第九章 第十二話 冬至の朝

太陽は蛇遣へびつかい座の南西から東に移動して、愈々いよいよ射手座に入る――
明日、午前3時37分には冬至を迎える。日の出は6時47分、日の入り4時32分――
この1年で最も昼の短い日となる。

〔山王ホテルロビー〕

心なしか普段の年に比べクリスマスの飾り付けも控えめな山王ホテルロビー。
12月22日、日曜日の夜ということもあり、客の姿はなかった。
役所からの要請もあり、レストラン等の夜の営業時間は9時までとされていた。

【喪神梨央】
兄さん――
無理を言ってすみません。
どうしてもお話したいと――

ガランとしたホテル玄関から、新山和斗が足早にやって来た。

【喪神梨央】
新山にいやまさん――
【新山和斗】
僕の記事、すごい反響ですよ!
新しい世界が生まれるという――
編集でも大騒ぎです。
【喪神梨央】
新山さん、
どこからそういうネタを?
【新山和斗】
いやね、兄貴のメモにね、
アタラシキアメツチヒラカレリ――
そうあったものですから。
【喪神梨央】
メモに書いてあったんですか?
【新山和斗】
鉛筆の跡がね、へこむじゃないですか、
それをなぞって見ると文字が……
フフフ、僕は抜け目ないですよ!
【喪神梨央】
そんな落書きだけで、
興亜日報に特報打ったんですか?
【新山和斗】
きっかけは小さなことでもいい、
事件とはほぼそういうものです。

――それで……
誕生するという新世界に、
我々も行けるわけですか?
それとも選別がなされる――
そもそも新世界は、
この地上に生まれるのですか?
それとも……
【喪神梨央】
あんなに報じておきながら、
よくわからないわけですか?

山王機関本部から新山眞がやって来た。
手に風呂敷に包んだ箱のようなものを持っている。

【新山和斗】
兄さん!
さては兄さんも――
【新山眞】
和斗、お前は勘は鋭いんだが、
辛抱しんぼうが足りんな――
【新山和斗】
僕たちはね、時間との戦いなんだ。

で、兄さん、その箱は何ですか?
また何かの計測器ですか?
【新山眞】
ああ、これは大変なものだ。
セヒラを計る装置だな。
世界軸の歪みを観測する――
【新山和斗】
セヒラ量子?
世界軸?
これまた新理論ですか――
【新山眞】
米粒大ほどの臨界セヒラが、
最終的には新しい宇宙を生む、
その一部始終を観測するのだよ。
ヤスパース=クルーガー効果――
観測に成功した学者の名前だ。
超ベンヤミン現象とも言うが――
【新山和斗】
兄さん!けむに巻くつもりですね!
僕はねこの目で見て、
この手で記事を書く。
【新山眞】
その脚でおもむくことを忘れるなよ。
【新山和斗】
言われなくても――
それじゃ、失敬します!

新山和斗は足早に去って行った。

【新山眞】
やれやれ……
せいぜいブンヤを喰われないよう、
気をつけないとな、彼奴あやつも――
【喪神梨央】
新山さん――
セヒラ量子とか、
そんな難しい話があるのですか?
【新山眞】
セヒラ量子論はありますが、
私はからっきしの門外漢もんがいかんですよ。

そう言うと眞は風呂敷を解き、箱の蓋を開けた。

【新山眞】
これは例の魔鏡まきょうです、完成しました。
ゼーラム五二五を塗布とふして、
愈々いよいよ、鏡が常態を取り戻した、
つまり魔鏡となったのです。

【新山眞】
私は本部で待機します。
なにせ冬至は明日ですから。

【喪神梨央】
兄さん――
レーネさんがお話があると。
私も本部にいますね。

梨央の去ったそのタイミングで藤沢レーネがやって来た。
レーネは風魔を認めると歩調を落とし、そしてゆっくりと近付いた。

【藤沢レーネ】
表は満天の星空ですわね。
明日はきっといいお天気ですわ。

実は……
ここだけのお話なのですが――
露西亜ロシアが秘密結社を使って、
満洲転覆てんぷくを計画しています。
李景明りけいめいさんからの情報です――

李景明りけいめいから寄せられた情報では、満洲は関東地方にソ連軍を侵攻させ、白系露西亜ロシア人の拠点きょてんを確保する計画があり、その準備のために新京シンキョウ露西亜ロシア人秘密結社、ウートロシーリが結成されたという。

【藤沢レーネ】
ウートロシーリの日本要員は、
ウラジミール・グロトフという、
露西亜ロシア人が務めます。

露西亜ロシア人グロトフはご存知ぞんじですよね。
是枝これえだ咲世子さよこさん宅の書生でした。

もう一人、グロトフが徴用ちょうようした、
露西亜ロシア人司祭がいます。
この二名が今夜連絡します――

ホテル玄関から2名の背広姿の男性がやって来た。彼らの身のこなしには無駄がない。
2人は藤沢レーネの後ろに付いた。

【要員Q】
司祭が東洋ホテルを出ました。
円タクで下大崎に向かいます。
【要員R】
運転手が前照灯ぜんしょうとう合図あいずを――
点滅が二度ありました。
【藤沢レーネ】
つまりは二番目の目的地ね。
――それが下大崎――

連中、牛頭ごず機構と結託けったくしている、
その情報があります。
後の話は車の中で――

グロトフが徴用ちょうようした司祭は、イーゴリ・ゲラシモフという。
本業は日満を行き来する雑貨商だった。
その2名が今夜、下大崎で連絡する。
それを捕獲するのがこの計画だった。

警護に牛頭ごず機構から
要員が出ている――

その噂もあり、レーネは風魔ふうまの同行を頼んだ。

【藤沢レーネ】
N計画の阻害そがいということでは、
露西亜ロシア人結社も牛頭ごず機構も、
利害の一致があるはずです。

急なお願いで、
申し訳ありません――

〔下大崎〕

日曜夜更けの下大崎は静まり返っていた。車のドアを閉める音がやけに大きく響く。

【藤沢レーネ】
喪神もがみさん――
一人の日本人が来ます。
気を付けてください。この先で二人のロシア人を捕縛する手筈です。
今、邪魔が入ると……

レーネの視線の先に1人の着物姿の男性の姿があった。男性は寒空の下、コートも羽織っていない。
男性はゆっくりと近付いてくる。
顔に薄笑いを浮かべていた。

【牛頭機構関東会構成員G】
牛頭機構ごずには粗野そやな連中が多く、
ご迷惑をおかけしていますね。
うちは新京シンキョウで料亭を営み、
日満の親睦しんぼくにこれつとめるわけです。
そこへ猶太ユダヤやからを住まわすなど、
全くの無用の策というもの!
――そうではありませんか?

山郷某やまごうそれがしは姿をくらませた。
何か計略でもあるのでしょう――
ただ、時間がない!
いろいろ情報はつかんでいます、
露西亜ロシア人らの目も節穴ではない。

明日、託言たくげんが明かされる――
それを是非ぜひ知りたいものです。
さぁ、ここはお引き取りください。

風魔の脇に音もなく先程の背広姿の男性が来た。その様子を見た着物姿の男は、やおらセヒラを集め始めた。
2人の背広姿は素早く退いた。

【牛頭機構関東会構成員G】
そういうわけにもいかないと――
それは残念です!

《バトル》

【牛頭機構関東会構成員G】
露西亜ロシア人をふうじても、
まだ我々がいますよ――
想定外の数がね!

建物の角から2人の聖職者が現れて立ち止まった。
そして静かな声で告げる――

【要員X】
私はです。
露西亜ロシア正教の神父です。
【要員V】
私はです。
露西亜ロシア正教の司祭です。

そう言うと、2人はまた建物の影に隠れてしまった。
車に戻った風魔にレーネが言う。

【藤沢レーネ】
首尾よく捕縛出来たようです。
本物のグロトフとゲラシモフは、
憲兵隊本部に向かいました――
近く満洲国軍憲兵に継がれます。
今の二人は替玉として、
ウートロシーリと連絡します。
これで無事に明日を迎えられます。

喪神もがみさん――
ありがとうございました。
山王さんのうへ戻りましょう。

藤沢レーネの運転する車で山王さんのうホテルへ。レーネは重ねて礼を述べた。
明日はホテルの部屋で静かに待機するという。

〔山王機関本部〕

山王機関本部では梨央がじりじりしながら待っていた。
湯呑みの茶はすっかり冷めている。

【喪神梨央】
兄さん!
突然いなくなるから心配しました!
あのグロトフさん――
露西亜ロシアの秘密結社って、
ぜんぜんそんなふうじゃ――

魯公と眞が奥から現れた。

【帆村魯公】
連中が明日のことを、
聞き及んでおったとはな。
どこかられたことやら。
【新山眞】
冬至を特別な日とする風習は、
世界中にあります。
こちらの動きを探れば――
【喪神梨央】
想定はできたということですか。
でも魔鏡のことは知られていません、
そうですよね、新山さん!
【新山眞】
勿論もちろんです!
ようやく鏡は安定しました。
備えは十分でしょう。
【帆村魯公】
鏡に付随していた文書によると――

マナイノカガミハ
ソレノサマ ウルワシクテ
モロカミタチノ
ミココロニモアエリ――

【喪神梨央】
ひとつあらかわたらして詰まる――
その朝、言葉がしめされるのです。
それからレーネさんの言う、
冬至とうじの朝陽が示す支族の帰還――
冬至とうじ、朝陽、鏡、それから――

水辺です!
範奈はんなさんがお姉さんから伝えられ――
このあたりで水辺といえば……
【新山眞】
清水谷しみずだに公園ですかな。
あるいはお堀、外堀――
あまり水辺という感じじゃないです。
【帆村魯公】
清水谷しみずだに公園か――
よし、梨央りお、連絡だ。
わしは宮司ぐうじと殿下に伝える。
【喪神梨央】
私、範奈はんなさんに伝えます。
電話、渋谷局です――
【新山眞】
電話をお持ちなんですね、
お宅で電話なんてすごいですね!

【帆村魯公】
ところで、明日、天気だがな、
中野の気象部に問い合わせてみた。
今日と同じ冬晴れだそうだ。
【新山眞】
明日も西高東低の冬型です。
北西ノ風、晴、寒サ厳シ――
予報にはそうありました。
【帆村魯公】
よし、早速連絡だ。
新山にいやま君、君は鏡を持って、
奥で休んでくれ。
【新山眞】
承知しました。
【帆村魯公】
風魔も本部に待機してくれ。
わしはもう一度――
(気象部の当直と話そう……)

昼、強く吹いていた北風はんでいた。
あと1時間ほどで
冬至の日を迎える時刻、
帝都は夜の闇の中に沈んでいた――

〔清水谷公園〕

夜が明けた――
1935年12月23日、冬至。
帝都は雲一つない冬晴れであった。
清水谷しみずだに公園には、多加美たかみ宮司、
そして廣秦ひろはた範奈はんなが集まっていた。九頭くずの手配した兵が規制線を張っていた。

【九頭幸則】
なぁに、ちょいと気をかせて、
隊から兵を調達したってわけだ。
梨央りおちゃんに聞いたら、
今日が予言だかが現れる日なんだろ?
俺も付き合うぜ、
ここまで来たんだからな!
【新山眞】
まだ確かなことは何も――
ただ試すだけのことはあるかと。
さぁ、参りましょう!

大久保利通碑の先に心字池しんじいけがある。
池の端に多加美宮司と廣秦範奈が立っていた。

【多加美宮司】
範奈はんなさんは先日、満洲から戻られ、
今日の日に備えておいでです。
【廣秦範奈】
父と、姉と、言葉を交わしました。
姉と私には
たくされたものがあると――
それが何かはわかりません。
【多加美宮司】
廣秦ひろはたさんの出自からすると、
やはり失われた支族に繋がること、
そうだと考えています。
【廣秦範奈】
姉と私とで為すことがあると――
父はそう姉に伝えたようです。
【多加美宮司】
お姉さんはこちらにおいでですか?
【廣秦範奈】
いえ――
ですが繋がると思います、
おそらく、きっと――
【新山眞】
ちょうど陽も差してきました。

そう言うと新山はおもむろに鏡を取り出し、明るい朝陽をその鏡面に受けた。鏡は眩しく輝いている。

【九頭幸則】
どうなってるんだ?
――何も映らない……
【多加美宮司】
水です、水面を照らすのです!
範奈さんは水辺でと仰っています。
【廣秦範奈】
――姉さま……

新山は鏡面で受けた朝陽で、公園の心字池の水面みなもを照らした。
わずかに水面が小波立っている――

【九頭幸則】
あっ!
池の水面が――

池の水面に光が集まり、やがて水面自体がまばゆく輝き始めた。
池から放たれた光は
周囲を包み込む――

【廣秦範奈】
――姉さま……
おいでになるのですね――
姉さまのこと、感じます――
もっと……そばに……
おいでください――

廣秦ひろはた範奈はんなは姉を迎えたかに見えた。
しかしすぐに光はついえてしまった。

【新山眞】
見てください!
池です、水面に何かが見えます!
【多加美宮司】
あれは……
何かの文字……
【九頭幸則】
なんて書いてあるんだ?

それこそが範奈はんなと姉にたくされた言葉、
まさしく託言たくげんであった――

【多加美宮司】
すえ有り、に在りて――
【九頭幸則】
何ですか、そのとは?
【新山眞】
それがメ、シ、アだとすれば――
メシアとは救世主のことです。
ですが池に現れた託言たくげんは、
場所を示しているようにも――

【多加美宮司】
範奈はんなさんはどこですか?
【九頭幸則】
あれ、今さっき、ここにいたのに!
【新山眞】
さっきのまばゆい光の中で、
消えたようにも見えましたが――
【九頭幸則】
公園の山手の方を探してくるよ!

【多加美宮司】
すえとは末裔のことですね、
それがすなわち救世主ということです。
私はそう読み解きますが。
【新山眞】
その救世主はどこにいるのでしょう?
待てば姿を見せるのでしょうか?
【多加美宮司】
あっ!
見てください、池の字が消えます!

池の水面に現れた文字は、見る見る薄くなり、小さな波紋はもんを残して、跡形もなく消えてしまった。

【新山眞】
託言たくげんらしきは確認できました。
ひとまず戻りましょう。

鏡ですが……
表面がくもってしまいました。
もう霊力が失われたのかも――

風魔ふうま新山眞にいやままこと多加美たかみ宮司とともに、山王さんのうホテルへと戻った。九頭くずは兵に指示を出して範奈はんなを探すという。

〔山王ホテルロビー〕

【喪神梨央】
兄さん!
隊長がお待ちかねです!
【帆村魯公】
柴崎しばさきがいみじくも言っておったな、
地震でセヒラがいたようなことを。
それで思い出したんだ、
仏蘭西フランスの地震学者シャルボー氏をな!

シャルボーは前回の乙亥きのといの年、1875年、明治8年に波動を観測。
しかしそれは地震のものではなかった。

【新山眞】
セヒラの波動を観測したのですね。
その後に大震災が起きています。
もしやセヒラが地震を招いたとか?
【帆村魯公】
わしもそれが気になって、
気象部の宿直しゅくちょくに聞いたんだ、
この六十年の地震記録を――
【新山眞】
それで、どうだったんですか?
セヒラの波動と地震の関係は?
【帆村魯公】
それが特にはなかった。
やはり柴崎しばさきが触れた関東大震災――
それが、何というか……
【新山眞】
特異点といった言葉があります。
波形では特異点で変調して、
別な波形に変わるのです。

【喪神梨央】
範奈はんなさんの言葉――
確かメシアに在りですよね?
【帆村魯公】
何か地震に因む言葉なら、
場所の特定ができたのだが――
【多加美宮司】
地震……
地震!
まさかとは思うのですが――
【帆村魯公】
どうされましたかな?
【多加美宮司】
はい……
語感が似ているのですが、
メヂアンというのがあります。
【新山眞】
メヂアン?
何ですか、それは?
【多加美宮司】
中央構造線です。
メヂアン線とも言いますが――
日本列島の中央を貫く巨大な断層で、
数多あまたの地震震源地でもあります。
【帆村魯公】
梨央りお、列島の地図だ!

梨央が作戦卓の上に地図を広げ、一同は見入っている。

【多加美宮司】
メヂアン線は九州から四国、
紀伊きい半島を横断して中部へ、
茨城の鹿島かしまで終わっています。
この地図で見ると――

【新山眞】
この地図は……
わざわざメヂアン線を書き入れた?
そういう地図なんですか?
【喪神梨央】
いえ、ただ本部にあった地図です。
こんな線、ありませんでしたよ。
――おかしいですね……
【多加美宮司】
メヂアン線の上には、
今では多くのおやしろが建ちます。
断層が暴れないように抑えるのです。

諏訪すわ大社もその一つとされています。
千葉の香取神宮や茨城の香取神宮、
それら官幣かんぺい大社も
線上に建ちます――
中でも鹿島かしま神宮は、
構造線を要石かなめいしで封じているとされ、
いくら掘っても石の根は見えません。
【帆村魯公】
確か光圀みつくに公が掘るのを命じた、
でも断念したのですな。
【新山眞】
それにしても――
メシアがメヂアンなんですか?
メヂアンに在りというと――

キロにも及ぶ構造線のどこかに、支族しぞく末裔まつえいがいる、そういうことなのでしょうか。

【多加美宮司】
ああ、そうです!
長野にも構造線のほぼ上に建つ、
御蔭みかげ神社があると聞きます。

その時である――
多加美たかみ宮司の手にする地図に
光が走った。
まるでナイフでいたかのように――

【新山眞】
これは……
地図に霊異りょういが発現したのですか!
【帆村魯公】
メヂアン線と交差するこの線は――
一体、何ですかな?
【喪神梨央】
丹後半島です!
先日、お出になった京都、
このあたりではありませんか?
【多加美宮司】
そうです!
元伊勢、この神社の外宮、
真名井まない神社、まさにこの場所です!
【喪神梨央】
東の端は――
帝都ですよ、ちょうど……
日枝ひえ神社の辺りです。

山王機関本部にサイレンの音が鳴り響いた。

【帆村魯公】
何だ、今度は!
サイレンが鳴ってるぞ!
【喪神梨央】
すぐ調べます!!

〔山王ホテル前〕

サイレンが鳴ったのは、ホテルに執事型ホムンクルスが来たからだ。
梨央りおの要請で風魔はホテル前で対峙たいじした――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください!
――新型の波形が観測されます!

【執事型ホムンクルス】
異変!ウンファール異変!ウンファール
コウジン――
異変!ウンファール

【着信 喪神梨央】
セヒラの値が――
急になくなりました!
彼ら、戦うようではなさそうです。
【着信 帆村魯公】
連中は伝えに来たのだ!
虹人こうじんに異変と言っておるぞ!
三宅坂みやけざかへ向かってくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館、すぐ近くですが、
公務電車出します!

地図にしるされた2本のライン――
その交点に御蔭みかげ神社があると宮司が思い出す。
かつてそこに勤めていた
巫女みこがいた――
その名を白金江しろかねこうという――

【着信 喪神梨央】
兄さん!
白金江しろかねこうとは虹人こうじんさんの……
虹人さんのペンネームです!

〔アーネンエルベ〕
【聖護院丸】
先程、虹人さんがいきなり――
いきなり大声を上げて、
地下の講堂に駆け込んだのです。
講堂に行くと、
虹人さんの体から光が――
光がほとばしっていたのです!
【鳴滝丸】
あの光はクラウフマンこう――
ユリアさんが付き添っている。
クラウフマン光は、
カー体が崩壊するときに出る光だ。
――一体、何が起きたんだ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館近辺で、
異常な波形を観測しました!
セヒラの値は通常ですが、
注意してください!

〔アーネンエルベ講堂〕

そこにはたして虹人の姿があった。
虹人は苦しそうに腰を折り肩で息をしていた。何よりもその体、まるで桃色の光背を現すかのように光を放っている。
虹人を見守るようにして2人のユーゲントがいた。

【上賀茂丸】
さっきからずっとこうなんだ!
ユリアさんが原因を調べると――
この光は危ない光なんだ!
【化野丸】
喪神さん!
虹人さんはどうなるんでしょうか?
この二日ほど、
頭が痛い、割れそうだと――
喪神さん!!
それから……
多分ダンテの神曲だと思う、
憑かれたみたいにつぶやくんだ――

三つの咽喉のどある暴戻ぼうれい
巨怪チェルベロいぬのごと
奈落の民にゆるなり

【帆村虹人】
風魔!
――僕の中に何がいるんだ?
悪魔でも飼うのか――
僕は、僕は、僕は!!

風魔の目に虹人の見てきた光景が映し出された。

「はじめまして、咲世子さん。
 是枝大佐には――

「ところで、僕たちは似た者同士――

「僕の哀れな感情は、翼を痛め、
 飛ぶことができない――

「……実を言うと
 僕は貴紙の投稿者です。

「僕の中には冷まさなきゃいけない、
 そういうものがあるんだ――

「僕が参加するのは今夜で二回目だ。

「僕は今、混迷の中にいる!

「そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!

「踏み出す一歩は
 見えているのだが――

世に在る、世に在らぬ、それが悩み。
そこへユリア・クラウフマンが姿を見せた。虹人を見るユリアの目は見開かれている。

【ユリア・クラウフマン】
コージンの中から、
何かが生まれようとしている――

カー体の臨界光にそっくり……
でもまったく別物のよ。
何かの終わりであることは確かね。
カー体の崩壊は二万年以上――
だから誰も臨界光は見られない。

コージンの光は……

虹人は相変わらず光を放ちながら腰を折っている。ユーゲントの姿はなかった。

【ユリア・クラウフマン】
見て、フーマ!
あれは……ヴェアーなの?

虹人の放つ光が凝集して人の形をなしつつある。それは少女の姿であった。まるで虹人そのものが光となって少女の姿を成すかのようである。
やがて虹人の体が透けながら消え、講堂には光の少女だけが輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
消えた……
――フーマ……
コージンが……消えた……

光の少女は一層激しく輝いている。

【ユリア・クラウフマン】
まさにカー体が崩壊するときの光、
そのものです――
似た現象が起きているのですね。

何かが崩壊し、
何かが生まれようとしている――
カー体よりも何万倍もの強い力、
それを感じます――

そこへユーゲントが走り込んで来た。

【嵯峨野丸】
大変だ!
大使館の玄関に……

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
表よ! 行きましょう!

〔独逸大使館〕

独逸大使館前に1人の少女が立っていた。白いワンピースドレスを着ている。
少女は大使館の玄関を凝視していた。
そのとき、大使館の中庭から芽府須斗夫がやって来て、少女の脇に立った。

少女はゆっくりと
芽府須斗夫の方を向く。

【芽府須斗夫】
もうじき名前を思い出す……
きっとそうだよ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたは……

芽府須斗夫を見てユリアは怪訝そうな表情を浮かべた。

【芽府須斗夫】
僕は名前を思い出した。
元の古い名前の方だ。
それも完全じゃないけど――
【ユリア・クラウフマン】
名前を忘れるとどうなるの?
【芽府須斗夫】
やって来られなくなるんだ。
途中で止まってしまうとか、
いろいろ言われているよ。

名前を失念した、
そういう人に会ったことがある、
ついこの間ね。

【ユリア・クラウフマン】
あなたはどんな名前なの?
【芽府須斗夫】
メフィ……スト……
【ユリア・クラウフマン】
メフィスト……
【芽府須斗夫】
フェレス!
メフィストフェレスさ!
これで全部思い出した。
【ユリア・クラウフマン】
メフィストフェレス――
ファウストの……悪魔……

――あなた、そうなの?
【芽府須斗夫】
僕は伝承の中にいた。
どのみち人が生み出したものだけど。

そしてここに来た――
呼ばれて来たはずだけど、
行き先の名前を忘れたんだ。

でも元の名前を思い出した。
名前は自分で思い出さないと、
駄目なんだよ、
教えてもらっちゃ駄目なんだ。
【ユリア・クラウフマン】
あなたの話には興味がある――
ゆっくり聞かせてね。
【芽府須斗夫】
わかったよ――

それで、ここに来るのは、
どこの誰なんだい?
この子の元にも誰か来るんでしょ?

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!
今まで何も観測しなかったのに。

少女の周囲にセヒラが集まり、見る見る濃さを増していく。
やがて何も見えなくなってしまった。

〔時空の狭間〕

【芽府須斗夫】
聞いていいかい?
君は誰なの?
どこから来たの?

芽府須斗夫が少女に語りかけている。
少女は芽府須斗夫の方を見ないまま静かに答える。

【???】
シ、ロ、カ、ネ――
――コ、ウ――
【芽府須斗夫】
シロカネコウ――
それが君の名前だね?
元の名前なのかな?
【シロカネコウ】
モ、ト、ノ……
――ナマエ!
【芽府須斗夫】
そうだよ、
ここに来る前の名前なのかって、
そういう話さ。
【シロカネコウ】
マンナカノ、ナマエ!
――シロカネコウ!
【芽府須斗夫】
シロカネコウがいつの人か、
それは知らないけど、
君自身はもっと前の人なんだね?
【シロカネコウ】
――イャシャン……
――フルイ
――アルツ
【芽府須斗夫】
これは驚いた!
君は幾多いくたの思念の重なった存在、
そうなんだね?
長い時間の中を抜けて、
ここにたどり着いたんだね!
――今まではさっきの人の……

時空の狭間にセヒラを纏う虹人の姿が映し出された。

【帆村虹人】
風魔――
今の僕はまるで抜け殻だよ。
自分の内側がすっかり剥がれて、
僕は薄っぺらな皮一枚だ。
お前を思ったりする気持ちは、
どこから湧いてくるんだろうか?

僕の気持ちはお前の中につちかわれる、
きっとそういうことだよ――

そういうことだよ――

【帆村虹人】
僕を追い出して、何かが来る――
風魔、気を付けるんだ!
もうこれはじゃないから!

そう言うと、虹人の姿は消えた。
その時、芽府須斗夫が叫んだ。

【芽府須斗夫】
何か来るよ、
とても強いものが!

見ると少女はセヒラに包まれている。
それは、やがてひとつの形を成そうとするかのように蠢いていた。

《バトル》

少女の体は希薄になり、やがて消えた。
始終を見ていた芽府須斗夫はおもむろに口を開いた。

【芽府須斗夫】
遠い過去の思念が繋がった――
途中、色んな人の念を吸収して。

この世界に大きな影響を与える、
それだけは間違いないよ。
世界を変えるほどの力が、
ほうぼうに生まれそうだね。

僕も自分の理由が思い出せそうだ!

独逸ドイツ大使館の霊異りょういは去った。
光が消え、虹人も消えた。
遠い過去から繋がった思念――
それは自らを白金江しろかねこうと名乗った。
まるで虹人を依代よりしろとしていたかのように。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人さんの行方、
幸則ゆきのりさんが指揮して探すそうです。
将兵二百余人を動員するとか――

白金江しろかねこうさん――
本当にいたんですね。
【新山眞】
多加美たかみ宮司の話では、
長野の御蔭みかげ神社には、
白金江しろかねこうという巫女さんがいたと――
ただし二十年ほど前のことで、
今では無人のやしろだそうです。

まさに交点に建つのです――
真名井まない神社と日枝ひえ神社を繋ぐ線、
これはマナセ一族にちなむ線、
マナセ線と呼んでいいでしょう。

中央構造線とマナセ線、
2つの線の交点に、
まさに御蔭みかげ神社はあった。

中央構造線にすえ在り――

託言たくげんは告げる。
諏訪すわから秋葉街道を南へ、
40キロほど下った山中である。

【喪神梨央】
失われた十支族の末裔まつえい
それが白金江しろかねこうなんですね。
――でも今は思念のような存在……
【新山眞】
遠い過去から繋がった思念ですね。
途中、多くの人の思念が合わさり――
【喪神梨央】
皇女和宮かずのみやの思念の時みたいです。
でもあの時と違うのは……

虹人さんの中に宿やどっていたことです!
虹人さんが狙われるかも知れない――
兄さん!
【新山眞】
明後日、先帝祭が終わって、
日付が変わると……
愈々いよいよ日蝕にっしょくが起きます――
そのとき、新しい天地あめつちが――
ただ待つしかないのでしょうか?

【喪神梨央】
――隊長……
さっきから黙りこくって、
どうされたんですか?
【帆村魯公】
虹人じゃ――
奴はいつそんな霊異りょういを備えたのか?

――もしやあの時……

失われた猶太ユダヤ十支族の末裔まつえいは、
白金江しろかねこうという存在として
虹人に継がれた。

真名井まない神社の魔鏡は霊力を失い、伝えられた冬至の日は静かに過ぎていく。

予言の語る日まで3日も残っていなかった。

第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が3段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。

長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。2人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する2人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう2人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして2人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する2人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。階下に見える手術室にらしき1体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それはイメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー所長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか診たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から2人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!

怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり

ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街かがいですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1930年、SS親衛隊のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が2階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から1体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて5箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を見て1人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

2時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、2人の男性が何やら言い争っていた。風魔は2人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに1体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第九章 第一話 赤坂の大柱

〔山王機関本部〕

その朝、山王さんのう機関本部にやってきた新山眞にいやままことは、どこか浮かない表情をしていた。
弟、新山和斗にいやまかずとが当局に引拉いんらされたというのだ。

【新山眞】
日比谷の事務所で執務中に、
いきなり憲兵らが雪崩込なだれこみ、
和斗を連れて行ったのです。
【帆村魯公】
当局というのは、
それじゃ憲兵のことか?
警察や特高じゃなく、
なんで憲兵が記者を連れて行く?
に落ちんな……
【喪神梨央】
最近、些細な事でも、
スパイ容疑に絡めて憲兵が出ます。
擾乱じょうらん阻止も十分な名目ですよ。
【新山眞】
和斗の奴、赤坂の御柱騒動を、
面白おかしく書き立てたのです。
【喪神梨央】
赤坂に現れたる柱――
ソロモン大王の二柱か?
はたまた諏訪すわ大社の御柱か?
そんな見出しでした。
【新山眞】
しかるべき引受人が来れば放つと、
先程、憲兵隊から連絡が――
山王さんのう機関でお願いできますか?
【喪神梨央】
和斗さんを引き受けるのですね。
隊長、如何いかがですか?
【帆村魯公】
うむ、新山君の頼みだ、
無下むげにはできん。
風魔ふうま、行くぞ、憲兵司令部だ。
【喪神梨央】
それでは公務電車、手配します!

一ツ橋を目指して走っていた公務電車は、銀座に差し掛かり、減速して停車した。大勢の市民が進路をふさいでいたのだ。市民らは往来で1人の若い男を輪のようにして囲んでいた。

〔銀座四丁目〕

【帆村魯公】
これはいったいどういう事態だ?
市民が銀座の往来を妨害しておる。

魯公の声に1人の着物姿の夫人が振り返った。

【牛込区の婦人】
あら~
そこのお二人も参加なすっては?
【帆村魯公】
ご婦人――
参加とはどういうものですか?
ぜんたい、何に参加するのですかな?
【牛込区の婦人】
決まってるじゃありませんか!
怪人川柳の競技会ですわよ。
うーふふふ……
私、とっておきのがあるのです。
披露ひろうしちゃいますわよ!

怪人の
ひとみに棚引く
秋の雲

怪人は瞳をいくらのぞいても、
その奥には何もないと申します。
それを言うのですわ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、やや高めです。
用心してください。
【帆村魯公】
ここで時間を食われるのはまずい。
風魔、わしは憲兵司令に向かう。
お前も後で合流してくれ。

そう言い残して魯公は歩き去った。虚ろな目をした背広姿の男性が近寄ってきた。

【赤坂区の男性】
怪人川柳競技会で、
なんと僕は奨励賞しょうれいしょうをもらった!
君もぼんやりしていないで、
積極的に参加してはどうかね。
それともあれかな、
川柳が思いつかないとか――
ひゃははは~
そいつは気の毒だね。
じゃ、僕のを披露するよ!

憲兵も
巡査も酒屋も
皆怪人

どうかね!
これが奨励賞の一本さ!

背広の男性が立ち去った。風魔は銀座四丁目に向かった――

〔銀座四丁目〕

蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
なんともはや、
いいのが出ましたね!
もう一度、よく聞いてくださいね――

怪人が
口笛で行く
暗い道

うまくつかんでいますね!
怪人も平素は普通人です。
そこのところをよく現している――
おっと……
軍人さんが何か用ですかな?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
僕はね、心の自由を満喫まんきつするんだ。
帝大の拓務たくむ文理専修科で、
そのことを学んだんだよ!
君たちは見るからに不自由そうだね。
あの新山記者も同類だよ。
今頃、不自由の極みにいるだろう!
アハハハハハ!
いい気味だ、僕のことを詮索せんさくするから
身動き取れなくなるんだ!
さぁ、次は君の番かな!
愈々いよいよ、その時だ!!

《バトル》

蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
怪人の
白い笑いの
響く空

アーハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
今の記者が興亜日報で、
怪人川柳特集を組んでいたようです。
もうセヒラは観測しません。
東京憲兵隊本部へ向かってください。

〔東京憲兵隊本部〕

帝都を揺るがすクーデター未遂――
久鹿くろく計画の発覚で憲兵隊は大忙しであった。東京憲兵隊本部も多くが出払っていた。
立哨のいる玄関を魯公と和斗が出てきた。

【新山和斗】
例のクーデター騒動で、
憲兵も過敏になっているようです。
【帆村魯公】
とはいえだ、ソロモンの大柱だとか、
いろいろ書き立てすぎじゃよ。
筆禍ひっかこうむっても仕方あるまい。
【新山和斗】
浅草十二階、上野博覧会――
帝都の妄築もうちくシリーズですよ。
新京の本社から来ている写真部員が、
上野博覧会の写真を撮ったのです。
現像してみるともやのようなものが――
本人、確かに撮ったと言うのですが。
写っちゃいなんです。

フフフ……傑作けっさくですね!
むしろ写らないのが正解ですよね。
なんせ妄築もうちくですからね……
我々の網膜上にのみ存在するんです。
【帆村魯公】
赤坂の柱も同じだとお考えかな?
【新山和斗】
基本的には同類でしょう。
ただ――

そこへ式部が走り込んできた。息急いきせききった様子である。

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおが……
蒸発しました――

ここ数日、寝たり起きたりを繰り返し、何も語ることのなかった芽府めふ須斗夫すとおだが、今日の未明、録音機に反応があったという。
朝一番で駆けつけたが、出動部隊が多く、式部しきべは表で2時間も待機させられた後、部屋を確認するともぬけからだったのだ。

【式部丞】
いなくなった時刻はわかりません。
【新山和斗】
その妙な名前の人は何ですか?
一碧湖いっぺきこの死んだ少年と、
何か関係でもあるんですか?

いや、待てよ……
憲兵隊本部に収監され、
録音もしていたと――

兄はどうやら暗号機に取り組む――
そうですよね?
先日、ふと飯倉いいくらを訪ねたんです。

和斗の兄、新山眞は飯倉いいくら技研で、ダイヤルのようなものと格闘していたと言う。
和斗の来訪らいほうで慌てて布を被せたそうだ。

【新山和斗】
フフフ……
兄は無我の境地で周りが見えない、
子供の頃から変わりません――
【式部丞】
ご明察ですね、新山和斗さん。
ご賢兄はエニグマ暗号機を製作中で、
芽府めふ須斗夫すとおの暗号符を解読します。
【新山和斗】
エニグマ暗号機!
ナチ独逸ドイツの最新技術ですね!
ぜんたい、どんな暗号符なんですか?
さっきの妙な名前の人が語る?
――それは日本語じゃないのですね。
【式部丞】
アルファベットの羅列られつですよ。
芽府めふ君は一文字ずつ話すんです、
エフ、ジェイ、ワイとね。
【新山和斗】
何か国体を揺るがすような、
そんな計略でも進むんですか?
【式部丞】
さぁ、義憤ぎふん慷慨こうがいはしませんよ。
久鹿くろく計画とは筋が違うのです。

ところで新山さん――
先の五月にも飯倉いいくら技研に寄られた。
帰りは偏奇館へんきかんですか?
永井先生はご在宅でしたか?
作家の永井荷風先生です。
時刻は午後の三時二八分でした。
【新山和斗】
!!
――どうしてそれを……

するととぼけた様子で魯公が言う。

【帆村魯公】
牛頭会相手とは訳が違いますなぁ。
憲兵隊本部にはお堀から、
船で入る専用の入口もあるとか――
【新山和斗】
僕たちには知る権利がある!
おどしは効きません!
【式部丞】
それはお互い様ですね。

式部が言い終わらぬうちに和斗は駆け出した。

【帆村魯公】
あんなに喋って大丈夫かな、式部氏。
【式部丞】
知っていてもいいのです、記者は。
さえしなければ――
検閲体制が強化されるようです。

これから青山の脳病院に向かいます。
彩女あやめ君の様子を確認したいので。
【帆村魯公】
芽府めふ須斗夫すとお周防すおう彩女あやめ
響き合う二人ですな。
まさか行方をくらませたとか……
【式部丞】
いやぁ、もう何が起きても――
とにかく、連絡は入れます!

そう言うと式部は歩き去った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
それに隊長!
赤坂の柱をご確認ください!
場所はみすじ通です……
いや、そこからよく見えるのです。
【帆村魯公】
近づくと消えるという代物だな!
風魔、急ぎ、向かってくれ!
わしは参謀本部におもむく。

〔みすじ通〕

【いづ勢の女将】
あの柱は、きっとそうですわ!
希伯來ヘブライ語の授業で習いました――

明君ソロモン王、治世四年二月二日をぼくして輪奐わかん壮麗そうれいなる神殿を造営し、その前面に二基の大きな柱を立て――
高さ三五キュビトあったそうですわ!
一肘は一尺五寸、柱は五二尺五寸。
明治神宮の大鳥居に匹敵ひってきしますわ!

【正直堂の番頭】
私なんかいつもね、
歴代志略の上と下を読むんですが、
下の第三章にありますです――

環飾わかざりを造り鏈索くさりこれらして、これを柱のいただきほどこし、石榴ざくろ一百いっぴゃくをつくりてその鏈索くさりの上に施こす――

あれはただの柱じゃございませんよ!

番頭が言い終えるや否や、背広姿の男性が割って入った。

【着信 喪神梨央】
特にセヒラ反応ありませんが……
でも、なんだか様子が変ですね。
公務継続してください。

【予備役少佐】
皇威こうい隆々りゅうりゅうもと
国の干城たてきと任じつつ~

予備役少佐が口にしたのは名古屋幼年学校の校歌であった。予備役少佐は番頭に向かって強い口調で言った。

【予備役少佐】
おい貴様!
貴様はそれでも日本男児か?
何が第三章だ!!
神洲大八洲しんしゅうおおやしま益荒男ますらおなるか!
ああん? 西洋柱のことなぞ知らぬ!
あれは正真正銘しょうしんしょうめいの御柱様だ!

やおら予備役少佐は
番頭を突き飛ばした。
それを見ていた巡査が駆け寄る――

【赤坂署の巡査】
こら、乱暴ならんぞ!
引くぞ、貴様!
【予備役少佐】
引くなら引いてみろ!
帝国陸軍少佐と知ってのことか?
【赤坂署の巡査】
はっ!
これは失礼しました!

巡査は逃げるようにしてその場を後にした。

【予備役少佐】
うはははは~
この国は迷走しちょるな!
西洋かぶれに国体維持は任せられん。
さては貴様もかぶれ組だな!
そんな成りしおって、
忌々いまいましい、きたなおしてやる!!

《バトル》

【予備役少佐】
天原あまのはら
てる日に ちかき
富士の
今も神代かみよの 雪は残れり

【溜池の学生】
まるで前時代の遺物ですね!

学生は風魔に近寄り、静かな口調で話した。

【溜池の学生】
神を奉る信仰も、日々の習俗も、
多くは希伯來ヘブライに由来するのです。
あの柱の誇らしげな威容――
歴代志略下に書いてある通りです!

柱を拝殿の前にて、
一本を右に一本を左に
右なる者をヤキンとなづけ――
左なる者をボアズとなづく――
ボアズは愛らしきという義にして、
ダビデ王曽祖父そうそふの名前です。

学生は風魔と並んで大柱を見ている。そこへ子供が走り込んで来た。

【アンチモニー製作品商の丁稚】
おいらのよく読む民数記にはね、
汝、無酵たねなしのパンの節筵いわいを守るべし、正月の七日の間これを食うべし――
日本人はね、餅を食うんだよ!
正月の餅をくのをペンタラコ、
お江戸の頃からそう言うよ。
これは新穀で餅を五旬節ごじゅんせつ
ペンタコステからなまったってもっぱらさ!
遠く希伯來ヘブライから伝わったのさ!

【着信 喪神梨央】
大変です!
脳病院から彩女さんが消えました!!
式部さんから連絡があって――
病室のメモには、
哈爾浜ハルピンと書いたような跡が――
赤坂哈爾浜ハルピンかもしれません。

〔祓えの間〕

【新山眞】
また弟の奴がご迷惑を……
特報追うのも大概たいがいにしないと。
【喪神梨央】
兄さん、前に柱が現れたときと、
同じような波形が観測されます。
赤坂哈爾浜ハルピンにです――
【新山眞】
セヒラが寄り集まり柱状になり、
その影響からか、赤坂に大柱が……
どうもそういう絡繰からくりのようです。
前回に比べて、赤坂の大柱は、
随分と存在感を増しています。
しばらく消えないのではないでしょうか?
【喪神梨央】
するとまた、御柱様とか、
ヤキンだボアズだと騒ぐ一派が現れ、
怪人騒動に繋がりかねません。
【新山眞】
赤坂哈爾浜ハルピンに現れたという、
キタイスカヤ街が気になりますね。
あそこだけ違うんです――
【喪神梨央】
そうですね――
セヒラもあまり観測しないし、
波形も東京市内と似ています。
【新山眞】
つまり、普通の町……
そうなのかも知れません。
セヒラの異界に現れた、
まるで結界に守られたような場所……
だからこそ用心しないとです。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンには、帝都赤坂に出現した柱の、まるで写しのような柱がそびえていた。
しかし、それらはセヒラをまとうのである。


【お熊アストラル】
わちきの連れ合い?
元来、本町ほんちょう生薬屋きぐすりやのしくじり、
膏薬こうやくるのは存じてますよ。
今はこの山ん中で熊を捕らえて、
熊の膏薬こうやくこさえて売り歩く。
江戸にいた頃とは大違いですよ。
さぁ、雪ん中で体も冷えたでしょう。
一口上げたいところですがね、
この辺は地酒ですから慣れないとね。
そうだ、卵酒にすれば、
臭いも飛ぶってもんですよ――
【着信 新山眞】
花魁おいらんお手ずから、
卵酒こしらえてもらえるなんざ、
地獄天国紙一重なもんですな!

喪神もがみさん――
今のは落語の鰍沢かじかざわですね。
女は身包みごうと狙っています。
【お熊アストラル】
何言ってんだい、ごちゃごちゃ――
さぁ、眠くなったかい、どうだい、
眠いだろう、こっちで寝んな、さぁ!
【着信 喪神梨央】
で助かった!!
【お熊アストラル】
ヒィィィィィッィ!!

アストラルは破裂するようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
旅人の飲んだ卵酒に眠り薬が――
旅人は身延山みのぶさんで買った毒消しを飲んで
鰍沢かじかざわ山筏やまいかだで逃げるのです――
お熊はそれを鉄砲で狙う。
旅人、南妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうを唱えます。
いかだは流れでばらばらになります――
なんとかにしがみつき、
旅人は逃げおおせます。
お題目とお材木を掛けてあるのです。

交信を終えると風魔は次の街区へと進んだ。

【八百屋お七アストラル】
思い 切なや いとおしや
お七 十六 初恋の
胸の炎は 初め
燃えて 身を焼く すすり泣き
【着信 喪神梨央】
今度は、八百屋やおやお七ですね。
――お七にまつわる思念のかたまり
皇女和宮かずのみやを思い出します。
【八百屋お七アストラル】
寝ては 夢にも 吉三きちざさま
起きて 幻し 吉三きちざさま
結ぶ えにしは 浅くとも
思いは 深い 胸と胸――
【着信 喪神梨央】
少し退いてもらいますね――

世のあわれ 春ふく風に 名を残し 
おくれ桜の けふきょう散りし身は
【八百屋お七アストラル】
こがれ こがΣし 明▼暮%
同じ 仮◎に ◎き伏Ωど
ЯЛШДШЭЮ――

またもやアストラルは破裂するようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
さっきのはお七の辞世の句です――
【着信 新山眞】
きっと柱のせいですね。
アストラルの出自がおかしなことに。
ちょいとおかしな波形がありますよ!

風魔は次の街区へと進む。そこには2体の中型のアストラルが浮かんでいた。

【実況者Hアストラル】
南太平洋海戦にいて、
我が海軍航空部隊は、
敵空母集団を猛襲もうしゅうせり!

【実況者Sアストラル】
秋晴れに恵まれた神宮外苑じんぐうがいえん競技場、
まさに心も浮き立つような、
オリンピックマーチが鳴り響きます。

【観客Aアストラル】
おい、どっちなんだ!
私はどっちを信じればいいんだ?

【実況者Hアストラル】
こっちに決まってる!
秋雨あきさめけむる明治神宮外苑競技場。
日本にっぽんの学徒が多年たねん武技ぶ ぎを練り
を競ったこの聖域に――

【実況者Sアストラル】
おいおい、昔話はよしてくれ!
学徒出陣式じゃないんだ、
東京オリンピック開会式だ!
オリンピックの理想を歌い上げて、
聖火は秋空目掛けて駆け上ります――

【実況者Hアストラル】
邪魔をするんじゃない!
一億国民一丸いちがんとなって、
この難局を乗り切るときだろう!
十月二十一日朝まだき、
出陣学徒壮行の式典おごそかに挙行せり!!

別のアストラルがやって来た。

【観客Aアストラル】
やめろ!
混乱する!
私を……放してくれ!

2体の中型アストラルが合わさり、一回り大きなアストラルになった。

【神宮競技場アストラル】
いよいよ開催国、日本選手団の――
ΣΨШЛ――●□――
大君おおきみされて戦いの庭に――

《バトル》

【神宮競技場アストラル】
青空が見えます――
一筋の飛行機雲が伸びています――

さらに進むと、周囲が暗転した。再び明るくなると、そこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 新山眞】
そこですね……
キタイスカヤ街です。
帝都満洲とは波形がまるで違う――

【廣秦範奈】
喪神もがみさん!

そこへ廣秦範奈がやって来た。範奈は風魔を認めて近寄って来る。

【廣秦範奈】
ここは――
露西亜ロシア人の町なのでしょうか?
また父が呼んだのでしょうか?
ここへ来るようにと――
鍛冶橋かじばし志恩会しおんかいの事務所を出て、
ほどなく気分が悪くなり、
しばらくビルにもたれかかっていました。
目の前が明るくなったと思うと、
この町に来ていたのです――

範奈がいい終えたとき、そばの空間がわずかに歪み、中から中型のアストラルが姿を見せた。

【Kアストラル】
範奈はんな、よくぞ来てくれた――
【廣秦範奈】
お父様!
やっとお目にかかれましたね!
【Kアストラル】
範奈はんな、いいか、よく聞くんだ。
お前には双子のお姉さんがいる。
わかるな、瓜二うりふたつの双子だ――
【廣秦範奈】
お姉さま……
そのような印象が……ありました……
夢を見るのです、何度も同じ夢を――
【Kアストラル】
私はお前たちが生まれる前に、
ここにちてしまった。
ここはあらゆる場所に繋がっている。
【廣秦範奈】
お父様は未来にも行かれた――
そうなんですね?
お姉さまも未来においでなんですか?
【Kアストラル】
ああ、そうだ……
未来の香港、九龍城砦クーロンじょうさいという街だ。
そこは陰界いんかいという場所を漂う。
私があれこれしたせいか、
その未来にお前の姉さんが来たのだ。
光明路コウミョウろという街にだよ。
【廣秦範奈】
お父様はお姉さまと、
ご一緒においでだったのですね。
【Kアストラル】
ああ、わずか三年間だが……
古賀美香こがみか、それが姉さんの名前だ。
だが光明路コウミョウろではラウ美鈴メイリンを名乗った。
美香は十二歳でやってきた。
お前たちの世界では一九二六年だ。
彼女が十五の時、私は潜った……

中型アストラルが震えだした。

【廣秦範奈】
お父様!
それではお姉さまは十二の歳まで、
日本にいらしたのですね?
【Kアストラル】
豆州ずしゅう修善寺しゅぜんじの旅館で、
大事に育てられたんだ。
お母さんは物心付く前に、
お前たち二人を引き離した――
信頼する卜占ぼくせん先生の助言を得たのだ。
【廣秦範奈】
私たちは……
会ったことはあるのでしょうか?
お姉さまと私は……
【Kアストラル】
お前は万世橋まんせいばし駅傍の商家で育った。
二人がほんの幼い頃に会っていても、
おかしくはない――

中型アストラルはひときわ大きく震えた。アストラルを成す濛気もうきが不安定に揺らいでいる。

【廣秦範奈】
お父様!
お具合、お悪いのですか?
【Kアストラル】
――長くは……保てそうにない!
【廣秦範奈】
お父様、修善寺の旅館、
何というのですか?
お姉さまがいらした旅館です!
【Kアストラル】
ばい……げつ……
梅月館だ――
城山のち、か、く――
そこは……卜占ぼくせん師の――みさ……
深水ふかみ察智ざっちが求めた地だという――
【廣秦範奈】
お父様!
もう少しお話を――
お聞かせください。
【Kアストラル】
範奈……お前にたくす言葉がある――
エ……エラ……
エラ――
エラ……
――ああ、保てない!!

アストラルは大きく破裂して消えた。

【廣秦範奈】
お父様!!

範奈の父である伊佐久イサク、つまり古賀こが容山ようざんのアストラルは、すべてを語らずに去ってしまった――

範奈は気を失って倒れている。
そこへ千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎の3人がやって来た。一同、じっと倒れた範奈を見下ろしている。

【芽府須斗夫】
ここには遠い未来からも、
思念が流れ込んでいるようだね。
学徒の出陣とかオリンピックとか――
【吉祥院蓮三郎】
それもすべては、
あの柱のせいでございましょうか?
【芽府須斗夫】
二本の柱を依代よりしろとして、
セフィラの流れが生まれたんだ。
まるでセフィラの道だね。
【千紘】
そして僕たちも呼ばれた――
そういうことのようだ。
【吉祥院蓮三郎】
あきらさまは仰います――
レンザ、お前は敏感なんだから、
ぼんやりしていちゃ駄目だと。
【芽府須斗夫】
それじゃ、何か感じることでも?
【千紘】
僕の中にも周防すおう彩女あやめの存在があり、
普段から何かと感じ取るけど、
きっと君のほうが達者なんだね。
【吉祥院蓮三郎】
かたじけなく存じます――
セフィラの流れですが、
この先にある町に向かうようです。
【芽府須斗夫】
この先……
それはこの帝都満洲でのこと?
【吉祥院蓮三郎】
左様でございます。
おそらくは……
【千紘】
青山新京シンキョウじゃないかな?
の記憶だと、あそこに穴が開いた、
そんな事件があったはず。

芽府須斗夫が風魔を向いて言う。

【芽府須斗夫】
君は向かったほうがいいよ。
これは立派な公務だよ――
何かが現れるかも知れないよ。
【吉祥院蓮三郎】
私たちはもう少しここを、
調べてみようと思います。
【芽府須斗夫】
廣秦ひろはた範奈はんなさんは送り届ける、
大丈夫だよ、心配しないで。
【千紘】
僕はようやくわかった気がする――
自分が何者なのかということがさ。

芽府めふ須斗夫すとおの助言に従い、風魔は青山新京シンキョウに向かうことにした。

第八章 第十二話 底流

アストラルらが俎上そじょうに載せた陸軍省軍務局。梨央りおが参謀本部に問いただすも、特段の報告は寄せられていなかった――

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
今朝、省線信濃町しなのまち駅近くで、
飛び込み自殺がありました。
死んだのは歩三附きの、
第四八中隊副長、若狭わかさ少尉です。
【帆村魯公】
風魔ふうま、お前は若狭わかさ少尉の
アストラルと戦ったぞ――
山王さんのうに戻る一時間ほど前のことだ。
【喪神梨央】
若狭わかさ少尉は信濃町しなのまち発四時二四分の、
浅川行き初発電車にかれました。
即死だったそうです。
運転手によると、
マント姿の将校がホームから浮いて、
空中歩行のように電車の前に来たと。
――そう言うんです。
【帆村魯公】
若狭わかさ少尉は省線駅で自失した、
そのようなことだったな。
【喪神梨央】
ええ……ただ、
戒行寺かいぎょうじの坂を降りたということは、
省線、上りホームのほうが近いです。
どうしてわざわざ、
下りホームに行ったのか……
自失のせいなのでしょうか。
【帆村魯公】
若狭わかさ少尉が彷徨さまよった界隈かいわい
その昔、鮫河橋さめがはしと言ってな――
市内有数の貧民窟ひんみんくつだった辺りだ。
皆、細民さいみんとして内職をしておった。
団扇うちわの骨作り、刷毛綴はけつづり、ぼたん開け、
燐寸マッチ箱貼り、石炭撰別せんべつ……
割れ硝子ガラス拾いというのもあった。
震災の後、随分と様変わりした。
今じゃ当時の様子はうかがえないな。
若狭わかさ少尉は戒行寺かいぎょうじの坂を降りる、
その途中で立派な洋館を見たと、
そう言っておった――
【喪神梨央】
黒頭巾くろずきんの人がいたと……
――その洋館、もしかして……
【帆村魯公】
どうだろうか……
【喪神梨央】
猟奇倶楽部!!
そうじゃありませんか?
ユーゲントの祇園丸ぎおんまるが、
猟奇倶楽部は信濃町しなのまちにあるかも、
そんなふうに言っていました。
信濃町しなのまちの一帯は探信儀たんしんぎの空白地帯、
機関本部の携行式探信儀けいこうしきたんしんぎでも、
低い場所ではうまく探信できません。
【帆村魯公】
探信儀たんしんぎの設置計画は、
京都帝大の博士が立案した。
物理学者の柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだ――

帝都に6基、設置されたセヒラ探信儀たんしんぎ信濃町界隈しなのまちかいわいはその空白地帯にあった。探信儀たんしんぎの設置は柄谷がらたに生慧蔵いえぞう博士が提案した。

【喪神梨央】
柄谷がらたに博士はユンカー所長の弟です。
一時、所長になりすまして――
――あっ!
【帆村魯公】
どうした、梨央りお
【喪神梨央】
虹人こうじんさんがユンカー所長の乗る
円タクを尾行した時、
円タクは信濃町しなのまちに向かったと――
【帆村魯公】
銀座でヘーゲンと別れた後、
円タクで向かったんだな。
銀座にいたのは柄谷がらたに博士だな。
【喪神梨央】
それじゃ、博士は猟奇倶楽部へ……
柄谷がらたに博士が猟奇倶楽部に関係ある、
そう考えられますね!
殿下のお話が裏付けられましたね。
従順なる隸Θしもべシータ師が最高位の会員です。それが、柄谷がらたに博士――

ノックの音がして九頭が本部に入ってきた。いつになく険しい表情をしている。

【九頭幸則】
失礼します!
歩一、九頭くず中尉です!
【喪神梨央】
どうしたんですか、改まって。
【九頭幸則】
それはこっちが聞きたいよ。
ここに来るまで何度も誰何すいかされた。
将校の肩章けんしょう付けているのに!
【喪神梨央】
ちゃんと名乗りましたか?
【九頭幸則】
勿論もちろんだ!
歩一、九頭くず中尉とな。
【喪神梨央】
それじゃ駄目です……
久留米くるめのク、隅田すみだのス、濁点だくてん――
そう言わないと。
【九頭幸則】
それって……もしかして……
【喪神梨央】
和文通話表の符号です。
若狭わかさのワ、摂津せっつのセ、宗谷そうやのソ……
連中、その符号を名乗るんです。
【九頭幸則】
連中というのは玄理げんり派のことだね。
このところ、妙な動きをするって、
隊の方でも噂になってるよ。
連中が手にするのはこの冊子だよ。

そう言うと九頭は葉書より一回り大きな、辞書のような分厚い本を取り出した。表紙には愛国革命論、登米川とめがわわだちあらわスとあった。

【喪神梨央】
随分と厚いのですね――
これ、裏表紙もたかぶっていますよ!
愛国青年の書の宣伝文句です――

建国精神を闡明せいめい日本にっぽん更生こうせいせしめるものは、遠大の理想を掲げる愛国の青年である。青年がすべき、倫理りんり的革新運動を提唱し――

【帆村魯公】
病弊ひへい国家をうれう気持ちはわかる。
しかし玄理げんり派の思惑おもわくは別にあるのだ。
常田つねだ大佐は大義など持たぬ人物だ。
【九頭幸則】
自分も同感です。
ただ血盟けつめいする将兵らは区別なく、
義憤をつのらせているのです。

本部に電話があったようだ。梨央が取り次いだ。

【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、隊に戻るようにと、
今、歩一から電話がありました。
急ぎだそうです。
【九頭幸則】
え? そうなの?
何だろう……
風魔ふうま、一緒に来てくれ。

〔山王ホテル前〕

【九頭幸則】
何だ、やけに静かだな――
今日は旗日はたびなのか?
いや、そんなわけがない……

溜池通からのアプローチを新山和斗が急ぎ足で登ってきた。

【新山和斗】
愈々いよいよですか、中尉!
軍が動くのですね――
【九頭幸則】
何の話をしている?
――また何をつかんだんだ?
【新山和斗】
シラを切る気ですか?
そうはいきませんよ、
町を見ればわかります!
永田町ながたちょう三宅坂みやけざか、赤坂、
どこもかしこも立哨りっしょうだらけ!
ハハハハ~もう隠せませんよ!
【九頭幸則】
町中に立哨りっしょうだと?
そんな話は聞いちゃいない。
【新山和斗】
聞くも何も見ればわかります。
しかし……中尉がご存じないとは……
山王さんのう機関も軽く見られたものです!

そこまで言うと和斗は小走りに去りホテル玄関に消えた。

【九頭幸則】
立哨りっしょうが出ているって言ってたな。
溜池通に行ってみよう。

〔溜池通〕

【九頭幸則】
ブンヤの言ったとおりだな――
立哨りっしょうがあんなに出ているぞ。
ぜんたい、何があったんだろう?

2人を見咎めでもしたのか、鋭い目をした将校が前に立ちはだかった。

【気の立った将校】
貴様!
どこの隊だ!
【九頭幸則】
歩一、九頭くず中尉だ。
これは何の命令だ?
【気の立った将校】
班長の命令だ!
そんなこともわからんのか!
ウハハハハ~
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください、
セヒラ反応です!
【伊班姫路隊員】
元召喚小隊、
現、最強部隊、班隊員姫路ひめじだ。
我が班におさなく、我が班に神あり!!

《バトル》

【伊班姫路隊員】
浅慮せんりょなる国体観念こくたいかんねんてよ!
凝固せる国民道徳をなげうて!
我々は国家己性こっかこせいを直視するのみだ!!

怪人化した将校はきびすを返して走り去った。

【九頭幸則】
出し抜けに、何だ!
今のは玄理げんり派だな。
姫路ひめじのヒっていうたぐいだぞ、きっと。
班、班長は誰だろう……
【着信 喪神梨央】
二人共、機関本部に戻ってください。
参謀本部から連絡が……
陸軍省で暗殺事件が発生しました!
【九頭幸則】
なんてことだ!
俺は隊に戻るぞ、風魔ふうま

九頭は溜池通を大股で渡り赤坂の花街へと消えた。

陸軍省軍務局長真坂まさか少将が、青年将校によって斬殺ざんさつされた。陸軍参謀本部では厳戒げんかい態勢をくことになり、そのむね、市内全軍に軍令が下った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
町に出ていた立哨りっしょうは、
玄理げんり派じゃなかったようですね。
【帆村魯公】
戒厳令かいげんれいの一歩手前といったところだ。
――それにしても……
【喪神梨央】
事件発生は午前七時半、
現場は陸軍省軍務局局長室、
被害者は軍務局長真坂まさかつよし少将――
【帆村魯公】
真坂まさか閣下かっか王道おうどう派の重鎮じゅうちんだ。
これは玄理げんり派で計画された暗殺だ。
【喪神梨央】
玄理げんり派は疑心暗鬼になっています。
アストラルが言っていました。
軍務局に課があったと――
【帆村魯公】
そんな話は聞いておらんがなぁ……
玄理げんり派の奴ら、蚊帳かやの外に置かれる、
そう思い込み、行動に出たようだな。
【喪神梨央】
青年将校らにみなぎる義憤も、
うまく利用しているようです。
【帆村魯公】
たとえ義憤であろうが看過かんかはできん。
いつ憎しみに代わるやも知れん。
さて、宗谷そうや大尉はどちらの側だ?
義憤のともがらか、誣言しいごとやからか――
【喪神梨央】
まだわかりません。
大尉ですが、剣の達人のようです。

現場は血飛沫ちしぶきに染まり凄惨せいさんを極めていた。真坂まさか少将は右肩に二刀、面に一刀、致命傷ちめいしょうとなった首は深々と一刀られていた。

【帆村魯公】
風魔ふうま時空じくう狭間はざまで戦った、
班S隊員、それが宗谷そうや大尉だ。
間違いないだろう――
【喪神梨央】
大尉はまだ逃走中です。
ただ――

ノックの音が響き九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです!
【喪神梨央】
あれ、どうしたんですか?
隊には戻らないんですか?
【九頭幸則】
戻るには戻ったけれど、
中に入れなかった。
門前に何人もの締め出し組がいて――
【帆村魯公】
それで情報は集まったかな?
【九頭幸則】
犯人は歩三の大尉です。
大尉の日曜下宿に捜索が入りました。
場所は六本木ろっぽんぎ三河台町みかわだいまち――
【帆村魯公】
なんだ、歩一のすぐ近くじゃないか。
【九頭幸則】
はい。酒屋の二階を借りていました。
日曜下宿の部屋ですが、
異様な光景だったそうです――

下宿の部屋には、壁中に必中禮ひっちゅうれいと書かれた、護符のような紙が隙間すきまなく貼られており、紙の重なる部分に朱でバツが記されていた。

【九頭幸則】
その朱書き、血ではないかと、
検査のために試料を持ち帰ったと。
【帆村魯公】
つまりは血判けっぱんの代わりか?
【九頭幸則】
いえ、血判けっぱんは別にありました。
進退周還必中禮しんたいしゅうせんひっちゅうれい墨書ぼくしょした麻紙ましに、総数七百九十八の血判けっぱんがありました。生乾なまがわききの血で半紙はずっしりと……
【帆村魯公】
必中禮ひっちゅうれい……礼記射義らいきしゃぎの引用だな。
しゃにあっては、
所作しょさのすべては礼に従う――
【喪神梨央】
弓の道では礼を尽くす、
そういう意味ですか?
【帆村魯公】
ここでの礼とはのりのことだろう。
皇国こうこく男子おのことしての矜恃きょうじを保つ、
血盟将兵の心意気じゃよ。

ノックの音がして新山眞が入って来た。

【新山眞】
いやぁ、和斗かずとの奴、
今度ばかりは特報のつかぞこねですね。
慌てて陸軍省に向かいました。
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
宗谷そうや大尉のことですが……

風魔ふうま宗谷そうや大尉と思しきアストラルと、時空の狭間で戦った際に記録した波形、それを辿たどれば対の居場所がわかるのでは――
その波形はかなり特徴的だとのことだった。

【新山眞】
私も同じ考えです。
S隊員アストラルの波形は、
かなり鮮明なようですし――
実は青山新京シンキョウに、
不思議なセヒラを観測するのです。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウにですか?
【新山眞】
そうです――
高輪延吉エンキツに置いたセヒラ歪振器わいしんきが、
不思議なセヒラ波をとらえました。
【喪神梨央】
それでは公務に設定します。
兄さん、はらえのへ――

〔祓えの間〕

【新山眞】
帝都満洲で班S隊員に再会すれば、
補完的に宗谷そうや大尉の波形も同定でき、
大尉の居場所を求めやすくなります。
【喪神梨央】
兄さん……
帝都満洲と帝都とで、
時間のずれが広がっています。
帝都満洲での一時間が、
帝都では五、六時間ほどに……
【新山眞】
宗谷そうや大尉の波形を同定したら、
迅速じんそくな対応が必要ですね。
【喪神梨央】
すでに東京憲兵司令に連絡し、
市内に五十個小隊を展開すると、
言質げんちを得ています。
【新山眞】
それだけあれば充分でしょう。
それでは、喪神もがみさん、お願いします。

〔赤坂哈爾浜ハルピン駅〕

ゲートを潜った先で帝都満洲鉄道の列車長が話しかけてきた。

【満鉄列車長】
赤坂哈爾浜ハルピンに、
キタイスカヤ街が現れたとか。
その噂で持ちきりですよ。
キタイスカヤでは、
人は実体を保てるのだとか。
そして私たちは中へ入れない、
まるで結界のような場所ですね。
うらやましいです、キタイスカヤ。
カフェにキネマにテアトルに――
何しろ東洋のモスコーですから!
帝政露西亜ロシア時代の建物も見所です。
さて、そんな赤坂哈爾浜ハルピンを後に、
当列車、青山新京シンキョウへ参ります。

あじあ号は青山新京を目指して走り出した。

【満鉄列車長】
間もなく青山新京シンキョウ、青山新京シンキョウ
この列車の終点です。

〔青山新京〕

【東京憲兵隊Eアストラル】
宗谷そうや大尉の日曜下宿に、
必中禮ひっちゅうれいしるした札があった。
同様のもの、他でも見た――
若狭わかさ少尉が所持していた――
残念ながら少尉は自死したが。

【東京憲兵隊Tアストラル】
真坂まさか閣下かっか暗殺の犯人は、
宗谷そうや東次郎とうじろう歩三附き大尉だ。
第三六中隊を指揮する――
明治三十七年、岐阜ぎふ生まれ。
名古屋幼年学校を経て、
大正十四年、陸士りくし三十七期卒業。
同年、連隊附き少尉として、
朝鮮羅南らなん赴任ふにんしている。

【東京憲兵隊Sアストラル】
宗谷そうや大尉が歩三に転隊となったのは、
昭和八年のことだ――
翌年、大尉に昇進、中隊長となる。

【東京憲兵隊Aアストラル】
羅南らなん時代の宗谷そうや大尉を、
よく知る人物がいる。
来てくれ――

アストラルは全身で風魔についてくるように促した。風魔はアストラルの後を進み、隣の街区へ入った。そこには待ち構えるようにして中型のアストラルがいた。2体のアストラルが会話を始めた。

【元一等主計Kアストラル】
秋本あきもと憲兵大尉と俺は、
同じ陸士三十五期生でな。
任官後、俺は経理学校に入り直した。
【東京憲兵隊Aアストラル】
まさか、金子かねこ、お前が経理畑とはな。
剣道五段の腕前なのに!
あれには驚いた。
【元一等主計Kアストラル】
経理学校卒業後、二等主計として、
羅南らなんの師団に配属された。
師団の剣道試合で宗谷そうや大尉と会った。
【東京憲兵隊Aアストラル】
試合で会ったのか!
で、宗谷そうや大尉は強いのか?
まさか、お前、負けたんじゃ……
【元一等主計Kアストラル】
いやいや、勝負はしていない。
大尉の剣道は独特だった。
二天一流にてんいちりゅうを基礎としながら、
邪流に変じた怨白流おんぱくりゅうの使い手だ。
【東京憲兵隊Aアストラル】
うらみを備える形なのか……
すごい流派だな!
邪流中の邪流だな。
【元一等主計Kアストラル】
宗谷そうや本人がそう言うんだ。
次に奴と話したのは試合から一月後、
大正十四年八月のことだ――

宗谷そうや大尉の元に訪問者があったという。尤志社ゆうししゃという愛国主義運動団体の幹部である。その幹部は柴崎周しばさきあまねと名乗ったという――

【東京憲兵隊Aアストラル】
その二人は意気投合したんだな?
【元一等主計Kアストラル】
鶴屋旅館の大広間を借り切り、
真ん中に座布団ざぶとんき向き合い、
六時間も語り合ったそうだ。
月のよいままに二人して
羅南らなん神社の山に登り、
東の空を仰いでこころざしを新たにしたとか。
革命日本の建設、亜細亜アジア復興の戦闘、
宗谷そうやが時事を慷慨こうがいし出したのは、
ちょうどその頃からだ。
奴は道着の下に真っ白のさらしを巻く。
それが血盟の現れなのかどうか、
いつか聞こうと思っていた――

中型アストラルが風魔に向き直って言う――

【東京憲兵隊Aアストラル】
あんたが誰だか知らんが、
宗谷そうや大尉を追うのなら、
奴の変節の経緯も知っておかないと。
尤志社ゆうししゃというのも、
調べる必要があるな。
【着信 喪神梨央】
尤志社ゆうししゃですね――
承知しました、至急しきゅう調査します。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラを観測します。
進んでもらえますか?

風魔が歩み入れた先には大きな穴が開いていた。穴から霧のようにしてセヒラが立ち上っている。そこへぬっと大型アストラルが姿を見せた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!!
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
フフフフ――
貴様らが血眼ちまなこになって探すうちに、
宗谷そうや大尉の身柄、我々が確保した。
これで事件は解決だ――
だが残念なことに、
色々と鼻を突っ込み過ぎた者がいる。
そんなに我々のことが気になるのか!
東京ゼロ師団の命令に従い、
貴様を直ちに粛清しゅくせいする!!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
フフフ……
生兵法なまびょうほう怪我けがのもとだ、
覚えておくがいい――

不意に周囲が暗くなった。暗闇の中、風魔と大型アストラルが対峙している。

【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
な、何が起きた?
――目の前が真っ暗だ……

どこからともなく声がした――

【感嘆する声】
君たちはの活躍には舌を巻く、
そうじゃないか、灰雨はいざめ憲兵大尉。
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
誰だ?
貴様、何者だ?
【感嘆する声】
導く者とでもしておいて欲しい。
勇猛果敢ゆうもうかかん灰雨はいざめ憲兵大尉殿!
バビロンを征服した、
ペルシアはクロス大王が股肱ここうしん
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
黙れ! 貴様を粛清しゅくせいする!
姿を見せろ!!
【感嘆する声】
すぐにでも見えるようになる。
永遠に見続けることになる。
さぁ、セフィラの湧出ゆうしゅつを受けるのだ。大尉、お前自身を依代よりしろとして、ここに道をひらく!
さぁ、受けろ!!
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
何だ? どうした!
俺の腕が……黒ずんできた!
――ああああああ~

周囲に光が戻った。風魔は依然青山新京に開いた大穴の前にいた。

【感嘆する声】
人柱――まさに柱そのもの!
二本の柱が必要だ。
もう一本を調達するとしよう。

穴から吹き出すセヒラが一段と濃くなり、大型アストラルを包み隠してしまった。アストラルが見えなくなったその刹那、急にセヒラは消えた。アストラルの姿もなかった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにセヒラの奔流ほんりゅうです!
確認お願いします!

公務指令を受け風魔は帝都満洲鉄道で赤坂哈爾浜ハルピンへ戻った。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
そこにいるのは、
帝都赤坂のアストラルのようです。
思念が吸い込まれています!

【芸者千鳥ちどりアストラル】
会えば別れの悲しさよ
会わねばつのるこの思い
ああああああ~
なんとしょ~ なんとしょ~
恋は女の命取り~
歌で気をまぎらわせても、
もうどうにもできませんことよ――
頭ン中に入ってくるの!

白い乳を出させようとて
タンポを引き切る気持ち
彼女の腕を見る

アハハハハハ~

幇間ほうかん平左へいざアストラル】
都々逸どどいつ三下さんさがり大津絵おおつえ
粋な節回して歌いますのは、わっしの何よりの楽しみでござんして――
びんのほつれは 枕のとがよ
それをお前にうたぐられ~
つとめじゃえ~ 苦界くがいじゃえ~
あ~ゆるしゃんせ~
てな様子でありんすが、
どうも変なのが頭ン中に……
入ってくるでござんすよ!

闇の中から血まみれの猿が
ヨロ/\ヨロとよろめきか
俺の良心

ひぃひぃひぃ~
助けてくんろ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に何かが現れました。
原因は赤坂哈爾浜ハルピンかも知れません。
警戒して公務を進めてください。

赤坂哈爾浜ハルピンの街区を進むと、そこに風魔を待ち受けるようにして中型アストラルがいた。

【メソポタミア神学生アストラル】
クデルの大門を守るのは僕だ!
いや、ジプチエへの凱旋がいせんこそ僕の夢!
アーハハハハ!
ついに柱が現れた!
あれは大柱、ヤキンかボアズか!
高さ一八キュビト威容いようを誇る、
青銅の大柱だ!
二本目が現れるまで、
ここは誰も通せない!
お前を昇華させる!!

《バトル》

【メソポタミア神学生アストラル】
僕は……まだ至らないのか……
――あの柱の元に眠ろう……
柱は僕にはゲプスの祝塔に見える!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に巨大な柱が現れました。
機関本部へお戻りください!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、報告があります。
赤坂に現れた柱ですが、
音もなく消えてしまいました。
高さ三十メートルほどの円柱でした。
一ツ木通ひとつぎどおりの先、歩一の裏辺りです。
また現れるかもしれません。

それと――
宗谷そうや大尉ですが、逮捕たいほされました。
ただ、波形が違うんです。
宗谷そうや大尉の波形とは別の波形が、
逮捕たいほされた人からは出ていました。
大尉の身柄を拘束こうそくしたというのは、
渋谷憲兵大隊です――
【帆村魯公】
うむ……またもや渋谷の大隊だな。
――実に怪しい……
連中、はたして正規の軍なのか?
【喪神梨央】
碑文谷ひもんや大連ダイレンのアストラルは、
そのことを調べていたようです。
渋谷憲兵大隊や砲工学校のことを――
それで自失したとか――
【帆村魯公】
うむ……実に怪しい。
怪しさ千万せんばんだな。

【喪神梨央】
怪しいと言えば、柴崎周しばさきあまねです――
またその名前が出ました。
宗谷そうや大尉をそそのかして、
愛国主義運動に向かわせたのでは?
大尉が羅南らなんの部隊にいるときです。
【帆村魯公】
柴崎しばさきの結社は何と言ったか……
【喪神梨央】
尤志社ゆうししゃです。
今、本を取り寄せています。
この夏、一冊、出しています。
【帆村魯公】
青山新京シンキョウに開いた大穴は、
まだ帝都には影響を及ぼしておらん。
だが時間の問題だろう。
柱の件も含めて観察が必要だな。

軍務局長暗殺事件は必中禮ひっちゅうれい事件として、新聞紙上を大いににぎわせた。そして犯人逮捕たいほしらせに大見出しが踊った。帝都は静けさを取り戻したが、それは嵐の前の静寂せいじゃくのようでもあった。

第八章 第六話 東京大正博覧会

〔山王ホテルロビー〕

その日、興亜こうあ日報は二度目の怪人川柳せんりゅうを掲載。たちまち売り切れ続出となり、梨央りお四谷仲町よつやなかまちまで足を伸ばして買い求めた。

【喪神梨央】
興亜こうあ日報の記者の人が、
新聞を持って来るって――
なら買いに行かなきゃよかった。
まったく人騒がせな話です。
これで怪人騒動が起きたら、
記者の人、責任取るんですか?
今度の怪人川柳せんりゅう
前より投稿が増えています。
それに地方からも――
【新山和斗】
喪神もがみさん、新聞の件ではご迷惑を――
皇軍こうぐん機関が朝刊読めないのは、
国難こくなんを招きますね!
【喪神梨央】
新聞ならもうあります。
怪人川柳せんりゅう拝見はいけんしました。
【新山和斗】
今回のは傑作けっさくぞろいですからね!
仙台や熊本からも寄せられています。

怪人の
心に触れて
みたい秋

しみじみと秋を感じますね――
【喪神梨央】
怪人の
通る生垣いけがき
急に枯れ

これで怪人騒ぎが起きたら、
どうするんですか?
【新山和斗】
皆さんのご活躍が愈々いよいよとなります。
――違いますか?
怪人川柳せんりゅうはこの秋入社した、
新人社員の企画なんです。
帝大出の触れ込みでしてね――
蛇穴さらぎ洋右ようすけという青年ですが、
拓務たくむ文理専修科の卒業だそうです。
【喪神梨央】
そんな学科、あるんですね――
【新山和斗】
僕も初めて知りました。
拓殖たくしょく実務を高い水準で学ぶとか。
彼、川柳せんりゅうで張り切っています!
【喪神梨央】
以前、帥先そっせんヤというのがありました。
怪人川柳せんりゅうもその一つとみなされて、
特高の手入れを受けそうです。
【新山和斗】
最近では騒擾罪そうじょうざいを持ち出して、
憲兵が動くのが常ですからね。
今日はこちらの件でうかがいました――

そう言って和斗かずとは絵葉書を取り出した。東京大正博覧会を写した人工着色絵葉書だ。大正三年、上野公園一帯で開催かいさいされた。
上野公園に一夜にして博覧会場が現れ、会場見物の市民でごった返しているという。和斗かずとはそれをしらせに来たのだった。

【新山和斗】
前に浅草十二階が出現しました。
あれと同じ理屈なのではないですか?
浅草のときは当局の検閲けんえつを受け、
早版はやばんの記事から書き換えました。
くさ記事は沢山たくさんありましたから。
【喪神梨央】
今回も発表は無理だと思います。
参謀本部の検閲けんえつが入るでしょうね。
【新山和斗】
まぁ、従いますよ――
ただ記事自体は書いておきます。
いつか発表できるでしょうから。
【喪神梨央】
兄さん、今日の公務は上野ですね。
セヒラの観測、始めます。
【新山和斗】
僕はこの現象、妄築もうちくと名付けます。
ご公務、お気を付けください。

〔上野恩賜公園〕

上野の山はどことなく浮足うきあし立った空気だ。まるで春の花見の頃のようである――

【下谷区のラムネ商】
怪人川柳せんりゅうでいいのがあって、
つい浮かれちまってね!

怪人が
さっさと越へる
電車道

哀愁あいしゅうさえ感じるね、あんた!

怪人に
なったしるしに
かねが鳴り

不朽ふきゅうの名作じゃないか!
――次なんかもいいよ!

怪人を
残して冷える
町となり

文学的なたたずまいさえ感じるね!
――気分が益々ますます浮いてきた!

【谷中の客】
懐かしい見世物みせものがわんさかだよ!
ホントに懐かしい……
芝居しばい手踊ておどり、生人形、独楽こま、足芸、曲馬きょくば照葉狂言てりはきょうげん轆轤首ろくろくび大坂角力おおさかすもう、洋犬の芸、講釈こうしゃく
かっぽれ、女大力おんなだいりき
露店ろてんの洋食屋、りのシャツ屋、
アラスカ金の指環ゆびわ、電気ブラン、
木戸十銭きどじっせん浪花節なにわぶし――
たま乗り娘のあかじんだ肉襦袢にくじゅばん
倶利伽羅紋々くりからもんもんのお爺さん、江川一座のおはやしさんや一寸法師いっすんぼうし――
今はれっきとした昭和の時代、
まるであんた、大正はじめに
時が巻き戻ったみたいです!

トンビ服姿の男性が風魔を見ている。

【下谷第三十八尋常小学校訓導】
今より東京大正博覧会の
趣旨しゅしを述べるのである――
殖産しょくさん工業の進歩開発をうながすにあるは勿論もちろんなるも、第一に大正御即位式を記念し、あわせて我が帝国の改元かいげんともな万般ばんぱんの進歩発達をはかり、
いささかなりともこの大正の御代みよ
むくたてまつらんとするの赤心せきしんより
企図きとせられたものである。
――以上!

中年の男女2人連れがやって来た――

【碑文谷の蓄音機商】
いやね、博覧会案内というのが
落ちていたから拾ってみたんだが――
【蓄音機商の妻】
博覧会の見方が書いてありますわ。
【碑文谷の蓄音機商】
現今げんこん盛んに行われます石綿いしわた製品、
タングステン、ラヂユームらを見て、
鉱業に関する知識を養いましょう――
【蓄音機商の妻】
それは鉱業館の見学指南しなんですわ。
【碑文谷の蓄音機商】
教育館、学芸館、林業館、工業館、
水産館、美術館、拓殖たくしょく館、農業館、
運輸館、染織せんしょく館、外国館――
見学意欲は満々なのだけれどね、
ちっとも寄れないんだ。
近づくとすーっと消える――
【蓄音機商の妻】
知らない間に通り過ぎたんじゃ、
ありませんこと?
【碑文谷の蓄音機商】
そんなこと、あるものか!
――また明日にでも出直すとしよう。

〔東京大正博覧会〕

【内藤町の客】
大正三年に来た時は驚きましたよ。
なんせ本邦ほんぽう初公開のエスカレーター、
動く階段ですからね!
踏み台に足をせるのが怖くって!
でも今じゃ当たり前ですな!
ホホホホホ~
【着信 喪神梨央】
セヒラを観測しましたが、
低い値のままです。
あとで怪人化するかもですね――

【錦糸町の客】
独逸ドイツ館は見ものですよ!
一人気球、携帯電信、人造宇宙衛星、
脳楽のうらく装置、自白機じはくきプルトニウム発電機、
それに二体の自動人形です。
自動人形、人と見紛みまご出来栄できばえで。
サロメ号とオリムピア号ですよ。

口上屋こうじょうや
本邦ほんぽう初のサロメ号、
オートマタにございます。
もうお試しになりましたか?
【ヨカナーン役の学生】
ああ、すっかり試したよ。
僕がヨカナーン役となり、
サロメ号と台詞せりふわすんだ――
口上屋こうじょうや
猶太ユダヤ王女サロメは、ある一夕いっせき
預言者ヨカナーンの冷徹れいてつな声を聞き、その豊麗ほうれいな体にせられて、
たちまちそのとりことなり、
舞いの報酬としてその首を求め、
官能の爛酔らんすいの中で死ぬという筋書きなのであります――
サロメ号の前にて、
決まった台詞せりふを話せば、
会話が進むのであります。

不意にどこからか女性の声がした――

学生は声の元を探している。
その表情はすでに虚ろであった――

【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
私はお前の体にがれている。
お前の体は草刈人くさかりびとが、
一度もかまを入れたことのない、
草原の百合ゆりのように白い。

学生はヨカナーン役となり、サロメ号のわきに掲げられた台詞せりふを話す――

【ヨカナーン役の学生】
さがれ、バビロンの娘! 
この世に悪が来たのは女人のためだ。
【サロメの声】
お前の体はいやらしい。
蝮蛇まむしっている漆喰しっくいの壁のようだ。
さそりが巣を作る漆喰しっくいの壁のようだ。
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前の髪の毛は葡萄ぶどうふさに似ている。
お前の髪の毛はレバノンすぎのようだ。
この世の中にはお前の髪の毛ほど
黒いものは何一つもない。
お前の髪に触らせておくれ。
【ヨカナーン役の学生】
さがれ、ソドムの娘! 
私に触るな。
【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前のくちびるは艶めかしいひるのようだ。
二匹のひるが合わさりうごめくようだ。
私ががれるのはお前の口だ。
お前の口は象牙ぞうげとうにつけてある、
猩々緋しょうじょうひひものようだ。
象牙ぞうげの小刀で切った柘榴ざくろのようだ。
世にお前の口ほど赤いものはない。
……お前の口に接吻せっぷんさせておくれ。
【ヨカナーン役の学生】
ならぬ! バビロンの娘! 
ならぬ! ソドムの娘! 
姦淫かんいんの生んだ娘よ――

全部、正しく言えたはずなのに、
サロメ人形は血走った眼でにらんだ!
僕は全部言えたんだ、
一つもたがわずに言えたんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【ヨカナーン役の学生】
僕は間違わなかった!
最初からだますつもりなんだ、
あの女は!!

《バトル》

【サロメの声】
ヨカナーンや、ヨカナーン……
お前は私の愛した、ただ一人の男だ。
お前は美しかった。
お前の体は銀の台石の上に立っている象牙ぞうげ円柱まるばしらだった。
はとと銀の百合ゆりとで一杯のそのだった。
私はお前の口に接吻せっぷんをしたのだよ。
お前のくちびるは苦い味があった。
あれは血の味だったろうか? 
いや、あれは恋の味かも知れない――

【戸越の客】
独逸ドイツ館は素晴らしいですね!
オリムピア号と目が合った時は、
胸が高鳴りました!
独逸ドイツ作家ホフマンの砂男に登場する、
あのオリムピア号そのままです。
砂男の粗筋あらすじはこうです――

大学生ナタニエルは、下宿先を訪問した、晴雨計せいうけい売りのコッポラから遠眼鏡とおめがねを買う。
それで裏窓をのぞき、1人の女性を見初みそめる。ナタニエルは女性の元を訪れ交際を申し込む。それがオリムピアである。しかしオリムピアは精巧せいこうな自動人形であった。
やがてナタニエルは気が触れてしまい、故郷に帰り婚約者と静かに過ごす。婚約者と市庁舎の屋上に上がったナタニエル、遠眼鏡で婚約者をのぞ動転どうてんして、市庁舎の屋上から墜落死ついらくしするのである。

【戸越の客】
遠眼鏡があやかしの力を秘めていた、
どうもそのようですね。

ホフマンの『砂男』の粗筋を話し終えた男が去ったとき、式部、彩女、そして江戸川乱歩の3人がやって来た。

【式部丞】
喪神もがみさん!
やはり見えていますね、大正博覧会。
――いやはや、驚きです。
【江戸川乱歩】
まるで浅草十二階の頃のようです。
その頃の浅草公園と云えば、
名物が蜘蛛くも男の見世物みせもの、娘剣舞けんぶ
玉乗り、源水げんすいの様の作り物、メーズと言う八陣はちじん隠れすぎ見世物みせもの――
当時と同じおもむきがありますな。

【式部丞】
乱歩らんぽ先生から電話いただいたのは、
他でもなく彩女あやめ君のことでした。
【江戸川乱歩】
オリムピア人形のことを聞いたと、
彩女あやめさんがやってきたのです――
それで式部しきべさんに連絡しました。
【式部丞】
彩女あやめ君、またぞろ話をこしらえました。
オリムピア号に関する話です。
そうだよね、彩女あやめ君?
【周防彩女】
彩女あやめ、文章がいてくるのです。
作家の先生のようにです。
言葉が連なってくるのですわ!
彩女あやめ、体の内側から、
ひっくり返りそうになるのですわ。
【江戸川乱歩】
文章がく……うらやましいですな!
私なんぞ、この一週間、
一行も書けておりませんぞ。
【式部丞】
彩女あやめ君、君のお話がどんなものか、
ここで披露ひろうしてくれるかな?
【周防彩女】
わかりましたわ、店長。
彩女あやめの筋書きがありますのよ、
三人で読みましょう。
乱歩先生がコッポラ、
式部店長がナタニエル、
彩女はオリムピア号ですわ。

3人は彩女版『砂男』の登場人物をそれぞれ演じ始めた。

【コッポラ】
晴雨計せいうけい売りのコッポラが、
学生ナタニエルの下宿を訪れる。
【ナタニエル】
ナタニエルはコッポラから、
小ぶりの遠眼鏡を買う。
それで裏窓を覗き、
窓に見えた若い女性に心奪われる。
【オリムピア】
その女性の名はオリムピア。
【ナタニエル】
ナタニエルはすぐさま交際を申込み、
二人は逢引あいびきを重ねる――
【オリムピア】
ヘッセン州ラウバッハの森に遊び、
町中では芝居しばい、オペラを楽しんだ。
【ナタニエル】
水浴すいよくに登山――
夏にはベルヒテスガーデンの山荘ヒュッテへ、
冬にはヴィンターベルクでスキー――
【コッポラ】
時に二人は危険な遊びにもいどんだ。
ガソリンバーナーに手をかざしたり、
長い時間、氷水に潜ったり――
四十度数のドッペルコルンを
何杯もあおったり、頭上の林檎りんご
投げナイフで落としたり――
ある日、二人はビュルガー塔に昇り、
遠くの景色を楽しんでいた――
【オリムピア】
オリムピアが提案しました。
この高い塔から飛び降りてみない?
最も危険な遊びでしょ?
【ナタニエル】
陽気になっていたナタニエルは、
オリムピアの手を取り飛び降りた――

石畳いしだたみ激突げきとつした2人――
オリムピアは首や手足がバラバラになり、方々に幾多いくたの歯車や弾条ぜんまいを散らばらせた。ナタニエルは墜落ついらくの衝撃で腹がけ、青黒いはらわたを広場に飛び散らせ、口や鼻から大量に噴血ふんけつしていた――

【周防彩女】
彩女あやめのナタニエルは、
オリムピアを自動人形と知らず、
とうから飛び降りたのです!!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!

彩女の背後に濃厚なセヒラが集まり渦を巻き始めた。やがてセヒラの塊となり、あたりを包むこむ。
式部、乱歩は咄嗟とっさにその場を離れた。風魔は彩女とともにセヒラの中へ吸い込まれてしまった。

〔時空の狭間〕

【???】
何だか不思議なところだね――
君と会うのは二度目だね。
愈々いよいよ僕の出番かなと思う。
僕は千紘ちひろ――
周防すおう彩女あやめを遠ざけたから、
しばらくは僕の時間だよ。
千紘ちひろ
僕たちは響き合うのだ。
と――
でもまだ力がおよばない。
君が目覚めさせてくれるよね。
僕を目覚めさせてくれるよね。
前にもやったように。
お願いするよ!!

《バトル》

千紘ちひろ
うん……
この調子だよ。
これで少しは力がおよんだかな。

千紘の気配が消えると、風魔の周囲に町並みが姿を見せた。そこは凍てる上野黒河こくがであった。

〔上野黒河〕

【文科生Xアストラル】
新文民社しんぶんみんしゃに当局の手が入り、
我々文民社ぶんみんしゃも活動自粛じしゅく中だ。
だが手をこまねいているわけではない。
葛木かつらぎ素朴そぼく先生の回顧録かいころくを出す、
そのために資料を整理している。
素朴そぼく先生が述懐じゅっかいされたのを、
その弟子が手帖てちょうつづっていた――
それが発見されたのだ。

【法科生Qアストラル】
素朴そぼく先生は幸徳秋水こうとくしゅうすい先生のことを、
述懐じゅっかいされていた――
秋水しゅうすい先生、刑死直前のことだ。
明治四十四年一月二十二日、
素朴そぼく先生は市ヶ谷いちがや刑務所を訪れ、
秋水しゅうすい先生と面会した。
その日、秋水しゅうすい先生は茶万筋ちゃまんすじ
綿入わたい羽織ばおりを着ていた。
死刑囚に面して、
お体を大事と言うもみょうであり、
葬式そうしきの話題というのも出しづらい。
素朴そぼく先生はだんまりを決めたのだ。
すると秋水しゅうすい先生が
助け舟を出した――
僕は非墳墓ひふんぼ主義だから、
身体は海川にてて
魚腹ぎょふくやすもよし――
ニッコリ笑ってそう申されたそうだ。

【工科生Pアストラル】
爆弾の飛ぶよと見えし初夢は
千代田ちよだの松の雪折れの音
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生の辞世じせいだ。
死刑の六年前、秋水しゅうすい先生が、
第五十二号事件で巣鴨に捕まり、
出獄後、桑 港サンフランシスコに外遊されたんだ。
それをお膳立てした人物がいる――
柴崎周しばさきあまねという駐米日本大使館勤めの一等書記官だ。
米国アメリカ数多あまたの無政府主義者とまじわり、
幸徳秋水こうとくしゅうすい先生はアナーキストに――その影にいたのが柴崎しばさき書記官だ。
柴崎しばさき書記官は完全なる英語を話し、
いつもぞろえの背広姿せびろすがただった――
素朴そぼく先生の述懐じゅっかいはそこで終わりだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号くろのはちごう――!
聞――ていますか?
セヒラ――が接近中です!

秋毫しゅうごう編集主幹アストラル】
私が活動をあきらめたとでも?
見くびってもらっちゃ困る。
何も危険を犯してまで、
演台えんだいに立つ必要はない。
ラヂオを使うのだ!
第一声に用いる草稿そうこうを用意した――
万国ばんこく労働者は眼を開け!
眼前がんぜんに新時代が訪れつつある。
広壮こうそう邸宅ていたくがあるのに橋の下に
しゃがむ必要はなく、
食物が数多あまたあるのに断食だんじきの必要なく、
毛皮でかざるのに凍死とうしするに及ばず。
理論においても実際においても、
万物ばんぶつ万人ばんにんのものであるのだ!
草稿そうこうる私がどこに身を潜めるか、
お前たち官憲かんけんにはわかるまい!
肉体は拘束こうそくできても、
たましいまでは拘束こうそくできないのだ!!

《バトル》

秋毫しゅうごう編集主幹アストラル】
権力なき自由世界の実現に向け、
私は復活をげるだろう。
その名は麦人バクニンである――
まさに、麦人バクニン誕生の瞬間だ。
神もなく、主人もなく! 
絶対捕捉ほそく不可能な麦人バクニン誕生セリ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノくろの――帥士すいし
辺りか――ヒラ消失です。
帰還でき――か?

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
式部しきべさんがいらしてます。
彩女あやめさんのことで……
【式部丞】
彩女あやめ君は神経のやまいのようです。
帝大医科の蛭川泊ひるかわとまり博士に預け、
経過を観察中です。
蛭川ひるかわ博士は神経病の大の権威です。
市谷台町いちがやだいまちの立派な邸宅ていたくで、
金糸雀カナリアと暮らしておいでです。
博士曰く、彩女あやめ君の症状は、
ジャンヌ・ダルク症ではないかと。
つまりは強度のヒステリーです。
ジャンヌじょうはヒステリーを起こして、
仏国フランスの為に戦場にのぞめと幻聴げんちょうを聞き、二重人格をていしたそうです。
慢性幻覚性偏執へんしつ病と呼ぶそうです。
【喪神梨央】
彩女あやめさん、
自分のこと千紘ちひろと呼んでいました。
それも二重人格なのですね?
【式部丞】
ええ、そのようですね。
公務記録からしかわかりませんが、
彩女あやめ君の中に千紘ちひろがいるようです。
【喪神梨央】
その瞬間でしょうか……
強いセヒラを観測しました。
【式部丞】
そのセヒラによって、
芽府めふ須斗夫すとおが何かを語ったかも……
この間、第七の予言と言って、
ヒククアケ――
そう語ったのです。
この言葉の意味を、
調べないといけません。
近く古文書こもんじょ研究の先生に会います。
【喪神梨央】
そう言えば、兄さん――
柴崎しばさき一等書記官の名前を聞きました。
帝大生アストラルが話していました。
幸徳秋水こうとくしゅうすい米国アメリカ外遊をお膳立ぜんだてした、その外交官の名前としてです。
今から三十年前のことですよ――
柴崎しばさき外交官、歳を取っていない、
そうなんじゃありませんか?

まるで蜃気楼しんきろうのように現れた博覧会会場。それに触れてか周防すおう彩女あやめに異変が起きた。そして柴崎しばさき外交官という人物の謎――
帝都はまるで生き物のように、様々なものを飲み込んではしている。真実さえもがくだかれようとしていた。

第七章 第一話 少年の死

〔山王ホテルロビー〕

この8月、ペルセウス流星群が見頃となる。最もいちじるしいのは11日から14日にかけてだ。そして幸運の惑星、木星が天秤てんびん座へ――
木星が天秤てんびん座に入ると、人々の動きが活発になると言われている。帝都にはどのような影響が現れるであろうか。

【喪神梨央】
遅いですね……
新山にいやまさんの弟さん、和斗かずとさん――
もう約束の時間、過ぎたのに。
伊豆いず一碧いっぺき湖で、
少年の死体が上がったんです――
それが怪人じゃないかって……
――和斗かずとさんは疑っています。
怪人について話を聞きたいそうです。
一碧いっぺき湖って伊豆いずですよ。
淑子としこ姉さんが入院していた、
サナトリウムの近くです――

【新山和斗】
遅くなって、済みません!
いろいろ調べることがあって――
【喪神梨央】
新山にいやま和斗かずとさん――
話が聞きたいって……
【新山和斗】
ええ、ちょっとした裏取りです。
【喪神梨央】
私が尋ねていいですか?
一碧いっぺき湖の死体が怪人だなんて、
どうしてそう思うんですか?
【新山和斗】
いやね、まだ決めたわけじゃない。
でも、すごくにおうんですよ、
普通の事件じゃないってね!
【喪神梨央】
一碧いっぺき湖で死んだ人、少年なんですね。
【新山和斗】
ええ、少年です――
十歳から十六歳くらいの少年、
死後二週間ほど経つそうです。
胸が真一文字にかれていて、
それが死因だろうと言われています。
――でも不可解ふかかいな点が……
【喪神梨央】
どんなことなんですか?
【新山和斗】
血が全部抜かれているんです。
それに……
内臓のつくりが人のそれではなく、
見たこともない臓器もあったと――
そういうことなんです。
【喪神梨央】
えええ!
それで、怪人だと?

【帆村魯公】
何だか騒がしいが、
どうしましたかな?
【新山和斗】
人は怪人になると、
体のつくりが変わってしまうのか、
そういう話を聞きたくて――
【帆村魯公】
残念ながら、
ここはその方面の専門外ですな。
【新山和斗】
でも怪人におくわしいのでは?
――日々、向き合っておいでだ。
【帆村魯公】
向き合ってなどおりません、
鎮定ちんていするのみですぞ。
誠実なる者の胸中きょうちゅうおだやか、
怪人なる者の胸中きょうちゅうは……
――して知るべしですな!
【新山和斗】
なるほど……
取材はまだやめませんよ、
何しろ引っかかる事件ですからね!

【帆村魯公】
風魔ふうま、公務の時間だ。
――巡視パトロールに出てくれ。
【喪神梨央】
今日はまだ通報もありません。
どの辺りにしましょうか、巡視パトロール
【帆村魯公】
追ってすぐに連絡を入れる、
梨央りお、公務電車の手配だ。
【喪神梨央】
あっ、はい!
承知しょうちしました!

魯公ろこうからの指示で、一碧いっぺき湖で見つかった、少年の遺体が運ばれた戸山とやま陸軍軍医学校へ。近辺にセヒラの反応もあるという――

〔陸軍軍医学校〕

【着信 帆村魯公】
ブンヤの奴、あながち見当外れではない。
少年の遺体、所見しょけんでは謎だらけだ。
五臓ごぞう六腑ろっぷ、てんでデタラメで、
とても人とは思えない、
そういうことみたいだ――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇しています。

【猟奇的な医者Λラムダ
あの標本を奪おうとする、
そういう不穏ふおんな動きがあるようです。
軍がここを警護するのですか?
何にせよ、あれは最高の標本です。
願ってもない収穫です!
――誰にも渡してはならない!

【猟奇的な医者Ωオメガ
私はね、あの少年は、
怪人として生まれ変わった、
そう見ているのですよ!
不可思議ふかしぎな内臓もそうだし、
ぜんたい、脳がどうなっているのか、
早く解剖かいぼうしてみたいです。

【猟奇的な看護婦Θシータ
死んだ子は人造人間だと思います――
海野十三じゅうざという作家の一篇いっぺんを、
この間読んだばかりです。
人造人間失踪しっそう事件といいます――
砧村きぬたむらの科学実験所が襲われて、
飛田とびた博士と人造人間が消えるんです。
その人造人間は怪力の持ち主で、
木に登ったりはりにぶら下がったり、
メートルへいに飛びついたりするんです。
人造人間が飛田博士を殺して、
逃走したに違いない――
警察はそう推測します。
結局、人造人間は軍が兵器にすべく、
兵器しょうに運び入れていたのですが。
襲撃は世人せじんの目をあざむ偽装ぎそうだった――そういうお話ですのよ。
あの子もきっと、
どこかで作られたんですわよ!
人造人間に違いないです!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、引き続き上昇中です!

【猟奇的な医者Φファイ
聞いてください!
僕はね、感嘆したのですよ!
あんなに美しく脱血するとは!
まさに言葉を失うとはこのことです。
ライニンガー瀉血しゃけつ法に違いない――
ライニンガー医師は四人の少年から、
合わせて十二リットルもの血液を抜いた、
それも生かしたままやった……
少年たちの肌は、
白蝋はくろうのようになったそうです!
僕も試したいのです!
その権利はあるはずです!

《バトル》

【猟奇的な医者Φファイ
メスの刃が
とぎばなしを読むやうに
ハラワタの色を
うつして行くも
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラは消えました。
お話があります――
山王さんのう機関本部に戻ってください。

〔山王機関本部〕

【帆村魯公】
実はな、風魔ふうまよ、
この半年の間に二人の少年が、
相次あいついで不審死をげておる――
音羽おとわ西尋常小学校四年、内藤ないとう佐吉さきち
二人目は厨橋くりやばし尋常小学校、
五年の幹田みきた貞三郎ていざぶろうだ。
二人とも胸をかれていた。
死体は水中に投棄されている――
その手口が似ているのだ。
だが血は抜かれておらん……
警察では関連付けて、
捜査そうさを始めるとのことだ。
【喪神梨央】
隊長、兄さん……
そのことで新山にいやまさんがおいでです。
【帆村魯公】
またブンヤか!
【新山眞】
いえ、です。
【帆村魯公】
おう、新山にいやま君。
――それで……
エスペラント語は相変わらずか。
【新山眞】
ええ……不思議スチボーラスな気分です――
私はセヒラ球に飲み込まれた時、
実に様々なものに触れました。
【喪神梨央】
麗華れいかさんも言っていましたね――
すべてが見通せたって。
【新山眞】
ある一人の医者クラチーストの思念に触れました。
それはおぞましい体験でした――

医者は強い思念を飛ばしていたという。少年の薄く白い胸をメスでき、まだ暖かい中に指を入れるというものだ。

【新山眞】
見たわけではありませんが、
その医者クラチーストは触れた感触からすると、
おそらく外国人フレムドゥーロです――
【帆村魯公】
それで……
その思念はセヒラ球の中でしか、
確認できないのだな?
【新山眞】
ええ、普通はそうですが――
その同じ思念が現れたのです。
歪振器わいしんき反応レアクチーオしました。
それでお邪魔したのです。
【帆村魯公】
そうか!
なんとかという機械は、確か……
【喪神梨央】
高輪たかなわ延吉エンキツです。
以前、そこに置きました。
【帆村魯公】
よし、風魔ふうま
物は試しだ、向かってくれ。
高輪たかなわ延吉エンキツだ!

〔高輪延吉〕

【久作読者アストラル】
すれ違つた白い女が
ふり返つて笑ふ口から
血しした
いつまでもこうしていたいのに、
余計な邪魔が入った!
奴らだよ、
何をここに来てまで騒ぐのだ!
猟奇歌に浸っていたいのに……
昨日までと思うた患者が
まだ生きて
今朝の大雪みつめて居るも
【穏健派Tアストラル】
我ら、新文民社、
ここにきて危機にひんしている!
韮山にらやま儀礼ぎらい先生が危ない!
――まさに襲撃を受けようと……
なんとかしないといけない!
【穏健派Wアストラル】
青臭い帝大生連中とはたもとを分かち、
こころざし大きく旗揚げしたのだが、
嗚呼ああ、もうだめだ!
新文民社の活動拠点、
青山の自潤会じじゅんかいアパートは、
憲兵らに包囲ほういされている!
【穏健派Kアストラル】
頼まれて欲しいんだ――
自潤会じじゅんかいアパートを囲む憲兵に、
怪人が含まれている。
そいつを倒してくれないか。
【穏健派Tアストラル】
何者かが怪人をけしかけて、
韮山にらやま先生を襲おうとしている!
【穏健派Wアストラル】
帝大の連中が、
我々を潰そうとしているのか?
とにかく手を貸してくれ!
【穏健派Kアストラル】
憲兵怪人を排除してくれれば、
ここを通しても良い。
これは交換条件だ――
【着信 新山眞】
セヒラ歪振器わいしんきは、
継続ダウリーゴして思念波形を伝えます。
アストラルはそれを知って、
条件コンディーチョイを出してきたのだと思います。
まずは青山に向かってください。

新文民社のアストラルが条件を出してきた。まさに自潤会じじゅんかいアパートを襲撃せんとする、憲兵怪人を倒せば先へ通すということだった。

自潤会渋谷じじゅんかいしぶやアパート〕

佐々木ささき憲兵少尉】
公務、ご苦労様です!
韮山にらやま儀礼ぎらい自潤会じじゅんかいアパートの、
事務所にいると思われます。
奥田おくだ憲兵少尉】
本日の出動は聞いていませんでした。
差し当たり、不審な動きがないか、
監視しているところです。
米村よねむら憲兵少尉】
これまで、月に二度、
車中より監視三十分という目標、
今日になって逮捕たいほせよとは……
ややせないのであります!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇しました!
注意してください!
神呪かんのう憲兵大尉】
諸君!
監視、ご苦労であった!
これより韮山にらやま儀礼ぎらい逮捕たいほに移る。
諸君は退避してよろしい。
特務中尉!
貴様も退避せよ!
むむ……
さては韮山にらやまくみしたか!
ならば仕方なし、排除する!
私はめいに従うまでだ!!

《バトル》

神呪かんのう憲兵大尉】
何故だ?
――命令は……どうなっている?
【着信 帆村魯公】
新文民社の連中も、
これで通してくれるだろう――
【着信 新山眞】
聞いてください――
犠牲になった小学生ですが、
二人とも胸腺トロンポステーロを抜かれていました。
胸腺は成長ホルモンを分泌する、
子供にとっては不可欠な器官です。
遺体の胸がかれていたのは、
胸腺を抜くためのようです――

〔高輪延吉〕

【穏健派Fアストラル】
新文民社には学生ではなく、
勤め人が多くつどいます。
その中の一人に興亜こうあ貿易という、
貿易会社の社員がいます。
彼の会社は麹町こうじまちにあります。
彼は他に見ないほど没個性ぼつこせいなのです。
私はそれが居心地悪いほど気になり、
一度、退勤を待って尾行したのです。
半蔵門はんぞうもんから十一番に乗って桜田門さくらだもんへ、
その後、彼は内務省のビルへと、
入っていきました。
内務省とどんな関係があるのか、
いぶかしく思いながらも、
私はその場を去ろうとしました。
その直後、四人の男が私を取り囲み、
私は車に引き込まれたのです――
車中で目隠しをされ、
腕に注射を打たれました――
爾来じらい、こうして漂っているのです。
また来てください……
いろいろ調べておきます。
【着信 帆村魯公】
犠牲になった子供が通った小学校に、
保健医として勤務した医者がいる。
独逸ドイツ人のオットー・ヘルマン医師だ。
現在、ヘルマン医師は、
四谷塩町よつやしおまち尋常小学校に勤務する――
何と、お前たちの母校だぞ!

【着信 新山眞】
セヒラ歪振器わいしんきによって、
明瞭めいりょうになってくる波形オンフォルモがあります。
――それがヘルマンの波形オンフォルモです!
今、物凄く明瞭めいりょうになっています。
近くにアストラルはいませんか?
【着信 帆村魯公】
風魔ふうまよ、ヘルマンの思念を、
なんとしても揮発きはつさせるんだ!
吹き飛ばしてしまえ!
そうすることで、
ヘルマンは自分を保てなくなる。
自分の意志で行動できなくなるのだ!

【ヘルマン医師のアストラル】
私は自分が早老症プロジェリアではないかと、
ひたすら疑い、案じていた。
ひ弱な二十代の頃だ――
検査を繰り返すも疑念は晴れない――
そんなある日、私は導かれたのだ。
それは失血死した少年の死体だった。
埋葬まいそうするのが惜しいくらいの死体だ。
私はメスを取り、少年の胸をき、
まだ温かな胸腺を取り出した……
それをワインで煮て食べたよ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
物凄いセヒラです、
最大の警戒をしてください!
【ヘルマン医師のアストラル】
この国に来て私は僥倖ぎょうこうに恵まれた。
快活で素晴らしい少年たちよ――
だが、一人目の少年は仕損しそんじた――
恐怖に目を開いたまま死んだのだ。
その子の胸腺は、
青く萎縮いしゅくして苦い味がした。
舌触りも悪かった――
しかし二人目は大成功だった。
私たちはポートワインに酔い、
あの子は安らかに眠ったのだ――
少年たちの命のエッセンスが、
私に生きる使命を与えてくれる。
遺憾いかんながら、
君たち大人の胸腺には興味がない、
そう、興味がないんだよ!!

《バトル》

【ヘルマン医師のアストラル】
この間の少年には……
――胸腺がなかった!
どうしてだ?
――体を開くと、そこは異様な様子、
それに……
あの匂い……
アーモンドの匂いがした!
私は……混乱の極みにいる!
――だめだ、自分をたもてない……
これ以上、無理だ!!
【着信 新山眞】
思念はきれいになくなったようです。
――消し飛びました!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
ヘルマン医師の身柄、
四谷よつや署の特高課が確保しました。
【新山眞】
ヘルマンは自分のコールポを――
コールポをひたすら痛めつけ始め、
全身血まみれサンガサラートンだそうです。
拘束具でなんとか抑えているとか。
【喪神梨央】
まだ邪悪さを残すんですか――
怪人化しないか心配です。
【新山眞】
特高に捕まっている限り、
大丈夫ボーネだと思います。
【喪神梨央】
私たちの母校ですよ……
ヘルマン、そこにいたんです、
考えるとゾッとします!
【新山眞】
これはフラートから仕込んだ話ですが……
ヘルマンの足取りから、
ある場所が浮上しました――
【喪神梨央】
どこなんですか?
【新山眞】
銀座にあるという美少年ベーラユネーツォ倶楽部です。
【喪神梨央】
美少年……倶楽部……
【新山眞】
ヘルマンはその倶楽部でも、
少年クナーボを物色していたようです。
それにしても――
【喪神梨央】
一碧いっぺき湖の少年、そこの倶楽部の?
――そうなんですね!
【新山眞】
そうです。
他にもたくさんいます、倶楽部には。
――皆、同じビザーゴだそうです。
【喪神梨央】
それで……なんですね……
隊長は参謀本部に詰めています。
今回の件で何か情報がないかと。
兄さん、
もしかすると、ホムンクルスじゃ……
ユリアさんに聞いてみましょう!

第六章 第一話 敏腕記者

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

風魔ふうまが持ち帰った指輪は4本。
ユリアから預かった分と合わせて5本の指輪はいずれも飯倉いいくら技研で研究されていた――

帆村ほむら魯公ろこう
平生へいぜいは善人、いざという間際まぎわ
急に悪人に変わるから恐ろしい――
指輪はそういう人間のさがあらわすな!
喪神もがみ梨央りお
隊長、新山にいやまさんがお見えです。
新山眞にいやままこと
皆さん、おそろいですね。
帆村ほむら魯公ろこう
ほう、ほうほう! 
もう指輪の研究が
終わったんですかな?
新山眞にいやままこと
いえいえ、まだ終わっておりません。
帆村ほむら魯公ろこう
ならば、何のご御用で?
新山眞にいやままこと
いや実は、弟がですね、
厄介事やっかいごとに巻き込まれまして。
帆村ほむら魯公ろこう
弟さんは、確か……
新山眞にいやままこと
ええ、興亜日報こうあにっぽうの記者です。
日比谷ひびやの東京支局の勤めです。
帆村ほむら魯公ろこう
その記者さんが、ぜんたいどんな
厄介事やっかいごとに巻き込まれたかな?
新山眞にいやままこと
弟は、和斗かずとといいますが、
帝都の怪人騒動を取材していました。
この山王さんのう機関のことも――
薄々は勘付かんづいていたようです。
目下もっか、和斗の興味は牛頭ごず機構と、
連中が着目する人籟魔じんらいまきなのです。
帆村ほむら魯公ろこう
それはまた厄介やっかいなところに
首を突っ込んだもんだ!
厄介やっかいの総本山であるな!
新山眞にいやままこと
和斗かずとですが、現在、戸山とやまの施設に
監禁されているとセヒラ通機で
連絡してきたのです。
喪神もがみ梨央りお
セヒラ通心機つうしんき、完成したんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
こら、梨央りお
今はその話ではないぞ。
――で、新山にいやまさん、
弟さんは戸山とやまのどちらですか?
あの辺り、いろいろあるのでね……
新山眞にいやままこと
地図を貸してください。
およその見当は付きますので。
帆村ほむら魯公ろこう
了解した。
時間もない、
早速、向かってくれ、風魔ふうま
参謀本部からの視察しさつがある、
そういう話にしておく――
喪神もがみ梨央りお
その作り話、
牛頭ごず機能は信用しますか?
帆村ほむら魯公ろこう
目端めはしく連中は出払っているはずだ。
比類舎ひるいしゃの集団自決を教唆きょうさしたと、頭目の御厨みくりや車夫しゃふが逮捕されたろう……
喪神もがみ梨央りお
新宿旭町あさひまち木賃宿きちんやどから
逃げたんですよね。
帆村ほむら魯公ろこう
逃げたというか、
まぁ自決を躊躇ためらった、
奴は下宿に帰ったところを捕まった。
それで潜伏していた比類舎ひるいしゃの連中が、
芋蔓式いもづるしきに挙げられている。
牛頭ごずにすりゃ格好の材料だ――
新山眞にいやままこと
なるほど――
アナーキストであれば、
かせて、
人籟魔じんらいまきを作りやすいわけですね!
帆村ほむら魯公ろこう
警察にさきんじて、
連中の潜伏先を当たっているはずだ。
砲工ほうこう学校の視察、今のうちだぞ!
喪神もがみ梨央りお
公務電車、飯田橋いいだばしから若松町わかまつちょうに向かう経路を抑えました。
それと……虹人こうじんさんから連絡が――
帆村ほむら魯公ろこう
おう、丁度ちょうどよい、
虹人こうじんを差し向ける。
向こうで合流してくれ!

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

戸山とやま砲工ほうこう学校は若松町わかまつちょう電停から、1.5キロほどのところにあった。牛込区うしごめくの西の区境にほど近い。

【帆村虹人】
風魔ふうま
どこに行こうか、迷っているのか?
僕は場所を教えてもらったよ。
さっき、兄上が無線で教えてくれた。
――お前、本部から来たんだよな。
僕は浅草あさくさからだ――
兄上の提案でね、
今日は市内を一巡ひとめぐりしていたのさ。
お前も公務電車だろ? 僕もさ!
あれ、二両あるんだな、
そんなこと初めて知ったよ!

瀧本たきもと砲工科生】
お二方は、参謀本部からの……
そうですよね?
――当校、全てが順調であります!
砲の学習と設計に、
日々、精進しております!!
【帆村虹人】
今日はやけに人が少ないようだが……
瀧本たきもと砲工科生】
上級生ならびに教官殿は、
皆、出払っております!

【帆村虹人】
さっき梨央りおから聞いたよ。
アナーキスト連中を、
人籟魔じんらいまきの候補にする計画だって。
それで出払ってるんだろ?
ここが牛頭ごずの関係なら……
警察の情報も筒抜つつぬけなんだな!

須沢すざわ砲工科生】
視察、ご苦労様であります!!
自分、九五式迫撃砲はくげきほうの改良を、
任されております!
該砲がいほうは、可変砲かへんほうにあります!
口径こうけい、三段階にて可変するもので、
大國屋おおくにや機械社で開発されました!
【帆村虹人】
ええ、そうなのか?

大國屋だいこくやといえば、あの変人の、
ナナオセンジロウの工廠こうしょうだ。
あの人、奉天ホウテン錠前屋じょうまえやだったらしい。
英吉利イギリスのチャブ錠というのを真似まねて、
すごい錠前作ったそうだよ――

ところで、君、
ここに新聞記者がいるって聞いたが、
見かけなかったか?
須沢すざわ砲工科生】
――
あっ、いえ、ちっともです!
天にちかって全然であります!!

【帆村虹人】
ちょっといいか――

虹人こうじん清掃夫せいそうふからそれとなく新山にいやま和斗かずとのことを聞き出した。彼はそれらしき人物を見かけたという――

【帆村虹人】
風魔ふうま、ブンヤはどうやらいるようだ。
中へ入ろう、今のうちだ。

〔戸山砲工ほうこう学校玄関ホ―ル〕

【帆村虹人】
……おい、風魔ふうま――
(普通の砲工ほうこう学校じゃないな……)

検見川けみがわ砲工科生】
視察、ご苦労様です!
自分たちの上級教官様というのは、
神埼かんざき軍医少佐であります!!
神埼かんざき軍医少佐には、
弟さんがいらっしゃいます。
弟さんも軍医様で、
陸軍軍医学校で神埼かんざき班班長を、
なさっておいでです。
【帆村虹人】
神埼かんざき班……
確か、戸山とやま衛戍えいじゅ病院のかいの特務、
その記録にあったな――
やっぱり……
(ここは怪しいぞ)

手島てじま砲工科生】
ようこそ、おいでなさいました!
戸山とやま砲工ほうこう学校へ!
【帆村虹人】
ここでは、何を学んでいるんだ?
手島てじま砲工科生
砲の新技術であります!
【帆村虹人】
参謀に視察報告を上げねばならん、
技術のこと、くわしく教えてくれ。
手島てじま砲工科生】
可変かへん口径こうけいの砲、遠隔にて操作する砲、
自ら標的を探信たんしんする砲、
新物質にて霊異りょういす砲であります!
【帆村虹人】
霊異りょういす?
(こいつら審神者さにわを知っているのか)

【模範囚ト】
視察の方ですね?
【帆村虹人】
――そうだが……
【模範囚ト】
ああ、よかった!
間に合いましたね!
【帆村虹人】
ん?
何に間に合ったんだ?
【模範囚ト】
観察ですよ! これから始まる。
人に極度の苦しみを与えて、
魂の抜ける間際を観察するのです。
【帆村虹人】
お前、何の話をしている?
――もしや、新山にいやま和斗かずとのことか!
【模範囚ト】
ほう! よく知っているな!
――お前達が偽物にせものなのはお見通しだ。
そういうのはらしめないとな!
【模範囚ト】
ウハハハハ!
油断したな、貴様らの帆村ほむら流とは、
その程度のものか!

《バトル》

【模範囚ト】
フフフ……
我々の計略は奥深いのだ……
【帆村虹人】
ぬかった……
ちょっと油断したんだ……
僕は……お前と一緒だと……

瀧本たきもと砲工科生】
――
今より、一瞬、停電します。
それにより……
【帆村虹人】
停電するって、どういう意味だ?
瀧本たきもと砲工科生】
停電によって地下室の扉が開きます。
記者さんはそこにいます。
――停電時間は一瞬です!
これは千載一遇せんざいいちぐうの機会なのです。
さぁ、教官らが戻る前に、早く!

【帆村虹人】
電気が消えたぞ!
風魔ふうま、地下室だ!
あそこの階段じゃないか。

〔戸山砲工ほうこう地下室〕

【帆村虹人】
おい、風魔ふうま
そこにいるの、ブンヤじゃないか?
【新山和斗】
――
気を付けたほうがいいですよ。
【帆村虹人】
貴方を助けに来ました。
――動けますか?
【新山和斗】
危ない!!
【模範囚ナ】
今日はあれですか?
――葬式ですかね?
【帆村虹人】
貴様、何を言っている!
【模範囚ナ】
帆村ほむら帰神きしん法、本日、終われり。
牛頭ごず機構の前では、赤子も同然。
そうではないですか?
【帆村虹人】
帆村ほむら流、貴様らの邪流じゃりゅうに、
負けるものではない!
【模範囚ナ】
それはさぞかし軒昂けんこうなことで!
では参りましょうか!!

《バトル》

【模範囚ナ】
なるほど!
我々ももっと研鑽けんさん積む必要が……
……ありそう……です……
【新山和斗】
わかったでしょう!
ここは牛頭ごず機構の影響下にある。
僕がぎつけたんです――
【帆村虹人】
随分と危ない橋を渡りましたね。
さぁ、戻りましょう。
お兄さんが心配されておいでです。
【新山和斗】
僕の調査、役に立ちますよね!

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

【山郷武揚】
残念ながら、今は主だった連中、
皆、出払っていてね――
【新山和斗】
あなたは……
もしや、牛頭ごず機構の頭目とうもく
その人ですね!
【山郷武揚】
私はただの民間人だよ。
ここもただの砲工ほうこう学校だ――
そうではなかったかな?
【新山和斗】
あなた達はここで人籟魔じんらいまの、
研究開発を行っている。
人の魂を食うだ!
【山郷武揚】
君にはなるものが見えるのか?
私には見えんが……
皆、参謀本部のでっち上げだ。
連隊に怪人部隊をもうける、
そんな話もあるようだな。
余計なことに巻き込まれないことだ。
【新山和斗】
防疫研ぼうえきけんと組むのは何故なぜですか?
あるいは市ヶ谷いちがや刑務所、
あそことはどういう関係ですか?
【山郷武揚】
私はね、受刑者の更生こうせいに、
尽力じんりょくしているのだよ。
さぁ、急がなくては!

【山郷武揚】
おお、ちょうどよかった。
戻りが早かったな、少佐。
彼らの相手をしてやってくれ!
神埼かんざき軍医少佐】
もう用事は済んだのですか、
お二方は?
【帆村虹人】
あんた、もしかして軍医か?
神埼かんざき軍医少佐】
しつけが出来ていませんねぇ、
軍属風情ふぜいがその口の聞きようですか!
――山王さんのう機関には教育が必要ですね。
【新山和斗】
これは驚きだ、
砲工ほうこう学校に医者がいるとはね!
いったい、何の研究をするのですか?
神埼かんざき軍医少佐】
君かね、ちょろちょろまわる、
三流記者というのは?
材料になったと報告を受けたが――
【帆村虹人】
材料とは何ですか?
人籟魔じんらいまの材料ですか?
――ここではその研究を……

神埼かんざき軍医少佐】
おやおや!
山王さんのう審神者さにわにも効きましたか!
この新型閃光弾せんこうだん

さて、弟から報告は来ていますよ。
君とお手合わせ願えるとは、
光栄の極みですな!

《バトル》

神埼かんざき軍医少佐】
素晴らしい! 実に見事だ!
私に新たなる目標が出来た。
――感謝……する……よ……
【帆村虹人】
――風魔ふうま……済まない……
さっきの油断が……尾を引いている!
――公務電車を、呼んでくれ……

〔山王ホテルロビ―〕

3人は公務電車で赤坂あかさかまで戻った。電車は山王下さんのうした電停に留置された。

新山にいやま和斗かずと
さっきはいきなりでした。
目眩めくらましでも使ったんですかね。
僕はどうやら、真相に近づき過ぎ、
連中の警戒心を高めてしまった。
でもね、あきらめる気なんてないですよ!
ところで、あなた、
手に持つそれ、当社の原稿用紙です。
作家に渡すものです――
帆村ほむら虹人こうじん
ああ、これは兄が無線で、
砲工ほうこう学校の場所を知らせてくれ、
持っていた紙に書いたのですが……
新山にいやま和斗かずと
その用紙、貴方がお持ちだった、
そういうことなんですか?
帆村ほむら虹人こうじん
……実を言うと
僕は貴紙の投稿者です。
ペンネ―ム、白金江しろかねこうと言います。
時に投稿小説を書きます。
新山にいやま和斗かずと
ああ、あの白金江しろかねこうさんですか!
たしか、秋宮あきみやという小説ですね。
諏訪すわの旧家を舞台にした三姉妹の――
新山眞にいやままこと
なるほど、投稿作家が
こんなところにいたとは驚きです。
新山にいやま和斗かずと
ああ、兄貴!
セヒラ通心機つうしんき、ちゃんと使えたよ。
それにしても危なかった――
新山眞にいやままこと
ちぃとばかり、深入りが過ぎた、
およそ、そんなところだろう。
今はいろいろ不安定な時期だ……
新山にいやま和斗かずと
比類舎ひるいしゃ御厨みくりや車夫しゃふが逮捕され、
残された連中が不満をたぎらす、
これは想像にかたくない――
新山にいやま和斗かずと
牛頭ごず機構にすればそういう人間は、
人籟魔じんらいまの材料にうってつけだ。
こぞって捕獲に乗り出すはず――
帆村ほむら虹人こうじん
あの砲工ほうこう学校が牛頭ごず機構の本拠だと、
知っていたのですか?
新山にいやま和斗かずと
勿論もちろん! 市ヶ谷いちがや刑務所、砲工ほうこう学校、
どちらにも牛頭ごず機構の構成員はいる。
防疫ぼうえき研究所にもいるといううわさです。
新山眞にいやままこと
いろいろ首を突っ込みすぎるなよ。
今回は運が良かったといえる。
この次はどうなるかわからんぞ。
新山にいやま和斗かずと
まぁ、程々にやりますよ。
新山にいやま和斗かずと
じゃあ、皆さん、僕は失敬しっけいします。
助けていただき、感謝しています。
兄貴、また浅草あさくさ今木いまきに顔出しなって!

新山にいやま和斗かずとは悪びれる風でもなく、軽い足取りでホテルを後にした。その目はすでに遠くを見つめているようだ。

新山眞にいやままこと
ああいう奴なんだ、
勘弁してやってください。

それで、みなさん――
預かった指輪なんですが、
特有の波形がわかりました。
指輪がかもすセヒラの波形です。
それを求めれば、他の指輪の
おそらくわかります。
喪神もがみ梨央りお
その波形の特徴をつかんでおけば、
指輪で怪人になる人を防げますね!
新山眞にいやままこと
ええ、理屈の上ではそうです。
喪神もがみ梨央りお
承知しました!
これから、留意して探信たんしんします。
新山眞にいやままこと
私が心配なのは月詠つくよみ麗華れいかさんです。
あの人は悪戯いたずらに召喚をしている――そう思えてならないのです。
喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさん、行方不明なんですよ!
悪く言わないでください!
新山眞にいやままこと
いえ、決してそんなつもりは……
ただ――
……いずれ問題になりそうです。
喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさん、鈴代すずよさんの側にいて、
術を会得えとくしたんでしょうか……
――そしたら、私も……

第三章 第十話 賢者ノ石

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

帝都満洲に出現した上野うえの黒河コクガ
そこから帝都に流れ入るセヒラが作用して、さまざまな怪異をもたらしていた。
てつく辺境へんきょうの街、上野うえの黒河コクガ
そこにただようは、聖日信教せいじつしんきょうのラヂオ番組により、賢者ノ石を目指す思念のアストラルだった。
新山眞にいやままことにより調整を加えたはずのゲートだが、変動するセヒラの値に耐え切れないのか、不安定になり、急遽きゅうきょ風魔ふうまは本部へ帰還した。

喪神もがみ梨央りお
兄さん、大丈夫ですか?
――よく休めましたか?
上野事件の売笑婦ばいしょうふですが、
身元がわかりました。
蛎殻町かきがらちょう曖昧屋あいまいやに出入りする、
玉野たまのという売笑婦ばいしょうふだそうです。
彼女、聖日信教せいじつしんきょうの信者でした――
新山眞にいやままこと
やはり聖日せいじつでしたか……
その売笑婦ばいしょうふは信者だったんですね、
ラヂオ聞いていただけではなく。

くちばしを挟んだのは飯倉いいくら技研の新山眞にいやままことである。
ゲートの調整のため山王機関に詰めている。作業の合間を見て本部に顔を出した按配あんばいだ。

喪神もがみ梨央りお
はい。かなり熱心な信者だったと。
曖昧屋あいまいやの客にも入信にゅうしんすすめたり、
ラヂオ聞くように言っていたとか。
新山眞にいやままこと
狂信的であればあるほど、
その者は、より深く……
頭の中を、ええっと、何でしたか?
喪神もがみ梨央りお
洗脳、ですか。
でも、この間の新聞では、
聖日新教せいじつしんきょうの中に
沙汰さたがあったように伝えていました。
教祖様がいなくなったとか……
どうなんでしょうか?
兄さん、聖日新教せいじつしんきょうの本社は、
本所業平橋ほんじょなりひらばしの近くです。
巡視パトロールに出てみますか?
新山眞にいやままこと
今、聖日せいじつを仕切るのは腹心ふくしんです。
神子柴みこしばはつゑという巫女みこです。
ほら、ラヂオに出ている人ですよ。
聖日せいじつの教祖は大絹おおぎぬという女性ですが、
今や目立つのは神子柴みこしばの言動ばかり、
どうもそのようですね。
喪神もがみ梨央りお
その神子柴みこしばっていう人が、
教祖とは別の考えでもって、
何かをたくらんでいるのですね。
新山眞にいやままこと
そのようですね。
神子柴みこしばは怪人化している、
そう考えて間違いないでしょう。
喪神もがみ梨央りお
大丈夫です、ね、兄さん!
おかしな巫女みこさん怪人とは、
もう戦いましたから。ね!
そうそう、さっき幸則ゆきのりさんが……
表で姿を見かけたら、
同行持ちかけると喜びますよ!

赤坂街路あかさかがいろ

【待ち伏せしていた記者】
ちょっと待ってくれ!
そこの……
貴方ですよ、貴方!
やっとお目にかかれた!

【待ち伏せしていた記者】
帝都を騒がす怪人事件に関わる、
謎の軍人さんって、貴方ですね?
上野うえのの騒動の時も、見ていましたよ。
ピンときました。あの様子からして、
これはただの心中事件じゃないって!
以前から怪人事件を追うたびに、
しずめて回る者の存在を感じていた――
いや、組織というべきか!
あっ、大変失礼しました、中尉殿。
挨拶あいさつが遅くなりました。
新山にいやま和斗かずと
僕は興亜日報こうあにっぽう東京支局の、
新山にいやま和斗かずとです。
兄、まことがお世話になっています。
ええ、そうです、山王さんのうに行くが口癖。
兄はいつもこちらに参っているはず。
――あるんでしょ、特務機関が。
ほぅら、ドンピシャ!
ホテルに特務が置かれている、
そう目星をつけていたんだ!
それで、これから、上野うえのですか?
それとも蛎殻町かきがらちょう
曖昧屋あいまいや売笑婦ばいしょうふなんですよね。
なんでも取材取材、裏取りもします。
もっと聞かせて貰いたいんですが。
僕も同行しますよ!
九頭くず幸則ゆきのり
おっと、邪魔だな!
新山にいやま和斗かずと
な、何ですか!
びっくりさせないでください!
九頭くず幸則ゆきのり
ブン屋がちょろちょろして、
何をぎまわっているんだ?
任務の内容は秘匿ひとくだ。
新山にいやま和斗かずと
残念だなぁ~
せっかく良い取材、
出来そうだったのに!
仕方がない、今日は退きますよ。
でも僕は諦めない性質たちです。
またお目にかかりましょう!
九頭くず幸則ゆきのり
あることないこと書き立てる、
それが奴らの仕事だ。
付き合っていられない!
余計な時間を食ってしまったな!
急ごう、風魔!
向かうは聖日信教せいじつしんきょうの本社だ。

公務電車を繰り出し、業平橋なりひらばしまで行くも、聖日信教せいじつしんきょうの本社はもぬけからであった。
2人はほどなくして赤坂に戻った――
最近、聖日信教せいじつしんきょう提供のラヂオ番組が人気だ。
それを知る九頭にとっても、予想しなかった展開のようである。

九頭くず幸則ゆきのり
おかしいな~
聖日せいじつの本社に誰もいないなんて……
毎朝、ラヂオやってるよね聖日は。
賢者ノ石という番組だよ。
確か神子柴みこしばって巫女みこだ、しゃべってるの。
――みなさん、お一人お一人が
賢者ノ石でございます――
そうやって始まる番組だよ。
歩一ほいちにも熱心に聴く奴がいるんだ。

九頭くず幸則ゆきのり
それだけ派手はでにやってて、
本社に誰もいないなんてね。
まさか特高がやってきて、
一網打尽いちもうだじんにしたってのか?
いやぁ、そんな話は聞いていない。
それに……
あれ!
あの人、聖日せいじつの信者とかじゃないか?

浄階じょうかい信者】
何が賢者ノ石だぁぁぁ~
あんなの出任でまかせだ!
インチキだぁぁ~
九頭くず幸則ゆきのり
あんたは、もしかして聖日せいじつの者か?
どうして誰もいない?
浄階じょうかい信者】
みんな神子柴みこしばの言いなりだぁぁ~
――死を迎える黒化ニグレドが始まりです、
腐った臭いを放つのです、だとぉ?
――黒化ニグレドを経て、白化アルベドの段階へ進み、
浄化が行われるのです――
くそっ! この私を追い出しよって!!
九頭くず幸則ゆきのり
どうした――
なんか、おかしいぞ、こいつ!
浄階じょうかい信者】
何が賢者ノ石だ!
何が錬金術れんきんじゅつだ!
私を見ろ!! すべてを、超えた!!

《バトル》

浄階じょうかい信者】
教祖の大絹おおぎぬ真砂湖まさこは、
姿をくらませたまま……
神子柴みこしばを……どうか、抑えて……
九頭くず幸則ゆきのり
なんだか今の様子だと、
神子柴みこしばが教団乗っ取った、
そんな感じだよな。
何だ、地震か?
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、上野にセヒラ反応!
その値、急上昇しています!
場所は……
不忍池しのばずのいけです!
九頭くず幸則ゆきのり
不忍池しのばずのいけだってよ、風魔!
急ごう!
いよいよお出ましじゃないのか!

不忍池しのばずのいけ

神子柴みこしばはつゑ】
いよいよ、その時が来たのです。
金神こんじんを現すのです――
黒化ニグレドする方々の思念を一処ひとところに集め、
私は翠化、黄化、ウィリディタス キトリニタスそして赤化ルベドを経て、
金を……金神こんじんを生み出すのです。
金神こんじんと合一し、私は、
永遠の存在となるのです。
そのあかつきには、皆さんを招きましょう。
終末を超えてよみがえり、永遠とわの楽園に。
皆さんも永遠とわの存在となるのです――

神子柴みこしばはつゑ】
終末はせまっています。
貴方もお力をお貸しください。
貴方には素晴らしい霊力があります。
眼を見張みはるほどの力です――
――素晴らしい、その力……
私は感じています――
さぁ、早く!
終末はそこまで来ていますよ。
貴方! もう時間がないのです!
早く、お力を!!

《バトル》

神子柴みこしばはつゑ】
素晴らしいお力です!
そうです、これです――
最後の扉が開きます!
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都満洲に強大なセヒラ発生!
場所は……またもや上野うえの黒河コクガです。
急ぎ帰還し、
帝都満洲に向かってください。
帝都にも甚大じんだいな影響を、
及ぼしかねません!

神子柴みこしば霊異りょういを発現したためか、帝都満洲に強大なセヒラが観測された。
その影響はすでに帝都におよび始めていた。

新山和斗にいやまかずと

 興亜日報東京支局勤めの熱血記者。特報を追い求めるがあまり少し行き過ぎることがままあるが、悪気があるわけではない…とは兄である新山眞の談である。
 初対面の喪神特務中尉に対しても物怖じすることなく持論を披露するあたり、記者魂を感じさせると同時に生来の人懐っこさをも垣間見せている。