第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が三段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。
長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。二人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する二人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう二人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして二人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する二人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。階下に見える手術室にらしき一体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それは
イメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー局長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか見たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から二人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!

怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり

ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街ですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1932年、褐色館ブラウネスハウス
警備主任のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が二階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から一体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて五箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を観て一人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

二時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、二人の男性が何やら言い争っていた。風魔は二人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに一体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第九章 第五話 トゥーレの館

九頭くずの報告を知り、新山眞にいやままことがやってきた。仮構かこう世界に向き合うために、夢玄器むげんきを改良したのだという。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお見えです。
夢玄器むげんきが新しくなったとか。

【新山眞】
新しいというのではないのですが、
思念の中に入っていく仕組みと、
仮構かこうの仕組みは似ているのです。
そこで共振回路に手を加えて、
復調波ふくちょうは大S値だいエスちを加えることで、
仮構かこう世界の実体が見えるようにと――
【九頭幸則】
ええ、じゃ、あの渋谷憲兵大隊も、
それでのぞくと活動キネマ館だったり、
薬屋の倉庫だったりするんですか?
【新山眞】
どうでしょうか……
仮構かこうされて時間が経っていると、
それは難しいかもしれませんね。
【九頭幸則】
三日前に青山せいざんホテルで、
ディナーを楽しんだ奴がいるよ。
うちの隊に――
【新山眞】
そうだとすれば、
トゥーレの館になって、
まだ間がないですね。
【喪神梨央】
それじゃ、兄さん、
青山ホテルへお願いします。
九頭中尉はどうされますか?
【九頭幸則】
え、う……あ、あ……
いきなりそう言われると、
俺まで仮構かこうされたみたいだな――
もちろん、風魔に同行だ!
【喪神梨央】
承知しました!
公務電車、手配します!

〔青山通〕

青山六丁目交差点で事故が発生した。
市電と車が衝突したとのことだった。公務電車は青山通で停止した――
電車通には車が二台停まるきりで市電はなかった。市民が数名たむろしている。そして空にはカラスが乱舞する――

【九頭幸則】
青山六丁目って、
よく事故があるな――
先だっても一日に六回もあった。
皆、市電と車の衝突だよ。
それにしても――

背広姿の男性が近寄って来た。渋谷方面からやって来たようだ。

【青山のラヂウム商】
ここにまでいやがりますなぁ~
ええ、カラスの奴です、黒い奴!
【九頭幸則】
普段とは違いますか?
【青山のラヂウム商】
違うも何も、軍人さん、
公爵邸こうしゃくていの周りはカラスだらけ、
まっくろけ~
【九頭幸則】
公爵邸?
それはどちらの公爵ですか?
【青山のラヂウム商】
この辺で公爵といえば、
フンゲルハウワー公爵ですよ、
まさにその館です。
【九頭幸則】
フンゲルハウワー?
聞いたことが無い……
【青山のラヂウム商】
タングステン貿易で大儲おおもうけ、
でも青島チンタオ権益けんえき失って没落ぼつらく
この帝都に館だけ残された――
この辺では有名な話です。

空き家になって、はや十年――
たまに電気がくといいますよぉ。

カァカァ カラスガ ナイテイク
カァカァ カラスガ トンデイク

カラスの鳴き真似をしながら男性は青山方面へと歩き去った。カラスが屋根の上でしきりに鳴いている。

【九頭幸則】
同輩どうはい付合いの日曜下宿が、
この近くの高樹町たかぎちょうにあるんだ。
海苔のり屋の二階だ。
俺もちょくちょく来るけど、
フンゲル何とかの話なんか、
まったくの初耳だぜ――
まるでお化け屋敷みたいだな。
そうか!!
そのフンゲルも仮構かこうじゃないか、
きっとそうだよ!

それに答えるかのようにさらにカラスが鳴く。

【九頭幸則】
いや……ホテルが仮構かこうなのか……
――ああ、なんか混乱するな!

鳴き声を重ねながらカラスが一斉に飛び立った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
鈴代さんから連絡があり、
麗華さんと一緒にホテルに向かうと。
それ以上のことはわかりません。
【着信 帆村魯公】
カラスの鳴き声が聞こえるぞ。
やけに多くいるようだな――
アーネンエルベの使い魔――
かも知れんがな……
ユンカーもヘーゲンもいない今、
ぜんたい誰の使い魔なんじゃろか。
注意して進むべし、八号帥士はちごうすいし

二人は青山ホテルと思われていた洋館の前に来た。門前に二人の男性が立っていた。その二人の周囲にはカラスの群れがあった。

【九頭幸則】
ホテルに変わったところはないな。

九頭がそうつぶやくと、一人の男性が歩み寄った。

【西洋かぶれの紳士A】
ここは現代青年の作法心得を、
しかと学ぶ館であります!
それもほまたか仏蘭西フランス流儀です。

もう一人も来る。

【西洋かぶれの紳士B】
晩餐ばんさんの場についたなら、
剛健ごうけんなる現代青年の作法をもって、
終始しゅうしせねばなりません。
【西洋かぶれの紳士A】
出る皿々は、驚くべき速力と、
騒音とをもって見事に平らげます。
婦人たちに紳士しんしの力を見せるべく――
【西洋かぶれの紳士B】
フォークを二本の指で曲げる、
皿をこぶしにて叩き割るなどして、
食事が終わるやいなや――
【西洋かぶれの紳士A】
テーブルクロースをいて、
手や口をさっさとぬぐい、
悠然ゆうぜんと十三文甲高こうだかの靴をば、
【西洋かぶれの紳士B】
テーブルの上へと投げ出し、
巴奈馬パナマ葉巻をくゆらすのであります。

そこまで言うと二人の男性はそれぞれ左右に駆けて行った。

【九頭幸則】
何なんだ、今のは一体?
どんな作法なんだ――

九頭と風魔は洋館の庭へと踏み込んだ。洋館の脇に音もなく仮面の男が現れた。

【九頭幸則】
おい、見ろ、風魔!
あれは……仮面の男だ!!

やおら仮面の男がくぐもった笑い声を上げた。周囲の風景が歪み始めている――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
中尉は大丈夫ですか?

仮面の男はひとしきり笑い終えると、おもむろに両手を広げた。その手の周りにセヒラが漂い、やがて渦を巻き始めた。セヒラの渦は仮面の男の周囲に広がった。

【九頭幸則】
ううう、どうした、急に!
体が……重いぞ!

九頭は辛そうに腰折りとなった。その刹那、仮面の男が滲みながら消え、替わりに黒い仮面を被った人物が現れた。リヒャルト・フィンケである。セヒラはいたるところで渦巻いている。

【リヒャルト・フィンケ】
現実――仮構かこう――現実――
フフフ――

フィンケが不敵な笑いを残して消え、そこへ仮面の男が現れる。

【九頭幸則】
この……匂いは……
渋谷憲兵大隊と同じ――
この甘い……匂い……
――うっ!!

仮面の男がぶれながら消え、そこへフィンケが現れる。

【リヒャルト・フィンケ】
人間というのは、
あまり多くの現実に耐えられない。
――いい言葉じゃないか!
トゥーレの館へ、ようこそ!
ヘル、フーマ!

フィンケがぶれながら消えた。そして仮面の男――

【九頭幸則】
風魔!!
奴はすきを見せているぞ!

持ち直した九頭は、仮面の男を見据えたまま言った。それを聞いた風魔、すかさず仮面の男の前へ駆け寄った。

《バトル》

【仮面の男】
イッヒ……イッヒ……
――崩壊!ツーザンメンブロホ
――崩壊!ツーザンメンブロホ

――長い冬……ランガーヴィンター

仮面の男は腰を折っている。これまで被っていた仮面が地面に落ちていた。そして仮面の男の顔のあったところには小さなセヒラの渦が見える。渦の中心は漆黒の闇であった。
風魔は落ちている仮面を拾った。

【着信 喪神梨央】
物凄いセヒラです!!
波形も初めての形です!!
――兄さん!!

仮面の男から幾筋ものセヒラがほとばしり、やがて半球状のセヒラ球を形成した。周囲から光が失われた。

しばらくして光が戻った。セヒラ球は消えており、仮面の男の姿もなかった。風魔の傍へ九頭が駆け寄る。

【九頭幸則】
おい、風魔!
お前たち二人とも、
スーッと浮かび上がって――
ホテルの屋根あたりまで昇ったぞ!
その後、セヒラに包まれて、
姿が見えなくなった――
奴を倒したのか?
仮面の男だ。
お前だけがスーッと降りてきた……

九頭に言われ風魔は強く目を閉じた。次に目を開いたとき、仮面の男のいた場所に鬼龍が立っていた。

【九頭幸則】
あなたが騒動の元か!
鬼龍きりゅう大尉!
【鬼龍豪人】
歩一のロマンチスト将校と、
やりあうつもりは毛頭ない!
【九頭幸則】
白山集会所で監視下に置かれていた、
そうじゃないのか、大尉!
【鬼龍豪人】
時間は私に味方したのだ。
お陰でゆっくり自分に向き合えた。
【九頭幸則】
もしや……
仮面の男も、実は大尉、
あなたなんじゃないのか?
【鬼龍豪人】
ウワハハハハ~
それは新しいな!
私は昨夜から忙しくてね。
トゥーレの館で儀式を行った――
神の仕事ベルクゴッテスと呼ばれる儀式だ。

鬼龍はスターヴを現した。それは幻影なのか……

【鬼龍豪人】
私に与えられた文字は四つだ。
皆、ルーン文字だ――
自己マンナズ破壊ハガラズ変革サガズ、そして完全シグル――
シグルには太陽の意味もある。
これら文字を組み合わせる文様、
スターヴを柘榴ざくろの木の板にり、
それを私の血でなぞる――
心臓から繋がる左手の親指に、
銀のナイフを滑らせ滴る血でなぞる。
スターヴには願いを叶える、
強い霊力が宿る。
私の血で愈々いよいよ力が放たれる!
昨夜、大熊流星群の方角、
赤経一◯時ニ四分、赤緯三七度を
仰ぎ見て心の扉を開いた!
私は染 化ファーブストッフされたのだ――

スターヴのイメージは消えた。依然、鬼龍が語っている――

【鬼龍豪人】
スターヴを描いた柘榴ざくろ板を燃やし、
その煙を吸って儀式は終わった。
昨夜以来――
私は一度も息をしていない。
だがなんともないのだ!

そこへ鈴代が青山通の方からやって来た。

【九頭幸則】
鈴代!
どうしてここへ――
【鬼龍豪人】
私が呼んだのだ。
白山神社に置いた香合が、
瑞祥ずいしょうを現したようだね。
【如月鈴代】
香合の中にメモがありました。
トゥーレの館に来るようにと――
【鬼龍豪人】
あなたはご自分のことを、
よく理解されているようだ。
【如月鈴代】
そうでしょうか……
【鬼龍豪人】
鈴代さん――
あなたこそ古式を継ぐべきです。
あなたには機根きこんそなわる――
私は染 化ファーブストッフした――
トゥーレの館流の召喚師として、
今や完全な存在になろうとしている。
だからこそ、
古式の奥義をあなたに継ぎ、
私は身軽にならねばならない。
【如月鈴代】
鬼龍さん――
あなたにそなわる古式流儀ですが、
それは叔父山郷の……
【鬼龍豪人】
鈴代さん!
あなたは東雲しののめ流の再興を願った、
そう伝え聞きましたよ!
【九頭幸則】
しつこいぞ、大尉!
鈴代の決意は固いんだ。

どこからともなく麗華が現れ、鈴代の傍に来た。

【鬼龍豪人】
麗華さん!!
【九頭幸則】
――麗華さん……
【月詠麗華】
豪人たけとさま――
ようやくお目にかかれました。
豪人さまが白山神社に置かれた香合、
その瑞祥ずいしょうは、私に届いたのです。
北の夜空に現れた光の筋――
あの光が私を導いたのです。
そして香合を見つけました。新京シンキョウ神社にあったのと同じ香合です。
中にはメモが……
振り返ったその時、鈴代さんが――
神社で鉢合はちあわせになったのです。
【鬼龍豪人】
麗華さん!
あなたには何か深いものを感じる。
それは毒々しい色を帯びている!

そう言うや鬼龍は洋館の方へ面を向けた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
トゥーレの館の扉を!

鬼龍の叫びに呼応するかのように洋館はまるごとセヒラに包まれた。

【着信 新山眞】
今です、夢玄器むげんきの装着を!
それで仮構かこうの中を確認できます。

風魔は夢玄器を装着した。眼前には銀河ゼットー博士の研究室で見たのと同じ夢玄域が現れた。夢玄域の中に洋館が浮かび鬼龍もそこにいた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私を見てください!
昨夜、無事に染 化ファーブストッフを済ませ、
トゥーレ召喚術のマイスターに――
そうではありませんか?
【リヒャルト・フィンケ】
この甘い香りを!
ベラドンナの香りはかくも甘い。
甘く、みつのようにまとわりつく――
【鬼龍豪人】
ヘル!
私には香りがわかりません。
昨夜から息をしていないのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは本物だよ、鬼龍きりゅう大尉。
君は愈々いよいよの時を迎える――
【鬼龍豪人】
やはり……
そうなんですね!
トゥーレ召喚師として成るのですね!

夢玄域の中に突然麗華が姿を見せた。

【月詠麗華】
豪人さま!
私にお授けなさいまし!
【鬼龍豪人】
麗華さん!
ここに来てはいけない!
あなたに奥義は授けられない!
奥義とは授けた先で、
貴くあらねばならない――
あなたが求めているのは力だ、
闘いのための力だけだ!
【月詠麗華】
私は純粋なのですわ、豪人さま。
憎しみもうらみもなく、
ただただ神さまを授かりたいだけ――
【リヒャルト・フィンケ】
君は愈々いよいよ見放されようとしている、
君の中にあるケアンからね――
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
今はだめです、改めないと!
【リヒャルト・フィンケ】
時は進むのだよ、鬼龍君!
君は随分と物分りが良くなった。
それで時間がかかったのだ――
愈々いよいよケアンが君を見捨てるときだ。
【鬼龍豪人】
うわぁ!!

鬼龍の叫びとともに周囲から光が失われた。

〔時空の狭間〕

目の前には時空の狭間に吸われた鬼龍の姿が見える。鬼龍は薄っすらとセヒラに覆われていた。

【鬼龍豪人】
京都の師団にいたときだ――
あの小函こばこ独逸ドイツから届いた小函こばこ
日曜下宿に持ち帰った。
装飾を施した美しい小函こばこ――
トゥーレの館の招待状を収め、
そして……もうひとつ――
石だ!
黒ずみ、所々に光の粒を浮かせた、
不思議な石が収められていた――
あの石は……
――翌朝にはなかった!
机の上から消えていたのだ!

まるで鬼龍の内側から発せられるように大量のセヒラがほとばしった。

【鬼龍豪人】
どうした?
何が起きた?

青山せいざんホテル〕

周囲が戻るとそこは洋館の前だった。風魔は膝をついた状態だった。風魔が起き上がった時、軍用トラックが走り去った。門前には武装SSの立哨がいた。トラックの走り去った方からユリア・クラウフマンがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、仮面の男に入っていた、
アルツケアンは回収しました。

青山ホテル前に落ちていたアルツケアンは、アーネンエルベが回収した。
防護服姿の隊員が回収作業を行った。

【ユリア・クラウフマン】
先程、リオから通信記録を見せられ、
タケト大 尉カピティーンにも、
アルツケアンが入っていた――
そう信じるに値する心証しんしょうを得ました。
トゥーレの館から送られた小函こばこに、
そっと収められていたのでしょう。
タケトのアルツケアンは、
今、レイカに取り込まれています。
サンノウの記録を読むと、
レイカには二つのアルツケアンが――
私たちの想定を超えた事態です。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認しました!

交信が終わるや否やフィンケがやって来た。

【リヒャルト・フィンケ】
実に素晴らしい!
月詠つくよみ麗華れいか
彼女は究極の力に目覚めようと――
【ユリア・クラウフマン】
フィンケ総統――
ユリア・クラウフマンです。
極東分局の開設と同時に来ました。
【リヒャルト・フィンケ】
お父上のローレンツ博士には、
私もよく教わったものだ。
【ユリア・クラウフマン】
父はアルツケアンについては、
まだ何も解明されていないと。
扱いには極めて慎重でした――
【リヒャルト・フィンケ】
そうだろうとも!
しかし時は待ってはくれない、
フロイライン・ユリア。
【ユリア・クラウフマン】
フェラー博士は父に無断で、
仮面の男にアルツケアンを――
コンプレットが目的なのでしょう!
【リヒャルト・フィンケ】
研究というのは、
頂きを見上げることなんだよ。
見上げるばかりか駆け登ることだ――
並のホムンクルスを凌駕りょうがする、
素晴らしい性能が誕生したのだ。
――まだ未完成だったがな!

洋館の中庭から鬼龍が走りくる。鬼龍、フィンケに面して言う。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私の染 化ファーブストッフはすべて終わりました。
【リヒャルト・フィンケ】
素晴らしい!
これでトゥーレ流召喚術、
愈々いよいよこの国に根ざしたことになる。
【鬼龍豪人】
先程、急に息が詰まり、
その後、大きく深呼吸ができました。
――私は戻ったのです。

暫く鬼龍を見ていたフィンケは風魔の方に直った。そしてやや芝居がかった調子で言う。

【リヒャルト・フィンケ】
ヘル……いや、喪神もがみ風魔ふうま君!
私たちは僥倖ぎょうこうを得たようだ。
元より素晴らしい霊異りょういほこ帆村ほむら流、
この鬼龍君のトゥーレ流召喚術、
それに古式東雲しののめを継いだ月詠麗華――
アーネンエルベは、残念なことに
なったが、それをおぎなって余りある、
素晴らしい力の拮抗きっこうだ!
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ――
麗華さんに継いだ東雲しののめ流、
果たして大丈夫でしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
彼女には素晴らしい素養そようがある。
それは揺るぎないものだ。
君が悩まされることはもうないよ。

フィンケは鬼龍の前を通って洋館の中へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
鬼龍さん――
トゥーレ流のマイスターになり、
あなたのわだかまりは消えましたか?
【鬼龍豪人】
何かを為して満足することは、
私に関してはないでしょうね、
ユリアさん。

ユリアに冷たい視線を投げかけた後、鬼龍はフィンケを追うように洋館へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
今のアーネンエルベには、
何かに対処する力はありません。
仮面の男がいなくなり、
コージンも出方を変える必要が――
コージンの組織するユーゲントは、
フォス大佐の命令に忠実です。
コージンはそれで苦労しています。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山通でセヒラ観測です!
おそらく――
【ユリア・クラウフマン】
レイカ――
まだ不安定なのかも知れません。
気を付けてください……フーマ……

風魔は踵を返し、青山通へ向かった。

セヒラが移動しているとの連絡を受け、風魔ふうまは明治神宮前電停から自潤会じじゅんかいアパートへ。
果たしてそこで出会った光景は――

【九頭幸則】
風魔!
どうしたんだ、何だこいつらは?
お前が倒したのか?

2両の軍用トラックが向き合うようにして歩道に乗り上げて停まっている。道路上には五人の憲兵が倒れていた。そこへ九頭が走り込む――

【九頭幸則】
それで、書生の二人はどこだ?
麗華さんは?
青山六丁目で鈴代さんと二人、
麗華さんの護衛についていたら、
いきなり麗華さんが走り出したんだ。
麗華さん、二人の書生を追っていた。
書生の二人、怪人には見えなかった。
でも麗華さんは追い続けた――
明治神宮前の交差点を曲がって、
ここまで来たら――
この有様だ。

その時、倒れていた憲兵が二人、相次いで起き上がった。だが戦う素振りは見せていない。

【渋谷憲兵大隊雲城くもぎ少尉】
息が……できない……
【渋谷憲兵大隊人首ひとかべ中尉】
ううう……
糞! 糞! 糞!
頭が……割れるようだ!

一瞬、周囲が暗くなり戻った時、トラックも倒れていた憲兵も消えていた。そこへ能海旭がやって来る。

能海旭のうみあきら
風魔さん!
さっきの連中、ゼロ師団よ、
そうに違いない。
レンザが青山通に何か感じるって、
悪魔の勘がうずくって――
それで飛んできたの!
【九頭幸則】
へぇ!
魔法のほうきにまたがって来たのかい!
能海旭のうみあきら
山王さんのうから円タクよ、中尉。
特別に二十円払ったの。
速かったよ、さすがに――
【九頭幸則】
に、二十円?
そんな大金……
能海旭のうみあきら
山王さんのうからここまで五分ちょうどね。
――それで……
【???】
風魔さま――
近くにおいでなのですね……
わかりますわ――

自潤会アパートの戸口を背にして麗華が立っていた。

【月詠麗華】
風魔さま――
私、まだちゃんとしていない、
そうなのでしょうか?
青山通を歩いていたら、
いきなり体が動いてしまい――
追いかけたのは二人の憲兵ですわ。
闘いの意思を強く感じましたわ。

旭が麗華を認めて歩み寄る。

【能海旭】
あなたも、召喚するの?
【月詠麗華】
神さまのことですか?
それならお招きできますわ。
――今もすぐ傍においでです。
【能海旭】
そうなの!
それは良かったわね!
あなたはなのね、きっと。
でも、東京ゼロ師団相手に、
ことを荒立てないで欲しいのよ。
私たちが調べてるんだから!
【月詠麗華】
随分ですわね! お言葉ですわ!
私は闘いのあるところなら、
どこにでも参りますわ!!

九頭が割って入るように言う。

【九頭幸則】
ふたりとも、落ち着いて!
ね、あきらちゃん――
さっきはちゃかして悪かったよ、
ね、ほら、今日はいい天気だよ!

旭は九頭に構わず麗華を見据えたまま言う。

【能海旭】
余計なこと、しないでよ!!
あんただって、はぐれ者なのよ!
足掻あがいても根無ねなぐさは流されるだけ!
【月詠麗華】
私は平静をたもちたいのに、
神さまがおいでになりました。
風魔さま、お願いします――

《バトル》

鈴代がやって来ていた。麗華は少し息が上がっているようだ。旭は依然麗華を睨みつけている。

【月詠麗華】
戦いの前より、
気持ちが落ち着きますわ。
【如月鈴代】
麗華さん!
これ以上はさわりますわ。
さぁ、戻りましょう。
【月詠麗華】
そうですわね、鈴代さん。
それに古式のこと、
もう少しお教えいただかないと――
風魔さま、楽しゅうございました。
またよろしくお願いします。
【如月鈴代】
風魔さん、
後ほど本部にお邪魔しますわ。

麗華、鈴代は電車通を青山方面へと歩き去った。旭は両手を腰に当てがい、二人を目で見送っている。

【能海旭】
呑気のんきなものよね……
が勝手に降りてくるなんて!
ふん! 素晴らしいじゃない!
【九頭幸則】
いやぁ、あきらちゃんの怒った顔、
たまらないなぁ~
まるで磁器じき人形のようで。
【能海旭】
九頭くず中尉――
君に話があるんだ。
ちょっと来てくれないか?
【九頭幸則】
え? え? 俺に?
何だい、話って?
【能海旭】
来れば話すよ。
君の同輩なんたらのことだよ。
――君は気になっていないのか?

風魔さん――
また会えますよね?

別れを告げ、旭はスタスタと歩き出す。慌てて九頭がその後を追う。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
青山墓地でセヒラの乱れを観測です。
念のためご確認ください。

〔青山墓地〕

青山墓地の大穴は依然いぜん開いたままである。
赤坂署により立入禁止区域に指定され、大穴の周囲を4人の巡査が見張っていた。物見遊山ものみゆさんの市民の姿はなかった。

大穴を背に一人に巡査が立っていた。

【赤坂署の巡査】
署員が総出で規制しております。
猫一匹たりとも入り込む、
そんな余地はちっともないニャ~

話し終えると巡査はいきなり駆け出した。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です、
これまでにない値です!!

いきなり、穴からセヒラが吹き出した。穴の周囲を警戒していた巡査は皆散り散りとなって逃げた。
セヒラは筒のようになり、その中へ一体の中型アストラルが姿を見せた。

【歩一Y少尉有心アストラル】
そこにいるのは――
もしや、喪神中尉?
喪神中尉!
――そうなのですね、中尉ですね!

喋った後、アストラルは少し膨張し、また縮んだ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
自分、歩一少尉、山本であります。
今は九頭くずの身が危ないと、
それを伝えに参りました!
私には時間がありません!
しかし――
お越しください!
私にはがあるのです――

そこまで言ってアストラスは爆ぜるように消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、依然いぜん高いままです!

大穴から大量のセヒラが吹き出した。
セヒラに呑まれ、
風魔は落ちていった――

〔時空の狭間〕

しゃがんでいた風魔が立ち上がると、それを待っていたかのように別の中型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
私の実家は向島むこうしま区、白鬚しらひげ神社近く。
江戸指物さしもの師の三男坊です――
強くなるため陸士に入りました
荒川の向こう岸にある工場は、
帝国モスリンの工場です。
その工場、様子が変なのです。
私が工場のことを話すと、
九頭くずは大いに興味を持ったようです。

喋り終えるやアストラルは震えながら消えた。代わりにアストラルが現れた。先程、青山墓地の大穴に現れたアストラルである。同じ山本少尉が2つのアストラルに分離しているのである。

【歩一Y少尉有心アストラル】
私はあのふたを見て直感しました。
これはモスリン工場の入口だと。
すぐに二人に連絡を入れました。
能海旭のうみあきらさんと吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんです。
九頭くずに電話を入れて、
能海のうみさんの無線を聞き出しました。
蓮三郎れんざぶろうさんの寿命、
にならないと尽きてしまうとは、
本当なのでしょうか……

アストラルは震えながら消えた。そこへ現れたアストラルは、詳しい事情を知らない方のアストラルであった。

【歩一Y少尉無心アストラル】
九頭くず偽装ぎそうしている施設がある、
そう疑っているようでした。
どこにも出入口のない工場です、
奴が疑うのも無理はないでしょう。
奴は詳しく知りたがりました。

またアストラルが入れ替わった。眼前には事情に通じたアストラルが浮かぶ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
工場ではセヒラのうずが合わさり、
次々とが誕生します。
そのとき兵器も融合しているのです。
工廠こうしょうで危うく私は――
喪神もがみ中尉に助けられ、九頭くずの一声で、
私は自分を取り戻したのです。
東京ゼロ師団は工廠こうしょうの他に、
仮構かこうによって組織を作っています。
防疫研究所や砲工学校がそれです。
渋谷の憲兵大隊も仮構かこうの存在、
東京ゼロ師団自体も仮構かこうです。
大きな力が及んでいるのです――

アストラルが入れ替わり、事情に詳しくない方が現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
帝国モスリンの前身は興亜こうあ毛織けおりです。
そこの波斯ペルシア人技師が鉄道事故で死に、
事故の一報が朝刊に載りました。
ところが朝刊の遅版では、
事故にったのは露西亜ロシア人通訳と、
なぜか記事が差し替わっていました。
鎌倉でのその事故を報じた、
唯一の新聞社、帝都日日ですが、
去年倒産しています――

喋り終えたアストラルは爆ぜるにようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
なんか妙です――
セヒラ値はすごく低いのに、
激しい波形が現れています。

交信が終わった時、大型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉アストラル】
鳥居坂町とりいざかまちの日曜下宿にいる時、
いきなり三人の憲兵大尉が来た。
憲兵は土足で部屋に上がった。

私は黒い車に乗せられ、
渋谷憲兵大隊本部へ連行された。
地下の談話室へ入れられたのだ。

両足を鉄輪てつわで床に留められ、
両手は天井からのくさりに繋がれた。
ギリギリと音がしてくさりが巻き上がる。
私は万歳ばんざいの姿勢となり宙に浮き、
そのまま何日も放置されたのだ。
上体が大きく前に倒れて気が付くと、
両肩の関節が抜け、私の体は
筋肉と皮で支える格好になっていた。
恐ろしい痛みは後からやってきた。
焼けた穂先ほさきを差し込まれた痛みだ!
私はそのとき飛んだのだ!

私は九頭くずを案じている。
しかし、同時に貴様らをにくむ!
私を返せ、今すぐに返せ!!

《バトル》

【歩一Y少尉アストラル】
両手を失った私は、
戸山の軍医病院に収められた。
私の腕は満洲に送られた――
片腕ずつ、腕を失った支那シナ人に、
移植するのだという。
善なる医学の実験だそうだ!
移植に成功すると、
今度は私の両足を切り落すらしい!!

私は関東軍第七十九軍に転隊した、
そういうことになっているようです。
九頭くずに伝えてください!
連中には近づくなと――

大型のアストラル、それは山本少尉の分離した思念の合わさったものであった。アストラルはゆっくりと、滲むようにして消えていった。

次に風魔が現れたのは溜池通である。しかし人も車もない、音すらしない場所であった。周囲にセヒラの影響が及んでいる――
佇む風魔の前に中型のアストラルが現れた。

【歩一M大尉アストラル】
赤坂哈爾浜ハルピンでは逆恨みのようになり、
申し訳なかった――
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
君は時空の狭間から戻り、
おそらく帝都の何処かにいるはずだ。
――君の実体のことだ。

そこまで言うとアストラルは揺らいだ。

【歩一M大尉アストラル】
私は幼少期を独逸ドイツで過ごした。
ミュンヘンのブルエナー通――
陸士入学を目指して日本へ帰国した。
二十歳を前に駐独武官補として、
再び渡独して半年ほど過ごした。

そこでアーネンエルベと接触した。
連中は日本に大いなる興味を持ち、
私を快く受け入れてくれた。
中隊指導者のラルフが地図を手に、
私の元に来て尋ねたんだ――
伊豆の修善寺しゅぜんじについてだ。
ラルフは修善寺しゅぜんじロッホがあるという。
近く、それを発掘するのだと。
ロッホから資源を取り出して兵器を作る、
どうもそんな話だった。
ラルフと私はアーネンエルベの、
青年室で会った……何度かね……

セヒラのせいか景色が揺らいで薄くなり、別の街区が現れた。同じ赤坂である。

【歩一M大尉アストラル】
京都の師団を経て歩一に任官後、
ほどなく戸山砲工学校に出向した。
教官としてだ――

そこであの香りをいだのだ――
ベラドンナの濃密な甘い香りを。
アーネンエルベの青年室でも、
同じ香りがしていた。
それがベラドンナの香りだと、
ラルフが教えてくれたのだ――

私はラルフの言う修善寺しゅぜんじを思い出し、
休暇を取って温泉宿に逗留とうりゅうした。
毎日、山を歩き、ロッホを探した――
帰京の前日、小高い丘の頂きで、
倭文しどり神社の小さなほこらを見つけた。
ほこらにもたれて私は転寝うたたねをした――

再び景色が変わった。赤坂の一ツ木通に繋がる界隈だ。

【歩一M大尉アストラル】
今思えば、あのほこらロッホなのでは――
月詠つくよみ麗華れいかに飛ばされた私は、
終わりなくここを彷徨さまよう――

わかるか、ここは回廊かいろうだ。
アラヤ回廊、そう呼ばれる場所だ。
あらゆるロッホに通じる回廊だ。
そのロッホは帝都にもある――
少なくとも三箇所にだ!

――私は認められたようなのだ……
アラヤ回廊によって私は認められた、
そのように思えてならない。
だが、貴様はまだ帝都の魂を残す。
ここに長居は無用だろう――
私はもう行かねばならない。

アストラルは滲むようにして消えた。
歩き出した風魔の耳に
声が聞こえた――

【???】
風魔!
あなた、ここにいるの?
私よ、淑子としこよ――
風魔、後ろを振り返って頂戴!

風魔が向こうとしたその刹那、眼前に一体のアストラルが現れた。

【風水師HSアストラル】
ヘレナよ、ヘレナスー――
振り向かないで!
振り向くと、二度と出られなくなる!

――気を付けて!
その声はあなたの心の中の声よ。
自分の声に取り込まれると大変!
さぁ、目を覚まして。

風魔は気を取り直した。アストラルは話を続ける――

【風水師HSアストラル】
私は、目覚めた後、
また薬を飲んだ。
今度は一瓶ひとびん丸々飲んだよ!

――私……
永遠にここを彷徨さまようの――

話し終えても依然アストラルは浮かんだままである。やがて周囲が暗闇に呑み込まれた。風魔は帝都の山王に戻っていた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
もう大丈夫ですか?
――心配しました……
あれから、鈴代さんから、
いろいろお聞きしたんですよ。
古式東雲しののめ流のこととか――

古式東雲しののめ流は鬼神を人に降ろす秘儀である。
それは必ずしも闘いの神々ではない。
しかし古式の本来の姿はすでに失われている。
邪流にて古式が蘇ると、現前にを呼ぶ、そのような事態も招きかねない。
鈴代は麗華に対してそれを案じていたのだ。

【喪神梨央】
でも麗華さんはすごく霊感の強い、
蓼科たてしなという乳母うばに育てられ、
鈴代さんは麗華さんなら大丈夫、
そう見込まれたようです。
麗華さんは兄さんたちと同じ、
審神者さにわになられたのです――
【帆村魯公】
おう、風魔!
もういいんだな――
京都の帝大の古文書、
先般せんぱん、ようやく見つかってな。
係員が暗い書庫で書き写した。
その古文書こもんじょだが、持ち上げた途端とたん
細かな破片になって散ったそうだ。
――文言は電報で寄越よこされた。

ソノアサ ウラト 
アラハスヒカリ アリテ

【帆村魯公】
例によって式部氏の知り合いが、
読み解いてくれたぞ。
その朝、占いの言葉を、
現す光がある。
三つの文言を繋ぐと――
真名井まないの鏡、それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心にも合えり――
その朝、占い現す光ありて、
一つのあらかに渡らして詰まる。
【喪神梨央】
一つのあらかとは冬至でした。
――つまり……
冬至の朝、真名井まないの鏡が、
占いの言葉を映し出す――
そういうことですね。
【帆村魯公】
魔鏡まきょう託言たくげんを写すのだな。
それで、冬至はいつだったかな?
【喪神梨央】
十二月二十三日です。
あと二週間です――

風魔が回廊にちた時、帝都と大きく時間がずれてしまった。
帝都でははや師走しわすを迎えようとしていた――

第九章 第二話 結晶

青山新京シンキョウに向かうべく帝都満洲鉄道の駅へ。満鉄列車長は何かにおびえている様子だった。

【満鉄列車長】
何か普段とは違うのです――
どう申せばよいでしょうか?
ですが、原因はわかっています!
機関車です、あじあ号をく機関車。
帝満パシナ形ではあるのですが、
昨日乗務したのは別物でした。
得体の知れない何かであり、
名状し難いものであったのです。
どうも背筋がスーッとするのです。

でも、ご安心ください。
今は大丈夫です――
当列車、青山新京シンキョウにまいります。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
式部しきべさんに代わりますね。
彩女あやめさんのこと、心配されています。
【着信 式部丞】
さっきはなんとか切り抜けましたね。
お七やお熊……長年堆積たいせきした思念、
あんなふうに現れるのですね。
さて、彩女君ですが、いや……
千紘ちひろ、自分が何者かわかったと、
そう言っていましたね。
芽府めふ須斗夫すとお君と――
それに吉祥院きっしょういん……
【着信 喪神梨央】
レンザです。
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうです。
彼は元は悪魔でした――
【着信 式部丞】
悪魔が人間に転生しようとした――
芽府めふ君も同様とするのなら、
千紘ちひろも何か出自があるのかもです。
彩女君のこと、
少し調べてみようと思います。

交信の後、一体のアストラルが近寄って来た。引かれるように別の3体も姿を見せた。

【旅行者Sアストラル】
わて、大阪からな、来たんやけどな、
えろうよろしな、新京シンキョウ
さすが満洲帝国国都でんがな!
夜にな、チィ~トな、羽目はめ外そ思て。
ほなな、書館しょかんの表出しよんねん!
表の上に書館一覧て書いたぁる――
阿呆あほか、のろけか、何さらてんねん!
何で本屋行かなあかんねんちゅうて、
案内の支那シナ人どやしつけたんや!
そしたら、あんた、
一流の芸妓げいぎ屋は書館やねんて!
そう言うのが満洲流儀やそうや。
なんやら書館が一流のとこでっせ。
二流はなんやら班、
三流はなんやら堂、そう言うんやて。
ほな書館行って楽しみまひょかな、
開盤子カイパンズて言うんでっしゃろ!
うずくわ、うずくわ、うずいてきたわ~

【入植者Hアストラル】
大同だいどう大街を下って、西公園の南、
関東軍司令の建物、
もうすっかり出来ていますね!
大通りの西が司令本部、
東が新京憲兵隊司令部だそうで。
年末には引っ越し終わるそうです。

【露西亜人Pアストラル】
ここシンキョウはロシヤ人には、
ちょっと住みづらいですネ!
その点、ハルピンはいいですヨ!
ソフィースキー寺院とかネ、
キタイスカヤとか……
モストナヤ、ボレワヤ――
ロシヤ人に馴染みの町がたくさんネ!
ワゴロドナヤのホテルボストーク!
でもここ、かなり違いますネ。
ヒノデ、イズミ、フヨウ、ニシキ……
皆、日本的な町ですネ!

【大学生Kアストラル】
南広場の新京シンキョウ放送の隣にあるのが、
あの興亜日報なんだね!
ああ、憧れるなぁ……
僕もね、絶対に敏腕びんわん記者になって、
特報記事を発表するんだ!
興亜日報、
メールボーイを募集するから、
応募してみようかな!

【着信 喪神梨央】
普通に新京シンキョウにいる人たちの
アストラルですね。
セヒラ反応はありません。

風魔は先の街区へと進んだ。そこでは2体のアストラルが会話をしていた。

【D次郎アストラル】
ここは……青山ニャ?
――なんだか頭がムズムズするニャ!
さっき赤坂で、
懐かしい名前聞いたって、
S次郎が言ってたニャ!

そうだニャ、S次郎!
【S次郎アストラル】
万世橋まんせいばしの商家、古賀こが――
懐かしいニャ!
【D次郎アストラル】
S次郎、お前、山王さんのうあたりに来る前、
万世橋まんせいばしの辺にいたかニャ?
【S次郎アストラル】
そうニャ! そうニャ!
トラックの荷台で寝てたら、
溜池まで連れてこられたニャ。
【D次郎アストラル】
それでお前は、
古賀って家に飼われてたのかニャ?
【S次郎アストラル】
そうニャ!
古善ふるぜんて屋号のコークス問屋だニャ。
看板にFURUZENとあるニャ。
創業者が一郎というニャ。
四代目は娘婿むすめむこで、喜一というニャ。
善と喜で縁起がいいってニャ!
でも喜一はアレルギーが酷くて、
コークス扱えないニャ!
それで篆刻師てんこくし鞍替くらがえしたニャ。
篆刻師てんこくしになってから容山ようざんという、
雅号がごうを持ったニャ。
古賀こが容山ようざんだニャ――
【D次郎アストラル】
今、古賀容山はどうしてるニャ?
【S次郎アストラル】
万世橋まんせいばしにはいないニャ。
奇石を探しに長野に出かけたまま、
帰ってこないニャ。
【D次郎アストラル】
残された奥さん、
さぞかし大変だろうニャ!
【S次郎アストラル】
あすこの奥さん、変わり者だニャ。
深水ふかみ察智ざっちという卜占師ぼくせんしの言うなりに、
娘を修善寺しゅぜんじの旅館に預けたニャ!
容山には双子の娘がいたニャ。
預けられたのは姉の方ニャ!
二人は生き別れになったニャ。

【D次郎アストラル】
ん?
ニャんか感じるニャ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇しています。
すぐ近くです!!

【D次郎アストラル】
おいらたちも失敬するニャ!
S次郎、行くニャ!

2体のアストラルはさーっと左右に去った。
風魔は先へ進んだ。そこには大穴が開き、セヒラが盛大に吹き出していた。

【着信 喪神梨央】
ものすごいセヒラです!
ここは一時撤退てったいしてください!!

交信が終わるや穴から吹き出すセヒラが一段と濃くなった。すべてがセヒラに呑まれそうになった刹那、急にセヒラの噴出が止んだ。
穴の前に月詠麗華の姿があった。風魔は麗華の前に歩み寄った。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま……
お久しぶりです。
新京シンキョウ神社にある井戸に降りたのです。
運河で東京に繋がっていると、
そう教えられました――

【着信 喪神梨央】
麗華れいかさん!?
麗華さんがおいでになったのですね!
帥士すいし、セヒラは観測しません。
麗華さんと一緒に、
帰還してください。

【月詠麗華】
でも……
まだここは帝都ではありませんね。

麗華の後ろに仮面の男がゆっくりと降りてきた。仮面の男は大穴の上に浮かんでいる。

【仮面の男】
よくぞ戻れたな、月詠つくよみ麗華れいか――
さぁ、決意したのなら私と組み、
より大きな力を得ようではないか。
純粋なる戦いに燃焼するのだ!!

仮面の男の呼びかけにも麗華は答えない。麗華は風魔をじっと見据えたまま言う――

【月詠麗華】
私はまだ不完全なのです――
古式東雲しののめの奥義を継がねばならず、
こうして戻ってまいりました。
【仮面の男】
二人の迷える子羊たちが、
この道を開いてくれたのだ。
お前のための道だ。
さぁ、二本の柱の消えぬうちに。
柱が消えるとお前はまた新京シンキョウだ。
あの町に戻ることになるぞ――
月詠麗華よ――
整えて私に立ち向かうのだ。
それが最善の方法だ。

周囲の風景が滲みながら消え暗転した。暗闇の中に月詠麗華が立っている。その背後に仮面の男が立つ。

【仮面の男】
私は特別な力を得ている。
それは古の結晶アルツケアンという。
太古の昔、北アジアに堕ちた隕石いんせき
まさにアルツケアンだ――

麗華は風魔を見たまま仮面の男の言葉を返す。

【月詠麗華】
――隕石……
【仮面の男】
不思議の結晶、そして学者は言う、
転生の結晶だと――
メントロピー現象が生起する!
AGKアーゲーカーのフェラー博士は、
私にアルツケアンを用いた!
ウハハハハ~
アルツケアンは実に不思議だ――
結晶は私の前で気体となり、
今や私の体に染み渡っている!
【月詠麗華】
――結晶……気体……
【仮面の男】
アルツケアンによって、
私は転生の途上とじょうにある!
さぁ、私を完成させてくれ。
お前の戦いのすべてを披露ひろうするのだ。
それで私はアプシュロスを目指す!
永遠の存在となるのだ!!

麗華と風魔の間に光が現れた。それは稲妻のような光だった。やがて光は一抱えほどもあるセヒラ球を作った。セヒラ球から放たれた光が麗華と風魔に届く。二人の体が発光を始めた。

【仮面の男】
何故だ!?
月詠……麗華……
お前は何をしたのだ!
うわぁぁぁぁぁ~

セヒラ球がひときわ大きくなり、周りを呑み込んでしまった。
すぐにセヒラ球は収束し、元の暗闇に戻った。仮面の男も麗華も消えていた。
そこへ山郷武揚が現れた。それは実体ではなく思念的な存在のようである。

【山郷武揚】
二つのアルツケアンが出会えば、
未曾有みぞうのセヒラ場が生じる――
失われた支族しぞくすえは、
必ずや引き寄せられるだろう。
――どこにいようともだ。
どちらかがたおれるか、
あるいは共倒れになるか……
とうと犠牲ぎせいというやつだな。

山郷は揺らぎながら消えた。
周囲に光が戻った。そこは先程と同じ青山新京、大穴の前である。何事もなかったかのように穴の前に麗華がいた。そして2体のアストラルも現れている。

【関東軍軍人Sアストラル】
あろうことか、関東軍特務部が、
黒幇フェイパンに襲撃された!
まだ関東軍司令部の移転前だ、
警備も手薄であったに違いない――
しかし、特務部に何の用がある?
あそこは満蒙まんもうの経済政策を担う部署。
半数が民間出身の軍属じゃないか!
【支那人Rアストラル】
関東軍特務部を襲ったのは、
牛頭ごず機構にやとわれた黒幇フェイパンの連中だ。
何かの特務機関と勘違いしたらしい。
奴ら、考える前に行動に出るからな。

【着信 喪神梨央】
麗華さん、まだおいでなのですか?

着信がきっかけなのか、いきなり麗華がアストラルを突き飛ばして走り去った。

【着信 新山眞】
仮面の男がセヒラの道を開き、
麗華さんを導いたのです。
それを知っていた山郷やまごうは、
仮面の男を利用したわけです。
おそらく麗華さんにも、
アルツケアンが取り込まれている、
そう考えて良さそうです。
アルツケアンについては、
アーネンエルベの記録を調査中です。
山郷がどう入手したのかも。

【着信 喪神梨央】
すぐ近くに巨大なセヒラです。
麗華さんではありません、
何か別のもののようです!

風魔は踵を返して大穴を背にした。
進んだ先に大型のアストラルが風魔を待ち受けていた。

【メカノフィリアアストラル】
とうとうなれた!
機関車だ、パシナ形だ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
メカノフィリアです!
聞く耳持たないようです――

【メカノフィリアアストラル】
全長二十五・六七五メートル
全幅ぜんぷく三・三六ニメートル、全高四・八メートル
全重量ニ〇三・三一トン
日本最大、ニメートル動輪どうりんで、一万五千八百五十トン牽引力けんいんりょく
うははは、どうだ、パシナ形だ!
満蒙まんもう沃野よくやを駆け抜ける!
何人なんぴとたりとも邪魔はさせん!!

《バトル》

【メカノフィリアアストラル】
東より~ 光は来る~
光をのせて~ 東亜とうあの土に~
使いす我等われら我等われらが使命~

あああ、俺はパシナ形だ――
だがもう保てない!

【着信 喪神梨央】
今のメカノフィリアは、
本物のパシナ形に心を寄せたのです。
あじあ号、この九月に京浜けいひん線にまで運転区間が延伸えんしんされました。
でも新京シンキョウ哈爾浜ハルピン間の牽引けんいん汽車は、パシナ形ではありません。
線路が弱くて走れないのです――
【着信 新山眞】
先程の山郷やまごう武揚ぶようの思念、それに影響を受けた波形があり、吉林キツリン延吉エンキツ図們トモンで観測します。
まずは広尾吉林キツリンへ――
向かってみてください。

風魔を乗せた帝都満洲鉄道あじあ号は一路広尾吉林を目指した。

【満鉄列車長】
パシナ形になりきっていたのですね。
取り除いていただき感謝します。
もう不安はなくなりました。

さて、当列車、間もなく、
広尾吉林キツリン、広尾吉林キツリンに到着です。

〔広尾吉林〕

【満人Fアストラル】
関東軍の連中、
日本語で話せばいいものを、
変な支那シナ語使うから混乱する!
你是打那兒来的ニーシーターナールーライテ――
お前はどこから来たのか?
你要打算上那兒去 ニーヤオターソアヌシャンナールチュイ――
お前はどこへ行くつもりか?
連中、軍にて支給された、
新々実用支那シナ語会話という本を使う。
あまり実用的ではないな!

【関東軍軍人Hアストラル】
隊の中からも何人かが、
牛頭ごず機構に加わるという。
すでに内地では特別な力を発揮はっきする
会員もあるらしい――
だがな、私としては、
頭目とうもく山郷やまごうという人物、
どこか信用ならんのだ!

【拓殖者Kアストラル】
吉林キツリンの町角に、
牛頭ごず機構のポスタアが貼ってあった。
勇躍ゆうやくして征途せいとけ!
どこにいくさに出るつもりだ?
そもそもあの頭目とうもく山郷やまごうという男、
この間、満人の豆タク運転手を、
ひどい剣幕けんまくで怒鳴りつけていたぞ。
あれは人をく器じゃないな!

憤るアストラルを見ていた一体が何かに気付いたように風魔の前を通り過ぎた。

【満人Fアストラル】
おお、郎平ランピンがいるのか?

風魔はそのアストラルを追った。

〔広尾吉林〕

先程のアストラルと思しき一体が別のアストラルと話していた。

【満人Fアストラル】
おい、郎平ランピン、お前だろ?
【満人Rアストラル】
くそったれ!
あの日本人、道を間違えただけで、
俺を怒鳴りつけやがった!
まるで虫けらみたいに言いやがった!
【満人Fアストラル】
どう間違えたんだ?
【満人Rアストラル】
一本筋を間違えただけだ。
ちゃんと着けたんだ!
支那シナ人の糸屋にな。
【満人Fアストラル】
支那シナ人の糸屋か……
満蒙絲線まんもうシーチェンという店だな?
【満人Rアストラル】
ああそうだ!
日本人も支那シナ人もクソッタレだ!
【満人Fアストラル】
あそこは柞蚕糸さくさんしを扱う糸問屋だ。
北支ほくし原産の柞蚕サクサンだな――
社長は好文海ハオウェンハイと言ったな。
【満人Rアストラル】
詳しいじゃないか、お前!
【満人Fアストラル】
新聞で読んだ。
白黄斑山繭シロキマダラヤママユという希少種の、
人工飼育に成功したらしい。
【満人Rアストラル】
あの日本人、俺に言ったんだ!
你要跑我就打你ニーヤオパオウォーユターニー――
お前が逃げようとすれば打つぞ!
【満人Fアストラル】
柞蚕サクサンというのは山繭蛾ヤママユガの仲間だ。
日本の絹、家蚕糸かさんしには劣るが、
独特の野趣やしゅがあるんだ。

【着信 喪神梨央】
彼らの言う日本人とは、
おそらく山郷のことかと思われます。
山梨やまなしで山郷絹糸けんしを営みます。
でも今は何も観測できません。

交信後、一体のアストラルがやって来た。そして風魔の前で止まった。

【牛頭機構構Aアストラル】
もしかすると新京シンキョウには何もない、
そうじゃないのか?
山郷さん、あの支那シナ人の糸屋に、
言いくるめられているんじゃ……
あの糸屋、いけ好かない奴だ。
奴の野蚕やさん、あのみょうな黄色いだ、
それらが伝染病になって、
今年は全滅したという――
山郷さんを拝み倒して、
山梨の甲斐絹かいきを調達しやがった。
野蚕やさんとは大違いだ――
吉林キツリン延吉エンキツ図們トモン
どの町にも奴の店はあるが、
N計画なんて影も形もない!

そこまで言うとアストラルは去って行った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
高輪延吉エンキツでセヒラ反応です。
波形も観測します。
高輪延吉エンキツに向かってください。

高輪延吉に向かうべく風魔は満鉄に乗り込んだ。

【満鉄列車長】
今、この帝都満洲は、
実際の満洲の町と対になっています。
次の高輪たかなわ延吉エンキツも、
実際の延吉エンキツに繋がるようです。
間もなく、高輪延吉エンキツ
高輪延吉エンキツに到着です。

〔高輪延吉〕

【鮮人Dアストラル】
昌京チャンギョンったら目の色変えてたわ!
ハオの店で日本の絹糸を扱う、
その話よ、そりゃいい品よ、きっと!
いつもの野蚕やさんじゃね、
晴れ着は作れないもの!

【支那人Qアストラル】
今年はまいったな!
ハオ社長の白黄斑山繭シロキマダラヤママユが全滅だ。
斑僵病まだらきょうびょうだってさ!
白黄斑シロキマダラだけがかかる伝染病で、
かいこかびが繁殖して固くなってしまう。
そうなると蚕糸さんしは見込めない――
【支那人Lアストラル】
まぁ、でも、日本の山郷やまごうさんが、
甲斐絹かいきを三トンも送ってくれて、
今年も商売続けられるな。
【支那人Qアストラル】
ハオさん、資金底ついて、
あの変な石ころ売ったんだろ?
【支那人Lアストラル】
ん? 回族から買ったという石か?
いや、石それ自体を渡したそうだ。
【支那人Qアストラル】
ええ? そうなのか?
石を渡した――
甲斐絹かいきの支払いにてたのか?
【支那人Lアストラル】
山郷さんは石がいいと。
正確には不思議の結晶と呼ぶらしい。
【支那人Qアストラル】
何が不思議なもんか!
まぁ、でも、お陰で日本製の、
いい蚕糸さんしが手に入ったわけだ。
俺達も路頭ろとうに迷わずに済むな!

【着信 喪神梨央】
不思議の結晶ですね、
さっきも出ましたね。
アルツケアンのことでしょうか……
とすると――
山郷もアルツケアン持っていた、
そうなりますね!

〔高輪延吉〕

風魔の進んだ次の街区で、三体のアストラルが言葉を交わしていた。

【牛頭機構Gアストラル】
山郷さんは僥倖ぎょうこうを得た、
そう仰っていたな。
【牛頭機構Mアストラル】
中央郵便局の帰りだそうだ。
新京シンキョウ神社のところで声をかけられた。
――月詠つくよみ麗華れいかにな。
【牛頭機構Cアストラル】
何で山郷さんとわかったんだ?
そんなに二人は昵懇じっこんの仲だったのか?
【牛頭機構Gアストラル】
互いに見たことはある程度だと……
だからこそ、僥倖ぎょうこうなんだよ。
【牛頭機構Mアストラル】
山郷さん、茶の器を持っていたって?
交趾焼こうしやき香合こうごうふところに入れていて、
月読麗華はそれで気付いたんだとか。
【牛頭機構Cアストラル】
だとするとすごい勘だな!
【牛頭機構Mアストラル】
鮮やかな黄色の亀の香合こうごうだ。
鍵をたばねるのに使っていたらしい。
もとは久遠くおん流の茶道具だ。
【牛頭機構Gアストラル】
月詠麗華も茶の道にいる。
それで香合に引き寄せられた――
山郷さんにすりゃ僥倖ぎょうこうだな!

三体のアストラルは互いに近寄った。

【牛頭機構Cアストラル】
俺たちも少しは勘が働く。
そうだよな、おい!
【牛頭機構Mアストラル】
勘というか嗅覚だな、これは。
わかるんだ、臭いのが!
【牛頭機構Gアストラル】
魚の腐った臭いだな!
これが山王機関の臭いなのか?

そう言うや三体は合体した。合体して中型のアストラルとなった。

【牛頭機構関東会アストラル】
牛頭ごず会が牛頭ごず機構になり、
ここ関東で関東会を結成だ!
これは記念すべき初陣ういじん!!

《バトル》

【牛頭機構関東会アストラル】
何故だ?
新天地を求めて来たのに……
セヒラが足りないのか?

中型アストラルは爆ぜるように散った。

【着信 喪神梨央】
山郷が麗華さんに会っていた、
そうなんですね?
麗華さんが察知したんですね。
【着信 新山眞】
山郷は麗華さんに、
アルツケアンを処方したのです。
麗華さんが仮面の男にいざなわれている、
それを知って、二人を利用した。
そのように思われます。
アルツケアンのこと、
もう少し調べられますか?
好文海ハオウェンハイ図們トモンにいるようです。
彼ならアルツケアンについて、
よく知っているでしょう。
かい族から買ったそうですから。

風魔は品川図們を目指して満鉄の客となった。

【満鉄列車長】
図們トモンは満洲の南東にある、
朝鮮との国境の町です。
いろんな国の人が集います。

〔品川図們〕

【満鉄列車長】
まもなく品川図們トモン、品川図們トモン
当列車の終着です。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強いセヒラを観測しました!
注意してください。

【支那人Dアストラル】
かい族が新種の柞蚕さくさんを発見した、
そんな噂があったんだ。
好先生ハオシェンシャンはそれに飛びついた。
好先生ハオシェンシャンをはるばる烏魯木斉ウルムチまで
案内したのは私だ――
だが新種のなんていなかった!
でも先生はすごく満足して、
新京に帰っていったんだ。

【支那人Wアストラル】
烏魯木斉ウルムチには独逸ドイツ人がいた。
何かを発掘するという。
彼らにかい人夫にんぷの手配を頼まれた。
それで手配したよ。
手配した人夫にんぷは全部で六人のかい族だ。
皆、独逸ドイツ風の呼び名が付いた。
俺が知るのは、
アヒム、ベンヤミン、カール――
フランクまでいたはずだ。
だがアヒムは死んだ。
不思議な死に方だったそうだ。
まだ少年だった――

【支那人Eアストラル】
うとうとしていると、
不意に独逸ドイツ語がするんだ。
五年前、図們トモンにいたからな――
そのときの何かなのか?

【着信 喪神梨央】
隣の街区に進んでください。
不思議な波形を観測します!

五年前に独逸ドイツ人の一団が、
図們トモンに滞在しています。
八人の独逸ドイツ人です。
その時の残留思念かも知れません。
何かわかるでしょうか……

【AGK研究員Fアストラル】
フンメル博士は不思議の結晶と呼ぶ。
なるほど、あの物性は謎だ。
果たして固体なのか気体なのか、
そのどちらでもあるのか……
発見時は結晶だった。
かい族の少年アヒムが、
身をていして教えてくれたのだ。

一体のアストラルが話し始めると、他のアストラルもそれに続く格好となった。

【AGK研究員Dアストラル】
アヒムは風邪を引き、
一人宿舎で寝ていた。
そばにアルツケアンがあった――
調査を終えてベンヤミンが戻ると、
アヒムは宿舎の壁一面に、
難しい数式をつらねていた。
急遽きゅうきょ、フンメル博士が呼ばれた。
博士はひと目見て、それが、
シュレーディンガー方程式だと、
そう見抜いたんだ。
人夫にんぷの少年が方程式を導出した。
驚くべきことだ――

【AGK研究員Vアストラル】
その夜遅く、アヒムは死んだ。
アヒムの寝台の下に、
アルツケアンが落ちていた。
昼にはなかったのだ。
アヒムがアルツケアンを取り込み、
変調を来たしたのでは――
フンメル博士はそう推論した。
幾度いくどかの実験の結果、
アルツケアンは揮発きはつすると判明し、
密封容器に厳重に保管された。
ある時は結晶、ある時は気体、
それがアルツケアンの物性だ。
アヒムは結晶気体を吸い込んだのだ。

【AGK研究員Jアストラル】
アヒムは学校に通わなかった。
だが勉強がしたくて仕方なく、
我々の調査団に参加したという――
フンメル博士は、アルツケアンを、
人を意志のままに変える結晶、
転生の結晶であると同定した。
勉強して身を立てることを望んだ、
かい族のアヒムを学者に転生させた。

【AGK研究員Uアストラル】
アルツケアンは二つ見つかった。
二つともドイツ本国に送られ、
アーネンエルベで解析されるという。
ユルゲン・フェラー博士は、
アルツケアンの存在を理論化した。
その理論が実証される時が来た!

5体の研究員アストラルは話した順に消えた。そこへ中型のアストラルがやって来た。

【満蒙絲線社長Hアストラル】
私はだまされたアル!
山郷にだまされたアルね!
そうだ、まんまとアルね!
一級品の甲斐絹かいきアルと?
嘘つくアル、あんなモノ三級品アル、
いや級外品アル、それ以下アルね!!
お前!
お前も山郷の一味アルか!
そうアルね!

《バトル》

【満蒙絲線社長Hアストラル】
儞説実話我不殺儞ニーショウシーホアウォプーシャニー――
お前が本当言えば私は殺さない!!

【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ人アストラルによって、
アルツケアンのこと、
おおむねわかりました。
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん――
今、青山墓地に穴が開いています。
でもセヒラは観測しません――
麗華さんの行方も知れないままです。
【新山眞】
アルツケアン、大体わかりました。
人の意志を現実のものにする、
そういう働きがあるようです。
フンメル博士は後に論文を発表し、
その中でメントロピーという言葉で、
この転生現象を定義します。
転化を意味する希臘ギリシャ語のトロフに、
メンシェンヒ トを接頭語として付し、
メントロピーとしたのです。
【喪神梨央】
では麗華さんも転生したのですか?
審神者さにわか召喚師として完成した?
麗華さんの意志ならそうなりますね。
【新山眞】
愈々いよいよ機根きこんを備えるようになった、
そうなのかも知れませんね。
山郷がたくらんだアルツケアンの衝突、
結局、起きませんでした。
【喪神梨央】
未曾有みぞうのセヒラ場など、
どこにも観測されていません。
【新山眞】
麗華さんはアルツケアンを、
よほど深く取り込んだみたいですね。
揺るぎないものを感じます。
【喪神梨央】
仮面の男は、
麗華さんを見くびっていたのですね。
【新山眞】
それなら山郷も同じですね。
【喪神梨央】
仮面の男の言ったアプシュロス――
これって卒業くらいの意味です。
さっき調べました。

兄さん――
帝都と帝都満洲で異なる時間が
進んでいます――
兄さんにとっての五日ほどが、
帝都では一月近くになります。
今、こよみは十二月になりました。

人の意志に沿う転生を引き起こす結 晶アルツケアン――
仮面の男も月詠麗華もそれを取り込む。
メントロピーは起きたのであろうか?

東経43度22分41秒、
北緯85度23分22秒――
独逸ドイツ人が結 晶アルツケアンを発掘した座標である。

第七章 第四話 新たな動き

清正公前せいしょうこうまえ

清正公せいしょうこう前を囲むようにして、新山眞にいやままことが三台の思念しねん増幅器ぞうふくきを設置した。その影響で、「結界」の中は市中から、幾多いくたの思念が集まり、怪人予備軍を招いた。怪人化の兆候ちょうこうを得て公務出動となった。

【遠い目をした女性】
渋谷橋しぶやばしから乗合に乗って、
ここまで来たんですわ――
朝からずっと声がするのですわ――
フト立ち止まる
人を殺すにふさはしい
煉瓦れんがへいの横のまひる日
昼日中ひるひなかが人殺しにふさわしいなんて、
とても近代的モダンじゃありませんこと?
【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します……
でも波形がさだまりません。
――怪人予備軍かも知れません。

【澄んだ目をした男性】
ふとね、真理の扉が開いたんです。
ある言葉が去来きょらいしてね――
自殺しても
かなしんでれる者が無い
だから吾輩わがはいは自殺するのだ
正しく真理ですよ、真理。
自死してね、生き残った者に、
辛い思いをさせてやろとか、
そう思ううちはだめなんです。
そんな当てつけみたいに死んじゃ、
せっかく命が勿体無もったいない。
――そうでしょ?
死ぬときは少しずつ縁を切っていく、
そして最後にぽつねんと一人になり、
すーっと深呼吸して死ぬんです。
――私はだいぶ整理がつきました。
猫のリルだけが心残りでね……
まだお別れできていないんです。

【着信 喪神梨央】
セヒラ観測します――
物凄く妙な波形です。
経過を見てください。
【猫憑き】
ニャー、あんたはここで何するニャ?
おいら、猫の千次郎せんじろうニャ~
リルなんてハイカラな名前、
おいらには縁がないニャ。
この人、おっきな隙間、拵えてニャ、
今にも何かにかれそうニャ。
おいらがふさいだニャ!
今日は早めに風呂にでも行くニャ!
【着信 帆村魯公】
猫め、核心かくしんを突いておるな!
憎しみをたぎらす者より、
心に空隙くうげきを持つ者のほうが、
に深くかれてしまうようだ。
もっと猫がたくさんおれば、
いいのににゃ!

【虚ろを見やる男性】
僕はね、言葉にいざなわれてここへ来た。
本郷ほんごうからずっと歩いてね、
今ここに着いたところさ!
青空はブルーブラツク
三日月は死のうたを書く
ペン先かいな
太陽は命、月は死……
僕の感性に寸分すんぶんたがわずはまるんだ。
――美しいじゃないか、君!

【武装SSヴェルケ一等兵】
この者らは我が方で処置します。
貴方たちはお引き取りください。
これはフォス大佐殿の命令です。
アーゲーカーで詳しく調べます。
ドイツ大使館地下に、
アーゲーカー連絡室があります。

【執事型ホムンクルス】
――標的ツィール
破壊ツェストゥルンク――
開始シュタート

《バトル》

【着信 喪神梨央】
クルト・ヘーゲンの執事型、
何体も帝都にはなたれたみたいですね。
日本人の拉致らちに関しては、
外交筋に連絡を入れておきます。
山王さんのう機関ではどうにもできません。
【着信 帆村魯公】
八号帥士はちごうすいし
渋谷しぶや練兵場に向かってくれ!
歩三の召喚小隊に変事が起きている!
【着信 喪神梨央】
公務電車で目黒に向かってください。
鉄道連隊の演習列車が大崎にいます。
それで原宿まで進めます。

代々木よよぎ練兵場〕

それは異様な光景だった――
練兵場には兵が倒され横たわり、将兵と民間人が鳥合うごうしているのだ。

【第三連隊山田二等兵】
え、演習の準備をしていたところ、
突然、連中がなだれ込み……
阻止そしするもこの有様で――
【第三連隊中村二等兵】
今日は夜行演習が予定されて……
――ああ、脚の感覚が……
【着信 喪神梨央】
歩兵第三連隊第八十八大隊、
第三十八中隊第八小隊の、
夜行演習が予定されています――
わずかにセヒラを観測します。
十分、注意してください。

一五市にのまえごいち
喪神もがみ中尉!
――我が召喚小隊は解散なった。
新たに軍属をまじえて組織する。
名付けて暁光ぎょうこう召喚隊だ!
この隊は霊異りょういす者を集め、
帝都の怪異を鎮定ちんていするばかりか、
日本の国力を外に示すものだ。
鬼龍きりゅう隊長不明の今となっては、
私がひきいるほかないのだ。
さいわい、召喚術において、
素養そよう高き連中が揃っている。
貴様も隊に加わりたいなら、
考えなくもないぞ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
セヒラが異常値を示しています!
大変危険です、退避してください!!

〔時空の狭間〕

【バール】
バーンと飛び出すバールだニャ!
またすごいセヒラ異常だニャ!
三人が同時に戦ったりしたニャ!
そのせいだニャ!
【バールの帽子】
そりゃセヒラ異常も起きるゲロよ。
近いところで三人同時に戦うなんて、
無謀むぼうに決まってるゲロゲロ!
ん?
何だゲロ、どうしたゲロ、
じいさんが何か言いたそうだゲロ!
【バールの帽子背後】
第三連隊の召喚小隊が解散になって、
それをよく思わない連中がいるのう。
連中、アストラルになって、
帝都満洲を彷徨さまよっておるぞ。
逆恨さかうらみする奴もいるじゃろうて。
【バールの帽子】
なーんだゲロ、そんなことかゲロ!
出来損ないのアストラルなんぞ、
ぶっ飛ばしてしまうゲロね!
【バールの帽子背後】
現世でだめな奴ほど、
こっちでは強くなったりするんじゃ。
気ィ付けることじゃよ。
【バールの帽子】
噂をすればか?
――何か来るゲロ!
【バール】
あれは……
――強いニャ、強いニャ、
すっごく強いニャ!
月詠つくよみ麗華れいかの思念だニャ!
【バール】
呼んでみるニャ、呼んでみるニャ!
【バールの帽子】
何が起きても知らないゲロよ!
【バールの帽子背後】
軽い気持ちで、
思念を呼んだりするんじゃないぞ!
【バールの帽子】
知らないゲロよ!
【バール】
呼ぶニャ!
――麗華さーん、
こっちこっち、こっちだニャ!

【月詠麗華】
私はぜんぜん至っていません――
いくら戦っても、戦っても、
豪人たけとさまに教えをうまでは、
出来上がらないのです――
東雲しののめ流の奥義……
きっと私にいでくださいまし。
風魔ふうまさまのなされる帆村ほむら流も、
根は東雲しののめ流であるはず――
風魔ふうまさまと同じところに立てる、
そう思うとぞくぞくしてきます!
鈴代すずよさんがお認めになるか、
それが気がかりですわ――

品川図們しながわトモン第二街区〕

【元召喚小隊H一等兵アストラル】
陸軍省から通達つうたつがあって、
我が召喚小隊は解散になった。
歩兵として部隊に残るか、
あるいは除隊するかを選べという。
――自分、答えなど出ません!
【元召喚小隊A上等兵アストラル】
召喚小隊、解散になったんだ!
せっかくを降ろして戦う、
その術を習得したのに!
いまさら一般歩兵なんかに戻れない!
僕は除隊を選ぶ、絶対に。
そして暁光ぎょうこう召喚隊に参加するんだ!
【元召喚小隊M曹長アストラル】
鬼龍きりゅう大尉が姿を消してから、
小隊はまとまりがなくなった。
あの月詠つくよみ麗華れいかという女は、
大尉から奥義をさずかろうと狙う。
当分、大尉は姿を見せないだろう。
【元召喚小隊F中尉アストラル】
鬼龍大尉はおそらく京都の師団。
そう考え十六師団に連絡するも、
連中、だんまりを決め込む――
歩一の連中、
何か知っているはずが、
おくびにも出さない!
【元召喚小隊D大尉アストラル】
独逸ドイツのアーネンエルベも、
一枚岩ではないな――
あそこのヘーゲン召喚師、
フォス大佐と反目しているようだ。
フォス大佐の来日以来、
手下の召喚師どもが躍起やっきになって、
新参の召喚師と戦っている。
しかし……
連中の手下は人にあらずとも聞くが、
歩一の連中なら詳しいのだろうか?

品川図們しながわトモン第四街区〕

【元召喚小隊C二等兵アストラル】
S中尉は朝から焼酎しょうちゅうを、
浴びるように飲んで寝ている――
小隊の解散が気に食わないんだ。

【元召喚小隊Y二等兵アストラル】
S中尉、第三十六小隊長の頃、
新兵を自殺に追い込んでいる――
難癖なんくせをつけては懲罰ちょうばつの繰り返し。
ある日、茶をこぼした懲罰ちょうばつとして、
腕立て伏せ一六三七回もさせたんだ。

【バール】
びょびょ~ん、バールだニャ!
酷い上官もいたもんだニャ!
腕立て伏せを何回だって?
噂のそいつが来るニャ!
そうとう怒りまくってるニャ!
現世では閑羅瀬しずらせみき中尉殿ニャ!

【元召喚小隊S中尉アストラル】
鬼龍きりゅう大尉は負け犬だ!
この大事な局面で雲隠れするとは、
情けないにも程がある!!
それに――
歩三の腑抜ふぬけ連隊長め!
麻布あざぶ連隊区のくそ司令め!
陸軍省の穀潰ごくつぶし将官どもめ!!
参謀本部の――
うぬぬ……気配を感じる、感じるぞ!
何者だ、貴様!
この俺をわらいに来たか!!

《バトル》

【元召喚小隊S中尉アストラル】
くそ! くそ! くそ
どいつもこいつも、
勝手なことばかりしやがって!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
やっと探信たんしんできました!
品川図們トモン、安定しています。
帰還してください。

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは、多加美たかみ宮司ぐうじ鈴代すずよと話し込んでいた。月詠つくよみ麗華れいか霊異りょういを現し、鬼龍きりゅう豪人たけとからの奥義おうぎ伝授でんじゅを狙うとあって、鈴代すずよも新たなる決意をしたようである。

【如月鈴代】
風魔ふうまさん、私、決めました――
麗華さんが霊異りょういを現して、
今、とても不安定な状態です。
もし鬼龍さんから東雲の奥義おうぎを継ぎ、
新しい東雲しののめ流が興るとすれば、
今の私たちでは太刀打たちうちできません。

東雲しののめ流は鈴代の祖母の代で絶えている。古式帰神法は神々を降臨させ、眼前に現すのだという。

【多加美宮司】
鬼龍大尉は古式東雲しののめ流を極めた、
そう伺っております――
【如月鈴代】
大尉が京都の師団においでの頃です。
でもほどなくして流派を閉じました。
すぐさま大尉は独逸ドイツへ――
古式ではセヒラを用いないのです。
降ろすのもではなく神々です。
それを改めたのが帆村ほむら流なのです。
帆村流ではを指揮する、
そういう術武じゅつぶに進化させました。
もし今、古式がおこれば……
【多加美宮司】
帆村流に対抗し得る力となる――
そういうことかも知れません。
【如月鈴代】
を現前に現し、
市民を襲わせるということも……
そうなってしまっては手遅れです。
【多加美宮司】
今、正しく古式東雲しののめ流を再興すれば、
色々の懸念、払拭ふっしょくできます。
【如月鈴代】
私、東雲しののめ流を再興します。
麗華れいかさんより早く古式東雲しののめ流をおこし、
対抗できるよう、準備を整えます。

【九頭幸則】
風魔、通報があったぞ!
広尾橋ひろおばしに仮面の男が現れた――
こちらは?
【多加美宮司】
宮司ぐうじ多加美たかみです。
東雲しののめ流の神器である鏡を授かりに、
京都に向かいます。
【九頭幸則】
それじゃ、東雲しののめ流を……
【多加美宮司】
そうです、東雲しののめ流を再興します。
そのためには神器の鏡がいるのです。
鏡は京都の神社に収めてあります。
【如月鈴代】
京都の方には私から、
伝えておきます。
少し時間をください――
【多加美宮司】
わかりました。
いつでもてるようにしておきます。
【九頭幸則】
梨央りおちゃんに公務電車の手配を頼む。
風魔、広尾橋だ、向かってくれ。
【如月鈴代】
古式東雲しののめ流がおこれば、
風魔さんに継いでいただきたく、
存じます。

広尾橋ひろおばし

【着信 帆村魯公】
おかしいぞ、
今さっきしばの方で
仮面の男が目撃された。
丁度ちょうど、省線田町たまち駅の近くだ。
どうなってるんだ?

【仮面の男】
ワハハハハハ~
愉快ゆかいなことになってるな!
こいつらは前菜だ!
この女は一週間も市内を彷徨さまよった。
銀座で妙な上映会があったそうだ。
この男は国家を転覆させようと、
韮山にらやまなんとやらに従い、
あらぬ妄想を膨らます――
ここでお前と交えれば、
セヒラが繋がる――
いい按配あんばいにな!

《バトル》

【仮面の男】
ワハハハハハ~
いいぞ、その調子だ!
私は次に向かう!!

【着信 新山眞】
仮面の男の目的、わかりました!
私の作った結界を、
打ち破ろうとしているのです!
田町たまち駅前と広尾橋ひろおばしを底辺として、
市内に大きな三角形が描けます。
その頂点は――
五反田ごたんだ方面です!
結界に重なる逆三角を描き、
セヒラの流れを作るつもりです。
聞いたことがあります――
ツアイヒヌンの術と言います。
訳すと絵を描くということですが。

新山にいやまの結界に重なる逆三角形は、田町たまち駅前、広尾橋ひろおばしを結び、その頂点、大崎あたりに位置していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
結界に重なる逆三角形ですが、
大崎にその頂点を結びます!
五反田ごたんだまで、
公務電車で移動してください。

向かった先は大崎広小路おおさきひろこうじであった。そこには第三セヒラ探信儀たんしんぎがある。三探は独逸ドイツ駐在武官、是枝これえだ大佐邸に建つ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
三探に強力なセヒラ反応です。
ただし――
仮面の男とは異なる波形です。

是枝邸これえだてい前〕

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
私……どうすればよいか……
あの仮面の男から、
誘いを受けているのです――
ともに力を極めようと。
私は純粋に戦うよろこびを求めている、
ただそれだけなのに、
そうさせてはいただけません――
私をしたう人たち、私を求める人たち、
私を退しりぞける人たち――
幾多いくたの思いが私をめぐるのです。
私……
どうすれば……
風魔さま……
【着信 喪神梨央】
今、歩一に出動要請しました。
衛生班も同行します。
到着まで現場を保全ほぜんしてください。

程なくして歩一のトラックが到着した。月詠つくよみ麗華れいかは歩一にて保護することとなり、連隊本部に運び込まれた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい――
麗華れいかさん、無事に保護されたんですね。
【帆村魯公】
それにしてもだ、
仮面の男、愈々いよいよ放置はできんな。
麗華嬢まで引き込もうとするとは!
【喪神梨央】
仮面の男が兄さんや怪人と戦って、
セヒラの道が出来たと、
新山にいやまさんは仰っていました。
それであそこに麗華さんが来た……
あのとき、セヒラ球に似た波形、
大崎方面で確かに観測していました。
【九頭幸則】
すると、月詠つくよみさんは、
セヒラ球に乗って移動しているのか?
――まるでセヒラの申し子みたいだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん!
今はセヒラ球の波形、
帝都のどこにも観測しませんよ!
鈴代すずよさんも古式東雲しののめ流の再興、
決心されたわけだし……
――私たちのそなえは十分です。
【九頭幸則】
ならいいんだけど――
それはそうと、フォス大佐が、
是枝これえだ邸を訪問したらしい。
あの二人はどういう関係なんだ?
【帆村魯公】
腹の探り合いだよ。
駐独武官としてナチに通ずるのは、
当然の責務だからな。

仮面の男は何を思い月詠つくよみ麗華れいかいざなうのか。古式東雲しののめ流の再興を決めた鈴代すずよの胸中は――
さまざまな思惑おもわくが夏の帝都に錯綜さくそうしていた。

第七章 第二話 カグツチ

ユリアとアーネンエルベに向かった。ホムンクルスについて詳しく話したい、ユリアがそう申し出たのである。

〔アーネンエルベ極東分局〕

【ユリア・クラウフマン】
イズの少年、断定はできませんが、
ホムンクルスの可能性はあります。
ホムンクルスは体の組成が、
一体ごとに異なるのです――
共通するものもあります。
皆、シュタインを内蔵しています。
シュタインはホムンクルスの
判断力をつかさどっているのです――
このメイド型は四石です。
シュタイン自体は改良版を使っています。
こちらの執事型は八石です。
この型にはクルト・ヘーゲンが、
指示を出しています。
シュタインの他に香腺こうせんという器官があり、
さまざまな指示を記録します。
その記録を刷り込みアプドロックと呼ぶのは、
もうご存知ですよね。
刷り込みアプドロックによってこの子たちは、
命令どおりに動きます。
でも、少年の形のホムンクルスは、
まだ見たことがありません。
十二石のホムンクルスを作る、
そういう話は聞いていますが……
【着信 帆村魯公】
どうだ、話は聞けたか?
沈静化しておったカグツチ騒動、
また再燃しておるようだ。
青山に大勢がもうでておる――
皆、カグツチから生まれた、
月詠つくよみ麗華れいか嬢が目当てだという。
セヒラもちらほらある――
ちょっと見てきてくれんか?
【着信 喪神梨央】
鈴代すずよさんが向かいました。
青山通、明治めいじ神宮前じんぐうまえ電停で、
落ち合ってください!
【ユリア・クラウフマン】
コウジンも巡視パトロール中ですが、
今日はボクトウ地区です。
アオヤマとは逆ですね。
私は研究室へ行きます――
【武装SS隊員】
ハイル――
【ユリア・クラウフマン】
ここではいいのよ。

〔青山街路〕

風魔ふうまの向かった青山通りは、渋谷方面に向かう人がそぞろ歩く。普段寂しい通りが人であふれていた――

【着信 喪神梨央】
今のところセヒラは観測しません。
ただ予兆はあります、
注意してください。
【赤坂署の巡査】
何の人出かと署ではいぶかっています。
青山通は別名陸軍通りくぐんどおり……
何か行軍でもあるのですか?
【如月鈴代】
この人たちが……
まさか、麗華れいかさんの元へ?
――そうなんでしょうか?
【九頭幸則】
おい、風魔ふうま
公務電車くらい出せよ!
中尉殿御一行は市電で――
梨央りおちゃんも水臭いな!
鈴代すずよもそう思うだろ?
【如月鈴代】
遅くなってごめんなさい、風魔ふうまさん。
市電、赤坂見附みつけから乗ったのですが、
青山一丁目で終点なんです――
【九頭幸則】
通りに人が多くて危ないからって、
電気局から指令が飛んだらしい。
公務電車なら平気だったのにな!

【薄荷売りの少年】
おいしい薄荷はっか水だよ~
一口スッキリ薄荷はっか水だよ~

【新聞売り】
号外だよ~
号外号外~
カグツチ再臨~
月詠つくよみ様ご降臨~

【九頭幸則】
月詠つくよみ様って……
つまり麗華れいかさんのことだな!
【如月鈴代】
麗華れいかさん、青山せいざんホテルね。
部屋を取ったって聞きました。
ホテルはこの先ですわ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、注意してください。
セヒラ観測しました――
もっとも基本的な波形ですが。
【九頭幸則】
基本的って何だよ?
緩い怪人ってことなのか?

【逓信局の職員】
お前たちか!
――ええ、そうなんだろ?
【九頭幸則】
落ち着け!
何があったんだ?
【逓信局の職員】
娘を返せ!
糸子いとこを返せ!
【如月鈴代】
娘さん、どうかなさったの?
【逓信局の職員】
あんな妙な新宗教にそそのかされて、
四日も家を空けたままだ!
お前たちが元凶だろ!
【九頭幸則】
娘さんは青山ホテルに行ったのか?
【逓信局の職員】
ホ、ホテルだと?
ますます、許さん!!

《バトル》

【逓信局の職員】
糸子~糸子~
どこにいるんだぁ……
【如月鈴代】
麗華れいかさんが……
彼女が会派をひきいているのですか?
【九頭幸則】
いや、回りが騒ぐだけだ。
鈴代すずよ風魔ふうま、青山ホテルへ急ぐぞ!

青山せいざんホテル〕

【九頭幸則】
すごい人出だな――
【如月鈴代】
麗華れいかさん、いるのかしら……

【本郷の学生】
僕はね、いつにない可能性を感じる。
何しろカグツチときたもんだ、
近代モダンカグツチは何をもたらすのか――
本郷ほんごうからね、足代あしだいはずんで、
今日で三日も通い詰めだ。

【小石川の婦人】
良人おっとの母の妹の姉の息子の嫁……
つまり私ですけれど――
思うところあり、参っております。
近頃、頭の中で声がしますの――
菊子の女学校時代のおねえさまの妹、
つまり私を呼ぶのです。
参りなさい、参りなさいと……
ですから、参っております。

【着信 喪神梨央】
わずかにセヒラを観測します――
ですが、脅威にはなっていません。
【如月鈴代】
麗華れいかさんが霊異りょういを現すと、
周りに影響を及ぼすのかも……
風魔ふうまさん、幸則ゆきのりさん、
私、ここで麗華れいかさんを待ちます。
【九頭幸則】
そういや歩三でも、
麗華れいかさんを持ち上げる動きがある、
そんな話を聞いた――
そろそろ歩三の召喚小隊、
演習の始まる時間だ。
風魔ふうまのぞきに行ってみよう!
じゃ、鈴代すずよ
麗華れいかさんによろしく!
【如月鈴代】
手に負えないことがあったら、
山王さんのうの本部に連絡を入れます。
お二人とも、お気を付けて。

鬼龍きりゅうが率いた歩三召喚小隊。その中に月詠つくよみ麗華れいかあがめる一派があり、予断よだんを許さない状況だという。風魔ふうま九頭くずは、演習が行われている、歩三本部へと向かった。

〔第三連隊本部〕

【九頭幸則】
見たところ、問題なさそうだな――
【常田松柏】
何やら良からぬうわさがあるが――
歩三はいたって平静だ。
歩一の方はどうかね?
【九頭幸則】
問題確認されておりません!
怪異に屈することなく、
励精れいせいこれつとむるにあります!
【常田松柏】
よかろう――

その時であった。
一陣の冷たい風が吹いたかと思うと、連隊本部の前庭に影が射した――

【叫ぶ声】
あっ! あれは――
【裏返った声】
カグツチ様だぁぁ~
【感嘆する声】
おおお! 月詠つくよみ様だ!!
【むせぶ声】
はぁぁぁ~
ついにご降臨こうりんあそばされたぁ~
【九頭幸則】
おい、風魔ふうま
――セヒラ球だ……
いや、カグツチか――違う!

【九頭幸則】
風魔ふうま
連中、怪人化したんじゃないか?
【常田松柏】
鵜野森うのもり少尉!
しずまれ!
――少尉! 聞こえんのか!!
【召喚小隊鵜野森うのもり少尉】
私を呼ぶのです――
早く参れ、早く参れと……
小隊の兵ら、皆、月詠つくよみ様をあがめ、
互いに引き合ったのです――
私は愈々いよいよ成るのです――
月詠つくよみ世界粛清しゅくせい親衛隊長に!
弱小極東小国など殲滅せんめつせんとす!
【常田松柏】
少尉! 少尉!!

《バトル》

鵜野森うのもり月詠つくよみ世界粛清しゅくせい親衛隊長】
列強国に並び立とうとする貴様らは、
やがて灼熱しゃくねつの炎に焼かれるだろう――
末代まで禍根かこんを残すのだ!!
貴様らの行く末は、
黒いきりに閉ざされている――
その闇はどこまでも深い!
【九頭幸則】
大佐――
ご無事でいらっしゃいますか?
【常田松柏】
ううう……
――今のは、何だ?
【九頭幸則】
怪人同士の戦いが繰り広げられ、
大佐もそれに巻き込まれたのです。
【着信 喪神梨央】
観測したところ、
大佐も一瞬だけ怪人に……
怪人になった模様です。
セヒラ球ですが、
白金しろかね方面へ向かいました!
【九頭幸則】
一瞬だけ、大佐も怪人に……
――そんなことがあるのか……
大佐、隊の衛生兵を呼びます。
動かないでください。
【常田松柏】
た、大尉は……まだか?
鬼龍きりゅう大尉だ……
京都をつとのしらせが……
【着信 喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉が上京するのですか?
幸則ゆきのりさん、事実確認をお願いします。
日程を調べてください!!
【九頭幸則】
了解した!
風魔ふうま、俺はここに残る。
お前はセヒラ球を追ってくれ!

清正公せいしょうこう前〕

第三連隊本部上空に現れたセヒラ球。そのせいか、隊の将兵らは怪人化した。セヒラ球は白金しろかねに向かったという。

【新山眞】
この場所はカグツチの聖地として、
あがめる市民も出始めています。
勿論もちろん、カグツチなどではなく、
邪悪マルボーナなセヒラの塊です――

【歓喜する声】
おいでです! おいでになりました!
月詠つくよみ様! あああ、感激ですわ!!

【驚嘆する声】
おお、何ということだ!
まさに、ここはまさしく聖地だ!

【祈る声】
お願いします、お願いします、
どうかお聞き入れくださいませ~

【新山眞】
あの中では帝都中の思念が流通し、
中にいる月詠つくよみ麗華れいかなる者は、
全てを見通せています――

【新山眞】
このまま思念を集め続ければ、
月詠つくよみ麗華れいかなる人物は――
まさしく全知全能チオスチオカイチオポーボの存在へと――
そこで急遽きゅうきょこしらえました――
思念増幅アンプリファード器です。
こいつで思念を増幅アンプリファードすれば、
セヒラ球の中ではうるさく響き合い、
何が何だかわからなくなる――
【着信 喪神梨央】
新山にいやまさん!
思念を増幅して聞き取れないように
するのですね!
【新山眞】
その通りです、聞き取れません!
さぁ、思念増幅アンプリファード器の、
スイッチを入れますよ!

そう言うや、新山にいやまは、手にした通信機のような装置の、スイッチを入れた。

【月詠麗華の声】
ここは母胎なのです――
そう教わりましたわ。
――誰にかというと……
それはわかりません。
私の中に響いてくるのです――
神さまのお声かも知れません。
この帝都にはいろんな考えが、
あるのですわね――
興味深く拝聴はいちょうしました。
大変、いきどおる方がおいでですわ。
新文民社で穏健派を標榜ひょうぼうする方――
憲兵に捕まって大変なことに!
でも私が探しているのは、
もっと別のことなのです――
それがちっとも聞けやしません。
豪人たけとさまは京都においでなのですね。
私、豪人たけとさまから継がねばと思い、
いているのですが……

京都は遠すぎるのですわ!
母胎にはもっと栄養が必要――
どうもそのようですわ。
先程は混乱してしまいましたわ。
いっそ、人をそのまま吸い取ると、
そうなるようですわ!

【着信 喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉が京都をつと――
詳細は調査中です。
麗華れいかさんはまだ知らないようです。
【新山眞】
鬼龍きりゅう大尉は……狙われていますか……
月詠つくよみ麗華れいかに……
――ここは手を打たねば!

うわぁぁぁ~

〔時空の狭間〕

【新山眞】
こう何度も飛ばされると、
慣れっこになりますね――
いや、なりません!
おや、イオか来ますよ……
アストラルです!

【満鉄列車長の使いアストラル】
見ませんでしたか?
【新山眞】
見るって、イオをですか?
【満鉄列車長の使いアストラル】
列車長が困っています。
重たいのがいて列車運行できないと。
【新山眞】
重いペーザ
それはぺ……ペ……言葉が出ない……
――重量のことですか?
【満鉄列車長の使いアストラル】
気分的に、重いのです。
――それは憤慨ふんがいする者ですよ。

【穏健派Fアストラル】
どうやら私はめられたようです。
あの興亜こうあ貿易の社員です、
私が尾行した相手です。
彼は内務省の建物に入ったのです。
彼は私が疑っていることを、
はなから知っていたようです。
それで私が尾行するようにした――
ある日、新文民社の集会があり、
彼も参加していました。
彼は手帳を机上に置いたまま、
ほんの五分ほど中座ちゅうざしたのです。
手帳には私の名前がありました。
その手帳がわなだったのです。
私が盗み見するよう仕向けたのです。
【新山眞】
その人物はスパイだったんですね?
――それで、あなたは今、
どこにいるのですか?
【穏健派Fアストラル】
私は今、一ツ橋の憲兵司令部の地下、
談話室という汚れた部屋にいます。
壁の茶色い染みは血液ですね――
先程、今日、三本目の注射を打たれ、
私の意識は遠のいていきます――
反して思念はかように明瞭めいりょうなのです!
あなたもあの男と同じ臭いがします。
――組織の人間の臭いです!
【新山眞】
喪神もがみさん、注意してください!
話し合える様子はないです。
【穏健派Fアストラル】
ああ……遠のいていく……
部屋がぐるぐる回り始めた……

《バトル》

【穏健派Fアストラル】
目の前にいきなり光が射して……
田舎のおっかぁが見えた!
ああ、おっかぁ~おっかぁ~
おっかぁの顔が……
ゆがんで……色まで変わって……
――歯がボロボロ抜け落ちる!!
【新山眞】
何とか障害はのぞけたようです。
――ところで、彼をめた人物、
調べる価値はありそうですね。

【満鉄列車長】
ありがとうございました!
重いのがなくなり、運行開始です。
当列車、青山新京シンキョウ品川しながわ図們トモンを結ぶ、
青品線最終となります。
【新山眞】
私たちは品川しながわ図們トモンに向かうのですね?
向こうにはどんなアストラルが、
いるのですか?
【満鉄列車長】
よくはわかりませんが、
新しく接続した場所では、
新しいアストラルを見かけます。
では、当列車、
品川しながわ図們トモンに向けて出発します。

時空の狭間を出発した帝都満洲あじあ号は、一路、品川しながわ図們トモンを目指した。果たしてそこは荒涼こうりょうとした場所だった――

品川しながわ図們トモン第一街区〕

【新山眞】
何とも荒涼こうりょうとした場所ですね。
アストラルもいますよ。
――連中、新しいのでしょうか?
【着信 喪神梨央】
品川しながわ図們トモンに思念増幅器を、
設置しますか?
安全な場所を探しましょうか?
【新山眞】
いえいえ!
ここでそんなことしたら大変です。
今、装置は切っています。
喪神もがみさん、アストラルは正直です。
歩三のアストラルがいれば、
鬼龍きりゅう大尉の予定を尋ねてみます。
大尉はいつ東京に着くのか――
歩三に乗り込んだところで、
絶対に口外しないでしょうから。
品川しながわ図們トモンに来られたのは幸いです。
歩三のアストラルさえ捕まえれば、
月詠つくよみ麗華れいかさきんじられます!

【新文民社構成員Tアストラル】
青山の拠点に憲兵が踏み込んだ?
ふん、そうなることはわかっていた!
韮山にらやま儀礼ぎらいは当局から金をもらい、
内部情報を渡していたに違いない!
【新山眞】
韮山にらやま氏が音頭おんどを取って、
帝大の文民社から分離したんですね?
【新文民社構成員Tアストラル】
穏健な活動を目指してね。
でも、そこに当局が付け込んだ。
内側から瓦解がかいさせる魂胆こんたんなんだ!
こうなったら仲間をつのって、
新たな会派を作るしかない!
【新文民社構成員Eアストラル】
新文民社が分裂しないよう、
結束を呼びかける構成員もいる。
興亜こうあ貿易の影森かげもり愁一しゅういちさんだ。
影森かげもりさんは新文民社の名簿を作り、
皆に結束を呼びかけるようだ。
文民社の名簿も同時に作ると言う。
【新山眞】
名簿なんか作ると、
かえって危ないのではないですか?
【新文民社構成員Eアストラル】
そ、そうなのか?
――考えても見なかった!
本名と住所を教えてしまった!

【新文民社構成員Dアストラル】
新文民社を離れて、
カグツチさまの霊異りょういに頼る、
そういう動きもあるようです。
【新山眞】
アナーキズムの精神は、
どうなるのですか?
【新文民社構成員Dアストラル】
カグツチ様から新たなる力を得て、
それを国家転覆てんぷくに利用する、
そういう考えのようです――
私もこれから白金しろかねへ……
カグツチ様にお願いしに行きます。
【新山眞】
アナーキスト連中も、
霊異りょうい魅了みりょうされていますね。
歩三のアストラルを探しましょう。

品川しながわ図們トモン第三街区〕

【新山眞】
おそらく歩三のアストラルでしょう。
尋ねてみます――
こちら、第三連隊召喚小隊ですか?
――みなさん、おそろいで……
【召喚小隊S一等兵アストラル】
ええ、自分、小隊一等兵、
そこに同軍曹、あちらに同大尉です。
【新山眞】
それではお尋ねしますが、
貴隊の鬼龍きりゅう大尉は、
いつお戻りになりますか?
【召喚小隊S一等兵アストラル】
K隊長……ですか?
――今更戻っても……
【新山眞】
小隊はどうなりましたか?
【召喚小隊S一等兵アストラル】
今、自分は隊舎の二階から、
中庭を見下ろしておりますが……
もう隊は持ちません!
皆、あのカグツチ様とやらに――
あれこそ求めていた力だと、
部隊を抜ける者もいます。
陸軍刑法第七十五条、逃亡罪――
ゆえナク職役ヲ離レル者ハ処断しょだんス!
――火急かきゅう処断しょだんすべし!!

【新山眞】
お尋ねします軍曹、
隊長の鬼龍大尉は戻られましたか?
【召喚小隊T軍曹アストラル】
隊長が戻られたから、どうなる?
召喚小隊などとしきりと喧伝けんでんするが、
その実、三割ほどは怪人が混ざる。
【新山眞】
ええ!
本当ですか――
かねがねうわさはありましたが……
【召喚小隊T軍曹アストラル】
古株のUはまったき怪人だった――
先日、とうとう魂をわれた。
まともな召喚師などおらんのだ!
【召喚小隊M大尉アストラル】
隊舎の屋上からカグツチが見える。
あれは清正公せいしょうこう前のあたりか――

【新山眞】
大尉、鬼龍隊長は、戻られますか?
【召喚小隊M大尉アストラル】
おお、K大尉か!
この一週間、京都の山端やまばなホテルだ。
――だが今日は泊まらん。
【新山眞】
え?
それでは、今日、東京に……
【召喚小隊M大尉アストラル】
そう聞いている。
夜十二時前の夜行だそうだ。
K大尉、奴は悩んでいる――
審神者さにわとしての自分、
召喚師としての自分……
二人の自分が互いを排除する……
修練を積むほどにみぞが深まる、
どちらかを手放すべきなのではと――
【新山眞】
それは……術を封印する……
いや、むしろ奥義を伝授する、
そういうことでしょうか?
【召喚小隊M大尉アストラル】
くわしくは知らないが、
そのようなことだ――
問題は誰に伝えるかだ。
奴の悩みはそこにあるのだ。
機根きこんもって術を継ぐ者があるのか……
【新山眞】
喪神もがみさん、鬼龍きりゅう大尉の上京、
今晩の夜行とのことです。
明日朝には東京に着きます。
増幅器、あと二台あります。
三台の増幅器を使い、
清正公せいしょうこう前を囲む結界を張ります。
さぁ、急ぎましょう!
帝都に戻るのです!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
兄さん、帝都満州の様子ですが、
少し変わってきたみたいです。
人の名前を語るアストラルが、
出始めているようですね。
新山にいやまさんが気付かれました――
その新山にいやまさん、あの機械を抱えて、
大急ぎで出ていきましたよ。
品川駅前、目黒駅前、一の橋電停と、
セヒラ球の浮かぶ清正公せいしょうこう前を囲む、
三角形に機械を設置するそうです。

新山は3台の思念増幅器を用いて、清正公せいしょうこう前を囲む結界を張るという。

【喪神梨央】
それで思念増幅の結界を作って、
雑音だらけで思念を確かめられない、
そういう仕組みだそうです――
東海道線の時間ですが……
京都今夜十一時四十五分の夜間急行、
東京着が明日朝九時三〇分です。
朝、八時、東京駅構内に、
歩一の二個小隊が待機し、
鬼龍きりゅう大尉を確保するとのことです。
白山はくさんの方に歩一の集会所があります。
そこは電話も通じていなくて、
勿論もちろん、住所は非公開です。
鬼龍きりゅう大尉の身柄、
しばらくそこに留め置くようです。

月詠つくよみ麗華れいかの現す霊異りょうい如何程いかほどのものか、市民の多くはそれを知らない。しかし宙に浮くセヒラ球がすべてを語る。その霊異りょういにあやかりたい組が続出している。アナーキストの一派、それに第三連隊、召喚小隊も月詠つくよみ麗華れいかあがめ立て始めた――

第六章 第十三話 ゆりかご

突如とつじょ白金しろかねの上空に現れた光球――
人々からカグツチと呼ばれるようになり、またたく間にうわさは帝都中に広がった。新聞が書きたて、ラヂオが中継をし、清正公せいしょうこう前には物見遊山ものみゆさんの市民が、連日、押し寄せるようになった。

【ため息混じりの女の声】
ああ、カグツチさま……
私の願いを聞いてくださいまし!
【祈るような男の声】
勝負に出るんです、カグツチさま!
満洲で一旗ひとはたげるんです、
私の背中を押してくだされ!!
【甲高い子供の声】
なんか、昨日と違うよね!
大きくなってないか……
辛坊しんぼう、お前、どう思うんだよ!
【感極まった女の声】
あああ……カ・グ・ツ・チさま……
あなたさまを見ていると、
私は、私は……ああああっ!
【冷静な男性の声】
ふんふん……なんてことはない。
あれは水蒸気に光が屈折してだね、
その結果だね――
【いきり立つ男の声】
おいあんた!
カグツチ様に向かって、
何が水蒸気だ! この馬鹿野郎!!
【憤慨した男の声】
おい!
何をする!
ぶつかって謝罪もなしか、貴様!
【叫ぶ女の声】
何をなさるの?
ちょっと、やめてください!!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
興亜日報こうあにっぽうに、
今日のカグツチ様という記事が……
――あっという間に広まりましたね。
【帆村魯公】
うむ。白金しろかねあたりだけで、
収まってくれればと思うたが――
ブンヤの連中め!
【喪神梨央】
新聞だけじゃないです、
ラヂオでも散々やってました。

【ユリア・クラウフマン】
お早うございます――
【喪神梨央】
お早うございます、ユリアさん!
ユリアさん、白金しろかねのカグツチですが、
独逸ドイツでも同じようなこと、
あったりしますか?
【ユリア・クラウフマン】
球体ク―ゲル――
そのような事例、報告はありません。
【帆村魯公】
市民はカグツチなどと言っておるが、
あれはまぎれもなくセヒラだまだ。
【ユリア・クラウフマン】
ラジオでも言っていました、
そのカグツチとは何ですか?
【帆村魯公】
日本の神話に出てくる神だ。
火之迦具土神ひのかぐつちのかみまたは火産霊ほむすびと言う、
火の神だな――
【喪神梨央】
イザナギ、イザナミの間に産まれ、
産んだイザナミは火傷やけどをして、
死んでしまいます――
カグツチはイザナギに殺されますが、
その血や死体から多くの神さまが
産まれているのです。
【ユリア・クラウフマン】
火をあがめる文化って、
西洋ではゾロアスター教ザラスシュトラから
伝わっています。
【帆村魯公】
希臘ギリシア神話ではプロメテウス――
だが、白金のは火の神などではない、
あれはセヒラだ、間違いない。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、まだあの中に、
いらっしゃるのでしょうか?
【ユリア・クラウフマン】
私、思うのですが……
あれは異界ではないですか?
帝都では球体として縮まっている――
球体は同じ体積なら立方体等と比べ、
最も表面積が小さくなります。
触れ合う面積が小さくて済むのです。
【帆村魯公】
なるほど!
本来、存在し得ない場所にあるなら、
球体というのは合理的な形状だ。
【喪神梨央】
隊長、あのセヒラ球ですが、
時々、仮面の男のに似た
波形を観察します。
【ユリア・クラウフマン】
あれはレイカを飲み込んだものと、
同じものだと思います。
それが帝都を移動しているのです。
【喪神梨央】
異界が帝都に現れたのですね。
波形以外に、じかに調べる方法とか、
ないんですか?
【帆村魯公】
軍の気象部にだな、観測気球を使い、
セヒラ球を調べられないか、
さっき打診だしんしてみたんだよ。
【喪神梨央】
あっ、そうなんですね!
それで、どうでしたか?
【帆村魯公】
気象部では怪異の観測などせんと、
あっさり断られたよ。
【ユリア・クラウフマン】
実は……
フロイラインがすごく興味を示し、
あの場所に向かおうとするのです。
フロイラインはレイカのこと、
覚えていたのです。
【喪神梨央】
兄さん!
麗華れいかさんが見つかりました!
歩一の哨戒兵しょうかいへいが発見しました。
今、歩一から連絡が。
【帆村魯公】
なんと!
場所はどこなんだ?
【喪神梨央】
セヒラ球の近くです、魚籃坂ぎょらんざかです。
近辺、セヒラも上昇しています。
すぐ公務電車の手配します!
【ユリア・クラウフマン】
私、フロイラインを見てきます。
大丈夫そうなら支援に差し向けます。

月詠つくよみ麗華れいかが見つかった――
そのしらせを受けて風魔ふうま魚籃坂ぎょらんざかへ向かった。いつになく多くの市民が街路にいた。

魚籃坂ぎょらんざか

【着信 喪神梨央】
カグツチ……じゃなくて、
セヒラ球に影響されている人が、
たくさんあるようです――
怪人化する手前……
そんな人たちの周辺に、
セヒラが濃くなっているみたいです。
【高輪署の巡査】
今日はやけに人が多いんで、
こうして巡視パトロ―ルしているわけです。
皆、大人しく家にいればいいものを、
あんな、カグツチだなどと……
かくいう私もね、
出世祈願したわけですな!
ひぃぃぃぃ~
【芸術家肌の男】
一人の女がね、夢に出てきたんだ。
手を伸ばせば私に届くわ、
その女はそう言った――
僕の油絵のモデルだった人なんだよ、
苗字みょうじは水之江さん、名は節子さん。
節子さん、絵の具を飲んで死んだ。
――カドミウム中毒らしい。
薔薇ばら裸婦らふの絵を描いていたんだ。
半ば完成したその絵は、
彼女の死後、すっかり色がせた!
節子さんは死に、絵の色が消え、
そして彼女が僕の夢に出た!
僕は、いざなわれているんだ!
節子さん!!
今、そっちに行くよ!!
【菓子問屋の娘】
狐狗狸こっくりしゃべれなくなった妹、
日中はずっと押し黙っているのに、
寝言だけはくのよ――
それもね、赤坂哈爾浜ハルピンだの、
市ヶ谷いちがや斉斉哈爾チチハルだの、
なんかもう、気味悪くって。
カグツチ様に頼むと、
妹なんかいなくなる――
だからこの人形、奉納ほうのうするのよ!

【帆村魯公】
何だか春先の怪人騒動を想い出すな。
それぞれの事情で、
怒りや憎しみをたぎらせ、
ある者は想いを強める――
【着信 喪神梨央】
そうですね――
怪人初心者って感じです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
強いセヒラを観測しました!
これまでとは違います!

【月詠麗華】
…… 
【着信 喪神梨央】
帥士すいし、どうしました?
強いセヒラです!
怪人ですか?
――もしかして……

《バトル》

【月詠麗華】
…… ……
【着信 喪神梨央】
今の人、麗華れいかさんじゃないです――
ドッペルゲンガ―かもしれません。
あの時と似た波形でした。
【ラヂヲ商の倅】
真空管をね、じっと見ていると、
自分がそれになったような気がする。
真空管だよ――
僕の中で、ぼ―っと光るんだ。
――命の炎ってやつかな。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程の波形、赤坂に出ました。
みすじどおりです、急行してください!

〔みすじ通〕

公務電車を山王下さんのうした電停で降り、急ぎ向かったみすじどおり――
そこには異様な光景が広がっていた。

【召喚小隊神鳥谷ひととや軍曹】
歩三、召喚小隊……であります……
第三十八分隊……全滅……
であります……
敵は……審神者さにわと思われます……
――全部で六体を確認……
小隊長は……
――鬼龍きりゅう小隊長は……
所在しょざい、不明であります……

うわぁ!
来るな! こっちに来るな!

【月詠麗華】
…… 

《バトル》

【月詠麗華】
…… ……
【着信 喪神梨央】
やはり、ドッペルゲンガーです。
セルパン堂の前で採集した、
あのときと同じ波形です――
兄さんと私の、
ドッペルゲンガーが現れた時と――
【着信 ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが、
シミズダニに向かいました。
何かあるのかも知れません!
確認お願いできますか?

〔清水谷公園〕

【薬商の男】
支那シナ阿片丁畿アヘンチンキを輸出する、
そんな仕事をしています。
今朝方、富山とやまから戻りました。
一旦、家に帰ったんですがね、
――家でさいが首をっていたんです。
ふほほほほ、おかしいでしょ?
鴨居かもいに浴衣の帯を結んで、
ぶら~ん、ぶら~ん――
アレは莫迦ばかですね、まったく。
日支人にっしじん融和ゆうわもくして働く私を、
アレは侮辱ぶじょくしたんだ!
全くもっゆるせない!
首をくくってどうなるもんじゃない!!

【フロイライン】
…… ……

【着信 ユリア・クラウフマン】
フロイライン……
聞こえていますか?
――あなたは……フロイライン?
【メイド型ホムンクルス】
……

《バトル》

【メイド型ホムンクルス】
…… ……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
付近のセヒラ、しずまりました。
お客さんがお見えです。
ホテルロビーに来てください。

〔山王ホテルロビ―〕

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
先程のはフロイランではありません。
ドッペルゲンガーです――
フロイラインはホテル前にいました。
シミズダニには行っていません!
【帆村魯公】
ユリア女史のフロイラインと、
麗華れいかさんは同時に飛ばされた。
そして同じように、
ドッペルゲンガーをもたらした――
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインは帝都に戻りました。
でもレイカは戻らない……
まだ、あの球体の中にいるのですね。
【帆村魯公】
こんなに長くセヒラ球の中にいて、
果たして大丈夫なのだろうか……

そうだ、風魔ふうま
京都から聖宮親王ひじりのみやしんのう
お見えだ――
殿下、ご紹介します。
こちらがユリア・クラウフマンさん、
そしてこちらが我が喪神もがみ風魔ふうまです。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
はじめまして、
成樹なるきです。
【ユリア・クラウフマン】
はじめまして、
ユリア・クラウフマンです。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
あなたは、アーネンエルベの――
確かローレンツ博士の娘さんですね。
錬金術に医科学を取り入れた方です。
【ユリア・クラウフマン】
よくご存知でいらっしゃいますね。
私はホムンクルスの研究をします。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
そうでしたか!
研究ははかどりますか?
【ユリア・クラウフマン】
日本に来て随分と進みました。
日本の資源は素晴らしいですね。
実は今、
調子の悪いホムンクルスがいます。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
それは心配です。
どうかお戻りになってください。
また研究の話でもお聞かせください。
【ユリア・クラウフマン】
有難うございます。
それでは殿  下ザイネ ホーハイト――
私はこれにて失礼いたします。
聖宮ひじりのみや成樹なるき
あなたが喪神もがみ風魔ふうまさんですね。
うわさはかねがね聞いております――

聖宮ひじりのみやは京都の瑛山会えいざんかいに加わっていること、山王さんのう機関の設立に一枚んでいること、そして京都でも波形分析をしていると語った。
魯公ろこう瑛山会えいざんかいの存在は知っていたが、聖宮ひじりのみやと会うのは初めてであった。帝都の怪異とその対策について話した。
そして、白金しろかねの上空に現れたセヒラ球、その中でとらわれている麗華れいかのこと、帝都に現れたドッペルゲンガーについて、現在、つまびらかになっていることを話した。聖宮ひじりのみや魯公ろこうの話を深く聞き入っているようだ。

〔山王機関本部〕

聖宮ひじりみや成樹なるき
ここでなら話せますね――
皆さんにお知らせしておきます。
第三連隊の鬼龍きりゅう大尉ですが、
京都の師団で身柄みがらを保護しています。
【帆村魯公】
そうでしたか!
京都の師団とは、確か……
【喪神梨央】
第十六師団です。
大尉が独逸ドイツに渡る前の所属師団です。
殿下……
少しお尋ねしてよろしいですか?
聖宮ひじりみや成樹なるき
何でしょうか?
【喪神梨央】
鬼龍きりゅう大尉を京都で保護するのは、
麗華れいかさんから遠ざけるためですね?
聖宮ひじりみや成樹なるき
明察めいさつですね、その通りです。
麗華れいかさんの覚醒かくせいすさまじく、
我々もずっと監視していました。
古式東雲しののめ流と呼ぶにふさわしい、
大変立派なものです。
しかし、まだ完全ではない――
彼女は東雲しののめ奥義おうぎを求めています。
それを鬼龍きりゅう大尉に求めるのです。
【喪神梨央】
でも、鬼龍きりゅう大尉は、
独逸ドイツで召喚師になったんですよ。
東雲しののめ流を捨てて――
聖宮ひじりみや成樹なるき
彼を見くびってはいけない――
大尉は東雲しののめ奥義おうぎを極めていました。
渡独とどく以前に審神者さにわの域にありました。
【帆村魯公】
なんと! 
あの鬼龍きりゅうが……東雲しののめ奥義おうぎを……
ちっとも見抜けなんだ!
聖宮ひじりみや成樹なるき
独逸ドイツのトゥーレのやかたでは、
髑髏どくろ聖槍ロンギヌスを用いた秘法伝授イニシエーションにて、
生まれ変わりを体験します。
しかし東雲しののめ審神者さにわとしての資質が、
大尉がマイスターになるのを阻害そがいし、
大尉はそれで悩んでいます――
【喪神梨央】
兄さんがセヒラ球の中で聞いた、
麗華れいかさん思念の言葉……
――豪人さまは、
大切な二つのものをおそなえです――
聖宮ひじりみや成樹なるき
私もその同じ記録を確認しました。
麗華れいかさんは気付いていたのです。
大尉からなら奥義おうぎを授かれると――
それで参謀に掛け合い、
急遽きゅうきょ、京都から師団を派遣して、
鬼龍きりゅう大尉を保護したわけです。
【帆村魯公】
今、麗華れいか嬢が審神者さにわとなるのは、
やはりまずいわけですかな?
聖宮ひじりみや成樹なるき
彼女に影響を与える者がいる、
そう考えたほうが安全です。
今は慎重を期す時なのです。

【新山眞】
みなさんチーウィ
わたしは もどりましたレヴェニス
【帆村魯公】
に、新山にいやま君!
ぜんたい無事だったのか?
【喪神梨央】
新山さん、今、何と仰ったんですか?
【新山眞】
戻りましたと――
そう言ったつもりですが。
聖宮ひじりみや成樹なるき
最初のチーウィ――
皆さんという意味ですね。
これはエスペラント語です。
【喪神梨央】
新山さん、
エスペラント語、できるんですか?
【新山眞】
ミ ネニアム レーニス 
ラ エスペラーント――
聖宮ひじりみや成樹なるき
エスペラント語を習ったことはない、
そうなんですね?
――ではどうして喋れるんですか?
【新山眞】
ミ ネ シティーアス――
わかりません……
おそらくはセヒラ異常のせいかと……
聖宮ひじりみや成樹なるき
なるほど――
似た事例は聞いたことがありますね。
ともかくご無事で何よりです。
【新山眞】
ダーンコン……
あっ、いえ、ありがとうございます。
こちらに来たのは、
月詠つくよみ麗華れいかさん、愈々いよいよ、現れました。
――それをしらせに。
【喪神梨央】
ええ?
どこなんですか、場所は?
【新山眞】
青山せいざんホテルです。
市電青山車庫近くです。
聖宮ひじりみや成樹なるき
青山せいざんホテル、梨本宮邸なしもとのみやていの近くですね。
喪神もがみさん、参りましょう!

青山せいざんホテル〕

聖宮ひじりみや成樹なるき
ユリアさん、
どうしてここへ?
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインが教えてくれたのです。
古い香腺こうせんを取り出して溶かしました。
硫酸りゅうさん香腺こうせんを溶かすと模様が現れ、
それを読み解くのです――
聖宮ひじりみや成樹なるき
それで、
月詠麗華つくよみれいかさんは……
【ユリア・クラウフマン】
きっとここに……
ここはレイカのえにしの場所です。
レイカは生まれたばかりです――
あの球体は、
異界のゆりかごヴィーグなのです――

【ユリア・クラウフマン】
レイカ……
あなたは、もう――
聖宮ひじりみや成樹なるき
月詠つくよみ……麗華れいかさん……
招かれる者は多いが、
選ばれる者は少ない――
あなたは選ばれたのですか?
【月詠麗華】
幾度いくども戦いの夢を見ました――
天から地から、幾柱いくはしらもの神さまが、
私をめがけておいでになります……
戦いの中で私は自分を失い――
ばらばらになったのです。
気が付くとあの異界の中に……
異界ではすべてが見通せます。
いろんな考えが飛び交っていて、
時には声すら聞こえてきます――
ちっともさびしくなんて、
ありませんでしたわ!
私、風魔ふうまさまや梨央りおさんが
分身を現したことがうらやましくて、
ふとそのことを思いました――
【ユリア・クラウフマン】
レイカが思ったから、
ドッペルゲンガーが現れたの?
【月詠麗華】
みるみる明瞭めいりょうになって、
なんだか私、嬉しくなりました!
異界の中では思うことが実現する、
何でも望みがかなうのです――

風魔ふうまさま……
私、風魔ふうまさまのようになりたい、
そう願い続けていますの――
きっと、なれますわよね?
お約束くださいな!

月詠つくよみ麗華れいか青山せいざんホテルへ入っていった。ユリアと聖宮ひじりのみやがそれを見送った。

【ユリア・クラウフマン】
分身を……望んだ……
フロイラインも……
分身を望んだのかしら――
聖宮ひじりみや成樹なるき
喪神もがみさん――
麗華れいかさんのこと、経過を見ましょう。
波形の観察は続けます。
参謀本部のつかんだ情報では、
ナチのフォス大佐が、
アーネンエルベに着任するとか。
いろいろと動きが出てきそうです。

その後、ほどなくして白金しろかねのセヒラ球は消え、市中のカグツチ騒動は一段落した。月詠つくよみ麗華れいか青山せいざんホテルに部屋を取った。

第六章 第十二話 セヒラ特異点

〔山王機関本部〕

上野に現れた死ぬ死ぬ団――
その後、市内に模倣者もほうしゃも現れはしたが、脅威きょういをもたらすに至ってはいない。

【喪神梨央】
兄さん、ユリアさんのフロイライン、
石が新しくなったんですって!
【ユリア・クラウフマン】
シュタインの数は四石のままですが、
状況判断の面で性能が上がりました。
【喪神梨央】
それじゃ、自分で怪人見つけて、
鎮定ちんていに向かったりするんですか?
【ユリア・クラウフマン】
それは出来ませんが……
セフィラの流れを感知して、
意味を見つけるようになりました――
【帆村魯公】
意味を持つセヒラは、つまり思念だ。
帝都に流れる思念はセヒラの力を得、
人に強い影響を与えるようになった。
【喪神梨央】
前はそんなことなかったんですよね?
【帆村魯公】
ああ、そうだな……
帝都で事変が頻発ひんぱつするようになって、
思念もセヒラを抱くようになった――
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、言葉を捕まえます――
すれちがつた今の女が
眼の前で血まみれになる
白昼の幻想
【喪神梨央】
あっ!
それって、市ヶ谷見附いちがやみつけでも聞いた……
猟奇歌りょうきうたですよ!
【帆村魯公】
作家、夢野久作ゆめのきゅうさくんだ口語こうご短歌だ。
猟奇の雑誌に連載されている。
【ユリア・クラウフマン】
方々ほうぼうにその歌を思う人がいて、
歌だけがまるでラヂオ電波のように、
帝都を飛び交っているのです。
フロイラインは、
それを捕まえるのです。
――ずっと聞かされて、疲れました。
【帆村魯公】
性能の上がった副作用みたいなもの、
そのうち慣れるぞ、ユリアさん。

【九頭幸則】
歩一の九頭くず中尉です。
あっ、ユリアさんもおいでで!
今日はひときわ見目うるわしゅうて――
【喪神梨央】
死んだ将校
徽章きしょうがされ
どろんと遠くを見やる
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん……
――何だか、ご機嫌ななめ?
【喪神梨央】
そんなことないです。
そういう歌が流行はやっているらしいです。
【九頭幸則】
ふーん……
何だかドキッとしたよ。
【ユリア・クラウフマン】
クズさん、ハチブンの情報、
新しくなりましたか?
【九頭幸則】
そうそう、それで来たんです。
高輪たかなわで通りに大きな人形置いて、
通行の邪魔しているって――
怪人の是非ぜひを調べるべしと。
【喪神梨央】
大きな人形って、あれですよ、
上野公園の着包きぐるみの事変です。
あの社長という人……
【九頭幸則】
キ・グ・ル・ミ……
何だい、それは?
【喪神梨央】
兄さん、不明者が出ないうちに、
なんとかしなきゃ!
警察に通報します、兄さんは巡視パトロールを。
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも出動させます。
フーマ、お願いします!
【喪神梨央】
とらもん方面、事故発生中です。
六本木ろっぽんぎ霞町かすみちょう経由、天現寺橋てんげんじばしまで、公務電車を進めます。
【ユリア・クラウフマン】
フロイラインも同乗させてください。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測しました。
魚籃坂ぎょらんざかです。

〔魚籃坂〕

【芝高輪署の巡査】
参謀本部から直々じきじきに連絡があり、
やって来たらこの有様!
これ、どうするんですか?
いちじるしく往来おうらいさまたげとなっています。
軍の方でなんとかならんのですか?

【村田洋行の運転手】
脇を抜けようとするんですが、
何かがあって進めないんです。
――困りましたなぁ……
品川駅にお客さんを迎えるんです。
【芝高輪署の巡査】
でしたら、魚籃坂下ぎょらんざかしたから、
清正公前せいしょうこうまえ経由で高輪たかなわから品川駅、
その道でお行きなさい。
【村田洋行の運転手】
いささか遠回りにはなりますね。
【芝高輪署の巡査】
なぁに、三分十八秒しか
変わりませんよ、三分十八秒!
ここにいてもらちきません。

【高輪台町の扇子屋】
私、見たんですがね、これ、
伊皿子いさらごの方から降りてきたんです。
新手のちんどん屋かと――
でも、この往来おうらいの真中で
止まってしまったんです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
その人を近づけちゃダメです!!

【着信 喪神梨央】
強烈きょうれつなセヒラです、
注意してください!!
【比類舎革命隊Mの思念】
今さっき、武相屋ぶそうや旅館、御岳おんたけで、
昇汞水しょうこうすいを一気に飲んだ!
じきに全身くまなく毒が回るだろう――
まさにこの瞬間、思念は最高潮!
益々ますます意識は先鋭化せんえいかする!
だが――
私は何処どこに向かえばよいのだ?
御厨みくりや先生は、なぜおいでにならない?
我々の計画はどうなった?
――もしや頓挫とんざしたのか?
【比類舎革命隊Aの思念】
みすぼらしい旅館の小部屋で、
僕は意識が遠のいていった――
気がつくと僕は病院のベッドだった。
――僕は、死にきれなかった……
いや、命が助かったんだ!
その瞬間、僕には希望の光が見えた!
生きるんだ、生きてこそなんだ――
新しい目的を見つけよう!
その時、一人の看護婦が来て、
僕の鼻に脱脂綿だっしめんをかぶせた――
びんに入った液体を脱脂綿だっしめんに垂らし……
何滴か垂らされるうちに、
またもや僕の意識は遠のいた――
それから……
暗闇をただよい、ここにいる――
――僕は、死んだのか?
一度、助かったのに!
――殺されたのか?
【メイド型ホムンクルス】
ある女の写真の眼玉にペン先の
赤いインキを
注射して見る

《バトル》

【比類舎革命隊Aの思念】
あの看護婦はおかしな目をしていた。
目が……目が……
金色に輝いていたんだ!
【万年学生】
良いアルバイトくちがある、
そう言われてやって来たのに……
これじゃ、話が違う――
【着信 喪神梨央】
セヒラは解消されました。
――一度戻ってください、
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
【着信 新山眞】
セヒラの特異点、
どうやら帝都満洲にありそうです。
山王さんのう機関本部でお待ちしています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん。
ユリアさんのフロイライン、
ちゃんと戦えましたね!
【新山眞】
たいした技術です。
我々も負けておれません。
喪神もがみさんにひとつお願いがあります。
この新開発の装置を、
帝都満洲に設置してください。
セヒラ歪振器わいしんきと命名しました。
【帆村魯公】
ほう、また随分と難解なんかいな命名ですな。
セヒラ歪振器わいしんき……読んで字のごとしか。
で、そいつを帝都満洲に?
【新山眞】
そうです!
セヒラのゆがみを打ち消すことで、
特異点のがわかります。
【喪神梨央】
麗華れいかさんの居場所も、わかりますか?
【新山眞】
手がかりはつかめるでしょう。
【帆村魯公】
ふむ、心得ました。
風魔ふうまや、九頭くず中尉に同行願おう。
さっそく京都の方に協力を仰ぐ――

魯公ろこうは電話をかけるため場を離れた――

【新山眞】
京都には高名な物理学者がおいでで、
その方の青写真ありきと伺いました。
何もかもが、計画の内です。
【喪神梨央】
あの釣鐘つりがねを運び入れたのも、
きっとそうなんですね。
――私達も青写真の内でしょうか?
【九頭幸則】
溜池通ためいけどおりのオウルグリルにいたんだ。
オムライスを食っている最中さなか
伝令が大慌おおあわてでやって来てね。
【喪神梨央】
それでいつになく
早かったわけですね。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
観測器はちゃんと預かったかな?
――何でしたかな、名前は?
【新山眞】
セヒラ歪振器わいしんきです。
【帆村魯公】
そうでした!
今回は帝都の高輪たかなわに照応する場所、
帝都満洲の高輪たかなわ延吉エンキツに向かう。
今のところ、わずかながら
セヒラを観測するのは高輪たかなわだけだ。
帝都満洲にも何か沙汰さたがあるはず。
【新山眞】
怪人も種類が増えてきています。
電話で人生相談しただけで、
怪人になる者もある始末――
悪意をたぎらす者ばかりではない。
そういう状況を解明できそうです。
【帆村魯公】
風魔ふうま九頭くず中尉、十分に
注意してかかってくれ。
【九頭幸則】
承知しました!
さぁ、行くぞ、風魔ふうま
あじあ号が俺たちを待っている!

【満鉄列車長】
今回より皆様にご奉仕ほうしさせて頂く、
満鉄列車長にございます――
【九頭幸則】
列車長というからには、
一番偉いのかな?
【満鉄列車長】
左様さようにございます。
私は南満洲鉄道あじあ号に、
実際に乗務じょうむしておりました。
ある日、新京しんきょう宿舎しゅくしゃで、
自分はまだ職務をまっとうしていないと、
自責じせきの念をやしておりました。
そのまま眠りにつきまして――
【九頭幸則】
目が覚めるとここにいた、
その口なんだな?
【満鉄列車長】
左様です。
――これより帝都満洲鉄道あじあ号、
高輪たかなわ延吉エンキツに向かいます!!

〔高輪延吉〕

【九頭幸則】
またアストラルが、
ちょろちょろしているな……
早く歪振器わいしんきとやらを置いて、
帝都に戻ろうぜ!
【久作アストラル】
アハハハ、夢野ゆめの久作きゅうさく猟奇歌りょうきうた
そらんじているうちにここに来た。
風の音が高まれば
また思ひ出す
溝にてゝ来た短刀と髪毛
どうだ、僕のお気に入りの一篇いっぺんだ。
髪の毛はきっと女のだな。
【九頭幸則】
まぁ、そうだろうな。
で、貴様は死んだのか?
【久作アストラル】
死んだだと?
プハハハ、傑作けっさくだな、こりゃ。
僕は死んじゃいないさ、ピンピンだ。
今、道連れにする奴を選択セレクト中だよ。
本郷ほんごうの薄暗い下宿部屋でね。
【九頭幸則】
ん? なんか近づいてきたぞ!
【歴史アストラル】
歴史とは鉄と血の集大成だ!
【九頭幸則】
何の話だ?
【歴史アストラル】
私はジェーン・グレイ断頭式だんとうしきの絵で、
自分のまことを知るに至った――
フランス人ドラローシュの描いた絵だ。
英吉利イギリス女王ジェーンは即位して
わずか九日で断頭台だんとうだいつゆと消えた。
おのの刃が滑らぬよううなじの髪をげ目隠しをされ、断頭台だんとうだいに首を乗せる、まさのその刹那せつなを描いた絵だ!
この直後、ジェーンは首なしの
死体となって横たわるんだ。
おびただしい鮮血をらして――
あゝ、ジェーンの首をとした、
あの分厚い鈍いおので私の首を――
いや、その前に貴様で試そうか!

《バトル》

【歴史アストラル】
私は、もう六十八年もここを彷徨さまよう。
――いつ、抜けられるんだ?
【九頭幸則】
歴史の中に死を求めているのか……
レディ・ジェーンの断頭だんとうは、
確か十六世紀半ばだったよな。
【爆死アストラル】
私は幸徳秋水こうとくしゅうすい先生の愛弟子まなでしだ。
先生が変節へんせつされたのは巣鴨すがも監獄かんごく
収監しゅうかんされていた時だよ。
三つぞろえの立派な紳士が、
先生の監獄かんごく仲間に本を差し入れた。
【九頭幸則】
三つ揃えの背広?
――どこかで記録を読んだぞ……
それでどんな本なんだ?
【爆死アストラル】
クロポトキンの相互扶助論――
そういう題の本だよ。
露西亜ロシア語だけどね。
先生はその仲間からこの本を借り、
アナーキストに傾倒を強めたんだ。
出獄しゅつごく後、丸の内に大食堂を建築し、
同志の演説集会にて、
編集室を設け一大日刊にっかん新聞を発行、
さらに米国べいこくに遊学、
後に欧州おうしゅうに転じ、
現地の同志と交流を持つ――
そのような計画をお持ちだった。
現にその年の十一月に桑 港サンフランシスコに行き、
大いに交流されたのだ!
【九頭幸則】
それで、貴様はどうしたんだ?
【爆死アストラル】
私は信州しんしゅうの爆弾魔から、
一発の爆裂弾を預かっていたのだ。
下宿でいじっていると――
爆発はしなかった――
ただ勢い良く燃え盛り、
私の褞袍どてらにも火が付いたんだ!!
【九頭幸則】
何か年季ねんきの入った連中だな。
大逆たいぎゃく事件は三十年近く前だろう。
誰もいないな。
今のうちだ、装置を設置しよう。
俺が行く。

よし、設置完了だ。
もど――
ん、何か来るぞ、風魔ふうま
【心中アストラル】
ムーランルージュ新宿の踊り子と
新進気鋭しんしんきえいの作家が心中を企図きとした。
結果、踊り子だけが死んだ――
二人は四谷区のアパートで
ガスを吸ったんだ――
俺はね、死に切れなかった作家の
無念に通じたんだよ。
それはもう、途方も無い虚無きょむだった。
枯れ草一本もない虚無きょむだよ。
あの壮絶そうぜつなる虚無きょむに比べれば、
死は極彩色ごくさいしきの、まさに百花繚乱ひゃっかりょうらんだ!
お前にもわかって欲しいんだ!!

《バトル》

【心中アストラル】
やはり心中は坂田山さかたやま
昇汞水しょうこうすいを飲むのが常道だな!
あゝ、俺はいろいろしくじった!
【九頭幸則】
大丈夫か、風魔ふうま
坂田山さかたやまって、例のやつだろ?
後追いで三十組ほどが死んでるって。
さぁ、今度こそだ、戻ろう。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、幸則ゆきのりさんはお戻りになって、
気分がすぐれないからと、
休暇きゅうかを申し出られたみたいです。
【帆村魯公】
さて、風魔ふうまよ、
新山にいやま君のなんとか装置、
首尾しゅびよく置けたのだな?
【喪神梨央】
ちゃんと動いているようです。
新山にいやまさんが解析中で――

【新山眞】
失礼します!
解析結果が出ました!
【帆村魯公】
おう、
それで、どんな按配あんばいで?
【喪神梨央】
セヒラの特異点、
帝都満洲ではなかったんですね?
【新山眞】
先程の場所の近くです。
――清正公前せいしょうこうまえ……
市電清正公前せいしょうこうまえ電停の近くです。
今回、私も同行します。
喪神もがみさん、行きましょう!
【喪神梨央】
公務電車、清正公前せいしょうこうまえまでの
経路を確保します!

結局、公務電車は清正公前せいしょうこうまえまではたどり着けなかった。どういうわけか停止してしまったのだ。魚籃坂下ぎょらんざかしたの電停を過ぎたところで、公務電車は停止している。風魔ふうま新山にいやま清正公前せいしょうこうまえまで歩いた。
それは異様な光景であった。
市電も車も静止しており人影はなく、そばの民家の壁に巨大な光球があった――

【新山眞】
喪神もがみさん!
あれを見てください!
【着信 喪神梨央】
強力なセヒラを観測しました!
場所は清正公前せいしょうこうまえです!
【新山眞】
あれが……
まさに……セヒラの特異点……
【着信 喪神梨央】
セヒラ、急増しています!
波形も異常な形……
至急しきゅう退避たいひしてください!!

【新山眞】
うわぁぁぁぁぁ~

〔胎内〕

【鬼龍豪人】
麗華れいかさん、
あなたは何を求める――
戦うことが、それほど貴女を、
魅了みりょうするのか?
――そうなのか……
私にとって戦いは手段である――
自分を高めることこそが目的だ。
それは、本当なのか……
――私は……私は……
――力を欲してはいないのか?
――自分をいつわってはならない!
京都から伯林ベルリンに向かった私は、
自分を見失ってはいなかったか?
あのとき……
――自分を……

【如月鈴代】
麗華れいかさん……
少しいいかしら?
あなた、鬼龍きりゅうさんのホテルに、
行ったことあるの?
青山車庫近くの青山せいざんホテルよ。
ホテルの支配人が、
あなたのことを見たそうよ――
ねぇ、麗華れいかさん――
あなた、鬼龍きりゅうさんに
何かを求めているの?
あなたが召喚の術を、
そなえつつあるのはわかるわ。
あなたが霊異りょういすことに、
反対なんかしない――
でも、鬼龍きりゅうさんは、
東雲しののめ審神者さにわから独逸ドイツ式召喚師へ、
大きく転向てんこうされたのよ。
あなたの中に芽生めばえつつあるのは、
東雲しののめの流儀に近いの。
それもかなりの古式――
今の鬼龍きりゅうさんは、
あなたの求めているもの、
もうお持ちじゃないのよ……

【月詠麗華】
神さまが私に向かっておいでです――
けれど、私はまだ至りません――
手を伸ばして、つからねば、
ならないものがあるのです。
豪人たけとさまは、
大切な二つのものをお備えです――
召喚師としての秘技と、
東雲しののめ審神者さにわとしての奥義おうぎです。
そのいずれかを――
きっと、きっと……

行方不明ゆくえふめいになっていた月詠つくよみ麗華れいか――
その彼女が誕生を暗示するかのような、巨大な光球に包まれていた。光球は高輪たかなわの上空に浮遊している。人々はこの霊異りょういおそれをなし、魅せられ、口々にカグツチが現れたとうわさしあった。

第五章 第二話 狩り・後編

月詠つくよみ麗華れいかがホムンクルスと戦っている。梨央からのほうを受け、一行は日本橋へ向かう。はたして如何いかなる戦いなのであろうか――

【九頭幸則】
麗華さん、大丈夫かなぁ?
――ぜんたい、どこにいるんだい?

〔興亜百貨店前〕

【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、
何か感知しますか?
【メイド型ホムンクルス】
……探信たんしん開始……
【ユリア・クラウフマン】
――フロイライン……
どうしたのでしょうか?
――いつもと挙動が違います。
【九頭幸則】
彼女――
執事型を感知しているんですか?
【本郷の学生】
今、執事って言いましたか?
ねぇ、兵隊さん。
【九頭幸則】
ああ、言ったが――
君、もしや見たのかい?
黒い背広姿の男だぞ。
【本郷の学生】
見るも何も、
すごい勢いで走って行きましたよ!
【九頭幸則】
どっち方向へ行ったんだ?
【本郷の学生】
来たのは銀座方面からです。
僕を突き飛ばしそうになって、
――そこの角を曲がって行きました。
でもね、逃げていたように見えます。
【九頭幸則】
逃げていた?
黒い背広の……執事がか? 
【本郷の学生】
そうです、
確かに逃げていました、
着物姿の若い女性から。
【九頭幸則】
まさか……
麗華さんが、追いかけていた?
そんなことがあるのか?
【メイド型ホムンクルス】
確認ベステーティグン……
捕捉エルファスン
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
確認できたのね、どこなの?

【執事型ホムンクルス】
……標的ツィール……
捕捉エルファスン……
攻撃、開始スル!
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン、応戦お願い!
【メイド型ホムンクルス】
……
【ユリア・クラウフマン】
フロイライン!
――どうかしたの?
【九頭幸則】
様子が変です、壊れでもしましたか?
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
フロイラインが動きません。
ホムンクルスと戦ってください!

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
エースト……
ツヴァイト――
【着信 喪神梨央】
ユリアさん!
記録がありました、さっきの独逸ドイツ語。
アインス、フィーアです。
最初がアインス、次がフィーアです。
【ユリア・クラウフマン】
一と四ですね。
一体目が一と四、二体目が一とニ。
二つの数字の組み合わせです。
【九頭幸則】
何のまじないなんだ、いったい?
数字のお遊びか?
【着信 喪神梨央】
興亜百貨店こうあひゃっかてん周辺、
セヒラはすっかり消えました。
少し待機をお願いします――

【月詠麗華】
私、一体は倒したのです!
【九頭幸則】
麗華れいかさん!
大丈夫なんですか?
――ホムと戦っただなんて……
【月詠麗華】
そうですの!
最初、山王さんのうでした――
梨央りおさんに止められたんですの。
【九頭幸則】
ええ、梨央ちゃんが?
伝通院でんつういんから戻った時だな、きっと。
【月詠麗華】
お出かけだったみたいです。
私、その時は戦いませんでした。
――でも……
【九頭幸則】
追いかけてきたんですか、
日本橋まで?
【月詠麗華】
同じ黒い服の人が二人、
三宅坂みやけざかの方から降りてきて、
やってきた市電に乗ったんです。
【ユリア・クラウフマン】
ヘーゲンの放ったホムンクルスです。
【九頭幸則】
ホムも市電に乗るんですね!
――麗華さん、それで日本橋へ?
ここで戦ったんですか?
【月詠麗華】
私は戦うということと無縁でした。
まさか自分が、こんなにできるなんて
嘘みたいです!
私、戦うとはもっとがむしゃらな
ものかと思っておりました。
むしろまされるのですね――
【九頭幸則】
なるほど……麗華さんは戦うことが、
お好きなんですね?
――そうお見受けしますが。
【月詠麗華】
いけませんかしら?
兵隊さんが鉄砲や大砲で戦う、
私は神様を降ろして戦うのです。
でも、私は我流にすぎない、
そう考えると躊躇ちゅうちょしてしまいます。
このまま続けていいのかと――
【ユリア・クラウフマン】
東京のセフィラ、とても強いです。
レイカさんのように感受性が鋭いと、
召喚できたりするのですね!
我が国でも部屋カンマーと呼ばれる場所で
セフィラを管理しています――
我が国のセフィラは不安定なのです。
部屋カンマー付きの研究者もいますが……
成果を出せていません。
【九頭幸則】
帝都のセヒラを観測したのが
ユンカー博士ですね?
【ユリア・クラウフマン】
はい、博士はすぐさまセフィラと同定
したのです。ナチ党本部へ至急電を。
――ヒムラー長官にててです。
ヒムラー長官の動きは迅速じんそくでした。
アーネンエルベ構想を実現に移す、
絶好ぜっこうのチャンスだと考えたのです。
博士の報告を知り、ここでなら
私の研究も前進すると考え、
東京行きを志願しがんしたのです。
私、皆さんと、
いろいろ情報を交換したいのです。
ホムンクルスが人間の兵士に
取って代わる日がきっと来ます。
これはアーリア人の叡智えいちなのです――
【月詠麗華】
独逸ドイツの人のお話によく出てくる、
アーリア人って何ですの?
【ユリア・クラウフマン】
優生ゆうせい民族のひとつとされています。
太古たいこの昔は、超能力のような異能いのう
備えたと信じられています。
【着信 喪神梨央】
その力を取り戻すために、
兄さんに近づいたりするんですか?
【ユリア・クラウフマン】
フーマの黒いひとみ
とても素敵じゃありませんか?
【着信 喪神梨央】
それじゃ答になっていません!
あっ!
セヒラ急上昇です!
これは……退避してください!!
【九頭幸則】
梨央ちゃん、ただならぬ様子だな!
麗華さん、ユリアさん、風魔ふうま
ここを退くぞ!!

【月詠麗華】
まだいたのですね!
私がやっつけます!!
【九頭幸則】
麗華さん、したほうがいい!!
なぁ、梨央ちゃん、確認できるか?
【着信 喪神梨央】
セヒラの波形が異常です――
これまで見たことのない形!
急速に値も高くなっています!
【ユリア・クラウフマン】
ここを離れましょう、フーマ!
クズさんも、急いで!
フロイラインも、早く!!

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲンアストラル】
この忌々いまいましい小国に、
何故このようにセフィラが湧くのか!
古臭ふるくさい迷信や呪術に頼っていても、
充分に召喚し、戦えている――
このセフィラをなんとか、
本国にまで届けられないか――

怪人を倒した瞬間に、
セフィラが放たれる。
それをホムンクルスに吸着さす。
ホムンクルスの香腺こうせんを改良して、
セフィラ吸着能力を持たせる――
フハハハ、いい考えだ!
まずは倒れた怪人から放たれる、
セフィラの量を測定する。
計画に一点のかげりがあるとすれば、
ユリア、あの女こそが阻害そがい要因だ、
日本側にっている。
――お前達呪術師どもにな!!

《バトル》

【クルト・ヘーゲンアストラル】
お前がそこにいるのはわかっている。
遠くにいても、わかるのだ――
【バール】
なんかえらいことになってるニャ!
ヘーゲンの思念にセヒラが宿って、
アストラルになったニャ!
しかし並外れた強い思念だったニャ!
できれば避けたい人物だニャ!

【日本橋佳木斯】
行旅人こうりょにんアストラルH】
北陸ほくりくの町に住むのは初めてです。
富山から二時間――
ここは因須磨洲いんすますという町です。
省線因荒線いんこうせんの終点です。
駅前には一軒の旅館と食堂、
それに三本の電信柱が立つのみです。
私、漂い流れて、この町へ来ました。
もう八年になります――
汽車は一日に四本ですよ。
因須磨洲いんすます駅、午後四時に最終が出て、
後は次の日までありません。
朝も夕も、汽車に乗る人はなく、
来る人もほとんどいません。
三ヶ月に一人は行旅人が来ますが。
ここ因須磨洲いんすますの名物、
それは斑鱶まだらぶかずしです。
――いやぁ、みつきになりますよ。
私もね、最初は無理でした。
とても人の食うものじゃない、
そう思いましたね。
なにしろ臭いがすごいんです、
おけふたを開けた途端とたん、パァーッとね。
斑鱶まだらふかは釣り上げた時から臭いますね。
因須磨洲いんすますは一丁目から四丁目まで、
でも三丁目はないんです――
みさきの方にあった三丁目は、
昔の大地震で海に沈みました。
今でも能楽堂のうがくどうが見えますよ、海底に。
【着信 新山眞】
喪神もがみさんですね?
飯倉いいくら技研の新山です、
私も帝都満洲におります。
セヒラの濃い場所には進めないので、
大変申し訳ないのですが、
こちらに来ていただけませんか?

〔日本橋佳木斯〕

【新山眞】
以前、ゲートが不安定になり、
濃厚セヒラが赤坂に流れ出ました。
その時と似た状況です――
私はゲートそばにいて、突然ここへ。
ここは日本橋佳木斯チャムスですね。
喪神さん、
日本橋で何があったのですか?
このセヒラの異常な乱れ、
何かの介入を予想させますよ――
無線で梨央りおさんが話してた、
月詠つくよみ麗華れいかさんですか、
その人に原因があるのでは?
以前、セヒラ異常が起きた時も、
月詠さんがおいででした。
まるでセヒラを増幅ぞうふくするようだ――
もう落ち着いたようですね。
戻りましょう――

〔興亜百貨店前〕

【九頭幸則】
風魔ふうま
どこ行ってたんだ、
急にいなくなって!
麗華れいかさんもホムンクルスも、
いなくなったんだ――
メイドのホムンクルスもだ。
【ユリア・クラウフマン】
おそらくセフィラが急速に強まり、
その影響でどこかに飛ばされた――
ドイツでも同じ事故がありました。
何人もが違う場所へ飛ばされました。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
気を付けてください、
セヒラ上昇です!
【ユリア・クラウフマン】
あっ!

【クルト・ヘーゲン】
ユリア、ここで何をしている。
何故、この連中と一緒なんだ?
【ユリア・クラウフマン】
あなたこそ、どうして狩りなんか!
そんなこと許されるはずないわ!
【クルト・ヘーゲン】
私はこの忌々いまいましい小国の、
セフィラを手に入れようと、
努力しているだけじゃないか!
【ユリア・クラウフマン】
この国のセフィラは、
この国の人達の資源です。
うやまってしかるべきです。
【クルト・ヘーゲン】
私が? 日本人を?
いや、実につつしみ深い人達だよ、
私達とすれ違うたびにお辞儀じぎをしてね!
セフィラは日本人にはあつかえまい。
彼らは迷信めいしんの中に身をしずめている。
迷信めいしんは弱者の宗教なんだよ――
【ユリア・クラウフマン】
日本人は精神的な民族です。
深くれいと向き合い、神を知り、
自らの居場所を見出すのです――
【クルト・ヘーゲン】
神霊しんれいに教わらなくても、
私達は自分を見つけている。
ここは、私達にゆだねればどうかね?
この国の連中は無理することはない。
【ユリア・クラウフマン】
クルト、私たちだって、
うまく行っているとはかぎらないわ。
エッセン、ブレーメン、ハーゲン、
カッセル、リヒャルトガルテン……
いずれも――
【クルト・ヘーゲン】
だまるんだ! もういい!
お前達と話しても、らちが明かない、
来い!
さぁ、日本の審神者さにわとやら、
楽しませてもらおう、フーマよ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
ユリアが気にかけるはずだ、フーマ、
お前は力以上の力を備えている。
誰かもう一人いるみたいにな!
【ユリア・クラウフマン】
みなさん、申し訳ありません!
この失態しったい、必ずあがなってみせます!
【九頭幸則】
しかし、何だ、あのえらそうは!
アーリア人は優生ゆうせい民族だと?
これじゃ我国わがくにはやりにくいわけだ!
【ユリア・クラウフマン】
……
……

第四章 第八話 猟奇倶楽部の謎

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
あっ、兄さん……
兄さんあてに手紙です。
それが、差出人不明なんです――
すごく上等の封筒で、
封蝋ふうろうもついています……
――ふぅ~
帆村ほむら魯公ろこう
どうした、梨央りお
調子が悪いのか?
喪神もがみ梨央りお
ええ、ちょっと……
頭が重いんです、風邪でしょうか?
兄さん、封筒です。

梨央から渡された封筒は、立派なものだった。封蝋ふうろうを破るとはく押しのある便箋びんせんが見えた。

九頭くず幸則ゆきのり
見せてくれ。
何だって? 猟奇倶楽部くらぶにご招待?
喪神もがみ梨央りお
いきなり何ですか?
どこからいたんですか?
九頭くず幸則ゆきのり
くって、俺は虫か何かか?
――猟奇倶楽部くらぶって、アレだよな……
喪神もがみ梨央りお
猟奇グラフを発行する会社です。
でも倶楽部くらぶは編集部とは別だと、
そんな話を聞きました。
九頭くず幸則ゆきのり
ええ? そうなんだ?
梨央ちゃん、耳さといね!
どっからそんなネタ仕入れるの?
それにしても猟奇倶楽部くらぶって、
何だか秘密めかしてるよね!
喪神もがみ梨央りお
どうしてここがわかったのか……
日本橋佳木斯チャムスに猟奇人の
アストラルが大勢いました――
九頭くず幸則ゆきのり
それが何か関係あるの?
喪神もがみ梨央りお
アストラルを介して、
兄さんたちの思念が漏れたのかも。
それで猟奇倶楽部くらぶがここを知った――
九頭くず幸則ゆきのり
ええっ? そんなことあるの?
でも、そうか……
思念は考えたりすることだし――
九頭くず幸則ゆきのり
不意に漂い出すなんてことも……
ひぇ~、何だかおっかないなぁ……
ねぇ、梨央ちゃん!
喪神もがみ梨央りお
新聞では猟奇倶楽部くらぶも、
帥先そっせんヤの一つと考えているようです。
この間、そんな記事がありました――
九頭くず幸則ゆきのり
まぁ読者連中は昭和の猟奇人を
気取っているんだろ?
高等遊民のはしくれだよな――
雑誌もそうだけど、
案内を利用している連中こそ、
帥先そっせんヤなんじゃないのか?
喪神もがみ梨央りお
結構、まともなこと言いますね、
幸則ゆきのりさん!
――ふぅ~
九頭くず幸則ゆきのり
あれ? 梨央ちゃん、どうした?
何か具合悪そうだけど――
ちょっと休んでいれば?
喪神もがみ梨央りお
そうですね……
でも……猟奇倶楽部くらぶ、どうします?
九頭くず幸則ゆきのり
風魔、どうする?
向こうがこっちを知ってるって、
何か気になるよな。
喪神もがみ梨央りお
今のところ、市内の探信儀たんしんぎには、
強いセヒラ反応はありません。
九頭くず幸則ゆきのり
梨央ちゃんは休養した方がいいい。
無線は頼れないぞ、風魔。
でもまぁ、行ったほうがいいな。
お前を名指しで来たんだろ、招待状。
相手の意図を掌握しょうあくした方がいい。
きっと何かあるはずだ。
帆村ほむら魯公ろこう
ユキ坊の言い分にも一理いちりある。
風魔、ここは誘われてみるか?
喪神もがみ梨央りお
兄さん、気を付けてください。
無線できませんが、
危険がせまったら警報が鳴ります。
九頭くず幸則ゆきのり
警報って、ここで鳴るのか?
最悪の事態は避けられるってことか。
市ヶ谷見附で同伴者を待てだと?
同伴者って、誰なんだ?
――風魔、油断するなよ!

市ヶ谷見附いちがやみつけ

手紙に指定されていた市ヶ谷見附いちがやみつけまで、公務電車で向かった。同伴者もこの場所に来るとのことだった。

月詠つくよみ麗華れいか
時間どおりですわね、風魔ふうまさま!
招待状にありましたわ、
風魔さまと一緒に来るようにと。
――ちょっとドキドキしています。
でも、不思議ですわ。
風魔さまと私にだけ
招待状が届くなんて――
さて、お迎え、そろそろですわ。
【黒服の男】
お待たせしました。
月詠つくよみ麗華れいか様、喪神もがみ風魔ふうま様。
猟奇倶楽部くらぶまでご案内します。
月詠つくよみ麗華れいか
よろしくお願いします。
【黒服の男】
此処ここより先では、
お名前をお呼びする事は致しません。
お嬢様、ご主人様とお呼びします。
【猟奇人Ωオメガ
申し遅れました、私はΩオメガです。
倶楽部くらぶでは希臘ギリシャの名を付けます。
さぁ、こちらを、どうぞ――
月詠つくよみ麗華れいか
それは、目隠しですか?
【猟奇人Ωオメガ
はい。ご不便をお掛けしてしまい、
誠に申し訳ございませんが、
倶楽部くらぶは所在地も非公開となり……
倶楽部くらぶに着くまでは、
そちらをおめしになって頂けますか?
月詠つくよみ麗華れいか
その車がそうですね?
窓掛けがあるのに、
目隠しするのですか?
【猟奇人Ωオメガ
はい。念の為、
そのようにさせて頂いております。
月詠つくよみ麗華れいか
いたかたありませんわね――
では、おっしゃるようにいたします。
風魔さまも、目隠しですわよ。
【猟奇人Ωオメガ
有難うございます。
それではご案内させて頂きます。

車は滑るように走った。
まるで魔法の絨毯じゅうたんのような乗り心地だった。
だが目的地へ真っ直ぐ向かうことはせず、同じ場所を何度も走っているようであった。
角を曲がり、速度を上げたその時――
車は急ブレーキをかけて停止した。車の前に一人の男が倒れていた。男をねる寸前で車は停まったようだ。

市ヶ谷街路いちがやがいろ

月詠つくよみ麗華れいか
この人は……
大丈夫なんですね!
気を付けないといけません――
【猟奇人Ωオメガ
申し訳ございません。
あちらの男性が急に飛び出して。
危うくねるところでした。
【暗い表情の男】
あなた達が捕獲した怪人を、
すみやかに返してもらいましょうか。
私は防疫研ぼうえきけん、総務課の林です。

《バトル》

【防疫研総務課の林】
怪人を手に入れて、何をする?
お前達には……扱えない……
無理……だ……
【猟奇人Ωオメガ
一体、何の話をしていることやら――
さぁ、お車にお戻りください。
月詠つくよみ麗華れいか
防疫研の怪人とは何ですの?
猟奇倶楽部くらぶに怪人がいるのですか?
【猟奇人Ωオメガ
いえ、あの者の戯言ざれごとにございます。
さ、参りましょう。
またこちらをおめしになって――
倶楽部くらぶの決まりにございます。
月詠つくよみ麗華れいか
仕方ありませんわ。
運転にはどうか、
お気を付け下さいませね。

車は小一時間ほど走った。
坂を登り角を曲がった先で車は停止した。門扉もんぴの開く音がして、車は再び走り始め、やがて車寄せのような場所で停まった。

【猟奇人Ωオメガの声】
それでは屋敷の中へご案内します。
私にお手をお預けになり、
ゆっくりお進みください――
お足元、お気を付けて――
段差にございます……

広いホールには乳香をいたかのような、神秘的な芳香ほうこうが漂っていた――

【猟奇人Ωオメガの声】
もうよろしゅうございますよ。
目隠しをお外しになり――
随分、ご不自由をおかけしました。
さて、ここからはご自身について、
ご身分、お名前、お住いのこと等、
一切ご法度はっとにございますよ。
月詠つくよみ麗華れいか
あら、どうしてですの?
それも決まりですの?
【猟奇人Ωオメガ
はい、当倶楽部くらぶでは現実から離れ、
一猟奇人としておすごしいただきます。
身分の貴賎きせんもございません。
月詠つくよみ麗華れいか
私たちにも希臘ギリシャの名前を付けますの?
【猟奇人Ωオメガ
ゲストの方はお付けしません。
後ほど、お声がけ致します。
それまでホールでおくつろぎください。

猟奇倶楽部りょうきクラブ・ホール〕

倶楽部くらぶホールでは着飾った紳士しんし淑女しゅくじょが、思い思いに立ち話をしていた。皆、胸のところに希臘ギリシャ語の刺繍ししゅうを付けていた。

月詠つくよみ麗華れいか
ここ、とても良い香りがしますわ。
私……うっとりしてしまいます。

【猟奇人Θシータ
……

【猟奇人Λラムダ
あら、ゲストの方ですね。
お名前が……ありませんもの。
今日は帝都の流行の最先端を、
堪能たんのうできるものですって!
月詠つくよみ麗華れいか
え? これから何かあるのですか?
【猟奇人Λラムダ
ウフフフフ……
ここアーカム館では、
いつも何かが起こるのよ!

【猟奇人Σシグマ
私はね、自分の中に、
こんなにも可能性が眠るとは、
最近までついぞ知らなかったんだ!
猟奇グラフを読むようになるまで、
そういう連中のこと、敬遠していた。
普通、そうですよね――
私は目覚めたんですよ。
少年のようにはしゃぎたい気持ちで、
毎日を楽しくやってます!

【猟奇人Δデルタ
ここアーカム館では、
不定期にエベントが開かれるのよ。
今日のは特別ですって――
いったいどんなのかしらねぇ。
あそこにいるメイドさん、
あの人も猟奇人なのかしらねぇ?

さらわれたホムンクルス】
車ニ、乗セラレ、気ガ付クト、
ココニイタ……
何故ナゼダ? 何故ナゼコウナル?
【猟奇人Ωオメガ
くつろぎいただけましたか?
実は当倶楽部くらぶの会長がご挨拶をと。
会長のところへご案内いたします。
月詠つくよみ麗華れいか
私はどうしましょうか?
【猟奇人Ωオメガ
申し訳ございません。
お嬢様はこちらでお待ち下さい。

【先ほどの女性の声】
ご来館の皆様、お待たせしました。
ここにいる人造メイドが、
恐ろしき怪人と勝負します――
【猟奇人Ωオメガ
それでは、こちらへ――

【猟奇人Ωオメガ
会長はを見たいと仰ります。
審神者さにわ、召喚師、ホムンクルス、
それに怪人はを扱う――
それらの者以外はが見えない。
それをなんとか見られないか――
実は当館に一人の怪人がいます。
防疫ぼうえき研究所から脱走した被験者です。
何故かそれをけられました――
倶楽部くらぶ会員には憲兵もおります。
そこは抜かりなく手を回して
逃げた被験者を捕獲したのです。
これよりホールにて、
ホムンクルス対怪人の戦いが、
まさに実演されるのです。
賓客ひんきゃくの中にはが見える者が、
一人くらいはいるかも知れない――
会長はそれを期待されているのです。
猟奇人は普通の人間にはない感覚を、
そなえるかも知れませんから。
実は会長は猟奇人ではないのです――
それでは参りましょうか――

お、お前!
何故ここにいる?
戦う相手はホールだ!
【被験者チ】
うるせぇ!
相手は俺が決めるんだ!

全身に怒りをたぎらせる男は、猟奇人Ωオメガを物凄い力で突き飛ばした。

【被験者チ】
へへへへ、
俺はな、自由を得たんだ!

《バトル》

【被験者チ】
ヘヘヘ――
やっと……自由に……なれる……
【聞き憶えのある声】
喪神もがみ風魔ふうま
まさか、貴様もこの会合に?
鬼龍きりゅう豪人たけと
ふん……
審神者さにわと召喚師とが招待受けた、
そういうことなんだな。
怪人を戦わせて、客の中に、
の見える者がいるか調べる……
主宰者しゅさいしゃ魂胆こんたんはそんなところだろう。
要は客そのものが実験材料、
その中に俺達も含まれているのか――
あまりいい気分じゃないな……
探られているようだ。
月詠つくよみ麗華れいか
豪人たけとさま!
豪人たけとさまもおいでになって
いたのですね!
鬼龍きりゅう豪人たけと
麗華れいか! お前も呼ばれたのか?
――連中、一体何を知っている?
月詠つくよみ麗華れいか
豪人たけとさまにも招待状が?
鬼龍きりゅう豪人たけと
もう充分だ、風魔。
麗華、ここに長居は無用だ、
あの男に車を用意させる。
このやかたからは勝手に出られない。
どこもかぎがかかっていてね。
風魔、お前も帰るむね伝えるんだ。
この件、一度、事情を調査する。
その時は貴様も協力するんだ。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

来た時と同じように、風魔ふうまは目隠しをされ、黒服の男の運転する車で市ヶ谷見附まで戻った。市ヶ谷見附から公務電車で本部へ帰還した。

九頭くず幸則ゆきのり
何だ、早かったじゃないか!
それで、どんなだ、猟奇倶楽部くらぶ
おかしな連中の巣窟そうくつか?
ああ、梨央りおちゃんは風邪みたいだ。
家に送って今戻ったところだよ。
千本屋せんぼんやに行って水菓子でも調達する。
熱にはアレが一番だろ?
帆村ほむら魯公ろこう
先ほど、歩三ほさん玄理げんり派の常田つねだ大佐から
電話があってな――
報告書を上げるので、
お前にも目を通して欲しいと。
いつになく殊勝しゅしょうな様子だったな。
もう今日は切り上げて、
梨央の面倒でも見てやれ。

第四章 第四話 鈴代の行方

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

喪神もがみ梨央りお
どうしたんですか、麗華れいかさん!
月詠つくよみ麗華れいか
皆さん、
助けてください!!

先の怪人騒動に続き、またもや月詠つくよみ麗華れいかが、山王さんのう機関へと飛び込んできた。
今度は血相けっそうを変えている――

喪神もがみ梨央りお
麗華さん、どうしました?
すごい慌てようですが……
月詠つくよみ麗華れいか
大変です、鈴代すずよさんが……
さらわれたんです!!
グリル四谷よつや珈琲コーヒーを飲んでいたら、
店の前に軍の車が何台か停まり、
将校が一斉に店に入ってきて――
帆村ほむら魯公ろこう
鈴代女史じょしが、さらわれただと?
将校とは一体どこの隊だ?
鈴代女史じょしの何を狙うというのだ……
もしや……歩三の部隊か?
鬼龍きりゅう率いる九十九小隊か。
可能性としてはあり得るが――
月詠つくよみ麗華れいか
えりの連隊番号、ありませんでした。
九頭くずさんと同じですね……
帆村ほむら魯公ろこう
九頭中尉は遊軍みたいな扱いだがな。
それでは、風魔ふうまや、これは歩三ほさんだ。
我等、正面切って行くとしよう!
喪神もがみ梨央りお
麗華さん、今回はここで、
おとなしくしていただけますか?
月詠つくよみ麗華れいか
ええ……
そういたしますわ。

第三連隊だいさんれんたい前庭まえにわ
【第三連隊第九十九小隊召喚師】
貴様ら!
歩一ほいち、特務の連中か!!
山王さんのう機関か!!
この先、進むことならん!
帆村ほむら魯公ろこう
やけに警戒が強いな――
この様子、探られたくない腹が、
あると見て間違いないだろう。
風魔ふうま、ここはわしに任せ、
お前は先に行け!
【第三連隊第九十九小隊召喚師A】
貴様らの古臭いまじないで、
我々に勝てると思うのか!
何故だ!?
貴様、どうやってここまで来た?

《バトル》

【第三連隊第九十九小隊召喚師A】
フフフ……
まだ研鑽けんさんの余地があるな!
うううっ……
【第三連隊第九十九小隊召喚師B】
審神者さにわだと?
歩三ほさんの召喚師部隊を
なめてもらっては困る!!

《バトル》

【第三連隊第九十九小隊召喚師B】
力……及ばずか……

第三連隊だいさんれんたい兵舎内廊下へいしゃないろうか

一五市にのまえごいち
やっと来たか!
何を手こずっているのだ、
山王さんのう機関、喪神もがみ風魔ふうまよ!
貴様らと戦いをまじえることで、
俺は多くを学んでいるのだ。
自惚うぬぼれるなよ……
俺は自分自身に学ぶんだ。
貴様らは教材にすぎない!
さぁ、ページを開こうではないか。

《バトル》

一五市にのまえごいち
喪神もがみ風魔ふうま、貴様の勝ちだ。
そして俺はまた学んだ。
アハハハ、練度に磨きがかかった!!
常田つねだ松柏しょうはく
こんなところで、
一体何の騒ぎだね?
一五市にのまえごいち
常田つねだ大佐!
お戻りになったんですね!
常田つねだ松柏しょうはく
そんな事はどうでもよい。
ここで何をしているのかと
いておるのだ。
帆村ほむら魯公ろこう
それはこちらがお尋ねしたい
台詞せりふでありますな!
常田つねだ松柏しょうはく
これはこれは、帆村ほむら殿まで。
さて、一体、我が連隊に
如何いかなるご用でしょうかな?
帆村ほむら魯公ろこう
如月きさらぎ鈴代すずよ、この名はお聞き及びが、
ありますかな?
軍人風情ふぜいさらわれたというんです。
常田つねだ松柏しょうはく
さらわれた? 軍人に?
ほほう、それで我が連隊を
お疑いなのですかな?
帆村ほむら魯公ろこう
他に思い浮かばんのですがね。
貴連隊の鬼龍きりゅう小隊長は、
東雲しののめ流のこともあり、
鈴代女史じょしには恨みをお持ちです。
小隊が何を企図きとされたのか、
是非ともお聞かせ願いたいですな!
常田つねだ松柏しょうはく
鬼龍大尉であれば、不在だ。
現在、歩三ほさんの演習に出ておる。
帆村ほむら魯公ろこう
ではにのまえ少尉殿は何故にここに?
鬼龍大尉殿と同じ隊のはず。
一緒に演習に出ないのですかな?
一五市にのまえごいち
じ、自分は独断で……
擅権せんけんの大罪を犯して、
この場所に……
【着信 喪神もがみ梨央りお
白ノ……隊長、大変です。
青山墓地で急激なセヒラの増大を
観測しました!
かなり深刻な状況かと。
急ぎ、対応が必要です。
帆村ほむら魯公ろこう
了解した!
風魔、青山墓地だ。
急行するぞ!
常田つねだ松柏しょうはく
いや、帆村隊長!
隊長はお残りください。
わしはまだ事情がよく、
飲み込めておらんでな、
ご説明いただきたいのじゃ。
帆村ほむら魯公ろこう
承知しました、大佐殿。
では、風魔、青山墓地だ、
急いでくれ!
何が待ち受けるやわからん、
気をつけるのだ。
常田つねだ松柏しょうはく
では改めて、帆村隊長、
事情を説明くださらんか。
にのまえ少尉にも同席してもらう。

第四章 第三話 李王邸の恨

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

相変わらず、帝都の怪人騒動、やかましいが、怪人出現にはうねりのような波があった。波の静かなときこそ深刻な事件が持ち上がる。
山王さんのう機関本部に月詠つくよみ麗華れいかの姿があった。
いつもとは異なり、その顔はこわばっている。

月詠つくよみ麗華れいか
皆さん!
大変なことが起きてしまいました!
喪神もがみ梨央りお
どうしたんですか、麗華さん。
月詠つくよみ麗華れいか
総督府そうとくふやかたに怪人出現です!
今、鈴代すずよさんが――
喪神もがみ梨央りお
ええ? 総督府そうとくふやかたって、
紀尾井町きおいちょう李王邸りおうていのことですか?
そこに鈴代さんがいるのですか?
月詠つくよみ麗華れいか
今日、王邸おうていうたげがありまして――
そこで、お茶、お花の披露ひろうのために、
私たちが招かれていたのですが……
帆村ほむら魯公ろこう
なるほど!
それで鈴代女史じょしが――
月詠つくよみ麗華れいか
今、なんとか、怪人が
王邸おうていの外に出るのを防いで――
でもさすがに倒すなど無理です!
喪神もがみ梨央りお
隊長!
鈴代さんの安全確保が優先です!
帆村ほむら魯公ろこう
ああ、勿論もちろんだ!
風魔ふうま李王邸りおうていだ、場所はわかるな。
月詠つくよみ麗華れいか
風魔さま! 私もご一緒します。
先に様子を見て参ります!
喪神もがみ梨央りお
あっ!
麗華さんはここに残って――
うーん、もう、行っちゃいました!

山王さんのうホテルまえ

霞町かすみちょうの紳士】
今日は李王邸りおうていもよおしがあるようです。
そのせいか、山王さんのう辺りも、
何だか華やいでいますね。
遠縁に総督府そうとくふ勤めがいましてね、
次のうたげには呼んでもらうよう、
計らってみようかと――

小日向台こひなただいの婦人】
ホテルの方じゃないのかしら?
――土耳古トルコの記念切手の売出、
今日じゃなかったかしら?
イースタンブールで開かれた、
国際婦人会議を記念した切手よ。
――あなた、何も知らないの?
月詠つくよみ麗華れいか
風魔ふうまさま、
この人は怪人じゃありません!
急ぎましょう!!
小日向台こひなただいの婦人】
あら、何ですの!
随分と失礼ですこと!!

【怯えた女性】
はぁはぁはぁ……
――こっちは……
――ダメだ!
月詠つくよみ麗華れいか
今の人……
確か、さっき王邸で見かけましたわ!

李王邸りおうてい

明治四十三年、日韓併合によって、李王朝最後の王、純宗じゅんそう皇帝が廃位となり、皇太子である李垠リ・ギンは日本へと渡った。
そして李垠リ・ギン二十九歳のとき王位を継承すると、日本皇族梨本宮なしもとのみやの長女万子まさこ様を妻に迎え、居を構えた。それがここ李王邸りおうていである。
李家は皇族に準じる地位となることから、屋敷の設計は宮内くない省が執り行い、チューダー・ゴシック様式を取り入れ、スパニッシュ様式で内装をあしらうなど、典雅てんがたたずまいを誇る西洋館である。

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
王邸の方に強いセヒラ反応が!
王邸の中ではなく……
表ですね、表に観測します。
怪人が出てきたのでしょうか?
【着信 帆村ほむら魯公ろこう
怪人が市中に出たなら、
それは後で対処する。
今は鈴代すずよ女史じょしの安全確保が先決だ!
【着信 喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさん、いらっしゃいますよね?
王邸は危険な状態です。
鈴代さんを連れて退避してください。
月詠つくよみ麗華れいか
私なら平気ですわ!
風魔ふうまさまとご一緒なので、
なおのこと――
【着信 喪神もがみ梨央りお
麗華さん……
もう!
【侍従 宋慶武ソンギョンム
あいつはね、私をして、
朝鮮族の恥さらしと罵倒ばとうしたんです。
侍従長の姜環載カンファンジュですよ。
私からすべてを奪っておいて――
誰にも相談できずに悩んでいました。

【侍従 宋慶武ソンギョンム
ラヂオから聞こえてきた、
人生よろづ相談の案内に目が覚めた。
どうしてくれようとの思いでね、
新宿の相談所まで円タク飛ばして――
ん? まだ手に血が付いてますか?
あごだけね、残してやりましたよ!!

《バトル》

【侍従 宋慶武ソンギョンム
新宿の相談所はね、二時間待ちです。
鉄道病院の向かい、鉄道局経理課の
バラックの隣りにあるんです……

如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔ふうまさん、良かったですわ!
私ではこれ以上、持ちこたえること、
できません……
【女官 金兒暎キムヨアン
カン侍従長が死んだ。
殺されたのだ、頭をつぶされてな。
それで物事は簡単になった。
気に入らなければ排除する。
だから、私もそうした。
私に恥をかかせた女官長李叔炫イスクヒョン
あの女は腹に何かをまわす。
腹をく以外にすべはなかった。
いた腹から子宮を取り出し焼いた。
月詠つくよみ麗華れいか
風魔さま、強いものを感じますわ!
いざとなたら、私もお手伝いします!
如月きさらぎ鈴代すずよ
麗華れいかさん……
そんなこと……
月詠つくよみ麗華れいか
私なら大丈夫ですわ。
――それに……
いよいよ強くなってきましたわ!!
【女官 金兒暎キムヨアン
物事は、簡単なのだ。
お前らもすぐわかることだ。

《バトル》

月詠つくよみ麗華れいか
ああ、来ています、来ています――
私の力、みなぎってきますわ!
できましたわ!
これで……私も……
風魔ふうまさまや豪人たけとさまのお仲間!!

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、低下しています。
すぐ通常の値になるでしょう。
鈴代すずよさん、麗華れいかさん、
大丈夫ですか?
如月きさらぎ鈴代すずよ
私なら大丈夫です。
――麗華さんが……
月詠つくよみ麗華れいか
やりましたわ! 風魔ふうまさま!
私、この麗華、とうとう!!
――体の芯が震えておりますわ!
【女官 金兒暎キムヨアン
モノゴト……は……
カンタン……
如月きさらぎ鈴代すずよ
風魔さん、お願いしてよろしいですか?

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

公務電車で鈴代すずよ麗華れいか四谷塩町よつやしおまちにある
セルパン堂に送り届けた後、風魔ふうまは本部へ戻った。
麗華の振る舞いに懸念けねんを示す鈴代であったが、麗華の覚醒がまことのものかを見極めるすべはなく、いまはただ成り行きを見守るだけである。

喪神もがみ梨央りお
兄さん、お疲れ様でした。
お二人は無事に戻られたんですね。
それにしてもいきなりでした――
李王邸りおうていでセヒラが強くなったわけを、
少し調査してみます。
あの釣鐘が何か関係しているかも――
李王邸は山王さんのうホテルのすぐ近くだし。
帆村ほむら魯公ろこう
うむ、調査は続けてくれ。
あの侍従と女官、ひときわ深く、
恨みを抱いていたようだ。
ハンとはままならない自分を嘆くこと。
朝鮮人に固有の感情だ。
それがセヒラに狙われる――
いや、むしろ逆かも知れん。
ハンがセヒラを招いたのかもな。
ゲートの影響、山王さんのうだけではなく、
赤坂全体に広がっているような、
そんな気もしてきた――
赤坂御所に探信儀たんしんぎの設置、
いよいよ必要かも知れん。
具申ぐしんするので資料を頼む、梨央りお
喪神もがみ梨央りお
承知しました!
本日の波形記録をまとめます。
兄さんも確認お願いします。

第四章 第二話 灯台下暗し

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

純喫茶の怪人が口にした銀座幻燈会げんとうえ。それが思わぬ波紋はもんを広げつつあった。
銀座幻燈会げんとうえめい打ったもよおしは、銀座八丁目のビルヂングで開かれた、幻燈げんとうを観るつどいであった――
だが、銀座幻燈会げんとうえに参加した客のうち、何人もが、会終了後の足取り知れずで、警察に捜索願そうさくねがいが出ていたのだ。

喪神もがみ梨央りお
今のところ、二十人です。
銀座幻燈会げんとうえで行方不明になった人。
帆村ほむら虹人こうじん
参加したのは何人くらいなんだ?
喪神もがみ梨央りお
わかりません――
ただ雑誌の案内だと六十名定員と。
猟奇グラフに載った案内です。
会の主催は帝国幻燈げんとう倶楽部。
住所は小石川こいしかわですが――
電話は通じませんでした。
もしかすると、これも帥先そっせんヤの仕業、
そうじゃありませんか?
いたづらに怪人化をそそのかす連中ですよ。

行方不明者については警察に届けが出るが、そうでない参加者について、情報を得るのは至難しなんの業だった。

帆村ほむら虹人こうじん
いっそラヂオで呼びかけるとか……
――ダメかな……
喪神もがみ梨央りお
参加者は山王さんのう機関へご一報を!
――そんなの無理です。
ちょっと待ってください、兄さん!
――探信儀たんしんぎがセヒラを観測!!
物凄い値です!!
溜池通ためいけどおり一ツ木通ひとつぎどおり清水谷しみずだに公園、
それに山王さんのう近辺も!
帆村ほむら虹人こうじん
どうやら幻燈会げんとうえ組のお出ましか?

山王さんのうホテル前〕

帆村ほむら虹人こうじん
おお、何だ何だ、もうこんなことに!
梨央りおの言うとおりだな、
界隈かいわいのあちこちで同時発生している。

帆村ほむら虹人こうじん
風魔ふうま、ここは二手に別れよう!
まず山王さんのうの地は死守しないとな。
風魔、お前は一ツ木通方面だ。
僕は溜池通ためいけどおりの方をあたる!

一ツ木通ひとつぎどおり

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの増大はなおも拡大中。
赤坂各地で怪人化が発生しています。
市民への被害、それに伝染も
懸念けねんされます!
怪人を鎮定ちんていしてください。

【赤坂署の巡査】
おい、貴様ら!
しずまれ、騒ぐんじゃない!
【八丁堀の客】
俺が気に入らないんだろ?
前からそうだよな、お前の目付き。
フハハハ、俺は力を得たんだ!
【なじる男】
何の力だ? 言ってみろ!
お前はヘマばかりだ!
力なぞ聞いてあきれる!

巡査の仲裁ちゅうさいもどこ吹く風で、男たちは互いにいがみ合い、今にもつかみかからん勢いであった。

【赤坂署の巡査】
何だ、貴様!
こいついらの身内か?

あっ! これは特務中尉殿!
失礼しました!
この者達が見境みさかいなく争い立て、
治安を乱すがゆえ、
指導仲裁ちゅうさいしておるのですが……
如何いかんせん、
意味不明なことばかり口走り、
らちが明かないのです。

【八丁堀の客】
何だ? 巡査の次は軍人崩れか?
【なじる男】
お、お前……
誰に怒ってるんだ?
【八丁堀の客】
誰でもいいだろ!
俺の邪魔をする奴は皆だ。
ち、力を見せてやる!!

【八丁堀の客】
上等だ!
俺に歯向かうとはな!

《バトル》

【赤坂署の巡査】
ん? 何だ?
何が起きたんだ?
おい! 急にどうした?
【なじる男】
こいつ、いきなり倒れたぞ。
銀座に幻燈機げんとうきもよおしに出掛けて、
以来、行方ゆくえ知れずになっていたんだ。
【赤坂署の巡査】
そうか! 銀座幻燈会げんとうえの客か!
それで、何を見たんだ?
会場で何を見た? 言ってみろ!
【なじる男】
自分は……行かなかったんだ。
だから、よく知らない……
でも、何か、変だ……頭が痛い……

鬼龍きりゅう豪人たけと
なんというざまだ、
喪神もがみ中尉!
ここは貴様ら山王さんのう機関の管轄かんかつ
それでこのような騒動とは、
情けないにも程がある!
【赤坂署の巡査】
ううううう……
帝都の治安を乱すのは、お前か!!
いよいよもって成敗せいばいだ!
鬼龍きりゅう豪人たけと
喪神もがみ中尉、ここは俺に任せておけ。
お前は山王さんのうの地を守るんだ。
急げ!!

月詠つくよみ麗華れいか
風魔ふうまさま、やはり出動されて……
私の勘はえていましたわ!
豪人たけとさまの後を追っていたら――
風魔ふうまさまの街がこんなことに!
私、お力になれそうですわ!
品川しながわでは、私、ひどいことを……
でも抑えられなかったんです。
私はあれから飛躍ひやくしましてよ!
私、麗華れいかはさらなる高みへと、
自分を昇らせることにしたのです!
豪人たけとさまの召喚術、拝見して、
私の器は一杯になりました。
もう一つの器も一杯にしたいのです。
風魔さまの帰神きしん法、拝見できれば、
そして私も参加できれば、
器は一杯になるはずです!
二つの器が一杯になれば、
私は高みへと昇れるのです――
きゃぁ~
【錦糸町の客】
女というのは不思議な生き物だ!
私の理解を超えている。
だから、もっと教えてくれよ――

月詠つくよみ麗華れいか
来ないでください!
やめてください!!
【錦糸町の客】
女とは何者ぞ! ああん?
女とはぜんたい、何者、何者だぁ!

男が麗華れいかの体に触れようとした。
その刹那せつな、男の体はものすごい勢いで、
その場からはじき飛ばされてしまった。

月詠つくよみ麗華れいか
どうしましょう!
私の内側から、力が湧くのです!

《バトル》

月詠つくよみ麗華れいか
あああ、神さまが……
私の求めに応じてくださる!

月詠つくよみ麗華れいか
豪人たけとさま!
力……私の力、まだわずかですが、
出来たのです!
鬼龍きりゅう豪人たけと
巡査までが怪人化した!
この一帯、どうなっているんだ?
セヒラが異常なんだな?
【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、聞こえますか?
通信障害がありました。
セヒラの値、依然いぜん高いままです!
鬼龍きりゅう豪人たけと
中尉、その娘、隊で預かる。
まだ闘いにあたわずだ。
だが、可能性は感じる――
月詠つくよみ麗華れいか
――私の力……
これは本物、なのですか?
【着信 喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさんですか?
そこに麗華さんが……
もう一人は――
鬼龍きりゅう豪人たけと
ここは私と来るんだ!
もう十分得ただろう――
月詠つくよみ麗華れいか
私には、まだわかりません……
鬼龍きりゅう豪人たけと
喪神もがみ中尉!
ここの事態、しずめないと、
山王さんのう機関はお役御免やくごめんだろう!

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの漏出ろうしゅつゲート からのものと
判明しました。
ですが、
対応にあたっていた新山にいやまさんと、
先ほどから通信が途絶とだえています。
至急ゲート へと向かってください!

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし、警戒して下さい!
ゲート 周辺のセヒラ濃度は今、
異常な状態にまで達しています。
そんな中に身をさらすのは危険です。
あまり時間をかけられません!
迅速じんそくにお願いします。

ゲートからセヒラが漏出ろうしゅつするという。目には見えぬセヒラが、河の奔流ほんりゅうのように感じられた。

新山眞にいやままこと
フウウ、見たんですよ――
弟の和斗かずと浅草あさくさ今木いまきてるさんに、
渡そうとしたメモを!

新山眞にいやままこと
照さんの新しくした髪型、
とてもお似合いだとかなんとか、
おべっかでその気にさせようと――

《バトル》

新山眞にいやままこと
あああ、何か変なこと……
寝言でもしていた気分です。
――私はもう大丈夫ですよ。
あっ、そうです、このゲート
早く何とかしないと!

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

新山眞にいやままこと
喪神もがみさん、これを見てください――
ご覧になるのは、はじめてでしょう。

ゲートを安定化させて、機関本部に戻った新山にいやまは、一枚の設計図を取り出した。
そこには釣鐘つりがねのような装置が描かれている――

新山眞にいやままこと
この釣鐘状の装置が、
ゲートのセヒラを調整していたのです。
喪神もがみ梨央りお
それが、セヒラを安定させていた、
そうなんですね?
新山眞にいやままこと
はい。安定と言っても、
を扱えるだけの値が必要、
高い値で安定させていたのです。
帆村ほむら魯公ろこう
去年の秋、ホテルで大工事があった。
もしやその時に、運ばれたのか――
その釣鐘とやらは……
新山眞にいやままこと
そう思われます。
セヒラが安定し始めた頃とも
合致していますから。
ホテル地下のスケートリンク脇の、
資材置き場で図面を見つけました。
図面は裏返しに折られていたんです。
新山眞にいやままこと
図面をよく見ると、釣鐘のすそ
薄く、鉤十字ハーケンクロイツが描かれています。
独逸ドイツ製なのかも知れません。
この装置が不安定になった、
それがセヒラ湧出ゆうしゅつの原因だと、
そう考えるのが自然かと――
喪神もがみ梨央りお
他に思い当たる原因は、
ないんですよね――
帆村ほむら魯公ろこう
今、セヒラは安定しておるな。
それにしても……釣鐘か……
まったく聞き及んでおらん――
喪神もがみ梨央りお
隊長、その釣鐘は、どこでしょうか?
山王さんのう機関の地下にそんなものが、
収まる場所はなさそうですが……
帆村ほむら魯公ろこう
秋の工事では、車寄せのあたりを、
掘り返しておったな……
いつも円タクが客待ちする辺りだ。
新山眞にいやままこと
私も引き続き調べます。
この近辺にあることは確かです。
車寄せの地下かもしれません――
帆村ほむら魯公ろこう
わしらもそれとなく、
ぎまわってみるか……
だが、あまり目立つようなことは、
差し控えるのだ。
新山眞にいやままこと
了解しました。
これまで通りに振る舞います。
喪神もがみ梨央りお
ホテルの地下に謎の場所がある、
そう考えればいいのですね。

第三章 第十二話 品川宿三つ巴

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

怪人騒動に揺れる帝都も、風かおる季節を迎え、地下100メートルにある山王さんのう機関でさえ、さわやかな空気に満たされていた。

帆村ほむら魯公ろこう
欧州からゴエティアと思しき、
古書をたずさえ、ある人物が帰国した。
その情報、漏洩ろうえいのおそれがある。
人物というのは、つた博士とも
親睦しんぼくの深い実岡さねおか圭麻けいまという実業家だ。
省線しょうせん品川しながわに着くというので、
虹人こうじんを迎えにやったが、
品川しながわで問題が起きたようだ――
無線が途絶とだえて詳細はわからん。
場所は品川遊郭しながわゆうかくの近辺だ、
風魔ふうま至急しきゅう、向かってくれ!
喪神もがみ梨央りお
公務電車、生憎あいにくとらもんが混みます。
新橋しんばしまで下がり、一番の路線で、
品川しながわ駅前まで進めます。

品川遊郭街しながわゆうかくがい

【着信 喪神もがみ梨央りお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから連絡です!
迎えの車が襲撃されたそうです。
柴崎しばさきという人に助けられ、
金杉楼きんすぎろうという遊郭ゆうかくにいると――

【着信 帆村ほむら魯公ろこう
虹人こうじんの話だと、柴崎しばさきというのは、
例の外交官の柴崎しばさき氏だ。
前に会ったことがあるだろう。
【着信 喪神もがみ梨央りお
柴崎しばさき氏と合流してください。
不順なセヒラを観測します。
おそらくはホムンクルスと……
警戒けいかいしてください!
柴崎周しばさきあまね
おや、喪神もがみ風魔ふうま中尉ですね!
帆村ほむら虹人こうじんさんの支援においでに?

柴崎しばさきあまね――
独逸ドイツ国在勤帝国大使館の一等書記官である。
一月ほど前、颯爽さっそうと姿を見せたのであった。

柴崎周しばさきあまね
品川しながわ駅に知人を見送った帰りです。
タクシーに乗っていると、
道に転覆てんぷくした車がありまして――
降りて行くと、車には、
実岡さねおかさんが乗っておいででした。
――何者かに襲われたのだと……
車に同乗されていた方は、
帆村ほむら虹人こうじんと自己紹介されて――
軍属の方ということです。
それでわかったんですよ、
車を襲ったのは怪人に違いないと。
実岡さねおかさんとは旧知きゅうちでしてね。
哈爾浜ハルピンで古書を手に入れられ、
持ち帰ってこられたそうです。
皆さん、金杉楼きんすぎろうでお休みです。
ご一緒しましょう――
おや、どうされましたか、
喪神中尉――
急に立ち止まったりして。

【クルト・ヘーゲン】
ここで再会とはな、フーマ!
運命はよほど私達を、
わせたいらしいな。
柴崎周しばさきあまね
クルト君ではないですか!
――役者がそろいますね!
日本語、随分と達者になりました。
日本人教師でも付きましたか?
まさか、君が日本人から教わる、
そんなはずはないですよね!
【クルト・ヘーゲン】
黙れ! 無駄口を叩くな!
柴崎周しばさきあまね
ほう……
私は君に助言をほどこそうと、
そう考えていたのですがね。
ドイツの秘密結社では、
少しは名の知れた君が、
この異国ではじをかかないように――
ドイツは私にとり、
まさしく第二の故郷ですから、
ドイツ人にも愛着があるのですよ。
【クルト・ヘーゲン】
貴方は私を半分も知らない、
ドイツのことも何も知らない、
まったく無知のやからだ!
さぁ、私には急ぐ用がある。
邪魔じゃまをしないでもらえるかな。
――と言っても無理なようだ!

《バトル》

【クルト・ヘーゲン】
モガミ……フーマ……
貴様らより我々のほうが
先んじている、それを忘れるな!
柴崎周しばさきあまね
実にお見事です、喪神もがみ中尉!
喪神中尉のおさめられた、
帆村ほむら帰神きしん法ですか、
その術、まったく先端ですね!
クルト・ヘーゲンは、
トゥーレの館で鳴らした人物。
腕に覚えがあるはずです――
それを容易たやす退しりぞけるとは――
日本こそ先んじているのでは?
ああ、おしゃべりが過ぎました、
さぁ、参りましょう。
皆さん、お待ちですよ。

柴崎しばさきの案内で金杉楼きんすぎろうへ上がった。
実岡さねおか虹人こうじんの待つ部屋へ向かう途中で、悶着もんちゃくが起きていた――

品川遊郭しながわゆうかく

【男の声】
それは苦労して手に入れた書です。
返してください!
鬼龍きりゅう豪人たけと
この書は我が国、社稷しゃしょく安危あんき
左右する重要なものだ。
民間人が手にするものではない!

貴様! 喪神もがみ風魔ふうま
素早い出動だな。
――いや、そうでもないか!
アーネンエルベの襲撃、
予測できないなど、
さては焼きが回ったか、山王さんのう機関は!
柴崎周しばさきあまね
実岡さねおかさん、大丈夫ですか?
実岡さねおか圭麻けいま
はい、私は何ともありません。
しかし……くだんの古書が……
鬼龍きりゅう豪人たけと
悪いが、これはいただく。
我が第三連隊第九十九小隊、
玄理げんり派の中核、この書が必要だ。
古書の解読はしかと行う。
我々も部隊の増強中でね。
月詠つくよみ麗華れいか
許して下さいますか、風魔ふうまさま。
こんな形でお目にかかることを……
でも、どうしても知りたいのです!
私の中で目覚めつつあるもの、
それが何なのか知りたいのです。
――本当の私の力なのか……
豪人たけとさまに独逸ドイツ式召喚法を
見せていただきたくうたところ、
新しい召喚の書がいるんだと――
鬼龍きりゅう豪人たけと
できるだけ新しい召喚を、
披露ひろうしたくてね!
独逸ドイツ気質かたぎ伝染うつったかも知れん。
少尉!
熱心に演習にいそしんでいたな。
その成果を見せてやってくれ!
一五市にのまえごいち
それでは……特務中尉殿!
第九十九小隊で演習を重ねた、
召喚法をお目にかけます!

《バトル》

一五市にのまえごいち
何故なぜだ、何故なぜ通用しない?
東雲しののめ流に独逸ドイツ式召喚の合わせ技、
この我が流儀が、何故通用しない?

帆村ほむら虹人こうじん
金杉楼きんすぎろうは格式のあるところだと、
うかがいましたがね――
柴崎周しばさきあまね
帆村ほむらさん……
もう手当は終わりましたか。
帆村ほむら虹人こうじん
ええ、大したことはありません。
公務で外傷を負うことなど、
滅多めったにないのですが……
柴崎周しばさきあまね
さぞや激しい襲撃だったのでは?
帆村ほむら虹人こうじん
執事型のホムンクルスが二体です。
僕がいるとは想定外だったでしょう。
それで、古書の方は……
どうなりましたか?
――まさか……古書が?
柴崎周しばさきあまね
ええ、お察しの通りです。
鬼龍きりゅうなる軍人に奪われました。
ひきいる部隊に必要なのだとか――
帆村ほむら虹人こうじん
玄理げんり派か!
連中がここをぎつけるなんて。
しかも、早かった!
実岡さねおか圭麻けいま
帝大のつた博士に送った電報、
哈爾浜ハルピン発なのですが、
それがれたおそれがあります――
帆村ほむら虹人こうじん
アーネンエルベと玄理げんり派、
双方が監視をし合っていた、
そう考えるのが自然ですね。
柴崎周しばさきあまね
帝都における攻防戦、
その縮図を見るようで、
私はおおいに満足しましたよ!
帆村ほむら虹人こうじん
さすがは外交官ですね。
大所高所たいしょこうしょからお考えになるとは!
僕たちには無理ですね。

山王機関本部さんのうきかんほんぶ

実岡さねおか圭麻けいまの持ち帰った古書は、歩三玄理げんり派の鬼龍きりゅうに奪われてしまった。
問題は情報管理のまずさにあるようだ――

帆村ほむら魯公ろこう
つた博士の研究室には、
第八分課に繋がる電話がある。
専用電話を引いたのだ。
帆村ほむら虹人こうじん
今回、実岡さねおかさんは電報を……
軍事電報を使えるようにすべきです。
帆村ほむら魯公ろこう
そうだな、参謀本部にはかろう。
虹人こうじんによると、アーネンエルベと、
玄理げんり派、相互に監視していたという。
どちらかが先に電報を知った――
先に知ったのは、おそらく、
アーネンエルベだろうな。
連中、東アジアにも目を向けている。
西蔵チベット印度インドにもご執心と聞くぞ。
哈爾浜ハルピンにも人がいておかしくはない。
それに玄理げんり派は国外情勢にはうとい。
やつらは神頼みで何でもする、
そういう気質きしつだからな。
喪神もがみ梨央りお
隊長、柴崎しばさきと言う人はどうですか?
私、偶然とは思えないんです。
――それに……
あの時間、品川しながわを出る省線しょうせん電車、
三十分ほど空くんです。
人の見送りなんて変です!
帆村ほむら魯公ろこう
なるほど!
だが、氏の目的はさっぱりだな。
古書を狙っていたようでもないしな。
喪神もがみ梨央りお
麗華れいかさんですが、玄理げんり派で
修行をされることになるんですか?
帆村ほむら魯公ろこう
独逸ドイツ仕込みの召喚術をか?
それを修行と呼ぶかは知らんが、
彼女なりの考えあってのことだろう。
喪神もがみ梨央りお
鈴代すずよさんからお茶の手ほどき
受けるうちに、霊異りょういを覚えるように
なったんですよね。
鈴代さん、麗華さんのこと、
とても案じておいででしたよ。
それなのに鬼龍きりゅうから習うなんて……
帆村ほむら魯公ろこう
月詠つくよみ女史はわかりやすい方を選ぶ、
どうもそういう気がするのだよ。
彼女は現実的だよ。
玄理げんり派はアーネンエルベを
とりわけ敵視しているようにも――
だが、わしらは易々やすやすと勢力争いに、
巻き込まれるわけにはいかんのだ。
帝都の治安維持こそ我らが公務。
それを常に心掛けてくれ。
頼んだぞ。