幕間――旭の祭儀

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スピンアウトの「アキラとレンザ」から「幕間――旭の祭儀」の間のストーリーは、コミカライズ版「デモンズゲート帝都ノ魔女」にてお楽しみいただけます!
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《電子版》  《単行本》

第九章 第九話 ヴンダー

〔猟奇倶楽部・左閲覧室〕

そこは階段状に椅子が3段に並ぶ、
小さな劇場のような部屋であった。
正面はガラス張りでカーテンが引かれている。

風魔ふうまが椅子から立ち上がると、
白衣姿の人物が姿を見せた。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうであった――

【柄谷生慧蔵】
気が付きましたか――
頭痛や吐き気はありませんね。
何しろ酷いセヒラでしたから。
黒頭巾はセヒラを防ぐのですが、
さすがに危険でした――

物理一筋の私が、
科学に限界を感じ始めたのは、
ある不思議な体験がきっかけでした。

あれは四年前のことです――
哈爾浜ハルピン技院に招かれた私は、
キタイスカヤ街のホテル、
東方飯店に宿を取ったのです。
確か四〇八号室でした――
転寝うたたねをする私は夢かうつつかの状態で、
ホテルの便箋びんせんにメモを取ったのです。
目覚めてメモを見ると、
それはシュレーディンガー方程式、
まさにそのものだったのです。

【柄谷生慧蔵】
決してそらんじているわけでもない、
その複雑な方程式を、
まるで誰かの意思のようにしたためた――
私は自分の頭が、
誰かに乗っ取られたような気になり、
そのままホテルを飛び出しました。
するとどうでしょう――
あれほどにぎやかだった大通に、
白昼夢はくちゅうむのように人影がないのです。
所在なく私は部屋に戻りました。
先ほどの便箋びんせんは消えていました――

そして天啓てんけいのように新しい方程式を
書き始めたのです。
四日間、飲まず食わずで――

この体験の翌年です、
帝都にセヒラが観測されたのは。
セヒラ粒子が解を求めるかぎでした。

長広舌ちょうこうぜつはもういいでしょう。
さぁ、すべての準備は整いました。

音もなくカーテンが開かれた。大きな窓から見下ろすのは、白いタイル張りのまるで手術室のような部屋であった。
部屋の周囲に幾人もの人物が寝かされている。その部屋の中央にフォス大佐とクルトが、まるで双子の胎児のように向き合い丸くなっている。2人は床から浮き上がっているのか、ゆっくりと回転していた。

【柄谷生慧蔵】
アストラルとなった二人を、
均一きんいつになるまで混ぜ合わせる――
兄の実験ノートにそうありました。
どうやって混ぜれば良いか、
さっぱりわかりませんでしたが――
それが起きてみると、
どうです、自らが混ざり合おうと、
あのように回っているのです!

自ずから生起すること――
物理の世界での常識が、
この霊異りょういの中でも現れるのです。

背を丸めて回転する2人の周囲にセヒラが漂い始めた。セヒラは見る見るその濃度を増して、とうとう2人をすっかり包み込んでしまった。
なおもセヒラは濃くなり、風魔のいる部屋にも押し寄せてくる。柄谷生慧蔵は窓に向かって両手を広げたり閉じたりしながら何かを唱えている。そして2人の名を呼ぶ声が聞こえた。

【柄谷生慧蔵】
ヘル、ゲルハルト!
ヘル、クルト!
合わされ、合わされ――
ゲパーツ! ゲパーツ!

さぁ、愚かしい肉体を、
今ここに、むさぼむさぼれ!

濃厚セヒラを通してなおも回転する2人が見える。その周囲に部屋の方々から怪人と思しき連中が集まってきた。

【柄谷生慧蔵】
静かに目を閉じて――
私は一介いっかいの観察者に過ぎない。
家鴨いえがもひなのように無垢むくな私!!
さぁ、まぶたを開けますよ!
家鴨いえがもひなが、お池の上で――

一瞬、目の前が真っ暗になったかと思うと晴れた。
もうセヒラは収まっていた。階下に見える手術室にらしき1体が立つ。人の背丈をやや越すくらいのそれは、砲身のようなものを体中から突き出していた。

【柄谷生慧蔵】
見えましたよ――
私には確かにあいつが!
あの白きみにくき塊が!
独逸ドイツ語で不思議を意味する、
ヴンダーと名付けましょう!

ヴンダー……

あれはヴンダー……
この意味がわかりますか?
私の理論が完結した瞬間なのです。
ヴンダーの存在がそのあかしです。
ジンネマン対称性たいしょうせいを含む、
私の方程式が正しかったと、
それが証明されたのです!

あれは破壊神ではありません。
あれは創造神なのです。

私はこれで十分です。
もう、十分です――

柄谷生慧蔵は素早い動きで部屋を出て行った。階段を駆け下りていく音がする。

【着信 帆村魯公】
そっちの場所、確定できたぞ、風魔!
じき、警察が到着する。
お前を迎える車も出たぞ!

交信が終わるや否や、遠くの方でくぐもった銃声がした。あれはたしかに銃声である。

【着信 帆村魯公】
何だ、今の音は?
銃声じゅうせいか?

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうが現したヴンダー。
それはイメージの実体化というべき存在だ。

柄谷がらたに生慧蔵いえぞうを求め、
そして得たのだ。

彼は思い残すことないと
遺書を残し自殺した。
猟奇倶楽部に警察隊が
なだれ込んできた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
猟奇倶楽部の場所、判明しました。
四谷谷町のあたりです。
戒行寺かいぎょうじの坂を降りきる手前――
低いところなので、
探信たんしんしにくかったようです。
【帆村魯公】
柄谷がらたに生慧蔵いえぞうは死んだ。
何通もの遺書があった――

遺書により生慧蔵いえぞう
猟奇倶楽部の会員のうち、
最高位の位にあることが判明した。
しかし主催者については
触れられていない。

また兄の
ルドルフ・ユンカーについても、
まるで他人のことのように
したためてある。
ユンカー殺しについては
言及がなかった。

また瑛山会えいざんかいについては、
シュタインベルク中将の動きは、
親衛隊長ヒムラーの
疑義ぎぎを買っていること、
セヒラ同定から山王さんのう機関設立まで、
すべてが首尾よく進んだことも
しるされていた。

そして戦の論文を書いた以上は、
を確認しないと理論が閉じない、
そのためにすべてを尽くすとあった。

【喪神梨央】
ユンカー所長と、
兄弟だったのですね――
【帆村魯公】
双子の兄弟だな。
兄のユンカーは独逸ドイツに戻り、
弟は日本に残された――
弟は独逸ドイツで兄への面会を申し込むが、
墺太利オーストリアのアカデミー入学をひかえた
兄はそれを退しりぞける――
生慧蔵いえぞうの胸に暗い炎が灯るのは、
その時じゃないだろうか……

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
失礼します、歩一の九頭くずです。
――大変ですよ、先生! 風魔!
【喪神梨央】
どうしたんですか?
幸則ゆきのりさんも見える組ですか?
【九頭幸則】
何だい、その見える組って?
【帆村魯公】
ヴンダーじゃよ、
ラヂオで言っておるぞ、
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

ヴンダーは破壊神ではありません、
ヴンダーは創造神なのです。
ヴンダーを見よ、ヴンダーを見よ――

【喪神梨央】
見える者は前進者です。
幸則さんは前進組ですか?
【九頭幸則】
梨央ちゃん、勘弁してくれよ。
ヴンダーが見えるのは、
怪人だけだって言うじゃないか!
【帆村魯公】
その怪人、市中から姿を消して、
怪人になりそうな市民は、
おそおののいているようだな。
【喪神梨央】
でも怪人になれば新世界に行ける、
みたいなことを言う人も――
一時いっとき帥先そっせんヤみたいです。
【帆村魯公】
うむ……
風魔、表の様子でも見てきてくれ。
【九頭幸則】
俺も行くよ、風魔。

〔山王ホテルロビー〕

山王さんのうホテルはいつもとは異なり、
どことなく落ち着かない様相を見せていた。

【九頭幸則】
何だ、どうしたんだ?
そわそわした感じだな。
いつもの山王さんのうホテルじゃないな。

ホテル玄関から新山和斗が駆け込んで来た。

【新山和斗】
一体、どういうことなんですか?
【九頭幸則】
これはまた奇遇だな。
いや、そうでもないか――
ブンヤが騒ぎを大きくするわけだな!
【新山和斗】
騒ぎも何もありませんよ!
通報が相次あいつぎ現場に取材に出るも、
写真部のカメラに写らないんです!
【九頭幸則】
ヴンダーの話だな?
新聞社に通報でもあるのか?
【新山和斗】
もうすごいです!
朝から電話が鳴り止みません!

ヴンダーは市中の
方々で目撃されていた。
人形町、赤羽橋、築地つきじ
錦糸町、目白――
目撃されるたび
巨大化しているようである。

【新山和斗】
最初は見えなかったのに、
ラヂオを聴くうちに見え始めた、
そういう話もあるようです。
【九頭幸則】
あれは新手の帥先そっせんヤだな。
新聞ではどうなんだ、
怪人川柳が復活したりしないのか?
【新山和斗】
とっくにしていますよ!
担当の新米記者が行方不明なのに、
どんどん投稿が寄せられて――
まだ掲載はしていませんけどね。

そのとき着信があった。

【着信 喪神魯公】
風魔、ホテル前で騒動だ。
ちょっと見てくれないか!
【新山和斗】
怪人騒動ですか?
それくらいじゃ記事になりません。
【九頭幸則】
そうだろうな!
ブンヤにはここにいてもらうぞ。
風魔、表を見てくれ!

九頭の声を背に、
風魔はホテル玄関へ向かった。

〔山王ホテル前〕

ホテル前には数名の市民が押しかけていた。皆、てんでバラバラな方向を向いている。
ホテルから出てきた風魔に近くの白衣姿の男性が声をかけてきた。

【神谷町の元医者】
あなたには見えるんですね?
あああ、私も見たい、
見て前進者になりたい!
もう医者は辞めたんです!
病人なんか診たくもない!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測します。
まだ怪人化して、
間もない怪人のようです。
でも波形が変です――

脇から2人、駆け寄って来た。

【本郷追分町の元学生】
僕はすべてを知ったんだ!
すべてをな!
――だから言葉がめぐる!

怪人の
眼に逆様さかさま
ことばかり

ギャハハハハハハハ~
【角筈の元訓導】
ここならなんとかなるって聞いた!
どうなんだ、ええ?
この私を怪人に変えてくれる、
そうなんだろ?
怪人が新しい世界に行けるんだろ?
堅苦しい訓導くんどうなんか辞めて、
自由になるんだ、邪魔するな!!
いいか、邪魔立てはするな!!

【着信 喪神梨央】
これまでにない速さです、
気を付けてください!

《バトル》

【角筈の元訓導】
体が……軽くなっていく……
これだ、これでこそ怪人だ!
アーハハハハハハ~

男性の背中にアストラルらしきが現れた。それはゆらゆらしながら、男性の体の傍を漂う。

【元訓導のアストラル】
軽いぞ、軽いぞ!
体を失うとこんなに軽いとは!
あのにくき肉体め!!
あのような肉体、
いくらでもくれてやる!!

アストラルが消えた。男性は倒れたがすでにその実体はなくなっていた。

【着信 帆村魯公】
今すぐ、ホテルに戻ってくれ。
おかしな客がいるんだ!

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーは人払いしてあるようで、
魯公ろこうと話す男性以外に客はいなかった。

【帆村魯公】
風魔、キタイスカヤのホテルが
どうのこうのと――
【料亭大和の大番頭】
私ネ、支那シナ人みたいな話し方ネ、
れっきとした日本人ネ!
【帆村魯公】
落ち着いてください、
ここは日本ですぞ、帝都東京です。
【料亭大和の大番頭】
ひぇ~~~~
――やっぱりですかい!
私、新京シンキョウ三笠町みかさちょうにある、
料亭大和やまとの番頭です。
新京シンキョウ一の花街かがいですよ――
大事なお客さんを迎えに、
哈爾浜ハルピンまで行って、
キタイスカヤのホテルに入りました。
【帆村魯公】
ホテルはなんというホテルですかな?
【料亭大和の大番頭】
東方飯店、露西亜ロシア語で、
ホテルボストークです。
ここより狭いロビーで、
お客さんを待つんですが、
約束の時間になっても来ない――

しびれを切らした大番頭は
表通りへ出る。
しかしそこには人の姿はなく、
音さえしない場所だったという。
ホテルに戻ったとき気を失って、
次に気が付いたときは
山王ホテルの地下、
エレベーター前で
うずくまっていたというのだ。

【帆村魯公】
エレベーターとは、
どちらのですかな?
【料亭大和の大番頭】
そっちです、そっち!
フロントの脇に出てくるやつ――
客が乗らない感じのやつ――
【帆村魯公】
なるほど!
あれは特別でしてな。
詳しくお話を聞きたいものです。
【料亭大和の大番頭】
もう話しました!
私は哈爾浜ハルピンにいたんですっ!
あずからない間に東京に――
【帆村魯公】
風魔、後は頼む。
こちらの方と出かけてくる。
もうじき殿下がお見えだ。

そこへ着信があった。

【着信 新山眞】
喪神さん――
どうやらいろいろ繋がり始めた、
そんな気がします。
ここは人払いしてあります。
そのまま殿下をお待ち下さい。

交信が終わったその時、ホテル玄関から聖宮がやって来た。

【聖宮成樹】
喪神さん――
独逸ドイツのある筋から仕入れました、
有澤ありさわ中将のことです。
彼は特務機関長でした――

10年前、駐独武官だった有澤少将は、
ナチ親衛隊に入党したばかりの
ヒムラーと出会い、意気投合する。
ヒムラー、当時25歳、
有澤41歳である。
1930年、SS親衛隊のヒムラーは、
フンメル博士に命じて
北支ほくし発掘を実行する。

【聖宮成樹】
フンメル博士は日本でも発掘を行い、
セヒラの量と質において優れている、
そう報告を上げるのです。

日本では柄谷がらたに博士の
論文上梓じょうしにより、
参謀本部は瑛山会えいざんかいを組織します。
私はその時に参加しました。
背後にいるシュタインベルク中将が、
強い影響力を持ちます。
リヒャルトガルテンの所長です。
しかしヒムラーは彼を疑っていた――

釣鐘つりがねのこともそうなのです。
表向きは壊れたことになっています。
実際はこの地下に移送されています。
ヒムラーはそうした動きを探るため、
有澤中将に依頼をしたのです――
つまりスパイするようにと。

それで有澤機関が設立され、
何名かのスパイが活動を始めます。
興亜貿易という会社がかくみのです。
機関にはエニグマ暗号機が与えられ、さらに日独で同じ本を乱数表に用い、
念には念を入れていました。
その本とは――
ゲエテのきつね裁判さいばんという本です。

アーネンエルベも内偵ないていの対象に、
なっているかもしれませんね。
確かめてみようと思います。

【聖宮成樹】
喪神さん、市民が押しかけています。
このホテルで怪人になれると、
そんな噂が飛び交うのです。
怪人になれば新しい世界に行ける、
そんな噂にそそのかされるのです。
ここは私がなんとかします――

聖宮ひじりのみやには考えがあった。
釣鐘つりがねの出力を調整することで、ヴンダーに流れ込むセヒラを抑える――
それでヴンダーの勢いをぐことができる。
勝算のあるものではなかったが、試す価値はあると踏んでいた。

【聖宮成樹】
市民がしずまれば、
私は釣鐘つりがねの出力を調整します。
セヒラの制御を試みてみます!

ホテルのことは聖宮ひじりのみや
ホテルの守衛に任せ、
風魔は裏口からホテルを出た。

人々が2階の窓や物干しから表を見ている。ある者は雲を指差し、ある者は煙を見て、あれがヴンダーに違いないなどと騒ぐ。胸に大きなカメラを下げる者もいた。

新聞にはヴンダーを見たという市民が寄せた、素描そびょうが掲載され、人々の想像力を刺激した。
担当記者不在なのに怪人川柳も掲載された。軍が出動してヴンダーに攻撃するも、市街に砲弾を降らせただけであった。

怪人の
叫び真理の
上を超す

怪人の
前を横切る
黒い猫

怪人の
一人渡る
長い橋

不思議な波形を観測したとの知らせで、風魔は紀伊国坂きのくにざかおもむいた。
山王さんのうホテルからほど近い場所だ。

〔紀伊国坂〕

着物姿の老人が道の真中にぼんやりと立っている。風魔の姿を認め、ふらふらと近寄って来た。

【為次郎】
おいら猫の為次郎ニャ~
こう見えても次男会の一員ニャ~
かなりの古株ニャ~
この人は日本橋の団扇うちわ商ニャ、
昔からおっきな隙間拵すきまこしらえるニャ、
危なっかしいニャ~

おいらどら焼きの佐加美屋の猫ニャ、
おちおち昼寝もできないニャ~
なんせ団扇うちわ屋は向かいだからニャ~

さっきから別な何かが、
おいらの場所を狙ってるニャ~

その時、老人はビクンと背中を伸ばし、のけぞったようになった。そしてゆっくりと直った。

【為次郎】
びっくりしたニャ~
あんたに話があるみたいだニャ、
おいらしばらく場所を空けるニャ!

老人はうつむいてしまった。その背中からアストラルが現れた。

【ユンカーのアストラル】
ドイツに来た弟を日本へ帰したのは、
私ではない、父だ。
父には私の成功が必要だった。
私は一点のくもりもない状態だった。
墺太利オーストリアのアカデミーにも入学できた。
弟が物理学者として、
まさかセフィラを分析し、
に興味を持つとは驚きだった。

私は弟の論文を全て読んでいる。
彼は筋金入りの科学信奉者であり、
無神論者だ――
その弟がの論文など……

だが私は確信した。
弟がやがて私のもとに現れ、
私の成果を求めるだろうと――
私は知り得たことをノートにしたため、
弟の興味を引くように仕向けた。
もちろんすべて研究の賜物たまものだ、
嘘偽りなど何一つとてない。

私は内的イメージの具現化、
つまり幻視の研究を手がけ、
多くの成果を得たのだ――

弟は学者として、
自らの理論の統一のために、
を自分の目で確認する、
そのことだけを祈念きねんしていた。

無神論者の彼が、
霊異りょういかしずくように、
を求めたのだ――
考えてみれば滑稽こっけいなことだ。
無神論者が霊異りょういを求めるなど……

――ここには長居は無理そうだ。
赤坂哈爾浜ハルピンで君を待つ。

アストラルが消え、老人が顔を上げた。

【為次郎】
もういいかニャ?
おいら、疲れたニャ~
そろそろ帰るニャ~

そう言うと老人はふらつきながら歩き去った。そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
はらえの間においでください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーの見える派と、
見えない派に別れるの、
なんとなく納得しました。
あれは実存しないのですね。
軍の砲弾も当たるはずがありません。
皆の心の恐怖があいつなのですよ。

――ですが……
やがて実体化するのは時間の問題。
そうなれば大量殺戮の兵器になる、
私が最も懸念することです。

赤坂哈爾浜ハルピンに、
先ほどと同じ波形があります。
向かってください。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ではアストラルたちが右往左往していた。その中から1体のアストラルが寄って来た。

【本郷の元書生アストラル】
怪人川柳、企画したのは、
蛇穴さらぎ先輩だ!
アハハハ~
先輩がどうなったか知っているか?

先輩は素っ裸の上に、
女物の襦袢じゅばんだけを羽織はおって、
夜な夜な出歩くんだ。
きっと誰かに入れ知恵された、
そうなんだろ?
お前たち軍部の仕業なのか?
帝都の騒ぎも、みんなそうだろ?

僕はね、アナーキスト共を、
片っ端から特高に売ったんだ!
国体を維持するためにね!

それなのに……
お前たちがその体たらくで、
何もかもがダメになる!!
許さん!!

《バトル》

【本郷の元書生アストラル】
たかがこれしき――
もっと強くなってやる!

【着信 喪神梨央】
申し訳ありませんでした!
あまりに急なことで……
何か逆恨さかうらみしていたようですね。
もう大丈夫です――

新たなアストラルが近寄って来る。

【ユンカーのアストラル】
ここでなら話せるが、
あまり時間はない――
ヴンダーの影響は、
市民の心の深くに及ぶ。
やがて取り返しの付かないことに――

では話そう――
私は幻視を現すだけではなく、
真理をあらわにする力も、
合わせて研究していた。
言わば幻視を解く魔法だ。
だれか魔法に明るい者はいるかな?
魔法の知識が必要だ――
ううう……もう持ちそうにない!
私は……流される――

全てを言い終わらないうちにユンカーのアストラルは震えながら消えた。

【着信 喪神梨央】
新山さんがお話があると――
山王さんのうにお戻りください。

〔祓えの間〕

【新山眞】
ヴンダーは益々ますます大きくなっています。
その攻撃、見た目凄まじいのですが、
市内に何の被害はありません。
見える派の市民たちは、
もはや恐怖を感じ始めています。
見える派から怪人が生まれ、
すぐに姿を消すからです。
ヴンダーに食われている――
そんな噂も出始めました。

殿下が釣鐘つりがねの出力を試されて、
その効果も表れているようです。
ただしずめるには至りません。

ヴンダーの出現する場所に
印をつけていきます。
毎日ほぼ同じ場所なのです。
何か意味があるはずです――
わかったらお知らせします。
【着信 喪神梨央】
兄さん――
魔法のこと、あきらさんに相談して、
受け入れてもらいました。
あきらさんのアトリエにお願いします。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央りおさんから聞いたよ。
魔法がいるんだって?

うーん……
私にできるかな?
十四のときに左肩に入れた、
スペードの刺青いれずみ――
すーっと消えたのよ!

魔女になるために必要なもの、
それが私から去ったの。
だから私……
魔法そのものからも、
見捨てられたような気がしてる。

でも風魔さんに必要なら……
学校で復習しなきゃね、魔法のこと。

〔旭のアトリエ前〕

あきらは溜池通から円タクで学校に向かった。
アトリエ前に新山がやって来た。ここを梨央から聞いたのである。

【新山眞】
ヴンダーの出現位置には、
何か意味がある――
そう考えていたのですが……
すでに投書が来たそうです。
和斗かずとが教えてくれました。

ヴンダーの出現位置を、
帝都の地図に落すと、
古代北欧ほくおう文字になるそうです。

今日、最初に出現したのは、
淀橋区の角筈つのはず電停前――
次が麻布あざぶ区の四ノ橋電停前……

そのあとヴンダーは、小石川区春日町かすがちょう電停前、
浅草区三筋町みすじちょう電停前、京橋区新富町しんとみちょう電停前――
合わせて5箇所に出現したのだった。

【新山眞】
それら五箇所を線で結ぶと、
古代北欧ほくおう文字のオセルになります。
魚のような形になります。
三筋町みすじちょうが頭、角筈つのはずと四ノ橋が尾、
それがオセルという字です。
【着信 喪神梨央】
ラヂオでも言ってますよ――
オセルとは執着を捨てて、
素の自分に向き合うことだって。
【新山眞】
今日は他に、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ、全部で五つの文字が――
昨日も全く同じだそうです。

これら古代文字はルーンと言います。
ナチがアーリア人の起源を求め、
祭儀さいぎにルーン文字を用いるのです。

しかし……
この文字をどうするかまでは、
さっぱりわかりません。
【着信 喪神梨央】
独逸ドイツ大使館で騒ぎです。
巡視パトロール中の金ノ七号きんのしちごうから連絡です。
三宅坂に向かってください!

〔独逸大使館前〕

大使館の玄関前ではユリアと鬼龍が対峙していた。鬼龍は背を向けている。
その手前に武装SSが
進入を阻んでいた。
武装SSが風魔の到来を鬼龍に告げた。
鬼龍はさっと風魔を向いた。

【鬼龍豪人】
今、こちらのユリア女史から、
ルーンの解釈を教えてもらってね。
ナチ的解釈というわけだ。
【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
日本人はもっと礼儀正しいと――
私の買いかぶりでしょうか?
いきなり押しかけてきて、
ルーンの資料を寄越よこせなど――
一体、どういうおつもりですか?
【鬼龍豪人】
本国ではトゥーレの館と、
アーネンエルベは蜜月みつげつの関係ですよ。
日本でももっと向き合うべきです。
【ユリア・クラウフマン】
今のここには、
そのような余裕はありません。
お察しいただかないと――
【鬼龍豪人】
アハハ、いろいろあったようですね。
ですが解答は得たから、
これ以上求めるのはしましょう。
【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン――
あなたは染 化ファーブストッフによって
トゥーレの召喚師となった。
すべてを手に入れたはずです。
そうじゃありませんか?
【鬼龍豪人】
私はもはや大尉などではない。
孤独な彷徨さまよえる召喚師だ。
小さな私から、
まことに小さな助言を与えよう――

しかし鬼龍は風魔を向いた自分に言い聞かすようにして続けた。

【鬼龍豪人】
ヴンダーはルーンを描く。
ルーンはそれだけでは何も為さない。
ルーンを用いスターヴを描くことだ。
五つのルーンの意味が合わさり、
ただひとつの魔法となる。
願いを叶える白魔法だ――
夢のある話じゃないか!
【鬼龍豪人】
だがしかし――
山王さんのう機関に魔法使いはいるのか?
アハハハハ、いればケッサクだな!
よしんば魔法をかけたとして、
あのヴンダーがどうなるか、
何の確証もないがな――

鬼龍は風魔に一瞥をくれた後、歩き去った。武装SSも後に続く。

【ユリア・クラウフマン】
タケト大 尉カピティーン染 化ファーブストッフにより、
完全な状態コンプレットとなったのです。

そうでなければ、
ヴンダーの力を求めたかも――
ナチではルーンに独自の解釈をあて、
その効力をより高めています。

おそらく……
ユンカー博士が何か仕込んだのです。
それでヴンダーはこの町に、
ルーンを描くのです。
巨大なルーンを――

それ以上のことは、
私にはわかりません。

梨央からの連絡で
鈴蘭すずらん女学園に向かうことに。
あきらの通う学校が
併設へいせつされているのだ。
といっても仮構かこうされた存在では
あるのだが――

〔鈴蘭女学園〕

学園正面玄関には袴姿の女学生がいた。
やって来た風魔を見て1人が言う――

【鈴蘭女学生聖子】
あら、歴史研究所の先生ね!
お若い先生だこと……
オホホホホ~

【着信 喪神梨央】
そのまま学園の中へ進んでください。
あきらさんがお待ちです。

〔祭儀室〕

自由サーベラス学園の祭儀室さいぎしつは、
高いへいに囲まれた中庭にあった。
丸屋根の中で
あきらが迎えてくれた――

【能海旭】
梨央さんから教えてもらったわ。
ルーンでスターヴを描くのね。
やりかたは一通り確認したよ。
図書室から本を引っ張り出してね。
前に習っただけで忘れていたから――

オセル、パース、ライゾ、カノ、
ラグズ――
これらルーンで文様を描くのよ。

このスターヴは、
真理をあらわにする白魔法のもの。
教科書によるとだけど――

さて、準備があるから、
風魔さんはここで待っていて。
私、地下のドームに降りるから。

祭儀には専用のローブをまとうのよ。
ブレナン先生のだから大きいけれど、
贅沢ぜいたくは言ってられないよね。

地下のドームであきらはスターヴを描いた。柘榴ざくろの板に自らの血で文様をなぞった。
教科書にある呪文を唱えながら――

2時間が経過した――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
清水谷公園で異様な波形を観測!
至急、向かってください!

あきらさんのことは、
そちらに警護部隊を派遣します。
安心してください。

異様な波形があるとの報告で、清水谷公園に向かった風魔。
そこで見たものは果たして――

〔清水谷公園〕

万朶の桜花が春爛漫を告げている。公園の方々で宴が催されていた。
そこへ将校服の青年が近寄って来た。

【九頭幸則】
おい!
風魔じゃないか!
久しぶりだな!

何やってんだ、こんなところで!
一人前の審神者さにわになったんだろ?

【着信 帆村魯公】
風魔!
一体、誰と話しているんだ?

【九頭幸則】
ちょっと悪い――
あそこに騒ぐのがいるんだ。
せっかくの桜の公園が台無しだ。

そこへ洋服姿の女性が
風魔を向いて言う。

【如月鈴代】
あら風魔さん――
帆村流、修められたのですね。
今日は野点に参ったのですが……

着物姿の若い女性が面を向けた。

【月詠麗華】
前に一度、お会いしましたかしら。
いいお日和でございますわね。
でも……あちらの方が……

着物の女性が顔を曇らせた。
少し離れたところで怒鳴る声が聞こえる。

【九頭幸則】
風魔、ちょっと見ててくれ!
俺、紀伊国坂の交番にひとっ走り、
巡査を呼んでくるよ。

言われた方を見ると、2人の男性が何やら言い争っていた。風魔は2人に近寄った。
スーツの男性が年嵩のトンビ服の男性を懸命になだめているところだった。

【着信 帆村魯公】
風魔!
お前は誰の時間を生きているんだ?
お前は陸軍中尉だぞ!
九頭も鈴代もそれを知っているだろ!
まずは騒いでいる男のところへ
向かうんだ。
それで何か分かるだろう。

風魔に気付いたスーツ姿の男性が困り果てた顔をして言う。

【スーツの男】
うちの先生、
同僚が首席訓導くんどうに昇進して、
爾来じらい、虫の居所いどころが悪いんです――

いや、せっかくの花見の席で
うちの先生が申し訳ないです。

トンビ服の男性が風魔を向いた。血走った目をしている。酒の勢いもあって鬱憤を爆発させた。

その時だ――
周囲から色が失せた。

再び色が戻った時、
風景は一変していた。
桜の花は消え、花見に来ていた市民もいない。公園は初冬の冷たい空気に包まれていた。

目の前にはトンビ服の男性の代わりに1体のアストラルが浮かんでいる。

【酔漢先生のアストラル】
どけ!
ええい、そこをどかんか!

貴様ら、国賊こくぞくどもめ!
天誅てんちゅうだ、天誅てんちゅうくだす!
私を何だと思うか!!

《バトル》

【酔漢先生のアストラル】
ふぅ、ふぅ、ふぅ……

一旦緩急いったんかんきゅうあれば、
義勇公ぎゆうこうほうじ!
臣民しんみん
ちゅうこうにぃ~
皇祖こうそ皇宗こうそう
くにはじむること宏遠こうえんに~

アストラルは震えながら消えた。
そこへ着信があった。

【着信 帆村魯公】
風魔、よく聞け!
お前だけが時間から離されている。
いや、むしろ違う世界にいるのか?
相手からはお前がちゃんと
見えていないようだったな。
長居は無用だ、すぐ戻るんだ。

第九章 第六話 水の想い

〔山王機関本部〕

九頭くず幸則ゆきのりの同輩、歩一の山本少尉が伝えた、荒川の工廠こうしょうについては、別途べっと、参謀本部の内偵ないていが入ることになった。

【帆村魯公】
山本少尉は秘密に近づきすぎた、
どうもそのようだ。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさん、大丈夫でしょうか?
一昨日から音信がありません――
本部にもおいでじゃないです。
【帆村魯公】
確か、あの……
吉祥院某きっしょういんそれがしが警護するとか、
そんな話じゃったな。
【喪神梨央】
レンザさんが付かれるんですね!
それじゃ安心です――
そうですよね、兄さん!
【帆村魯公】
鬼龍きりゅう大尉の同輩、御荷鉾みかぼ大尉も、
独逸ドイツ勢の動きに通じておるな――
【喪神梨央】
そして今は回廊を巡る――
【帆村魯公】
うむ……
御荷鉾みかぼ大尉の見解では、風魔、
お前は回廊に入ったことになる――

アラヤ回廊――
その存在はそれとなく伝わるが、実在を確認した者は誰一人としていない。

【喪神梨央】
独逸ドイツ人は修善寺しゅぜんじロッホを探して……
結局、見つけたんでしょうか?
淑子としこ姉さんの入院していた
サナトリウム、修善寺です――
【帆村魯公】
連中の言うロッホとやらが、
下で繋がって回廊を形成する――
理屈はわかるがな、
この目で見ないことには、
どうにもかいせんわ。

魯公ろこうはやや難しい顔をして本部を後にした。
修善寺しゅぜんじロッホの件、重ねて参謀本部に、調査を依頼することになったのである。

【喪神梨央】
そうそう、兄さん――
あきらさんがお話があるって。
アトリエに寄ってあげたら?

今日の公務ですが、
巡視パトロールの方面、後ほどお知らせします。

〔旭のアトリエ前〕

山王ホテルの裏、日枝神社の石垣に穿たれた入口。それを塞ぐ頑丈な鉄扉の前で能海旭の出迎えを受けた。

【能海旭】
梨央りおさんから、
連絡あったわけじゃないよ。
何となく来るってわかったんだ。
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
梨央さんからね、
ベラドンナのこと聞かれたんだ。
だから、風魔さんにも教えておくね。

【能海旭】
ベラドンナは花の名前よ。
美しい女性っていう意味よ。
イタリア語だって教わった。
くすんだ紫色の花を咲かせるの――
美しさとは裏腹に、
根や茎に強い毒を持つのよ。
その毒から作った膏薬こうやくによって、
さまざまな幻覚作用が起きる――
トロパンアルカロイドという成分ね。

魔女がほうきで飛んだりするのは、
空飛ぶ幻覚にとらわれるから――
実際に飛ぶわけじゃないんだ。
バスク地方の魔女たちは、
幻覚を見る膏薬こうやくを身体に塗って、
エメンエタハン、エメンエタハン――
そう唱えながら錯乱さくらん状態になる。

魔女の膏薬こうやくは他の地域でも、
例えばフランスや北欧にも伝わる。
ベラドンナの他に、
トリカブトの毒を調合することも。
より空飛ぶ感覚が得られるのよ。

そこへ吉祥院蓮三郎が姿を見せた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、
あきらさま、風魔ふうまさま――
【能海旭】
どうした?
九頭くず中尉の警護は大丈夫か?
【吉祥院蓮三郎】
その九頭中尉ですが、
青山一丁目から市電で渋谷に。
次の電車で追ったのですが……
【能海旭】
何だ? 見失ったのか?
【吉祥院蓮三郎】
かたじけないであります――

【能海旭】
しかし、何で渋谷になんか、
用があるのだ、あの中尉は?
【吉祥院蓮三郎】
渋谷には憲兵大隊が――
おそらくはゼロ師団の仮構かこうかと。
【能海旭】
そうか……
いざなわれたりしなければいいが。

風魔さん、
今日の公務、渋谷方面はどう?
電車通を進むといいよ。

〔旭のアトリエ前〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
赤坂見附電停においでください。
公務電車、待機させます。

それから……
赤坂の大柱ですが、消えました。
すっかりなくなったんです。
新山さんが調査中です。
あとで落ち合ってください。

〔青山街路〕

青山通を渋谷に向かっていた公務電車だが、青山三丁目で九頭くず幸則ゆきのりの姿を確認、風魔は電車を降り、九頭の元へ駆け寄った。

【九頭幸則】
風魔!
ちょうどよかった。
機関本部に行こうと思っていたんだ。

いやな、渋谷憲兵大隊に招待され、
主だったところを見て回ったんだ。
隊舎の中は、歩一なんかと大違い、
廊下には赤絨毯あかじゅうたんが敷かれているんだ。
広間では音楽が流れている――
ちょっといいか――

九頭は風魔を路地裏に誘った。

【九頭幸則】
大きな声じゃ言えないがな、
あそこはやっぱり怪しいぞ。
東京の憲兵は一ツ橋に移った、
東京憲兵隊本部が統括する。
山梨、神奈川を除く第一師管だいいちしかんだ。
そのうち東京憲兵隊渋谷分隊は、
道玄坂どうげんざかの途中、上通うえどおりにある。
渋谷区、目黒区、荏原えばら区を管轄する。
道玄坂上どうげんさかうえの渋谷憲兵大隊は、
おそらく工廠こうしょうと同じ性質だ。

そこまで言うと九頭は青山通に用心深そうな視線を投げかけた。

【九頭幸則】
壁に耳ありだからな!

それでだ、憲兵大隊の方だけど、
安寧あんねい課少尉係長というのが出てきて、
俺を憲兵中尉として迎えると、
そう言うんだ。
上等兵で志願して憲兵下士になる、
というのならわかるけど――
歩騎ほき将校から憲兵になるなんて、
聞いたことがない。
そう言うと係長は、
転隊を認めるとまで言い出すんだ。

あまり深入りしないほうがいいな、
なんか嫌な感じがしてきた――

【着信 喪神梨央】
新山さんが向かっておいでです。
【九頭幸則】
うわっ!
びっくりしたよ、梨央りおちゃん!
【着信 喪神梨央】
中尉は公務電車でお戻りください。
青山三丁目にて待機中です。
【九頭幸則】
了解了解!
公務電車、乗せてもらえるんだ。
風魔、先に戻るよ。

九頭と入れ替わるようにして新山がやって来た。

【新山眞】
喪神さん、愈々いよいよですよ、
事態は動き始めたようです。
赤坂の二本の大柱、
綺麗さっぱり消えてしまいました。

おそらくは――
帝都満洲にキタイスカヤが、
しっかりと定着したからでしょう。
あの二本の柱を依代よりしろにして、
キタイスカヤは存在し得たのです。
それが今や確かなものとなり……
大柱は不要となったのです。
キタイスカヤの街は、
帝都満洲にあって結界内のように、
ほとんどセヒラを観測しません。

思うのですが……
キタイスカヤ街は哈爾浜ハルピンにある、
キタイスカヤ街と繋がっている――
そうではないでしょうか?

つまり……ややこしいですが、
現世にあるキタイスカヤと繋がる、
その場所が、きっとあるはずです。

2人の話すところへ赤坂方面から梨央がやって来た。

【喪神梨央】
満洲風に言うと、埠頭区プリスタン新城大通ワゴロドナヤにある東方飯店ホテルボストーク――
ホテルで二つのキタイスカヤ街が
繋がっているのです。

兄さんと麗華さんが、
その部屋でお話されました――
あれは四◯八号室でした。
二つの波形が重なり、
微動だにしないのです。
そのホテルのある辺りが……
【新山眞】
なるほど――
ホテルで二つの世界が繋がる、
なかなかおもしろいですね。

【喪神梨央】
兄さん――
これを見てください。
【新山眞】
これは……
ホテルボストークの便箋びんせんですね。
何が書いてありますか?

【喪神梨央】
先程、式部さんがおいでになり、
読んでいただきました。
希伯来ヘブライ語だそうです――
【新山眞】
それで、意味は?
【喪神梨央】
エラ ツエーツエイン マイム
ハダシュ オ……

オの後がわかりません。
これは文章ではなく単語だそうです。
女神、子孫、水、新しい――
エラといういうのは女神なんですね。
範奈さんのお父さんが、
キタイスカヤでおっしゃいました。
エラ、エラ――
でも後が続かなくて……
あの時は何のことやら、
さっぱりでした。
【新山眞】
するとこのメモは……
【喪神梨央】
範奈はんなさんが書かれたようです。
ホテルの部屋で書かれたのです。
【新山眞】
この便箋びんせんがヒントですね。
喪神さん、キタイスカヤ街です。
ということは範奈はんなさんは――
【喪神梨央】
鈴代さんからうかがったのですが、
範奈はんなさん、満洲に渡られました。
おそらく哈爾浜ハルピンです――
お父さんとお会いになったのも、
キタイスカヤでした――
あれは帝都満洲の側ですね?
【新山眞】
そのはずです――
今度は……

なるほど!
現実の哈爾浜ハルピンと帝都満洲が接続し、
メモが帝都に現れた――

我々にはゲートがあります。
喪神さん、キタイスカヤ街には、
赤坂哈爾浜ハルピンから行けるはずです。
【喪神梨央】
これから戻って、
赤坂哈爾浜ハルピンのセヒラ、
観測始めますね!!

埠頭区プリスタンにあるホテルボストークが、満洲と帝都満洲を繋ぐという。
風魔は赤坂哈爾浜ハルピンからホテルを目指した。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
先の十字路を右に曲がってください。
ホテルボストークは、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
わずかにセヒラを観測します。
注意してください。

キタイスカヤ街は静寂の中に沈んでいた。人の姿はなく渡る風さえなかった。
そこへ一人の背広姿の男性がやって来た。

【千葉の莫大小メリヤス商】
いやぁ、困りました――
すっかり見当識を失いました。
松花江スンガリーに出ようとね、
いやね、遊覧船にでも乗ろうかと。
ホテルでうたた寝したのです。
ロビーに降りたら、なんと私一人!
町の中にも誰もいない――

ここはキタイスカヤなんですか?
哈爾浜ハルピンかキタイスカヤか、
キタイスカヤか哈爾浜ハルピンか――

日本人は哈爾浜ハルピン銀座と呼ぶそうです。
石畳いしだたみの歩道には散策の外国人が、
軽快なるステップを運び、
およそ東洋からかけ離れた雰囲気は――

って、誰もいないじゃないですか!!
私一人、あなた一人、一人、一人!
うぎゃぁぁぁぁ~

《バトル》

【千葉の莫大小商】
はぁはぁはぁはぁ……
何が東洋のモスコーだ、
こんなところ!

【着信 喪神梨央】
今の人は、哈爾浜ハルピンのホテルから、
こっち・・・に来たようですね。
他にもいるかも知れません。
注意して進んでください。

四つ辻を曲がって山郷武揚が姿を見せた。山郷は風魔を認めると静かに切り出した。

【山郷武揚】
人助けというのは、
人の為ならずとはよく言ったものだ。

ハオ社長ご自慢の野蚕やさん
白黄斑山繭しろきまだらやままゆかびで全滅してね。
それじゃ商売上がったりだ!
そこで私が特上の絹糸けんしを調達した。
そのときの社長の喜びよう、
なかなかのものだったよ。

甲斐絹かいきの対価として、
私はアルツケアンを受け取った。
その不思議な石のことは、
エメリヒと言う名のかい族の少年から
詳しく聞き及んでいたよ――

エメリヒは独逸ドイツ人研究者につかえたかい族だ。
研究者に気に入られ、独逸ドイツに連れて行かれ、アーネンエルベにも出入りしたらしい。

【山郷武揚】
独逸ドイツから戻ってきたエメリヒは、
別人のように利口りこうになっていた。
私はあの子から多くを学んだよ――

烏魯木斉ウルムチ近くに落ちた隕石いんせき
アルツケアンには、
宇宙が閉じ込められている――

アルツケアンの衝突により、
大きなセヒラ場が生じる――
それはまるで宇宙創造の瞬間だ。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、上昇しています!
注意してください。

俄に山郷の周囲にセヒラが漂い始めた。

【山郷武揚】
山王機関は熱心だね!
こんなところまで探信たんしんしているのか。
君たちは大いに勘違いしている。
私の開いた古式東雲しののめ流――
それはもはや古式ではなかった。
鬼神や妖魔を自らに降ろす古式、
しかしそれでは戦力にはならない。
古式を超えてを指揮する――
私はそこに至ったのだ。

しかしそこに頂きはなかった。
鈴代によって未来を奪われたのだ。
鈴代にすれば私は家系の染みだ。
一点の染み――
フフフフ……

だが私と鬼龍きりゅう大尉には、
残されたものがあるのだよ。
もう一度、機会をもらおうではないか!

《バトル》

【山郷武揚】
まだ他にも手はあるはずだ。
猶太ユダヤすえを招き寄せる方法がな。
この世界にはまだ見ぬ力が眠る。
触れてはならないかも知れないが。
パンドラのはこは開かれるのだ――

そう言うと山郷は踵を返して去った。

【着信 喪神梨央】
アルツケアンって、
そんなに大きな力を秘めている、
そうなんですね――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだ何かの波形を観測します。
ホテルの方へ向かってください。

ホテルのある街区へ入ったところで、鉢合わせするかのように廣秦範奈と出食わした。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、姉に呼ばれたのです。
いえ、姉の思念に触れたというか……

目覚めたらホテルの部屋でした。
そこではっきりと、
姉に触れたのです。
姿は見えないけれど――
とても確かなことでした。

範奈は姉の印象を語る――

【???】
範奈はんな――
あなたを見たのは、
小さな頃、一度だけよ。
万世橋駅近くの商家ね。
あなたの前では私は美香みか
廣秦美香ひろはたみかだったわ――

範奈は風魔から目をそらし俯いた。
再び姉の印象を呼び覚ましている。

【廣秦範奈】
先程のお父さまのこと、
お話いただけませんか?
廣秦伊佐久ひろはたいさく、それが父さまですよね?
【美香の声】
ええ、私たちが生まれてからはね。
その前は古賀容山こがようざんという篆刻師てんこくしよ。
雅号を持つ前は古賀喜一こがきいち――
父は古賀家の婿養子むこようしなの。
篆刻師てんこくしとして五大幻石ごだいげんせきを探して、
長野の方で行方不明になったのよ。
【廣秦範奈】
五大幻石ごだいげんせき
【美香の声】
自然珪しぜんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石ねんめんせき
玄武晶げんぶしょう。まだ発見されていない石よ。
父はそれらを求めて姿を消したの。
【廣秦範奈】
お姉さまはお父さまに、
お会いになったのですか?
【美香の声】
父は何かの拍子に遠い未来に行き、
そこで気脈を整える装置を作った――
それが働いたのよ。
私も父と同じ時代に生きた。
二〇一五年、九龍城砦にある光明路、
私は今もそこにいるのよ。
【廣秦範奈】
二〇一五年……
日本ではないのですね?
お父さまもご一緒ですか?
【美香の声】
父とははぐれてしまったの。
また深いところを巡っているようよ。
この町で私はラウ美鈴メイリンを名乗るの。
そうすることが自然だから――
でもたまに父に近づくの。
そして言葉を預かったわ。
【廣秦範奈】
どのような言葉ですか?
【美香の声】
冬至の朝、水辺に――
私たち姉妹で為すことがある、
父はそう伝えたわ。
【廣秦範奈】
水辺……
それは海ですか、湖ですか?
それとも――
【美香の声】
まだわからないわ――
【廣秦範奈】
水辺で姉さまに、
お目にかかれるのでしょうか?

しかし姉の答えはなかった。範奈の姉の印象は消えてしまった。

【廣秦範奈】
姉さま!
もう行かれたのですか?
姉さま――

範奈は風魔を見た。その眼を力強く見つめた。

【廣秦範奈】
喪神さん――
私、ここに何度か来たような、
そんな気がしています。
眠っている間に、
父上の言葉を預かったような――

もう一度、ホテルの部屋に戻ります。
冬至に間に合うように、
日本には戻ります。

範奈は踵を返し、確かな足取りで歩き去った。
そこへ着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンにお戻りください。
ホテルでは戻れません!

〔山王ホテルロビー〕

祓えの間から山王に戻った風魔。ホテルロビーにいると梨央が本部からやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
大変です、彩女あやめさんが――
青山の脳病院に、
彩女さんの遺書があったと。
もうじき式部しきべさんがおいでに――

梨央が言い終わらないうちにホテル玄関から式部がやって来た。

【喪神梨央】
式部さん!
彩女さんの遺書って、本当ですか?
【式部丞】
ええ、あれは遺書です。
間違いようもありません――
捜索そうさくの依頼で警察に渡しましたが。
警察では何とか追いつける、
そう見込んでいるようです。
今は任せるしかありません。
【喪神梨央】
それで、遺書には、
どんなことが書いてあったんですか?
【式部丞】
このような乾いた世界では、
もう生きていけない、
兄さんを追いかけるのだと――
【喪神梨央】
彩女さんのお兄さんって……
【式部丞】
周防高麿すおうたかまろ、文学青年でした。
四年ほど前、一碧湖いっぺきこで入水しました。
【喪神梨央】
え? そうなんですね……
一碧湖いっぺきこ――
【式部丞】
一碧湖いっぺきこは、ある女性が入水してから、
しばらく後追いが続きました。
【喪神梨央】
独逸ドイツ人医師に殺されたユーゲントが、
投げ込まれたのも一碧湖いっぺきこです。
それにしても――

彩女さん、お兄さんのこと、
よほどお好きなのですね?
【式部丞】
兄さんが読書家なので、
少しでも話が合えばと、
セルパン堂で働いていたのです。
そしてオフィーリアという文芸誌を
購読していました。
【喪神梨央】
オフィーリア――
【式部丞】
ハムレットのヒロインです。
最後には気が触れて川に落ちます。
その様子を描いた絵が――
【喪神梨央】
ミレーの絵ですね!
上野の死ぬ死ぬ団の女性が、
口にしていました。
【式部丞】
漱石そうせきも取り上げていますね。
草枕にあります――

オフェリヤの合掌がっしょうして水の上を
流れて行く姿だけは、
朦朧もうろうと胸の底に残って――

漱石そうせきはテイト・ギャラリーで、
実物を見ているはずです。
そして思い違いをした――
【喪神梨央】
実際に見ているのに?
【式部丞】
ミレーのオフィーリアは、
合掌がっしょうに組んではいません。
思うのですが――
一碧湖いっぺきこといい、オフィーリアといい、
いずれも水にちなみますね。
【喪神梨央】
そういえば、彩女さん、
魚座だと言っていました。
【式部丞】
魚座は情緒じょうちょ豊かな空想家――
まさに彩女君そのものですね。
【喪神梨央】
彩女さん……
もう手遅れでしょうか?
【式部丞】
警察からの連絡を待ちます。
私たちにはそれしかできません。
喪神さん、
私はセルパン堂に戻ります。
【喪神梨央】
兄さん――

【新山眞】
喪神さん、梨央ちゃん!
広尾橋界隈かいわいでセヒラ急上昇です。
波形からすると――
【喪神梨央】
どうしたんですか?
【新山眞】
周防すおう彩女あやめさんです、おそらく……
【喪神梨央】
ええ? だって彩女さんは――

梨央は新山に彩女の遺書の話をした。
現在、警察が全力で追っていることも。

【新山眞】
だとしたら――
広尾橋にあるのは……
アストラル?
【喪神梨央】
じゃ、もう……
彩女さんは――

兄さん、お願いします!
広尾橋……いや、その近くです。

〔渋谷区豊受町〕

広尾橋電停で公務電車を降りた風魔は、宮邸脇を抜け豊受町界隈へ。
省線恵比寿駅と高樹町を結ぶ通りに出た。

【着信 喪神梨央】
%▲&士――
そこ◎★%&▲%ですか?

不意に建物の影から彩女が現れた。彼女は真っ直ぐ風魔のもとへ来た。

【周防彩女】
喪神もがみさん――
彩女、乱歩先生にご迷惑を
おかけしたかしら?
勝手にオリムピア号のお話、
披露ひろうしたりして――

でも言葉がどしどし出るのですわ。
オフィーリアを読んでいても、
ちっとも頭に入って来なくて、
知らない間につづっているのですわ。

彩女、兄さまにいざなわれている、
そう思うようになったのですわ。

するとどうでしょう、
すーっと身体が軽くなり、
いろいろのこともなくなり――

あれはまだ小さなときですわ。
兄さまと高尾山たかおさんに行き迷子に……
何時間も暗い山の中を彷徨さまよいました。
兄さまは、彩女、大丈夫か、
まだ歩けるかとしきりに心配され、
彩女は歯を食いしばって歩きました。
ようやくさわにたどり着き、
そこで少し休むことになりました。
彩女は木にもたれ眠りました。

いかほど経ったことでしょうか、
兄さまの声で目を覚ますと――
兄さまは沢の水をてのひらみ、
彩女に飲ませてくれたのです。
兄さまのてのひらから頂くお水は、
とても甘く柔らかくそして暖かく、
彩女の中に溶けていったのです――

彩女は兄さまとひとつになりました。

式部しきべ店長が御本に向き合われる時、
そこに兄さまの面影おもかげを認めますわ。
うなじの姿がそっくり――

でも兄さまとは違うのです!
兄さまはあんなことはされません。
大切な御本を破くなんて――

ある日、彩女は夜まで眠りました――
目を覚ますと書庫の方で物音がして、
その後店長がお出かけになりました。

彩女、書庫をのぞいて吃驚びっくりしたのです。
ゲエテの御本のページが破られ、
御本が半分ほどの薄さに――
きつねの裁判という美しい御本です。

兄さまは絶対ご本を破るなど、
そんなことなさいません!

店長の中に兄さまを認めていた、
彩女はとてもおろものなのです。

兄さま――兄さま――
兄さまは彩女をお呼びなのです。
呼んではいけないのだとお思いです。

――そんなことはございません。
彩女は行かなくてはなりません。
水の中で再び結ばれるのです。

私たちはまるでウンディーネと
ユーゴーのようなのですわ――

そこまで言うと彩女は暗誦を始めた。

【周防彩女】
時計の十二時を示すや一陣いちじんの風と共に雨さえ加わり雷鳴がして、
ウンディーネが現れる。
ユーゴーは非常に後悔こうかいをして、
ウンディーネの腕を取ってびるが、
しかしウンディーネはそのままユーゴーをひかれて深く深くしずんでく――

突如として激浪げきろうが起こり、
華美を尽くせる大広間は
忽然こつぜんとして大海の如くなり、
水の神の水晶宮すいしょうきゅうが現出する――

彩女が語り終えた時、辺りが暗くなり薄暮のようになった。再び光が戻った時、目の前には千紘がいた。

【千紘】
ここは彩女の記憶なんだね――
彩女をそのままにしていて、
僕は自分のことが少し見えた――
そんな気がするんだ。
とかく水にちなむからね、彼女は。

それは、とりもなおさず、僕の中に、
水の要素を含むということさ!

心霊的なビジョンとされる、
メリュジーヌは、水の中にあり、
楽園的な存在を留めているのさ。
メリュジーヌは、人の血液にも、
命脈を保ち続けたと言われている。

僕の中の水の要素が、
高麿たかまろの入水自殺をもたらし
そこに彩女が強くかれた――

一見、不安定な彩女だけど、
水に向き合うことで、
彼女は安定していたんだよ。

でも彼女は式部丞に何かを見た――
兄を重ねているのは知っていた。
でもそれじゃない。
彼女の心に小さな穴が空いたんだ。
そういう中はじきに大きくなる。

だからおしまいにしたのさ。

フフ――
この僕が何かに不安を覚えるなんて。

どうだい?
君の力で僕の不安を払拭ふっしょくするのは?
いい考えだと思うよ!!

《バトル》

【千紘】
君はとても力をつけている。
新しい世界でもやっていけるね。
そのときが楽しみさ!

僕はホテルボストークにいる。
また時機じきを見て姿を見せるよ。
芽府めふ須斗夫すとおの予言通りなら――

千紘は音もなく建物の影に消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫でしたか?
ユリアさんが相談したいと――
アーネンエルベに向かってください。

〔アーネンエルベ〕

ユーゲントを指揮する虹人こうじんからの連絡で、帝都で怪人が姿を消しつつあるという。
廓清かくせいされるのではなく怪人のまま消えるのだ。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
来てくれたのですね。
コージンはユーゲントを連れて、
帝都をめぐっています。
そして妙なことを――

怪人が怪人のまま、
どこかに姿を消すと。

怪人はきを解かれて、
はじめて怪人ではなくなる――

怪人のままいなくなるなんて。
何かの作用が及んでいる、
そう思えてなりません。
フーマ、また新しいことがわかれば、
連絡します。

私……不安です……

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい、兄さん!
先ほど、あきらさんたちがおいでになり、
彩女あやめさん、あ、いや、千紘ちひろさん、
間違いなくメリュジーヌですって。
その転生した姿だそうです。

メリュジーヌは仏蘭西フランスの伝承で、
魚の尾を付けた女性だそうです。
毎週末、尾を付けて海に帰る、
それを夫に見られたことで、
ずっと水の中で生きることに――

詳しいこと、あきらさんが調べるって、
そう仰っていました。
学校の図書館に向かわれました。
式部しきべさんからはまだ何も……

うまく受信できませんでしたが、
もう彩女さんはいらっしゃらない、
そうなんですね?

でも、どうして本を破ったり……
本を大事にされないのでしょうか?

その夜、式部から電話があり、一碧湖いっぺきこでは彩女は見つからなかったという。
風魔の報告を受けた梨央が彩女の件を話し、式部は考え込んだ後、人格の死と命名した。
周防すおう彩女あやめは人格の死を向かえたのである――

第九章 第五話 トゥーレの館

九頭くずの報告を知り、新山眞にいやままことがやってきた。仮構かこう世界に向き合うために、夢玄器むげんきを改良したのだという。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
新山さんがお見えです。
夢玄器むげんきが新しくなったとか。

【新山眞】
新しいというのではないのですが、
思念の中に入っていく仕組みと、
仮構かこうの仕組みは似ているのです。
そこで共振回路に手を加えて、
復調波ふくちょうは大S値だいエスちを加えることで、
仮構かこう世界の実体が見えるようにと――
【九頭幸則】
ええ、じゃ、あの渋谷憲兵大隊も、
それでのぞくと活動キネマ館だったり、
薬屋の倉庫だったりするんですか?
【新山眞】
どうでしょうか……
仮構かこうされて時間が経っていると、
それは難しいかもしれませんね。
【九頭幸則】
三日前に青山せいざんホテルで、
ディナーを楽しんだ奴がいるよ。
うちの隊に――
【新山眞】
そうだとすれば、
トゥーレの館になって、
まだ間がないですね。
【喪神梨央】
それじゃ、兄さん、
青山ホテルへお願いします。
九頭中尉はどうされますか?
【九頭幸則】
え、う……あ、あ……
いきなりそう言われると、
俺まで仮構かこうされたみたいだな――
もちろん、風魔に同行だ!
【喪神梨央】
承知しました!
公務電車、手配します!

〔青山通〕

青山六丁目交差点で事故が発生した。
市電と車が衝突したとのことだった。公務電車は青山通で停止した――
電車通には車が2台停まるきりで市電はなかった。市民が数名たむろしている。そして空にはカラスが乱舞する――

【九頭幸則】
青山六丁目って、
よく事故があるな――
先だっても一日に六回もあった。
皆、市電と車の衝突だよ。
それにしても――

背広姿の男性が近寄って来た。渋谷方面からやって来たようだ。

【青山のラヂウム商】
ここにまでいやがりますなぁ~
ええ、カラスの奴です、黒い奴!
【九頭幸則】
普段とは違いますか?
【青山のラヂウム商】
違うも何も、軍人さん、
公爵邸こうしゃくていの周りはカラスだらけ、
まっくろけ~
【九頭幸則】
公爵邸?
それはどちらの公爵ですか?
【青山のラヂウム商】
この辺で公爵といえば、
フンゲルハウワー公爵ですよ、
まさにその館です。
【九頭幸則】
フンゲルハウワー?
聞いたことが無い……
【青山のラヂウム商】
タングステン貿易で大儲おおもうけ、
でも青島チンタオ権益けんえき失って没落ぼつらく
この帝都に館だけ残された――
この辺では有名な話です。

空き家になって、はや十年――
たまに電気がくといいますよぉ。

カァカァ カラスガ ナイテイク
カァカァ カラスガ トンデイク

カラスの鳴き真似をしながら男性は青山方面へと歩き去った。カラスが屋根の上でしきりに鳴いている。

【九頭幸則】
同輩どうはい付合いの日曜下宿が、
この近くの高樹町たかぎちょうにあるんだ。
海苔のり屋の二階だ。
俺もちょくちょく来るけど、
フンゲル何とかの話なんか、
まったくの初耳だぜ――
まるでお化け屋敷みたいだな。
そうか!!
そのフンゲルも仮構かこうじゃないか、
きっとそうだよ!

それに答えるかのようにさらにカラスが鳴く。

【九頭幸則】
いや……ホテルが仮構かこうなのか……
――ああ、なんか混乱するな!

鳴き声を重ねながらカラスが一斉に飛び立った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
鈴代さんから連絡があり、
麗華さんと一緒にホテルに向かうと。
それ以上のことはわかりません。
【着信 帆村魯公】
カラスの鳴き声が聞こえるぞ。
やけに多くいるようだな――
アーネンエルベの使い魔――
かも知れんがな……
ユンカーもヘーゲンもいない今、
ぜんたい誰の使い魔なんじゃろか。
注意して進むべし、八号帥士はちごうすいし

2人は青山ホテルと思われていた洋館の前に来た。門前に2人の男性が立っていた。その2人の周囲にはカラスの群れがあった。

【九頭幸則】
ホテルに変わったところはないな。

九頭がそうつぶやくと、1人の男性が歩み寄った。

【西洋かぶれの紳士A】
ここは現代青年の作法心得を、
しかと学ぶ館であります!
それもほまたか仏蘭西フランス流儀です。

もう1人も来る。

【西洋かぶれの紳士B】
晩餐ばんさんの場についたなら、
剛健ごうけんなる現代青年の作法をもって、
終始しゅうしせねばなりません。
【西洋かぶれの紳士A】
出る皿々は、驚くべき速力と、
騒音とをもって見事に平らげます。
婦人たちに紳士しんしの力を見せるべく――
【西洋かぶれの紳士B】
フォークを二本の指で曲げる、
皿をこぶしにて叩き割るなどして、
食事が終わるやいなや――
【西洋かぶれの紳士A】
テーブルクロースをいて、
手や口をさっさとぬぐい、
悠然ゆうぜんと十三文甲高こうだかの靴をば、
【西洋かぶれの紳士B】
テーブルの上へと投げ出し、
巴奈馬パナマ葉巻をくゆらすのであります。

そこまで言うと2人の男性はそれぞれ左右に駆けて行った。

【九頭幸則】
何なんだ、今のは一体?
どんな作法なんだ――

九頭と風魔は洋館の庭へと踏み込んだ。洋館の脇に音もなく仮面の男が現れた。

【九頭幸則】
おい、見ろ、風魔!
あれは……仮面の男だ!!

やおら仮面の男がくぐもった笑い声を上げた。周囲の風景が歪み始めている――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です!
中尉は大丈夫ですか?

仮面の男はひとしきり笑い終えると、おもむろに両手を広げた。その手の周りにセヒラが漂い、やがて渦を巻き始めた。セヒラの渦は仮面の男の周囲に広がった。

【九頭幸則】
ううう、どうした、急に!
体が……重いぞ!

九頭は辛そうに腰折りとなった。その刹那、仮面の男が滲みながら消え、替わりに黒い仮面を被った人物が現れた。リヒャルト・フィンケである。セヒラはいたるところで渦巻いている。

【リヒャルト・フィンケ】
現実――仮構かこう――現実――
フフフ――

フィンケが不敵な笑いを残して消え、そこへ仮面の男が現れる。

【九頭幸則】
この……匂いは……
渋谷憲兵大隊と同じ――
この甘い……匂い……
――うっ!!

仮面の男がぶれながら消え、そこへフィンケが現れる。

【リヒャルト・フィンケ】
人間というのは、
あまり多くの現実に耐えられない。
――いい言葉じゃないか!
トゥーレの館へ、ようこそ!
ヘル、フーマ!

フィンケがぶれながら消えた。そして仮面の男――

【九頭幸則】
風魔!!
奴はすきを見せているぞ!

持ち直した九頭は、仮面の男を見据えたまま言った。それを聞いた風魔、すかさず仮面の男の前へ駆け寄った。

《バトル》

【仮面の男】
イッヒ……イッヒ……
――崩壊!ツーザンメンブロホ
――崩壊!ツーザンメンブロホ

――長い冬……ランガーヴィンター

仮面の男は腰を折っている。これまで被っていた仮面が地面に落ちていた。そして仮面の男の顔のあったところには小さなセヒラの渦が見える。渦の中心は漆黒の闇であった。
風魔は落ちている仮面を拾った。

【着信 喪神梨央】
物凄いセヒラです!!
波形も初めての形です!!
――兄さん!!

仮面の男から幾筋ものセヒラがほとばしり、やがて半球状のセヒラ球を形成した。周囲から光が失われた。

しばらくして光が戻った。セヒラ球は消えており、仮面の男の姿もなかった。風魔の傍へ九頭が駆け寄る。

【九頭幸則】
おい、風魔!
お前たち二人とも、
スーッと浮かび上がって――
ホテルの屋根あたりまで昇ったぞ!
その後、セヒラに包まれて、
姿が見えなくなった――
奴を倒したのか?
仮面の男だ。
お前だけがスーッと降りてきた……

九頭に言われ風魔は強く目を閉じた。次に目を開いたとき、仮面の男のいた場所に鬼龍が立っていた。

【九頭幸則】
あなたが騒動の元か!
鬼龍きりゅう大尉!
【鬼龍豪人】
歩一のロマンチスト将校と、
やりあうつもりは毛頭ない!
【九頭幸則】
白山集会所で監視下に置かれていた、
そうじゃないのか、大尉!
【鬼龍豪人】
時間は私に味方したのだ。
お陰でゆっくり自分に向き合えた。
【九頭幸則】
もしや……
仮面の男も、実は大尉、
あなたなんじゃないのか?
【鬼龍豪人】
ウワハハハハ~
それは新しいな!
私は昨夜から忙しくてね。
トゥーレの館で儀式を行った――
神の仕事ベルクゴッテスと呼ばれる儀式だ。

鬼龍はスターヴを現した。それは幻影なのか……

【鬼龍豪人】
私に与えられた文字は四つだ。
皆、ルーン文字だ――
自己マンナズ破壊ハガラズ変革サガズ、そして完全シグル――
シグルには太陽の意味もある。
これら文字を組み合わせる文様、
スターヴを柘榴ざくろの木の板にり、
それを私の血でなぞる――
心臓から繋がる左手の親指に、
銀のナイフを滑らせ滴る血でなぞる。
スターヴには願いを叶える、
強い霊力が宿る。
私の血で愈々いよいよ力が放たれる!
昨夜、大熊流星群の方角、
赤経一◯時二四分、赤緯三七度を
仰ぎ見て心の扉を開いた!
私は染 化ファーブストッフされたのだ――

スターヴのイメージは消えた。依然、鬼龍が語っている――

【鬼龍豪人】
スターヴを描いた柘榴ざくろ板を燃やし、
その煙を吸って儀式は終わった。
昨夜以来――
私は一度も息をしていない。
だがなんともないのだ!

そこへ鈴代が青山通の方からやって来た。

【九頭幸則】
鈴代!
どうしてここへ――
【鬼龍豪人】
私が呼んだのだ。
白山神社に置いた香合が、
瑞祥ずいしょうを現したようだね。
【如月鈴代】
香合の中にメモがありました。
トゥーレの館に来るようにと――
【鬼龍豪人】
あなたはご自分のことを、
よく理解されているようだ。
【如月鈴代】
そうでしょうか……
【鬼龍豪人】
鈴代さん――
あなたこそ古式を継ぐべきです。
あなたには機根きこんそなわる――
私は染 化ファーブストッフした――
トゥーレの館流の召喚師として、
今や完全な存在になろうとしている。
だからこそ、
古式の奥義をあなたに継ぎ、
私は身軽にならねばならない。
【如月鈴代】
鬼龍さん――
あなたにそなわる古式流儀ですが、
それは叔父山郷の……
【鬼龍豪人】
鈴代さん!
あなたは東雲しののめ流の再興を願った、
そう伝え聞きましたよ!
【九頭幸則】
しつこいぞ、大尉!
鈴代の決意は固いんだ。

どこからともなく麗華が現れ、鈴代の傍に来た。

【鬼龍豪人】
麗華さん!!
【九頭幸則】
――麗華さん……
【月詠麗華】
豪人たけとさま――
ようやくお目にかかれました。
豪人さまが白山神社に置かれた香合、
その瑞祥ずいしょうは、私に届いたのです。
北の夜空に現れた光の筋――
あの光が私を導いたのです。
そして香合を見つけました。新京シンキョウ神社にあったのと同じ香合です。
中にはメモが……
振り返ったその時、鈴代さんが――
神社で鉢合はちあわせになったのです。
【鬼龍豪人】
麗華さん!
あなたには何か深いものを感じる。
それは毒々しい色を帯びている!

そう言うや鬼龍は洋館の方へ面を向けた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
トゥーレの館の扉を!

鬼龍の叫びに呼応するかのように洋館はまるごとセヒラに包まれた。

【着信 新山眞】
今です、夢玄器むげんきの装着を!
それで仮構かこうの中を確認できます。

風魔は夢玄器を装着した。眼前には銀河ゼットー博士の研究室で見たのと同じ夢玄域が現れた。夢玄域の中に洋館が浮かび鬼龍もそこにいた。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私を見てください!
昨夜、無事に染 化ファーブストッフを済ませ、
トゥーレ召喚術のマイスターに――
そうではありませんか?
【リヒャルト・フィンケ】
この甘い香りを!
ベラドンナの香りはかくも甘い。
甘く、みつのようにまとわりつく――
【鬼龍豪人】
ヘル!
私には香りがわかりません。
昨夜から息をしていないのです。
【リヒャルト・フィンケ】
それは本物だよ、鬼龍きりゅう大尉。
君は愈々いよいよの時を迎える――
【鬼龍豪人】
やはり……
そうなんですね!
トゥーレ召喚師として成るのですね!

夢玄域の中に突然麗華が姿を見せた。

【月詠麗華】
豪人さま!
私にお授けなさいまし!
【鬼龍豪人】
麗華さん!
ここに来てはいけない!
あなたに奥義は授けられない!
奥義とは授けた先で、
貴くあらねばならない――
あなたが求めているのは力だ、
闘いのための力だけだ!
【月詠麗華】
私は純粋なのですわ、豪人さま。
憎しみもうらみもなく、
ただただ神さまを授かりたいだけ――
【リヒャルト・フィンケ】
君は愈々いよいよ見放されようとしている、
君の中にあるケアンからね――
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
今はだめです、改めないと!
【リヒャルト・フィンケ】
時は進むのだよ、ヘル・キリュウ!
君は随分と物分りが良くなった。
それで時間がかかったのだ――
愈々いよいよケアンが君を見捨てるときだ。
【鬼龍豪人】
うわぁ!!

鬼龍の叫びとともに周囲から光が失われた。

〔時空の狭間〕

目の前には時空の狭間に吸われた鬼龍の姿が見える。鬼龍は薄っすらとセヒラに覆われていた。

【鬼龍豪人】
京都の師団にいたときだ――
あの小函こばこ独逸ドイツから届いた小函こばこ
日曜下宿に持ち帰った。
装飾を施した美しい小函こばこ――
トゥーレの館の招待状を収め、
そして……もうひとつ――
石だ!
黒ずみ、所々に光の粒を浮かせた、
不思議な石が収められていた――
あの石は……
――翌朝にはなかった!
机の上から消えていたのだ!

まるで鬼龍の内側から発せられるように大量のセヒラがほとばしった。

【鬼龍豪人】
どうした?
何が起きた?

青山せいざんホテル〕

周囲が戻るとそこは洋館の前だった。風魔は膝をついた状態だった。風魔が起き上がった時、軍用トラックが走り去った。門前には武装SSの立哨がいた。トラックの走り去った方からユリア・クラウフマンがやって来た。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ、仮面の男に入っていた、
アルツケアンは回収しました。

青山ホテル前に落ちていたアルツケアンは、アーネンエルベが回収した。
防護服姿の隊員が回収作業を行った。

【ユリア・クラウフマン】
先程、リオから通信記録を見せられ、
タケト大 尉カピティーンにも、
アルツケアンが入っていた――
そう信じるに値する心証しんしょうを得ました。
トゥーレの館から送られた小函こばこに、
そっと収められていたのでしょう。
タケトのアルツケアンは、
今、レイカに取り込まれています。
サンノウの記録を読むと、
レイカには二つのアルツケアンが――
私たちの想定を超えた事態です。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ確認しました!

交信が終わるや否やフィンケがやって来た。

【リヒャルト・フィンケ】
実に素晴らしい!
月詠麗華フロイライン・レイカ
彼女は究極の力に目覚めようと――
【ユリア・クラウフマン】
フィンケ総統フューラー――
ユリア・クラウフマンです。
極東分局の開設と同時に来ました。
【リヒャルト・フィンケ】
お父上のローレンツ博士には、
私もよく教わったものだ。
【ユリア・クラウフマン】
父はアルツケアンについては、
まだ何も解明されていないと。
扱いには極めて慎重でした――
【リヒャルト・フィンケ】
そうだろうとも!
しかし時は待ってはくれない、
フロイライン・ユリア。
【ユリア・クラウフマン】
フェラー博士は父に無断で、
仮面の男にアルツケアンを――
コンプレットが目的なのでしょう!
【リヒャルト・フィンケ】
研究というのは、
頂きを見上げることなんだよ。
見上げるばかりか駆け登ることだ――
並のホムンクルスを凌駕りょうがする、
素晴らしい性能が誕生したのだ。
――まだ未完成だったがな!

洋館の中庭から鬼龍が走りくる。鬼龍、フィンケに面して言う。

【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ!
私の染 化ファーブストッフはすべて終わりました。
【リヒャルト・フィンケ】
素晴らしい!
これでトゥーレ流召喚術、
愈々いよいよこの国に根ざしたことになる。
【鬼龍豪人】
先程、急に息が詰まり、
その後、大きく深呼吸ができました。
――私は戻ったのです。

暫く鬼龍を見ていたフィンケは風魔の方に直った。そしてやや芝居がかった調子で言う。

【リヒャルト・フィンケ】
ヘル……いや、喪神もがみ風魔ふうま君!
私たちは僥倖ぎょうこうを得たようだ。
元より素晴らしい霊異りょういほこ帆村ほむら流、
この鬼龍君のトゥーレ流召喚術、
それに古式東雲しののめを継いだ月詠麗華――
アーネンエルベは、残念なことに
なったが、それをおぎなって余りある、
素晴らしい力の拮抗きっこうだ!
【鬼龍豪人】
ヘル、フィンケ――
麗華さんに継いだ東雲しののめ流、
果たして大丈夫でしょうか?
【リヒャルト・フィンケ】
彼女には素晴らしい素養そようがある。
それは揺るぎないものだ。
君が悩まされることはもうないよ。

フィンケは鬼龍の前を通って洋館の中へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
鬼龍さん――
トゥーレ流のマイスターになり、
あなたのわだかまりは消えましたか?
【鬼龍豪人】
何かを為して満足することは、
私に関してはないでしょうね、
ユリアさん。

ユリアに冷たい視線を投げかけた後、鬼龍はフィンケを追うように洋館へと入って行った。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ……
今のアーネンエルベには、
何かに対処する力はありません。
仮面の男がいなくなり、
コージンも出方を変える必要が――
コージンの組織するユーゲントは、
フォス大佐の命令に忠実です。
コージンはそれで苦労しています。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
青山通でセヒラ観測です!
おそらく――
【ユリア・クラウフマン】
レイカ――
まだ不安定なのかも知れません。
気を付けてください……フーマ……

風魔は踵を返し、青山通へ向かった。

セヒラが移動しているとの連絡を受け、風魔ふうまは明治神宮前電停から自潤会じじゅんかいアパートへ。
果たしてそこで出会った光景は――

【九頭幸則】
風魔!
どうしたんだ、何だこいつらは?
お前が倒したのか?

2両の軍用トラックが向き合うようにして歩道に乗り上げて停まっている。道路上には5人の憲兵が倒れていた。そこへ九頭が走り込む――

【九頭幸則】
それで、書生の二人はどこだ?
麗華さんは?
青山六丁目で鈴代さんと二人、
麗華さんの護衛についていたら、
いきなり麗華さんが走り出したんだ。
麗華さん、二人の書生を追っていた。
書生の二人、怪人には見えなかった。
でも麗華さんは追い続けた――
明治神宮前の交差点を曲がって、
ここまで来たら――
この有様だ。

その時、倒れていた憲兵が2人、相次いで起き上がった。だが戦う素振りは見せていない。

【渋谷憲兵大隊雲城くもぎ少尉】
息が……できない……
【渋谷憲兵大隊人首ひとかべ中尉】
ううう……
糞! 糞! 糞!
頭が……割れるようだ!

一瞬、周囲が暗くなり戻った時、トラックも倒れていた憲兵も消えていた。そこへ能海旭がやって来る。

能海旭のうみあきら
風魔さん!
さっきの連中、ゼロ師団よ、
そうに違いない。
レンザが青山通に何か感じるって、
悪魔の勘がうずくって――
それで飛んできたの!
【九頭幸則】
へぇ!
魔法のほうきにまたがって来たのかい!
能海旭のうみあきら
山王さんのうから円タクよ、中尉。
特別に二十円払ったの。
速かったよ、さすがに――
【九頭幸則】
に、二十円?
そんな大金……
能海旭のうみあきら
山王さんのうからここまで五分ちょうどね。
――それで……
【???】
風魔さま――
近くにおいでなのですね……
わかりますわ――

自潤会アパートの戸口を背にして麗華が立っていた。

【月詠麗華】
風魔さま――
私、まだちゃんとしていない、
そうなのでしょうか?
青山通を歩いていたら、
いきなり体が動いてしまい――
追いかけたのは二人の憲兵ですわ。
闘いの意思を強く感じましたわ。

旭が麗華を認めて歩み寄る。

【能海旭】
あなたも、召喚するの?
【月詠麗華】
神さまのことですか?
それならお招きできますわ。
――今もすぐ傍においでです。
【能海旭】
そうなの!
それは良かったわね!
あなたはなのね、きっと。
でも、東京ゼロ師団相手に、
ことを荒立てないで欲しいのよ。
私たちが調べてるんだから!
【月詠麗華】
随分ですわね! お言葉ですわ!
私は闘いのあるところなら、
どこにでも参りますわ!!

九頭が割って入るように言う。

【九頭幸則】
ふたりとも、落ち着いて!
ね、あきらちゃん――
さっきはちゃかして悪かったよ、
ね、ほら、今日はいい天気だよ!

旭は九頭に構わず麗華を見据えたまま言う。

【能海旭】
余計なこと、しないでよ!!
あんただって、はぐれ者なのよ!
足掻あがいても根無ねなぐさは流されるだけ!
【月詠麗華】
私は平静をたもちたいのに、
神さまがおいでになりました。
風魔さま、お願いします――

《バトル》

鈴代がやって来ていた。麗華は少し息が上がっているようだ。旭は依然麗華を睨みつけている。

【月詠麗華】
戦いの前より、
気持ちが落ち着きますわ。
【如月鈴代】
麗華さん!
これ以上はさわりますわ。
さぁ、戻りましょう。
【月詠麗華】
そうですわね、鈴代さん。
それに古式のこと、
もう少しお教えいただかないと――
風魔さま、楽しゅうございました。
またよろしくお願いします。
【如月鈴代】
風魔さん、
後ほど本部にお邪魔しますわ。

麗華、鈴代は電車通を青山方面へと歩き去った。旭は両手を腰に当てがい、2人を目で見送っている。

【能海旭】
呑気のんきなものよね……
が勝手に降りてくるなんて!
ふん! 素晴らしいじゃない!
【九頭幸則】
いやぁ、あきらちゃんの怒った顔、
たまらないなぁ~
まるで磁器じき人形のようで。
【能海旭】
九頭くず中尉――
君に話があるんだ。
ちょっと来てくれないか?
【九頭幸則】
え? え? 俺に?
何だい、話って?
【能海旭】
来れば話すよ。
君の同輩なんたらのことだよ。
――君は気になっていないのか?

風魔さん――
また会えますよね?

別れを告げ、旭はスタスタと歩き出す。慌てて九頭がその後を追う。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし――
青山墓地でセヒラの乱れを観測です。
念のためご確認ください。

〔青山墓地〕

青山墓地の大穴は依然いぜん開いたままである。
赤坂署により立入禁止区域に指定され、大穴の周囲を4人の巡査が見張っていた。物見遊山ものみゆさんの市民の姿はなかった。

大穴を背に1人の巡査が立っていた。

【赤坂署の巡査】
署員が総出で規制しております。
猫一匹たりとも入り込む、
そんな余地はちっともないニャ~

話し終えると巡査はいきなり駆け出した。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です、
これまでにない値です!!

いきなり、穴からセヒラが吹き出した。穴の周囲を警戒していた巡査は皆散り散りとなって逃げた。
セヒラは筒のようになり、その中へ1体の中型アストラルが姿を見せた。

【歩一Y少尉有心アストラル】
そこにいるのは――
もしや、喪神中尉?
喪神中尉!
――そうなのですね、中尉ですね!

喋った後、アストラルは少し膨張し、また縮んだ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
自分、歩一少尉、山本であります。
今は九頭くずの身が危ないと、
それを伝えに参りました!
私には時間がありません!
しかし――
お越しください!
私にはがあるのです――

そこまで言ってアストラスは爆ぜるように消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラの値、依然いぜん高いままです!

大穴から大量のセヒラが吹き出した。
セヒラに呑まれ、
風魔は落ちていった――

〔時空の狭間〕

しゃがんでいた風魔が立ち上がると、それを待っていたかのように別の中型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
私の実家は向島むこうしま区、白鬚しらひげ神社近く。
江戸指物さしもの師の三男坊です――
強くなるため陸士に入りました
荒川の向こう岸にある工場は、
帝国モスリンの工場です。
その工場、様子が変なのです。
私が工場のことを話すと、
九頭くずは大いに興味を持ったようです。

喋り終えるやアストラルは震えながら消えた。代わりにアストラルが現れた。先程、青山墓地の大穴に現れたアストラルである。同じ山本少尉が2つのアストラルに分離しているのである。

【歩一Y少尉有心アストラル】
私はあのふたを見て直感しました。
これはモスリン工場の入口だと。
すぐに二人に連絡を入れました。
能海旭のうみあきらさんと吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんです。
九頭くずに電話を入れて、
能海のうみさんの無線を聞き出しました。
蓮三郎れんざぶろうさんの寿命、
にならないと尽きてしまうとは、
本当なのでしょうか……

アストラルは震えながら消えた。そこへ現れたアストラルは、詳しい事情を知らない方のアストラルであった。

【歩一Y少尉無心アストラル】
九頭くず偽装ぎそうしている施設がある、
そう疑っているようでした。
どこにも出入口のない工場です、
奴が疑うのも無理はないでしょう。
奴は詳しく知りたがりました。

またアストラルが入れ替わった。眼前には事情に通じたアストラルが浮かぶ。

【歩一Y少尉有心アストラル】
工場ではセヒラのうずが合わさり、
次々とが誕生します。
そのとき兵器も融合しているのです。
工廠こうしょうで危うく私は――
喪神もがみ中尉に助けられ、九頭くずの一声で、
私は自分を取り戻したのです。
東京ゼロ師団は工廠こうしょうの他に、
仮構かこうによって組織を作っています。
防疫研究所や砲工学校がそれです。
渋谷の憲兵大隊も仮構かこうの存在、
東京ゼロ師団自体も仮構かこうです。
大きな力が及んでいるのです――

アストラルが入れ替わり、事情に詳しくない方が現れた。

【歩一Y少尉無心アストラル】
帝国モスリンの前身は興亜こうあ毛織けおりです。
そこの波斯ペルシア人技師が鉄道事故で死に、
事故の一報が朝刊に載りました。
ところが朝刊の遅版では、
事故にったのは露西亜ロシア人通訳と、
なぜか記事が差し替わっていました。
鎌倉でのその事故を報じた、
唯一の新聞社、帝都日日ですが、
去年倒産しています――

喋り終えたアストラルは爆ぜるにようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
なんか妙です――
セヒラ値はすごく低いのに、
激しい波形が現れています。

交信が終わった時、大型アストラルが現れた。

【歩一Y少尉アストラル】
鳥居坂町とりいざかまちの日曜下宿にいる時、
いきなり三人の憲兵大尉が来た。
憲兵は土足で部屋に上がった。

私は黒い車に乗せられ、
渋谷憲兵大隊本部へ連行された。
地下の談話室へ入れられたのだ。

両足を鉄輪てつわで床に留められ、
両手は天井からのくさりに繋がれた。
ギリギリと音がしてくさりが巻き上がる。
私は万歳ばんざいの姿勢となり宙に浮き、
そのまま何日も放置されたのだ。
上体が大きく前に倒れて気が付くと、
両肩の関節が抜け、私の体は
筋肉と皮で支える格好になっていた。
恐ろしい痛みは後からやってきた。
焼けた穂先ほさきを差し込まれた痛みだ!
私はそのとき飛んだのだ!

私は九頭くずを案じている。
しかし、同時に貴様らをにくむ!
私を返せ、今すぐに返せ!!

《バトル》

【歩一Y少尉アストラル】
両手を失った私は、
戸山の軍医病院に収められた。
私の腕は満洲に送られた――
片腕ずつ、腕を失った支那シナ人に、
移植するのだという。
善なる医学の実験だそうだ!
移植に成功すると、
今度は私の両足を切り落すらしい!!

私は関東軍第七九軍に転隊した、
そういうことになっているようです。
九頭くずに伝えてください!
連中には近づくなと――

大型のアストラル、それは山本少尉の分離した思念の合わさったものであった。アストラルはゆっくりと、滲むようにして消えていった。

次に風魔が現れたのは溜池通である。しかし人も車もない、音すらしない場所であった。周囲にセヒラの影響が及んでいる――
佇む風魔の前に中型のアストラルが現れた。

【歩一M大尉アストラル】
赤坂哈爾浜ハルピンでは逆恨みのようになり、
申し訳なかった――
元歩一大尉の御荷鉾みかぼだ、喪神中尉。
君は時空の狭間から戻り、
おそらく帝都の何処かにいるはずだ。
――君の実体のことだ。

そこまで言うとアストラルは揺らいだ。

【歩一M大尉アストラル】
私は幼少期を独逸ドイツで過ごした。
ミュンヘンのブルエナー通――
陸士入学を目指して日本へ帰国した。
二十歳を前に駐独武官補として、
再び渡独して半年ほど過ごした。

そこでアーネンエルベと接触した。
連中は日本に大いなる興味を持ち、
私を快く受け入れてくれた。
中隊指導者のラルフが地図を手に、
私の元に来て尋ねたんだ――
伊豆の修善寺しゅぜんじについてだ。
ラルフは修善寺しゅぜんじロッホがあるという。
近く、それを発掘するのだと。
ロッホから資源を取り出して兵器を作る、
どうもそんな話だった。
ラルフと私はアーネンエルベの、
青年室で会った……何度かね……

セヒラのせいか景色が揺らいで薄くなり、別の街区が現れた。同じ赤坂である。

【歩一M大尉アストラル】
京都の師団を経て歩一に任官後、
ほどなく戸山砲工学校に出向した。
教官としてだ――

そこであの香りをいだのだ――
ベラドンナの濃密な甘い香りを。
アーネンエルベの青年室でも、
同じ香りがしていた。
それがベラドンナの香りだと、
ラルフが教えてくれたのだ――

私はラルフの言う修善寺しゅぜんじを思い出し、
休暇を取って温泉宿に逗留とうりゅうした。
毎日、山を歩き、ロッホを探した――
帰京の前日、小高い丘の頂きで、
倭文しどり神社の小さなほこらを見つけた。
ほこらにもたれて私は転寝うたたねをした――

再び景色が変わった。赤坂の一ツ木通に繋がる界隈だ。

【歩一M大尉アストラル】
今思えば、あのほこらロッホなのでは――
月詠つくよみ麗華れいかに飛ばされた私は、
終わりなくここを彷徨さまよう――

わかるか、ここは回廊かいろうだ。
アラヤ回廊、そう呼ばれる場所だ。
あらゆるロッホに通じる回廊だ。
そのロッホは帝都にもある――
少なくとも三箇所にだ!

――私は認められたようなのだ……
アラヤ回廊によって私は認められた、
そのように思えてならない。
だが、貴様はまだ帝都の魂を残す。
ここに長居は無用だろう――
私はもう行かねばならない。

アストラルは滲むようにして消えた。
歩き出した風魔の耳に
声が聞こえた――

【???】
風魔!
あなた、ここにいるの?
私よ、淑子としこよ――
風魔、後ろを振り返って頂戴!

風魔が向こうとしたその刹那、眼前に1体のアストラルが現れた。

【風水師HSアストラル】
ヘレナよ、ヘレナスー――
振り向かないで!
振り向くと、二度と出られなくなる!

――気を付けて!
その声はあなたの心の中の声よ。
自分の声に取り込まれると大変!
さぁ、目を覚まして。

風魔は気を取り直した。アストラルは話を続ける――

【風水師HSアストラル】
私は、目覚めた後、
また薬を飲んだ。
今度は一瓶ひとびん丸々飲んだよ!

――私……
永遠にここを彷徨さまようの――

話し終えても依然アストラルは浮かんだままである。やがて周囲が暗闇に呑み込まれた。風魔は帝都の山王に戻っていた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん!
もう大丈夫ですか?
――心配しました……
あれから、鈴代さんから、
いろいろお聞きしたんですよ。
古式東雲しののめ流のこととか――

古式東雲しののめ流は鬼神を人に降ろす秘儀である。
それは必ずしも闘いの神々ではない。
しかし古式の本来の姿はすでに失われている。
邪流にて古式が蘇ると、現前にを呼ぶ、そのような事態も招きかねない。
鈴代は麗華に対してそれを案じていたのだ。

【喪神梨央】
でも麗華さんはすごく霊感の強い、
蓼科たてしなという乳母うばに育てられ、
鈴代さんは麗華さんなら大丈夫、
そう見込まれたようです。
麗華さんは兄さんたちと同じ、
審神者さにわになられたのです――
【帆村魯公】
おう、風魔!
もういいんだな――
京都の帝大の古文書、
先般せんぱん、ようやく見つかってな。
係員が暗い書庫で書き写した。
その古文書こもんじょだが、持ち上げた途端とたん
細かな破片になって散ったそうだ。
――文言は電報で寄越よこされた。

ソノアサ ウラト 
アラハスヒカリ アリテ

【帆村魯公】
例によって式部氏の知り合いが、
読み解いてくれたぞ。
その朝、占いの言葉を、
現す光がある。
三つの文言を繋ぐと――
真名井まないの鏡、それの様、うるわしくて、
諸神もろかみたちの御心にも合えり――
その朝、占い現す光ありて、
一つのあらかに渡らして詰まる。
【喪神梨央】
一つのあらかとは冬至でした。
――つまり……
冬至の朝、真名井まないの鏡が、
占いの言葉を映し出す――
そういうことですね。
【帆村魯公】
魔鏡まきょう託言たくげんを写すのだな。
それで、冬至はいつだったかな?
【喪神梨央】
十二月二十三日です。
あと二週間です――

風魔が回廊にちた時、帝都と大きく時間がずれてしまった。
帝都は既に師走しわすを迎えていた――

第九章 第四話 穴

〔山王機関本部〕

梨央りおは甲府連隊区に連絡を取り、山郷やまごう武揚ぶようの山梨での様子を確かめていた。
甲斐絹かいきを扱う生糸きいと商を営んでいた――

【喪神梨央】
屋号は山郷生糸きいとといいます。
甲府の北にある夢山ゆめやまという、
山の中腹に自宅があります。
【帆村魯公】
そうか――
そう言えばこれまで山郷のことなど、
詮索せんさくしてこなかったな――
【喪神梨央】
甲府連隊の糧抹りょうまつ係がよく知るのです。軍馬のまぐさを調達保管する軍属です。
【帆村魯公】
それで商売は順調なのか?
山郷の、甲斐絹かいき商とやらは。
【喪神梨央】
甲斐絹かいきは薄手で腰があって、
独特の光沢こうたくのある絹糸きぬいとです。
山郷はそれに飽き足らず――

北支ほくし原産の柞蚕糸さくさんしに興味を持っていたという。
柞蚕さくさん山繭蛾ヤママユガの仲間でさくの葉を食す天蚕てんさんだ。家蚕糸かさんしにはない野趣やしゅが持ち味である。

【喪神梨央】
新京シンキョウにある満蒙絲線まんもうシーチェンでは、
白黄斑山繭シロキマダラヤママユの人工飼育に成功して、
天蚕糸てんさんしの生産を本格化しました。
でも今年は病気が流行って――

かいこかび菌におかされる斑僵病まだらきょうびょうによって、柞蚕糸さくさんしが収穫できなかったのだ。
山郷は新京しんきょうに大量の甲斐絹かいきを調達した――

【喪神梨央】
満蒙絲線まんもうシーチェンの社長、好文海ハオウェンハイは、
山郷への支払いの一部に結 晶アルツケアンを、
充てたのです――
【帆村魯公】
今から考えると、
山郷は結 晶アルツケアンのことを知っていて、
取引を持ちかけたのかもな。
【喪神梨央】
その辺り、もう少し調べてみます。

ノックの音がして九頭がやって来た。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです――
って、のんびりですね、皆さん!
【喪神梨央】
軍帽を
着て怪人の
白い声
【九頭幸則】
物見遊山ものみゆさん
怪人来たりて
墓地の穴
【帆村魯公】
なんと!
【喪神梨央】
墓地に穴!?
【帆村魯公】
梨央りお、何か観測するか?
【喪神梨央】
いえ何も……何も観測していません。
幸則さん、青山墓地ですね。
――怪人、現れたんですか?
【九頭幸則】
いや……
ただ穴に人がたかっているだけ。
もう散歩しかすることなくて――

大掛かりなクーデター計画発覚後、
軍は綱紀粛清こうきしゅくせいとして
日曜下宿を禁止した。
そむキタル者は礼遇れいぐう停止ニ処スル――

【九頭幸則】
門限もんげんも早まって、午後四時だよ!
まるで尋常じんじょうの子供だよ!
【喪神梨央】
いいじゃないですか、
規律を守るのって素敵です。
青山の大穴、青山新京シンキョウで、
凄腕の風水師たちが守ります。
しばらくは安心なはずです。

ただ新聞がまた書き立てますね。
赤坂の大柱はお化け柱ですよ。
見ようと近付くと音もなく消える、
それでお化け呼ばわりされています。
【九頭幸則】
麗華さん、戻ったんだよね。
墓場の穴からじゃなく、
別の方法で戻ったの?
【喪神梨央】
ちゃんとゲートをくぐって――
兄さんが連れて帰ったのです。
今、あきらさんのアトリエにおいでです。
鈴代さんがお連れになりました。
【九頭幸則】
へぇ~
あきらさんとどんな接点があるんだい?
まさか米国アメリカ流お茶点前てまえとか?

あきら米国アメリカの魔法学校に身を置きながらも、麗華の通う学校の創設者、鴨脚敬祐いちょうけいゆうを尊敬し、その著書、東亜論とうあろんを愛読の書としていた。

【九頭幸則】
変わった接点だね――
鴨脚敬祐いちょうけいゆう、隊にも信奉者がいる。
でも今は自重のときだよ、さすがに。
【喪神梨央】
兄さん――
あきらさんのアトリエ、おうかがいすれば?
何かお話、聞けるかも知れませんよ。

〔旭のアトリエ前〕

日枝ひえ神社の裏にある
能海旭のうみあきらのアトリエ。
鉄扉てっぴの前であきらが出迎えてくれた。
梨央りおが一報入れてあったのである――

【能海旭】
風魔ふうまさん。
梨央さんから連絡もらったよ、
入って――

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
風魔ふうまさん――
レンザのが、
いろいろ情報を集めているみたい。
最近、あいつ、
よく出かけているようだし。
それに麗華さんとは気が合うんだ。

アトリエのドアが静かに開いてレンザが顔を覗かせた。

【吉祥院蓮三郎】
失礼します、あきらさま。
風魔さまも――
【能海旭】
何だ、いたのか、
びっくりさせるな。
レンザ、
お前は麗華さんのこと、
気に入ったようだな。
【吉祥院蓮三郎】
はい、キタイスカヤでお目にかかり、
あの方はまさに完成間近かと――
そんな様子にございました。
【能海旭】
お前の言う完成とは、
どんな感じなのだ?
【吉祥院蓮三郎】
何と申しましょうか、
他の何者でもない存在になる、
そういうことにございます。
【能海旭】
何者でもない――
うーん、そうだな。
レンザ、お前も早く完成しないとな!

【吉祥院蓮三郎】
アキラさま――
麗華さまの学校を作った方の、
ご本をお持ちなんですね。
【能海旭】
鴨脚敬祐いちょうけいゆう先生だ。
帝国女学園創設者にして、
明治時代の国学者だ――
先生は東亜論という著作の中で、
日本こそ欧亜ユーラシア大陸で盟主となるべき、そう説かれている――

ボストンの本屋で東亜論と出会って、
私の人生が回り始めたんだ。
CCW公園のベンチで読み終えた――
【吉祥院蓮三郎】
クリストファー・コロンブス
ウォーターフロント・パーク――
そうでございますね。
【能海旭】
人に例えて、日本、鮮満が頭となり、
肥沃ひよくな大陸が強い胴体、
西アジアが脚となる壮大な計画だ。
麗華さんは学校で先生をのこと習い、
日本人の心をみがくため、
お茶を始めたらしい。
【吉祥院蓮三郎】
久遠くおん流にございますね。
お茶を通じて鈴代さまと出会われ、
愈々いよいよ霊異りょうい現すのでございます。
体深くに取り込んだ霊的結晶――
仮面の男を軽く退けた力……
やはり完成間近は疑う余地なし!
【能海旭】
何だ、お前?
麗華さんが審神者さにわとして成るのが、
嬉しいのか?
【吉祥院蓮三郎】
それはもう!
完成とは如何いかなるものか、
見てみとうございますゆえ!

【能海旭】
それで、麗華さんはどうした?
まだお前の部屋なのか?
【吉祥院蓮三郎】
いえいえ、
はずむようにお出になりました。
【能海旭】
そうなのか……
風魔さん――
何だか胸騒ぎがするよ。
――こういうの、当たるんだ……

〔旭のアトリエ前〕

アトリエ前の鉄扉のところに鈴代が立っていた。梨央から請われて麗華を迎えに来たのである。

【如月鈴代】
あっ、風魔さん……
麗華さんをお迎えにまいったのです。
――もしや、もう出られた……
そうなのですね!

不意に鈴代は顔を曇らせた。まだ万全ではない麗華を案じるとともに、不測の事態を招かないとも限らない状況を案じているのである。

【如月鈴代】
梨央ちゃんから一部始終聞きました。
叔父おじが大変な迷惑をおかけし、
申し訳ありません――
新京シンキョウでN計画の情報が得られない中、麗華さんの渡満を知って、
叔父は計画を変えたのです――
麗華さんに結晶を取り込ませ、
仮面の男の計略に載せたようにして、
大きな力をもたらそうとした――
その力に寄せられるようにして、
失われた猶太ユダヤ支族のすえが現れる――
叔父おじは何の根拠があって、
そんなことを考えたのでしょうか?
人に犠牲をいることまでして、
見つけ出す人って……

【着信 喪神梨央】
今、鈴代さんもご一緒ですね。
麗華さんはこちらでも探してみます。
青山墓地の様子が変です。
セヒラが安定しなくなりました。
念のため巡視パトロールをお願いします!

【如月鈴代】
私、麗華さんを探します。
心当たりがあるのです――

〔青山墓地〕

公務電車で青山墓地に向かった風魔。そこでは大穴の周囲に大勢の市民が集っていた。市民たちは様々な方向を向いておかしな挙動を繰り返していた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
比較的強いセヒラです。
市民は怪人化している模様!

【新聞売】
号外だよ~興亜日報の号外だよ~
赤坂のお化け柱に次いで、
青山墓地に謎の大穴出現だ!

新聞売に小僧が近寄った。

こら、坊主!
買わないならあっち行った行った!
【原宿の少年】
ねえねえ、何で興亜日報は、
おいらの川柳、載っけないの?
【新聞売】
何だ、読んでないのか?
怪人川柳はな、担当の記者が病気で、
当面休むとあったぞ。
記者は一日中、うつろな目をして、
ちゅうにらんでいるんだと。
神経の病だ、帝大出なのにな……
【原宿の少年】
怪人川柳、お休みか……
残念至極だな!
おいら、とっておきの、こしらえたのに。
【新聞売】
ふん、しょせん、
ガキのお遊びだろ?
【原宿の少年】
どうかな――

高い空
走る怪人
道柳みちやなぎ
【新聞売】
ふーん……
その道柳ってのは、
銀座の並木のあの柳か?
【原宿の少年】
何言ってんだよ!
別名庭柳、たで科の仲間の一年草――
道端みちばたでよく見かけるじゃないか!

大穴の脇で車投げの挙動を繰り返していた背広姿の男性がこちらを振り向いた。そして風魔に歩み寄る――

【飯倉の客】
新宿の東海館で観たんだ!
ああ、幻燈会げんとうえだよ、
天睛院てんせいいんオラクルだ。
奇術師の天睛院てんせいいんが銀幕に現れた。

血走った目をワイフに向けた!
私のワイフをにらみつけて言うんだ、
顔が見える、顔が見える――
アレが鼻、ソレが目、とな!
顔は貫禄かんろくのある紳士しんしです、
乳房の間に顔が埋まりまぁす!
顔の主は三河台みかわだいの銀行支店長だ、
天睛院てんせいいんはそう告げやがった!
銀幕の中からだ!

ワイフは真っ青になって、
頓狂とんきょうな声上げて活動キネマ館を飛び出し、
もう七日も戻らない!!

何が天睛院てんせいいんオラクルだ、
ふざけんな!!

《バトル》

【飯倉の客】
はぁ、はぁ、はぁ~
ワイフの服がやけに煙草たばこ臭い、
そういう日が少なからずあったなぁ。
煙草たばこ……三河台みかわだい……支店長……
――ううううううぅぅ~

【着信 喪神梨央】
今の話は天睛院てんせいいん一座のことですね。
女流奇術師の天睛院てんせいいんが率いる一座で、
透視術を専らとしています――
顔が見えるというのは、
天睛院てんせいいん十八番おはこなのです。
あまりいい顔は見えませんが――

黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
まだセヒラ収まりません!
引き続き警戒してください。

【台町の婦人】
真白ましろき細き
手をのべて……
血汐ちしお洗い去り~
吹けよ朝風あさかぜ
初陣ういじんの……
胸の火玉ひだまあれ!
永久とわさかえの  
だい亜細亜アジア
世界に示せ――

そこまで言うと着物姿の女性は力なくうなだれた。後れ毛が額にかかっている。目を閉じ、ゆっくりと開いた。風魔を見るようでもあり、見透かすようでもあった。

【台町の婦人】
どうしたのかしら……
私ったら、こんなところで?
――あなた、警察の方?
さ、帰って支度したくしなくちゃ!
支度したく支度したく――

女性はふらつきながら風魔の脇を抜け青山通へ去った。大穴の周囲にいた市民たちも一様にうなだれている。

【着信 喪神梨央】
支度したくって、何の支度したくでしょうか……
ちょっと気になりますが、
もう、セヒラは観測しません。
山王さんのうホテルに殿下がお見えです。
ご帰還ください――

〔山王ホテルロビー〕

ホテルロビーでは聖宮と魯公が立ち話をしていた。

【聖宮成樹】
喪神さん――
喪神さんの時間がずれ始めている、
そううかがいました。
【帆村魯公】
帝都満洲での一日が、
帝都の何日分にもなる、
そういう現象が起きています。
【聖宮成樹】
セヒラの動きが関係している、
そう考えられますね?
【帆村魯公】
セヒラの動き?
そんなものがあるのですか?
まるで日和ひよりのようですな!
【聖宮成樹】
まさに、循環じゅんかんする大気のようです。

そう言うと聖宮はセヒラ回廊かいろうの話をした。アラヤ界のさらに深い階層に、セヒラが無限に循環じゅんかんする場所があるという――

【聖宮成樹】
セヒラ回廊には古今東西、
ときには未来からも思念が流れ込み、
セヒラとなって循環してるのです。
【帆村魯公】
思念はセヒラとして実体化する、
そういうことなんですな?
【聖宮成樹】
念とは質量を伴うものです。
それがさらに凝固して出るのが――
【帆村魯公】
アストラルですな!!
【聖宮成樹】
帝都にもアストラルが出た、
そう伺っています。
【帆村魯公】
ほう!!
目の当たりにしました!
あれは風水師のアストラルでしたな。
【聖宮成樹】
セヒラ異常が起きると、
アストラルも表出するようです。
セヒラ回廊そのものは制御不可能、
しかし帝都に湧出ゆうしゅつするセヒラ量は、
釣鐘つりがねでなんとかなるはずです。

しかし、このところ、
どうも様子が変なのです。
セヒラ回廊の動向が怪しくなり、
それがせいで釣鐘つりがねに影響が及び、
帝都の状況、予断を許しません。
【帆村魯公】
うむ……
仮面の男のせいで生まれた、
赤坂の大柱も依然いぜんと残ります。
【聖宮成樹】
数年前のことですが……
独逸ドイツ人たちはアラヤ回廊自体を、
なんとかしようとしたようです。

そう言うと聖宮ひじりのみやは1枚の青図を取り出した。
独逸ドイツ人たちが伊豆修善寺しゅぜんじ近くで見つけた穴、それをコンクリートで補強したのである。

青図には十進法で緯度経度が記してある。35、0018、138、9850――
伊豆修善寺しゅぜんじ近くの山中を示している。

【帆村魯公】
青山墓地にも穴が開いていますが、
あれはまた違うのですな?
【聖宮成樹】
墓地の穴は帝都満洲に繋がる穴、
独逸ドイツ人の探したロッホとは異なります。
伊豆の現場には倭文しどり神社のほこらがあるばかり、何も見当たらないとのことです。
【帆村魯公】
ほう、倭文しどり神社、またはしづり――
機織はたおりの神である建葉槌命たけはづちのみことまつる。
鳥取にある倭文しどり神社が有名ですな。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人たちは伊豆をよく調べ、
一箇所は見つけた――
それがこの青図のロッホなのです。
【帆村魯公】
そのロッホがアラヤ回廊に繋がる、
そういうことですな、殿下?
そしてロッホは他にももっとある――
【聖宮成樹】
山王さんのうにも品川にも、
ロッホのあった形跡は残ります。
山王さんのうが最もよく残しています――
【帆村魯公】
うむ……
そのようですな。
しかしもはや穴ではないと――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
ホテルにおいでですか?
青山新京シンキョウの風水師の一人、
覚醒かくせいしたようなんです。
それで離脱してしまい――
セヒラが物凄く不安定です!

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、まずは目先の問題です。
ロッホの件、さらに調べましょう。
帝都の何処いずこかにあるはずです。
【帆村魯公】
梨央ははらえの間にいるはずだ。
風魔、頼んだぞ――

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
覚醒かくせいした人はヘレナさんです。
ヘレナスーさん――
八年間も昏睡こんすい状態だったとか。
昏睡こんすい状態から覚醒したので、
アストラルが弱くなった、
そのようです。

波形を確認すると、
品川図們トモンに漂うようです、
ヘレナさんのアストラル――

風魔は祓えの間からゲートを抜けて帝都満洲へ赴いた。

【満鉄列車長】
未来というのは必ずしも
一つというわけではない――
そう思いませんか?
川で小さな魚が跳ねただけで、
変わってしまう未来もあるようです。
力づくでは変えられないのに、
ささいなことで変わってしまう――
これは不条理なんでしょうか?

当列車、品川図們トモンに向かいます。
出発で~す!

風魔を乗せた帝都満洲鉄道あじあ号は一路品川図們を目指した。

〔品川図們〕

【AGK研究員Wアストラル】
アルツケアンは五つ見つかった――
蟻走痒感府ぎそうようかんふに二個ある。
アーネンエルベに二個、
あと一つはかい族が持ち去った――
【AGK研究員Aアストラル】
蟻走痒感府ぎそうようかんふではカーンが取り込み、
不老不死の存在になったんだ。
調査隊の副長、カーンと交渉すべく、
蟻走痒感府ぎそうようかんふに戻ろうとしたが迷った。
瑒納斯チャンナンス河畔かはんを二週間彷徨さまよい、
気が触れてしまったんだ。
【AGK研究員Wアストラル】
烏魯木斉ウルムチから百八十キロ南西、
緯度経度も正しいのに見つからない。
幻のように消えたんだ!
【AGK研究員Aアストラル】
かい族の少年カールが言ってた――
蟻走痒感府ぎそうようかんふが現れるには、
三十六の条件が必要らしい。
【AGK研究員Wアストラル】
条件で思い出した!
アルベルト、お前ゼーラム六八六の
フェラー還元方程式、知ってるか?
【AGK研究員Aアストラル】
ゼーラム六八六?
何だそれは?
ゼーラム五二五なら知っているが……
【AGK研究員Wアストラル】
俺の聞き違えかな……
確かに六八六なんて知らないな?
――あ、いや、知ってる気が……

会話をしていた2体のアストラルが音もなく消えた。そこへ中型アストラルがやって来た。

【ヘンリーオートCアストラル】
毎日がデリシャス!
ウェストロックのウェストダイナー、
カイザーひげのハモンド爺ちゃまは、
狼もちびるWWⅡの英雄さまだ!
油汚れでギトギトの厨房ちゅうぼうの窓から、
くそったれ災い州間道路をにらみつけ、
喧嘩けんか売るのが日課の爺さまだ!

あの州間道路は災いのデパートだ。
五八年の大竜巻は、
あの道路に沿って移動しやがった!

ウェストロック高校の社会科教師、
オールドミスのドロシーも災難だ。
クルマは十八マイル先の沼で、
カエルの学校の校舎になっていた。
でもミスドロシーの姿はなかった――

ブライトン爺さん、
あの怪物こしらえたの俺だと思ってる。
あほらしー!
身体中から大小の砲身、
十二本も生やしてやがった!
一番でかいのは二五〇口径はある、
一五〇口径の榴弾りゅうだんも見たぞ!
怪物はウェストロックでは一発も、
撃たなかった――
その代わりツーソンは全滅した。

大和ヤマト天皇エンペラーは魔法を使うらしい。
エンペラーズヴンダーだ……
でもな、何でドイツ語なんだ?
クラスにドイツ野郎いたからな、
ヴンダーってのはドイツ語だぞ。

俺は今大和語ヤマトニーズを練習中だ。
自分の名前も書けるぞ、大和語ヤマトニーズで。
湖泥亜駄無素コーディアダムス――

中型アストラルはぐるぐると回転して消えた。

〔品川図們〕

次の街区に進むと、アストラルが寄って来た。

【AGK2研究員Hアストラル】
フェラー還元方程式の完成で、
カー体の半減期が二万六千年に伸びた。
発見時は二秒半で崩壊したのに。

もう1体のアストラルも来た。風魔のすぐ目の前にいる。

【AGK2研究員Pアストラル】
カー体を触媒として、
ゼーラム六八六は誕生した!
釣鐘二ツヴァイに満たして荷電かでんすると、
強烈な量子場が形成される――
まさに量子力学の奇跡だ!
釣鐘二ツヴァイは、空中三百メートルで、
直径四十キロの椀状わんじょう空域を生じる。
椀の中は数千度の高温となる――
【AGK2研究員Hアストラル】
総統フューラーの決断は早かったな!
ロンドン、パリ、モスクワ……
皆、壊滅だ。
我々は神の意志を得た――

2体のアストラルは左右へ去った。そこへ一体のアストラルが来る。アストラルは様子をうかがうようにして風魔に近寄ってきた。

【AGK研究員Gアストラル】
何だ、今の連中は?
何を寝物語をしている!!
あああ、苦しい……
息ができない――

《バトル》

【AGK研究員Gアストラル】
勝手にAGKアーゲーカー2を名乗るな!
私はユルゲン・フェラー博士の、
一番弟子なんだぞ!!

アストラルが爆ぜるようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
別のアストラルが来ます――
おそらくヘレナさんです、
かなり苦しんでいます……

無線の後、中型アストラルがやって来た。その動き、どことなく不安定である。

【風水師HSアストラル】
たしかに自暴自棄になっていたわ!
六年も付き合った人と、
酷い別れ方をしたんだもの。
でもね、死のうなんて考えない。
ただ眠りたかっただけ――
ぐっすりとね!
おかげでよく眠れた……
なのに、何故、目覚めるの?

ここはフカヒレ屋の奥ね!
壁には八年前のカレンダーが――
コーマ状態でも髪は伸びるのね!

フフフフ~
さぁ、戻して頂戴、
また眠りの世界へ!!

《バトル》

【風水師HSアストラル】
ふう……
体が軽くなっていくわ。
――これでいいのよ、これでね……

アストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
ヘレナさん、戻られたようです。
やっぱり……

桃源郷とされる蟻走痒感府ぎそうようかんふとアルツケアンは、繋がりを持っていた。
そして帝都は不思議な未来とも繋がっている。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
お帰りなさい!
またちょっとズレた未来と、
繋がってしまいましたね!
【新山眞】
いやぁ、ズレているかどうかは、
まだわかりません。
それにしてもすごい未来です!
ナチが量子爆弾をこしらえ、
我が方は――
【喪神梨央】
ヴンダー、怪物です。
巨大なが、実体化している、
そういうことなのでしょうか?
【新山眞】
キタイスカヤでもその会話が……
芽府めふ須斗夫すとおが言っていました。
怪物とは巨大な人籟じんらいであると。
【喪神梨央】
でも、そんなこと、
本当に起きるんですか?
が見えるようになるなんて。
【新山眞】
今のところ、可能性は低いです。
ただ、何が起きるかは――

ノックの音とともに九頭が現れた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです、
今度こそゆっくりはダメだ、風魔ふうま
【喪神梨央】
どうしたんですか?
でも見たんですか?
【九頭幸則】
例の違うものに見えるって話さ!
――ほら……
【新山眞】
仮構かこう、ですね。
東京ゼロ師団による――
【九頭幸則】
それそれ!
青山の青山せいざんホテルが、
いつのまにやらトゥーレの館に――
【新山眞】
何ですって!
独逸ドイツ流儀の召喚術を伝授する……
【喪神梨央】
鬼龍大尉が宿舎として使い、
その後、麗華さんが部屋を取り――
あの青山ホテルですね!
リヒャルト・フィンケが、
以前、宣言していましたね。
帝都にも館を置くって――
【九頭幸則】
何だか知らないけど、
人だかりができているよ。
【喪神梨央】
――兄さん……
アルツケアンですが、
アーネンに渡ったうちの一つは、
仮面の男が取り込みました。
もう一つの行き場が気になります。

アキラとレンザ 後編

〔山王機関本部〕

その日、山王機関本部では、梨央が浮かない顔で風魔を出迎えた――

【喪神梨央】
兄さん、あきらさんたち、
どこにいらっしゃるんでしょう……
探信儀たんしんぎが消えているようです――
【新山眞】
お渡しした探信儀たんしんぎですが、
セヒラ感極管かんきょくかんに用いているのが、
露西亜ロシア製の真空管なのです。
ベリンスキーという会社の製品です。
【喪神梨央】
露西亜ロシア製だと問題あるのですか?
【新山眞】
帝都のセヒラには、
実に様々な波形が観測されます。
当初考えていたよりも多く――
ベリンスキー管だと、
霊式ヘテロヂン生成の際に、
波形干渉を起こす恐れもあります。
【喪神梨央】
それじゃ真空管、交換しなきゃ……
【新山眞】
昨日、帝国電工製のが届きました。
新型のR5型です。
どんな波形にもえられます。

機関本部に信号音が鳴った。

【喪神梨央】
あっ!
あきらさんの探信儀たんしんぎの信号です。
今、市ヶ谷いちがやの方ですね――
【新山眞】
一旦いったん、機関本部に戻るように、
あきらさんに伝えてもらえますか?
【喪神梨央】
無線が届かないようなので、
兄さん、市ヶ谷いちがやにお願いします。
場所は市ヶ谷見附いちがやみつけの交差点です。

公務電車で市ヶ谷見附いちがやみつけに向かったが、新たに戸山とやま砲工学校が指定された。
能海旭のうみあきらから連絡があったという――

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

ガランとした砲工学校構内に能海旭がいた。風魔の姿を認めて駆け寄って来た。

【能海旭】
あっ、風魔ふうまさん――
今、山王さんのう機関に連絡したところよ。

レンザがここに来たはずなの。
何かを感じるって言って――
彼、一人で出かけたの。
でもどこにもいないんだ。
探信儀たんしんぎは時々変な音出すし――

レンザが来たという戸山とやま砲工ほうこう学校。
しかし校内探せどレンザの姿はなかった。

校舎から1人の学生が出てきた。旭は歩み寄って話しかける。

【能海旭】
ねぇ、この辺で人を見なかった?
外国の軍服みたいな格好の人よ。
【種田砲工科生】
異人さんですか?
僕は偉人は苦手です。
【能海旭】
格好だけよ。
名前は吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう
ね、日本人ぽいでしょ?
【種田砲工科生】
そろそろ実験の時間です。
【能海旭】
え? 何の実験なの?
【種田砲工科生】
新型の六十八センチ加農カノン砲です。
六百キロの強装薬を用いて、
七万二千メートルの射程を誇る巨砲です。
ここ戸山より七十一キロ七十五メートル先の霞ヶ浦かすみがうら湖中に着弾させます。

もう1人、学生がやって来た。

【助川砲工科生】
種田たねだ白粉おしろい屋はまだか?
やけに遅いな――
【能海旭】
白粉おしろい
白粉おしろいをどうするの?
【助川砲工科生】
炸薬の代わりに充填じゅうてんするのです。
つまりは白粉おしろい式練習弾ですね。
の流儀なんです。
ここは砲工二課の毛長けながに任せて、
種田たねだ、我々は駐退機ちゅうたいきの調整だ。
全然済んでいないんだ。
【種田砲工科生】
毛長けながは確か可変砲の班だな。
白粉おしろい屋は奴に任せよう。

学生らが去ると入れ替わるように3人目が来た。

【毛長砲工科生】
白粉おしろい屋を待つのですね――
待つのは大の得意です!

そういったまま毛長という学生は動かない。すでに眼が虚ろになっている。ふいに辺りが暗くなった。

【能海旭】
風魔さん!
気を付けて!
化けの皮がれたみたい――
【東京ゼロ師団寺町三等兵】
ハハハハハ~
飛んで火に入るだな、まさしく!
待った甲斐かいがあったと言うものだ!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、確認しました!
【東京ゼロ師団寺町三等兵】
ここはあり地獄だな!
あの独逸ドイツ帰りの気取り屋ともども、
土中で餌食えじきとなるがいい!!
【能海旭】
レンザの他に、
ここに来た人いるみたいね。
風魔ふうまさん!
まずは勝ち抜いて!

《バトル》

【能海旭】
よかった!!
鎮定ちんてい、出来たね!!

風魔ふうまさん――
ここ、絶対変だよ。
砲弾に白粉おしろい詰めるとか。
それに……種田タねだ助川スけがわ毛長ケなが……
次は誰?
もしかして寺岡テらおかとかかな。
【着信 喪神梨央】
あきらさんの探信儀たんしんぎ
修理の準備ができました。
山王さんのう機関へおいでください。
若松町わかまつちょう電停に公務電車が待機中、
その車輌を使ってください。
【能海旭】
風魔さん……
ここ、何だか怪しいよ。
レンザもそれに気付いたんだ。
私、探信儀たんしんぎ直してもらったら、
すぐ戻ってくるね!

旭は小走りになって構内を出て行った。風魔は砲工学校の校舎へ向かう。

〔戸山砲工ほうこう学校玄関ホール〕

玄関ホールに入ったとき、白衣姿の男性2人が、上体を拘束された囚人らしき男性を前後に挟むようにして列をなして廊下へと消えた。
ホールには他に3人の学生がいて、風魔に近寄って来た。

【ポモースキー留学砲工科生】
あなた、トルストイの小説、
技師ガーリン、読んだこと、
ありますか?
怪力光線について書かれています。
怪力光線は光線砲から発射されます。
【ギーナフ留学砲工科生】
光は電線の向こうをかすめている!

宙空を見つめ、学生が一人芝居を始めた――

【ギーナフ留学砲工科生】
どの電線の?
【ギーナフ留学砲工科生】
あれが見えないのか、
ヴオルフ君!
【ギーナフ留学砲工科生】
ハイーフは、光った真っ直ぐな、
糸のようなものを指した。
それはアニリン会社の方角へ、
向かって走っていた――

【チェロフ留学砲工科生】
その光線が過ぎ行くところ、
木の葉や鳥などがブスブスと、
燃えて落ちるのが見えた。
やがて光線はアニリン会社の
大煙突へと向かった!
煙突は苦もなく真ん中から折れ、
倒れ落ちたのだった!
次に光は五階建てのとうに当たり、
急にその全部の窓の電灯が消え、
上へ下へと電光型の火が走った!

玄関ホールに音もなく白衣姿の男性が入って来た。それを見た2人の学生は一斉に駆け出した。

玄琢げんたくマ号研究班員】
お尋ねしますがね――
あなたのたましいはどのくらいですか?
大きさとか、重さとか、
あるいは中身の具合ですよ。
沢山詰まるかスゥスゥするのか――
りは如何いかがです?
この間、照りのいい魂がありまして、
食付くいつき、抜群ばつぐんですな!!

さぁ、あなたも、
もういいじゃないですか、
魂を差し出しましょうよ!!
転生損ねの悪魔と、
独逸ドイツ召喚師気取りの将校、
そしてまじない審神者さにわの特務員!
三人揃って、
地獄の円柱インファーナルカラムの上で踊るがいい!!

《バトル》

〔戸山砲工ほうこう学校地下室〕

玄関ホールから地下室へと降りた。そこには鬼龍豪人とレンザがいた。2人は対峙するように立つ。

【吉祥院蓮三郎】
易々とこの私が信じるとでも?
【鬼龍豪人】
貴様にはおびえがある!
それが無用なうたぐりを生み出すのだ!
【吉祥院蓮三郎】
私の勘が言うのです、
迷わずに鎮定ちんていせよと。
あなたたちの言葉ですね、鎮定ちんてい――
【鬼龍豪人】
ふん、笑わせるな!

奥に立つ鬼龍と手前のレンザ、2人の間に稲妻のような光が走った。

【鬼龍豪人】
風魔ふうま
なぜここに来た?

その声にレンザが振り返る。鬼龍との間に現れていた光が消えた。

【吉祥院蓮三郎】
風魔さま!
この者とお知り合いですか?
ああ、私はなんということを――
ゼロ師団が行動を起こす前に、
先手を打とうとここに来たのです。
するとこの者がおり、
何やら怪しくて怪しくて、
ついついつい――

レンザは彼特有の勘を頼りに、この砲工学校にやってきた。
先にいた鬼龍きりゅうを敵と間違えたのである――

【鬼龍豪人】
ふん!
貴様の勘とやら、あてにはならんな!
いったい何を探しに来たのだ?
【吉祥院蓮三郎】
風魔さま――
いろいろわかってまいりました。
ここはに人の魂を食わせ、
人籟じんらいを作る、
その研究をしているようです。
私には見えました――
先程、中庭で戦った時、
色の抜けた白いがいたのです。
あれがおそらくは人籟じんらい――
人に由来するは、
扱いも容易、風魔さまのような、
修行なくして扱えるのでございます。
【鬼龍豪人】
すると――
御荷鉾みかぼもそのような研究を?
いや、奴に限ってそれはない!

鬼龍きりゅうは京都時代、同じ輜重しちょう部隊にいた、御荷鉾みかぼ大尉から手紙をもらい、ここ砲工学校に来たのだという。

【鬼龍豪人】
手紙には魂の重さについて、
書かれていた――
人の魂は四分の三オンスだという。
およそ二十一グラムだ。
十人だと二十グラムだ――
【吉祥院蓮三郎】
輜重しちょう科では人の魂も運ぶのですか?
【鬼龍豪人】
うるさい!
私は妙なことをしたためめる
奴のことを案じて――

鬼龍は顔を歪めた。それは激高したのではない、痛みに貫かれたのだ。上体をかがめている。

【鬼龍豪人】
うっ……
【吉祥院蓮三郎】
どうなさいましたか?
【鬼龍豪人】
何でもない!
【吉祥院蓮三郎】
私が早とちりしたばかりに――
【鬼龍豪人】
貴様ごときにやられる私ではない!
【吉祥院蓮三郎】
しかし……
【鬼龍豪人】
私に構うな!
もう大丈夫だ。

鬼龍は上体を起こし風魔に向き合った。

【鬼龍豪人】
御荷鉾みかぼの身に何が起きたのか、
私は調べてみる。
貴様らも用心することだ。
せいぜいな――

そう言うとゆっくりとした足取りで地下室を出ていった。

【吉祥院蓮三郎】
鬼龍きりゅう――豪人たけとさま――

レンザは鬼龍の出ていった方を暫く見ていた。
同輩付き合いの将校を案じて砲工学校を訪れた鬼龍大尉。レンザとの一戦、力の拮抗があったようだ。
それにしてもこの砲工学校――
やはりここにも、仮構の力が及んでいるようであった。

〔戸山砲工ほうこう学校中庭〕

【掃除夫】
お二人もアレですかな?
【吉祥院蓮三郎】
何でございますか?
――やけに静かですが……
【掃除夫】
今日は何やらまた部隊が……
あの部隊が展開するんですよ。
【吉祥院蓮三郎】
あの部隊とは?
それはもしや――
【掃除夫】
お二人ならご存知でしょう。
東京ゼロ師団です。
ここの上ですよ――
【吉祥院蓮三郎】
そうでしたか。
この砲工学校もゼロ師団の、
指揮系統にあるわけですね。

風魔ふうまさま――
にらんだとおりでございます。
ここは東京ゼロ師団の仮構かこう組織、
それでありながら砲工学校として、
実体も持っている――
どうもそのようにあります。
これは何というか……
悪魔のかんのようなものでして――
それでここへとおもむいたわけです。

そこまで言うとレンザは静かに目を閉じた――

【吉祥院蓮三郎】
私、あきらさまに呼ばれる前のことは、
何一つおぼえておりません。
悪魔セーレが転生を試みた――
そうとされているのは、
ブレナン博士の鑑定によります。

ブレナン博士は神智学しんちがくの権威だとか。
あきらさまの通われる学校、
自由サーベラス学園の学園長です。

私があきらさまのアトリエに現れた時、
壁に悪魔セーレの印章が浮かび、
それが決め手となりました――
グリモワールのひとつ、
ゴエティアの書にも同じ印章があり、
私はセーレなのでありましょう。

ゴエティアの書を紐解ひもとき、
セーレというのを調べてみたのです。
セーレは有翼ゆうよくの銀馬にまたがり、
二十六の軍団をひきいるとあります。
方位をつかさどる四大悪魔のひとつ、
アマイモンの配下のようです。
セーレは召喚されるや、
召喚師の要望に全て応え、
あらゆるものを手に入れるとか――
あきらさまにお仕えする私としては、
その点、納得が行くのでございます。

私の中に確かにセーレがいる――
しかし、なぜ、あきらさまの元に、
この私が現れたかは謎です。

あきらさまは、そのことで、いささかの責任をお感じのようでして――
――自責じせきねんと申すのでしょうか、
人間の考えは不可思議にございます。
私としては恐縮するばかりですが。

語り終えたレンザははにかんだような表情を浮かべていた。

【吉祥院蓮三郎】
さて、ゼロ師団はどのあたりに、
展開しているでしょうか……
【着信 能海旭】
レンザ!
市ヶ谷の先、麹町こうじまちあたりに、
セヒラを観測したよ!
【吉祥院蓮三郎】
風魔さま、参りましょう!

〔市ヶ谷見附〕

市内にゼロ師団が展開する――
砲工学校で仕入れた情報であった。
レンザと風魔は市ヶ谷見附へとやってきた。

電車通を数台の軍用トラックが塞いでいた。1人の将校が腰をかがめてうめいている。

【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
はぁはぁはぁ……
自分は一体、どうしたのだ?

レンザと風魔が将校に歩み寄る。

【吉祥院蓮三郎】
何がありましたか?
【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
あなたたちは――
自由サーベラス学園の……
能海旭のうみあきらの手下――
【吉祥院蓮三郎】
もしや、少尉は……
【東京ゼロ師団栂ノ尾とがのお少尉】
ええ……あっ、いや、違います!
自分、歩三第三〇八中隊附き――
それがどうして、こんなところに……

うわぁぁぁぁ~

将校は両手で頭を抱え、そのまま倒れ込んでしまった。そこへ1人の兵卒が走り来た。

【東京ゼロ師団清滝曹長】
今日の演習は格別だな!
さぁ、躊躇ためらうな、こっちへ来い!
俺たちの方へ呼んでやる!

《バトル》

〔市ヶ谷見附〕

辺りが静かになった。先程までの軍用トラックは消えていた。電車通を旭がやって来る。

【能海旭】
二人とも、大丈夫だった?
さっき無線で呼びかけたけど、
全然反応がなくて――
ちょっと歩こうか。

探信儀の部品交換を終えて合流した旭。
しかしどことなく
神妙な顔をしていた――

〔若松町〕

3人はそぞろ歩きながら若松町にやって来た。市電が行き交い通行人もいる。

【能海旭】
風魔ふうまさん――
何だか私たちのことに、
巻き込んじゃったみたいね。
【吉祥院蓮三郎】
私も、かたじけなく思います。

【吉祥院蓮三郎】
あきらさまの方は、
探信儀たんしんぎ、直りましたか?
【能海旭】
セヒラを電波に替えるなんとかが、
どうとかなってってことよ。

そこへ探信儀の警告音がする。

【能海旭】
あっ!
早速、反応してる!!

着物姿の中年男性がのっそりと姿を見せた。

【猫憑き】
隙間すきま、いっぱいこさえてるニャ!
帝都中、隙間すきまだらけニャ~
おいら、猫の種次郎たねじろうニャ!
さっきも兵隊にいたニャ、
隙間すきまこさえてるのが――
【吉祥院蓮三郎】
隙間すきま、ですか?
隙間すきま憑依ひょういするとでも?
【猫憑き】
おいらたち、防いでいるニャ!
無用な隙間すきまこさえると、
変なものくニャ!
そうならないように、
隙間すきまふさいでいるニャ!!
あんたも隙間すきまいたんか?
さてさて、散歩を続けるニャ!

そこまで言うと、男性は悠然とした足取りで歩き去った。レンザが神妙な面持ちで見送っている。

【吉祥院蓮三郎】
……
隙間すきま……私も……誰かの――
隙間すきまに……そうなのでしょうか?
【能海旭】
レンザ……
あんた、大丈夫?
今日はもうおしまいにしよう。
風魔さんも来て――
私のアトリエが山王さんのうにあるのよ。
ホテルのすぐ裏だよ!

〔旭のアトリエ前〕

そこは日枝ひえ神社に向かう車道に面した、古い石垣いしがきの前であった。
墨国メキシコ公使館のすぐ近くである。

【能海旭】
この中よ、アトリエは。
レンザには専用の部屋があるの。
そこの扉から入る――
来て。

〔旭のアトリエ〕

【能海旭】
どう?
気に入ってくれた?
――私のアトリエ。

レンザが現れたのは後ろの壁……
今はもう模様替えしたけれど。
セーレの印章も消えてしまったし――

私……魔女には向かないんじゃ……
前から思ってたことだけど、
風魔ふうまさんたち見てると――
余計にそう思うようになるんだ――

旭は目を閉じて魔法学校のことを語り始めた。心なしかアトリエが薄暗くなった。

【能海旭】
八歳になる年の二月、
インモラグの大サバトで入信したの。
聖油を使った儀式があった――
十三で信仰宣言をした――
グランドマスターに誓いを立てた。
あなたはわが神、
私はあなたの奴隷どれいです――
ここでの神とは、
勿論もちろん、悪魔のことよ。

十四の時、左肩にマークを入れた。
刺青いれずみで入れた青いスペードは、
見るたびにその形が変わるのよ。

でも……
スペードのマーク、十五の夏、
つまり去年だけど――
たった二日のうちに、
すっかり消えてなくなったのよ!

誓いは決して軽いものじゃなかった、
でも、私は認められていない――
そんな気がしてならないのよ。

語り終えると旭は顔を上げた。大きな黒い瞳で風魔を見つめている――

【能海旭】
私の学校は、ブレナン先生を、
グランドマスターにして、
コヴェンをしているのよ――
コヴェンとは神に親しく奉仕する、
グランドマスターと十二人の会衆かいしゅうよ。
先生が六人、生徒が六人ね。
何度も何度も祭儀を繰り返して、
ようやく悪魔との契約に進む……

そんな堅苦しい学園に比べると、
を指揮して戦を戦う、
風魔さんたちがすごく自由に見える。
悪魔との違いはあると思うけど。

レンザのことが一段落したら、
私、審神者さにわについて、
少し勉強してみようかな。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、
あきらさんのアトリエに、
招待されたんですね。
【帆村魯公】
くだんの自由サーベラス学園、
コヴェンの会衆かいしゅうを現したものとはな。
――それがこの帝都にあるとは……
【喪神梨央】
あきらさんたち、何かを知っている――
東京ゼロ師団のことを。
私、そう思います!
【帆村魯公】
うむ……
そうでなきゃ、あれほど戦いを
挑まれるわけはないわな。
ところで、ゼロ師団の連中、
皆、京都の地名を名乗っておる。
【喪神梨央】
寺町、玄琢、清滝……
丸竹夷ニ押御池まるたけえびすにおしおいけ

ノックの音とともに九頭が姿を見せた。

【九頭幸則】
歩一の九頭くずです。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、大丈夫ですか?
仮構かこうされた部隊に取り込まれたり、
そんなことはありませんか?
【九頭幸則】
だ、大丈夫だと思うよ、
自分は歩一附きの……
【喪神梨央】
部隊不詳ふしょうの歩兵中尉殿!
【九頭幸則】
おいおい!
――しかしなぁ……
実体のある組織も取り込まれてる――
【喪神梨央】
砲工学校の露西亜ロシア人留学生ですが、
スキー、ナフ、ロフ、
合わせてポモーギーチェになります。
【九頭幸則】
ポモーギーチェ?
それって露西亜ロシア語なの?
【喪神梨央】
露西亜ロシア語で助けての意味だとか。
新山にいやまさんの解釈ですけど……
【九頭幸則】
取り込まれた実体の方は、
救いを求めていると――
何だかすごく気になるよ、その辺り。

能海旭のうみあきら吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう――
2人の前に謎の東京ゼロ師団が立ちはだかる。
山王さんのう機関も手をこまねいてはおれなかった。

アキラとレンザ 前編

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
ちょっと気になることがあります。
変わったセヒラ波形を観測しました。
日枝ひえ神社方面で、
これまで観測しなかった波形があり、
次第しだいに強くなっています。
どんな怪人とも召喚師とも違う、
見たことのない波形なんです――
公務ではないですが、
確認お願いできますか?

〔日枝神社〕

日枝神社――
溜池通から上る大階段を数名の参拝客が駆け下りていった。皆、一様に青ざめた顔をしている。階段の途中で着信があった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ上昇しています!
怪人とおぼしきセヒラも混ざります。
警戒してください!

〔日枝神社境内〕

日枝神社の境内ではすでに怪人らしきが現れていた。左手に虚ろな目をした憲兵服姿。そして対峙するかのように西洋の軍服のような装束の若い男性。憲兵姿が全身にセヒラを纏う。おそらくそちらが怪人だ。そのとき1人の高女生姿の少女が走り込んできた。

【???】
あなたが――
山王さんのう機関の帥士すいしね!
だったら手を貸して!
レンザが押されてるのよ!

見ると西洋軍服を着た若い男性はセヒラをまとめようとするもうまくいかない様子だった。反面、憲兵怪人のセヒラはますます強くなっている。

【???】
ほら、早く!!
ああん、もう!!
レンザ!
将校怪人はこっちで引き受けるよ!

その声に憲兵怪人は風魔を捕えた。

【東京ゼロ師団西陣にしじん大尉】
山王さんのう機関は、
こいつらに加担かたんしているのか!
邪魔くさいことになったな!!
我々に何を求めるというのだ?
――いいだろう、問答はなしだ!
お前たちを我々の側に招待しよう!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
どうしましたか?
異常な波形が出ています。

憲兵怪人との戦いが始まった。互いにを召喚する。そこへ西洋軍服姿の男性の声が割って入る。

【???】
もうやきもきしちゃってなりませぬ。
このレンザ、いや吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう
とびきりの調達しちゃいます!
少しでも帥士すいしさまの
お力になれれば――

戦が見えるのか、高女生の声も聞こえた。

【???】
レンザ!
気を付けて!
新手のが来たよ!!

【吉祥院蓮三郎】
――っと!
あれれ、今度は私が襲われそうです!
帥士すいしさま、武運長久ぶうんちょうきゅう祈ります!!

《バトル》

〔日枝神社境内〕

【???】
なかなか見事だったね!

【能海旭】
私は能海旭のうみあきら、こっちはレンザ――
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろう……もう知ってるね?
さっきの将校、東京ゼロ師団という、
よくわからないところの連中さ。
とにかく私たちが目障めざわりみたい――
レンザ――
お前はだいぶ押され気味だったね。
【吉祥院蓮三郎】
いささか勝手が違いました、
あきらさま――
【能海旭】
いつもよりセフィラ――
あっ、いや、
セヒラが高かったというのかい?

【吉祥院蓮三郎】
セヒラの値だけが問題なのではなく、
何分その……乱れておりましたから。
激しく……激しく……
【能海旭】
うーん……
お前自身もセヒラを乱す要因、
そうなんじゃないのかい。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、解消しました。
見慣れない波形も消えました。
あの……
一体、誰と話しているのですか?

【能海旭】
帥士すいしさん――
聞いてくれる?
私は自由サーベラス学園という、
アメリカに本学のある女高じょこうのニ年生。
今は日本の分校に通うの。
学校はね、鈴蘭すずらん女学園の中にある。
生徒は六人だけ、先生も六人よ――
魔法のことを勉強している。
私たちの学ぶのは星辰せいしん魔法なの。
そらの星々から力を授かり、
様々なことを為すの――
私はまだ道半ばだけれど――
ある夜、部屋で不思議な事が起きた。
机の上のプランシェットが光をび、
部屋の天井に何かを映し出した――
私はプランシェットを、
とっさに払ったの――
プランシェットは床に落ちた。
そして部屋の壁に、
より大きな光を映し出した……
光はやがてもやのようになって消え、
中からレンザが現れたの。
彼は悪魔よ――
グリモワールにしるされた、
序列じょれつ七十番目の悪魔、セーレ――

〔日枝神社境内〕

【能海旭】
悪魔セーレが何かの拍子ひょうしに、
人間に転生しようとして失敗した、
私はその瞬間に立ち会ったらしいの。
何で私のところに来たのかな。
もちろん、私が呼んだわけじゃない。
【吉祥院蓮三郎】
それは私にもわかりません。
以前のことは綺麗きれいサッパリ……
消えてしまったのでございます。
【能海旭】
悪魔に寿命はないんだけれど、
転生にしくじった悪魔には、
寿命が定められているらしいの――
だから……
レンザをにすれば、
寿命はなくなる。
そして探したの――
【吉祥院蓮三郎】
はどこかで作られている――
旭さまはそうお考えなのです。
【着信 喪神梨央】
工廠こうしょうのことですね。
噂だけが先行しています。
兄さん、
お二人と一緒に、
山王さんのうホテルロビーに来てください。

〔山王ホテルロビー〕

山王ホテルロビー。左手、フロントカウンターにレンザが肘を付いてもたれている。旭と風魔は右手のソファー近くで機関本部から梨央の来るのを待つ。

【喪神梨央】
能海旭のうみあきらさんですね――
あちらが……レンザさん……
私、喪神もがみ梨央りおです。
喪神もがみ風魔ふうまの妹です。
山王さんのう機関の帥士すいし、喪神風魔です。
【能海旭】
――喪神……風魔……
そう言うのね、喪神風魔さん。

【喪神梨央】
あきらさんが戦っていた相手ですが――
【能海旭】
あきらって呼び捨てでいいよ、
梨央さん、年上なんだし。
【喪神梨央】
そうね……
でもあきらさんって呼ぶわ。
あきらさんたちの相手、
さっきの東京ゼロ師団……
あの連中は何なの?

【能海旭】
実体の不明な組織よ。
学園長のブレナン博士の説だと、
魔の力の影響を受けていると――
【喪神梨央】
魔の力……
それってセヒラじゃなくて?
【能海旭】
仮構かこうされた存在とでも……
実体はないけれど、皆が存在を信じ、
誰もそれを疑わないのよ。
【喪神梨央】
まるでたぬきに化かされでもしたみたい。
【能海旭】
私の通う自由サーベラス学園も、
本当は存在しない仮構かこうの学校よ。
【喪神梨央】
ええ、そうなの?
【能海旭】
日本では女学園を仮構かこうするけれど、
アメリカでは丸々仮構かこうなのよ。

17世紀末に魔女裁判のあったセイラムでは、魔法や魔女に関する思念が強く残留している。
神智しんち学者のブレナン博士は、研究のためにその環境を利用して、学園をしたのだという。

【能海旭】
学園のこと、セイラム以外では、
誰もその存在を知らないの。
日本に分校を置いたのは――
【喪神梨央】
セヒラがあるから、そうじゃない?
【能海旭】
半分は正解ね。
もう半分は、この町にも、
仮構かこうの力が及ぶからよ。
仮構かこうの世界に通じている、
そんな私たちが脅威きょういなのね、連中は。

ホテル玄関から軽い足取りで九頭が入って来た。高女生姿の旭を見て尋ねる。

【九頭幸則】
皆さん、おそろいで――
って、どちらの高女こうじょさんですか?
その制服は……
【能海旭】
山王さんのう機関と行動を共にする将校、
それが君のことね。
【九頭幸則】
――えーっと、そうだけど……

あきら九頭くずは、互いに自己紹介した。
九頭は梨央から聞いた東京ゼロ師団の話に、興味があるようだった。

【九頭幸則】
怪人化した将兵で部隊を作る、
そんな噂はかねがねあるんだ。
ゼロ師団というのが、
それに当たるかはわからないけど。
【喪神梨央】
まだ調べが必要そうですね。
あきらさん、これを持って行って。
山王さんのう機関で使う探信儀たんしんぎよ。
敵の動向、ある程度はわかるのよ。
【能海旭】
ありがとう、梨央さん。

探信儀を手に、旭はレンザの前に歩み寄る。

【能海旭】
山王さんのう機関から探信儀たんしんぎを借りたよ。
これで不意を突かれることもないね。
【吉祥院蓮三郎】
そうでございますね、あきらさま。
左様さような機械、八方手を尽くしても、
見つかる様子はありませんでした。
【能海旭】
お前にも無理というのがあるんだ、
よく心しておくよ、レンザ。
風魔さん――
ゼロ師団の連中は私たちを、
とても警戒している――
でも引き下がれない――
核心にまで踏み込んで、
レンザをにする方法を探す。
になれば寿命なんかなくなるんだ。

〔山王機関本部〕

【新山眞】
探信儀たんしんぎは受け取ってもらえましたか?
一世代前のですが、性能は十分です。
【九頭幸則】
工廠こうしょうを自力で探すなんて、
あの子はなかなかやるね!
部隊に向島むこうじま出身の少尉がいてね、
奴が言うには帝国モスリンの工場、
あれは普通の工場じゃないって……
秘密兵器でも作ってるんじゃないか、
そんな勘ぐりを抱いていたな。
【喪神梨央】
それじゃ、そこが工廠こうしょうですか?
【新山眞】
どうでしょうか――
私たちが訪問しても、
門を開けるはずもないでしょう。
【九頭幸則】
風魔、お前が山王さんのう機関の公務で、
その工場こうばに踏み込むと、
また話は違うかもな。
【喪神梨央】
何も事変のないところへ、
公務として乗り込んだりできません。
それに返り討ちにわないとも――
【新山眞】
相手側から反撃があるのなら、
間違いなく工廠こうしょうですね、
そのモスリン工場は。

そこへ警告音が鳴り響く。

【喪神梨央】
探信儀たんしんぎの警告音です!
あきらさんの探信儀たんしんぎです――
【新山眞】
近くですね。
表に出てみましょう!

〔山王ホテル前〕

【九頭幸則】
おい、何だか町の様子が変だ。
【新山眞】
まるで戒厳令かいげんれい発布はっぷされたかのような。
【九頭幸則】
風魔!
見ろ、将校だ!
ちがう、奴ら、怪人だ!!

溜池通から2人の将兵が駆け上がってきた。

【東京ゼロ師団鞍馬くらま一等兵】
やはりここにもいたか!
皇国こうこく栄誉えいよ授かる我が師団!
見敵必殺けんてきひっさつ銃剣じゅうけんを食らわす!!

《バトル》

〔溜池通〕

溜池通はまるで封鎖されたかのように静まり返っていた。数台の軍用トラックが無造作に停まり、山王下電停よりさらに先で市電が足止めを食らっていた。今、将兵の姿はない――

【九頭幸則】
風魔ふうま、こっちだ!

そう言うや九頭は溜池通を渡り始めた。新山、風魔も後に続く。

【九頭幸則】
赤坂一帯に部隊が出ているぞ。
こいつら、みんなゼロ師団なのか?
【新山眞】
あの二人は大丈夫でしょうか?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ観測、強い揺らぎです。
先ほどと同様ですが――
怪人の波形も多く観測します!!
【新山眞】
もしゼロ師団だとすれば、
波形に特徴が出るかも知れません。
私は本部に戻って観測します。

新山はきびすを返して機関本部へと戻って行った。

【九頭幸則】
風魔、行ってみよう!
この先だ、一ツ木通ひとつぎどおりの辺りだな。

料亭の間にある薄暗い路地を抜けて一ツ木通に向かう。

〔一ツ木通〕

一ツ木通には将兵姿、背広姿入り混じって6人の怪人が展開していた。道中央にレンザが対峙するように立つ。

【九頭幸則】
おい、見ろよ!
将兵に混じって民間人もいる。
あれは軍属か何かか?

料亭の軒先から旭が駆け寄ってくる。

【能海旭】
こいつらみんな、ゼロ師団の
将兵と軍属なんだ――
レンザ一人じゃどうにもならない……
仮構かこうの力、見くびれないよ、
風魔ふうまさん――
【九頭幸則】
闇雲やみくもに突っ込むのは危険だ、
作戦を立てなきゃ。
一旦本部に戻ろう。
あきらさんも一緒に!
【能海旭】
レンザ!
しばらく留めておくんだよ。
まだ戦っちゃダメだから!
【吉祥院蓮三郎】
承知しております!
今はまだ大丈夫であります。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
いくつもの波形が入り乱れ、
何が何やらわかりません。
あきらさん、レンザは大丈夫?
【能海旭】
まだ何とか――
連中は警戒を強めている。
【喪神梨央】
レンザ、先走らなければいいけど――
【能海旭】
転生にしくじった悪魔が、
私の元に来るなんて、
なんという皮肉だろうか――
魔法もろくに使えない私なのに。
でも――
だからこそ、私は試されている、
そう感じるんだ。
――風魔ふうまさん……
力を貸して――
【新山眞】
今、波形検出しました!
これ、レンザさんが戦っていますよ。
【能海旭】
んもう、あいつ!!
待てなかったの?

〔一ツ木通〕

一ツ木通に急行すると、すでにレンザはを降ろしていた。背広姿の怪人が風魔を捕えた。

【吉祥院蓮三郎】
すごいのでございます!
レンザ、すこぶる調子に乗ってます!!
なんと、私よりも格上の
調達できるなんて、夢みたいです!
私、セーレはソロモン七十番目!
それがそれが、うんと上の方々を!
栄光に身悶みもだえるのでございます!!
風魔さま、二人で手分けすれば――
きっとなんとかなるはずです!

《バトル》

〔山王ホテルロビー〕

山王ホテルのロビーは静まり返っていた。

【能海旭】
うまく退しりぞけたね――
なんて言うんだっけ、山王さんのう機関では。
【吉祥院蓮三郎】
確か、鎮定ちんてい――
そう言うのでございます。
【能海旭】
レンザ、お前の方はどう?
今回は本調子だった?
【吉祥院蓮三郎】
はい、上々でございました!
なんと、格上の悪魔を調達し、
もう何というか、最高でした!!
【能海旭】
レンザって呼ぶけど、
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうって名前、
ふと思いついたんだ――
ちょっと古風で、いい感じだよね。
【吉祥院蓮三郎】
このままもう、
人間になってしまえればと――
考えなくもありません。
【能海旭】
人間なんて弱いだけだよ。
になるか悪魔に戻るかさえすれば
永遠の存在でいられるんだよ。

【吉祥院蓮三郎】
私は誰かに呼ばれた気がするのです。
――それが途中で……
もしやと思うのですが……
【能海旭】
誰か人間を乗っ取った、
そう考えているんだろ?
【吉祥院蓮三郎】
私によってはじかれた人がいる、
そう思えてならないのです。
【能海旭】
レンザ、お前について考えると、
謎が深まるばかりだよ。

風魔ふうまさん――
この近くに私のアトリエがある。
今度、お誘いするね。
今日は、どうもありがとう。

レンザ、戻るよ!
【吉祥院蓮三郎】
喪神もがみ……風魔ふうまさま……
この町には、私のような存在が、
他にもいる気がします。
それは敵か、はたまた味方か――
自分に意味のある相手とは、
簡単に見つからないのでございます。

能海旭のうみあきら吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうの登場は、山王さんのう機関の公務に新たなページを加えた。
そして帝都は更なる謎を含ませることになる。

能海旭のうみあきら


生年:1919年7月7日 16歳
 米国に本校のある魔法学校、自由サーベラス学園に通う魔女見習いの女高生。ある日突然彼女の前に現れた「吉祥院蓮三郎」を従えている。
 つい先頃まで米国に居住し、本校に通っていたので、世界情勢に明るい。その経験を活かしてか、「日本を欧亜の盟主に」という思想の青年将校たちが集まる団体、碧水会に参加しているようだ。余談だが、宮家の遠縁にあたり、実家は極めて裕福なようであるが、疎遠にしているらしい。



幕間――アトリエにて ADV版

※BGMが流れます。ご注意ください。

名前の由来 ADV版

※BGMが流れます。ご注意ください。

アキラとレンザ 後編 ADV版

※BGMが流れます。ご注意ください。

アキラとレンザ 前編 ADV版

※BGMが流れます。ご注意ください。