配なんだ、祇園丸ぎおんまるのことが。
僕たちのこと、
良くは思わない人もいるようなんだ。
化野丸あだしのまる
喪神さん――
アーネンエルベで、
祇園丸ぎおんまる香腺こうせん、見つかったんです。
香腺にはいろいろな記録が残る。
調べれば祇園丸ぎおんまるの行動がわかる、
そう思うんです。
祇園丸ぎおんまる捜索そうさくをお手伝いください。
このお願い、大使館を通します。
ただ、捜索そうさくを急ぎたいのです。

【ヘル松ヶ崎まつがさき
おお、わがヒュアキントスよ!
さぁ、始めてくれ――
いつものやつだ。
鳴滝丸なるたきまる
ヘル松ヶ崎まつがさき
おお、アポロンの神、ヘル松ヶ崎まつがさき
【ヘル松ヶ崎まつがさき
そうとも! そうとも!
――私の投げた円盤えんばんは、
ゼピュロスの起こした横風にあおられ、
ヒュアキントス、お前の額を打つ!
嗚呼、私のお前は赤き血を流し、
大地に倒れ伏せる――
鳴滝丸なるたきまる
僕のひたいから流れ出た血、
それは大地を染め、
真紅しんくのヒヤシンスが生える――
【ヘル松ヶ崎まつがさき
倒れたお前を抱きかかえ、
私は大いになげかなしむのだ!
嗚呼、愛しのヒュアキントスよ!!
鳴滝丸なるたきまる
ヒヤシンスの花言葉、
それは悲しみの向こうにある愛――
【ヘル松ヶ崎まつがさき
嗚呼、ヒュアキントスよ!
嗚呼、嗚呼、嗚呼――
私の、私の、私の命よ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
アーネンエルベに、
一人のユーゲントが向かいました。
向こうでは金ノ七号帥士きんのしちごうすいしが迎えます。

行方知れずの祇園丸ぎおんまる香腺こうせんが見つかり、風魔ふうまはアーネンエルベに向かった。

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
ここに来て、
まるで僕は研究者みたいだ。
香腺の解読、二個目だからね!
レーベンクラフト六八三だけど、
何の記録も見つからなかったんだ。
僕のやり方がまずいのかな――
いやむしろセヒラを感じると、
相手構わず反射的に攻撃する、
そう仕込まれているのかも――
祇園丸ぎおんまるの香腺については、
一部しか解読できないんだ。
フォス大佐の命令だよ。
きっと何かに使うつもりだ――

【ゲルハルト・フォス】
コウジンはよくやっているよ、
実に大したものだ。
まさに研究者はだしであるな!
【帆村虹人】
大佐、祇園丸ぎおんまるの香腺、
別な方法で解読するのですか?
【ゲルハルト・フォス】
ユーゲントの香腺はユーゲントに。
そういうことだよ、コウジン。
一体のユーゲントを呼んである。
紫竹丸しちくまると言う名前だ――
紫竹丸しちくまる祇園丸ぎおんまるの香腺を入れ、
その行動を観察する。
それで、いろいろわかるはずだ。
さて、コウジン――
祇園丸ぎおんまるの香腺、その一部をけずり、
そこから何か読み取れたかね?
【帆村虹人】
祇園丸ぎおんまる四谷見附よつやみつけにいました。
その後、どこかに向かった――
そこまでです、わかったのは。
【ゲルハルト・フォス】
十分だ、ヨツヤミツケだな。
そこにレーベンクラフトを派遣する。
露払つゆはらいのようなものだな。
それにしても――
この絵には情緒が不足している。
致命的にな!

【帆村虹人】
紫竹丸しちくまるの準備ができたら知らせるよ。
フォス大佐はああいう人だが、
内心、お前に頼みたいに違いない。
大使館に上げるとも言っていた――
どうする?
四谷見附よつやみつけ、行ってみるか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
戸山とやまの陸軍軍医学校で、
セヒラ観測しました。
軍医学校には、
ヘルマンが収容されています。
――なぜかはわかりません!
【帆村虹人】
ヘルマンか!
ユーゲントを殺した殺人鬼だ。
尋常じんじょうの子供も二人、手をかけている。
奴は少年の胸腺を食う。
さらったユーゲントには胸腺がなく、
腹いせにずたずたにしたんだ!
暴れて手がつけられないと聞くが……
行ってみてくれ。
紫竹丸しちくまるの件は連絡入れるよ!

〔陸軍軍医学校〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし! 
セヒラ、急上昇しています!
周りからセヒラを集めている、
そんな印象です。
警戒してください!

【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カイナインラスです――
わかりますか、立入禁止です。
――キンシです!
なぜ、日本人というのは、
こうも言うことを聞かないんだ!
こんな極東フノースト、来たくもなかった!
僕はローデンブルクに生まれ育った!
中世の宝石ともたたえられる、
ヨーロッパで最も美しい町だ!
波のようにうねる赤い屋根屋根、
窓辺には色とりどりの花がわり、
まるでメルヒェンそのものだ!
それがこんな極東フノーストの小国で、
なぜ哨戒しょうかい任務に就かねばならない!
お前たちは世界から退席すればいい!

《バトル》

【武装SS軍曹】
僕は……帰るんだ……
ローデンブルクに……
うううっ――

【武装SS曹長】
私たちは協力すべきですヴィゾルテン ディ ツーザンマンアルバイツアイン
私たちは協力すべきですヴィゾルテン ディ ツーザンマンアルバイツアイン
アルバイト マハト フロイ!!

稗貫ひえぬき軍医少尉】
お騒がせしました、
けれど、もう大丈夫です。
ヘルマン医師は確かにここにいます。
フォス大佐のご厚意により、
軍医学校の標本として授かりました。
彼には前頭葉白質切截術ロボトミーという、
新しい医療をほどこす予定です。
前頭葉ぜんとうようの一部を切除せつじょすると、
まるで人が変わったかのようになる。
米国アメリカで開発された画期的医療です。
学会誌、健全なる精神五月号に、
くわしい記事がありましたよ。
暴れるチンパンジーの前頭葉ぜんとうよう切截せっさいで、
見違えるほど従順になったとか。
猿で成功です、愈々いよいよ人に試すのです!
何より私の目をいたのは、
その手術に用いる鉗子かんしですね。
雑誌を持って町工場に出向きました。
向島むこうじまの貧しそうな鉄工所が、
見よう見まねで鉗子かんしを作りました。
それが実に見事な出来栄できばえなのです!
もう、すっかり麻酔ますいが効いた頃、
私は手術オペに入りますよ。
【着信 喪神梨央】
今の医者は敵かどうかも不明です。
ヘルマン医師の最後の念が、
周りからセヒラを集めたのです。
日本への配属をこころよく思わない、
あの若い兵士を怪人化させたのです。

上賀茂丸かみがもまる
喪神もがみさん!
紫竹丸しちくまるが出かけました。
コウジンさんの無線機、
具合が悪くて、僕が来たのです。
紫竹丸しちくまるはヨツヤミツケに向かいました。

祇園丸ぎおんまる香腺こうせんを体内に納めた紫竹丸しちくまるは、その香腺こうせん記録に従って出かけた。出かけた先は、四谷見附よつやみつけだという。

四谷見附よつやみつけ

【高等会員Λラムダ師】
私は猟奇倶楽部に入って八年、
まっとうな猟奇人でありたいのです。
あんな異端いたん連中とは付き合えない!
一様いちように黒い頭巾ずきんなんぞを被り、
ヒソヒソと何かを話す。
その声、つたわったのを聞くに――
奴らは愈々いよいよ食人に傾くという。
――なげかわしい、猟奇をいっしている!
ん、そう言うんだろ、
猟奇をいっしているって――
とにかくだ、
私はもう御免被ごめんこうむりたいね!

【高等会員Ωオメガ師】
先程の最高会員Σシグマ師の言葉が、
頭から離れない――
人肉はこれを調理塩梅あんばいすれば
すこぶる美味にて
つ動植物のごと
起死回生きしかいせいの妙薬となし得られる――
【高等会員Δデルタ師】
英吉利イギリスの医者、
ボーネストが書き残したそうです。
【高等会員Ωオメガ師】
まだあるぞ!
人肉の調理方法と、
味わいについて書いてあったと言う。
死せる強壮なる少年の肉
三四ポンドり取り
格好の玻璃器はりきに入れ
これに酒精しゅせい
三四日を経て取り出しこれを塩に
ふたさずして日陰に置き
度々たびたび器のままにて表裏転倒し
く干しぐべし 
実に非常の好味こうみにしてつ良薬なり
【高等会員Δデルタ師】
黒頭巾を被る連中は、
これをけているのです。
しかも、会に入るには、
毎月五円の会費を払えと来た!
あり得ないだろう!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
紫竹丸しちくまるですが移動しています――
現在、青山通を進行中!
墓地に入りました!
紫竹丸しちくまるは青山墓地です、
急ぎ、向かってください!

〔青山墓地〕

【最高会員Σシグマ師】
飛んで火に入るとはこのことです。
あのユーゲントには、
なんと、犠牲ぎせいの精神がそなわる。
実に見上げたものですな――
おや、選ばれしΚカッパ師様、
この闖入者ちんにゅうしゃに何か用ですかな?
【選ばれしΚカッパ師】
お兄さんはリードボーをご存知?
仔牛の胸腺のことですよ――
育ち盛りの仔牛は、
大きな胸腺を持っていますの。
それをワイン煮にするのですわ!
オホホホホホ~
【最高会員Σシグマ師】
流石さすがですな、
階位五十三位ともなれば、
洋行歴ようこうれきも豊富ですな!
私などこれでも階位七十八位です。
まだまだ上があるのです。
ゆえに、今日のことを功績とし、
さらに上を目指すのです。
駆け上るのです!
もう私の邪魔をしないでください!

《バトル》

【最高会員Σシグマ師】
あなたたちは……可哀そうです……
人生を楽しもうとしない……
どうしてですか?

【歩一石川いしかわ少尉】
歩一、石川少尉であります!
参謀本部命により独逸ドイツ大使館まで、
我々で彼の警護にあたります。
青山通に一個小隊が控えます。
独逸ドイツ大使館からも警護の武装SSが。
如何いかがされますか?
【着信 喪神梨央】
ユーゲントの警護はまかせましょう。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしは帰還してください。
公務電車が待機しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さん、ユーゲントの紫竹丸しちくまるは、
無事、アーネンエルベに戻りました。
でも祇園丸ぎおんまる行方ゆくえは、
まだわかっていません。
【ユリア・クラウフマン】
祇園丸ぎおんまるは殺された西京極丸にしきょうごくまる香腺こうせん
見つけて自分に入れたのです。
それで西京極丸にしきょうごくまるを得たのです。
揮発きはつする前に自分の香腺を入れ
西京極丸にしきょうごくまるの記録を写した――
【喪神梨央】
それをアーネンエルベに残した、
そうなんですね?
西京極丸にしきょうごくまるの記憶を伝えるために。
【ユリア・クラウフマン】
祇園丸ぎおんまるは再び、
西京極丸にしきょうごくまるの香腺を入れて、
の記憶を辿たどっているようです。
【喪神梨央】
やはり猟奇倶楽部……
黒頭巾の一派がからんでいるのですか?
【ユリア・クラウフマン】
彼らはユーゲントをさらって、
香腺を食べようとした――
そうじゃないでしょうか。
【喪神梨央】
リードボーって言った人、
あの人、前にも会っていますよ。
仔牛の胸腺のことですよね――
【ユリア・クラウフマン】
イズで殺された西京極丸にしきょうごくまるは、
香腺ではなく胸腺を狙われたのです。
ヘルマンは人間だと思っていた――
【喪神梨央】
それじゃ祇園丸ぎおんまるも、
帝都を出たのでしょうか?
【ユリア・クラウフマン】
自分では帝都を出られないはずです。
西京極丸にしきょうごくまるの香腺に残されている、
行動記録次第ですね。
【喪神梨央】
祇園丸ぎおんまるの波形、あまり標本がなく、
探信たんしんだけでは発見が難しいですが、
努力はしてみます。

猟奇倶楽部の一派とされる黒頭巾の集団。彼らはホムンクルスの拉致らちを試みた。その香腺を求めた――ユリアはそう懸念けねんする。今なお行方ゆくえ知れずの祇園丸ぎおんまる。彼は西京極丸にしきょうごくまるの記憶を辿たどるという。果たしてどこで何を見ているのだろうか?

第七章 第三話 ユーゲント

京都発の夜行で東京に戻った鬼龍きりゅうは、東京駅に待機した歩一の将兵らに連れられ、白山はくさんにある秘密集会所になかば幽閉された。鬼龍の術武伝承を希求する月詠つくよみ麗華れいかとの、距離を稼ぐ措置そちであった。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
麗華さんは、渋谷の青山せいざんホテルと、
清正公せいしょうこう前を行き来しているようです。
でも、その姿を見た者はいません。
歩一の兵ら百人が監視しているのに。

【新山眞】
よろしいですか?
【喪神梨央】
新山にいやまさん!
結界はうまく働いていますか?
思念増幅器で作った結界です。

【新山眞】
品川、目黒、一の橋に設置しました。
この三角形で清正公せいしょうこう前を包囲して、
なんとか収まっています。
セヒラ球が清正公せいしょうこう前に現れても、
そこで思念をることは不可能、
なにせ雑音だらけですからね!
それで肝心の鬼龍きりゅう大尉は、
第一連隊が白山はくさんかくまうのですね。
【九頭幸則】
ええ、歩一秘匿ひとくの集会所です。
住所も電話番号も明かしていません。
――勿論もちろん、俺も知らない……
【喪神梨央】
あれ?
幸則ゆきのりさん、いつの間に出たんですか?
【九頭幸則】
出た?
まるで、ぼっかぶりみたいだな――
最前からこの本部にいたよ!
【喪神梨央】
ええ?
幸則さん、いつの間に、
京都の言い方、覚えたんですか?
【九頭幸則】
――いや……
最近の流行りだよ、流行り!
そんなことより聞いてくれ、風魔よ。
歩一の御荷鉾みかぼ大尉と話したんだ。
大尉は鬼龍と昵懇じっこんの中だった――
鬼龍は機根きこんを備える者は誰か、
しきりと悩んでいたそうだ。
――機根きこんというのは……
【帆村魯公】
機根きこんとはこれまた自惚れだな!
――機根きこん……仏の教えを受ける者の、
器量や素養のことだ。
【九頭幸則】
奴が鈴代すずよに犠牲をいたのは、
その機根きこんを確かめようとした?
――そうなんですか?
【帆村魯公】
わからん!
はばかりなく手を尽くすのだろう。
それで、中尉――
先の御荷鉾みかぼ大尉だが、
――失踪しっそうしたぞ。
【九頭幸則】
ええ?
いつのことですか?
【帆村魯公】
昨日、隊舎の屋上にいたまでは、
確認されておるが――
その後、姿を消した。
【喪神梨央】
お話中、失礼します。
【九頭幸則】
どうしたんだい?
またぼっかぶりでも、出たかい?
【喪神梨央】
山王さんのうホテル前で、
ユリアさんが戦っています!
【帆村魯公】
何?
ユリア嬢が?
【喪神梨央】
はい!
セヒラも急速に高まっています!
【九頭幸則】
行こう、風魔ふうま

〔山王ホテル前〕

ホテル前ではユリアが奮闘ふんとうしていた。ちょうど右翼、左翼にメイド型を展開し、執事型を迎え撃つ格好だった。

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、応戦お願い!
来たわよ!
【メイド型ホムンクルス】
応戦オウセン……了解リョウカイシマシタ!
【ユリア・クラウフマン】
よくやったわ、フロイライン!

【ユリア・クラウフマン】
どうしたの?
――シュタインがまだ馴染なじまないのね……
【九頭幸則】
危ない!
右手だ、ユリアさん!!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、お願い!
なんとか防いで!

【ユリア・クラウフマン】
――フロイライン……
後できちんとするわ。
フーマ――
おそらくヘーゲンよ。
すべての使いと戦うように、
執事型ホムンクルスに、
刷り込みアプドロックをしたみたいなの。
彼はすごく警戒している――
何にそんなに警戒するのかしら?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
再びセヒラ急上昇です!

【執事型ホムンクルス】
――排除アンシュルスする……
戦闘開始カンプビゲン!!
【帆村虹人】
卑怯ひきょうだろ、二人がかりは!

【ユリア・クラウフマン】
コウジン……
あなた――
離れた相手と戦う、
合焦ツイール能力を身に着けたのね……
【帆村虹人】
ははは……
アーネンエルベは科学と魔術の巣窟そうくつ
いろいろあるわけですよ!

【クルト・ヘーゲン】
我が方から、
色々と盗んでいるようだな。
【帆村虹人】
あなたは可哀想なほどに、
自分を憎んでいる――
自分を憎み、人を憎み、
世界を憎んでいる。
憎しみがあなたの力だ、違うかな?
【クルト・ヘーゲン】
自分を憎むのは誰しも同じだろう。
その感情に気付かない振りをする、
それで善人ぶっているのだ。
【帆村虹人】
僕は気付いているさ!
僕は自分が憎い、憎くて仕方ない!
だが、その向こうに救済きゅうさいがある。
【クルト・ヘーゲン】
さとりでも開いたのか?
フフフ、まだ自分を知らないようだ。
合焦ツイールすれば力のおとろえることをな!!
【帆村虹人】
何?

うう……
不意を突かれた……
――風魔ふうま……
【クルト・ヘーゲン】
ホムラの術とはその程度か!
この町でレーベンクラフト型の、
ホムンクルスを見た。
お前たちが扱うのか?
私の許可なく――
なぜレーベンクラフト型を、
この町に放つのだ?
【ユリア・クラウフマン】
サンノウにレーベンクラフトを、
扱う権限はないわ。
【クルト・ヘーゲン】
ほう!
さてはお前が連中に入れ知恵したか?
私のあずかり知らない
レーベンクラフトなど、
ただの阻害要因そがいよういんに過ぎない!
阻害要因そがいよういんは除去しなければな。
お前も同感だろう、モガミフーマ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフ……
お前の成長、目覚ましいものがある。
――だが……不思議だ……
私の中に……
まだ力は残されている――

【賞賛する声】
クルト、ヘーゲン!
ククック、ククック~
郭公かっこう時計が正午を告げます――
【クルト・ヘーゲン】
――何の話だ?
貴様、いったい誰だ?
【賞賛する声】
伏目がちの少年クルトは、
バーデン国家青年団に入隊した。
さぞかし誇らしかったであろう!
のりの効いたシャツ、それにネクタイ。
すべてお前が初めて身に着けるもの。
着古した羊毛のシャツしか知らない
伏目がちの陰気な少年が、
一気に凛々りりしくなったのだ――
【クルト・ヘーゲン】
うるさい!
私の何を知るのだ!
【賞賛する声】
私はお前の全てを知っている。
如何いかにお前が素晴らしいかも!
【クルト・ヘーゲン】
素晴らしいだと?
――何を根拠にそう言うのか?
【賞賛する声】
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
お前は小さな恋をした。
青白き少年ハンスに恋をした――
【クルト・ヘーゲン】
……
【賞賛する声】
ハンスの白くて長い脚に、
細く華奢きゃしゃな指に、腕に浮く血管に、
お前はすっかり魅了された。
ハンスの一つ一つがお前をがした。
あの夏の日のことを、
お前は忘れない――
フルトヴァンゲンにある、
ドナウ源泉近くの小川で、
お前たち二人は水浴をした――
ハンスとは別組のお前は、
その時初めてハンスの裸を見た。
すぐにお前はさとった!
ハンスの背中に縦横無尽じゅうおうむじんに走る、
赤黒い鞭打むちうちのあざを見て!
ハンスの胸にられた、
巨大な十字架の刺青いれずみを見て!
お前は全てをさとったのだ!!
ハンスは父親のなぐさみものだったと。
かつてお前がそうであったようにな!
【クルト・ヘーゲン】
黙れ!!
ハンスは強い男になった!
【賞賛する声】
そうだろう、素晴らしいことだ。
ハンスはナチ党突撃隊員となり、
数々の功績を上げたからな!
共産党員を殺害して手柄を立てた。
だがハンスが憎んでいたのは女だ。
売春婦ばかり六人を殺害した。
いつも手口は同じだった――
売春婦の腹に深々とナイフを立て、
鮮やかな十字架を描くのだ。
【クルト・ヘーゲン】
――奴は道を間違えたのだ。
去年、親衛隊にて粛清しゅくせいされた。
私はサディストではない。
女を殺すなど微塵みじんも考えない。
――私は……
【賞賛する声】
そうだなクルト。
お前は女など憎んではいない、
憎んでいるのはお前以外の全てだ!
お前の名を呼ぼう……
クルト・ククックカッコウ・ヘーゲン!

クルト・ヘーゲンはレーベンクラフト型を討ち倒す狩りヤークトの準備に入った。ユリア・クラウフマンは、メイド型のシュタインを調整するという。虹人こうじん風魔ふうまは赤坂料亭街にいた。

一ツ木通ひとつぎどおり

【帆村虹人】
どうも僕は、
大勢での戦いが苦手なようだな――
一ツ木通にセヒラがあるって、
梨央りおは言うけど――
どうなんだい?
【着信 喪神梨央】
気を付けてください!
セヒラ濃度、高まっています!

【赤坂署の巡査】
往来おうらいの邪魔をする者らがいる、
その通報あって来たわけですが――
この者らに不審尋問ふしんじんもんしたわけですが、
皆、一様に何日も帰っていないやら、
うそぶくわけです――
幻燈会げんとうえの客に一致した言動でして、
引こうか否か、検討しておりました。

半蔵門はんぞうもんの客】
有楽町ゆうらくちょう荘月会館しょうげつかいかん出てから、
もう何日もほっつき歩くのよ。
おかしいわね、ちっとも眠くないし、
お腹もかないのよ――
変でしょ、アタシ、変でしょ?

【レーベンクラフト六八三】
雷……ドナーシュトゥルム!!
ヴィント!!
半蔵門はんぞうもんの客】
はぁ~
これで……帰れますわね……
家にね……

【帆村虹人】
あいつ、お前を捕捉ほそくしたぞ!
ホムンクルスは一旦捕捉ほそくすると、
解除できないんだ――
戦うほかない、風魔!
【レーベンクラフト六八三】
――目標ダスツィル……目標ダスツィル……
――排除!アンシュルス 排除!アンシュルス

《バトル》

【レーベンクラフト六八三】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート
【帆村虹人】
これは……
――アーモンドの匂いがする。
ホムンクルスの香腺こうせんだ――
まるで梅の実のようだな。
今の奴が落としたのだろう。
香腺こうせんを硫酸にひたすと、
模様が現れるんだ。
それで記録を読み解くことができる。
アーネンエルベで試してみるよ。
今の奴がどんな命を受けていたか、
それが判ればいろいろはっきりする。
風魔……
距離を置き、僕は自分が見えた。
――そのように思うんだ。
そして何が大切かも判った。
これは自信というやつかもな――
僕の人生になかったものだ。

一ツ木通ひとつぎどおり

近富士ちかふじの女中】
今日は朝から大わらわね――
丸々、貸し切りなのよ。
何でもナチの偉いさんが来るとかで。
酒屋の西陣屋にしじんやなんか、
シャトーワインの注文受けて、
帝都ホテルに買いに行ったわよ。
一本、三十円もするんですって!
割ったら大変!
さぁ、錦屋にしきやでお菓子買わなくちゃ。

【ゲルハルト・フォス】
君がそうかね……
我がヘーゲン一等召喚師を、
きたえてくれているというのは?
実に心強いことだ、
モガミフーマ!
――楽にしたまえ。
今日はアカサカのレストランで、
晩餐会ばんさんかいがあるという――
ところで君たちは
既に聞き及んでいるだろうか?
我が方に新しい組織が誕生した。
新型ホムンクルスの開発、
セフィラの工業化などを手がける。
例によってやや長い名称だがね――
アーリア人とドイツの超越した歴史・文化がヨーロッパを実存化する――
頭文字はAGKDEA、
最初の三文字でアーゲーカーと呼ぶ。
ミュンヘンにあるナチ党本部、
褐色館ブラウネスハウスの地下を本拠とする――
この国、日本とも、
益々ますます密な繋がりを持てることを、
大いに期待するばかりだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
銀座で怪人同士が戦っていると――
山王下さんのうしたに公務電車を回します。
急行してください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
セヒラ、更に上昇です。
これは執事型です、狩りの状態です!

【執事型ホムンクルス】
狩りヤークト――
標的ツィール……
捕捉エルファスン――

《バトル》

祇園丸ぎおんまる
後ろから来るとはね。
でも大丈夫だよ、
僕が倒した――
君にはお礼をしなくちゃいけない。
僕たちの仲間を殺した医者、
君がたおしてくれたからね。
可哀想な西京極丸にしきょうごくまる――
あの子はシュゼンジの冷たい池に
ゴミのように捨てられた。
西京極丸にしきょうごくまるに酷いことをした奴に、
何とかして報復したい――
でも僕たちにはできないんだ。
僕たちは憎しみという感情を、
ほとんど持たないからさ!
代わりに君がやってくれた。
犯人のヘルマンは本性しで、
監獄かんごくの壁をひたすらなぐるという。
自分の手足の肉をみちぎるので、
すべての歯を抜かれたんだ――
さて、そろそろ行かなくちゃ。
次に会うときは、
君と一戦まじえることになるかも。
その時はよろしくね!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さんを助けた少年、
新型のホムンクルスでした。
【ユリア・クラウフマン】
ミュンヘンのアーゲーカーで開発され、
早速日本に連れてこられたのです。
【喪神梨央】
それって……
フォス大佐と一緒にですか?
【ユリア・クラウフマン】
何体かはレーベンクラフト型と共に、
先遣隊せんけんたいとして来日していたようです。
そのうち一体が殺害された――
【喪神梨央】
殺されたのは……西京極丸にしきょうごくまる……
変わった名前なんですね。
【ユリア・クラウフマン】
キョウトの地名だそうです。
あの子たちは十二石で動きます。
今のところ最も優秀です。
ユーゲント、それが型名です。
レーベンクラフト型は、
フォス大佐の護衛で来ました。
【喪神梨央】
それじゃ……
ユーゲントは何の目的で日本へ?
【ユリア・クラウフマン】
アーゲーカーが性能を試したいのでは……
あそこ、父の助手だった人が、
今は所長に収まっているのです――
ユルゲン・フェラー――
それが助手だった人です……
【喪神梨央】
ユリアさん、何か心配事でも?
【ユリア・クラウフマン】
……
いえ……
少し考えさせてください――

ナチSS親衛隊大佐が来日した。
町は歓迎かんげいムードであったが、隠しようのない不安が随所ずいしょ滲出しんしゅつしていた――

過去の帥士

〔思念空間〕

【帆村虹人】
山王さんのう機関では、
機関員の符号ふごう納音なっちんで求める。
僕は一九〇九年十一月六日生まれ、
納音なっちん路傍土ろぼうど、土の属性だ。
土属性の色は金だ。
だから僕の符号は、金ノ七号帥士きんのしちごうすいしだ。

同じ理屈りくつで、風魔ふうま納音なっちん泉中水せんちゅうすい
水属性の色は黒だから、
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいしとしている。
風魔ふうま納音なっちん泉中水せんちゅうすい陰徳いんとくの性格だ。
人知れず徳を積み、世の役に立つ――
温厚篤実おんこうとくじつで直感力が抜群ばつぐん
言い得てみょうだな――

僕の場合、責任感が強く真面目まじめ
だが融通ゆうずうかず頑固一徹がんこいってつとある。
泉中水せんちゅうすい風魔ふうまとの相性は、
価値観が違うため、たがいを尊重する、
それが発展の秘訣ひけつとある――

確かにそうだな――
あいつと僕とはおおいに違う。

それにしても――
帆村ほむら流をひらいた兄上が白ノ六号帥士しろのろくごうすいし
それ以前にもいたのか、帥士すいしが……
この話、兄上にしても、
よくわからないらしい――
数からすると五人いたことになるが。
過去の機関帥士すいしはどうなったんだ?

豊原とよはら市街〕

麻美マーメイ
明治四十一年、樺太からふと庁が
大泊おおとまりから豊原とよはら町に移転いてんしました。
豊原とよはら名実めいじつともに、
樺太からふとの中心地として、
さかえる基盤きばんができたのです。
以来、市街しがいの整備が進んで、
現在のような整然せいぜんとした街並みが、
誕生したのです。

札幌さっぽろをお手本として、
南北に走る通りには、
東一条ひがしいちじょう西一条にしいちじょうと名付けて、
東西の通りは北一丁目のようになり、
樺太旅荘からふとりょそうなら東三条南ひがしさんじょうみなみ四丁目という、住所表記になります。

豊原とよはら駅から東へ、旭ヶ丘あさひがおかつ、
樺太からふと神社までびる通りは、
神社通りとしょうされています。
洋風建築の商店がのきつらね、
電気ランプの街灯がいとうが並び、
七竈ななかまど並木なみきが秋に色をえます。

北の町外れには旧市街きゅうしがいが残ります。
その大字追分おおあざおいわけの周辺は、
露西亜ロシア流刑人るけいにん開墾かいこんした地域です。

【着信 喪神梨央】
豊原とよはらには赤軍せきぐん兵士が潜入しています。
連中は、樺太からふと奪還を企てています。
特別赤旗あかはた極東きょくとう軍と呼ぶそうです。
間宮まみや海峡を挟んだ樺太からふとの対岸、
ソヴィエツカヤ・ガヴァニに、
本拠ほんきょを置く、第四十八軍です。
皆、怪人化している様子です。
注意してください!

《バトル》

〔思念空間〕

【帆村虹人】
山王さんのう機関の設立は一昨々年さきおととしだ。
兄上と僕はその時から加わる――
それ以前に帥士すいしがいたとなると……
山王さんのう機関じゃない所で活動していた、
そういうことになるな――

独逸ドイツのユンカー博士が、
帝都のセヒラを同定したのが、
その同じ年の一月――
博士の発見から山王さんのう機関設立まで、
二ヶ月少々か……
いくらなんでも早すぎるな。

兄上はこの話をあまりしたがらない。
今度、参謀さんぼう本部に出向いたら、
記録を当たって見るとするか。

僕は時々不安になる――
自分たちは予定されていた存在、
計画されていた存在なのではと――
今、こうして考えていることも、
すべて計画の中にふくまれている、
そんな気がしてくるんだ――

第六章 第七話 時の砂

〔山王機関本部〕

その夜、機関本部にはア―ネンエルベに出向しゅっこう中の虹人こうじんの姿があった。

【帆村虹人】
風魔ふうま、久しぶりだな!
防疫研ぼうえきけんで一騒動だって?
一個小隊がまるまる消えたとか……
これもセヒラ異常なのか?
【喪神梨央】
麗華れいかさんが飛ばされたときと同じ、
少なくとも波形は同じでした――
【帆村虹人】
梨央りお、今日、おかしな波形は、
観察しなかったか?
【喪神梨央】
今日は何も観測していません。
まだ通報もありません。
【帆村虹人】
そうか……
【喪神梨央】
どうかしたんですか?
【帆村虹人】
いや、何でもない――
銀座あたりに兆候ちょうこうがないかと……
ふとそう思った次第しだいさ!
アーネンエルベには探信たんしん技術がない、
そのあたりはこっちが進んでるな!

風魔ふうま、ちょっとロビ―で話そうか。

〔山王ホテルロビ―〕

【帆村虹人】
風魔ふうま……
実は今夜、君影会きみかげかいという、
寄り合いがあるんだ。
鈴蘭女学園すずらんじょがくえんの有志による読書会だ。
招待を受ければ、
学外の人間も参加できる。
会は銀座で開かれる――
僕が参加するのは今夜で二回目だ。
今夜は作家として呼ばれている。
会の最後に顔を出す程度だけど――
【鈴蘭女学生久子】
虹人こうじん先生、お待ちになりましたか?
【帆村虹人】
いや、今来たばかりだ。
紹介するよ、こちら喪神もがみ中尉、
こちら、鈴蘭女学園のにしき久子ひさこさん。
【鈴蘭女学生久子】
初めまして、鈴蘭すずらんにしきです。
作家の白金しろかねこう先生は、
私たちの間では虹人こうじん先生ですの。
【帆村虹人】
久子ひさこさん、君影会きみかげかいは、もう始まった?
【鈴蘭女学生久子】
ええ、予定より二十分も早く!
それで私、円タク使って、
急いでこちらに参りましたの!
【帆村虹人】
それは散財したね!
――だとすると、君影会きみかげかい
そろそろ第一部が終わる頃だな……
【鈴蘭女学生久子】
虹人こうじん先生、やはり咲世子さよこさんは、
今夜は欠席されているようです。
――八重子やえこさんはいらっしゃいます。
【帆村虹人】
聞いてくれ。会の参加者に、
挙動きょどうのおかしなのがいると、
そんな話が伝わっている――
その参加者、下鴨しもがも八重子やえこさんだが、
是枝これえだ咲世子さよこさんにご執心なんだよ。
二人とも鈴蘭の同窓生だ。
咲世子さよこさんは、五反田ごたんだ大崎おおさきの、
是枝これえだ大佐の娘さんだよ。
風魔ふうまも会ったことあるだろ?
咲世子さよこさんとは雑誌オフィリアの
投書欄とうしょらんで知り合ったんだ。
互いに文通相手を求めていたから――
ねぇ、久子ひさこさん、
八重子やえこさんがおかしくなったのは、
前回の君影会きみかげかいの後なんだって?
前回、どんなお題だったんだい?
【鈴蘭女学生久子】
はい、小川おがわ未明みめい先生の、
人魚と蝋燭ろうそく、眠い町の二つです。
【帆村虹人】
読書会の最中は、
何も問題なかったんだろ?
【鈴蘭女学生久子】
ええ、いつも通りでした。
ただ――
八重子やえこさんは……
八重子やえこさん、はかま姿で来られたんです。
卒業されて、確か五年……
もう在校生ではないのです!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、どちらですか?
銀座方面、セヒラ確認です。
本日、二度目となりますが、
巡視パトロ―ルお願いします。
【帆村虹人】
銀座にセヒラ!
もしや君影会きみかげかいの会場か!
僕たちは君影会に行く。
風魔ふうま、お前は銀座に向かってくれ。
――今は同行はできないんだ。

〔銀座四丁目〕

【京橋署の巡査】
過日、銀座幻燈会げんとうえの客が、
大勢、繰り出しましてね――
何でも有楽町ゆうらくちょう荘月会館しょうげつかいかんで、
開かれたと言うじゃないですか!
あそこ、千人は入りますよ!
連中が騒ぎを起こすのは、
過去の事例からもう少し先でしょうが
人手不足で頭が痛いんです。
【鈴蘭女学生美代子】
八重子やえこおねえさま、やぶからぼう
どうされたんでしょうか?
かずさん、お心当たりあって?
【鈴蘭女学生和子】
前の君影会きみかげかいの帰りに、
有楽町ゆうらくちょうの待合室で、小説の眠い町に
そっくりな体験をしたんですって!
【鈴蘭女学生美代子】
皆が眠りこける古い町の話でした――
町を訪れた主人公の少年は、
その町で一人の老人に会う。
【鈴蘭女学生和子】
老人はなげくのですわ――
新しい人間がやって来て、
私の領土をみんな奪ってしまった。
【鈴蘭女学生美代子】
いまの人間はすこしの休息やすみもなく、
疲れということも感じなかったら、
【鈴蘭女学生和子】
またたくまにこの地球の上は
砂漠となってしまうのだ。
【鈴蘭女学生美代子】
――老人は疲労の砂を取り出すの。
それは人を疲れさせる砂。
少年は砂をくよう頼まれます。
【鈴蘭女学生和子】
疲労の砂で人間を疲れさせれば、
町はこれ以上、開発されない――
そんなお話ですわ。
【鈴蘭女学生美代子】
――それで八重子やえこおねえさまったら、
どんな体験をなさったの?
小説に似た体験って。
【鈴蘭女学生和子】
待合室で居眠りして目が覚めると、
時間が戻っていたというの。
三度も繰り返したんですって!
【鈴蘭女学生美代子】
それでなの……
時よ戻れぇ~時の砂だぁ~って、
頓狂とんきょうな声を上げるのね!
八重子やえこさんが巾着きんちゃくに持つ砂、
あれはどういうのかしら?
【鈴蘭女学生和子】
三度目の居眠りから覚めたとき、
一人の紳士しんしが時の砂をくれたって、
砂で時が戻るとか言うのよ。

【日台製糖の課長】
おい!
さっきのはかま、あんたらの仲間か!
【鈴蘭女学生美代子】
何ですの、急に!
かずさん、お気を付けて!
【鈴蘭女学生和子】
美代みよさんもよ!
【日台製糖の課長】
私は聞いているんだ!
――私に何かを振り掛けた……
ああ、あの日がやってくる!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です。
注意してください!

【日台製糖の課長】
ああ、来る来る! あの日だ!
また繰り返すのか、あの屈辱を――
――あんな奴に……くそっ!!

《バトル》

【日台製糖の課長】
お早うございます、部長。
今日は三月十八日、月曜です。
私はこれより本社の運輸係長の元へ。
――戻りは……
遅くなるかも知れません……
謝罪報告、今夜中に上げておきます!
【着信 喪神梨央】
今の人、謝りに行くんですね。
しかも本社にいる目下めしたの係長に――
それを繰り返しているようです。
八重子やえこという同窓生がいている、
時の砂、何だか怪しいです。
付近を調べてください。

〔銀座四丁目〕

【鈴蘭女学生久子】
喪神もがみさん!
大変です、虹人こうじん先生が――
虹人こうじん先生が時の砂を掛けられ、
妙なことになりました!
虹人こうじんさんが君影会きみかげかいの会場に入るや、
八重子やえこさん、一目散いちもくさんに走り来て、
先生に砂を掛けたのです!
時よ戻れ、時よ戻れって叫び、
手にした巾着きんちゃくから砂を先生に……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認!
先ほどと同じ波形です。

【帆村虹人】
風魔ふうま
ここで、何してる?
僕は……
だめだ!
――ああ、またあの朝が来るのか!
風魔ふうま、今日は何日だ……
いや、今は、何月……違う!!
何年なんだ、何年何月なんだ?

冬の朝、僕は道場の風呂場にいた。
更衣室こういしつに小さな鏡があった――
鏡の前で僕は左胸に小刀を――
切り落とすなんて考えはないさ、
しるしを刻みたかっただけさ、いましめのね!
僕のあずかり知らぬところで、成長を続ける体にいましめのしるしきざむ――
そうでもしないと自分を保てない、
刀に力を込めたその時、
不意ふいに物陰から梨央りおが現れた――
彼女が更衣室にいたなんて!
彼女は全てを一瞬で理解したよ。
――そして梨央りおは僕に触れた……
僕たちはしばらく向き合っていた。
そして互いの体を抱きすくめた。
一糸いっしまとわぬ姿で――

決して忘れたい過去じゃない。
むしろ僕の原点だ――
けれど……
今夜、同じ朝を二度も体験した。
そして……
――また体験しようとしている!
何度もるものじゃない、
そうだろ! これは原点だ!
――そういうのは、一度きりで……

《バトル》

【帆村虹人】
風魔ふうま……済まない……
――僕は……
自分の原点さえ疑っていたのか?
僕は今、混迷の中にいる!
――自分がわからなくなっている!
風魔ふうま
あとは頼んだぞ!

【着信 喪神梨央】
虹人こうじんさん……
兄さん――
兄さんに話していないことが、
あるんです……
だけど、今は、八重子やえこさんです、
彼女を追ってください!
下大崎しもおおさき是枝邸これえだていに向かいました!

是枝宅前これえだたくまえ

【鈴蘭女学生八重子】
どうしてですの、
咲世子さよこおねえさま!
【是枝咲世子】
八重やえちゃん、
私たち、卒業したのよ。
いつまでも女学生じゃないのよ。
【鈴蘭女学生八重子】
私のおねえさまが、
あの新進作家の虹人こうじん先生に――
それを見るのが辛いのです!
【是枝咲世子】
あら、八重やえちゃん、
それは思い過ごしというものよ。
【鈴蘭女学生八重子】
違います!
おねえさまは好きな人の前で、
またたきが増えるのです。
私はそれを見逃しませんでした!
小川おがわ未明みめいの読書会の夜です!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
高いセヒラの値です!
【是枝咲世子】
喪神もがみ……中尉……
――どうしてここへ?
【鈴蘭女学生八重子】
お前!
私の後をつけて来たな!
時よ戻れ、時よ戻れぇ~
【是枝咲世子】
八重やえちゃん、すのよ!
この方は虹人こうじんさんの――

麻美マ―メイ
喪神もがみさん……
なんとか食い止められました。
あなたがあの日に戻るのを――
戻っていけないのではありません、
せっかく修練しゅうれんを積んだのに、
それが駄目になるおそれもあって――
八重子やえこさんは、おねえさまとしたった
咲世子さよこさんが、新参の虹人こうじんさんに
好意を寄せるのが辛いみたいです。
咲世子さよこさんは軍人の娘だけあって、
何でも自分で決めるタイプですね。
一度決めたら、変えないところも――
だからこそ、八重子やえこさん、
時間を戻したいのでしょうね。
でもそれでは秩序を乱します――

是枝宅前これえだたくまえ

【鈴蘭女学生八重子】
覚悟はいいか、喪神もがみ風魔ふうま
お前は弱き少年同様だ!

《バトル》

【鈴蘭女学生八重子】
はぁ、はぁ、はぁ……
――私の……負けだ……
もう時間は戻らない……
戻った分だけ先に進む、
時の砂を寄越よこした紳士しんしはそう言った。
私は……
何十年と年老いてしまうだろう。
あああ、いやだ、老いたくない!!
……嫌だぁぁぁ~

【是枝咲世子】
八重やえちゃん、結婚に失敗して、
以来、私のところに、
よく顔を出すようになりました。
私たちは仲良しでしたが、
もう女学生時代には戻れない――
八重やえちゃんもやがて気付くでしょう。

喪神もがみさん、私は父を手伝うのです。
ナチ独逸ドイツ猶太ユダヤ迫害はくがいを計画し、
いよいよ予断を許しません。
大連ダイレン特務機関の中条忍なかじょうしのぶさんとは、
頻繁ひんぱんに連絡を取り合って、
N計画を支援していきます。
満洲への猶太ユダヤ人入植が成功すれば、
世界から資金や人材が集まり、
満蒙まんもうの地は盤石ばんじゃくとなります。
でもN計画は乗っ取りの危機にあり、
喪神もがみさんたちの協力が必要です。
またご連絡差し上げると思います。
――虹人こうじんさんにも、
よろしくお伝え下さい。
今晩はお話が聞けなくて、
残念でした――

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん――
虹人こうじんさんのこと、
話していなくて申し訳ありません。
どう切り出していいか、
迷ううちに時間が過ぎてしまい、
話す機会を失ったのです。
【帆村魯公】
わしは何も知らなんだ。
変な言葉遣いは今流かとばかり……
虹人こうじんの奴……
【喪神梨央】
隊長はそれでいいんです。
虹人こうじんさん、本当はこうって言うんです。
そうですよね?
【帆村魯公】
ああ、そうだ、元はこうだ。
改名するというので相談に乗った。
改名と言っても、
こうに人を付け足しただけ、
それで虹人こうじんになったんだ。
奴が尋常じんじょう五年のときのことだ。
難しい問題だが、
おりを見て話をしてみよう――
【喪神梨央】
私たちが知っている虹人こうじんさんは、
この先もずっと変わりません――
そうですよね、兄さん!

【九頭幸則】
夜分、遅く失礼します。
歩一の九頭くずです。
【喪神梨央】
あら、まだ寝ないんですか、
幸則ゆきのりさん。
【九頭幸則】
何だよ、今度は子供扱いか?
さっき聞いたんだけどさ、
銀座の怪人、召喚小隊が鎮定ちんていしたぞ。
風魔ふうま、何か情報なかったのか?
【喪神梨央】
そうなんですね!
まだ残っていたんですか、怪人。
山王さんのう機関も出動したんですよ。
【九頭幸則】
そうか! そりゃ失礼!
何でも時間の粉を振りかけられて、
怪人になったんだってね。
【喪神梨央】
時の砂です。
記憶を呼び覚ます効力があって、
人によっては怪人化するんです。
【九頭幸則】
その出処でどころは、どこなんだい?
【喪神梨央】
鈴蘭出身の女性が手に入れました。
元上級生との関係を断ちたくなく、
時の砂を使おうとしたのです。
【九頭幸則】
上級生との関係ねぇ……
そういうの、あるのかい、普通?
【喪神梨央】
らしいですよ。エスと言います。
シスターのエス、女学生同士が、
擬似ぎじ恋愛におちいるみたいなことです。
【九頭幸則】
おちいるって……
梨央りおちゃんは関心なさそうだね。
【喪神梨央】
ええ、まぁ……
私には縁のない世界ですから。
八重子やえこさんに時の砂を渡したの、
いったい誰なんでしょうか……
これは調査が必要ですね。

図らずも垣間見かいまみえた虹人の出自しゅつじ。彼はアーネンエルベの水が合わないのか、このところ不調が続いていた――

第六章 第二話 漸進的交換

〔山王機関本部〕

梅雨つゆも明けやらぬこの日、湿気しけった空気によど山王さんのう機関本部に晴れやかな声が響いた。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます、皆さん!
今日からお世話になります、
ユリア・クラウフマンです。
【喪神梨央】
ユ、ユリアさん!!
――じゃ、本当だったんですね、
ユリアさんと虹人こうじんさんの交換って……
【帆村魯公】
そんな頓狂とんきょうな声を上げんでも。
――ああ、そうだ、交換だ、
言わば漸進ぜんしん的交換だな!
【喪神梨央】
虹人こうじんさんは、納得されたんですか、
アーネンエルベ行きを?
【帆村魯公】
するもしないも、決まったことだ。
――もうじき、来るだろう。

【帆村虹人】
遅くなりました!
――あっ、ユリアさん、
もういらしていたんですね!
【ユリア・クラウフマン】
はい!
何だか気持ちがいてしまって!
【喪神梨央】
でも……落ち着きません!
だって……
【帆村魯公】
まぁ、梨央りおの言うこともわかる。
なにせ帝都を舞台としたどもえ勢力、
その一員であるわけだからな!
【喪神梨央】
……
【帆村魯公】
具申ぐしんしたのはわしだが、
計画を決定したのは参謀本部だ。
橘宮親王たちばなのみやしんのうからじかに伝えていただいた。
【ユリア・クラウフマン】
ユンカー局長も、
この交換計画には前向きです。
ただ――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲン、クルト・ヘーゲンは、
交換など絶対に認められないと、
強硬きょうこうに反対し続けました。
本国の同意はでっち上げだと、
SS親衛隊本部をはじめ、
国家保安本部や作戦本部、
挙句あげくには親衛隊人種管理部にまで、
確認の電報を打っていました。
【喪神梨央】
人種管理部!
【ユリア・クラウフマン】
ええ、あるのです、そういう部署が。
――結局、ヒムラー長官の秘書から、
親衛隊本部の決定と知らされて――
【帆村虹人】
でもまだ、完全には納得していない、
そんな感じですかね。
【喪神梨央】
そんな!
虹人こうじんさんを敵陣に送るような、
そんなことできません!!
【帆村魯公】
何も仲良くしようと言うのじゃない。
帝国陸軍参謀本部とナチ親衛隊本部、
その両者の利益を考えてのことだ。
ユリアさんの技術、
我が方にも大変有用だ。
【ユリア・クラウフマン】
サンノウの召喚術、それに、
強いセフィラを扱う技術、
私たちにもすごく魅力的です。
【喪神梨央】
ユリアさんの技術って、
ホムンクルス、ですよね?
人間と同じくらいに利口りこうなんですか?
【帆村虹人】
ホムンクルスは自我を持つとか、
そういうことかな、
梨央りおの知りたいのは?
【ユリア・クラウフマン】
自我はありません――
ホムンクルスはシュタインの数で
その自律性が決まってくるのです。
【帆村魯公】
シュタイン
さては鈴代すずよ女史が拾ったあの石ですか?

以前、ゴエティアの偽典を狙い、若松町わかまつちょうで待ち伏せを受けた際、鈴代が拾った不思議な石である。

【ユリア・クラウフマン】
シュタイン、こちらにもあるのですね。
そうです、シュタインの数、四の倍数です。
フロイラインは四石で動いています。
【喪神梨央】
この間、麹町こうじまちに現れた、
レーベンクラフト型ホムンクルス、
あれは何石ですか?
【ユリア・クラウフマン】
八石です。自律性が高く、
管理者がいなくても活動できます。
本国から送り込まれました――
【帆村魯公】
ほう! それではユリアさんの、
管理外ということですな!
【ユリア・クラウフマン】
そうです。
レーベンクラフト型は開発途上です。
クルトの扱う執事型も八石です。
【帆村魯公】
なるほど!
いろいろとあるわけですな!
日本製もぜひ開発したいところです。
【喪神梨央】
そろそろ巡視パトロ―ルの時間ですが……
どうされますか、ユリアさん?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、お邪魔じゃなければ、
是非ぜひ、同行させていただきたいです。
――フーマの召喚術……
【喪神梨央】
実は八分課ハチブンに通報があって、
目黒めぐろで怪人を見たと。
強いセヒラは観測しませんが……

〔山王ホテル前〕

【帆村魯公】
梨央りお、通報は目黒めぐろだと言ったな?
目黒めぐろで怪人目撃なんだな?
【喪神梨央】
はい、省線目黒めぐろ駅の近くだとか。
【帆村魯公】
ではユリアさん、
風魔ふうまと同行してください。
山王さんのう機関の公務随行ずいこう任務です。
【ユリア・クラウフマン】
ありがとうございます。
――フーマの召喚、
そばで見られるのですね!
【喪神梨央】
公務電車、使いますよね?
【帆村魯公】
手配を頼む、梨央りお
さて、虹人こうじん、お前は独逸ドイツ大使館だ。
アーネンエルベには連絡済みだ。
【喪神梨央】
ほんとうに良いんですか、虹人こうじんさん。
【帆村虹人】
僕の中には冷まさなきゃいけいない、
そういうものがあるんだ――
冷まして固めなきゃならないものが。
ここから独逸ドイツ大使館へは、
公務電車、出ないよな、梨央りお
【喪神梨央】
ちょうど円タクが来ていますよ。
車なら十分もかかりません。
【帆村魯公】
虹人こうじん、週に一度は帰って来い。
いろいろ報告を聞きたいからな。
【帆村虹人】
承知しました、
帰朝きちょう報告を上げさせていただきます!

それじゃな、風魔ふうま
お前はお前だ、ずっとな!
――変わっちゃだめだ……

【喪神梨央】
ユリアさん、兄さん、
公務電車を手配します。
目黒めぐろまではちょっと遠回りですが、
赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばし清正公前せいしょうこうまえを経由、
省線目黒めぐろ駅前に向かう経路です。

武蔵野むさしの台地を細長く削るように流れる目黒川。省線目黒駅は、崖の西南端に位置していた。省線、目蒲めかま電鉄は崖の切通の中を走る。

〔目黒駅前〕

【着信 喪神梨央】
大崎広小路おおさきひろこうじにある三探で
ぎりぎり探信たんしんできる辺りに、
強いセヒラを観測しました。
これまで特に観測されなかった場所、
何があるかわかりません。
注意してください。
【ユリア・クラウフマン】
やはり、そうなんですね。
広範囲にセフィラを探信たんしんできる技術が
確立しているのですね。
同じこと、
ドイツでも試みましたが――
成功と失敗とを繰り返すばかり。
【曇った目をした書生】
殺すくらゐ 何でもない
と思ひつゝ人ごみの中を濶歩かっぽして行く
【ユリア・クラウフマン】
……
フーマ、どうしますか?
【曇った目をした書生】
誰か一人
殺してみたいと思ふ時
君一人かい………………
【ユリア・クラウフマン】
何か危険なものを感じます!
【曇った目をした書生】
………………と友が来る

《バトル》

【曇った目をした書生】
――ぜんたい僕はどうしたんだい? 
一寸ちょっとばかし自失したようだね。
蒸し暑くって神経が参っちゃった!

【ユリア・クラウフマン】
セフィラの影響が浅かった。
そういうことなんでしょうか……
ちゃんと廓清かくせいされましたね。

【出張帰りのサラリーマン】
人をいた電車
その中では
赤ン坊が
――まだ続きがあるような、
そんな気がします。
いや、気がするだけですが……
実はね、生糸きいとの仕事で来たんですが、
早く終わったんで麦酒ビールを一杯……
そしたら、頭ン中で声がする――
【ユリア・クラウフマン】
それが、今のですか?
あの詩のような――
さっきの学生さんも……
【出張帰りのサラリーマン】
ついね、口ずさんでしまいました。
あっ、じき汽車の時間です。
私はこれにて――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、この辺り、
やはり何かあるかも知れません。

【話し好きのお手伝い】
私、粗相そそうばっかりするんです。
いつも奥様におしかりを受けて……
あら、西洋のお方!
珍しいわ、小石川こいしかわの方じゃあまり
西洋の方、おいでじゃないんですよ。
そうそう、せんだってのことです、
私、大きな洋皿を落としてしまい、
そのお皿、割れちゃったんです。
綺麗きれいなカナリアの絵のお皿――
カナリアのところで真っ二つに!
【ユリア・クラウフマン】
大丈夫ですか?
あなた、汗がたくさん……
【話し好きのお手伝い】
カナリアの割れたところから
血しほちしおしたゝる
…………
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、私、この方を、
安全な場所へお連れします。
【着信 喪神梨央】
三探の探信たんしんだと、
省線の駅より内側の、
海軍大学の方面が安全です。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
権之助坂ごんのすけざかの方へ向かってください。
強いセヒラ反応です。

権之助坂ごんのすけざか

金梅きんばい女学園の教師】
今朝方、一人の書生しょせいさんと会い、
それ以来、言葉が浮かぶんです――
こういうんですよ、
一瓶ひとびんの白き錠剤
かぞへおはり
窓の青空じつと見つむる
錠剤というのがね、何なのか……
姉はカルモチンをよく飲みますが、
私は寝付きがいいんで飲みません。
ああ、まただ、来た来た、来ました、
あなた、また言葉が浮かびましたよ。
今日は何だか盛況ですな!

カルモチンを紙屑籠くずかごに投げ入れて
又取り出して
ジツと見つめる

まるで言葉がですよ、
私を支配したがっているような、
そんな印象です――
しかし妙なこともあるもんです。
これまでどんなに頭をひねっても、
言葉一つ浮かばない時のほうが――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人物にセヒラは観測されません。
特に問題ないようです。
金梅きんばい女学園の教師】
もう大丈夫です。
私、近くの高女こうじょの教師なのです。
今日は散歩にははなはだ不向きですね!

権之助坂ごんのすけざか

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、さっきの方は安全な場所へ。
お使いで目黒めぐろに来て、急に、
お皿のことが頭をよぎったとか。
お皿を割ったことはないそうです。
【洋裁学校の生徒】
あらこんにちは!
ねぇ、西洋の方って
ドレスをよく着るんですか?
【ユリア・クラウフマン】
私はそうでもないけど……
――ねぇ、あなたはなんともないの?
変な声がしたりしないの?
【洋裁学校の生徒】
変な声……
それって今日のことですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、まぁ、今日じゃなくても……
この辺りでということだけど。
あなたは近所の人ですか?
【洋裁学校の生徒】
いえ、大森おおもり区です。
省線の海岸駅近く――
代々漁師で家族は色黒なんですよ!
【ユリア・クラウフマン】
え?
肌の色のことですか?
 【洋裁学校の生徒
うふふふ、そうよ、
決まってるじゃない!
あなたはとっても色白ね……
【洋裁学校の生徒】
色の白い美しい子を
何となくイヂメて見たさに
仲よしになる
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、また危険を感じます!
【洋裁学校の生徒】
何者かころい気持ち
たゞひとり
アハ/\/\と高笑ひする

《バトル》

【洋裁学校の生徒】
あらこんにちは!
ねぇ、西洋の方って
ドレスをよく着るんですか?
【ユリア・クラウフマン】
――ええ、常にドレスです。
昼と夜とで着替えもします。
あなたは違うのですか?
【洋裁学校の生徒】
嬉しいです!
今度、私のったドレスを、
ぜひ着てみてくださいな!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから要請です!
至急しきゅう広尾ひろおに向かってください!

〔広尾街路〕

虹人こうじんからの要請とのこと、ユリアと風魔ふうま広尾ひろおに向かった。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、ここはヒロオですね。
セフィラが強くなっていますか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
それと……
えーっと、セヒラ観測ですよ!
【不安症の法科生】
新宿旭町あさひまちでの集団自殺、
アナーキストだったらしいです……
我が校にも似た動きがあります。
関係のない僕たちまで、
特高に逮捕されたらどうしよう……
田舎いなかの両親に顔向けできなません!
うわさですけど、本郷ほんごう署の地下には、
この春、拷問室ごうもんしつが作られたそうです。
帝大生を狙い撃ちするのだとか――
日台交易にったいこうえきのサラリーマン】
ここはいつの間に、
花の銀座になったんですかね?
カフェの女給らしきが、
その辺を彷徨さまよっていましたよ!
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
あれを……
我がフロイラインです!

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、どうしましたか?
――なぜ、ここにいますか?
【メイド型ホムンクルス】
フーマ……確認……
計算計算……攻撃アングリフ対象……
攻撃……開始シュタ―トスル!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
誰に刷り込みアプドロックされたのですか?
――聞いていますか?
【メイド型ホムンクルス】
攻撃アングリフ……攻撃アングリフ……
開始シュタートスル!!

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
……目標……
解除スル……
【ユリア・クラウフマン】
ごめんなさい、フーマ!
フロイライン、かなり強力に、
刷り込みアプドロックされていました。
【着信 帆村虹人】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、いるのか?
僕だよ、金ノ七号きんのしちごうだよ。
そこで戦闘があったんだな!
【ユリア・クラウフマン】
その声は……コウジンですね!
彼は近くにいるのですか?
ドイツ大使館に向かったはず――
【帆村虹人】
僕は近くにいるさ!
ここは梨央りおから聞いたんだな?
僕に問い合わせがあったからな。
山王さんのうホテルから円タクに乗り、
独逸ドイツ大使館へ向かったんだ。
【ユリア・クラウフマン】
アーネンエルベに向かったんですね。
それで、どうしましたか?
【帆村虹人】
途中、文相官邸のあたりで、
二体のホムンクルスに襲われたんだ。
まるで待ち伏せだよ。
【ユリア・クラウフマン】
え?
それは……
私のフロイラインですか?
【帆村虹人】
わからないさ!
僕は戦わなかったんだ――
ちょうど三宅坂みやけざかの方から、
市電が来たから乗降口に飛び付いた。
うまくホムンクルスを巻いたんだよ。
【ユリア・クラウフマン】
そのフロイラインが、
ヒロオに来たのですね?
【帆村虹人】
おそらく、そうだよ。
ということはもう一体いるな!
【ユリア・クラウフマン】
――感じます……
フロイラインが来ます。
【帆村虹人】
どうする、風魔ふうま
戦うのか?
【ユリア・クラウフマン】
いえ、刷り込みアプドロックを解く方法、
見つけたのです。
【帆村虹人】
へぇ、そんなこともできるのか!
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスの香腺こうせんに、
水銀注射をします。
それで刷り込みアプドロックが解けます。
【帆村虹人】
香腺こうせん
何だか聞き慣れないけど。
それって体の器官なの?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、ホムンクルスにだけあります。
香腺こうせんは指示を記録する器官です。
脳に近いですが記録だけします。
【帆村虹人】
水銀注射で香腺こうせんの記録を消すのか。
――なるほど、興味深い。
【ユリア・クラウフマン】
それでは――
少し時間をください。

【ユリア・クラウフマン】
この子は刷り込みアプドロックが解けました。
もう大丈夫です。
【帆村虹人】
やれやれだな――
僕がアーネンに行くって、
それ、周知のことなんだよね?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、ユンカー局長からは、
そのようにうかがっていますが。
【帆村虹人】
それじゃ、なぜ、ホムンクルスが、
僕を迎え撃とうとするんだい?
【ユリア・クラウフマン】
全てのホムンクルスを、
調整していないおそれがあります。
そこは手落ちです、おびします。
【帆村虹人】
全てって……
一体、いくつあるんだい、
おたくのホムンクルスは?
【ユリア・クラウフマン】
四百八十ニ体です。
そのすべてをこの帝都に持ち込み、
調整を重ねました。
【帆村虹人】
よ、四百?
じゃ、僕たちが戦っていた怪人も、
中にはホムがいたんじゃないか?
【ユリア・クラウフマン】
ほとんどのホムンクルスは、
ドイツ大使館の倉庫にあります。
【帆村虹人】
それじゃ僕はアーネンに行って、
大丈夫なんだね?
【ユリア・クラウフマン】
念のため、私も同行します。
フーマ、私、コウジンと、
ドイツ大使館へ行き、
その後、サンノウに戻ります。
【帆村虹人】
風魔ふうま……
せっかくお別れしたのに、
ちっともサマにならないね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし広尾ひろお界隈かいわい
セヒラは観測されません。
本部に帰還してください!

ユリアと虹人こうじんは大通りで円タクを拾い、独逸ドイツ大使館へと向かった。