第八章 第十三話 キタイスカヤ

〔山王機関本部〕

その日、梨央りおは1冊の本を手にしていた。尤志社ゆうししゃがこの夏に出版した本である。『暁光日本ぎょうこうにっぽん』という書名があった――

【喪神梨央】
兄さん、これです、この本です。
【帆村魯公】
例の尤志社ゆうししゃが出したという本だな。
――にしても、随分と薄いな……
本というより冊子だな。
【喪神梨央】
全部で八ページ、中面は六ページです。
どのページにも旭日旗きょくじつきと和歌があります。
【帆村魯公】
これは色々な百人一首から、
愛国的ともくされる歌を集めたものだ。
【喪神梨央】
わが国は いともたふとし 天地あめつち
神の祭を まつりごとにて
【帆村魯公】
この冊子には歌しか無いのか?
【喪神梨央】
表紙には文句が……
時弊じへいがいして我が国体こくたい精華せいかを説く!そうありますが――
大君おおきみの 御楯みたてとなりて つる身と
思へばろき 我が命かな
【帆村魯公】
うーむ……
かような貴族趣味を気取っていては、
国体を論じるなど無理そうだな。
【喪神梨央】
でも隊長!
裏表紙の広告を見てください。

そこには銀河ぎんがゼットー博士が開発した、夢玄器むげんき瓜二うりふたつの機械が紹介されていた。その名もキノライトという――

【帆村魯公】
これは――
夢玄器むげんきではないのか?
【喪神梨央】
活動キネマ界の一大事とあります――
【帆村魯公】
総天然色写像、パノラマ活動器、
軽量にして携行式けいこうしき――
【喪神梨央】
脳楽丸のうらくがんびん付随ふずい
脳楽丸、付いてくるんです、二びんも。
【帆村魯公】
課の情報が漏洩ろうえいしたか?
あるいは飯倉いいくら技研か……
だとすると由々ゆゆしき事態だ。
【喪神梨央】
三十三円六十銭です。
販売所、銀座です。東京幻燈げんとう工業――
この会社、ちょっと調べてみますね。

ノックの音がして新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
失礼します。
飯倉いいくら技研の新山にいやまです。

梨央りおはいい按配あんばいにやってきた新山にいやまに、キノライトの広告を見せた。驚きの表情を見せた新山にいやまであったが――

【新山眞】
見てくれの形は似ていますが、
機能はまったく異なるようです。
――これはかぶ幻燈機げんとうきですね。
【帆村魯公】
なんと!
幻燈機げんとうきかぶったりして、
ぜんたい、何が面白いのだ?
【新山眞】
大きな写像が展開して、
あたかもその中にいるかのような、
めくるめく体験が得られるはずです。
キノライトが眼鏡型というところ、
そこが何よりユニークなのです。
【帆村魯公】
眼前に大きな写像が広がると、
まともには歩けんわな!
【新山眞】
銀座の町をかして見ながら、
華麗なレヴューを重ねて楽しむ、
そんなこともできそうですね。
【喪神梨央】
楽しそうです!!
【帆村魯公】
おい、梨央りお
滅多なことを言うもんじゃないぞ。
【喪神梨央】
――すみません……
脳楽丸付いてます、怪しいですよね。

そこへ如月きさらぎ鈴代すずよがやってきた。どことなく浮かない顔をしている――

【喪神梨央】
鈴代すずよさん――
何かご心配事ですか?
【如月鈴代】
胸騒ぎがするのです――
新京シンキョウにいる麗華れいかさんのことです。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、高女の寄宿舎ですよね。
関東軍の護りもあるんですよね?
【如月鈴代】
関東軍特務部――
そこは満蒙まんもうの経済開発をうながすため、
設けられた部署です。
近く関東軍司令部が、
新京シンキョウに移転してくるのです。
そういった受け入れもやっています。

新京シンキョウ駅の南西に位置する西広場。その広場に面して新京シンキョウ敷島しきしま高等女学校が建つ。学校の南、平安町一丁目に杏花寮きょうかりょうがあった。

【如月鈴代】
西広場の辺りには満鉄社宅、
海軍公館、理事公館があります。
大きな給水塔が目印です――
くだると広々とした西公園があり、
公園の南側一帯が関東軍の用地です。
もう建物はほぼできていました。
【帆村魯公】
泣く子も黙る関東軍。
心強い限りではないですか!
【如月鈴代】
ええ、状況からすると、
何も心配いらないように思えます。
――でも、何か起きそうで……
青山新京シンキョウに大きな穴があったと――かつて青山墓地に現れたような。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴ですが、
帝都の青山墓地はいつも通りです。
まだ影響が及んでいないようにも――
【帆村魯公】
だがセヒラは確実に濃くなっておる。
そうだろ?

中座していた新山が神妙な面持ちで話す。

【新山眞】
ちょっとよろしいですか?
――際立つ波形を観測しました。
ホテルロビーへお願いします。
私もすぐ参ります。

〔山王ホテルロビー〕

【新山眞】
お待たせしました。
先程の際立つ波形、
発生場所は渋谷方面でした。
一瞬、極めて高い値を記録しました。
【喪神梨央】
渋谷ですか……
渋谷憲兵大隊がありますが。
まさか、宗谷そうや大尉が?
【新山眞】
その可能性はあります。
あの際立きわだかたは、死に直面したとき、
主に現れる波形ですから。
【喪神梨央】
――際立つ波形……
じゃ、宗谷そうや大尉が、処刑された?
裁判もなしにですか?
【新山眞】
わかりません――
ただ波形の記録が残るのみです。

【着信 帆村魯公】
風魔ふうま式部しきべ氏からでな、
芽府めふ須斗夫すとおが目を覚ました。
ちょっと行ってくれないか。
【喪神梨央】
一ツ橋の憲兵隊本部ですね。
あそこはれっきとした憲兵隊です。
それでは公務出動とします。

公務電車内で梨央りおから着信があった。宗谷そうや大尉は渋谷憲兵大隊で処刑された、そう陸軍省に連絡が入ったという。しかし処刑時の波形を詳しく調べると、宗谷そうや大尉のとは大きく異なるとのことだった。
これは何を意味するのか――

〔東京憲兵隊本部〕

【着信 喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴のせいかわかりません、セヒラ、かなり強くなっています。
芽府めふ須斗夫すとおが予言を語る、
半覚半睡はんかくはんすいの状態になるには、
もっとセヒラが必要なんですね。

憲兵隊本部玄関前では、2人の憲兵が目つきの怪しい1人の憲兵を誰何すいかしていた。

【日吉憲兵中尉】
安心院あじむといったな。
貴様、見ない顔だ――
所属部隊を言え!
【奥沢憲兵少尉】
安心院あじむ中尉殿は、
新しく赴任ふにんされたのですか?
【安心院憲兵中尉】
何をごちゃごちゃ言ってる?
ウハハハハ~
ここは渋谷憲兵大隊の指揮下に置く。
さぁ、そこを退!!

本部奥から白衣姿の技手と思しき男性が走り来て目つきの怪しい憲兵を指差して叫んだ。

【長原技手】
中尉は小型写真機を隠し持ち、
エニグマ暗号機のダイヤルを、
撮影していました!
私、見たのです!
忘れ物を取りに戻ったとき、
あの部屋に人の気配があって――
【安心院憲兵中尉】
ミュンヘン仕込みの技術は、
人を詮索せんさくするのに費やされたのか!
国費の無駄遣いだな!!
【日吉憲兵中尉】
間諜かんちょうは許さんぞ、中尉!
今すぐ、写真機を渡せ!!
【安心院憲兵中尉】
邪魔だてするな!!

山王さんのう機関も随分と鼻が利くようだ。
比叡山ひえいざんもっておればいいものを。
法螺貝ほらがいでも調達してやろうか?

《バトル》

【安心院憲兵中尉】
フフフ……
お前たちがどう足掻あがこうが、
計画は進む――

憲兵怪人が倒れ消えた後に小型のカメラが落ちていた。白衣の技手はそのカメラを拾った。

【長原技手】
エニグマ暗号機は、飯倉いいくら技研に渡し、
研究を続けることになりました。
この写真機も届けておきます。
【日吉憲兵中尉】
大丈夫ですか?
怪我けがはありませんか?
【奥沢憲兵少尉】
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉殿ですね。
奥で式部しきべさんがお待ちです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程は咄嗟とっさのことで――
もうセヒラは観測しません。

無線交信後、風魔は憲兵隊本部へと入って行った。

〔東京憲兵隊本部尋問室前〕

尋問室前の広い部屋に式部丞と芽府須斗夫がいた。

【芽府須斗夫】
眠気を感じるけど、
横になると眠れないんだ――
だけど、うとうとしたとき、
ふと、あることを考えている――
そう、僕には行かなきゃならない、
場所があるってことをね。
そこはいわば僕にとっての約束の地、
いや、にとってのと言う方が、
うんと自然だね。
でもまだ行けない――
そこには一匹のへびが居着いたからさ!

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとお君……
そろそろ言葉は出そうかね?
【芽府須斗夫】
今日、これで三回目を覚ました。
前も三回目に浮かんだんだよ――
【式部丞】
例の暗号文のことだね。
【芽府須斗夫】
言葉はまるで木漏こものようにして、
頭の底に描かれるんだ。
陽の光が必要だし、風も必要――
【式部丞】
それじゃ、まだ少し掛かりそうかな?
【芽府須斗夫】
そうでもないんじゃない?
――同じ光を他にも感じるよ。
ひとつ……ふたつ……
この町に僕と同じような存在がある。
金雀枝えにしだ色の瞳をした少女、
そして若い男性だ――
【式部丞】
彩女あやめ君、いや千紘ちひろと名乗る人格――
もう一人は……もしや……
【芽府須斗夫】
言葉が見えるよ――
こんどもアルファベットだ!
【式部丞】
ゆっくり頼むよ、
芽府めふ須斗夫すとお君!
【芽府須斗夫】
T……E……T……K
YSWH……
それから……ACFQBD――

芽府めふ須斗夫すとおは自らの頭の中を探るようにして、アルファベットの文字の羅列られつを語った。
今回も言葉の意味はわからない――


【芽府須斗夫】
行かなきゃ!
その思いがますます強くなった。
僕は行くよ。
これは決められたことかも
知れないんだ。

そう言うと芽府須斗夫は踵を返して尋問室へと入った。式部と風魔は玄関へ向かった。

〔東京憲兵隊本部〕

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおの語った言葉、
またもやエニグマ暗号文でしたね。
彼は覚醒かくせいして語る時は、
素の言葉は語らないようです。
エニグマ暗号機は試作機があり、
飯倉いいくら技研に研究を引き継ぐそうです。
あそこなら完成させられるでしょう。

私、これから青山の脳病院へ。
彩女あやめ君の様子を見てきます。
彩女あやめ君を預かっていた蛭川泊ひるかわとまり博士、
しばらく所在不明だったのですが、
昨日、見付かりました。
医科の学生が見かけたのです。
省線錦糸町きんしちょう駅前でした。
博士は煙草たばこ売りをしていたと――
自分のこと、十二歳の孤児こじなんだ、
そう強く思い込んでいたとか。
名前はタハラサダキチだと――
それに強い東北訛とうほくなまりがあったそうです。
蛭川ひるかわ博士は奈良の出身です。
でも見紛みまごうことはなかったと――
色々と博士に話を振るものの、
全く噛み合わなかったため、
医科生はあきらめたのだそうです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピン宗谷そうや大尉の波形確認!
はらえのへ急いでください!

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
渋谷憲兵大隊で処刑されたとおぼしきは宗谷そうや大尉ではなかったようだ。
連中、軍務局長暗殺が表沙汰になり、
力尽ちからずくで収束させようとしておる。
【新山眞】
まさに死人に口なしというやつです。
【帆村魯公】
宗谷そうや大尉の身柄を確保できれば、
連中の茶番もつまびらかになるわい。

【新山眞】
気を付けてください。
キタイスカヤ街が現れた、
そんな噂も飛び交っています。
【喪神梨央】
兄さん……
時間のずれが拡大しています。
帝都満洲の三日は、
帝都の二十日以上にもなります。
私たち、
どんどん歳を取っちゃいますね――

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンに着くと1人のアストラルがスーッと寄ってきて言う。

【脱走兵アストラル】
ふん、下関しものせきまで六日もかかった!
――何が静岡の第三四連隊だ、
もう真っ平御免ごめんだ!
俺はな、見たんだ――
沼津ぬまづの省線病院でな。
顔吹き飛ばされた化物をだ!
今はトルゴワヤ街の崩れかけたビル、
その二階で満人苦力クーリーと同居の身だ。
脱走兵だからな、表にゃ出られない。
老いぼれ苦力クーリーを、
露人ピー屋の店先へれる、
それがせいぜいのらしだな!

そこまで言うとアストラルは音もなく去った。風魔は先へ進む。

【逃亡者アストラル】
キタイスカヤ街からモストワヤ街へ、
角を曲がって少し行くと、
ソフィースキー寺院があります。
亡命ぼうめい露人ろじん浄財じょうざいで建ちました。
計画からゆうに十数年――
私にはそういう場所がありません。
でも正金せいきん銀行からくすねた金がある。
実に一万五千六百円――
クックックッ……
この陋巷ろうこうを絵にしたような、
ボレヤワ街ともおさらばだ!
越南ベトナムでホテルを開くのだ!

【満洲浪人アストラル】
傳家甸フーザテンの辺りは満人だらけだ。
日本人の多いモストワヤ街とは違う。
鉄道附属地外だからな、
道外タオワイと呼ぶのもよく分かる。
――だが、俺にはむしろお似合いだ。
松花江スンガリー沿いの阿片窟あへんくつにだけは、
近寄らないようにしているがな。
春観園チュンクワンイエンという店だ――

【行旅人アストラルW】
ロバート高台こうだいはおすすめです!
傳家甸フーザテンの南端にそびえる南崗なんこう高台こうだい
傳家甸フーザテン、八区、埠頭区プリスタン
および松花江スンガリーの一帯が、
浮刻うきぼりのごと一眺いっちょうの中に収められて、
まさに絶景である――
――俺、町を抜け出せたのか?
因須磨洲いんすますだよ、魚臭い陰気な町だ。
もう五年もいる――
町を出ようと省線の駅に来た……
薄暗く人気のない待合で、
因荒いんこう線の汽車を待つうちに――
つい、うとうとして――

はっ!!
何だよ、まだ待合にいるじゃないか!
まだ因須磨洲いんすますじゃないか!!
旅行案内が落ちている――
満洲へ。
台湾へ。
俺は落ちている旅行案内を見て、
町を抜けた気になっていただけだ!

ぎゃぁぁぁぁぁ~
俺は因須磨洲いんすますから抜けられないのか!
臭い、臭い、魚臭い!!

叫び声を上げながらアストラルはぐるぐると回転して消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に再び塔が現れたと、
今、通報がありました。
先程の街区ですが、
強いセヒラを観測します。
警戒してください!

交信が終わると風魔は先程の街区へと戻った。奥から中型アストラルが近付いて来た。

【ファンターヂアの客アストラル】
埠頭区プリスタンのザオドスカヤ街――
ファンターヂアはそこにある、
絢爛豪華けんらんごうかなキャバレーだ!
ロシヤ料理あり、ステージあり、
バンドあり――
ロシヤ美人のむ甘酒に酔い、
美人と踊り、歌いたわむれ、
合間のステージのもよおものながめ、
国際都市の豪華ごうかな夜を過ごすのだ!
それもすべてはあの大柱の護り!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
【ファンターヂアの客アストラル】
ウハハハハハ~
大柱はもう一本あるはずだ!
お前らに邪魔されてなるものか!!

《バトル》

【ファンターヂアの客アストラル】
カズヘック、オケヤン、モスコー、
ロンドン、エデム……
うるわしのキャバレーの数々――
どれもこれもがまぼろしだ――
愛は何故遠ざかるのだ?
爛酔らんすいのひとときはかくも短い!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
以前と同じ不思議な波形です。

交信が終わるや周囲が波打つようになり、やがて暗転した。
やがて朧げに明るくなると、そこは露西亜ロシア様式の建物が並ぶ哈爾浜はキタイスカヤの町並みだった。背広姿の男性の他に着物姿の女性も見える。皆、異国の街を楽しむようにそぞろ歩いている。


【着信 喪神梨央】
不思議な波形が続きます……
――そこは、本当に、満洲……
そうなのですね?
これまでの波形の記録を元に、
新山にいやまさんと仮説かせつを組み立てます。
――しばらくお待ちください。

【毛皮商の鳴海久男】
おや、内地ないちからですか?
ようこそ、うるわしの哈爾浜ハルピンへ!
いやぁ、商売が順調でね、
毎日浮足立つようです、私なんか!
私がここで扱う毛皮はね、
狐、銀狐、とらひょう――
もっぱらこの四種です。
哈爾浜ハルピンマダムに売れて売れて――
仕入れが追いつきません!

【菓子商のエフゲニー・チチェロワ】
あなた関東軍の人?
菓子の卸先おろしさきを探していてね。
どうです、軍隊でおひとつ。
ロシヤあめ、ロシヤキャンデー、
ウィスキーチョコレート、
それにモスコーボール――
どれも口に入れた途端とたん
あなた、ほっぺが落ちます!

【織物屋女将の吉塚静代】
うちの品物は満洲随一ずいいちよ。
ロシヤ更紗さらさ、ゴブラン織、
それにルパーシャ――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラを観測しました!
波形は相変わらず、
おかしなままです――

【織物屋女将の吉塚静代】
あら……
あんた、どっから声出してるの?
さっきの人のお仲間かしら――

着物姿の女性が離れるのと入れ替わりに、背広姿の男性が近づいて来た。どことなく虚ろな目をしている。

【宝石商の竹尾源二郎】
あんた――
徳次郎のこと、知ってるニャ!
おいら、源二郎だニャ。
この人、同じ名前ですっーと入った、
隙間すきまもなんも、まんま入った――
そういうこともあるニャ。
友達の藤次郎も似たようなことニャ。
同じトウジロウだニャ……
でもちょっと字が違っていて、
入るのに手こずったらしいニャ!

う……
何だ、私は……
あや、お客さんですかい!
如何いかがですか、黒ダイヤ、砂金石、
ウラルダイヤにアレキサンダー!
つぶぞろいですよ、お買い得です!

そこまで言うと男性は急に腰を折った。

【宝石商の竹尾源二郎】
そうだ、診療所しんりょうじょに行くんだった。
ブテワヤ街の診療所しんりょうじょに急ごう!
あああ、頭が割れるようだ――

男性は荒い息を吐きながら去った。風魔は先へ進んだ。
そこには将校服の男性が立っていた。茫然自失としている――

藤次郎とうじろう
おいら、次郎ニャ!
この人は次郎、字が違うニャ。
けど、入れたニャ――
宗谷東次郎という将校ニャ!
東次郎は少年に帰ったニャ。
岐阜ぎふ揖斐いび揖斐町いびちょう三輪みわの六、
三輪みわ神社参道前の米問屋のせがれニャ。
米問屋の屋号は矢野千やのせんだニャ。
先々代の矢野やの千太郎せんたろうちなむニャ。
――そうニャ!
この人は宗谷そうや東次郎とうじろうじゃないニャ!
姓は矢野やの、名は一作いっさく
矢野やの一作いっさくだニャ!
尋常小学校の頃はイッサだニャ!
その渾名あだなで呼ばれていたニャ!
イッサ、イッサ、イッサ!!

宗谷東次郎と思しき将校は、急に苦しそうに腰を折った。そして目を見開き風魔を見上げて尋ねる――

ねぇ、お兄さん――
三輪みわ尋常の校歌、知ってる?
僕の通う学校だよ!
揖斐いびの 流れよ 一朶いちだの雲よ~
妹のやつ、チエ子だけど、
校歌、ちっとも覚えないんだ。
今、三年なんだけど――
あいつ、もらい子だからな……
時々、妙なこと言うんだ。
何もないところをじっと見て、
顔が見える、顔が見えるって。
ほれ、あれがお目々、あれがお鼻――
僕には顔なんか見えやしないさ!
ああ、もう時分時じぶんどきだな。
帰らなきゃ!
おっかあうるさいんだ!

将校は何事もなかったかのように姿勢を正した。その目は膜が張ったように虚ろである。

藤次郎とうじろう
危ない危ない、
隙間すきまが広がりかけたニャ!
もう、これ以上はたもてないニャ!

そう言うと将校はふらつきながら去って行った。
風魔の目の前に不意にバールが現れた。

【バール】
この町はいろんなとこに、
繋がってるニャ~!!
【バールの帽子】
どうしたゲロ?
やけにしおらしいゲロ!
バーンと飛び出さないのかゲロゲロ。
【バール】
そうしたいけどおっかないニャ!
ここはとてつもない場所だニャ!
【バールの帽子】
時間と空間とがグーンとゆがみ……
ここは本当の満洲なのかゲロ?
【バールの帽子背後】
いろんな人の思念が合わさり、
結晶化した、そんな場所じゃな。
ある意味、じゃよ。
【バールの帽子】
ゲロゲロ!
どこを見ても確かに哈爾浜ハルピンだ、
キタイスカヤ街だゲロ!
【バールの帽子背後】
じゃがな、まだ隙間すきまがある、
そういうことじゃろ……
今さっきの奴、猫きの東次郎とうじろう――
東次郎とうじろうの記憶を辿ることじゃな!
【バールの帽子】
どっちだゲロ?
猫の藤次郎か、大尉の東次郎とうじろうか――
【バール】
暗殺事件を起こしたのは東次郎とうじろうニャ。
東次郎とうじろうの記憶を辿るニャ!
まだその辺に思念しねんただようニャ!

風景が揺らぎ始め暗転した。

〔若松町〕

現れたのは夕闇迫る帝都であった。周囲は薄ぼんやりしている。市電も車もない往来に2人の将校が向き合っている。1人は先程の宗谷であった。

【伊班宗谷隊員】
軍務局に課なる部署がある、
常田つねだ大佐はそうおっしゃるが、確かか?
【露班尾張隊員】
確かであります!!
軍務局兵器課の隣に、確かに!
我々は出し抜かれたのでしょうか?
【伊班宗谷隊員】
このまま看過かんかすればそうなる。
軍務局長、真坂まさか閣下かっかの首を取る!
すれば時局は動くだろう――
【露班尾張隊員】
続く久鹿くろく計画についても、
準備はとどこおりなく進んでおります。
先般せんぱん、襲撃目標の最終が出ました。
首相官邸、陸相りくしょう官邸、蔵相ぞうしょう邸、
教育総監、侍従長じじゅうちょう、それに――
【伊班宗谷隊員】
もうよい。
最大員数は何名だ?
その目標は?
【露班尾張隊員】
はっ!
警視庁占拠せんきょ班の二百五十名です!

【着信 喪神梨央】
久鹿くろく計画とは何ですか――
大きな襲撃計画があるようですね。
逐一ちくいち、参謀本部に連絡を入れます!

風景が揺らいで暗転した。

〔霞町街路〕

次に別な町角が現れた。宗谷が別の将校と向き合っている。

【伊班留萌隊員】
明日の午前中、
真坂まさか閣下かっかに予定はない。確認済みだ。
外出も面会もな――
【伊班宗谷隊員】
よし、決行は明朝だ!
――それで、車はどうだ?
三宅坂みやけざかに用意できるか?
【伊班留萌隊員】
ああ、大丈夫だ。
目立たない一台を用意する。
首を取ったらすぐ向かえ。
局長をった刀は執務室に捨て置け。
――それで、貴様、
どの刀を使うつもりだ?
【伊班宗谷隊員】
三輪みわ刀だ。
俺の地元の刀鍛冶かたなかじの手になる一振り、
そいつが一番馴染なじんでいる。
捨て置くに忍びないが……
【伊班留萌隊員】
刀は重要なしるしだ、仕方ない。
ただ首を取るだけではないのだ。

【着信 喪神梨央】
軍務局長暗殺前日の様子です!
確かに刀は局長室にありました。
血塗ちまみれながら刃毀はこぼれ一つなく――

またもや風景が揺らいで暗転した。

〔興亜百貨店前〕

次にぼんやりと現れたのは興亜百貨店前と思しき場所であった。宗谷の後ろから1人の佐官が声をかけた。

【伊班信濃隊員】
大尉――
ああ、いや、振り向かんでいい。
真坂まさか閣下かっかは即死だったそうだ。
苦しむ間もなかったろう――
貴様は計画実行まで身を隠しておけ。
久鹿くろく計画の襲撃目標は、
結局、全部で十一箇所になった。
【伊班宗谷隊員】
信濃しなの少佐殿……
あ、いや、信濃しなの隊員――
一箇所増えたのですか?
【伊班信濃隊員】
ああ、最後に付け加わったのは、
多田野ただの元内大臣邸だ――

宗谷はかかとを鳴らして振り向いた。

【伊班宗谷隊員】
多田野ただの伯爵はくしゃく……
何故、閣下かっかを?
それは何故なぜですか!!
【伊班信濃隊員】
多田野ただの閣下かっかが貴様の恩師おんし
幼年学校時代の恩師おんしなのは承知だ。
だがやむを得んのだ――
【伊班宗谷隊員】
多田野ただの閣下かっか……いや、先生――

宗谷はガクッと膝を折った。息遣いが荒くなっている。そして地面に目を落としたまま甲高い声を上げた。

どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?
蓬藁ほうこう深く 月えて~
松籟しょうらい高き 清洲城きよすじょう
今中村いまなかむらの 旧草蘆きゅうそうろう~~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!!

宗谷がすっと姿勢を直し風魔を見据えた。

【伊班宗谷隊員】
誰だ! そこに隠れているのは?
――姿を見せろ!
ううう、さもなくば――

《バトル》

【伊班宗谷隊員】
計画、復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相ぞうしょう鉄相てっしょう
農相のうしょう文相ぶんしょう各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王ホテルに宿泊せり!!

【着信 喪神梨央】
くろはち……帥士すいし
聞こ………か?
すい…を確………きません――

雑音混じりの交信が終わるや否や、周囲から光が消えた。宗谷と風魔はねっとりとした暗闇の中にいた。そこへ不意に声がする――

【驚愕する声】
逸材いつざいだ!
まさに千年に一度の逸材いつざいだ!
――君は力のみなもとだ!
大軍を率いてベツルアを包囲した、
アッスリアの元帥げんすいホロフェルネスよ!

宗谷は声の元を探しているのか、辺りを見巡らせている。そうしてある一点を見据えて言った。

【宗谷東次郎大尉】
真坂まさかつよし閣下かっか
自分……無念であります!
処断しょだんやいば、今ここに!!
【驚愕する声】
君のような稀代きだい益荒男ますらおられ、
真坂まさか閣下かっか本望ほんもうではないかな?

宗谷は両手で頭を抱えた。そして言う――

【矢野一作】
――あいつのせいなんだ……
チエ子だよ、あいつが告げたんだ、
そうに違いない!
【驚愕する声】
チエ子、それは君の妹だね。
もらわれ子だったね?
壁やへいに人の顔が見えると言う――
【矢野一作】
ああ、そうだよ。
チエ子には顔が見えるんだ。
あの日も顔が見えたに違いない!
顔が見えます、あれはおじさんです、
保険のおじさんの顔が見えます、
お母さまと仲良しのおじさんです――
父が休暇で一年ぶりに戻った日、
チエ子の奴、顔の話したんだ!
それで父は――
【驚愕する声】
見えた顔とは保険のオジサンだね!
君のお母さんとよく同衾どうきんしていた!!
お父さんの留守中にね!
お父さんは勇敢ゆうかんだったよ!
なんと、お母さんの白いお腹をね、
真っ赤になった火かき棒でね!

次に話す宗谷の声はこれまでになくか細いものだった――

【???】
クルト……
僕を見てくれる?
ほら、これだよ……
僕のファーターが彫ったんだよ――
僕とともに大きくなるんだ――
この十字架ダスクロイツはね!

【驚愕する声】
さぁ、身をささげよ。
お前自ら依代よりしろとなり、
道をひらくのだ――
二本目の柱となれ!
大柱、ボアズとなれ!!

頭を抱えていた宗谷はその両の手を掲げた。まるで天空に向かって身を捧げるかのように。

【宗谷東次郎大尉】
うわぁぁぁぁ~
体が……どうしたんだ!!

その後につんざくような悲鳴が響いた。風魔は固く目を閉じた。
次に目を開くと、宗谷の姿は闇に飲まれたかのように消えていた。もう声もしなくなっていた。暗闇がゆっくりと溶解していった。

〔山王機関本部〕

宗谷そうや大尉の遺体は衛戍えいじゅ病院に運ばれた。検屍けんしの結果、遺体に外傷はないとのこと。不思議なことに死斑しはん死後硬直しごこうちょくもないという。

【帆村魯公】
宗谷そうや大尉は碑文谷ひもんやにある、
林業試験場で見つかった。
木にもたれかかっていたという――
【喪神梨央】
その時はすでに死んでいたんですね。
【帆村魯公】
職員が肩に手をかけたら、
崩れるように倒れたそうだ。
死後、十時間は経っていたそうだ。
【喪神梨央】
大尉はメモを持っていました。
久鹿くろく計画をしるしたものです――

それは驚くべき襲撃計画であった。
首相官邸、陸相りくしょう官邸への襲撃を始め、蔵相ぞうしょう、内大臣、教育総監そうかん侍従長じじゅうちょうらを襲い、警視庁、新聞社を占拠せんきょする計画である。計画参加員数は総勢798名、国家、陸軍の中枢ちゅうすうを襲うという、まさにクーデターと呼ぶにふさわしい内容だ。

【喪神梨央】
山王さんのう機関も襲撃目標にありました。
十六名の員数が予定されています。
【帆村魯公】
久鹿くろく、つまり皇紀二五九六年、
襲撃は来年年初に予定されておった。
九六で久鹿くろくだな――
【喪神梨央】
久鹿くろく計画は未然みぜんに防げたのですか?
【帆村魯公】
陸軍省、参謀本部に知れてしまった。
秘匿ひとくのうちに進めることはできん。
はたして、連中、あきらめるかどうか――
【喪神梨央】
そういえば……
【喪神梨央】
別人を宗谷そうや大尉として逮捕たいほし、
裁判にかけず処刑した――
渋谷憲兵隊はどうからむのですか?
【帆村魯公】
逮捕たいほされたのは千葉連隊区の事務だ。
将校服着て憲兵と一緒のところを、
同僚に見られていたのだ。
【帆村魯公】
事務員がいつ将校になったのか、
同僚は大いにいぶかったそうだ。
【喪神梨央】
やはり、別口……ですね、
玄理げんり派と渋谷憲兵は。
ところで兄さん――

ノックの音が響き、新山眞が現れた。

【新山眞】
失礼します、新山にいやまです。
赤坂の柱ですが、
ぜんたいどういうことでしょうか?
【喪神梨央】
そうそう、そのことです。
兄さんが帝都満洲にいる間、
赤坂に柱が現れたんです。
帝都満洲で噂になっていた、
ヤキンとボアズ、二本の柱です。
依代よりしろになる柱だとか――
【新山眞】
猶太ユダヤ王ソロモンの神殿にあった柱、
高さ一八キュビトの青銅の柱――
それがヤキンとボアズです。
向かって左がヤキン、右がボアズ。
柱のこと、日本にも伝わり――
【喪神梨央】
猶太ユダヤの風習が日本に伝わり、
二本の柱は鳥居とりい門松かどまつに形を変えた。
そう言いますよね!
【新山眞】
赤坂の柱がどういう絡繰からくりなのか、
調べる必要がありそうです。
浅草十二階などと同じなのか……
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
新しい機械でもこしらえるんですか?

帝都満洲に現れたキタイスカヤの街。そして帝都満洲の異変が時を同じくして、帝都にも影響を及ぼした――
ヤキンとボアズ、この2本の柱の出現は、いったいなにを意味しているのだろうか?

第八章 第十二話 底流

アストラルらが俎上そじょうに載せた陸軍省軍務局。梨央りおが参謀本部に問いただすも、特段の報告は寄せられていなかった――

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
今朝、省線信濃町しなのまち駅近くで、
飛び込み自殺がありました。
死んだのは歩三附きの、
第四八中隊副長、若狭わかさ少尉です。
【帆村魯公】
風魔ふうま、お前は若狭わかさ少尉の
アストラルと戦ったぞ――
山王さんのうに戻る一時間ほど前のことだ。
【喪神梨央】
若狭わかさ少尉は信濃町しなのまち発四時二四分の、
浅川行き初発電車にかれました。
即死だったそうです。
運転手によると、
マント姿の将校がホームから浮いて、
空中歩行のように電車の前に来たと。
――そう言うんです。
【帆村魯公】
若狭わかさ少尉は省線駅で自失した、
そのようなことだったな。
【喪神梨央】
ええ……ただ、
戒行寺かいぎょうじの坂を降りたということは、
省線、上りホームのほうが近いです。
どうしてわざわざ、
下りホームに行ったのか……
自失のせいなのでしょうか。
【帆村魯公】
若狭わかさ少尉が彷徨さまよった界隈かいわい
その昔、鮫河橋さめがはしと言ってな――
市内有数の貧民窟ひんみんくつだった辺りだ。
皆、細民さいみんとして内職をしておった。
団扇うちわの骨作り、刷毛綴はけつづり、ぼたん開け、
燐寸マッチ箱貼り、石炭撰別せんべつ……
割れ硝子ガラス拾いというのもあった。
震災の後、随分と様変わりした。
今じゃ当時の様子はうかがえないな。
若狭わかさ少尉は戒行寺かいぎょうじの坂を降りる、
その途中で立派な洋館を見たと、
そう言っておった――
【喪神梨央】
黒頭巾くろずきんの人がいたと……
――その洋館、もしかして……
【帆村魯公】
どうだろうか……
【喪神梨央】
猟奇倶楽部!!
そうじゃありませんか?
ユーゲントの祇園丸ぎおんまるが、
猟奇倶楽部は信濃町しなのまちにあるかも、
そんなふうに言っていました。
信濃町しなのまちの一帯は探信儀たんしんぎの空白地帯、
機関本部の携行式探信儀けいこうしきたんしんぎでも、
低い場所ではうまく探信できません。
【帆村魯公】
探信儀たんしんぎの設置計画は、
京都帝大の博士が立案した。
物理学者の柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだ――

帝都に6基、設置されたセヒラ探信儀たんしんぎ信濃町界隈しなのまちかいわいはその空白地帯にあった。探信儀たんしんぎの設置は柄谷がらたに生慧蔵いえぞう博士が提案した。

【喪神梨央】
柄谷がらたに博士はユンカー所長の弟です。
一時、所長になりすまして――
――あっ!
【帆村魯公】
どうした、梨央りお
【喪神梨央】
虹人こうじんさんがユンカー所長の乗る
円タクを尾行した時、
円タクは信濃町しなのまちに向かったと――
【帆村魯公】
銀座でヘーゲンと別れた後、
円タクで向かったんだな。
銀座にいたのは柄谷がらたに博士だな。
【喪神梨央】
それじゃ、博士は猟奇倶楽部へ……
柄谷がらたに博士が猟奇倶楽部に関係ある、
そう考えられますね!
殿下のお話が裏付けられましたね。
従順なる隸Θしもべシータ師が最高位の会員です。それが、柄谷がらたに博士――

ノックの音がして九頭が本部に入ってきた。いつになく険しい表情をしている。

【九頭幸則】
失礼します!
歩一、九頭くず中尉です!
【喪神梨央】
どうしたんですか、改まって。
【九頭幸則】
それはこっちが聞きたいよ。
ここに来るまで何度も誰何すいかされた。
将校の肩章けんしょう付けているのに!
【喪神梨央】
ちゃんと名乗りましたか?
【九頭幸則】
勿論もちろんだ!
歩一、九頭くず中尉とな。
【喪神梨央】
それじゃ駄目です……
久留米くるめのク、隅田すみだのス、濁点だくてん――
そう言わないと。
【九頭幸則】
それって……もしかして……
【喪神梨央】
和文通話表の符号です。
若狭わかさのワ、摂津せっつのセ、宗谷そうやのソ……
連中、その符号を名乗るんです。
【九頭幸則】
連中というのは玄理げんり派のことだね。
このところ、妙な動きをするって、
隊の方でも噂になってるよ。
連中が手にするのはこの冊子だよ。

そう言うと九頭は葉書より一回り大きな、辞書のような分厚い本を取り出した。表紙には愛国革命論、登米川とめがわわだちあらわスとあった。

【喪神梨央】
随分と厚いのですね――
これ、裏表紙もたかぶっていますよ!
愛国青年の書の宣伝文句です――

建国精神を闡明せいめい日本にっぽん更生こうせいせしめるものは、遠大の理想を掲げる愛国の青年である。青年がすべき、倫理りんり的革新運動を提唱し――

【帆村魯公】
病弊ひへい国家をうれう気持ちはわかる。
しかし玄理げんり派の思惑おもわくは別にあるのだ。
常田つねだ大佐は大義など持たぬ人物だ。
【九頭幸則】
自分も同感です。
ただ血盟けつめいする将兵らは区別なく、
義憤をつのらせているのです。

本部に電話があったようだ。梨央が取り次いだ。

【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、隊に戻るようにと、
今、歩一から電話がありました。
急ぎだそうです。
【九頭幸則】
え? そうなの?
何だろう……
風魔ふうま、一緒に来てくれ。

〔山王ホテル前〕

【九頭幸則】
何だ、やけに静かだな――
今日は旗日はたびなのか?
いや、そんなわけがない……

溜池通からのアプローチを新山和斗が急ぎ足で登ってきた。

【新山和斗】
愈々いよいよですか、中尉!
軍が動くのですね――
【九頭幸則】
何の話をしている?
――また何をつかんだんだ?
【新山和斗】
シラを切る気ですか?
そうはいきませんよ、
町を見ればわかります!
永田町ながたちょう三宅坂みやけざか、赤坂、
どこもかしこも立哨りっしょうだらけ!
ハハハハ~もう隠せませんよ!
【九頭幸則】
町中に立哨りっしょうだと?
そんな話は聞いちゃいない。
【新山和斗】
聞くも何も見ればわかります。
しかし……中尉がご存じないとは……
山王さんのう機関も軽く見られたものです!

そこまで言うと和斗は小走りに去りホテル玄関に消えた。

【九頭幸則】
立哨りっしょうが出ているって言ってたな。
溜池通に行ってみよう。

〔溜池通〕

【九頭幸則】
ブンヤの言ったとおりだな――
立哨りっしょうがあんなに出ているぞ。
ぜんたい、何があったんだろう?

2人を見咎めでもしたのか、鋭い目をした将校が前に立ちはだかった。

【気の立った将校】
貴様!
どこの隊だ!
【九頭幸則】
歩一、九頭くず中尉だ。
これは何の命令だ?
【気の立った将校】
班長の命令だ!
そんなこともわからんのか!
ウハハハハ~
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
注意してください、
セヒラ反応です!
【伊班姫路隊員】
元召喚小隊、
現、最強部隊、班隊員姫路ひめじだ。
我が班におさなく、我が班に神あり!!

《バトル》

【伊班姫路隊員】
浅慮せんりょなる国体観念こくたいかんねんてよ!
凝固せる国民道徳をなげうて!
我々は国家己性こっかこせいを直視するのみだ!!

怪人化した将校はきびすを返して走り去った。

【九頭幸則】
出し抜けに、何だ!
今のは玄理げんり派だな。
姫路ひめじのヒっていうたぐいだぞ、きっと。
班、班長は誰だろう……
【着信 喪神梨央】
二人共、機関本部に戻ってください。
参謀本部から連絡が……
陸軍省で暗殺事件が発生しました!
【九頭幸則】
なんてことだ!
俺は隊に戻るぞ、風魔ふうま

九頭は溜池通を大股で渡り赤坂の花街へと消えた。

陸軍省軍務局長真坂まさか少将が、青年将校によって斬殺ざんさつされた。陸軍参謀本部では厳戒げんかい態勢をくことになり、そのむね、市内全軍に軍令が下った。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
町に出ていた立哨りっしょうは、
玄理げんり派じゃなかったようですね。
【帆村魯公】
戒厳令かいげんれいの一歩手前といったところだ。
――それにしても……
【喪神梨央】
事件発生は午前七時半、
現場は陸軍省軍務局局長室、
被害者は軍務局長真坂まさかつよし少将――
【帆村魯公】
真坂まさか閣下かっか王道おうどう派の重鎮じゅうちんだ。
これは玄理げんり派で計画された暗殺だ。
【喪神梨央】
玄理げんり派は疑心暗鬼になっています。
アストラルが言っていました。
軍務局に課があったと――
【帆村魯公】
そんな話は聞いておらんがなぁ……
玄理げんり派の奴ら、蚊帳かやの外に置かれる、
そう思い込み、行動に出たようだな。
【喪神梨央】
青年将校らにみなぎる義憤も、
うまく利用しているようです。
【帆村魯公】
たとえ義憤であろうが看過かんかはできん。
いつ憎しみに代わるやも知れん。
さて、宗谷そうや大尉はどちらの側だ?
義憤のともがらか、誣言しいごとやからか――
【喪神梨央】
まだわかりません。
大尉ですが、剣の達人のようです。

現場は血飛沫ちしぶきに染まり凄惨せいさんを極めていた。真坂まさか少将は右肩に二刀、面に一刀、致命傷ちめいしょうとなった首は深々と一刀られていた。

【帆村魯公】
風魔ふうま時空じくう狭間はざまで戦った、
班S隊員、それが宗谷そうや大尉だ。
間違いないだろう――
【喪神梨央】
大尉はまだ逃走中です。
ただ――

ノックの音が響き九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです!
【喪神梨央】
あれ、どうしたんですか?
隊には戻らないんですか?
【九頭幸則】
戻るには戻ったけれど、
中に入れなかった。
門前に何人もの締め出し組がいて――
【帆村魯公】
それで情報は集まったかな?
【九頭幸則】
犯人は歩三の大尉です。
大尉の日曜下宿に捜索が入りました。
場所は六本木ろっぽんぎ三河台町みかわだいまち――
【帆村魯公】
なんだ、歩一のすぐ近くじゃないか。
【九頭幸則】
はい。酒屋の二階を借りていました。
日曜下宿の部屋ですが、
異様な光景だったそうです――

下宿の部屋には、壁中に必中禮ひっちゅうれいと書かれた、護符のような紙が隙間すきまなく貼られており、紙の重なる部分に朱でバツが記されていた。

【九頭幸則】
その朱書き、血ではないかと、
検査のために試料を持ち帰ったと。
【帆村魯公】
つまりは血判けっぱんの代わりか?
【九頭幸則】
いえ、血判けっぱんは別にありました。
進退周還必中禮しんたいしゅうせんひっちゅうれい墨書ぼくしょした麻紙ましに、総数七百九十八の血判けっぱんがありました。生乾なまがわききの血で半紙はずっしりと……
【帆村魯公】
必中禮ひっちゅうれい……礼記射義らいきしゃぎの引用だな。
しゃにあっては、
所作しょさのすべては礼に従う――
【喪神梨央】
弓の道では礼を尽くす、
そういう意味ですか?
【帆村魯公】
ここでの礼とはのりのことだろう。
皇国こうこく男子おのことしての矜恃きょうじを保つ、
血盟将兵の心意気じゃよ。

ノックの音がして新山眞が入って来た。

【新山眞】
いやぁ、和斗かずとの奴、
今度ばかりは特報のつかぞこねですね。
慌てて陸軍省に向かいました。
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
宗谷そうや大尉のことですが……

風魔ふうま宗谷そうや大尉と思しきアストラルと、時空の狭間で戦った際に記録した波形、それを辿たどれば対の居場所がわかるのでは――
その波形はかなり特徴的だとのことだった。

【新山眞】
私も同じ考えです。
S隊員アストラルの波形は、
かなり鮮明なようですし――
実は青山新京シンキョウに、
不思議なセヒラを観測するのです。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウにですか?
【新山眞】
そうです――
高輪延吉エンキツに置いたセヒラ歪振器わいしんきが、
不思議なセヒラ波をとらえました。
【喪神梨央】
それでは公務に設定します。
兄さん、はらえのへ――

〔祓えの間〕

【新山眞】
帝都満洲で班S隊員に再会すれば、
補完的に宗谷そうや大尉の波形も同定でき、
大尉の居場所を求めやすくなります。
【喪神梨央】
兄さん……
帝都満洲と帝都とで、
時間のずれが広がっています。
帝都満洲での一時間が、
帝都では五、六時間ほどに……
【新山眞】
宗谷そうや大尉の波形を同定したら、
迅速じんそくな対応が必要ですね。
【喪神梨央】
すでに東京憲兵司令に連絡し、
市内に五十個小隊を展開すると、
言質げんちを得ています。
【新山眞】
それだけあれば充分でしょう。
それでは、喪神もがみさん、お願いします。

〔赤坂哈爾浜ハルピン駅〕

ゲートを潜った先で帝都満洲鉄道の列車長が話しかけてきた。

【満鉄列車長】
赤坂哈爾浜ハルピンに、
キタイスカヤ街が現れたとか。
その噂で持ちきりですよ。
キタイスカヤでは、
人は実体を保てるのだとか。
そして私たちは中へ入れない、
まるで結界のような場所ですね。
うらやましいです、キタイスカヤ。
カフェにキネマにテアトルに――
何しろ東洋のモスコーですから!
帝政露西亜ロシア時代の建物も見所です。
さて、そんな赤坂哈爾浜ハルピンを後に、
当列車、青山新京シンキョウへ参ります。

あじあ号は青山新京を目指して走り出した。

【満鉄列車長】
間もなく青山新京シンキョウ、青山新京シンキョウ
この列車の終点です。

〔青山新京〕

【東京憲兵隊Eアストラル】
宗谷そうや大尉の日曜下宿に、
必中禮ひっちゅうれいしるした札があった。
同様のもの、他でも見た――
若狭わかさ少尉が所持していた――
残念ながら少尉は自死したが。

【東京憲兵隊Tアストラル】
真坂まさか閣下かっか暗殺の犯人は、
宗谷そうや東次郎とうじろう歩三附き大尉だ。
第三六中隊を指揮する――
明治三十七年、岐阜ぎふ生まれ。
名古屋幼年学校を経て、
大正十四年、陸士りくし三十七期卒業。
同年、連隊附き少尉として、
朝鮮羅南らなん赴任ふにんしている。

【東京憲兵隊Sアストラル】
宗谷そうや大尉が歩三に転隊となったのは、
昭和八年のことだ――
翌年、大尉に昇進、中隊長となる。

【東京憲兵隊Aアストラル】
羅南らなん時代の宗谷そうや大尉を、
よく知る人物がいる。
来てくれ――

アストラルは全身で風魔についてくるように促した。風魔はアストラルの後を進み、隣の街区へ入った。そこには待ち構えるようにして中型のアストラルがいた。2体のアストラルが会話を始めた。

【元一等主計Kアストラル】
秋本あきもと憲兵大尉と俺は、
同じ陸士三十五期生でな。
任官後、俺は経理学校に入り直した。
【東京憲兵隊Aアストラル】
まさか、金子かねこ、お前が経理畑とはな。
剣道五段の腕前なのに!
あれには驚いた。
【元一等主計Kアストラル】
経理学校卒業後、二等主計として、
羅南らなんの師団に配属された。
師団の剣道試合で宗谷そうや大尉と会った。
【東京憲兵隊Aアストラル】
試合で会ったのか!
で、宗谷そうや大尉は強いのか?
まさか、お前、負けたんじゃ……
【元一等主計Kアストラル】
いやいや、勝負はしていない。
大尉の剣道は独特だった。
二天一流にてんいちりゅうを基礎としながら、
邪流に変じた怨白流おんぱくりゅうの使い手だ。
【東京憲兵隊Aアストラル】
うらみを備える形なのか……
すごい流派だな!
邪流中の邪流だな。
【元一等主計Kアストラル】
宗谷そうや本人がそう言うんだ。
次に奴と話したのは試合から一月後、
大正十四年八月のことだ――

宗谷そうや大尉の元に訪問者があったという。尤志社ゆうししゃという愛国主義運動団体の幹部である。その幹部は柴崎周しばさきあまねと名乗ったという――

【東京憲兵隊Aアストラル】
その二人は意気投合したんだな?
【元一等主計Kアストラル】
鶴屋旅館の大広間を借り切り、
真ん中に座布団ざぶとんき向き合い、
六時間も語り合ったそうだ。
月のよいままに二人して
羅南らなん神社の山に登り、
東の空を仰いでこころざしを新たにしたとか。
革命日本の建設、亜細亜アジア復興の戦闘、
宗谷そうやが時事を慷慨こうがいし出したのは、
ちょうどその頃からだ。
奴は道着の下に真っ白のさらしを巻く。
それが血盟の現れなのかどうか、
いつか聞こうと思っていた――

中型アストラルが風魔に向き直って言う――

【東京憲兵隊Aアストラル】
あんたが誰だか知らんが、
宗谷そうや大尉を追うのなら、
奴の変節の経緯も知っておかないと。
尤志社ゆうししゃというのも、
調べる必要があるな。
【着信 喪神梨央】
尤志社ゆうししゃですね――
承知しました、至急しきゅう調査します。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラを観測します。
進んでもらえますか?

風魔が歩み入れた先には大きな穴が開いていた。穴から霧のようにしてセヒラが立ち上っている。そこへぬっと大型アストラルが姿を見せた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
急激にセヒラ上昇しています!!
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
フフフフ――
貴様らが血眼ちまなこになって探すうちに、
宗谷そうや大尉の身柄、我々が確保した。
これで事件は解決だ――
だが残念なことに、
色々と鼻を突っ込み過ぎた者がいる。
そんなに我々のことが気になるのか!
東京ゼロ師団の命令に従い、
貴様を直ちに粛清しゅくせいする!!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
フフフ……
生兵法なまびょうほう怪我けがのもとだ、
覚えておくがいい――

不意に周囲が暗くなった。暗闇の中、風魔と大型アストラルが対峙している。

【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
な、何が起きた?
――目の前が真っ暗だ……

どこからともなく声がした――

【感嘆する声】
君たちはの活躍には舌を巻く、
そうじゃないか、灰雨はいざめ憲兵大尉。
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
誰だ?
貴様、何者だ?
【感嘆する声】
導く者とでもしておいて欲しい。
勇猛果敢ゆうもうかかん灰雨はいざめ憲兵大尉殿!
バビロンを征服した、
ペルシアはクロス大王が股肱ここうしん
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
黙れ! 貴様を粛清しゅくせいする!
姿を見せろ!!
【感嘆する声】
すぐにでも見えるようになる。
永遠に見続けることになる。
さぁ、セフィラの湧出ゆうしゅつを受けるのだ。大尉、お前自身を依代よりしろとして、ここに道をひらく!
さぁ、受けろ!!
【渋谷憲兵大隊Hアストラル】
何だ? どうした!
俺の腕が……黒ずんできた!
――ああああああ~

周囲に光が戻った。風魔は依然青山新京に開いた大穴の前にいた。

【感嘆する声】
人柱――まさに柱そのもの!
二本の柱が必要だ。
もう一本を調達するとしよう。

穴から吹き出すセヒラが一段と濃くなり、大型アストラルを包み隠してしまった。アストラルが見えなくなったその刹那、急にセヒラは消えた。アストラルの姿もなかった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにセヒラの奔流ほんりゅうです!
確認お願いします!

公務指令を受け風魔は帝都満洲鉄道で赤坂哈爾浜ハルピンへ戻った。

〔赤坂哈爾浜〕

【着信 喪神梨央】
そこにいるのは、
帝都赤坂のアストラルのようです。
思念が吸い込まれています!

【芸者千鳥ちどりアストラル】
会えば別れの悲しさよ
会わねばつのるこの思い
ああああああ~
なんとしょ~ なんとしょ~
恋は女の命取り~
歌で気をまぎらわせても、
もうどうにもできませんことよ――
頭ン中に入ってくるの!

白い乳を出させようとて
タンポを引き切る気持ち
彼女の腕を見る

アハハハハハ~

幇間ほうかん平左へいざアストラル】
都々逸どどいつ三下さんさがり大津絵おおつえ
粋な節回して歌いますのは、わっしの何よりの楽しみでござんして――
びんのほつれは 枕のとがよ
それをお前にうたぐられ~
つとめじゃえ~ 苦界くがいじゃえ~
あ~ゆるしゃんせ~
てな様子でありんすが、
どうも変なのが頭ン中に……
入ってくるでござんすよ!

闇の中から血まみれの猿が
ヨロ/\ヨロとよろめきか
俺の良心

ひぃひぃひぃ~
助けてくんろ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に何かが現れました。
原因は赤坂哈爾浜ハルピンかも知れません。
警戒して公務を進めてください。

赤坂哈爾浜ハルピンの街区を進むと、そこに風魔を待ち受けるようにして中型アストラルがいた。

【メソポタミア神学生アストラル】
クデルの大門を守るのは僕だ!
いや、ジプチエへの凱旋がいせんこそ僕の夢!
アーハハハハ!
ついに柱が現れた!
あれは大柱、ヤキンかボアズか!
高さ一八キュビト威容いようを誇る、
青銅の大柱だ!
二本目が現れるまで、
ここは誰も通せない!
お前を昇華させる!!

《バトル》

【メソポタミア神学生アストラル】
僕は……まだ至らないのか……
――あの柱の元に眠ろう……
柱は僕にはゲプスの祝塔に見える!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に巨大な柱が現れました。
機関本部へお戻りください!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、報告があります。
赤坂に現れた柱ですが、
音もなく消えてしまいました。
高さ三十メートルほどの円柱でした。
一ツ木通ひとつぎどおりの先、歩一の裏辺りです。
また現れるかもしれません。

それと――
宗谷そうや大尉ですが、逮捕たいほされました。
ただ、波形が違うんです。
宗谷そうや大尉の波形とは別の波形が、
逮捕たいほされた人からは出ていました。
大尉の身柄を拘束こうそくしたというのは、
渋谷憲兵大隊です――
【帆村魯公】
うむ……またもや渋谷の大隊だな。
――実に怪しい……
連中、はたして正規の軍なのか?
【喪神梨央】
碑文谷ひもんや大連ダイレンのアストラルは、
そのことを調べていたようです。
渋谷憲兵大隊や砲工学校のことを――
それで自失したとか――
【帆村魯公】
うむ……実に怪しい。
怪しさ千万せんばんだな。

【喪神梨央】
怪しいと言えば、柴崎周しばさきあまねです――
またその名前が出ました。
宗谷そうや大尉をそそのかして、
愛国主義運動に向かわせたのでは?
大尉が羅南らなんの部隊にいるときです。
【帆村魯公】
柴崎しばさきの結社は何と言ったか……
【喪神梨央】
尤志社ゆうししゃです。
今、本を取り寄せています。
この夏、一冊、出しています。
【帆村魯公】
青山新京シンキョウに開いた大穴は、
まだ帝都には影響を及ぼしておらん。
だが時間の問題だろう。
柱の件も含めて観察が必要だな。

軍務局長暗殺事件は必中禮ひっちゅうれい事件として、新聞紙上を大いににぎわせた。そして犯人逮捕たいほしらせに大見出しが踊った。帝都は静けさを取り戻したが、それは嵐の前の静寂せいじゃくのようでもあった。

第八章 第十一話 蠢動する計画

〔セルパン堂〕

芽府めふ須斗夫すとおの語った予言、
ヒククアケ――
古文書こもんじょの研究者によってようやく解明された。ヒククとは日蝕ひくくのことであった。

【式部丞】
ヒククは日蝕にっしょくのことだったんですね。
この文を解読された蛙山かえるやま先生は、
独立の研究者なんですよ。
何処どこの大学にも組織にも属さず、
しかも独学で日本の古文書こもんじょを調べ、
今では斯界しかいの第一人者です。

さて、芽府めふ須斗夫すとお君の予言ですが、
日蝕にっしょくの日の明け方と語られました。
時期は……調べればわかりますね。
問題はその続きですね――
エニグマ暗号文とは中々厄介です。
新山にいやま技師なら解明できるでしょうか。
【着信 喪神梨央】
今年、五度目の日蝕にっしょくがあります。
十二月二十六日の未明――
皆既日蝕かいきにっしょく、場所は南極です。

梨央からの無線が終わったとき、塩町電停方面からユーゲントがやって来た。

【毘沙門丸】
君が喪神もがみさんだね――
僕は毘沙門丸びしゃもんまるだよ。
この間、会ったよね!
ヒエ神社にいたのは僕なんだ。
大型波動グローサベッレで命令された振りをしてね。
ヘーゲンを見張っていたんだ。
【式部丞】
ということは君は、
その大型波動グローサベッレの影響を受けていない、
そういうことなんだね?
【毘沙門丸】
ユーゲントが皆そうかは知らない。
少なくとも僕はそうだよ。
大型波動グローサベッレの影響を受けないんだ。
でも影響されたように振る舞う――
結構、楽しいもんだね、こういうの。
【式部丞】
つまりは間諜かんちょうすることが……
そういうことかな?
【毘沙門丸】
日本語ではそう呼ぶんだね、
ドイツではシュピオーンだよ。

【式部丞】
それで毘沙門丸びしゃもんまる君――
ユンカー所長の弟の話、
聞いたわけだが……
【毘沙門丸】
アーネンエルベでヘーゲンと
会っていたのは弟の方だよ。
双子だから見分けがつかない――
虹人こうじんさんがギンザで見たのは、
その弟と一緒にいたヘーゲンさ。
【式部丞】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞう博士だったね。
博士の目的は一体何かな?
何故ヘーゲンに接触したのかな?
【毘沙門丸】
大型波動グローサベッレを連続で発動して、
この町中で戦を展開させて、
あわよくば現世にを認める――
それが目的だと思う。

危ない!!

毘沙門丸が言い終わるや否や、執事型ホムンクルスが走り込んできた。

【執事型ホムンクルス】
――目標ダスツィル! 確認ベステーティグン
コレヨリ……排除アンシュルス……開始シュタート

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
……失敗シャイタン……
――残念シャーム……
【毘沙門丸】
大型波動グローサベッレで命令受けた奴だね――
でも、今、残念って言ったよね。
連中が感情を現すなんて……

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
――突然のことで……
事前にセヒラはありませんでした。

【式部丞】
大丈夫ですか、喪神もがみさん。
いやしかし、一瞬の出来事ですね。
――は……見えませんでした。
【毘沙門丸】
この町中で戦いが起これば、
人前にが現れるかも知れない。
【式部丞】
今のところは――
は異能者にしか見えない。
喪神もがみさんたち審神者さにわや、
あるいは召喚師――
【毘沙門丸】
僕たちホムンクルスも、
を呼べる。
あとは怪人だね――
【式部丞】
一般市民がを見るようになると、
が人を襲うようになる――
そうなのだろうか……
【毘沙門丸】
が見えないから恐れない。
見えると恐れる、それだけだよ。

フォス大佐が満洲に行き、
ユンカー所長が殺されて、
アーネンエルベは管理者不在なんだ。
僕たちはユリアと虹人こうじんさんを、
支えなきゃならないんだ。
【式部丞】
ユンカー所長をに手をかけた犯人、
もう目星がついているのかな?
【毘沙門丸】
たぶん……ヘーゲンだよ。
でも常のヘーゲンじゃないよ、
何か違う気がするんだ。
じゃ、僕は戻るね、
妙な事があれば連絡するよ。
調べたいこともあるし――

【式部丞】
毘沙門丸びしゃもんまる君はヘーゲンのことを、
調べるつもりだろう。
彼は素養がありそうだね。

公務に出ようとした風魔ふうまの元に着電があった。
熱海あたみで怪人が現れたという。
その怪人の写真が機関本部に届いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
あっ!
兄さん――
怪人のレントゲン写真が届きました。
【新山眞】
いや……なるほど……
セヒラに感光していますな!
本来白黒が、セヒラ色に――
【帆村魯公】
怪人は熱海あたみの浜で死体で見付かった。
鉄道病院の沼津ぬまづ病院に搬送はんそうし、
このレ線像を撮ったそうだ。

その頭蓋骨は、眼窩がんかから鼻にかけて、すっかり失われていた。

【帆村魯公】
右上が後頭部に当たる部分だな――
このレ線像レントゲンでは、目と鼻が、
吹き飛ばされたみたいに見えるぞ。
【喪神梨央】
脳の内部に何かつぶ状の物体が――
あのぎっしりあるのは何でしょうか?
【新山眞】
沼津ぬまづの医者のメモには、
網膜腫瘍もうまくしゅよう末期に似た症例があると。
医者が文献ぶんけんを切り取っています――

網膜腫瘍もうまくしゅよう4期では、腫瘍しゅよう転移てんいはなはだしく、頭骨、脳底、付近の淋巴リンパ腺に転移を認め、膿敗のうはいした腫瘍面しゅようめんからの出血と腐敗熱ふはいねつ著しく――

【新山眞】
角膜かくまくを破り瞼裂外けんれつがいに突出する腫瘍しゅようの患者は見たことがあるそうです。
――でも破裂したのは初めてだとか。
巡査によると怪人が倒れていたのは、
省線熱海あたみ駅近くの浜で、
怪人の近くには――
【喪神梨央】
二つの目玉が
視神経ごと飛び出していたんでしょ?
鼻は野良犬がくわえていた――
【新山眞】
ええ、まぁ……
そういうことのようです。
【帆村魯公】
病院で怪人の死亡が確認された。
遺体は戸山の衛戍えいじゅ病院に搬送はんそうし、
より詳しい検査を行うそうだ。
【新山眞】
でもなぜ怪人とわかったのですか?
【帆村魯公】
伊東いとうで旅館の客が暴れだした。
旅館はものの二十分で壊滅かいめつした――
その客と姿恰好すがたかっこうが同じとのことだ。
【喪神梨央】
去年、丹那トンネルが開通して、
熱海あたみ駅は東海道線の駅に格上げされ、
これから温泉や別荘の客が増える――
そう期待されているのですよ。
熱海あたみ町長はさぞかしがっかりですね。
【新山眞】
衛戍えいじゅ病院は目立たないように、
手堅く警備するべきです。
ブンヤがぎつけると厄介ですよ。

ホテルフロントが来客を取り次いだ。そういうとき、ホテルフロントから直通の内線電話がかかる。

【帆村魯公】
風魔ふうま……
ロビーにお客だ。お前にだという。
――何を隠そう柄谷がらたに生慧蔵いえぞうだ。
【喪神梨央】
兄さん!
ユンカー所長の弟です。
事件に関わっているかもしれない――
【新山眞】
私も同席しましょう。
参りましょう、喪神もがみさん。

〔山王ホテルロビー〕

【柄谷生慧蔵】
ここが山王さんのう――
いや、立派なホテルですね。
京都から参りました、柄谷がらたにです。
殿下とは既にお顔なじみだとか――
聖宮成樹ひじりのみやなるき殿下です。

【新山眞】
あなたが計画の大元ですね。
蔦博士にセヒラ同定を指示し、
戦計画綱領を認められた――

私は陸軍飯倉技研の技手ぎて
新山眞にいやままことと申します。
博士が論文を出されたのは――

【柄谷生慧蔵】
あれは七年の二月のことです。
兄、ルドルフがセフィラを見付け、
ミュンヘンに至急電を打ったのです。

殺害されたルドルフ・ユンカー所長の、双子の弟、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう。京都瑛山会えいざんかい重鎮じゅうちんでもある。

【新山眞】
ミュンヘン……つまりナチ党本部――
それでアーネンエルベが設立された。
あなたも戦について具申ぐしんされた。
【柄谷生慧蔵】
戦実施計画綱領――
参謀本部の動きは速やかでした。
翌三月に山王さんのう機関が設立されました。
【新山眞】
博士はあらかじめご存知だったのですか、
帝都のセヒラについて。
【柄谷生慧蔵】
独逸ドイツに兄の動向を知らせる人がいて、
セヒラ同定の四年ほど前から、
日本でセヒラ調査が行われていると、
そのように聞き及んでいました。
【新山眞】
でですか?
独逸ドイツの調査は帝都東京ではなく?
【柄谷生慧蔵】
ナチの研究者たちは、
伊豆いず半島の随所で調査しました。
ロッホと呼ばれるセヒラ場の調査です。
東京での調査点は目黒の近辺です。
しかし穴は見付かりませんでした。
【新山眞】
独逸ドイツではどうだったんでしょうか?
【柄谷生慧蔵】
ブレーメン、エッセン、ハーゲン、
不安定なセヒラで犠牲者が出ました。
兄の論文にそうありました――
【新山眞】
なるほど――
山王さんのう機関に運ばれた釣鐘のことも、
お兄さんの論文で知ったのですね。
【柄谷生慧蔵】
そうです。日本への搬入はんにゅう計画は、
シュタインベルク中将の発案です。
私も計画の後押しをしました。
【新山眞】
探信たんしん技術については如何いかがですか?
日本ではいち早く成功しています。
【柄谷生慧蔵】
霊式ヘテロヂン技術ですね。
これも兄の論文に書かれていました。
それを元に改良を加えたのです。
霊波を電気的信号に変える、
その研究は私の専門です。
私の書いた技術書はご存知でしょう。
【新山眞】
飯倉いいくら技研では聖書のような存在です。
携行式けいこうしき探信儀たんしんぎの開発に役立ちました。
探信儀たんしんぎの設置も博士の提案ですね。
なぜ空白地帯を設けたのですか?

第1から第6までの探信儀たんしんぎでは、探信たんしんできない空白地帯が存在していた。山王さんのう機関の携行式けいこうしきを用いておぎなっている。

【柄谷生慧蔵】
最初は八基を設置するはずが、
途中で立ち消えになりました。
赤坂御所と浅草、この二箇所が、
設置かられたのです。
業者の事情とだけ聞きましたが……

【新山眞】
博士……
うかがってよろしいですか?
お兄さんのことですが――
ユンカー所長は無残にも殺され、
その後ろに博士の存在があるのです。
この点については如何いかがですか?
【柄谷生慧蔵】
わかっています――
今は信じていただく他ありません。
私の憎しみは小さな欠片かけらです。
【新山眞】
というと……
既に目星がついているのですか?
【柄谷生慧蔵】
クルト・ヘーゲン――
おそらく彼の仕業ではないかと。
彼は憎しみの塊なのです。
無限ともいえる憎しみ――
むしろ彼はそれを歓迎している、
私にはそのように見えました。

【新山眞】
喪神もがみさん……
私は衛戍えいじゅ病院に行きます。
ユンカー所長が運ばれました。
それに……
熱海あたみの怪人も到着するでしょう。
ご一緒に如何いかがですか、博士。
【柄谷生慧蔵】
ええ、参りましょう。
兄を確認しなければ――

一旦、機関本部に戻った風魔ふうまだったが、梨央りおからの呼び出しではらえのへ向かった。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
新山にいやまさんが伝え忘れたって――
碑文谷ひもんや大連ダイレンにセヒラのかたまりが、
確認されるようです。
範奈はんなさんのお父さん――
古賀こが容山ようざんさんのアストラルが居ます。
【帆村魯公】
ところで、梨央りお――
碑文谷ひもんや大連ダイレンは、帝都で言うと、
やはり東横とうよこ電車の碑文谷ひもんや辺りなのか?
【喪神梨央】
ええ、移動はないようです。
帝都満州は必ずしも、
同じ場所に留まってはいません。
でも、上野黒河コクガと同じように、
碑文谷大連ダイレンも帝都に由来する場所、
そこから動いていないようです。
【帆村魯公】
碑文谷ひもんやのどの辺りなんだ?
【喪神梨央】
ちょうど角福園かくふくえんという果樹園のある、
その近辺ですね……
【帆村魯公】
あの辺は仕舞屋しもたやばかりで、
特に目を引くようなものはないな……
【喪神梨央】
郊外の住宅地です。
碑文谷ひもんやは東横電車で渋谷から五つ目、
所要時間は八分です。

【帆村魯公】
風魔ふうま碑文谷ひもんや大連ダイレンには、
玄理げんり派のアストラルが集しておる。
何やら陰謀いんぼうの匂いもする――
【喪神梨央】
碑文谷ひもんや大連ダイレンのセヒラは、
殿下が釣鐘を調整されて、
帝都にも流れ込んでいます。
とは言え、元から強いので、
十分気を付けてください。

風魔はゲートを抜け帝都満洲鉄道駅へ。
そこでは満鉄列車長が
迎えてくれた――

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンでは、
随分ときな臭い言葉が飛び交います。

政党政治家、財閥、特権階級らが
結託けったくして国民思想の悪化を馴致じゅんちし、
国家滅亡の恐れあるに
いたらしめる――

以前のアナーキストとは違い、
現役の将兵らが蹶起けっきすべく、
息巻いているようです――
当列車、間もなく、
碑文谷ひもんや大連ダイレン碑文谷ひもんや大連ダイレン
碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着します。

〔碑文谷大連〕

【伊班U隊員】
貴様も革命に加わるのか?
摂津せっつ隊員――
ならば登米川轍とめがわわだち先生の、
愛国革命論は読んだのだろうな?
俺はそらんじているぞ、聞け!
現代日本においては政党政治家、
財閥及び特権階級のいずれも
腐敗ふはい堕落だらくして国家観念を失い――
【露班S隊員】
勿論もちろん読んだ、何度もな!
全六八〇ページ、丸々覚えた。
この革命隊、敢えて名をかんせず。
素晴らしいお考えだ、
さすが登米川とめがわ先生だ。
大仰おおぎょうな隊名を名乗った、
アナーキスト共はみな引拉いんらされた。
無名の革命隊、それでいいのだ。

【伊班T隊員】
我々は小さな革命分子。
階級を捨て、皆、兵卒扱いだ。
中には予備役になった者もいるな。
常田つねだ大佐はよく仰る!
鸚鵡能言オウムよくいえど 不離飛鳥ひちょうはなれず――
鸚鵡オウムが人になることはないのだ。
続きもある。
――猩猩能言しょうじょうよくいえど不離禽獸きんじゅうはなれず――

【露班N隊員】
貴様ら、護符ごふは手に入れたのか?
【露班S隊員】
必中禮ひっちゅうれいの護符のことなら、
まだであります!
待ち遠しいであります!

【露班N隊員】
若狭わかさ少尉はどうした?
龍土町りゅうどちょう日曜にちよう下宿にもおらん――
若狭わかさは何処へ行った?
【伊班T隊員】
先日、若狭わかさ副長の日曜下宿に、
ある人物が訪問しました。
坂木さかきと名乗る男性です。
【露班N隊員】
その坂木さかきは何と言ったのだ?
【伊班T隊員】
はい、人は自死する時こそ、
思念が極大化すると述べたそうです。
ちょうど副長が宗谷そうや中隊長から、
ひどなじられて落ち込んでいた頃です。
副長、もしやとは思いますが――
【露班N隊員】
宗谷そうや大尉がか?
いよいよ蹶起けっきする気だな――
成り行きを見守ろう。

さて困ったのは――
若狭わかさがいないと護符が行き届かん。
【伊班U隊員】
必中禮ひっちゅうれい礼記射義らいきしゃぎであります。
進退周還必中禮――
進退周還必ずしんたいしゅうせんかなられいあた
人の行為はすべからく規範きはんに従うもの。
ありがたい礼記らいきの教えです。
ぜひとも護符を手に入れたいもの!
我々で手分けして、
若狭わかさ少尉を探しましょう!
【露班N隊員】
上野うえの摂津せっつ敦賀するが
貴様らは赤坂区を中心に探してくれ。
俺は浅草を回る――
【伊班U隊員】
若狭わかさ少尉行きつけの甘味処かんみどころが……
たしか、今木いまきという屋号です。
浅草にあります。

辺りを震わす衝撃が走った!

【露班N隊員】
誰かるのか!
誰だ! 
【露班S隊員】
誰もいません――
気のせいであります。

そう言うとアストラルは音もなく去った。警戒を強めるアストラルは依然眼の前にいる。

【露班N隊員】
宗谷そうや大尉は愈々いよいよ決意したようだな。
陸軍省軍務局長の首を取る――
大日本の暁光ぎょうこう、間もなくだ!

慷慨するアストラルがようやく去った。その時着信があった。

【着信 帆村魯公】
連中、軍務局長を狙うだと?
意味がわからん――
玄理げんり派の奴ら、何をたくらんでおるのだ?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ひときわ強いセヒラを観測しました。
警戒してください!

思念を強めているのか、比較的大きなアストラルが風魔の前に来た。

【伊班W隊員アストラル】
熊本幼年学校を主席で卒業した自分、
それなのに計画に加われないのか!
登米川とめがわ先生の愛国革命論、
すべてそらんじている!
――ただあの夜は酒が入り……
同志をつのるの項目を失念した――
なるべく係累けいるい少く
一家の責任軽きものなるか
あるいはそれらを超越せる人物なること
つのる同志の条件についての項目、
第八の項目を失念したのだ!
あああ、俺はもう駄目だ!
俺は、俺は、佐賀の父上、お許しを!!
うわぁぁぁぁ~

《バトル》

【伊班W隊員アストラル】
日曜にちよう下宿を飛び出して、
気付いたら四谷よつやをふらついていた。
以前は鮫河橋さめがはしと呼ばれた辺りだ。
戒行寺かいぎょうじの急坂を降りきる手前に、
立派な洋館が建っていた。
その洋館から黒頭巾くろずきんの人物が、
一瞬だけ姿を見せ、消えた。
あれは何だったのか――
俺のあずからない所で、
帝都に動きがあるわけだ!
鮫河橋さめがはしを抜けて省線信濃町しなのまちまで来た、
そこでまた俺は自失したのだ!

無念さと怒りがない混ぜになった感情を吐露し、アストラルは回転しながら消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程の街区にセヒラです。
大きくらいでいます――
おそらく、範奈はんなさんのお父さん、
そのアストラルです――

無線の梨央に促されるように、風魔は慎重に隣の街区へ向かった。そこにはひときわ大きなアストラルがいた。

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
良くしてくれた、なかだちをしてくれた。
君がここに来たおかげで、
道が繋がった――
そうだ、繋がったのだ!
今から範奈はんなに会いに行く。
君も来てくれ!

アストラルが言い終わる前に周囲が暗くなった。次の瞬間、風魔は鍛冶橋の路地にいた。

〔鍛冶橋〕

周囲の風景はセヒラの影響で歪んで見える。先程の大型アストラルが浮かんでいる。そしてビルを背に1人の女性が立っていた。廣秦範奈である――

【Kアストラル】
範奈はんな
そこにいるのは範奈はんなだな!
【廣秦範奈】
――お父様……
私をここへ呼んだのも、
お父様なのですね?
喪神もがみさん――
父です……父が戻ったのです!

【Kアストラル】
範奈はんな、聞いてくれ。
私は廣秦ひろはた伊佐久いさくではない。
私は古賀こが容山ようざんという篆刻師てんこくしだ。
幻の石を求めて長野山中に赴き、
思念の世界へちたのだ。
そこはアラヤ界と呼ばれる場所で、
古今東西、あらゆる念が行き交う。
――実ににぎやかな場所だ。
私はそこである強い念と出会う。
そしてさとるのだ、私の使命を。

Kアストラルは娘に語って聞かせた。6世紀に日本に渡ったマナセ一族のすえを探し、その霊異りょういを護ることをたくされたのだと――

【Kアストラル】
すべてはお前の生まれる前のことだ。
範奈はんな……私は遠い時代に通じた。
そうだ、未来に通じたのだ。
一九九七年の香港ホンコン九龍城砦クーロンじょうさいにある、光明路コウミョウろという町に通じた――
そこで私は研究者として暮らした。
未来の技術をふんだんに用いて、
風水の気脈を調べる機械を作り、
アラヤ界と現世を繋ごうとした。
そうすればアラヤの回廊かいろうを行き交う、
思念を呼び出すことができると――
マナセ族のすえも呼べるはずだ。

もう戻らねばならない――
範奈はんな、未来の香港ホンコンでの私は、
エリオットラウという名前だった。
一九九七年から十五年、
私は研究に打ち込んだ――
しかしまた深い場所へとちたのだ。

ああ、だめだ――
また会えるだろう、範奈はんな
お前に伝えるべきことがあるのだ。

範奈の父というアストラルは震えながら消えた。周囲のセヒラは依然揺らいでいる。

【廣秦範奈】
お父様! 
もっと聞かせてください!
お父様!!

喪神もがみさん――
父はどうやってここへ、
現れたのですか?
喪神もがみさん!
喪神もがみさん!!

急にセヒラが強くなり、風魔は時空の狭間に飲み込まれてしまった――

〔時空の狭間〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
かなり強いセヒラ観測です。
――すぐ近くです!

無線が終わるや否や1体のアストラルがやって来た。

【伊班S隊員アストラル】
若狭わかさ副長は革命分子失格だ!
愛国革命論にある同志募集要項、
大切な条項を失念しおった!
事の発端は、軍務局の秘密主義だ。
しくも出入り業者によって、
課なるものの存在が明らかに!
軍務局長の真坂まさか殿下は王道おうどう派だ。
参謀本部についで陸軍省も、
王道おうどう派をようして覇権はけんを確立するのか!
常田つねだ大佐はひどく憤慨ふんがいしておいでだ。
義憤にたぎる青年将校らと血盟けつめいし、
革命運動の根幹が誕生したのだ!
蹶起けっきの準備は着々と整う。
必中禮ひっちゅうれいの護符が熱を帯びてきた!
あと数時間で日本は変わる!
ワハハハハ~

我が思念の先でおののく貴様は誰だ!
小手調こてしらべにうってつけだな!!

《バトル》

【伊班S隊員アストラル】
我ながら上出来だ!
真坂まさか閣下かっかは悪の総司令である!
大逆たいぎゃく枢軸すうじく殲滅せんめつし、
昭和維新いしん大業たいぎょう翼賛よくさんたてまつろう!!

慷慨収まらないまま、アストラルは回転しながら消えた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、
軍務局長が狙われているのですか?
陸軍省の真坂まさか少将です――
【帆村魯公】
玄理げんり派の連中が、王道おうどう派を
こころよく思わないのは衆知しゅうちのことだ。
しかし命を狙うほどのことか?
課というのも気になるが。
我が山王さんのう機関課とは違う、
あくまで陸軍省の部署だな。
【喪神梨央】
蹶起けっきした班S隊員というのは、
宗谷そうや大尉のことだと思います。
【帆村魯公】
班は歩三の隊員だな、
元召喚小隊の一員だろう。
【喪神梨央】
帝都満洲は帝都に比べて、
時間の進みが遅くなっています。
およそ八倍ほども遅いようです。
【帆村魯公】
――そうか……
そうだったな!
数時間という猶予はないぞ!
梨央りお
陸軍省だ、軍務局に変事はないか、
確認してくれ!
【喪神梨央】
承知しました!

玄理げんり派の一派が反逆を起こさんとしている。
陸軍省軍務局長の襲撃――
義憤の念が帝都満洲をめぐる。
一方、伊佐久いさくこと古賀こが容山ようざんのアストラルは、娘に伝えることがあるという。帝都と帝都満洲、2つの世界が、さまざまな思惑おもわくを通わせ始めた。

第八章 第十話 滾る憎しみ

〔山王ホテルロビー〕

その日、山王さんのうホテルには多加美たかみ宮司の姿が。真鏡に付随する3篇の古文書こもんじょについて、残すは愈々いよいよあと1篇であった。

多加美たかみ宮司】
紫水しすい会館の古文書こもんじょは、
やはり冬至についてのことでした。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル

アラカとは宮のことですね。
ヒトツノ アラカ……
最初の宮ですね。
冬至は太陽の死であり、
同時に再生する日でもあります。
だから最初の宮となります。
京都帝大の方の古文書こもんじょ
見つかり次第、連絡が来るはずです。

ホテル玄関から廣秦ひろはた範奈はんなが入ってきた。風魔のところへ真っすぐ歩いてくる。

【廣秦範奈】
喪神もがみさん……
鍛冶橋かじばしの事務所で――
多加美たかみ宮司】
鍛冶橋かじばし……
もしや、志恩しおん会の――

多加美たかみは、自分は山郷やまごう武揚ぶように見限りを付け、今では風魔らに協力していると述べた。そして東雲しののめ流再興を手伝うのだとも。

【廣秦範奈】
如月きさらぎ鈴代すずよさんの決意は、
るがないのですね――
志恩しおん会では六世紀中頃、
ちょうど武烈ぶれつ天皇統治時代、
日本に渡ったマナセ一族を探します。
久志濱くしはま一族と呼ばれていて、
生糸きいとの生産にたずさわっていたようです。

喪神さん――
その志恩しおん会なのですが、
タイピストの女性から連絡があり――

タイピストが言うには、志恩しおん会の事務所から異音がするとのこと。風魔は範奈はんなとともに鍛冶橋かじばしへ向うことに――

範奈、風魔を乗せた公務電車は数寄屋すきや橋電停を通過、その先の鍛冶橋電停に着いた。

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫ですか?
いきなり出かけるって言うから……
大慌てて公務電車の路線、
押さえたんですよ!

【廣秦範奈】
タイピストの女性が言うには、
志恩しおん会の事務所、人がいないのに、
人の気配がすると……
私も何度か、
同じような経験をしました。

そこへ白衣姿の人物がやって来た。頭には反射鏡を着けたままである――

【猫憑き】
ニャ~……
アンタもこの人の仲間ニャ?
この人、大っきな隙間すきまあるニャ。
おいらだけじゃスッカスカ!
おいら、猫の政次郎ニャ!

――言わんこっちゃないニャ!
誰か来るニャ!
ものすごい速さで来るニャ。

ひゃ~……
おいら、弾き飛ばされたニャ!!

白衣姿の男は呆然と立ちすくんだままだ。男の背後にアストラルが現れた。アストラルを透かして鍛冶橋の町が見えている。

【???】
FUMAサン……
JEREMIAHエレミヤデス……
ワカリマスカ?

【エレミヤの思念】
私ハ コンナニ ナリマシタ……
BUT心ニ JUSTIS!!
伝エタイコト I HAVEデス
【廣秦範奈】
エレミヤ……さん……
エレミヤ佐古田さこたさんですね?
――銀行家の……
【エレミヤの思念】
範奈はんなサン……
おお範奈はんなサン……
貴女にまつわるVERY大事なこと!
とても大事なこと――
I HAVEなのです。

でも今は話せません――
FUMAサンにお会いして、
I TALKしたいです!
来てください――大連ダイレンです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンで、
I WAITしています。

アストラルが消えた。白衣姿の男ははっと我に返った。

【本郷の内科医】
ここは……どこですか?
私、白山上はくさんうえの電停にいた、
それまでは覚えていますが。
その後のことは、ちょっと――
やれやれ……
これで今年になって十六回目です。
しっかりしなきゃです。

白衣の医者は何やらつぶやきながら歩き去った。暫く見送っていた範奈だが、軽く深呼吸をして風魔に向き直る。

【廣秦範奈】
私にまつわる大事なこと――
それって何でしょうか?
【着信 喪神梨央】
ゲートの準備できています。
はらえのへお越しください。

祓えの間からゲートを潜り帝都満洲へ。帝都満洲鉄道あじあ号に乗るや、列車長から案内があった。

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンに再びわだかまる存在が――
これまでになく大きいですね。
さて、本列車ですが、
先程、定刻ていこく通り目黒奉天ホウテンを通過、
まもなく碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着です。

〔碑文谷大連〕

【演説家アストラル】
蹶起けっきせよ、将兵諸君!
――ああ、もっと声を張り上げて……
えー……
世相の頽廃たいはい、人身の軽佻けいちょうがいし、
国家の前途に憂心ゆうしん覚えありしが――

だめだな……
登米川とめがわ先生のようにはいかない。

【作家志望アストラル】
記念すべき第一回茶川賞で、
なぜ、僕の小説が落選するんだ?

「ケッケッケ――
怪人三面相は不敵な笑い声を上げた。
それを見た彼女は一段とおびえた!

この後、どんな展開を見せるか、
知りたくないかい?
フフフ、くまなく教えてあげるよ!

おびえた女は突如とつじょ大蛇だいじゃと化した!
そして怪人三面相の体に巻き付き、
ぐいぐいと締め上げた!

「怪人三面相は
憤怒ふんぬ形相ぎょうそうとなった。
しかしすでに手遅れだった――
怪人は青ざめて動かなくなった。

どうだい!
予想外だったろう!
僕は絶対に諦めないからな!!

作家志望のアストラルが去ったのと入れ違いに、3体のアストラルがやって来た。

【伊班R隊員アストラル】
ん?
貴様は……
さては将校か!
ならば心しておくように。
我々玄理げんり派は二班で構成される。
第一の班は班、
元召喚小隊、暁光ぎょうこう召喚隊の隊員ら、
およそ三百名だ。
第二の班は班、
歩三附きの一般将兵ら、
およそ五百名から成る。
玄理げんり派は腐敗国家日本を革新すべく、
多くの血盟者けつめいしゃを迎えている――

【露班O隊員アストラル】
現代日本においては、政党政治家、
財閥ざいばつ及び特権階級のいずれも、
腐敗ふはい堕落だらくはなはだしい。
国家観念をなくし、国家滅亡の、
恐れあるに至らしめたるとし、
愈々いよいよ廓清かくせいつるぎを掲げんとす――
農山漁村の窮乏きゅうぼうを見よ!
小商工業者の疲弊ひへいを見よ!
我国の現状、黙視し得ざるものあり!!

【伊班T隊員アストラル】
貴様は陸士か?
我々、玄理げんり派に加わりたくば、
次の問に答えよ!!

一、歩兵の本領ほんりょう及戦闘手段
一、軍紀について
一、軍人聖心せいしんの意義
一、国防の最良手段
一、勅諭ちょくゆの紀元
一、連隊の歴史
一、四大師しだいし
一、ファッショ
一、現代世相に対する観察

如何どうだ?
続けるぞ、次の趣旨しゅしを述べよ!

天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
――
貴様、貴様のような輩の存在が、
国体を減衰せしめるのだ!!

《バトル》

他2体のアストラルは姿を消していた。

【伊班T隊員アストラル】
武士もののふの道は違はたがわいつの世に
いずくの野辺のべ
つゆゆとも

義憤に燃えたアストラルが消えると、風魔を呼ぶ声がした。

【???】
FUMAサン……
こっちです、こっち……

1体のアストラルがぽつんと浮かんでいた。

【Jアストラル】
FUMAサン……
とても深いところから、
上がってきた人、MEETです――
昔、志恩しおん会の代表をされていた、
廣秦ひろはたサンです――
廣秦ひろはた伊佐久いさくサンです!
そうです……
廣秦ひろはた範奈はんなさんのお父さんです。
今、おいでです――

その言葉に誘われるように、中型のアストラルがやって来る――

【Kアストラル】
範奈はんなを……範奈はんなを知る者か?
――私は……古賀こが容山ようざん篆刻師てんこくしだ。
古賀こが篆刻てんこくを守る私は――

あああ……
ここでは自分を保てない――
私は……私は……

アストラルは揺らいでいた。

幻の五石を求め旅に出た――
自然珪じねんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石もんせき
玄武晶げんぶしょう――
私は多くを求めすぎたのだ。
範奈はんなが生まれる三ヶ月前のことだ――
私は……ちたのだ……

以来、私は思念を飛ばし、
廣秦ひろはた伊佐久いさくとして活動した。
志恩しおん会の一事務員にいたのだ。

アラヤ界の深くをめぐる、
孤独な念と出会ったのが始まりだ。
失われた支族を求めれば戻れる――
その念は私にそう伝えたのだ。
私はその言葉を信じて……
――ああ、だめだ、保てない!!

アストラルが大きく揺らいだ。

《バトル》

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
範奈はんなを呼びたい。
どうかなかだちをしてくれないか。
世界の底を漂い、
私は多くを見てきた。
失ったもの以上のものを得た!!

そう言い残すとアストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
範奈はんなさんのお父さん、
アストラルだったんですね!
碑文谷ひもんや大連ダイレン依然いぜん、セヒラ観測中。
でも今は安定しています。
ひとまず帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、隊長が――
参謀本部から戻られました。
【帆村魯公】
玄理げんり派がいつの間にやら、
一大勢力となっておった。
【喪神梨央】
班、班と言っていました。
【帆村魯公】
うむ……
暁光ぎょうこう召喚隊を中心に班、
歩三将兵で構成する班だ。
玄理げんり派は地方出身の青年将校らの、
不満を刺激し、彼らを錬成れんせいしおった。
状況次第では蹶起けっきも辞さない、
その勢いだそうだ……
玄理げんり派は登米川轍とめがわわだちという
予備役の革命論者と接触を深めて、
革新の大義を掲げておるようだな。

ただ、常田つねだ大佐に大義などない。
覇権はけん確立を狙うばかりだろう。
将校らはうまく利用されておる――
【九頭幸則】
歩一の将兵にも、
玄理げんり派に血盟けつめいする者があると、
内偵ないてい調査が入りました。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、
政治や財閥の腐敗には、
義憤を感じないのですか?
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん――
いきなりふっかけるなぁ。
いや、感じなくはないけど――
天之道不而善勝てんのみちはあらそわずしてかつ――
そう言うじゃない!
【帆村魯公】
ほほう! 老子か!
ところで諸君は先の問題はどうだ?
【喪神梨央】
天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
【九頭幸則】
ええ、これまた何だよ!
――どっかで聞いたことあるけど……
【帆村魯公】
おいおい!
幸坊もれっきとした陸士だろ。
これは軍人勅諭ちょくゆの大事な一節だぞ。

ノックの音が響き、新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
皆さん!
わかりましたよ!
ユンカー博士の居場所が――

ユンカー博士が体内に入れたシュタイン新山にいやまはその特有の波形を発見した。非常に弱い波形のため発見に手間取ったのだ。
ユンカー所長の弱い波動が確認されたのは、麹町こうじまち区の旧憲兵隊司令部だった。所長は裏庭の井戸で他殺体で見つかった。

【九頭幸則】
まさかな……
殺されていたなんて。
酷い有様だったようだ。
【着信 喪神梨央】
歩一の車列、
旧憲兵隊司令部に向かいます。
場所は……麹町こうじまち区です。

普段は静かな町に四両の軍用トラックの車列があった。歩一のトラックである。トラックが旧憲兵隊司令部に向けて走り出した。トラックを見送った風魔と九頭は、公務電車の待つ溜池電停へ向かう。その途中、聖宮と出会った。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
京都でいろいろ調べが付きました。
私立探偵が頑張ってくれまして。

聖宮ひじりのみや九頭くずは自己紹介し合った。互いに相手のことは聞き及んでいた。

【九頭幸則】
私立探偵に依頼されたのですか?
【聖宮成樹】
ええ、信頼のおける人物です。
【九頭幸則】
京都でわかったというのは、
鈴代すずよのことですか?
ゆかりの神社から鏡を預かったという――
【聖宮成樹】
鏡のことは、試したいことがあり、
今、麻美マーメイさんという方に、
ある物を依頼しています――
実はユンカー博士には、
双子の弟がいたのです。
それが柄谷がらたに生慧蔵いえぞうなのです。
【九頭幸則】
その人は、確か……
【聖宮成樹】
戦実施計画綱領――
論文の執筆者です。
京都瑛山会えいざんかいの一員でもあります――

京都帝大の物理学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう――
その手による論文が参謀本部に提出され、歩兵第一連隊に山王さんのう機関が設立された。セヒラやについて京都で管理するのが、聖宮ひじりのみやも所属する瑛山会えいざんかいなのである。
柄谷がらたに瑛山会えいざんかいの中核メンバーであった。

【九頭幸則】
その柄谷がらたに博士は日本人として、
振る舞っていたのですね?
【聖宮成樹】
やや外国人風の面立おもだちということで、
特に問題はなかったのでしょう。
出自しゅつじは明らかにしなかったようです。
【九頭幸則】
ユンカー所長の一家は、
双子の弟を日本に残して、
独逸ドイツに帰国したわけですね。
【聖宮成樹】
何か理由があってのことでしょう。
四十年ほど前のことです――
【九頭幸則】
柄谷がらたに博士は、
ユンカー所長殺害に関係している――
そうなのでしょうか?
【聖宮成樹】
何らかの関係はあると思います。
――おそらく強い確執かくしつがあった……

25年ほど前、生慧蔵いえぞうは渡独の際、兄ユンカーとの面会を希望した。しかしユンカーはこれを退しりぞけたのだ。

【聖宮成樹】
兄ユンカーは墺太利オーストリアの、
王立アカデミー入学への入学を控え、
独逸ドイツ政府の推薦が必要でした。
当時、日独は間接的な対立関係下、
日本にいる肉親の存在は、
ユンカーには不都合だったのです。
【九頭幸則】
四半世紀も前のことが……
今頃になって……
うーむ……あるかも知れませんね。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、私が山王さんのうに来たのは、
釣鐘つりがねを調整するためです。
帝都満洲のセヒラが、
一段と強くなったとのこと。
新山にいやまさんから連絡があったのです。
これより、
山王さんのう機関の方に向かいます。
釣鐘つりがねの制御を始めます。

聖宮はキビキビした所作を伴って歩き去った。そこへ着信があった――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
芽府めふ須斗夫すとおの声が記録されました。
ちょっと聞いてください――

【再生 芽府須斗夫】
……僕は会ったんだ……
彼女さ、そうさ、彼女だよ!
僕の眠りの中にセフィラが流れ込み、
その中に彼女は浮かんでいたのだ。
金雀枝えにしだ色の瞳が美しい彼女は、
千紘ちひろと名乗ったよ。
彼女は自分のことを僕と呼ぶ――
僕たちは響き合う――
彼女、そう言うんだ。
その言葉は柔らかく僕を包み込んだ。
するとどうだい――
僕の中に沈んでいた言葉が、
ゆらゆらと浮き上がったのさ!

再生音声は歪んだノイズとともに消えた。風魔と九頭は互いに顔を見合わせている。そこへ梨央がやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
芽府めふ須斗夫すとおが語った言葉です。
タイプライターで打ち出しました。

芽府めふ須斗夫すとおはアルファベットを語った。それを一文字ずつ大文字でタイプせよと、録音マイクに向かってそう命じたのである。

【九頭幸則】
さっぱり読めないよ――
まるで何かの暗号だね。
【喪神梨央】
私もそう思います。これは暗号です。
新山にいやまさんがお持ちの、
ナチの極秘資料ゲハイムドクメントにありました――
【九頭幸則】
ナチの……極秘資料?
そんなのがあるの?
【喪神梨央】
似た文字を見ました。
それはエニグマ暗号機でこしらえた、
暗号電文でした。

梨央りお九頭くずらとともに一旦山王さんのう機関本部へ。しかし、日枝ひえ神社境内けいだいにセヒラ観測され、風魔ふうま日枝ひえ神社へ向かった。

〔日枝神社境内〕

日枝神社の社を背に4体のホムンクルスがいた。執事型、メイド型、レーベンクラフト型、そしてユーゲント型である。そこへクルト・ヘーゲンがゆっくりした足取りでやって来た。

【クルト・ヘーゲン】
キョウトの学者ピーハディは、
私に不思議な体験をもたらした。
彼が差し出したのは、
水晶クリスタールだった――
完璧なでできている。
それを手に取り、いくら調べても、
完璧な三面体だった……
三角錐さんかくすいでも四面体となるはずだ。
この世にこのような、
美しい三面体が実在するとは……
その水晶を握りしめた瞬間、
私の血潮ちしお沸騰ふっとうしたのだ!
この一週間、
私は高みを飛翔ひしょうしている!
恐れすら一瞬で消え去ってしまう。
彼との初めての会話――
それは私が日本に着任して
間もなくの頃だった――

辺りが急に白く輝き、やがて光は失われた。暗闇の中にクルト・ヘーゲンの姿があった。何処からともなく声がする――

【???】
クルト・ヘーゲン――
君はもう苦しまなくてもいいのだよ。
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私が何に苦しむというのだ?
【???】
君の忌々いまいましい過去は、
とうに過ぎ去った車窓しゃそうの景色だ。
すっかり色褪いろあせて冷えている。
【クルト・ヘーゲン】
ああ、そうだとも!
私は自分にったのだ!
【???】
自分につなどナンセンスだ。
誰もが自分を遠ざけるのだ、
そして空隙くうげきを生み出す。
【クルト・ヘーゲン】
何の話をしている?
私は逃げてなどいない!
ただ――
【???】
ただ、どうした?
憎しみをたぎらせる一方ではないか?
それでこそ君なのだ!
【クルト・ヘーゲン】
そうだ、憎しみだ。
私の憎しみは計り知れない。
ヒュドラの沼よりも底が知れない。
【???】
いいや、君には底が見えている。
それが君のおびえの全てを生み出す。
さぁ、私にゆだねるがいい――
君のたぎる憎しみの、
そのうつわを無限の大きさにしてやろう。
どんな宇宙よりも大きな器だ。
ただしだ――
【クルト・ヘーゲン】
フフフ――
交換条件があるのか?
いいだろう、言ってみろ。
【???】
簡単なことだよ。
多くの部下たちに指示を出す、
ただそれだけだ。

〔日枝神社〕

4体のホムンクルスを従えるような位置にクルト・ヘーゲンは立っていた。その目は風魔を見据えているようであり、また風魔を透かしてみているようでもあった。

【クルト・ヘーゲン】
セフィラは超低温、真空状態で、
五億倍という高濃度に凝縮ぎょうしゅくする。
フェラーの法則と呼ばれる現象だ。
圧縮セフィラはセフィラ光を発し、
それを八枚の純鏡シュピーゲルで反射させる。
セフィラ光はますます輝く!
その光を一気に放つのだ。
ユルゲン・フェラー博士の指導で、
完全なる大型波動グローサベッレが完成した。
これからもミヤケザカから、
継続的に大型波動グローサベッレが発せられる!
私のは成功したのだ。
さぁ、配下の者どもよ!
真の実力を見せてやれ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です……
でも、日枝ひえ神社ではありません!
セヒラ、帝都中で上昇しています。
おそらく帝都満洲から流れている、
そう推測されます!

目の前の4体のホムンクルスにアストラルが現れた。4体は身じろぎ一つしない。

【クルト・ヘーゲン】
どうした!
何があった!
アプドロックが消えたのか!!
くそっ!
こうなったら私が試す!
大型波動グローサベッレ、私も受けたのだ!!

《バトル》

4体のホムンクルスの姿はなかった。

【クルト・ヘーゲン】
アハハハハハ~
私は負けていない!
そうだ、戦いの勝敗ではない!
こうしたみっともない戦いが、
私の憎しみをより大きくする!
お前には感謝せねばな!!

そう言い放った後、クルト・ヘーゲンはややふらつきながら境内けいだいを後にした。

【着信 喪神梨央】
殿下が釣鐘つりがねを……
釣鐘つりがねを調整されたようです。
現在、帝都のセヒラは高い値ながら、
安定しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
帝都満洲に、
強いセヒラがあるようです。
それって――
範奈はんなさんのお父さん……
そうじゃないでしょか?
古賀こが容山ようざんという日本的な名前でした。
【式部丞】
喪神もがみさん――
先程の芽府めふ須斗夫すとおの録音ですが、
彼は覚醒かくせいしたまま話したようです。
そして――
千紘ちひろと会った、そう言いました。
彩女あやめ君の第二人格です、千紘ちひろは。
響き合う――
彩女君も同じ台詞を語りました。
【喪神梨央】
夢の中で会った、
そんなようなことでしたよ。
【式部丞】
夢……あるいは自失した先。
帝都満洲かも知れませんね。
先の予言、ヒククアケ――
近く日本の古文書こもんじょ研究の先生が、
セルパン堂においでになります。
そのときに意味がわかるでしょう。
エニグマ暗号の方は、
新山にいやまさんに任せるしかなさそうです。

瑛山会えいざんかい柄谷がらたに生慧蔵いえぞうはユンカー所長の双子の弟であった。
兄の死に関わった恐れのある弟――
彼はまたクルト・ヘーゲンと取引をし、帝都に無益な戦いをもたらそうとした。柄谷がらたに生慧蔵いえぞうの目的とは果たして何であろうか?

第八章 第五話 龍脈の行方

〔祓えの間〕

はらえので待機していた新山眞にいやままことから、ゲートの状態が安定したとの一報が入った。様子を見に梨央りおはらえのに来ていた。

【喪神梨央】
兄さん!
ゲートの状態が安定したんですって!
【新山眞】
でも時空は歪んでいます――
大きな歪みディストールドですよ!
【喪神梨央】
新山さん……
エスペラント語、復活ですか?
【新山眞】
アハハ……
失敬しっけい失敬しっけい
こいつは辞書で調べました。
喪神もがみさん、
別の時空は繋がったままですが――
いきなりその時空の先に
飛び出したりはしません。
――保証はありませんが。
【喪神梨央】
帝都満洲だったら探信たんしんできます。
品川図們トモンですよ、兄さん!
【新山眞】
そうです――
どうかお気を付けて!

風魔がゲートに向かったとき、祓えの間に高濃度のセヒラが流入した。
まるで夢玄器を装着したときの思念空間のようだった。
そこにフリーダイップが姿を見せた――

【フリーダイップ
来てくれたのね――
ありがとう。
遅かれ早かれわかることよね――
接続したのは未来の九龍城砦クーロンじょうさいよ。
といっても、九龍城砦クーロンじょうさい自体、
一九九四年に取り壊されているの。
でも、壊されなかった街がある――
それが陰界いんかいという場所に沈んだ街。
陰と陽の陰の方よ。
私の街、光明路コウミョウろもそのひとつね。
繋がったのは二〇一五年の光明路コウミョウろ
まさにその時と場所なのよ。
私が暮らしていた街よ――
この街で何か異変が起きている――
そうじゃないこと?

フリーダが消えると思念空間のセヒラもなくなった。
風魔は常のとおりにゲートをくぐった。

【満鉄列車長】
当列車、品川図們トモン行きです。
青山新京シンキョウ、広尾吉林キツリンを経由します。
満鉄線から新京シンキョウで満洲国鉄京図ケイト線へ、乗り入れる経路となります。
それでは出発進行です!

品川しながわ図們トモン

2015年の光明路コウミョウろに繋がったという町、品川図們トモンには、その時代のアストラルがいた。

老街ラオの路人Wアストラル】
あんたどこから来たんだい?
ここにいると季節感もない――
もう五月になったはずだけど――
この先に広がるのが光明路コウミョウろだよ。
一九九七年の陰陽交合いんようこうごう事件で、
陽界ようかいに浮上しなかったエリアだ。
あの時は九龍クーロンフロントの他に、
龍城路りゅうじょうろ龍津路りゅうしん西条路さいじょうろ大井路おおいろ
その四つが陽界ようかいに出てしまった――

老街ラオの路人Jアストラル】
もう一つあるよ、妄人路ワンニンろさ!
妄人ワンニンとはな、妄想しすぎて、
物に姿の変わった奴らのことさ。
中国の客家人はっかじんが親族一同が暮らす、
円形の客家土楼はっかどろうみたいな街だな。
この街に妄人ワンニンはいないな……
俺も携帯電話男は見たことがある。
あれはあれで自由そうだったな!

太子公園プリンスパークの路人Mアストラル】
この街でおかしなことが起き始めて、
もう三年になるな――
夢の中で夢を見る、
そんな路人ろじんが相次ぐんだ。

太子公園プリンスパークの路人Dアストラル】
廟  街テンプルストリートの医者は多重夢だと言う。
夢を見ている夢を見ることだ――
夢の中で見る夢は悪夢なんだよ。
夢の話だろ?
多重夢ってことらしいぜ。
悪夢を見終わった自分がいる、
そんな夢を見るんだ――
今年はほぼ毎日見ているよ!

太子公園プリンスパークの路人Xアストラル】
廟  街テンプルストリートの医者の奴、
多重夢にどんだけ詳しいんだか……
やぶの中のやぶ筋金すじがね入りのやぶだしな!
私はね、調べんたんです。
この光明路コウミョウろで多重夢を見た路人ろじん数。
さて、何人だと思いますか?
驚くなかれ、九十六人です。
なんかキリの良い数字ですね。
中には姿を消した者もいますが――

ところで私の悪夢、知りたいですか?
無論むろん、知りたいですよね?
――分かるんです、空気感で。
あなたは好奇心こうきしんの人だ。

ぱだかになって滑り台を滑る、
そういう夢ですよ。
その滑り台、長い包丁の刃なんです。
その上をはだかで滑るんですよ!
尾骶骨びていこつをギリギリとけずられながら。
いつまでっても終わらない滑り台。
はっと目覚める、それが夢です。
私は滑り台のそばに立っている――
滑っているのは、他の人だったり。
それが貴方なんです!!

《バトル》

太子公園プリンスパークの路人Xアストラル】
ギリギリギリギリ……
ああ、私の尾骶骨びていこつが、けずられていく!!

中央区セントラルの路人Qアストラル】
多重夢、多重夢ってな、
みんなまだ素人しろうとくさいぜ。
俺なんか、二重じゃない、三重だ!
誰よりも先行ってるんだ。
マジ玄人くろうとっぽいんだ。
悪夢からめた俺がいる――
その夢を見ている俺がうたた寝で、
今度は子供時代の夢を見る。

中央区セントラルの路人Vアストラル】
ああ、こうも玄人くろうとっぽいと、
理解するのが大変だよ、あんた!
必ず悪夢からめる夢なんだ。
まるで悪夢を奪われている――
そんな気さえするんだ。

中央区セントラルの路人Zアストラル】
誰かが悪夢を集めている、
そういううわさもあるんだよ。
俺はこう見えてもな、
古靴ふるぐつ屋を経営していたんだ。
維多利亜鞋ヴィクトリアシューズっていうのが店名だ。
そんな話には興味が無いって?
あんた、薄情はくじょうだな――
じゃ、信和広場シノワスクエアの爺さんにでも会え。
この街のこと、知りたいんだろ。
あの爺さんは光明路コウミョウろ字引じびきだよ。

品川しながわ図們トモン

信和広場シノワスクエアの路人Nアストラル】
光明路コウミョウろ路人ろじんに異変が起きたのは、
三年ほど前からです。一説には龍脈りゅうみゃく途絶とだえたせいだと――
そういううわさもあります。
龍脈りゅうみゃくとは神獣からはっせられる、
強い気脈のことですよ。

信和広場シノワスクエアの路人Pアストラル】
あんた、太子公園プリンスパークの方から来た?
じゃ、電脳中心でんのうちゅうしんそば通ったんだな。
あすこのジェレミーが言うには、
異変の原因はゲームにあるんだとか。
ゲームの中に吸い込まれた奴がいる、
そんな話だった――
ジェレミーもそうなんだよ、きっと。
【着信 喪神梨央】
ゲームに吸い込まれるって、
中野満洲里マンチュリでも聞きました。
確か電脳中心でんのうちゅうしんの――
ええっと、あの時は、
九龍クーロンフロントだったと思います。
ゲームというのがどんなものか、
ちょっと想像できないんですけど。

信和広場シノワスクエアの路人Cアストラル】
十八年前のことはよく覚えておる。
陰陽交合いんようこうごうで世界破滅の寸前すんぜんじゃった。

あの時、わしは九龍クーロンフロントにいた。
神獣しんじゅうとして見立てを受ける、
そんな宿命しゅくめいをもった娘がおってな。
名前を小黒シャオヘイといったな――
その娘は一九二〇年の上海しゃんはいで、
神獣朱雀すざくの見立てを受けて、お陰で陰界いんかい龍脈りゅうみゃくが戻ったんじゃ。
勿論もちろん、実際に行ったわけじゃなく、
生体通信せいたいつうしん双子ふたごの姉さんと繋がった、
それで大きな力を生み出したんじゃ。

その龍脈りゅうみゃく途絶とだえておる。
一九二〇年より後の時代でな。
このままでは陰陽交合いんようこうごうの心配がある。
クーロネットにくわしいのがおったぞ。
その者と話してみるがいい。

より詳しく話の聞けるアストラルを求め、風魔は品川図們トモンの街区を進んだ。
1体のアストラルが風魔を認めて近づいてきた。

【リゾーム会員Pアストラル】
あんた、前にも接続したよね――
あんたがここの龍脈りゅうみゃくを取り戻すの?
なら教えるけど――
神獣朱雀すざくとして見立てを受けた小黒シャオヘイ、その見立ての日が間違っていたんだ。それで龍脈りゅうみゃく途絶とだえてしまった――
断絶だんぜつは一九三五年だと思う。
その年の五月でファイアの日は……
五月十二日、十三日だよ。
今日が一日だから、再来週のにちげつだ。
どうやってその時代に行くかって?
簡単だよ、ゲームにログインだよ。
みんな同じ時空に飛ばされている――
ゲームのことなら、電脳中心でんのうちゅうしんのジェレミーに聞くといい。
僕からも伝えておくよ。

【電脳中心Jアストラル】
調査に来たのはあんたかい?
パピヨンから連絡あったんだ。
リゾームというネットの会員だよ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
そのアストラルが、
ゲームのジェレミーだと思います。
【電脳中心Jアストラル】
何か音が聞こえたけど……
あんた、インカム着けてるの?
もしかして、当局の人? 
それはそれでいいんだけど。
俺、クーロネットで調べたんだ。
九七年当時のログを発掘してね。
龍脈りゅうみゃくおこした日付が違ったんだって?
邪悪な意思が及んでいたのかな……
ガリギアスオンラインのプレイヤー、
みんな、一九三五年の東京に、
飛ばされるんだ――
俺の時もそうだった。
東京の鍛冶橋かじばしという町だよ、
知ってるかな?
この異変は三年前からだ。
だから、その時空に何かがある――
おそらくだけど……
朱雀すざく龍脈りゅうみゃくはその時代で途絶とだえた、
だからその時代でつなぐ必要がある。
ゲームが教えてくれているんだよ!
時空のトンネルが繋がってるんだ。
かが神獣を見立てをする。
でも見立てられるのはだろう?
光明路コウミョウろ路人ろじんが多重夢に見るのも、
三年前からだよ――
誰かが悪夢を集めているとか?
ネットではそんなうわさが飛び交うよ。
あんたが行くならゲームを起動する。
【着信 喪神梨央】
ゲームで繋がるのは一九三五年、
つまり今年の五月一日です。
場所は鍛冶橋かじばしです――
帝都内ですが探信たんしんはできません。
でも行ってみるべきです!
【電脳中心Jアストラル】
行くんだね!
じゃ、ゲームを始めるよ!
そうだ、このかぎを持っていくといい。
俺のアカウントだから、
あんたのハンドルネームは、
ホーネットだよ!

程なく眼前に鬱蒼うっそうとした森が現れた。聖域とされるトスタリアの森である。

【フリーダイップ
ゲームに入ったのね……
今はログオフ中だけど、私は周瑜しゅうゆ
このゲームの中ではね――
あなたの向かう先、五月一日の帝都、
そこに歪みの元がありそうよ。
時空を超えて光明路コウミョウろから悪夢を集め、
それを利用している……
がいるはずよ。
人かどうかもわからないけど――
気を付けてください。

森の図書館に着き、貰ったかぎで中へ入る。そこはエリオットの書斎しょさいという閲覧室だった。部屋にある小さな扉を開けて表へ出る――

〔鍛冶橋〕

そこはまさしく帝都であった。
鍛冶橋かじばし京橋きょうばし、両電停のほぼ中間、槇町まきちょうと呼ばれている一角である。

【着信 ジェレミー】
俺だよ、電脳中心でんのうちゅうしんのジェレミーだ。
この周波数、ジャックしたよ――
案外、簡単だったな!
クーロネットでシャア先生の手記発見!
ファイアの日を調べた先生だよ。
手記によると正しいファイアの日に、
神獣の見立てを受けるのは、
蘭暁梅ランシャオメイだそうだよ。
一九二〇年の上海にいた少女さ。
あんたの向かった年だと、
よわい二十七歳になっているはずだよ。
蘭暁梅ランシャオメイが見立ての場所に来ない――そうじゃないかな。
彼女を阻害そがいする何かがあるんだよ。

通信が終わったとき、鍛冶橋のビルの角から着物姿の少女が現れた。
少女はうっすらと笑みを浮かべながら風魔に寄ってくる――

【少女】
フフフフフ~
――あなたなのね……
みじめったらしい自尊心じそんしんで、
この世界に染みをこしらえているのは!
その染みはおびえの色をしているわ!

少女の背後にセヒラが集まったかと思うと、やおら巨大アストラルが姿を見せた。全身から激しくセヒラを噴出している――

妖帝ヤオディアストラル】
私はすべての時代に属している――
かつて、そう言ったはずだが、
お前たちは物忘れが酷いと見える。
憎しみや怒りは、
まるで砂金のように沈殿ちんでんする。
砂金の層が厚く重なり、
私は生まれたのだ――
お前たちはおのれうち宿やどす悪意に、
恐れをなしている。
いつわりの善意のころも
隠そうとあがく――
狡猾こうかつにも程がある――
ならば見えるようにしてやろう。
お前たちの夢の中でな!
悪夢からのがれようとする、
お前たちのそのおびえが、
愈々いよいよ、私を強くする。
私はお前たちそのものだ。
さては自分を痛めつけるのか?
楽しそうじゃないか!!

《バトル》

着物姿の少女は巨大アストラルに半ば吸収され、もはや人の体をなしていなかった。
巨大アストラルは愈々いよいよ激しくセヒラを噴出している。

妖帝ヤオディアストラル】
お前の心に沈殿するのは何だ?
おびえなのか? 憎しみなのか?
お前の姉は死んだ――
山のふもとで自らに火を放ったのだ!
お前の姉は焼身自殺したのだ。
黒焦くろこげの体は、四肢ししが不自然にゆがみ、
異様なほどの白い眼が虚空こくうにらむ。
歯を食いしばったままの口は、
たましいの抜け出るのを防ごうと
しているかのようだった。
燃える姉、燃える姉、
乾いた心には容赦ようしゃなく火が付く。
お前にとってのファイアの日だ、
まさしくな!

一瞬、セヒラの奔流が起きたと思う間もなく、宙に浮かぶ小さな1点にセヒラが収束した。
アストラルもその姿を消した。
地面に少女の着物だけが残された。

【着信 ジェレミー】
おい、あんた、大丈夫か?
今の奴が悪夢を集めていたんだな。
それを蘭暁梅ランシャオメイに注いでいた……
そうなんだろ、きっと。
蘭暁梅ランシャオメイは東京に行っているよ!
昔の新聞記事を検索したんだ……
一九五〇年の新華報しんかほうだよ。
十五年前、つまり一九三五年に、
満洲国から日帝に渡った
二人の女優についての記事だ――
二人は紅楼夢こうろうむの舞台挨拶あいさつのため、
東京に行ったと報じられている。
麻美マーメイ蘭暁梅ランシャオメイの二人だね。
それで蘭暁梅ランシャオメイは、
日本で行方ゆくえ知らずになったとある。
――つまり……
日本で、東京で、蘭暁梅ランシャオメイは、
神獣の見立てを受けたんだね!!
龍脈りゅうみゃくが繋がった、そういうことだね!
あっ、周瑜しゅうゆがゲームにログインした。
じゃ、俺はこれで――
もう会うことはないと思うけど。

無線の後、風魔は淡いセヒラに包まれた。顔を上げると、そこは思念空間の溜池通だった。
市電も車も通らない人の気配のない溜池通である――

【フリーダイップ
あなたが戦った妖帝ヤオディとは、
歪みの象徴のような存在なの。
それが蘭暁梅ランシャオメイ萎縮いしゅくさせていたのね。
彼女、回復して来週来日の予定よ。
共演の女優、麻美マーメイと一緒に。
二人は浅草で舞台挨拶あいさつするのよね。
そして五月十二日に神獣となる。
――ねぇ、お姉さんのことだけど……
真実は他にあるようよ。
私、調べてみる。
妖帝ヤオディの言ったことはに受けないで。
今、ここは一九三五年五月一日……
あなたの中の帝都なのよ。
ここに未練みれんを残さないで――
自分と戦って抜け出すのよ。
自分を信じて、打ち勝つのよ。
一番の敵は自分の中にいるものよ。

前方からもう一人の風魔が歩き入る。
セヒラがもたらしたドッペルゲンガーであった。
風魔は試されているかのように自分に向き合う――

《バトル》

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!!
心配しました……
兄さんが帝都満洲に降りて、
もう五日が経ちましたよ!
【新山眞】
喪神もがみさん――
いろいろ調べたところ、
やはり二つの時間があるようです。
帝都満洲では時間の進みが遅く、
帝都の時間の五分の一ほどです。
帝都満洲の一日が帝都の五日――
帝都満洲に一週間滞在たいざいすると、
帝都では一月ひとつきってしまいます。
【喪神梨央】
これも時空の歪みが原因ですか?
【新山眞】
ええ、そうだと思います。
今、歪みは解消されています。
でも時間のズレは残ったままです。
いつから時間が
ずれるようになったのか、
さだかではありませんが――

神獣の見立てを阻害そがいする邪悪な存在があった。それを退しりぞけ、蘭暁梅ランシャオメイ朱雀すざくとなった。その龍脈りゅうみゃく途絶とだえることなくへと流れる。

第八章 第四話 満映女優

〔山王ホテルロビー〕

その朝、京都より多加美たかみ宮司ぐうじが戻り、山王さんのうホテルで迎えることになった。東雲しののめ流再興を誓った鈴代すずよも来ている。

【喪神梨央】
多加美たかみ宮司ぐうじですが、
昨夜一一時四五分に京都を出た
夜間急行でお戻りです。
東京には今朝の九時三〇分着です。
【如月鈴代】
宮司ぐうじは鏡をお持ちになるはずです。
東雲しののめ流に神意しんいを伝える鏡です。
京都の神社に奉納されていました。
【喪神梨央】
鈴代すずよさん、その神意しんいって、
どんなものなのですか?
【如月鈴代】
私もくわしくは知らないのです――
霊異りょういす者にのみ伝わるそうです。

ホテルロビーに多加美宮司が入ってきた。
東京駅から円タクを飛ばしてきたのである。

【多加美宮司】
皆さん、おそろいですね――
【如月鈴代】
神器の鏡、授かりましたか?
【多加美宮司】
ええ、京都は宮津みやづにある、
真名井まない神社に奉納されていました。
伊勢いせこの神社の奥の院ですよ。
鏡はこちらになります。
鏡は真名井まない真鏡しんきょうと呼ばれています。

多加美たかみ宮司ぐうじ真名井まない真鏡しんきょうを取り出した。古式の鏡という以外に取り立てて特徴はない。

【喪神梨央】
宮津みやづだと山陰さんいん線から宮津みやづ線ですね。
京都を朝出るとお昼前には着きます。
【多加美宮司】
京都から宮津みやづは日帰りでした。
降りた駅は宮津みやづ線の天橋立あまのはしだて駅です。
神社まで天橋立あまのはしだてを渡って向かいます。
【喪神梨央】
そうなんですね!
天橋立あまのはしだてを通ったんですね!
日本三景の一つですね。

多加美たかみ宮司ぐうじ宮津みやづ真名井まない神社で、宮司ぐうじから鏡を預かった経緯けいいを話した。鏡の霊力は失われているとのことだった。

【多加美宮司】
この真鏡しんきょうには三篇さんぺん古文書こもんじょ
付帯ふたいしています。
そのうちの一篇いっぺんを授かりました。
真名井まない神社から電報で頂いたのです。

マナイノ カガミハ ソレノサマ 
ウルワシクテ モロカミタチノ
ミココロニモ アヱリ

【多加美宮司】
真名井まないの鏡、
それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心みこころにも合えり――
【如月鈴代】
他の二篇にへんはどうなっているのですか?
【多加美宮司】
今、手配しています。
一篇いっぺんは京都帝大に、
もう一篇いっぺんは北の紫野むらさきのにあるそうです。
紫野むらさきのには紫水しすい会館という会館があり、
そこに収蔵されているそうです。
見つかり次第しだい、電報をもらいます。
【如月鈴代】
その古文書こもんじょ三篇さんぺんそろうと、
鏡の霊力は回復するのですか?
【多加美宮司】
真名井まない神社では、
そのようにうかがいいました。
程なく三篇さんぺんそろうでしょう。
この鏡は貸金庫に預けておきます。
第百六十三銀行銀座支店です。
エレミヤさんの銀行ですよ。
【喪神梨央】
そうだ、兄さん、
もう一方ひとかた、お客様があります。
――いらっしゃったようですよ。

〔山王ホテルロビー〕

優雅な素振りを見せながら、1人の女性がホテルロビーに入ってきた。満鉄映画社の麻美マーメイである。

【如月鈴代】
あら……
どこかでお見受けしたような――
【喪神梨央】
麻美マーメイさんですね?
――満鉄映画社の。
活動キネマ紅楼夢こうろうむの。
【麻美】
ええ、そうです――
浅草は今日が最終日で、
舞台挨拶あいさつがあるんです。
【喪神梨央】
あの……共演の女優さんは……
麻美マーメイさんは林黛玉リンタイギョク役ですよね。
もうお一方ひとかた薛宝釵セツホウサ役の女優さん――
その方、五月の舞台挨拶あいさつにも、
おいでじゃなかった――
興亜こうあ日報に書いてありました。
【麻美】
蘭暁梅ランシャオメイちゃんですね?
春から長患いで来日できていません。
悪い夢を見る、嫌な予感がすると――
【喪神梨央】
それは心配ですね。
紅楼夢こうろうむ、大人気なんですから!
今じゃ市内中まちじゅうでかかっていますよ!
【如月鈴代】
私も鑑賞いたしましたわ!
遅ればせながら、この八月に――
【麻美】
それは有難うございます。
【如月鈴代】
麻美マーメイさんは、五月に来日されて、
この夏はずっと日本においでですか?
【麻美】
ええ、母の実家に寄っておりました。
私、支那シナ生まれですが日本人です。
本名は高山たかやま麻美あさみと申します。
【喪神梨央】
そうだったんですね!
てっきり支那シナの方かと――
【麻美】
これから是枝これえだ咲世子さよこさんに会います。
――ご存知ぞんじですよね、咲世子さよこさんは?
【如月鈴代】
勿論もちろんぞんじておりますわ。
もしや、満洲まんしゅうの――
N計画のお話でしょうか?
【麻美】
咲世子さよこさんのお話は、
おそらく独逸ドイツのことではないかと。
近々、私、渡独とどくの予定があります。
独逸ドイツに会って欲しい協力者がいる、
そういうお話のようです。
【如月鈴代】
麻美あさみさん……是枝これえだ咲世子さよこさん、
山王さんのうホテルにおいでですか?
【麻美】
いえ、近くのおやしろに……
日枝ひえ神社ですか、そちらで。
もういらっしゃっているかも。
【喪神梨央】
兄さん、念のためです、
日枝ひえ神社界隈かいわい、セヒラを調べます。
【麻美】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね……
それでは、まいりましょうか。
鈴代すずよさん、
またお会いしたいと思います。
【如月鈴代】
私もですわ。
活動キネマのお話、聞かせてくださいな。

〔日枝神社〕

【是枝咲世子】
麻美あさみさん、
幾久方いくひさかたですね!
【麻美】
咲世子さよこさんこそ、お元気そうで。
お父様もお変わりなくて?
――今も独逸ドイツに……
【是枝咲世子】
父は帰国中ですが、
もうじき独逸ドイツに戻ります。
――麻美あさみさん、少し歩きましょうか。
風魔ふうまさんもご一緒してくださいな。

日枝ひえ神社境内〕

旧交を確かめ合った咲世子さよこ麻美マーメイつのる話を交えながら2人は日枝ひえ神社へ。風魔ふうまにもぜひ聞いて欲しい話があるという。

【是枝咲世子】
それではダッハウ強制収容所のこと、
さっそく父にも申しておきます。
アイケSS上級大将のことは特に。
アイケは猶太ユダヤ人を憎悪しています。
収容所施策を強化するでしょう。
満洲での受け入れを急ぐべきです。
麻美あさみさんはナチ高官の会合かいごう
参加されるなどして、
情報を集めておいでです。
【麻美】
ナチス・ドイツはユダヤ人排斥はいせき
本格的に始めるつもりです――
独逸ドイツ欧州ヨーロッパで孤立するのは自明じめいです。
【是枝咲世子】
父の話では、英国イギリスの外務大臣が
満洲への猶太ユダヤ入植にゅうしょく事業に
おおいに関心を寄せているとか――
日本と英国イギリスの二国で満洲を管理する、
そのような提案を出すようですよ。
これは日本にとって好機こうきです――
【麻美】
せんだって国連脱退した日本が、
これ以上孤立しないために……
ということですね?
【是枝咲世子】
父はそう考えています――
他国を利用するだけだった英国イギリスを、
今度は日本が利用してやるのだと。
【麻美】
そういえばナチ親衛隊長官ヒムラーは
北満ほくまんにアーネンエルベ開設の
指示を出したとか……
【是枝咲世子】
先日、フォス大佐が満洲へ――
麻美あさみさん、例のお話ですが……
独逸ドイツに渡られるとお聞きしました。
【麻美】
独逸ドイツで会って欲しいという方ですね?
どういう方でしょうか?
【是枝咲世子】
ナチ親衛隊のローレンツ中将です。
エーリッヒ・ローレンツ――
中将はN計画の考案者なのです。
【麻美】
ローレンツ中将ですね。
褐色館ブラウネスハウスに招かれているので、
お目にかかれると思います。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
警戒してください!
セヒラ急上昇です!!
【執事型ホムンクルス】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
開始シュタート! 開始シュタート! 

《バトル》

【着信 喪神梨央】
辺りのセヒラ、沈静化しました。
警戒を解いてください。
【麻美】
さすがですね、風魔ふうまさん――
月下げっか一閃いっせんごとくですね。
頼もしく思います。
近く、在日独逸ドイツ人会の渡独とどくに合わせ、
独逸ドイツへ渡る予定があります。
今日はこれから、
浅草で舞台挨拶あいさつがあります。
【是枝咲世子】
風魔ふうまさん、帝都では騒動が――
浅草まで麻美あさみさんとご同行ください。
【着信 喪神梨央】
公務電車の手配をします。
山王下さんのうした電停に待機させます。

〔浅草六区ろっく

【着信 喪神梨央】
銀座幻燈会げんとうえもよおしが、
市内数カ所で開かれた模様です。
有楽町ゆうらくちょう京橋きょうばし、新宿、浅草――
浅草は天一館てんいちかん水天館すいてんかん文明閣ぶんめいかくです。
今回は活動キネマだったようです。
大勢が怪人化する恐れがあります。
浅草にも……セヒラ観測です!!
【麻美】
浅草の三つの映画館、
いずれも閉館しています。
三館が合わさって浅草名劇座に――
狐につままれたようなことでしょうか?
用心に越したことはないですわね。

御成門おなりもんの客】
短編の活動キネマでしたわ。
日露戦争のお話よ――
三軍の旅団にいた一人の少尉さん、
東京に残した奥さんが亡くなるの。
流感インフルエンザかかったのよ。
当時遼東リャオトン半島にいた少尉が携行けいこうする、
小さな手鏡に、奥さんの顔が写る、
そういうお話よ。
死んだ奥さん、良人おっとに会いに行った。
その少尉さん、敵弾もろともせず、
無事、日本に戻られました。

赤羽橋あかばねばしの客】
少尉の女房が何で死んだか、
そこが肝心かんじんなんだよ。
女房は省線電車にかれて死んだ。
四谷見附よつやみつけの橋から身投げしてね。
あすこ、下に省線走ってるんだ。
電車の鉄輪で顔は真っ二つ!!
ひゃぁ~柘榴ざくろみたいにけた~
その顔が鏡に写ったんだよ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラです、接近しています!
【麻美】
喪神もがみさん、お気を付けください!

入谷いりやの客】
僕は見た!
僕は見たんだ!
手鏡に写った少尉の女房を!
あああ~
少尉の女房は、
首くくりで死んだんだ!!
目ん玉が飛び出し、舌を垂らし、
白くろうのような肌をさらして――
細い首に縄の跡が赤黒く残るんだ!!
昨日から同じところを歩いてる。
行けども行けども、下宿に着かない。
歩くほどに力がみなぎってくるよ!!

《バトル》

入谷いりやの客】
手鏡に写ったのは……
少尉の女房じゃない、そうじゃない、
去年、肺病で亡くした僕の姉だ!

あああああ~
――僕は、もう行き場がない!!
【麻美】
人によって見え方が違う……
そんな活動キネマ、知りませんわ。

喪神もがみさん……
幻燈会げんとうえもよおしを主催するのは、
いったい、誰なんでしょうか?
セヒラにおかされておかしくなる、
そうう人ばかりじゃないようです。
――あの人……
幻燈会げんとうえのお客さんじゃないですか?

角筈つのはずの客】
文科のS三郎はいい加減だ!
少尉の手鏡に写ったのは化物だ。
真っ青な色で赤い目をし、
金のきばく怪物なのだ!
少尉の女房じゃない!
怪物だ、怪物だ、
あれはまごうことなく怪物なんだ!!

《バトル》

角筈つのはずの客】
少尉の隊は激戦の中でほぼ全滅、
生き残ったのは少尉と軍曹ぐんそうだけ――
軍曹ぐんそうが言うんだ――
敵弾、少尉の体をすり抜けたと。
何十発も撃たれて平気だったと。
軍曹ぐんそうが目を凝らすと、
少尉の体を透かして、
二〇三高地が見えたそうだ!!
【麻美】
お話の筋書きまで変わるなんて――
何かの力がおよんでいる気がします。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その辺り、セヒラは観測しません。
浅草今木いまきにお客様です。
ご対応お願いします。

〔甘味処今木いまき

今木いまきてる
あら、麻美マーメイさん!
ようこそお越しを……
お客様がお待ちですよ。
皆さん、活動キネマ関係の方なんですって?

【聖宮成樹】
多加美たかみ宮司ぐうじから麻美マーメイさんのこと、
うかがいしたのです。
この店の常連だと――
【麻美】
ええ、浅草に来ればいつも……
浅草名劇座で舞台挨拶あいさつがあります。
でも浅草に怪人が出ていて――
【聖宮成樹】
喪神もがみさんがおしずめになったのですね!
喪神もがみさん、麻美マーメイさんに大切なこと、
お頼みしようと思うのです。
【麻美】
あら、どんなことですの?
【聖宮成樹】
独逸ドイツはミュンヘンにあるナチ党本部、
通称、褐色館ブラウネスハウスに行って欲しいのです。
【麻美】
褐色館ブラウネスハウスなら近く訪れますわ。
ブルエナーどおりにありますわね。
【聖宮成樹】
褐色館ブラウネスハウスの地下に、
リヒャルトガルテンの銘板めいばんかかげた、
小部屋があるのですが――
そこにしのんで、
持ち出して欲しい代物しろものがあります。
【麻美】
どんなものでしょうか?
【聖宮成樹】
この写真を――
ゼーラム五二五です。
銀色の筒状つつじょうの容器に入っています。

聖宮ひじりのみやが取り出した写真には、金属製の筒状容器が写っていた。側面に525の文字が見える――

【麻美】
それは何か特殊なものですね。
この帝都の……喪神もがみさんたちに、
何か関係がありますかしら?
【聖宮成樹】
ゼーラム五二五は謎の霊的物質です。
失われた霊力を回復する、
そのような働きがあると言われます。
【麻美】
――なるほど、承知しょうちしましたわ。
近く親衛隊のパーティがあるので、
いい機会だと思います。
【聖宮成樹】
計画が首尾しゅびよく運ぶよう、
私からシュタインベルク中将に、
麻美マーメイさんのことを伝えておきます。
【麻美】
ありがとうございます。
それでは殿下でんか、私は劇場の方へ。
【聖宮成樹】
麻美マーメイさん、
どうぞよろしくお願いします。
【麻美】
喪神もがみさん――
またお逢いしましょう。
夢玄器むげんき独逸ドイツにも持参しますわ。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうという物理学者の名前、
お聞きになったことはありますね。
柄谷がらたに博士は瑛山会えいざんかいの一員です。
三年前、セヒラが同定されたとき、
せんの必要性を訴えました。
論文をまとめ、参謀本部へ提出し、
それが元で山王さんのう機関が設立され、
喪神もがみさんたちが招聘しょうへいされました。
その柄谷がらたに博士ですが、
どうも動きが怪しいのです。
それで京都から尾行しました――
博士は東京に着くやいなや、
独逸ドイツ大使館に向かったのです。
瑛山会えいざんかい独逸ドイツ国――
爾来じらい、何の繋がりもありません。
誰と接触したのでしょうか……
少し調べてみることにします。

さて――
麻美マーメイさんがゼーラムを持ち帰れば、
多加美たかみ宮司ぐうじが授かった鏡に、
霊力が戻る希望が持てます。
ゼーラムは釣鐘つりがねにも使われています。
ただ、釣鐘つりがねから取り出しようもなく、
麻美マーメイさんにお願いした次第しだいです。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお話ししたいと。
はらえの間においでになれますか?

【今木照】
どうするんですか、お二人は?
お店、看板にしちゃいますよ!
【聖宮成樹】
わかりました、すぐうかがいます。
喪神もがみさん、
今日はこれにて失敬しっけいします。

聖宮は今木に入っていった。
風魔は梨央の要請で祓えの間に向かった。

はらえの間〕

【新山眞】
今回、ようさんから連絡もらって、
飛んできたんですがね――
どうも別の時空に繋がったようです。
それが証拠に、未知の波形が――
どやら日本じゃないですね。
ようさんは香港ではないかと――
実はこれまで何度か、
香港と接続したことがあります。
それもずっと未来の香港です――
波形記録に接続の履歴が残っていた、
そういうことですが……
今、接続するのは品川図們トモンです。
接続したばかりで、
今はすこぶる不安定です。
安定するまでお待ち下さい。
ひとまず山王さんのう機関に向かいましょう。

帝都満洲が別な時空と繋がったという。それは未来の香港であると――
過去に何度か接続の事実はあったようである。

第八章 第三話 猟奇倶楽部潜入

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーに風魔ふうまを待つ客があるという。機関本部の前に風魔ふうまはロビーに立ち寄った。はたして、背広せびろ姿の人物が待っていた。

【満蒙毛織の谷崎】
喪神もがみさんでいらっしゃいますね!
私、満蒙まんもう毛織けおり谷崎たにざきと申します。
いやぁ、ウチの繊維研究所、
さんざん手こずりましてね――
なにせ標本が極小でしたから!
あはは!
でも出来ましたよ!
六十番という細番手ほそばんで朱子織サテンです。
上等な生地をお使いですな。
そめも三度黒の職人に出して、
やっとご指定の色になりました。

ロビーにやってきた梨央りおは、谷崎たにざきから風呂敷ふろしきづつ包みを受け取った。

【喪神梨央】
谷崎たにざきさん、ご面倒をおかけしました。
【満蒙毛織の谷崎】
そう言っていただくと、
苦労した甲斐かいがあります。
――しかし、秘密のお仕事ですか?
【喪神梨央】
谷崎たにざき清次郎せいじろうさん……娘さんは、
大原おおはら商業高女を志望されていますね。
先生にはまだ相談されていません。
荻窪おぎくぼとついだ里子さとこお姉さん、
熱出して頓服とんぷく処方されたとか。
夏風邪はこじらせると大変ですよ。
また牛込うしごめの弟さんは借金絡みの――
【満蒙毛織の谷崎】
うわっ!
社の用事、忘れていました!
私はこれで失礼します!

【喪神梨央】
うふふ……
すごい慌てようですね、兄さん。
満蒙毛織まんもうけおりに頼んでいたのは、
黒頭巾くろずきんです。
兄さんが倒した怪人が落とした、
小さな切れ端から、
同じ素材のものを求めました。
先程、受け取りました。

ホテルロビーに新山眞が入ってきた。

【新山眞】
黒頭巾くろずきんの人物が落とした便箋びんせん
塩化コバルトインキで印刷してあり、
飯倉いいくら技研ぎけんに回ってきました。
電磁加熱機で慎重に加熱すると、
あぶしの要領で文字が浮かび、
猟奇倶楽部の秘密集会の案内でした。
【喪神梨央】
その集会が今日開かれます。
待機場所は品川駅前――
前に猟奇倶楽部に招待された時と、
同じ場所ですね。
倶楽部の車が迎えに来ます――
【新山眞】
待機時に頭巾ずきん着用のこと――
そうあったんです、案内に。
【喪神梨央】
兄さんがこの頭巾ずきんで変装して、
猟奇倶楽部の秘密集会に潜り込み、
内偵ないてい調査するのです。

〔山王ホテル前〕

【喪神梨央】
兄さん……
全然、兄さんだとわかりません。
【新山眞】
猟奇倶楽部の連中、
妙な渾名あだなで呼び合います。
喪神もがみさんはこれを名乗ります――

そう言って新山にいやまはメモを風魔ふうまに渡した。メモには、ガニヤンテの大司祭Λラムダ師とあった。

【喪神梨央】
品川へは公務電車ではなく、
円タクで向かってください。
参謀本部の職員が運転します。
それではよろしくお願いします。

〔品川駅前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
無線は行いませんが、
探信たんしんは続けます。
猟奇倶楽部が探信儀たんしんぎの空白地帯だと、
正確な場所は確認できません――
でも、出来る限り探信たんしんします。

【猟奇人ΩⅥオメガシックス
猟奇人ΣⅢシグマスリー様、会員の方です――
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様です。
【猟奇人ΣⅢシグマスリー
おお、ガニヤンテの大司祭様!
お待ちしておりました。
こちらを。つねの目隠しにございます。

黒服の男は目隠しを取り出した。猟奇倶楽部への道中は、会員であっても、知ることの出来ない秘密のようである。

【猟奇人ΣⅢ】
それではまいりますよ、大司祭様。
今日は特段のもよおしにございますゆえ。

風魔ふうまを乗せた車は、右へ左へと角を曲がり、加速や減速を繰り返しながら走った。

【猟奇人ΣⅢ】
今日は階位一位の会員の方が、
おいでになるともうかがっております。
皆、頭巾ずきん姿なのですが――
大司祭様の頭巾ずきんは新しいですね。
最近、会員になられたのでしょうか。
だとして、もうその階位ですか!
よほどの貢献こうけんがおありなんですね!
私らは準会員なのです。
永遠の準会員です――
倶楽部の場所は知りますが、
集会には参加できません――
儀式を受けると正会員になれます。
刀圭とうけい堂薬局の脳散丸のうちるがんを飲んで、
場所の記憶を飛ばすらしいです。
ノーチル、ノーチル、ですよ!

車が急ブレーキとともに停止した。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
あれを見ろ、襲撃だ!

〔四谷見附〕

そこにへ走り込んできたのは執事型ホムンクルスであった。
猟奇人ΣⅢは咄嗟に車の運転席に隠れた。

【猟奇人ΣⅢ】
猟奇人ΩⅥオメガシックス
まただ、ホムンクルス、人造人間だ!
我々を極度に警戒している!
排除してくれ!

猟奇人ΩⅥと執事型ホムンクルスは相討ちとなりともにたおれた。
辺りが鎮まったのを確かめるようにして、クルト・ヘーゲンがやってきた。

【クルト・ヘーゲン】
このトウキョウという町は、
実に緩みきっているな、フーマ!
いろんな人間が訪れては、
己が欲望を満たそうとする――
まるでソドムでありゴモラだ。
お前たちが何を求めようと、
私には関係がない。
だが、成果をかするとは残念だ。
ホムンクルスは、
我が国の宝だ、大いなる可能性だ。
それを狙うお前たちの狭量さいりょうぶり、
もう私には我慢ならない。
全個体に大型波動グローサベッレを発した。
全ては私の命で動く!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
フフフフ――
私一人を退しりぞけても無駄だ。
二個中隊を越す数の個体群が相手だ!

そう言い残し、クルト・ヘーゲンは踵を返して立ち去った。
車に乗り込んだ風魔ふうまに目隠しが渡された。車は再び走り始めた――

【猟奇人ΣⅢ】
独逸ドイツの人造人間どもは、
私たちへの警戒を強めています。
――さもありなんでしょうが……
フフフフフ~

車は猟奇倶楽部に着いたようだ。風魔ふうまは目隠しを外されやしきへと案内された。

〔猟奇倶楽部〕

洋館の中には印度インド音楽のような調べが流れ、乳香にゅうこうの香りが漂っていた。招待者たちは一様に黒頭巾くろずきん姿であった――

【大階段の審判長Λ師】
支那シナには食人の風習を今に伝える
漢字があるのですよ――
ご存知ですか?
という字は干し肉のことです。
カイは肉の塩辛のことです。
脯醢ホカイとは残酷な刑を意味します。
罪人を殺して、
その肉を干し、塩漬けにして食った、
その名残ですな、フッホッホッホ~

【神の息を浴びたるΩ師】
あら、シャクという字もありますわよ。
これは肉をキザんで薬味を混ぜたもの。
支那シナ紂王ちゅうおうは、三公を食したと、
韓非子かんぴしにありますわ。
カイシャク――
三人をそれぞれの方法で調理して、
美味しく食べたそうですわ!

【煉獄の魔獣使いΒ師】
我国にも灰屋紹益はいやしょうえき逸話いつわがあります。
京都の富商であった紹益しょうえきは、
愛人だった吉野太夫よしのだゆうが死ぬと、
火葬かそうにしたその灰を、
酒にひたして食したそうです。

【栄光に満つ嬰児Σ師】
坪井つぼい正五郎しょうごろうしるした東亜とうあひかりに、
こんな一節がありますよ――
方々ほうぼうにある貝殻かいがらくずの中から
鹿やいのししの肉と同じに、
人骨のったのが出る――
これがもしほうむったのなら、
全体がある訳ですが、そうでない、
手足の骨がバラバラになっている――

【煉獄の魔獣使いΒ師】
近親者が亡くなると食ったのですね。
そういう親類を眞肉親類マツシシオエカと言います。
死者に対する愛慕痛惜あいぼつうせきの現れですね。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様――
取って置きのをお聞かせしましょう。
洪牙利ハンガリーのネダスチー伯爵夫人は、
全国から十二~十八歳の少女を雇用、
その数、二十年で六百人に及びます。
少女たちは城に着くや首をられ、
すぐさま生血をしぼられます。
血は場内奥深くの浴槽よくそうに運ばれ、
伯爵夫人の体を赤く染めていた――
若い少女の体からしぼった
血風呂に毎日入ることで、
容色ようしょくが増すとの迷信ですね――

そこへ鷹揚な様子で1人の黒頭巾姿の人物が現れた。
ホールにいた黒頭巾たちは一斉にその人物の方を向いた。

【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
従順なる隸Θしもべシータ師……
【従順なる隸Θ師】
結局、ホムンクルスの捕獲、
上手うまく行かなかったようです。
今日は一体のみとなります――
【勝ち誇る黄金将軍Κ師】
それでは食せる香腺こうせんは、
一つということになりますか?
【従順なる隸Θ師】
香腺こうせん一つでも三人くらいは、
食せると思います。
【神の息を浴びたるΩ師】
香腺こうせんのオリーブオイル焼き、
口腔こうくうに広がるアーモンドの香り……
ああ、早く試したいですわ!
【従順なる隸Θ師】
さぁ、我らがホムンクルスですよ――

黒頭巾の一団が二手に分かれ、ホールの端に一体のメイド型ホムンクルスが現れた。
メイド型の体は濃厚なセヒラによって帯電したようになっている。
彼女の顔に表情はなかった――

【従順なる隸Θ師】
我らがホムンクルス、
先程から様子がおかしいのです。
【大階段の審判長Λ師】
何やら殺気さえ感じますが――
恐れているのでしょうか?
そういう感覚を持っているとでも?
【従順なる隸Θ師】
ガニヤンテの大司祭Λラムダ師様、
ホムンクルスの準備をします。
一緒においでください――

黒頭巾の一団はメイド型ホムンクルスを囲み、ホールを後にした。
風魔も彼らの後に続いた。

洋館の薄暗い廊下を抜け、大きな扉を開けて入った部屋はまるで手術室のようなところだった。
部屋の周囲に医療器具や薬瓶を収めた棚が並び、部屋の中央に手術台がある。
メイド型ホムンクルスと風魔が向き合う格好になった。
部屋には他に従順なる隸Θ師の名を持つ黒頭巾がいるばかりであった。

【従順なる隸Θ師】
今日はカニバリズム猟奇人の集い、
そういうことになっています。
猟奇倶楽部で捕獲している、
ホムンクルスの香腺こうせんを料理して、
食べようという趣旨しゅしです。
しかし今日はあきらめましょう。
見てください、ホムンクルスですが、
妙に気が立っています――
この子は戦う気でいます。
誰彼だれかれとなく戦いをいどむ、
その状態のようです。
喪神もがみ風魔ふうまさん、
この子と戦ってください。
逃げることはできないでしょう。
【フロイライン】
目標ダスツィル……確認ベステーティグン……
攻撃アングリフ!!

《バトル》

【フロイライン】
終了エンデ――
――終了エンデ――終了エンデ――

【従順なる隸Θ師】
――戦いは終わりました――

今回のもよおし、喪神もがみさんに
おいでいただくための計画でした。
君たちが如何いかなるを見るのか、それに近づくのが私の夢です。
――でも一向にかないません……
私はこの子を帰します。
喪神もがみさんもお戻りください。
品川駅までお送りします――

廊下に出たところで猟奇人ΣⅢが待ち構えていた。
風魔を車へ案内するという。

車は右左折を繰り返しながら進む――

【猟奇人ΣⅢ】
特別のつどい、いかがでしたか?
あっ、いえ、詮索せんさくはしません。
先程、車寄せにおいでなのが、
おそらく階位一位の方ですね。
西洋派出婦メ  イ  ドの格好をした女性と、
先の車で行かれました。
どうして一位と分かるって――
頭巾ずきん生地きじで分かるんです。
あの方のは百二十番手の極細番手ごくぼそばんて
世界でも希少な極上の朱子織サテンです。

車外の喧騒けんそうが消えた。大通りから外れたようである。不意に車は停車した。

〔銀座二丁目〕

【猟奇人ΣⅢ】
ここは銀座二丁目です。
表通りが通行止めでして――
数寄屋橋すきやばし界隈かいわいも通行できません。
申し訳ありません、
お送りできるのはここまでです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
現在位置、確認できています。
近くでセヒラを観測しました!
帥士すいしの方向に向かっています。
警戒してください!!

路地の脇から不意に黒頭巾が現れ風魔に近寄る――

【熱砂の旅団長Σ師】
あのホムンクルスとは、
私が戦う手筈てはずであった――
戦いに負け、たおれた彼女の香腺こうせんは、
果たして如何いかなる味わいであるか。
悲しみの味わいか、いきどおりの味わいか、
香腺こうせんを口に含み、深く味わう――
舌で香腺こうせん上顎うわあごに押し付けてつぶす――
歯を使うのは彼女に失礼だろう。
それが益荒男ますらおたしなみというものだ。
そのひそやかなる楽しみを、
貴様が台無しにした!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!!
【熱砂の旅団長Σ師】
貴様!
無線誘導があるのか!

《バトル》

【熱砂の旅団長Σ師】
き……貴様は……
山王さんのう……機関か……
神与しんよの剣ひらめけば
妖魔ようまさんじてかげうつ
東亜とうあまもり関東軍!!
【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわい、交通整理中です。
フォス大佐離日りにちさいしての、
パレードが行われます。
怪人がまぎれると国際問題になると、
参謀本部より巡視パトロール依頼がありました。
銀座通りへお願いします。

〔銀座四丁目〕

銀座の電車通は交通整理がされ、今まさにフォス大佐の車列が通過中であった。沿道えんどうには等間隔で兵が立哨りっしょうについている。

【京橋署の巡査】
ナチスの偉いさんですかね……
帰国されるんでしょ。
車列、意外にこぢんまりですね。
春の時とは雲泥うんでいの差ですな。
デンホフSS上級大将歓迎パレード、
歩兵連隊の車列四キロに及び、
複葉機ふくようき八機、飛行船まで駆り出して、
沿道えんどうには二十万人が押し寄せました。
紙吹雪が乱舞らんぶして、
掃除に三週間かかったそうですよ。

【着信 喪神梨央】
車列は品川駅までだそうです。
横浜港に欧亜おうあ汽船の漢堡ハンブルク丸がいます。
フォス大佐が乗船予定です。
横浜までは省線電車ですね。
品川四時一〇分発の沼津ぬまづ行、
普通車一両を貸し切るようです。
その電車に特別車はありません。
公務終了して帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、猟奇倶楽部の場所ですが、
やはり探信儀たんしんぎの空白域です。
一探、二探、四探、六探、
これら探信儀たんしんぎに囲まれたどこかです。
北は市ヶ谷士官学校、南は古川橋ふるかわばし
東は半蔵門はんぞうもん、西に信濃町しなのまち……
その中の何処どこかにあるはずです――
車は品川から銀座、日本橋を経由し、
本郷ほんごう春日町かすがちょう水道橋すいどうばしと、
六探内を動いて、四谷見附よつやみつけへ。
そこは山王さんのう探信儀たんしんぎを使えました。
四谷見附よつやみつけから程なくして車は停まり、
その付近に猟奇倶楽部があると――
おそらく信濃町界隈しなのまちかいわいですね。

ノックの音がして機関本部にユリア・クラウフマンが姿を見せた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが戻りました。
あの子、無事だったんです――
【喪神梨央】
よかったですね、ユリアさん!
それじゃ香腺こうせん調べれば、
猟奇倶楽部がわかりますね!
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインの香腺こうせんの内容、
きれいに消されていました。
事情に明るいのですね――
【喪神梨央】
事情に明るいというのは、
つまりホムンクルスをさらった人が、
という意味ですか?
【ユリア・クラウフマン】
ええ、そうです――
アーネンエルベの情報が、
れているのかも知れません。
【喪神梨央】
他に行方不明の
ホムンクルスはいませんか?
【ユリア・クラウフマン】
今のところは……
ヘーゲンが大型波動グローサベッレを放ち、
不要な交戦が増えると思います。
行方不明が出る恐れもありますね。
フォス大佐がマンシュウへ渡り、
ヘーゲンは増長しつつあります。
ユンカー博士は、
大型波動グローサベッレには猛反対もうはんたいしています。
ヘーゲンは聞く耳を持ちません――
【喪神梨央】
アーネンエルベが分裂とかしたら、
虹人こうじんさん、大丈夫でしょうか?

猟奇倶楽部への潜入は、むしろ相手の策にはまったようなものだった。そこにはへの執着がわだかまっていた――

アキラとレンザ 後編

〔山王機関本部〕

その日、山王機関本部では、梨央が浮かない顔で風魔を出迎えた――

【喪神梨央】
兄さん、あきらさんたち、
どこにいらっしゃるんでしょう……
探信儀たんしんぎが消えているようです――
【新山眞】
お渡しした探信儀たんしんぎですが、
セヒラ感極管かんきょくかんに用いているのが、
露西亜ロシア製の真空管なのです。
ベリンスキーという会社の製品です。
【喪神梨央】
露西亜ロシア製だと問題あるのですか?
【新山眞】
帝都のセヒラには、
実に様々な波形が観測されます。
当初考えていたよりも多く――
ベリンスキー管だと、
霊式ヘテロヂン生成の際に、
波形干渉を起こす恐れもあります。
【喪神梨央】
それじゃ真空管、交換しなきゃ……
【新山眞】
昨日、帝国電工製のが届きました。
新型のR5型です。
どんな波形にもえられます。

機関本部に信号音が鳴った。

【喪神梨央】
あっ!
あきらさんの探信儀たんしんぎの信号です。
今、市ヶ谷いちがやの方ですね――
【新山眞】
一旦いったん、機関本部に戻るように、
あきらさんに伝えてもらえますか?
【喪神梨央】
無線が届かないようなので、
兄さん、市ヶ谷いちがやにお願いします。
場所は市ヶ谷見附いちがやみつけの交差点です。

公務電車で市ヶ谷見附いちがやみつけに向かったが、新たに戸山とやま砲工学校が指定された。
能海旭のうみあきらから連絡があったという――

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

ガランとした砲工学校構内に能海旭がいた。風魔の姿を認めて駆け寄って来た。

【能海旭】
あっ、風魔ふうまさん――
今、山王さんのう機関に連絡したところよ。

レンザがここに来たはずなの。
何かを感じるって言って――
彼、一人で出かけたの。
でもどこにもいないんだ。
探信儀たんしんぎは時々変な音出すし――

レンザが来たという戸山とやま砲工ほうこう学校。
しかし校内探せどレンザの姿はなかった。

校舎から1人の学生が出てきた。旭は歩み寄って話しかける。

【能海旭】
ねぇ、この辺で人を見なかった?
外国の軍服みたいな格好の人よ。
【種田砲工科生】
異人さんですか?
僕は偉人は苦手です。
【能海旭】
格好だけよ。
名前は吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう
ね、日本人ぽいでしょ?
【種田砲工科生】
そろそろ実験の時間です。
【能海旭】
え? 何の実験なの?
【種田砲工科生】
新型の六十八センチ加農カノン砲です。
六百キロの強装薬を用いて、
七万二千メートルの射程を誇る巨砲です。
ここ戸山より七十一キロ七十五メートル先の霞ヶ浦かすみがうら湖中に着弾させます。

もう1人、学生がやって来た。

【助川砲工科生】
種田たねだ白粉おしろい屋はまだか?
やけに遅いな――
【能海旭】
白粉おしろい
白粉おしろいをどうするの?
【助川砲工科生】
炸薬の代わりに充填じゅうてんするのです。
つまりは白粉おしろい式練習弾ですね。
の流儀なんです。
ここは砲工二課の毛長けながに任せて、
種田たねだ、我々は駐退機ちゅうたいきの調整だ。
全然済んでいないんだ。
【種田砲工科生】
毛長けながは確か可変砲の班だな。
白粉おしろい屋は奴に任せよう。

学生らが去ると入れ替わるように3人目が来た。

【毛長砲工科生】
白粉おしろい屋を待つのですね――
待つのは大の得意です!

そういったまま毛長という学生は動かない。すでに眼が虚ろになっている。ふいに辺りが暗くなった。

【能海旭】
風魔さん!
気を付けて!
化けの皮がれたみたい――
【東京ゼロ師団寺町三等兵】
ハハハハハ~
飛んで火に入るだな、まさしく!
待った甲斐かいがあったと言うものだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、確認しました!
【東京ゼロ師団寺町三等兵】
ここはあり地獄だな!
あの独逸ドイツ帰りの気取り屋ともども、
土中で餌食えじきとなるがいい!!
【能海旭】
レンザの他に、
ここに来た人いるみたいね。
風魔ふうまさん!
まずは勝ち抜いて!

《バトル》

【能海旭】
よかった!!
鎮定ちんてい、出来たね!!

風魔ふうまさん――
ここ、絶対変だよ。
砲弾に白粉おしろい詰めるとか。
それに……種田タねだ助川スけがわ毛長ケなが……
次は誰?
もしかして寺岡テらおかとかかな。
【着信 喪神梨央】
あきらさんの探信儀たんしんぎ
修理の準備ができました。
山王さんのう機関へおいでください。
若松町わかまつちょう電停に公務電車が待機中、
その車輌を使ってください。
【能海旭】
風魔さん……
ここ、何だか怪しいよ。
レンザもそれに気付いたんだ。
私、探信儀たんしんぎ直してもらったら、
すぐ戻ってくるね!

旭は小走りになって構内を出て行った。風魔は砲工学校の校舎へ向かう。

〔戸山砲工ほうこう学校玄関ホール〕

玄関ホールに入ったとき、白衣姿の男性2人が、上体を拘束された囚人らしき男性を前後に挟むようにして列をなして廊下へと消えた。
ホールには他に3人の学生がいて、風魔に近寄って来た。

【ポモースキー留学砲工科生】
あなた、トルストイの小説、
技師ガーリン、読んだこと、
ありますか?
怪力光線について書かれています。
怪力光線は光線砲から発射されます。
【ギーナフ留学砲工科生】
光は電線の向こうをかすめている!

宙空を見つめ、学生が一人芝居を始めた――

【ギーナフ留学砲工科生】
どの電線の?
【ギーナフ留学砲工科生】
あれが見えないのか、
ヴオルフ君!
【ギーナフ留学砲工科生】
ハイーフは、光った真っ直ぐな、
糸のようなものを指した。
それはアニリン会社の方角へ、
向かって走っていた――

【チェロフ留学砲工科生】
その光線が過ぎ行くところ、
木の葉や鳥などがブスブスと、
燃えて落ちるのが見えた。
やがて光線はアニリン会社の
大煙突へと向かった!
煙突は苦もなく真ん中から折れ、
倒れ落ちたのだった!
次に光は五階建てのとうに当たり、
急にその全部の窓の電灯が消え、
上へ下へと電光型の火が走った!

玄関ホールに音もなく白衣姿の男性が入って来た。それを見た2人の学生は一斉に駆け出した。

玄琢げんたくマ号研究班員】
お尋ねしますがね――
あなたのたましいはどのくらいですか?
大きさとか、重さとか、
あるいは中身の具合ですよ。
沢山詰まるかスゥスゥするのか――
りは如何いかがです?
この間、照りのいい魂がありまして、
食付くいつき、抜群ばつぐんですな!!

さぁ、あなたも、
もういいじゃないですか、
魂を差し出しましょうよ!!
転生損ねの悪魔と、
独逸ドイツ召喚師気取りの将校、
そしてまじない審神者さにわの特務員!
三人揃って、
地獄の円柱インファーナルカラムの上で踊るがいい!!

《バトル》

〔戸山砲工ほうこう学校地下室〕

玄関ホールから地下室へと降りた。そこには鬼龍豪人とレンザがいた。2人は対峙するように立つ。

【吉祥院蓮三郎】
易々とこの私が信じるとでも?
【鬼龍豪人】
貴様にはおびえがある!
それが無用なうたぐりを生み出すのだ!
【吉祥院蓮三郎】
私の勘が言うのです、
迷わずに鎮定ちんていせよと。
あなたたちの言葉ですね、鎮定ちんてい――
【鬼龍豪人】
ふん、笑わせるな!

奥に立つ鬼龍と手前のレンザ、2人の間に稲妻のような光が走った。

【鬼龍豪人】
風魔ふうま
なぜここに来た?

その声にレンザが振り返る。鬼龍との間に現れていた光が消えた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔さま!
この者とお知り合いですか?
ああ、私はなんということを――
ゼロ師団が行動を起こす前に、
先手を打とうとここに来たのです。
するとこの者がおり、
何やら怪しくて怪しくて、
ついついつい――

レンザは彼特有の勘を頼りに、この砲工学校にやってきた。
先にいた鬼龍きりゅうを敵と間違えたのである――

【鬼龍豪人】
ふん!
貴様の勘とやら、あてにはならんな!
いったい何を探しに来たのだ?
【吉祥院蓮三郎】
風魔さま――
いろいろわかってまいりました。
ここはに人の魂を食わせ、
人籟じんらいを作る、
その研究をしているようです。
私には見えました――
先程、中庭で戦った時、
色の抜けた白いがいたのです。
あれがおそらくは人籟じんらい――
人に由来するは、
扱いも容易、風魔さまのような、
修行なくして扱えるのでございます。
【鬼龍豪人】
すると――
御荷鉾みかぼもそのような研究を?
いや、奴に限ってそれはない!

鬼龍きりゅうは京都時代、同じ輜重しちょう部隊にいた、御荷鉾みかぼ大尉から手紙をもらい、ここ砲工学校に来たのだという。

【鬼龍豪人】
手紙には魂の重さについて、
書かれていた――
人の魂は四分の三オンスだという。
およそ二十一グラムだ。
十人だと二十グラムだ――
【吉祥院蓮三郎】
輜重しちょう科では人の魂も運ぶのですか?
【鬼龍豪人】
うるさい!
私は妙なことをしたためめる
奴のことを案じて――

鬼龍は顔を歪めた。それは激高したのではない、痛みに貫かれたのだ。上体をかがめている。

【鬼龍豪人】
うっ……
【吉祥院蓮三郎】
どうなさいましたか?
【鬼龍豪人】
何でもない!
【吉祥院蓮三郎】
私が早とちりしたばかりに――
【鬼龍豪人】
貴様ごときにやられる私ではない!
【吉祥院蓮三郎】
しかし……
【鬼龍豪人】
私に構うな!
もう大丈夫だ。

鬼龍は上体を起こし風魔に向き合った。

【鬼龍豪人】
御荷鉾みかぼの身に何が起きたのか、
私は調べてみる。
貴様らも用心することだ。
せいぜいな――

そう言うとゆっくりとした足取りで地下室を出ていった。

【吉祥院蓮三郎】
鬼龍きりゅう――豪人たけとさま――

レンザは鬼龍の出ていった方を暫く見ていた。
同輩付き合いの将校を案じて砲工学校を訪れた鬼龍大尉。レンザとの一戦、力の拮抗があったようだ。
それにしてもこの砲工学校――
やはりここにも、仮構の力が及んでいるようであった。

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

【掃除夫】
お二人もアレですかな?
【吉祥院蓮三郎】
何でございますか?
――やけに静かですが……
【掃除夫】
今日は何やらまた部隊が……
あの部隊が展開するんですよ。
【吉祥院蓮三郎】
あの部隊とは?
それはもしや――
【掃除夫】
お二人ならご存知でしょう。
東京ゼロ師団です。
ここの上ですよ――
【吉祥院蓮三郎】
そうでしたか。
この砲工学校もゼロ師団の、
指揮系統にあるわけですね。

風魔ふうまさま――
にらんだとおりでございます。
ここは東京ゼロ師団の仮構かこう組織、
それでありながら砲工学校として、
実体も持っている――
どうもそのようにあります。
これは何というか……
悪魔のかんのようなものでして――
それでここへとおもむいたわけです。

そこまで言うとレンザは静かに目を閉じた――

【吉祥院蓮三郎】
私、あきらさまに呼ばれる前のことは、
何一つおぼえておりません。
悪魔セーレが転生を試みた――
そうとされているのは、
ブレナン博士の鑑定によります。

ブレナン博士は神智学しんちがくの権威だとか。
あきらさまの通われる学校、
自由サーベラス学園の学園長です。

私があきらさまのアトリエに現れた時、
壁に悪魔セーレの印章が浮かび、
それが決め手となりました――
グリモワールのひとつ、
ゴエティアの書にも同じ印章があり、
私はセーレなのでありましょう。

ゴエティアの書を紐解ひもとき、
セーレというのを調べてみたのです。
セーレは有翼ゆうよくの銀馬にまたがり、
二十六の軍団をひきいるとあります。
方位をつかさどる四大悪魔のひとつ、
アマイモンの配下のようです。
セーレは召喚されるや、
召喚師の要望に全て応え、
あらゆるものを手に入れるとか――
あきらさまにお仕えする私としては、
その点、納得が行くのでございます。

私の中に確かにセーレがいる――
しかし、なぜ、あきらさまの元に、
この私が現れたかは謎です。

あきらさまは、そのことで、いささかの責任をお感じのようでして――
――自責じせきねんと申すのでしょうか、
人間の考えは不可思議にございます。
私としては恐縮するばかりですが。

語り終えたレンザははにかんだような表情を浮かべていた。

【吉祥院蓮三郎】
さて、ゼロ師団はどのあたりに、
展開しているでしょうか……
【着信 能海旭】
レンザ!
市ヶ谷の先、麹町こうじまちあたりに、
セヒラを観測したよ!
【吉祥院蓮三郎】
風魔さま、参りましょう!

〔市ヶ谷見附〕

市内にゼロ師団が展開する――
砲工学校で仕入れた情報であった。
レンザと風魔は市ヶ谷見附へとやってきた。

電車通を数台の軍用トラックが塞いでいた。1人の将校が腰をかがめてうめいている。

【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
はぁはぁはぁ……
自分は一体、どうしたのだ?

レンザと風魔が将校に歩み寄る。

【吉祥院蓮三郎】
何がありましたか?
【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
あなたたちは――
自由サーベラス学園の……
能海旭のうみあきらの手下――
【吉祥院蓮三郎】
もしや、少尉は……
【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
ええ……あっ、いや、違います!
自分、歩三第三〇八中隊附き――
それがどうして、こんなところに……

うわぁぁぁぁ~

将校は両手で頭を抱え、そのまま倒れ込んでしまった。そこへ1人の兵卒が走り来た。

【東京ゼロ師団清滝曹長】
今日の演習は格別だな!
さぁ、躊躇ためらうな、こっちへ来い!
俺たちの方へ呼んでやる!

《バトル》

〔市ヶ谷見附〕

辺りが静かになった。先程までの軍用トラックは消えていた。電車通を旭がやって来る。

【能海旭】
二人とも、大丈夫だった?
さっき無線で呼びかけたけど、
全然反応がなくて――
ちょっと歩こうか。

探信儀の部品交換を終えて合流した旭。
しかしどことなく
神妙な顔をしていた――

〔若松町〕

3人はそぞろ歩きながら若松町にやって来た。市電が行き交い通行人もいる。

【能海旭】
風魔ふうまさん――
何だか私たちのことに、
巻き込んじゃったみたいね。
【吉祥院蓮三郎】
私も、かたじけなく思います。

【吉祥院蓮三郎】
あきらさまの方は、
探信儀たんしんぎ、直りましたか?
【能海旭】
セヒラを電波に替えるなんとかが、
どうとかなってってことよ。

そこへ探信儀の警告音がする。

【能海旭】
あっ!
早速、反応してる!!

着物姿の中年男性がのっそりと姿を見せた。

【猫憑き】
隙間すきま、いっぱいこさえてるニャ!
帝都中、隙間すきまだらけニャ~
おいら、猫の種次郎たねじろうニャ!
さっきも兵隊にいたニャ、
隙間すきまこさえてるのが――
【吉祥院蓮三郎】
隙間すきま、ですか?
隙間すきま憑依ひょういするとでも?
【猫憑き】
おいらたち、防いでいるニャ!
無用な隙間すきまこさえると、
変なものくニャ!
そうならないように、
隙間すきまふさいでいるニャ!!
あんたも隙間すきまいたんか?
さてさて、散歩を続けるニャ!

そこまで言うと、男性は悠然とした足取りで歩き去った。レンザが神妙な面持ちで見送っている。

【吉祥院蓮三郎】
……
隙間すきま……私も……誰かの――
隙間すきまに……そうなのでしょうか?
【能海旭】
レンザ……
あんた、大丈夫?
今日はもうおしまいにしよう。
風魔さんも来て――
私のアトリエが山王さんのうにあるのよ。
ホテルのすぐ裏だよ!

〔旭のアトリエ前〕

そこは日枝ひえ神社に向かう車道に面した、古い石垣いしがきの前であった。
墨国メキシコ公使館のすぐ近くである。

【能海旭】
この中よ、アトリエは。
レンザには専用の部屋があるの。
そこの扉から入る――
来て。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
どう?
気に入ってくれた?
――私のアトリエ。

レンザが現れたのは後ろの壁……
今はもう模様替えしたけれど。
セーレの印章も消えてしまったし――

私……魔女には向かないんじゃ……
前から思ってたことだけど、
風魔ふうまさんたち見てると――
余計にそう思うようになるんだ――

旭は目を閉じて魔法学校のことを語り始めた。心なしかアトリエが薄暗くなった。

【能海旭】
八歳になる年の二月、
インモラグの大サバトで入信したの。
聖油を使った儀式があった――
十三で信仰宣言をした――
グランドマスターに誓いを立てた。
あなたはわが神、
私はあなたの奴隷どれいです――
ここでの神とは、
勿論もちろん、悪魔のことよ。

十四の時、左肩にマークを入れた。
刺青いれずみで入れた青いスペードは、
見るたびにその形が変わるのよ。

でも……
スペードのマーク、十五の夏、
つまり去年だけど――
たった二日のうちに、
すっかり消えてなくなったのよ!

誓いは決して軽いものじゃなかった、
でも、私は認められていない――
そんな気がしてならないのよ。

語り終えると旭は顔を上げた。大きな黒い瞳で風魔を見つめている――

【能海旭】
私の学校は、ブレナン先生を、
グランドマスターにして、
コヴェンをしているのよ――
コヴェンとは神に親しく奉仕する、
グランドマスターと十二人の会衆かいしゅうよ。
先生が六人、生徒が六人ね。
何度も何度も祭儀を繰り返して、
ようやく悪魔との契約に進む……

そんな堅苦しい学園に比べると、
を指揮して戦を戦う、
風魔さんたちがすごく自由に見える。
悪魔との違いはあると思うけど。

レンザのことが一段落したら、
私、審神者さにわについて、
少し勉強してみようかな。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、
あきらさんのアトリエに、
招待されたんですね。
【帆村魯公】
くだんの自由サーベラス学園、
コヴェンの会衆かいしゅうを現したものとはな。
――それがこの帝都にあるとは……
【喪神梨央】
あきらさんたち、何かを知っている――
東京ゼロ師団のことを。
私、そう思います!
【帆村魯公】
うむ……
そうでなきゃ、あれほど戦いを
挑まれるわけはないわな。
ところで、ゼロ師団の連中、
皆、京都の地名を名乗っておる。
【喪神梨央】
寺町、玄琢、清滝……
丸竹夷ニ押御池まるたけえびすにおしおいけ

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、大丈夫ですか?
仮構かこうされた部隊に取り込まれたり、
そんなことはありませんか?
【九頭幸則】
だ、大丈夫だと思うよ、
自分は歩一附きの……
【喪神梨央】
部隊不詳ふしょうの歩兵中尉殿!
【九頭幸則】
おいおい!
――しかしなぁ……
実体のある組織も取り込まれてる――
【喪神梨央】
砲工学校の露西亜ロシア人留学生ですが、
スキー、ナフ、ロフ、
合わせてポモーギーチェになります。
【九頭幸則】
ポモーギーチェ?
それって露西亜ロシア語なの?
【喪神梨央】
露西亜ロシア語で助けての意味だとか。
新山にいやまさんの解釈ですけど……
【九頭幸則】
取り込まれた実体の方は、
救いを求めていると――
何だかすごく気になるよ、その辺り。

能海旭のうみあきら吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう――
2人の前に謎の東京ゼロ師団が立ちはだかる。
山王さんのう機関も手をこまねいてはおれなかった。

アキラとレンザ 前編

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
ちょっと気になることがあります。
変わったセヒラ波形を観測しました。
日枝ひえ神社方面で、
これまで観測しなかった波形があり、
次第しだいに強くなっています。
どんな怪人とも召喚師とも違う、
見たことのない波形なんです――
公務ではないですが、
確認お願いできますか?

〔日枝神社〕

日枝神社――
溜池通から上る大階段を数名の参拝客が駆け下りていった。皆、一様に青ざめた顔をしている。階段の途中で着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています!
怪人とおぼしきセヒラも混ざります。
警戒してください!

〔日枝神社境内〕

日枝神社の境内ではすでに怪人らしきが現れていた。左手に虚ろな目をした憲兵服姿。そして対峙するかのように西洋の軍服のような装束の若い男性。憲兵姿が全身にセヒラを纏う。おそらくそちらが怪人だ。そのとき1人の高女生姿の少女が走り込んできた。

【???】
あなたが――
山王さんのう機関の帥士すいしね!
だったら手を貸して!
レンザが押されてるのよ!

見ると西洋軍服を着た若い男性はセヒラをまとめようとするもうまくいかない様子だった。反面、憲兵怪人のセヒラはますます強くなっている。

【???】
ほら、早く!!
ああん、もう!!
レンザ!
将校怪人はこっちで引き受けるよ!

その声に憲兵怪人は風魔を捕えた。

【東京ゼロ師団西陣にしじん大尉】
山王さんのう機関は、
こいつらに加担かたんしているのか!
邪魔くさいことになったな!!
我々に何を求めるというのだ?
――いいだろう、問答はなしだ!
お前たちを我々の側に招待しよう!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
どうしましたか?
異常な波形が出ています。

憲兵怪人との戦いが始まった。互いにを召喚する。そこへ西洋軍服姿の男性の声が割って入る。

【???】
もうやきもきしちゃってなりませぬ。
このレンザ、いや吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう
とびきりの調達しちゃいます!
少しでも帥士すいしさまの
お力になれれば――

戦が見えるのか、高女生の声も聞こえた。

【???】
レンザ!
気を付けて!
新手のが来たよ!!

【吉祥院蓮三郎】
――っと!
あれれ、今度は私が襲われそうです!
帥士すいしさま、武運長久ぶうんちょうきゅう祈ります!!

《バトル》

〔日枝神社境内〕

【???】
なかなか見事だったね!

【能海旭】
私は能海旭のうみあきら、こっちはレンザ――
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう……もう知ってるね?
さっきの将校、東京ゼロ師団という、
よくわからないところの連中さ。
とにかく私たちが目障めざわりみたい――
レンザ――
お前はだいぶ押され気味だったね。
【吉祥院蓮三郎】
いささか勝手が違いました、
あきらさま――
【能海旭】
いつもよりセフィラ――
あっ、いや、
セヒラが高かったというのかい?

【吉祥院蓮三郎】
セヒラの値だけが問題なのではなく、
何分その……乱れておりましたから。
激しく……激しく……
【能海旭】
うーん……
お前自身もセヒラを乱す要因、
そうなんじゃないのかい。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、解消しました。
見慣れない波形も消えました。
あの……
一体、誰と話しているのですか?

【能海旭】
帥士すいしさん――
聞いてくれる?
私は自由サーベラス学園という、
アメリカに本学のある女高じょこうのニ年生。
今は日本の分校に通うの。
学校はね、鈴蘭すずらん女学園の中にある。
生徒は六人だけ、先生も六人よ――
魔法のことを勉強している。
私たちの学ぶのは星辰せいしん魔法なの。
そらの星々から力を授かり、
様々なことを為すの――
私はまだ道半ばだけれど――
ある夜、部屋で不思議な事が起きた。
机の上のプランシェットが光をび、
部屋の天井に何かを映し出した――
私はプランシェットを、
とっさに払ったの――
プランシェットは床に落ちた。
そして部屋の壁に、
より大きな光を映し出した……
光はやがてもやのようになって消え、
中からレンザが現れたの。
彼は悪魔よ――
グリモワールにしるされた、
序列じょれつ七十番目の悪魔、セーレ――

〔日枝神社境内〕

【能海旭】
悪魔セーレが何かの拍子ひょうしに、
人間に転生しようとして失敗した、
私はその瞬間に立ち会ったらしいの。
何で私のところに来たのかな。
もちろん、私が呼んだわけじゃない。
【吉祥院蓮三郎】
それは私にもわかりません。
以前のことは綺麗きれいサッパリ……
消えてしまったのでございます。
【能海旭】
悪魔に寿命はないんだけれど、
転生にしくじった悪魔には、
寿命が定められているらしいの――
だから……
レンザをにすれば、
寿命はなくなる。
そして探したの――
【吉祥院蓮三郎】
はどこかで作られている――
旭さまはそうお考えなのです。
【着信 喪神梨央】
工廠こうしょうのことですね。
噂だけが先行しています。
兄さん、
お二人と一緒に、
山王さんのうホテルロビーに来てください。

〔山王ホテルロビー〕

山王ホテルロビー。左手、フロントカウンターにレンザが肘を付いてもたれている。旭と風魔は右手のソファー近くで機関本部から梨央の来るのを待つ。

【喪神梨央】
能海旭のうみあきらさんですね――
あちらが……レンザさん……
私、喪神もがみ梨央りおです。
喪神もがみ風魔ふうまの妹です。
山王さんのう機関の帥士すいし、喪神風魔です。
【能海旭】
――喪神……風魔……
そう言うのね、喪神風魔さん。

【喪神梨央】
あきらさんが戦っていた相手ですが――
【能海旭】
あきらって呼び捨てでいいよ、
梨央さん、年上なんだし。
【喪神梨央】
そうね……
でもあきらさんって呼ぶわ。
あきらさんたちの相手、
さっきの東京ゼロ師団……
あの連中は何なの?

【能海旭】
実体の不明な組織よ。
学園長のブレナン博士の説だと、
魔の力の影響を受けていると――
【喪神梨央】
魔の力……
それってセヒラじゃなくて?
【能海旭】
仮構かこうされた存在とでも……
実体はないけれど、皆が存在を信じ、
誰もそれを疑わないのよ。
【喪神梨央】
まるでたぬきに化かされでもしたみたい。
【能海旭】
私の通う自由サーベラス学園も、
本当は存在しない仮構かこうの学校よ。
【喪神梨央】
ええ、そうなの?
【能海旭】
日本では女学園を仮構かこうするけれど、
アメリカでは丸々仮構かこうなのよ。

17世紀末に魔女裁判のあったセイラムでは、魔法や魔女に関する思念が強く残留している。
神智しんち学者のブレナン博士は、研究のためにその環境を利用して、学園をしたのだという。

【能海旭】
学園のこと、セイラム以外では、
誰もその存在を知らないの。
日本に分校を置いたのは――
【喪神梨央】
セヒラがあるから、そうじゃない?
【能海旭】
半分は正解ね。
もう半分は、この町にも、
仮構かこうの力が及ぶからよ。
仮構かこうの世界に通じている、
そんな私たちが脅威きょういなのね、連中は。

ホテル玄関から軽い足取りで九頭が入って来た。高女生姿の旭を見て尋ねる。

【九頭幸則】
皆さん、おそろいで――
って、どちらの高女こうじょさんですか?
その制服は……
【能海旭】
山王さんのう機関と行動を共にする将校、
それが君のことね。
【九頭幸則】
――えーっと、そうだけど……

あきら九頭くずは、互いに自己紹介した。
九頭は梨央から聞いた東京ゼロ師団の話に、興味があるようだった。

【九頭幸則】
怪人化した将兵で部隊を作る、
そんな噂はかねがねあるんだ。
ゼロ師団というのが、
それに当たるかはわからないけど。
【喪神梨央】
まだ調べが必要そうですね。
あきらさん、これを持って行って。
山王さんのう機関で使う探信儀たんしんぎよ。
敵の動向、ある程度はわかるのよ。
【能海旭】
ありがとう、梨央さん。

探信儀を手に、旭はレンザの前に歩み寄る。

【能海旭】
山王さんのう機関から探信儀たんしんぎを借りたよ。
これで不意を突かれることもないね。
【吉祥院蓮三郎】
そうでございますね、あきらさま。
左様さような機械、八方手を尽くしても、
見つかる様子はありませんでした。
【能海旭】
お前にも無理というのがあるんだ、
よく心しておくよ、レンザ。
風魔さん――
ゼロ師団の連中は私たちを、
とても警戒している――
でも引き下がれない――
核心にまで踏み込んで、
レンザをにする方法を探す。
になれば寿命なんかなくなるんだ。

〔山王機関本部〕

【新山眞】
探信儀たんしんぎは受け取ってもらえましたか?
一世代前のですが、性能は十分です。
【九頭幸則】
工廠こうしょうを自力で探すなんて、
あの子はなかなかやるね!
部隊に向島むこうじま出身の少尉がいてね、
奴が言うには帝国モスリンの工場、
あれは普通の工場じゃないって……
秘密兵器でも作ってるんじゃないか、
そんな勘ぐりを抱いていたな。
【喪神梨央】
それじゃ、そこが工廠こうしょうですか?
【新山眞】
どうでしょうか――
私たちが訪問しても、
門を開けるはずもないでしょう。
【九頭幸則】
風魔、お前が山王さんのう機関の公務で、
その工場こうばに踏み込むと、
また話は違うかもな。
【喪神梨央】
何も事変のないところへ、
公務として乗り込んだりできません。
それに返り討ちにわないとも――
【新山眞】
相手側から反撃があるのなら、
間違いなく工廠こうしょうですね、
そのモスリン工場は。

そこへ警告音が鳴り響く。

【喪神梨央】
探信儀たんしんぎの警告音です!
あきらさんの探信儀たんしんぎです――
【新山眞】
近くですね。
表に出てみましょう!

〔山王ホテル前〕

【九頭幸則】
おい、何だか町の様子が変だ。
【新山眞】
まるで戒厳令かいげんれい発布はっぷされたかのような。
【九頭幸則】
風魔!
見ろ、将校だ!
ちがう、奴ら、怪人だ!!

溜池通から2人の将兵が駆け上がってきた。

【東京ゼロ師団鞍馬くらま一等兵】
やはりここにもいたか!
皇国こうこく栄誉えいよ授かる我が師団!
見敵必殺けんてきひっさつ銃剣じゅうけんを食らわす!!

《バトル》

〔溜池通〕

溜池通はまるで封鎖されたかのように静まり返っていた。数台の軍用トラックが無造作に停まり、山王下電停よりさらに先で市電が足止めを食らっていた。今、将兵の姿はない――

【九頭幸則】
風魔ふうま、こっちだ!

そう言うや九頭は溜池通を渡り始めた。新山、風魔も後に続く。

【九頭幸則】
赤坂一帯に部隊が出ているぞ。
こいつら、みんなゼロ師団なのか?
【新山眞】
あの二人は大丈夫でしょうか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測、強い揺らぎです。
先ほどと同様ですが――
怪人の波形も多く観測します!!
【新山眞】
もしゼロ師団だとすれば、
波形に特徴が出るかも知れません。
私は本部に戻って観測します。

新山はきびすを返して機関本部へと戻って行った。

【九頭幸則】
風魔、行ってみよう!
この先だ、一ツ木通ひとつぎどおりの辺りだな。

料亭の間にある薄暗い路地を抜けて一ツ木通に向かう。

〔一ツ木通〕

一ツ木通には将兵姿、背広姿入り混じって6人の怪人が展開していた。道中央にレンザが対峙するように立つ。

【九頭幸則】
おい、見ろよ!
将兵に混じって民間人もいる。
あれは軍属か何かか?

料亭の軒先から旭が駆け寄ってくる。

【能海旭】
こいつらみんな、ゼロ師団の
将兵と軍属なんだ――
レンザ一人じゃどうにもならない……
仮構かこうの力、見くびれないよ、
風魔ふうまさん――
【九頭幸則】
闇雲やみくもに突っ込むのは危険だ、
作戦を立てなきゃ。
一旦本部に戻ろう。
あきらさんも一緒に!
【能海旭】
レンザ!
しばらく留めておくんだよ。
まだ戦っちゃダメだから!
【吉祥院蓮三郎】
承知しております!
今はまだ大丈夫であります。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
いくつもの波形が入り乱れ、
何が何やらわかりません。
あきらさん、レンザは大丈夫?
【能海旭】
まだ何とか――
連中は警戒を強めている。
【喪神梨央】
レンザ、先走らなければいいけど――
【能海旭】
転生にしくじった悪魔が、
私の元に来るなんて、
なんという皮肉だろうか――
魔法もろくに使えない私なのに。
でも――
だからこそ、私は試されている、
そう感じるんだ。
――風魔ふうまさん……
力を貸して――
【新山眞】
今、波形検出しました!
これ、レンザさんが戦っていますよ。
【能海旭】
んもう、あいつ!!
待てなかったの?

〔一ツ木通〕

一ツ木通に急行すると、すでにレンザはを降ろしていた。背広姿の怪人が風魔を捕えた。

【吉祥院蓮三郎】
すごいのでございます!
レンザ、すこぶる調子に乗ってます!!
なんと、私よりも格上の
調達できるなんて、夢みたいです!
私、セーレはソロモン七十番目!
それがそれが、うんと上の方々を!
栄光に身悶みもだえるのでございます!!
風魔さま、二人で手分けすれば――
きっとなんとかなるはずです!

《バトル》

〔山王ホテルロビー〕

山王ホテルのロビーは静まり返っていた。

【能海旭】
うまく退しりぞけたね――
なんて言うんだっけ、山王さんのう機関では。
【吉祥院蓮三郎】
確か、鎮定ちんてい――
そう言うのでございます。
【能海旭】
レンザ、お前の方はどう?
今回は本調子だった?
【吉祥院蓮三郎】
はい、上々でございました!
なんと、格上の悪魔を調達し、
もう何というか、最高でした!!
【能海旭】
レンザって呼ぶけど、
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうって名前、
ふと思いついたんだ――
ちょっと古風で、いい感じだよね。
【吉祥院蓮三郎】
このままもう、
人間になってしまえればと――
考えなくもありません。
【能海旭】
人間なんて弱いだけだよ。
になるか悪魔に戻るかさえすれば
永遠の存在でいられるんだよ。

【吉祥院蓮三郎】
私は誰かに呼ばれた気がするのです。
――それが途中で……
もしやと思うのですが……
【能海旭】
誰か人間を乗っ取った、
そう考えているんだろ?
【吉祥院蓮三郎】
私によってはじかれた人がいる、
そう思えてならないのです。
【能海旭】
レンザ、お前について考えると、
謎が深まるばかりだよ。

風魔ふうまさん――
この近くに私のアトリエがある。
今度、お誘いするね。
今日は、どうもありがとう。

レンザ、戻るよ!
【吉祥院蓮三郎】
喪神もがみ……風魔ふうまさま……
この町には、私のような存在が、
他にもいる気がします。
それは敵か、はたまた味方か――
自分に意味のある相手とは、
簡単に見つからないのでございます。

能海旭のうみあきら吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうの登場は、山王さんのう機関の公務に新たなページを加えた。
そして帝都は更なる謎を含ませることになる。

失われた龍脈

〔山王機関本部〕

喪神もがみ梨央りお
兄さん!!
異常事態発生です!
帆村ほむら魯公ろこう
ぜんたい、どうしたんだ?
またサイレンが鳴っていたぞ!
喪神もがみ梨央りお
セヒラの値、
いつになく高まっています――
場所は……この山王さんのうです!
帆村ほむら魯公ろこう
なんだと?
――さてはゲートがおかしくなったか?

九頭くず幸則ゆきのり
歩一の九頭くずです――
風魔ふうま、大変だぞ、ホテルの地下で、
何か大きな音がしたと報告が――
帆村ほむら魯公ろこう
そういえば、振動もあったぞ。
何があったんだ?
異常事態と関係あるのか?
喪神もがみ梨央りお
兄さん、ゼットー博士がお呼びです。
研究室へ向かってください。

〔山王機関魔課〕

銀河ぎんがゼットー】
オーホホホッ~
来たな、君ィ!
な、な、な、なんと!
大変事たいへんごとが起きてしまったぞ!
――別な時空へと繋がったのだ!
ん? 理解できんか?
別な時空とは、別な時代と別な場所、
そこへ山王さんのうが繋がったのだ!!
繋がった先だがな――
ボクの見立てでは……
かなり未来だな、未来と繋がった!
一九九七年だ、計算が正しければ、
その時代とここ山王さんのうが繋がったのだ!
遠い未来……場所は……
オーホホホ! こいつはまさに……
ホーンコーン、香港ホンコンだっ!!
さぁ、夢玄器むげんきを着けるのだ!
君は愛と希望の大未来へ行く!
時空を超えて香港ホンコンへ旅をするっ!!

新山眞にいやままこと
波形、波形、波形――
あまりにも多くの記録によって、
嗚呼ああ、私は混乱する!
波形のささいな違いが、
現実で大きな差となって現れる。
――まったく不可思議な世界だ……
私は信じている――
森羅万象しんらばんしょう、全てを波形化できると。
時や空間さえ、波形になるだろう。
先月からわずかに見える不思議な波形、
あれは、計算からすると随分先の、
そう、未来の波形にほかならない――
未来の香港ホンコンという解が出たのだが。
その座標に当てはまる波形だ。
なぜ、そんな波形が現れるのか?

九龍クーロンフロント〕

夢玄域むげんいきに現れたのは、まさに九龍城クーロンじょうである。九龍クーロン電脳中心でんのうちゅうしんの近辺と思われる。幾多いくたのネオン看板がやみを照らしていた――

【えびき屋の子供】
俺、見たんだ。
九龍クーロンフロントの路人ろじんが、
おかしな声上げて走って行ったよ。

えびき屋の子供。海鮮中心かいせんちゅうしんの奥で、日がな一日、生えびをいている。同業ではねぎき屋というのもいる。

【えびき屋の子供】
きっと、九龍クーロンフロントにも、
邪気じゃきが流れ込み始めたんだ。
そうに違いないよ!
【フリーダイップ
帝都の瘴気しょうきに似た悪い気脈きみゃく
九龍城クーロンじょうでは邪気じゃきと呼んでいます。
路人ろじんとはここに暮らす人です――

続いて現れたのはフリーダようである。渋谷しぶや駅前で霊雀館れいじゃくかんという占いの店を営む。ここでは香港ホンコン名のイップを名乗っている――

【フリーダイップ
路人ろじんだけど、邪気じゃきに触れて、
おそらく怪人になった――
よくない状況よね。
【えびき屋の子供】
怪人って何だよ?
そんな強そうじゃなかったよ!
あいつ、古靴屋ふるぐつやなんだよ!
【フリーダイップ
あなたは……
帝都じゃなくて九龍クーロンにいたのね?
【えびき屋の子供】
何言ってんだよ、おばさん!
俺はずっとここにいるんだ、
九龍クーロンフロントのすみでえびいている。

【フリーダイップ
……
そうね……
ねぇ、喪神もがみさん、聞いてくれる?
帝都に未来の香港ホンコンが繋がったの。
ここは一九九七年の香港ホンコンね。
それも普通の香港ホンコンじゃないの――
繋がった先は九龍城クーロンじょうと呼ばれる、
陰界いんかいただよ魔窟まくつのようなところよ。
世界には陰と陽の二つがある――
九龍城クーロンじょう陰界いんかいに存在しているの。
陽界ようかいからはとっくに姿を消したわ。
実は一九九七年の五月に、陰界いんかい九龍城クーロンじょう陽界ようかいに姿を見せた、いわゆる陰陽交合いんようこうごう事件があったの。

中国返還を間近に控えた1997年、香港ホンコン陰界いんかいから九龍城クーロンじょうが姿を見せた。陰陽の秩序ちつじょを乱す陰陽交合いんようこうごう事件であった――

【えびき屋の子供】
あれは大事件だったよ!
ちょうど半年前の五月だよ。
結局、風水師ふうすいしが収めたんだ――
【フリーダイップ
その風水師ふうすいしの人は、
陽界ようかいから来たのね?
【えびき屋の子供】
そうだよ、超級風水師ふうすいしだってさ!
それ以来、陰界いんかい陰界いんかいのままさ。
【フリーダイップ
今度は帝都と九龍城クーロンじょうが繋がった――六十二年先の九龍城クーロンじょうね。
これは陰陽交合いんようこうごうじゃないけれど……
何か問題があってこうなったのね。
多分、風水ふうすいに関わることよ。
【えびき屋の子供】
神獣しんじゅうの見立てが出来ていないと、
おかしなことになるんだ。
【フリーダイップ
神獣しんじゅうとは、何をして見立てるの?
【えびき屋の子供】
見立てを受ける宿命しゅくめいを持った人、
そういう人を探すんだよ。
九七年の時みたいにね!

生き別れになった姉を探すヒロイン小黒シャオヘイ。97年の陰陽交合いんようこうごう事件では、小黒シャオヘイ神獣しんじゅうのひとつ、朱雀すざくの見立てを受けた。

【えびき屋の子供】
五月の時みたいにね、
神獣しんじゅうの見立てを受ける人が、
どこかで待ってるんだよ。
【フリーダイップ
それがどこだか、心当たりはあるの?
【えびき屋の子供】
わからないさ――
けどここの邪気じゃきはらわないと、
何も進まないよ。
【フリーダイップ
喪神もがみさん、ここ九龍クーロンフロントの
怪人を鎮定ちんていできるかしら。
風水ふうすいのことはその後ね。

《バトル》

九龍クーロンフロントで怪人化した路人ろじん鎮定ちんてい、周囲の邪気じゃきは消え、路地に活気が戻った。夢玄域むげんいきに神妙な顔つきのフリーダがいた。

【フリーダイップ
喪神もがみさん――
私、あなたに是非ぜひとも
お伝えしたいことがあるの――
私、この時代の人間ではないの。
つまり一九三五年ということだけど。
びっくりしたでしょ?
こんな話を切り出されて、
普通、驚くわよね――
私は二〇一五年に生きているの。
その時代の光明路コウミョウろという街よ。
そこで文鳥占いの店を開くの。
店はプリンスパークの霊雀館れいじゃくかんよ。
帝都では省線渋谷しぶや駅前に店があるの、
喪神もがみさんも知っているでしょ。
光明路コウミョウろ陰陽交合いんようこうごう事件の時、
陽界ようかいに現れなかった街なの――

97年の陰陽交合いんようこうごう事件では、九龍クーロンフロントの他、龍城路リュウジョウろ龍津路リュウシンろ西城路サイジョウろ大井路オオイろ、それに妄人路ワンニンろが出現した。
九龍クーロンフロントに繋がる街ながら、光明路コウミョウろ陰陽交合いんようこうごう事件で浮上ふじょうしなかった。その時、光明路コウミョウろは切り離されたのである。

【フリーダイップ
二〇一五年の光明路コウミョウろで暮らし、
私はゲームをするのよ。
ゲームってわかるかしら?
剣と魔法の世界に生きる人物になり、
モンスター討伐とうばつして物語を進めるの。
私がプレーするのは、
ガリギアスオンラインと言うゲーム。
ゲーム内では周瑜シュウユと名乗るわ。
三国志の武将名ね。
職業は戦士ウォーリアーよ――
ある日行商人ぎょうしょうにんからかぎを買ったの。
トスタリアの森にある図書館の鍵よ。
その図書館は持っている鍵で、
入れる閲覧室えつらんしつが違うの――
私はエリオットの書斎しょさい銘板めいばんのある
閲覧室えつらんしつに入れることになったの。
書棚しょだなかこまれたせまい部屋……
入ってきた扉から出ると、
この街、帝都の鍛冶橋かじばしだった――

ゲームを通じて時空が繋がると言う。2015年の光明路コウミョウろと1935年の帝都――
帝都側は鍛冶橋かじばしにあるビルが時空の出入口だ。

【フリーダイップ
エリオットって、光明路コウミョウろ
陰界いんかいの謎に取り組む研究者と同じ名、
エリオットラウというのよ。
エリオットには双子の娘さんがいる。
お姉さんは美鈴メイリンっていうんだけど、
満映の麻美マーメイと友達なのよ。
麻美マーメイ、知っているでしょ?
美鈴メイリンは私と一緒に帝都に来て、
来日中の麻美マーメイと会ったのよ。
美鈴メイリンのお父さん、行方不明なの。
彼女が過去に興味を持ったのも、
お父さん探しが目的よ。
また九龍クーロンフロントに怪人が――
なかなか邪気じゃきが取れないわね。
喪神もがみさん、後で麻美マーメイさんに会ってね。

《バトル》

夢玄域むげんいきに姿を見せたのは満鉄映画社の麻美マーメイだ。彼女はある使命をびていると言う。そのことで風魔ふうまに協力を求めているのだ。

【フリーダイップ
ねぇ、麻美マーメイ――
あなたは東京で生まれたのよね?
麻美マーメイ
そうです、明治四十一年、
一九〇八年、東京の本所ほんじょ生まれです。
本名は高山たかやま麻美あさみと言います。
【フリーダイップ
それで満鉄映画社には、
いつからいるの?
麻美マーメイ
十年前です、映画社ができる前、
満鉄映画協会の頃からです。
風魔ふうまさん……
お願いがあります――
満鉄映画社に、
蘭暁梅ラン・シャオメイという女優がいます。
暁梅シャオメイとは紅楼夢こうろうむで共演しました。
暁梅シャオメイ薛宝釵セツ・ホウサ役、私が林黛玉リン・タイギョク役。
でも、先日観た映画の予告編では――
薛宝釵セツ・ホウサは全く別の女優さんでした。
【フリーダイップ
それはなんだか嫌な感じね……
麻美マーメイ
おそらく過去がどこかで、
入れ替わっているのです――
暁梅シャオメイ陰陽交合いんようこうごう事件を経験し、
その後、一九二〇年の上海シャンハイ
戻っているのです――
【フリーダイップ
きっと、一九二〇年の上海シャンハイに、
戻れていないのよ。
まだ九七年の九龍クーロンにいるのよ!
麻美マーメイ
私は、一九二九年、大恐慌だいきょうこうの年に、
上海シャンハイ仏蘭西フランス租界そかい暁梅シャオメイに会い、
私が女優へと誘いました。

蘭暁梅ラン・シャオメイ――
1920年の上海シャンハイで超級風水師ふうすいしを迎えた。天童式てんどうしき神獣しんじゅう朱雀すざくの見立てを受けるも、その宿命にはなく、見立ては完遂かんすいしない。しかし蘭暁梅ラン・シャオメイの存在が朱雀すざく龍脈りゅうみゃくを、上海シャンハイに導くことになるのだ。

麻美マーメイ
今、過去がずれたようになって、
私たちは知り合えていないことに――
風魔ふうまさん、暁梅シャオメイが戻るのを、
手伝ってくれませんか?
一九二〇年、上海シャンハイです。
【フリーダイップ
九龍クーロンフロントには陰陽師おんみょうじがいるわ。
彼は時を越えて人を飛ばせる――
でも決まった人だけだけど。

時空を操る術師、陰陽師おんみょうじ
彼は渾天儀こんてんぎを使い、さだめのある時空へと、人を転送させている。

【フリーダイップ
陰陽師おんみょうじ渾天儀こんてんぎという装置を使うの。
でも邪気じゃきが強くて、うまく、
飛び先がセットできないのよ!
麻美マーメイ
風魔ふうまさん――
お願いします、九龍クーロンの怪人をしずめ、
暁梅シャオメイが戻れるようにしてください。

《バトル》

〔山王機関本部〕

喪神もがみ梨央りお
夢玄域むげんいきとは交信は出来ないけど、
記録は残っています。
事情はよくわかりました――
サイレンが鳴ったということは、
また九龍クーロンフロントにセヒラが……
邪気じゃきでしたっけ、増えています。
帆村ほむら魯公ろこう
九龍クーロン城砦じょうさいというのは清朝シンちょうの飛び地、確かそんな場所だったような――
そこがセヒラを呼び込むとはな!
人がひしめいて、店もたくさん――
ものすごい発展ぶりだな!
喪神もがみ梨央りお
ずっと未来の話です――
六十二年後のことです。
でもその未来が今に繋がっている……
そうなんですよね?
霊雀館れいじゃくかんのフリーダが未来の人だなんて
ちょっと驚きです――
二〇一五年に暮らすだなんて。
帆村ほむら魯公ろこう
それで活動キネマの方はどうなんだ?
女優の名前、調べたか?
喪神もがみ梨央りお
紅楼夢こうろうむですよね――
薛宝釵セツ・ホウサ役は蘭暁梅ラン・シャオメイでした!
ちゃんと戻れたんですね。
帆村ほむら魯公ろこう
蘭暁梅ラン・シャオメイは一九二〇年の上海シャンハイに戻り、九年後に麻美マーメイと出会う――
これで歴史が正しく繋がったな!
だが、またぞろのサイレンだ――
喪神もがみ梨央りお
兄さん、ゼットー博士の研究室へ、
急いでください。
まだ終わっていないようです。

〔山王機関魔課〕

銀河ぎんがゼットー】
どうかな、君!!
時空を超えて繋がった先は?
めくるめく未来の光景は!!
九龍クーロンフロント!
なかなか素敵な名前じゃないか!
――ボクももっと英語を使おう。
ところで向こうには、
陰陽師おんみょうじなる人物がいるんだな?
時空を操るんだとか……

陰陽師おんみょうじとやら、絶妙ゼツミョーに気になるぞ、
なるなる、大いに気になるのだっ!!
ボクも負けじといろいろあやつる!
さぁ、君はこの夢玄器むげんいきで飛ぶんだ!
準備はいいな、勿論もちろん!!

新山眞にいやままこと
飯倉いいくら技研の裏は我善坊がぜんぼうの谷……
それを降りずに宮邸みやてい沿いに行く、
ちょうどその辺りに特異点がある――
セヒラの特異点……
一度訪れたが、ただへいがあるのみ。
特異点と言うにはあまりにも小さい。
あの宮邸みやていは……確か……
東久邇宮ひがしくにのみや、それと聖宮ひじりのみやのはず。
その昔は静寛院宮邸せいかんいんのみやていだった。
皇女和宮かずのみやが暮らした屋敷だ――
宮邸みやてい脇の表通から下る御組坂おくみざか
その坂を見下ろすかぎ状の路地には、
永井ながい荷風かふう先生の偏奇館へんきかんが建つ。
麻布あざぶ市兵衛町いちべえちょう――
あそこには何かがある、
継続して観察するとしよう。

九龍クーロンフロント〕

夢玄域むげんいきに現れたのは、九龍クーロンフロントの南側、龍城飯店リュウジョウはんてんのエントランスを含む一帯だ。双子中心ふたごちゅうしんの他、剥製屋はくせいや阿片屋あへんやのきつらねる。

麻美マーメイ
風魔ふうまさん!
暁梅シャオメイですが映画の予告編に
ちゃんと登場していました。
ずれてしまった歴史が、
元通りに戻ったのです。
【フリーダイップ
よかったじゃない!
これで蘭暁梅ラン・シャオメイはあなたと一緒に、
紅楼夢こうろうむ挨拶あいさつで日本に来るのね。
麻美マーメイ
ええ、そうです――
紅楼夢こうろうむ浅草あさくさでかかります。
暁梅シャオメイも一緒に訪日ほうにちします。
【フリーダイップ
――多分、蘭暁梅ラン・シャオメイかぎになるはず。でもまだわからないわね……
ねぇ、麻美マーメイ
あなたに紹介した美鈴メイリン
彼女、風水ふうすいに関係していなかった?
エリオットの書斎しょさい
度々たびたび使ってる形跡けいせきがあるんだけど。
麻美マーメイ
ええ、美鈴メイリンは何度か来ています。
彼女のお父さんの名前も、
エリオットです――
【フリーダイップ
行方不明ゆくえふめいなのよね、彼女のお父さん、
確かエリオットラウだったわね。
風水ふうすいの研究をしていたとか聞くけど。
麻美マーメイ
ええ、そうです。
美鈴メイリンから聞く限りですが、風水ふうすい龍脈りゅうみゃくを未来へ繋ぐ研究です。
【フリーダイップ
何かの機械を作っているんでしょ。
確か老街ラオガイにあるのよ、研究室。
麻美マーメイ
気機ききという装置を作るそうです。
【フリーダイップ
その装置が風水ふうすいを正すの?
麻美マーメイ
龍脈りゅうみゃくと呼ばれる気の流れ、
それが過去から未来へ繋がることで、
風水ふうすいまもりは永遠となります。
気機きき風水ふうすい龍脈りゅうみゃくを受け止めて、
未来へと繋ぐ働きがあるそうです。
でも気機ききは開発の途中です。
まだ完成していないそうです。
美鈴メイリンのお父さんは、
さらわれたのだと思います。
【フリーダイップ
そんなことするの、
蛇老講オールドスネークくらいなものね……
手下は双子師ふたごしと呼ばれているわ。
麻美マーメイ
蛇老講オールドスネーク……
美鈴メイリンおそれていました。
風水ふうすい阻害そがいする一派だとか――
【フリーダイップ
連中、双子の響き合う力を利用する。
それは鳴力ミンリーっていうんだけど、
鳴力ミンリー風水ふうすい龍脈りゅうみゃくゆがめるのよ。
麻美マーメイ
そんなこと、できるのですね――
【フリーダイップ
そう言えば……
クーロネットで話題になっていた――
強力な鳴力ミンリーの実験計画があるって。

クーロネットとは九龍城クーロンじょう内にめぐらされた、通信ネットワークのことである。専用端末たんまつからアクセスできる。

【フリーダイップ
地下茎リゾームというネットワークで、
パピヨンという名のメンバーが、
双子中心ふたごちゅうしんでの実験情報を掴んだの。
麻美マーメイ
今、風水ふうすい途絶とだえでもしたら、
帝都は陰界いんかいへ、
飲み込まれてしまいます。
【フリーダイップ
喪神もがみさん、怪人鎮定ちんていをお願い。
双子師ふたごし邪気じゃきが少ないと、
思うようには行動できないのよ。

《バトル》

蛇老講オールドスネークの計画した強力鳴力ミンリーの発生は、双子師ふたごしの活動をふうじることで阻止そしできた。しかし風水ふうすいの危機が去ったわけではない。

【フリーダイップ
双子師ふたごしは、邪気じゃきが少なくて、
思うように動けなかったみたいね。
強力な鳴力ミンリーは起きなかった――
【えびき屋の子供】
ねぇ、おばさん!
今、双子師ふたごしがどうしたとか言った?

【フリーダイップ
……
【えびき屋の子供】
双子師ふたごしの奴らって、人間じゃないよ。
俺、見たんだ――
奴ら、仮面着けてるんだよ。
仮面はずすと、その下は真っ黒……
真っ黒のうずが巻いているだけだった!
【フリーダイップ
邪気じゃきに乗っ取られた人間もどきね。
人籟魔じんらいまの材料になる怪人も、
たしかそんな感じよね――
でもエリオットは行方ゆくえ知れずで、
気機ききという装置も完成しない……
未来のことが心配ね。
【えびき屋の子供】
未来って……
おばさんは確か……
【フリーダイップ
二〇一五年の光明路コウミョウろよ。
【えびき屋の子供】
随分ずいぶん先だね……
俺、いくつになってるんだ?
――えーっと……
【フリーダイップ
今の歳に十八年せばいいのよ。
【えびき屋の子供】
うん、そうだね!
もうすっかり大人だよ!
でも……
その頃には九龍クーロンフロントと光明路コウミョウろ
遠く離れてしまうんだろ?
どっちも陰界いんかいただようのは同じだけど。
【フリーダイップ
そうね、私の時代で、
あなたと会うことはないわね。
【えびき屋の子供】
それで、おばさんの時代で、
また龍脈りゅうみゃくが消えちゃうのか?
【フリーダイップ
せっかく過去から繋いだ龍脈りゅうみゃくを、
未来へ届けられないかも知れないの。
そのための装置が未完成なのよ。
老童ロウトンがあればいいとか、
そんな話だった――
又聞またぎきの又聞またぎきだけどね。
【えびき屋の子供】
ええ?
今、なんて言った?
ねぇ、おばさん!
【フリーダイップ
老童ロウトンのこと?
【えびき屋の子供】
おばさん、それだよ!
老童ロウトン、レナードが持ってるんだ!
またの名はサイラスだよ。

硝子ガラスうつわの中に謎の小動物の頭骨ずこつを収め、いくつもの電極を繋いだ霊的装置、老童ロウトン。気の流れを加速する作用があるようだった。

【フリーダイップ
またの名って……
サイラス・チャンは光明聯社コウミョウグループ親分ボス、そうでしょ?
【えびき屋の子供】
おばさんの時代でもボスなんだ!
そのサイラスだよ、まさに親分ボス
サイラス・チャンなんだよ。
【フリーダイップ
同じ人なの?
私の店に来るときは、
いつもレナードよ――
繊細せんさいでナイーブなレナード――
びんの中に黄金虫を飼っているのよ。
うちの文鳥ともお話するわ。
【えびき屋の子供】
レナードはサイラスの別人格なんだ、
毎日、午後二時にレナードになる。
【フリーダイップ
そうなのね。それじゃ……
レナードに頼むといいのね、
サイラスは老童ロウトンを知らないでしょう。
【えびき屋の子供】
サイラスなんておっかないよ、
あの人に会いたくなんてないね。
おばさんの時代もそうでしょ?

【フリーダイップ
そうね……
今じゃ滅多めったに姿を見せないけれど。
喪神もがみさん、私、光明路コウミョウろに戻るわ。
そしてレナードとお話してみる。
――老童ロウトンのこと、頼んでみる。
【えびき屋の子供】
その間、邪気じゃきが増えないように、
あんたは九龍クーロンフロントの怪人路人ろじんを、
やっつけるんだよ!
じゃないと、おばさん、
戻ってこれなくなるよ!

《バトル》

フリーダは2015年の光明路コウミョウろから戻った。レナードに老童ロウトンの相談をしたのだ。その光明路コウミョウろでは邪気じゃきが強まっているという。

【フリーダイップ
なんとか無事に戻れたわ。
レナードはこころよく了解してくれた。
――老童ロウトン、貸してもいいって。
でも不思議なの……
ねぎき屋の子供がいてね、
レナードの老童ロウトンのこと、知ってたの。
それを必要とする人に、
教えるんだとか……
いつ、知ったんでしょうね?
麻美マーメイ
老童ロウトンが見つかったってこと、
美鈴メイリンに伝えないと――
【フリーダイップ
今は無理よ。
麻美マーメイ
どうかしたんですか?
無理って――
【フリーダイップ
光明路コウミョウろ物凄ものすご邪気じゃきが強くなって、
とてもいられる状況じゃないの。
だから急いで戻ったのよ。
レナードは、私の店を出てすぐ、
サイラスに戻ったの。
危なかったわ――
また龍脈りゅうみゃくが弱くなった、
そういうことなんじゃない?
麻美マーメイ
暁梅シャオメイから聞いたのですが、
一九二〇年の上海シャンハイで、小黒シャオヘイという女性が朱雀すざくになります――

九龍クーロンフロントに暮らしていた小黒シャオヘイは、1920年の上海シャンハイにおいて、朱雀すざくの見立てを受ける宿命をびていた。

麻美マーメイ
それで未来へ龍脈りゅうみゃくが繋がるのですが、どこかで途絶とだえそうになっている、そうなのかも知れません――
今度こそ、暁梅シャオメイなのではと――
彼女が神獣しんじゅうになる宿命、そうじゃないかしら。上海シャンハイ朱雀すざくの見立ての場にいた――
それで彼女も宿命をびるように……
――そう思えてならないのです。
【フリーダイップ
あなたたちは映画の挨拶あいさつで、
帝都に行くんでしょ?
麻美マーメイ
そうです――
暁梅シャオメイ麻布あざぶにあるチョウホテルに泊まる、その予定だと聞いています。
近くに作家の永井ながい荷風かふう先生の家、
偏奇館へんきかんがあって、そこも訪れると。
【フリーダイップ
偏奇館へんきかん……ペンキりなのでその名前。麻布あざぶ市兵衛町いちべえちょうの高台に建つのよ。東久邇宮邸ひがしくにのみやてい聖宮邸ひじりのみやていのある町ね。

新山眞にいやままことがセヒラの特異点を見つけたのも、麻布あざぶ市兵衛町いちべえちょう宮邸脇みやていわきであった。遠くに見えるのが飯倉いいくら技研である。

【フリーダイップ
蘭暁梅ラン・シャオメイ麻布あざぶ市兵衛町いちべえちょうで、
神獣しんじゅうの見立てを受ける――
そういうことかしら?
麻美マーメイ
そうかも知れません――
神獣しんじゅう朱雀すざくの見立てですね。
今のところ、私たちは上海シャンハイで出会い、暁梅シャオメイは女優になり、帝都に行く――
正しい歴史の流れです。
【えびき屋の子供】
大変だよ、早く止めなきゃ!
【フリーダイップ
どうしたの、血相けっそう変えて?
【えびき屋の子供】
双子師ふたごし大挙たいきょして押しかける!
【フリーダイップ
どこに?
まさか……帝都に?
【えびき屋の子供】
たぶんそこだよ!
奴ら、風水ふうすい龍脈りゅうみゃくを邪魔しに行く、そのつもりなんだよ!
【フリーダイップ
帝都にはセヒラがあふれている――
双子師ふたごしが帝都に入ると、
見つけるのはとても困難よ。
【えびき屋の子供】
九龍クーロンフロントの怪人路人ろじんを倒して、
邪気じゃきを抑えるしかないよ。
今のうちだよ、あんた!

《バトル》

蘭暁梅ラン・シャオメイは帝都の麻布あざぶ市兵衛町いちべえちょうで、神獣しんじゅう朱雀すざくの見立てを受けた。
それを行ったのは1人の旅行者である。商用で香港ホンコンを訪れ、陰界いんかいちたのだ。その人物は光明路コウミョウろ美鈴メイリンと出会い、「生体通信」によって帝都へ飛んだ――
しかるべき時、しかるべき場所にいる、それで見立てがされたのである。

麻美マーメイ
光明路コウミョウろから邪気じゃきが消えたそうです。
――綺麗きれいさっぱりと。
【フリーダイップ
美鈴メイリンはレナードから老童ロウトンを借り、
気機ききを動かすことに成功したのよ。
大成功よ!
気機ききによって力強い龍脈りゅうみゃくが、
未来へと繋がったそうよ。
過去から来て未来へ繋がったって。
麻美マーメイ
おそらく――
暁梅シャオメイ神獣しんじゅう朱雀すざくに見立てられた――
そうに違いありません。
一九三五年、帝都で。
紅楼夢こうろうむの上映に先立ち、
私たち二人は、浅草あさくさの映画館で、
舞台挨拶あいさつをしました。
舞台挨拶あいさつの後、暁梅シャオメイ麻布あざぶに――
永井ながい荷風かふう先生の偏奇館へんきかんへ寄るのです。
私たちは日本橋でお別れしました。
紅楼夢こうろうむ大連ダイレンでも上映されるので、
明日、日本をちます。
横浜からえにせい丸に乗ります。
暁梅シャオメイも同じ船に乗るので、
今日、麻布あざぶのホテルに迎えに――
でも、彼女、
ホテルには泊まっていなかった――
投宿とうしゅくしていないのです。
【フリーダイップ
蘭暁梅ラン・シャオメイを見立てた人、
私の店に来たわ。まさにその人よ。
かりにAさんとしておく。
Aさんが美鈴メイリンを助ける感じで、
蘭暁梅ラン・シャオメイの見立てに行き着いたのよ。
ねぎき屋の子供が、
Aさんに老童ロウトンのこと教えたの。
麻美マーメイ
それで、美鈴メイリンはどうしていますか?
気機ききが無事に動いて……
【フリーダイップ
Aさんが手に入れた風水鏡ふうすいきょうに、
エリオットの思念が浮かんだそうよ。
美鈴メイリンのお父さんの思念が……
エリオットはね、
蛇老講オールドスネークさらわれたんじゃなく、
自分から深いところに入ったのよ。
【えびき屋の子供】
おばさん!
ぼやぼやしていると、
元の場所に戻れなくなるよ!
だんだん、離れていってるんだ――
【フリーダイップ
繋がりがはずれるのね!
【えびき屋の子供】
そうだよ!
ちょっとだけ見た帝都って、
なかなかいい感じだけど――
でも俺は九龍クーロンが好き!
海鮮中心かいせんちゅうしんでえびくんだ!
【フリーダイップ
心配しないで、私なら大丈夫よ。
どちらの時代にも行けるから。
【えびき屋の子供】
でも一九九七年には来ないよね!
【フリーダイップ
そうね、行かないわ。
【えびき屋の子供】
じゃ、これでお別れだね――
それから――
あんたも、気を付けなよ、
いつ邪気じゃきに襲われるやも知れない!
【フリーダイップ
さぁ、もう行って!
あなたの時代に戻るのよ!
【えびき屋の子供】
わかった――
最後だから……言ってみたかったことがあったんだ――
【フリーダイップ
どんなことなの?
【えびき屋の子供】
アディオス、あばよ!
麻美マーメイ
風魔ふうまさん、
また帝都でお会いすると思います。
そのとき、どこまで話せるか……
いや、このことを覚えているか、
それさえわかりませんが――
【フリーダイップ
私は霊雀館れいじゃくかんに戻るわ。
渋谷しぶやのお店よ、また寄ってね。
いろいろ仕入れておくから。

1997年陰陽交合いんようこうごう事件を経験した蘭暁梅ラン・シャオメイ。彼女も、小黒シャオヘイ同様、朱雀すざくとなる存在だった。1935年帝都、1997年九龍クーロンフロント、そして2015年の光明路コウミョウろ――
3つの時空が蘭暁梅ラン・シャオメイの宿命をつむいだのだ。

〔山王機関本部〕

喪神もがみ梨央りお
兄さん、お帰りなさい。
まさか、満映の女優さんが、
神獣しんじゅうの見立てを受けるなんて――
そんなこともあるんですね!
帆村ほむら魯公ろこう
しかし未来では、
風水ふうすいを機械で繋ぐのか……
まるで電波の中継ちゅうけいみたいだな!
喪神もがみ梨央りお
その装置を作った研究者の人、
エリオットって、エリオット手稿しゅこう
残した人ですよね?
今に伝わっているということは、
もっと昔に行ったんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
おそらくエリオットなにがしは、
アラヤ界を彷徨さまよう思念なのだろう。
自らを思念に変えたのだ――
研究のためにな!
喪神もがみ梨央りお
双子の娘さんがいるんですよね?
お姉さんが美鈴メイリンさん、
それじゃ妹さんは……
帆村ほむら魯公ろこう
その姉妹についても、
少し調べる必要がある。
何より、フリーダの遊ぶやつ、
何だ、ゲームとか……
――そいつも気になる。
喪神もがみ梨央りお
ガリギアスオンライン――
フリーダさんは武将の名前なんですよ。
帆村ほむら魯公ろこう
鍛冶橋かじばしのビルとか言っておった。
時間のある時、巡視パトロールに出てくれ。
今日はもうよい、休むんだ。
喪神もがみ梨央りお
兄さん、お疲れ様でした!
紅楼夢こうろうむ、観に行かなきゃです!

第七章 第十二話 時空の歪み

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
虹人こうじんさんたち、祇園丸ぎおんまるのことを
調べているそうです。
怪我けがとかはないそうです。
猟奇倶楽部クラブが捕まえている一体、
ユリアさんのホムンクルスですよね。
――波形も何もわかりませんが……
兄さんが猟奇倶楽部に誘われた時、
私がちゃんと追跡できていれば、
場所はわかったのに……

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
――あれ、梨央りおちゃん、
浮かない顔して、どうしたの?
【喪神梨央】
私が風邪を引いたばかりに、
猟奇倶楽部の場所、捕捉ほそくできなくて。
ユリアさんのホムンクルスが……
【九頭幸則】
何だ、そのことか。
逃げ出したのが見つかったんだろ。
猟奇倶楽部なんてすぐにわかるって!
それに無理して風邪こじらせたら、
もっと大変だったよ、梨央ちゃん。
【喪神梨央】
……
幸則ゆきのりさん、ありがとうございます。
【九頭幸則】
いや、なぁに、これしき――
な! 風魔ふうま

【新山眞】
セヒラを観測しました。
【喪神梨央】
え? 本当ですか!
【新山眞】
いやいや、焦らないで。
例の風水師ふうすいしです、きっと。
特徴的な波形でしたから!
それにものすごく微細です。
きっとあの風水師ふうすいしですよ。
【喪神梨央】
兄さん、巡視パトロールお願いします。
場所は中野満洲里マンチュリです。
【九頭幸則】
中野!
そんなところにもあるのか……
【新山眞】
満鉄の西の果てですね。
その先は西比利亜シベリア鉄道になります。
帝都では中野なんですね。
【喪神梨央】
満鉄では満洲里マンチュリから莫斯科モスクワまで、
一週間の旅程です。
【新山眞】
帝都満洲鉄道でも、
中野満洲里マンチュリより先はないでしょう。
はらえのに向かいましょう、
喪神さん。

〔祓えの間〕

【新山眞】
これから向かっていただく先、
中野満洲里マンチュリなんですが、
時間のズレを引き起こしています。
向こうでの一時間が、
こちらでの二時間……
いや、もっとかも知れません。
向こうでは時間がゆっくり進む、
どうもそういう現象が起きています。
抜かりなく観察は続けます。
時間のずれていること、
念頭に置いておいてください。
本部にも伝えておきます。

【満鉄列車長】
帝都満洲鉄道、これより、
市ヶ谷斉斉哈爾チチハル、戸山海拉爾ハイラルを経由、
中野満洲里マンチュリへと向かいます。
中野満洲里マンチュリ露西亜ロシア国境近くのため、
随分と国際的ですね!
支那シナの言葉に交えて、
英語を話す人も多く居ます。
不思議と露西亜ロシア語は聞こえません。
それでは当列車、出発いたします。

中野なかの満洲里マンチュリ北街区〕

【満鉄列車長】
中野満洲里マンチュリ~中野満洲里マンチュリ
長らくのご乗車、
ありがとうございました。
積もる吹雪ふぶきに暮れゆく町よ~♪
ここは雪国満洲里マンチュリ~♪

【路人Sアストラル】
あんた、どっから来たんだ?
九龍城クーロンじょうの住人じゃないようだな。
あんたも、何か端末持っているのか!
なら、大事なこと教えてやる。
クーロネットが新種のウィルスに
感染したんだそうだよ。
俺らのパスワードやメルアドが、
だだれになってるらしいぜ。
あんたも気をつけな。

【路人Tアストラル】
クーロネットのウィルス感染、
あれはオンラインゲームが、
原因になってるらしいね。
光明路コウミョウろ電脳中心でんのうちゅうしんで、
ゲームの中に吸い込まれた人がいる、
そんな噂だよ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
いったい何の話ですか?
聞いたことのない英語が聞こえます。
無線機、新山にいやまさんにも接続します。
今の記録も聞いてもらいますね。

【路人Zアストラル】
この九龍クーロンフロントのどこかに、
光明路コウミョウろに繋がる路地がある、
そんな話だ。
何でもえびの子どもが、
その路地を抜けて行ったらしい。
二三日、帰ってこないそうだ。
光明路コウミョウろは五月の陰陽交合いんようこうごう事件で、
陽界ようかいに現れなかった街だ。
まだそういう街があったんだな――

【路人Pアストラル】
陽界ようかい香港ホンコンは中国に返還された――
つい先月、七月の話だ。
けどここの住人はどうなるんだ?
陰界いんかいの住人も中国人なのか?
俺たちは九龍クーロンフロントにいる、
ただそれだけなんだけどな!

中野なかの満洲里マンチュリ東街区〕

【着信 新山眞】
香港ホンコン割譲かつじょうは九十九年の期限付き、
中国返還は一九九七年の予定です――
今から六十二年後のことですね。
そこはずっと未来の時空と、
繋がっているようです。
九龍クーロンというのは九龍クーロン半島のことかと。
今はそれしかわかりません。

【爆竹屋アストラル】
龍城りゅうじょう飯店のバーテンダー、
奴はなんて名前だったか――
ここ最近、奴の姿を見かけないが、
この近くで気配を感じたよ。
見たわけじゃない、感じたんだ。

【亀料理屋アストラル】
龍城飯店のリッチなら、
物に姿が変わったって話だ。
妄人ワンニンって言うんだけど――
五月に起きた陰陽交合いんようこうごう事件では、
窓男、携帯電話男、モーター男、
それに鍵穴男まで出たそうだ。
鍵穴だってよ!
鍵や錠前じゃなく、鍵穴なんだよ。
――すごく哲学的だと思わないか!

【海藻パック屋アストラル】
龍城飯店に住んでいた、
小黒シャオヘイって女の子が、
神獣しんじゅうとして見立てを受けたんだって。
そんな話がまことしやかに伝わるの。
人が神獣しんじゅうになるなんてね――
まぁ人が物になったりするから、
人が神獣しんじゅうになったくらいで、
驚いちゃダメよね。

【フカヒレ屋アストラル】
この辺は海鮮中心かいせんちゅうしんだ。
見ての通り、海産物を扱う。
でもな、それ以外にもあるんだ――
いったい何を扱うかって?
そんなこと、言えるわけないだろ!
常連になればそのうち分かるよ。

【歯科医アストラル】
五月の陰陽交合いんようこうごう事件では、
陰界いんかいを漂う九龍城クーロンじょう陽界ようかいに現れ、
世界の秩序が崩壊しかけました。
陰界いんかい風水ふうすいの守りがなかった、
それが陰陽交合いんようこうごう事件の原因でした。
陽界ようかいから来た風水師ふうすいしが、
陰界いんかい風水ふうすいを起こし、
陰陽交合いんようこうごうは解消されたのです。
風水ふうすい神獣しんじゅうの見立てにより起きます。
五月には宿命を備えた人が、
見立てを受け神獣しんじゅうとなりました。

【着信 新山眞】
九龍城クーロンじょうという地名が聞こえました。
英吉利イギリスの植民地である香港ホンコンの市中に、
清朝の領地があります。
九龍城砦クーロンじょうさいと呼ばれる一角です。
将来、おそらく、そこに人が住み、
街区を形成するのでしょう――
今はまだ人もまばらな、
郊外地と言った感じの場所です。

中野なかの満洲里マンチュリ西街区〕

【電脳中心店員アストラル】
光明路コウミョウろ電脳中心でんのうちゅうしんで事故があった、きっと、その話だよね!
ガリギアスオンラインだよ――
韓国のピーコックゲームという、
ベンチャー系のゲーム会社が
そのゲームをサービスしているんだ。
ガリギアスというのは神秘の力さ。
それをあがめる人、求める人、
悪用しようとたくらむ一派――
ガリギアスをめぐ思惑おもわくのそれぞれで、
クエストが展開されるんだよ。
光明路コウミョウろで起きた事故だけど……
僕も同じ事故にったことがある。
ゲームの中に吸い込まれるのさ!
気付くとトスタリアの森にいるんだ。
そこは聖域でモンスターも出ない。
森の中に古い図書館がある――
手に入れた図書館のかぎによって、
入れる閲覧室が異なる仕組みだ。
僕が手に入れたかぎで入れたのは、
エリオットの書斎という閲覧室さ。
周りを書棚に囲まれた小部屋で、
革の洋書ばかりが並んでいたね。
閲覧室から出ようと扉を開けると、
どこか別の町に出た――
まるでワープしたみたいだった。
そこが一九三五年の東京だと
わかるまで、少し時間がかかった。
――だって、仕方ないだろう?
そこは東京の鍛冶橋かじばしという街だった。
僕はその街をしばらく歩いたんだ。
通りすがる人が不思議そうに見る――
理由はすぐにわかったよ。
僕が首から下げたヘッドホン、
それが珍しかったみたいなんだ。
陰界いんかい九龍城クーロンじょうは、
そんなふうに時空を超えて、
別な場所に繋がるようなんだ。

【リゾーム会員Pアストラル】
龍城りゅうじょう飯店に住んでいた小黒シャオヘイ
彼女の思念が過去の上海で、
双子のお姉さんの念と合一したんだ。
小黒シャオヘイは過去で神獣しんじゅうとして見立てられ、この陰界いんかい神獣しんじゅう龍脈りゅうみゃくが及んだ――
そういうことだよね?
でもせっかくのその神獣しんじゅう龍脈りゅうみゃく
どこかで途絶えているようなんだ。
小黒シャオヘイの見立ては一九二〇年だ――
ということは、それ以降に、
龍脈りゅうみゃくが途絶えてるってことだね。

【リゾーム会員Zアストラル】
小黒シャオヘイは自分の宿命を知っていて、
ファイアの日に姉と会えると――
納音なっちんで求める火属性の日のことです。
宿命の、ファイアの日ですが、
一九九七年五月二十二日は、
火の属性じゃなかったんです。
納音なっちんで割り出すと、その日は、
霹靂火へきれきかではなく海中金かいちゅうきんなんです。
つまり金の属性、ゴールドの日です。
一九二〇の五月二十二日も、
納音なっちんでは白鑞金はくろうきんですね――
やはりゴールドの日なんですよ。

【リゾーム会員Jアストラル】
シャ先生はファイアの日を、
クーロネットで調べたのです。
それが間違っていた――
シャ先生がアクセスした時、
すでにクーロネットはおかしかった。
ウィルスに感染していたようです。

【かつら屋アストラル】
ちょっとよろしいですか?
龍城飯店のバーテンダーがいます。
こちらへお願いします――

中野なかの満洲里マンチュリ南街区〕

【かつら屋アストラル】
そこにいるのが龍城飯店の
バーテンダー、リッチです。
【龍城飯店バーテンRアストラル】
小黒シャオヘイの奴だろ?
あいつ、行方不明の姉さんを探して、
この街に来たんだ。
しばらくホテルに住み込んで、
バーを手伝うなりしていた。
あいつは双子の姉さんと引き合い、
神獣朱雀しんじゅうすざくの見立てを受けるという、
とんでもない宿命を背負っていた。
宿命の日、それがファイアの日だ。
ファイアとは火属性の日のことだ。
姉さんが残した言葉、
ファイアの日に会える――
あいつはその言葉を守っていた。
あいつは自分の身の上に振りかかる、
運命がどんなものかは知らなかった。
陽界ようかいから来た風水師ふうすいしが歯車を回した。
だがな、神獣しんじゅうとして見立てを受ける肝心の日付が間違っていたんだ――その日は五月二十二日じゃない。
正しいファイアの日は、
小黒シャオヘイの向かった一九二〇年だと、
五月十六日、十七日だという。
だから、あいつの龍脈りゅうみゃく朱雀すざく龍脈りゅうみゃくがその後、途絶えた――
せっかく神獣しんじゅうになったのにな。

【窓男のアストラル】
おい、気を付けるんだ!
双子師ふたごし四天王がやってくるぞ!
【龍城飯店バーテンRアストラル】
あんた、奴らには歯向はむかうな!
勝てる相手じゃないぞ!

【双子師四天王のアストラル】
私は憎しみをかてとして強くなった。
怒り、恨み、さげすみ――
それらは皆、私の力の源泉げんせんだ。
裏切りとあざむきの極彩色ごくさいしきが、
私をひときわ輝かせるだろう。
さぁ、君のうちに秘める、
その黒黒としたものを晒すがいい。
君の怒りは、
君自身がもてあそぶまやかしによって、
その力を失っている。
真の君と向き合えないのは、
残念至極だな!

《バトル》

【双子師四天王のアストラル】
自分に打ち勝ったつもりか、
喪神もがみ風魔ふうま――

【超級風水師AWアストラル】
私の本体は、まだあの薄暗い病室に
あるのだな――
光明路コウミョウろのあの医院の狭い部屋――
私はもう二度と目覚めないのか。
それならそれでよい。
目覚めれば世界の苦悩を負うだろう。
眠ったまま生きていくとしよう。
さて、龍脈りゅうみゃくを起こすのだな?
バーナードがしたように。
そのために君が来たのだろう。
ここ九龍クーロンフロントにはびこる邪気じゃき
それらをすべて陽界ようかいに流すぞ。
それでいいな?
強い邪気じゃきの流れが生まれるだろう。
後は君にまかせることにしよう。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、聞こえますか?
強いセヒラが流れ出ています。
セヒラは憲兵隊本部に――
憲兵隊本部に流れ込んでいます!!
一ツ橋の憲兵隊本部です。
――芽府めふ須斗夫すとおのいる場所です。

〔溜池通〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
今、帝都にいるんですか?
帝都満洲の巡視パトロール
やはり時間が経過しています。
ゲートをくぐってから四日も経ちます。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
すごく時間が経って、心配しました。
【新山眞】
帝都満洲に未来の時空が繋がり、
それがために時間がずれた……
どうもそのようですな。
【喪神梨央】
兄さんが帝都満洲に出かけたのは、
四日前なんです――
こちらでは四日経ったんです。
【新山眞】
向こうでは四倍、時間が遅くなる――
それが帝都満洲全域のことなのか、
まだわかっていません。
風水師ふうすいしが気脈を起こして、
強いセヒラが生じました。
今日未明のことです――
【喪神梨央】
兄さんにしてみると、
ついさっきだったのでは?
強いセヒラ、今は収まって、
特に怪人騒動の通報もありません。
【新山眞】
そろそろ芽府めふ須斗夫すとおが、
次の予言を語る頃でしょう。
この件かはわかりませんが、
弟に呼び出されていまして――
これから銀座に向かいます。
予言のことでしたら、
まだ記事にしないようくぎを差します。
それではこれで――
【喪神梨央】
さっきの九龍クーロン
本当に未来なんでしょうか……
でもちょっとワクワクしました!
ネット、オンライン、ゲーム……
想像するしかないですね。
ヘッドホンを着けて歩くって――
無線機に繋いだのでしょうか?
私もやってみようかな!

その夜遅くに式部しきべから電話があった。芽府めふ須斗夫すとおは第7の予言を語ったのだ。ただ、それは全文ではないという――
ヒククアケ――
式部はその言葉の意味がわからないと嘆く。また何か他に言葉が続くはずだとも。

第七章 第十一話 忙しい一日

〔山王機関本部〕

式部しきべは再び芽府めふ須斗夫すとおの元で待機となった。予言を求めるには強いセヒラが必要となる。変異があるとされる乙亥きのといの年、愈々いよいよ秋である。

【喪神梨央】
式部さんからはまだ連絡がないです。
強いセヒラの兆候ちょうこうもありません。
【帆村魯公】
今年についていろいろ言われるが、
まだ秋口あきぐちだ――
焦ることもない。
【喪神梨央】
予言っていくつまであるんでしょう?
今年中に全部分かるんですか?
【帆村魯公】
今年中に出きらないときは、
何も異変が起きないということじゃ。
枕を高くして眠れる。
【喪神梨央】
隊長! 
帝都の怪異は増えているし、
いろいろたくらむ人もあります!
【帆村魯公】
それはそうだが……
あの釣鐘つりがね鎮座ちんざまします限り、
帝都は安泰あんたいだろうて。
あの釣鐘つりがね以来、召喚も安定した。
ナチの技術も捨てたもんじゃない。
【喪神梨央】
私は何だか嫌です――
機械に管理されているみたいで。

【フリーダ葉】
ごめんなさい、遅くなったわね。
【帆村魯公】
足労そくろう済まないね、フリーダ。
フリーダ、お前さんに一つ頼みだ。
腕の立つ風水師ふうすいしを紹介して欲しい。
【フリーダ葉】
お安い御用よ――
だけど山王さんのう機関の依頼だから、
普通じゃないわよね、当然。
【喪神梨央】
ホテルの前にバーナードチャンという、
風水師ふうすいしが現れたんです。
――アストラルとして……
【フリーダ葉】
そうなんですってね。
バーナードは香港ホンコンの病院よ。
もう八年も眠り続けるの。
彼は風水ふうすいの見立てに失敗したの。
四神獣ししんじゅうが消え去り邪気じゃきに支配された。
彼は邪気じゃきから逃れて自失したのよ。
【帆村魯公】
その思念が帝都満州を彷徨さまよう――
だが彼のお陰で助かった。
セヒラがあふれずに済んだからな。
また再び、気脈を繋いで欲しい。
一ツ橋の憲兵隊本部に。
【フリーダ葉】
つまりバーナード並みの腕前がいる、
そういうことなのね?
――なかなか難しそうね……
でも一人いる――
アンドリューよ。
アンドリューワンというの。
【帆村魯公】
ほう!
それはどのような人物かな? 
【フリーダ葉】
香港ホンコン最高風水ふうすい会議の一員よ。
肺癌はいがんの手術で医者が麻酔をあやまって、
もう二年も意識がないの――
【喪神梨央】
それじゃ、帝都満洲のどこかを、
彷徨さまよっているんでしょうか?
【フリーダ葉】
アンドリューの声やら何やら、
録音とかがあるから、
それらから、波形、割り出せない?
【喪神梨央】
多分できると思います。
声の録音って録音盤ろくおんばんですか?
【フリーダ葉】
うん、まぁ、そのような物ね。
【帆村魯公】
それでは二人、頼んだぞ。
その風水師ふうすいしをどうにか見つけたい。
風魔ふうま、お前は巡視パトロールに出てくれ。
今日の巡視パトロールはどの辺りだ?
【喪神梨央】
銀座方面です――
セヒラの反応も少しあります。
気を付けてください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわいでセヒラを観測します。
この波形、安定しています……
怪人になって長いと思います。
【夢見心地のサラリーマン】
いやぁ、あなた、読みましたか?
興亜こうあ日報の特報ですよ、
桃源郷とうげんきょうの話!
実にロマンがあるなぁ……
蒙古もうこの西、支那シナ新疆シンキョウ省省都、
烏魯木斉ウルムチのさらに西!
蟻走痒感府ぎそうようかんふという、
新発見の都があるらしいです!
そこの臣民しんみんありと共生するんです!
【ロマンチストなモガ】
蟻走痒感府ぎそうようかんふの人々は、
青斑せいはんびた白色陶質とうしつ皮膚ひふで、
火にも水にも強いのですわ。
でも蟻酸ぎさんには弱く、触れると死ぬ、
だからありと仲良くするのですわ。
最も色白で青斑せいはんの多い女王が、
カーンと呼ばれ、みやこ君臨くんりんするのです。
ハァ~想像が膨らみますわ!
【空想家の旦那】
華氏かし財団辺疆へんきょう弁理公司鉄路建設局
臨時調査部隊――
桃源郷とうげんきょうを発見した調査隊ですよ。
辺疆へんきょうの地にこそ未来ありですな!
経度八〇乃至ないし八三度、
緯度四三乃至ないし四五度の辺り、
我が桃源郷とうげんきょうはそこにあるのです。
いやぁ、行ってみたいですなぁ。
白楊ポプラの並木の続く道――

〔銀座街路〕

【独逸語専科生】
フォス大佐から銀座で号外、
もらうように言われて来たんだ。
――あなたのこと、大使館で見たよ。
フォス大佐には壮大な計画がある。
なんと、第四帝国建設!
驚いたかい? そりゃそうだろう――
総統フューラーを差し置きの新国家建設ときた。
僕も将来を大いに嘱望しょくぼうされていてね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています。
ホムンクルスではありません!
【独逸語専科生】
僕は独逸ドイツ大使館で働いているんだ。
だから事情に通じている!
君たちも働いてARBEIT自由になればいい!

《バトル》

【独逸語専科生】
沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ語らしきを確認しましたが、
波形から通常の怪人と思われます。
ホムンクルスではありません。

【聖宮成樹】
やはり怪人でしたか!
赤坂で怪力にて人を突き飛ばし、
十番の市電に乗ったのです。
私も銀座への道すがら、付けました。
半蔵門はんぞうもんで十一番に乗り換え銀座へ。
電停からは巻かれてしまったのです。
喪神もがみさんがいらして幸運でした――
この近くの純喫茶じゅんきっさで、
ある人物と約束しています。
喪神さんもご一緒ください。

〔純喫茶青蘭せいらん

【女給鶴子】
あら、いらっしゃいませ~
【聖宮成樹】
あちらの方と待ち合わせです。
【李景明】
殿下!
お早かったんですね。
赤坂の菓子屋は……
【聖宮成樹】
わけあって、今日はしました。
さんにご紹介しようと思い、
喪神もがみさんもご一緒願いました――

聖宮ひじりのみや景明けいめい風魔ふうまを紹介した。は東亜文化調査局の調査員だと自己紹介した。

【聖宮成樹】
さん、こちらの方には、
満鉄調査部と名乗っても大丈夫です。
なにせ参謀本部直轄ちょっかつですから。
【李景明】
なるほど――
それは頼もしい限りです。
【聖宮成樹】
喪神さん、さんは、
北満の発展をたくされ、
種々の調査をなさっておいでです。
【李景明】
喪神さん、私は支那シナ生まれです。
両親は日本人ですが、満洲では、
リー景明チンミンを名乗っています。
近い将来、独逸ドイツは欧州を戦禍せんか
巻き込むに違いありません。
独逸ドイツは全欧州を敵に回すでしょう。

2年前――1933年、独逸ドイツではヒトラー内閣が誕生。
同年8月、ヒンデンブルク大統領死去によりヒトラーが独逸ドイツ国家元首に就任した独逸ドイツ欧州ヨーロッパ全域を手中に収めようと目論もくろむ。ソビエトは独逸ドイツにとり後方の脅威きょういである。

【李景明】
日本は欧州の戦争には関わらず、
極東地域を愈々盤石いよいよばんじゃくにし、
揺るぎない構えを築くことです。
【聖宮成樹】
先の世界大戦争では、
青島チンタオに攻め独逸ドイツ退しりぞけました。
今後、独逸ドイツとの関係は如何いかに?
【李景明】
むしろ今後を占うのは露西亜ロシアです。
露西亜ロシアの助長を抑えるべきです。
史大林スターリンは冷酷で強欲な人物です――
それに、露西亜ロシアが唱える共産主義は、
今後、世界の脅威きょういとなるでしょう。
――まるで新宗教のようにです。
露西亜ロシアの南下を防ぐことは、
世界の安全にとってかなめとなります。
とりわけ米国アメリカにとり重要です。
【聖宮成樹】
そのために北満なのですね?
【李景明】
今、北満の発展を進めれば、
日本は国際的にも有利な切り札カードを、
手の内にすることができます。
【聖宮成樹】
独逸ドイツ露西亜ロシアを攻めてもらえば、
北満発展の機会が生まれますね。
露西亜ロシアの勢力が分化しますから――
【李景明】
独逸ドイツは攻めますよ、間違いなく。
我々はN計画を急ぐことです。
【聖宮成樹】
喪神さんも計画に関わります。
【李景明】
そうだったんですね!
参謀本部のお墨付すみつきを得ましたか!
【聖宮成樹】
N計画を阻害そがいする動きがあり、
それをふうじる特務を遂行されます。
【李景明】
帝都の変異に乗じて、
さまざまな動きがあるようですね。
私はまだ日本におります。
殿下、喪神さんのご紹介、
ありがとうございました。
喪神さん、よろしくお願いします。
耳寄りな情報があれば、
すぐお知らせします。
【聖宮成樹】
お気を付けください、さん。
それでは参りましょう、喪神さん。
さんと協力しあえればいいですね。

【女給雪子】
あららぁ~カズさん……
カズさんは、まだよろしいんでしょ?
二人でソーダ水、いかがかしら?

日本橋に用のある聖宮ひじりのみやとは店前で別れた。その後、本部からの着信があった――

【着信 喪神梨央】
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから連絡です。
四谷見附よつやみつけに向かってください。
要請内容はわかりません――

〔四谷見附〕

【帆村虹人】
祇園丸ぎおんまるの香腺を調べて、
大凡おおよその居場所、見当がついた。
【ユリア・クラウフマン】
ヨツヤ、イチガヤ……
この二点から結ばれる三角形ドライエック――
【帆村虹人】
その二点から伸ばして、
丁度、戸山とやまあたりに結ぶ三角形、
その何処どこかにいるはずなんだ。
今、二体のホムが行方知れずだ――
祇園丸ぎおんまるとユリアさんのフロイライン。
彼らの行方不明には、
猟奇倶楽部クラブの一味が関わっている、
そうに違いないんだ。
【ユリア・クラウフマン】
猟奇倶楽部での会話記録に、
フロイラインとおぼしきものを
見つけたんです。
彼ら猟奇人はとても慎重です。
雑誌の編集部住所も次々変わり、
なかなか所在をつかめません。
【帆村虹人】
だが範囲は絞られた――
ユリアさんは市ヶ谷を、
僕は戸山を当たってみる。
風魔、お前は四谷の巡視パトロールを――
ホムンクルスの技術、
漏洩ろうえいする前に防ぎたいんだ。
それにまた犠牲者が出る前にな――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、お願いします。
それでは私はイチガヤへ――

【帆村虹人】
ユリアさんを見ていると、
僕はまるで道草みちくさをしているようだ。
もっと自分に芯をもたなきゃな!
そう言い聞かせているんだ。
――それじゃ、巡視パトロール、頼んだよ!

【渋谷の客】
あら、今の方、女優さんみたいね。
――そういえば、銀座幻燈会げんとうえ
いよいよ活動キネマに格上げですって!
しかもトーキーですって!
――楽しみだわ……
私、トーキー、まだ知らないのよ!

【履物商の男】
あんたは……憲兵とは違うのか?
憲兵と言ったって天麩羅てんぷらもいるって、
それ、本当なのか?
天麩羅てんぷら憲兵……こりゃ傑作けっさくだ!
衣だけで中身は空っぽ……
そう思えば怖くはないな!

下谷区したやくの学生】
帝大の連中、すっかり萎縮いしゅくしたよ。
秋毫しゅうごうは休刊になったと言うし、
特高の巡察パトロール頻繁ひんぱんだし……
たもとを分かった新文民社は、
解体されて跡形もないね。
新文民社の謄写とうしゃ版や美品を並べ、
展示会を開くそうだよ、憲兵隊で。
不敬ふけい反逆分子の実態展だって!

〔四谷街路〕

煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
あのホムンクルスとやらは、
なかなか厄介やっかいなもんですな!
【マントヴァの枢機卿Ωすうききょうオメガ師】
命令者の言う事しか聞きません。
刷り込みアプドロックがない、刷り込みアプドロックがない、
その繰り返しです。
【東方の黒騎士長Δデルタ師】
前に猟奇倶楽部に、
おいでになりましたわね。
お話しましてよ!
倶楽部の外にいるときは、
正式名を名乗りますのよ、私ども。
倶楽部内ではただの猟奇人ですわ。
【太陽神殿の門番Λラムダ師】
私たちにはホムンクルスが必要です。
一体は確保、もう一体は逃亡中。
帝都にはたくさんいるのに――
全部で四体ほど必要です。
喪神もがみ風魔ふうまさん、手伝ってください。
ホムンクルスの捕獲ほかくをです。
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
倶楽部の高位の会員が、
たってのお願いと頼むのですよ。
【マントヴァの枢機卿すうききょうΩオメガ師】
こちらも刷り込みアプドロックされて、
言うことを聞かないのでは?
そう思いますけど――
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
仕方ないですね。
大司祭に来てもらいましょうか!

【初心の大司祭Γガンマ師】
このあたりはすこぶる危険ですよ。
セヒラが多く漂いますよ。
あなたがこれ以上踏み込まないよう、
私から言い聞かせてあげましょう。

《バトル》

【初心の大司祭Γガンマ師】
――あなたたちは……
そのうちきっと、
協力したくなるはずです、きっと――
【着信 喪神梨央】
巡視パトロール完了の旨、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしに通知しておきます。
こちらでは、
風水師ふうすいしの確認できました!
はらえのに来てください。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
アンドリューワンという風水師ふうすいし
波形が確認できたらしい。
梨央りおのやつ、やけに興奮してな。
何でも小さな活動キネマみたいなものに、
風水師ふうすいしが映っておったと――
【新山眞】
確かに波形はあるのですが、
他の波形と重なっていて、
うまく特定できません。
彼は身動きが取れない状態、
まわりに強いセヒラが漂います。
【帆村魯公】
帝都満洲のどの町かわかるのか?
【新山眞】
中野なかの満洲里マンチュリの方に記録が残ります。
新しい拠点になりますね。
ただ今は――
【帆村魯公】
どうした?
【新山眞】
ミスターワンですが、
今は時空の狭間にあるようです。
喪神さん、ミスターワンふうじるもの、
かなり強いセヒラを発しています。
十分に注意してください。

〔時空の狭間〕

【双子師アストラル】
双子作るなら双子中心ふたごちゅうしんに来ることだ。
双子中心ふたごちゅうしんなら質の高い双子が作れる。
双子の間には通じ合う力がある。
それを鳴力ミンリーと呼んでいる――
まだ本物の鳴力ミンリーは起きていない。
力を秘めた双子がいないからだ!
鳴力ミンリーが起きれば邪気じゃきを自在に操れる。
ここいらも随分と邪気じゃきが強まった。
また陰陽交合いんようこうごうが起きるぞ!
まさかお前が――
せっかくの邪気じゃきはらうつもりなのか!
――それは許さん!
あの風水師ふうすいし共々邪気じゃきに染めてやる!!

《バトル》

【双子師アストラル】
くそっ!
鳴力ミンリーがあれば……こんなことには……

【超級風水師AWアストラル】
ここを解いてくれたのか……
私はまだあの薄暗い病室で、
眠り続けるのだな?
あの光明路コウミョウろの小さな医院の――
手術前夜、ほとんど眠れなかった――
光明劇場クンミンシアターの赤いネオンが部屋を染め、
浅い眠りはすぐ覚まされたのだ。
バーナードがここを出たとき、
すべてのことがわかった……
私にもできることがあると。
その思いを邪気じゃきに察知され、
私は閉じ込められた――
私にはバーナードほどの腕前はない。
準備が必要だ、少し時間をくれ。
セヒラを送って知らせる。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、お兄さん。
フリーダさん、
すごい機械をお持ちなんです!
のぞ絡繰からくりみたいな小箱の中に、
小さな活動キネマが収まっているんです。
てのひらに乗る大きさなんですよ!
そこにワンさんが映っていました。
声もするんです、トーキーです。
しかも総天然色なんです!
あんなの見たの、初めて!
映写機はどこにあるんでしょうか……
――ちょっとびっくりしました。
【帆村魯公】
梨央りおにしては珍しく、
大はしゃぎだったな!
【喪神梨央】
すみません……
【帆村魯公】
いいんだ。
風魔ふうま朗報ろうほうだ、
例の祇園丸ぎおんまる、見つかったそうだ。
戸山とやま衛戍地えいじゅちだそうだ。
【喪神梨央】
よかったですね!
兄さん、戸山に行かれますか?
【帆村魯公】
今日はもう十分だろう。
祇園丸ぎおんまる虹人こうじんらに任せておこう。
まずは風水師ふうすいしだ、風魔。
【喪神梨央】
ワンさん、セヒラで教えると――
中野方面、感度を上げて観測します。

頼みの綱の風水師ふうすいしを探り当てることができた。行方不明の祇園丸ぎおんまるも見つかった。次に向かうは新しい町、中野満洲里マンチュリである。

第七章 第十話 釣鐘

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、式部しきべさんがもうじき、
機関本部にいらっしゃいます。
第六の予言って、
どんな内容なんでしょうね。
淀橋よどばしの書生さん、
強いセヒラの影響で半覚半睡はんかくはんすいになり、
予言を語ったのですね、きっと。

【式部丞】
遅くなりました。
【喪神梨央】
式部しきべさん!
書生さんの予言、どんな内容ですか?
【式部丞】
ちゃんと語りました。
ちょっとぼんやりしていますが――
無垢むくな力が導くという内容です。

無垢むくなる力が
真の導きを為すであろう
――芽府めふ須斗夫すとおが語った第6の予言である。

【喪神梨央】
無垢むくな力って何でしょうね?
けがれのないということでしょうか?
【式部丞】
よこしまな考えを持たない、
あるいは誇示こじするようなことのない、
そういう力じゃないでしょうか。
【喪神梨央】
式部さん、書生さんの語るの、
目の前で聞いたんですか?
【式部丞】
芽府めふ君の寝る部屋にマイクがあって、
離れた所で録音するのです。
それを再生して聞きました。
【喪神梨央】
そうでした!
憲兵本部には最新式のマイクがある、
新山にいやまさんが言っていました。
ダイナミックマイクロフオン――
振動板を持たず、音波の強弱で、
直接発電する仕組みです。
振動板がないので、
湿気に強くてどこでも使えるって。
【式部丞】
くわしいですね!
米国アメリカでトーキー映画の撮影で、
使われるようになったと聞きました。
くだん芽府めふ君ですが、
今はまた深い眠りに就いています。
セヒラの方はどんな按配あんばいですか?
もう弱くなりましたか?
【喪神梨央】
ええ、弱くなっています。
赤坂一帯で観測しますが。
怪人の兆候ちょうこうも少しだけ……
【式部丞】
やはりそうですか……
ここに来る時、ホテル前に、
そのような人を見ました。
背広姿と学生、
二人は兄弟のようでした。
激しく口論していましたよ。
【喪神梨央】
歩三の召喚小隊……じゃなかった、
暁光ぎょうこう召喚隊でも対応できそうですが。
一応、巡視パトロールお願いします、兄さん。

〔山王ホテル前〕

【麹町の銀行員】
財布の五円、どこ行ったんだろう?
あの晩、酔っていたからなぁ……
でも、五円も使うわけがない!
【麹町の学生】
兄様あにさま、それはおかしいですよ、
きっと計算違いしています!
【麹町の銀行員】
そんなわけない!
銀行屋のこの僕が計算違いなんて、
金輪際こんりんざいするわけない!
【麹町の学生】
何です、その目は。僕を疑いますか?
…………あんまりです!
兄様あにさまこそ銀行の金に手を付けて――
【麹町の銀行員】
黙れ!! お前はいちいち生意気だ!
何でも俺の足を引っ張りやがって!
こ、こ、殺してやる!
【着信 喪神梨央】
急激にセヒラが高まっています!
注意してください!
【麹町の銀行員】
銀行の金なんぞ、しょせん
誰のものでもないだろうが!
お前まで邪魔じゃまするのか、ちくしょう!

《バトル》

【麹町の銀行員】
ふん! それしきか!
絶対にバレないようにしてやる!
【麹町の学生】
何でもかんでも僕のせいだ! 
子供の頃から、ずっとそうだ!
はぁはぁはぁ……
妹の絹代きぬよを池に突き落としたのは
兄さんなんだ……それなのに……
くそ! くそ! くそ!! もっと力を付けて
今度こそは兄さんを殺す!!
絶対にな!

【着信 喪神梨央】
隊長がお呼びです。
ホテルロビーにお願いします。

〔山王ホテルロビー〕

【帆村魯公】
じき、聖宮ひじりのみや殿下がおいでになる。
風魔ふうま咲世子さよこさんは知っているな――
【是枝咲世子】
私、殿下から是非ぜひにと言われ、
やって来ました。
【帆村魯公】
是枝これえだ大佐は独逸ドイツ国在勤帝国大使館の
駐在武官だ――
いろいろ情報をお持ちだ。

【聖宮成樹】
是枝これえだ咲世子さよこさん、
足労そくろう頂き、感謝します。
それに山王さんのう機関のお二人も。
【帆村魯公】
殿下、京都の方はいかがでしたか?
例の乙亥きのとい文書もんじょについて――
【聖宮成樹】
京都に情報はさほどありません。
あるのは歴史です。
参謀局の資料が残っていました。
明治八年にしたためられた、
地震観測要項という冊子があります。
仏蘭西ふらんすの気象学者がまとめました。
【帆村魯公】
例のシャルボー氏ですな。
乙亥きのといの年、波動を観測したという。
【聖宮成樹】
麹町こうじまち三宅坂みやけざかに、
参謀本部陸地測量部が置かれ、
その第八課が観測を引き継ぎました。
年を追うごとに波動は小さくなり、
四十年後の一九一五年、
大正四年には消えたようです。
【帆村魯公】
その八年後に関東大震災だ――
波動は地震とは無関係なようですな。
【聖宮成樹】
私もそう思います。
波動が消えた翌年、
大正五年、観測は中止になりました。
帝大の学者が考案した、
新型の地震計による観測は
続けられたのですが――
【帆村魯公】
ふむふむ……
その地震計ではセヒラは測れない、
そうなんですな!
【聖宮成樹】
シャルボー氏は乙亥きのといの年にこそ、
大きな波動が現れると言いました。
破滅的な力だとも伝わります。
シャルボー氏のそうした建言けんげんは、
忘れ去られていたようです。
乙亥きのとい文書の元だとも考えられます。
【帆村魯公】
それがゴエティアにはさまっていた――
なんとも奇遇きぐうとしか言いようがない。

魯公ろこうはシャルボーのメモ発見のいきさつを、手短に話した。そして淀橋よどばしで保護された、芽府めふ須斗夫すとおのことも語った。

【聖宮成樹】
なるほど、なるほど――
事態はある方向に
向かいつつあるようですね。
なおのこと、
お目にかけたいものがあります。
咲世子さよこさんにも是非ぜひ
【是枝咲世子】
それは父に関係することですか?
【聖宮成樹】
そうとも言えます。
さぁ、エレベーターへ。

聖宮ひじりのみやはエレベーターの階数ボタンの最下、真鍮しんちゅうふたを開き、みずのととあるボタンを押した。その時、かごの電気が消えた――

【帆村魯公】
このホテルには地下三階に、
スケートリンクがあります。
そのさらに下へ行くんですな?
【聖宮成樹】
山王機関よりもさらに深く、
地下六十八階に相当します。

そこは不思議な場所であった。高い天井の空間に釣鐘つりがね状の物がしつらえられているのだ。

〔釣鐘の間〕

【帆村魯公】
ここは一体……
目の前にある釣鐘つりがねみたいなのは、
あれは何ですか?
【聖宮成樹】
まさに釣鐘つりがねそのものです。
ナチが開発した量子兵器です。
デーグロケと呼ばれるものです。
咲世子さよこさん、昨年お父上が一時、
音信不通になられましたね。
釣鐘つりがねの移送の時期だったのです。
【是枝咲世子】
アルプスの方に行っていたと、
それだけ伺っていました。
この釣鐘つりがねはアルプスから?
【聖宮成樹】
アルプスにある光 の 庭リヒャルトガルテン――
その名の研究所で開発されました。
【帆村魯公】
この釣鐘つりがねは、一体、
何に使うのですかな?
【聖宮成樹】
釣鐘つりがねは高電圧で稼働かどうさせると
非常に強い量子場を形成します――
それがセヒラに影響します。
【帆村魯公】
つまり何ですかな、
セヒラを安定させるとか、
そういうことですか?
【聖宮成樹】
その通りです。
釣鐘つりがね稼働かどうによってセヒラが安定し、
利用が促進そくしんするのです。
【帆村魯公】
去年のホテル大工事、
この釣鐘つりがねのためだったのですな。
その頃から召喚の精度も上がった――
【是枝咲世子】
殿下、釣鐘つりがねの日本への移送いそうは、
ナチ上層部の決定なのでしょうか?
【聖宮成樹】
いえ、そうではありません――
ナチも一枚岩ではないのです。
親衛隊中将のシュタインベルク伯爵はくしゃく
反ヒトラー派であり、ナチ、独逸ドイツ
行く末を案じておられます。
やがてナチは倒され、釣鐘つりがねの技術、
英仏、挙句には露西亜ロシアに渡る――
そうなる前に日本へ運ぶことに。
【是枝咲世子】
父はその移送いそう計画に関わった、
そうなんですね?
【聖宮成樹】
陸海の垣根かきねを超えてご尽力じんりょくされ、
極秘裏ごくひり搬送はんそうまっとうできたのです。
【帆村魯公】
しかしまぁ、こいつをどうやって、
運んだのですか?
【聖宮成樹】
号第五潜水艦せんすいかんの飛行機格納筒を
改造して釣鐘つりがねを収めました。
【帆村魯公】
それは技術ですな!
それで、京都の方で管理されるのは、
この釣鐘つりがねなんですな?
【聖宮成樹】
釣鐘つりがねには四ヶ所の発電所から、
電気を送っています。
それを遠隔えんかくで管理するのです。
独逸ドイツにもセヒラを観測します。
ただ、濃度、純度――
要は質がよろしくないと。
日本のほうがはるかにすぐれている、
ユンカー博士はそう告げています。
【帆村魯公】
アーネンエルベも設立になり、
セヒラを狙う動きもあります。
【是枝咲世子】
先日、フォス大佐が父に会いに――
大佐は何か壮大な計画を持つと、
父が申しておりました。
【聖宮成樹】
あの人物は曲者くせものですね――
いや、ロマンチストと呼んでもいい。
そういう人物が事を起こすのですが。
【着信 喪神梨央】
新山にいやまさんがはらえのに来て欲しい、
そう仰っていますが――
向かえそうですか?
【聖宮成樹】
お願いします、喪神もがみさん。
瑛山会えいざんかいでは引き続き釣鐘つりがねを管理し、
その秘匿ひとくを守ります。
咲世子さよこさん、N計画の方も、
しっかりやってください。
【是枝咲世子】
ありがとうございます。
大連ダイレン特務の中条忍なかじょうしのぶさんとも協力して、
進めていきます。

〔祓えの間〕

【新山眞】
喪神もがみさん、セヒラの噴出ふんしゅつは、
今は収まっていますが、
またぶり返します。
大波のように間を置いて、
やってくるのです。
依然いぜん、セヒラ特異点があるからです。
ホテル前に現れたアストラルの言う
わだかまりですが、場所がわかりました。
戸山とやま海拉爾ハイラルです。
新しい拠点ですね。
――行けば何かがあるはずです。

赤坂哈爾浜ハルピンから帝都満洲鉄道に乗り、列車は市ヶ谷斉斉哈爾チチハル駅を通過した。

【満鉄列車長】
お知らせします。先程、定刻ていこく通り
市ヶ谷斉斉哈爾チチハル駅を通過しました。
あと、およそ十分で戸山とやま海拉爾ハイラル――
戸山とやま海拉爾ハイラルは希望の沃野よくや
しかし何かが居座ります。
遠い古い記憶です――

戸山海拉爾とやまハイラル・中央〕

そこはこれまでの帝都満洲とは異なり、希望の沃野よくやの呼び名にふさわしい場所だ。

黒手組ツルナルカБアストラル】
フェルディナント皇太子の車列、
車の数は四台だった。
狙撃銃を構えるエムは狙い定まらず――
黒手組ツルナルカДアストラル】
結局、一発も撃てなかったのだ。
大セルビア、統一か死か!
同志Чチェはフェルディナント皇太子の
車めがけてダイナマイトを投げ込む。
しかし導火線が燃え続け遅爆だった。
黒手組ツルナルカШシャアストラル】
皇太子の付き人の乗る後続車が、
爆発に巻き込まれたのだ。
大セルビア、統一か死か!
フェルディナント皇太子は、
怪我けがした付き人を見舞うべく、
市庁舎を出ると予定を変更した。
皇太子の車はラテン橋のところで、
道を誤り、バックで戻った――
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカЧチェアストラル】
同志Пは素晴らしい!
遂にフェルディナントをはいしたのだ!
セルビア人の宿敵をな!
奴は、同志П咄嗟とっさの判断で、
見事に目的を果たした、
素晴らしい――
だが、俺はどうだ?
投げた爆弾は遅爆になり、
その後、青酸を飲むも自殺に失敗!
俺はその時で止まっている!
俺はセルビアの英雄にすらなれない!
そんなことがあっていいのか!!

《バトル》

黒手組ツルナルカЧチェアストラル】
俺は……俺は……
どうなるのだ?
大セルビア、統一か死か!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
近くにセヒラの塊を観測します。
警戒してください!

黒手組ツルナルカФエフアストラル】
同志Пはラテン橋近くのレストラン、
リベ・イ・メサでサンドウィッチを
食べようとしていた――
その時だ、皇太子を乗せた車が、
店の前をゆっくりバックしていく。
同志П躊躇ためらうことなく撃った!
皇太子と皇太子妃が倒れた。
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカЖツェアストラル】
同志Пの銃にはダムダム弾が
装填されていた――
ハーグ陸戦条約で禁止された弾だ。
ダムダム弾は人体に入ると、
中で大きく破裂して致命傷ちめいしょうを与える。
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカЮアストラル】
同志Пにダムダム弾を渡したのは、
ダミアン・イリッチという男だ。
その弾は柔らかな水銀でできていた。
同志Пはイリッチに会うのは初めてで、
いぶかしく思ったが水銀弾を渡され、
皇太子暗殺の意欲が湧いたという。
イリッチは歳の頃三十代半ば、
三つ揃えのスーツを着こなし、
ベネチアンマスクを着けていた――
同志Пはそのように語っていた。
大セルビア、統一か死か!

黒手組ツルナルカПアストラル】
暗殺の後、俺はとらえられた。
青酸は効かなかったのだ。
収監しゅうかんされた俺は結核を悪化させた――
結核菌が右腕のずいに入り腕を切断、
その瞬間に俺は飛んだ。
以来、ここを彷徨さまよう――
暗殺以降、オーストリアはセルビアに
宣戦布告して戦争が始まる。
俺の希望は統一だ、戦争ではない!
まるで世界大戦争の原因となった、
そのような言われようは許しがたい!
大セルビア、統一か死か!!

《バトル》

黒手組ツルナルカПアストラル】
――教えてくれ……
あのラテン橋、名前が変わったと……
どう呼ばれているんだ?
俺が皇太子を撃った、
そのそばかっていた橋だ!
――なんと呼ぶ……
【着信 喪神梨央】
セヒラの特異点は解消したようです。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
記録を確認中ですが……
ちょっと混乱します。
【帆村魯公】
無理もない。
なにせサラエボ事件の話だ。
サラエボ人青年団の思念だろう。
【喪神梨央】
最初の爆弾で付き人が怪我けがして、
見舞うため予定変更したんですね、
皇太子夫妻は。
それで道を間違えたところに、
暗殺犯が居合わせた――
ガヴリロ・プリンツィプです。
【帆村魯公】
黒手組ツルナルカПアストラルがその本人だな。
他は黒手組ツルナルカの仲間に違いない。
――気になることが……
暗殺犯に水銀弾を渡したのは、
三つ揃えの背広の男と言っていたな。
どこかで聞いたことがある。
【喪神梨央】
アナーキストの葛木かつらぎ素朴そぼくのときです、
彼にクロポトキンの本を渡した人物、
三つ揃えの背広姿の紳士でした。
一九〇五年のことです。
サラエボ事件は一九一四年――
同一人物でしょうか?
【帆村魯公】
当時三十五歳くらいとして、
今年、六十五……
そんな老人が何かに関わるのか?
葛木かつらぎ素朴そぼく幸徳秋水こうとくしゅうすいに本を貸し、
秋水しゅうすいはアナーキストになる――
そして大逆たいぎゃく事件を企てる。
【喪神梨央】
サラエボ事件は、
世界大戦争の引き金になった――
【帆村魯公】
どちらも、
混乱や破滅への道筋を描く――
背広男が同一人物であるなら、
同じような動機の存在が伺えるな。
【喪神梨央】
プリンツィプの思念が言ったこと……
ラテン橋は事件後に名前が変わって、
プリンツィプ橋になりました。
彼はセルビア人の間では、
英雄視されています。

帝都満洲ではサラエボ事件に関わる思念が、いくつも集い、セヒラのよどみを生んでいた。大波のようによどみから発する強いセヒラ――
強いセヒラは、同時に芽府めふ須斗夫すとおに作用して、彼を半覚半睡はんかくはんすい状態とし予言を語らせる。そして地下深くに鎮座ちんざするナチの秘密兵器。さまざまな事柄をからませながら、帝都は静かに晩夏ばんかを迎えていた。