第九章 第三話 時間軸の歪み

赤坂の大柱のことはすっかり市民の知ることとなり、連日、物見遊山の市民が詰めかけた。

【洋服姿のモガ】
大柱様! お願いします――
私、大柱様のように二人で向き合い、
家庭を築きたいのです!
【油絵が趣味の男】
うーん、このアングルだと、
柱が全部は見えないなぁ。
だが柱の高さはよくわかる……
【水飴売】
水飴いらんかねぇ~
甘い、あま~い水飴だよ~

一方、青山墓地に開いた大穴の周囲には大勢の巡査が動員され、市民の接近を監視していた。好奇心に駆られた市民も遠巻きに眺めるのみであった。

〔釣鐘の間〕

しかし、怪人騒動が頻発ひんぱつすることもなく、帝都は静けさを保っていた。
すでに12月初旬になっていた。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
今、釣鐘つりがねの出力を上げています。
【新山眞】
出力を上げると、
セヒラの量も増えそうですが、
そうはならないのですね。
【聖宮成樹】
あるところまではセヒラが増えます。
しかし、さらに出力を上げると、
不思議なことにセヒラが下がる――
どうもそのようです。
【新山眞】
スプライン曲線という、
三次元曲線があるのですが、
それに似た挙動を示すのですね。

喪神さん――
この穴が青山新京シンキョウに通じるのなら、
麗華れいかさんが戻るのは造作ありません。
ただ今はセヒラを何も観測せず、
大穴が開いているだけです。
すぐに麗華さんが戻るというのは、
ちょっと考えにくいのです。
【聖宮成樹】
再びセヒラが上昇した時、
釣鐘つりがねの出力をさらに上げると、
一瞬、高濃度のセヒラが発生します。
セヒラの濃くなるその一瞬は、
最大限の注意が必要です。
それは心しておいてください。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
隊長がおいでです。
機関本部へお越しください。

【聖宮成樹】
独逸ドイツ人が発掘したアルツケアンは、
アーネンエルベに一肌ひとはだ脱いで
もらうのがいいでしょうね。

そう言うと聖宮は釣鐘の間を出ていった。風魔、新山も後に続いた。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん――
参謀本部通いだった隊長が、
軍の謀反むほん計画を調べてくれました。
【帆村魯公】
謀反むほん計画――
確かにそうじゃな、謀反むほんじゃな。
参謀本部と陸軍省の調べで、
久鹿くろく計画の全貌ぜんぼうが明らかになり、
歩三では大掛かりな沙汰さたがあった。
【喪神梨央】
沙汰さたって……
つまり、人の異動とかですか?
【帆村魯公】
そうだな――
その実は粛清しゅくせいじゃよ。
とりわけ歩三には、
大鉈が振るわれたようじゃ。
連隊長の常田つねだ大佐も転隊になった。
【喪神梨央】
そうなんですね。
久鹿くろく計画の中心ですからね――
それで、常田大佐、どちらへ?
【帆村魯公】
新潟の第十三師団だ。
輜重しちょう兵第一三連隊渡河とか材料中隊――
部隊は新潟県中頸城なかくびき郡高田市にある。
【喪神梨央】
渡河とか材料中隊って……
橋を掛けるための資材を調達する、
そういう部隊ですよね。
【帆村魯公】
ああ、そうだな。戦闘部隊ではない。
部隊は高田城址じょうしの南に位置する。
部隊暗号は九一〇九だ――
久鹿くろく計画に関係するものなのか、
参謀本部第九部で、
このような伝単ビラが取得されていた。

下士官兵ニ告グ――
その標題で始まる伝単ビラであった。
一、今カラデモおそクナイカラ
  原隊げんたいかえ
二、抵抗ていこうスルもの
  全部逆賊ぜんぶぎゃくぞくデアルカラ射殺しゃさつスル
三、オ前達まえたち父母兄弟ふぼきょうだい
  国賊こくぞくトナルノデみなイテオルゾ

【喪神梨央】
原隊へ帰れ――
これって、計画の失敗を、
あらかじめ知っているのではないですか?

そこへノックの音がして九頭が入ってきた。

【九頭幸則】
歩一、九頭くずです。
この伝単ビラ、何ですか、先生?
【帆村魯公】
謀反むほんの将兵に投降とうこうを呼びかける、
その目的でられた伝単ビラだな。
【九頭幸則】
例の久鹿くろく計画ですね――
軍務局長暗殺、続く大暗殺計画、
実行されたら大変でした。
【喪神梨央】
こういう伝単ビラがあるというのは、
計画の失敗を予見よけんしていたと
そう考えられますね。
【帆村魯公】
失敗になる筋書きがあったとかな。
はなからそういう計画だったのかも。
結果、国体の再生は進むはずだ――
【九頭幸則】
だとすると、
宗谷そうや大尉の死は犬死ではなかった、
そうなのかも知れませんね。
【喪神梨央】
常田大佐の赴任ふにんした高田ですが――
上野から省線急行で行けますね!
【九頭幸則】
え? 
歩三の常田大佐、転隊したの?
その高田ってどこ?
【喪神梨央】
越後えちご高田です。信越しんえつ本線ですよ。
上野発夜八時五五分、高田着は、
朝四時五分の夜間急行で行けます。
【帆村魯公】
常田大佐は輜重しちょう部隊に移った。
そういうことだ――
【喪神梨央】
川に橋をける資材を調達します。

再びノックの音が響く。フリーダ葉がドアの隙間から顔を覗かせた。

【フリーダよう
私、入って大丈夫かしら?
【喪神梨央】
フリーダさん!
どうしたんですか?
【フリーダよう
風水師のバーナードが、
仲間に声をかけてくれたのよ。
あのバーナードチャンよ。
それで五人の風水師が集まって、
青山新京シンキョウの穴を守ってくれている。
そういうことみたいよ。
みんな未来から繋がった思念、
大元はうんと遠くにいるのよ。
【喪神梨央】
そのおかげで青山墓地のセヒラ、
大きな値が観測されないのですね。
【フリーダよう
値の大小はわからないけど、
彼ら風水の術が効いているのかも。
【喪神梨央】
すると青山新京シンキョウに未来が繋がった、
そうなんですか?
【フリーダよう
そうじゃなくて、
彼らが思念を繋いだのよ。
でも――
【喪神梨央】
何か問題でもあるんですか?
【フリーダよう
他の思念もられてやってくる、
その可能性もあるわね。
あったらあったで面白いけど。
【喪神梨央】
ねぇ、フリーダさん。
前に見せてもらった小さな幻燈器げんとうき
あの原理ってどうなってるんですか?
【フリーダよう
あれはね、未来の技術なの。
この時代に披露ひろうすることはできない。
それはわかってね――

独逸ドイツ大使館〕

殿下の言葉もありアーネンエルベに寄っては、という魯公ろこうの提案があり、風魔ふうま三宅坂みやけざかへ。
ユリアと虹人こうじんが迎えてくれた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
独逸ドイツ大使館でセヒラ観測です!

交信が終わるや否や、執事型ホムンクルスが駆け寄って来た。

【執事型ホムンクルス】
標的ツィール
――排除アンシュルス! 排除アンシュルス

《バトル》

【執事型ホムンクルス】
――終了エンデ……終了エンデ……

〔アーネンエルベ〕

【帆村虹人】
大丈夫だったか、風魔?
執事型の洗礼を受けたみたいだが。
【ユリア・クラウフマン】
フーマがここに来るのを、
知っていたようですね――
【帆村虹人】
そうそう、梨央りおが教えてくれたよ。
大昔の隕石いんせきなんだって?
アルツケアン――
【ユリア・クラウフマン】
私もアルツケアンのこと、
少し調べてみました。
コージンも手伝ってくれたのです。
アルツケアンはウルムチの南西、
およそ一九五キロの山中で発掘され、
アーネンエルベにもたらされました。
【帆村虹人】
かい族の少年、アヒムが犠牲になった。
彼は急に学者になったりした――
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは人の意志を読み取り、
人がそう振る舞うように仕向けます。
【帆村虹人】
寝ている間に蒸発する結晶なんて、
なんだか厄介やっかいだよ。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンは、
真空容器に入れて取り扱います。

【帆村虹人】
人が変わる現象はメントロピー……
そう言うんだね。
独逸ドイツ人は何でも名前を付けたがる。
【ユリア・クラウフマン】
そうですね……
メントロピーがいつまで続くか、
まだわからないことだらけです。
仮面の男にアルツケアンをほどこしたのは
フェラー博士に違いありません。
【帆村虹人】
それで仮面の男は、
自分以上の自分になれたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
取り込み方も重要なようです。

気体化したアルツケアンを吸い込み、身体に定着しきるまえに目を覚ますと、メントロピーは短い時間で終わるという。

【帆村虹人】
かい族の少年は、
完全に取り込む前に目覚めたんだね。
【ユリア・クラウフマン】
仮面の男には慎重に施した――
フェラー博士はコンプレットを、
作ろうとしたのでしょう。
【帆村虹人】
コンプレット――
【ユリア・クラウフマン】
完全版といった意味です。
【帆村虹人】
麗華さんに結 晶アルツケアンを施したのが、
山郷だとすれば、
方法を知っていたのかな?
【ユリア・クラウフマン】
容器から出して、
部屋においておくだけです。
けれど、アルツケアンについて、
知識はあったんでしょうね。
【帆村虹人】
誰かが教えた、そうだよね、きっと。
【ユリア・クラウフマン】
アルツケアンどうしで、
大きなセヒラ場を生むことも。
よほど詳しい人物がいた――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
風水師たちを阻害そがいする者が――
青山新京シンキョウです。

【帆村虹人】
僕はユーゲントたちを組織して、
仮面の男の捜索そうさくをするよ。
捲土重来けんどちょうらいを狙ってそうだから!
【ユリア・クラウフマン】
私はヘーゲンの動向を探ります。
先ほど執事型を何体も連れて、
市内に出かけました。
何か目的があるようです。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴を、
五人の風水師が守ります。
そこへ阻害する者が現れたと――
【新山眞】
ジョン・チュー、エリック・ホイ、
ヘレナ・スー、ドナルド・プー、
そしてアンドリュー・ワン――
アンドリューさん以外、
苗字の漢字はわかりません。
【喪神梨央】
一人、女性がいるのですね――
ヘレナさん……
何があったでしょうか。
【新山眞】
フリーダさんいわく、
五人とも昏睡こんすい状態にあるとか。
それで思念を飛ばすのです。
【喪神梨央】
フリーダさんの携行式けいこうしき幻燈器げんとうき
もしかしてキノライトの会社かも。
東京幻燈げんとう工業ってところです。
ちょっと調べてみますね!

〔赤坂哈爾浜駅〕

【満鉄列車長】
青山新京シンキョウにいる連中、
香港ホンコンから繋がっているようですね。
それもうんと未来の香港ホンコンから。
前にも似たようなことがありました。
それで未来から色々来たのです――
今度も来るかもしれませんね。
――どんな未来からでしょうか?

列車は青山新京シンキョウに向かいます。
間もなく出発します。

〔青山新京〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
見たこともない波形を観測しました。
注意してください!

交信後、すぐさま中型アストラルがやって来た。

【ダイナー店主Bアストラル】
俺があの怪物ヴンダーを初めて見たのは、
誰が呼んだかクソ退屈州間道路インターステーツ上だ。
ツーソンまで真っ直ぐ続くクソ道路、
あれを計画した奴は、
よほどの阿呆あほかおせっかい野郎だ。
ハンドル操作不要で楽々チンチン――
そう考えたのかもな。
救いようのないおせっかい野郎だな!

怪物はウェストロックを貫く州間道路を、ツーソン方面へ移動していたという。
町外れの小屋で暮らすセルマ婆さんが、ミッションオイルの染みを見て救世主キリストと信じ、全米からおかしな連中が集まった道路である。婆さんは純白のウェディングドレスをまとい、オイル染みのある場所へ日参した。
ドレスが灰色になる頃に騒ぎは収まった。

【ダイナー店主Bアストラル】
怪物はコーディの仕業だと考えた。
ヘンリーオートの穀潰ごくつぶし、
キング・オブくそったれコーディだ。

なんせあの怪物、
体中から砲身突き出していたからな。
歩く砲身天国だ、まったく!

コーディは車屋を営むが、
筋金入りのガンクレイジーだぞ。
弾の出るものなんでもござれ!
去年、二八年型T1軽戦車を買い、
三十七ミリ歩兵砲を取り外して、
九十三ミリ砲に載せ替えやがった。
奴がそいつをぶっ放した時は、
地面は脂肪デブの腹みたいに波打ち、
砂煙が竜巻状に舞い上がったもんだ。
永久に太陽が顔を出さなくなり、
ウェストロックは氷河期を迎える、
そう心配したもんだ。

あの怪物もコーディの野郎がこしらえた、
そう考えるのも当然といえば当然だ。
真っ白な不気味や怪物をな!

だが違った! 真実は奇なり!
怪物は日本人ジャップが持ち込んだんだ。
今は大和人ヤマトニアンって呼ぶんだったな。

あの怪物どもとナチの新型爆弾で、
アメリカは日本とドイツに全面降伏、
西経一〇四度で分断統治されたんだ。
モンタナ州とノースダコタ州の州境、
それがになった。
一〇四度線と呼ばれる――

日本人ジャップ、いや大和人ヤマトニアンは、
ロスにアメリカ総督府を置いた。
西半分、大和ヤマト領ってわけだ。
そういや、大和人ヤマトニアンの連中、
あの怪物のことをなんと呼んだか……
確か――
ジンライマジン――
大和語ヤマトニーズは難しいぜ、まったく!

アストラルが回転しながら消え、風魔は街区を進んだ。そこでは2体のアストラルが会話していた。

【着信 喪神梨央】
未来のことのようですが――
何かズレが生じているようです。
警戒して進んでください。

【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか港に停泊中の戦艦京畿けいき艦上で、
宮崎みやざき全権大使とモス米副大統領が、
横須賀よこすか条約に調印し――

ああ、何かうまくまとめられない。
イケダ、お前の方はどうだ?
【新聞記者Iアストラル】
日本国は大和やまと国として省庁再編、
拓務たくむ省から改組の拓殖経務たくしょくけいむ省が、
鮮満に次ぎ西米洲を管轄かんかつ――

サカイ、お前の原稿は、
条約の目玉を取り上げたほうが、
いいんじゃないか?
【新聞記者Sアストラル】
横須賀よこすか条約の目玉か――
ドル二十八円の固定相場制とか、
米国アメリカ石油の無制限輸入とかか?
【新聞記者Iアストラル】
そうだな――
それを見出しにして、
米国総督府のエドガー蒲田かまた総督の――

そう言い終わらないうちに5体のアストラルが同時に入ってきた。

【新聞記者Sアストラル】
ん、何だ、何があった?

【超級風水師AWアストラル】
私たちでは、
押さえきれない邪悪な存在だ。
頼む、なんとかしてくれ!
【風水師HSアストラル】
邪気の流れを整える、
私たちにできることよ。
それを超えては無理だわ――

そう言うと5体のアストラルは隣接する街区へと進んだ。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
隣の街区に進んでください。
セヒラ、観測します!

果たしてその街区には仮面の男が待ち構えていた。セヒラ異常に呑み込まれて消えて以来である。

【仮面の男のアストラル】
私は自分こそ虚無きょむだと思っていたが、
あの女ほどではない――
月詠麗華つくよみれいかだ!
あの女の内側には何もない。
怒りも憎しみも、さげすみも、何もだ。
あの女は戦いそれ自体を楽しむ――

二つのアルツケアン、
その衝突が狙いだったとはな!
私も焼きが回ったものだ。
だが、この戦いで私は再生する。
さぁ、憎しみをわけてくれないか!!

《バトル》

【仮面の男のアストラル】
お前は闇をのぞいているつもりか。
闇もまたお前をのぞいているのだ。
それを忘れるな――

仮面の男が消えた後、風魔はさらに街区を進んだ。地面に大穴の開いた場所である。穴の周りを5体のアストラルが囲んでいた。

【風水師HSアストラル】
助かりました――
私はヘレナ・スーです。
香港の風水師です。
今は九龍クーロンフロントの海鮮中心にある、
フカヒレ屋の奥の部屋で、
八年も昏睡コーマ状態になっています。
あの頃、眠れない夜が続き、
素人しろうと療法で睡眠薬を飲みすぎて――
先日、私の思念はバーナードに会い、
ここにいざなわれました。

【風水師JCアストラル】
さぁ、また私たち五人で、
ここの邪気をしっかり整えますよ。
私たちは誇り高きコーマ団ですから!!

5体のアストラルが穴の中央に集まった。その直後、穴からはセヒラの湧出が始まった。しかしアストラルたちが制御するためセヒラはか細くまるで糸のようであった。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピンで麗華さんらしき波形、
確認しました。
赤坂哈爾浜ハルピンに向かってください。

大穴はひとまずアストラルたちに任せることにして風魔は踵を返した。

【満鉄列車長】
やはりです、憶測したとおりです。
赤坂哈爾浜ハルピンの町に、
キタイスカヤが出現しました。
哈爾浜ハルピンのキタイスカヤです、
あの大通りがそっくりそのまま!
そして私の状態では、
キタイスカヤに入れないのです!!

え~間もなく、赤坂哈爾浜ハルピン
赤坂哈爾浜ハルピンです~
キタイスカヤもこちらです~

赤坂哈爾浜の街頭に立つ風魔の周囲がゆらいで暗転した。光が戻るとそこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 喪神梨央】
そこは……
またキタイスカヤ街ですね!
依然いぜん、麗華さんらしき波形、
確認できています。

交信と入れ替えに千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎がやって来た。

【芽府須斗夫】
なかなか、面白いことになってきた。
――そうじゃないかな?
【千紘】
未来から思念が繋がった――
【吉祥院蓮三郎】
香港の風水師は、
皆、昏睡こんすい状態にございます。
それでなお、思念を飛ばすのです!
【芽府須斗夫】
それもあるけど――
少しズレた未来と繋がっている。

そう言うと、芽府めふ須斗夫すとおは、先の新聞記者の思念に深く触れ、様々なことを知ったという。

【芽府須斗夫】
日本とドイツはアメリカと戦い、
結局、アメリカを打ち負かすんだ。
そういう未来だよ。
ドイツは六十発の量子爆弾を落とし、
日本は三百八十六体の怪物で攻めた。
怪物はヴンダーと呼ばれているよ。
【吉祥院蓮三郎】
ヴンダーとは独逸ドイツ語にございますか?
【芽府須斗夫】
その正体、人籟じんらいだよ!
それも相当大きな人籟じんらいだ。
【吉祥院蓮三郎】
人籟じんらい
東京ゼロ師団が関わる
それでございます!
【千紘】
ふーん……
東京ゼロ師団っていうと、
工廠こうしょうの上部組織なんだろ?
【芽府須斗夫】
アメリカを攻撃したのは、
普通の人籟じんらいじゃないさ。
ゼーラム六八六で改良されている。
【吉祥院蓮三郎】
それでヴンダーと、
独逸ドイツ語で呼ぶのでございますね!
【千紘】
そんなのを、アメリカ本土まで、
どうやって運んだの?
【芽府須斗夫】
伊五百号潜水艦百三十六せき
加えて戦艦阿蘇あそ、戦艦生駒いこま――
海軍が全面協力したんだ。
ドイツから釣鐘つりがね運んだときも、
伊号潜水艦が使われた。
人籟じんらい運んだのは最新型だね。
【吉祥院蓮三郎】
独逸ドイツの爆弾とは、
どのようなものでございますか?
【芽府須斗夫】
ゼーラム六八六を用いた量子爆弾――
それしかわからない。
東海岸の二十四の都市が壊滅した。
死者三百四十万人――

アメリカ本土は西経104度で分断され、
東アメリカを独逸ドイツが占領、西アメリカは日本に併合へいごうされたという。

【千紘】
でもそれって、正しい未来なの?
【芽府須斗夫】
わからないさ――
いろんな時間の線が錯綜さくそうしている。
【吉祥院蓮三郎】
今の時点で米国アメリカと戦っていません。
それに……
あきらさまの学校、東海岸にあります。
それが独逸ドイツ領になってしまうのです。
何か複雑な感じがいたします。
【芽府須斗夫】
未来にはあらゆる可能性がある。
そういうことだね。

芽府須斗夫は風魔に向き直って言う。

【芽府須斗夫】
僕たち、帝都で石を拾ったんだ。
仮面の男が残した石だと思う。
【千紘】
田町たまち、広尾橋、大崎広小路おおさきひろこうじ――
仮面の男が結界破りに使ったんだ。
仮面の男は劣化れっかしているはずだ。
麗華さん、しばらく安全だね。
今はホテルにいるよ、麗華さん。
【芽府須斗夫】
ホテルボストーク。
この先にある小さなホテルだ。
【吉祥院蓮三郎】
私の勘としましては――
麗華さまと豪人たけとさまが出逢えば、
お二人とも愈々いよいよ完成するのでは?
そう思う次第しだいにございます。
お二人、完成寸前にございますゆえ。
あきらさまのお声が
聞こえるようです――

レンザ!
お前も早く完成させないとな――

【着信 喪神梨央】
ホテルボストーク、
ワゴロドナヤ街十一号地です。
東方 ボストーク飯店の看板が目印です。

交信を終え風魔が顔を上げると3人はいなくなっていた。風魔はホテルを目指した。

〔ホテルボストーク〕

公園越しにソフィースキー寺院を望む、東方飯店ホテルボストーク408号室。
向かいは同發隆トゥンファールン百貨店である。

ホテルの窓辺に月詠麗華が立っていた。柔和な表情を浮かべている。

【月詠麗華】
風魔ふうまさま――
ようやく人心地つけました。

あの夜、八島通やしまどおりへだてた
新京シンキョウ神社に、
瑞祥ずいしょうの光を認めたのです――
久遠くおん流の師弟にだけ見える光、
それを新京シンキョウ神社に認めたのです。

光に誘われて新京シンキョウ神社に行くと、
そこに山郷さんがおいででした。
お茶で用いる香合をお持ちでした。
炭点前すみてまえのときに白檀びゃくだん香をきます。
そのお香を入れる香合、
交趾焼こうしやきで亀の形をしています。

3日後の夜、同じ時間に神社に来るように、そう伝え、山郷は麗華に香合を渡したのだ。
3日後、山郷と一緒に新京シンキョウ神社の井戸へ降り、次に気が付くと青山新京シンキョウにいたという。

【月詠麗華】
山郷さんは私を帝都に連れ戻す、
そう仰っておいででした。
神社の地下に運河が通るのだと――
でもここは帝都ではありません。

ここは……おそらく哈爾浜ハルピンです。
先程、レンザさまにお会いしました。
レンザさまは豪人たけとさまをご存じです。
お二人で修善寺しゅぜんじに出向かれたとか。
それでロッホをお調べになりました。
穴という意味だそうです。
豪人たけとさまは帝都にもロッホがある、
そうお考えになり、
帝都各所にお出になっていると――
白山の宿舎から――
小石川区の白山ですよね。
そこに豪人たけとさまがおいでなのですね。

私、帝都に戻ることにします。
是非、豪人たけとさまにお目にかかり、
教えをいとうございます。

【着信 喪神梨央】
兄さん――
麗華さんと一緒に戻ってください。
まずは戻ることです。

麗華を伴い風魔は祓えの間まで戻った。

〔祓えの間〕

【喪神梨央】
麗華さん――
神社でもらった香合の中に、
何か結晶が入っていませんでしたか?
【月詠麗華】
仮面の人が言っていました――
隕石いんせきとか結晶とか。
ありました、そのようなものが。

梨央はアルツケアンについて説明した。
香合に入っていたのは不思議な結晶で、気体になって麗華の体内に吸収されたのだと。

【喪神梨央】
麗華さんはアルツケアンを、
ものすごく深く取り込んでいる――
そうに違いありません。
【月詠麗華】
では私は転生するのでしょうか?
そう言えばレンザさまも、
転生の途上だとか……
【喪神梨央】
吉祥院蓮三郎きっしょういんれんざぶろうさんですね。
悪魔セーレが転生した……
いえ、転生しようとしたのです。
【月詠麗華】
あの皆さんは、もしかして……
同じなのでしょうか――
【喪神梨央】
キタイスカヤにいた三人ですね。
でも、千紘ちひろさんは彩女あやめさんの別人格、
そう診断されています。
麗華さん――
あきらさんにはお会いになりました?
【月詠麗華】
レンザさまから話だけは――
まだお目にかかっていません。
【喪神梨央】
旭さんは鴨脚敬祐いちょうけいゆうという、
明治の女性国学者の書いた本を、
愛読されています。
麗華さんの学校を作られた方、
そうですよね?

鴨脚敬祐いちょうけいゆうは明治期の女性国学者で、帝国女学園の創設者でもある。
日本は欧亜ユーラシア世界の盟主であるとしたためた。
男装の麗人としても有名であった。

【月詠麗華】
鴨脚いちょう先生のことは、
よく教えられましたわ。
【喪神梨央】
あきらさんをご紹介します。
この近くにおいでなんですよ。
【月詠麗華】
それは是非ぜひに。
話が合うかもしれませんわ。

祓えの間に新山眞が入って来た。

【新山眞】
ホテルに如月きさらぎさんがお見えですよ。
【喪神梨央】
ありがとうございます。

麗華さん、まいりましょう。
鈴代さんもご一緒ですよ。
兄さん、麗華さんを、
あきらさんのアトリエにお連れします。
鈴代さんに来ていただきました。
【月詠麗華】
風魔さま、帝都に戻していただき、
ありがとうございます。
私は……大丈夫です。

梨央は麗華をエスコートするようにして祓えの間を出て行った。

【新山眞】
喪神さん、ヘーゲン召喚師ですが、
何かを企んでいるようです。
目黒近辺に執事型が集結しています。
現地の確認、お願いできますか?

〔目黒駅前〕

公務電車は予め梨央が用意していた。風魔は省線目黒駅前を目指した。
省線をまたぐ橋の中央にクルトがいた。クルトの周囲に執事型ホムンクルスが展開している。
手前からユリアが様子を見守っていた。

【ユリア・クラウフマン】
フーマ! 来てくれたのですね。
今、執事型が管理不能になって、
ヘーゲンが困惑の極みにいます。

セフィラにも疎密そみつがあります。
トウキョウのセフィラはみつなので、
ホムンクルスの指揮に向いています。
でも、今はセフィラがの状態、
アプドロックが長持ちしません。

同様の事態、ドイツでもありました。
エッセンでセフィラが急にとなり、
ホムンクルスが暴走したのです。

【着信 喪神梨央】
帝都のセヒラ、今は低い状態です。
五人の風水師が頑張っているので。
でも釣鐘つりがねが不安定との報告があり、
予断を許しません!

【ユリア・クラウフマン】
フーマ!
見てください!
ホムンクルスが一斉いっせいに――

橋の上で異変が起きた。クルトの目の前に巨大なセヒラ球が現れたのだ。セヒラ球の半分は地中に埋まっている。見る見る巨大化して、ついにはクルト、風魔を呑み込んでしまった。

〔時空の狭間〕

【クルト・ヘーゲン】
何故だ?
連中はアプドロックを守らないのだ?
私のめいだ、私の、私の、私の!!
くそっ!
勝手にアプドロックを解除するのか!

さてはお前がそそのかすのか!
これはエッセンの二の舞か!
そのようなことは断じて認めない!!

《バトル》

どこからともなく聞こえてくる声……クルトはうろたえている。

【???】
復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相、鉄相、
農相、文相各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王さんのうホテルに宿泊せり!!
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私に何を言いに来たのだ?

【クルト・ヘーゲン】
――まさか……
ハンス……ハンスなのか?
そこにいるのは、ハンスなのか?

フルトヴァンゲンの泉……
リューゲン島の砂浜……
ハンス、本当にお前なのか?

クルトの問いには答えず、代わって甲高い声がした。

【???】
どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?

クルトは困惑の極みにいた。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
ハンス、すんだ!!
これ以上、翻弄ほんろうしないでくれ!

【???】
フフフ――
お前は神に召されるのだ、売女ばいため。
いざ、幸いなれ!!
きざんでやろう、
お前の為の十字架じゅうじかを――
その瑞々みずみずしく白い腹に!!

そのきしむような声は憎しみに彩られていた。クルトは大きく目を見開いている。口をあんぐりと開け、ほとんど息はしていない。

【クルト・ヘーゲン】
やめろ!!
あああああ~
やめてくれ!!

腹の底から絞り出すような声を出すクルト。続けようとしたがもう言葉にはならなかった。
闇の底から全く抑揚のない声が聞こえてきた――

【???】
おお、墓よ、
お前の勝利はどこにある?

遂にクルト・ヘーゲンが自失した。
目黒に大勢のホムンクルスを連れて、彼は何を企んでいたのだろうか?

月詠麗華の帰朝きちょうを受けて、深まる秋の中に静かなる緊張が走る。

第九章 第一話 赤坂の大柱

〔山王機関本部〕

その朝、山王さんのう機関本部にやってきた新山眞にいやままことは、どこか浮かない表情をしていた。
弟、新山和斗にいやまかずとが当局に引拉いんらされたというのだ。

【新山眞】
日比谷の事務所で執務中に、
いきなり憲兵らが雪崩込なだれこみ、
和斗を連れて行ったのです。
【帆村魯公】
当局というのは、
それじゃ憲兵のことか?
警察や特高じゃなく、
なんで憲兵が記者を連れて行く?
に落ちんな……
【喪神梨央】
最近、些細な事でも、
スパイ容疑に絡めて憲兵が出ます。
擾乱じょうらん阻止も十分な名目ですよ。
【新山眞】
和斗の奴、赤坂の御柱騒動を、
面白おかしく書き立てたのです。
【喪神梨央】
赤坂に現れたる柱――
ソロモン大王の二柱か?
はたまた諏訪すわ大社の御柱か?
そんな見出しでした。
【新山眞】
しかるべき引受人が来れば放つと、
先程、憲兵隊から連絡が――
山王さんのう機関でお願いできますか?
【喪神梨央】
和斗さんを引き受けるのですね。
隊長、如何いかがですか?
【帆村魯公】
うむ、新山君の頼みだ、
無下むげにはできん。
風魔ふうま、行くぞ、憲兵司令部だ。
【喪神梨央】
それでは公務電車、手配します!

一ツ橋を目指して走っていた公務電車は、銀座に差し掛かり、減速して停車した。大勢の市民が進路をふさいでいたのだ。市民らは往来で1人の若い男を輪のようにして囲んでいた。

〔銀座四丁目〕

【帆村魯公】
これはいったいどういう事態だ?
市民が銀座の往来を妨害しておる。

魯公の声に1人の着物姿の夫人が振り返った。

【牛込区の婦人】
あら~
そこのお二人も参加なすっては?
【帆村魯公】
ご婦人――
参加とはどういうものですか?
ぜんたい、何に参加するのですかな?
【牛込区の婦人】
決まってるじゃありませんか!
怪人川柳の競技会ですわよ。
うーふふふ……
私、とっておきのがあるのです。
披露ひろうしちゃいますわよ!

怪人の
ひとみに棚引く
秋の雲

怪人は瞳をいくらのぞいても、
その奥には何もないと申します。
それを言うのですわ!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、やや高めです。
用心してください。
【帆村魯公】
ここで時間を食われるのはまずい。
風魔、わしは憲兵司令に向かう。
お前も後で合流してくれ。

そう言い残して魯公は歩き去った。虚ろな目をした背広姿の男性が近寄ってきた。

【赤坂区の男性】
怪人川柳競技会で、
なんと僕は奨励賞しょうれいしょうをもらった!
君もぼんやりしていないで、
積極的に参加してはどうかね。
それともあれかな、
川柳が思いつかないとか――
ひゃははは~
そいつは気の毒だね。
じゃ、僕のを披露するよ!

憲兵も
巡査も酒屋も
皆怪人

どうかね!
これが奨励賞の一本さ!

背広の男性が立ち去った。風魔は銀座四丁目に向かった――

〔銀座四丁目〕

蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
なんともはや、
いいのが出ましたね!
もう一度、よく聞いてくださいね――

怪人が
口笛で行く
暗い道

うまくつかんでいますね!
怪人も平素は普通人です。
そこのところをよく現している――
おっと……
軍人さんが何か用ですかな?
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
僕はね、心の自由を満喫まんきつするんだ。
帝大の拓務たくむ文理専修科で、
そのことを学んだんだよ!
君たちは見るからに不自由そうだね。
あの新山記者も同類だよ。
今頃、不自由の極みにいるだろう!
アハハハハハ!
いい気味だ、僕のことを詮索せんさくするから
身動き取れなくなるんだ!
さぁ、次は君の番かな!
愈々いよいよ、その時だ!!

《バトル》

蛇穴さらぎ洋右ようすけ記者】
怪人の
白い笑いの
響く空

アーハハハハハハ~

【着信 喪神梨央】
今の記者が興亜日報で、
怪人川柳特集を組んでいたようです。
もうセヒラは観測しません。
東京憲兵隊本部へ向かってください。

〔東京憲兵隊本部〕

帝都を揺るがすクーデター未遂――
久鹿くろく計画の発覚で憲兵隊は大忙しであった。東京憲兵隊本部も多くが出払っていた。
立哨のいる玄関を魯公と和斗が出てきた。

【新山和斗】
例のクーデター騒動で、
憲兵も過敏になっているようです。
【帆村魯公】
とはいえだ、ソロモンの大柱だとか、
いろいろ書き立てすぎじゃよ。
筆禍ひっかこうむっても仕方あるまい。
【新山和斗】
浅草十二階、上野博覧会――
帝都の妄築もうちくシリーズですよ。
新京の本社から来ている写真部員が、
上野博覧会の写真を撮ったのです。
現像してみるともやのようなものが――
本人、確かに撮ったと言うのですが。
写っちゃいなんです。

フフフ……傑作けっさくですね!
むしろ写らないのが正解ですよね。
なんせ妄築もうちくですからね……
我々の網膜上にのみ存在するんです。
【帆村魯公】
赤坂の柱も同じだとお考えかな?
【新山和斗】
基本的には同類でしょう。
ただ――

そこへ式部が走り込んできた。息急いきせききった様子である。

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおが……
蒸発しました――

ここ数日、寝たり起きたりを繰り返し、何も語ることのなかった芽府めふ須斗夫すとおだが、今日の未明、録音機に反応があったという。
朝一番で駆けつけたが、出動部隊が多く、式部しきべは表で2時間も待機させられた後、部屋を確認するともぬけからだったのだ。

【式部丞】
いなくなった時刻はわかりません。
【新山和斗】
その妙な名前の人は何ですか?
一碧湖いっぺきこの死んだ少年と、
何か関係でもあるんですか?

いや、待てよ……
憲兵隊本部に収監され、
録音もしていたと――

兄はどうやら暗号機に取り組む――
そうですよね?
先日、ふと飯倉いいくらを訪ねたんです。

和斗の兄、新山眞は飯倉いいくら技研で、ダイヤルのようなものと格闘していたと言う。
和斗の来訪らいほうで慌てて布を被せたそうだ。

【新山和斗】
フフフ……
兄は無我の境地で周りが見えない、
子供の頃から変わりません――
【式部丞】
ご明察ですね、新山和斗さん。
ご賢兄はエニグマ暗号機を製作中で、
芽府めふ須斗夫すとおの暗号符を解読します。
【新山和斗】
エニグマ暗号機!
ナチ独逸ドイツの最新技術ですね!
ぜんたい、どんな暗号符なんですか?
さっきの妙な名前の人が語る?
――それは日本語じゃないのですね。
【式部丞】
アルファベットの羅列られつですよ。
芽府めふ君は一文字ずつ話すんです、
エフ、ジェイ、ワイとね。
【新山和斗】
何か国体を揺るがすような、
そんな計略でも進むんですか?
【式部丞】
さぁ、義憤ぎふん慷慨こうがいはしませんよ。
久鹿くろく計画とは筋が違うのです。

ところで新山さん――
先の五月にも飯倉いいくら技研に寄られた。
帰りは偏奇館へんきかんですか?
永井先生はご在宅でしたか?
作家の永井荷風先生です。
時刻は午後の三時二八分でした。
【新山和斗】
!!
――どうしてそれを……

するととぼけた様子で魯公が言う。

【帆村魯公】
牛頭会相手とは訳が違いますなぁ。
憲兵隊本部にはお堀から、
船で入る専用の入口もあるとか――
【新山和斗】
僕たちには知る権利がある!
おどしは効きません!
【式部丞】
それはお互い様ですね。

式部が言い終わらぬうちに和斗は駆け出した。

【帆村魯公】
あんなに喋って大丈夫かな、式部氏。
【式部丞】
知っていてもいいのです、記者は。
さえしなければ――
検閲体制が強化されるようです。

これから青山の脳病院に向かいます。
彩女あやめ君の様子を確認したいので。
【帆村魯公】
芽府めふ須斗夫すとお周防すおう彩女あやめ
響き合う二人ですな。
まさか行方をくらませたとか……
【式部丞】
いやぁ、もう何が起きても――
とにかく、連絡は入れます!

そう言うと式部は歩き去った。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
それに隊長!
赤坂の柱をご確認ください!
場所はみすじ通です……
いや、そこからよく見えるのです。
【帆村魯公】
近づくと消えるという代物だな!
風魔、急ぎ、向かってくれ!
わしは参謀本部におもむく。

〔みすじ通〕

【いづ勢の女将】
あの柱は、きっとそうですわ!
希伯來ヘブライ語の授業で習いました――

明君ソロモン王、治世四年二月二日をぼくして輪奐わかん壮麗そうれいなる神殿を造営し、その前面に二基の大きな柱を立て――
高さ三五キュビトあったそうですわ!
一肘は一尺五寸、柱は五二尺五寸。
明治神宮の大鳥居に匹敵ひってきしますわ!

【正直堂の番頭】
私なんかいつもね、
歴代志略の上と下を読むんですが、
下の第三章にありますです――

環飾わかざりを造り鏈索くさりこれらして、これを柱のいただきほどこし、石榴ざくろ一百いっぴゃくをつくりてその鏈索くさりの上に施こす――

あれはただの柱じゃございませんよ!

番頭が言い終えるや否や、背広姿の男性が割って入った。

【着信 喪神梨央】
特にセヒラ反応ありませんが……
でも、なんだか様子が変ですね。
公務継続してください。

【予備役少佐】
皇威こうい隆々りゅうりゅうもと
国の干城たてきと任じつつ~

予備役少佐が口にしたのは名古屋幼年学校の校歌であった。予備役少佐は番頭に向かって強い口調で言った。

【予備役少佐】
おい貴様!
貴様はそれでも日本男児か?
何が第三章だ!!
神洲大八洲しんしゅうおおやしま益荒男ますらおなるか!
ああん? 西洋柱のことなぞ知らぬ!
あれは正真正銘しょうしんしょうめいの御柱様だ!

やおら予備役少佐は
番頭を突き飛ばした。
それを見ていた巡査が駆け寄る――

【赤坂署の巡査】
こら、乱暴ならんぞ!
引くぞ、貴様!
【予備役少佐】
引くなら引いてみろ!
帝国陸軍少佐と知ってのことか?
【赤坂署の巡査】
はっ!
これは失礼しました!

巡査は逃げるようにしてその場を後にした。

【予備役少佐】
うはははは~
この国は迷走しちょるな!
西洋かぶれに国体維持は任せられん。
さては貴様もかぶれ組だな!
そんな成りしおって、
忌々いまいましい、きたなおしてやる!!

《バトル》

【予備役少佐】
天原あまのはら
てる日に ちかき
富士の
今も神代かみよの 雪は残れり

【溜池の学生】
まるで前時代の遺物ですね!

学生は風魔に近寄り、静かな口調で話した。

【溜池の学生】
神を奉る信仰も、日々の習俗も、
多くは希伯來ヘブライに由来するのです。
あの柱の誇らしげな威容――
歴代志略下に書いてある通りです!

柱を拝殿の前にて、
一本を右に一本を左に
右なる者をヤキンとなづけ――
左なる者をボアズとなづく――
ボアズは愛らしきという義にして、
ダビデ王曽祖父そうそふの名前です。

学生は風魔と並んで大柱を見ている。そこへ子供が走り込んで来た。

【アンチモニー製作品商の丁稚】
おいらのよく読む民数記にはね、
汝、無酵たねなしのパンの節筵いわいを守るべし、正月の七日の間これを食うべし――
日本人はね、餅を食うんだよ!
正月の餅をくのをペンタラコ、
お江戸の頃からそう言うよ。
これは新穀で餅を五旬節ごじゅんせつ
ペンタコステからなまったってもっぱらさ!
遠く希伯來ヘブライから伝わったのさ!

【着信 喪神梨央】
大変です!
脳病院から彩女さんが消えました!!
式部さんから連絡があって――
病室のメモには、
哈爾浜ハルピンと書いたような跡が――
赤坂哈爾浜ハルピンかもしれません。

〔祓えの間〕

【新山眞】
また弟の奴がご迷惑を……
特報追うのも大概たいがいにしないと。
【喪神梨央】
兄さん、前に柱が現れたときと、
同じような波形が観測されます。
赤坂哈爾浜ハルピンにです――
【新山眞】
セヒラが寄り集まり柱状になり、
その影響からか、赤坂に大柱が……
どうもそういう絡繰からくりのようです。
前回に比べて、赤坂の大柱は、
随分と存在感を増しています。
しばらく消えないのではないでしょうか?
【喪神梨央】
するとまた、御柱様とか、
ヤキンだボアズだと騒ぐ一派が現れ、
怪人騒動に繋がりかねません。
【新山眞】
赤坂哈爾浜ハルピンに現れたという、
キタイスカヤ街が気になりますね。
あそこだけ違うんです――
【喪神梨央】
そうですね――
セヒラもあまり観測しないし、
波形も東京市内と似ています。
【新山眞】
つまり、普通の町……
そうなのかも知れません。
セヒラの異界に現れた、
まるで結界に守られたような場所……
だからこそ用心しないとです。

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンには、帝都赤坂に出現した柱の、まるで写しのような柱がそびえていた。
しかし、それらはセヒラをまとうのである。


【お熊アストラル】
わちきの連れ合い?
元来、本町ほんちょう生薬屋きぐすりやのしくじり、
膏薬こうやくるのは存じてますよ。
今はこの山ん中で熊を捕らえて、
熊の膏薬こうやくこさえて売り歩く。
江戸にいた頃とは大違いですよ。
さぁ、雪ん中で体も冷えたでしょう。
一口上げたいところですがね、
この辺は地酒ですから慣れないとね。
そうだ、卵酒にすれば、
臭いも飛ぶってもんですよ――
【着信 新山眞】
花魁おいらんお手ずから、
卵酒こしらえてもらえるなんざ、
地獄天国紙一重なもんですな!

喪神もがみさん――
今のは落語の鰍沢かじかざわですね。
女は身包みごうと狙っています。
【お熊アストラル】
何言ってんだい、ごちゃごちゃ――
さぁ、眠くなったかい、どうだい、
眠いだろう、こっちで寝んな、さぁ!
【着信 喪神梨央】
で助かった!!
【お熊アストラル】
ヒィィィィィッィ!!

アストラルは破裂するようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
旅人の飲んだ卵酒に眠り薬が――
旅人は身延山みのぶさんで買った毒消しを飲んで
鰍沢かじかざわ山筏やまいかだで逃げるのです――
お熊はそれを鉄砲で狙う。
旅人、南妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうを唱えます。
いかだは流れでばらばらになります――
なんとかにしがみつき、
旅人は逃げおおせます。
お題目とお材木を掛けてあるのです。

交信を終えると風魔は次の街区へと進んだ。

【八百屋お七アストラル】
思い 切なや いとおしや
お七 十六 初恋の
胸の炎は 初め
燃えて 身を焼く すすり泣き
【着信 喪神梨央】
今度は、八百屋やおやお七ですね。
――お七にまつわる思念のかたまり
皇女和宮かずのみやを思い出します。
【八百屋お七アストラル】
寝ては 夢にも 吉三きちざさま
起きて 幻し 吉三きちざさま
結ぶ えにしは 浅くとも
思いは 深い 胸と胸――
【着信 喪神梨央】
少し退いてもらいますね――

世のあわれ 春ふく風に 名を残し 
おくれ桜の けふきょう散りし身は
【八百屋お七アストラル】
こがれ こがΣし 明▼暮%
同じ 仮◎に ◎き伏Ωど
ЯЛШДШЭЮ――

またもやアストラルは破裂するようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
さっきのはお七の辞世の句です――
【着信 新山眞】
きっと柱のせいですね。
アストラルの出自がおかしなことに。
ちょいとおかしな波形がありますよ!

風魔は次の街区へと進む。そこには2体の中型のアストラルが浮かんでいた。

【実況者Hアストラル】
南太平洋海戦にいて、
我が海軍航空部隊は、
敵空母集団を猛襲もうしゅうせり!

【実況者Sアストラル】
秋晴れに恵まれた神宮外苑じんぐうがいえん競技場、
まさに心も浮き立つような、
オリンピックマーチが鳴り響きます。

【観客Aアストラル】
おい、どっちなんだ!
私はどっちを信じればいいんだ?

【実況者Hアストラル】
こっちに決まってる!
秋雨あきさめけむる明治神宮外苑競技場。
日本にっぽんの学徒が多年たねん武技ぶ ぎを練り
を競ったこの聖域に――

【実況者Sアストラル】
おいおい、昔話はよしてくれ!
学徒出陣式じゃないんだ、
東京オリンピック開会式だ!
オリンピックの理想を歌い上げて、
聖火は秋空目掛けて駆け上ります――

【実況者Hアストラル】
邪魔をするんじゃない!
一億国民一丸いちがんとなって、
この難局を乗り切るときだろう!
十月二十一日朝まだき、
出陣学徒壮行の式典おごそかに挙行せり!!

別のアストラルがやって来た。

【観客Aアストラル】
やめろ!
混乱する!
私を……放してくれ!

2体の中型アストラルが合わさり、一回り大きなアストラルになった。

【神宮競技場アストラル】
いよいよ開催国、日本選手団の――
ΣΨШЛ――●□――
大君おおきみされて戦いの庭に――

《バトル》

【神宮競技場アストラル】
青空が見えます――
一筋の飛行機雲が伸びています――

さらに進むと、周囲が暗転した。再び明るくなると、そこはキタイスカヤ街であった。

〔キタイスカヤ街〕

【着信 新山眞】
そこですね……
キタイスカヤ街です。
帝都満洲とは波形がまるで違う――

【廣秦範奈】
喪神もがみさん!

そこへ廣秦範奈がやって来た。範奈は風魔を認めて近寄って来る。

【廣秦範奈】
ここは――
露西亜ロシア人の町なのでしょうか?
また父が呼んだのでしょうか?
ここへ来るようにと――
鍛冶橋かじばし志恩会しおんかいの事務所を出て、
ほどなく気分が悪くなり、
しばらくビルにもたれかかっていました。
目の前が明るくなったと思うと、
この町に来ていたのです――

範奈がいい終えたとき、そばの空間がわずかに歪み、中から中型のアストラルが姿を見せた。

【Kアストラル】
範奈はんな、よくぞ来てくれた――
【廣秦範奈】
お父様!
やっとお目にかかれましたね!
【Kアストラル】
範奈はんな、いいか、よく聞くんだ。
お前には双子のお姉さんがいる。
わかるな、瓜二うりふたつの双子だ――
【廣秦範奈】
お姉さま……
そのような印象が……ありました……
夢を見るのです、何度も同じ夢を――
【Kアストラル】
私はお前たちが生まれる前に、
ここにちてしまった。
ここはあらゆる場所に繋がっている。
【廣秦範奈】
お父様は未来にも行かれた――
そうなんですね?
お姉さまも未来においでなんですか?
【Kアストラル】
ああ、そうだ……
未来の香港、九龍城砦クーロンじょうさいという街だ。
そこは陰界いんかいという場所を漂う。
私があれこれしたせいか、
その未来にお前の姉さんが来たのだ。
光明路コウミョウろという街にだよ。
【廣秦範奈】
お父様はお姉さまと、
ご一緒においでだったのですね。
【Kアストラル】
ああ、わずか三年間だが……
古賀美香こがみか、それが姉さんの名前だ。
だが光明路コウミョウろではラウ美鈴メイリンを名乗った。
美香は十二歳でやってきた。
お前たちの世界では一九二六年だ。
彼女が十五の時、私は潜った……

中型アストラルが震えだした。

【廣秦範奈】
お父様!
それではお姉さまは十二の歳まで、
日本にいらしたのですね?
【Kアストラル】
豆州ずしゅう修善寺しゅぜんじの旅館で、
大事に育てられたんだ。
お母さんは物心付く前に、
お前たち二人を引き離した――
信頼する卜占ぼくせん先生の助言を得たのだ。
【廣秦範奈】
私たちは……
会ったことはあるのでしょうか?
お姉さまと私は……
【Kアストラル】
お前は万世橋まんせいばし駅傍の商家で育った。
二人がほんの幼い頃に会っていても、
おかしくはない――

中型アストラルはひときわ大きく震えた。アストラルを成す濛気もうきが不安定に揺らいでいる。

【廣秦範奈】
お父様!
お具合、お悪いのですか?
【Kアストラル】
――長くは……保てそうにない!
【廣秦範奈】
お父様、修善寺の旅館、
何というのですか?
お姉さまがいらした旅館です!
【Kアストラル】
ばい……げつ……
梅月館だ――
城山のち、か、く――
そこは……卜占ぼくせん師の――みさ……
深水ふかみ察智ざっちが求めた地だという――
【廣秦範奈】
お父様!
もう少しお話を――
お聞かせください。
【Kアストラル】
範奈……お前にたくす言葉がある――
エ……エラ……
エラ――
エラ……
――ああ、保てない!!

アストラルは大きく破裂して消えた。

【廣秦範奈】
お父様!!

範奈の父である伊佐久イサク、つまり古賀こが容山ようざんのアストラルは、すべてを語らずに去ってしまった――

範奈は気を失って倒れている。
そこへ千紘、芽府須斗夫、吉祥院蓮三郎の3人がやって来た。一同、じっと倒れた範奈を見下ろしている。

【芽府須斗夫】
ここには遠い未来からも、
思念が流れ込んでいるようだね。
学徒の出陣とかオリンピックとか――
【吉祥院蓮三郎】
それもすべては、
あの柱のせいでございましょうか?
【芽府須斗夫】
二本の柱を依代よりしろとして、
セフィラの流れが生まれたんだ。
まるでセフィラの道だね。
【千紘】
そして僕たちも呼ばれた――
そういうことのようだ。
【吉祥院蓮三郎】
あきらさまは仰います――
レンザ、お前は敏感なんだから、
ぼんやりしていちゃ駄目だと。
【芽府須斗夫】
それじゃ、何か感じることでも?
【千紘】
僕の中にも周防すおう彩女あやめの存在があり、
普段から何かと感じ取るけど、
きっと君のほうが達者なんだね。
【吉祥院蓮三郎】
かたじけなく存じます――
セフィラの流れですが、
この先にある町に向かうようです。
【芽府須斗夫】
この先……
それはこの帝都満洲でのこと?
【吉祥院蓮三郎】
左様でございます。
おそらくは……
【千紘】
青山新京シンキョウじゃないかな?
の記憶だと、あそこに穴が開いた、
そんな事件があったはず。

芽府須斗夫が風魔を向いて言う。

【芽府須斗夫】
君は向かったほうがいいよ。
これは立派な公務だよ――
何かが現れるかも知れないよ。
【吉祥院蓮三郎】
私たちはもう少しここを、
調べてみようと思います。
【芽府須斗夫】
廣秦ひろはた範奈はんなさんは送り届ける、
大丈夫だよ、心配しないで。
【千紘】
僕はようやくわかった気がする――
自分が何者なのかということがさ。

芽府めふ須斗夫すとおの助言に従い、風魔は青山新京シンキョウに向かうことにした。

第八章 第十三話 キタイスカヤ

〔山王機関本部〕

その日、梨央りおは1冊の本を手にしていた。尤志社ゆうししゃがこの夏に出版した本である。『暁光日本ぎょうこうにっぽん』という書名があった――

【喪神梨央】
兄さん、これです、この本です。
【帆村魯公】
例の尤志社ゆうししゃが出したという本だな。
――にしても、随分と薄いな……
本というより冊子だな。
【喪神梨央】
全部で八ページ、中面は六ページです。
どのページにも旭日旗きょくじつきと和歌があります。
【帆村魯公】
これは色々な百人一首から、
愛国的ともくされる歌を集めたものだ。
【喪神梨央】
わが国は いともたふとし 天地あめつち
神の祭を まつりごとにて
【帆村魯公】
この冊子には歌しか無いのか?
【喪神梨央】
表紙には文句が……
時弊じへいがいして我が国体こくたい精華せいかを説く!そうありますが――
大君おおきみの 御楯みたてとなりて つる身と
思へばろき 我が命かな
【帆村魯公】
うーむ……
かような貴族趣味を気取っていては、
国体を論じるなど無理そうだな。
【喪神梨央】
でも隊長!
裏表紙の広告を見てください。

そこには銀河ぎんがゼットー博士が開発した、夢玄器むげんき瓜二うりふたつの機械が紹介されていた。その名もキノライトという――

【帆村魯公】
これは――
夢玄器むげんきではないのか?
【喪神梨央】
活動キネマ界の一大事とあります――
【帆村魯公】
総天然色写像、パノラマ活動器、
軽量にして携行式けいこうしき――
【喪神梨央】
脳楽丸のうらくがんびん付随ふずい
脳楽丸、付いてくるんです、二びんも。
【帆村魯公】
課の情報が漏洩ろうえいしたか?
あるいは飯倉いいくら技研か……
だとすると由々ゆゆしき事態だ。
【喪神梨央】
三十三円六十銭です。
販売所、銀座です。東京幻燈げんとう工業――
この会社、ちょっと調べてみますね。

ノックの音がして新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
失礼します。
飯倉いいくら技研の新山にいやまです。

梨央りおはいい按配あんばいにやってきた新山にいやまに、キノライトの広告を見せた。驚きの表情を見せた新山にいやまであったが――

【新山眞】
見てくれの形は似ていますが、
機能はまったく異なるようです。
――これはかぶ幻燈機げんとうきですね。
【帆村魯公】
なんと!
幻燈機げんとうきかぶったりして、
ぜんたい、何が面白いのだ?
【新山眞】
大きな写像が展開して、
あたかもその中にいるかのような、
めくるめく体験が得られるはずです。
キノライトが眼鏡型というところ、
そこが何よりユニークなのです。
【帆村魯公】
眼前に大きな写像が広がると、
まともには歩けんわな!
【新山眞】
銀座の町をかして見ながら、
華麗なレヴューを重ねて楽しむ、
そんなこともできそうですね。
【喪神梨央】
楽しそうです!!
【帆村魯公】
おい、梨央りお
滅多なことを言うもんじゃないぞ。
【喪神梨央】
――すみません……
脳楽丸付いてます、怪しいですよね。

そこへ如月きさらぎ鈴代すずよがやってきた。どことなく浮かない顔をしている――

【喪神梨央】
鈴代すずよさん――
何かご心配事ですか?
【如月鈴代】
胸騒ぎがするのです――
新京シンキョウにいる麗華れいかさんのことです。
【喪神梨央】
麗華れいかさん、高女の寄宿舎ですよね。
関東軍の護りもあるんですよね?
【如月鈴代】
関東軍特務部――
そこは満蒙まんもうの経済開発をうながすため、
設けられた部署です。
近く関東軍司令部が、
新京シンキョウに移転してくるのです。
そういった受け入れもやっています。

新京シンキョウ駅の南西に位置する西広場。その広場に面して新京シンキョウ敷島しきしま高等女学校が建つ。学校の南、平安町一丁目に杏花寮きょうかりょうがあった。

【如月鈴代】
西広場の辺りには満鉄社宅、
海軍公館、理事公館があります。
大きな給水塔が目印です――
くだると広々とした西公園があり、
公園の南側一帯が関東軍の用地です。
もう建物はほぼできていました。
【帆村魯公】
泣く子も黙る関東軍。
心強い限りではないですか!
【如月鈴代】
ええ、状況からすると、
何も心配いらないように思えます。
――でも、何か起きそうで……
青山新京シンキョウに大きな穴があったと――かつて青山墓地に現れたような。
【喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴ですが、
帝都の青山墓地はいつも通りです。
まだ影響が及んでいないようにも――
【帆村魯公】
だがセヒラは確実に濃くなっておる。
そうだろ?

中座していた新山が神妙な面持ちで話す。

【新山眞】
ちょっとよろしいですか?
――際立つ波形を観測しました。
ホテルロビーへお願いします。
私もすぐ参ります。

〔山王ホテルロビー〕

【新山眞】
お待たせしました。
先程の際立つ波形、
発生場所は渋谷方面でした。
一瞬、極めて高い値を記録しました。
【喪神梨央】
渋谷ですか……
渋谷憲兵大隊がありますが。
まさか、宗谷そうや大尉が?
【新山眞】
その可能性はあります。
あの際立きわだかたは、死に直面したとき、
主に現れる波形ですから。
【喪神梨央】
――際立つ波形……
じゃ、宗谷そうや大尉が、処刑された?
裁判もなしにですか?
【新山眞】
わかりません――
ただ波形の記録が残るのみです。

【着信 帆村魯公】
風魔ふうま式部しきべ氏からでな、
芽府めふ須斗夫すとおが目を覚ました。
ちょっと行ってくれないか。
【喪神梨央】
一ツ橋の憲兵隊本部ですね。
あそこはれっきとした憲兵隊です。
それでは公務出動とします。

公務電車内で梨央りおから着信があった。宗谷そうや大尉は渋谷憲兵大隊で処刑された、そう陸軍省に連絡が入ったという。しかし処刑時の波形を詳しく調べると、宗谷そうや大尉のとは大きく異なるとのことだった。
これは何を意味するのか――

〔東京憲兵隊本部〕

【着信 喪神梨央】
青山新京シンキョウの穴のせいかわかりません、セヒラ、かなり強くなっています。
芽府めふ須斗夫すとおが予言を語る、
半覚半睡はんかくはんすいの状態になるには、
もっとセヒラが必要なんですね。

憲兵隊本部玄関前では、2人の憲兵が目つきの怪しい1人の憲兵を誰何すいかしていた。

【日吉憲兵中尉】
安心院あじむといったな。
貴様、見ない顔だ――
所属部隊を言え!
【奥沢憲兵少尉】
安心院あじむ中尉殿は、
新しく赴任ふにんされたのですか?
【安心院憲兵中尉】
何をごちゃごちゃ言ってる?
ウハハハハ~
ここは渋谷憲兵大隊の指揮下に置く。
さぁ、そこを退!!

本部奥から白衣姿の技手と思しき男性が走り来て目つきの怪しい憲兵を指差して叫んだ。

【長原技手】
中尉は小型写真機を隠し持ち、
エニグマ暗号機のダイヤルを、
撮影していました!
私、見たのです!
忘れ物を取りに戻ったとき、
あの部屋に人の気配があって――
【安心院憲兵中尉】
ミュンヘン仕込みの技術は、
人を詮索せんさくするのに費やされたのか!
国費の無駄遣いだな!!
【日吉憲兵中尉】
間諜かんちょうは許さんぞ、中尉!
今すぐ、写真機を渡せ!!
【安心院憲兵中尉】
邪魔だてするな!!

山王さんのう機関も随分と鼻が利くようだ。
比叡山ひえいざんもっておればいいものを。
法螺貝ほらがいでも調達してやろうか?

《バトル》

【安心院憲兵中尉】
フフフ……
お前たちがどう足掻あがこうが、
計画は進む――

憲兵怪人が倒れ消えた後に小型のカメラが落ちていた。白衣の技手はそのカメラを拾った。

【長原技手】
エニグマ暗号機は、飯倉いいくら技研に渡し、
研究を続けることになりました。
この写真機も届けておきます。
【日吉憲兵中尉】
大丈夫ですか?
怪我けがはありませんか?
【奥沢憲兵少尉】
山王さんのう機関の喪神もがみ中尉殿ですね。
奥で式部しきべさんがお待ちです。
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
先程は咄嗟とっさのことで――
もうセヒラは観測しません。

無線交信後、風魔は憲兵隊本部へと入って行った。

〔東京憲兵隊本部尋問室前〕

尋問室前の広い部屋に式部丞と芽府須斗夫がいた。

【芽府須斗夫】
眠気を感じるけど、
横になると眠れないんだ――
だけど、うとうとしたとき、
ふと、あることを考えている――
そう、僕には行かなきゃならない、
場所があるってことをね。
そこはいわば僕にとっての約束の地、
いや、にとってのと言う方が、
うんと自然だね。
でもまだ行けない――
そこには一匹のへびが居着いたからさ!

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとお君……
そろそろ言葉は出そうかね?
【芽府須斗夫】
今日、これで三回目を覚ました。
前も三回目に浮かんだんだよ――
【式部丞】
例の暗号文のことだね。
【芽府須斗夫】
言葉はまるで木漏こものようにして、
頭の底に描かれるんだ。
陽の光が必要だし、風も必要――
【式部丞】
それじゃ、まだ少し掛かりそうかな?
【芽府須斗夫】
そうでもないんじゃない?
――同じ光を他にも感じるよ。
ひとつ……ふたつ……
この町に僕と同じような存在がある。
金雀枝えにしだ色の瞳をした少女、
そして若い男性だ――
【式部丞】
彩女あやめ君、いや千紘ちひろと名乗る人格――
もう一人は……もしや……
【芽府須斗夫】
言葉が見えるよ――
こんどもアルファベットだ!
【式部丞】
ゆっくり頼むよ、
芽府めふ須斗夫すとお君!
【芽府須斗夫】
T……E……T……K
YSWH……
それから……ACFQBD――

芽府めふ須斗夫すとおは自らの頭の中を探るようにして、アルファベットの文字の羅列られつを語った。
今回も言葉の意味はわからない――


【芽府須斗夫】
行かなきゃ!
その思いがますます強くなった。
僕は行くよ。
これは決められたことかも
知れないんだ。

そう言うと芽府須斗夫は踵を返して尋問室へと入った。式部と風魔は玄関へ向かった。

〔東京憲兵隊本部〕

【式部丞】
芽府めふ須斗夫すとおの語った言葉、
またもやエニグマ暗号文でしたね。
彼は覚醒かくせいして語る時は、
素の言葉は語らないようです。
エニグマ暗号機は試作機があり、
飯倉いいくら技研に研究を引き継ぐそうです。
あそこなら完成させられるでしょう。

私、これから青山の脳病院へ。
彩女あやめ君の様子を見てきます。
彩女あやめ君を預かっていた蛭川泊ひるかわとまり博士、
しばらく所在不明だったのですが、
昨日、見付かりました。
医科の学生が見かけたのです。
省線錦糸町きんしちょう駅前でした。
博士は煙草たばこ売りをしていたと――
自分のこと、十二歳の孤児こじなんだ、
そう強く思い込んでいたとか。
名前はタハラサダキチだと――
それに強い東北訛とうほくなまりがあったそうです。
蛭川ひるかわ博士は奈良の出身です。
でも見紛みまごうことはなかったと――
色々と博士に話を振るものの、
全く噛み合わなかったため、
医科生はあきらめたのだそうです。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂哈爾浜ハルピン宗谷そうや大尉の波形確認!
はらえのへ急いでください!

〔祓えの間〕

【帆村魯公】
渋谷憲兵大隊で処刑されたとおぼしきは宗谷そうや大尉ではなかったようだ。
連中、軍務局長暗殺が表沙汰になり、
力尽ちからずくで収束させようとしておる。
【新山眞】
まさに死人に口なしというやつです。
【帆村魯公】
宗谷そうや大尉の身柄を確保できれば、
連中の茶番もつまびらかになるわい。

【新山眞】
気を付けてください。
キタイスカヤ街が現れた、
そんな噂も飛び交っています。
【喪神梨央】
兄さん……
時間のずれが拡大しています。
帝都満洲の三日は、
帝都の二十日以上にもなります。
私たち、
どんどん歳を取っちゃいますね――

〔赤坂哈爾浜〕

赤坂哈爾浜ハルピンに着くと1人のアストラルがスーッと寄ってきて言う。

【脱走兵アストラル】
ふん、下関しものせきまで六日もかかった!
――何が静岡の第三四連隊だ、
もう真っ平御免ごめんだ!
俺はな、見たんだ――
沼津ぬまづの省線病院でな。
顔吹き飛ばされた化物をだ!
今はトルゴワヤ街の崩れかけたビル、
その二階で満人苦力クーリーと同居の身だ。
脱走兵だからな、表にゃ出られない。
老いぼれ苦力クーリーを、
露人ピー屋の店先へれる、
それがせいぜいのらしだな!

そこまで言うとアストラルは音もなく去った。風魔は先へ進む。

【逃亡者アストラル】
キタイスカヤ街からモストワヤ街へ、
角を曲がって少し行くと、
ソフィースキー寺院があります。
亡命ぼうめい露人ろじん浄財じょうざいで建ちました。
計画からゆうに十数年――
私にはそういう場所がありません。
でも正金せいきん銀行からくすねた金がある。
実に一万五千六百円――
クックックッ……
この陋巷ろうこうを絵にしたような、
ボレヤワ街ともおさらばだ!
越南ベトナムでホテルを開くのだ!

【満洲浪人アストラル】
傳家甸フーザテンの辺りは満人だらけだ。
日本人の多いモストワヤ街とは違う。
鉄道附属地外だからな、
道外タオワイと呼ぶのもよく分かる。
――だが、俺にはむしろお似合いだ。
松花江スンガリー沿いの阿片窟あへんくつにだけは、
近寄らないようにしているがな。
春観園チュンクワンイエンという店だ――

【行旅人アストラルW】
ロバート高台こうだいはおすすめです!
傳家甸フーザテンの南端にそびえる南崗なんこう高台こうだい
傳家甸フーザテン、八区、埠頭区プリスタン
および松花江スンガリーの一帯が、
浮刻うきぼりのごと一眺いっちょうの中に収められて、
まさに絶景である――
――俺、町を抜け出せたのか?
因須磨洲いんすますだよ、魚臭い陰気な町だ。
もう五年もいる――
町を出ようと省線の駅に来た……
薄暗く人気のない待合で、
因荒いんこう線の汽車を待つうちに――
つい、うとうとして――

はっ!!
何だよ、まだ待合にいるじゃないか!
まだ因須磨洲いんすますじゃないか!!
旅行案内が落ちている――
満洲へ。
台湾へ。
俺は落ちている旅行案内を見て、
町を抜けた気になっていただけだ!

ぎゃぁぁぁぁぁ~
俺は因須磨洲いんすますから抜けられないのか!
臭い、臭い、魚臭い!!

叫び声を上げながらアストラルはぐるぐると回転して消えた。

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
赤坂に再び塔が現れたと、
今、通報がありました。
先程の街区ですが、
強いセヒラを観測します。
警戒してください!

交信が終わると風魔は先程の街区へと戻った。奥から中型アストラルが近付いて来た。

【ファンターヂアの客アストラル】
埠頭区プリスタンのザオドスカヤ街――
ファンターヂアはそこにある、
絢爛豪華けんらんごうかなキャバレーだ!
ロシヤ料理あり、ステージあり、
バンドあり――
ロシヤ美人のむ甘酒に酔い、
美人と踊り、歌いたわむれ、
合間のステージのもよおものながめ、
国際都市の豪華ごうかな夜を過ごすのだ!
それもすべてはあの大柱の護り!
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
探信儀たんしんぎを使ってください!
【ファンターヂアの客アストラル】
ウハハハハハ~
大柱はもう一本あるはずだ!
お前らに邪魔されてなるものか!!

《バトル》

【ファンターヂアの客アストラル】
カズヘック、オケヤン、モスコー、
ロンドン、エデム……
うるわしのキャバレーの数々――
どれもこれもがまぼろしだ――
愛は何故遠ざかるのだ?
爛酔らんすいのひとときはかくも短い!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし……
以前と同じ不思議な波形です。

交信が終わるや周囲が波打つようになり、やがて暗転した。
やがて朧げに明るくなると、そこは露西亜ロシア様式の建物が並ぶ哈爾浜はキタイスカヤの町並みだった。背広姿の男性の他に着物姿の女性も見える。皆、異国の街を楽しむようにそぞろ歩いている。


【着信 喪神梨央】
不思議な波形が続きます……
――そこは、本当に、満洲……
そうなのですね?
これまでの波形の記録を元に、
新山にいやまさんと仮説かせつを組み立てます。
――しばらくお待ちください。

【毛皮商の鳴海久男】
おや、内地ないちからですか?
ようこそ、うるわしの哈爾浜ハルピンへ!
いやぁ、商売が順調でね、
毎日浮足立つようです、私なんか!
私がここで扱う毛皮はね、
狐、銀狐、とらひょう――
もっぱらこの四種です。
哈爾浜ハルピンマダムに売れて売れて――
仕入れが追いつきません!

【菓子商のエフゲニー・チチェロワ】
あなた関東軍の人?
菓子の卸先おろしさきを探していてね。
どうです、軍隊でおひとつ。
ロシヤあめ、ロシヤキャンデー、
ウィスキーチョコレート、
それにモスコーボール――
どれも口に入れた途端とたん
あなた、ほっぺが落ちます!

【織物屋女将の吉塚静代】
うちの品物は満洲随一ずいいちよ。
ロシヤ更紗さらさ、ゴブラン織、
それにルパーシャ――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラを観測しました!
波形は相変わらず、
おかしなままです――

【織物屋女将の吉塚静代】
あら……
あんた、どっから声出してるの?
さっきの人のお仲間かしら――

着物姿の女性が離れるのと入れ替わりに、背広姿の男性が近づいて来た。どことなく虚ろな目をしている。

【宝石商の竹尾源二郎】
あんた――
徳次郎のこと、知ってるニャ!
おいら、源二郎だニャ。
この人、同じ名前ですっーと入った、
隙間すきまもなんも、まんま入った――
そういうこともあるニャ。
友達の藤次郎も似たようなことニャ。
同じトウジロウだニャ……
でもちょっと字が違っていて、
入るのに手こずったらしいニャ!

う……
何だ、私は……
あや、お客さんですかい!
如何いかがですか、黒ダイヤ、砂金石、
ウラルダイヤにアレキサンダー!
つぶぞろいですよ、お買い得です!

そこまで言うと男性は急に腰を折った。

【宝石商の竹尾源二郎】
そうだ、診療所しんりょうじょに行くんだった。
ブテワヤ街の診療所しんりょうじょに急ごう!
あああ、頭が割れるようだ――

男性は荒い息を吐きながら去った。風魔は先へ進んだ。
そこには将校服の男性が立っていた。茫然自失としている――

藤次郎とうじろう
おいら、次郎ニャ!
この人は次郎、字が違うニャ。
けど、入れたニャ――
宗谷東次郎という将校ニャ!
東次郎は少年に帰ったニャ。
岐阜ぎふ揖斐いび揖斐町いびちょう三輪みわの六、
三輪みわ神社参道前の米問屋のせがれニャ。
米問屋の屋号は矢野千やのせんだニャ。
先々代の矢野やの千太郎せんたろうちなむニャ。
――そうニャ!
この人は宗谷そうや東次郎とうじろうじゃないニャ!
姓は矢野やの、名は一作いっさく
矢野やの一作いっさくだニャ!
尋常小学校の頃はイッサだニャ!
その渾名あだなで呼ばれていたニャ!
イッサ、イッサ、イッサ!!

宗谷東次郎と思しき将校は、急に苦しそうに腰を折った。そして目を見開き風魔を見上げて尋ねる――

ねぇ、お兄さん――
三輪みわ尋常の校歌、知ってる?
僕の通う学校だよ!
揖斐いびの 流れよ 一朶いちだの雲よ~
妹のやつ、チエ子だけど、
校歌、ちっとも覚えないんだ。
今、三年なんだけど――
あいつ、もらい子だからな……
時々、妙なこと言うんだ。
何もないところをじっと見て、
顔が見える、顔が見えるって。
ほれ、あれがお目々、あれがお鼻――
僕には顔なんか見えやしないさ!
ああ、もう時分時じぶんどきだな。
帰らなきゃ!
おっかあうるさいんだ!

将校は何事もなかったかのように姿勢を正した。その目は膜が張ったように虚ろである。

藤次郎とうじろう
危ない危ない、
隙間すきまが広がりかけたニャ!
もう、これ以上はたもてないニャ!

そう言うと将校はふらつきながら去って行った。
風魔の目の前に不意にバールが現れた。

【バール】
この町はいろんなとこに、
繋がってるニャ~!!
【バールの帽子】
どうしたゲロ?
やけにしおらしいゲロ!
バーンと飛び出さないのかゲロゲロ。
【バール】
そうしたいけどおっかないニャ!
ここはとてつもない場所だニャ!
【バールの帽子】
時間と空間とがグーンとゆがみ……
ここは本当の満洲なのかゲロ?
【バールの帽子背後】
いろんな人の思念が合わさり、
結晶化した、そんな場所じゃな。
ある意味、じゃよ。
【バールの帽子】
ゲロゲロ!
どこを見ても確かに哈爾浜ハルピンだ、
キタイスカヤ街だゲロ!
【バールの帽子背後】
じゃがな、まだ隙間すきまがある、
そういうことじゃろ……
今さっきの奴、猫きの東次郎とうじろう――
東次郎とうじろうの記憶を辿ることじゃな!
【バールの帽子】
どっちだゲロ?
猫の藤次郎か、大尉の東次郎とうじろうか――
【バール】
暗殺事件を起こしたのは東次郎とうじろうニャ。
東次郎とうじろうの記憶を辿るニャ!
まだその辺に思念しねんただようニャ!

風景が揺らぎ始め暗転した。

〔若松町〕

現れたのは夕闇迫る帝都であった。周囲は薄ぼんやりしている。市電も車もない往来に2人の将校が向き合っている。1人は先程の宗谷であった。

【伊班宗谷隊員】
軍務局に課なる部署がある、
常田つねだ大佐はそうおっしゃるが、確かか?
【露班尾張隊員】
確かであります!!
軍務局兵器課の隣に、確かに!
我々は出し抜かれたのでしょうか?
【伊班宗谷隊員】
このまま看過かんかすればそうなる。
軍務局長、真坂まさか閣下かっかの首を取る!
すれば時局は動くだろう――
【露班尾張隊員】
続く久鹿くろく計画についても、
準備はとどこおりなく進んでおります。
先般せんぱん、襲撃目標の最終が出ました。
首相官邸、陸相りくしょう官邸、蔵相ぞうしょう邸、
教育総監、侍従長じじゅうちょう、それに――
【伊班宗谷隊員】
もうよい。
最大員数は何名だ?
その目標は?
【露班尾張隊員】
はっ!
警視庁占拠せんきょ班の二百五十名です!

【着信 喪神梨央】
久鹿くろく計画とは何ですか――
大きな襲撃計画があるようですね。
逐一ちくいち、参謀本部に連絡を入れます!

風景が揺らいで暗転した。

〔霞町街路〕

次に別な町角が現れた。宗谷が別の将校と向き合っている。

【伊班留萌隊員】
明日の午前中、
真坂まさか閣下かっかに予定はない。確認済みだ。
外出も面会もな――
【伊班宗谷隊員】
よし、決行は明朝だ!
――それで、車はどうだ?
三宅坂みやけざかに用意できるか?
【伊班留萌隊員】
ああ、大丈夫だ。
目立たない一台を用意する。
首を取ったらすぐ向かえ。
局長をった刀は執務室に捨て置け。
――それで、貴様、
どの刀を使うつもりだ?
【伊班宗谷隊員】
三輪みわ刀だ。
俺の地元の刀鍛冶かたなかじの手になる一振り、
そいつが一番馴染なじんでいる。
捨て置くに忍びないが……
【伊班留萌隊員】
刀は重要なしるしだ、仕方ない。
ただ首を取るだけではないのだ。

【着信 喪神梨央】
軍務局長暗殺前日の様子です!
確かに刀は局長室にありました。
血塗ちまみれながら刃毀はこぼれ一つなく――

またもや風景が揺らいで暗転した。

〔興亜百貨店前〕

次にぼんやりと現れたのは興亜百貨店前と思しき場所であった。宗谷の後ろから1人の佐官が声をかけた。

【伊班信濃隊員】
大尉――
ああ、いや、振り向かんでいい。
真坂まさか閣下かっかは即死だったそうだ。
苦しむ間もなかったろう――
貴様は計画実行まで身を隠しておけ。
久鹿くろく計画の襲撃目標は、
結局、全部で十一箇所になった。
【伊班宗谷隊員】
信濃しなの少佐殿……
あ、いや、信濃しなの隊員――
一箇所増えたのですか?
【伊班信濃隊員】
ああ、最後に付け加わったのは、
多田野ただの元内大臣邸だ――

宗谷はかかとを鳴らして振り向いた。

【伊班宗谷隊員】
多田野ただの伯爵はくしゃく……
何故、閣下かっかを?
それは何故なぜですか!!
【伊班信濃隊員】
多田野ただの閣下かっかが貴様の恩師おんし
幼年学校時代の恩師おんしなのは承知だ。
だがやむを得んのだ――
【伊班宗谷隊員】
多田野ただの閣下かっか……いや、先生――

宗谷はガクッと膝を折った。息遣いが荒くなっている。そして地面に目を落としたまま甲高い声を上げた。

どりゃーお久しぶり、
お元気でお過ごしやか?
蓬藁ほうこう深く 月えて~
松籟しょうらい高き 清洲城きよすじょう
今中村いまなかむらの 旧草蘆きゅうそうろう~~

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ、急上昇です!!

宗谷がすっと姿勢を直し風魔を見据えた。

【伊班宗谷隊員】
誰だ! そこに隠れているのは?
――姿を見せろ!
ううう、さもなくば――

《バトル》

【伊班宗谷隊員】
計画、復唱するであります!
各所襲撃後は首相、蔵相ぞうしょう鉄相てっしょう
農相のうしょう文相ぶんしょう各官邸、料理店幸楽こうらく
及び山王ホテルに宿泊せり!!

【着信 喪神梨央】
くろはち……帥士すいし
聞こ………か?
すい…を確………きません――

雑音混じりの交信が終わるや否や、周囲から光が消えた。宗谷と風魔はねっとりとした暗闇の中にいた。そこへ不意に声がする――

【驚愕する声】
逸材いつざいだ!
まさに千年に一度の逸材いつざいだ!
――君は力のみなもとだ!
大軍を率いてベツルアを包囲した、
アッスリアの元帥げんすいホロフェルネスよ!

宗谷は声の元を探しているのか、辺りを見巡らせている。そうしてある一点を見据えて言った。

【宗谷東次郎大尉】
真坂まさかつよし閣下かっか
自分……無念であります!
処断しょだんやいば、今ここに!!
【驚愕する声】
君のような稀代きだい益荒男ますらおられ、
真坂まさか閣下かっか本望ほんもうではないかな?

宗谷は両手で頭を抱えた。そして言う――

【矢野一作】
――あいつのせいなんだ……
チエ子だよ、あいつが告げたんだ、
そうに違いない!
【驚愕する声】
チエ子、それは君の妹だね。
もらわれ子だったね?
壁やへいに人の顔が見えると言う――
【矢野一作】
ああ、そうだよ。
チエ子には顔が見えるんだ。
あの日も顔が見えたに違いない!
顔が見えます、あれはおじさんです、
保険のおじさんの顔が見えます、
お母さまと仲良しのおじさんです――
父が休暇で一年ぶりに戻った日、
チエ子の奴、顔の話したんだ!
それで父は――
【驚愕する声】
見えた顔とは保険のオジサンだね!
君のお母さんとよく同衾どうきんしていた!!
お父さんの留守中にね!
お父さんは勇敢ゆうかんだったよ!
なんと、お母さんの白いお腹をね、
真っ赤になった火かき棒でね!

次に話す宗谷の声はこれまでになくか細いものだった――

【???】
クルト……
僕を見てくれる?
ほら、これだよ……
僕のファーターが彫ったんだよ――
僕とともに大きくなるんだ――
この十字架ダスクロイツはね!

【驚愕する声】
さぁ、身をささげよ。
お前自ら依代よりしろとなり、
道をひらくのだ――
二本目の柱となれ!
大柱、ボアズとなれ!!

頭を抱えていた宗谷はその両の手を掲げた。まるで天空に向かって身を捧げるかのように。

【宗谷東次郎大尉】
うわぁぁぁぁ~
体が……どうしたんだ!!

その後につんざくような悲鳴が響いた。風魔は固く目を閉じた。
次に目を開くと、宗谷の姿は闇に飲まれたかのように消えていた。もう声もしなくなっていた。暗闇がゆっくりと溶解していった。

〔山王機関本部〕

宗谷そうや大尉の遺体は衛戍えいじゅ病院に運ばれた。検屍けんしの結果、遺体に外傷はないとのこと。不思議なことに死斑しはん死後硬直しごこうちょくもないという。

【帆村魯公】
宗谷そうや大尉は碑文谷ひもんやにある、
林業試験場で見つかった。
木にもたれかかっていたという――
【喪神梨央】
その時はすでに死んでいたんですね。
【帆村魯公】
職員が肩に手をかけたら、
崩れるように倒れたそうだ。
死後、十時間は経っていたそうだ。
【喪神梨央】
大尉はメモを持っていました。
久鹿くろく計画をしるしたものです――

それは驚くべき襲撃計画であった。
首相官邸、陸相りくしょう官邸への襲撃を始め、蔵相ぞうしょう、内大臣、教育総監そうかん侍従長じじゅうちょうらを襲い、警視庁、新聞社を占拠せんきょする計画である。計画参加員数は総勢798名、国家、陸軍の中枢ちゅうすうを襲うという、まさにクーデターと呼ぶにふさわしい内容だ。

【喪神梨央】
山王さんのう機関も襲撃目標にありました。
十六名の員数が予定されています。
【帆村魯公】
久鹿くろく、つまり皇紀二五九六年、
襲撃は来年年初に予定されておった。
九六で久鹿くろくだな――
【喪神梨央】
久鹿くろく計画は未然みぜんに防げたのですか?
【帆村魯公】
陸軍省、参謀本部に知れてしまった。
秘匿ひとくのうちに進めることはできん。
はたして、連中、あきらめるかどうか――
【喪神梨央】
そういえば……
【喪神梨央】
別人を宗谷そうや大尉として逮捕たいほし、
裁判にかけず処刑した――
渋谷憲兵隊はどうからむのですか?
【帆村魯公】
逮捕たいほされたのは千葉連隊区の事務だ。
将校服着て憲兵と一緒のところを、
同僚に見られていたのだ。
【帆村魯公】
事務員がいつ将校になったのか、
同僚は大いにいぶかったそうだ。
【喪神梨央】
やはり、別口……ですね、
玄理げんり派と渋谷憲兵は。
ところで兄さん――

ノックの音が響き、新山眞が現れた。

【新山眞】
失礼します、新山にいやまです。
赤坂の柱ですが、
ぜんたいどういうことでしょうか?
【喪神梨央】
そうそう、そのことです。
兄さんが帝都満洲にいる間、
赤坂に柱が現れたんです。
帝都満洲で噂になっていた、
ヤキンとボアズ、二本の柱です。
依代よりしろになる柱だとか――
【新山眞】
猶太ユダヤ王ソロモンの神殿にあった柱、
高さ一八キュビトの青銅の柱――
それがヤキンとボアズです。
向かって左がヤキン、右がボアズ。
柱のこと、日本にも伝わり――
【喪神梨央】
猶太ユダヤの風習が日本に伝わり、
二本の柱は鳥居とりい門松かどまつに形を変えた。
そう言いますよね!
【新山眞】
赤坂の柱がどういう絡繰からくりなのか、
調べる必要がありそうです。
浅草十二階などと同じなのか……
【喪神梨央】
新山にいやまさん、
新しい機械でもこしらえるんですか?

帝都満洲に現れたキタイスカヤの街。そして帝都満洲の異変が時を同じくして、帝都にも影響を及ぼした――
ヤキンとボアズ、この2本の柱の出現は、いったいなにを意味しているのだろうか?

第八章 第十話 滾る憎しみ

〔山王ホテルロビー〕

その日、山王さんのうホテルには多加美たかみ宮司の姿が。真鏡に付随する3篇の古文書こもんじょについて、残すは愈々いよいよあと1篇であった。

多加美たかみ宮司】
紫水しすい会館の古文書こもんじょは、
やはり冬至についてのことでした。

ヒトツノ アラカニ
ワタラシテ ツマル

アラカとは宮のことですね。
ヒトツノ アラカ……
最初の宮ですね。
冬至は太陽の死であり、
同時に再生する日でもあります。
だから最初の宮となります。
京都帝大の方の古文書こもんじょ
見つかり次第、連絡が来るはずです。

ホテル玄関から廣秦ひろはた範奈はんなが入ってきた。風魔のところへ真っすぐ歩いてくる。

【廣秦範奈】
喪神もがみさん……
鍛冶橋かじばしの事務所で――
多加美たかみ宮司】
鍛冶橋かじばし……
もしや、志恩しおん会の――

多加美たかみは、自分は山郷やまごう武揚ぶように見限りを付け、今では風魔らに協力していると述べた。そして東雲しののめ流再興を手伝うのだとも。

【廣秦範奈】
如月きさらぎ鈴代すずよさんの決意は、
るがないのですね――
志恩しおん会では六世紀中頃、
ちょうど武烈ぶれつ天皇統治時代、
日本に渡ったマナセ一族を探します。
久志濱くしはま一族と呼ばれていて、
生糸きいとの生産にたずさわっていたようです。

喪神さん――
その志恩しおん会なのですが、
タイピストの女性から連絡があり――

タイピストが言うには、志恩しおん会の事務所から異音がするとのこと。風魔は範奈はんなとともに鍛冶橋かじばしへ向うことに――

範奈、風魔を乗せた公務電車は数寄屋すきや橋電停を通過、その先の鍛冶橋電停に着いた。

〔鍛冶橋〕

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
大丈夫ですか?
いきなり出かけるって言うから……
大慌てて公務電車の路線、
押さえたんですよ!

【廣秦範奈】
タイピストの女性が言うには、
志恩しおん会の事務所、人がいないのに、
人の気配がすると……
私も何度か、
同じような経験をしました。

そこへ白衣姿の人物がやって来た。頭には反射鏡を着けたままである――

【猫憑き】
ニャ~……
アンタもこの人の仲間ニャ?
この人、大っきな隙間すきまあるニャ。
おいらだけじゃスッカスカ!
おいら、猫の政次郎ニャ!

――言わんこっちゃないニャ!
誰か来るニャ!
ものすごい速さで来るニャ。

ひゃ~……
おいら、弾き飛ばされたニャ!!

白衣姿の男は呆然と立ちすくんだままだ。男の背後にアストラルが現れた。アストラルを透かして鍛冶橋の町が見えている。

【???】
FUMAサン……
JEREMIAHエレミヤデス……
ワカリマスカ?

【エレミヤの思念】
私ハ コンナニ ナリマシタ……
BUT心ニ JUSTIS!!
伝エタイコト I HAVEデス
【廣秦範奈】
エレミヤ……さん……
エレミヤ佐古田さこたさんですね?
――銀行家の……
【エレミヤの思念】
範奈はんなサン……
おお範奈はんなサン……
貴女にまつわるVERY大事なこと!
とても大事なこと――
I HAVEなのです。

でも今は話せません――
FUMAサンにお会いして、
I TALKしたいです!
来てください――大連ダイレンです――
碑文谷ひもんや大連ダイレンで、
I WAITしています。

アストラルが消えた。白衣姿の男ははっと我に返った。

【本郷の内科医】
ここは……どこですか?
私、白山上はくさんうえの電停にいた、
それまでは覚えていますが。
その後のことは、ちょっと――
やれやれ……
これで今年になって十六回目です。
しっかりしなきゃです。

白衣の医者は何やらつぶやきながら歩き去った。暫く見送っていた範奈だが、軽く深呼吸をして風魔に向き直る。

【廣秦範奈】
私にまつわる大事なこと――
それって何でしょうか?
【着信 喪神梨央】
ゲートの準備できています。
はらえのへお越しください。

祓えの間からゲートを潜り帝都満洲へ。帝都満洲鉄道あじあ号に乗るや、列車長から案内があった。

【満鉄列車長】
碑文谷ひもんや大連ダイレンに再びわだかまる存在が――
これまでになく大きいですね。
さて、本列車ですが、
先程、定刻ていこく通り目黒奉天ホウテンを通過、
まもなく碑文谷ひもんや大連ダイレンに到着です。

〔碑文谷大連〕

【演説家アストラル】
蹶起けっきせよ、将兵諸君!
――ああ、もっと声を張り上げて……
えー……
世相の頽廃たいはい、人身の軽佻けいちょうがいし、
国家の前途に憂心ゆうしん覚えありしが――

だめだな……
登米川とめがわ先生のようにはいかない。

【作家志望アストラル】
記念すべき第一回茶川賞で、
なぜ、僕の小説が落選するんだ?

「ケッケッケ――
怪人三面相は不敵な笑い声を上げた。
それを見た彼女は一段とおびえた!

この後、どんな展開を見せるか、
知りたくないかい?
フフフ、くまなく教えてあげるよ!

おびえた女は突如とつじょ大蛇だいじゃと化した!
そして怪人三面相の体に巻き付き、
ぐいぐいと締め上げた!

「怪人三面相は
憤怒ふんぬ形相ぎょうそうとなった。
しかしすでに手遅れだった――
怪人は青ざめて動かなくなった。

どうだい!
予想外だったろう!
僕は絶対に諦めないからな!!

作家志望のアストラルが去ったのと入れ違いに、3体のアストラルがやって来た。

【伊班R隊員アストラル】
ん?
貴様は……
さては将校か!
ならば心しておくように。
我々玄理げんり派は二班で構成される。
第一の班は班、
元召喚小隊、暁光ぎょうこう召喚隊の隊員ら、
およそ三百名だ。
第二の班は班、
歩三附きの一般将兵ら、
およそ五百名から成る。
玄理げんり派は腐敗国家日本を革新すべく、
多くの血盟者けつめいしゃを迎えている――

【露班O隊員アストラル】
現代日本においては、政党政治家、
財閥ざいばつ及び特権階級のいずれも、
腐敗ふはい堕落だらくはなはだしい。
国家観念をなくし、国家滅亡の、
恐れあるに至らしめたるとし、
愈々いよいよ廓清かくせいつるぎを掲げんとす――
農山漁村の窮乏きゅうぼうを見よ!
小商工業者の疲弊ひへいを見よ!
我国の現状、黙視し得ざるものあり!!

【伊班T隊員アストラル】
貴様は陸士か?
我々、玄理げんり派に加わりたくば、
次の問に答えよ!!

一、歩兵の本領ほんりょう及戦闘手段
一、軍紀について
一、軍人聖心せいしんの意義
一、国防の最良手段
一、勅諭ちょくゆの紀元
一、連隊の歴史
一、四大師しだいし
一、ファッショ
一、現代世相に対する観察

如何どうだ?
続けるぞ、次の趣旨しゅしを述べよ!

天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
――
貴様、貴様のような輩の存在が、
国体を減衰せしめるのだ!!

《バトル》

他2体のアストラルは姿を消していた。

【伊班T隊員アストラル】
武士もののふの道は違はたがわいつの世に
いずくの野辺のべ
つゆゆとも

義憤に燃えたアストラルが消えると、風魔を呼ぶ声がした。

【???】
FUMAサン……
こっちです、こっち……

1体のアストラルがぽつんと浮かんでいた。

【Jアストラル】
FUMAサン……
とても深いところから、
上がってきた人、MEETです――
昔、志恩しおん会の代表をされていた、
廣秦ひろはたサンです――
廣秦ひろはた伊佐久いさくサンです!
そうです……
廣秦ひろはた範奈はんなさんのお父さんです。
今、おいでです――

その言葉に誘われるように、中型のアストラルがやって来る――

【Kアストラル】
範奈はんなを……範奈はんなを知る者か?
――私は……古賀こが容山ようざん篆刻師てんこくしだ。
古賀こが篆刻てんこくを守る私は――

あああ……
ここでは自分を保てない――
私は……私は……

アストラルは揺らいでいた。

幻の五石を求め旅に出た――
自然珪じねんけい天竺瑠璃てんじくるり雌黄しおう捻綿石もんせき
玄武晶げんぶしょう――
私は多くを求めすぎたのだ。
範奈はんなが生まれる三ヶ月前のことだ――
私は……ちたのだ……

以来、私は思念を飛ばし、
廣秦ひろはた伊佐久いさくとして活動した。
志恩しおん会の一事務員にいたのだ。

アラヤ界の深くをめぐる、
孤独な念と出会ったのが始まりだ。
失われた支族を求めれば戻れる――
その念は私にそう伝えたのだ。
私はその言葉を信じて……
――ああ、だめだ、保てない!!

アストラルが大きく揺らいだ。

《バトル》

【Kアストラル】
範奈はんなを知る者よ――
範奈はんなを呼びたい。
どうかなかだちをしてくれないか。
世界の底を漂い、
私は多くを見てきた。
失ったもの以上のものを得た!!

そう言い残すとアストラルは滲むようにして消えた。

【着信 喪神梨央】
範奈はんなさんのお父さん、
アストラルだったんですね!
碑文谷ひもんや大連ダイレン依然いぜん、セヒラ観測中。
でも今は安定しています。
ひとまず帰還してください。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん、隊長が――
参謀本部から戻られました。
【帆村魯公】
玄理げんり派がいつの間にやら、
一大勢力となっておった。
【喪神梨央】
班、班と言っていました。
【帆村魯公】
うむ……
暁光ぎょうこう召喚隊を中心に班、
歩三将兵で構成する班だ。
玄理げんり派は地方出身の青年将校らの、
不満を刺激し、彼らを錬成れんせいしおった。
状況次第では蹶起けっきも辞さない、
その勢いだそうだ……
玄理げんり派は登米川轍とめがわわだちという
予備役の革命論者と接触を深めて、
革新の大義を掲げておるようだな。

ただ、常田つねだ大佐に大義などない。
覇権はけん確立を狙うばかりだろう。
将校らはうまく利用されておる――
【九頭幸則】
歩一の将兵にも、
玄理げんり派に血盟けつめいする者があると、
内偵ないてい調査が入りました。
【喪神梨央】
幸則ゆきのりさんは、
政治や財閥の腐敗には、
義憤を感じないのですか?
【九頭幸則】
り、梨央りおちゃん――
いきなりふっかけるなぁ。
いや、感じなくはないけど――
天之道不而善勝てんのみちはあらそわずしてかつ――
そう言うじゃない!
【帆村魯公】
ほほう! 老子か!
ところで諸君は先の問題はどうだ?
【喪神梨央】
天子てんしは文武の大権を
掌握しょうあくするの義を存して
ふたたび中世以降の如き
失体しったいなからむ事を望むなり
【九頭幸則】
ええ、これまた何だよ!
――どっかで聞いたことあるけど……
【帆村魯公】
おいおい!
幸坊もれっきとした陸士だろ。
これは軍人勅諭ちょくゆの大事な一節だぞ。

ノックの音が響き、新山眞が姿を見せた。

【新山眞】
皆さん!
わかりましたよ!
ユンカー博士の居場所が――

ユンカー博士が体内に入れたシュタイン新山にいやまはその特有の波形を発見した。非常に弱い波形のため発見に手間取ったのだ。
ユンカー所長の弱い波動が確認されたのは、麹町こうじまち区の旧憲兵隊司令部だった。所長は裏庭の井戸で他殺体で見つかった。

【九頭幸則】
まさかな……
殺されていたなんて。
酷い有様だったようだ。
【着信 喪神梨央】
歩一の車列、
旧憲兵隊司令部に向かいます。
場所は……麹町こうじまち区です。

普段は静かな町に四両の軍用トラックの車列があった。歩一のトラックである。トラックが旧憲兵隊司令部に向けて走り出した。トラックを見送った風魔と九頭は、公務電車の待つ溜池電停へ向かう。その途中、聖宮と出会った。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん――
京都でいろいろ調べが付きました。
私立探偵が頑張ってくれまして。

聖宮ひじりのみや九頭くずは自己紹介し合った。互いに相手のことは聞き及んでいた。

【九頭幸則】
私立探偵に依頼されたのですか?
【聖宮成樹】
ええ、信頼のおける人物です。
【九頭幸則】
京都でわかったというのは、
鈴代すずよのことですか?
ゆかりの神社から鏡を預かったという――
【聖宮成樹】
鏡のことは、試したいことがあり、
今、麻美マーメイさんという方に、
ある物を依頼しています――
実はユンカー博士には、
双子の弟がいたのです。
それが柄谷がらたに生慧蔵いえぞうなのです。
【九頭幸則】
その人は、確か……
【聖宮成樹】
戦実施計画綱領――
論文の執筆者です。
京都瑛山会えいざんかいの一員でもあります――

京都帝大の物理学者、柄谷がらたに生慧蔵いえぞう――
その手による論文が参謀本部に提出され、歩兵第一連隊に山王さんのう機関が設立された。セヒラやについて京都で管理するのが、聖宮ひじりのみやも所属する瑛山会えいざんかいなのである。
柄谷がらたに瑛山会えいざんかいの中核メンバーであった。

【九頭幸則】
その柄谷がらたに博士は日本人として、
振る舞っていたのですね?
【聖宮成樹】
やや外国人風の面立おもだちということで、
特に問題はなかったのでしょう。
出自しゅつじは明らかにしなかったようです。
【九頭幸則】
ユンカー所長の一家は、
双子の弟を日本に残して、
独逸ドイツに帰国したわけですね。
【聖宮成樹】
何か理由があってのことでしょう。
四十年ほど前のことです――
【九頭幸則】
柄谷がらたに博士は、
ユンカー所長殺害に関係している――
そうなのでしょうか?
【聖宮成樹】
何らかの関係はあると思います。
――おそらく強い確執かくしつがあった……

25年ほど前、生慧蔵いえぞうは渡独の際、兄ユンカーとの面会を希望した。しかしユンカーはこれを退しりぞけたのだ。

【聖宮成樹】
兄ユンカーは墺太利オーストリアの、
王立アカデミー入学への入学を控え、
独逸ドイツ政府の推薦が必要でした。
当時、日独は間接的な対立関係下、
日本にいる肉親の存在は、
ユンカーには不都合だったのです。
【九頭幸則】
四半世紀も前のことが……
今頃になって……
うーむ……あるかも知れませんね。

【聖宮成樹】
喪神もがみさん、私が山王さんのうに来たのは、
釣鐘つりがねを調整するためです。
帝都満洲のセヒラが、
一段と強くなったとのこと。
新山にいやまさんから連絡があったのです。
これより、
山王さんのう機関の方に向かいます。
釣鐘つりがねの制御を始めます。

聖宮はキビキビした所作を伴って歩き去った。そこへ着信があった――

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
芽府めふ須斗夫すとおの声が記録されました。
ちょっと聞いてください――

【再生 芽府須斗夫】
……僕は会ったんだ……
彼女さ、そうさ、彼女だよ!
僕の眠りの中にセフィラが流れ込み、
その中に彼女は浮かんでいたのだ。
金雀枝えにしだ色の瞳が美しい彼女は、
千紘ちひろと名乗ったよ。
彼女は自分のことを僕と呼ぶ――
僕たちは響き合う――
彼女、そう言うんだ。
その言葉は柔らかく僕を包み込んだ。
するとどうだい――
僕の中に沈んでいた言葉が、
ゆらゆらと浮き上がったのさ!

再生音声は歪んだノイズとともに消えた。風魔と九頭は互いに顔を見合わせている。そこへ梨央がやって来た。

【喪神梨央】
兄さん!
芽府めふ須斗夫すとおが語った言葉です。
タイプライターで打ち出しました。

芽府めふ須斗夫すとおはアルファベットを語った。それを一文字ずつ大文字でタイプせよと、録音マイクに向かってそう命じたのである。

【九頭幸則】
さっぱり読めないよ――
まるで何かの暗号だね。
【喪神梨央】
私もそう思います。これは暗号です。
新山にいやまさんがお持ちの、
ナチの極秘資料ゲハイムドクメントにありました――
【九頭幸則】
ナチの……極秘資料?
そんなのがあるの?
【喪神梨央】
似た文字を見ました。
それはエニグマ暗号機でこしらえた、
暗号電文でした。

梨央りお九頭くずらとともに一旦山王さんのう機関本部へ。しかし、日枝ひえ神社境内けいだいにセヒラ観測され、風魔ふうま日枝ひえ神社へ向かった。

〔日枝神社境内〕

日枝神社の社を背に4体のホムンクルスがいた。執事型、メイド型、レーベンクラフト型、そしてユーゲント型である。そこへクルト・ヘーゲンがゆっくりした足取りでやって来た。

【クルト・ヘーゲン】
キョウトの学者ピーハディは、
私に不思議な体験をもたらした。
彼が差し出したのは、
水晶クリスタールだった――
完璧なでできている。
それを手に取り、いくら調べても、
完璧な三面体だった……
三角錐さんかくすいでも四面体となるはずだ。
この世にこのような、
美しい三面体が実在するとは……
その水晶を握りしめた瞬間、
私の血潮ちしお沸騰ふっとうしたのだ!
この一週間、
私は高みを飛翔ひしょうしている!
恐れすら一瞬で消え去ってしまう。
彼との初めての会話――
それは私が日本に着任して
間もなくの頃だった――

辺りが急に白く輝き、やがて光は失われた。暗闇の中にクルト・ヘーゲンの姿があった。何処からともなく声がする――

【???】
クルト・ヘーゲン――
君はもう苦しまなくてもいいのだよ。
【クルト・ヘーゲン】
誰だ、お前は?
私が何に苦しむというのだ?
【???】
君の忌々いまいましい過去は、
とうに過ぎ去った車窓しゃそうの景色だ。
すっかり色褪いろあせて冷えている。
【クルト・ヘーゲン】
ああ、そうだとも!
私は自分にったのだ!
【???】
自分につなどナンセンスだ。
誰もが自分を遠ざけるのだ、
そして空隙くうげきを生み出す。
【クルト・ヘーゲン】
何の話をしている?
私は逃げてなどいない!
ただ――
【???】
ただ、どうした?
憎しみをたぎらせる一方ではないか?
それでこそ君なのだ!
【クルト・ヘーゲン】
そうだ、憎しみだ。
私の憎しみは計り知れない。
ヒュドラの沼よりも底が知れない。
【???】
いいや、君には底が見えている。
それが君のおびえの全てを生み出す。
さぁ、私にゆだねるがいい――
君のたぎる憎しみの、
そのうつわを無限の大きさにしてやろう。
どんな宇宙よりも大きな器だ。
ただしだ――
【クルト・ヘーゲン】
フフフ――
交換条件があるのか?
いいだろう、言ってみろ。
【???】
簡単なことだよ。
多くの部下たちに指示を出す、
ただそれだけだ。

〔日枝神社〕

4体のホムンクルスを従えるような位置にクルト・ヘーゲンは立っていた。その目は風魔を見据えているようであり、また風魔を透かしてみているようでもあった。

【クルト・ヘーゲン】
セフィラは超低温、真空状態で、
五億倍という高濃度に凝縮ぎょうしゅくする。
フェラーの法則と呼ばれる現象だ。
圧縮セフィラはセフィラ光を発し、
それを八枚の純鏡シュピーゲルで反射させる。
セフィラ光はますます輝く!
その光を一気に放つのだ。
ユルゲン・フェラー博士の指導で、
完全なる大型波動グローサベッレが完成した。
これからもミヤケザカから、
継続的に大型波動グローサベッレが発せられる!
私のは成功したのだ。
さぁ、配下の者どもよ!
真の実力を見せてやれ!!

【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
セヒラ急上昇です……
でも、日枝ひえ神社ではありません!
セヒラ、帝都中で上昇しています。
おそらく帝都満洲から流れている、
そう推測されます!

目の前の4体のホムンクルスにアストラルが現れた。4体は身じろぎ一つしない。

【クルト・ヘーゲン】
どうした!
何があった!
アプドロックが消えたのか!!
くそっ!
こうなったら私が試す!
大型波動グローサベッレ、私も受けたのだ!!

《バトル》

4体のホムンクルスの姿はなかった。

【クルト・ヘーゲン】
アハハハハハ~
私は負けていない!
そうだ、戦いの勝敗ではない!
こうしたみっともない戦いが、
私の憎しみをより大きくする!
お前には感謝せねばな!!

そう言い放った後、クルト・ヘーゲンはややふらつきながら境内けいだいを後にした。

【着信 喪神梨央】
殿下が釣鐘つりがねを……
釣鐘つりがねを調整されたようです。
現在、帝都のセヒラは高い値ながら、
安定しています。

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
帝都満洲に、
強いセヒラがあるようです。
それって――
範奈はんなさんのお父さん……
そうじゃないでしょか?
古賀こが容山ようざんという日本的な名前でした。
【式部丞】
喪神もがみさん――
先程の芽府めふ須斗夫すとおの録音ですが、
彼は覚醒かくせいしたまま話したようです。
そして――
千紘ちひろと会った、そう言いました。
彩女あやめ君の第二人格です、千紘ちひろは。
響き合う――
彩女君も同じ台詞を語りました。
【喪神梨央】
夢の中で会った、
そんなようなことでしたよ。
【式部丞】
夢……あるいは自失した先。
帝都満洲かも知れませんね。
先の予言、ヒククアケ――
近く日本の古文書こもんじょ研究の先生が、
セルパン堂においでになります。
そのときに意味がわかるでしょう。
エニグマ暗号の方は、
新山にいやまさんに任せるしかなさそうです。

瑛山会えいざんかい柄谷がらたに生慧蔵いえぞうはユンカー所長の双子の弟であった。
兄の死に関わった恐れのある弟――
彼はまたクルト・ヘーゲンと取引をし、帝都に無益な戦いをもたらそうとした。柄谷がらたに生慧蔵いえぞうの目的とは果たして何であろうか?

第七章 第九話 芽府須斗夫

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
兄さん……
今日、歩一の警護車両が東京駅に。
要人でも来るんでしょうか?
【帆村魯公】
先ごろから車両運用は車両課で
管理するようになったからな。
車両課の計画は我々にも伝わる。
それで、どんな様子なんだ?
【喪神梨央】
乗用車二台、トラックは……ナシ。
今日の午後に予定されています。
この後だと特別急行さくら号です。
京都を八時四一分に出て
東京には午後四時四〇分着です。
【帆村魯公】
梨央りお、思うんだが、
省線しょうせん時刻ダイヤにやけに詳しいな!
【喪神梨央】
去年十二月に時刻改定がありました。
丹那たんなトンネル開通で東京大阪間は二〇分短縮されたんです。

【式部丞】
どうにもらちきません――
【帆村魯公】
淀橋よどばしで見つかった書生のことですな。
それで、どうなりましたかな、
――芽府めふ須斗夫すとおは。
【式部丞】
彼は今、深い眠りにいています。
【帆村魯公】
憲兵隊本部に移送されて以来、
一度も起きていないと?
【式部丞】
何度か目は覚ましたようですが、
すぐ、深い眠りに落ちてしまう、
そんな様子だそうです。
【喪神梨央】
無理やり起こしちゃダメなんですか?
【式部丞】
彼は半覚半睡はんかくはんすいの状態でこそ、
あの予言を語るようです――
目覚めた時、何もおぼえていないと。
米国にエドガー・ケイシーという、
予言者がいるのですが、
ほとんど同じ様子だと思います。
【帆村魯公】
つまり半覚半睡はんかくはんすいで予言する?
【式部丞】
ケイシーの場合は深い催眠さいみん状態です。
静かに横になり、威厳のある声で、
様々なことを語ります――
ケイシーは相談者の悩みを聞き、
想像だにしなかったことを語り、
相談者の人生をひらいていきます。
【喪神梨央】
――何だか人生よろづ相談みたい……
【帆村魯公】
これ、梨央!
茶化ちゃかすんでないぞ。
【式部丞】
ケイシーのその能力は、
主に病気の治療にあてられました。
近年は霊能力者として活躍します。
【帆村魯公】
淀橋よどばしの書生は、質問に答える恰好かっこうで、
予言を語るのかな?
【式部丞】
予言を聞いた者によると、
特に質問はしないそうです。
勝手に語り始めたとか。
でも質問で聞き出すことも考え、
ある医者を呼んでいます。
アレクサンダー・ヨネダという、
日系米人の医者です。
彼はケイシーの研究家でもあります。
【帆村魯公】
覚えのある名のような――
さて、何をした人じゃな?
【式部丞】
今年、本を出しました。
宇宙よりの意識という題名です。
新聞に書評も載りましたよ。
【喪神梨央】
その書評、読みました!
瞑想めいそうして宇宙の意識を呼び込むと、
人生が変わるんです――
【式部丞】
一ツ橋の憲兵司令前で、
ドクターヨネダと落ち合います。
喪神もがみさん、ご一緒されますか?
【帆村魯公】
うむ、是非ぜひにな。
予言とやらがいらぬ連中に、
知れては困るのでな。
【喪神梨央】
東京憲兵隊本部はこの七月、
麹町こうじまち竹平町たけひらちょうに移転したばかりです。
最寄もよりの電停は一ツ橋ひとつばしです。
早速、公務電車を手配します。
さっきの要人ですが、
なんとなくわかりました――
【帆村魯公】
ほう、誰なんじゃい?
【喪神梨央】
聖宮ひじりのみや殿下だと思います。
京都から殿下が戻られる、
きっとそうです!

〔東京憲兵隊本部〕

【式部丞】
この憲兵隊本部、
新しくできたんですね。
以前は大手町おおてまちにありました――
麹町こうじまち憲兵分隊も移ってきたようです。

憲兵司令部、憲兵練習所、東京憲兵隊本部は、この7月、それまで所在した大手町おおてまちから麹町こうじまち竹平町たけひらちょう竣工しゅんこうした新庁舎へと移転した。麹町こうじまち憲兵分隊。大震災の混乱に乗じ逮捕たいほしたアナーキストの大杉栄おおすぎさかえ、内縁の妻伊藤いとう野枝のえを、尋問室で殺害して裏井戸に投げ入れた――
いわゆる甘粕あまかす事件のあった場所である。当時、分隊が麹町こうじまち大手町おおてまちにあったため、麹町こうじまち分隊と称されていた。

【雪ヶ谷の娘】
町内の善三ぜんざさま、憲兵少尉におなりに。
すっかり素敵な青年将校さまですわ。
でもおかしいの――
渋谷憲兵大隊の本部ってところ、
まるで活動キネマ館みたいでしたわ。
【式部丞】
つまり映画館のようだと?
そこも憲兵隊の本部ですよ、
場所違いではないですか?
【雪ヶ谷の娘】
玉川電車の渋谷道玄坂どうげんざか上電停前、
ちゃんとうかがいましてよ。
さらのビルヂングはありました――
でもやはりあれは活動キネマ館ですわ。
紅楼夢こうろうむのぼりがずらーっと並んで、
それはそれは華やかでしたわ!
甲楽城かぶらぎ善三郎ぜんざぶろう憲兵少尉……
一目ひとめでもお姿拝見しとうございます。

【噂好きの学生】
東京憲兵隊本部、立派なもんです!
いやね、ちょっと小耳に、
挟んだんですけどね――
お堀側に秘密の隧道すいどうがあるってね。
【式部丞】
あまりそういう風評に流されるのは、
好ましくないですね。
場所が場所ですよ、学生さん。
【噂好きの学生】
え? そうなんですか――
その隧道すいどうは地下牢に繋がっていて、
常に入るきりの一方通いっぽうとおりだそうです。
わぁ、にらまないでください!!

【アレクサンダー・ヨネダ】
式部しきべさんですね?
アレクサンダー・ヨネダです。
【式部丞】
ドクター・ヨネダ!
足労そくろう頂き、感謝します――
ここはすぐわかりましたか?
【アレクサンダー・ヨネダ】
新しく立派な建物です。
道でお二人の様子をうかがっていました。
それで我がリーダーはこの中ですか?
【式部丞】
リーダー?
それはひきいる者ですか?
【アレクサンダー・ヨネダ】
読み解くリーディングという意味です。
変性意識によって宇宙と繋がり、
あらゆる真理を読み解くのです。
【式部丞】
それならこの中です。
尋問室の隣で眠ります。
【アレクサンダー・ヨネダ】
まず目覚めさせましょう。
そのとき、二人くらいがいいです。
あまり大勢だと困惑させます――
【式部丞】
わかりました――
喪神もがみさん、ドクターと私が、
彼を目覚めさせます。
その後、お呼びします。

【渋谷憲兵大隊恋瀬川こいせがわ少尉】
探したぞ! 
貴様!
山王さんのうの山猿めが!
藍住あいずみのおかしくなったのは、
貴様のせいだろ!
渋谷憲兵大隊藍住あいずみ少尉のことだ!
乱歩らんぽ三文さんもん小説なぞに夢中になり、
四肢ししを失いある須永すなが中尉が
どうしたこうしたとつぶやく――
酒も飲まぬにあらぬことばかり
口走るようになり、
今や常にうつろの状態だ!
幼年学校も士官学校も首席だった、
あの聡明そうめい藍住あいずみの面影は微塵みじんもない!!
貴様がせいで藍住あいずみが……
――あああ、くそっ!!
我が友を返せ!!

《バトル》

【渋谷憲兵大隊恋瀬川こいせがわ少尉】
玉の外側に水銀を塗って、
その内側を一面の鏡にすること――
あああ、私の正気が失われるぅぅぅ~

〔憲兵隊本部尋問室前〕

【式部丞】
ここで待ちましょう。
先程、ドクターが起こしました……
じきにここへ来るはずです。
【芽府須斗夫】
向かいの公園からの風が、
心地いいね――
【式部丞】
向かいのとは……
つまりは宮城きゅうじょうのことかな?
【芽府須斗夫】
池の向こうにある公園だよ。
この部屋には風が吹かない――
【式部丞】
ところで、今、気分はどうかな?
よく眠っていたね――
【芽府須斗夫】
この世には哲学でさえ、
及ばないことがある――
【式部丞】
ん?
それは……
ハムレットの台詞かな――
この天地にはお前の哲学さえ、
及ばぬことがあるぞ、
ホレイシオよ――
ハムレットが友人である、
ホレイシオに言った台詞です。
芽府めふ君……
君は沙翁さおうが好きなのかね?
英吉利イギリスの劇作家の――
【芽府須斗夫】
ふと浮かんだんだ。
ここに来て四回目覚めた――
いろいろのこと、わかってきた。
【式部丞】
いろいろの?
それは、何についてだい?
【芽府須斗夫】
君たちはを召喚して戦う。
この町にはセフィラが豊富で、
それを狙う勢力もある――
君たちの国の軍隊は、
を人にけしかけられれば――
そういう淡い希望を抱いている。
でもまだ実現できていない。
【式部丞】
短い時間で随分とわかったんだね。
それも、頭の中に浮かんだのかな?
【芽府須斗夫】
すでに知っていたとする方が、
適切かな、この場合は。
町のセフィラが強くなると、
市民の恐怖心から出たものが、
いつの間にか実体を持つ――
それでますます恐れが蔓延まんえんして――
繰り返しているんだよね。

【式部丞】
何でしょうか、今の音は?
【芽府須斗夫】
多分、あの医者だよ。
僕が目覚めた時、何かを感じた、
そうなんじゃないかな?
【式部丞】
ドクター・ヨネダはどこですか?
姿が見えませんが――
【芽府須斗夫】
向かいの監視室なんじゃないかな?
ひとごと言いながら、
尋問室出ていったから――
あの医者、
手が小刻こきざみにふるえていたよ!
【式部丞】
ドクター、大丈夫でしょうか――
風魔さん、お願いできますか?

〔東京憲兵隊本部〕

【アレクサンダー・ヨネダ】
彼は途方とほうもない――
ものすごく深いところに繋がる!
その奥底を私は見てしまった!

彼はあらゆる者だ、
時を超越した存在だ!

彼は転生を繰り返す――
ソドムの衛戍兵えいじゅへい、ゴリアテの愛弟子まなでし
カペナウムの百卒長ひゃくそつちょう、ウルの神官――
時を越えたおののきが、
私を、私を、私を満たしていく!!

《バトル》

【アレクサンダー・ヨネダ】
ついに私は満たされた――
【着信 喪神梨央】
黒ノ八号帥士くろのはちごうすいし
帝都満洲にセヒラの特異点です。
はらえのに来てください!

〔山王ホテル前〕

はらえのに向かうべく山王さんのうホテルに戻った時、ホテル前にセヒラ異常が発生していた。

【帆村魯公】
帝都満洲どころじゃないぞ、
帝都にセヒラ異常が起きた!
風魔ふうま
セヒラ球の中に何か見えるぞ!

【バーナードチャンのアストラル】
何かの勢いが私を押した――
現世の私は長い眠りに就く。
私はフリーダイップの同業だ――
香港ホンコンの風水師だ。
帝都満洲に蟠踞ばんきょするものがある。
とてもとても大きい――
私がめている。
しき気の脈筋みゃくすじを築いた。
さぁ、私を退しりぞけ、わだかまりを解くのだ。
しき気脈きみゃくの向かう先、うしの方位だ!
【着信 新山眞】
皇女和宮かずのみやのときは、
帝都満洲にてセヒラの壁を崩し、
帝都へのセヒラ奔流ほんりゅうを防ぎました。
今度は違います!
帝都にセヒラを流すというのです。
そんなことをしたら――
【バーナードチャンのアストラル】
案じるな!
しき気脈きみゃくは流れ込む先がある。
私はもう限界なのだ!!

《バトル》

【バーナードチャンのアストラル】
風水の龍穴りゅうけつは陽の気に満ちる。
だがこれは陰の気――
しき陰の気脈きみゃくだ。
その気脈きみゃくそそぐ先、うしの方位、
距離、およそ二十四町だ――
【帆村魯公】
アストラルだ――
まことに……アストラル……
まさか現出するとは――
目の錯覚さっかくではあるまい。
おぼろな命に蘇る息吹いぶき……
なんとも美しい……はぁ……
風魔ふうまや、聞いたか!
セヒラの流れ込む先、ここより北北東に、およそ二キロ半――

【???】
ニャンニャンニャ~
【バール】
ここは帝都かニャ?
それにしてもすごいセヒラだニャ!
――何だか体がムズムズするニャ!

うわぁ、何だニャ!
びっくりするニャ!

何だ? 何だ? 
ニャニャニャ?

【進化バール】
バールは俺だ、
よろしく頼むぜ!

〔山王ホテル前〕

【帆村魯公】
ここより北北東に、およそ二キロ半――
その方角と距離だと、
ちょうど憲兵隊本部の位置だな!
そこにセヒラが流れ込むのか!
芽府めふ須斗夫すとおがセヒラを求めるのか――
そうとしか考えられんな!

〔山王機関本部〕

【喪神梨央】
赤坂の方々で同時にセヒラを観測!
見附! 一ツ木通! 李王邸りおうてい
清水谷しみずだに公園でも――
セヒラは一ツ橋にある憲兵隊本部へ、
流れ込んでいる模様です!
【帆村魯公】
すると、界隈かいわいには漏れ出てはいない、
そういうことか?
【喪神梨央】
探信儀たんしんぎではそううかがえます。
新山にいやまさんがくわしく計測すると、
先程、出ていかれました。
【帆村魯公】
アストラルとなった風水師が、
気脈きみゃくを繋いだので、セヒラが
帝都に氾濫はんらんするのを防げておるわけだ。
【喪神梨央】
向かう先は芽府めふ須斗夫すとおですね。
予言を語るには強いセヒラがいる、
そういうことなんですね。
【帆村魯公】
ふむ……彼は果たして日本人か?
――日本のことを知らなかったぞ、
宮城きゅうじょうを公園と呼んだりしてな。
【喪神梨央】
お堀を池とも言っていました。
【帆村魯公】
外国の思念が実体化したりすると、
ややこしいことになりそうだ。
【喪神梨央】
でも隊長、さっきのアストラルも、
外国人です、きっと香港ホンコンの人です。
ようさんの知り合いと言っていました。
【帆村魯公】
確かに、そうであったな……
香港ホンコンの……アストラル……
いやはや――
アラヤ界に繋がるのは、
何も我が方だけではないな――
世界中が繋がっておるのだな!
今は式部しきべ氏からの連絡を待とう。
じき、来るだろ。

程なく式部しきべから1通の電報が届けられた。
ダイロク ノ ヨゲン カタレリ
電報には第6の予言語れりとあった。

芽府めふ須斗夫すとお

 淀橋浄水場にて保護された謎の書生。所持していたハンカチに「芽府須斗夫」と刺繍があった為、その名で呼ばれている。ゲーテの「ファウスト」に登場する悪魔メフィストフェレスに似た名から、何らかの関係があるのではないかと見られている。
 普段は意思を現すことはないが半醒半睡時に予言めいた言葉を放つため、参謀本部は東京憲兵隊本部に留め置くこととしたようだ。




東方飯店にて ADV版

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