第八章 第二話 渡満

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
興亜こうあ日報が、
またやってしまいました。
読者から怪人川柳せんりゅうつのって、
紙面しめんで発表したんです。
ラヂオでも紹介していました――

怪人を
振り返へらせて
少し逃げ

怪人の
足へ一筋
血が流れ

怪人川柳せんりゅうを載せている興亜こうあ日報、
売店ではほとんど売り切れで、
山王さんのう機関にもまだ配達されません。

【帆村魯公】
怪人に
なった刹那せつな
考える

なかなかうまいこと言うもんだな。
想像力が豊かだな!
新川柳しんせんりゅうというやつだな。

【喪神梨央】
隊長!
またこれでおかしくなる人が出ます。
山王さんのう機関の仕事が増えます。
【帆村魯公】
仕事のあるのはいいことだ。
――さて、今日の公務はどんなだ?
【喪神梨央】
今日は警護をお願いできますか。
中条忍なかじょうしのぶさんが渡満とまんされるのです。
怪人川柳せんりゅうのこともあるので――
さんという方が、
中条なかじょうさんをエスコートされます。
さんって、兄さんご存知ぞんじですよね。
さんは京城ケイジョウまでの予定だそうです。
東京発午後三時の下関しものせき行き急行です。

そこまで言うと梨央りおは、愛用の時刻表を取り出し、ページをった。

【喪神梨央】
下関しものせきに明日の朝九時三〇分着、
一〇時半の連絡船で夜六時に釜山ふざん着、
七時二〇分の鮮鉄急行があります。
鮮鉄急行は新京シンキョウ行きのひかり号です。
京城ケイジョウには明後日の朝三時一五分着。
さんは京城ケイジョウで下車されます。
奉天ホウテンには明後日の午後四時四〇分着、
大連ダイレンには夜の一〇時半に着きます。
一旦いったん奉天ホウテンまで上る行程ですね。
私、さんに電話してきます。

喪神もがみ梨央りお麻布あざぶの張ホテルに投宿とうしゅくする景明けいめいに電話をかけに行った。
山王さんのうホテルロビーに風魔ふうまあてに来客のしらせが――

〔山王ホテルロビー〕

【廣秦範奈】
喪神もがみ風魔ふうまさんですね――
私、廣秦ひろはた範奈はんなと申します。
エレミヤ佐古田さこたさんからうかがいました。
私、志恩しおん会で執務員をしています。
志恩しおん会は猶太ユダヤ失われたロスト支族トライブ
探し求める活動を続けています。

そう言うと範奈はんなは、自分も千年以上昔に、日本へ渡ったガド一族の末裔まつえいであると語った。その廣秦ひろはた家に伝わるのが廣秦ひろはた文書である。廣秦ひろはた文書にはマナセ一族についてしるした箇所があるという。

【廣秦範奈】
やがて訪れる終末の日――
救世主が現れ、神の国が完成する。
廣秦ひろはた文書にはマナセのすえこそ、
救世主であるとあります。
【喪神梨央】
マナセ一族――
それって鈴代すずよさんじゃないですか!
前にユリアさんに、
打ち明けておいででしたよ。
自分はマナセの末裔まつえいだって。
【廣秦範奈】
如月きさらぎ……鈴代すずよさんですか?
【喪神梨央】
そうです、兄さんの同級生です。
【廣秦範奈】
確か、如月きさらぎさんは、
レイチェル・ポートマンさん、
その家系でおいでです。
ポートマン家は十八世紀末に、
米国に渡ったマナセ一族です。
古文書にあるのは、
六世紀はじめに日本に渡来した、
マナセ一族についてです。
【喪神梨央】
じゃ、他にマナセ一族の末裔まつえい
日本にいるのですね?
【廣秦範奈】
ええ、そう考えています。
父、伊佐久いさくは終末の日が近づくと
おのずと現れてくると申していました。
【喪神梨央】
終末の日、ですか……
それはいつのことでしょうか?
【廣秦範奈】
わかりません……
父は研究を重ねていましたが――
その父も行方不明になったままです。
【喪神梨央】
兄さん――
あの方ですか、さんって。

【李景明】
喪神もがみさん、
今日はご公務に時間をいていただき、
有難うございます。
私は京城ケイジョウに用があるのですが、
奉天ホウテンまで足をばすつもりです。
中条忍なかじょうしのぶさんの大連ダイレン行きを見届けます。
【廣秦範奈】
もしや中条忍なかじょうしのぶさんとは、
大連ダイレン特務機関の方ですね!
N計画を進めておいでの――
【李景明】
そのようです。
今は大崎おおさき是枝これえだ邸においでです。
是枝こえれだ咲世子さよこさんとご一緒です。
【廣秦範奈】
是枝これえだ……咲世子さよこ……
駐独ちゅうどく武官の是枝これえだ大佐の娘さんですね。
愈々いよいよN計画が動くのですね!
【李景明】
ええ、満蒙まんもう発展が期待できますね。
露西亜ロシアの南下を防ぐために、
満蒙まんもう発展は是非ぜひなる要件なのです。
【喪神梨央】
五反田ごたんだまで公務電車を手配します。
虎ノ門とらのもんから赤羽橋あかばねばし古川橋ふるかわばし経由、
五反田ごたんだに向かう経路です。
【李景明】
それでは参りましょうか。
【廣秦範奈】
エレミヤさんのこと、残念です。
彼は貴重な情報をくれました。
罠にはまったのだと思っています。

喪神もがみさん――
N計画をお守りください。
よこしまな勢力に阻害そがいされないように……

景明けいめいを乗せ公務電車は一路いちろ五反田ごたんだへ向かう。清正公せいしょうこうまえ前を分岐ぶんきした電車は、しばらく進み、不意ふいに停車した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
付近でセヒラ上昇中です。
おそらく怪人川柳せんりゅうの影響で、
怪人化した市民かと思われます。
念のため、巡視パトロールをお願いします。

〔下大崎〕

【醤油商】
何だかね、
頭がフーってなってる時に、
句が浮かんだんですよ――

怪人の
ひとみえる
柿の色

嫁がね……荷物全部持って、
家を出たんです……
私、すっからかんですよ!!

【マネキンガール】
私もね、怪人川柳せんりゅう、認めたの。
姉が句を送って入選したのよ、
あの阿呆あほうの姉でも入選するならと――

怪人は
だ真ッ白く
笑ひこけ

どうですか?
この句をくとね、
ある考えが浮かんでくるの――
最近、売り場主任に取り入っている、
久子ひさこさんに意地悪しちゃえってね!
――だからそうしたの……

【満鉄信号手】
私ネ、一句思いついたんですヨ!

車投げ
ケロリしたりの
怪人や

どうです、なかなかのもんでしょ?
――ああああああ、
他にも浮かぶ言葉あるネ!

雨のしとしと降るパン
ガラスカラスマトから冷やかした
満鉄マテツ金釦キポタン馬鹿野郎パカヤロー

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし!!
急激にセヒラ上昇です。
注意してください!

【マネキンガール】
ある日、デパートの更衣室こういしつに、
薬のアンプルがあったのよ。
それをねお茶碗ちゃわんに入れたの!
茶碗ちゃわんにお茶をそそいで、
久子ひさこさん、お飲みくださいってね!
あの女に差し出したのよ!
あなたがお茶をれてくれるなんて、
どういう風の吹き回しかしらなんて、
あの女、憎まれ口叩くのよ!
でも、素直に飲んだ――
三分もしないうちに白目向いて、
口から血の混じった泡吹くの!!
残念ね、上等の御為おためごかしなのに!!
蝦反えびぞりになって事切こときれたのよ!
アハハハハハハ~

《バトル》

【マネキンガール】
怪人の
刃物のような
目の光――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
辺りのセヒラ、なくなりました。
警護を続けてください。
今の件、一応警察に通報しますね。
――真偽しんぎの程は不明ですが。

ほどなく公務電車は五反田ごたんだ駅前に着いた。歩いて5分ほどの大崎広小路おおさきひろこうじ是枝これえだ邸がある。

〔是枝邸前〕

【李景明】
ここが是枝これえだ大佐の家ですね。

是枝邸前に立つ李景明と風魔。邸の庭には探信儀が立っている。
そこへ是枝咲世子と中条忍がやってきた。

【是枝咲世子】
どうぞよろしくお願いします――
【中条忍】
景明けいめいさんですね、
私、中条忍なかじょうしのぶです。
京城ケイジョウまで行かれるとうかがいました。
【李景明】
ええ、でも奉天ホウテンまでご一緒しますよ。
大連ダイレン行きの列車にお乗りになるまで
見届けさせてください。
【中条忍】
ありがとうございます。
とても心強いです。
【李景明】
中条なかじょうさん、奉天ホウテンに着いたら、
一旦いったん、駅から出てもらえますか?
【中条忍】
え、どうしてですの?
そのまま折り返しで大連ダイレンに向かう、
そうじゃありませんこと?
【李景明】
奉天ホウテンからも警護を付けます。
満鉄調査部の職員を向かわせます。
そのほうが安心でしょう。
大連ダイレンまでずっと警護付きです。
【是枝咲世子】
それは安心ですね。
さん、有難うございます。
【李景明】
奉天ホウテン駅前から伸びる浪速通なにわどおりに、
満毛まんもう百貨店があります。
満蒙毛織まんもうけおりが経営する百貨店です。
満毛という屋号が壁面にあります。
その玄関に満鉄職員を待たせます。
背の高い日本人青年です。
【中条忍】
わかりました。
いろいろと有難うございます。
必ずN計画を実現させます。
日本の将来のためにも――
【是枝咲世子】
皆さん、円タクがまいりました。
喪神もがみさん、父も独逸ドイツに戻ります。
新しい独逸ドイツの事情も手に入ります。
またお目にかかりましょう。
それではお気を付けください。

3人は是枝これえだ咲世子さよこが呼んだ円タクに乗り、東京駅へと向かった。

〔東京駅〕

【李景明】
喪神もがみさん、有難うございました。
駅まで無事に着けました。
これでまずは一安心ですね。
帝都は少しのことで怪人化する、
そういう人が増えているようです。
ご公務、お気を付けください。
【中条忍】
大連ダイレンに戻り、
N計画の実現に向けてつとめます。
またお知らせできるかと――
【李景明】
それではそろそろ――
ここに長くいると目立ちます。
満蒙まんもうにおいて国家自衛の地歩ちほを築き、経済産業的自給自足じきゅうじそくの資源を得て、一朝有事いっちょうゆうじの際に応じ、もって大東亜共栄だいとうあきょうえいの意義をまっとうする、私の理念はそこにきるのです。
さぁ、まいりましょう――

【着信 帆村魯公】
黒ノ八号くろのはちごう
急ぎ、帝大に向かってくれ。
公務電車を回す。
和田倉門わだくらもんから乗車するんだ。

魯公ろこうによるとゴエティアの偽典ぎてんが見つかり、今日夕方にでも帝大に着くという。牛頭ごず機構がそれを狙う動きを見せたとのこと。

〔帝大キャンパス〕

【着信 帆村魯公】
満洲のあるすじから参謀に連絡があり、
偽典ぎてんがじき帝大に着くそうだ。
【着信 帆村魯公】
一般の電報でもたらされたと言うぞ。
眉唾まゆつばな気もするが、念のためだ、
帝大を巡視パトロールしてくれ。

【占領科生R】
どうしました?
――もしや皇軍こうぐんの方ですか?
一時のアナーキスト騒動、
すっかり沈静化したようですね。
でも本当は違うのです、
奴ら地下に潜っただけなんです。
僕たちには、
まだまだやるべきことが――
そう思うでしょう、あなたも!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大キャンパス内でセヒラ上昇!
複数箇所を確認しました!

【蹂躙科生Q】
貴官きかん巡察じゅんさつなのですか?
我々は心にとげを持つような、
アグレッシブな学生を求めます。
上層部から言われているんです、
そういう学生はいい材料になると。
そうです、人籟じんらいの材料ですよ!

【精神破壊科生V】
先日、捕獲ほかくした学生は大成功でした。
くるぶしまで水にかる小部屋があります。
部屋の中央には一脚の椅子いす――
その椅子いすに学生を座らせ、
頭上から水を一滴ずつ落とします。
同じ間隔かんかくたもちながら――
ポターン、ポターンとね。
フフフ、その学生は立派に覚醒かくせいして、
に魂をわれましたよ!!
強く強く歯を食いしばって、
奥歯の割れる音がしました!
アハハ、お前もそうなるがいい!!

《バトル》

【精神破壊科生V】
水の……小部屋……
今度はお前を……入れてやろう……

【着信 喪神梨央】
帝大内のセヒラ、
収束したようです――

〔蔦博士研究室〕

【蔦博士】
これはこれは、喪神もがみ君――
来ると思っておったよ!
先程、たしかには届いた。
本郷ほんごう局の郵便夫が届けに来たぞな。
その本じゃがな……
いやぁ、あれは何であるか?
ぜんたい、不明じゃ!
少なくとも、君らの役に立つ、
ゴエティア偽典ぎてんではないぞ!
希臘ギリシャ語で何やらつづったページ、その後に阿爾卑斯アルプスの観光写真の写し、それからまた希臘ギリシャ語のページが続く――
希臘ギリシャ語を読むと、バンガロス将軍の
クーデターがどうのこうのと――
これは十年前の話じゃな。
つまりは希臘ギリシャの古新聞じゃな、
その記事をただ写してある本じゃ。
アレクサンドロス・デュカキス、
それが写本者の名前じゃ。
間違いなくインチキ本じゃよ!!
【着信 喪神梨央】
帝大内でセヒラ観測です!
研究室の近くです、
注意してください。

【搾取科生X】
古書が偽物だったとはな!
偽典ぎてんの偽物とは洒落しゃれが効いている。
そう思うだろ、山王さんのうの猿めが!
僕はね、牛頭ごずに加わって開花した。
ついに句の才能も花咲いたんだ。
聞かせてやろうか、最新作を――

怪人の
すそから風が
通り抜け

嗚呼ああ、目に浮かぶようだ――
心を彷徨さまよわせる怪人のかなしみが、
ありありと伝わってくるよ!
このかなしみを、
山王さんのうの猿にもわからせてやろう!!

《バトル》

【搾取科生X】
怪人の
素足の下の
霜柱しもばしら――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝大のセヒラ、完全に沈静化、
本部に帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
しのぶさんたち、無事に汽車に乗り、
下関しものせきに向かわれました。
鉄道省にも監視員をお願いし、
確認してもらったのです。
【帆村魯公】
ゴエティアの書については、
ガセだったようだな。
牛頭ごずの急進派を帝大に集める、
そういう効果はあったようだ。
【喪神梨央】
たぶん、範奈はんなさんです――
範奈はんなさんの陽動じゃないですか?
しのぶさんたちが汽車でつまで、
牛頭ごずをおびき寄せたのでしょう。
【帆村魯公】
最近、牛頭ごずの動きはうかがえないが、
下っ端連中はウロウロしておる――
念には念をということじゃな。
【喪神梨央】
希臘ギリシャ語のインチキな本、
誰が作ったんでしょうね――

大連ダイレン特務機関を手伝う中条忍なかじょうしのぶは、景明けいめいのエスコートを得て満洲へ向かった。愈々いよいよN計画の動き始める時が来たのだ。

第八章 第一話 桃源郷の噂

〔山王ホテルロビー〕

翌週にひかえた中秋ちゅうしゅうの名月を前に、山王さんのうホテルでは名月鑑賞会の準備が進む。心なしか普段より人の出入りも多い。
そんなおり、ホムンクルスと思しき波形が、頻繁ひんぱんに確認されるという。梨央りお風魔ふうまはホテルで様子を探っていた。

【喪神梨央】
今年は十二日だそうですよ、
中秋ちゅうしゅうの名月。
来週の木曜日ですね――
中秋ちゅうしゅうの名月といっても、
九月に入って、ずっと残暑続きです。
――それに……
ホムンクルスの波形、
しょっちゅう観測します。
お月見の気分じゃないですね。

【帆村魯公】
どうしたんだ、二人とも。
ここで怪人でも待ち構えるのか?
【喪神梨央】
隊長、ホムンクルスを観測します。
赤坂、市ヶ谷、四谷よつやでです。
独逸ドイツは何を計画しているのですか?
【帆村魯公】
こら、大きな声を出すな!
――こっちへ来い。

魯公はロビーの隅へ移動した。一同は魯公に続いた。

【帆村魯公】
おそらく猟奇りょうき倶楽部くらぶだ。
ホムンクルスが警戒している――
独逸ドイツ大使館としては、
何ら命令を発していないそうだがな。
【喪神梨央】
そうだと思いました。
祇園丸ぎおんまるさらったのも猟奇倶楽部、
そうじゃありません?
ユリアさんのフロイラインも、
きっと猟奇倶楽部の仕業です。
兄さんが猟奇倶楽部に招かれたとき、
私が風邪さえ引かなければ……
【帆村魯公】
いつまでもくよくよするんじゃない。
それに探信儀たんしんぎの空白地帯であれば、
倶楽部の所在はつかめないぞ。
猟奇倶楽部については、
参謀本部もやや苦労しておる。
【喪神梨央】
え? そうなんですか?
【帆村魯公】
連中がホムンクルスを付け狙い、
秘密の漏洩ろうえいでも起きたら一大事だ。
それで頭を悩ませておる――
【喪神梨央】
取締りとりしまとかできないんですか?
特高や憲兵を動かして――
【帆村魯公】
それがな、どうやら猟奇倶楽部には、
かなり上のほうと繋がりがあって、
簡単にはいかんそうじゃよ。
【喪神梨央】
上の方って……
猟奇倶楽部がですか?
【帆村魯公】
もうすこし調べが必要だな。
風魔ふうま、今日の公務は、
どうなっておる?
【喪神梨央】
ひとまず赤坂界隈かいわいです。
ホムンクルスの波形が気になります。
私、探信室たんしんしつに戻ります。

【帆村魯公】
例の瑛山会えいざんかいに上層部と繋がる、
そういう人物がいるようだ。
聖宮ひじりのみや親王にそれとなく尋ねてみよう。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
山王下さんのうしたにセヒラ観測しました。
確認お願いします!

〔赤坂街路〕

高女こうじょ英語教師】
今、ここ歩いて行った人、
まるで蝋細工ろうざいくのようでしたよ!
しかも無表情で……
大きな声じゃ言えませんけどね、
うちの飯山いいやま先生もあの手合てあいですよ!
じっとりと皿のような目でね、
お気に入りの女生徒を見つめる――
あの目で見られたらね、あなた、
誰だって動けやしません!

乗合のりあい車掌】
さっきの人、前に乗合のりあいにいた
お客とそっくりよ!
そのお客、声掛けも何もなしに、
他のお客さんを押しのけて、
乗合のりあいの出口に行こうとするの。
だから、一声ひとこえおかけくださいまし、
そう言ったのよ――
そしたら私をすごい目でにらけて、
レーベン、フォイヤー、トート、
トート、トートって言うのよ。
気色悪いったら、ありゃしない!

【麻縄業の男】
さっきの奴、アレだな、臭いだな……
うん、思い出したぞ!
そうだ、そうだ!
いつぞや、富山の方で食った、
斑鱶まだらぶかの塩辛、あれと同じ臭いだ。
臭いのは皆同じ臭いなんだよ!

【レーベンクラフト二〇八】
レーベン! レーベン
フォイヤー!  クリンゲ
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホムンクルスの波形です。
初期型ですが注意してください!

《バトル》

【レーベンクラフト二〇八】
凍るフリーレン……凍るフリーレン……
トート! トート! トート

【ゲルハルト・フォス】
正直は最良の策というではないか。
私は常に心がけているんだよ、
自分に嘘がないようにとね。
君が倒したのは果たして初期型だね、
モガミフーマ――
これはとんだ失礼をした。
初期型ホムンクルスは見境みさかいがない――
もっとも強い警戒状態にあるようだ。
そのせいか過敏になっている。
どうもこのトーキョーには、
我が子を狙う一派があるらしい。
秘密の漏洩ろうえいは防がねばな。
我が子らは互いにシンクロする。
天敵に襲われたはちのように、
たがいに情報をやり取りする――
その機能が元からそなわるものか、
後で身に付けたものかは知らない。
ユリアならくわしいだろうが――

さて、モガミフーマ、
我がアーネンエルベにお招きしよう。
この国では友に恵まれるらしい。
新しい友だ、客人として呼んでいる。
君にも引き合わせるとしよう。

フォス大佐にいざなわれ、独逸ドイツ大使館の車で、アーネンエルベ極東分局に向かった。連れてこられたのは地下の集会室であった。

〔アーネンエルベ地下〕

【ゲルハルト・フォス】
そろそろ来る頃だ――
マンシュウで活躍する人だよ。

その時、アーネンエルベ集会室にやって来た人物があった。

【ゲルハルト・フォス】
少し、はずしてくれないか。
【武装SS隊員】
ハイル――
【ゲルハルト・フォス】
ここではいいんだ。

ナチ式敬礼をしかけたSS隊員は、かかとを鳴らして回れ右をして出ていった。

【ゲルハルト・フォス】
ようこそ、我がガルテンへ。
ヘル、リー、リーチンミン!
こちらがモガミフーマだ。
【李景明】
モガミ、フウマさん――
初めまして、景明けいめいです。
日本読みで憶えてください。
【ゲルハルト・フォス】
確か、満鉄調査部だったかな?
【李景明】
ええそうです。
大佐のアーネンエルベとは、
近い部署かもしれません。
【ゲルハルト・フォス】
それでは聞くが、
調査部でもつかんでいるのかね、
例の桃源郷キサナドゥのことは?
【李景明】
烏魯木斉ウルムチまで調査隊を派遣して、
回教徒かいきょうとらから聞き取りを行いました。
およそのところは掌握しょうあくしています。
興亜こうあ日報がどうやってぎつけたのか
それはわかりかねますが。

地下の桃源郷とうげんきょうとされる蟻走痒感府ぎそうようかんふについて、興亜こうあ日報は特報として派手に報じたが、具体的なことは何も示されなかった。

【ゲルハルト・フォス】
お二人に聞いて欲しいのだがね、
私は夢は寝て見るものだと思う。
起きては現実に向き合うことだ――
ローマ帝国、神聖ローマ帝国、
そして我が第三帝国。
国家建設は一朝一夕いっちょういっせきにはいかない。
しかもヨーロッパの連中は、
まったく足並みがそろわない。
自国の利益にばかり気を取られて――
ヨーロッパなどはこの際捨てて
桃源郷キサナドゥを首都として、
第四の帝国建設を企図きとするところだ。
李景明リ ケイメイ
満蒙まんもうからカザフスタン、ペルシア、
さらにはカスピ海へ抜ける
回教かいきょう国家をまとめるのですね。
その場合、露西亜ロシアの領土を
一部貫くことになります。
何分、手強い相手です。
【ゲルハルト・フォス】
ソビエトは信じきっているよ。
我が国が戦争を仕掛けないことをね。
不可侵ふかしん条約の準備も進んでいる――
李景明リ ケイメイ
相手を油断させておく、
そういうことなんですね。
もしや露西亜ロシアに侵攻する計画も?
【ゲルハルト・フォス】
電撃戦でんげきせんは我が方の得意とするところ。
今は静かに時機じきを見ているのだろう。
鉄の心を持つSS装甲師団LSSAHがな。
――モスクワを叩けば道は開く。
そこは総統ヒューラーと同じ考えだ。
李景明リ ケイメイ
では、大佐の構想というのは……
【ゲルハルト・フォス】
の現実なのだよ。
私にはいくつも現実はいらない。
ただひとつの現実さえあればな。
アーネンエルベを、
北満ほくまんのハイラルに開く。
桃源郷キサナドゥ探しに本腰を入れるつもりだ。
おりよくアーネンエルベ本部の、
フンメル博士の論文も発表された。
神智学しんちがく的視座から同定する先史アーリア人の中央アジアにおける優生民族的実存の痕跡こんせきリストという標題だ。
李景明リ ケイメイ
大佐、満鉄調査部の方でも、
出来る限りお手伝いさせていただき、
大佐の計画が進むようはからいます。
【ゲルハルト・フォス】
また会える日を楽しみにしている。
――私はこれで失礼するよ。

フォス大佐は優雅に体をひるがえして集会室を後にした。

李景明リ ケイメイ
私はここに残ります。
近く朝鮮に渡る予定があります。
またお会いしましょう、喪神もがみさん。

〔独逸大使館〕

独逸大使館前は緊張した空気に包まれていた。
歩哨のSS隊員たちが侵入者を発見したのだ。

【武装SS二等兵】
侵入者アインドリンリンだ!
【武装SS軍曹】
ここは立入禁止カインツートリットだ!

2名のSS隊員は瞬く間にたおされてしまった。
猟奇倶楽部の会員と思しき黒頭巾姿の人物が音もなく現れた。

【堕天使の先導者Δデルタ師】
逃げ足の早い奴です!
何とか一体でも……
――私の階位がかかっているのです!
邪魔しないでください!
これ以上、階位を下げるわけには……
あああああ、くそっ!!

《バトル》

【堕天使の先導者Δデルタ師】
あああ……残念です……
階位一位の方がお見えだと言うのに、
私は階位九十八位のままだ――
【着信 喪神梨央】
急なことで間に合いませんでした!
申し訳ありませんでした。
お知らせしたいことが――
【着信 帆村魯公】
金ノ七号きんのしちごうが行方不明なんだ!
市ヶ谷で消息しょうそくを絶った。
公務電車を回す、急いでくれ!
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館を出るのは確認され、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしは心ここにあらず、
そんな様子だったそうです。
心配です、
何とか見つけてください。

〔市ヶ谷見附〕

【鈴蘭女学生典子】
秋桜コスモスごとくの妙子たえこ様。
先程の、はたして虹人こうじんさまでは?
筆名、白金江しろかねこう虹人こうじんさまなのでは?
【鈴蘭女学生妙子】
あら、雛菊ひなぎくのような私の典子のりこさま!
虹人さまで遊ばされたら、
私たち、どういたしましょう?
【鈴蘭女学生典子】
君影会にお伝えしなければ。
【鈴蘭女学生妙子】
でもまだ虹人さまと、
決まったわけでは――

【八紘油脂のサラリーマン】
どうしたんだい、さっきから。
君たち、もしや、あのハンサム君に、
やられちまったのかい?
【鈴蘭女学生典子】
あら、何ですの?
ハンサム氏には興味なくってよ!
【鈴蘭女学生妙子】
そうよ、ハンサムかどうかなんて、
関係ないですわ。
ようは美しいかどうかですわ。
【八紘油脂のサラリーマン】
彼、西洋人のようだったけどね。
大きく見えたけど、半ズボン姿だし、
君たちには小さすぎかな。

聖橋にはしゃがみ込む虹人の姿があった。
風魔を認め、虹人の傍から金髪碧眼の少年が近付いてきた。

聖護院丸しょうごいんまる
喪神もがみさんですね!
虹人こうじんさんを無事に保護しました。
行き先も告げず、ふらふらと、
まるで何かにいざなわれるように――
そして、うつろな表情をして、
この橋の欄干らんかんに寄りかかって――
身投げでもするんじゃないかと案じ、
駆け寄り介抱かいほうしたのです。

【帆村虹人】
風魔ふうま――
お前から僕はどう見えている?
この間、執筆を再開しようと、
久しぶりにペンを取ったんだ。
その瞬間、僕は白金江しろかねこうに支配された。
何の気なしに付けたペンネームが、
いつの間にか大きく育っていたんだ。
白金江しろかねこう秋宮あきみやの小説を、
最後まで完成させていた。
――僕はそんなの絶対に嫌だ!
僕が夢現ゆめうつつの時に白金江しろかねこうが執筆した、
そうに違いないんだ。
僕はその原稿用紙を焼き捨てた!!
【聖護院丸】
確かに大使館の談話室の暖炉に、
焼かれた原稿用紙がありました。
【帆村虹人】
僕はあのペンネームを捨てる。
そうさ、僕は僕だ、誰でもないんだ!
【聖護院丸】
もしかして虹人さん――
ペンネームを捨てるために身投げを?
この橋の下には省線が走ります。
【帆村虹人】
――わからないよ……
でももう大丈夫さ。
とっておきの話を思いついた。
白金江しろかねこうが考えもしなかった話さ。
僕は自分の名前で執筆するよ。
【聖護院丸】
それはよかったですね――

その時である。聖護院丸に異変が生じた。聖護院丸は急にしゃがみ込み、苦痛に顔を歪めている――

【帆村虹人】
おい!
どうした?
――聖護院丸しょうごいんまる、しっかりするんだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
仮面の男情報です!
場所は四谷よつやです!
【帆村虹人】
僕は聖護院丸しょうごいんまるる。
風魔、仮面の男、頼むぞ!

〔四谷街路〕

仮面の男の通報で向かった四谷よつやの町は、一騒乱ひとそうらんあったかのような異常さであった。
果たして仮面の男はいかに――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
非常に不安定な波形を観察!
仮面の男かどうかわかりません。

無線の後、どこからともなく声がした――

【???】
何をしたのかね?

答えるんだ!
お前は何をした?

辺りが一瞬暗くなったかと思うと、仮面の男が音もなく降り立った。
強いセヒラを全身に漂わせ、それはまるで帯電しているかに見えた。

【仮面の男】
せっかく新しい異能者、月詠つくよみ麗華れいかと、
真の連合を築こうとしていたのに。
私たちは皆、中途半端な存在だ。
多くの必要を欠き、それをつくろい、
なかば自分をだまして生きている。
月詠つくよみ麗華れいかは欠点だらけだ。
私はその欠点にかれるのだ――
あの女の覚醒かくせいはまだ完全ではない。
私と繋がることで、限りなく、
高みへと上りゆくはずだ――

【仮面の男】
お前は何をした?
時空じくう狭間はざまに身を隠していた私を、
この白日はくじつもとに引き出すとはな!!

仮面の男から発せられる苛立ちが、辺りの空気を震わした。

【仮面の男】
いいだろう――
お前と対峙たいじするのは何度目だ?
自分を見失うでないぞ!

《バトル》

【仮面の男】
フハハハハハ~
いい気分だ、実に素晴らしい!
結託けったくしているのかね。
まさか心を通わせているとでも?
――あの郭公かっこう時計職人の息子と。
二人とも心に妖精を飼うのかな――
フフフ~
楽しみがまた増えたな――
私はいさぎよ退くとしよう……
時空じくう狭間はざまにね。
あそこを家として力を送ろう。
この世界を動かすかもしれない力を。
ワハハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
不定形な波形、消えました。
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
ユリアさんがおいでです。
【ユリア・クラウフマン】
今日の現象ですが――
あれは大型波動グローサベッレというものです。
広範囲に渡り、ホムンクルスの
自律係数じりつけいすう一斉いっせいに引き下げる波動を、
帝都に放ったのです。
【喪神梨央】
聖護院丸しょうごいんまるの……
ユーゲントの自律係数じりつけいすうは三・八、
それが下がったんですね。
【ユリア・クラウフマン】
ホムンクルスは警戒しています。
自分たちを狙う連中に対して――
その警戒心が伝わっているのです。
【喪神梨央】
帝都にいるホムンクルスすべてに、
それが伝わっているのですか?
【ユリア・クラウフマン】
おそらくは……
それで起きる不要な戦いを避ける、
その目的で大型波動グローサベッレを発したのです。
大型波動グローサベッレ、父の助手だった、
ユルゲン・フェラー博士が研究し、
開発を進めていたものです。
全ホムンクルスに攻撃指令を出す、
そういうこともできる仕組みです。
今回は実験をねているのかも――
【喪神梨央】
アーネンエルベで、
いったい何が起きているのですか?
不協和音のようなものを感じます。
虹人こうじんさんと聖護院丸しょうごいんまるは、
四谷よつやから無事に戻ったようですが――
【帆村魯公】
フォス大佐は、
なかなかのロマンチストのようだな。
【喪神梨央】
大佐が興味を示す桃源郷とうげんきょうですか?
新聞にも載っていましたよ。
遠く烏魯木斉ウルムチの近く――
青白い肌のカーンが統治する町、
ありと共存するのだそうです。
【帆村魯公】
わかっておるのは、それだけだな。
町の写真とかそういうものはない――
【喪神梨央】
はい、写真はありません。
新聞もいつもの興亜こうあ日報ですから。
桃源郷とうげんきょうか! の後に小さな?が。
【帆村魯公】
うむ……だが、その発掘のために、
北満ほくまん海拉爾ハイラルにアーネンエルベの、
分局をもうけるというんだな。
【喪神梨央】
アーネンエルベにいろいろ動きが――
やはり、そうなんですよね?
【帆村魯公】
第四帝国がどうのとも言っておった。
総統フューラーからすると邪魔くさい話だ。
さては誰かが仕込んだか――
【喪神梨央】
ユリアさんはどう思われますか?
【ユリア・クラウフマン】
桃源郷とうげんきょうの話ですか?
【喪神梨央】
大型波動のことです。
お父上の助手の方のこととか――
ユリアさんも全部はご存じない?
【ユリア・クラウフマン】
先日、フェラー博士から、
技術書が送られてきました。
私の知るのはそれまでです。
大型波動グローサベッレはホムンクルスに
ダメージを与える恐れがあります。
技術書にはそう明記されていました。
【喪神梨央】
見つかっていないフロイラインにも、
その波動は届いたんですよね――
心配ですね……
私、思うんですけど……
あの仮面の男って、
ホムンクルスじゃないですか?

欧亜おうあの地に見つかったという桃源郷とうげんきょう真偽しんぎさだかではないものの、フォス大佐はすでに野望をたぎらせていた。

第七章 第十三話 蠢動

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
あっ、兄さん――
兄さんが帝都満洲に行く度に、
時間が少しずつ遅れているとすると、
兄さんの一日が、
私たちの何日にもなってしまう……
新山にいやまさんが危惧きぐされていました。
そうなると、
私たち、どんどん歳を取る、
そうじゃありません?
【帆村魯公】
おう、風魔ふうま
ホテルに佐古田さこた氏がおいでだ。
三崎みさきの銀行で頭取やってる人だ。
【喪神梨央】
山郷やまごう……さんの……
右腕だった人ですね。
エレミヤ佐古田さこた――
【帆村魯公】
山郷やまごうにさん付けは不要だ、梨央りお
佐古田さこた氏は山郷やまごうの計略を阻害そがいし、
N計画の保全に一役買っている。
【喪神梨央】
牛頭ごず機構、最近、動きがありません。
むしろ不気味なんですが――
【帆村魯公】
山郷やまごうが満洲から指示を送っている、
そう考えるのが常だな。
佐古田さこた氏に会ってきてくれ。
氏はホテルロビーだ。

〔山王ホテルロビー〕

【エレミヤ佐古田】
喪神もがみさん!
ちょうどよかったです。
今、是枝これえだ咲世子さよこさんを待ちます。
近く、中条忍なかじょうしのぶさん、
大連ダイレンへ戻ることになると、
そう連絡ありました。
満蒙の大地に猶太ユダヤ人の入植、
愈々いよいよその大計画が動き出すのですね。
【是枝咲世子】
喪神さん――
皆さんは、お変わりありませんか?
佐古田さこたさん、
話しておきたいこととは、
どのようなことですか?
【エレミヤ佐古田】
牛頭ごず機構の山郷やまごうですが、
彼は猶太ユダヤの失われた支族しぞく末裔まつえいを、
懸命になって探しています――
今、私の仕込んだ情報を頼りに、
山郷やまごうは満洲の新京シンキョウにいます――
【是枝咲世子】
N計画で入植する猶太ユダヤ人の中に、
失われた支族しぞく末裔まつえいが含まれている、
彼はそう目論もくろんだのですか?
【エレミヤ佐古田】
山郷やまごうの目的はN計画の乗っ取りです。
計画の基礎は新京しんきょうにあると、
そう仕向けたのです。
さらに仰るようなことも、
匂わせておきました。
【是枝咲世子】
それじゃ霊異りょういを現す末裔まつえいが、
新京しんきょうで彼の手中に落ちることも?
【エレミヤ佐古田】
十の支族しぞくは世界中に散らばりました。
だから、末裔まつえいが満洲に行く可能性、
まったくゼロではありません。
【是枝咲世子】
でも、違うのですか?
【エレミヤ佐古田】
すでにこの日本にマナセ一族の末裔まつえい
いることがわかっています。
山郷やまごうの親戚です――
【着信 喪神梨央】
鈴代すずよさんのことですね。
以前、ユリアさんに、
打ち明けていましたね。

【是枝咲世子】
――如月きさらぎ鈴代すずよさんですね?
父からうかがっていました。
虹人こうじんさんからも……
【エレミヤ佐古田】
支族しぞくに伝わるとされる霊異りょういなす力、
それは女性にのみ受け継がれます。
マナセ一族については、
鈴代さんのお祖母ばぁさんの代で、
途絶とだえているのです。
【是枝咲世子】
それでは……
まだ他に、支族しぞく末裔まつえいがいると?
この日本に……そうなんですね?
【エレミヤ佐古田】
ええ、お伝えしたかったのは、
そのことです。
手がかりはさほどありませんが――
京橋区に志恩しおん会という会があり、
山郷やまごうとは別経路で末裔まつえいを探します。
【是枝咲世子】
お続けになって――
【エレミヤ佐古田】
如月鈴代さんとは別の家系の、
マナセ一族が日本にいるのです。

エレミヤは、6世紀中頃に、朝鮮半島より渡来したマナセ一族が、日本で系譜けいふを継いでいることを話した。マナセ一族に関しては志恩しおん会が調査している。もう一つのマナセの系譜けいふについては、山郷やまごうはまったく認知していないとのことだった。

【是枝咲世子】
見つかっていないマナセ一族のすえ――その現す霊異りょういというのは、
一体、どんな力なのでしょうか?
【エレミヤ佐古田】
ちし明星みょうじょう堕天使だてんしルシファーを、
召喚できるほどの能力です。
かなう相手はいないでしょう――
私、これから志恩しおん会に向かいます。
何でも哈爾浜ハルピンから荷物が着いたと。
哈爾浜ハルピン軍政署からだそうです。
山郷やまごうに関することかも知れません。
それでは、咲世子さよこさん、
喪神さん、これで失礼します。

〔山王ホテルロビー〕

景明ケイメイ
やはりおいででしたか――
今、ホテル玄関で、
エレミヤさんに会いました。
第百六十三銀行の副頭取ですね。あの方は上海軍閥シャンハイぐんばつと繋がっています。
いえ、私は彼とは面識めんしきがありません。
新聞で何度か拝見した程度です。
初めまして、景明けいめいと申します。
外地ではリー景明チンミンです――
【是枝咲世子】
リー……チンミン……
父が申していた方ですね。
確か満鉄の――調査部の――
景明ケイメイ
もしや、あなたは是枝これえだ大佐の?
――そうでしたか、お父上は日本に?
【是枝咲世子】
ええ、おります。
もうじき、独逸ドイツへ戻ります。
景明ケイメイ
ナチのフォス大佐のお宅訪問は、
もう済みましたか?
【是枝咲世子】
よくご存知ですね。
フォス大佐はおいでになりました。
父とは昵懇じっこんの間柄です――
さん……満鉄ではナチの動向、
どこまで掴んでおいでですか?
景明ケイメイ
独逸ドイツは両面攻撃を企図しています。
西へ英仏、東へ露西亜ロシア――
欧州は世界戦争の余儀よぎなしです。
【是枝咲世子】
やはりそうなのですね。
父の取り越し苦労ではなかった……
景明ケイメイ
ナチは羅馬ローマ帝国、神聖羅馬ローマに次ぐ、
第三帝国建設を妄想しています。
その中に露西亜ロシアも含まれるのだと。
そんなナチも一枚岩ではなく、
方々にひび割れを認めます。
来日中のフォス大佐もそうです。
【是枝咲世子】
そのフォス大佐ですが、北満に、
妙に執着されているようですが……
何があるのですか、北満に?
景明ケイメイ
北満ではなく、もっと西です。
新疆シンキョウ省の省都烏魯木斉ウルムチの付近に、
桃源郷とうげんきょうが発見されたのです。
【是枝咲世子】
興亜こうあ日報にあった記事ですわ!
でも大佐が宅においでのとき、
まだ記事は出ていませんでしたわ。
景明ケイメイ
記事によって大佐の情熱に、
火が着いたのではないでしょうか。
【是枝咲世子】
かねてより大佐は北満を含む、
欧亜ユーラシア大陸全域を第四帝国にする、
そう語っておいででした――
景明ケイメイ
烏魯木斉ウルムチ桃源郷とうげんきょうがあれば、
そこを中心として発展するでしょう。
さだめし立派な帝国が出来るでしょう。
【是枝咲世子】
――さん……
桃源郷とうげんきょうなんて、本当なのですか?
私、にわかには信じられません。
景明ケイメイ
新聞の言うことです、真実でしょう。
そう思うことです――
【是枝咲世子】
さん……作り話ですね?
フォス大佐を試す……
そうじゃありませんこと?
景明ケイメイ
ナチ将校をだますなんてできません。
――咲世子さよこさん、中条なかじょうさんは、
まだお宅においでですか?
【是枝咲世子】
ええ、いらっしゃいます。
もう大連ダイレンに戻られるそうですが――
さんは、外地へのご予定は?
景明ケイメイ
私は鮮鉄の京城ケイジョウに用があります。
釜山プサンから朝鮮に入る予定です。
【是枝咲世子】
では、ぜひ、しのぶさんを、
エスコートお願いします。
京城ケイジョウまでで構いませんので。
彼女、以前、怪人にされかけて、
それで用心深くなっています。
お願いします――
景明ケイメイ
わかりました。
今日はお会いできて幸いです。
後日、是枝これえだ家に電報打ちます。
喪神さん、ありがとうございました。
また連絡を取り合いましょう。
【是枝咲世子】
喪神さん……
こうさん……いえ、虹人こうじんさん、
恙無つつがなくお過ごしですか?
虹人さんは複雑で繊細、
それでいてはがねの強さをお持ちです。
虹人さん、おっしゃっていました――
小説を書く時の僕は僕じゃなくなる。
実際の虹人さんを知っていれば、
その言葉、わかる気もします。
秋宮あきみや、休載して久しいですが、
以前の連載分、お見せしますね。
それでは、喪神さん、
またよろしくしてください。

咲世子さよこを見送ってすぐ、梨央りおから着信があり、清水谷しみずだに公園でセヒラを観測したという。ホムンクルスの波形も現れたようだ。

〔清水谷公園〕

【着信 喪神梨央】
そういえば……
今日、清水谷しみずだに公園で猟奇人の会が
開かれるとか……そんな話です。
兄さんにはそんな猟奇趣味、
ないですよね?
――あったら、困ります!
猟奇りょうきグラフ社社員】
おっと、まさか特高じゃ……
えへへ、違いますよね?
ニィさんはそんなんじゃない。
そんな目で見ないでくださいよ。
もうね、お開きです、集まりは。
猟奇人の面々は吉原よしわらの方へ……
もうここにはほとんどいないはず――
さ、私もおいとまします。
【猟奇学生】
フフフ、ボクにはね、わかるんだ。
ほら、あすこ、あの男……
絶対に猟奇的だね。
見た目は普通だけどさ、
家にはきっとろう人形の許婚フィアンセがいる、
そうに違いないよ。
蝋の許婚フィアンセはね、
マーガレットって名前なんだよ。
呼ぶときゃメグってね!
【レーベンクラフト八二二】
邪悪ベーゼ! 邪悪ベーゼ! 民族フォルク! 
【着信 喪神梨央】
ホムンクルスの波形、確認。
――でもセヒラは弱いままです。
交戦の意図は……ありそうです!!

《バトル》

【レーベンクラフト八二二】
十字架クロイツ……十字架クロイツ……
凍るフリーレン――
【着信 喪神梨央もがみりお
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
豊川稲荷いなり方面でセヒラ観測です。
またホムンクルスのようです。

豊川とよかわ稲荷いなり前〕

【猟奇好きのサラリーマン】
いやね、どうも様子のおかしな人が
この通りにいるんです――
我々、猟奇人をはるかに超すような
そういうおかしな人が。
【猟奇好きの若旦那】
私ゃね、切支丹坂きりしたんざかでね、
雨の夜にぼんぼりを見たんだ。
宙に浮かぶぼんぼりだよ――
爾来じらいね、怪異のとりこになったんだよ。
さっき通りかかったのもね、
きっと怪異の一つだよ。

【レーベンクラフト六八〇】
――破壊!ツェアシュテールング……
――破壊!ツェアシュテールング……
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
――波形は怪人です!!
【レーベンクラフト六八〇】
ドゥンケル
トート! トート
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、依然いぜん高いままです!

たっとばれし使徒Ωオメガ師】
妙な独逸ドイツ語を話すのは、
どうやら人造怪人のようですね。
連中、我々を恐れています――
何の恐れることがあるでしょう?
――私たちは求道者なのですよ。
道をふさぐもの、たとえ公務でも、
この私が退けますからね!!

《バトル》

たっとばれし使徒Ωオメガ師】
あなた方は……可愛そうです――
残念な人生ですね――
色のない人生ですね!

黒頭巾の人物が何かを落とした。風魔は拾い上げる――
それは1枚の便箋びんせんだった。猟奇倶楽部クラブの紋章が箔押はくおしされている。しかし便箋びんせんは白紙だった。

【着信 喪神梨央】
一旦、帰還してください。

一旦帰還という歯切れの悪いのは、まだセヒラを観測するからだという。セヒラは鍛冶橋かじばし界隈かいわいに観測するとのこと、黒頭巾の男が落とした便箋びんせんを預け、風魔は公務電車で鍛冶橋かじばしへと向かった。

鍛冶橋かじばし

【着信 喪神梨央】
鍛冶橋かじばし界隈かいわい、セヒラ上昇中です。
志恩しおん会のある日支にっしビルヂング近辺……
志恩しおん会には、
エレミヤ佐古田さこたさんが向かわれ――
今もおいでじゃないでしょうか?

【オフィスガール】
異人いじんさんみたいな顔の人でしたわ。
なかなかの男前さんですわ……
ふふふ、ついよこ恋慕れんぼしちゃいそう!

【呉服屋の店員】
今さっきの人……三崎みさきの方の……
――確か銀行の偉いさんですよ。
第百六十三銀行だったはずですな……

【経理係の男】
今すれ違った人だけど
新聞で記事読みましたよ……
第百六十銀行の頭取とうどりさんですよ!

【エレミヤ佐古田】
騒動を起こしている怪人は
おそらく囚人しゅうじんどもです。単純悪です。
――日支にっしビルを取り囲んでいます!
あああ、来ました! 奴らです!
私は……ああ、私が!!
わ、わ、わ……あああああぁ~
【えれみやさこた】
あわわわわ~
はぁはぁはぁ……
コロス、I KILL YOU!

ALL WORK ANDしごとばかりで
NO PLAYあそばない
MAKESだから JAREMIAHエレミヤ
AN EVIL BOYわるいこになった
ALL WORK ANDしごとばかりで
NO PLAYあそばない
MAKESだから JAREMIAHエレミヤ
AN EVIL BOYわるいこになった

《バトル》

【???】
……私を……どうか私を……
出してください……
この暗い部屋セルから……プリーズです!

ADIOS――
……サヨナラ……
FUMA SAN!

それはまたもや割れたアンプルだった。中条忍なかじょうしのぶを怪人化させたアンプルと同じである。出処でどころ哈爾浜ハルピン軍政署ということだが――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
すべて終わりました、
本部へ帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん――
【帆村魯公】
あのセヒラアンプルの出処でどころ
なんとか突き止めたいものだ。
哈爾浜ハルピン軍政署というが――
【喪神梨央】
軍政署って、今もあるんですか?
【帆村魯公】
それはあり得ないな。
明治末に民政に置き換わっている。
何者かが勝手に名乗っておるようだ。
それで、梨央りお――
佐古田さこた氏はどうなったんじゃ?
【喪神梨央】
おそらく……アストラルになった、
そう考えられます。
帝都満洲においでかと。
ずっと波形が残っていますから。
【帆村魯公】
セヒラアンプルの調査は、
飯倉いいくら技研に頼もう。
どこまでわかるか、だがな――
【喪神梨央】
兄さんが拾った便箋びんせん
黒頭巾の男が落としたやつ――
途中報告があります。
【帆村魯公】
何か出たか?
【喪神梨央】
塩化コバルトインキで印刷されていました。文字はあぶしになっています。
今、慎重に作業中です。
【帆村魯公】
わかった。
わしは諸々を参謀本部に相談する。
――ちょっと出るぞ。

参謀本部は哈爾浜ハルピン軍政署についての調査、関東軍への依頼を躊躇ちゅうちょした。情報の漏洩ろうえい危惧きぐしたのである。

第七章 第十一話 忙しい一日

〔山王機関本部〕

式部しきべは再び芽府めふ須斗夫すとおの元で待機となった。予言を求めるには強いセヒラが必要となる。変異があるとされる乙亥きのといの年、愈々いよいよ秋である。

【喪神梨央】
式部さんからはまだ連絡がないです。
強いセヒラの兆候ちょうこうもありません。
【帆村魯公】
今年についていろいろ言われるが、
まだ秋口あきぐちだ――
焦ることもない。
【喪神梨央】
予言っていくつまであるんでしょう?
今年中に全部分かるんですか?
【帆村魯公】
今年中に出きらないときは、
何も異変が起きないということじゃ。
枕を高くして眠れる。
【喪神梨央】
隊長! 
帝都の怪異は増えているし、
いろいろたくらむ人もあります!
【帆村魯公】
それはそうだが……
あの釣鐘つりがね鎮座ちんざまします限り、
帝都は安泰あんたいだろうて。
あの釣鐘つりがね以来、召喚も安定した。
ナチの技術も捨てたもんじゃない。
【喪神梨央】
私は何だか嫌です――
機械に管理されているみたいで。

【フリーダ葉】
ごめんなさい、遅くなったわね。
【帆村魯公】
足労そくろう済まないね、フリーダ。
フリーダ、お前さんに一つ頼みだ。
腕の立つ風水師ふうすいしを紹介して欲しい。
【フリーダ葉】
お安い御用よ――
だけど山王さんのう機関の依頼だから、
普通じゃないわよね、当然。
【喪神梨央】
ホテルの前にバーナードチャンという、
風水師ふうすいしが現れたんです。
――アストラルとして……
【フリーダ葉】
そうなんですってね。
バーナードは香港ホンコンの病院よ。
もう八年も眠り続けるの。
彼は風水ふうすいの見立てに失敗したの。
四神獣ししんじゅうが消え去り邪気じゃきに支配された。
彼は邪気じゃきから逃れて自失したのよ。
【帆村魯公】
その思念が帝都満州を彷徨さまよう――
だが彼のお陰で助かった。
セヒラがあふれずに済んだからな。
また再び、気脈を繋いで欲しい。
一ツ橋の憲兵隊本部に。
【フリーダ葉】
つまりバーナード並みの腕前がいる、
そういうことなのね?
――なかなか難しそうね……
でも一人いる――
アンドリューよ。
アンドリューワンというの。
【帆村魯公】
ほう!
それはどのような人物かな? 
【フリーダ葉】
香港ホンコン最高風水ふうすい会議の一員よ。
肺癌はいがんの手術で医者が麻酔をあやまって、
もう二年も意識がないの――
【喪神梨央】
それじゃ、帝都満洲のどこかを、
彷徨さまよっているんでしょうか?
【フリーダ葉】
アンドリューの声やら何やら、
録音とかがあるから、
それらから、波形、割り出せない?
【喪神梨央】
多分できると思います。
声の録音って録音盤ろくおんばんですか?
【フリーダ葉】
うん、まぁ、そのような物ね。
【帆村魯公】
それでは二人、頼んだぞ。
その風水師ふうすいしをどうにか見つけたい。
風魔ふうま、お前は巡視パトロールに出てくれ。
今日の巡視パトロールはどの辺りだ?
【喪神梨央】
銀座方面です――
セヒラの反応も少しあります。
気を付けてください。

〔銀座四丁目〕

【着信 喪神梨央】
銀座界隈かいわいでセヒラを観測します。
この波形、安定しています……
怪人になって長いと思います。
【夢見心地のサラリーマン】
いやぁ、あなた、読みましたか?
興亜こうあ日報の特報ですよ、
桃源郷とうげんきょうの話!
実にロマンがあるなぁ……
蒙古もうこの西、支那シナ新疆シンキョウ省省都、
烏魯木斉ウルムチのさらに西!
蟻走痒感府ぎそうようかんふという、
新発見の都があるらしいです!
そこの臣民しんみんありと共生するんです!
【ロマンチストなモガ】
蟻走痒感府ぎそうようかんふの人々は、
青斑せいはんびた白色陶質とうしつ皮膚ひふで、
火にも水にも強いのですわ。
でも蟻酸ぎさんには弱く、触れると死ぬ、
だからありと仲良くするのですわ。
最も色白で青斑せいはんの多い女王が、
カーンと呼ばれ、みやこ君臨くんりんするのです。
ハァ~想像が膨らみますわ!
【空想家の旦那】
華氏かし財団辺疆へんきょう弁理公司鉄路建設局
臨時調査部隊――
桃源郷とうげんきょうを発見した調査隊ですよ。
辺疆へんきょうの地にこそ未来ありですな!
経度八〇乃至ないし八三度、
緯度四三乃至ないし四五度の辺り、
我が桃源郷とうげんきょうはそこにあるのです。
いやぁ、行ってみたいですなぁ。
白楊ポプラの並木の続く道――

〔銀座街路〕

【独逸語専科生】
フォス大佐から銀座で号外、
もらうように言われて来たんだ。
――あなたのこと、大使館で見たよ。
フォス大佐には壮大な計画がある。
なんと、第四帝国建設!
驚いたかい? そりゃそうだろう――
総統フューラーを差し置きの新国家建設ときた。
僕も将来を大いに嘱望しょくぼうされていてね!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています。
ホムンクルスではありません!
【独逸語専科生】
僕は独逸ドイツ大使館で働いているんだ。
だから事情に通じている!
君たちも働いてARBEIT自由になればいい!

《バトル》

【独逸語専科生】
沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン……沈 黙シュヴァイゲン
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ語らしきを確認しましたが、
波形から通常の怪人と思われます。
ホムンクルスではありません。

【聖宮成樹】
やはり怪人でしたか!
赤坂で怪力にて人を突き飛ばし、
十番の市電に乗ったのです。
私も銀座への道すがら、付けました。
半蔵門はんぞうもんで十一番に乗り換え銀座へ。
電停からは巻かれてしまったのです。
喪神もがみさんがいらして幸運でした――
この近くの純喫茶じゅんきっさで、
ある人物と約束しています。
喪神さんもご一緒ください。

〔純喫茶青蘭せいらん

【女給鶴子】
あら、いらっしゃいませ~
【聖宮成樹】
あちらの方と待ち合わせです。
【李景明】
殿下!
お早かったんですね。
赤坂の菓子屋は……
【聖宮成樹】
わけあって、今日はしました。
さんにご紹介しようと思い、
喪神もがみさんもご一緒願いました――

聖宮ひじりのみや景明けいめい風魔ふうまを紹介した。は東亜文化調査局の調査員だと自己紹介した。

【聖宮成樹】
さん、こちらの方には、
満鉄調査部と名乗っても大丈夫です。
なにせ参謀本部直轄ちょっかつですから。
【李景明】
なるほど――
それは頼もしい限りです。
【聖宮成樹】
喪神さん、さんは、
北満の発展をたくされ、
種々の調査をなさっておいでです。
【李景明】
喪神さん、私は支那シナ生まれです。
両親は日本人ですが、満洲では、
リー景明チンミンを名乗っています。
近い将来、独逸ドイツは欧州を戦禍せんか
巻き込むに違いありません。
独逸ドイツは全欧州を敵に回すでしょう。

2年前――1933年、独逸ドイツではヒトラー内閣が誕生。
同年8月、ヒンデンブルク大統領死去によりヒトラーが独逸ドイツ国家元首に就任した独逸ドイツ欧州ヨーロッパ全域を手中に収めようと目論もくろむ。ソビエトは独逸ドイツにとり後方の脅威きょういである。

【李景明】
日本は欧州の戦争には関わらず、
極東地域を愈々盤石いよいよばんじゃくにし、
揺るぎない構えを築くことです。
【聖宮成樹】
先の世界大戦争では、
青島チンタオに攻め独逸ドイツ退しりぞけました。
今後、独逸ドイツとの関係は如何いかに?
【李景明】
むしろ今後を占うのは露西亜ロシアです。
露西亜ロシアの助長を抑えるべきです。
史大林スターリンは冷酷で強欲な人物です――
それに、露西亜ロシアが唱える共産主義は、
今後、世界の脅威きょういとなるでしょう。
――まるで新宗教のようにです。
露西亜ロシアの南下を防ぐことは、
世界の安全にとってかなめとなります。
とりわけ米国アメリカにとり重要です。
【聖宮成樹】
そのために北満なのですね?
【李景明】
今、北満の発展を進めれば、
日本は国際的にも有利な切り札カードを、
手の内にすることができます。
【聖宮成樹】
独逸ドイツ露西亜ロシアを攻めてもらえば、
北満発展の機会が生まれますね。
露西亜ロシアの勢力が分化しますから――
【李景明】
独逸ドイツは攻めますよ、間違いなく。
我々はN計画を急ぐことです。
【聖宮成樹】
喪神さんも計画に関わります。
【李景明】
そうだったんですね!
参謀本部のお墨付すみつきを得ましたか!
【聖宮成樹】
N計画を阻害そがいする動きがあり、
それをふうじる特務を遂行されます。
【李景明】
帝都の変異に乗じて、
さまざまな動きがあるようですね。
私はまだ日本におります。
殿下、喪神さんのご紹介、
ありがとうございました。
喪神さん、よろしくお願いします。
耳寄りな情報があれば、
すぐお知らせします。
【聖宮成樹】
お気を付けください、さん。
それでは参りましょう、喪神さん。
さんと協力しあえればいいですね。

【女給雪子】
あららぁ~カズさん……
カズさんは、まだよろしいんでしょ?
二人でソーダ水、いかがかしら?

日本橋に用のある聖宮ひじりのみやとは店前で別れた。その後、本部からの着信があった――

【着信 喪神梨央】
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしから連絡です。
四谷見附よつやみつけに向かってください。
要請内容はわかりません――

〔四谷見附〕

【帆村虹人】
祇園丸ぎおんまるの香腺を調べて、
大凡おおよその居場所、見当がついた。
【ユリア・クラウフマン】
ヨツヤ、イチガヤ……
この二点から結ばれる三角形ドライエック――
【帆村虹人】
その二点から伸ばして、
丁度、戸山とやまあたりに結ぶ三角形、
その何処どこかにいるはずなんだ。
今、二体のホムが行方知れずだ――
祇園丸ぎおんまるとユリアさんのフロイライン。
彼らの行方不明には、
猟奇倶楽部クラブの一味が関わっている、
そうに違いないんだ。
【ユリア・クラウフマン】
猟奇倶楽部での会話記録に、
フロイラインとおぼしきものを
見つけたんです。
彼ら猟奇人はとても慎重です。
雑誌の編集部住所も次々変わり、
なかなか所在をつかめません。
【帆村虹人】
だが範囲は絞られた――
ユリアさんは市ヶ谷を、
僕は戸山を当たってみる。
風魔、お前は四谷の巡視パトロールを――
ホムンクルスの技術、
漏洩ろうえいする前に防ぎたいんだ。
それにまた犠牲者が出る前にな――
【ユリア・クラウフマン】
フーマ、お願いします。
それでは私はイチガヤへ――

【帆村虹人】
ユリアさんを見ていると、
僕はまるで道草みちくさをしているようだ。
もっと自分に芯をもたなきゃな!
そう言い聞かせているんだ。
――それじゃ、巡視パトロール、頼んだよ!

【渋谷の客】
あら、今の方、女優さんみたいね。
――そういえば、銀座幻燈会げんとうえ
いよいよ活動キネマに格上げですって!
しかもトーキーですって!
――楽しみだわ……
私、トーキー、まだ知らないのよ!

【履物商の男】
あんたは……憲兵とは違うのか?
憲兵と言ったって天麩羅てんぷらもいるって、
それ、本当なのか?
天麩羅てんぷら憲兵……こりゃ傑作けっさくだ!
衣だけで中身は空っぽ……
そう思えば怖くはないな!

下谷区したやくの学生】
帝大の連中、すっかり萎縮いしゅくしたよ。
秋毫しゅうごうは休刊になったと言うし、
特高の巡察パトロール頻繁ひんぱんだし……
たもとを分かった新文民社は、
解体されて跡形もないね。
新文民社の謄写とうしゃ版や美品を並べ、
展示会を開くそうだよ、憲兵隊で。
不敬ふけい反逆分子の実態展だって!

〔四谷街路〕

煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
あのホムンクルスとやらは、
なかなか厄介やっかいなもんですな!
【マントヴァの枢機卿Ωすうききょうオメガ師】
命令者の言う事しか聞きません。
刷り込みアプドロックがない、刷り込みアプドロックがない、
その繰り返しです。
【東方の黒騎士長Δデルタ師】
前に猟奇倶楽部に、
おいでになりましたわね。
お話しましてよ!
倶楽部の外にいるときは、
正式名を名乗りますのよ、私ども。
倶楽部内ではただの猟奇人ですわ。
【太陽神殿の門番Λラムダ師】
私たちにはホムンクルスが必要です。
一体は確保、もう一体は逃亡中。
帝都にはたくさんいるのに――
全部で四体ほど必要です。
喪神もがみ風魔ふうまさん、手伝ってください。
ホムンクルスの捕獲ほかくをです。
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
倶楽部の高位の会員が、
たってのお願いと頼むのですよ。
【マントヴァの枢機卿すうききょうΩオメガ師】
こちらも刷り込みアプドロックされて、
言うことを聞かないのでは?
そう思いますけど――
煉獄れんごくの評議員Ψプサイ師】
仕方ないですね。
大司祭に来てもらいましょうか!

【初心の大司祭Γガンマ師】
このあたりはすこぶる危険ですよ。
セヒラが多く漂いますよ。
あなたがこれ以上踏み込まないよう、
私から言い聞かせてあげましょう。

《バトル》

【初心の大司祭Γガンマ師】
――あなたたちは……
そのうちきっと、
協力したくなるはずです、きっと――
【着信 喪神梨央】
巡視パトロール完了の旨、
金ノ七号帥士きんのしちごうすいしに通知しておきます。
こちらでは、
風水師ふうすいしの確認できました!
はらえのに来てください。

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
アンドリューワンという風水師ふうすいし
波形が確認できたらしい。
梨央りおのやつ、やけに興奮してな。
何でも小さな活動キネマみたいなものに、
風水師ふうすいしが映っておったと――
【新山眞】
確かに波形はあるのですが、
他の波形と重なっていて、
うまく特定できません。
彼は身動きが取れない状態、
まわりに強いセヒラが漂います。
【帆村魯公】
帝都満洲のどの町かわかるのか?
【新山眞】
中野なかの満洲里マンチュリの方に記録が残ります。
新しい拠点になりますね。
ただ今は――
【帆村魯公】
どうした?
【新山眞】
ミスターワンですが、
今は時空の狭間にあるようです。
喪神さん、ミスターワンふうじるもの、
かなり強いセヒラを発しています。
十分に注意してください。

〔時空の狭間〕

【双子師アストラル】
双子作るなら双子中心ふたごちゅうしんに来ることだ。
双子中心ふたごちゅうしんなら質の高い双子が作れる。
双子の間には通じ合う力がある。
それを鳴力ミンリーと呼んでいる――
まだ本物の鳴力ミンリーは起きていない。
力を秘めた双子がいないからだ!
鳴力ミンリーが起きれば邪気じゃきを自在に操れる。
ここいらも随分と邪気じゃきが強まった。
また陰陽交合いんようこうごうが起きるぞ!
まさかお前が――
せっかくの邪気じゃきはらうつもりなのか!
――それは許さん!
あの風水師ふうすいし共々邪気じゃきに染めてやる!!

《バトル》

【双子師アストラル】
くそっ!
鳴力ミンリーがあれば……こんなことには……

【超級風水師AWアストラル】
ここを解いてくれたのか……
私はまだあの薄暗い病室で、
眠り続けるのだな?
あの光明路コウミョウろの小さな医院の――
手術前夜、ほとんど眠れなかった――
光明劇場クンミンシアターの赤いネオンが部屋を染め、
浅い眠りはすぐ覚まされたのだ。
バーナードがここを出たとき、
すべてのことがわかった……
私にもできることがあると。
その思いを邪気じゃきに察知され、
私は閉じ込められた――
私にはバーナードほどの腕前はない。
準備が必要だ、少し時間をくれ。
セヒラを送って知らせる。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、お兄さん。
フリーダさん、
すごい機械をお持ちなんです!
のぞ絡繰からくりみたいな小箱の中に、
小さな活動キネマが収まっているんです。
てのひらに乗る大きさなんですよ!
そこにワンさんが映っていました。
声もするんです、トーキーです。
しかも総天然色なんです!
あんなの見たの、初めて!
映写機はどこにあるんでしょうか……
――ちょっとびっくりしました。
【帆村魯公】
梨央りおにしては珍しく、
大はしゃぎだったな!
【喪神梨央】
すみません……
【帆村魯公】
いいんだ。
風魔ふうま朗報ろうほうだ、
例の祇園丸ぎおんまる、見つかったそうだ。
戸山とやま衛戍地えいじゅちだそうだ。
【喪神梨央】
よかったですね!
兄さん、戸山に行かれますか?
【帆村魯公】
今日はもう十分だろう。
祇園丸ぎおんまる虹人こうじんらに任せておこう。
まずは風水師ふうすいしだ、風魔。
【喪神梨央】
ワンさん、セヒラで教えると――
中野方面、感度を上げて観測します。

頼みの綱の風水師ふうすいしを探り当てることができた。行方不明の祇園丸ぎおんまるも見つかった。次に向かうは新しい町、中野満洲里マンチュリである。